大抵のイズムとか主義とかいうものは無数の事実を几帳面な男が束にして頭の抽出へ入れやすいように拵えてくれたものである。一纏めにきちりと片付いている代りには、出すのが臆劫になったり、解くのに手数がかかったりするので、いざという場合には間に合わない事が多い。大抵のイズムはこの点において、実生活上の行為を直接に支配するために作られたる指南車というよりは、吾人の知識欲を充たすための統一函である。文章ではなくって字引である。  同時に多くのイズムは、零砕の類例が、比較的|緻密な頭脳に濾過されて凝結した時に取る一種の形である。形といわんよりはむしろ輪廓である。中味のないものである。中味を棄てて輪廓だけを畳み込むのは、天保銭を脊負う代りに紙幣を懐にすると同じく小さな人間として軽便だからである。  この意味においてイズムは会社の決算報告に比較すべきものである。更に生徒の学年成績に匹敵すべきものである。僅一行の数字の裏面に、僅か二位の得点の背景に殆どありのままには繰返しがたき、多くの時と事と人間と、その人間の努力と悲喜と成敗とが潜んでいる。  従ってイズムは既に経過せる事実を土台として成立するものである。過去を総束するものである。経験の歴史を簡略にするものである。与えられたる事実の輪廓である。型である。この型を以て未来に臨むのは、天の展開する未来の内容を、人の頭で拵えた器に盛終せようと、あらかじめ待ち設けると一般である。器械的な自然界の現象のうち、尤も単調な重複を厭わざるものには、すぐこの型を応用して実生活の便宜を計る事が出来るかも知れない。科学者の研究が未来に反射するというのはこのためである。しかし人間精神上の生活において、吾人がもし一イズムに支配されんとするとき、吾人は直に与えられたる輪廓のために生存するの苦痛を感ずるものである。単に与えられたる輪廓の方便として生存するのは、形骸のために器械の用をなすと一般だからである。その時わが精神の発展が自個天然の法則に遵って、自己に真実なる輪廓を、自らと自らに付与し得ざる屈辱を憤る事さえある。  精神がこの屈辱を感ずるとき、吾人はこれを過去の輪廓がまさに崩れんとする前兆と見る。未来に引き延ばしがたきものを引き延ばして無理にあるいは盲目的に利用せんとしたる罪過と見る。  過去はこれらのイズムに因って支配せられたるが故に、これからもまたこのイズムに支配せられざるべからずと臆断して、一短期の過程より得たる輪廓を胸に蔵して、凡てを断ぜんとするものは、升を抱いて高さを計り、かねて長さを量らんとするが如き暴挙である。  自然主義なるものが起って既に五、六年になる。これを口にする人は皆それぞれの根拠あっての事と思う。わが知る限りにおいては、またわが了解し得たる限りにおいては必ずしも非難すべき点ばかりはない。けれども自然主義もまた一つのイズムである。人生上芸術上、ともに一種の因果によって、西洋に発展した歴史の断面を、輪廓にして舶載した品物である。吾人がこの輪廓の中味を充※するために生きているのでない事は明かである。吾人の活力発展の内容が、自然にこの輪廓を描いた時、始めて自然主義に意義が生ずるのである。  一般の世間は自然主義を嫌っている。自然主義者はこれを永久の真理の如くにいいなして吾人生活の全面に渉って強いんとしつつある。自然主義者にして今少し手強く、また今少し根気よく猛進したなら、自ら覆るの未来を早めつつある事に気がつくだろう。人生の全局面を蔽う大輪廓を描いて、未来をその中に追い込もうとするよりも、茫漠たる輪廓中の一小片を堅固に把持して、其処に自然主義の恒久を認識してもらう方が彼らのために得策ではなかろうかと思う。 ――明治四三、七、二三『東京朝日新聞』―― 「美くしき多くの人の、美くしき多くの夢を……」と髯ある人が二たび三たび微吟して、あとは思案の体である。灯に写る床柱にもたれたる直き背の、この時少しく前にかがんで、両手に抱く膝頭に険しき山が出来る。佳句を得て佳句を続ぎ能わざるを恨みてか、黒くゆるやかに引ける眉の下より安からぬ眼の色が光る。 「描けども成らず、描けども成らず」と椽に端居して天下晴れて胡坐かけるが繰り返す。兼ねて覚えたる禅語にて即興なれば間に合わすつもりか。剛き髪を五|分に刈りて髯|貯えぬ丸顔を傾けて「描けども、描けども、夢なれば、描けども、成りがたし」と高らかに誦し了って、からからと笑いながら、室の中なる女を顧みる。  竹籠に熱き光りを避けて、微かにともすランプを隔てて、右手に違い棚、前は緑り深き庭に向えるが女である。 「画家ならば絵にもしましょ。女ならば絹を枠に張って、縫いにとりましょ」と云いながら、白地の浴衣に片足をそと崩せば、小豆皮の座布団を白き甲が滑り落ちて、なまめかしからぬほどは艶なる居ずまいとなる。 「美しき多くの人の、美しき多くの夢を……」と膝抱く男が再び吟じ出すあとにつけて「縫いにやとらん。縫いとらば誰に贈らん。贈らん誰に」と女は態とらしからぬ様ながらちょと笑う。やがて朱塗の団扇の柄にて、乱れかかる頬の黒髪をうるさしとばかり払えば、柄の先につけたる紫のふさが波を打って、緑り濃き香油の薫りの中に躍り入る。 「我に贈れ」と髯なき人が、すぐ言い添えてまたからからと笑う。女の頬には乳色の底から捕えがたき笑の渦が浮き上って、瞼にはさっと薄き紅を溶く。 「縫えばどんな色で」と髯あるは真面目にきく。 「絹買えば白き絹、糸買えば銀の糸、金の糸、消えなんとする虹の糸、夜と昼との界なる夕暮の糸、恋の色、恨みの色は無論ありましょ」と女は眼をあげて床柱の方を見る。愁を溶いて錬り上げし珠の、烈しき火には堪えぬほどに涼しい。愁の色は昔しから黒である。  隣へ通う路次を境に植え付けたる四五本の檜に雲を呼んで、今やんだ五月雨がまたふり出す。丸顔の人はいつか布団を捨てて椽より両足をぶら下げている。「あの木立は枝を卸した事がないと見える。梅雨もだいぶ続いた。よう飽きもせずに降るの」と独り言のように言いながら、ふと思い出した体にて、吾が膝頭を丁々と平手をたてに切って敲く。「脚気かな、脚気かな」  残る二人は夢の詩か、詩の夢か、ちょと解しがたき話しの緒をたぐる。 「女の夢は男の夢よりも美くしかろ」と男が云えば「せめて夢にでも美くしき国へ行かねば」とこの世は汚れたりと云える顔つきである。「世の中が古くなって、よごれたか」と聞けば「よごれました」と※扇に軽く玉肌を吹く。「古き壺には古き酒があるはず、味いたまえ」と男も鵞鳥の翼を畳んで紫檀の柄をつけたる羽団扇で膝のあたりを払う。「古き世に酔えるものなら嬉しかろ」と女はどこまでもすねた体である。  この時「脚気かな、脚気かな」としきりにわが足を玩べる人、急に膝頭をうつ手を挙げて、叱と二人を制する。三人の声が一度に途切れる間をククーと鋭どき鳥が、檜の上枝を掠めて裏の禅寺の方へ抜ける。ククー。 「あの声がほととぎすか」と羽団扇を棄ててこれも椽側へ這い出す。見上げる軒端を斜めに黒い雨が顔にあたる。脚気を気にする男は、指を立てて坤の方をさして「あちらだ」と云う。鉄牛寺の本堂の上あたりでククー、ククー。 「一声でほととぎすだと覚る。二声で好い声だと思うた」と再び床柱に倚りながら嬉しそうに云う。この髯男は杜鵑を生れて初めて聞いたと見える。「ひと目見てすぐ惚れるのも、そんな事でしょか」と女が問をかける。別に恥ずかしと云う気色も見えぬ。五分刈は向き直って「あの声は胸がすくよだが、惚れたら胸は痞えるだろ。惚れぬ事。惚れぬ事……。どうも脚気らしい」と拇指で向脛へ力穴をあけて見る。「九仞の上に一簣を加える。加えぬと足らぬ、加えると危うい。思う人には逢わぬがましだろ」と羽団扇がまた動く。「しかし鉄片が磁石に逢うたら?」「はじめて逢うても会釈はなかろ」と拇指の穴を逆に撫でて澄ましている。 「見た事も聞いた事もないに、これだなと認識するのが不思議だ」と仔細らしく髯を撚る。「わしは歌麻呂のかいた美人を認識したが、なんと画を活かす工夫はなかろか」とまた女の方を向く。「私には――認識した御本人でなくては」と団扇のふさを繊い指に巻きつける。「夢にすれば、すぐに活きる」と例の髯が無造作に答える。「どうして?」「わしのはこうじゃ」と語り出そうとする時、蚊遣火が消えて、暗きに潜めるがつと出でて頸筋にあたりをちくと刺す。 「灰が湿っているのか知らん」と女が蚊遣筒を引き寄せて蓋をとると、赤い絹糸で括りつけた蚊遣灰が燻りながらふらふらと揺れる。東隣で琴と尺八を合せる音が紫陽花の茂みを洩れて手にとるように聞え出す。すかして見ると明け放ちたる座敷の灯さえちらちら見える。「どうかな」と一人が云うと「人並じゃ」と一人が答える。女ばかりは黙っている。 「わしのはこうじゃ」と話しがまた元へ返る。火をつけ直した蚊遣の煙が、筒に穿てる三つの穴を洩れて三つの煙となる。「今度はつきました」と女が云う。三つの煙りが蓋の上に塊まって茶色の球が出来ると思うと、雨を帯びた風が颯と来て吹き散らす。塊まらぬ間に吹かるるときには三つの煙りが三つの輪を描いて、黒塗に蒔絵を散らした筒の周囲を遶る。あるものは緩く、あるものは疾く遶る。またある時は輪さえ描く隙なきに乱れてしまう。「荼毘だ、荼毘だ」と丸顔の男は急に焼場の光景を思い出す。「蚊の世界も楽じゃなかろ」と女は人間を蚊に比較する。元へ戻りかけた話しも蚊遣火と共に吹き散らされてしもうた。話しかけた男は別に語りつづけようともせぬ。世の中はすべてこれだと疾うから知っている。 「御夢の物語りは」とややありて女が聞く。男は傍らにある羊皮の表紙に朱で書名を入れた詩集をとりあげて膝の上に置く。読みさした所に象牙を薄く削った紙小刀が挟んである。巻に余って長く外へ食み出した所だけは細かい汗をかいている。指の尖で触ると、ぬらりとあやしい字が出来る。「こう湿気てはたまらん」と眉をひそめる。女も「じめじめする事」と片手に袂の先を握って見て、「香でも焚きましょか」と立つ。夢の話しはまた延びる。  宣徳の香炉に紫檀の蓋があって、紫檀の蓋の真中には猿を彫んだ青玉のつまみ手がついている。女の手がこの蓋にかかったとき「あら蜘蛛が」と云うて長い袖が横に靡く、二人の男は共に床の方を見る。香炉に隣る白磁の瓶には蓮の花がさしてある。昨日の雨を蓑着て剪りし人の情けを床に眺むる莟は一輪、巻葉は二つ。その葉を去る三寸ばかりの上に、天井から白金の糸を長く引いて一匹の蜘蛛が――すこぶる雅だ。 「蓮の葉に蜘蛛|下りけり香を焚く」と吟じながら女一度に数弁を攫んで香炉の裏になげ込む。「※蛸懸不揺、篆煙遶竹梁」と誦して髯ある男も、見ているままで払わんともせぬ。蜘蛛も動かぬ。ただ風吹く毎に少しくゆれるのみである。 「夢の話しを蜘蛛もききに来たのだろ」と丸い男が笑うと、「そうじゃ夢に画を活かす話しじゃ。ききたくば蜘蛛も聞け」と膝の上なる詩集を読む気もなしに開く。眼は文字の上に落つれども瞳裏に映ずるは詩の国の事か。夢の国の事か。 「百二十間の廻廊があって、百二十個の灯籠をつける。百二十間の廻廊に春の潮が寄せて、百二十個の灯籠が春風にまたたく、朧の中、海の中には大きな華表が浮かばれぬ巨人の化物のごとくに立つ。……」  折から烈しき戸鈴の響がして何者か門口をあける。話し手ははたと話をやめる。残るはちょと居ずまいを直す。誰も這入って来た気色はない。「隣だ」と髯なしが云う。やがて渋蛇の目を開く音がして「また明晩」と若い女の声がする。「必ず」と答えたのは男らしい。三人は無言のまま顔を見合せて微かに笑う。「あれは画じゃない、活きている」「あれを平面につづめればやはり画だ」「しかしあの声は?」「女は藤紫」「男は?」「そうさ」と判じかねて髯が女の方を向く。女は「緋」と賤しむごとく答える。 「百二十間の廻廊に二百三十五枚の額が懸って、その二百三十二枚目の額に画いてある美人の……」 「声は黄色ですか茶色ですか」と女がきく。 「そんな単調な声じゃない。色には直せぬ声じゃ。強いて云えば、ま、あなたのような声かな」 「ありがとう」と云う女の眼の中には憂をこめて笑の光が漲ぎる。  この時いずくよりか二|疋の蟻が這い出して一疋は女の膝の上に攀じ上る。おそらくは戸迷いをしたものであろう。上がり詰めた上には獲物もなくて下り路をすら失うた。女は驚ろいた様もなく、うろうろする黒きものを、そと白き指で軽く払い落す。落されたる拍子に、はたと他の一疋と高麗縁の上で出逢う。しばらくは首と首を合せて何かささやき合えるようであったが、このたびは女の方へは向わず、古伊万里の菓子皿を端まで同行して、ここで右と左へ分れる。三人の眼は期せずして二疋の蟻の上に落つる。髯なき男がやがて云う。 「八畳の座敷があって、三人の客が坐わる。一人の女の膝へ一疋の蟻が上る。一疋の蟻が上った美人の手は……」 「白い、蟻は黒い」と髯がつける。三人が斉しく笑う。一疋の蟻は灰吹を上りつめて絶頂で何か思案している。残るは運よく菓子器の中で葛餅に邂逅して嬉しさの余りか、まごまごしている気合だ。 「その画にかいた美人が?」と女がまた話を戻す。 「波さえ音もなき朧月夜に、ふと影がさしたと思えばいつの間にか動き出す。長く連なる廻廊を飛ぶにもあらず、踏むにもあらず、ただ影のままにて動く」 「顔は」と髯なしが尋ねる時、再び東隣りの合奏が聞え出す。一曲は疾くにやんで新たなる一曲を始めたと見える。あまり旨くはない。 「蜜を含んで針を吹く」と一人が評すると 「ビステキの化石を食わせるぞ」と一人が云う。 「造り花なら蘭麝でも焚き込めばなるまい」これは女の申し分だ。三人が三様の解釈をしたが、三様共すこぶる解しにくい。 「珊瑚の枝は海の底、薬を飲んで毒を吐く軽薄の児」と言いかけて吾に帰りたる髯が「それそれ。合奏より夢の続きが肝心じゃ。――画から抜けだした女の顔は……」とばかりで口ごもる。 「描けども成らず、描けども成らず」と丸き男は調子をとりて軽く銀椀を叩く。葛餅を獲たる蟻はこの響きに度を失して菓子椀の中を右左りへ馳け廻る。 「蟻の夢が醒めました」と女は夢を語る人に向って云う。 「蟻の夢は葛餅か」と相手は高からぬほどに笑う。 「抜け出ぬか、抜け出ぬか」としきりに菓子器を叩くは丸い男である。 「画から女が抜け出るより、あなたが画になる方が、やさしゅう御座んしょ」と女はまた髯にきく。 「それは気がつかなんだ、今度からは、こちが画になりましょ」と男は平気で答える。 「蟻も葛餅にさえなれば、こんなに狼狽えんでも済む事を」と丸い男は椀をうつ事をやめて、いつの間にやら葉巻を鷹揚にふかしている。  五月雨に四尺伸びたる女竹の、手水鉢の上に蔽い重なりて、余れる一二本は高く軒に逼れば、風誘うたびに戸袋をすって椽の上にもはらはらと所|択ばず緑りを滴らす。「あすこに画がある」と葉巻の煙をぷっとそなたへ吹きやる。  床柱に懸けたる払子の先には焚き残る香の煙りが染み込んで、軸は若冲の蘆雁と見える。雁の数は七十三羽、蘆は固より数えがたい。籠ランプの灯を浅く受けて、深さ三尺の床なれば、古き画のそれと見分けのつかぬところに、あからさまならぬ趣がある。「ここにも画が出来る」と柱に靠れる人が振り向きながら眺める。  女は洗えるままの黒髪を肩に流して、丸張りの絹団扇を軽く揺がせば、折々は鬢のあたりに、そよと乱るる雲の影、収まれば淡き眉の常よりもなお晴れやかに見える。桜の花を砕いて織り込める頬の色に、春の夜の星を宿せる眼を涼しく見張りて「私も画になりましょか」と云う。はきと分らねど白地に葛の葉を一面に崩して染め抜きたる浴衣の襟をここぞと正せば、暖かき大理石にて刻めるごとき頸筋が際立ちて男の心を惹く。 「そのまま、そのまま、そのままが名画じゃ」と一人が云うと 「動くと画が崩れます」と一人が注意する。 「画になるのもやはり骨が折れます」と女は二人の眼を嬉しがらしょうともせず、膝に乗せた右手をいきなり後ろへ廻わして体をどうと斜めに反らす。丈長き黒髪がきらりと灯を受けて、さらさらと青畳に障る音さえ聞える。 「南無三、好事魔多し」と髯ある人が軽く膝頭を打つ。「刹那に千金を惜しまず」と髯なき人が葉巻の飲み殻を庭先へ抛きつける。隣りの合奏はいつしかやんで、樋を伝う雨点の音のみが高く響く。蚊遣火はいつの間にやら消えた。 「夜もだいぶ更けた」 「ほととぎすも鳴かぬ」 「寝ましょか」  夢の話しはつい中途で流れた。三人は思い思いに臥床に入る。  三十分の後彼らは美くしき多くの人の……と云う句も忘れた。ククーと云う声も忘れた。蜜を含んで針を吹く隣りの合奏も忘れた、蟻の灰吹を攀じ上った事も、蓮の葉に下りた蜘蛛の事も忘れた。彼らはようやく太平に入る。  すべてを忘れ尽したる後女はわがうつくしき眼と、うつくしき髪の主である事を忘れた。一人の男は髯のある事を忘れた。他の一人は髯のない事を忘れた。彼らはますます太平である。  昔し阿修羅が帝釈天と戦って敗れたときは、八万四千の眷属を領して藕糸孔中に入って蔵れたとある。維摩が方丈の室に法を聴ける大衆は千か万かその数を忘れた。胡桃の裏に潜んで、われを尽大千世界の王とも思わんとはハムレットの述懐と記憶する。粟粒芥顆のうちに蒼天もある、大地もある。一世師に問うて云う、分子は箸でつまめるものですかと。分子はしばらく措く。天下は箸の端にかかるのみならず、一たび掛け得れば、いつでも胃の中に収まるべきものである。  また思う百年は一年のごとく、一年は一刻のごとし。一刻を知ればまさに人生を知る。日は東より出でて必ず西に入る。月は盈つればかくる。いたずらに指を屈して白頭に到るものは、いたずらに茫々たる時に身神を限らるるを恨むに過ぎぬ。日月は欺くとも己れを欺くは智者とは云われまい。一刻に一刻を加うれば二刻と殖えるのみじゃ。蜀川十様の錦、花を添えて、いくばくの色をか変ぜん。  八畳の座敷に髯のある人と、髯のない人と、涼しき眼の女が会して、かくのごとく一夜を過した。彼らの一夜を描いたのは彼らの生涯を描いたのである。  なぜ三人が落ち合った? それは知らぬ。三人はいかなる身分と素性と性格を有する? それも分らぬ。三人の言語動作を通じて一貫した事件が発展せぬ? 人生を書いたので小説をかいたのでないから仕方がない。なぜ三人とも一時に寝た? 三人とも一時に眠くなったからである。 元日  雑煮を食って、書斎に引き取ると、しばらくして三四人来た。いずれも若い男である。そのうちの一人がフロックを着ている。着なれないせいか、メルトンに対して妙に遠慮する傾きがある。あとのものは皆和服で、かつ不断着のままだからとんと正月らしくない。この連中がフロックを眺めて、やあ――やあと一ツずつ云った。みんな驚いた証拠である。自分も一番あとで、やあと云った。  フロックは白い手巾を出して、用もない顔を拭いた。そうして、しきりに屠蘇を飲んだ。ほかの連中も大いに膳のものを突ついている。ところへ虚子が車で来た。これは黒い羽織に黒い紋付を着て、極めて旧式にきまっている。あなたは黒紋付を持っていますが、やはり能をやるからその必要があるんでしょうと聞いたら、虚子が、ええそうですと答えた。そうして、一つ謡いませんかと云い出した。自分は謡ってもようござんすと応じた。  それから二人して東北と云うものを謡った。よほど以前に習っただけで、ほとんど復習と云う事をやらないから、ところどころはなはだ曖昧である。その上、我ながら覚束ない声が出た。ようやく謡ってしまうと、聞いていた若い連中が、申し合せたように自分をまずいと云い出した。中にもフロックは、あなたの声はひょろひょろしていると云った。この連中は元来|謡のうの字も心得ないもの共である。だから虚子と自分の優劣はとても分らないだろうと思っていた。しかし、批評をされて見ると、素人でも理の当然なところだからやむをえない。馬鹿を云えという勇気も出なかった。  すると虚子が近来|鼓を習っているという話しを始めた。謡のうの字も知らない連中が、一つ打って御覧なさい、是非御聞かせなさいと所望している。虚子は自分に、じゃ、あなた謡って下さいと依頼した。これは囃の何物たるを知らない自分にとっては、迷惑でもあったが、また斬新という興味もあった。謡いましょうと引き受けた。虚子は車夫を走らして鼓を取り寄せた。鼓がくると、台所から七輪を持って来さして、かんかんいう炭火の上で鼓の皮を焙り始めた。みんな驚いて見ている。自分もこの猛烈な焙りかたには驚いた。大丈夫ですかと尋ねたら、ええ大丈夫ですと答えながら、指の先で張切った皮の上をかんと弾いた。ちょっと好い音がした。もういいでしょうと、七輪からおろして、鼓の緒を締めにかかった。紋服の男が、赤い緒をいじくっているところが何となく品が好い。今度はみんな感心して見ている。  虚子はやがて羽織を脱いだ。そうして鼓を抱い込んだ。自分は少し待ってくれと頼んだ。第一彼がどこいらで鼓を打つか見当がつかないからちょっと打ち合せをしたい。虚子は、ここで掛声をいくつかけて、ここで鼓をどう打つから、おやりなさいと懇に説明してくれた。自分にはとても呑み込めない。けれども合点の行くまで研究していれば、二三時間はかかる。やむをえず、好い加減に領承した。そこで羽衣の曲を謡い出した。春霞たなびきにけりと半行ほど来るうちに、どうも出が好くなかったと後悔し始めた。はなはだ無勢力である。けれども途中から急に振るい出しては、総体の調子が崩れるから、萎靡因循のまま、少し押して行くと、虚子がやにわに大きな掛声をかけて、鼓をかんと一つ打った。  自分は虚子がこう猛烈に来ようとは夢にも予期していなかった。元来が優美な悠長なものとばかり考えていた掛声は、まるで真剣勝負のそれのように自分の鼓膜を動かした。自分の謡はこの掛声で二三度波を打った。それがようやく静まりかけた時に、虚子がまた腹いっぱいに横合から威嚇した。自分の声は威嚇されるたびによろよろする。そうして小さくなる。しばらくすると聞いているものがくすくす笑い出した。自分も内心から馬鹿馬鹿しくなった。その時フロックが真先に立って、どっと吹き出した。自分も調子につれて、いっしょに吹き出した。  それからさんざんな批評を受けた。中にもフロックのはもっとも皮肉であった。虚子は微笑しながら、仕方なしに自分の鼓に、自分の謡を合せて、めでたく謡い納めた。やがて、まだ廻らなければならない所があると云って車に乗って帰って行った。あとからまたいろいろ若いものに冷かされた。細君までいっしょになって夫を貶した末、高浜さんが鼓を御打ちなさる時、襦袢の袖がぴらぴら見えたが、大変好い色だったと賞めている。フロックはたちまち賛成した。自分は虚子の襦袢の袖の色も、袖の色のぴらぴらするところもけっして好いとは思わない。 蛇  木戸を開けて表へ出ると、大きな馬の足迹の中に雨がいっぱい湛っていた。土を踏むと泥の音が蹠裏へ飛びついて来る。踵を上げるのが痛いくらいに思われた。手桶を右の手に提げているので、足の抜き差に都合が悪い。際どく踏み応える時には、腰から上で調子を取るために、手に持ったものを放り出したくなる。やがて手桶の尻をどっさと泥の底に据えてしまった。危く倒れるところを手桶の柄に乗し懸って向うを見ると、叔父さんは一間ばかり前にいた。蓑を着た肩の後から、三角に張った網の底がぶら下がっている。この時|被った笠が少し動いた。笠のなかからひどい路だと云ったように聞えた。蓑の影はやがて雨に吹かれた。  石橋の上に立って下を見ると、黒い水が草の間から推されて来る。不断は黒節の上を三寸とは超えない底に、長い藻が、うつらうつらと揺いて、見ても奇麗な流れであるのに、今日は底から濁った。下から泥を吹き上げる、上から雨が叩く、真中を渦が重なり合って通る。しばらくこの渦を見守っていた叔父さんは、口の内で、 「獲れる」と云った。  二人は橋を渡って、すぐ左へ切れた。渦は青い田の中をうねうねと延びて行く。どこまで押して行くか分らない流れの迹を跟けて一町ほど来た。そうして広い田の中にたった二人|淋しく立った。雨ばかり見える。叔父さんは笠の中から空を仰いだ。空は茶壺の葢のように暗く封じられている。そのどこからか、隙間なく雨が落ちる。立っていると、ざあっと云う音がする。これは身に着けた笠と蓑にあたる音である。それから四方の田にあたる音である。向うに見える貴王の森にあたる音も遠くから交って来るらしい。  森の上には、黒い雲が杉の梢に呼び寄せられて奥深く重なり合っている。それが自然の重みでだらりと上の方から下って来る。雲の足は今杉の頭に絡みついた。もう少しすると、森の中へ落ちそうだ。  気がついて足元を見ると、渦は限なく水上から流れて来る。貴王様の裏の池の水が、あの雲に襲われたものだろう。渦の形が急に勢いづいたように見える。叔父さんはまた捲く渦を見守って、 「獲れる」とさも何物をか取ったように云った。やがて蓑を着たまま水の中に下りた。勢いの凄じい割には、さほど深くもない。立って腰まで浸るくらいである。叔父さんは河の真中に腰を据えて、貴王の森を正面に、川上に向って、肩に担いだ網をおろした。  二人は雨の音の中にじっとして、まともに押して来る渦の恰好を眺めていた。魚がこの渦の下を、貴王の池から流されて通るに違いない。うまくかかれば大きなのが獲れると、一心に凄い水の色を見つめていた。水は固より濁っている。上皮の動く具合だけで、どんなものが、水の底を流れるか全く分りかねる。それでも瞬もせずに、水際まで浸った叔父さんの手首の動くのを待っていた。けれどもそれがなかなかに動かない。  雨脚はしだいに黒くなる。河の色はだんだん重くなる。渦の紋は劇しく水上から回って来る。この時どす黒い波が鋭く眼の前を通り過そうとする中に、ちらりと色の変った模様が見えた。瞬を容さぬとっさの光を受けたその模様には長さの感じがあった。これは大きな鰻だなと思った。  途端に流れに逆らって、網の柄を握っていた叔父さんの右の手首が、蓑の下から肩の上まで弾ね返るように動いた。続いて長いものが叔父さんの手を離れた。それが暗い雨のふりしきる中に、重たい縄のような曲線を描いて、向うの土手の上に落ちた。と思うと、草の中からむくりと鎌首を一尺ばかり持上げた。そうして持上げたまま屹と二人を見た。 「覚えていろ」  声はたしかに叔父さんの声であった。同時に鎌首は草の中に消えた。叔父さんは蒼い顔をして、蛇を投げた所を見ている。 「叔父さん、今、覚えていろと云ったのはあなたですか」  叔父さんはようやくこっちを向いた。そうして低い声で、誰だかよく分らないと答えた。今でも叔父にこの話をするたびに、誰だかよく分らないと答えては妙な顔をする。 泥棒  寝ようと思って次の間へ出ると、炬燵の臭がぷんとした。厠の帰りに、火が強過ぎるようだから、気をつけなくてはいけないと妻に注意して、自分の部屋へ引取った。もう十一時を過ぎている。床の中の夢は常のごとく安らかであった。寒い割に風も吹かず、半鐘の音も耳に応えなかった。熟睡が時の世界を盛り潰したように正体を失った。  すると忽然として、女の泣声で眼が覚めた。聞けばもよと云う下女の声である。この下女は驚いて狼狽えるといつでも泣声を出す。この間|家の赤ん坊を湯に入れた時、赤ん坊が湯気に上って、引きつけたといって五分ばかり泣声を出した。自分がこの下女の異様な声を聞いたのは、それが始めてである。啜り上げるようにして早口に物を云う。訴えるような、口説くような、詫を入れるような、情人の死を悲しむような――とうてい普通の驚愕の場合に出る、鋭くって短い感投詞の調子ではない。  自分は今云う通りこの異様の声で、眼が覚めた。声はたしかに妻の寝ている、次の部屋から出る。同時に襖を洩れて赤い火がさっと暗い書斎に射した。今開ける瞼の裏に、この光が届くや否や自分は火事だと合点して飛び起きた。そうして、突然隔ての唐紙をがらりと開けた。  その時自分は顛覆返った炬燵を想像していた。焦げた蒲団を想像していた。漲ぎる煙と、燃える畳とを想像していた。ところが開けて見ると、洋灯は例のごとく点っている。妻と子供は常の通り寝ている。炬燵は宵の位地にちゃんとある。すべてが、寝る前に見た時と同じである。平和である。暖かである。ただ下女だけが泣いている。  下女は妻の蒲団の裾を抑えるようにして早口に物を云う。妻は眼を覚まして、ぱちぱちさせるばかりで別に起きる様子もない。自分は何事が起ったのかほとんど判じかねて、敷居際に突立ったまま、ぼんやり部屋の中を見回した。途端に下女の泣声のうちに、泥棒という二字が出た。それが自分の耳に這入るや否や、すべてが解決されたように自分はたちまち妻の部屋を大股に横切って、次の間に飛び出しながら、何だ――と怒鳴りつけた。けれども飛び出した次の部屋は真暗である。続く台所の雨戸が一枚|外れて、美しい月の光が部屋の入口まで射し込んでいる。自分は真夜中に人の住居の奥を照らす月影を見て、おのずから寒いと感じた。素足のまま板の間へ出て台所の流元まで来て見ると、四辺は寂としている。表を覗くと月ばかりである。自分は、戸口から一歩も外へ出る気にならなかった。  引き返して、妻の所へ来て、泥棒は逃げた、安心しろ、何も窃られやしない、と云った。妻はこの時ようやく起き上っていた。何も云わずに洋灯を持って暗い部屋まで出て来て、箪笥の前に翳した。観音開きが取り外されている。抽斗が明けたままになっている。妻は自分の顔を見て、やっぱり窃られたんですと云った。自分もようやく泥棒が窃った後で逃げたんだと気がついた。何だか急に馬鹿馬鹿しくなった。片方を見ると、泣いて起しに来た下女の蒲団が取ってある。その枕元にもう一つ箪笥がある。その箪笥の上にまた用箪笥が乗っている。暮の事なので医者の薬礼その他がこの内に這入っているのだそうだ。妻に調べさせるとこっちの方は元の通りだと云う。下女が泣いて縁側の方から飛び出したので、泥棒もやむをえず仕事の中途で逃げたのかも知れない。  そのうち、ほかの部屋に寝ていたものもみんな起きて来た。そうしてみんないろいろな事を云う。もう少し前に小用に起きたのにとか、今夜は寝つかれないで、二時頃までは眼が冴えていたのにとか、ことごとく残念そうである。そのなかで、十になる長女は、泥棒が台所から這入ったのも、泥棒がみしみし縁側を歩いたのも、すっかり知っていると云った。あらまあとお房さんが驚いている。お房さんは十八で、長女と同じ部屋に寝る親類の娘である。自分はまた床へ這入って寝た。  明くる日はこの騒動で、例よりは少し遅く起きた。顔を洗って、朝食をやっていると、台所で下女が泥棒の足痕を見つけたとか、見つけないとか騒いでいる。面倒だから書斎へ引き取った。引き取って十分も経ったかと思うと、玄関で頼むと云う声がした。勇ましい声である。台所の方へ通じないようだから、自分で取次に出て見たら、巡査が格子の前に立っていた。泥棒が這入ったそうですねと笑っている。戸締りは好くしてあったのですかと聞くから、いや、どうもあまり好くありませんと答えた。じゃ仕方がない、締りが悪いとどこからでも這入りますよ、一枚一枚雨戸へ釘を差さなくちゃいけませんと注意する。自分ははあはあと返事をしておいた。この巡査に遇ってから、悪いものは、泥棒じゃなくって、不取締な主人であるような心持になった。  巡査は台所へ廻った。そこで妻を捉まえて、紛失した物を手帳に書き付けている。繻珍の丸帯が一本ですね、――丸帯と云うのは何ですか、丸帯と書いておけば解るですか、そう、それでは繻珍の丸帯が一本と、それから……  下女がにやにや笑っている。この巡査は丸帯も腹合せもいっこう知らない。すこぶる単簡な面白い巡査である。やがて紛失の目録を十点ばかり書き上げてその下に価格を記入して、すると|〆て百五十円になりますねと念を押して帰って行った。  自分はこの時始めて、何を窃られたかを明瞭に知った。失くなったものは十点、ことごとく帯である。昨夜這入ったのは帯泥棒であった。御正月を眼前に控えた妻は異な顔をしている。子供が三箇日にも着物を着換える事ができないのだそうだ。仕方がない。  昼過には刑事が来た。座敷へ上っていろいろ見ている。桶の中に蝋燭でも立てて仕事をしやしないかと云って、台所の小桶まで検べていた。まあ御茶でもおあがんなさいと云って、日当りの好い茶の間へ坐らせて話をした。  泥棒はたいてい下谷、浅草|辺から電車でやって来て、明くる日の朝また電車で帰るのだそうだ。たいていは捉まらないものだそうだ。捉まえると刑事の方が損になるものだそうだ。泥棒を電車に乗せると電車賃が損になる。裁判に出ると、弁当代が損になる。機密費は警視庁が半分取ってしまうのだそうだ。余りを各警察へ割りふるのだそうだ。牛込には刑事がたった三四人しかいないのだそうだ――警察の力ならたいていの事はできる者と信じていた自分は、はなはだ心細い気がした。話をして聞かせる刑事も心細い顔をしていた。  出入のものを呼んで戸締りを直そうと思ったら生憎、暮で用が立て込んでいて来られない。そのうちに夜になった。仕方がないから、元の通りにしておいて寝る。みんな気味が悪そうである。自分もけっして好い心持ではない。泥棒は各自勝手に取締るべきものであると警察から宣告されたと一般だからである。  それでも昨日の今日だから、まあ大丈夫だろうと、気を楽に持って枕に就いた。するとまた夜中に妻から起された。さっきから、台所の方ががたがた云っている。気味がわるいから起きて見て下さいと云う。なるほどがたがたいう。妻はもう泥棒が這入ったような顔をしている。  自分はそっと床を出た。忍び足に妻の部屋を横切って、隔ての襖の傍までくると、次の間では下女が鼾をかいている。自分はできるだけ静かに襖を開けた。そうして、真暗な部屋の中に一人立った。ごとりごとりと云う音がする。たしかに台所の入口である。暗いなかを影の動くように三歩ほど音のする方へ近くと、もう部屋の出口である。障子が立っている。そとはすぐ板敷になる。自分は障子に身を寄せて、暗がりで耳を立てた。やがて、ごとりと云った。しばらくしてまたごとりと云った。自分はこの怪しい音を約四五遍聞いた。そうして、これは板敷の左にある、戸棚の奥から出るに違ないという事をたしかめた。たちまち普通の歩調と、尋常の所作をして、妻の部屋へ帰って来た。鼠が何か噛っているんだ、安心しろと云うと、妻はそうですかとありがたそうな返事をした。それからは二人とも落ちついて寝てしまった。  朝になってまた顔を洗って、茶の間へ来ると、妻が鼠の噛った鰹節を、膳の前へ出して、昨夜のはこれですよと説明した。自分ははあなるほどと、一晩中|無惨にやられた鰹節を眺めていた。すると妻は、あなたついでに鼠を追って、鰹節をしまって下されば好いのにと少し不平がましく云った。自分もそうすれば好かったとこの時始めて気がついた。 柿  喜いちゃんと云う子がいる。滑らかな皮膚と、鮮かな眸を持っているが、頬の色は発育の好い世間の子供のように冴々していない。ちょっと見ると一面に黄色い心持ちがする。御母さんがあまり可愛がり過ぎて表へ遊びに出さないせいだと、出入りの女髪結が評した事がある。御母さんは束髪の流行る今の世に、昔風の髷を四日目四日目にきっと結う女で、自分の子を喜いちゃん喜いちゃんと、いつでも、ちゃん付にして呼んでいる。このお母さんの上に、また切下の御祖母さんがいて、その御祖母さんがまた喜いちゃん喜いちゃんと呼んでいる。喜いちゃん御琴の御稽古に行く時間ですよ。喜いちゃんむやみに表へ出て、そこいらの子供と遊んではいけませんなどと云っている。  喜いちゃんは、これがために滅多に表へ出て遊んだ事がない。もっとも近所はあまり上等でない。前に塩煎餅屋がある。その隣に瓦師がある。少し先へ行くと下駄の歯入と、鋳かけ錠前直しがある。ところが喜いちゃんの家は銀行の御役人である。塀のなかに松が植えてある。冬になると植木屋が来て狭い庭に枯松葉を一面に敷いて行く。  喜いちゃんは仕方がないから、学校から帰って、退屈になると、裏へ出て遊んでいる。裏は御母さんや、御祖母さんが張物をする所である。よしが洗濯をする所である。暮になると向鉢巻の男が臼を担いで来て、餅を搗く所である。それから漬菜に塩を振って樽へ詰込む所である。  喜いちゃんはここへ出て、御母さんや御祖母さんや、よしを相手にして遊んでいる。時には相手のいないのに、たった一人で出てくる事がある。その時は浅い生垣の間から、よく裏の長屋を覗き込む。  長屋は五六軒ある。生垣の下が三四尺|崖になっているのだから、喜いちゃんが覗き込むと、ちょうど上から都合よく見下すようにできている。喜いちゃんは子供心に、こうして裏の長屋を見下すのが愉快なのである。造兵へ出る辰さんが肌を抜いで酒を呑んでいると、御酒を呑んでてよと御母さんに話す。大工の源坊が手斧を磨いでいると、何か磨いでてよと御祖母さんに知らせる。そのほか喧嘩をしててよ、焼芋を食べててよなどと、見下した通りを報告する。すると、よしが大きな声を出して笑う。御母さんも、御祖母さんも面白そうに笑う。喜いちゃんは、こうして笑って貰うのが一番得意なのである。  喜いちゃんが裏を覗いていると、時々源坊の倅の与吉と顔を合わす事がある。そうして、三度に一度ぐらいは話をする。けれども喜いちゃんと与吉だから、話の合う訳がない。いつでも喧嘩になってしまう。与吉がなんだ蒼ん膨れと下から云うと、喜いちゃんは上から、やあい鼻垂らし小僧、貧乏人、と軽侮ように丸い顎をしゃくって見せる。一遍は与吉が怒って下から物干竿を突き出したので、喜いちゃんは驚いて家へ逃げ込んでしまった。その次には、喜いちゃんが、毛糸で奇麗に縢った護謨毬を崖下へ落したのを、与吉が拾ってなかなか渡さなかった。御返しよ、放っておくれよ、よう、と精一杯にせっついたが与吉は毬を持ったまま、上を見て威張って突立っている。詫まれ、詫まったら返してやると云う。喜いちゃんは、誰が詫まるものか、泥棒と云ったまま、裁縫をしている御母さんの傍へ来て泣き出した。御母さんはむきになって、表向よしを取りにやると、与吉の御袋がどうも御気の毒さまと云ったぎりで毬はとうとう喜いちゃんの手に帰らなかった。  それから三日|経って、喜いちゃんは大きな赤い柿を一つ持って、また裏へ出た。すると与吉が例の通り崖下へ寄って来た。喜いちゃんは生垣の間から赤い柿を出して、これ上げようかと云った。与吉は下から柿を睨めながら、なんでえ、なんでえ、そんなもの要らねえやとじっと動かずにいる。要らないの、要らなきゃ、およしなさいと、喜いちゃんは、垣根から手を引っ込めた。すると与吉は、やっぱりなんでえ、なんでえ、擲ぐるぞと云いながらなおと崖の下へ寄って来た。じゃ欲しいのと喜いちゃんはまた柿を出した。欲しいもんけえ、そんなものと与吉は大きな眼をして、見上げている。  こんな問答を四五遍|繰返したあとで、喜いちゃんは、じゃ上げようと云いながら、手に持った柿をぱたりと崖の下に落した。与吉は周章て、泥の着いた柿を拾った。そうして、拾うや否や、がぶりと横に食いついた。  その時与吉の鼻の穴が震えるように動いた。厚い唇が右の方に歪んだ。そうして、食いかいた柿の一片をぺっと吐いた。そうして懸命の憎悪を眸の裏に萃めて、渋いや、こんなものと云いながら、手に持った柿を、喜いちゃんに放りつけた。柿は喜いちゃんの頭を通り越して裏の物置に当った。喜いちゃんは、やあい食辛抱と云いながら、走け出して家へ這入った。しばらくすると喜いちゃんの家で大きな笑声が聞えた。 火鉢  眼が覚めたら、昨夜抱いて寝た懐炉が腹の上で冷たくなっていた。硝子戸越に、廂の外を眺めると、重い空が幅三尺ほど鉛のように見えた。胃の痛みはだいぶ除れたらしい。思い切って、床の上に起き上がると、予想よりも寒い。窓の下には昨日の雪がそのままである。  風呂場は氷でかちかち光っている。水道は凍り着いて、栓が利かない。ようやくの事で温水摩擦を済まして、茶の間で紅茶を茶碗に移していると、二つになる男の子が例の通り泣き出した。この子は一昨日も一日泣いていた。昨日も泣き続けに泣いた。妻にどうかしたのかと聞くと、どうもしたのじゃない、寒いからだと云う。仕方がない。なるほど泣き方がぐずぐずで痛くも苦しくもないようである。けれども泣くくらいだから、どこか不安な所があるのだろう。聞いていると、しまいにはこっちが不安になって来る。時によると小悪らしくなる。大きな声で叱りつけたい事もあるが、何しろ、叱るにはあまり小さ過ぎると思って、つい我慢をする。一昨日も昨日もそうであったが、今日もまた一日そうなのかと思うと、朝から心持が好くない。胃が悪いのでこの頃は朝飯を食わぬ掟にしてあるから、紅茶茶碗を持ったまま、書斎へ退いた。  火鉢に手を翳して、少し暖たまっていると、子供は向うの方でまだ泣いている。そのうち掌だけは煙が出るほど熱くなった。けれども、背中から肩へかけてはむやみに寒い。ことに足の先は冷え切って痛いくらいである。だから仕方なしにじっとしていた。少しでも手を動かすと、手がどこか冷たい所に触れる。それが刺にでも触ったほど神経に応える。首をぐるりと回してさえ、頸の付根が着物の襟にひやりと滑るのが堪えがたい感じである。自分は寒さの圧迫を四方から受けて、十畳の書斎の真中に竦んでいた。この書斎は板の間である。椅子を用いべきところを、絨※を敷いて、普通の畳のごとくに想像して坐っている。ところが敷物が狭いので、四方とも二尺がたは、つるつるした板の間が剥き出しに光っている。じっとしてこの板の間を眺めて、竦んでいると、男の子がまだ泣いている。とても仕事をする勇気が出ない。  ところへ妻がちょっと時計を拝借と這入って来て、また雪になりましたと云う。見ると、細かいのがいつの間にか、降り出した。風もない濁った空の途中から、静かに、急がずに、冷刻に、落ちて来る。 「おい、去年、子供の病気で、煖炉を焚いた時には炭代がいくら要ったかな」 「あの時は月末に廿八円払いました」  自分は妻の答を聞いて、座敷煖炉を断念した。座敷煖炉は裏の物置に転がっているのである。 「おい、もう少し子供を静かにできないかな」  妻はやむをえないと云うような顔をした。そうして、云った。 「お政さんが御腹が痛いって、だいぶ苦しそうですから、林さんでも頼んで見て貰いましょうか」  お政さんが二三日寝ている事は知っていたがそれほど悪いとは思わなかった。早く医者を呼んだらよかろうと、こっちから促すように注意すると、妻はそうしましょうと答えて、時計を持ったまま出て行った。襖を閉てるとき、どうもこの部屋の寒い事と云った。  まだ、かじかんで仕事をする気にならない。実を云うと仕事は山ほどある。自分の原稿を一回分書かなければならない。ある未知の青年から頼まれた短篇小説を二三篇読んでおく義務がある。ある雑誌へ、ある人の作を手紙を付けて紹介する約束がある。この二三箇月中に読むはずで読めなかった書籍は机の横に堆かく積んである。この一週間ほどは仕事をしようと思って机に向うと人が来る。そうして、皆何か相談を持ち込んでくる。その上に胃が痛む。その点から云うと今日は幸いである。けれども、どう考えても、寒くて億劫で、火鉢から手を離す事ができない。  すると玄関に車を横付けにしたものがある。下女が来て長沢さんがおいでになりましたと云う。自分は火鉢の傍に竦んだまま、上眼遣をして、這入って来る長沢を見上げながら、寒くて動けないよと云った。長沢は懐中から手紙を出して、この十五日は旧の正月だから、是非都合してくれとか何とか云う手紙を読んだ。相変らず金の相談である。長沢は十二時過に帰った。けれども、まだ寒くてしようがない。いっそ湯にでも行って、元気をつけようと思って、手拭を提げて玄関へ出かかると、御免下さいと云う吉田に出っ食わした。座敷へ上げて、いろいろ身の上話を聞いていると、吉田はほろほろ涙を流して泣き出した。そのうち奥の方では医者が来て何だかごたごたしている。吉田がようやく帰ると、子供がまた泣き出した。とうとう湯に行った。  湯から上ったら始めて暖ったかになった。晴々して、家へ帰って書斎に這入ると、洋灯が点いて窓掛が下りている。火鉢には新しい切炭が活けてある。自分は座布団の上にどっかりと坐った。すると、妻が奥から寒いでしょうと云って蕎麦湯を持って来てくれた。お政さんの容体を聞くと、ことによると盲腸炎になるかも知れないんだそうですよと云う。自分は蕎麦湯を手に受けて、もし悪いようだったら、病院に入れてやるがいいと答えた。妻はそれがいいでしょうと茶の間へ引き取った。  妻が出て行ったらあとが急に静かになった。全くの雪の夜である。泣く子は幸いに寝たらしい。熱い蕎麦湯を啜りながら、あかるい洋灯の下で、継ぎ立ての切炭のぱちぱち鳴る音に耳を傾けていると、赤い火気が、囲われた灰の中で仄に揺れている。時々薄青い焔が炭の股から出る。自分はこの火の色に、始めて一日の暖味を覚えた。そうしてしだいに白くなる灰の表を五分ほど見守っていた。 下宿  始めて下宿をしたのは北の高台である。赤煉瓦の小じんまりした二階建が気に入ったので、割合に高い一週二|磅の宿料を払って、裏の部屋を一間借り受けた。その時表を専領しているK氏は目下|蘇格蘭巡遊中で暫くは帰らないのだと主婦の説明があった。  主婦と云うのは、眼の凹んだ、鼻のしゃくれた、顎と頬の尖った、鋭い顔の女で、ちょっと見ると、年恰好の判断ができないほど、女性を超越している。疳、僻み、意地、利かぬ気、疑惑、あらゆる弱点が、穏かな眼鼻をさんざんに弄んだ結果、こう拗ねくれた人相になったのではあるまいかと自分は考えた。  主婦は北の国に似合わしからぬ黒い髪と黒い眸をもっていた。けれども言語は普通の英吉利人と少しも違ったところがない。引き移った当日、階下から茶の案内があったので、降りて行って見ると、家族は誰もいない。北向の小さい食堂に、自分は主婦とたった二人|差向いに坐った。日の当った事のないように薄暗い部屋を見回すと、マントルピースの上に淋しい水仙が活けてあった。主婦は自分に茶だの焼麺麭を勧めながら、四方山の話をした。その時何かの拍子で、生れ故郷は英吉利ではない、仏蘭西であるという事を打ち明けた。そうして黒い眼を動かして、後の硝子壜に挿してある水仙を顧りみながら、英吉利は曇っていて、寒くていけないと云った。花でもこの通り奇麗でないと教えたつもりなのだろう。  自分は肚の中でこの水仙の乏しく咲いた模様と、この女のひすばった頬の中を流れている、色の褪めた血の瀝とを比較して、遠い仏蘭西で見るべき暖かな夢を想像した。主婦の黒い髪や黒い眼の裏には、幾年の昔に消えた春の匂の空しき歴史があるのだろう。あなたは仏蘭西語を話しますかと聞いた。いいやと答えようとする舌先を遮って、二三句続け様に、滑らかな南の方の言葉を使った。こういう骨の勝った咽喉から、どうして出るだろうと思うくらい美しいアクセントであった。  その夕、晩餐の時は、頭の禿げた髯の白い老人が卓に着いた。これが私の親父ですと主婦から紹介されたので始めて主人は年寄であったんだと気がついた。この主人は妙な言葉遣をする。ちょっと聞いてもけっして英人ではない。なるほど親子して、海峡を渡って、倫敦へ落ちついたものだなと合点した。すると老人が私は独逸人であると、尋ねもせぬのに向うから名乗って出た。自分は少し見当が外れたので、そうですかと云ったきりであった。  部屋へ帰って、書物を読んでいると、妙に下の親子が気に懸ってたまらない。あの爺さんは骨張った娘と較べてどこも似た所がない。顔中は腫れ上ったように膨れている真中に、ずんぐりした肉の多い鼻が寝転んで、細い眼が二つ着いている。南亜の大統領にクルーゲルと云うのがあった。あれによく似ている。すっきりと心持よくこっちの眸に映る顔ではない。その上娘に対しての物の云い方が和気を欠いている。歯が利かなくって、もごもごしているくせに何となく調子の荒いところが見える。娘も阿爺に対するときは、険相な顔がいとど険相になるように見える。どうしても普通の親子ではない。――自分はこう考えて寝た。  翌日朝飯を食いに下りると、昨夕の親子のほかに、また一人家族が殖えている。新しく食卓に連なった人は、血色の好い、愛嬌のある、四十|恰好の男である。自分は食堂の入口でこの男の顔を見た時、始めて、生気のある人間社会に住んでいるような心持ちがした。my brother と主婦がその男を自分に紹介した。やっぱり亭主では無かったのである。しかし兄弟とはどうしても受取れないくらい顔立が違っていた。  その日は中食を外でして、三時過ぎに帰って、自分の部屋へ這入ると間もなく、茶を飲みに来いと云って呼びにきた。今日も曇っている。薄暗い食堂の戸を開けると、主婦がたった一人|煖炉の横に茶器を控えて坐っていた。石炭を燃してくれたので、幾分か陽気な感じがした。燃えついたばかりの※に照らされた主婦の顔を見ると、うすく火熱った上に、心持|御白粉を塗けている。自分は部屋の入り口で化粧の淋しみと云う事を、しみじみと悟った。主婦は自分の印象を見抜いたような眼遣いをした。自分が主婦から一家の事情を聞いたのはこの時である。  主婦の母は、二十五年の昔、ある仏蘭西人に嫁いで、この娘を挙げた。幾年か連れ添った後夫は死んだ。母は娘の手を引いて、再び独逸人の許に嫁いだ。その独逸人が昨夜の老人である。今では倫敦のウェスト・エンドで仕立屋の店を出して、毎日毎日そこへ通勤している。先妻の子も同じ店で働いているが、親子非常に仲が悪い。一つ家にいても、口を利いた事がない。息子は夜きっと遅く帰る。玄関で靴を脱いで足袋跣足になって、爺に知れないように廊下を通って、自分の部屋へ這入って寝てしまう。母はよほど前に失くなった。死ぬ時に自分の事をくれぐれも云いおいて死んだのだが、母の財産はみんな阿爺の手に渡って、一銭も自由にする事ができない。仕方がないから、こうして下宿をして小遣を拵えるのである。アグニスは――  主婦はそれより先を語らなかった。アグニスと云うのはここのうちに使われている十三四の女の子の名である。自分はその時今朝見た息子の顔と、アグニスとの間にどこか似たところがあるような気がした。あたかもアグニスは焼麺麭を抱えて厨から出て来た。 「アグニス、焼麺麭を食べるかい」  アグニスは黙って、一片の焼麺麭を受けてまた厨の方へ退いた。  一箇月の後自分はこの下宿を去った。 過去の匂い  自分がこの下宿を出る二週間ほど前に、K君は蘇格蘭から帰って来た。その時自分は主婦によってK君に紹介された。二人の日本人が倫敦の山の手の、とある小さな家に偶然落ち合って、しかも、まだ互に名乗り換した事がないので、身分も、素性も、経歴も分らない外国婦人の力を藉りて、どうか何分と頭を下げたのは、考えると今もって妙な気がする。その時この老令嬢は黒い服を着ていた。骨張って膏の脱けたような手を前へ出して、Kさん、これがNさんと云ったが、全く云い切らない先に、また一本の手を相手の方へ寄せて、Nさん、これがKさんと、公平に双方を等分に引き合せた。  自分は老令嬢の態度が、いかにも、厳で、一種重要の気に充ちた形式を具えているのに、尠からず驚かされた。K君は自分の向に立って、奇麗な二重瞼の尻に皺を寄せながら、微笑を洩らしていた。自分は笑うと云わんよりはむしろ矛盾の淋しみを感じた。幽霊の媒妁で、結婚の儀式を行ったら、こんな心持ではあるまいかと、立ちながら考えた。すべてこの老令嬢の黒い影の動く所は、生気を失って、たちまち古蹟に変化するように思われる。誤ってその肉に触れれば、触れた人の血が、そこだけ冷たくなるとしか想像できない。自分は戸の外に消えてゆく女の足音に半ば頭を回らした。  老令嬢が出て行ったあとで、自分とK君はたちまち親しくなってしまった。K君の部屋は美くしい絨※が敷いてあって、白絹の窓掛が下がっていて、立派な安楽椅子とロッキング・チェアが備えつけてある上に、小さな寝室が別に附属している。何より嬉しいのは断えず煖炉に火を焚いて、惜気もなく光った石炭を崩している事である。  これから自分はK君の部屋で、K君と二人で茶を飲むことにした。昼はよく近所の料理店へいっしょに出かけた。勘定は必ずK君が払ってくれた。K君は何でも築港の調査に来ているとか云って、だいぶ金を持っていた。家にいると、海老茶の繻子に花鳥の刺繍のあるドレッシング・ガウンを着て、はなはだ愉快そうであった。これに反して自分は日本を出たままの着物がだいぶ汚れて、見共ない始末であった。K君はあまりだと云って新調の費用を貸してくれた。  二週間の間K君と自分とはいろいろな事を話した。K君が、今に慶応内閣を作るんだと云った事がある。慶応年間に生れたものだけで内閣を作るから慶応内閣と云うんだそうである。自分に、君はいつの生れかと聞くから慶応三年だと答えたら、それじゃ、閣員の資格があると笑っていた。K君はたしか慶応二年か元年生れだと覚えている。自分はもう一年の事で、K君と共に枢機に参する権利を失うところであった。  こんな面白い話をしている間に、時々下の家族が噂に上る事があった。するとK君はいつでも眉をひそめて、首を振っていた。アグニスと云う小さい女が一番|可愛想だと云っていた。アグニスは朝になると石炭をK君の部屋に持って来る。昼過には茶とバタと麺麭を持って来る。だまって持って来て、だまって置いて帰る。いつ見ても蒼褪めた顔をして、大きな潤のある眼でちょっと挨拶をするだけである。影のようにあらわれては影のように下りて行く。かつて足音のした試しがない。  ある時自分は、不愉快だから、この家を出ようと思うとK君に告げた。K君は賛成して、自分はこうして調査のため方々飛び歩いている身体だから、構わないが、君などは、もっとコンフォタブルな所へ落ち着いて勉強したらよかろうと云う注意をした。その時K君は地中海の向側へ渡るんだと云って、しきりに旅装をととのえていた。  自分が下宿を出るとき、老令嬢は切に思いとまるようにと頼んだ。下宿料は負ける、K君のいない間は、あの部屋を使っても構わないとまで云ったが、自分はとうとう南の方へ移ってしまった。同時にK君も遠くへ行ってしまった。  二三箇月してから、突然K君の手紙に接した。旅から帰って来た。当分ここにいるから遊びに来いと書いてあった。すぐ行きたかったけれども、いろいろ都合があって、北の果まで推しかける時間がなかった。一週間ほどして、イスリントンまで行く用事ができたのを幸いに、帰りにK君の所へ回って見た。  表二階の窓から、例の羽二重の窓掛が引き絞ったまま硝子に映っている。自分は暖かい煖炉と、海老茶の繻子の刺繍と、安楽椅子と、快活なK君の旅行談を予想して、勇んで、門を入って、階段を駆け上るように敲子をとんとんと打った。戸の向側に足音がしないから、通じないのかと思って、再び敲子に手を掛けようとする途端に、戸が自然と開いた。自分は敷居から一歩なかへ足を踏み込んだ。そうして、詫びるように自分をじっと見上げているアグニスと顔を合わした。その時この三箇月ほど忘れていた、過去の下宿の匂が、狭い廊下の真中で、自分の嗅覚を、稲妻の閃めくごとく、刺激した。その匂のうちには、黒い髪と黒い眼と、クルーゲルのような顔と、アグニスに似た息子と、息子の影のようなアグニスと、彼らの間に蟠まる秘密を、一度にいっせいに含んでいた。自分はこの匂を嗅いだ時、彼らの情意、動作、言語、顔色を、あざやかに暗い地獄の裏に認めた。自分は二階へ上がってK君に逢うに堪えなかった。 猫の墓  早稲田へ移ってから、猫がだんだん瘠せて来た。いっこうに小供と遊ぶ気色がない。日が当ると縁側に寝ている。前足を揃えた上に、四角な顎を載せて、じっと庭の植込を眺めたまま、いつまでも動く様子が見えない。小供がいくらその傍で騒いでも、知らぬ顔をしている。小供の方でも、初めから相手にしなくなった。この猫はとても遊び仲間にできないと云わんばかりに、旧友を他人扱いにしている。小供のみではない、下女はただ三度の食を、台所の隅に置いてやるだけでそのほかには、ほとんど構いつけなかった。しかもその食はたいてい近所にいる大きな三毛猫が来て食ってしまった。猫は別に怒る様子もなかった。喧嘩をするところを見た試しもない。ただ、じっとして寝ていた。しかしその寝方にどことなく余裕がない。伸んびり楽々と身を横に、日光を領しているのと違って、動くべきせきがないために――これでは、まだ形容し足りない。懶さの度をある所まで通り越して、動かなければ淋しいが、動くとなお淋しいので、我慢して、じっと辛抱しているように見えた。その眼つきは、いつでも庭の植込を見ているが、彼れはおそらく木の葉も、幹の形も意識していなかったのだろう。青味がかった黄色い瞳子を、ぼんやり一と所に落ちつけているのみである。彼れが家の小供から存在を認められぬように、自分でも、世の中の存在を判然と認めていなかったらしい。  それでも時々は用があると見えて、外へ出て行く事がある。するといつでも近所の三毛猫から追かけられる。そうして、怖いものだから、縁側を飛び上がって、立て切ってある障子を突き破って、囲炉裏の傍まで逃げ込んで来る。家のものが、彼れの存在に気がつくのはこの時だけである。彼れもこの時に限って、自分が生きている事実を、満足に自覚するのだろう。  これが度重なるにつれて、猫の長い尻尾の毛がだんだん抜けて来た。始めはところどころがぽくぽく穴のように落ち込んで見えたが、後には赤肌に脱け広がって、見るも気の毒なほどにだらりと垂れていた。彼れは万事に疲れ果てた、体躯を圧し曲げて、しきりに痛い局部を舐め出した。  おい猫がどうかしたようだなと云うと、そうですね、やっぱり年を取ったせいでしょうと、妻は至極冷淡である。自分もそのままにして放っておいた。すると、しばらくしてから、今度は三度のものを時々吐くようになった。咽喉の所に大きな波をうたして、嚏とも、しゃくりともつかない苦しそうな音をさせる。苦しそうだけれども、やむをえないから、気がつくと表へ追い出す。でなければ畳の上でも、布団の上でも容赦なく汚す。来客の用意に拵えた八反の座布団は、おおかた彼れのために汚されてしまった。 「どうもしようがないな。腸胃が悪いんだろう、宝丹でも水に溶いて飲ましてやれ」  妻は何とも云わなかった。二三日してから、宝丹を飲ましたかと聞いたら、飲ましても駄目です、口を開きませんという答をした後で、魚の骨を食べさせると吐くんですと説明するから、じゃ食わせんが好いじゃないかと、少し嶮どんに叱りながら書見をしていた。  猫は吐気がなくなりさえすれば、依然として、おとなしく寝ている。この頃では、じっと身を竦めるようにして、自分の身を支える縁側だけが便であるという風に、いかにも切りつめた蹲踞まり方をする。眼つきも少し変って来た。始めは近い視線に、遠くのものが映るごとく、悄然たるうちに、どこか落ちつきがあったが、それがしだいに怪しく動いて来た。けれども眼の色はだんだん沈んで行く。日が落ちて微かな稲妻があらわれるような気がした。けれども放っておいた。妻も気にもかけなかったらしい。小供は無論猫のいる事さえ忘れている。  ある晩、彼は小供の寝る夜具の裾に腹這になっていたが、やがて、自分の捕った魚を取り上げられる時に出すような唸声を挙げた。この時変だなと気がついたのは自分だけである。小供はよく寝ている。妻は針仕事に余念がなかった。しばらくすると猫がまた唸った。妻はようやく針の手をやめた。自分は、どうしたんだ、夜中に小供の頭でも噛られちゃ大変だと云った。まさかと妻はまた襦袢の袖を縫い出した。猫は折々唸っていた。  明くる日は囲炉裏の縁に乗ったなり、一日唸っていた。茶を注いだり、薬缶を取ったりするのが気味が悪いようであった。が、夜になると猫の事は自分も妻もまるで忘れてしまった。猫の死んだのは実にその晩である。朝になって、下女が裏の物置に薪を出しに行った時は、もう硬くなって、古い竈の上に倒れていた。  妻はわざわざその死態を見に行った。それから今までの冷淡に引き更えて急に騒ぎ出した。出入の車夫を頼んで、四角な墓標を買って来て、何か書いてやって下さいと云う。自分は表に猫の墓と書いて、裏にこの下に稲妻起る宵あらんと認めた。車夫はこのまま、埋めても好いんですかと聞いている。まさか火葬にもできないじゃないかと下女が冷かした。  小供も急に猫を可愛がり出した。墓標の左右に硝子の罎を二つ活けて、萩の花をたくさん挿した。茶碗に水を汲んで、墓の前に置いた。花も水も毎日取り替えられた。三日目の夕方に四つになる女の子が――自分はこの時書斎の窓から見ていた。――たった一人墓の前へ来て、しばらく白木の棒を見ていたが、やがて手に持った、おもちゃの杓子をおろして、猫に供えた茶碗の水をしゃくって飲んだ。それも一度ではない。萩の花の落ちこぼれた水の瀝りは、静かな夕暮の中に、幾度か愛子の小さい咽喉を潤おした。  猫の命日には、妻がきっと一切れの鮭と、鰹節をかけた一杯の飯を墓の前に供える。今でも忘れた事がない。ただこの頃では、庭まで持って出ずに、たいていは茶の間の箪笥の上へ載せておくようである。 暖かい夢  風が高い建物に当って、思うごとく真直に抜けられないので、急に稲妻に折れて、頭の上から、斜に舗石まで吹きおろして来る。自分は歩きながら被っていた山高帽を右の手で抑えた。前に客待の御者が一人いる。御者台から、この有様を眺めていたと見えて、自分が帽子から手を離して、姿勢を正すや否や、人指指を竪に立てた。乗らないかと云う符徴である。自分は乗らなかった。すると御者は右の手に拳骨を固めて、烈しく胸の辺を打ち出した。二三間離れて聞いていても、とんとん音がする。倫敦の御者はこうして、己れとわが手を暖めるのである。自分はふり返ってちょっとこの御者を見た。剥げ懸った堅い帽子の下から、霜に侵された厚い髪の毛が食み出している。毛布を継ぎ合せたような粗い茶の外套の背中の右にその肱を張って、肩と平行になるまで怒らしつつ、とんとん胸を敲いている。まるで一種の器械の活動するようである。自分は再び歩き出した。  道を行くものは皆追い越して行く。女でさえ後れてはいない。腰の後部でスカートを軽く撮んで、踵の高い靴が曲るかと思うくらい烈しく舗石を鳴らして急いで行く。よく見ると、どの顔もどの顔もせっぱつまっている。男は正面を見たなり、女は傍目も触らず、ひたすらにわが志す方へと一直線に走るだけである。その時の口は堅く結んでいる。眉は深く鎖している。鼻は険しく聳えていて、顔は奥行ばかり延びている。そうして、足は一文字に用のある方へ運んで行く。あたかも往来は歩くに堪えん、戸外はいるに忍びん、一刻も早く屋根の下へ身を隠さなければ、生涯の恥辱である、かのごとき態度である。  自分はのそのそ歩きながら、何となくこの都にいづらい感じがした。上を見ると、大きな空は、いつの世からか、仕切られて、切岸のごとく聳える左右の棟に余された細い帯だけが東から西へかけて長く渡っている。その帯の色は朝から鼠色であるが、しだいしだいに鳶色に変じて来た。建物は固より灰色である。それが暖かい日の光に倦み果てたように、遠慮なく両側を塞いでいる。広い土地を狭苦しい谷底の日影にして、高い太陽が届く事のできないように、二階の上に三階を重ねて、三階の上に四階を積んでしまった。小さい人はその底の一部分を、黒くなって、寒そうに往来する。自分はその黒く動くもののうちで、もっとも緩漫なる一分子である。谷へ挟まって、出端を失った風が、この底を掬うようにして通り抜ける。黒いものは網の目を洩れた雑魚のごとく四方にぱっと散って行く。鈍い自分もついにこの風に吹き散らされて、家のなかへ逃げ込んだ。  長い廻廊をぐるぐる廻って、二つ三つ階子段を上ると、弾力じかけの大きな戸がある。身躯の重みをちょっと寄せかけるや否や、音もなく、自然と身は大きなガレリーの中に滑り込んだ。眼の下は眩いほど明かである。後をふり返ると、戸はいつの間にか締って、いる所は春のように暖かい。自分はしばらくの間、瞳を慣らすために、眼をぱちぱちさせた。そうして、左右を見た。左右には人がたくさんいる。けれども、みんな静かに落ちついている。そうして顔の筋肉が残らず緩んで見える。たくさんの人がこう肩を並べているのに、いくらたくさんいても、いっこう苦にならない。ことごとく互いと互いを和げている。自分は上を見た。上は大穹窿の天井で極彩色の濃く眼に応える中に、鮮かな金箔が、胸を躍らすほどに、燦として輝いた。自分は前を見た。前は手欄で尽きている。手欄の外には何にもない。大きな穴である。自分は手欄の傍まで近寄って、短い首を伸して穴の中を覗いた。すると遥の下は、絵にかいたような小さな人で埋っていた。その数の多い割に鮮に見えた事。人の海とはこの事である。白、黒、黄、青、紫、赤、あらゆる明かな色が、大海原に起る波紋のごとく、簇然として、遠くの底に、五色の鱗を并べたほど、小さくかつ奇麗に、蠢いていた。  その時この蠢くものが、ぱっと消えて、大きな天井から、遥かの谷底まで一度に暗くなった。今まで何千となくいならんでいたものは闇の中に葬られたぎり、誰あって声を立てるものがない。あたかもこの大きな闇に、一人残らずその存在を打ち消されて、影も形もなくなったかのごとくに寂としている。と、思うと、遥かの底の、正面の一部分が四角に切り抜かれて、闇の中から浮き出したように、ぼうっといつの間にやら薄明るくなって来た。始めは、ただ闇の段取が違うだけの事と思っていると、それがしだいしだいに暗がりを離れてくる。たしかに柔かな光を受けておるなと意識できるぐらいになった時、自分は霧のような光線の奥に、不透明な色を見出す事ができた。その色は黄と紫と藍であった。やがて、そのうちの黄と紫が動き出した。自分は両眼の視神経を疲れるまで緊張して、この動くものを瞬きもせず凝視ていた。靄は眼の底からたちまち晴れ渡った。遠くの向うに、明かな日光の暖かに照り輝く海を控えて、黄な上衣を着た美しい男と、紫の袖を長く牽いた美しい女が、青草の上に、判然あらわれて来た。女が橄欖の樹の下に据えてある大理石の長椅子に腰をかけた時に、男は椅子の横手に立って、上から女を見下した。その時南から吹く温かい風に誘われて、閑和な楽の音が、細く長く、遠くの波の上を渡って来た。  穴の上も、穴の下も、一度にざわつき出した。彼らは闇の中に消えたのではなかった。闇の中で暖かな希臘を夢みていたのである。 印象  表へ出ると、広い通りが真直に家の前を貫いている。試みにその中央に立って見廻して見たら、眼に入る家はことごとく四階で、またことごとく同じ色であった。隣も向うも区別のつきかねるくらい似寄った構造なので、今自分が出て来たのははたしてどの家であるか、二三間行過ぎて、後戻りをすると、もう分らない。不思議な町である。  昨夕は汽車の音に包まって寝た。十時過ぎには、馬の蹄と鈴の響に送られて、暗いなかを夢のように馳けた。その時美しい灯の影が、点々として何百となく眸の上を往来した。そのほかには何も見なかった。見るのは今が始めてである。  二三度この不思議な町を立ちながら、見上、見下した後、ついに左へ向いて、一町ほど来ると、四ツ角へ出た。よく覚えをしておいて、右へ曲ったら、今度は前よりも広い往来へ出た。その往来の中を馬車が幾輛となく通る。いずれも屋根に人を載せている。その馬車の色が赤であったり黄であったり、青や茶や紺であったり、仕切りなしに自分の横を追い越して向うへ行く。遠くの方を透かして見ると、どこまで五色が続いているのか分らない。ふり返れば、五色の雲のように動いて来る。どこからどこへ人を載せて行くものかしらんと立ち止まって考えていると、後から背の高い人が追い被さるように、肩のあたりを押した。避けようとする右にも背の高い人がいた。左りにもいた。肩を押した後の人は、そのまた後の人から肩を押されている。そうしてみんな黙っている。そうして自然のうちに前へ動いて行く。  自分はこの時始めて、人の海に溺れた事を自覚した。この海はどこまで広がっているか分らない。しかし広い割には極めて静かな海である。ただ出る事ができない。右を向いても痞えている。左を見ても塞がっている。後をふり返ってもいっぱいである。それで静かに前の方へ動いて行く。ただ一筋の運命よりほかに、自分を支配するものがないかのごとく、幾万の黒い頭が申し合せたように歩調を揃えて一歩ずつ前へ進んで行く。  自分は歩きながら、今出て来た家の事を想い浮べた。一様の四階建の、一様の色の、不思議な町は、何でも遠くにあるらしい。どこをどう曲って、どこをどう歩いたら帰れるか、ほとんど覚束ない気がする。よし帰れても、自分の家は見出せそうもない。その家は昨夕暗い中に暗く立っていた。  自分は心細く考えながら、背の高い群集に押されて、仕方なしに大通を二つ三つ曲がった。曲るたんびに、昨夕の暗い家とは反対の方角に遠ざかって行くような心持がした。そうして眼の疲れるほど人間のたくさんいるなかに、云うべからざる孤独を感じた。すると、だらだら坂へ出た。ここは大きな道路が五つ六つ落ち合う広場のように思われた。今まで一筋に動いて来た波は、坂の下で、いろいろな方角から寄せるのと集まって、静かに廻転し始めた。  坂の下には、大きな石刻の獅子がある。全身灰色をしておった。尾の細い割に、鬣に渦を捲いた深い頭は四斗樽ほどもあった。前足を揃えて、波を打つ群集の中に眠っていた。獅子は二ついた。下は舗石で敷きつめてある。その真中に太い銅の柱があった。自分は、静かに動く人の海の間に立って、眼を挙げて、柱の上を見た。柱は眼の届く限り高く真直に立っている。その上には大きな空が一面に見えた。高い柱はこの空を真中で突き抜いているように聳えていた。この柱の先には何があるか分らなかった。自分はまた人の波に押されて広場から、右の方の通りをいずくともなく下って行った。しばらくして、ふり返ったら、竿のような細い柱の上に、小さい人間がたった一人立っていた。 人間  御作さんは起きるが早いか、まだ髪結は来ないか、髪結は来ないかと騒いでいる。髪結は昨夕たしかに頼んでおいた。ほかさまでございませんから、都合をして、是非九時までには上りますとの返事を聞いて、ようやく安心して寝たくらいである。柱時計を見ると、もう九時には五分しかない。どうしたんだろうと、いかにも焦れったそうなので、見兼ねた下女は、ちょっと見て参りましょうと出て行った。御作さんは及び腰になって、障子の前に取り出した鏡台を、立ちながら覗き込んで見た。そうして、わざと唇を開けて、上下とも奇麗に揃った白い歯を残らず露わした。すると時計が柱の上でボンボンと九時を打ち出した。御作さんは、すぐ立ち上って、間の襖を開けて、どうしたんですよ、あなたもう九時過ぎですよ。起きて下さらなくっちゃ、晩くなるじゃありませんかと云った。御作さんの旦那は九時を聞いて、今床の上に起き直ったところである。御作さんの顔を見るや否や、あいよと云いながら、気軽に立ち上がった。  御作さんは、すぐ台所の方へ取って返して、楊枝と歯磨と石鹸と手拭を一と纏めにして、さあ、早く行っていらっしゃい、と旦那に渡した。帰りにちょっと髯を剃って来るよと、銘仙のどてらの下へ浴衣を重ねた旦那は、沓脱へ下りた。じゃ、ちょいと御待ちなさいと、御作さんはまた奥へ駆け込んだ。その間に旦那は楊枝を使い出した。御作さんは用箪笥の抽出から小さい熨斗袋を出して、中へ銀貨を入れて、持って出た。旦那は口が利けないものだから、黙って、袋を受取って格子を跨いだ。御作さんは旦那の肩の後へ、手拭の余りがぶら下がっているのを、少しの間眺めていたが、やがて、また奥へ引込んで、ちょっと鏡台の前へ坐って、再び我が姿を映して見た。それから箪笥の抽出を半分開けて、少し首を傾けた。やがて、中から何か二三点取り出して、それを畳の上へ置いて考えた。が、せっかく取り出したものを、一つだけ残して、あとは丁寧にしまってしまった。それからまた二番目の抽出を開けた。そうしてまた考えた。御作さんは、考えたり、出したり、またはしまったりするので約三十分ほど費やした。その間も始終心配そうに柱時計を眺めていた。ようやく衣裳を揃えて、大きな欝金木綿の風呂敷にくるんで、座敷の隅に押しやると、髪結が驚いたような大きな声を出して勝手口から這入って来た。どうも遅くなってすみません、と息を喘ませて言訳を云っている。御作さんは、本当に、御忙がしいところを御気の毒さまでしたねえと、長い煙管を出して髪結に煙草を呑ました。  梳手が来ないので、髪を結うのにだいぶ暇が取れた。旦那は湯に入って、髭を剃って、やがて帰って来た。その間に、御作さんは、髪結に今日は美いちゃんを誘って、旦那に有楽座へ連れて行って貰うんだと話した。髪結はおやおや私も御伴をしたいもんだなどと、だいぶ冗談交りの御世辞を使った末、どうぞごゆっくりと帰って行った。  旦那は欝金木綿の風呂敷を、ちょっと剥って見て、これを着て行くのかい、これよりか、この間の方がお前には似合うよと云った。でも、あれは、もう暮に、美いちゃんの所へ着て行ったんですものと御作さんが答えた。そうか、じゃこれが好いだろう。おれはあっちの綿入羽織を着て行こうか、少し寒いようだねと、旦那がまた云い出すと、およしなさいよ、見っともない、一つものばかり着てと、御作さんは絣の綿入羽織を出さなかった。  やがて、御化粧が出来上って、流行の鶉縮緬の道行を着て、毛皮の襟巻をして、御作さんは旦那といっしょに表へ出た。歩きながら旦那にぶら下がるようにして話をする。四つ角まで出ると交番の所に人が大勢立っていた。御作さんは旦那の廻套の羽根を捕まえて、伸び上がりながら、群集の中を覗き込んだ。  真中に印袢天を着た男が、立つとも坐るとも片づかずに、のらくらしている。今までも泥の中へ何度も倒れたと見えて、たださえ色の変った袢天がびたびたに濡れて寒く光っている。巡査が御前は何だと云うと、呂律の回らない舌で、お、おれは人間だと威張っている。そのたんびに、みんなが、どっと笑う。御作さんも旦那の顔を見て笑った。すると酔っ払いは承知しない。怖い眼をして、あたりを見廻しながら、な、なにがおかしい。おれが人間なのが、どこがおかしい。こう見えたって、と云って、だらりと首を垂れてしまうかと思うと、突然思い出したように、人間だいと大きな声を出す。  ところへまた印袢天を着た背の高い黒い顔をした男が荷車を引いてどこからか、やって来た。人を押し分けて巡査に何か小さな声で云っていたが、やがて、酔っ払いの方を向いて、さあ、野郎連れて行ってやるから、この上へ乗れと云った。酔払いは嬉しそうな顔をして、ありがてえと云いながら荷車の上に、どさりと仰向けに寝た。明かるい空を見て、しょぼしょぼした眼を、二三度ぱちつかせたが、箆棒め、こう見えたって人間でえと云った。うん人間だ、人間だからおとなしくしているんだよと、背の高い男は藁の縄で酔払いを荷車の上へしっかり縛りつけた。そうして屠られた豚のように、がらがらと大通りを引いて行った。御作さんはやっぱり廻套の羽根を捕まえたまま、注目飾りの間を、向うへ押されて行く荷車の影を見送った。そうして、これから美いちゃんの所へ行って、美いちゃんに話す種が一つ殖えたのを喜んだ。 山鳥  五六人寄って、火鉢を囲みながら話をしていると、突然一人の青年が来た。名も聞かず、会った事もない、全く未知の男である。紹介状も携えずに、取次を通じて、面会を求めるので、座敷へ招じたら、青年は大勢いる所へ、一羽の山鳥を提げて這入って来た。初対面の挨拶が済むと、その山鳥を座の真中に出して、国から届きましたからといって、それを当座の贈物にした。  その日は寒い日であった。すぐ、みんなで山鳥の羹を拵えて食った。山鳥を料る時、青年は袴ながら、台所へ立って、自分で毛を引いて、肉を割いて、骨をことことと敲いてくれた。青年は小作りの面長な質で、蒼白い額の下に、度の高そうな眼鏡を光らしていた。もっとも著るしく見えたのは、彼の近眼よりも、彼の薄黒い口髭よりも、彼の穿いていた袴であった。それは小倉織で、普通の学生には見出し得べからざるほどに、太い縞柄の派出な物であった。彼はこの袴の上に両手を載せて、自分は南部のものだと云った。  青年は一週間ほど経ってまた来た。今度は自分の作った原稿を携えていた。あまり佳くできていなかったから、遠慮なくその旨を話すと、書き直して見ましょうと云って持って帰った。帰ってから一週間の後、また原稿を懐にして来た。かようにして彼れは来るたびごとに、書いたものを何か置いて行かない事はなかった。中には三冊続きの大作さえあった。しかしそれはもっとも不出来なものであった。自分は彼れの手に成ったもののうちで、もっとも傑れたと思われるのを、一二度雑誌へ周旋した事がある。けれども、それは、ただ編輯者の御情で誌上にあらわれただけで、一銭の稿料にもならなかったらしい。自分が彼の生活難を耳にしたのはこの時である。彼はこれから文を売って口を糊するつもりだと云っていた。  或時妙なものを持って来てくれた。菊の花を乾して、薄い海苔のように一枚一枚に堅めたものである。精進の畳鰯だと云って、居合せた甲子が、さっそく浸しものに湯がいて、箸を下しながら、酒を飲んだ。それから、鈴蘭の造花を一枝持って来てくれた事もある。妹が拵えたんだと云って、指の股で、枝の心になっている針金をぐるぐる廻転さしていた。妹といっしょに家を持っている事はこの時始めて知った。兄妹して薪屋の二階を一間借りて、妹は毎日|刺繍の稽古に通っているのだそうである。その次来た時には御納戸の結び目に、白い蝶を刺繍った襟飾りを、新聞紙にくるんだまま、もし御掛けなさるなら上げましょうと云って置いて行った。それを安野が私に下さいと云って取って帰った。  そのほか彼は時々来た。来るたびに自分の国の景色やら、習慣やら、伝説やら、古めかしい祭礼の模様やら、いろいろの事を話した。彼の父は漢学者であると云う事も話した。篆刻が旨いという事も話した。御祖母さんは去る大名の御屋敷に奉公していた。申の年の生れだったそうだ。大変殿様の御気に入りで、猿に縁んだものを時々下さった。その中に崋山の画いた手長猿の幅がある。今度持って来て御覧に入れましょうと云った。青年はそれぎり来なくなった。  すると春が過ぎて、夏になって、この青年の事もいつか忘れるようになった或日、――その日は日に遠い座敷の真中に、単衣を唯一枚つけて、じっと書見をしていてさえ堪えがたいほどに暑かった。――彼れは突然やって来た。  相変らず例の派出な袴を穿いて、蒼白い額ににじんだ汗をこくめいに手拭で拭いている。少し瘠せたようだ。はなはだ申し兼ねたが金を二十円貸して下さいという。実は友人が急病に罹ったから、さっそく病院へ入れたのだが、差し当り困るのは金で、いろいろ奔走もして見たが、ちょっとできない。やむをえず上がった。と説明した。  自分は書見をやめて、青年の顔をじっと見た。彼は例のごとく両手を膝の上に正しく置いたまま、どうぞと低い声で云った。あなたの友人の家はそれほど貧しいのかと聞き返したら、いやそうではない、ただ遠方で急の間に合わないから御願をする、二週間|経てば、国から届くはずだからその時はすぐと御返しするという答である。自分は金の調達を引き受けた。その時|彼れは風呂敷包の中から一幅の懸物を取り出して、これがせんだって御話をした崋山の軸ですと云って、紙表装の半切ものを展べて見せた。旨いのか不味いのか判然とは解らなかった。印譜をしらべて見ると、渡辺崋山にも横山華山にも似寄った落款がない。青年はこれを置いて行きますと云うから、それには及ばないと辞退したが、聞かずに預けて行った。翌日また金を取りに来た。それっきり音沙汰がない。約束の二週間が来ても影も形も見せなかった。自分は欺されたのかも知れないと思った。猿の軸は壁へ懸けたまま秋になった。  袷を着て気の緊まる時分に、長塚が例のごとく金を借してくれと云って来た。自分はそうたびたび借すのが厭であった。ふと例の青年の事を思い出して、こう云う金があるが、もし、それを君が取りに行く気なら取りに行け、取れたら貸してやろうと云うと、長塚は頭を掻いて、少し逡巡していたが、やがて思い切ったと見えて、行きましょうと答えた。それから、せんだっての金をこの者に渡してくれろという手紙を書いて、それに猿の懸物を添えて、長塚に持たせてやった。  長塚はあくる日また車でやって来た。来るや否や懐から手紙を出したから、受け取って見ると昨日自分の書いたものである。まだ封が切らずにある。行かなかったのかと聞くと、長塚は額に八の字を寄せて、行ったんですけれども、とても駄目です、惨澹たるものです、汚ない所でしてね、妻君が刺繍をしていましてね、本人が病気でしてね、――金の事なんぞ云い出せる訳のものじゃないんだから、けっして御心配には及びませんと安心させて、掛物だけ帰して来ましたと云う。自分はへええ、そうかと少し驚ろいた。  翌る日、青年から、どうも嘘言を吐いてすまなかった、軸はたしかに受取ったと云う端書が来た。自分はその端書を他の信書といっしょに重ねて、乱箱の中に入れた。そうして、また青年の事を忘れるようになった。  そのうち冬が来た。例のごとく忙しい正月を迎えた。客の来ない隙間を見て、仕事をしていると、下女が油紙に包んだ小包を持って来た。どさりと音のする丸い物である。差出人の名前は、忘れていた、いつぞやの青年である。油紙を解いて新聞紙を剥ぐと、中から一羽の山鳥が出た。手紙がついている。その後いろいろの事情があって、今国へ帰っている。御恩借の金子は三月頃上京の節是非御返しをするつもりだとある。手紙は山鳥の血で堅まって容易に剥れなかった。  その日はまた木曜で、若い人の集まる晩であった。自分はまた五六人と共に、大きな食卓を囲んで、山鳥の羹を食った。そうして、派出な小倉の袴を着けた蒼白い青年の成功を祈った。五六人の帰ったあとで、自分はこの青年に礼状を書いた。そのなかに先年の金子の件|御介意に及ばずと云う一句を添えた。 モナリサ  井深は日曜になると、襟巻に懐手で、そこいらの古道具屋を覗き込んで歩るく。そのうちでもっとも汚ならしい、前代の廃物ばかり並んでいそうな見世を選っては、あれの、これのと捻くり廻す。固より茶人でないから、好いの悪いのが解る次第ではないが、安くて面白そうなものを、ちょいちょい買って帰るうちには、一年に一度ぐらい掘り出し物に、あたるだろうとひそかに考えている。  井深は一箇月ほど前に十五銭で鉄瓶の葢だけを買って文鎮にした。この間の日曜には二十五銭で鉄の鍔を買って、これまた文鎮にした。今日はもう少し大きい物を目懸けている。懸物でも額でもすぐ人の眼につくような、書斎の装飾が一つ欲しいと思って、見廻していると、色摺の西洋の女の画が、埃だらけになって、横に立て懸けてあった。溝の磨れた井戸車の上に、何とも知れぬ花瓶が載っていて、その中から黄色い尺八の歌口がこの画の邪魔をしている。  西洋の画はこの古道具屋に似合わない。ただその色具合が、とくに現代を超越して、上昔の空気の中に黒く埋っている。いかにもこの古道具屋にあって然るべき調子である。井深はきっと安いものだと鑑定した。聞いて見ると一円と云うのに、少し首を捻ったが、硝子も割れていないし、額縁もたしかだから、爺さんに談判して、八十銭までに負けさせた。  井深がこの半身の画像を抱いて、家へ帰ったのは、寒い日の暮方であった。薄暗い部屋へ入って、さっそく額を裸にして、壁へ立て懸けて、じっとその前へ坐り込んでいると、洋灯を持って細君がやって来た。井深は細君に灯を画の傍へ翳さして、もう一遍とっくりと八十銭の額を眺めた。総体に渋く黒ずんでいる中に、顔だけが黄ばんで見える。これも時代のせいだろう。井深は坐ったまま細君を顧みて、どうだと聞いた。細君は洋灯を翳した片手を少し上に上げて、しばらく物も言わずに黄ばんだ女の顔を眺めていたが、やがて、気味の悪い顔です事ねえと云った。井深はただ笑って、八十銭だよと答えたぎりである。  飯を食ってから、踏台をして欄間に釘を打って、買って来た額を頭の上へ掛けた。その時細君は、この女は何をするか分らない人相だ。見ていると変な心持になるから、掛けるのは廃すが好いと云ってしきりに止めたけれども、井深はなあに御前の神経だと云って聞かなかった。  細君は茶の間へ下る。井深は机に向って調べものを始めた。十分ばかりすると、ふと首を上げて、額の中が見たくなった。筆を休めて、眼を転ずると、黄色い女が、額の中で薄笑いをしている。井深はじっとその口元を見つめた。全く画工の光線のつけ方である。薄い唇が両方の端で少し反り返って、その反り返った所にちょっと凹を見せている。結んだ口をこれから開けようとするようにも取れる。または開いた口をわざと、閉じたようにも取れる。ただしなぜだか分らない。井深は変な心持がしたが、また机に向った。  調べものとは云い条、半分は写しものである。大して注意を払う必要もないので、少し経ったら、また首を挙げて画の方を見た。やはり口元に何か曰くがある。けれども非常に落ちついている。切れ長の一重瞼の中から静かな眸が座敷の下に落ちた。井深はまた机の方に向き直った。  その晩井深は何遍となくこの画を見た。そうして、どことなく細君の評が当っているような気がし出した。けれども明る日になったら、そうでもないような顔をして役所へ出勤した。四時頃|家へ帰って見ると、昨夕の額は仰向けに机の上に乗せてある。午少し過に、欄間の上から突然落ちたのだという。道理で硝子がめちゃめちゃに破れている。井深は額の裏を返して見た。昨夕|紐を通した環が、どうした具合か抜けている。井深はそのついでに額の裏を開けて見た。すると画と背中合せに、四つ折の西洋紙が出た。開けて見ると、印気で妙な事が書いてある。 「モナリサの唇には女性の謎がある。原始以降この謎を描き得たものはダ ヴィンチだけである。この謎を解き得たものは一人もない。」  翌日井深は役所へ行って、モナリサとは何だと云って、皆に聞いた。しかし誰も分らなかった。じゃダ ヴィンチとは何だと尋ねたが、やっぱり誰も分らなかった。井深は細君の勧に任せてこの縁喜の悪い画を、五銭で屑屋に売り払った。 火事  息が切れたから、立ち留まって仰向くと、火の粉がもう頭の上を通る。霜を置く空の澄み切って深い中に、数を尽くして飛んで来ては卒然と消えてしまう。かと思うと、すぐあとから鮮なやつが、一面に吹かれながら、追かけながら、ちらちらしながら、熾にあらわれる。そうして不意に消えて行く。その飛んでくる方角を見ると、大きな噴水を集めたように、根が一本になって、隙間なく寒い空を染めている。二三間先に大きな寺がある。長い石段の途中に太い樅が静かな枝を夜に張って、土手から高く聳えている。火はその後から起る。黒い幹と動かぬ枝をことさらに残して、余る所は真赤である。火元はこの高い土手の上に違ない。もう一町ほど行って左へ坂を上れば、現場へ出られる。  また急ぎ足に歩き出した。後から来るものは皆追越して行く。中には擦れ違に大きな声をかけるものがある。暗い路は自ずと神経的に活きて来た。坂の下まで歩いて、いよいよ上ろうとすると、胸を突くほど急である。その急な傾斜を、人の頭がいっぱいに埋めて、上から下まで犇いている。焔は坂の真上から容赦なく舞い上る。この人の渦に捲かれて、坂の上まで押し上げられたら、踵を回らすうちに焦げてしまいそうである。  もう半町ほど行くと、同じく左へ折れる大きな坂がある。上るならこちらが楽で安全であると思い直して、出合頭の人を煩わしく避けて、ようやく曲り角まで出ると、向うから劇しく号鈴を鳴らして蒸汽喞筒が来た。退かぬものはことごとく敷き殺すぞと云わぬばかりに人込の中を全速力で駆り立てながら、高い蹄の音と共に、馬の鼻面を坂の方へ一捻に向直した。馬は泡を吹いた口を咽喉に摺りつけて、尖った耳を前に立てたが、いきなり前足を揃えてもろに飛び出した。その時栗毛の胴が、袢天を着た男の提灯を掠めて、天鵞絨のごとく光った。紅色に塗った太い車の輪が自分の足に触れたかと思うほど際どく回った。と思うと、喞筒は一直線に坂を馳け上がった。  坂の中途へ来たら、前は正面にあった※が今度は筋違に後の方に見え出した。坂の上からまた左へ取って返さなければならない。横丁を見つけていると、細い路次のようなのが一つあった。人に押されて入り込むと真暗である。ただ一寸のセキもないほど詰んでいる。そうして互に懸命な声を揚げる。火は明かに向うに燃えている。  十分の後ようやく路次を抜けて通りへ出た。その通りもまた組屋敷ぐらいな幅で、すでに人でいっぱいになっている。路次を出るや否や、さっき地を蹴って、馳け上がった蒸汽喞筒が眼の前にじっとしていた。喞筒はようやくここまで馬を動かしたが、二三間先きの曲り角に妨げられて、どうする事もできずに、焔を見物している。焔は鼻の先から燃え上がる。  傍に押し詰められているものは口々にどこだ、どこだと号ぶ。聞かれるものは、そこだそこだと云う。けれども両方共に焔の起る所までは行かれない。※は勢いを得て、静かな空を煽るように、凄じく上る。……  翌日|午過散歩のついでに、火元を見届ようと思う好奇心から、例の坂を上って、昨夕の路次を抜けて、蒸汽喞筒の留まっていた組屋敷へ出て、二三間先の曲角をまがって、ぶらぶら歩いて見たが、冬籠りと見える家が軒を並べてひそりと静まっているばかりである。焼け跡はどこにも見当らない。火の揚がったのはこの辺だと思われる所は、奇麗な杉垣ばかり続いて、そのうちの一軒からは微かに琴の音が洩れた。 霧  昨宵は夜中枕の上で、ばちばち云う響を聞いた。これは近所にクラパム・ジャンクションと云う大停車場のある御蔭である。このジャンクションには一日のうちに、汽車が千いくつか集まってくる。それを細かに割りつけて見ると、一分に一と列車ぐらいずつ出入をする訳になる。その各列車が霧の深い時には、何かの仕掛で、停車場|間際へ来ると、爆竹のような音を立てて相図をする。信号の灯光は青でも赤でも全く役に立たないほど暗くなるからである。  寝台を這い下りて、北窓の日蔽を捲き上げて外面を見おろすと、外面は一面に茫としている。下は芝生の底から、三方|煉瓦の塀に囲われた一間余の高さに至るまで、何も見えない。ただ空しいものがいっぱい詰っている。そうして、それが寂として凍っている。隣の庭もその通りである。この庭には奇麗なローンがあって、春先の暖かい時分になると、白い髯を生した御爺さんが日向ぼっこをしに出て来る。その時この御爺さんは、いつでも右の手に鸚鵡を留まらしている。そうして自分の目を鸚鵡の嘴で突つかれそうに近く、鳥の傍へ持って行く。鸚鵡は羽搏きをして、しきりに鳴き立てる。御爺さんの出ないときは、娘が長い裾を引いて、絶え間なく芝刈器械をローンの上に転がしている。この記憶に富んだ庭も、今は全く霧に埋って、荒果てた自分の下宿のそれと、何の境もなくのべつに続いている。  裏通りを隔てて向う側に高いゴシック式の教会の塔がある。その塔の灰色に空を刺す天辺でいつでも鐘が鳴る。日曜はことにはなはだしい。今日は鋭く尖った頂きは無論の事、切石を不揃に畳み上げた胴中さえ所在がまるで分らない。それかと思うところが、心持黒いようでもあるが、鐘の音はまるで響かない。鐘の形の見えない濃い影の奥に深く鎖された。  表へ出ると二間ばかり先は見える。その二間を行き尽くすとまた二間ばかり先が見えて来る。世の中が二間四方に縮まったかと思うと、歩けば歩るくほど新しい二間四方が露われる。その代り今通って来た過去の世界は通るに任せて消えて行く。  四つ角でバスを待ち合せていると、鼠色の空気が切り抜かれて急に眼の前へ馬の首が出た。それだのにバスの屋根にいる人は、まだ霧を出切らずにいる。こっちから霧を冒して、飛乗って下を見ると、馬の首はもう薄ぼんやりしている。バスが行き逢うときは、行き逢った時だけ奇麗だなと思う。思う間もなく色のあるものは、濁った空の中に消えてしまう。漠々として無色の裡に包まれて行った。ウェストミンスター橋を通るとき、白いものが一二度眼を掠めて翻がえった。眸を凝らして、その行方を見つめていると、封じ込められた大気の裡に、鴎が夢のように微かに飛んでいた。その時頭の上でビッグベンが厳に十時を打ち出した。仰ぐと空の中でただ音だけがする。  ヴィクトリヤで用を足して、テート画館の傍を河沿にバタシーまで来ると、今まで鼠色に見えた世界が、突然と四方からばったり暮れた。泥炭を溶いて濃く、身の周囲に流したように、黒い色に染められた重たい霧が、目と口と鼻とに逼って来た。外套は抑えられたかと思うほど湿っている。軽い葛湯を呼吸するばかりに気息が詰まる。足元は無論|穴蔵の底を踏むと同然である。  自分はこの重苦しい茶褐色の中に、しばらく茫然と佇立んだ。自分の傍を人が大勢通るような心持がする。けれども肩が触れ合わない限りははたして、人が通っているのかどうだか疑わしい。その時この濛々たる大海の一点が、豆ぐらいの大きさにどんよりと黄色く流れた。自分はそれを目標に、四歩ばかりを動かした。するとある店先の窓硝子の前へ顔が出た。店の中では瓦斯を点けている。中は比較的明かである。人は常のごとくふるまっている。自分はやっと安心した。  バタシーを通り越して、手探りをしないばかりに向うの岡へ足を向けたが、岡の上は仕舞屋ばかりである。同じような横町が幾筋も並行して、青天の下でも紛れやすい。自分は向って左の二つ目を曲ったような気がした。それから二町ほど真直に歩いたような心持がした。それから先はまるで分らなくなった。暗い中にたった一人立って首を傾けていた。右の方から靴の音が近寄って来た。と思うと、それが四五間手前まで来て留まった。それからだんだん遠退いて行く。しまいには、全く聞えなくなった。あとは寂としている。自分はまた暗い中にたった一人立って考えた。どうしたら下宿へ帰れるかしらん。 懸物  大刀老人は亡妻の三回忌までにはきっと一基の石碑を立ててやろうと決心した。けれども倅の痩腕を便に、ようやく今日を過すよりほかには、一銭の貯蓄もできかねて、また春になった。あれの命日も三月八日だがなと、訴えるような顔をして、倅に云うと、はあ、そうでしたっけと答えたぎりである。大刀老人は、とうとう先祖伝来の大切な一幅を売払って、金の工面をしようときめた。倅に、どうだろうと相談すると、倅は恨めしいほど無雑作にそれがいいでしょうと賛成してくれた。倅は内務省の社寺局へ出て四十円の月給を貰っている。女房に二人の子供がある上に、大刀老人に孝養を尽くすのだから骨が折れる。老人がいなければ大切な懸物も、とうに融通の利くものに変形したはずである。  この懸物は方一尺ほどの絹地で、時代のために煤竹のような色をしている。暗い座敷へ懸けると、暗澹として何が画いてあるか分らない。老人はこれを王若水の画いた葵だと称している。そうして、月に一二度ぐらいずつ袋戸棚から出して、桐の箱の塵を払って、中のものを丁寧に取り出して、直に三尺の壁へ懸けては、眺めている。なるほど眺めていると、煤けたうちに、古血のような大きな模様がある。緑青の剥げた迹かと怪しまれる所も微かに残っている。老人はこの模糊たる唐画の古蹟に対って、生き過ぎたと思うくらいに住み古した世の中を忘れてしまう。ある時は懸物をじっと見つめながら、煙草を吹かす。または御茶を飲む。でなければただ見つめている。御爺さん、これ、なあにと小供が来て指を触けようとすると、始めて月日に気がついたように、老人は、触ってはいけないよと云いながら、静かに立って、懸物を巻きにかかる。すると、小供が御爺さん鉄砲玉はと聞く。うん鉄砲玉を買って来るから、悪戯をしてはいけないよと云いながら、そろそろと懸物を巻いて、桐の箱へ入れて、袋戸棚へしまって、そうしてそこいらを散歩しに出る。帰りには町内の飴屋へ寄って、薄荷入の鉄砲玉を二袋買って来て、そら鉄砲玉と云って、小供にやる。倅が晩婚なので小供は六つと四つである。  倅と相談をした翌日、老人は桐の箱を風呂敷に包んで朝早くから出た。そうして四時頃になって、また桐の箱を持って帰って来た。小供が上り口まで出て、御爺さん鉄砲玉はと聞くと、老人は何にも云わずに、座敷へ来て、箱の中から懸物を出して、壁へ懸けて、ぼんやり眺め出した。四五軒の道具屋を持って廻ったら、落款がないとか、画が剥げているとか云って、老人の予期したほどの尊敬を、懸物に払うものがなかったのだそうである。  倅は道具屋は廃しになさいと云った。老人も道具屋はいかんと云った。二週間ほどしてから、老人はまた桐の箱を抱えて出た。そうして倅の課長さんの友達の所へ、紹介を得て見せに行った。その時も鉄砲玉を買って来なかった。倅が帰るや否や、あんな眼の明かない男にどうして譲れるものか、あすこにあるものは、みんな贋物だ、とさも倅の不徳義のように云った。倅は苦笑していた。  二月の初旬に偶然|旨い伝手ができて、老人はこの幅を去る好事家に売った。老人は直に谷中へ行って、亡妻のために立派な石碑を誂えた。そうしてその余りを郵便貯金にした。それから五日ほど立って、常のごとく散歩に出たが、いつもよりは二時間ほど後れて帰って来た。その時両手に大きな鉄砲玉の袋を二つ抱えていた。売り払った懸物が気にかかるから、もう一遍見せて貰いに行ったら、四畳半の茶座敷にひっそりと懸かっていて、その前には透き徹るような臘梅が活けてあったのだそうだ。老人はそこで御茶の御馳走になったのだという。おれが持っているよりも安心かも知れないと老人は倅に云った。倅はそうかも知れませんと答えた。小供は三日間鉄砲玉ばかり食っていた。 紀元節  南向きの部屋であった。明かるい方を背中にした三十人ばかりの小供が黒い頭を揃えて、塗板を眺めていると、廊下から先生が這入って来た。先生は背の低い、眼の大きい、瘠せた男で、顎から頬へ掛けて、髯が爺汚く生えかかっていた。そうしてそのざらざらした顎の触る着物の襟が薄黒く垢附いて見えた。この着物と、この髯の不精に延びるのと、それから、かつて小言を云った事がないのとで、先生はみなから馬鹿にされていた。  先生はやがて、白墨を取って、黒板に記元節と大きく書いた。小供はみんな黒い頭を机の上に押しつけるようにして、作文を書き出した。先生は低い背を伸ばして、一同を見廻していたが、やがて廊下伝いに部屋を出て行った。  すると、後から三番目の机の中ほどにいた小供が、席を立って先生の洋卓の傍へ来て、先生の使った白墨を取って、塗板に書いてある記元節の記の字へ棒を引いて、その傍へ新しく紀と肉太に書いた。ほかの小供は笑いもせずに驚いて見ていた。さきの小供が席へ帰ってしばらく立つと、先生も部屋へ帰って来た。そうして塗板に気がついた。 「誰か記を紀と直したようだが、記と書いても好いんですよ」と云ってまた一同を見廻した。一同は黙っていた。  記を紀と直したものは自分である。明治四十二年の今日でも、それを思い出すと下等な心持がしてならない。そうして、あれが爺むさい福田先生でなくって、みんなの怖がっていた校長先生であればよかったと思わない事はない。 儲口 「あっちは栗の出る所でしてね。まあ相場がざっと両に四升ぐらいのもんでしょうかね。それをこっちへ持って来ると、升に一円五十銭もするんですよ。それでね、私がちょうど向うにいた時分でしたが、浜から千八百俵ばかり注文がありました。旨く行くと一升二円以上につくんですから、さっそくやりましたよ。千八百俵|拵えて、私が自分で栗といっしょに浜まで持って行くと、――なに相手は支那人で、本国へ送り出すんでさあ。すると、支那人が出て来て、宜しいと云うから、もう済んだのかと思うと、蔵の前へ高さ一間もあろうと云う大きな樽を持ち出して、水をその中へどんどん汲み込ませるんです。――いえ何のためだか私にもいっこう分らなかったんで。何しろ大きな樽ですからね、水を張るんだって容易なこっちゃありません。かれこれ半日かかっちまいました。それから何をするかと思って見ていると、例の栗をね、俵をほどいて、どんどん樽の中へ放り込むんですよ。――私も実に驚いたが、支那人てえ奴は本当に食えないもんだと後になって、ようやく気がついたんです。栗を水の中に打ち込むとね、たしかな奴は尋常に沈みますが、虫の食った奴だけはみんな浮いちまうんです。それを支那人の野郎|笊でしゃくってね、ペケだって、俵の目方から引いてしまうんだからたまりません。私は傍で見ていてはらはらしました。何しろ七分通り虫が入ってたんだから弱りました。大変な損でさあ。――虫の食ったんですか。いまいましいから、みんな打遣って来ました。支那人の事ですから、やっぱり知らん顔をして、俵にして、おおかた本国へ送ったでげしょう。 「それから薩摩芋を買い込んだこともありまさあ。一俵四円で、二千俵の契約でね。ところが注文の来たのが月半、十四日でして二十五日までにと云うんだから、どう骨を折ったって二千俵と云う数が寄りっこありませんや。とうてい駄目だからって、一応断りました。実を云うと残念でしたがな。すると商館の番頭がいうには、否契約書には二十五日とあるけれども、けっしてその通りには厳行しないからと、再三|勧めるもんだから、ついその気になりましてね。――いえ芋は支那へ行くんじゃありません。亜米利加でした。やッぱり亜米利加にも薩摩芋を食う奴があると見えるんですよ。妙な事があるもんで、――で、さっそく買収にかかりました。埼玉から川越の方をな。だが口でこそ二千俵ですが、いざ買い占めるとなるとなかなか大したもんですからな。でもようやくの事で、とうとう二十八日過ぎに約束通りの俵を持って、行きますと、――実に狡猾な奴がいるもんで、約定書のうちに、もしはなはだしい日限の違約があるときは、八千円の損害賠償を出すと云う項目があるんですよ。ところが彼はその条款を応用しちまって、どうしても代金を渡さないんです。もっとも手付は四千円取っておきましたがね。そうこうしている内に、先方では芋を船へ積み込んじまったから、どうする事もできない訳になりました。あんまり業腹だから、千円の保証金を納めましてね、現物取押を申請して、とうとう芋を取り押えてやりました。ところが上には上があるもんで、先方は八千円の保証金を納めて、構わず船を出しちまったんです。でいよいよ裁判になったにはなったんですが、何しろ約定書が入れてあるもんだから、しようがない。私は裁判官の前で泣きましたね。芋はただ取られる、裁判には負ける、こんな馬鹿な事はない、少しは、まあ私の身になって考えて見て下さいって。裁判官も腹のなかでは、だいぶ私の方に同情した様子でしたが、法律の力じゃ、どうする事もできないもんですからな。とうとう負けました」 行列  ふと机から眼を上げて、入口の方を見ると、書斎の戸がいつの間にか、半分明いて、広い廊下が二尺ばかり見える。廊下の尽きる所は唐めいた手摺に遮られて、上には硝子戸が立て切ってある。青い空から、まともに落ちて来る日が、軒端を斜に、硝子を通して、縁側の手前だけを明るく色づけて、書斎の戸口までぱっと暖かに射した。しばらく日の照る所を見つめていると、眼の底に陽炎が湧いたように、春の思いが饒かになる。  その時この二尺あまりの隙間に、空を踏んで、手摺の高さほどのものがあらわれた。赤に白く唐草を浮き織りにした絹紐を輪に結んで、額から髪の上へすぽりと嵌めた間に、海棠と思われる花を青い葉ごと、ぐるりと挿した。黒髪の地に薄紅の莟が大きな雫のごとくはっきり見えた。割合に詰った顎の真下から、一襞になって、ただ一枚の紫が縁までふわふわと動いている。袖も手も足も見えない。影は廊下に落ちた日を、するりと抜けるように通った。後から、――  今度は少し低い。真紅の厚い織物を脳天から肩先まで被って、余る背中に筋違の笹の葉の模様を背負っている。胴中にただ一葉、消炭色の中に取り残された緑が見える。それほど笹の模様は大きかった。廊下に置く足よりも大きかった。その足が赤くちらちらと三足ほど動いたら、低いものは、戸口の幅を、音なく行き過ぎた。  第三の頭巾は白と藍の弁慶の格子である。眉廂の下にあらわれた横顔は丸く膨らんでいる。その片頬の真中が林檎の熟したほどに濃い。尻だけ見える茶褐色の眉毛の下が急に落ち込んで、思わざる辺から丸い鼻が膨れた頬を少し乗り越して、先だけ顔の外へ出た。顔から下は一面に黄色い縞で包まれている。長い袖を三寸余も縁に牽いた。これは頭より高い胡麻竹の杖を突いて来た。杖の先には光を帯びた鳥の羽をふさふさと着けて、照る日に輝かした。縁に牽く黄色い縞の、袖らしい裏が、銀のように光ったと思ったらこれも行き過ぎた。  すると、すぐ後から真白な顔があらわれた。額から始まって、平たい頬を塗って、顎から耳の附根まで遡ぼって、壁のように静かである。中に眸だけが活きていた。唇は紅の色を重ねて、青く光線を反射した。胸のあたりは鳩の色のように見えて、下は裾までばっと視線を乱している中に、小さなヴァイオリンを抱えて、長い弓を厳かに担いでいる。二足で通り過ぎる後には、背中へ黒い繻子の四角な片をあてて、その真中にある金糸の刺繍が、一度に日に浮いた。  最後に出たものは、全く小さい。手摺の下から転げ落ちそうである。けれども大きな顔をしている。その中でも頭はことに大きい。それへ五色の冠を戴いてあらわれた。冠の中央にあるぽっちが高く聳えているように思われる。身には井の字の模様のある筒袖に、藤鼠の天鵞絨の房の下ったものを、背から腰の下まで三角に垂れて、赤い足袋を踏んでいた。手に持った朝鮮の団扇が身体の半分ほどある。団扇には赤と青と黄で巴を漆で描いた。  行列は静かに自分の前を過ぎた。開け放しになった戸が、空しい日の光を、書斎の入口に送って、縁側に幅四尺の寂しさを感じた時、向うの隅で急にヴァイオリンを擦る音がした。ついで、小さい咽喉が寄り合って、どっと笑う声がした。  宅の小供は毎日母の羽織や風呂敷を出して、こんな遊戯をしている。 昔  ピトロクリの谷は秋の真下にある。十月の日が、眼に入る野と林を暖かい色に染めた中に、人は寝たり起きたりしている。十月の日は静かな谷の空気を空の半途で包んで、じかには地にも落ちて来ぬ。と云って、山向へ逃げても行かぬ。風のない村の上に、いつでも落ちついて、じっと動かずに靄んでいる。その間に野と林の色がしだいに変って来る。酸いものがいつの間にか甘くなるように、谷全体に時代がつく。ピトロクリの谷は、この時百年の昔し、二百年の昔にかえって、やすやすと寂びてしまう。人は世に熟れた顔を揃えて、山の背を渡る雲を見る。その雲は或時は白くなり、或時は灰色になる。折々は薄い底から山の地を透かせて見せる。いつ見ても古い雲の心地がする。  自分の家はこの雲とこの谷を眺めるに都合好く、小さな丘の上に立っている。南から一面に家の壁へ日があたる。幾年十月の日が射したものか、どこもかしこも鼠色に枯れている西の端に、一本の薔薇が這いかかって、冷たい壁と、暖かい日の間に挟まった花をいくつか着けた。大きな弁は卵色に豊かな波を打って、萼から翻えるように口を開けたまま、ひそりとところどころに静まり返っている。香は薄い日光に吸われて、二間の空気の裡に消えて行く。自分はその二間の中に立って、上を見た。薔薇は高く這い上って行く。鼠色の壁は薔薇の蔓の届かぬ限りを尽くして真直に聳えている。屋根が尽きた所にはまだ塔がある。日はそのまた上の靄の奥から落ちて来る。  足元は丘がピトロクリの谷へ落ち込んで、眼の届く遥の下が、平たく色で埋まっている。その向う側の山へ上る所は層々と樺の黄葉が段々に重なり合って、濃淡の坂が幾階となく出来ている。明かで寂びた調子が谷一面に反射して来る真中を、黒い筋が横に蜿って動いている。泥炭を含んだ渓水は、染粉を溶いたように古びた色になる。この山奥に来て始めて、こんな流を見た。  後から主人が来た。主人の髯は十月の日に照らされて七分がた白くなりかけた。形装も尋常ではない。腰にキルトというものを着けている。俥の膝掛のように粗い縞の織物である。それを行灯袴に、膝頭まで裁って、竪に襞を置いたから、膝脛は太い毛糸の靴足袋で隠すばかりである。歩くたびにキルトの襞が揺れて、膝と股の間がちらちら出る。肉の色に恥を置かぬ昔の袴である。  主人は毛皮で作った、小さい木魚ほどの蟇口を前にぶら下げている。夜|煖炉の傍へ椅子を寄せて、音のする赤い石炭を眺めながら、この木魚の中から、パイプを出す、煙草を出す。そうしてぷかりぷかりと夜長を吹かす。木魚の名をスポーランと云う。  主人といっしょに崖を下りて、小暗い路に這入った。スコッチ・ファーと云う常磐木の葉が、刻み昆布に雲が這いかかって、払っても落ちないように見える。その黒い幹をちょろちょろと栗鼠が長く太った尾を揺って、駆け上った。と思うと古く厚みのついた苔の上をまた一匹、眸から疾く駆け抜けたものがある。苔は膨れたまま動かない。栗鼠の尾は蒼黒い地を払子のごとくに擦って暗がりに入った。  主人は横をふり向いて、ピトロクリの明るい谷を指さした。黒い河は依然としてその真中を流れている。あの河を一里半北へ溯るとキリクランキーの峡間があると云った。  高地人と低地人とキリクランキーの峡間で戦った時、屍が岩の間に挟って、岩を打つ水を塞いた。高地人と低地人の血を飲んだ河の流れは色を変えて三日の間ピトロクリの谷を通った。  自分は明日早朝キリクランキーの古戦場を訪おうと決心した。崖から出たら足の下に美しい薔薇の花弁が二三片散っていた。 声  豊三郎がこの下宿へ越して来てから三日になる。始めの日は、薄暗い夕暮の中に、一生懸命に荷物の片づけやら、書物の整理やらで、忙しい影のごとく動いていた。それから町の湯に入って、帰るや否や寝てしまった。明る日は、学校から戻ると、机の前へ坐って、しばらく書見をして見たが、急に居所が変ったせいか、全く気が乗らない。窓の外でしきりに鋸の音がする。  豊三郎は坐ったまま手を延して障子を明けた。すると、つい鼻の先で植木屋がせっせと梧桐の枝をおろしている。可なり大きく延びた奴を、惜気もなく股の根から、ごしごし引いては、下へ落して行く内に、切口の白い所が目立つくらい夥しくなった。同時に空しい空が遠くから窓にあつまるように広く見え出した。豊三郎は机に頬杖を突いて、何気なく、梧桐の上を高く離れた秋晴を眺めていた。  豊三郎が眼を梧桐から空へ移した時は、急に大きな心持がした。その大きな心持が、しばらくして落ちついて来るうちに、懐かしい故郷の記憶が、点を打ったように、その一角にあらわれた。点は遥かの向にあるけれども、机の上に乗せたほど明らかに見えた。  山の裾に大きな藁葺があって、村から二町ほど上ると、路は自分の門の前で尽きている。門を這入る馬がある。鞍の横に一叢の菊を結いつけて、鈴を鳴らして、白壁の中へ隠れてしまった。日は高く屋の棟を照らしている。後の山を、こんもり隠す松の幹がことごとく光って見える。茸の時節である。豊三郎は机の上で今|採ったばかりの茸の香を嗅いだ。そうして、豊、豊という母の声を聞いた。その声が非常に遠くにある。それで手に取るように明らかに聞える。――母は五年前に死んでしまった。  豊三郎はふと驚いて、わが眼を動かした。すると先刻見た梧桐の先がまた眸に映った。延びようとする枝が、一所で伐り詰められているので、股の根は、瘤で埋まって、見悪いほど窮屈に力が入っている。豊三郎はまた急に、机の前に押しつけられたような気がした。梧桐を隔てて、垣根の外を見下すと、汚ない長屋が三四軒ある。綿の出た蒲団が遠慮なく秋の日に照りつけられている。傍に五十余りの婆さんが立って、梧桐の先を見ていた。  ところどころ縞の消えかかった着物の上に、細帯を一筋巻いたなりで、乏しい髪を、大きな櫛のまわりに巻きつけて、茫然と、枝を透かした梧桐の頂辺を見たまま立っている。豊三郎は婆さんの顔を見た。その顔は蒼くむくんでいる。婆さんは腫れぼったい瞼の奥から細い眼を出して、眩しそうに豊三郎を見上げた。豊三郎は急に自分の眼を机の上に落した。  三日目に豊三郎は花屋へ行って菊を買って来た。国の庭に咲くようなのをと思って、探して見たが見当らないので、やむをえず花屋のあてがったのを、そのまま三本ほど藁で括って貰って、徳利のような花瓶へ活けた。行李の底から、帆足万里の書いた小さい軸を出して、壁へ掛けた。これは先年帰省した時、装飾用のためにわざわざ持って来たものである。それから豊三郎は座蒲団の上へ坐って、しばらく軸と花を眺めていた。その時窓の前の長屋の方で、豊々と云う声がした。その声が調子と云い、音色といい、優しい故郷の母に少しも違わない。豊三郎はたちまち窓の障子をがらりと開けた。すると昨日見た蒼ぶくれの婆さんが、落ちかかる秋の日を額に受けて、十二三になる鼻垂小僧を手招きしていた。がらりと云う音がすると同時に、婆さんは例のむくんだ眼を翻えして下から豊三郎を見上げた。 金  劇烈な三面記事を、写真版にして引き伸ばしたような小説を、のべつに五六冊読んだら、全く厭になった。飯を食っていても、生活難が飯といっしょに胃の腑まで押し寄せて来そうでならない。腹が張れば、腹がせっぱ詰って、いかにも苦しい。そこで帽子を被って空谷子の所へ行った。この空谷子と云うのは、こういう時に、話しをするのに都合よく出来上った、哲学者みたような占者みたような、妙な男である。無辺際の空間には、地球より大きな火事がところどころにあって、その火事の報知が吾々の眼に伝わるには、百年もかかるんだからなあと云って、神田の火事を馬鹿にした男である。もっとも神田の火事で空谷子の家が焼けなかったのはたしかな事実である。  空谷子は小さな角火鉢に倚れて、真鍮の火箸で灰の上へ、しきりに何か書いていた。どうだね、相変らず考え込んでるじゃないかと云うと、さも面倒くさそうな顔つきをして、うん今|金の事を少し考えているところだと答えた。せっかく空谷子の所へ来て、また金の話なぞを聞かされてはたまらないから、黙ってしまった。すると空谷子が、さも大発見でもしたように、こう云った。 「金は魔物だね」  空谷子の警句としてははなはだ陳腐だと思ったから、そうさね、と云ったぎり相手にならずにいた。空谷子は火鉢の灰の中に大きな丸を描いて、君ここに金があるとするぜ、と丸の真中を突ッついた。 「これが何にでも変化する。衣服にもなれば、食物にもなる。電車にもなれば宿屋にもなる」 「下らんな。知れ切ってるじゃないか」 「否、知れ切っていない。この丸がね」とまた大きな丸を描いた。 「この丸が善人にもなれば悪人にもなる。極楽へも行く、地獄へも行く。あまり融通が利き過ぎるよ。まだ文明が進まないから困る。もう少し人類が発達すると、金の融通に制限をつけるようになるのは分り切っているんだがな」 「どうして」 「どうしても好いが、――例えば金を五色に分けて、赤い金、青い金、白い金などとしても好かろう」 「そうして、どうするんだ」 「どうするって。赤い金は赤い区域内だけで通用するようにする。白い金は白い区域内だけで使う事にする。もし領分外へ出ると、瓦の破片同様まるで幅が利かないようにして、融通の制限をつけるのさ」  もし空谷子が初対面の人で、初対面の最先からこんな話をしかけたら、自分は空谷子をもって、あるいは脳の組織に異状のある論客と認めたかも知れない。しかし空谷子は地球より大きな火事を想像する男だから、安心してその訳を聞いて見た。空谷子の答はこうであった。 「金はある部分から見ると、労力の記号だろう。ところがその労力がけっして同種類のものじゃないから、同じ金で代表さして、彼是相通ずると、大変な間違になる。例えば僕がここで一万|噸の石炭を掘ったとするぜ。その労力は器械的の労力に過ぎないんだから、これを金に代えたにしたところが、その金は同種類の器械的の労力と交換する資格があるだけじゃないか。しかるに一度この器械的の労力が金に変形するや否や、急に大自在の神通力を得て、道徳的の労力とどんどん引き換えになる。そうして、勝手次第に精神界が攪乱されてしまう。不都合|極まる魔物じゃないか。だから色分にして、少しその分を知らしめなくっちゃいかんよ」  自分は色分説に賛成した。それからしばらくして、空谷子に尋ねて見た。 「器械的の労力で道徳的の労力を買収するのも悪かろうが、買収される方も好かあないんだろう」 「そうさな。今のような善知善能の金を見ると、神も人間に降参するんだから仕方がないかな。現代の神は野蛮だからな」  自分は空谷子と、こんな金にならない話をして帰った。 心  二階の手摺に湯上りの手拭を懸けて、日の目の多い春の町を見下すと、頭巾を被って、白い髭を疎らに生やした下駄の歯入が垣の外を通る。古い鼓を天秤棒に括りつけて、竹のへらでかんかんと敲くのだが、その音は頭の中でふと思い出した記憶のように、鋭いくせに、どこか気が抜けている。爺さんが筋向の医者の門の傍へ来て、例の冴え損なった春の鼓をかんと打つと、頭の上に真白に咲いた梅の中から、一羽の小鳥が飛び出した。歯入は気がつかずに、青い竹垣をなぞえに向の方へ廻り込んで見えなくなった。鳥は一摶に手摺の下まで飛んで来た。しばらくは柘榴の細枝に留っていたが、落ちつかぬと見えて、二三度|身ぶりを易える拍子に、ふと欄干に倚りかかっている自分の方を見上げるや否や、ぱっと立った。枝の上が煙るごとくに動いたと思ったら、小鳥はもう奇麗な足で手摺の桟を踏まえている。  まだ見た事のない鳥だから、名前を知ろうはずはないが、その色合が著るしく自分の心を動かした。鶯に似て少し渋味の勝った翼に、胸は燻んだ、煉瓦の色に似て、吹けば飛びそうに、ふわついている。その辺には柔かな波を時々打たして、じっとおとなしくしている。怖すのは罪だと思って、自分もしばらく、手摺に倚ったまま、指一本も動かさずに辛抱していたが、存外鳥の方は平気なようなので、やがて思い切って、そっと身を後へ引いた。同時に鳥はひらりと手摺の上に飛び上がって、すぐと眼の前に来た。自分と鳥の間はわずか一尺ほどに過ぎない。自分は半ば無意識に右手を美しい鳥の方に出した。鳥は柔かな翼と、華奢な足と、漣の打つ胸のすべてを挙げて、その運命を自分に託するもののごとく、向うからわが手の中に、安らかに飛び移った。自分はその時丸味のある頭を上から眺めて、この鳥は……と思った。しかしこの鳥は……の後はどうしても思い出せなかった。ただ心の底の方にその後が潜んでいて、総体を薄く暈すように見えた。この心の底一面に煮染んだものを、ある不可思議の力で、一所に集めて判然と熟視したら、その形は、――やっぱりこの時、この場に、自分の手のうちにある鳥と同じ色の同じ物であったろうと思う。自分は直に籠の中に鳥を入れて、春の日影の傾くまで眺めていた。そうしてこの鳥はどんな心持で自分を見ているだろうかと考えた。  やがて散歩に出た。欣々然として、あてもないのに、町の数をいくつも通り越して、賑かな往来を行ける所まで行ったら、往来は右へ折れたり左へ曲ったりして、知らない人の後から、知らない人がいくらでも出て来る。いくら歩いても賑かで、陽気で、楽々しているから、自分はどこの点で世界と接触して、その接触するところに一種の窮屈を感ずるのか、ほとんど想像も及ばない。知らない人に幾千人となく出逢うのは嬉しいが、ただ嬉しいだけで、その嬉しい人の眼つきも鼻つきもとんと頭に映らなかった。するとどこかで、宝鈴が落ちて廂瓦に当るような音がしたので、はっと思って向うを見ると、五六間先の小路の入口に一人の女が立っていた。何を着ていたか、どんな髷に結っていたか、ほとんど分らなかった。ただ眼に映ったのはその顔である。その顔は、眼と云い、口と云い、鼻と云って、離れ離れに叙述する事のむずかしい――否、眼と口と鼻と眉と額といっしょになって、たった一つ自分のために作り上げられた顔である。百年の昔からここに立って、眼も鼻も口もひとしく自分を待っていた顔である。百年の後まで自分を従えてどこまでも行く顔である。黙って物を云う顔である。女は黙って後を向いた。追いついて見ると、小路と思ったのは露次で、不断の自分なら躊躇するくらいに細くて薄暗い。けれども女は黙ってその中へ這入って行く。黙っている。けれども自分に後を跟けて来いと云う。自分は身を穿めるようにして、露次の中に這入った。  黒い暖簾がふわふわしている。白い字が染抜いてある。その次には頭を掠めるくらいに軒灯が出ていた。真中に三階松が書いて下に本とあった。その次には硝子の箱に軽焼の霰が詰っていた。その次には軒の下に、更紗の小片を五つ六つ四角な枠の中に並べたのが懸けてあった。それから香水の瓶が見えた。すると露次は真黒な土蔵の壁で行き留った。女は二尺ほど前にいた。と思うと、急に自分の方をふり返った。そうして急に右へ曲った。その時自分の頭は突然|先刻の鳥の心持に変化した。そうして女に尾いて、すぐ右へ曲った。右へ曲ると、前よりも長い露次が、細く薄暗く、ずっと続いている。自分は女の黙って思惟するままに、この細く薄暗く、しかもずっと続いている露次の中を鳥のようにどこまでも跟いて行った。 変化  二人は二畳敷の二階に机を並べていた。その畳の色の赤黒く光った様子がありありと、二十余年後の今日までも、眼の底に残っている。部屋は北向で、高さ二尺に足らぬ小窓を前に、二人が肩と肩を喰っつけるほど窮屈な姿勢で下調をした。部屋の内が薄暗くなると、寒いのを思い切って、窓障子を明け放ったものである。その時窓の真下の家の、竹格子の奥に若い娘がぼんやり立っている事があった。静かな夕暮などはその娘の顔も姿も際立って美しく見えた。折々はああ美しいなと思って、しばらく見下していた事もあった。けれども中村には何にも言わなかった。中村も何にも言わなかった。  女の顔は今は全く忘れてしまった。ただ大工か何かの娘らしかったという感じだけが残っている。無論|長屋住居の貧しい暮しをしていたものの子である。我ら二人の寝起する所も、屋根に一枚の瓦さえ見る事のできない古長屋の一部であった。下には学僕と幹事を混ぜて十人ばかり寄宿していた。そうして吹き曝しの食堂で、下駄を穿いたまま、飯を食った。食料は一箇月に二円であったが、その代りはなはだ不味いものであった。それでも、隔日に牛肉の汁を一度ずつ食わした。もちろん肉の膏が少し浮いて、肉の香が箸に絡まって来るくらいなところであった。それで塾生は幹事が狡猾で、旨いものを食わせなくっていかんとしきりに不平をこぼしていた。  中村と自分はこの私塾の教師であった。二人とも月給を五円ずつ貰って、日に二時間ほど教えていた。自分は英語で地理書や幾何学を教えた。幾何の説明をやる時に、どうしてもいっしょになるべき線が、いっしょにならないで困った事がある。ところが込みいった図を、太い線で書いているうちに、その線が二つ、黒板の上で重なり合っていっしょになってくれたのは嬉しかった。  二人は朝起きると、両国橋を渡って、一つ橋の予備門に通学した。その時分予備門の月謝は二十五銭であった。二人は二人の月給を机の上にごちゃごちゃに攪き交ぜて、そのうちから二十五銭の月謝と、二円の食料と、それから湯銭|若干を引いて、あまる金を懐に入れて、蕎麦や汁粉や寿司を食い廻って歩いた。共同財産が尽きると二人とも全く出なくなった。  予備門へ行く途中両国橋の上で、貴様の読んでいる西洋の小説のなかには美人が出て来るかと中村が聞いた事がある。自分はうん出て来ると答えた。しかしその小説は何の小説で、どんな美人が出て来たのか、今ではいっこう覚えない。中村はその時から小説などを読まない男であった。  中村が端艇競争のチャンピヨンになって勝った時、学校から若干の金をくれて、その金で書籍を買って、その書籍へある教授が、これこれの記念に贈ると云う文句を書き添えた事がある。中村はその時おれは書物なんかいらないから、何でも貴様の好なものを買ってやると云った。そうしてアーノルドの論文と沙翁のハムレットを買ってくれた。その本はいまだに持っている。自分はその時始めてハムレットと云うものを読んで見た。ちっとも分らなかった。  学校を出ると中村はすぐ台湾に行った。それぎりまるで逢わなかったのが、偶然|倫敦の真中でまたぴたりと出喰わした。ちょうど七年ほど前である。その時中村は昔の通りの顔をしていた。そうして金をたくさん持っていた。自分は中村といっしょに方々遊んで歩いた。中村も以前と異って、貴様の読んでいる西洋の小説には美人が出て来るかなどとは聞かなかった。かえって向うから西洋の美人の話をいろいろした。  日本へ帰ってからまた逢わなくなった。すると今年の一月の末、突然使をよこして、話がしたいから築地の新喜楽まで来いと云って来た。正午までにという注文だのに、時計はもう十一時過である。そうしてその日に限って北風が非常に強く吹いていた。外へ出ると、帽子も車も吹き飛ばされそうな勢いである。自分はその日の午後に是非片づけなくてはならない用事を控えていた。妻に電話を懸けさせて、明日じゃ都合が悪いかと聞かせると、明日になると出立の準備や何かで、こっちも忙しいから……と云うところで、電話が切れてしまった。いくら、どうしても懸らない。おおかた風のせいでしょうと、妻が寒い顔をして帰って来た。それでとうとう逢わずにしまった。  昔の中村は満鉄の総裁になった。昔の自分は小説家になった。満鉄の総裁とはどんな事をするものかまるで知らない。中村も自分の小説をいまだかつて一|頁も読んだ事はなかろう。 クレイグ先生  クレイグ先生は燕のように四階の上に巣をくっている。舗石の端に立って見上げたって、窓さえ見えない。下からだんだんと昇って行くと、股の所が少し痛くなる時分に、ようやく先生の門前に出る。門と申しても、扉や屋根のある次第ではない。幅三尺足らずの黒い戸に真鍮の敲子がぶら下がっているだけである。しばらく門前で休息して、この敲子の下端をこつこつと戸板へぶつけると、内から開けてくれる。  開けてくれるものは、いつでも女である。近眼のせいか眼鏡をかけて、絶えず驚いている。年は五十くらいだから、ずいぶん久しい間世の中を見て暮したはずだが、やっぱりまだ驚いている。戸を敲くのが気の毒なくらい大きな眼をしていらっしゃいと云う。  這入ると女はすぐ消えてしまう。そうして取附の客間――始めは客間とも思わなかった。別段装飾も何もない。窓が二つあって、書物がたくさん並んでいるだけである。クレイグ先生はたいていそこに陣取っている。自分の這入って来るのを見ると、やあと云って手を出す。握手をしろという相図だから、手を握る事は握るが、向ではかつて握り返した事がない。こっちもあまり握り心地が好い訳でもないから、いっそ廃したらよかろうと思うのに、やっぱりやあと云って毛だらけな皺だらけな、そうして例によって消極的な手を出す。習慣は不思議なものである。  この手の所有者は自分の質問を受けてくれる先生である。始めて逢った時報酬はと聞いたら、そうさな、とちょっと窓の外を見て、一回七|志じゃどうだろう。多過ぎればもっと負けても好いと云われた。それで自分は一回七志の割で月末に全額を払う事にしていたが、時によると不意に先生から催促を受ける事があった。君、少し金が入るから払って行ってくれんかなどと云われる。自分は洋袴の隠しから金貨を出して、むき出しにへえと云って渡すと、先生はやあすまんと受取りながら、例の消極的な手を拡げて、ちょっと掌の上で眺めたまま、やがてこれを洋袴の隠しへ収められる。困る事には先生けっして釣を渡さない。余分を来月へ繰り越そうとすると、次の週にまた、ちょっと書物を買いたいからなどと催促される事がある。  先生は愛蘭土の人で言葉がすこぶる分らない。少し焦きこんで来ると、東京者が薩摩人と喧嘩をした時くらいにむずかしくなる。それで大変そそっかしい非常な焦きこみ屋なんだから、自分は事が面倒になると、運を天に任せて先生の顔だけ見ていた。  その顔がまたけっして尋常じゃない。西洋人だから鼻は高いけれども、段があって、肉が厚過ぎる。そこは自分に善く似ているのだが、こんな鼻は一見したところがすっきりした好い感じは起らないものである。その代りそこいら中むしゃくしゃしていて、何となく野趣がある。髯などはまことに御気の毒なくらい黒白乱生していた。いつかベーカーストリートで先生に出合った時には、鞭を忘れた御者かと思った。  先生の白襯衣や白襟を着けたのはいまだかつて見た事がない。いつでも縞のフラネルをきて、むくむくした上靴を足に穿いて、その足を煖炉の中へ突き込むくらいに出して、そうして時々短い膝を敲いて――その時始めて気がついたのだが、先生は消極的の手に金の指輪を嵌めていた。――時には敲く代りに股を擦って、教えてくれる。もっとも何を教えてくれるのか分らない。聞いていると、先生の好きな所へ連れて行って、けっして帰してくれない。そうしてその好きな所が、時候の変り目や、天気都合でいろいろに変化する。時によると昨日と今日で両極へ引越しをする事さえある。わるく云えば、まあ出鱈目で、よく評すると文学上の座談をしてくれるのだが、今になって考えて見ると、一回七志ぐらいで纏った規則正しい講義などのできる訳のものではないのだから、これは先生の方がもっともなので、それを不平に考えた自分は馬鹿なのである。もっとも先生の頭も、その髯の代表するごとく、少しは乱雑に傾いていたようでもあるから、むしろ報酬の値上をして、えらい講義をして貰わない方がよかったかも知れない。  先生の得意なのは詩であった。詩を読むときには顔から肩の辺が陽炎のように振動する。――嘘じゃない。全く振動した。その代り自分に読んでくれるのではなくって、自分が一人で読んで楽んでいる事に帰着してしまうからつまりはこっちの損になる。いつかスウィンバーンのロザモンドとか云うものを持って行ったら、先生ちょっと見せたまえと云って、二三行朗読したが、たちまち書物を膝の上に伏せて、鼻眼鏡をわざわざはずして、ああ駄目駄目スウィンバーンも、こんな詩を書くように老い込んだかなあと云って嘆息された。自分がスウィンバーンの傑作アタランタを読んでみようと思い出したのはこの時である。  先生は自分を小供のように考えていた。君こう云う事を知ってるか、ああ云う事が分ってるかなどと愚にもつかない事をたびたび質問された。かと思うと、突然えらい問題を提出して急に同輩扱に飛び移る事がある。いつか自分の前でワトソンの詩を読んで、これはシェレーに似た所があると云う人と、全く違っていると云う人とあるが、君はどう思うと聞かれた。どう思うたって、自分には西洋の詩が、まず眼に訴えて、しかる後耳を通過しなければまるで分らないのである。そこで好い加減な挨拶をした。シェレーに似ている方だったか、似ていない方だったか、今では忘れてしまった。がおかしい事に、先生はその時例の膝を叩いて僕もそう思うと云われたので、大いに恐縮した。  ある時窓から首を出して、遥かの下界を忙しそうに通る人を見下しながら、君あんなに人間が通るが、あの内で詩の分るものは百人に一人もいない、可愛相なものだ。いったい英吉利人は詩を解する事のできない国民でね。そこへ行くと愛蘭土人はえらいものだ。はるかに高尚だ。――実際詩を味う事のできる君だの僕だのは幸福と云わなければならない。と云われた。自分を詩の分る方の仲間へ入れてくれたのははなはだありがたいが、その割合には取扱がすこぶる冷淡である。自分はこの先生においていまだ情合というものを認めた事がない。全く器械的にしゃべってる御爺さんとしか思われなかった。  けれどもこんな事があった。自分のいる下宿がはなはだ厭になったから、この先生の所へでも置いて貰おうかしらと思って、ある日例の稽古を済ましたあと、頼んで見ると、先生たちまち膝を敲いて、なるほど、僕のうちの部屋を見せるから、来たまえと云って、食堂から、下女部屋から、勝手から、一応すっかり引っ張り回して見せてくれた。固より四階裏の一隅だから広いはずはない。二三分かかると、見る所はなくなってしまった。先生はそこで、元の席へ帰って、君こういう家なんだから、どこへも置いて上げる訳には行かないよと断るかと思うと、たちまちワルト・ホイットマンの話を始めた。昔ホイットマンが来て自分の家へしばらく逗留していた事がある――非常に早口だから、よく分らなかったが、どうもホイットマンの方が来たらしい――で、始めあの人の詩を読んだ時はまるで物にならないような心持がしたが、何遍も読み過しているうちにだんだん面白くなって、しまいには非常に愛読するようになった。だから……  書生に置いて貰う件は、まるでどこかへ飛んで行ってしまった。自分はただ成行に任せてへえへえと云って聞いていた。何でもその時はシェレーが誰とかと喧嘩をしたとか云う事を話して、喧嘩はよくない、僕は両方共好きなんだから、僕の好きな二人が喧嘩をするのははなはだよくないと故障を申し立てておられた。いくら故障を申し立てても、もう何十年か前に喧嘩をしてしまったのだから仕方がない。  先生はそそっかしいから、自分の本などをよく置き違える。そうしてそれが見当らないと、大いに焦きこんで、台所にいる婆さんを、ぼやでも起ったように、仰山な声をして呼び立てる。すると例の婆さんが、これも仰山な顔をして客間へあらわれて来る。 「お、おれの『ウォーズウォース』はどこへやった」  婆さんは依然として驚いた眼を皿のようにして一応|書棚を見廻しているが、いくら驚いてもはなはだたしかなもので、すぐに、「ウォーズウォース」を見つけ出す。そうして、「ヒヤ、サー」と云って、いささかたしなめるように先生の前に突きつける。先生はそれを引ったくるように受け取って、二本の指で汚ない表紙をぴしゃぴしゃ敲きながら、君、ウォーズウォースが……とやり出す。婆さんは、ますます驚いた眼をして台所へ退って行く。先生は二分も三分も「ウォーズウォース」を敲いている。そうしてせっかく捜して貰った「ウォーズウォース」をついに開けずにしまう。  先生は時々手紙を寄こす。その字がけっして読めない。もっとも二三行だから、何遍でも繰返して見る時間はあるが、どうしたって判定はできない。先生から手紙がくれば差支があって稽古ができないと云うことと断定して始めから読む手数を省くようにした。たまに驚いた婆さんが代筆をする事がある。その時ははなはだよく分る。先生は便利な書記を抱えたものである。先生は、自分に、どうも字が下手で困ると嘆息していられた。そうして君の方がよほど上手だと云われた。  こう云う字で原稿を書いたら、どんなものができるか心配でならない。先生はアーデン・シェクスピヤの出版者である。よくあの字が活版に変形する資格があると思う。先生は、それでも平気に序文をかいたり、ノートをつけたりして済している。のみならず、この序文を見ろと云ってハムレットへつけた緒言を読まされた事がある。その次行って面白かったと云うと、君日本へ帰ったら是非この本を紹介してくれと依頼された。アーデン・シェクスピヤのハムレットは自分が帰朝後大学で講義をする時に非常な利益を受けた書物である。あのハムレットのノートほど周到にして要領を得たものはおそらくあるまいと思う。しかしその時はさほどにも感じなかった。しかし先生のシェクスピヤ研究にはその前から驚かされていた。  客間を鍵の手に曲ると六畳ほどな小さな書斎がある。先生が高く巣をくっているのは、実を云うと、この四階の角で、その角のまた角に先生にとっては大切な宝物がある。――長さ一尺五寸幅一尺ほどな青表紙の手帳を約十冊ばかり併べて、先生はまがな隙がな、紙片に書いた文句をこの青表紙の中へ書き込んでは、吝坊が穴の開いた銭を蓄るように、ぽつりぽつりと殖やして行くのを一生の楽みにしている。この青表紙が沙翁字典の原稿であると云う事は、ここへ来出してしばらく立つとすぐに知った。先生はこの字典を大成するために、ウェールスのさる大学の文学の椅子を抛って、毎日ブリチッシ・ミュージアムへ通う暇をこしらえたのだそうである。大学の椅子さえ抛つくらいだから、七|志の御弟子を疎末にするのは無理もない。先生の頭のなかにはこの字典が終日終夜|槃桓磅※しているのみである。  先生、シュミッドの沙翁字彙がある上にまだそんなものを作るんですかと聞いた事がある。すると先生はさも軽蔑を禁じ得ざるような様子でこれを見たまえと云いながら、自己所有のシュミッドを出して見せた。見ると、さすがのシュミッドが前後二巻一頁として完膚なきまで真黒になっている。自分はへえと云ったなり驚いてシュミッドを眺めていた。先生はすこぶる得意である。君、もしシュミッドと同程度のものを拵えるくらいなら僕は何もこんなに骨を折りはしないさと云って、また二本の指を揃えて真黒なシュミッドをぴしゃぴしゃ敲き始めた。 「全体いつ頃から、こんな事を御始めになったんですか」  先生は立って向うの書棚へ行って、しきりに何か捜し出したが、また例の通り焦れったそうな声でジェーン、ジェーン、おれのダウデンはどうしたと、婆さんが出て来ないうちから、ダウデンの所在を尋ねている。婆さんはまた驚いて出て来る。そうしてまた例のごとくヒヤ、サーと窘めて帰って行くと、先生は婆さんの一拶にはまるで頓着なく、餓じそうに本を開けて、うんここにある。ダウデンがちゃんと僕の名をここへ挙げてくれている。特別に沙翁を研究するクレイグ氏と書いてくれている。この本が千八百七十……年の出版で僕の研究はそれよりずっと前なんだから……自分は全く先生の辛抱に恐れ入った。ついでに、じゃいつ出来上るんですかと尋ねて見た。いつだか分るものか、死ぬまでやるだけの事さと先生はダウデンを元の所へ入れた。  自分はその後しばらくして先生の所へ行かなくなった。行かなくなる少し前に、先生は日本の大学に西洋人の教授は要らんかね。僕も若いと行くがなと云って、何となく無常を感じたような顔をしていられた。先生の顔にセンチメントの出たのはこの時だけである。自分はまだ若いじゃありませんかといって慰めたら、いやいやいつどんな事があるかも知れない。もう五十六だからと云って、妙に沈んでしまった。  日本へ帰って二年ほどしたら、新着の文芸雑誌にクレイグ氏が死んだと云う記事が出た。沙翁の専門学者であると云うことが、二三行書き加えてあっただけである。自分はその時雑誌を下へ置いて、あの字引はついに完成されずに、反故になってしまったのかと考えた。  私は朝日新聞に出るあなたの描いた漫画に多大な興味を有っている一人であります。いつか社の鎌田君に其話をして、あれなりにして捨ててしまうのは惜しいものだ、今のうちに纏めて出版したら可かろうにと云った事があります。其後あなた自身が見えた時、私はあなたに自分の描いたものはみんな保存してあるでしょうねと聞いたら、あなたは大抵散逸してしまったように答えられたので私は驚ろきました。尤もそういう私も随分|無頓着な方で、俳句などになると、作れば作ったなりで、手帳にも何にも書き留めて置かないために、一寸短冊などを突きつけられて、忘れたものを思い出すのに骨の折れる場合もありますが、それは私がその道に重きを置いていない結果だから、仕方がありませんが、貴方の画は私の俳句よりも大事にして然るべきだと私はかねてから思っていたのだから、それを揃えて置かない貴方の料簡が私には解らなかったのです。  あなたは私に云われて始めて気が付いたように工場の中を探し廻ったというじゃありませんか。そうして漸くそれを出版する丈に纏めたのだそうですね。左右なればあなたの労力が単独に世間に紹介されるという点に於て、あなたも満足でしょう、最初勧誘した責任のある私も喜ばしく思います。私ばかりではありません、世の中には私と同感のものがまだ沢山あるに違ないのです。  普通漫画というものには二た通りあるようです。一つは世間の事相に頓着しない芸術家自身の趣味なり嗜好なりを表現するもので、一つは時事につれて其日々々の出来事を、ある意味の記事同様に描き去るのです。時と推し移る新聞には、無論後者の方が大切でしょうが、あなたはその方面に於ての成功者じゃなかろうかと私は考えるのです。私が最初あなたに勧めて、年中行事というようなものを順次にならべて一巻にしたら何うだろうと云ったのは、是がためなのです。見る人は無論あなたの画から、何時何んな事があったかの記憶を心のうちに呼び起すでしょう、しかも貴方の表現したような特別な観察点に立って、自分がいまだかつて経験しなかったような記憶を新らしくするでしょう。此二つの記憶が経となり緯となって、ただでは得られない愉快が頭の中に満ちて来るかも知れません。忙がしい我々は毎日々々|蛇が衣を脱ぐように、我々の過去を未練なく脱いで、ひたすら先へ先へと進むようですが、たまには落ち付いて今迄通って来た途を振り向きたくなるものです。其時|茫然と考えている丈では、眼に映る過去は、映らない時と大差なき位に、貧弱なものであります。あなたの太い線、大きな手、変な顔、すべてあなたに特有な形で描かれた簡単な画は、其時我々に過去は斯んなものだと教えて呉れるのです。過去はこれ程馬鹿気て、愉快で、変てこに滑稽に通過されたのだと教えて呉れるのです。我々は落付いた眼に笑を湛えて又|齷齪と先へ進む事が出来ます。あなたの観察に皮肉はありますが、苦々しい所はないのですから。  もう一つあなたの特色を挙げて見ると、普通の画家は画になる所さえ見付ければ、それですぐ筆を執ります。あなたは左右でないようです。あなたの画には必ず解題が付いています。そうして其解題の文章が大変器用で面白く書けています。あるものになると、画よりも文章の方が優っているように思われるのさえあります。あなたは東京の下町で育ったから、斯ういう風に文章が軽く書きこなされるのかも知れませんが、いくら文章を書く腕があっても、画が其腕を抑えて働らかせないような性質のものならそれ迄です。面白い絵説の書ける筈はありません。だから貴方は画題を選ぶ眼で、同時に文章になる画を描いたと云わなければなりません。その点になると、今の日本の漫画家にあなたのようなものは一人もないと云っても誇張ではありますまい。私は此絵と文とをうまく調和させる力を一層拡大して、大正の風俗とか東京名所とかいう大きな書物を、あなたに書いて頂きたいような気がするのです。   六月十五日 夏目金之助    岡本一平様 一  ようやくの事でまた病院まで帰って来た。思い出すとここで暑い朝夕を送ったのももう三カ月の昔になる。その頃は二階の廂から六尺に余るほどの長い葭簀を日除に差し出して、熱りの強い縁側を幾分か暗くしてあった。その縁側に是公から貰った楓の盆栽と、時々人の見舞に持って来てくれる草花などを置いて、退屈も凌ぎ暑さも紛らしていた。向に見える高い宿屋の物干に真裸の男が二人出て、日盛を事ともせず、欄干の上を危なく渡ったり、または細長い横木の上にわざと仰向に寝たりして、ふざけまわる様子を見て自分もいつか一度はもう一遍あんな逞しい体格になって見たいと羨んだ事もあった。今はすべてが過去に化してしまった。再び眼の前に現れぬと云う不慥な点において、夢と同じくはかない過去である。  病院を出る時の余は医師の勧めに従って転地する覚悟はあった。けれども、転地先で再度の病に罹って、寝たまま東京へ戻って来ようとは思わなかった。東京へ戻ってもすぐ自分の家の門は潜らずに釣台に乗ったまま、また当時の病院に落ちつく運命になろうとはなおさら思いがけなかった。  帰る日は立つ修善寺も雨、着く東京も雨であった。扶けられて汽車を下りるときわざわざ出迎えてくれた人の顔は半分も眼に入らなかった。目礼をする事のできたのはその中の二三に過ぎなかった。思うほどの会釈もならないうちに余は早く釣台の上に横えられていた。黄昏の雨を防ぐために釣台には桐油を掛けた。余は坑の底に寝かされたような心持で、時々暗い中で眼を開いた。鼻には桐油の臭がした。耳には桐油を撲つ雨の音と、釣台に付添うて来るらしい人の声が微かながらとぎれとぎれに聞えた。けれども眼には何物も映らなかった。汽車の中で森成さんが枕元の信玄袋の口に挿し込んでくれた大きな野菊の枝は、降りる混雑の際に折れてしまったろう。   釣台に野菊も見えぬ桐油|哉  これはその時の光景を後から十七字にちぢめたものである。余はこの釣台に乗ったまま病院の二階へ舁き上げられて、三カ月|前に親しんだ白いベッドの上に、安らかに瘠せた手足を延べた。雨の音の多い静かな夜であった。余の病室のある棟には患者が三四名しかいないので、人声も自然絶え勝に、秋は修善寺よりもかえってひっそりしていた。  この静かな宵を心地よく白い毛布の中に二時間ほど送った時、余は看護婦から二通の電報を受取った。一通を開けて見ると「無事御帰京を祝す」と書いてあった。そうしてその差出人は満洲にいる中村是公であった。他の一通を開けて見ると、やはり無事御帰京を祝すと云う文句で、前のと一字の相違もなかった。余は平凡ながらこの暗合を面白く眺めつつ、誰が打ってくれたのだろうと考えて差出人の名前を見た。ところがステトとあるばかりでいっこうに要領を得なかった。ただかけた局が名古屋とあるのでようやく判断がついた。ステトと云うのは、鈴木禎次と鈴木時子の頭文字を組み合わしたもので、妻の妹とその夫の事であった。余は二ツの電報を折り重ねて、明朝また来るべき妻の顔を見たら、まずこの話をしようかと思い定めた。  病室は畳も青かった。襖も張り易えてあった。壁も新に塗ったばかりであった。万居心よく整っていた。杉本副院長が再度修善寺へ診察に来た時、畳替をして待っていますと妻に云い置かれた言葉をすぐに思い出したほど奇麗である。その約束の日から指を折って勘定して見ると、すでに十六七日目になる。青い畳もだいぶ久しく人を待ったらしい。 思いけりすでに幾夜の蟋蟀  その夜から余は当分またこの病院を第二の家とする事にした。 二  病院に帰り着いた十一日の晩、回診の後藤さんにこの頃院長の御病気はどうですかと聞いたら、ええひとしきりはだいぶ好い方でしたが、近来また少し寒くなったものですから……と云う答だったので、余はどうぞ御逢いの節は宜しくと挨拶した。その晩はそれぎり何の気もつかずに寝てしまった。すると明日の朝|妻が来て枕元に坐るや否や、実はあなたに隠しておりましたが長与さんは先月五日に亡くなられました。葬式には東さんに代理を頼みました。悪くなったのは八月末ちょうどあなたの危篤だった時分ですと云う。余はこの時始めて附添のものが、院長の訃をことさらに秘して、余に告げなかった事と、またその告げなかった意味とを悟った。そうして生き残る自分やら、死んだ院長やらをとかくに比較して、しばらくは茫然としたまま黙っていた。  院長は今年の春から具合が悪かったので、この前入院した時にも六週間の間ついぞ顔を見合せた事がなかった。余の病気の由を聞いて、それは残念だ、自分が健康でさえあれば治療に尽力して上げるのにと云う言伝があった。その後も副院長を通じて、よろしくと云う言伝が時々あった。  修善寺で病気がぶり返して、社から見舞のため森成さんを特別に頼んでくれた時、着いた森成さんが、病院の都合上とても長くはと云っているその晩に、院長はわざわざ直接森成さんに電報を打って、できるだけ余の便宜を計らってくれた。その文句は寝ている余の目には無論触れなかった。けれども枕元にいる雪鳥君から聞いたその文句の音だけは、いまだに好意の記憶として余の耳に残っている。それは当分その地に留まり、充分看護に心を尽くすべしとか云う、森成さんに取ってはずいぶん厳かに聞える命令的なものであった。  院長の容態が悪くなったのは余の危篤に陥ったのとほぼ同時だそうである。余が鮮血を多量に吐いて傍人からとうてい回復の見込がないように思われた二三日|後、森成さんが病院の用事だからと云って、ちょっと東京へ帰ったのは、生前に一度院長に会うためで、それから十日ほど経って、また病院の用事ができて二度東京へ戻ったのは院長の葬式に列するためであったそうである。  当初から余に好意を表して、間接に治療上の心配をしてくれた院長はかくのごとくしだいに死に近づきつつある間に、余は不思議にも命の幅の縮まってほとんど絹糸のごとく細くなった上を、ようやく無難に通り越した。院長の死が一基の墓標で永く確められたとき、辛抱強く骨の上に絡みついていてくれた余の命の根は、辛うじて冷たい骨の周囲に、血の通う新しい細胞を営み初めた。院長の墓の前に供えられる花が、幾度か枯れ、幾度か代って、萩、桔梗、女郎花から白菊と黄菊に秋を進んで来た一カ月|余の後、余はまたその一カ月余の間に盛返し得るほどの血潮を皮下に盛得て、再び院長の建てたこの胃腸病院に帰って来た。そうしてその間いまだかつて院長の死んだと云う事を知らなかった。帰る明る朝|妻が来て実はこれこれでと話をするまで、院長は余の病気の経過を東京にいて承知しているものと信じていた。そうして回復の上病院を出たら礼にでも行こうと思っていた。もし病院で会えたら篤く謝意でも述べようと思っていた。   逝く人に留まる人に来る雁  考えると余が無事に東京まで帰れたのは天幸である。こうなるのが当り前のように思うのは、いまだに生きているからの悪度胸に過ぎない。生き延びた自分だけを頭に置かずに、命の綱を踏み外した人の有様も思い浮べて、幸福な自分と照らし合せて見ないと、わがありがたさも分らない、人の気の毒さも分らない。 ただ一羽|来る夜ありけり月の雁 三  ジェームス教授の訃に接したのは長与院長の死を耳にした明日の朝である。新着の外国雑誌を手にして、五六|頁繰って行くうちに、ふと教授の名前が眼にとまったので、また新らしい著書でも公けにしたのか知らんと思いながら読んで見ると、意外にもそれが永眠の報道であった。その雑誌は九月初めのもので、項中には去る日曜日に六十九歳をもって逝かるとあるから、指を折って勘定して見ると、ちょうど院長の容体がしだいに悪い方へ傾いて、傍のものが昼夜眉を顰めている頃である。また余が多量の血を一度に失って、死生の境に彷徨していた頃である。思うに教授の呼息を引き取ったのは、おそらく余の命が、瘠せこけた手頸に、有るとも無いとも片付かない脈を打たして、看護の人をはらはらさせていた日であろう。  教授の最後の著書「多元的宇宙」を読み出したのは今年の夏の事である。修善寺へ立つとき、向へ持って行って読み残した分を片付けようと思って、それを五六巻の書物とともに鞄の中に入れた。ところが着いた明日から心持が悪くて、出歩く事もならない始末になった。けれども宿の二階に寝転びながら、一日二日は少しずつでも前の続きを読む事ができた。無論病勢の募るに伴れて読書は全く廃さなければならなくなったので、教授の死ぬ日まで教授の書を再び手に取る機会はなかった。  病牀にありながら、三たび教授の多元的宇宙を取り上げたのは、教授が死んでから幾日目になるだろう。今から顧みると当時の余は恐ろしく衰弱していた。仰向に寝て、両方の肘を蒲団に支えて、あのくらいの本を持ち応えているのにずいぶんと骨が折れた。五分と経たないうちに、貧血の結果手が麻痺れるので、持ち直して見たり、甲を撫でて見たりした。けれども頭は比較的疲れていなかったと見えて、書いてある事は苦もなく会得ができた。頭だけはもう使えるなと云う自信の出たのは大吐血以後この時が始てであった。嬉しいので、妻を呼んで、身体の割に頭は丈夫なものだねと云って訳を話すと、妻がいったいあなたの頭は丈夫過ぎます。あの危篤かった二三日の間などは取り扱い悪くて大変弱らせられましたと答えた。  多元的宇宙は約半分ほど残っていたのを、三日ばかりで面白く読み了った。ことに文学者たる自分の立場から見て、教授が何事によらず具体的の事実を土台として、類推で哲学の領分に切り込んで行く所を面白く読み了った。余はあながちに弁証法を嫌うものではない。また妄りに理知主義を厭いもしない。ただ自分の平生文学上に抱いている意見と、教授の哲学について主張するところの考とが、親しい気脈を通じて彼此相倚るような心持がしたのを愉快に思ったのである。ことに教授が仏蘭西の学者ベルグソンの説を紹介する辺りを、坂に車を転がすような勢で馳け抜けたのは、まだ血液の充分に通いもせぬ余の頭に取って、どのくらい嬉しかったか分らない。余が教授の文章にいたく推服したのはこの時である。  今でも覚えている。一間おいて隣にいる東君をわざわざ枕元へ呼んで、ジェームスは実に能文家だと教えるように云って聞かした。その時東君は別にこれという明暸な答をしなかったので、余は、君、西洋人の書物を読んで、この人のは流暢だとか、あの人のは細緻だとか、すべて特色のあるところがその書きぶりで、読みながら解るかいと失敬な事を問い糺した。  教授の兄弟にあたるヘンリーは、有名な小説家で、非常に難渋な文章を書く男である。ヘンリーは哲学のような小説を書き、ウィリアムは小説のような哲学を書く、と世間で云われているくらいヘンリーは読みづらく、またそのくらい教授は読みやすくて明快なのである。――病中の日記を検べて見ると九月二十三日の部に、「午前ジェームスを読み了る。好い本を読んだと思う」と覚束ない文字で認めてある。名前や標題に欺されて下らない本を読んだ時ほど残念な事はない。この日記は正にこの裏を云ったものである。  余の病気について治療上いろいろ好意を表してくれた長与病院長は、余の知らない間にいつか死んでいた。余の病中に、空漠なる余の頭に陸離の光彩を抛げ込んでくれたジェームス教授も余の知らない間にいつか死んでいた。二人に謝すべき余はただ一人生き残っている。   菊の雨われに閑ある病哉   菊の色|縁に未し此晨 と名づけてある。著者の立場は無論故教授と同じく反理知派である。) 四  病の重かった時は、固よりその日その日に生きていた。そうしてその日その日に変って行った。自分にもわが心の水のように流れ去る様がよく分った。自白すれば雲と同じくかつ去りかつ来るわが脳裡の現象は、極めて平凡なものであった。それも自覚していた。生涯に一度か二度の大患に相応するほどの深さも厚さもない経験を、恥とも思わず無邪気に重ねつつ移って行くうちに、それでも他日の参考に日ごとの心を日ごとに書いておく事ができたならと思い出した。その時の余は無論手が利かなかった。しかも日は容易に暮れ容易に明けた。そうして余の頭を掠めて去る心の波紋は、随って起るかと思えば随って消えてしまった。余は薄ぼけて微かに遠きに行くわが記憶の影を眺めては、寝ながらそれを呼び返したいような心持がした。ミュンステルベルグと云う学者の家に賊が入った引合で、他日彼が法庭へ呼び出されたとき、彼の陳述はほとんど事実に相違する事ばかりであったと云う話がある。正確を旨とする几帳面な学者の記憶でも、記憶はこれほどに不慥なものである。「思い出す事など」の中に思い出す事が、日を経れば経るに従って色彩を失うのはもちろんである。  わが手の利かぬ先にわが失えるものはすでに多い。わが手筆を持つの力を得てより逸するものまた少からずと云っても嘘にはならない。わが病気の経過と、病気の経過に伴れて起る内面の生活とを、不秩序ながら断片的にも叙しておきたいと思い立ったのはこれがためである。友人のうちには、もうそれほど好くなったかと喜んでくれたものもある。あるいはまたあんな軽挙をしてやり損なわなければいいがと心配してくれたものもある。  その中で一番|苦い顔をしたのは池辺三山君であった。余が原稿を書いたと聞くや否や、たちまち余計な事だと叱りつけた。しかもその声はもっとも無愛想な声であった。医者の許可を得たのだから、普通の人の退屈凌ぎぐらいなところと見たらよかろうと余は弁解した。医者の許可もさる事だが、友人の許可を得なければいかんと云うのが三山君の挨拶であった。それから二三日して三山君が宮本博士に会ってこの話をすると、博士は、なるほど退屈をすると胃に酸が湧く恐れがあるからかえって悪いだろうと調停してくれたので、余はようやく助かった。  その時余は三山君に、 遺却新詩無処尋。 ※然隔※対遥林。 斜陽満径照僧遠。 黄葉一村蔵寺深。 懸偈壁間焚仏意。 見雲天上抱琴心。 人間至楽江湖老。 犬吠鶏鳴共好音。 と云う詩を遺った。巧拙は論外として、病院にいる余が窓から寺を望む訳もなし、また室内に琴を置く必要もないから、この詩は全くの実況に反しているには違ないが、ただ当時の余の心持を咏じたものとしてはすこぶる恰好である。宮本博士が退屈をすると酸がたまると云ったごとく、忙殺されて酸が出過ぎる事も、余は親しく経験している。詮ずるところ、人間は閑適の境界に立たなくては不幸だと思うので、その閑適をしばらくなりとも貪り得る今の身の嬉しさが、この五十六字に形を変じたのである。  もっとも趣から云えばまことに旧い趣である。何の奇もなく、何の新もないと云ってもよい。実際ゴルキーでも、アンドレーフでも、イブセンでもショウでもない。その代りこの趣は彼ら作家のいまだかつて知らざる興味に属している。また彼らのけっして与からざる境地に存している。現今の吾らが苦しい実生活に取り巻かれるごとく、現今の吾等が苦しい文学に取りつかれるのも、やむをえざる悲しき事実ではあるが、いわゆる「現代的気風」に煽られて、三百六十五日の間、傍目もふらず、しかく人世を観じたら、人世は定めし窮屈でかつ殺風景なものだろう。たまにはこんな古風の趣がかえって一段の新意を吾らの内面生活上に放射するかも知れない。余は病に因ってこの陳腐な幸福と爛熟な寛裕を得て、初めて洋行から帰って平凡な米の飯に向った時のような心持がした。 「思い出す事など」は忘れるから思い出すのである。ようやく生き残って東京に帰った余は、病に因って纔かに享けえたこの長閑な心持を早くも失わんとしつつある。まだ床を離れるほどに足腰が利かないうちに、三山君に遺った詩が、すでにこの太平の趣をうたうべき最後の作ではなかろうかと、自分ながら掛念しているくらいである。「思い出す事など」は平凡で低調な個人の病中における述懐と叙事に過ぎないが、その中にはこの陳腐ながら払底な趣が、珍らしくだいぶ這入って来るつもりであるから、余は早く思い出して、早く書いて、そうして今の新らしい人々と今の苦しい人々と共に、この古い香を懐かしみたいと思う。 五  修善寺にいる間は仰向に寝たままよく俳句を作っては、それを日記の中に記け込んだ。時々は面倒な平仄を合わして漢詩さえ作って見た。そうしてその漢詩も一つ残らず未定稿として日記の中に書きつけた。  余は年来俳句に疎くなりまさった者である。漢詩に至っては、ほとんど当初からの門外漢と云ってもいい。詩にせよ句にせよ、病中にでき上ったものが、病中の本人にはどれほど得意であっても、それが専門家の眼に整って映るとは無論思わない。  けれども余が病中に作り得た俳句と漢詩の価値は、余自身から云うと、全くその出来不出来に関係しないのである。平生はいかに心持の好くない時でも、いやしくも塵事に堪え得るだけの健康をもっていると自信する以上、またもっていると人から認められる以上、われは常住日夜共に生存競争裏に立つ悪戦の人である。仏語で形容すれば絶えず火宅の苦を受けて、夢の中でさえいらいらしている。時には人から勧められる事もあり、たまには自ら進む事もあって、ふと十七字を並べて見たりまたは起承転結の四句ぐらい組み合せないとも限らないけれどもいつもどこかに間隙があるような心持がして、隈も残さず心を引き包んで、詩と句の中に放り込む事ができない。それは歓楽を嫉む実生活の鬼の影が風流に纏るためかも知れず、または句に熱し詩に狂するのあまり、かえって句と詩に翻弄されて、いらいらすまじき風流にいらいらする結果かも知れないが、それではいくら佳句と好詩ができたにしても、贏ち得る当人の愉快はただ二三|同好の評判だけで、その評判を差し引くと、後に残るものは多量の不安と苦痛に過ぎない事に帰着してしまう。  ところが病気をするとだいぶ趣が違って来る。病気の時には自分が一歩現実の世を離れた気になる。他も自分を一歩社会から遠ざかったように大目に見てくれる。こちらには一人前働かなくてもすむという安心ができ、向うにも一人前として取り扱うのが気の毒だという遠慮がある。そうして健康の時にはとても望めない長閑かな春がその間から湧いて出る。この安らかな心がすなわちわが句、わが詩である。したがって、出来栄の如何はまず措いて、できたものを太平の記念と見る当人にはそれがどのくらい貴いか分らない。病中に得た句と詩は、退屈を紛らすため、閑に強いられた仕事ではない。実生活の圧迫を逃れたわが心が、本来の自由に跳ね返って、むっちりとした余裕を得た時、油然と漲ぎり浮かんだ天来の彩紋である。吾ともなく興の起るのがすでに嬉しい、その興を捉えて横に咬み竪に砕いて、これを句なり詩なりに仕立上げる順序過程がまた嬉しい。ようやく成った暁には、形のない趣を判然と眼の前に創造したような心持がしてさらに嬉しい。はたしてわが趣とわが形に真の価値があるかないかは顧みる遑さえない。  病中は知ると知らざるとを通じて四方の同情者から懇切な見舞を受けた。衰弱の今の身ではその一々に一々の好意に背かないほどに詳しい礼状を出して、自分がつい死にもせず今日に至った経過を報ずる訳にも行かない。「思い出す事など」を牀上に書き始めたのは、これがためである。――各々に向けて云い送るべきはずのところを、略して文芸欄の一隅にのみ載せて、余のごときもののために時と心を使われたありがたい人々にわが近況を知らせるためである。  したがって「思い出す事など」の中に詩や俳句を挟むのは、単に詩人俳人としての余の立場を見て貰うつもりではない。実を云うとその善悪などはむしろどうでも好いとまで思っている。ただ当時の余はかくのごとき情調に支配されて生きていたという消息が、一瞥の迅きうちに、読者の胸に伝われば満足なのである。   秋の江に打ち込む杭の響かな  これは生き返ってから約十日ばかりしてふとできた句である。澄み渡る秋の空、広き江、遠くよりする杭の響、この三つの事相に相応したような情調が当時絶えずわが微かなる頭の中を徂徠した事はいまだに覚えている。   秋の空|浅黄に澄めり杉に斧  これも同じ心の耽りを他の言葉で云い現したものである。   別るるや夢一筋の天の川  何という意味かその時も知らず、今でも分らないが、あるいは仄に東洋城と別れる折の連想が夢のような頭の中に這回って、恍惚とでき上ったものではないかと思う。  当時の余は西洋の語にほとんど見当らぬ風流と云う趣をのみ愛していた。その風流のうちでもここに挙げた句に現れるような一種の趣だけをとくに愛していた。   秋風や唐紅の咽喉仏 という句はむしろ実況であるが、何だか殺気があって含蓄が足りなくて、口に浮かんだ時からすでに変な心持がした。 風流人未死。 病裡領清閑。 日々山中事。 朝々見碧山。  詩に圏点のないのは障子に紙が貼ってないような淋しい感じがするので、自分で丸を付けた。余のごとき平仄もよく弁えず、韻脚もうろ覚えにしか覚えていないものが何を苦しんで、支那人にだけしか利目のない工夫をあえてしたかと云うと、実は自分にも分らない。けれども、詩の趣は王朝以後の伝習で久しく日本化されて今日に至ったものだから、吾々くらいの年輩の日本人の頭からは、容易にこれを奪い去る事ができない。余は平生事に追われて簡易な俳句すら作らない。詩となると億劫でなお手を下さない。ただ斯様に現実界を遠くに見て、杳な心にすこしの蟠りのないときだけ、句も自然と湧き、詩も興に乗じて種々な形のもとに浮んでくる。そうして後から顧みると、それが自分の生涯の中で一番幸福な時期なのである。風流を盛るべき器が、無作法な十七字と、佶屈な漢字以外に日本で発明されたらいざ知らず、さもなければ、余はかかる時、かかる場合に臨んで、いつでもその無作法とその佶屈とを忍んで、風流を這裏に楽しんで悔いざるものである。そうして日本に他の恰好な詩形のないのを憾みとはけっして思わないものである。 六  始めて読書欲の萌した頃、東京の玄耳君から小包で酔古堂剣掃と列仙伝を送ってくれた。この列仙伝は帙入の唐本で、少し手荒に取扱うと紙がぴりぴり破れそうに見えるほどの古い――古いと云うよりもむしろ汚ない――本であった。余は寝ながらこの汚ない本を取り上げて、その中にある仙人の挿画を一々|丁寧に見た。そうしてこれら仙人の髯の模様だの、頭の恰好だのを互に比較して楽んだ。その時は画工の筆癖から来る特色を忘れて、こう云う頭の平らな男でなければ仙人になる資格がないのだろうと思ったり、またこう云う疎な髯を風に吹かせなければ仙人の群に入る事は覚束ないのだろうと思ったりして、ひたすら彼等の容貌に表われてくる共通な骨相を飽かず眺めた。本文も無論読んで見た。平生気の短かい時にはとても見出す事のできない悠長な心をめでたく意識しながら読んで見た。――余は今の青年のうちに列仙伝を一枚でも読む勇気と時間をもっているものは一人もあるまいと思う。年を取った余も実を云うとこの時始めて列仙伝と云う書物を開けたのである。  けれども惜しい事に本文は挿画ほど雅に行かなかった。中には欲の塊が羽化したような俗な仙人もあった。それでも読んで行くうちには多少気に入ったのもできてきた。一番|無雑作でかつおかしいと思ったのは、何ぞと云うと、手の垢や鼻糞を丸めて丸薬を作って、それを人にやる道楽のある仙人であったが、今ではその名を忘れてしまった。  しかし挿画よりも本文よりも余の注意を惹いたのは巻末にある附録であった。これは手軽にいうと長寿法とか養生訓とか称するものを諸方から取り集めて来て、いっしょに並べたもののように思われた。もっとも仙に化するための注意であるから、普通の深呼吸だの冷水浴だのとは違って、すこぶる抽象的で、実際解るとも解らぬとも片のつかぬ文字であるが、病中の余にはそれが面白かったと見えて、その二三節をわざわざ日記の中に書き抜いている。日記を検べて見ると「静これを性となせば心|其中にあり、動これを心となせば性其中にあり、心|生ずれば性|滅し、心滅すれば性生ず」というようなむずかしい漢文が曲がりくねりに半頁ばかりを埋めている。  その時の余は印気の切れた万年筆の端を撮んで、ペン先へ墨の通うように一二度|揮るのがすこぶる苦痛であった。実際健康な人が片手で樫の六尺棒を振り廻すよりも辛いくらいであった。それほど衰弱の劇しい時にですら、わざわざとこんな道経めいた文句を写す余裕が心にあったのは、今から考えても真に愉快である。子供の時|聖堂の図書館へ通って、徂徠の※園十筆をむやみに写し取った昔を、生涯にただ一度繰り返し得たような心持が起って来る。昔の余の所作が単に写すという以外には全く無意味であったごとく、病後の余の所作もまたほとんど同様に無意味である。そうしてその無意味なところに、余は一種の価値を見出して喜んでいる。長生の工夫のための列仙伝が、長生もしかねまじきほど悠長な心の下に、病後の余からかく気楽に取扱われたのは、余に取って全くの偶然であり、また再び来るまじき奇縁である。  仏蘭西の老画家アルピニーはもう九十一二の高齢である。それでも人並の気力はあると見えて、この間のスチュージオには目醒しい木炭画が十種ほど載っていた。国朝六家詩鈔の初にある沈徳潜の序には、乾隆丁亥夏五長洲沈徳潜書す時に年九十有五。とわざわざ断ってある。長生の結構な事は云うまでもない。長生をしてこの二人のように頭がたしかに使えるのはなおさらめでたい。不惑の齢を越すと間もなく死のうとして、わずかに助かった余は、これからいつまで生きられるか固より分らない。思うに一日生きれば一日の結構で、二日生きれば二日の結構であろう。その上頭が使えたらなおありがたいと云わなければなるまい。ハイズンは世間から二|返も死んだと評判された。一度は弔詩まで作ってもらった。それにもかかわらず彼は依然として生きていた。余も当時はある新聞から死んだと書かれたそうである。それでも実は死なずにいた。そうして列仙伝を読んで子供の時の無邪気な努力を繰り返し得るほどに生き延びた。それだけでも弱い余に取っては非常な幸福である。その頃ある知らない人から、先生死にたもう事なかれ、先生死にたもうことなかれと書いた見舞を受けた。余は列仙伝を読むべく生き延びた余を悦ぶと同時に、この同情ある青年のために生き延びた余を悦んだ。 七  ウォードの著わした社会学の標題には力学的という形容詞をわざわざ冠してあるが、これは普通の社会学でない、力学的に論じたのだという事を特に断ったものと思われる。ところがこの本のかつて魯西亜語に翻訳された時、魯国の当局者は直ちにその発売を禁止してしまった。著者は不審の念に打たれて、その理由を在魯の友人に聞き合せた。すると友人から、自分にもよくは分らぬが、おそらく標題に力学的という字と社会学という字があるので、当局者は一も二もなくダイナマイト及び社会主義に関係のある恐ろしい著述と速断して、この暴挙をあえてしたのだろうという返事が来たそうである。  魯国の当局者ではないが、余もこの力学的という言葉には少からぬ注意を払った一人である。平生から一般の学者がこの一字に着眼しないで、あたかも動きの取れぬ死物のように、研究の材料を取り扱いながらかえって平気でいるのを、常に飽き足らず眺めていたのみならず、自分と親密の関係を有する文芸上の議論が、ことにこの弊に陥りやすく、また陥りつつあるように見えるのを遺憾と批判していたから、参考のため、一度は魯国当局者を恐れしめたというこの力学的社会学なるものを一読したいと思っていた。実は自分の恥を白状するようではなはだきまりが悪いが、これはけっして新しい本ではない。製本の体裁からしてがすでにスペンサーの綜合哲学に類した古風なものである。けれどもまた恐ろしく分厚に書き上げた著作で、上下二巻を通じて千五百頁ほどある大冊子だから、四五日はおろか一週間かかっても楽に読みこなす事はでき悪い。それでやむをえず時機の来るまでと思って、本箱の中へしまっておいたのを、小説類に興味を失したこの頃の読物としては適当だろうとふと考えついたので、それを宅から取り寄せてとうとう力学的に社会学を病院で研究する事にした。  ところが読み出して見ると、恐ろしく玄関の広い前置の長い本であった。そうして肝心の社会学そのものになるとすこぶる不完全で、かつせっかくの頼みと思っているいわゆる力学的がはなはだ心細くなるほどに手荒に取扱われていた。今更ウォードの著述に批評を下すのは余の目的でない、ただついでに云うだけではあるが、今に本当の力学的が出るだろう、今に高潮の力学的が出るだろうと、どこまでも著者を信用して、とうとう千五百頁の最後の一頁の最後の文字まで読み抜けて、そうして期待したほどのものがどこからも出て来なかった時には、ちょうどハレー彗星の尾で地球が包まれべき当日を、何の変化もなく無事に経過したほどあっけない心持がした。  けれども道中は、道草を食うべく余儀なくされるだけそれだけ多趣多様で面白かった。その中で宇宙創造論と云う厳めしい標題を掲げた所へ来た時、余は覚えず昔し学校で先生から教わった星雲説の記憶を呼び起して微笑せざるを得なかった。そうしてふと考えた。――  自分は今危険な病気からやっと回復しかけて、それを非常な仕合のように喜んでいる。そうして自分の癒りつつある間に、容赦なく死んで行く知名の人々や惜しい人々を今少し生かしておきたいとのみ冀っている。自分の介抱を受けた妻や医者や看護婦や若い人達をありがたく思っている。世話をしてくれた朋友やら、見舞に来てくれた誰彼やらには篤い感謝の念を抱いている。そうしてここに人間らしいあるものが潜んでいると信じている。その証拠にはここに始めて生き甲斐のあると思われるほど深い強い快よい感じが漲っているからである。  しかしこれは人間相互の関係である。よし吾々を宇宙の本位と見ないまでも、現在の吾々以外に頭を出して、世界のぐるりを見回さない時の内輪の沙汰である。三世に亘る生物全体の進化論と、物理の原則に因って無慈悲に運行し情義なく発展する太陽系の歴史を基礎として、その間に微かな生を営む人間を考えて見ると、吾らごときものの一喜一憂は無意味と云わんほどに勢力のないという事実に気がつかずにはいられない。  限りなき星霜を経て固まりかかった地球の皮が熱を得て溶解し、なお膨脹して瓦斯に変形すると同時に、他の天体もまたこれに等しき革命を受けて、今日まで分離して運行した軌道と軌道の間が隙間なく充たされた時、今の秩序ある太陽系は日月星辰の区別を失って、爛たる一大火雲のごとくに盤旋するだろう。さらに想像を逆さまにして、この星雲が熱を失って収縮し、収縮すると共に回転し、回転しながらに外部の一片を振りちぎりつつ進行するさまを思うと、海陸空気歴然と整えるわが地球の昔は、すべてこれ※々たる一塊の瓦斯に過ぎないという結論になる。面目の髣髴たる今日から溯って、科学の法則を、想像だも及ばざる昔に引張れば、一糸も乱れぬ普遍の理で、山は山となり、水は水となったものには違かなろうが、この山とこの水とこの空気と太陽の御蔭によって生息する吾ら人間の運命は、吾らが生くべき条件の備わる間の一瞬時――永劫に展開すべき宇宙歴史の長きより見たる一瞬時――を貪ぼるに過ぎないのだから、はかないと云わんよりも、ほんの偶然の命と評した方が当っているかも知れない。  平生の吾らはただ人を相手にのみ生きている。その生きるための空気については、あるのが当然だと思っていまだかつて心遣さえした事がない。その心根を糺すと、吾らが生れる以上、空気は無ければならないはずだぐらいに観じているらしい。けれども、この空気があればこそ人間が生れるのだから、実を云えば、人間のためにできた空気ではなくて、空気のためにできた人間なのである。今にもあれこの空気の成分に多少の変化が起るならば、――地球の歴史はすでにこの変化を予想しつつある――活溌なる酸素が地上の固形物と抱合してしだいに減却するならば、炭素が植物に吸収せられて黒い石炭層に運び去らるるならば、月球の表面に瓦斯のかからぬごとくに、吾らの世界もまた冷却し尽くすならば、吾らはことごとく死んでしまわねばならない。今の余のように生き延びた自分を祝い、遠く逝く他人を悲しみ、友を懐しみ敵を悪んで、内輪だけの活計に甘んじて得意にその日を渡る訳には行くまい。  進んで無機有機を通じ、動植両界を貫き、それらを万里一条の鉄のごとくに隙間なく発展して来た進化の歴史と見傚すとき、そうして吾ら人類がこの大歴史中の単なる一|頁を埋むべき材料に過ぎぬ事を自覚するとき、百尺竿頭に上りつめたと自任する人間の自惚はまた急に脱落しなければならない。支那人が世界の地図を開いて、自分のいる所だけが中華でないと云う事を発見した時よりも、無気味な黒船が来て日本だけが神国でないという事を覚った時よりも、さらに溯っては天動説が打ち壊されて、地球が宇宙の中心でなかった事を無理に合点せしめられた時よりも、進化論を知り、星雲説を想像する現代の吾らは辛きジスイリュージョンを甞めている。  種類保存のためには個々の滅亡を意とせぬのが進化論の原則である。学者の例証するところによると、一|疋の大口魚が毎年生む子の数は百万疋とか聞く。牡蠣になるとそれが二百万の倍数に上るという。そのうちで生長するのはわずか数匹に過ぎないのだから、自然は経済的に非常な濫費者であり、徳義上には恐るべく残酷な父母である。人間の生死も人間を本位とする吾らから云えば大事件に相違ないが、しばらく立場を易えて、自己が自然になり済ました気分で観察したら、ただ至当の成行で、そこに喜びそこに悲しむ理窟は毫も存在していないだろう。  こう考えた時、余ははなはだ心細くなった。またはなはだつまらなくなった。そこでことさらに気分を易えて、この間|大磯で亡くなった大塚夫人の事を思い出しながら、夫人のために手向の句を作った。 有る程の菊|抛げ入れよ棺の中 八  忘るべからざる八月二十四日の来る二週間ほど前から余はすでに病んでいた。縁側を絶えず通る湯治客に、吾姿を見せるのが苦になって、蒸し暑い時ですら障子は常に閉て切っていた。三度三度|献立を持って誂を聞きにくる婆さんに、二品三品口に合いそうなものを注文はしても、膳の上に揃った皿を眺めると共に、どこからともなく反感が起って、箸を執る気にはまるでなれなかった。そのうちに嘔気が来た。  始めは煎薬に似た黄黒い水をしたたかに吐いた。吐いた後は多少気分が癒るので、いささかの物は咽喉を越した。しかし越した嬉しさがまだ消えないうちに、またそのいささかの胃の滞うる重き苦しみに堪え切れなくなって来た。そうしてまた吐いた。吐くものは大概水である。その色がだんだん変って、しまいには緑青のような美くしい液体になった。しかも一粒の飯さえあえて胃に送り得ぬ恐怖と用心の下に、卒然として容赦なく食道を逆さまに流れ出た。  青いものがまた色を変えた。始めて熊の胆を水に溶き込んだように黒ずんだ濃い汁を、金盥になみなみと反した時、医者は眉を寄せて、こういうものが出るようでは、今のうち安静にして東京に帰った方が好かろうと注告した。余は金盥の中を指していったい何が出るのかと質問した。医者は興のない顔つきで、これは血だと答えた。けれども余の眼にはこの黒いものが血とは思えなかった。するとまた吐いた。その時は熊の胆の色が少し紅を含んで、咽喉を出る時|腥い臭がぷんと鼻を衝いたので、余は胸を抑えながら自分で血だ血だと云った。玄耳君が驚ろいて森成さんに坂元君を添えてわざわざ修善寺まで寄こしてくれたのは、この報知が長距離電話で胃腸病院へ伝って、そこからまた直に社へ通じたからである。別館から馳けて来た東洋城が枕辺に立って、今日東京から医者と社員が来るはずになったと知らしてくれた時は全く救われたような気がした。  この時の余はほとんど人間らしい複雑な命を有して生きてはいなかった。苦痛のほかは何事をも容れ得ぬほどに烈しく活動する胸を懐いて朝夕悩んでいたのである。四十年来の経験を刻んでなお余りあると見えた余の頭脳は、ただこの截然たる一苦痛を秒ごとに深く印し来るばかりを能事とするように思われた。したがって余の意識の内容はただ一色の悶に塗抹されて、臍上方三寸の辺を日夜にうねうね行きつ戻りつするのみであった。余は明け暮れ自分の身体の中で、この部分だけを早く切り取って犬に投げてやりたい気がした。それでなければこの恐ろしい単調な意識を、一刻も早くどこへか打ちやってしまいたい気がした。またできるならば、このまま睡魔に冒されて、前後も知らず一週間ほど寝込んで、しかる後|鷹揚な心持をゆたかに抱いて、爽かな秋の日の光りに、両の眼を颯と開けたかった。少くとも汽車に揺られもせず車に乗せられもせず、すうと東京へ帰って、胃腸病院の一室に這入って、そこに仰向けに倒れていたかった。  森成さんが来てもこの苦しみはちょっと除れなかった。胸の中を棒で攪き混ぜられるような、また胃の腑が不規則な大波をその全面に向って層々と描き出すような、異な心持に堪えかねて、床の上に起き返りながら、吐いて見ましょうかと云って、腥いものを面のあたり咽喉の奥から金盥の中に傾けた事もあった。森成さんの御蔭でこの苦しみがだいぶ退いた時ですら、動くたびに腥い噫は常に鼻を貫ぬいた。血は絶えず腸に向って流れていたのである。  この煩悶に比べると、忘るべからざる二十四日の出来事以後に生きた余は、いかに安住の地を得て静穏に生を営んだか分らない。その静穏の日がすなわち余の一生涯にあって最も恐るべき危険の日であったのだと云う事を後から知った時、余は下のような詩を作った。 円覚曾参棒喝禅。 瞎児何処触機縁。 青山不拒庸人骨。 回首九原月在天。 九  忘るべからざる二十四日の出来事を書こうと思って、原稿紙に向いかけると、何だか急に気が進まなくなったのでまた記憶を逆まに向け直して、後戻りをした。  東京を立つときから余は劇しく咽喉を痛めていた。いっしょに来るべきはずでつい乗り後れた東洋城の電報を汽車中で受け取って、その意のごとくに御殿場で一時間ほど待ち合せていた間に、余は不用になった一枚の切符代を割り戻して貰うために、駅長室へ這入って行った。するとそこに腰囲何尺とでも形容すべきほど大きな西洋人が、椅子に腰をかけてしきりに絵端書の表に何か認めていた。余は駅長に向って当用を弁ずる傍、思いがけない所に思いがけない人がいるものだという好奇心を禁じ得なかった。するとその大男が突然立ち上がって、あなたは英語を話すかと聞くから、嗄れた声でわずかにイエスと答えた。男は次にこれから京都へ行くにはどの汽車へ乗ったら好いか教えてくれと云った。はなはだ簡単な用向であるから平生ならばどうとも挨拶ができるのだけれども、声量を全く失っていた当時の余には、それが非常の困難であった。固より云う事はあるのだから、何か云おうとするのだが、その云おうとする言葉が咽喉を通るとき千条に擦り切れでもするごとくに、口へ出て来る時分には全く光沢を失ってほとんど用をなさなかった。余は英語に通ずる駅員の助を藉りて、ようやくのことこの大男を無事に京都へ送り届けた事とは思うが、その時の不愉快はいまだに忘れない。  修善寺に着いてからも咽喉はいっこう好くならなかった。医者から薬を貰ったり、東洋城の拵えてくれた手製の含漱を用いたりなどして、辛く日常の用を弁ずるだけの言葉を使ってすましていた。その頃修善寺には北白川の宮がおいでになっていた。東洋城は始終そちらの方の務に追われて、つい一丁ほどしか隔っていない菊屋の別館からも、容易に余の宿までは来る事ができない様子であった。すべてを片づけてから、夜の十時過になって、始めて蚊※の外まで来て、一言見舞を云うのが常であった。  そういう夜の事であったか、または昼の話であったか今は忘れたが、ある時いつものように顔を合わせると、東洋城が突然、殿下からあなたに何か講話をして貰いたいという御注文があったと云い出した。この思いがけない御所望を耳にした余は少からず驚いた。けれども自分でさえ聞かずにすめば、聞かずにいたいような不愉快な声を出して、殿下に御話などをする勇気はとても出なかった。その上|羽織も袴も持ち合せなかった。そうして余のごとき位階のないものが、妄りに貴い殿下の前に出てしかるべきであるかないかそれが第一分らなかった。実際は東洋城も独断で先例のない事をあえてするのを憚って、確とした御受はしなかったのだそうである。  余の苦痛が咽喉から胃に移る間もなく、東洋城は故郷にある母の病を見舞うべく、去る人と入れ代ってひとまず東京に帰った。殿下もそれからほどなく御立になった。そうして忘るべからざる二十四日の来た頃、東洋城は余に関する何の消息も知らずに、また東海道を汽車で西へ下って行った。その時彼は四五分の停車時間を偸んで、三島から余にわざわざ一通の手紙を書いた。その手紙は途中で紛失してしまって、つい宿へ着かなかったけれども、東洋城が御暇乞に上がった時、余の病気の事を御忘れにならなかった殿下から、もし逢う機会があったなら、どうか大事にするようにというような篤い意味の御言葉を承ったため、それをわざわざ病中の余に知らせたのだそうである。咽喉の病も癒え、胃の苦しみも去った今の余は、謹んで殿下に御礼を申上げなければならない。また殿下の健康を祈らなければならない。 十  雨がしきりに降った。裏山の絶壁を真逆に下る筧の竹が、青く冷たく光って見えた幾日を、物憂く室の中に呻吟しつつ暮していた。人が寝静まると始めて夢を襲う水の音も、風と雨に打ち消されて全く聞えなくなった。そのうち水が出るとか出たとか云う声がどこからともなく耳に響いた。  お仙と云う下女が来て、昨夕桂川の水が増したので門の前の小家ではおおかたの荷を拵えて、預けに来たという話をした。ついでにどことかでは家がまるで流されてしまって、そうしてその家の宝物がどことかから掘り出されたと云う話もした。この下女は伊東の生れで、浜辺か畑中に立って人を呼ぶような大きな声を出す癖のあるすこぶる殺風景な女であったが、雨に鎖された山の中の宿屋で、こういう昔の物語めいた、嘘か真か分らないことを聞かされたときは、御伽噺でも読んだ子供の時のような気がして、何となく古めかしい香に包まれた。その上家が流されたのがどこで、宝物を掘出したのがどこか、まるで不明なのをいっこう構わずに、それが当然であるごとくに話して行く様子が、いかにも自分の今いる温泉の宿を、浮世から遠くへ離隔して、どんな便りも噂のほかには這入ってこられない山里に変化してしまったところに一種の面白味があった。  とかくするうちにこの楽い空想が、不便な事実となって現れ始めた。東京から来る郵便も新聞もことごとく後れ出した。たまたま着くものは墨がにじむほどびしょびしょに濡れていた。湿った頁を破けないように開けて見て、始めて都には今|洪水が出盛っているという報道を、鮮やかな活字の上にまのあたり見たのは、何日の事であったか、今たしかには覚えていないけれども、不安な未来を眼先に控えて、その日その日の出来栄を案じながら病む身には、けっして嬉しい便りではなかった。夜中に胃の痛みで自然と眼が覚めて、身体の置所がないほど苦い時には、東京と自分とを繋ぐ交通の縁が当分切れたその頃の状態を、多少心細いものに観じない訳に行かなかった。余の病気は帰るには余り劇し過ぎた。そうして東京の方から余のいる所まで来るには、道路があまり打壊れ過ぎた。のみならず東京その物がすでに水に浸っていた。余はほとんど崖と共に崩れる吾家の光景と、茅が崎で海に押し流されつつある吾子供らを、夢に見ようとした。雨のしたたか降る前に余は妻に宛てて手紙を出しておいた。それには好い部屋がないから四五日したら帰ると書いた。また病気が再発して苦んでいると云う事はわざと知らせずにおいた。そうしてその手紙も着いたか着かないか分らないくらいに考えて寝ていた。  そこへ電報が来た。それは恐るべき長い時間と労力を費して、やっとの事無事に宛名の人に通ずるや否や、その宛名の人をして封を切らぬ先に少しはっと思わせた電報であった。しかし中は、今度の水害でこちらは無事だが、そちらはどうかという、見舞と平信をかねたものに過ぎなかった。出した局の名が本郷とあるのを見てこれは草平君を煩わしたものと知った。  雨はますます降り続いた。余の病気はしだいに悪い方へ傾いて行った。その時、余は夜の十二時頃長距離電話をかけられて、硬い胸を抑えながら受信器を耳に着けた。茅ヶ崎の子供も無事、東京の家も無事という事だけが微かに分った。しかしその他は全く不得要領で、ほとんど風と話をするごとくに纏まらない雑音がぼうぼうと鼓膜に響くのみであった。第一かけた当人がわが妻であるという事さえ覚らずにこちらからあなたという敬語を何遍か繰返したくらい漠然した電話であった。東京の音信が雨と風と洪水の中に、悩んでいる余の眼に始めて暸然と映ったのは、坐る暇もないほど忙しい思いをした妻が、当時の事情をありのままに認めた巨細の手紙がようやく余の手に落ちた時の事であった。余はその手紙を見て自分の病を忘れるほど驚いた。 病んで夢む天の川より出水かな 十一  妻の手紙は全部の引用を許さぬほど長いものであった。冒頭に東洋城から余の病気の報知を受けた由と、それがため少からず心を悩ましている旨を記して、看病に行きたいにも汽車が不通で仕方がないから、せめて電話だけでもと思って、その日の中には通じかねるところを、無理な至急報にして貰って、夜半に山田の奥さんの所からかけたという説明が書いてあった。茅ヶ崎にいる子供の安否についても一方ならぬ心配をしたものらしかった。十間坂下という所は水害の恐れがないけれども、もし万一の事があれば、郵便局から電報で宅まで知らせて貰うはずになっていると、余に安心させるため、わざわざ断ってあった。そのほか市中たいていの平地は水害を受けて、現に江戸川通などは矢来の交番の少し下まで浸ったため、舟に乗って往来をしているという報知も書き込んであった。しかしその頃は後れながらも新聞が着いたから、一般の模様は妻の便りがなくてもほぼ分っていた。余の心を動かすべき現象は漠然たる大社会の雨や水やと戦う有様にあると云うよりも、むしろ己だけに密接の関係ある個人の消息にあった。そうしてその個人の二人までに、この雨と水が命の間際まで祟った顛末を、余はこの書面の中に見出したのである。  一つは横浜に嫁いだ妻の妹の運命に関した報知であった。手紙にはこう書いてある。 「……梅子事|末の弟を伴れて塔の沢の福住へ参り居り候処、水害のため福住は浪に押し流され、浴客六十名のうち十五名|行方不明との事にて、生死の程も分らず、如何とも致し方なく、横浜へは汽車不通にて参る事|叶わず、電話は申込者多数にて一日を待たねば通じ不申……」  後には、いろいろ込み入った工面をして電話をかけた手続が書いてあって、その末に会社の小使とかが徒歩で箱根まで探しに行ったあげく、幽霊のように哀れな姿をした彼女を伴れて戻った模様が述べてあった。余はそこまで読んで来て、つい二三日前宿の下女から、ある所で水が出て家が流されて、その家の宝物がまたある所から掘り出されたという昔話のような物語を聞きながら、その裏には自分と利害の糸を絡み合せなければならない恐ろしい事実が潜んでいるとも気がつかずに、尾頭もない夢とのみ打ち興じてすましていた自分の無智に驚いた。またその無智を人間に強いる運命の威力を恐れた。  もう一つ余の心を躍らしたのは、草平君に関する報知であった。妻が本郷の親類で用を足した帰りとかに、水見舞のつもりで柳町の低い町から草平君の住んでいる通りまで来て、ここらだがと思いながら、表から奥を覗いて見ると、かねて見覚のある家がくしゃりと潰れていたそうである。 「家の人達は無事ですか、どこへ行きましたかと聞いたら、薪屋の御上さんが、昨晩の十二時頃に崖が崩れましたが、幸いにどなたも御怪我はございません。ひとまず柳町のこういう所へ御引移りになりましたと、教えてくれましたから、柳町へ来て見ると、まだ水の引き切らない床下のぴたぴたに濡れた貸家に畳建具も何も入れずに、荷物だけ運んでありました。実に何と云って好いか憐れな姿でお種さんが、私の顔を見ると馳け出して来ました。……晩の御飯を拵える事もできないだろうと思って、御寿司を誂えて御夕飯の代りに上げました……」  草平君は平生から崖崩れを恐れて、できるだけ表へ寄って寝るとか聞いていたが、家の潰れた時には、外のものがまるで無難であったにもかかわらず、自分だけは少し顔へ怪我をしたそうである。その怪我の事も手紙の中に書いてあった。余はそれを読んで怪我だけでまず仕合せだと思った。  家を流し崖を崩す凄まじい雨と水の中に都のものは幾万となく恐るべき叫び声を揚げた。同じ雨と同じ水の中に余と関係の深い二人は身をもって免れた。そうして余は毫も二人の災難を知らずに、遠い温泉の村に雲と煙と、雨の糸を眺め暮していた。そうして二人の安全であるという報知が着いたときは、余の病がしだいしだいに危険の方へ進んで行った時であった。 風に聞け何れか先に散る木の葉 十二  つづく雨の或る宵に、すこし病の閑を偸んで、下の風呂場へ降りて見ると、半切を三尺ばかりの長に切って、それを細長く竪に貼りつけた壁の色が、暗く映る灯の陰に、ふと余の視線を惹いた。余は湯壺の傍に立ちながら、身体を濡めす前に、まずこの異様の広告めいたものを読む気になった。真中に素人落語大会と書いて、その下に催主裸連と記してある。場所は「山荘にて」と断って、催しのあるべき日取をその傍に書き添えた。余はすぐ裸連の何人なるかを覚り得た。裸連とは余の隣座敷にいる泊り客の自撰にかかる異名である。昨日の午襖越に聞いていると、太郎冠者がどうのこうのと長い評議の末、そこんところでやるまいぞ、やるまいぞにしたら好いじゃねえかと云うような相談があった。その趣向は寝ている余とは固より無関係だから、知ろうはずもなかったが、とにかくこの議決が山荘での催しに一異彩を加えた事はたしかに違ないと思った。余は風呂場の貼紙に注意してある日付と、裸連の趣向を凝らしていた時刻を照らし合せつつ、この落語会なるものの、すでに滞りなくすんだ昨日の午後を顧みて、裸連――少くとも裸連の首脳の構成る隣座敷の泊り客……の成功を祝せざるを得なかった。  この泊り客は五人連で一間に這入っていた。その中の一番|年嵩に見える三十代の男に、その妻君と娘を合せるとすでに三人になる。妻君は品のいい静かな女であった。子供はなおさらおとなしかった。その代り夫はすこぶる騒々しかった。あとの二人はいずれも二十代の青年で、その一人は一行のうちでもっともやかましくふるまっていた。  誰でも中年以後になって、二十一二時代の自分を眼の前に憶い浮べて見ると、いろいろ回想の簇がる中に、気恥かしくて冷汗の流れそうな一断面を見出すものである。余は隣の室に呻吟しながら、この若い男の言葉使いや起居を注意すべく余儀なくされた結果として、二十年の昔に経過した、自分の生涯のうちで、はなはだ不面目と思わざるを得ない生意気さ加減を今更のように恐れた。  この男は何の必要があってか知らないけれども、絶えず大道で講演でもするように大きな声を出して得意であった。そうして下女が来ると、必ず通客めいた粋がりを連発した。それを隣坐敷で聞いていると、ウィットにもならなければヒューモーにもなっていないのだから、いかにも無理やりに、半可もしくは四半可を殺風景に怒鳴りつけているとしか思われなかった。ところが下女の方では、またそれを聞くたびに不必要にふんだんな笑い方をした。本気とも御世辞とも片のつかない笑い方だけれども、声帯に異状のあるような恐ろしい笑い方をした。病気にのみ屈託する余も、これには少からず悩まされた。  裸連の一部は下座敷にもいた。すべてで九人いるので、自ら九人組とも称えていた。その九人組が丸裸になって幅六尺の縁側へ出て踊をおどって一晩|跳ね廻った。便所へ行く必要があって、障子の外へ出たら、九人組は躍り草臥れて、素裸のまま縁側に胡坐をかいていた。余は邪魔になる尻や脛の間を跨いで用を足して来た。  長い雨がようやく歇んで、東京への汽車がほぼ通ずるようになった頃、裸連は九人とも申し合せたように、どっと東京へ引き上げた。それと入れ代りに、森成さんと雪鳥君と妻とが前後して東京から来てくれた。そうして裸連のいた部屋を借り切った。その次の部屋もまた借り切った。しまいには新築の二階座敷を四間ともに吾有とした。余は比較的閑寂な月日の下に、吸飲から牛乳を飲んで生きていた。一度は匙で突き砕いた水瓜の底から湧いて出る赤い汁を飲まして貰った。弘法様で花火の揚った宵は、縁近く寝床を摺らして、横になったまま、初秋の天を夜半近くまで見守っていた。そうして忘るべからざる二十四日の来るのを無意識に待っていた。 萩に置く露の重きに病む身かな 十三  その日は東京から杉本さんが診察に来る手筈になっていた。雪鳥君が大仁まで迎に出たのは何時頃か覚えていないが、山の中を照らす日がまだ山の下に隠れない午過であったと思う。その山の中を照らす日を、床を離れる事のできない、また室を出る事の叶わない余は、朝から晩までほとんど仰ぎ見た試しがないのだから、こう云うのも実は廂の先に余る空の端だけを目当に想像した刻限である。――余は修善寺に二月と五日ほど滞在しながら、どちらが東で、どちらが西か、どれが伊東へ越す山で、どれが下田へ出る街道か、まるで知らずに帰ったのである。  杉本さんは予定のごとく宿へ着いた。余はその少し前に、妻の手から吸飲を受け取って、細長い硝子の口から生温い牛乳を一合ほど飲んだ。血が出てから、安静状態と流動食事とは固く守らなければならない掟のようになっていたからである。その上できるだけ病人に営養を与えて、体力の回復の方から、潰瘍の出血を抑えつけるという療治法を受けつつあった際だから、否応なしに飲んだ。実を云うとこの日は朝から食慾が萌さなかったので、吸飲の中に、動く事のできぬほど濁った白い色の漲ぎる様を見せられた時は、すぐと重苦しく舌の先に溜るしつ濃い乳の味を予想して、手に取らない前からすでに反感を起した。強いられた時、余はやむなく細長く反り返った硝子の管を傾けて、湯とも水とも捌けない液を、舌の上に辷らせようと試みた。それが流れて咽喉を下る後には、潔よからぬ粘り強い香が妄りに残った。半分は口直しのつもりであとから氷クリームを一杯取って貰った。ところがいつもの爽かさに引き更えて、咽喉を越すときいったん溶けたものが、胃の中で再び固まったように妙に落ちつきが悪かった。それから二時間ほどして余は杉本さんの診察を受けたのである。  診察の結果として意外にもさほど悪くないと云う報告を得た時、平生森成さんから病気の質が面白くないと聞いていた雪鳥君は、喜びの余りすぐ社へ向けて好いという電報を打ってしまった。忘るべからざる八百グラムの吐血は、この吉報を逆襲すべく、診察後一時間後の暮方に、突如として起ったのである。  かく多量の血を一度に吐いた余は、その暮方の光景から、日のない真夜中を通して、明る日の天明に至る有様を巨細残らず記憶している気でいた。程経て妻の心覚につけた日記を読んで見て、その中に、ノウヒンケツを起し人事不省に陥るとあるのに気がついた時、余は妻は枕辺に呼んで、当時の模様を委しく聞く事ができた。徹頭徹尾|明暸な意識を有して注射を受けたとのみ考えていた余は、実に三十分の長い間死んでいたのであった。  夕暮間近く、にわかに胸苦しいある物のために襲われた余は、悶えたさの余りに、せっかく親切に床の傍に坐っていてくれた妻に、暑苦しくていけないから、もう少しそっちへ退いてくれと邪慳に命令した。それでも堪えられなかったので、安静に身を横うべき医師からの注意に背いて、仰向の位地から右を下に寝返ろうと試みた。余の記憶に上らない人事不省の状態は、寝ながら向を換えにかかったこの努力に伴う脳貧血の結果だと云う。  余はその時さっと迸しる血潮を、驚ろいて余に寄り添おうとした妻の浴衣に、べっとり吐きかけたそうである。雪鳥君は声を顫わしながら、奥さんしっかりしなくてはいけませんと云ったそうである。社へ電報をかけるのに、手が戦いて字が書けなかったそうである。医師は追っかけ追っかけ注射を試みたそうである。後から森成さんにその数を聞いたら、十六|筒までは覚えていますと答えた。 淋漓絳血腹中文。 嘔照黄昏漾綺紋。 入夜空疑身是骨。 臥牀如石夢寒雲。 十四  眼を開けて見ると、右向になったまま、瀬戸引の金盥の中に、べっとり血を吐いていた。金盥が枕に近く押付けてあったので、血は鼻の先に鮮かに見えた。その色は今日までのように酸の作用を蒙った不明暸なものではなかった。白い底に大きな動物の肝のごとくどろりと固まっていたように思う。その時枕元で含嗽を上げましょうという森成さんの声が聞えた。  余は黙って含嗽をした。そうして、つい今しがた傍にいる妻に、少しそっちへ退いてくれと云ったほどの煩悶が忽然どこかへ消えてなくなった事を自覚した。余は何より先にまあよかったと思った。金盥に吐いたものが鮮血であろうと何であろうと、そんな事はいっこう気にかからなかった。日頃からの苦痛の塊を一度にどさりと打ちやり切ったという落ちつきをもって、枕元の人がざわざわする様子をほとんどよそごとのように見ていた。余は右の胸の上部に大きな針を刺されてそれから多量の食塩水を注射された。その時、食塩を注射されるくらいだから、多少危険な容体に逼っているのだろうとは思ったが、それもほとんど心配にはならなかった。ただ管の先から水が洩れて肩の方へ流れるのが厭であった。左右の腕にも注射を受けたような気がした。しかしそれは確然覚えていない。  妻が杉本さんに、これでも元のようになるでしょうかと聞く声が耳に入った。さよう潰瘍ではこれまで随分多量の血を止めた事もありますが……と云う杉本さんの返事が聞えた。すると床の上に釣るした電気灯がぐらぐらと動いた。硝子の中に彎曲した一本の光が、線香煙花のように疾く閃めいた。余は生れてからこの時ほど強くまた恐ろしく光力を感じた事がなかった。その咄嗟の刹那にすら、稲妻を眸に焼きつけるとはこれだと思った。時に突然電気灯が消えて気が遠くなった。  カンフル、カンフルと云う杉本さんの声が聞えた。杉本さんは余の右の手頸をしかと握っていた。カンフルは非常によく利くね、注射し切らない内から、もう反響があると杉本さんがまた森成さんに云った。森成さんはええと答えたばかりで、別にはかばかしい返事はしなかった。それからすぐ電気灯に紙の蔽をした。  傍がひとしきり静かになった。余の左右の手頸は二人の医師に絶えず握られていた。その二人は眼を閉じている余を中に挟んで下のような話をした。 「弱い」 「ええ」 「駄目だろう」 「ええ」 「子供に会わしたらどうだろう」 「そう」  今まで落ちついていた余はこの時急に心細くなった。どう考えても余は死にたくなかったからである。またけっして死ぬ必要のないほど、楽な気持でいたからである。医師が余を昏睡の状態にあるものと思い誤って、忌憚なき話を続けているうちに、未練な余は、瞑目不動の姿勢にありながら、半無気味な夢に襲われていた。そのうち自分の生死に関する斯様に大胆な批評を、第三者として床の上にじっと聞かせられるのが苦痛になって来た。しまいには多少腹が立った。徳義上もう少しは遠慮してもよさそうなものだと思った。ついに先がそう云う料簡ならこっちにも考えがあるという気になった。――人間が今死のうとしつつある間際にも、まだこれほどに機略を弄し得るものかと、回復期に向った時、余はしばしば当夜の反抗心を思い出しては微笑んでいる。――もっとも苦痛が全く取れて、安臥の地位を平静に保っていた余には、充分それだけの余裕があったのであろう。  余は今まで閉じていた眼を急に開けた。そうしてできるだけ大きな声と明暸な調子で、私は子供などに会いたくはありませんと云った。杉本さんは何事をも意に介せぬごとく、そうですかと軽く答えたのみであった。やがて食いかけた食事を済まして来るとか云って室を出て行った。それからは左右の手を左右に開いて、その一つずつを森成さんと雪鳥君に握られたまま、三人とも無言のうちに天明に達した。 冷やかな脈を護りぬ夜明方 十五  強いて寝返りを右に打とうとした余と、枕元の金盥に鮮血を認めた余とは、一分の隙もなく連続しているとのみ信じていた。その間には一本の髪毛を挟む余地のないまでに、自覚が働いて来たとのみ心得ていた。ほど経て妻から、そうじゃありません、あの時三十分ばかりは死んでいらしったのですと聞いた折は全く驚いた。子供のとき悪戯をして気絶をした事は二三度あるから、それから推測して、死とはおおかたこんなものだろうぐらいにはかねて想像していたが、半時間の長き間、その経験を繰返しながら、少しも気がつかずに一カ月あまりを当然のごとくに過したかと思うと、はなはだ不思議な心持がする。実を云うとこの経験――第一経験と云い得るかが疑問である。普通の経験と経験の間に挟まって毫もその連結を妨げ得ないほど内容に乏しいこの――余は何と云ってそれを形容していいかついに言葉に窮してしまう。余は眠から醒めたという自覚さえなかった。陰から陽に出たとも思わなかった。微かな羽音、遠きに去る物の響、逃げて行く夢の匂い、古い記憶の影、消える印象の名残――すべて人間の神秘を叙述すべき表現を数え尽してようやく髣髴すべき霊妙な境界を通過したとは無論考えなかった。ただ胸苦しくなって枕の上の頭を右に傾むけようとした次の瞬間に、赤い血を金盥の底に認めただけである。その間に入り込んだ三十分の死は、時間から云っても、空間から云っても経験の記憶として全く余に取って存在しなかったと一般である。妻の説明を聞いた時余は死とはそれほどはかないものかと思った。そうして余の頭の上にしかく卒然と閃めいた生死二面の対照の、いかにも急劇でかつ没交渉なのに深く感じた。どう考えてもこの懸隔った二つの現象に、同じ自分が支配されたとは納得できなかった。よし同じ自分が咄嗟の際に二つの世界を横断したにせよ、その二つの世界がいかなる関係を有するがために、余をしてたちまち甲から乙に飛び移るの自由を得せしめたかと考えると、茫然として自失せざるを得なかった。  生死とは緩急、大小、寒暑と同じく、対照の連想からして、日常|一束に使用される言葉である。よし輓近の心理学者の唱うるごとく、この二つのものもまた普通の対照と同じく同類連想の部に属すべきものと判ずるにしたところで、かく掌を翻えすと一般に、唐突なるかけ離れた二|象面が前後して我を擒にするならば、我はこのかけ離れた二象面を、どうして同性質のものとして、その関係を迹付ける事ができよう。  人が余に一個の柿を与えて、今日は半分喰え、明日は残りの半分の半分を喰え、その翌日はまたその半分の半分を喰え、かくして毎日現に余れるものの半分ずつを喰えと云うならば、余は喰い出してから幾日目かに、ついにこの命令に背いて、残る全部をことごとく喰い尽すか、または半分に割る能力の極度に達したため、手を拱いて空しく余れる柿の一片を見つめなければならない時機が来るだろう。もし想像の論理を許すならば、この条件の下に与えられたる一個の柿は、生涯喰っても喰い切れる訳がない。希臘の昔ゼノが足の疾きアキリスと歩みの鈍い亀との間に成立する競争に辞を託して、いかなるアキリスもけっして亀に追いつく事はできないと説いたのは取も直さずこの消息である。わが生活の内容を構成る個々の意識もまたかくのごとくに、日ごとか月ごとに、その半ずつを失って、知らぬ間にいつか死に近づくならば、いくら死に近づいても死ねないと云う非事実な論理に愚弄されるかも知れないが、こう一足飛びに片方から片方に落ち込むような思索上の不調和を免かれて、生から死に行く径路を、何の不思議もなく最も自然に感じ得るだろう。俄然として死し、俄然として吾に還るものは、否、吾に還ったのだと、人から云い聞かさるるものは、ただ寒くなるばかりである。 縹緲玄黄外。 死生交謝時。 寄託冥然去。 我心何所之。 帰来覓命根。 杳※竟難知。 孤愁空遶夢。 宛動粛瑟悲。 江山秋已老。 粥薬※将衰。 廓寥天尚在。 高樹独余枝。 晩懐如此澹。 風露入詩遅。 十六  安らかな夜はしだいに明けた。室を包む影法師が床を離れて遠退くに従って、余はまた常のごとく枕辺に寄る人々の顔を見る事ができた。その顔は常の顔であった。そうして余の心もまた常の心であった。病のどこにあるかを知り得ぬほどに落ちついた身を床の上に横えて、少しだに動く必要をもたぬ余に、死のなお近く徘徊していようとは全く思い設けぬところであった。眼を開けた時余は昨夕の騒ぎをただ過去の夢のごとく遠くに眺めた。そうして死は明け渡る夜と共に立ち退いたのだろうぐらいの度胸でも据ったものと見えて、何らの掛念もない気分を、障子から射し込む朝日の光に、心地よく曝していた。実は無知な余を詐わり終せた死は、いつの間にか余の血管に潜り込んで、乏しい血を追い廻しつつ流れていたのだそうである。「容体を聞くと、危険なれどごく安静にしていれば持ち直すかも知れぬという」とは、妻のこの日の朝の部に書き込んだ日記の一句である。余が夜明まで生きようとは、誰も期待していなかったのだとは後から聞いて始めて知った。  余は今でも白い金盥の底に吐き出された血の色と恰好とを、ありありとわが眼の前に思い浮べる事ができる。ましてその当分は寒天のように固まりかけた腥いものが常に眼先に散らついていた。そうして吾が想像に映る血の分量と、それに起因した衰弱とを比較しては、どうしてあれだけの出血が、こう劇しく身体に応えるのだろうといつでも不審に堪えなかった。人間は脈の中の血を半分失うと死に、三分の一失うと昏睡するものだと聞いて、それに吾とも知らず妻の肩に吐きかけた生血の容積を想像の天秤に盛って、命の向う側に重りとして付け加えた時ですら、余はこれほど無理な工面をして生き延びたのだとは思えなかった。  杉本さんが東京へ帰るや否や、――杉本さんはその朝すぐ東京へ帰った。もっとおりたいが忙がしいから失礼します、その代り手当は充分するつもりでありますと云って、新らしい襟と襟飾を着け易えて、余の枕辺に坐ったとき、余は昨夕夜半に、裄丈の足りない宿の浴衣を着たまま、そっと障子を開けながら、どうかと一言森成さんに余の様子を聞いていた彼人の様子を思い出した。余の記憶にはただそれだけしかとまらなかった杉本さんが、出がけに妻を顧みて、もう一遍吐血があれば、どうしても回復の見込はないものと御諦らめなさらなければいけませんと注意を与えたそうである。実は昨夕にもこの恐るべき再度の吐血が来そうなので、わざわざモルヒネまで注射してそれを防ぎ止めたのだとは、後になってその顛末を審らかにした余に取って、全く思いがけない報知であった。あれほど胸の中は落ちついていたものをと云いたいくらいに、余は平常の心持で苦痛なくその夜を明したのである。――話がつい外れてしまった。  杉本さんは東京へ帰るや否や、自分で電話を看護婦会へかけて、看護婦を二人すぐ余の出先へ送るように頼んでくれた。その時、早く行かんと間に合わないかも知れないからと電話口で急いたので、看護婦は汽車で走る途々も、もういけない頃ではなかろうかと、絶えず余の生命に疑いを挟さんでいた。せっかく行っても、行き着いて見たら、遅過ぎて間に合わなかったと云うような事があってはつまらないと語り合って来た。――これも回復期に向いた頃、病牀の徒然に看護婦と世間話をしたついでに、彼等の口からじかに聞いたたよりである。  かくすべての人に十の九まで見放された真中に、何事も知らぬ余は、曠野に捨てられた赤子のごとく、ぽかんとしていた。苦痛なき生は余に向って何らの煩悶をも与えなかった。余は寝ながらただ苦痛なく生きておるという一事実を認めるだけであった。そうしてこの事実が、はからざる病のために、周囲の人の丁重な保護を受けて、健康な時に比べると、一歩浮世の風の当り悪い安全な地に移って来たように感じた。実際余と余の妻とは、生存競争の辛い空気が、直に通わない山の底に住んでいたのである。 露けさの里にて静なる病 十七  臆病者の特権として、余はかねてより妖怪に逢う資格があると思っていた。余の血の中には先祖の迷信が今でも多量に流れている。文明の肉が社会の鋭どき鞭の下に萎縮するとき、余は常に幽霊を信じた。けれども虎烈剌を畏れて虎烈剌に罹らぬ人のごとく、神に祈って神に棄てられた子のごとく、余は今日までこれと云う不思議な現象に遭遇する機会もなく過ぎた。それを残念と思うほどの好奇心もたまには起るが、平生はまず出逢わないのを当然と心得てすまして来た。  自白すれば、八九年前アンドリュ・ラングの書いた「夢と幽霊」という書物を床の中に読んだ時は、鼻の先の灯火を一時に寒く眺めた。一年ほど前にも「霊妙なる心力」と云う標題に引かされてフランマリオンという人の書籍を、わざわざ外国から取り寄せた事があった。先頃はまたオリヴァー・ロッジの「死後の生」を読んだ。  死後の生! 名からしてがすでに妙である。我々の個性が我々の死んだ後までも残る、活動する、機会があれば、地上の人と言葉を換す。スピリチズムの研究をもって有名であったマイエルはたしかにこう信じていたらしい。そのマイエルに自己の著述を捧げたロッジも同じ考えのように思われる。ついこの間出たポドモアの遺著もおそらくは同系統のものだろう。  独乙のフェヒナーは十九世紀の中頃すでに地球その物に意識の存すべき所以を説いた。石と土と鉱に霊があると云うならば、有るとするを妨げる自分ではない。しかしせめてこの仮定から出立して、地球の意識とは如何なる性質のものであろうぐらいの想像はあってしかるべきだと思う。  吾々の意識には敷居のような境界線があって、その線の下は暗く、その線の上は明らかであるとは現代の心理学者が一般に認識する議論のように見えるし、またわが経験に照らしても至極と思われるが、肉体と共に活動する心的現象に斯様の作用があったにしたところで、わが暗中の意識すなわちこれ死後の意識とは受取れない。  大いなるものは小さいものを含んで、その小さいものに気がついているが、含まれたる小さいものは自分の存在を知るばかりで、己らの寄り集って拵らえている全部に対しては風馬牛のごとく無頓着であるとは、ゼームスが意識の内容を解き放したり、また結び合せたりして得た結論である。それと同じく、個人全体の意識もまたより大いなる意識の中に含まれながら、しかもその存在を自覚せずに、孤立するごとくに考えているのだろうとは、彼がこの類推より下し来るスピリチズムに都合よき仮定である。  仮定は人々の随意であり、また時にとって研究上必要の活力でもある。しかしただ仮定だけでは、いかに臆病の結果幽霊を見ようとする、また迷信の極不可思議を夢みんとする余も、信力をもって彼らの説を奉ずる事ができない。  物理学者は分子の容積を計算して蚕の卵にも及ばぬ立方体に一千万を三乗した数が這入ると断言した。一千万を三乗した数とは一の下に零を二十一付けた莫大なものである。想像を恣まにする権利を有する吾々もこの一の下に二十一の零を付けた数を思い浮べるのは容易でない。  形而下の物質界にあってすら、――相当の学者が綿密な手続を経て発表した数字上の結果すら、吾々はただ数理的の頭脳にのみもっともと首肯くだけである。数量のあらましさえ応用の利かぬ心の現象に関しては云うまでもない。よし物理学者の分子に対するごとき明暸な知識が、吾人の内面生活を照らす機会が来たにしたところで、余の心はついに余の心である。自分に経験のできない限り、どんな綿密な学説でも吾を支配する能力は持ち得まい。  余は一度死んだ。そうして死んだ事実を、平生からの想像通りに経験した。はたして時間と空間を超越した。しかしその超越した事が何の能力をも意味しなかった。余は余の個性を失った。余の意識を失った。ただ失った事だけが明白なばかりである。どうして幽霊となれよう。どうして自分より大きな意識と冥合できよう。臆病にしてかつ迷信強き余は、ただこの不可思議を他人に待つばかりである。 迎火を焚いて誰待つ絽の羽織 十八  ただ驚ろかれたのは身体の変化である。騒動のあった明る朝、何かの必要に促がされて、肋の左右に横たえた手を、顔の所まで持って来ようとすると、急に持主でも変ったように、自分の腕ながらまるで動かなかった。人を煩らわす手数を厭って、無理に肘を杖として、手頸から起しかけたはかけたが、わずか何寸かの距離を通して、宙に短かい弧線を描く努力と時間とは容易のものでなかった。ようやく浮き上った筋の力を利用して、高い方へ引くだけの精気に乏しいので、途中から断念して、再び元の位置にわが腕を落そうとすると、それがまた安くは落ちなかった。無論そのままにして心を放せば、自然の重みでもとに倒れるだけの事ではあるが、その倒れる時の激動が、いかに全身に響き渡るかと考えると、非常に恐ろしくなって、ついに思い切る勇気が出なかった。余はおろす事も上げる事も、また半途に支える事もできない腕を意識しつつそのやりどころに窮した。ようやく傍のものの気がついて、自分の手をわが手に添えて、無理のないように顔の所まで持って来てくれて、帰りにもまた二つ腕をいっしょにしてやっと床の上まで戻した時には、どうしてこう自己が空虚になったものか、我ながらほとんど想像がつかなかった。後から考えて見て、あれは全く護謨風船に穴が開いて、その穴から空気が一度に走り出したため、風船の皮がたちまちしゅっという音と共に収縮したと一般の吐血だから、それでああ身体に応えたのだろうと判断した。それにしても風船はただ縮まるだけである。不幸にして余の皮は血液のほかに大きな長い骨をたくさんに包んでいた。その骨が――  余は生れてより以来この時ほど吾骨の硬さを自覚した事がない。その朝眼が覚めた時の第一の記憶は、実にわが全身に満ち渡る骨の痛みの声であった。そうしてその痛みが、宵に、酒を被った勢で、多数を相手に劇しい喧嘩を挑んだ末、さんざんに打ち据えられて、手も足も利かなくなった時のごとくに吾を鈍く叩きこなしていた。砧に擣たれた布は、こうもあろうかとまで考えた。それほど正体なくきめつけられ了った状態を適当に形容するには、ぶちのめすと云う下等社会で用いる言葉が、ただ一つあるばかりである。少しでも身体を動かそうとすると、関節がみしみしと鳴った。  昨日まで狭い布団に劃された余の天地は、急にまた狭くなった。その布団のうちの一部分よりほかに出る能力を失った今の余には、昨日まで狭く感ぜられた布団がさらに大きく見えた。余の世界と接触する点は、ここに至ってただ肩と背中と細長く伸べた足の裏側に過ぎなくなった。――頭は無論枕に着いていた。  これほどに切りつめられた世界に住む事すら、昨夕は許されそうに見えなかったのにと、傍のものは心の中で余のために観じてくれたろう。何事も弁えぬ余にさえそれが憐れであった。ただ身の布団に触れる所のみがわが世界であるだけに、そうしてその触れる所が少しも変らないために、我と世界との関係は、非常に単純であった。全くスタチックであった。したがって安全であった。綿を敷いた棺の中に長く寝て、われ棺を出でず、人棺を襲わざる亡者の気分は――もし亡者に気分が有り得るならば、――この時の余のそれと余りかけ隔ってはいなかったろう。  しばらくすると、頭が麻痺れ始めた。腰の骨が骨だけになって板の上に載せられているような気がした。足が重くなった。かくして社会的の危険から安全に保証された余|一人の狭い天地にもまた相応の苦しみができた。そうしてその苦痛を逃れるべく余は一寸のほかにさえ出る能力を持たなかった。枕元にどんな人がどうして坐っているか、まるで気がつかなかった。余を看護するために、余の視線の届かぬ傍らを占めた人々の姿は、余に取って神のそれと一般であった。  余はこの安らかながら痛み多き小世界にじっと仰向に寝たまま、身の及ばざるところに時々眼を走らした。そうして天井から釣った長い氷嚢の糸をしばしば見つめた。その糸は冷たい袋と共に、胃の上でぴくりぴくりと鋭どい脈を打っていた。 朝寒や生きたる骨を動かさず 十九  余はこの心持をどう形容すべきかに迷う。  力を商いにする相撲が、四つに組んで、かっきり合った時、土俵の真中に立つ彼等の姿は、存外静かに落ちついている。けれどもその腹は一分と経たないうちに、恐るべき波を上下に描かなければやまない。そうして熱そうな汗の球が幾条となく背中を流れ出す。  最も安全に見える彼等の姿勢は、この波とこの汗の辛うじて齎らす努力の結果である。静かなのは相剋する血と骨の、わずかに平均を得た象徴である。これを互殺の和という。二三十秒の現状を維持するに、彼等がどれほどの気魄を消耗せねばならぬかを思うとき、看る人は始めて残酷の感を起すだろう。  自活の計に追われる動物として、生を営む一点から見た人間は、まさにこの相撲のごとく苦しいものである。吾らは平和なる家庭の主人として、少くとも衣食の満足を、吾らと吾らの妻子とに与えんがために、この相撲に等しいほどの緊張に甘んじて、日々自己と世間との間に、互殺の平和を見出そうと力めつつある。戸外に出て笑うわが顔を鏡に映すならば、そうしてその笑いの中に殺伐の気に充ちた我を見出すならば、さらにこの笑いに伴う恐ろしき腹の波と、背の汗を想像するならば、最後にわが必死の努力の、回向院のそれのように、一分足らずで引分を期する望みもなく、命のあらん限は一生続かなければならないという苦しい事実に想い至るならば、我等は神経衰弱に陥るべき極度に、わが精力を消耗するために、日に生き月に生きつつあるとまで言いたくなる。  かく単に自活自営の立場に立って見渡した世の中はことごとく敵である。自然は公平で冷酷な敵である。社会は不正で人情のある敵である。もし彼対我の観を極端に引延ばすならば、朋友もある意味において敵であるし、妻子もある意味において敵である。そう思う自分さえ日に何度となく自分の敵になりつつある。疲れてもやめえぬ戦いを持続しながら、※然として独りその間に老ゆるものは、見惨と評するよりほかに評しようがない。  古臭い愚痴を繰返すなという声がしきりに聞えた。今でも聞える。それを聞き捨てにして、古臭い愚痴を繰返すのは、しみじみそう感じたからばかりではない、しみじみそう感じた心持を、急に病気が来て顛覆したからである。  血を吐いた余は土俵の上に仆れた相撲と同じ事であった。自活のために戦う勇気は無論、戦わねば死ぬという意識さえ持たなかった。余はただ仰向けに寝て、わずかな呼吸をあえてしながら、怖い世間を遠くに見た。病気が床の周囲を屏風のように取り巻いて、寒い心を暖かにした。  今までは手を打たなければ、わが下女さえ顔を出さなかった。人に頼まなければ用は弁じなかった。いくらしようと焦慮っても、調わない事が多かった。それが病気になると、がらりと変った。余は寝ていた。黙って寝ていただけである。すると医者が来た。社員が来た。妻が来た。しまいには看護婦が二人来た。そうしてことごとく余の意志を働かさないうちに、ひとりでに来た。 「安心して療養せよ」と云う電報が満洲から、血を吐いた翌日に来た。思いがけない知己や朋友が代る代る枕元に来た。あるものは鹿児島から来た。あるものは山形から来た。またあるものは眼の前に逼る結婚を延期して来た。余はこれらの人に、どうして来たと聞いた。彼等は皆新聞で余の病気を知って来たと云った。仰向に寝た余は、天井を見つめながら、世の人は皆自分より親切なものだと思った。住み悪いとのみ観じた世界にたちまち暖かな風が吹いた。  四十を越した男、自然に淘汰せられんとした男、さしたる過去を持たぬ男に、忙しい世が、これほどの手間と時間と親切をかけてくれようとは夢にも待設けなかった余は、病に生き還ると共に、心に生き還った。余は病に謝した。また余のためにこれほどの手間と時間と親切とを惜しまざる人々に謝した。そうして願わくは善良な人間になりたいと考えた。そうしてこの幸福な考えをわれに打壊す者を、永久の敵とすべく心に誓った。 馬上青年老。 鏡中白髪新。 幸生天子国。 願作太平民。 二十  ツルゲニェフ以上の芸術家として、有力なる方面の尊敬を新たにしつつあるドストイェフスキーには、人の知るごとく、小供の時分から癲癇の発作があった。われら日本人は癲癇と聞くと、ただ白い泡を連想するに過ぎないが、西洋では古くこれを神聖なる疾と称えていた。この神聖なる疾に冒かされる時、あるいはその少し前に、ドストイェフスキーは普通の人が大音楽を聞いて始めて到り得るような一種微妙の快感に支配されたそうである。それは自己と外界との円満に調和した境地で、ちょうど天体の端から、無限の空間に足を滑らして落ちるような心持だとか聞いた。 「神聖なる疾」に罹った事のない余は、不幸にしてこの年になるまで、そう云う趣に一瞬間も捕われた記憶をもたない。ただ大吐血後五六日――経つか経たないうちに、時々一種の精神状態に陥った。それからは毎日のように同じ状態を繰り返した。ついには来ぬ先にそれを予期するようになった。そうして自分とは縁の遠いドストイェフスキーの享けたと云う不可解の歓喜をひそかに想像してみた。それを想像するか思い出すほどに、余の精神状態は尋常を飛び越えていたからである。ドクインセイの細かに書き残した驚くべき阿片の世界も余の連想に上った。けれども読者の心目を眩惑するに足る妖麗な彼の叙述が、鈍い色をした卑しむべき原料から人工的に生れたのだと思うと、それを自分の精神状態に比較するのが急に厭になった。  余は当時十分と続けて人と話をする煩わしさを感じた。声となって耳に響く空気の波が心に伝って、平らかな気分をことさらに騒つかせるように覚えた。口を閉じて黄金なりという古い言葉を思い出して、ただ仰向けに寝ていた。ありがたい事に室の廂と、向うの三階の屋根の間に、青い空が見えた。その空が秋の露に洗われつつしだいに高くなる時節であった。余は黙ってこの空を見つめるのを日課のようにした。何事もない、また何物もないこの大空は、その静かな影を傾むけてことごとく余の心に映じた。そうして余の心にも何事もなかった。また何物もなかった。透明な二つのものがぴたりと合った。合って自分に残るのは、縹緲とでも形容してよい気分であった。  そのうち穏かな心の隅が、いつか薄く暈されて、そこを照らす意識の色が微かになった。すると、ヴェイルに似た靄が軽く全面に向って万遍なく展びて来た。そうして総体の意識がどこもかしこも稀薄になった。それは普通の夢のように濃いものではなかった。尋常の自覚のように混雑したものでもなかった。またその中間に横わる重い影でもなかった。魂が身体を抜けると云ってはすでに語弊がある。霊が細かい神経の末端にまで行き亘って、泥でできた肉体の内部を、軽く清くすると共に、官能の実覚から杳かに遠からしめた状態であった。余は余の周囲に何事が起りつつあるかを自覚した。同時にその自覚が窈窕として地の臭を帯びぬ一種特別のものであると云う事を知った。床の下に水が廻って、自然と畳が浮き出すように、余の心は己の宿る身体と共に、蒲団から浮き上がった。より適当に云えば、腰と肩と頭に触れる堅い蒲団がどこかへ行ってしまったのに、心と身体は元の位置に安く漂っていた。発作前に起るドストイェフスキーの歓喜は、瞬刻のために十年もしくは終生の命を賭しても然るべき性質のものとか聞いている。余のそれはさように強烈のものではなかった。むしろ恍惚として幽かな趣を生活面の全部に軽くかつ深く印し去ったのみであった。したがって余にはドストイェフスキーの受けたような憂欝性の反動が来なかった。余は朝からしばしばこの状態に入った。午過にもよくこの蕩漾を味った。そうして覚めたときはいつでもその楽しい記憶を抱いて幸福の記念としたくらいであった。  ドストイェフスキーの享け得た境界は、生理上彼の病のまさに至らんとする予言である。生を半に薄めた余の興致は、単に貧血の結果であったらしい。 仰臥人如唖。 黙然見大空。 大空雲不動。 終日杳相同。 二十一  同じドストイェフスキーもまた死の門口まで引き摺られながら、辛うじて後戻りをする事のできた幸福な人である。けれども彼の命を危めにかかった災は、余の場合におけるがごとき悪辣な病気ではなかった。彼は人の手に作り上げられた法と云う器械の敵となって、どんと心臓を打ち貫かれようとしたのである。  彼は彼の倶楽部で時事を談じた。やむなくんばただ一揆あるのみと叫んだ。そうして囚われた。八カ月の長い間|薄暗い獄舎の日光に浴したのち、彼は蒼空の下に引き出されて、新たに刑壇の上に立った。彼は自己の宣告を受けるため、二十一度の霜に、襯衣一枚の裸姿となって、申渡の終るのを待った。そうして銃殺に処すの一句を突然として鼓膜に受けた。「本当に殺されるのか」とは、自分の耳を信用しかねた彼が、傍に立つ同囚に問うた言葉である。……白い手帛を合図に振った。兵士は覘を定めた銃口を下に伏せた。ドストイェフスキーはかくして法律の捏ね丸めた熱い鉛の丸を呑まずにすんだのである。その代り四年の月日をサイベリヤの野に暮した。  彼の心は生から死に行き、死からまた生に戻って、一時間と経たぬうちに三たび鋭どい曲折を描いた。そうしてその三段落が三段落ともに、妥協を許さぬ強い角度で連結された。その変化だけでも驚くべき経験である。生きつつあると固く信ずるものが、突然これから五分のうちに死ななければならないと云う時、すでに死ぬときまってから、なお余る五分の命を提げて、まさに来るべき死を迎えながら、四分、三分、二分と意識しつつ進む時、さらに突き当ると思った死が、たちまちとんぼ返りを打って、新たに生と名づけられる時、――余のごとき神経質ではこの三|象面の一つにすら堪え得まいと思う。現にドストイェフスキーと運命を同じくした同囚の一人は、これがためにその場で気が狂ってしまった。  それにもかかわらず、回復期に向った余は、病牀の上に寝ながら、しばしばドストイェフスキーの事を考えた。ことに彼が死の宣告から蘇えった最後の一幕を眼に浮べた。――寒い空、新らしい刑壇、刑壇の上に立つ彼の姿、襯衣一枚のまま顫えている彼の姿、――ことごとく鮮やかな想像の鏡に映った。独り彼が死刑を免かれたと自覚し得た咄嗟の表情が、どうしても判然映らなかった。しかも余はただこの咄嗟の表情が見たいばかりに、すべての画面を組み立てていたのである。  余は自然の手に罹って死のうとした。現に少しの間死んでいた。後から当時の記憶を呼び起した上、なおところどころの穴へ、妻から聞いた顛末を埋めて、始めて全くでき上る構図をふり返って見ると、いわゆる慄然と云う感じに打たれなければやまなかった。その恐ろしさに比例して、九仞に失った命を一簣に取り留める嬉しさはまた特別であった。この死この生に伴う恐ろしさと嬉しさが紙の裏表のごとく重なったため、余は連想上常にドストイェフスキーを思い出したのである。 「もし最後の一節を欠いたなら、余はけっして正気ではいられなかったろう」と彼自身が物語っている。気が狂うほどの緊張を幸いに受けずとすんだ余には、彼の恐ろしさ嬉しさの程度を料り得ぬと云う方がむしろ適当かも知れぬ。それであればこそ、画竜点睛とも云うべき肝心の刹那の表情が、どう想像しても漠として眼の前に描き出せないのだろう。運命の擒縦を感ずる点において、ドストイェフスキーと余とは、ほとんど詩と散文ほどの相違がある。  それにもかかわらず、余はしばしばドストイェフスキーを想像してやまなかった。そうして寒い空と、新らしい刑壇と、刑壇の上に立つ彼の姿と、襯衣一枚で顫えている彼の姿とを、根気よく描き去り描き来ってやまなかった。  今はこの想像の鏡もいつとなく曇って来た。同時に、生き返ったわが嬉しさが日に日にわれを遠ざかって行く。あの嬉しさが始終わが傍にあるならば、――ドストイェフスキーは自己の幸福に対して、生涯感謝する事を忘れぬ人であった。 二十二  余はうとうとしながらいつの間にか夢に入った。すると鯉の跳ねる音でたちまち眼が覚めた。  余が寝ている二階座敷の下はすぐ中庭の池で、中には鯉がたくさんに飼ってあった。その鯉が五分に一度ぐらいは必ず高い音を立ててぱしゃりと水を打つ。昼のうちでも折々は耳に入った。夜はことに甚しい。隣りの部屋も、下の風呂場も、向うの三階も、裏の山もことごとく静まり返った真中に、余は絶えずこの音で眼を覚ました。  犬の眠りと云う英語を知ったのはいつの昔か忘れてしまったが、犬の眠りと云う意味を実地に経験したのはこの頃が始めてであった。余は犬の眠りのために夜ごと悩まされた。ようやく寝ついてありがたいと思う間もなく、すぐ眼が開いて、まだ空は白まないだろうかと、幾度も暁を待ち佗びた。床に縛りつけられた人の、しんとした夜半に、ただ独り生きている長さは存外な長さである。――鯉が勢よく水を切った。自分の描いた波の上を叩く尾の音で、余は眼を覚ました。  室の中は夕暮よりもなお暗い光で照らされていた。天井から下がっている電気灯の珠は黒布で隙間なく掩がしてあった。弱い光りはこの黒布の目を洩れて、微かに八畳の室を射た。そうしてこの薄暗い灯影に、真白な着物を着た人間が二人|坐っていた。二人とも口を利かなかった。二人とも動かなかった。二人とも膝の上へ手を置いて、互いの肩を並べたままじっとしていた。  黒い布で包んだ球を見たとき、余は紗で金箔を巻いた弔旗の頭を思い出した。この喪章と関係のある球の中から出る光線によって、薄く照らされた白衣の看護婦は、静かなる点において、行儀の好い点において、幽霊の雛のように見えた。そうしてその雛は必要のあるたびに無言のまま必ず動いた。  余は声も出さなかった。呼びもしなかった。それでも余の寝ている位置に、少しの変化さえあれば彼等はきっと動いた。手を毛布のうちで、もじつかせても、心持肩を右から左へ揺っても、頭を――頭は眼が覚めるたびに必ず麻痺れていた。あるいは麻痺れるので眼が覚めるのかも知れなかった。――その頭を枕の上で一寸摺らしても、あるいは足――足はよく寝覚めの種となった。平生の癖で時々、片方を片方の上へ重ねて、そのままとろとろとなると、下になった方の骨が沢庵石でも載せられたように、みしみしと痛んで眼が覚めた。そうして余は必ず強い痛さと重たさとを忍んで足の位置を変えなければならなかった。――これらのあらゆる場合に、わが変化に応じて、白い着物の動かない事はけっしてなかった。時にはわが動作を予期して、向うから動くと思われる場合もあった。時には手も足も頭も動かさないのに、眠りが尽きてふと眼を開けさえすれば、白い着物はすぐ顔の傍へ来た。余には白い着物を着ている女の心持が少しも分らなかった。けれども白い着物を着ている女は余の心を善く悟った。そうして影の形に随うごとくに変化した。響の物に応ずるごとくに働らいた。黒い布の目から洩れる薄暗い光の下に、真白な着物を着た女が、わが肉体の先を越して、ひそひそと、しかも規則正しく、わが心のままに動くのは恐ろしいものであった。  余はこの気味の悪い心持を抱いて、眼を開けると共に、ぼんやり眸に映る室の天井を眺めた。そうして黒い布で包んだ電気灯の珠と、その黒い布の織目から洩れてくる光に照らされた白い着物を着た女を見た。見たか見ないうちに白い着物が動いて余に近づいて来た。 秋風鳴万木。 山雨撼高楼。 病骨稜如剣。 一灯青欲愁。 二十三  余は好意の干乾びた社会に存在する自分をはなはだぎごちなく感じた。  人が自分に対して相応の義務を尽くしてくれるのは無論ありがたい。けれども義務とは仕事に忠実なる意味で、人間を相手に取った言葉でも何でもない。したがって義務の結果に浴する自分は、ありがたいと思いながらも、義務を果した先方に向って、感謝の念を起し悪い。それが好意となると、相手の所作が一挙一動ことごとく自分を目的にして働いてくるので、活物の自分にその一挙一動がことごとく応える。そこに互を繋ぐ暖い糸があって、器械的な世を頼母しく思わせる。電車に乗って一区を瞬く間に走るよりも、人の背に負われて浅瀬を越した方が情が深い。  義務さえ素直には尽くして呉れる人のない世の中に、また自分の義務さえ碌に尽くしもしない世の中に、こんな贅沢を並べるのは過分である。そうとは知りながら余は好意の干乾びた社会に存在する自分を切にぎごちなく感じた。――或る人の書いたものの中に、余りせち辛い世間だから、自用車を節倹する格で、当分良心を質に入れたとあったが、質に入れるのは固より一時の融通を計る便宜に過ぎない。今の大多数は質に置くべき好意さえ天で持っているものが少なそうに見えた。いかに工面がついても受出そうとは思えなかった。とは悟りながらやはり好意の干乾びた社会に存在する自分をぎごちなく感じた。  今の青年は、筆を執っても、口を開いても、身を動かしても、ことごとく「自我の主張」を根本義にしている。それほど世の中は切りつめられたのである。それほど世の中は今の青年を虐待しているのである。「自我の主張」を正面から承れば、小憎しい申し分が多い。けれども彼等をしてこの「自我の主張」をあえてして憚かるところなきまでに押しつめたものは今の世間である。ことに今の経済事情である。「自我の主張」の裏には、首を縊ったり身を投げたりすると同程度に悲惨な煩悶が含まれている。ニーチェは弱い男であった。多病な人であった。また孤独な書生であった。そうしてザラツストラはかくのごとく叫んだのである。  こうは解釈するようなものの、依然として余は常に好意の干乾びた社会に存在する自分をぎごちなく感じた。自分が人に向ってぎごちなくふるまいつつあるにもかかわらず、自らぎごちなく感じた。そうして病に罹った。そうして病の重い間、このぎごちなさをどこへか忘れた。  看護婦は五十グラムの粥をコップの中に入れて、それを鯛味噌と混ぜ合わして、一匙ずつ自分の口に運んでくれた。余は雀の子か烏の子のような心持がした。医師は病の遠ざかるに連れて、ほとんど五日目ぐらいごとに、余のために食事の献立表を作った。ある時は三通りも四通りも作って、それを比較して一番病人に好さそうなものを撰んで、あとはそれぎり反故にした。  医師は職業である。看護婦も職業である。礼も取れば、報酬も受ける。ただで世話をしていない事はもちろんである。彼等をもって、単に金銭を得るが故に、その義務に忠実なるのみと解釈すれば、まことに器械的で、実も葢もない話である。けれども彼等の義務の中に、半分の好意を溶き込んで、それを病人の眼から透かして見たら、彼等の所作がどれほど尊とくなるか分らない。病人は彼等のもたらす一点の好意によって、急に生きて来るからである。余は当時そう解釈して独りで嬉しかった。そう解釈された医師や看護婦も嬉しかろうと思う。  子供と違って大人は、なまじい一つの物を十筋二十筋の文からできたように見窮める力があるから、生活の基礎となるべき純潔な感情を恣ままに吸収する場合が極めて少ない。本当に嬉しかった、本当にありがたかった、本当に尊かったと、生涯に何度思えるか、勘定すれば幾何もない。たとい純潔でなくても、自分に活力を添えた当時のこの感情を、余はそのまま長く余の心臓の真中に保存したいと願っている。そうしてこの感情が遠からず単に一片の記憶と変化してしまいそうなのを切に恐れている。――好意の干乾びた社会に存在する自分をはなはだぎごちなく感ずるからである。 天下自多事。 被吹天下風。 高秋悲鬢白。 衰病夢顔紅。 送鳥天無尽。 看雲道不窮。 残存吾骨貴。 慎勿妄磨※。 二十四  小供のとき家に五六十幅の画があった。ある時は床の間の前で、ある時は蔵の中で、またある時は虫干の折に、余は交る交るそれを見た。そうして懸物の前に独り蹲踞まって、黙然と時を過すのを楽とした。今でも玩具箱を引繰り返したように色彩の乱調な芝居を見るよりも、自分の気に入った画に対している方が遥かに心持が好い。  画のうちでは彩色を使った南画が一番面白かった。惜しい事に余の家の蔵幅にはその南画が少なかった。子供の事だから画の巧拙などは無論分ろうはずはなかった。好き嫌いと云ったところで、構図の上に自分の気に入った天然の色と形が表われていればそれで嬉しかったのである。  鑑識上の修養を積む機会をもたなかった余の趣味は、その後別段に新らしい変化を受けないで生長した。したがって山水によって画を愛するの弊はあったろうが、名前によって画を論ずるの譏りも犯さずにすんだ。ちょうど画を前後して余の嗜好に上った詩と同じく、いかな大家の筆になったものでも、いかに時代を食ったものでも、自分の気に入らないものはいっこう顧みる義理を感じなかった。  ある時、青くて丸い山を向うに控えた、また的※と春に照る梅を庭に植えた、また柴門の真前を流れる小河を、垣に沿うて緩く繞らした、家を見て――無論|画絹の上に――どうか生涯に一遍で好いからこんな所に住んで見たいと、傍にいる友人に語った。友人は余の真面目な顔をしけじけ眺めて、君こんな所に住むと、どのくらい不便なものだか知っているかとさも気の毒そうに云った。この友人は岩手のものであった。余はなるほどと始めて自分の迂濶を愧ずると共に、余の風流心に泥を塗った友人の実際的なのを悪んだ。  それは二十四五年も前の事であった。その二十四五年の間に、余もやむをえず岩手出身の友人のようにしだいに実際的になった。崖を降りて渓川へ水を汲みに行くよりも、台所へ水道を引く方が好くなった。けれども南画に似た心持は時々夢を襲った。ことに病気になって仰向に寝てからは、絶えず美くしい雲と空が胸に描かれた。  すると小宮君が歌麿の錦絵を葉書に刷ったのを送ってくれた。余はその色合の長い間に自と寂びたくすみ方に見惚れて、眼を放さずそれを眺めていたが、ふと裏を返すと、私はこの画の中にあるような人間に生れたいとか何とか、当時の自分の情調とは似ても似つかぬ事が書いてあったので、こんなやにっこい色男は大嫌だ、おれは暖かな秋の色とその色の中から出る自然の香が好きだと答えてくれと傍のものに頼んだ。ところが今度は小宮君が自身で枕元へ坐って、自然も好いが人間の背景にある自然でなくっちゃとか何とか病人に向って古臭い説を吐きかけるので、余は小宮君を捕えて御前は青二才だと罵った。――それくらい病中の余は自然を懐かしく思っていた。  空が空の底に沈み切ったように澄んだ。高い日が蒼い所を目の届くかぎり照らした。余はその射返しの大地に洽ねき内にしんとして独り温もった。そうして眼の前に群がる無数の赤蜻蛉を見た。そうして日記に書いた。――「人よりも空、語よりも黙。……肩に来て人|懐かしや赤蜻蛉」  これは東京へ帰った以後の景色である。東京へ帰ったあともしばらくは、絶えず美くしい自然の画が、子供の時と同じように、余を支配していたのである。 秋露下南※。 黄花粲照顔。 欲行沿澗遠。 却得与雲還。 二十五  子供が来たから見てやれと妻が耳の傍へ口を着けて云う。身体を動かす力がないので余は元の姿勢のままただ視線だけをその方に移すと、子供は枕を去る六尺ほどの所に坐っていた。  余の寝ている八畳に付いた床の間は、余の足の方にあった。余の枕元は隣の間を仕切る襖で半塞いであった。余は左右に開かれた襖の間から敷居越しに余の子供を見たのである。  頭の上の方にいるものを室を隔てて見る視力が、不自然な努力を要するためか、そこに坐っている子供の姿は存外遠方に見えた。無理な一瞥の下に余の眸に映った顔は、逢うたと記すよりもむしろ眺めたと書く方が適当なくらい離れていた。余はこの一瞥よりほかにまた子供の影を見なかった。余の眸はすぐと自然の角度に復した。けれども余はこの一瞥の短きうちにすべてを見た。  子供は三人いた。十二から十、十から八つと順に一列になって隣座敷の真中に並ばされていた。そうして三人ともに女であった。彼等は未来の健康のため、一夏を茅が崎に過すべく、父母から命ぜられて、兄弟五人で昨日まで海辺を駆け廻っていたのである。父が危篤の報知によって、親戚のものに伴れられて、わざわざ砂深い小松原を引き上げて、修善寺まで見舞に来たのである。  けれども危篤の何を意味しているかを知るには彼らはあまり小さ過ぎた。彼らは死と云う名前を覚えていた。けれども死の恐ろしさと怖さとは、彼らの若い額の奥に、いまだかつて影さえ宿さなかった。死に捕えられた父の身体が、これからどう変化するか彼らには想像ができなかった。父が死んだあとで自分らの運命にどんな結果が来るか、彼らには無論考え得られなかった。彼らはただ人に伴われて父の病気を見舞うべく、父の旅先まで汽車に乗って来たのである。  彼らの顔にはこの会見が最後かも知れぬと云う愁の表情がまるでなかった。彼らは親子の哀別以上に無邪気な顔をもっていた。そうしていろいろ人のいる中に、三人特別な席に並んで坐らせられて、厳粛な空気にじっと行儀よく取りすます窮屈を、切なく感じているらしく思われた。  余はただ一瞥の努力に彼らを見ただけであった。そうして病を解し得ぬ可憐な小さいものを、わざわざ遠くまで引張り出して、殊勝に枕元に坐らせておくのをかえって残酷に思った。妻を呼んで、せっかく来たものだから、そこいらを見物させてやれと命じた。もしその時の余に、あるいはこれが親子の見納めになるかも知れないと云う懸念があったならば、余はもう少ししみじみ彼らの姿を見守ったかも知れなかった。しかし余は医師や傍のものが余に対して抱いていたような危険を余の病の上に自ら感じていなかったのである。  子供はじきに東京へ帰った。一週間ほどしてから、彼らは各々に見舞状を書いて、それを一つ封に入れて、余の宿に届けた。十二になる筆子のは、四角な字を入れた整わない候文で、「御祖母様が雨がふっても風がふいても毎日毎日一日もかかさず御しゃか様へ御詣を遊ばす御百度をなされ御父様の御病気一日も早く御全快を祈り遊ばされまた高田の御伯母様どこかの御宮へか御詣り遊ばすとのことに御座候ふさ、きよみ、むめの三人の連中は毎日猫の墓へ水をとりかえ花を差し上げて早く御父様の全快を御祈りに居り候」とあった。十になる恒子のは尋常であった。八になるえい子のは全く片仮名だけで書いてあった。字を埋めて読みやすくすると、「御父様の御病気はいかがでございますか、私は無事に暮しておりますから御安心なさいませ。御父様も私の事を思わずに御病気を早く直して早く御帰りなさいませ。私は毎日休まずに学校へ行って居ります。また御母様によろしく」と云うのである。  余は日記の一|頁を寝ながら割いて、それに、留守の中はおとなしく御祖母様の云う事を聞かなくてはいけない、今についでのあった時|修善寺の御土産を届けてやるからと書いて、すぐ郵便で妻に出さした。子供は余が東京へ帰ってからも、平気で遊んでいる。修善寺の土産はもう壊してしまったろう。彼等が大きくなったとき父のこの文を読む機会がもしあったなら、彼等ははたしてどんな感じがするだろう。 傷心秋已到。 嘔血骨猶存。 病起期何日。 夕陽還一村。 二十六  五十グラムと云うと日本の二勺半にしか当らない。ただそれだけの飲料で、この身体を終日|持ち応えていたかと思えば、自分ながら気の毒でもあるし、可愛らしくもある。また馬鹿らしくもある。  余は五十グラムの葛湯を恭やしく飲んだ。そうして左右の腕に朝夕二回ずつの注射を受けた。腕は両方とも針の痕で埋まっていた。医師は余に今日はどっちの腕にするかと聞いた。余はどっちにもしたくなかった。薬液を皿に溶いたり、それを注射器に吸い込ましたり、針を丁寧に拭ったり、針の先に泡のように細かい薬を吹かして眺めたりする注射の準備ははなはだ物奇麗で心持が好いけれども、その針を腕にぐさと刺して、そこへ無理に薬を注射するのは不愉快でたまらなかった。余は医師に全体その鳶色の液は何だと聞いた。森成さんはブンベルンとかブンメルンとか答えて、遠慮なく余の腕を痛がらせた。  やがて日に二回の注射が一回に減じた。その一回もまたしばらくすると廃めになった。そうして葛湯の分量が少しずつ増して来た。同時に口の中が執拗く粘り始めた。爽かな飲料で絶えず舌と顋と咽喉を洗っていなくてはいたたまれなかった。余は医師に氷を請求した。医師は固い片らが滑って胃の腑に落ち込む危険を恐れた。余は天井を眺めながら、腹膜炎を患らった廿歳の昔を思い出した。その時は病気に障るとかで、すべての飲物を禁ぜられていた。ただ冷水で含嗽をするだけの自由を医師から得たので、余は一時間のうちに、何度となく含嗽をさせて貰った。そうしてそのつど人に知れないように、そっと含嗽の水を幾分かずつ胃の中に飲み下して、やっと熬りつくような渇を紛らしていた。  昔の計を繰り返す勇気のなかった余は、口中を潤すための氷を歯で噛み砕いては、正直に残らず吐き出した。その代り日に数回|平野水を一口ずつ飲まして貰う事にした。平野水がくんくんと音を立てるような勢で、食道から胃へ落ちて行く時の心持は痛快であった。けれども咽喉を通り越すや否やすぐとまた飲みたくなった。余は夜半にしばしば看護婦から平野水を洋盃に注いで貰って、それをありがたそうに飲んだ当時をよく記憶している。  渇はしだいに歇んだ。そうして渇よりも恐ろしい餓じさが腹の中を荒して歩くようになった。余は寝ながら美くしい食膳を何通りとなく想像で拵らえて、それを眼の前に並べて楽んでいた。そればかりではない、同じ献立を何人前も調えておいて、多数の朋友にそれを想像で食わして喜こんだ。今考えると普通のものの嬉しがるような食物はちっともなかった。こう云う自分にすらあまりありがたくはない御膳ばかりを眼の前に浮べていたのである。  森成さんがもう葛湯も厭きたろうと云って、わざわざ東京から米を取り寄せて重湯を作ってくれた時は、重湯を生れて始めて啜る余には大いな期待があった。けれども一口飲んで始めてその不味いのに驚ろいた余は、それぎり重湯というものを近づけなかった。その代りカジノビスケットを一片貰った折の嬉しさはいまだに忘れられない。わざわざ看護婦を医師の室までやって、特に礼を述べたくらいである。  やがて粥を許された。その旨さはただの記憶となって冷やかに残っているだけだから実感としては今思い出せないが、こんな旨いものが世にあるかと疑いつつ舌を鳴らしたのは確かである。それからオートミールが来た。ソーダビスケットが来た。余はすべてをありがたく食った。そうして、より多く食いたいと云う事を日課のように繰り返して森成さんに訴えた。森成さんはしまいに余の病床に近づくのを恐れた。東君はわざわざ妻の所へ行って、先生はあんなもっともな顔をしている癖に、子供のように始終食物の話ばかりしていておかしいと告げた。 腸に春|滴るや粥の味 二十七  オイッケンは精神生活と云う事を真向に主張する学者である。学者の習慣として、自己の説を唱うる前には、あらゆる他のイズムを打破する必要を感ずるものと見えて、彼は彼のいわゆる精神生活を新たならしむるため、その用意として、現代生活に影響を与うる在来からの処生上の主義に一も二もなく非難を加えた。自然主義もやられる、社会主義も叩かれる。すべての主義が彼の眼から見て存在の権利を失ったかのごとくに説き去られた時、彼は始めて精神生活の四字を拈出した。そうして精神生活の特色は自由である、自由であると連呼した。  試みに彼に向って自由なる精神生活とはどんな生活かと問えば、端的にこんなものだとはけっして答えない。ただ立派な言葉を秩序よく並べ立てる。むずかしそうな理窟を蜿蜒と幾重にも重ねて行く。そこに学者らしい手際はあるかも知れないが、とぐろの中に巻き込まれる素人は茫然してしまうだけである。  しばらく哲学者の言葉を平民に解るように翻訳して見ると、オイッケンのいわゆる自由なる精神生活とは、こんなものではなかろうか。――我々は普通衣食のために働らいている。衣食のための仕事は消極的である。換言すると、自分の好悪撰択を許さない強制的の苦しみを含んでいる。そう云う風にほかから圧しつけられた仕事では精神生活とは名づけられない。いやしくも精神的に生活しようと思うなら、義務なきところに向って自ら進む積極のものでなければならない。束縛によらずして、己れ一個の意志で自由に営む生活でなければならない。こう解釈した時、誰も彼の精神生活を評してつまらないとは云うまい。コムトは倦怠をもって社会の進歩を促がす原因と見たくらいである。倦怠の極やむをえずして仕事を見つけ出すよりも、内に抑えがたき或るものが蟠まって、じっと持ち応えられない活力を、自然の勢から生命の波動として描出し来る方が実際|実の入った生き法と云わなければなるまい。舞踏でも音楽でも詩歌でも、すべて芸術の価値はここに存していると評しても差支えない。  けれども学者オイッケンの頭の中で纏め上げた精神生活が、現に事実となって世の中に存在し得るや否やに至っては自から別問題である。彼オイッケン自身が純一無雑に自由なる精神生活を送り得るや否やを想像して見ても分明な話ではないか。間断なきこの種の生活に身を託せんとする前に、吾人は少なくとも早くすでに職業なき閑人として存在しなければならないはずである。  豆腐屋が気に向いた朝だけ石臼を回して、心の機まないときはけっして豆を挽かなかったなら商買にはならない。さらに進んで、己れの好いた人だけに豆腐を売って、いけ好かない客をことごとく謝絶したらなおの事商買にはならない。すべての職業が職業として成立するためには、店に公平の灯を点けなければならない。公平と云う美しそうな徳義上の言葉を裏から言い直すと、器械的と云う醜い本体を有しているに過ぎない。一分の遅速なく発着する汽車の生活と、いわゆる精神的生活とは、正に両極に位する性質のものでなければならない。そうして普通の人は十が十までこの両端を七分三分とか六分四分とかに交ぜ合わして自己に便宜なようにまた世間に都合の好いように生活すべく天から余儀なくされている。これが常態である。たまたま芸術の好きなものが、好きな芸術を職業とするような場合ですら、その芸術が職業となる瞬間において、真の精神生活はすでに汚されてしまうのは当然である。芸術家としての彼は己れに篤き作品を自然の気乗りで作り上げようとするに反して、職業家としての彼は評判のよきもの、売高の多いものを公けにしなくてはならぬからである。  すでに個人の性格及び教育次第で融通の利かなくなりそうなオイッケンのいわゆる自由なる精神生活は、現今の社会組織の上から見ても、これほど応用の範囲の狭いものになる。それを一般に行き亘って実行のできる大主義のごとくに説き去る彼は、学者の通弊として統一病に罹ったのだと酷評を加えてもよいが、たまたま文芸を好んで文芸を職業としながら、同時に職業としての文芸を忌んでいる余のごときものの注意を呼び起して、その批評心を刺戟する力は充分ある。大患に罹った余は、親の厄介になった子供の時以来久しぶりで始めてこの精神生活の光に浴した。けれどもそれはわずか一二カ月の中であった。病が癒るに伴れ、自己がしだいに実世間に押し出されるに伴れ、こう云う議論を公けにして得意なオイッケンを羨やまずにはいられなくなって来た。 二十八  学校を出た当時小石川のある寺に下宿をしていた事がある。そこの和尚は内職に身の上判断をやるので、薄暗い玄関の次の間に、算木と筮竹を見るのが常であった。固より看板をかけての公表な商買でなかったせいか、占を頼に来るものは多くて日に四五人、少ない時はまるで筮竹を揉む音さえ聞えない夜もあった。易断に重きを置かない余は、固よりこの道において和尚と無縁の姿であったから、ただ折々|襖越しに、和尚の、そりゃ当人の望み通りにした方が好うがすななどと云う縁談に関する助言を耳に挟さむくらいなもので、面と向き合っては互に何も語らずに久しく過ぎた。  ある時何かのついでに、話がつい人相とか方位とか云う和尚の縄張り内に摺り込んだので、冗談半分|私の未来はどうでしょうと聞いて見たら、和尚は眼を据えて余の顔をじっと眺めた後で、大して悪い事もありませんなと答えた。大して悪い事もないと云うのは、大して好い事もないと云ったも同然で、すなわち御前の運命は平凡だと宣告したようなものである。余は仕方がないから黙っていた。すると和尚が、あなたは親の死目には逢えませんねと云った。余はそうですかと答えた。すると今度はあなたは西へ西へと行く相があると云った。余はまたそうですかと答えた。最後に和尚は、早く顋の下へ髯を生やして、地面を買って居宅を御建てなさいと勧めた。余は地面を買って居宅を建て得る身分なら何も君の所に厄介になっちゃいないと答えたかった。けれども顋の下の髯と、地面|居宅とはどんな関係があるか知りたかったので、それだけちょっと聞き返して見た。すると和尚は真面目な顔をして、あなたの顔を半分に割ると上の方が長くって、下の方が短か過ぎる。したがって落ちつかない。だから早く顋髯を生やして上下の釣合を取るようにすれば、顔の居坐りがよくなって動かなくなりますと答えた。余は余の顔の雑作に向って加えられたこの物理的もしくは美学的の批判が、優に余の未来の運命を支配するかのごとく容易に説き去った和尚を少しおかしく感じた。そうしてなるほどと答えた。  一年ならずして余は松山に行った。それからまた熊本に移った。熊本からまた倫敦に向った。和尚の云った通り西へ西へと赴いたのである。余の母は余の十三四の時に死んだ。その時は同じ東京におりながら、つい臨終の席には侍らなかった。父の死んだ電報を東京から受け取ったのは、熊本にいる頃の事であった。これで見ると、親の死目に逢えないと云った和尚の言葉もどうかこうか的中している。ただ顋の髯に至ってはその時から今日に至るまで、寧日なく剃り続けに剃っているから、地面と居宅がはたして髯と共にわが手に入るかどうかいまだに判然せずにいた。  ところが修善寺で病気をして寝つくや否や、頬がざらざらし始めた。それが五六日すると一本一本に撮めるようになった。またしばらくすると、頬から顋が隙間なく隠れるようになった。和尚の助言は十七八年ぶりで始めて役に立ちそうな気色に髯は延びて来た。妻はいっそ御生やしなすったら好いでしょうと云った。余も半分その気になって、しきりにその辺を撫で廻していた。ところが幾日となく洗いも櫛ずりもしない髪が、膏と垢で余の頭を埋め尽くそうとする汚苦しさに堪えられなくなって、ある日床屋を呼んで、不充分ながら寝たまま頭に手を入れて顔に髪剃を当てた。その時地面と居宅の持主たるべき資格をまた奇麗に失ってしまった。傍のものは若くなった若くなったと云ってしきりに囃し立てた。独り妻だけはおやすっかり剃っておしまいになったんですかと云って、少し残り惜しそうな顔をした。妻は夫の病気が本復した上にも、なお地面と居宅が欲しかったのである。余といえども、髯を落さなければ地面と居宅がきっと手に入ると保証されるならば、あの顋はそのままに保存しておいたはずである。  その後髯は始終剃った。朝早く床の上に起き直って、向うの三階の屋根と吾室の障子の間にわずかばかり見える山の頂を眺めるたびに、わが頬の潔よく剃り落してある滑らかさを撫で廻しては嬉しがった。地面と居宅は当分断念したか、または老後の楽しみにあとあとまで取っておくつもりだったと見える。 客夢回時一鳥鳴。 夜来山雨暁来晴。 孤峯頂上孤松色。 早映紅暾欝々明。 二十九  修善寺が村の名で兼て寺の名であると云う事は、行かぬ前から疾に承知していた。しかしその寺で鐘の代りに太鼓を叩こうとはかつて想い至らなかった。それを始めて聞いたのはいつの頃であったか全く忘れてしまった。ただ今でも余が鼓膜の上に、想像の太鼓がどん――どんと時々響く事がある。すると余は必ず去年の病気を憶い出す。  余は去年の病気と共に、新らしい天井と、新らしい床の間にかけた大島将軍の従軍の詩を憶い出す。そうしてその詩を朝から晩までに何遍となく読み返した当時を明らさまに憶い出す。新らしい天井と、新らしい床の間と、新らしい柱と、新らし過ぎて開閉の不自由な障子は、今でも眼の前にありありと浮べる事ができるが、朝から晩までに何遍となく読み返した大島将軍の詩は、読んでは忘れ、読んでは忘れして、今では白壁のように白い絹の上を、どこまでも同じ幅で走って、尾頭ともにぷつりと折れてしまう黒い線を認めるだけである。句に至っては、始めの剣戟という二字よりほか憶い出せない。  余は余の鼓膜の上に、想像の太鼓がどん――どんと響くたびに、すべてこれらのものを憶い出す。これらのものの中に、じっと仰向いて、尻の痛さを紛らしつつ、のつそつ夜明を待ち佗びたその当時を回顧すると、修禅寺の太鼓の音は、一種云うべからざる連想をもって、いつでも余の耳の底に卒然と鳴り渡る。  その太鼓は最も無風流な最も殺風景な音を出して、前後を切り捨てた上、中間だけを、自暴に夜陰に向って擲きつけるように、ぶっきら棒な鳴り方をした。そうして、一つどんと素気なく鳴ると共にぱたりと留った。余は耳を峙だてた。一度静まった夜の空気は容易に動こうとはしなかった。やや久らくして、今のは錯覚ではなかろうかと思い直す頃に、また一つどんと鳴った。そうして愛想のない音は、水に落ちた石のように、急に夜の中に消えたぎり、しんとした表に何の活動も伝えなかった。寝られない余は、待ち伏せをする兵士のごとく次の音の至るを思いつめて待った。その次の音はやはり容易には来なかった。ようやくのこと第一第二と同じく極めて乾び切った響が――響とは云い悪い。黒い空気の中に、突然無遠慮な点をどっと打って直筆を隠したような音が、余の耳朶を叩いて去る後で、余はつくづくと夜を長いものに観じた。  もっとも夜は長くなる頃であった。暑さもしだいに過ぎて、雨の降る日はセルに羽織を重ねるか、思い切って朝から袷を着るかしなければ、肌寒を防ぐ便とならなかった時節である。山の端に落ち込む日は、常の短かい日よりもなおの事短かく昼を端折って、灯は容易に点いた。そうして夜は中々明けなかった。余はじりじりと昼に食い入る夜長を夜ごとに恐れた。眼が開くときっと夜であった。これから何時間ぐらいこうしてしんと夜の中に生きながら埋もっている事かと思うと、我ながらわが病気に堪えられなかった。新らしい天井と、新らしい柱と、新らしい障子を見つめるに堪えなかった。真白な絹に書いた大きな字の懸物には最も堪えなかった。ああ早く夜が明けてくれればいいのにと思った。  修禅寺の太鼓はこの時にどんと鳴るのである。そうしてことさらに余を待ち遠しがらせるごとく疎らな間隔を取って、暗い夜をぽつりぽつりと縫い始める。それが五分と経ち七分と経つうちに、しだいに調子づいて、ついに夕立の雨滴よりも繁く逼って来る変化は、余から云うともう日の出に間もないと云う報知であった。太鼓を打ち切ってしばらくの後に、看護婦がやっと起きて室の廊下の所だけ雨戸を開けてくれるのは何よりも嬉しかった。外はいつでも薄暗く見えた。  修善寺に行って、寺の太鼓を余ほど精密に研究したものはあるまい。その結果として余は今でも時々どんと云う余音のないぶっ切ったような響を余の鼓膜の上に錯覚のごとく受ける。そうして一種云うべからざる心持を繰り返している。 夢繞星※※露幽。 夜分形影暗灯愁。 旗亭病近修禅寺。 一※疎鐘已九秋。 三十  山を分けて谷一面の百合を飽くまで眺めようと心にきめた翌日から床の上に仆れた。想像はその時限りなく咲き続く白い花を碁石のように点々と見た。それを小暗く包もうとする緑の奥には、重い香が沈んで、風に揺られる折々を待つほどに、葉は息苦しく重なり合った。――この間宿の客が山から取って来て瓶に挿した一輪の白さと大きさと香から推して、余は有るまじき広々とした画を頭の中に描いた。  聖書にある野の百合とは今云う唐菖蒲の事だと、その唐菖蒲を床に活けておいた時、始めて芥舟君から教わって、それではまるで野の百合の感じが違うようだがと話し合った一月前も思い出された。聖書と関係の薄い余にさえ、檜扇を熱帯的に派出に仕立てたような唐菖蒲は、深い沈んだ趣を表わすにはあまり強過ぎるとしか思われなかった。唐菖蒲はどうでもよい。余が想像に描いた幽かな花は、一輪も見る機会のないうちに立秋に入った。百合は露と共に摧けた。  人は病むもののために裏の山に入って、ここかしこから手の届く幾茎の草花を折って来た。裏の山は余の室から廊下伝いにすぐ上る便のあるくらい近かった。障子さえ明けておけば、寝ながら縁側と欄間の間を埋める一部分を鼻の先に眺める事もできた。その一部分は岩と草と、岩の裾を縫うて迂回して上る小径とから成り立っていた。余は余のために山に上るものの姿が、縁の高さを辞して欄間の高さに達するまでに、一遍影を隠して、また反対の位地から現われて、ついに余の視線のほかに没してしまうのを大いなる変化のごとくに眺めた。そうして同じ彼等の姿が再び欄間の上から曲折して下って来るのを疎い眼で眺めた。彼らは必ず粗い縞の貸浴衣を着て、日の照る時は手拭で頬冠りをしていた。岨道を行くべきものとも思われないその姿が、花を抱えて岩の傍にぬっと現われると、一種芝居にでも有りそうな感じを病人に与えるくらい釣合がおかしかった。  彼等の採って来てくれるものは色彩の極めて乏しい野生の秋草であった。  ある日しんとした真昼に、長い薄が畳に伏さるように活けてあったら、いつどこから来たとも知れない蟋蟀がたった一つ、おとなしく中ほどに宿っていた。その時薄は虫の重みで撓いそうに見えた。そうして袋戸に張った新らしい銀の上に映る幾分かの緑が、暈したように淡くかつ不分明に、眸を誘うので、なおさら運動の感覚を刺戟した。  薄は大概すぐ縮れた。比較的長く持つ女郎花さえ眺めるにはあまり色素が足りなかった。ようやく秋草の淋しさを物憂く思い出した時、始めて蜀紅葵とか云う燃えるような赤い花弁を見た。留守居の婆さんに銭をやって、もっと折らせろと云ったら、銭は要りません、花は預かり物だから上げられませんと断わったそうである。余はその話を聞いて、どんな所に花が咲いていて、どんな婆さんがどんな顔をして花の番をしているか、見たくてたまらなかった。蜀紅葵の花弁は燃えながら、翌日散ってしまった。  桂川の岸伝いに行くといくらでも咲いていると云うコスモスも時々病室を照らした。コスモスはすべての中で最も単簡でかつ長く持った。余はその薄くて規則正しい花片と、空に浮んだように超然と取り合わぬ咲き具合とを見て、コスモスは干菓子に似ていると評した。なぜですかと聞いたものがあった。範頼の墓守の作ったと云う菊を分けて貰って来たのはそれからよほど後の事である。墓守は鉢に植えた菊を貸して上げようかと云ったそうである。この墓守の顔も見たかった。しまいには畠山の城址からあけびと云うものを取って来て瓶に挿んだ。それは色の褪めた茄子の色をしていた。そうしてその一つを鳥が啄いて空洞にしていた。――瓶に挿す草と花がしだいに変るうちに気節はようやく深い秋に入った。 日似三春永。 心随野水空。 牀頭花一片。 閑落小眠中。 三十一  若い時兄を二人失った。二人とも長い間|床についていたから、死んだ時はいずれも苦しみ抜いた病の影を肉の上に刻んでいた。けれどもその長い間に延びた髪と髯は、死んだ後までも漆のように黒くかつ濃かった。髪はそれほどでもないが、剃る事のできないで不本意らしく爺々汚そうに生えた髯に至っては、見るから憐れであった。余は一人の兄の太く逞しい髯の色をいまだに記憶している。死ぬ頃の彼の顔がいかにも気の毒なくらい瘠せ衰えて小さく見えるのに引き易えて、髯だけは健康な壮者を凌ぐ勢で延びて来た一種の対照を、気味悪くまた情なく感じたためでもあろう。  大患に罹って生か死かと騒がれる余に、幾日かの怪しき時間は、生とも死とも片づかぬ空裏に過ぎた。存亡の領域がやや明かになった頃、まず吾存在を確めたいと云う願から、とりあえず鏡を取ってわが顔を照らして見た。すると何年か前に世を去った兄の面影が、卒然として冷かな鏡の裏を掠めて去った。骨ばかり意地悪く高く残った頬、人間らしい暖味を失った蒼く黄色い皮、落ち込んで動く余裕のない眼、それから無遠慮に延びた髪と髯、――どう見ても兄の記念であった。  ただ兄の髪と髯が死ぬまで漆のように黒かったのにかかわらず、余のそれらにはいつの間にか銀の筋が疎らに交っていた。考えて見ると兄は白髪の生える前に死んだのである。死ぬとすればその方が屑よいかも知れない。白髪に鬢や頬をぽつぽつ冒されながら、まだ生き延びる工夫に余念のない余は、今を盛りの年頃に容赦なく世を捨てて逝く壮者に比べると、何だかきまりが悪いほど未練らしかった。鏡に映るわが表情のうちには、無論はかないと云う心持もあったが、死に損なったと云う恥も少しは交っていた。また「ヴァージニバス・ピュエリスク」の中に、人はいくら年を取っても、少年の時と同じような性情を失わないものだと書いてあったのを、なるほどと首肯いて読んだ当時を憶い出して、ただその当時に立ち戻りたいような気もした。 「ヴァージニバス・ピュエリスク」の著者は、長い病苦に責められながらも、よくその快活の性情を終焉まで持ち続けたから、嘘は云わない男である。けれども惜しい事に髪の黒いうちに死んでしまった。もし彼が生きて六十七十の高齢に達したら、あるいはこうは云い切れなかったろうと思えば、思われない事もない。自分が二十の時、三十の人を見れば大変に懸隔があるように思いながら、いつか三十が来ると、二十の昔と同じ気分な事が分ったり、わが三十の時、四十の人に接すると、非常な差違を認めながら、四十に達して三十の過去をふり返れば、依然として同じ性情に活きつつある自己を悟ったりするので、スチーヴンソンの言葉ももっともと受けて、今日まで世を経たようなものの、外部から萌して来る老頽の徴候を、幾茎かの白髪に認めて、健康の常時とは心意の趣を異にする病裡の鏡に臨んだ刹那の感情には、若い影はさらに射さなかったからである。  白髪に強いられて、思い切りよく老の敷居を跨いでしまおうか、白髪を隠して、なお若い街巷に徘徊しようか、――そこまでは鏡を見た瞬間には考えなかった。また考える必要のないまでに、病める余は若い人々を遠くに見た。病気に罹る前、ある友人と会食したら、その友人が短かく刈った余の揉上を眺めて、そこから白髪に冒されるのを苦にしてだんだん上の方へ剃り上げるのではないかと聞いた。その時の余にはこう聞かれるだけの色気は充分あった。けれども病に罹った余は、白髪を看板にして事をしたいくらいまでに諦めよく落ちついていた。  病の癒えた今日の余は、病中の余を引き延ばした心に活きているのだろうか、または友人と食卓についた病気前の若さに立ち戻っているだろうか。はたしてスチーヴンソンの云った通りを歩く気だろうか、または中年に死んだ彼の言葉を否定してようやく老境に進むつもりだろうか。――白髪と人生の間に迷うものは若い人たちから見たらおかしいに違ない。けれども彼等若い人達にもやがて墓と浮世の間に立って去就を決しかねる時期が来るだろう。 桃花馬上少年時。 笑拠銀鞍払柳枝。 緑水至今迢逓去。 月明来照鬢如糸。 三十二  初めはただ漠然と空を見て寝ていた。それからしばらくしていつ帰れるのだろうと思い出した。ある時はすぐにも帰りたいような心持がした。けれども床の上に起き直る気力すらないものが、どうして汽車に揺られて半日の遠きを行くに堪え得ようかと考えると、帰りたいと念ずる自分がかなり馬鹿気て見えた。したがって傍のものに自分はいつ帰れるかと問い糺した事もなかった。同時に秋は幾度の昼夜を巻いて、わが心の前を過ぎた。空はしだいに高くかつ蒼くわが上を掩い始めた。  もう動かしても大事なかろうと云う頃になって、東京から別に二人の医者を迎えてその意見を確めたら、今二週間の後にと云う挨拶であった。挨拶があった翌日から余は自分の寝ている地と、寝ている室を見捨るのが急に惜しくなった。約束の二週間がなるべくゆっくり廻転するようにと冀った。かつて英国にいた頃、精一杯英国を悪んだ事がある。それはハイネが英国を悪んだごとく因業に英国を悪んだのである。けれども立つ間際になって、知らぬ人間の渦を巻いて流れている倫敦の海を見渡したら、彼らを包む鳶色の空気の奥に、余の呼吸に適する一種の瓦斯が含まれているような気がし出した。余は空を仰いで町の真中に佇ずんだ。二週間の後この地を去るべき今の余も、病む躯を横えて、床の上に独り佇ずまざるを得なかった。余は特に余のために造って貰った高さ一尺五寸ほどの偉大な藁蒲団に佇ずんだ。静かな庭の寂寞を破る鯉の水を切る音に佇ずんだ。朝露に濡れた屋根瓦の上を遠近と尾を揺かし歩く鶺鴒に佇ずんだ。枕元の花瓶にも佇ずんだ。廊下のすぐ下をちょろちょろと流れる水の音にも佇ずんだ。かくわが身を繞る多くのものに※徊しつつ、予定の通り二週間の過ぎ去るのを待った。  その二週間は待ち遠いはがゆさもなく、またあっけない不足もなく普通の二週間のごとくに来て、尋常の二週間のごとくに去った。そうして雨の濛々と降る暁を最後の記念として与えた。暗い空を透かして、余は雨かと聞いたら、人は雨だと答えた。  人は余を運搬する目的をもって、一種妙なものを拵らえて、それを座敷の中に舁き入れた。長さは六尺もあったろう、幅はわずか二尺に足らないくらい狭かった。その一部は畳を離れて一尺ほどの高さまで上に反り返るように工夫してあった。そうして全部を白い布で捲いた。余は抱かれて、この高く反った前方に背を託して、平たい方に足を長く横たえた時、これは葬式だなと思った。生きたものに葬式と云う言葉は穏当でないが、この白い布で包んだ寝台とも寝棺とも片のつかないものの上に横になった人は、生きながら葬われるとしか余には受け取れなかった。余は口の中で、第二の葬式と云う言葉をしきりに繰り返した。人の一度は必ずやって貰う葬式を、余だけはどうしても二|返執行しなければすまないと思ったからである。  舁かれて室を出るときは平であったが、階子段を降りる際には、台が傾いて、急に輿から落ちそうになった。玄関に来ると同宿の浴客が大勢並んで、左右から白い輿を目送していた。いずれも葬式の時のように静かに控えていた。余の寝台はその間を通り抜けて、雨の降る庇の外に担ぎ出された。外にも見物人はたくさんいた。やがて輿を竪に馬車の中に渡して、前後相対する席と席とで支えた。あらかじめ寸法を取って拵らえたので、輿はきっしりと旨く馬車の中に納った。馬は降る中を動き出した。余は寝ながら幌を打つ雨の音を聞いた。そうして、御者台と幌の間に見える窮屈な空間から、大きな岩や、松や、水の断片をありがたく拝した。竹藪の色、柿紅葉、芋の葉、槿垣、熟した稲の香、すべてを見るたびに、なるほど今はこんなものの有るべき季節であると、生れ返ったように憶い出しては嬉しがった。さらに進んでわが帰るべき所には、いかなる新らしい天地が、寝ぼけた古い記憶を蘇生せしむるために展開すべく待ち構えているだろうかと想像して独り楽しんだ。同時に昨日まで※徊した藁蒲団も鶺鴒も秋草も鯉も小河もことごとく消えてしまった。 万事休時一息回。 余生豈忍比残灰。 風過古澗秋声起。 日落幽篁瞑色来。 漫道山中三月滞。 ※知門外一天開。 帰期勿後黄花節。 恐有羇魂夢旧苔。 三十三  正月を病院でした経験は生涯にたった一遍しかない。  松飾りの影が眼先に散らつくほど暮が押しつまった頃、余は始めてこの珍らしい経験を目前に控えた自分を異様に考え出した。同時にその考が単に頭だけに働らいて、毫も心臓の鼓動に響を伝えなかったのを不思議に思った。  余は白い寝床の上に寝ては、自分と病院と来るべき春とをかくのごとくいっしょに結びつける運命の酔興さ加減を懇ろに商量した。けれども起き直って机に向ったり、膳に着いたりする折は、もうここが我家だと云う気分に心を任して少しも怪しまなかった。それで歳は暮れても春は逼っても別に感慨と云うほどのものは浮ばなかった。余はそれほど長く病院にいて、それほど親しく患者の生活に根をおろしたからである。  いよいよ大晦日が来た時、余は小さい松を二本買って、それを自分の病室の入口に立てようかと思った。しかし松を支えるために釘を打ち込んで美くしい柱に創をつけるのも悪いと思ってやめにした。看護婦が表へ出て梅でも買って参りましょうと云うから買って貰う事にした。  この看護婦は修善寺以来余が病院を出るまで半年の間|始終余の傍に附き切りに附いていた女である。余はことさらに彼の本名を呼んで町井石子嬢町井石子嬢と云っていた。時々は間違えて苗字と名前を顛倒して、石井町子嬢とも呼んだ。すると看護婦は首を傾げながらそう改めた方が好いようでございますねと云った。しまいには遠慮がなくなって、とうとう鼬と云う渾名をつけてやった。ある時何かのついでに、時に御前の顔は何かに似ているよと云ったら、どうせ碌なものに似ているのじゃございますまいと答えたので、およそ人間として何かに似ている以上は、まず動物にきまっている。ほかに似ようたって容易に似られる訳のものじゃないと言って聞かせると、そりゃ植物に似ちゃ大変ですと絶叫して以来、とうとう鼬ときまってしまったのである。  鼬の町井さんはやがて紅白の梅を二枝|提げて帰って来た。白い方を蔵沢の竹の画の前に挿して、紅い方は太い竹筒の中に投げ込んだなり、袋戸の上に置いた。この間人から貰った支那水仙もくるくると曲って延びた葉の間から、白い香をしきりに放った。町井さんは、もうだいぶん病気がよくおなりだから、明日はきっと御雑煮が祝えるに違ないと云って余を慰めた。  除夜の夢は例年の通り枕の上に落ちた。こう云う大患に罹ったあげく、病院の人となって幾つの月を重ねた末、雑煮までここで祝うのかと考えると、頭の中にはアイロニーと云う羅馬字が明らかに綴られて見える。それにもかかわらず、感に堪えぬ趣は少しも胸を刺さずに、四十四年の春は自ずから南向の縁から明け放れた。そうして町井さんの予言の通り形ばかりとは云いながら、小さい一切の餅が元日らしく病人の眸に映じた。余はこの一椀の雑煮に自家頭上を照らすある意義を認めながら、しかも何等の詩味をも感ぜずに、小さな餅の片を平凡にかつ一口に、ぐいと食ってしまった。  二月の末になって、病室前の梅がちらほら咲き出す頃、余は医師の許を得て、再び広い世界の人となった。ふり返って見ると、入院中に、余と運命の一角を同じくしながら、ついに広い世界を見る機会が来ないで亡くなった人は少なくない。ある北国の患者は入院以後病勢がしだいに募るので、附添の息子が心配して、大晦日の夜になって、無理に郷里に連れて帰ったら、汽車がまだ先へ着かないうちに途中で死んでしまった。一間置いて隣りの人は自分で死期を自覚して、諦らめてしまえば死ぬと云う事は何でもないものだと云って、気の毒なほどおとなしい往生を遂げた。向うの外れにいた潰瘍患者の高い咳嗽が日ごとに薄らいで行くので、大方落ちついたのだろうと思って町井さんに尋ねて見ると、衰弱の結果いつの間にか死んでいた。そうかと思うと、癌で見込のない病人の癖に、から景気をつけて、回診の時に医師の顔を見るや否や、すぐ起き直って尻を捲るというのがあった。附添の女房を蹴たり打ったりするので、女房が洗面所へ来て泣いているのを、看護婦が見兼て慰めていましたと町井さんが話した事も覚えている。ある食道狭窄の患者は病院には這入っているようなものの迷いに迷い抜いて、灸点師を連れて来て灸を据えたり、海草を採って来て煎じて飲んだりして、ひたすら不治の癌症を癒そうとしていた。……  余はこれらの人と、一つ屋根の下に寝て、一つ賄の給仕を受けて、同じく一つ春を迎えたのである。退院後一カ月|余の今日になって、過去を一攫にして、眼の前に並べて見ると、アイロニーの一語はますます鮮やかに頭の中に拈出される。そうしていつの間にかこのアイロニーに一種の実感が伴って、両つのものが互に纏綿して来た。鼬の町井さんも、梅の花も、支那水仙も、雑煮も、――あらゆる尋常の景趣はことごとく消えたのに、ただ当時の自分と今の自分との対照だけがはっきりと残るためだろうか。  公園の片隅に通りがかりの人を相手に演説をしている者がある。向うから来た釜形の尖った帽子を被ずいて古ぼけた外套を猫背に着た爺さんがそこへ歩みを佇めて演説者を見る。演説者はぴたりと演説をやめてつかつかとこの村夫子のたたずめる前に出て来る。二人の視線がひたと行き当る。演説者は濁りたる田舎調子にて御前はカーライルじゃないかと問う。いかにもわしはカーライルじゃと村夫子が答える。チェルシーの哲人と人が言囃すのは御前の事かと問う。なるほど世間ではわしの事をチェルシーの哲人と云うようじゃ。セージと云うは鳥の名だに、人間のセージとは珍らしいなと演説者はからからと笑う。村夫子はなるほど猫も杓子も同じ人間じゃのにことさらに哲人などと異名をつけるのは、あれは鳥じゃと渾名すると同じようなものだのう。人間はやはり当り前の人間で善かりそうなものだのに。と答えてこれもからからと笑う。  余は晩餐前に公園を散歩するたびに川縁の椅子に腰を卸して向側を眺める。倫敦に固有なる濃霧はことに岸辺に多い。余が桜の杖に頤を支えて真正面を見ていると、遥かに対岸の往来を這い廻る霧の影は次第に濃くなって五階|立の町続きの下からぜんぜんこの揺曳くものの裏に薄れ去って来る。しまいには遠き未来の世を眼前に引き出したるように窈然たる空の中にとりとめのつかぬ鳶色の影が残る。その時この鳶色の奥にぽたりぽたりと鈍き光りが滴るように見え初める。三層四層五層|共に瓦斯を点じたのである。余は桜の杖をついて下宿の方へ帰る。帰る時必ずカーライルと演説使いの話しを思いだす。かの溟濛たる瓦斯の霧に混ずる所が往時この村夫子の住んでおったチェルシーなのである。  カーライルはおらぬ。演説者も死んだであろう。しかしチェルシーは以前のごとく存在している。否彼の多年住み古した家屋敷さえ今なお儼然と保存せられてある。千七百八年チェイン・ロウが出来てより以来幾多の主人を迎え幾多の主人を送ったかは知らぬがとにかく今日まで昔のままで残っている。カーライルの歿後は有志家の発起で彼の生前使用したる器物調度図書典籍を蒐めてこれを各室に按排し好事のものにはいつでも縦覧せしむる便宜さえ謀られた。  文学者でチェルシーに縁故のあるものを挙げると昔しはトマス・モア、下ってスモレット、なお下ってカーライルと同時代にはリ・ハントなどがもっとも著名である。ハントの家はカーライルの直近傍で、現にカーライルがこの家に引き移った晩尋ねて来たという事がカーライルの記録に書いてある。またハントがカーライルの細君にシェレーの塑像を贈ったという事も知れている。このほかにエリオットのおった家とロセッチの住んだ邸がすぐ傍の川端に向いた通りにある。しかしこれらは皆すでに代がかわって現に人が這入っているから見物は出来ぬ。ただカーライルの旧廬のみは六ペンスを払えば何人でもまた何時でも随意に観覧が出来る。  チェイン・ローは河岸端の往来を南に折れる小路でカーライルの家はその右側の中頃に在る。番地は二十四番地だ。  毎日のように川を隔てて霧の中にチェルシーを眺めた余はある朝ついに橋を渡ってその有名なる庵りを叩いた。  庵りというと物寂びた感じがある。少なくとも瀟洒とか風流とかいう念と伴う。しかしカーライルの庵はそんな脂っこい華奢なものではない。往来から直ちに戸が敲けるほどの道傍に建てられた四階|造の真四角な家である。  出張った所も引き込んだ所もないのべつに真直に立っている。まるで大製造場の煙突の根本を切ってきてこれに天井を張って窓をつけたように見える。  これが彼が北の田舎から始めて倫敦へ出て来て探しに探し抜いて漸々の事で探し宛てた家である。彼は西を探し南を探しハンプステッドの北まで探してついに恰好の家を探し出す事が出来ず、最後にチェイン・ローへ来てこの家を見てもまだすぐに取きめるほどの勇気はなかったのである。四千万の愚物と天下を罵った彼も住家には閉口したと見えて、その愚物の中に当然勘定せらるべき妻君へ向けて委細を報知してその意向を確めた。細君の答に「御申越の借家は二軒共不都合もなき様|被存候えば私倫敦へ上り候迄双方共御明け置願度若し又それ迄に取極め候必要相生じ候節は御一存にて如何とも御取計らい被下度候とあった。カーライルは書物の上でこそ自分|独りわかったような事をいうが、家をきめるには細君の助けに依らなくては駄目と覚悟をしたものと見えて、夫人の上京するまで手を束ねて待っていた。四五日すると夫人が来る。そこで今度は二人してまた東西南北を馳け廻った揚句の果やはりチェイン・ローが善いという事になった。両人がここに引き越したのは千八百三十四年の六月十日で、引越の途中に下女の持っていたカナリヤが籠の中で囀ったという事まで知れている。夫人がこの家を撰んだのは大に気に入ったものかほかに相当なのがなくてやむをえなんだのか、いずれにもせよこの煙突のごとく四角な家は年に三百五十円の家賃をもってこの新世帯の夫婦を迎えたのである。カーライルはこのクロムウェルのごときフレデリック大王のごときまた製造場の煙突のごとき家の中でクロムウェルを著わしフレデリック大王を著わしディスレリーの周旋にかかる年給を擯けて四角四面に暮したのである。  余は今この四角な家の石階の上に立って鬼の面のノッカーをコツコツと敲く。しばらくすると内から五十|恰好の肥った婆さんが出て来て御這入りと云う。最初から見物人と思っているらしい。婆さんはやがて名簿のようなものを出して御名前をと云う。余は倫敦滞留中四たびこの家に入り四たびこの名簿に余が名を記録した覚えがある。この時は実に余の名の記入初であった。なるべく丁寧に書くつもりであったが例に因ってはなはだ見苦しい字が出来上った。前の方を繰りひろげて見ると日本人の姓名は一人もない。して見ると日本人でここへ来たのは余が始めてだなと下らぬ事が嬉しく感ぜられる。婆さんがこちらへと云うから左手の戸をあけて町に向いた部屋に這入る。これは昔し客間であったそうだ。色々なものが並べてある。壁に画やら写真やらがある。大概はカーライル夫婦の肖像のようだ。後ろの部屋にカーライルの意匠に成ったという書棚がある。それに書物が沢山詰まっている。むずかしい本がある。下らぬ本がある。古びた本がある。読めそうもない本がある。そのほかにカーライルの八十の誕生日の記念のために鋳たという銀牌と銅牌がある。金牌は一つもなかったようだ。すべての牌と名のつくものがむやみにかちかちしていつまでも平気に残っているのを、もろうた者の煙のごとき寿命と対照して考えると妙な感じがする。それから二階へ上る。ここにまた大きな本棚があって本が例のごとくいっぱい詰まっている。やはり読めそうもない本、聞いた事のなさそうな本、入りそうもない本が多い。勘定をしたら百三十五部あった。この部屋も一時は客間になっておったそうだ。ビスマークがカーライルに送った手紙と普露西の勲章がある。フレデリック大王伝の御蔭と見える。細君の用いた寝台がある。すこぶる不器用な飾り気のないものである。  案内者はいずれの国でも同じものと見える。先っきから婆さんは室内の絵画器具について一々説明を与える。五十年間案内者を専門に修業したものでもあるまいが非常に熟練したものである。何年何月何日にどうしたこうしたとあたかも口から出任せに喋舌っているようである。しかもその流暢な弁舌に抑揚があり節奏がある。調子が面白いからその方ばかり聴いていると何を言っているのか分らなくなる。始めのうちは聞き返したり問い返したりして見たがしまいには面倒になったから御前は御前で勝手に口上を述べなさい、わしはわしで自由に見物するからという態度をとった。婆さんは人が聞こうが聞くまいが口上だけは必ず述べますという風で別段|厭きた景色もなく怠る様子もなく何年何月何日をやっている。  余は東側の窓から首を出してちょっと近所を見渡した。眼の下に十坪ほどの庭がある。右も左もまた向うも石の高塀で仕切られてその形はやはり四角である。四角はどこまでもこの家の附属物かと思う。カーライルの顔は決して四角ではなかった。彼はむしろ懸崖の中途が陥落して草原の上に伏しかかったような容貌であった。細君は上出来の辣韮のように見受けらるる。今余の案内をしている婆さんはあんぱんのごとく丸るい。余が婆さんの顔を見てなるほど丸いなと思うとき婆さんはまた何年何月何日を誦し出した。余は再び窓から首を出した。  カーライル云う。裏の窓より見渡せば見ゆるものは茂る葉の木株、碧りなる野原、及びその間に点綴する勾配の急なる赤き屋根のみ。西風の吹くこの頃の眺めはいと晴れやかに心地よし。  余は茂る葉を見ようと思い、青き野を眺めようと思うて実は裏の窓から首を出したのである。首はすでに二|返ばかり出したが青いものも何にも見えぬ。右に家が見える。左りに家が見える。向にも家が見える。その上には鉛色の空が一面に胃病やみのように不精無精に垂れかかっているのみである。余は首を縮めて窓より中へ引き込めた。案内者はまだ何年何月何日の続きを朗らかに読誦している。  カーライルまた云う倫敦の方を見れば眼に入るものはウェストミンスター・アベーとセント・ポールズの高塔の頂きのみ。その他|幻のごとき殿宇は煤を含む雲の影の去るに任せて隠見す。 「倫敦の方」とはすでに時代後れの話である。今日チェルシーに来て倫敦の方を見るのは家の中に坐って家の方を見ると同じ理窟で、自分の眼で自分の見当を眺めると云うのと大した差違はない。しかしカーライルは自ら倫敦に住んでいるとは思わなかったのである。彼は田舎に閑居して都の中央にある大伽藍を遥かに眺めたつもりであった。余は三度び首を出した。そして彼のいわゆる「倫敦の方」へと視線を延ばした。しかしウェストミンスターも見えぬ、セント・ポールズも見えぬ。数万の家、数十万の人、数百万の物音は余と堂宇との間に立ちつつある、漾いつつある、動きつつある。千八百三十四年のチェルシーと今日のチェルシーとはまるで別物である。余はまた首を引き込めた。婆さんは黙然として余の背後に佇立している。  三階に上る。部屋の隅を見ると冷やかにカーライルの寝台が横わっている。青き戸帳が物静かに垂れて空しき臥床の裡は寂然として薄暗い。木は何の木か知らぬが細工はただ無器用で素朴であるというほかに何らの特色もない。その上に身を横えた人の身の上も思い合わさるる。傍らには彼が平生使用した風呂桶が九鼎のごとく尊げに置かれてある。  風呂桶とはいうもののバケツの大きいものに過ぎぬ。彼がこの大鍋の中で倫敦の煤を洗い落したかと思うとますますその人となりが偲ばるる。ふと首を上げると壁の上に彼が往生した時に取ったという漆喰製の面型がある。この顔だなと思う。この炬燵櫓ぐらいの高さの風呂に入ってこの質素な寝台の上に寝て四十年間やかましい小言を吐き続けに吐いた顔はこれだなと思う。婆さんの淀みなき口上が電話口で横浜の人の挨拶を聞くように聞える。  宜しければ上りましょうと婆さんがいう。余はすでに倫敦の塵と音を遥かの下界に残して五重の塔の天辺に独坐するような気分がしているのに耳の元で「上りましょう」という催促を受けたから、まだ上があるのかなと不思議に思った。さあ上ろうと同意する。上れば上るほど怪しい心持が起りそうであるから。  四階へ来た時は縹渺として何事とも知らず嬉しかった。嬉しいというよりはどことなく妙であった。ここは屋根裏である。天井を見ると左右は低く中央が高く馬の鬣のごとき形ちをしてその一番高い背筋を通して硝子張りの明り取りが着いている。このアチックに洩れて来る光線は皆頭の上から真直に這入る。そうしてその頭の上は硝子一枚を隔てて全世界に通ずる大空である。眼に遮るものは微塵もない。カーライルは自分の経営でこの室を作った。作ってこれを書斎とした。書斎としてここに立籠った。立籠って見て始めてわが計画の非なる事を悟った。夏は暑くておりにくく、冬は寒くておりにくい。案内者は朗読的にここまで述べて余を顧りみた。真丸な顔の底に笑の影が見える。余は無言のままうなずく。  カーライルは何のためにこの天に近き一室の経営に苦心したか。彼は彼の文章の示すごとく電光的の人であった。彼の癇癖は彼の身辺を囲繞して無遠慮に起る音響を無心に聞き流して著作に耽るの余裕を与えなかったと見える。洋琴の声、犬の声、鶏の声、鸚鵡の声、いっさいの声はことごとく彼の鋭敏なる神経を刺激して懊悩やむ能わざらしめたる極ついに彼をして天に最も近く人にもっとも遠ざかれる住居をこの四階の天井裏に求めしめたのである。  彼のエイトキン夫人に与えたる書翰にいう「此|夏中は開け放ちたる窓より聞ゆる物音に悩まされ候事一方ならず色々修繕も試み候えども寸毫も利目無之夫より篤と熟考の末家の真上に二十尺四方の部屋を建築致す事に取極め申|候是は壁を二重に致し光線は天井より取り風通しは一種の工夫をもって差支なき様致す仕掛に候えば出来上り候上は仮令天下の鶏共一時に鬨の声を揚げ候とも閉口|仕らざる積に御座|候」  かくのごとく予期せられたる書斎は二千円の費用にてまずまず思い通りに落成を告げて予期通りの功果を奏したがこれと同時に思い掛けなき障害がまたも主人公の耳辺に起った。なるほど洋琴の音もやみ、犬の声もやみ、鶏の声、鸚鵡の声も案のごとく聞えなくなったが下層にいるときは考だに及ばなかった寺の鐘、汽車の笛さては何とも知れず遠きより来る下界の声が呪のごとく彼を追いかけて旧のごとくに彼の神経を苦しめた。  声。英国においてカーライルを苦しめたる声は独逸においてショペンハウアを苦しめたる声である。ショペンハウア云う。「カントは活力論を著せり、余は反って活力を弔う文を草せんとす。物を打つ音、物を敲く音、物の転がる音は皆活力の濫用にして余はこれがために日々苦痛を受くればなり。音響を聞きて何らの感をも起さざる多数の人|我説をきかば笑うべし。されど世に理窟をも感ぜず思想をも感ぜず詩歌をも感ぜず美術をも感ぜざるものあらば、そは正にこの輩なる事を忘るるなかれ。彼らの頭脳の組織は麁※にして覚り鈍き事その源因たるは疑うべからず」カーライルとショペンハウアとは実は十九世紀の好一対である。余がかくのごとく回想しつつあった時に例の婆さんがどうです下りましょうかと促がす。  一層を下るごとに下界に近づくような心持ちがする。冥想の皮が剥げるごとく感ぜらるる。階段を降り切って最下の欄干に倚って通りを眺めた時にはついに依然たる一個の俗人となり了ってしまった。案内者は平気な顔をして厨を御覧なさいという。厨は往来よりも下にある。今余が立ちつつある所よりまた五六段の階を下らねばならぬ。これは今案内をしている婆さんの住居になっている。隅に大きな竈がある。婆さんは例の朗読調をもって「千八百四十四年十月十二日有名なる詩人テニソンが初めてカーライルを訪問した時彼ら両人はこの竈の前に対坐して互に煙草を燻らすのみにて二時間の間|一言も交えなかったのであります」という。天上に在って音響を厭いたる彼は地下に入っても沈黙を愛したるものか。  最後に勝手口から庭に案内される。例の四角な平地を見廻して見ると木らしい木、草らしい草は少しも見えぬ。婆さんの話しによると昔は桜もあった、葡萄もあった。胡桃もあったそうだ。カーライルの細君はある年二十五銭ばかりの胡桃を得たそうだ。婆さん云う「庭の東南の隅を去る五尺余の地下にはカーライルの愛犬ニロが葬むられております。ニロは千八百六十年二月一日に死にました。墓標も当時は存しておりましたが惜しいかなその後取払われました」と中々|精しい。  カーライルが麦藁帽を阿弥陀に被って寝巻姿のまま啣え煙管で逍遥したのはこの庭園である。夏の最中には蔭深き敷石の上にささやかなる天幕を張りその下に机をさえ出して余念もなく述作に従事したのはこの庭園である。星|明かなる夜最後の一ぷくをのみ終りたる後、彼が空を仰いで「嗚呼余が最後に汝を見るの時は瞬刻の後ならん。全能の神が造れる無辺大の劇場、眼に入る無限、手に触るる無限、これもまた我が眉目を掠めて去らん。しかして余はついにそを見るを得ざらん。わが力を致せるや虚ならず、知らんと欲するや切なり。しかもわが知識はただかくのごとく微なり」と叫んだのもこの庭園である。  余は婆さんの労に酬ゆるために婆さんの掌の上に一片の銀貨を載せた。ありがとうと云う声さえも朗読的であった。一時間の後|倫敦の塵と煤と車馬の音とテームス河とはカーライルの家を別世界のごとく遠き方へと隔てた。  世に伝うるマロリーの『アーサー物語』は簡浄|素樸という点において珍重すべき書物ではあるが古代のものだから一部の小説として見ると散漫の譏は免がれぬ。まして材をその一局部に取って纏ったものを書こうとすると到底万事原著による訳には行かぬ。従ってこの篇の如きも作者の随意に事実を前後したり、場合を創造したり、性格を書き直したりしてかなり小説に近いものに改めてしもうた。主意はこんな事が面白いから書いて見ようというので、マロリーが面白いからマロリーを紹介しようというのではない。そのつもりで読まれん事を希望する。  実をいうとマロリーの写したランスロットは或る点において車夫の如く、ギニヴィアは車夫の情婦のような感じがある。この一点だけでも書き直す必要は充分あると思う。テニソンの『アイジルス』は優麗都雅の点において古今の雄篇たるのみならず性格の描写においても十九世紀の人間を古代の舞台に躍らせるようなかきぶりであるから、かかる短篇を草するには大に参考すべき長詩であるはいうまでもない。元来なら記憶を新たにするため一応読み返すはずであるが、読むと冥々のうちに真似がしたくなるからやめた。      一 夢  百、二百、簇がる騎士は数をつくして北の方なる試合へと急げば、石に古りたるカメロットの館には、ただ王妃ギニヴィアの長く牽く衣の裾の響のみ残る。  薄紅の一枚をむざとばかりに肩より投げ懸けて、白き二の腕さえ明らさまなるに、裳のみは軽く捌く珠の履をつつみて、なお余りあるを後ろざまに石階の二級に垂れて登る。登り詰めたる階の正面には大いなる花を鈍色の奥に織り込める戸帳が、人なきをかこち顔なる様にてそよとも動かぬ。ギニヴィアは幕の前に耳押し付けて一重向うに何事をか聴く。聴きおわりたる横顔をまた真向に反えして石段の下を鋭どき眼にて窺う。濃やかに斑を流したる大理石の上は、ここかしこに白き薔薇が暗きを洩れて和かき香りを放つ。君見よと宵に贈れる花輪のいつ摧けたる名残か。しばらくはわが足に纏わる絹の音にさえ心置ける人の、何の思案か、屹と立ち直りて、繊き手の動くと見れば、深き幕の波を描いて、眩ゆき光り矢の如く向い側なる室の中よりギニヴィアの頭に戴ける冠を照らす。輝けるは眉間に中る金剛石ぞ。 「ランスロット」と幕押し分けたるままにていう。天を憚かり、地を憚かる中に、身も世も入らぬまで力の籠りたる声である。恋に敵なければ、わが戴ける冠を畏れず。 「ギニヴィア!」と応えたるは室の中なる人の声とも思われぬほど優しい。広き額を半ば埋めてまた捲き返る髪の、黒きを誇るばかり乱れたるに、頬の色は釣り合わず蒼白い。  女は幕をひく手をつと放して内に入る。裂目を洩れて斜めに大理石の階段を横切りたる日の光は、一度に消えて、薄暗がりの中に戸帳の模様のみ際立ちて見える。左右に開く廻廊には円柱の影の重なりて落ちかかれども、影なれば音もせず。生きたるは室の中なる二人のみと思わる。 「北の方なる試合にも参り合せず。乱れたるは額にかかる髪のみならじ」と女は心ありげに問う。晴れかかりたる眉に晴れがたき雲の蟠まりて、弱き笑の強いて憂の裏より洩れ来る。 「贈りまつれる薔薇の香に酔いて」とのみにて男は高き窓より表の方を見やる。折からの五月である。館を繞りて緩く逝く江に千本の柳が明かに影を※して、空に崩るる雲の峰さえ水の底に流れ込む。動くとも見えぬ白帆に、人あらば節面白き舟歌も興がろう。河を隔てて木の間隠れに白く※く筋の、一縷の糸となって烟に入るは、立ち上る朝日影に蹄の塵を揚げて、けさアーサーが円卓の騎士と共に北の方へと飛ばせたる本道である。 「うれしきものに罪を思えば、罪長かれと祈る憂き身ぞ。君一人館に残る今日を忍びて、今日のみの縁とならばうからまし」と女は安らかぬ心のほどを口元に見せて、珊瑚の唇をぴりぴりと動かす。 「今日のみの縁とは? 墓に堰かるるあの世までも渝らじ」と男は黒き瞳を返して女の顔を眤と見る。 「さればこそ」と女は右の手を高く挙げて広げたる掌を竪にランスロットに向ける。手頸を纏う黄金の腕輪がきらりと輝くときランスロットの瞳はわれ知らず動いた。「さればこそ!」と女は繰り返す。「薔薇の香に酔える病を、病と許せるは我ら二人のみ。このカメロットに集まる騎士は、五本の指を五十度繰り返えすとも数えがたきに、一人として北に行かぬランスロットの病を疑わぬはなし。束の間に危うきを貪りて、長き逢う瀬の淵と変らば……」といいながら挙げたる手をはたと落す。かの腕輪は再びきらめいて、玉と玉と撃てる音か、戛然と瞬時の響きを起す。 「命は長き賜物ぞ、恋は命よりも長き賜物ぞ。心安かれ」と男はさすがに大胆である。  女は両手を延ばして、戴ける冠を左右より抑えて「この冠よ、この冠よ。わが額の焼ける事は」という。願う事の叶わばこの黄金、この珠玉の飾りを脱いで窓より下に投げ付けて見ばやといえる様である。白き腕のすらりと絹をすべりて、抑えたる冠の光りの下には、渦を巻く髪の毛の、珠の輪には抑えがたくて、頬のあたりに靡きつつ洩れかかる。肩にあつまる薄紅の衣の袖は、胸を過ぎてより豊かなる襞を描がいて、裾は強けれども剛からざる線を三筋ほど床の上まで引く。ランスロットはただ窈窕として眺めている。前後を截断して、過去未来を失念したる間にただギニヴィアの形のみがありありと見える。  機微の邃きを照らす鏡は、女の有てる凡てのうちにて、尤も明かなるものという。苦しきに堪えかねて、われとわが頭を抑えたるギニヴィアを打ち守る人の心は、飛ぶ鳥の影の疾きが如くに女の胸にひらめき渡る。苦しみは払い落す蜘蛛の巣と消えて剰すは嬉しき人の情ばかりである。「かくてあらば」と女は危うき間に際どく擦り込む石火の楽みを、長えに続づけかしと念じて両頬に笑を滴らす。 「かくてあらん」と男は始めより思い極めた態である。 「されど」と少時して女はまた口を開く。「かくてあらんため――北の方なる試合に行き給え。けさ立てる人々の蹄の痕を追い懸けて病|癒えぬと申し給え。この頃の蔭口、二人をつつむ疑の雲を晴し給え」 「さほどに人が怖くて恋がなろか」と男は乱るる髪を広き額に払って、わざとながらからからと笑う。高き室の静かなる中に、常ならず快からぬ響が伝わる。笑えるははたとやめて「この帳の風なきに動くそうな」と室の入口まで歩を移してことさらに厚き幕を揺り動かして見る。あやしき響は収まって寂寞の故に帰る。 「宵見し夢の――夢の中なる響の名残か」と女の顔には忽ち紅落ちて、冠の星はきらきらと震う。男も何事か心|躁ぐ様にて、ゆうべ見しという夢を、女に物語らする。 「薔薇咲く日なり。白き薔薇と、赤き薔薇と、黄なる薔薇の間に臥したるは君とわれのみ。楽しき日は落ちて、楽しき夕幕の薄明りの、尽くる限りはあらじと思う。その時に戴けるはこの冠なり」と指を挙げて眉間をさす。冠の底を二重にめぐる一|疋の蛇は黄金の鱗を細かに身に刻んで、擡げたる頭には青玉の眼を嵌めてある。 「わが冠の肉に喰い入るばかり焼けて、頭の上に衣擦る如き音を聞くとき、この黄金の蛇はわが髪を繞りて動き出す。頭は君の方へ、尾はわが胸のあたりに。波の如くに延びるよと見る間に、君とわれは腥さき縄にて、断つべくもあらぬまでに纏わるる。中四尺を隔てて近寄るに力なく、離るるに術なし。たとい忌わしき絆なりとも、この縄の切れて二人離れ離れにおらんよりはとは、その時苦しきわが胸の奥なる心遣りなりき。囓まるるとも螫さるるとも、口縄の朽ち果つるまでかくてあらんと思い定めたるに、あら悲し。薔薇の花の紅なるが、めらめらと燃え出して、繋げる蛇を焼かんとす。しばらくして君とわれの間にあまれる一尋余りは、真中より青き烟を吐いて金の鱗の色変り行くと思えば、あやしき臭いを立ててふすと切れたり。身も魂もこれ限り消えて失せよと念ずる耳元に、何者かからからと笑う声して夢は醒めたり。醒めたるあとにもなお耳を襲う声はありて、今聞ける君が笑も、宵の名残かと骨を撼がす」と落ち付かぬ眼を長き睫の裏に隠してランスロットの気色を窺う。七十五度の闘技に、馬の脊を滑るは無論、鐙さえはずせる事なき勇士も、この夢を奇しとのみは思わず。快からぬ眉根は自ら逼りて、結べる口の奥には歯さえ喰い締ばるならん。 「さらば行こう。後れ馳せに北の方へ行こう」と拱いたる手を振りほどいて、六尺二寸の躯をゆらりと起す。 「行くか?」とはギニヴィアの半ば疑える言葉である。疑える中には、今更ながら別れの惜まるる心地さえほのめいている。 「行く」といい放って、つかつかと戸口にかかる幕を半ば掲げたが、やがてするりと踵を回らして、女の前に、白き手を執りて、発熱かと怪しまるるほどのあつき唇を、冷やかに柔らかき甲の上につけた。暁の露しげき百合の花弁をひたふるに吸える心地である。ランスロットは後をも見ずして石階を馳け降りる。  やがて三たび馬の嘶く音がして中庭の石の上に堅き蹄が鳴るとき、ギニヴィアは高殿を下りて、騎士の出づべき門の真上なる窓に倚りて、かの人の出るを遅しと待つ。黒き馬の鼻面が下に見ゆるとき、身を半ば投げだして、行く人のために白き絹の尺ばかりなるを振る。頭に戴ける金冠の、美しき髪を滑りてか、からりと馬の鼻を掠めて砕くるばかりに石の上に落つる。  槍の穂先に冠をかけて、窓近く差し出したる時、ランスロットとギニヴィアの視線がはたと行き合う。「忌まわしき冠よ」と女は受けとりながらいう。「さらば」と男は馬の太腹をける。白き兜と挿毛のさと靡くあとに、残るは漠々たる塵のみ。      二 鏡  ありのままなる浮世を見ず、鏡に写る浮世のみを見るシャロットの女は高き台の中に只一人住む。活ける世を鏡の裡にのみ知る者に、面を合わす友のあるべき由なし。  春恋し、春恋しと囀ずる鳥の数々に、耳|側てて木の葉隠れの翼の色を見んと思えば、窓に向わずして壁に切り込む鏡に向う。鮮やかに写る羽の色に日の色さえもそのままである。  シャロットの野に麦刈る男、麦打つ女の歌にやあらん、谷を渡り水を渡りて、幽かなる音の高き台に他界の声の如く糸と細りて響く時、シャロットの女は傾けたる耳を掩うてまた鏡に向う。河のあなたに烟る柳の、果ては空とも野とも覚束なき間より洩れ出づる悲しき調と思えばなるべし。  シャロットの路行く人もまた悉くシャロットの女の鏡に写る。あるときは赤き帽の首打ち振りて馬追うさまも見ゆる。あるときは白き髯の寛き衣を纏いて、長き杖の先に小さき瓢を括しつけながら行く巡礼姿も見える。又あるときは頭よりただ一枚と思わるる真白の上衣被りて、眼口も手足も確と分ちかねたるが、けたたましげに鉦打ち鳴らして過ぎるも見ゆる。これは癩をやむ人の前世の業を自ら世に告ぐる、むごき仕打ちなりとシャロットの女は知るすべもあらぬ。  旅商人の脊に負える包の中には赤きリボンのあるか、白き下着のあるか、珊瑚、瑪瑙、水晶、真珠のあるか、包める中を照らさねば、中にあるものは鏡には写らず。写らねばシャロットの女の眸には映ぜぬ。  古き幾世を照らして、今の世にシャロットにありとある物を照らす。悉く照らして択ぶ所なければシャロットの女の眼に映るものもまた限りなく多い。ただ影なれば写りては消え、消えては写る。鏡のうちに永く停まる事は天に懸る日といえども難い。活ける世の影なればかく果敢なきか、あるいは活ける世が影なるかとシャロットの女は折々疑う事がある。明らさまに見ぬ世なれば影ともまこととも断じがたい。影なれば果敢なき姿を鏡にのみ見て不足はなかろう。影ならずば?――時にはむらむらと起る一念に窓際に馳けよりて思うさま鏡の外なる世を見んと思い立つ事もある。シャロットの女の窓より眼を放つときはシャロットの女に呪いのかかる時である。シャロットの女は鏡の限る天地のうちに跼蹐せねばならぬ。一重隔て、二重隔てて、広き世界を四角に切るとも、自滅の期を寸時も早めてはならぬ。  去れどありのままなる世は罪に濁ると聞く。住み倦めば山に遯るる心安さもあるべし。鏡の裏なる狭き宇宙の小さければとて、憂き事の降りかかる十字の街に立ちて、行き交う人に気を配る辛らさはあらず。何者か因果の波を一たび起してより、万頃の乱れは永劫を極めて尽きざるを、渦|捲く中に頭をも、手をも、足をも攫われて、行くわれの果は知らず。かかる人を賢しといわば、高き台に一人を住み古りて、しろかねの白き光りの、表とも裏とも分ちがたきあたりに、幻の世を尺に縮めて、あらん命を土さえ踏まで過すは阿呆の極みであろう。わが見るは動く世ならず、動く世を動かぬ物の助にて、よそながら窺う世なり。活殺生死の乾坤を定裏に拈出して、五彩の色相を静中に描く世なり。かく観ずればこの女の運命もあながちに嘆くべきにあらぬを、シャロットの女は何に心を躁がして窓の外なる下界を見んとする。  鏡の長さは五尺に足らぬ。黒鉄の黒きを磨いて本来の白きに帰すマーリンの術になるとか。魔法に名を得し彼のいう。――鏡の表に霧こめて、秋の日の上れども晴れぬ心地なるは不吉の兆なり。曇る鑑の霧を含みて、芙蓉に滴たる音を聴くとき、対える人の身の上に危うき事あり。※然と故なきに響を起して、白き筋の横縦に鏡に浮くとき、その人|末期の覚悟せよ。――シャロットの女が幾年月の久しき間この鏡に向えるかは知らぬ。朝に向い夕に向い、日に向い月に向いて、厭くちょう事のあるをさえ忘れたるシャロットの女の眼には、霧立つ事も、露置く事もあらざれば、まして裂けんとする虞ありとは夢にだも知らず。湛然として音なき秋の水に臨むが如く、瑩朗たる面を過ぐる森羅の影の、繽紛として去るあとは、太古の色なき境をまのあたりに現わす。無限上に徹する大空を鋳固めて、打てば音ある五尺の裏に圧し集めたるを――シャロットの女は夜ごと日ごとに見る。  夜ごと日ごとに鏡に向える女は、夜ごと日ごとに鏡の傍に坐りて、夜ごと日ごとの※を織る。ある時は明るき※を織り、ある時は暗き※を織る。  シャロットの女の投ぐる梭の音を聴く者は、淋しき皐の上に立つ、高き台の窓を恐る恐る見上げぬ事はない。親も逝き子も逝きて、新しき代にただ一人取り残されて、命長きわれを恨み顔なる年寄の如く見ゆるが、岡の上なるシャロットの女の住居である。蔦鎖す古き窓より洩るる梭の音の、絶間なき振子の如く、日を刻むに急なる様なれど、その音はあの世の音なり。静なるシャロットには、空気さえ重たげにて、常ならば動くべしとも思われぬを、ただこの梭の音のみにそそのかされて、幽かにも震うか。淋しさは音なき時の淋しさにも勝る。恐る恐る高き台を見上げたる行人は耳を掩うて走る。  シャロットの女の織るは不断の※である。草むらの萌草の厚く茂れる底に、釣鐘の花の沈める様を織るときは、花の影のいつ浮くべしとも見えぬほどの濃き色である。うな原のうねりの中に、雪と散る浪の花を浮かすときは、底知れぬ深さを一枚の薄きに畳む。あるときは黒き地に、燃ゆる焔の色にて十字架を描く。濁世にはびこる罪障の風は、すきまなく天下を吹いて、十字を織れる経緯の目にも入ると覚しく、焔のみは※を離れて飛ばんとす。――薄暗き女の部屋は焚け落つるかと怪しまれて明るい。  恋の糸と誠の糸を横縦に梭くぐらせば、手を肩に組み合せて天を仰げるマリヤの姿となる。狂いを経に怒りを緯に、霰ふる木枯の夜を織り明せば、荒野の中に白き髯飛ぶリアの面影が出る。恥ずかしき紅と恨めしき鉄色をより合せては、逢うて絶えたる人の心を読むべく、温和しき黄と思い上がれる紫を交る交るに畳めば、魔に誘われし乙女の、我は顔に高ぶれる態を写す。長き袂に雲の如くにまつわるは人に言えぬ願の糸の乱れなるべし。  シャロットの女は眼深く額広く、唇さえも女には似で薄からず。夏の日の上りてより、刻を盛る砂時計の九たび落ち尽したれば、今ははや午過ぎなるべし。窓を射る日の眩ゆきまで明かなるに、室のうちは夏知らぬ洞窟の如くに暗い。輝けるは五尺に余る鉄の鏡と、肩に漂う長き髪のみ。右手より投げたる梭を左手に受けて、女はふと鏡の裡を見る。研ぎ澄したる剣よりも寒き光の、例ながらうぶ毛の末をも照すよと思ううちに――底事ぞ!音なくて颯と曇るは霧か、鏡の面は巨人の息をまともに浴びたる如く光を失う。今まで見えたシャロットの岸に連なる柳も隠れる。柳の中を流るるシャロットの河も消える。河に沿うて往きつ来りつする人影は無論ささぬ。――梭の音ははたとやんで、女の瞼は黒き睫と共に微かに顫えた。「凶事か」と叫んで鏡の前に寄るとき、曇は一刷に晴れて、河も柳も人影も元の如くに見われる。梭は再び動き出す。  女はやがて世にあるまじき悲しき声にて歌う。   うつせみの世を、   うつつに住めば、   住みうからまし、   むかしも今も。」   うつくしき恋、   うつす鏡に、   色やうつろう、   朝な夕なに。」  鏡の中なる遠柳の枝が風に靡いて動く間に、忽ち銀の光がさして、熱き埃りを薄く揚げ出す。銀の光りは南より北に向って真一文字にシャロットに近付いてくる。女は小羊を覘う鷲の如くに、影とは知りながら瞬きもせず鏡の裏を見詰る。十|丁にして尽きた柳の木立を風の如くに駈け抜けたものを見ると、鍛え上げた鋼の鎧に満身の日光を浴びて、同じ兜の鉢金よりは尺に余る白き毛を、飛び散れとのみ※々と靡かしている。栗毛の駒の逞しきを、頭も胸も革に裹みて飾れる鋲の数は篩い落せし秋の夜の星宿を一度に集めたるが如き心地である。女は息を凝らして眼を据える。  曲がれる堤に沿うて、馬の首を少し左へ向け直すと、今までは横にのみ見えた姿が、真正面に鏡にむかって進んでくる。太き槍をレストに収めて、左の肩に盾を懸けたり。女は領を延ばして盾に描ける模様を確と見分けようとする体であったが、かの騎士は何の会釈もなくこの鉄鏡を突き破って通り抜ける勢で、いよいよ目の前に近づいた時、女は思わず梭を抛げて、鏡に向って高くランスロットと叫んだ。ランスロットは兜の廂の下より耀く眼を放って、シャロットの高き台を見上げる。爛々たる騎士の眼と、針を束ねたる如き女の鋭どき眼とは鏡の裡にてはたと出合った。この時シャロットの女は再び「サー・ランスロット」と叫んで、忽ち窓の傍に馳け寄って蒼き顔を半ば世の中に突き出す。人と馬とは、高き台の下を、遠きに去る地震の如くに馳け抜ける。  ぴちりと音がして皓々たる鏡は忽ち真二つに割れる。割れたる面は再びぴちぴちと氷を砕くが如く粉微塵になって室の中に飛ぶ。七巻八巻織りかけたる布帛はふつふつと切れて風なきに鉄片と共に舞い上る。紅の糸、緑の糸、黄の糸、紫の糸はほつれ、千切れ、解け、もつれて土蜘蛛の張る網の如くにシャロットの女の顔に、手に、袖に、長き髪毛にまつわる。「シャロットの女を殺すものはランスロット。ランスロットを殺すものはシャロットの女。わが末期の呪を負うて北の方へ走れ」と女は両手を高く天に挙げて、朽ちたる木の野分を受けたる如く、五色の糸と氷を欺く砕片の乱るる中に※と仆れる。      三 袖  可憐なるエレーンは人知らぬ菫の如くアストラットの古城を照らして、ひそかに墜ちし春の夜の星の、紫深き露に染まりて月日を経たり。訪う人は固よりあらず。共に住むは二人の兄と眉さえ白き父親のみ。 「騎士はいずれに去る人ぞ」と老人は穏かなる声にて訪う。 「北の方なる仕合に参らんと、これまでは鞭って追懸けたれ。夏の日の永きにも似ず、いつしか暮れて、暗がりに路さえ岐れたるを。――乗り捨てし馬も恩に嘶かん。一夜の宿の情け深きに酬いまつるものなきを恥ず」と答えたるは、具足を脱いで、黄なる袍に姿を改めたる騎士なり。シャロットを馳せる時何事とは知らず、岩の凹みの秋の水を浴びたる心地して、かりの宿りを求め得たる今に至るまで、頬の蒼きが特更の如くに目に立つ。  エレーンは父の後ろに小さき身を隠して、このアストラットに、如何なる風の誘いてか、かく凛々しき壮夫を吹き寄せたると、折々は鶴と瘠せたる老人の肩をすかして、恥かしの睫の下よりランスロットを見る。菜の花、豆の花ならば戯るる術もあろう。偃蹇として澗底に嘯く松が枝には舞い寄る路のとてもなければ、白き胡蝶は薄き翼を収めて身動きもせぬ。 「無心ながら宿貸す人に申す」とややありてランスロットがいう。「明日と定まる仕合の催しに、後れて乗り込む我の、何の誰よと人に知らるるは興なし。新しきを嫌わず、古きを辞せず、人の見知らぬ盾あらば貸し玉え」  老人ははたと手を拍つ。「望める盾を貸し申そう。――長男チアーは去ぬる騎士の闘技に足を痛めて今なお蓐を離れず。その時彼が持ちたるは白地に赤く十字架を染めたる盾なり。ただの一度の仕合に傷きて、その創口はまだ癒えざれば、赤き血架は空しく壁に古りたり。これを翳して思う如く人々を驚かし給え」  ランスロットは腕を扼して「それこそは」という。老人はなお言葉を継ぐ。 「次男ラヴェンは健気に見ゆる若者にてあるを、アーサー王の催にかかる晴の仕合に参り合わせずば、騎士の身の口惜しかるべし。ただ君が栗毛の蹄のあとに倶し連れよ。翌日を急げと彼に申し聞かせんほどに」  ランスロットは何の思案もなく「心得たり」と心安げにいう。老人の頬に畳める皺のうちには、嬉しき波がしばらく動く。女ならずばわれも行かんと思えるはエレーンである。  木に倚るは蔦、まつわりて幾世を離れず、宵に逢いて朝に分るる君と我の、われにはまつわるべき月日もあらず。繊き身の寄り添わば、幹吹く嵐に、根なしかずらと倒れもやせん。寄り添わずば、人知らずひそかに括る恋の糸、振り切って君は去るべし。愛溶けて瞼に余る、露の底なる光りを見ずや。わが住める館こそ古るけれ、春を知る事は生れて十八度に過ぎず。物の憐れの胸に漲るは、鎖せる雲の自ら晴れて、麗かなる日影の大地を渡るに異ならず。野をうずめ谷を埋めて千里の外に暖かき光りをひく。明かなる君が眉目にはたと行き逢える今の思は、坑を出でて天下の春風に吹かれたるが如きを――言葉さえ交わさず、あすの別れとはつれなし。  燭尽きて更を惜めども、更尽きて客は寝ねたり。寝ねたるあとにエレーンは、合わぬ瞼の間より男の姿の無理に瞳の奥に押し入らんとするを、幾たびか払い落さんと力めたれど詮なし。強いて合わぬ目を合せて、この影を追わんとすれば、いつの間にかその人の姿は既に瞼の裏に潜む。苦しき夢に襲われて、世を恐ろしと思いし夜もある。魂消える物の怪の話におののきて、眠らぬ耳に鶏の声をうれしと起き出でた事もある。去れど恐ろしきも苦しきも、皆われ安かれと願う心の反響に過ぎず。われという可愛き者の前に夢の魔を置き、物の怪の祟りを据えての恐と苦しみである。今宵の悩みはそれらにはあらず。我という個霊の消え失せて、求むれども遂に得がたきを、驚きて迷いて、果ては情なくてかくは乱るるなり。我を司どるものの我にはあらで、先に見し人の姿なるを奇しく、怪しく、悲しく念じ煩うなり。いつの間に我はランスロットと変りて常の心はいずこへか喪える。エレーンとわが名を呼ぶに、応うるはエレーンならず、中庭に馬乗り捨てて、廂深き兜の奥より、高き櫓を見上げたるランスロットである。再びエレーンと呼ぶにエレーンはランスロットじゃと答える。エレーンは亡せてかと問えばありという。いずこにと聞けば知らぬという。エレーンは微かなる毛孔の末に潜みて、いつか昔しの様に帰らん。エレーンに八万四千の毛孔ありて、エレーンが八万四千|壺の香油を注いで、日にその膚を滑かにするとも、潜めるエレーンは遂に出現し来る期はなかろう。  やがてわが部屋の戸帳を開きて、エレーンは壁に釣る長き衣を取り出す。燭にすかせば燃ゆる真紅の色なり。室にはびこる夜を呑んで、一枚の衣に真昼の日影を集めたる如く鮮かである。エレーンは衣の領を右手につるして、暫らくは眩ゆきものと眺めたるが、やがて左に握る短刀を鞘ながら二、三度振る。からからと床に音さして、すわという間に閃きは目を掠めて紅深きうちに隠れる。見れば美しき衣の片袖は惜気もなく断たれて、残るは鞘の上にふわりと落ちる。途端に裸ながらの手燭は、風に打たれて颯と消えた。外は片破月の空に更けたり。  右手に捧ぐる袖の光をしるべに、暗きをすりぬけてエレーンはわが部屋を出る。右に折れると兄の住居、左を突き当れば今宵の客の寝所である。夢の如くなよやかなる女の姿は、地を踏まざるに歩めるか、影よりも静かにランスロットの室の前にとまる。――ランスロットの夢は成らず。  聞くならくアーサー大王のギニヴィアを娶らんとして、心惑える折、居ながらに世の成行を知るマーリンは、首を掉りて慶事を肯んぜず。この女|後に思わぬ人を慕う事あり、娶る君に悔あらん。とひたすらに諫めしとぞ。聞きたる時の我に罪なければ思わぬ人の誰なるかは知るべくもなく打ち過ぎぬ。思わぬ人の誰なるかを知りたる時、天が下に数多く生れたるもののうちにて、この悲しき命に廻り合せたる我を恨み、このうれしき幸を享けたる己れを悦びて、楽みと苦みの綯りたる縄を断たんともせず、この年月を経たり。心|疚ましきは願わず。疚ましき中に蜜あるはうれし。疚ましければこそ蜜をも醸せと思う折さえあれば、卓を共にする騎士の我を疑うこの日に至るまで王妃を棄てず。ただ疑の積もりて証拠と凝らん時――ギニヴィアの捕われて杭に焼かるる時――この時を思えばランスロットの夢はいまだ成らず。  眠られぬ戸に何物かちょと障った気合である。枕を離るる頭の、音する方に、しばらくは振り向けるが、また元の如く落ち付いて、あとは古城の亡骸に脈も通わず。静である。  再び障った音は、殆んど敲いたというべくも高い。慥かに人ありと思い極めたるランスロットは、やおら身を臥所に起して、「たぞ」といいつつ戸を半ば引く。差しつくる蝋燭の火のふき込められしが、取り直して今度は戸口に立てる乙女の方にまたたく。乙女の顔は翳せる赤き袖の影に隠れている。面映きは灯火のみならず。 「この深き夜を……迷えるか」と男は驚きの舌を途切れ途切れに動かす。 「知らぬ路にこそ迷え。年古るく住みなせる家のうちを――鼠だに迷わじ」と女は微かなる声ながら、思い切って答える。  男はただ怪しとのみ女の顔を打ち守る。女は尺に足らぬ紅絹の衝立に、花よりも美くしき顔をかくす。常に勝る豊頬の色は、湧く血潮の疾く流るるか、あざやかなる絹のたすけか。ただ隠しかねたる鬢の毛の肩に乱れて、頭には白き薔薇を輪に貫ぬきて三輪|挿したり。  白き香りの鼻を撲って、絹の影なる花の数さえ見分けたる時、ランスロットの胸には忽ちギニヴィアの夢の話が湧き帰る。何故とは知らず、悉く身は痿えて、手に持つ燭を取り落せるかと驚ろきて我に帰る。乙女はわが前に立てる人の心を読む由もあらず。 「紅に人のまことはあれ。恥ずかしの片袖を、乞われぬに参らする。兜に捲いて勝負せよとの願なり」とかの袖を押し遣る如く前に出す。男は容易に答えぬ。 「女の贈り物受けぬ君は騎士か」とエレーンは訴うる如くに下よりランスロットの顔を覗く。覗かれたる人は薄き唇を一文字に結んで、燃ゆる片袖を、右の手に半ば受けたるまま、当惑の眉を思案に刻む。ややありていう。「戦に臨む事は大小六十余度、闘技の場に登って槍を交えたる事はその数を知らず。いまだ佳人の贈り物を、身に帯びたる試しなし。情あるあるじの子の、情深き賜物を辞むは礼なけれど……」 「礼ともいえ、礼なしともいいてやみね。礼のために、夜を冒して参りたるにはあらず。思の籠るこの片袖を天が下の勇士に贈らんために参りたり。切に受けさせ給え」とここまで踏み込みたる上は、かよわき乙女の、かえって一徹に動かすべくもあらず。ランスロットは惑う。  カメロットに集まる騎士は、弱きと強きを通じてわが盾の上に描かれたる紋章を知らざるはあらず。またわが腕に、わが兜に、美しき人の贈り物を見たる事なし。あすの試合に後るるは、始めより出づるはずならぬを、半途より思い返しての仕業故である。闘技の埒に馬乗り入れてランスロットよ、後れたるランスロットよ、と謳わるるだけならばそれまでの浮名である。去れど後れたるは病のため、後れながらも参りたるはまことの病にあらざる証拠よといわば何と答えん。今|幸に知らざる人の盾を借りて、知らざる人の袖を纏い、二十三十の騎士を斃すまで深くわが面を包まば、ランスロットと名乗りをあげて人驚かす夕暮に、――誰彼共にわざと後れたる我を肯わん。病と臥せる我の作略を面白しと感ずる者さえあろう。――ランスロットは漸くに心を定める。  部屋のあなたに輝くは物の具である。鎧の胴に立て懸けたるわが盾を軽々と片手に提げて、女の前に置きたるランスロットはいう。 「嬉しき人の真心を兜にまくは騎士の誉れ。ありがたし」とかの袖を女より受取る。 「うけてか」と片頬に笑める様は、谷間の姫百合に朝日影さして、しげき露の痕なく晞けるが如し。 「あすの勝負に用なき盾を、逢うまでの形身と残す。試合果てて再びここを過ぎるまで守り給え」 「守らでやは」と女は跪いて両手に盾を抱く。ランスロットは長き袖を眉のあたりに掲げて、「赤し、赤し」という。  この時|櫓の上を烏鳴き過ぎて、夜はほのぼのと明け渡る。      四 罪  アーサーを嫌うにあらず、ランスロットを愛するなりとはギニヴィアの己れにのみ語る胸のうちである。  北の方なる試合果てて、行けるものは皆|館に帰れるを、ランスロットのみは影さえ見えず。帰れかしと念ずる人の便りは絶えて、思わぬものの※を連ねてカメロットに入るは、見るも益なし。一日には二日を数え、二日には三日を数え、遂に両手の指を悉く折り尽して十日に至る今日までなお帰るべしとの願を掛けたり。 「遅き人のいずこに繋がれたる」とアーサーはさまでに心を悩ませる気色もなくいう。  高き室の正面に、石にて築く段は二級、半ばは厚き毛氈にて蔽う。段の上なる、大なる椅子に豊かに倚るがアーサーである。 「繋ぐ日も、繋ぐ月もなきに」とギニヴィアは答うるが如く答えざるが如くもてなす。王を二尺左に離れて、床几の上に、纎き指を組み合せて、膝より下は長き裳にかくれて履のありかさえ定かならず。  よそよそしくは答えたれ、心はその人の名を聞きてさえ躍るを。話しの種の思う坪に生えたるを、寒き息にて吹き枯らすは口惜し。ギニヴィアはまた口を開く。 「後れて行くものは後れて帰る掟か」といい添えて片頬に笑う。女の笑うときは危うい。 「後れたるは掟ならぬ恋の掟なるべし」とアーサーも穏かに笑う。アーサーの笑にも特別の意味がある。  恋という字の耳に響くとき、ギニヴィアの胸は、錐に刺されし痛を受けて、すわやと躍り上る。耳の裏には颯と音がして熱き血を注す。アーサーは知らぬ顔である。 「あの袖の主こそ美しからん。……」 「あの袖とは? 袖の主とは? 美しからんとは?」とギニヴィアの呼吸ははずんでいる。 「白き挿毛に、赤き鉢巻ぞ。さる人の贈り物とは見たれ。繋がるるも道理じゃ」とアーサーはまたからからと笑う。 「主の名は?」 「名は知らぬ。ただ美しき故に美しき少女というと聞く。過ぐる十日を繋がれて、残る幾日を繋がるる身は果報なり。カメロットに足は向くまじ」 「美しき少女! 美しき少女!」と続け様に叫んでギニヴィアは薄き履に三たび石の床を踏みならす。肩に負う髪の時ならぬ波を描いて、二尺余りを一筋ごとに末まで渡る。  夫に二心なきを神の道との教は古るし。神の道に従うの心易きも知らずといわじ。心易きを自ら捨てて、捨てたる後の苦しみを嬉しと見しも君がためなり。春風に心なく、花|自ら開く。花に罪ありとは下れる世の言の葉に過ぎず。恋を写す鏡の明なるは鏡の徳なり。かく観ずる裡に、人にも世にも振り棄てられたる時の慰藉はあるべし。かく観ぜんと思い詰めたる今頃を、わが乗れる足台は覆えされて、踵を支うるに一塵だになし。引き付けられたる鉄と磁石の、自然に引き付けられたれば咎も恐れず、世を憚りの関一重あなたへ越せば、生涯の落ち付はあるべしと念じたるに、引き寄せたる磁石は火打石と化して、吸われし鉄は無限の空裏を冥府へ隕つる。わが坐わる床几の底抜けて、わが乗る壇の床|崩れて、わが踏む大地の殻裂けて、己れを支うる者は悉く消えたるに等し。ギニヴィアは組める手を胸の前に合せたるまま、右左より骨も摧けよと圧す。片手に余る力を、片手に抜いて、苦しき胸の悶を人知れぬ方へ洩らさんとするなり。 「なに事ぞ」とアーサーは聞く。 「なに事とも知らず」と答えたるは、アーサーを欺けるにもあらず、また己を誣いたるにもあらず。知らざるを知らずといえるのみ。まことはわが口にせる言葉すら知らぬ間に咽を転び出でたり。  ひく浪の返す時は、引く折の気色を忘れて、逆しまに岸を噛む勢の、前よりは凄じきを、浪|自らさえ驚くかと疑う。はからざる便りの胸を打ちて、度を失えるギニヴィアの、己れを忘るるまでわれに遠ざかれる後には、油然として常よりも切なきわれに復る。何事も解せぬ風情に、驚ろきの眉をわが額の上にあつめたるアーサーを、わが夫と悟れる時のギニヴィアの眼には、アーサーは少らく前のアーサーにあらず。  人を傷けたるわが罪を悔ゆるとき、傷負える人の傷ありと心付かぬ時ほど悔の甚しきはあらず。聖徒に向って鞭を加えたる非の恐しきは、鞭てるものの身に跳ね返る罰なきに、自らとその非を悔いたればなり。われを疑うアーサーの前に恥ずる心は、疑わぬアーサーの前に、わが罪を心のうちに鳴らすが如く痛からず。ギニヴィアは悚然として骨に徹する寒さを知る。 「人の身の上はわが上とこそ思え。人恋わぬ昔は知らず、嫁ぎてより幾夜か経たる。赤き袖の主のランスロットを思う事は、御身のわれを思う如くなるべし。贈り物あらば、われも十日を、二十日を、帰るを、忘るべきに、罵しるは卑し」とアーサーは王妃の方を見て不審の顔付である。 「美しき少女!」とギニヴィアは三たびエレーンの名を繰り返す。このたびは鋭どき声にあらず。去りとては憐を寄せたりとも見えず。  アーサーは椅子に倚る身を半ば回らしていう。「御身とわれと始めて逢える昔を知るか。丈に余る石の十字を深く地に埋めたるに、蔦這いかかる春の頃なり。路に迷いて御堂にしばし憩わんと入れば、銀に鏤ばむ祭壇の前に、空色の衣を肩より流して、黄金の髪に雲を起せるは誰ぞ」  女はふるえる声にて「ああ」とのみいう。床しからぬにもあらぬ昔の、今は忘るるをのみ心易しと念じたる矢先に、忽然と容赦もなく描き出されたるを堪えがたく思う。 「安からぬ胸に、捨てて行ける人の帰るを待つと、凋れたる声にてわれに語る御身の声をきくまでは、天つ下れるマリヤのこの寺の神壇に立てりとのみ思えり」  逝ける日は追えども帰らざるに逝ける事は長しえに暗きに葬むる能わず。思うまじと誓える心に発矢と中る古き火花もあり。 「伴いて館に帰し参らせんといえば、黄金の髪を動かして何処へとも、とうなずく……」と途中に句を切ったアーサーは、身を起して、両手にギニヴィアの頬を抑えながら上より妃の顔を覗き込む。新たなる記憶につれて、新たなる愛の波が、一しきり打ち返したのであろう。――王妃の顔は屍を抱くが如く冷たい。アーサーは覚えず抑えたる手を放す。折から廻廊を遠く人の踏む音がして、罵る如き幾多の声は次第にアーサーの室に逼る。  入口に掛けたる厚き幕は総に絞らず。長く垂れて床をかくす。かの足音の戸の近くしばらくとまる時、垂れたる幕を二つに裂いて、髪多く丈高き一人の男があらわれた。モードレッドである。  モードレッドは会釈もなく室の正面までつかつかと進んで、王の立てる壇の下にとどまる。続いて入るはアグラヴェン、逞ましき腕の、寛き袖を洩れて、赭き頸の、かたく衣の襟に括られて、色さえ変るほど肉づける男である。二人の後には物色する遑なきに、どやどやと、我勝ちに乱れ入りて、モードレッドを一人前に、ずらりと並ぶ、数は凡てにて十二人。何事かなくては叶わぬ。  モードレッドは、王に向って会釈せる頭を擡げて、そこ力のある声にていう。「罪あるを罰するは王者の事か」 「問わずもあれ」と答えたアーサーは今更という面持である。 「罪あるは高きをも辞せざるか」とモードレッドは再び王に向って問う。  アーサーは我とわが胸を敲いて「黄金の冠は邪の頭に戴かず。天子の衣は悪を隠さず」と壇上に延び上る。肩に括る緋の衣の、裾は開けて、白き裏が雪の如く光る。 「罪あるを許さずと誓わば、君が傍に坐せる女をも許さじ」とモードレッドは臆する気色もなく、一指を挙げてギニヴィアの眉間を指す。ギニヴィアは屹と立ち上る。  茫然たるアーサーは雷火に打たれたる唖の如く、わが前に立てる人――地を抽き出でし巌とばかり立てる人――を見守る。口を開けるはギニヴィアである。 「罪ありと我を誣いるか。何をあかしに、何の罪を数えんとはする。詐りは天も照覧あれ」と繊き手を抜け出でよと空高く挙げる。 「罪は一つ。ランスロットに聞け。あかしはあれぞ」と鷹の眼を後ろに投ぐれば、並びたる十二人は悉く右の手を高く差し上げつつ、「神も知る、罪は逃れず」と口々にいう。  ギニヴィアは倒れんとする身を、危く壁掛に扶けて「ランスロット!」と幽に叫ぶ。王は迷う。肩に纏わる緋の衣の裏を半ば返して、右手の掌を十三人の騎士に向けたるままにて迷う。  この時館の中に「黒し、黒し」と叫ぶ声が石※に響を反して、窈然と遠く鳴る木枯の如く伝わる。やがて河に臨む水門を、天にひびけと、錆びたる鉄鎖に軋らせて開く音がする。室の中なる人々は顔と顔を見合わす。只事ではない。      五 舟 「※に巻ける絹の色に、槍突き合わす敵の目も覚むべし。ランスロットはその日の試合に、二十余人の騎士を仆して、引き挙ぐる間際に始めてわが名をなのる。驚く人の醒めぬ間を、ラヴェンと共に埒を出でたり。行く末は勿論アストラットじゃ」と三日過ぎてアストラットに帰れるラヴェンは父と妹に物語る。 「ランスロット?」と父は驚きの眉を張る。女は「あな」とのみ髪に挿す花の色を顫わす。 「二十余人の敵と渡り合えるうち、何者かの槍を受け損じてか、鎧の胴を二寸|下りて、左の股に創を負う……」 「深き創か」と女は片唾を呑んで、懸念の眼を※る。 「鞍に堪えぬほどにはあらず。夏の日の暮れがたきに暮れて、蒼き夕を草深き原のみ行けば、馬の蹄は露に濡れたり。――二人は一言も交わさぬ。ランスロットの何の思案に沈めるかは知らず、われは昼の試合のまたあるまじき派手やかさを偲ぶ。風渡る梢もなければ馬の沓の地を鳴らす音のみ高し。――路は分れて二筋となる」 「左へ切ればここまで十|哩じゃ」と老人が物知り顔にいう。 「ランスロットは馬の頭を右へ立て直す」 「右? 右はシャロットへの本街道、十五哩は確かにあろう」これも老人の説明である。 「そのシャロットの方へ――後より呼ぶわれを顧みもせで轡を鳴らして去る。やむなくてわれも従う。不思議なるはわが馬を振り向けんとしたる時、前足を躍らしてあやしくも嘶ける事なり。嘶く声の果知らぬ夏野に、末広に消えて、馬の足掻の常の如く、わが手綱の思うままに運びし時は、ランスロットの影は、夜と共に微かなる奥に消えたり。――われは鞍を敲いて追う」 「追い付いてか」と父と妹は声を揃えて問う。 「追い付ける時は既に遅くあった。乗る馬の息の、闇押し分けて白く立ち上るを、いやがうえに鞭って長き路を一散に馳け通す。黒きもののそれかとも見ゆる影が、二丁ばかり先に現われたる時、われは肺を逆しまにしてランスロットと呼ぶ。黒きものは聞かざる真似して行く。幽かに聞えたるは轡の音か。怪しきは差して急げる様もなきに容易くは追い付かれず。漸くの事|間一丁ほどに逼りたる時、黒きものは夜の中に織り込まれたる如く、ふっと消える。合点行かぬわれは益追う。シャロットの入口に渡したる石橋に、蹄も砕けよと乗り懸けしと思えば、馬は何物にか躓きて前足を折る。騎るわれは鬣をさかに扱いて前にのめる。戞と打つは石の上と心得しに、われより先に斃れたる人の鎧の袖なり」 「あぶない!」と老人は眼の前の事の如くに叫ぶ。 「あぶなきはわが上ならず。われより先に倒れたるランスロットの事なり……」 「倒れたるはランスロットか」と妹は魂消ゆるほどの声に、椅子の端を握る。椅子の足は折れたるにあらず。 「橋の袂の柳の裏に、人住むとしも見えぬ庵室あるを、試みに敲けば、世を逃れたる隠士の居なり。幸いと冷たき人を担ぎ入るる。兜を脱げば眼さえ氷りて……」 「薬を掘り、草を煮るは隠士の常なり。ランスロットを蘇してか」と父は話し半ばに我句を投げ入るる。 「よみ返しはしたれ。よみにある人と択ぶ所はあらず。われに帰りたるランスロットはまことのわれに帰りたるにあらず。魔に襲われて夢に物いう人の如く、あらぬ事のみ口走る。あるときは罪々と叫び、あるときは王妃――ギニヴィア――シャロットという。隠士が心を込むる草の香りも、煮えたる頭には一点の涼気を吹かず。……」 「枕辺にわれあらば」と少女は思う。 「一夜の後たぎりたる脳の漸く平らぎて、静かなる昔の影のちらちらと心に映る頃、ランスロットはわれに去れという。心許さぬ隠士は去るなという。とかくして二日を経たり。三日目の朝、われと隠士の眠覚めて、病む人の顔色の、今朝如何あらんと臥所を窺えば――在らず。剣の先にて古壁に刻み残せる句には罪はわれを追い、われは罪を追うとある」 「逃れしか」と父は聞き、「いずこへ」と妹はきく。 「いずこと知らば尋ぬる便りもあらん。茫々と吹く夏野の風の限りは知らず。西東日の通う境は極めがたければ、独り帰り来ぬ。――隠士はいう、病怠らで去る。かの人の身は危うし。狂いて走る方はカメロットなるべしと。うつつのうちに口走れる言葉にてそれと察せしと見ゆれど、われは確と、さは思わず」と語り終って盃に盛る苦き酒を一息に飲み干して虹の如き気を吹く。妹は立ってわが室に入る。  花に戯むるる蝶のひるがえるを見れば、春に憂ありとは天下を挙げて知らぬ。去れど冷やかに日落ちて、月さえ闇に隠るる宵を思え。――ふる露のしげきを思え。――薄き翼のいかばかり薄きかを思え。――広き野の草の陰に、琴の爪ほど小きものの潜むを思え。――畳む羽に置く露の重きに過ぎて、夢さえ苦しかるべし。果知らぬ原の底に、あるに甲斐なき身を縮めて、誘う風にも砕くる危うきを恐るるは淋しかろう。エレーンは長くは持たぬ。  エレーンは盾を眺めている。ランスロットの預けた盾を眺め暮している。その盾には丈高き女の前に、一人の騎士が跪ずいて、愛と信とを誓える模様が描かれている。騎士の鎧は銀、女の衣は炎の色に燃えて、地は黒に近き紺を敷く。赤き女のギニヴィアなりとは憐れなるエレーンの夢にだも知る由がない。  エレーンは盾の女を己れと見立てて、跪まずけるをランスロットと思う折さえある。かくあれと念ずる思いの、いつか心の裏を抜け出でて、かくの通りと盾の表にあらわれるのであろう。かくありて後と、あらぬ礎を一度び築ける上には、そら事を重ねて、そのそら事の未来さえも想像せねばやまぬ。  重ね上げたる空想は、また崩れる。児戯に積む小石の塔を蹴返す時の如くに崩れる。崩れたるあとのわれに帰りて見れば、ランスロットはあらぬ。気を狂いてカメロットの遠きに走れる人の、わが傍にあるべき所謂はなし。離るるとも、誓さえ渝らずば、千里を繋ぐ牽き綱もあろう。ランスロットとわれは何を誓える? エレーンの眼には涙が溢れる。  涙の中にまた思い返す。ランスロットこそ誓わざれ。一人誓えるわれの渝るべくもあらず。二人の中に成り立つをのみ誓とはいわじ。われとわが心にちぎるも誓には洩れず。この誓だに破らずばと思い詰める。エレーンの頬の色は褪せる。  死ぬ事の恐しきにあらず、死したる後にランスロットに逢いがたきを恐るる。去れどこの世にての逢いがたきに比ぶれば、未来に逢うのかえって易きかとも思う。罌粟散るを憂しとのみ眺むべからず、散ればこそまた咲く夏もあり。エレーンは食を断った。  衰えは春野焼く火と小さき胸を侵かして、愁は衣に堪えぬ玉骨を寸々に削る。今までは長き命とのみ思えり。よしやいつまでもと貪る願はなくとも、死ぬという事は夢にさえ見しためしあらず、束の間の春と思いあたれる今日となりて、つらつら世を観ずれば、日に開く蕾の中にも恨はあり。円く照る明月のあすをと問わば淋しからん。エレーンは死ぬより外の浮世に用なき人である。  今はこれまでの命と思い詰めたるとき、エレーンは父と兄とを枕辺に招きて「わがためにランスロットへの文かきて玉われ」という。父は筆と紙を取り出でて、死なんとする人の言の葉を一々に書き付ける。 「天が下に慕える人は君ひとりなり。君一人のために死ぬるわれを憐れと思え。陽炎燃ゆる黒髪の、長き乱れの土となるとも、胸に彫るランスロットの名は、星変る後の世までも消えじ。愛の炎に染めたる文字の、土水の因果を受くる理なしと思えば。睫に宿る露の珠に、写ると見れば砕けたる、君の面影の脆くもあるかな。わが命もしかく脆きを、涙あらば濺げ。基督も知る、死ぬるまで清き乙女なり」  書き終りたる文字は怪しげに乱れて定かならず。年寄の手の顫えたるは、老のためとも悲のためとも知れず。  女またいう。「息絶えて、身の暖かなるうち、右の手にこの文を握らせ給え。手も足も冷え尽したる後、ありとある美しき衣にわれを着飾り給え。隙間なく黒き布しき詰めたる小船の中にわれを載せ給え。山に野に白き薔薇、白き百合を採り尽して舟に投げ入れ給え。――舟は流し給え」  かくしてエレーンは眼を眠る。眠りたる眼は開く期なし。父と兄とは唯々として遺言の如く、憐れなる少女の亡骸を舟に運ぶ。  古き江に漣さえ死して、風吹く事を知らぬ顔に平かである。舟は今緑り罩むる陰を離れて中流に漕ぎ出づる。櫂操るはただ一人、白き髪の白き髯の翁と見ゆ。ゆるく掻く水は、物憂げに動いて、一櫂ごとに鉛の如き光りを放つ。舟は波に浮ぶ睡蓮の睡れる中に、音もせず乗り入りては乗り越して行く。蕚傾けて舟を通したるあとには、軽く曳く波足と共にしばらく揺れて花の姿は常の静さに帰る。押し分けられた葉の再び浮き上る表には、時ならぬ露が珠を走らす。  舟は杳然として何処ともなく去る。美しき亡骸と、美しき衣と、美しき花と、人とも見えぬ一個の翁とを載せて去る。翁は物をもいわぬ。ただ静かなる波の中に長き櫂をくぐらせては、くぐらす。木に彫る人を鞭って起たしめたるか、櫂を動かす腕の外には活きたる所なきが如くに見ゆる。  と見れば雪よりも白き白鳥が、収めたる翼に、波を裂いて王者の如く悠然と水を練り行く。長き頸の高く伸したるに、気高き姿はあたりを払って、恐るるもののありとしも見えず。うねる流を傍目もふらず、舳に立って舟を導く。舟はいずくまでもと、鳥の羽に裂けたる波の合わぬ間を随う。両岸の柳は青い。  シャロットを過ぐる時、いずくともなく悲しき声が、左の岸より古き水の寂寞を破って、動かぬ波の上に響く。「うつせみの世を、……うつつ……に住めば……」絶えたる音はあとを引いて、引きたるはまたしばらくに絶えんとす。聞くものは死せるエレーンと、艫に坐る翁のみ。翁は耳さえ借さぬ。ただ長き櫂をくぐらせてはくぐらする。思うに聾なるべし。  空は打ち返したる綿を厚く敷けるが如く重い。流を挟む左右の柳は、一本ごとに緑りをこめて濛々と烟る。娑婆と冥府の界に立ちて迷える人のあらば、その人の霊を並べたるがこの気色である。画に似たる少女の、舟に乗りて他界へ行くを、立ちならんで送るのでもあろう。  舟はカメロットの水門に横付けに流れて、はたと留まる。白鳥の影は波に沈んで、岸高く峙てる楼閣の黒く水に映るのが物凄い。水門は左右に開けて、石階の上にはアーサーとギニヴィアを前に、城中の男女が悉く集まる。  エレーンの屍は凡ての屍のうちにて最も美しい。涼しき顔を、雲と乱るる黄金の髪に埋めて、笑える如く横わる。肉に付着するあらゆる肉の不浄を拭い去って、霊その物の面影を口鼻の間に示せるは朗かにもまた極めて清い。苦しみも、憂いも、恨みも、憤りも――世に忌わしきものの痕なければ土に帰る人とは見えず。  王は厳かなる声にて「何者ぞ」と問う。櫂の手を休めたる老人は唖の如く口を開かぬ。ギニヴィアはつと石階を下りて、乱るる百合の花の中より、エレーンの右の手に握る文を取り上げて何事と封を切る。  悲しき声はまた水を渡りて、「……うつくしき……恋、色や……うつろう」と細き糸ふって波うたせたる時の如くに人々の耳を貫く。  読み終りたるギニヴィアは、腰をのして舟の中なるエレーンの額――透き徹るエレーンの額に、顫えたる唇をつけつつ「美くしき少女!」という。同時に一滴の熱き涙はエレーンの冷たき頬の上に落つる。  十三人の騎士は目と目を見合せた。  木村項の発見者|木村博士の名は驚くべき速力を以て旬日を出ないうちに日本全国に広がった。博士の功績を表彰した学士会院とその表彰をあくまで緊張して報道する事を忘れなかった都下の各新聞は、久しぶりにといわんよりはむしろ初めて、純粋の科学者に対して、政客、軍人、及び実業家に譲らぬ注意を一般社会から要求した。学問のためにも賀すべき事で、博士のためにも喜ばしき事に違ない。  けれども今より一カ月前に、この木村博士が何処に何をしているかを知っていたものは、全国を通じて僅か百人を出ぬ位であったろう。博士が忽然と著名になったのは、今までまるで人の眼に触れないで経過した科学界という暗黒な人世の象面に、一点急に輝やく場所が出来たと同じ事である。其所が明るくなったのは仕合せである。しかし其所だけが明るくなったのは不都合である。  一般の社会はつい二、三週間前まで博士の存在について全く神経を使わなかった。一般の社会は今日といえども科学という世界の存在については殆んど不関心に打ち過ぎつつある。彼らから見て闇に等しい科学界が、一様の程度で彼らの眼に暗く映る間は、彼らが根柢ある人生の活力の或物に対して公平に無感覚であったと非難されるだけで済むが、いやしくもこの暗い中の一点が木村項の名で輝やき渡る以上、また他が依然として暗がりに静まり返る以上、彼らが今まで所有していた公平の無感覚は、俄然として不公平な感覚と変性しなければならない。これまではただ無知で済んでいたのである。それが急に不徳義に転換するのである。問題は単に智愚を界する理性一遍の墻を乗り超えて、道義の圏内に落ち込んで来るのである。  木村項だけが炳として俗人の眸を焼くに至った変化につれて、木村項の周囲にある暗黒面は依然として、木村項の知られざる前と同じように人からその存在を忘れられるならば、日本の科学は木村博士一人の科学で、他の物理学者、数学者、化学者、乃至動植物学者に至っては、単位をすら充たす事の出来ない出来損ないでなければならない。貧弱なる日本ではあるが、余にはこれほどまでに愚図が揃って科学を研究しているとは思えない。その方面の知識に疎い寡聞なる余の頭にさえ、この断見を否定すべき材料は充分あると思う。  社会は今まで科学界をただ漫然と暗く眺めていた。そうしてその科学界を組織する学者の研究と発見とに対しては、その比較的価値|所か、全く自家の着衣喫飯と交渉のない、徒事の如く見傚して来た。そうして学士会院の表彰に驚ろいて、急に木村氏をえらく吹聴し始めた。吹聴の程度が木村氏の偉さと比例するとしても、木村氏と他の学者とを合せて、一様に坑中に葬り去った一カ月前の無知なる公平は、全然破れてしまった訳になる。一旦木村博士を賞揚するならば、木村博士の功績に応じて、他の学者もまた適当の名誉を荷うのが正当であるのに、他の学者は木村博士の表彰前と同じ暗黒な平面に取り残されて、ただ一の木村博士のみが、今日まで学者間に維持せられた比較的位地を飛び離れて、衆目の前に独り偉大に見えるようになったのは少なくとも道義的の不公平を敢てして、一般の社会に妙な誤解を与うる好意的な悪結果である。  社会はただ新聞紙の記事を信じている。新聞紙はただ学士会院の所置を信じている。学士会院は固より己れを信じているのだろう。余といえども木村項の名誉ある発見たるを疑うものではない。けれども学士会院がその発見者に比較的の位置を与える工夫を講じないで、徒らに表彰の儀式を祭典の如く見せしむるため被賞者に絶対の優越権を与えるかの如き挙に出でたのは、思慮の周密と弁別の細緻を標榜する学者の所置としては、余の提供にかかる不公平の非難を甘んじて受ける資格があると思う。  学士会院が栄誉ある多数の学者中より今年はまず木村氏だけを選んで、他は年々順次に表彰するという意を当初から持っているのだと弁解するならば、木村氏を表彰すると同時に、その主意が一般に知れ渡るように取り計うのが学者の用意というものであろう。木村氏が五百円の賞金と直径三寸大の賞牌に相当するのに、他の学者はただの一銭の賞金にも直径一分の賞牌にも値せぬように俗衆に思わせるのは、木村氏の功績を表するがために、他の学者に屈辱を与えたと同じ事に帰着する。 ――明治四四、七、一四『東京朝日新聞』――         一  硝子戸の中から外を見渡すと、霜除をした芭蕉だの、赤い実の結った梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、その他にこれと云って数え立てるほどのものはほとんど視線に入って来ない。書斎にいる私の眼界は極めて単調でそうしてまた極めて狭いのである。  その上私は去年の暮から風邪を引いてほとんど表へ出ずに、毎日この硝子戸の中にばかり坐っているので、世間の様子はちっとも分らない。心持が悪いから読書もあまりしない。私はただ坐ったり寝たりしてその日その日を送っているだけである。  しかし私の頭は時々動く。気分も多少は変る。いくら狭い世界の中でも狭いなりに事件が起って来る。それから小さい私と広い世の中とを隔離しているこの硝子戸の中へ、時々人が入って来る。それがまた私にとっては思いがけない人で、私の思いがけない事を云ったり為たりする。私は興味に充ちた眼をもってそれらの人を迎えたり送ったりした事さえある。  私はそんなものを少し書きつづけて見ようかと思う。私はそうした種類の文字が、忙がしい人の眼に、どれほどつまらなく映るだろうかと懸念している。私は電車の中でポッケットから新聞を出して、大きな活字だけに眼を注いでいる購読者の前に、私の書くような閑散な文字を列べて紙面をうずめて見せるのを恥ずかしいものの一つに考える。これらの人々は火事や、泥棒や、人殺しや、すべてその日その日の出来事のうちで、自分が重大と思う事件か、もしくは自分の神経を相当に刺戟し得る辛辣な記事のほかには、新聞を手に取る必要を認めていないくらい、時間に余裕をもたないのだから。――彼らは停留所で電車を待ち合わせる間に、新聞を買って、電車に乗っている間に、昨日起った社会の変化を知って、そうして役所か会社へ行き着くと同時に、ポッケットに収めた新聞紙の事はまるで忘れてしまわなければならないほど忙がしいのだから。  私は今これほど切りつめられた時間しか自由にできない人達の軽蔑を冒して書くのである。  去年から欧洲では大きな戦争が始まっている。そうしてその戦争がいつ済むとも見当がつかない模様である。日本でもその戦争の一小部分を引き受けた。それが済むと今度は議会が解散になった。来るべき総選挙は政治界の人々にとっての大切な問題になっている。米が安くなり過ぎた結果農家に金が入らないので、どこでも不景気だと零している。年中行事で云えば、春の相撲が近くに始まろうとしている。要するに世の中は大変多事である。硝子戸の中にじっと坐っている私なぞはちょっと新聞に顔が出せないような気がする。私が書けば政治家や軍人や実業家や相撲狂を押し退けて書く事になる。私だけではとてもそれほどの胆力が出て来ない。ただ春に何か書いて見ろと云われたから、自分以外にあまり関係のないつまらぬ事を書くのである。それがいつまでつづくかは、私の筆の都合と、紙面の編輯の都合とできまるのだから、判然した見当は今つきかねる。         二  電話口へ呼び出されたから受話器を耳へあてがって用事を訊いて見ると、ある雑誌社の男が、私の写真を貰いたいのだが、いつ撮りに行って好いか都合を知らしてくれろというのである。私は「写真は少し困ります」と答えた。  私はこの雑誌とまるで関係をもっていなかった。それでも過去三四年の間にその一二冊を手にした記憶はあった。人の笑っている顔ばかりをたくさん載せるのがその特色だと思ったほかに、今は何にも頭に残っていない。けれどもそこにわざとらしく笑っている顔の多くが私に与えた不快の印象はいまだに消えずにいた。それで私は断わろうとしたのである。  雑誌の男は、卯年の正月号だから卯年の人の顔を並べたいのだという希望を述べた。私は先方のいう通り卯年の生れに相違なかった。それで私はこう云った。―― 「あなたの雑誌へ出すために撮る写真は笑わなくってはいけないのでしょう」 「いえそんな事はありません」と相手はすぐ答えた。あたかも私が今までその雑誌の特色を誤解していたごとくに。 「当り前の顔で構いませんなら載せていただいても宜しゅうございます」 「いえそれで結構でございますから、どうぞ」  私は相手と期日の約束をした上、電話を切った。  中一日おいて打ち合せをした時間に、電話をかけた男が、綺麗な洋服を着て写真機を携えて私の書斎に這入って来た。私はしばらくその人と彼の従事している雑誌について話をした。それから写真を二枚|撮って貰った。一枚は机の前に坐っている平生の姿、一枚は寒い庭前の霜の上に立っている普通の態度であった。書斎は光線がよく透らないので、機械を据えつけてからマグネシアを燃した。その火の燃えるすぐ前に、彼は顔を半分ばかり私の方へ出して、「御約束ではございますが、少しどうか笑っていただけますまいか」と云った。私はその時突然|微かな滑稽を感じた。しかし同時に馬鹿な事をいう男だという気もした。私は「これで好いでしょう」と云ったなり先方の注文には取り合わなかった。彼が私を庭の木立の前に立たして、レンズを私の方へ向けた時もまた前と同じような鄭寧な調子で、「御約束ではございますが、少しどうか……」と同じ言葉を繰り返した。私は前よりもなお笑う気になれなかった。  それから四日ばかり経つと、彼は郵便で私の写真を届けてくれた。しかしその写真はまさしく彼の注文通りに笑っていたのである。その時私は中が外れた人のように、しばらく自分の顔を見つめていた。私にはそれがどうしても手を入れて笑っているように拵えたものとしか見えなかったからである。  私は念のため家へ来る四五人のものにその写真を出して見せた。彼らはみんな私と同様に、どうも作って笑わせたものらしいという鑑定を下した。  私は生れてから今日までに、人の前で笑いたくもないのに笑って見せた経験が何度となくある。その偽りが今この写真師のために復讐を受けたのかも知れない。  彼は気味のよくない苦笑を洩らしている私の写真を送ってくれたけれども、その写真を載せると云った雑誌はついに届けなかった。         三  私がHさんからヘクトーを貰った時の事を考えると、もういつの間にか三四年の昔になっている。何だか夢のような心持もする。  その時彼はまだ乳離れのしたばかりの小供であった。Hさんの御弟子は彼を風呂敷に包んで電車に載せて宅まで連れて来てくれた。私はその夜彼を裏の物置の隅に寝かした。寒くないように藁を敷いて、できるだけ居心地の好い寝床を拵えてやったあと、私は物置の戸を締めた。すると彼は宵の口から泣き出した。夜中には物置の戸を爪で掻き破って外へ出ようとした。彼は暗い所にたった独り寝るのが淋しかったのだろう、翌る朝までまんじりともしない様子であった。  この不安は次の晩もつづいた。その次の晩もつづいた。私は一週間余りかかって、彼が与えられた藁の上にようやく安らかに眠るようになるまで、彼の事が夜になると必ず気にかかった。  私の小供は彼を珍らしがって、間がな隙がな玩弄物にした。けれども名がないのでついに彼を呼ぶ事ができなかった。ところが生きたものを相手にする彼らには、是非とも先方の名を呼んで遊ぶ必要があった。それで彼らは私に向って犬に名を命けてくれとせがみ出した。私はとうとうヘクトーという偉い名を、この小供達の朋友に与えた。  それはイリアッドに出てくるトロイ一の勇将の名前であった。トロイと希臘と戦争をした時、ヘクトーはついにアキリスのために打たれた。アキリスはヘクトーに殺された自分の友達の讐を取ったのである。アキリスが怒って希臘|方から躍り出した時に、城の中に逃げ込まなかったものはヘクトー一人であった。ヘクトーは三たびトロイの城壁をめぐってアキリスの鋒先を避けた。アキリスも三たびトロイの城壁をめぐってその後を追いかけた。そうしてしまいにとうとうヘクトーを槍で突き殺した。それから彼の死骸を自分の軍車に縛りつけてまたトロイの城壁を三度|引き摺り廻した。……  私はこの偉大な名を、風呂敷包にして持って来た小さい犬に与えたのである。何にも知らないはずの宅の小供も、始めは変な名だなあと云っていた。しかしじきに慣れた。犬もヘクトーと呼ばれるたびに、嬉しそうに尾を振った。しまいにはさすがの名もジョンとかジォージとかいう平凡な耶蘇教信者の名前と一様に、毫も古典的な響を私に与えなくなった。同時に彼はしだいに宅のものから元ほど珍重されないようになった。  ヘクトーは多くの犬がたいてい罹るジステンパーという病気のために一時入院した事がある。その時は子供がよく見舞に行った。私も見舞に行った。私の行った時、彼はさも嬉しそうに尾を振って、懐かしい眼を私の上に向けた。私はしゃがんで私の顔を彼の傍へ持って行って、右の手で彼の頭を撫でてやった。彼はその返礼に私の顔を所嫌わず舐めようとしてやまなかった。その時彼は私の見ている前で、始めて医者の勧める小量の牛乳を呑んだ。それまで首を傾げていた医者も、この分ならあるいは癒るかも知れないと云った。ヘクトーははたして癒った。そうして宅へ帰って来て、元気に飛び廻った。         四  日ならずして、彼は二三の友達を拵えた。その中で最も親しかったのはすぐ前の医者の宅にいる彼と同年輩ぐらいの悪戯者であった。これは基督教徒に相応しいジョンという名前を持っていたが、その性質は異端者のヘクトーよりも遥に劣っていたようである。むやみに人に噛みつく癖があるので、しまいにはとうとう打ち殺されてしまった。  彼はこの悪友を自分の庭に引き入れて勝手な狼藉を働らいて私を困らせた。彼らはしきりに樹の根を掘って用もないのに大きな穴を開けて喜んだ。綺麗な草花の上にわざと寝転んで、花も茎も容赦なく散らしたり、倒したりした。  ジョンが殺されてから、無聊な彼は夜遊び昼遊びを覚えるようになった。散歩などに出かける時、私はよく交番の傍に日向ぼっこをしている彼を見る事があった。それでも宅にさえいれば、よくうさん臭いものに吠えついて見せた。そのうちで最も猛烈に彼の攻撃を受けたのは、本所辺から来る十歳ばかりになる角兵衛獅子の子であった。この子はいつでも「今日は御祝い」と云って入って来る。そうして家の者から、麺麭の皮と一銭銅貨を貰わないうちは帰らない事に一人できめていた。だからヘクトーがいくら吠えても逃げ出さなかった。かえってヘクトーの方が、吠えながら尻尾を股の間に挟んで物置の方へ退却するのが例になっていた。要するにヘクトーは弱虫であった。そうして操行からいうと、ほとんど野良犬と択ぶところのないほどに堕落していた。それでも彼らに共通な人懐っこい愛情はいつまでも失わずにいた。時々顔を見合せると、彼は必ず尾を掉って私に飛びついて来た。あるいは彼の背を遠慮なく私の身体に擦りつけた。私は彼の泥足のために、衣服や外套を汚した事が何度あるか分らない。  去年の夏から秋へかけて病気をした私は、一カ月ばかりの間ついにヘクトーに会う機会を得ずに過ぎた。病がようやく怠って、床の外へ出られるようになってから、私は始めて茶の間の縁に立って彼の姿を宵闇の裡に認めた。私はすぐ彼の名を呼んだ。しかし生垣の根にじっとうずくまっている彼は、いくら呼んでも少しも私の情けに応じなかった。彼は首も動かさず、尾も振らず、ただ白い塊のまま垣根にこびりついてるだけであった。私は一カ月ばかり会わないうちに、彼がもう主人の声を忘れてしまったものと思って、微かな哀愁を感ぜずにはいられなかった。  まだ秋の始めなので、どこの間の雨戸も締められずに、星の光が明け放たれた家の中からよく見られる晩であった。私の立っていた茶の間の縁には、家のものが二三人いた。けれども私がヘクトーの名前を呼んでも彼らはふり向きもしなかった。私がヘクトーに忘れられたごとくに、彼らもまたヘクトーの事をまるで念頭に置いていないように思われた。  私は黙って座敷へ帰って、そこに敷いてある布団の上に横になった。病後の私は季節に不相当な黒八丈の襟のかかった銘仙のどてらを着ていた。私はそれを脱ぐのが面倒だから、そのまま仰向に寝て、手を胸の上で組み合せたなり黙って天井を見つめていた。         五  翌朝書斎の縁に立って、初秋の庭の面を見渡した時、私は偶然また彼の白い姿を苔の上に認めた。私は昨夕の失望を繰り返すのが厭さに、わざと彼の名を呼ばなかった。けれども立ったなりじっと彼の様子を見守らずにはいられなかった。彼は立木の根方に据えつけた石の手水鉢の中に首を突き込んで、そこに溜っている雨水をぴちゃぴちゃ飲んでいた。  この手水鉢はいつ誰が持って来たとも知れず、裏庭の隅に転がっていたのを、引越した当時植木屋に命じて今の位置に移させた六角形のもので、その頃は苔が一面に生えて、側面に刻みつけた文字も全く読めないようになっていた。しかし私には移す前一度|判然とそれを読んだ記憶があった。そうしてその記憶が文字として頭に残らないで、変な感情としていまだに胸の中を往来していた。そこには寺と仏と無常の匂が漂っていた。  ヘクトーは元気なさそうに尻尾を垂れて、私の方へ背中を向けていた。手水鉢を離れた時、私は彼の口から流れる垂涎を見た。 「どうかしてやらないといけない。病気だから」と云って、私は看護婦を顧みた。私はその時まだ看護婦を使っていたのである。  私は次の日も木賊の中に寝ている彼を一目見た。そうして同じ言葉を看護婦に繰り返した。しかしヘクトーはそれ以来姿を隠したぎり再び宅へ帰って来なかった。 「医者へ連れて行こうと思って、探したけれどもどこにもおりません」  家のものはこう云って私の顔を見た。私は黙っていた。しかし腹の中では彼を貰い受けた当時の事さえ思い起された。届書を出す時、種類という下へ混血児と書いたり、色という字の下へ赤斑と書いた滑稽も微かに胸に浮んだ。  彼がいなくなって約一週間も経ったと思う頃、一二丁|隔ったある人の家から下女が使に来た。その人の庭にある池の中に犬の死骸が浮いているから引き上げて頸輪を改ためて見ると、私の家の名前が彫りつけてあったので、知らせに来たというのである。下女は「こちらで埋めておきましょうか」と尋ねた。私はすぐ車夫をやって彼を引き取らせた。  私は下女をわざわざ寄こしてくれた宅がどこにあるか知らなかった。ただ私の小供の時分から覚えている古い寺の傍だろうとばかり考えていた。それは山鹿素行の墓のある寺で、山門の手前に、旧幕時代の記念のように、古い榎が一本立っているのが、私の書斎の北の縁から数多の屋根を越してよく見えた。  車夫は筵の中にヘクトーの死骸を包んで帰って来た。私はわざとそれに近づかなかった。白木の小さい墓標を買って来さして、それへ「秋風の聞えぬ土に埋めてやりぬ」という一句を書いた。私はそれを家のものに渡して、ヘクトーの眠っている土の上に建てさせた。彼の墓は猫の墓から東北に当って、ほぼ一間ばかり離れているが、私の書斎の、寒い日の照らない北側の縁に出て、硝子戸のうちから、霜に荒された裏庭を覗くと、二つともよく見える。もう薄黒く朽ちかけた猫のに比べると、ヘクトーのはまだ生々しく光っている。しかし間もなく二つとも同じ色に古びて、同じく人の眼につかなくなるだろう。         六  私はその女に前後四五回会った。  始めて訪ねられた時私は留守であった。取次のものが紹介状を持って来るように注意したら、彼女は別にそんなものを貰う所がないといって帰って行ったそうである。  それから一日ほど経って、女は手紙で直接に私の都合を聞き合せに来た。その手紙の封筒から、私は女がつい眼と鼻の間に住んでいる事を知った。私はすぐ返事を書いて面会日を指定してやった。  女は約束の時間を違えず来た。三つ柏の紋のついた派出な色の縮緬の羽織を着ているのが、一番先に私の眼に映った。女は私の書いたものをたいてい読んでいるらしかった。それで話は多くそちらの方面へばかり延びて行った。しかし自分の著作について初見の人から賛辞ばかり受けているのは、ありがたいようではなはだこそばゆいものである。実をいうと私は辟易した。  一週間おいて女は再び来た。そうして私の作物をまた賞めてくれた。けれども私の心はむしろそういう話題を避けたがっていた。三度目に来た時、女は何かに感激したものと見えて、袂から手帛を出して、しきりに涙を拭った。そうして私に自分のこれまで経過して来た悲しい歴史を書いてくれないかと頼んだ。しかしその話を聴かない私には何という返事も与えられなかった。私は女に向って、よし書くにしたところで迷惑を感ずる人が出て来はしないかと訊いて見た。女は存外|判然した口調で、実名さえ出さなければ構わないと答えた。それで私はとにかく彼女の経歴を聴くために、とくに時間を拵えた。  するとその日になって、女は私に会いたいという別の女の人を連れて来て、例の話はこの次に延ばして貰いたいと云った。私には固より彼女の違約を責める気はなかった。二人を相手に世間話をして別れた。  彼女が最後に私の書斎に坐ったのはその次の日の晩であった。彼女は自分の前に置かれた桐の手焙の灰を、真鍮の火箸で突ッつきながら、悲しい身の上話を始める前、黙っている私にこう云った。 「この間は昂奮して私の事を書いていただきたいように申し上げましたが、それは止めに致します。ただ先生に聞いていただくだけにしておきますから、どうかそのおつもりで……」  私はそれに対してこう答えた。 「あなたの許諾を得ない以上は、たといどんなに書きたい事柄が出て来てもけっして書く気遣はありませんから御安心なさい」  私が充分な保証を女に与えたので、女はそれではと云って、彼女の七八年前からの経歴を話し始めた。私は黙然として女の顔を見守っていた。しかし女は多く眼を伏せて火鉢の中ばかり眺めていた。そうして綺麗な指で、真鍮の火箸を握っては、灰の中へ突き刺した。  時々|腑に落ちないところが出てくると、私は女に向って短かい質問をかけた。女は単簡にまた私の納得できるように答をした。しかしたいていは自分一人で口を利いていたので、私はむしろ木像のようにじっとしているだけであった。  やがて女の頬は熱って赤くなった。白粉をつけていないせいか、その熱った頬の色が著るしく私の眼に着いた。俯向になっているので、たくさんある黒い髪の毛も自然私の注意を惹く種になった。         七  女の告白は聴いている私を息苦しくしたくらいに悲痛を極めたものであった。彼女は私に向ってこんな質問をかけた。―― 「もし先生が小説を御書きになる場合には、その女の始末をどうなさいますか」  私は返答に窮した。 「女の死ぬ方がいいと御思いになりますか、それとも生きているように御書きになりますか」  私はどちらにでも書けると答えて、暗に女の気色をうかがった。女はもっと判然した挨拶を私から要求するように見えた。私は仕方なしにこう答えた。―― 「生きるという事を人間の中心点として考えれば、そのままにしていて差支ないでしょう。しかし美くしいものや気高いものを一義において人間を評価すれば、問題が違って来るかも知れません」 「先生はどちらを御択びになりますか」  私はまた躊躇した。黙って女のいう事を聞いているよりほかに仕方がなかった。 「私は今持っているこの美しい心持が、時間というもののためにだんだん薄れて行くのが怖くってたまらないのです。この記憶が消えてしまって、ただ漫然と魂の抜殻のように生きている未来を想像すると、それが苦痛で苦痛で恐ろしくってたまらないのです」  私は女が今広い世間の中にたった一人立って、一寸も身動きのできない位置にいる事を知っていた。そうしてそれが私の力でどうする訳にも行かないほどに、せっぱつまった境遇である事も知っていた。私は手のつけようのない人の苦痛を傍観する位置に立たせられてじっとしていた。  私は服薬の時間を計るため、客の前も憚からず常に袂時計を座蒲団の傍に置く癖をもっていた。 「もう十一時だから御帰りなさい」と私はしまいに女に云った。女は厭な顔もせずに立ち上った。私はまた「夜が更けたから送って行って上げましょう」と云って、女と共に沓脱に下りた。  その時美くしい月が静かな夜を残る隈なく照らしていた。往来へ出ると、ひっそりした土の上にひびく下駄の音はまるで聞こえなかった。私は懐手をしたまま帽子も被らずに、女の後に跟いて行った。曲り角の所で女はちょっと会釈して、「先生に送っていただいてはもったいのうございます」と云った。「もったいない訳がありません。同じ人間です」と私は答えた。  次の曲り角へ来たとき女は「先生に送っていただくのは光栄でございます」とまた云った。私は「本当に光栄と思いますか」と真面目に尋ねた。女は簡単に「思います」とはっきり答えた。私は「そんなら死なずに生きていらっしゃい」と云った。私は女がこの言葉をどう解釈したか知らない。私はそれから一丁ばかり行って、また宅の方へ引き返したのである。  むせっぽいような苦しい話を聞かされた私は、その夜かえって人間らしい好い心持を久しぶりに経験した。そうしてそれが尊とい文芸上の作物を読んだあとの気分と同じものだという事に気がついた。有楽座や帝劇へ行って得意になっていた自分の過去の影法師が何となく浅ましく感ぜられた。         八  不愉快に充ちた人生をとぼとぼ辿りつつある私は、自分のいつか一度到着しなければならない死という境地について常に考えている。そうしてその死というものを生よりは楽なものだとばかり信じている。ある時はそれを人間として達し得る最上至高の状態だと思う事もある。 「死は生よりも尊とい」  こういう言葉が近頃では絶えず私の胸を往来するようになった。  しかし現在の私は今まのあたりに生きている。私の父母、私の祖父母、私の曾祖父母、それから順次に溯ぼって、百年、二百年、乃至千年万年の間に馴致された習慣を、私一代で解脱する事ができないので、私は依然としてこの生に執着しているのである。  だから私の他に与える助言はどうしてもこの生の許す範囲内においてしなければすまないように思う。どういう風に生きて行くかという狭い区域のなかでばかり、私は人類の一人として他の人類の一人に向わなければならないと思う。すでに生の中に活動する自分を認め、またその生の中に呼吸する他人を認める以上は、互いの根本義はいかに苦しくてもいかに醜くてもこの生の上に置かれたものと解釈するのが当り前であるから。 「もし生きているのが苦痛なら死んだら好いでしょう」  こうした言葉は、どんなに情なく世を観ずる人の口からも聞き得ないだろう。医者などは安らかな眠に赴むこうとする病人に、わざと注射の針を立てて、患者の苦痛を一刻でも延ばす工夫を凝らしている。こんな拷問に近い所作が、人間の徳義として許されているのを見ても、いかに根強く我々が生の一字に執着しているかが解る。私はついにその人に死をすすめる事ができなかった。  その人はとても回復の見込みのつかないほど深く自分の胸を傷けられていた。同時にその傷が普通の人の経験にないような美くしい思い出の種となってその人の面を輝やかしていた。  彼女はその美くしいものを宝石のごとく大事に永久彼女の胸の奥に抱き締めていたがった。不幸にして、その美くしいものはとりも直さず彼女を死以上に苦しめる手傷そのものであった。二つの物は紙の裏表のごとくとうてい引き離せないのである。  私は彼女に向って、すべてを癒す「時」の流れに従って下れと云った。彼女はもしそうしたらこの大切な記憶がしだいに剥げて行くだろうと嘆いた。  公平な「時」は大事な宝物を彼女の手から奪う代りに、その傷口もしだいに療治してくれるのである。烈しい生の歓喜を夢のように暈してしまうと同時に、今の歓喜に伴なう生々しい苦痛も取り除ける手段を怠たらないのである。  私は深い恋愛に根ざしている熱烈な記憶を取り上げても、彼女の創口から滴る血潮を「時」に拭わしめようとした。いくら平凡でも生きて行く方が死ぬよりも私から見た彼女には適当だったからである。  かくして常に生よりも死を尊いと信じている私の希望と助言は、ついにこの不愉快に充ちた生というものを超越する事ができなかった。しかも私にはそれが実行上における自分を、凡庸な自然主義者として証拠立てたように見えてならなかった。私は今でも半信半疑の眼でじっと自分の心を眺めている。         九  私が高等学校にいた頃、比較的親しく交際った友達の中にOという人がいた。その時分からあまり多くの朋友を持たなかった私には、自然Oと往来を繁くするような傾向があった。私はたいてい一週に一度くらいの割で彼を訪ねた。ある年の暑中休暇などには、毎日欠かさず真砂町に下宿している彼を誘って、大川の水泳場まで行った。  Oは東北の人だから、口の利き方に私などと違った鈍でゆったりした調子があった。そうしてその調子がいかにもよく彼の性質を代表しているように思われた。何度となく彼と議論をした記憶のある私は、ついに彼の怒ったり激したりする顔を見る事ができずにしまった。私はそれだけでも充分彼を敬愛に価する長者として認めていた。  彼の性質が鷹揚であるごとく、彼の頭脳も私よりは遥かに大きかった。彼は常に当時の私には、考えの及ばないような問題を一人で考えていた。彼は最初から理科へ入る目的をもっていながら、好んで哲学の書物などを繙いた。私はある時彼からスペンサーの第一原理という本を借りた事をいまだに忘れずにいる。  空の澄み切った秋日和などには、よく二人連れ立って、足の向く方へ勝手な話をしながら歩いて行った。そうした場合には、往来へ塀越に差し出た樹の枝から、黄色に染まった小さい葉が、風もないのに、はらはらと散る景色をよく見た。それが偶然彼の眼に触れた時、彼は「あッ悟った」と低い声で叫んだ事があった。ただ秋の色の空に動くのを美くしいと観ずるよりほかに能のない私には、彼の言葉が封じ込められた或秘密の符徴として怪しい響を耳に伝えるばかりであった。「悟りというものは妙なものだな」と彼はその後から平生のゆったりした調子で独言のように説明した時も、私には一口の挨拶もできなかった。  彼は貧生であった。大観音の傍に間借をして自炊していた頃には、よく干鮭を焼いて佗びしい食卓に私を着かせた。ある時は餅菓子の代りに煮豆を買って来て、竹の皮のまま双方から突っつき合った。  大学を卒業すると間もなく彼は地方の中学に赴任した。私は彼のためにそれを残念に思った。しかし彼を知らない大学の先生には、それがむしろ当然と見えたかも知れない。彼自身は無論平気であった。それから何年かの後に、たしか三年の契約で、支那のある学校の教師に雇われて行ったが、任期が充ちて帰るとすぐまた内地の中学校長になった。それも秋田から横手に遷されて、今では樺太の校長をしているのである。  去年上京したついでに久しぶりで私を訪ねてくれた時、取次のものから名刺を受取った私は、すぐその足で座敷へ行って、いつもの通り客より先に席に着いていた。すると廊下伝に室の入口まで来た彼は、座蒲団の上にきちんと坐っている私の姿を見るや否や、「いやに澄ましているな」と云った。  その時|向の言葉が終るか終らないうちに「うん」という返事がいつか私の口を滑って出てしまった。どうして私の悪口を自分で肯定するようなこの挨拶が、それほど自然に、それほど雑作なく、それほど拘泥わらずに、するすると私の咽喉を滑り越したものだろうか。私はその時透明な好い心持がした。         十  向い合って座を占めたOと私とは、何より先に互の顔を見返して、そこにまだ昔しのままの面影が、懐かしい夢の記念のように残っているのを認めた。しかしそれはあたかも古い心が新しい気分の中にぼんやり織り込まれていると同じ事で、薄暗く一面に霞んでいた。恐ろしい「時」の威力に抵抗して、再びもとの姿に返る事は、二人にとってもう不可能であった。二人は別れてから今会うまでの間に挟まっている過去という不思議なものを顧みない訳に行かなかった。  Oは昔し林檎のように赤い頬と、人一倍大きな丸い眼と、それから女に適したほどふっくりした輪廓に包まれた顔をもっていた。今見てもやはり赤い頬と丸い眼と、同じく骨張らない輪廓の持主ではあるが、それが昔しとはどこか違っている。  私は彼に私の口髭と揉み上げを見せた。彼はまた私のために自分の頭を撫でて見せた。私のは白くなって、彼のは薄く禿げかかっているのである。 「人間も樺太まで行けば、もう行く先はなかろうな」と私が調戯うと、彼は「まあそんなものだ」と答えて、私のまだ見た事のない樺太の話をいろいろして聞かせた。しかし私は今それをみんな忘れてしまった。夏は大変好い所だという事を覚えているだけである。  私は幾年ぶりかで、彼といっしょに表へ出た。彼はフロックの上へ、とんびのような外套をぶわぶわに着ていた。そうして電車の中で釣革にぶら下りながら、隠袋から手帛に包んだものを出して私に見せた。私は「なんだ」と訊いた。彼は「栗饅頭だ」と答えた。栗饅頭は先刻彼が私の宅にいた時に出した菓子であった。彼がいつの間に、それを手帛に包んだろうかと考えた時、私はちょっと驚かされた。 「あの栗饅頭を取って来たのか」 「そうかも知れない」  彼は私の驚いた様子を馬鹿にするような調子でこう云ったなり、その手帛の包をまた隠袋に収めてしまった。  我々はその晩帝劇へ行った。私の手に入れた二枚の切符に北側から入れという注意が書いてあったのを、つい間違えて、南側へ廻ろうとした時、彼は「そっちじゃないよ」と私に注意した。私はちょっと立ち留まって考えた上、「なるほど方角は樺太の方が確なようだ」と云いながら、また指定された入口の方へ引き返した。  彼は始めから帝劇を知っていると云っていた。しかし晩餐を済ました後で、自分の席へ帰ろうとするとき、誰でもやる通り、二階と一階の扉を間違えて、私から笑われた。  折々隠袋から金縁の眼鏡を出して、手に持った摺物を読んで見る彼は、その眼鏡を除さずに遠い舞台を平気で眺めていた。 「それは老眼鏡じゃないか。よくそれで遠い所が見えるね」 「なにチャブドーだ」  私にはこのチャブドーという意味が全く解らなかった。彼はそれを大差なしという支那語だと云って説明してくれた。  その夜の帰りに電車の中で私と別れたぎり、彼はまた遠い寒い日本の領地の北の端れに行ってしまった。  私は彼を想い出すたびに、達人という彼の名を考える。するとその名がとくに彼のために天から与えられたような心持になる。そうしてその達人が雪と氷に鎖ざされた北の果に、まだ中学校長をしているのだなと思う。         十一  ある奥さんがある女の人を私に紹介した。 「何か書いたものを見ていただきたいのだそうでございます」  私は奥さんのこの言葉から、頭の中でいろいろの事を考えさせられた。今まで私の所へ自分の書いたものを読んでくれと云って来たものは何人となくある。その中には原稿紙の厚さで、一寸または二寸ぐらいの嵩になる大部のものも交っていた。それを私は時間の都合の許す限りなるべく読んだ。そうして簡単な私はただ読みさえすれば自分の頼まれた義務を果したものと心得て満足していた。ところが先方では後から新聞に出してくれと云ったり、雑誌へ載せて貰いたいと頼んだりするのが常であった。中には他に読ませるのは手段で、原稿を金に換えるのが本来の目的であるように思われるのも少なくはなかった。私は知らない人の書いた読みにくい原稿を好意的に読むのがだんだん厭になって来た。  もっとも私の時間に教師をしていた頃から見ると、多少の弾力性ができてきたには相違なかった。それでも自分の仕事にかかれば腹の中はずいぶん多忙であった。親切ずくで見てやろうと約束した原稿すら、なかなか埒のあかない場合もないとは限らなかった。  私は私の頭で考えた通りの事をそのまま奥さんに話した。奥さんはよく私のいう意味を領解して帰って行った。約束の女が私の座敷へ来て、座蒲団の上に坐ったのはそれから間もなくであった。佗びしい雨が今にも降り出しそうな暗い空を、硝子戸越に眺めながら、私は女にこんな話をした。―― 「これは社交ではありません。御互に体裁の好い事ばかり云い合っていては、いつまで経ったって、啓発されるはずも、利益を受ける訳もないのです。あなたは思い切って正直にならなければ駄目ですよ。自分さえ充分に開放して見せれば、今あなたがどこに立ってどっちを向いているかという実際が、私によく見えて来るのです。そうした時、私は始めてあなたを指導する資格を、あなたから与えられたものと自覚しても宜しいのです。だから私が何か云ったら、腹に答えべき或物を持っている以上、けっして黙っていてはいけません。こんな事を云ったら笑われはしまいか、恥を掻きはしまいか、または失礼だといって怒られはしまいかなどと遠慮して、相手に自分という正体を黒く塗り潰した所ばかり示す工夫をするならば、私がいくらあなたに利益を与えようと焦慮ても、私の射る矢はことごとく空矢になってしまうだけです。 「これは私のあなたに対する注文ですが、その代り私の方でもこの私というものを隠しは致しません。ありのままを曝け出すよりほかに、あなたを教える途はないのです。だから私の考えのどこかに隙があって、その隙をもしあなたから見破られたら、私はあなたに私の弱点を握られたという意味で敗北の結果に陥るのです。教を受ける人だけが自分を開放する義務をもっていると思うのは間違っています。教える人も己れをあなたの前に打ち明けるのです。双方とも社交を離れて勘破し合うのです。 「そういう訳で私はこれからあなたの書いたものを拝見する時に、ずいぶん手ひどい事を思い切って云うかも知れませんが、しかし怒ってはいけません。あなたの感情を害するためにいうのではないのですから。その代りあなたの方でも腑に落ちない所があったらどこまでも切り込んでいらっしゃい。あなたが私の主意を了解している以上、私はけっして怒るはずはありませんから。 「要するにこれはただ現状維持を目的として、上滑りな円滑を主位に置く社交とは全く別物なのです。解りましたか」  女は解ったと云って帰って行った。         十二  私に短冊を書けの、詩を書けのと云って来る人がある。そうしてその短冊やら絖やらをまだ承諾もしないうちに送って来る。最初のうちはせっかくの希望を無にするのも気の毒だという考から、拙い字とは思いながら、先方の云うなりになって書いていた。けれどもこうした好意は永続しにくいものと見えて、だんだん多くの人の依頼を無にするような傾向が強くなって来た。  私はすべての人間を、毎日毎日恥を掻くために生れてきたものだとさえ考える事もあるのだから、変な字を他に送ってやるくらいの所作は、あえてしようと思えば、やれないとも限らないのである。しかし自分が病気のとき、仕事の忙がしい時、またはそんな真似のしたくない時に、そういう注文が引き続いて起ってくると、実際弱らせられる。彼らの多くは全く私の知らない人で、そうして自分達の送った短冊を再び送り返すこちらの手数さえ、まるで眼中に置いていないように見えるのだから。  そのうちで一番私を不愉快にしたのは播州の坂越にいる岩崎という人であった。この人は数年前よく端書で私に俳句を書いてくれと頼んで来たから、その都度向うのいう通り書いて送った記憶のある男である。その後の事であるが、彼はまた四角な薄い小包を私に送った。私はそれを開けるのさえ面倒だったから、ついそのままにして書斎へ放り出しておいたら、下女が掃除をする時、つい書物と書物の間へ挟み込んで、まず体よくしまい失くした姿にしてしまった。  この小包と前後して、名古屋から茶の缶が私宛で届いた。しかし誰が何のために送ったものかその意味は全く解らなかった。私は遠慮なくその茶を飲んでしまった。するとほどなく坂越の男から、富士登山の画を返してくれと云ってきた。彼からそんなものを貰った覚のない私は、打ちやっておいた。しかし彼は富士登山の画を返せ返せと三度も四度も催促してやまない。私はついにこの男の精神状態を疑い出した。「大方気違だろう。」私は心の中でこうきめたなり向うの催促にはいっさい取り合わない事にした。  それから二三カ月|経った。たしか夏の初の頃と記憶しているが、私はあまり乱雑に取り散らされた書斎の中に坐っているのがうっとうしくなったので、一人でぽつぽつそこいらを片づけ始めた。その時書物の整理をするため、好い加減に積み重ねてある字引や参考書を、一冊ずつ改めて行くと、思いがけなく坂越の男が寄こした例の小包が出て来た。私は今まで忘れていたものを、眼のあたり見て驚ろいた。さっそく封を解いて中を検べたら、小さく畳んだ画が一枚入っていた。それが富士登山の図だったので、私はまた吃驚した。  包のなかにはこの画のほかに手紙が一通添えてあって、それに画の賛をしてくれという依頼と、御礼に茶を送るという文句が書いてあった。私はいよいよ驚ろいた。  しかしその時の私はとうてい富士登山の図などに賛をする勇気をもっていなかった。私の気分が、そんな事とは遥か懸け離れた所にあったので、その画に調和するような俳句を考えている暇がなかったのである。けれども私は恐縮した。私は丁寧な手紙を書いて、自分の怠慢を謝した。それから茶の御礼を云った。最後に富士登山の図を小包にして返した。         十三  私はこれで一段落ついたものと思って、例の坂越の男の事を、それぎり念頭に置かなかった。するとその男がまた短冊を封じて寄こした。そうして今度は義士に関係のある句を書いてくれというのである。私はそのうち書こうと云ってやった。しかしなかなか書く機会が来なかったので、ついそのままになってしまった。けれども執濃いこの男の方ではけっしてそのままに済ます気はなかったものと見えて、むやみに催促を始め出した。その催促は一週に一遍か、二週に一遍の割できっと来た。それが必ず端書に限っていて、その書き出しには、必ず「拝啓失敬申し候えども」とあるにきまっていた。私はその人の端書を見るのがだんだん不愉快になって来た。  同時に向うの催促も、今まで私の予期していなかった変な特色を帯びるようになった。最初には茶をやったではないかという言葉が見えた。私がそれに取り合わずにいると、今度はあの茶を返してくれという文句に改たまった。私は返す事はたやすいが、その手数が面倒だから、東京まで取りに来れば返してやると云ってやりたくなった。けれども坂越の男にそういう手紙を出すのは、自分の品格に関わるような気がしてあえてし切れなかった。返事を受け取らない先方はなおの事催促をした。茶を返さないならそれでも好いから、金一円をその代価として送って寄こせというのである。私の感情はこの男に対してしだいに荒んで来た。しまいにはとうとう自分を忘れるようになった。茶は飲んでしまった、短冊は失くしてしまった、以来端書を寄こす事はいっさい無用であると書いてやった。そうして心のうちで、非常に苦々しい気分を経験した。こんな非紳士的な挨拶をしなければならないような穴の中へ、私を追い込んだのは、この坂越の男であると思ったからである。こんな男のために、品格にもせよ人格にもせよ、幾分の堕落を忍ばなければならないのかと考えると情なかったからである。  しかし坂越の男は平気であった。茶は飲んでしまい、短冊は失くしてしまうとは、余りと申せば……とまた端書に書いて来た。そうしてその冒頭には依然として拝啓失敬申し候えどもという文句が規則通り繰り返されていた。  その時私はもうこの男には取り合うまいと決心した。けれども私の決心は彼の態度に対して何の効果のあるはずはなかった。彼は相変らず催促をやめなかった。そうして今度は、もう一度書いてくれれば、また茶を送ってやるがどうだと云って来た。それから事いやしくも義士に関するのだから、句を作っても好いだろうと云って来た。  しばらく端書が中絶したと思うと、今度はそれが封書に変った。もっともその封筒は区役所などで使う極めて安い鼠色のものであったが、彼はわざとそれに切手を貼らないのである。その代り裏に自分の姓名も書かずに投函していた。私はそれがために、倍の郵税を二度ほど払わせられた。最後に私は配達夫に彼の氏名と住所とを教えて、封のまま先方へ逆送して貰った。彼はそれで六銭取られたせいか、ようやく催促を断念したらしい態度になった。  ところが二カ月ばかり経って、年が改まると共に、彼は私に普通の年始状を寄こした。それが私をちょっと感心させたので、私はつい短冊へ句を書いて送る気になった。しかしその贈物は彼を満足させるに足りなかった。彼は短冊が折れたとか、汚れたとか云って、しきりに書き直しを請求してやまない。現に今年の正月にも、「失敬申し候えども……」という依頼状が七八日頃に届いた。  私がこんな人に出会ったのは生れて始めてである。         十四  ついこの間|昔し私の家へ泥棒の入った時の話を比較的|詳しく聞いた。  姉がまだ二人とも嫁づかずにいた時分の事だというから、年代にすると、多分私の生れる前後に当るのだろう、何しろ勤王とか佐幕とかいう荒々しい言葉の流行ったやかましい頃なのである。  ある夜一番目の姉が、夜中に小用に起きた後、手を洗うために、潜戸を開けると、狭い中庭の隅に、壁を圧しつけるような勢で立っている梅の古木の根方が、かっと明るく見えた。姉は思慮をめぐらす暇もないうちに、すぐ潜戸を締めてしまったが、締めたあとで、今目前に見た不思議な明るさをそこに立ちながら考えたのである。  私の幼心に映ったこの姉の顔は、いまだに思い起そうとすれば、いつでも眼の前に浮ぶくらい鮮かである。しかしその幻像はすでに嫁に行って歯を染めたあとの姿であるから、その時|縁側に立って考えていた娘盛りの彼女を、今胸のうちに描き出す事はちょっと困難である。  広い額、浅黒い皮膚、小さいけれども明確した輪廓を具えている鼻、人並より大きい二重瞼の眼、それから御沢という優しい名、――私はただこれらを綜合して、その場合における姉の姿を想像するだけである。  しばらく立ったまま考えていた彼女の頭に、この時もしかすると火事じゃないかという懸念が起った。それで彼女は思い切ってまた切戸を開けて外を覗こうとする途端に、一本の光る抜身が、闇の中から、四角に切った潜戸の中へすうと出た。姉は驚いて身を後へ退いた。その隙に、覆面をした、龕灯提灯を提げた男が、抜刀のまま、小さい潜戸から大勢|家の中へ入って来たのだそうである。泥棒の人数はたしか八人とか聞いた。  彼らは、他を殺めるために来たのではないから、おとなしくしていてくれさえすれば、家のものに危害は加えない、その代り軍用金を借せと云って、父に迫った。父はないと断った。しかし泥棒はなかなか承知しなかった。今|角の小倉屋という酒屋へ入って、そこで教えられて来たのだから、隠しても駄目だと云って動かなかった。父は不精無性に、とうとう何枚かの小判を彼らの前に並べた。彼らは金額があまり少な過ぎると思ったものか、それでもなかなか帰ろうとしないので、今まで床の中に寝ていた母が、「あなたの紙入に入っているのもやっておしまいなさい」と忠告した。その紙入の中には五十両ばかりあったとかいう話である。泥棒が出て行ったあとで、「余計な事をいう女だ」と云って、父は母を叱りつけたそうである。  その事があって以来、私の家では柱を切り組にして、その中へあり金を隠す方法を講じたが、隠すほどの財産もできず、また黒装束を着けた泥棒も、それぎり来ないので、私の生長する時分には、どれが切組にしてある柱かまるで分らなくなっていた。  泥棒が出て行く時、「この家は大変|締りの好い宅だ」と云って賞めたそうだが、その締りの好い家を泥棒に教えた小倉屋の半兵衛さんの頭には、あくる日から擦り傷がいくつとなくできた。これは金はありませんと断わるたびに、泥棒がそんなはずがあるものかと云っては、抜身の先でちょいちょい半兵衛さんの頭を突ッついたからだという。それでも半兵衛さんは、「どうしても宅にはありません、裏の夏目さんにはたくさんあるから、あすこへいらっしゃい」と強情を張り通して、とうとう金は一文も奪られずにしまった。  私はこの話を妻から聞いた。妻はまたそれを私の兄から茶受話に聞いたのである。         十五  私が去年の十一月学習院で講演をしたら、薄謝と書いた紙包を後から届けてくれた。立派な水引がかかっているので、それを除して中を改めると、五円札が二枚入っていた。私はその金を平生から気の毒に思っていた、或懇意な芸術家に贈ろうかしらと思って、暗に彼の来るのを待ち受けていた。ところがその芸術家がまだ見えない先に、何か寄附の必要ができてきたりして、つい二枚とも消費してしまった。  一口でいうと、この金は私にとってけっして無用なものではなかったのである。世間の通り相場で、立派に私のために消費されたというよりほかに仕方がないのである。けれどもそれを他にやろうとまで思った私の主観から見れば、そんなにありがたみの附着していない金には相違なかったのである。打ち明けた私の心持をいうと、こうした御礼を受けるより受けない時の方がよほど颯爽していた。  畔柳芥舟君が樗牛会の講演の事で見えた時、私は話のついでとして一通りその理由を述べた。 「この場合私は労力を売りに行ったのではない。好意ずくで依頼に応じたのだから、向うでも好意だけで私に酬いたらよかろうと思う。もし報酬問題とする気なら、最初から御礼はいくらするが、来てくれるかどうかと相談すべきはずでしょう」  その時K君は納得できないといったような顔をした。そうしてこう答えた。 「しかしどうでしょう。その十円はあなたの労力を買ったという意味でなくって、あなたに対する感謝の意を表する一つの手段と見たら。そう見る訳には行かないのですか」 「品物なら判然そう解釈もできるのですが、不幸にも御礼が普通営業的の売買に使用する金なのですから、どっちとも取れるのです」 「どっちとも取れるなら、この際善意の方に解釈した方が好くはないでしょうか」  私はもっともだとも思った。しかしまたこう答えた。 「私は御存じの通り原稿料で衣食しているくらいですから、無論富裕とは云えません。しかしどうかこうか、それだけで今日を過ごして行かれるのです。だから自分の職業以外の事にかけては、なるべく好意的に人のために働いてやりたいという考えを持っています。そうしてその好意が先方に通じるのが、私にとっては、何よりも尊とい報酬なのです。したがって金などを受けると、私が人のために働いてやるという余地、――今の私にはこの余地がまた極めて狭いのです。――その貴重な余地を腐蝕させられたような心持になります」  K君はまだ私の云う事を肯わない様子であった。私も強情であった。 「もし岩崎とか三井とかいう大富豪に講演を頼むとした場合に、後から十円の御礼を持って行くでしょうか、あるいは失礼だからと云って、ただ挨拶だけにとどめておくでしょうか。私の考ではおそらく金銭は持って行くまいと思うのですが」 「さあ」といっただけでK君は判然した返事を与えなかった。私にはまだ云う事が少し残っていた。 「己惚かは知りませんが、私の頭は三井岩崎に比べるほど富んでいないにしても、一般学生よりはずっと金持に違いないと信じています」 「そうですとも」とK君は首肯いた。 「もし岩崎や三井に十円の御礼を持って行く事が失礼ならば、私の所へ十円の御礼を持って来るのも失礼でしょう。それもその十円が物質上私の生活に非常な潤沢を与えるなら、またほかの意味からこの問題を眺める事もできるでしょうが、現に私はそれを他にやろうとまで思ったのだから。――私の現下の経済的生活は、この十円のために、ほとんど目に立つほどの影響を蒙らないのだから」 「よく考えて見ましょう」といったK君はにやにや笑いながら帰って行った。         十六  宅の前のだらだら坂を下りると、一間ばかりの小川に渡した橋があって、その橋向うのすぐ左側に、小さな床屋が見える。私はたった一度そこで髪を刈って貰った事がある。  平生は白い金巾の幕で、硝子戸の奥が、往来から見えないようにしてあるので、私はその床屋の土間に立って、鏡の前に座を占めるまで、亭主の顔をまるで知らずにいた。  亭主は私の入ってくるのを見ると、手に持った新聞紙を放り出してすぐ挨拶をした。その時私はどうもどこかで会った事のある男に違ないという気がしてならなかった。それで彼が私の後へ廻って、鋏をちょきちょき鳴らし出した頃を見計らって、こっちから話を持ちかけて見た。すると私の推察通り、彼は昔し寺町の郵便局の傍に店を持って、今と同じように、散髪を渡世としていた事が解った。 「高田の旦那などにもだいぶ御世話になりました」  その高田というのは私の従兄なのだから、私も驚いた。 「へえ高田を知ってるのかい」 「知ってるどころじゃございません。始終徳、徳、って贔屓にして下すったもんです」  彼の言葉|遣いはこういう職人にしてはむしろ丁寧な方であった。 「高田も死んだよ」と私がいうと、彼は吃驚した調子で「へッ」と声を揚げた。 「いい旦那でしたがね、惜しい事に。いつ頃御亡くなりになりました」 「なに、つい此間さ。今日で二週間になるか、ならないぐらいのものだろう」  彼はそれからこの死んだ従兄について、いろいろ覚えている事を私に語った末、「考えると早いもんですね旦那、つい昨日の事としっきゃ思われないのに、もう三十年近くにもなるんですから」と云った。 「あのそら求友亭の横町にいらしってね、……」と亭主はまた言葉を継ぎ足した。 「うん、あの二階のある家だろう」 「ええ御二階がありましたっけ。あすこへ御移りになった時なんか、方々様から御祝い物なんかあって、大変|御盛でしたがね。それから後でしたっけか、行願寺の寺内へ御引越なすったのは」  この質問は私にも答えられなかった。実はあまり古い事なので、私もつい忘れてしまったのである。 「あの寺内も今じゃ大変変ったようだね。用がないので、それからつい入って見た事もないが」 「変ったの変らないのってあなた、今じゃまるで待合ばかりでさあ」  私は肴町を通るたびに、その寺内へ入る足袋屋の角の細い小路の入口に、ごたごた掲げられた四角な軒灯の多いのを知っていた。しかしその数を勘定して見るほどの道楽気も起らなかったので、つい亭主のいう事には気がつかずにいた。 「なるほどそう云えば誰が袖なんて看板が通りから見えるようだね」 「ええたくさんできましたよ。もっとも変るはずですね、考えて見ると。もうやがて三十年にもなろうと云うんですから。旦那も御承知の通り、あの時分は芸者屋ったら、寺内にたった一軒しきゃ無かったもんでさあ。東家ってね。ちょうどそら高田の旦那の真向でしたろう、東家の御神灯のぶら下がっていたのは」         十七  私はその東家をよく覚えていた。従兄の宅のつい向なので、両方のものが出入りのたびに、顔を合わせさえすれば挨拶をし合うぐらいの間柄であったから。  その頃従兄の家には、私の二番目の兄がごろごろしていた。この兄は大の放蕩もので、よく宅の懸物や刀剣類を盗み出しては、それを二束三文に売り飛ばすという悪い癖があった。彼が何で従兄の家に転がり込んでいたのか、その時の私には解らなかったけれども、今考えると、あるいはそうした乱暴を働らいた結果、しばらく家を追い出されていたかも知れないと思う。その兄のほかに、まだ庄さんという、これも私の母方の従兄に当る男が、そこいらにぶらぶらしていた。  こういう連中がいつでも一つ所に落ち合っては、寝そべったり、縁側へ腰をかけたりして、勝手な出放題を並べていると、時々向うの芸者屋の竹格子の窓から、「今日は」などと声をかけられたりする。それをまた待ち受けてでもいるごとくに、連中は「おいちょっとおいで、好いものあるから」とか何とか云って、女を呼び寄せようとする。芸者の方でも昼間は暇だから、三度に一度は御愛嬌に遊びに来る。といった風の調子であった。  私はその頃まだ十七八だったろう、その上大変な羞恥屋で通っていたので、そんな所に居合わしても、何にも云わずに黙って隅の方に引込んでばかりいた。それでも私は何かの拍子で、これらの人々といっしょに、その芸者屋へ遊びに行って、トランプをした事がある。負けたものは何か奢らなければならないので、私は人の買った寿司や菓子をだいぶ食った。  一週間ほど経ってから、私はまたこののらくらの兄に連れられて同じ宅へ遊びに行ったら、例の庄さんも席に居合わせて話がだいぶはずんだ。その時|咲松という若い芸者が私の顔を見て、「またトランプをしましょう」と云った。私は小倉の袴を穿いて四角張っていたが、懐中には一銭の小遣さえ無かった。 「僕は銭がないから厭だ」 「好いわ、私が持ってるから」  この女はその時眼を病んででもいたのだろう、こういいいい、綺麗な襦袢の袖でしきりに薄赤くなった二重瞼を擦っていた。  その後私は「御作が好い御客に引かされた」という噂を、従兄の家で聞いた。従兄の家では、この女の事を咲松と云わないで、常に御作御作と呼んでいたのである。私はその話を聞いた時、心の内でもう御作に会う機会も来ないだろうと考えた。  ところがそれからだいぶ経って、私が例の達人といっしょに、芝の山内の勧工場へ行ったら、そこでまたぱったり御作に出会った。こちらの書生姿に引き易えて、彼女はもう品の好い奥様に変っていた。旦那というのも彼女の傍についていた。……  私は床屋の亭主の口から出た東家という芸者屋の名前の奥に潜んでいるこれだけの古い事実を急に思い出したのである。 「あすこにいた御作という女を知ってるかね」と私は亭主に聞いた。 「知ってるどころか、ありゃ私の姪でさあ」 「そうかい」  私は驚ろいた。 「それで、今どこにいるのかね」 「御作は亡くなりましたよ、旦那」  私はまた驚ろいた。 「いつ」 「いつって、もう昔の事になりますよ。たしかあれが二十三の年でしたろう」 「へええ」 「しかも浦塩で亡くなったんです。旦那が領事館に関係のある人だったもんですから、あっちへいっしょに行きましてね。それから間もなくでした、死んだのは」  私は帰って硝子戸の中に坐って、まだ死なずにいるものは、自分とあの床屋の亭主だけのような気がした。         十八  私の座敷へ通されたある若い女が、「どうも自分の周囲がきちんと片づかないで困りますが、どうしたら宜しいものでしょう」と聞いた。  この女はある親戚の宅に寄寓しているので、そこが手狭な上に、子供などが蒼蠅いのだろうと思った私の答は、すこぶる簡単であった。 「どこかさっぱりした家を探して下宿でもしたら好いでしょう」 「いえ部屋の事ではないので、頭の中がきちんと片づかないで困るのです」  私は私の誤解を意識すると同時に、女の意味がまた解らなくなった。それでもう少し進んだ説明を彼女に求めた。 「外からは何でも頭の中に入って来ますが、それが心の中心と折合がつかないのです」 「あなたのいう心の中心とはいったいどんなものですか」 「どんなものと云って、真直な直線なのです」  私はこの女の数学に熱心な事を知っていた。けれども心の中心が直線だという意味は無論私に通じなかった。その上中心とははたして何を意味するのか、それもほとんど不可解であった。女はこう云った。 「物には何でも中心がございましょう」 「それは眼で見る事ができ、尺度で計る事のできる物体についての話でしょう。心にも形があるんですか。そんならその中心というものをここへ出して御覧なさい」  女は出せるとも出せないとも云わずに、庭の方を見たり、膝の上で両手を擦ったりしていた。 「あなたの直線というのは比喩じゃありませんか。もし比喩なら、円と云っても四角と云っても、つまり同じ事になるのでしょう」 「そうかも知れませんが、形や色が始終変っているうちに、少しも変らないものが、どうしてもあるのです」 「その変るものと変らないものが、別々だとすると、要するに心が二つある訳になりますが、それで好いのですか。変るものはすなわち変らないものでなければならないはずじゃありませんか」  こう云った私はまた問題を元に返して女に向った。 「すべて外界のものが頭のなかに入って、すぐ整然と秩序なり段落なりがはっきりするように納まる人は、おそらくないでしょう。失礼ながらあなたの年齢や教育や学問で、そうきちんと片づけられる訳がありません。もしまたそんな意味でなくって、学問の力を借りずに、徹底的にどさりと納まりをつけたいなら、私のようなものの所へ来ても駄目です。坊さんの所へでもいらっしゃい」  すると女が私の顔を見た。 「私は始めて先生を御見上げ申した時に、先生の心はそういう点で、普通の人以上に整のっていらっしゃるように思いました」 「そんなはずがありません」 「でも私にはそう見えました。内臓の位置までが調っていらっしゃるとしか考えられませんでした」 「もし内臓がそれほど具合よく調節されているなら、こんなに始終病気などはしません」 「私は病気にはなりません」とその時女は突然自分の事を云った。 「それはあなたが私より偉い証拠です」と私も答えた。  女は蒲団を滑り下りた。そうして、「どうぞ御身体を御大切に」と云って帰って行った。         十九  私の旧宅は今私の住んでいる所から、四五町奥の馬場下という町にあった。町とは云い条、その実小さな宿場としか思われないくらい、小供の時の私には、寂れ切ってかつ淋しく見えた。もともと馬場下とは高田の馬場の下にあるという意味なのだから、江戸絵図で見ても、朱引内か朱引外か分らない辺鄙な隅の方にあったに違ないのである。  それでも内蔵造の家が狭い町内に三四軒はあったろう。坂を上ると、右側に見える近江屋伝兵衛という薬種屋などはその一つであった。それから坂を下り切った所に、間口の広い小倉屋という酒屋もあった。もっともこの方は倉造りではなかったけれども、堀部安兵衛が高田の馬場で敵を打つ時に、ここへ立ち寄って、枡酒を飲んで行ったという履歴のある家柄であった。私はその話を小供の時分から覚えていたが、ついぞそこにしまってあるという噂の安兵衛が口を着けた枡を見たことがなかった。その代り娘の御北さんの長唄は何度となく聞いた。私は小供だから上手だか下手だかまるで解らなかったけれども、私の宅の玄関から表へ出る敷石の上に立って、通りへでも行こうとすると、御北さんの声がそこからよく聞こえたのである。春の日の午過などに、私はよく恍惚とした魂を、麗かな光に包みながら、御北さんの御浚いを聴くでもなく聴かぬでもなく、ぼんやり私の家の土蔵の白壁に身を靠たせて、佇立んでいた事がある。その御蔭で私はとうとう「旅の衣は篠懸の」などという文句をいつの間にか覚えてしまった。  このほかには棒屋が一軒あった。それから鍛冶屋も一軒あった。少し八幡坂の方へ寄った所には、広い土間を屋根の下に囲い込んだやっちゃ場もあった。私の家のものは、そこの主人を、問屋の仙太郎さんと呼んでいた。仙太郎さんは何でも私の父とごく遠い親類つづきになっているんだとか聞いたが、交際からいうと、まるで疎濶であった。往来で行き会う時だけ、「好い御天気で」などと声をかけるくらいの間柄に過ぎなかったらしく思われる。この仙太郎さんの一人娘が講釈師の貞水と好い仲になって、死ぬの生きるのという騒ぎのあった事も人聞に聞いて覚えてはいるが、纏まった記憶は今頭のどこにも残っていない。小供の私には、それよりか仙太郎さんが高い台の上に腰をかけて、矢立と帳面を持ったまま、「いーやっちゃいくら」と威勢の好い声で下にいる大勢の顔を見渡す光景の方がよっぽど面白かった。下からはまた二十本も三十本もの手を一度に挙げて、みんな仙太郎さんの方を向きながら、ろんじだのがれんだのという符徴を、罵しるように呼び上げるうちに、薑や茄子や唐茄子の籠が、それらの節太の手で、どしどしどこかへ運び去られるのを見ているのも勇ましかった。  どんな田舎へ行ってもありがちな豆腐屋は無論あった。その豆腐屋には油の臭の染み込んだ縄暖簾がかかっていて門口を流れる下水の水が京都へでも行ったように綺麗だった。その豆腐屋について曲ると半町ほど先に西閑寺という寺の門が小高く見えた。赤く塗られた門の後は、深い竹藪で一面に掩われているので、中にどんなものがあるか通りからは全く見えなかったが、その奥でする朝晩の御勤の鉦の音は、今でも私の耳に残っている。ことに霧の多い秋から木枯の吹く冬へかけて、カンカンと鳴る西閑寺の鉦の音は、いつでも私の心に悲しくて冷たい或物を叩き込むように小さい私の気分を寒くした。         二十  この豆腐屋の隣に寄席が一軒あったのを、私は夢幻のようにまだ覚えている。こんな場末に人寄場のあろうはずがないというのが、私の記憶に霞をかけるせいだろう、私はそれを思い出すたびに、奇異な感じに打たれながら、不思議そうな眼を見張って、遠い私の過去をふり返るのが常である。  その席亭の主人というのは、町内の鳶頭で、時々|目暗縞の腹掛に赤い筋の入った印袢纏を着て、突っかけ草履か何かでよく表を歩いていた。そこにまた御藤さんという娘があって、その人の容色がよく家のものの口に上った事も、まだ私の記憶を離れずにいる。後には養子を貰ったが、それが口髭を生やした立派な男だったので、私はちょっと驚ろかされた。御藤さんの方でも自慢の養子だという評判が高かったが、後から聞いて見ると、この人はどこかの区役所の書記だとかいう話であった。  この養子が来る時分には、もう寄席もやめて、しもうた屋になっていたようであるが、私はそこの宅の軒先にまだ薄暗い看板が淋しそうに懸っていた頃、よく母から小遣を貰ってそこへ講釈を聞きに出かけたものである。講釈師の名前はたしか、南麟とかいった。不思議な事に、この寄席へは南麟よりほかに誰も出なかったようである。この男の家はどこにあったか知らないが、どの見当から歩いて来るにしても、道普請ができて、家並の揃った今から見れば大事業に相違なかった。その上客の頭数はいつでも十五か二十くらいなのだから、どんなに想像を逞ましくしても、夢としか考えられないのである。「もうしもうし花魁え、と云われて八ツ橋なんざますえとふり返る、途端に切り込む刃の光」という変な文句は、私がその時分南麟から教わったのか、それとも後になって落語家のやる講釈師の真似から覚えたのか、今では混雑してよく分らない。  当時私の家からまず町らしい町へ出ようとするには、どうしても人気のない茶畠とか、竹藪とかまたは長い田圃路とかを通り抜けなければならなかった。買物らしい買物はたいてい神楽坂まで出る例になっていたので、そうした必要に馴らされた私に、さした苦痛のあるはずもなかったが、それでも矢来の坂を上って酒井様の火の見櫓を通り越して寺町へ出ようという、あの五六町の一筋道などになると、昼でも陰森として、大空が曇ったように始終薄暗かった。  あの土手の上に二抱も三抱えもあろうという大木が、何本となく並んで、その隙間隙間をまた大きな竹藪で塞いでいたのだから、日の目を拝む時間と云ったら、一日のうちにおそらくただの一刻もなかったのだろう。下町へ行こうと思って、日和下駄などを穿いて出ようものなら、きっと非道い目にあうにきまっていた。あすこの霜融は雨よりも雪よりも恐ろしいもののように私の頭に染み込んでいる。  そのくらい不便な所でも火事の虞はあったものと見えて、やっぱり町の曲り角に高い梯子が立っていた。そうしてその上に古い半鐘も型のごとく釣るしてあった。私はこうしたありのままの昔をよく思い出す。その半鐘のすぐ下にあった小さな一膳飯屋もおのずと眼先に浮かんで来る。縄暖簾の隙間からあたたかそうな|煮〆の香が煙と共に往来へ流れ出して、それが夕暮の靄に融け込んで行く趣なども忘れる事ができない。私が子規のまだ生きているうちに、「半鐘と並んで高き冬木|哉」という句を作ったのは、実はこの半鐘の記念のためであった。         二十一  私の家に関する私の記憶は、惣じてこういう風に鄙びている。そうしてどこかに薄ら寒い憐れな影を宿している。だから今生き残っている兄から、つい此間、うちの姉達が芝居に行った当時の様子を聴いた時には驚ろいたのである。そんな派出な暮しをした昔もあったのかと思うと、私はいよいよ夢のような心持になるよりほかはない。  その頃の芝居小屋はみんな猿若町にあった。電車も俥もない時分に、高田の馬場の下から浅草の観音様の先まで朝早く行き着こうと云うのだから、たいていの事ではなかったらしい。姉達はみんな夜半に起きて支度をした。途中が物騒だというので、用心のため、下男がきっと供をして行ったそうである。  彼らは筑土を下りて、柿の木横町から揚場へ出て、かねてそこの船宿にあつらえておいた屋根船に乗るのである。私は彼らがいかに予期に充ちた心をもって、のろのろ砲兵工厰の前から御茶の水を通り越して柳橋まで漕がれつつ行っただろうと想像する。しかも彼らの道中はけっしてそこで終りを告げる訳に行かないのだから、時間に制限をおかなかったその昔がなおさら回顧の種になる。  大川へ出た船は、流を溯って吾妻橋を通り抜けて、今戸の有明楼の傍に着けたものだという。姉達はそこから上って芝居茶屋まで歩いて、それからようやく設けの席につくべく、小屋へ送られて行く。設けの席というのは必ず高土間に限られていた。これは彼らの服装なり顔なり、髪飾なりが、一般の眼によく着く便利のいい場所なので、派出を好む人達が、争って手に入れたがるからであった。  幕の間には役者に随いている男が、どうぞ楽屋へお遊びにいらっしゃいましと云って案内に来る。すると姉達はこの縮緬の模様のある着物の上に袴を穿いた男の後に跟いて、田之助とか訥升とかいう贔屓の役者の部屋へ行って、扇子に画などを描いて貰って帰ってくる。これが彼らの見栄だったのだろう。そうしてその見栄は金の力でなければ買えなかったのである。  帰りには元来た路を同じ舟で揚場まで漕ぎ戻す。無要心だからと云って、下男がまた提灯を点けて迎に行く。宅へ着くのは今の時計で十二時くらいにはなるのだろう。だから夜半から夜半までかかって彼らはようやく芝居を見る事ができたのである。……  こんな華麗な話を聞くと、私ははたしてそれが自分の宅に起った事か知らんと疑いたくなる。どこか下町の富裕な町家の昔を語られたような気もする。  もっとも私の家も侍分ではなかった。派出な付合をしなければならない名主という町人であった。私の知っている父は、禿頭の爺さんであったが、若い時分には、一中節を習ったり、馴染の女に縮緬の積夜具をしてやったりしたのだそうである。青山に田地があって、そこから上って来る米だけでも、家のものが食うには不足がなかったとか聞いた。現に今生き残っている三番目の兄などは、その米を舂く音を始終聞いたと云っている。私の記憶によると、町内のものがみんなして私の家を呼んで、玄関玄関と称えていた。その時分の私には、どういう意味か解らなかったが、今考えると、式台のついた厳めしい玄関付の家は、町内にたった一軒しかなかったからだろうと思う。その式台を上った所に、突棒や、袖搦や刺股や、また古ぼけた馬上提灯などが、並んで懸けてあった昔なら、私でもまだ覚えている。         二十二  この二三年来私はたいてい年に一度くらいの割で病気をする。そうして床についてから床を上げるまでに、ほぼ一月の日数を潰してしまう。  私の病気と云えば、いつもきまった胃の故障なので、いざとなると、絶食療法よりほかに手の着けようがなくなる。医者の命令ばかりか、病気の性質そのものが、私にこの絶食を余儀なくさせるのである。だから病み始めより回復期に向った時の方が、余計|痩せこけてふらふらする。一カ月以上かかるのもおもにこの衰弱が祟るからのように思われる。  私の立居が自由になると、黒枠のついた摺物が、時々私の机の上に載せられる。私は運命を苦笑する人のごとく、絹帽などを被って、葬式の供に立つ、俥を駆って斎場へ駈けつける。死んだ人のうちには、御爺さんも御婆さんもあるが、時には私よりも年歯が若くって、平生からその健康を誇っていた人も交っている。  私は宅へ帰って机の前に坐って、人間の寿命は実に不思議なものだと考える。多病な私はなぜ生き残っているのだろうかと疑って見る。あの人はどういう訳で私より先に死んだのだろうかと思う。  私としてこういう黙想に耽るのはむしろ当然だといわなければならない。けれども自分の位地や、身体や、才能や――すべて己れというもののおり所を忘れがちな人間の一人として、私は死なないのが当り前だと思いながら暮らしている場合が多い。読経の間ですら、焼香の際ですら、死んだ仏のあとに生き残った、この私という形骸を、ちっとも不思議と心得ずに澄ましている事が常である。  或人が私に告げて、「他の死ぬのは当り前のように見えますが、自分が死ぬという事だけはとても考えられません」と云った事がある。戦争に出た経験のある男に、「そんなに隊のものが続々|斃れるのを見ていながら、自分だけは死なないと思っていられますか」と聞いたら、その人は「いられますね。おおかた死ぬまでは死なないと思ってるんでしょう」と答えた。それから大学の理科に関係のある人に、飛行機の話を聴かされた時に、こんな問答をした覚えもある。 「ああして始終落ちたり死んだりしたら、後から乗るものは怖いだろうね。今度はおれの番だという気になりそうなものだが、そうでないかしら」 「ところがそうでないと見えます」 「なぜ」 「なぜって、まるで反対の心理状態に支配されるようになるらしいのです。やッぱりあいつは墜落して死んだが、おれは大丈夫だという気になると見えますね」  私も恐らくこういう人の気分で、比較的平気にしていられるのだろう。それもそのはずである。死ぬまでは誰しも生きているのだから。  不思議な事に私の寝ている間には、黒枠の通知がほとんど来ない。去年の秋にも病気が癒った後で、三四人の葬儀に列したのである。その三四人の中に社の佐藤君も這入っていた。私は佐藤君がある宴会の席で、社から貰った銀盃を持って来て、私に酒を勧めてくれた事を思い出した。その時彼の踊った変な踊もまだ覚えている。この元気な崛強な人の葬式に行った私は、彼が死んで私が生残っているのを、別段の不思議とも思わずにいる時の方が多い。しかし折々考えると、自分の生きている方が不自然のような心持にもなる。そうして運命がわざと私を愚弄するのではないかしらと疑いたくなる。         二十三  今私の住んでいる近所に喜久井町という町がある。これは私の生れた所だから、ほかの人よりもよく知っている。けれども私が家を出て、方々|漂浪して帰って来た時には、その喜久井町がだいぶ広がって、いつの間にか根来の方まで延びていた。  私に縁故の深いこの町の名は、あまり聞き慣れて育ったせいか、ちっとも私の過去を誘い出す懐かしい響を私に与えてくれない。しかし書斎に独り坐って、頬杖を突いたまま、流れを下る舟のように、心を自由に遊ばせておくと、時々私の聯想が、喜久井町の四字にぱたりと出会ったなり、そこでしばらく※徊し始める事がある。  この町は江戸と云った昔には、多分存在していなかったものらしい。江戸が東京に改まった時か、それともずっと後になってからか、年代はたしかに分らないが、何でも私の父が拵えたものに相違ないのである。  私の家の定紋が井桁に菊なので、それにちなんだ菊に井戸を使って、喜久井町としたという話は、父自身の口から聴いたのか、または他のものから教わったのか、何しろ今でもまだ私の耳に残っている。父は名主がなくなってから、一時区長という役を勤めていたので、あるいはそんな自由も利いたかも知れないが、それを誇にした彼の虚栄心を、今になって考えて見ると、厭な心持は疾くに消え去って、ただ微笑したくなるだけである。  父はまだその上に自宅の前から南へ行く時に是非共登らなければならない長い坂に、自分の姓の夏目という名をつけた。不幸にしてこれは喜久井町ほど有名にならずに、ただの坂として残っている。しかしこの間、或人が来て、地図でこの辺の名前を調べたら、夏目坂というのがあったと云って話したから、ことによると父の付けた名が今でも役に立っているのかも知れない。  私が早稲田に帰って来たのは、東京を出てから何年ぶりになるだろう。私は今の住居に移る前、家を探す目的であったか、また遠足の帰り路であったか、久しぶりで偶然私の旧家の横へ出た。その時表から二階の古瓦が少し見えたので、まだ生き残っているのかしらと思ったなり、私はそのまま通り過ぎてしまった。  早稲田に移ってから、私はまたその門前を通って見た。表から覗くと、何だかもとと変らないような気もしたが、門には思いも寄らない下宿屋の看板が懸っていた。私は昔の早稲田|田圃が見たかった。しかしそこはもう町になっていた。私は根来の茶畠と竹藪を一目眺めたかった。しかしその痕迹はどこにも発見する事ができなかった。多分この辺だろうと推測した私の見当は、当っているのか、外れているのか、それさえ不明であった。  私は茫然として佇立した。なぜ私の家だけが過去の残骸のごとくに存在しているのだろう。私は心のうちで、早くそれが崩れてしまえば好いのにと思った。 「時」は力であった。去年私が高田の方へ散歩したついでに、何気なくそこを通り過ぎると、私の家は綺麗に取り壊されて、そのあとに新らしい下宿屋が建てられつつあった。その傍には質屋もできていた。質屋の前に疎らな囲をして、その中に庭木が少し植えてあった。三本の松は、見る影もなく枝を刈り込まれて、ほとんど畸形児のようになっていたが、どこか見覚のあるような心持を私に起させた。昔し「影|参差松三本の月夜かな」と咏ったのは、あるいはこの松の事ではなかったろうかと考えつつ、私はまた家に帰った。         二十四 「そんな所に生い立って、よく今日まで無事にすんだものですね」 「まあどうかこうか無事にやって来ました」  私達の使った無事という言葉は、男女の間に起る恋の波瀾がないという意味で、云わば情事の反対を指したようなものであるが、私の追窮心は簡単なこの一句の答で満足できなかった。 「よく人が云いますね、菓子屋へ奉公すると、いくら甘いものの好な男でも、菓子が厭になるって、御彼岸に御萩などを拵えているところを宅で見ていても分るじゃありませんか、拵えるものは、ただ御萩を御重に詰めるだけで、もうげんなりした顔をしているくらいだから。あなたの場合もそんな訳なんですか」 「そういう訳でもないようです。とにかく廿歳少し過ぎまでは平気でいたのですから」  その人はある意味において好男子であった。 「たといあなたが平気でいても、相手が平気でいない場合がないとも限らないじゃありませんか。そんな時には、どうしたって誘われがちになるのが当り前でしょう」 「今からふり返って見ると、なるほどこういう意味でああいう事をしたのだとか、あんな事を云ったのだとか、いろいろ思い当る事がないでもありません」 「じゃ全く気がつかずにいたのですね」 「まあそうです。それからこちらで気のついたのも一つありました。しかし私の心はどうしても、その相手に惹きつけられる事ができなかったのです」  私はそれが話の終りかと思った。二人の前には正月の膳が据えてあった。客は少しも酒を飲まないし、私もほとんど盃に手を触れなかったから、献酬というものは全くなかった。 「それだけで今日まで経過して来られたのですか」と私は吸物をすすりながら念のために訊いて見た。すると客は突然こんな話を私にして聞かせた。 「まだ使用人であった頃に、ある女と二年ばかり会っていた事があります。相手は無論|素人ではないのでした。しかしその女はもういないのです。首を縊って死んでしまったのです。年は十九でした。十日ばかり会わないでいるうちに死んでしまったのです。その女にはね、旦那が二人あって、双方が意地ずくで、身受の金を競り上げにかかったのです。それに双方共老妓を味方にして、こっちへ来い、あっちへ行くなと義理責にもしたらしいのです。……」 「あなたはそれを救ってやる訳に行かなかったのですか」 「当時の私は丁稚の少し毛の生えたようなもので、とてもどうもできないのです」 「しかしその芸妓はあなたのために死んだのじゃありませんか」 「さあ……。一度に双方の旦那に義理を立てる訳に行かなかったからかも知れませんが。……しかし私ら二人の間に、どこへも行かないという約束はあったに違ないのです」 「するとあなたが間接にその女を殺した事になるのかも知れませんね」 「あるいはそうかも知れません」 「あなたは寝覚が悪かありませんか」 「どうも好くないのです」  元日に込み合った私の座敷は、二日になって淋しいくらい静かであった。私はその淋しい春の松の内に、こういう憐れな物語りを、その年賀の客から聞いたのである。客は真面目な正直な人だったから、それを話すにも、ほとんど艶っぽい言葉を使わなかった。         二十五  私がまだ千駄木にいた頃の話だから、年数にすると、もうだいぶ古い事になる。  或日私は切通しの方へ散歩した帰りに、本郷四丁目の角へ出る代りに、もう一つ手前の細い通りを北へ曲った。その曲り角にはその頃あった牛屋の傍に、寄席の看板がいつでも懸っていた。  雨の降る日だったので、私は無論|傘をさしていた。それが鉄御納戸の八間の深張で、上から洩ってくる雫が、自然木の柄を伝わって、私の手を濡らし始めた。人通りの少ないこの小路は、すべての泥を雨で洗い流したように、足駄の歯に引っ懸る汚ないものはほとんどなかった。それでも上を見れば暗く、下を見れば佗びしかった。始終通りつけているせいでもあろうが、私の周囲には何一つ私の眼を惹くものは見えなかった。そうして私の心はよくこの天気とこの周囲に似ていた。私には私の心を腐蝕するような不愉快な塊が常にあった。私は陰欝な顔をしながら、ぼんやり雨の降る中を歩いていた。  日蔭町の寄席の前まで来た私は、突然一台の幌俥に出合った。私と俥の間には何の隔りもなかったので、私は遠くからその中に乗っている人の女だという事に気がついた。まだセルロイドの窓などのできない時分だから、車上の人は遠くからその白い顔を私に見せていたのである。  私の眼にはその白い顔が大変美しく映った。私は雨の中を歩きながらじっとその人の姿に見惚れていた。同時にこれは芸者だろうという推察が、ほとんど事実のように、私の心に働らきかけた。すると俥が私の一間ばかり前へ来た時、突然私の見ていた美しい人が、鄭寧な会釈を私にして通り過ぎた。私は微笑に伴なうその挨拶とともに、相手が、大塚楠緒さんであった事に、始めて気がついた。  次に会ったのはそれから幾日目だったろうか、楠緒さんが私に、「この間は失礼しました」と云ったので、私は私のありのままを話す気になった。 「実はどこの美くしい方かと思って見ていました。芸者じゃないかしらとも考えたのです」  その時楠緒さんが何と答えたか、私はたしかに覚えていないけれども、楠緒さんはちっとも顔を赧らめなかった。それから不愉快な表情も見せなかった。私の言葉をただそのままに受け取ったらしく思われた。  それからずっと経って、ある日楠緒さんがわざわざ早稲田へ訪ねて来てくれた事がある。しかるにあいにく私は妻と喧嘩をしていた。私は厭な顔をしたまま、書斎にじっと坐っていた。楠緒さんは妻と十分ばかり話をして帰って行った。  その日はそれですんだが、ほどなく私は西片町へ詫まりに出かけた。 「実は喧嘩をしていたのです。妻も定めて無愛想でしたろう。私はまた苦々しい顔を見せるのも失礼だと思って、わざと引込んでいたのです」  これに対する楠緒さんの挨拶も、今では遠い過去になって、もう呼び出す事のできないほど、記憶の底に沈んでしまった。  楠緒さんが死んだという報知の来たのは、たしか私が胃腸病院にいる頃であった。死去の広告中に、私の名前を使って差支ないかと電話で問い合された事などもまだ覚えている。私は病院で「ある程の菊投げ入れよ棺の中」という手向の句を楠緒さんのために咏んだ。それを俳句の好きなある男が嬉しがって、わざわざ私に頼んで、短冊に書かせて持って行ったのも、もう昔になってしまった。         二十六  益さんがどうしてそんなに零落たものか私には解らない。何しろ私の知っている益さんは郵便脚夫であった。益さんの弟の庄さんも、家を潰して私の所へ転がり込んで食客になっていたが、これはまだ益さんよりは社会的地位が高かった。小供の時分本町の鰯屋へ奉公に行っていた時、浜の西洋人が可愛がって、外国へ連れて行くと云ったのを断ったのが、今考えると残念だなどと始終話していた。  二人とも私の母方の従兄に当る男だったから、その縁故で、益さんは弟に会うため、また私の父に敬意を表するため、月に一遍ぐらいは、牛込の奥まで煎餅の袋などを手土産に持って、よく訪ねて来た。  益さんはその時何でも芝の外れか、または品川近くに世帯を持って、一人暮しの呑気な生活を営んでいたらしいので、宅へ来るとよく泊まって行った。たまに帰ろうとすると、兄達が寄ってたかって、「帰ると承知しないぞ」などと威嚇したものである。  当時二番目と三番目の兄は、まだ南校へ通っていた。南校というのは今の高等商業学校の位置にあって、そこを卒業すると、開成学校すなわち今日の大学へ這入る組織になっていたものらしかった。彼らは夜になると、玄関に桐の机を並べて、明日の下読をする。下読と云ったところで、今の書生のやるのとはだいぶ違っていた。グードリッチの英国史といったような本を、一節ぐらいずつ読んで、それからそれを机の上へ伏せて、口の内で今読んだ通りを暗誦するのである。  その下読が済むと、だんだん益さんが必要になって来る。庄さんもいつの間にかそこへ顔を出す。一番目の兄も、機嫌の好い時は、わざわざ奥から玄関まで出張って来る。そうしてみんないっしょになって、益さんに調戯い始める。 「益さん、西洋人の所へ手紙を配達する事もあるだろう」 「そりゃ商売だから厭だって仕方がありません、持って行きますよ」 「益さんは英語ができるのかね」 「英語ができるくらいならこんな真似をしちゃいません」 「しかし郵便ッとか何とか大きな声を出さなくっちゃならないだろう」 「そりゃ日本語で間に合いますよ。異人だって、近頃は日本語が解りますもの」 「へええ、向でも何とか云うのかね」 「云いますとも。ペロリの奥さんなんか、あなたよろしいありがとうと、ちゃんと日本語で挨拶をするくらいです」  みんなは益さんをここまでおびき出しておいて、どっと笑うのである。それからまた「益さん何て云うんだって、その奥さんは」と何遍も一つ事を訊いては、いつまでも笑いの種にしようと巧らんでかかる。益さんもしまいには苦笑いをして、とうとう「あなたよろしい」をやめにしてしまう。すると今度は「じゃ益さん、野中の一本杉をやって御覧よ」と誰かが云い出す。 「やれったって、そうおいそれとやれるもんじゃありません」 「まあ好いから、おやりよ。いよいよ野中の一本杉の所まで参りますと……」  益さんはそれでもにやにやして応じない。私はとうとう益さんの野中の一本杉というものを聴かずにしまった。今考えると、それは何でも講釈か人情噺の一節じゃないかしらと思う。  私の成人する頃には益さんももう宅へ来なくなった。おおかた死んだのだろう。生きていれば何か消息のあるはずである。しかし死んだにしても、いつ死んだのか私は知らない。         二十七  私は芝居というものに余り親しみがない。ことに旧劇は解らない。これは古来からその方面で発達して来た演芸上の約束を知らないので、舞台の上に開展される特別の世界に、同化する能力が私に欠けているためだとも思う。しかしそればかりではない。私が旧劇を見て、最も異様に感ずるのは、役者が自然と不自然の間を、どっちつかずにぶらぶら歩いている事である。それが私に、中腰と云ったような落ちつけない心持を引き起させるのも恐らく理の当然なのだろう。  しかし舞台の上に子供などが出て来て、甲の高い声で、憐れっぽい事などを云う時には、いかな私でも知らず知らず眼に涙が滲み出る。そうしてすぐ、ああ騙されたなと後悔する。なぜあんなに安っぽい涙を零したのだろうと思う。 「どう考えても騙されて泣くのは厭だ」と私はある人に告げた。芝居好のその相手は、「それが先生の常態なのでしょう。平生涙を控え目にしているのは、かえってあなたのよそゆきじゃありませんか」と注意した。  私はその説に不服だったので、いろいろの方面から向を納得させようとしているうちに、話題がいつか絵画の方に滑って行った。その男はこの間参考品として美術協会に出た若冲の御物を大変に嬉しがって、その評論をどこかの雑誌に載せるとかいう噂であった。私はまたあの鶏の図がすこぶる気に入らなかったので、ここでも芝居と同じような議論が二人の間に起った。 「いったい君に画を論ずる資格はないはずだ」と私はついに彼を罵倒した。するとこの一言が本になって、彼は芸術一元論を主張し出した。彼の主意をかいつまんで云うと、すべての芸術は同じ源から湧いて出るのだから、その内の一つさえうんと腹に入れておけば、他は自ずから解し得られる理窟だというのである。座にいる人のうちで、彼に同意するものも少なくなかった。 「じゃ小説を作れば、自然柔道も旨くなるかい」と私が笑談半分に云った。 「柔道は芸術じゃありませんよ」と相手も笑いながら答えた。  芸術は平等観から出立するのではない。よしそこから出立するにしても、差別観に入って始めて、花が咲くのだから、それを本来の昔へ返せば、絵も彫刻も文章も、すっかり無に帰してしまう。そこに何で共通のものがあろう。たとい有ったにしたところで、実際の役には立たない。彼我共通の具体的のものなどの発見もできるはずがない。  こういうのがその時の私の論旨であった。そうしてその論旨はけっして充分なものではなかった。もっと先方の主張を取り入れて、周到な解釈を下してやる余地はいくらでもあったのである。  しかしその時座にいた一人が、突然私の議論を引き受けて相手に向い出したので、私も面倒だからついそのままにしておいた。けれども私の代りになったその男というのはだいぶ酔っていた。それで芸術がどうだの、文芸がどうだのと、しきりに弁ずるけれども、あまり要領を得た事は云わなかった。言葉|遣いさえ少しへべれけであった。初めのうちは面白がって笑っていた人達も、ついには黙ってしまった。 「じゃ絶交しよう」などと酔った男がしまいに云い出した。私は「絶交するなら外でやってくれ、ここでは迷惑だから」と注意した。 「じゃ外へ出て絶交しようか」と酔った男が相手に相談を持ちかけたが、相手が動かないので、とうとうそれぎりになってしまった。  これは今年の元日の出来事である。酔った男はそれからちょいちょい来るが、その時の喧嘩については一口も云わない。         二十八  ある人が私の家の猫を見て、「これは何代目の猫ですか」と訊いた時、私は何気なく「二代目です」と答えたが、あとで考えると、二代目はもう通り越して、その実三代目になっていた。  初代は宿なしであったにかかわらず、ある意味からして、だいぶ有名になったが、それに引きかえて、二代目の生涯は、主人にさえ忘れられるくらい、短命だった。私は誰がそれをどこから貰って来たかよく知らない。しかし手の掌に載せれば載せられるような小さい恰好をして、彼がそこいら中這い廻っていた当時を、私はまだ記憶している。この可憐な動物は、ある朝家のものが床を揚げる時、誤って上から踏み殺してしまった。ぐうという声がしたので、蒲団の下に潜り込んでいる彼をすぐ引き出して、相当の手当をしたが、もう間に合わなかった。彼はそれから一日二日してついに死んでしまった。その後へ来たのがすなわち真黒な今の猫である。  私はこの黒猫を可愛がっても憎がってもいない。猫の方でも宅中のそのそ歩き廻るだけで、別に私の傍へ寄りつこうという好意を現わした事がない。  ある時彼は台所の戸棚へ這入って、鍋の中へ落ちた。その鍋の中には胡麻の油がいっぱいあったので、彼の身体はコスメチックでも塗りつけたように光り始めた。彼はその光る身体で私の原稿紙の上に寝たものだから、油がずっと下まで滲み通って私をずいぶんな目に逢わせた。  去年私の病気をする少し前に、彼は突然皮膚病に罹った。顔から額へかけて、毛がだんだん抜けて来る。それをしきりに爪で掻くものだから、瘡葢がぼろぼろ落ちて、痕が赤裸になる。私はある日食事中この見苦しい様子を眺めて厭な顔をした。 「ああ瘡葢を零して、もし小供にでも伝染するといけないから、病院へ連れて行って早く療治をしてやるがいい」  私は家のものにこういったが、腹の中では、ことによると病気が病気だから全治しまいとも思った。昔し私の知っている西洋人が、ある伯爵から好い犬を貰って可愛がっていたところ、いつかこんな皮膚病に悩まされ出したので、気の毒だからと云って、医者に頼んで殺して貰った事を、私はよく覚えていたのである。 「クロロフォームか何かで殺してやった方が、かえって苦痛がなくって仕合せだろう」  私は三四度同じ言葉を繰り返して見たが、猫がまだ私の思う通りにならないうちに、自分の方が病気でどっと寝てしまった。その間私はついに彼を見る機会をもたなかった。自分の苦痛が直接自分を支配するせいか、彼の病気を考える余裕さえ出なかった。  十月に入って、私はようやく起きた。そうして例のごとく黒い彼を見た。すると不思議な事に、彼の醜い赤裸の皮膚にもとのような黒い毛が生えかかっていた。 「おや癒るのかしら」  私は退屈な病後の眼を絶えず彼の上に注いでいた。すると私の衰弱がだんだん回復するにつれて、彼の毛もだんだん濃くなって来た。それが平生の通りになると、今度は以前より肥え始めた。  私は自分の病気の経過と彼の病気の経過とを比較して見て、時々そこに何かの因縁があるような暗示を受ける。そうしてすぐその後から馬鹿らしいと思って微笑する。猫の方ではただにやにや鳴くばかりだから、どんな心持でいるのか私にはまるで解らない。         二十九  私は両親の晩年になってできたいわゆる末ッ子である。私を生んだ時、母はこんな年歯をして懐妊するのは面目ないと云ったとかいう話が、今でも折々は繰り返されている。  単にそのためばかりでもあるまいが、私の両親は私が生れ落ちると間もなく、私を里にやってしまった。その里というのは、無論私の記憶に残っているはずがないけれども、成人の後聞いて見ると、何でも古道具の売買を渡世にしていた貧しい夫婦ものであったらしい。  私はその道具屋の我楽多といっしょに、小さい笊の中に入れられて、毎晩|四谷の大通りの夜店に曝されていたのである。それをある晩私の姉が何かのついでにそこを通りかかった時見つけて、可哀想とでも思ったのだろう、懐へ入れて宅へ連れて来たが、私はその夜どうしても寝つかずに、とうとう一晩中泣き続けに泣いたとかいうので、姉は大いに父から叱られたそうである。  私はいつ頃その里から取り戻されたか知らない。しかしじきまたある家へ養子にやられた。それはたしか私の四つの歳であったように思う。私は物心のつく八九歳までそこで成長したが、やがて養家に妙なごたごたが起ったため、再び実家へ戻るような仕儀となった。  浅草から牛込へ遷された私は、生れた家へ帰ったとは気がつかずに、自分の両親をもと通り祖父母とのみ思っていた。そうして相変らず彼らを御爺さん、御婆さんと呼んで毫も怪しまなかった。向でも急に今までの習慣を改めるのが変だと考えたものか、私にそう呼ばれながら澄ました顔をしていた。  私は普通の末ッ子のようにけっして両親から可愛がられなかった。これは私の性質が素直でなかったためだの、久しく両親に遠ざかっていたためだの、いろいろの原因から来ていた。とくに父からはむしろ苛酷に取扱かわれたという記憶がまだ私の頭に残っている。それだのに浅草から牛込へ移された当時の私は、なぜか非常に嬉しかった。そうしてその嬉しさが誰の目にもつくくらいに著るしく外へ現われた。  馬鹿な私は、本当の両親を爺婆とのみ思い込んで、どのくらいの月日を空に暮らしたものだろう、それを訊かれるとまるで分らないが、何でも或夜こんな事があった。  私がひとり座敷に寝ていると、枕元の所で小さな声を出して、しきりに私の名を呼ぶものがある。私は驚ろいて眼を覚ましたが、周囲が真暗なので、誰がそこに蹲踞っているのか、ちょっと判断がつかなかった。けれども私は小供だからただじっとして先方の云う事だけを聞いていた。すると聞いているうちに、それが私の家の下女の声である事に気がついた。下女は暗い中で私に耳語をするようにこういうのである。―― 「あなたが御爺さん御婆さんだと思っていらっしゃる方は、本当はあなたの御父さんと御母さんなのですよ。先刻ね、おおかたそのせいであんなにこっちの宅が好なんだろう、妙なものだな、と云って二人で話していらしったのを私が聞いたから、そっとあなたに教えて上げるんですよ。誰にも話しちゃいけませんよ。よござんすか」  私はその時ただ「誰にも云わないよ」と云ったぎりだったが、心の中では大変嬉しかった。そうしてその嬉しさは事実を教えてくれたからの嬉しさではなくって、単に下女が私に親切だったからの嬉しさであった。不思議にも私はそれほど嬉しく思った下女の名も顔もまるで忘れてしまった。覚えているのはただその人の親切だけである。         三十  私がこうして書斎に坐っていると、来る人の多くが「もう御病気はすっかり御癒りですか」と尋ねてくれる。私は何度も同じ質問を受けながら、何度も返答に躊躇した。そうしてその極いつでも同じ言葉を繰り返すようになった。それは「ええまあどうかこうか生きています」という変な挨拶に異ならなかった。  どうかこうか生きている。――私はこの一句を久しい間使用した。しかし使用するごとに、何だか不穏当な心持がするので、自分でも実はやめられるならばと思って考えてみたが、私の健康状態を云い現わすべき適当な言葉は、他にどうしても見つからなかった。  ある日T君が来たから、この話をして、癒ったとも云えず、癒らないとも云えず、何と答えて好いか分らないと語ったら、T君はすぐ私にこんな返事をした。 「そりゃ癒ったとは云われませんね。そう時々再発するようじゃ。まあもとの病気の継続なんでしょう」  この継続という言葉を聞いた時、私は好い事を教えられたような気がした。それから以後は、「どうかこうか生きています」という挨拶をやめて、「病気はまだ継続中です」と改ためた。そうしてその継続の意味を説明する場合には、必ず欧洲の大乱を引合に出した。 「私はちょうど独乙が聯合軍と戦争をしているように、病気と戦争をしているのです。今こうやってあなたと対坐していられるのは、天下が太平になったからではないので、塹壕の中に這入って、病気と睨めっくらをしているからです。私の身体は乱世です。いつどんな変が起らないとも限りません」  或人は私の説明を聞いて、面白そうにははと笑った。或人は黙っていた。また或人は気の毒らしい顔をした。  客の帰ったあとで私はまた考えた。――継続中のものはおそらく私の病気ばかりではないだろう。私の説明を聞いて、笑談だと思って笑う人、解らないで黙っている人、同情の念に駆られて気の毒らしい顔をする人、――すべてこれらの人の心の奥には、私の知らない、また自分達さえ気のつかない、継続中のものがいくらでも潜んでいるのではなかろうか。もし彼らの胸に響くような大きな音で、それが一度に破裂したら、彼らははたしてどう思うだろう。彼らの記憶はその時もはや彼らに向って何物をも語らないだろう。過去の自覚はとくに消えてしまっているだろう。今と昔とまたその昔の間に何らの因果を認める事のできない彼らは、そういう結果に陥った時、何と自分を解釈して見る気だろう。所詮我々は自分で夢の間に製造した爆裂弾を、思い思いに抱きながら、一人残らず、死という遠い所へ、談笑しつつ歩いて行くのではなかろうか。ただどんなものを抱いているのか、他も知らず自分も知らないので、仕合せなんだろう。  私は私の病気が継続であるという事に気がついた時、欧洲の戦争もおそらくいつの世からかの継続だろうと考えた。けれども、それがどこからどう始まって、どう曲折して行くかの問題になると全く無知識なので、継続という言葉を解しない一般の人を、私はかえって羨ましく思っている。         三十一  私がまだ小学校に行っていた時分に、喜いちゃんという仲の好い友達があった。喜いちゃんは当時|中町の叔父さんの宅にいたので、そう道程の近くない私の所からは、毎日会いに行く事が出来|悪かった。私はおもに自分の方から出かけないで、喜いちゃんの来るのを宅で待っていた。喜いちゃんはいくら私が行かないでも、きっと向うから来るにきまっていた。そうしてその来る所は、私の家の長屋を借りて、紙や筆を売る松さんの許であった。  喜いちゃんには父母がないようだったが、小供の私には、それがいっこう不思議とも思われなかった。おそらく訊いて見た事もなかったろう。したがって喜いちゃんがなぜ松さんの所へ来るのか、その訳さえも知らずにいた。これはずっと後で聞いた話であるが、この喜いちゃんの御父さんというのは、昔し銀座の役人か何かをしていた時、贋金を造ったとかいう嫌疑を受けて、入牢したまま死んでしまったのだという。それであとに取り残された細君が、喜いちゃんを先夫の家へ置いたなり、松さんの所へ再縁したのだから、喜いちゃんが時々|生の母に会いに来るのは当り前の話であった。  何にも知らない私は、この事情を聞いた時ですら、別段変な感じも起さなかったくらいだから、喜いちゃんとふざけまわって遊ぶ頃に、彼の境遇などを考えた事はただの一度もなかった。  喜いちゃんも私も漢学が好きだったので、解りもしない癖に、よく文章の議論などをして面白がった。彼はどこから聴いてくるのか、調べてくるのか、よくむずかしい漢籍の名前などを挙げて、私を驚ろかす事が多かった。  彼はある日私の部屋同様になっている玄関に上り込んで、懐から二冊つづきの書物を出して見せた。それは確に写本であった。しかも漢文で綴ってあったように思う。私は喜いちゃんから、その書物を受け取って、無意味にそこここを引っ繰返して見ていた。実は何が何だか私にはさっぱり解らなかったのである。しかし喜いちゃんは、それを知ってるかなどと露骨な事をいう性質ではなかった。 「これは太田南畝の自筆なんだがね。僕の友達がそれを売りたいというので君に見せに来たんだが、買ってやらないか」  私は太田南畝という人を知らなかった。 「太田南畝っていったい何だい」 「蜀山人の事さ。有名な蜀山人さ」  無学な私は蜀山人という名前さえまだ知らなかった。しかし喜いちゃんにそう云われて見ると、何だか貴重の書物らしい気がした。 「いくらなら売るのかい」と訊いて見た。 「五十銭に売りたいと云うんだがね。どうだろう」  私は考えた。そうして何しろ価切って見るのが上策だと思いついた。 「二十五銭なら買っても好い」 「それじゃ二十五銭でも構わないから、買ってやりたまえ」  喜いちゃんはこう云いつつ私から二十五銭受取っておいて、またしきりにその本の効能を述べ立てた。私には無論その書物が解らないのだから、それほど嬉しくもなかったけれども、何しろ損はしないだろうというだけの満足はあった。私はその夜|南畝莠言――たしかそんな名前だと記憶しているが、それを机の上に載せて寝た。         三十二  翌日になると、喜いちゃんがまたぶらりとやって来た。 「君|昨日買って貰った本の事だがね」  喜いちゃんはそれだけ云って、私の顔を見ながらぐずぐずしている。私は机の上に載せてあった書物に眼を注いだ。 「あの本かい。あの本がどうかしたのかい」 「実はあすこの宅の阿爺に知れたものだから、阿爺が大変怒ってね。どうか返して貰って来てくれって僕に頼むんだよ。僕も一遍君に渡したもんだから厭だったけれども仕方がないからまた来たのさ」 「本を取りにかい」 「取りにって訳でもないけれども、もし君の方で差支がないなら、返してやってくれないか。何しろ二十五銭じゃ安過ぎるっていうんだから」  この最後の一言で、私は今まで安く買い得たという満足の裏に、ぼんやり潜んでいた不快、――不善の行為から起る不快――を判然自覚し始めた。そうして一方では狡猾い私を怒ると共に、一方では二十五銭で売った先方を怒った。どうしてこの二つの怒りを同時に和らげたものだろう。私は苦い顔をしてしばらく黙っていた。  私のこの心理状態は、今の私が小供の時の自分を回顧して解剖するのだから、比較的|明瞭に描き出されるようなものの、その場合の私にはほとんど解らなかった。私さえただ苦い顔をしたという結果だけしか自覚し得なかったのだから、相手の喜いちゃんには無論それ以上|解るはずがなかった。括弧の中でいうべき事かも知れないが、年齢を取った今日でも、私にはよくこんな現象が起ってくる。それでよく他から誤解される。  喜いちゃんは私の顔を見て、「二十五銭では本当に安過ぎるんだとさ」と云った。  私はいきなり机の上に載せておいた書物を取って、喜いちゃんの前に突き出した。 「じゃ返そう」 「どうも失敬した。何しろ安公の持ってるものでないんだから仕方がない。阿爺の宅に昔からあったやつを、そっと売って小遣にしようって云うんだからね」  私はぷりぷりして何とも答えなかった。喜いちゃんは袂から二十五銭出して私の前へ置きかけたが、私はそれに手を触れようともしなかった。 「その金なら取らないよ」 「なぜ」 「なぜでも取らない」 「そうか。しかしつまらないじゃないか、ただ本だけ返すのは。本を返すくらいなら二十五銭も取りたまいな」  私はたまらなくなった。 「本は僕のものだよ。いったん買った以上は僕のものにきまってるじゃないか」 「そりゃそうに違いない。違いないが向の宅でも困ってるんだから」 「だから返すと云ってるじゃないか。だけど僕は金を取る訳がないんだ」 「そんな解らない事を云わずに、まあ取っておきたまいな」 「僕はやるんだよ。僕の本だけども、欲しければやろうというんだよ。やるんだから本だけ持ってったら好いじゃないか」 「そうかそんなら、そうしよう」  喜いちゃんは、とうとう本だけ持って帰った。そうして私は何の意味なしに二十五銭の小遣を取られてしまったのである。         三十三  世の中に住む人間の一人として、私は全く孤立して生存する訳に行かない。自然|他と交渉の必要がどこからか起ってくる。時候の挨拶、用談、それからもっと込み入った懸合――これらから脱却する事は、いかに枯淡な生活を送っている私にもむずかしいのである。  私は何でも他のいう事を真に受けて、すべて正面から彼らの言語動作を解釈すべきものだろうか。もし私が持って生れたこの単純な性情に自己を託して顧みないとすると、時々飛んでもない人から騙される事があるだろう。その結果|蔭で馬鹿にされたり、冷評かされたりする。極端な場合には、自分の面前でさえ忍ぶべからざる侮辱を受けないとも限らない。  それでは他はみな擦れ枯らしの嘘吐ばかりと思って、始めから相手の言葉に耳も借さず、心も傾けず、或時はその裏面に潜んでいるらしい反対の意味だけを胸に収めて、それで賢い人だと自分を批評し、またそこに安住の地を見出し得るだろうか。そうすると私は人を誤解しないとも限らない。その上恐るべき過失を犯す覚悟を、初手から仮定して、かからなければならない。或時は必然の結果として、罪のない他を侮辱するくらいの厚顔を準備しておかなければ、事が困難になる。  もし私の態度をこの両面のどっちかに片づけようとすると、私の心にまた一種の苦悶が起る。私は悪い人を信じたくない。それからまた善い人を少しでも傷けたくない。そうして私の前に現われて来る人は、ことごとく悪人でもなければ、またみんな善人とも思えない。すると私の態度も相手しだいでいろいろに変って行かなければならないのである。  この変化は誰にでも必要で、また誰でも実行している事だろうと思うが、それがはたして相手にぴたりと合って寸分間違のない微妙な特殊な線の上をあぶなげもなく歩いているだろうか。私の大いなる疑問は常にそこに蟠まっている。  私の僻を別にして、私は過去において、多くの人から馬鹿にされたという苦い記憶をもっている。同時に、先方の云う事や為る事を、わざと平たく取らずに、暗にその人の品性に恥を掻かしたと同じような解釈をした経験もたくさんありはしまいかと思う。  他に対する私の態度はまず今までの私の経験から来る。それから前後の関係と四囲の状況から出る。最後に、曖昧な言葉ではあるが、私が天から授かった直覚が何分か働らく。そうして、相手に馬鹿にされたり、また相手を馬鹿にしたり、稀には相手に彼相当な待遇を与えたりしている。  しかし今までの経験というものは、広いようで、その実はなはだ狭い。ある社会の一部分で、何度となく繰り返された経験を、他の一部分へ持って行くと、まるで通用しない事が多い。前後の関係とか四囲の状況とか云ったところで、千差万別なのだから、その応用の区域が限られているばかりか、その実千差万別に思慮を廻らさなければ役に立たなくなる。しかもそれを廻らす時間も、材料も充分給与されていない場合が多い。  それで私はともすると事実あるのだか、またないのだか解らない、極めてあやふやな自分の直覚というものを主位に置いて、他を判断したくなる。そうして私の直覚がはたして当ったか当らないか、要するに客観的事実によって、それを確める機会をもたない事が多い。そこにまた私の疑いが始終靄のようにかかって、私の心を苦しめている。  もし世の中に全知全能の神があるならば、私はその神の前に跪ずいて、私に毫髪の疑を挟む余地もないほど明らかな直覚を与えて、私をこの苦悶から解脱せしめん事を祈る。でなければ、この不明な私の前に出て来るすべての人を、玲瓏透徹な正直ものに変化して、私とその人との魂がぴたりと合うような幸福を授けたまわん事を祈る。今の私は馬鹿で人に騙されるか、あるいは疑い深くて人を容れる事ができないか、この両方だけしかないような気がする。不安で、不透明で、不愉快に充ちている。もしそれが生涯つづくとするならば、人間とはどんなに不幸なものだろう。         三十四  私が大学にいる頃教えたある文学士が来て、「先生はこの間高等工業で講演をなすったそうですね」というから、「ああやった」と答えると、その男が「何でも解らなかったようですよ」と教えてくれた。  それまで自分の云った事について、その方面の掛念をまるでもっていなかった私は、彼の言葉を聞くとひとしく、意外の感に打たれた。 「君はどうしてそんな事を知ってるの」  この疑問に対する彼の説明は簡単であった。親戚だか知人だか知らないが、何しろ彼に関係のある或|家の青年が、その学校に通っていて、当日私の講演を聴いた結果を、何だか解らないという言葉で彼に告げたのである。 「いったいどんな事を講演なすったのですか」  私は席上で、彼のためにまたその講演の梗※を繰り返した。 「別にむずかしいとも思えない事だろう君。どうしてそれが解らないかしら」 「解らないでしょう。どうせ解りゃしません」  私には断乎たるこの返事がいかにも不思議に聞こえた。しかしそれよりもなお強く私の胸を打ったのは、止せばよかったという後悔の念であった。自白すると、私はこの学校から何度となく講演を依頼されて、何度となく断ったのである。だからそれを最後に引き受けた時の私の腹には、どうかしてそこに集まる聴衆に、相当の利益を与えたいという希望があった。その希望が、「どうせ解りゃしません」という簡単な彼の一言で、みごとに粉砕されてしまって見ると、私はわざわざ浅草まで行く必要がなかったのだと、自分を考えない訳に行かなかった。  これはもう一二年前の古い話であるが去年の秋またある学校で、どうしても講演をやらなければ義理が悪い事になって、ついにそこへ行った時、私はふと私を後悔させた前年を思い出した。それに私の論じたその時の題目が、若い聴衆の誤解を招きやすい内容を含んでいたので、私は演壇を下りる間際にこう云った。―― 「多分誤解はないつもりですが、もし私の今御話したうちに、判然しないところがあるなら、どうぞ私宅まで来て下さい。できるだけあなたがたに御納得の行くように説明して上げるつもりですから」  私のこの言葉が、どんな風に反響をもたらすだろうかという予期は、当時の私にはほとんど無かったように思う。しかしそれから四五日|経って、三人の青年が私の書斎に這入って来たのは事実である。そのうちの二人は電話で私の都合を聞き合せた。一人は鄭寧な手紙を書いて、面会の時間を拵えてくれと注文して来た。  私は快よくそれらの青年に接した。そうして彼らの来意を確かめた。一人の方は私の予想通り、私の講演についての筋道の質問であったが、残る二人の方は、案外にも彼らの友人がその家庭に対して採るべき方針についての疑義を私に訊こうとした。したがってこれは私の講演を、どう実社会に応用して好いかという彼らの目前に逼った問題を持って来たのである。  私はこれら三人のために、私の云うべき事を云い、説明すべき事を説明したつもりである。それが彼らにどれほどの利益を与えたか、結果からいうとこの私にも分らない。しかしそれだけにしたところで私には満足なのである。「あなたの講演は解らなかったそうです」と云われた時よりも遥に満足なのである。 〔この稿が新聞に出た二三日あとで、私は高等工業の学生から四五通の手紙を受取った。その人々はみんな私の講演を聴いたものばかりで、いずれも私がここで述べた失望を打ち消すような事実を、反証として書いて来てくれたのである。だからその手紙はみな好意に充ちていた。なぜ一学生の云った事を、聴衆全体の意見として速断するかなどという詰問的のものは一つもなかった。それで私はここに一言を附加して、私の不明を謝し、併せて私の誤解を正してくれた人々の親切をありがたく思う旨を公けにするのである。〕         三十五  私は小供の時分よく日本橋の瀬戸物町にある伊勢本という寄席へ講釈を聴きに行った。今の三越の向側にいつでも昼席の看板がかかっていて、その角を曲ると、寄席はつい小半町行くか行かない右手にあったのである。  この席は夜になると、色物だけしかかけないので、私は昼よりほかに足を踏み込んだ事がなかったけれども、席数からいうと一番多く通った所のように思われる。当時私のいた家は無論高田の馬場の下ではなかった。しかしいくら地理の便が好かったからと云って、どうしてあんなに講釈を聴きに行く時間が私にあったものか、今考えるとむしろ不思議なくらいである。  これも今からふり返って遠い過去を眺めるせいでもあろうが、そこは寄席としてはむしろ上品な気分を客に起させるようにできていた。高座の右側には帳場格子のような仕切を二方に立て廻して、その中に定連の席が設けてあった。それから高座の後が縁側で、その先がまた庭になっていた。庭には梅の古木が斜めに井桁の上に突き出たりして、窮屈な感じのしないほどの大空が、縁から仰がれるくらいに余分の地面を取り込んでいた。その庭を東に受けて離れ座敷のような建物も見えた。  帳場格子のうちにいる連中は、時間が余って使い切れない有福な人達なのだから、みんな相応な服装をして、時々|呑気そうに袂から毛抜などを出して根気よく鼻毛を抜いていた。そんな長閑な日には、庭の梅の樹に鶯が来て啼くような気持もした。  中入になると、菓子を箱入のまま茶を売る男が客の間へ配って歩くのがこの席の習慣になっていた。箱は浅い長方形のもので、まず誰でも欲しいと思う人の手の届く所に一つと云った風に都合よく置かれるのである。菓子の数は一箱に十ぐらいの割だったかと思うが、それを食べたいだけ食べて、後からその代価を箱の中に入れるのが無言の規約になっていた。私はその頃この習慣を珍らしいもののように興がって眺めていたが、今となって見ると、こうした鷹揚で呑気な気分は、どこの人寄場へ行っても、もう味わう事ができまいと思うと、それがまた何となく懐しい。  私はそんなおっとりと物寂びた空気の中で、古めかしい講釈というものをいろいろの人から聴いたのである。その中には、すととこ、のんのん、ずいずい、などという妙な言葉を使う男もいた。これは田辺南竜と云って、もとはどこかの下足番であったとかいう話である。そのすととこ、のんのん、ずいずいははなはだ有名なものであったが、その意味を理解するものは一人もなかった。彼はただそれを軍勢の押し寄せる形容詞として用いていたらしいのである。  この南竜はとっくの昔に死んでしまった。そのほかのものもたいていは死んでしまった。その後の様子をまるで知らない私には、その時分私を喜こばせてくれた人のうちで生きているものがはたして何人あるのだか全く分らなかった。  ところがいつか美音会の忘年会のあった時、その番組を見たら、吉原の幇間の茶番だの何だのが列べて書いてあるうちに、私はたった一人の当時の旧友を見出した。私は新富座へ行って、その人を見た。またその声を聞いた。そうして彼の顔も咽喉も昔とちっとも変っていないのに驚ろいた。彼の講釈も全く昔の通りであった。進歩もしない代りに、退歩もしていなかった。廿世紀のこの急劇な変化を、自分と自分の周囲に恐ろしく意識しつつあった私は、彼の前に坐りながら、絶えず彼と私とを、心のうちで比較して一種の黙想に耽っていた。  彼というのは馬琴の事で、昔|伊勢本で南竜の中入前をつとめていた頃には、琴凌と呼ばれた若手だったのである。         三十六  私の長兄はまだ大学とならない前の開成校にいたのだが、肺を患って中途で退学してしまった。私とはだいぶ年歯が違うので、兄弟としての親しみよりも、大人対小供としての関係の方が、深く私の頭に浸み込んでいる。ことに怒られた時はそうした感じが強く私を刺戟したように思う。  兄は色の白い鼻筋の通った美くしい男であった。しかし顔だちから云っても、表情から見ても、どこかに峻しい相を具えていて、むやみに近寄れないと云った風の逼った心持を他に与えた。  兄の在学中には、まだ地方から出て来た貢進生などのいる頃だったので、今の青年には想像のできないような気風が校内のそこここに残っていたらしい。兄は或上級生に艶書をつけられたと云って、私に話した事がある。その上級生というのは、兄などよりもずっと年歯上の男であったらしい。こんな習慣の行なわれない東京で育った彼は、はたしてその文をどう始末したものだろう。兄はそれ以後学校の風呂でその男と顔を見合せるたびに、きまりの悪い思をして困ったと云っていた。  学校を出た頃の彼は、非常に四角四面で、始終堅苦しく構えていたから、父や母も多少彼に気をおく様子が見えた。その上病気のせいでもあろうが、常に陰気臭い顔をして、宅にばかり引込んでいた。  それがいつとなく融けて来て、人柄が自ずと柔らかになったと思うと、彼はよく古渡唐桟の着物に角帯などを締めて、夕方から宅を外にし始めた。時々は紫色で亀甲型を一面に摺った亀清の団扇などが茶の間に放り出されるようになった。それだけならまだ好いが、彼は長火鉢の前へ坐ったまま、しきりに仮色を遣い出した。しかし宅のものは別段それに頓着する様子も見えなかった。私は無論平気であった。仮色と同時に藤八拳も始まった。しかしこの方は相手が要るので、そう毎晩は繰り返されなかったが、何しろ変に無器用な手を上げたり下げたりして、熱心にやっていた。相手はおもに三番目の兄が勤めていたようである。私は真面目な顔をして、ただ傍観しているに過ぎなかった。  この兄はとうとう肺病で死んでしまった。死んだのはたしか明治二十年だと覚えている。すると葬式も済み、待夜も済んで、まず一片付というところへ一人の女が尋ねて来た。三番目の兄が出て応接して見ると、その女は彼にこんな事を訊いた。 「兄さんは死ぬまで、奥さんを御持ちになりゃしますまいね」  兄は病気のため、生涯妻帯しなかった。 「いいえしまいまで独身で暮らしていました」 「それを聞いてやっと安心しました。妾のようなものは、どうせ旦那がなくっちゃ生きて行かれないから、仕方がありませんけれども、……」  兄の遺骨の埋められた寺の名を教わって帰って行ったこの女は、わざわざ甲州から出て来たのであるが、元柳橋の芸者をしている頃、兄と関係があったのだという話を、私はその時始めて聞いた。  私は時々この女に会って兄の事などを物語って見たい気がしないでもない。しかし会ったら定めし御婆さんになって、昔とはまるで違った顔をしていはしまいかと考える。そうしてその心もその顔同様に皺が寄って、からからに乾いていはしまいかとも考える。もしそうだとすると、彼女が今になって兄の弟の私に会うのは、彼女にとってかえって辛い悲しい事かも知れない。         三十七  私は母の記念のためにここで何か書いておきたいと思うが、あいにく私の知っている母は、私の頭に大した材料を遺して行ってくれなかった。  母の名は千枝といった。私は今でもこの千枝という言葉を懐かしいものの一つに数えている。だから私にはそれがただ私の母だけの名前で、けっしてほかの女の名前であってはならないような気がする。幸いに私はまだ母以外の千枝という女に出会った事がない。  母は私の十三四の時に死んだのだけれども、私の今遠くから呼び起す彼女の幻像は、記憶の糸をいくら辿って行っても、御婆さんに見える。晩年に生れた私には、母の水々しい姿を覚えている特権がついに与えられずにしまったのである。  私の知っている母は、常に大きな眼鏡をかけて裁縫をしていた。その眼鏡は鉄縁の古風なもので、球の大きさが直径二寸以上もあったように思われる。母はそれをかけたまま、すこし顋を襟元へ引きつけながら、私をじっと見る事がしばしばあったが、老眼の性質を知らないその頃の私には、それがただ彼女の癖とのみ考えられた。私はこの眼鏡と共に、いつでも母の背景になっていた一間の襖を想い出す。古びた張交の中に、生死事大無常迅速云々と書いた石摺なども鮮やかに眼に浮んで来る。  夏になると母は始終紺無地の絽の帷子を着て、幅の狭い黒繻子の帯を締めていた。不思議な事に、私の記憶に残っている母の姿は、いつでもこの真夏の服装で頭の中に現われるだけなので、それから紺無地の絽の着物と幅の狭い黒繻子の帯を取り除くと、後に残るものはただ彼女の顔ばかりになる。母がかつて縁鼻へ出て、兄と碁を打っていた様子などは、彼ら二人を組み合わせた図柄として、私の胸に収めてある唯一の記念なのだが、そこでも彼女はやはり同じ帷子を着て、同じ帯を締めて坐っているのである。  私はついぞ母の里へ伴れて行かれた覚がないので、長い間母がどこから嫁に来たのか知らずに暮らしていた。自分から求めて訊きたがるような好奇心はさらになかった。それでその点もやはりぼんやり霞んで見えるよりほかに仕方がないのだが、母が四ツ谷大番町で生れたという話だけは確かに聞いていた。宅は質屋であったらしい。蔵が幾戸前とかあったのだと、かつて人から教えられたようにも思うが、何しろその大番町という所を、この年になるまで今だに通った事のない私のことだから、そんな細かな点はまるで忘れてしまった。たといそれが事実であったにせよ、私の今もっている母の記念のなかに蔵屋敷などはけっして現われて来ないのである。おおかたその頃にはもう潰れてしまったのだろう。  母が父の所へ嫁にくるまで御殿奉公をしていたという話も朧気に覚えているが、どこの大名の屋敷へ上って、どのくらい長く勤めていたものか、御殿奉公の性質さえよく弁えない今の私には、ただ淡い薫を残して消えた香のようなもので、ほとんどとりとめようのない事実である。  しかしそう云えば、私は錦絵に描いた御殿女中の羽織っているような華美な総模様の着物を宅の蔵の中で見た事がある。紅絹裏を付けたその着物の表には、桜だか梅だかが一面に染め出されて、ところどころに金糸や銀糸の刺繍も交っていた。これは恐らく当時の裲襠とかいうものなのだろう。しかし母がそれを打ち掛けた姿は、今想像してもまるで眼に浮かばない。私の知っている母は、常に大きな老眼鏡をかけた御婆さんであったから。  それのみか私はこの美くしい裲襠がその後小掻巻に仕立直されて、その頃宅にできた病人の上に載せられたのを見たくらいだから。         三十八  私が大学で教わったある西洋人が日本を去る時、私は何か餞別を贈ろうと思って、宅の蔵から高蒔絵の緋の房の付いた美しい文箱を取り出して来た事も、もう古い昔である。それを父の前へ持って行って貰い受けた時の私は、全く何の気もつかなかったが、今こうして筆を執って見ると、その文箱も小掻巻に仕立直された紅絹裏の裲襠同様に、若い時分の母の面影を濃かに宿しているように思われてならない。母は生涯父から着物を拵えて貰った事がないという話だが、はたして拵えて貰わないでもすむくらいな支度をして来たものだろうか。私の心に映るあの紺無地の絽の帷子も、幅の狭い黒繻子の帯も、やはり嫁に来た時からすでに箪笥の中にあったものなのだろうか。私は再び母に会って、万事をことごとく口ずから訊いて見たい。  悪戯で強情な私は、けっして世間の末ッ子のように母から甘く取扱かわれなかった。それでも宅中で一番私を可愛がってくれたものは母だという強い親しみの心が、母に対する私の記憶の中には、いつでも籠っている。愛憎を別にして考えて見ても、母はたしかに品位のある床しい婦人に違なかった。そうして父よりも賢こそうに誰の目にも見えた。気むずかしい兄も母だけには畏敬の念を抱いていた。 「御母さんは何にも云わないけれども、どこかに怖いところがある」  私は母を評した兄のこの言葉を、暗い遠くの方から明らかに引張出してくる事が今でもできる。しかしそれは水に融けて流れかかった字体を、きっとなってやっと元の形に返したような際どい私の記憶の断片に過ぎない。そのほかの事になると、私の母はすべて私にとって夢である。途切れ途切れに残っている彼女の面影をいくら丹念に拾い集めても、母の全体はとても髣髴する訳に行かない。その途切途切に残っている昔さえ、半ば以上はもう薄れ過ぎて、しっかりとは掴めない。  或時私は二階へ上って、たった一人で、昼寝をした事がある。その頃の私は昼寝をすると、よく変なものに襲われがちであった。私の親指が見る間に大きくなって、いつまで経っても留らなかったり、あるいは仰向に眺めている天井がだんだん上から下りて来て、私の胸を抑えつけたり、または眼を開いて普段と変らない周囲を現に見ているのに、身体だけが睡魔の擒となって、いくらもがいても、手足を動かす事ができなかったり、後で考えてさえ、夢だか正気だか訳の分らない場合が多かった。そうしてその時も私はこの変なものに襲われたのである。  私はいつどこで犯した罪か知らないが、何しろ自分の所有でない金銭を多額に消費してしまった。それを何の目的で何に遣ったのか、その辺も明瞭でないけれども、小供の私にはとても償う訳に行かないので、気の狭い私は寝ながら大変苦しみ出した。そうしてしまいに大きな声を揚げて下にいる母を呼んだのである。  二階の梯子段は、母の大眼鏡と離す事のできない、生死事大無常迅速云々と書いた石摺の張交にしてある襖の、すぐ後についているので、母は私の声を聞きつけると、すぐ二階へ上って来てくれた。私はそこに立って私を眺めている母に、私の苦しみを話して、どうかして下さいと頼んだ。母はその時微笑しながら、「心配しないでも好いよ。御母さんがいくらでも御金を出して上げるから」と云ってくれた。私は大変|嬉しかった。それで安心してまたすやすや寝てしまった。  私はこの出来事が、全部夢なのか、または半分だけ本当なのか、今でも疑っている。しかしどうしても私は実際大きな声を出して母に救を求め、母はまた実際の姿を現わして私に慰藉の言葉を与えてくれたとしか考えられない。そうしてその時の母の服装は、いつも私の眼に映る通り、やはり紺無地の絽の帷子に幅の狭い黒繻子の帯だったのである。         三十九  今日は日曜なので、小供が学校へ行かないから、下女も気を許したものと見えて、いつもより遅く起きたようである。それでも私の床を離れたのは七時十五分過であった。顔を洗ってから、例の通り焼麺麭と牛乳と半熟の鶏卵を食べて、厠に上ろうとすると、あいにく肥取が来ているので、私はしばらく出た事のない裏庭の方へ歩を移した。すると植木屋が物置の中で何か片づけものをしていた。不要の炭俵を重ねた下から威勢の好い火が燃えあがる周囲に、女の子が三人ばかり心持よさそうに煖を取っている様子が私の注意を惹いた。 「そんなに焚火に当ると顔が真黒になるよ」と云ったら、末の子が、「いやあーだ」と答えた。私は石垣の上から遠くに見える屋根瓦の融けつくした霜に濡れて、朝日にきらつく色を眺めたあと、また家の中へ引き返した。  親類の子が来て掃除をしている書斎の整頓するのを待って、私は机を縁側に持ち出した。そこで日当りの好い欄干に身を靠たせたり、頬杖を突いて考えたり、またしばらくはじっと動かずにただ魂を自由に遊ばせておいてみたりした。  軽い風が時々|鉢植の九花蘭の長い葉を動かしにきた。庭木の中で鶯が折々下手な囀りを聴かせた。毎日|硝子戸の中に坐っていた私は、まだ冬だ冬だと思っているうちに、春はいつしか私の心を蕩揺し始めたのである。  私の冥想はいつまで坐っていても結晶しなかった。筆をとって書こうとすれば、書く種は無尽蔵にあるような心持もするし、あれにしようか、これにしようかと迷い出すと、もう何を書いてもつまらないのだという呑気な考も起ってきた。しばらくそこで佇ずんでいるうちに、今度は今まで書いた事が全く無意味のように思われ出した。なぜあんなものを書いたのだろうという矛盾が私を嘲弄し始めた。ありがたい事に私の神経は静まっていた。この嘲弄の上に乗ってふわふわと高い冥想の領分に上って行くのが自分には大変な愉快になった。自分の馬鹿な性質を、雲の上から見下して笑いたくなった私は、自分で自分を軽蔑する気分に揺られながら、揺籃の中で眠る小供に過ぎなかった。  私は今まで他の事と私の事をごちゃごちゃに書いた。他の事を書くときには、なるべく相手の迷惑にならないようにとの掛念があった。私の身の上を語る時分には、かえって比較的自由な空気の中に呼吸する事ができた。それでも私はまだ私に対して全く色気を取り除き得る程度に達していなかった。嘘を吐いて世間を欺くほどの衒気がないにしても、もっと卑しい所、もっと悪い所、もっと面目を失するような自分の欠点を、つい発表しずにしまった。聖オーガスチンの懺悔、ルソーの懺悔、オピアムイーターの懺悔、――それをいくら辿って行っても、本当の事実は人間の力で叙述できるはずがないと誰かが云った事がある。まして私の書いたものは懺悔ではない。私の罪は、――もしそれを罪と云い得るならば、――すこぶる明るいところからばかり写されていただろう。そこに或人は一種の不快を感ずるかも知れない。しかし私自身は今その不快の上に跨がって、一般の人類をひろく見渡しながら微笑しているのである。今までつまらない事を書いた自分をも、同じ眼で見渡して、あたかもそれが他人であったかの感を抱きつつ、やはり微笑しているのである。  まだ鶯が庭で時々鳴く。春風が折々思い出したように九花蘭の葉を揺かしに来る。猫がどこかで痛く噛まれた米噛を日に曝して、あたたかそうに眠っている。先刻まで庭で護謨風船を揚げて騒いでいた小供達は、みんな連れ立って活動写真へ行ってしまった。家も心もひっそりとしたうちに、私は硝子戸を開け放って、静かな春の光に包まれながら、恍惚とこの稿を書き終るのである。そうした後で、私はちょっと肱を曲げて、この縁側に一眠り眠るつもりである。  元日を御目出たいものと極めたのは、一体|何処の誰か知らないが、世間が夫れに雷同しているうちは新聞社が困る丈である。雑録でも短篇でも小説でも乃至は俳句漢詩和歌でも、苟くも元日の紙上にあらわれる以上は、いくら元日らしい顔をしたって、元日の作でないに極っている。尤も師走に想像を逞しくしてはならぬと申し渡された次第でないから、節季に正月らしい振をして何か書いて置けば、年内に餅を搗いといて、一夜明けるや否や雑煮として頬張る位のものには違ないが、御目出たい実景の乏しい今日、御目出たい想像などは容易に新聞社の頭に宿るものではない。それを無理に御目出たがろうとすると、所謂太倉の粟陳々相依るという頗る目出度ない現象に腐化して仕舞う。  諸君子は已を得ず年にちなんで、鶏の事を書いたり、犬の事を書いたりするが、これは寧ろ駄洒落を引き延ばした位のもので、要するに元日及び新年の実質とは痛痒相冒す所なき閑事業である。いくら初刷だって、そんな無駄話で十頁も二十頁も埋られた日には、元日の新聞は単に重量に於て各社ともに競争する訳になるんだから、其の出来不出来に対する具眼の審判者は、読者のうちでただ屑屋丈だろうと云われたって仕方がない。  さればと云って、既に何十頁と事が極ってる上に、頭数を揃える方が便利だと云う訳であって見れば、たとい具眼者が屑屋だろうが経師屋だろうが相手を択んで筆を執るなんて贅沢の云われた家業じゃない。去年は「元旦」と見出を置いて一寸考えた。何も浮で来なかったので、一昨年の元日の事を書いた。一昨年の元日に虚子が年始に来たから、東北と云う謡をうたったところ、虚子が鼓を打ち出したので、余の謡が大崩になったという一段を編輯へ廻した。実は本当の元日なら、余の謡はもっと上手になってる訳だから、其の上手になった所を有の儘に告白したかったのだが、如何せん、筆を執ってる時は、元日にまだ間があったし、且虚子が年始に見えるとも見えないとも極まっていなかった上に、謡をうたう事も全然未定だったので、営業上已を得ず一年前の極めて告白し難い所を告白したのである。此の順で行くと此年は又去年の元日を読者に御覧に入れなければならん訳であるが、そうそう過去のまずい所ばかり吹聴するのは、如何にも現在の己に対して侮辱を加えるようで済まない気がするから故意と略した。それで猶のこと塞えた。  元日新聞へ載せるものには、どうも斯う云う困難が附帯して弱る。現に今原稿紙に向っているのは、実を云うと十二月二十三日である。家では餅もまだ搗かない。町内で松飾りを立てたものは一軒もない。机の前に坐りながら何を書こうかと考えると、書く事の困難以外に何だか自分一人|御先走ってる様な気がする。それにも拘らず、書いてる事が何処となく屠蘇の香を帯びているのは、正月を迎える想像力が豊富なためではない。何でも接ぎ合わせて物にしなければならない義務を心得た文学者だからである。もし世間が元日に対する僻見を撤回して、吉凶禍福共にこもごも起り得べき、平凡|且乱雑なる一日と見做して呉れる様になったら、余も亦余所行の色気を抜いて平常の心に立ち返る事が出来るから、たとい書く事に酔払いの調子が失せないにしても、もっと楽に片付けられるだろうと思う。尤もそうなれば、初刷の頁も平常に復する訳だから、とくに元日に限って書かねばならぬ必要も消滅するかも知れない。それも物淋しい様だが、昨今の如き元日に対して調子を合せた文章を書こうとするのは、丁度文部大臣が新しい材料のないのに拘らず、あらゆる卒業式に臨んで祝詞を読むと一般である。  私は貴方から送って下さった校正刷五百八十|頁を今日|漸く読み了りました。漸くというと厭々読んだように聞こえるかも知れませんが、決してそんな訳ではないのです。多大の興味ばかりか、其興味に伴う利益をも受けながら、楽しく読み了ったのです。実をいうと私の都合もあり、又活字組込の関係もありして、長短十八篇の間を休み休み通り抜けたのは、批評を依頼した貴方にも御気の毒ですし、またそれを御約束した私にも多少の不便は出て来たに相違ありませんが、此陥欠を避ける手段は御互になかったのですから、それは双方で我慢する事にして、私の御作に対するざっとした考え丈を申し上げます。  まずあなたの特色として第一に私の眼に映ったのは、饒かな情緒を濃やかにしかも霧か霞のように、ぼうっと写し出す御手際です。何故ぼうっとしているかというと、あなたの筆が充分に冴えているに拘わらず、あなたの描く景色なり、小道具なりが、朧月の暈のように何等か詩的な聯想をフリンジに帯びて、其本体と共に、読者の胸に流れ込むからです。私は特に流れ込むという言葉を此所に用いました。もともと淡い影のような像ですから、胸を突つくのでも、鋭く刺すのでもない様です。あなたの書いたもののうちには、人が気狂になる所があります。人が短刀で自殺する所も、短銃で死ぬ所もあります。是等は大概裏から書くか、又は極簡単に叙し去って仕舞われるので、当り前の場合でも、それ程苦痛に近い強烈な刺戟を読者に与えないかも知れませんが、それでも、若し以上に述べたような詩的の雰囲気の中で事が起らなかったなら、ああした淡い好い感じは与えられますまい。  此ぼうっとした印象が、美的な快感を損わない程度の軽い哀愁として、読者の胸にいつの間にか忍び込む理由を、客観的に翻訳すると色々な物象として排列されます。其内で私は歴史的に読者の過去を蕩揺する、草双紙とか、薄暗い倉とか、古臭い行灯とか、または旧幕時代から連綿とつづいている旧家とか、温泉場とかを第一に挙げたいと思います。過去はぼんやりしたものです。そうして何処かに懐かしい匂いを持っています。あなたはそれを巧に使いこなして居るのでしょう。  単に歴史上の過去ばかりではありません、あなたは自分の幼時の追憶を、今から回顧して忘れられない美くしい夢のように叙述しています。私は一、二、三、四、と段々読んで行くうちに此種の情調が、私の周囲を蜘蛛の糸の如く取り巻いて、散文的な私を、何時の間にか夢幻の世界に連れ込んで行ったのをよく記憶しています。私の心は次第々々に其中に引き込まれて、遂に「珊瑚樹の根付」迄行って全くあなたの為に擒にされて仕舞ったのです。だから幼時の記憶として其儘を叙述していない「夷講の夜の事であった」に至って却って失望しようとしたのです。  私は此種の筆致を解剖して第二番目に遠くに聞こえる物売の声だの、ハーモニカの節だの、按摩の笛の音だのを挙げたいと思います。凡て声は聴いているうちにすぐ消えるのが常です。だから其所には現在がすぐ過去に変化する無常の観念が潜んでいます。そうして其過去が過去となりつつも、猶意識の端に幽霊のような朧気な姿となって佇立んでいて、現在と結び付いているのです。声が一種切り捨てられない夢幻的な情調を構成するのは是が為ではないでしょうか。新内とか端唄とか歌沢とか浄瑠璃とか、凡てあなたのよく道具に使われる音楽が、其上に専門的な趣をもって、読者の心を軽く且つ哀れに動かすのは勿論の事ですから申し上げる必要もないでしょう。然しあまり自分の好尚に溺れて遣り過ぎた痕迹を残したのもないとは云われません。第一編の「硝子問屋」の中にはその筆があまり濃く出過ぎてはいますまいか。  叙景に於てもあなたは矢張り同じ筆法で読者の眼を朦朧と惹き付ける事が好であるように見受けました。要するに水でも樹でも、人の顔でも凡てあなたの眼にうつるものは、決して彫刻的にあなたを刺戟していないように見えます。全く絵画的にあなたの眸を彩どるのだろうと思います。しかもアンプレショニストのそれの如く極めて柔かです。そうして何処かに判然しないチャームを持っています。だから私は「荒布橋」の冒頭に出てくる燕の飛ぶ様子や、「夷講」の酒宴の有様を叙するくだりに出会った時、大変驚ろいたのです。二つのものは平生のあなたの筆で書きこなされたものとは思えない位硬いのです。  要するに貴方の小説に有り余る程出てくるのは一種独特のムードでしょう。だから夫がまとまらない上に、筋が通らないとか、又は主人公の哲学観などが露骨に出てくると、一方が一方を殺して、少し平生の御手際に似合わない段違いのものが出来はしまいかと疑われます。「荒布橋」とか、「岡田君の日記」とか、「六月の夜」の一部分とかになると、其所に手荒で変に不調和なものが露われているようです。其代りよし気分|丈のものでも筋のまとまらない「河岸の夜」といったような、ただ装飾的で左程他の情緒をそそる事の出来ないものもあると申し添えなければならなくなります。悪口の序だから、「北より南へ」という短篇の評も此処に付け加えて置きたいと思います。ああ云った調子のものは、アナトール・フランスの短篇に沢山あります。そうして遺憾ながら彼の方が貴方よりずっと旨いと思います。  あなたの作に就いて情調とか、ムードとか云うものを挙げて、それを具合好く説明すれば、既に大半の批評は出来上ったように考えられるのですが、其ムードを作り上げるために、河岸の寿司屋とか、通りの丸花とか、乃至は坊間の音曲など丈が道具になっているという意味では決してないのです。あなたの書き下す人間が、人間として一人前に活動しつつ、同時に其一篇のムードを構成している事は疑もない事実です。亮さんでも、京さんでも、彼等のする事は皆此両様の主意を同時に満足させてるではありませんか。「三人の従兄弟」などになると、其上に又親父さんの青年に対する反抗的な感情が一篇の主意もしくは哲理として後の方に出ています。  次にあなたの理解力に就いて一言其特色を述べたいと思います。あなたの頭の働らきは全く科学的でありながら、其|濃やかな点が、あなたの情緒の描写によく調和して、綿密によく行き渡っています。そうして不思議にもそれが普通のありふれた作物のように、くだくだしくならないのです。いくら微細な心的現象の解剖でも、又は外観からくる人間の精密な描写でも、決して干乾びていません。必ず委曲要領をつくすのみならず、其所にあなたの独得の一種の趣が漂っているのです。私の見る所によると其趣はあなたの観察が突飛に走らない程度で、場合々々に適当な新らしい刺戟を読者に与え得るからだろうと思います。「霊岸島の自殺」や「船室」の前半の如きは、その方面のいい作例と見て差支ないでしょう。ことに前者に於て、ある男とある女の性的関係の階級等差が、あれ程細かく書いてありながら、些とも卑猥な心持を起させずに、ただ精緻な観察其物として、他をぐいぐい引き付けて行く処などは、何うしても旨いと云わなければなりません。此小説は主人公が東京へ出てからの心の変化に、前半程|緻密な且つ穏当な、芸術的描写が欠けているため、多少のむらがあると思いますが、世間でいう小説の意味から批判すると、或は圧巻の作かも知れません。  要するに貴方の書き方は絹漉し豆腐のように、又婦人の餅肌のように柔らかなのです、上部ばかり手触りが好いのかと思うと、中味迄ふくふくしているのです。線でいうと、外の人の文章が直線で出来ているのに反して、あなたのは何処も婉曲な曲線の配合で成り立っているような気がします。しかも其曲線のカーヴが非常に細かいのです。外の人が一尺で継ぎ易える所を、あなたは僅か一寸か二寸の長さで細かに調子よく継ぎ足しては前へ進んで行くとしか形容出来ません。其所にあなたの作物には、他に発見する事の出来ないデリケートな美くしさが伏在しているのでしょう。もう一つ比喩を改めて云えば、あなたの文章は楷書でなくって悉く草書です。それも懐素のような奇怪な又|飄逸なものではありません、もっと柔らかに、もっと穏やかに、そうして時々粋な所を仄かすといったような草書です。  此冗長な手紙が、もし貴方の小説集の序文として御役に立つならば何うぞ御使い下さい。私は貴方に対する愉快な義務として、それを認めたのですから。   一月十八日夜 夏目金之助    木下杢太郎様  私は思いがけなく前から当地の教育会の御招待を受けました。凡そ一カ月前に御通知がありましたが、私は、その時になって見なければ、出られるか出られぬか分らぬために、直にお答をすることが出来ませんでした。しかし、御懇切の御招待ですから義理にもと思いまして体だけ出|懸けて参りました。別に面白いお話も出来ません、前申した通り体だけ義理にもと出かけたわけであります。  私のやる演題はこういう教育会の会場での経験がないのでこまりました。が、名が教育会であるし、引受ける私は文学に関係あるものであるから、教育と文芸という事にするが能いと思いまして、こういう題にしました。この教育と文芸というのは、諸君が主であるからまげて教育をさきとしたのであります。  よく誤解される事がありますので、そんな事があっては済みませんから、ちょっと注意を申述べて置きます。教育といえばおもに学校教育であるように思われますが、今私の教育というのは社会教育|及家庭教育までも含んだものであります。  また私のここにいわゆる文芸は文学である、日本における文学といえば先小説|戯曲であると思います。順序は矛盾しましたが、広義の教育、殊に、徳育とそれから文学の方面殊に、小説戯曲との関係連絡の状態についてお話致します。日本における教育を昔と今とに区別して相比較するに、昔の教育は、一種の理想を立て、その理想を是非実現しようとする教育である。しこうして、その理想なるものが、忠とか孝とかいう、一種抽象した概念を直ちに実際として、即ち、この世にあり得るものとして、それを理想とさせた、即ち孔子を本家として、全然その通りにならなくともとにかくそれを目あてとして行くのであります。  なお委しくいいますと聖人といえば孔子、仏といえば釈迦、節婦貞女忠臣孝子は、一種の理想の固まりで、世の中にあり得ないほどの、理想を以て進まねばならなかった。親が、子供のいう事を聞かぬ時は、二十四孝を引き出して子供を戒めると、子供は閉口するというような風であります。それで昔は上の方には束縛がなくて、上の下に対する束縛がある、これは能くない、親が子に対する理想はあるが子が親に対する理想はなかった。妻が夫に臣が君に対する理想はなかったのです。即ち忠臣貞女とかいうが如きものを完全なものとして孝子は親の事、忠臣は君の事、貞女は夫の事をばかり考えていた。誠にえらいものである。その原因は科学的精神が乏しかったためで、その理想を批評せず吟味せずにこれを行って行ったというのである。また昔は階級制度が厳しいために過去の英雄豪傑は非常にえらい人のように見えて、自分より上の人は非常にえらくかつ古人が世の中に存在し得るという信仰があったため、また、一は所が隔たっていて目のあたり見なれぬために遠隔の地の人のことは非常に誇大して考えられたものである、今は交通が便利であるためにそんな事がない、私などもあまり飛び出さないと大家と見られるであろう。  さて当時は理想を目前に置き、自分の理想を実現しようと一種の感激を前に置いてやるから、一種の感激教育となりまして、知の方は主でなく、インスピレーションともいうような情緒の教育でありました。なんでも出来ると思う、精神一到何事不成というような事を、事実と思っている。意気天を衝く。怒髪天をつく。炳として日月云々という如き、こういう詞を古人は盛に用いた。感激的というのはこんな有様で情緒的教育でありましたから一般の人の生活状態も、エモーショナルで努力主義でありました。そういう教育を受ける者は、前のような有様でありますが社会は如何かというと、非常に厳格で少しのあやまちも許さぬというようになり、少しく申訳がなければ坊主となり切腹するという感激主義であった、即ち社会の本能からそういうことになったもので、大体よりこれが日本の主眼とする所でありました、それが明治になって非常に異ってきました。  四十余年間の歴史を見ると、昔は理想から出立した教育が、今は事実から出発する教育に変化しつつあるのであります、事実から出発する方は、理想はあるけれども実行は出来ぬ、概念的の精神に依って人は成立する者でない、人間は表裏のあるものであるとして、社会も己も教育するのであります。昔は公でも私でも何でも皆孝で押し通したものであるが今は一面に孝があれば他面に不孝があるものとしてやって行く。即ち昔は一元的、今は二元的である、すべて孝で貫き忠で貫く事はできぬ。これは想像の結果である。昔の感激主義に対して今の教育はそれを失わする教育である、西洋では迷より覚めるという、日本では意味が違うが、まあディスイリュージョン、さめる、というのであります。なぜ昔はそんな風であったか。話は余談に入るが、独逸の哲学者が概念を作って定義を作ったのであります。しかし巡査の概念として白い服を着てサーベルをさしているときめると一面には巡査が和服で兵児帯のこともあるから概念できめてしまうと窮屈になる。定義できめてしまっては世の中の事がわからなくなると仏国の学者はいうている。  物は常に変化して行く、世の中の事は常に変化する、それで孔子という概念をきめてこれを理想としてやって来たものが後にこれが間違であったということを悟るというような場合も出来て来る。こういう変化はなぜ起ったか、これは物理化学|博物などの科学が進歩して物をよく見て、研究して見る。こういう科学的精神を、社会にも応用して来る。また階級もなくなる交通も便利になる、こういう色々な事情からついに今日の如き思想に変化して来たのであります。  道徳上の事で、古人の少しもゆるさなかったことを、今の人はよほど許容する、我儘をも許す、社会がゆるやかになる、畢竟道徳的価値の変化という事が出来て来た。即ち自分というものを発揮してそれで短所欠点|悉くあらわす事をなんとも思わない。そして無理の事がなくなる。昔は負惜みをしたものだ、残酷な事も忍んだものだ。今はそれが段々なくなって、自分の弱点をそれほど恐れずに世の中に出す事を何とも思わない。それで古の人の弊はどんな事かというと、多少|偽の点がありました。今の人は正直で自分を偽らずに現わす、こういう風で寛容的精神が発達して来た。しこうして社会もまたこれを容れて来たのであります。昔は一遍社会から葬られた者は、容易に恢復する事が出来なかったが、今日では人の噂も七十五日という如く寛大となったのであります。社会の制裁が弛んだというかも知れませんが一方からいいましたならば、事実にそういう欠点のあり得る事を二元的に認めて、これに寛容的の態度を示したのであります。畢竟無理がなくなり、概念の束縛がなくなり、事実が現われたのであります。昔スパルタの教育に、狐を隠してその狐が自分の腸をえぐり出しても、なお黙っていたということがあるが、今はそういう痩我慢はなくなったのである。現今の教育の結果は自分の特点をも露骨に正直に人の前に現わす事を非常なる恥辱とはしないのであります。これは事実という第一の物が一元的でないという事を予め許すからである。私の家へよく若い者が訪ねて参りますがその学生が帰って手紙を寄こす。その中にあなたの家を訪ねた時に思いきって這入ろうかイヤ這入るまいかと暫く躊躇した、なるべくならお留守であればよい、更に逢わぬといってくれれば可いと思ったというような露骨な事が書いてある。昔私らの書生の頃には、人を訪問していなければ可いがと思うてもそういう事をその人の前に告白するような正直な実際的な事はしなかったものである。痩我慢をして実は堂々たるものの如く装って人の前にもこれを吹聴したのである。感激的教育概念に囚れたる薫化がこういう不正直な痩我慢的な人間を作り出したのである。  さて一方文学を攷察して見まするにこれを大別してローマンチシズム、ナチュラリズムの二種類とすることが出来る、前者は適当の訳字がないために私が作って浪漫主義として置きましたが、後者のナチュラリズムは自然派と称しております。この両者を前に申述べた教育と対照いたしますと、ローマンチシズムと、昔の徳育即ち概念に囚れたる教育と、特徴を同うし、ナチュラリズムと現今の事実を主とする教育と、相|通うのであります。以前文芸は道徳を超絶するという議論があり、またこれを論じた大家もあったのでありますけれども、これは大なる間違で、なるほど道徳と文芸は接触しない点もあるけれども、大部分は相連っている。ただ僅かに倫理と芸術と両立せないで、どちらかを捨てねばならぬ場合がないではありません。例えば私がこの机を推している、何時しかこの机と共に落ちたとします。この落ちたという事実に対して、諸君は必ず笑われるに違いない。しかし倫理的に申したならば、人が落ちたというに笑うはずがない、気の毒だという同情があって然るべきである、殊に私のような招かれて来た者に対する礼儀としても笑うのは倫理的でない事は明である。けれども笑うという事と、気の毒だと思う事と、どちらか捨てねばならぬ場合に、滑稽趣味の上にこれを観賞するは、一種の芸術的の見方であります。けれども私が、脳振盪を起して倒れたとすれば、諸君の笑は必ず倫理的の同情に変ずるに違いありますまい。こういう風に或程度まで芸術と倫理と相離るる部分はあるけれども、最後または根柢には倫理的認容がなければならぬのであります。従って小説戯曲の材料は七分まで、徳義的批判に訴えて取捨選択せられるのであります。恋を描くにローマン主義の場合では途中で、単に顔を合せたばかりで直ぐに恋情が成立ち、このために盲目になったり、跛足になったりして、煩悶懊悩するというようなことになる。しかしこんな事実は、実際あり得ない事である。其処が感激派の小説で、或情緒を誇大して、即ち抽象的理想を具体化したようなものを作り上げたのであります、事実からは遠いけれど感激は多いのであります。  ローマンチックの道徳は何となしに対象物をして大きく偉く感じさせる。ナチュラリズムの道徳は、自己の欠点を暴露させる正直な可愛らしい所がある。  ローマンチシズムの芸術は情緒的エモーショナルで人をして偉く大きく思わせるし、ナチュラリズムの芸術は理智的で、正直に実際を思わしめる。即ち文学上から見てローマンチシズムは偽を伝えるがまた人の精神に偉大とか崇高とかの現象を認めしめるから、人の精神を未来に結合さする。ナチュラリズムは、材料の取扱い方が正直で、また現在の事実を発揮さすることに勉むるから、人の精神を現在に結合さする、例えば人間を始めから不完全な物と見て人の欠点を評したるものである。ローマンチシズムは、己以上の偉大なるものを材料として取扱うから、感激的であるけれども、その材料が読む者聞く者には全く、没交渉で印象にヨソヨソしい所がある、これに引き換えてナチュラリズムは、如何に汚い下らないものでも、自分というものがその鏡に写って何だか親しくしみじみと感得せしめる。能く能く考えて見ると人というものは、平時においては軽微の程度におけるローマンチシズムの主張者で、或者を批評したり要求するに自己の力以上のものを以てしている。  一体人間の心は自分以上のものを、渇仰する根本的の要求を持っている、今日よりは明日に一部の望みを有するのである。自分より豪いもの自分より高いものを望む如く、現在よりも将来に光明を発見せんとするものである。以上述べた如くローマンチシズムの思想即ち一の理想主義の流れは、永久に変ることなく、深く人心の奥底に永き生命を有しているものであります。従ってローマン主義の文学は永久に生存の権利を有しております。人心のこの響きに触れている限り、ローマン主義の思想は永久に伝わるものであります。これに反してナチュラリズムの道徳は前述の如く、寛容的精神に富んでいる。事実を事実としてありのままを描いたものが、真のナチュラリズムの文学である。自己解剖、自己批判、の傾向が段々と人心の間に広まりつつあり、精神が極めて平民的に、換言すれば平凡的になって来たのであります。人間の人間らしい所の写実をするのが自然主義の特徴で、ローマン主義の人間以上自己以上、殆んど望んで得べからざるほどの人物理想を描いたのに対して極めて通常のものをそのまま、そのままという所に重きを置いて世態をありのままに欠点も、弱点も、表裏ともに、一元にあらぬ二元以上にわたって実際を描き出すのであります。従ってカーライルの英雄崇拝的傾向の欲求が永久に存在する事は前述の通りであるが今はこれに多少の変化を来たしたという訳であります。  さてかく自然主義の道徳文学のために、自己改良の念が浅く向上渇仰の動機が薄くなるということは必ずあるに相違ない。これは慥に欠点であります。  従って現代の教育の傾向、文学の潮流が、自然主義的であるためにボツボツその弊害が表われて、日本の自然主義という言辞は甚だしく卑しむべきものになって来た。けれどもこれは間違である。自然主義はそんな非倫理的なものではない、自然主義そのものは日本の文学の一部に表われたようなものではなく、単に彼らはその欠点のみを示したのである。前にも言った通り如何に文学といえども決して倫理範囲を脱しているものではなく、少くも、倫理的渇仰の念を何所にか萌さしめなければならぬものであります。  人間の心の底に永久に、ローマン主義の英雄崇拝的情緒的の傾向の存する限り、この心は永存するものであるが、それを全く無視して、人間の弱点ばかりを示すのは、文学としての真価を有するものでない、片輪な出来損いの芸術であります。如何に人間の弱点を書いたものでも、その弱点の全体を読む内に何処にかこれに対する悪感とか、あるいは別に倫理的の要求とかが読者の心に萌え出づるような文学でなければならぬ。これが人心の自然の要求で、芸術もまたこの範囲にある。今の一部の小説が人に嫌われるは、自然主義そのものの欠点でなく取扱う同派の文学者の失敗で、畢竟過去の極端なるローマン主義の反動であります。反動は正動よりも常規を逸する。故にわれわれは反動として多少この間の消息を諒とせねばならぬ。  さて自然主義は遠慮なく事実そのままを人の前に暴露し、または描き出すため種々なる欠点を生ずるに至りましたが、これを救うは過去のローマン主義を復興するにあらずして、新ローマン主義ともいうべきものを興すにあろうかと思う。新ローマン主義というも、全く以前のローマン主義とは別物である。凡そ歴史は繰返すものなりというけれども、歴史は決して繰返さぬのである、繰返すというのは間違である。如何なる場合にも後戻りをすることなく前へ前へと走っている。  教育及び文芸とても、自然主義に弊害があるからとて、昔には戻らぬ。もし戻ってもそれは全く新なる形式内容を有するもので、浅薄なる観察者には昔時に戻りたる感じを起させるけれども、実はそうではないのであります。しこうして自然主義に反動したものとするならば、新ローマン主義ともいうべきものは、自然主義対ローマン主義の最後に生ずるはずである。新ローマン主義というとも決して、昔のローマン主義に返ったのではない、全く別物なのであります。  即ち新ローマン主義は、昔時のローマン主義のように空想に近い理想を立てずに、程度の低い実際に近い達成し得らるる目的を立てて、やって行くのである。社会は常に、二元である。ローマン主義の調和は時と場所に依り、その要求に応じて二者が適宜に調諧して、甲の場合には自然主義六分ローマン主義四分というように時代及び場所の要求に伴うて、両者の完全なる調和を保つ所に、新ローマン主義を認める。将来はこうなる事であろうと思う。  昔の感激的の教育と、当時の情緒的なローマン主義の文芸と今の科学上の真を重んずる教育主義と、空想的ならざる自然主義の文芸と、相連って両者の変遷及び関係が明瞭になるのであります。かくして人心に向上の念がある以上、永久にローマン主義の存続を認むると共に、総ての真に価値を発見する自然主義もまた充分なる生命を存して、この二者の調和が今後の重なる傾向となるべきものと思うのであります。  近頃教育者には文学はいらぬというものもあるが、自分の今までのお話は全く教育に関係がないという事が出来ぬ。現時の教育において小学校中等学校はローマン主義で大学などに至っては、ナチュラル主義のものとなる。この二者は密接なる関係を有して、二つであるけれどもつまりは一つに重なるものと見てよろしいのであります。故に前申した通り文学と教育とは決して離れないものであるのであります。 ――明治四四、七、一『信濃教育』――  汽車は流星の疾きに、二百里の春を貫いて、行くわれを七条のプラットフォームの上に振り落す。余が踵の堅き叩きに薄寒く響いたとき、黒きものは、黒き咽喉から火の粉をぱっと吐いて、暗い国へ轟と去った。  たださえ京は淋しい所である。原に真葛、川に加茂、山に比叡と愛宕と鞍馬、ことごとく昔のままの原と川と山である。昔のままの原と川と山の間にある、一条、二条、三条をつくして、九条に至っても十条に至っても、皆昔のままである。数えて百条に至り、生きて千年に至るとも京は依然として淋しかろう。この淋しい京を、春寒の宵に、とく走る汽車から会釈なく振り落された余は、淋しいながら、寒いながら通らねばならぬ。南から北へ――町が尽きて、家が尽きて、灯が尽きる北の果まで通らねばならぬ。 「遠いよ」と主人が後から云う。「遠いぜ」と居士が前から云う。余は中の車に乗って顫えている。東京を立つ時は日本にこんな寒い所があるとは思わなかった。昨日までは擦れ合う身体から火花が出て、むくむくと血管を無理に越す熱き血が、汗を吹いて総身に煮浸み出はせぬかと感じた。東京はさほどに烈しい所である。この刺激の強い都を去って、突然と太古の京へ飛び下りた余は、あたかも三伏の日に照りつけられた焼石が、緑の底に空を映さぬ暗い池へ、落ち込んだようなものだ。余はしゅっと云う音と共に、倏忽とわれを去る熱気が、静なる京の夜に震動を起しはせぬかと心配した。 「遠いよ」と云った人の車と、「遠いぜ」と云った人の車と、顫えている余の車は長き轅を長く連ねて、狭く細い路を北へ北へと行く。静かな夜を、聞かざるかと輪を鳴らして行く。鳴る音は狭き路を左右に遮られて、高く空に響く。かんかららん、かんかららん、と云う。石に逢えばかかん、かからんと云う。陰気な音ではない。しかし寒い響である。風は北から吹く。  細い路を窮屈に両側から仕切る家はことごとく黒い。戸は残りなく鎖されている。ところどころの軒下に大きな小田原提灯が見える。赤くぜんざいとかいてある。人気のない軒下にぜんざいはそもそも何を待ちつつ赤く染まっているのかしらん。春寒の夜を深み、加茂川の水さえ死ぬ頃を見計らって桓武天皇の亡魂でも食いに来る気かも知れぬ。  桓武天皇の御宇に、ぜんざいが軒下に赤く染め抜かれていたかは、わかりやすからぬ歴史上の疑問である。しかし赤いぜんざいと京都とはとうてい離されない。離されない以上は千年の歴史を有する京都に千年の歴史を有するぜんざいが無くてはならぬ。ぜんざいを召したまえる桓武天皇の昔はしらず、余とぜんざいと京都とは有史以前から深い因縁で互に結びつけられている。始めて京都に来たのは十五六年の昔である。その時は正岡子規といっしょであった。麩屋町の柊屋とか云う家へ着いて、子規と共に京都の夜を見物に出たとき、始めて余の目に映ったのは、この赤いぜんざいの大提灯である。この大提灯を見て、余は何故かこれが京都だなと感じたぎり、明治四十年の今日に至るまでけっして動かない。ぜんざいは京都で、京都はぜんざいであるとは余が当時に受けた第一印象でまた最後の印象である。子規は死んだ。余はいまだに、ぜんざいを食った事がない。実はぜんざいの何物たるかをさえ弁えぬ。汁粉であるか煮小豆であるか眼前に髣髴する材料もないのに、あの赤い下品な肉太な字を見ると、京都を稲妻の迅かなる閃きのうちに思い出す。同時に――ああ子規は死んでしまった。糸瓜のごとく干枯びて死んでしまった。――提灯はいまだに暗い軒下にぶらぶらしている。余は寒い首を縮めて京都を南から北へ抜ける。  車はかんかららんに桓武天皇の亡魂を驚かし奉って、しきりに馳ける。前なる居士は黙って乗っている。後なる主人も言葉をかける気色がない。車夫はただ細長い通りをどこまでもかんかららんと北へ走る。なるほど遠い。遠いほど風に当らねばならぬ。馳けるほど顫えねばならぬ。余の膝掛と洋傘とは余が汽車から振り落されたとき居士が拾ってしまった。洋傘は拾われても雨が降らねばいらぬ。この寒いのに膝掛を拾われては東京を出るとき二十二円五十銭を奮発した甲斐がない。  子規と来たときはかように寒くはなかった。子規はセル、余はフランネルの制服を着て得意に人通りの多い所を歩行いた事を記憶している。その時子規はどこからか夏蜜柑を買うて来て、これを一つ食えと云って余に渡した。余は夏蜜柑の皮を剥いて、一房ごとに裂いては噛み、裂いては噛んで、あてどもなくさまようていると、いつの間にやら幅一間ぐらいの小路に出た。この小路の左右に並ぶ家には門並方一尺ばかりの穴を戸にあけてある。そうしてその穴の中から、もしもしと云う声がする。始めは偶然だと思うていたが行くほどに、穴のあるほどに、申し合せたように、左右の穴からもしもしと云う。知らぬ顔をして行き過ぎると穴から手を出して捕まえそうに烈しい呼び方をする。子規を顧みて何だと聞くと妓楼だと答えた。余は夏蜜柑を食いながら、目分量で一間幅の道路を中央から等分して、その等分した線の上を、綱渡りをする気分で、不偏不党に練って行った。穴から手を出して制服の尻でも捕まえられては容易ならんと思ったからである。子規は笑っていた。膝掛をとられて顫えている今の余を見たら、子規はまた笑うであろう。しかし死んだものは笑いたくても、顫えているものは笑われたくても、相談にはならん。  かんかららんは長い橋の袂を左へ切れて長い橋を一つ渡って、ほのかに見える白い河原を越えて、藁葺とも思われる不揃な家の間を通り抜けて、梶棒を横に切ったと思ったら、四抱か五抱もある大樹の幾本となく提灯の火にうつる鼻先で、ぴたりと留まった。寒い町を通り抜けて、よくよく寒い所へ来たのである。遥なる頭の上に見上げる空は、枝のために遮られて、手の平ほどの奥に料峭たる星の影がきらりと光を放った時、余は車を降りながら、元来どこへ寝るのだろうと考えた。 「これが加茂の森だ」と主人が云う。「加茂の森がわれわれの庭だ」と居士が云う。大樹を繞ぐって、逆に戻ると玄関に灯が見える。なるほど家があるなと気がついた。  玄関に待つ野明さんは坊主頭である。台所から首を出した爺さんも坊主頭である。主人は哲学者である。居士は洪川和尚の会下である。そうして家は森の中にある。後は竹藪である。顫えながら飛び込んだ客は寒がりである。  子規と来て、ぜんざいと京都を同じものと思ったのはもう十五六年の昔になる。夏の夜の月|円きに乗じて、清水の堂を徘徊して、明かならぬ夜の色をゆかしきもののように、遠く眼を微茫の底に放って、幾点の紅灯に夢のごとく柔かなる空想を縦ままに酔わしめたるは、制服の釦の真鍮と知りつつも、黄金と強いたる時代である。真鍮は真鍮と悟ったとき、われらは制服を捨てて赤裸のまま世の中へ飛び出した。子規は血を嘔いて新聞屋となる、余は尻を端折って西国へ出奔する。御互の世は御互に物騒になった。物騒の極子規はとうとう骨になった。その骨も今は腐れつつある。子規の骨が腐れつつある今日に至って、よもや、漱石が教師をやめて新聞屋になろうとは思わなかったろう。漱石が教師をやめて、寒い京都へ遊びに来たと聞いたら、円山へ登った時を思い出しはせぬかと云うだろう。新聞屋になって、糺の森の奥に、哲学者と、禅居士と、若い坊主頭と、古い坊主頭と、いっしょに、ひっそり閑と暮しておると聞いたら、それはと驚くだろう。やっぱり気取っているんだと冷笑するかも知れぬ。子規は冷笑が好きな男であった。  若い坊さんが「御湯に御這入り」と云う。主人と居士は余が顫えているのを見兼て「公、まず這入れ」と云う。加茂の水の透き徹るなかに全身を浸けたときは歯の根が合わぬくらいであった。湯に入って顫えたものは古往今来たくさんあるまいと思う。湯から出たら「公まず眠れ」と云う。若い坊さんが厚い蒲団を十二畳の部屋に担ぎ込む。「郡内か」と聞いたら「太織だ」と答えた。「公のために新調したのだ」と説明がある上は安心して、わがものと心得て、差支なしと考えた故、御免を蒙って寝る。  寝心地はすこぶる嬉しかったが、上に掛ける二枚も、下へ敷く二枚も、ことごとく蒲団なので肩のあたりへ糺の森の風がひやりひやりと吹いて来る。車に寒く、湯に寒く、果は蒲団にまで寒かったのは心得ぬ。京都では袖のある夜着はつくらぬものの由を主人から承って、京都はよくよく人を寒がらせる所だと思う。  真夜中頃に、枕頭の違棚に据えてある、四角の紫檀製の枠に嵌め込まれた十八世紀の置時計が、チーンと銀椀を象牙の箸で打つような音を立てて鳴った。夢のうちにこの響を聞いて、はっと眼を醒ましたら、時計はとくに鳴りやんだが、頭のなかはまだ鳴っている。しかもその鳴りかたが、しだいに細く、しだいに遠く、しだいに濃かに、耳から、耳の奥へ、耳の奥から、脳のなかへ、脳のなかから、心の底へ浸み渡って、心の底から、心のつながるところで、しかも心の尾いて行く事のできぬ、遐かなる国へ抜け出して行くように思われた。この涼しき鈴の音が、わが肉体を貫いて、わが心を透して無限の幽境に赴くからは、身も魂も氷盤のごとく清く、雪甌のごとく冷かでなくてはならぬ。太織の夜具のなかなる余はいよいよ寒かった。  暁は高い欅の梢に鳴く烏で再度の夢を破られた。この烏はかあとは鳴かぬ。きゃけえ、くうと曲折して鳴く。単純なる烏ではない。への字烏、くの字烏である。加茂の明神がかく鳴かしめて、うき我れをいとど寒がらしめ玉うの神意かも知れぬ。  かくして太織の蒲団を離れたる余は、顫えつつ窓を開けば、依稀たる細雨は、濃かに糺の森を罩めて、糺の森はわが家を遶りて、わが家の寂然たる十二畳は、われを封じて、余は幾重ともなく寒いものに取り囲まれていた。   春寒の社頭に鶴を夢みけり  昨日は失敬。こう続けざまに芝居を見るのは私の生涯において未曾有の珍象ですが、私が、私に固有な因循極まる在来の軌道をぐれ出して、ちょっとでも陽気な御交際をするのは全くあなたのせいですよ。それにも飽き足らず、この上|相撲へ連れて行って、それから招魂社の能へ誘うと云うんだから、あなたは偉い。実際善人か悪人か分らない。  私は妙な性質で、寄席興行その他娯楽を目的とする場所へ行って坐っていると、その間に一種荒涼な感じが起るんです。左右前後の綺羅が頭の中へ反映して、心理学にいわゆる反照聯想を起すためかとも思いますが、全くそうでもないらしいです。あんな場所で周囲の人の顔や様子を見ていると、みんな浮いて見えます。男でも女でもさも得意です。その時ふとこの顔とこの様子から、自分の住む現在の社会が成立しているのだという考がどこからか出て来て急に不安になるのです。そうして早々自分の穴へ帰りたくなるんです。  そのときはまだ好いが、次にきっと自分も人から見れば、やっぱり浮いた顔をして、得意な調子をふりまわしているんだろうと気がつくのです。そうするといかにも自分に対して面目なくなります。その次には、自分の浮気や得意はこの場限りで、もう少しすると平生の我に帰るのだが、ほかの人のは、これが常態であって、家へ帰っても、職務に従事しても、あれでやっているんだと己惚れます。すると自分はどうしてもここにいるべきではないとなる。宅へ帰って、一二時間黙坐して見たいなんて気が起ります。  そのくせ周囲の空気には名状すべからざる派出な刺激があって、一方からいうと前後を忘れ、自我を没して、この派出な刺激を痛切に味いたいのだから困ります。その意味からいうと、美々しい女や華奢な男が、天地神明を忘れて、当面の春色に酔って、優越な都会人種をもって任ずる様や、あるいは天下をわがもの顔に得意にふるまうのが羨ましいのです。そうかと云ってこの人造世界に向って猪進する勇気は無論ないです。年来の生活状態からして、私は始終山の手の竹藪の中へ招かれている。のみならず、この竹藪や書物のなかに、まるで趣の違った巣を食って生きて来たのです。その方が私の性に合う。それから直接に官能に訴える人巧的な刺激を除くと、この巣の方が遥かに意義があるように思われるんだから、四辺の空気に快よく耽溺する事ができないで迷っちまいます。こんな中腰の態度で、芝居を見物する原因は複雑のようですが、その五割|乃至七割は舞台で演ずる劇そのものに帰着するのかも知れません。あの劇がね、私の巣の中の世界とはまるで別物で、しかもあまり上等でないからだろうと思うんです。こう云うと、役者や見物を一概に罵倒するようでわるいから、ちょっと説明します。  この間帝国座の二宮君が来て、あなたの明治座の所感と云うものを読んだが、我々の神経は痲痺しているせいだか何だかあなたの口にするような非難はとうてい持ち出す余地がない、芝居になれたものの眼から見ると、筋なぞはどんなに無理だって、妙だって、まるで忘れて見ていますと云いました。なるほどそれが僕の素人であるところかも知れないと答えたようなものの、私は二宮君にこんな事を反問しました。僕は芝居は分らないが小説は君よりも分っている。その僕が小説を読んで、第一に感ずるのは大体の筋すなわち構造である。筋なんかどうでも、局部に面白い所があれば構わないと云う気にはとてもなれない。したがって僕がいかほど芝居通になったところで、全然君と同じ観察点に立って、芝居を見得るかどうだか疑問であるが、その辺はどうだろう。――話は要領を得ずにすんでしまったが、私にはやッぱり構造、譬えば波瀾、衝突から起る因果とか、この因果と、あの因果の関係とか云うものが第一番に眼につくんです。ところがそれがあんまり善くできていないじゃありませんか。あるものは私の理性を愚弄するために作ったと思われますね。太功記などは全くそうだ。あるものは平板のべつ、のっぺらぽうでしょう。楠なんとかいうのは、誰が見たってのっぺらぽうに違ない。あるものに至っては、私の人情を傷けようと思って故意に残酷に拵えさしたと思われるくらいです。きられ与三郎の――そう、もっともこれは純然たる筋じゃないが、まあ残酷なところがゆすりの原因になっているでしょう。  生涯の大勢は構わないその日その日を面白く暮して行けば好いという人があるように、芝居も大体の構造なんか眼中におく必要がない、局部局部を断片的に賞翫すればよいという説――二宮君のような説ですが、まあその説に同意してみたらどんなものでしょう。  それでも賞翫はできますが、それを賞翫するに、局部の内容を賞翫するのと、その内容を発現するために用うる役者の芸を賞翫するのと、ほとんど内容を離れた、内容の発現には比較的効能のない役者の芸を賞翫するのと三つあるようですね。  こうなっても芝居の好な人は、やっぱり内容に重きをおいていないようじゃありませんか。お富が海へ飛び込むところなぞは内容として、私には見るに堪えない。演り方が旨いとか下手いとか云う芸術上の鑑賞の余地がないくらい厭です。中村不折が隣りにいて、あのとき芸術上の批評を加えていたのを聞いて実に意外に思いました。ところが芝居の好きな人には私の厭だと思うところはいっこう応えないように見えますがどうでしょう。  光秀が妹から刀を受取って一人で引込むところは、内容として不都合がない。だから芸術上の上手下手を云う余地があったのです。あすこはあなたがたも旨いと云った。私も旨いと思います。ただし、あすこの芸術は内容を発現するための芸術でしょう。  第三の、内容とは比較的関係のない芸術になると、妙ですな。内容を賞翫して好いんだか、芸術を賞翫して好いんだか分りません。十段目に、初菊が、あんまり聞えぬ光よし様とか何とかいうところで品をしていると、私の隣の枡にいた御婆さんが誠実に泣いてたには感心しました。あのくらい単純な内容で泣ける人が今の世にもあるかと思ったらありがたかった。我々はもっとずっと、擦れてるから始末が悪い。と云ってあすこがつまらないんじゃない。かなり面白かった。けれどもその面白味はあの初菊という女の胴や手が蛇のように三味線につれて、ひなひなするから面白かったんで、人情の発現として泣く了簡は毛頭なかったんです。この点において私と芝居通の諸君と一致しているかどうだか伺います。御婆さんに賛成なさるか、私に同意なさるかで事はきまります。  忘れました。局部内容発現の芸術でもっとも旨かったのは蝙蝠安ですな。あれは旨い。本当にできてる。ゆすりをした経験のある男が正業について役者になったんでなければ、ああは行くまいと思いました。顔もごろつきそうな顔でしょう。あれが髭を生やして狩衣を着て楠正成の家来になってたから驚いた。  次に内容と全く独立した。と云うより内容のない芸術がありますが、あれは私にも少々分る。鷺娘がむやみに踊ったり、それから吉原|仲の町へ男性、中性、女性の三性が出て来て各々特色を発揮する運動をやったりするのはいいですね。運動術としては男性が一番|旨いんだそうですが、私はあの女性が好きだ、好い恰好をしているじゃありませんか。それに色彩が好い。  色彩は私には大変な影響を及ぼします。太功記の色彩などははなはだ不調和極まって見えます。加藤清正が金釦のシャツを着ていましたが、おかしかったですよ。光秀のうちは長屋ですな。あの中にあんな綺麗な着物を着た御嫁さんなんかがいるんだから、もったいない。光秀はなぜ百姓みたように竹槍を製造するんですか。  木更津汐干の場の色彩はごちゃごちゃして一見|厭になりました。御成街道にペンキ屋の長い看板があるから見て、御覧なさい。  楠一族の色彩ははなはだよろしい。第一調和しているようです。正成の細君は品があってよござんす、あの子も好い。みんな好い色だ。  私の厭なところと、好なところを性質から区別して並べて御覧に入れました。これで私が芝居を見ている時の順慶流の気持が少し説明ができたつもりですが、まだこのほかにもなかなかあります。それは他日御面会の節に譲ります。不折は男性、女性、中性を見ずに帰りましたね。不折は奴的の画が好きなんだろうと思います。凡鳥君によろしく。以上。 六月十二日         一 「随分遠いね。元来どこから登るのだ」 と一人が手巾で額を拭きながら立ち留った。 「どこか己にも判然せんがね。どこから登ったって、同じ事だ。山はあすこに見えているんだから」 と顔も体躯も四角に出来上った男が無雑作に答えた。  反を打った中折れの茶の廂の下から、深き眉を動かしながら、見上げる頭の上には、微茫なる春の空の、底までも藍を漂わして、吹けば揺くかと怪しまるるほど柔らかき中に屹然として、どうする気かと云わぬばかりに叡山が聳えている。 「恐ろしい頑固な山だなあ」と四角な胸を突き出して、ちょっと桜の杖に身を倚たせていたが、 「あんなに見えるんだから、訳はない」と今度は叡山を軽蔑したような事を云う。 「あんなに見えるって、見えるのは今朝宿を立つ時から見えている。京都へ来て叡山が見えなくなっちゃ大変だ」 「だから見えてるから、好いじゃないか。余計な事を云わずに歩行いていれば自然と山の上へ出るさ」  細長い男は返事もせずに、帽子を脱いで、胸のあたりを煽いでいる。日頃からなる廂に遮ぎられて、菜の花を染め出す春の強き日を受けぬ広き額だけは目立って蒼白い。 「おい、今から休息しちゃ大変だ、さあ早く行こう」  相手は汗ばんだ額を、思うまま春風に曝して、粘り着いた黒髪の、逆に飛ばぬを恨むごとくに、手巾を片手に握って、額とも云わず、顔とも云わず、頸窩の尽くるあたりまで、くちゃくちゃに掻き廻した。促がされた事には頓着する気色もなく、 「君はあの山を頑固だと云ったね」と聞く。 「うむ、動かばこそと云ったような按排じゃないか。こう云う風に」と四角な肩をいとど四角にして、空いた方の手に栄螺の親類をつくりながら、いささか我も動かばこその姿勢を見せる。 「動かばこそと云うのは、動けるのに動かない時の事を云うのだろう」と細長い眼の角から斜めに相手を見下した。 「そうさ」 「あの山は動けるかい」 「アハハハまた始まった。君は余計な事を云いに生れて来た男だ。さあ行くぜ」と太い桜の洋杖を、ひゅうと鳴らさぬばかりに、肩の上まで上げるや否や、歩行き出した。瘠せた男も手巾を袂に収めて歩行き出す。 「今日は山端の平八茶屋で一日遊んだ方がよかった。今から登ったって中途|半端になるばかりだ。元来頂上まで何里あるのかい」 「頂上まで一里半だ」 「どこから」 「どこからか分るものか、たかの知れた京都の山だ」  瘠せた男は何にも云わずににやにやと笑った。四角な男は威勢よく喋舌り続ける。 「君のように計画ばかりしていっこう実行しない男と旅行すると、どこもかしこも見損ってしまう。連こそいい迷惑だ」 「君のようにむちゃに飛び出されても相手は迷惑だ。第一、人を連れ出して置きながら、どこから登って、どこを見て、どこへ下りるのか見当がつかんじゃないか」 「なんの、これしきの事に計画も何もいったものか、たかがあの山じゃないか」 「あの山でもいいが、あの山は高さ何千尺だか知っているかい」 「知るものかね。そんな下らん事を。――君知ってるのか」 「僕も知らんがね」 「それ見るがいい」 「何もそんなに威張らなくてもいい。君だって知らんのだから。山の高さは御互に知らんとしても、山の上で何を見物して何時間かかるぐらいは多少確めて来なくっちゃ、予定通りに日程は進行するものじゃない」 「進行しなければやり直すだけだ。君のように余計な事を考えてるうちには何遍でもやり直しが出来るよ」となおさっさと行く。瘠せた男は無言のままあとに後れてしまう。  春はものの句になりやすき京の町を、七条から一条まで横に貫ぬいて、煙る柳の間から、温き水打つ白き布を、高野川の磧に数え尽くして、長々と北にうねる路を、おおかたは二里余りも来たら、山は自から左右に逼って、脚下に奔る潺湲の響も、折れるほどに曲るほどに、あるは、こなた、あるは、かなたと鳴る。山に入りて春は更けたるを、山を極めたらば春はまだ残る雪に寒かろうと、見上げる峰の裾を縫うて、暗き陰に走る一条の路に、爪上りなる向うから大原女が来る。牛が来る。京の春は牛の尿の尽きざるほどに、長くかつ静かである。 「おおい」と後れた男は立ち留りながら、先きなる友を呼んだ。おおいと云う声が白く光る路を、春風に送られながら、のそり閑と行き尽して、萱ばかりなる突き当りの山にぶつかった時、一丁先きに動いていた四角な影ははたと留った。瘠せた男は、長い手を肩より高く伸して、返れ返れと二度ほど揺って見せる。桜の杖が暖かき日を受けて、またぴかりと肩の先に光ったと思う間もなく、彼は帰って来た。 「何だい」 「何だいじゃない。ここから登るんだ」 「こんな所から登るのか。少し妙だぜ。こんな丸木橋を渡るのは妙だぜ」 「君見たようにむやみに歩行いていると若狭の国へ出てしまうよ」 「若狭へ出ても構わんが、いったい君は地理を心得ているのか」 「今大原女に聴いて見た。この橋を渡って、あの細い道を向へ一里上がると出るそうだ」 「出るとはどこへ出るのだい」 「叡山の上へさ」 「叡山の上のどこへ出るだろう」 「そりゃ知らない。登って見なければ分らないさ」 「ハハハハ君のような計画好きでもそこまでは聞かなかったと見えるね。千慮の一失か。それじゃ、仰せに従って渡るとするかな。君いよいよ登りだぜ。どうだ、歩行けるか」 「歩行けないたって、仕方がない」 「なるほど哲学者だけあらあ。それで、もう少し判然すると一人前だがな」 「何でも好いから、先へ行くが好い」 「あとから尾いて来るかい」 「いいから行くが好い」 「尾いて来る気なら行くさ」  渓川に危うく渡せる一本橋を前後して横切った二人の影は、草山の草繁き中を、辛うじて一縷の細き力に頂きへ抜ける小径のなかに隠れた。草は固より去年の霜を持ち越したまま立枯の姿であるが、薄く溶けた雲を透して真上から射し込む日影に蒸し返されて、両頬のほてるばかりに暖かい。 「おい、君、甲野さん」と振り返る。甲野さんは細い山道に適当した細い体躯を真直に立てたまま、下を向いて 「うん」と答えた。 「そろそろ降参しかけたな。弱い男だ。あの下を見たまえ」と例の桜の杖を左から右へかけて一振りに振り廻す。  振り廻した杖の先の尽くる、遥か向うには、白銀の一筋に眼を射る高野川を閃めかして、左右は燃え崩るるまでに濃く咲いた菜の花をべっとりと擦り着けた背景には薄紫の遠山を縹緲のあなたに描き出してある。 「なるほど好い景色だ」と甲野さんは例の長身を捩じ向けて、際どく六十度の勾配に擦り落ちもせず立ち留っている。 「いつの間に、こんなに高く登ったんだろう。早いものだな」と宗近君が云う。宗近君は四角な男の名である。 「知らぬ間に堕落したり、知らぬ間に悟ったりするのと同じようなものだろう」 「昼が夜になったり、春が夏になったり、若いものが年寄りになったり、するのと同じ事かな。それなら、おれも疾くに心得ている」 「ハハハハそれで君は幾歳だったかな」 「おれの幾歳より、君は幾歳だ」 「僕は分かってるさ」 「僕だって分かってるさ」 「ハハハハやっぱり隠す了見だと見える」 「隠すものか、ちゃんと分ってるよ」 「だから、幾歳なんだよ」 「君から先へ云え」と宗近君はなかなか動じない。 「僕は二十七さ」と甲野君は雑作もなく言って退ける。 「そうか、それじゃ、僕も二十八だ」 「だいぶ年を取ったものだね」 「冗談を言うな。たった一つしか違わんじゃないか」 「だから御互にさ。御互に年を取ったと云うんだ」 「うん御互にか、御互なら勘弁するが、おれだけじゃ……」 「聞き捨てにならんか。そう気にするだけまだ若いところもあるようだ」 「何だ坂の途中で人を馬鹿にするな」 「そら、坂の途中で邪魔になる。ちょっと退いてやれ」  百折れ千折れ、五間とは直に続かぬ坂道を、呑気な顔の女が、ごめんやすと下りて来る。身の丈に余る粗朶の大束を、緑り洩る濃き髪の上に圧え付けて、手も懸けずに戴きながら、宗近君の横を擦り抜ける。生い茂る立ち枯れの萱をごそつかせた後ろ姿の眼につくは、目暗縞の黒きが中を斜に抜けた赤襷である。一里を隔てても、そこと指す指の先に、引っ着いて見えるほどの藁葺は、この女の家でもあろう。天武天皇の落ちたまえる昔のままに、棚引く霞は長しえに八瀬の山里を封じて長閑である。 「この辺の女はみんな奇麗だな。感心だ。何だか画のようだ」と宗近君が云う。 「あれが大原女なんだろう」 「なに八瀬女だ」 「八瀬女と云うのは聞いた事がないぜ」 「なくっても八瀬の女に違ない。嘘だと思うなら今度|逢ったら聞いてみよう」 「誰も嘘だと云やしない。しかしあんな女を総称して大原女と云うんだろうじゃないか」 「きっとそうか、受合うか」 「そうする方が詩的でいい。何となく雅でいい」 「じゃ当分雅号として用いてやるかな」 「雅号は好いよ。世の中にはいろいろな雅号があるからな。立憲政体だの、万有神教だの、忠、信、孝、悌、だのってさまざまな奴があるから」 「なるほど、蕎麦屋に藪がたくさん出来て、牛肉屋がみんないろはになるのもその格だね」 「そうさ、御互に学士を名乗ってるのも同じ事だ」 「つまらない。そんな事に帰着するなら雅号は廃せばよかった」 「これから君は外交官の雅号を取るんだろう」 「ハハハハあの雅号はなかなか取れない。試験官に雅味のある奴がいないせいだな」 「もう何遍落第したかね。三遍か」 「馬鹿を申せ」 「じゃ二遍か」 「なんだ、ちゃんと知ってる癖に。はばかりながら落第はこれでたった一遍だ」 「一度受けて一遍なんだから、これからさき……」 「何遍やるか分らないとなると、おれも少々心細い。ハハハハ。時に僕の雅号はそれでいいが、君は全体何をするんだい」 「僕か。僕は叡山へ登るのさ。――おい君、そう後足で石を転がしてはいかん。後から尾いて行くものが剣呑だ。――ああ随分くたびれた。僕はここで休むよ」と甲野さんは、がさりと音を立てて枯薄の中へ仰向けに倒れた。 「おやもう落第か。口でこそいろいろな雅号を唱えるが、山登りはから駄目だね」と宗近君は例の桜の杖で、甲野さんの寝ている頭の先をこつこつ敲く。敲くたびに杖の先が薄を薙ぎ倒してがさがさ音を立てる。 「さあ起きた。もう少しで頂上だ。どうせ休むなら及第してから、ゆっくり休もう。さあ起きろ」 「うん」 「うんか、おやおや」 「反吐が出そうだ」 「反吐を吐いて落第するのか、おやおや。じゃ仕方がない。おれも一と休息仕ろう」  甲野さんは黒い頭を、黄ばんだ草の間に押し込んで、帽子も傘も坂道に転がしたまま、仰向けに空を眺めている。蒼白く面高に削り成せる彼の顔と、無辺際に浮き出す薄き雲の※然と消えて入る大いなる天上界の間には、一塵の眼を遮ぎるものもない。反吐は地面の上へ吐くものである。大空に向う彼の眼中には、地を離れ、俗を離れ、古今の世を離れて万里の天があるのみである。  宗近君は米沢絣の羽織を脱いで、袖畳みにしてちょっと肩の上へ乗せたが、また思い返して、今度は胸の中から両手をむずと出して、うんと云う間に諸肌を脱いだ。下から袖無が露われる。袖無の裏から、もじゃもじゃした狐の皮が食み出している。これは支那へ行った友人の贈り物として君が大事の袖無である。千羊の皮は一狐の腋にしかずと云って、君はいつでもこの袖無を一着している。その癖裏に着けた狐の皮は斑にほうけて、むやみに脱落するところをもって見ると、何でもよほど性の悪い野良狐に違ない。 「御山へ御登りやすのどすか、案内しまほうか、ホホホ妙な所に寝ていやはる」とまた目暗縞が下りて来る。 「おい、甲野さん。妙な所に寝ていやはるとさ。女にまで馬鹿にされるぜ。好い加減に起きてあるこうじゃないか」 「女は人を馬鹿にするもんだ」 と甲野さんは依然として天を眺めている。 「そう泰然と尻を据えちゃ困るな。まだ反吐を吐きそうかい」 「動けば吐く」 「厄介だなあ」 「すべての反吐は動くから吐くのだよ。俗界|万斛の反吐皆|動の一字より来る」 「何だ本当に吐くつもりじゃないのか。つまらない。僕はまたいよいよとなったら、君を担いで麓まで下りなけりゃならんかと思って、内心少々|辟易していたんだ」 「余計な御世話だ。誰も頼みもしないのに」 「君は愛嬌のない男だね」 「君は愛嬌の定義を知ってるかい」 「何のかのと云って、一分でも余計動かずにいようと云う算段だな。怪しからん男だ」 「愛嬌と云うのはね、――自分より強いものを斃す柔かい武器だよ」 「それじゃ無愛想は自分より弱いものを、扱き使う鋭利なる武器だろう」 「そんな論理があるものか。動こうとすればこそ愛嬌も必要になる。動けば反吐を吐くと知った人間に愛嬌が入るものか」 「いやに詭弁を弄するね。そんなら僕は御先へ御免蒙るぜ。いいか」 「勝手にするがいい」と甲野さんはやっぱり空を眺めている。  宗近君は脱いだ両袖をぐるぐると腰へ巻き付けると共に、毛脛に纏わる竪縞の裾をぐいと端折って、同じく白縮緬の周囲に畳み込む。最前袖畳にした羽織を桜の杖の先へ引き懸けるが早いか「一剣天下を行く」と遠慮のない声を出しながら、十歩に尽くる岨路を飄然として左へ折れたぎり見えなくなった。  あとは静である。静かなる事|定って、静かなるうちに、わが一脈の命を託すると知った時、この大乾坤のいずくにか通う、わが血潮は、粛々と動くにもかかわらず、音なくして寂定裏に形骸を土木視して、しかも依稀たる活気を帯ぶ。生きてあらんほどの自覚に、生きて受くべき有耶無耶の累を捨てたるは、雲の岫を出で、空の朝な夕なを変わると同じく、すべての拘泥を超絶したる活気である。古今来を空しゅうして、東西位を尽くしたる世界のほかなる世界に片足を踏み込んでこそ――それでなければ化石になりたい。赤も吸い、青も吸い、黄も紫も吸い尽くして、元の五彩に還す事を知らぬ真黒な化石になりたい。それでなければ死んで見たい。死は万事の終である。また万事の始めである。時を積んで日となすとも、日を積んで月となすとも、月を積んで年となすとも、詮ずるにすべてを積んで墓となすに過ぎぬ。墓の此方側なるすべてのいさくさは、肉|一重の垣に隔てられた因果に、枯れ果てたる骸骨にいらぬ情けの油を注して、要なき屍に長夜の踊をおどらしむる滑稽である。遐なる心を持てるものは、遐なる国をこそ慕え。  考えるともなく考えた甲野君はようやくに身を起した。また歩行かねばならぬ。見たくもない叡山を見て、いらざる豆の数々に、役にも立たぬ登山の痕迹を、二三日がほどは、苦しき記念と残さねばならぬ。苦しき記念が必要ならば数えて白頭に至って尽きぬほどある。裂いて髄にいって消えぬほどある。いたずらに足の底に膨れ上る豆の十や二十――と切り石の鋭どき上に半ば掛けたる編み上げの踵を見下ろす途端、石はきりりと面を更えて、乗せかけた足をすわと云う間に二尺ほど滑べらした。甲野さんは 「万里の道を見ず」 と小声に吟じながら、傘を力に、岨路を登り詰めると、急に折れた胸突坂が、下から来る人を天に誘う風情で帽に逼って立っている。甲野さんは真廂を煽って坂の下から真一文字に坂の尽きる頂きを見上げた。坂の尽きた頂きから、淡きうちに限りなき春の色を漲ぎらしたる果もなき空を見上げた。甲野さんはこの時 「ただ万里の天を見る」 と第二の句を、同じく小声に歌った。  草山を登り詰めて、雑木の間を四五段|上ると、急に肩から暗くなって、踏む靴の底が、湿っぽく思われる。路は山の背を、西から東へ渡して、たちまちのうちに草を失するとすぐ森に移ったのである。近江の空を深く色どるこの森の、動かねば、その上の幹と、その上の枝が、幾重幾里に連なりて、昔しながらの翠りを年ごとに黒く畳むと見える。二百の谷々を埋め、三百の神輿を埋め、三千の悪僧を埋めて、なお余りある葉裏に、三藐三菩提の仏達を埋め尽くして、森々と半空に聳ゆるは、伝教大師以来の杉である。甲野さんはただ一人この杉の下を通る。  右よりし左よりして、行く人を両手に遮ぎる杉の根は、土を穿ち石を裂いて深く地磐に食い入るのみか、余る力に、跳ね返して暗き道を、二寸の高さに段々と横切っている。登らんとする岩の梯子に、自然の枕木を敷いて、踏み心地よき幾級の階を、山霊の賜と甲野さんは息を切らして上って行く。  行く路の杉に逼って、暗きより洩るるがごとく這い出ずる日影蔓の、足に纏わるほどに繁きを越せば、引かれたる蔓の長きを伝わって、手も届かぬに、朽ちかかる歯朶の、風なき昼をふらふらと揺く。 「ここだ、ここだ」 と宗近君が急に頭の上で天狗のような声を出す。朽草の土となるまで積み古るしたる上を、踏めば深靴を隠すほどに踏み答えもなきに、甲野さんはようやくの思で、蝙蝠傘を力に、天狗の座まで、登って行く。 「善哉善哉、われ汝を待つ事ここに久しだ。全体何をぐずぐずしていたのだ」  甲野さんはただああと云ったばかりで、いきなり蝙蝠傘を放り出すと、その上へどさりと尻持を突いた。 「また反吐か、反吐を吐く前に、ちょっとあの景色を見なさい。あれを見るとせっかくの反吐も残念ながら収まっちまう」 と例の桜の杖で、杉の間を指す。天を封ずる老幹の亭々と行儀よく並ぶ隙間に、的※と近江の湖が光った。 「なるほど」と甲野さんは眸を凝らす。  鏡を延べたとばかりでは飽き足らぬ。琵琶の銘ある鏡の明かなるを忌んで、叡山の天狗共が、宵に偸んだ神酒の酔に乗じて、曇れる気息を一面に吹き掛けたように――光るものの底に沈んだ上には、野と山にはびこる陽炎を巨人の絵の具皿にあつめて、ただ一刷に抹り付けた、瀲※たる春色が、十里のほかに糢糊と棚引いている。 「なるほど」と甲野さんはまた繰り返した。 「なるほどだけか。君は何を見せてやっても嬉しがらない男だね」 「見せてやるなんて、自分が作ったものじゃあるまいし」 「そう云う恩知らずは、得て哲学者にあるもんだ。親不孝な学問をして、日々人間と御無沙汰になって……」 「誠に済みません。――親不孝な学問か、ハハハハハ。君白い帆が見える。そら、あの島の青い山を背にして――まるで動かんぜ。いつまで見ていても動かんぜ」 「退屈な帆だな。判然しないところが君に似ていらあ。しかし奇麗だ。おや、こっちにもいるぜ」 「あの、ずっと向うの紫色の岸の方にもある」 「うん、ある、ある。退屈だらけだ。べた一面だ」 「まるで夢のようだ」 「何が」 「何がって、眼前の景色がさ」 「うんそうか。僕はまた君が何か思い出したのかと思った。ものは君、さっさと片付けるに限るね。夢のごとしだって懐手をしていちゃ、駄目だよ」 「何を云ってるんだい」 「おれの云う事もやっぱり夢のごとしか。アハハハハ時に将門が気※を吐いたのはどこいらだろう」 「何でも向う側だ。京都を瞰下したんだから。こっちじゃない。あいつも馬鹿だなあ」 「将門か。うん、気※を吐くより、反吐でも吐く方が哲学者らしいね」 「哲学者がそんなものを吐くものか」 「本当の哲学者になると、頭ばかりになって、ただ考えるだけか、まるで達磨だね」 「あの煙るような島は何だろう」 「あの島か、いやに縹緲としているね。おおかた竹生島だろう」 「本当かい」 「なあに、好い加減さ。雅号なんざ、どうだって、質さえたしかなら構わない主義だ」 「そんなたしかなものが世の中にあるものか、だから雅号が必要なんだ」 「人間万事夢のごとしか。やれやれ」 「ただ死と云う事だけが真だよ」 「いやだぜ」 「死に突き当らなくっちゃ、人間の浮気はなかなかやまないものだ」 「やまなくって好いから、突き当るのは真っ平御免だ」 「御免だって今に来る。来た時にああそうかと思い当るんだね」 「誰が」 「小刀細工の好な人間がさ」  山を下りて近江の野に入れば宗近君の世界である。高い、暗い、日のあたらぬ所から、うららかな春の世を、寄り付けぬ遠くに眺めているのが甲野さんの世界である。         二  紅を弥生に包む昼|酣なるに、春を抽んずる紫の濃き一点を、天地の眠れるなかに、鮮やかに滴たらしたるがごとき女である。夢の世を夢よりも艶に眺めしむる黒髪を、乱るるなと畳める鬢の上には、玉虫貝を冴々と菫に刻んで、細き金脚にはっしと打ち込んでいる。静かなる昼の、遠き世に心を奪い去らんとするを、黒き眸のさと動けば、見る人は、あなやと我に帰る。半滴のひろがりに、一瞬の短かきを偸んで、疾風の威を作すは、春にいて春を制する深き眼である。この瞳を遡って、魔力の境を窮むるとき、桃源に骨を白うして、再び塵寰に帰るを得ず。ただの夢ではない。糢糊たる夢の大いなるうちに、燦たる一点の妖星が、死ぬるまで我を見よと、紫色の、眉近く逼るのである。女は紫色の着物を着ている。  静かなる昼を、静かに栞を抽いて、箔に重き一巻を、女は膝の上に読む。 「墓の前に跪ずいて云う。この手にて――この手にて君を埋め参らせしを、今はこの手も自由ならず。捕われて遠き国に、行くほどもあらねば、この手にて君が墓を掃い、この手にて香を焚くべき折々の、長しえに尽きたりと思いたまえ。生ける時は、莫耶も我らを割き難きに、死こそ無惨なれ。羅馬の君は埃及に葬むられ、埃及なるわれは、君が羅馬に埋められんとす。君が羅馬は――わが思うほどの恩を、憂きわれに拒める、君が羅馬は、つれなき君が羅馬なり。されど、情だにあらば、羅馬の神は、よも生きながらの辱に、市に引かるるわれを、雲の上よりよそに見たまわざるべし。君が仇なる人の勝利を飾るわれを。埃及の神に見離されたるわれを。君が片身と残したまえるわが命こそ仇なれ。情ある羅馬の神に祈る。――われを隠したまえ。恥見えぬ墓の底に、君とわれを永劫に隠したまえ。」  女は顔を上げた。蒼白き頬の締れるに、薄き化粧をほのかに浮かせるは、一重の底に、余れる何物かを蔵せるがごとく、蔵せるものを見極わめんとあせる男はことごとく虜となる。男は眩げに半ば口元を動かした。口の居住の崩るる時、この人の意志はすでに相手の餌食とならねばならぬ。下唇のわざとらしく色めいて、しかも判然と口を切らぬ瞬間に、切り付けられたものは、必ず受け損う。  女はただ隼の空を搏つがごとくちらと眸を動かしたのみである。男はにやにやと笑った。勝負はすでについた。舌を※頭に飛ばして、泡吹く蟹と、烏鷺を争うは策のもっとも拙なきものである。風励鼓行して、やむなく城下の誓をなさしむるは策のもっとも凡なるものである。蜜を含んで針を吹き、酒を強いて毒を盛るは策のいまだ至らざるものである。最上の戦には一語をも交うる事を許さぬ。拈華の一拶は、ここを去る八千里ならざるも、ついに不言にしてまた不語である。ただ躊躇する事|刹那なるに、虚をうつ悪魔は、思うつぼに迷と書き、惑と書き、失われたる人の子、と書いて、すわと云う間に引き上げる。下界万丈の鬼火に、腥さき青燐を筆の穂に吹いて、会釈もなく描き出せる文字は、白髪をたわしにして洗っても容易くは消えぬ。笑ったが最後、男はこの笑を引き戻す訳には行くまい。 「小野さん」と女が呼びかけた。 「え?」とすぐ応じた男は、崩れた口元を立て直す暇もない。唇に笑を帯びたのは、半ば無意識にあらわれたる、心の波を、手持無沙汰に草書に崩したまでであって、崩したものの尽きんとする間際に、崩すべき第二の波の来ぬのを煩っていた折であるから、渡りに船の「え?」は心安く咽喉を滑り出たのである。女は固より曲者である。「え?」と云わせたまま、しばらくは何にも云わぬ。 「何ですか」と男は二の句を継いだ。継がねばせっかくの呼吸が合わぬ。呼吸が合わねば不安である。相手を眼中に置くものは、王侯といえども常にこの感を起す。いわんや今、紫の女のほかに、何ものも映らぬ男の眼には、二の句は固より愚かである。  女はまだ何にも言わぬ。床に懸けた容斎の、小松に交る稚子髷の、太刀持こそ、昔しから長閑である。狩衣に、鹿毛なる駒の主人は、事なきに慣れし殿上人の常か、動く景色も見えぬ。ただ男だけは気が気でない。一の矢はあだに落ちた、二の矢のあたった所は判然せぬ。これが外れれば、また継がねばならぬ。男は気息を凝らして女の顔を見詰めている。肉の足らぬ細面に予期の情を漲らして、重きに過ぐる唇の、奇か偶かを疑がいつつも、手答のあれかしと念ずる様子である。 「まだ、そこにいらしったんですか」と女は落ちついた調子で云う。これは意外な手答である。天に向って彎ける弓の、危うくも吾が頭の上に、瓢箪羽を舞い戻したようなものである。男の我を忘れて、相手を見守るに引き反えて、女は始めより、わが前に坐われる人の存在を、膝に開ける一冊のうちに見失っていたと見える。その癖、女はこの書物を、箔美しと見つけた時、今|携えたる男の手から※ぎ取るようにして、読み始めたのである。  男は「ええ」と申したぎりであった。 「この女は羅馬へ行くつもりなんでしょうか」  女は腑に落ちぬ不快の面持で男の顔を見た。小野さんは「クレオパトラ」の行為に対して責任を持たねばならぬ。 「行きはしませんよ。行きはしませんよ」 と縁もない女王を弁護したような事を云う。 「行かないの? 私だって行かないわ」と女はようやく納得する。小野さんは暗い隧道を辛うじて抜け出した。 「沙翁の書いたものを見るとその女の性格が非常によく現われていますよ」  小野さんは隧道を出るや否や、すぐ自転車に乗って馳け出そうとする。魚は淵に躍る、鳶は空に舞う。小野さんは詩の郷に住む人である。  稜錐塔の空を燬く所、獅身女の砂を抱く所、長河の鰐魚を蔵する所、二千年の昔|妖姫クレオパトラの安図尼と相擁して、駝鳥の※※に軽く玉肌を払える所、は好画題であるまた好詩料である。小野さんの本領である。 「沙翁の描いたクレオパトラを見ると一種妙な心持ちになります」 「どんな心持ちに?」 「古い穴の中へ引き込まれて、出る事が出来なくなって、ぼんやりしているうちに、紫色のクレオパトラが眼の前に鮮やかに映って来ます。剥げかかった錦絵のなかから、たった一人がぱっと紫に燃えて浮き出して来ます」 「紫? よく紫とおっしゃるのね。なぜ紫なんです」 「なぜって、そう云う感じがするのです」 「じゃ、こんな色ですか」と女は青き畳の上に半ば敷ける、長き袖を、さっと捌いて、小野さんの鼻の先に翻えす。小野さんの眉間の奥で、急にクレオパトラの臭がぷんとした。 「え?」と小野さんは俄然として我に帰る。空を掠める子規の、駟も及ばぬに、降る雨の底を突き通して過ぎたるごとく、ちらと動ける異しき色は、疾く収まって、美くしい手は膝頭に乗っている。脈打つとさえ思えぬほどに静かに乗っている。  ぷんとしたクレオパトラの臭は、しだいに鼻の奥から逃げて行く。二千年の昔から不意に呼び出された影の、恋々と遠のく後を追うて、小野さんの心は杳窕の境に誘われて、二千年のかなたに引き寄せらるる。 「そよと吹く風の恋や、涙の恋や、嘆息の恋じゃありません。暴風雨の恋、暦にも録っていない大暴雨の恋。九寸五分の恋です」と小野さんが云う。 「九寸五分の恋が紫なんですか」 「九寸五分の恋が紫なんじゃない、紫の恋が九寸五分なんです」 「恋を斬ると紫色の血が出るというのですか」 「恋が怒ると九寸五分が紫色に閃ると云うのです」 「沙翁がそんな事を書いているんですか」 「沙翁が描いた所を私が評したのです。――安図尼が羅馬でオクテヴィアと結婚した時に――使のものが結婚の報道を持って来た時に――クレオパトラの……」 「紫が嫉妬で濃く染まったんでしょう」 「紫が埃及の日で焦げると、冷たい短刀が光ります」 「このくらいの濃さ加減なら大丈夫ですか」と言う間もなく長い袖が再び閃いた。小野さんはちょっと話の腰を折られた。相手に求むるところがある時でさえ、腰を折らねば承知をせぬ女である。毒気を抜いた女は得意に男の顔を眺めている。 「そこでクレオパトラがどうしました」と抑えた女は再び手綱を緩める。小野さんは馳け出さなければならぬ。 「オクテヴィヤの事を根堀り葉堀り、使のものに尋ねるんです。その尋ね方が、詰り方が、性格を活動させているから面白い。オクテヴィヤは自分のように背が高いかの、髪の毛はどんな色だの、顔が丸いかの、声が低いかの、年はいくつだのと、どこまでも使者を追窮します。……」 「全体追窮する人の年はいくつなんです」 「クレオパトラは三十ばかりでしょう」 「それじゃ私に似てだいぶ御婆さんね」  女は首を傾けてホホと笑った。男は怪しき靨のなかに捲き込まれたままちょっと途方に暮れている。肯定すれば偽りになる。ただ否定するのは、あまりに平凡である。皓い歯に交る一筋の金の耀いてまた消えんとする間際まで、男は何の返事も出なかった。女の年は二十四である。小野さんは、自分と三つ違である事を疾うから知っている。  美しき女の二十を越えて夫なく、空しく一二三を数えて、二十四の今日まで嫁がぬは不思議である。春院いたずらに更けて、花影欄にたけなわなるを、遅日早く尽きんとする風情と見て、琴を抱いて恨み顔なるは、嫁ぎ後れたる世の常の女の習なるに、麈尾に払う折々の空音に、琵琶らしき響を琴柱に聴いて、本来ならぬ音色を興あり気に楽しむはいよいよ不思議である。仔細は固より分らぬ。この男とこの女の、互に語る言葉の影から、時々に覗き込んで、いらざる臆測に、うやむやなる恋の八卦をひそかに占なうばかりである。 「年を取ると嫉妬が増して来るものでしょうか」と女は改たまって、小野さんに聞いた。  小野さんはまた面喰う。詩人は人間を知らねばならん。女の質問には当然答うべき義務がある。けれども知らぬ事は答えられる訳がない。中年の人の嫉妬を見た事のない男は、いくら詩人でも文士でも致し方がない。小野さんは文字に堪能なる文学者である。 「そうですね。やっぱり人に因るでしょう」  角を立てない代りに挨拶は濁っている。それで済ます女ではない。 「私がそんな御婆さんになったら――今でも御婆さんでしたっけね。ホホホ――しかしそのくらいな年になったら、どうでしょう」 「あなたが――あなたに嫉妬なんて、そんなものは、今だって……」 「有りますよ」  女の声は静かなる春風をひやりと斬った。詩の国に遊んでいた男は、急に足を外して下界に落ちた。落ちて見ればただの人である。相手は寄りつけぬ高い崖の上から、こちらを見下している。自分をこんな所に蹴落したのは誰だと考える暇もない。 「清姫が蛇になったのは何歳でしょう」 「左様、やっぱり十代にしないと芝居になりませんね。おおかた十八九でしょう」 「安珍は」 「安珍は二十五ぐらいがよくはないでしょうか」 「小野さん」 「ええ」 「あなたは御何歳でしたかね」 「私ですか――私はと……」 「考えないと分らないんですか」 「いえ、なに――たしか甲野君と御同い年でした」 「そうそう兄と御同い年ですね。しかし兄の方がよっぽど老けて見えますよ」 「なに、そうでも有りません」 「本当よ」 「何か奢りましょうか」 「ええ、奢ってちょうだい。しかし、あなたのは顔が若いのじゃない。気が若いんですよ」 「そんなに見えますか」 「まるで坊っちゃんのようですよ」 「可愛想に」 「可愛らしいんですよ」  女の二十四は男の三十にあたる。理も知らぬ、非も知らぬ、世の中がなぜ廻転して、なぜ落ちつくかは無論知らぬ。大いなる古今の舞台の極まりなく発展するうちに、自己はいかなる地位を占めて、いかなる役割を演じつつあるかは固より知らぬ。ただ口だけは巧者である。天下を相手にする事も、国家を向うへ廻す事も、一団の群衆を眼前に、事を処する事も、女には出来ぬ。女はただ一人を相手にする芸当を心得ている。一人と一人と戦う時、勝つものは必ず女である。男は必ず負ける。具象の籠の中に飼われて、個体の粟を喙んでは嬉しげに羽搏するものは女である。籠の中の小天地で女と鳴く音を競うものは必ず斃れる。小野さんは詩人である。詩人だから、この籠の中に半分首を突き込んでいる。小野さんはみごとに鳴き損ねた。 「可愛らしいんですよ。ちょうど安珍のようなの」 「安珍は苛い」  許せと云わぬばかりに、今度は受け留めた。 「御不服なの」と女は眼元だけで笑う。 「だって……」 「だって、何が御厭なの」 「私は安珍のように逃げやしません」  これを逃げ損ねの受太刀と云う。坊っちゃんは機を見て奇麗に引き上げる事を知らぬ。 「ホホホ私は清姫のように追っ懸けますよ」  男は黙っている。 「蛇になるには、少し年が老け過ぎていますかしら」  時ならぬ春の稲妻は、女を出でて男の胸をするりと透した。色は紫である。 「藤尾さん」 「何です」  呼んだ男と呼ばれた女は、面と向って対座している。六畳の座敷は緑り濃き植込に隔てられて、往来に鳴る車の響さえ幽かである。寂寞たる浮世のうちに、ただ二人のみ、生きている。茶縁の畳を境に、二尺を隔てて互に顔を見合した時、社会は彼らの傍を遠く立ち退いた。救世軍はこの時太鼓を敲いて市中を練り歩るいている。病院では腹膜炎で患者が虫の気息を引き取ろうとしている。露西亜では虚無党が爆裂弾を投げている。停車場では掏摸が捕まっている。火事がある。赤子が生れかかっている。練兵場で新兵が叱られている。身を投げている。人を殺している。藤尾の兄さんと宗近君は叡山に登っている。  花の香さえ重きに過ぐる深き巷に、呼び交わしたる男と女の姿が、死の底に滅り込む春の影の上に、明らかに躍りあがる。宇宙は二人の宇宙である。脈々三千条の血管を越す、若き血潮の、寄せ来る心臓の扉は、恋と開き恋と閉じて、動かざる男女を、躍然と大空裏に描き出している。二人の運命はこの危うき刹那に定まる。東か西か、微塵だに体を動かせばそれぎりである。呼ぶはただごとではない、呼ばれるのもただごとではない。生死以上の難関を互の間に控えて、羃然たる爆発物が抛げ出されるか、抛げ出すか、動かざる二人の身体は二塊の※である。 「御帰りいっ」と云う声が玄関に響くと、砂利を軋る車輪がはたと行き留まった。襖を開ける音がする。小走りに廊下を伝う足音がする。張り詰めた二人の姿勢は崩れた。 「母が帰って来たのです」と女は坐ったまま、何気なく云う。 「ああ、そうですか」と男も何気なく答える。心を判然と外に露わさぬうちは罪にはならん。取り返しのつく謎は、法庭の証拠としては薄弱である。何気なく、もてなしている二人は、互に何気のあった事を黙許しながら、何気なく安心している。天下は太平である。何人も後指を指す事は出来ぬ。出来れば向うが悪るい。天下はあくまでも太平である。 「御母さんは、どちらへか行らしったんですか」 「ええ、ちょっと買物に出掛けました」 「だいぶ御邪魔をしました」と立ち懸ける前に居住をちょっと繕ろい直す。洋袴の襞の崩れるのを気にして、常は出来るだけ楽に坐る男である。いざと云えば、突っかい棒に、尻を挙げるための、膝頭に揃えた両手は、雪のようなカフスに甲まで蔽われて、くすんだ鼠縞の袖の下から、七宝の夫婦釦が、きらりと顔を出している。 「まあ御緩くりなさい。母が帰っても別に用事はないんですから」と女は帰った人を迎える気色もない。男はもとより尻を上げるのは厭である。 「しかし」と云いながら、隠袋の中を捜ぐって、太い巻煙草を一本取り出した。煙草の煙は大抵のものを紛らす。いわんやこれは金の吸口の着いた埃及産である。輪に吹き、山に吹き、雲に吹く濃き色のうちには、立ち掛けた腰を据え直して、クレオパトラと自分の間隔を少しでも詰める便が出来んとも限らぬ。  薄い煙りの、黒い口髭を越して、ゆたかに流れ出した時、クレオパトラは果然、 「まあ、御坐り遊ばせ」と叮嚀な命令を下した。  男は無言のまま再び膝を崩す。御互に春の日は永い。 「近頃は女ばかりで淋しくっていけません」 「甲野君はいつ頃御帰りですか」 「いつ頃帰りますか、ちっとも分りません」 「御音信が有りますか」 「いいえ」 「時候が好いから京都は面白いでしょう」 「あなたもいっしょに御出になればよかったのに」 「私は……」と小野さんは後を暈かしてしまう。 「なぜ行らっしゃらなかったの」 「別に訳はないんです」 「だって、古い御馴染じゃありませんか」 「え?」  小野さんは、煙草の灰を畳の上に無遠慮に落す。「え?」と云う時、不要意に手が動いたのである。 「京都には長い事、いらしったんじゃありませんか」 「それで御馴染なんですか」 「ええ」 「あんまり古い馴染だから、もう行く気にならんのです」 「随分不人情ね」 「なに、そんな事はないです」と小野さんは比較的|真面目になって、埃及煙草を肺の中まで吸い込んだ。 「藤尾、藤尾」と向うの座敷で呼ぶ声がする。 「御母さんでしょう」と小野さんが聞く。 「ええ」 「私はもう帰ります」 「なぜです」 「でも何か御用が御在りになるんでしょう」 「あったって構わないじゃありませんか。先生じゃありませんか。先生が教えに来ているんだから、誰が帰ったって構わないじゃありませんか」 「しかしあんまり教えないんだから」 「教わっていますとも、これだけ教わっていればたくさんですわ」 「そうでしょうか」 「クレオパトラや、何かたくさん教わってるじゃありませんか」 「クレオパトラぐらいで好ければ、いくらでもあります」 「藤尾、藤尾」と御母さんはしきりに呼ぶ。 「失礼ですがちょっと御免蒙ります。――なにまだ伺いたい事があるから待っていて下さい」  藤尾は立った。男は六畳の座敷に取り残される。平床に据えた古薩摩の香炉に、いつ焼き残したる煙の迹か、こぼれた灰の、灰のままに崩れもせず、藤尾の部屋は昨日も今日も静かである。敷き棄てた八反の座布団に、主を待つ間の温気は、軽く払う春風に、ひっそり閑と吹かれている。  小野さんは黙然と香炉を見て、また黙然と布団を見た。崩し格子の、畳から浮く角に、何やら光るものが奥に挟まっている。小野さんは少し首を横にして輝やくものを物色して考えた。どうも時計らしい。今までは頓と気がつかなかった。藤尾の立つ時に、絹障のしなやかに、布団が擦れて、隠したものが出掛ったのかも知れぬ。しかし布団の下に時計を隠す必要はあるまい。小野さんは再び布団の下を覗いて見た。松葉形に繋ぎ合せた鎖の折れ曲って、表に向いている方が、細く光線を射返す奥に、盛り上がる七子の縁が幽かに浮いている。たしかに時計に違ない。小野さんは首を傾けた。  金は色の純にして濃きものである。富貴を愛するものは必ずこの色を好む。栄誉を冀うものは必ずこの色を撰む。盛名を致すものは必ずこの色を飾る。磁石の鉄を吸うごとく、この色はすべての黒き頭を吸う。この色の前に平身せざるものは、弾力なき護謨である。一個の人として世間に通用せぬ。小野さんはいい色だと思った。  折柄向う座敷の方角から、絹のざわつく音が、曲がり椽を伝わって近づいて来る。小野さんは覗き込んだ眼を急に外らして、素知らぬ顔で、容斎の軸を真正面に眺めていると、二人の影が敷居口にあらわれた。  黒縮緬の三つ紋を撫で肩に着こなして、くすんだ半襟に、髷ばかりを古風につやつやと光らしている。 「おやいらっしゃい」と御母さんは軽く会釈して、椽に近く座を占める。鶯も鳴かぬ代りに、目に立つほどの塵もなく掃除の行き届いた庭に、長過ぎるほどの松が、わが物顔に一本控えている。この松とこの御母さんは、何となく同一体のように思われる。 「藤尾が始終御厄介になりまして――さぞわがままばかり申す事でございましょう。まるで小供でございますから――さあ、どうぞ御楽に――いつも御挨拶を申さねばならんはずでございますが、つい年を取っているものでございますから、失礼のみ致します。――どうも実に赤児で、困り切ります、駄々ばかり捏ねまして――でも英語だけは御蔭さまで大変好きな模様で――近頃ではだいぶむずかしいものが読めるそうで、自分だけはなかなか得意でおります。――何兄がいるのでございますから、教えて貰えば好いのでございますが、――どうも、その、やっぱり兄弟は行かんものと見えまして――」  御母さんの弁舌は滾々としてみごとである。小野さんは一字の間投詞を挟む遑まなく、口車に乗って馳けて行く。行く先は固より判然せぬ。藤尾は黙って最前小野さんから借りた書物を開いて続を読んでいる。 「花を墓に、墓に口を接吻して、憂きわれを、ひたふるに嘆きたる女王は、浴湯をこそと召す。浴みしたる後は夕餉をこそと召す。この時|賤しき厠卒ありて小さき籃に無花果を盛りて参らす。女王の該撒に送れる文に云う。願わくは安図尼と同じ墓にわれを埋めたまえと。無花果の繁れる青き葉陰にはナイルの泥の※の舌を冷やしたる毒蛇を、そっと忍ばせたり。該撒の使は走る。闥を排して眼を射れば――黄金の寝台に、位高き装を今日と凝らして、女王の屍は是非なく横わる。アイリスと呼ぶは女王の足のあたりにこの世を捨てぬ。チャーミオンと名づけたるは、女王の頭のあたりに、月黒き夜の露をあつめて、千顆の珠を鋳たる冠の、今落ちんとするを力なく支う。闥を排したる該撒の使はこはいかにと云う。埃及の御代しろし召す人の最後ぞ、かくありてこそと、チャーミオンは言い終って、倒れながらに目を瞑る」  埃及の御代しろし召す人の最後ぞ、かくありてこそと云う最後の一句は、焚き罩むる錬香の尽きなんとして幽かなる尾を虚冥に曳くごとく、全き頁が淡く霞んで見える。 「藤尾」と知らぬ御母さんは呼ぶ。  男はやっと寛容だ姿で、呼ばれた方へ視線を向ける。呼ばれた当人は俯向ている。 「藤尾」と御母さんは呼び直す。  女の眼はようやくに頁を離れた。波を打つ廂髪の、白い額に接く下から、骨張らぬ細い鼻を承けて、紅を寸に織る唇が――唇をそと滑って、頬の末としっくり落ち合う※が――※を棄ててなよやかに退いて行く咽喉が――しだいと現実世界に競り出して来る。 「なに?」と藤尾は答えた。昼と夜の間に立つ人の、昼と夜の間の返事である。 「おや気楽な人だ事。そんなに面白い御本なのかい。――あとで御覧なさいな。失礼じゃないか。――この通り世間見ずのわがままもので、まことに困り切ります。――その御本は小野さんから拝借したのかい。大変|奇麗な――汚さないようになさいよ。本なぞは大事にしないと――」 「大事にしていますわ」 「それじゃ、好いけれども、またこないだのように……」 「だって、ありゃ兄さんが悪いんですもの」 「甲野君がどうかしたんですか」と小野さんは始めて口らしい口を開いた。 「いえ、あなた、どうもわがまま者の寄り合いだもんでござんすから、始終、小供のように喧嘩ばかり致しまして――こないだも兄の本を……」と御母さんは藤尾の方を見て、言おうか、言うまいかと云う態度を取る。同情のある恐喝手段は長者の好んで年少に対して用いる遊戯である。 「甲野君の書物をどうなすったんです」と小野さんは恐る恐る聞きたがる。 「言いましょうか」と老人は半ば笑いながら、控えている。玩具の九寸五分を突き付けたような気合である。 「兄の本を庭へ抛げたんですよ」と藤尾は母を差し置いて、鋭どい返事を小野さんの眉間へ向けて抛げつけた。御母さんは苦笑いをする。小野さんは口を開く。 「これの兄も御存じの通り随分変人ですから」と御母さんは遠廻しに棄鉢になった娘の御機嫌をとる。 「甲野さんはまだ御帰りにならんそうですね」と小野さんは、うまいところで話頭を転換した。 「まるであなた鉄砲玉のようで――あれも、始終身体が悪いとか申して、ぐずぐずしておりますから、それならば、ちと旅行でもして判然したらよかろうと申しましてね――でも、まだ、何だかだと駄々を捏ねて、動かないのを、ようやく宗近に頼んで連れ出して貰いました。ところがまるで鉄砲玉で。若いものと申すものは……」 「若いって兄さんは特別ですよ。哲学で超絶しているんだから特別ですよ」 「そうかね、御母さんには何だか分らないけれども――それにあなた、あの宗近と云うのが大の呑気屋で、あれこそ本当の鉄砲玉で、随分の困りものでしてね」 「アハハハ快活な面白い人ですな」 「宗近と云えば、御前さっきのものはどこにあるのかい」と御母さんは、きりりとした眼を上げて部屋のうちを見廻わす。 「ここです」と藤尾は、軽く諸膝を斜めに立てて、青畳の上に、八反の座布団をさらりと滑べらせる。富貴の色は蜷局を三重に巻いた鎖の中に、堆く七子の蓋を盛り上げている。  右手を伸べて、輝くものを戛然と鳴らすよと思う間に、掌より滑る鎖が、やおら畳に落ちんとして、一尺の長さに喰い留められると、余る力を横に抜いて、端につけた柘榴石の飾りと共に、長いものがふらりふらりと二三度揺れる。第一の波は紅の珠に女の白き腕を打つ。第二の波は観世に動いて、軽く袖口にあたる。第三の波のまさに静まらんとするとき、女は衝と立ち上がった。  奇麗な色が、二色、三色入り乱れて、疾く動く景色を、茫然と眺めていた小野さんの前へぴたりと坐った藤尾は 「御母さん」と後を顧みながら、 「こうすると引き立ちますよ」と云って故の席に返る。小野さんの胴衣の胸には松葉形に組んだ金の鎖が、釦の穴を左右に抜けて、黒ずんだメルトン地を背景に燦爛と耀やいている。 「どうです」と藤尾が云う。 「なるほど善く似合いますね」と御母さんが云う。 「全体どうしたんです」と小野さんは煙に巻かれながら聞く。御母さんはホホホと笑う。 「上げましょうか」と藤尾は流し目に聞いた。小野さんは黙っている。 「じゃ、まあ、止しましょう」と藤尾は再び立って小野さんの胸から金時計を外してしまった。         三  柳※れて条々の煙を欄に吹き込むほどの雨の日である。衣桁に懸けた紺の背広の暗く下がるしたに、黒い靴足袋が三分一裏返しに丸く蹲踞っている。違棚の狭い上に、偉大な頭陀袋を据えて、締括りのない紐をだらだらと嬾も垂らした傍らに、錬歯粉と白楊子が御早うと挨拶している。立て切った障子の硝子を通して白い雨の糸が細長く光る。 「京都という所は、いやに寒い所だな」と宗近君は貸浴衣の上に銘仙の丹前を重ねて、床柱の松の木を背負て、傲然と箕坐をかいたまま、外を覗きながら、甲野さんに話しかけた。  甲野さんは駱駝の膝掛を腰から下へ掛けて、空気枕の上で黒い頭をぶくつかせていたが 「寒いより眠い所だ」 と云いながらちょっと顔の向を換えると、櫛を入れたての濡れた頭が、空気の弾力で、脱ぎ棄てた靴足袋といっしょになる。 「寝てばかりいるね。まるで君は京都へ寝に来たようなものだ」 「うん。実に気楽な所だ」 「気楽になって、まあ結構だ。御母さんが心配していたぜ」 「ふん」 「ふんは御挨拶だね。これでも君を気楽にさせるについては、人の知らない苦労をしているんだぜ」 「君あの額の字が読めるかい」 「なるほど妙だね。※雨※風か。見た事がないな。何でも人扁だから、人がどうかするんだろう。いらざる字を書きやがる。元来何者だい」 「分らんね」 「分からんでもいいや、それよりこの襖が面白いよ。一面に金紙を張り付けたところは豪勢だが、ところどころに皺が寄ってるには驚ろいたね。まるで緞帳芝居の道具立見たようだ。そこへ持って来て、筍を三本、景気に描いたのは、どう云う了見だろう。なあ甲野さん、これは謎だぜ」 「何と云う謎だい」 「それは知らんがね。意味が分からないものが描いてあるんだから謎だろう」 「意味が分からないものは謎にはならんじゃないか。意味があるから謎なんだ」 「ところが哲学者なんてものは意味がないものを謎だと思って、一生懸命に考えてるぜ。気狂の発明した詰将棋の手を、青筋を立てて研究しているようなものだ」 「じゃこの筍も気違の画工が描いたんだろう」 「ハハハハ。そのくらい事理が分ったら煩悶もなかろう」 「世の中と筍といっしょになるものか」 「君、昔話しにゴージアン・ノットと云うのがあるじゃないか。知ってるかい」 「人を中学生だと思ってる」 「思っていなくっても、まあ聞いて見るんだ。知ってるなら云って見ろ」 「うるさいな、知ってるよ」 「だから云って御覧なさいよ。哲学者なんてものは、よくごまかすもので、何を聞いても知らないと白状の出来ない執念深い人間だから、……」 「どっちが執念深いか分りゃしない」 「どっちでも、いいから、云って御覧」 「ゴージアン・ノットと云うのはアレキサンダー時代の話しさ」 「うん、知ってるね。それで」 「ゴージアスと云う百姓がジュピターの神へ車を奉納したところが……」 「おやおや、少し待った。そんな事があるのかい。それから」 「そんな事があるのかって、君、知らないのか」 「そこまでは知らなかった」 「何だ。自分こそ知らない癖に」 「ハハハハ学校で習った時は教師がそこまでは教えなかった。あの教師もそこまではきっと知らないに違ない」 「ところがその百姓が、車の轅と横木を蔓で結いた結び目を誰がどうしても解く事が出来ない」 「なあるほど、それをゴージアン・ノットと云うんだね。そうか。その結目をアレキサンダーが面倒臭いって、刀を抜いて切っちまったんだね。うん、そうか」 「アレキサンダーは面倒臭いとも何とも云やあしない」 「そりゃどうでもいい」 「この結目を解いたものは東方の帝たらんと云う神託を聞いたとき、アレキサンダーがそれなら、こうするばかりだと云って……」 「そこは知ってるんだ。そこは学校の先生に教わった所だ」 「それじゃ、それでいいじゃないか」 「いいがね、人間は、それならこうするばかりだと云う了見がなくっちゃ駄目だと思うんだね」 「それもよかろう」 「それもよかろうじゃ張り合がないな。ゴージアン・ノットはいくら考えたって解けっこ無いんだもの」 「切れば解けるのかい」 「切れば――解けなくっても、まあ都合がいいやね」 「都合か。世の中に都合ほど卑怯なものはない」 「するとアレキサンダーは大変な卑怯な男になる訳だ」 「アレキサンダーなんか、そんなに豪いと思ってるのか」  会話はちょっと切れた。甲野さんは寝返りを打つ。宗近君は箕坐のまま旅行案内をひろげる。雨は斜めに降る。  古い京をいやが上に寂びよと降る糠雨が、赤い腹を空に見せて衝いと行く乙鳥の背に応えるほど繁くなったとき、下京も上京もしめやかに濡れて、三十六峰の翠りの底に、音は友禅の紅を溶いて、菜の花に注ぐ流のみである。「御前川上、わしゃ川下で……」と芹を洗う門口に、眉をかくす手拭の重きを脱げば、「大文字」が見える。「松虫」も「鈴虫」も幾代の春を苔蒸して、鶯の鳴くべき藪に、墓ばかりは残っている。鬼の出る羅生門に、鬼が来ずなってから、門もいつの代にか取り毀たれた。綱が※ぎとった腕の行末は誰にも分からぬ。ただ昔しながらの春雨が降る。寺町では寺に降り、三条では橋に降り、祇園では桜に降り、金閣寺では松に降る。宿の二階では甲野さんと宗近君に降っている。  甲野さんは寝ながら日記を記けだした。横綴の茶の表布の少しは汗に汚ごれた角を、折るようにあけて、二三枚めくると、一|頁の三が一ほど白い所が出て来た。甲野さんはここから書き始める。鉛筆を執って景気よく、 「一奩楼角雨、閑殺古今人」 と書いてしばらく考えている。転結を添えて絶句にする気と見える。  旅行案内を放り出して宗近君はずしんと畳を威嚇して椽側へ出る。椽側には御誂向に一脚の籐の椅子が、人待ち顔に、しめっぽく据えてある。連※の疎なる花の間から隣り家の座敷が見える。障子は立て切ってある。中では琴の音がする。 「忽※弾琴響、垂楊惹恨新」 と甲野さんは別行に十字書いたが、気に入らぬと見えて、すぐさま棒を引いた。あとは普通の文章になる。 「宇宙は謎である。謎を解くは人々の勝手である。勝手に解いて、勝手に落ちつくものは幸福である。疑えば親さえ謎である。兄弟さえ謎である。妻も子も、かく観ずる自分さえも謎である。この世に生まれるのは解けぬ謎を、押しつけられて、白頭に※※し、中夜に煩悶するために生まれるのである。親の謎を解くためには、自分が親と同体にならねばならぬ。妻の謎を解くためには妻と同心にならねばならぬ。宇宙の謎を解くためには宇宙と同心同体にならねばならぬ。これが出来ねば、親も妻も宇宙も疑である。解けぬ謎である、苦痛である。親兄弟と云う解けぬ謎のある矢先に、妻と云う新しき謎を好んで貰うのは、自分の財産の所置に窮している上に、他人の金銭を預かると一般である。妻と云う新らしき謎を貰うのみか、新らしき謎に、また新らしき謎を生ませて苦しむのは、預かった金銭に利子が積んで、他人の所得をみずからと持ち扱うようなものであろう。……すべての疑は身を捨てて始めて解決が出来る。ただどう身を捨てるかが問題である。死? 死とはあまりに無能である」  宗近君は籐の椅子に横平な腰を据えてさっきから隣りの琴を聴いている。御室の御所の春寒に、銘をたまわる琵琶の風流は知るはずがない。十三絃を南部の菖蒲形に張って、象牙に置いた蒔絵の舌を気高しと思う数奇も有たぬ。宗近君はただ漫然と聴いているばかりである。  滴々と垣を蔽う連※の黄な向うは業平竹の一叢に、苔の多い御影の突く這いを添えて、三坪に足らぬ小庭には、一面に叡山苔を這わしている。琴の音はこの庭から出る。  雨は一つである。冬は合羽が凍る。秋は灯心が細る。夏は褌を洗う。春は――平打の銀簪を畳の上に落したまま、貝合せの貝の裏が朱と金と藍に光る傍に、ころりんと掻き鳴らし、またころりんと掻き乱す。宗近君の聴いてるのはまさにこのころりんである。 「眼に見るは形である」と甲野さんはまた別行に書き出した。 「耳に聴くは声である。形と声は物の本体ではない。物の本体を証得しないものには形も声も無意義である。何物かをこの奥に捕えたる時、形も声もことごとく新らしき形と声になる。これが象徴である。象徴とは本来空の不可思議を眼に見、耳に聴くための方便である。……」  琴の手は次第に繁くなる。雨滴の絶間を縫うて、白い爪が幾度か駒の上を飛ぶと見えて、濃かなる調べは、太き糸の音と細き音を綯り合せて、代る代るに乱れ打つように思われる。甲野さんが「無絃の琴を聴いて始めて序破急の意義を悟る」と書き終った時、椅子に靠れて隣家ばかりを瞰下していた宗近君は 「おい、甲野さん、理窟ばかり云わずと、ちとあの琴でも聴くがいい。なかなか旨いぜ」 と椽側から部屋の中へ声を掛けた。 「うん、さっきから拝聴している」と甲野さんは日記をぱたりと伏せた。 「寝ながら拝聴する法はないよ。ちょっと椽まで出張を命ずるから出て来なさい」 「なに、ここで結構だ。構ってくれるな」と甲野さんは空気枕を傾けたまま起き上がる景色がない。 「おい、どうも東山が奇麗に見えるぜ」 「そうか」 「おや、鴨川を渉る奴がある。実に詩的だな。おい、川を渉る奴があるよ」 「渉ってもいいよ」 「君、布団着て寝たる姿やとか何とか云うが、どこに布団を着ている訳かな。ちょっとここまで来て教えてくれんかな」 「いやだよ」 「君、そうこうしているうちに加茂の水嵩が増して来たぜ。いやあ大変だ。橋が落ちそうだ。おい橋が落ちるよ」 「落ちても差し支えなしだ」 「落ちても差し支えなしだ? 晩に都踊が見られなくっても差し支えなしかな」 「なし、なし」と甲野さんは面倒臭くなったと見えて、寝返りを打って、例の金襖の筍を横に眺め始めた。 「そう落ちついていちゃ仕方がない。こっちで降参するよりほかに名案もなくなった」と宗近さんは、とうとう我を折って部屋の中へ這入って来る。 「おい、おい」 「何だ、うるさい男だね」 「あの琴を聴いたろう」 「聴いたと云ったじゃないか」 「ありゃ、君、女だぜ」 「当り前さ」 「幾何だと思う」 「幾歳だかね」 「そう冷淡じゃ張り合がない。教えてくれなら、教えてくれと判然云うがいい」 「誰が云うものか」 「云わない? 云わなければこっちで云うばかりだ。ありゃ、島田だよ」 「座敷でも開いてるのかい」 「なに座敷はぴたりと締ってる」 「それじゃまた例の通り好加減な雅号なんだろう」 「雅号にして本名なるものだね。僕はあの女を見たんだよ」 「どうして」 「そら聴きたくなった」 「何聴かなくってもいいさ。そんな事を聞くよりこの筍を研究している方がよっぽど面白い。この筍を寝ていて横に見ると、背が低く見えるがどう云うものだろう」 「おおかた君の眼が横に着いているせいだろう」 「二枚の唐紙に三本|描いたのは、どう云う因縁だろう」 「あんまり下手だから一本負けたつもりだろう」 「筍の真青なのはなぜだろう」 「食うと中毒ると云う謎なんだろう」 「やっぱり謎か。君だって謎を釈くじゃないか」 「ハハハハ。時々は釈いて見るね。時に僕がさっきから島田の謎を解いてやろうと云うのに、いっこう釈かせないのは哲学者にも似合わん不熱心な事だと思うがね」 「釈きたければ釈くさ。そうもったいぶったって、頭を下げるような哲学者じゃない」 「それじゃ、ひとまず安っぽく釈いてしまって、後から頭を下げさせる事にしよう。――あのね、あの琴の主はね」 「うん」 「僕が見たんだよ」 「そりゃ今聴いた」 「そうか。それじゃ別に話す事もない」 「なければ、いいさ」 「いや好くない。それじゃ話す。昨日ね、僕が湯から上がって、椽側で肌を抜いで涼んでいると――聴きたいだろう――僕が何気なく鴨東の景色を見廻わして、ああ好い心持ちだとふと眼を落して隣家を見下すと、あの娘が障子を半分開けて、開けた障子に靠たれかかって庭を見ていたのさ」 「別嬪かね」 「ああ別嬪だよ。藤尾さんよりわるいが糸公より好いようだ」 「そうかい」 「それっきりじゃ、余まり他愛が無さ過ぎる。そりゃ残念な事をした、僕も見ればよかったぐらい義理にも云うがいい」 「そりゃ残念な事をした、僕も見ればよかった」 「ハハハハだから見せてやるから椽側まで出て来いと云うのに」 「だって障子は締ってるんじゃないか」 「そのうち開くかも知れないさ」 「ハハハハ小野なら障子の開くまで待ってるかも知れない」 「そうだね。小野を連れて来て見せてやれば好かった」 「京都はああ云う人間が住むに好い所だ」 「うん全く小野的だ。大将、来いと云うのになんのかのと云って、とうとう来ない」 「春休みに勉強しようと云うんだろう」 「春休みに勉強が出来るものか」 「あんな風じゃいつだって勉強が出来やしない。一体文学者は軽いからいけない」 「少々耳が痛いね。こっちも余まり重くはない方だからね」 「いえ、単なる文学者と云うものは霞に酔ってぽうっとしているばかりで、霞を披いて本体を見つけようとしないから性根がないよ」 「霞の酔っ払か。哲学者は余計な事を考え込んで苦い顔をするから、塩水の酔っ払だろう」 「君見たように叡山へ登るのに、若狭まで突き貫ける男は白雨の酔っ払だよ」 「ハハハハそれぞれ酔っ払ってるから妙だ」  甲野さんの黒い頭はこの時ようやく枕を離れた。光沢のある髪で湿っぽく圧し付けられていた空気が、弾力で膨れ上がると、枕の位置が畳の上でちょっと廻った。同時に駱駝の膝掛が擦り落ちながら、裏を返して半分に折れる。下から、だらしなく腰に捲き付けた平絎の細帯があらわれる。 「なるほど酔っ払いに違ない」と枕元に畏まった宗近君は、即座に品評を加えた。相手は痩せた体躯を持ち上げた肱を二段に伸して、手の平に胴を支えたまま、自分で自分の腰のあたりを睨め廻していたが 「たしかに酔っ払ってるようだ。君はまた珍らしく畏まってるじゃないか」と一重瞼の長く切れた間から、宗近君をじろりと見た。 「おれは、これで正気なんだからね」 「居住だけは正気だ」 「精神も正気だからさ」 「どてらを着て跪坐てるのは、酔っ払っていながら、異状がないと得意になるようなものだ。なおおかしいよ。酔っ払いは酔払らしくするがいい」 「そうか、それじゃ御免蒙ろう」と宗近君はすぐさま胡坐をかく。 「君は感心に愚を主張しないからえらい。愚にして賢と心得ているほど片腹痛い事はないものだ」 「諫に従う事流るるがごとしとは僕の事を云ったものだよ」 「酔払っていてもそれなら大丈夫だ」 「なんて生意気を云う君はどうだ。酔払っていると知りながら、胡坐をかく事も跪坐る事も出来ない人間だろう」 「まあ立ん坊だね」と甲野さんは淋し気に笑った。勢込んで喋舌って来た宗近君は急に真面目になる。甲野さんのこの笑い顔を見ると宗近君はきっと真面目にならなければならぬ。幾多の顔の、幾多の表情のうちで、あるものは必ず人の肺腑に入る。面上の筋肉が我勝ちに躍るためではない。頭上の毛髪が一筋ごとに稲妻を起すためでもない。涙管の関が切れて滂沱の観を添うるがためでもない。いたずらに劇烈なるは、壮士が事もなきに剣を舞わして床を斬るようなものである。浅いから動くのである。本郷座の芝居である。甲野さんの笑ったのは舞台で笑ったのではない。  毛筋ほどな細い管を通して、捕えがたい情けの波が、心の底から辛うじて流れ出して、ちらりと浮世の日に影を宿したのである。往来に転がっている表情とは違う。首を出して、浮世だなと気がつけばすぐ奥の院へ引き返す。引き返す前に、捕まえた人が勝ちである。捕まえ損なえば生涯甲野さんを知る事は出来ぬ。  甲野さんの笑は薄く、柔らかに、むしろ冷やかである。そのおとなしいうちに、その速かなるうちに、その消えて行くうちに、甲野さんの一生は明かに描き出されている。この瞬間の意義を、そうかと合点するものは甲野君の知己である。斬った張ったの境に甲野さんを置いて、ははあ、こんな人かと合点するようでは親子といえどもいまだしである。兄弟といえども他人である。斬った張ったの境に甲野さんを置いて、始めて甲野さんの性格を描き出すのは野暮な小説である。二十世紀に斬った張ったがむやみに出て来るものではない。  春の旅は長閑である。京の宿は静かである。二人は無事である。ふざけている。その間に宗近君は甲野さんを知り、甲野さんは宗近君を知る。これが世の中である。 「立ん坊か」と云ったまま宗近君は駱駝の膝掛の馬簾をひねくり始めたが、やがて 「いつまでも立ん坊か」 と相手の顔は見ず、質問のように、独語のように、駱駝の膝掛に話しかけるように、立ん坊を繰り返した。 「立ん坊でも覚悟だけはちゃんとしている」と甲野さんはこの時始めて、腰を浮かして、相手の方に向き直る。 「叔父さんが生きてると好いがな」 「なに、阿爺が生きているとかえって面倒かも知れない」 「そうさなあ」と宗近君はなあを引っ張った。 「つまり、家を藤尾にくれてしまえばそれで済むんだからね」 「それで君はどうするんだい」 「僕は立ん坊さ」 「いよいよ本当の立ん坊か」 「うん、どうせ家を襲いだって立ん坊、襲がなくったって立ん坊なんだからいっこう構わない」 「しかしそりゃ、いかん。第一|叔母さんが困るだろう」 「母がか」  甲野さんは妙な顔をして宗近君を見た。  疑がえば己にさえ欺むかれる。まして己以外の人間の、利害の衢に、損失の塵除と被る、面の厚さは、容易には度られぬ。親しき友の、わが母を、そうと評するのは、面の内側で評するのか、または外側でのみ云う了見か。己にさえ、己を欺く魔の、どこにか潜んでいるような気持は免かれぬものを、無二の友達とは云え、父方の縁続きとは云え、迂濶には天機を洩らしがたい。宗近の言は継母に対するわが心の底を見んための鎌か。見た上でも元の宗近ならばそれまでであるが、鎌を懸けるほどの男ならば、思う通りを引き出した後で、どう引っ繰り返らぬとも保証は出来ん。宗近の言は真率なる彼の、裏表の見界なく、母の口占を一図にそれと信じたる反響か。平生のかれこれから推して見ると多分そうだろう。よもや、母から頼まれて、曇る胸の、われにさえ恐ろしき淵の底に、詮索の錘を投げ込むような卑劣な振舞はしまい。けれども、正直な者ほど人には使われやすい。卑劣と知って、人の手先にはならんでも、われに対する好意から、見損なった母の意を承けて、御互に面白からぬ結果を、必然の期程以前に、家庭のなかに打ち開ける事がないとも限らん。いずれにしても入らぬ口は発くまい。  二人はしばらく無言である。隣家ではまだ琴を弾いている。 「あの琴は生田流かな」と甲野さんは、つかぬ事を聞く。 「寒くなった、狐の袖無でも着よう」と宗近君も、つかぬ事を云う。二人は離れ離れに口を発いている。  丹前の胸を開いて、違棚の上から、例の異様な胴衣を取り下ろして、体を斜めに腕を通した時、甲野さんは聞いた。 「その袖無は手製か」 「うん、皮は支那に行った友人から貰ったんだがね、表は糸公が着けてくれた」 「本物だ。旨いもんだ。御糸さんは藤尾なんぞと違って実用的に出来ているからいい」 「いいか、ふん。彼奴が嫁に行くと少々困るね」 「いい嫁の口はないかい」 「嫁の口か」と宗近君はちょっと甲野さんを見たが、気の乗らない調子で「無い事もないが……」とだらりと言葉の尾を垂れた。甲野さんは問題を転じた。 「御糸さんが嫁に行くと御叔父さんも困るね」 「困ったって仕方がない、どうせいつか困るんだもの。――それよりか君は女房を貰わないのかい」 「僕か――だって――食わす事が出来ないもの」 「だから御母さんの云う通りに君が家を襲いで……」 「そりゃ駄目だよ。母が何と云ったって、僕は厭なんだ」 「妙だね、どうも。君が判然しないもんだから、藤尾さんも嫁に行かれないんだろう」 「行かれないんじゃない、行かないんだ」  宗近君はだまって鼻をぴくつかせている。 「また鱧を食わせるな。毎日鱧ばかり食って腹の中が小骨だらけだ。京都と云う所は実に愚な所だ。もういい加減に帰ろうじゃないか」 「帰ってもいい。鱧ぐらいなら帰らなくってもいい。しかし君の嗅覚は非常に鋭敏だね。鱧の臭がするかい」 「するじゃないか。台所でしきりに焼いていらあね」 「そのくらい虫が知らせると阿爺も外国で死ななくっても済んだかも知れない。阿爺は嗅覚が鈍かったと見える」 「ハハハハ。時に御叔父さんの遺物はもう、着いたか知ら」 「もう着いた時分だね。公使館の佐伯と云う人が持って来てくれるはずだ。――何にもないだろう――書物が少しあるかな」 「例の時計はどうしたろう」 「そうそう。倫敦で買った自慢の時計か。あれは多分来るだろう。小供の時から藤尾の玩具になった時計だ。あれを持つとなかなか離さなかったもんだ。あの鏈に着いている柘榴石が気に入ってね」 「考えると古い時計だね」 「そうだろう、阿爺が始めて洋行した時に買ったんだから」 「あれを御叔父さんの片身に僕にくれ」 「僕もそう思っていた」 「御叔父さんが今度洋行するときね、帰ったら卒業祝にこれを御前にやろうと約束して行ったんだよ」 「僕も覚えている。――ことによると今頃は藤尾が取ってまた玩具にしているかも知れないが……」 「藤尾さんとあの時計はとうてい離せないか。ハハハハなに構わない、それでも貰おう」  甲野さんは、だまって宗近君の眉の間を、長い事見ていた。御昼の膳の上には宗近君の予言通り鱧が出た。         四  甲野さんの日記の一筋に云う。 「色を見るものは形を見ず、形を見るものは質を見ず」  小野さんは色を見て世を暮らす男である。  甲野さんの日記の一筋にまた云う。 「生死因縁無了期、色相世界現狂癡」  小野さんは色相世界に住する男である。  小野さんは暗い所に生れた。ある人は私生児だとさえ云う。筒袖を着て学校へ通う時から友達に苛められていた。行く所で犬に吠えられた。父は死んだ。外で辛い目に遇った小野さんは帰る家が無くなった。やむなく人の世話になる。  水底の藻は、暗い所に漂うて、白帆行く岸辺に日のあたる事を知らぬ。右に揺こうが、左りに靡こうが嬲るは波である。ただその時々に逆らわなければ済む。馴れては波も気にならぬ。波は何物ぞと考える暇もない。なぜ波がつらく己れにあたるかは無論問題には上らぬ。上ったところで改良は出来ぬ。ただ運命が暗い所に生えていろと云う。そこで生えている。ただ運命が朝な夕なに動けと云う。だから動いている。――小野さんは水底の藻であった。  京都では孤堂先生の世話になった。先生から絣の着物をこしらえて貰った。年に二十円の月謝も出して貰った。書物も時々教わった。祇園の桜をぐるぐる周る事を知った。知恩院の勅額を見上げて高いものだと悟った。御飯も一人前は食うようになった。水底の藻は土を離れてようやく浮かび出す。  東京は目の眩む所である。元禄の昔に百年の寿を保ったものは、明治の代に三日住んだものよりも短命である。余所では人が蹠であるいている。東京では爪先であるく。逆立をする。横に行く。気の早いものは飛んで来る。小野さんは東京できりきりと回った。  きりきりと回った後で、眼を開けて見ると世界が変っている。眼を擦すっても変っている。変だと考えるのは悪るく変った時である。小野さんは考えずに進んで行く。友達は秀才だと云う。教授は有望だと云う。下宿では小野さん小野さんと云う。小野さんは考えずに進んで行く。進んで行ったら陛下から銀時計を賜わった。浮かび出した藻は水面で白い花をもつ。根のない事には気がつかぬ。  世界は色の世界である。ただこの色を味えば世界を味わったものである。世界の色は自己の成功につれて鮮やかに眼に映る。鮮やかなる事錦を欺くに至って生きて甲斐ある命は貴とい。小野さんの手巾には時々ヘリオトロープの香がする。  世界は色の世界である、形は色の残骸である。残骸を論って中味の旨きを解せぬものは、方円の器に拘わって、盛り上る酒の泡をどう片づけてしかるべきかを知らぬ男である。いかに見極めても皿は食われぬ。唇を着けぬ酒は気が抜ける。形式の人は、底のない道義の巵を抱いて、路頭に跼蹐している。  世界は色の世界である。いたずらに空華と云い鏡花と云う。真如の実相とは、世に容れられぬ畸形の徒が、容れられぬ恨を、黒※郷裏に晴らすための妄想である。盲人は鼎を撫でる。色が見えねばこそ形が究めたくなる。手のない盲人は撫でる事をすらあえてせぬ。ものの本体を耳目のほかに求めんとするは、手のない盲人の所作である。小野さんの机の上には花が活けてある。窓の外には柳が緑を吹く。鼻の先には金縁の眼鏡が掛かっている。  絢爛の域を超えて平淡に入るは自然の順序である。我らは昔し赤ん坊と呼ばれて赤いべべを着せられた。大抵のものは絵画のなかに生い立って、四条派の淡彩から、雲谷流の墨画に老いて、ついに棺桶のはかなきに親しむ。顧みると母がある、姉がある、菓子がある、鯉の幟がある。顧みれば顧みるほど華麗である。小野さんは趣が違う。自然の径路を逆しまにして、暗い土から、根を振り切って、日の透る波の、明るい渚へ漂うて来た。――坑の底で生れて一段ごとに美しい浮世へ近寄るためには二十七年かかった。二十七年の歴史を過去の節穴から覗いて見ると、遠くなればなるほど暗い。ただその途中に一点の紅がほのかに揺いている。東京へ来たてにはこの紅が恋しくて、寒い記憶を繰り返すのも厭わず、たびたび過去の節穴を覗いては、長き夜を、永き日を、あるは時雨るるをゆかしく暮らした。今は――紅もだいぶ遠退いた。その上、色もよほど褪めた。小野さんは節穴を覗く事を怠たるようになった。  過去の節穴を塞ぎかけたものは現在に満足する。現在が不景気だと未来を製造する。小野さんの現在は薔薇である。薔薇の蕾である。小野さんは未来を製造する必要はない。蕾んだ薔薇を一面に開かせればそれが自からなる彼の未来である。未来の節穴を得意の管から眺めると、薔薇はもう開いている。手を出せば捕まえられそうである。早く捕まえろと誰かが耳の傍で云う。小野さんは博士論文を書こうと決心した。  論文が出来たから博士になるものか、博士になるために論文が出来るものか、博士に聞いて見なければ分らぬが、とにかく論文を書かねばならぬ。ただの論文ではならぬ、必ず博士論文でなくてはならぬ。博士は学者のうちで色のもっとも見事なるものである。未来の管を覗くたびに博士の二字が金色に燃えている。博士の傍には金時計が天から懸っている。時計の下には赤い柘榴石が心臓の焔となって揺れている。その側に黒い眼の藤尾さんが繊い腕を出して手招ぎをしている。すべてが美くしい画である。詩人の理想はこの画の中の人物となるにある。  昔しタンタラスと云う人があった。わるい事をした罰で、苛い目に逢うたと書いてある。身体は肩深く水に浸っている。頭の上には旨そうな菓物が累々と枝をたわわに結実っている。タンタラスは咽喉が渇く。水を飲もうとすると水が退いて行く。タンタラスは腹が減る。菓物を食おうとすると菓物が逃げて行く。タンタラスの口が一尺動くと向うでも一尺動く。二尺|前むと向うでも二尺前む。三尺四尺は愚か、千里を行き尽しても、タンタラスは腹が減り通しで、咽喉が渇き続けである。おおかた今でも水と菓物を追っ懸けて歩いてるだろう。――未来の管を覗くたびに、小野さんは、何だかタンタラスの子分のような気がする。それのみではない。時によると藤尾さんがつんと澄ましている事がある。長い眉を押しつけたように短かくして、屹と睨めている事がある。柘榴石がぱっと燃えて、※のなかに、女の姿が、包まれながら消えて行く事がある。博士の二字がだんだん薄くなって剥げながら暗くなる事がある。時計が遥かな天から隕石のように落ちて来て、割れる事がある。その時はぴしりと云う音がする。小野さんは詩人であるからいろいろな未来を描き出す。  机の前に頬杖を突いて、色硝子の一輪挿をぱっと蔽う椿の花の奥に、小野さんは、例によって自分の未来を覗いている。幾通りもある未来のなかで今日は一層出来がわるい。 「この時計をあなたに上げたいんだけれどもと女が云う。どうか下さいと小野さんが手を出す。女がその手をぴしゃりと平手でたたいて、御気の毒様もう約束済ですと云う。じゃ時計は入りません、しかしあなたは……と聞くと、私? 私は無論時計にくっ付いているんですと向をむいて、すたすた歩き出す」  小野さんは、ここまで未来をこしらえて見たが、余り残刻なのに驚いて、また最初から出直そうとして、少し痛くなり掛けた※を持ち上げると、障子が、すうと開いて、御手紙ですと下女が封書を置いて行く。 「小野清三様」と子昂流にかいた名宛を見た時、小野さんは、急に両肱に力を入れて、机に持たした体を跳ねるように後へ引いた。未来を覗く椿の管が、同時に揺れて、唐紅の一片がロゼッチの詩集の上に音なしく落ちて来る。完き未来は、はや崩れかけた。  小野さんは机に添えて左りの手を伸したまま、顔を斜めに、受け取った封書を掌の上に遠くから眺めていたが、容易に裏を返さない。返さんでもおおかたの見当はついている。ついていればこそ返しにくい。返した暁に推察の通りであったなら、それこそ取り返しがつかぬ。かつて亀に聞いた事がある。首を出すと打たれる。どうせ打たれるとは思いながら、出来るならばと甲羅の中に立て籠る。打たれる運命を眼前に控えた間際でも、一刻の首は一刻だけ縮めていたい。思うに小野さんは事実の判決を一寸に逃れる学士の亀であろう。亀は早晩首を出す。小野さんも今に封筒の裏を返すに違ない。  良しばらく眺めていると今度は掌がむず痒ゆくなる。一刻の安きを貪った後は、安き思を、なお安くするために、裏返して得心したくなる。小野さんは思い切って、封筒を机の上に逆に置いた。裏から井上孤堂の四字が明かにあらわれる。白い状袋に墨を惜しまず肉太に記した草字は、小野さんの眼に、針の先を並べて植えつけたように紙を離れて飛びついて来た。  小野さんは障らぬ神に祟なしと云う風で、両手を机から離す。ただ顔だけが机の上の手紙に向いている。しかし机と膝とは一尺の谷で縁が切れている。机から引き取った手は、ぐにゃりとして何だか肩から抜けて行きそうだ。  封を切ろうか、切るまいか。だれか来て封を切れと云えば切らぬ理由を説明して、ついでに自分も安心する。しかし人を屈伏させないととうてい自分も屈伏させる事が出来ない。あやふやな柔術使は、一度往来で人を抛げて見ないうちはどうも柔術家たる所以を自分に証明する道がない。弱い議論と弱い柔術は似たものである。小野さんは京都以来の友人がちょっと遊びに来てくれればいいと思った。  二階の書生がヴァイオリンを鳴らし始めた。小野さんも近日うちにヴァイオリンの稽古を始めようとしている。今日はそんな気もいっこう起らぬ。あの書生は呑気で羨しいと思う。――椿の花片がまた一つ落ちた。  一輪挿を持ったまま障子を開けて椽側へ出る。花は庭へ棄てた。水もついでにあけた。花活は手に持っている。実は花活もついでに棄てるところであった。花活を持ったまま椽側に立っている。檜がある。塀がある。向に二階がある。乾きかけた庭に雨傘が干してある。蛇の目の黒い縁に落花が二片貼ついている。その他いろいろある。ことごとく無意義にある。みんな器械的である。  小野さんは重い足を引き擦ってまた部屋のなかへ這入って来た。坐らずに机の前に立っている。過去の節穴がすうと開いて昔の歴史が細長く遠くに見える。暗い。その暗いなかの一点がぱっと燃え出した。動いて来る。小野さんは急に腰を屈めて手を伸ばすや否や封を切った。 「拝啓|柳暗花明の好時節と相成候処いよいよ御壮健|奉賀候。小生も不相変頑強、小夜も息災に候えば、乍憚御休神|可被下候。さて旧臘中一寸申上候東京表へ転住の義、其後色々の事情にて捗どりかね候所、此程に至り諸事好都合に埓あき、いよいよ近日中に断行の運びに至り候はずにつき左様御承知|被下度候。二十年|前に其地を引き払い候儘、両度の上京に、五六日の逗留の外は、全く故郷の消息に疎く、万事不案内に候えば到着の上は定めて御厄介の事と存候。 「年来住み古るしたる住宅は隣家|蔦屋にて譲り受け度旨申込有之、其他にも相談の口はかかり候えども、此方に取り極め申候。荷物其他|嵩張り候ものは皆当地にて売払い、なるべく手軽に引き移るつもりに御座候。唯小夜所持の琴一面は本人の希望により、東京迄持ち運び候事に相成候。故きを棄てがたき婦女の心情御憐察|可被下候。 「御承知の通小夜は五年|前当地に呼び寄せ候迄、東京にて学校教育を受け候事とて切に転住の速かなる事を希望致し居候。同人|行末の義に関しては大略御同意の事と存じ候えば別に不申述。追て其地にて御面会の上|篤と御協議申上度と存候。 「博覧会にて御地は定めて雑沓の事と存候。出立の節はなるべく急行の夜汽車を撰みたくと存じ候えども、急行は非常の乗客の由につき、一層途中にて一二泊の上ゆるゆる上京致すやも計りがたく候。時日刻限はいずれ確定次第御報|可致候。まずは右当用迄|匆々不一」  読み終った小野さんは、机の前に立ったままである。巻き納めぬ手紙は右の手からだらりと垂れて、清三様……孤堂とかいた端が青いカシミヤの机掛の上に波を打って二三段に畳まれている。小野さんは自分の手元から半切れを伝わって机掛の白く染め抜かれているあたりまで順々に見下して行く。見下した眼の行き留った時、やむを得ず、睛を転じてロゼッチの詩集を眺めた。詩集の表紙の上に散った二片の紅も眺めた。紅に誘われて、右の角に在るべき色硝子の一輪挿も眺めようとした。一輪挿はどこかへ行ってあらぬ。一昨日挿した椿は影も形もない。うつくしい未来を覗く管が無くなった。  小野さんは机の前へ坐った。力なく巻き納める恩人の手紙のなかから妙な臭が立ち上る。一種古ぼけた黴臭いにおいが上る。過去のにおいである。忘れんとして躊躇する毛筋の末を引いて、細い縁に、絶えるほどにつながるる今と昔を、面のあたりに結び合わす香である。  半世の歴史を長き穂の心細きまで逆しまに尋ぬれば、溯るほどに暗澹となる。芽を吹く今の幹なれば、通わぬ脈の枯れ枝の末に、錐の力の尖れるを幸と、記憶の命を突き透すは要なしと云わんよりむしろ無惨である。ジェーナスの神は二つの顔に、後ろをも前をも見る。幸なる小野さんは一つの顔しか持たぬ。背を過去に向けた上は、眼に映るは煕々たる前程のみである。後を向けばひゅうと北風が吹く。この寒い所をやっとの思いで斬り抜けた昨日今日、寒い所から、寒いものが追っ懸けて来る。今まではただ忘れればよかった。未来の発展の暖く鮮やかなるうちに、己れを捲き込んで、一歩でも過去を遠退けばそれで済んだ。生きている過去も、死んだ過去のうちに静かに鏤られて、動くかとは掛念しながらも、まず大丈夫だろうと、その日、その日に立ち退いては、顧みるパノラマの長く連なるだけで、一点も動かぬに胸を撫でていた。ところが、昔しながらとたかを括って、過去の管を今さら覗いて見ると――動くものがある。われは過去を棄てんとしつつあるに、過去はわれに近づいて来る。逼って来る。静かなる前後と枯れ尽したる左右を乗り超えて、暗夜を照らす提灯の火のごとく揺れて来る、動いてくる。小野さんは部屋の中を廻り始めた。  自然は自然を用い尽さぬ。極まらんとする前に何事か起る。単調は自然の敵である。小野さんが部屋の中を廻り始めて半分と立たぬうちに、障子から下女の首が出た。 「御客様」と笑いながら云う。なぜ笑うのか要領を得ぬ。御早うと云っては笑い、御帰んなさいと云っては笑い、御飯ですと云っては笑う。人を見て妄りに笑うものは必ず人に求むるところのある証拠である。この下女はたしかに小野さんからある報酬を求めている。  小野さんは気のない顔をして下女を見たのみである。下女は失望した。 「通しましょうか」  小野さんは「え、うん」と判然しない返事をする。下女はまた失望した。下女がむやみに笑うのは小野さんに愛嬌があるからである。愛嬌のない御客は下女から見ると半文の価値もない。小野さんはこの心理を心得ている。今日まで下女の人望を繋いだのも全くこの自覚に基づく。小野さんは下女の人望をさえ妄りに落す事を好まぬほどの人物である。  同一の空間は二物によって同時に占有せらるる事|能わずと昔しの哲学者が云った。愛嬌と不安が同時に小野さんの脳髄に宿る事はこの哲学者の発明に反する。愛嬌が退いて不安が這入る。下女は悪るいところへぶつかった。愛嬌が退いて不安が這入る。愛嬌が附焼刃で不安が本体だと思うのは偽哲学者である。家主が這入るについて、愛嬌が示談の上、不安に借家を譲り渡したまでである。それにしても小野さんは悪るいところを下女に見られた。 「通してもいいんですか」 「うん、そうさね」 「御留守だって云いましょうか」 「誰だい」 「浅井さん」 「浅井か」 「御留守?」 「そうさね」 「御留守になさいますか」 「どう、しようか知ら」 「どっち、でも」 「逢おうかな」 「じゃ、通しましょう」 「おい、ちょっと、待った。おい」 「何です」 「ああ、好い。好し好し」  友達には逢いたい時と、逢いたくない時とある。それが判然すれば何の苦もない。いやなら留守を使えば済む。小野さんは先方の感情を害せぬ限りは留守を使う勇気のある男である。ただ困るのは逢いたくもあり、逢いたくもなくて、前へ行ったり後ろへ戻ったりして下女にまで馬鹿にされる時である。  往来で人と往き合う事がある。双方でちょっと体を交わせば、それぎりで御互にもとの通り、あかの他人となる。しかし時によると両方で、同じ右か、同じ左りへ避ける。これではならぬと反対の側へ出ようと、足元を取り直すとき、向うもこれではならぬと気を換えて反対へ出る。反対と反対が鉢合せをして、おいしまったと心づいて、また出直すと、同時同刻に向うでも同様に出直してくる。両人は出直そうとしては出遅れ、出遅れては出直そうとして、柱時計の振子のようにこっち、あっちと迷い続けに迷うてくる。しまいには双方で双方を思い切りの悪るい野郎だと悪口が云いたくなる。人望のある小野さんは、もう少しで下女に思い切りの悪るい野郎だと云われるところであった。  そこへ浅井君が這入ってくる。浅井君は京都以来の旧友である。茶の帽子のいささか崩れかかったのを、右の手で圧し潰すように握って、畳の上へ抛り出すや否や 「ええ天気だな」と胡坐をかく。小野さんは天気の事を忘れていた。 「いい天気だね」 「博覧会へ行ったか」 「いいや、まだ行かない」 「行って見い、面白いぜ。昨日行っての、アイスクリームを食うて来た」 「アイスクリーム? そう、昨日はだいぶ暑かったからね」 「今度は露西亜料理を食いに行くつもりだ。どうだいっしょに行かんか」 「今日かい」 「うん今日でもいい」 「今日は、少し……」 「行かんか。あまり勉強すると病気になるぞ。早く博士になって、美しい嫁さんでも貰おうと思うてけつかる。失敬な奴ちゃ」 「なにそんな事はない。勉強がちっとも出来なくって困る」 「神経衰弱だろう。顔色が悪いぞ」 「そうか、どうも心持ちがわるい」 「そうだろう。井上の御嬢さんが心配する、早く露西亜料理でも食うて、好うならんと」 「なぜ」 「なぜって、井上の御嬢さんは東京へ来るんだろう」 「そうか」 「そうかって、君の所へは無論通知が来たはずじゃ」 「君の所へは来たかい」 「うん、来た。君の所へは来んのか」 「いえ来た事は来たがね」 「いつ来たか」 「もう少し先刻だった」 「いよいよ結婚するんだろう」 「なにそんな事があるものか」 「せんのか、なぜ?」 「なぜって、そこにはだんだん深い事情があるんだがね」 「どんな事情が」 「まあ、それはおって緩っくり話すよ。僕も井上先生には大変世話になったし、僕の力で出来る事は何でも先生のためにする気なんだがね。結婚なんて、そう思う通りに急に出来るものじゃないさ」 「しかし約束があるんだろう」 「それがね、いつか君にも話そう話そうと思っていたんだが、――僕は実に先生には同情しているんだよ」 「そりゃ、そうだろう」 「まあ、先生が出て来たら緩くり話そうと思うんだね。そう向うだけで一人ぎめにきめていても困るからね」 「どんなに一人できめているんだい」 「きめているらしいんだね、手紙の様子で見ると」 「あの先生も随分|昔堅気だからな」 「なかなか自分できめた事は動かない。一徹なんだ」 「近頃は家計の方も余りよくないんだろう」 「どうかね。そう困りもしまい」 「時に何時かな、君ちょっと時計を見てくれ」 「二時十六分だ」 「二時十六分?――それが例の恩賜の時計か」 「ああ」 「旨い事をしたなあ。僕も貰って置けばよかった。こう云うものを持っていると世間の受けがだいぶ違うな」 「そう云う事もあるまい」 「いやある。何しろ天皇陛下が保証して下さったんだからたしかだ」 「君これからどこかへ行くのかい」 「うん、天気がいいから遊ぶんだ。どうだいっしょに行かんか」 「僕は少し用があるから――しかしそこまでいっしょに出よう」  門口で分れた小野さんの足は甲野の邸に向った。         五  山門を入る事一歩にして、古き世の緑りが、急に左右から肩を襲う。自然石の形状乱れたるを幅一間に行儀よく並べて、錯落と平らかに敷き詰めたる径に落つる足音は、甲野さんと宗近君の足音だけである。  一条の径の細く直なるを行き尽さざる此方から、石に眼を添えて遥かなる向うを極むる行き当りに、仰げば伽藍がある。木賊葺の厚板が左右から内輪にうねって、大なる両の翼を、険しき一本の背筋にあつめたる上に、今一つ小さき家根が小さき翼を伸して乗っかっている。風抜きか明り取りかと思われる。甲野さんも、宗近君もこの精舎を、もっとも趣きある横側の角度から同時に見上げた。 「明かだ」と甲野さんは杖を停めた。 「あの堂は木造でも容易に壊す事が出来ないように見える」 「つまり恰好が旨くそう云う風に出来てるんだろう。アリストートルのいわゆる理形に適ってるのかも知れない」 「だいぶむずかしいね。――アリストートルはどうでも構わないが、この辺の寺はどれも、一種妙な感じがするのは奇体だ」 「舟板塀趣味や御神灯趣味とは違うさ。夢窓国師が建てたんだもの」 「あの堂を見上げて、ちょっと変な気になるのは、つまり夢窓国師になるんだな。ハハハハ。夢窓国師も少しは話せらあ」 「夢窓国師や大燈国師になるから、こんな所を逍遥する価値があるんだ。ただ見物したって何になるもんか」 「夢窓国師も家根になって明治まで生きていれば結構だ。安直な銅像よりよっぽどいいね」 「そうさ、一目瞭然だ」 「何が」 「何がって、この境内の景色がさ。ちっとも曲っていない。どこまでも明らかだ」 「ちょうどおれのようだな。だから、おれは寺へ這入ると好い気持ちになるんだろう」 「ハハハそうかも知れない」 「して見ると夢窓国師がおれに似ているんで、おれが夢窓国師に似ているんじゃない」 「どうでも、好いさ。――まあ、ちっと休もうか」と甲野さんは蓮池に渡した石橋の欄干に尻をかける。欄干の腰には大きな三階松が三寸の厚さを透かして水に臨んでいる。石には苔の斑が薄青く吹き出して、灰を交えた紫の質に深く食い込む下に、枯蓮の黄な軸がすいすいと、去年の霜を弥生の中に突き出している。  宗近君は燐寸を出して、煙草を出して、しゅっと云わせた燃え残りを池の水に棄てる。 「夢窓国師はそんな悪戯はしなかった」と甲野さんは、※の先に、両手で杖の頭を丁寧に抑えている。 「それだけ、おれより下等なんだ。ちっと宗近国師の真似をするが好い」 「君は国師より馬賊になる方がよかろう」 「外交官の馬賊は少し変だから、まあ正々堂々と北京へ駐在する事にするよ」 「東洋専門の外交官かい」 「東洋の経綸さ。ハハハハ。おれのようなのはとうてい西洋には向きそうもないね。どうだろう、それとも修業したら、君の阿爺ぐらいにはなれるだろうか」 「阿爺のように外国で死なれちゃ大変だ」 「なに、あとは君に頼むから構わない」 「いい迷惑だね」 「こっちだってただ死ぬんじゃない、天下国家のために死ぬんだから、そのくらいな事はしてもよかろう」 「こっちは自分一人を持て余しているくらいだ」 「元来、君は我儘過ぎるよ。日本と云う考が君の頭のなかにあるかい」  今までは真面目の上に冗談の雲がかかっていた。冗談の雲はこの時ようやく晴れて、下から真面目が浮き上がって来る。 「君は日本の運命を考えた事があるのか」と甲野さんは、杖の先に力を入れて、持たした体を少し後ろへ開いた。 「運命は神の考えるものだ。人間は人間らしく働けばそれで結構だ。日露戦争を見ろ」 「たまたま風邪が癒れば長命だと思ってる」 「日本が短命だと云うのかね」と宗近君は詰め寄せた。 「日本と露西亜の戦争じゃない。人種と人種の戦争だよ」 「無論さ」 「亜米利加を見ろ、印度を見ろ、亜弗利加を見ろ」 「それは叔父さんが外国で死んだから、おれも外国で死ぬと云う論法だよ」 「論より証拠誰でも死ぬじゃないか」 「死ぬのと殺されるのとは同じものか」 「大概は知らぬ間に殺されているんだ」  すべてを爪弾きした甲野さんは杖の先で、とんと石橋を敲いて、ぞっとしたように肩を縮める。宗近君はぬっと立ち上がる。 「あれを見ろ。あの堂を見ろ。峩山と云う坊主は一椀の托鉢だけであの本堂を再建したと云うじゃないか。しかも死んだのは五十になるか、ならんうちだ。やろうと思わなければ、横に寝た箸を竪にする事も出来ん」 「本堂より、あれを見ろ」と甲野さんは欄干に腰をかけたまま、反対の方角を指す。  世界を輪切りに立て切った、山門の扉を左右に颯と開いた中を、――赤いものが通る、青いものが通る。女が通る。小供が通る。嵯峨の春を傾けて、京の人は繽紛絡繹と嵐山に行く。「あれだ」と甲野さんが云う。二人はまた色の世界に出た。  天竜寺の門前を左へ折れれば釈迦堂で右へ曲れば渡月橋である。京は所の名さえ美しい。二人は名物と銘打った何やらかやらをやたらに並べ立てた店を両側に見て、停車場の方へ旅衣七日余りの足を旅心地に移す。出逢うは皆京の人である。二条から半時ごとに花時を空にするなと仕立てる汽車が、今着いたばかりの好男子好女子をことごとく嵐山の花に向って吐き送る。 「美しいな」と宗近君はもう天下の大勢を忘れている。京ほどに女の綺羅を飾る所はない。天下の大勢も、京女の色には叶わぬ。 「京都のものは朝夕都踊りをしている。気楽なものだ」 「だから小野的だと云うんだ」 「しかし都踊はいいよ」 「悪るくないね。何となく景気がいい」 「いいえ。あれを見るとほとんど異性の感がない。女もあれほどに飾ると、飾りまけがして人間の分子が少なくなる」 「そうさその理想の極端は京人形だ。人形は器械だけに厭味がない」 「どうも淡粧して、活動する奴が一番人間の分子が多くって危険だ」 「ハハハハいかなる哲学者でも危険だろうな。ところが都踊となると、外交官にも危険はない。至極御同感だ。御互に無事な所へ遊びに来てまあ善かったよ」 「人間の分子も、第一義が活動すると善いが、どうも普通は第十義ぐらいがむやみに活動するから厭になっちまう」 「御互は第何義ぐらいだろう」 「御互になると、これでも人間が上等だから、第二義、第三義以下には出ないね」 「これでかい」 「云う事はたわいがなくっても、そこに面白味がある」 「ありがたいな。第一義となると、どんな活動だね」 「第一義か。第一義は血を見ないと出て来ない」 「それこそ危険だ」 「血でもってふざけた了見を洗った時に、第一義が躍然とあらわれる。人間はそれほど軽薄なものなんだよ」 「自分の血か、人の血か」  甲野さんは返事をする代りに、売店に陳べてある、抹茶茶碗を見始めた。土を捏ねて手造りにしたものか、棚三段を尽くして、あるものはことごとくとぼけている。 「そんなとぼけた奴は、いくら血で洗ったって駄目だろう」と宗近君はなおまつわって来る。 「これは……」と甲野さんが茶碗の一つを取り上げて眺めている袖を、宗近君は断わりもなく、力任せにぐいと引く。茶碗は土間の上で散々に壊れた。 「こうだ」と甲野さんが壊れた片を土の上に眺めている。 「おい、壊れたか。壊れたって、そんなものは構わん。ちょっとこっちを見ろ。早く」  甲野さんは土間の敷居を跨ぐ。「何だ」と天竜寺の方を振り返る向うは例の京人形の後姿がぞろぞろ行くばかりである。 「何だ」と甲野さんは聞き直す。 「もう行ってしまった。惜しい事をした」 「何が行ってしまったんだ」 「あの女がさ」 「あの女とは」 「隣りのさ」 「隣りの?」 「あの琴の主さ。君が大いに見たがった娘さ。せっかく見せてやろうと思ったのに、下らない茶碗なんかいじくっているもんだから」 「そりゃ惜しい事をした。どれだい」 「どれだか、もう見えるものかね」 「娘も惜しいがこの茶碗は無残な事をした。罪は君にある」 「有ってたくさんだ。そんな茶碗は洗ったくらいじゃ追つかない。壊してしまわなけりゃ直らない厄介物だ。全体茶人の持ってる道具ほど気に食わないものはない。みんな、ひねくれている。天下の茶器をあつめてことごとく敲き壊してやりたい気がする。何ならついでだからもう一つ二つ茶碗を壊して行こうじゃないか」 「ふうん、一個何銭ぐらいかな」  二人は茶碗の代を払って、停車場へ来る。  浮かれ人を花に送る京の汽車は嵯峨より二条に引き返す。引き返さぬは山を貫いて丹波へ抜ける。二人は丹波行の切符を買って、亀岡に降りた。保津川の急湍はこの駅より下る掟である。下るべき水は眼の前にまだ緩く流れて碧油の趣をなす。岸は開いて、里の子の摘む土筆も生える。舟子は舟を渚に寄せて客を待つ。 「妙な舟だな」と宗近君が云う。底は一枚板の平らかに、舷は尺と水を離れぬ。赤い毛布に煙草盆を転がして、二人はよきほどの間隔に座を占める。 「左へ寄っていやはったら、大丈夫どす、波はかかりまへん」と船頭が云う。船頭の数は四人である。真っ先なるは、二間の竹竿、続づく二人は右側に櫂、左に立つは同じく竿である。  ぎいぎいと櫂が鳴る。粗削りに平げたる樫の頸筋を、太い藤蔓に捲いて、余る一尺に丸味を持たせたのは、両の手にむんずと握る便りである。握る手の節の隆きは、真黒きは、松の小枝に青筋を立てて、うんと掻く力の脈を通わせたように見える。藤蔓に頸根を抑えられた櫂が、掻くごとに撓りでもする事か、強き項を真直に立てたまま、藤蔓と擦れ、舷と擦れる。櫂は一掻ごとにぎいぎいと鳴る。  岸は二三度うねりを打って、音なき水を、停まる暇なきに、前へ前へと送る。重なる水の蹙って行く、頭の上には、山城を屏風と囲う春の山が聳えている。逼りたる水はやむなく山と山の間に入る。帽に照る日の、たちまちに影を失うかと思えば舟は早くも山峡に入る。保津の瀬はこれからである。 「いよいよ来たぜ」と宗近君は船頭の体を透かして岩と岩の逼る間を半丁の向に見る。水はごうと鳴る。 「なるほど」と甲野さんが、舷から首を出した時、船ははや瀬の中に滑り込んだ。右側の二人はすわと波を切る手を緩める。櫂は流れて舷に着く。舳に立つは竿を横えたままである。傾むいて矢のごとく下る船は、どどどと刻み足に、船底に据えた尻に響く。壊われるなと気がついた時は、もう走る瀬を抜けだしていた。 「あれだ」と宗近君が指す後ろを見ると、白い泡が一町ばかり、逆か落しに噛み合って、谷を洩る微かな日影を万顆の珠と我勝に奪い合っている。 「壮んなものだ」と宗近君は大いに御意に入った。 「夢窓国師とどっちがいい」 「夢窓国師よりこっちの方がえらいようだ」  船頭は至極冷淡である。松を抱く巌の、落ちんとして、落ちざるを、苦にせぬように、櫂を動かし来り、棹を操り去る。通る瀬はさまざまに廻る。廻るごとに新たなる山は当面に躍り出す。石山、松山、雑木山と数うる遑を行客に許さざる疾き流れは、船を駆ってまた奔湍に躍り込む。  大きな丸い岩である。苔を畳む煩わしさを避けて、紫の裸身に、撃ちつけて散る水沫を、春寒く腰から浴びて、緑り崩るる真中に、舟こそ来れと待つ。舟は矢も楯も物かは。一図にこの大岩を目懸けて突きかかる。渦捲いて去る水の、岩に裂かれたる向うは見えず。削られて坂と落つる川底の深さは幾段か、乗る人のこなたよりは不可思議の波の行末である。岩に突き当って砕けるか、捲き込まれて、見えぬ彼方にどっと落ちて行くか、――舟はただまともに進む。 「当るぜ」と宗近君が腰を浮かした時、紫の大岩は、はやくも船頭の黒い頭を圧して突っ立った。船頭は「うん」と舳に気合を入れた。舟は砕けるほどの勢いに、波を呑む岩の太腹に潜り込む。横たえた竿は取り直されて、肩より高く両の手が揚がると共に舟はぐうと廻った。この獣奴と突き離す竿の先から、岩の裾を尺も余さず斜めに滑って、舟は向うへ落ち出した。 「どうしても夢窓国師より上等だ」と宗近君は落ちながら云う。  急灘を落ち尽すと向から空舟が上ってくる。竿も使わねば、櫂は無論の事である。岩角に突っ張った懸命の拳を収めて、肩から斜めに目暗縞を掠めた細引縄に、長々と谷間伝いを根限り戻り舟を牽いて来る。水行くほかに尺寸の余地だに見出しがたき岸辺を、石に飛び、岩に這うて、穿く草鞋の滅り込むまで腰を前に折る。だらりと下げた両の手は塞かれて注ぐ渦の中に指先を浸すばかりである。うんと踏ん張る幾世の金剛力に、岩は自然と擦り減って、引き懸けて行く足の裏を、安々と受ける段々もある。長い竹をここ、かしこと、岩の上に渡したのは、牽綱をわが勢に逆わぬほどに、疾く滑らすための策と云う。 「少しは穏かになったね」と甲野さんは左右の岸に眼を放つ。踏む角も見えぬ切っ立った山の遥かの上に、鉈の音が丁々とする。黒い影は空高く動く。 「まるで猿だ」と宗近君は咽喉仏を突き出して峰を見上げた。 「慣れると何でもするもんだね」と相手も手を翳して見る。 「あれで一日働いて若干になるだろう」 「若干になるかな」 「下から聞いて見ようか」 「この流れは余り急過ぎる。少しも余裕がない。のべつに駛っている。所々にこう云う場所がないとやはり行かんね」 「おれは、もっと、駛りたい。どうも、さっきの岩の腹を突いて曲がった時なんか実に愉快だった。願くは船頭の棹を借りて、おれが、舟を廻したかった」 「君が廻せば今頃は御互に成仏している時分だ」 「なに、愉快だ。京人形を見ているより愉快じゃないか」 「自然は皆第一義で活動しているからな」 「すると自然は人間の御手本だね」 「なに人間が自然の御手本さ」 「それじゃやっぱり京人形党だね」 「京人形はいいよ。あれは自然に近い。ある意味において第一義だ。困るのは……」 「困るのは何だい」 「大抵困るじゃないか」と甲野さんは打ち遣った。 「そう困った日にゃ方が付かない。御手本が無くなる訳だ」 「瀬を下って愉快だと云うのは御手本があるからさ」 「おれにかい」 「そうさ」 「すると、おれは第一義の人物だね」 「瀬を下ってるうちは、第一義さ」 「下ってしまえば凡人か。おやおや」 「自然が人間を翻訳する前に、人間が自然を翻訳するから、御手本はやっぱり人間にあるのさ。瀬を下って壮快なのは、君の腹にある壮快が第一義に活動して、自然に乗り移るのだよ。それが第一義の翻訳で第一義の解釈だ」 「肝胆相照らすと云うのは御互に第一義が活動するからだろう」 「まずそんなものに違ない」 「君に肝胆相照らす場合があるかい」  甲野さんは黙然として、船の底を見詰めた。言うものは知らずと昔し老子が説いた事がある。 「ハハハハ僕は保津川と肝胆相照らした訳だ。愉快愉快」と宗近君は二たび三たび手を敲く。  乱れ起る岩石を左右に※る流は、抱くがごとくそと割れて、半ば碧りを透明に含む光琳波が、早蕨に似たる曲線を描いて巌角をゆるりと越す。河はようやく京に近くなった。 「その鼻を廻ると嵐山どす」と長い棹を舷のうちへ挿し込んだ船頭が云う。鳴る櫂に送られて、深い淵を滑るように抜け出すと、左右の岩が自ら開いて、舟は大悲閣の下に着いた。  二人は松と桜と京人形の群がるなかに這い上がる。幕と連なる袖の下を掻い潜ぐって、松の間を渡月橋に出た時、宗近君はまた甲野さんの袖をぐいと引いた。  赤松の二抱を楯に、大堰の波に、花の影の明かなるを誇る、橋の袂の葭簀茶屋に、高島田が休んでいる。昔しの髷を今の世にしばし許せと被る瓜実顔は、花に臨んで風に堪えず、俯目に人を避けて、名物の団子を眺めている。薄く染めた綸子の被布に、正しく膝を組み合せたれば、下に重ねる衣の色は見えぬ。ただ襟元より燃え出ずる何の模様の半襟かが、すぐ甲野さんの眼に着いた。 「あれだよ」 「あれが?」 「あれが琴を弾いた女だよ。あの黒い羽織は阿爺に違ない」 「そうか」 「あれは京人形じゃない。東京のものだ」 「どうして」 「宿の下女がそう云った」  瓢箪に酔を飾る三五の癡漢が、天下の高笑に、腕を振って後ろから押して来る。甲野さんと宗近さんは、体を斜めにえらがる人を通した。色の世界は今が真っ盛りである。         六  丸顔に愁少し、颯と映る襟地の中から薄鶯の蘭の花が、幽なる香を肌に吐いて、着けたる人の胸の上にこぼれかかる。糸子はこんな女である。  人に示すときは指を用いる。四つを掌に折って、余る第二指のありたけにあれぞと指す時、指す手はただ一筋の紛れなく明らかである。五本の指をあれ見よとことごとく伸ばすならば、西東は当るとも、当ると思わるる感じは鈍くなる。糸子は五指を並べたような女である。受ける感じが間違っているとは云えぬ。しかし変だ。物足らぬとは指点す指の短かきに過ぐる場合を云う。足り余るとは指点す指の長きに失する時であろう。糸子は五指を同時に並べたような女である。足るとも云えぬ。足り余るとも評されぬ。  人に指点す指の、細そりと爪先に肉を落すとき、明かなる感じは次第に爪先に集まって焼点を構成る。藤尾の指は爪先の紅を抜け出でて縫針の尖がれるに終る。見るものの眼は一度に痛い。要領を得ぬものは橋を渡らぬ。要領を得過ぎたものは欄干を渡る。欄干を渡るものは水に落ちる恐れがある。  藤尾と糸子は六畳の座敷で五指と針の先との戦争をしている。すべての会話は戦争である。女の会話はもっとも戦争である。 「しばらく御目に懸りませんね。よくいらしった事」と藤尾は主人役に云う。 「父一人で忙がしいものですから、つい御無沙汰をして……」 「博覧会へもいらっしゃらないの」 「いいえ、まだ」 「向島は」 「まだどこへも行かないの」  宅にばかりいて、よくこう満足していられると藤尾が思う。――糸子の眼尻には答えるたびに笑の影が翳す。 「そんなに御用が御在りなの」 「なに大した用じゃないんですけれども……」  糸子の答は大概半分で切れてしまう。 「少しは出ないと毒ですよ。春は一年に一度しか来ませんわ」 「そうね。わたしもそう思ってるんですけれども……」 「一年に一度だけれども、死ねば今年ぎりじゃあありませんか」 「ホホホホ死んじゃつまらないわね」  二人の会話は互に、死と云う字を貫いて、左右に飛び離れた。上野は浅草へ行く路である。同時に日本橋へ行く路である。藤尾は相手を墓の向側へ連れて行こうとした。相手は墓に向側のある事さえ知らなかった。 「今に兄が御嫁でも貰ったら、出てあるきますわ」と糸子が云う。家庭的の婦女は家庭的の答えをする。男の用を足すために生れたと覚悟をしている女ほど憐れなものはない。藤尾は内心にふんと思った。この眼は、この袖は、この詩とこの歌は、鍋、炭取の類ではない。美くしい世に動く、美しい影である。実用の二字を冠らせられた時、女は――美くしい女は――本来の面目を失って、無上の侮辱を受ける。 「一さんは、いつ奥さんを御貰いなさるおつもりなんでしょう」と話しだけは上滑をして前へ進む。糸子は返事をする前に顔を揚げて藤尾を見た。戦争はだんだん始まって来る。 「いつでも、来て下さる方があれば貰うだろうと思いますの」  今度は藤尾の方で、返事をする前に糸子を眤と見る。針は真逆の用意に、なかなか瞳の中には出て来ない。 「ホホホホどんな立派な奥さんでも、すぐ出来ますわ」 「本当にそうなら、いいんですが」と糸子は半分ほど裏へ絡まってくる。藤尾はちょっと逃げて置く必要がある。 「どなたか心当りはないんですか。一さんが貰うときまれば本気に捜がしますよ」  黐竿は届いたか、届かないか、分らぬが、鳥は確かに逃げたようだ。しかしもう一歩進んで見る必要がある。 「ええ、どうぞ捜がしてちょうだい、私の姉さんのつもりで」  糸子は際どいところを少し出過ぎた。二十世紀の会話は巧妙なる一種の芸術である。出ねば要領を得ぬ。出過ぎるとはたかれる。 「あなたの方が姉さんよ」と藤尾は向うで入れる捜索の綱を、ぷつりと切って、逆さまに投げ帰した。糸子はまだ悟らぬ。 「なぜ?」と首を傾ける。  放つ矢のあたらぬはこちらの不手際である。あたったのに手答もなく装わるるは不器量である。女は不手際よりは不器量を無念に思う。藤尾はちょっと下唇を噛んだ。ここまで推して来て停まるは、ただ勝つ事を知る藤尾には出来ない。 「あなたは私の姉さんになりたくはなくって」と、素知らぬ顔で云う。 「あらっ」と糸子の頬に吾を忘れた色が出る。敵はそれ見ろと心の中で冷笑って引き上げる。  甲野さんと宗近君と相談の上取りきめた格言に云う。――第一義において活動せざるものは肝胆相照らすを得ずと。両人の妹は肝胆の外廓で戦争をしている。肝胆の中に引き入れる戦争か、肝胆の外に追っ払う戦争か。哲学者は二十世紀の会話を評して肝胆相曇らす戦争と云った。  ところへ小野さんが来る。小野さんは過去に追い懸けられて、下宿の部屋のなかをぐるぐると廻った。何度廻っても逃げ延びられそうもない時、過去の友達に逢って、過去と現在との調停を試みた。調停は出来たような、出来ないような訳で、自己は依然として不安の状態にある。度胸を据えて、追っ懸けてくるものを取っ押える勇気は無論ない。小野さんはやむを得ず、未来を望んで馳け込んで来た。袞竜の袖に隠れると云う諺がある。小野さんは未来の袖に隠れようとする。  小野さんは蹌々踉々として来た。ただ蹌々踉々の意味を説明しがたいのが残念である。 「どうか、なすったの」と藤尾が聞いた。小野さんは心配の上に被せる従容の紋付を、まだ誂えていない。二十世紀の人は皆この紋付を二三着ずつ用意すべしと先の哲学者が述べた事がある。 「大変御顔の色が悪い事ね」と糸子が云った。便る未来が戈を逆まにして、過去をほじり出そうとするのは情けない。 「二三日寝られないんです」 「そう」と藤尾が云う。 「どう、なすって」と糸子が聞く。 「近頃論文を書いていらっしゃるの。――ねえそれででしょう」と藤尾が答弁と質問を兼ねた言葉使いをする。 「ええ」と小野さんは渡りに舟の返事をした。小野さんは、どんな舟でも御乗んなさいと云われれば、乗らずにはいられない。大抵の嘘は渡頭の舟である。あるから乗る。 「そう」と糸子は軽く答える。いかなる論文を書こうと家庭的の女子は関係しない。家庭的の女子はただ顔色の悪いところだけが気にかかる。 「卒業なすっても御忙いのね」 「卒業して銀時計を御頂きになったから、これから論文で金時計を御取りになるんですよ」 「結構ね」 「ねえ、そうでしょう。ねえ、小野さん」  小野さんは微笑した。 「それじゃ、兄やこちらの欽吾さんといっしょに京都へ遊びにいらっしゃらないはずね。――兄なんぞはそりゃ呑気よ。少し寝られなくなればいいと思うわ」 「ホホホホそれでも家の兄より好いでしょう」 「欽吾さんの方がいくら好いか分かりゃしない」と糸子さんは、半分無意識に言って退けたが、急に気がついて、羽二重の手巾を膝の上でくちゃくちゃに丸めた。 「ホホホホ」  唇の動く間から前歯の角を彩どる金の筋がすっと外界に映る。敵は首尾よくわが術中に陥った。藤尾は第二の凱歌を揚げる。 「まだ京都から御音信はないですか」と今度は小野さんが聞き出した。 「いいえ」 「だって端書ぐらい来そうなものですね」 「でも鉄砲玉だって云うじゃありませんか」 「だれがです」 「ほら、この間、母がそう云ったでしょう。二人共鉄砲玉だって――糸子さん、ことに宗近は大の鉄砲玉ですとさ」 「だれが? 御叔母さんが? 鉄砲玉でたくさんよ。だから早く御嫁を持たしてしまわないとどこへ飛んで行くか、心配でいけないんです」 「早く貰って御上げなさいよ。ねえ、小野さん。二人で好いのを見つけて上げようじゃありませんか」  藤尾は意味有り気に小野さんを見た。小野さんの眼と、藤尾の眼が行き当ってぶるぶると顫える。 「ええ好いのを一人周旋しましょう」と小野さんは、手巾を出して、薄い口髭をちょっと撫でる。幽かな香がぷんとする。強いのは下品だと云う。 「京都にはだいぶ御知合があるでしょう。京都の方を一さんに御世話なさいよ。京都には美人が多いそうじゃありませんか」  小野さんの手巾はちょっと勢を失った。 「なに実際美しくはないんです。――帰ったら甲野君に聞いて見ると分ります」 「兄がそんな話をするものですか」 「それじゃ宗近君に」 「兄は大変美人が多いと申しておりますよ」 「宗近君は前にも京都へいらしった事があるんですか」 「いいえ、今度が始めてですけれども、手紙をくれまして」 「おや、それじゃ鉄砲玉じゃないのね。手紙が来たの」 「なに端書よ。都踊の端書をよこして、そのはじに京都の女はみんな奇麗だと書いてあるのよ」 「そう。そんなに奇麗なの」 「何だか白い顔がたくさん並んでてちっとも分らないわ。ただ見たら好いかも知れないけれども」 「ただ見ても白い顔が並んどるばかりです。奇麗は奇麗ですけれども、表情がなくって、あまり面白くはないです」 「それから、まだ書いてあるんですよ」 「無精に似合わない事ね。何と」 「隣家の琴は御前より旨いって」 「ホホホ一さんに琴の批評は出来そうもありませんね」 「私にあてつけたんでしょう。琴がまずいから」 「ハハハハ宗近君もだいぶ人の悪い事をしますね」 「しかも、御前より別嬪だと書いてあるんです。にくらしいわね」 「一さんは何でも露骨なんですよ。私なんぞも一さんに逢っちゃ叶わない」 「でも、あなたの事は褒めてありますよ」 「おや、何と」 「御前より別嬪だ、しかし藤尾さんより悪いって」 「まあ、いやだ事」  藤尾は得意と軽侮の念を交えたる眼を輝かして、すらりと首を後ろに引く。鬣に比すべきものの波を起すばかりに見えたるなかに、玉虫貝の菫のみが星のごとく可憐の光を放つ。  小野さんの眼と藤尾の眼はこの時再び合った。糸子には意味が通ぜぬ。 「小野さん三条に蔦屋と云う宿屋がござんすか」  底知れぬ黒き眼のなかに我を忘れて、縋る未来に全く吸い込まれたる人は、刹那の戸板返しにずどんと過去へ落ちた。  追い懸けて来る過去を逃がるるは雲紫に立ち騰る袖香炉の煙る影に、縹緲の楽しみをこれぞと見極むるひまもなく、貪ぼると云う名さえつけがたき、眼と眼のひたと行き逢いたる一拶に、結ばぬ夢は醒めて、逆しまに、われは過去に向って投げ返される。草間蛇あり、容易に青を踏む事を許さずとある。 「蔦屋がどうかしたの」と藤尾は糸子に向う。 「なにその蔦屋にね、欽吾さんと兄さんが宿ってるんですって。だから、どんな所かと思って、小野さんに伺って見たんです」 「小野さん知っていらしって」 「三条ですか。三条の蔦屋と。そうですね、有ったようにも覚えていますが……」 「それじゃ、そんな有名な旅屋じゃないんですね」と糸子は無邪気に小野さんの顔を見る。 「ええ」と小野さんは切なそうに答えた。今度は藤尾の番となる。 「有名でなくったって、好いじゃありませんか。裏座敷で琴が聴えて――もっとも兄と一さんじゃ駄目ね。小野さんなら、きっと御気に入るでしょう。春雨がしとしと降ってる静かな日に、宿の隣家で美人が琴を弾いてるのを、気楽に寝転んで聴いているのは、詩的でいいじゃありませんか」  小野さんはいつになく黙っている。眼さえ、藤尾の方へは向けないで、床の山吹を無意味に眺めている。 「好いわね」と糸子が代理に答える。  詩を知らぬ人が、趣味の問題に立ち入る権利はない。家庭的の女子からいいわねぐらいの賛成を求めて満足するくらいなら始めから、春雨も、奥座敷も、琴の音も、口に出さぬところであった。藤尾は不平である。 「想像すると面白い画が出来ますよ。どんな所としたらいいでしょう」  家庭的の女子には、なぜこんな質問が出てくるのか、とんとその意を解しかねる。要らぬ事と黙って控えているより仕方がない。小野さんは是非共口を開かねばならぬ。 「あなたは、どんな所がいいと思います」 「私? 私はね、そうね――裏二階がいいわ――廻り椽で、加茂川がすこし見えて――三条から加茂川が見えても好いんでしょう」 「ええ、所によれば見えます」 「加茂川の岸には柳がありますか」 「ええ、あります」 「その柳が、遠くに煙るように見えるんです。その上に東山が――東山でしたね奇麗な丸い山は――あの山が、青い御供のように、こんもりと霞んでるんです。そうして霞のなかに、薄く五重の塔が――あの塔の名は何と云いますか」 「どの塔です」 「どの塔って、東山の右の角に見えるじゃありませんか」 「ちょっと覚えませんね」と小野さんは首を傾げる。 「有るんです、きっとあります」と藤尾が云う。 「だって琴は隣りよ、あなた」と糸子が口を出す。  女詩人の空想はこの一句で破れた。家庭的の女は美くしい世をぶち壊しに生れて来たも同様である。藤尾は少しく眉を寄せる。 「大変御急ぎだ事」 「なに、面白く伺ってるのよ。それからその五重の塔がどうかするの」  五重の塔がどうもする訳はない。刺身を眺めただけで台所へ下げる人もある。五重の塔をどうかしたがる連中は、刺身を食わなければ我慢の出来ぬように教育された実用主義の人間である。 「それじゃ五重の塔はやめましょう」 「面白いんですよ。五重の塔が面白いのよ。ねえ小野さん」  御機嫌に逆った時は、必ず人をもって詫を入れるのが世間である。女王の逆鱗は鍋、釜、味噌漉の御供物では直せない。役にも立たぬ五重の塔を霞のうちに腫物のように安置しなければならぬ。 「五重の塔はそれっきりよ。五重の塔がどうするものですかね」  藤尾の眉はぴくりと動いた。糸子は泣きたくなる。 「御気に障ったの――私が悪るかったわ。本当に五重の塔は面白いのよ。御世辞じゃない事よ」  針鼠は撫でれば撫でるほど針を立てる。小野さんは、破裂せぬ前にどうかしなければならぬ。  五重の塔を持ち出せばなお怒られる。琴の音は自分に取って禁物である。小野さんはどうして調停したら好かろうかと考えた。話が京都を離れれば自分には好都合だが、むやみに縁のない離し方をすると、糸子さん同様に軽蔑を招く。向うの話題に着いて廻って、しかも自分に苦痛のないように発展させなければならぬ。銀時計の手際ではちとむずかし過ぎるようだ。 「小野さん、あなたには分るでしょう」と藤尾の方から切って出る。糸子は分らず屋として取り除けられた。女二人を調停するのは眼の前に快からぬ言葉の果し合を見るのが厭だからである。文錦やさしき眉に切り結ぶ火花の相手が、相手にならぬと見下げられれば、手を出す必要はない。取除者を仲間に入れてやる親切は、取除者の方で、うるさく絡ってくる時に限る。おとなしくさえしていれば、取り除けられようが、見下げられようが、当分自分の利害には関係せぬ。小野さんは糸子を眼中に置く必要がなくなった。切って出た藤尾にさえ調子を合せていれば間違はない。 「分りますとも。――詩の命は事実より確かです。しかしそう云う事が分らない人が世間にはだいぶありますね」と云った。小野さんは糸子を軽蔑する料簡ではない、ただ藤尾の御機嫌に重きを置いたまでである。しかもその答は真理である。ただ弱いものにつらく当る真理である。小野さんは詩のために愛のためにそのくらいの犠牲をあえてする。道義は弱いものの頭に耀かず、糸子は心細い気がした。藤尾の方はようやく胸が隙く。 「それじゃ、その続をあなたに話して見ましょうか」  人を呪わば穴二つと云う。小野さんは是非共ええと答えなければならぬ。 「ええ」 「二階の下に飛石が三つばかり筋違に見えて、その先に井桁があって、小米桜が擦れ擦れに咲いていて、釣瓶が触るとほろほろ、井戸の中へこぼれそうなんです。……」  糸子は黙って聴いている。小野さんも黙って聴いている。花曇りの空がだんだん擦り落ちて来る。重い雲がかさなり合って、弥生をどんよりと抑えつける。昼はしだいに暗くなる。戸袋を五尺離れて、袖垣のはずれに幣辛夷の花が怪しい色を併べて立っている。木立に透かしてよく見ると、折々は二筋、三筋雨の糸が途切れ途切れに映る。斜めにすうと見えたかと思うと、はや消える。空の中から降るとは受け取れぬ、地の上に落つるとはなおさら思えぬ。糸の命はわずかに尺余りである。  居は気を移す。藤尾の想像は空と共に濃かになる。 「小米桜を二階の欄干から御覧になった事があって」と云う。 「まだ、ありません」 「雨の降る日に。――おや少し降って来たようですね」と庭の方を見る。空はなおさら暗くなる。 「それからね。――小米桜の後ろは建仁寺の垣根で、垣根の向うで琴の音がするんです」  琴はいよいよ出て来た。糸子はなるほどと思う。小野さんはこれはと思う。 「二階の欄干から、見下すと隣家の庭がすっかり見えるんです。――ついでにその庭の作りも話しましょうか。ホホホホ」と藤尾は高く笑った。冷たい糸が辛夷の花をきらりと掠める。 「ホホホホ御厭なの――何だか暗くなって来た事。花曇りが化け出しそうね」  そこまで近寄って来た暗い雲は、そろそろ細い糸に変化する。すいと木立を横ぎった、あとから直すいと追懸けて来る。見ているうちにすいすいと幾本もいっしょに通って行く。雨はようやく繁くなる。 「おや本降になりそうだ事」 「私失礼するわ、降って来たから。御話し中で失礼だけれども。大変面白かったわ」  糸子は立ち上がる。話しは春雨と共に崩れた。         七  燐寸を擦る事|一寸にして火は闇に入る。幾段の彩錦を捲り終れば無地の境をなす。春興は二人の青年に尽きた。狐の袖無を着て天下を行くものは、日記を懐にして百年の憂を抱くものと共に帰程に上る。  古き寺、古き社、神の森、仏の丘を掩うて、いそぐ事を解せぬ京の日はようやく暮れた。倦怠るい夕べである。消えて行くすべてのものの上に、星ばかり取り残されて、それすらも判然とは映らぬ。瞬くも嬾き空の中にどろんと溶けて行こうとする。過去はこの眠れる奥から動き出す。  一人の一生には百の世界がある。ある時は土の世界に入り、ある時は風の世界に動く。またある時は血の世界に腥き雨を浴びる。一人の世界を方寸に纏めたる団子と、他の清濁を混じたる団子と、層々|相連って千人に千個の実世界を活現する。個々の世界は個々の中心を因果の交叉点に据えて分相応の円周を右に劃し左に劃す。怒の中心より画き去る円は飛ぶがごとくに速かに、恋の中心より振り来る円周は※の痕を空裏に焼く。あるものは道義の糸を引いて動き、あるものは奸譎の圜をほのめかして回る。縦横に、前後に、上下四方に、乱れ飛ぶ世界と世界が喰い違うとき秦越の客ここに舟を同じゅうす。甲野さんと宗近君は、三春行楽の興尽きて東に帰る。孤堂先生と小夜子は、眠れる過去を振り起して東に行く。二個の別世界は八時発の夜汽車で端なくも喰い違った。  わが世界とわが世界と喰い違うとき腹を切る事がある。自滅する事がある。わが世界と他の世界と喰い違うとき二つながら崩れる事がある。破けて飛ぶ事がある。あるいは発矢と熱を曳いて無極のうちに物別れとなる事がある。凄まじき喰い違い方が生涯に一度起るならば、われは幕引く舞台に立つ事なくして自からなる悲劇の主人公である。天より賜わる性格はこの時始めて第一義において躍動する。八時発の夜汽車で喰い違った世界はさほどに猛烈なものではない。しかしただ逢うてただ別れる袖だけの縁ならば、星深き春の夜を、名さえ寂びたる七条に、さして喰い違うほどの必要もあるまい。小説は自然を彫琢する。自然その物は小説にはならぬ。  二個の世界は絶えざるがごとく、続かざるがごとく、夢のごとく幻のごとく、二百里の長き車のうちに喰い違った。二百里の長き車は、牛を乗せようか、馬を乗せようか、いかなる人の運命をいかに東の方に搬び去ろうか、さらに無頓着である。世を畏れぬ鉄輪をごとりと転す。あとは驀地に闇を衝く。離れて合うを待ち佗び顔なるを、行いて帰るを快からぬを、旅に馴れて徂徠を意とせざるを、一様に束ねて、ことごとく土偶のごとくに遇待うとする。夜こそ見えね、熾んに黒煙を吐きつつある。  眠る夜を、生けるものは、提灯の火に、皆七条に向って動いて来る。梶棒が下りるとき黒い影が急に明かるくなって、待合に入る。黒い影は暗いなかから続々と現われて出る。場内は生きた黒い影で埋まってしまう。残る京都は定めて静かだろうと思われる。  京の活動を七条の一点にあつめて、あつめたる活動の千と二千の世界を、十把一束に夜明までに、あかるい東京へ推し出そうために、汽車はしきりに煙を吐きつつある。黒い影はなだれ始めた。――一団の塊まりはばらばらに解れて点となる。点は右へと左へと動く。しばらくすると、無敵な音を立てて車輛の戸をはたはたと締めて行く。忽然としてプラットフォームは、在る人を掃いて捨てたようにがらんと広くなる。大きな時計ばかりが窓の中から眼につく。すると口笛が遥かの後ろで鳴った。車はごとりと動く。互の世界がいかなる関係に織り成さるるかを知らぬ気に、闇の中を鼻で行く、甲野さんは、宗近君は、孤堂先生は、可憐なる小夜子は、同じくこの車に乗っている。知らぬ車はごとりごとりと廻転する。知らぬ四人は、四様の世界を喰い違わせながら暗い夜の中に入る。 「だいぶ込み合うな」と甲野さんは室内を見廻わしながら云う。 「うん、京都の人間はこの汽車でみんな博覧会見物に行くんだろう。よっぽど乗ったね」 「そうさ、待合所が黒山のようだった」 「京都は淋しいだろう。今頃は」 「ハハハハ本当に。実に閑静な所だ」 「あんな所にいるものでも動くから不思議だ。あれでもやっぱりいろいろな用事があるんだろうな」 「いくら閑静でも生れるものと死ぬものはあるだろう」と甲野さんは左の膝を右の上へ乗せた。 「ハハハハ生れて死ぬのが用事か。蔦屋の隣家に住んでる親子なんか、まあそんな連中だね。随分ひっそり暮してるぜ。かたりともしない。あれで東京へ行くと云うから不思議だ」 「博覧会でも見に行くんだろう」 「いえ、家を畳んで引っ越すんだそうだ」 「へええ。いつ」 「いつか知らない。そこまでは下女に聞いて見なかった」 「あの娘もいずれ嫁に行く事だろうな」と甲野さんは独り言のように云う。 「ハハハハ行くだろう」と宗近君は頭陀袋を棚へ上げた腰を卸しながら笑う。相手は半分顔を背けて硝子越に窓の外を透して見る。外はただ暗いばかりである。汽車は遠慮もなく暗いなかを突切って行く。轟と云う音のみする。人間は無能力である。 「随分早いね。何|哩くらいの速力か知らん」と宗近君が席の上へ胡坐をかきながら云う。 「どのくらい早いか外が真暗でちっとも分らん」 「外が暗くったって、早いじゃないか」 「比較するものが見えないから分らないよ」 「見えなくったって、早いさ」 「君には分るのか」 「うん、ちゃんと分る」と宗近君は威張って胡坐をかき直す。話しはまた途切れる。汽車は速度を増して行く。向の棚に載せた誰やらの帽子が、傾いたまま、山高の頂を顫わせている。給仕が時々室内を抜ける。大抵の乗客は向い合せに顔と顔を見守っている。 「どうしても早いよ。おい」と宗近君はまた話しかける。甲野さんは半分眼を眠っていた。 「ええ?」 「どうしてもね、――早いよ」 「そうか」 「うん。そうら――早いだろう」  汽車は轟と走る。甲野さんはにやりと笑ったのみである。 「急行列車は心持ちがいい。これでなくっちゃ乗ったような気がしない」 「また夢窓国師より上等じゃないか」 「ハハハハ第一義に活動しているね」 「京都の電車とは大違だろう」 「京都の電車か? あいつは降参だ。全然第十義以下だ。あれで運転しているから不思議だ」 「乗る人があるからさ」 「乗る人があるからって――余りだ。あれで布設したのは世界一だそうだぜ」 「そうでもないだろう。世界一にしちゃあ幼稚過ぎる」 「ところが布設したのが世界一なら、進歩しない事も世界一だそうだ」 「ハハハハ京都には調和している」 「そうだ。あれは電車の名所古蹟だね。電車の金閣寺だ。元来十年一日のごとしと云うのは賞める時の言葉なんだがな」 「千里の江陵一日に還るなんと云う句もあるじゃないか」 「一百里程塁壁の間さ」 「そりゃ西郷隆盛だ」 「そうか、どうもおかしいと思ったよ」  甲野さんは返事を見合せて口を緘じた。会話はまた途切れる。汽車は例によって轟と走る。二人の世界はしばらく闇の中に揺られながら消えて行く。同時に、残る二人の世界が、細長い夜を糸のごとく照らして動く電灯の下にあらわれて来る。  色白く、傾く月の影に生れて小夜と云う。母なきを、つづまやかに暮らす親一人子一人の京の住居に、盂蘭盆の灯籠を掛けてより五遍になる。今年の秋は久し振で、亡き母の精霊を、東京の苧殻で迎える事と、長袖の右左に開くなかから、白い手を尋常に重ねている。物の憐れは小さき人の肩にあつまる。乗し掛る怒は、撫で下す絹しなやかに情の裾に滑り込む。  紫に驕るものは招く、黄に深く情濃きものは追う。東西の春は二百里の鉄路に連なるを、願の糸の一筋に、恋こそ誠なれと、髪に掛けたる丈長を顫わせながら、長き夜を縫うて走る。古き五年は夢である。ただ滴たる絵筆の勢に、うやむやを貫いて赫と染めつけられた昔の夢は、深く記憶の底に透って、当時を裏返す折々にさえ鮮かに煮染んで見える。小夜子の夢は命よりも明かである。小夜子はこの明かなる夢を、春寒の懐に暖めつつ、黒く動く一条の車に載せて東に行く。車は夢を載せたままひたすらに、ただ東へと走る。夢を携えたる人は、落すまじと、ひしと燃ゆるものを抱きしめて行く。車は無二無三に走る。野には緑りを衝き、山には雲を衝き、星あるほどの夜には星を衝いて走る。夢を抱く人は、抱きながら、走りながら、明かなる夢を暗闇の遠きより切り放して、現実の前に抛げ出さんとしつつある。車の走るごとに夢と現実の間は近づいてくる。小夜子の旅は明かなる夢と明かなる現実がはたと行き逢うて区別なき境に至ってやむ。夜はまだ深い。  隣りに腰を掛けた孤堂先生はさほどに大事な夢を持っておらぬ。日ごとに※の下に白くなる疎髯を握っては昔しを思い出そうとする。昔しは二十年の奥に引き籠って容易には出て来ない。漠々たる紅塵のなかに何やら動いている。人か犬か木か草かそれすらも判然せぬ。人の過去は人と犬と木と草との区別がつかぬようになって始めて真の過去となる。恋々たるわれを、つれなく見捨て去る当時に未練があればあるほど、人も犬も草も木もめちゃくちゃである。孤堂先生は胡麻塩交りの髯をぐいと引いた」 「御前が京都へ来たのは幾歳の時だったかな」 「学校を廃めてから、すぐですから、ちょうど十六の春でしょう」 「すると、今年で何だね、……」 「五年目です」 「そう五年になるね。早いものだ、ついこの間のように思っていたが」とまた髯を引っ張った。 「来た時に嵐山へ連れていっていただいたでしょう。御母さんといっしょに」 「そうそう、あの時は花がまだ早過ぎたね。あの時分から思うと嵐山もだいぶ変ったよ。名物の団子もまだできなかったようだ」 「いえ御団子はありましたわ。そら三軒茶屋の傍で喫べたじゃありませんか」 「そうかね。よく覚えていないよ」 「ほら、小野さんが青いのばかり食べるって、御笑いなすったじゃありませんか」 「なるほどあの時分は小野がいたね。御母さんも丈夫だったがな。ああ早く亡くなろうとは思わなかったよ。人間ほど分らんものはない。小野もそれからだいぶ変ったろう。何しろ五年も逢わないんだから……」 「でも御丈夫だから結構ですわ」 「そうさ。京都へ来てから大変丈夫になった。来たては随分|蒼い顔をしてね、そうして何だか始終おどおどしていたようだが、馴れるとだんだん平気になって……」 「性質が柔和いんですよ」 「柔和いんだよ。柔和過ぎるよ。――でも卒業の成績が優等で銀時計をちょうだいして、まあ結構だ。――人の世話はするもんだね。ああ云う性質の好い男でも、あのまま放って置けばそれぎり、どこへどう這入ってしまうか分らない」 「本当にね」  明かなる夢は輪を描いて胸のうちに回り出す。死したる夢ではない。五年の底から浮き刻りの深き記憶を離れて、咫尺に飛び上がって来る。女はただ眸を凝らして眼前に逼る夢の、明らかに過ぐるほどの光景を右から、左から、前後上下から見る。夢を見るに心を奪われたる人は、老いたる親の髯を忘れる。小夜子は口をきかなくなった。 「小野は新橋まで迎にくるだろうね」 「いらっしゃるでしょうとも」  夢は再び躍る。躍るなと抑えたるまま、夜を込めて揺られながらに、暗きうちを駛ける。老人は髯から手を放す。やがて眼を眠る。人も犬も草も木も判然と映らぬ古き世界には、いつとなく黒い幕が下りる。小さき胸に躍りつつ、転りつつ、抑えられつつ走る世界は、闇を照らして火のごとく明かである。小夜子はこの明かなる世界を抱いて眠についた。  長い車は包む夜を押し分けて、やらじと逆う風を打つ。追い懸くる冥府の神を、力ある尾に敲いて、ようやくに抜け出でたる暁の国の青く煙る向うが一面に競り上がって来る。茫々たる原野の自から尽きず、しだいに天に逼って上へ上へと限りなきを怪しみながら、消え残る夢を排して、眼を半天に走らす時、日輪の世は明けた。  神の代を空に鳴く金鶏の、翼五百里なるを一時に搏して、漲ぎる雲を下界に披く大虚の真中に、朗に浮き出す万古の雪は、末広になだれて、八州の野を圧する勢を、左右に展開しつつ、蒼茫の裡に、腰から下を埋めている。白きは空を見よがしに貫ぬく。白きものの一段を尽くせば、紫の襞と藍の襞とを斜めに畳んで、白き地を不規則なる幾条に裂いて行く。見上ぐる人は這う雲の影を沿うて、蒼暗き裾野から、藍、紫の深きを稲妻に縫いつつ、最上の純白に至って、豁然として眼が醒める。白きものは明るき世界にすべての乗客を誘う。 「おい富士が見える」と宗近君が座を滑り下りながら、窓をはたりと卸す。広い裾野から朝風がすうと吹き込んでくる。 「うん。さっきから見えている」と甲野さんは駱駝の毛布を頭から被ったまま、存外冷淡である。 「そうか、寝なかったのか」 「少しは寝た」 「何だ、そんなものを頭から被って……」 「寒い」と甲野さんは膝掛の中で答えた。 「僕は腹が減った。まだ飯は食わさないだろうか」 「飯を食う前に顔を洗わなくっちゃ……」 「ごもっともだ。ごもっともな事ばかり云う男だ。ちっと富士でも見るがいい」 「叡山よりいいよ」 「叡山? 何だ叡山なんか、たかが京都の山だ」 「大変|軽蔑するね」 「ふふん。――どうだい、あの雄大な事は。人間もああ来なくっちゃあ駄目だ」 「君にはああ落ちついちゃいられないよ」 「保津川が関の山か。保津川でも君より上等だ。君なんぞは京都の電車ぐらいなところだ」 「京都の電車はあれでも動くからいい」 「君は全く動かないか。ハハハハ。さあ駱駝を払い退けて動いた」と宗近君は頭陀袋を棚から取り卸す。室のなかはざわついてくる。明かるい世界へ馳け抜けた汽車は沼津で息を入れる。――顔を洗う。  窓から肉の落ちた顔が半分出る。疎髯を一本ごとにあるいは黒くあるいは白く朝風に吹かして 「おい弁当を二つくれ」と云う。孤堂先生は右の手に若干の銀貨を握って、へぎ折を取る左と引き換に出す。御茶は部屋のなかで娘が注いでいる。 「どうだね」と折の蓋を取ると白い飯粒が裏へ着いてくる。なかには長芋の白茶に寝転んでいる傍らに、一片の玉子焼が黄色く圧し潰されようとして、苦し紛れに首だけ飯の境に突き込んでいる。 「まだ、食べたくないの」と小夜子は箸を執らずに折ごと下へ置く。 「やあ」と先生は茶碗を娘から受取って、膝の上の折に突き立てた箸を眺めながら、ぐっと飲む。 「もう直ですね」 「ああ、もう訳はない」と長芋が髯の方へ動き出した。 「今日はいい御天気ですよ」 「ああ天気で仕合せだ。富士が奇麗に見えたね」と長芋が髯から折のなかへ這入る。 「小野さんは宿を捜がして置いて下すったでしょうか」 「うん。捜が――捜がしたに違ない」と先生の口が、喫飯と返事を兼勤する。食事はしばらく継続する。 「さあ食堂へ行こう」と宗近君が隣りの車室で米沢絣の襟を掻き合せる。背広の甲野さんは、ひょろ長く立ち上がった。通り道に転がっている手提革鞄を跨いだ時、甲野さんは振り返って 「おい、蹴爪ずくと危ない」と注意した。  硝子戸を押し開けて、隣りの車室へ足を踏み込んだ甲野さんは、真直に抜ける気で、中途まで来た時、宗近君が後ろから、ぐいと背広の尻を引っ張った。 「御飯が少し冷えてますね」 「冷えてるのはいいが、硬過ぎてね。――阿爺のように年を取ると、どうも硬いのは胸に痞えていけないよ」 「御茶でも上がったら……注ぎましょうか」  青年は無言のまま食堂へ抜けた。  日ごと夜ごとを入り乱れて、尽十方に飛び交わす小世界の、普ねく天涯を行き尽して、しかも尽くる期なしと思わるるなかに、絹糸の細きを厭わず植えつけし蚕の卵の並べるごとくに、四人の小宇宙は、心なき汽車のうちに行く夜半を背中合せの知らぬ顔に並べられた。星の世は掃き落されて、大空の皮を奇麗に剥ぎ取った白日の、隠すなかれと立ち上る窓の中に、四人の小宇宙は偶を作って、ここぞと互に擦れ違った。擦れ違って通り越した二個の小宇宙は今白い卓布を挟んでハムエクスを平げつつある。 「おいいたぜ」と宗近君が云う。 「うんいた」と甲野さんは献立表を眺めながら答える。 「いよいよ東京へ行くと見える。昨夕京都の停車場では逢わなかったようだね」 「いいや、ちっとも気がつかなかった」 「隣りに乗ってるとは僕も知らなかった。――どうも善く逢うね」 「少し逢い過ぎるよ。――このハムはまるで膏ばかりだ。君のも同様かい」 「まあ似たもんだ。君と僕の違ぐらいなところかな」と宗近君は肉刺を逆にして大きな切身を口へ突き込む。 「御互に豚をもって自任しているのかなあ」と甲野さんは、少々|情けなさそうに白い膏味を頬張る。 「豚でもいいが、どうも不思議だよ」 「猶太人は豚を食わんそうだね」と甲野さんは突然超然たる事を云う。 「猶太人はともかくも、あの女がさ。少し不思議だよ」 「あんまり逢うからかい」 「うん。――給仕紅茶を持って来い」 「僕はコフィーを飲む。この豚は駄目だ」と甲野さんはまた女を外してしまう。 「これで何遍逢うかな。一遍、二遍、三遍と何でも三遍ばかり逢うぜ」 「小説なら、これが縁になって事件が発展するところだね。これだけでまあ無事らしいから……」と云ったなり甲野さんはコフィーをぐいと飲む。 「これだけで無事らしいから御互に豚なんだろう。ハハハハ。――しかし何とも云われない。君があの女に懸想して……」 「そうさ」と甲野さん、相手の文句を途中で消してしまった。 「それでなくっても、このくらい逢うくらいだからこの先、どう関係がつかないとも限らない」 「君とかい」 「なにさ、そんな関係じゃないほかの関係さ。情交以外の関係だよ」 「そう」と甲野さんは、左の手で顎を支えながら、右に持ったコフィー茶碗を鼻の先に据えたままぼんやり向うを見ている。 「蜜柑が食いたい」と宗近君が云う。甲野さんは黙っている。やがて 「あの女は嫁にでも行くんだろうか」と毫も心配にならない気色で云う。 「ハハハハ。聞いてやろうか」と挨拶も聞く料簡はなさそうである。 「嫁か? そんなに嫁に行きたいものかな」 「だからさ、そりゃ聞いて見なけりゃあ分からないよ」 「君の妹なんぞは、どうだ。やっぱり行きたいようかね」と甲野さんは妙な事を真面目に聞き出した。 「糸公か。あいつは、から赤児だね。しかし兄思いだよ。狐の袖無を縫ってくれたり、なんかしてね。あいつは、あれで裁縫が上手なんだぜ。どうだ肱突でも造えてもらってやろうか」 「そうさな」 「いらないか」 「うん、いらん事もないが……」  肱突は不得要領に終って、二人は食卓を立った。孤堂先生の車室を通り抜けた時、先生は顔の前に朝日新聞を一面に拡げて、小夜子は小さい口に、玉子焼をすくい込んでいた。四個の小世界はそれぞれに活動して、二たたび列車のなかに擦れ違ったまま、互の運命を自家の未来に危ぶむがごとく、また怪しまざるがごとく、測るべからざる明日の世界を擁して新橋の停車場に着く。 「さっき馳けて行ったのは小野じゃなかったか」と停車場を出る時、宗近君が聞いて見る。 「そうか。僕は気がつかなかったが」と甲野さんは答えた。  四個の小世界は、停車場に突き当って、しばらく、ばらばらとなる。         八  一本の浅葱桜が夕暮を庭に曇る。拭き込んだ椽は、立て切った障子の外に静かである。うちは小形の長火鉢に手取形の鉄瓶を沸らして前には絞り羽二重の座布団を敷く。布団の上には甲野の母が品よく座っている。きりりと釣り上げた眼尻の尽くるあたりに、疳の筋が裏を通って額へ突き抜けているらしい上部を、浅黒く膚理の細かい皮が包んで、外見だけは至極穏やかである。――針を海綿に蔵して、ぐっと握らしめたる後、柔らかき手に膏薬を貼って創口を快よく慰めよ。出来得べくんば唇を血の出る局所に接けて他意なきを示せ。――二十世紀に生れた人はこれだけの事を知らねばならぬ。骨を露わすものは亡ぶと甲野さんがかつて日記に書いた事がある。  静かな椽に足音がする。今|卸したかと思われるほどの白足袋を張り切るばかりに細長い足に見せて、変り色の厚い※の椽に引き擦るを軽く蹴返しながら、障子をすうと開ける。  居住をそのままの母は、濃い眉を半分ほど入口に傾けて、 「おや御這入」と云う。  藤尾は無言で後を締める。母の向に火鉢を隔ててすらりと坐った時、鉄瓶はしきりに鳴る。  母は藤尾の顔を見る。藤尾は火鉢の横に二つ折に畳んである新聞を俯目に眺める。――鉄瓶は依然として鳴る。  口多き時に真少なし。鉄瓶の鳴るに任せて、いたずらに差し向う親と子に、椽は静かである。浅葱桜は夕暮を誘いつつある。春は逝きつつある。  藤尾はやがて顔を上げた。 「帰って来たのね」  親、子の眼は、はたと行き合った。真は一瞥に籠る。熱に堪えざる時は骨を露わす。 「ふん」  長煙管に煙草の殻を丁とはたく音がする。 「どうする気なんでしょう」 「どうする気か、彼人の料簡ばかりは御母さんにも分らないね」  雲井の煙は会釈なく、骨の高い鼻の穴から吹き出す。 「帰って来ても同じ事ですね」 「同じ事さ。生涯あれなんだよ」  御母さんの疳の筋は裏から表へ浮き上がって来た。 「家を襲ぐのがあんなに厭なんでしょうか」 「なあに、口だけさ。それだから悪いんだよ。あんな事を云って私達に当付けるつもりなんだから……本当に財産も何も入らないなら自分で何かしたら、善いじゃないか。毎日毎日ぐずぐずして、卒業してから今日までもう二年にもなるのに。いくら哲学だって自分一人ぐらいどうにかなるにきまっていらあね。煮え切らないっちゃありゃしない。彼人の顔を見るたんびに阿母は疳癪が起ってね。……」 「遠廻しに云う事はちっとも通じないようね」 「なに、通じても、不知を切ってるんだよ」 「憎らしいわね」 「本当に。彼人がどうかしてくれないうちは、御前の方をどうにもする事が出来ない。……」  藤尾は返事を控えた。恋はすべての罪悪を孕む。返事を控えたうちには、あらゆるものを犠牲に供するの決心がある。母は続ける。 「御前も今年で二十四じゃないか。二十四になって片付かないものが滅多にあるものかね。――それを、嫁にやろうかと相談すれば、御廃しなさい、阿母さんの世話は藤尾にさせたいからと云うし、そんなら独立するだけの仕事でもするかと思えば、毎日部屋のなかへ閉じ籠って寝転んでるしさ。――そうして他人には財産を藤尾にやって自分は流浪するつもりだなんて云うんだよ。さもこっちが邪魔にして追い出しにでもかかってるようで見っともないじゃないか」 「どこへ行って、そんな事を云ったんです」 「宗近の阿爺の所へ行った時、そう云ったとさ」 「よっぽど男らしくない性質ですね。それより早く糸子さんでも貰ってしまったら好いでしょうに」 「全体貰う気があるのかね」 「兄さんの料簡はとても分りませんわ。しかし糸子さんは兄さんの所へ来たがってるんですよ」  母は鳴る鉄瓶を卸して、炭取を取り上げた。隙間なく渋の洩れた劈痕焼に、二筋三筋|藍を流す波を描いて、真白な桜を気ままに散らした、薩摩の急須の中には、緑りを細く綯り込んだ宇治の葉が、午の湯に腐やけたまま、ひたひたに重なり合うて冷えている。 「御茶でも入れようかね」 「いいえ」と藤尾は疾く抜け出した香のなお余りあるを、急須と同じ色の茶碗のなかに畳み込む。黄な流れの底を敲くほどは、さほどとも思えぬが、縁に近くようやく色を増して、濃き水は泡を面に片寄せて動かずなる。  母は掻き馴らしたる灰の盛り上りたるなかに、佐倉炭の白き残骸の完きを毀ちて、心に潜む赤きものを片寄せる。温もる穴の崩れたる中には、黒く輪切の正しきを択んで、ぴちぴちと活ける。――室内の春光は飽くまでも二人の母子に穏かである。  この作者は趣なき会話を嫌う。猜疑不和の暗き世界に、一点の精彩を着せざる毒舌は、美しき筆に、心地よき春を紙に流す詩人の風流ではない。閑花素琴の春を司どる人の歌めく天が下に住まずして、半滴の気韻だに帯びざる野卑の言語を臚列するとき、毫端に泥を含んで双手に筆を運らしがたき心地がする。宇治の茶と、薩摩の急須と、佐倉の切り炭を描くは瞬時の閑を偸んで、一弾指頭に脱離の安慰を読者に与うるの方便である。ただし地球は昔しより廻転する。明暗は昼夜を捨てぬ。嬉しからぬ親子の半面を最も簡短に叙するはこの作者の切なき義務である。茶を品し、炭を写したる筆は再び二人の対話に戻らねばならぬ。二人の対話は少なくとも前段より趣がなくてはならぬ。 「宗近と云えば、一もよっぽど剽軽者だね。学問も何にも出来ない癖に大きな事ばかり云って、――あれで当人は立派にえらい気なんだよ」  厩と鳥屋といっしょにあった。牝鶏の馬を評する語に、――あれは鶏鳴をつくる事も、鶏卵を生む事も知らぬとあったそうだ。もっともである。 「外交官の試験に落第したって、ちっとも恥ずかしがらないんですよ。普通のものなら、もう少し奮発する訳ですがねえ」 「鉄砲玉だよ」  意味は分からない。ただ思い切った評である。藤尾は滑らかな頬に波を打たして、にやりと笑った。藤尾は詩を解する女である。駄菓子の鉄砲玉は黒砂糖を丸めて造る。砲兵工廠の鉄砲玉は鉛を鎔かして鋳る。いずれにしても鉄砲玉は鉄砲玉である。そうして母は飽くまでも真面目である。母には娘の笑った意味が分からない。 「御前はあの人をどう思ってるの」  娘の笑は、端なくも母の疑問を起す。子を知るは親に若かずと云う。それは違っている。御互に喰い違っておらぬ世界の事は親といえども唐、天竺である。 「どう思ってるって……別にどうも思ってやしません」  母は鋭どき眉の下から、娘を屹と見た。意味は藤尾にちゃんと分っている。相手を知るものは騒がず。藤尾はわざと落ちつき払って母の切って出るのを待つ。掛引は親子の間にもある。 「御前あすこへ行く気があるのかい」 「宗近へですか」と聞き直す。念を押すのは満を引いて始めて放つための下拵と見える。 「ああ」と母は軽く答えた。 「いやですわ」 「いやかい」 「いやかいって、……あんな趣味のない人」と藤尾はすぱりと句を切った。筍を輪切りにすると、こんな風になる。張のある眉に風を起して、これぎりでたくさんだと締切った口元になお籠る何物かがちょっと閃いてすぐ消えた。母は相槌を打つ。 「あんな見込のない人は、私も好かない」  趣味のないのと見込のないのとは別物である。鍛冶の頭はかんと打ち、相槌はとんと打つ。されども打たるるは同じ剣である。 「いっそ、ここで、判然断わろう」 「断わるって、約束でもあるんですか」 「約束? 約束はありません。けれども阿爺が、あの金時計を一にやると御言いのだよ」 「それが、どうしたんです」 「御前が、あの時計を玩具にして、赤い珠ばかり、いじっていた事があるもんだから……」 「それで」 「それでね――この時計と藤尾とは縁の深い時計だがこれを御前にやろう。しかし今はやらない。卒業したらやる。しかし藤尾が欲しがって繰っ着いて行くかも知れないが、それでも好いかって、冗談半分に皆の前で一におっしゃったんだよ」 「それを今だに謎だと思ってるんですか」 「宗近の阿爺の口占ではどうもそうらしいよ」 「馬鹿らしい」  藤尾は鋭どい一句を長火鉢の角に敲きつけた。反響はすぐ起る。 「馬鹿らしいのさ」 「あの時計は私が貰いますよ」 「まだ御前の部屋にあるかい」 「文庫のなかに、ちゃんとしまってあります」 「そう。そんなに欲しいのかい。だって御前には持てないじゃないか」 「いいから下さい」  鎖の先に燃える柘榴石は、蒔絵の蘆雁を高く置いた手文庫の底から、怪しき光りを放って藤尾を招く。藤尾はすうと立った。朧とも化けぬ浅葱桜が、暮近く消えて行くべき昼の命を、今|少時と護る椽に、抜け出した高い姿が、振り向きながら、瘠面の影になった半面を、障子のうちに傾けて 「あの時計は小野さんに上げても好いでしょうね」 と云う。障子のうちの返事は聞えず。――春は母と子に暮れた。  同時に豊かな灯が宗近家の座敷に点る。静かなる夜を陽に返す洋灯の笠に白き光りをゆかしく罩めて、唐草を一面に高く敲き出した白銅の油壺が晴がましくも宵に曇らぬ色を誇る。灯火の照らす限りは顔ごとに賑やかである。 「アハハハハ」と云う声がまず起る。この灯火の周囲に起るすべての談話はアハハハハをもって始まるを恰好と思う。 「それじゃ相輪※も見ないだろう」と大きな声を出す。声の主は老人である。色の好い頬の肉が双方から垂れ余って、抑えられた顎はやむを得ず二重に折れている。頭はだいぶ禿げかかった。これを時々|撫でる。宗近の父は頭を撫で禿がしてしまった。 「相輪※た何ですか」と宗近君は阿爺の前で変則の胡坐をかいている。 「アハハハハそれじゃ叡山へ何しに登ったか分からない」 「そんなものは通り路に見当らなかったようだね、甲野さん」  甲野さんは茶碗を前に、くすんだ万筋の前を合して、黒い羽織の襟を正しく坐っている。甲野さんが問い懸けられた時、※然な糸子の顔は揺いた。 「相輪※はなかったようだね」と甲野さんは手を膝の上に置いたままである。 「通り路にないって……まあどこから登ったか知らないが――吉田かい」 「甲野さん、あれは何と云う所かね。僕らの登ったのは」 「何と云う所か知ら」 「阿爺何でも一本橋を渡ったんですよ」 「一本橋を?」 「ええ、――一本橋を渡ったな、君、――もう少し行くと若狭の国へ出る所だそうです」 「そう早く若狭へ出るものか」と甲野さんはたちまち前言を取り消した。 「だって君が、そう云ったじゃないか」 「それは冗談さ」 「アハハハハ若狭へ出ちゃ大変だ」と老人は大いに愉快そうである。糸子も丸顔に二重瞼の波を寄せた。 「一体御前方はただ歩行くばかりで飛脚同然だからいけない。――叡山には東塔、西塔、横川とあって、その三ヵ所を毎日往来してそれを修業にしている人もあるくらい広い所だ。ただ登って下りるだけならどこの山へ登ったって同じ事じゃないか」 「なに、ただの山のつもりで登ったんです」 「アハハハそれじゃ足の裏へ豆を出しに登ったようなものだ」 「豆はたしかです。豆はそっちの受持です」と笑ながら甲野さんの方を見る。哲学者もむずかしい顔ばかりはしておられぬ。灯火は明かに揺れる。糸子は袖を口へ当てて、崩しかかった笑顔の収まり際に頭を上げながら、眸を豆の受持ち手の方へ動かした。眼を動かさんとするものは、まず顔を動かす。火事場に泥棒を働らくの格である。家庭的の女にもこのくらいな作略はある。素知らぬ顔の甲野さんは、すぐ問題を呈出した。 「御叔父さん、東塔とか西塔とか云うのは何の名ですか」 「やはり延暦寺の区域だね。広い山の中に、あすこに一と塊まり、ここに一と塊まりと坊が集まっているから、まあこれを三つに分けて東塔とか西塔とか云うのだと思えば間違はない」 「まあ、君、大学に、法、医、文とあるようなものだよ」と宗近君は横合から、知ったような口を出す。 「まあ、そうだ」と老人は即座に賛成する。 「東は修羅、西は都に近ければ横川の奥ぞ住みよかりけると云う歌がある通り、横川が一番|淋しい、学問でもするに好い所となっている。――今話した相輪※から五十丁も這入らなければ行かれない」 「どうれで知らずに通った訳だな、君」と宗近君がまた甲野さんに話しかける。甲野さんは何とも云わずに老人の説明を謹聴している。老人は得意に弁ずる。 「そら謡曲の船弁慶にもあるだろう。――かように候ものは、西塔の傍に住居する武蔵坊弁慶にて候――弁慶は西塔におったのだ」 「弁慶は法科にいたんだね。君なんかは横川の文科組なんだ。――阿爺さん叡山の総長は誰ですか」 「総長とは」 「叡山の――つまり叡山を建てた男です」 「開基かい。開基は伝教大師さ」 「あんな所へ寺を建てたって、人泣かせだ、不便で仕方がありゃしない。全体|昔しの男は酔興だよ。ねえ甲野さん」  甲野さんは何だか要領を得ぬ返事を一口した。 「伝教大師は御前、叡山の麓で生れた人だ」 「なるほどそう云えば分った。甲野さん分ったろう」 「何が」 「伝教大師御誕生地と云う棒杭が坂本に建っていましたよ」 「あすこで生れたのさ」 「うん、そうか、甲野さん君も気が着いたろう」 「僕は気が着かなかった」 「豆に気を取られていたからさ」 「アハハハハ」と老人がまた笑う。  観ずるものは見ず。昔しの人は想こそ無上なれと説いた。逝く水は日夜を捨てざるを、いたずらに真と書き、真と書いて、去る波の今書いた真を今|載せて杳然と去るを思わぬが世の常である。堂に法華と云い、石に仏足と云い、※に相輪と云い、院に浄土と云うも、ただ名と年と歴史を記して吾事畢ると思うは屍を抱いて活ける人を髣髴するようなものである。見るは名あるがためではない。観ずるは見るがためではない。太上は形を離れて普遍の念に入る。――甲野さんが叡山に登って叡山を知らぬはこの故である。  過去は死んでいる。大法鼓を鳴らし、大法螺を吹き、大法幢を樹てて王城の鬼門を護りし昔しは知らず、中堂に仏眠りて天蓋に蜘蛛の糸引く古伽藍を、今さらのように桓武天皇の御宇から堀り起して、無用の詮議に、千古の泥を洗い落すは、一日に四十八時間の夜昼ある閑人の所作である。現在は刻をきざんで吾を待つ。有為の天下は眼前に落ち来る。双の腕は風を截って乾坤に鳴る。――これだから宗近君は叡山に登りながら何にも知らぬ。  ただ老人だけは太平である。天下の興廃は叡山|一刹の指揮によって、夜来、日来に面目を新たにするものじゃと思い籠めたように、※々として叡山を説く。説くは固より青年に対する親切から出る。ただ青年は少々迷惑である。 「不便だって、修業のためにわざわざ、ああ云う山を択んで開くのさ。今の大学などはあまり便利な所にあるから、みんな贅沢になって行かん。書生の癖に西洋菓子だの、ホイスキーだのと云って……」  宗近君は妙な顔をして甲野さんを見た。甲野さんは存外|真面目である。 「阿爺叡山の坊主は夜十一時頃から坂本まで蕎麦を食いに行くそうですよ」 「アハハハ真逆」 「なに本当ですよ。ねえ甲野さん。――いくら不便だって食いたいものは食いたいですからね」 「それはのらくら坊主だろう」 「すると僕らはのらくら書生かな」 「御前達はのらくら以上だ」 「僕らは以上でもいいが――坂本までは山道二里ばかりありますぜ」 「あるだろう、そのくらいは」 「それを夜の十一時から下りて、蕎麦を食って、それからまた登るんですからね」 「だから、どうなんだい」 「到底のらくらじゃ出来ない仕事ですよ」 「アハハハハ」と老人は大きな腹を競り出して笑った。洋灯の蓋が喫驚するくらいな声である。 「あれでも昔しは真面目な坊主がいたものでしょうか」と今度は甲野さんがふと思い出したような様子で聞いて見る。 「それは今でもあるよ。真面目なものが世の中に少ないごとく、僧侶にも多くはないが――しかし今だって全く無い事はない。何しろ古い寺だからね。あれは始めは一乗止観院と云って、延暦寺となったのはだいぶ後の事だ。その時分から妙な行があって、十二年間山へ籠り切りに籠るんだそうだがね」 「蕎麦どころじゃありませんね」 「どうして。――何しろ一度も下山しないんだから」 「そう山の中で年ばかり取ってどうする了見かな」 と宗近君が今度は独語のように云う。 「修業するのさ。御前達もそうのらくらしないでちとそんな真似でもするがいい」 「そりゃ駄目ですよ」 「なぜ」 「なぜって。僕は出来ない事もないが、そうした日にゃ、あなたの命令に背く訳になりますからね」 「命令に?」 「だって人の顔を見るたんびに嫁を貰え嫁を貰えとおっしゃるじゃありませんか。これから十二年も山へ籠ったら、嫁を貰う時分にゃ腰が曲がっちまいます」  一座はどっと噴き出した。老人は首を少し上げて頭の禿を逆に撫でる。垂れ懸った頬の肉が顫え落ちそうだ。糸子は俯向いて声を殺したため二重瞼が薄赤くなる。甲野さんの堅い口も解けた。 「いや修業も修業だが嫁も貰わなくちゃあ困る。何しろ二人だから億劫だ。――欽吾さんも、もう貰わなければならんね」 「ええ、そう急には……」  いかにも気の無い返事をする。嫁を貰うくらいなら十二年叡山へでも籠る方が増しであると心のうちに思う。すべてを見逃さぬ糸子の目には欽吾の心がひらりと映った。小さい胸が急に重くなる。 「しかし阿母さんが心配するだろう」  甲野さんは何とも答えなかった。この老人も自分の母を尋常の母と心得ている。世の中に自分の母の心のうちを見抜いたものは一人もない。自分の母を見抜かなければ自分に同情しようはずがない。甲野さんは眇然として天地の間に懸っている。世界滅却の日をただ一人生き残った心持である。 「君がぐずぐずしていると藤尾さんも困るだろう。女は年頃をはずすと、男と違って、片づけるにも骨が折れるからね」  敬うべく愛すべき宗近の父は依然として母と藤尾の味方である。甲野さんは返事のしようがない。 「一にも貰って置かんと、わしも年を取っているから、いつどんな事があるかも知れないからね」  老人は自分の心で、わが母の心を推している。親と云う名が同じでも親と云う心には相違がある。しかし説明は出来ない。 「僕は外交官の試験に落第したから当分駄目ですよ」と宗近が横から口を出した。 「去年は落第さ。今年の結果はまだ分らんだろう」 「ええ、まだ分らんです。ですがね、また落第しそうですよ」 「なぜ」 「やっぱりのらくら以上だからでしょう」 「アハハハハ」  今夕の会話はアハハハハに始まってアハハハハに終った。         九  真葛が原に女郎花が咲いた。すらすらと薄を抜けて、悔ある高き身に、秋風を品よく避けて通す心細さを、秋は時雨て冬になる。茶に、黒に、ちりちりに降る霜に、冬は果てしなく続くなかに、細い命を朝夕に頼み少なく繋なぐ。冬は五年の長きを厭わず。淋しき花は寒い夜を抜け出でて、紅緑に貧を知らぬ春の天下に紛れ込んだ。地に空に春風のわたるほどは物みな燃え立って富貴に色づくを、ひそかなる黄を、一本の細き末にいただいて、住むまじき世に肩身狭く憚かりの呼吸を吹くようである。  今までは珠よりも鮮やかなる夢を抱いていた。真黒闇に据えた金剛石にわが眼を授け、わが身を与え、わが心を託して、その他なる右も左りも気に懸ける暇もなかった。懐に抱く珠の光りを夜に抜いて、二百里の道を遥々と闇の袋より取り出した時、珠は現実の明海に幾分か往昔の輝きを失った。  小夜子は過去の女である。小夜子の抱けるは過去の夢である。過去の女に抱かれたる過去の夢は、現実と二重の関を隔てて逢う瀬はない。たまたまに忍んで来れば犬が吠える。自からも、わが来る所ではないか知らんと思う。懐に抱く夢は、抱くまじき罪を、人目を包む風呂敷に蔵してなおさらに疑を路上に受くるような気がする。  過去へ帰ろうか。水のなかに紛れ込んだ一雫の油は容易に油壺の中へ帰る事は出来ない。いやでも応でも水と共に流れねばならぬ。夢を捨てようか。捨てられるものならば明海へ出ぬうちに捨ててしまう。捨てれば夢の方で飛びついて来る。  自分の世界が二つに割れて、割れた世界が各自に働き出すと苦しい矛盾が起る。多くの小説はこの矛盾を得意に描く。小夜子の世界は新橋の停車場へぶつかった時、劈痕が入った。あとは割れるばかりである。小説はこれから始まる。これから小説を始める人の生活ほど気の毒なものはない。  小野さんも同じ事である。打ち遣った過去は、夢の塵をむくむくと掻き分けて、古ぼけた頭を歴史の芥溜から出す。おやと思う間に、ぬっくと立って歩いて来る。打ち遣った時に、生息の根を留めて置かなかったのが無念であるが、生息は断わりもなく向で吹き返したのだから是非もない。立ち枯れの秋草が気紛の時節を誤って、暖たかき陽炎のちらつくなかに甦えるのは情けない。甦ったものを打ち殺すのは詩人の風流に反する。追いつかれれば労らねば済まぬ。生れてから済まぬ事はただの一度もした事はない。今後とてもする気はない。済まぬ事をせぬように、また自分にも済むように、小野さんはちょっと未来の袖に隠れて見た。紫の匂は強く、近づいて来る過去の幽霊もこれならばと度胸を据えかける途端に小夜子は新橋に着いた。小野さんの世界にも劈痕が入る。作者は小夜子を気の毒に思うごとくに、小野さんをも気の毒に思う。 「阿父は」と小野さんが聞く。 「ちょっと出ました」と小夜子は何となく臆している。引き越して新たに家をなす翌日より、親一人に、子一人に春忙がしき世帯は、蒸れやすき髪に櫛の歯を入れる暇もない。不断着の綿入さえ見すぼらしく詩人の眼に映る。――粧は鏡に向って凝らす、玻璃瓶裏に薔薇の香を浮かして、軽く雲鬟を浸し去る時、琥珀の櫛は条々の翠を解く。――小野さんはすぐ藤尾の事を思い出した。これだから過去は駄目だと心のうちに語るものがある。 「御忙しいでしょう」 「まだ荷物などもそのままにしております……」 「御手伝に出るつもりでしたが、昨日も一昨日も会がありまして……」  日ごとの会に招かるる小野さんはその方面に名を得たる証拠である。しかしどんな方面か、小夜子には想像がつかぬ。ただ己れよりは高過ぎて、とても寄りつけぬ方面だと思う。小夜子は俯向いて、膝に載せた右手の中指に光る金の指輪を見た。――藤尾の指輪とは無論比較にはならぬ。  小野さんは眼を上げて部屋の中を見廻わした。低い天井の白茶けた板の、二た所まで節穴の歴然と見える上、雨漏の染みを侵して、ここかしこと蜘蛛の囲を欺く煤がかたまって黒く釣りを懸けている。左から四本目の桟の中ほどを、杉箸が一本横に貫ぬいて、長い方の端が、思うほど下に曲がっているのは、立ち退いた以前の借主が通す縄に胸を冷やす氷嚢でもぶら下げたものだろう。次の間を立て切る二枚の唐紙は、洋紙に箔を置いて英吉利めいた葵の幾何模様を規則正しく数十個並べている。屋敷らしい縁の黒塗がなおさら卑しい。庭は二た間を貫ぬく椽に沿うて勝手に折れ曲ると云う名のみで、幅は茶献上ほどもない。丈に足らぬ檜が春に用なき、去年の葉を硬く尖らして、瘠せこけて立つ後ろは、腰高塀に隣家の話が手に取るように聞える。  家は小野さんが孤堂先生のために周旋したに相違ない。しかし極めて下卑ている。小野さんは心のうちに厭な住居だと思った。どうせ家を持つならばと思った。袖垣に辛夷を添わせて、松苔を葉蘭の影に畳む上に、切り立ての手拭が春風に揺らつくような所に住んで見たい。――藤尾はあの家を貰うとか聞いた。 「御蔭さまで、好い家が手に入りまして……」と誇る事を知らぬ小夜子は云う。本当に好い家と心得ているなら情けない。ある人に奴鰻を奢ったら、御蔭様で始めて旨い鰻を食べましてと礼を云った。奢った男はそれより以来この人を軽蔑したそうである。  いじらしいのと見縊るのはある場合において一致する。小野さんはたしかに真面目に礼を云った小夜子を見縊った。しかしそのうちに露いじらしいところがあるとは気がつかなかった。紫が祟ったからである。祟があると眼玉が三角になる。 「もっと好い家でないと御気に入るまいと思って、方々尋ねて見たんですが、あいにく恰好なのがなくって……」 と云い懸けると、小夜子は、すぐ、 「いえこれで結構ですわ。父も喜んでおります」と小野さんの言葉を打ち消した。小野さんは吝嗇な事を云うと思った。小夜子は知らぬ。  細い面をちょっと奥へ引いて、上眼に相手の様子を見る。どうしても五年前とは変っている。――眼鏡は金に変っている。久留米絣は背広に変っている。五分刈は光沢のある毛に変っている。――髭は一躍して紳士の域に上る。小野さんは、いつの間にやら黒いものを蓄えている。もとの書生ではない。襟は卸し立てである。飾りには留針さえ肩を動かすたびに光る。鼠の勝った品の好い胴衣の隠袋には――恩賜の時計が這入っている。この上に金時計をとは、小さき胸の小夜子が夢にだも知るはずがない。小野さんは変っている。  五年の間|一日一夜も懐に忘られぬ命より明らかな夢の中なる小野さんはこんな人ではなかった。五年は昔である。西東長短の袂を分かって、離愁を鎖す暮雲に相思の関を塞かれては、逢う事の疎くなりまさるこの年月を、変らぬとのみは思いも寄らぬ。風吹けば変る事と思い、雨降れば変る事と思い、月に花に変る事と思い暮らしていた。しかし、こうは変るまいと念じてプラット・フォームへ下りた。  小野さんの変りかたは過去を順当に延ばして、健気に生い立った阿蒙の変りかたではない。色の褪めた過去を逆に捩じ伏せて、目醒しき現在を、相手が新橋へ着く前の晩に、性急に拵らえ上げたような変りかたである。小夜子には寄りつけぬ。手を延ばしても届きそうにない。変りたくても変られぬ自分が恨めしい気になる。小野さんは自分と遠ざかるために変ったと同然である。  新橋へは迎に来てくれた。車を傭って宿へ案内してくれた。のみならず、忙がしいうちを無理に算段して、蝸牛親子して寝る庵を借りてくれた。小野さんは昔の通り親切である。父も左様に云う。自分もそう思う。しかし寄りつけない。  プラット・フォームを下りるや否や御荷物をと云った。小さい手提の荷にはならず、持って貰うほどでもないのを無理に受取って、膝掛といっしょに先へ行った、刻み足の後ろ姿を見たときに――これはと思った。先へ行くのは、遥々と来た二人を案内するためではなく、時候|後れの親子を追い越して馳け抜けるためのように見える。割符とは瓜二つを取ってつけて較べるための証拠である。天に懸る日よりも貴しと護るわが夢を、五年の長き香洩る「時」の袋から現在に引き出して、よも間違はあるまいと見較べて見ると、現在ははやくも遠くに立ち退いている。握る割符は通用しない。  始めは穴を出でて眩き故と思う。少し慣れたらばと、逝く日を杖に、一度逢い、二度逢い、三度四度と重なるたびに、小野さんはいよいよ丁寧になる。丁寧になるにつけて、小夜子はいよいよ近寄りがたくなる。  やさしく咽喉に滑べり込む長い顎を奥へ引いて、上眼に小野さんの姿を眺めた小夜子は、変る眼鏡を見た。変る髭を見た。変る髪の風と変る装とを見た。すべての変るものを見た時、心の底でそっと嘆息を吐いた。ああ。 「京都の花はどうです。もう遅いでしょう」  小野さんは急に話を京都へ移した。病人を慰めるには病気の話をする。好かぬ昔に飛び込んで、ありがたくほどけ掛けた記憶の綯を逆に戻すは、詩人の同情である。小夜子は急に小野さんと近づいた。 「もう遅いでしょう。立つ前にちょっと嵐山へ参りましたがその時がちょうど八分通りでした」 「そのくらいでしょう、嵐山は早いですから。それは結構でした。どなたとごいっしょに」  花を看る人は星月夜のごとく夥しい。しかしいっしょに行く人は天を限り地を限って父よりほかにない。父でなければ――あとは胸のなかでも名は言わなかった。 「やっぱり阿父とですか」 「ええ」 「面白かったでしょう」と口の先で云う。小夜子はなぜか情けない心持がする。小野さんは出直した。 「嵐山も元とはだいぶ違ったでしょうね」 「ええ。大悲閣の温泉などは立派に普請が出来て……」 「そうですか」 「小督の局の墓がござんしたろう」 「ええ、知っています」 「彼所いらは皆掛茶屋ばかりで大変賑やかになりました」 「毎年俗になるばかりですね。昔の方がよほど好い」  近寄れぬと思った小野さんは、夢の中の小野さんとぱたりと合った。小夜子ははっと思う。 「本当に昔の方が……」と云い掛けて、わざと庭を見る。庭には何にもない。 「私がごいっしょに遊びに行った時分は、そんなに雑沓しませんでしたね」  小野さんはやはり夢の中の小野さんであった。庭を向いた眼は、ちらりと真向に返る。金縁の眼鏡と薄黒い口髭がすぐ眸に映る。相手は依然として過去の人ではない。小夜子はゆかしい昔話の緒の、するすると抜け出しそうな咽喉を抑えて、黙って口をつぐんだ。調子づいて角を曲ろうとする、どっこいと突き当る事がある。品のいい紳士淑女の対話も胸のうちでは始終突き当っている。小野さんはまた口を開く番となる。 「あなたはあの時分と少しも違っていらっしゃいませんね」 「そうでしょうか」と小夜子は相手を諾するような、自分を疑うような、気の乗らない返事をする。変っておりさえすればこんなに心配はしない。変るのは歳ばかりで、いたずらに育った縞柄と、用い古るした琴が恨めしい。琴は蔽のまま床の間に立て掛けてある。 「私はだいぶ変りましたろう」 「見違えるように立派に御成りです事」 「ハハハハそれは恐れ入りますね。まだこれからどしどし変るつもりです。ちょうど嵐山のように……」  小夜子は何と答えていいか分らない。膝に手を置いたまま、下を向いている。小さい耳朶が、行儀よく、鬢の末を潜り抜けて、頬と頸の続目が、暈したように曲線を陰に曳いて去る。見事な画である。惜しい事に真向に座った小野さんには分からない。詩人は感覚美を好む。これほどの肉の上げ具合、これほどの肉の退き具合、これほどの光線に、これほどの色の付き具合は滅多に見られない。小野さんがこの瞬間にこの美しい画を捕えたなら、編み上げの踵を、地に滅り込むほどに回らして、五年の流を逆に過去に向って飛びついたかも知れぬ。惜しい事に小野さんは真向に坐っている。小野さんはただ面白味のない詩趣に乏しい女だと思った。同時に波を打って鼻の先に翻える袖の香が、濃き紫の眉間を掠めてぷんとする。小野さんは急に帰りたくなった。 「また来ましょう」と背広の胸を合せる。 「もう帰る時分ですから」と小さな声で引き留めようとする。 「また来ます。御帰りになったら、どうぞ宜しく」 「あの……」と口籠っている。  相手は腰を浮かしながら、あののあとを待ち兼ねる。早くと急き立てられる気がする。近寄れぬものはますます離れて行く。情ない。 「あの……父が……」  小野さんは、何とも知れず重い気分になる。女はますます切り出し悪くなる。 「また上がります」と立ち上がる。云おうと思う事を聞いてもくれない。離れるものは没義道に離れて行く。未練も会釈もなく離れて行く。玄関から座敷に引き返した小夜子は惘然として、椽に近く坐った。  降らんとして降り損ねた空の奥から幽かな春の光りが、淡き雲に遮ぎられながら一面に照り渡る。長閑かさを抑えつけたる頭の上は、晴るるようで何となく欝陶しい。どこやらで琴の音がする。わが弾くべきは塵も払わず、更紗の小包を二つ並べた間に、袋のままで淋しく壁に持たれている。いつ欝金の掩を除ける事やら。あの曲はだいぶ熟れた手に違ない。片々に抑えて片々に弾く爪の、安らかに幾関の柱を往きつ戻りつして、春を限りと乱るる色は甲斐甲斐しくも豊かである。聞いていると、あの雨をつい昨日のように思う。ちらちらに昼の蛍と竹垣に滴る連※に、朝から降って退屈だと阿父様がおっしゃる。繻子の袖口は手頸に滑りやすい。絹糸を細長く目に貫いたまま、針差の紅をぷつりと刺して立ち上がる。盛り上がる古桐の長い胴に、鮮かに眼を醒ませと、への字に渡す糸の数々を、幾度か抑えて、幾度か撥ねた。曲はたしか小督であった。狂う指の、憂き昼を、くちゃくちゃに揉みこなしたと思う頃、阿父様は御苦労と手ずから御茶を入れて下さった。京は春の、雨の、琴の京である。なかでも琴は京によう似合う。琴の好な自分は、やはり静かな京に住むが分である。古い京から抜けて来た身は、闇を破る烏の、飛び出して見て、そぞろ黒きに驚ろき、舞い戻らんとする夜はからりと明け離れたようなものである。こんな事なら琴の代りに洋琴でも習って置けば善かった。英語も昔のままで、今はおおかた忘れている。阿父は女にそんなものは必要がないとおっしゃる。先の世に住み古るしたる人を便りに、小野さんには、追いつく事も出来ぬように後れてしまった。住み古るした人の世はいずれ長い事はあるまい。古るい人に先だたれ、新らしい人に後れれば、今日を明日と、その日に数る命は、文も理も危い。……  格子ががらりと開く。古の人は帰った。 「今帰ったよ。どうも苛い埃でね」 「風もないのに?」 「風はないが、地面が乾いてるんで――どうも東京と云う所は厭な所だ。京都の方がよっぽどいいね」 「だって早く東京へ引き越す、引き越すって、毎日のように云っていらしったじゃありませんか」 「云ってた事は、云ってたが、来て見るとそうでもないね」と椽側で足袋をはたいて座に直った老人は、 「茶碗が出ているね。誰か来たのかい」 「ええ。小野さんがいらしって……」 「小野が? そりゃあ」と云ったが、提げて来た大きな包をからげた細縄の十文字を、丁寧に一文字ずつほどき始める。 「今日はね。座布団を買おうと思って、電車へ乗ったところが、つい乗り替を忘れて、ひどい目に逢った」 「おやおや」と気の毒そうに微笑んだ娘は 「でも布団は御買いになって?」と聞く。 「ああ、布団だけはここへ買って来たが、御蔭で大変遅れてしまったよ」と包みのなかから八丈まがいの黄な縞を取り出す。 「何枚買っていらしって」 「三枚さ。まあ三枚あれば当分間に合うだろう。さあちょっと敷いて御覧」と一枚を小夜子の前へ出す。 「ホホホホあなた御敷なさいよ」 「阿父も敷くから、御前も敷いて御覧。そらなかなか好いだろう」 「少し綿が硬いようね」 「綿はどうせ――価が価だから仕方がない。でもこれを買うために電車に乗り損なってしまって……」 「乗替をなさらなかったんじゃないの」 「そうさ、乗替を――車掌に頼んで置いたのに。忌々しいから帰りには歩いて来た」 「御草臥なすったでしょう」 「なあに。これでも足はまだ達者だからね。――しかし御蔭で髯も何も埃だらけになっちまった。こら」と右手の指を四本|并べて櫛の代りに顎の下を梳くと、果して薄黒いものが股について来た。 「御湯に御這入んなさらないからですよ」 「なに埃だよ」 「だって風もないのに」 「風もないのに埃が立つから妙だよ」 「だって」 「だってじゃないよ。まあ試しに外へ出て御覧。どうも東京の埃には大抵のものは驚ろくよ。御前がいた時分もこうかい」 「ええ随分|苛くってよ」 「年々烈しくなるんじゃないかしら。今日なんぞは全く風はないね」と廂の外を下から覗いて見る。空は曇る心持ちを透かして春の日があやふやに流れている。琴の音がまだ聴える。 「おや琴を弾いているね。――なかなか旨い。ありゃ何だい」 「当てて御覧なさい」 「当てて見ろ。ハハハハ阿父には分らないよ。琴を聴くと京都の事を思い出すね。京都は静でいい。阿父のような時代後れの人間は東京のような烈しい所には向かない。東京はまあ小野だの、御前だののような若い人が住まう所だね」  時代後れの阿父は小野さんと自分のためにわざわざ埃だらけの東京へ引き越したようなものである。 「じゃ京都へ帰りましょうか」と心細い顔に笑を浮べて見せる。老人は世に疎いわれを憐れむ孝心と受取った。 「アハハハハ本当に帰ろうかね」 「本当に帰ってもようござんすわ」 「なぜ」 「なぜでも」 「だって来たばかりじゃないか」 「来たばかりでも構いませんわ」 「構わない? ハハハハ冗談を……」  娘は下を向いた。 「小野が来たそうだね」 「ええ」娘はやっぱり下を向いている。 「小野は――小野は何かね――」 「え?」と首を上げる。老人は娘の顔を見た。 「小野は――来たんだね」 「ええ、いらしってよ」 「それで何かい。その、何も云って行かなかったのかい」 「いいえ別に……」 「何にも云わない?――待ってれば好いのに」 「急ぐからまた来るって御帰りになりました」 「そうかい。それじゃ別に用があって来た訳じゃないんだね。そうか」 「阿父様」 「何だね」 「小野さんは御変りなさいましたね」 「変った?――ああ大変立派になったね。新橋で逢った時はまるで見違えるようだった。まあ御互に結構な事だ」  娘はまた下を向いた。――単純な父には自分の云う意味が徹せぬと見える。 「私は昔の通りで、ちっとも変っていないそうです。……変っていないたって……」  後の句は鳴る糸の尾を素足に踏むごとく、孤堂先生の頭に響いた。 「変っていないたって?」と次を催促する。 「仕方がないわ」と小さな声で附ける。老人は首を傾けた。 「小野が何か云ったかい」 「いいえ別に……」  同じ質問と同じ返事はまた繰返される。水車を踏めば廻るばかりである。いつまで踏んでも踏み切れるものではない。 「ハハハハくだらぬ事を気にしちゃいけない。春は気が欝ぐものでね。今日なぞは阿父などにもよくない天気だ」  気が欝ぐのは秋である。餅と知って、酒の咎だと云う。慰さめられる人は、馬鹿にされる人である。小夜子は黙っていた。 「ちっと琴でも弾いちゃどうだい。気晴に」  娘は浮かぬ顔を、愛嬌に傾けて、床の間を見る。軸は空しく落ちて、いたずらに余る黒壁の端を、竪に截って、欝金の蔽が春を隠さず明らかである。 「まあ廃しましょう」 「廃す? 廃すなら御廃し。――あの、小野はね。近頃忙がしいんだよ。近々博士論文を出すんだそうで……」  小夜子は銀時計すらいらぬと思う。百の博士も今の己れには無益である。 「だから落ちついていないんだよ。学問に凝ると誰でもあんなものさ。あんまり心配しないがいい。なに緩くりしたくっても、していられないんだから仕方がない。え? 何だって」 「あんなにね」 「うん」 「急いでね」 「ああ」 「御帰りに……」 「御帰りに――なった? ならないでも? 好さそうなものだって仕方がないよ。学問で夢中になってるんだから。――だから一日都合をして貰って、いっしょに博覧会でも見ようって云ってるんじゃないか。御前話したかい」 「いいえ」 「話さない? 話せばいいのに。いったい小野が来たと云うのに何をしていたんだ。いくら女だって、少しは口を利かなくっちゃいけない」  口を利けぬように育てて置いてなぜ口を利かぬと云う。小夜子はすべての非を負わねばならぬ。眼の中が熱くなる。 「なに好いよ。阿父が手紙で聞き合せるから――悲しがる事はない。叱ったんじゃない。――時に晩の御飯はあるかい」 「御飯だけはあります」 「御飯だけあればいい、なに御菜はいらないよ。――頼んで置いた婆さんは明日くるそうだ。――もう少し慣れると、東京だって京都だって同じ事だ」  小夜子は勝手へ立った。孤堂先生は床の間の風呂敷包を解き始める。         十  謎の女は宗近家へ乗り込んで来る。謎の女のいる所には波が山となり炭団が水晶と光る。禅家では柳は緑花は紅と云う。あるいは雀はちゅちゅで烏はかあかあとも云う。謎の女は烏をちゅちゅにして、雀をかあかあにせねばやまぬ。謎の女が生れてから、世界が急にごたくさになった。謎の女は近づく人を鍋の中へ入れて、方寸の杉箸に交ぜ繰り返す。芋をもって自からおるものでなければ、謎の女に近づいてはならぬ。謎の女は金剛石のようなものである。いやに光る。そしてその光りの出所が分らぬ。右から見ると左に光る。左から見ると右に光る。雑多な光を雑多な面から反射して得意である。神楽の面には二十通りほどある。神楽の面を発明したものは謎の女である。――謎の女は宗近家へ乗り込んでくる。  真率なる快活なる宗近家の大和尚は、かく物騒な女が天が下に生を享けて、しきりに鍋の底を攪き廻しているとは思いも寄らぬ。唐木の机に唐刻の法帖を乗せて、厚い坐布団の上に、信濃の国に立つ煙、立つ煙と、大きな腹の中から鉢の木を謡っている。謎の女はしだいに近づいてくる。  悲劇マクベスの妖婆は鍋の中に天下の雑物を攫い込んだ。石の影に三十日の毒を人知れず吹く夜の蟇と、燃ゆる腹を黒き背に蔵す蠑※の胆と、蛇の眼と蝙蝠の爪と、――鍋はぐらぐらと煮える。妖婆はぐるりぐるりと鍋を廻る。枯れ果てて尖れる爪は、世を咀う幾代の錆に瘠せ尽くしたる鉄の火箸を握る。煮え立った鍋はどろどろの波を泡と共に起す。――読む人は怖ろしいと云う。  それは芝居である。謎の女はそんな気味の悪い事はせぬ。住むは都である。時は二十世紀である。乗り込んで来るのは真昼間である。鍋の底からは愛嬌が湧いて出る。漾うは笑の波だと云う。攪き淆ぜるのは親切の箸と名づける。鍋そのものからが品よく出来上っている。謎の女はそろりそろりと攪き淆ぜる。手つきさえ能掛である。大和尚の怖がらぬのも無理はない。 「いや。だいぶ御暖になりました。さあどうぞ」と布団の方へ大きな掌を出す。女はわざと入口に坐ったまま両手を尋常につかえる。 「その後は……」 「どうぞ御敷き……」と大きな手はやっぱり前へ突き出したままである。 「ちょっと出ますんでございますが、つい無人だもので、出よう出ようと思いながら、とうとう御無沙汰になりまして……」で少し句が切れたから大和尚が何か云おうとすると、謎の女はすぐ後をつける。 「まことに相済みません」で黒い頭をぴたりと畳へつけた。 「いえ、どう致しまして……」ぐらいでは容易に頭を上げる女ではない。ある人が云う。あまりしとやかに礼をする女は気味がわるい。またある人が云う。あまり丁寧に御辞儀をする女は迷惑だ。第三の人が云う。人間の誠は下げる頭の時間と正比例するものだ。いろいろな説がある。ただし大和尚は迷惑党である。  黒い頭は畳の上に、声だけは口から出て来る。 「御宅でも皆様御変りもなく……毎々|欽吾や藤尾が出まして、御厄介にばかりなりまして……せんだってはまた結構なものをちょうだい致しまして、とうに御礼に上がらなければならないんでございますが、つい手前にかまけまして……」  頭はここでようやく上がる。阿父はほっと気息をつく。 「いや、詰らんもので……到来物でね。アハハハハようやく暖かになって」と突然時候をつけて庭の方を見たが 「どうです御宅の桜は。今頃はちょうど盛でしょう」で結んでしまった。 「本年は陽気のせいか、例年より少し早目で、四五日|前がちょうど観頃でございましたが、一昨日の風で、だいぶ傷められまして、もう……」 「駄目ですか。あの桜は珍らしい。何とか云いましたね。え? 浅葱桜。そうそう。あの色が珍らしい」 「少し青味を帯びて、何だか、こう、夕方などは凄いような心持が致します」 「そうですか、アハハハハ。荒川には緋桜と云うのがあるが、浅葱桜は珍らしい」 「みなさんがそうおっしゃいます。八重はたくさんあるが青いのは滅多にあるまいってね……」 「ないですよ。もっとも桜も好事家に云わせると百幾種とかあるそうだから……」 「へええ、まあ」と女はさも驚ろいたように云う。 「アハハハ桜でも馬鹿には出来ない。この間も一が京都から帰って来て嵐山へ行ったと云うから、どんな花だと聞いて見たら、ただ一重だと云うだけでね、何にも知らない。今時のものは呑気なものでアハハハハ。――どうです粗菓だが一つ御撮みなさい。岐阜の柿羊羹」 「いえどうぞ。もう御構い下さいますな……」 「あんまり、旨いものじゃない。ただ珍らしいだけだ」と宗近老人は箸を上げて皿の中から剥ぎ取った羊羹の一片を手に受けて、独りでむしゃむしゃ食う。 「嵐山と云えば」と甲野の母は切り出した。 「せんだって中は欽吾がまた、いろいろ御厄介になりまして、御蔭様で方々見物させていただいたと申して大変喜んでおります。まことにあの通の我儘者でございますから一さんもさぞ御迷惑でございましたろう」 「いえ、一の方でいろいろ御世話になったそうで……」 「どう致しまして、人様の御世話などの出来るような男ではございませんので。あの年になりまして朋友と申すものがただの一人もございませんそうで……」 「あんまり学問をすると、そう誰でも彼でもむやみに附合が出来にくくなる。アハハハハ」 「私には女でいっこう分りませんが、何だか欝いでばかりいるようで――こちらの一さんにでも連れ出していただかないと、誰も相手にしてくれないようで……」 「アハハハハ一はまた正反対。誰でも相手にする。家にさえいるとあなた、妹にばかりからかって――いや、あれでも困る」 「いえ、誠に陽気で淡泊してて、結構でございますねえ。どうか一さんの半分でいいから、欽吾がもう少し面白くしてくれれば好いと藤尾にも不断申しているんでございますが――それもこれもみんな彼人の病気のせいだから、今さら愚癡をこぼしたって仕方がないとは思いますが、なまじい自分の腹を痛めた子でないだけに、世間へ対しても心配になりまして……」 「ごもっともで」と宗近老人は真面目に答えたが、ついでに灰吹をぽんと敲いて、銀の延打の煙管を畳の上にころりと落す。雁首から、余る煙が流れて出る。 「どうです、京都から帰ってから少しは好いようじゃありませんか」 「御蔭様で……」 「せんだって家へ見えた時などは皆と馬鹿話をして、だいぶ愉快そうでしたが」 「へええ」これは仔細らしく感心する。「まことに困り切ります」これは困り切ったように長々と引き延ばして云う。 「そりゃ、どうも」 「彼人の病気では、今までどのくらい心配したか分りません」 「いっそ結婚でもさせたら気が変って好いかも知れませんよ」  謎の女は自分の思う事を他に云わせる。手を下しては落度になる。向うで滑って転ぶのをおとなしく待っている。ただ滑るような泥海を知らぬ間に用意するばかりである。 「その結婚の事を朝暮申すのでございますが――どう在っても、うんと云って承知してくれません。私も御覧の通り取る年でございますし、それに甲野もあんな風に突然外国で亡くなりますような仕儀で、まことに心配でなりませんから、どうか一日も早く彼人のために身の落つきをつけてやりたいと思いまして……本当に、今まで嫁の事を持ち出した事は何度だか分りません。が持ち出すたんびに頭から撥ねつけられるのみで……」 「実はこの間見えた時も、ちょっとその話をしたんですがね。君がいつまでも強情を張ると心配するのは阿母だけで、可愛想だから、今のうちに早く身を堅めて安心させたら善かろうってね」 「御親切にどうもありがとう存じます」 「いえ、心配は御互で、こっちもちょうどどうかしなければならないのを二人|背負い込んでるものだから、アハハハハどうも何ですね。何歳になっても心配は絶えませんね」 「此方様などは結構でいらっしゃいますが、私は――もし彼人がいつまでも病気だ病気だと申して嫁を貰ってくれませんうちに、もしもの事があったら、草葉の陰で配偶に合わす顔がございません。まあどうして、あんなに聞き訳がないんでございましょう。何か云い出すと、阿母私はこんな身体で、とても家の面倒は見て行かれないから、藤尾に聟を貰って、阿母さんの世話をさせて下さい。私は財産なんか一銭も入らない。と、まあこうでござんすもの。私が本当の親なら、それじゃ御前の勝手におしと申す事も出来ますが、御存じの通りなさぬ中の間柄でございますから、そんな不義理な事は人様に対しても出来かねますし、じつに途方に暮れます」  謎の女は和尚をじっと見た。和尚は大きな腹を出したまま考えている。灰吹がぽんと鳴る。紫檀の蓋を丁寧に被せる。煙管は転がった。 「なるほど」  和尚の声は例に似ず沈んでいる。 「そうかと申して生の母でない私が圧制がましく、むやみに差出た口を利きますと、御聞かせ申したくないようなごたごたも起りましょうし……」 「ふん、困るね」  和尚は手提の煙草盆の浅い抽出から欝金木綿の布巾を取り出して、鯨の蔓を鄭重に拭き出した。 「いっそ、私からとくと談じて見ましょうか。あなたが云い悪ければ」 「いろいろ御心配を掛けまして……」 「そうして見るかね」 「どんなものでございましょう。ああ云う神経が妙になっているところへ、そんな事を聞かせましたら」 「なにそりゃ、承知しているから、当人の気に障らないように云うつもりですがね」 「でも、万一私がこなたへ出てわざわざ御願い申したように取られると、それこそ後が大変な騒ぎになりますから……」 「弱るね、そう、疳が高くなってちゃあ」 「まるで腫物へ障るようで……」 「ふうん」と和尚は腕組を始めた。裄が短かいので太い肘が無作法に見える。  謎の女は人を迷宮に導いて、なるほどと云わせる。ふうんと云わせる。灰吹をぽんと云わせる。しまいには腕組をさせる。二十世紀の禁物は疾言と遽色である。なぜかと、ある紳士、ある淑女に尋ねて見たら、紳士も淑女も口を揃えて答えた。――疾言と遽色は、もっとも法律に触れやすいからである。――謎の女の鄭重なのはもっとも法律に触れ悪い。和尚は腕組をしてふうんと云った。 「もし彼人が断然|家を出ると云い張りますと――私がそれを見て無論黙っている訳には参りませんが――しかし当人がどうしても聞いてくれないとすると……」 「聟かね。聟となると……」 「いえ、そうなっては大変でございますが――万一の場合も考えて置かないと、いざと云う時に困りますから」 「そりゃ、そう」 「それを考えると、あれが病気でもよくなって、もう少ししっかりしてくれないうちは、藤尾を片づける訳に参りません」 「左様さね」と和尚は単純な首を傾けたが 「藤尾さんは幾歳ですい」 「もう、明けて四になります」 「早いものですね。えっ。ついこの間までこれっぱかりだったが」と大きな手を肩とすれすれに出して、ひろげた掌を下から覗き込むようにする。 「いえもう、身体ばかり大きゅうございまして、から、役に立ちません」 「……勘定すると四になる訳だ。うちの糸が二だから」  話は放って置くとどこかへ流れて行きそうになる。謎の女は引っ張らなければならぬ。 「こちらでも、糸子さんやら、一さんやらで、御心配のところを、こんな余計な話を申し上げて、さぞ人の気も知らない呑気な女だと覚し召すでございましょうが……」 「いえ、どう致して、実は私の方からその事についてとくと御相談もしたいと思っていたところで――一も外交官になるとか、ならんとか云って騒いでいる最中だから、今日明日と云う訳にも行かないですが、晩かれ、早かれ嫁を貰わなければならんので……」 「でございますとも」 「ついては、その、藤尾さんなんですがね」 「はい」 「あの方なら、まあ気心も知れているし、私も安心だし、一は無論異存のある訳はなし――よかろうと思うんですがね」 「はい」 「どうでしょう、阿母の御考は」 「あの通行き届きませんものをそれほどまでにおっしゃって下さるのはまことにありがたい訳でございますが……」 「いいじゃ、ありませんか」 「そうなれば藤尾も仕合せ、私も安心で……」 「御不足ならともかく、そうでなければ……」 「不足どころじゃございません。願ったり叶ったりで、この上もない結構な事でございますが、ただ彼人に困りますので。一さんは宗近家を御襲ぎになる大事な身体でいらっしゃる。藤尾が御気に入るか、入らないかは分りませんが、まず貰っていただいたと致したところで、差し上げた後で、欽吾がやはり今のようでは私も実のところはなはだ心細いような訳で……」 「アハハハそう心配しちゃ際限がありませんよ。藤尾さんさえ嫁に行ってしまえば欽吾さんにも責任が出る訳だから、自然と考もちがってくるにきまっている。そうなさい」 「そう云うものでございましょうかね」 「それに御承知の通、阿父がいつぞやおっしゃった事もあるし。そうなれば亡くなった人も満足だろう」 「いろいろ御親切にありがとう存じます。なに配偶さえ生きておりますれば、一人で――こん――こんな心配は致さなくっても宜しい――のでございますが」  謎の女の云う事はしだいに湿気を帯びて来る。世に疲れたる筆はこの湿気を嫌う。辛うじて謎の女の謎をここまで叙し来った時、筆は、一歩も前へ進む事が厭だと云う。日を作り夜を作り、海と陸とすべてを作りたる神は、七日目に至って休めと言った。謎の女を書きこなしたる筆は、日のあたる別世界に入ってこの湿気を払わねばならぬ。  日のあたる別世界には二人の兄妹が活動する。六畳の中二階の、南を受けて明るきを足れりとせず、小気味よく開け放ちたる障子の外には、二尺の松が信楽の鉢に、蟠まる根を盛りあげて、くの字の影を椽に伏せる。一間の唐紙は白地に秦漢瓦鐺の譜を散らしに張って、引手には波に千鳥が飛んでいる。つづく三尺の仮の床は、軸を嫌って、籠花活に軽い一輪をざっくばらんに投げ込んだ。  糸子は床の間に縫物の五色を、彩と乱して、糸屑のこぼるるほどの抽出を二つまであらわに抜いた針箱を窓近くに添える。縫うて行く糸の行方は、一針ごとに春を刻む幽かな音に、聴かれるほどの静かさを、兄は大きな声で消してしまう。  腹這は弥生の姿、寝ながらにして天下の春を領す。物指の先でしきりに敷居を敲いている。 「糸公。こりゃ御前の座敷の方が明かるくって上等だね」 「替えたげましょうか」 「そうさ。替えて貰ったところで余り儲かりそうでもないが――しかし御前には上等過ぎるよ」 「上等過ぎたって誰も使わないんだから好いじゃありませんか」 「好いよ。好い事は好いが少し上等過ぎるよ。それにこの装飾物がどうも――妙齢の女子には似合わしからんものがあるじゃないか」 「何が?」 「何がって、この松さ。こりゃたしか阿父が苔盛園で二十五円で売りつけられたんだろう」 「ええ。大事な盆栽よ。転覆でもしようもんなら大変よ」 「ハハハハこれを二十五円で売りつけられる阿爺も阿爺だが、それをまた二階まで、えっちらおっちら担ぎ上げる御前も御前だね。やっぱりいくら年が違っても親子は爭われないものだ」 「ホホホホ兄さんはよっぽど馬鹿ね」 「馬鹿だって糸公と同じくらいな程度だあね。兄弟だもの」 「おやいやだ。そりゃ私は無論馬鹿ですわ。馬鹿ですけれども、兄さんも馬鹿よ」 「馬鹿よか。だから御互に馬鹿よで好いじゃあないか」 「だって証拠があるんですもの」 「馬鹿の証拠がかい」 「ええ」 「そりゃ糸公の大発明だ。どんな証拠があるんだね」 「その盆栽はね」 「うん、この盆栽は」 「その盆栽はね――知らなくって」 「知らないとは」 「私大嫌よ」 「へええ、今度こっちの大発明だ。ハハハハ。嫌なものを、なんでまた持って来たんだ。重いだろうに」 「阿父さまが御自分で持っていらしったのよ」 「何だって」 「日が中って二階の方が松のために好いって」 「阿爺も親切だな。そうかそれで兄さんが馬鹿になっちまったんだね。阿爺親切にして子は馬鹿になりか」 「なに、そりゃ、ちょっと。発句?」 「まあ発句に似たもんだ」 「似たもんだって、本当の発句じゃないの」 「なかなか追窮するね。それよりか御前今日は大変立派なものを縫ってるね。何だいそれは」 「これ? これは伊勢崎でしょう」 「いやに光つくじゃないか。兄さんのかい」 「阿爺のよ」 「阿爺のものばかり縫って、ちっとも兄さんには縫ってくれないね。狐の袖無以後|御見限りだね」 「あらいやだ。あんな嘘ばかり。今着ていらっしゃるのも縫って上げたんだわ」 「これかい。これはもう駄目だ。こらこの通り」 「おや、ひどい襟垢だ事、こないだ着たばかりだのに――兄さんは膏が多過ぎるんですよ」 「何が多過ぎても、もう駄目だよ」 「じゃこれを縫い上げたら、すぐ縫って上げましょう」 「新らしいんだろうね」 「ええ、洗って張ったの」 「あの親父の拝領ものか。ハハハハ。時に糸公不思議な事があるがね」 「何が」 「阿爺は年寄の癖に新らしいものばかり着て、年の若いおれには御古ばかり着せたがるのは、少し妙だよ。この調子で行くとしまいには自分でパナマの帽子を被って、おれには物置にある陣笠をかぶれと云うかも知れない」 「ホホホホ兄さんは随分口が達者ね」 「達者なのは口だけか。可哀想に」 「まだ、あるのよ」  宗近君は返事をやめて、欄干の隙間から庭前の植込を頬杖に見下している。 「まだあるのよ。一寸」と針を離れぬ糸子の眼は、左の手につんと撮んだ合せ目を、見る間に括けて来て、いざと云う指先を白くふっくらと放した時、ようやく兄の顔を見る。 「まだあるのよ。兄さん」 「何だい。口だけでたくさんだよ」 「だって、まだあるんですもの」と針の針孔を障子へ向けて、可愛らしい二重瞼を細くする。宗近君は依然として長閑な心を頬杖に託して庭を眺めている。 「云って見ましょうか」 「う。うん」  下顎は頬杖で動かす事が出来ない。返事は咽喉から鼻へ抜ける。 「あし。分ったでしょう」 「う。うん」  紺の糸を唇に湿して、指先に尖らすは、射損なった針孔を通す女の計である。 「糸公、誰か御客があるのかい」 「ええ、甲野の阿母が御出よ」 「甲野の阿母か。あれこそ達者だね、兄さんなんかとうてい叶わない」 「でも品がいいわ。兄さん見たように悪口はおっしゃらないからいいわ」 「そう兄さんが嫌じゃ、世話の仕栄がない」 「世話もしない癖に」 「ハハハハ実は狐の袖無の御礼に、近日御花見にでも連れて行こうかと思っていたところだよ」 「もう花は散ってしまったじゃありませんか。今時分御花見だなんて」 「いえ、上野や向島は駄目だが荒川は今が盛だよ。荒川から萱野へ行って桜草を取って王子へ廻って汽車で帰ってくる」 「いつ」と糸子は縫う手をやめて、針を頭へ刺す。 「でなければ、博覧会へ行って台湾館で御茶を飲んで、イルミネーションを見て電車で帰る。――どっちが好い」 「わたし、博覧会が見たいわ。これを縫ってしまったら行きましょう。ね」 「うん。だから兄さんを大事にしなくっちゃあ行けないよ。こんな親切な兄さんは日本中に沢山はないぜ」 「ホホホホへえ、大事に致します。――ちょっとその物指を借してちょうだい」 「そうして裁縫を勉強すると、今に御嫁に行くときに金剛石の指環を買ってやる」 「旨いのねえ、口だけは。そんなに御金があるの」 「あるのって、――今はないさ」 「いったい兄さんはなぜ落第したんでしょう」 「えらいからさ」 「まあ――どこかそこいらに鋏はなくって」 「その蒲団の横にある。いや、もう少し左。――その鋏に猿が着いてるのは、どう云う訳だ。洒落かい」 「これ? 奇麗でしょう。縮緬の御申さん」 「御前がこしらえたのかい。感心に旨く出来てる。御前は何にも出来ないが、こんなものは器用だね」 「どうせ藤尾さんのようには参りません――あらそんな椽側へ煙草の灰を捨てるのは御廃しなさいよ。――これを借して上げるから」 「なんだいこれは。へええ。板目紙の上へ千代紙を張り付けて。やっぱり御前がこしらえたのか。閑人だなあ。いったい何にするものだい。――糸を入れる? 糸の屑をかい。へええ」 「兄さんは藤尾さんのような方が好きなんでしょう」 「御前のようなのも好きだよ」 「私は別物として――ねえ、そうでしょう」 「嫌でもないね」 「あら隠していらっしゃるわ。おかしい事」 「おかしい? おかしくってもいいや。――甲野の叔母はしきりに密談をしているね」 「ことに因ると藤尾さんの事かも知れなくってよ」 「そうか、それじゃ聴きに行こうか」 「あら、御廃しなさいよ――わたし、火熨がいるんだけれども遠慮して取りに行かないんだから」 「自分の家で、そう遠慮しちゃ有害だ。兄さんが取って来てやろうか」 「いいから御廃しなさいよ。今下へ行くとせっかくの話をやめてしまってよ」 「どうも剣呑だね。それじゃこっちも気息を殺して寝転んでるのか」 「気息を殺さなくってもいいわ」 「じゃ気息を活かして寝転ぶか」 「寝転ぶのはもう好い加減になさいよ。そんなに行儀がわるいから外交官の試験に落第するのよ」 「そうさな、あの試験官はことによると御前と同意見かも知れない。困ったもんだ」 「困ったもんだって、藤尾さんもやっぱり同意見ですよ」  裁縫の手を休めて、火熨に逡巡っていた糸子は、入子菱に縢った指抜を抽いて、※色に銀の雨を刺す針差を裏に、如鱗木の塗美くしき蓋をはたと落した。やがて日永の窓に赤くなった耳朶のあたりを、平手で支えて、右の肘を針箱の上に、取り広げたる縫物の下で、隠れた膝を斜めに崩した。襦袢の袖に花と乱るる濃き色は、柔らかき腕を音なく滑って、くっきりと普通よりは明かなる肉の柱が、蝶と傾く絹紐の下に鮮かである。 「兄さん」 「何だい。――仕事はもうおやめか。何だかぼんやりした顔をしているね」 「藤尾さんは駄目よ」 「駄目だ? 駄目とは」 「だって来る気はないんですもの」 「御前聞いて来たのか」 「そんな事がまさか無躾に聞かれるもんですか」 「聞かないでも分かるのか。まるで巫女だね。――御前がそう頬杖を突いて針箱へ靠たれているところは天下の絶景だよ。妹ながら天晴な姿勢だハハハハ」 「沢山御冷やかしなさい。人がせっかく親切に言って上げるのに」  云いながら糸子は首を支えた白い腕をぱたりと倒した。揃った指が針箱の角を抑えるように、前へ垂れる。障子に近い片頬は、圧し付けられた手の痕を耳朶共にぽうと赤く染めている。奇麗に囲う二重の瞼は、涼しい眸を、長い睫に隠そうとして、上の方から垂れかかる。宗近君はこの睫の奥からしみじみと妹に見られた。――四角な肩へ肉を入れて、倒した胴を肘に撥ねて起き上がる。 「糸公、おれは叔父さんの金時計を貰う約束があるんだよ」 「叔父さんの?」と軽く聞き返して、急に声を落すと「だって……」と云うや否や、黒い眸は長い睫の裏にかくれた。派出な色の絹紐がちらりと前の方へ顔を出す。 「大丈夫だ。京都でも甲野に話して置いた」 「そう」と俯目になった顔を半ば上げる。危ぶむような、慰めるような笑が顔と共に浮いて来る。 「兄さんが今に外国へ行ったら、御前に何か買って送ってやるよ」 「今度の試験の結果はまだ分らないの」 「もう直だろう」 「今度は是非及第なさいよ」 「え、うん。アハハハハ。まあ好いや」 「好かないわ。――藤尾さんはね。学問がよく出来て、信用のある方が好きなんですよ」 「兄さんは学問が出来なくって、信用がないのかな」 「そうじゃないのよ。そうじゃないけれども――まあ例に云うと、あの小野さんと云う方があるでしょう」 「うん」 「優等で銀時計をいただいたって。今博士論文を書いていらっしゃるってね。――藤尾さんはああ云う方が好なのよ」 「そうか。おやおや」 「何がおやおやなの。だって名誉ですわ」 「兄さんは銀時計もいただけず、博士論文も書けず。落第はする。不名誉の至だ」 「あら不名誉だと誰も云やしないわ。ただあんまり気楽過ぎるのよ」 「あんまり気楽過ぎるよ」 「ホホホホおかしいのね。何だかちっとも苦にならないようね」 「糸公、兄さんは学問も出来ず落第もするが――まあ廃そう、どうでも好い。とにかく御前兄さんを好い兄さんと思わないかい」 「そりゃ思うわ」 「小野さんとどっちが好い」 「そりゃ兄さんの方が好いわ」 「甲野さんとは」 「知らないわ」  深い日は障子を透して糸子の頬を暖かに射る。俯向いた額の色だけがいちじるしく白く見えた。 「おい頭へ針が刺さってる。忘れると危ないよ」 「あら」と翻える襦袢の袖のほのめくうちを、二本の指に、ここと抑えて、軽く抜き取る。 「ハハハハ見えない所でも、旨く手が届くね。盲目にすると疳の好い按摩さんが出来るよ」 「だって慣れてるんですもの」 「えらいもんだ。時に糸公面白い話を聞かせようか」 「なに」 「京都の宿屋の隣に琴を引く別嬪がいてね」 「端書に書いてあったんでしょう」 「ああ」 「あれなら知っててよ」 「それがさ、世の中には不思議な事があるもんだね。兄さんと甲野さんと嵐山へ御花見に行ったら、その女に逢ったのさ。逢ったばかりならいいが、甲野さんがその女に見惚れて茶碗を落してしまってね」 「あら、本当? まあ」 「驚ろいたろう。それから急行の夜汽車で帰る時に、またその女と乗り合せてね」 「嘘よ」 「ハハハハとうとう東京までいっしょに来た」 「だって京都の人がそうむやみに東京へくる訳がないじゃありませんか」 「それが何かの因縁だよ」 「人を……」 「まあ御聞きよ。甲野が汽車の中であの女は嫁に行くんだろうか、どうだろうかって、しきりに心配して……」 「もうたくさん」 「たくさんなら廃そう」 「その女の方は何とおっしゃるの、名前は」 「名前かい――だってもうたくさんだって云うじゃないか」 「教えたって好いじゃありませんか」 「ハハハハそう真面目にならなくっても好い。実は嘘だ。全く兄さんの作り事さ」 「悪らしい」  糸子はめでたく笑った。         十一  蟻は甘きに集まり、人は新しきに集まる。文明の民は劇烈なる生存のうちに無聊をかこつ。立ちながら三度の食につくの忙きに堪えて、路上に昏睡の病を憂う。生を縦横に託して、縦横に死を貪るは文明の民である。文明の民ほど自己の活動を誇るものなく、文明の民ほど自己の沈滞に苦しむものはない。文明は人の神経を髪剃に削って、人の精神を擂木と鈍くする。刺激に麻痺して、しかも刺激に渇くものは数を尽くして新らしき博覧会に集まる。  狗は香を恋い、人は色に趁る。狗と人とはこの点においてもっとも鋭敏な動物である。紫衣と云い、黄袍と云い、青衿と云う。皆人を呼び寄せるの道具に過ぎぬ。土堤を走る弥次馬は必ずいろいろの旗を担ぐ。担がれて懸命に櫂を操るものは色に担がれるのである。天下、天狗の鼻より著しきものはない。天狗の鼻は古えより赫奕として赤である。色のある所は千里を遠しとせず。すべての人は色の博覧会に集まる。  蛾は灯に集まり、人は電光に集まる。輝やくものは天下を牽く。金銀、※※、瑪瑙、琉璃、閻浮檀金、の属を挙げて、ことごとく退屈の眸を見張らして、疲れたる頭を我破と跳ね起させるために光るのである。昼を短かしとする文明の民の夜会には、あらわなる肌に鏤たる宝石が独り幅を利かす。金剛石は人の心を奪うが故に人の心よりも高価である。泥海に落つる星の影は、影ながら瓦よりも鮮に、見るものの胸に閃く。閃く影に躍る善男子、善女子は家を空しゅうしてイルミネーションに集まる。  文明を刺激の袋の底に篩い寄せると博覧会になる。博覧会を鈍き夜の砂に漉せば燦たるイルミネーションになる。いやしくも生きてあらば、生きたる証拠を求めんがためにイルミネーションを見て、あっと驚かざるべからず。文明に麻痺したる文明の民は、あっと驚く時、始めて生きているなと気がつく。  花電車が風を截って来る。生きている証拠を見てこいと、積み込んだ荷を山下雁鍋の辺で卸す。雁鍋はとくの昔に亡くなった。卸された荷物は、自己が亡くならんとしつつある名誉を回復せんと森の方にぞろぞろ行く。  岡は夜を掠めて本郷から起る。高き台を朧に浮かして幅十町を東へなだれる下り口は、根津に、弥生に、切り通しに、驚ろかんとするものを枡で料って下谷へ通す。踏み合う黒い影はことごとく池の端にあつまる。――文明の人ほど驚ろきたがるものはない。  松高くして花を隠さず、枝の隙間に夜を照らす宵重なりて、雨も降り風も吹く。始めは一片と落ち、次には二片と散る。次には数うるひまにただはらはらと散る。この間中は見るからに、万紅を大地に吹いて、吹かれたるものの地に届かざるうちに、梢から後を追うて落ちて来た。忙がしい吹雪はいつか尽きて、今は残る樹頭に嵐もようやく収った。星ならずして夜を護る花の影は見えぬ。同時にイルミネーションは点いた。 「あら」と糸子が云う。 「夜の世界は昼の世界より美しい事」と藤尾が云う。  薄の穂を丸く曲げて、左右から重なる金の閃く中に織り出した半月の数は分からず。幅広に腰を蔽う藤尾の帯を一尺隔てて宗近君と甲野さんが立っている。 「これは奇観だ。ざっと竜宮だね」と宗近君が云う。 「糸子さん、驚いたようですね」と甲野さんは帽子を眉深く被って立つ。  糸子は振り返る。夜の笑は水の中で詩を吟ずるようなものである。思う所へは届かぬかも知れぬ。振り返る人の衣の色は黄に似て夜を欺くを、黒いものが幾筋も竪に刻んでいる。 「驚いたかい」と今度は兄が聞き直す。 「貴所方は」と糸子を差し置いて藤尾が振り返る。黒い髪の陰から颯と白い顔が映す。頬の端は遠い火光を受けてほの赤い。 「僕は三遍目だから驚ろかない」と宗近君は顔一面を明かるい方へ向けて云う。 「驚くうちは楽があるもんだ。女は楽が多くて仕合せだね」と甲野さんは長い体躯を真直に立てたまま藤尾を見下した。  黒い眼が夜を射て動く。 「あれが台湾館なの」と何気なき糸子は水を横切って指を点す。 「あの一番右の前へ出ているのがそうだ。あれが一番善く出来ている。ねえ甲野さん」 「夜見ると」甲野さんがすぐ但書を附け加えた。 「ねえ、糸公、まるで竜宮のようだろう」 「本当に竜宮ね」 「藤尾さん、どう思う」と宗近君はどこまでも竜宮が得意である。 「俗じゃありませんか」 「何が、あの建物がかね」 「あなたの形容がですよ」 「ハハハハ甲野さん、竜宮は俗だと云う御意見だ。俗でも竜宮じゃないか」 「形容は旨く中ると俗になるのが通例だ」 「中ると俗なら、中らなければ何になるんだ」 「詩になるでしょう」と藤尾が横合から答えた。 「だから、詩は実際に外れる」と甲野さんが云う。 「実際より高いから」と藤尾が註釈する。 「すると旨く中った形容が俗で、旨く中らなかった形容が詩なんだね。藤尾さん無味くって中らない形容を云って御覧」 「云って見ましょうか。――兄さんが知ってるでしょう。聴いて御覧なさい」と藤尾は鋭どい眼の角から欽吾を見た。眼の角は云う。――無味くって中らない形容は哲学である。 「あの横にあるのは何」と糸子が無邪気に聞く。  ※の線を闇に渡して空を横に切るは屋根である。竪に切るは柱である。斜めに切るは甍である。朧の奥に星を埋めて、限りなき夜を薄黒く地ならししたる上に、稲妻の穂は一を引いて虚空を走った。二を引いて上から落ちて来た。卍を描いて花火のごとく地に近く廻転した。最後に穂先を逆に返して帝座の真中を貫けとばかり抛げ上げた。かくして塔は棟に入り、棟は床に連なって、不忍の池の、此方から見渡す向を、右から左へ隙間なく埋めて、大いなる火の絵図面が出来た。  藍を含む黒塗に、金を惜まぬ高蒔絵は堂を描き、楼を描き、廻廊を描き、曲欄を描き、円塔方柱の数々を描き尽して、なお余りあるを是非に用い切らんために、描ける上を往きつ戻りつする。縦横に空を走る※の線は一点一劃を乱すことなく整然として一点一劃のうちに活きている。動いている。しかも明かに動いて、動く限りは形を崩す気色が見えぬ。 「あの横に見えるのは何」と糸子が聞く。 「あれが外国館。ちょうど正面に見える。ここから見るのが一番奇麗だ。あの左にある高い丸い屋根が三菱館。――あの恰好が好い。何と形容するかな」と宗近君はちょっと躊躇した。 「あの真中だけが赤いのね」と妹が云う。 「冠に紅玉を嵌めたようだ事」と藤尾が云う。 「なるほど、天賞堂の広告見たようだ」と宗近君は知らぬ顔で俗にしてしまう。甲野さんは軽く笑って仰向いた。  空は低い。薄黒く大地に逼る夜の中途に、煮え切らぬ星が路頭に迷って放下がっている。柱と連なり、甍と積む万点の※は逆しまに天を浸して、寝とぼけた星の眼を射る。星の眼は熱い。 「空が焦げるようだ。――羅馬法王の冠かも知れない」と甲野さんの視線は谷中から上野の森へかけて大いなる圜を画いた。 「羅馬法王の冠か。藤尾さん、羅馬法王の冠はどうだい。天賞堂の広告の方が好さそうだがね」 「いずれでも……」と藤尾は澄ましている。 「いずれでも差支なしか。とにかく女王の冠じゃない。ねえ甲野さん」 「何とも云えない。クレオパトラはあんな冠をかぶっている」 「どうして御存じなの」と藤尾は鋭どく聞いた。 「御前の持っている本に絵がかいてあるじゃないか」 「空より水の方が奇麗よ」と糸子が突然注意した。対話はクレオパトラを離れる。  昼でも死んでいる水は、風を含まぬ夜の影に圧し付けられて、見渡す限り平かである。動かぬはいつの事からか。静かなる水は知るまい。百年の昔に掘った池ならば、百年以来動かぬ、五十年の昔ならば、五十年以来動かぬとのみ思われる水底から、腐った蓮の根がそろそろ青い芽を吹きかけている。泥から生れた鯉と鮒が、闇を忍んで緩やかに※を働かしている。イルミネーションは高い影を逆まにして、二丁|余の岸を、尺も残さず真赤になってこの静かなる水の上に倒れ込む。黒い水は死につつもぱっと色を作す。泥に潜む魚の鰭は燃える。  湿える※は、一抹に岸を伸して、明かに向側へ渡る。行く道に横わるすべてのものを染め尽してやまざるを、ぷつりと截って長い橋を西から東へ懸ける。白い石に野羽玉の波を跨ぐアーチの数は二十、欄に盛る擬宝珠はことごとく夜を照らす白光の珠である。 「空より水の方が奇麗よ」と注意した糸子の声に連れて、残る三人の眼はことごとく水と橋とに聚った。一間ごとに高く石欄干を照らす電光が、遠きこちらからは、行儀よく一列に空に懸って見える。下をぞろぞろ人が通る。 「あの橋は人で埋っている」 と宗近君が大きな声を出した。  小野さんは孤堂先生と小夜子を連れて今この橋を通りつつある。驚ろかんとあせる群集は弁天の祠を抜けて圧して来る。向が岡を下りて圧して来る。東西南北の人は広い森と、広い池の周囲を捨ててことごとく細長い橋の上に集まる。橋の上は動かれぬ。真中に弓張を高く差し上げて、巡査が来る人と往く人を左へ右へと制している。来る人も往く人もただ揉まれて通る。足を地に落す暇はない。楽に踏む余地を尺寸に見出して、安々と踵を着ける心持がやっと有ったなと思ううち、もう後ろから前へ押し出される。歩くとは思えない。歩かぬとは無論云えぬ。小夜子は夢のように心細くなる。孤堂先生は過去の人間を圧し潰すために皆が揉むのではないかと恐ろしがる。小野さんだけは比較的得意である。多勢の間に立って、多数より優れたりとの自覚あるものは、身動きが出来ぬ時ですら得意である。博覧会は当世である。イルミネーションはもっとも当世である。驚ろかんとしてここにあつまる者は皆当世的の男と女である。ただあっと云って、当世的に生存の自覚を強くするためである。御互に御互の顔を見て、御互の世は当世だと黙契して、自己の勢力を多数と認識したる後家に帰って安眠するためである。小野さんはこの多数の当世のうちで、もっとも当世なものである。得意なのは無理もない。  得意な小野さんは同時に失意である。自分一人でこそ誰が眼にも当世に見える。申し分のあるはずがない。しかし時代後れの御荷物を丁寧に二人まで背負って、幅の利かぬ過去と同一体だと当世から見られるのは、ただ見られるのではない、見咎められるも同然である。芝居に行って、自分の着ている羽織の紋の大さが、時代か時代後れか、そればかりが気になって、見物にはいっこう身が入らぬものさえある。小野さんは肩身が狭い。人の波の許す限り早く歩く。 「阿爺、大丈夫」と後から呼ぶ。 「ああ大丈夫だよ」と知らぬ人を間に挟んだまま一軒置いて返事がある。 「何だか危なくって……」 「なに自然に押して行けば世話はない」と挟まった人をやり過ごして、苦しいところを娘といっしょになる。 「押されるばかりで、ちっとも押せやしないわ」と娘は落ちつかぬながら、薄い片頬に笑を見せる。 「押さなくってもいいから、押されるだけ押されるさ」と云ううち二人は前へ出る。巡査の提灯が孤堂先生の黒い帽子を掠めて動いた。 「小野はどうしたかね」 「あすこよ」と眼元で指す。手を出せば人の肩で遮ぎられる。 「どこに」と孤堂先生は足を揃える暇もなく、そのまま日和下駄の前歯を傾けて背延をする。先生の腰が中心を失いかけたところを、後ろから気の早い文明の民が押しかかる。先生はのめった。危うく倒れるところを、前に立つ文明の民の背中でようやく喰い留める。文明の民はどこまでも前へ出たがる代りに、背中で人を援ける事を拒まぬ親切な人間である。  文明の波は自から動いて頼のない親と子を弁天の堂近く押し出して来る。長い橋が切れて、渡る人の足が土へ着くや否や波は急に左右に散って、黒い頭が勝手な方へ崩れ出す。二人はようやく胸が広くなったような心持になる。  暗い底に藍を含む逝く春の夜を透かして見ると、花が見える。雨に風に散り後れて、八重に咲く遅き香を、夜に懸けん花の願を、人の世の灯が下から朗かに照らしている。朧に薄紅の螺鈿を鐫る。鐫ると云うと硬過る。浮くと云えば空を離れる。この宵とこの花をどう形容したらよかろうかと考えながら、小野さんは二人を待ち合せている。 「どうも怖ろしい人だね」と追いついた孤堂先生が云う。怖ろしいとは、本当に怖ろしい意味でかつ普通に怖ろしい意味である。 「随分出ます」 「早く家へ帰りたくなった。どうも怖しい人だ。どこからこんなに出て来るのかね」  小野さんはにやにやと笑った。蜘蛛の子のように暗い森を蔽うて至る文明の民は皆自分の同類である。 「さすが東京だね。まさか、こんなじゃ無かろうと思っていた。怖しい所だ」  数は勢である。勢を生む所は怖しい。一坪に足らぬ腐れた水でも御玉杓子のうじょうじょ湧く所は怖しい。いわんや高等なる文明の御玉杓子を苦もなくひり出す東京が怖しいのは無論の事である。小野さんはまたにやにやと笑った。 「小夜や、どうだい。あぶない、もう少しで紛れるところだった。京都じゃこんな事はないね」 「あの橋を通る時は……どうしようかと思いましたわ。だって怖くって……」 「もう大丈夫だ。何だか顔色が悪いようだね。くたびれたかい」 「少し心持が……」 「悪い? 歩きつけないのを無理に歩いたせいだよ。それにこの人出じゃあ。どっかでちょいと休もう。――小野、どっか休む所があるだろう、小夜が心持がよくないそうだから」 「そうですか、そこへ出るとたくさん茶屋がありますから」と小野さんはまた先へ立って行く。  運命は丸い池を作る。池を回るものはどこかで落ち合わねばならぬ。落ち合って知らぬ顔で行くものは幸である。人の海の湧き返る薄黒い倫敦で、朝な夕なに回り合わんと心掛ける甲斐もなく、眼を皿に、足を棒に、尋ねあぐんだ当人は、ただ一重の壁に遮られて隣りの家に煤けた空を眺めている。それでも逢えぬ、一生逢えぬ、骨が舎利になって、墓に草が生えるまで逢う事が出来ぬかも知れぬと書いた人がある。運命は一重の壁に思う人を終古に隔てると共に、丸い池に思わぬ人をはたと行き合わせる。変なものは互に池の周囲を回りながら近寄って来る。不可思議の糸は闇の夜をさえ縫う。 「どうだい女連はだいぶ疲れたろう。ここで御茶でも飲むかね」と宗近君が云う。 「女連はとにかく僕の方が疲れた」 「君より糸公の方が丈夫だぜ。糸公どうだ、まだ歩けるか」 「まだ歩けるわ」 「まだ歩ける? そりゃえらい。じゃ御茶は廃しにするかね」 「でも欽吾さんが休みたいとおっしゃるじゃありませんか」 「ハハハハなかなか旨い事を云う。甲野さん、糸公が君のために休んでやるとさ」 「ありがたい」と甲野さんは薄笑をしたが、 「藤尾も休んでくれるだろうね」と同じ調子でつけ加える。 「御頼みなら」と簡明な答がある。 「どうせ女には敵わない」と甲野さんは断案を下した。  池の水に差し掛けて洋風に作り上げた仮普請の入口を跨ぐと、小い卓に椅子を添えてここ、かしこに併べた大広間に、三人四人ずつの群がおのおの口の用を弁じている。どこへ席をとろうかと、四五十人の一座をずっと見廻した宗近君は、並んで右に立っている甲野さんの袂をぐいと引いた。後の藤尾はすぐおやと思う。しかし仰山に何事かと聞くのは不見識である。甲野さんは別段相図を返した様子もなく 「あすこが空いている」とずんずん奥へ這入って行く。あとを跟けながら藤尾の眼は大きな部屋の隅から隅までを残りなく腹の中へ畳み込む。糸子はただ下を見て通る。 「おい気がついたか」と宗近君の腰はまず椅子に落ちた。 「うん」と云う簡潔な返事がある。 「藤尾さん小野が来ているよ。後ろを見て御覧」と宗近君がまた云う。 「知っています」と云ったなり首は少しも動かなかった。黒い眼が怪しい輝を帯びて、頬の色は電気灯のもとでは少し熱過ぎる。 「どこに」と何気なき糸子は、優しい肩を斜めに捩じ向けた。  入口を左へ行き尽くして、二列目の卓を壁際に近く囲んで小野さんの連中は席を占めている。腰を卸した三人は突き当りの右側に、窓を控えて陣を取る。肩を動かした糸子の眼は、広い部屋に所択ばず散らついている群衆を端から端へ貫ぬいて、遥か隔たった小野さんの横顔に落ちた。――小夜子は真向に見える。孤堂先生は背中の紋ばかりである。春の夜を淋しく交る白い糸を、顎の下に抜くも嬾うく、世のままに、人のままに、また取る年の積るままに捨てて吹かるる憂き髯は小夜子の方に向いている。 「あら御連があるのね」と糸子は頸をもとへ返す。返すとき前に坐っている甲野さんと眼を見合せた。甲野さんは何にも云わない。灰皿の上に竪に挟んだ燐寸箱の横側をしゅっと擦った。藤尾も口を結んだままである。小野さんとは背中合せのままでわかれるつもりかも知れない。 「どうだい、別嬪だろう」と宗近君は糸子に調戯かける。  俯目に卓布を眺めていた藤尾の眼は見えぬ、濃い眉だけはぴくりと動いた。糸子は気がつかぬ、宗近君は平気である、甲野さんは超然としている。 「うつくしい方ね」と糸子は藤尾を見る。藤尾は眼を上げない。 「ええ」と素気なく云い放つ。極めて低い声である。答を与うるに価せぬ事を聞かれた時に、――相手に合槌を打つ事を屑とせざる時に――女はこの法を用いる。女は肯定の辞に、否定の調子を寓する霊腕を有している。 「見たかい甲野さん、驚いたね」 「うん、ちと妙だね」と巻煙草の灰を皿の中にはたき落す。 「だから僕が云ったのだ」 「何と云ったのだい」 「何と云ったって、忘れたかい」と宗近君も下向になって燐寸を擦る。刹那に藤尾の眸は宗近君の額を射た。宗近君は知らない。啣えた巻煙草に火を移して顔を真向に起した時、稲妻はすでに消えていた。 「あら妙だわね。二人して……何を云っていらっしゃるの」と糸子が聞く。 「ハハハハ面白い事があるんだよ。糸公……」と云い掛けた時紅茶と西洋菓子が来る。 「いやあ亡国の菓子が来た」 「亡国の菓子とは何だい」と甲野さんは茶碗を引き寄せる。 「亡国の菓子さハハハハ。糸公知ってるだろう亡国の菓子の由緒を」と云いながら角砂糖を茶碗の中へ抛り込む。蟹の眼のような泡が幽かな音を立てて浮き上がる。 「そんな事知らないわ」と糸子は匙でぐるぐる攪き廻している。 「そら阿爺が云ったじゃないか。書生が西洋菓子なんぞを食うようじゃ日本も駄目だって」 「ホホホホそんな事をおっしゃるもんですか」 「云わない? 御前よっぽど物覚がわるいね。そらこの間甲野さんや何かと晩飯を食った時、そう云ったじゃないか」 「そうじゃないわ。書生の癖に西洋菓子なんぞ食うのはのらくらものだっておっしゃったんでしょう」 「はああ、そうか。亡国の菓子じゃなかったかね。とにかく阿爺は西洋菓子が嫌だよ。柿羊羹か味噌松風、妙なものばかり珍重したがる。藤尾さんのようなハイカラの傍へ持って行くとすぐ軽蔑されてしまう」 「そう阿爺の悪口をおっしゃらなくってもいいわ。兄さんだって、もう書生じゃないから西洋菓子を食べたって大丈夫ですよ」 「もう叱られる気遣はないか。それじゃ一つやるかな。糸公も一つ御上り。どうだい藤尾さん一つ。――しかしなんだね。阿爺のような人はこれから日本にだんだん少なくなるね。惜しいもんだ」とチョコレートを塗った卵糖を口いっぱいに頬張る。 「ホホホホ一人で饒舌って……」と藤尾の方を見る。藤尾は応じない。 「藤尾は何も食わないのか」と甲野さんは茶碗を口へ付けながら聞く。 「たくさん」と云ったぎりである。  甲野さんは静かに茶碗を卸して、首を心持藤尾の方へ向け直した。藤尾は来たなと思いながら、瞬もせず窓を通して映る、イルミネーションの片割を専念に見ている。兄の首はしだいに故の位地に帰る。  四人が席を立った時、藤尾は傍目も触らず、ただ正面を見たなりで、女王の人形が歩を移すがごとく昂然として入口まで出る。 「もう小野は帰ったよ、藤尾さん」と宗近君は洒落に女の肩を敲く。藤尾の胸は紅茶で焼ける。 「驚ろくうちは楽がある。女は仕合せなものだ」と再び人込へ出た時、何を思ったか甲野さんは復前言を繰り返した。  驚くうちは楽がある! 女は仕合せなものだ! 家へ帰って寝床へ這入るまで藤尾の耳にこの二句が嘲の鈴のごとく鳴った。         十二  貧乏を十七字に標榜して、馬の糞、馬の尿を得意気に咏ずる発句と云うがある。芭蕉が古池に蛙を飛び込ますと、蕪村が傘を担いで紅葉を見に行く。明治になっては子規と云う男が脊髄病を煩って糸瓜の水を取った。貧に誇る風流は今日に至っても尽きぬ。ただ小野さんはこれを卑しとする。  仙人は流霞を餐し、朝※を吸う。詩人の食物は想像である。美くしき想像に耽るためには余裕がなくてはならぬ。美くしき想像を実現するためには財産がなくてはならぬ。二十世紀の詩趣と元禄の風流とは別物である。  文明の詩は金剛石より成る。紫より成る。薔薇の香と、葡萄の酒と、琥珀の盃より成る。冬は斑入の大理石を四角に組んで、漆に似たる石炭に絹足袋の底を煖めるところにある。夏は氷盤に莓を盛って、旨き血を、クリームの白きなかに溶し込むところにある。あるときは熱帯の奇蘭を見よがしに匂わする温室にある。野路や空、月のなかなる花野を惜気も無く織り込んだ綴の丸帯にある。唐錦小袖振袖の擦れ違うところにある。――文明の詩は金にある。小野さんは詩人の本分を完うするために金を得ねばならぬ。  詩を作るより田を作れと云う。詩人にして産を成したものは古今を傾けて幾人もない。ことに文明の民は詩人の歌よりも詩人の行を愛する。彼らは日ごと夜ごとに文明の詩を実現して、花に月に富貴の実生活を詩化しつつある。小野さんの詩は一文にもならぬ。  詩人ほど金にならん商買はない。同時に詩人ほど金のいる商買もない。文明の詩人は是非共|他の金で詩を作り、他の金で美的生活を送らねばならぬ事となる。小野さんがわが本領を解する藤尾に頼たくなるのは自然の数である。あすこには中以上の恒産があると聞く。腹違の妹を片づけるにただの箪笥と長持で承知するような母親ではない。ことに欽吾は多病である。実の娘に婿を取って、かかる気がないとも限らぬ。折々に、解いて見ろと、わざとらしく結ぶ辻占があたればいつも吉である。急いては事を仕損ずる。小野さんはおとなしくして事件の発展を、自ら開くべき優曇華の未来に待ち暮していた。小野さんは進んで仕掛けるような相撲をとらぬ、またとれぬ男である。  天地はこの有望の青年に対して悠久であった。春は九十日の東風を限りなく得意の額に吹くように思われた。小野さんは優しい、物に逆わぬ、気の長い男であった。――ところへ過去が押し寄せて来た。二十七年の長い夢と背を向けて、西の国へさらりと流したはずの昔から、一滴の墨汁にも較ぶべきほどの暗い小い点が、明かなる都まで押し寄せて来た。押されるものは出る気がなくても前へのめりたがる。おとなしく時機を待つ覚悟を気長にきめた詩人も未来を急がねばならぬ。黒い点は頭の上にぴたりと留っている。仰ぐとぐるぐる旋転しそうに見える。ぱっと散れば白雨が一度にくる。小野さんは首を縮めて馳け出したくなる。  四五日は孤堂先生の世話やら用事やらで甲野の方へ足を向ける事も出来なかった。昨夜は出来ぬ工夫を無理にして、旧師への義理立てに、先生と小夜子を博覧会へ案内した。恩は昔受けても今受けても恩である。恩を忘れるような不人情な詩人ではない。一飯漂母を徳とすと云う故事を孤堂先生から教わった事さえある。先生のためならばこれから先どこまでも力になるつもりでいる。人の難儀を救うのは美くしい詩人の義務である。この義務を果して、濃やかな人情を、得意の現在に、わが歴史の一部として、思出の詩料に残すのは温厚なる小野さんにもっとも恰好な優しい振舞である。ただ何事も金がなくては出来ぬ。金は藤尾と結婚せねば出来ぬ。結婚が一日早く成立すれば、一日早く孤堂先生の世話が思うように出来る。――小野さんは机の前でこう云う論理を発明した。  小夜子を捨てるためではない、孤堂先生の世話が出来るために、早く藤尾と結婚してしまわなければならぬ。――小野さんは自分の考に間違はないはずだと思う。人が聞けば立派に弁解が立つと思う。小野さんは頭脳の明暸な男である。  ここまで考えた小野さんはやがて机の上に置いてある、茶の表紙に豊かな金文字を入れた厚い書物を開けた。中からヌーボー式に青い柳を染めて赤瓦の屋根が少し見える栞があらわれる。小野さんは左の手に栞を滑らして、細かい活字を金縁の眼鏡の奥から読み始める。五分ばかりは無事であったが、しばらくすると、いつの間にやら、黒い眼は頁を離れて、筋違に日脚の伸びた障子の桟を見詰めている。――四五日藤尾に逢わぬ、きっと何とか思っているに違ない。ただの時なら四五日が十日でもさして心配にはならぬ。過去に追いつかれた今の身には梳る間も千金である。逢えば逢うたびに願の的は近くなる。逢わねば元の君と我にたぐり寄すべき恋の綱の寸分だも縮まる縁はない。のみならず、魔は節穴の隙にも射す。逢わぬ半日に日が落ちぬとも限らぬ、籠る一夜に月は入る。等閑のこの四五日に藤尾の眉にいかな稲妻が差しているかは夢|測りがたい。論文を書くための勉強は無論大切である。しかし藤尾は論文よりも大切である。小野さんはぱたりと書物を伏せた。  芭蕉布の襖を開けると、押入の上段は夜具、下には柳行李が見える。小野さんは行李の上に畳んである背広を出して手早く着換え終る。帽子は壁に主を待つ。がらりと障子を明けて、赤い鼻緒の上草履に、カシミヤの靴足袋を無理に突き込んだ時、下女が来る。 「おや御出掛。少し御待ちなさいよ」 「何だ」と草履から顔を上げる。下女は笑っている。 「何か用かい」 「ええ」とやっぱり笑っている。 「何だ。冗談か」と行こうとすると、卸し立ての草履が片方足を離れて、拭き込んだ廊下を洋灯部屋の方へ滑って行く。 「ホホホホ余まり周章るもんだから。御客様ですよ」 「誰だい」 「あら待ってた癖に空っとぼけて……」 「待ってた? 何を」 「ホホホホ大変|真面目ですね」と笑いながら、返事も待たず、入口へ引き返す。小野さんは気掛な顔をして障子の傍に上草履を揃えたまま廊下の突き当りを眺めている。何が出てくるかと思う。焦茶の中折が鴨居を越すほどの高い背を伸して、薄暗い廊下のはずれに折目正しく着こなした背広の地味なだけに、胸開の狭い胴衣から白い襯衣と白い襟が著るしく上品に見える。小野さんは姿よく着こなした衣裳を、見栄のせぬ廊下の片隅に、中ぶらりんに落ちつけて、光る眼鏡を斜めに、突き当りを眺めている。何が出てくるのかと思いながら眺めている。両手を洋袴の隠袋に挿し込むのは落ちつかぬ時の、落ちついた姿である。 「そこを曲ると真直です」と云う下女の声が聞えたと思うと、すらりと小夜子の姿が廊下の端にあらわれた。海老茶色の緞子の片側が竜紋の所だけ異様に光線を射返して見える。在来りの銘仙の袷を、白足袋の甲を隠さぬほどに着て、きりりと角を曲った時、長襦袢らしいものがちらと色めいた。同時に遮ぎるものもない中廊下に七歩の間隔を置いて、男女の視線は御互の顔の上に落ちる。  男はおやと思う。姿勢だけは崩さない。女ははっと躊躇う。やがて頬に差す紅を一度にかくして、乱るる笑顔を肩共に落す。油を注さぬ黒髪に、漣の琥珀に寄る幅広の絹の色が鮮な翼を片鬢に張る。 「さあ」と小野さんは隔たる人を近く誘うような挨拶をする。 「どちらへか御出掛で……」と立ちながら両手を前に重ねた女は、落した肩を、少しく浮かしたままで、気の毒そうに動かない。 「いえ何……まあ御這入んなさい。さあ」と片足を部屋のうちへ引く。 「御免」と云いながら、手を重ねたまま擦足に廊下を滑って来る。  男は全く部屋の中へ引き込んだ。女もつづいて這入る。明かなる日永の窓は若き二人に若き対話を促がす。 「昨夜は御忙しいところを……」と女は入口に近く手をつかえる。 「いえ、さぞ御疲でしたろう。どうです、御気分は。もうすっかり好いですか」 「はあ、御蔭さまで」と云う顔は何となく窶れている。男はちょっと真面目になった。女はすぐ弁解する。 「あんな人込へは滅多に出つけた事がないもんですから」  文明の民は驚ろいて喜ぶために博覧会を開く。過去の人は驚ろいて怖がるためにイルミネーションを見る。 「先生はどうですか」  小夜子は返事を控えて淋しく笑った。 「先生も雑沓する所が嫌でしたね」 「どうも年を取ったもんですから」と気の毒そうに、相手から眼を外して、畳の上に置いてある埋木の茶托を眺める。京焼の染付茶碗はさっきから膝頭に載っている。 「御迷惑でしたろう」と小野さんは隠袋から煙草入を取り出す。闇を照す月の色に富士と三保の松原が細かに彫ってある。その松に緑の絵の具を使ったのは詩人の持物としては少しく俗である。派出を好む藤尾の贈物かも知れない。 「いえ、迷惑だなんて。こっちから願って置いて」と小夜子は頭から小野さんの言葉を打ち消した。男は煙草入を開く。裏は一面の鍍金に、銀の冴えたる上を、花やかにぱっと流す。淋しき女は見事だと思う。 「先生だけなら、もっと閑静な所へ案内した方が好かったかも知れませんね」  忙しがる小野を無理に都合させて、好かぬ人込へわざわざ出掛けるのも皆自分が可愛いからである。済まぬ事には人込は自分も嫌である。せっかくの思に、袖振り交わして、長閑な歩を、春の宵に併んで移す当人は、依然として近寄れない。小夜子は何と返事をしていいか躊躇った。相手の親切に気兼をして、先方の心持を悪くさせまいと云う世態染みた料簡からではない。小夜子の躊躇ったのには、もう少し切ない意味が籠っている。 「先生にはやはり京都の方が好くはないですか」と女の躊躇った気色をどう解釈したか、小野さんは再び問い掛けた。 「東京へ来る前は、しきりに早く移りたいように云ってたんですけれども、来て見るとやはり住み馴れた所が好いそうで」 「そうですか」と小野さんはおとなしく受けたが、心の中ではそれほど性に合わない所へなぜ出て来たのかと、自分の都合を考えて多少馬鹿らしい気もする。 「あなたは」と聞いて見る。  小夜子はまた口籠る。東京が好いか悪いかは、目の前に、西洋の臭のする煙草を燻らしている青年の心掛一つできまる問題である。船頭が客人に、あなたは船が好きですかと聞いた時、好きも嫌も御前の舵の取りよう一つさと答えなければならない場合がある。責任のある船頭にこんな質問を掛けられるほど腹の立つ事はないように、自分の好悪を支配する人間から、素知らぬ顔ですきかきらいかを尋ねられるのは恨めしい。小夜子はまた口籠る。小野さんはなぜこう豁達せぬのかと思う。  胴衣の隠袋から時計を出して見る。 「どちらへか御出掛で」と女はすぐ悟った。 「ええ、ちょっと」と旨い具合に渡し込む。  女はまた口籠る。男は少し焦慮くなる。藤尾が待っているだろう。――しばらくは無言である。 「実は父が……」と小夜子はやっとの思で口を切った。 「はあ、何か御用ですか」 「いろいろ買物がしたいんですが……」 「なるほど」 「もし、御閑ならば、小野さんにいっしょに行っていただいて勧工場ででも買って来いと申しましたから」 「はあ、そうですか。そりゃ、残念な事で。ちょうど今から急いで出なければならない所があるもんですからね。――じゃ、こうしましょう。品物の名を聞いて置いて、私が帰りに買って晩に持って行きましょう」 「それでは御気の毒で……」 「何構いません」  父の好意は再び水泡に帰した。小夜子は悄然として帰る。小野さんは、脱いだ帽子を頭へ載せて手早く表へ出る。――同時に逝く春の舞台は廻る。  紫を辛夷の弁に洗う雨重なりて、花はようやく茶に朽ちかかる椽に、干す髪の帯を隠して、動かせば背に陽炎が立つ。黒きを外に、風が嬲り、日が嬲り、つい今しがたは黄な蝶がひらひらと嬲りに来た。知らぬ顔の藤尾は、内側を向いている。くっきりと肉の締った横顔は、後ろからさす日の影に、耳を蔽うて肩に流す鬢の影に、しっとりとして仄である。千筋にぎらついて深き菫を一面に浴せる肩を通り越して、向う側はと覗き込むとき、眩ゆき眼はしんと静まる。夕暮にそれかと思う蓼の花の、白きを人は潜むと云った。髪多く余る光を椽にこぼすこなたの影に、有るか無きかの細りした顔のなかを、濃く引き残したる眉の尾のみがたしかである。眉の下なる切長の黒い眼は何を語るか分らない。藤尾は寄木の小机に肱を持たせて俯向いている。  心臓の扉を黄金の鎚に敲いて、青春の盃に恋の血潮を盛る。飲まずと口を背けるものは片輪である。月傾いて山を慕い、人老いて妄りに道を説く。若き空には星の乱れ、若き地には花吹雪、一年を重ねて二十に至って愛の神は今が盛である。緑濃き黒髪を婆娑とさばいて春風に織る羅を、蜘蛛の囲と五彩の軒に懸けて、自と引き掛る男を待つ。引き掛った男は夜光の璧を迷宮に尋ねて、紫に輝やく糸の十字万字に、魂を逆にして、後の世までの心を乱す。女はただ心地よげに見やる。耶蘇教の牧師は救われよという。臨済、黄檗は悟れと云う。この女は迷えとのみ黒い眸を動かす。迷わぬものはすべてこの女の敵である。迷うて、苦しんで、狂うて、躍る時、始めて女の御意はめでたい。欄干に繊い手を出してわんと云えという。わんと云えばまたわんと云えと云う。犬は続け様にわんと云う。女は片頬に笑を含む。犬はわんと云い、わんと云いながら右へ左へ走る。女は黙っている。犬は尾を逆にして狂う。女はますます得意である。――藤尾の解釈した愛はこれである。  石仏に愛なし、色は出来ぬものと始から覚悟をきめているからである。愛は愛せらるる資格ありとの自信に基いて起る。ただし愛せらるるの資格ありと自信して、愛するの資格なきに気のつかぬものがある。この両資格は多くの場合において反比例する。愛せらるるの資格を標榜して憚からぬものは、いかなる犠牲をも相手に逼る。相手を愛するの資格を具えざるがためである。※たる美目に魂を打ち込むものは必ず食われる。小野さんは危い。倩たる巧笑にわが命を托するものは必ず人を殺す。藤尾は丙午である。藤尾は己れのためにする愛を解する。人のためにする愛の、存在し得るやと考えた事もない。詩趣はある。道義はない。  愛の対象は玩具である。神聖なる玩具である。普通の玩具は弄ばるるだけが能である。愛の玩具は互に弄ぶをもって原則とする。藤尾は男を弄ぶ。一毫も男から弄ばるる事を許さぬ。藤尾は愛の女王である。成立つものは原則を外れた恋でなければならぬ。愛せらるる事を専門にするものと、愛する事のみを念頭に置くものとが、春風の吹き回しで、旨い潮の満干で、はたりと天地の前に行き逢った時、この変則の愛は成就する。  我を立てて恋をするのは、火事頭巾を被って、甘酒を飲むようなものである。調子がわるい。恋はすべてを溶かす。角張った絵紙鳶も飴細工であるからは必ず流れ出す。我は愛の水に浸して、三日三晩の長きに渉ってもふやける気色を見せぬ。どこまでも堅く控えている。我を立てて恋をするものは氷砂糖である。  沙翁は女を評して脆きは汝が名なりと云った。脆きが中に我を通す昂れる恋は、炊ぎたる飯の柔らかきに御影の砂を振り敷いて、心を許す奥歯をがりがりと寒からしむ。噛み締めるものに護謨の弾力がなくては無事には行かぬ。我の強い藤尾は恋をするために我のない小野さんを択んだ。蜘蛛の囲にかかる油蝉はかかっても暴れて行かぬ。時によると網を破って逃げる事がある。宗近君を捕るは容易である。宗近君を馴らすは藤尾といえども困難である。我の女は顋で相図をすれば、すぐ来るものを喜ぶ。小野さんはすぐ来るのみならず、来る時は必ず詩歌の璧を懐に抱いて来る。夢にだもわれを弄ぶの意思なくして、満腔の誠を捧げてわが玩具となるを栄誉と思う。彼を愛するの資格をわれに求むる事は露知らず、ただ愛せらるべき資格を、わが眼に、わが眉に、わが唇に、さてはわが才に認めてひたすらに渇仰する。藤尾の恋は小野さんでなくてはならぬ。  唯々として来るべきはずの小野さんが四五日見えぬ。藤尾は薄き粧を日ごとにして我の角を鏡の裡に隠していた。その五日目の昨夕! 驚くうちは楽がある! 女は仕合せなものだ! 嘲の鈴はいまだに耳の底に鳴っている。小机に肱を持たしたまま、燃ゆる黒髪を照る日に打たして身動もせぬ。背を椽に、顔を影なる居住は、考え事に明海を忌む、昔からの掟である。  縄なくて十重に括る虜は、捕われたるを誇顔に、麾けば来り、指せば走るを、他意なしとのみ弄びたるに、奇麗な葉を裏返せば毛虫がいる。思う人と併んで姿見に向った時、大丈夫写るは君と我のみと、神|懸けて疑わぬを、見れば間違った。男はそのままの男に、寄り添うは見た事もない他人である。驚くうちは楽がある! 女は仕合せなものだ!  冴えぬ白さに青味を含む憂顔を、三五の卓を隔てて電灯の下に眺めた時は、――わが傍ならでは、若き美くしき女に近づくまじきはずの男が、気遣わし気に、また親し気に、この人と半々に洋卓の角を回って向き合っていた時は、――撞木で心臓をすぽりと敲かれたような気がした。拍子に胸の血はことごとく頬に潮す。紅は云う、赫としてここに躍り上がると。  我は猛然として立つ。その儀ならばと云う。振り向いてもならぬ。不審を打ってもならぬ。一字の批評も不見識である。有ども無きがごとくに装え。昂然として水準以下に取り扱え。――気がついた男は面目を失うに違ない。これが復讐である。  我の女はいざと云う間際まで心細い顔をせぬ。恨むと云うは頼る人に見替られた時に云う。侮に対する適当な言葉は怒である。無念と嫉妬を交ぜ合せた怒である。文明の淑女は人を馬鹿にするを第一義とする。人に馬鹿にされるのを死に優る不面目と思う。小野さんはたしかに淑女を辱しめた。  愛は信仰より成る。信仰は二つの神を念ずるを許さぬ。愛せらるべき、わが資格に、帰依の頭を下げながら、二心の背を軽薄の街に向けて、何の社の鈴を鳴らす。牛頭、馬骨、祭るは人の勝手である。ただ小野さんは勝手な神に恋の御賽銭を投げて、波か字かの辻占を見てはならぬ。小野さんは、この黒い眼から早速に放つ、見えぬ光りに、空かけて織りなした無紋の網に引き掛った餌食である。外へはやられぬ。神聖なる玩具として生涯大事にせねばならぬ。  神聖とは自分一人が玩具にして、外の人には指もささせぬと云う意味である。昨夕から小野さんは神聖でなくなった。それのみか向うでこっちを玩具にしているかも知れぬ。――肱を持たして、俯向くままの藤尾の眉が活きて来る。  玩具にされたのならこのままでは置かぬ。我は愛を八つ裂にする。面当はいくらもある。貧乏は恋を乾干にする。富貴は恋を贅沢にする。功名は恋を犠牲にする。我は未練な恋を踏みつける。尖る錐に自分の股を刺し通して、それ見ろと人に示すものは我である。自己がもっとも価ありと思うものを捨てて得意なものは我である。我が立てば、虚栄の市にわが命さえ屠る。逆しまに天国を辞して奈落の暗きに落つるセータンの耳を切る地獄の風は我! 我! と叫ぶ。――藤尾は俯向ながら下唇を噛んだ。  逢わぬ四五日は手紙でも出そうかと思っていた。昨夕帰ってからすぐ書きかけて見たが、五六行かいた後で何をとずたずたに引き裂いた。けっして書くまい。頭を下げて先方から折れて出るのを待っている。だまっていればきっと出てくる。出てくれば謝罪らせる。出て来なければ? 我はちょっと困った。手の届かぬところに我を立てようがない。――なに来る、きっと来る、と藤尾は口の中で云う。知らぬ小野さんははたして我に引かれつつある。来つつある。  よし来ても昨夜の女の事は聞くまい。聞けばあの女を眼中に置く事になる。昨夕食卓で兄と宗近が妙な合言葉を使っていた。あの女と小野の関係を聞えよがしに、自分を焦らす料簡だろう。頭を下げて聞き出しては我が折れる。二人で寄ってたかって人を馬鹿にするつもりならそれでよい。二人が仄かした事実の反証を挙げて鼻をあかしてやる。  小野はどうしても詫らせなければならぬ。つらく当って詫らせなければならぬ。同時に兄と宗近も詫らせなければならぬ。小野は全然わがもので、調戯面にあてつけた二人の悪戯は何の役にも立たなかった、見ろこの通りと親しいところを見せつけて、鼻をあかして詫らせなければならぬ。――藤尾は矛盾した両面を我の一字で貫こうと、洗髪の後に顔を埋めて考えている。  静かな椽に足音がする。背の高い影がのっと現われた。絣の袷の前が開いて、肌につけた鼠色の毛織の襯衣が、長い三角を逆様にして胸に映る上に、長い頸がある、長い顔がある。顔の色は蒼い。髪は渦を捲いて、二三ヵ月は刈らぬと見える。四五日は櫛を入れないとも思われる。美くしいのは濃い眉と口髭である。髭の質は極めて黒く、極めて細い。手を入れぬままに自然の趣を具えて何となく人柄に見える。腰は汚れた白縮緬を二重に周して、長過ぎる端を、だらりと、猫じゃらしに、右の袂の下で結んでいる。裾は固より合わない。引き掛けた法衣のようにふわついた下から黒足袋が見える。足袋だけは新らしい。嗅げば紺の匂がしそうである。古い頭に新らしい足の欽吾は、世を逆様に歩いて、ふらりと椽側へ出た。  拭き込んだ細かい柾目の板が、雲斎底の影を写すほどに、軽く足音を受けた時に、藤尾の背中に背負った黒い髪はさらりと動いた。途端に椽に落ちた紺足袋が女の眼に這入る。足袋の主は見なくても知れている。  紺足袋は静かに歩いて来た。 「藤尾」  声は後でする。雨戸の溝をすっくと仕切った栂の柱を背に、欽吾は留ったらしい。藤尾は黙っている。 「また夢か」と欽吾は立ったまま、癖のない洗髪を見下した。 「何です」と云いなり女は、顔を向け直した。赤棟蛇の首を擡げた時のようである。黒い髪に陽炎を砕く。  男は、眼さえ動かさない。蒼い顔で見下している。向き直った女の額をじっと見下している。 「昨夕は面白かったかい」  女は答える前に熱い団子をぐいと嚥み下した。 「ええ」と極めて冷淡な挨拶をする。 「それは好かった」と落ちつき払って云う。  女は急いて来る。勝気な女は受太刀だなと気がつけば、すぐ急いて来る。相手が落ちついていればなお急いて来る。汗を流して斬り込むならまだしも、斬り込んで置きながら悠々として柱に倚って人を見下しているのは、酒を飲みつつ胡坐をかいて追剥をすると同様、ちと虫がよすぎる。 「驚くうちは楽があるんでしょう」  女は逆に寄せ返した。男は動じた様子もなく依然として上から見下している。意味が通じた気色さえ見えぬ。欽吾の日記に云う。――ある人は十銭をもって一円の十分一と解釈し、ある人は十銭をもって一銭の十倍と解釈すと。同じ言葉が人に依って高くも低くもなる。言葉を用いる人の見識次第である。欽吾と藤尾の間にはこれだけの差がある。段が違うものが喧嘩をすると妙な現象が起る。  姿勢を変えるさえ嬾うく見えた男はただ 「そうさ」と云ったのみである。 「兄さんのように学者になると驚きたくっても、驚ろけないから楽がないでしょう」 「楽?」と聞いた。楽の意味が分ってるのかと云わぬばかりの挨拶と藤尾は思う。兄はやがて云う。 「楽はそうないさ。その代り安心だ」 「なぜ」 「楽のないものは自殺する気遣がない」  藤尾には兄の云う事がまるで分らない。蒼い顔は依然として見下している。なぜと聞くのは不見識だから黙っている。 「御前のように楽の多いものは危ないよ」  藤尾は思わず黒髪に波を打たした。きっと見上げる上から兄は分ったかとやはり見下している。何事とも知らず「埃及の御代しろし召す人の最後ぞ、かくありてこそ」と云う句を明かに思い出す。 「小野は相変らず来るかい」  藤尾の眼は火打石を金槌の先で敲いたような火花を射る。構わぬ兄は 「来ないかい」と云う。  藤尾はぎりぎりと歯を噛んだ。兄は談話を控えた。しかし依然として柱に倚っている。 「兄さん」 「何だい」とまた見下す。 「あの金時計は、あなたには渡しません」 「おれに渡さなければ誰に渡す」 「当分|私があずかって置きます」 「当分御前があずかる? それもよかろう。しかしあれは宗近にやる約束をしたから……」 「宗近さんに上げる時には私から上げます」 「御前から」と兄は少し顔を低くして妹の方へ眼を近寄せた。 「私から――ええ私から――私から誰かに上げます」と寄木の机に凭せた肘を跳ねて、すっくり立ち上がる。紺と、濃い黄と、木賊と海老茶の棒縞が、棒のごとく揃って立ち上がる。裾だけが四色の波のうねりを打って白足袋の鞐を隠す。 「そうか」 と兄は雲斎底の踵を見せて、向へ行ってしまった。  甲野さんが幽霊のごとく現われて、幽霊のごとく消える間に、小野さんは近づいて来る。いくたびの降る雨に、土に籠る青味を蒸し返して、湿りながらに暖かき大地を踏んで近づいて来る。磨き上げた山羊の皮に被る埃さえ目につかぬほどの奇麗な靴を、刻み足に運ばして甲野家の門に近づいて来る。  世を投げ遣りのだらりとした姿の上に、義理に着る羽織の紐を丸打に結んで、細い杖に本来空の手持無沙汰を紛らす甲野さんと、近づいてくる小野さんは塀の側でぱたりと逢った。自然は対照を好む。 「どこへ」と小野さんは帽に手を懸けて、笑いながら寄ってくる。 「やあ」と受け応があった。そのまま洋杖は動かなくなる。本来は洋杖さえ手持無沙汰なものである。 「今、ちょっと行こうと思って……」 「行きたまえ。藤尾はいる」と甲野さんは素直に相手を通す気である。小野さんは躊躇する。 「君はどこへ」とまた聞き直す。君の妹には用があるが、君はどうなっても構わないと云う態度は小野さんの取るに忍びざるところである。 「僕か、僕はどこへ行くか分らない。僕がこの杖を引っ張り廻すように、何かが僕を引っ張り廻すだけだ」 「ハハハハだいぶ哲学的だね。――散歩?」と下から覗き込んだ。 「ええ、まあ……好い天気だね」 「好い天気だ。――散歩より博覧会はどうだい」 「博覧会か――博覧会は――昨夕見た」 「昨夕行ったって?」と小野さんの眼は一時に坐る。 「ああ」  小野さんはああの後から何か出て来るだろうと思って、控えている。時鳥は一声で雲に入ったらしい。 「一人で行ったのかい」と今度はこちらから聞いて見る。 「いいや。誘われたから行った」  甲野さんにははたして連があった。小野さんはもう少し進んで見なければ済まないようになる。 「そうかい、奇麗だったろう」とまず繋ぎに出して置いて、そのうちに次の問を考える事にする。ところが甲野さんは簡単に 「うん」の一句で答をしてしまう。こっちは考のまとまらないうち、すぐ何とか付けなければならぬ。始めは「誰と?」と聞こうとしたが、聞かぬ前にいや「何時頃?」の方が便宜ではあるまいかと思う。いっそ「僕も行った」と打って出ようか知ら、そうしたら先方の答次第で万事が明暸になる。しかしそれもいらぬ事だ。――小野さんは胸の上、咽喉の奥でしばらく押問答をする。その間に甲野さんは細い杖の先を一尺ばかり動かした。杖のあとに動くものは足である。この相図をちらりと見て取った小野さんはもう駄目だ、よそうと咽喉の奥でせっかくの計画をほごしてしまう。爪の垢ほど先を制せられても、取り返しをつけようと意思を働かせない人は、教育の力では翻えす事の出来ぬ宿命論者である。 「まあ行きたまえ」とまた甲野さんが云う。催促されるような気持がする。運命が左へと指図をしたらしく感じた時、後から押すものがあれば、すぐ前へ出る。 「じゃあ……」と小野さんは帽子をとる。 「そうか、じゃあ失敬」と細い杖は空間を二尺ばかり小野さんから遠退いた。一歩門へ近寄った小野さんの靴は同時に一歩杖に牽かれて故へ帰る。運命は無限の空間に甲野さんの杖と小野さんの足を置いて、一尺の間隔を争わしている。この杖とこの靴は人格である。我らの魂は時あって靴の踵に宿り、時あって杖の先に潜む。魂を描く事を知らぬ小説家は杖と靴とを描く。  一歩の空間を行き尽した靴は、光る頭を回らして、棄身に細い体を大地に托した杖に問いかけた。 「藤尾さんも、昨夕いっしょに行ったのかい」  棒のごとく真直に立ち上がった杖は答える。 「ああ、藤尾も行った。――ことに因ると今日は下読が出来ていないかも知れない」  細い杖は地に着くがごとく、また地を離るるがごとく、立つと思えば傾むき、傾むくと思えば立ち、無限の空間を刻んで行く。光る靴は突き込んだ頭に薄い泥を心持わるく被ったまま、遠慮勝に門内の砂利を踏んで玄関に掛かる。  小野さんが玄関に掛かると同時に、藤尾は椽の柱に倚りながら、席に返らぬ爪先を、雨戸引く溝の上に翳して、手広く囲い込んだ庭の面を眺めている。藤尾が椽の柱に倚りかかるよほど前から、謎の女は立て切った一間のうちで、鳴る鉄瓶を相手に、行く春の行き尽さぬ間を、根限り考えている。  欽吾はわが腹を痛めぬ子である。――謎の女の考は、すべてこの一句から出立する。この一句を布衍すると謎の女の人生観になる。人生観を増補すると宇宙観が出来る。謎の女は毎日鉄瓶の音を聞いては、六畳敷の人生観を作り宇宙観を作っている。人生観を作り宇宙観を作るものは閑のある人に限る。謎の女は絹布団の上でその日その日を送る果報な身分である。  居住は心を正す。端然と恋に焦れたもう雛は、虫が喰うて鼻が欠けても上品である。謎の女はしとやかに坐る。六畳敷の人生観もまたしとやかでなくてはならぬ。  老いて夫なきは心細い。かかるべき子なきはなおさら心細い。かかる子が他人なるは心細い上に忌わしい。かかるべき子を持ちながら、他人にかからねばならぬ掟は忌わしいのみか情けない。謎の女は自を情ない不幸の人と信じている。  他人でも合わぬとは限らぬ。醤油と味淋は昔から交っている。しかし酒と煙草をいっしょに呑めば咳が出る。親の器の方円に応じて、盛らるる水の調子を合わせる欽吾ではない。日を経れば日を重ねて隔りの関が出来る。この頃は江戸の敵に長崎で巡り逢ったような心持がする。学問は立身出世の道具である。親の機嫌に逆って、師走正月の拍子をはずすための修業ではあるまい。金を掛けてわざわざ変人になって、学校を出ると世間に通用しなくなるのは不名誉である。外聞がわるい。嗣子としては不都合と思う。こんなものに死水を取って貰う気もないし、また取るほどの働のあるはずがない。  幸と藤尾がいる。冬を凌ぐ女竹の、吹き寄せて夜を積る粉雪をぴんと撥ねる力もある。十目を街頭に集むる春の姿に、蝶を縫い花を浮かした派出な衣裳も着せてある。わが子として押し出す世間は広い。晴れた天下を、晴れやかに練り行くを、迷うは人の随意である。三国一の婿と名乗る誰彼を、迷わしてこそ、焦らしてこそ、育て上げた母の面目は揚る。海鼠の氷ったような他人にかかるよりは、羨しがられて華麗に暮れては明ける実の娘の月日に添うて墓に入るのが順路である。  蘭は幽谷に生じ、剣は烈士に帰す。美くしき娘には、名ある聟を取らねばならぬ。申込はたくさんあるが、娘の気に入らぬものは、自分の気に入らぬものは、役に立たぬ。指の太さに合わぬ指輪は貰っても捨てるばかりである。大き過ぎても小さ過ぎても聟には出来ぬ。したがって聟は今日まで出来ずにいた。燦として群がるもののうちにただ一人小野さんが残っている。小野さんは大変学問のできる人だと云う。恩賜の時計をいただいたと云う。もう少し立つと博士になると云う。のみならず愛嬌があって親切である。上品で調子がいい。藤尾の聟として恥ずかしくはあるまい。世話になっても心持がよかろう。  小野さんは申分のない聟である。ただ財産のないのが欠点である。しかし聟の財産で世話になるのは、いかに気に入った男でも幅が利かぬ。無一物の某を入れて、おとなしく嫁姑を大事にさせるのが、藤尾の都合にもなる、自分のためでもある。一つ困る事はその財産である。夫が外国で死んだ四ヵ月後の今日は当然欽吾の所有に帰してしまった。魂胆はここから始まる。  欽吾は一文の財産もいらぬと云う。家も藤尾にやると云う。義理の着物を脱いで便利の赤裸になれるものなら、降って湧いた温泉へ得たり賢こしと飛び込む気にもなる。しかし体裁に着る衣裳はそう無雑作に剥ぎ取れるものではない。降りそうだから傘をやろうと投げ出した時、二本あれば遠慮をせぬが世間であるが、見す見すくれる人が濡れるのを構わずにわがままな手を出すのは人の思わくもある。そこに謎が出来る。くれると云うのは本気で云う嘘で、取らぬ顔つきを見せるのも隣近所への申訳に過ぎない。欽吾の財産を欽吾の方から無理に藤尾に譲るのを、厭々ながら受取った顔つきに、文明の手前を繕わねばならぬ。そこで謎が解ける。くれると云うのを、くれたくない意味と解いて、貰う料簡で貰わないと主張するのが謎の女である。六畳敷の人生観はすこぶる複雑である。  謎の女は問題の解決に苦しんでとうとう六畳敷を出た。貰いたいものを飽くまで貰わないと主張して、しかも一日も早く貰ってしまう方法は微分積分でも容易に発見の出来ぬ方法である。謎の女が苦し紛れの屈託顔に六畳敷を出たのは、焦慮いが高じて、布団の上に坐たたまれないからである。出て見ると春の日は存外|長閑で、平気に鬢を嬲る温風はいやに人を馬鹿にする。謎の女はいよいよ気色が悪くなった。  椽を左に突き当れば西洋館で、応接間につづく一部屋は欽吾が書斎に使っている。右は鍵の手に折れて、折れたはずれの南に突き出した六畳が藤尾の居間となる。  菱餅の底を渡る気で真直な向う角を見ると藤尾が立っている。濡色に捌いた濃き鬢のあたりを、栂の柱に圧しつけて、斜めに持たした艶な姿の中ほどに、帯深く差し込んだ手頸だけが白く見える。萩に伏し薄に靡く故里を流離人はこんな風に眺める事がある。故里を離れぬ藤尾は何を眺めているか分らない。母は椽を曲って近寄った。 「何を考えているの」 「おや、御母さん」と斜めな身体を柱から離す。振り返った眼つきには愁の影さえもない。我の女と謎の女は互に顔を見合した。実の親子である。 「どうかしたのかい」と謎が云う。 「なぜ」と我が聞き返す。 「だって、何だか考え込んでいるからさ」 「何にも考えていやしません。庭の景色を見ていたんです」 「そう」と謎は意味のある顔つきをした。 「池の緋鯉が跳ねますよ」と我は飽くまでも主張する。なるほど濁った水のなかで、ぽちゃりと云う音がした。 「おやおや。――御母さんの部屋では少しも聞えないよ」  聞えないんではない。謎で夢中になっていたのである。 「そう」と今度は我の方で意味のある顔つきをする。世はさまざまである。 「おや、もう蓮の葉が出たね」 「ええ。まだ気がつかなかったの」 「いいえ。今|始て」と謎が云う。謎ばかり考えているものは迂濶である。欽吾と藤尾の事を引き抜くと頭は真空になる。蓮の葉どころではない。  蓮の葉が出たあとには蓮の花が咲く。蓮の花が咲いたあとには蚊帳を畳んで蔵へ入れる。それから蟋蟀が鳴く。時雨れる。木枯が吹く。……謎の女が謎の解決に苦しんでいるうちに世の中は変ってしまう。それでも謎の女は一つ所に坐って謎を解くつもりでいる。謎の女は世の中で自分ほど賢いものはないと思っている。迂濶だなどとは夢にも考えない。  緋鯉ががぽちゃりとまた跳ねる。薄濁のする水に、泥は沈んで、上皮だけは軽く温む底から、朦朧と朱い影が静かな土を動かして、浮いて来る。滑らかな波にきらりと射す日影を崩さぬほどに、尾を揺っているかと思うと、思い切ってぽんと水を敲いて飛びあがる。一面に揚る泥の濃きうちに、幽かなる朱いものが影を潜めて行く。温い水を背に押し分けて去る痕は、一筋のうねりを見せて、去年の蘆を風なきに嬲る。甲野さんの日記には鳥入雲無迹、魚行水有紋と云う一聯が律にも絶句にもならず、そのまま楷書でかいてある。春光は天地を蔽わず、任意に人の心を悦ばしむ。ただ謎の女には幸せぬ。 「何だって、あんなに跳ねるんだろうね」と聞いた。謎の女が謎を考えるごとく、緋鯉もむやみに跳ねるのであろう。酔狂と云えば双方とも酔狂である。藤尾は何とも答えなかった。  浮き立ての蓮の葉を称して支那の詩人は青銭を畳むと云った。銭のような重い感じは無論ない。しかし水際に始めて昨日、今日の嫩い命を托して、娑婆の風に薄い顔を曝すうちは銭のごとく細かである。色も全く青いとは云えぬ。美濃紙の薄きに過ぎて、重苦しと碧を厭う柔らかき茶に、日ごとに冒す緑青を交ぜた葉の上には、鯉の躍った、春の名残が、吹けば飛ぶ、置けば崩れぬ珠となって転がっている。――答をせぬ藤尾はただ眼前の景色を眺める。鯉はまた躍った。  母は無意味に池の上を※ていたが、やがて気を換えて 「近頃、小野さんは来ないようだね。どうかしたのかい」と聞いて見る。  藤尾は屹と向き直った。 「どうしたんですか」とじっと母を見た上で、澄してまた庭の方へ眸を反らす。母はおやと思う。さっきの鯉が薄赤く浮葉の下を通る。葉は気軽に動く。 「来ないなら、何とか云って来そうなもんだね。病気でもしているんじゃないか」 「病気だって?」と藤尾の声は疳走るほどに高かった。 「いいえさ。病気じゃないかと聞くのさ」 「病気なもんですか」  清水の舞台から飛び降りたような語勢は鼻の先でふふんと留った。母はまたおやと思う。 「あの人はいつ博士になるんだろうね」 「いつですか」とよそごとのように云う。 「御前――あの人と喧嘩でもしたのかい」 「小野さんに喧嘩が出来るもんですか」 「そうさ、ただ教えて貰やしまいし、相当の礼をしているんだから」  謎の女にはこれより以上の解釈は出来ないのである。藤尾は返事を見合せた。  昨夕の事を打ち明けてこれこれであったと話してしまえばそれまでである。母は無論|躍起になって、こっちに同情するに違ない。打ち明けて都合が悪いとは露思わぬが、進んで同情を求めるのは、餓に逼って、知らぬ人の門口に、一銭二銭の憐を乞うのと大した相違はない。同情は我の敵である。昨日まで舞台に躍る操人形のように、物云うも懶きわが小指の先で、意のごとく立たしたり、寝かしたり、果は笑わしたり、焦らしたり、どぎまぎさして、面白く興じていた手柄顔を、母も天晴れと、うごめかす鼻の先に、得意の見栄をぴくつかせていたものを、――あれは、ほんの表向で、内実の昨夕を見たら、招く薄は向へ靡く。知らぬ顔の美しい人と、睦じく御茶を飲んでいたと、心外な蓋をとれば、母の手前で器量が下がる。我が承知が出来ぬと云う。外れた鷹なら見限をつけてもういらぬと話す。あとを跟けて鼻を鳴らさぬような犬ならば打ちやった後で、捨てて来たと公言する。小野さんの不心得はそこまでは進んでおらぬ。放って置けば帰るかも知れない。いや帰るに違ないと、小夜子と自分を比較した我が証言してくれる。帰って来た時に辛い目に逢わせる。辛い目に逢わせた後で、立たしたり、寝かしたりする。笑わしたり、焦らしたり、どぎまぎさしたりする。そうして、面白そうな手柄顔を、母に見せれば母への面目は立つ。兄と一に見せれば、両人への意趣返しになる。――それまでは話すまい。藤尾は返事を見合せた。母は自分の誤解を悟る機会を永久に失った。 「さっき欽吾が来やしないか」と母はまた質問を掛ける。鯉は躍る。蓮は芽を吹く、芝生はしだいに青くなる、辛夷は朽ちた。謎の女はそんな事に頓着はない。日となく夜となく欽吾の幽霊で苦しめられている。書斎におれば何をしているかと思い、考えておれば何を考えているかと思い、藤尾の所へ来れば、どんな話をしに来たのかと思う。欽吾は腹を痛めぬ子である。腹を痛めぬ子に油断は出来ぬ。これが謎の女の先天的に教わった大真理である。この真理を発見すると共に謎の女は神経衰弱に罹った。神経衰弱は文明の流行病である。自分の神経衰弱を濫用すると、わが子までも神経衰弱にしてしまう。そうしてあれの病気にも困り切りますと云う。感染したものこそいい迷惑である。困り切るのはどっちの云い分か分らない。ただ謎の女の方では、飽くまでも欽吾に困り切っている。 「さっき欽吾が来やしないか」と云う。 「来たわ」 「どうだい様子は」 「やっぱり相変らずですわ」 「あれにも、本当に……」で薄く八の字を寄せたが、 「困り者だね」と切った時、八の字は見る見る深くなった。 「何でも奥歯に物の挟ったような皮肉ばかり云うんですよ」 「皮肉なら好いけれども、時々気の知れない囈語を云うにゃ困るじゃないか。何でもこの頃は様子が少し変だよ」 「あれが哲学なんでしょう」 「哲学だか何だか知らないけれども。――さっき何か云ったかい」 「ええまた時計の事を……」 「返せって云うのかい。一にやろうがやるまいが余計な御世話じゃないか」 「今どっかへ出掛けたでしょう」 「どこへ行ったんだろう」 「きっと宗近へ行ったんですよ」  対話がここまで進んだ時、小野さんがいらっしゃいましたと下女が両手をつかえる。母は自分の部屋へ引き取った。  椽側を曲って母の影が障子のうちに消えたとき、小野さんは内玄関の方から、茶の間の横を通って、次の六畳を、廊下へ廻らず抜けて来る。  磬を打って入室相見の時、足音を聞いただけで、公案の工夫が出来たか、出来ないか、手に取るようにわかるものじゃと云った和尚がある。気の引けるときは歩き方にも現われる。獣にさえ屠所のあゆみと云う諺がある。参禅の衲子に限った現象とは認められぬ。応用は才人小野さんの上にも利く。小野さんは常から世の中に気兼をし過ぎる。今日は一入変である。落人は戦ぐ芒に安からず、小野さんは軽く踏む青畳に、そと落す靴足袋の黒き爪先に憚り気を置いて這入って来た。  一睛を暗所に点ぜず、藤尾は眼を上げなかった。ただ畳に落す靴足袋の先をちらりと見ただけでははあと悟った。小野さんは座に着かぬ先から、もう舐められている。 「今日は……」と座りながら笑いかける。 「いらっしゃい」と真面目な顔をして、始めて相手をまともに見る。見られた小野さんの眸はぐらついた。 「御無沙汰をしました」とすぐ言訳を添える。 「いいえ」と女は遮った。ただしそれぎりである。  男は出鼻を挫かれた気持で、どこから出直そうかと考える。座敷は例のごとく静である。 「だいぶ暖かになりました」 「ええ」  座敷のなかにこの二句を点じただけで、後は故のごとく静になる。ところへ鯉がぽちゃりとまた跳る。池は東側で、小野さんの背中に当る。小野さんはちょっと振り向いて鯉がと云おうとして、女の方を見ると、相手の眼は南側の辛夷に注いている。――壺のごとく長い弁から、濃い紫が春を追うて抜け出した後は、残骸に空しき茶の汚染を皺立てて、あるものはぽきりと絶えた萼のみあらわである。  鯉がと云おうとした小野さんはまた廃めた。女の顔は前よりも寄りつけない。――女は御無沙汰をした男から、御無沙汰をした訳を云わせる気で、ただいいえと受けた。男は仕損ったと心得て、だいぶ暖になりましたと気を換えて見たが、それでも験が見えぬので、鯉がの方へ移ろうとしたのである。男は踏み留まれるところまで滑って行く気で、気を揉んでいるのに、女は依然として故の所に坐って動かない。知らぬ小野さんはまた考えなければならぬ。  四五日来なかったのが気に入らないなら、どうでもなる。昨夕博覧会で見つかったなら少し面倒である。それにしても弁解の道はいくらでもつく。しかし藤尾がはたして自分と小夜子を、ぞろぞろ動く黒い影の絶間なく入れ代るうちで認めたろうか。認められたらそれまでである。認められないのに、こちらから思い切って持ち出すのは、肌を脱いで汚い腫物を知らぬ人の鼻の前に臭わせると同じ事になる。  若い女と連れ立って路を行くは当世である。ただ歩くだけなら名誉になろうとも瑕疵とは云わせぬ。今宵限の朧だものと、即興にそそのかされて、他生の縁の袖と袂を、今宵限り擦り合せて、あとは知らぬ世の、黒い波のざわつく中に、西東首を埋めて、あかの他人と化けてしまう。それならば差支ない。進んでこうと話もする。残念な事には、小夜子と自分は、碁盤の上に、訳もなく併べられた二つの石の引っ付くような浅い関係ではない。こちらから逃げ延びた五年の永き年月を、向では離れじと、日の間とも夜の間ともなく、繰り出す糸の、誠は赤き縁の色に、細くともこれまで繋ぎ留められた仲である。  ただの女と云い切れば済まぬ事もない。その代り、人も嫌い自分も好かぬ嘘となる。嘘は河豚汁である。その場限りで祟がなければこれほど旨いものはない。しかし中毒たが最後苦しい血も吐かねばならぬ。その上嘘は実を手繰寄せる。黙っていれば悟られずに、行き抜ける便もあるに、隠そうとする身繕、名繕、さては素性繕に、疑の眸の征矢はてっきり的と集りやすい。繕は綻びるを持前とする。綻びた下から醜い正体が、それ見た事かと、現われた時こそ、身の※は生涯洗われない。――小野さんはこれほどの分別を持った、利害の関係には暗からぬ利巧者である。西東隔たる京を縫うて、五年の長き思の糸に括られているわが情実は、目の前にすねて坐った当人には話したくない。少なくとも新らしい血に通うこの頃の恋の脈が、調子を合せて、天下晴れての夫婦ぞと、二人の手頸に暖たかく打つまでは話したくない。この情実を話すまいとすると、ただの女と不知を切る当座の嘘は吐きたくない。嘘を吐くまいとすると、小夜子の事は名前さえも打ち明けたくない。――小野さんはしきりに藤尾の様子を眺めている。 「昨夕博覧会へ御出に……」とまで思い切った小野さんは、御出になりましたかにしようか、御出になったそうですねにしようかのところでちょっとごとついた。 「ええ、行きました」  迷っている男の鼻面を掠めて、黒い影が颯と横切って過ぎた。男はあっと思う間に先を越されてしまう。仕方がないから、 「奇麗でしたろう」とつける。奇麗でしたろうは詩人として余り平凡である。口に出した当人も、これはひどいと自覚した。 「奇麗でした」と女は明確受け留める。後から 「人間もだいぶ奇麗でした」と浴びせるように付け加えた。小野さんは思わず藤尾の顔を見る。少し見当がつき兼ねるので 「そうでしたか」と云った。当り障りのない答は大抵の場合において愚な答である。弱身のある時は、いかなる詩人も愚をもって自ら甘んずる。 「奇麗な人間もだいぶ見ましたよ」と藤尾は鋭どく繰り返した。何となく物騒な句である。なんだか無事に通り抜けられそうにない。男は仕方なしに口を緘んだ。女も留ったまま動かない。まだ白状しない気かと云う眼つきをして小野さんを見ている。宗盛と云う人は刀を突きつけられてさえ腹を切らなかったと云う。利害を重んずる文明の民が、そう軽卒に自分の損になる事を陳述する訳がない。小野さんはもう少し敵の動静を審にする必要がある。 「誰か御伴がありましたか」と何気なく聴いて見る。  今度は女の返事がない。どこまでも一つ関所を守っている。 「今、門の所で甲野さんに逢ったら、甲野さんもいっしょに行ったそうですね」 「それほど知っていらっしゃる癖に、何で御尋ねになるの」と女はつんと拗ねた。 「いえ、別に御伴でもあったのかと思って」と小野さんは、うまく逃げる。 「兄の外にですか」 「ええ」 「兄に聞いて御覧になればいいのに」  機嫌は依然として悪いが、うまくすると、どうか、こうか渦の中を漕ぎ抜けられそうだ。向うの言葉にぶら下がって、往ったり来たりするうちに、いつの間にやら平地へ出る事がある。小野さんは今まで毎度この手で成功している。 「甲野君に聞こうと思ったんですけれども、早く上がろうとして急いだもんですから」 「ホホホ」と突然藤尾は高く笑った。男はぎょっとする。その隙に 「そんなに忙しいものが、何で四五日無届欠席をしたんです」と飛んで来た。 「いえ、四五日大変忙しくって、どうしても来られなかったんです」 「昼間も」と女は肩を後へ引く。長い髪が一筋ごとに活きているように動く。 「ええ?」と変な顔をする。 「昼間もそんなに忙しいんですか」 「昼間って……」 「ホホホホまだ分らないんですか」と今度はまた庭まで響くほどに疳高く笑う。女は自由自在に笑う事が出来る。男は茫然としている。 「小野さん、昼間もイルミネーションがありますか」と云って、両手をおとなしく膝の上に重ねた。燦たる金剛石がぎらりと痛く、小野さんの眼に飛び込んで来る。小野さんは竹箆でぴしゃりと頬辺を叩かれた。同時に頭の底で見られたと云う音がする。 「あんまり、勉強なさるとかえって金時計が取れませんよ」と女は澄した顔で畳み掛ける。男の陣立は総崩となる。 「実は一週間前に京都から故の先生が出て来たものですから……」 「おや、そう、ちっとも知らなかったわ。それじゃ御忙い訳ね。そうですか。そうとも知らずに、飛んだ失礼を申しまして」と嘯きながら頭を低れた。緑の髪がまた動く。 「京都におった時、大変世話になったものですから……」 「だから、いいじゃありませんか、大事にして上げたら。――私はね。昨夕兄と一さんと糸子さんといっしょに、イルミネーションを見に行ったんですよ」 「ああ、そうですか」 「ええ、そうして、あの池の辺に亀屋の出店があるでしょう。――ねえ知っていらっしゃるでしょう、小野さん」 「ええ――知って――います」 「知っていらっしゃる。――いらっしゃるでしょう。あすこで皆して御茶を飲んだんです」  男は席を立ちたくなった。女はわざと落ちついた風を、飽くまでも粧う。 「大変|旨い御茶でした事。あなた、まだ御這入になった事はないの」  小野さんは黙っている。 「まだ御這入にならないなら、今度是非その京都の先生を御案内なさい。私もまた一さんに連れて行って貰うつもりですから」  藤尾は一さんと云う名前を妙に響かした。  春の影は傾く。永き日は、永くとも二人の専有ではない。床に飾ったマジョリカの置時計が絶えざる対話をこの一句にちんと切った。三十分ほどしてから小野さんは門外へ出る。その夜の夢に藤尾は、驚くうちは楽がある! 女は仕合なものだ! と云う嘲の鈴を聴かなかった。         十三  太い角柱を二本立てて門と云う。扉はあるかないか分らない。夜中郵便と書いて板塀に穴があいているところを見ると夜は締りをするらしい。正面に芝生を土饅頭に盛り上げて市を遮ぎる翠を傘と張る松を格のごとく植える。松を廻れば、弧線を描いて、頭の上に合う玄関の廂に、浮彫の波が見える。障子は明け放ったままである。呑気な白襖に舞楽の面ほどな草体を、大雅堂流の筆勢で、無残に書き散らして、座敷との仕切とする。  甲野さんは玄関を右に切れて、下駄箱の透いて見える格子をそろりと明けた。細い杖の先で合土の上をこちこち叩いて立っている。頼むとも何とも云わぬ。無論応ずるものはない。屋敷のなかは人の住む気合も見えぬほどにしんとしている。門前を通る車の方がかえって賑やかに聞える。細い杖の先がこちこち鳴る。  やがて静かなうちで、すうと唐紙が明く音がする。清や清やと下女を呼ぶ。下女はいないらしい。足音は勝手の方に近づいて来た。杖の先はこちこちと云う。足音は勝手から内玄関の方へ抜け出した。障子があく。糸子と甲野さんは顔を見合せて立った。  下女もおり書生も置く身は、気軽く構えても滅多に取次に出る事はない。出ようと思う間に、立てかけた膝をおろして、一針でも二針でも縫糸が先へ出るが常である。重たき琵琶の抱き心地と云う永い昼が、永きに堪えず崩れんとするを、鳴く※にうっとりと夢を支えて、清を呼べば、清は裏へでも行ったらしい。からりとした勝手には茶釜ばかりが静かに光っている。黒田さんは例のごとく、書生部屋で、坊主頭を腕の中に埋めて、机の上に猫のように寝ているだろう。立ち退いた空屋敷とも思わるるなかに、内玄関でこちこち音がする。はてなと何気なく障子を明けると――広い世界にたった一人の甲野さんが立っている。格子から差す戸外の日影を背に受けて、薄暗く高い身を、合土の真中に動かしもせず、しきりに杖を鳴らしている。 「あら」  同時に杖の音はとまる。甲野さんは帽の廂の下から女の顔を久しぶりのように見た。女は急に眼をはずして、細い杖の先を眺める。杖の先から熱いものが上って、顔がぽうとほてる。油を抜いて、なすがままにふくらました髪を、落すがごとく前に、糸子は腰を折った。 「御出?」と甲野さんは言葉の尻を上げて簡単に聞く。 「今ちょっと」と答えたのみで、苦のない二重瞼に愛嬌の波が寄った。 「御留守ですか。――阿爺さんは」 「父は謡の会で朝から出ました」 「そう」と男は長い体躯を、半分回して、横顔を糸子の方へ向けた。 「まあ、御這入、――兄はもう帰りましょう」 「ありがとう」と甲野さんは壁に物を云う。 「どうぞ」と誘い込むように片足を後へ引いた。着物はあらい縞の銘仙である。 「ありがとう」 「どうぞ」 「どこへ行ったんです」と甲野さんは壁に向けた顔を、少し女の方へ振り直す。後から掠めて来る日影に、蒼い頬が、気のせいか、昨日より少し瘠けたようだ。 「散歩でしょう」と女は首を傾けて云う。 「私も今散歩した帰りだ。だいぶ歩いて疲れてしまって……」 「じゃ、少し上がって休んでいらっしゃい。もう帰る時分ですから」  話は少しずつ延びる。話の延びるのは気の延びた証拠である。甲野さんは粗柾の俎下駄を脱いで座敷へ上がる。  長押作りに重い釘隠を打って、動かぬ春の床には、常信の雲竜の図を奥深く掛けてある。薄黒く墨を流した絹の色を、角に取り巻く紋緞子の藍に、寂びたる時代は、象牙の軸さえも落ちついている。唐獅子を青磁に鋳る、口ばかりなる香炉を、どっかと据えた尺余の卓は、木理に光沢ある膏を吹いて、茶を紫に、紫を黒に渡る、胡麻濃やかな紫檀である。  椽に遅日多し、世をひたすらに寒がる人は、端近く絣の前を合せる。乱菊に襟晴れがましきを豊なる顎に圧しつけて、面と向う障子の明なるを眩く思う女は入口に控える。八畳の座敷は眇たる二人を離れ離れに容れて広過ぎる。間は六尺もある。  忽然として黒田さんが現れた。小倉の襞を飽くまで潰した袴の裾から赭黒い足をにょきにょきと運ばして、茶を持って来る。煙草盆を持って来る。菓子鉢を持って来る。六尺の距離は格のごとく埋められて、主客の位地は辛うじて、接待の道具で繋がれる。忽然として午睡の夢から起きた黒田さんは器械的に縁の糸を二人の間に渡したまま、朦朧たる精神を毬栗頭の中に封じ込めて、再び書生部屋へ引き下がる。あとは故の空屋敷となる。 「昨夕は、どうでした。疲れましたろう」 「いいえ」 「疲れない? 私より丈夫だね」と甲野さんは少し笑い掛けた。 「だって、往復共電車ですもの」 「電車は疲れるもんですがね」 「どうして」 「あの人で。あの人で疲れます。そうでも無いですか」  糸子は丸い頬に片靨を見せたばかりである。返事はしなかった。 「面白かったですか」と甲野さんが聞く。 「ええ」 「何が面白かったですか。イルミネーションがですか」 「ええ、イルミネーションも面白かったけれども……」 「イルミネーションのほかに何か面白いものが有ったんですか」 「ええ」 「何が」 「でもおかしいわ」と首を傾げて愛らしく笑っている。要領を得ぬ甲野さんも何となく笑いたくなる。 「何ですかその面白かったものは」 「云って見ましょうか」 「云って御覧なさい」 「あの、皆して御茶を飲んだでしょう」 「ええ、あの御茶が面白かったんですか」 「御茶じゃないんです。御茶じゃないんですけれどもね」 「ああ」 「あの時小野さんがいらしったでしょう」 「ええ、いました」 「美しい方を連れていらしったでしょう」 「美しい? そう。若い人といっしょのようでしたね」 「あの方を御存じでしょう」 「いいえ、知らない」 「あら。だって兄がそう云いましたわ」 「そりゃ顔を知ってると云う意味なんでしょう。話をした事は一遍もありません」 「でも知っていらっしゃるでしょう」 「ハハハハ。どうしても知ってなければならないんですか。実は逢った事は何遍もあります」 「だから、そう云ったんですわ」 「だから何と」 「面白かったって」 「なぜ」 「なぜでも」  二重瞼に寄る波は、寄りては崩れ、崩れては寄り、黒い眸を、見よがしに弄ぶ。繁き若葉を洩る日影の、錯落と大地に鋪くを、風は枝頭を揺かして、ちらつく苔の定かならぬようである。甲野さんは糸子の顔を見たまま、なぜの説明を求めなかった。糸子も進んでなぜの訳を話さなかった。なぜは愛嬌のうちに溺れて、要領を得る前に、行方を隠してしまった。  塗り立てて瓢箪形の池浅く、焙烙に熬る玉子の黄味に、朝夕を楽しく暮す金魚の世は、尾を振り立てて藻に潜るとも、起つ波に身を攫るる憂はない。鳴戸を抜ける鯛の骨は潮に揉まれて年々に硬くなる。荒海の下は地獄へ底抜けの、行くも帰るも徒事では通れない。ただ広海の荒魚も、三つ尾の丸っ子も、同じ箱に入れられれば、水族館に隣合の友となる。隔たりの関は見えぬが、仕切る硝子は透き通りながら、突き抜けようとすれば鼻頭を痛めるばかりである。海を知らぬ糸子に、海の話は出来ぬ。甲野さんはしばらく瓢箪形に応対をしている。 「あの女はそんなに美人でしょうかね」 「私は美いと思いますわ」 「そうかな」と甲野さんは椽側の方を見た。野面の御影に、乾かぬ露が降りて、いつまでも湿とりと眺められる径二尺の、縁を択んで、鷺草とも菫とも片づかぬ花が、数を乏しく、行く春を偸んで、ひそかに咲いている。 「美しい花が咲いている」 「どこに」  糸子の目には正面の赤松と根方にあしらった熊笹が見えるのみである。 「どこに」と暖い顎を延ばして向を眺める。 「あすこに。――そこからは見えない」  糸子は少し腰を上げた。長い袖をふらつかせながら、二三歩|膝頭で椽に近く擦り寄って来る。二人の距離が鼻の先に逼ると共に微かな花は見えた。 「あら」と女は留る。 「奇麗でしょう」 「ええ」 「知らなかったんですか」 「いいえ、ちっとも」 「あんまり小さいから気がつかない。いつ咲いて、いつ消えるか分らない」 「やっぱり桃や桜の方が奇麗でいいのね」  甲野さんは返事をせずに、ただ口のうちで 「憐れな花だ」と云った。糸子は黙っている。 「昨夜の女のような花だ」と甲野さんは重ねた。 「どうして」と女は不審そうに聞く。男は長い眼を翻えしてじっと女の顔を見ていたが、やがて、 「あなたは気楽でいい」と真面目に云う。 「そうでしょうか」と真面目に答える。  賞められたのか、腐されたのか分らない。気楽か気楽でないか知らない。気楽がいいものか、わるいものか解しにくい。ただ甲野さんを信じている。信じている人が真面目に云うから、真面目にそうでしょうかと云うよりほかに道はない。  文は人の目を奪う。巧は人の目を掠める。質は人の目を明かにする。そうでしょうかを聞いた時、甲野さんは何となくありがたい心持がした。直下に人の魂を見るとき、哲学者は理解の頭を下げて、無念とも何とも思わぬ。 「いいですよ。それでいい。それで無くっちゃ駄目だ。いつまでもそれでなくっちゃ駄目だ」  糸子は美くしい歯を露わした。 「どうせこうですわ。いつまで立ったって、こうですわ」 「そうは行かない」 「だって、これが生れつきなんだから、いつまで立ったって、変りようがないわ」 「変ります。――阿爺と兄さんの傍を離れると変ります」 「どうしてでしょうか」 「離れると、もっと利口に変ります」 「私もっと利口になりたいと思ってるんですわ。利口に変れば変る方がいいんでしょう。どうかして藤尾さんのようになりたいと思うんですけれども、こんな馬鹿だものだから……」  甲野さんは世に気の毒な顔をして糸子のあどけない口元を見ている。 「藤尾がそんなに羨しいんですか」 「ええ、本当に羨ましいわ」 「糸子さん」と男は突然優しい調子になった。 「なに」と糸子は打ち解けている。 「藤尾のような女は今の世に有過ぎて困るんですよ。気をつけないと危ない」  女は依然として、肉余る瞼を二重に、愛嬌の露を大きな眸の上に滴しているのみである。危ないという気色は影さえ見えぬ。 「藤尾が一人出ると昨夕のような女を五人殺します」  鮮かな眸に滴るものはぱっと散った。表情はとっさに変る。殺すと云う言葉はさほどに怖しい。――その他の意味は無論分らぬ。 「あなたはそれで結構だ。動くと変ります。動いてはいけない」 「動くと?」 「ええ、恋をすると変ります」  女は咽喉から飛び出しそうなものを、ぐっと嚥み下した。顔は真赤になる。 「嫁に行くと変ります」  女は俯向いた。 「それで結構だ。嫁に行くのはもったいない」  可愛らしい二重瞼がつづけ様に二三度またたいた。結んだ口元をちょろちょろと雨竜の影が渡る。鷺草とも菫とも片づかぬ花は依然として春を乏しく咲いている。         十四  電車が赤い札を卸して、ぶうと鳴って来る。入れ代って後から町内の風を鉄軌の上に追い捲くって去る。按摩が隙を見計って恐る恐る向側へ渡る。茶屋の小僧が臼を挽きながら笑う。旗振の着るヘル地の織目は、埃がいっぱい溜って、黄色にぼけている。古本屋から洋服が出て来る。鳥打帽が寄席の前に立っている。今晩の語り物が塗板に白くかいてある。空は針線だらけである。一羽の鳶も見えぬ。上の静なるだけに下はすこぶる雑駁な世界である。 「おいおい」と大きな声で後から呼ぶ。  二十四五の夫人がちょっと振り向いたまま行く。 「おい」  今度は印絆天が向いた。  呼ばれた本人は、知らぬ気に、来る人を避けて早足に行く。抜き競をして飛んで来た二|輛の人力に遮ぎられて、間はますます遠くなる。宗近君は胸を出して馳け出した。寛く着た袷と羽織が、足を下すたんびに躍を踊る。 「おい」と後から手を懸ける。肩がぴたりと留まると共に、小野さんの細面が斜めに見えた。両手は塞がっている。 「おい」と手を懸けたまま肩をゆす振る。小野さんはゆす振られながら向き直った。 「誰かと思ったら……失敬」  小野さんは帽子のまま鄭寧に会釈した。両手は塞がっている。 「何を考えてるんだ。いくら呼んでも聴えない」 「そうでしたか。ちっとも気がつかなかった」 「急いでるようで、しかも地面の上を歩いていないようで、少し妙だよ」 「何が」 「君の歩行方がさ」 「二十世紀だから、ハハハハ」 「それが新式の歩行方か。何だか片足が新で片足が旧のようだ」 「実際こう云うものを提げていると歩行にくいから……」  小野さんは両手を前の方へ出して、この通りと云わぬばかりに、自分から下の方へ眼を着けて見せる。宗近君も自然と腰から下へ視線を移す。 「何だい、それは」 「こっちが紙屑籠、こっちが洋灯の台」 「そんなハイカラな形姿をして、大きな紙屑籠なんぞを提げてるから妙なんだよ」 「妙でも仕方がない、頼まれものだから」 「頼まれて妙になるのは感心だ。君に紙屑籠を提げて往来を歩くだけの義侠心があるとは思わなかった」  小野さんは黙って笑ながら御辞儀をした。 「時にどこへ行くんだね」 「これを持って……」 「それを持って帰るのかね」 「いいえ。頼まれたから買って行ってやるんです。君は?」 「僕はどっちへでも行く」  小野さんは内心少々当惑した。急いでいるようで、しかも地面の上を歩行ていないようだと、宗近君が云ったのは、まさに現下の状態によく適合った小野評である。靴に踏む大地は広くもある、堅くもある、しかし何となく踏み心地が確かでない。にもかかわらず急ぎたい。気楽な宗近君などに逢っては立話をするのさえ難義である。いっしょにあるこうと云われるとなおさら困る。  常でさえ宗近君に捕まると何となく不安である。宗近君と藤尾の関係を知るような知らぬような間に、自分と藤尾との関係は成り立ってしまった。表向人の許嫁を盗んだほどの罪は犯さぬつもりであるが、宗近君の心は聞かんでも知れている。露骨な人の立居振舞の折々にも、気のあるところはそれと推測が出来る。それを裏から壊しに掛ったとまでは行かぬにしても、事実は宗近君の望を、われ故に、永久に鎖した訳になる。人情としては気の毒である。  気の毒はこれだけで気の毒である上に、宗近君が気楽に構えて、毫も自分と藤尾の仲を苦にしていないのがなおさらの気の毒になる。逢えば隔意なく話をする。冗談を云う。笑う。男子の本領を説く。東洋の経綸を論ずる。もっとも恋の事は余り語らぬ。語らぬと云わんよりむしろ語れぬのかも知れぬ。宗近君は恐らく恋の真相を解せぬ男だろう。藤尾の夫には不足である。それにもかかわらず気の毒は依然として気の毒である。  気の毒とは自我を没した言葉である。自我を没した言葉であるからありがたい。小野さんは心のうちで宗近君に気の毒だと思っている。しかしこの気の毒のうちに大いなる己を含んでいる。悪戯をして親の前へ出るときの心持を考えて見るとわかる。気の毒だったと親のために悔ゆる了見よりは何となく物騒だと云う感じが重である。わが悪戯が、己れと掛け離れた別人の頭の上に落した迷惑はともかくも、この迷惑が反響して自分の頭ががんと鳴るのが気味が悪い。雷の嫌なものが、雷を封じた雲の峰の前へ出ると、少しく逡巡するのと一般である。ただの気の毒とはよほど趣が違う。けれども小野さんはこれを称して気の毒と云っている。小野さんは自分の感じを気の毒以下に分解するのを好まぬからであろう。 「散歩ですか」と小野さんは鄭寧に聞いた。 「うん。今、その角で電車を下りたばかりだ。だから、どっちへ行ってもいい」  この答は少々論理に叶わないと、小野さんは思った。しかし論理はどうでも構わない。 「僕は少し急ぐから……」 「僕も急いで差支ない。少し君の歩く方角へ急いでいっしょに行こう。――その紙屑籠を出せ。持ってやるから」 「なにいいです。見っともない」 「まあ、出しなさい。なるほど嵩張る割に軽いもんだね。見っともないと云うのは小野さんの事だ」と宗近君は屑籠を揺りながら歩き出す。 「そう云う風に提げるとさも軽そうだ」 「物は提げ様一つさ。ハハハハ。こりゃ勧工場で買ったのかい。だいぶ精巧なものだね。紙屑を入れるのはもったいない」 「だから、まあ往来を持って歩けるんだ。本当の紙屑が這入っていちゃ……」 「なに持って歩けるよ。電車は人屑をいっぱい詰めて威張って往来を歩いてるじゃないか」 「ハハハハすると君は屑籠の運転手と云う事になる」 「君が屑籠の社長で、頼んだ男は株主か。滅多な屑は入れられない」 「歌反古とか、五車反古と云うようなものを入れちゃ、どうです」 「そんなものは要らない。紙幣の反古をたくさん入れて貰いたい」 「ただの反古を入れて置いて、催眠術を掛けて貰う方が早そうだ」 「まず人間の方で先に反古になる訳だな。乞う隗より始めよか。人間の反古なら催眠術を掛けなくてもたくさんいる。なぜこう隗より始めたがるのかな」 「なかなか隗より始めたがらないですよ。人間の反故が自分で屑籠の中へ這入ってくれると都合がいいんだけれども」 「自働屑籠を発明したら好かろう。そうしたら人間の反故がみんな自分で飛び込むだろう」 「一つ専売でも取るか」 「アハハハハ好かろう。知ったもののうちで飛び込ましたい人間でもあるかね」 「あるかも知れません」と小野さんは切り抜けた。 「時に君は昨夕妙な伴とイルミネーションを見に行ったね」  見物に行った事はさっき露見してしまった。今更隠す必要はない。 「ええ、君らも行ったそうですね」と小野さんは何気なく答えた。甲野さんは見つけても知らぬ顔をしている。藤尾は知らぬ顔をして、しかも是非共こちらから白状させようとする。宗近君は向から正面に質問してくる。小野さんは何気なく答えながら、心のうちになるほどと思った。 「あれは君の何だい」 「少し猛烈ですね。――故の先生です」 「あの女は、それじゃ恩師の令嬢だね」 「まあ、そんなものです」 「ああやって、いっしょに茶を飲んでいるところを見ると、他人とは見えない」 「兄妹と見えますか」 「夫婦さ。好い夫婦だ」 「恐れ入ります」と小野さんはちょっと笑ったがすぐ眼を外した。向側の硝子戸のなかに金文字入の洋書が燦爛と詩人の注意を促がしている。 「君、あすこにだいぶ新刊の書物が来ているようだが、見ようじゃありませんか」 「書物か。何か買うのかい」 「面白いものがあれば買ってもいいが」 「屑籠を買って、書物を買うのはすこぶるアイロニーだ」 「なぜ」  宗近君は返事をする前に、屑籠を提げたまま、電車の間を向側へ馳け抜けた。小野さんも小走に跟いて来る。 「はあだいぶ奇麗な本が陳列している。どうだい欲しいものがあるかい」 「さよう」と小野さんは腰を屈めながら金縁の眼鏡を硝子窓に擦り寄せて余念なく見取れている。  小羊の皮を柔らかに鞣して、木賊色の濃き真中に、水蓮を細く金に描いて、弁の尽くる萼のあたりから、直なる線を底まで通して、ぐるりと表紙の周囲を回らしたのがある。背を平らに截って、深き紅に金髪を一面に這わせたような模様がある。堅き真鍮版に、どっかと布の目を潰して、重たき箔を楯形に置いたのがある。素気なきカーフの背を鈍色に緑に上下に区切って、双方に文字だけを鏤めたのがある。ざら目の紙に、品よく朱の書名を配置した扉も見える。 「みんな欲しそうだね」と宗近君は書物を見ずに、小野さんの眼鏡ばかり見ている。 「みんな新式な装釘だ。どうも」 「表紙だけ奇麗にして、内容の保険をつけた気なのかな」 「あなた方のほうと違って文学書だから」 「文学書だから上部を奇麗にする必要があるのかね。それじゃ文学者だから金縁の眼鏡を掛ける必要が起るんだね」 「どうも、きびしい。しかしある意味で云えば、文学者も多少美術品でしょう」と小野さんはようやく窓を離れた。 「美術品で結構だが、金縁眼鏡だけで保険をつけてるのは情ない」 「とかく眼鏡が祟るようだ。――宗近君は近視眼じゃないんですか」 「勉強しないから、なりたくてもなれない」 「遠視眼でもないんですか」 「冗談を云っちゃいけない。――さあ好加減に歩こう」  二人は肩を比べてまた歩き出した。 「君、鵜と云う鳥を知ってるだろう」と宗近君が歩きながら云う。 「ええ。鵜がどうかしたんですか」 「あの鳥は魚をせっかく呑んだと思うと吐いてしまう。つまらない」 「つまらない。しかし魚は漁夫の魚籃の中に這入るから、いいじゃないですか」 「だからアイロニーさ。せっかく本を読むかと思うとすぐ屑籠のなかへ入れてしまう。学者と云うものは本を吐いて暮している。なんにも自分の滋養にゃならない。得の行くのは屑籠ばかりだ」 「そう云われると学者も気の毒だ。何をしたら好いか分らなくなる」 「行為さ。本を読むばかりで何にも出来ないのは、皿に盛った牡丹餅を画にかいた牡丹餅と間違えておとなしく眺めているのと同様だ。ことに文学者なんてものは奇麗な事を吐く割に、奇麗な事をしないものだ。どうだい小野さん、西洋の詩人なんかによくそんなのがあるようじゃないか」 「さよう」と小野さんは間を延ばして答えたが、 「例えば」と聞き返した。 「名前なんか忘れたが、何でも女をごまかしたり、女房をうっちゃったりしたのがいるぜ」 「そんなのはいないでしょう」 「なにいる、たしかにいる」 「そうかな。僕もよく覚えていないが……」 「専門家が覚えていなくっちゃ困る。――そりゃそうと昨夜の女ね」  小野さんの腋の下が何だかじめじめする。 「あれは僕よく知ってるぜ」  琴の事件なら糸子から聞いた。その外に何も知るはずがない。 「蔦屋の裏にいたでしょう」と一躍して先へ出てしまった。 「琴を弾いていた」 「なかなか旨いでしょう」と小野さんは容易に悄然ない。藤尾に逢った時とは少々様子が違う。 「旨いんだろう、何となく眠気を催したから」 「ハハハハそれこそアイロニーだ」と小野さんは笑った。小野さんの笑い声はいかなる場合でも静の一字を離れない。その上|色彩がある。 「冷やかすんじゃない。真面目なところだ。かりそめにも君の恩師の令嬢を馬鹿にしちゃ済まない」 「しかし眠気を催しちゃ困りますね」 「眠気を催おすところが好いんだ。人間でもそうだ。眠気を催おすような人間はどこか尊といところがある」 「古くって尊といんでしょう」 「君のような新式な男はどうしても眠くならない」 「だから尊とくない」 「ばかりじゃない。ことに依ると、尊とい人間を時候|後れだなどとけなしたがる」 「今日は何だか攻撃ばかりされている。ここいらで御分れにしましょうか」と小野さんは少し苦しいところを、わざと笑って、立ち留る。同時に右の手を出す。紙屑籠を受取ろうと云う謎である。 「いや、もう少し持ってやる。どうせ暇なんだから」  二人はまた歩き出す。二人が二人の心を並べたままいっしょに歩き出す。双方で双方を軽蔑している。 「君は毎日暇のようですね」 「僕か? 本はあんまり読まないね」 「ほかにだって、あまり忙がしい事がありそうには見えませんよ」 「そう忙がしがる必要を認めないからさ」 「結構です」 「結構に出来る間は結構にして置かんと、いざと云う時に困る」 「臨時応急の結構。いよいよ結構ですハハハハ」 「君、相変らず甲野へ行くかい」 「今行って来たんです」 「甲野へ行ったり、恩師を案内したり、忙がしいだろう」 「甲野の方は四五日休みました」 「論文は」 「ハハハハいつの事やら」 「急いで出すが好い。いつの事やらじゃせっかく忙がしがる甲斐がない」 「まあ臨時応急にやりましょう」 「時にあの恩師の令嬢はね」 「ええ」 「あの令嬢についてよっぽど面白い話があるがね」  小野さんは急にどきんとした。何の話か分らない。眼鏡の縁から、斜めに宗近君を見ると、相変らず、紙屑籠を揺って、揚々と正面を向いて歩いている。 「どんな……」と聞き返した時は何となく勢がなかった。 「どんなって、よっぽど深い因縁と見える」 「誰が」 「僕らとあの令嬢がさ」  小野さんは少し安心した。しかし何だか引っ掛っている。浅かれ深かれ宗近君と孤堂先生との関係をぷすりと切って棄てたい。しかし自然が結んだものは、いくら能才でも天才でも、どうする訳にも行かない。京の宿屋は何百軒とあるに、何で蔦屋へ泊り込んだものだろうと思う。泊らんでも済むだろうにと思う。わざわざ三条へ梶棒を卸して、わざわざ蔦屋へ泊るのはいらざる事だと思う。酔興だと思う。余計な悪戯だと思う。先方に益もないのに好んで人を苦しめる泊り方だと思う。しかしいくら、どう思っても仕方がないと思う。小野さんは返事をする元気も出なかった。 「あの令嬢がね。小野さん」 「ええ」 「あの令嬢がねじゃいけない。あの令嬢をだ。――見たよ」 「宿の二階からですか」 「二階からも見た」  もの字が少し気になる。春雨の欄に出て、連翹の花もろともに古い庭を見下された事は、とくの昔に知っている。今更|引合に出されても驚ろきはしない。しかし二階からもとなると剣呑だ。そのほかにまだ見られた事があるにきまっている。不断なら進んで聞くところだが、何となく空景気を着けるような心持がして、どこでと押を強く出損なったまま、二三歩あるく。 「嵐山へ行くところも見た」 「見ただけですか」 「知らない人に話は出来ない。見ただけさ」 「話して見れば好かったのに」  小野さんは突然|冗談を云う。にわかに景気が好くなった。 「団子を食っているところも見た」 「どこで」 「やっぱり嵐山だ」 「それっ切りですか」 「まだ有る。京都から東京までいっしょに来た」 「なるほど勘定して見ると同じ汽車でしたね」 「君が停車場へ迎えに行ったところも見た」 「そうでしたか」と小野さんは苦笑した。 「あの人は東京ものだそうだね」 「誰が……」と云い掛けて、小野さんは、眼鏡の珠のはずれから、変に相手の横顔を覗き込んだ。 「誰が? 誰がとは」 「誰が話したんです」  小野さんの調子は存外落ついている。 「宿屋の下女が話した」 「宿屋の下女が? 蔦屋の?」  念を押したような、後が聞きたいような、後がないのを確かめたいような様子である。 「うん」と宗近君は云った。 「蔦屋の下女は……」 「そっちへ曲るのかい」 「もう少し、どうです、散歩は」 「もう好い加減に引き返そう。さあ大事の紙屑籠。落さないように持って行くがいい」  小野さんは恭しく屑籠を受取った。宗近君は飄然として去る。  一人になると急ぎたくなる。急げば早く孤堂先生の家へ着く。着くのはありがたくない。孤堂先生の家へ急ぎたいのではない。小野さんは何だか急ぎたいのである。両手は塞っている。足は動いている。恩賜の時計は胴衣のなかで鳴っている。往来は賑かである。――すべてのものを忘れて、小野さんの頭は急いでいる。早くしなければならん。しかしどうして早くして好いか分らない。ただ一昼夜が十二時間に縮まって、運命の車が思う方角へ全速力で廻転してくれるよりほかに致し方はない。進んで自然の法則を破るほどな不料簡は起さぬつもりである。しかし自然の方で、少しは事情を斟酌して、自分の味方になって働らいてくれても好さそうなものだ。そうなる事は受合だと保証がつけば、観音様へ御百度を踏んでも構わない。不動様へ護摩を上げても宜しい。耶蘇教の信者には無論なる。小野さんは歩きながら神の必要を感じた。  宗近と云う男は学問も出来ない、勉強もしない。詩趣も解しない。あれで将来何になる気かと不思議に思う事がある。何が出来るものかと軽蔑む事もある。露骨でいやになる事もある。しかし今更のように考えて見ると、あの態度は自分にはとうてい出来ない態度である。出来ないからこちらが劣っていると結論はせん。世の中には出来もせぬが、またしたくもない事がある。箸の先で皿を廻す芸当は出来るより出来ない方が上品だと思う。宗近の言語動作は無論自分には出来にくい。しかし出来にくいから、かえって自分の名誉だと今までは心得ていた。あの男の前へ出ると何だか圧迫を受ける。不愉快である。個人の義務は相手に愉快を与えるが専一と思う。宗近は社交の第一要義にも通じておらん。あんな男はただの世の中でも成功は出来ん。外交官の試験に落第するのは当り前である。  しかしあの男の前へ出て感じる圧迫は一種妙である。露骨から来るのか、単調から来るのか、いわゆる昔風の率直から来るのか、いまだに解剖して見ようと企てた事はないがとにかく妙である。故意に自分を圧しつけようとしている景色が寸毫も先方に見えないのにこちらは何となく感じてくる。ただ会釈もなく思うままを随意に振舞っている自然のなかから、どうだと云わぬばかりに圧迫が顔を出す。自分はなんだか気が引ける。あの男に対しては済まぬ裏面の義理もあるから、それが祟って、徳義が制裁を加えるとのみ思い通して来たがそればかりではけっしてない。例えば天を憚からず地を憚からぬ山の、無頓着に聳えて、面白からぬと云わんよりは、美くしく思えぬ感じである。星から墜つる露を、蕊に受けて、可憐の弁を、折々は、風の音信と小川へ流す。自分はこんな景色でなければ楽しいとは思えぬ。要するに宗近と自分とは檜山と花圃の差で、本来から性が合わぬから妙な感じがするに違ない。  性が合わぬ人を、合わねばそれまでと澄していた事もある。気の毒だと考えた事もある。情ないと軽蔑んだ事もある。しかし今日ほど羨しく感じた事はない。高尚だから、上品だから、自分の理想に近いから、羨ましいとは夢にも思わぬ。ただあんな気分になれたらさぞよかろうと、今の苦しみに引き較べて、急に羨ましくなった。  藤尾には小夜子と自分の関係を云い切ってしまった。あるとは云い切らない。世話になった昔の人に、心細く附き添う小さき影を、逢わぬ五年を霞と隔てて、再び逢うたばかりの朦朧した間柄と云い切ってしまった。恩を着るは情の肌、師に渥きは弟子の分、そのほかには鳥と魚との関係だにないと云い切ってしまった。できるならばと辛防して来た嘘はとうとう吐いてしまった。ようやくの思で吐いた嘘は、嘘でも立てなければならぬ。嘘を実と偽わる料簡はなくとも、吐くからは嘘に対して義務がある、責任が出る。あからさまに云えば嘘に対して一生の利害が伴なって来る。もう嘘は吐けぬ。二重の嘘は神も嫌だと聞く。今日からは是非共嘘を実と通用させなければならぬ。  それが何となく苦しい。これから先生の所へ行けばきっと二重の嘘を吐かねばならぬような話を持ちかけられるに違ない。切り抜ける手はいくらもあるが、手詰に出られると跳ねつける勇気はない。もう少し冷刻に生れていれば何の雑作もない。法律上の問題になるような不都合はしておらんつもりだから、判然断わってしまえばそれまでである。しかしそれでは恩人に済まぬ。恩人から逼られぬうちに、自分の嘘が発覚せぬうちに、自然が早く廻転して、自分と藤尾が公然結婚するように運ばなければならん。――後は? 後は後から考える。事実は何よりも有効である。結婚と云う事実が成立すれば、万事はこの新事実を土台にして考え直さなければならん。この新事実を一般から認められれば、あとはどんな不都合な犠牲でもする。どんなにつらい考え直し方でもする。  ただ機一髪と云う間際で、煩悶する。どうする事も出来ぬ心が急く。進むのが怖い。退ぞくのが厭だ。早く事件が発展すればと念じながら、発展するのが不安心である。したがって気楽な宗近が羨ましい。万事を商量するものは一本調子の人を羨ましがる。  春は行く。行く春は暮れる。絹のごとき浅黄の幕はふわりふわりと幾枚も空を離れて地の上に被さってくる。払い退ける風も見えぬ往来は、夕暮のなすがままに静まり返って、蒼然たる大地の色は刻々に蔓って来る。西の果に用もなく薄焼けていた雲はようやく紫に変った。  蕎麦屋の看板におかめの顔が薄暗く膨れて、後から点ける灯を今やと赤い頬に待つ向横町は、二間足らずの狭い往来になる。黄昏は細長く家と家の間に落ちて、鎖さぬ門を戸ごとにくぐる。部屋のなかはなおさら暗いだろう。  曲って左側の三軒目まで来た。門構と云う名はつけられない。往来をわずかに仕切る格子戸をそろりと明けると、なかは、ほのくらく近づく宵を、一段と刻んで下へ降りたような心持がする。 「御免」と云う。  静かな声は落ついた春の調子を乱さぬほどに穏である。幅一尺の揚板に、菱形の黒い穴が、椽の下へ抜けているのを眺めながら取次をおとなしく待つ。返事はやがてした。うんと云うのか、ああと云うのかはいと云うのか、さらに要領を得ぬ声である。小野さんはやはり菱形の黒い穴を覗きながら取次を待っている。やがて障子の向でずしんと誰か跳ね起きた様子である。怪しい普請と見えて根太の鳴る音が手に取るように聞える。例の壁紙模様の襖が開く。二畳の玄関へ出て来たなと思う間もなく、薄暗い障子の影に、肉の落ちた孤堂先生の顔が髯もろともに現われた。  平生からあまり丈夫には見えない。骨が細く、躯が細く、顔はことさら細く出来上ったうえに、取る年は争われぬ雨と風と苦労とを吹きつけて、辛い浮世に、辛くも取り留めた心さえ細くなるばかりである。今日は一層顔色が悪い。得意の髯さえも尋常には見えぬ。黒い隙間を白いのが埋めて、白い隙間を風が通る。  古の人は顎の下まで影が薄い。一本ずつ吟味して見ると先生の髯は一本ごとにひょろひょろしている。小野さんは鄭寧に帽を脱いで、無言のまま挨拶をする。英吉利刈の新式な頭は、眇然たる「過去」の前に落ちた。  径何十尺の円を描いて、周囲に鉄の格子を嵌めた箱をいくつとなくさげる。運命の玩弄児はわれ先にとこの箱へ這入る。円は廻り出す。この箱にいるものが青空へ近く昇る時、あの箱にいるものは、すべてを吸い尽す大地へそろりそろりと落ちて行く。観覧車を発明したものは皮肉な哲学者である。  英吉利式の頭は、この箱の中でこれから雲へ昇ろうとする。心細い髯に、世を佗び古りた記念のためと、大事に胡麻塩を振り懸けている先生は、あの箱の中でこれから暗い所へ落ちつこうとする。片々が一尺昇れば片々は一尺下がるように運命は出来上っている。  昇るものは、昇りつつある自覚を抱いて、降りつつ夜に行くものの前に鄭寧な頭を惜気もなく下げた。これを神の作れるアイロニーと云う。 「やあ、これは」と先生は機嫌が好い。運命の車で降りるものが、昇るものに出合うと自然に機嫌がよくなる。 「さあ御上り」とたちまち座敷へ取って返す。小野さんは靴の紐を解く。解き終らぬ先に先生はまた出てくる。 「さあ御上り」  座敷の真中に、昼を厭わず延べた床を、壁際へ押しやったあとに、新調の座布団が敷いてある。 「どうか、なさいましたか」 「何だか、今朝から心持が悪くってね。それでも朝のうちは我慢していたが、午からとうとう寝てしまった。今ちょうどうとうとしていたところへ君が来たので、待たして御気の毒だった」 「いえ、今格子を開けたばかりです」 「そうかい。何でも誰か来たようだから驚いて出て見た」 「そうですか、それは御邪魔をしました。寝ていらっしゃれば好かったですね」 「なに大した事はないから。――それに小夜も婆さんもいないものだから」 「どこかへ……」 「ちょっと風呂に行った。買物かたがた」  床の抜殻は、こんもり高く、這い出した穴を障子に向けている。影になった方が、薄暗く夜着の模様を暈す上に、投げ懸けた羽織の裏が、乏しき光線をきらきらと聚める。裏は鼠の甲斐絹である。 「少しぞくぞくするようだ。羽織でも着よう」と先生は立ち上がる。 「寝ていらしったら好いでしょう」 「いや少し起きて見よう」 「何ですかね」 「風邪でもないようだが、――なに大した事もあるまい」 「昨夕御出になったのが悪かったですかね」 「いえ、なに。――時に昨夕は大きに御厄介」 「いいえ」 「小夜も大変喜んで。御蔭で好い保養をした」 「もう少し閑だと、方々へ御供をする事が出来るんですが……」 「忙がしいだろうからね。いや忙がしいのは結構だ」 「どうも御気の毒で……」 「いや、そんな心配はちっとも要らない。君の忙がしいのは、つまり我々の幸福なんだから」  小野さんは黙った。部屋はしだいに暗くなる。 「時に飯は食ったかね」と先生が聞く。 「ええ」 「食った?――食わなければ御上り。何にもないが茶漬ならあるだろう」とふらふらと立ち懸ける。締め切った障子に黒い長い影が出来る。 「先生、もう好いんです。飯は済まして来たんです」 「本当かい。遠慮しちゃいかん」 「遠慮しやしません」  黒い影は折れて故のごとく低くなる。えがらっぽい咳が二つ三つ出る。 「咳が出ますか」 「から――からっ咳が出て……」と云い懸ける途端にまた二つ三つ込み上げる。小野さんは憮然として咳の終るを待つ。 「横になって温まっていらしったら好いでしょう。冷えると毒です」 「いえ、もう大丈夫。出だすと一時いけないんだがね。――年を取ると意気地がなくなって――何でも若いうちの事だよ」  若いうちの事だとは今まで毎度聞いた言葉である。しかし孤堂先生の口から聞いたのは今が始めてである。骨ばかりこの世に取り残されたかと思う人の、疎らな髯を風塵に託して、残喘に一昔と二昔を、互違に呼吸する口から聞いたのは、少なくとも今が始めてである。子の鐘は陰に響いてぼうんと鳴る。薄暗い部屋のなかで、薄暗い人からこの言葉を聞いた小野さんは、つくづく若いうちの事だと思った。若いうちは二度とないと思った。若いうち旨くやらないと生涯の損だと思った。  生涯の損をしてこの先生のように老朽した時の心持は定めて淋しかろう。よくよくつまらないだろう。しかし恩のある人に済まぬ不義理をして死ぬまで寝醒が悪いのは、損をした昔を思い出すより欝陶しいかも知れぬ。いずれにしても若いうちは二度とは来ない。二度と来ない若いうちにきめた事は生涯きまってしまう。生涯きまってしまう事を、自分は今どっちかにきめなければならぬ。今日藤尾に逢う前に先生の所へ来たら、あの嘘を当分見合せたかも知れぬ。しかし嘘を吐いてしまった今となって見ると致し方はない。将来の運命は藤尾に任せたと云って差し支ない。――小野さんは心中でこう云う言訳をした。 「東京は変ったね」と先生が云う。 「烈しい所で、毎日変っています」 「恐ろしいくらいだ。昨夜もだいぶ驚いたよ」 「随分人が出ましたから」 「出たねえ。あれでも知った人には滅多に逢わないだろうね」 「そうですね」と瞹眛に受ける。 「逢うかね」  小野さんは「まあ……」と濁しかけたが「まあ、逢わない方ですね」と思い切ってしまった。 「逢わない。なるほど広い所に違ない」と先生は大いに感心している。なんだか田舎染みて見える。小野さんは光沢の悪い先生の顔から眼を放して、自分の膝元を眺めた。カフスは真白である。七宝の夫婦釦は滑な淡紅色を緑の上に浮かして、華奢な金縁のなかに暖かく包まれている。背広の地は品の好い英吉利織である。自己をまのあたりに物色した時、小野さんは自己の住むべき世界を卒然と自覚した。先生に釣り込まれそうな際どいところで急に忘れ物を思い出したような気分になる。先生には無論分らぬ。 「いっしょにあるいたのも久しぶりだね。今年でちょうど五年目になるかい」とさも可懐げに話しかける。 「ええ五年目です」 「五年目でも、十年目でも、こうして一つ所に住むようになれば結構さ。――小夜も喜んでいる」と後から継ぎ足したように一句を付け添えた。小野さんは早速の返事を忘れて、暗い部屋のなかに竦るような気がした。 「さっき御嬢さんが御出でした」と仕方がないから渡し込む。 「ああ、――なに急ぐ事でも無かったんだが、もしや暇があったらいっしょに連れて行って買物をして貰おうと思ってね」 「あいにく出掛けだったものですから」 「そうだってね。飛んだ御邪魔をしたろう。どこぞ急用でもあったのかい」 「いえ――急用でもなかったんですが」と相手は少々言い淀む。先生は追窮しない。 「はあ、そうかい。そりゃあ」と漠々たる挨拶をした。挨拶が漠々たると共に、部屋のなかも朦朧と取締がなくなって来る。今宵は月だ。月だが、まだ間がある。のに日は落ちた。床は一間を申訳のために濃い藍の砂壁に塗り立てた奥には、先生が秘蔵の義董の幅が掛かっていた。唐代の衣冠に蹣跚の履を危うく踏んで、だらしなく腕に巻きつけた長い袖を、童子の肩に凭した酔態は、この家の淋しさに似ず、春王の四月に叶う楽天家である。仰せのごとく額をかくす冠の、黒い色が著るしく目についたのは今先の事であったに、ふと見ると、纓か飾か、紋切形に左右に流す幅広の絹さえ、ぼんやりと近づく宵を迎えて、来る夜に紛れ込もうとする。先生も自分もぐずぐずすると一つ穴へはまって、影のように消えて行きそうだ。 「先生、御頼の洋灯の台を買って来ました」 「それはありがたい。どれ」  小野さんは薄暗いなかを玄関へ出て、台と屑籠を持ってくる。 「はあ――何だか暗くってよく見えない。灯火を点けてから緩くり拝見しよう」 「私が点けましょう。洋灯はどこにありますか」 「気の毒だね。もう帰って来る時分だが。じゃ椽側へ出ると右の戸袋のなかにあるから頼もう。掃除はもうしてあるはずだ」  薄暗い影が一つ立って、障子をすうと明ける。残る影はひそかに手を拱いて動かぬほどを、夜は襲って来る。六畳の座敷は淋しい人を陰気に封じ込めた。ごほんごほんと咳をせく。  やがて椽の片隅で擦る燐寸の音と共に、咳はやんだ。明るいものは室のなかに動いて来る。小野さんは洋袴の膝を折って、五分心を新らしい台の上に載せる。 「ちょうどよく合うね。据りがいい。紫檀かい」 「模擬でしょう」 「模擬でも立派なものだ。代は?」 「何ようござんす」 「よくはない。いくらかね」 「両方で四円少しです」 「四円。なるほど東京は物が高いね。――少しばかりの恩給でやって行くには京都の方が遥かに好いようだ」  二三年前と違って、先生は些額の恩給とわずかな貯蓄から上がる利子とで生活して行かねばならぬ。小野さんの世話をした時とはだいぶ違う。事に依れば小野さんの方から幾分か貢いで貰いたいようにも見える。小野さんは畏まって控えている。 「なに小夜さえなければ、京都にいても差し支ないんだが、若い娘を持つとなかなか心配なもので……」と途中でちょっと休んで見せる。小野さんは畏まったまま応じなかった。 「私などはどこの果で死のうが同じ事だが、後に残った小夜がたった一人で可哀想だからこの年になって、わざわざ東京まで出掛けて来たのさ。――いかな故郷でももう出てから二十年にもなる。知合も交際もない。まるで他国と同様だ。それに来て見ると、砂が立つ、埃が立つ。雑沓はする、物価は貴し、けっして住み好いとは思わない。……」 「住み好い所ではありませんね」 「これでも昔は親類も二三軒はあったんだが、長い間|音信不通にしていたものだから、今では居所も分らない。不断はさほどにも思わないが、こうやって、半日でも寝ると考えるね。何となく心細い」 「なるほど」 「まあ御前が傍にいてくれるのが何よりの依頼だ」 「御役にも立ちませんで……」 「いえ、いろいろ親切にしてくれてまことにありがたい。忙しいところを……」 「論文の方がないと、まだ閑なんですが」 「論文。博士論文だね」 「ええ、まあそうです」 「いつ出すのかね」  いつ出すのか分らなかった。早く出さなければならないと思う。こんな引っ掛りがなければ、もうよほど書けたろうにと思う。口では 「今一生懸命に書いてるところです」と云う。  先生は襦袢の袖から手を抜いて、素肌の懐に肘まで収めたまま、二三度肩をゆすって 「どうも、ぞくぞくする」と細長い髯を襟のなかに埋めた。 「御寝みなさい。起きていらっしゃると毒ですから。私はもう御暇をします」 「なに、まあ御話し。もう小夜が帰る時分だから。寝たければ私の方で御免蒙って寝る。それにまだ話も残っているから」  先生は急に胸の中から、手を出して膝の上へ乗せて、双方を一度に打った。 「まあ緩くりするが好い。今暮れたばかりだ」  迷惑のうちにも小野さんはさすが気の毒に思った。これほどまでに自分を引き留めたいのは、ただ当年の可懐味や、一夕の無聊ではない。よくよく行く先が案じられて、亡き後の安心を片時も早く、脈の打つ手に握りたいからであろう。  実は夕食もまだ食わない。いれば耳を傾けたくない話が出る。腰だけはとうから宙に浮いている。しかし先生の様子を見ると無理に洋袴の膝を伸す訳にもいかない。老人は病を力めて、わがために強いて元気をつけている。親しみやすき蒲団は片寄せられて、穴ばかりになった。温気は昔の事である。 「時に小夜の事だがね」と先生は洋灯の灯を見ながら云う。五分心を蒲鉾形に点る火屋のなかは、壺に充る油を、物言わず吸い上げて、穏かな※の舌が、暮れたばかりの春を、動かず守る。人|佗て淋しき宵を、ただ一点の明きに償う。燈灯は希望の影を招く。 「時に小夜の事だがね。知っての通りああ云う内気な性質ではあるし、今の女学生のようにハイカラな教育もないからとうてい気にもいるまいが、……」まで来て先生は洋灯から眼を放した。眼は小野さんの方に向う。何とか取り合わなければならない。 「いいえ――どうして――」と受けて、ちょっと句を切って見せたが、先生は依然として、こっちの顔から眸を動かさない。その上口を開かずに何だか待っている。 「気にいらんなんて――そんな事が――あるはずがないですが」とぽつぽつに答える。ようやくに納得した先生は先へ進む。 「あれも不憫だからね」  小野さんは、そうだとも、そうでないとも云わなかった。手は膝の上にある。眼は手の上にある。 「私がこうして、どうかこうかしているうちは好い。好いがこの通りの身体だから、いつ何時どんな事がないとも限らない。その時が困る。兼ての約束はあるし、御前も約束を反故にするような軽薄な男ではないから、小夜の事は私がいない後でも世話はしてくれるだろうが……」 「そりゃ勿論です」と云わなければならない。 「そこは私も安心している。しかし女は気の狭いものでね。アハハハハ困るよ」  何だか無理に笑ったように聞える。先生の顔は笑ったためにいよいよ淋しくなった。 「そんなに御心配なさる事も要らんでしょう」と覚束なく云う。言葉の腰がふらふらしている。 「私はいいが、小夜がさ」  小野さんは右の手で洋服の膝を摩り始めた。しばらくは二人とも無言である。心なき灯火が双方を半分ずつ照らす。 「御前の方にもいろいろな都合はあるだろう。しかし都合はいくら立ったって片づくものじゃない」 「そうでも無いです。もう少しです」 「だって卒業して二年になるじゃないか」 「ええ。しかしもう少しの間は……」 「少しって、いつまでの事かい。そこが判然していれば待っても好いさ。小夜にも私からよく話して置く。しかしただ少しでは困る。いくら親でも子に対して幾分か責任があるから。――少しって云うのは博士論文でも書き上げてしまうまでかい」 「ええ、まずそうです」 「だいぶ久しく書いているようだが、まあいつごろ済むつもりかね。大体」 「なるべく早く書いてしまおうと思って骨を折っているんですが。何分問題が大きいものですから」 「しかし大体の見当は着くだろう」 「もう少しです」 「来月くらいかい」 「そう早くは……」 「来々月はどうだね」 「どうも……」 「じゃ、結婚をしてからにしたら好かろう、結婚をしたから論文が書けなくなったと云う理由も出て来そうにない」 「ですが、責任が重くなるから」 「いいじゃないか、今まで通りに働いてさえいれば。当分の間、我々は経済上、君の世話にならんでもいいから」  小野さんは返事のしようがなかった。 「収入は今どのくらいあるのかね」 「わずかです」 「わずかとは」 「みんなで六十円ばかりです。一人がようようです」 「下宿をして?」 「ええ」 「そりゃ馬鹿気ている。一人で六十円使うのはもったいない。家を持っても楽に暮せる」  小野さんはまた返事のしようがなかった。  東京は物価が高いと云いながら、東京と京都の区別を知らない。鳴海絞の兵児帯を締めて芋粥に寒さを凌いだ時代と、大学を卒業して相当の尊敬を衣帽の末に払わねばならぬ今の境遇とを比較する事を知らない。書物は学者に取って命から二代目である。按摩の杖と同じく、無くっては世渡りが出来ぬほどに大切な道具である。その書物は机の上へ湧いてでも出る事か、中には人の驚くような奮発をして集めている。先生はそんな費用が、どれくらいかかるかまるで一切空である。したがって、おいそれと簡単な返事が出来ない。  小野さんは何を思ったか、左手を畳へつかえると、右を伸して洋灯の心をぱっと出した。六畳の小地球が急に東の方へ廻転したように、一度は明るくなる。先生の世界観が瞬と共に変るように明るくなる。小野さんはまだ螺旋から手を放さない。 「もう好い。そのくらいで好い。あんまり出すと危ない」と先生が云う。  小野さんは手を放した。手を引くときに、自分でカフスの奥を腕まで覗いて見る。やがて背広の表隠袋から、真白な手巾を撮み出して丁寧に指頭の油を拭き取った。 「少し灯が曲っているから……」と小野さんは拭き取った指頭を鼻の先へ持って来てふんふんと二三度|嗅いだ。 「あの婆さんが切るといつでも曲る」と先生は股の開いた灯を見ながら云う。 「時にあの婆さんはどうです、御間に合いますか」 「そう、まだ礼も云わなかったね。だんだん御手数を掛けて……」 「いいえ。実は年を取ってるから働らけるかと思ったんですが」 「まあ、あれで結構だ。だんだん慣れてくる様子だから」 「そうですか、そりゃ好い按排でした。実はどうかと思って心配していたんですが。その代り人間はたしかだそうです。浅井が受合って行ったんですから」 「そうかい。時に浅井と云えば、どうしたい。まだ帰らないかい」 「もう帰る時分ですが。ことに因ると今日くらいの汽車で帰って来るかも知れません」 「一昨かの手紙には、二三日中に帰るとあったよ」 「はあ、そうでしたか」と云ったぎり、小野さんは捩じ上げた五分心の頭を無心に眺めている。浅井の帰京と五分心の関係を見極めんと思索するごとくに眸子は一点に集った。 「先生」と云う。顔は先生の方へ向け易えた。例になく口の角にいささかの決心を齎している。 「何だい」 「今の御話ですね」 「うん」 「もう二三日待って下さいませんか」 「もう二三日」 「つまり要領を得た御返事をする前にいろいろ考えて見たいですから」 「そりゃ好いとも。三日でも四日でも、――一週間でも好い。事が判然さえすれば安心して待っている。じゃ小夜にもそう話して置こう」 「ええ、どうか」と云いながら恩賜の時計を出す。夏に向う永い日影が落ちてから、夜の針は疾く回るらしい。 「じゃ、今夜は失礼します」 「まあ好いじゃないか。もう帰って来る」 「また、すぐ来ますから」 「それでは――御疎怱であった」  小野さんはすっきりと立つ。先生は洋灯を執る。 「もう、どうぞ。分ります」と云いつつ玄関へ出る。 「やあ、月夜だね」と洋灯を肩の高さに支えた先生がいう。 「ええ穏な晩です」と小野さんは靴の紐を締めつつ格子から往来を見る。 「京都はなお穏だよ」  屈んでいた小野さんはようやく沓脱に立った。格子が明く。華奢な体躯が半分ばかり往来へ出る。 「清三」と先生は洋灯の影から呼び留めた。 「ええ」と小野さんは月のさす方から振り向いた。 「なに別段用じゃない。――こうして東京へ出掛けて来たのは、小夜の事を早く片づけてしまいたいからだと思ってくれ。分ったろうな」と云う。  小野さんは恭しく帽子を脱ぐ。先生の影は洋灯と共に消えた。  外は朧である。半ば世を照らし、半ば世を鎖す光が空に懸る。空は高きがごとく低きがごとく据らぬ腰を、更けぬ宵に浮かしている。懸るものはなおさらふわふわする。丸い縁に黄を帯びた輪をぼんやり膨らまして輪廓も確でない。黄な帯は外囲に近く色を失って、黒ずんだ藍のなかに煮染出す。流れれば月も消えそうに見える。月は空に、人は地に紛れやすい晩である。  小野さんの靴は、湿っぽい光を憚かるごとく、地に落す踵を洋袴の裾に隠して、小路を蕎麦屋の行灯まで抜け出して左へ折れた。往来は人の香がする。地に※く影は長くはない。丸まって動いて来る。こんもりと揺れて去る。下駄の音は朧に包まれて、霜のようには冴えぬ。撫でて通る電信柱に白い模様が見えた。すかす眸を不審と据えると白墨の相々傘が映る。それほどの浅い夜を、昼から引っ越して来た霞が立て籠める。行く人も来る人も何となく要領を得ぬ。逃れば靄のなか、出れば月の世界である。小野さんは夢のように歩を移して来た。※々として独り行くと云う句に似ている。  実は夕食もまだ食わない。いつもなら通りへ出ると、すぐ西洋料理へでも飛び込む料簡で、得意な襞の正しい洋袴を、誇り顔に運ぶはずである。今宵はいつまで立っても腹も減らない。牛乳さえ飲む気にならん。陽気は暖か過ぎる。胃は重い。引く足は千鳥にはならんが、確と踏答えがないような心持である。そと卸すせいかも知れぬ。さればとて、こつりと大地へ当てる気にはならん。巡査のようにあるけたなら世に朧は要らぬ。次に心配は要らぬ。巡査だから、ああも歩ける。小野さんには――ことに今夜の小野さんには――巡査の真似は出来ない。  なぜこう気が弱いだろう――小野さんは考えながら、ふらふら歩いている。――なぜこう気が弱いだろう。頭脳も人には負けぬ。学問も級友の倍はある。挙止動作から衣服の着こなし方に至って、ことごとく粋を尽くしていると自信している。ただ気が弱い。気が弱いために損をする。損をするだけならいいが乗っ引きならぬ羽目に陥る。水に溺れるものは水を蹴ると何かの本にあった。背に腹は替えられぬ今の場合、と諦めて蹴ってしまえばそれまでである。が……  女の話し声がする。人影は二つ、路の向う側をこちらへ近づいて来る。吾妻下駄と駒下駄の音が調子を揃えて生温く宵を刻んで寛なるなかに、話し声は聞える。 「洋灯の台を買って来て下さったでしょうか」と一人が云う。「そうさね」と一人が応える。「今頃は来ていらっしゃるかも知れませんよ」と前の声がまた云う。「どうだか」と後の声がまた応える。「でも買って行くとおっしゃったんでしょう」と押す。「ああ。――何だか暖か過ぎる晩だこと」と逃げる。「御湯のせいでござんすよ。薬湯は温まりますから」と説明する。  二人の話はここで小野さんの向側を通り越した。見送ると並ぶ軒下から頭の影だけが斜に出て、蕎麦屋の方へ動いて行く。しばらく首を捩じ向けて、立ち留っていた小野さんは、また歩き出した。  浅井のように気の毒気の少ないものなら、すぐ片づける事も出来る。宗近のような平気な男なら、苦もなくどうかするだろう。甲野なら超然として板挟みになっているかも知れぬ。しかし自分には出来ない。向へ行って一歩深く陥り、こっちへ来て一歩深く陥る。双方へ気兼をして、片足ずつ双方へ取られてしまう。つまりは人情に絡んで意思に乏しいからである。利害? 利害の念は人情の土台の上に、後から被せた景気の皮である。自分を動かす第一の力はと聞かれれば、すぐ人情だと答える。利害の念は第三にも第四にも、ことによったら全くなくっても、自分はやはり同様の結果に陥るだろうと思う。――小野さんはこう考えて歩いて行く。  いかに人情でも、こんなに優柔ではいけまい。手を拱いて、自然の為すがままにして置いたら、事件はどう発展するか分らない。想像すると怖しくなる。人情に屈託していればいるほど、怖しい発展を、眼のあたりに見るようになるかもしれぬ。是非ここで、どうかせねばならん。しかし、まだ二三日の余裕はある。二三日よく考えた上で決断しても遅くはない。二三日立って善い智慧が出なければ、その時こそ仕方がない。浅井を捕えて、孤堂先生への談判を頼んでしまう。実はさっきもその考で、浅井の帰りを勘定に入れて、二三日の猶予をと云った。こんな事は人情に拘泥しない浅井に限る。自分のような情に篤いものはとうてい断わり切れない。――小野さんはこう考えて歩いて行く。  月はまだ天のなかにいる。流れんとして流るる気色も見えぬ。地に落つる光は、冴ゆる暇なきを、重たき温気に封じ込められて、限りなき大夢を半空に曳く。乏しい星は雲を潜って向側へ抜けそうに見える。綿のなかに砲弾を打ち込んだのが辛うじて輝やくようだ。静かに重い宵である。小野さんはこのなかを考えながら歩いて行く。今夜は半鐘も鳴るまい。         十五  部屋は南を向く。仏蘭西式の窓は床を去る事五寸にして、すぐ硝子となる。明け放てば日が這入る。温かい風が這入る。日は椅子の足で留まる。風は留まる事を知らぬ故、容赦なく天井まで吹く。窓掛の裏まで渡る。からりとして朗らかな書斎になる。  仏蘭西窓を右に避けて一脚の机を据える。蒲鉾形に引戸を卸せば、上から錠がかかる。明ければ、緑の羅紗を張り詰めた真中を、斜めに低く手元へ削って、背を平らかに、書を開くべき便宜とする。下は左右を銀金具の抽出に畳み卸してその四つ目が床に着く。床は樟の木の寄木に仮漆を掛けて、礼に叶わぬ靴の裏を、ともすれば危からしめんと、てらてらする。  そのほかに洋卓がある。チッペンデールとヌーヴォーを取り合せたような組み方に、思い切った今様を華奢な昔に忍ばして、室の真中を占領している。周囲に並ぶ四脚の椅子は無論|同式の構造である。繻子の模様も対とは思うが、日除の白蔽に、卸す腰も、凭れる背も、ただ心安しと気を楽に落ちつけるばかりで、目の保養にはならぬ。  書棚は壁に片寄せて、間の高さを九尺|列ねて戸口まで続く。組めば重ね、離せば一段の棚を喜んで、亡き父が西洋から取り寄せたものである。いっぱいに並べた書物が紺に、黄に、いろいろに、ゆかしき光を闘わすなかに花文字の、角文字の金は、縦にも横にも奇麗である。  小野さんは欽吾の書斎を見るたびに羨しいと思わぬ事はない。欽吾も無論|嫌ってはおらぬ。もとは父の居間であった。仕切りの戸を一つ明けると直応接間へ抜ける。残る一つを出ると内廊下から日本座敷へ続く。洋風の二間は、父が手狭な住居を、二十世紀に取り拡げた便利の結果である。趣味に叶うと云わんよりは、むしろ実用に逼られて、時好の程度に己れを委却した建築である。さほどに嬉しい部屋ではない。けれども小野さんは非常に羨ましがっている。  こう云う書斎に這入って、好きな書物を、好きな時に読んで、厭きた時分に、好きな人と好きな話をしたら極楽だろうと思う。博士論文はすぐ書いて見せる。博士論文を書いたあとは後代を驚ろかすような大著述をして見せる。定めて愉快だろう。しかし今のような下宿住居で、隣り近所の乱調子に頭を攪き廻されるようではとうてい駄目である。今のように過去に追窮されて、義理や人情のごたごたに、日夜共心を使っていてはとうてい駄目である。自慢ではないが自分は立派な頭脳を持っている。立派な頭脳を持っているものは、この頭脳を使って世間に貢献するのが天職である。天職を尽すためには、尽し得るだけの条件がいる。こう云う書斎はその条件の一つである。――小野さんはこう云う書斎に這入りたくてたまらない。  高等学校こそ違え、大学では甲野さんも小野さんも同年であった。哲学と純文学は科が異なるから、小野さんは甲野さんの学力を知りようがない。ただ「哲世界と実世界」と云う論文を出して卒業したと聞くばかりである。「哲世界と実世界」の価値は、読まぬ身に分るはずがないが、とにかく甲野さんは時計をちょうだいしておらん。自分はちょうだいしておる。恩賜の時計は時を計るのみならず、脳の善悪をも計る。未来の進歩と、学界の成功をも計る。特典に洩れた甲野さんは大した人間ではないにきまっている。その上卒業してからこれと云う研究もしないようだ。深い考を内に蓄えているかも知れぬが、蓄えているならもう出すはずである。出さぬは蓄がない証拠と見て差支ない。どうしても自分は甲野さんより有益な材である。その有益な材を抱いて奔走に、六十円に、月々を衣食するに、甲野さんは、手を拱いて、徒然の日を退屈そうに暮らしている。この書斎を甲野さんが占領するのはもったいない。自分が甲野の身分でこの部屋の主人となる事が出来るなら、この二年の間に相応の仕事はしているものを、親譲りの貧乏に、驥も櫪に伏す天の不公平を、やむを得ず、今日まで忍んで来た。一陽は幸なき人の上にも来り復ると聞く。願くは願くはと小野さんは日頃に念じていた。――知らぬ甲野さんはぽつ然として机に向っている。  正面の窓を明けたらば、石一級の歩に過ぎずして、広い芝生を一目に見渡すのみか、朗な気が地つづきを、すぐ部屋のなかに這入るものを、甲野さんは締め切ったまま、ひそりと立て籠っている。  右手の小窓は、硝子を下した上に、左右から垂れかかる窓掛に半ば蔽われている。通う光線は幽かに床の上に落つる。窓掛は海老茶の毛織に浮出しの花模様を埃のままに、二十日ほどは動いた事がないようである。色もだいぶ褪めた。部屋と調和のない装飾も、過渡時代の日本には当然として立派に通用する。窓掛の隙間から硝子へ顔を圧しつけて、外を覗くと扇骨木の植込を通して池が見える。棒縞の間から横へ抜けた波模様のように、途切れ途切れに見える。池の筋向が藤尾の座敷になる。甲野さんは植込も見ず、池も見ず、芝生も見ず、机に凭ってじっとしている。焚き残された去年の石炭が、煖炉のなかにただ一個冷やかに春を観ずる体である。  やがて、かたりと書物を置き易える音がする。甲野さんは手垢の着いた、例の日記帳を取り出して、誌け始める。 「多くの人は吾に対して悪を施さんと欲す。同時に吾の、彼らを目して凶徒となすを許さず。またその凶暴に抗するを許さず。曰く。命に服せざれば汝を嫉まんと」  細字に書き終った甲野さんは、その後に片仮名でレオパルジと入れた。日記を右に片寄せる。置き易えた書物を再び故の座に直して、静かに読み始める。細い青貝の軸を着けた洋筆がころころと机を滑って床に落ちた。ぽたりと黒いものが足の下に出来る。甲野さんは両手を机の角に突張って、心持腰を後へ浮かしたが、眼を落してまず黒いしたたりを眺めた。丸い輪に墨が余ってぱっと四方に飛んでいる。青貝は寝返りを打って、薄暗いなかに冷たそうな長い光を放つ。甲野さんは椅子をずらす。手捜に取り上げた洋筆軸は父が西洋から買って来てくれた昔土産である。  甲野さんは、指先に軸を撮んだ手を裏返して、拾った物を、指の谷から滑らして掌のなかに落し込む。掌の向を上下に易えると、長い軸は、ころころと前へ行き後ろへ戻る。動くたびにきらきら光る。小さい記念である。  洋筆軸を転がしながら、書物の続きを読む。頁をはぐるとこんな事が、かいてある。 「剣客の剣を舞わすに、力|相若くときは剣術は無術と同じ。彼、これを一籌の末に制する事|能わざれば、学ばざるものの相対して敵となるに等しければなり。人を欺くもまたこれに類す。欺かるるもの、欺くものと一様の譎詐に富むとき、二人の位地は、誠実をもって相対すると毫も異なるところなきに至る。この故に偽と悪とは優勢を引いて援護となすにあらざるよりは、不足偽、不足悪に出会するにあらざるよりは、最後に、至善を敵とするにあらざるよりは、――効果を収むる事|難しとす。第三の場合は固より稀なり。第二もまた多からず。凶漢は敗徳において匹敵するをもって常態とすればなり。人|相賊してついに達する能わず、あるいは千辛万苦して始めて達し得べきものも、ただ互に善を行い徳を施こして容易に到り得べきを思えば、悲しむべし」  甲野さんはまた日記を取り上げた。青貝の洋筆軸を、ぽとりと墨壺の底に落す。落したまま容易に上げないと思うと、ついには手を放した。レオパルジは開いたまま、黄な表紙の日記を頁の上に載せる。両足を踏張って、組み合せた手を、頸根にうんと椅子の背に凭れかかる。仰向く途端に父の半身画と顔を見合わした。  余り大きくはない。半身とは云え胴衣の釦が二つ見えるだけである。服はフロックと思われるが、背景の暗いうちに吸い取られて、明らかなのは、わずかに洩るる白襯衣の色と、額の広い顔だけである。  名のある人の筆になると云う。三年|前帰朝の節、父はこの一面を携えて、遥かなる海を横浜の埠頭に上った。それより以後は、欽吾が仰ぐたびに壁間に懸っている。仰がぬ時も壁間から欽吾を見下している。筆を執るときも、頬杖を突くときも、仮寝の頭を机に支うるときも――絶えず見下している。欽吾がいない時ですら、画布の人は、常に書斎を見下している。  見下すだけあって活きている。眼玉に締りがある。それも丹念に塗りたくって、根気任せに錬り上げた眼玉ではない。一刷毛に輪廓を描いて、眉と睫の間に自然の影が出来る。下瞼の垂味が見える。取る年が集って目尻を引張る波足が浮く。その中に瞳が活きている。動かないでしかも活きている刹那の表情を、そのまま画布に落した手腕は、会心の機を早速に捕えた非凡の技と云わねばならぬ。甲野さんはこの眼を見るたびに活きてるなと思う。  想界に一瀾を点ずれば、千瀾追うて至る。瀾々相擁して思索の郷に、吾を忘るるとき、懊悩の頭を上げて、この眼にはたりと逢えば、あっ、在ったなと思う。ある時はおやいたかと驚ろく事さえある。――甲野さんがレオパルジから眼を放して、万事を椅子の背に託した時は、常よりも烈しくおやいたなと驚ろいた。  思出の種に、亡き人を忍ぶ片身とは、思い出す便を与えながら、亡き人を故に返さぬ無惨なものである。肌に離さぬ数糸の髪を、懐いては、泣いては、月日はただ先へと廻るのみの浮世である。片身は焼くに限る。父が死んでからの甲野さんは、何となくこの画を見るのが厭になった。離れても別状がないと落つきの根城を据えて、咫尺に慈顔を髣髴するは、離れたる親を、記憶の紙に炙り出すのみか、逢える日を春に待てとの占にもなる。が、逢おうと思った本人はもう死んでしまった。活きているものはただ眼玉だけである。それすら活きているのみで毫も動かない。――甲野さんは茫然として、眼玉を眺めながら考えている。  親父も気の毒な事をした。もう少し生きれば生きられる年だのに。髭もまるで白くはない。血色もみずみずしている。死ぬ気は無論なかったろう。気の毒な事をした。どうせ死ぬなら、日本へ帰ってから死んでくれれば好いのに。言い置いて行きたい事も定めてあったろう。聞きたい事、話したい事もたくさんあった。惜しい事をした。好い年をして三遍も四遍も外国へやられて、しかも任地で急病に罹って頓死してしまった。……  活きている眼は、壁の上から甲野さんを見詰めている。甲野さんは椅子に倚り掛ったまま、壁の上を見詰めている。二人の眼は見るたびにぴたりと合う。じっとして動かずに、合わしたままの秒を重ねて分に至ると、向うの眸が何となく働らいて来た。睛を閑所に転ずる気紛の働ではない。打ち守る光が次第に強くなって、眼を抜けた魂がじりじりと一直線に甲野さんに逼って来る。甲野さんはおやと、首を動した。髪の毛が、椅子の背を離れて二寸ばかり前へ出た時、もう魂はいなくなった。いつの間にやら、眼のなかへ引き返したと見える。一枚の額は依然として一枚の額に過ぎない。甲野さんは再び黒い頭を椅子の肩に投げかけた。  馬鹿馬鹿しい。が近頃時々こんな事がある。身体が衰弱したせいか、頭脳の具合が悪いからだろう。それにしてもこの画は厭だ。なまじい親父に似ているだけがなお気掛りである。死んだものに心を残したって始まらないのは知れている。ところへ死んだものを鼻の先へぶら下げて思え思えと催促されるのは、木刀を突き付けて、さあ腹を切れと逼られるようなものだ。うるさいのみか不快になる。  それもただの場合ならともかくである。親父の事を思い出すたびに、親父に気の毒になる。今の身と、今の心は自分にさえ気の毒である。実世界に住むとは、名ばかりの衣と住と食とを貪るだけで、頭はほかの国に、母も妹も忘れればこそ、こう生きてもいる。実世界の地面から、踵を上げる事を解し得ぬ利害の人の眼に見たら、定めし馬鹿の骨頂だろう。自分は自分にすべてを棄てる覚悟があるにもせよ、この体たらくを親父には見せたくない。親父はただの人である。草葉の蔭で親父が見ていたら、定めて不肖の子と思うだろう。不肖の子は親父の事を思い出したくない。思い出せば気の毒になる。――どうもこの画はいかん。折があったら蔵のなかへでも片づけてしまおう。……  十人は十人の因果を持つ。羹に懲りて膾を吹くは、株を守って兎を待つと、等しく一様の大律に支配せらる。白日天に中して万戸に午砲の飯を炊ぐとき、蹠下の民は褥裏に夜半太平の計熟す。甲野さんがただ一人書斎で考えている間に、母と藤尾は日本間の方で小声に話している。 「じゃあ、まだ話さないんですね」と藤尾が云う。茶の勝った節糸の袷は存外|地味な代りに、長く明けた袖の後から紅絹の裏が婀娜な色を一筋なまめかす。帯に代赭の古代模様が見える。織物の名は分らぬ。 「欽吾にかい」と母が聞き直す。これもくすんだ縞物を、年相応に着こなして、腹合せの黒だけが目に着くほどに締めている。 「ええ」と応じた藤尾は 「兄さんは、まだ知らないんでしょう」と念を押す。 「まだ話さないよ」と云ったぎり、母は落ちついている。座布団の縁を捲って、 「おや、煙管はどうしたろう」と云う。  煙管は火鉢の向う側にある。長い羅宇を、逆に、親指の股に挟んで 「はい」と手取形の鉄瓶の上から渡す。 「話したら何とか云うでしょうか」と差し出した手をこちら側へ引く。 「云えば御廃しかい」と母は皮肉に云い切ったまま、下を向いて、雁首へ雲井を詰める。娘は答えなかった。答えをすれば弱くなる。もっとも強い返事をしようと思うときは黙っているに限る。無言は黄金である。  五徳の下で、存分に吸いつけた母は、鼻から出る煙と共に口を開いた。 「話はいつでも出来るよ。話すのが好ければ私が話して上げる。なに相談するがものはない。こう云う風にするつもりだからと云えば、それぎりの事だよ」 「そりゃ私だって、自分の考がきまった以上は、兄さんがいくら何と云ったって承知しやしませんけれども……」 「何にも云える人じゃないよ。相談相手に出来るくらいなら、初手からこうしないでもほかにいくらも遣口はあらあね」 「でも兄さんの心持一つで、こっちが困るようになるんだから」 「そうさ。それさえなければ、話も何も要りゃしないんだが。どうも表向|家の相続人だから、あの人がうんと云ってくれないと、こっちが路頭に迷うようになるばかりだからね」 「その癖、何か話すたんびに、財産はみんな御前にやるから、そのつもりでいるがいいって云うんですがね」 「云うだけじゃ仕方がないじゃないか」 「まさか催促する訳にも行かないでしょう」 「なにくれるものなら、催促して貰ったって、構わないんだが――ただ世間体がわるいからね。いくらあの人が学者でもこっちからそうは切り出し悪いよ」 「だから、話したら好いじゃありませんか」 「何を」 「何をって、あの事を」 「小野さんの事かい」 「ええ」と藤尾は明暸に答えた。 「話しても好いよ。どうせいつか話さなければならないんだから」 「そうしたら、どうにかするでしょう。まるっきり財産をくれるつもりなら、くれるでしょうし。幾らか分けてくれる気なら、分けるでしょうし、家が厭ならどこへでも行くでしょうし」 「だが、御母さんの口から、御前の世話にはなりたくないから藤尾をどうかしてくれとも云い悪いからね」 「だって向で世話をするのが厭だって云うんじゃありませんか。世話は出来ない、財産はやらない。それじゃ御母さんをどうするつもりなんです」 「どうするつもりも何も有りゃしない。ただああやってぐずぐずして人を困らせる男なんだよ」 「少しはこっちの様子でも分りそうなもんですがね」  母は黙っている。 「この間金時計を宗近にやれって云った時でも……」 「小野さんに上げると御云いのかい」 「小野さんにとは云わないけれども。一さんに上げるとは云わなかったわ」 「妙だよあの人は。藤尾に養子をして、面倒を見て御貰いなさいと云うかと思うと、やっぱり御前を一にやりたいんだよ。だって一は一人息子じゃないか。養子なんぞに来られるものかね」 「ふん」と受けた藤尾は、細い首を横に庭の方を見る。夕暮を促がすとのみ眺められた浅葱桜は、ことごとく梢を辞して、光る茶色の嫩葉さえ吹き出している。左に茂る三四本の扇骨木の丸く刈り込まれた間から、書斎の窓が少し見える。思うさま片寄って枝を伸した桜の幹を、右へ離れると池になる。池が尽きれば張り出した自分の座敷である。  静かな庭を一目見廻わした藤尾は再び横顔を返して、母を真向に見る。母はさっきから藤尾の方を向いたなり眼を放さない。二人が顔を合せた時、何を思ったか、藤尾は美くしい片頬をむずつかせた。笑とまで片づかぬものは、明かに浮ばぬ先に自然と消える。 「宗近の方は大丈夫なんでしょうね」 「大丈夫でなくったって、仕方がないじゃないか」 「でも断って下すったんでしょう」 「断ったんだとも。この間行った時に、宗近の阿爺に逢って、よく理由は話して来たのさ。――帰ってから御前にも話した通り」 「それは覚えていますけれども、何だか判然しないようだったから」 「判然しないのは向の事さ。阿爺があの通り気の長い人だもんだから」 「こっちでも判然とは断わらなかったんでしょう」 「そりゃ今までの義理があるから、そう子供の使のように、藤尾が厭だと申しますから、平に御断わり申しますとは云えないからね」 「なに厭なものは、どうしたって好くなりっこ無いんだから、いっそ平ったく云った方が好いんですよ」 「だって、世間はそうしたもんじゃあるまい。御前はまだ年が若いから露骨でも構わないと御思かも知れないが、世の中はそうは行かないよ。同じ断わるにしても、そこにはね。やっぱり蓋も味もあるように云わないと――ただ怒らしてしまったって仕方がないから」 「何とか云って断ったのね」 「欽吾がどうあっても嫁を貰うと云ってくれません。私も取る年で心細うございますから」と一と息に下して来る。ちょっと御茶を呑む。 「年を取って心細いから」 「心細いから、欽吾があのまま押し通す料簡なら、藤尾に養子でもして掛かるよりほかに致し方がございません。すると一さんは大事な宗近家の御相続人だから私共へいらしっていただく訳にも行かず、また藤尾を差し上げる訳にも参らなくなりますから……」 「それじゃ兄さんがもしや御嫁を貰うと云い出したら困るでしょう」 「なに大丈夫だよ」と母は浅黒い額へ癇癪の八の字を寄せた。八の字はすぐとれる。やがて云う。 「貰うなら、貰うで、糸子でも何でも勝手な人を貰うがいいやね。こっちはこっちで早く小野さんを入れてしまうから」 「でも宗近の方は」 「いいよ。そう心配しないでも」と地烈太そうに云い切った後で 「外交官の試験に及第しないうちは嫁どころじゃないやね」と付けた。 「もし及第したら、すぐ何か云うでしょう」 「だって、彼男に及第が出来ますものかね。考えて御覧な。――もし及第なすったら藤尾を差上ましょうと約束したって大丈夫だよ」 「そう云ったの」 「そうは云わないさ。そうは云わないが、云っても大丈夫、及第出来っ子ない男だあね」  藤尾は笑ながら、首を傾けた。やがてすっきと姿勢を正して、話を切り上げながら云う。 「じゃ宗近の御叔父はたしかに断わられたと思ってるんですね」 「思ってるはずだがね。――どうだい、あれから一の様子は、少しは変ったかい」 「やっぱり同じですからさ。この間博覧会へ行ったときも相変らずですもの」 「博覧会へ行ったのは、いつだったかね」 「今日で」と考える。「一昨日、一昨々日の晩です」と云う。 「そんなら、もう一に通じている時分だが。――もっとも宗近の御叔父がああ云う人だから、ことに依ると謎が通じなかったかも知れないね」とさも歯痒そうである。 「それとも一さんの事だから、御叔父から聞いても平気でいるのかも知れないわね」 「そうさ。どっちがどっちとも云えないね。じゃ、こうしよう。ともかくも欽吾に話してしまおう。――こっちで黙っていちゃ、いつまで立っても際限がない」 「今、書斎にいるでしょう」  母は立ち上がった。椽側へ出た足を一歩後へ返して、小声に 「御前、一に逢うだろう」と屈ながら云う。 「逢うかも知れません」 「逢ったら少し匂わして置く方が好いよ。小野さんと大森へ行くとか云っていたじゃないか。明日だったかね」 「ええ、明日の約束です」 「何なら二人で遊んで歩くところでも見せてやると好い」 「ホホホホ」  母は書斎に向う。  からりとした椽を通り越して、奇麗な木理を一面に研ぎ出してある西洋間の戸を半分明けると、立て切った中は暗い。円鈕を前に押しながら、開く戸に身を任せて、音なき両足を寄木の床に落した時、釘舌のかちゃりと跳ね返る音がする。窓掛に春を遮ぎる書斎は、薄暗く二人を、人の世から仕切った。 「暗い事」と云いながら、母は真中の洋卓まで来て立ち留まる。椅子の背の上に首だけ見えた欽吾の後姿が、声のした方へ、じいっと廻り込むと、なぞえに引いた眉の切れが三が一ほどあらわれた。黒い片髭が上唇を沿うて、自然と下りて来て、尽んとする角から、急に捲き返す。口は結んでいる。同時に黒い眸は眼尻まで擦って来た。母と子はこの姿勢のうちに互を認識した。 「陰気だねえ」と母は立ちながら繰り返す。  無言の人は立ち上る。上靴を二三度床に鳴らして、洋卓の角まで足を運ばした時、始めて 「窓を明けましょうか」と緩聞いた。 「どうでも――母さんはどうでも構わないが、ただ御前が欝陶しいだろうと思ってさ」  無言の人は再び右の手の平を、洋卓越に前へ出した。促がされたる母はまず椅子に着く。欽吾も腰を卸した。 「どうだね、具合は」 「ありがとう」 「ちっとは好い方かね」 「ええ――まあ――」と生返事をした時、甲野さんは背を引いて腕を組んだ。同時に洋卓の下で、右足の甲の上へ左の外踝を乗せる。母の眼からは、ただ裄の縮んだ卵色の襯衣の袖が正面に見える。 「身体を丈夫にしてくれないとね、母さんも心配だから……」  句の切れぬうちに、甲野さんは自分の顎を咽喉へ押しつけて、洋卓の下を覗き込んだ。黒い足袋が二つ重なっている。母の足は見えない。母は出直した。 「身体が悪いと、つい気分まで欝陶しくなって、自分も面白くないし……」  甲野さんはふと眼を上げた。母は急に言葉を移す。 「でも京都へ行ってから、少しは好いようだね」 「そうですか」 「ホホホホ、そうですかって、他人の事のように。――何だか顔色が丈夫丈夫して来たじゃないか。日に焼けたせいかね」 「そうかも知れない」と甲野さんは、首を向け直して、窓の方を見る。窓掛の深い襞が左右に切れる間から、扇骨木の若葉が燃えるように硝子に映る。 「ちっと、日本間の方へ話にでも来て御覧。あっちは、廓っとして、書斎より心持が好いから。たまには、一のようにつまらない女を相手にして世間話をするのも気が変って面白いものだよ」 「ありがとう」 「どうせ相手になるほどの話は出来ないけれども――それでも馬鹿は馬鹿なりにね。……」  甲野さんは眩しそうな眼を扇骨木から放した。 「扇骨木が大変|奇麗に芽を吹きましたね」 「見事だね。かえって生じいな花よりも、好ござんすよ。ここからは、たった一本しっきゃ見えないね。向へ廻ると刈り込んだのが丸く揃って、そりゃ奇麗」 「あなたの部屋からが一番好く見えるようですね」 「ああ、御覧かい」  甲野さんは見たとも見ないとも云わなかった。母は云う。―― 「それにね。近頃は陽気のせいか池の緋鯉が、まことによく跳るんで……ここから聞えますかい」 「鯉の跳る音がですか」 「ああ」 「いいえ」 「聞えない。聞えないだろうねこう立て切って有っちゃあ。母さんの部屋からでも聞えないくらいだから。この間藤尾に母さんは耳が悪くなったって、さんざん笑われたのさ。――もっとも、もう耳も悪くなって好い年だから仕方がないけれども」 「藤尾はいますか」 「いるよ。もう小野さんが来て稽古をする時分だろう。――何か用でもあるかい」 「いえ、用は別にありません」 「あれも、あんな、気の勝った子で、さぞ御前さんの気に障る事もあろうが、まあ我慢して、本当の妹だと思って、面倒を見てやって下さい」  甲野さんは腕組のまま、じっと、深い瞳を母の上に据えた。母の眼はなぜか洋卓の上に落ちている。 「世話はする気です」と徐かに云う。 「御前がそう云ってくれると私もまことに安心です」 「する気どころじゃない。したいと思っているくらいです」 「それほどに思ってくれると聞いたら当人もさぞ喜ぶ事だろう」 「ですが……」で言葉は切れた。母は後を待つ。欽吾は腕組を解いて、椅子に倚る背を前に、胸を洋卓の角へ着けるほど母に近づいた。 「ですが、母さん。藤尾の方では世話になる気がありません」 「そんな事が」と今度は母の方が身体を椅子の背に引いた。甲野さんは一筋の眉さえ動かさない。同じような低い声を、静かに繋げて行く。 「世話をすると云うのは、世話になる方でこっちを信仰――信仰と云うのは神さまのようでおかしい」  甲野さんはここでぽつりと言葉を切った。母はまだ番が回って来ないと心得たか、尋常に控えている。 「とにかく世話になっても好いと思うくらいに信用する人物でなくっちゃ駄目です」 「そりゃ御前にそう見限られてしまえばそれまでだが」とここまでは何の苦もなく出したが、急に調子を逼らして、 「藤尾も実は可哀想だからね。そう云わずに、どうかしてやって下さい」と云う。甲野さんは肘を立てて、手の平で額を抑えた。 「だって見縊られているんだから、世話を焼けば喧嘩になるばかりです」 「藤尾が御前さんを見縊るなんて……」と打ち消はしとやかな母にしては比較的に大きな声であった。 「そんな事があっては第一|私が済まない」と次に添えた時はもう常に復していた。  甲野さんは黙って肘を立てている。 「何か藤尾が不都合な事でもしたかい」  甲野さんは依然として額に加えた手の下から母を眺めている。 「もし不都合があったら、私から篤と云って聞かせるから、遠慮しないで、何でも話しておくれ。御互のなかで気不味い事があっちゃあ面白くないから」  額に加えた五本の指は、節長に細りして、爪の形さえ女のように華奢に出来ている。 「藤尾はたしか二十四になったんですね」 「明けて四になったのさ」 「もうどうかしなくっちゃならないでしょう」 「嫁の口かい」と母は簡単に念を押した。甲野さんは嫁とも聟とも判然した答をしない。母は云う。 「藤尾の事も、実は相談したいと思っているんだが、その前にね」 「何ですか」  右の眉はやはり手の下に隠れている。眼の光は深い。けれども鋭い点はどこにも見えぬ。 「どうだろう。もう一遍考え直してくれると好いがね」 「何をですか」 「御前の事をさ。藤尾も藤尾でどうかしなければならないが、御前の方を先へきめないと、母さんが困るからね」  甲野さんは手の甲の影で片頬に笑った。淋しい笑である。 「身体が悪いと御云いだけれども、御前くらいの身体で御嫁を取った人はいくらでもあります」 「そりゃ、有るでしょう」 「だからさ。御前も、もう一遍考え直して御覧な。中には御嫁を貰って大変丈夫になった人もあるくらいだよ」  甲野さんの手はこの時始めて額を離れた。洋卓の上には一枚の罫紙に鉛筆が添えて載せてある。何気なく罫紙を取り上げて裏を返して見ると三四行の英語が書いてある。読み掛けて気がついた。昨日読んだ書物の中から備忘のため抄録して、そのままに捨てて置いた紙片である。甲野さんは罫紙を洋卓の上に伏せた。  母は額の裏側だけに八の字を寄せて、甲野さんの返事をおとなしく待っている。甲野さんは鉛筆を執って紙の上へ烏と云う字を書いた。 「どうだろうね」  烏と云う字が鳥になった。 「そうしてくれると好いがね」  鳥と云う字が鴃の字になった。その下に舌の字が付いた。そうして顔を上げた。云う。 「まあ藤尾の方からきめたら好いでしょう」 「御前が、どうしても承知してくれなければ、そうするよりほかに道はあるまい」  云い終った母は悄然として下を向いた。同時に忰の紙の上に三角が出来た。三角が三つ重なって鱗の紋になる。 「母かさん。家は藤尾にやりますよ」 「それじゃ御前……」と打ち消にかかる。 「財産も藤尾にやります。私は何にもいらない」 「それじゃ私達が困るばかりだあね」 「困りますか」と落ちついて云った。母子はちょっと眼を見合せる。 「困りますかって。――私が、死んだ阿父さんに済まないじゃないか」 「そうですか。じゃどうすれば好いんです」と飴色に塗った鉛筆を洋卓の上にはたりと放り出した。 「どうすれば好いか、どうせ母さんのような無学なものには分らないが、無学は無学なりにそれじゃ済まないと思いますよ」 「厭なんですか」 「厭だなんて、そんなもったいない事を今まで云った事があったかね」 「有りません」 「私も無いつもりだ。御前がそう云ってくれるたんびに、御礼は始終云ってるじゃないか」 「御礼は始終聞いています」  母は転がった鉛筆を取り上げて、尖った先を見た。丸い護謨の尻を見た。心のうちで手のつけようのない人だと思った。ややあって護謨の尻をきゅうっと洋卓の上へ引っ張りながら云う。 「じゃ、どうあっても家を襲ぐ気はないんだね」 「家は襲いでいます。法律上私は相続人です」 「甲野の家は襲いでも、母かさんの世話はしてくれないんだね」  甲野さんは返事をする前に、眸を長い眼の真中に据えてつくづくと母の顔を眺めた。やがて、 「だから、家も財産もみんな藤尾にやると云うんです」と慇懃に云う。 「それほどに御云いなら、仕方がない」  母は溜息と共に、この一句を洋卓の上にうちやった。甲野さんは超然としている。 「じゃ仕方がないから、御前の事は御前の思い通りにするとして、――藤尾の方だがね」 「ええ」 「実はあの小野さんが好かろうと思うんだが、どうだろう」 「小野をですか」と云ったぎり、黙った。 「いけまいか」 「いけない事もないでしょう」と緩くり云う。 「よければ、そうきめようと思うが……」 「好いでしょう」 「好いかい」 「ええ」 「それでようやく安心した」  甲野さんはじっと眼を凝らして正面に何物をか見詰めている。あたかも前にある母の存在を認めざるごとくである。 「それでようやく――御前どうかおしかい」 「母かさん、藤尾は承知なんでしょうね」 「無論知っているよ。なぜ」  甲野さんは、やはり遠方を見ている。やがて瞬を一つすると共に、眼は急に近くなった。 「宗近はいけないんですか」と聞く。 「一かい。本来なら一が一番好いんだけれども。――父さんと宗近とは、ああ云う間柄ではあるしね」 「約束でもありゃしなかったですか」 「約束と云うほどの事はなかったよ」 「何だか父さんが時計をやるとか云った事があるように覚えていますが」 「時計?」と母は首を傾げた。 「父さんの金時計です。柘榴石の着いている」 「ああ、そうそう。そんな事が有ったようだね」と母は思い出したごとくに云う。 「一はまだ当にしているようです」 「そうかい」と云ったぎり母は澄ましている。 「約束があるならやらなくっちゃ悪い。義理が欠ける」 「時計は今藤尾が預っているから、私から、よく、そう云って置こう」 「時計もだが、藤尾の事を重に云ってるんです」 「だって藤尾をやろうと云う約束はまるで無いんだよ」 「そうですか。――それじゃ、好いでしょう」 「そう云うと私が何だか御前の気に逆うようで悪いけれども、――そんな約束はまるで覚がないんだもの」 「はああ。じゃ無いんでしょう」 「そりゃね。約束があっても無くっても、一ならやっても好いんだが、あれも外交官の試験がまだ済まないんだから勉強中に嫁でもあるまいし」 「そりゃ、構わないです」 「それに一は長男だから、どうしても宗近の家を襲がなくっちゃならずね」 「藤尾へは養子をするつもりなんですか」 「したくはないが、御前が母かさんの云う事を聞いておくれでないから……」 「藤尾がわきへ行くにしても、財産は藤尾にやります」 「財産は――御前私の料簡を間違えて取っておくれだと困るが――母さんの腹の中には財産の事なんかまるでありゃしないよ。そりゃ割って見せたいくらいに奇麗なつもりだがね。そうは見えないか知ら」 「見えます」と甲野さんが云った。極めて真面目な調子である。母にさえ嘲弄の意味には受取れなかった。 「ただ年を取って心細いから……たった一人の藤尾をやってしまうと、後が困るんでね」 「なるほど」 「でなければ一が好いんだがね。御前とも仲が善し……」 「母かさん、小野をよく知っていますか」 「知ってるつもりです。叮嚀で、親切で、学問がよく出来て立派な人じゃないか。――なぜ」 「そんなら好いです」 「そう素気なく云わずと、何か考があるなら聞かしておくれな。せっかく相談に来たんだから」  しばらく罫紙の上の楽書を見詰めていた甲野さんは眼を上げると共に穏かに云い切った。 「宗近の方が小野より母さんを大事にします」 「そりゃ」とたちまち出る。後から静かに云う。 「そうかも知れない――御前の見た眼に間違はあるまいが、ほかの事と違って、こればかりは親や兄の自由には行かないもんだからね」 「藤尾が是非にと云うんですか」 「え、まあ――是非とも云うまいが」 「そりゃ私も知っている。知ってるんだが。――藤尾はいますか」 「呼びましょう」  母は立った。薄紅色に深く唐草を散らした壁紙に、立ちながら、手頃に届く電鈴を、白きただ中に押すと、座に返るほどなきに応がある。入口の戸が五寸ばかりそっと明く、ところを振り返った母が 「藤尾に用があるからちょいと」と云う。そっと明いた戸はそっと締る。  母と子は洋卓を隔てて差し向う。互に無言である。欽吾はまた鉛筆を取り上げた。三つ鱗の周囲に擦れ擦れの大きさに円を描く。円と鱗の間を塗る。黒い線を一本一本|叮嚀に並行させて行く。母は所在なさに、忰の図案を慇懃に眺めている。  二人の心は無論わからぬ。ただ上部だけはいかにも静である。もし手足の挙止が、内面の消息を形而下に運び来る記号となり得るならば、この二人ほどに長閑な母子は容易に見出し得まい。退屈の刻を、数十の線に劃して、行儀よく三つ鱗の外部を塗り潰す子と、尋常に手を膝の上に重ねて、一劃ごとに黒くなる円の中を、端然と打ち守る母とは、咸雍の母子である。和怡の母子である。挟さむ洋卓に、遮らるる胸と胸を対い合せて、春|鎖す窓掛のうちに、世を、人を、争を、忘れたる姿である。亡き人の肖像は例に因って、壁の上から、閑静なるこの母子を照らしている。  丹念に引く線はようやく繁くなる。黒い部分はしだいに増す。残るはただ右手に当る弓形の一ヵ所となった時、がちゃりと釘舌を捩る音がして、待ち設けた藤尾の姿が入口に現われた。白い姿を春に託す。深い背景のうちに肩から上が浮いて見える。甲野さんの鉛筆は引きかけた線の半ばでぴたりと留った。同時に藤尾の顔は背景を抜け出して来る。 「炙り出しはどうして」と言いながら、母の隣まで来て、横合から腰を卸す。卸し終った時、また、 「出て?」と母に聞く。母はただ藤尾の方を意味ありげに見たのみである。甲野さんの黒い線はこの間に四本増した。 「兄さんが御前に何か御用があると御云いだから」 「そう」と云ったなり、藤尾は兄の方へ向き直った。黒い線がしきりに出来つつある。 「兄さん、何か御用」 「うん」と云った甲野さんは、ようやく顔を上げた。顔を上げたなり何とも云わない。  藤尾は再び母の方を見た。見ると共に薄笑の影が奇麗な頬にさす。兄はやっと口を切る。 「藤尾、この家と、私が父さんから受け襲いだ財産はみんな御前にやるよ」 「いつ」 「今日からやる。――その代り、母さんの世話は御前がしなければいけない」 「ありがとう」と云いながら、また母の方を見る。やはり笑っている。 「御前宗近へ行く気はないか」 「ええ」 「ない? どうしても厭か」 「厭です」 「そうか。――そんなに小野が好いのか」  藤尾は屹となる。 「それを聞いて何になさる」と椅子の上に背を伸して云う。 「何にもしない。私のためには何にもならない事だ。ただ御前のために云ってやるのだ」 「私のために?」と言葉の尻を上げて置いて、 「そう」とさも軽蔑したように落す。母は始めて口を出す。 「兄さんの考では、小野さんより一の方がよかろうと云う話なんだがね」 「兄さんは兄さん。私は私です」 「兄さんは小野さんよりも一の方が、母さんを大事にしてくれると御言いのだよ」 「兄さん」と藤尾は鋭く欽吾に向った。「あなた小野さんの性格を知っていらっしゃるか」 「知っている」と閑静に云う。 「知ってるもんですか」と立ち上がる。「小野さんは詩人です。高尚な詩人です」 「そうか」 「趣味を解した人です。愛を解した人です。温厚の君子です。――哲学者には分らない人格です。あなたには一さんは分るでしょう。しかし小野さんの価値は分りません。けっして分りません。一さんを賞める人に小野さんの価値が分る訳がありません。……」 「じゃ小野にするさ」 「無論します」  云い棄てて紫の絹は戸口の方へ揺いた。繊い手に円鈕をぐるりと回すや否や藤尾の姿は深い背景のうちに隠れた。         十六  叙述の筆は甲野の書斎を去って、宗近の家庭に入る。同日である。また同刻である。  相変らずの唐机を控えて、宗近の父さんが鬼更紗の座蒲団の上に坐っている。襯衣を嫌った、黒八丈の襦袢の襟が崩れて、素肌に、もじゃ、もじゃと胸毛が見える。忌部焼の布袋の置物にこんなのがよくある。布袋の前に異様の煙草盆を置く。呉祥瑞の銘のある染付には山がある、柳がある、人物がいる。人物と山と同じくらいな大きさに描かれている間を、一筋の金泥が蜿蜒と縁まで這上る。形は甕のごとく、鉢が開いて、開いた頂が、がっくりと縮まると、丸い縁になる。向い合せの耳を潜る蔓には、ぎりぎりと渋を帯びた籐を巻きつけて手提の便を計る。  宗近の父さんは昨日どこの古道具屋からか、継のあるこの煙草盆を堀り出して来て、今朝から祥瑞だ、祥瑞だと騒いだ結果、灰を入れ、火を入れ、しきりに煙草を吸っている。  ところへ入口の唐紙をさらりと開けて、宗近君が例のごとく活溌に這入って来る。父は煙草盆から眼を離した。見ると忰は親譲りの背広をだぶだぶに着て、カシミヤの靴足袋だけに、大なる通をきめている。 「どこぞへ行くかね」 「行くんじゃない、今帰ったところです。――ああ暑い。今日はよっぽど暑いですね」 「家にいると、そうでもない。御前はむやみに急ぐから暑いんだ。もう少し落ちついて歩いたらどうだ」 「充分落ちついているつもりなんだが、そう見えないかな。弱るな。――やあ、とうとう煙草盆へ火を入れましたね。なるほど」 「どうだ祥瑞は」 「何だか酒甕のようですね」 「なに煙草盆さ。御前達が何だかだって笑うが、こうやって灰を入れて見るとやっぱり煙草盆らしいだろう」  老人は蔓を持って、ぐっと祥瑞を宙に釣るし上げた。 「どうだ」 「ええ。好いですね」 「好いだろう。祥瑞は贋の多いもんで容易には買えない」 「全体いくらなんですか」 「いくらだか当てて御覧」 「見当が着きませんね。滅多な事を云うとまたこの間の松見たように頭ごなしに叱られるからな」 「壱円八十銭だ。安いもんだろう」 「安いですかね」 「全く堀出だ」 「へええ――おや椽側にもまた新らしい植木が出来ましたね」 「さっき万両と植え替えた。それは薩摩の鉢で古いものだ」 「十六世紀頃の葡萄耳人が被った帽子のような恰好ですね。――この薔薇はまた大変赤いもんだな、こりゃあ」 「それは仏見笑と云ってね。やっぱり薔薇の一種だ」 「仏見笑? 妙な名だな」 「華厳経に外面如菩薩、内心如夜叉と云う句がある。知ってるだろう」 「文句だけは知ってます」 「それで仏見笑と云うんだそうだ。花は奇麗だが、大変|刺がある。触って御覧」 「なに触らなくっても結構です」 「ハハハハ外面如菩薩、内心如夜叉。女は危ないものだ」と云いながら、老人は雁首の先で祥瑞の中を穿り廻す。 「むずかしい薔薇があるもんだな」と宗近君は感心して仏見笑を眺めている。 「うん」と老人は思い出したように膝を打つ。 「一あの花を見た事があるかい。あの床に挿してある」  老人はいながら、顔の向を後へ変える。捩れた頸に、行き所を失った肉が、三筋ほど括られて肩の方へ競り出して来る。  茶がかった平床には、釣竿を担いだ蜆子和尚を一筆に描いた軸を閑静に掛けて、前に青銅の古瓶を据える。鶴ほどに長い頸の中から、すいと出る二茎に、十字と四方に囲う葉を境に、数珠に貫く露の珠が二穂ずつ偶を作って咲いている。 「大変細い花ですね。――見た事がない。何と云うんですか」 「これが例の二人静だ」 「例の二人静? 例にも何にも今まで聞いた事がないですね」 「覚えて置くがいい。面白い花だ。白い穂がきっと二本ずつ出る。だから二人静。謡曲に静の霊が二人して舞うと云う事がある。知っているかね」 「知りませんね」 「二人静。ハハハハ面白い花だ」 「何だか因果のある花ばかりですね」 「調べさえすれば因果はいくらでもある。御前、梅に幾通あるか知ってるか」と煙草盆を釣るして、また煙管の雁首で灰の中を掻き廻す。宗近君はこの機に乗じて話頭を転換した。 「阿爺さん。今日ね、久しぶりに髪結床へ行って、頭を刈って来ました」と右の手で黒いところを撫で廻す。 「頭を」と云いながら羅宇の中ほどを祥瑞の縁でとんと叩いて灰を落す。 「あんまり奇麗にもならんじゃないか」と真向に帰ってから云う。 「奇麗にもならんじゃないかって、阿爺さん、こりゃ五分刈じゃないですぜ」 「じゃ何刈だい」 「分けるんです」 「分かっていないじゃないか」 「今に分かるようになるんです。真中が少し長いでしょう」 「そう云えば心持長いかな。廃せばいいのに、見っともない」 「見っともないですか」 「それにこれから夏向は熱苦しくって……」 「ところがいくら熱苦しくっても、こうして置かないと不都合なんです」 「なぜ」 「なぜでも不都合なんです」 「妙な奴だな」 「ハハハハ実はね、阿爺さん」 「うん」 「外交官の試験に及第してね」 「及第したか。そりゃそりゃ。そうか。そんなら早くそう云えば好いのに」 「まあ頭でも拵えてからにしようと思って」 「頭なんぞはどうでも好いさ」 「ところが五分刈で外国へ行くと懲役人と間違えられるって云いますからね」 「外国へ――外国へ行くのかい。いつ」 「まあこの髪が延びて小野清三式になる時分でしょう」 「じゃ、まだ一ヵ月くらいはあるな」 「ええ、そのくらいはあります」 「一ヵ月あるならまあ安心だ。立つ前にゆっくり相談も出来るから」 「ええ時間はいくらでもあります。時間の方はいくらでもありますが、この洋服は今日限御返納に及びたいです」 「ハハハハいかんかい。よく似合うぜ」 「あなたが似合う似合うとおっしゃるから今日まで着たようなものの――至るところだぶだぶしていますぜ」 「そうかそれじゃ廃すがいい。また阿爺さんが着よう」 「ハハハハ驚いたなあ。それこそ御廃しなさい」 「廃しても好い。黒田にでもやるかな」 「黒田こそいい迷惑だ」 「そんなにおかしいかな」 「おかしかないが、身体に合わないでさあ」 「そうか、それじゃやっぱりおかしいだろう」 「ええ、つまるところおかしいです」 「ハハハハ時に糸にも話したかい」 「試験の事ですか」 「ああ」 「まだ話さないです」 「まだ話さない。なぜ。――全体いつ分ったんだ」 「通知のあったのは二三日前ですがね。つい、忙しいもんだから、まだ誰にも話さない」 「御前は呑気過ぎていかんよ」 「なに忘れやしません。大丈夫」 「ハハハハ忘れちゃ大変だ。まあもう、ちっと気をつけるがいい」 「ええこれから糸公に話してやろうと思ってね。――心配しているから。――及第の件とそれからこの頭の説明を」 「頭は好いが――全体どこへ行く事になったのかい。英吉利か、仏蘭西か」 「その辺はまだ分らないです。何でも西洋は西洋でしょう」 「ハハハハ気楽なもんだ。まあどこへでも行くが好い」 「西洋なんか行きたくもないんだけれども――まあ順序だから仕方がない」 「うん、まあ勝手な所へ行くがいい」 「支那や朝鮮なら、故の通の五分刈で、このだぶだぶの洋服を着て出掛けるですがね」 「西洋はやかましい。御前のような不作法ものには好い修業になって結構だ」 「ハハハハ西洋へ行くと堕落するだろうと思ってね」 「なぜ」 「西洋へ行くと人間を二た通り拵えて持っていないと不都合ですからね」 「二た通とは」 「不作法な裏と、奇麗な表と。厄介でさあ」 「日本でもそうじゃないか。文明の圧迫が烈しいから上部を奇麗にしないと社会に住めなくなる」 「その代り生存競争も烈しくなるから、内部はますます不作法になりまさあ」 「ちょうどなんだな。裏と表と反対の方角に発達する訳になるな。これからの人間は生きながら八つ裂の刑を受けるようなものだ。苦しいだろう」 「今に人間が進化すると、神様の顔へ豚の睾丸をつけたような奴ばかり出来て、それで落つきが取れるかも知れない。いやだな、そんな修業に出掛けるのは」 「いっそ廃にするか。うちにいて親父の古洋服でも着て太平楽を並べている方が好いかも知れない。ハハハハ」 「ことに英吉利人は気に喰わない。一から十まで英国が模範であると云わんばかりの顔をして、何でもかでも我流で押し通そうとするんですからね」 「だが英国紳士と云って近頃だいぶ評判がいいじゃないか」 「日英同盟だって、何もあんなに賞めるにも当らない訳だ。弥次馬共が英国へ行った事もない癖に、旗ばかり押し立てて、まるで日本が無くなったようじゃありませんか」 「うん。どこの国でも表が表だけに発達すると、裏も裏相応に発達するだろうからな。――なに国ばかりじゃない個人でもそうだ」 「日本がえらくなって、英国の方で日本の真似でもするようでなくっちゃ駄目だ」 「御前が日本をえらくするさ。ハハハハ」  宗近君は日本をえらくするとも、しないとも云わなかった。ふと手を伸すと更紗の結襟が白襟の真中まで浮き出して結目は横に捩れている。 「どうも、この襟飾は滑っていけない」と手探に位地を正しながら、 「じゃ糸にちょっと話しましょう」と立ちかける。 「まあ御待ち、少し相談がある」 「何ですか」と立ち掛けた尻を卸す機会に、準胡坐の姿勢を取る。 「実は今までは、御前の位地もまだきまっていなかったから、さほどにも云わなかったが……」 「嫁ですかね」 「そうさ。どうせ外国へ行くなら、行く前にきめるとか、結婚するとか、または連れて行くとか……」 「とても連れちゃ行かれませんよ。金が足りないから」 「連れて行かんでも好い。ちゃんと片をつけて、そうして置いて行くなら。留守中は私が大事に預かってやる」 「私もそうしようと思ってるんです」 「どうだなそこで。気に入った婦人でもあるかな」 「甲野の妹を貰うつもりなんですがね。どうでしょう」 「藤尾かい。うん」 「駄目ですかね」 「なに駄目じゃない」 「外交官の女房にゃ、ああ云うんでないといけないです」 「そこでだて。実は甲野の親父が生きているうち、私と親父の間に、少しはその話もあったんだがな。御前は知らんかも知らんが」 「叔父さんは時計をやると云いました」 「あの金時計かい。藤尾が玩弄にするんで有名な」 「ええ、あの太古の時計です」 「ハハハハあれで針が回るかな。時計はそれとして、実は肝心の本人の事だが――この間甲野の母さんが来た時、ついでだから話して見たんだがね」 「はあ、何とか云いましたか」 「まことに好い御縁だが、まだ御身分がきまって御出でないから残念だけれども……」 「身分がきまらないと云うのは外交官の試験に及第しないと云う意味ですかね」 「まあ、そうだろう」 「だろうはちっと驚ろいたな」 「いや、あの女の云う事は、非常に能弁な代りによく意味が通じないで困る。滔々と述べる事は述べるが、ついに要点が分らない。要するに不経済な女だ」  多少|苦々しい気色に、煙管でとんと膝頭を敲いた父さんは、視線さえ椽側の方へ移した。最前植え易えた仏見笑が鮮な紅を春と夏の境に今ぞと誇っている。 「だけれども断ったんだか、断らないんだか分らないのは厄介ですね」 「厄介だよ。あの女にかかると今までも随分厄介な事がだいぶあった。猫撫声で長ったらしくって――私ゃ嫌だ」 「ハハハハそりゃ好いが――ついに談判は発展しずにしまったんですか」 「つまり先方の云うところでは、御前が外交官の試験に及第したらやってもいいと云うんだ」 「じゃ訳ない。この通り及第したんだから」 「ところがまだあるんだ。面倒な事が。まことにどうも」と云いながら父さんは、手の平を二つ内側へ揃えて眼の球をぐりぐり擦る。眼の球は赤くなる。 「及第しても駄目なんですか」 「駄目じゃあるまいが――欽吾がうちを出ると云うそうだ」 「馬鹿な」 「もし出られてしまうと、年寄の世話の仕手がなくなる。だから藤尾に養子をしなければならない。すると宗近へでも、どこへでも嫁にやる訳には行かなくなると、まあこう云うんだな」 「下らない事を云うもんですね。第一甲野が家を出るなんて、そんな訳がないがな」 「家を出るって、まさか坊主になる料簡でもなかろうが、つまり嫁を貰って、あの御袋の世話をするのが厭だと云うんだろうじゃないか」 「甲野が神経衰弱だから、そんな馬鹿気た事を云うんですよ。間違ってる。よし出るたって――叔母さんが甲野を出して、養子をする気なんですか」 「そうなっては大変だと云って心配しているのさ」 「そんなら藤尾さんを嫁にやっても好さそうなものじゃありませんか」 「好い。好いが、万一の事を考えると私も心細くってたまらないと云うのさ」 「何が何だか分りゃしない。まるで八幡の藪不知へ這入ったようなものだ」 「本当に――要領を得ないにも困り切る」  父さんは額に皺を寄せて上眼を使いながら、頭を撫で廻す。 「元来そりゃいつの事です」 「この間だ。今日で一週間にもなるかな」 「ハハハハ私の及第報告は二三日|後れただけだが、父さんのは一週間だ。親だけあって、私より倍以上気楽ですぜ」 「ハハハだが要領を得ないからね」 「要領はたしかに得ませんね。早速要領を得るようにして来ます」 「どうして」 「まず甲野に妻帯の件を説諭して、坊主にならないようにしてしまって、それから藤尾さんをくれるかくれないか判然談判して来るつもりです」 「御前一人でやる気かね」 「ええ、一人でたくさんです。卒業してから何にもしないから、せめてこんな事でもしなくっちゃ退屈でいけない」 「うん、自分の事を自分で片づけるのは結構な事だ。一つやって見るが好い」 「それでね。もし甲野が妻を貰うと云ったら糸をやるつもりですが好いでしょうね」 「それは好い。構わない」 「一先本人の意志を聞いて見て……」 「聞かんでも好かろう」 「だって、そりゃ聞かなくっちゃいけませんよ。ほかの事とは違うから」 「そんなら聞いて見るが好い。ここへ呼ぼうか」 「ハハハハ親と兄の前で詰問しちゃなおいけない。これから私が聞いて見ます。で当人が好いと云ったら、そのつもりで甲野に話しますからね」 「うん、よかろう」  宗近君はずんど切の洋袴を二本ぬっと立てた。仏見笑と二人静と蜆子和尚と活きた布袋の置物を残して廊下つづきを中二階へ上る。  とんとんと二段踏むと妹の御太鼓が奇麗に見える。三段目に水色の絹が、横に傾いて、ふっくらした片頬が入口の方に向いた。 「今日は勉強だね。珍らしい。何だい」といきなり机の横へ坐り込む。糸子ははたりと本を伏せた。伏せた上へ肉のついた丸い手を置く。 「何でもありませんよ」 「何でもない本を読むなんて、天下の逸民だね」 「どうせ、そうよ」 「手を放したって好いじゃないか。まるで散らしでも取ったようだ」 「散らしでも何でも好くってよ。御生だからあっちへ行ってちょうだい」 「大変邪魔にするね。糸公、父っさんが、そう云ってたぜ」 「何て」 「糸はちっと女大学でも読めば好いのに、近頃は恋愛小説ばかり読んでて、まことに困るって」 「あら嘘ばっかり。私がいつそんなものを読んで」 「兄さんは知らないよ。阿父さんがそう云うんだから」 「嘘よ、阿父様がそんな事をおっしゃるもんですか」 「そうかい。だって、人が来ると読み掛けた本を伏せて、枡落し見たように一生懸命におさえているところをもって見ると、阿父さんの云うところもまんざら嘘とは思えないじゃないか」 「嘘ですよ。嘘だって云うのに、あなたもよっぽど卑劣な方ね」 「卑劣は一大痛棒だね。注意人物の売国奴じゃないかハハハハ」 「だって人の云う事を信用なさらないんですもの。そんなら証拠を見せて上げましょうか。ね。待っていらっしゃいよ」  糸子は抑えた本を袖で隠さんばかりに、机から手本へ引き取って、兄の見えぬように帯の影に忍ばした。 「掏り替えちゃいけないぜ」 「まあ黙って、待っていらっしゃい」  糸子は兄の眼を掠めて、長い袖の下に隠した本を、しきりに細工していたが、やがて 「ほら」と上へ出す。  両手で叮嚀に抑えた頁の、残る一寸角の真中に朱印が見える。 「見留じゃないか。なんだ――甲野」 「分ったでしょう」 「借りたのかい」 「ええ。恋愛小説じゃないでしょう」 「種を見せない以上は何とも云えないが、まあ勘弁してやろう。時に糸公御前今年|幾歳になるね」 「当てて御覧なさい」 「当てて見ないだって区役所へ行きゃ、すぐ分る事だが、ちょいと参考のために聞いて見るんだよ。隠さずに云う方が御前の利益だ」 「隠さずに云う方がだって――何だか悪い事でもしたようね。私厭だわ、そんなに強迫されて云うのは」 「ハハハハさすが哲学者の御弟子だけあって、容易に権威に服従しないところが感心だ。じゃ改めて伺うが、取って御幾歳ですか」 「そんな茶化したって、誰が云うもんですか」 「困ったな。叮嚀に云えば云うで怒るし。――一だったかね。二かい」 「おおかたそんなところでしょう」 「判然しないのか。自分の年が判然しないようじゃ、兄さんも少々心細いな。とにかく十代じゃないね」 「余計な御世話じゃありませんか。人の年齢なんぞ聞いて。――それを聞いて何になさるの」 「なに別の用でもないが、実は糸公を御嫁にやろうと思ってさ」  冗談半分に相手になって、調戯れていた妹の様子は突然と変った。熱い石を氷の上に置くと見る見る冷めて来る。糸子は一度に元気を放散した。同時に陽気な眼を陰に俯せて、畳みの目を勘定し出した。 「どうだい、御嫁は。厭でもないだろう」 「知らないわ」と低い声で云う。やっぱり下を向いたままである。 「知らなくっちゃ困るね。兄さんが行くんじゃない、御前が行くんだ」 「行くって云いもしないのに」 「じゃ行かないのか」  糸子は頭を竪に振った。 「行かない? 本当に」  答はなかった。今度は首さえ動かさない。 「行かないとなると、兄さんが切腹しなけりゃならない。大変だ」  俯向いた眼の色は見えぬ。ただ豊なる頬を掠めて笑の影が飛び去った。 「笑い事じゃない。本当に腹を切るよ。好いかね」 「勝手に御切んなさい」と突然顔を上げた。にこにこと笑う。 「切るのは好いが、あんまり深刻だからね。なろう事ならこのまんまで生きている方が、御互に便利じゃないか。御前だってたった一人の兄さんに腹を切らしたって、つまらないだろう」 「誰もつまると云やしないわ」 「だから兄さんを助けると思ってうんと御云い」 「だって訳も話さないで、藪から棒にそんな無理を云ったって」 「訳は聞さえすれば、いくらでも話すさ」 「好くってよ、訳なんか聞かなくっても、私御嫁なんかに行かないんだから」 「糸公御前の返事は鼠花火のようにくるくる廻っているよ。錯乱体だ」 「何ですって」 「なに、何でもいい、法律上の術語だから――それでね、糸公、いつまで行っても埓が明かないから、一と思に打ち明けて話してしまうが、実はこうなんだ」 「訳は聞いても御嫁にゃ行かなくってよ」 「条件つきに聞くつもりか。なかなか狡猾だね。――実は兄さんが藤尾さんを御嫁に貰おうと思うんだがね」 「まだ」 「まだって今度が始てだね」 「だけれど、藤尾さんは御廃しなさいよ。藤尾さんの方で来たがっていないんだから」 「御前この間もそんな事を云ったね」 「ええ、だって、厭がってるものを貰わなくっても好いじゃありませんか。ほかに女がいくらでも有るのに」 「そりゃ大いにごもっともだ。厭なものを強請るなんて卑怯な兄さんじゃない。糸公の威信にも関係する。厭なら厭と事がきまればほかに捜すよ」 「いっそそうなすった方がいいでしょう」 「だがその辺が判然しないからね」 「だから判然させるの。まあ」と内気な妹は少し驚いたように眼を机の上に転じた。 「この間甲野の御叔母さんが来て、下で内談をしていたろう。あの時その話があったんだとさ。叔母さんが云うには、今はまだいけないが、一さんが外交官の試験に及第して、身分がきまったら、どうでも御相談を致しましょうって阿爺に話したそうだ」 「それで」 「だから好いじゃないか、兄さんがちゃんと外交官の試験に及第したんだから」 「おや、いつ」 「いつって、ちゃんと及第しちまったんだよ」 「あら、本当なの、驚ろいた」 「兄が及第して驚ろく奴があるもんか。失礼千万な」 「だって、そんなら早くそうおっしゃれば好いのに。これでもだいぶ心配して上げたんだわ」 「全く御前の御蔭だよ。大いに感泣しているさ。感泣はしているようなものの忘れちまったんだから仕方がない」  兄妹は隔なき眼と眼を見合せた。そうして同時に笑った。  笑い切った時、兄が云う。 「そこで兄さんもこの通り頭を刈って、近々洋行するはずになったんだが、阿父さんの云うには、立つ前に嫁を貰って人格を作ってけって責めるから、兄さんが、どうせ貰うなら藤尾さんを貰いましょう。外交官の妻君にはああ云うハイカラでないと将来困るからと云ったのさ」 「それほど御気に入ったら藤尾さんになさい。――女を見るのはやっぱり女の方が上手ね」 「そりゃ才媛糸公の意見に間違はなかろうから、充分兄さんも参考にはするつもりだが、とにかく判然談判をきめて来なくっちゃいけない。向うだって厭なら厭と云うだろう。外交官の試験に及第したからって、急に気が変って参りましょうなんて軽薄な事は云うまい」  糸子は微かな笑を、二三段に切って鼻から洩した。 「云うかね」 「どうですか。聞いて御覧なさらなくっちゃ――しかし聞くなら欽吾さんに御聞きなさいよ。恥を掻くといけないから」 「ハハハハ厭なら断るのが天下の定法だ。断わられたって恥じゃない……」 「だって」 「……ないが甲野に聞くよ。聞く事は甲野に聞くが――そこに問題がある」 「どんな」 「先決問題がある。――先決問題だよ、糸公」 「だから、どんなって、聞いてるじゃありませんか」 「ほかでもないが、甲野が坊主になるって騒ぎなんだよ」 「馬鹿をおっしゃい。縁喜でもない」 「なに、今の世に坊主になるくらいな決心があるなら、縁喜はともかく、大に慶すべき現象だ」 「苛い事を……だって坊さんになるのは、酔興になるんじゃないでしょう」 「何とも云えない。近頃のように煩悶が流行した日にゃ」 「じゃ、兄さんからなって御覧なさいよ」 「酔興にかい」 「酔興でも何でもいいから」 「だって五分刈でさえ懲役人と間違えられるところを青坊主になって、外国の公使館に詰めていりゃ気違としきゃ思われないもの。ほかの事なら一人の妹の事だから何でも聞くつもりだが、坊主だけは勘弁して貰いたい。坊主と油揚は小供の時から嫌なんだから」 「じゃ欽吾さんもならないだって好いじゃありませんか」 「そうさ、何だか論理が少し変だが、しかしまあ、ならずに済むだろうよ」 「兄さんのおっしゃる事はどこまでが真面目でどこまでが冗談だか分らないのね。それで外交官が勤まるでしょうか」 「こう云うんでないと外交官には向かないとさ」 「人を……それで欽吾さんがどうなすったんですよ。本当のところ」 「本当のところ、甲野がね。家と財産を藤尾にやって、自分は出てしまうと云うんだとさ」 「なぜでしょう」 「つまり、病身で御叔母さんの世話が出来ないからだそうだ」 「そう、御気の毒ね。ああ云う方は御金も家もいらないでしょう。そうなさる方が好いかも知れないわ」 「そう御前まで賛成しちゃ、先決問題が解決しにくくなる」 「だって御金が山のようにあったって、欽吾さんには何にもならないでしょう。それよりか藤尾さんに上げる方が好ござんすよ」 「御前は女に似合わず気前が好いね。もっとも人のものだけれども」 「私だって御金なんかいりませんわ。邪魔になるばかりですもの」 「邪魔にするほどないからたしかだ。ハハハハ。しかしその心掛は感心だ。尼になれるよ」 「おお厭だ。尼だの坊さんだのって大嫌い」 「そこだけは兄さんも賛成だ。しかし自分の財産を棄てて吾家を出るなんて馬鹿気ている。財産はまあいいとして、――欽吾に出られればあとが困るから藤尾に養子をする。すると一さんへは上げられませんと、こう御叔母さんが云うんだよ。もっともだ。つまり甲野のわがままで兄さんの方が破談になると云う始末さ」 「じゃ兄さんが藤尾さんを貰うために、欽吾さんを留めようと云うんですね」 「まあ一面から云えばそうなるさ」 「それじゃ欽吾さんより兄さんの方がわがままじゃありませんか」 「今度は非常に論理的に来たね。だってつまらんじゃないか、当然相続している財産を捨てて」 「だって厭なら仕方がないわ」 「厭だなんて云うのは神経衰弱のせいだあね」 「神経衰弱じゃありませんよ」 「病的に違ないじゃないか」 「病気じゃありません」 「糸公、今日は例に似ず大いに断々乎としているね」 「だって欽吾さんは、ああ云う方なんですもの。それを皆が病気にするのは、皆の方が間違っているんです」 「しかし健全じゃないよ。そんな動議を呈出するのは」 「自分のものを自分が棄てるんでしょう」 「そりゃごもっともだがね……」 「要らないから棄てるんでしょう」 「要らないって……」 「本当に要らないんですよ、甲野さんのは。負惜みや面当じゃありません」 「糸公、御前は甲野の知己だよ。兄さん以上の知己だ。それほど信仰しているとは思わなかった」 「知己でも知己でなくっても、本当のところを云うんです。正しい事を云うんです。叔母さんや藤尾さんがそうでないと云うんなら、叔母さんや藤尾さんの方が間違ってるんです。私は嘘を吐くのは大嫌です」 「感心だ。学問がなくっても誠から出た自信があるから感心だ。兄さん大賛成だ。それでね、糸公、改めて相談するが甲野が家を出ても出なくっても、財産をやってもやらなくっても、御前甲野のところへ嫁に行く気はあるかい」 「それは話がまるで違いますわ。今云ったのはただ正直なところを云っただけですもの。欽吾さんに御気の毒だから云ったんです」 「よろしい。なかなか訳が分っている。妹ながら見上げたもんだ。だから別問題として聞くんだよ。どうだね厭かい」 「厭だって……」とと言い懸けて糸子は急に俯向いた。しばらくは半襟の模様を見詰めているように見えた。やがて瞬く睫を絡んで一雫の涙がぽたりと膝の上に落ちた。 「糸公、どうしたんだ。今日は天候|劇変で兄さんに面喰わしてばかりいるね」  答のない口元が結んだまましゃくんで、見るうちにまた二雫落ちた。宗近君は親譲の背広の隠袋から、くちゃくちゃの手巾をするりと出した。 「さあ、御拭き」と云いながら糸子の胸の先へ押し付ける。妹は作りつけの人形のようにじっとして動かない。宗近君は右の手に手巾を差し出したまま、少し及び腰になって、下から妹の顔を覗き込む。 「糸公|厭なのかい」  糸子は無言のまま首を掉った。 「じゃ、行く気だね」  今度は首が動かない。  宗近君は手巾を妹の膝の上に落したまま、身体だけを故へ戻す。 「泣いちゃいけないよ」と云って糸子の顔を見守っている。しばらくは双方共言葉が途切れた。  糸子はようやく手巾を取上げる。粗い銘仙の膝が少し染になった。その上へ、手巾の皺を叮嚀に延して四つ折に敷いた。角をしっかり抑えている。それから眼を上げた。眼は海のようである。 「私は御嫁には行きません」と云う。 「御嫁には行かない」とほとんど無意味に繰り返した宗近君は、たちまち勢をつけて 「冗談云っちゃいけない。今厭じゃないと云ったばかりじゃないか」 「でも、欽吾さんは御嫁を御貰いなさりゃしませんもの」 「そりゃ聞いて見なけりゃ――だから兄さんが聞きに行くんだよ」 「聞くのは廃してちょうだい」 「なぜ」 「なぜでも廃してちょうだい」 「じゃしようがない」 「しようがなくっても好いから廃してちょうだい。私は今のままでちっとも不足はありません。これで好いんです。御嫁に行くとかえっていけません」 「困ったな、いつの間に、そう硬くなったんだろう。――糸公、兄さんはね、藤尾さんを貰うために、御前を甲野にやろうなんて利己主義で云ってるんじゃないよ。今のところじゃ、ただ御前の事ばかり考えて相談しているんだよ」 「そりゃ分っていますわ」 「そこが分りさえすれば、後が話がし好い。それでと、御前は甲野を嫌ってるんじゃなかろう。――よし、それは兄さんがそう認めるから構わない。好いかね。次に、甲野に貰うか貰わないか聞くのは厭だと云うんだね。兄さんにはその理窟がさらに解せないんだが、それも、それでよしとするさ。――聞くのは厭だとして、もし甲野が貰うと云いさえすれば行っても好いんだろう。――なに金や家はどうでも構わないさ。一文無の甲野のところへ行こうと云やあ、かえって御前の名誉だ。それでこそ糸公だ。兄さんも阿父さんも故障を云やしない。……」 「御嫁に行ったら人間が悪くなるもんでしょうか」 「ハハハハ突然大問題を呈出するね。なぜ」 「なぜでも――もし悪くなると愛想をつかされるばかりですもの。だからいつまでもこうやって阿父様と兄さんの傍にいた方が好いと思いますわ」 「阿父様と兄さんと――そりゃ阿父様も兄さんもいつまでも御前といっしょにいたい事はいたいがね。なあ糸公、そこが問題だ。御嫁に行ってますます人間が上等になって、そうして御亭主に可愛がられれば好いじゃないか。――それよりか実際問題が肝要だ。そこでね、さっきの話だが兄さんが受合ったら好いだろう」 「何を」 「甲野に聞くのは厭だと、と云って甲野の方から御前を貰いに来るのはいつの事だか分らずと……」 「いつまで待ったって、そんな事があるものですか。私には欽吾さんの胸の中がちゃんと分っています」 「だからさ、兄さんが受合うんだよ。是非甲野にうんと云わせるんだよ」 「だって……」 「何云わせて見せる。兄さんが責任をもって受合うよ。なあに大丈夫だよ。兄さんもこの頭が延びしだい外国へ行かなくっちゃならない。すると当分糸公にも逢えないから、平生親切にしてくれた御礼に、やってやるよ。――狐の袖無の御礼に。ねえ好いだろう」  糸子は何とも答えなかった。下で阿父さんが謡をうたい出す。 「そら始まった――じゃ行って来るよ」と宗近君は中二階を下りる。         十七  小野と浅井は橋まで来た。来た路は青麦の中から出る。行く路は青麦のなかに入る。一筋を前後に余して、深い谷の底を鉄軌が通る。高い土手は春に籠る緑を今やと吹き返しつつ、見事なる切り岸を立て廻して、丸い屏風のごとく弧形に折れて遥かに去る。断橋は鉄軌を高きに隔つる事|丈を重ねて十に至って南より北に横ぎる。欄に倚って俯すとき広き両岸の青を極めつくして、始めて石垣に至る。石垣を底に見下して始めて茶色の路が細く横わる。鉄軌は細い路のなかに細く光る。――二人は断橋の上まで来て留った。 「いい景色だね」 「うん、ええ景色じゃ」  二人は欄に倚って立った。立って見る間に、限りなき麦は一分ずつ延びて行く。暖たかいと云わんよりむしろ暑い日である。  青蓆をのべつに敷いた一枚の果は、がたりと調子の変った地味な森になる。黒ずんだ常磐木の中に、けばけばしくも黄を含む緑の、粉となって空に吹き散るかと思われるのは、樟の若葉らしい。 「久しぶりで郊外へ来て好い心持だ」 「たまには、こう云う所も好えな。僕はしかし田舎から帰ったばかりだからいっこう珍しゅうない」 「君はそうだろう。君をこんな所へ連れて来たのは少し気の毒だったね」 「なに構わん。どうせ遊んどるんだから。しかし人間も遊んどる暇があるようでは駄目じゃな、君。ちっとなんぞ金儲の口はないかい」 「金儲は僕の方にゃないが、君の方にゃたくさんあるだろう」 「いや近頃は法科もつまらん。文科と同じこっちゃ、銀時計でなくちゃ通用せん」  小野さんは橋の手擦に背を靠たせたまま、内隠袋から例の通り銀製の煙草入を出してぱちりと開けた。箔を置いた埃及煙草の吸口が奇麗に並んでいる。 「一本どうだね」 「や、ありがとう。大変立派なものを持っとるの」 「貰い物だ」と小野さんは、自分も一本抜き取った後で、また見えない所へ投げ込んだ。  二人の煙はつつがなく立ち騰って、事なき空に入る。 「君は始終こんな上等な煙草を呑んどるのか。よほど余裕があると見えるの。少し貸さんか」 「ハハハハこっちが借りたいくらいだ」 「なにそんな事があるものか。少し貸せ。僕は今度国へ行ったんで大変|銭がいって困っとるところじゃ」  本気に云っているらしい。小野さんの煙草の煙がふうと横に走った。 「どのくらい要るのかね」 「三十円でも二十円でも好え」 「そんなにあるものか」 「じゃ十円でも好え。五円でも好え」  浅井君はいくらでも下げる。小野さんは両肘を鉄の手擦に後から持たして、山羊仔の靴を心持前へ出した。煙草を啣えたまま、眼鏡越に爪先の飾を眺めている。遅日影長くして光を惜まず。拭き込んだ皮の濃かに照る上に、眼に入らぬほどの埃が一面に積んでいる。小野さんは携えた細手の洋杖で靴の横腹をぽんぽんと鞭うった。埃は靴を離れて一寸ほど舞い上がる。鞭うたれた局部だけは斑に黒くなった。並んで見える浅井の靴は、兵隊靴のごとく重くかつ無細工である。 「十円くらいなら都合が出来ない事もないが――いつ頃まで」 「今月|末にはきっと返す。それで好かろう」と浅井君は顔を寄せて来る。小野さんは口から煙草を離した。指の股に挟んだまま、一振はたくと三分の灰は靴の甲に落ちた。  体をそのままに白い襟の上から首だけを横に捩ると、欄干に頬杖をついた人の顔が五寸下に見える。 「今月末でも、いつでも好い。――その代り少し御願がある。聞いてくれるかい」 「うん、話して見い」  浅井君は容易に受合った。同時に頬杖をやめて背を立てる。二人の顔はすれすれに来た。 「実は井上先生の事だがね」 「おお、先生はどうしとるか。帰ってから、まだ尋ねる閑がないから、行かんが。君先生に逢うたら宜しく云うてくれ。ついでに御嬢さんにも」  浅井君はハハハハと高く笑った。ついでに欄干から胸をつき出して、涎のごとき唾を遥かの下に吐いた。 「その御嬢さんの事なんだが……」 「いよいよ結婚するか」 「君は気が早くっていけない。そう先へ云っちまっちゃあ……」と言葉を切って、しばらく麦畑を眺めていたが、たちまち手に持った吸殻を向へ投げた。白いカフスが七宝の夫婦釦と共にかしゃと鳴る。一寸に余る金が空を掠めて橋の袂に落ちた。落ちた煙は逆様に地から這い揚がる。 「もったいない事をするのう」と浅井君が云った。 「君本当に僕の云う事を聞いてくれるのかい」 「本当に聞いとる。それから」 「それからって、まだ何にも話しゃしないじゃないか。――金の工面はどうでもするが、君に折入って御願があるんだよ」 「だから話せ。京都からの知己じゃ。何でもしてやるぞ」  調子はだいぶ熱心である。小野さんは片肘を放して、ぐるりと浅井君の方へ向き直る。 「君ならやってくれるだろうと思って、実は君の帰るのを待っていたところだ」 「そりゃ、好え時に帰って来た。何か談判でもするのか。結婚の条件か。近頃は無財産の細君を貰うのは不便だからのう」 「そんな事じゃない」 「しかし、そう云う条件を付けて置く方が君の将来のために好えぞ。そうせい。僕が懸合うてやる」 「そりゃ貰うとなれば、そう云う談判にしても好いが……」 「貰う事は貰うつもりじゃろう。みんな、そう思うとるぞ」 「誰が」 「誰がてて、我々が」 「そりゃ困る。僕が井上の御嬢さんを貰うなんて、――そんな堅い約束はないんだからね」 「そうか。――いや怪しいぞ」と浅井君が云った。小野さんは腹の中で下等な男だと思う。こんな男だから破談を平気に持ち込む事が出来るんだと思う。 「そう頭から冷やかしちゃ話が出来ない」と故のようなおとなしい調子で云う。 「ハハハハ。そう真面目にならんでも好い。そうおとなしくちゃ損だぞ。もう少し面の皮を厚くせんと」 「まあ少し待ってくれたまえ。修業中なんだから」 「ちと稽古のためにどっかへ連れて行ってやろうか」 「何分|宜しく……」 「などと云って、裏では盛に修業しとるかも知れんの」 「まさか」 「いやそうでないぞ。近頃だいぶ修飾るところをもって見ると。ことにさっきの巻煙草入の出所などははなはだ疑わしい。そう云えばこの煙草も何となく妙な臭がするわい」  浅井君はここに至って指の股に焦げついて来そうな煙草を、鼻の先へ持って来てふんふんと二三度|嗅いだ。小野さんはいよいよノンセンスなわる洒落だと思った。 「まあ歩きながら話そう」  悪洒落の続きを切るために、小野さんは一歩橋の真中へ踏み出した。浅井君の肘は欄干を離れる。右左地を抜く麦に、日は空から寄って来る。暖かき緑は穂を掠めて畦を騰る。野を蔽う一面の陽炎は逆上るほどに二人を込めた。 「暑いのう」と浅井君は後から跟いて来る。 「暑い」と待ち合わした小野さんは、肩の並んだ時、歩き出す。歩き出しながら真面目な問題に入る。 「さっきの話だが――実は二三日前井上先生の所へ行ったところが、先生から突然例の縁談一条を持ち出されて、ね。……」 「待ってましたじゃ」と受けた浅井君はまた何か云いそうだから、小野さんは談話の速力を増して、急に進行してしまう。―― 「先生が随分はげしく来たので、僕もそう世話になった先生の感情を害する訳にも行かないから、熟考するために二三日の余裕を与えて貰って帰ったんだがね」 「そりゃ慎重の……」 「まあしまいまで聞いてくれたまえ。批評はあとで緩くり聞くから。――それで僕も、君の知っている通、先生の世話には大変なったんだから、先生の云う事は何でも聞かなければ義理がわるい……」 「そりゃ悪い」 「悪いが、ほかの事と違って結婚問題は生涯の幸福に関係する大事件だから、いくら恩のある先生の命令だって、そう、おいそれと服従する訳にはいかない」 「そりゃいかない」  小野さんは、相手の顔をじろりと見た。相手は存外真面目である。話は進行する。―― 「それも僕に判然たる約束をしたとか、あるいは御嬢さんに対して済まん関係でも拵らえたと云う大責任があれば、先生から催促されるまでもない。こっちから進んで、どうでも方をつけるつもりだが、実際僕はその点に関しては潔白なんだからね」 「うん潔白だ。君ほど高尚で潔白な人間はない。僕が保証する」  小野さんはまたじろりと浅井君の顔を見た。浅井君はいっこう気が着かない。話はまた進行する。―― 「ところが先生の方では、頭から僕にそれだけの責任があるかのごとく見傚してしまって、そうして万事をそれから演繹してくるんだろう」 「うん」 「まさか根本に立ち返って、あなたの御考は出立点が間違っていますと誤謬を指摘する訳にも行かず……」 「そりゃ、あまり君が人が好過ぎるからじゃ。もう少し世の中に擦れんと損だぞ」 「損は僕も知ってるんだが、どうも僕の性質として、そう露骨に人に反対する事が出来ないんだね。ことに相手は世話になった先生だろう」 「そう、相手が世話になった先生じゃからな」 「それに僕の方から云うと、今ちょうど博士論文を書きかけている最中だから、そんな話を持ち込まれると余計困るんだ」 「博士論文をまだ書いとるか、えらいもんじゃな」 「えらい事もない」 「なにえらい。銀時計の頭でなくちゃ、とても出来ん」 「そりゃどうでも好いが、――それでね、今云う通りの事情だから、せっかくの厚意はありがたいけれども、まあここのところはいったん断わりたいと思うんだね。しかし僕の性質じゃ、とても先生に逢うと気の毒で、そんな強い事が云えそうもないから、それで君に頼みたいと云う訳だが。どうだね、引き受けてくれるかい」 「そうか、訳ない。僕が先生に逢うてよく話してやろう」  浅井君は茶漬を掻き込むように容易く引き受けた。注文通りに行った小野さんは中休みに一二歩前へ移す。そうして云う。―― 「その代り先生の世話は生涯する考だ。僕もいつまでもこんなにぐずぐずしているつもりでもないから――実のところを云うと先生も故のように経済が楽じゃないようだ。だからなお気の毒なのさ。今度の相談もただ結婚と云う単純な問題じゃなくって、それを方便にして、僕の補助を受けたいような素振も見えたくらいだ。だから、そりゃやるよ。飽くまでも先生のために尽すつもりだ。だが結婚したから尽す、結婚せんから尽さないなんて、そんな軽薄な料簡は少しもこっちにゃないんだから――世話になった以上はどうしたって世話になったのさ。それを返してしまうまではどうしたって恩は消えやしないからな」 「君は感心な男だ。先生が聞いたらさぞ喜ぶだろう」 「よく僕の意志が徹するように云ってくれたまえ。誤解が出来るとまた後が困るから」 「よし。感情を害せんようにの。よう云うてやる。その代り十円貸すんぜ」 「貸すよ」と小野さんは笑ながら答えた。  錐は穴を穿つ道具である。縄は物を括る手段である。浅井君は破談を申し込む器械である。錐でなくては松板を潜り抜けようと企てるものはない。縄でなくては栄螺を取り巻く覚悟はつかぬ。浅井君にして始めてこの談判を、風呂に行く気で、引き受ける事が出来る。小野さんは才人である。よく道具を用いるの法を心得ている。  ただ破談を申し込むのと、破談を申し込みながら、申し込んだ後を奇麗に片づけるのとは別才である。落葉を振うものは必ずしも庭を掃く人とは限らない。浅井君はたとい内裏拝観の際でも落葉を振いおとす事をあえてする無遠慮な男である。と共に、たとい内裏拝観の際でも一塵を掃う事を解せざるほどに無責任の男である。浅井君は浮ぶ術を心得ずして、水に潜る度胸者である。否潜るときに、浮ぶ術が必要であると考えつけぬ豪傑である。ただ引受ける。やって見ようと云う気で、何でも引き受ける。それだけである。善悪、理非、軽重、結果を度外に置いて事物を考え得るならば、浅井君は他意なき善人である。  それほどの事を知らぬ小野さんではない。知って依頼するのはただ破談を申し込めばそれで構わんと見限をつけたからである。先方で苦状を云えば逃げる気である。逃げられなくても、そのうち向うから泣寝入にせねばならぬような準備をととのえてある。小野さんは明日藤尾と大森へ遊びに行く約束がある。――大森から帰ったあとならば大抵な事が露見しても、藤尾と関係を絶つ訳には行かぬだろう。そこで井上へは約束通り物質的の補助をする。  こう思い定めている小野さんは、浅井君が快よく依頼に応じた時、まず片荷だけ卸したなと思った。 「こう日が照ると、麦の香が鼻の先へ浮いてくるようだね」と小野さんの話頭はようやく自然に触れた。 「香がするかの。僕にはいっこうにおわんが」と浅井君は丸い鼻をふんふんと云わしたが、 「時に君はやはりあのハムレットの家へ行くのか」と聞く。 「甲野の家かい。まだ行っている。今日もこれから行くんだ」と何気なく云う。 「この間京都へ行ったそうじゃな。もう帰ったか。ちと麦の香でも嗅いで来たか知らんて。――つまらんのう、あんな人間は。何だか陰気くさい顔ばかりしているじゃないか」 「そうさね」 「ああ云う人間は早く死んでくれる方が好え。だいぶ財産があるか」 「あるようだね」 「あの親類の人はどうした。学校で時々顔を見たが」 「宗近かい」 「そうそう。あの男の所へ二三日|中に行こうと思っとる」  小野さんは突然留った。 「何しに」 「口を頼みにさ。できるだけ運動して置かんと駄目だからな」 「だって、宗近だって外交官の試験に及第しないで困ってるところだよ。頼んだってしようがない」 「なに構わん。話に行って見る」  小野さんは眼を地面の上へ卸して、二三間は無言で来た。 「君、先生のところへはいつ行ってくれる」 「今夜か明日の朝行ってやる」 「そうか」  麦畑を折れると、杉の木陰のだらだら坂になる。二人は前後して坂を下りた。言葉を交すほどの遑もない。下り切って疎な杉垣を、肩を並べて通り越すとき、小野さんは云った。―― 「君もし宗近へ行ったらね。井上先生の事は話さずに置いてくれたまえ」 「話しゃせん」 「いえ、本当に」 「ハハハハ大変|恥かんどるの。構わんじゃないか」 「少し困る事があるんだから、是非……」 「好し、話しゃせん」  小野さんははなはだ心元なく思った。半分ほどは今頼んだ事を取り返したく思った。  四つ角で浅井君に別れた小野さんは、安からぬ胸を運んで甲野の邸まで来る。藤尾の部屋へ這入って十五分ほど過ぎた頃、宗近君の姿は甲野さんの書斎の戸口に立った。 「おい」  甲野さんは故の椅子に、故の通りに腰を掛けて、故のごとくに幾何模様を図案している。丸に三つ鱗はとくに出来上った。  おいと呼ばれた時、首を上げる。驚いたと云わんよりは、激したと云わんよりは、臆したと云わんよりは、様子ぶったと云わんよりはむしろ遥かに簡単な上げ方である。したがって哲学的である。 「君か」と云う。  宗近君はつかつかと洋卓の角まで進んで来たが、いきなり太い眉に八の字を寄せて、 「こりゃ空気が悪い。毒だ。少し開けよう」と上下の栓釘を抜き放って、真中の円鈕を握るや否や、正面の仏蘭西窓を、床を掃うごとく、一文字に開いた。室の中には、庭前に芽ぐむ芝生の緑と共に、広い春が吹き込んで来る。 「こうすると大変陽気になる。ああ好い心持だ。庭の芝がだいぶ色づいて来た」  宗近君は再び洋卓まで戻って、始めて腰を卸した。今さきがた謎の女が坐っていた椅子の上である。 「何をしているね」 「うん?」と云って鉛筆の進行を留めた甲野さんは 「どうだ。なかなか旨いだろう」と模様いっぱいになった紙片を、宗近君の方へ、洋卓の上を滑らせる。 「何だこりゃ。恐ろしいたくさん書いたね」 「もう一時間以上書いている」 「僕が来なければ晩まで書いているんだろう。くだらない」  甲野さんは何とも云わなかった。 「これが哲学と何か関係でもあるのかい」 「有っても好い」 「万有世界の哲学的象徴とでも云うんだろう。よく一人の頭でこんなに並べられたもんだね。紺屋の上絵師と哲学者と云う論文でも書く気じゃないか」  甲野さんは今度も何とも云わなかった。 「何だか、どうも相変らずぐずぐずしているね。いつ見ても煮え切らない」 「今日は特別煮え切らない」 「天気のせいじゃないか、ハハハハ」 「天気のせいより、生きてるせいだよ」 「そうさね、煮え切ってぴんぴんしているものは沢山ないようだ。御互も、こうやって三十年近くも、しくしくして……」 「いつまでも浮世の鍋の中で、煮え切れずにいるのさ」  甲野さんはここに至って始めて笑った。 「時に甲野さん、今日は報告かたがた少々談判に来たんだがね」 「むつかしい来ようだ」 「近いうち洋行をするよ」 「洋行を」 「うん欧羅巴へ行くのさ」 「行くのはいいが、親父見たように、煮え切っちゃいけない」 「なんとも云えないが、印度洋さえ越せば大抵大丈夫だろう」  甲野さんはハハハハと笑った。 「実は最近の好機において外交官の試験に及第したんだから、この通り早速頭を刈ってね、やっぱり、最近の好機において出掛けなくっちゃならない。塵事多忙だ。なかなか丸や三角を並べちゃいられない」 「そりゃおめでたい」と云った甲野さんは洋卓越に相手の頭をつらつら観察した。しかし別段批評も加えなかった。質問も起さなかった。宗近君の方でも進んで説明の労を取らなかった。したがって頭はそれぎりになる。 「まずここまでが報告だ、甲野さん」と云う。 「うちの母に逢ったかい」と甲野さんが聞く。 「まだ逢わない。今日はこっちの玄関から、上ったから、日本間の方はまるで通らない」  なるほど宗近君は靴のままである。甲野さんは椅子の背に倚りかかって、この楽天家の頭と、更紗模様の襟飾と――襟飾は例に因って襟の途中まで浮き出している。――それから親譲の背広とをじっと眺めている。 「何を見ているんだ」 「いや」と云ったままやっぱり眺めている。 「御叔母さんに話して来ようか」  今度はいやとも何とも云わずに眺めている。宗近君は椅子から腰を浮かしかかる。 「廃すが好い」  洋卓の向側から一句を明暸に云い切った。  徐に椅子を離れた長髪の人は右の手で額を掻き上げながら、左の手に椅子の肩を抑えたまま、亡き父の肖像画の方に顔を向けた。 「母に話すくらいなら、あの肖像に話してくれ」  親譲りの背広を着た男は、丸い眼を据えて、室の中に聳える、漆のような髪の主を見守った。次に丸い眼を据えて、壁の上にある故人の肖像を見守った。最後に漆の髪の主と、故人の肖像とを見較べた。見較べてしまった時、聳えたる人は瘠せた肩を動かして、宗近君の頭の上から云う。―― 「父は死んでいる。しかし活きた母よりもたしかだよ。たしかだよ」  椅子に倚る人の顔は、この言葉と共に、自からまた画像の方に向った。向ったなりしばらくは動かない。活きた眼は上から見下している。  しばらくして、椅子に倚る人が云う。―― 「御叔父さんも気の毒な事をしたなあ」  立つ人は答えた。―― 「あの眼は活きている。まだ活きている」  言い終って、部屋の中を歩き出した。 「庭へ出よう、部屋の中は陰気でいけない」  席を立った宗近君は、横から来て甲野さんの手を取るや否や、明け放った仏蘭西窓を抜けて二段の石階を芝生へ下る。足が柔かい地に着いた時、 「いったいどうしたんだ」と宗近君が聞いた。  芝生は南に走る事十間余にして、高樫の生垣に尽くる。幅は半ばに足らぬ。繁き植込に遮ぎられた奥は、五坪ほどの池を隔てて、張出の新座敷には藤尾の机が据えてある。  二人は緩き歩調に、芝生を突き当った。帰りには二三間|迂回て、植込の陰を書斎の方へ戻って来た。双方共無言である。足並は偶然にも揃っている。植込が真中で開いて、二三の敷石に、池の方へ人を誘う曲り角まで来た時、突然新座敷で、雉子の鳴くように、けたたましく笑う声がした。二人の足は申し合せたごとくぴたりと留まる。眼は一時に同じ方角へ走る。  四尺の空地を池の縁まで細長く余して、真直に水に落つる池の向側に、横から伸す浅葱桜の長い枝を軒のあたりに翳して小野さんと藤尾がこちらを向いて笑いながら椽鼻に立っている。  不規則なる春の雑樹を左右に、桜の枝を上に、温む水に根を抽でて這い上がる蓮の浮葉を下に、――二人の活人画は包まれて立つ。仕切る枠が自然の景物の粋をあつめて成るがために、――枠の形が趣きを損なわぬほどに正しくて、また眼を乱さぬほどに不規則なるがために――飛石に、水に、椽に、間隔の適度なるがために――高きに失わず、低きに過ぎざる恰好の地位にあるために――最後に、一息の短かきに、吐く幻影と、忽然に現われたるために――二人の視線は水の向の二人にあつまった。と共に、水の向の二人の視線も、水のこなたの二人に落ちた。見合す四人は、互に互を釘付にして立つ。際どい瞬間である。はっと思う刹那を一番早く飛び超えたものが勝になる。  女はちらりと白足袋の片方を後へ引いた。代赭に染めた古代模様の鮮かに春を寂びたる帯の間から、するすると蜿蜒るものを、引き千切れとばかり鋭どく抜き出した。繊き蛇の膨れたる頭を掌に握って、黄金の色を細長く空に振れば、深紅の光は発矢と尾より迸しる。――次の瞬間には、小野さんの胸を左右に、燦爛たる金鎖が動かぬ稲妻のごとく懸っていた。 「ホホホホ一番あなたによく似合う事」  藤尾の癇声は鈍い水を敲いて、鋭どく二人の耳に跳ね返って来た。 「藤……」と動き出そうとする宗近君の横腹を突かぬばかりに、甲野さんは前へ押した。宗近君の眼から活人画が消える。追いかぶさるように、後から乗し懸って来た甲野さんの顔が、親しき友の耳のあたりまで着いたとき、 「黙って……」と小声に云いながら、煙に巻かれた人を植込の影へ引いて行く。  肩に手を掛けて押すように石段を上って、書斎に引き返した甲野さんは、無言のまま、扉に似たる仏蘭西窓を左右からどたりと立て切った。上下の栓釘を式のごとく鎖す。次に入口の戸に向う。かねて差し込んである鍵をかちゃりと回すと、錠は苦もなく卸りた。 「何をするんだ」 「部屋を立て切った。人が這入って来ないように」 「なぜ」 「なぜでも好い」 「全体どうしたんだ。大変顔色が悪い」 「なに大丈夫。まあ掛けたまえ」と最前の椅子を机に近く引きずって来る。宗近君は小供のごとく命令に服した。甲野さんは相手を落ちつけた後、静かに、用い慣れた安楽椅子に腰を卸す。体は机に向ったままである。 「宗近さん」と壁を向いて呼んだが、やがて首だけぐるりと回して、正面から、 「藤尾は駄目だよ」と云う。落ちついた調子のうちに、何となく温い暖味があった。すべての枝を緑に返す用意のために、寂びたる中を人知れず通う春の脈は、甲野さんの同情である。 「そうか」  腕を組んだ宗近君はこれだけ答えた。あとから、 「糸公もそう云った」と沈んでつけた。 「君より、君の妹の方が眼がある。藤尾は駄目だ。飛び上りものだ」  かちゃりと入口の円鈕を捩ったものがある。戸は開かない。今度はとんとんと外から敲く。宗近君は振り向いた。甲野さんは眼さえ動かさない。 「うちやって置け」と冷やかに云う。  入口の扉に口を着けたようにホホホホと高く笑ったものがある。足音は日本間の方へ馳けながら遠退いて行く。二人は顔を見合わした。 「藤尾だ」と甲野さんが云う。 「そうか」と宗近君がまた答えた。  あとは静かになる。机の上の置時計がきちきちと鳴る。 「金時計も廃せ」 「うん。廃そう」  甲野さんは首を壁に向けたまま、宗近君は腕を拱いたまま、――時計はきちきちと鳴る。日本間の方で大勢が一度に笑った。 「宗近さん」と欽吾はまた首を向け直した。「藤尾に嫌われたよ。黙ってる方がいい」 「うん黙っている」 「藤尾には君のような人格は解らない。浅墓な跳ね返りものだ。小野にやってしまえ」 「この通り頭ができた」  宗近君は節太の手を胸から抜いて、刈り立の頭の天辺をとんと敲いた。  甲野さんは眼尻に笑の波を、あるか、なきかに寄せて重々しく首肯いた。あとから云う。 「頭ができれば、藤尾なんぞは要らないだろう」  宗近君は軽くうふんと云ったのみである。 「それでようやく安心した」と甲野さんは、くつろいだ片足を上げて、残る膝頭の上へ載せる。宗近君は巻煙草を燻らし始めた。吹く煙のなかから、 「これからだ」と独語のように云う。 「これからだ。僕もこれからだ」と甲野さんも独語のように答えた。 「君もこれからか。どうこれからなんだ」と宗近君は煙草の煙を押し開いて、元気づいた顔を近寄た。 「本来の無一物から出直すんだからこれからさ」  指の股に敷島を挟んだまま、持って行く口のある事さえ忘れて、呆気に取られた宗近君は、 「本来の無一物から出直すとは」と自ら自らの頭脳を疑うごとく問い返した。甲野さんは尋常の調子で、落ちつき払った答をする。―― 「僕はこの家も、財産も、みんな藤尾にやってしまった」 「やってしまった? いつ」 「もう少しさっき。その紋尽しを書いている時だ」 「そりゃ……」 「ちょうどその丸に三つ鱗を描いてる時だ。――その模様が一番よく出来ている」 「やってしまうってそう容易く……」 「何|要るものか。あればあるほど累だ」 「御叔母さんは承知したのかい」 「承知しない」 「承知しないものを……それじゃ御叔母さんが困るだろう」 「やらない方が困るんだ」 「だって御叔母さんは始終君がむやみな事をしやしまいかと思って心配しているんじゃないか」 「僕の母は偽物だよ。君らがみんな欺かれているんだ。母じゃない謎だ。澆季の文明の特産物だ」 「そりゃ、あんまり……」 「君は本当の母でないから僕が僻んでいると思っているんだろう。それならそれで好いさ」 「しかし……」 「君は僕を信用しないか」 「無論信用するさ」 「僕の方が母より高いよ。賢いよ。理由が分っているよ。そうして僕の方が母より善人だよ」  宗近君は黙っている。甲野さんは続けた。―― 「母の家を出てくれるなと云うのは、出てくれと云う意味なんだ。財産を取れと云うのは寄こせと云う意味なんだ。世話をして貰いたいと云うのは、世話になるのが厭だと云う意味なんだ。――だから僕は表向母の意志に忤って、内実は母の希望通にしてやるのさ。――見たまえ、僕が家を出たあとは、母が僕がわるくって出たように云うから、世間もそう信じるから――僕はそれだけの犠牲をあえてして、母や妹のために計ってやるんだ」  宗近君は突然|椅子を立って、机の角まで来ると片肘を上に突いて、甲野さんの顔を掩いかぶすように覗き込みながら、 「貴様、気が狂ったか」と云った。 「気違は頭から承知の上だ。――今まででも蔭じゃ、馬鹿の気違のと呼びつづけに呼ばれていたんだ」  この時宗近君の大きな丸い眼から涙がぽたぽたと机の上のレオパルジに落ちた。 「なぜ黙っていたんだ。向を出してしまえば好いのに……」 「向を出したって、向の性格は堕落するばかりだ」 「向を出さないまでも、こっちが出るには当るまい」 「こっちが出なければ、こっちの性格が堕落するばかりだ」 「なぜ財産をみんなやったのか」 「要らないもの」 「ちょっと僕に相談してくれれば好かったのに」 「要らないものをやるのに相談の必要もなにもないからさ」  宗近君はふうんと云った。 「僕に要らない金のために、義理のある母や妹を堕落させたところが手柄にもならない」 「じゃいよいよ家を出る気だね」 「出る。おれば両方が堕落する」 「出てどこへ行く」 「どこだか分らない」  宗近君は机の上にあるレオパルジを無意味に取って、背皮を竪に、勾配のついた欅の角でとんとんと軽く敲きながら、少し沈吟の体であったが、やがて、 「僕のうちへ来ないか」と云う。 「君のうちへ行ったって仕方がない」 「厭かい」 「厭じゃないが、仕方がない」  宗近君はじっと甲野さんを見た。 「甲野さん。頼むから来てくれ。僕や阿父のためはとにかく、糸公のために来てやってくれ」 「糸公のために?」 「糸公は君の知己だよ。御叔母さんや藤尾さんが君を誤解しても、僕が君を見損なっても、日本中がことごとく君に迫害を加えても、糸公だけはたしかだよ。糸公は学問も才気もないが、よく君の価値を解している。君の胸の中を知り抜いている。糸公は僕の妹だが、えらい女だ。尊い女だ。糸公は金が一文もなくっても堕落する気遣のない女だ。――甲野さん、糸公を貰ってやってくれ。家を出ても好い。山の中へ這入っても好い。どこへ行ってどう流浪しても構わない。何でも好いから糸公を連れて行ってやってくれ。――僕は責任をもって糸公に受合って来たんだ。君が云う事を聞いてくれないと妹に合す顔がない。たった一人の妹を殺さなくっちゃならない。糸公は尊い女だ、誠のある女だ。正直だよ、君のためなら何でもするよ。殺すのはもったいない」  宗近君は骨張った甲野さんの肩を椅子の上で振り動かした。         十八  小夜子は婆さんから菓子の袋を受取った。底を立てて出雲焼の皿に移すと、真中にある青い鳳凰の模様が和製のビスケットで隠れた。黄色な縁はだいぶ残っている。揃えて渡す二本の竹箸を、落さぬように茶の間から座敷へ持って出た。座敷には浅井君が先生を相手に、京都以来の旧歓を暖めている。時は朝である。日影はじりじりと椽に逼ってくる。 「御嬢さんは、東京を御存じでしたな」と問いかけた。  菓子皿を主客の間に置いて、やさしい肩を後へ引くついでに、 「ええ」と小声に答えて、立ち兼ねた。 「これは東京で育ったのだよ」と先生が足らぬところを補ってくれる。 「そうでしたな。――大変大きくなりましたな」と突然別問題に飛び移った。  小夜子は淋しい笑顔を俯向けて、今度は答さえも控えた。浅井君は遠慮のない顔をして小夜子を眺めている。これからこの女の結婚問題を壊すんだなと思いながら平気に眺めている。浅井君の結婚問題に関する意見は大道易者のごとく容易である。女の未来や生涯の幸福についてはあまり同情を表しておらん。ただ頼まれたから頼まれたなりに事を運べば好いものと心得ている。そうしてそれがもっとも法学士的で、法学士的はもっとも実際的で、実際的は最上の方法だと心得ている。浅井君はもっとも想像力の少ない男で、しかも想像力の少ないのをかつて不足だと思った事のない男である。想像力は理知の活動とは全然別作用で、理知の活動はかえって想像力のために常に阻害せらるるものと信じている。想像力を待って、始めて、全たき人性に戻らざる好処置が、知慧分別の純作用以外に活きてくる場合があろうなどとは法科の教室で、どの先生からも聞いた事がない。したがって浅井君はいっこう知らない。ただ断われば済むと思っている。淋しい小夜子の運命が、夫子の一言でどう変化するだろうかとは浅井君の夢にだも考え得ざる問題である。  浅井君が無意味に小夜子を眺めているうちに、孤堂先生は変な咳を二つ三つ塞いた。小夜子は心元なく父の方を向く。 「御薬はもう上がったんですか」 「朝の分はもう飲んだよ」 「御寒い事はござんせんか」 「寒くはないが、少し……」  先生は右の手頸へ左の指を三本|懸けた。小夜子は浅井のいる事も忘れて、脈をはかる先生の顔ばかり見詰めている。先生の顔は髯と共に日ごとに細長く瘠せこけて来る。 「どうですか」と気遣わし気に聞く。 「少し、早いようだ。やっぱり熱が除れない」と額に少し皺が寄った。先生が熱度を計って、じれったそうに不愉快な顔をするたびに小夜子は悲しくなる。夕立を野中に避けて、頼と思う一本杉をありがたしと梢を見れば稲妻がさす。怖いと云うよりも、年を取った人に気の毒である。行き届かぬ世話から出る疳癪なら、機嫌の取りようもある。気で勝てぬ病気のためなら孝行の尽しようがない。かりそめの風邪と、当人も思い、自分も苦にしなかった昨日今日の咳を、蔭へ廻って聞いて見ると、医者は性質が善くないと云う。二三日で熱が退かないと云って焦慮るような軽い病症ではあるまい。知らせれば心配する。云わねば気で通す。その上|疳を起す。この調子で進んで行くと、一年の後には神経が赤裸になって、空気に触れても飛び上がるかも知れない。――昨夜小夜子は眼を合せなかった。 「羽織でも召していらしったら好いでしょう」  孤堂先生は返事をせずに、 「験温器があるかい。一つ計ってみよう」と云う。小夜子は茶の間へ立つ。 「どうかなすったんですか」と浅井君が無雑作に尋ねた。 「いえ、ちっと風邪を引いてね」 「はあ、そうですか。――もう若葉がだいぶ出ましたな」と云った。先生の病気に対してはまるで同情も頓着もなかった。病気の源因と、経過と、容体を精しく聞いて貰おうと思っていた先生は当が外れた。 「おい、無いかね。どうした」と次の間を向いて、常よりは大きな声を出す。ついでに咳が二つ出た。 「はい、ただ今」と小さい声が答えた。が験温器を持って出る様子がない。先生は浅井君の方を向いて 「はあ、そうかい」と気のない返事をした。  浅井君はつまらなくなる。早く用を片づけて帰ろうと思う。 「先生小野はいっこう駄目ですな、ハイカラにばかりなって。御嬢さんと結婚する気はないですよ」とぱたぱたと順序なく並べた。  孤堂先生の窪んだ眼は一度に鋭どくなった。やがて鋭どいものが一面に広がって顔中|苦々しくなる。 「廃した方が好えですな」  置き失くした験温器を捜がしていた、次の間の小夜子は、長火鉢の二番目の抽出を二寸ほど抜いたまま、はたりと引く手を留めた。  先生の苦々しい顔は一層こまやかになる。想像力のない浅井君はとんと結果を予想し得ない。 「小野は近頃非常なハイカラになりました。あんな所へ行くのは御嬢さんの損です」  苦々しい顔はとうとう持ち切れなくなった。 「君は小野の悪口を云いに来たのかね」 「ハハハハ先生本当ですよ」  浅井君は妙なところで高笑をいた。 「余計な御世話だ。軽薄な」と鋭どく跳ねつけた。先生の声はようやく尋常を離れる。浅井君は始めて驚ろいた。しばらく黙っている。 「おい験温器はまだか。何をぐずぐずしている」  次の間の返事は聞えなかった。ことりとも云わぬうちに、片寄せた障子に影がさす。腰板の外から細い白木の筒がそっと出る。畳の上で受取った先生はぽんと云わして筒を抜いた。取り出した験温器を日に翳して二三度やけに振りながら、 「何だって、そんな余計な事を云うんだ」と度盛を透して見る。先生の精神は半ば験温器にある。浅井君はこの間に元気を回復した。 「実は頼まれたんです」 「頼まれた? 誰に」 「小野に頼まれたんです」 「小野に頼まれた?」  先生は腋の下へ験温器を持って行く事を忘れた。茫然としている。 「ああ云う男だものだから、自分で先生の所へ来て断わり切れないんです。それで僕に頼んだです」 「ふうん。もっと精しく話すがいい」 「二三日|中に是非こちらへ御返事をしなければならないからと云いますから、僕が代理にやって来たんです」 「だから、どう云う理由で断わるんだか、それを精しく話したら好いじゃないか」  襖の蔭で小夜子が洟をかんだ。つつましき音ではあるが、一重隔ててすぐ向にいる人のそれと受け取れる。鴨居に近く聞えたのは、襖越に立っているらしい。浅井君の耳にはどんな感じを与えたか知らぬ。 「理由はですな。博士にならなければならないから、どうも結婚なんぞしておられないと云うんです」 「じゃ博士の称号の方が、小夜より大事だと云うんだね」 「そう云う訳でもないでしょうが、博士になって置かんと将来非常な不利益ですからな」 「よし分った。理由はそれぎりかい」 「それに確然たる契約のない事だからと云うんです」 「契約とは法律上有効の契約という意味だな。証文のやりとりの事だね」 「証文でもないですが――その代り長い間御世話になったから、その御礼としては物質的の補助をしたいと云うんです」 「月々金でもくれると云うのかい」 「そうです」 「おい小夜や、ちょっと御出。小夜や――小夜や」と声はしだいに高くなる。返事はついにない。  小夜子は襖の蔭に蹲踞ったまま、動かずにいる。先生は仕方なしに浅井君の方へ向き直った。 「君は妻君があるかい」 「ないです。貰いたいが、自分の口が大事ですからな」 「妻君がなければ参考のために聞いて置くがいい。――人の娘は玩具じゃないぜ。博士の称号と小夜と引き替にされてたまるものか。考えて見るがいい。いかな貧乏人の娘でも活物だよ。私から云えば大事な娘だ。人一人殺しても博士になる気かと小野に聞いてくれ。それから、そう云ってくれ。井上孤堂は法律上の契約よりも徳義上の契約を重んずる人間だって。――月々金を貢いでやる? 貢いでくれと誰が頼んだ。小野の世話をしたのは、泣きついて来て可愛想だから、好意ずくでした事だ。何だ物質的の補助をするなんて、失礼千万な。――小夜や、用があるからちょっと出て御出、おいいないのか」  小夜子は襖の蔭で啜り泣をしている。先生はしきりに咳く。浅井君は面喰った。  こう怒られようとは思わなかった。またこう怒られる訳がない。自分の云う事は事理明白である。世間に立って成功するには誰の目にも博士号は大切である。瞹眛な約束をやめてくれと云うのもさほど不義理とは受取れない。世話をして貰いっ放しでは不都合かも知れないが、して貰っただけの事を物質的に返すと云い出せば、喜んでこっちの義務心を満足させべきはずである。それを突然怒り出す。――そこで浅井君は面喰った。 「先生そう怒っちゃ困ります。悪ければまた小野に逢って話して見ますから」と云った。これは本気の沙汰である。  しばらく黙っていた先生は、やや落ちついた調子で、 「君は結婚を極めて容易事のように考えているが、そんなものじゃない」と口惜そうに云う。  先生の云う主意は分らんが、先生の様子にはさすがの浅井君も少し心を動かした。しかし結婚は便宜によって約束を取り結び、便宜によって約束を破棄するだけで差支ないと信じている浅井君は、別に返事もしなかった。 「君は女の心を知らないから、そんな使に来たんだろう」  浅井君はやっぱり黙っている。 「人情を知らないから平気でそんな事を云うんだろう。小野の方が破談になれば小夜は明日からどこへでも行けるだろうと思って、云うんだろう。五年以来|夫だと思い込んでいた人から、特別の理由もないのに、急に断わられて、平気ですぐ他家へ嫁に行くような女があるものか。あるかも知れないが小夜はそんな軽薄な女じゃない。そんな軽薄に育て上げたつもりじゃない。――君はそう軽卒に破談の取次をして、小夜の生涯を誤まらして、それで好い心持なのか」  先生の窪んだ眼が煮染んで来た。しきりに咳が出る。浅井君はなるほどそれが事実ならと感心した。ようやく気の毒になってくる。 「じゃ、まあ御待ちなさい、先生。もう一遍小野に話して見ますから。僕はただ頼まれたから来たんで、そんな精しい事情は知らんのですから」 「いや、話してくれないでも好い。厭だと云うものに無理に貰ってもらいたくはない。しかし本人が来て自家に訳を話すが好い」 「しかし御嬢さんが、そう云う御考だと……」 「小夜の考ぐらい小野には分っているはずださ」と先生は平手で頬を打つように、ぴしゃりと云った。 「ですがな、それだと小野も困るでしょうから、もう一遍……」 「小野にそう云ってくれ。井上孤堂はいくら娘が可愛くっても、厭だと云う人に頭を下げて貰ってもらうような卑劣な男ではないって。――小夜や、おい、いないか」  襖の向側で、袖らしいものが唐紙の裾にあたる音がした。 「そう返事をして差支ないだろうね」  答はさらになかった。ややあって、わっと云う顔を袖の中に埋めた声がした。 「先生もう一遍小野に話しましょう」 「話さないでも好い。自家に来て断われと云ってくれ」 「とにかく……そう小野に云いましょう」  浅井君はついに立った。玄関まで送って来た先生に頭を下げた時、先生は 「娘なんぞ持つもんじゃないな」と云った。表へ出た浅井君はほっと息をつく。今までこんな感じを経験した事はない。横町を出て蕎麦屋の行灯を右に通へ出て、電車のある所まで来ると突然飛び乗った。  突然電車に乗った浅井君は約一時間|余の後、ぶらりと宗近家の門からあらわれた。つづいて車が二挺出る。一挺は小野の下宿へ向う。一挺は孤堂先生の家に去る。五十分ほど後れて、玄関の松の根際に梶棒を上げた一挺は、黒い幌を卸したまま、甲野の屋敷を指して馳ける。小説はこの三挺の使命を順次に述べなければならぬ。  宗近君の車が、小野さんの下宿の前で、車輪の音を留めた時、小野さんはちょうど午飯を済ましたばかりである。膳が出ている。飯櫃も引かれずにある。主人公は机の前へ座を移して、口から吹く濃き煙を眺めながら考えている。今日は藤尾と大森へ行く約束がある。約束だから行かなければならぬ。しかし是非行かねばならぬとなると、何となく気が咎める。不安である。約束さえしなければ、もう少しは太平であったろう。飯ももう一杯ぐらいは食えたかも知れぬ。賽は固より自分で投げた。一六の目は明かに出た。ルビコンは渡らねばならぬ。しかし事もなげに河を横切った該撒は英雄である。通例の人はいざと云う間際になってからまた思い返す。小野さんは思い返すたびに、必ず廃せばよかったと後悔する。乗り掛けた船に片足を入れた時、船頭が出ますよと棹を取り直すと、待ってくれと云いたくなる。誰か陸から来て引っ張ってくれれば好いと思う。乗り掛けたばかりならまだ陸へ戻る機会があるからである。約束も履行せんうちは岸を離れぬ舟と同じく、まだ絶体絶命と云う場合ではない。メレジスの小説にこんな話がある。――ある男とある女が諜し合せて、停車場で落ち合う手筈をする。手筈が順に行って、汽笛がひゅうと鳴れば二人の名誉はそれぎりになる。二人の運命がいざと云う間際まで逼った時女はついに停車場へ来なかった。男は待ち耄の顔を箱馬車の中に入れて、空しく家へ帰って来た。あとで聞くと朋友の誰彼が、女を抑留して、わざと約束の期を誤まらしたのだと云う。――藤尾と約束をした小野さんは、こんな風に約束を破る事が出来たら、かえって仕合かも知れぬと思いつつ煙草の煙を眺めている。それに浅井の返事がまだ来ない。諾と云えばどっちへ転んでも幸である。否と聞くならば、退っ引きならぬ瀬戸際まであらかじめ押して置いて、振り返ってから、臨機応変に難関を切り抜けて行くつもりの計画だから、一刻も早く大森へ行ってしまえば済む。否と云う返事を待つ必要は無論ない。ないが、決行する間際になると気掛りになる。頭で拵え上げた計画を人情が崩しにかかる。想像力が実行させぬように引き戻す。小野さんは詩人だけにもっとも想像力に富んでいる。  想像力に富んでおればこそ、自分で断わりに行く気になれなかった。先生の顔と小夜子の顔と、部屋の模様と、暮しの有様とを眼のあたりに見て、眼のあたりに見たものを未来に延長して想像の鏡に思い浮べて眺めると二た通になる。自分がこの鏡のなかに織り込まれているときは、春である、豊である、ことごとく幸福である。鏡の面から自分の影を拭き消すと闇になる、暮になる。すべてが悲惨になる。この一団の精神から、自分の魂だけを切り離す談判をするのは、小さき竈に立つべき煙を予想しながら薪を奪うと一般である。忍びない。人は眼を閉って苦い物を呑む。こんな絡んだ縁をふつりと切るのに想像の眼を開いていては出来ぬ。そこで小野さんは眼の閉れた浅井君を頼んだ。頼んだ後は、想像を殺してしまえば済む。と覚束ないが決心だけはした。しかし犬一匹でも殺すのは容易な事ではない。持って生れた心の作用を、不都合なところだけ黒く塗って、消し切りに消すのは、古来から幾千万人の試みた窮策で、幾千万人が等しく失敗した陋策である。人間の心は原稿紙とは違う。小野さんがこの決心をしたその晩から想像力は復活した。――  瘠せた頬を描く。落ち込んだ眼を描く。縺れた髪を描く。虫のような気息を描く。――そうして想像は一転する。  血を描く。物凄き夜と風と雨とを描く。寒き灯火を描く。白張の提灯を描く。――ぞっとして想像はとまる。  想像のとまった時、急に約束を思い出す。約束の履行から出る快からぬ結果を思い出す。結果はまたも想像の力で曲々の波瀾を起す。――良心を質に取られる。生涯受け出す事が出来ぬ。利に利がつもる。背中が重くなる、痛くなる、そうして腰が曲る。寝覚がわるい。社会が後指を指す。  惘然として煙草の煙を眺めている。恩賜の時計は一秒ごとに約束の履行を促がす。橇の上に力なき身を託したようなものである。手を拱ぬいていれば自然と約束の淵へ滑り込む。「時」の橇ほど正確に滑るものはない。 「やっぱり行く事にするか。後暗い行さえなければ行っても差支ないはずだ。それさえ慎めば取り返しはつく。小夜子の方は浅井の返事しだいで、どうにかしよう」  煙草の煙が、未来の影を朦朧と罩め尽すまで濃く揺曳た時、宗近君の頑丈な姿が、すべての想像を払って、現実界にあらわれた。  いつの間にどう下女が案内をしたか知らなかった。宗近君はぬっと這入った。 「だいぶ狼籍だね」と云いながら紅溜の膳を廊下へ出す。黒塗の飯櫃を出す。土瓶まで運び出して置いて、 「どうだい」と部屋の真中に腰を卸した。 「どうも失敬です」と主人は恐縮の体で向き直る。折よく下女が来て湯沸と共に膳椀を引いて行く。  心を二六時に委ねて、隻手を動かす事をあえてせざるものは、自から約束を践まねばならぬ運命を有つ。安からぬ胸を秒ごとに重ねて、じりじりと怖い所へ行く。突然と横合から飛び出した宗近君は、滑るべく余儀なくせられたる人を、半途に遮った。遮ぎられた人は邪魔に逢うと同時に、一刻の安きを故の位地に貪る事が出来る。  約束は履行すべきものときまっている。しかし履行すべき条件を奪ったものは自分ではない。自分から進んで違約したのと、邪魔が降って来て、守る事が出来なかったのとは心持が違う。約束が剣呑になって来た時、自分に責任がないように、人が履行を妨げてくれるのは嬉しい。なぜ行かないと良心に責められたなら、行くつもりの義務心はあったが、宗近君に邪魔をされたから仕方がないと答える。  小野さんはむしろ好意をもって宗近君を迎えた。しかしこの一点の好意は、不幸にして面白からぬ感情のために四方から深く鎖されている。  宗近君と藤尾とは遠い縁続である。自分が藤尾を陥いれるにしても、藤尾が自分を陥いれるにしても、二人の間に取り返しのつかぬ関係が出来そうな際どい約束を、素知らぬ顔で結んだのみか、今実行にとりかかろうと云う矢先に、突然飛び込まれたのは、迷惑はさて置いて、大いに気が咎める。無関係のものならそれでも好い。突然飛び込んだものは、人もあろうに、相手の親類である。  ただの親類ならまだしもである。兼てから藤尾に心のある宗近君である。外国で死んだ人が、これこそ娘の婿ととうから許していた宗近君である。昨日まで二人の関係を知らずに、昔の望をそのままに繋いでいた宗近君である。偸まれた金の行先も知らずに、空金庫を護っていた宗近君である。  秘密の雲は、春を射る金鎖の稲妻で、半劈れた。眠っていた眼を醒しかけた金鎖のあとへ、浅井君が行って井上の事でも喋舌ったら――困る。気の毒とはただ先方へ対して云う言葉である。気が咎めるとは、その上にこちらから済まぬ事をした場合に用いる。困るとなると、もう一層|上手に出て、利害が直接に吾身の上に跳ね返って来る時に使う。小野さんは宗近君の顔を見て大いに困った。  宗近君の来訪に対して歓迎の意を表する一点好意の核は、気の毒の輪で尻こそばゆく取り巻かれている。その上には気が咎める輪が気味わるそうに重なっている。一番外には困る輪が黒墨を流したように際限なく未来に連なっている。そうして宗近君はこの未来を司どる主人公のように見えた。 「昨日は失敬した」と宗近君が云う。小野さんは赤くなって下を向いた。あとから金時計が出るだろうと、心元なく煙草へ火を移す。宗近君はそんな気色も見えぬ。 「小野さん、さっき浅井が来てね。その事でわざわざやって来た」とすぱりと云う。  小野さんの神経は一度にびりりと動いた。すこし、してから煙草の煙が陰気にむうっと鼻から出る。 「小野さん、敵が来たと思っちゃいけない」 「いえけっして……」と云った時に小野さんはまたぎくりとした。 「僕は当っ擦りなどを云って、人の弱点に乗ずるような人間じゃない。この通り頭ができた。そんな暇は薬にしたくってもない。あっても僕のうちの家風に背く……」  宗近君の意味は通じた。ただ頭のできた由来が分らなかった。しかし問い返すほどの勇気がないから黙っている。 「そんな卑しい人間と思われちゃ、急がしいところをわざわざ来た甲斐がない。君だって教育のある事理の分った男だ。僕をそう云う男と見て取ったが最後、僕の云う事は君に対して全然無効になる訳だ」  小野さんはまだ黙っている。 「僕はいくら閑人だって、君に軽蔑されようと思って車を飛ばして来やしない。――とにかく浅井の云う通なんだろうね」 「浅井がどう云いましたか」 「小野さん、真面目だよ。いいかね。人間は年に一度ぐらい真面目にならなくっちゃならない場合がある。上皮ばかりで生きていちゃ、相手にする張合がない。また相手にされてもつまるまい。僕は君を相手にするつもりで来たんだよ。好いかね、分ったかい」 「ええ、分りました」と小野さんはおとなしく答えた。 「分ったら君を対等の人間と見て云うがね。君はなんだか始終不安じゃないか。少しも泰然としていないようだが」 「そうかも――知れないです」と小野さんは術なげながら、正直に白状した。 「そう君が平たく云うと、はなはだ御気の毒だが、全く事実だろう」 「ええ」 「他人が不安であろうと、泰然としていなかろうと、上皮ばかりで生きている軽薄な社会では構った事じゃない。他人どころか自分自身が不安でいながら得意がっている連中もたくさんある。僕もその一人かも知れない。知れないどころじゃない、たしかにその一人だろう」  小野さんはこの時始めて積極的に相手を遮ぎった。 「あなたは羨しいです。実はあなたのようになれたら結構だと思って、始終考えてるくらいです。そんなところへ行くと僕はつまらない人間に違ないです」  愛嬌に調子を合せるとは思えない。上皮の文明は破れた。中から本音が出る。悄然として誠を帯びた声である。 「小野さん、そこに気がついているのかね」  宗近君の言葉には何だか暖味があった。 「いるです」と答えた。しばらくしてまた、 「いるです」と答えた。下を向く。宗近君は顔を前へ出した。相手は下を向いたまま、 「僕の性質は弱いです」と云った。 「どうして」 「生れつきだから仕方がないです」  これも下を向いたまま云う。  宗近君はなおと顔を寄せる。片膝を立てる。膝の上に肱を乗せる。肱で前へ出した顔を支える。そうして云う。 「君は学問も僕より出来る。頭も僕より好い。僕は君を尊敬している。尊敬しているから救いに来た」 「救いに……」と顔を上げた時、宗近君は鼻の先にいた。顔を押しつけるようにして云う。―― 「こう云う危うい時に、生れつきを敲き直して置かないと、生涯不安でしまうよ。いくら勉強しても、いくら学者になっても取り返しはつかない。ここだよ、小野さん、真面目になるのは。世の中に真面目は、どんなものか一生知らずに済んでしまう人間がいくらもある。皮だけで生きている人間は、土だけで出来ている人形とそう違わない。真面目がなければだが、あるのに人形になるのはもったいない。真面目になった後は心持がいいものだよ。君にそう云う経験があるかい」  小野さんは首を垂れた。 「なければ、一つなって見たまえ、今だ。こんな事は生涯に二度とは来ない。この機をはずすと、もう駄目だ。生涯|真面目の味を知らずに死んでしまう。死ぬまでむく犬のようにうろうろして不安ばかりだ。人間は真面目になる機会が重なれば重なるほど出来上ってくる。人間らしい気持がしてくる。――法螺じゃない。自分で経験して見ないうちは分らない。僕はこの通り学問もない、勉強もしない、落第もする、ごろごろしている。それでも君より平気だ。うちの妹なんぞは神経が鈍いからだと思っている。なるほど神経も鈍いだろう。――しかしそう無神経なら今日でも、こうやって車で馳けつけやしない。そうじゃないか、小野さん」  宗近君はにこりと笑った。小野さんは笑わなかった。 「僕が君より平気なのは、学問のためでも、勉強のためでも、何でもない。時々真面目になるからさ。なるからと云うより、なれるからと云った方が適当だろう。真面目になれるほど、自信力の出る事はない。真面目になれるほど、腰が据る事はない。真面目になれるほど、精神の存在を自覚する事はない。天地の前に自分が儼存していると云う観念は、真面目になって始めて得られる自覚だ。真面目とはね、君、真剣勝負の意味だよ。やっつける意味だよ。やっつけなくっちゃいられない意味だよ。人間全体が活動する意味だよ。口が巧者に働いたり、手が小器用に働いたりするのは、いくら働いたって真面目じゃない。頭の中を遺憾なく世の中へ敲きつけて始めて真面目になった気持になる。安心する。実を云うと僕の妹も昨日真面目になった。甲野も昨日真面目になった。僕は昨日も、今日も真面目だ。君もこの際一度真面目になれ。人|一人真面目になると当人が助かるばかりじゃない。世の中が助かる。――どうだね、小野さん、僕の云う事は分らないかね」 「いえ、分ったです」 「真面目だよ」 「真面目に分ったです」 「そんなら好い」 「ありがたいです」 「そこでと、――あの浅井と云う男は、まるで人間として通用しない男だから、あれの云う事を一々|真に受けちゃ大変だが――本来を云うと浅井が来てこれこれだと、あれが僕に話した通を君の前で箇条がきにしてでも述べるところだね。そうして、君の云うところと照し合せた上で事実を判断するのが順当かも知れない。いくら頭の悪い僕でもそのくらいな事は知ってる。しかし真面目になると、ならないとは大問題だ。契約があったの、滑ったの転んだの。嫁があっちゃあ博士になれないの、博士にならなくっちゃ外聞が悪いのって、まるで小供見たような事は、どっちがどっちだって構わないだろう、なあ君」 「ええ構わないです」 「要するに真面目な処置は、どうつければ好いのかね。そこが君のやるところだ。邪魔でなければ相談になろう。奔走しても好い」  悄然として項垂れていた小野さんは、この時居ずまいを正した。顔を上げて宗近君を真向に見る。眸は例になく確乎と坐っていた。 「真面目な処置は、出来るだけ早く、小夜子と結婚するのです。小夜子を捨てては済まんです。孤堂先生にも済まんです。僕が悪かったです。断わったのは全く僕が悪かったです。君に対しても済まんです」 「僕に済まん? まあそりゃ好い、後で分る事だから」 「全く済まんです。――断わらなければ好かったです。断わらなければ――浅井はもう断わってしまったんでしょうね」 「そりゃ君が頼んだ通り断わったそうだ。しかし井上さんは君自身に来て断われと云うそうだ」 「じゃ、行きます。これから、すぐ行って謝罪って来ます」 「だがね、今僕の阿父を井上さんの所へやっておいたから」 「阿父さんを?」 「うん、浅井の話によると、何でも大変怒ってるそうだ。それから御嬢さんはひどく泣いてると云うからね。僕が君のうちへ来て相談をしているうちに、何か事でも起ると困るから慰問かたがたつなぎにやっておいた」 「どうもいろいろ御親切に」と小野さんは畳に近く頭を下げた。 「なに老人はどうせ遊んでいるんだから、御役にさえ立てば喜んで何でもしてくれる。それで、こうしておいたんだがね、――もし談判が調えば、車で御嬢さんを呼びにやるからこっちへ寄こしてくれって。――来たら、僕のいる前で、御嬢さんに未来の細君だと君の口から明言してやれ」 「やります。こっちから行っても好いです」 「いや、ここへ呼ぶのはまだほかにも用があるからだ。それが済んだら三人で甲野へ行くんだよ。そうして藤尾さんの前で、もう一遍君が明言するんだ」  小野さんは少しく※んで見えた。宗近君はすぐつける。 「何、僕が君の妻君を藤尾さんに紹介してもいい」 「そう云う必要があるでしょうか」 「君は真面目になるんだろう。――僕の前で奇麗に藤尾さんとの関係を絶って見せるがいい。その証拠に小夜子さんを連れて行くのさ」 「連れて行っても好いですが、あんまり面当になるから――なるべくなら穏便にした方が……」 「面当は僕も嫌だが、藤尾さんを助けるためだから仕方がない。あんな性格は尋常の手段じゃ直せっこない」 「しかし……」 「君が面目ないと云うのかね。こう云う羽目になって、面目ないの、きまりが悪いのと云ってぐずぐずしているようじゃやっぱり上皮の活動だ。君は今真面目になると云ったばかりじゃないか。真面目と云うのはね、僕に云わせると、つまり実行の二字に帰着するのだ。口だけで真面目になるのは、口だけが真面目になるので、人間が真面目になったんじゃない。君と云う一個の人間が真面目になったと主張するなら、主張するだけの証拠を実地に見せなけりゃ何にもならない。……」 「じゃやりましょう。どんな大勢の中でも構わない、やりましょう」 「宜ろしい」 「ところで、みんな打ち明けてしまいますが。――実は今日大森へ行く約束があるんです」 「大森へ。誰と」 「その――今の人とです」 「藤尾さんとかね。何時に」 「三時に停車場で出合うはずになっているんですが」 「三時と――今何時か知らん」  ぱちりと宗近君の胴衣の中ほどで音がした。 「もう二時だ。君はどうせ行くまい」 「廃すです」 「藤尾さん一人で大森へ行く事は大丈夫ないね。うちやっておいたら帰ってくるだろう。三時過になれば」 「一分でも後れたら、待ち合す気遣ありません。すぐ帰るでしょう」 「ちょうど好い。――何だか、降って来たな。雨が降っても行く約束かい」 「ええ」 「この雨は――なかなか歇みそうもない。――とにかく手紙で小夜子さんを呼ぼう。阿父が待ち兼て心配しているに違ない」  春に似合わぬ強い雨が斜めに降る。空の底は計られぬほど深い。深いなかから、とめどもなく千筋を引いて落ちてくる。火鉢が欲しいくらいの寒である。  手紙は点滴の響の裡に認められた。使が幌の色を、打つ雨に揺かして、一散に去った時、叙述は移る。最前宗近家の門を出た第二の車はすでに孤堂先生の僑居に在って、応分の使命をつくしつつある。  孤堂先生は熱が出て寝た。秘蔵の義董の幅に背いて横えた額際を、小夜子が氷嚢で冷している。蹲踞る枕元に、泣き腫した眼を赤くして、氷嚢の括目に寄る皺を勘定しているかと思われる。容易に顔を上げない。宗近の阿父さんは、鉄線模様の臥被を二尺ばかり離れて、どっしりと尻を据えている。厚い膝頭が坐布団から喰み出して軽く畳を抑えたところは、血が退いて肉が落ちた孤堂先生の顔に比べると威風堂々たるものである。  宗近老人の声は相変らず大きい。孤堂先生の声は常よりは高い。対話はこの両人の間に進行しつつある。 「実はそう云うしだいで突然参上致したので、御不快のところをはなはだ恐縮であるが、取り急ぐ事と、どうか悪しからず」 「いや、はなはだ失礼の体たらくで、私こそ恐縮で。起きて御挨拶を申し上げなければならんのだが……」 「どう致して、そのままの方が御話がしやすくて結句私の都合になります。ハハハハ」 「まことに御親切にわざわざ御尋ね下すってありがたい」 「なに、昔なら武士は相見互と云うところで。ハハハハ私などもいつ何時御世話にならんとも限らん。しかし久しぶりで東京へ御移ではさぞ御不自由で御困りだろう」 「二十年目になります」 「二十年目、そりゃあそりゃあ。二た昔ですな。御親類は」 「無いと同然で。久しい間、音信不通にしておったものですからな」 「なるほど。それじゃ、全く小野|氏だけが御力ですな。そりゃ、どうも、怪しからん事になったもので」 「馬鹿を見ました」 「いやしかし、どうにか、なりましょう。そう御心配なさらずとも」 「心配は致しません。ただ馬鹿を見ただけで、先刻よく娘にも因果を含めて申し聞かしておきました」 「しかしせっかくこれまで御丹精になったものを、そう思い切りよく御断念になるのも惜いから、どうかここはひとまず私共に御任せ下さい。忰も出来るだけ骨を折って見たいと申しておりましたから」 「御好意は実に辱ない。しかし先方で断わる以上は、娘も参りたくもなかろうし、参ると申しても私がやれんような始末で……」  小夜子は氷嚢をそっと上げて、額の露を丁寧に手拭でふいた。 「冷やすのは少し休めて見よう。――なあ小夜子行かんでも好いな」  小夜子は氷嚢を盆へ載せた。両手を畳の上へ突いて、盆の上へ蔽いかぶせるように首を出す。氷嚢へぽたりぽたりと涙が垂れる。孤堂先生は枕に着けた胡麻塩頭を 「好いな」と云いながら半分ほど後へ捩じ向けた。ぽたりと氷嚢へ垂れるところが見えた。 「ごもっともで。ごもっともで……」と宗近老人はとりあえず二遍つづけざまに述べる。孤堂先生の首は故の位地に復した。潤んだ眼をひからしてじっと老人を見守っている。やがて 「しかしそれがために小野が藤尾さんとか云う婦人と結婚でもしたら、御子息には御気の毒ですな」と云った。 「いや――そりゃ――御心配には及ばんです。忰は貰わん事にしました。多分――いや貰わんです。貰うと云っても私が不承知です。忰を嫌うような婦人は、忰が貰いたいと申しても私が許しません」 「小夜や、宗近さんの阿父さんも、ああおっしゃる。同じ事だろう」 「私は――参らんでも――宜しゅうございます」と小夜子が枕の後で切れ切れに云った。雨の音の強いなかでようやく聞き取れる。 「いや、そうなっちゃ困る。私がわざわざ飛んで来た甲斐がない。小野|氏にもだんだん事情のある事だろうから、まあ忰の通知しだいで、どうか、先刻御話を申したように御聞済を願いたい。――自分で忰の事をかれこれ申すのは異なものだが、忰は事理の分った奴で、けっして後で御迷惑になるような取計は致しますまい。御破談になった方が御為だと思えばその方を御勧めして来るでしょう。――始めて御目に懸ったのだがどうか私を御信用下さい。――もう何とか云って来る時分だが、あいにくの雨で……」  雨を衝く一|輛の車は輪を鳴らして、格子の前で留った。がらりと明く途端に、ぐちゃりと濡れた草鞋を沓脱へ踏み込んだものがある。――叙述は第三の車の使命に移る。  第三の車が糸子を載せたまま、甲野の門に※々の響を送りつつ馳けて来る間に、甲野さんは書斎を片づけ始めた。机の抽出を一つずつ抜いて、いつとなく溜った往復の書類を裂いては捨て、裂いては捨る。床の上は千切れた半切で膝の所だけが堆くなった。甲野さんは乱るる反故屑を踏みつけて立った。今度は抽出から一枚、二枚と細字に認めた控を取り出す。中には五六|頁纏めて綴じ込んだのもある。大抵は西洋紙である。また西洋字である。甲野さんは一と目見て、すぐ机の上へ重ねる。中には半行も読まずに置き易えるのもある。しばらくすると、重なるものは小一尺の高まで来た。抽出は大抵空になる。甲野さんは上下へ手を掛けて、総体を煖炉の傍まで持って来たが、やがて、無言のまま抛げ込んだ。重なるものは主人公の手を離るると共に一面に崩れた。  葡萄の葉を青銅に鋳た灰皿が洋卓の上にある。灰皿の上に燐寸がある。甲野さんは手を延ばして燐寸の箱を取った。取りながら横に振ると、あたじけない五六本の音がする。今度は机へ帰る。レオパルジの隣にあった黄表紙の日記を持って煖炉の前まで戻って来た。親指を抑えにして小口を雨のように飛ばして見ると、黒い印気と鼠の鉛筆が、ちら、ちら、ちらと黄色い表紙まで来て留った。何を書いたものやらいっこう要領を得ない。昨夕寝る前に書き込んだ、 |入道無言客。|出家有髪僧。 の一聯が、最後の頁の最後の句である事だけを記憶している。甲野さんは思い切って日記を散らばった紙の上へ乗せた。屈んだ。煖炉敷の前でしゅっと云う音がする。乱れた紙は、静なるうちに、惓怠い伸をしながら、下から暖められて来る。きな臭い煙が、紙と紙の隙間を這い上って出た。すると紙は下層の方から動き出した。 「うん、まだ書く事があった」 と甲野さんは膝を立てながら、日記を煙のなかから救い出す。紙は茶に変る。ぼうと音がすると煖炉のうちは一面の火になった。 「おや、どうしたの」  戸口に立った母は不審そうに煖炉の中を見詰めている。甲野さんは声に応じて体を斜めに開く。袂の先に火を受けて母と向き合った。 「寒いから部屋を煖めます」と云ったなり、上から煖炉の中を見下した。火は薄い水飴の色に燃える。藍と紫が折々は思い出したように交って煙突の裏へ上って行く。 「まあ御あたんなさい」  折から風に誘われた雨が四五筋、窓硝子に当って砕けた。 「降り出しましたね」  母は返事をせずに三足ほど部屋の中に進んで来た。すかすように欽吾を見て、 「寒ければ、石炭を焼かせようか」と云った。  めらめらと燃えた火は、揺ぐ紫の舌の立ち騰る後から、ぱっと一度に消えた。煖炉の中は真黒である。 「もうたくさんです。もう消えました」  云い終った欽吾は、煖炉に背中を向けた。時に亡父の眼玉が壁の上からぴかりと落ちて来た。雨の音がざあっとする。 「おやおや、手紙が大変散らばって――みんな要らないのかい」  欽吾は床の上を眺めた。裂き棄てた書面は見事に乱れている。あるいは二三行、あるいは五六行、はなはだしいのは一行の半分で引き千切ったのがある。 「みんな要りません」 「それじゃ、ちっと片づけよう。紙屑籠はどこにあるの」  欽吾は答えなかった。母は机の下を覗き込む。西洋流の籃製の屑籠が、足掛の向に仄に見える。母は屈んで手を伸した。紺緞子の帯が、窓からさす明をまともに受けた。  欽吾は腕を右へ真直に、日蔽のかかった椅子の背頸を握った。瘠せた肩を斜にして、ずるずると机の傍まで引いて来た。  母は机の奥から屑籠を引き擦り出した。手紙の断片を一つ一つ床から拾って籠の中へ入れる。捩じ曲げたのを丹念に引き延ばして見る。「いずれ拝眉の上……」と云うのを投げ込む。「……御免蒙り度候。もっとも事情の許す場合には御……」と云うのを投げ込む。「……はとうてい辛抱致しかね……」と云うのを裏返して見る。  欽吾は尻眼に母をじろりと眺めた。机の角に引き寄せた椅子の背に、うんと腕の力を入れた。ひらりと紺足袋が白い日蔽の上に揃った。揃った紺足袋はすぐ机の上に飛び上る。 「おや、何をするの」と母は手紙の断片を持ったまま、下から仰向いた。眼と眼の間に怖の色が明かに読まれた。 「額を卸します」と上から落ちついて云う。 「額を?」  怖は愕と変じた。欽吾は鍍金の枠に右の手を懸けた。 「ちょいと御待ち」 「何ですか」と右の手はやはり枠に懸っている。 「額を外して何にする気だい」 「持って行くんです」 「どこへ」 「家を出るから、額だけ持って行くんです」 「出るなんて、まあ。――出るにしても、もっと緩外したら宜さそうなもんじゃないか」 「悪いですか」 「悪くはないよ。御前が欲しければ持って行くが、いいけれども。何もそんなに急がなくっても好いんだろう」 「だって今外さなくっちゃ、時間がありません」  母は変な顔をして呆然として立った。欽吾は両手を額に掛ける。 「出るって、御前本当に出る気なのかい」 「出る気です」  欽吾は後ろ向に答えた。 「いつ」 「これから、出るんです」  欽吾は両手で一度上へ揺り上げた額を、折釘から外して、下へさげた。細い糸一本で額は壁とつながっている。手を放すと、糸が切れて落ちそうだ。両手で恭しく捧げたままである。母は下から云う。 「こんな雨の降るのに」 「雨が降っても構わないです」 「せめて藤尾に暇乞でもして行ってやっておくれな」 「藤尾はいないでしょう」 「だから待っておくれと云うのだあね。藪から棒に出るなんて、御母さんを困らせるようなもんじゃないか」 「困らせるつもりじゃありません」 「御前がその気でなくっても、世間と云うものがあります。出るなら出るようにして出てくれないと、御母さんが恥を掻きます」 「世間が……」と云いかけて額を持ちながら、首だけ後へ向けた時、細長く切れた欽吾の眼は一度は母に落ちた。やがて母から遠退いて戸口に至ってはたと動かなくなった。――母は気味悪そうに振返る。 「おや」  天から降ったように、静かに立っていた糸子は、ゆるやかに頭を下げた。鷹揚に膨ました廂髪が故に帰ると、糸子は机の傍まで歩を移して来る。白足袋が両方|揃った時、 「御迎に参りました」と真直に欽吾を見上げた。 「鋏を取って下さい」と欽吾は上から頼む。顎で差図をした、レオパルジの傍に、鋏がある。――ぷつりと云う音と共に額は壁を離れた。鋏はかちゃりと床の上に落ちた。両手に額を捧げた欽吾は、机の上でくるりと正面に向き直った。 「兄が欽吾さんを連れて来いと申しましたから参りました」  欽吾は捧げた額を眼八分から、そろりそろりと下の方へ移す。 「受取って下さい」  糸子は確と受取った。欽吾は机から飛び下りる。 「行きましょう。――車で来たんですか」 「ええ」 「この額が乗りますか」 「乗ります」 「じゃあ」と再び額を受取って、戸口の方へ行く。糸子も行く。母は呼びとめた。 「少し御待ちよ。――糸子さんも少し待ってちょうだい。何が気に入らないで、親の家を出るんだか知らないが、少しは私の心持にもなって見てくれないと、私が世間へ対して面目がないじゃないか」 「世間はどうでも構わないです」 「そんな聞訳のない事を云って、――頑是ない小供みたように」 「小供なら結構です。小供になれれば結構です」 「またそんな。――せっかく、小供から大人になったんじゃないか。これまでに丹精するのは、一と通りや二た通りの事じゃないよ、御前。少しは考えて御覧な」 「考えたから出るんです」 「どうして、まあ、そんな無理を云うんだろうね。――それもこれもみんな私の不行届から起った事だから、今更泣いたって、口説いたって仕方がないけれども、――私は――亡くなった阿父さんに――」 「阿父さんは大丈夫です。何とも云やしません」 「云やしませんたって――何も、そう、意地にかかって私を苛めなくっても宜さそうなもんじゃないか」  甲野さんは額を提げたまま、何とも返事をしなくなった。糸子はおとなしく傍に着いている。雨は部屋を取り巻いて吹き寄せて来る。遠い所から風が音を輳めてくる。ざあっと云う高い響である。また広い響である。響の裡に甲野さんは黙然として立っている。糸子も黙然として立っている。 「少しは分ったかい」と母が聞いた。  甲野さんは依然として黙している。 「これほど云っても、まだ分らないのかね」  甲野さんはやはり口を開かない。 「糸子さん、こう云う体たらくなんですから。どうぞ御宅へ御帰りになったら、阿父さんや兄さんに御覧の通りを御話し下さい。――まことに、こんなところをあなた方に御見せ申すのは、何ともかとも面目しだいもございません」 「御叔母さん。欽吾さんは出たいのですから、素直に出して御上げなすったら好いでしょう。無理に引っ張っても何にもならないと思います」 「あなたまでそれじゃ仕方がありませんね。――それは失礼ながら、まだ御若いから、そう云う奥底のない御考も出るんでしょうが。――いくら出たいたって、山の中の一軒家に住んでいる人間じゃなし、そう今が今思い立って、今出られちゃ、出る当人より、残ったものが困りまさあね」 「なぜ」 「だって人の口は五月蠅じゃありませんか」 「人が何と云ったって――それがなぜ悪いんでしょう」 「だって御互に世間に顔出しが出来ればこそ、こうやって今日を送っているんじゃありませんか。自分より世間の義理の方が大事でさあね」 「だって、こんなに出たいとおっしゃるんですもの。御可哀想じゃありませんか」 「そこが義理ですよ」 「それが義理なの。つまらないのね」 「つまらなかありませんやね」 「だって欽吾さんは、どうなっても構わない……」 「構わなかないんです。それがやっぱり欽吾のためになるんです」 「欽吾さんより御叔母さんのためになるんじゃないの」 「世の中への義理ですよ」 「分らないわ、私には。――出たいものは世間が何と云ったって出たいんですもの。それが御叔母さんの迷惑になるはずはないわ」 「だって、こんな雨が降って……」 「雨が降っても、御叔母さんは濡れないんだから構わないじゃありませんか」  汽車のない時の事であった。山の男と海の男が喧嘩をした。山の男が魚は塩辛いものだと云う。海の男が魚に塩気があるものかと云う。喧嘩はいつまで立っても鎮まらなかった。教育と名くる汽車がかかって、理性の楷段を自由に上下する方便が開けないと、御互の考は御互に分らない。ある時は俗社会の塩漬になり過ぎて、ただ見てさえも冥眩しそうな人間でないと、人間として通用しない事がある。それは嘘だ偽だと説いて聞かしてもなかなか承知しない。どこまでも塩漬趣味を主張する。――謎の女と糸子の応対は、どこまで行っても並行するだけで一点には集まらない。山の男と海の男が魚に対して根本的の観念を異にするごとく、謎の女と糸子とは、人間に対して冒頭から考が違う。  海と山とを心得た甲野さんは黙って二人を見下している。糸子の云うところは弁護の出来ぬほど簡単である。母の主張は愛想のつきるほど愚にしてかつ俗である。この二人の問答を前に控えて、甲野さんは阿爺の額を抱いたまま立っている。別段退屈した気色も見えない。焦慮たそうな様子もない。困ったと云う風情もない。二人の問答が、日暮まで続けば、日暮まで額を持って、同じ姿勢で、立っているだろうと思われる。  ところへ、雨の中の掛声がした。車が玄関で留った。玄関から足音が近づいて来た。真先に宗近君があらわれた。 「やあ、まだ行かないのか」と甲野さんに聞く。 「うん」と答えたぎりである。 「御叔母さんもここか、ちょうど好い」と腰を掛ける。後から小野さんが這入って来る。小野さんの影を一寸も出ないように小夜子がついてくる。 「御叔母さん、雨の降るのに大入ですよ。――小夜子さん、これが僕の妹です」  活躍の児は一句にして挨拶と紹介を兼る。宗近君は忙しい。甲野さんは依然として額を支えて立ったままである。小野さんも手持無沙汰に席に着かぬ。小夜子と糸子はいたずらに丁寧な頭を下げた。打ち解けた言葉は無論交す機会がない。 「雨の降るのに、まあよく……」  母はこれだけの愛嬌を一面に振り蒔いた。 「よく降りますね」と宗近君はすぐ答えた。 「小野さんは……」と母が云い懸けた時、宗近君がまた遮った。 「小野さんは今日藤尾さんと大森へ行く約束があるんだそうですね。ところが行かれなくなって……」 「そう――でも、藤尾はさっき出ましたよ」 「まだ帰らないですか」と宗近君は平気に聞いた。母は少しく不快な顔をする。 「どうして大森どころじゃない」と独語のように云ったが、ちょっと振り返って、 「みんな掛けないか。立ってると草臥るぜ。もう直藤尾さんも帰るだろう」と注意を与えた。 「さあ、どうぞ」と母が云う。 「小野さん、掛けたまえ。小夜子さんも、どうです。――甲野さん何だい、それは……」 「父の肖像を卸しまして、あなた。持って出るとか申して」 「甲野さん、少し待ちたまえ。もう藤尾さんが帰って来るから」  甲野さんは別に返事もしなかった。 「少し私が持ちましょう」と糸子が低い声で云う。 「なに……」と甲野さんは提げていた額を床の上へ卸して壁へ立て掛けた。小夜子は俯向きながら、そっと額の方を見る。 「なんぞ藤尾に、御用でも御有なさるんですか」  これは母の言葉であった。 「ええ、あるんです」  これは宗近の答であった。  あとは――雨が降る。誰も何とも云わない。この時一|輛の車はクレオパトラの怒を乗せて韋駄天のごとく新橋から馳けて来る。  宗近君は胴衣の上で、ぱちりと云わした。 「三時二十分」  何とも応えるものがない。車は千筋の雨を、黒い幌に弾いて一散に飛んで来る。クレオパトラの怒は布団の上で躍り上る。 「御叔母さん京都の話でも、しましょうかね」  降る雨の地に落ちぬ間を追い越せと、乗る怒は車夫の背を鞭って馳けつける。横に煽る風を真向に切って、歯を逆に捩ると、甲野の門内に敷き詰めた砂利が、玄関先まで長く二行に砕けて来た。  濃い紫の絹紐に、怒をあつめて、幌を潜るときに颯とふるわしたクレオパトラは、突然と玄関に飛び上がった。 「二十五分」 と宗近君が云い切らぬうちに、怒の権化は、辱しめられたる女王のごとく、書斎の真中に突っ立った。六人の目はことごとく紫の絹紐にあつまる。 「やあ、御帰り」と宗近君が煙草を啣えながら云う。藤尾は一言の挨拶すら返す事を屑とせぬ。高い背を高く反らして、屹と部屋のなかを見廻した。見廻した眼は、最後に小野さんに至って、ぐさりと刺さった。小夜子は背広の肩にかくれた。宗近君はぬっと立った。呑み掛けの煙草を、青葡萄の灰皿に放り込む。 「藤尾さん。小野さんは新橋へ行かなかったよ」 「あなたに用はありません。――小野さん。なぜいらっしゃらなかったんです」 「行っては済まん事になりました」  小野さんの句切りは例になく明暸であった。稲妻ははたはたとクレオパトラの眸から飛ぶ。何を猪子才なと小野さんの額を射た。 「約束を守らなければ、説明が要ります」 「約束を守ると大変な事になるから、小野さんはやめたんだよ」と宗近君が云う。 「黙っていらっしゃい。――小野さん、なぜいらっしゃらなかったんです」  宗近君は二三歩大股に歩いて来た。 「僕が紹介してやろう」と一足小野さんを横へ押し退けると、後から小さい小夜子が出た。 「藤尾さん、これが小野さんの妻君だ」  藤尾の表情は忽然として憎悪となった。憎悪はしだいに嫉妬となった。嫉妬の最も深く刻み込まれた時、ぴたりと化石した。 「まだ妻君じゃない。ないが早晩妻君になる人だ。五年前からの約束だそうだ」  小夜子は泣き腫らした眼を俯せたまま、細い首を下げる。藤尾は白い拳を握ったまま、動かない。 「嘘です。嘘です」と二遍云った。「小野さんは私の夫です。私の未来の夫です。あなたは何を云うんです。失礼な」と云った。 「僕はただ好意上事実を報知するまでさ。ついでに小夜子さんを紹介しようと思って」 「わたしを侮辱する気ですね」  化石した表情の裏で急に血管が破裂した。紫色の血は再度の怒を満面に注ぐ。 「好意だよ。好意だよ。誤解しちゃ困る」と宗近君はむしろ平然としている。――小野さんはようやく口を開いた。―― 「宗近君の云うところは一々本当です。これは私の未来の妻に違ありません。――藤尾さん、今日までの私は全く軽薄な人間です。あなたにも済みません。小夜子にも済みません。宗近君にも済みません。今日から改めます。真面目な人間になります。どうか許して下さい。新橋へ行けばあなたのためにも、私のためにも悪いです。だから行かなかったです。許して下さい」  藤尾の表情は三たび変った。破裂した血管の血は真白に吸収されて、侮蔑の色のみが深刻に残った。仮面の形は急に崩れる。 「ホホホホ」  歇私的里性の笑は窓外の雨を衝いて高く迸った。同時に握る拳を厚板の奥に差し込む途端にぬらぬらと長い鎖を引き出した。深紅の尾は怪しき光を帯びて、右へ左へ揺く。 「じゃ、これはあなたには不用なんですね。ようござんす。――宗近さん、あなたに上げましょう。さあ」  白い手は腕をあらわに、すらりと延びた。時計は赭黒い宗近君の掌に確と落ちた。宗近君は一歩を煖炉に近く大股に開いた。やっと云う掛声と共に赭黒い拳が空に躍る。時計は大理石の角で砕けた。 「藤尾さん、僕は時計が欲しいために、こんな酔興な邪魔をしたんじゃない。小野さん、僕は人の思をかけた女が欲しいから、こんな悪戯をしたんじゃない。こう壊してしまえば僕の精神は君らに分るだろう。これも第一義の活動の一部分だ。なあ甲野さん」 「そうだ」  呆然として立った藤尾の顔は急に筋肉が働かなくなった。手が硬くなった。足が硬くなった。中心を失った石像のように椅子を蹴返して、床の上に倒れた。         十九  凝る雲の底を抜いて、小一日空を傾けた雨は、大地の髄に浸み込むまで降って歇んだ。春はここに尽きる。梅に、桜に、桃に、李に、かつ散り、かつ散って、残る紅もまた夢のように散ってしまった。春に誇るものはことごとく亡ぶ。我の女は虚栄の毒を仰いで斃れた。花に相手を失った風は、いたずらに亡き人の部屋に薫り初める。  藤尾は北を枕に寝る。薄く掛けた友禅の小夜着には片輪車を、浮世らしからぬ恰好に、染め抜いた。上には半分ほど色づいた蔦が一面に這いかかる。淋しき模様である。動く気色もない。敷布団は厚い郡内を二枚重ねたらしい。塵さえ立たぬ敷布を滑かに敷き詰めた下から、粗い格子の黄と焦茶が一本ずつ見える。  変らぬものは黒髪である。紫の絹紐は取って捨てた。有るたけは、有るに任せて枕に乱した。今日までの浮世と思う母は、櫛の歯も入れてやらぬと見える。乱るる髪は、純白な敷布にこぼれて、小夜着の襟の天鵞絨に連なる。その中に仰向けた顔がある。昨日の肉をそのままに、ただ色が違う。眉は依然として濃い。眼はさっき母が眠らした。眠るまで母は丹念に撫ったのである。――顔よりほかは見えぬ。  敷布の上に時計がある。濃に刻んだ七子は無惨に潰れてしまった。鎖だけはたしかである。ぐるぐると両蓋の縁を巻いて、黄金の光を五分ごとに曲折する真中に、柘榴珠が、へしゃげた蓋の眼のごとく乗っている。  逆に立てたのは二枚折の銀屏である。一面に冴え返る月の色の方六尺のなかに、会釈もなく緑青を使って、柔婉なる茎を乱るるばかりに描いた。不規則にぎざぎざを畳む鋸葉を描いた。緑青の尽きる茎の頭には、薄い弁を掌ほどの大さに描いた。茎を弾けば、ひらひらと落つるばかりに軽く描いた。吉野紙を縮まして幾重の襞を、絞りに畳み込んだように描いた。色は赤に描いた。紫に描いた。すべてが銀の中から生える。銀の中に咲く。落つるも銀の中と思わせるほどに描いた。――花は虞美人草である。落款は抱一である。  屏風の陰に用い慣れた寄木の小机を置く。高岡塗の蒔絵の硯筥は書物と共に違棚に移した。机の上には油を注した瓦器を供えて、昼ながらの灯火を一本の灯心に点ける。灯心は新らしい。瓦器の丈を余りて、三寸を尾に引く先は、油さえ含まず白くすらりと延びている。  ほかには白磁の香炉がある。線香の袋が蒼ざめた赤い色を机の角に出している。灰の中に立てた五六本は、一点の紅から煙となって消えて行く。香は仏に似ている。色は流るる藍である。根本から濃く立ち騰るうちに右に揺き左へ揺く。揺くたびに幅が広くなる。幅が広くなるうちに色が薄くなる。薄くなる帯のなかに濃い筋がゆるやかに流れて、しまいには広い幅も、帯も、濃い筋も行方知れずになる。時に燃え尽した灰がぱたりと、棒のまま倒れる。  違棚の高岡塗は沈んだ小豆色に古木の幹を青く盛り上げて、寒紅梅の数点を螺鈿擬に錬り出した。裏は黒地に鶯が一羽飛んでいる。並ぶ蘆雁の高蒔絵の中には昨日まで、深き光を暗き底に放つ柘榴珠が収めてあった。両蓋に隙間なく七子を盛る金側時計が収めてあった。高蒔絵の上には一巻の書物が載せてある。四隅を金に立ち切った箔の小口だけが鮮かに見える。間から紫の栞の房が長く垂れている。栞を差し込んだ頁の上から七行目に「埃及の御代しろし召す人の最後ぞ、かくありてこそ」の一句がある。色鉛筆で細い筋を入れてある。  すべてが美くしい。美くしいもののなかに横わる人の顔も美くしい。驕る眼は長えに閉じた。驕る眼を眠った藤尾の眉は、額は、黒髪は、天女のごとく美くしい。 「御線香が切れやしないかしら」と母は次の間から立ちかかる。 「今上げて来ました」と欽吾が云う。膝を正しく組み合わして、手を拱いている。 「一さんも上げてやって下さい」 「私も今上げて来た」  線香の香は藤尾の部屋から、思い出したように吹いてくる。燃え切った灰は、棒のままで、はたりはたりと香炉の中に倒れつつある。銀屏は知らぬ間に薫る。 「小野さんは、まだ来ないんですか」と母が云う。 「もう来るでしょう。今呼びにやりました」と欽吾が云う。  部屋はわざと立て切った。隔の襖だけは明けてある。片輪車の友禅の裾だけが見える。あとは芭蕉布の唐紙で万事を隠す。幽冥を仕切る縁は黒である。一寸幅に鴨居から敷居まで真直に貫いている。母は襖のこちらに坐りながら、折々は、見えぬ所を覗き込むように、首を傾けて背を反らす。冷かな足よりも冷かな顔の方が気にかかる。覗くたびに黒い縁は、すっきりと友禅の小夜着を斜に断ち切っている。写せばそのままの模様画になる。 「御叔母さん、飛んだ事になって、御気の毒だが、仕方がない。御諦なさい」 「こんな事になろうとは……」 「泣いたって、今更しようがない。因果だ」 「本当に残念な事をしました」と眼を拭う。 「あんまり泣くとかえって供養にならない。それより後の始末が大事ですよ。こうなっちゃ、是非甲野さんにいてもらうより仕方がないんだから、その気になってやらないと、あなたが困るばかりだ」  母はわっと泣き出した。過去を顧みる涙は抑えやすい。卒然として未来におけるわが運命を自覚した時の涙は発作的に来る。 「どうしたら好いか――それを思うと――一さん」  切れ切れの言葉が、涙と洟の間から出た。 「御叔母さん、失礼ながら、ちっと平生の考え方が悪かった」 「私の不行届から、藤尾はこんな事になる。欽吾には見放される……」 「だからね。そう泣いたってしようがないから……」 「……まことに面目しだいもございません」 「だからこれから少し考え直すさ。ねえ、甲野さん、そうしたら好いだろう」 「みんな私が悪いんでしょうね」と母は始めて欽吾に向った。腕組をしていた人はようやく口を開く。―― 「偽の子だとか、本当の子だとか区別しなければ好いんです。平たく当り前にして下されば好いんです。遠慮なんぞなさらなければ好いんです。なんでもない事をむずかしく考えなければ好いんです」  甲野さんは句を切った。母は下を向いて答えない。あるいは理解出来ないからかと思う。甲野さんは再び口を開いた。―― 「あなたは藤尾に家も財産もやりたかったのでしょう。だからやろうと私が云うのに、いつまでも私を疑って信用なさらないのが悪いんです。あなたは私が家にいるのを面白く思っておいででなかったでしょう。だから私が家を出ると云うのに、面当のためだとか、何とか悪く考えるのがいけないです。あなたは小野さんを藤尾の養子にしたかったんでしょう。私が不承知を云うだろうと思って、私を京都へ遊びにやって、その留守中に小野と藤尾の関係を一日一日と深くしてしまったのでしょう。そう云う策略がいけないです。私を京都へ遊びにやるんでも私の病気を癒すためにやったんだと、私にも人にもおっしゃるでしょう。そう云う嘘が悪いんです。――そう云うところさえ考え直して下されば別に家を出る必要はないのです。いつまでも御世話をしても好いのです」  甲野さんはこれだけでやめる。母は俯向いたまま、しばらく考えていたが、ついに低い声で答えた。―― 「そう云われて見ると、全く私が悪かったよ。――これから御前さんがたの意見を聞いて、どうとも悪いところは直すつもりだから……」 「それで結構です、ねえ甲野さん。君にも御母さんだ。家にいて面倒を見て上げるがいい。糸公にもよく話しておくから」 「うん」と甲野さんは答えたぎりである。  隣室の線香が絶えんとする時、小野さんは蒼白い額を抑えて来た。藍色の煙は再び銀屏を掠めて立ち騰った。  二日して葬式は済んだ。葬式の済んだ夜、甲野さんは日記を書き込んだ。―― 「悲劇はついに来た。来るべき悲劇はとうから預想していた。預想した悲劇を、なすがままの発展に任せて、隻手をだに下さぬは、業深き人の所為に対して、隻手の無能なるを知るが故である。悲劇の偉大なるを知るが故である。悲劇の偉大なる勢力を味わわしめて、三世に跨がる業を根柢から洗わんがためである。不親切なためではない。隻手を挙ぐれば隻手を失い、一目を揺かせば一目を眇す。手と目とを害うて、しかも第二者の業は依然として変らぬ。のみか時々に刻々に深くなる。手を袖に、眼を閉ずるは恐るるのではない。手と目より偉大なる自然の制裁を親切に感受して、石火の一拶に本来の面目に逢着せしむるの微意にほかならぬ。  悲劇は喜劇より偉大である。これを説明して死は万障を封ずるが故に偉大だと云うものがある。取り返しがつかぬ運命の底に陥って、出て来ぬから偉大だと云うのは、流るる水が逝いて帰らぬ故に偉大だと云うと一般である。運命は単に最終結を告ぐるがためにのみ偉大にはならぬ。忽然として生を変じて死となすが故に偉大なのである。忘れたる死を不用意の際に点出するから偉大なのである。ふざけたるものが急に襟を正すから偉大なのである。襟を正して道義の必要を今更のごとく感ずるから偉大なのである。人生の第一義は道義にありとの命題を脳裏に樹立するが故に偉大なのである。道義の運行は悲劇に際会して始めて渋滞せざるが故に偉大なのである。道義の実践はこれを人に望む事|切なるにもかかわらず、われのもっとも難しとするところである。悲劇は個人をしてこの実践をあえてせしむるがために偉大である。道義の実践は他人にもっとも便宜にして、自己にもっとも不利益である。人々力をここに致すとき、一般の幸福を促がして、社会を真正の文明に導くが故に、悲劇は偉大である。  問題は無数にある。粟か米か、これは喜劇である。工か商か、これも喜劇である。あの女かこの女か、これも喜劇である。綴織か繻珍か、これも喜劇である。英語か独乙語か、これも喜劇である。すべてが喜劇である。最後に一つの問題が残る。――生か死か。これが悲劇である。  十年は三千六百日である。普通の人が朝から晩に至って身心を労する問題は皆喜劇である。三千六百日を通して喜劇を演ずるものはついに悲劇を忘れる。いかにして生を解釈せんかの問題に煩悶して、死の一字を念頭に置かなくなる。この生とあの生との取捨に忙がしきが故に生と死との最大問題を閑却する。  死を忘るるものは贅沢になる。一浮も生中である。一沈も生中である。一挙手も一投足もことごとく生中にあるが故に、いかに踊るも、いかに狂うも、いかにふざけるも、大丈夫生中を出ずる気遣なしと思う。贅沢は高じて大胆となる。大胆は道義を蹂躙して大自在に跳梁する。  万人はことごとく生死の大問題より出立する。この問題を解決して死を捨てると云う。生を好むと云う。ここにおいて万人は生に向って進んだ。ただ死を捨てると云うにおいて、万人は一致するが故に、死を捨てるべき必要の条件たる道義を、相互に守るべく黙契した。されども、万人は日に日に生に向って進むが故に、日に日に死に背いて遠ざかるが故に、大自在に跳梁して毫も生中を脱するの虞なしと自信するが故に、――道義は不必要となる。  道義に重を置かざる万人は、道義を犠牲にしてあらゆる喜劇を演じて得意である。ふざける。騒ぐ。欺く。嘲弄する。馬鹿にする。踏む。蹴る。――ことごとく万人が喜劇より受くる快楽である。この快楽は生に向って進むに従って分化発展するが故に――この快楽は道義を犠牲にして始めて享受し得るが故に――喜劇の進歩は底止するところを知らずして、道義の観念は日を追うて下る。  道義の観念が極度に衰えて、生を欲する万人の社会を満足に維持しがたき時、悲劇は突然として起る。ここにおいて万人の眼はことごとく自己の出立点に向う。始めて生の隣に死が住む事を知る。妄りに踊り狂うとき、人をして生の境を踏み外して、死の圜内に入らしむる事を知る。人もわれももっとも忌み嫌える死は、ついに忘るべからざる永劫の陥穽なる事を知る。陥穽の周囲に朽ちかかる道義の縄は妄りに飛び超ゆべからざるを知る。縄は新たに張らねばならぬを知る。第二義以下の活動の無意味なる事を知る。しかして始めて悲劇の偉大なるを悟る。……」  二ヵ月|後甲野さんはこの一節を抄録して倫敦の宗近君に送った。宗近君の返事にはこうあった。―― 「ここでは喜劇ばかり流行る」  木の葉の間から高い窓が見えて、その窓の隅からケーベル先生の頭が見えた。傍から濃い藍色の煙が立った。先生は煙草を呑んでいるなと余は安倍君に云った。  この前ここを通ったのはいつだか忘れてしまったが、今日見るとわずかの間にもうだいぶ様子が違っている。甲武線の崖上は角並新らしい立派な家に建て易えられていずれも現代的日本の産み出した富の威力と切り放す事のできない門構ばかりである。その中に先生の住居だけが過去の記念のごとくたった一軒古ぼけたなりで残っている。先生はこの燻ぶり返った家の書斎に這入ったなり滅多に外へ出た事がない。その書斎はとりもなおさず先生の頭が見えた木の葉の間の高い所であった。  余と安倍君とは先生に導びかれて、敷物も何も足に触れない素裸のままの高い階子段を薄暗がりにがたがた云わせながら上って、階上の右手にある書斎に入った。そうして先生の今まで腰をおろして窓から頭だけを出していた一番光に近い椅子に余は坐った。そこで外面から射す夕暮に近い明りを受けて始めて先生の顔を熟視した。先生の顔は昔とさまで違っていなかった。先生は自分で六十三だと云われた。余が先生の美学の講義を聴きに出たのは、余が大学院に這入った年で、たしか先生が日本へ来て始めての講義だと思っているが、先生はその時からすでにこう云う顔であった。先生に日本へ来てもう二十年になりますかと聞いたら、そうはならない、たしか十八年目だと答えられた。先生の髪も髯も英語で云うとオーバーンとか形容すべき、ごく薄い麻のような色をしている上に、普通の西洋人の通り非常に細くって柔かいから、少しの白髪が生えてもまるで目立たないのだろう。それにしても血色が元の通りである。十八年を日本で住み古した人とは思えない。  先生の容貌が永久にみずみずしているように見えるのに引き易えて、先生の書斎は耄け切った色で包まれていた。洋書というものは唐本や和書よりも装飾的な背皮に学問と芸術の派出やかさを偲ばせるのが常であるのに、この部屋は余の眼を射る何物をも蔵していなかった。ただ大きな机があった。色の褪めた椅子が四脚あった。マッチと埃及煙草と灰皿があった。余は埃及煙草を吹かしながら先生と話をした。けれども部屋を出て、下の食堂へ案内されるまで、余はついに先生の書斎にどんな書物がどんなに並んでいたかを知らずに過ぎた。  花やかな金文字や赤や青の背表紙が余の眼を刺激しなかったばかりではない。純潔な白色でさえついに余の眼には触れずに済んだ。先生の食卓には常の欧洲人が必要品とまで認めている白布が懸っていなかった。その代りにくすんだ更紗形を置いた布がいっぱいに被さっていた。そうしてその布はこの間まで余の家に預かっていた娘の子を嫁づける時に新調してやった布団の表と同じものであった。この卓を前にして坐った先生は、襟も襟飾も着けてはいない。千筋の縮みの襯衣を着た上に、玉子色の薄い背広を一枚|無造作にひっかけただけである。始めから儀式ばらぬようにとの注意ではあったが、あまり失礼に当ってはと思って、余は白い襯衣と白い襟と紺の着物を着ていた。君が正装をしているのに私はこんな服でと先生が最前云われた時、正装の二字を痛み入るばかりであったが、なるほど洗い立ての白いものが手と首に着いているのが正装なら、余の方が先生よりもよほど正装であった。  余は先生に一人で淋しくはありませんかと聞いたら、先生は少しも淋しくはないと答えられた。西洋へ帰りたくはありませんかと尋ねたら、それほど西洋が好いとも思わない、しかし日本には演奏会と芝居と図書館と画館がないのが困る、それだけが不便だと云われた。一年ぐらい暇を貰って遊んで来てはどうですと促がして見たら、そりゃ無論やって貰える、けれどもそれは好まない。私がもし日本を離れる事があるとすれば、永久に離れる。けっして二度とは帰って来ないと云われた。  先生はこういう風にそれほど故郷を慕う様子もなく、あながち日本を嫌う気色もなく、自分の性格とは容れにくいほどに矛盾な乱雑な空虚にして安っぽいいわゆる新時代の世態が、周囲の過渡層の底からしだいしだいに浮き上って、自分をその中心に陥落せしめねばやまぬ勢を得つつ進むのを、日ごと眼前に目撃しながら、それを別世界に起る風馬牛の現象のごとくよそに見て、極めて落ちついた十八年を吾邦で過ごされた。先生の生活はそっと煤煙の巷に棄てられた希臘の彫刻に血が通い出したようなものである。雑鬧の中に己れを動かしていかにも静かである。先生の踏む靴の底には敷石を噛む鋲の響がない。先生は紀元前の半島の人のごとくに、しなやかな革で作ったサンダルを穿いておとなしく電車の傍を歩るいている。  先生は昔し烏を飼っておられた。どこから来たか分らないのを餌をやって放し飼にしたのである。先生と烏とは妙な因縁に聞える。この二つを頭の中で結びつけると一種の気持が起る。先生が大学の図書館で書架の中からポーの全集を引きおろしたのを見たのは昔の事である。先生はポーもホフマンも好きなのだと云う。この夕その烏の事を思い出して、あの烏はどうなりましたと聞いたら、あれは死にました、凍えて死にました。寒い晩に庭の木の枝に留ったまんま、翌日になると死んでいましたと答えられた。  烏のついでに蝙蝠の話が出た。安倍君が蝙蝠は懐疑な鳥だと云うから、なぜと反問したら、でも薄暗がりにはたはた飛んでいるからと謎のような答をした。余は蝙蝠の翼が好だと云った。先生はあれは悪魔の翼だと云った。なるほど画にある悪魔はいつでも蝙蝠の羽根を背負っている。  その時夕暮の窓際に近く日暮しが来て朗らに鋭どい声を立てたので、卓を囲んだ四人はしばらくそれに耳を傾けた。あの鳴声にも以太利の連想があるでしょうと余は先生に尋ねた。これは先生が少し前に蜥蜴が美くしいと云ったので、青く澄んだ以太利の空を思い出させやしませんかと聞いたら、そうだと答えられたからである。しかし日暮しの時には、先生は少し首を傾むけて、いや彼は以太利じゃない、どうも以太利では聞いた事がないように思うと云われた。  余らは熱い都の中心に誤って点ぜられたとも見える古い家の中で、静かにこんな話をした。それから菊の話と椿の話と鈴蘭の話をした。果物の話もした。その果物のうちでもっとも香りの高い遠い国から来たレモンの露を搾って水に滴らして飲んだ。珈琲も飲んだ。すべての飲料のうちで珈琲が一番|旨いという先生の嗜好も聞いた。それから静かな夜の中に安倍君と二人で出た。  先生の顔が花やかな演奏会に見えなくなってから、もうよほどになる。先生はピヤノに手を触れる事すら日本に来ては口外せぬつもりであったと云う。先生はそれほど浮いた事が嫌なのである。すべての演奏会を謝絶した先生は、ただ自分の部屋で自分の気に向いたときだけ楽器の前に坐る、そうして自分の音楽を自分だけで聞いている。そのほかにはただ書物を読んでいる。  文科大学へ行って、ここで一番人格の高い教授は誰だと聞いたら、百人の学生が九十人までは、数ある日本の教授の名を口にする前に、まずフォン・ケーベルと答えるだろう。かほどに多くの学生から尊敬される先生は、日本の学生に対して終始渝らざる興味を抱いて、十八年の長い間哲学の講義を続けている。先生が疾くに索寞たる日本を去るべくして、いまだに去らないのは、実にこの愛すべき学生あるがためである。  京都の深田教授が先生の家にいる頃、いつでも閑な時に晩餐を食べに来いと云われてから、行かずに経過した月日を数えるともう四年以上になる。ようやくその約を果して安倍君といっしょに大きな暗い夜の中に出た時、余は先生はこれから先、もう何年ぐらい日本にいるつもりだろうと考えた。そうして一度日本を離れればもう帰らないと云われた時、先生の引用した“no more, never more.”というポーの句を思い出した。  ケーベル先生は今日日本を去るはずになっている。しかし先生はもう二、三日まえから東京にはいないだろう。先生は虚儀虚礼をきらう念の強い人である。二十年前大学の招聘に応じてドイツを立つ時にも、先生の気性を知っている友人は一人も停車場へ送りに来なかったという話である。先生は影のごとく静かに日本へ来て、また影のごとくこっそり日本を去る気らしい。  静かな先生は東京で三度居を移した。先生の知っている所はおそらくこの三軒の家と、そこから学校へ通う道路くらいなものだろう。かつて先生に散歩をするかと聞いたら、先生は散歩をするところがないから、しないと答えた。先生の意見によると、町は散歩すべきものでないのである。  こういう先生が日本という国についてなにも知ろうはずがない。また知ろうとする好奇心をもっている道理もない。私が早稲田にいると言ってさえ、先生には早稲田の方角がわからないくらいである。深田君に大隈伯のうちへ呼ばれた昔を注意されても、先生はすでに忘れている。先生には大隈伯の名さえはじめてであったかもしれない。  私が先月十五日の夜晩餐の招待を受けた時、先生に国へ帰っても朋友がありますかと尋ねたら、先生は南極と北極とは別だが、ほかのところならどこへ行っても朋友はいると答えた。これはもとより冗談であるが、先生の頭の奥に、区々たる場所を超越した世界的の観念が潜んでいればこそ、こんな挨拶もできるのだろう。またこんな挨拶ができればこそ、たいした興味もない日本に二十年もながくいて、不平らしい顔を見せる必要もなかったのだろう。  場所ばかりではない、時間のうえでも先生の態度はまったく普通の人と違っている。郵船会社の汽船は半分|荷物船だから船足がおそいのに、なぜそれをえらんだのかと私が聞いたら、先生はいくら長く海の中に浮いていても苦にはならない、それよりも日本からベルリンまで十五日で行けるとか十四日で着けるとかいって、旅行が一日でも早くできるのを、非常の便利らしく考えている人の心持ちがわからないと言った。  先生の金銭上の考えも、まったく西洋人とは思われないくらい無頓着である。先生の宅に厄介になっていたものなどは、ずいぶん経済の点にかけて、普通の家には見るべからざる自由を与えられているらしく思われた。このまえ会った時、ある蓄財家の話が出たら、いったいあんなに金をためてどうするりょうけんだろうと言って苦笑していた。先生はこれからさき、日本政府からもらう恩給と、今までの月給の余りとで、暮らしてゆくのだが、その月給の余りというのは、天然自然にできたほんとうの余りで、用意の結果でもなんでもないのである。  すべてこんなふうにでき上がっている先生にいちばん大事なものは、人と人を結びつける愛と情けだけである。ことに先生は自分の教えてきた日本の学生がいちばん好きらしくみえる。私が十五日の晩に、先生の家を辞して帰ろうとした時、自分は今日本を去るに臨んで、ただ簡単に自分の朋友、ことに自分の指導を受けた学生に、「さようならごきげんよう」という一句を残して行きたいから、それを朝日新聞に書いてくれないかと頼まれた。先生はそのほかの事を言うのはいやだというのである。また言う必要がないというのである。同時に広告欄にその文句を出すのも好まないというのである。私はやむをえないから、ここに先生の許諾を得て、「さようならごきげんよう」のほかに、私自身の言葉を蛇足ながらつけ加えて、先生の告別の辞が、先生の希望どおり、先生の薫陶を受けた多くの人々の目に留まるように取り計らうのである。そうしてその多くの人々に代わって、先生につつがなき航海と、穏やかな余生とを、心から祈るのである。  はなはだお暑いことで、こう暑くては多人数お寄合いになって演説などお聴きになるのは定めしお苦しいだろうと思います。ことに承れば昨日も何か演説会があったそうで、そう同じ催しが続いてはいくらあたらない保証のあるものでも多少は流行過の気味で、お聴きになるのもよほど御困難だろうと御察し申します。が演説をやる方の身になって見てもそう楽ではありません。ことにただいま牧君の紹介で漱石君の演説は迂余曲折の妙があるとか何とかいう広告めいた賛辞をちょうだいした後に出て同君の吹聴通りをやろうとするとあたかも迂余曲折の妙を極めるための芸当を御覧に入れるために登壇したようなもので、いやしくもその妙を極めなければ降りることができないような気がして、いやが上にやりにくい羽目に陥ってしまう訳であります。実はここへ出て参る前ちょっと先番の牧君に相談をかけた事があるのです。これは内々ですが思い切って打明けて御話ししてしまいます。と云うほどの秘密でもありませんが、全くのところ今日の講演は長時間諸君に対して御話をする材料が不足のような気がしてならなかったから、牧さんにあなたの方は少しは伸ばせますかと聞いたのです。すると牧君は自分の方は伸ばせば幾らでも伸びると気丈夫な返事をしてくれたので、たちまち親船に乗ったような心持になって、それじゃア少し伸ばしていただきたいと頼んでおきました。その結果として冒頭だか序論だかに私の演説の短評を試みられたのはもともと私の注文から出た事ではなはだありがたいには違ないけれども、その代り厭にやり悪くなってしまった事もまた争われない事実です。元来がそう云う情ない依頼をあえてするくらいですから曲折どころではない、真直に行き当ってピタリと終いになるべき演説であります。なかなかもって抑揚頓挫波瀾曲折の妙を極めるだけの材料などは薬にしたくも持合せておりません。とそう言ったところで何もただボンヤリ演壇に登った訳でもないので、ここへ出て来るだけの用意は多少準備して参ったには違ないのです。もっとも私がこの和歌山へ参るようになったのは当初からの計画ではなかったのですが、私の方では近畿地方を所望したので社の方では和歌山をその中へ割り振ってくれたのです。御蔭で私もまだ見ない土地や名所などを捜る便宜を得ましたのは好都合です。そのついでに演説をする――のではない演説のついでに玉津島だの紀三井寺などを見た訳でありますからこれらの故跡や名勝に対しても空手では参れません。御話をする題目はちゃんと東京表できめて参りました。  その題目は「現代日本の開化」と云うので、現代と云う字は下へ持って来ても上へ持って来ても同じ事で、「現代日本の開化」でも「日本現代の開化」でも大して私の方では構いません。「現代」と云う字があって「日本」と云う字があって「開化」と云う字があって、その間へ「の」の字が入っていると思えばそれだけの話です。何の雑作もなくただ現今の日本の開化と云う、こういう簡単なものです。その開化をどうするのだと聞かれれば、実は私の手際ではどうもしようがないので、私はただ開化の説明をして後はあなた方の御高見に御任せするつもりであります。では開化を説明して何になる? とこう御聞きになるかも知れないが、私は現代の日本の開化という事が諸君によく御分りになっているまいと思う。御分りになっていなかろうと思うと云うと失礼ですけれども、どうもこれが一般の日本人によく呑み込めていないように思う。私だってそれほど分ってもいないのです。けれどもまず諸君よりもそんな方面に余計頭を使う余裕のある境遇におりますから、こういう機会を利用して自分の思ったところだけをあなた方に聞いていただこうというのが主眼なのです。どうせあなた方も私も日本人で、現代に生れたもので、過去の人間でも未来の人間でも何でもない上に現に開化の影響を受けているのだから、現代と日本と開化と云う三つの言葉は、どうしても諸君と私とに切っても切れない離すべからざる密接な関係があるのは分り切った事ですが、それにもかかわらず、御互に現代の日本の開化について無頓着であったり、または余りハッキリした理会をもっていなかったならば、万事に勝手が悪い訳だから、まあ互に研究もし、また分るだけは分らせておく方が都合が好かろうと思うのであります。それについては少し学究めきますが、日本とか現代とかいう特別な形容詞に束縛されない一般の開化から出立してその性質を調べる必要があると考えます。御互いに開化と云う言葉を使っておって、日に何遍も繰返しているけれども、はたして開化とはどんなものだと煎じつめて聞き糺されて見ると、今まで互に了解し得たとばかり考えていた言葉の意味が存外喰違っていたりあるいはもってのほかに漠然と曖昧であったりするのはよく有る事だから私はまず開化の定義からきめてかかりたいのです。  もっとも定義を下すについてはよほど気をつけないととんでもない事になる。これをむずかしく言いますと、定義を下せばその定義のために定義を下されたものがピタリと糊細工のように硬張ってしまう。複雑な特性を簡単に纏める学者の手際と脳力とには敬服しながらも一方においてその迂濶を惜まなければならないような事が彼らの下した定義を見るとよくあります。その弊所をごく分りやすく一口に御話すれば生きたものを故と四角四面の棺の中へ入れてことさらに融通が利かないようにするからである。もっとも幾何学などで中心から円周に到る距離がことごとく等しいものを円と云うというような定義はあれで差支ない、定義の便宜があって弊害のない結構なものですが、これは実世間に存在する円いものを説明すると云わんよりむしろ理想的に頭の中にある円というものをかく約束上とりきめたまでであるから古往今来変りっこないのでどこまでもこの定義一点張りで押して行かれるのです。その他四角だろうが三角だろうが幾何的に存在している限りはそれぞれの定義でいったん纏めたらけっして動かす必要もないかも知れないが、不幸にして現実世の中にある円とか四角とか三角とかいうもので過去現在未来を通じて動かないものははなはだ少ない。ことにそれ自身に活動力を具えて生存するものには変化消長がどこまでもつけ纏っている。今日の四角は明日の三角にならないとも限らないし、明日の三角がまたいつ円く崩れ出さないとも云えない。要するに幾何学のように定義があってその定義から物を拵え出したのでなくって、物があってその物を説明するために定義を作るとなると勢いその物の変化を見越してその意味を含ましたものでなければいわゆる杓子定規とかでいっこう気の利かない定義になってしまいます。ちょうど汽車がゴーッと馳けて来る、その運動の一瞬間すなわち運動の性質の最も現われ悪い刹那の光景を写真にとって、これが汽車だこれが汽車だと云ってあたかも汽車のすべてを一枚の裏に写し得たごとく吹聴すると一般である。なるほどどこから見ても汽車に違ありますまい。けれども汽車に見逃してはならない運動というものがこの写真のうちには出ていないのだから実際の汽車とはとうてい比較のできないくらい懸絶していると云わなければなりますまい。御存じの琥珀と云うものがありましょう。琥珀の中に時々|蠅が入ったのがある。透かして見ると蠅に違ありませんが、要するに動きのとれない蠅であります。蠅でないとは言えぬでしょうが活きた蠅とは云えますまい。学者の下す定義にはこの写真の汽車や琥珀の中の蠅に似て鮮かに見えるが死んでいると評しなければならないものがある。それで注意を要するというのであります。つまり変化をするものを捉えて変化を許さぬかのごとくピタリと定義を下す。巡査と云うものは白い服を着てサーベルを下げているものだなどとてんからきめられた日には巡査もやりきれないでしょう。家へ帰って浴衣も着換える訳に行かなくなる。この暑いのに剣ばかり下げていなければすまないのは可哀想だ。騎兵とは馬に乗るものである。これも御尤には違ないが、いくら騎兵だって年が年中馬に乗りつづけに乗っている訳にも行かないじゃありませんか。少しは下りたいでさア。こう例を挙げれば際限がないから好加減に切り上げます。実は開化の定義を下す御約束をしてしゃべっていたところがいつの間にか開化はそっち退けになってむずかしい定義論に迷い込んではなはだ恐縮です。がこのくらい注意をした上でさて開化とは何者だと纏めてみたら幾分か学者の陥りやすい弊害を避け得られるしまたその便宜をも受ける事ができるだろうと思うのです。  でいよいよ開化に出戻りを致しますが、開化と云うものも、汽車とか蠅とか巡査とか騎兵とか云うようなもののごとくに動いている。それで開化の一瞬間をとってカメラにピタリと入れて、そうしてこれが開化だと提げて歩く訳には行きません。私は昨日和歌の浦を見物しましたが、あすこを見た人のうちで和歌の浦は大変|浪の荒い所だと云う人がある。かと思うと非常に静かな所だと云う人もある。どっちがよいのか分らない。だんだん聞いて見ると、一方は浪の非常に荒い時に行き、一方は非常に静かな時に行った違から話がこう表裏して来たのである。固より見た通なんだから両方とも嘘ではない。がまた両方とも本当でもない。これに似寄りの定義は、あっても役に立たぬことはない。が、役に立つと同時に害をなす事も明かなんだから、開化の定義と云うものも、なるべくはそう云う不都合を含んでいないように致したいのが私の希望であります。が、そうするとボンヤリして来る。恨むらくはボンヤリして来る。けれどもボンヤリしてもほかのものと区別ができればそれでよいでしょう。さっき牧君の紹介があったように夏目君の講演はその文章のごとく時とすると門口から玄関へ行くまでにうんざりする事があるそうで誠に御気の毒の話だが、なるほどやってみるとその通り、これでようやく玄関まで着きましたから思いきって本当の定義に移りましょう。  開化は人間活力の発現の経路である。と私はこう云いたい。私ばかりじゃない、あなた方だってそういうでしょう。もっともそう云ったところで別に書物に書いてある訳でも何でもない、私がそう言いたいまでの事であるがその代り珍らしくも何ともない。がこれすこぶる漠然としている。前口上を長々述べ立てた後でこのくらいの定義を御吹聴に及んだだけではあまり人を馬鹿にしているようですが、まあそこから定めてかからないと曖昧になるから、実はやむをえないのです。それで人間の活力と云うものが今申す通り時の流を沿うて発現しつつ開化を形造って行くうちに私は根本的に性質の異った二種類の活動を認めたい、否確かに認めるのであります。  その二通りのうち一つは積極的のもので、一つは消極的のものである。何か月並のような講釈をしてすみませんが、人間活力の発現上積極的と云う言葉を用いますと、勢力の消耗を意味する事になる。またもう一つの方はこれとは反対に勢力の消耗をできるだけ防ごうとする活動なり工夫なりだから前のに対して消極的と申したのであります。この二つの互いに喰違って反の合わないような活動が入り乱れたりコンガラカッたりして開化と云うものが出来上るのであります。これでもまだ抽象的でよくお分りにならないかも知れませんが、もう少し進めば私の意味は自ら明暸になるだろうと信じます。元来人間の命とか生とか称するものは解釈次第でいろいろな意味にもなりまたむずかしくもなりますが要するに前申したごとく活力の示現とか進行とか持続とか評するよりほかに致し方のない者である以上、この活力が外界の刺戟に対してどう反応するかという点を細かに観察すればそれで吾人人類の生活状態もほぼ了解ができるような訳で、その生活状態の多人数の集合して過去から今日に及んだものがいわゆる開化にほかならないのは今さら申上げるまでもありますまい。さて吾々の活力が外界の刺戟に反応する方法は刺戟の複雑である以上|固より多趣多様千差万別に違ないが、要するに刺戟の来るたびに吾が活力をなるべく制限節約してできるだけ使うまいとする工夫と、また自ら進んで適意の刺戟を求め能うだけの活力を這裏に消耗して快を取る手段との二つに帰着してしまうよう私は考えているのであります。で前のを便宜のため活力節約の行動と名づけ後者をかりに活力消耗の趣向とでも名づけておきましょうが、この活力節約の行動はどんな場合に起るかと云えば現代の吾々が普通用いる義務という言葉を冠して形容すべき性質の刺戟に対して起るのであります。従来の徳育法及び現今とても教育上では好んで義務を果す敢為邁往の気象を奨励するようですがこれは道徳上の話で道徳上しかなくてはならぬもしくはしかする方が社会の幸福だと云うまでで、人間活力の示現を観察してその組織の経緯一つを司どる大事実から云えばどうしても今私が申し上げたように解釈するよりほか仕方がないのであります。吾々もお互に義務は尽さなければならんものと始終思い、また義務を尽した後は大変心持が好いのであるが、深くその裏面に立ち入って内省して見ると、願くはこの義務の束縛を免かれて早く自由になりたい、人から強いられてやむをえずする仕事はできるだけ分量を圧搾して手軽に済ましたいという根性が常に胸の中につけまとっている。その根性が取も直さず活力節約の工夫となって開化なるものの一大原動力を構成するのであります。  かく消極的に活力を節約しようとする奮闘に対して一方ではまた積極的に活力を任意随所に消耗しようという精神がまた開化の一半を組み立てている。その発現の方法もまた世が進めば進むほど複雑になるのは当然であるが、これをごく約めてどんな方面に現われるかと説明すればまず普通の言葉で道楽という名のつく刺戟に対し起るものだとしてしまえば一番早分りであります。道楽と云えば誰も知っている。釣魚をするとか玉を突くとか、碁を打つとか、または鉄砲を担いで猟に行くとか、いろいろのものがありましょう。これらは説明するがものはないことごとく自から進んで強いられざるに自分の活力を消耗して嬉しがる方であります。なお進んではこの精神が文学にもなり科学にもなりまたは哲学にもなるので、ちょっと見るとはなはだむずかしげなものも皆道楽の発現に過ぎないのであります。  この二様の精神すなわち義務の刺戟に対する反応としての消極的な活力節約とまた道楽の刺戟に対する反応としての積極的な活力消耗とが互に並び進んで、コンガラカッて変化して行って、この複雑|極りなき開化と云うものができるのだと私は考えています。その結果は現に吾々が生息している社会の実況を目撃すればすぐ分ります。活力節約の方から云えばできるだけ労働を少なくしてなるべくわずかな時間に多くの働きをしようしようと工夫する。その工夫が積り積って汽車汽船はもちろん電信電話自動車大変なものになりますが、元を糺せば面倒を避けたい横着心の発達した便法に過ぎないでしょう。この和歌山市から和歌の浦までちょっと使いに行って来いと言われた時に、出来得るなら誰しも御免蒙りたい。がどうしても行かなければならないとすればなるべく楽に行きたい、そうして早く帰りたい。できるだけ身体は使いたくない。そこで人力車もできなければならない訳になります。その上に贅沢を云えば自転車にするでしょう。なおわがままを云い募ればこれが電車にも変化し自動車または飛行器にも化けなければならなくなるのは自然の数であります。これに反して電車や電話の設備があるにしても是非今日は向うまで歩いて行きたいという道楽心の増長する日も年に二度や三度は起らないとも限りません。好んで身体を使って疲労を求める。吾々が毎日やる散歩という贅沢も要するにこの活力消耗の部類に属する積極的な命の取扱方の一部分なのであります。がこの道楽気の増長した時に幸に行って来いという命令が下ればちょうど好いが、まあたいていはそう旨くは行かない。云いつかった時は多く歩きたくない時である。だから歩かないで用を足す工夫をしなければならない。となると勢い訪問が郵便になり、郵便が電報になり、その電報がまた電話になる理窟です。つまるところは人間生存上の必要上何か仕事をしなければならないのを、なろう事ならしないで用を足してそうして満足に生きていたいというわがままな了簡、と申しましょうかまたはそうそう身を粉にしてまで働いて生きているんじゃ割に合わない、馬鹿にするない冗談じゃねえという発憤の結果が怪物のように辣腕な器械力と豹変したのだと見れば差支ないでしょう。  この怪物の力で距離が縮まる、時間が縮まる、手数が省ける、すべて義務的の労力が最少低額に切りつめられた上にまた切りつめられてどこまで押して行くか分らないうちに、彼の反対の活力消耗と名づけておいた道楽|根性の方もまた自由わがままのできる限りを尽して、これまた瞬時の絶間なく天然自然と発達しつつとめどもなく前進するのである。この道楽根性の発展も道徳家に言わせると怪しからんとか言いましょう。がそれは徳義上の問題で事実上の問題にはなりません。事実の大局から云えば活力を吾好むところに消費するというこの工夫精神は二六時中休みっこなく働いて、休みっこなく発展しています。元々社会があればこそ義務的の行動を余儀なくされる人間も放り出しておけばどこまでも自我本位に立脚するのは当然だから自分の好いた刺戟に精神なり身体なりを消費しようとするのは致し方もない仕儀である。もっとも好いた刺戟に反応して自由に活力を消耗すると云ったって何も悪い事をするとは限らない。道楽だって女を相手にするばかりが道楽じゃない。好きな真似をするとは開化の許す限りのあらゆる方面に亘っての話であります。自分が画がかきたいと思えばできるだけ画ばかりかこうとする。本が読みたければ差支ない以上本ばかり読もうとする。あるいは学問が好だと云って、親の心も知らないで、書斎へ入って青くなっている子息がある。傍から見れば何の事か分らない。親父が無理算段の学資を工面して卒業の上は月給でも取らせて早く隠居でもしたいと思っているのに、子供の方では活計の方なんかまるで無頓着で、ただ天地の真理を発見したいなどと太平楽を並べて机に靠れて苦り切っているのもある。親は生計のための修業と考えているのに子供は道楽のための学問とのみ合点している。こういうような訳で道楽の活力はいかなる道徳学者も杜絶する訳にいかない。現にその発現は世の中にどんな形になって、どんなに現れているかと云うことは、この競争|劇甚の世に道楽なんどとてんでその存在の権利を承認しないほど家業に励精な人でも少し注意されれば肯定しない訳に行かなくなるでしょう。私は昨晩和歌の浦へ泊りましたが、和歌の浦へ行って見ると、さがり松だの権現様だの紀三井寺だのいろいろのものがありますが、その中に東洋第一海抜二百尺と書いたエレヴェーターが宿の裏から小高い石山の巓へ絶えず見物を上げたり下げたりしているのを見ました。実は私も動物園の熊のようにあの鉄の格子の檻の中に入って山の上へ上げられた一人であります。があれは生活上別段必要のある場所にある訳でもなければまたそれほど大切な器械でもない、まあ物数奇である。ただ上ったり下ったりするだけである。疑もなく道楽心の発現で、好奇心兼広告欲も手伝っているかも知れないが、まあ活計向とは関係の少ないものです。これは一例ですが開化が進むにつれてこういう贅沢なものの数が殖えてくるのは誰でも認識しない訳に行かないでしょう。のみならずこの贅沢が日に増し細かくなる。大きなものの中に輪が幾つもできて漏斗みたようにだんだん深くなる。と同時に今まで気のつかなかった方面へだんだん発展して範囲が年々広くなる。  要するにただいま申し上げた二つの入り乱れたる経路、すなわちできるだけ労力を節約したいと云う願望から出て来る種々の発明とか器械力とか云う方面と、できるだけ気儘に勢力を費したいと云う娯楽の方面、これが経となり緯となり千変万化|錯綜して現今のように混乱した開化と云う不可思議な現象ができるのであります。  そこでそう云うものを開化とすると、ここに一種妙なパラドックスとでも云いましょうか、ちょっと聞くとおかしいが、実は誰しも認めなければならない現象が起ります。元来なぜ人間が開化の流れに沿うて、以上二種の活力を発現しつつ今日に及んだかと云えば生れながらそう云う傾向をもっていると答えるよりほかに仕方がない。これを逆に申せば吾人の今日あるは全くこの本来の傾向あるがためにほかならんのであります。なお進んで云うと元のままで懐手をしていては生存上どうしてもやり切れぬから、それからそれへと順々に押され押されてかく発展を遂げたと言わなければならないのです。してみれば古来何千年の労力と歳月を挙げてようやくの事現代の位置まで進んで来たのであるからして、いやしくもこの二種類の活力が上代から今に至る長い時間に工夫し得た結果として昔よりも生活が楽になっていなければならないはずであります。けれども実際はどうか? 打明けて申せば御互の生活ははなはだ苦しい。昔の人に対して一歩も譲らざる苦痛の下に生活しているのだと云う自覚が御互にある。否開化が進めば進むほど競争がますます劇しくなって生活はいよいよ困難になるような気がする。なるほど以上二種の活力の猛烈な奮闘で開化は贏ち得たに相違ない。しかしこの開化は一般に生活の程度が高くなったという意味で、生存の苦痛が比較的柔げられたという訳ではありません。ちょうど小学校の生徒が学問の競争で苦しいのと、大学の学生が学問の競争で苦しいのと、その程度は違うが、比例に至っては同じことであるごとく、昔の人間と今の人間がどのくらい幸福の程度において違っているかと云えば――あるいは不幸の程度において違っているかと云えば――活力消耗活力節約の両工夫において大差はあるかも知れないが、生存競争から生ずる不安や努力に至ってはけっして昔より楽になっていない。否昔よりかえって苦しくなっているかも知れない。昔は死ぬか生きるかのために争ったものである。それだけの努力をあえてしなければ死んでしまう。やむをえないからやる。のみならず道楽の念はとにかく道楽の途はまだ開けていなかったから、こうしたい、ああしたいと云う方角も程度も至って微弱なもので、たまに足を伸したり手を休めたりして、満足していたくらいのものだろうと思われる。今日は死ぬか生きるかの問題は大分超越している。それが変化してむしろ生きるか生きるかと云う競争になってしまったのであります。生きるか生きるかと云うのはおかしゅうございますが、Aの状態で生きるかBの状態で生きるかの問題に腐心しなければならないという意味であります。活力節減の方で例を引いてお話をしますと、人力車を挽いて渡世にするか、または自動車のハンドルを握って暮すかの競争になったのであります。どっちを家業にしたって命に別条はないにきまっているが、どっちへ行っても労力は同じだとは云われません。人力車を挽く方が汗がよほど多分に出るでしょう。自動車の御者になってお客を乗せれば――もっとも自動車をもつくらいならお客を乗せる必要もないが――短い時間で長い所が走れる。糞力はちっとも出さないですむ。活力節約の結果楽に仕事ができる。されば自動車のない昔はいざ知らず、いやしくも発明される以上人力車は自動車に負けなければならない。負ければ追つかなければならない。と云う訳で、少しでも労力を節減し得て優勢なるものが地平線上に現われてここに一つの波瀾を誘うと、ちょうど一種の低気圧と同じ現象が開化の中に起って、各部の比例がとれ平均が回復されるまでは動揺してやめられないのが人間の本来であります。積極的活力の発現の方から見てもこの波動は同じことで、早い話が今までは敷島か何か吹かして我慢しておったのに、隣りの男が旨そうに埃及煙草を喫んでいるとやっぱりそっちが喫みたくなる。また喫んで見ればその方が旨いに違ない。しまいには敷島などを吹かすものは人間の数へ入らないような気がして、どうしても埃及へ喫み移らなければならぬと云う競争が起って来る。通俗の言葉で云えば人間が贅沢になる。道学者は倫理的の立場から始終奢侈を戒しめている。結構には違ないが自然の大勢に反した訓戒であるからいつでも駄目に終るという事は昔から今日まで人間がどのくらい贅沢になったか考えて見れば分る話である。かく積極消極両方面の競争が激しくなるのが開化の趨勢だとすれば、吾々は長い時日のうちに種々様々の工夫を凝し智慧を絞ってようやく今日まで発展して来たようなものの、生活の吾人の内生に与える心理的苦痛から論ずれば今も五十年前もまたは百年前も、苦しさ加減の程度は別に変りはないかも知れないと思うのです。それだからしてこのくらい労力を節減する器械が整った今日でも、また活力を自由に使い得る娯楽の途が備った今日でも生存の苦痛は存外|切なものであるいは非常という形容詞を冠らしてもしかるべき程度かも知れない。これほど労力を節減できる時代に生れてもその忝けなさが頭に応えなかったり、これほど娯楽の種類や範囲が拡大されても全くそのありがたみが分らなかったりする以上は苦痛の上に非常という字を附加しても好いかも知れません。これが開化の産んだ一大パラドックスだと私は考えるのであります。  これから日本の開化に移るのですが、はたして一般的の開化がそんなものであるならば、日本の開化も開化の一種だからそれでよかろうじゃないかでこの講演は済んでしまう訳であります。がそこに一種特別な事情があって、日本の開化はそういかない。なぜそうは行かないか。それを説明するのが今日の講演の主眼である。と申すと玄関を上ってようやく茶の間あたりへ来たくらいの気がして驚くでしょう。しかしそう長くはありません、奥行は存外短かい講演です。やってる方だって長いのは疲れますからできるだけ労力節約の法則に従って早く切り上げるつもりですから、もう少し辛抱して聴いて下さい。  それで現代の日本の開化は前に述べた一般の開化とどこが違うかと云うのが問題です。もし一言にしてこの問題を決しようとするならば私はこう断じたい、西洋の開化は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である。ここに内発的と云うのは内から自然に出て発展するという意味でちょうど花が開くようにおのずから蕾が破れて花弁が外に向うのを云い、また外発的とは外からおっかぶさった他の力でやむをえず一種の形式を取るのを指したつもりなのです。もう一口説明しますと、西洋の開化は行雲流水のごとく自然に働いているが、御維新後外国と交渉をつけた以後の日本の開化は大分勝手が違います。もちろんどこの国だって隣づき合がある以上はその影響を受けるのがもちろんの事だから吾日本といえども昔からそう超然としてただ自分だけの活力で発展した訳ではない。ある時は三韓また或時は支那という風に大分外国の文化にかぶれた時代もあるでしょうが、長い月日を前後ぶっ通しに計算して大体の上から一瞥して見るとまあ比較的内発的の開化で進んで来たと云えましょう。少なくとも鎖港排外の空気で二百年も麻酔したあげく突然西洋文化の刺戟に跳ね上ったぐらい強烈な影響は有史以来まだ受けていなかったと云うのが適当でしょう。日本の開化はあの時から急劇に曲折し始めたのであります。また曲折しなければならないほどの衝動を受けたのであります。これを前の言葉で表現しますと、今まで内発的に展開して来たのが、急に自己本位の能力を失って外から無理押しに押されて否応なしにその云う通りにしなければ立ち行かないという有様になったのであります。それが一時ではない。四五十年前に一押し押されたなりじっと持ち応えているなんて楽な刺戟ではない。時々に押され刻々に押されて今日に至ったばかりでなく向後何年の間か、またはおそらく永久に今日のごとく押されて行かなければ日本が日本として存在できないのだから外発的というよりほかに仕方がない。その理由は無論明白な話で、前詳しく申上げた開化の定義に立戻って述べるならば、吾々が四五十年間始めてぶつかった、また今でも接触を避ける訳に行かないかの西洋の開化というものは我々よりも数十倍労力節約の機関を有する開化で、また我々よりも数十倍娯楽道楽の方面に積極的に活力を使用し得る方法を具備した開化である。粗末な説明ではあるが、つまり我々が内発的に展開して十の複雑の程度に開化を漕ぎつけた折も折、図らざる天の一方から急に二十三十の複雑の程度に進んだ開化が現われて俄然として我らに打ってかかったのである。この圧迫によって吾人はやむをえず不自然な発展を余儀なくされるのであるから、今の日本の開化は地道にのそりのそりと歩くのでなくって、やッと気合を懸けてはぴょいぴょいと飛んで行くのである。開化のあらゆる階段を順々に踏んで通る余裕をもたないから、できるだけ大きな針でぼつぼつ縫って過ぎるのである。足の地面に触れる所は十尺を通過するうちにわずか一尺ぐらいなもので、他の九尺は通らないのと一般である。私の外発的という意味はこれでほぼ御了解になったろうと思います。  そういう外発的の開化が心理的にどんな影響を吾人に与うるかと云うとちょっと変なものになります。心理学の講筵でもないのにむずかしい事を申上げるのもいかがと存じますが、必要の個所だけをごく簡易に述べて再び本題に戻るつもりでありますから、しばらく御辛抱を願います。我々の心は絶間なく動いている。あなた方は今私の講演を聴いておいでになる、私は今あなた方を前に置いて何か言っている、双方共にこういう自覚がある。それに御互の心は動いている。働いている。これを意識と云うのであります。この意識の一部分、時に積れば一分間ぐらいのところを絶間なく動いている大きな意識から切り取って調べてみるとやはり動いている。その動き方は別に私が発明した訳でも何でもない、ただ西洋の学者が書物に書いた通りをもっともと思うから紹介するだけでありますが、すべて一分間の意識にせよ三十秒間の意識にせよその内容が明暸に心に映ずる点から云えば、のべつ同程度の強さを有して時間の経過に頓着なくあたかも一つ所にこびりついたように固定したものではない。必ず動く。動くにつれて明かな点と暗い点ができる。その高低を線で示せば平たい直線では無理なので、やはり幾分か勾配のついた弧線すなわち弓形の曲線で示さなければならなくなる。こんなに説明するとかえって込み入ってむずかしくなるかも知れませんが、学者は分った事を分りにくく言うもので、素人は分らない事を分ったように呑込んだ顔をするものだから非難は五分五分である。今云った弧線とか曲線とかいう事をそっと砕いてお話をすると、物をちょっと見るのにも、見てこれが何であるかと云うことがハッキリ分るには或る時間を要するので、すなわち意識が下の方から一定の時間を経て頂点へ上って来てハッキリして、ああこれだなと思う時がくる。それをなお見つめていると今度は視覚が鈍くなって多少ぼんやりし始めるのだからいったん上の方へ向いた意識の方向がまた下を向いて暗くなりかける。これは実験して御覧になると分る。実験と云っても機械などは要らない。頭の中がそうなっているのだからただ試しさえすれば気がつくのです。本を読むにしてもAと云う言葉とBと云う言葉とそれからCという言葉が順々に並んでいればこの三つの言葉を順々に理解して行くのが当り前だからAが明かに頭に映る時はBはまだ意識に上らない。Bが意識の舞台に上り始める時にはもうAの方は薄ぼんやりしてだんだん識域の方に近づいてくる。BからCへ移るときはこれと同じ所作を繰返すに過ぎないのだから、いくら例を長くしても同じ事であります。これは極めて短時間の意識を学者が解剖して吾々に示したものでありますが、この解剖は個人の一分間の意識のみならず、一般社会の集合意識にも、それからまた一日一月もしくは一年|乃至十年の間の意識にも応用の利く解剖で、その特色は多人数になったって、長時間に亘ったって、いっこう変りはない事と私は信じているのであります。例えて見ればあなた方という多人数の団体が今ここで私の講演を聴いておいでになる。聴いていない方もあるかも知れないが、まア聴いているとする。そうするとその個人でない集合体のあなた方の意識の上には今私の講演の内容が明かに入る。と同時に、この講演に来る前あなた方が経験された事、すなわち途中で雨が降り出して着物が濡れたとか、また蒸し暑くて途中が難儀であったとかいう意識は講演の方が心を奪うにつれて、だんだん不明暸不確実になってくる。またこの講演が終って場外に出て涼しい風に吹かれでもすれば、ああ好い心持だという意識に心を専領されてしまって講演の方はピッタリ忘れてしまう。私から云えば全くありがたくない話だが事実だからやむをえないのである。私の講演を行住坐臥共に覚えていらっしゃいと言っても、心理作用に反した注文なら誰も承知する者はありません。これと同じようにあなた方と云うやはり一箇の団体の意識の内容を検して見るとたとえ一カ月に亘ろうが一年に亘ろうが一カ月には一カ月を括るべき炳乎たる意識があり、また一年には一年を纏めるに足る意識があって、それからそれへと順次に消長しているものと私は断定するのであります。吾々も過去を顧みて見ると中学時代とか大学時代とか皆特別の名のつく時代でその時代時代の意識が纏っております。日本人総体の集合意識は過去四五年前には日露戦争の意識だけになりきっておりました。その後日英同盟の意識で占領された時代もあります。かく推論の結果心理学者の解剖を拡張して集合の意識やまた長時間の意識の上に応用して考えてみますと、人間活力の発展の経路たる開化というものの動くラインもまた波動を描いて弧線を幾個も幾個も繋ぎ合せて進んで行くと云わなければなりません。無論描かれる波の数は無限無数で、その一波一波の長短も高低も千差万別でありましょうが、やはり甲の波が乙の波を呼出し、乙の波がまた丙の波を誘い出して順次に推移しなければならない。一言にして云えば開化の推移はどうしても内発的でなければ嘘だと申上げたいのであります。ちょっとした話が私は今ここで演説をしている。するとそれを御聞きになるあなたがたの方から云えば初めの十分間くらいは私が何を主眼に云うかよく分らない、二十分目ぐらいになってようやく筋道がついて、三十分目くらいにはようやく油がのって少しはちょっと面白くなり、四十分目にはまたぼんやりし出し、五十分目には退屈を催し、一時間目には欠伸が出る。とそう私の想像通り行くか行かないか分りませんが、もしそうだとするならば、私が無理にここで二時間も三時間もしゃべっては、あなた方の心理作用に反して我を張ると同じ事でけっして成功はできない。なぜかと云えばこの講演がその場合あなた方の自然に逆った外発的のものになるからであります。いくら咽喉を絞り声を嗄らして怒鳴ってみたってあなたがたはもう私の講演の要求の度を経過したのだからいけません。あなた方は講演よりも茶菓子が食いたくなったり酒が飲みたくなったり氷水が欲しくなったりする。その方が内発的なのだから自然の推移で無理のないところなのである。  これだけ説明しておいて現代日本の開化に後戻をしたらたいてい大丈夫でしょう。日本の開化は自然の波動を描いて甲の波が乙の波を生み乙の波が丙の波を押し出すように内発的に進んでいるかと云うのが当面の問題なのですが残念ながらそう行っていないので困るのです。行っていないと云うのは、先程も申した通り活力節約活力消耗の二大方面においてちょうど複雑の程度二十を有しておったところへ、俄然外部の圧迫で三十代まで飛びつかなければならなくなったのですから、あたかも天狗にさらわれた男のように無我夢中で飛びついて行くのです。その経路はほとんど自覚していないくらいのものです。元々開化が甲の波から乙の波へ移るのはすでに甲は飽いていたたまれないから内部欲求の必要上ずるりと新らしい一波を開展するので甲の波の好所も悪所も酸いも甘いも甞め尽した上にようやく一生面を開いたと云って宜しい。したがって従来経験し尽した甲の波には衣を脱いだ蛇と同様未練もなければ残り惜しい心持もしない。のみならず新たに移った乙の波に揉まれながら毫も借り着をして世間体を繕っているという感が起らない。ところが日本の現代の開化を支配している波は西洋の潮流でその波を渡る日本人は西洋人でないのだから、新らしい波が寄せるたびに自分がその中で食客をして気兼をしているような気持になる。新らしい波はとにかく、今しがたようやくの思で脱却した旧い波の特質やら真相やらも弁えるひまのないうちにもう棄てなければならなくなってしまった。食膳に向って皿の数を味い尽すどころか元来どんな御馳走が出たかハッキリと眼に映じない前にもう膳を引いて新らしいのを並べられたと同じ事であります。こういう開化の影響を受ける国民はどこかに空虚の感がなければなりません。またどこかに不満と不安の念を懐かなければなりません。それをあたかもこの開化が内発的ででもあるかのごとき顔をして得意でいる人のあるのは宜しくない。それはよほどハイカラです、宜しくない。虚偽でもある。軽薄でもある。自分はまだ煙草を喫っても碌に味さえ分らない子供の癖に、煙草を喫ってさも旨そうな風をしたら生意気でしょう。それをあえてしなければ立ち行かない日本人はずいぶん悲酸な国民と云わなければならない。開化の名は下せないかも知れないが、西洋人と日本人の社交を見てもちょっと気がつくでしょう。西洋人と交際をする以上、日本本位ではどうしても旨く行きません。交際しなくともよいと云えばそれまでであるが、情けないかな交際しなければいられないのが日本の現状でありましょう。しかして強いものと交際すれば、どうしても己を棄てて先方の習慣に従わなければならなくなる。我々があの人は肉刺の持ちようも知らないとか、小刀の持ちようも心得ないとか何とか云って、他を批評して得意なのは、つまりは何でもない、ただ西洋人が我々より強いからである。我々の方が強ければあっちこっちの真似をさせて主客の位地を易えるのは容易の事である。がそう行かないからこっちで先方の真似をする。しかも自然天然に発展してきた風俗を急に変える訳にいかぬから、ただ器械的に西洋の礼式などを覚えるよりほかに仕方がない。自然と内に醗酵して醸された礼式でないから取ってつけたようではなはだ見苦しい。これは開化じゃない、開化の一端とも云えないほどの些細な事であるが、そういう些細な事に至るまで、我々のやっている事は内発的でない、外発的である。これを一言にして云えば現代日本の開化は皮相|上滑りの開化であると云う事に帰着するのである。無論一から十まで何から何までとは言わない。複雑な問題に対してそう過激の言葉は慎まなければ悪いが我々の開化の一部分、あるいは大部分はいくら己惚れてみても上滑りと評するより致し方がない。しかしそれが悪いからお止しなさいと云うのではない。事実やむをえない、涙を呑んで上滑りに滑って行かなければならないと云うのです。  それでは子供が背に負われて大人といっしょに歩くような真似をやめて、じみちに発展の順序を尽して進む事はどうしてもできまいかという相談が出るかも知れない。そういう御相談が出れば私も無い事もないと御答をする。が西洋で百年かかってようやく今日に発展した開化を日本人が十年に年期をつづめて、しかも空虚の譏を免かれるように、誰が見ても内発的であると認めるような推移をやろうとすればこれまた由々しき結果に陥るのであります。百年の経験を十年で上滑りもせずやりとげようとするならば年限が十分一に縮まるだけわが活力は十倍に増さなければならんのは算術の初歩を心得たものさえ容易く首肯するところである。これは学問を例に御話をするのが一番早分りである。西洋の新らしい説などを生噛りにして法螺を吹くのは論外として、本当に自分が研究を積んで甲の説から乙の説に移りまた乙から丙に進んで、毫も流行を追うの陋態なく、またことさらに新奇を衒うの虚栄心なく、全く自然の順序階級を内発的に経て、しかも彼ら西洋人が百年もかかってようやく到着し得た分化の極端に、我々が維新後四五十年の教育の力で達したと仮定する。体力脳力共に吾らよりも旺盛な西洋人が百年の歳月を費したものを、いかに先駆の困難を勘定に入れないにしたところでわずかその半に足らぬ歳月で明々地に通過し了るとしたならば吾人はこの驚くべき知識の収穫を誇り得ると同時に、一敗また起つ能わざるの神経衰弱に罹って、気息奄々として今や路傍に呻吟しつつあるは必然の結果としてまさに起るべき現象でありましょう。現に少し落ちついて考えてみると、大学の教授を十年間一生懸命にやったら、たいていの者は神経衰弱に罹りがちじゃないでしょうか。ピンピンしているのは、皆|嘘の学者だと申しては語弊があるが、まあどちらかと云えば神経衰弱に罹る方が当り前のように思われます。学者を例に引いたのは単に分りやすいためで、理窟は開化のどの方面へも応用ができるつもりです。  すでに開化と云うものがいかに進歩しても、案外その開化の賜として吾々の受くる安心の度は微弱なもので、競争その他からいらいらしなければならない心配を勘定に入れると、吾人の幸福は野蛮時代とそう変りはなさそうである事は前御話しした通りである上に、今言った現代日本が置かれたる特殊の状況に因って吾々の開化が機械的に変化を余儀なくされるためにただ上皮を滑って行き、また滑るまいと思って踏張るために神経衰弱になるとすれば、どうも日本人は気の毒と言わんか憐れと言わんか、誠に言語道断の窮状に陥ったものであります。私の結論はそれだけに過ぎない。ああなさいとか、こうしなければならぬとか云うのではない。どうすることもできない、実に困ったと嘆息するだけで極めて悲観的の結論であります。こんな結論にはかえって到着しない方が幸であったのでしょう。真と云うものは、知らないうちは知りたいけれども、知ってからはかえってアア知らない方がよかったと思う事が時々あります。モーパサンの小説に、或男が内縁の妻に厭気がさしたところから、置手紙か何かして、妻を置き去りにしたまま友人の家へ行って隠れていたという話があります。すると女の方では大変怒ってとうとう男の所在を捜し当てて怒鳴り込みましたので男は手切金を出して手を切る談判を始めると、女はその金を床の上に叩きつけて、こんなものが欲しいので来たのではない、もし本当にあなたが私を捨てる気ならば私は死んでしまう、そこにある窓から飛下りて死んでしまうと言った。男は平気な顔を装ってどうぞと云わぬばかりに女を窓の方へ誘う所作をした。すると女はいきなり馳けて行って窓から飛下りた。死にはしなかったが生れもつかぬ不具になってしまいました。男もこれほど女の赤心が眼の前へ証拠立てられる以上、普通の軽薄な売女同様の観をなして、女の貞節を今まで疑っていたのを後悔したものと見えて、再びもとの夫婦に立ち帰って、病妻の看護に身を委ねたというのがモーパサンの小説の筋ですが、男の疑も好い加減な程度で留めておけばこれほどの大事には至らなかったかも知れないが、そうすれば彼の懐疑は一生徹底的に解ける日は来なかったでしょう。またここまで押してみれば女の真心が明かになるにはなるが、取返しのつかない残酷な結果に陥った後から回顧して見れば、やはり真実|懸価のない実相は分らなくても好いから、女を片輪にさせずにおきたかったでありましょう。日本の現代開化の真相もこの話と同様で、分らないうちこそ研究もして見たいが、こう露骨にその性質が分って見るとかえって分らない昔の方が幸福であるという気にもなります。とにかく私の解剖した事が本当のところだとすれば我々は日本の将来というものについてどうしても悲観したくなるのであります。外国人に対して乃公の国には富士山があるというような馬鹿は今日はあまり云わないようだが、戦争以後一等国になったんだという高慢な声は随所に聞くようである。なかなか気楽な見方をすればできるものだと思います。ではどうしてこの急場を切り抜けるかと質問されても、前申した通り私には名案も何もない。ただできるだけ神経衰弱に罹らない程度において、内発的に変化して行くが好かろうというような体裁の好いことを言うよりほかに仕方がない。苦い真実を臆面なく諸君の前にさらけ出して、幸福な諸君にたとい一時間たりとも不快の念を与えたのは重々|御詫を申し上げますが、また私の述べ来ったところもまた相当の論拠と応分の思索の結果から出た生真面目の意見であるという点にも御同情になって悪いところは大目に見ていただきたいのであります。      友達         一  梅田の停車場を下りるや否や自分は母からいいつけられた通り、すぐ俥を雇って岡田の家に馳けさせた。岡田は母方の遠縁に当る男であった。自分は彼がはたして母の何に当るかを知らずにただ疎い親類とばかり覚えていた。  大阪へ下りるとすぐ彼を訪うたのには理由があった。自分はここへ来る一週間前ある友達と約束をして、今から十日以内に阪地で落ち合おう、そうしていっしょに高野登りをやろう、もし時日が許すなら、伊勢から名古屋へ廻ろう、と取りきめた時、どっちも指定すべき場所をもたないので、自分はつい岡田の氏名と住所を自分の友達に告げたのである。 「じゃ大阪へ着き次第、そこへ電話をかければ君のいるかいないかは、すぐ分るんだね」と友達は別れるとき念を押した。岡田が電話をもっているかどうか、そこは自分にもはなはだ危しかったので、もし電話がなかったら、電信でも郵便でも好いから、すぐ出してくれるように頼んでおいた。友達は甲州線で諏訪まで行って、それから引返して木曾を通った後、大阪へ出る計画であった。自分は東海道を一息に京都まで来て、そこで四五日|用足かたがた逗留してから、同じ大阪の地を踏む考えであった。  予定の時日を京都で費した自分は、友達の消息を一刻も早く耳にするため停車場を出ると共に、岡田の家を尋ねなければならなかったのである。けれどもそれはただ自分の便宜になるだけの、いわば私の都合に過ぎないので、先刻云った母のいいつけとはまるで別物であった。母が自分に向って、あちらへ行ったら何より先に岡田を尋ねるようにと、わざわざ荷になるほど大きい鑵入の菓子を、御土産だよと断って、鞄の中へ入れてくれたのは、昔気質の律儀からではあるが、その奥にもう一つ実際的の用件を控えているからであった。  自分は母と岡田が彼らの系統上どんな幹の先へ岐れて出た、どんな枝となって、互に関係しているか知らないくらいな人間である。母から依託された用向についても大した期待も興味もなかった。けれども久しぶりに岡田という人物――落ちついて四角な顔をしている、いくら髭を欲しがっても髭の容易に生えない、しかも頭の方がそろそろ薄くなって来そうな、――岡田という人物に会う方の好奇心は多少動いた。岡田は今までに所用で時々出京した。ところが自分はいつもかけ違って会う事ができなかった。したがって強く酒精に染められた彼の四角な顔も見る機会を奪われていた。自分は俥の上で指を折って勘定して見た。岡田がいなくなったのは、ついこの間のようでも、もう五六年になる。彼の気にしていた頭も、この頃ではだいぶ危険に逼っているだろうと思って、その地の透いて見えるところを想像したりなどした。  岡田の髪の毛は想像した通り薄くなっていたが、住居は思ったよりもさっぱりした新しい普請であった。 「どうも上方流で余計な所に高塀なんか築き上て、陰気で困っちまいます。そのかわり二階はあります。ちょっと上って御覧なさい」と彼は云った。自分は何より先に友達の事が気になるので、こうこういう人からまだ何とも通知は来ないかと聞いた。岡田は不思議そうな顔をして、いいえと答えた。         二  自分は岡田に連れられて二階へ上って見た。当人が自慢するほどあって眺望はかなり好かったが、縁側のない座敷の窓へ日が遠慮なく照り返すので、暑さは一通りではなかった。床の間にかけてある軸物も反っくり返っていた。 「なに日が射すためじゃない。年が年中かけ通しだから、糊の具合でああなるんです」と岡田は真面目に弁解した。 「なるほど梅に鶯だ」と自分も云いたくなった。彼は世帯を持つ時の用意に、この幅を自分の父から貰って、大得意で自分の室へ持って来て見せたのである。その時自分は「岡田君この呉春は偽物だよ。それだからあの親父が君にくれたんだ」と云って調戯半分岡田を怒らした事を覚えていた。  二人は懸物を見て、当時を思い出しながら子供らしく笑った。岡田はいつまでも窓に腰をかけて話を続ける風に見えた。自分も襯衣に洋袴だけになってそこに寝転びながら相手になった。そうして彼から天下茶屋の形勢だの、将来の発展だの、電車の便利だのを聞かされた。自分は自分にそれほど興味のない問題を、ただ素直にはいはいと聴いていたが、電車の通じる所へわざわざ俥へ乗って来た事だけは、馬鹿らしいと思った。二人はまた二階を下りた。  やがて細君が帰って来た。細君はお兼さんと云って、器量はそれほどでもないが、色の白い、皮膚の滑らかな、遠見の大変好い女であった。父が勤めていたある官省の属官の娘で、その頃は時々勝手口から頼まれものの仕立物などを持って出入をしていた。岡田はまたその時分自分の家の食客をして、勝手口に近い書生部屋で、勉強もし昼寝もし、時には焼芋なども食った。彼らはかようにして互に顔を知り合ったのである。が、顔を知り合ってから、結婚が成立するまでに、どんな径路を通って来たか自分はよく知らない。岡田は母の遠縁に当る男だけれども、自分の宅では書生同様にしていたから、下女達は自分や自分の兄には遠慮して云い兼ねる事までも、岡田に対してはつけつけと云って退けた。「岡田さんお兼さんがよろしく」などという言葉は、自分も時々耳にした。けれども岡田はいっこう気にもとめない様子だったから、おおかたただの徒事だろうと思っていた。すると岡田は高商を卒業して一人で大阪のある保険会社へ行ってしまった。地位は自分の父が周旋したのだそうである。それから一年ほどして彼はまた飄然として上京した。そうして今度はお兼さんの手を引いて大阪へ下って行った。これも自分の父と母が口を利いて、話を纏めてやったのだそうである。自分はその時富士へ登って甲州路を歩く考えで家にはいなかったが、後でその話を聞いてちょっと驚いた。勘定して見ると、自分が御殿場で下りた汽車と擦れ違って、岡田は新しい細君を迎えるために入京したのである。  お兼さんは格子の前で畳んだ洋傘を、小さい包と一緒に、脇の下に抱えながら玄関から勝手の方に通り抜ける時、ちょっときまりの悪そうな顔をした。その顔は日盛の中を歩いた火気のため、汗を帯びて赤くなっていた。 「おい御客さまだよ」と岡田が遠慮のない大きな声を出した時、お兼さんは「ただいま」と奥の方で優しく答えた。自分はこの声の持主に、かつて着た久留米絣やフランネルの襦袢を縫って貰った事もあるのだなとふと懐かしい記憶を喚起した。         三  お兼さんの態度は明瞭で落ちついて、どこにも下卑た家庭に育ったという面影は見えなかった。「二三日前からもうおいでだろうと思って、心待に御待申しておりました」などと云って、眼の縁に愛嬌を漂よわせるところなどは、自分の妹よりも品の良いばかりでなく、様子も幾分か立優って見えた。自分はしばらくお兼さんと話しているうちに、これなら岡田がわざわざ東京まで出て来て連れて行ってもしかるべきだという気になった。  この若い細君がまだ娘盛の五六年|前に、自分はすでにその声も眼鼻立も知っていたのではあるが、それほど親しく言葉を換わす機会もなかったので、こうして岡田夫人として改まって会って見ると、そう馴々しい応対もできなかった。それで自分は自分と同階級に属する未知の女に対するごとく、畏まった言語をぽつぽつ使った。岡田はそれがおかしいのか、または嬉しいのか、時々自分の顔を見て笑った。それだけなら構わないが、折節はお兼さんの顔を見て笑った。けれどもお兼さんは澄ましていた。お兼さんがちょっと用があって奥へ立った時、岡田はわざと低い声をして、自分の膝を突っつきながら、「なぜあいつに対して、そう改まってるんです。元から知ってる間柄じゃありませんか」と冷笑すような句調で云った。 「好い奥さんになったね。あれなら僕が貰やよかった」 「冗談いっちゃいけない」と云って岡田は一層大きな声を出して笑った。やがて少し真面目になって、「だってあなたはあいつの悪口をお母さんに云ったっていうじゃありませんか」と聞いた。 「なんて」 「岡田も気の毒だ、あんなものを大阪|下りまで引っ張って行くなんて。もう少し待っていればおれが相当なのを見つけてやるのにって」 「そりゃ君昔の事ですよ」  こうは答えたようなものの、自分は少し恐縮した。かつちょっと狼狽した。そうして先刻岡田が変な眼遣をして、時々細君の方を見た意味をようやく理解した。 「あの時は僕も母から大変叱られてね。おまえのような書生に何が解るものか。岡田さんの事はお父さんと私とで当人|達に都合の好いようにしたんだから、余計な口を利かずに黙って見ておいでなさいって。どうも手痛くやられました」  自分は母から叱られたという事実が、自分の弁解にでもなるような語気で、その時の様子を多少誇張して述べた。岡田はますます笑った。  それでもお兼さんがまた座敷へ顔を出した時、自分は多少きまりの悪い思をしなければならなかった。人の悪い岡田はわざわざ細君に、「今|二郎さんがおまえの事を大変|賞めて下すったぜ。よく御礼を申し上げるが好い」と云った。お兼さんは「あなたがあんまり悪口をおっしゃるからでしょう」と夫に答えて、眼では自分の方を見て微笑した。  夕飯前に浴衣がけで、岡田と二人岡の上を散歩した。まばらに建てられた家屋や、それを取り巻く垣根が東京の山の手を通り越した郊外を思い出させた。自分は突然大阪で会合しようと約束した友達の消息が気になり出した。自分はいきなり岡田に向って、「君の所にゃ電話はないんでしょうね」と聞いた。「あの構で電話があるように見えますかね」と答えた岡田の顔には、ただ機嫌の好い浮き浮きした調子ばかり見えた。         四  それは夕方の比較的長く続く夏の日の事であった。二人の歩いている岡の上はことさら明るく見えた。けれども、遠くにある立樹の色が空に包まれてだんだん黒ずんで行くにつれて、空の色も時を移さず変って行った。自分は名残の光で岡田の顔を見た。 「君東京にいた時よりよほど快豁になったようですね。血色も大変好い。結構だ」  岡田は「ええまあお蔭さまで」と云ったような瞹眛な挨拶をしたが、その挨拶のうちには一種|嬉しそうな調子もあった。  もう晩飯の用意もできたから帰ろうじゃないかと云って、二人|帰路についた時、自分は突然岡田に、「君とお兼さんとは大変仲が好いようですね」といった。自分は真面目なつもりだったけれども、岡田にはそれが冷笑のように聞えたと見えて、彼はただ笑うだけで何の答えもしなかった。けれども別に否みもしなかった。  しばらくしてから彼は今までの快豁な調子を急に失った。そうして何か秘密でも打ち明けるような具合に声を落した。それでいて、あたかも独言をいう時のように足元を見つめながら、「これであいつといっしょになってから、かれこれもう五六年近くになるんだが、どうも子供ができないんでね、どういうものか。それが気がかりで……」と云った。  自分は何とも答えなかった。自分は子供を生ますために女房を貰う人は、天下に一人もあるはずがないと、かねてから思っていた。しかし女房を貰ってから後で、子供が欲しくなるものかどうか、そこになると自分にも判断がつかなかった。 「結婚すると子供が欲しくなるものですかね」と聞いて見た。 「なに子供が可愛いかどうかまだ僕にも分りませんが、何しろ妻たるものが子供を生まなくっちゃ、まるで一人前の資格がないような気がして……」  岡田は単にわが女房を世間並にするために子供を欲するのであった。結婚はしたいが子供ができるのが怖いから、まあもう少し先へ延そうという苦しい世の中ですよと自分は彼に云ってやりたかった。すると岡田が「それに二人ぎりじゃ淋しくってね」とまたつけ加えた。 「二人ぎりだから仲が好いんでしょう」 「子供ができると夫婦の愛は減るもんでしょうか」  岡田と自分は実際二人の経験以外にあることをさも心得たように話し合った。  宅では食卓の上に刺身だの吸物だのが綺麗に並んで二人を待っていた。お兼さんは薄化粧をして二人のお酌をした。時々は団扇を持って自分を扇いでくれた。自分はその風が横顔に当るたびに、お兼さんの白粉の匂を微かに感じた。そうしてそれが麦酒や山葵の香よりも人間らしい好い匂のように思われた。 「岡田君はいつもこうやって晩酌をやるんですか」と自分はお兼さんに聞いた。お兼さんは微笑しながら、「どうも後引上戸で困ります」と答えてわざと夫の方を見やった。夫は、「なに後が引けるほど飲ませやしないやね」と云って、傍にある団扇を取って、急に胸のあたりをはたはたいわせた。自分はまた急にこっちで会うべきはずの友達の事に思い及んだ。 「奥さん、三沢という男から僕に宛てて、郵便か電報か何か来ませんでしたか。今散歩に出た後で」 「来やしないよ。大丈夫だよ、君。僕の妻はそう云う事はちゃんと心得てるんだから。ねえお兼。――好いじゃありませんか、三沢の一人や二人来たって来なくたって。二郎さん、そんなに僕の宅が気に入らないんですか。第一あなたはあの一件からして片づけてしまわなくっちゃならない義務があるでしょう」  岡田はこう云って、自分の洋盃へ麦酒をゴボゴボと注いだ。もうよほど酔っていた。         五  その晩はとうとう岡田の家へ泊った。六畳の二階で一人寝かされた自分は、蚊帳の中の暑苦しさに堪えかねて、なるべく夫婦に知れないように、そっと雨戸を開け放った。窓際を枕に寝ていたので、空は蚊帳越にも見えた。試に赤い裾から、頭だけ出して眺めると星がきらきらと光った。自分はこんな事をする間にも、下にいる岡田夫婦の今昔は忘れなかった。結婚してからああ親しくできたらさぞ幸福だろうと羨ましい気もした。三沢から何の音信のないのも気がかりであった。しかしこうして幸福な家庭の客となって、彼の消息を待つために四五日ぐずぐずしているのも悪くはないと考えた。一番どうでも好かったのは岡田のいわゆる「例の一件」であった。  翌日眼が覚めると、窓の下の狭苦しい庭で、岡田の声がした。 「おいお兼とうとう絞りのが咲き出したぜ。ちょいと来て御覧」  自分は時計を見て、腹這になった。そうして燐寸を擦って敷島へ火を点けながら、暗にお兼さんの返事を待ち構えた。けれどもお兼さんの声はまるで聞えなかった。岡田は「おい」「おいお兼」をまた二三度繰返した。やがて、「せわしない方ね、あなたは。今朝顔どころじゃないわ、台所が忙しくって」という言葉が手に取るように聞こえた。お兼さんは勝手から出て来て座敷の縁側に立っているらしい。 「それでも綺麗ね。咲いて見ると。――金魚はどうして」 「金魚は泳いでいるがね。どうもこのほうはむずかしいらしい」  自分はお兼さんが、死にかかった金魚の運命について、何かセンチメンタルな事でもいうかと思って、煙草を吹かしながら聴いていた。けれどもいくら待っていても、お兼さんは何とも云わなかった。岡田の声も聞こえなかった。自分は煙草を捨てて立ち上った。そうしてかなり急な階子段を一段ずつ音を立てて下へ降りて行った。  三人で飯を済ました後、岡田は会社へ出勤しなければならないので、緩り案内をする時間がないのを残念がった。自分はここへ来る前から、そんな事を全く予期していなかったと云って、白い詰襟姿の彼を坐ったまま眺めていた。 「お兼、お前暇があるなら二郎さんを案内して上げるが好い」と岡田は急に思いついたような顔つきで云った。お兼さんはいつもの様子に似ず、この時だけは夫にも自分にも何とも答えなかった。自分はすぐ、「なに構わない。君といっしょに君の会社のある方角まで行って、そこいらを逍遥いて見よう」と云いながら立った。お兼さんは玄関で自分の洋傘を取って、自分に手渡ししてくれた。それからただ一口「お早く」と云った。  自分は二度電車に乗せられて、二度下ろされた。そうして岡田の通っている石造の会社の周囲を好い加減に歩き廻った。同じ流れか、違う流れか、水の面が二三度目に入った。そのうち暑さに堪えられなくなって、また好い加減に岡田の家へ帰って来た。  二階へ上って、――自分は昨夜からこの六畳の二階を、自分の室と心得るようになった。――休息していると、下から階子段を踏む音がして、お兼さんが上って来た。自分は驚いて脱いだ肌を入れた。昨日|廂に束ねてあったお兼さんの髪は、いつの間にか大きな丸髷に変っていた。そうして桃色の手絡が髷の間から覗いていた。         六  お兼さんは黒い盆の上に載せた平野水と洋盃を自分の前に置いて、「いかがでございますか」と聞いた。自分は「ありがとう」と答えて、盆を引き寄せようとした。お兼さんは「いえ私が」と云って急に罎を取り上げた。自分はこの時黙ってお兼さんの白い手ばかり見ていた。その手には昨夕気がつかなかった指環が一つ光っていた。  自分が洋盃を取上げて咽喉を潤した時、お兼さんは帯の間から一枚の葉書を取り出した。 「先ほどお出かけになった後で」と云いかけて、にやにや笑っている。自分はその表面に三沢の二字を認めた。 「とうとう参りましたね。御待かねの……」  自分は微笑しながら、すぐ裏を返して見た。 「一両日|後れるかも知れぬ」  葉書に大きく書いた文字はただこれだけであった。 「まるで電報のようでございますね」 「それであなた笑ってたんですか」 「そう云う訳でもございませんけれども、何だかあんまり……」  お兼さんはそこで黙ってしまった。自分はお兼さんをもっと笑わせたかった。 「あんまり、どうしました」 「あんまりもったいないようですから」  お兼さんのお父さんというのは大変|緻密な人で、お兼さんの所へ手紙を寄こすにも、たいていは葉書で用を弁じている代りに蠅の頭のような字を十五行も並べて来るという話しを、お兼さんは面白そうにした。自分は三沢の事を全く忘れて、ただ前にいるお兼さんを的に、さまざまの事を尋ねたり聞いたりした。 「奥さん、子供が欲しかありませんか。こうやって、一人で留守をしていると退屈するでしょう」 「そうでもございませんわ。私兄弟の多い家に生れて大変苦労して育ったせいか、子供ほど親を意地見るものはないと思っておりますから」 「だって一人や二人はいいでしょう。岡田君は子供がないと淋しくっていけないって云ってましたよ」  お兼さんは何にも答えずに窓の外の方を眺めていた。顔を元へ戻しても、自分を見ずに、畳の上にある平野水の罎を見ていた。自分は何にも気がつかなかった。それでまた「奥さんはなぜ子供ができないんでしょう」と聞いた。するとお兼さんは急に赤い顔をした。自分はただ心やすだてで云ったことが、はなはだ面白くない結果を引き起したのを後悔した。けれどもどうする訳にも行かなかった。その時はただお兼さんに気の毒をしたという心だけで、お兼さんの赤くなった意味を知ろうなどとは夢にも思わなかった。  自分はこの居苦しくまた立苦しくなったように見える若い細君を、どうともして救わなければならなかった。それには是非共話頭を転ずる必要があった。自分はかねてからさほど重きを置いていなかった岡田のいわゆる「例の一件」をとうとう持ち出した。お兼さんはすぐ元の態度を回復した。けれども夫に責任の過半を譲るつもりか、けっして多くを語らなかった。自分もそう根掘り葉掘り聞きもしなかった。         七 「例の一件」が本式に岡田の口から持ち出されたのはその晩の事であった。自分は露に近い縁側を好んでそこに座を占めていた。岡田はそれまでお兼さんと向き合って座敷の中に坐っていたが、話が始まるや否や、すぐ立って縁側へ出て来た。 「どうも遠くじゃ話がし悪くっていけない」と云いながら、模様のついた座蒲団を自分の前に置いた。お兼さんだけは依然として元の席を動かなかった。 「二郎さん写真は見たでしょう、この間僕が送った」  写真の主というのは、岡田と同じ会社へ出る若い人であった。この写真が来た時|家のものが代りばんこに見て、さまざまの批評を加えたのを、岡田は知らないのである。 「ええちょっと見ました」 「どうです評判は」 「少し御凸額だって云ったものもあります」  お兼さんは笑い出した。自分もおかしくなった。と云うのは、その男の写真を見て、お凸額だと云い始めたものは、実のところ自分だからである。 「お重さんでしょう、そんな悪口をいうのは。あの人の口にかかっちゃ、たいていのものは敵わないからね」  岡田は自分の妹のお重を大変口の悪い女だと思っている。それも彼がお重から、あなたの顔は将棋の駒見たいよと云われてからの事である。 「お重さんに何と云われたって構わないが肝心の当人はどうなんです」  自分は東京を立つとき、母から、貞には無論異存これなくという返事を岡田の方へ出しておいたという事を確めて来たのである。だから、当人は母から上げた返事の通りだと答えた。岡田夫婦はまた佐野という婿になるべき人の性質や品行や将来の望みや、その他いろいろの条項について一々自分に話して聞かせた。最後に当人がこの縁談の成立を切望している例などを挙げた。  お貞さんは器量から云っても教育から云っても、これという特色のない女である。ただ自分の家の厄介ものという名があるだけである。 「先方があまり乗気になって何だか剣呑だから、あっちへ行ったらよく様子を見て来ておくれ」  自分は母からこう頼まれたのである。自分はお貞さんの運命について、それほど多くの興味はもち得なかったけれども、なるほどそう望まれるのは、お貞さんのために結構なようでまた危険な事だろうとも考えていた。それで今まで黙って岡田夫婦の云う事を聞いていた自分は、ふと口を滑らした。―― 「どうしてお貞さんが、そんなに気に入ったものかな。まだ会った事もないのに」 「佐野さんはああいうしっかりした方だから、やっぱり辛抱人を御貰いになる御考えなんですよ」  お兼さんは岡田の方を向いて、佐野の態度をこう弁解した。岡田はすぐ、「そうさ」と答えた。そうしてそのほかには何も考えていないらしかった。自分はとにかくその佐野という人に明日会おうという約束を岡田として、また六畳の二階に上った。頭を枕に着けながら、自分の結婚する場合にも事がこう簡単に運ぶのだろうかと考えると、少し恐ろしい気がした。         八  翌日岡田は会社を午で切上げて帰って来た。洋服を投出すが早いか勝手へ行って水浴をして「さあ行こう」と云い出した。  お兼さんはいつの間にか箪笥の抽出を開けて、岡田の着物を取り出した。自分は岡田が何を着るか、さほど気にも留めなかったが、お兼さんの着せ具合や、帯の取ってやり具合には、知らず知らず注意を払っていたものと見えて、「二郎さんあなた仕度は好いんですか」と聞かれた時、はっと気がついて立ち上った。 「今日はお前も行くんだよ」と岡田はお兼さんに云った。「だって……」とお兼さんは絽の羽織を両手で持ちながら、夫の顔を見上げた。自分は梯子段の中途で、「奥さんいらっしゃい」と云った。  洋服を着て下へ降りて見ると、お兼さんはいつの間にかもう着物も帯も取り換えていた。 「早いですね」 「ええ早変り」 「あんまり変り栄もしない服装だね」と岡田が云った。 「これでたくさんよあんな所へ行くのに」とお兼さんが答えた。  三人は暑を冒して岡を下った。そうして停車場からすぐ電車に乗った。自分は向側に並んで腰をかけた岡田とお兼さんを時々見た。その間には三沢の突飛な葉書を思い出したりした。全体あれはどこで出したものなんだろうと考えても見た。これから会いに行く佐野という男の事も、ちょいちょい頭に浮んだ。しかしそのたんびに「物好」という言葉がどうしてもいっしょに出て来た。  岡田は突然体を前に曲げて、「どうです」と聞いた。自分はただ「結構です」と答えた。岡田は元のように腰から上を真直にして、何かお兼さんに云った。その顔には得意の色が見えた。すると今度はお兼さんが顔を前へ出して「御気に入ったら、あなたも大阪へいらっしゃいませんか」と云った。自分は覚えず「ありがとう」と答えた。さっきどうですと突然聞いた岡田の意味は、この時ようやく解った。  三人は浜寺で降りた。この地方の様子を知らない自分は、大な松と砂の間を歩いてさすがに好い所だと思った。しかし岡田はここでは「どうです」を繰返さなかった。お兼さんも洋傘を開いたままさっさと行った。 「もう来ているだろうか」 「そうね。ことに因るともう来て待っていらっしゃるかも知れないわ」  自分は二人の後に跟いて、こんな会話を聴きながら、すばらしく大きな料理屋の玄関の前に立った。自分は何よりもまずその大きいのに驚かされたが、上って案内をされた時、さらにその道中の長いのに吃驚した。三人は段々を下りて細い廊下を通った。 「隧道ですよ」  お兼さんがこういって自分に教えてくれたとき、自分はそれが冗談で、本当に地面の下ではないのだと思った。それでただ笑って薄暗いところを通り抜けた。  座敷では佐野が一人|敷居際に洋服の片膝を立てて、煙草を吹かしながら海の方を見ていた。自分達の足音を聞いた彼はすぐこっちを向いた。その時彼の額の下に、金縁の眼鏡が光った。部屋へ這入るとき第一に彼と顔を見合せたのは実に自分だったのである。         九  佐野は写真で見たよりも一層|御凸額であった。けれども額の広いところへ、夏だから髪を短く刈っているので、ことにそう見えたのかも知れない。初対面の挨拶をするとき、彼は「何分よろしく」と云って頭を丁寧に下げた。この普通一般の挨拶ぶりが、場合が場合なので、自分には一種変に聞こえた。自分の胸は今までさほど責任を感じていなかったところへ急に重苦しい束縛ができた。  四人は膳に向いながら話をした。お兼さんは佐野とはだいぶ心やすい間柄と見えて、時々向側から調戯ったりした。 「佐野さん、あなたの写真の評判が東京で大変なんですって」 「どう大変なんです。――おおかた好い方へ大変なんでしょうね」 「そりゃもちろんよ。嘘だと覚し召すならお隣りにいらっしゃる方に伺って御覧になれば解るわ」  佐野は笑いながらすぐ自分の方を見た。自分はちょっと何とか云わなければ跋が悪かった。それで真面目な顔をして、「どうも写真は大阪の方が東京より発達しているようですね」と云った。すると岡田が「浄瑠璃じゃあるまいし」と交返した。  岡田は自分の母の遠縁に当る男だけれども、長く自分の宅の食客をしていたせいか、昔から自分や自分の兄に対しては一段低い物の云い方をする習慣をもっていた。久しぶりに会った昨日一昨日などはことにそうであった。ところがこうして佐野が一人新しく席に加わって見ると、友達の手前体裁が悪いという訳だか何だか、自分に対する口の利き方が急に対等になった。ある時は対等以上に横風になった。  四人のいる座敷の向には、同じ家のだけれども棟の違う高い二階が見えた。障子を取り払ったその広間の中を見上げると、角帯を締めた若い人達が大勢いて、そのうちの一人が手拭を肩へかけて踊かなにか躍っていた。「御店ものの懇親会というところだろう」と評し合っているうちに、十六七の小僧が手摺の所へ出て来て、汚ないものを容赦なく廂の上へ吐いた。すると同じくらいな年輩の小僧がまた一人|煙草を吹かしながら出て来て、こらしっかりしろ、おれがついているから、何にも怖がるには及ばない、という意味を純粋の大阪弁でやり出した。今まで苦々しい顔をして手摺の方を見ていた四人はとうとう吹き出してしまった。 「どっちも酔ってるんだよ。小僧の癖に」と岡田が云った。 「あなたみたいね」とお兼さんが評した。 「どっちがです」と佐野が聞いた。 「両方ともよ。吐いたり管を捲いたり」とお兼さんが答えた。  岡田はむしろ愉快な顔をしていた。自分は黙っていた。佐野は独り高笑をした。  四人はまだ日の高い四時頃にそこを出て帰路についた。途中で分れるとき佐野は「いずれそのうちまた」と帽を取って挨拶した。三人はプラットフォームから外へ出た。 「どうです、二郎さん」と岡田はすぐ自分の方を見た。 「好さそうですね」  自分はこうよりほかに答える言葉を知らなかった。それでいて、こう答えた後ははなはだ無責任なような気がしてならなかった。同時にこの無責任を余儀なくされるのが、結婚に関係する多くの人の経験なんだろうとも考えた。         十  自分は三沢の消息を待って、なお二三日岡田の厄介になった。実をいうと彼らは自分のよそに行って宿を取る事を許さなかったのである。自分はその間できるだけ一人で大阪を見て歩いた。すると町幅の狭いせいか、人間の運動が東京よりも溌溂と自分の眼を射るように思われたり、家並が締りのない東京より整って好ましいように見えたり、河が幾筋もあってその河には静かな水が豊かに流れていたり、眼先の変った興味が日に一つ二つは必ずあった。  佐野には浜寺でいっしょに飯を食った次の晩また会った。今度は彼の方から浴衣がけで岡田を尋ねて来た。自分はその時もかれこれ二時間余り彼と話した。けれどもそれはただ前日の催しを岡田の家で小規模に繰返したに過ぎなかったので、新しい印象と云っては格別頭に残りようがなかった。だから本当をいうとただ世間並の人というほかに、自分は彼について何も解らなかった。けれどもまた母や岡田に対する義務としては、何も解らないで澄ましている訳にも行かなかった。自分はこの二三日の間に、とうとう東京の母へ向けて佐野と会見を結了した旨の報告を書いた。  仕方がないから「佐野さんはあの写真によく似ている」と書いた。「酒は呑むが、呑んでも赤くならない」と書いた。「御父さんのように謡をうたう代りに義太夫を勉強しているそうだ」と書いた。最後に岡田夫婦と仲の好さそうな様子を述べて、「あれほど仲の好い岡田さん夫婦の周旋だから間違はないでしょう」と書いた。一番しまいに、「要するに、佐野さんは多数の妻帯者と変ったところも何もないようです。お貞さんも普通の細君になる資格はあるんだから、承諾したら好いじゃありませんか」と書いた。  自分はこの手紙を封じる時、ようやく義務が済んだような気がした。しかしこの手紙一つでお貞さんの運命が永久に決せられるのかと思うと、多少自分のおっちょこちょいに恥入るところもあった。そこで自分はこの手紙を封筒へ入たまま、岡田の所へ持って行った。岡田はすうと眼を通しただけで、「結構」と答えた。お兼さんは、てんで巻紙に手を触れなかった。自分は二人の前に坐って、双方を見較べた。 「これで好いでしょうかね。これさえ出してしまえば、宅の方はきまるんです。したがって佐野さんもちょっと動けなくなるんですが」 「結構です。それが僕らの最も希望するところです」と岡田は開き直っていった。お兼さんは同じ意味を女の言葉で繰り返した。二人からこう事もなげに云われた自分は、それで安心するよりもかえって心元なくなった。 「何がそんなに気になるんです」と岡田が微笑しながら煙草の煙を吹いた。「この事件について一番冷淡だったのは君じゃありませんか」 「冷淡にゃ違ないが、あんまりお手軽過ぎて、少し双方に対して申訳がないようだから」 「お手軽どころじゃございません、それだけ長い手紙を書いていただけば。それでお母さまが御満足なさる、こちらは初からきまっている。これほどおめでたい事はないじゃございませんか、ねえあなた」  お兼さんはこういって、岡田の方を見た。岡田はそうともと云わぬばかりの顔をした。自分は理窟をいうのが厭になって、二人の目の前で、三銭切手を手紙に貼った。         十一  自分はこの手紙を出しっきりにして大阪を立退きたかった。岡田も母の返事の来るまで自分にいて貰う必要もなかろうと云った。 「けれどもまあ緩くりなさい」  これが彼のしばしば繰り返す言葉であった。夫婦の好意は自分によく解っていた。同時に彼らの迷惑もまたよく想像された。夫婦ものに自分のような横着な泊り客は、こっちにも多少の窮屈は免かれなかった。自分は電報のように簡単な端書を書いたぎり何の音沙汰もない三沢が悪らしくなった。もし明日中に何とか音信がなければ、一人で高野登りをやろうと決心した。 「じゃ明日は佐野を誘って宝塚へでも行きましょう」と岡田が云い出した。自分は岡田が自分のために時間の差繰をしてくれるのが苦になった。もっと皮肉を云えば、そんな温泉場へ行って、飲んだり食ったりするのが、お兼さんにすまないような気がした。お兼さんはちょっと見ると、派出好の女らしいが、それはむしろ色白な顔立や様子がそう思わせるので、性質からいうと普通の東京ものよりずっと地味であった。外へ出る夫の懐中にすら、ある程度の束縛を加えるくらい締っているんじゃないかと思われた。 「御酒を召上らない方は一生のお得ですね」  自分の杯に親しまないのを知ったお兼さんは、ある時こういう述懐を、さも羨ましそうに洩らした事さえある。それでも岡田が顔を赤くして、「二郎さん久しぶりに相撲でも取りましょうか」と野蛮な声を出すと、お兼さんは眉をひそめながら、嬉しそうな眼つきをするのが常であったから、お兼さんは旦那の酔うのが嫌いなのではなくって、酒に費用のかかるのが嫌いなのだろうと、自分は推察していた。  自分はせっかくの好意だけれども宝塚行を断った。そうして腹の中で、あしたの朝岡田の留守に、ちょっと電車に乗って一人で行って様子を見て来ようと取りきめた。岡田は「そうですか。文楽だと好いんだけれどもあいにく暑いんで休んでいるもんだから」と気の毒そうに云った。  翌朝自分は岡田といっしょに家を出た。彼は電車の上で突然自分の忘れかけていたお貞さんの結婚問題を持ち出した。 「僕はあなたの親類だと思ってやしません。あなたのお父さんやお母さんに書生として育てられた食客と心得ているんです。僕の今の地位だって、あのお兼だって、みんなあなたの御両親のお蔭でできたんです。だから何か御恩返しをしなくっちゃすまないと平生から思ってるんです。お貞さんの問題もつまりそれが動機でしたんですよ。けっして他意はないんですからね」  お貞さんは宅の厄介ものだから、一日も早くどこかへ嫁に世話をするというのが彼の主意であった。自分は家族の一人として岡田の好意を謝すべき地位にあった。 「お宅じゃ早くお貞さんを片づけたいんでしょう」  自分の父も母も実際そうなのである。けれどもこの時自分の眼にはお貞さんと佐野という縁故も何もない二人がいっしょにかつ離れ離れに映じた。 「旨く行くでしょうか」 「そりゃ行くだろうじゃありませんか。僕とお兼を見たって解るでしょう。結婚してからまだ一度も大喧嘩をした事なんかありゃしませんぜ」 「あなた方は特別だけれども……」 「なにどこの夫婦だって、大概似たものでさあ」  岡田と自分はそれでこの話を切り上げた。         十二  三沢の便りははたして次の日の午後になっても来なかった。気の短い自分にはこんなズボラを待ってやるのが腹立しく感ぜられた、強いてもこれから一人で立とうと決心した。 「まあもう一日二日はよろしいじゃございませんか」とお兼さんは愛嬌に云ってくれた。自分が鞄の中へ浴衣や三尺帯を詰めに二階へ上りかける下から、「是非そうなさいましよ」とおっかけるように留めた。それでも気がすまなかったと見えて、自分が鞄の始末をした頃、上り口へ顔を出して、「おやもう御荷物の仕度をなすったんですか。じゃ御茶でも入れますから、御緩くりどうぞ」と降りて行った。  自分は胡坐のまま旅行案内をひろげた。そうして胸の中でかれこれと時間の都合を考えた。その都合がなかなか旨く行かないので、仰向になってしばらく寝て見た。すると三沢といっしょに歩く時の愉快がいろいろに想像された。富士を須走口へ降りる時、滑って転んで、腰にぶら下げた大きな金明水入の硝子壜を、壊したなり帯へ括りつけて歩いた彼の姿扮などが眼に浮んだ。ところへまた梯子段を踏むお兼さんの足音がしたので、自分は急に起き直った。  お兼さんは立ちながら、「まあ好かった」と一息|吐いたように云って、すぐ自分の前に坐った。そうして三沢から今届いた手紙を自分に渡した。自分はすぐ封を開いて見た。 「とうとう御着になりましたか」  自分はちょっとお兼さんに答える勇気を失った。三沢は三日前大阪に着いて二日ばかり寝たあげくとうとう病院に入ったのである。自分は病院の名を指してお兼さんに地理を聞いた。お兼さんは地理だけはよく呑み込んでいたが、病院の名は知らなかった。自分はとにかく鞄を提げて岡田の家を出る事にした。 「どうもとんだ事でございますね」とお兼さんは繰り返し繰り返し気の毒がった。断るのを無理に、下女が鞄を持って停車場まで随いて来た。自分は途中でなおもこの下女を返そうとしたが、何とか云ってなかなか帰らなかった。その言葉は解るには解るが、自分のようにこの土地に親しみのないものにはとても覚えられなかった。別れるとき今まで世話になった礼に一円やったら「さいなら、お機嫌よう」と云った。  電車を下りて俥に乗ると、その俥は軌道を横切って細い通りを真直に馳けた。馳け方があまり烈しいので、向うから来る自転車だの俥だのと幾度か衝突しそうにした。自分ははらはらしながら病院の前に降ろされた。  鞄を持ったまま三階に上った自分は、三沢を探すため方々の室を覗いて歩いた。三沢は廊下の突き当りの八畳に、氷嚢を胸の上に載せて寝ていた。 「どうした」と自分は室に入るや否や聞いた。彼は何も答えずに苦笑している。「また食い過ぎたんだろう」と自分は叱るように云ったなり、枕元に胡坐をかいて上着を脱いだ。 「そこに蒲団がある」と三沢は上眼を使って、室の隅を指した。自分はその眼の様子と頬の具合を見て、これはどのくらい重い程度の病気なんだろうと疑った。 「看護婦はついてるのかい」 「うん。今どこかへ出て行った」         十三  三沢は平生から胃腸のよくない男であった。ややともすると吐いたり下したりした。友達はそれを彼の不養生からだと評し合った。当人はまた母の遺伝で体質から来るんだから仕方がないと弁解していた。そうして消化器病の書物などをひっくり返して、アトニーとか下垂性とかトーヌスとかいう言葉を使った。自分などが時々彼に忠告めいた事をいうと、彼は素人が何を知るものかと云わぬばかりの顔をした。 「君アルコールは胃で吸収されるものか、腸で吸収されるものか知ってるか」などと澄ましていた。そのくせ病気になると彼はきっと自分を呼んだ。自分もそれ見ろと思いながら必ず見舞に出かけた。彼の病気は短くて二三日長くて一二週間で大抵は癒った。それで彼は彼の病気を馬鹿にしていた。他人の自分はなおさらであった。  けれどもこの場合自分はまず彼の入院に驚かされていた。その上に胃の上の氷嚢でまた驚かされた。自分はそれまで氷嚢は頭か心臓の上でなければ載せるものでないとばかり信じていたのである。自分はぴくんぴくんと脈を打つ氷嚢を見つめて厭な心持になった。枕元に坐っていればいるほど、付景気の言葉がだんだん出なくなって来た。  三沢は看護婦に命じて氷菓子を取らせた。自分がその一杯に手を着けているうちに、彼は残る一杯を食うといい出した。自分は薬と定食以外にそんなものを口にするのは好くなかろうと思ってとめにかかった。すると三沢は怒った。 「君は一杯の氷菓子を消化するのに、どのくらい強壮な胃が必要だと思うのか」と真面目な顔をして議論を仕かけた。自分は実のところ何にも知らないのである。看護婦は、よかろうけれども念のためだからと云って、わざわざ医局へ聞きに行った。そうして少量なら差支ないという許可を得て来た。  自分は便所に行くとき三沢に知れないように看護婦を呼んで、あの人の病気は全体何というんだと聞いて見た。看護婦はおおかた胃が悪いんだろうと答えた。それより以上の事を尋ねると、今朝看護婦会から派出されたばかりで、何もまだ分らないんだと云って平気でいた。仕方なしに下へ降りて医員に尋ねたら、その男もまだ三沢の名を知らなかった。けれども患者の病名だの処方だのを書いた紙箋を繰って、胃が少し糜爛れたんだという事だけ教えてくれた。  自分はまた三沢の傍へ行った。彼は氷嚢を胃の上に載せたまま、「君その窓から外を見てみろ」、と云った。窓は正面に二つ側面に一つあったけれども、いずれも西洋式で普通より高い上に、病人は日本の蒲団を敷いて寝ているんだから、彼の眼には強い色の空と、電信線の一部分が筋違に見えるだけであった。  自分は窓側に手を突いて、外を見下した。すると何よりもまず高い煙突から出る遠い煙が眼に入った。その煙は市全体を掩うように大きな建物の上を這い廻っていた。 「河が見えるだろう」と三沢が云った。  大きな河が左手の方に少し見えた。 「山も見えるだろう」と三沢がまた云った。  山は正面にさっきから見えていた。  それが暗がり峠で、昔は多分大きな木ばかり生えていたのだろうが、今はあの通り明るい峠に変化したんだとか、もう少しするとあの山の下を突き貫いて、奈良へ電車が通うようになるんだとか、三沢は今誰かから聞いたばかりの事を元気よく語った。自分はこれなら大した心配もないだろうと思って病院を出た。         十四  自分は別に行く所もなかったので、三沢の泊った宿の名を聞いて、そこへ俥で乗りつけた。看護婦はつい近くのように云ったが、始めての自分にはかなりの道程と思われた。  その宿には玄関も何にもなかった。這入ってもいらっしゃいと挨拶に出る下女もなかった。自分は三沢の泊ったという二階の一間に通された。手摺の前はすぐ大きな川で、座敷から眺めていると、大変|涼しそうに水は流れるが、向のせいか風は少しも入らなかった。夜に入って向側に点ぜられる灯火のきらめきも、ただ眼に少しばかりの趣を添えるだけで、涼味という感じにはまるでならなかった。  自分は給仕の女に三沢の事を聞いて始めて知った。彼は二日ここに寝たあげく、三日目に入院したように記憶していたが実はもう一日前の午後に着いて、鞄を投げ込んだまま外出して、その晩の十時過に始めて帰って来たのだそうである。着いた時には五六人の伴侶がいたが、帰りにはたった一人になっていたと下女は告げた。自分はその五六人の伴侶の何人であるかについて思い悩んだ。しかし想像さえ浮ばなかった。 「酔ってたかい」と自分は下女に聞いて見た。そこは下女も知らなかった。けれども少し経って吐いたから酔っていたんだろうと答えた。  自分はその夜蚊帳を釣って貰って早く床に這入った。するとその蚊帳に穴があって、蚊が二三|疋這入って来た。団扇を動かして、それを払い退けながら寝ようとすると、隣の室の話し声が耳についた。客は下女を相手に酒でも呑んでいるらしかった。そうして警部だとかいう事であった。自分は警部の二字に多少の興味があった。それでその人の話を聞いて見る気になったのである。すると自分の室を受持っている下女が上って来て、病院から電話だと知らせた。自分は驚いて起き上った。  電話の相手は三沢の看護婦であった。病人の模様でも急に変ったのかと思って心配しながら用事を聞いて見ると病人から、明日はなるべく早く来てくれ、退屈で困るからという伝言に過ぎなかった。自分は彼の病気がはたしてそう重くないんだと断定した。「何だそんな事か、そういうわがままはなるべく取次がないが好い」と叱りつけるように云ってやったが、後で看護婦に対して気の毒になったので、「しかし行く事は行くよ。君が来てくれというなら」とつけ足して室へ帰った。  下女はいつ気がついたか、蚊帳の穴を針と糸で塞いでいた。けれどもすでに這入っている蚊はそのままなので、横になるや否や、時々額や鼻の頭の辺でぶうんと云う小い音がした。それでもうとうとと寝た。すると今度は右の方の部屋でする話声で眼が覚めた。聞いているとやはり男と女の声であった。自分はこっち側に客は一人もいないつもりでいたので、ちょっと驚かされた。しかし女が繰返して、「そんならもう帰して貰いますぜ」というような言葉を二三度用いたので、隣の客が女に送られて茶屋からでも帰って来たのだろうと推察してまた眠りに落ちた。  それからもう一度下女が雨戸を引く音に夢を破られて、最後に起き上ったのが、まだ川の面に白い靄が薄く見える頃だったから、正味寝たのは何時間にもならなかった。         十五  三沢の氷嚢は依然としてその日も胃の上に在った。 「まだ氷で冷やしているのか」  自分はいささか案外な顔をしてこう聞いた。三沢にはそれが友達|甲斐もなく響いたのだろう。 「鼻風邪じゃあるまいし」と云った。  自分は看護婦の方を向いて、「昨夕は御苦労さま」と一口礼を述べた。看護婦は色の蒼い膨れた女であった。顔つきが絵にかいた座頭に好く似ているせいか、普通彼らの着る白い着物がちっとも似合わなかった。岡山のもので、小さい時|膿毒性とかで右の眼を悪くしたんだと、こっちで尋ねもしない事を話した。なるほどこの女の一方の眼には白い雲がいっぱいにかかっていた。 「看護婦さん、こんな病人に優しくしてやると何を云い出すか分らないから、好加減にしておくがいいよ」  自分は面白半分わざと軽薄な露骨を云って、看護婦を苦笑させた。すると三沢が突然「おい氷だ」と氷嚢を持ち上げた。  廊下の先で氷を割る音がした時、三沢はまた「おい」と云って自分を呼んだ。 「君には解るまいが、この病気を押していると、きっと潰瘍になるんだ。それが危険だから僕はこうじっとして氷嚢を載せているんだ。ここへ入院したのも、医者が勧めたのでも、宿で周旋して貰ったのでもない。ただ僕自身が必要と認めて自分で入ったのだ。酔興じゃないんだ」  自分は三沢の医学上の智識について、それほど信を置き得なかった。けれどもこう真面目に出られて見ると、もう交ぜ返す勇気もなかった。その上彼のいわゆる潰瘍とはどんなものか全く知らなかった。  自分は起って窓側へ行った。そうして強い光に反射して、乾いた土の色を見せている暗がり峠を望んだ。ふと奈良へでも遊びに行って来ようかという気になった。 「君その様子じゃ当分約束を履行する訳にも行かないだろう」 「履行しようと思って、これほどの養生をしているのさ」  三沢はなかなか強情の男であった。彼の強情につき合えば、彼の健康が旅行に堪え得るまで自分はこの暑い都の中で蒸されていなければならなかった。 「だって君の氷嚢はなかなか取れそうにないじゃないか」 「だから早く癒るさ」  自分は彼とこういう談話を取り換わせているうちに、彼の強情のみならず、彼のわがままな点をよく見て取った。同時に一日も早く病人を見捨てて行こうとする自分のわがままもまたよく自分の眼に映った。 「君大阪へ着いたときはたくさん伴侶があったそうじゃないか」 「うん、あの連中と飲んだのが悪かった」  彼の挙げた姓名のうちには、自分の知っているものも二三あった。三沢は彼らと名古屋からいっしょの汽車に乗ったのだが、いずれも馬関とか門司とか福岡とかまで行く人であるにかかわらず久しぶりだからというので、皆な大阪で降りて三沢と共に飯を食ったのだそうである。  自分はともかくももう二三日いて病人の経過を見た上、どうとかしようと分別した。         十六  その間自分は三沢の付添のように、昼も晩も大抵は病院で暮した。孤独な彼は実際毎日自分を待受けているらしかった。それでいて顔を合わすと、けっして礼などは云わなかった。わざわざ草花を買って持って行ってやっても、憤と膨れている事さえあった。自分は枕元で書物を読んだり、看護婦を相手にしたり、時間が来ると病人に薬を呑ませたりした。朝日が強く差し込む室なので、看護婦を相手に、寝床を影の方へ移す手伝もさせられた。  自分はこうしているうちに、毎日午前中に回診する院長を知るようになった。院長は大概黒のモーニングを着て医員と看護婦を一人ずつ随えていた。色の浅黒い鼻筋の通った立派な男で、言葉遣いや態度にも容貌の示すごとく品格があった。三沢は院長に会うと、医学上の知識をまるでもっていない自分たちと同じような質問をしていた。「まだ容易に旅行などはできないでしょうか」「潰瘍になると危険でしょうか」「こうやって思い切って入院した方が、今考えて見るとやっぱり得策だったんでしょうか」などと聞くたびに院長は「ええまあそうです」ぐらいな単簡な返答をした。自分は平生解らない術語を使って、他を馬鹿にする彼が、院長の前でこう小さくなるのを滑稽に思った。  彼の病気は軽いような重いような変なものであった。宅へ知らせる事は当人が絶対に不承知であった。院長に聞いて見ると、嘔気が来なければ心配するほどの事もあるまいが、それにしてももう少しは食慾が出るはずだと云って、不思議そうに考え込んでいた。自分は去就に迷った。  自分が始めて彼の膳を見たときその上には、生豆腐と海苔と鰹節の肉汁が載っていた。彼はこれより以上|箸を着ける事を許されなかったのである。自分はこれでは前途遼遠だと思った。同時にその膳に向って薄い粥を啜る彼の姿が変に痛ましく見えた。自分が席を外して、つい近所の洋食屋へ行って支度をして帰って来ると、彼はきっと「旨かったか」と聞いた。自分はその顔を見てますます気の毒になった。 「あの家はこの間君と喧嘩した氷菓子を持って来る家だ」  三沢はこういって笑っていた。自分は彼がもう少し健康を回復するまで彼の傍にいてやりたい気がした。  しかし宿へ帰ると、暑苦しい蚊帳の中で、早く涼しい田舎へ行きたいと思うことが多かった。この間の晩女と話をして人の眠を妨げた隣の客はまだ泊っていた。そうして自分の寝ようとする頃に必ず酒気を帯びて帰って来た。ある時は宿で酒を飲んで、芸者を呼べと怒鳴っていた。それを下女がさまざまにごまかそうとしてしまいには、あの女はあなたの前へ出ればこそ、あんな愛嬌をいうものの、蔭ではあなたの悪口ばかり並べるんだから止めろと忠告していた。すると客は、なにおれの前へ出た時だけ御世辞を云ってくれりゃそれで嬉しいんだ、蔭で何と云ったって聞えないから構わないと答えていた。ある時はこれも芸者が何か真面目な話を持ち込んで来たのを、今度は客の方でごまかそうとして、その芸者から他の話を「じゃん、じゃか、じゃん」にしてしまうと云って怒られていた。  自分はこんな事で安眠を妨害されて、実際迷惑を感じた。         十七  そんなこんなで好く眠られなかった朝、もう看病は御免蒙るという気で、病院の方へ橋を渡った。すると病人はまだすやすや眠っていた。  三階の窓から見下すと、狭い通なので、門前の路が細く綺麗に見えた。向側は立派な高塀つづきで、その一つの潜りの外へ主人らしい人が出て、如露で丹念に往来を濡らしていた。塀の内には夏蜜柑のような深緑の葉が瓦を隠すほど茂っていた。  院内では小使が丁字形の棒の先へ雑巾を括り付けて廊下をぐんぐん押して歩いた。雑巾をゆすがないので、せっかく拭いた所がかえって白く汚れた。軽い患者はみな洗面所へ出て顔を洗った。看護婦の払塵の声がここかしこで聞こえた。自分は枕を借りて、三沢の隣の空室へ、昨夕の睡眠不足を補いに入った。  その室も朝日の強く当る向にあるので、一寝入するとすぐ眼が覚めた。額や鼻の頭に汗と油が一面に浮き出しているのも不愉快だった。自分はその時岡田から電話口へ呼ばれた。岡田が病院へ電話をかけたのはこれで三度目である。彼はきまりきって、「御病人の御様子はどうです」と聞く。「二三日|中是非伺います」という。「何でも御用があるなら御遠慮なく」という。最後にきっとお兼さんの事を一口二口つけ加えて、「お兼からもよろしく」とか、「是非お遊びにいらっしゃるように妻も申しております」とか、「うちの方が忙がしいんで、つい御無沙汰をしています」とか云う。  その日も岡田の話はいつもの通りであった。けれども一番しまいに、「今から一週間内……と断定する訳には行かないが、とにかくもう少しすると、あなたをちょいと驚かせる事が出て来るかも知れませんよ」と妙な事を仄めかした。自分は全く想像がつかないので、全体どんな話なんですかと二三度聞き返したが、岡田は笑いながら、「もう少しすれば解ります」というぎりなので、自分もとうとうその意味を聞かないで、三沢の室へ帰って来た。 「また例の男かい」と三沢が云った。  自分は今の岡田の電話が気になって、すぐ大阪を立つ話を持ち出す心持になれなかった。すると思いがけない三沢の方から「君もう大阪は厭になったろう。僕のためにいて貰う必要はないから、どこかへ行くなら遠慮なく行ってくれ」と云い出した。彼はたとい病院を出る場合が来ても、むやみな山登りなどは当分慎まなければならないと覚ったと説明して聞かせた。 「それじゃ僕の都合の好いようにしよう」  自分はこう答えてしばらく黙っていた。看護婦は無言のまま室の外に出て行った。自分はその草履の音の消えるのを聞いていた。それから小さい声をして三沢に、「金はあるか」と尋ねた。彼は己れの病気をまだ己れの家に知らせないでいる。それにたった一人の知人たる自分が、彼の傍を立ち退いたら、精神上よりも物質的に心細かろうと自分は懸念した。 「君に才覚ができるのかい」と三沢は聞いた。 「別に目的もないが」と自分は答えた。 「例の男はどうだい」と三沢が云った。 「岡田か」と自分は少し考え込んだ。  三沢は急に笑い出した。 「何いざとなればどうかなるよ。君に算段して貰わなくっても。金はあるにはあるんだから」と云った。         十八  金の事はついそれなりになった。自分は岡田へ金を借りに行く時の思いを想像すると実際|厭だった。病気に罹った友達のためだと考えても、少しも進む気はしなかった。その代りこの地を立つとも立たないとも決心し得ないでぐずぐずした。  岡田からの電話はかかって来た時|大に自分の好奇心を動揺させたので、わざわざ彼に会って真相を聞き糺そうかと思ったけれども、一晩|経つとそれも面倒になって、ついそのままにしておいた。  自分は依然として病院の門を潜ったり出たりした。朝九時頃玄関にかかると、廊下も控所も外来の患者でいっぱいに埋っている事があった。そんな時には世間にもこれほど病人があり得るものかとわざと驚いたような顔をして、彼らの様子を一順見渡してから、梯子段に足をかけた。自分が偶然あの女を見出だしたのは全くこの一瞬間にあった。あの女というのは三沢があの女あの女と呼ぶから自分もそう呼ぶのである。  あの女はその時廊下の薄暗い腰掛の隅に丸くなって横顔だけを見せていた。その傍には洗髪を櫛巻にした背の高い中年の女が立っていた。自分の一瞥はまずその女の後姿の上に落ちた。そうして何だかそこにぐずぐずしていた。するとその年増が向うへ動き出した。あの女はその年増の影から現われたのである。その時あの女は忍耐の像のように丸くなってじっとしていた。けれども血色にも表情にも苦悶の迹はほとんど見えなかった。自分は最初その横顔を見た時、これが病人の顔だろうかと疑った。ただ胸が腹に着くほど背中を曲げているところに、恐ろしい何物かが潜んでいるように思われて、それがはなはだ不快であった。自分は階段を上りつつ、「あの女」の忍耐と、美しい容貌の下に包んでいる病苦とを想像した。  三沢は看護婦から病院のAという助手の話を聞かされていた。このAさんは夜になって閑になると、好く尺八を吹く若い男であった。独身もので病院に寝泊りをして、室は三沢と同じ三階の折れ曲った隅にあった。この間まで始終上履の音をぴしゃぴしゃ云わして歩いていたが、この二三日まるで顔を見せないので、三沢も自分も、どうかしたのかねぐらいは噂し合っていたのである。  看護婦はAさんが時々|跛を引いて便所へ行く様子がおかしいと云って笑った。それから病院の看護婦が時々ガーゼと金盥を持ってAさんの部屋へ入って行くところを見たとも云った。三沢はそういう話に興味があるでもなく、また無いでもないような無愛嬌な顔をして、ただ「ふん」とか「うん」とか答えていた。  彼はまた自分にいつまで大阪にいるつもりかと聞いた。彼は旅行を断念してから、自分の顔を見るとよくこう云った。それが自分には遠慮がましくかつ催促がましく聞こえてかえって厭であった。 「僕の都合で帰ろうと思えばいつでも帰るさ」 「どうかそうしてくれ」  自分は立って窓から真下を見下した。「あの女」はいくら見ていても門の外へ出て来なかった。 「日の当る所へわざわざ出て何をしているんだ」と三沢が聞いた。 「見ているんだ」と自分は答えた。 「何を見ているんだ」と三沢が聞き返した。         十九  自分はそれでも我慢して容易に窓側を離れなかった。つい向うに見える物干に、松だの石榴だのの盆栽が五六|鉢並んでいる傍で、島田に結った若い女が、しきりに洗濯ものを竿の先に通していた。自分はちょっとその方を見てはまた下を向いた。けれども待ち設けている当人はいつまで経っても出て来る気色はなかった。自分はとうとう暑さに堪え切れないでまた三沢の寝床の傍へ来て坐った。彼は自分の顔を見て、「どうも強情な男だな、他が親切に云ってやればやるほど、わざわざ日の当る所に顔を曝しているんだから。君の顔は真赤だよ」と注意した。自分は平生から三沢こそ強情な男だと思っていた。それで「僕の窓から首を出していたのは、君のような無意味な強情とは違う。ちゃんと目的があってわざと首を出したんだ」と少しもったいをつけて説明した。その代り肝心の「あの女」の事をかえって云い悪くしてしまった。  ほど経て三沢はまた「先刻は本当に何か見ていたのか」と笑いながら聞いた。自分はこの時もう気が変っていた。「あの女」を口にするのが愉快だった。どうせ強情な三沢の事だから、聞けばきっと馬鹿だとか下らないとか云って自分を冷罵するに違ないとは思ったが、それも気にはならなかった。そうしたら実は「あの女」について自分はある原因から特別の興味をもつようになったのだぐらい答えて、三沢を少し焦らしてやろうという下心さえ手伝った。  ところが三沢は自分の予期とはまるで反対の態度で、自分のいう一句一句をさも感心したらしく聞いていた。自分も乗気になって一二分で済むところを三倍ほどに語り続けた。一番しまいに自分の言葉が途切れた時、三沢は「それは無論|素人なんじゃなかろうな」と聞いた。自分は「あの女」を詳しく説明したけれども、つい芸者という言葉を使わなかったのである。 「芸者ならことによると僕の知っている女かも知れない」  自分は驚かされた。しかしてっきり冗談だろうと思った。けれども彼の眼はその反対を語っていた。そのくせ口元は笑っていた。彼は繰り返して「あの女」の眼つきだの鼻つきだのを自分に問うた。自分は梯子段を上る時、その横顔を見たぎりなので、そう詳しい事は答えられないほどであった。自分にはただ背中を折って重なり合っているような憐れな姿勢だけがありありと眼に映った。 「きっとあれだ。今に看護婦に名前を聞かしてやろう」  三沢はこう云って薄笑いをした。けれども自分を担いでる様子はさらに見えなかった。自分は少し釣り込まれた気味で、彼と「あの女」との関係を聞こうとした。 「今に話すよ。あれだと云う事が確に分ったら」  そこへ病院の看護婦が「回診です」と注意しに来たので、「あの女」の話はそれなり途切れてしまった。自分は回診の混雑を避けるため、時間が来ると席を外して廊下へ出たり、貯水桶のある高いところへ出たりしていたが、その日は手近にある帽を取って、梯子段を下まで降りた。「あの女」がまだどこかにいそうな気がするので、自分は玄関の入口に佇立んで四方を見廻した。けれども廊下にも控室にも患者の影はなかった。         二十  その夕方の空が風を殺して静まり返った灯ともし頃、自分はまた曲りくねった段々を急ぎ足に三沢の室まで上った。彼は食後と見えて蒲団の上に胡坐をかいて大きくなっていた。 「もう便所へも一人で行くんだ。肴も食っている」  これが彼のその時の自慢であった。  窓は三つ共明け放ってあった。室が三階で前に目を遮ぎるものがないから、空は近くに見えた。その中に燦めく星も遠慮なく光を増して来た。三沢は団扇を使いながら、「蝙蝠が飛んでやしないか」と云った。看護婦の白い服が窓の傍まで動いて行って、その胴から上がちょっと窓枠の外へ出た。自分は蝙蝠よりも「あの女」の事が気にかかった。「おい、あの事は解ったか」と聞いて見た。 「やっぱりあの女だ」  三沢はこう云いながら、ちょっと意味のある眼遣いをして自分を見た。自分は「そうか」と答えた。その調子が余り高いという訳なんだろう、三沢は団扇でぱっと自分の顔を煽いだ。そうして急に持ち交えた柄の方を前へ出して、自分達のいる室の筋向うを指した。 「あの室へ這入ったんだ。君の帰った後で」  三沢の室は廊下の突き当りで往来の方を向いていた。女の室は同じ廊下の角で、中庭の方から明りを取るようにできていた。暑いので両方共入り口は明けたまま、障子は取り払ってあったから、自分のいる所から、団扇の柄で指し示された部屋の入口は、四半分ほど斜めに見えた。しかしそこには女の寝ている床の裾が、画の模様のように三角に少し出ているだけであった。  自分はその蒲団の端を見つめてしばらく何も云わなかった。 「潰瘍の劇しいんだ。血を吐くんだ」と三沢がまた小さな声で告げた。自分はこの時彼が無理をやると潰瘍になる危険があるから入院したと説明して聞かせた事を思い出した。潰瘍という言葉はその折自分の頭に何らの印象も与えなかったが、今度は妙に恐ろしい響を伝えた。潰瘍の陰に、死という怖いものが潜んでいるかのように。  しばらくすると、女の部屋で微かにげえげえという声がした。 「そら吐いている」と三沢が眉をひそめた。やがて看護婦が戸口へ現れた。手に小さな金盥を持ちながら、草履を突っかけて、ちょっと我々の方を見たまま出て行った。 「癒りそうなのかな」  自分の眼には、今朝腮を胸に押しつけるようにして、じっと腰をかけていた美くしい若い女の顔がありありと見えた。 「どうだかね。ああ嘔くようじゃ」と三沢は答えた。その表情を見ると気の毒というよりむしろ心配そうなある物に囚えられていた。 「君は本当にあの女を知っているのか」と自分は三沢に聞いた。 「本当に知っている」と三沢は真面目に答えた。 「しかし君は大阪へ来たのが今度始めてじゃないか」と自分は三沢を責めた。 「今度来て今度知ったのだ」と三沢は弁解した。「この病院の名も実はあの女に聞いたのだ。僕はここへ這入る時から、あの女がことによるとやって来やしないかと心配していた。けれども今朝君の話を聞くまではよもやと思っていた。僕はあの女の病気に対しては責任があるんだから……」         二十一  大阪へ着くとそのまま、友達といっしょに飲みに行ったどこかの茶屋で、三沢は「あの女」に会ったのである。  三沢はその時すでに暑さのために胃に変調を感じていた。彼を強いた五六人の友達は、久しぶりだからという口実のもとに、彼を酔わせる事を御馳走のように振舞った。三沢も宿命に従う柔順な人として、いくらでも盃を重ねた。それでも胸の下の所には絶えず不安な自覚があった。ある時は変な顔をして苦しそうに生唾を呑み込んだ。ちょうど彼の前に坐っていた「あの女」は、大阪言葉で彼に薬をやろうかと聞いた。彼はジェムか何かを五六粒手の平へ載せて口のなかへ投げ込んだ。すると入物を受取った女も同じように白い掌の上に小さな粒を並べて口へ入れた。  三沢は先刻から女の倦怠そうな立居に気をつけていたので、御前もどこか悪いのかと聞いた。女は淋しそうな笑いを見せて、暑いせいか食慾がちっとも進まないので困っていると答えた。ことにこの一週間は御飯が厭で、ただ氷ばかり呑んでいる、それも今呑んだかと思うと、すぐまた食べたくなるんで、どうもしようがないと云った。  三沢は女に、それはおおかた胃が悪いのだろうから、どこかへ行って専門の大家にでも見せたら好かろうと真面目な忠告をした。女も他に聞くと胃病に違ないというから、好い医者に見せたいのだけれども家業が家業だからと後は云い渋っていた。彼はその時女から始めてここの病院と院長の名前を聞いた。 「僕もそう云う所へちょっと入ってみようかな。どうも少し変だ」  三沢は冗談とも本気ともつかない調子でこんな事を云って、女から縁喜でもないように眉を寄せられた。 「それじゃまあたんと飲んでから後の事にしよう」と三沢は彼の前にある盃をぐっと干して、それを女の前に突き出した。女はおとなしく酌をした。 「君も飲むさ。飯は食えなくっても、酒なら飲めるだろう」  彼は女を前に引きつけてむやみに盃をやった。女も素直にそれを受けた。しかししまいには堪忍してくれと云い出した。それでもじっと坐ったまま席を立たなかった。 「酒を呑んで胃病の虫を殺せば、飯なんかすぐ喰える。呑まなくっちゃ駄目だ」  三沢は自暴に酔ったあげく、乱暴な言葉まで使って女に酒を強いた。それでいて、己れの胃の中には、今にも爆発しそうな苦しい塊が、うねりを打っていた。       *       *       *       *  自分は三沢の話をここまで聞いて慄とした。何の必要があって、彼は己の肉体をそう残酷に取扱ったのだろう。己れは自業自得としても、「あの女」の弱い身体をなんでそう無益に苦めたものだろう。 「知らないんだ。向は僕の身体を知らないし、僕はまたあの女の身体を知らないんだ。周囲にいるものはまた我々二人の身体を知らないんだ。そればかりじゃない、僕もあの女も自分で自分の身体が分らなかったんだ。その上僕は自分の胃の腑が忌々しくってたまらなかった。それで酒の力で一つ圧倒してやろうと試みたのだ。あの女もことによると、そうかも知れない」  三沢はこう云って暗然としていた。         二十二 「あの女」は室の前を通っても廊下からは顔の見えない位置に寝ていた。看護婦は入口の柱の傍へ寄って覗き込むようにすれば見えると云って自分に教えてくれたけれども自分にはそれをあえてするほどの勇気がなかった。  附添の看護婦は暑いせいか大概はその柱にもたれて外の方ばかり見ていた。それがまた看護婦としては特別|器量が好いので、三沢は時々不平な顔をして人を馬鹿にしているなどと云った。彼の看護婦はまた別の意味からして、この美しい看護婦を好く云わなかった。病人の世話をそっちのけにするとか、不親切だとか、京都に男があって、その男から手紙が来たんで夢中なんだとか、いろいろの事を探って来ては三沢や自分に報告した。ある時は病人の便器を差し込んだなり、引き出すのを忘れてそのまま寝込んでしまった怠慢さえあったと告げた。  実際この美しい看護婦が器量の優れている割合に義務を重んじなかった事は自分達の眼にもよく映った。 「ありゃ取り換えてやらなくっちゃ、あの女が可哀そうだね」と三沢は時々|苦い顔をした。それでもその看護婦が入口の柱にもたれて、うとうとしていると、彼はわが室の中からその横顔をじっと見つめている事があった。 「あの女」の病勢もこっちの看護婦の口からよく洩れた。――牛乳でも肉汁でも、どんな軽い液体でも狂った胃がけっして受けつけない。肝心の薬さえ厭がって飲まない。強いて飲ませると、すぐ戻してしまう。 「血は吐くかい」  三沢はいつでもこう云って看護婦に反問した。自分はその言葉を聞くたびに不愉快な刺戟を受けた。 「あの女」の見舞客は絶えずあった。けれども外の室のように賑かな話し声はまるで聞こえなかった。自分は三沢の室に寝ころんで、「あの女」の室を出たり入ったりする島田や銀杏返しの影をいくつとなく見た。中には眼の覚めるように派出な模様の着物を着ているものもあったが、大抵は素人に近い地味な服装で、こっそり来てこっそり出て行くのが多かった。入口であら姐はんという感投詞を用いたものもあったが、それはただの一遍に過ぎなかった。それも廊下の端に洋傘を置いて室の中へ入るや否や急に消えたように静かになった。 「君はあの女を見舞ってやったのか」と自分は三沢に聞いた。 「いいや」と彼は答えた。「しかし見舞ってやる以上の心配をしてやっている」 「じゃ向うでもまだ知らないんだね。君のここにいる事は」 「知らないはずだ、看護婦でも云わない以上は。あの女の入院するとき僕はあの女の顔を見てはっと思ったが、向うでは僕の方を見なかったから、多分知るまい」  三沢は病院の二階に「あの女」の馴染客があって、それが「お前胃のため、わしゃ腸のため、共に苦しむ酒のため」という都々逸を紙片へ書いて、あの女の所へ届けた上、出院のとき袴羽織でわざわざ見舞に来た話をして、何という馬鹿だという顔つきをした。 「静かにして、刺戟のないようにしてやらなくっちゃいけない。室でもそっと入って、そっと出てやるのが当り前だ」と彼は云った。 「ずいぶん静じゃないか」と自分は云った。 「病人が口を利くのを厭がるからさ。悪い証拠だ」と彼がまた云った。         二十三  三沢は「あの女」の事を自分の予想以上に詳しく知っていた。そうして自分が病院に行くたびに、その話を第一の問題として持ち出した。彼は自分のいない間に得た「あの女」の内状を、あたかも彼と関係ある婦人の内所話でも打ち明けるごとくに語った。そうしてそれらの知識を自分に与えるのを誇りとするように見えた。  彼の語るところによると「あの女」はある芸者屋の娘分として大事に取扱かわれる売子であった。虚弱な当人はまたそれを唯一の満足と心得て商売に勉強していた。ちっとやそっと身体が悪くてもけっして休むような横着はしなかった。時たま堪えられないで床に就く場合でも、早く御座敷に出たい出たいというのを口癖にしていた。…… 「今あの女の室に来ているのは、その芸者屋に古くからいる下女さ。名前は下女だけれど、古くからいるんで、自然権力があるから、下女らしくしちゃいない。まるで叔母さんか何ぞのようだ。あの女も下女のいう事だけは素直によく聞くので、厭がる薬を呑ませたり、わがままを云い募らせないためには必要な人間なんだ」  三沢はすべてこういう内幕の出所をみんな彼の看護婦に帰して、ことごとく彼女から聞いたように説明した。けれども自分は少しそこに疑わしい点を認めないでもなかった。自分は三沢が便所へ行った留守に、看護婦を捕まえて、「三沢はああ云ってるが、僕のいないとき、あの女の室へ行って話でもするんじゃないか」と聞いて見た。看護婦は真面目な顔をして「そんな事ありゃしまへん」というような言葉で、一口に自分の疑いを否定した。彼女はそれからそういうお客が見舞に行ったところで、身上話などができるはずがないと弁解した。そうして「あの女」の病気がだんだん険悪の一方へ落ち込んで行く心細い例を話して聞かせた。 「あの女」は嘔気が止まないので、上から営養の取りようがなくなって、昨日とうとう滋養浣腸を試みた。しかしその結果は思わしくなかった。少量の牛乳と鶏卵を混和した単純な液体ですら、衰弱を極めたあの女の腸には荷が重過ぎると見えて予期通り吸収されなかった。  看護婦はこれだけ語って、このくらい重い病人の室へ入って、誰が悠々と身上話などを聞いていられるものかという顔をした。自分も彼女の云うところが本当だと思った。それで三沢の事は忘れて、ただ綺羅を着飾った流行の芸者と、恐ろしい病気に罹った憐な若い女とを、黙って心のうちに対照した。 「あの女」は器量と芸を売る御蔭で、何とかいう芸者屋の娘分になって家のものから大事がられていた。それを売る事ができなくなった今でも、やはり今まで通り宅のものから大事がられるだろうか。もし彼らの待遇が、あの女の病気と共にだんだん軽薄に変って行くなら、毒悪な病と苦戦するあの女の心はどのくらい心細いだろう。どうせ芸妓屋の娘分になるくらいだから、生みの親は身分のあるものでないにきまっている。経済上の余裕がなければ、どう心配したって役には立つまい。  自分はこんな事も考えた。便所から帰った三沢に「あの女の本当の親はあるのか知ってるか」と尋ねて見た。         二十四 「あの女」の本当の母というのを、三沢はたった一遍見た事があると語った。 「それもほんの後姿だけさ」と彼はわざわざ断った。  その母というのは自分の想像|通、あまり楽な身分の人ではなかったらしい。やっとの思いでさっぱりした身装をして出て来るように見えた。たまに来てもさも気兼らしくこそこそと来ていつの間にか、また梯子段を下りて人に気のつかないように帰って行くのだそうである。 「いくら親でも、ああなると遠慮ができるんだね」と三沢は云っていた。 「あの女」の見舞客はみんな女であった。しかも若い女が多数を占めていた。それがまた普通の令嬢や細君と違って、色香を命とする綺麗な人ばかりなので、その中に交るこの母は、ただでさえ燻ぶり過ぎて地味なのである。自分は年を取った貧しそうなこの母の後姿を想像に描いて暗に憐を催した。 「親子の情合からいうと、娘があんな大病に罹ったら、母たるものは朝晩ともさぞ傍についていてやりたい気がするだろうね。他人の下女が幅を利かしていて、実際の親が他人扱いにされるのは、見ていてもあまり好い心持じゃない」 「いくら親でも仕方がないんだよ。だいち傍にいてやるほどの時間もなし、時間があっても入費がないんだから」  自分は情ない気がした。ああ云う浮いた家業をする女の平生は羨ましいほど派出でも、いざ病気となると、普通の人よりも悲酸の程度が一層|甚だしいのではないかと考えた。 「旦那が付いていそうなものだがな」  三沢の頭もこの点だけは注意が足りなかったと見えて、自分がこう不審を打ったとき、彼は何の答もなく黙っていた。あの女に関していっさいの新智識を供給する看護婦もそこへ行くと何の役にも立たなかった。 「あの女」のか弱い身体は、その頃の暑さでもどうかこうか持ち応えていた。三沢と自分はそれをほとんど奇蹟のごとくに語り合った。そのくせ両人とも露骨を憚って、ついぞ柱の影から室の中を覗いて見た事がないので、現在の「あの女」がどのくらい窶れているかは空しい想像画に過ぎなかった。滋養浣腸さえ思わしく行かなかったという報知が、自分ら二人の耳に届いた時ですら、三沢の眼には美しく着飾った芸者の姿よりほかに映るものはなかった。自分の頭にも、ただ血色の悪くない入院前の「あの女」の顔が描かれるだけであった。それで二人共あの女はもうむずかしいだろうと話し合っていた。そうして実際は双方共死ぬとは思わなかったのである。  同時にいろいろな患者が病院を出たり入ったりした。ある晩「あの女」と同じくらいな年輩の二階にいる婦人が担架で下へ運ばれて行った。聞いて見ると、今日明日にも変がありそうな危険なところを、付添の母が田舎へ連れて帰るのであった。その母は三沢の看護婦に、氷ばかりも二十何円とかつかったと云って、どうしても退院するよりほかに途がないとわが窮状を仄かしたそうである。  自分は三階の窓から、田舎へ帰る釣台を見下した。釣台は暗くて見えなかったが、用意の提灯の灯はやがて動き出した。窓が高いのと往来が狭いので、灯は谷の底をひそかに動いて行くように見えた。それが向うの暗い四つ角を曲ってふっと消えた時、三沢は自分を顧みて「帰り着くまで持てば好いがな」と云った。         二十五  こんな悲酸な退院を余儀なくされる患者があるかと思うと、毎日子供を負ぶって、廊下だの物見台だの他人の室だのを、ぶらぶら廻って歩く呑気な男もあった。 「まるで病院を娯楽場のように思ってるんだね」 「第一どっちが病人なんだろう」  自分達はおかしくもありまた不思議でもあった。看護婦に聞くと、負ぶっているのは叔父で、負ぶさっているのは甥であった。この甥が入院当時骨と皮ばかりに瘠せていたのを叔父の丹精一つでこのくらい肥ったのだそうである。叔父の商売はめりやす屋だとか云った。いずれにしても金に困らない人なのだろう。  三沢の一軒おいて隣にはまた変な患者がいた。手提鞄などを提げて、普通の人間の如く平気で出歩いた。時には病院を空ける事さえあった。帰って来ると素っ裸体になって、病院の飯を旨そうに食った。そうして昨日はちょっと神戸まで行って来ましたなどと澄ましていた。  岐阜からわざわざ本願寺参りに京都まで出て来たついでに、夫婦共この病院に這入ったなり動かないのもいた。その夫婦ものの室の床には後光の射した阿弥陀様の軸がかけてあった。二人差向いで気楽そうに碁を打っている事もあった。それでも細君に聞くと、この春|餅を食った時、血を猪口に一杯半ほど吐いたから伴れて来たのだともったいらしく云って聞かせた。 「あの女」の看護婦は依然として入口の柱に靠れて、わが膝を両手で抱いている事が多かった。こっちの看護婦はそれをまた器量を鼻へかけて、わざわざあんな人の眼に着く所へ出るのだと評していた。自分は「まさか」と云って弁護する事もあった。けれども「あの女」とその美しい看護婦との関係は、冷淡さ加減の程度において、当初もその時もあまり変りがないように見えた。自分は器量好しが二人寄って、我知らず互に嫉み合うのだろうと説明した。三沢は、そうじゃない、大阪の看護婦は気位が高いから、芸者などを眼下に見て、始めから相手にならないんだ、それが冷淡の原因に違ないと主張した。こう主張しながらも彼は別にこの看護婦を悪む様子はなかった。自分もこの女に対してさほど厭な感じはもっていなかった。醜い三沢の付添いは「本間に器量の好いものは徳やな」と云った風の、自分達には変に響く言葉を使って、二人を笑わせた。  こんな周囲に取り囲まれた三沢は、身体の回復するに従って、「あの女」に対する興味を日に増し加えて行くように見えた。自分がやむをえず興味という妙な熟字をここに用いるのは、彼の態度が恋愛でもなければ、また全くの親切でもなく、興味の二字で現すよりほかに、適切な文字がちょっと見当らないからである。  始めて「あの女」を控室で見たときは、自分の興味も三沢に譲らないくらい鋭かった。けれども彼から「あの女」の話を聞かされるや否や、主客の別はすでについてしまった。それからと云うもの、「あの女」の噂が出るたびに、彼はいつでも先輩の態度を取って自分に向った。自分も一時は彼に釣り込まれて、当初の興味がだんだん研ぎ澄まされて行くような気分になった。けれども客の位置に据えられた自分はそれほど長く興味の高潮を保ち得なかった。         二十六  自分の興味が強くなった頃、彼の興味は自分より一層強くなった。自分の興味がやや衰えかけると、彼の興味はますます強くなって来た。彼は元来がぶっきらぼうの男だけれども、胸の奥には人一倍|優しい感情をもっていた。そうして何か事があると急に熱する癖があった。  自分はすでに院内をぶらぶらするほどに回復した彼が、なぜ「あの女」の室へ入り込まないかを不審に思った。彼はけっして自分のような羞恥家ではなかった。同情の言葉をかけに、一遍会った「あの女」の病室へ見舞に行くぐらいの事は、彼の性質から見て何でもなかった。自分は「そんなにあの女が気になるなら、直に行って、会って慰めてやれば好いじゃないか」とまで云った。彼は「うん、実は行きたいのだが……」と渋っていた。実際これは彼の平生にも似合わない挨拶であった。そうしてその意味は解らなかった。解らなかったけれども、本当は彼の行かない方が、自分の希望であった。  ある時自分は「あの女」の看護婦から――自分とこの美しい看護婦とはいつの間にか口を利くようになっていた。もっともそれは彼女が例の柱に倚りかかって、その前を通る自分の顔を見上げるときに、時候の挨拶を取換わすぐらいな程度に過ぎなかったけれども、――とにかくこの美しい看護婦から自分は運勢早見なんとかいう、玩具の占いの本みたようなものを借りて、三沢の室でそれをやって遊んだ。  これは赤と黒と両面に塗り分けた碁石のような丸く平たいものをいくつか持って、それを眼を眠ったまま畳の上へ並べて置いて、赤がいくつ黒がいくつと後から勘定するのである。それからその数字を一つは横へ、一つは竪に繰って、両方が一点に会したところを本で引いて見ると、辻占のような文句が出る事になっていた。  自分が眼を閉じて、石を一つ一つ畳の上に置いたとき、看護婦は赤がいくつ黒がいくつと云いながら占いの文句を繰ってくれた。すると、「この恋もし成就する時は、大いに恥を掻く事あるべし」とあったので、彼女は読みながら吹き出した。三沢も笑った。 「おい気をつけなくっちゃいけないぜ」と云った。三沢はその前から「あの女」の看護婦に自分が御辞儀をするところが変だと云って、始終自分に調戯っていたのである。 「君こそ少し気をつけるが好い」と自分は三沢に竹箆返しを喰わしてやった。すると三沢は真面目な顔をして「なぜ」と反問して来た。この場合この強情な男にこれ以上いうと、事が面倒になるから自分は黙っていた。  実際自分は三沢が「あの女」の室へ出入する気色のないのを不審に思っていたが一方ではまた彼の熱しやすい性質を考えて、今まではとにかく、これから先彼がいつどう変返るかも知れないと心配した。彼はすでに下の洗面所まで行って、朝ごとに顔を洗うぐらいの気力を回復していた。 「どうだもう好い加減に退院したら」  自分はこう勧めて見た。そうして万一金銭上の関係で退院を躊躇するようすが見えたら、彼が自宅から取り寄せる手間と時間を省くため、自分が思い切って一つ岡田に相談して見ようとまで思った。三沢は自分の云う事には何の返事も与えなかった。かえって反対に「いったい君はいつ大阪を立つつもりだ」と聞いた。         二十七  自分は二日前に天下茶屋のお兼さんから不意の訪問を受けた。その結果としてこの間岡田が電話口で自分に話しかけた言葉の意味をようやく知った。だから自分はこの時すでに一週間内に自分を驚かして見せるといった彼の予言のために縛られていた。三沢の病気、美しい看護婦の顔、声も姿も見えない若い芸者と、その人の一時折合っている蒲団の上の狭い生活、――自分は単にそれらばかりで大阪にぐずついているのではなかった。詩人の好きな言語を借りて云えば、ある予言の実現を期待しつつ暑い宿屋に泊っていたのである。 「僕にはそういう事情があるんだから、もう少しここに待っていなければならないのだ」と自分はおとなしく三沢に答えた。すると三沢は多少残念そうな顔をした。 「じゃいっしょに海辺へ行って静養する訳にも行かないな」  三沢は変な男であった。こっちが大事がってやる間は、向うでいつでも跳ね返すし、こっちが退こうとすると、急にまた他の袂を捕まえて放さないし、と云った風に気分の出入が著るしく眼に立った。彼と自分との交際は従来いつでもこういう消長を繰返しつつ今日に至ったのである。 「海岸へいっしょに行くつもりででもあったのか」と自分は念を押して見た。 「無いでもなかった」と彼は遠くの海岸を眼の中に思い浮かべるような風をして答えた。この時の彼の眼には、実際「あの女」も「あの女」の看護婦もなく、ただ自分という友達があるだけのように見えた。  自分はその日快よく三沢に別れて宿へ帰った。しかし帰り路に、その快よく別れる前の不愉快さも考えた。自分は彼に病院を出ろと勧めた、彼は自分にいつまで大阪にいるのだと尋ねた。上部にあらわれた言葉のやりとりはただこれだけに過ぎなかった。しかし三沢も自分もそこに変な苦い意味を味わった。  自分の「あの女」に対する興味は衰えたけれども自分はどうしても三沢と「あの女」とをそう懇意にしたくなかった。三沢もまた、あの美しい看護婦をどうする了簡もない癖に、自分だけがだんだん彼女に近づいて行くのを見て、平気でいる訳には行かなかった。そこに自分達の心づかない暗闘があった。そこに持って生れた人間のわがままと嫉妬があった。そこに調和にも衝突にも発展し得ない、中心を欠いた興味があった。要するにそこには性の争いがあったのである。そうして両方共それを露骨に云う事ができなかったのである。  自分は歩きながら自分の卑怯を恥じた。同時に三沢の卑怯を悪んだ。けれどもあさましい人間である以上、これから先何年|交際を重ねても、この卑怯を抜く事はとうていできないんだという自覚があった。自分はその時非常に心細くなった。かつ悲しくなった。  自分はその明日病院へ行って三沢の顔を見るや否や、「もう退院は勧めない」と断った。自分は手を突いて彼の前に自分の罪を詫びる心持でこう云ったのである。すると三沢は「いや僕もそうぐずぐずしてはいられない。君の忠告に従っていよいよ出る事にした」と答えた。彼は今朝院長から退院の許可を得た旨を話して、「あまり動くと悪いそうだから寝台で東京まで直行する事にした」と告げた。自分はその突然なのに驚いた。         二十八 「どうしてまたそう急に退院する気になったのか」  自分はこう聞いて見ないではいられなかった。三沢は自分の問に答える前にじっと自分の顔を見た。自分はわが顔を通して、わが心を読まれるような気がした。 「別段これという訳もないが、もう出る方が好かろうと思って……」  三沢はこれぎり何にも云わなかった。自分も黙っているよりほかに仕方がなかった。二人はいつもより沈んで相対していた。看護婦はすでに帰った後なので、室の中はことに淋しかった。今まで蒲団の上に胡坐をかいていた彼は急に倒れるように仰向に寝た。そうして上眼を使って窓の外を見た。外にはいつものように色の強い青空が、ぎらぎらする太陽の熱を一面に漲らしていた。 「おい君」と彼はやがて云った。「よく君の話す例の男ね。あの男は金を持っていないかね」  自分は固より岡田の経済事情を知ろうはずがなかった。あの始末屋の御兼さんの事を考えると、金という言葉を口から出すのも厭だった。けれどもいざ三沢の出院となれば、そのくらいな手数は厭うまいと、昨日すでに覚悟をきめたところであった。 「節倹家だから少しは持ってるだろう」 「少しで好いから借りて来てくれ」  自分は彼が退院するについて会計へ払う入院料に困るのだと思った。それでどのくらい不足なのかを確めた。ところが事実は案外であった。 「ここの払と東京へ帰る旅費ぐらいはどうかこうか持っているんだ。それだけなら何も君を煩わす必要はない」  彼は大した物持の家に生れた果報者でもなかったけれども、自分が一人息子だけに、こういう点にかけると、自分達よりよほど自由が利いた。その上母や親類のものから京都で買物を頼まれたのを、新しい道伴ができたためつい大阪まで乗り越して、いまだに手を着けない金が余っていたのである。 「じゃただ用心のために持って行こうと云うんだね」 「いや」と彼は急に云った。 「じゃどうするんだ」と自分は問いつめた。 「どうしても僕の勝手だ。ただ借りてくれさえすれば好いんだ」  自分はまた腹が立った。彼は自分をまるで他人扱いにしているのである。自分は憤として黙っていた。 「怒っちゃいけない」と彼が云った。「隠すんじゃない、君に関係のない事を、わざと吹聴するように見えるのが厭だから、知らせずにおこうと思っただけだから」  自分はまだ黙っていた。彼は寝ながら自分の顔を見上げていた。 「そんなら話すがね」と彼が云い出した。 「僕はまだあの女を見舞ってやらない。向でもそんな事は待ち受けてやしないだろうし、僕も必ず見舞に行かなければならないほどの義理はない。が、僕は何だかあの女の病気を危険にした本人だという自覚がどうしても退かない。それでどっちが先へ退院するにしても、その間際に一度会っておきたいと始終思っていた。見舞じゃない、詫まるためにだよ。気の毒な事をしたと一口詫まればそれで好いんだ。けれどもただ詫まる訳にも行かないから、それで君に頼んで見たのだ。しかし君の方の都合が悪ければ強いてそうして貰わないでもどうかなるだろう。宅へ電報でもかけたら」         二十九  自分は行がかり上一応岡田に当って見る必要があった。宅へ電報を打つという三沢をちょっと待たして、ふらりと病院の門を出た。岡田の勤めている会社は、三沢の室とは反対の方向にあるので、彼の窓から眺める訳には行かないけれども、道程からいうといくらもなかった。それでも暑いので歩いて行くうちに汗が背中を濡らすほど出た。  彼は自分の顔を見るや否や、さも久しぶりに会った人らしく「やっしばらく」と叫ぶように云った。そうしてこれまでたびたび電話で繰り返した挨拶をまた新しくまのあたり述べた。  自分と岡田とは今でこそ少し改まった言葉使もするが、昔を云えば、何の遠慮もない間柄であった。その頃は金も少しは彼のために融通してやった覚がある。自分は勇気を鼓舞するために、わざとその当時の記憶を呼起してかかった。何にも知らない彼は、立ちながら元気な声を出して、「どうです二郎さん、僕の予言は」と云った。「どうかこうか一週間うちにあなたを驚かす事ができそうじゃありませんか」  自分は思い切って、まず肝心の用事を話した。彼は案外な顔をして聞いていたが、聞いてしまうとすぐ、「ようがす、そのくらいならどうでもします」と容易に引き受けてくれた。  彼は固よりその隠袋の中に入用の金を持っていなかった。「明日でも好いんでしょう」と聞いた。自分はまた思い切って、「できるなら今日中に欲しいんだ」と強いた。彼はちょっと当惑したように見えた。 「じゃ仕方がない迷惑でしょうけれども、手紙を書きますから、宅へ持って行ってお兼に渡して下さいませんか」  自分はこの事件についてお兼さんと直接の交渉はなるべく避けたかったけれども、この場合やむをえなかったので、岡田の手紙を懐へ入れて、天下茶屋へ行った。お兼さんは自分の声を聞くや否や上り口まで馳け出して来て、「この御暑いのによくまあ」と驚いてくれた。そうして、「さあどうぞ」を二三返繰返したが、自分は立ったまま「少し急ぎますから」と断って、岡田の手紙を渡した。お兼さんは上り口に両膝を突いたなり封を切った。 「どうもわざわざ恐れ入りましたね。それではすぐ御伴をして参りますから」とすぐ奥へ入った。奥では用箪笥の環の鳴る音がした。  自分はお兼さんと電車の終点までいっしょに乗って来てそこで別れた。「では後ほど」と云いながらお兼さんは洋傘を開いた。自分はまた俥を急がして病院へ帰った。顔を洗ったり、身体を拭いたり、しばらく三沢と話しているうちに、自分は待ち設けた通りお兼さんから病院の玄関まで呼び出された。お兼さんは帯の間にある銀行の帳面を抜いて、そこに挟んであった札を自分の手の上に乗せた。 「ではどうぞちょっと御改ためなすって」  自分は形式的にそれを勘定した上、「確に。――どうもとんだ御手数をかけました。御暑いところを」と礼を述べた。実際急いだと見えてお兼さんは富士額の両脇を、細かい汗の玉でじっとりと濡らしていた。 「どうです、ちっと上って涼んでいらしったら」 「いいえ今日は急ぎますから、これで御免を蒙ります。御病人へどうぞよろしく。――でも結構でございましたね、早く御退院になれて。一時は宅でも大層心配致しまして、よく電話で御様子を伺ったとか申しておりましたが」  お兼さんはこんな愛想を云いながら、また例のクリーム色の洋傘を開いて帰って行った。         三十  自分は少し急き込んでいた。紙幣を握ったまま段々を馳け上るように三階まで来た。三沢は平生よりは落ちついていなかった。今火を点けたばかりの巻煙草をいきなり灰吹の中に放り込んで、ありがとうともいわずに、自分の手から金を受取った。自分は渡した金の高を注意して、「好いか」と聞いた。それでも彼はただうんと云っただけである。  彼はじっと「あの女」の室の方を見つめた。時間の具合で、見舞に来たものの草履は一足も廊下の端に脱ぎ棄ててなかった。平生から静過ぎる室の中は、ことに寂寞としていた。例の美くしい看護婦は相変らず角の柱に倚りかかって、産婆学の本か何か読んでいた。 「あの女は寝ているのかしら」  彼は「あの女」の室へ入るべき好機会を見出しながら、かえってその眠を妨げるのを恐れるように見えた。 「寝ているかも知れない」と自分も思った。  しばらくして三沢は小さな声で「あの看護婦に都合を聞いて貰おうか」と云い出した。彼はまだこの看護婦に口を利いた事がないというので、自分がその役を引受けなければならなかった。  看護婦は驚いたようなまたおかしいような顔をして自分を見た。けれどもすぐ自分の真面目な態度を認めて、室の中へ入って行った。かと思うと、二分と経たないうちに笑いながらまた出て来た。そうして今ちょうど気分の好いところだからお目にかかれるという患者の承諾をもたらした。三沢は黙って立ち上った。  彼は自分の顔も見ず、また看護婦の顔も見ず、黙って立ったなり、すっと「あの女」の室の中へ姿を隠した。自分は元の座に坐って、ぼんやりその後影を見送った。彼の姿が見えなくなってもやはり空に同じ所を見つめていた。冷淡なのは看護婦であった。ちょっと侮蔑の微笑を唇の上に漂わせて自分を見たが、それなり元の通り柱に背を倚せて、黙って読みかけた書物をまた膝の上にひろげ始めた。  室の中は三沢の入った後も彼の入らない前も同じように静であった。話し声などは無論聞こえなかった。看護婦は時々不意に眼を上げて室の奥の方を見た。けれども自分には何の相図もせずに、すぐその眼を頁の上に落した。  自分はこの三階の宵の間に虫の音らしい涼しさを聴いた例はあるが、昼のうちにやかましい蝉の声はついぞ自分の耳に届いた事がない。自分のたった一人で坐っている病室はその時明かな太陽の光を受けながら、真夜中よりもなお静かであった。自分はこの死んだような静かさのために、かえって神経を焦らつかせて、「あの女」の室から三沢の出るのを待ちかねた。  やがて三沢はのっそりと出て来た。室の敷居を跨ぐ時、微笑しながら「御邪魔さま。大勉強だね」と看護婦に挨拶する言葉だけが自分の耳に入った。  彼は上草履の音をわざとらしく高く鳴らして、自分の室に入るや否や、「やっと済んだ」と云った。自分は「どうだった」と聞いた。 「やっと済んだ。これでもう出ても好い」  三沢は同じ言葉を繰返すだけで、その他には何にも云わなかった。自分もそれ以上は聞き得なかった。ともかくも退院の手続を早くする方が便利だと思って、そこらに散らばっているものを片づけ始めた。三沢も固よりじっとしてはいなかった。         三十一  二人は俥を雇って病院を出た。先へ梶棒を上げた三沢の車夫が余り威勢よく馳けるので、自分は大きな声でそれを留めようとした。三沢は後を振り向いて、手を振った。「大丈夫、大丈夫」と云うらしく聞こえたから、自分もそれなりにして注意はしなかった。宿へ着いたとき、彼は川縁の欄干に両手を置いて、眼の下の広い流をじっと眺めていた。 「どうした。心持でも悪いか」と自分は後から聞いた。彼は後を向かなかった。けれども「いいや」と答えた。「ここへ来てこの河を見るまでこの室の事をまるで忘れていた」  そういって、彼は依然として流れに向っていた。自分は彼をそのままにして、麻の座蒲団の上に胡坐をかいた。それでも待遠しいので、やがて袂から敷島の袋を出して、煙草を吸い始めた。その煙草が三分の一|煙になった頃、三沢はようやく手摺を離れて自分の前へ来て坐った。 「病院で暮らしたのも、つい昨日今日のようだが、考えて見ると、もうだいぶんになるんだね」と云って指を折りながら、日数を勘定し出した。 「三階の光景が当分眼を離れないだろう」と自分は彼の顔を見た。 「思いも寄らない経験をした。これも何かの因縁だろう」と三沢も自分の顔を見た。  彼は手を叩いて、下女を呼んで今夜の急行列車の寝台を注文した。それから時計を出して、食事を済ました後、時間にどのくらい余裕があるかを見た。窮屈に馴れない二人はやがて転りと横になった。 「あの女は癒りそうなのか」 「そうさな。事によると癒るかも知れないが……」  下女が誂えた水菓子を鉢に盛って、梯子段を上って来たので、「あの女」の話はこれで切れてしまった。自分は寝転んだまま、水菓子を食った。その間彼はただ自分の口の辺を見るばかりで、何事も云わなかった。しまいにさも病人らしい調子で、「おれも食いたいな」と一言云った。先刻から浮かない様子を見ていた自分は、「構うものか、食うが好い。食え食え」と勧めた。三沢は幸いにして自分が氷菓子を食わせまいとしたあの日の出来事を忘れていた。彼はただ苦笑いをして横を向いた。 「いくら好だって、悪いと知りながら、無理に食わせられて、あの女のようになっちゃ大変だからな」  彼は先刻から「あの女」の事を考えているらしかった。彼は今でも「あの女」の事を考えているとしか思われなかった。 「あの女は君を覚えていたかい」 「覚えているさ。この間会って、僕から無理に酒を呑まされたばかりだもの」 「恨んでいたろう」  今まで横を向いてそっぽへ口を利いていた三沢は、この時急に顔を向け直してきっと正面から自分を見た。その変化に気のついた自分はすぐ真面目な顔をした。けれども彼があの女の室に入った時、二人の間にどんな談話が交換されたかについて、彼はついに何事をも語らなかった。 「あの女はことによると死ぬかも知れない。死ねばもう会う機会はない。万一癒るとしても、やっぱり会う機会はなかろう。妙なものだね。人間の離合というと大袈裟だが。それに僕から見れば実際離合の感があるんだからな。あの女は今夜僕の東京へ帰る事を知って、笑いながら御機嫌ようと云った。僕はその淋しい笑を、今夜何だか汽車の中で夢に見そうだ」         三十二  三沢はただこう云った。そうして夢に見ない先からすでに「あの女」の淋しい笑い顔を眼の前に浮べているように見えた。三沢に感傷的のところがあるのは自分もよく承知していたが、単にあれだけの関係で、これほどあの女に動かされるのは不審であった。自分は三沢と「あの女」が別れる時、どんな話をしたか、詳しく聞いて見ようと思って、少し水を向けかけたが、何の効果もなかった。しかも彼の態度が惜しいものを半分|他に配けてやると、半分無くなるから厭だという風に見えたので、自分はますます変な気持がした。 「そろそろ出かけようか。夜の急行は込むから」ととうとう自分の方で三沢を促がすようになった。 「まだ早い」と三沢は時計を見せた。なるほど汽車の出るまでにはまだ二時間ばかり余っていた。もう「あの女」の事は聞くまいと決心した自分は、なるべく病院の名前を口へ出さずに、寝転びながら彼と通り一遍の世間話を始めた。彼はその時|人並の受け答をした。けれどもどこか調子に乗らないところがあるので、何となく不愉快そうに見えた。それでも席は動かなかった。そうしてしまいには黙って河の流ればかり眺めていた。 「まだ考えている」と自分は大きな声を出してわざと叫んだ。三沢は驚いて自分を見た。彼はこういう場合にきっと、御前はヴァルガーだと云う眼つきをして、一瞥の侮辱を自分に与えなければ承知しなかったが、この時に限ってそんな様子はちっとも見せなかった。 「うん考えている」と軽く云った。「君に打ち明けようか、打ち明けまいかと迷っていたところだ」と云った。  自分はその時彼から妙な話を聞いた。そうしてその話が直接「あの女」と何の関係もなかったのでなおさら意外の感に打たれた。  今から五六年前彼の父がある知人の娘を同じくある知人の家に嫁らした事があった。不幸にもその娘さんはある纏綿した事情のために、一年|経つか経たないうちに、夫の家を出る事になった。けれどもそこにもまた複雑な事情があって、すぐわが家に引取られて行く訳に行かなかった。それで三沢の父が仲人という義理合から当分この娘さんを預かる事になった。――三沢はいったん嫁いで出て来た女を娘さん娘さんと云った。 「その娘さんは余り心配したためだろう、少し精神に異状を呈していた。それは宅へ来る前か、あるいは来てからかよく分らないが、とにかく宅のものが気がついたのは来てから少し経ってからだ。固より精神に異状を呈しているには相違なかろうが、ちょっと見たって少しも分らない。ただ黙って欝ぎ込んでいるだけなんだから。ところがその娘さんが……」  三沢はここまで来て少し躊躇した。 「その娘さんがおかしな話をするようだけれども、僕が外出するときっと玄関まで送って出る。いくら隠れて出ようとしてもきっと送って出る。そうして必ず、早く帰って来てちょうだいねと云う。僕がええ早く帰りますからおとなしくして待っていらっしゃいと返事をすれば合点合点をする。もし黙っていると、早く帰って来てちょうだいね、ね、と何度でも繰返す。僕は宅のものに対してきまりが悪くってしようがなかった。けれどもまたこの娘さんが不憫でたまらなかった。だから外出してもなるべく早く帰るように心がけていた。帰るとその人の傍へ行って、立ったままただいまと一言必ず云う事にしていた」  三沢はそこへ来てまた時計を見た。 「まだ時間はあるね」と云った。         三十三  その時自分はこれぎりでその娘さんの話を止められてはと思った。幸いに時間がまだだいぶあったので、自分の方から何とも云わない先に彼はまた語り続けた。 「宅のものがその娘さんの精神に異状があるという事を明かに認め出してからはまだよかったが、知らないうちは今云った通り僕もその娘さんの露骨なのにずいぶん弱らせられた。父や母は苦い顔をする。台所のものはないしょでくすくす笑う。僕は仕方がないから、その娘さんが僕を送って玄関まで来た時、烈しく怒りつけてやろうかと思って、二三度|後を振り返って見たが、顔を合せるや否や、怒るどころか、邪慳な言葉などは可哀そうでとても口から出せなくなってしまった。その娘さんは蒼い色の美人だった。そうして黒い眉毛と黒い大きな眸をもっていた。その黒い眸は始終遠くの方の夢を眺ているように恍惚と潤って、そこに何だか便のなさそうな憐を漂よわせていた。僕が怒ろうと思ってふり向くと、その娘さんは玄関に膝を突いたなりあたかも自分の孤独を訴えるように、その黒い眸を僕に向けた。僕はそのたびに娘さんから、こうして活きていてもたった一人で淋しくってたまらないから、どうぞ助けて下さいと袖に縋られるように感じた。――その眼がだよ。その黒い大きな眸が僕にそう訴えるのだよ」 「君に惚れたのかな」と自分は三沢に聞きたくなった。 「それがさ。病人の事だから恋愛なんだか病気なんだか、誰にも解るはずがないさ」と三沢は答えた。 「色情狂っていうのは、そんなもんじゃないのかな」と自分はまた三沢に聞いた。  三沢は厭な顔をした。 「色情狂と云うのは、誰にでもしなだれかかるんじゃないか。その娘さんはただ僕を玄関まで送って出て来て、早く帰って来てちょうだいねと云うだけなんだから違うよ」 「そうか」  自分のこの時の返事は全く光沢がなさ過ぎた。 「僕は病気でも何でも構わないから、その娘さんに思われたいのだ。少くとも僕の方ではそう解釈していたいのだ」と三沢は自分を見つめて云った。彼の顔面の筋肉はむしろ緊張していた。「ところが事実はどうもそうでないらしい。その娘さんの片づいた先の旦那というのが放蕩家なのか交際家なのか知らないが、何でも新婚早々たびたび家を空けたり、夜遅く帰ったりして、その娘さんの心をさんざん苛めぬいたらしい。けれどもその娘さんは一口も夫に対して自分の苦みを言わずに我慢していたのだね。その時の事が頭に祟っているから、離婚になった後でも旦那に云いたかった事を病気のせいで僕に云ったのだそうだ。――けれども僕はそう信じたくない。強いてもそうでないと信じていたい」 「それほど君はその娘さんが気に入ってたのか」と自分はまた三沢に聞いた。 「気に入るようになったのさ。病気が悪くなればなるほど」 「それから。――その娘さんは」 「死んだ。病院へ入って」  自分は黙然とした。 「君から退院を勧められた晩、僕はその娘さんの三回忌を勘定して見て、単にそのためだけでも帰りたくなった」と三沢は退院の動機を説明して聞かせた。自分はまだ黙っていた。 「ああ肝心の事を忘れた」とその時三沢が叫んだ。自分は思わず「何だ」と聞き返した。 「あの女の顔がね、実はその娘さんに好く似ているんだよ」  三沢の口元には解ったろうと云う一種の微笑が見えた。二人はそれからじきに梅田の停車場へ俥を急がした。場内は急行を待つ乗客ですでにいっぱいになっていた。二人は橋を向へ渡って上り列車を待ち合わせた。列車は十分と立たないうちに地を動かして来た。 「また会おう」  自分は「あの女」のために、また「その娘さん」のために三沢の手を固く握った。彼の姿は列車の音と共にたちまち暗中に消えた。      兄         一  自分は三沢を送った翌日また母と兄夫婦とを迎えるため同じ停車場に出かけなければならなかった。  自分から見るとほとんど想像さえつかなかったこの出来事を、始めから工夫して、とうとうそれを物にするまで漕ぎつけたものは例の岡田であった。彼は平生からよくこんな技巧を弄してその成効に誇るのが好であった。自分をわざわざ電話口へ呼び出して、そのうちきっと自分を驚かして見せると断ったのは彼である。それからほどなく、お兼さんが宿屋へ尋ねて来て、その訳を話した時には、自分も実際驚かされた。 「どうして来るんです」と自分は聞いた。  自分が東京を立つ前に、母の持っていた、ある場末の地面が、新たに電車の布設される通り路に当るとかでその前側を幾坪か買い上げられると聞いたとき、自分は母に「じゃその金でこの夏みんなを連て旅行なさい」と勧めて、「また二郎さんのお株が始まった」と笑われた事がある。母はかねてから、もし機会があったら京大阪を見たいと云っていたが、あるいはその金が手に入ったところへ、岡田からの勧誘があったため、こう大袈裟な計画になったのではなかろうか。それにしても岡田がまた何でそんな勧誘をしたものだろう。 「何という大した考えもないんでございましょう。ただ昔しお世話になった御礼に御案内でもする気なんでしょう。それにあの事もございますから」  お兼さんの「あの事」というのは例の結婚事件である。自分はいくらお貞さんが母のお気に入りだって、そのために彼女がわざわざ大阪|三界まで出て来るはずがないと思った。  自分はその時すでに懐が危しくなっていた。その上|後から三沢のために岡田に若干の金額を借りた。ほかの意味は別として、母と兄夫婦の来るのはこの不足填補の方便として自分には好都合であった。岡田もそれを知って快よくこちらの要るだけすぐ用立ててくれたに違いなかろうと思った。  自分は岡田夫婦といっしょに停車場に行った。三人で汽車を待ち合わしている間に岡田は、「どうです。二郎さん喫驚したでしょう」といった。自分はこれと類似の言葉を、彼から何遍も聞いているので、何とも答えなかった。お兼さんは岡田に向って、「あなたこの間から独で御得意なのね。二郎さんだって聞き飽きていらっしゃるわ。そんな事」と云いながら自分を見て「ねえあなた」と詫まるようにつけ加えた。自分はお兼さんの愛嬌のうちに、どことなく黒人らしい媚を認めて、急に返事の調子を狂わせた。お兼さんは素知らぬ風をして岡田に話しかけた。―― 「奥さまもだいぶ御目にかからないから、ずいぶんお変りになったでしょうね」 「この前会った時はやっぱり元の叔母さんさ」  岡田は自分の母の事を叔母さんと云い、お兼さんは奥様というのが、自分には変に聞こえた。 「始終傍にいると、変るんだか変らないんだか分りませんよ」と自分は答えて笑っているうちに汽車が着いた。岡田は彼ら三人のために特別に宿を取っておいたとかいって、直に俥を南へ走らした。自分は空に乗った俥の上で、彼のよく人を驚かせるのに驚いた。そう云えば彼が突然上京してお兼さんを奪うように伴れて行ったのも自分を驚かした目覚ましい手柄の一つに相違なかった。         二  母の宿はさほど大きくはなかったけれども、自分の泊っている所よりはよほど上品な構であった。室には扇風器だの、唐机だの、特別にその唐机の傍に備えつけた電灯などがあった。兄はすぐそこにある電報紙へ大阪着の旨を書いて下女に渡していた。岡田はいつの間にか用意して来た三四枚の絵端書を袂の中から出して、これは叔父さん、これはお重さん、これはお貞さんと一々|名宛を書いて、「さあ一口ずつ皆などうぞ」と方々へ配っていた。  自分はお貞さんの絵端書へ「おめでとう」と書いた。すると母がその後へ「病気を大事になさい」と書いたので吃驚した。 「お貞さんは病気なんですか」 「実はあの事があるので、ちょうど好い折だから、今度|伴れて来ようと思って仕度までさせたところが、あいにくお腹が悪くなってね。残念な事をしましたよ」 「でも大した事じゃないのよ。もうお粥がそろそろ食べられるんだから」と嫂が傍から説明した。その嫂は父に出す絵端書を持ったまま何か考えていた。「叔父さんは風流人だから歌が好いでしょう」と岡田に勧められて、「歌なんぞできるもんですか」と断った。岡田はまたお重へ宛てたのに、「あなたの口の悪いところを聞けないのが残念だ」と細かく謹んで書いたので、兄から「将棋の駒がまだ祟ってると見えるね」と笑われていた。  絵端書が済んで、しばらく世間話をした後で、岡田とお兼さんはまた来ると云って、母や兄が止めるのも聞かずに帰って行った。 「お兼さんは本当に奥さんらしくなったね」 「宅へ仕立物を持って来た時分を考えると、まるで見違えるようだよ」  母が兄とお兼さんを評し合った言葉の裏には、己れがそれだけ年を取ったという淡い哀愁を含んでいた。 「お貞さんだって、もう直ですよお母さん」と自分は横合から口を出した。 「本当にね」と母は答えた。母は腹の中で、まだ片づく当のないお重の事でも考えているらしかった。兄は自分を顧みて、「三沢が病気だったので、どこへも行かなかったそうだね」と聞いた。自分は「ええ。とんだところへ引っかかってどこへも行かずじまいでした」と答えた。自分と兄とは常にこのくらい懸隔のある言葉で応対するのが例になっていた。これは年が少し違うのと、父が昔堅気で、長男に最上の権力を塗りつけるようにして育て上げた結果である。母もたまには自分をさんづけにして二郎さんと呼んでくれる事もあるが、これは単に兄の一郎さんのお余りに過ぎないと自分は信じていた。  みんなは話に気を取られて浴衣を着換えるのを忘れていた。兄は立って、糊の強いのを肩へ掛けながら、「どうだい」と自分を促がした。嫂は浴衣を自分に渡して、「全体あなたのお部屋はどこにあるの」と聞いた。手摺の所へ出て、鼻の先にある高い塗塀を欝陶しそうに眺めていた母は、「いい室だが少し陰気だね。二郎お前のお室もこんなかい」と聞いた。自分は母のいる傍へ行って、下を見た。下には張物板のような細長い庭に、細い竹が疎に生えて錆びた鉄灯籠が石の上に置いてあった。その石も竹も打水で皆しっとり濡れていた。 「狭いが凝ってますね。その代り僕の所のように河がありませんよ、お母さん」 「おやどこに河があるの」と母がいう後から、兄も嫂もその河の見える座敷と取換えて貰おうと云い出した。自分は自分の宿のある方角やら地理やらを説明して聞かした。そうしてひとまず帰って荷物を纏めた上またここへ来る約束をして宿を出た。         三  自分はその夕方宿の払を済まして母や兄といっしょになった。三人は少し夕飯が後れたと見えて、膳を控えたまま楊枝を使っていた。自分は彼らを散歩に連れ出そうと試みた。母は疲れたと云って応じなかった。兄は面倒らしかった。嫂だけには行きたい様子が見えた。 「今夜は御止しよ」と母が留めた。  兄は寝転びながら話をした。そうして口では大阪を知ってるような事を云った。けれどもよく聞いて見ると、知っているのは天王寺だの中の島だの千日前だのという名前ばかりで地理上の知識になると、まるで夢のように散漫|極まるものであった。  もっとも「大坂城の石垣の石は実に大きかった」とか、「天王寺の塔の上へ登って下を見たら眼が眩んだ」とか断片的の光景は実際覚えているらしかった。そのうちで一番面白く自分の耳に響いたのは彼の昔|泊ったという宿屋の夜の景色であった。 「細い通りの角で、欄干の所へ出ると柳が見えた。家が隙間なく並んでいる割には閑静で、窓から眺められる長い橋も画のように趣があった。その上を通る車の音も愉快に響いた。もっとも宿そのものは不親切で汚なくって困ったが……」 「いったいそれは大阪のどこなの」と嫂が聞いたが、兄は全く知らなかった。方角さえ分らないと答えた。これが兄の特色であった。彼は事件の断面を驚くばかり鮮かに覚えている代りに、場所の名や年月を全く忘れてしまう癖があった。それで彼は平気でいた。 「どこだか解らなくっちゃつまらないわね」と嫂がまた云った。兄と嫂とはこんなところでよく喰い違った。兄の機嫌の悪くない時はそれでも済むが、少しの具合で事が面倒になる例も稀ではなかった。こういう消息に通じた母は、「どこでも構わないが、それだけじゃないはずだったのにね。後を御話しよ」と云った。兄は「御母さんにも直にもつまらない事ですよ」と断って、「二郎そこの二階に泊ったとき面白いと思ったのはね」と自分に話し掛けた。自分は固より兄の話を一人で聞くべき責任を引受けた。 「どうしました」 「夜になって一寝入して眼が醒めると、明かるい月が出て、その月が青い柳を照していた。それを寝ながら見ているとね、下の方で、急にやっという掛声が聞こえた。あたりは案外静まり返っているので、その掛声がことさら強く聞こえたんだろう、おれはすぐ起きて欄干の傍まで出て下を覗いた。すると向に見える柳の下で、真裸な男が三人代る代る大な沢庵石の持ち上げ競をしていた。やっと云うのは両手へ力を入れて差し上げる時の声なんだよ。それを三人とも夢中になって熱心にやっていたが、熱心なせいか、誰も一口も物を云わない。おれは明らかな月影に黙って動く裸体の人影を見て、妙に不思議な心持がした。するとそのうちの一人が細長い天秤棒のようなものをぐるりぐるりと廻し始めた……」 「何だか水滸伝のような趣じゃありませんか」 「その時からしてがすでに縹緲たるものさ。今日になって回顧するとまるで夢のようだ」  兄はこんな事を回想するのが好であった。そうしてそれは母にも嫂にも通じない、ただ父と自分だけに解る趣であった。 「その時大阪で面白いと思ったのはただそれぎりだが、何だかそんな連想を持って来て見ると、いっこう大阪らしい気がしないね」  自分は三沢のいた病院の三階から見下される狭い綺麗な通を思い出した。そうして兄の見た棒使や力持はあんな町内にいる若い衆じゃなかろうかと想像した。  岡田夫婦は約のごとくその晩また尋ねて来た。         四  岡田はすこぶる念入の遊覧目録といったようなものを、わざわざ宅から拵えて来て、母と兄に見せた。それがまた余り綿密過ぎるので、母も兄も「これじゃ」と驚いた。 「まあ幾日くらい御滞在になれるんですか、それ次第でプログラムの作り方もまたあるんですから。こっちは東京と違ってね、少し市を離れるといくらでも見物する所があるんです」  岡田の言葉のうちには多少の不服が籠っていたが、同時に得意な調子も見えた。 「まるで大阪を自慢していらっしゃるようよ。あなたの話を傍で聞いていると」  お兼さんは笑いながらこう云って真面目な夫に注意した。 「いえ自慢じゃない。自慢じゃないが……」  注意された岡田はますます真面目になった。それが少し滑稽に見えたので皆なが笑い出した。 「岡田さんは五六年のうちにすっかり上方風になってしまったんですね」と母が調戯った。 「それでもよく東京の言葉だけは忘れずにいるじゃありませんか」と兄がその後に随いてまた冷嘲し始めた。岡田は兄の顔を見て、「久しぶりに会うと、すぐこれだから敵わない。全く東京ものは口が悪い」と云った。 「それにお重の兄だもの、岡田さん」と今度は自分が口を出した。 「お兼少し助けてくれ」と岡田がしまいに云った。そうして母の前に置いてあった先刻のプログラムを取って袂へ入れながら、「馬鹿馬鹿しい、骨を折ったり調戯われたり」とわざわざ怒った風をした。  冗談がひとしきり済むと、自分の予期していた通り、佐野の話が母の口から持ち出された。母は「このたびはまたいろいろ」と云ったような打って変った几帳面な言葉で岡田に礼を述べる、岡田はまたしかつめらしく改まった口上で、まことに行き届きませんでなどと挨拶をする、自分には両方共|大袈裟に見えた。それから岡田はちょうど好い都合だから、是非本人に会ってやってくれと、また会見の打ち合せをし始めた。兄もその話しの中に首を突込まなくっては義理が悪いと見えて、煙草を吹かしながら二人の相手になっていた。自分は病気で寝ているお貞さんにこの様子を見せて、ありがたいと思うか、余計な御世話だと思うか、本当のところを聞いて見たい気がした。同時に三沢が別れる時、新しく自分の頭に残して行った美しい精神病の「娘さん」の不幸な結婚を聯想した。  嫂とお兼さんは親しみの薄い間柄であったけれども、若い女同志という縁故で先刻から二人だけで話していた。しかし気心が知れないせいか、両方共遠慮がちでいっこう調子が合いそうになかった。嫂は無口な性質であった。お兼さんは愛嬌のある方であった。お兼さんが十口物をいう間に嫂は一口しかしゃべれなかった。しかも種が切れると、その都度きっとお兼さんの方から供給されていた。最後に子供の話が出た。すると嫂の方が急に優勢になった。彼女はその小さい一人娘の平生を、さも興ありげに語った。お兼さんはまた嫂のくだくだしい叙述を、さも感心したように聞いていたが、実際はまるで無頓着らしくも見えた。ただ一遍「よくまあお一人でお留守居ができます事」と云ったのは誠らしかった。「お重さんによく馴づいておりますから」と嫂は答えていた。         五  母と兄夫婦の滞在日数は存外少いものであった。まず市内で二三日市外で二三日しめて一週間足らずで東京へ帰る予定で出て来たらしかった。 「せめてもう少しはいいでしょう。せっかくここまで出ていらしったんだから。また来るたって、そりゃ容易な事じゃありませんよ、億劫で」  こうは云うものの岡田も、母の滞在中会社の方をまるで休んで、毎日案内ばかりして歩けるほどの余裕は無論なかった。母も東京の宅の事が気にかかるように見えた。自分に云わせると、母と兄夫婦というからしてがすでに妙な組合せであった。本来なら父と母といっしょに来るとか、兄と嫂だけが連立って避暑に出かけるとか、もしまたお貞さんの結婚問題が目的なら、当人の病気が癒るのを待って、母なり父なりが連れて来て、早く事を片づけてしまうとか、自然の予定は二通りも三通りもあった。それがこう変な形になって現れたのはどういう訳だか、自分には始めから呑み込めなかった。母はまたそれを胸の中に畳込んでいるという風に見えた。母ばかりではない、兄夫婦もそこに気がついているらしいところもあった。  佐野との会見は型のごとく済んだ。母も兄も岡田に礼を述べていた。岡田の帰った後でも両方共佐野の批評はしなかった。もう事が極って批評をする余地がないというようにも取れた。結婚は年の暮に佐野が東京へ出て来る機会を待って、式を挙げるように相談が調った。自分は兄に、「おめでた過ぎるくらい事件がどんどん進行して行く癖に、本人がいっこう知らないんだから面白い」と云った。 「当人は無論知ってるんだ」と兄が答えた。 「大喜びだよ」と母が保証した。  自分は一言もなかった。しばらくしてから、「もっともこんな問題になると自分でどんどん進行させる勇気は日本の婦人にあるまいからな」と云った。兄は黙っていた。嫂は変な顔をして自分を見た。 「女だけじゃないよ。男だって自分勝手にむやみと進行されちゃ困りますよ」と母は自分に注意した。すると兄が「いっそその方が好いかも知れないね」と云った。その云い方が少し冷か過ぎたせいか、母は何だか厭な顔をした。嫂もまた変な顔をした。けれども二人とも何とも云わなかった。  少し経ってから母はようやく口を開いた。 「でも貞だけでもきまってくれるとお母さんは大変|楽な心持がするよ。後は重ばかりだからね」 「これもお父さんの御蔭さ」と兄が答えた。その時兄の唇に薄い皮肉の影が動いたのを、母は気がつかなかった。 「全くお父さんの御蔭に違ないよ。岡田が今ああやってるのと同じ事さ」と母はだいぶ満足な体に見えた。  憐れな母は父が今でも社会的に昔通りの勢力をもっているとばかり信じていた。兄は兄だけに、社会から退隠したと同様の今の父に、その半分の影響さえむずかしいと云う事を見破っていた。  兄と同意見の自分は、家族中ぐるになって、佐野を瞞しているような気がしてならなかった。けれどもまた一方から云えば、佐野は瞞されてもしかるべきだという考えが始めから頭のどこかに引っかかっていた。  とにかく会見は満足のうちに済んだ。兄は暑いので脳に応えるとか云って、早く大阪を立ち退く事を主張した。自分は固より賛成であった。         六  実際その頃の大阪は暑かった。ことに我々の泊っている宿屋は暑かった。庭が狭いのと塀が高いので、日の射し込む余地もなかったが、その代り風の通る隙間にも乏しかった。ある時は湿っぽい茶座敷の中で、四方から焚火に焙られているような苦しさがあった。自分は夜通し扇風器をかけてぶうぶう鳴らしたため、馬鹿な真似をして風邪でもひいたらどうすると云って母から叱られた事さえあった。  大阪を立とうという兄の意見に賛成した自分は、有馬なら涼しくって兄の頭によかろうと思った。自分はこの有名な温泉をまだ知らなかった。車夫が梶棒へ綱を付けて、その綱の先をまた犬に付けて坂路を上るのだそうだが、暑いので犬がともすると渓河の清水を飲もうとするのを、車夫が怒って竹の棒でむやみに打擲くから、犬がひんひん苦しがりながら俥を引くんだという話を、かつて聞いたまましゃべった。 「厭だねそんな俥に乗るのは、可哀想で」と母が眉をひそめた。 「なぜまた水を飲ませないんだろう。俥が遅れるからかね」と兄が聞いた。 「途中で水を飲むと疲れて役に立たないからだそうです」と自分が答えた。 「へえー、なぜ」と今度は嫂が不思議そうに聞いたが、それには自分も答える事ができなかった。  有馬行は犬のせいでもなかったろうけれども、とうとう立消になった。そうして意外にも和歌の浦見物が兄の口から発議された。これは自分もかねてから見たいと思っていた名所であった。母も子供の時からその名に親しみがあるとかで、すぐ同意した。嫂だけはどこでも構わないという風に見えた。  兄は学者であった。また見識家であった。その上詩人らしい純粋な気質を持って生れた好い男であった。けれども長男だけにどこかわがままなところを具えていた。自分から云うと、普通の長男よりは、だいぶ甘やかされて育ったとしか見えなかった。自分ばかりではない、母や嫂に対しても、機嫌の好い時は馬鹿に好いが、いったん旋毛が曲り出すと、幾日でも苦い顔をして、わざと口を利かずにいた。それで他人の前へ出ると、また全く人間が変ったように、たいていな事があっても滅多に紳士の態度を崩さない、円満な好侶伴であった。だから彼の朋友はことごとく彼を穏かな好い人物だと信じていた。父や母はその評判を聞くたびに案外な顔をした。けれどもやっぱり自分の子だと見えて、どこか嬉しそうな様子が見えた。兄と衝突している時にこんな評判でも耳に入ろうものなら、自分はむやみに腹が立った。一々その人の宅まで出かけて行って、彼らの誤解を訂正してやりたいような気さえ起った。  和歌の浦行に母がすぐ賛成したのも、実は彼女が兄の気性をよく呑み込んでいるからだろうと自分は思った。母は長い間わが子の我を助けて育てるようにした結果として、今では何事によらずその我の前に跪く運命を甘んじなければならない位地にあった。  自分は便所に立った時、手水鉢の傍にぼんやり立っていた嫂を見付けて、「姉さんどうです近頃は。兄さんの機嫌は好い方なんですか悪い方なんですか」と聞いた。嫂は「相変らずですわ」とただ一口答えただけであった。嫂はそれでも淋しい頬に片靨を寄せて見せた。彼女は淋しい色沢の頬をもっていた。それからその真中に淋しい片靨をもっていた。         七  自分は立つ前に岡田に借りた金の片をつけて行きたかった。もっとも彼に話をしさえすれば、東京へ帰ってからでも構わないとは思ったけれども、ああいう人の金はなるべく早く返しておいた方が、こっちの心持がいいという考えがあった。それで誰も傍にいない折を見計らって、母にどうかしてくれと頼んだ。  母は兄を大事にするだけあって、無論彼を心から愛していた。けれども長男という訳か、また気むずかしいというせいか、どこかに遠慮があるらしかった。ちょっとの事を注意するにしても、なるべく気に障らないように、始めから気を置いてかかった。そこへ行くと自分はまるで子供同様の待遇を母から受けていた。「二郎そんな法があるのかい」などと頭ごなしにやっつけられた。その代りまた兄以上に可愛がられもした。小遣などは兄にないしょでよく貰った覚がある。父の着物などもいつの間にか自分のに仕立直してある事は珍らしくなかった。こういう母の仕打が、例の兄にはまたすこぶる気に入らなかった。些細な事から兄はよく機嫌を悪くした。そうして明るい家の中に陰気な空気を漲ぎらした。母は眉をひそめて、「また一郎の病気が始まったよ」と自分に時々|私語いた。自分は母から腹心の郎党として取扱われるのが嬉しさに、「癖なんだから、放っておおきなさい」ぐらい云って澄ましていた時代もあった。兄の性質が気むずかしいばかりでなく、大小となく影でこそこそ何かやられるのを忌む正義の念から出るのだという事を後から知って以来、自分は彼に対してこんな軽薄な批評を加えるのを恥ずるようになった。けれども表向兄の承諾を求めると、とうてい行われにくい用件が多いので、自分はつい機会を見ては母の懐に一人|抱かれようとした。  母は自分が三沢のために岡田から金を借りた顛末を聞いて驚いた顔をした。 「そんな女のためにお金を使う訳がないじゃないか、三沢さんだって。馬鹿らしい」と云った。 「だけど、そこには三沢も義理があるんだから」と自分は弁解した。 「義理義理って、御母さんには解らないよ、お前のいう事は。気の毒なら、手ぶらで見舞に行くだけの事じゃないか。もし手ぶらできまりが悪ければ、菓子折の一つも持って行きゃあたくさんだね」  自分はしばらく黙っていた。 「よし三沢さんにそれだけの義理があったにしたところでさ。何もお前が岡田なんぞからそれを借りて上げるだけの義理はなかろうじゃないか」 「じゃよござんす」と自分は答えた。そうして立って下へ行こうとした。兄は湯に入っていた。嫂は小さい下の座敷を借りて髪を結わしていた。座敷には母よりほかにいなかった。 「まあお待ちよ」と母が呼び留めた。「何も出して上げないと云ってやしないじゃないか」  母の言葉には兄一人でさえたくさんなところへ、何の必要があって、自分までこの年寄を苛めるかと云わぬばかりの心細さが籠っていた。自分は母のいう通り元の席に着いたが、気の毒でちょっと顔を上げ得なかった。そうしてこの無恰好な態度で、さも子供らしく母から要るだけの金子を受取った。母が一段声を落して、いつものように、「兄さんにはないしょだよ」と云った時、自分は不意に名状しがたい不愉快に襲われた。         八  自分達はその翌日の朝和歌山へ向けて立つはずになっていた。どうせいったんはここへ引返して来なければならないのだから、岡田の金もその時で好いとは思ったが、性急の自分には紙入をそのまま懐中しているからがすでに厭だった。岡田はその晩も例の通り宿屋へ話に来るだろうと想像された。だからその折にそっと返しておこうと自分は腹の中できめた。  兄が湯から上って来た。帯も締めずに、浴衣を羽織るようにひっかけたままずっと欄干の所まで行ってそこへ濡手拭を懸けた。 「お待遠」 「お母さん、どうです」と自分は母を促がした。 「まあお這入りよ、お前から」と云った母は、兄の首や胸の所を眺めて、「大変好い血色におなりだね。それに少し肉が付いたようじゃないか」と賞めていた。兄は性来の痩っぽちであった。宅ではそれをみんな神経のせいにして、もう少し肥らなくっちゃ駄目だと云い合っていた。その内でも母は最も気を揉んだ。当人自身も痩せているのを何かの刑罰のように忌み恐れた。それでもちっとも肥れなかった。  自分は母の言葉を聞きながら、この苦しい愛嬌を、慰藉の一つとしてわが子の前に捧げなければならない彼女の心事を気の毒に思った。兄に比べると遥かに頑丈な体躯を起しながら、「じゃ御先へ」と母に挨拶して下へ降りた。風呂場の隣の小さい座敷をちょいと覗くと、嫂は今|髷ができたところで、合せ鏡をして鬢だの髱だのを撫でていた。 「もう済んだんですか」 「ええ。どこへいらっしゃるの」 「御湯へ這入ろうと思って。お先へ失礼してもよござんすか」 「さあどうぞ」  自分は湯に入りながら、嫂が今日に限ってなんでまた丸髷なんて仰山な頭に結うのだろうと思った。大きな声を出して、「姉さん、姉さん」と湯壺の中から呼んで見た。「なによ」という返事が廊下の出口で聞こえた。 「御苦労さま、この暑いのに」と自分が云った。 「なぜ」 「なぜって、兄さんの御好みなんですか、そのでこでこ頭は」 「知らないわ」  嫂の廊下伝いに梯子段を上る草履の音がはっきり聞こえた。  廊下の前は中庭で八つ手の株が見えた。自分はその暗い庭を前に眺めて、番頭に背中を流して貰っていた。すると入口の方から縁側を沿って、また活溌な足音が聞こえた。  そうして詰襟の白い洋服を着た岡田が自分の前を通った。自分は思わず、「おい君、君」と呼んだ。 「や、今お湯、暗いんでちっとも気がつかなかった」と岡田は一足後戻りして風呂を覗き込みながら挨拶をした。 「あなたに話がある」と自分は突然云った。 「話が? 何です」 「まあ、お入んなさい」  岡田は冗談じゃないと云う顔をした。 「お兼は来ませんか」  自分が「いいえ」と答えると、今度は「皆さんは」と聞いた。自分がまた「みんないますよ」というと、不思議そうに「じゃ今日はどこへも行かなかったんですか」と聞いた。 「行ってもう帰って来たんです」 「実は僕も今会社から帰りがけですがね。どうも暑いじゃあありませんか。――とにかくちょっと伺候して来ますから。失礼」  岡田はこう云い捨てたなり、とうとう自分の用事を聞かずに二階へ上って行ってしまった。自分もしばらくして風呂から出た。         九  岡田はその夜だいぶ酒を呑んだ。彼は是非都合して和歌の浦までいっしょに行くつもりでいたが、あいにく同僚が病気で欠勤しているので、予期の通りにならないのがはなはだ残念だと云ってしきりに母や兄に詫びていた。 「じゃ今夜が御別れだから、少し御過ごしなさい」と母が勧めた。  あいにく自分の家族は酒に親しみの薄いものばかりで、誰も彼の相手にはなれなかった。それで皆な御免蒙って岡田より先へ食事を済ました。岡田はそれがこっちも勝手だといった風に、独り膳を控えて盃を甜め続けた。  彼は性来元気な男であった。その上酒を呑むとますます陽気になる好い癖を持っていた。そうして相手が聞こうが聞くまいが、頓着なしに好きな事を喋舌って、時々一人高笑いをした。  彼は大阪の富が過去二十年間にどのくらい殖えて、これから十年立つとまたその富が今の何十倍になるというような統計を挙げておおいに満足らしく見えた。 「大阪の富より君自身の富はどうだい」と兄が皮肉を云ったとき、岡田は禿げかかった頭へ手を載せて笑い出した。 「しかし僕の今日あるも――というと、偉過ぎるが、まあどうかこうかやって行けるのも、全く叔父さんと叔母さんのお蔭です。僕はいくらこうして酒を呑んで太平楽を並べていたって、それだけはけっして忘れやしません」  岡田はこんな事を云って、傍にいる母と遠くにいる父に感謝の意を表した。彼は酔うと同じ言葉を何遍も繰返す癖のある男だったが、ことにこの感謝の意は少しずつ違った形式で、幾度か彼の口から洩れた。しまいに彼は灘万のまな鰹とか何とかいうものを、是非父に喰わせたいと云い募った。  自分は彼がもと書生であった頃、ある正月の宵どこかで振舞酒を浴びて帰って来て、父の前へ長さ三寸ばかりの赤い蟹の足を置きながら平伏して、謹んで北海の珍味を献上しますと云ったら、父は「何だそんな朱塗りの文鎮見たいなもの。要らないから早くそっちへ持って行け」と怒った昔を思い出した。  岡田はいつまでも飲んで帰らなかった。始めは興を添えた彼の座談もだんだん皆なに飽きられて来た。嫂は団扇を顔へ当てて欠を隠した。自分はとうとう彼を外へ連出さなければならなかった。自分は散歩にかこつけて五六町彼といっしょに歩いた。そうして懐から例の金を出して彼に返した。金を受取った時の彼は、酔っているにもかかわらず驚ろくべくたしかなものであった。「今でなくってもいいのに。しかしお兼が喜びますよ。ありがとう」と云って、洋服の内隠袋へ収めた。  通りは静であった。自分はわれ知らず空を仰いだ。空には星の光が存外濁っていた。自分は心の内に明日の天気を気遣った。すると岡田が藪から棒に「一郎さんは実際むずかしやでしたね」と云い出した。そうして昔し兄と自分と将棋を指した時、自分が何か一口云ったのを癪に、いきなり将棋の駒を自分の額へぶつけた騒ぎを、新しく自分の記憶から呼び覚した。 「あの時分からわがままだったからね、どうも。しかしこの頃はだいぶ機嫌が好いようじゃありませんか」と彼がまた云った。自分は煮え切らない生返事をしておいた。 「もっとも奥さんができてから、もうよっぽどになりますからね。しかし奥さんの方でもずいぶん気骨が折れるでしょう。あれじゃ」  自分はそれでも何の答もしなかった。ある四角へ来て彼と別れるときただ「お兼さんによろしく」と云ったまままた元の路へ引き返した。         十  翌日朝の汽車で立った自分達は狭い列車のなかの食堂で昼飯を食った。「給仕がみんな女だから面白い。しかもなかなか別嬪がいますぜ、白いエプロンを掛けてね。是非中で昼飯をやって御覧なさい」と岡田が自分に注意したから、自分は皿を運んだりサイダーを注いだりする女をよく心づけて見た。しかし別にこれというほどの器量をもったものもいなかった。  母と嫂は物珍らしそうに窓の外を眺めて、田舎めいた景色を賞し合った。実際|窓外の眺めは大阪を今離れたばかりの自分達には一つの変化であった。ことに汽車が海岸近くを走るときは、松の緑と海の藍とで、煙に疲れた眼に爽かな青色を射返した。木蔭から出たり隠れたりする屋根瓦の積み方も東京地方のものには珍らしかった。 「あれは妙だね。御寺かと思うと、そうでもないし。二郎、やっぱり百姓家なのかね」と母がわざわざ指をさして、比較的大きな屋根を自分に示した。  自分は汽車の中で兄と隣り合せに坐った。兄は何か考え込んでいた。自分は心の内でまた例のが始まったのじゃないかと思った。少し話でもして機嫌を直そうか、それとも黙って知らん顔をしていようかと躊躇した。兄は何か癪に障った時でも、むずかしい高尚な問題を考えている時でも同じくこんな様子をするから、自分にはいっこう見分がつかなかった。  自分はしまいにとうとう思い切ってこっちから何か話を切り出そうとした。と云うのは、向側に腰をかけている母が、嫂と応対の相間相間に、兄の顔を偸むように一二度見たからである。 「兄さん、面白い話がありますがね」と自分は兄の方を見た。 「何だ」と兄が云った。兄の調子は自分の予期した通り無愛想であった。しかしそれは覚悟の前であった。 「ついこの間三沢から聞いたばかりの話ですがね。……」  自分は例の精神病の娘さんがいったん嫁いだあと不縁になって、三沢の宅へ引き取られた時、三沢の出る後を慕って、早く帰って来てちょうだいと、いつでも云い習わした話をしようと思ってちょっとそこで句を切った。すると兄は急に気乗りのしたような顔をして、「その話ならおれも聞いて知っている。三沢がその女の死んだとき、冷たい額へ接吻したという話だろう」と云った。  自分は喫驚した。 「そんな事があるんですか。三沢は接吻の事については一口も云いませんでしたがね。皆ないる前でですか、三沢が接吻したって云うのは」 「それは知らない。皆の前でやったのか。またはほかに人のいない時にやったのか」 「だって三沢がたった一人でその娘さんの死骸の傍にいるはずがないと思いますがね。もし誰もそばにいない時|接吻したとすると」 「だから知らんと断ってるじゃないか」  自分は黙って考え込んだ。 「いったい兄さんはどうして、そんな話を知ってるんです」 「Hから聞いた」  Hとは兄の同僚で、三沢を教えた男であった。そのHは三沢の保証人だったから、少しは関係の深い間柄なんだろうけれども、どうしてこんな際どい話を聞き込んで、兄に伝えたものだろうか、それは彼も知らなかった。 「兄さんはなぜまた今日までその話を為ずに黙っていたんです」と自分は最後に兄に聞いた。兄は苦い顔をして、「する必要がないからさ」と答えた。自分は様子によったらもっと肉薄して見ようかと思っているうちに汽車が着いた。         十一  停車場を出るとすぐそこに電車が待っていた。兄と自分は手提鞄を持ったまま婦人を扶けて急いでそれに乗り込んだ。  電車は自分達四人が一度に這入っただけで、なかなか動き出さなかった。 「閑静な電車ですね」と自分が侮どるように云った。 「これなら妾達の荷物を乗っけてもよさそうだね」と母は停車場の方を顧みた。  ところへ書物を持った書生体の男だの、扇を使う商人風の男だのが二三人前後して車台に上ってばらばらに腰をかけ始めたので、運転手はついに把手を動かし出した。  自分達は何だか市の外廓らしい淋しい土塀つづきの狭い町を曲って、二三度停留所を通り越した後、高い石垣の下にある濠を見た。濠の中には蓮が一面に青い葉を浮べていた。その青い葉の中に、点々と咲く紅の花が、落ちつかない自分達の眼をちらちらさせた。 「へえーこれが昔のお城かね」と母は感心していた。母の叔母というのが、昔し紀州家の奥に勤めていたとか云うので、母は一層感慨の念が深かったのだろう。自分も子供の時、折々耳にした紀州様、紀州様という封建時代の言葉をふと思い出した。  和歌山市を通り越して少し田舎道を走ると、電車はじき和歌の浦へ着いた。抜目のない岡田はかねてから注意して土地で一流の宿屋へ室の注文をしたのだが、あいにく避暑の客が込み合って、眺めの好い座敷が塞がっているとかで、自分達は直に俥を命じて浜手の角を曲った。そうして海を真前に控えた高い三階の上層の一室に入った。  そこは南と西の開いた広い座敷だったが、普請は気の利いた東京の下宿屋ぐらいなもので、品位からいうと大阪の旅館とはてんで比べ物にならなかった。時々|大一座でもあった時に使う二階はぶっ通しの大広間で、伽藍堂のような真中に立って、波を打った安畳を眺めると、何となく殺風景な感が起った。  兄はその大広間に仮の仕切として立ててあった六枚折の屏風を黙って見ていた。彼はこういうものに対して、父の薫陶から来た一種の鑑賞力をもっていた。その屏風には妙にべろべろした葉の竹が巧に描かれていた。兄は突然|後を向いて「おい二郎」と云った。  その時兄と自分は下の風呂に行くつもりで二人ながら手拭をさげていた。そうして自分は彼の二間ばかり後に立って、屏風の竹を眺める彼をまた眺めていた。自分は兄がこの屏風の画について、何かまた批評を加えるに違いないと思った。 「何です」と答えた。 「先刻汽車の中で話しが出た、あの三沢の事だね。お前はどう思う」  兄の質問は実際自分に取って意外であった。彼はなぜその話しを今まで自分に聞かせなかったと汽車の中で問われた時、すでに苦い顔をして必要がないからだと答えたばかりであった。 「例の接吻の話ですか」と自分は聞き返した。 「いえ接吻じゃない。その女が三沢の出る後を慕って、早く帰って来てちょうだいと必ず云ったという方の話さ」 「僕には両方共面白いが、接吻の方が何だかより多く純粋でかつ美しい気がしますね」  この時自分達は二階の梯子段を半分ほど降りていた。兄はその中途でぴたりと留った。 「そりゃ詩的に云うのだろう。詩を見る眼で云ったら、両方共等しく面白いだろう。けれどもおれの云うのはそうじゃない。もっと実際問題にしての話だ」         十二  自分には兄の意味がよく解らなかった。黙って梯子段の下まで降りた。兄も仕方なしに自分の後に跟いて来た。風呂場の入口で立ち留った自分は、ふり返って兄に聞いた。 「実際問題と云うと、どういう事になるんですか。ちょっと僕には解らないんですが」  兄は焦急たそうに説明した。 「つまりその女がさ、三沢の想像する通り本当にあの男を思っていたか、または先の夫に対して云いたかった事を、我慢して云わずにいたので、精神病の結果ふらふらと口にし始めたのか、どっちだと思うと云うんだ」  自分もこの問題は始めその話を聞いた時、少し考えて見た。けれどもどっちがどうだかとうてい分るべきはずの者でないと諦めて、それなり放ってしまった。それで自分は兄の質問に対してこれというほどの意見も持っていなかった。 「僕には解らんです」 「そうか」  兄はこう云いながら、やっぱり風呂に這入ろうともせず、そのまま立っていた。自分も仕方なしに裸になるのを控えていた。風呂は思ったより小さくかつ多少古びていた。自分はまず薄暗い風呂を覗き込んで、また兄に向った。 「兄さんには何か意見が有るんですか」 「おれはどうしてもその女が三沢に気があったのだとしか思われんがね」 「なぜですか」 「なぜでもおれはそう解釈するんだ」  二人はその話の結末をつけずに湯に入った。湯から上って婦人|連と入代った時、室には西日がいっぱい射して、海の上は溶けた鉄のように熱く輝いた。二人は日を避けて次の室に這入った。そうしてそこで相対して坐った時、先刻の問題がまた兄の口から話頭に上った。 「おれはどうしてもこう思うんだがね……」 「ええ」と自分はただおとなしく聞いていた。 「人間は普通の場合には世間の手前とか義理とかで、いくら云いたくっても云えない事がたくさんあるだろう」 「それはたくさんあります」 「けれどもそれが精神病になると――云うとすべての精神病を含めて云うようで、医者から笑われるかも知れないが、――しかし精神病になったら、大変気が楽になるだろうじゃないか」 「そう云う種類の患者もあるでしょう」 「ところでさ、もしその女がはたしてそういう種類の精神病患者だとすると、すべて世間並の責任はその女の頭の中から消えて無くなってしまうに違なかろう。消えて無くなれば、胸に浮かんだ事なら何でも構わず露骨に云えるだろう。そうすると、その女の三沢に云った言葉は、普通我々が口にする好い加減な挨拶よりも遥に誠の籠った純粋のものじゃなかろうか」  自分は兄の解釈にひどく感服してしまった。「それは面白い」と思わず手を拍った。すると兄は案外|不機嫌な顔をした。 「面白いとか面白くないとか云う浮いた話じゃない。二郎、実際今の解釈が正確だと思うか」と問いつめるように聞いた。 「そうですね」  自分は何となく躊躇しなければならなかった。 「噫々女も気狂にして見なくっちゃ、本体はとうてい解らないのかな」  兄はこう云って苦しい溜息を洩らした。         十三  宿の下にはかなり大きな掘割があった。それがどうして海へつづいているかちょっと解らなかったが、夕方には漁船が一二|艘どこからか漕ぎ寄せて来て、緩やかに楼の前を通り過ぎた。  自分達はその掘割に沿うて一二丁右の方へ歩いた後、また左へ切れて田圃路を横切り始めた。向うを見ると、田の果がだらだら坂の上りになって、それを上り尽した土手の縁には、松が左右に長く続いていた。自分達の耳には大きな波の石に砕ける音がどどんどどんと聞えた。三階から見るとその砕けた波が忽然白い煙となって空に打上げられる様が、明かに見えた。  自分達はついにその土手の上へ出た。波は土手のもう一つ先にある厚く築き上げられた石垣に当って、みごとに粉微塵となった末、煮え返るような色を起して空を吹くのが常であったが、たまには崩れたなり石垣の上を流れ越えて、ざっと内側へ落ち込んだりする大きいのもあった。  自分達はしばらくその壮観に見惚れていたが、やがて強い浪の響を耳にしながら歩き出した。その時母と自分は、これが片男波だろうと好い加減な想像を話の種に二人並んで歩いた。兄夫婦は自分達より少し先へ行った。二人とも浴衣がけで、兄は細い洋杖を突いていた。嫂はまた幅の狭い御殿模様か何かの麻の帯を締めていた。彼らは自分達よりほとんど二十間ばかり先へ出ていた。そうして二人とも並んで足を運ばして行った。けれども彼らの間にはかれこれ一間の距離があった。母はそれを気にするような、また気にしないような眼遣で、時々見た。その見方がまた余りに神経的なので、母の心はこの二人について何事かを考えながら歩いているとしか思えなかった。けれども自分は話しの面倒になるのを恐れたから、素知らぬ顔をしてわざと緩々歩いた。そうしてなるべく呑ん気そうに見せるつもりで母を笑わせるような剽軽な事ばかり饒舌った。母はいつもの通り「二郎、御前見たいに暮して行けたら、世間に苦はあるまいね」と云ったりした。  しまいに彼女はとうとう堪え切れなくなったと見えて、「二郎あれを御覧」と云い出した。 「何ですか」と自分は聞き返した。 「あれだから本当に困るよ」と母が云った。その時母の眼は先へ行く二人の後姿をじっと見つめていた。自分は少くとも彼女の困ると云った意味を表向承認しない訳に行かなかった。 「また何か兄さんの気に障る事でもできたんですか」 「そりゃあの人の事だから何とも云えないがね。けれども夫婦となった以上は、お前、いくら旦那が素っ気なくしていたって、こっちは女だもの。直の方から少しは機嫌の直るように仕向けてくれなくっちゃ困るじゃないか。あれを御覧な、あれじゃまるであかの他人が同なじ方角へ歩いて行くのと違やしないやね。なんぼ一郎だって直に傍へ寄ってくれるなと頼みやしまいし」  母は無言のまま離れて歩いている夫婦のうちで、ただ嫂の方にばかり罪を着せたがった。これには多少自分にも同感なところもあった。そうしてこの同感は平生から兄夫婦の関係を傍で見ているものの胸にはきっと起る自然のものであった。 「兄さんはまた何か考え込んでいるんですよ。それで姉さんも遠慮してわざと口を利かずにいるんでしょう」  自分は母のためにわざとこんな気休めを云ってごまかそうとした。         十四 「たとい何か考えているにしてもだね。直の方がああ無頓着じゃ片っ方でも口の利きようがないよ。まるでわざわざ離れて歩いているようだもの」  兄に同情の多い母から見ると、嫂の後姿は、いかにも冷淡らしく思われたのだろう。が自分はそれに対して何とも答えなかった。ただ歩きながら嫂の性格をもっと一般的に考えるようになった。自分は母の批評が満更当っていないとも思わなかった。けれども我肉身の子を可愛がり過ぎるせいで、少し彼女の欠点を苛酷に見ていはしまいかと疑った。  自分の見た彼女はけっして温かい女ではなかった。けれども相手から熱を与えると、温め得る女であった。持って生れた天然の愛嬌のない代りには、こっちの手加減でずいぶん愛嬌を搾り出す事のできる女であった。自分は腹の立つほどの冷淡さを嫁入後の彼女に見出した事が時々あった。けれども矯めがたい不親切や残酷心はまさかにあるまいと信じていた。  不幸にして兄は今自分が嫂について云ったような気質を多量に具えていた。したがって同じ型に出来上ったこの夫婦は、己れの要するものを、要する事のできないお互に対して、初手から求め合っていて、いまだにしっくり反が合わずにいるのではあるまいか。時々兄の機嫌の好い時だけ、嫂も愉快そうに見えるのは、兄の方が熱しやすい性だけに、女に働きかける温か味の功力と見るのが当然だろう。そうでない時は、母が嫂を冷淡過ぎると評するように、嫂もまた兄を冷淡過ぎると腹のうちで評しているかも知れない。  自分は母と並んで歩きながら先へ行く二人をこんなに考えた。けれども母に対してはそんなむずかしい理窟を云う気にはなれなかった。すると「どうも不思議だよ」と母が云い出した。 「いったい直は愛嬌のある質じゃないが、御父さんや妾にはいつだって同なじ調子だがね。二郎、御前にだってそうだろう」  これは全く母の云う通りであった。自分は元来|性急な性分で、よく大きな声を出したり、怒鳴りつけたりするが、不思議にまだ嫂と喧嘩をした例はなかったのみならず、場合によると、兄よりもかえって心おきなく話をした。 「僕にもそうですがね。なるほどそう云われれば少々変には違ない」 「だからさ妾には直が一郎に対してだけ、わざわざ、あんな風をつらあてがましくやっているように思われて仕方がないんだよ」 「まさか」  自白すると自分はこの問題を母ほど細かく考えていなかった。したがってそんな疑いを挟さむ余地がなかった。あってもその原因が第一不審であった。 「だって宅中で兄さんが一番大事な人じゃありませんか、姉さんにとって」 「だからさ。御母さんには訳が解らないと云うのさ」  自分にはせっかくこんな景色の好い所へ来ながら、際限もなく母を相手に、嫂を陰で評しているのが馬鹿らしく感ぜられてきた。 「そのうち機会があったら、姉さんにまたよく腹の中を僕から聞いて見ましょう。何心配するほどの事はありませんよ」と云い切って、向の石垣まで突き出している掛茶屋から防波堤の上に馳け上った。そうして、精一杯の声を揚げて、「おーいおーい」と呼んだ。兄夫婦は驚いてふり向いた。その時石の堤に当って砕けた波が、吹き上げる泡と脚を洗う流れとで、自分を濡鼠のごとくにした。  自分は母に叱られながら、ぽたぽた雫を垂らして、三人と共に宿に帰った。どどんどどんという波の音が、帰り道|中自分の鼓膜に響いた。         十五  その晩自分は母といっしょに真白な蚊帳の中に寝た。普通の麻よりは遥に薄くできているので、風が来て綺麗なレースを弄ぶ様が涼しそうに見えた。 「好い蚊帳ですね。宅でも一つこんなのを買おうじゃありませんか」と母に勧めた。 「こりゃ見てくれだけは綺麗だが、それほど高いものじゃないよ。かえって宅にあるあの白麻の方が上等なんだよ。ただこっちのほうが軽くって、継ぎ目がないだけに華奢に見えるのさ」  母は昔ものだけあって宅にある岩国かどこかでできる麻の蚊帳の方を賞めていた。 「だいち寝冷をしないだけでもあっちの方が得じゃないか」と云った。  下女が来て障子を締め切ってから、蚊帳は少しも動かなくなった。 「急に暑苦しくなりましたね」と自分は嘆息するように云った。 「そうさね」と答えた母の言葉は、まるで暑さが苦にならないほど落ちついていた。それでも団扇遣の音だけは微かに聞こえた。  母はそれからふっつり口を利かなくなった。自分も眼を眠った。襖一つ隔てた隣座敷には兄夫婦が寝ていた。これは先刻から静であった。自分の話相手がなくなってこっちの室が急にひっそりして見ると、兄の室はなお森閑と自分の耳を澄ました。  自分は眼を閉じたままじっとしていた。しかしいつまで経っても寝つかれなかった。しまいには静さに祟られたようなこの暑い苦しみを痛切に感じ出した。それで母の眠を妨げないようにそっと蒲団の上に起き直った。それから蚊帳の裾を捲って縁側へ出る気で、なるべく音のしないように障子をすうと開けにかかった。すると今まで寝入っていたとばかり思った母が突然「二郎どこへ行くんだい」と聞いた。 「あんまり寝苦しいから、縁側へ出て少し涼もうと思います」 「そうかい」  母の声は明晰で落ちついていた。自分はその調子で、彼女がまんじりともせずに今まで起きていた事を知った。 「御母さんも、まだ御休みにならないんですか」 「ええ寝床の変ったせいか何だか勝手が違ってね」  自分は貸浴衣の腰に三尺帯を一重廻しただけで、懐へ敷島の袋と燐寸を入れて縁側へ出た。縁側には白いカヴァーのかかった椅子が二脚ほど出ていた。自分はその一脚を引き寄せて腰をかけた。 「あまりがたがた云わして、兄さんの邪魔になるといけないよ」  母からこう注意された自分は、煙草を吹かしながら黙って、夢のような眼前の景色を眺めていた。景色は夜と共に無論ぼんやりしていた。月のない晩なので、ことさら暗いものが蔓り過ぎた。そのうちに昼間見た土手の松並木だけが一際黒ずんで左右に長い帯を引き渡していた。その下に浪の砕けた白い泡が夜の中に絶間なく動揺するのが、比較的|刺戟強く見えた。 「もう好い加減に御這入りよ。風邪でも引くといけないから」  母は障子の内からこう云って注意した。自分は椅子に倚りながら、母に夜の景色を見せようと思ってちょっと勧めたが、彼女は応じなかった。自分は素直にまた蚊帳の中に這入って、枕の上に頭を着けた。  自分が蚊帳を出たり這入ったりした間、兄夫婦の室は森として元のごとく静かであった。自分が再び床に着いた後も依然として同じ沈黙に鎖されていた。ただ防波堤に当って砕ける波の音のみが、どどんどどんといつまでも響いた。         十六  朝起きて膳に向った時見ると、四人はことごとく寝足らない顔をしていた。そうして四人ともその寝足らない雲を膳の上に打ちひろげてわざと会話を陰気にしているらしかった。自分も変に窮屈だった。 「昨夕食った鯛の焙烙蒸にあてられたらしい」と云って、自分は不味そうな顔をして席を立った。手摺の所へ来て、隣に見える東洋第一エレヴェーターと云う看板を眺めていた。この昇降器は普通のように、家の下層から上層に通じているのとは違って、地面から岩山の頂まで物数奇な人間を引き上げる仕掛であった。所にも似ず無風流な装置には違ないが、浅草にもまだない新しさが、昨日から自分の注意を惹いていた。  はたして早起の客が二人三人ぽつぽつもう乗り始めた。早く食事を終えた兄はいつの間にか、自分の後へ来て、小楊枝を使いながら、上ったり下りたりする鉄の箱を自分と同じように眺めていた。 「二郎、今朝ちょっとあの昇降器へ乗って見ようじゃないか」と兄が突然云った。  自分は兄にしてはちと子供らしい事を云うと思って、ひょっと後を顧みた。 「何だか面白そうじゃないか」と兄は柄にもない稚気を言葉に現した。自分は昇降器へ乗るのは好いが、ある目的地へ行けるかどうかそれが危しかった。 「どこへ行けるんでしょう」 「どこだって構わない。さあ行こう」  自分は母と嫂も無論いっしょに連れて行くつもりで、「さあさあ」と大きな声で呼び掛けた。すると兄は急に自分を留めた。 「二人で行こう。二人ぎりで」と云った。  そこへ母と嫂が「どこへ行くの」と云って顔を出した。 「何ちょっとあのエレヴェーターへ乗って見るんです。二郎といっしょに。女には剣呑だから、御母さんや直は止した方が好いでしょう。僕らがまあ乗って、試して見ますから」  母は虚空に昇って行く鉄の箱を見ながら気味の悪そうな顔をした。 「直お前どうするい」  母がこう聞いた時、嫂は例の通り淋しい靨を寄せて、「妾はどうでも構いません」と答えた。それがおとなしいとも取れるし、また聴きようでは、冷淡とも無愛想とも取れた。それを自分は兄に対して気の毒と思い嫂に対しては損だと考えた。  二人は浴衣がけで宿を出ると、すぐ昇降器へ乗った。箱は一間四方くらいのもので、中に五六人|這入ると戸を閉めて、すぐ引き上げられた。兄と自分は顔さえ出す事のできない鉄の棒の間から外を見た。そうして非常に欝陶しい感じを起した。 「牢屋見たいだな」と兄が低い声で私語いた。 「そうですね」と自分が答えた。 「人間もこの通りだ」  兄は時々こんな哲学者めいた事をいう癖があった。自分はただ「そうですな」と答えただけであった。けれども兄の言葉は単にその輪廓ぐらいしか自分には呑み込めなかった。  牢屋に似た箱の上りつめた頂点は、小さい石山の天辺であった。そのところどころに背の低い松が噛りつくように青味を添えて、単調を破るのが、夏の眼に嬉しく映った。そうしてわずかな平地に掛茶屋があって、猿が一匹飼ってあった。兄と自分は猿に芋をやったり、調戯ったりして、物の十分もその茶屋で費やした。 「どこか二人だけで話す所はないかな」  兄はこう云って四方を見渡した。その眼は本当に二人だけで話のできる静かな場所を見つけているらしかった。         十七  そこは高い地勢のお蔭で四方ともよく見晴らされた。ことに有名な紀三井寺を蓊欝した木立の中に遠く望む事ができた。その麓に入江らしく穏かに光る水がまた海浜とは思われない沢辺の景色を、複雑な色に描き出していた。自分は傍にいる人から浄瑠璃にある下り松というのを教えて貰った。その松はなるほど懸崖を伝うように逆に枝を伸していた。  兄は茶店の女に、ここいらで静な話をするに都合の好い場所はないかと尋ねていたが、茶店の女は兄の問が解らないのか、何を云っても少しも要領を得なかった。そうして地方訛ののしとかいう語尾をしきりに繰返した。  しまいに兄は「じゃその権現様へでも行くかな」と云い出した。 「権現様も名所の一つだから好いでしょう」  二人はすぐ山を下りた。俥にも乗らず、傘も差さず、麦藁帽子だけ被って暑い砂道を歩いた。こうして兄といっしょに昇降器へ乗ったり、権現へ行ったりするのが、その日は自分に取って、何だか不安に感ぜられた。平生でも兄と差向いになると多少|気不精には違なかったけれども、その日ほど落ちつかない事もまた珍らしかった。自分は兄から「おい二郎二人で行こう、二人ぎりで」と云われた時からすでに変な心持がした。  二人は額から油汗をじりじり湧かした。その上に自分は実際|昨夕食った鯛の焙烙蒸に少しあてられていた。そこへだんだん高くなる太陽が容赦なく具合の悪い頭を照らしたので、自分は仕方なしに黙って歩いていた。兄も無言のまま体を運ばした。宿で借りた粗末な下駄がさくさく砂に喰い込む音が耳についた。 「二郎どうかしたか」  兄の声は全く藪から棒が急に出たように自分を驚かした。 「少し心持が変です」  二人はまた無言で歩き出した。  ようやく権現の下へ来た時、細い急な石段を仰ぎ見た自分は、その高いのに辟易するだけで、容易に登る勇気は出し得なかった。兄はその下に並べてある藁草履を突掛けて十段ばかり一人で上って行ったが、後から続かない自分に気がついて、「おい来ないか」と嶮しく呼んだ。自分も仕方なしに婆さんから草履を一足借りて、骨を折って石段を上り始めた。それでも中途ぐらいから一歩ごとに膝の上に両手を置いて、身体の重みを託さなければならなかった。兄を下から見上げるとさも焦熱ったそうに頂上の山門の角に立っていた。 「まるで酔っ払いのようじゃないか、段々を筋違に練って歩くざまは」  自分は何と評されても構わない気で、早速帽子を地の上に投げると同時に、肌を抜いだ。扇を持たないので、手にした手帛でしきりに胸の辺りを払った。自分は後から「おい二郎」ときっと何か云われるだろうと思って、内心穏かでなかったせいか、汗に濡れた手帛をむやみに振り動かした。そうして「暑い暑い」と続けさまに云った。  兄はやがて自分の傍へ来てそこにあった石に腰をおろした。その石の後は篠竹が一面に生えて遥の下まで石垣の縁を隠すように茂っていた。その中から大きな椿が所々に白茶けた幹を現すのがことに目立って見えた。 「なるほどここは静だ。ここならゆっくり話ができそうだ」と兄は四方を見廻した。         十八 「二郎少し御前に話があるがね」と兄が云った。 「何です」  兄はしばらく逡巡して口を開かなかった。自分はまたそれを聞くのが厭さに、催促もしなかった。 「ここは涼しいですね」と云った。 「ああ涼しい」と兄も答えた。  実際そこは日影に遠いせいか涼しい風の通う高みであった。自分は三四分手帛を動かした後、急に肌を入れた。山門の裏には物寂びた小さい拝殿があった。よほど古い建物と見えて、軒に彫つけた獅子の頭などは絵の具が半分|剥げかかっていた。  自分は立って山門を潜って拝殿の方へ行った。 「兄さんこっちの方がまだ涼しい。こっちへいらっしゃい」  兄は答えもしなかった。自分はそれを機に拝殿の前面を左右に逍遥した。そうして暑い日を遮る高い常磐木を見ていた。ところへ兄が不平な顔をして自分に近づいて来た。 「おい少し話しがあるんだと云ったじゃないか」  自分は仕方なしに拝殿の段々に腰をかけた。兄も自分に並んで腰をかけた。 「何ですか」 「実は直の事だがね」と兄ははなはだ云い悪いところをやっと云い切ったという風に見えた。自分は「直」という言葉を聞くや否や冷りとした。兄夫婦の間柄は母が自分に訴えた通り、自分にもたいていは呑み込めていた。そうして母に約束したごとく、自分はいつか折を見て、嫂に腹の中をとっくり聴糺した上、こっちからその知識をもって、積極的に兄に向おうと思っていた。それを自分がやらないうちに、もし兄から先を越されでもすると困るので、自分はひそかにそこを心配していた。実を云うと、今朝兄から「二郎、二人で行こう、二人ぎりで」と云われた時、自分はあるいはこの問題が出るのではあるまいかと掛念して自と厭になったのである。 「嫂さんがどうかしたんですか」と自分はやむを得ず兄に聞き返した。 「直は御前に惚れてるんじゃないか」  兄の言葉は突然であった。かつ普通兄のもっている品格にあたいしなかった。 「どうして」 「どうしてと聞かれると困る。それから失礼だと怒られてはなお困る。何も文を拾ったとか、接吻したところを見たとか云う実証から来た話ではないんだから。本当いうと表向こんな愚劣な問を、いやしくも夫たるおれが、他人に向ってかけられた訳のものではない。ないが相手が御前だからおれもおれの体面を構わずに、聞き悪いところを我慢して聞くんだ。だから云ってくれ」 「だって嫂さんですぜ相手は。夫のある婦人、ことに現在の嫂ですぜ」  自分はこう答えた。そうしてこう答えるよりほかに何と云う言葉も出なかった。 「それは表面の形式から云えば誰もそう答えなければならない。御前も普通の人間だからそう答えるのが至当だろう。おれもその一言を聞けばただ恥じ入るよりほかに仕方がない。けれども二郎御前は幸いに正直な御父さんの遺伝を受けている。それに近頃の、何事も隠さないという主義を最高のものとして信じているから聞くのだ。形式上の答えはおれにも聞かない先から解っているが、ただ聞きたいのは、もっと奥の奥の底にある御前の感じだ。その本当のところをどうぞ聞かしてくれ」         十九 「そんな腹の奥の奥底にある感じなんて僕に有るはずがないじゃありませんか」  こう答えた時、自分は兄の顔を見ないで、山門の屋根を眺めていた。兄の言葉はしばらく自分の耳に聞こえなかった。するとそれが一種の癇高い、さも昂奮を抑えたような調子になって響いて来た。 「おい二郎何だってそんな軽薄な挨拶をする。おれと御前は兄弟じゃないか」  自分は驚いて兄の顔を見た。兄の顔は常磐木の影で見るせいかやや蒼味を帯びていた。 「兄弟ですとも。僕はあなたの本当の弟です。だから本当の事を御答えしたつもりです。今云ったのはけっして空々しい挨拶でも何でもありません。真底そうだからそういうのです」  兄の神経の鋭敏なごとく自分は熱しやすい性急であった。平生の自分ならあるいはこんな返事は出なかったかも知れない。兄はその時簡単な一句を射た。 「きっと」 「ええきっと」 「だって御前の顔は赤いじゃないか」  実際その時の自分の顔は赤かったかも知れない。兄の面色の蒼いのに反して、自分は我知らず、両方の頬の熱るのを強く感じた。その上自分は何と返事をして好いか分らなかった。  すると兄は何と思ったかたちまち階段から腰を起した。そうして腕組をしながら、自分の席を取っている前を右左に歩き出した。自分は不安な眼をして、彼の姿を見守った。彼は始めから眼を地面の上に落していた。二三度自分の前を横切ったけれどもけっして一遍もその眼を上げて自分を見なかった。三度目に彼は突如として、自分の前に来て立ち留った。 「二郎」 「はい」 「おれは御前の兄だったね。誠に子供らしい事を云って済まなかった」  兄の眼の中には涙がいっぱい溜っていた。 「なぜです」 「おれはこれでも御前より学問も余計したつもりだ。見識も普通の人間より持っているとばかり今日まで考えていた。ところがあんな子供らしい事をつい口にしてしまった。まことに面目ない。どうぞ兄を軽蔑してくれるな」 「なぜです」  自分は簡単なこの問を再び繰返した。 「なぜですとそう真面目に聞いてくれるな。ああおれは馬鹿だ」  兄はこう云って手を出した。自分はすぐその手を握った。兄の手は冷たかった。自分の手も冷たかった。 「ただ御前の顔が少しばかり赤くなったからと云って、御前の言葉を疑ぐるなんて、まことに御前の人格に対して済まない事だ。どうぞ堪忍してくれ」  自分は兄の気質が女に似て陰晴常なき天候のごとく変るのをよく承知していた。しかし一と見識ある彼の特長として、自分にはそれが天真爛漫の子供らしく見えたり、または玉のように玲瓏な詩人らしく見えたりした。自分は彼を尊敬しつつも、どこか馬鹿にしやすいところのある男のように考えない訳に行かなかった。自分は彼の手を握ったまま「兄さん、今日は頭がどうかしているんですよ。そんな下らない事はもうこれぎりにしてそろそろ帰ろうじゃありませんか」と云った。         二十  兄は突然自分の手を放した。けれどもけっしてそこを動こうとしなかった。元の通り立ったまま何も云わずに自分を見下した。 「御前|他の心が解るかい」と突然聞いた。  今度は自分の方が何も云わずに兄を見上げなければならなかった。 「僕の心が兄さんには分らないんですか」とやや間を置いて云った。自分の答には兄の言葉より一種の根強さが籠っていた。 「御前の心はおれによく解っている」と兄はすぐ答えた。 「じゃそれで好いじゃありませんか」と自分は云った。 「いや御前の心じゃない。女の心の事を云ってるんだ」  兄の言語のうち、後一句には火の付いたような鋭さがあった。その鋭さが自分の耳に一種異様の響を伝えた。 「女の心だって男の心だって」と云いかけた自分を彼は急に遮った。 「御前は幸福な男だ。おそらくそんな事をまだ研究する必要が出て来なかったんだろう」 「そりゃ兄さんのような学者じゃないから……」 「馬鹿云え」と兄は叱りつけるように叫んだ。 「書物の研究とか心理学の説明とか、そんな廻り遠い研究を指すのじゃない。現在自分の眼前にいて、最も親しかるべきはずの人、その人の心を研究しなければ、いても立ってもいられないというような必要に出逢った事があるかと聞いてるんだ」  最も親しかるべきはずの人と云った兄の意味は自分にすぐ解った。 「兄さんはあんまり考え過ぎるんじゃありませんか、学問をした結果。もう少し馬鹿になったら好いでしょう」 「向うでわざと考えさせるように仕向けて来るんだ。おれの考え慣れた頭を逆に利用して。どうしても馬鹿にさせてくれないんだ」  自分はここにいたって、ほとんど慰藉の辞に窮した。自分より幾倍立派な頭をもっているか分らない兄が、こんな妙な問題に対して自分より幾倍頭を悩めているかを考えると、はなはだ気の毒でならなかった。兄が自分より神経質な事は、兄も自分もよく承知していた。けれども今まで兄からこう歇私的里的に出られた事がないので、自分も実は途方に暮れてしまった。 「御前メレジスという人を知ってるか」と兄が聞いた。 「名前だけは聞いています」 「あの人の書翰集を読んだ事があるか」 「読むどころか表紙を見た事もありません」 「そうか」  彼はこう云って再び自分の傍へ腰をかけた。自分はこの時始めて懐中に敷島の袋と燐寸のある事に気がついた。それを取り出して、自分からまず火を点けて兄に渡した。兄は器械的にそれを吸った。 「その人の書翰の一つのうちに彼はこんな事を云っている。――自分は女の容貌に満足する人を見ると羨ましい。女の肉に満足する人を見ても羨ましい。自分はどうあっても女の霊というか魂というか、いわゆるスピリットを攫まなければ満足ができない。それだからどうしても自分には恋愛事件が起らない」 「メレジスって男は生涯独身で暮したんですかね」 「そんな事は知らない。またそんな事はどうでも構わないじゃないか。しかし二郎、おれが霊も魂もいわゆるスピリットも攫まない女と結婚している事だけはたしかだ」         二十一  兄の顔には苦悶の表情がありありと見えた。いろいろな点において兄を尊敬する事を忘れなかった自分は、この時胸の奥でほとんど恐怖に近い不安を感ぜずにはいられなかった。 「兄さん」と自分はわざと落ちつき払って云った。 「何だ」  自分はこの答を聞くと同時に立った。そうして、ことさらに兄の腰をかけている前を、先刻兄がやったと同じように、しかし全く別の意味で、右左へと二三度横切った。兄は自分にはまるで無頓着に見えた。両手の指を、少し長くなった髪の間に、櫛の歯のように深く差し込んで下を向いていた。彼は大変|色沢の好い髪の所有者であった。自分は彼の前を横切るたびに、その漆黒の髪とその間から見える関節の細い、華奢な指に眼を惹かれた。その指は平生から自分の眼には彼の神経質を代表するごとく優しくかつ骨張って映った。 「兄さん」と自分が再び呼びかけた時、彼はようやく重そうに頭を上げた。 「兄さんに対して僕がこんな事をいうとはなはだ失礼かも知れませんがね。他の心なんて、いくら学問をしたって、研究をしたって、解りっこないだろうと僕は思うんです。兄さんは僕よりも偉い学者だから固よりそこに気がついていらっしゃるでしょうけれども、いくら親しい親子だって兄弟だって、心と心はただ通じているような気持がするだけで、実際向うとこっちとは身体が離れている通り心も離れているんだからしようがないじゃありませんか」 「他の心は外から研究はできる。けれどもその心になって見る事はできない。そのくらいの事ならおれだって心得ているつもりだ」  兄は吐き出すように、また懶そうにこう云った。自分はすぐその後に跟いた。 「それを超越するのが宗教なんじゃありますまいか。僕なんぞは馬鹿だから仕方がないが、兄さんは何でもよく考える性質だから……」 「考えるだけで誰が宗教心に近づける。宗教は考えるものじゃない、信じるものだ」  兄はさも忌々しそうにこう云い放った。そうしておいて、「ああおれはどうしても信じられない。どうしても信じられない。ただ考えて、考えて、考えるだけだ。二郎、どうかおれを信じられるようにしてくれ」と云った。  兄の言葉は立派な教育を受けた人の言葉であった。しかし彼の態度はほとんど十八九の子供に近かった。自分はかかる兄を自分の前に見るのが悲しかった。その時の彼はほとんど砂の中で狂う泥鰌のようであった。  いずれの点においても自分より立ち勝った兄が、こんな態度を自分に示したのはこの時が始めてであった。自分はそれを悲しく思うと同時に、この傾向で彼がだんだん進んで行ったならあるいは遠からず彼の精神に異状を呈するようになりはしまいかと懸念して、それが急に恐ろしくなった。 「兄さん、この事については僕も実はとうから考えていたんです……」 「いや御前の考えなんか聞こうと思っていやしない。今日御前をここへ連れて来たのは少し御前に頼みがあるからだ。どうぞ聞いてくれ」 「何ですか」  事はだんだん面倒になって来そうであった。けれども兄は容易にその頼みというのを打ち明けなかった。ところへ我々と同じ遊覧人めいた男女が三四人石段の下に現れた。彼らはてんでに下駄を草履と脱ぎ易えて、高い石段をこっちへ登って来た。兄はその人影を見るや否や急に立上がった。「二郎帰ろう」と云いながら石段を下りかけた。自分もすぐその後に随った。         二十二  兄と自分はまた元の路へ引返した。朝来た時も腹や頭の具合が変であったが、帰りは日盛になったせいかなお苦しかった。あいにく二人共時計を忘れたので何時だかちょっと分り兼ねた。 「もう何時だろう」と兄が聞いた。 「そうですね」と自分はぎらぎらする太陽を仰ぎ見た。「まだ午にはならないでしょう」  二人は元の路を逆に歩いているつもりであったが、どう間違えたものか、変に磯臭い浜辺へ出た。そこには漁師の家が雑貨店と交って貧しい町をかたち作っていた。古い旗を屋根の上に立てた汽船会社の待合所も見えた。 「何だか路が違ったようじゃありませんか」  兄は相変らず下を向いて考えながら歩いていた。下には貝殻がそこここに散っていた。それを踏み砕く二人の足音が時々単調な歩行に一種|田舎びた変化を与えた。兄はちょっと立ち留って左右を見た。 「ここは往に通らなかったかな」 「ええ通りゃしません」 「そうか」  二人はまた歩き出した。兄は依然として下を向き勝であった。自分は路を迷ったため、存外宿へ帰るのが遅くなりはしまいかと心配した。 「何|狭い所だ。どこをどう間違えたって、帰れるのは同なじ事だ」  兄はこう云ってすたすた行った。自分は彼の歩き方を後から見て、足に任せてという故い言葉を思い出した。そうして彼より五六間|後れた事をこの場合何よりもありがたく感じた。  自分は二人の帰り道に、兄から例の依頼というのをきっと打ち明けられるに違いないと思って暗にその覚悟をしていた。ところが事実は反対で、彼はできるだけ口数を慎んで、さっさと歩く方針に出た。それが少しは無気味でもあったがまただいぶ嬉しくもあった。  宿では母と嫂が欄干に縞絽だか明石だかよそゆきの着物を掛けて二人とも浴衣のまま差向いで坐っていた。自分達の姿を見た母は、「まあどこまで行ったの」と驚いた顔をした。 「あなた方はどこへも行かなかったんですか」  欄干に干してある着物を見ながら、自分がこう聞いた時、嫂は「ええ行ったわ」と答えた。 「どこへ」 「あてて御覧なさい」  今の自分は兄のいる前で嫂からこう気易く話しかけられるのが、兄に対して何とも申し訳がないようであった。のみならず、兄の眼から見れば、彼女が故意に自分にだけ親しみを表わしているとしか解釈ができまいと考えて誰にも打ち明けられない苦痛を感じた。  嫂はいっこう平気であった。自分にはそれが冷淡から出るのか、無頓着から来るのか、または常識を無視しているのか、少し解り兼ねた。  彼らの見物して来た所は紀三井寺であった。玉津島明神の前を通りへ出て、そこから電車に乗るとすぐ寺の前へ出るのだと母は兄に説明していた。 「高い石段でね。こうして見上げるだけでも眼が眩いそうなんだよ、お母さんには。これじゃとても上れっこないと思って、妾ゃどうしようか知らと考えたけれども、直に手を引っ張って貰って、ようやくお参りだけは済ませたが、その代り汗で着物がぐっしょりさ……」  兄は「はあ、そうですかそうですか」と時々気のない返事をした。         二十三  その日は何事も起らずに済んだ。夕方は四人でトランプをした。みんなが四枚ずつのカードを持って、その一枚を順送りに次の者へ伏せ渡しにするうちに数の揃ったのを出してしまうと、どこかにスペードの一が残る。それを握ったものが負になるという温泉場などでよく流行る至極簡単なものであった。  母と自分はよくスペードを握っては妙な顔をしてすぐ勘づかれた。兄も時々苦笑した。一番冷淡なのは嫂であった。スペードを握ろうが握るまいがわれにはいっこう関係がないという風をしていた。これは風というよりもむしろ彼女の性質であった。自分はそれでも兄が先刻の会談のあと、よくこれほどに昂奮した神経を治められたものだと思ってひそかに感心した。  晩は寝られなかった。昨夕よりもなお寝られなかった。自分はどどんどどんと響く浪の音の間に、兄夫婦の寝ている室に耳を澄ました。けれども彼らの室は依然として昨夜のごとく静であった。自分は母に見咎められるのを恐れて、その夜はあえて縁側へ出なかった。  朝になって自分は母と嫂を例の東洋第一エレヴェーターへ案内した。そうして昨日のように山の上の猿に芋をやった。今度は猿に馴染のある宿の女中がいっしょに随いて来たので、猿を抱いたり鳴かしたり前の日よりはだいぶ賑やかだった。母は茶店の床几に腰をかけて、新和歌の浦とかいう禿げて茶色になった山を指して何だろうと聞いていた。嫂はしきりに遠眼鏡はないか遠眼鏡はないかと騒いだ。 「姉さん、芝の愛宕様じゃありませんよ」と自分は云ってやった。 「だって遠眼鏡ぐらいあったって好いじゃありませんか」と嫂はまだ不足を並べていた。  夕方になって自分はとうとう兄に引っ張られて紀三井寺へ行った。これは婦人|連が昨日すでに参詣したというのを口実に、我々二人だけが行く事にしたのであるが、その実兄の依頼を聞くために自分が彼から誘い出されたのである。  自分達は母の見ただけで恐れたという高い石段を一直線に上った。その上は平たい山の中腹で眺望の好い所にベンチが一つ据えてあった。本堂は傍に五重の塔を控えて、普通ありふれた仏閣よりも寂があった。廂の最中から下っている白い紐などはいかにも閑静に見えた。  自分達は何物も眼を遮らないベンチの上に腰をおろして並び合った。 「好い景色ですね」  眼の下には遥の海が鰯の腹のように輝いた。そこへ名残の太陽が一面に射して、眩ゆさが赤く頬を染めるごとくに感じた。沢らしい不規則な水の形もまた海より近くに、平たい面を鏡のように展べていた。  兄は例の洋杖を顋の下に支えて黙っていたが、やがて思い切ったという風に自分の方を向いた。 「二郎|実は頼みがあるんだが」 「ええ、それを伺うつもりでわざわざ来たんだからゆっくり話して下さい。できる事なら何でもしますから」 「二郎実は少し云い悪い事なんだがな」 「云い悪い事でも僕だから好いでしょう」 「うんおれは御前を信用しているから話すよ。しかし驚いてくれるな」  自分は兄からこう云われた時に、話を聞かない先にまず驚いた。そうしてどんな注文が兄の口から出るかを恐れた。兄の気分は前云った通り変り易かった。けれどもいったん何か云い出すと、意地にもそれを通さなければ承知しなかった。         二十四 「二郎驚いちゃいけないぜ」と兄が繰返した。そうして現に驚いている自分を嘲けるごとく見た。自分は今の兄と権現社頭の兄とを比較してまるで別人の観をなした。今の兄は翻がえしがたい堅い決心をもって自分に向っているとしか自分には見えなかった。 「二郎おれは御前を信用している。御前の潔白な事はすでに御前の言語が証明している。それに間違はないだろう」 「ありません」 「それでは打ち明けるが、実は直の節操を御前に試して貰いたいのだ」  自分は「節操を試す」という言葉を聞いた時、本当に驚いた。当人から驚くなという注意が二遍あったにかかわらず、非常に驚いた。ただあっけに取られて、呆然としていた。 「なぜ今になってそんな顔をするんだ」と兄が云った。  自分は兄の眼に映じた自分の顔をいかにも情なく感ぜざるを得なかった。まるでこの間の会見とは兄弟地を換えて立ったとしか思えなかった。それで急に気を取り直した。 「姉さんの節操を試すなんて、――そんな事は廃した方が好いでしょう」 「なぜ」 「なぜって、あんまり馬鹿らしいじゃありませんか」 「何が馬鹿らしい」 「馬鹿らしかないかも知れないが、必要がないじゃありませんか」 「必要があるから頼むんだ」  自分はしばらく黙っていた。広い境内には参詣人の影も見えないので、四辺は存外|静であった。自分はそこいらを見廻して、最後に我々二人の淋しい姿をその一隅に見出した時、薄気味の悪い心持がした。 「試すって、どうすれば試されるんです」 「御前と直が二人で和歌山へ行って一晩泊ってくれれば好いんだ」 「下らない」と自分は一口に退ぞけた。すると今度は兄が黙った。自分は固より無言であった。海に射りつける落日の光がしだいに薄くなりつつなお名残の熱を薄赤く遠い彼方に棚引かしていた。 「厭かい」と兄が聞いた。 「ええ、ほかの事ならですが、それだけは御免です」と自分は判切り云い切った。 「じゃ頼むまい。その代りおれは生涯御前を疑ぐるよ」 「そりゃ困る」 「困るならおれの頼む通りやってくれ」  自分はただ俯向いていた。いつもの兄ならもう疾に手を出している時分であった。自分は俯向きながら、今に兄の拳が帽子の上へ飛んで来るか、または彼の平手が頬のあたりでピシャリと鳴るかと思って、じっと癇癪玉の破裂するのを期待していた。そうしてその破裂の後に多く生ずる反動を機会として、兄の心を落ちつけようとした。自分は人より一倍強い程度で、この反動に罹り易い兄の気質をよく呑み込んでいた。  自分はだいぶ辛抱して兄の鉄拳の飛んで来るのを待っていた。けれども自分の期待は全く徒労であった。兄は死んだ人のごとく静であった。ついには自分の方から狐のように変な眼遣いをして、兄の顔を偸み見なければならなかった。兄は蒼い顔をしていた。けれどもけっして衝動的に動いて来る気色には見えなかった。         二十五  ややあって兄は昂奮した調子でこう云った。 「二郎おれはお前を信用している。けれども直を疑ぐっている。しかもその疑ぐられた当人の相手は不幸にしてお前だ。ただし不幸と云うのは、お前に取って不幸というので、おれにはかえって幸になるかも知れない。と云うのは、おれは今明言した通り、お前の云う事なら何でも信じられるしまた何でも打明けられるから、それでおれには幸いなのだ。だから頼むのだ。おれの云う事に満更論理のない事もあるまい」  自分はその時兄の言葉の奥に、何か深い意味が籠っているのではなかろうかと疑い出した。兄は腹の中で、自分と嫂の間に肉体上の関係を認めたと信じて、わざとこういう難題を持ちかけるのではあるまいか。自分は「兄さん」と呼んだ。兄の耳にはとにかく、自分はよほど力強い声を出したつもりであった。 「兄さん、ほかの事とは違ってこれは倫理上の大問題ですよ……」 「当り前さ」  自分は兄の答えのことのほか冷淡なのを意外に感じた。同時に先の疑いがますます深くなって来た。 「兄さん、いくら兄弟の仲だって僕はそんな残酷な事はしたくないです」 「いや向うの方がおれに対して残酷なんだ」  自分は兄に向って嫂がなぜ残酷であるかの意味を聞こうともしなかった。 「そりゃ改めてまた伺いますが、何しろ今の御依頼だけは御免蒙ります。僕には僕の名誉がありますから。いくら兄さんのためだって、名誉まで犠牲にはできません」 「名誉?」 「無論名誉です。人から頼まれて他を試験するなんて、――ほかの事だって厭でさあ。ましてそんな……探偵じゃあるまいし……」 「二郎、おれはそんな下等な行為をお前から向うへ仕かけてくれと頼んでいるのじゃない。単に嫂としまた弟として一つ所へ行って一つ宿へ泊ってくれというのだ。不名誉でも何でもないじゃないか」 「兄さんは僕を疑ぐっていらっしゃるんでしょう。そんな無理をおっしゃるのは」 「いや信じているから頼むのだ」 「口で信じていて、腹では疑ぐっていらっしゃる」 「馬鹿な」  兄と自分はこんな会話を何遍も繰返した。そうして繰返すたびに双方共激して来た。するとちょっとした言葉から熱が急に引いたように二人共治まった。  その激したある時に自分は兄を真正の精神病患者だと断定した瞬間さえあった。しかしその発作が風のように過ぎた後ではまた通例の人間のようにも感じた。しまいに自分はこう云った。 「実はこの間から僕もその事については少々考えがあって、機会があったら姉さんにとくと腹の中を聞いて見る気でいたんですから、それだけなら受合いましょう。もうじき東京へ帰るでしょうから」 「じゃそれを明日やってくれ。あした昼いっしょに和歌山へ行って、昼のうちに返って来れば差支えないだろう」  自分はなぜかそれが厭だった。東京へ帰ってゆっくり折を見ての事にしたいと思ったが、片方を断った今更一方も否とは云いかねて、とうとう和歌山見物だけは引き受ける事にした。         二十六  その明くる朝は起きた時からあいにく空に斑が見えた。しかも風さえ高く吹いて例の防波堤に崩ける波の音が凄じく聞え出した。欄干に倚って眺めると、白い煙が濛々と岸一面を立て籠めた。午前は四人とも海岸に出る気がしなかった。  午過ぎになって、空模様は少し穏かになった。雲の重なる間から日脚さえちょいちょい光を出した。それでも漁船が四五|艘いつもより早く楼前の掘割へ漕ぎ入れて来た。 「気味が悪いね。何だか暴風雨でもありそうじゃないか」  母はいつもと違う空を仰いで、こう云いながらまた元の座敷へ引返して来た。兄はすぐ立ってまた欄干へ出た。 「何大丈夫だよ。大した事はないにきまっている。御母さん僕が受け合いますから出かけようじゃありませんか。俥もすでに誂えてありますから」  母は何とも云わずに自分の顔を見た。 「そりゃ行っても好いけれど、行くなら皆なでいっしょに行こうじゃないか」  自分はその方が遥に楽であった。でき得るならどうか母の御供をして、和歌山行をやめたいと考えた。 「じゃ僕達もいっしょにその切り開いた山道の方へ行って見ましょうか」と云いながら立ちかけた。すると嶮しい兄の眼がすぐ自分の上に落ちた。自分はとうていこれでは約束を履行するよりほかに道がなかろうとまた思い返した。 「そうそう姉さんと約束があったっけ」  自分は兄に対して、つい空惚けた挨拶をしなければすまなくなった。すると母が今度は苦い顔をした。 「和歌山はやめにおしよ」  自分は母と兄の顔を見比べてどうしたものだろうと躊躇した。嫂はいつものように冷然としていた。自分が母と兄の間に迷っている間、彼女はほとんど一言も口にしなかった。 「直御前二郎に和歌山へ連れて行って貰うはずだったね」と兄が云った時、嫂はただ「ええ」と答えただけであった。母が「今日はお止しよ」と止めた時、嫂はまた「ええ」と答えただけであった。自分が「姉さんどうします」と顧みた時は、また「どうでも好いわ」と答えた。  自分はちょっと用事に下へ降りた。すると母がまた後から降りて来た。彼女の様子は何だかそわそわしていた。 「御前本当に直と二人で和歌山へ行く気かい」 「ええ、だって兄さんが承知なんですもの」 「いくら承知でも御母さんが困るから御止しよ」  母の顔のどこかには不安の色が見えた。自分はその不安の出所が兄にあるのか、または嫂と自分にあるか、ちょっと判断に苦しんだ。 「なぜです」と聞いた。 「なぜですって、御前と直と行くのはいけないよ」 「兄さんに悪いと云うんですか」  自分は露骨にこう聞いて見た。 「兄さんに悪いばかりじゃないが……」 「じゃ姉さんだの僕だのに悪いと云うんですか」  自分の問は前よりなお露骨であった。母は黙ってそこに佇ずんでいた。自分は母の表情に珍らしく猜疑の影を見た。         二十七  自分は自分を信じ切り、また愛し切っているとばかり考えていた母の表情を見てたちまち臆した。 「では止します。元々僕の発案で姉さんを誘い出すんじゃない。兄さんが二人で行って来いと云うから行くだけの事です。御母さんが御不承知ならいつでもやめます。その代り御母さんから兄さんに談判して行かないで好いようにして下さい。僕は兄さんに約束があるんだから」  自分はこう答えて、何だかきまりが悪そうに母の前に立っていた。実は母の前を去る勇気が出なかったのである。母は少し途方に暮れた様子であった。しかししまいに思い切ったと見えて、「じゃ兄さんには妾から話をするから、その代り御前はここに待ってておくれ、三階へ一緒に来るとまた事が面倒になるかも知れないから」と云った。  自分は母の後影を見送りながら、事がこんな風に引絡まった日には、とても嫂を連れて和歌山などへ行く気になれない、行ったところで肝心の用は弁じない、どうか母の思い通りに事が変じてくれれば好いがと思った。そうして気の落ちつかない胸を抱いて、広い座敷を右左に目的もなく往ったり来たりした。  やがて三階から兄が下りて来た。自分はその顔をちらりと見た時、これはどうしても行かなければ済まないなとすぐ読んだ。 「二郎、今になって違約して貰っちゃおれが困る。貴様だって男だろう」  自分は時々兄から貴様と呼ばれる事があった。そうしてこの貴様が彼の口から出たときはきっと用心して後難を避けた。 「いえ行くんです。行くんですがお母さんが止せとおっしゃるから」  自分がこう云ってるうちに、母がまた心配そうに三階から下りて来た。そうしてすぐ自分の傍へ寄って、 「二郎お母さんは先刻ああ云ったけれども、よく一郎に聞いて見ると、何だか紀三井寺で約束した事があるとか云う話だから、残念だが仕方ない。やっぱりその約束通りになさい」と云った。 「ええ」  自分はこう答えて、あとは何にも云わない事にした。  やがて母と兄は下に待っている俥に乗って、楼前から右の方へ鉄輪の音を鳴らして去った。 「じゃ僕らもそろそろ出かけましょうかね」と嫂を顧みた時、自分は実際好い心持ではなかった。 「どうです出かける勇気がありますか」と聞いた。 「あなたは」と向も聞いた。 「僕はあります」 「あなたにあれば、妾にだってあるわ」  自分は立って着物を着換え始めた。  嫂は上着を引掛けてくれながら、「あなた何だか今日は勇気がないようね」と調戯い半分に云った。自分は全く勇気がなかった。  二人は電車の出る所まで歩いて行った。あいにく近路を取ったので、嫂の薄い下駄と白足袋が一足ごとに砂の中に潜った。 「歩き悪いでしょう」 「ええ」と云って彼女は傘を手に持ったまま、後を向いて自分の後足を顧みた。自分は赤い靴を砂の中に埋めながら、今日の使命をどこでどう果したものだろうと考えた。考えながら歩くせいか会話は少しも機まない心持がした。 「あなた今日は珍らしく黙っていらっしゃるのね」とついに嫂から注意された。         二十八  自分は嫂と並んで電車に腰を掛けた。けれども大事の用を前に控えているという気が胸にあるので、どうしても機嫌よく話はできなかった。 「なぜそんなに黙っていらっしゃるの」と彼女が聞いた。自分は宿を出てからこう云う意味の質問を彼女からすでに二度まで受けた。それを裏から見ると、二人でもっと面白く話そうじゃありませんかと云う意味も映っていた。 「あなた兄さんにそんな事を云ったことがありますか」  自分の顔はやや真面目であった。嫂はちょっとそれを見て、すぐ窓の外を眺めた。そうして「好い景色ね」と云った。なるほどその時電車の走っていた所は、悪い景色ではなかったけれども、彼女のことさらにそれを眺めた事は明かであった。自分はわざと嫂を呼んで再び前の質問を繰返した。 「なぜそんなつまらない事を聞くのよ」と云った彼女は、ほとんど一顧に価しない風をした。  電車はまた走った。自分は次の停留所へ来る前また執拗く同じ問をかけて見た。 「うるさい方ね」と彼女がついに云った。「そんな事聞いて何になさるの。そりゃ夫婦ですもの、そのくらいな事云った覚はあるでしょうよ。それがどうしたの」 「どうもしやしません。兄さんにもそういう親しい言葉を始終かけて上げて下さいと云うだけです」  彼女は蒼白い頬へ少し血を寄せた。その量が乏しいせいか、頬の奥の方に灯を点けたのが遠くから皮膚をほてらしているようであった。しかし自分はその意味を深くも考えなかった。  和歌山へ着いた時、二人は電車を降りた。降りて始めて自分は和歌山へ始めて来た事を覚った。実はこの地を見物する口実の下に、嫂を連れて来たのだから、形式にもどこか見なければならなかった。 「あらあなたまだ和歌山を知らないの。それでいて妾を連れて来るなんて、ずいぶん呑気ね」  嫂は心細そうに四方を見廻した。自分も何分かきまりが悪かった。 「俥へでも乗って車夫に好い加減な所へ連れて行って貰いましょうか。それともぶらぶら御城の方へでも歩いて行きますか」 「そうね」  嫂は遠くの空を眺めて、近い自分には眼を注がなかった。空はここも海辺と同じように曇っていた。不規則に濃淡を乱した雲が幾重にも二人の頭の上を蔽って、日を直下に受けるよりは蒸し熱かった。その上いつ驟雨が来るか解らないほどに、空の一部分がすでに黒ずんでいた。その黒ずんだ円の四方が暈されたように輝いて、ちょうど今我々が見捨てて来た和歌の浦の見当に、凄じい空の一角を描き出していた。嫂は今その気味の悪い所を眉を寄せて眺めているらしかった。 「降るでしょうか」  自分は固より降るに違ないと思っていた。それでとにかく俥を雇って、見るだけの所を馳け抜けた方が得策だと考えた。自分は直に俥を命じて、どこでも構わないからなるべく早く見物のできるように挽いて廻れと命じた。車夫は要領を得たごとくまた得ないごとく、むやみに駆けた。狭い町へ出たり、例の蓮の咲いている濠へ出たりまた狭い町へ出たりしたが、いっこうこれぞという所はなかった。最後に自分は俥の上で、こう駆けてばかりいては肝心の話ができないと気がついて、車夫にどこかゆっくり坐って話のできる所へ連れて行けと差図した。         二十九  車夫は心得て駆け出した。今までと違って威勢があまり好過ぎると思ううちに、二人の俥は狭い横町を曲って、突然大きな門を潜った。自分があわてて、車夫を呼び留めようとした時、梶棒はすでに玄関に横付になっていた。二人はどうする事もできなかった。その上若い着飾った下女が案内に出たので、二人はついに上るべく余儀なくされた。 「こんな所へ来るはずじゃなかったんですが」と自分はつい言訳らしい事を云った。 「なぜ。だって立派な御茶屋じゃありませんか。結構だわ」と嫂が答えた。その答えぶりから推すと、彼女は最初からこういう料理屋めいた所へでも来るのを予期していたらしかった。  実際嫂のいった通りその座敷は物綺麗にかつ堅牢に出来上っていた。 「東京辺の安料理屋よりかえって好いくらいですね」と自分は柱の木口や床の軸などを見廻した。嫂は手摺の所へ出て、中庭を眺めていた。古い梅の株の下に蘭の茂りが蒼黒い影を深く見せていた。梅の幹にも硬くて細長い苔らしいものがところどころに喰ついていた。  下女が浴衣を持って風呂の案内に来た。自分は風呂に這入る時間が惜しかった。そうして日が暮れはしまいかと心配した。できるならば一刻も早く用を片づけて、約束通り明るい路を浜辺まで帰りたいと念じた。 「どうします姉さん、風呂は」と聞いて見た。  嫂も明るいうちには帰るように兄から兼ねて云いつけられていたので、そこはよく承知していた。彼女は帯の間から時計を出して見た。 「まだ早いのよ、二郎さん。お湯へ這入っても大丈夫だわ」  彼女は時間の遅く見えるのを全く天気のせいにした。もっとも濁った雲が幾重にも空を鎖しているので、時計の時間よりは世の中が暗く見えたのはたしかに違いなかった。自分はまた今にも降り出しそうな雨を恐れた。降るならひとしきりざっと来た後で、帰った方がかえって楽だろうと考えた。 「じゃちょっと汗を流して行きましょうか」  二人はとうとう風呂に入った。風呂から出ると膳が運ばれた。時間からいうと飯には早過ぎた。酒は遠慮したかった。かつ飲める口でもなかった。自分はやむをえず、吸物を吸ったり、刺身を突ついたりした。下女が邪魔になるので、用があれば呼ぶからと云って下げた。  嫂には改まって云い出したものだろうか、またはそれとなく話のついでにそこへ持って行ったものだろうかと思案した。思案し出すとどっちもいいようでまたどっちも悪いようであった。自分は吸物|椀を手にしたままぼんやり庭の方を眺めていた。 「何を考えていらっしゃるの」と嫂が聞いた。 「何、降りゃしまいかと思ってね」と自分はいい加減な答をした。 「そう。そんなに御天気が怖いの。あなたにも似合わないのね」 「怖かないけど、もし強雨にでもなっちゃ大変ですからね」  自分がこう云っている内に、雨はぽつりぽつりと落ちて来た。よほど早くからの宴会でもあるのか、向うに見える二階の広間に、二三人|紋付羽織の人影が見えた。その見当で芸者が三味線の調子を合わせている音が聞え出した。  宿を出るときすでにざわついていた自分の心は、この時一層落ちつきを失いかけて来た。自分は腹の中で、今日はとてもしんみりした話をする気になれないと恐れた。なぜまたその今日に限って、こんな変な事を引受けたのだろうと後悔もした。         三十  嫂はそんな事に気のつくはずがなかった。自分が雨を気にするのを見て、彼女はかえって不思議そうに詰った。 「何でそんなに雨が気になるの。降れば後が涼しくなって好いじゃありませんか」 「だっていつやむか解らないから困るんです」 「困りゃしないわ。いくら約束があったって、御天気のせいなら仕方がないんだから」 「しかし兄さんに対して僕の責任がありますよ」 「じゃすぐ帰りましょう」  嫂はこう云って、すぐ立ち上った。その様子には一種の決断があらわれていた。向の座敷では客の頭が揃ったのか、三味線の音が雨を隔てて爽かに聞え出した。電灯もすでに輝いた。自分も半ば嫂の決心に促されて、腰を立てかけたが、考えると受合って来た話はまだ一言も口へ出していなかった。後れて帰るのが母や兄にすまないごとく、少しも嫂に肝心の用談を打ち明けないのがまた自分の心にすまなかった。 「姉さんこの雨は容易にやみそうもありませんよ。それに僕は姉さんに少し用談があって来たんだから」  自分は半分空を眺めてまた嫂をふり返った。自分は固よりの事、立ち上った彼女も、まだ帰る仕度は始めなかった。彼女は立ち上ったには、立ち上ったが、自分の様子しだいでその以後の態度を一定しようと、五分の隙間なく身構えているらしく見えた。自分はまた軒端へ首を出して上の方を望んだ。室の位置が中庭を隔てて向うに大きな二階建の広間を控えているため、空はいつものように広くは限界に落ちなかった。したがって雲の往来や雨の降り按排も、一般的にはよく分らなかった。けれども凄まじさが先刻よりは一層はなはだしく庭木を痛振っているのは事実であった。自分は雨よりも空よりも、まずこの風に辟易した。 「あなたも妙な方ね。帰るというからそのつもりで仕度をすれば、また坐ってしまって」 「仕度ってほどの仕度もしないじゃありませんか。ただ立ったぎりでさあ」  自分がこう云った時、嫂はにっこりと笑った。そうして故意と己れの袖や裾のあたりをなるほどといったようなまた意外だと驚いたような眼つきで見廻した。それから微笑を含んでその様子を見ていた自分の前に再びぺたりと坐った。 「何よ用談があるって。妾にそんなむずかしい事が分りゃしないわ。それよりか向うの御座敷の三味線でも聞いてた方が増しよ」  雨は軒に響くというよりもむしろ風に乗せられて、気ままな場所へ叩きつけられて行くような音を起した。その間に三味線の音が気紛れものらしく時々二人の耳を掠め去った。 「用があるなら早くおっしゃいな」と彼女は催促した。 「催促されたってちょっと云える事じゃありません」  自分は実際彼女から促された時、何と切り出して好いか分らなかった。すると彼女はにやにやと笑った。 「あなた取っていくつなの」 「そんなに冷かしちゃいけません。本当に真面目な事なんだから」 「だから早くおっしゃいな」  自分はいよいよ改まって忠告がましい事を云うのが厭になった。そうして彼女の前へ出た今の自分が何だか彼女から一段低く見縊られているような気がしてならなかった。それだのにそこに一種の親しみを感じずにはまたいられなかった。         三十一 「姉さんはいくつでしたっけね」と自分はついに即かぬ事を聞き出した。 「これでもまだ若いのよ。あなたよりよっぽど下のつもりですわ」  自分は始めから彼女の年と自分の年を比較する気はなかった。 「兄さんとこへ来てからもう何年になりますかね」と聞いた。  嫂はただ澄まして「そうね」と云った。 「妾そんな事みんな忘れちまったわ。だいち自分の年さえ忘れるくらいですもの」  嫂のこの恍け方はいかにも嫂らしく響いた。そうして自分にはかえって嬌態とも見えるこの不自然が、真面目な兄にはなはだしい不愉快を与えるのではなかろうかと考えた。 「姉さんは自分の年にさえ冷淡なんですね」  自分はこんな皮肉を何となく云った。しかし云ったときの浮気な心にすぐ気がつくと急に兄にすまない恐ろしさに襲われた。 「自分の年なんかに、いくら冷淡でも構わないから、兄さんにだけはもう少し気をつけて親切にして上げて下さい」 「妾そんなに兄さんに不親切に見えて。これでもできるだけの事は兄さんにして上げてるつもりよ。兄さんばかりじゃないわ。あなたにだってそうでしょう。ねえ二郎さん」  自分は、自分にもっと不親切にして構わないから、兄の方には最少し優しくしてくれろと、頼むつもりで嫂の眼を見た時、また急に自分の甘いのに気がついた。嫂の前へ出て、こう差し向いに坐ったが最後、とうてい真底から誠実に兄のために計る事はできないのだとまで思った。自分は言葉には少しも窮しなかった。どんな言語でも兄のために使おうとすれば使われた。けれどもそれを使う自分の心は、兄のためでなくってかえって自分のために使うのと同じ結果になりやすかった。自分はけっしてこんな役割を引き受けべき人格でなかった。自分は今更のように後悔した。 「あなた急に黙っちまったのね」とその時嫂が云った。あたかも自分の急所を突くように。 「兄さんのために、僕が先刻からあなたに頼んでいる事を、姉さんは真面目に聞いて下さらないから」  自分は恥ずかしい心を抑えてわざとこう云った。すると嫂は変に淋しい笑い方をした。 「だってそりゃ無理よ二郎さん。妾馬鹿で気がつかないから、みんなから冷淡と思われているかも知れないけれど、これで全くできるだけの事を兄さんに対してしている気なんですもの。――妾ゃ本当に腑抜なのよ。ことに近頃は魂の抜殻になっちまったんだから」 「そう気を腐らせないで、もう少し積極的にしたらどうです」 「積極的ってどうするの。御世辞を使うの。妾御世辞は大嫌いよ。兄さんも御嫌いよ」 「御世辞なんか嬉しがるものもないでしょうけれども、もう少しどうかしたら兄さんも幸福でしょうし、姉さんも仕合せだろうから……」 「よござんす。もう伺わないでも」と云った嫂は、その言葉の終らないうちに涙をぽろぽろと落した。 「妾のような魂の抜殻はさぞ兄さんには御気に入らないでしょう。しかし私はこれで満足です。これでたくさんです。兄さんについて今まで何の不足を誰にも云った事はないつもりです。そのくらいの事は二郎さんもたいてい見ていて解りそうなもんだのに……」  泣きながら云う嫂の言葉は途切れ途切れにしか聞こえなかった。しかしその途切れ途切れの言葉が鋭い力をもって自分の頭に応えた。         三十二  自分は経験のある或る年長者から女の涙に金剛石はほとんどない、たいていは皆ギヤマン細工だとかつて教わった事がある。その時自分はなるほどそんなものかと思って感心して聞いていた。けれどもそれは単に言葉の上の智識に過ぎなかった。若輩な自分は嫂の涙を眼の前に見て、何となく可憐に堪えないような気がした。ほかの場合なら彼女の手を取って共に泣いてやりたかった。 「そりゃ兄さんの気むずかしい事は誰にでも解ってます。あなたの辛抱も並大抵じゃないでしょう。けれども兄さんはあれで潔白すぎるほど潔白で正直すぎるほど正直な高尚な男です。敬愛すべき人物です……」 「二郎さんに何もそんな事を伺わないでも兄さんの性質ぐらい妾だって承知しているつもりです。妻ですもの」  嫂はこう云ってまたしゃくり上げた。自分はますます可哀そうになった。見ると彼女の眼を拭っていた小形の手帛が、皺だらけになって濡れていた。自分は乾いている自分ので彼女の眼や頬を撫でてやるために、彼女の顔に手を出したくてたまらなかった。けれども、何とも知れない力がまたその手をぐっと抑えて動けないように締めつけている感じが強く働いた。 「正直なところ姉さんは兄さんが好きなんですか、また嫌なんですか」  自分はこう云ってしまった後で、この言葉は手を出して嫂の頬を、拭いてやれない代りに自然口の方から出たのだと気がついた。嫂は手帛と涙の間から、自分の顔を覗くように見た。 「二郎さん」 「ええ」  この簡単な答は、あたかも磁石に吸われた鉄の屑のように、自分の口から少しの抵抗もなく、何らの自覚もなく釣り出された。 「あなた何の必要があってそんな事を聞くの。兄さんが好きか嫌いかなんて。妾が兄さん以外に好いてる男でもあると思っていらっしゃるの」 「そういう訳じゃけっしてないんですが」 「だから先刻から云ってるじゃありませんか。私が冷淡に見えるのは、全く私が腑抜のせいだって」 「そう腑抜をことさらに振り舞わされちゃ困るね。誰も宅のものでそんな悪口を云うものは一人もないんですから」 「云わなくっても腑抜よ。よく知ってるわ、自分だって。けど、これでも時々は他から親切だって賞められる事もあってよ。そう馬鹿にしたものでもないわ」  自分はかつて大きなクッションに蜻蛉だの草花だのをいろいろの糸で、嫂に縫いつけて貰った御礼に、あなたは親切だと感謝した事があった。 「あれ、まだ有るでしょう綺麗ね」と彼女が云った。 「ええ。大事にして持っています」と自分は答えた。自分は事実だからこう答えざるを得なかった。こう答える以上、彼女が自分に親切であったという事実を裏から認識しない訳に行かなかった。  ふと耳を欹てると向うの二階で弾いていた三味線はいつの間にかやんでいた。残り客らしい人の酔った声が時々風を横切って聞こえた。もうそれほど遅くなったのかと思って、時計を捜し出しにかかったところへ女中が飛石伝に縁側から首を出した。  自分らはこの女中を通じて、和歌の浦が今暴風雨に包まれているという事を知った。電話が切れて話が通じないという事を知った。往来の松が倒れて電車が通じないという事も知った。         三十三  自分はその時急に母や兄の事を思い出した。眉を焦す火のごとく思い出した。狂う風と渦巻く浪に弄ばれつつある彼らの宿が想像の眼にありありと浮んだ。 「姉さん大変な事になりましたね」と自分は嫂を顧みた。嫂はそれほど驚いた様子もなかった。けれども気のせいか、常から蒼い頬が一層蒼いように感ぜられた。その蒼い頬の一部と眼の縁に先刻泣いた痕跡がまだ残っていた。嫂はそれを下女に悟られるのが厭なんだろう、電灯に疎い不自然な方角へ顔を向けて、わざと入口の方を見なかった。 「和歌の浦へはどうしても帰られないんでしょうか」と云った。  見当違いの方から出たこの問は、自分に云うのか、または下女に聞くのか、ちょっと解らなかった。 「俥でも駄目だろうね」と自分が同じような問を下女に取次いだ。  下女は駄目という言葉こそ繰返さなかったが、危険な意味を反覆説明して、聞かせた上、是非今夜だけは和歌山へ泊れと忠告した。彼女の顔はむしろわれわれ二人の利害を標的にして物を云ってるらしく真面目に見えた。自分は下女の言葉を信ずれば信ずるほど母の事が気になった。  防波堤と母の宿との間にはかれこれ五六町の道程があった。波が高くて少し土手を越すくらいなら、容易に三階の座敷まで来る気遣いはなかろうとも考えた。しかしもし海嘯が一度に寄せて来るとすると、…… 「おい海嘯であすこいらの宿屋がすっかり波に攫われる事があるかい」  自分は本当に心配の余り下女にこう聞いた。下女はそんな事はないと断言した。しかし波が防波堤を越えて土手下へ落ちてくるため、中が湖水のようにいっぱいになる事は二三度あったと告げた。 「それにしたって、水に浸った家は大変だろう」と自分はまた聞いた。  下女は、高々水の中で家がぐるぐる回るくらいなもので、海まで持って行かれる心配はまずあるまいと答えた。この呑気な答えが心配の中にも自分を失笑せしめた。 「ぐるぐる回りゃそれでたくさんだ。その上海まで持ってかれた日にゃ好い災難じゃないか」  下女は何とも云わずに笑っていた。嫂も暗い方から電灯をまともに見始めた。 「姉さんどうします」 「どうしますって、妾女だからどうして好いか解らないわ。もしあなたが帰るとおっしゃれば、どんな危険があったって、妾いっしょに行くわ」 「行くのは構わないが、――困ったな。じゃ今夜は仕方がないからここへ泊るとしますか」 「あなたが御泊りになれば妾も泊るよりほかに仕方がないわ。女一人でこの暗いのにとても和歌の浦まで行く訳には行かないから」  下女は今まで勘違をしていたと云わぬばかりの眼遣をして二人を見較べた。 「おい電話はどうしても通じないんだね」と自分はまた念のため聞いて見た。 「通じません」  自分は電話口へ出て直接に試みて見る勇気もなかった。 「じゃしようがない泊ることにきめましょう」と今度は嫂に向った。 「ええ」  彼女の返事はいつもの通り簡単でそうして落ちついていた。 「町の中なら俥が通うんだね」と自分はまた下女に向った。         三十四  二人はこれから料理屋で周旋してくれた宿屋まで行かなければならなかった。仕度をして玄関を下りた時、そこに輝く電灯と、車夫の提灯とが、雨の音と風の叫びに冴えて、あたかも闇に狂う物凄さを照らす道具のように思われた。嫂はまず色の眼につくあでやかな姿を黒い幌の中へ隠した。自分もつづいて窮屈な深い桐油の中に身体を入れた。  幌の中に包まれた自分はほとんど往来の凄じさを見る遑がなかった。自分の頭はまだ経験した事のない海嘯というものに絶えず支配された。でなければ、意地の悪い天候のお蔭で、自分が兄の前で一徹に退けた事を、どうしても実行しなければならなくなった運命をつらく観じた。自分の頭は落ちついて想像したり観じたりするほどの余裕を無論もたなかった。ただ乱雑な火事場のように取留めもなくくるくる廻転した。  そのうち俥の梶棒が一軒の宿屋のような構の門口へ横づけになった。自分は何だか暖簾を潜って土間へ這入ったような気がしたがたしかには覚えていない。土間は幅の割に竪からいってだいぶ長かった。帳場も見えず番頭もいず、ただ一人の下女が取次に出ただけで、宵の口としては至って淋しい光景であった。  自分達は黙ってそこに突立っていた。自分はなぜだか嫂に話したくなかった。彼女も澄まして絹張の傘の先を斜に土間に突いたなりで立っていた。  下女の案内で二人の通された部屋は、縁側を前に御簾のような簀垂を軒に懸けた古めかしい座敷であった。柱は時代で黒く光っていた。天井にも煤の色が一面に見えた。嫂は例の傘を次の間の衣桁に懸けて、「ここは向うが高い棟で、こっちが厚い練塀らしいから風の音がそんなに聞えないけれど、先刻俥へ乗った時は大変ね。幌の上でひゅひゅいうのが気味が悪かったぐらいよ。あなた風の重みが俥の幌に乗しかかって来るのが乗ってて分ったでしょう。妾もう少しで俥が引っ繰返るかも知れないと思ったわ」と云った。  自分は少し逆上していたので、そんな事はよく注意していられなかった。けれどもその通りを真直に答えるほどの勇気もなかった。 「ええずいぶんな風でしたね」とごまかした。 「ここでこのくらいじゃ、和歌の浦はさぞ大変でしょうね」と嫂が始めて和歌の浦の事を云い出した。  自分は胸がまたわくわくし出した。「姐さんここの電話も切れてるのかね」と云って、答えも待たずに風呂場に近い電話口まで行った。そこで帳面を引っ繰返しながら、号鈴をしきりに鳴らして、母と兄の泊っている和歌の浦の宿へかけて見た。すると不思議に向うで二言三言何か云ったような気がするので、これはありがたいと思いつつなお暴風雨の模様を聞こうとすると、またさっぱり通じなくなった。それから何遍もしもしと呼んでもいくら号鈴を鳴らしても、呼び甲斐も鳴らし甲斐も全く無くなったので、ついに我を折ってわが部屋へ引き戻して来た。嫂は蒲団の上に坐って茶を啜っていたが、自分の足音を聴きつつふり返って、「電話はどうして? 通じて?」と聞いた。自分は電話について今の一部始終を説明した。 「おおかたそんな事だろうと思った。とても駄目よ今夜は。いくらかけたって、風で電話線を吹き切っちまったんだから。あの音を聞いたって解るじゃありませんか」  風はどこからか二筋に綯れて来たのが、急に擦違になって唸るような怪しい音を立てて、また虚空遥に騰るごとくに見えた。         三十五  二人が風に耳を峙だてていると、下女が風呂の案内に来た。それから晩食を食うかと聞いた。自分は晩食などを欲しいと思う気になれなかった。 「どうします」と嫂に相談して見た。 「そうね。どうでもいいけども。せっかく泊ったもんだから、御膳だけでも見た方がいいでしょう」と彼女は答えた。  下女が心得て立って行ったかと思うと、宅中の電灯がぱたりと消えた。黒い柱と煤けた天井でたださえ陰気な部屋が、今度は真暗になった。自分は鼻の先に坐っている嫂を嗅げば嗅がれるような気がした。 「姉さん怖かありませんか」 「怖いわ」という声が想像した通りの見当で聞こえた。けれどもその声のうちには怖らしい何物をも含んでいなかった。またわざと怖がって見せる若々しい蓮葉の態度もなかった。  二人は暗黒のうちに坐っていた。動かずにまた物を云わずに、黙って坐っていた。眼に色を見ないせいか、外の暴風雨は今までよりは余計耳についた。雨は風に散らされるのでそれほど恐ろしい音も伝えなかったが、風は屋根も塀も電柱も、見境なく吹き捲って悲鳴を上げさせた。自分達の室は地面の上の穴倉みたような所で、四方共|頑丈な建物だの厚い塗壁だのに包まれて、縁の前の小さい中庭さえ比較的安全に見えたけれども、周囲一面から出る一種|凄じい音響は、暗闇に伴って起る人間の抵抗しがたい不可思議な威嚇であった。 「姉さんもう少しだから我慢なさい。今に女中が灯を持って来るでしょうから」  自分はこう云って、例の見当から嫂の声が自分の鼓膜に響いてくるのを暗に予期していた。すると彼女は何事をも答えなかった。それが漆に似た暗闇の威力で、細い女の声さえ通らないように思われるのが、自分には多少無気味であった。しまいに自分の傍にたしかに坐っているべきはずの嫂の存在が気にかかり出した。 「姉さん」  嫂はまだ黙っていた。自分は電気灯の消えない前、自分の向うに坐っていた嫂の姿を、想像で適当の距離に描き出した。そうしてそれを便りにまた「姉さん」と呼んだ。 「何よ」  彼女の答は何だか蒼蠅そうであった。 「いるんですか」 「いるわあなた。人間ですもの。嘘だと思うならここへ来て手で障って御覧なさい」  自分は手捜りに捜り寄って見たい気がした。けれどもそれほどの度胸がなかった。そのうち彼女の坐っている見当で女帯の擦れる音がした。 「姉さん何かしているんですか」と聞いた。 「ええ」 「何をしているんですか」と再び聞いた。 「先刻下女が浴衣を持って来たから、着換えようと思って、今帯を解いているところです」と嫂が答えた。  自分が暗闇で帯の音を聞いているうちに、下女は古風な蝋燭を点けて縁側伝いに持って来た。そうしてそれを座敷の床の横にある机の上に立てた。蝋燭の焔がちらちら右左へ揺れるので、黒い柱や煤けた天井はもちろん、灯の勢の及ぶ限りは、穏かならぬ薄暗い光にどよめいて、自分の心を淋しく焦立たせた。ことさら床に掛けた軸と、その前に活けてある花とが、気味の悪いほど目立って蝋燭の灯の影響を受けた。自分は手拭を持って、また汗を流しに風呂へ行った。風呂は怪しげなカンテラで照らされていた。         三十六  自分は佗びしい光でやっと見分のつく小桶を使ってざあざあ背中を流した。出がけにまた念のためだから電話をちりんちりん鳴らして見たがさらに通じる気色がないのでやめた。  嫂は自分と入れ代りに風呂へ入ったかと思うとすぐ出て来た。「何だか暗くって気味が悪いのね。それに桶や湯槽が古いんでゆっくり洗う気にもなれないわ」  その時自分は畏まった下女を前に置いて蝋燭の灯を便に宿帳をつけべく余儀なくされていた。 「姉さん宿帳はどうつけたら好いでしょう」 「どうでも。好い加減に願います」  嫂はこう云って小さい袋から櫛やなにか這入っている更紗の畳紙を出し始めた。彼女は後向になって蝋燭を一つ占領して鏡台に向いつつ何かやっていた。自分は仕方なしに東京の番地と嫂の名を書いて、わざと傍に一郎|妻と認めた。同様の意味で自分の側にも一郎|弟とわざわざ断った。  飯の出る前に、何の拍子か、先に暗くなった電灯がまた一時に明るくなった。その時台所の方でわあと喜びの鬨の声を挙げたものがあった。暴風雨で魚がないと下女が言訳を云ったにかかわらず、われわれの膳の上は明かであった。 「まるで生返ったようね」と嫂が云った。  すると電灯がまたぱっと消えた。自分は急に箸を消えたところに留めたぎり、しばらく動かさなかった。 「おやおや」  下女は大きな声をして朋輩の名を呼びながら灯火を求めた。自分は電気灯がぱっと明るくなった瞬間に嫂が、いつの間にか薄く化粧を施したという艶かしい事実を見て取った。電灯の消えた今、その顔だけが真闇なうちにもとの通り残っているような気がしてならなかった。 「姉さんいつ御粧したんです」 「あら厭だ真闇になってから、そんな事を云いだして。あなたいつ見たの」  下女は暗闇で笑い出した。そうして自分の眼ざとい事を賞めた。 「こんな時に白粉まで持って来るのは実に細かいですね、姉さんは」と自分はまた暗闇の中で嫂に云った。 「白粉なんか持って来やしないわ。持って来たのはクリームよ、あなた」と彼女はまた暗闇の中で弁解した。  自分は暗がりの中で、しかも下女のいる前で、こんな冗談を云うのが常よりは面白かった。そこへ彼女の朋輩がまた別の蝋燭を二本ばかり点けて来た。  室の中は裸蝋燭の灯で渦を巻くように動揺した。自分も嫂も眉を顰めて燃える焔の先を見つめていた。そうして落ちつきのない淋しさとでも形容すべき心持を味わった。  ほどなく自分達は寝た。便所に立った時、自分は窓の間から空を仰ぐように覗いて見た。今まで多少静まっていた暴風雨が、この時は夜更と共に募ったものか、真黒な空が真黒いなりに活動して、瞬間も休まないように感ぜられた。自分は恐ろしい空の中で、黒い電光が擦れ合って、互に黒い針に似たものを隙間なく出しながら、この暗さを大きな音の中に維持しているのだと想像し、かつその想像の前に畏縮した。  蚊帳の外には蝋燭の代りに下女が床を延べた時、行灯を置いて行った。その行灯がまた古風な陰気なもので、いっそ吹き消して闇がりにした方が、微かな光に照らされる無気味さよりはかえって心持が好いくらいだった。自分は燐寸を擦って、薄暗い所で煙草を呑み始めた。         三十七  自分は先刻から少しも寝なかった。小用に立って、一本の紙巻を吹かす間にもいろいろな事を考えた。それが取りとめもなく雑然と一度に来るので、自分にも何が主要の問題だか捕えられなかった。自分は燐寸を擦って煙草を呑んでいる事さえ時々忘れた。しかもそこに気がついて、再び吸口を唇に銜える時の煙の無味さはまた特別であった。  自分の頭の中には、今見て来た正体の解らない黒い空が、凄まじく一様に動いていた。それから母や兄のいる三階の宿が波を幾度となく被って、くるりくるりと廻り出していた。それが片づかないうちに、この部屋の中に寝ている嫂の事がまた気になり出した。天災とは云え二人でここへ泊った言訳をどうしたものだろうと考えた。弁解してから後、兄の機嫌をどうして取り直したものだろうとも考えた。同時に今日嫂といっしょに出て、滅多にないこんな冒険を共にした嬉しさがどこからか湧いて出た。その嬉しさが出た時、自分は風も雨も海嘯も母も兄もことごとく忘れた。するとその嬉しさがまた俄然として一種の恐ろしさに変化した。恐ろしさと云うよりも、むしろ恐ろしさの前触であった。どこかに潜伏しているように思われる不安の徴候であった。そうしてその時は外面を狂い廻る暴風雨が、木を根こぎにしたり、塀を倒したり、屋根瓦を捲くったりするのみならず、今薄暗い行灯の下で味のない煙草を吸っているこの自分を、粉微塵に破壊する予告のごとく思われた。  自分がこんな事をぐるぐる考えているうちに、蚊帳の中に死人のごとくおとなしくしていた嫂が、急に寝返をした。そうして自分に聞えるように長い欠伸をした。 「姉さんまだ寝ないんですか」と自分は煙草の煙の間から嫂に聞いた。 「ええ、だってこの吹き降りじゃ寝ようにも寝られないじゃありませんか」 「僕もあの風の音が耳についてどうする事もできない。電灯の消えたのは、何でもここいら近所にある柱が一本とか二本とか倒れたためだってね」 「そうよ、そんな事を先刻下女が云ったわね」 「御母さんと兄さんはどうしたでしょう」 「妾も先刻からその事ばかり考えているの。しかしまさか浪は這入らないでしょう。這入ったって、あの土手の松の近所にある怪しい藁屋ぐらいなものよ。持ってかれるのは。もし本当の海嘯が来てあすこ界隈をすっかり攫って行くんなら、妾本当に惜しい事をしたと思うわ」 「なぜ」 「なぜって、妾そんな物凄いところが見たいんですもの」 「冗談じゃない」と自分は嫂の言葉をぶった切るつもりで云った。すると嫂は真面目に答えた。 「あら本当よ二郎さん。妾死ぬなら首を縊ったり咽喉を突いたり、そんな小刀細工をするのは嫌よ。大水に攫われるとか、雷火に打たれるとか、猛烈で一息な死に方がしたいんですもの」  自分は小説などをそれほど愛読しない嫂から、始めてこんなロマンチックな言葉を聞いた。そうして心のうちでこれは全く神経の昂奮から来たに違いないと判じた。 「何かの本にでも出て来そうな死方ですね」 「本に出るか芝居でやるか知らないが、妾ゃ真剣にそう考えてるのよ。嘘だと思うならこれから二人で和歌の浦へ行って浪でも海嘯でも構わない、いっしょに飛び込んで御目にかけましょうか」 「あなた今夜は昂奮している」と自分は慰撫めるごとく云った。 「妾の方があなたよりどのくらい落ちついているか知れやしない。たいていの男は意気地なしね、いざとなると」と彼女は床の中で答えた。         三十八  自分はこの時始めて女というものをまだ研究していない事に気がついた。嫂はどこからどう押しても押しようのない女であった。こっちが積極的に進むとまるで暖簾のように抵抗がなかった。仕方なしにこっちが引き込むと、突然変なところへ強い力を見せた。その力の中にはとても寄りつけそうにない恐ろしいものもあった。またはこれなら相手にできるから進もうかと思って、まだ進みかねている中に、ふっと消えてしまうのもあった。自分は彼女と話している間|始終彼女から翻弄されつつあるような心持がした。不思議な事に、その翻弄される心持が、自分に取って不愉快であるべきはずだのに、かえって愉快でならなかった。  彼女は最後に物凄い決心を語った。海嘯に攫われて行きたいとか、雷火に打たれて死にたいとか、何しろ平凡以上に壮烈な最後を望んでいた。自分は平生から体力や筋力において遥に優勢な位地に立ちつつも、嫂に対してはどことなく無気味な感じがあった。そうしてその無気味さがはなはだ狎れやすい感じと妙に相伴っていた。  自分は詩や小説にそれほど親しみのない嫂のくせに、何に昂奮して海嘯に攫われて死にたいなどと云うのか、そこをもっと突きとめて見たかった。 「姉さんが死ぬなんて事を云い出したのは今夜始めてですね」 「ええ口へ出したのは今夜が始めてかも知れなくってよ。けれども死ぬ事は、死ぬ事だけはどうしたって心の中で忘れた日はありゃしないわ。だから嘘だと思うなら、和歌の浦まで伴れて行ってちょうだい。きっと浪の中へ飛込んで死んで見せるから」  薄暗い行灯の下で、暴風雨の音の間にこの言葉を聞いた自分は、実際物凄かった。彼女は平生から落ちついた女であった。歇私的里風なところはほとんどなかった。けれども寡言な彼女の頬は常に蒼かった。そうしてどこかの調子で眼の中に意味の強い解すべからざる光が出た。 「姉さんは今夜よっぽどどうかしている。何か昂奮している事でもあるんですか」  自分は彼女の涙を見る事はできなかった。また彼女の泣き声を聞く事もできなかった。けれども今にもそこに至りそうな気がするので、暗い行灯の光を便りに、蚊帳の中を覗いて見た。彼女は赤い蒲団を二枚重ねてその上に縁を取った白麻の掛蒲団を胸の所まで行儀よく掛けていた。自分が暗い灯でその姿を覗き込んだ時、彼女は枕を動かして自分の方を見た。 「あなた昂奮昂奮って、よくおっしゃるけれども妾ゃあなたよりいくら落ちついてるか解りゃしないわ。いつでも覚悟ができてるんですもの」  自分は何と答うべき言葉も持たなかった。黙って二本目の敷島を暗い灯影で吸い出した。自分はわが鼻と口から濛々と出る煙ばかりを眺めていた。自分はその間に気味のわるい眼を転じて、時々蚊帳の中を窺った。嫂の姿は死んだように静であった。あるいはすでに寝ついたのではないかとも思われた。すると突然|仰向けになった顔の中から、「二郎さん」と云う声が聞こえた。 「何ですか」と自分は答えた。 「あなたそこで何をしていらっしゃるの」 「煙草を呑んでるんです。寝られないから」 「早く御休みなさいよ。寝られないと毒だから」 「ええ」  自分は蚊帳の裾を捲くって、自分の床の中に這入った。         三十九  翌日は昨日と打って変って美しい空を朝まだきから仰ぐ事を得た。 「好い天気になりましたね」と自分は嫂に向って云った。 「本当ね」と彼女も答えた。  二人はよく寝なかったから、夢から覚めたという心持はしなかった。ただ床を離れるや否や魔から覚めたという感じがしたほど、空は蒼く染められていた。  自分は朝飯の膳に向いながら、廂を洩れる明らかな光を見て、急に気分の変化に心づいた。したがって向い合っている嫂の姿が昨夕の嫂とは全く異なるような心持もした。今朝見ると彼女の眼にどこといって浪漫的な光は射していなかった。ただ寝の足りない※が急に爽かな光に照らされて、それに抵抗するのがいかにも慵いと云ったような一種の倦怠るさが見えた。頬の蒼白いのも常に変らなかった。  我々はできるだけ早く朝飯を済まして宿を立った。電車はまだ通じないだろうという宿のものの注意を信用して俥を雇った。車夫は土間から表に出た我々を一目見て、すぐ夫婦ものと鑑定したらしかった。俥に乗るや否や自分の梶棒を先へ上げた。自分はそれをとめるように、「後から後から」と云った。車夫は心得て「奥さんの方が先だ」と相図した。嫂の俥が自分の傍を擦り抜ける時、彼女は例の片靨を見せて「御先へ」と挨拶した。自分は「さあどうぞ」と云ったようなものの、腹の中では車夫の口にした奥さんという言葉が大いに気になった。嫂はそんな景色もなく、自分を乗り越すや否や、琥珀に刺繍のある日傘を翳した。彼女の後姿はいかにも涼しそうに見えた。奥さんと云われても云われないでも全く無関係の態度で、俥の上に澄まして乗っているとしか思われなかった。  自分は嫂の後姿を見つめながら、また彼女の人となりに思い及んだ。自分は平生こそ嫂の性質を幾分かしっかり手に握っているつもりであったが、いざ本式に彼女の口から本当のところを聞いて見ようとすると、まるで八幡の藪知らずへ這入ったように、すべてが解らなくなった。  すべての女は、男から観察しようとすると、みんな正体の知れない嫂のごときものに帰着するのではあるまいか。経験に乏しい自分はこうも考えて見た。またその正体の知れないところがすなわち他の婦人に見出しがたい嫂だけの特色であるようにも考えて見た。とにかく嫂の正体は全く解らないうちに、空が蒼々と晴れてしまった。自分は気の抜けた麦酒のような心持を抱いて、先へ行く彼女の後姿を絶えず眺めていた。  突然自分は宿へ帰ってから嫂について兄に報告をする義務がまだ残っている事に気がついた。自分は何と報告して好いかよく解らなかった。云うべき言葉はたくさんあったけれども、それを一々兄の前に並べるのはとうてい自分の勇気ではできなかった。よし並べたって最後の一句は正体が知れないという簡単な事実に帰するだけであった。あるいは兄自身も自分と同じく、この正体を見届ようと煩悶し抜いた結果、こんな事になったのではなかろうか。自分は自分がもし兄と同じ運命に遭遇したら、あるいは兄以上に神経を悩ましはしまいかと思って、始めて恐ろしい心持がした。  俥が宿へ着いたとき、三階の縁側には母の影も兄の姿も見えなかった。         四十  兄は三階の日に遠い室で例の黒い光沢のある頭を枕に着けて仰向きになっていた。けれども眠ってはいなかった。むしろ充血した眼を見張るように緊張して天井を見つめていた。彼は自分達の足音を聞くや否や、いきなりその血走った眼を自分と嫂に注いだ。自分は兼てからその眼つきを予想し得なかったほど兄を知らない訳でもなかった。けれども室の入口で嫂と相並んで立ちながら、昨夕まんじりともしなかったと自白しているような彼の赤くて鋭い眼つきを見た時は、少し驚かされた。自分はこういう場合の緩和剤として例の通り母を求めた。その母は座敷の中にも縁側にもどこにも見当らなかった。  自分が彼女を探しているうちに嫂は兄の枕元に坐って挨拶をした。 「ただいま」  兄は何とも答えなかった。嫂はまた坐ったなりそこを動かなかった。自分は勢いとして口を開くべく余儀なくされた。 「昨夕こっちは大変な暴風雨でしたってね」 「うんずいぶんひどい風だった」 「波があの石の土手を越して松並木から下へ流れ込んだの」  これは嫂の言葉であった。兄はしばらく彼女の顔を眺めていた。それから徐ろに答えた。 「いやそうでもない。家に故障はなかったはずだ」 「じゃ。無理に帰れば帰れたのね」  嫂はこう云って自分を顧みた。自分は彼女よりもむしろ兄の方に向いた。 「いやとても帰れなかったんです。電車がだいち通じないんですもの」 「そうかも知れない。昨日は夕方あたりからあの波が非常に高く見えたから」 「夜中に宅が揺れやしなくって」  これも嫂の兄に聞いた問であった。今度は兄がすぐ答えた。 「揺れた。お母さんは危険だからと云って下へ降りて行かれたくらい揺れた」  自分は兄の眼色の険悪な割合に、それほど殺気を帯びていない彼の言語動作をようよう確め得た時やっと安心した。彼は自分の性急に比べると約五倍がたの癇癪持であった。けれども一種|天賦の能力があって、時にその癇癪を巧に殺す事ができた。  その内に明神様へ御参りに行った母が帰って来た。彼女は自分の顔を見てようやく安心したというような色をしてくれた。 「よく早く帰れて好かったね。――まあ昨夕の恐ろしさったら、そりゃ御話にも何にもならないんだよ、二郎。この柱がぎいぎいって鳴るたんびに、座敷が右左に動くんだろう。そこへ持って来て、あの浪の音がね。――わたしゃ今聞いても本当にぞっとするよ……」  母は昨夕の暴風雨をひどく怖がった。ことにその聯想から出る、防波堤を砕きにかかる浪の音を嫌った。 「もうもう和歌の浦も御免。海も御免。慾も得も要らないから、早く東京へ帰りたいよ」  母はこう云って眉をひそめた。兄は肉のない頬へ皺を寄せて苦笑した。 「二郎達は昨夕どこへ泊ったんだい」と聞いた。  自分は和歌山の宿の名を挙げて答えた。 「好い宿かい」 「何だかかんだか、ただ暗くって陰気なだけです。ねえ姉さん」  その時兄は走るような眼を嫂に転じた。  嫂はただ自分の顔を見て「まるでお化でも出そうな宅ね」と云った。  日の夕暮に自分は嫂と階段の下で出逢った。その時自分は彼女に「どうです、兄さんは怒ってるんでしょうか」と聞いて見た。嫂は「どうだか腹の中はちょっと解らないわ」と淋しく笑いながら上へ昇って行った。         四十一  母が暴風雨に怖気がついて、早く立とうと云うのを機に、みんなここを切上げて一刻も早く帰る事にした。 「いかな名所でも一日二日は好いが、長くなるとつまらないですね」と兄は母に同意していた。  母は自分を小蔭へ呼んで、「二郎お前どうするつもりだい」と聞いた。自分は自分の留守中に兄が万事を母に打ち明けたのかと思った。しかし兄の平生から察すると、そんな行き抜けの人となりでもなさそうであった。 「兄さんは昨夕僕らが帰らないんで、機嫌でも悪くしているんですか」  自分がこう質問をかけた時、母は少しの間黙っていた。 「昨夕はね、知っての通りの浪や風だから、そんな話をする閑も無かったけれども……」  母はどうしてもそこまでしか云わなかった。 「お母さんは何だか僕と嫂さんの仲を疑ぐっていらっしゃるようだが……」と云いかけると、今まで自分の眼をじっと見ていた母は急に手を振って自分を遮った。 「そんな事があるものかねお前、お母さんに限って」  母の言葉は実際|判然した言葉に違なかった。顔つきも眼つきもきびきびしていた。けれども彼女の腹の中はとても読めなかった。自分は親身の子として、時たま本当の父や母に向いながら嘘と知りつつ真顔で何か云い聞かされる事を覚えて以来、世の中で本式の本当を云い続けに云うものは一人もないと諦めていた。 「兄さんには僕から万事話す事になっています。そう云う約束になってるんだから、お母さんが心配なさる必要はありません。安心していらっしゃい」 「じゃなるべく早く片づけた方が好いよ二郎」  自分達はその明くる宵の急行で東京へ帰る事にきめていた。実はまだ大阪を中心として、見物かたがた歩くべき場所はたくさんあったけれども、母の気が進まず、兄の興味が乗らず、大阪で中継をする時間さえ惜んで、すぐ東京まで寝台で通そうと云うのが母と兄の主張であった。  自分達は是非共|翌日の朝の汽車で和歌山から大阪へ向けて立たなければならなかった。自分は母の命令で岡田の宅まで電報を打った。 「佐野さんへはかける必要もないでしょう」と云いながら自分は母と兄の顔を眺めた。 「あるまい」と兄が答えた。 「岡田へさえ打っておけば、佐野さんはうっちゃっておいてもきっと送りに来てくれるよ」  自分は電報紙を持ちながら、是非共お貞さんを貰いたいという佐野のお凸額とその金縁眼鏡を思い出した。 「ではあのお凸額さんは止めておこう」  自分はこう云って、みんなを笑わせた。自分がとうから佐野の御凸額を気にしていたごとく、ほかのものも同じ人の同じ特色を注意していたらしかった。 「写真で見たより御凸額ね」と嫂は真面目な顔で云った。  自分は冗談のうちに自分を紛しつつ、どんな折を利用して嫂の事を兄に復命したものだろうかと考えていた。それで時々|偸むようにまた先方の気のつかないように兄の様子を見た。ところが兄は自分の予期に反して、全くそれには無頓着のように思われた。         四十二  自分が兄から別室に呼出されたのはそれが済んでしばらくしてであった。その時兄は常に変らない様子をして、「二郎ちょっと話がある。あっちの室へ来てくれ」と穏かに云った。自分はおとなしく「はい」と答えて立った。しかしどうした機か立つときに嫂の顔をちょっと見た。その時は何の気もつかなかったが、この平凡な所作がその後自分の胸には絶えず驕慢の発現として響いた。嫂は自分と顔を合せた時、いつもの通り片靨を見せて笑った。自分と嫂の眼を他から見たら、どこかに得意の光を帯びていたのではあるまいか。自分は立ちながら、次の室で浴衣を畳んでいた母の方をちょっと顧て、思わず立竦んだ。母の眼つきは先刻からたった一人でそっと我々を観察していたとしか見えなかった。自分は母から疑惑の矢を胸に射つけられたような気分で兄のいる室へ這入った。  その頃はちょうど旧暦の盆で、いわゆる盆波の荒いためか、泊り客は無論、日返りの遊び客さえいつもほどは影を見せなかった。広い三階建てはしたがって空いている室の方が多かった。少しの間融通しようと思えば、いつでも自分の自由になった。  兄は兼てから下女に命じておいたものと見えて、室には麻の蒲団が差し向いに二枚、華奢な煙草盆を間に、団扇さえ添えて据えられてあった。自分は兄の前に坐った。けれども何と云い出して然るべきだか、その手加減がちょっと解らないので、ただ黙っていた。兄も容易に口を開かなかった。しかしこんな場合になると性質上きっと兄の方から積極的に出るに違いないと踏んだ自分は、わざと巻莨を吹かしつづけた。  自分はこの時の自分の心理状態を解剖して、今から顧みると、兄に調戯うというほどでもないが、多少彼を焦らす気味でいたのはたしかであると自白せざるを得ない。もっとも自分がなぜそれほど兄に対して大胆になり得たかは、我ながら解らない。恐らく嫂の態度が知らぬ間に自分に乗り移っていたものだろう。自分は今になって、取り返す事も償う事もできないこの態度を深く懺悔したいと思う。  自分が巻莨を吹かして黙っていると兄ははたして「二郎」と呼びかけた。 「お前|直の性質が解ったかい」 「解りません」  自分は兄の問の余りに厳格なため、ついこう簡単に答えてしまった。そうしてそのあまりに形式的なのに後から気がついて、悪かったと思い返したが、もう及ばなかった。  兄はその後一口も聞きもせず、また答えもしなかった。二人こうして黙っている間が、自分には非常な苦痛であった。今考えると兄には、なおさらの苦痛であったに違ない。 「二郎、おれはお前の兄として、ただ解りませんという冷淡な挨拶を受けようとは思わなかった」  兄はこう云った。そうしてその声は低くかつ顫えていた。彼は母の手前、宿の手前、また自分の手前と問題の手前とを兼ねて、高くなるべきはずの咽喉を、やっとの思いで抑えているように見えた。 「お前そんな冷淡な挨拶を一口したぎりで済むものと、高を括ってるのか、子供じゃあるまいし」 「いえけっしてそんなわけじゃありません」  これだけの返事をした時の自分は真に純良なる弟であった。         四十三 「そう云うつもりでなければ、つもりでないようにもっと詳く話したら好いじゃないか」  兄は苦り切って団扇の絵を見つめていた。自分は兄に顔を見られないのを幸いに、暗に彼の様子を窺った。自分からこういうと兄を軽蔑するようではなはだすまないが、彼の表情のどこかには、というよりも、彼の態度のどこかには、少し大人気を欠いた稚気さえ現われていた。今の自分はこの純粋な一本調子に対して、相応の尊敬を払う見地を具えているつもりである。けれども人格のできていなかった当時の自分には、ただ向の隙を見て事をするのが賢いのだという利害の念が、こんな問題にまでつけ纏わっていた。  自分はしばらく兄の様子を見ていた。そうしてこれは与しやすいという心が起った。彼は癇癪を起している。彼は焦れ切っている。彼はわざとそれを抑えようとしている。全く余裕のないほど緊張している。しかし風船球のように軽く緊張している。もう少し待っていれば自分の力で破裂するか、または自分の力でどこかへ飛んで行くに相違ない。――自分はこう観察した。  嫂が兄の手に合わないのも全くここに根ざしているのだと自分はこの時ようやく勘づいた。また嫂として存在するには、彼女の遣口が一番巧妙なんだろうとも考えた。自分は今日までただ兄の正面ばかり見て、遠慮したり気兼したり、時によっては恐れ入ったりしていた。しかし昨日一日一晩嫂と暮した経験は図らずもこの苦々しい兄を裏から甘く見る結果になって眼前に現われて来た。自分はいつ嫂から兄をこう見ろと教わった覚はなかった。けれども兄の前へ出て、これほど度胸の据った事もまたなかった。自分は比較的すまして、団扇を見つめている兄の額のあたりをこっちでも見つめていた。  すると兄が急に首を上げた。 「二郎何とか云わないか」と励しい言葉を自分の鼓膜に射込んだ。自分はその声でまたはっと平生の自分に返った。 「今云おうと思ってるところです。しかし事が複雑なだけに、何から話して好いか解らないんでちょっと困ってるんです。兄さんもほかの事たあ違うんだから、もう少し打ち解けてゆっくり聞いて下さらなくっちゃ。そう裁判所みたように生真面目に叱りつけられちゃ、せっかく咽喉まで出かかったものも、辟易して引込んじまいますから」  自分がこう云うと、兄はさすがに一見識ある人だけあって、「ああそうかおれが悪かった。お前が性急の上へ持って来て、おれが癇癪持と来ているから、つい変にもなるんだろう。二郎、それじゃいつゆっくり話される。ゆっくり聞く事なら今でもおれにはできるつもりだが」と云った。 「まあ東京へ帰るまで待って下さい。東京へ帰るたって、あすの晩の急行だから、もう直です。その上で落ちついて僕の考えも申し上げたいと思ってますから」 「それでも好い」  兄は落ちついて答えた。今までの彼の癇癪を自分の信用で吹き払い得たごとくに。 「ではどうか、そう願います」と云って自分が立ちかけた時、兄は「ああ」と肯ずいて見せたが、自分が敷居を跨ぐ拍子に「おい二郎」とまた呼び戻した。 「詳い事は追って東京で聞くとして、ただ一言だけ要領を聞いておこうか」 「姉さんについて……」 「無論」 「姉さんの人格について、御疑いになるところはまるでありません」  自分がこう云った時、兄は急に色を変えた。けれども何にも云わなかった。自分はそれぎり席を立ってしまった。         四十四  自分はその時場合によれば、兄から拳骨を食うか、または後から熱罵を浴せかけられる事と予期していた。色を変えた彼を後に見捨てて、自分の席を立ったくらいだから、自分は普通よりよほど彼を見縊っていたに違なかった。その上自分はいざとなれば腕力に訴えてでも嫂を弁護する気概を十分|具えていた。これは嫂が潔白だからというよりも嫂に新たなる同情が加わったからと云う方が適切かも知れなかった。云い換えると、自分は兄をそれだけ軽蔑し始めたのである。席を立つ時などは多少彼に対する敵愾心さえ起った。  自分が室へ帰って来た時、母はもう浴衣を畳んではいなかった。けれども小さい行李の始末に余念なく手を動かしていた。それでも心は手許になかったと見えて、自分の足音を聞くや否や、すぐこっちを向いた。 「兄さんは」 「今来るでしょう」 「もう話は済んだの」 「済むの済まないのって、始めからそんな大した話じゃないんです」  自分は母の気を休めるため、わざと蒼蠅そうにこう云った。母はまた行李の中へ、こまごましたものを出したり入れたりし始めた。自分は今度は彼の女に恥じて、けっして傍に手伝っている嫂の顔をあえて見なかった。それでも彼女の若くて淋しい唇には冷かな笑の影が、自分の眼を掠めるように過ぎた。 「今から荷造りですか。ちっと早過ぎるな」と自分はわざと年を取った母を嘲けるごとく注意した。 「だって立つとなれば、なるたけ早く用意しておいた方が都合が好いからね」 「そうですとも」  嫂のこの返事は、自分が何か云おうとする先を越して声に応ずる響のごとく出た。 「じゃ縄でも絡げましょう。男の役だから」  自分は兄と反対に車夫や職人のするような荒仕事に妙を得ていた。ことに行李を括るのは得意であった。自分が縄を十文字に掛け始めると、嫂はすぐ立って兄のいる室の方に行った。自分は思わずその後姿を見送った。 「二郎兄さんの機嫌はどうだったい」と母がわざわざ小さな声で自分に聞いた。 「別にこれと云う事もありません。なあに心配なさる事があるもんですか。大丈夫です」と自分はことさらに荒っぽく云って、右足で行李の蓋をぎいぎい締めた。 「実はお前にも話したい事があるんだが。東京へでも帰ったらいずれまたゆっくりね」 「ええゆっくり伺いましょう」  自分はこう無造作に答えながら、腹の中では母のいわゆる話なるものの内容を朧気ながら髣髴した。  しばらくすると、兄と嫂が別席から出て来た。自分は平気を粧いながら母と話している間にも、両人の会見とその会見の結果について多少気がかりなところがあった。母は二人の並んで来る様子を見て、やっと安心した風を見せた。自分にもどこかにそんなところがあった。  自分は行李を絡げる努力で、顔やら背中やらから汗がたくさん出た。腕捲りをした上、浴衣の袖で汗を容赦なく拭いた。 「おい暑そうだ。少し扇いでやるが好い」  兄はこう云って嫂を顧みた。嫂は静に立って自分を扇いでくれた。 「何よござんす。もう直ですから」  自分がこう断っているうちに、やがて明日の荷造りは出来上った。      帰ってから         一  自分は兄夫婦の仲がどうなる事かと思って和歌山から帰って来た。自分の予想ははたして外れなかった。自分は自然の暴風雨に次で、兄の頭に一種の旋風が起る徴候を十分認めて彼の前を引き下った。けれどもその徴候は嫂が行って十分か十五分話しているうちに、ほとんど警戒を要しないほど穏かになった。  自分は心のうちでこの変化に驚いた。針鼠のように尖ってるあの兄を、わずかの間に丸め込んだ嫂の手腕にはなおさら敬服した。自分はようやく安心したような顔を、晴々と輝かせた母を見るだけでも満足であった。  兄の機嫌は和歌の浦を立つ時も変らなかった。汽車の内でも同じ事であった。大阪へ来てもなお続いていた。彼は見送りに出た岡田夫婦を捕まえて戯談さえ云った。 「岡田君お重に何か言伝はないかね」  岡田は要領を得ない顔をして、「お重さんにだけですか」と聞き返していた。 「そうさ君の仇敵のお重にさ」  兄がこう答えた時、岡田はやっと気のついたという風に笑い出した。同じ意味で謎の解けたお兼さんも笑い出した。母の予言通り見送りに来ていた佐野も、ようやく笑う機会が来たように、憚りなく口を開いて周囲の人を驚かした。  自分はその時まで嫂にどうして兄の機嫌を直したかを聞いて見なかった。その後もついぞ聞く機会をもたなかった。けれどもこういう霊妙な手腕をもっている彼女であればこそ、あの兄に対して始終ああ高を括っていられるのだと思った。そうしてその手腕を彼女はわざと出したり引込ましたりする、単に時と場合ばかりでなく、全く己れの気まま次第で出したり引込ましたりするのではあるまいかと疑ぐった。  汽車は例のごとく込み合っていた。自分達は仕切りの付いている寝台をやっとの思いで四つ買った。四つで一室になっているので都合は大変好かった。兄と自分は体力の優秀な男子と云う訳で、婦人|方二人に、下のベッドを当がって、上へ寝た。自分の下には嫂が横になっていた。自分は暗い中を走る汽車の響のうちに自分の下にいる嫂をどうしても忘れる事ができなかった。彼女の事を考えると愉快であった。同時に不愉快であった。何だか柔かい青大将に身体を絡まれるような心持もした。  兄は谷一つ隔てて向うに寝ていた。これは身体が寝ているよりも本当に精神が寝ているように思われた。そうしてその寝ている精神を、ぐにゃぐにゃした例の青大将が筋違に頭から足の先まで巻き詰めているごとく感じた。自分の想像にはその青大将が時々熱くなったり冷たくなったりした。それからその巻きようが緩くなったり、緊くなったりした。兄の顔色は青大将の熱度の変ずるたびに、それからその絡みつく強さの変ずるたびに、変った。  自分は自分の寝台の上で、半は想像のごとく半は夢のごとくにこの青大将と嫂とを連想してやまなかった。自分はこの詩に似たような眠が、駅夫の呼ぶ名古屋名古屋と云う声で、急に破られたのを今でも記憶している。その時汽車の音がはたりと留ると同時に、さあという雨の音が聞こえた。自分は靴足袋の裏に湿気を感じて起き上ると、足の方に当る窓が塵除の紗で張ってあった。自分はいそいで窓を閉て換えた。ほかの人のはどうかと思って、聞いて見たが、答がなかった。ただ嫂だけが雨が降り込むようだというので、やむをえず上から飛び下りてまた窓を閉て換えてやった。         二 「雨のようね」と嫂が聞いた。 「ええ」  自分は半ば風に吹き寄せられた厚い窓掛の、じとじとに湿ったのを片方へがらりと引いた。途端に母の寝返りを打つ音が聞こえた。 「二郎、ここはどこだい」 「名古屋です」  自分は吹き込む紗の窓を通して、ほとんど人影の射さない停車場の光景を、雨のうちに眺めた。名古屋名古屋と呼ぶ声がまだ遠くの方で聞こえた。それからこつりこつりという足音がたった一人で活きて来るように響いた。 「二郎ついでに妾の足の方も締めておくれな」 「御母さんの所も硝子が閉っていないんですか。先刻呼んだらよく寝ていらっしゃるようでしたから……」  自分は嫂の方を片づけて、すぐ母の方に行った。厚い窓掛を片寄せて、手探りに探って見ると、案外にも立派に硝子戸が締まっていた。 「御母さんこっちは雨なんか這入りゃしませんよ。大丈夫です、この通りだから」  自分はこう云いながら、母の足の方に当る硝子を、とんとんと手で叩いて見せた。 「おや雨は這入らないのかい」 「這入るものですか」  母は微笑した。 「いつ頃から雨が降り出したか御母さんはちっとも知らなかったよ」  母はさも愛想らしくまた弁疏らしく口を利いて、「二郎、御苦労だったね、早く御休み。もうよっぽど遅いんだろう」と云った。  時計は十二時過であった。自分はまたそっと上の寝台に登った。車室は元の通り静かになった。嫂は母が口を利き出してから、何も云わなくなった。母は自分が自分の寝台に上ってから、また何も云わなくなった。ただ兄だけは始めからしまいまで一言も物を云わなかった。彼は聖者のごとくただすやすやと眠っていた。この眠方が自分には今でも不審の一つになっている。  彼は自分で時々公言するごとく多少の神経衰弱に陥っていた。そうして時々不眠のために苦しめられた。また正直にそれを家族の誰彼に訴えた。けれども眠くて困ると云った事はいまだかつてなかった。  富士が見え出して雨上りの雲が列車に逆らって飛ぶ景色を、みんなが起きて珍らしそうに眺める時すら、彼は前後に関係なく心持よさそうに寝ていた。  食堂が開いて乗客の多数が朝飯を済ました後、自分は母を連れて昨夜以来の空腹を充たすべく細い廊下を伝わって後部の方へ行った。その時母は嫂に向って、「もう好い加減に一郎を起して、いっしょにあっちへ御出で。妾達は向へ行って待っているから」と云った。嫂はいつもの通り淋しい笑い方をして、「ええ直御後から参ります」と答えた。  自分達は室内の掃除に取りかかろうとする給仕を後にして食堂へ這入った。食堂はまだだいぶ込んでいた。出たり這入ったりするものが絶えず狭い通り路をざわつかせた。自分が母に紅茶と果物を勧めている時分に、兄と嫂の姿がようやく入口に現れた。不幸にして彼らの席は自分達の傍に見出せるほど、食卓は空いていなかった。彼らは入口の所に差し向いで座を占めた。そうして普通の夫婦のように笑いながら話したり、窓の外を眺めたりした。自分を相手に茶を啜っていた母は、時々その様子を満足らしく見た。  自分達はかくして東京へ帰ったのである。         三  繰返していうが、我々はこうして東京へ帰ったのである。  東京の宅は平生の通り別にこれと云って変った様子もなかった。お貞さんは襷を掛けて別条なく働いていた。彼女が手拭を被って洗濯をしている後姿を見て、一段落置いた昔のお貞さんを思いだしたのは、帰って二日目の朝であった。  芳江というのは兄夫婦の間にできた一人っ子であった。留守のうちはお重が引受けて万事世話をしていた。芳江は元来母や嫂に馴ついていたが、いざとなると、お重だけでも不自由を感じないほど世話の焼けない子であった。自分はそれを嫂の気性を受けて生れたためか、そうでなければお重の愛嬌のあるためだと解釈していた。 「お重お前のようなものがよくあの芳江を預かる事ができるね。さすがにやっぱり女だなあ」と父が云ったら、お重は膨れた顔をして、「御父さんもずいぶんな方ね」と母にわざわざ訴えに来た話を、汽車の中で聞いた。  自分は帰ってから一両日して、彼女に、「お重お前を御父さんがやっぱり女だなとおっしゃったって怒ってるそうだね」と聞いた。彼女は「怒ったわ」と答えたなり、父の書斎の花瓶の水を易えながら、乾いた布巾で水を切っていた。 「まだ怒ってるのかい」 「まだってもう忘れちまったわ。――綺麗ねこの花は何というんでしょう」 「お重しかし、女だなあというのは、そりゃ賞めた言葉だよ。女らしい親切な子だというんだ。怒る奴があるもんか」 「どうでもよくってよ」  お重は帯で隠した尻の辺を左右に振って、両手で花瓶を持ちながら父の居間の方へ行った。それが自分にはあたかも彼女が尻で怒を見せているようでおかしかった。  芳江は我々が帰るや否や、すぐお重の手から母と嫂に引渡された。二人は彼女を奪い合うように抱いたり下したりした。自分の平生から不思議に思っていたのは、この外見上冷静な嫂に、頑是ない芳江がよくあれほどに馴つきえたものだという眼前の事実であった。この眸の黒い髪のたくさんある、そうして母の血を受けて人並よりも蒼白い頬をした少女は、馴れやすからざる彼女の母の後を、奇蹟のごとく追って歩いた。それを嫂は日本一の誇として、宅中の誰彼に見せびらかした。ことに己の夫に対しては見せびらかすという意味を通り越して、むしろ残酷な敵打をする風にも取れた。兄は思索に遠ざかる事のできない読書家として、たいていは書斎裡の人であったので、いくら腹のうちでこの少女を鍾愛しても、鍾愛の報酬たる親しみの程度ははなはだ稀薄なものであった。感情的な兄がそれを物足らず思うのも無理はなかった。食卓の上などでそれが色に出る時さえ兄の性質としてはたまにはあった。そうなるとほかのものよりお重が承知しなかった。 「芳江さんは御母さん子ね。なぜ御父さんの側に行かないの」などと故意とらしく聞いた。 「だって……」と芳江は云った。 「だってどうしたの」とお重がまた聞いた。 「だって怖いから」と芳江はわざと小さな声で答えた。それがお重にはなおさら忌々しく聞こえるのであった。 「なに? 怖いって? 誰が怖いの?」  こんな問答がよく繰り返えされて、時には五分も十分も続いた。嫂はこう云う場合に、けっして眉目を動さなかった。いつでも蒼い頬に微笑を見せながらどこまでも尋常な応対をした。しまいには父や母が双方を宥めるために、兄から果物を貰わしたり、菓子を受け取らしたりさせて、「さあそれで好い。御父さんから旨いものをちょうだいして」とやっと御茶を濁す事もあった。お重はそれでも腹が癒えなそうに膨れた頬をみんなに見せた。兄は黙って独り書斎へ退くのが常であった。         四  父はその年始めて誰かから朝貌を作る事を教わって、しきりに変った花や葉を愛玩していた。変ったと云っても普通のものがただ縮れて見立がなくなるだけだから、宅中でそれを顧みるものは一人もなかった。ただ父の熱心と彼の早起と、いくつも並んでいる鉢と、綺麗な砂と、それから最後に、厭に拗ねた花の様や葉の形に感心するだけに過ぎなかった。  父はそれらを縁側へ並べて誰を捉まえても説明を怠らなかった。 「なるほど面白いですなあ」と正直な兄までさも感心したらしく御世辞を余儀なくされていた。  父は常に我々とはかけ隔った奥の二間を専領していた。簀垂のかかったその縁側に、朝貌はいつでも並べられた。したがって我々は「おい一郎」とか「おいお重」とか云って、わざわざそこへ呼び出されたものであった。自分は兄よりも遥に父の気に入るような賛辞を呈して引き退がった。そうして父の聞えない所で、「どうもあんな朝貌を賞めなけりゃならないなんて、実際恐れ入るね。親父の酔興にも困っちまう」などと悪口を云った。  いったい父は講釈好の説明好であった。その上時間に暇があるから、誰でも構わず、号鈴を鳴らして呼寄せてはいろいろな話をした。お重などは呼ばれるたびに、「兄さん今日は御願だから代りに行ってちょうだい」と云う事がよくあった。そのお重に父はまた解り悪い事を話すのが大好だった。  自分達が大阪から帰ったとき朝貌はまだ咲いていた。しかし父の興味はもう朝貌を離れていた。 「どうしました。例の変り種は」と自分が聞いて見ると、父は苦笑いをして「実は朝貌もあまり思わしくないから、来年からはもう止めだ」と答えた。自分はおおかた父の誇りとして我々に見せた妙な花や葉が、おそらくその道の人から鑑定すると、成っていなかったんだろうと判断して、茶の間で大きな声を立てて笑った。すると例のお重とお貞さんが父を弁護した。 「そうじゃ無いのよ。あんまり手数がかかるんで、御父さんも根気が尽きちまったのよ。それでも御父さんだからあれだけにできたんですって、皆な賞めていらしったわ」  母と嫂は自分の顔を見て、さも自分の無識を嘲けるように笑い出した。すると傍にいた小さな芳江までが嫂と同じように意味のある笑い方をした。  こんな瑣事で日を暮しているうちに兄と嫂の間柄は自然自分達の胸を離れるようになった。自分はかねて約束した通り、兄の前へ出て嫂の事を説明する必要がなくなったような気がした。母が東京へ帰ってからゆっくり話そうと云ったむずかしそうな事件も母の口から容易に出ようとも思えなかった。最後にあれほど嫂について智識を得たがっていた兄が、だんだん冷静に傾いて来た。その代り父母や自分に対しても前ほどは口を利かなくなった。暑い時でもたいていは書斎へ引籠って何か熱心にやっていた。自分は時々嫂に向って、「兄さんは勉強ですか」と聞いた。嫂は「ええおおかた来学年の講義でも作ってるんでしょう」と答えた。自分はなるほどと思って、その忙しさが永く続くため、彼の心を全然そっちの方へ転換させる事ができはしまいかと念じた。嫂は平生の通り淋しい秋草のようにそこらを動いていた。そうして時々|片靨を見せて笑った。         五  そのうち夏もしだいに過ぎた。宵々に見る星の光が夜ごとに深くなって来た。梧桐の葉の朝夕風に揺ぐのが、肌に応えるように眼をひやひやと揺振った。自分は秋に入ると生れ変ったように愉快な気分を時々感じ得た。自分より詩的な兄はかつて透き通る秋の空を眺めてああ生き甲斐のある天だと云って嬉しそうに真蒼な頭の上を眺めた事があった。 「兄さんいよいよ生き甲斐のある時候が来ましたね」と自分は兄の書斎のヴェランダに立って彼を顧みた。彼はそこにある籐椅子の上に寝ていた。 「まだ本当の秋の気分にゃなれない。もう少し経たなくっちゃ駄目だね」と答えて彼は膝の上に伏せた厚い書物を取り上げた。時は食事前の夕方であった。自分はそれなり書斎を出て下へ行こうとした。すると兄が急に自分を呼び止めた。 「芳江は下にいるかい」 「いるでしょう。先刻裏庭で見たようでした」  自分は北の方の窓を開けて下を覗いて見た。下には特に彼女のために植木屋が拵えたブランコがあった。しかし先刻いた芳江の姿は見えなかった。「おやどこへか行ったかな」と自分が独言を云ってると、彼女の鋭い笑い声が風呂場の中で聞えた。 「ああ湯に這入っています」 「直といっしょかい。御母さんとかい」  芳江の笑い声の間にはたしかに、女として深さのあり過ぎる嫂の声が聞えた。 「姉さんです」と自分は答えた。 「だいぶ機嫌が好さそうじゃないか」  自分は思わずこう云った兄の顔を見た。彼は手に持っていた大きな書物で頭まで隠していたからこの言葉を発した時の表情は少しも見る事ができなかった。けれども、彼の意味はその調子で自分によく呑み込めた。自分は少し逡巡した後で、「兄さんは子供をあやす事を知らないから」と云った。兄の顔はそれでも書物の後に隠れていた。それを急に取るや否や彼は「おれの綾成す事のできないのは子供ばかりじゃないよ」と云った。自分は黙って彼の顔を打ち守った。 「おれは自分の子供を綾成す事ができないばかりじゃない。自分の父や母でさえ綾成す技巧を持っていない。それどころか肝心のわが妻さえどうしたら綾成せるかいまだに分別がつかないんだ。この年になるまで学問をした御蔭で、そんな技巧は覚える余暇がなかった。二郎、ある技巧は、人生を幸福にするために、どうしても必要と見えるね」 「でも立派な講義さえできりゃ、それですべてを償って余あるから好いでさあ」  自分はこう云って、様子次第、退却しようとした。ところが兄は中止する気色を見せなかった。 「おれは講義を作るためばかりに生れた人間じゃない。しかし講義を作ったり書物を読んだりする必要があるために肝心の人間らしい心持を人間らしく満足させる事ができなくなってしまったのだ。でなければ先方で満足させてくれる事ができなくなったのだ」  自分は兄の言葉の裏に、彼の周囲を呪うように苦々しいある物を発見した。自分は何とか答えなければならなかった。しかし何と答えて好いか見当がつかなかった。ただ問題が例の嫂事件を再発させては大変だと考えた。それで卑怯のようではあるが、問答がそこへ流れ入る事を故意に防いだ。 「兄さんが考え過ぎるから、自分でそう思うんですよ。それよりかこの好天気を利用して、今度の日曜ぐらいに、どこかへ遠足でもしようじゃありませんか」  兄はかすかに「うん」と云って慵げに承諾の意を示した。         六  兄の顔には孤独の淋しみが広い額を伝わって瘠けた頬に漲っていた。 「二郎おれは昔から自然が好きだが、つまり人間と合わないので、やむをえず自然の方に心を移す訳になるんだろうかな」  自分は兄が気の毒になった。「そんな事はないでしょう」と一口に打ち消して見た。けれどもそれで兄の満足を買う訳には行かなかった。自分はすかさずまたこう云った。 「やっぱり家の血統にそう云う傾きがあるんですよ。御父さんは無論、僕でも兄さんの知っていらっしゃる通りですし、それにね、あのお重がまた不思議と、花や木が好きで、今じゃ山水画などを見ると感に堪えたような顔をして時々眺めている事がありますよ」  自分はなるべく兄を慰めようとして、いろいろな話をしていた。そこへお貞さんが下から夕食の報知に来た。自分は彼女に、「お貞さんは近頃|嬉しいと見えて妙ににこにこしていますね」と云った。自分が大阪から帰るや否や、お貞さんは暑い下女室の隅に引込んで容易に顔を出さなかった。それが大阪から出したみんなの合併絵葉書の中へ、自分がお貞さん宛に「おめでとう」と書いた五字から起ったのだと知れて家内中大笑いをした。そのためか一つ家にいながらお貞さんは変に自分を回避した。したがって顔を合わせると自分はことさらに何か云いたくなった。 「お貞さん何が嬉しいんですか」と自分は面白半分追窮するように聞いた。お貞さんは手を突いたなり耳まで赤くなった。兄は籐椅子の上からお貞さんを見て、「お貞さん、結婚の話で顔を赤くするうちが女の花だよ。行って見るとね、結婚は顔を赤くするほど嬉しいものでもなければ、恥ずかしいものでもないよ。それどころか、結婚をして一人の人間が二人になると、一人でいた時よりも人間の品格が堕落する場合が多い。恐ろしい目に会う事さえある。まあ用心が肝心だ」と云った。  お貞さんには兄の意味が全く通じなかったらしい。何と答えて好いか解らないので、むしろ途方に暮れた顔をしながら涙を眼にいっぱい溜めていた。兄はそれを見て、「お貞さん余計な事を話して御気の毒だったね。今のは冗談だよ。二郎のような向う見ずに云って聞かせる事を、ついお貞さん見たいな優しい娘さんに云っちまったんだ。全くの間違だ。勘弁してくれたまえ。今夜は御馳走があるかね。二郎それじゃ御膳を食べに行こう」と云った。  お貞さんは兄が籐椅子から立ち上るのを見るや否や、すぐ腰を立てて一足先へ階子段をとんとんと下りて行った。自分は兄と肩を比べて室を出にかかった。その時兄は自分を顧みて「二郎、この間の問題もそれぎりになっていたね。つい書物や講義の事が忙しいものだから、聞こう聞こうと思いながら、ついそのままにしておいてすまない。そのうちゆっくり聴くつもりだから、どうか話してくれ」と云った。自分は「この間の問題とは何ですか」と空惚けたかった。けれどもそんな勇気はこの際出る余裕がなかったから、まず体裁の好い挨拶だけをしておいた。 「こう時間が経つと、何だか気の抜けた麦酒見たようで、僕には話し悪くなってしまいましたよ。しかしせっかくのお約束だから聴くとおっしゃればやらん事もありませんがね。しかし兄さんのいわゆる生き甲斐のある秋にもなったものだから、そんなつまらない事より、まず第一に遠足でもしようじゃありませんか」 「うん遠足も好かろうが……」  二人はこんな話を交換しながら、食卓の据えてある下の室に入った。そうしてそこに芳江を傍に引きつけている嫂を見出した。         七  食卓の上で父と母は偶然またお貞さんの結婚問題を話頭に上せた。母は兼て白縮緬を織屋から買っておいたから、それを紋付に染めようと思っているなどと云った。お貞さんはその時みんなの後に坐って給仕をしていたが、急に黒塗の盆をおはちの上へ置いたなり席を立ってしまった。  自分は彼女の後姿を見て笑い出した。兄は反対に苦い顔をした。 「二郎お前がむやみに調戯うからいけない。ああ云う乙女にはもう少しデリカシーの籠った言葉を使ってやらなくっては」 「二郎はまるで堂摺連と同じ事だ」と父が笑うようなまた窘なめるような句調で云った。母だけは一人不思議な顔をしていた。 「なに二郎がね。お貞さんの顔さえ見ればおめでとうだの嬉しい事がありそうだのって、いろいろの事を云うから、向うでも恥かしがるんです。今も二階で顔を赤くさせたばかりのところだもんだから、すぐ逃げ出したんです。お貞さんは生れつきからして直とはまるで違ってるんだから、こっちでもそのつもりで注意して取り扱ってやらないといけません……」  兄の説明を聞いた母は始めてなるほどと云ったように苦笑した。もう食事を済ましていた嫂は、わざと自分の顔を見て変な眼遣をした。それが自分には一種の相図のごとく見えた。自分は父から評された通りだいぶ堂摺連の傾きを持っていたが、この時は父や母に憚って、嫂の相図を返す気は毫も起らなかった。  嫂は無言のまますっと立った、室の出口でちょっと振り返って芳江を手招きした。芳江もすぐ立った。 「おや今日はお菓子を頂かないで行くの」とお重が聞いた。芳江はそこに立ったまま、どうしたものだろうかと思案する様子に見えた。嫂は「おや芳江さん来ないの」とさもおとなしやかに云って廊下の外へ出た。今まで躊躇していた芳江は、嫂の姿が見えなくなるや否や急に意を決したもののごとく、ばたばたとその後を追駈けた。  お重は彼女の後姿をさも忌々しそうに見送った。父と母は厳格な顔をして己れの皿の中を見つめていた。お重は兄を筋違いに見た。けれども兄は遠くの方をぼんやり眺めていた。もっとも彼の眉根には薄く八の字が描かれていた。 「兄さん、そのプッジングを妾にちょうだい。ね、好いでしょう」とお重が兄に云った。兄は無言のまま皿をお重の方に押やった。お重も無言のままそれを匙で突ついたが、自分から見ると、食べたくない物を業腹で食べているとしか思われなかった。  兄が席を立って書斎に入ったのはそれからしてしばらく後の事であった。自分は耳を峙てて彼の上靴が静に階段を上って行く音を聞いた。やがて上の方で書斎の戸がどたんと閉まる声がして、後は静になった。  東京へ帰ってから自分はこんな光景をしばしば目撃した。父もそこには気がついているらしかった。けれども一番心配そうなのは母であった。彼女は嫂の態度を見破って、かつ容赦の色を見せないお重を、一日も早く片づけて若い女同士の葛藤を避けたい気色を色にも顔にも挙動にも現した。次にはなるべく早く嫁を持たして、兄夫婦の間から自分という厄介ものを抜き去りたかった。けれども複雑な世の中は、そう母の思うように旨く回転してくれなかった。自分は相変らず、のらくらしていた。お重はますます嫂を敵のように振舞った。不思議に彼女は芳江を愛した。けれどもそれは嫂のいない留守に限られていた。芳江も嫂のいない時ばかりお重に縋りついた。兄の額には学者らしい皺がだんだん深く刻まれて来た。彼はますます書物と思索の中に沈んで行った。         八  こんな訳で、母の一番軽く見ていたお貞さんの結婚が最初にきまったのは、彼女の思わくとはまるで反対であった。けれども早晩片づけなければならないお貞さんの運命に一段落をつけるのも、やはり父や母の義務なんだから、彼らは岡田の好意を喜びこそすれ、けっしてそれを悪く思うはずはなかった。彼女の結婚が家中の問題になったのもつまりはそのためであった。お重はこの問題についてよくお貞さんを捕まえて離さなかった。お貞さんはまたお重には赤い顔も見せずに、いろいろの相談をしたり己れの将来をも語り合ったらしい。  ある日自分が外から帰って来て、風呂から上ったところへ、お重が、「兄さん佐野さんていったいどんな人なの」と例の前後を顧慮しない調子で聞いた。これは自分が大阪から帰ってから、もう二度目もしくは三度目の質問であった。 「何だそんな藪から棒に。御前はいったい軽卒でいけないよ」  怒りやすいお重は黙って自分の顔を見ていた。自分は胡坐をかきながら、三沢へやる端書を書いていたが、この様子を見て、ちょっと筆を留めた。 「お重また怒ったな。――佐野さんはね、この間云った通り金縁眼鏡をかけたお凸額さんだよ。それで好いじゃないか。何遍聞いたって同じ事だ」 「お凸額や眼鏡は写真で充分だわ。何も兄さんから聞かないだって妾知っててよ。眼があるじゃありませんか」  彼女はまだ打ち解けそうな口の利き方をしなかった。自分は静かに端書と筆を机の上へ置いた。 「全体何を聞こうと云うのだい」 「全体あなたは何を研究していらしったんです。佐野さんについて」  お重という女は議論でもやり出すとまるで自分を同輩のように見る、癖だか、親しみだか、猛烈な気性だか、稚気だかがあった。 「佐野さんについてって……」と自分は聞いた。 「佐野さんの人となりについてです」  自分は固よりお重を馬鹿にしていたが、こういう真面目な質問になると、腹の中でどっしりした何物も貯えていなかった。自分はすまして巻煙草を吹かし出した。お重は口惜しそうな顔をした。 「だって余まりじゃありませんか、お貞さんがあんなに心配しているのに」 「だって岡田がたしかだって保証するんだから、好いじゃないか」 「兄さんは岡田さんをどのくらい信用していらっしゃるんです。岡田さんはたかが将棋の駒じゃありませんか」 「顔は将棋の駒だって何だって……」 「顔じゃありません。心が浮いてるんです」  自分は面倒と癇癪でお重を相手にするのが厭になった。 「お重御前そんなにお貞さんの事を心配するより、自分が早く嫁にでも行く工夫をした方がよっぽど利口だよ。お父さんやお母さんは、お前が片づいてくれる方をお貞さんの結婚よりどのくらい助かると思っているか解りゃしない。お貞さんの事なんかどうでもいいから、早く自分の身体の落ちつくようにして、少し親孝行でも心がけるが好い」  お重ははたして泣き出した。自分はお重と喧嘩をするたびに向うが泣いてくれないと手応がないようで、何だか物足らなかった。自分は平気で莨を吹かした。 「じゃ兄さんも早くお嫁を貰って独立したら好いでしょう。その方が妾が結婚するよりいくら親孝行になるか知れやしない。厭に嫂さんの肩ばかり持って……」 「お前は嫂さんに抵抗し過ぎるよ」 「当前ですわ。大兄さんの妹ですもの」         九  自分は三沢へ端書を書いた後で、風呂から出立の頬に髪剃をあてようと思っていた。お重を相手にぐずぐずいうのが面倒になったのを好い幸いに、「お重気の毒だが風呂場から熱い湯をうがい茶碗にいっぱい持って来てくれないか」と頼んだ。お重は嗽茶碗どころの騒ぎではないらしかった。それよりまだ十倍も厳粛な人生問題を考えているもののごとく澄まして膨れていた。自分はお重に構わず、手を鳴らして下女から必要な湯を貰った。それから机の上へ旅行用の鏡を立てて、象牙の柄のついた髪剃を並べて、熱湯で濡らした頬をわざと滑稽に膨らませた。  自分が物新しそうにシェーヴィング・ブラッシを振り廻して、石鹸の泡で顔中を真白にしていると、先刻から傍に坐ってこの様子を見ていたお重は、ワッと云う悲劇的な声をふり上げて泣き出した。自分はお重の性質として、早晩ここに来るだろうと思って、暗にこの悲鳴を予期していたのである。そこでますます頬ぺたに空気をいっぱい入れて、白い石鹸をすうすうと髪剃の刃で心持よさそうに落し始めた。お重はそれを見て業腹だか何だかますます騒々しい声を立てた。しまいに「兄さん」と鋭どく自分を呼んだ。自分はお重を馬鹿にしていたには違ないが、この鋭い声には少し驚かされた。 「何だ」 「何だって、そんなに人を馬鹿にするんです。これでも私はあなたの妹です。嫂さんはいくらあなたが贔屓にしたって、もともと他人じゃありませんか」  自分は髪剃を下へ置いて、石鹸だらけの頬をお重の方に向けた。 「お重お前は逆せているよ。お前がおれの妹で、嫂さんが他家から嫁に来た女だぐらいは、お前に教わらないでも知ってるさ」 「だから私に早く嫁に行けなんて余計な事を云わないで、あなたこそ早くあなたの好きな嫂さんみたような方をお貰いなすったら好いじゃありませんか」  自分は平手でお重の頭を一つ張りつけてやりたかった。けれども家中騒ぎ廻られるのが怖いんで、容易に手は出せなかった。 「じゃお前も早く兄さんみたような学者を探して嫁に行ったら好かろう」  お重はこの言葉を聞くや否や、急に掴みかかりかねまじき凄じい勢いを示した。そうして涙の途切れ目途切れ目に、彼女の結婚がお貞さんより後れたので、それでこんなに愚弄されるのだと言明した末、自分を兄妹に同情のない野蛮人だと評した。自分も固より彼女の相手になり得るほどの悪口家であった。けれども最後にとうとう根気負がして黙ってしまった。それでも彼女は自分の傍を去らなかった。そうして事実は無論の事、事実が生んだ飛んでもない想像まで縦横に喋舌り廻してやまなかった。その中で彼女の最も得意とする主題は、何でもかでも自分と嫂とを結びつけて当て擦るという悪い意地であった。自分はそれが何より厭であった。自分はその時心の中で、どんなお多福でも構わないから、お重より早く結婚して、この夫婦関係がどうだの、男女の愛がどうだのと囀る女を、たった一人|後に取り残してやりたい気がした。それからその方がまた実際母の心配する通り、兄夫婦にも都合が好かろうと真面目に考えても見た。  自分は今でも雨に叩かれたようなお重の仏頂面を覚えている。お重はまた石鹸を溶いた金盥の中に顔を突込んだとしか思われない自分の異な顔を、どうしても忘れ得ないそうである。         十  お重は明らかに嫂を嫌っていた。これは学究的に孤独な兄に同情が強いためと誰にも肯ずかれた。 「御母さんでもいなくなったらどうなさるでしょう。本当に御気の毒ね」  すべてを隠す事を知らない彼女はかつて自分にこう云った。これは固より頬ぺたを真白にして自分が彼女と喧嘩をしない遠い前の事であった。自分はその時彼女を相手にしなかった。ただ「兄さん見たいに訳の解った人が、家庭間の関係で、御前などに心配して貰う必要が出て来るものか、黙って見ていらっしゃい。御父さんも御母さんもついていらっしゃるんだから」と訓戒でも与えるように云って聞かせた。  自分はその時分からお重と嫂とは火と水のような個性の差異から、とうてい円熟に同棲する事は困難だろうとすでに観察していた。 「御母さんお重も早く片づけてしまわないといけませんね」と自分は母に忠告がましい差出口を利いた事さえあった。その折母はなぜとも何とも聞き返さなかったが、さも自分の意味を呑み込んだらしい眼つきをして、「お前が云ってくれないでも、御父さんだって妾だって心配し抜いているところだよ。お重ばかりじゃないやね。御前のお嫁だって、蔭じゃどのくらいみんなに手数をかけて探して貰ってるか分りゃしない。けれどもこればかりは縁だからね……」と云って自分の顔をしけじけと見た。自分は母の意味も何も解らずに、ただ「はあ」と子供らしく引き下がった。  お重は何でも直むきになる代りに裏表のない正直な美質を持っていたので、母よりはむしろ父に愛されていた。兄には無論可愛がられていた。お貞さんの結婚談が出た時にも「まずお重から片づけるのが順だろう」と云うのが父の意見であった。兄も多少はそれに同意であった。けれどもせっかく名ざしで申し込まれたお貞さんのために、沢山ない機会を逃すのはつまり両損になるという母の意見が実際上にもっともなので、理に明るい兄はすぐ折れてしまった。兄の見地に多少譲歩している父も無事に納得した。  けれども黙っていたお重には、それがはなはだしい不愉快を与えたらしかった。しかし彼女が今度の結婚問題について万事快くお貞さんの相談に乗るのを見ても、彼女が機先を制せられたお貞さんに悪感情を抱いていないのはたしかな事実であった。  彼女はただ嫂の傍にいるのが厭らしく見えた。いくら父母のいる家であっても、いくら思い通りの子供らしさを精一杯に振り舞わす事ができても、この冷かな嫂からふんという顔つきで眺められるのが何より辛かったらしい。  こういう気分に神経を焦つかせている時、彼女はふと女の雑誌か何かを借りるために嫂の室へ這入った。そうしてそこで嫂がお貞さんのために縫っていた嫁入仕度の着物を見た。 「お重さんこれお貞さんのよ。好いでしょう。あなたも早く佐野さんみたような方の所へいらっしゃいよ」と嫂は縫っていた着物を裏表|引繰返して見せた。その態度がお重には見せびらかしの面当のように聞えた。早く嫁に行く先をきめて、こんなものでも縫う覚悟でもしろという謎にも取れた。いつまで小姑の地位を利用して人を苛虐めるんだという諷刺とも解釈された。最後に佐野さんのような人の所へ嫁に行けと云われたのがもっとも神経に障った。  彼女は泣きながら父の室に訴えに行った。父は面倒だと思ったのだろう、嫂には一言も聞糺さずに、翌日お重を連れて三越へ出かけた。         十一  それから二三日して、父の所へ二人ほど客が来た。父は生来交際好の上に、職業上の必要から、だいぶ手広く諸方へ出入していた。公の務を退いた今日でもその惰性だか影響だかで、知合間の往来は絶える間もなかった。もっとも始終顔を出す人に、それほど有名な人も勢力家も見えなかった。その時の客は貴族院の議員が一人と、ある会社の監査役が一人とであった。  父はこの二人と謡の方の仲善と見えて、彼らが来るたびに謡をうたって楽んだ。お重は父の命令で、少しの間|鼓の稽古をした覚があるので、そう云う時にはよく客の前へ呼び出されて鼓を打った。自分はその高慢ちきな顔をまだ忘れずにいる。 「お重お前の鼓は好いが、お前の顔はすこぶる不味いね。悪い事は云わないから、嫁に行った当座はけっして鼓を御打ちでないよ。いくら御亭主が謡気狂でもああ澄まされた日にゃ、愛想を尽かされるだけだから」とわざわざ罵しった事がある。すると傍に聞いていたお貞さんが眼を丸くして、「まあひどい事をおっしゃる事、ずいぶんね」と云ったので、自分も少し言い過ぎたかと思った。けれども烈しいお重は平生に似ず全く自分の言葉を気にかけないらしかった。「兄さんあれでも顔の方はまだ上等なのよ。鼓と来たらそれこそ大変なの。妾謡の御客があるほど厭な事はないわ」とわざわざ自分に説明して聞かせた。お重の顔ばかりに注意していた自分は、彼女の鼓がそれほど不味いとはそれまで気がつかなかった。  その日も客が来てから一時間半ほどすると予定の通り謡が始まった。自分はやがてまたお重が呼び出される事と思って、調戯半分茶の間の方に出て行った。お重は一生懸命に会席膳を拭いていた。 「今日はポンポン鳴らさないのか」と自分がことさらに聞くと、お重は妙にとぼけた顔をして、立っている自分を見上げた。 「だって今御膳が出るんですもの。忙しいからって、断ったのよ」  自分は台所や茶の間のごたごたした中で、ふざけ過ぎて母に叱られるのも面白くないと思って、また室へ取って返した。  夕食後ちょっと散歩に出て帰って来ると、まだ自分の室に這入らない先から母に捉まった。 「二郎ちょうど好いところへ帰って来ておくれだ。奥へ行って御父さんの謡を聞いていらっしゃい」  自分は父の謡を聞き慣れているので、一番ぐらい聴くのはさほど厭とも思わなかった。 「何をやるんです」と母に質問した。母は自分とは正反対に謡がまた大嫌いだった。「何だか知らないがね。早くいらっしゃいよ。皆さんが待っていらっしゃるんだから」と云った。  自分は委細承知して奥へ通ろうとした。すると暗い縁側の所にお重がそっと立っていた。自分は思わず「おい……」と大きな声を出しかけた。お重は急に手を振って相図のように自分の口を塞いでしまった。 「なぜそんな暗い所に一人で立っているんだい」と自分は彼女の耳へ口を付けて聞いた。彼女はすぐ「なぜでも」と答えた。しかし自分がその返事に満足しないでやはり元の所に立っているのを見て、「先刻から、何遍も出て来い出て来いって催促するのよ。だから御母さんに断って、少し加減が悪い事にしてあるのよ」 「なぜまた今日に限って、そんなに遠慮するんだい」 「だって妾鼓なんか打つのはもう厭になっちまったんですもの、馬鹿らしくって。それにこれからやるのなんかむずかしくってとてもできないんですもの」 「感心にお前みたような女でも謙遜の道は少々心得ているから偉いね」と云い放ったまま、自分は奥へ通った。         十二  奥には例の客が二人|床の前に坐っていた。二人とも品の好い容貌の人で、その薄く禿げかかった頭が後にかかっている探幽の三幅対とよく調和した。  彼らは二人とも袴のまま、羽織を脱ぎ放しにしていた。三人のうちで袴を着けていなかったのは父ばかりであったが、その父でさえ羽織だけは遠慮していた。  自分は見知り合だから正面の客に挨拶かたがた、「どうか拝聴を……」と頭を下げた。客はちょっと恐縮の体を装って、「いやどうも……」と頭を掻く真似をした。父は自分にまたお重の事を尋ねたので、「先刻から少し頭痛がするそうで、御挨拶に出られないのを残念がっていました」と答えた。父は客の方を見ながら、「お重が心持が悪いなんて、まるで鬼の霍乱だな」と云って、今度は自分に、「先刻|綱の話では腹が痛いように聞いたがそうじゃない頭痛なのかい」と聞き直した。自分はしまったと思ったが「多分両方なんでしょう。胃腸の熱で頭が痛む事もあるようだから。しかし心配するほどの病気じゃないようです。じき癒るでしょう」と答えた。客は蒼蠅いほどお重に同情の言葉を注射した後、「じゃ残念だが始めましょうか」と云い出した。  聴手には、自分より前に兄夫婦が横向になって、行儀よく併んで坐っていたので、自分は鹿爪らしく嫂の次に席を取った。「何をやるんです」と坐りながら聞いたら、この道について何の素養も趣味もない嫂は、「何でも景清だそうです」と答えて、それぎり何とも云わなかった。  客のうちで赭顔の恰腹の好い男が仕手をやる事になって、その隣の貴族院議員が脇、父は主人役で「娘」と「男」を端役だと云う訳か二つ引き受けた。多少謡を聞分ける耳を持っていた自分は、最初からどんな景清ができるかと心配した。兄は何を考えているのか、はなはだ要領を得ない顔をして、凋落しかかった前世紀の肉声を夢のように聞いていた。嫂の鼓膜には肝腎の「松門」さえ人間としてよりもむしろ獣類の吠として不快に響いたらしい。自分はかねてからこの「景清」という謡に興味を持っていた。何だか勇ましいような惨ましいような一種の気分が、盲目の景清の強い言葉遣から、また遥々父を尋ねに日向まで下る娘の態度から、涙に化して自分の眼を輝かせた場合が、一二度あった。  しかしそれは歴乎とした謡手が本気に各自の役を引き受けた場合で、今聞かせられているような胡麻節を辿ってようやく出来上る景清に対してはほとんど同情が起らなかった。  やがて景清の戦物語も済んで一番の謡も滞りなく結末まで来た。自分はその成蹟を何と評して好いか解らないので、少し不安になった。嫂は平生の寡言にも似ず「勇しいものですね」と云った。自分も「そうですね」と答えておいた。すると多分一口も開くまいと思った兄が、急に赭顔の客に向って、「さすがに我も平家なり物語り申してとか、始めてとかいう句がありましたが、あのさすがに我も平家なりという言葉が大変面白うございました」と云った。  兄は元来正直な男で、かつ己れの教育上|嘘を吐かないのを、品性の一部分と心得ているくらいの男だから、この批評に疑う余地は少しもなかった。けれども不幸にして彼の批評は謡の上手下手でなくって、文章の巧拙に属する話だから、相手にはほとんど手応がなかった。  こう云う場合に馴れた父は「いやあすこは非常に面白く拝聴した」と客の謡いぶりを一応|賞めた後で、「実はあれについて思い出したが、大変興味のある話がある。ちょうどあの文句を世話に崩して、景清を女にしたようなものだから、謡よりはよほど艶である。しかも事実でね」と云い出した。         十三  父は交際家だけあって、こういう妙な話をたくさん頭の中にしまっていた。そうして客でもあると、献酬の間によくそれを臨機応変に運用した。多年父の傍に寝起している自分にもこの女景清の逸話は始めてであった。自分は思わず耳を傾けて父の顔を見た。 「ついこの間の事で、また実際あった事なんだから御話をするが、その発端はずっと古い。古いたって何も源平時代から説き出すんじゃないからそこは御安心だが、何しろ今から二十五六年前、ちょうど私の腰弁時代とでも云いましょうかね……」  父はこういう前置をして皆なを笑わせた後で本題に這入った。それは彼の友達と云うよりもむしろずっと後輩に当る男の艶聞見たようなものであった。もっとも彼は遠慮して名前を云わなかった。自分は家へ出入る人の数々について、たいていは名前も顔も覚えていたが、この逸話をもった男だけはいくら考えてもどんな想像も浮かばなかった。自分は心のうちで父は今|表向多分この人と交際しているのではなかろうと疑ぐった。  何しろ事はその人の二十前後に起ったので、その時当人は高等学校へ這入り立てだとか、這入ってから二年目になるとか、父ははなはだ瞹眛な説明をしていたが、それはどっちにしたって、我々の気にかかるところではなかった。 「その人は好い人間だ。好い人間にもいろいろあるが、まあ好い人間だ。今でもそうだから、廿歳ぐらいの時分は定めて可愛らしい坊ちゃんだったろう」  父はその男をこう荒っぽく叙述しておいて、その男とその家の召使とがある関係に陥入った因果をごく単簡に物語った。 「元来そいつはね本当の坊ちゃんだから、情事なんて洒落た経験はまるでそれまで知らなかったのだそうだ。当人もまた婦人に慕われるなんて粋事は自分のようなものにとうてい有り得べからざる奇蹟と思っていたのだそうだ。ところがその奇蹟が突然天から降って来たので大変驚ろいたんですね」  話しかけられた客はむしろ真面目な顔をして、「なるほど」と受けていたが、自分はおかしくてたまらなかった。淋しそうな兄の頬にも笑の渦が漂よった。 「しかもそれが男の方が消極的で、女の方が積極的なんだからいよいよ妙ですよ。私がそいつに、その女が君に覚召があると悟ったのはどういう機だと聞いたらね。真面目な顔をして、いろいろ云いましたが、そのうちで一番面白いと思ったせいか、いまだに覚えているのは、そいつが瓦煎餅か何か食ってるところへ女が来て、私にもその御煎餅をちょうだいなと云うや否や、そいつの食い欠いた残りの半分を引っ手繰って口へ入れたという時なんです」  父の話方は無論|滑稽を主にして、大事の真面目な方を背景に引き込ましてしまうので、聞いている客を始め我々三人もただ笑うだけ笑えばそれで後には何も残らないような気がした。その上客は笑う術をどこかで練修して来たように旨く笑った。一座のうちで比較的真面目だったのはただ兄一人であった。 「とにかくその結果はどうなりました。めでたく結婚したんですか」と冗談とも思われない調子で聞いていた。 「いやそこをこれから話そうというのだ。先刻も云った通り『景清』の趣の出てくるところはこれからさ。今言ってるところはほんの冒頭だて」と父は得意らしく答えた。         十四  父の話すところによると、その男とその女の関係は、夏の夜の夢のようにはかないものであった。しかし契りを結んだ時、男は女を未来の細君にすると言明したそうである。もっともこれは女から申し出した条件でも何でもなかったので、ただ男の口から勢いに駆られて、おのずと迸しった、誠ではあるが実行しにくい感情的の言葉に過ぎなかったと父はわざわざ説明した。 「と云うのはね、両方共おない年でしょう。しかも一方は親の脛を噛ってる前途遼遠の書生だし、一方は下女奉公でもして暮そうという貧しい召使いなんだから、どんな堅い約束をしたって、その約束の実行ができる長い年月の間には、どんな故障が起らないとも限らない。で、女が聞いたそうですよ。あなたが学校を卒業なさると、二十五六に御成んなさる。すると私も同じぐらいに老けてしまう。それでも御承知ですかってね」  父はそこへ来て、急に話を途切らして、膝の下にあった銀煙管へ煙草を詰めた。彼が薄青い煙を一時に鼻の穴から出した時、自分はもどかしさの余り「その人は何て答えました」と聞いた。  父は吸殻を手で叩きながら「二郎がきっと何とか聞くだろうと思った。二郎面白いだろう。世間にはずいぶんいろいろな人があるもんだよ」と云って自分を見た。自分はただ「へえ」と答えた。 「実はわしも聞いて見た、その男に。君何て答えたかって。すると坊ちゃんだね、こう云うんだ。僕は自分の年も先の年も知っていた。けれども僕が卒業したら女がいくつになるか、そこまでは考えていられなかった。いわんや僕が五十になれば先も五十になるなんて遠い未来は全く頭の中に浮かんで来なかったって」 「無邪気なものですね」と兄はむしろ賛嘆の口ぶりを見せた。今まで黙っていた客が急に兄に賛成して、「全くのところ無邪気だ」とか「なるほど若いものになるといかにも一図ですな」とか云った。 「ところが一週間|経つか経たないうちにそいつが後悔し始めてね、なに女は平気なんだが、そいつが自分で恐縮してしまったのさ。坊ちゃんだけに意気地のない事ったら。しかし正直ものだからとうとう女に対してまともに結婚破約を申し込んで、しかもきまりの悪そうな顔をして、御免よとか何とか云って謝罪まったんだってね。そこへ行くとおない年だって先は女だもの、『御免よ』なんて子供らしい言葉を聞けば可愛いくもなるだろうが、また馬鹿馬鹿しくもなるだろうよ」  父は大きな声を出して笑った。御客もその反響のごとくに笑った。兄だけはおかしいのだか、苦々しいのだか変な顔をしていた。彼の心にはすべてこう云う物語が厳粛な人生問題として映るらしかった。彼の人生観から云ったら父の話しぶりさえあるいは軽薄に響いたかもしれない。  父の語るところを聞くと、その女はしばらくしてすぐ暇を貰ってそこを出てしまったぎり再び顔を見せなかったけれども、その男はそれ以来二三カ月の間何か考え込んだなり魂が一つ所にこびりついたように動かなかったそうである。一遍その女が近所へ来たと云って寄った時などでも、ほかの人の手前だか何だかほとんど一口も物を云わなかった。しかもその時はちょうど午飯の時で、その女が昔の通り御給仕をしたのだが、男はまるで初対面の者にでも逢ったように口数を利かなかった。  女もそれ以来けっして男の家の敷居を跨がなかった。男はまるでその女の存在を忘れてしまったように、学校を出て家庭を作って、二十何年というつい近頃まで女とは何らの交渉もなく打過ぎた。         十五 「それだけで済めばまあただの逸話さ。けれども運命というものは恐しいもので……」と父がまた語り続けた。  自分は父が何を云い出すかと思って、彼の顔から自分の眼を離し得なかった。父の物語りの概要を摘んで見ると、ざっとこうであった。  その男がその女をまるで忘れた二十何年の後、二人が偶然運命の手引で不意に会った。会ったのは東京の真中であった。しかも有楽座で名人会とか美音会とかのあった薄ら寒い宵の事だそうである。  その時男は細君と女の子を連れて、土間の何列目か知らないが、かねて注文しておいた席に並んでいた。すると彼らが入場して五分|経つか立たないのに、今云った女が他の若い女に手を引かれながら這入って来た。彼らも電話か何かで席を予約しておいたと見えて、男の隣にあるエンゲージドと紙札を張った所へ案内されたままおとなしく腰をかけた。二人はこういう奇妙な所で、奇妙に隣合わせに坐った。なおさら奇妙に思われたのは、女の方が昔と違った表情のない盲目になってしまって、ほかにどんな人がいるか全く知らずに、ただ舞台から出る音楽の響にばかり耳を傾けているという、男に取ってはまるで想像すらし得なかった事実であった。  男は始め自分の傍に坐る女の顔を見て過去二十年の記憶を逆さに振られたごとく驚ろいた。次に黒い眸をじっと据えて自分を見た昔の面影が、いつの間にか消えていた女の面影に気がついて、また愕然として心細い感に打たれた。  十時過まで一つの席にほとんど身動きもせずに坐っていた男は、舞台で何をやろうが、ほとんど耳へは這入らなかった。ただ女に別れてから今日に至る運命の暗い糸を、いろいろに想像するだけであった。女はまたわが隣にいる昔の人を、見もせず、知りもせず、全く意識に上す暇もなく、ただ自然に凋落しかかった過去の音楽に、やっとの思いで若い昔を偲ぶ気色を濃い眉の間に示すに過ぎなかった。  二人は突然として邂逅し、突然として別れた。男は別れた後もしばしば女の事を思い出した。ことに彼女の盲目が気にかかった。それでどうかして女のいる所を突きとめようとした。 「馬鹿正直なだけに熱心な男だもんだから、とうとう成功した。その筋道も聞くには聞いたが、くだくだしくって忘れちまったよ。何でも彼がその次に有楽座へ行った時、案内者を捕まえて、何とかかんとかした上に、だいぶ込み入った手数をかけたんだそうだ」 「どこにいたんですその女は」と自分は是非確めたくなった。 「それは秘密だ。名前や所はいっさい云われない事になっている。約束だからね。それは好いが、そいつが私にその盲目の女のいる所を訪問してくれと頼むんだね。何という主意か解らないが、つまりは無沙汰見舞のようなものさ。当人に云わせると、学問しただけに、鹿爪らしい理窟を何が条も並べるけれども。つまり過去と現在の中間を結びつけて安心したいのさ。それにどうして盲目になったか、それが大変当人の神経を悩ましていたと見えてね。と云っていまさらその女と新しい関係をつける気はなし、かつは女房子の手前もあるから、自分はわざわざ出かけたくないのさ。のみならず彼がまた昔その女と別れる時余計な事を饒舌っているんです。僕は少し学問するつもりだから三十五六にならなければ妻帯しない。でやむをえずこの間の約束は取消にして貰うんだってね。ところが奴学校を出るとすぐ結婚しているんだから良心の方から云っちゃあまり心持はよくないのだろう。それでとうとう私が行く事になった」 「まあ馬鹿らしい」と嫂が云った。 「馬鹿らしかったけれどもとうとう行ったよ」と父が答えた。客も自分も興味ありげに笑い出した。         十六  父には人に見られない一種|剽軽なところがあった。ある者は直な方だとも云い、ある者は気のおけない男だとも評した。 「親爺は全くあれで自分の地位を拵え上げたんだね。実際のところそれが世の中なんだろう。本式に学問をしたり真面目に考えを纏めたりしたって、社会ではちっとも重宝がらない。ただ軽蔑されるだけだ」  兄はこんな愚痴とも厭味とも、また諷刺とも事実とも、片のつかない感慨を、蔭ながらかつて自分に洩らした事があった。自分は性質から云うと兄よりもむしろ父に似ていた。その上年が若いので、彼のいう意味が今ほど明瞭に解らなかった。  何しろ父がその男に頼まれて、快よく訪問を引受けたのも、多分持って生れた物数奇から来たのだろうと自分は解釈している。  父はやがてその盲目の家を音信れた。行く時に男は土産のしるしだと云って、百円札を一枚紙に包んで水引をかけたのに、大きな菓子折を一つ添えて父に渡した。父はそれを受取って、俥をその女の家に駆った。  女の家は狭かったけれども小綺麗にかつ住心地よくできていた。縁の隅に丸く彫り抜いた御影の手水鉢が据えてあって、手拭掛には小新らしい三越の手拭さえ揺めいていた。家内も小人数らしく寂然として音もしなかった。  父はこの日当りの好いしかし茶がかった小座敷で、初めてその盲人に会った時、ちょっと何と云って好いか分らなかったそうである。 「おれのようなものが言句に窮するなんて馬鹿げた恥を話すようだが実際困ったね。何しろ相手が盲目なんだからね」  父はわざとこう云って皆なを興がらせた。  彼はその場でとうとう男の名を打ち明けて、例の土産ものを取り出しつつ女の前に置いた。女は眼が悪いので菓子折を撫でたり擦ったりして見た上、「どうも御親切に……」と恭しく礼を述べたが、その上にある紙包を手で取上げるや否や、少し変な顔をして「これは?」と念を押すように聞いた。父は例の気性だから、呵々と笑いながら、「それも御土産の一部分です、どうか一緒に受取っておいて下さい」と云った。すると女が水引の結び目を持ったまま、「もしや金子ではございませんか」と問い返した。 「いえ何はなはだ軽少で、――しかし○○さんの寸志ですからどうぞ御納め下さい」  父がこう云った時、女はぱたりとこの紙包を畳の上に落した。そうして閉じた眸をきっと父の方へ向けて、「私は今|寡婦でございますが、この間まで歴乎とした夫がございました。子供は今でも丈夫でございます。たといどんな関係があったにせよ、他人さまから金子を頂いては、楽に今日を過すようにしておいてくれた夫の位牌に対してすみませんから御返し致します」と判切云って涙を落した。 「これには実に閉口したね」と父は皆なの顔を一順見渡したが、その時に限って、誰も笑うものはなかった。自分も腹の中で、いかな父でもさすがに弱ったろうと思った。 「その時わしは閉口しながらも、ああ景清を女にしたらやっぱりこんなものじゃなかろうかと思ってね。本当は感心しましたよ。どういう訳で景清を思い出したかと云うとね。ただ双方とも盲目だからと云うばかりじゃない。どうもその女の態度がね……」  父は考えていた。父の筋向うに坐っていた赭顔の客が、「全く気込が似ているからですね」とさもむずかしい謎でも解くように云った。 「全く気込です」と父はすぐ承服した。自分はこれで父の話が結末に来たのかと思って、「なるほどそれは面白い御話です」と全体を批評するような調子で云った。すると父は「まだ後があるんだ。後の方がまだ面白い。ことに二郎のような若い者が聞くと」とつけ加えた。         十七  父は意外な女の見識に、話の腰を折られて、やむをえず席を立とうとした。すると女は始めて女らしい表情を面に湛えて、縋りつくように父をとめた。そうしていつ何日どこで○○が自分を見たのかと聞いた。父は例の有楽座の事を包み蔵さず盲人に話して聞かせた。 「ちょうどあなたの隣に腰をかけていたんだそうです。あなたの方ではまるで知らなかったでしょうが、○○は最初から気がついていたのです。しかし細君や娘の手前、口を利く事もでき悪かったんでしょう。それなり宅へ帰ったと云っていました」  父はその時始めて盲目の涙腺から流れ出る涙を見た。 「失礼ながら眼を御煩いになったのはよほど以前の事なんですか」と聞いた。 「こういう不自由な身体になってから、もう六年ほどにもなりましょうか。夫が亡くなって一年|経つか経たないうちの事でございます。生れつきの盲目と違って、当座は大変不自由を致しました」  父は慰めようもなかった。彼女のいわゆる夫というのは何でも、請負師か何かで、存生中にだいぶ金を使った代りに、相応の資産も残して行ったらしかった。彼女はその御蔭で眼を煩った今日でも、立派に独立して暮して行けるのだろうと父は説明した。  彼女は人に誇ってしかるべき倅と娘を持っていた。その倅には高等の教育こそ施してないようだったけれども、何でも銀座辺のある商会へ這入って独立し得るだけの収入を得ているらしかった。娘の方は下町風の育て方で、唄や三味線の稽古を専一と心得させるように見えた。すべてを通じて○○とは遠い過去に焼きつけられた一点の記憶以外に何ものをも共通にもっているとは思えなかった。  父が有楽座の話をした時に、女は両方の眼をうるませて、「本当に盲目ほど気の毒なものはございませんね」と云ったのが、痛く父の胸には応えたそうである。 「○○さんは今何をしておいででございますか」と女はまた空中に何物をか想像するがごとき眼遣をして父に聞いた。父は残りなく○○が学校を出てから以後の経歴を話して聞かせた後、「今じゃなかなか偉くなっていますよ。私見たいな老朽とは違ってね」と答えた。  女は父の返事には耳も借さずに、「定めてお立派な奥さんをお貰いになったでございましょうね」とおとなしやかに聞いた。 「ええもう子供が四人あります」 「一番お上のはいくつにお成りで」 「さようさもう十二三にも成りましょうか。可愛らしい女の子ですよ」  女は黙ったなりしきりに指を折って何か勘定し始めた。その指を眺めていた父は、急に恐ろしくなった。そうして腹の中で余計な事を云って、もう取り返しがつかないと思った。  女はしばらく間をおいて、ただ「結構でございます」と一口云って後は淋しく笑った。しかしその笑い方が、父には泣かれるよりも怒られるよりも変な感じを与えたと云った。  父は○○の宿所を明らさまに告げて、「ちと暇な時に遊びがてら御嬢さんでも連れて行って御覧なさい。ちょっと好い家ですよ。○○も夜ならたいてい御目にかかれると云っていましたから」と云った。すると女はたちまち眉を曇らして、「そんな立派な御屋敷へ我々|風情がとても御出入はできませんが」と云ったまましばらく考えていたが、たちまち抑え切れないように真剣な声を出して、「御出入は致しません。先様で来いとおっしゃってもこっちで御遠慮しなければなりません。しかしただ一つ一生の御願に伺っておきたい事がございます。こうして御目にかかれるのももう二度とない御縁だろうと思いますから、どうぞそれだけ聞かして頂いた上心持よく御別れが致したいと存じます」と云った。         十八  父は年の割に度胸の悪い男なので、女からこう云われた時は、どんな凄まじい文句を並べられるかと思って、少からず心配したそうである。 「幸い相手の眼が見えないので、自分の周章さ加減を覚られずにすんだ」と彼はことさらにつけ加えた。その時女はこう云ったそうである。 「私は御覧の通り眼を煩って以来、色という色は皆目見えません。世の中で一番明るい御天道様さえもう拝む事はできなくなりました。ちょっと表へ出るにも娘の厄介にならなければ用事は足せません。いくら年を取っても一人で不自由なく歩く事のできる人間が幾人あるかと思うと、何の因果でこんな業病に罹ったのかと、つくづく辛い心持が致します。けれどもこの眼は潰れてもさほど苦しいとは存じません。ただ両方の眼が満足に開いている癖に、他の料簡方が解らないのが一番苦しゅうございます」  父は「なるほど」と答えた。「ごもっとも」とも答えた。けれども女のいう意味はいっこう通じなかった。彼にはそういう経験がまるでなかったと彼は明言した。女は瞹眛な父の言葉を聞いて、「ねえあなたそうではございませんか」と念を押した。 「そりゃそんな場合は無論有るでしょう」と父が云った。 「有るでしょうでは、あなたもわざわざ○○さんに御頼まれになって、ここまでいらしって下すった甲斐がないではございませんか」と女が云った。父はますます窮した。  自分はこの時偶然兄の顔を見た。そうして彼の神経的に緊張した眼の色と、少し冷笑を洩らしているような嫂の唇との対照を比較して、突然彼らの間にこの間から蟠まっている妙な関係に気がついた。その蟠まりの中に、自分も引きずり込まれているという、一種|厭うべき空気の匂いも容赦なく自分の鼻を衝いた。自分は父がなぜ座興とは云いながら、択りに択って、こんな話をするのだろうと、ようやく不安の念が起った。けれども万事はすでに遅かった。父は知らぬ顔をして勝手次第に話頭を進めて行った。 「おれはそれでも解らないから、淡泊にその女に聞いて見た。せっかく○○に頼まれてわざわざここまで来て、肝心な要領を伺わないで引き取っては、あなたに対してはもちろん○○から云っても定めし不本意だろうから、どうかあなたの胸を存分私に打明けて下さいませんか。それでないと私も帰ってから○○に話がし悪いからって」  その時女は始めて思い切った決断の色を面に見せて、「では申し上げます。あなたも○○さんの代理にわざわざ尋ねて来て下さるくらいでいらっしゃるから、定めし関係の深い御方には違いございませんでしょう」という冒頭をおいて、彼女の腹を父に打明けた。  ○○が結婚の約束をしながら一週間|経つか経たないのに、それを取り消す気になったのは、周囲の事情から圧迫を受けてやむをえず断ったのか、あるいは別に何か気に入らないところでもできて、その気に入らないところを、結婚の約束後急に見つけたため断ったのか、その有体の本当が聞きたいのだと云うのが、女の何より知りたいところであった。  女は二十年以上○○の胸の底に隠れているこの秘密を掘り出したくってたまらなかったのである。彼女には天下の人がことごとく持っている二つの眼を失って、ほとんど他から片輪扱いにされるよりも、いったん契った人の心を確実に手に握れない方が遥かに苦痛なのであった。 「御父さんはどういう返事をしておやりでしたか」とその時兄が突然聞いた。その顔には普通の興味というよりも、異状の同情が籠っているらしかった。 「おれも仕方がないから、そりゃ大丈夫、僕が受け合う。本人に軽薄なところはちっともないと答えた」と父は好い加減な答えをかえって自慢らしく兄に話した。         十九 「女はそんな事で満足したんですか」と兄が聞いた。自分から見ると、兄のこの問には冒すべからざる強味が籠っていた。それが一種の念力のように自分には響いた。  父は気がついたのか、気がつかなかったのか、平気でこんな答をした。 「始は満足しかねた様子だった。もちろんこっちの云う事がそらそれほど根のある訳でもないんだからね。本当を云えば、先刻お前達に話した通り男の方はまるで坊ちゃんなんで、前後の分別も何もないんだから、真面目な挨拶はとてもできないのさ。けれどもそいつがいったん女と関係した後で止せば好かったと後悔したのは、どうも事実に違なかろうよ」  兄は苦々しい顔をして父を見ていた。父は何という意味か、両手で長い頬を二度ほど撫でた。 「この席でこんな御話をするのは少し憚りがあるが」と兄が云った。自分はどんな議論が彼の口から出るか、次第によっては途中からその鉾先を、一座の迷惑にならない方角へ向易えようと思って聞いていた。すると彼はこう続けた。 「男は情慾を満足させるまでは、女よりも烈しい愛を相手に捧げるが、いったん事が成就するとその愛がだんだん下り坂になるに反して、女の方は関係がつくとそれからその男をますます慕うようになる。これが進化論から見ても、世間の事実から見ても、実際じゃなかろうかと思うのです。それでその男もこの原則に支配されて後から女に気がなくなった結果結婚を断ったんじゃないでしょうか」 「妙な御話ね。妾女だからそんなむずかしい理窟は知らないけれども、始めて伺ったわ。ずいぶん面白い事があるのね」  嫂がこう云った時、自分は客に見せたくないような厭な表情を兄の顔に見出したので、すぐそれをごまかすため何か云って見ようとした。すると父が自分より早く口を開いた。 「そりゃ学理から云えばいろいろ解釈がつくかも知れないけれども、まあ何だね、実際はその女が厭になったに相違ないとしたところで、当人|面喰らったんだね、まず第一に。その上|小胆で無分別で正直と来ているから、それほど厭でなくっても断りかねないのさ」  父はそう云ったなり洒然としていた。  床の前に謡本を置いていた一人の客が、その時父の方を向いてこう云った。 「しかし女というものはとにかく執念深いものですね。二十何年もその事を胸の中に畳込んでおくんですからね。全くのところあなたは好い功徳をなすった。そう云って安心させてやればその眼の見えない女のためにどのくらい嬉しかったか解りゃしません」 「そこがすべての懸合事の気転ですな。万事そうやれば双方のためにどのくらい都合が好いか知れんです」  他の客が続いてこう云った時、父は「いやどうも」と頭を掻いて「実は今云った通り最初はね、そのくらいな事じゃなかなか疑りが解けないんで、私も少々弱らせられました。それをいろいろに光沢をつけたり、出鱈目を拵えたりして、とうとう女を納得させちまったんですが、ずいぶん骨が折れましたよ」と少し得意気であった。  やがて客は謡本を風呂敷に包んで露に濡れた門を潜って出た。皆な後で世間話をしているなかに、兄だけはむずかしい顔をして一人書斎に入った。自分は例のごとく冷かに重い音をさせる上草履の音を一つずつ聞いて、最後にどんと締まる扉の響に耳を傾けた。         二十  二三週間はそれなり過ぎた。そのうち秋がだんだん深くなった。葉鶏頭の濃い色が庭を覗くたびに自分の眼に映った。  兄は俥で学校へ出た。学校から帰るとたいていは書斎へ這入って何かしていた。家族のものでも滅多に顔を合わす機会はなかった。用があるとこっちから二階に上って、わざわざ扉を開けるのが常になっていた。兄はいつでも大きな書物の上に眼を向けていた。それでなければ何か万年筆で細かい字を書いていた。一番我々の眼についたのは、彼の茫然として洋机の上に頬杖を突いている時であった。  彼は一心に何か考えているらしかった。彼は学者でかつ思索家であるから、黙って考えるのは当然の事のようにも思われたが、扉を開けてその様子を見た者は、いかにも寒い気がすると云って、用を済ますのを待ち兼ねて外へ出た。最も関係の深い母ですら、書斎へ行くのをあまりありがたいとは思っていなかったらしい。 「二郎、学者ってものは皆なあんな偏屈なものかね」  この問を聞いた時、自分は学者でないのを不思議な幸福のように感じた。それでただえへへと笑っていた。すると母は真面目な顔をして、「二郎、御前がいなくなると、宅は淋しい上にも淋しくなるが、早く好い御嫁さんでも貰って別になる工面を御為よ」と云った。自分には母の言葉の裏に、自分さえ新しい家庭を作って独立すれば、兄の機嫌が少しはよくなるだろうという意味が明らさまに読まれた。自分は今でも兄がそんな妙な事を考えているのだろうかと疑っても見た。しかし自分もすでに一家を成してしかるべき年輩だし、また小さい一軒の竈ぐらいは、現在の収入でどうかこうか維持して行かれる地位なのだから、かねてから、そういう考えはちらちらと無頓着な自分の頭をさえ横切ったのである。  自分は母に対して、「ええ外へ出る事なんか訳はありません。明日からでも出ろとおっしゃれば出ます。しかし嫁の方はそうちんころのように、何でも構わないから、ただ路に落ちてさえいれば拾って来るというような遣口じゃ僕には不向ですから」と云った。その時母は、「そりゃ無論……」と答えようとするのを自分はわざと遮った。 「御母さんの前ですが、兄さんと姉さんの間ですね。あれにはいろいろ複雑な事情もあり、また僕が固から少し姉さんと知り合だったので、御母さんにも御心配をかけてすまないようですけれども、大根をいうとね。兄さんが学問以外の事に時間を費すのが惜いんで、万事|人任せにしておいて、何事にも手を出さずに華族然と澄ましていたのが悪いんですよ。いくら研究の時間が大切だって、学校の講義が大事だって、一生同じ所で同じ生活をしなくっちゃならない吾が妻じゃありませんか。兄さんに云わしたらまた学者相応の意見もありましょうけれども学者以下の我々にはとてもあんな真似はできませんからね」  自分がこんな下らない理窟を云い募っているうちに、母の眼にはいつの間にか涙らしい光の影が、だんだん溜って来たので、自分は驚いてやめてしまった。  自分は面の皮が厚いというのか、遠慮がなさ過ぎると云うのか、それほど宅のものが気兼をして、云わば敬して遠ざけているような兄の書斎の扉を他よりもしばしば叩いて話をした。中へ這入った当分の感じは、さすがの自分にも少し応えた。けれども十分ぐらい経つと彼はまるで別人のように快活になった。自分は苦い兄の心機をこう一転させる自分の手際に重きをおいて、あたかも己れの虚栄心を満足させるための手段らしい態度をもって、わざわざ彼の書斎へ出入した事さえあった。自白すると、突然兄から捕まって危く死地に陥れられそうになったのも、実はこういう得意の瞬間であった。         二十一  その折自分は何を話ていたか今たしかに覚えていない。何でも兄から玉突の歴史を聞いた上、ルイ十四世頃の銅版の玉突台をわざわざ見せられたような気がする。  兄の室へ這入っては、こんな問題を種に、彼の新しく得た知識を、はいはい聞いているのが一番安全であった。もっとも自分も御饒舌だから、兄と違った方面で、ルネサンスとかゴシックとかいう言葉を心得顔にふり廻す事も多かった。しかしたいていは世間離れのしたこう云う談話だけで書斎を出るのが例であったが、その折は何かの拍子で兄の得意とする遺伝とか進化とかについての学説が、銅版の後で出て来た。自分は多分云う事がないため、黙って聞いていたものと見える。その時兄が「二郎お前はお父さんの子だね」と突然云った。自分はそれがどうしたと云わぬばかりの顔をして、「そうです」と答えた。 「おれはお前だから話すが、実はうちのお父さんには、一種妙におっちょこちょいのところがあるじゃないか」  兄から父を評すれば正にそうであるという事を自分は以前から呑込んでいた。けれども兄に対してこの場合何と挨拶すべきものか自分には解らなかった。 「そりゃあなたのいう遺伝とか性質とかいうものじゃおそらくないでしょう。今の日本の社会があれでなくっちゃ、通させないから、やむをえないのじゃないですか。世の中にゃお父さんどころかまだまだたまらないおっちょこがありますよ。兄さんは書斎と学校で高尚に日を暮しているから解らないかも知れないけれども」 「そりゃおれも知ってる。お前の云う通りだ。今の日本の社会は――ことによったら西洋もそうかも知れないけれども――皆な上滑りの御上手ものだけが存在し得るように出来上がっているんだから仕方がない」  兄はこう云ってしばらく沈黙の裡に頭を埋めていた。それから怠そうな眼を上げた。 「しかし二郎、お父さんのは、お気の毒だけれども、持って生れた性質なんだよ。どんな社会に生きていても、ああよりほかに存在の仕方はお父さんに取ってむずかしいんだね」  自分はこの学問をして、高尚になり、かつ迂濶になり過ぎた兄が、家中から変人扱いにされるのみならず、親身の親からさえも、日に日に離れて行くのを眼前に見て、思わず顔を下げて自分の膝頭を見つめた。 「二郎お前もやっぱりお父さん流だよ。少しも摯実の気質がない」と兄が云った。  自分は癇癪の不意に起る野蛮な気質を兄と同様に持っていたが、この場合兄の言葉を聞いたとき、毫も憤怒の念が萌さなかった。 「そりゃひどい。僕はとにかく、お父さんまで世間の軽薄ものといっしょに見做すのは。兄さんは独りぼっちで書斎にばかり籠っているから、それでそういう僻んだ観察ばかりなさるんですよ」 「じゃ例を挙げて見せようか」  兄の眼は急に光を放った。自分は思わず口を閉じた。 「この間|謡の客のあった時に、盲女の話をお父さんがしたろう。あのときお父さんは何とかいう人を立派に代表して行きながら、その女が二十何年も解らずに煩悶していた事を、ただ一口にごまかしている。おれはあの時、その女のために腹の中で泣いた。女は知らない女だからそれほど同情は起らなかったけれども、実をいうとお父さんの軽薄なのに泣いたのだ。本当に情ないと思った。……」 「そう女みたように解釈すれば、何だって軽薄に見えるでしょうけれども……」 「そんな事を云うところが、つまりお父さんの悪いところを受け継いでいる証拠になるだけさ。おれは直の事をお前に頼んで、その報告をいつまでも待っていた。ところがお前はいつまでも言葉を左右に託して、空恍けている……」         二十二 「空恍けてると云われちゃちっと可哀そうですね。話す機会もなし、また話す必要がないんですもの」 「機会は毎日ある。必要はお前になくてもおれの方にあるから、わざわざ頼んだのだ」  自分はその時ぐっと行きつまった。実はあの事件以後、嫂について兄の前へ一人出て、真面目に彼女を論ずるのがいかにも苦痛だったのである。自分は話頭を無理に横へ向けようとした。 「兄さんはすでにお父さんを信用なさらず。僕もそのお父さんの子だという訳で、信用なさらないようだが、和歌の浦でおっしゃった事とはまるで矛盾していますね」 「何が」と兄は少し怒気を帯びて反問した。 「何がって、あの時、あなたはおっしゃったじゃありませんか。お前は正直なお父さんの血を受けているから、信用ができる、だからこんな事を打ち明けて頼むんだって」  自分がこう云うと、今度は兄の方がぐっと行きつまったような形迹を見せた。自分はここだと思って、わざと普通以上の力を、言葉の裡へ籠めながらこう云った。 「そりゃ御約束した事ですから、嫂さんについて、あの時の一部始終を今ここで御話してもいっこう差支えありません。固より僕はあまり下らない事だから、機会が来なければ口を開く考えもなし、また口を開いたって、ただ一言で済んでしまう事だから、兄さんが気にかけない以上、何も云う必要を認めないので、今日まで控えていたんですから。――しかし是非何とか報告をしろと、官命で出張した属官流に逼られれば、仕方がない。今|即刻でも僕の見た通りをお話します。けれどもあらかじめ断っておきますが、僕の報告から、あなたの予期しているような変な幻はけっして出て来ませんよ。元々あなたの頭にある幻なんで、客観的にはどこにも存在していないんだから」  兄は自分の言葉を聞いた時、平生と違って、顔の筋肉をほとんど一つも動かさなかった。ただ洋卓の前に肱を突いたなり、じっとしていた。眼さえ伏せていたから、自分には彼の表情がちっとも解らなかった。兄は理に明らかなようで、またその理にころりと抛げられる癖があった。自分はただ彼の顔色が少し蒼くなったのを見て、これは必竟彼が自分の強い言語に叩かれたのだと判断した。  自分はそこにあった巻莨入から煙草を一本取り出して燐寸の火を擦った。そうして自分の鼻から出る青い煙と兄の顔とを等分に眺めていた。 「二郎」と兄がようやく云った。その声には力も張もなかった。 「何です」と自分は答えた。自分の声はむしろ驕っていた。 「もうおれはお前に直の事について何も聞かないよ」 「そうですか。その方が兄さんのためにも嫂さんのためにも、また御父さんのためにも好いでしょう。善良な夫になって御上げなさい。そうすれば嫂さんだって善良な夫人でさあ」と自分は嫂を弁護するように、また兄を戒めるように云った。 「この馬鹿野郎」と兄は突然大きな声を出した。その声はおそらく下まで聞えたろうが、すぐ傍に坐っている自分には、ほとんど予想外の驚きを心臓に打ち込んだ。 「お前はお父さんの子だけあって、世渡りはおれより旨いかも知れないが、士人の交わりはできない男だ。なんで今になって直の事をお前の口などから聞こうとするものか。軽薄児め」  自分の腰は思わず坐っている椅子からふらりと離れた。自分はそのまま扉の方へ歩いて行った。 「お父さんのような虚偽な自白を聞いた後、何で貴様の報告なんか宛にするものか」  自分はこういう烈しい言葉を背中に受けつつ扉を閉めて、暗い階段の上に出た。         二十三  自分はそれから約一週間ほどというもの、夕食以外には兄と顔を合した事がなかった。平生食卓を賑やかにする義務をもっているとまで、皆なから思われていた自分が、急に黙ってしまったので、テーブルは変に淋しくなった。どこかで鳴く※の音さえ、併んでいる人の耳に肌寒の象徴のごとく響いた。  こういう寂寞たる団欒の中に、お貞さんは日ごとに近づいて来る我結婚の日限を考えるよりほかに、何の天地もないごとくに、盆を膝の上へ載せて御給仕をしていた。陽気な父は周囲に頓着なく、己れに特有な勝手な話ばかりした。しかしその反響はいつものようにどこからも起らなかった。父の方でもまるでそれを予期する気色は見えなかった。  時々席に列ったものが、一度に声を出して笑う種になったのはただ芳江ばかりであった。母などは話が途切れておのずと不安になるたびに、「芳江お前は……」とか何とか無理に問題を拵えて、一時を糊塗するのを例にした。するとそのわざとらしさが、すぐ兄の神経に触った。  自分は食卓を退いて自分の室に帰るたびに、ほっと一息吐くように煙草を呑んだ。 「つまらない。一面識のないものが寄って会食するよりなおつまらない。他の家庭もみんなこんな不愉快なものかしら」  自分は時々こう考えて、早く家を出てしまおうと決心した事もあった。あまり食卓の空気が冷やかな折は、お重が自分の後を恋って、追いかけるように、自分の室へ這入って来た。彼女は何にも云わずにそこで泣き出したりした。ある時はなぜ兄さんに早く詫まらないのだと詰問するように自分を悪らしそうに睨めたりした。  自分は宅にいるのがいよいよ厭になった。元来|性急のくせに決断に乏しい自分だけれども、今度こそは下宿なり間借りなりして、当分気を抜こうと思い定めた。自分は三沢の所へ相談に行った。その時自分は彼に、「君が大阪などで、ああ長く煩うから悪いんだ」と云った。彼は「君がお直さんなどの傍に長くくっついているから悪いんだ」と答えた。  自分は上方から帰って以来、彼に会う機会は何度となくあったが、嫂については、いまだかつて一言も彼に告げた例がなかった。彼もまた自分の嫂に関しては、いっさい口を閉じて何事をも云わなかった。  自分は始めて彼の咽喉を洩れる嫂の名を聞いた。またその嫂と自分との間に横わる、深くも浅くも取れる相互関係をあらわした彼の言葉を聞いた。そうして驚きと疑の眼を三沢の上に注いだ。その中に怒を含んでいると解釈した彼は、「怒るなよ」と云った。その後で「気狂になった女に、しかも死んだ女に惚れられたと思って、己惚れているおれの方が、まあ安全だろう。その代り心細いには違ない。しかし面倒は起らないから、いくら惚れても、惚れられてもいっこう差支えない」と云った。自分は黙っていた。彼は笑いながら「どうだ」と自分の肩を捕まえて小突いた。自分には彼の態度が真面目なのか、また冗談なのか、少しも解らなかった。真面目にせよ、冗談にせよ、自分は彼に向って何事をも説明したり、弁明したりする気は起らなかった。  自分はそれでも三沢に適当な宿を一二軒教わって、帰りがけに、自分の室まで見て帰った。家へ戻るや否や誰より先に、まずお重を呼んで、「兄さんもお前の忠告してくれた通り、いよいよ家を出る事にした」と告げた。お重は案外なようなまた予期していたような表情を眉間にあつめて、じっと自分の顔を眺めた。         二十四  兄妹として云えば、自分とお重とは余り仲の善い方ではなかった。自分が外へ出る事を、まず第一に彼女に話したのは、愛情のためというよりは、むしろ面当の気分に打勝たれていた。すると見る見るうちにお重の両方の眼に涙がいっぱい溜って来た。 「早く出て上げて下さい。その代り妾もどんな所でも構わない、一日も早くお嫁に行きますから」と云った。  自分は黙っていた。 「兄さんはいったん外へ出たら、それなり家へ帰らずに、すぐ奥さんを貰って独立なさるつもりでしょう」と彼女がまた聞いた。  自分は彼女の手前「もちろんさ」と答えた。その時お重は今まで持ち応えていた涙をぽろりぽろりと膝の上に落した。 「何だって、そんなに泣くんだ」と自分は急に優しい声を出して聞いた。実際自分はこの事件についてお重の眼から一滴の涙さえ予期していなかったのである。 「だって妾ばかり後へ残って……」  自分に判切聞こえたのはただこれだけであった。その他は彼女のむやみに引泣上げる声が邪魔をしてほとんど崩れたまま自分の鼓膜を打った。  自分は例のごとく煙草を呑み始めた。そうしておとなしく彼女の泣き止むのを待っていた。彼女はやがて袖で眼を拭いて立ち上った。自分はその後姿を見たとき、急に可哀そうになった。 「お重、お前とは好く喧嘩ばかりしたが、もう今まで通り啀み合う機会も滅多にあるまい。さあ仲直りだ。握手しよう」  自分はこう云って手を出した。お重はかえってきまり悪気に躊躇した。  自分はこれからだんだんに父や母に自分の外へ出る決心を打ち明けて、彼らの許諾を一々求めなければならないと思った。ただ最後に兄の所へ行って、同じ決心を是非共繰返す必要があるので、それだけが苦になった。  母に打ち明けたのはたしかその明くる日であった。母はこの唐突な自分の決心に驚いたように、「どうせ出るならお嫁でもきまってからと思っていたのだが。――まあ仕方があるまいよ」と云った後、憮然として自分の顔を見た。自分はすぐその足で、父の居間へ行こうとした。母は急に後から呼び留めた。 「二郎たとい、お前が家を出たってね……」  母の言葉はそれだけで支えてしまった。自分は「何ですか」と聞き返したため、元の場所に立っていなければならなかった。 「兄さんにはもう御話しかい」と母は急に即かぬ事を云い出した。 「いいえ」と自分は答えた。 「兄さんにはかえってお前から直下に話した方が好いかも知れないよ。なまじ、御父さんや御母さんから取次ぐと、かえって感情を害するかも知れないからね」 「ええ僕もそう思っています。なるたけ綺麗にして出るつもりですから」  自分はこう断って、すぐ父の居間に這入った。父は長い手紙を書いていた。 「大阪の岡田からお貞の結婚について、この間また問い合せが来たので、その返事を書こう書こうと思いながら、とうとう今日まで放っておいたから、今日は是非一つその義務を果そうと思って、今書いているところだ。ついでだからそう云っとくが、御前の書く拝啓の啓の字は間違っている。崩すならそこにあるように崩すものだ」  長い手紙の一端がちょうど自分の坐った膝の前に出ていた。自分は啓の字を横に見たが、どこが間違っているのかまるで解らなかった。自分は父が筆を動かす間、床に活けた黄菊だのその後にある懸物だのを心のうちで品評していた。         二十五  父は長い手紙を裾の方から巻き返しながら、「何か用かね、また金じゃないか。金ならないよ」と云って、封筒に上書を認めた。  自分はきわめて簡略に自分の決意を述べた上、「永々御厄介になりましたが……」というような形式の言葉をちょっと後へ付け加えた。父はただ「うんそうか」と答えた。やがて切手を状袋の角へ貼り付けて、「ちょっとそのベルを押してくれ」と自分に頼んだ。自分は「僕が出させましょう」と云って手紙を受け取った。父は「お前の下宿の番地を書いて、御母さんに渡しておきな」と注意した。それから床の幅についていろいろな説明をした。  自分はそれだけ聞いて父の室を出た。これで挨拶の残っているものはいよいよ兄と嫂だけになった。兄にはこの間の事件以来ほとんど親しい言葉を換わさなかった。自分は彼に対して怒り得るほどの勇気を持っていなかった。怒り得るならば、この間|罵しられて彼の書斎を出るとき、すでに激昂していなければならなかった。自分は後から小さな石膏像の飛んでくるぐらいに恐れを抱く人間ではなかった。けれどもあの時に限って、怒るべき勇気の源がすでに枯れていたような気がする。自分は室に入った幽霊が、ふうとまた室を出るごとくに力なく退却した。その後も彼の書斎の扉を叩いて、快く詫まるだけの度胸は、どこからも出て来なかった。かくして自分は毎日|苦い顔をしている彼の顔を、晩餐の食卓に見るだけであった。  嫂とも自分は近頃|滅多に口を利かなかった。近頃というよりもむしろ大阪から帰って後という方が適当かも知れない。彼女は単独に自分の箪笥などを置いた小さい部屋の所有主であった。しかしながら彼女と芳江が二人ぎりそこに遊んでいる事は、一日中で時間につもるといくらもなかった。彼女はたいてい母と共に裁縫その他の手伝をして日を暮していた。  父や母に自分の未来を打ち明けた明る朝、便所から風呂場へ通う縁側で、自分はこの嫂にぱたりと出会った。 「二郎さん、あなた下宿なさるんですってね。宅が厭なの」と彼女は突然聞いた。彼女は自分の云った通りを、いつの間にか母から伝えられたらしい言葉遣をした。自分は何気なく「ええしばらく出る事にしました」と答えた。 「その方が面倒でなくって好いでしょう」  彼女は自分が何か云うかと思って、じっと自分の顔を見ていた。しかし自分は何とも云わなかった。 「そうして早く奥さんをお貰いなさい」と彼女の方からまた云った。自分はそれでも黙っていた。 「早い方が好いわよあなた。妾探して上げましょうか」とまた聞いた。 「どうぞ願います」と自分は始めて口を開いた。  嫂は自分を見下げたようなまた自分を調戯うような薄笑いを薄い唇の両端に見せつつ、わざと足音を高くして、茶の間の方へ去った。  自分は黙って、風呂場と便所の境にある三和土の隅に寄せ掛けられた大きな銅の金盥を見つめた。この金盥は直径二尺以上もあって自分の力で持上げるのも困難なくらい、重くてかつ大きなものであった。自分は子供の時分からこの金盥を見て、きっと大人の行水を使うものだとばかり想像して、一人|嬉しがっていた。金盥は今|塵で佗しく汚れていた。低い硝子戸越しには、これも自分の子供時代から忘れ得ない秋海棠が、変らぬ年ごとの色を淋しく見せていた。自分はこれらの前に立って、よく秋先に玄関前の棗を、兄と共に叩き落して食った事を思い出した。自分はまだ青年だけれども、自分の背後にはすでにこれだけ無邪気な過去がずっと続いている事を発見した時、今昔の比較が自から胸に溢れた。そうしてこれからこの餓鬼大将であった兄と不愉快な言葉を交換して、わが家を出なければならないという変化に想い及んだ。         二十六  その日自分が事務所から帰ってお重に「兄さんは」と聞くと、「まだよ」という返事を得た。 「今日はどこかへ廻る日なのかね」と重ねて尋ねた時、お重は「どうだか知らないわ。書斎へ行って壁に貼りつけてある時間表を見て来て上げましょうか」と云った。  自分はただ兄が帰ったら教えてくれるように頼んで、誰にも会わずに室へ這入った。洋服を脱ぎ替えるのも面倒なので、そのまま横になって寝ているうち、いつの間にか本当の眠りに落ちた。そうして他人に説明も何もできないような複雑に変化する不安な夢に襲われていると、急にお重から起された。 「大兄さんがお帰りよ」  こういう彼女の言葉が耳に這入った時、自分はすぐ起ち上がった。けれども意識は朦朧として、夢のつづきを歩いていた。お重は後から「まあ顔でも洗っていらっしゃい」と注意した。判然しない自分の意識は、それすらあえてする勇気を必要と感ぜしめなかった。  自分はそのまま兄の書斎に這入った。兄もまだ洋服のままであった。彼は扉の音を聞いて、急に入口に眼を転じた。その光のうちにはある予期を明かに示していた。彼が外出して帰ると、嫂が芳江を連れて、不断の和服を持って上がって来るのが、その頃の習慣であった。自分は母が嫂に「こういう風におしよ」と云いつけたのを傍にいて聞いていた事がある。自分はぼんやりしながらも、兄のこの眼附によって、和服の不断着より、嫂と芳江とを彼は待ち設けていたのだと覚った。  自分は寝惚けた心持が有ったればこそ、平気で彼の室を突然開けたのだが、彼は自分の姿を敷居の前に見て、少しも怒りの影を現さなかった。しかしただ黙って自分の背広姿を打ち守るだけで、急に言葉を出す気色はなかった。 「兄さん、ちょっと御話がありますが……」 と、自分はついにこっちから切り出した。 「こっちへ御這入り」  彼の言語は落ちついていた。かつこの間の事について何の介意をも含んでいないらしく自分の耳に響いた。彼は自分のために、わざわざ一脚の椅子を己れの前へ据えて、自分を麾ねいた。  自分はわざと腰をかけずに、椅子の背に手を載せたまま、父や母に云ったとほぼ同様の挨拶を述べた。兄は尊敬すべき学者の態度で、それを静かに聞いていた。自分の単簡の説明が終ると、彼は嬉しくも悲しくもない常の来客に応接するような態度で「まあそこへおかけ」と云った。  彼は黒いモーニングを着て、あまり好い香のしない葉巻を燻らしていた。 「出るなら出るさ。お前ももう一人前の人間だから」と云ってしばらく煙ばかり吐いていた。それから「しかしおれがお前を出したように皆なから思われては迷惑だよ」と続けた。「そんな事はありません。ただ自分の都合で出るんですから」と自分は答えた。  自分の寝惚けた頭はこの時しだいに冴えて来た。できるだけ早く兄の前から退きたくなった結果、ふり返って室の入口を見た。 「直も芳江も今湯に這入っているようだから、誰も上がって来やしない。そんなにそわそわしないでゆっくり話すが好い、電灯でも点けて」  自分は立ち上がって、室の内を明るくした。それから、兄の吹かしている葉巻を一本取って火を点けた。 「一本八銭だ。ずいぶん悪い煙草だろう」と彼が云った。         二十七 「いつ出るつもりかね」と兄がまた聞いた。 「今度の土曜あたりにしようかと思ってます」と自分は答えた。 「一人出るのかい」と兄がまた聞いた。  この奇異な質問を受けた時、自分はしばらく茫然として兄の顔を打ち守っていた。彼がわざとこう云う失礼な皮肉を云うのか、そうでなければ彼の頭に少し変調を来したのか、どっちだか解らないうちは、自分にもどの見当へ打って出て好いものか、料簡が定まらなかった。  彼の言葉は平生から皮肉たくさんに自分の耳を襲った。しかしそれは彼の智力が我々よりも鋭敏に働き過ぎる結果で、その他に悪気のない事は、自分によく呑み込めていた。ただこの一言だけは鼓膜に響いたなり、いつまでもそこでじんじん熱く鳴っていた。  兄は自分の顔を見て、えへへと笑った。自分はその笑いの影にさえ歇斯的里性の稲妻を認めた。 「無論一人で出る気だろう。誰も連れて行く必要はないんだから」 「もちろんです。ただ一人になって、少し新しい空気を吸いたいだけです」 「新しい空気はおれも吸いたい。しかし新しい空気を吸わしてくれる所は、この広い東京に一カ所もない」  自分は半ばこの好んで孤立している兄を憐れんだ。そうして半ば彼の過敏な神経を悲しんだ。 「ちっと旅行でもなすったらどうです。少しは晴々するかも知れません」  自分がこう云った時、兄はチョッキの隠袋から時計を出した。 「まだ食事の時間には少し間があるね」と云いながら、彼は再び椅子に腰を落ちつけた。そうして「おい二郎もうそうたびたび話す機会もなくなるから、飯ができるまでここで話そうじゃないか」と自分の顔を見た。  自分は「ええ」と答えたが、少しも尻は坐らなかった。その上何も話す種がなかった。すると兄が突然「お前パオロとフランチェスカの恋を知ってるだろう」と聞いた。自分は聞いたような、聞かないような気がするので、すぐとは返事もできなかった。  兄の説明によると、パオロと云うのはフランチェスカの夫の弟で、その二人が夫の眼を忍んで、互に慕い合った結果、とうとう夫に見つかって殺されるという悲しい物語りで、ダンテの神曲の中とかに書いてあるそうであった。自分はその憐れな物語に対する同情よりも、こんな話をことさらにする兄の心持について、一種|厭な疑念を挟さんだ。兄は臭い煙草の煙の間から、始終自分の顔を見つめつつ、十三世紀だか十四世紀だか解らない遠い昔の以太利の物語をした。自分はその間やっとの事で、不愉快の念を抑えていた。ところが物語が一応済むと、彼は急に思いも寄らない質問を自分に掛けた。 「二郎、なぜ肝心な夫の名を世間が忘れてパオロとフランチェスカだけ覚えているのか。その訳を知ってるか」  自分は仕方がないから「やっぱり三勝半七見たようなものでしょう」と答えた。兄は意外な返事にちょっと驚いたようであったが、「おれはこう解釈する」としまいに云い出した。 「おれはこう解釈する。人間の作った夫婦という関係よりも、自然が醸した恋愛の方が、実際神聖だから、それで時を経るに従がって、狭い社会の作った窮屈な道徳を脱ぎ棄てて、大きな自然の法則を嘆美する声だけが、我々の耳を刺戟するように残るのではなかろうか。もっともその当時はみんな道徳に加勢する。二人のような関係を不義だと云って咎める。しかしそれはその事情の起った瞬間を治めるための道義に駆られた云わば通り雨のようなもので、あとへ残るのはどうしても青天と白日、すなわちパオロとフランチェスカさ。どうだそうは思わんかね」         二十八  自分は年輩から云っても性格から云っても、平生なら兄の説に手を挙げて賛成するはずであった。けれどもこの場合、彼がなぜわざわざパオロとフランチェスカを問題にするのか、またなぜ彼ら二人が永久に残る理由を、物々しく解説するのか、その主意が分らなかったので、自然の興味は全く不快と不安の念に打ち消されてしまった。自分は奥歯に物の挟まったような兄の説明を聞いて、必竟それがどうしたのだという気を起した。 「二郎、だから道徳に加勢するものは一時の勝利者には違ないが、永久の敗北者だ。自然に従うものは、一時の敗北者だけれども永久の勝利者だ……」  自分は何とも云わなかった。 「ところがおれは一時の勝利者にさえなれない。永久には無論敗北者だ」  自分はそれでも返事をしなかった。 「相撲の手を習っても、実際力のないものは駄目だろう。そんな形式に拘泥しないでも、実力さえたしかに持っていればその方がきっと勝つ。勝つのは当り前さ。四十八手は人間の小刀細工だ。膂力は自然の賜物だ。……」  兄はこういう風に、影を踏んで力んでいるような哲学をしきりに論じた。そうして彼の前に坐っている自分を、気味の悪い霧で、一面に鎖してしまった。自分にはこの朦朧たるものを払い退けるのが、太い麻縄を噛み切るよりも苦しかった。 「二郎、お前は現在も未来も永久に、勝利者として存在しようとするつもりだろう」と彼は最後に云った。  自分は癇癪持だけれども兄ほど露骨に突進はしない性質であった。ことさらこの時は、相手が全然正気なのか、または少し昂奮し過ぎた結果、精神に尋常でない一種の状態を引き起したのか、第一その方を懸念しなければならなかった。その上兄の精神状態をそこに導いた原因として、どうしても自分が責任者と目指されているという事実を、なおさら苛く感じなければならなかった。  自分はとうとうしまいまで一言も云わずに兄の言葉を聞くだけ聞いていた。そうしてそれほど疑ぐるならいっそ嫂を離別したら、晴々して好かろうにと考えたりした。  ところへその嫂が兄の平生着を持って、芳江の手を引いて、例のごとく階段を上って来た。  扉の敷居に姿を現した彼女は、風呂から上りたてと見えて、蒼味の注した常の頬に、心持の好いほど、薄赤い血を引き寄せて、肌理の細かい皮膚に手触を挑むような柔らかさを見せていた。  彼女は自分の顔を見た。けれども一言も自分には云わなかった。 「大変遅くなりました。さぞ御窮屈でしたろう。あいにく御湯へ這入っていたものだから、すぐ御召を持って来る事ができなくって」  嫂はこう云いながら兄に挨拶した。そうして傍に立っていた芳江に、「さあお父さんに御帰り遊ばせとおっしゃい」と注意した。芳江は母の命令通り「御帰り」と頭を下げた。  自分は永らくの間、嫂が兄に対してこれほど家庭の夫人らしい愛嬌を見せた例を知らなかった。自分はまたこの愛嬌に対して柔げられた兄の気分が、彼の眼に強く集まった例も知らなかった。兄は人の手前|極めて自尊心の強い男であった。けれども、子供のうちから兄といっしょに育った自分には、彼の脳天を動きつつある雲の往来がよく解った。  自分は助け船が不意に来た嬉しさを胸に蔵して兄の室を出た。出る時嫂は一面識もない眼下のものに挨拶でもするように、ちょっと頭を下げて自分に黙礼をした。自分が彼女からこんな冷淡な挨拶を受けたのもまた珍らしい例であった。         二十九  二三日してから自分はとうとう家を出た。父や母や兄弟の住む、古い歴史をもった家を出た。出る時はほとんど何事をも感じなかった。母とお重が別れを惜むように浮かない顔をするのが、かえって厭であった。彼らは自分の自由行動をわざと妨げるように感ぜられた。  嫂だけは淋しいながら笑ってくれた。 「もう御出掛。では御機嫌よう。またちょくちょく遊びにいらっしゃい」  自分は母やお重の曇った顔を見た後で、この一口の愛嬌を聞いた時、多少の愉快を覚えた。  自分は下宿へ移ってからも有楽町の事務所へ例の通り毎日|通っていた。自分をそこへ周旋してくれたものは、例の三沢であった。事務所の持主は、昔三沢の保証人をしていたHの叔父に当る人であった。この人は永らく外国にいて、内地でも相応に経験を積んだ大家であった。胡麻塩頭の中へ指を突っ込んで、むやみに頭垢を掻き落す癖があるので、差し向の間に火鉢でも置くと、時々火の中から妙な臭を立てさせて、ひどく相手を弱らせる事があった。 「君の兄さんは近来何を研究しているか」などとたびたび自分に聞いた。自分は仕方なしに、「何だか一人で書斎に籠ってやってるようです」と極めて大体な答えをするのを例のようにしていた。  梧桐が坊主になったある朝、彼は突然自分を捕えて、「君の兄さんは近頃どうだね」とまた聞いた。こう云う彼の質問に慣れ切っていた自分も、その時ばかりは余りの不意打にちょっと返事を忘れた。 「健康はどうだね」と彼はまた聞いた。 「健康はあまり好い方じゃないです」と自分は答えた。 「少し気をつけないといけないよ。あまり勉強ばかりしていると」と彼は云った。  自分は彼の顔を打ち守って、そこに一種の真面目な眉と眼の光とを認めた。  自分は家を出てから、まだ一遍しか家へ行かなかった。その折そっと母を小蔭に呼んで、兄の様子を聞いて見たら「近頃は少し好いようだよ。時々裏へ出て芳江をブランコに載せて、押してやったりしているからね。……」  自分はそれで少しは安心した。それぎり宅の誰とも顔を合わせる機会を拵えずに今日まで過ぎたのである。  昼の時間に一品料理を取寄せて食っていると、B先生がまた突然「君はたしか下宿したんだったね」と聞いた。自分はただ簡単に「ええ」と答えておいた。 「なぜ。家の方が広くって便利だろうじゃないか。それとも何か面倒な事でもあるのかい」  自分はぐずついてすこぶる曖昧な挨拶をした。その時|呑み込んだ麺麭の一片が、いかにも水気がないように、ぱさぱさと感ぜられた。 「しかし一人の方がかえって気楽かも知れないね。大勢ごたごたしているよりも。――時に君はまだ独身だろう、どうだ早く細君でももっちゃ」  自分はB先生のこの言葉に対しても、平生の通り気楽な答ができなかった。先生は「今日は君いやに意気銷沈しているね」と云ったぎり話頭を転じて、他のものと愚にもつかない馬鹿話を始め出した。自分は自分の前にある茶碗の中に立っている茶柱を、何かの前徴のごとく見つめたぎり、左右に起る笑い声を聞くともなく、また聞かぬでもなく、黙然と腰をかけていた。そうして心の裡で、自分こそ近頃神経過敏症に罹っているのではなかろうかと不愉快な心配をした。自分は下宿にいてあまり孤独なため、こう頭に変調を起したのだと思いついて、帰ったら久しぶりに三沢の所へでも話に行こうと決心した。         三十  その晩三沢の二階に案内された自分は、気楽そうに胡坐をかいた彼の姿を見て羨ましい心持がした。彼の室は明るい電灯と、暖かい火鉢で、初冬の寒さから全然隔離されているように見えた。自分は彼の痼疾が秋風の吹き募るに従って、漸々好い方へ向いて来た事を、かねてから彼の色にも姿にも知った。けれども今の自分と比較して、彼がこうゆったり構えていようとは思えなかった。高くて暑い空を、恐る恐る仰いで暮らした大阪の病院を憶い起すと、当時の彼と今の自分とは、ほとんど地を換えたと一般であった。  彼はつい近頃父を失った結果として、当然一家の主人に成り済ましていた。Hさんを通してB先生から彼を使いたいと申し込まれた時も、彼はまず己れを後にするという好意からか、もしくは贅沢な択好みからか、せっかくの位置を自分に譲ってくれた。  自分は電灯で照された彼の室を見廻して、その壁を隙間なく飾っている風雅なエッチングや水彩画などについて、しばらく彼と話し合った。けれどもどういうものか、芸術上の議論は十分|経つか経たないうちに自然と消えてしまった。すると三沢は突然自分に向って、「時に君の兄さんだがね」と云い出した。自分はここでもまた兄さんかと驚いた。 「兄がどうしたって?」 「いや別にどうしたって事もないが……」  彼はこれだけ云ってただ自分の顔を眺めていた。自分は勢い彼の言葉とB先生の今朝の言葉とを胸の中で結びつけなければならなかった。 「そう半分でなく、話すなら皆な話してくれないか。兄がいったいどうしたと云うんだ。今朝もB先生から同じような事を聞かれて、妙な気がしているところだ」  三沢は焦烈ったそうな自分の顔をなお懇気に見つめていたが、やがて「じゃ話そう」と云った。 「B先生の話も僕のもやっぱり同じHさんから出たのだろうと思うがね。Hさんのはまた学生から出たのだって云ったよ。何でもね、君の兄さんの講義は、平生から明瞭で新しくって、大変学生に気受が好いんだそうだが、その明瞭な講義中に、やはり明瞭ではあるが、前後とどうしても辻褄の合わない所が一二箇所出て来るんだってね。そうしてそれを学生が質問すると、君の兄さんは元来正直な人だから、何遍も何遍も繰返して、そこを説明しようとするが、どうしても解らないんだそうだ。しまいに手を額へ当てて、どうも近来頭が少し悪いもんだから……とぼんやり硝子窓の外を眺めながら、いつまでも立っているんで、学生も、そんならまたこの次にしましょうと、自分の方で引き下がった事が、何でも幾遍もあったと云う話さ。Hさんは僕に今度長野に逢ったら、少し注意して見るが好い。ことによると烈しい神経衰弱なのかも知れないからって云ったが、僕もとうとうそれなり忘れてしまって、今君の顔を見るまで実は思い出せなかったのだ」 「そりゃいつ頃の事だ」と自分はせわしなく聞いた。 「ちょうど君の下宿する前後の事だと思っているが、判然した事は覚えていない」 「今でもそうなのか」  三沢は自分の思い逼った顔を見て、慰めるように「いやいや」と云った。 「いやいやそれはほんに一時的の事であったらしい。この頃では全然平生と変らなくなったようだと、Hさんが二三日前僕に話したから、もう安心だろう。しかし……」  自分は家を出た時に自分の胸に刻み込んだ兄との会見を思わず憶い出した。そうしてその折の自分の疑いが、あるいは学校で証明されたのではなかろうかと考えて、非常に心細くかつ恐ろしく感じた。         三十一  自分は力めて兄の事を忘れようとした。するとふと大阪の病院で三沢から聞いた精神病の「娘さん」を聯想し始めた。 「あのお嬢さんの法事には間に合ったのかね」と聞いて見た。 「間に合った。間に合ったが、実にあの娘さんの親達は失敬な厭な奴だ」と彼は拳骨でも振り廻しそうな勢いで云った。自分は驚いてその理由を聞いた。  彼はその日三沢家を代表して、築地の本願寺の境内とかにある菩提所に参詣した。薄暗い本堂で長い読経があった後、彼も列席者の一人として、一抹の香を白い位牌の前に焚いた。彼の言葉によると、彼ほどの誠をもって、その若く美しい女の霊前に額ずいたものは、彼以外にほとんどあるまいという話であった。 「あいつらはいくら親だって親類だって、ただ静かなお祭りでもしている気になって、平気でいやがる。本当に涙を落したのは他人のおれだけだ」  自分は三沢のこういう憤慨を聞いて、少し滑稽を感じたが、表ではただ「なるほど」と肯がった。すると三沢は「いやそれだけなら何も怒りゃしない。しかし癪に障ったのはその後だ」  彼は一般の例に従って、法要の済んだ後、寺の近くにある或る料理屋へ招待された。その食事中に、彼女の父に当る人や、母に当る女が、彼に対して談をするうちに妙に引っ掛って来た。何の悪意もない彼には、最初いっこうその当こすりが通じなかったが、だんだん時間の進むに従って、彼らの本旨がようやく分って来た。 「馬鹿にもほどがあるね。露骨にいえばさ、あの娘さんを不幸にした原因は僕にある。精神病にしたのも僕だ、とこうなるんだね。そうして離別になった先の亭主は、まるで責任のないように思ってるらしいんだから失敬じゃないか」 「どうしてまたそう思うんだろう。そんなはずはないがね。君の誤解じゃないか」と自分が云った。 「誤解?」と彼は大きな声を出した。自分は仕方なしに黙った。彼はしきりにその親達の愚劣な点を述べたててやまなかった。その女の夫となった男の軽薄を罵しって措かなかった。しまいにこう云った。 「なぜそんなら始めから僕にやろうと云わないんだ。資産や社会的の地位ばかり目当にして……」 「いったい君は貰いたいと申し込んだ事でもあるのか」と自分は途中で遮った。 「ないさ」と彼は答えた。 「僕がその娘さんに――その娘さんの大きな潤った眼が、僕の胸を絶えず往来するようになったのは、すでに精神病に罹ってからの事だもの。僕に早く帰って来てくれと頼み始めてからだもの」  彼はこう云って、依然としてその女の美しい大な眸を眼の前に描くように見えた。もしその女が今でも生きていたならどんな困難を冒しても、愚劣な親達の手から、もしくは軽薄な夫の手から、永久に彼女を奪い取って、己れの懐で暖めて見せるという強い決心が、同時に彼の固く結んだ口の辺に現れた。  自分の想像は、この時その美しい眼の女よりも、かえって自分の忘れようとしていた兄の上に逆戻りをした。そうしてその女の精神に祟った恐ろしい狂いが耳に響けば響くほど、兄の頭が気にかかって来た。兄は和歌山行の汽車の中で、その女はたしかに三沢を思っているに違ないと断言した。精神病で心の憚が解けたからだとその理由までも説明した。兄はことによると、嫂をそういう精神病に罹らして見たい、本音を吐かせて見たい、と思ってるかも知れない。そう思っている兄の方が、傍から見ると、もうそろそろ神経衰弱の結果、多少精神に狂いを生じかけて、自分の方から恐ろしい言葉を家中に響かせて狂い廻らないとも限らない。  自分は三沢の顔などを見ている暇をもたなかった。         三十二  自分はかねて母から頼まれて、この次もし三沢の所へ行ったら、彼にお重を貰う気があるか、ないか、それとなく彼の様子を探って来るという約束をした。しかしその晩はどうしてもそういう元気が出なかった。自分の心持を了解しない彼は、かえって自分に結婚を勧めてやまなかった。自分の頭はまたそれに対して気乗のした返事をするほど、穏かに澄んでいなかった。彼は折を見て、ある候補者を自分に紹介すると云った。自分は生返事をして彼の家を出た。外は十文字に風が吹いていた。仰ぐ空には星が粉のごとくささやかな力を集めて、この風に抵抗しつつ輝いた。自分は佗しい胸の上に両手を当てて下宿へ帰った。そうして冷たい蒲団の中にすぐ潜り込んだ。  それから二三日しても兄の事がまだ気にかかったなり、頭がどうしても自分と調和してくれなかった。自分はとうとう番町へ出かけて行った。直接兄に会うのが厭なので、二階へはとうとう上らなかったが、母を始め他の者には無沙汰見舞の格で、何気なく例の通りの世間話をした。兄を交えない一家の団欒はかえって寛いだ暖かい感じを自分に与えた。  自分は帰り際に、母をちょっと次の間へ呼んで、兄の近況を聞いて見た。母はこの頃兄の神経がだいぶ落ちついたと云って喜んでいた。自分は母の一言でやっと安心したようなものの、母には気のつかない特殊の点に、何だか変調がありそうで、かえってそれが気がかりになった。さればと云って、兄に会って自分から彼を試験しようという勇気は無論起し得なかった。三沢から聞いた兄の講義が一時変になった話も母には告げ得なかった。  自分は何も云う事のないのに、ぼんやり暗い部屋の襖の蔭に寒そうに立っていた。母も自分に対してそこを動かなかった。その上彼女の方から自分に何かいう必要を認めるように見えた。 「もっともこの間少し風邪を引いた時、妙な囈語を云ったがね」と云った。 「どんな事を云いました」と自分は聞いた。  母はそれには答えないで、「なに熱のせいだから、心配する事はないんだよ」と自分の問を打ち消した。 「熱がそんなに有ったんですか」と自分はさらに別の事を尋ねた。 「それがね、熱は三十八度か八度五分ぐらいなんだから、そんなはずはないと思って、お医者に聞いて見ると、神経衰弱のものは少しの熱でも頭が変になるんだってね」  医学の初歩さえ心得ない自分は始めてこの知識に接して、思わず眉をひそめた。けれども室が暗いので、母には自分の顔が見えなかった。 「でも氷で頭を冷したら、そのお蔭で熱がすぐ引いたんで安心したけれど……」  自分は熱の引かない時の兄が、どんな囈語を云ったか、それがまだ知りたいので、薄ら寒い襖の蔭に依然として立っていた。  次の間は電灯で明るく照されていた。父が芳江に何か云って調戯うたびに、みんなの笑う声が陽気に聞こえた。すると突然その笑い声の間から、「おい二郎」と父が自分を呼んだ。 「おい二郎、また御母さんに小遣でも強請ってるんだろう。お綱、お前みたように、そうむやみに二郎の口車に乗っちゃいけないよ」と大きな声で云った。 「いいえそんな事じゃありません」と自分も大きな声で負けずに答えた。 「じゃ何だい、そんな暗い所で、こそこそ御母さんを取っ捉まえて話しているのは。おい早く光るい所へ面を出せ」  父がこう云った時、明るい室の方に集まったものは一度にどっと笑った。自分は母から聞きたい事も聞かずに、父の命令通り、はいと云って、皆なの前へ姿をあらわした。         三十三  それからしばらくの間は、B先生の顔を見ても、三沢の所へ遊びに行っても、兄の話はいっこう話題に上らなかった。自分は少し安心した。そうしてなるべく家の事を忘れようと試みた。しかし下宿の徒然に打ち勝たれるのが何より苦しいので、よく三沢の時間を潰しにこっちから押し寄せたり、また引っ張り出したりした。  三沢は厭きずにいつまでも例の精神病の娘さんの話をした。自分はこの異様なおのろけを聞くたびに、きっと兄と嫂の事を連想して自から不快になった。それで、時々またかという様子を色にも言葉にも表わした。三沢も負けてはいなかった。 「君も君のおのろけを云えば、それで差引損得なしじゃないか」などと自分を冷かした。自分はもうちっとで彼と往来で喧嘩をするところであった。  彼にはこういう風に、精神病の娘さんが、影身に添って離れないので、自分はかねて母から頼まれたお重の事を彼に話す余地がなかった。お重の顔は誰が見ても、まあ十人並以上だろうと、仲の善くない自分にも思えたが、惜い事に、この大切な娘さんとは、まるで顔の型が違っていた。  自分の遠慮に引き換えて、彼は平気で自分に嫁の候補者を推挙した。「今度どこかでちょっと見て見ないか」と勧めた事もあった。自分は始めこそ生返事ばかりしていたが、しまいは本気にその女に会おうと思い出した。すると三沢は、まだ機会が来ないから、もう少し、もう少し、と会見の日を順繰に先へ送って行くので、自分はまた気を腐らした末、ついにその女の幻を離れてしまった。  反対に、お貞さんの方の結婚はいよいよ事実となって現るべく、目前に近いて来た。お貞さんは相応の年をしている癖に、宅中で一番|初心な女であった。これという特色はないが、何を云っても、じき顔を赤くするところに変な愛嬌があった。  自分は三沢と夜更に寒い町を帰って来て、下宿の冷たい夜具に潜り込みながら、時々お貞さんの事を思い出した。そうして彼女もこんな冷たい夜具を引き担ぎながら、今頃は近い未来に逼る暖かい夢を見て、誰も気のつかない笑い顔を、半ば天鵞絨の襟の裡に埋めているだろうなどと想像した。  彼女の結婚する二三日前に、岡田と佐野は、氷を裂くような汽車の中から身を顫わして新橋の停車場に下りた。彼は迎えに出た自分の顔を見て、いようという掛声をした。それから「相変らず二郎さんは呑気だね」と云った。岡田は己れの呑気さ加減を自覚しない男のようにも思われた。  翌日番町へ行ったら、岡田一人のために宅中騒々しく賑っていた。兄もほかの事と違うという意味か、別に苦い顔もせずに、その渦中に捲込まれて黙っていた。 「二郎さん、今になって下宿するなんて、そんな馬鹿がありますか、家が淋しくなるだけじゃありませんか。ねえお直さん」と彼は嫂に話しかけた。この時だけは嫂もさすが変な顔をして黙っていた。自分も何とも云いようがなかった。兄はかえって冷然とすべてに取り合わない気色を見せた。岡田はすでに酔って何事にも拘泥せずへらへら口を動かした。 「もっとも一郎さんも善くないと僕は思いますよ。そうあなた、書斎にばかり引っ込んで勉強していたって、つまらないじゃありませんか。もうあなたぐらい学問をすれば、どこへ出たって引けを取るんじゃないんだからね。しかし二郎さん始め、お直さんや叔母さんも好くないようですね。一郎は書斎よりほかは嫌いだ嫌いだって云っときながら、僕が来てこう引っ張り出せば、訳なく二階から下りて来て、僕と面白そうに話してくれるじゃありませんか。そうでしょう一郎さん」  彼はこう云って兄の方を見た。兄は黙って苦笑いをした。 「ねえ叔母さん」  母も黙っていた。 「ねえお重さん」  彼は返事を受けるまで順々に聞いて廻るらしかった。お重はすぐ「岡田さん、あなたいくら年を取っても饒舌る病気が癒らないのね。騒々しいわよ」と云った。それで皆なが笑い出したので、自分はほっと一と息吐いた。         三十四  芳江が「叔父さんちょっといらっしゃい」と次の間から小さな手を出して自分を招いた。「何だい」と立って行くと彼女はどこからか、大きな信玄袋を引摺り出して、「これお貞さんのよ、見せたげましょうか」と自慢らしく自分を見た。  彼女は信玄袋の中から天鵞絨で張った四角な箱を出した。自分はその中にある真珠の指環を手に取って、ふんと云いながら眺めた。芳江は「これもよ」と云って、今度は海老茶色のを出したが、これは自分が洗濯その他の世話になった礼に買ってやった宝石なしの単純な金の指環であった。彼女はまた「これもよ」と云って、繻珍の紙入を出した。その紙入には模様風に描いた菊の花が金で一面に織り出されていた。彼女はその次に比較的大きくて細長い桐の箱を出した。これは金と赤銅と銀とで、蔦の葉を綴った金具の付いている帯留であった。最後に彼女は櫛と笄を示して、「これ卵甲よ。本当の鼈甲じゃないんだって。本当の鼈甲は高過ぎるからおやめにしたんですって」と説明した。自分には卵甲という言葉が解らなかった。芳江には無論解らなかった。けれども女の子だけあって、「これ一番安いのよ。四方張よか安いのよ。玉子の白味で貼り付けるんだから」と云った。「玉子の白味でどこをどう貼り付けるんだい」と聞くと、彼女は、「そんな事知らないわ」と取り済ました口の利き方をして、さっさと信玄袋を引き摺って次の間へ行ってしまった。  自分は母からお貞さんの当日着る着物を見せて貰った。薄紫がかった御納戸の縮緬で、紋は蔦、裾の模様は竹であった。 「これじゃあまり閑静過ぎやしませんか、年に合わして」と自分は母に聞いて見た。母は「でもねあんまり高くなるから」と答えた。そうして「これでも御前二十五円かかったんだよ」とつけ加えて、無知識な自分を驚かした。地は去年の春京都の織屋が背負って来た時、白のまま三反ばかり用意に買っておいて、この間まで箪笥の抽出にしまったなり放ってあったのだそうである。  お貞さんは一座の席へ先刻から少しも顔を出さなかった。自分はおおかたきまりが悪いのだろうと想像して、そのきまりの悪いところを、ここで一目見たいと思った。 「お貞さんはどこにいるんです」と母に聞いた。すると兄が「ああ忘れた。行く前にちょっとお貞さんに話があるんだった」と云った。  みんな変な顔をしたうちに、嫂の唇には著るしい冷笑の影が閃めいた。兄は誰にも取合う気色もなく、「ちょっと失敬」と岡田に挨拶して、二階へ上がった。その足音が消えると間もなく、お貞さんは自分達のいる室の敷居際まで来て、岡田に叮嚀な挨拶をした。  彼女は「さあどうぞ」と会釈する岡田に、「今ちょっと御書斎まで参らなければなりませんから、いずれのちほど」と答えて立ち上がった。彼女の上気したようにほっと赤くなった顔を見た一座のものは、気の毒なためか何だか、強いて引きとめようともしなかった。  兄の二階へ上がる足音はそれほど強くはなかったが、いつでも上履を引掛けているため、ぴしゃぴしゃする響が、下からよく聞こえた。お貞さんのは素足の上に、女のつつましやかな気性をあらわすせいか、まるで聴き取れなかった。戸を開けて戸を閉じる音さえ、自分の耳には全く這入らなかった。  彼ら二人はそこで約三十分ばかり何か話していた。その間嫂は平生の冷淡さに引き換えて、尋常のものより機嫌よく話したり笑ったりした。けれどもその裏に不機嫌を蔵そうとする不自然の努力が強く潜在している事が自分によく解った。岡田は平気でいた。  自分は彼女が兄と会見を終って、自分達の室の横を通る時、その足音を聞きつけて、用あり気に不意と廊下へ出た。ばったり出逢った彼女の顔は依然として恥ずかしそうに赤く染っていた。彼女は眼を俯せて、自分の傍を擦り抜けた。その時自分は彼女の瞼に涙の宿った痕迹をたしかに認めたような気がした。けれども書斎に入った彼女が兄と差向いでどんな談話をしたか、それはいまだに知る事を得ない。自分だけではない、その委細を知っているものは、彼ら二人より以外に、おそらく天下に一人もあるまいと思う。         三十五  自分は親戚の片割として、お貞さんの結婚式に列席するよう、父母から命ぜられていた。その日はちょうど雨がしょぼしょぼ降って、婚礼には似合しからぬ佗びしい天気であった。いつもより早く起きて番町へ行って見ると、お貞さんの衣裳が八畳の間に取り散らしてあった。  便所へ行った帰りに風呂場の口を覗いて見たら、硝子戸が半分|開いて、その中にお貞さんのお化粧をしている姿がちらりと見えた。それから「あらそこへ障っちゃ厭ですよ」という彼女の声が聞こえた。芳江は面白半分何か悪戯をすると見えた。自分も芳江の真似をやろうと思ったが、場合が場合なのでつい遠慮して茶の間へ戻った。  しばらくしてから、また八畳へ出て見ると、みんながお召換をやっていた。芳江が「あのお貞さんは手へも白粉を塗けたのよ」と大勢に吹聴していた。実を云うと、お貞さんは顔よりも手足の方が赤黒かったのである。 「大変真白になったな。亭主を欺瞞すんだから善くない」と父が調戯っていた。 「あしたになったら旦那様がさぞ驚くでしょう」と母が笑った。お貞さんも下を向いて苦笑した。彼女は初めて島田に結った。それが予期できなかった斬新の感じを自分に与えた。 「この髷でそんな重いものを差したらさぞ苦しいでしょうね」と自分が聞くと、母は「いくら重くっても、生涯に一度はね……」と云って、己れの黒紋付と白襟との合い具合をしきりに気にしていた。お貞さんの帯は嫂が後へ廻って、ぐっと締めてやった。  兄は例の臭い巻煙草を吹かしながら広い縁側をあちらこちらと逍遥していた。彼はこの結婚に、まるで興味をもたないような、また彼一流の批評を心の中に加えているような、判断のでき悪い態度をあらわして、時々我々のいる座敷を覗いた。けれどもちょっと敷居際にとまるだけでけっして中へは這入らなかった。「仕度はまだか」とも催促しなかった。彼はフロックに絹帽を被っていた。  いよいよ出る時に、父は一番綺麗な俥を択って、お貞さんを乗せてやった。十一時に式があるはずのところを少し時間が後れたため岡田は太神宮の式台へ出て、わざわざ我々を待っていた。皆ながどやどやと一度に控所に這入ると、そこにはお婿さんがただ一人質に取られた置物のように椅子へ腰をかけていた。やがて立ち上がって、一人一人に挨拶をするうちに、自分は控所にある洋卓やら、絨氈やら、白木の格天井やらを眺めた。突き当りには御簾が下りていて、中には何か在るらしい気色だけれども、奥の全く暗いため何物をも髣髴する事ができなかった。その前には鶴と浪を一面に描いためでたい一双の金屏風が立て廻してあった。  縁女と仲人の奥さんが先、それから婿と仲人の夫、その次へ親類がつづくという順を、袴羽織の男が出て来て教えてくれたが、肝腎の仲人たるべき岡田はお兼さんを連れて来なかったので、「じゃはなはだ御迷惑だけど、一郎さんとお直さんに引き受けていただきましょうか、この場|限り」と岡田が父に相談した。父は簡単に「好かろうよ」と答えた。嫂は例のごとく「どうでも」と云った。兄も「どうでも」と云ったが、後から、「しかし僕らのような夫婦が媒妁人になっちゃ、少し御両人のために悪いだろう」と付け足した。 「悪いなんて――僕がするより名誉でさあね。ねえ二郎さん」と岡田が例のごとく軽い調子で云った。兄は何やらその理由を述べたいらしい気色を見せたが、すぐ考え直したと見えて、「じゃ生れて初めての大役を引き受けて見るかな。しかし何にも知らないんだから」と云うと、「何向うで何もかも教えてくれるから世話はない。お前達は何もしないで済むようにちゃんと拵えてあるんだ」と父が説明した。         三十六  反橋を渡る所で、先の人が何かに支えて一同ちょっととまった機会を利用して、自分はそっと岡田のフロックの尻を引張った。 「岡田さんは実に呑気だね」と云った。 「なぜです」  彼は自ら媒妁人をもって任じながら、その細君を連れて来ない不注意に少しも気がついていないらしかった。自分から呑気の訳を聞いた時、彼は苦笑して頭を掻きながら、「実は伴れて来ようと思ったんですがね、まあどうかなるだろうと思って……」と答えた。  反橋を降りて奥へ這入ろうという入口の所で、花嫁は一面に張り詰められた鏡の前へ坐って、黒塗の盥の中で手を洗っていた。自分は後から背延をして、お貞さんの姿を見た時、なるほどこれで列が後れるんだなと思うと同時に吹き出したくなった。せっかく丹精して塗り立てた彼女の手も、この神聖な一杓の水で、無残に元のごとく赤黒くされてしまったのである。  神殿の左右には別室があった。その右の方へ兄が佐野さんを伴れて這入った。その左の方へ嫂がお貞さんを伴れて這入った。それが左右から出て来て着座するのを見ると、兄夫婦は真面目な顔をして向い合せに坐っていた。花嫁花婿も無論の事、謹んだ姿で相対していた。  式壇を正面に、後の方にずらりと並んだ父だの母だの自分達は、この二様の意味をもった夫婦と、絵の具で塗り潰した綺麗な太鼓と、何物を中に蔵しているか分らない、御簾を静粛に眺めた。  兄は腹のなかで何を考えているか、よそ目から見ると、尋常と変るところは少しもなかった。嫂は元より取り繕った様子もなく、自然そのままに取り済ましていた。  彼らはすでに過去何年かの間に、夫婦という社会的に大切な経験を彼らなりに甞めて来た、古い夫婦であった。そうして彼らの甞めた経験は、人生の歴史の一部分として、彼らに取っては再びしがたい貴いものであったかも知れない。けれどもどっちから云っても、蜜に似た甘いものではなかったらしい。この苦い経験を有する古夫婦が、己れ達のあまり幸福でなかった運命の割前を、若い男と若い女の頭の上に割りつけて、また新しい不仕合な夫婦を作るつもりなのかしらん。  兄は学者であった。かつ感情家であった。その蒼白い額の中にあるいはこのくらいな事を考えていたかも知れない。あるいはそれ以上に深い事を考えていたかも知れない。あるいはすべての結婚なるものを自ら呪詛しながら、新郎と新婦の手を握らせなければならない仲人の喜劇と悲劇とを同時に感じつつ坐っていたかも知れない。  とにかく兄は真面目に坐っていた。嫂も、佐野さんも、お貞さんも、真面目に坐っていた。そのうち式が始まった。巫女の一人が、途中から腹痛で引き返したというので介添がその代りを勤めた。  自分の隣に坐っていたお重が「大兄さんの時より淋しいのね」と私語いた。その時は簫や太鼓を入れて、巫女の左右に入れ交う姿も蝶のように翩々と華麗に見えた。 「御前の嫁に行く時は、あの時ぐらい賑かにしてやるよ」と自分はお重に云った。お重は笑っていた。  式が済んでみんなが控所へ帰った時、お貞さんは我々が立っているのに、わざわざ絨氈の上に手を突いて、今まで厄介になった礼を丁寧に述べた。彼女の眼には淋しそうな涙がいっぱい溜っていた。  新夫婦と岡田は昼の汽車で、すぐ大阪へ向けて立った。自分は雨のプラットフォームの上で、二三日箱根あたりで逗留するはずのお貞さんを見送った後、父や兄に別れて独り自分の下宿へ帰った。そうして途々自分にも当然番の廻ってくるべき結婚問題を人生における不幸の謎のごとく考えた。         三十七  お貞さんが攫われて行くように消えてしまった後の宅は、相変らずの空気で包まれていた。自分の見たところでは、お貞さんが宅中で一番の呑気ものらしかった。彼女は永年世話になった自分の家に、朝夕箒を執ったり、洗い洒ぎをしたりして、下女だか仲働だか分らない地位に甘んじた十年の後、別に不平な顔もせず佐野といっしょに雨の汽車で東京を離れてしまった。彼女の腹の中も日常彼女の繰り返しつつ慣れ抜いた仕事のごとく明瞭でかつ器械的なものであったらしい。一家|団欒の時季とも見るべき例の晩餐の食卓が、一時重苦しい灰色の空気で鎖された折でさえ、お貞さんだけはその中に坐って、平生と何の変りもなく、給仕の盆を膝の上に載せたまま平気で控えていた。結婚当日の少し前、兄から書斎へ呼ばれて出て来た時、彼女の顔を染めた色と、彼女の瞼に充ちた涙が、彼女の未来のために、何を語っていたか知らないが、彼女の気質から云えば、それがために長い影響を受けようとも思えなかった。  お貞さんが去ると共に冬も去った。去ったと云うよりも、まず大した事件も起らずに済んだと評する方が適当かも知れない。斑らな雪、枯枝を揺ぶる風、手水鉢を鎖ざす氷、いずれも例年の面影を規則正しく自分の眼に映した後、消えては去り消えては去った。自然の寒い課程がこう繰返されている間、番町の家はじっとして動かずにいた。その家の中にいる人と人との関係もどうかこうか今まで通り持ち応えた。  自分の地位にも無論変化はなかった。ただお重が遊び半分時々苦情を訴えに来た。彼女は来るたびに「お貞さんはどうしているでしょうね」と聞いた。 「どうしているでしょうって、――お前の所へ何とも云って来ないのか」 「来る事は来るわ」  聞いて見ると、結婚後のお貞さんについて、彼女は自分より遥に豊富な知識をもっていた。  自分はまた彼女が来るたびに、兄の事を聞くのを忘れなかった。 「兄さんはどうだい」 「どうだいって、あなたこそ悪いわ。家へ来ても兄さんに逢わずに帰るんだから」 「わざわざ避けるんじゃない。行ってもいつでも留守なんだから仕方がない」 「嘘をおっしゃい。この間来た時も書斎へ這入らずに逃げた癖に」  お重は自分より正直なだけに真赤になった。自分はあの事件以後どうかして兄と故の通り親しい関係になりたいと心では希望していたが、実際はそれと反対で、何だか近寄り悪い気がするので、全くお重の云うごとく、宅へ行って彼に挨拶する機会があっても、なるべく会わずに帰る事が多かった。  お重にやり込められると、自分は無言の降意を表するごとくにあははと笑ったり、わざと短い口髭を撫でたり、時によると例の通り煙草に火を点けて瞹眛な煙を吐いたりした。  そうかと思うとかえってお重の方から突然「大兄さんもずいぶん変人ね。あたし今になって全くあなたが喧嘩して出たのも無理はないと思うわ」などと云った。お重から藪から棒にこう驚かされると、自分は腹の底で自分の味方が一人|殖えたような気がして嬉しかった。けれども表向彼女の意見に相槌を打つほどの稚気もなかった。叱りつけるほどの衒気もなかった。ただ彼女が帰った後で、たちまち今までの考えが逆まになって、兄の精神状態が周囲に及ぼす影響などがしきりに苦になった。だんだん生物から孤立して、書物の中に引き摺り込まれて行くように見える彼を平生よりも一倍気の毒に思う事もあった。         三十八  母も一二遍来た。最初来た時は大変|機嫌が好かった。隣の座敷にいる法学士はどこへ出て何を勤めているのだなどと、自分にも判然解らないような事を、さも大事らしく聞いたりした。その時彼女は宅の近況について何にも語らずに、「この頃は方々で風邪が流行るから気をおつけ。お父さんも二三日前から咽喉が痛いって、湿布をしてお出でだよ」と注意して去った。自分は彼女の去った後、兄夫婦の事を思い出す暇さえなかった。彼らの存在を忘れた自分は、快よい風呂に入って、旨い夕飯を食った。  次に訪ねてくれた時の母の調子は、前に較べると少し変っていた。彼女は大阪以後、ことに自分が下宿して以後、自分の前でわざと嫂の批評を回避するような風を見せた。自分も母の前では気が咎めるというのか、必要のない限り、嫂の名を憚って、なるべく口へ出さなかった。ところがこの注意深い母がその折|卒然と自分に向って、「二郎、ここだけの話だが、いったいお直の気立は好いのかね悪いのかね」と聞いた。はたして何か始まったのだと心得た自分は冷りとした。  下宿後の自分は、兄についても嫂についても不謹慎な言葉を無責任に放つ勇気は全くなかったので、母は自分から何一つ満足な材料を得ずして去った。自分の方でも、なぜ彼女がこの気味の悪い質問を自分に突然とかけたかついに要領を得ずに母を逸した。「何かまた心配になるような事でもできたのですか」と聞いても、彼女は「なに別にこれと云って変った事はないんだがね……」と答えるだけで、後は自分の顔を打守るに過ぎなかった。  自分は彼女が帰った後、しきりにこの質問に拘泥し始めた。けれども前後の事情だの母の態度だのを綜合して考えて見て、どうしても新しい事件が、わが家庭のうちに起ったとは受取れないと判断した。  母もあまり心配し過ぎて、とうとう嫂が解らなくなったのだ。  自分は最後にこう解釈して、恐ろしい夢に捉えられたような気持を抱いた。  お重も来、母も来る中に、嫂だけは、ついに一度も自分の室の火鉢に手を翳さなかった。彼女がわざと遠慮して自分を尋ねない主意は、自分にも好く呑み込めていた。自分が番町へ行ったとき、彼女は「二郎さんの下宿は高等下宿なんですってね。お室に立派な床があって、庭に好い梅が植えてあるって云う話じゃありませんか」と聞いた。しかし「今度拝見に行きますよ」とは云わなかった。自分も「見にいらっしゃい」とは云いかねた。もっとも彼女の口に上った梅は、どこかの畠から引っこ抜いて来て、そのままそこへ植えたとしか思われない無意味なものであった。  嫂が来ないのとは異様の意味で、また同様の意味で、兄の顔はけっして自分の室の裡に見出されなかった。  父も来なかった。  三沢は時々来た。自分はある機会を利用して、それとなく彼にお重を貰う意があるかないかを探って見た。 「そうだね。あのお嬢さんももう年頃だから、そろそろどこかへ片づける必要が逼って来るだろうね。早く好い所を見つけて嬉しがらせてやりたまえ」  彼はただこう云っただけで、取り合う気色もなかった。自分はそれぎり断念してしまった。  永いようで短い冬は、事の起りそうで事の起らない自分の前に、時雨、霜解、空っ風……と既定の日程を平凡に繰り返して、かように去ったのである。      塵労         一  陰刻な冬が彼岸の風に吹き払われた時自分は寒い窖から顔を出した人のように明るい世界を眺めた。自分の心のどこかにはこの明るい世界もまた今やり過ごした冬と同様に平凡だという感じがあった。けれども呼息をするたびに春の匂が脈の中に流れ込む快よさを忘れるほど自分は老いていなかった。  自分は天気の好い折々|室の障子を明け放って往来を眺めた。また廂の先に横わる蒼空を下から透すように望んだ。そうしてどこか遠くへ行きたいと願った。学校にいた時分ならもう春休みを利用して旅へ出る支度をするはずなのだけれども、事務所へ通うようになった今の自分には、そんな自由はとても望めなかった。偶の日曜ですら寝起の悪い顔を一日下宿に持ち扱って、散歩にさえ出ない事があった。  自分は半ば春を迎えながら半ば春を呪う気になっていた。下宿へ帰って夕飯を済ますと、火鉢の前へ坐って煙草を吹かしながら茫然自分の未来を想像したりした。その未来を織る糸のうちには、自分に媚びる花やかな色が、新しく活けた佐倉炭の焔と共にちらちらと燃え上るのが常であったけれども、時には一面に変色してどこまで行っても灰のように光沢を失っていた。自分はこういう想像の夢から突然何かの拍子で現在の我に立ち返る事があった。そうしてこの現在の自分と未来の自分とを運命がどういう手段で結びつけて行くだろうと考えた。  自分が不意に下宿の下女から驚かされたのは、ちょうどこんな風に現実と空想の間に迷ってじっと火鉢に手を翳していた、ある宵の口の出来事であった。自分は自分の注意を己れ一人に集めていたというものか、実際下女の廊下を踏んで来る足音に気がつかなかった。彼女が思いがけなくすうと襖を開けた時自分は始めて偶然のように眼を上げて彼女と顔を見合せた。 「風呂かい」  自分はすぐこう聞いた。これよりほかに下女が今頃自分の室の襖を開けるはずがないと思ったからである。すると下女は立ちながら「いいえ」と答えたなり黙っていた。自分は下女の眼元に一種の笑いを見た。その笑いの中には相手を翻弄し得た瞬間の愉快を女性的に貪りつつある妙な閃があった。自分は鋭く下女に向って、「何だい、突立ったまま」と云った。下女はすぐ敷居際に膝を突いた。そうして「御客様です」とやや真面目に答えた。 「三沢だろう」と自分が云った。自分はある事で三沢の訪問を予期していたのである。 「いいえ女の方です」 「女の人?」  自分は不審の眉を寄せて下女に見せた。下女はかえって澄ましていた。 「こちらへ御通し申しますか」 「何という人だい」 「知りません」 「知りませんって、名前を聞かないでむやみに人の室へ客を案内する奴があるかい」 「だって聞いてもおっしゃらないんですもの」  下女はこう云って、また先刻のような意地の悪い笑を目元で笑った。自分はいきなり火鉢から手を放して立ち上った。敷居際に膝を突いている下女を追い退けるようにして上り口まで出た。そうして土間の片隅にコートを着たまま寒そうに立っていた嫂の姿を見出した。         二  その日は朝から曇っていた。しかも打ち続いた好天気を一度に追い払うように寒い風が吹いた。自分は事務所から帰りがけに、外套の襟を立てて歩きながら道々雨になるのを気遣った。その雨が先刻夕飯の膳に向う時分からしとしとと降り出した。 「好くこんな寒い晩に御出かけでした」  嫂は軽く「ええ」と答えたぎりであった。自分は今まで坐っていた蒲団の裏を返して、それを三尺の床の前に直して、「さあこっちへいらっしゃい」と勧めた。彼女はコートの片袖をするすると脱ぎながら「そうお客扱いにしちゃ厭よ」と云った。自分は茶器を洒がせるために電鈴を押した手を放して、彼女の顔を見た。寒い戸外の空気に冷えたその頬はいつもより蒼白く自分の眸子を射た。不断から淋しい片靨さえ平生とは違った意味の淋しさを消える瞬間にちらちらと動かした。 「まあ好いからそこへ坐って下さい」  彼女は自分の云う通りに蒲団の上に坐った。そうして白い指を火鉢の上に翳した。彼女はその姿から想像される通り手爪先の尋常な女であった。彼女の持って生れた道具のうちで、初から自分の注意を惹いたものは、華奢に出来上ったその手と足とであった。 「二郎さん、あなたも手を出して御あたりなさいな」  自分はなぜか躊躇して手を出しかねた。その時雨の音が窓の外で蕭々とした。昼間|吹募った西北の風は雨と共にぱったりと落ちたため世間は案外静かになっていた。ただ時を区切って樋を叩く雨滴の音だけがぽたりぽたりと響いた。嫂は平生の通り落ちついた態度で、室の中を見廻しながら「なるほど好い御室ね、そうして静だ事」と云った。 「夜だから好く見えるんです。昼間来て御覧なさい、ずいぶん汚ならしい室ですよ」  自分はしばらく嫂と応対していた。けれども今自白すると腹の中は話の調子で示されるほど穏かなものではけっしてなかった。自分は嫂がこの下宿へ訪ねて来ようとはその時までけっして予期していなかったのである。空想にすら描いていなかったのである。彼女の姿を上り口の土間に見出した時自分ははっと驚いた。そうしてその驚きは喜びの驚きよりもむしろ不安の驚きであった。 「何で来たのだろう。何でこの寒いのにわざわざ来たのだろう。何でわざわざ晩になって灯が点いてから来たのだろう」  これが彼女を見た瞬間の疑惑であった。この疑惑に初手からこだわった自分の胸には、火鉢を隔てて彼女と相対している日常の態度の中に絶えざる圧迫があった。それが自分の談話や調子に不愉快なそらぞらしさを与えた。自分はそれを明かに自覚した。それからその空々しさがよく相手の頭に映っているという事も自覚した。けれどもどうする訳にも行かなかった。自分は嫂に「冴え返って寒くなりましたね」と云った。「雨の降るのに好く御出かけですね」と云った。「どうして今頃御出かけです」と聞いた。対話がそこまで行っても自分の胸に少しの光明を投げなかった時、自分は硬くなった、そうしてジョコンダに似た怪しい微笑の前に立ち竦まざるを得なかった。 「二郎さんはしばらく会わないうちに、急に改まっちまったのね」と嫂が云い出した。 「そんな事はありません」と自分は答えた。 「いいえそうよ」と彼女が押し返した。         三  自分はつと立って嫂の後へ廻った。彼女は半間の床を背にして坐っていた。室が狭いので彼女の帯のあたりはほとんど杉の床柱とすれすれであった。自分がその間へ一足割り込んだ時、彼女は窮屈そうに体躯を前の方へ屈めて「何をなさるの」と聞いた。自分は片足を宙に浮かしたまま、床の奥から黒塗の重箱を取り出して、それを彼女の前へ置いた。 「一つどうです」  こう云いながら蓋を取ろうとすると、彼女は微かに苦笑を洩らした。重箱の中には白砂糖をふりかけた牡丹餅が行儀よく並べてあった。昨日が彼岸の中日である事を自分はこの牡丹餅によって始めて知ったのである。自分は嫂の顔を見て真面目に「食べませんか」と尋ねた。彼女はたちまち吹き出した。 「あなたもずいぶんね、その御萩は昨日宅から持たせて上げたんじゃありませんか」  自分はやむをえず苦笑しながら一つ頬張った。彼女は自分のために湯呑へ茶を注いでくれた。  自分はこの牡丹餅から彼女が今日|墓詣りのため里へ行ってその帰りがけにここへ寄ったのだと云う事をようやく確めた。 「大変|御無沙汰をしていますが、あちらでも別にお変りはありませんか」 「ええありがとう、別に……」  言葉寡な彼女はただ簡単にこう答えただけであったが、その後へ、「御無沙汰って云えば、あなた番町へもずいぶん御無沙汰ね」と付け加えて、ことさらに自分の顔を見た。  自分は全く番町へは遠ざかっていた。始めは宅の事が苦になって一週に一度か二度行かないと気が済まないくらいだったが、いつか中心を離れてよそからそっと眺める癖を養い出した。そうしてその眺めている間少くとも事が起らずに済んだという自覚が、無沙汰を無事の原因のように思わせていた。 「なぜ元のようにちょくちょくいらっしゃらないの」 「少し仕事の方が忙しいもんですから」 「そう? 本当に? そうじゃないでしょう」  自分は嫂からこう追窮されるのに堪えなかった。その上自分には彼女の心理が解らなかった。他の人はどうあろうとも、嫂だけはこの点において自分を追窮する勇気のないものと今まで固く信じていたからである。自分は思い切って「あなたは大胆過ぎる」と云おうかと思った。けれども疾に相手から小胆と見縊られている自分はついに卑怯であった。 「本当に忙がしいのです。実はこの間から少し勉強しようと思って、そろそろその準備に取りかかったもんですから、つい近頃はどこへも出る気にならないんです。僕はいつまでこんな事をしてぐずぐずしていたってつまらないから、今のうち少し本でも読んでおいて、もう少ししたら外国へでも行って見たいと思ってるんだから」  この答えの後半は本当に自分の希望であった。自分は何でもいいからただ遠くへ行きたい行きたいと願っていた。 「外国って、洋行?」と嫂が聞いた。 「まあそうです」 「結構ね。御父さんに願って早くやって御頂きなさい。妾話して上げましょうか」  自分も無駄と知りながらそんな事を幻のように考えていたのだが、彼女の言葉を聞いた時急に、「お父さんは駄目ですよ」と首を振って見せた。彼女はしばらく黙っていた。やがて物憂そうな調子で「男は気楽なものね」と云った。 「ちっとも気楽じゃありません」 「だって厭になればどこへでも勝手に飛んで歩けるじゃありませんか」         四  自分はいつか手を出して火鉢へあたっていた。その火鉢は幾分か背を高くかつ分厚に拵えたものであったけれども、大きさから云うと、普通の箱火鉢と同じ事なので二人向い合せに手を翳すと、顔と顔との距離があまり近過ぎるくらいの位地にあった。嫂は席に着いた初から寒いといって、猫背の人のように、心持胸から上を前の方に屈めて坐っていた。彼女のこの姿勢のうちには女らしいという以外に何の非難も加えようがなかった。けれどもその結果として自分は勢い後へ反り返る気味で座を構えなければならなくなった。それですら自分は彼女の富士額をこれほど近くかつ長く見つめた事はなかった。自分は彼女の蒼白い頬の色を※のごとく眩しく思った。  自分はこういう比較的窮屈な態度の下に、彼女から突如として彼女と兄の関係が、自分が宅を出た後もただ好くない一方に進んで行くだけであるという厭な事実を聞かされた。彼女はこれまでこちらから問いかけなければ、けっして兄の事について口を開かない主義を取っていた。たといこちらから問いかけても「相変らずですわ」とか、「何心配するほどの事じゃなくってよ」とか答えてただ微笑するのが常であった。それをまるで逆さまにして、自分の最も心苦しく思っている問題の真相を、向うから積極的にこちらへ吐きかけたのだから、卑怯な自分は不意に硫酸を浴せられたようにひりひりとした。  しかしいったん緒を見出した時、自分はできるだけ根掘り葉掘り聞こうとした。けれども言葉の浪費を忌む彼女は、そうこちらの思い通りにはさせなかった。彼女の口にするところは重に彼ら夫婦間に横たわる気不味さの閃電に過ぎなかった。そうして気不味さの近因についてはついに一言も口にしなかった。それを聞くと、彼女はただ「なぜだか分らないのよ」というだけであった。実際彼女にはそれが分らないのかも知れなかった。また分っている癖にわざと話さないのかも知れなかった。 「どうせ妾がこんな馬鹿に生れたんだから仕方がないわ。いくらどうしたってなるようになるよりほかに道はないんだから。そう思って諦らめていればそれまでよ」  彼女は初めから運命なら畏れないという宗教心を、自分一人で持って生れた女らしかった。その代り他の運命も畏れないという性質にも見えた。 「男は厭になりさえすれば二郎さん見たいにどこへでも飛んで行けるけれども、女はそうは行きませんから。妾なんかちょうど親の手で植付けられた鉢植のようなもので一遍植えられたが最後、誰か来て動かしてくれない以上、とても動けやしません。じっとしているだけです。立枯になるまでじっとしているよりほかに仕方がないんですもの」  自分は気の毒そうに見えるこの訴えの裏面に、測るべからざる女性の強さを電気のように感じた。そうしてこの強さが兄に対してどう働くかに思い及んだ時、思わずひやりとした。 「兄さんはただ機嫌が悪いだけなんでしょうね。ほかにどこも変ったところはありませんか」 「そうね。そりゃ何とも云えないわ。人間だからいつどんな病気に罹らないとも限らないから」  彼女はやがて帯の間から小さい女持の時計を出してそれを眺めた。室が静かなのでその蓋を締める音が意外に強く耳に鳴った。あたかも穏かな皮膚の面に鋭い針の先が触れたようであった。 「もう帰りましょう。――二郎さん御迷惑でしたろうこんな厭な話を聞かせて。妾今まで誰にもした事はないのよ、こんな事。今日自分の宅へ行ってさえ黙ってるくらいですもの」  上り口に待っていた車夫の提灯には彼女の里方の定紋が付いていた。         五  その晩は静かな雨が夜通し降った。枕を叩くような雨滴の音の中に、自分はいつまでも嫂の幻影を描いた。濃い眉とそれから濃い眸子、それが眼に浮ぶと、蒼白い額や頬は、磁石に吸いつけられる鉄片の速度で、すぐその周囲に反映した。彼女の幻影は何遍も打ち崩された。打ち崩されるたびに復同じ順序がすぐ繰返された。自分はついに彼女の唇の色まで鮮かに見た。その唇の両端にあたる筋肉が声に出ない言葉の符号のごとく微かに顫動するのを見た。それから、肉眼の注意を逃れようとする微細の渦が、靨に寄ろうか崩れようかと迷う姿で、間断なく波を打つ彼女の頬をありありと見た。  自分はそれくらい活きた彼女をそれくらい劇しく想像した。そうして雨滴の音のぽたりぽたりと響く中に、取り留めもないいろいろな事を考えて、火照った頭を悩まし始めた。  彼女と兄との関係が悪く変る以上、自分の身体がどこにどう飛んで行こうとも、自分の心はけっして安穏であり得なかった。自分はこの点について彼女にもっと具体的な説明を求めたけれども、普通の女のように零砕な事実を訴えの材料にしない彼女は、ほとんど自分の要求を無視したように取り合わなかった。自分は結果からいうと、焦慮されるために彼女の訪問を受けたと同じ事であった。  彼女の言葉はすべて影のように暗かった。それでいて、稲妻のように簡潔な閃を自分の胸に投げ込んだ。自分はこの影と稲妻とを綴り合せて、もしや兄がこの間中癇癖の嵩じたあげく、嫂に対して今までにない手荒な事でもしたのではなかろうかと考えた。打擲という字は折檻とか虐待とかいう字と並べて見ると、忌わしい残酷な響を持っている。嫂は今の女だから兄の行為を全くこの意味に解しているかも知れない。自分が彼女に兄の健康状態を聞いた時、彼女は人間だからいつどんな病気に罹るかも知れないと冷かに云って退けた。自分が兄の精神作用に掛念があってこの問を出したのは彼女にも通じているはずである。したがって平生よりもなお冷淡な彼女の答は、美しい己れの肉に加えられた鞭の音を、夫の未来に反響させる復讐の声とも取れた。――自分は怖かった。  自分は明日にも番町へ行って、母からでもそっと彼ら二人の近況を聞かなければならないと思った。けれども嫂はすでに明言した。彼ら夫婦関係の変化については何人もまだ知らない、また何人にも告げた事がないと明言した。影のような稲妻のような言葉のうちからその消息をぼんやりと焼きつけられたのは、天下に自分の胸がたった一つあるばかりであった。  なぜあれほど言葉の寡ない嫂が自分にだけそれを話し出したのだろうか。彼女は平生から落ちついている。今夜も平生の通り落ちついていた。彼女は昂奮の極訴える所がないので、わざわざ自分を訪うたものとは思えなかった。だいち訴えという言葉からしてが彼女の態度には不似合であった。結果から云えば、自分は先刻云った通りむしろ彼女から焦慮されたのであるから。  彼女は火鉢にあたる自分の顔を見て、「なぜそう堅苦しくしていらっしゃるの」と聞いた。自分が「別段堅苦しくはしていません」と答えた時、彼女は「だって反っ繰り返ってるじゃありませんか」と笑った。その時の彼女の態度は、細い人指ゆびで火鉢の向側から自分の頬ぺたでも突っつきそうに狎れ狎れしかった。彼女はまた自分の名を呼んで、「吃驚したでしょう」と云った。突然雨の降る寒い晩に来て、自分を驚かしてやったのが、さも愉快な悪戯ででもあるかのごとくに云った。……  自分の想像と記憶は、ぽたりぽたりと垂れる雨滴の拍子のうちに、それからそれからととめどもなく深更まで廻転した。         六  それから三四日の間というもの自分の頭は絶えず嫂の幽霊に追い廻された。事務所の机の前に立って肝心の図を引く時ですら、自分はこの祟を払い退ける手段を知らなかった。ある日には始終他人の手を借りて仕事を運んで行くようなはがゆい思さえ加わった。こうして自分で自分を離れた気分を持ちながら、上部だけを人並にやって行くのに傍の者はなぜ不審がらないのだろうと疑ぐって見たりした。自分はよほど前から事務所ではもう快活な男として通用しないようになっていた。ことに近来は口数さえ碌に利かなかった。それでこの三四日間に起った変化もまた他の注意に上らずに済んでいるのだろうと考えた。そうして自己と周囲と全く遮断された人の淋しさを独り感じた。  自分はこの間に一人の嫂をいろいろに視た。――彼女は男子さえ超越する事のできないあるものを嫁に来たその日からすでに超越していた。あるいは彼女には始めから超越すべき牆も壁もなかった。始めから囚われない自由な女であった。彼女の今までの行動は何物にも拘泥しない天真の発現に過ぎなかった。  ある時はまた彼女がすべてを胸のうちに畳み込んで、容易に己を露出しないいわゆるしっかりもののごとく自分の眼に映じた。そうした意味から見ると、彼女はありふれたしっかりものの域を遥に通り越していた。あの落ちつき、あの品位、あの寡黙、誰が評しても彼女はしっかりし過ぎたものに違いなかった。驚くべく図々しいものでもあった。  ある刹那には彼女は忍耐の権化のごとく、自分の前に立った。そうしてその忍耐には苦痛の痕迹さえ認められない気高さが潜んでいた。彼女は眉をひそめる代りに微笑した。泣き伏す代りに端然と坐った。あたかもその坐っている席の下からわが足の腐れるのを待つかのごとくに。要するに彼女の忍耐は、忍耐という意味を通り越して、ほとんど彼女の自然に近いある物であった。  一人の嫂が自分にはこういろいろに見えた。事務所の机の前、昼餐の卓の上、帰り途の電車の中、下宿の火鉢の周囲、さまざまの所でさまざまに変って見えた。自分は他の知らない苦しみを他に言わずに苦しんだ。その間思い切って番町へ出かけて行って、大体の様子を探るのがともかくも順序だとはしばしば胸に浮かんだ。けれども卑怯な自分はそれをあえてする勇気をもたなかった。眼の前に怖い物のあるのを知りながら、わざと見ないために瞼を閉じていた。  すると五日目の土曜の午後に突然父から事務所の電話口まで呼び出された。 「御前は二郎かい」 「そうです」 「明日の朝ちょっと行くが好いかい」 「へえ」 「差支えがあるかい」 「いえ別に……」 「じゃ待っててくれ、好いだろうね。さようなら」  父はそれで電話を切ってしまった。自分は少からず狼狽した。何の用事であるかをさえ確める余裕をもたなかった自分は、電話口を離れてから後悔した。もし用事があるなら呼びつけられそうなものだのにとすぐ変に思っても見た。父が向うから来るという違例な事が、この間の嫂の訪問に何か関係があるような気がして、自分の胸は一層不安になった。  下宿に帰ったら、大阪の岡田から来た一枚の絵端書が机の上に載せてあった。それは彼ら夫婦が佐野とお貞さんを誘って、楽しい半日を郊外に暮らした記念であった。自分は机に向って長い間その絵端書を見つめていた。         七  日曜には思い切って寝坊をする癖のついていた自分も、次の朝だけは割合に早く起きた。飯を済まして新聞を読むと、その新聞が汽車を待ち合せる間に買って、せわしなく眼を通す時のように、何の見るところもないほど、つまらなく感ぜられた。自分はすぐ新聞を棄てた。しかし五六分|経たないうちにまたそれを取り上げた。自分は煙草を吸ったり、眼鏡の曇を丁寧に拭ったり、いろいろな所作をして、父の来るのを待ち受けた。  父は容易に来なかった。自分は父の早起をよく承知していた。彼の性急にも子供のうちから善く馴らされていた。落ちつかない自分は、電話でもかけて、どうしたのかこっちから父の都合を聞いて見ようかと思った。  母に狎れ抜いた自分は、常から父を憚っていた。けれども、本当の底を割って見ると、柔和しい母の方が、苛酷しい父よりはかえって怖かった。自分は父に怒られたり小言を云われたりする時に、恐縮はしながらも、やっぱり男は男だと腹の中で思う事がたびたびあった。けれどもこの場合はいつもと違っていた。いくら父でもそう容易く高を括る訳に行かなかった。電話をかけようとした自分はまたかけ得ずにしまった。  父はとうとう十時頃になってやって来た。羽織袴で少しきまり過ぎた服装はしていたが、顔つきは存外穏かであった。小さい時から彼の手元で育った自分は、事のあるかないかを彼の顔色からすぐ判断する功を積んでいた。 「もっと早くおいでだろうと思って先刻から待っていました」 「おおかた床の中で待ってたんだろう。早いのはいくら早くっても驚かないが、御前に気の毒だからわざと遅く出かけたのさ」  父は自分の汲んで出した茶を、飲むように甞めるように、口の所へ持って行って、室の中をじろじろ見廻した。室には机と本箱と火鉢があるだけであった。 「好い室だね」  父は自分達に対してもよくこんな愛嬌を云う男であった。彼が長年社交のために用い慣れた言葉は、遠慮のない家庭にまで、いつか這入り込んで来た。それほど枯れた御世辞だから、それが自分には他の「御早う」ぐらいにしか響かなかった。  彼は三尺の床を覗いてそこに掛けた幅物を眺め出した。 「ちょうど好いね」  その軸は特にここの床の間を飾るために自分が父から借りて来た小形の半切であった。彼が「これなら持って行っても好い」と投げ出してくれただけあって、自分にはちょうど好くも何ともない変なものであった。自分は苦笑してそれを眺めていた。  そこには薄墨で棒が一本|筋違に書いてあった。その上に「この棒ひとり動かず、さわれば動く」と賛がしてあった。要するに絵とも字とも片のつかないつまらないものであった。 「御前は笑うがね。これでも渋いものだよ。立派な茶懸になるんだから」 「誰でしたっけね書き手は」 「それは分らないが、いずれ大徳寺か何か……」 「そうそう」  父はそれで懸物の講釈を切り上げようとはしなかった。大徳寺がどうの、黄檗がどうのと、自分にはまるで興味のない事を説明して聞かせた。しまいに「この棒の意味が解るか」などと云って自分を悩ませた。         八  その日自分は父に伴れられて上野の表慶館を見た。今まで彼に随いてそういう所へ行った事は幾度となくあったが、まさかそのために彼がわざわざ下宿へ誘いに来ようとは思えなかった。自分は父と共に下宿の門を出て上野へ向う途々も、今に彼の口から何か本当の用事が出るに違ないと予期していた。しかしそれをこっちから聞く勇気はとても起らなかった。兄の名も嫂の名も彼の前には封じられた言葉のごとく、自分の声帯を固く括りつけた。  表慶館で彼は利休の手紙の前へ立って、何々せしめ候……かね、といった風に、解らない字を無理にぽつぽつ読んでいた。御物の王羲之の書を見た時、彼は「ふうんなるほど」と感心していた。その書がまた自分には至ってつまらなく見えるので、「大いに人意を強うするに足るものだ」と云ったら、「なぜ」と彼は反問した。  二人は二階の広間へ入った。するとそこに応挙の絵がずらりと十幅ばかりかけてあった。それが不思議にも続きもので、右の端の巌の上に立っている三羽の鶴と、左の隅に翼をひろげて飛んでいる一羽のほかは、距離にしたら約二三間の間ことごとく波で埋っていた。 「唐紙に貼ってあったのを、剥がして懸物にしたのだね」  一幅ごとに残っている開閉の手摺の痕と、引手の取れた部分の白い型を、父は自分に指し示した。自分は広間の真中に立ってこの雄大な画を描いた昔の日本人を尊敬する事を、父の御蔭でようやく知った。  二階から下りた時、父は玉だの高麗焼だのの講釈をした。柿右衛門と云う名前も聞かされた。一番下らないのはのんこうの茶碗であった。疲れた二人はついに表慶館を出た。館の前を掩うように聳えている蒼黒い一本の松の木を右に見て、綺麗な小路をのそのそ歩いた。それでも肝心の用事について、父は一言も云わなかった。 「もうじき花が咲くね」 「咲きますね」  二人はまたのそのそ東照宮の前まで来た。 「精養軒で飯でも食うか」  時計はもう一時半であった。小さい時分から父に伴れられて外出するたびに、きっとどこかで物を食う癖のついた自分は、成人の後も御供と御馳走を引き離しては考えていなかった。けれどもその日はなぜだか早く父に別れたかった。  行きがけに気のつかなかったその精養軒の入口は、五色の旗で隙間なく飾られた綱を、いつの間にか縦横に渡して、絹帽の客を華やかに迎えていた。 「何かあるんですよ今日は。おおかた貸し切りなんでしょう」 「なるほど」  父は立ち留って木の間にちらちらする旗の色を眺めていたが、やがて気のついた風で、「今日は二十三日だったね」と聞いた。その日は二十三日であった。そうしてKという兄の知人の結婚披露の当日であった。 「つい忘れていた。一週間ばかり前に招待状が来ていたっけ。一郎と直と二人の名宛で」 「Kさんはまだ結婚しなかったのですかね」 「そうさ。善く知らないが、まさか二度目じゃなかろうよ」  二人は山を下りてとうとうその左側にある洋食屋に這入った。 「ここは往来がよく見える。ことに寄ると一郎が、絹帽を被って通るかも知れないよ」 「嫂さんもいっしょなんですか」 「さあ。どうかね」  二階の窓際近くに席を占めた自分達は、花で飾られた低い瓶を前に、広々した三橋の通りを見下した。         九  食事中父は機嫌よく話した。しかし用談らしい改まったものは、珈琲を飲むまでついに彼の口に上らなかった。表へ出た時、彼は始めて気のついたらしい顔をして、向う側の白い大きな建物を眺めた。 「やあいつの間にか勧工場が活動に変化しているね。ちっとも知らなかった。いつ変ったんだろう」  白い洋館の正面に金字で書いてある看板の周囲は、無数の旗の影で安価に彩られていた。自分は職業柄、さも仰山らしく東京の真中に立っているこの粗末な建築を、情ない眼つきで見た。 「どうも驚くね世の中の早く変るには。そう思うとおれなぞもいつ死ぬか分らない」  好い日曜なのと時刻が時刻なので、往来は今が人の出盛りであった。華やかな色と、陽気な肉と、浮いた足並の簇がるなかでこう云った父の言葉は、妙に周囲と調和を欠いていた。  自分は番町と下宿と方角の岐れる所で、父に別れようとした。 「用があるのかい」 「ええ少し……」 「まあ好いから宅までおいで」  自分は帽子の鍔へ手をかけたまま躊躇した。 「いいからおいでよ。自分の宅じゃないか。たまには来るものだ」  自分はきまりの悪い顔をして父の後に随がった。父はすぐ後をふり向いた。 「宅じゃ近頃御前が来ないので、みんな不思議がってるんだぜ。二郎はどうしたんだろうって。遠慮が無沙汰というが、御前のは無遠慮が無沙汰になるんだからなお悪い」 「そう云う訳でもありませんが。……」 「何しろ来るが好い。言訳は宅へ行って、御母さんにたんとするさ。おれはただ引っ張って行く役なんだから」  父はずんずん歩いた。自分は腹の中であたかも丁年未満の若者のような自分の態度を苦笑しながら、黙って父と歩調を共にした。その日はこの間とは打って変って、青春の第一日ともいうべき暖かい光を、南へ廻った太陽が自分達の上へ投げかけていた。獺の襟をつけた重いとんびを纏った父も、少し厚手の外套を着た自分も、先刻からの運動で、少し温気に蒸される気味であった。その春の半日を自分は父の御蔭で、珍らしく方々引っ張り廻された。この老いた父と、こう肩を並べて歩いた例は近頃とんとなかった。この老いた父とこれから先もう何度こうして歩けるものかそれも分らなかった。  自分は鈍い不安のうちに、微かな嬉しさと、その嬉しさに伴う一種のはかなさとを感じた。そうして不意に自分の胸を襲ったこの感傷的な気分に、なるべく己れを任せるような心持で足を運ばせた。 「御母さんは驚いているよ。御彼岸に御萩を持たせてやっても、返事も寄こさなければ、重箱を返しもしないって。ちょっとでも好いから来ればいいのさ。来られない訳が急にできた訳でもあるまいし」  自分は何とも返事をしなかった。 「今日は久しぶりに御前を伴れて行って皆なに会わせようと思って。――御前一郎に近頃会った事はあるまい」 「ええ実は下宿をする時|挨拶をしたぎりです」 「それ見ろ。ところが今日はあいにく一郎が留守だがね。御父さんが上野の披露会の事を忘れていたのが悪かったけれども」  自分は父に伴れられて、とうとう番町の門を潜った。         十  座敷に這入った時、母は自分の顔を見て、「おや珍らしいね」と云っただけであった。自分はほとんど権柄ずくでここへ引っ張られて来ながらも、途々父の情をありがたく感じていた。そうして暗に家に帰ってから母に会う瞬間の光景を予想していた。その予想がこの一言で打ち崩されたのは案外であった。父は家内の誰にも打ち合せをせずに、全く自分一人の考えで、この不心得な息子に親切を尽してくれたのである。お重は逃げた飼犬を見るような眼つきで自分を見た。「そら迷子が帰って来た」と云った。嫂はただ「いらっしゃい」と平生の通り言葉寡な挨拶をした。この間の晩一人で尋ねて来た事は、まるで忘れてしまったという風に見えた。自分も人前を憚って一口もそれに触れなかった。比較的陽気なのは父であった。彼は多少の諧謔と誇張とを交ぜて、今日どうして自分をおびき出したかを得意らしく母やお重に話した。おびき出すという彼の言葉が自分には仰山でかつ滑稽に聞えた。 「春になったから、皆なもちっと陽気にしなくっちゃいけない。この頃のように黙ってばかりいちゃ、まるで幽霊屋敷のようで、くさくさするだけだあね。桐畠でさえ立派な家が建つ時節じゃないか」  桐畠というのは家のつい近所にある角地面の名であった。そこへ住まうと何か祟があるという昔からの言い伝えで、この間まで空地になっていたのを、この頃になってようやく或る人が買い取って、大きな普請を始めたのである。父は自分の家が第二の桐畠になるのを恐れでもするように、活々と傍のものに話し掛けた。平生彼の居馴染んだ室は、奥の二間続きで、何か用があると、母でも兄でも、そこへ呼び出されるのが例になっていたが、その日はいつもと違って、彼は初めから居間へは這入らなかった。ただ袴と羽織を脱ぎ棄てたなり、そこへ坐ったまま、長く自分達を相手に喋舌っていた。  久しく住み馴れた自分の家も、こうしてたまに来て見ると、多少忘れ物でも思い出すような趣があった。出る時はまだ寒かった。座敷の硝子戸はたいてい二重に鎖されて、庭の苔を残酷に地面から引き剥す霜が一面に降っていた。今はその外側の仕切がことごとく戸袋の中に収められてしまった。内側も左右に開かれていた。許す限り家の中と大空と続くようにしてあった。樹も苔も石も自然から直接に眼の中へ飛び込んで来た。すべてが出る時と趣を異にしていた。すべてが下宿とも趣を異にしていた。  自分はこういう過去の記念のなかに坐って、久しぶりに父母や妹や嫂といっしょに話をした。家族のうちでそこにいないものはただ兄だけであった。その兄の名は先刻からまだ一度も誰の会話にも上らなかった。自分はその日彼がKさんの披露会に呼ばれたという事を聞いた。自分は彼がその招待に応じたか、上野へ出かけたか、はたして留守であるかさえ知らなかった。自分は自分の前にいる嫂を見て、彼女が披露の席に臨まないという事だけを確めた。  自分は兄の名が話頭に上らないのを苦にした。同時に彼の名が出て来るのを憚った。そうした心持でみんなの顔を見ると、無邪気な顔は一つもないように思えた。  自分はしばらくしてお重に「お重お前の室をちょっと御見せ。綺麗になったって威張ってたから見てやろう」と云った。彼女は「当り前よ、威張るだけの事はあるんだから行って御覧なさい」と答えた。自分は下宿をするまで朝夕寝起きをした、家中で一番|馴染の深い、故のわが室を覗きに立った。お重は果して後から随いて来た。         十一  彼女の室は自慢するほど綺麗にはなっていなかったけれども、自分の住み荒した昔に比べると、どこかになまめいた匂いが漂よっていた。自分は机の前に敷いてある派出な模様の座蒲団の上に胡坐をかいて、「なるほど」と云いながらそこいらを見廻した。  机の上には和製のマジョリカ皿があった。薔薇の造り花がセゼッション式の一輪瓶に挿してあった。白い大きな百合を刺繍にした壁飾りが横手にかけてあった。 「ハイカラじゃないか」 「ハイカラよ」  お重の澄ました顔には得意の色が見えた。  自分はしばらくそこでお重に調戯っていた。五六分してから彼女に「近頃兄さんはどうだい」とさも偶然らしく問いかけて見た。すると彼女は急に声を潜めて、「そりゃ変なのよ」と答えた。彼女の性質は嫂とは全く反対なので、こう云う場合には大変都合が好かった。いったん緒口さえ見出せば、あとはこっちで水を向ける必要も何もなかった。隠す事を知らない彼女は腹にある事をことごとく話した。黙って聞いていた自分にもしまいには蒼蠅いほどであった。 「つまり兄さんが家のものとあんまり口を利かないと云うんだろう」 「ええそうよ」 「じゃ僕の家を出た時と同じ事じゃないか」 「まあそうよ」  自分は失望した。考えながら、煙草の灰をマジョリカ皿の中へ遠慮なくはたき落した。お重は厭な顔をした。 「それペン皿よ。灰皿じゃないわよ」  自分は嫂ほどに頭のできていないお重から、何も得るところのないのを覚って、また父や母のいる座敷へ帰ろうとした時、突然妙な話を彼女から聞いた。  その話によると、兄はこの頃テレパシーか何かを真面目に研究しているらしかった。彼はお重を書斎の外に立たしておいて、自分で自分の腕を抓った後「お重、今兄さんはここを抓ったが、お前の腕もそこが痛かったろう」と尋ねたり、または室の中で茶碗の茶を自分一人で飲んでおきながら、「お重お前の咽喉は今何か飲む時のようにぐびぐび鳴りやしないか」と聞いたりしたそうである。 「妾説明を聞くまでは、きっと気が変になったんだと思って吃驚りしたわ。兄さんは後で仏蘭西の何とかいう人のやった実験だって教えてくれたのよ。そうしてお前は感受性が鈍いから罹らないんだって云うのよ。妾嬉しかったわ」 「なぜ」 「だってそんなものに罹るのはコレラに罹るより厭だわ妾」 「そんなに厭かい」 「きまってるじゃありませんか。だけど、気味が悪いわね、いくら学問だってそんな事をしちゃ」  自分もおかしいうちに何だか気味の悪い心持がした。座敷へ帰って来ると、嫂の姿はもうそこに見えなかった。父と母は差し向いになって小さな声で何か話し合っていた。その様子が今しがた自分一人で家中を陽気にした賑やかな人の様子とも見えなかった。「ああ育てるつもりじゃなかったんだがね」という声が聞えた。 「あれじゃ困りますよ」という声も聞えた。         十二  自分はその席で父と母から兄に関する近況の一般を聞いた。彼らの挙げた事実は、お重を通して得た自分の知識に裏書をする以外、別に新しい何物をも付け加えなかったけれども、その様子といい言葉といい、いかにも兄の存在を苦にしているらしく見えて、はなはだ痛々しかった。彼らは兄一人のために宅中の空気が湿っぽくなるのを辛いと云った。尋常の父母以上にわが子を愛して来たという自信が、彼らの不平を一層濃く染めつけた。彼らはわが子からこれほど不愉快にされる因縁がないと暗に主張しているらしく思われた。したがって自分が彼らの前に坐っている間、彼らは兄を云々するほか、何人の上にも非難を加えなかった。平生から兄に対する嫂の仕打に飽き足らない顔を見せていた母でさえ、この時は彼女についてついに一口も訴えがましい言葉を洩らさなかった。  彼らの不平のうちには、同情から出る心配も多量に籠っていた。彼らは兄の健康について少からぬ掛念をもっていた。その健康に多少支配されなければならない彼の精神状態にも冷淡ではあり得なかった。要するに兄の未来は彼らにとって、恐ろしいXであった。 「どうしたものだろう」  これが相談の時必ず繰り返されべき言葉であった。実を云えば、一人一人離れている折ですら、胸の中でぼんやり繰り返して見るべき二人の言葉であった。 「変人なんだから、今までもよくこんな事があったには有ったんだが、変人だけにすぐ癒ったもんだがね。不思議だよ今度は」  兄の機嫌買を子供のうちから知り抜いている彼らにも、近頃の兄は不思議だったのである。陰欝な彼の調子は、自分が下宿する前後から今日まで少しの晴間なく続いたのである。そうしてそれがだんだん険悪の一方に向って真直に進んで行くのである。 「本当に困っちまうよ妾だって。腹も立つが気の毒でもあるしね」  母は訴えるように自分を見た。  自分は父や母と相談のあげく、兄に旅行でも勧めて見る事にした。彼らが自分達の手際ではとても駄目だからというので、自分は兄と一番親密なHさんにそれを頼むが好かろうと発議して二人の賛成を得た。しかしその頼み役には是非共自分が立たなければ済まなかった。春休みにはまだ一週間あった。けれども学校の講義はもうそろそろしまいになる日取であった。頼んで見るとすれば、早くしなければ都合が悪かった。 「じゃ二三日うちに三沢の所へ行って三沢からでも話して貰うかまた様子によったら僕がじかに行って話すか、どっちかにしましょう」  Hさんとそれほど懇意でない自分は、どうしても途中に三沢を置く必要があった。三沢は在学中Hさんを保証人にしていた。学校を出てからもほとんど家族の一人のごとく始終そこへ出入していた。  帰りがけに挨拶をしようと思って、ちょっと嫂の室を覗いたら、嫂は芳江を前に置いて裸人形に美しい着物を着せてやっていた。 「芳江大変大きくなったね」  自分は芳江の頭へ立ちながら手をかけた。芳江はしばらく顔を見なかった叔父に突然|綾されたので、少しはにかんだように唇を曲げて笑っていた。門を出る時はかれこれ五時に近かったが、兄はまだ上野から帰らなかった。父は久しぶりだから飯でも食って彼に会って行けと云ったが、自分はとうとうそれまで腰を据えていられなかった。         十三  翌日自分は事務所の帰りがけに三沢を尋ねた。ちょうど髪を刈りに今しがた出かけたところだというので、自分は遠慮なく上り込んで彼を待つ事にした。 「この両三日はめっきりお暖かになりました。もうそろそろ花も咲くでございましょう」  主人の帰る間座敷へ出た彼の母は、いつもの通り丁寧な言葉で自分に話し掛けた。  彼の室は例のごとく絵だのスケッチだので鼻を突きそうであった。中には額縁も何にもない裸のままを、ピンで壁の上へじかに貼り付けたのもあった。 「何だか存じませんが、好だものでございますから、むやみと貼散らかしまして」と彼の母は弁解がましく云った。自分は横手の本棚の上に、丸い壺と並べて置いてあった一枚の油絵に眼を着けた。  それには女の首が描いてあった。その女は黒い大きな眼をもっていた。そうしてその黒い眼の柔かに湿ったぼんやりしさ加減が、夢のような匂を画幅全体に漂わしていた。自分はじっとそれを眺めていた。彼の母は苦笑して自分を顧みた。 「あれもこの間いたずらに描きましたので」  三沢は画の上手な男であった。職業柄自分も画の具を使う道ぐらいは心得ていたが、芸術的の素質を饒かにもっている点において、自分はとうてい彼の敵ではなかった。自分はこの画を見ると共に可憐なオフィリヤを連想した。 「面白いです」と云った。 「写真を台にして描いたんだから気分がよく出ない、いっそ生きてるうちに描かして貰えば好かったなんて申しておりました。不幸な方で、二三年前に亡くなりました。せっかく御世話をして上げた御嫁入先も不縁でね、あなた」  油絵のモデルは三沢のいわゆる出戻りの御嬢さんであった。彼の母は自分の聞かない先きに、彼女についていろいろと語った。けれども女と三沢との関係は一言も口にしなかった。女の精神病に罹った事にもまるで触れなかった。自分もそれを聞く気は起らなかった。かえって話頭をこっちで切り上げるようにした。  問題は彼女を離れるとすぐ三沢の結婚談に移って行った。彼の母は嬉しそうであった。 「あれもいろいろ御心配をかけましたが、今度ようやくきまりまして……」  この間三沢から受取った手紙に、少し一身上の事について、君に話があるからそのうち是非行くと書いてあったのが、この話でやっと悟れた。自分は彼の母に対して、ただ人並の祝意を表しておいたが、心のうちではその嫁になる人は、はたしてこの油絵に描いてある女のように、黒い大きな滴るほどに潤った眼をもっているだろうか、それが何より先に確めて見たかった。  三沢は思ったほど早く帰らなかった。彼の母はおおかた帰りがけに湯にでも行ったのだろうと云って、何なら見せにやろうかと聞いたが、自分はそれを断った。しかし彼女に対する自分の話は、気の毒なほど実が入らなかった。  三沢にどうだろうと云った自分の妹のお重は、まだどこへ行くともきまらずにぐずぐずしている。そういう自分もお重と同じ事である。せっかく身の堅まった兄と嫂は折り合わずにいる。――こんな事を対照して考えると、自分はどうしても快活になれなかった。         十四  そのうち三沢が帰って来た。近頃は身体の具合が好いと見えて、髪を刈って湯に入った後の彼の血色は、ことにつやつやしかった。健康と幸福、自分の前に胡坐をかいた彼の顔はたしかにこの二つのものを物語っていた。彼の言語態度もまたそれに匹敵して陽気であった。自分の持って来た不愉快な話を、突然と切り出すには余りに快活すぎた。 「君どうかしたか」  彼の母が席を立って二人差向いになった時、彼はこう問いかけた。自分は渋りながら、兄の近況を彼に訴えなければならなかった。その兄を勧めて旅行させるように、彼からHさんに頼んでくれと云わなければならなかった。 「父や母が心配するのをただ黙って見ているのも気の毒だから」  この最後の言葉を聞くまで、彼はもっともらしく腕組をして自分の膝頭を眺めていた。 「じゃ君といっしょに行こうじゃないか。いっしょの方が僕一人より好かろう、精しい話ができて」  三沢にそれだけの好意があれば、自分に取っても、それに越した都合はなかった。彼は着物を着換ると云ってすぐ座を起ったが、しばらくするとまた襖の陰から顔を出して、「君、母が久しぶりだから君に飯を食わせたいって今|支度をしているところなんだがね」と云った。自分は落ちついて馳走を受ける気分をもっていなかった。しかしそれを断ったにしたところで、飯はどこかで食わなければならなかった。自分は瞹眛な返事をして、早く立ちたいような気のする尻を元の席に据えていた。そうして本棚の上に載せてある女の首をちょいちょい眺めた。 「どうも何にもございませんのに、御引留め申しましてさぞ御迷惑でございましたろう。ほんの有合せで」  三沢の母は召使に膳を運ばせながらまた座敷へ顔を出した。膳の端には古そうに見える九谷焼の猪口が載せてあった。  それでも三沢といっしょに出たのは思ったより早かった。電車を降りて五六丁|歩るいて、Hさんの応接間に通った時、時計を見たらまだ八時であった。  Hさんは銘仙の着物に白い縮緬の兵児帯をぐるぐる巻きつけたまま、椅子の上に胡坐をかいて、「珍らしいお客さんを連れて来たね」と三沢に云った。丸い顔と丸い五分刈の頭をもった彼は、支那人のようにでくでく肥っていた。話しぶりも支那人が慣れない日本語を操つる時のように、鈍かった。そうして口を開くたびに、肉の多い頬が動くので、始終にこにこしているように見えた。  彼の性質は彼の態度の示す通り鷹揚なものであった。彼は比較的堅固でない椅子の上に、わざわざ両足を載せて胡坐をかいたなり、傍から見るとさも窮屈そうな姿勢の下に、夷然として落ちついていた。兄とはほとんど正反対なこの様子なり気風なりが、かえって兄と彼とを結びつける一種の力になっていた。何にも逆らわない彼の前には、兄も逆らう気が出なかったのだろう。自分はHさんの悪口を云う兄の言葉を、今までついぞ一度も聞いた事がなかった。 「兄さんは相変らず勉強ですか。ああ勉強してはいけないね」  悠長な彼はこう云って自分の吐いた煙草の煙を眺めていた。         十五  やがて用事が三沢の口から切り出された。自分はすぐその後に随いて主要な点を説明した。Hさんは首を捻った。 「そりゃ少し妙ですね、そんなはずはなさそうだがね」  彼の不審はけっして偽とは見えなかった。彼は昨日Kの結婚披露に兄と精養軒で会った。そこを出る時にもいっしょに出た。話が途切れないので、浮か浮かと二人連立って歩いた。しまいに兄が疲れたといった。Hさんは自分の家に兄を引張って行った。 「兄さんはここで晩飯を食ったくらいなんだからね。どうも少しも不断と違ったところはないようでしたよ」  わがままに育った兄は、平生から家で気むずかしい癖に、外では至極穏かであった。しかしそれは昔の兄であった。今の彼を、ただ我儘の二字で説明するのは余りに単純過ぎた。自分はやむをえずその時兄がHさんに向って重にどんな話をしたか、差支えない限りそれを聞こうと試みた。 「なに別に家庭の事なんか一口も云やしませんよ」  これも嘘ではなかった。記憶の好いHさんは、その時の話題を明瞭に覚えていて、それを最も淡泊な態度で話してくれた。  兄はその時しきりに死というものについて云々したそうである。彼は英吉利や亜米利加で流行る死後の研究という題目に興味をもって、だいぶその方面を調べたそうである。けれども、どれもこれも彼には不満足だと云ったそうである。彼はメーテルリンクの論文も読んで見たが、やはり普通のスピリチュアリズムと同じようにつまらんものだと嘆息したそうである。  兄に関するHさんの話は、すべて学問とか研究とかいう側ばかりに限られていた。Hさんは兄の本領としてそれを当然のごとくに思っているらしかった。けれども聞いている自分は、どうしてもこの兄と家庭の兄とを二つに切り離して考える訳には行かなかった。むしろ家庭の兄がこういう研究的な兄を生み出したのだとしか理解できなかった。 「そりゃ動揺はしていますね。御宅の方の関係があるかないか、そこは僕にも解らないが、何しろ思想の上で動揺して落ちつかないで弱っている事はたしかなようです」  Hさんはしまいにこう云った。彼はその上に兄の神経衰弱も肯がった。しかしそれは兄の隠している事でも何でもなかった。兄はHさんに会うたんびに、ほとんどきまり文句のように、それを訴えてやまなかったそうである。 「だからこの際旅行は至極好いでしょうよ。そう云う訳なら一つ勧めて見ましょう。しかしうんと云ってすぐ承知するかね。なかなか動かない人だから、ことによるとむずかしいね」  Hさんの言葉には自信がなかった。 「あなたのおっしゃる事なら素直に聞くだろうと思うんですが」 「そうも行かんさ」  Hさんは苦笑していた。  表へ出た時はかれこれ十時に近かった。それでも閑静な屋敷町にちらほら人の影が見えた。それが皆なそぞろ歩きでもするように、長閑かに履物の音を響かして行った。空には星の光が鈍かった。あたかも眠たい眼をしばたたいているような鈍さであった。自分は不透明な何物かに包まれた気分を抱いた。そうして薄明るい往来を三沢と二人肩を並べて帰った。         十六  自分は首を長くしてHさんの消息を待った。花のたよりが都下の新聞を賑し始めた一週間の後になっても、Hさんからは何の通知もなかった。自分は失望した。電話を番町へかけて聞き合せるのも厭になった。どうでもするが好いという気分でじっとしていた。そこへ三沢が来た。 「どうも旨く行かないそうだ」  事実ははたして自分の想像した通りであった。兄はHさんの勧誘を断然断ってしまった。Hさんはやむをえず三沢を呼んで、その結果を自分に伝えるように頼んだ。 「それでわざわざ来てくれたのかい」 「まあそうだ」 「どうも御苦労さま、すまない」  自分はこれ以上何を云う気も起らなかった。 「Hさんはああ云う人だから、自分の責任のように気の毒がっている。今度は事があまり突然なので旨く行かなかったが、この次の夏休みには是非どこかへ連れ出すつもりだと云っていた」  自分はこういう慰藉をもたらしてくれた三沢の顔を見て苦笑した。Hさんのような大悠な人から見たら、春休みも夏休みも同じ事なんだろうけれども、内側で働いている自分達の眼には、夏休みといえば遠い未来であった。その遠い未来と現在の間には大きな不安が潜んでいた。 「しかしまあ仕方がない。元々こっちで勝手なプログラムを拵えておいて、それに当てはまるように兄を自由に動かそうというんだから」  自分はとうとう諦めた。三沢は何にも批評せずに、机の角に肱を突き立てて、その上に顋を載せたなり自分の顔を眺めていた。彼はしばらくしてから、「だから僕のいう通りにすれば好いんだ」と云った。  この間Hさんに兄の事を依頼しに行った帰り途に、無言な彼は突然往来の真中で自分を驚かしたのである。今まで兄の事について一言も発しなかった彼は、その時不意に自分の肩を突いて、「君兄さんを旅行させるの、快活にするのって心配するより、自分で早く結婚した方が好かないか。その方がつまり君の得だぜ」と云った。  彼が自分に結婚を勧めたのは、その晩が始めてではなかった。自分はいつも相手がないとばかり彼に答えていた。彼はしまいに相手を拵えてやると云い出した。そうして一時はそれがほとんど事実になりかけた事もあった。  自分はその晩の彼に向ってもやはり同じような挨拶をした。彼はそれをいつもより冷淡なものとして記憶していたのである。 「じゃ君のいう通りにするから、本当に相手を出してくれるかい」 「本当に僕のいう通りにすれば、本当に好いのを出す」  彼は実際心当りがあるような口を利いた。近いうち彼の娶るべき女からでも聞いたのだろう。  彼はもう大きな黒い眼をもった精神病の御嬢さんについては多くを語らなかった。 「君の未来の細君はやっぱりああいう顔立なんだろう」 「さあどうかな。いずれそのうち引き合わせるから見てくれたまえ」 「結婚式はいつだい」 「ことによると向うの都合で秋まで延ばすかも知れない」  彼は愉快らしかった。彼は来るべき彼の生活に、彼のもっている過去の詩を投げかけていた。         十七  四月はいつの間にか過ぎた。花は上野から向島、それから荒川という順序で、だんだん咲いていってだんだん散ってしまった。自分は一年のうちで人の最も嬉しがるこの花の時節を無為に送った。しかし月が替って世の中が青葉で包まれ出してから、ふり返ってやり過ごした春を眺めるとはなはだ物足りなかった。それでも無為に送れただけがありがたかった。  家へはその後一回も足を向けなかった。家からも誰一人尋ねて来なかった。電話は母とお重から一二度かかったが、それは自分の着る着物についての用事に過ぎなかった。三沢には全く会わなかった。大阪の岡田からは花の盛りに絵端書がまた一枚来た。前と同じようにお貞さんやお兼さんの署名があった。  自分は事務所へ通う動物のごとく暮していた。すると五月の末になって突然三沢から大きな招待状を送って来た。自分は結婚の通知と早合点して封を裂いた。ところが案外にもそれは富士見町の雅楽稽古所からの案内状であった。「六月二日音楽演習相催し候間同日午後一時より御来聴|被下度候此段御案内申進|候也」と書いてあった。今までこういう方面に関係があるとは思わなかった三沢が、どうしてこんな案内状を自分に送ったのか、まるで解らなかった。半日の後自分はまた彼の手紙を受け取った。その手紙には、六月二日には、是非来いという文句が添えてあった。是非来いというくらいだから彼自身は無論行くにきまっている。自分はせっかくだからまず行って見ようと思い定めた。けれども、雅楽そのものについては大した期待も何もなかった。それよりも自分の気分に転化の刺戟を与えたのは、三沢が余事のごとく名宛のあとへ付け足した、短い報知であった。 「Hさんは嘘を吐かない人だ。Hさんはとうとう君の兄さんを説き伏せた。この六月学校の講義を切り上げ次第、二人はどこかへ旅をする事に約束ができたそうだ」  自分は父のため母のためかつ兄自身のため喜んだ。あの兄がHさんに対して旅行しようと約束する気分になったとすれば、単にそれだけでも彼には大きい変化であった。偽りの嫌いな彼は必ずそれを実行するつもりでいるに違いなかった。  自分は父にも母にも実否を問い合わせなかった。Hさんに向ってもその消息を確める手段を取らなかった。ただ三沢の口からもう少し精しいところを聞かせて貰いたかった。それも今度会った時で構わないという気があるので、彼の是非来いという六月二日が暗に待ち受けられた。  六月二日はあいにく雨であった。十一時頃には少し歇んだが、季節が季節なのでからりとは晴れなかった。往来を行く人は傘をさしたり畳んだりした。見附外の柳は煙のように長い枝を垂れていた。その下を通ると、青白い粉か黴が着物にくっついていつまでも落ちないように感ぜられた。  雅楽所の門内には俥がたくさん並んでいた。馬車も一二台いた。しかし自動車は一つも見えなかった。自分は玄関先で帽子を人に渡した。その人は金の釦鈕のついた制服のようなものを着ていた。もう一人の人が自分を観覧席へ連れて行ってくれた。 「そこいらへおかけなすって」  彼はそう云ってまた玄関の方へ帰って行った。椅子はまだ疎らに占領されているだけであった。自分はなるべく人の眼に着かないように後列の一脚に腰を下した。         十八  自分は心のうちで三沢を予期しながら四方を見渡したが彼の姿はどこにも見えなかった。もっとも見所は正面のほか左右|両側面にもあった。自分は玄関から左へ突き当って右へ折れて金屏風の立ててある前を通って正面席に案内されたのである。自分の前には紋付の女が二三人いた。後にはカーキー色の軍服を着けた士官が二人いた。そのほか六七人そこここに散点していた。  自分から一席置いて隣の二人連は、舞台の正面にかかっている幕の話をしていた。それには雅楽に何の縁故もなさそうに見える変な紋が、竪に何行も染め出されていた。 「あれが織田信長の紋ですよ。信長が王室の式微を慨いて、あの幕を献上したというのが始まりで、それから以後は必ずあの木瓜の紋の付いた幕を張る事になってるんだそうです」  幕の上下は紫地に金の唐草の模様を置いた縁で包んであった。  幕の前を見ると、真中に太鼓が据えてあった。その太鼓には緑や金や赤の美しい彩色が施されてあった。そうして薄くて丸い枠の中に入れてあった。左の端には火熨斗ぐらいの大きさの鐘がやはり枠の中に釣るしてあった。そのほかには琴が二面あった。琵琶も二面あった。  楽器の前は青い毛氈で敷きつめられた舞をまう所になっていた。構造は能のそれのように、三方の見所からは全く切り離されていた。そうしてその途切れた四五尺の空間からは日も射し風も通うようにできていた。  自分が物珍らしそうにこの様子を見ているうちに、観客は一人二人と絶えず集まって来た。その中には自分がある音楽会で顔だけ覚えたNという侯爵もいた。「今日は教育会があるので来られない」と細君の事か何かを、傍にいた坊主頭の丸々と肥えた小さい人に話していた。この丸い小さな人がKという公爵である事を、自分は後で三沢から教わった。  その三沢は舞楽の始まるやっと五六分前にフロックコートでやって来て、入口の金屏風の所でしばらく観覧席を見渡しながら躊躇していたが、自分の顔を見つけるや否や、すぐ傍へ来て腰をかけた。  彼と前後して一人の背の高い若い男が、年頃の女を二人連れて、やはり正面席へ這入って来た。男はフロックコートを着ていた。女は無論紋付であった。その男と伴の女の一人が顔立から云ってよく似ているので、自分はすぐ彼らの兄妹である事を覚った。彼らは人の頭を五六列越して、三沢と挨拶を交換した。男の顔にはできるだけの愛嬌が湛えられた。女は心持顔を赤くした。三沢はわざわざ腰を浮かして起立した。婦人はたいてい前の方に席を占めるので、彼らはついに自分達の傍へは来なかった。 「あれが僕の妻になるべき人だ」と三沢は小声で自分に告げた。自分は腹の中で、あの夢のような大きな黒い眼の所有者であった精神病のお嬢さんと、自分の二三間前に今席を取った色沢の好いお嬢さんとを比較した。彼女は自分にただ黒い髪と白い襟足とを見せて坐っていた。それも人の影に遮られて自由には見られなかった。 「もう一人の女ね」と三沢がまた小声で云いかけた。それから彼は突然ポッケットへ手を入れて、白い紙片と万年筆を取り出した。彼はすぐそれへ何か書き始めた。正面の舞台にはもう楽人が現われた。         十九  彼らは帽子とも頭巾とも名の付けようのない奇抜なものを被っていた。謡曲の富士太鼓を知っていた自分は、おおかたこれが鳥兜というものだろうと推察した。首から下も被りものと同じく現代を超越していた。彼らは錦で作った※※のようなものを着ていた。その※※には骨がないので肩のあたりは柔かな線でぴたりと身体に付いていた。袖には白の先へ幅三寸ぐらいの赤い絹が縫足してあった。彼らはみな白の括り袴を穿いていた。そうして一様に胡坐をかいた。  三沢は膝の上で何か書きかけた白い紙をくちゃくちゃにした。自分はそのくちゃくちゃになった紙の塊りを横から眺めた。彼は一言の説明も与えずに正面を見た。青い毛氈の上に左の帳の影から現われたものは鉾をもっていた。これも管絃を奏する人と同じく錦の袖無を着ていた。  三沢はいつまで経っても「もう一人の女はね」の続きを云わなかった。観覧席にいるものはことごとく静粛であった。隣同志で話をするのさえ憚かられた。自分は仕方なしに催促を我慢した。三沢も空とぼけて澄ましていた。彼は自分と同じようにここへは始めて顔を出したので、少し硬くなっているらしかった。  舞は謹慎な見物の前に、既定のプログラム通り、単調で上品な手足の運動を飽きもせずに進行させて行った。けれども彼らの服装は、題の改まるごとに、閑雅な上代の色彩を、代る代る自分達の眼に映しつつ過ぎた。あるものは冠に桜の花を挿していた。紗の大きな袖の下から燃えるような五色の紋を透かせていた。黄金作の太刀も佩いていた。あるものは袖口を括った朱色の着物の上に、唐錦のちゃんちゃんを膝のあたりまで垂らして、まるで錦に包まれた猟人のように見えた。あるものは簑に似た青い衣をばらばらに着て、同じ青い色の笠を腰に下げていた。――すべてが夢のようであった。われわれの祖先が残して行った遠い記念の匂いがした。みんなありがたそうな顔をしてそれを観ていた。三沢も自分も狐に撮ままれた気味で坐っていた。  舞楽が一段落ついた時に、御茶を上げますと誰かが云ったので周囲の人は席を立って別室に動き始めた。そこへ先刻三沢と約束の整ったという女の兄さんが来て、物馴れた口調で彼と話した。彼はこういう方面に関係のある男と見えて、当日案内を受けた誰彼をよく知っていた。三沢と自分はこの人から今までそこいらにいた華族や高官や名士の名を教えて貰った。  別室には珈琲とカステラとチョコレートとサンドイッチがあった。普通の会の時のように、無作法なふるまいは見受けられなかったけれども、それでも多少込み合うので、女は坐ったなり席を立たないのがあった。三沢と彼の知人は、菓子と珈琲を盆の上に載せて、わざわざ二人の御嬢さんの所へ持って行った。自分はチョコレートの銀紙を剥しながら、敷居の上に立って、遠くからその様子を偸むように眺めていた。  三沢の細君になるべき人は御辞義をして、珈琲|茶碗だけを取ったが、菓子には手を触れなかった。いわゆる「もう一人の女」はその珈琲茶碗にさえ容易く手を出さなかった。三沢は盆を持ったまま、引く事もできず進む事もできない態度で立っていた。女の顔が先刻見た時よりも子供子供した苦痛の表情に充ちていた。         二十  自分は先刻から「もう一人の女」に特別の注意を払っていた。それには三沢の様子や態度が有力な原因となって働いていたに違ないが、単独に云っても、彼女は自分の視線を引着けるに足るほどな好い器量をもっていたのである。自分は彼女と三沢の細君になるべき人との後姿を、舞楽の相間相間に絶えず眺めた。彼らは自分の坐っている所から、ことさらな方向に眸子を転ずる事なしに、自然と見られるように都合の好い地位に坐っていた。  こうして首筋ばかり眺めていた自分は今比較的自由な場所に立って、彼らの顔立を筋違に見始めた。あるいは正面に動く機会が来るかも知れないと思った時、自分はチョコレートを頬張りながら、暗にその瞬間を捉える注意を怠らなかった。けれどもその女も三沢の意中の人も、ついにこっちを向かなかった。自分はただ彼らの容貌を三分の二だけ側面から遠くに望んだ。  そのうち三沢はまた盆を持ってこっちへ帰って来た。自分の傍を通る時、彼は微笑しながら、「どうだい」と云った。自分はただ「御苦労さま」と挨拶した。後から例の背の高い兄さんがやって来た。 「どうです、あちらへいらしって煙草でも御呑みになっちゃ。喫煙室はあすこの突き当りです」  自分は三沢との間に緒口のつきかけた談話はこれでまた流れてしまった。二人は彼に導かれて喫煙室に這入った。煙と男子に占領された比較的狭いその室は思ったより賑かであった。  自分はその一隅にただ一人の知った顔を見出した。それは伶人の姓をもった眼の大きい男であった。ある協会の主要な一員として、舞台の上で巧にその大きな眼を利用する男であった。彼は台詞を使う時のような深い声で、誰かと話していたが、ほとんど自分達と入れ代りぐらいに、喫煙室を出て行った。 「とうとう役者になったんだそうだ」 「儲かるのかね」 「ええ儲かるんだろう」 「この間何とかをやるという事が新聞に出ていたが、あの人なんですか」 「ええそうだそうです」  彼の去った後で、室の中央にいた三人の男はこんな話をしていた。三沢の知人は自分達にその三人の名を教えてくれた。そのうちの二人は公爵で、一人は伯爵であった。そうして三人が三人とも公卿出の華族であった。彼らの会話から察すると、三人ながらほとんど劇という芸術に対して何の知識も興味ももっていないようであった。  我々はまた元の席に帰って二三番の欧洲楽を聞いた後、ようやく五時頃になって雅楽所を出た。周囲に人がいなくなった時、三沢はようやく「もう一人の女」の事について語り始めた。彼の考えは自分が最初から推察した通りであった。 「どうだい、気に入らないかね」 「顔は好いね」 「顔だけかい」 「あとは分らないが、しかし少し旧式じゃないか。何でも遠慮さえすればそれが礼儀だと思ってるようだね」 「家庭が家庭だからな。しかしああいうのが間違がないんだよ」  二人は土手に沿うて歩いた。土手の上の松が雨を含んで蒼黒く空に映った。         二十一  自分は三沢と飽かず女の話をした。彼の娶るべき人は宮内省に関係のある役人の娘であった。その伴侶は彼女と仲の好い友達であった。三沢は彼女と打ち合せをして、とくに自分のためにその人を誘い出したのであった。自分はその人の家族やら地位やら教育やらについて得らるる限りの知識を彼から供給して貰った。  自分は本末を顛倒した。雅楽所で三沢に会うまでは、Hさんと兄とがこの夏いっしょにするという旅行の件を、その日の問題として暗に胸の中に畳み込んでいた。雅楽所を出る時は、それがほんのつけたりになってしまった。自分はいよいよ彼に別れる間際になって、始めて四つ角の隅に立った。 「兄の事も今日君に会ったらよく聞こうと思っていたんだが、いよいよHさんの云う通りになったんだね」 「Hさんはわざわざ僕を呼び寄せてそう云ったくらいなんだから間違はないさ。大丈夫だよ」 「どこへ行くんだろう」 「そりゃ知らない。――どこだって好いじゃないか、行きさいすりゃあ」  遠くから見ている三沢の眼には、兄の運命が最初からそれほどの問題になっていなかった。 「それより片っ方のほうを積極的にどしどし進行させようじゃないか」  自分は一人下宿へ帰る途々、やはり兄と嫂の事を考えない訳に行かなかった。しかしその日会った女の事もあるいは彼ら以上に考えたかも知れない。自分は彼女と一言も口を交えなかった。自分はついに彼女の声を聞き得なかった。三沢は自然が二人を視線の通う一室に会合させたという事実以外に、わざとらしい痕迹を見せるのは厭だと云って、紹介も何もしなかった。彼はそう云って後から自分に断った。彼の遣口は、彼女に取っても自分に取っても、面倒や迷惑の起り得ないほど単簡で淡泊なものであった。しかしそれだから物足りなかった。自分はもう少し何とかして貰いたかった。「しかし君の意志が解らなかったから」と三沢は弁解した。そう云われて見ると、そうでもあった。自分はあれ以上、女をめがけて進んで行く考えはなかったのだから。  それから二三日は女の顔を時々頭の中で見た。しかしそれがために、また会いたいの焦慮るのという熱は起らなかった。その当日のぱっとした色彩が剥げて行くに連れて、番町の方が依然として重要な問題になって来た。自分はなまじい遠くから女の匂いを嗅いだ反動として、かえってじじむさくなった。事務所の往復に、ざらざらした頬を撫でて見て、手もなく電車に乗った貉のようなものだと悲観したりした。  一週間ほど経って母から電話がかかった。彼女は電話口へ出て、昨日Hさんが遊びに来た事を告げた。嫂が風邪気なので、彼女が代理として饗応の席に出たら、Hさんが兄といっしょに旅行する話を始めたと告げた。彼女は喜ばしそうな調子で、自分に礼を述べた。父からも宜しくとの事であった。自分は「いい案排でした」と答えた。  自分はその晩いろいろ考えた。自分は旅行が兄のために有利であると認めたから、Hさんを煩わして、これだけの手続を運んだのであるが、真底を自白すると、自分の最も苦に病んでいるのは、兄の自分に対する思わくであった。彼は自分をどう見ているだろうか。どのくらいの程度に自分を憎んでいるだろう、また疑っているだろう。そこが一番知りたかった。したがって自分の気になるのは未来の兄であると同時に現在の兄であった。久しく彼と会見の路を絶たれた自分は、その現在の兄に関する直接の知識をほとんどもたなかった。         二十二  自分は旅行に出る前のHさんに一応会っておく必要を感じた。こっちで頼んだ事を順に運んでくれた好意に対して、礼を云わなければすまない義理も控えていた。  自分は事務所の帰りがけにまた彼の玄関に立って名刺を出した。取次が奥へ這入ったかと思うと、彼は例のむくむくした丸い体躯を、自分の前に運んで来た。 「実は今あしたの講義で苦しんでいるところなんですがね。もし急用でなければ、今日は御免を蒙りたい」  学者の生活に気のつかなかった自分は、Hさんのこの言葉で、急に兄の日常を想い起した。彼らの書斎に立籠るのは、必ずしも家庭や社会に対する謀反とも限らなかった。自分はHさんに都合の好い日を聞いて、また出直す事にした。 「じゃ御気の毒だが、そうして下さい。なるべく早く講義を切り上げて、兄さんといっしょに旅行しようと云う訳なんだからね」  自分はHさんの前に丁寧な頭を下げなければならなかった。  彼の家を再度|訪問れたのは、それからまた二三日経った梅雨晴の夕方であった。肥った彼は暑いと云って浴衣の胸を胃の上部まで開け放って坐っていた。 「さあどこへ行くかね。まだ海とも山ともきめていないんだが」  Hさんだけあって行く先などはとんと苦にしていないらしかった。自分もそれには無頓着であった。けれども……。 「少しそれについて御願があるんですが」  家庭の事情の一般は、この間三沢と来た時、すでにHさんの耳に入れてしまった。しかし兄と自分との間に横たわる一種特別な関係については、まだ一言も彼に告げていなかった。しかしそれはいつまで経ってもHさんの前で自分から打ち明るべき性質のものでないと自分は考えていた。親しい三沢の知識ですら、そこになるとほとんど臆測に過ぎなかった。Hさんは三沢からその臆測の知識を間接に受けているかも知れなかったけれども、こっちから露骨に切り出さない以上、その信偽も程度も、まるで確める訳に行かなかった。  自分は兄から今どう見られているか、どう思われているか、それが知りたくって仕方がなかった。それを知るために、この際Hさんの助を借りようとすれば、勢い万事を彼の前に投げ出して見せなければならなかった。自分が三沢に何事も云わずに、あたかも彼を出し抜いたような態度で、たった一人こうしてHさんを訪問するのも、実はその用事の真相をなるべく他に知らせたくないからであった。しかし三沢に対してさえ、良心に気兼をするような用事の真相なら、それをHさんの前で云われるはずがなかった。  自分はやむをえず特殊な問題を一般的に崩してしまった。 「はなはだ御迷惑かも知れませんが、兄といっしょに旅行される間、兄の挙動なり言語なり、思想なり感情なりについて、あなたの御観察になったところを、できるだけ詳しく書いて報知していただく訳には行きますまいか。その辺が明瞭になると、宅でも兄の取扱上大変|便宜を得るだろうと思うんですが」 「そうさね。絶対にできない事もないが、ちっとむずかしそうですね。だいち時間がないじゃないか、君、そんな事をする。よし時間があっても、必要がないだろう。それより僕らが旅行から帰ったらゆっくり聞きに来たら好いじゃありませんか」         二十三  Hさんの云うところはもっともであった。自分は下を向いてしばらく黙っていたが、とうとう嘘を吐いた。 「実は父や母が心配して、できるなら旅行中の模様を、経過の一段落ごとに承知したいと云うんですが……」  自分は困った顔をした。Hさんは笑い出した。 「君そんなに心配する事はありませんよ。大丈夫だよ、僕が受け合うよ」 「しかし年寄ですから……」 「困るね、それじゃ。だから年寄は嫌いなんだ。宅へ行ってそう云いたまえな、大丈夫だって」 「何とか好い工夫はないもんでしょうか。あなたの御迷惑にならないで、そうして、父や母を満足させるような」  Hさんはまたにやにや笑っていた。 「そんな重宝な工夫があるものかね、君。――しかしせっかくの御依頼だからこうしよう。もし旅先で報道するに足るような事が起ったら、君の所へ手紙を上げると。もし手紙が行かなかったら、平生の通りだと思って安心していると。それでよかろう」  自分はこれより以上Hさんに望む事はできなかった。 「それで結構です。しかし出来事という意味を俗にいう不慮の出来事と取らずに、あなたが御観察になる兄の感情なり思想のうちで、これは尋常でないと御気づきになったものに応用していただけましょうか」 「なかなか面倒だね、事が。しかしまあいいや、そうしてもいい」 「それからことによると、僕の事だの母の事だの、家庭の事などが兄の口に上るかも知れませんが、それを御遠慮なく一々聞かしていただきたいと思いますが」 「うん、そりゃ差支えない限り知らせて上げましょう」 「差支えがあっても構わないから聞かしていただきたい。それでないと宅のものが困りますから」  Hさんは黙って煙草を吹かし出した。自分は弱輩の癖に多少云い過ぎた事に気がついた。手持無沙汰の感じが強く頭に上った。Hさんは庭の方を見ていた。その隅に秋田から家主が持って来て植えたという大きな蕗が五六本あった。雨上りの初夏の空がいつまでも明るい光を地の上に投げているので、その太い蕗の茎がすいすいと薄暗い中に青く描かれていた。 「あすこへ大きな蟇が出るんですよ」とHさんが云った。  しばらく世間話をした後で、自分は暗くならないうちに席を立とうとした。 「君の縁談はどうなりました。この間三沢が来て、好いのを見つけてやったって得意になっていましたよ」 「ええ三沢もずいぶん世話好ですから」 「ところが万更世話好ばかりでやってるんでもないようですよ。だから君も好い加減に貰っちまったら好いじゃありませんか。器量は悪かないって話じゃないか。君には気に入らんのかね」 「気に入らんのじゃありません」  Hさんは「はあやっぱり気に入ったのかい」と云って笑い出した。自分はHさんの門を出て、あの事も早くどうかしなければ、三沢に対して義理が悪いと考えた。しかし兄の問題が一段落でも片づいてくれない以上、とうていそっちへ向ける心の余裕は出なかった。いっそ一思いにあの女の方から惚れ込んでくれたならなどと思っても見た。         二十四  自分はまた三沢を尋ねた。けれども腹をきめてから尋ねた訳でないから、実際上どんな歩調も前に動かす気にはなれなかった。自分の態度はどこまでもぐずぐずであった。そうしてただ漫然とその女の話をした。 「どうするね」  こう聞かれると、結局要領を得た何の挨拶もできなかった。 「僕は職業の上ではふわふわして浪人のように暮しているが、家庭の人としてなら、これでも一定の方針に支配されて、着々固まって行きつつあるつもりだ。ところが君はまるで反対だね。一家の主人となるとか、他の夫になるとかいう方面には、故意に意志の働きを鈍らせる癖に、職業の問題になると、手っ取早く片づけて、ちゃんと落ちついているんだから」 「あんまり落ちついてもいないさ」  自分は大阪の岡田から受取った手紙の中に、相応な位地があちらにあるから来ないかという勧誘があったので、ことによったら今の事務所を飛び出そうかと考えていた。 「ついこの間までは洋行するってしきりに騒いでいたじゃないか」  三沢は自分の矛盾を追窮した。自分には西洋も大阪も変化としてこの際大した相違もなかった。 「そう万事|的にならなくっちゃ駄目だ。僕だけ君の結婚問題を真面目に考えるのは馬鹿馬鹿しい訳だ。断っちまおう」  三沢はだいぶ癪に障ったらしく見えた。自分はまた自分が癪に障ってならなかった。 「いったい先方ではどういうんだ。君は僕ばかり責めるがね、僕には向うの意志が少しも解らないじゃないか」 「解るはずがないよ。まだ何にも話してないんだもの」  三沢は少し激していた。そうして激するのがもっともであった。彼は女の父兄にも女自身にも、自分の事をまだ一口も告げていなかった。どう間違っても彼らの体面に障りようのない事情の下に、女と自分を御互の視線の通う範囲内に置いただけであった。彼の処置には少しも人工的な痕迹を留めない、ほとんど自然そのままの利用に過ぎないというのが彼の大いなる誇りであった。 「君の考えが纏まらない以上はどうする事もできないよ」 「じゃもう少し考えて見よう」  三沢は焦慮たそうであった。自分も自分が不愉快であった。  Hさんと兄がいっしょの汽車で東京を去ったのは、自分が三沢の所へ出かけてから、一週間と経たないうちであった。自分は彼らの立つ時刻も日限も知らずにいた。三沢からもHさんからも何の通知を受取らなかった自分は、家からの電話で始めてそれを聞いた。その時電話口へは思いがけなく嫂が出て来た。 「兄さんは今朝お立ちよ。お父さんがあなたへ知らせておけとおっしゃるから、ちょっと御呼び申しました」  嫂の言葉は少し改まっていた。 「Hさんといっしょなんでしょうね」 「ええ」 「どこへ行ったんですか」 「何でも伊豆の海岸を廻るとかいう御話しでした」 「じゃ船ですか」 「いいえやっぱり新橋から……」         二十五  その日自分は下宿へ帰らずに、事務所からすぐ番町へ廻った。昨日まで恐れて近寄らなかったのに、兄の出立と聞くや否や、すぐそちらへ足を向けるのだから、自分の行為はあまりに現金過ぎた。けれども自分はそれを隠す気もなかった。隠さなければすまない人は、宅に一人もいないように思われた。  茶の間には嫂が雑誌の口絵を見ていた。 「今朝ほどは失礼」 「おや吃驚したわ、誰かと思ったら、二郎さん。今京橋から御帰り?」 「ええ、暑くなりましたね」  自分は手帛を出して顔を拭いた。それから上着を脱いで畳の上へ放り出した。嫂は団扇を取ってくれた。 「御父さんは?」 「御父さんは御留守よ。今日は築地で何かあるんですって」 「精養軒?」 「じゃないでしょう。多分ほかの御茶屋だと思うんだけれども」 「お母さんは?」 「お母さんは今御風呂」 「お重は?」 「お重さんも……」  嫂はとうとう笑いかけた。 「風呂ですか」 「いいえ、いないの」  下女が来て氷の中へ莓を入れるかレモンを入れるかと尋ねた。 「宅じゃもう氷を取るんですか」 「ええ二三日前から冷蔵庫を使っているのよ」  気のせいか嫂はこの前見た時よりも少し窶れていた。頬の肉が心持減ったらしかった。それが夕方の光線の具合で、顔を動かす時に、ちらりちらりと自分の眼を掠めた。彼女は左の頬を縁側に向けて坐っていたのである。 「兄さんはそれでもよく思い切って旅に出かけましたね。僕はことによると今度もまた延ばすかも知れないと思ってたんだが」 「延ばしゃなさらないわよ」  嫂はこういう時に下を向いた。そうしていつもよりも一層落ちついた沈んだ低い声を出した。 「そりゃ兄さんは義理堅いから、Hさんと約束した以上、それを実行するつもりだったには違ないけれども……」 「そんな意味じゃないのよ。そんな意味じゃなくって、そうして延ばさないのよ」  自分はぽかんとして彼女の顔を見た。 「じゃどんな意味で延ばさないんです」 「どんな意味って、――解ってるじゃありませんか」  自分には解らなかった。 「僕には解らない」 「兄さんは妾に愛想を尽かしているのよ」 「愛想づかしに旅行したというんですか」 「いいえ、愛想を尽かしてしまったから、それで旅行に出かけたというのよ。つまり妾を妻と思っていらっしゃらないのよ」 「だから……」 「だから妾の事なんかどうでも構わないのよ。だから旅に出かけたのよ」  嫂はこれで黙ってしまった。自分も何とも云わなかった。そこへ母が風呂から上って来た。 「おやいつ来たの」  母は二人坐っているところを見て厭な顔をした。         二十六 「もう好い加減に芳江を起さないとまた晩に寝ないで困るよ」  嫂は黙って起った。 「起きたらすぐ湯に入れておやんなさいよ」 「ええ」  彼女の後姿は廊下を曲って消えた。 「芳江は昼寝ですか、どうれで静だと思った」 「先刻何だか拗ねて泣いてたら、それっきり寝ちまったんだよ。何ぼなんでも、もう五時だから、好い加減に起してやらなくっちゃ……」  母は不平らしい顔をしていた。  自分はその日珍しく宅の食卓に向って、晩餐の箸を取った。築地の料理屋か待合へ呼ばれたという父は、無論帰らなかったけれども、お重は予定通り戻って来た。 「おい早く来て坐らないか。みんな御前の湯から上るのを待ってたんだ」  お重は縁側へぺたりと尻を着けて団扇で浴衣の胸へ風を入れていた。 「そんなに急き立てなくったってよかないの。たまに来たお客さまの癖に」  お重はつんとしてわざと鼻の先の八つ手の方を向いていた。母はまた始まったという笑の裡に自分を見た。自分はまた調戯たくなった。 「御客さまだと思うなら、そんな大きなお尻を向けないで、早くここへ来てお坐りよ」 「蒼蠅いわよ」 「いったいこの暑いのに、一人でどこをほっつき歩いてたんだい」 「どこでも余計な御世話よ。ほっつき歩くだなんて、第一言葉使からしてあなたは下品よ。――好いわ、今日坂田さんの所へ行って、兄さんの秘密をすっかり聞いて来たから」  お重は兄の事を大兄さん、自分の事をただ兄さんと呼んでいた。始めはちい兄さんと云ったのだが、そのちいを聞くたびに妙な不快を感ずるので、自分はとうとうちいだけを取らしてしまった。 「好くってみんなに話しても」  お重は湯で火照った顔をぐるりと自分の方に向けた。自分は瞬きを二つ続けざまにした。 「だって御前は今兄さんの秘密だと明言したじゃないか」 「ええ秘密よ」 「秘密なら話してよくないにきまってるじゃないか」 「それを話すから面白いのよ」  自分はお重の無鉄砲が、何を云い出すか分らないと思って腹の中では辟易した。 「お重御前は論理学でいうコントラジクション・イン・タームス、という事を知らないだろう」 「よくってよ。そんな高慢ちきな英語なんか使って、他が知らないと思って」 「もう二人とも止しにおしよ。何だね面白くもない、十五六の子供じゃあるまいし」  母はとうとう二人を窘なめた。自分もそれを好い機にすぐ舌戦を切り上げた。お重も団扇を縁側へ投げ出しておとなしく食卓に着いた。  局面が一転した後なので、秘密らしい秘密は、食事中ついにお重の口から洩れる機会がなかった。母も嫂もまるでそれには取り合う気色も見せなかった。平吉という男が裏から出て来て、庭に水を打った。「まだそう燥いていないんだから、好い加減にしておおき」と母が云っていた。         二十七  その晩番町を出たのは灯火が点いてまだ間もない宵の口であった。それでも飯を済ましてから約一時間半ほどは、そこへ坐り込んだまま、みんなを相手に喋舌っていた。  自分はその一時間半の間に、とうとうお重から例の秘密をあばかれる羽目に陥った。しかしそれが自分に取っては、秘密でも何でもない例の結婚問題だったので、自分はかえって安心した。 「御母さん、兄さんは妾達に隠れてこの間見合をなすったんですって」 「隠れて見合なんかするものか」  自分は母がまだ何とも云わないうちにお重の言葉を遮った。 「いいえたしかな筋からちゃんと聞いて来たんだから、いくら白ばっくれてももう駄目よ」  たしかな筋というような一種の言葉が、お重の口から出るのを聞いたとき、自分は思わず苦笑した。 「馬鹿だなお前は」 「馬鹿でもいいわよ」  お重は六月二日の出来事を母や嫂に向ってべらべら喋舌り出した。それがなかなか精しいので自分は少し驚いた。どこからその知識を得て来たのだろうという好奇心が強く自分の反問を促した。けれどもお重はただ意地の悪い微笑を洩らすのみで、けっして出所を告げなかった。 「兄さんが妾達に黙っているのは、きっと打ち明けて云い悪い訳があるからなのよ。ね、そうでしょう、兄さん」  お重は自分の好奇心を満足させないのみか、かえって向うからこっちを嬲りにかかった。自分は「どうでも好いや」と云った。母から真面目に事の顛末を聞かれた時、自分は簡単にありのままを答えた。 「ただそれだけの事なんです。しかも向じゃ全く知らないんだからそのつもりでいて下さい。お重見たいに好い加減な事を云い触らすと、僕はどうでも構わんにしたところで、先方が迷惑するかも知れませんから」  母は先方が迷惑がるはずがないという顔つきで、むやみに細かい質問を始めた。しかし財産がどのくらいあるんだろうとか、親類に貧乏人があるだろうかとか、あるいは悪い病気の系統を引いていやしなかろうかと云うような事になると、自分にはまるで答えられなかった。のみならずしまいには聞くのさえ面倒で厭になって来た。自分はとうとう逃げ出すようにして番町を出た。  自分がその夜母からいろいろな質問を掛けられている間、嫂は始終同じ席にいたが、この問題に関してはほとんど一言も口を開かなかった。母も彼女に向ってついぞ相談がましい言葉をかけなかった。二人のこの態度が、二人の気質をよく代表していた。しかしそれは単に気質の相違からばかり来た一種の対照とも思えなかった。嫂は全くの局外者らしい位地を守るためか何だか、始終芳江のおもりに気を取られ勝に見えた。日が暮れさえすればすぐ寝かされる習慣の芳江は、昼寝を貪り過ぎた結果として、その晩はとうとう自分が帰るまで蚊帳の中へ這入らなかった。  自分は下宿へ帰って、自分の室の暑苦しいのを意外に感じた。わざと電気灯を消して暗い所に黙って坐っていた。今朝立った兄は今日どこで泊るだろう。Hさんは今夜彼とどんな話をするだろう。鷹揚なHさんの顔が自然と眼の前に浮かんだ。それと共に瘠せた兄の頬に刻まれた久しぶりの笑が見えた。         二十八  その翌日からHさんの手紙が心待に待ち受けられた。自分は一日、二日、三日と指を折って日取を勘定し始めた。けれどもHさんからは何の音信もなかった。絵端書一枚さえ来なかった。自分は失望した。Hさんに責任を忘れるような軽薄はなかった。しかしこちらの予期通り律義にそれを果してくれないほどの大悠はあった。自分は自烈たい部に属する人間の一人として遠くから彼を眺めた。  すると二人が立ってからちょうど十一日目の晩に、重い封書が始めて自分の手に落ちた。Hさんは罫の細かい西洋紙へ、万年筆で一面に何か書いて来た。頁の数から云っても、二時間や三時間でできる仕事ではなかった。自分は机の前に縛りつけられた人形のような姿勢で、それを読み始めた。自分の眼には、この小さな黒い字の一点一|劃も読み落すまいという決心が、焔のごとく輝いた。自分の心は頁の上に釘づけにされた。しかも雪を行く橇のように、その上を滑って行った。要するに自分はHさんの手紙の最初の頁の第一行から読み始めて、最後の頁の最終の文句に至るまでに、どのくらいの時間が要ったかまるで知らなかった。  手紙は下のように書いてあった。 「長野君を誘って旅へ出るとき、あなたから頼まれた事を、いったん引き受けるには引き受けたが、いざとなって見ると、とても実行はできまい、またできてもする必要があるまい、もしくは必要と不必要にかかわらず、するのは好もしい事でなかろう、――こういう考えでいました。旅行を始めてから一日二日は、この三つの事情のすべてかあるいは幾分かが常に働くので、これではせっかくの約束も反古にしなければならないという気が強く募りました。それが三日四日となった時、少し考えさせられました。五日六日と日を重ねるに従って、考えるばかりでなく、約束通りあなたに手紙を上げるのが、あるいは必要かも知れないと思うようになりました。もっともここにいう必要という意味が、あなたと私とで、だいぶ違うかも知れませんが、それはこの手紙をしまいまで御読みになれば解る事ですから、説明はしません。それから当初私の抱いた好もしくないという倫理上の感じ、これはいくら日数を経過しても取去る訳には行きませんが、片方にある必要の度が、自然それを抑えつけるほど強くなって来た事もまた確であります。おそらく手紙を書いている暇があるまい。――この故障だけは始めあなたに申上げた通りどこまでもつけ纏って離れませんでした。我々二人はいっしょの室に寝ます、いっしょの室で飯を食います、散歩に出る時もいっしょです、湯も風呂場の構造が許す限りは、いっしょに這入ります。こう数え立てて見ると、別々に行動するのは、まあ厠に上る時ぐらいなものなのですから。  無論我々二人は朝から晩までのべつに喋舌り続けている訳ではありません。御互が勝手な書物を手にしている時もあります、黙って寝転んでいる事もあります。しかし現にその人のいる前で、その人の事を知らん顔で書いて、そうしてそれをそっと他に知らせるのはちょっと私にとってはでき悪いのです。書くべき必要を認め出した私も、これには弱りました。いくら書く機会を見つけよう見つけようと思っても、そんな機会の出て来るはずがないのですから。しかし偶然はついに私の手を導いて、私に私の必要と認める仕事をさせるようにしてくれました。私はそれほど兄さんに気兼をせずに、この手紙を書き初めました。そうして同じ状態の下に、それを書き終る事を希望します。         二十九  我々は二三日前からこの紅が谷の奥に来て、疲れた身体を谷と谷の間に放り出しました。いる所は私の親戚のもっている小さい別荘です。所有主は八月にならないと東京を離れる事がむずかしいので、その前ならいつでも君方に用立てて宜しいと云った言葉を、はからず旅行中に利用する訳になったのであります。  別荘というと大変|人聞が好いようですが、その実ははなはだ見苦しい手狭なもので、構えからいうと、ちょうど東京の場末にある四五十円の安官吏の住居です。しかし田舎だけに邸内の地面には多少の余裕があります。庭だか菜園だか分らないものが、軒から爪下りに向うの垣根まで続いています。その垣には珊瑚樹の実が一面に結っていて、葉越に隣の藁屋根が四半分ほど見えます。  同じ軒の下から谷を隔てて向うの山も手に取るように見えます。この山全体がある伯爵の別荘地で、時には浴衣の色が樹の間から見えたり、女の声が崖の上で響いたりします。その崖の頂には高い松が空を突くように聳えています。我々は低い軒の下から朝夕この松を見上るのを、高尚な課業のように心得て暮しています。  今まで通って来たうちで、君の兄さんにはここが一番気に入ったようです。それにはいろいろな意味があるかも知れませんが、二人ぎりで独立した一軒の家の主人になりすまされたという気分が、人慣れない兄さんの胸に一種の落ちつきを与えるのが、その大原因だろうと思います。今までどこへ泊ってもよく寝られなかった兄さんは、ここへ来た晩からよく寝ます。現に今私がこうやって万年筆を走らしている間も、ぐうぐう寝ています。  もう一つここへ来てから偶然の恩恵に浴したと思うのは、普通の宿屋のように二人が始終膝を突き合わして、一つの部屋にごろごろしていないですむ事です。家は今申した通り手狭至極なものであります。門を出て右の坂上にある或る長者の拵えた西洋館などに比べると全くの燐寸箱に過ぎません。それでも垣を囲らして四方から切り離した独立の一軒家です。窮屈ではあるが間数は五つほどあります。兄さんと私は一つ座敷に吊った一つ蚊帳の中に寝ます。しかし宿屋と違って同じ時間に起きる必要はありません。片方が起きても、片方は寝たいだけ寝ていられます。私は兄さんをそっとしておいて、次の座敷に据えてある一閑張の机に向う事ができます。昼もその通りです。二人差向いでいるのが苦痛になれば、どっちかが勝手に姿を隠して、自分に都合のいい事を、好な時間だけやります。それから適当な頃にまた出て来て顔を見せます。  私はこういう偶然を利用してこの手紙を書くのであります。そうしてこの偶然を思いがけなく利用する事のできた自分を、あなたのために仕合せと考えます。同時に、それを利用する必要を認め出した自分を、自分のために遺憾だと思います。  私のいう事は順序からいうと日記体に纏まっておりません。分類からいうと科学的に区別が立たないかも知れません。しかしそれは汽車、俥、宿、すべて規則的な仕事を妨げる旅行というものの障害と、平気で取りかかりにくいというその仕事の性質とが、破壊的に働いた結果と思っていただくより仕方がありません。断片的にせよ下に述べるだけの事をあなたに報道し得るのがすでに私には意外なのであります。全く偶然の御蔭なのであります。         三十  我々は二人とも大した旅行癖のない男です。したがって我々の編み上げた旅程もまた経験相応に平凡でした。近くて便利な所を人並に廻って歩けば、それで目的の大半は達せられるくらいな考えで、まず相模伊豆|辺をぼんやり心がけました。  それでも私の方が兄さんよりはまだましでした。私は主要な場所と、そこへ行くべき交通機関とをほぼ承知していましたが、兄さんに至ってはほとんど地理や方角を超越していました。兄さんは国府津が小田原の手前か先か知りませんでした。知らないというよりむしろ構わないのでしょう。これほど一方に無頓着な兄さんが、なぜ人事上のあらゆる方面に、同じ平然たる態度を見せる事ができないのかと思うと、私は実際不思議な感に打たれざるを得ません。しかしそれは余事です。話が逸れると戻り悪くなりますから、なるべく本流を伝って、筋を離れないように進む事にしましょう。  我々は始め逗子を基点として出発する事に相談をきめていました。ところがその朝新橋へ駆けつける俥の上で、ふと私の考えが変りました。いかに平凡な旅行にしても、真先に逗子へ行くのは、あまりに平凡過ぎて気が進まなくなったのです。私は停車場で兄さんに相談の仕直しをやりました。私は行程を逆にして、まず沼津から修善寺へ出て、それから山越に伊東の方へ下りようと云いました。小田原と国府津の後先さえ知らない兄さんに異存のあるはずがないので、我々はすぐ沼津までの切符を買って、そのまま東海道行の汽車に乗り込みました。  汽車中では報知に値するような事が別に起りませんでした。先方へ着いても、風呂へ入ったり、飯を食ったり、茶を飲んだりする間は、これといって目に着く点もなかったのです。私は兄さんについて、これはことによると家族の人の参考のために、知らせておく必要があるかも知れないと思い出したのは、その日の晩になってからであります。  寝るには早過ぎました。話にはもう飽きました。私は旅行中に誰でも経験する一種の徒然に襲われました。ふと床の間の脇を見ると、そこに重そうな碁盤が一面あったので、私はすぐそれを室の真中へ持ち出しました。無論兄さんを相手に黒白を争うつもりでした。あなたは御存じだかどうだか知りませんが、私は学校にいた時分、これでよく兄さんと碁を打ったものです。その後二人とも申し合せたように、ぴたりとやめてしまいましたが、この場合、二人が持て余している時間を、面白く過ごすには碁盤が屈強の道具に違なかったのです。  兄さんはしばらく碁盤を眺めていました。そうしておいて「まあ止そう」と云いました。私は思い込んだ勢いで、「そう云わずにやろうじゃないか」と押し返しました。それでも兄さんは「いやいやまあ止そう」と云います。兄さんの顔を見ると、眼と眉の間に変な表情がありました。それが何の碁なんぞと云った風の軽蔑または無頓着を示していないのですから、私はちょっと異な心持がしました。しかし無理に強いるのも厭ですから、私はとうとう一人で碁石を取り上げて、黒と白を打手違に、盤の上に並べ始めました。兄さんは少しの間それを見ていました。私がなお黙って打ち続けて行きますと、兄さんは不意に座を立って廊下へ出ました。おおかた便所へでも行ったのだろうと思った私は、いっこう兄さんの挙動には注意を払いませんでした。         三十一  案の通り兄さんは時を移さず戻って来ました。そうして突然「やろう」というや否や、自分の手から、碁石を※ぎ取るように引っ手繰りました。私は何の気もつかずに、「よろしい」と答えて、すぐ打ち始めました。我々のは申すまでもなくヘボ碁ですから、石を下すのも早いし、勝負の片づくのも雑作はありません。一時間のうちに悠に二番ぐらいは始末ができるくらいだから、見ていても局に対っていても、間怠い思いはけっしてないのです。ところを兄さんは、その手早く運んで行く碁面を、しまいまで辛抱して眺めているのは苦痛だと云って、とうとう中途でやめてしまいました。私は心持でも悪くなったのかと思って心配しましたが、兄さんはただ微笑していました。  床に入る前になって、私は始めて兄さんからその時の心理状態の説明を聞きました。兄さんは碁を打つのは固より、何をするのも厭だったのだそうです。同時に、何かしなくってはいられなかったのだそうです。この矛盾がすでに兄さんには苦痛なのでした。兄さんは碁を打ち出せば、きっと碁なんぞ打っていられないという気分に襲われると予知していたのです。けれどもまた打たずにはいられなくなったのです。それでやむをえず盤に向ったのです。盤に向うや否や自烈たくなったのです。しまいには盤面に散点する黒と白が、自分の頭を悩ますために、わざと続いたり離れたり、切れたり合ったりして見せる、怪物のように思われたのだそうです。兄さんはもうちっとで、盤面をめちゃめちゃに掻き乱して、この魔物を追払うところだったと云いました。何事も知らなかった私は、少し驚きながらも悪い事をしたと思いました。 「いや碁に限った訳じゃない」と云って兄さんは、自分の過失を許してくれました。私はその時兄さんから、兄さんの平生を聞きました。兄さんの態度は碁を中途でやめた時ですら落ちついていました。上部から見ると何の異状もない兄さんの心持は、おそらくあなた方には理解されていないかも知れません。少くともこういう私には一つの発見でした。  兄さんは書物を読んでも、理窟を考えても、飯を食っても、散歩をしても、二六時中何をしても、そこに安住する事ができないのだそうです。何をしても、こんな事をしてはいられないという気分に追いかけられるのだそうです。 「自分のしている事が、自分の目的になっていないほど苦しい事はない」と兄さんは云います。 「目的でなくっても方便になれば好いじゃないか」と私が云います。 「それは結構である。ある目的があればこそ、方便が定められるのだから」と兄さんが答えます。  兄さんの苦しむのは、兄さんが何をどうしても、それが目的にならないばかりでなく、方便にもならないと思うからです。ただ不安なのです。したがってじっとしていられないのです。兄さんは落ちついて寝ていられないから起きると云います。起きると、ただ起きていられないから歩くと云います。歩くとただ歩いていられないから走けると云います。すでに走け出した以上、どこまで行っても止まれないと云います。止まれないばかりなら好いが刻一刻と速力を増して行かなければならないと云います。その極端を想像すると恐ろしいと云います。冷汗が出るように恐ろしいと云います。怖くて怖くてたまらないと云います。         三十二  私は兄さんの説明を聞いて、驚きました。しかしそういう種類の不安を、生れてからまだ一度も経験した事のない私には、理解があっても同情は伴いませんでした。私は頭痛を知らない人が、割れるような痛みを訴えられた時の気分で、兄さんの話に耳を傾けていました。私はしばらく考えました。考えているうちに、人間の運命というものが朧気ながら眼の前に浮かんで来ました。私は兄さんのために好い慰藉を見出したと思いました。 「君のいうような不安は、人間全体の不安で、何も君一人だけが苦しんでいるのじゃないと覚ればそれまでじゃないか。つまりそう流転して行くのが我々の運命なんだから」  私のこの言葉はぼんやりしているばかりでなく、すこぶる不快に生温るいものでありました。鋭い兄さんの眼から出る軽侮の一瞥と共に葬られなければなりませんでした。兄さんはこう云うのです。 「人間の不安は科学の発展から来る。進んで止まる事を知らない科学は、かつて我々に止まる事を許してくれた事がない。徒歩から俥、俥から馬車、馬車から汽車、汽車から自動車、それから航空船、それから飛行機と、どこまで行っても休ませてくれない。どこまで伴れて行かれるか分らない。実に恐ろしい」 「そりゃ恐ろしい」と私も云いました。  兄さんは笑いました。 「君の恐ろしいというのは、恐ろしいという言葉を使っても差支えないという意味だろう。実際恐ろしいんじゃないだろう。つまり頭の恐ろしさに過ぎないんだろう。僕のは違う。僕のは心臓の恐ろしさだ。脈を打つ活きた恐ろしさだ」  私は兄さんの言葉に一毫も虚偽の分子の交っていない事を保証します。しかし兄さんの恐ろしさを自分の舌で甞めて見る事はとてもできません。 「すべての人の運命なら、君一人そう恐ろしがる必要がない」と私は云いました。 「必要がなくても事実がある」と兄さんは答えました。その上|下のような事も云いました。 「人間全体が幾世紀かの後に到着すべき運命を、僕は僕一人で僕一代のうちに経過しなければならないから恐ろしい。一代のうちならまだしもだが、十年間でも、一年間でも、縮めて云えば一カ月間|乃至一週間でも、依然として同じ運命を経過しなければならないから恐ろしい。君は嘘かと思うかも知れないが、僕の生活のどこをどんな断片に切って見ても、たといその断片の長さが一時間だろうと三十分だろうと、それがきっと同じ運命を経過しつつあるから恐ろしい。要するに僕は人間全体の不安を、自分一人に集めて、そのまた不安を、一刻一分の短時間に煮つめた恐ろしさを経験している」 「それはいけない。もっと気を楽にしなくっちゃ」 「いけないぐらいは自分にも好く解っている」  私は兄さんの前で黙って煙草を吹かしていました。私は心のうちで、どうかして兄さんをこの苦痛から救い出して上げたいと念じました。私はすべてその他の事を忘れました。今までじっと私の顔を見守っていた兄さんは、その時突然「君の方が僕より偉い」と云いました。私は思想の上において、兄さんこそ私に優れていると感じている際でしたから、この賛辞に対して嬉しいともありがたいとも思う気は起りませんでした。私はやはり黙って煙草を吹かしていました。兄さんはだんだん落ちついて来ました。それから二人とも一つ蚊帳に這入って寝ました。         三十三  翌日も我々は同じ所に泊っていました。朝起き抜けに浜辺を歩いた時、兄さんは眠っているような深い海を眺めて、「海もこう静かだと好いね」と喜びました。近頃の兄さんは何でも動かないものが懐かしいのだそうです。その意味で水よりも山が気に入るのでした。気に入ると云っても、普通の人間が自然を楽しむ時の心持とは少し違うようです。それは下に挙げる兄さんの言葉で御解りになるでしょう。 「こうして髭を生やしたり、洋服を着たり、シガーを銜えたりするところは上部から見ると、いかにも一人前の紳士らしいが、実際僕の心は宿なしの乞食みたように朝から晩までうろうろしている。二六時中不安に追いかけられている。情ないほど落ちつけない。しまいには世の中で自分ほど修養のできていない気の毒な人間はあるまいと思う。そういう時に、電車の中やなにかで、ふと眼を上げて向う側を見ると、いかにも苦のなさそうな顔に出っ食わす事がある。自分の眼が、ひとたびその邪念の萌さないぽかんとした顔に注ぐ瞬間に、僕はしみじみ嬉しいという刺戟を総身に受ける。僕の心は旱魃に枯れかかった稲の穂が膏雨を得たように蘇える。同時にその顔――何も考えていない、全く落ちつき払ったその顔が、大変気高く見える。眼が下っていても、鼻が低くっても、雑作はどうあろうとも、非常に気高く見える。僕はほとんど宗教心に近い敬虔の念をもって、その顔の前に跪ずいて感謝の意を表したくなる。自然に対する僕の態度も全く同じ事だ。昔のようにただうつくしいから玩ぶという心持は、今の僕には起る余裕がない」  兄さんはその時電車のなかで偶然見当る尊い顔の部類の中へ、私を加えました。私は思いも寄らん事だと云って辞退しました。すると兄さんは真面目な態度でこう云いました。 「君でも一日のうちに、損も得も要らない、善も悪も考えない、ただ天然のままの心を天然のまま顔に出している事が、一度や二度はあるだろう。僕の尊いというのは、その時の君の事を云うんだ。その時に限るのだ」  兄さんはこう云われても覚束なく見える私のために、具体的な証拠を示してやるというつもりか、昨夜二人が床に入る前の私を取って来てその例に引きました。兄さんはあの折談話の機でつい興奮し過ぎたと自白しました。しかし私の顔を見たときに、その激した心の調子がしだいに収まったと云うのです。私が肯おうと肯うまいと、それには頓着する必要がない、ただその時の私から好い影響を受けて、一時的にせよ苦しい不安を免かれたのだと、兄さんは断言するのです。  その時の私は前云った通りです。ただ煙草を吹かして黙っていただけです。私はその時すべての事を忘れました。独り兄さんをどうにかしてこの不安の裡から救って上げたいと念じました。けれども私の心が兄さんに通じようとは思いませんでした。また通じさせようという気は無論ありませんでした。だから何にも云わずに黙って煙草を吹かしていたのです。しかしそこに純粋な誠があったのかも知れません。兄さんはその誠を私の顔に読んだのでしょうか。  私は兄さんと砂浜の上をのそりのそりと歩きました。歩きながら考えました。兄さんは早晩宗教の門を潜って始めて落ちつける人間ではなかろうか。もっと強い言葉で同じ意味を繰り返すと、兄さんは宗教家になるために、今は苦痛を受けつつあるのではなかろうか。         三十四 「君近頃神というものについて考えた事はないか」  私はしまいにこういう質問を兄さんにかけました。私がここでとくに「近頃」と断ったのは、書生時代の古い回想から来たものであります。その時分は二人共まだ考えの纏まらない青二才でしたが、それでも私は思索に耽り勝な兄さんと、よく神の存在について云々したものであります。ついでだから申しますが、兄さんの頭はその時分から少しほかの人とは変っていました。兄さんは浮々と散歩をしていて、ふと自分が今歩いていたなという事実に気がつくと、さあそれが解すべからざる問題になって、考えずにはいられなくなるのでした。歩こうと思えば歩くのが自分に違ないが、その歩こうと思う心と、歩く力とは、はたしてどこから不意に湧いて出るか、それが兄さんには大いなる疑問になるのでした。  二人はそんな事から神とか第一原因とかいう言葉をよく使いました。今から考えると解らずに使ったのでした。しかし口の先で使い慣れた結果、しまいには神もいつか陳腐になりました。それから二人とも申し合せたように黙りました。黙ってから何年目になるでしょう。私は静かな夏の朝の、海という深い色を沈める大きな器の前に立って、兄さんと相対しつつ、再び神という言葉を口にしたのであります。  しかし兄さんはその言葉を全く忘れていました。思い出す気色さえありませんでした。私の質問に対する返事としては、ただ微かな苦笑があの皮肉な唇の端を横切っただけでした。  私は兄さんのこの態度で辟易するほどに臆病ではありませんでした。また思う事を云い終せずに引込むほど疎い間柄でもありませんでした。私は一歩前へ進みました。 「どこの馬の骨だか分らない人間の顔を見てさえ、時々ありがたいという気が起るなら、円満な神の姿を束の間も離れずに拝んでいられる場合には、何百倍幸福になるか知れないじゃないか」 「そんな意味のない口先だけの論理が何の役に立つものかね。そんなら神を僕の前に連れて来て見せてくれるが好い」  兄さんの調子にも兄さんの眉間にも自烈たそうなものが顫動していました。兄さんは突然|足下にある小石を取って二三間|波打際の方に馳け出しました。そうしてそれを遥の海の中へ投げ込みました。海は静かにその小石を受け取りました。兄さんは手応のない努力に、憤りを起す人のように、二度も三度も同じ所作を繰返しました。兄さんは磯へ打ち上げられた昆布だか若布だか、名も知れない海藻の間を構わず駈け廻りました。それからまた私の立って見ている所へ帰って来ました。 「僕は死んだ神より生きた人間の方が好きだ」  兄さんはこう云うのです。そうして苦しそうに呼息をはずませていました。私は兄さんを連れて、またそろそろ宿の方へ引き返しました。 「車夫でも、立ん坊でも、泥棒でも、僕がありがたいと思う刹那の顔、すなわち神じゃないか。山でも川でも海でも、僕が崇高だと感ずる瞬間の自然、取りも直さず神じゃないか。そのほかにどんな神がある」  兄さんからこう論じかけられた私は、ただ「なるほど」と答えるだけでした。兄さんはその時は物足りない顔をします。しかし後になるとやっぱり私に感心したような素振を見せます。実を云うと、私の方が兄さんにやり込められて感心するだけなのですが。         三十五  我々は沼津で二日ほど暮しました。ついでに興津まで行こうかと相談した時、兄さんは厭だと云いました。旅程にかけては、万事私の思いのままになっている兄さんが、なぜその時に限って断然私の申し出を拒絶したものか、私にはとんと解りませんでした。後でその説明を聞いたら、三保の松原だの天女の羽衣だのが出て来る所は嫌いだと云うのです。兄さんは妙な頭をもった人に違ありません。  我々はついに三島まで引き返しました。そこで大仁行の汽車に乗り換えて、とうとう修善寺へ行きました。兄さんには始めからこの温泉が大変気に入っていたようです。しかし肝心の目的地へ着くや否や、兄さんは「おやおや」という失望の声を放ちました。実際兄さんの好いていたのは、修善寺という名前で、修善寺という所ではなかったのです。瑣事ですが、これも幾分か兄さんの特色になりますからついでにつけ加えておきます。  御承知の通りこの温泉場は、山と山が抱合っている隙間から谷底へ陥落したような低い町にあります。一旦そこへ這入った者は、どっちを見ても青い壁で鼻が支えるので、仕方なしに上を見上げなければなりません。俯向いて歩いたら、地面の色さえ碌に眼には留まらないくらい狭苦しいのです。今まで海よりも山の方が好いと云っていた兄さんは、修善寺へ来て山に取り囲まれるが早いか、急に窮屈がり出しました。私はすぐ兄さんを伴れて、表へ出て見ました。すると、普通の町ならまず往来に当る所が、一面の川床で、青い水が岩に打つかりながらその中を流れているのです。だから歩くと云っても、歩きたいだけ歩く余地は無論ありませんでした。私は川の真中の岩の間から出る温泉に兄さんを誘い込みました。男も女もごちゃごちゃに一つ所に浸っているのが面白かったからです。不潔な事も話の種になるくらいでした。兄さんと私はさすがにそこへ浴衣を投げ棄てて這入る勇気はありませんでした。しかし湯の中にいる黒い人間を、岩の上に立って物好らしくいつまでも眺めていました。兄さんは嬉しそうでした。岩から岸に渡した危ない板を踏みながら元の路へ引き返す時に、兄さんは「善男善女」という言葉を使いました。それが雑談半分の形容詞でなく、全くそう思われたらしいのです。  翌朝楊枝を銜えながら、いっしょに内風呂に浸った時、兄さんは「昨夕も寝られないで困った」と云いました。私は今の兄さんに取って寝られないが一番毒だと考えていましたので、ついそれを問題にしました。 「寝られないと、どうかして寝よう寝ようと焦るだろう」と私が聞きました。 「全くそうだ、だからなお寝られなくなる」と兄さんが答えました。 「君、寝なければ誰かにすまない事でもあるのか」と私がまた聞きました。  兄さんは変な顔をしました。石で畳んだ風呂槽の縁に腰をかけて、自分の手や腹を眺めていました。兄さんは御存じの通り余り肥ってはいません。 「僕も時々寝られない事があるが、寝られないのもまた愉快なものだ」と私が云いました。 「どうして」と今度は兄さんが聞きました。私はその時私の覚えていた灯影無睡を照し心清妙香を聞くという古人の句を兄さんのために挙げました。すると兄さんはたちまち私の顔を見てにやにや笑いました。 「君のような男にそういう趣が解るかね」と云って、不審そうな様子をしました。         三十六  その日私はまた兄さんを引張り出して今度は山へ行きました。上を見て山に行き、下を向いて湯に入る、それよりほかにする事はまずない所なのですから。  兄さんは痩せた足を鞭のように使って細い道を達者に歩きます。その代り疲れる事もまた人一倍早いようです。肥った私がのそのそ後から上って行くと、木の根に腰をかけて、せえせえ云っています。兄さんのは他を待ち合せるのではありません。自分が呼息を切らしてやむをえずに斃れるのです。  兄さんは時々立ち留まって茂みの中に咲いている百合を眺めました。一度などは白い花片をとくに指して、「あれは僕の所有だ」と断りました。私にはそれが何の意味だか解りませんでしたが、別に聞き返す気も起らずに、とうとう天辺まで上りました。二人でそこにある茶屋に休んだ時、兄さんはまた足の下に見える森だの谷だのを指して、「あれらもことごとく僕の所有だ」と云いました。二度まで繰り返されたこの言葉で、私は始めて不審を起しました。しかしその不審はその場ですぐ晴らす訳に行きませんでした。私の質問に対する兄さんの答は、ただ淋しい笑に過ぎなかったのです。  我々はその茶店の床几の上で、しばらく死んだように寝ていました。その間兄さんは何を考えていたか知りません。私はただ明らかな空を流れる白い雲の様子ばかり見ていました。私の眼はきらきらしました。しだいに帰り途の暑さが想いやられるようになりました。私は兄さんを促してまた山を下りました。その時です。兄さんが突然|後から私の肩をつかんで、「君の心と僕の心とはいったいどこまで通じていて、どこから離れているのだろう」と聞いたのは。私は立ちどまると同時に、左の肩を二三度強く小突き廻されました。私は身体に感ずる動揺を、同じように心でも感じました。私は平生から兄さんを思索家と考えていました。いっしょに旅に出てからは、宗教に這入ろうと思って這入口が分らないで困っている人のようにも解釈して見ました。私が心に動揺を感じたというのは、はたして兄さんのこの質問が、そういう立場から出たのであろうかと迷ったからです。私はあまり物に頓着しない性質です。またあまり物に驚かない、いたって鈍な男です。けれども出立|前あなたからいろいろ依頼を受けたため、兄さんに対してだけは、妙に鋭敏になりたがっていました。私は少し平気の道を踏み外しそうになりました。 「〔Keine Bru:cke fu:hrt von Mensch zu Mensch.〕」  私はつい覚えていた独逸の諺を返事に使いました。無論半分は問題を面倒にしない故意の作略も交っていたでしょうが。すると兄さんは、「そうだろう、今の君はそうよりほかに答えられまい」と云うのです。私はすぐ「なぜ」と聞き返しました。 「自分に誠実でないものは、けっして他人に誠実であり得ない」  私は兄さんのこの言葉を、自分のどこへ応用して好いか気がつきませんでした。 「君は僕のお守になって、わざわざいっしょに旅行しているんじゃないか。僕は君の好意を感謝する。けれどもそういう動機から出る君の言動は、誠を装う偽りに過ぎないと思う。朋友としての僕は君から離れるだけだ」  兄さんはこう断言しました。そうして私をそこへ取残したまま、一人でどんどん山道を馳け下りて行きました。その時私も兄さんの口を迸しる Einsamkeit, du meine Heimat Einsamkeit !という独逸語を聞きました。         三十七  私は心配しいしい宿へ帰りました。兄さんは室の真ん中に蒼い顔をして寝ていました。私の姿を見ても口を利きません、動きもしません。私は自然を尊む人を、自然のままにしておく方針を取りました。私は静かに兄さんの枕元で一服しました。それから気持の悪い汗を流すために手拭を持って風呂場へ行きました。私が湯槽の縁に立って身体を清めていると、兄さんが後からやって来ました。二人はその時始めて物を云い合いました。私は「疲れたろう」と聞きました。兄さんは「疲れた」と答えました。  午の膳に向う頃から兄さんの機嫌はだんだん回復して来ました。私はついに兄さんに向って、先刻山途で二人の間に起った芝居がかりの動作に云い及びました。兄さんは始めのうちは苦笑していました。しかししまいには居住居を直して真面目になりました。そうして実際孤独の感に堪えないのだと云い張りました。私はその時始めて兄さんの口から、彼がただに社会に立ってのみならず、家庭にあっても一様に孤独であるという痛ましい自白を聞かされました。兄さんは親しい私に対して疑念を持っている以上に、その家庭の誰彼を疑っているようでした。兄さんの眼には御父さんも御母さんも偽の器なのです。細君はことにそう見えるらしいのです。兄さんはその細君の頭にこの間手を加えたと云いました。 「一度|打っても落ちついている。二度打っても落ちついている。三度目には抵抗するだろうと思ったが、やっぱり逆らわない。僕が打てば打つほど向はレデーらしくなる。そのために僕はますます無頼漢扱いにされなくてはすまなくなる。僕は自分の人格の堕落を証明するために、怒を小羊の上に洩らすと同じ事だ。夫の怒を利用して、自分の優越に誇ろうとする相手は残酷じゃないか。君、女は腕力に訴える男より遥に残酷なものだよ。僕はなぜ女が僕に打たれた時、起って抵抗してくれなかったと思う。抵抗しないでも好いから、なぜ一言でも云い争ってくれなかったと思う」  こういう兄さんの顔は苦痛に充ちていました。不思議な事に兄さんはこれほど鮮明に自分が細君に対する不快な動作を話しておきながら、その動作をあえてするに至った原因については、具体的にほとんど何事も語らないのです。兄さんはただ自分の周囲が偽で成立していると云います。しかもその偽を私の眼の前で組み立てて見せようとはしません。私は何でこの空漠な響をもつ偽という字のために、兄さんがそれほど興奮するかを不審がりました。兄さんは私が偽という言葉を字引で知っているだけだから、そんな迂濶な不審を起すのだと云って、実際に遠い私を窘なめました。兄さんから見れば、私は実際に遠い人間なのです。私は強いて兄さんから偽の内容を聞こうともしませんでした。したがって兄さんの家庭にはどんな面倒な事情が縺れ合っているか、私にはとんと解りません。好んで聞くべき筋でもなし、また聞いておかないでも、家庭の一員たるあなたには報道の必要のない事と思いましたから、そのままにしてすましました。ただ御参考までに一言注意しておきますが、兄さんはその時御両親や奥さんについて、抽象的ながら云々されたにかかわらず、あなたに関しては、二郎という名前さえ口にされませんでした。それからお重さんとかいう妹さんの事についても何にも云われませんでした。         三十八  私が兄さんにマラルメの話をしたのは修善寺を立って小田原へ来た晩の事です。専門の違うあなただから、あるいは失礼にもなるまいと思って書き添えますが、マラルメと云うのは有名な仏蘭西の詩人の名前です。こういう私も実はその名前だけしか知らないのです。だから話と云ったところで作物の批評などではありません。東京を立つ前に、取りつけの外国雑誌の封を切って、ちょっと眼を通したら、そのうちにこの詩人の逸話があったのを、面白いと思って覚えていたので、私はついそれを挙げて、兄さんの反省を促して見たくなったのです。  このマラルメと云う人にも多くの若い崇拝者がありました。その人達はよく彼の家に集まって、彼の談話に耳を傾ける宵を更したのですが、いかに多くの人が押しかけても、彼の坐るべき場所は必ず暖炉の傍で、彼の腰をおろすのは必ず一箇の揺椅ときまっていました。これは長い習慣で定められた規則のように、誰も犯すものがなかったという事です。ところがある晩新しい客が来ました。たしか英吉利のシモンズだったという話ですが、その客は今日までの習慣をまるで知らないので、どの席もどの椅子も同じ価と心得たのでしょう、当然マラルメの坐るべきかの特別の椅子へ腰をかけてしまいました。マラルメは不安になりました。いつものように話に実が入りませんでした。一座は白けました。 「何という窮屈な事だろう」  私はマラルメの話をした後で、こういう一句の断案を下しました。そうして兄さんに向って、「君の窮屈な程度はマラルメよりも烈しい」と云いました。  兄さんは鋭敏な人です。美的にも倫理的にも、智的にも鋭敏過ぎて、つまり自分を苦しめに生れて来たような結果に陥っています。兄さんには甲でも乙でも構わないという鈍なところがありません。必ず甲か乙かのどっちかでなくては承知できないのです。しかもその甲なら甲の形なり程度なり色合なりが、ぴたりと兄さんの思う坪に嵌らなければ肯がわないのです。兄さんは自分が鋭敏なだけに、自分のこうと思った針金のように際どい線の上を渡って生活の歩を進めて行きます。その代り相手も同じ際どい針金の上を、踏み外さずに進んで来てくれなければ我慢しないのです。しかしこれが兄さんのわがままから来ると思うと間違いです。兄さんの予期通りに兄さんに向って働きかける世の中を想像して見ると、それは今の世の中より遥に進んだものでなければなりません。したがって兄さんは美的にも智的にも乃至倫理的にも自分ほど進んでいない世の中を忌むのです。だからただのわがままとは違うでしょう。椅子を失って不安になったマラルメの窮屈ではありますまい。  しかし苦しいのはあるいはそれ以上かも知れません。私はどうかしてその苦みから兄さんを救い出したいと念じているのです。兄さんも自分でその苦しみに堪え切れないで、水に溺れかかった人のように、ひたすら藻掻いているのです。私には心のなかのその争いがよく見えます。しかし天賦の能力と教養の工夫とでようやく鋭くなった兄さんの眼を、ただ落ちつきを与える目的のために、再び昧くしなければならないという事が、人生の上においてどんな意義になるでしょうか。よし意義があるにしたところで、人間としてできうる仕事でしょうか。  私はよく知っていました。考えて考えて考え抜いた兄さんの頭には、血と涙で書かれた宗教の二字が、最後の手段として、躍り叫んでいる事を知っていました。         三十九 「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」  兄さんははたしてこう云い出しました。その時兄さんの顔は、むしろ絶望の谷に赴く人のように見えました。 「しかし宗教にはどうも這入れそうもない。死ぬのも未練に食いとめられそうだ。なればまあ気違だな。しかし未来の僕はさておいて、現在の僕は君|正気なんだろうかな。もうすでにどうかなっているんじゃないかしら。僕は怖くてたまらない」  兄さんは立って縁側へ出ました。そこから見える海を手摺に倚ってしばらく眺めていました。それから室の前を二三度行ったり来たりした後、また元の所へ帰って来ました。 「椅子ぐらい失って心の平和を乱されるマラルメは幸いなものだ。僕はもうたいていなものを失っている。わずかに自己の所有として残っているこの肉体さえ、遠慮なく僕を裏切るくらいだから」  兄さんのこの言葉は、好い加減な形容ではないのです。昔から内省の力に勝っていた兄さんは、あまり考えた結果として、今はこの力の威圧に苦しみ出しているのです。兄さんは自分の心がどんな状態にあろうとも、一応それを振り返って吟味した上でないと、けっして前へ進めなくなっています。だから兄さんの命の流れは、刹那刹那にぽつぽつと中断されるのです。食事中一分ごとに電話口へ呼び出されるのと同じ事で、苦しいに違ありません。しかし中断するのも兄さんの心なら、中断されるのも兄さんの心ですから、兄さんはつまるところ二つの心に支配されていて、その二つの心が嫁と姑のように朝から晩まで責めたり、責められたりしているために、寸時の安心も得られないのです。  私は兄さんの話を聞いて、始めて何も考えていない人の顔が一番|気高いと云った兄さんの心を理解する事ができました。兄さんがこの判断に到着したのは、全く考えた御蔭です。しかし考えた御蔭でこの境界には這入れないのです。兄さんは幸福になりたいと思って、ただ幸福の研究ばかりしたのです。ところがいくら研究を積んでも、幸福は依然として対岸にあったのです。  私はとうとう兄さんの前に神という言葉を持ち出しました。そうして意外にも突然兄さんから頭を打たれました。しかしこれは小田原で起った最後の幕です。頭を打たれる前にまだ一節ありますから、まずそれから御報知しようと思います。しかし前にも申した通り、あなたと私とはまるで専門が違いますので、私の筆にする事が、時によると変に物識めいた余計な云い草のように、あなたの眼に映るかも知れません。それであなたに関係のない片仮名などを入れる時は、なおさら躊躇しがちになりますが、これでも必要と認めない限り、なるべくそんな性質の文字は、省いているのですから、あなたもそのつもりで虚心に読んで下さい。少しでもあなたの心に軽薄という疑念が起るようでは、せっかく書いて上げたものが、前後を通じて、何の役にも立たなくなる恐れがありますから。  私がまだ学校にいた時分、モハメッドについて伝えられた下のような物語を、何かの書物で読んだ事があります。モハメッドは向うに見える大きな山を、自分の足元へ呼び寄せて見せるというのだそうです。それを見たいものは何月何日を期してどこへ集まれというのだそうです。         四十  期日になって幾多の群衆が彼の周囲を取巻いた時、モハメッドは約束通り大きな声を出して、向うの山にこっちへ来いと命令しました。ところが山は少しも動き出しません。モハメッドは澄ましたもので、また同じ号令をかけました。それでも山は依然としてじっとしていました。モハメッドはとうとう三度号令を繰返さなければならなくなりました。しかし三度云っても、動く気色の見えない山を眺めた時、彼は群衆に向って云いました。――「約束通り自分は山を呼び寄せた。しかし山の方では来たくないようである。山が来てくれない以上は、自分が行くよりほかに仕方があるまい」。彼はそう云って、すたすた山の方へ歩いて行ったそうです。  この話を読んだ当時の私はまだ若うございました。私はいい滑稽の材料を得たつもりで、それを方々へ持って廻りました。するとそのうちに一人の先輩がありました。みんなが笑うのに、その先輩だけは「ああ結構な話だ。宗教の本義はそこにある。それで尽している」と云いました。私は解らぬながらも、その言葉に耳を傾けました。私が小田原で兄さんに同じ話を繰返したのは、それから何年目になりますか、話は同じ話でも、もう滑稽のためではなかったのです。 「なぜ山の方へ歩いて行かない」  私が兄さんにこう云っても、兄さんは黙っています。私は兄さんに私の主意が徹しないのを恐れて、つけ足しました。 「君は山を呼び寄せる男だ。呼び寄せて来ないと怒る男だ。地団太を踏んで口惜しがる男だ。そうして山を悪く批判する事だけを考える男だ。なぜ山の方へ歩いて行かない」 「もし向うがこっちへ来るべき義務があったらどうだ」と兄さんが云います。 「向うに義務があろうとあるまいと、こっちに必要があればこっちで行くだけの事だ」と私が答えます。 「義務のないところに必要のあるはずがない」と兄さんが主張します。 「じゃ幸福のために行くさ。必要のために行きたくないなら」と私がまた答えます。  兄さんはこれでまた黙りました。私のいう意味はよく兄さんに解っているのです。けれども是非、善悪、美醜の区別において、自分の今日までに養い上げた高い標準を、生活の中心としなければ生きていられない兄さんは、さらりとそれを擲って、幸福を求める気になれないのです。むしろそれにぶら下がりながら、幸福を得ようと焦燥るのです。そうしてその矛盾も兄さんにはよく呑み込めているのです。 「自分を生活の心棒と思わないで、綺麗に投げ出したら、もっと楽になれるよ」と私がまた兄さんに云いました。 「じゃ何を心棒にして生きて行くんだ」と兄さんが聞きました。 「神さ」と私が答えました。 「神とは何だ」と兄さんがまた聞きました。  私はここでちょっと自白しなければなりません。私と兄さんとこう問答をしているところを御読みになるあなたには、私がさも宗教家らしく映ずるかも知れませんが、――私がどうかして兄さんを信仰の道に引き入れようと力めているように見えるかも知れませんが、実を云うと、私は耶蘇にもモハメッドにも縁のない、平凡なただの人間に過ぎないのです。宗教というものをそれほど必要とも思わないで、漫然と育った自然の野人なのです。話がとかくそちらへ向くのは、全く相手に兄さんという烈しい煩悶家を控えているためだったのです。         四十一  私が兄さんにやられた原因も全くそこにあったのです。事実私は神というものを知らない癖に、神という言葉を口にしました。兄さんから反問された時に、それは天とか命とかいう意味と同じものだと漠然答えておいたら、まだよかったかも知れません。ところが前後の行きがかり上、私にはそんな説明の余裕がなくなりました。その時の問答はたしか下のような順序で進行したかと思います。 私「世の中の事が自分の思うようにばかりならない以上、そこに自分以外の意志が働いているという事実を認めなくてはなるまい」 「認めている」 私「そうしてその意志は君のよりも遥に偉大じゃないか」 「偉大かも知れない、僕が負けるんだから。けれども大概は僕のよりも不善で不美で不真だ。僕は彼らに負かされる訳がないのに負かされる。だから腹が立つのだ」 私「それは御互に弱い人間同志の競合を云うんだろう。僕のはそうじゃない、もっと大きなものを指すのだ」 「そんな瞹眛なものがどこにある」 私「なければ君を救う事ができないだけの話だ」 「じゃしばらくあると仮定して……」 私「万事そっちへ委任してしまうのさ。何分|宜しく御頼み申しますって。君、俥に乗ったら、落ことさないように車夫が引いてくれるだろうと安心して、俥の上で寝る事はできないか」 「僕は車夫ほど信用できる神を知らないのだ。君だってそうだろう。君のいう事は、全く僕のために拵えた説教で、君自身に実行する経典じゃないのだろう」 私「そうじゃない」 「じゃ君は全く我を投げ出しているね」 私「まあそうだ」 「死のうが生きようが、神の方で好いように取計ってくれると思って安心しているね」 私「まあそうだ」  私は兄さんからこう詰寄せられた時、だんだん危しくなって来るような気がしました。けれども前後の勢いが自分を支配している最中なので、またどうする訳にも行きません。すると兄さんが突然手を挙げて、私の横面をぴしゃりと打ちました。  私は御承知の通りよほど神経の鈍くできた性質です。御蔭で今日まで余り人と争った事もなく、また人を怒らした試も知らずに過ぎました。私の鈍いせいでもあったでしょうが、子供の時ですら親に打たれた覚えはありません。成人しては無論の事です。生れて始めて手を顔に加えられた私はその時われ知らずむっとしました。 「何をするんだ」 「それ見ろ」  私にはこの「それ見ろ」が解らなかったのです。 「乱暴じゃないか」と私が云いました。 「それ見ろ。少しも神に信頼していないじゃないか。やっぱり怒るじゃないか。ちょっとした事で気分の平均を失うじゃないか。落ちつきが顛覆するじゃないか」  私は何とも答えませんでした。また何とも答えられませんでした。そのうちに兄さんはつと座を立ちました。私の耳にはどんどん階子段を馳け下りて行く兄さんの足音だけが残りました。         四十二  私は下女を呼んで伴の御客さんはどうしたと聞いて見ました。 「今しがた表へ御出になりました。おおかた浜でしょう」  下女の返事が私の想像と一致したので、私はそれ以上の掛念を省いて、ごろりとそこに横になりました。すると衣桁の端にかかっている兄さんの夏帽子がすぐ眼に着きました。兄さんはこの暑いのに帽子も被らずにどこかへ飛び出して行ったのです。あなたのように、兄さんの一挙一動を心配する人から見たら、仰向けに寝そべったその時の私の姿は、少し呑気過ぎたかも知れません。これは固より私の鈍い神経の仕業に違ないのです。けれどもただ鈍いだけで説明する以外に、もう少し御参考になる点も交っているようですから、それをちょっと申上げます。  私は兄さんの頭を信じていました。私よりも鋭敏な兄さんの理解力に尊敬を払っていました。兄さんは時々普通の人に解らないような事を出し抜けに云います。それが知らないものの耳や、教育の乏しい男の耳には、どこかに破目の入った鐘の音として、変に響くでしょうけれども、よく兄さんを心得た私には、かえって習慣的な言説よりはありがたかったのです。私は平生からそこに兄さんの特色を認めていました。だから心配の必要はないと、あれほど強くあなたに断言して憚らなかったのです。それでいっしょに旅に出ました。旅へ出てからの兄さんは今まで私が叙述して来た通りですが、私はこの旅行先の兄さんのために、少しずつ故の考えを訂正しなければならないようになって来たのです。  私は兄さんの頭が、私より判然と整っている事について、今でも少しの疑いを挟さむ余地はないと思います。しかし人間としての今の兄さんは、故に較べると、どこか乱れているようです。そうしてその乱れる原因を考えて見ると、判然と整った彼の頭の働きそのものから来ているのです。私から云えば、整った頭には敬意を表したいし、また乱れた心には疑いをおきたいのですが、兄さんから見れば、整った頭、取りも直さず乱れた心なのです。私はそれで迷います。頭は確である、しかし気はことによると少し変かも知れない。信用はできる、しかし信用はできない。こう云ったらあなたはそれを満足な報道として受け取られるでしょうか。それよりほかに云いようのない私は、自分自身ですでに困ってしまったのです。  私は梯子段をどんどん馳け下りて行った兄さんをそのままにして、ごろりと横になりました。私はそれほど安心していたのです。帽子も被らずに出て行ったくらいだから、すぐ帰るにきまっていると考えたのです。しかし兄さんは予想通りそう手軽くは戻りませんでした。すると私もついに大の字になっていられなくなりました。私はしまいに明らかな不安を抱いて起ち上りました。  浜へ出ると、日はいつか雲に隠れていました。薄どんよりと曇り掛けた空と、その下にある磯と海が、同じ灰色を浴びて、物憂く見える中を、妙に生温い風が磯臭く吹いて来ました。私はその灰色を彩どる一点として、向うの波打際に蹲踞んでいる兄さんの姿を、白く認めました。私は黙ってその方角へ歩いて行きました。私は後から声をかけた時、兄さんはすぐ立ち上って「先刻は失敬した」と云いました。  兄さんは目的もなくまたとめどもなくそこいらを歩いたあげく、しまいに疲れたなりで疲れた場所に蹲踞んでしまったのだそうです。 「山に行こう。もうここは厭になった。山に行こう」  兄さんは今にも山へ行きたい風でした。         四十三  我々はその晩とうとう山へ行く事になりました。山と云っても小田原からすぐ行かれる所は箱根のほかにありません。私はこの通俗な温泉場へ、最も通俗でない兄さんを連れ込んだのです。兄さんは始めから、きっと騒々しいに違ないと云っていました。それでも山だから二三日は我慢できるだろうと云うのです。 「我慢しに温泉場へ行くなんてもったいない話だ」  これもその時兄さんの口から出た自嘲の言葉でした。はたして兄さんは着いた晩からして、やかましい隣室の客を我慢しなければならなくなりました。この客は東京のものか横浜のものか解りませんが、何でも言葉の使いようから判断すると、商人とか請負師とか仲買とかいう部に属する種類の人間らしく思われました。時々不調和に大きな声を出します。傍若無人に騒ぎます。そういう事にあまり頓着のない私さえずいぶん辟易しました。御蔭でその晩は兄さんも私もちっともむずかしい話をしずに寝てしまいました。つまり隣りの男が我々の思索を破壊するために騒いだ事に当るのです。  翌る朝私が兄さんに向って、「昨夜は寝られたか」と聞きますと、兄さんは首を掉って、「寝られるどころか。君は実に羨ましい」と答えました。私はどうしても寝つかれない兄さんの耳に、さかんな鼾声を終宵聞かせたのだそうです。  その日は夜明から小雨が降っていました。それが十時頃になると本降に変りました。午少し過には、多少の暴模様さえ見えて来ました。すると兄さんは突然立ち上って尻を端折ります。これから山の中を歩くのだと云います。凄まじい雨に打たれて、谷崖の容赦なくむやみに運動するのだと主張します。御苦労千万だとは思いましたが、兄さんを思い留らせるよりも、私が兄さんに賛成した方が、手数が省けますので、つい「よかろう」と云って、私も尻を端折りました。  兄さんはすぐ呼息の塞るような風に向って突進しました。水の音だか、空の音だか、何ともかとも喩えられない響の中を、地面から跳ね上る護謨球のような勢いで、ぽんぽん飛ぶのです。そうして血管の破裂するほど大きな声を出して、ただわあっと叫びます。その勢いは昨夜の隣室の客より何層倍猛烈だか分りません。声だって彼よりも遥に野獣らしいのです。しかもその原始的な叫びは、口を出るや否や、すぐ風に攫って行かれます。それをまた雨が追いかけて砕き尽します。兄さんはしばらくして沈黙に帰りました。けれどもまだ歩き廻りました。呼息が切れて仕方なくなるまで歩き廻りました。  我々が濡れ鼠のようになって宿へ帰ったのは、出てから一時間目でしたろうか、また二時間目にかかりましたろうか。私は臍の底まで冷えました。兄さんは唇の色を変えていました。湯に這入って暖まった時、兄さんはしきりに「痛快だ」と云いました。自然に敵意がないから、いくら征服されても痛快なんでしょう。私はただ「御苦労な事だ」と云って、風呂のなかで心持よく足を伸ばしました。  その晩は予期に反して、隣の室がひっそりと静まっていました。下女に聞いて見ると、兄さんを悩ました昨夕の客は、いつの間にかもう立ってしまったのでした。私が兄さんから思いがけない宗教観を聞かされたのはその宵の事です。私はちょっと驚きました。         四十四  あなたも現代の青年だから宗教という古めかしい言葉に対してあまり同情は持っていられないでしょう。私も小むずかしい事はなるべく言わずにすましたいのです。けれども兄さんを理解するためには、ぜひともそこへ触れて来なければなりません。あなたには興味もなかろうし、また意外でもあろうけれども、それを遠慮する以上、肝腎の兄さんが不可解になるだけだから、辛抱してここのところをとばさずに読んで下さい。辛抱さえなされば、あなたにはよく解る事なんです。読んでそうして善く兄さんを呑み込んだ上、御老人方の合点のゆかれるように御宅へ紹介して上げて下さい。私は兄さんについて過度の心労をされる御年寄に対して実際御気の毒に思っています。しかし今のところあなたを通してよりほかに、ありのままの兄さんを、兄さんの家庭に知らせる手段はないのだから、あなたも少し真面目になって、聞き慣れない字面に眼を御注ぎなさい。私は酔興でむずかしい事を書くのではありません。むずかしい事が活きた兄さんの一部分なのだから仕方がないのです。二つを引き離すと血や肉からできた兄さんもまた存在しなくなるのです。  兄さんは神でも仏でも何でも自分以外に権威のあるものを建立するのが嫌いなのです。。それではニイチェのような自我を主張するのかというとそうでもないのです。 「神は自己だ」と兄さんが云います。兄さんがこう強い断案を下す調子を、知らない人が蔭で聞いていると、少し変だと思うかも知れません。兄さんは変だと思われても仕方のないような激した云い方をします。 「じゃ自分が絶対だと主張すると同じ事じゃないか」と私が非難します。兄さんは動きません。 「僕は絶対だ」と云います。  こういう問答を重ねれば重ねるほど、兄さんの調子はますます変になって来ます。調子ばかりではありません、云う事もしだいに尋常を外れて来ます。相手がもし私のようなものでなかったならば、兄さんは最後まで行かないうちに、純粋な気違として早く葬られ去ったに違ありません。しかし私はそう容易く彼を見棄てるほどに、兄さんを軽んじてはいませんでした。私はとうとう兄さんを底まで押しつめました。  兄さんの絶対というのは、哲学者の頭から割り出された空しい紙の上の数字ではなかったのです。自分でその境地に入って親しく経験する事のできる判切した心理的のものだったのです。  兄さんは純粋に心の落ちつきを得た人は、求めないでも自然にこの境地に入れるべきだと云います。一度この境界に入れば天地も万有も、すべての対象というものがことごとくなくなって、ただ自分だけが存在するのだと云います。そうしてその時の自分は有るとも無いとも片のつかないものだと云います。偉大なようなまた微細なようなものだと云います。何とも名のつけようのないものだと云います。すなわち絶対だと云います。そうしてその絶対を経験している人が、俄然として半鐘の音を聞くとすると、その半鐘の音はすなわち自分だというのです。言葉を換えて同じ意味を表わすと、絶対即相対になるのだというのです、したがって自分以外に物を置き他を作って、苦しむ必要がなくなるし、また苦しめられる掛念も起らないのだと云うのです。 「根本義は死んでも生きても同じ事にならなければ、どうしても安心は得られない。すべからく現代を超越すべしといった才人はとにかく、僕は是非共|生死を超越しなければ駄目だと思う」  兄さんはほとんど歯を喰いしばる勢でこう言明しました。         四十五  私はこの場合にも自分の頭が兄さんに及ばないという事を自白しなければなりません。私は人間として、はたして兄さんのいうような境界に達せられべきものかをまだ考えていなかったのです。明瞭な順序で自然そこに帰着して行く兄さんの話を聞いた時、なるほどそんなものかと思いました。またそんなものでも無かろうかとも思いました。何しろ私はとかくの是非を挟さむだけの資格をもっていない人間に過ぎませんでした。私は黙々として熱烈な言葉の前に坐りました。すると兄さんの態度が変りました。私の沈黙が鋭い兄さんの鉾先を鈍らせた例は、今までにも何遍かありました。そうしてそれがことごとく偶然から来ているのです。もっとも兄さんのような聡明な人に、一種の思わくから黙って見せるという技巧を弄したら、すぐ観破されるにきまっていますから、私の鈍いのも時には一得になったのでしょう。 「君、僕を単に口舌の人と軽蔑してくれるな」と云った兄さんは、急に私の前に手を突きました。私は挨拶に窮しました。 「君のような重厚な人間から見たら僕はいかにも軽薄なお喋舌に違ない。しかし僕はこれでも口で云う事を実行したがっているんだ。実行しなければならないと朝晩考え続けに考えているんだ。実行しなければ生きていられないとまで思いつめているんだ」  私は依然として挨拶に困ったままでした。 「君、僕の考えを間違っていると思うか」と兄さんが聞きました。 「そうは思わない」と私が答えました。 「徹底していないと思うか」と兄さんがまた聞きました。 「根本的のようだ」と私がまた答えました。 「しかしどうしたらこの研究的な僕が、実行的な僕に変化できるだろう。どうぞ教えてくれ」と兄さんが頼むのです。 「僕にそんな力があるものか」と、思いも寄らない私は断るのです。 「いやある。君は実行的に生れた人だ。だから幸福なんだ。そう落ちついていられるんだ」と兄さんが繰り返すのです。  兄さんは真剣のようでした。私はその時|憮然として兄さんに向いました。 「君の智慧は遥に僕に優っている。僕にはとても君を救う事はできない。僕の力は僕より鈍いものになら、あるいは及ぼし得るかも知れない。しかし僕より聡明な君には全く無効である。要するに君は瘠せて丈が長く生れた男で、僕は肥えてずんぐり育った人間なんだ。僕の真似をして肥ろうと思うなら、君は君の背丈を縮めるよりほかに途はないんだろう」  兄さんは眼からぽろぽろ涙を出しました。 「僕は明かに絶対の境地を認めている。しかし僕の世界観が明かになればなるほど、絶対は僕と離れてしまう。要するに僕は図を披いて地理を調査する人だったのだ。それでいて脚絆を着けて山河を跋渉する実地の人と、同じ経験をしようと焦慮り抜いているのだ。僕は迂濶なのだ。僕は矛盾なのだ。しかし迂濶と知り矛盾と知りながら、依然としてもがいている。僕は馬鹿だ。人間としての君は遥に僕よりも偉大だ」  兄さんはまた私の前に手を突きました。そうしてあたかも謝罪でもする時のように頭を下げました。涙がぽたりぽたりと兄さんの眼から落ちました。私は恐縮しました。         四十六  箱根を出る時兄さんは「二度とこんな所は御免だ」と云いました。今まで通って来たうちで、兄さんの気に入った所はまだ一カ所もありません。兄さんは誰とどこへ行っても直厭になる人なのでしょう。それもそのはずです。兄さんには自分の身躯や自分の心からしてがすでに気に入っていないのですから。兄さんは自分の身躯や心が自分を裏切る曲者のように云います。それが徒爾半分の出放題でない事は、今日までいっしょに寝泊りの日数を重ねた私にはよく理解できます。その私からありのままの報知を受けるあなたにもとくと御合点が行く事だろうと思います。  こういう兄さんと、私がよくいっしょに旅ができると御思いになるかも知れません。私にも考えると、それが不思議なくらいです。兄さんを上に述べたように頭の中へ畳み込んだが最後、いかに遅鈍な私だって、御相手はでき悪い訳です。しかし事実私は今兄さんとこうして差向いで暮していながら、さほどに苦痛を感じてはいないのです。少くとも傍で想像するよりはよほど楽なのだろうと考えています。そうしてそれをなぜだと聞かれたら、ちょっと返答に差支えるのです。あなたも同じ兄さんについて同じ経験をなさりはしませんか。もし同じ経験をなさらないならば、骨肉を分けたあなたよりも、他人の私の方が、兄さんに親しい性質をもって生れて来たのでしょう。親しいというのは、ただ仲が好いと云う意味ではありません。和して納まるべき特性をどこか相互に分担して前へ進めるというつもりなのです。  私は旅へ出てから絶えず兄さんの気に障るような事を云ったりしたりしました。ある時は頭さえ打たれました。それでも私はあなたの家庭のすべての人の前に立って、私はまだ兄さんから愛想を尽かされていないという事を明言できると思います。同時に、一種の弱点を持ったこの兄さんを、私は今でも衷心から敬愛していると固く信じて疑わないのであります。  兄さんは私のような凡庸な者の前に、頭を下げて涙を流すほどの正しい人です。それをあえてするほどの勇気をもった人です。それをあえてするのが当然だと判断するだけの識見を具えた人です。兄さんの頭は明か過ぎて、ややともすると自分を置き去りにして先へ行きたがります。心の他の道具が彼の理智と歩調を一つにして前へ進めないところに、兄さんの苦痛があるのです。人格から云えばそこに隙間があるのです。成功から云えばそこに破滅が潜んでいるのです。この不調和を兄さんのために悲しみつつある私は、すべての原因をあまりに働き過ぎる彼の理智の罪に帰しながら、やっぱり、その理智に対する敬意を失う事ができないのです。兄さんをただの気むずかしい人、ただのわがままな人とばかり解釈していては、いつまで経っても兄さんに近寄る機会は来ないかも知れません。したがって少しでも兄さんの苦痛を柔げる縁は、永劫に去ったものと見なければなりますまい。  我々は前申した通り箱根を立ちました。そうして直にこの紅が谷の小別荘に入りました。私はその前ちょっと国府津に泊って見るつもりで、暗に一人ぎめのプログラムを立てていたのですが、とうとう兄さんにはそれを云い出さずにしまったのです。国府津でもまた「二度とこんな所は御免だ」と怒られそうでしたから。その上兄さんは私からこの別荘の話を聞いて、しきりにそこへ落ちつきたがっていたのです。         四十七  何にでも刺戟されやすい癖に、どんな刺戟にも堪え切れないと云った風の、今の兄さんには、草庵めいたこの別荘が最も適していたのかも知れません。兄さんは物静かな座敷から、谷一つ隔てて向うの崖の高い松を見上げた時、「好いな」と云ってそこへ腰をおろしました。 「あの松も君の所有だ」  私は慰めるような句調で、わざと兄さんの口吻を真似て見せました。修善寺ではとんと解らなかった「あの百合は僕の所有だ」とか、「あの山も谷も僕の所有だ」とか云った兄さんの言葉を想い出したからです。  別荘には留守番の爺さんが一人いましたが、これは我々と出違に自分の宅へ帰りました。それでも拭掃除のためや水を汲むために朝夕一度ぐらいずつは必ず来てくれます。男二人の事ですから、煮炊は無論できません。我々は爺さんに頼んで近所の宿屋から三度三度食事を運んで貰う事にしました。夜は電灯の設備がありますから、洋灯を点す手数は要らないのです。こういう訳で、朝起きてから夜寝るまでに、我々の是非やらなければならない事は、まあ床を延べて蚊帳を釣るくらいなものです。 「自炊よりも気楽で閑静だね」と兄さんが云います。実際今まで通って来た山や海のうちで、ここが一番|静に違ないのです。兄さんと差向いで黙っていると、風の音さえ聞こえない事があります。多少やかましいと思うのは珊瑚樹の葉隠れにぎいぎい軋る隣の車井戸の響ですが、兄さんは案外それには無頓着です。兄さんはだんだん落ちついて来るようです。私はもっと早く兄さんをここへ連れて来れば好かったと思いました。  庭先に少しばかりの畠があって、そこに茄子や唐もろこしが作ってあります。この茄子を※いで食おうかと相談しましたが、漬物に拵えるのが面倒なので、ついやめにしました。唐もろこしはまだ食べられるほど実が入りません。勝手口の井戸の傍に、トマトーが植えてあります。それを朝、顔を洗うついでに、二人で食いました。  兄さんは暑い日盛に、この庭だか畑だか分らない地面の上に下りて、じっと蹲踞んでいる事があります。時々かんなの花の香を嗅いで見たりします。かんなに香なんかありゃしません。凋んだ月見草の花片を見つめている事もあります。着いた日などは左隣の長者の別荘の境に生えている薄の傍へ行って、長い間立っていました。私は座敷からその様子を眺めていましたが、いつまで経っても兄さんが動かないので、しまいに縁先にある草履をつっかけて、わざわざ傍へ行って見ました。隣と我々の住居との仕切になっているそこは、高さ一間ぐらいの土堤で、時節柄一面の薄が蔽い被さっているのです。兄さんは近づいた私を顧みて、下の方にある薄の根を指さしました。  薄の根には蟹が這っていました。小さな蟹でした。親指の爪ぐらいの大きさしかありません。それが一匹ではないのです。しばらく見ているうちに、一匹が二匹になり、二匹が三匹になるのです。しまいにはあすこにもここにも蒼蠅いほど眼に着き出します。 「薄の葉を渡る奴があるよ」  兄さんはこんな観察をして、まだ動かずに立っています。私は兄さんをそこへ残してまたもとの席へ帰りました。  兄さんがこういう些細な事に気を取られて、ほとんど我を忘れるのを見る私は、はなはだ愉快です。これでこそ兄さんを旅行に連れ出した甲斐があると思うくらいです。その晩私はその意味を兄さんに話しました。         四十八 「先刻君は蟹を所有していたじゃないか」  私が兄さんに突然こう云いかけますと、兄さんは珍らしくあははと声を立てて愉快そうに笑いました。修善寺以後、私が時々所有という言葉を、妙な意味に使って見せるので、単にそれを滑稽と解釈している兄さんにはおかしく響くのでしょう。おかしがられるのは、怒られるよりもよっぽどましですが、事実私の方ではもっと真面目なのでした。 「絶対に所有していたのだろう」と私はすぐ云い直しました。今度は兄さんも笑いませんでした。しかしまだ何とも答えません。口を開くのはやはり私の番でした。 「君は絶対絶対と云って、この間むずかしい議論をしたが、何もそう面倒な無理をして、絶対なんかに這入る必要はないじゃないか。ああいう風に蟹に見惚れてさえいれば、少しも苦しくはあるまいがね。まず絶対を意識して、それからその絶対が相対に変る刹那を捕えて、そこに二つの統一を見出すなんて、ずいぶん骨が折れるだろう。第一人間にできる事か何だかそれさえ判然しやしない」  兄さんはまだ私を遮ろうとはしません。いつもよりはだいぶ落ちついているようでした。私は一歩先へ進みました。 「それより逆に行った方が便利じゃないか」 「逆とは」  こう聞き返す兄さんの眼には誠が輝いていました。 「つまり蟹に見惚れて、自分を忘れるのさ。自分と対象とがぴたりと合えば、君の云う通りになるじゃないか」 「そうかな」  兄さんは心元なさそうな返事をしました。 「そうかなって、君は現に実行しているじゃないか」 「なるほど」  兄さんのこの言葉はやはり茫然たるものでした。私はこの時ふと自分が今まで余計な事を云っていたのに気がつきました。実を云うと、私は絶対というものをまるで知らないのです。考えもしなかったのです。想像もした覚がないのです。ただ教育の御蔭でそう云う言葉を使う事だけを知っていたのです。けれども私は人間として兄さんよりも落ちついていました。落ちついているという事が兄さんより偉いという意味に聞こえては面目ないくらいなものですから、私は兄さんより普通一般に近い心の状態をもっていたと云い直しましょう。朋友として私の兄さんに向って働きかける仕事は、だからただ兄さんを私のような人並な立場に引き戻すだけなのです。しかしそれを別な言葉で云って見ると非凡なものを平凡にするという馬鹿気た意味にもなって来ます。もし兄さんの方で苦痛の訴えがないならば、私のようなものが、何で兄さんにこんな問答を仕かけましょう。兄さんは正直です。腑に落ちなければどこまでも問いつめて来ます。問いつめて来られれば、私には解らなくなります。それだけならまだしもですが、こういう批評的な談話を交換していると、せっかく実行的になりかけた兄さんを、またもとの研究的態度に戻してしまう恐れがあるのです。私は何より先にそれを気遣ました。私は天下にありとあらゆる芸術品、高山大河、もしくは美人、何でも構わないから、兄さんの心を悉皆奪い尽して、少しの研究的態度も萌し得ないほどなものを、兄さんに与えたいのです。そうして約一年ばかり、寸時の間断なく、その全勢力の支配を受けさせたいのです。兄さんのいわゆる物を所有するという言葉は、必竟物に所有されるという意味ではありませんか。だから絶対に物から所有される事、すなわち絶対に物を所有する事になるのだろうと思います。神を信じない兄さんは、そこに至って始めて世の中に落ちつけるのでしょう。         四十九  一昨日の晩は二人で浜を散歩しました。私たちのいる所から海辺までは約三丁もあります。細い道を通って、いったん街道へ出て、またそれを横切らなければ海の色は見えないのです。月の出にはまだ間がある時刻でした。波は存外暗く動いていました。眼がなれるまでは、水と磯との境目が判然分らないのです。兄さんはその中を容赦なくずんずん歩いて行きます。私は時々|生温い水に足下を襲われました。岸へ寄せる波の余りが、のし餅のように平らに拡がって、思いのほか遠くまで押し上げて来るのです。私は後から兄さんに、「下駄が濡れやしないか」と聞きました。兄さんは命令でも下すように、「尻を端折れ」と云いました。兄さんは先刻から足を汚す覚悟で、尻を端折っていたものと見えます。二三間離れた私にはそれが分らないくらい四囲が暗いのでした。けれども時節柄なんでしょう、避暑地だけあって人に会います。そうして会う人も会う人も、必ず男女二人連に限られていました。彼らは申し合せたように、黙って闇の中を辿って来ます。だから忽然私たちの前へ現われるまでは、まるで気がつかないのです。彼らが摺り抜けるように私たちの傍を通って行く時、眼を上げて物色すると、どれもこれも若い男と若い女ばかりです。私はこういう一対に何度か出合いました。  私が兄さんからお貞さんという人の話を聞いたのはその時の事でした。お貞さんは近頃大阪の方へ御嫁に行ったんだそうですから、兄さんはその宵に出逢った幾組かの若い男や女から、お貞さんの花嫁姿を連想でもしたのでしょう。  兄さんはお貞さんを宅中で一番慾の寡ない善良な人間だと云うのです。ああ云うのが幸福に生れて来た人間だと云って羨ましがるのです。自分もああなりたいと云うのです。お貞さんを知らない私は、何とも評しようがありませんから、ただそうかそうかと答えておきました。すると兄さんが「お貞さんは君を女にしたようなものだ」と云って砂の上へ立ちどまりました。私も立ちどまりました。  向うの高い所に微かな灯火が一つ眼に入りました。昼間見ると、その見当に赤い色の建物が樹の間隠に眺められますから、この灯火もおおかたその赤い洋館の主が点けているのでしょう。濃い夜陰の色の中にたった一つかけ離れて星のように光っているのです。私の顔はその灯火の方を向いていました。兄さんはまた浪の来る海をまともに受けて立ちました。  その時二人の頭の上で、ピアノの音が不意に起りました。そこは砂浜から一間の高さに、石垣を規則正しく積み上げた一構で、庭から浜へじかに通えるためでしょう、石垣の端には階段が筋違に庭先まで刻み上げてありました。私はその石段を上りました。  庭には家を洩れる電灯の光が、線のように落ちていました。その弱い光で照されていた地面は一体の芝生でした。花もあちこちに咲いているようでしたが、これは暗い上に広い庭なので、判然とは分りませんでした。ピアノの音は正面に見える洋館の、明るく照された一室から出るようでした。 「西洋人の別荘だね」 「そうだろう」  兄さんと私は石段の一番上の所に並んで腰をかけました。聞こえないようなまた聞こえるようなピアノの音が、時々二人の耳を掠めに来ます。二人共無言でした。兄さんの吸う煙草の先が時々赤くなりました。         五十  私はお貞さんのつづきでも出る事と思って、暗い中でそれとなく兄さんの声を待ち受けていたのですが、兄さんは煙草に魅せられた人のように、時々紙巻の先を赤くするだけで、なかなか口を開きません。それを石段の下へ投げて私の方へ向いた時は、もう話題がお貞さんを離れていました。私は少し意外に思いました。兄さんの題目は、お貞さんに関係のないばかりか、ピアノの音にも、広い芝生にも、美しい別荘にも、乃至は避暑にも旅行にも、すべて我々の周囲と現在とは全く交渉を絶った昔の坊さんの事でした。  坊さんの名はたしか香厳とか云いました。俗にいう一を問えば十を答え、十を問えば百を答えるといった風の、聡明霊利に生れついた人なのだそうです。ところがその聡明霊利が悟道の邪魔になって、いつまで経っても道に入れなかったと兄さんは語りました。悟を知らない私にもこの意味はよく通じます。自分の智慧に苦しみ抜いている兄さんにはなおさら痛切に解っているでしょう。兄さんは「全く多知多解が煩をなしたのだ」ととくに注意したくらいです。  数年の間|百丈禅師とかいう和尚さんについて参禅したこの坊さんはついに何の得るところもないうちに師に死なれてしまったのです。それで今度は※山という人の許に行きました。※山は御前のような意解識想をふり舞わして得意がる男はとても駄目だと叱りつけたそうです。父も母も生れない先の姿になって出て来いと云ったそうです。坊さんは寮舎に帰って、平生読み破った書物上の知識を残らず点検したあげく、ああああ画に描いた餅はやはり腹の足にならなかったと嘆息したと云います。そこで今まで集めた書物をすっかり焼き棄ててしまったのです。 「もう諦めた。これからはただ粥を啜って生きて行こう」  こう云った彼は、それ以後禅のぜの字も考えなくなったのです。善も投げ悪も投げ、父母の生れない先の姿も投げ、いっさいを放下し尽してしまったのです。それからある閑寂な所を選んで小さな庵を建てる気になりました。彼はそこにある草を芟りました。そこにある株を掘り起しました。地ならしをするために、そこにある石を取って除けました。するとその石の一つが竹藪にあたって戞然と鳴りました。彼はこの朗かな響を聞いて、はっと悟ったそうです。そうして一撃に所知を亡うと云って喜んだといいます。 「どうかして香厳になりたい」と兄さんが云います。兄さんの意味はあなたにもよく解るでしょう。いっさいの重荷を卸して楽になりたいのです。兄さんはその重荷を預かって貰う神をもっていないのです。だから掃溜か何かへ棄ててしまいたいと云うのです。兄さんは聡明な点においてよくこの香厳という坊さんに似ています。だからなおのこと香厳が羨ましいのでしょう。  兄さんの話は西洋人の別荘や、ハイカラな楽器とは、全く縁の遠いものでした。なぜ兄さんが暗い石段の上で、磯の香を嗅ぎながら、突然こんな話をし出したか、それは私には解りません。兄さんの話が済んだ頃はピアノの音ももう聞こえませんでした。潮に近いためか、夜露のせいか、浴衣が湿っぽくなっていました。私は兄さんを促してまたもとの道へ引き返しました。往来へ出た時、私は行きつけの菓子屋へ寄って饅頭を買いました。それを食いながら暗い中を黙って宅まで帰って来ました。留守を頼んでおいた爺さんの所の子供は、蚊に喰われるのも構わずぐうぐう寝ていました。私は饅頭の余りをやって、すぐ子供を帰してやりました。         五十一  昨日の朝食事をした時、飯櫃を置いた位地の都合から、私が兄さんの茶碗を受けとって、一膳目の御飯をよそってやりますと、兄さんはまたお貞さんの名を私の耳に訴えました。お貞さんがまだ嫁に行かないうちは、ちょうど今私がしたように、始終兄さんのお給仕をしたものだそうですね。昨夜は性格の点からお貞さんに比較され、今朝はまたお給仕の具合で同じお貞さんにたとえられた私は、つい兄さんに向って質問を掛けて見る気になりました。 「君はそのお貞さんとかいう人と、こうしていっしょに住んでいたら幸福になれると思うのか」  兄さんは黙って箸を口へ持って行きました。私は兄さんの態度から推して、おおかた返事をするのが厭なんだろうと考えたので、それぎり後を推しませんでした。すると兄さんの答が、御飯を二口三口|嚥み下したあとで、不意に出て来ました。 「僕はお貞さんが幸福に生れた人だと云った。けれども僕がお貞さんのために幸福になれるとは云やしない」  兄さんの言葉はいかにも論理的に終始を貫いて真直に見えます。けれども暗い奥には矛盾がすでに漂よっています。兄さんは何にも拘泥していない自然の顔をみると感謝したくなるほど嬉しいと私に明言した事があるのです。それは自分が幸福に生れた以上、他を幸福にする事もできると云うのと同じ意味ではありませんか。私は兄さんの顔を見てにやにやと笑いました。兄さんはそうなるとただではすまされない男です。すぐ食いついて来ます。 「いや本当にそうなのだ。疑ぐられては困る。実際僕の云った事は云った事で、云わない事は云わない事なんだから」  私は兄さんに逆らいたくはありませんでした。けれどもこれほど頭の明かな兄さんが、自分の平生から軽蔑している言葉の上の論理を弄んで、平気でいるのは少しおかしいと思いました。それで私の腹にあった兄さんの矛盾を遠慮なく話して聞かせました。  兄さんはまた無言で飯を二口ほど頬張りました。兄さんの茶碗はその時|空になりましたが、飯櫃は依然として兄さんの手の届かない私の傍にありました。私はもう一遍給仕をする考えで、兄さんの鼻の先へ手を出したのです。ところが今度は兄さんが応じません。こっちへ寄こしてくれと云います。  私は飯櫃を向うへ押してやりました。兄さんは自分でしゃもじを取って、飯をてこ盛にもり上げました。それからその茶碗を膳の上に置いたまま、箸も執らずに私に問いかけるのです。 「君は結婚前の女と、結婚後の女と同じ女だと思っているのか」  こうなると私にはおいそれと返事ができなくなります。平生そんな事を考えて見ないからでもありましょうが。今度は私の方が飯を二口三口立て続けに頬張って、兄さんの説明を待ちました。 「嫁に行く前のお貞さんと、嫁に行ったあとのお貞さんとはまるで違っている。今のお貞さんはもう夫のためにスポイルされてしまっている」 「いったいどんな人のところへ嫁に行ったのかね」と私が途中で聞きました。 「どんな人のところへ行こうと、嫁に行けば、女は夫のために邪になるのだ。そういう僕がすでに僕の妻をどのくらい悪くしたか分らない。自分が悪くした妻から、幸福を求めるのは押が強過ぎるじゃないか。幸福は嫁に行って天真を損われた女からは要求できるものじゃないよ」  兄さんはそういうや否や、茶碗を取り上げて、むしゃむしゃてこ盛の飯を平らげました。         五十二  私は旅行に出てから今日に至るまでの兄さんを、これでできるだけ委しく書いたつもりです。東京を立ったのはつい昨日のようですが、指を折るともう十日あまりになります。私の音信をあてにして待っておられるあなたや御年寄には、この十日が少し長過ぎたかも知れません。私もそれは察しています。しかしこの手紙の冒頭に御断りしたような事情のために、ここへ来て落ちつくまでは、ほとんど筆を執る余裕がなかったので、やむをえず遅れました。その代り過去十日間のうち、この手紙に洩れた兄さんは一日もありません。私は念を入れてその日その日の兄さんをことごとくこの一封のうちに書き込めました。それが私の申訳です。同時に私の誇りです。私は当初の予期以上に、私の義務を果し得たという自信のもとに、この手紙を書き終るのですから。  私の費やした時間は、時計の針で仕事の分量を計算して見ない努力だから、数字としては申し上げられませんが、ずいぶんの骨折には違ありませんでした。私は生れて始めてこんな長い手紙を書きました。無論一気には書けません、一日にも書けません。ひまの見つかり次第机に向って書きかけたあとを書き続けて行ったのです。しかしそれは何でもありません。もし私の見た兄さんと、私の理解した兄さんがこの一封のうちに動いているならば、私は今より数層倍の手数と労力を費やしても厭わないつもりです。  私は私の親愛するあなたの兄さんのために、この手紙を書きます。それから同じく兄さんを親愛するあなたのためにこの手紙を書きます。最後には慈愛に充ちた御年寄、あなたと兄さんの御父さんや御母さんのためにもこの手紙をかきます。私の見た兄さんはおそらくあなた方の見た兄さんと違っているでしょう。私の理解する兄さんもまたあなた方の理解する兄さんではありますまい。もしこの手紙がこの努力に価するならば、その価は全くそこにあると考えて下さい。違った角度から、同じ人を見て別様の反射を受けたところにあると思って御参考になさい。  あなた方は兄さんの将来について、とくに明瞭な知識を得たいと御望みになるかも知れませんが、予言者でない私は、未来に喙を挟さむ資格を持っておりません。雲が空に薄暗く被さった時、雨になる事もありますし、また雨にならずにすむ事もあります。ただ雲が空にある間、日の目の拝まれないのは事実です。あなた方は兄さんが傍のものを不愉快にすると云って、気の毒な兄さんに多少非難の意味を持たせているようですが、自分が幸福でないものに、他を幸福にする力があるはずがありません。雲で包まれている太陽に、なぜ暖かい光を与えないかと逼るのは、逼る方が無理でしょう。私はこうしていっしょにいる間、できるだけ兄さんのためにこの雲を払おうとしています。あなた方も兄さんから暖かな光を望む前に、まず兄さんの頭を取り巻いている雲を散らしてあげたらいいでしょう。もしそれが散らせないなら、家族のあなた方には悲しい事ができるかも知れません。兄さん自身にとっても悲しい結果になるでしょう。こういう私も悲しゅうございます。  私は過去十日間の兄さんを、書きました。この十日間の兄さんが、未来の十日間にどうなるかが問題で、その問題には誰も答えられないのです。よし次の十日間を私が受け合うにしたところで、次の一カ月、次の半年の兄さんを誰が受け合えましょう。私はただ過去十日間の兄さんを忠実に書いただけです。頭の鋭くない私が、読み直すひまもなくただ書き流したものだから、そのうちには定めて矛盾があるでしょう。頭の鋭い兄さんの言行にも気のつかないところに矛盾があるかも知れません。けれども私は断言します。兄さんは真面目です。けっして私をごまかそうとしてはいません。私も忠実です。あなたを欺く気は毛頭ないのです。  私がこの手紙を書き始めた時、兄さんはぐうぐう寝ていました。この手紙を書き終る今もまたぐうぐう寝ています。私は偶然兄さんの寝ている時に書き出して、偶然兄さんの寝ている時に書き終る私を妙に考えます。兄さんがこの眠から永久|覚めなかったらさぞ幸福だろうという気がどこかでします。同時にもしこの眠から永久覚めなかったらさぞ悲しいだろうという気もどこかでします」  さっきから松原を通ってるんだが、松原と云うものは絵で見たよりもよっぽど長いもんだ。いつまで行っても松ばかり生えていていっこう要領を得ない。こっちがいくら歩行たって松の方で発展してくれなければ駄目な事だ。いっそ始めから突っ立ったまま松と睨めっ子をしている方が増しだ。  東京を立ったのは昨夕の九時頃で、夜通しむちゃくちゃに北の方へ歩いて来たら草臥れて眠くなった。泊る宿もなし金もないから暗闇の神楽堂へ上ってちょっと寝た。何でも八幡様らしい。寒くて目が覚めたら、まだ夜は明け離れていなかった。それからのべつ平押しにここまでやって来たようなものの、こうやたらに松ばかり並んでいては歩く精がない。  足はだいぶ重くなっている。膨ら脛に小さい鉄の才槌を縛り附けたように足掻に骨が折れる。袷の尻は無論|端折ってある。その上|洋袴下さえ穿いていないのだから不断なら競走でもできる。が、こう松ばかりじゃ所詮敵わない。  掛茶屋がある。葭簀の影から見ると粘土のへっついに、錆た茶釜が掛かっている。床几が二尺ばかり往来へ食み出した上から、二三足|草鞋がぶら下がって、袢天だか、どてらだか分らない着物を着た男が背中をこちらへ向けて腰を掛けている。  休もうかな、廃そうかなと、通り掛りに横目で覗き込んで見たら、例の袢天とどてらの中を行く男が突然こっちを向いた。煙草の脂で黒くなった歯を、厚い唇の間から出して笑っている。これはと少し気味が悪くなり掛ける途端に、向うの顔は急に真面目になった。今まで茶店の婆さんとさる面白い話をしていて、何の気もつかずに、ついそのままの顔を往来へ向けた時に、ふと自分の面相に出っ喰したものと見える。ともかく向うが真面目になったのでようやく安心した。安心したと思う間もなくまた気味が悪くなった。男は真面目になった顔を真面目な場所に据えたまま、白眼の運動が気に掛かるほどの勢いで自分の口から鼻、鼻から額とじりじり頭の上へ登って行く。鳥打帽の廂を跨いで、脳天まで届いたと思う頃また白眼がじりじり下へ降って来た。今度は顔を素通りにして胸から臍のあたりまで来るとちょっと留まった。臍の所には蟇口がある。三十二銭|這入っている。白い眼は久留米絣の上からこの蟇口を覘ったまま、木綿の兵児帯を乗り越してやっと股倉へ出た。股倉から下にあるものは空脛ばかりだ。いくら見たって、見られるようなものは食ッ附いちゃいない。ただ不断より少々重たくなっている。白い眼はその重たくなっている所を、わざっと、じりじり見て、とうとう親指の痕が黒くついた俎下駄の台まで降って行った。  こう書くと、何だか、長く一所に立っていて、さあ御覧下さいと云わないばかりに振舞ったように思われるがそうじゃない。実は白い眼の運動が始まるや否や急に茶店へ休むのが厭になったから、すたすた歩き出したつもりである。にもかかわらず、このつもりが少々|覚束なかったと見えて、自分が親指にまむしを拵えて、俎下駄を捩る間際には、もう白い眼の運動は済んでいた。残念ながら向うは早いものである。じりじり見るんだから定めし手間が掛かるだろうと思ったら大間違い。じりじりには相違ない、どこまでも落ちついている。がそれで滅法早い。茶屋の前を通り越しながら、世の中には、妙な作用を持ってる眼があるものだと思ったくらいである。それにしても、ああ緩くり見られないうちに、早く向き直る工夫はなかったもんだろうか。さんざっ腹冷かされて、さあ御帰り、用はないからと云う段になって、もう御免蒙りますと立ち上ったようなものだ。こっちは馬鹿気ている。あっちは得意である。  歩き出してから五六間の間は変に腹が立った。しかし不愉快は五六間ですぐ消えてしまった。と思うとまた足が重くなった。――この足だもの。何しろ鉄の才槌を双方の足へ縛り附けて歩いてるんだから、敏活の行動は出来ないはずだ。あの白い眼にじりじりやられたのも、満更持前の半間からばかり来たとも云えまい。こう思い直して見ると下らない。  その上こんな事を気にしていられる身分じゃない。いったん飛び出したからは、もうどうあっても家へ戻る了簡はない。東京にさえ居り切れない身体だ。たとい田舎でも落ちつく気はない。休むと後から追っ掛けられる。昨日までのいさくさが頭の中を切って廻った日にはどんな田舎だってやり切れない。だからただ歩くのである。けれども別段に目的もない歩き方だから、顔の先一間四方がぼうとして何だか焼き損なった写真のように曇っている。しかもこの曇ったものが、いつ晴れると云う的もなく、ただ漠然と際限もなく行手に広がっている。いやしくも自分が生きている間は五十年でも六十年でも、いくら歩いても走ても依然として広がっているに違いない。ああ、つまらない。歩くのはいたたまれないから歩くので、このぼんやりした前途を抜出すために歩くのではない。抜け出そうとしたって抜け出せないのは知れ切っている。  東京を立った昨夜の九時から、こう諦はつけてはいるが、さて歩き出して見ると、歩きながら気が気でない。足も重い、松が厭きるほど行列している。しかし足よりも松よりも腹の中が一番苦しい。何のために歩いているんだか分らなくって、しかも歩かなくっては一刻も生きていられないほどの苦痛は滅多にない。  のみならず歩けば歩くほどとうてい抜ける事のできない曇った世界の中へだんだん深く潜り込んで行くような気がする。振り返ると日の照っている東京はもう代が違っている。手を出しても足を伸ばしても、この世では届かない。まるで娑婆が違う。そのくせ暖かな朗かな東京は、依然として眼先にありありと写っている。おういと日蔭から呼びたくなるくらい明かに見える。と同時に足の向いてる先は漠々たるものだ。この漠々のうちへ――命のあらん限り広がっているこの漠々のうちへ――自分はふらふら迷い込むのだから心細い。  この曇った世界が曇ったなりはびこって、定業の尽きるまで行く手を塞いでいてはたまらない。留まった片足を不安の念に駆られて一歩前へ出すと、一歩不安の中へ踏み込んだ訳になる。不安に追い懸けられ、不安に引っ張られて、やむを得ず動いては、いくら歩いてもいくら歩いても埓が明くはずがない。生涯片づかない不安の中を歩いて行くんだ。とてもの事に曇ったものが、いっそだんだん暗くなってくれればいい。暗くなった所をまた暗い方へと踏み出して行ったら、遠からず世界が闇になって、自分の眼で自分の身体が見えなくなるだろう。そうなれば気楽なものだ。  意地の悪い事に自分の行く路は明るくもなってくれず、と云って暗くもなってくれない。どこまでも半陰半晴の姿で、どこまでも片づかぬ不安が立て罩めている。これでは生甲斐がない、さればと云って死に切れない。何でも人のいない所へ行って、たった一人で住んでいたい。それが出来なければいっその事……  不思議な事にいっその事と観念して見たが別にどきんともしなかった。今まで東京にいた時分いっその事と無分別を起しかけた事もたびたびあるが、そのたびたびにどきんとしない事はなかった。後からぞっとして、まあ善かったと思わない事もなかった。ところが今度は天からどきんともぞっともしない。どきんとでもぞっとでも勝手にするが善いと云うくらいに、不安の念が胸一杯に広がっていたんだろう。その上いっその事を断行するのが今が今ではないと云う安心がどこかにあるらしい。明日になるか明後日になるか、ことに由ったら一週間も掛るか、まかり間違えば無期限に延ばしても差支ないと高を括っていたせいかも知れない。華厳の瀑にしても浅間の噴火口にしても道程はまだだいぶあるくらいは知らぬ間に感じていたんだろう。行き着いていよいよとならなければ誰がどきんとするものじゃない。したがっていっその事を断行して見ようと云う気にもなる。この一面に曇った世界が苦痛であって、この苦痛をどきんとしない程度において免れる望があると思えば重い足も前に出し甲斐がある。まずこのくらいの決心であったらしい。しかしこれはあとから考えた心理状態の解剖である。その当時はただ暗い所へ出ればいい。何でも暗い所へ行かなければならないと、ひたすら暗い所を目的に歩き出したばかりである。今考えると馬鹿馬鹿しいが、ある場合になると吾々は死を目的にして進むのを責てもの慰藉と心得るようになって来る。ただし目指す死は必ず遠方になければならないと云う事も事実だろうと思う。少くとも自分はそう考える。あまり近過ぎると慰藉になりかねるのは死と云う因果である。  ただ暗い所へ行きたい、行かなくっちゃならないと思いながら、雲を攫むような料簡で歩いて来ると、後からおいおい呼ぶものがある。どんなに魂がうろついてる時でも呼ばれて見ると性根があるのは不思議なものだ。自分は何の気もなく振り向いた。応ずるためと云う意識さえ持たなかったのは事実である。しかし振り向いて見て始めて気がついた。自分はさっきの茶店からまだ二十間とは離れていない。その茶店の前の往来へ、例の袢天とどてらの合の子が出て、脂だらけの歯をあらわに曝しながらしきりに自分を呼んでいる。  昨夕東京を立ってから、まだ人間に口を利いた事がない。人から言葉を掛けられようなどとは夢にも予期していなかった。言葉を掛けられる資格などはまるで無いものと自信し切っていた。ところへ突然呼び懸けられたのだから――粗末な歯並びだが向き出しに笑顔を見せてしきりに手招きをしているのだから、ぼんやり振り返った時の心持が、自然と判然すると共に、自分の足はいつの間にか、その男の方へ動き出した。  実を云うとこの男の顔も服装も動作もあんまり気に入っちゃいない。ことにさっき白い眼でじろじろやられた時なぞは、何となく嫌悪の念が胸の裡に萌し掛けたくらいである。それがものの二十間とも歩かないうちに以前の感情はどこかへ消えてしまって、打って変った一種の温味を帯びた心持で後帰りをしたのはなぜだか分らない。自分は暗い所へ行かなければならないと思っていた。だから茶店の方へ逆戻りをし始めると自分の目的とは反対の見当に取って返す事になる。暗い所から一歩立ち退いた意味になる。ところがこの立退が何となく嬉しかった。その後いろいろ経験をして見たが、こんな矛盾は到る所に転がっている。けっして自分ばかりじゃあるまいと思う。近頃ではてんで性格なんてものはないものだと考えている。よく小説家がこんな性格を書くの、あんな性格をこしらえるのと云って得意がっている。読者もあの性格がこうだの、ああだのと分ったような事を云ってるが、ありゃ、みんな嘘をかいて楽しんだり、嘘を読んで嬉しがってるんだろう。本当の事を云うと性格なんて纏ったものはありゃしない。本当の事が小説家などにかけるものじゃなし、書いたって、小説になる気づかいはあるまい。本当の人間は妙に纏めにくいものだ。神さまでも手古ずるくらい纏まらない物体だ。しかし自分だけがどうあっても纏まらなく出来上ってるから、他人も自分同様|締りのない人間に違ないと早合点をしているのかも知れない。それでは失礼に当る。  とにかく引き返して目倉縞の傍まで行くと、どてらはさも馴れ馴れしい声で 「若い衆さん」 と云いながら、大きな顎を心持|襟の中へ引きながら自分の額のあたりを見詰めている。自分は好加減なところで、茶色の足を二本立てたまま、 「何か用ですか」 と叮嚀に聞いた。これが平生ならこんなどてらから若い衆さんなんて云われて快よく返辞をする自分じゃない。返辞をするにしてもうんとか何だとかで済したろうと思う。ところがこの時に限って、人相のよくないどてらと自分とは全く同等の人間のような気持がした。別に利害の関係からしてわざと腰を低く出たんじゃ、けっしてない。するとどてらの方でも自分を同程度の人間と見做したような語気で、 「御前さん、働く了簡はないかね」 と云った。自分は今が今まで暗い所へ行くよりほかに用のない身と覚悟していたんだから、藪から棒に働く了簡はないかねと聞かれた時には、何と答えて善いか、さっぱり訳が分らずに、空脛を突っ張ったまま、馬鹿見たような口を開けて、ぼんやり相手を眺めていた。 「御前さん、働く了簡はないかね。どうせ働かなくっちゃならないんだろう」 とどてらがまた問い返した。問い返された時分にはこっちの腹も、どうか、こうか、受け答の出来るくらいに眼前の事況を会得するようになった。 「働いても善いですが」  これは自分の答である。しかしこの答がいやしくも口に出て来るほどに、自分の頭が間に合せの工面にせよ、やっと片づいたと云うものは、単純ながら一順の過程を通っておる。  自分はどこへ行くんだか分らないが、なにしろ人のいないところへ行く気でいた。のに振り向いてどてらの方へあるき出したのだから、歩き出しながら何となく自分に対して憫然な感がある。と云うものはいくらどてらでも人間である。人間のいない方へ行くべきものが、人間の方へ引き戻されたんだから、ことほどさように人間の引力が強いと云う事を証拠立てると同時に、自分の所志にもう背かねばならぬほどに自分は薄弱なものであったと云う事をも証拠立てている。手短に云うと、自分は暗い所へ行く気でいるんだが、実のところはやむを得ず行くんで、何か引っかかりが出来れば、得たり賢しと普通の娑婆に留まる了簡なんだろうと思われる。幸いに、どてらが向うから引っかかってくれたんで、何の気なしに足が後向きに歩き出してしまったのだ。云わば自分の大目的に申し訳のない裏切りをちょっとして見た訳になる。だからどてらが働く気はないかねと出てくれずに、御前さん野にするかね、それとも山にするかねとでも切り出したら、しばらく安心して忘れかけた目的を、ぎょっと思い出させられて、急に暗い所や、人のいない所が怖くなってぞっとしたに違ない。それほどの娑婆気が、戻り掛ける途端にもう萌していたのである。そうしてどてらに呼ばれれば呼ばれるほど、どてらの方へ近寄れば近寄るほど、この娑婆気は一歩ごとに増長したものと見える。最後に空脛を二本、棒のようにどてらの真向うに突っ立てた時は、この娑婆気が最高潮に達した瞬間である。その瞬間に働く気はないかねと来た。御粗末などてらだが非常に旨く自分の心理状態を利用した勧誘である。だし抜けの質問に一時はぼんやりしたようなものの、ぼんやりから覚めて見れば、自分はいつか娑婆の人間になっている。娑婆の人間である以上は食わなければならない。食うには働かなくっちゃ駄目だ。 「働いても、いいですが」  答は何の苦もなく自分の口から滑り出してしまった。するとどてらはそうだろうそのはずさと云うような顔つきをした。自分は不思議にもこの顔つきをもっともだと首肯した。 「働いても、いいですが、全体どんな事をするんですか」 と自分はここで再び聞き直して見た。 「大変|儲かるんだが、やって見る気はあるかい。儲かる事は受合なんだ」  どてらは上機嫌の体で、にこにこ笑いながら、自分の返事を待っている。どうせどてらの笑うんだから、愛嬌にもなんにもなっちゃいない。元来笑うだけ損になるようにでき上がってる顔だ。ところがその笑い方が妙になつかしく思われて 「ええやって見ましょう」 と受けてしまった。 「やって見る? そいつあ結構だ。君|儲かるよ」 「そんなに儲けなくっても、いいですが……」 「え?」  どてらはこの時妙な声を出した。 「全体どんな仕事なんですか」 「やるなら話すが、やるだろうね、お前さん。話した後で厭だなんて云われちゃ困るが。きっとやるだろうね」  どてらはむやみに念を押す。自分はそこで、 「やる気です」 と答えた。しかしこの答は前のように自然天然には出なかった。云わばいきみ出した答である。大抵の事ならやって退けるが、万一の場合には逃げを張る気と見えた。だからやりますと云わずにやる気ですと云ったんだろう。――こう自分の事を人の事のように書くのは何となく変だが、元来人間は締りのないものだから、はっきりした事はいくら自分の身の上だって、こうだとは云い切れない。まして過去の事になると自分も人も区別はありゃしない。すべてがだろうに変化してしまう。無責任だと云われるかも知れないが本当だから仕方がない。これからさきも危しいところはいつでもこの式で行くつもりだ。  そこでどてらは略話が纏ったものと呑み込んで 「じゃ、まあ御這入り。緩くり御茶でも呑んで話すから」 と云う。別に異存もないから、茶店に這入ってどてらの隣りに腰をおろしたら、口のゆがんだ四十ばかりの神さんが妙な臭いのする茶を汲んで出した。茶を飲んだら、急に思い出したように腹が減って来た。減って来たのか、減っていたのに気がついたのか分らない。蟇口には三十二銭這入っている、何か食おうかしらと考えていると 「君、煙草を呑むかい」 と、どてらが「朝日」の袋を横から差し出した。なかなか御世辞がいい。袋の角が裂けてるのは仕方がないが、何だか薄穢なく垢づいた上に、びしゃりと押し潰されて、中にある煙草がかたまって、一本になってるように思われる。袖のないどてらだから、入れ所に窮して腹掛の隠しへでも捩じ込んで置くものと見える。 「ありがとう、たくさんです」 と断ると、どてらは別に失望の体もなく、自分でかたまったうちの一本を、爪垢のたまった指先で引っ張り出した。はたせるかな煙草は皺だらけになって、太刀のように反っている。それでも破けた所もないと見えて、すぱすぱ吸うと鼻から煙が出る。際どいところで煙草の用を足しているから不思議だ。 「御前さん、幾年になんなさる」  どてらは自分の事を御前さんと云ったり君と云ったりするようだが、何で区別するんだか要領を得ない。今までのところで察して見ると、儲かるときには君になって、不断の時には御前さんに復するようにも見える。何でも儲かる事がだいぶん気になっているらしい。 「十九です」 と答えた。実際その時は十九に違なかったのである。 「まだ若いんだね」 と口のゆがんだ神さんが、後向になって盆を拭きながら云った。後向きだから、どんな顔つきをしているか見えない。独り言だかどてらに話しかけてるんだか、それとも自分を相手にする気なんだか分らなかった。するとどてらは、さも調子づいた様子で、 「そうさ、十九じゃ若いもんだ。働き盛りだ」 と、どうしても働かなくっちゃならないような語気である。自分はだまって床几を離れた。  正面に駄菓子を載せる台があって、縁の毀れた菓子箱の傍に、大きな皿がある。上に青い布巾がかかっている下から、丸い揚饅頭が食み出している。自分はこの饅頭が喰いたくなったから、腰を浮かして菓子台の前まで来たのだが、傍へ来て、つらつら饅頭の皿を覗き込んで見ると、恐ろしい蠅だ。しかもそれが皿の前で自分が留まるや否や足音にパッと四方に散ったんで、おやと思いながら、気を落ちつけて少しく揚饅頭を物色していると、散らばった蠅は、もう大風が通り越したから大丈夫だよと申し合せたように、再びぱっと饅頭の上へ飛び着いて来た。黄色い油切った皮の上に、黒いぽちぽちが出鱈目にできる。手を出そうかなと思う矢先へもって来て、急に黒い斑点が、晴夜の星宿のごとく、縦横に行列するんだから、少し辟易してしまって、ぼんやり皿を見下していた。 「御饅頭を上がんなさるかね。まだ新しい。一昨日揚げたばかりだから」  かみさんは、いつの間にか盆を拭いてしまって、菓子台の向側に立っている。自分は不意と眼を上げて神さんを見た。すると神さんは何と思ったか、いきなり、節太の手を皿の上に翳して、 「まあ、大変な蠅だ事」 と云いながら、翳した手を竪に切って、二三度左右へ振った。 「上がるんなら取って上げよう」  神さんはたちまち棚の上から木皿を一枚おろして、長い竹の箸で、饅頭をぽんぽんぽんと七つほど挟み込んで、 「こっちがいいでしょう」 と木皿を、自分の腰を掛けていた床几の上へ持って行った。自分は仕方がないからまたもとの席へ帰って、木皿の隣へ腰を掛けた。見ると、もう蠅が飛んで来ている。自分は蠅と饅頭と木皿を眺めながら、どてらに向って 「一つどうです」 と云って見た。これはあながち「朝日」の御礼のためばかりではない。幾分かはどてらが一昨日揚げた蠅だらけの饅頭を食うだろうか食わないだろうか試して見る腹もあったらしい。するとどてらは 「や、すまない」 と云いながら、何の苦もなく一番上の奴を取って頬張っちまった。唇の厚い口をもごつかせているところを観察すると、満更でもなさそうに見えた。そこで自分も思い切って、こちら側の下から、比較的|奇麗なのを摘み出して、あんぐりやった。油の味が舌の上へ流れ出したと思う間もなく、その中から苦い餡が卒然として味覚を冒して来た。しかしこの際だから別にしまったとも思わなかった。難なく餡も皮も油もぐいと胃の腑へ呑み下してしまったら、自然と手がまた木皿の方へ出たから不思議なものだ。どてらはこの時もう第二の饅頭を平らげて、第三に移っている。自分に比較すると大変速力が早い。そうして食ってる間は口を利かない。働く事も儲かる事もまるで忘れているらしい。したがって七つの饅頭は呼吸を二三度するうちに無くなってしまった。しかも自分はたった二つしか食わない。残る五つは瞬く間にどてらのためにしてやられたのである。  いかに逡巡をするほどの汚ならしいものでも、一度皮切りをやると、あとはそれほど神経に障らずに食えるものだ。これはあとで山へ行ってしみじみ経験した事で、今では何でもない陳腐の真理になってしまったが、その時は饅頭を食いながら少々|呆れたくらい後が食いたくなった。それに腹は減っている。その上相手がどてらである。このどてらが事もなげに、砂のついた饅頭をぱくつくところを見ると、多少は競争の気味にもなって、神経などは有っても役に立たない、起すだけが損だと云う心持になる。そこで自分はとうとう神さんにたのんで饅頭の御代りを貰った。  今度は「一つ、どうです」とも何とも云わずに、木皿が床几の上に乗るや否や、自分の方でまず一つ頬張った。するとどてらも、「や、すまない」とも何とも云わずに、だまって一つ頬張った。次に自分がまた一つ頬張る。次にどてらがまた一つ頬張る。互違に頬張りっ子をして六つ目まで来た時、たった一つ残った。これが幸い自分の番に当っているので、どてらが手を出さないうちに、自分が頬張ってしまった。それからまた御代りを貰った。 「君だいぶやるね」 とどてらが云った。自分はだいぶやる気も何もなかったが、云われて見るとだいぶやるに違ない。しかしこれは初手にどてらの方で自分の食いたくないものを、むしゃむしゃ食って見せて、自分の食慾を誘致した結果が与って力あるようだ。ところがどてらの方では全然こっちの責任でだいぶやってるような口気であった。だから自分は何だかどてらに対して弁解して見たい気がしたが、弁解する言葉がちょっと出て来なかった。ただ雲を攫むようにどてらにも責任があるんだろうと思うだけで、どこが責任なんだか分らなかったから黙っていた。すると 「君、揚饅頭がよっぽど好きと見えるね」 と今度は云った。饅頭にも寄り切りで、一昨日揚げた砂だらけの蠅だらけの饅頭が好きな訳はない。と云って現に三皿まで代えて食うものを嫌だとは無論云われない。だから今度も黙っていた。そこへ茶店の神さんが突然口を出した。―― 「うちの御饅は名代の御饅だから、みんなが旨がって食べるだよ」  神さんの言葉を聞いた時自分は何だか馬鹿にされてるような気がした。そこでますます黙ってしまった。黙って聞いてると、 「旨い事この上なしだ」 とどてらが云ってる。本当なんだか御世辞なんだかちょっと見当がつかなかった。とにかく饅頭はどうでも構わないから、肝心の労働問題を聞糾して見ようと思って、 「先刻の御話ですがね。実は僕もいろいろの事情があって、働いて飯を食わなくっちゃならない身分なんですが、いったいどんな事をやるんですか」 とこっちから口を切って見た。どてらは正面の菓子台を眺めていたが、この時急に顔だけ自分の方へ向けて 「君、儲かるんだぜ。嘘じゃない、本当に儲かる話なんだから是非やりたまえ」 と、またぞろ自分を君|呼わりにして、しきりに儲けさせたがっている。こっちへ向き直って、自分を誘い出そうと力める顔つきを見ると、頬骨の下が自然と落ち込んで、落ち込んだ肉が再び顎の枠で角張っている。そこへ表から射し込む日の加減で、小鼻の下から弓形にでき上った皺が深く映っている。この様子を見た自分は何となく儲けるのが恐ろしくなった。 「僕はそんなに儲けなくっても、いいです。しかし働く事は働くです。神聖な労働なら何でもやるです」  どてらの頬の辺には、はてなと云う景色がちょっと見えたが、やがて、かの弓形の皺を左右に開いて、脂だらけの歯を遠慮なく剥き出して、そうして一種特別な笑い方をした。あとから考えるとどてらには神聖な労働と云う意味が通じなかったらしい。いやしくも人間たるものが金儲の意味さえ知らないで、こむずかしい口巧者な事を云うから、気の毒だと云うのでどてらは笑ったのである。自分は今が今まで死ぬ気でいた。死なないまでも人間のいない所へ行く気でいた。それができ損ったから、生きるために働く気になったまでである。儲かるとか儲からないとか云う問題は、てんで頭の中にはない。今ないばかりじゃない、東京にいて親の厄介になってる時分からなかった。どころじゃない儲主義は大いに軽蔑していた。日本中どこへ行ってもそのくらいな考えは誰にもあるだろうくらいに信じていた。だからどてらがさっきから儲かる儲かると云うのを聞くたんびに何のためだろうと不思議に思っていた。無論|癪には障らない。癪に障るような身分でもなし、境遇でもないから、いっこう平気ではいたが、これが人間に対する至大の甘言で、勧誘の方法として、もっとも利目のあるものだとは夢にも想い至らなかった。そこで、どてらから笑われちまった。笑われてさえいっこう通じなかった。今考えると馬鹿馬鹿しい。  一種特別な笑い方をしたどてらは、その笑いの収まりかけに、 「お前さん、全体今まで働いた事があんなさるのかね」 と少し真面目な調子で聞いた。働くにも働かないにも、昨日自宅を逃げ出したばかりである。自分の経験で働いた試しは撃剣の稽古と野球の練習ぐらいなもので、稼いで食った事はまだ一日もない。 「働いた事はないです。しかしこれから働かなくっちゃあならない身分です」 「そうだろう。働いた事がなくっちゃ……じゃ、君、まだ儲けた事もないんだね」 と当り前の事を聞いた。自分は返事をする必要がないから、黙ってると、茶店のかみさんが、菓子台の後から、 「働くからにゃ、儲けなくっちゃあね」 と云いながら、立ち上がった。どてらが、 「全くだ。儲けようったって、今時そう儲け口が転がってるもんじゃない」 と幾分か自分に対して恩に被せるように答えるのを、 「そうさ」 と幾分かさげすむように聞き流して、裏へ出て行った。このそうさが妙に気になって、ことによると、まだその後があるかも知れないと思ったせいか、何気なく後姿を見送っていると、大きな黒松の根方のところへ行って、立小便をし始めたから、急に顔を背けて、どてらの方を向いた。どてらはすぐ、 「私だから、お前さん、見ず知らずの他人にこんな旨い話をするんだ。これがほかのものだったら、受合ってただじゃ話しっこない旨い口なんだからね」 とまた恩に被せる。自分は、面倒くさいからおとなしく、 「ありがたいです」 と四角張って答えて置いた。 「実はこう云う口なんだがね」 と、どてらが、すぐに云う。自分は黙って聞いていた。 「実はこう云う口なんだがね。銅山へ行って仕事をするんだが、私が周旋さえすれば、すぐ坑夫になれる。すぐ坑夫になれりゃ大したもんじゃないか」  自分は何か返事を促されるような気がしたけれども、どうもどてらの調子に載せられて、そうですとは答える訳に行かなかった。坑夫と云えば鉱山の穴の中で働く労働者に違ない。世の中に労働者の種類はだいぶんあるだろうが、そのうちでもっとも苦しくって、もっとも下等なものが坑夫だとばかり考えていた矢先へ、すぐ坑夫になれりゃ大したものだと云われたのだから、調子を合すどころの騒ぎじゃない、おやと思うくらい内心では少からず驚いた。坑夫の下にはまだまだ坑夫より下等な種属があると云うのは、大晦日の後にまだたくさん日が余ってると云うのと同じ事で、自分にはほとんど想像がつかなかった。実を云うとどてらがこんな事を饒舌るのは、自分を若年と侮って、好い加減に人を瞞すのではないかと考えた。ところが相手は存外真面目である。 「何しろ、取附からすぐに坑夫なんだからね。坑夫なら楽なもんさ。たちまちのうちに金がうんと溜っちまって、好な事が出来らあね。なに銀行もあるんだから、預けようと思やあ、いつでも預けられるしさ。ねえ、御かみさん、初めっから坑夫になれりゃ、結構なもんだね」 とかみさんの方へ話の向を持って行くとかみさんは、さっき裏で、立ちながら用を足したままの顔をして、 「そうとも、今からすぐ坑夫になって置きゃあ四五年立つうちにゃ、唸るほど溜るばかりだ。――何しろ十九だ。――働き盛りだ。――今のうち儲けなくっちゃ損だ」 と一句、一句|間を置いて独り言のように述べている。  要するにこのかみさんも是非坑夫になれと云わぬばかりの口占で、全然どてらと同意見を持っているように思われた。無論それでよろしい。またそれでなくってもいっこう構わない。妙な事にこの時ほどおとなしい気分になれた事は自分が生れて以来始めてであった。相手がどんな間違を主張しても自分はただはいはいと云って聞いていたろうと思う。実を云うと過去一年間において仕出かした不都合やら義理やら人情やら煩悶やらが破裂して大衝突を引き起した結果、あてどもなくここまで落ちて来たのだから、昨日までの自分の事を考えると、どうしたって、こんなに温和しくなれる訳がないのだが、実際この時は人に逆うような気分は薬にしたくっても出て来なかった。そうしてまたそれを矛盾とも不思議とも考えなかった。おそらく考える余裕がなかったんだろう。人間のうちで纏ったものは身体だけである。身体が纏ってるもんだから、心も同様に片づいたものだと思って、昨日と今日とまるで反対の事をしながらも、やはりもとの通りの自分だと平気で済ましているものがだいぶある。のみならずいったん責任問題が持ち上がって、自分の反覆を詰られた時ですら、いや私の心は記憶があるばかりで、実はばらばらなんですからと答えるものがないのはなぜだろう。こう云う矛盾をしばしば経験した自分ですら、無理と思いながらも、いささか責任を感ずるようだ。して見ると人間はなかなか重宝に社会の犠牲になるように出来上ったものだ。  同時に自分のばらばらな魂がふらふら不規則に活動する現状を目撃して、自分を他人扱いに観察した贔屓目なしの真相から割り出して考えると、人間ほど的にならないものはない。約束とか契とか云うものは自分の魂を自覚した人にはとても出来ない話だ。またその約束を楯にとって相手をぎゅぎゅ押しつけるなんて蛮行は野暮の至りである。大抵の約束を実行する場合を、よく注意して調べて見ると、どこかに無理があるにもかかわらず、その無理を強て圧しかくして、知らぬ顔でやって退けるまでである。決して魂の自由行動じゃない。はやくから、ここに気がついたなら、むやみに人を恨んだり、悶えたり、苦しまぎれに自宅を飛び出したりしなくっても済んだかも知れない。たとい飛び出してもこの茶店まで来て、どてらと神さんに対する自分の態度が、昨日までの自分とは打って変ったところを、他人扱いに落ち着き払って比較するだけの余裕があったら、少しは悟れたろう。  惜しい事に当時の自分には自分に対する研究心と云うものがまるでなかった。ただ口惜しくって、苦しくって、悲しくって、腹立たしくって、そうして気の毒で、済まなくって、世の中が厭になって、人間が棄て切れないで、いても立っても、いたたまれないで、むちゃくちゃに歩いて、どてらに引っ掛って、揚饅頭を喰ったばかりである。昨日は昨日、今日は今日、一時間前は一時間前、三十分後は三十分後、ただ眼前の心よりほかに心と云うものがまるでなくなっちまって、平生から繋続の取れない魂がいとどふわつき出して、実際あるんだか、ないんだかすこぶる明暸でない上に、過去一年間の大きな記憶が、悲劇の夢のように、朦朧と一団の妖氛となって、虚空遥に際限もなく立て罩めてるような心持ちであった。  そこで平生の自分なら、なぜ坑夫になれば結構なんだとか、どうして坑夫より下等なものがあるんだとか、自分は儲ける事ばかりを目的に働く人間じゃないとか、儲けさえすりゃどこがいいんだとか、何とかかとか理窟を捏ねて、出来るだけ自己を主張しなければ勘弁しないところを、ただおとなしく控えていた。口だけおとなしいのではない、腹の中からまるで抵抗する気が出なかったのである。  何でもこの時の自分は、単に働けばいいと云う事だけを考えていたらしい。いやしくも働きさえすれば、――いやしくもこのふわふわの魂が五体のうちに、うろつきながらもいられさえすれば、――要するに死に切れないものを、強て殺してしまうほどの無理を冒さない以上は、坑夫以上だろうが、坑夫以下だろうが、儲かろうが、儲かるまいが、とんと問題にならなかったものと見える。ただ働く口さえ出来ればそれで結構であるから、働き方の等級や、性質や、結果について、いかに自分の意見と相容れぬ法螺を吹かれても、またその法螺が、単に自分を誘致するためにする打算的の法螺であっても、またその法螺に乗る以上は理知の人間として自分の人格に尠からぬ汚点を貽す恐れがあっても、まるで気にならなかったんだろう。こんな時には複雑な人間が非情に単純になるもんだ。  その上坑夫と聞いた時、何となく嬉しい心持がした。自分は第一に死ぬかも知れないと云う決心で自宅を飛出したのである。それが第二には死ななくっても好いから人のいない所へ行きたいと移って来た。それがまたいつの間にか移って、第三にはともかくも働こうと変化しちまった。ところで、さて働くとなると、並の働き方よりも第二に近い方がいい、一歩進めて云えば第一に縁故のある方が望ましい。第一、第二、第三と知らぬ間に心変りがしたようなものの、変りつつ進んで来た、心の状態は、うやむやの間に縁を引いて、擦れ落ちながらも、振り返って、もとの所を慕いつつ押されて行くのである。単に働くと云う決心が、第二を振り切るほど突飛でもなかったし、第一と交渉を絶つほど遠くにもいなかったと見える。働きながら、人のいない所にいて、もっとも死に近い状態で作業が出来れば、最後の決心は意のごとくに運びながら、幾分か当初の目的にも叶う訳になる。坑夫と云えば名前の示すごとく、坑の中で、日の目を見ない家業である。娑婆にいながら、娑婆から下へ潜り込んで、暗い所で、鉱塊土塊を相手に、浮世の声を聞かないで済む。定めて陰気だろう。そこが今の自分には何よりだ。世の中に人間はごてごているが、自分ほど坑夫に適したものはけっしてないに違ない。坑夫は自分に取って天職である。――とここまで明暸には無論考えなかったが、ただ坑夫と聞いた時、何となく陰気な心持ちがして、その陰気がまた何となく嬉しかった。今思い出して見ると、やっぱりどうあっても他人の事としか受け取れない。  そこで自分はどてらに向ってこう云った。 「僕は一生懸命に働くつもりですが、坑夫にしてくれるでしょうか」  するとどてらはなかなか鷹揚な態度で、 「すぐ坑夫になるのはなかなかむずかしいんだが、私が周旋さえすりゃきっとできる」 と云うから自分もそんなものかなと考えて、しばらく黙っていると、茶店のかみさんがまた口を出した。 「長蔵さんが口を利きさえすりゃ、坑夫は受合だ」  自分はこの時始めてどてらの名前が長蔵だと云う事を知った。それからいっしょに汽車に乗ったり、下りたりする時に、自分もこの男を捕えて二三度長蔵さんと呼んだ事がある。しかし長蔵とはどう書くのか今もって知らない。ここに書いたのはもちろん当字である。始めて家庭を飛出した鼻をいきなり引っ張って、思いも寄らない見当に向けた、云わば自分の生活状態に一転化を与えた人の名前を口で覚えていながら、筆に書けないのは異な事だ。  さてこの長蔵さんと、茶店のかみさんがきっと坑夫になれると受合うから、自分もなれるんだろうと思って、 「じゃ、どうか何分願います」 と頼んだ。しかしこの茶店に腰を掛けているものが、どうして、どこへ行って、どんな手続で坑夫になるんだかその辺はさっぱり分らなかった。  何しろ先方でこのくらい勧めるものだから、何分願いますと云ったら、長蔵さんがどうかするに違ないと思って、あとは聞かずに黙っていた。すると長蔵さんは、勢いよくどてらの尻を床几から立てて、 「それじゃこれから、すぐに出掛けよう。御前さん、支度はいいかい。忘れもののないようによく気をつけて」 と云った。自分はうちを出る時、着のみ着のままで出たのだから、身体よりほかに忘れ物のあるはずがない。そこで、 「何にも無いです」 と立ち上がったが、神さんと顔を見合せて気がついた。肝心の揚饅頭の代を忘れている。長蔵さんは平気な面をして、もう半分ほど葭簀の外に出て往来を眺めていた。自分は懐中から三十二銭入りの蟇口を出して饅頭三皿の代を払って、ついでだから茶代として五銭やった。饅頭の代はとうとう忘れちまって思い出せない。ただその時かみさんが、 「坑夫になって、うんと溜めて帰りにまた御寄」 と云ったのを記憶している。その後坑夫はやめたが、ついにこの茶店へは寄る機会がなかった。それから長蔵さんに尾いて、例の飽き飽きした松原へ出て、一本筋を足の甲まで埃を上げて、やって来ると、さっきの長たらしいのに引き易えて今度は存外早く片づいちまった。いつの間にやら松がなくなったら、板橋街道のような希知な宿の入口に出て来た。やッぱり板橋街道のように我多馬車が通る。一足先へ出た長蔵さんが、振り返って、 「御前さん馬車へ乗るかい」 と聞くから、 「乗っても好いです」 と答えた。そうしたら今度は 「乗らなくってもいいかい」 と反対の事を尋ねた。自分は 「乗らなくってもいいです」 と答えた。長蔵さんは三度目に 「どうするね」 と云ったから、 「どうでもいいです」 と答えた。その内に馬車は遠くへ行ってしまった。 「じゃ、歩く事にしよう」 と長蔵さんは歩き出した。自分も歩き出した。向うを見ると、今通った馬車の埃が日光にまぶれて、往来が濁ったように黄色く見える。そのうちに人通りがだんだん多くなる。町並がしだいに立派になる。しまいには牛込の神楽坂くらいな繁昌する所へ出た。ここいらの店付や人の様子や、衣服は全く東京と同じ事であった。長蔵さんのようなのはほとんど見当らない。自分は長蔵さんに、 「ここは何と云う所です」 と聞いたら、長蔵さんは、 「ここ? ここを知らないのかい」 と驚いた様子であったが、笑いもせずすぐ教えてくれた。それで所の名は分ったがここにはわざと云わない。自分がこの繁華な町の名を知らなかったのをよほど不思議に感じたと見えて、長蔵さんは、 「お前さん、いったい生れはどこだい」 と聞き出した。考えると、今まで長蔵さんが自分の過去や経歴について、ついぞ一と口も自分に聞いた事がなかったのは、人を周旋する男の所為としては、少しく無頓着過ぎるようにも思われたが、この男は全くそんな事に冷淡な性であった事が後で分った。この時の質問は全く自分の無知に驚いた結果から出た好奇心に過ぎなかった。その証拠には自分が、 「東京です」 と答えたら、 「そうかい」 と云ったなり、あとは何にも聞かずに、自分を引っ張るようにして、ある横町を曲った。  実を云うと自分は相当の地位を有ったものの子である。込み入った事情があって、耐え切れずに生家を飛び出したようなものの、あながち親に対する不平や面当ばかりの無分別じゃない。何となく世間が厭になった結果として、わが生家まで面白くなくなったと思ったら、もう親の顔も親類の顔も我慢にも見ていられなくなっていた。これは大変だと気がついて、根気に心を取り直そうとしたが、遅かった。踏み答えて見ようと百方に焦慮れば焦慮るほど厭になる。揚句の果は踏張の栓が一度にどっと抜けて、堪忍の陣立が総崩れとなった。その晩にとうとう生家を飛び出してしまったのである。  事の起りを調べて見ると、中心には一人の少女がいる。そうしてその少女の傍にまた一人の少女がいる。この二人の少女の周囲に親がある。親類がある。世間が万遍なく取り捲いている。ところが第一の少女が自分に対して丸くなったり、四角になったりする。すると何かの因縁で自分も丸くなったり四角になったりしなくっちゃならなくなる。しかし自分はそう丸くなったり四角になったりしては、第二の少女に対して済まない約束をもって生れて来た人間である。自分は年の若い割には自分の立場をよく弁別えていた。が済まないと思えば思うほど丸くなったり四角になったりする。しまいには形態ばかりじゃない組織まで変るようになって来た。それを第二の少女が恨めしそうに見ている。親も親類も見ている。世間も見ている。自分は自分の心が伸びたり縮んだり、曲ったりくねったりするところを、どうかして隠そうと力めたが、何しろ第一の少女の方で少しもやめてくれないで、むやみに伸びて見せたり、縮んで見せたりするもんだから、隠し終せる段じゃない。親にも親類にも目つかってしまった。怪しからんと云う事になった。怪しかるとは自分でも思っていなかったが、だんだん聞き糾して見ると、怪しからん意味がだいぶ違ってる。そこでいろいろ弁解して見たがなかなか聞いてくれない。親の癖に自分の云う事をちっとも信用しないのが第一不都合だと思うと同時に、第一の少女の傍にいたら、この先どうなるか分らない、ことに因ると実際弁解の出来ないような怪しからん事が出来するかも知れないと考え出した。がどうしても離れる事が出来ない。しかも第二の少女に対しては気の毒である、済まん事になったと云う念が日々烈しくなる。――こんな具合で三方四方から、両立しない感情が攻め寄せて来て、五色の糸のこんがらかったように、こっちを引くと、あっちの筋が詰る、あっちをゆるめるとこっちが釣れると云う按排で、乱れた頭はどうあっても解けない。いろいろに工夫を積んで自分に愛想の尽きるほどひねくって見たが、とうてい思うように纏まらないと云う一点張に落ちて来た時に――やっと気がついた。つまり自分が苦しんでるんだから、自分で苦みを留めるよりほかに道はない訳だ。今までは自分で苦しみながら、自分以外の人を動かして、どうにか自分に都合のいいような解決があるだろうと、ひたすらに外のみを当にしていた。つまり往来で人と行き合った時、こっちは突ッ立ったまま、向うが泥濘へ避けてくれる工面ばかりしていたのだ。こっちが動かない今のままのこっちで、それで相手の方だけを思う通りに動かそうと云う出来ない相談を持ち懸けていたのだ。自分が鏡の前に立ちながら、鏡に写る自分の影を気にしたって、どうなるもんじゃない。世間の掟という鏡が容易に動かせないとすると、自分の方で鏡の前を立ち去るのが何よりの上分別である。  そこで自分はこの入り組んだ関係の中から、自分だけをふいと煙にしてしまおうと決心した。しかし本当に煙にするには自殺するよりほかに致し方がない。そこでたびたび自殺をしかけて見た。ところが仕掛けるたんびにどきんとしてやめてしまった。自殺はいくら稽古をしても上手にならないものだと云う事をようやく悟った。自殺が急に出来なければ自滅するのが好かろうとなった。しかし自分は前に云う通り相当の身分のある親を持って朝夕に事を欠かぬ身分であるから生家にいては自滅しようがない。どうしても逃亡が必要である。  逃亡をしてもこの関係を忘れる事は出来まいとも考えた。また忘れる事が出来るだろうとも考えた。要するに、して見なければ分らないと考えた。たとい煩悶が逃亡につき纏って来るにしてもそれは自分の事である。あとに残った人は自分の逃亡のために助かるに違いないと考えた。のみならず逃亡をしたって、いつまでも逃亡ちている訳じゃない。急に自滅がしにくいから、まずその一着として逃亡ちて見るんである。だから逃亡ちて見てもやっぱり過去に追われて苦しいようなら、その時|徐に自滅の計を廻らしても遅くはない。それでも駄目ときまればその時こそきっと自殺して見せる。――こう書くと自分はいかにも下らない人間になってしまうが、事実を露骨に云うとこれだけの事に過ぎないんだから仕方がない。またこう書けばこそ下らなくなるが、その当時のぼんやりした意気込を、ぼんやりした意気込のままに叙したなら、これでも小説の主人公になる資格は十分あるんだろうと考える。  それでなくっても実際その当時の、二人の少女の有様やら、日ごとに変る局面の転換やら、自分の心配やら、煩悶やら、親の意見や親類の忠告やら、何やらかやらを、そっくりそのまま書き立てたら、だいぶん面白い続きものができるんだが、そんな筆もなし時もないから、まあやめにして、せっかくの坑夫事件だけを話す事にする。  とにかくこう云う訳で自分はいよいよとなって出奔したんだから、固より生きながら葬られる覚悟でもあり、また自ら葬ってしまう了簡でもあったが、さすがに親の名前や過去の歴史はいくら棄鉢になっても長蔵さんには話したくなかった。長蔵さんばかりじゃない、すべての人間に話したくなかった。すべての人間は愚か、自分にさえできる事なら語りたくないほど情ない心持でひょろひょろしていた。だから長蔵さんが人を周旋する男にも似合わず、自分の身元について一言も聞き糺さなかったのは、変と思いながらも、内々嬉しかった。本当を云うと、当時の自分はまだ嘘をつく事をよく練習していなかったし、ごまかすと云う事は大変な悪事のように考えていたんだから、聞かれたら定めし困ったろうと思う。  そこで長蔵さんに尾いて、横町を曲って行くと、一二丁行ったか行かないうちに町並が急に疎になって、所々は田圃の片割れが細く透いて見える。表はあんなに繁昌しても、繁昌は横幅だけであるなと気がついたら、また急に横町を曲らせられて、また賑かな所へ出された。その突当りが停車場であった。汽車に乗らなくっては坑夫になる手続きが済まないんだと云う事をこの時ようやく知った。実は鉱山の出張所でもこの町にあって、まずそこへ連れて行かれて、そこからまた役人が山へでも護送してくれるんだろうと思っていた。  そこで停車場へ這入る五六間手間になってから、 「長蔵さん、汽車に乗るんですか」 と後から、呼び掛けながら聞いて見た。自分がこの男を長蔵さんと云ったのはこの時が始めてである。長蔵さんはちょっと振り返ったが、あかの他人から名前を呼ばれたのを不審がる様子もなく、すぐ、 「ああ、乗るんだよ」 と答えたなり、停車場に這入った。  自分は停車場の入口に立って考え出した。あの男はいったい自分といっしょに汽車へ乗って先方まで行く気なんだろうか、それにしては余り親切過ぎる。なんぼなんでも見ず知らずの自分にこう叮嚀な世話を焼くのはおかしい。ことによると彼奴は詐欺師かも知れない。自分は下らん事に今更のごとくはっと気がついて急に汽車へ乗るのが厭になって来た。いっその事また停車場を飛び出そうかしらと思って、今までプラットフォームの方を向いていた足を、入口の見当に向け易えた。しかしまだ歩き出すほどの決心もつかなかったと見えて、茫然として、停車場前の茶屋の赤い暖簾を眺めていると、いきなり大きな声を出して遠くから呼びとめられた。自分はこの声を聞くと共に、その所有者は長蔵さんであって、松原以来の声であると云う事を悟った。振り返ると、長蔵さんは遠方から顔だけ斜に出して、しきりにこちらを見て、首を竪に振っている。何でも身体は便所の塀にかくれているらしい。せっかく呼ぶものだからと思って、自分は長蔵さんの顔を目的に歩いて行くと、 「御前さん、汽車へ乗る前にちょっと用を足したら善かろう」 と云う。自分はそれには及ばんから、一応辞退して見たが、なかなか承知しそうもないから、そこで長蔵さんと相並んで、きたない話だが、小便を垂れた。その時自分の考えはまた変った。自分は身体よりほかに何にも持っていない。取られようにも瞞られようにも、名誉も財産もないんだから初手から見込の立たない代物である。昨日の自分と今日の自分とを混同して、長蔵さんを恐ろしがったのは、免職になりながら俸給の差し押を苦にするようなものであった。長蔵さんは教育のある男ではあるまいが、自分の風体を見て一目騙るべからずと看破するには教育も何も要ったものではない。だからことによると、自分を坑夫に周旋して、あとから周旋料でも取るんだろうと思い出した。それならそれで構わない。給料のうちを幾分かやれば済む事だなどと考えながら用を足した。――実は自分がこれだけの結論に到着するためには、わずかの時間内だがこれほどの手数と推論とを要したのである。このくらい骨を折ってすら、まだ長蔵さんのポン引きなる事をいわゆるポン引きなる純粋の意味において会得する事が出来なかったのは、年が十九だったからである。  年の若いのは実に損なもので、こんなにポン引きの近所までどうか、こうか、漕ぎつけながら、それでも、もしや好意ずくの世話ずきから起った親切じゃあるまいかと思って、飛んだ気兼をしたのはおかしかった。  実は二人して、用を足して、のそのそ三等待合所の入口まで来た時、自分は比較的威儀を正して長蔵さんに、こんな事を云ったんである。 「あなたに、わざわざ先方まで連れて行っていただいては恐縮ですから、もうこれでたくさんです」  すると長蔵さんは返事もせずに変な顔をして、黙って自分の方を見ているから、これは礼の云いようがわるいのかとも思って、 「いろいろ御世話になってありがたいです。これから先はもう僕一人でやりますから、どうか御構いなく」 と云って、しきりに頭を下げた。すると、 「一人でやれるものかね」 と長蔵さんが云った。この時だけは御前さんを省いたようである。 「なにやれます」 と答えたら、 「どうして」 と聞き返されたんで、少し面喰ったが、 「今|貴方に伺って置けば、先へ行って貴方の名前を云って、どうかしますから」 ともじもじ述べ立てると、 「御前さん、私の名前くらいで、すぐ坑夫になれると思ってるのは大間違いだよ。坑夫なんて、そんなに容易になれるもんじゃないよ」 と跳つけられちまった。仕方がないから 「でも御気の毒ですから」 と言訳かたがた挨拶をすると、 「なに遠慮しないでもいい、先方まで送ってあげるから心配しないがいい。――袖摩り合うも何とかの因縁だ。ハハハハハ」 と笑った。そこで自分は最後に、 「どうも済みません」 と礼を述べて置いた。  それから二人でベンチへ隣り合せに腰を掛けていると、だんだん停車場へ人が寄ってくる。大抵は田舎者である。中には長蔵さんのような袢天兼どてらを着た上に、天秤棒さえ荷いだのがある。そうかと思うと光沢のある前掛を締めて、中折帽を妙に凹ました江戸ッ子流の商人もある。その他の何やらかやらでベンチの四方が足音と人声でざわついて来た時に、切符口の戸がかたりと開いた。待ち兼ねた連中は急いで立ち上がって、みんな鉄網の前へ集ってくる。この時長蔵さんの態度は落ちつき払ったものであった。例の太刀のごとくそっくりかえった「朝日」を厚い唇の間に啣えながら、あの角張った顔を三が二ほど自分の方へ向けて、 「御前さん、汽車賃を持っていなさるかい」 と聞いた。また自分の未熟なところを発表するようだが、実を云うと汽車賃の事は今が今まで自分の考えには毫も上らなかったのである。汽車に乗るんだなと思いながら、いくら金を払うものか、また金を払う必要があるものか、とんと思い至らなかったのは愚の至である。愚はどこまでも承認するがこの質問に出逢うまでは無賃で乗れるかのごとき心持で平気でいたのは事実である。よく分らないけれども、何でも自分の腹の底には、長蔵さんにさえ食っついてさえおれば、どうかしてくれるんだろうと云う依頼心が妙に潜んでいたんだろう。ただし自分じゃけっしてそう思っていなかった。今でもそうだとは自分の事ながら申しにくい。けれども、こう云う安心がないとすれば、いくら馬鹿だって、十九だって、停車場へ来て汽車賃の汽の字も考えずにいられるもんじゃない。その癖こんなに依頼している長蔵さんに対して、もう御世話にならなくっても、好うございますの、これから一人で行きますのと平に同行を断ったのは、どう云う了簡だろう。自分はこう云う場合にたびたび出逢ってから、しまいには自分で一つの理論を立てた。――病気に潜伏期があるごとく、吾々の思想や、感情にも潜伏期がある。この潜伏期の間には自分でその思想を有ちながら、その感情に制せられながら、ちっとも自覚しない。またこの思想や感情が外界の因縁で意識の表面へ出て来る機会がないと、生涯その思想や感情の支配を受けながら、自分はけっしてそんな影響を蒙った覚がないと主張する。その証拠はこの通りと、どしどし反対の行為言動をして見せる。がその行為言動が、傍から見ると矛盾になっている。自分でもはてなと思う事がある。はてなと気がつかないでもとんだ苦しみを受ける場合が起ってくる。自分が前に云った少女に苦しめられたのも、元はと云えば、やっぱりこの潜伏者を自覚し得なかったからである。この正体の知れないものが、少しも自分の心を冒さない先に、劇薬でも注射して、ことごとく殺し尽す事が出来たなら、人間幾多の矛盾や、世上幾多の不幸は起らずに済んだろうに。ところがそう思うように行かんのは、人にも自分にも気の毒の至りである。  それで、自分が長蔵さんから「御前さん汽車賃を持っていなさるか」と問われた時に、自分ははっと思って、少からず狼狽えた。三十二銭のうちで饅頭の代と茶代を引くと何にもありゃしない。汽車賃もない癖に、坑夫になろうなんて呑込顔に受合ったんだから、自分は少し図迂図迂しい人間であったんだと気がついたら、急に頬辺が熱くなった。その時分の事を考えると自分ながら可愛らしい。これが今だったら、たとい電車の中で借金の催促をされようとも、ただ困るだけで、けっして赤面はしない。ましてぽん引きの長蔵さんなどに対して、神聖なる羞恥の血色を見せるなんてもったいない事は、夢にもやる気遣いはありゃしない。  自分はどう云うものか、長蔵さんに対して汽車賃はありますと答えたかった。しかし実際がないんだから嘘を吐く訳には行かない。嘘を吐きっ放にして済ませられるなら、思い切って、嘘を吐く事にしたろうが、とにかく今切符を買うと云う間際で、吐けばすぐ露現してしまうんだから始末がわるい。と云って汽車賃はありませんと答えるのがいかにも苦痛である。どうも子供だから、しかも満更の子供でなくって、少し大きくなりかけた、色気のついた、煩悶をしている、つまらん常識があるような、ないような子供だから、なおなお不都合だった。そこで汽車賃はありますとも、ありませんとも云いにくかったもんだから、 「少しあります」 と答えた。それも響の物に応ずるごとく、停滞なく出ればよかったが、何しろもったいなくも頬辺を赤くしたあとで、はなはだ恐縮の態度で出したんだから、馬鹿である。 「少しって、御前さん、いくら持ってるい」 と長蔵さんが聞き返した。長蔵さんは自分が頬辺を赤くしても、恐縮しても、まるで頓着しない。ただいくら持ってるか聞きたい様子であった。ところがあいにく肝心の自分にはいくらあるか判然しない。何しろ|〆て三十二銭のうち、饅頭を三皿食って、茶代を五銭やったんだから、残るところはたくさんじゃない。あっても無くっても同じくらいなものだ。 「ほんのわずかです。とても足りそうもないです」 と正直なところを云うと、 「足りないところは、私が足して上げるから、構わない。何しろ有るだけ御出し」 と、思ったよりは平気である。自分はこの際一銭銅や二銭銅を勘定するのは、いかにも体裁がわるいと考えた上に、有るものを無いと隠すように取られては厭だから、懐から例の蟇口を取り出して、蟇口ごと長蔵さんに渡した。この蟇口は鰐の皮で拵えたすこぶる上等なもので、親父から貰う時も、これは高価な品であると云う講釈をとくと聴かされた贅沢物である。長蔵さんは蟇口を受け取って、ちょっと眺めていたが、 「ふふん、安くないね」 と云ったなり中味も改めずに腹掛の隠しへ入れちまった。中味を改めないところはよかったが、 「じゃ、私が切符を買って来て上げるから、ちゃんとここに待っていなくっちゃ、いけない。はぐれると、坑夫になれないんだからね」 と念を押して、ベンチを離れて切符口の方へすたすた行ってしまった。見ていると人込の中へ這入ったなり振り返りもしないで切符を買う番のくるのを待っている。さっき松原の掛茶屋を出てから、今先方までの長蔵さんは始終自分の傍に食っついていて、たまに離れると便所からでも顔を出して呼ぶくらいであったのに、蟇口を受け取って、切符を買う時はまるで自分を忘れているように見受けられた。あんまり人が多くって、こっちへ眼をつける暇がなかったんだろう。これに反して自分は一生懸命に長蔵さんの後姿を見守って、札を買う順番が一人一人に廻って来るたんびに長蔵さんがだんだん切符口へ近づいて行くのを、遠くから妙な神経を起して眺めていた。蟇口は立派だが中を開けられたら銅貨が出るばかりだ。開けて見て、何だこれっぱかりしか持っていないのかと長蔵さんが驚くに違ない。どうも気の毒である。いくら足し前をするんだろうなどと入らざる事を苦に病んでいると、やがて長蔵さんは平生の顔つきで帰って来た。 「さあ、これが御前さんの分だ」 と云いながら赤い切符を一枚くれたぎりいくら不足だとも何とも云わない。きまりが悪かったから、自分もただ 「ありがとう」 と受取ったぎり賃銭の事は口へ出さなかった。蟇口の事もそれなりにして置いた。長蔵さんの方でも蟇口の事はそれっきり云わなかった。したがって蟇口はついに長蔵さんにやった事になる。  それから、とうとう二人して汽車へ乗った。汽車の中では別にこれと云う出来事もなかった。ただ自分の隣りに腫物だらけの、腐爛目の、痘痕のある男が乗ったので、急に心持が悪くなって向う側へ席を移した。どうも当時の状態を今からよく考えて見るとよっぽどおかしい。生家を逃亡ちて、坑夫にまで、なり下る決心なんだから、大抵の事に辟易しそうもないもんだがやっぱり醜ないものの傍へは寄りつきたくなかった。あの按排では自殺の一日前でも、腐爛目の隣を逃げ出したに違ない。それなら万事こう几帳面に段落をつけるかと思うと、そうでないから困る。第一長蔵さんや茶店のかみさんに逢った時なんぞは平生の自分にも似ず、※の音も出さずに心からおとなしくしていた。議論も主張も気慨も何もあったもんじゃありゃしない。もっともこれはだいぶ餓じい時であったから、少しは差引いて勘定を立るのが至当だが、けっして空腹のためばかりとは思えない。どうも矛盾――また矛盾が出たから廃そう。  自分は自分の生活中もっとも色彩の多い当時の冒険を暇さえあれば考え出して見る癖がある。考え出すたびに、昔の自分の事だから遠慮なく厳密なる解剖の刀を揮って、縦横十文字に自分の心緒を切りさいなんで見るが、その結果はいつも千遍一律で、要するに分らないとなる。昔しだから忘れちまったんだなどと云ってはいけない。このくらい切実な経験は自分の生涯中に二度とありゃしない。二十以下の無分別から出た無茶だから、その筋道が入り乱れて要領を得んのだと評してはなおいけない。経験の当時こそ入り乱れて滅多やたらに盲動するが、その盲動に立ち至るまでの経過は、落ち着いた今日の頭脳の批判を待たなければとても分らないものだ。この鉱山|行だって、昔の夢の今日だから、このくらい人に解るように書く事が出来る。色気がなくなったから、あらいざらい書き立てる勇気があると云うばかりじゃない。その時の自分を今の眼の前に引擦り出して、根掘り葉掘り研究する余裕がなければ、たといこれほどにだってとうてい書けるものじゃない。俗人はその時その場合に書いた経験が一番正しいと思うが、大間違である。刻下の事情と云うものは、転瞬の客気に駆られて、とんでもない誤謬を伝え勝ちのものである。自分の鉱山行などもその時そのままの心持を、日記にでも書いて置いたら、定めし乳臭い、気取った、偽りの多いものが出来上ったろう。とうてい、こうやって人の前へ御覧下さいと出された義理じゃない。  自分が腐爛目の難を避けて、向う側に席を移すと、長蔵さんは一目ちょっと自分と腐爛目を見たなりで、やはり元の所へ腰を掛けたまま動かなかった。長蔵さんの神経が自分よりよほど剛健なのには少からず驚嘆した。のみならず、平気な顔で腐爛目と話し出したに至って、少しく愛想が尽きた。 「また山行きかね」 「ああまた一人連れて行くんだ」 「あれかい」 と腐爛目は自分の方を見た。長蔵さんはこの時何か返事をしかけたんだろうがふと自分と顔を見合せたものだから、そのまま厚い唇を閉じて横を向いてしまった。その顔について廻って、腐爛目は、 「まただいぶん儲かるね」 と云った。自分はこの言葉を聞くや否やたちまち窓の外へ顔を出した。そうして窓から唾液をした。するとその唾液が汽車の風で自分の顔へ飛んで来た。何だか不愉快だった。前の腰掛で知らない男が二人弁じている。 「泥棒が這入るとするぜ」 「こそこそがかい」 「なに強盗がよ。それでもって、抜身か何かで威嚇した時によ」 「うん、それで」 「それで、主人が、泥棒だからってんで贋銭をやって帰したとするんだ」 「うんそれから」 「後で泥棒が贋銭と気がついて、あすこの亭主は贋銭|使だ贋銭使だって方々振れて歩くんだ。常公の前だが、どっちが罪が重いと思う」 「どっちたあ」 「その亭主と泥棒がよ」 「そうさなあ」 と相手は解決に苦しんでいる。自分は眠くなったから、窓の所へ頭を持たしてうとうとした。  寝ると急に時間が無くなっちまう。だから時間の経過が苦痛になるものは寝るに限る。死んでもおそらく同じ事だろう。しかし死ぬのは、やさしいようでなかなか容易でない。まず凡人は死ぬ代りに睡眠で間に合せて置く方が軽便である。柔道をやる人が、時々|朋友に咽喉を締めて貰う事がある。夏の日永のだるい時などは、絶息したまま五分も道場に死んでいて、それから活を入れさせると、生れ代るような好い気分になる――ただし人の話だが。――自分は、もしや死にっきりに死んじまやしないかと云う神経のために、ついぞこの荒療治を頼んだ事がない。睡眠はこれほどの効験もあるまいが、その代り生き戻り損う危険も伴っていないから、心配のあるもの、煩悶の多いもの、苦痛に堪えぬもの、ことに自滅の一着として、生きながら坑夫になるものに取っては、至大なる自然の賚である。その自然の賚が偶然にも今自分の頭の上に落ちて来た。ありがたいと礼を云う閑もないうちに、うっとりとしちまって、生きている以上は是非共その経過を自覚しなければならない時間を、丸潰しに潰していた。ところが眼が覚めた。後から考えて見たら、汽車の動いてる最中に寝込んだもんだから、汽車の留ったために、眠りが調子を失ってどこかへ飛んで行ったのである。自分は眠っていると、時間の経過だけは忘れているが、空間の運動には依然として反応を呈する能力があるようだ。だから本当に煩悶を忘れるためにはやはり本当に死ななくっては駄目だ。ただし煩悶がなくなった時分には、また生き返りたくなるにきまってるから、正直に理想を云うと、死んだり生きたり互違にするのが一番よろしい。――こんな事をかくと、何だか剽軽な冗談を云ってるようだがけっしてそんな浮いた了見じゃない。本気に真面目を話してるつもりである。その証拠にはこの理想はただ今過去を回想して、面白半分興に乗じて、好い加減につけ加えたんじゃない。実際汽車が留って、不意に眼が覚めた時、この通りに出て来たのである。馬鹿気た感じだから滑稽のように思われるけれどもその時は正直にこんな馬鹿気た感じが起ったんだから仕方がない。この感じが滑稽に近ければ近いほど、自分は当時の自分を可愛想に思うのである。こんな常識をはずれた希望を、真面目に抱かねばならぬほど、その時の自分は情ない境遇におったんだと云う事が判然するからである。  自分がふと眼を開けると、汽車はもう留っていた。汽車が留まったなと云う考えよりも、自分は汽車に乗っていたんだなと云う考えが第一に起った。起ったと思うが早いか、長蔵さんがいるんだ、坑夫になるんだ、汽車賃がなかったんだ、生家を出奔したんだ、どうしたんだ、こうしたんだとまるで十二三のたんだがむらむらと塊まって、頭の底から一度に湧いて来た。その速い事と云ったら、言語に絶すると云おうか、電光石火と評しようか、実に恐ろしいくらいだった。ある人が、溺れかかったその刹那に、自分の過去の一生を、細大漏らさずありありと、眼の前に見た事があると云う話をその後聞いたが、自分のこの時の経験に因って考えると、これはけっして嘘じゃなかろうと思う。要するにそのくらい早く、自分は自分の実世界における立場と境遇とを自覚したのである。自覚すると同時に、急に厭な心持になった。ただ厭では、とても形容が出来ないんだが、さればと云って、別に叙述しようもない心持ちだからただの厭でとめて置く。自分と同じような心持ちを経験した人ならば、ただこれだけで、なるほどあれだなと、直勘づくだろう。また経験した事がないならば、それこそ幸福だ、けっして知るに及ばない。  その内同じ車室に乗っていたものが二三人立ち上がる。外からも二三人|這入って来る。どこへ陣取ろうかと云う眼つきできょろきょろするのと、忘れものはないかと云う顔つきでうろうろするのと、それから何の用もないのに姿勢を更えて窓へ首を出したり、欠伸をしたりするのと、が一度に合併して、すべて動揺の状態に世の中を崩し始めて来た、自分は自分の周囲のものが、ことごとく活動しかけるのを自覚していた。自覚すると共に、自分は普通の人間と違って、みんなが活動する時分でさえ、他に釣り込まれて気分が動いて来ないような仲間|外れだと考えた。袖が触れ違って、膝を突き合せていながらも、魂だけはまるで縁も由緒もない、他界から迷い込んだ幽霊のような気持であった。今までは、どうか、こうか、人並に調子を取って来たのが汽車が留まるや否や、世間は急に陽気になって上へ騰る。自分は急に陰気になって下へ降る、とうてい交際はできないんだと思うと、背中と胸の厚さがしゅうと減って、臓腑が薄っ片な一枚の紙のように圧しつけられる。途端に魂だけが地面の下へ抜け出しちまった。まことに申訳のない、御恥ずかしい心持ちをふらつかせて、凹んでいた。  ところへ長蔵さんが、立って来て、 「御前さん、まだ眼が覚めないかね。ここから降りるんだよ」 と注意してくれた。それでようやくなるほどと気がついて立ち上った。魂が地の底へ抜け出して行く途中でも、手足に血が通ってるうちは、呼ぶと返って来るからおかしなものだ。しかしこれがもう少し烈しくなると、なかなか思うように魂が身体に寄りついてくれない。その後台湾沖で難船した時などは、ほとんど魂に愛想を尽かされて、非常な難義をした事がある。何にでも上には上があるもんだ。これが行き留りだの、突き当りだのと思って、安心してかかると、とんだ目に逢う。しかしこの時はこの心持が自分に取ってもっとも新しくて、しかもはなはだ苦い経験であった。  長蔵さんのどてらの尻を嗅ぎながら改札場から表へ出ると、大きな宿の通りへ出た。一本筋の通りだが存外広い、ばかりではない、心持の判然するほど真直である。自分はこの広い往還の真中に立って遥か向うの宿外を見下した。その時一種妙な心持になった。この心持ちも自分の生涯中にあって新らしいものであるから、ついでにここに書いて置く。自分は肺の底が抜けて魂が逃げ出しそうなところを、ようやく呼びとめて、多少人間らしい了簡になって、宿の中へ顔を出したばかりであるから、魂が吸く息につれて、やっと胎内に舞い戻っただけで、まだふわふわしている。少しも落ちついていない。だからこの世にいても、この汽車から降りても、この停車場から出ても、またこの宿の真中に立っても、云わば魂がいやいやながら、義理に働いてくれたようなもので、けっして本気の沙汰で、自分の仕事として引き受けた専門の職責とは心得られなかったくらい、鈍い意識の所有者であった。そこで、ふらついている、気の遠くなっている、すべてに興味を失った、かなつぼ眼を開いて見ると、今までは汽車の箱に詰め込まれて、上下四方とも四角に仕切られていた限界が、はっと云う間に、一本筋の往還を沿うて、十丁ばかり飛んで行った。しかもその突当りに滴るほどの山が、自分の眼を遮りながらも、邪魔にならぬ距離を有って、どろんとしたわが眸を翠の裡に吸寄せている。――そこで何んとなく今云ったような心持になっちまったのである。  第一には大道砥のごとしと、成語にもなってるくらいで、平たい真直な道は蟠まりのない爽なものである。もっと分り安く云うと、眼を迷つかせない。心配せずにこっちへ御出と誘うようにでき上ってるから、少しも遠慮や気兼をする必要がない。ばかりじゃない。御出と云うから一本筋の後を喰ッついて行くと、どこまでも行ける。奇体な事に眼が横町へ曲りたくない。道が真直に続いていればいるほど、眼も真直に行かなくっては、窮屈でかつ不愉快である。一本の大道は眼の自由行動と平行して成り上ったものと自分は堅く信じている。それから左右の家並を見ると、――これは瓦葺も藁葺もあるんだが――瓦葺だろうが、藁葺だろうが、そんな差別はない。遠くへ行けば行くほどしだいしだいに屋根が低くなって、何百軒とある家が、一本の針金で勾配を纏められるために向うのはずれからこっちまで突き通されてるように、行儀よく、斜に一筋を引っ張って、どこまでも進んでいる。そうして進めば進むほど、地面に近寄ってくる。自分の立っている左右の二階屋などは――宿屋のように覚えているが――見上げるほどの高さであるのに、宿外れの軒を透して見ると、指の股に這入ると思われるくらい低い。その途中に暖簾が風に動いていたり、腰障子に大きな蛤がかいてあったりして、多少の変化は無論あるけれども、軒並だけを遠くまで追っ掛けて行くと、一里が半秒で眼の中に飛び込んで来る。それほど明瞭である。  前に云った通り自分の魂は二日酔の体たらくで、どこまでもとろんとしていた。ところへ停車場を出るや否や断りなしにこの明瞭な――盲目にさえ明瞭なこの景色にばったりぶつかったのである。魂の方では驚かなくっちゃならない。また実際驚いた。驚いたには違いないが、今まであやふやに不精不精に徘徊していた惰性を一変して屹となるには、多少の時間がかかる。自分の前に云った一種妙な心持ちと云うのは、魂が寝返りを打たないさき、景色がいかにも明瞭であるなと心づいたあと、――その際どい中間に起った心持ちである。この景色はかように暢達して、かように明白で、今までの自分の情緒とは、まるで似つかない、景気のいいものであったが、自身の魂がおやと思って、本気にこの外界に対い出したが最後、いくら明かでも、いくら暢びりしていても、全く実世界の事実となってしまう。実世界の事実となるといかな御光でもありがた味が薄くなる。仕合せな事に、自分は自分の魂が、ある特殊の状態にいたため――明かな外界を明かなりと感受するほどの能力は持ちながら、これは実感であると自覚するほど作用が鋭くなかったため――この真直な道、この真直な軒を、事実に等しい明かな夢と見たのである。この世でなければ見る事の出来ない明瞭な程度と、これに伴う爽涼した快感をもって、他界の幻影に接したと同様の心持になったのである。自分は大きな往来の真中に立っている。その往来はあくまでも長くって、あくまでも一本筋に通っている。歩いて行けばその外まで行かれる。たしかにこの宿を通り抜ける事はできる。左右の家は触れば触る事が出来る。二階へ上れば上る事が出来る。できると云う事はちゃんと心得ていながらも、できると云う観念を全く遺失して、単に切実なる感能の印象だけを眸のなかに受けながら立っていた。  自分は学者でないから、こう云う心持ちは何と云うんだか分らない。残念な事に名前を知らないのでついこう長くかいてしまった。学問のある人から見たら、そんな事をと笑われるかも知れないが仕方がない。その後これに似た心持は時々経験した事がある。しかしこの時ほど強く起った事はかつてない。だから、ひょっとすると何かの参考になりはすまいかと思って、わざわざここに書いたのである。ただしこの心持ちは起るとたちまち消えてしまった。  見ると日はもう傾きかけている。初夏の日永の頃だから、日差から判断して見ると、まだ四時過ぎ、おそらく五時にはなるまい。山に近いせいか、天気は思ったほどよくないが、現に日が出ているくらいだから悪いとは云われない。自分は斜かけに、長い一筋の町を照らす太陽を眺めた時、あれが西の方だと思った。東京を出て北へ北へと走ったつもりだが、汽車から降りて見ると、まるで方角がわからなくなっていた。この町を真直に町の通ってるなりに、下ると、突き当りが山で、その山は方角から推すと、やはり北であるから、自分と長蔵さんは相変らず、北の方へ行くんだと思った。  その山は距離から云うとだいぶんあるように思われた。高さもけっして低くはない。色は真蒼で、横から日の差す所だけが光るせいか、陰の方は蒼い底が黒ずんで見えた。もっともこれは日の加減と云うよりも杉檜の多いためかも知れない。ともかくも蓊欝として、奥深い様子であった。自分は傾きかけた太陽から、眼を移してこの蒼い山を眺めた時、あの山は一本立だろうか、または続きが奥の方にあるんだろうかと考えた。長蔵さんと並んで、だんだん山の方へ歩いて行くと、どうあっても、向うに見える山の奥のまたその奥が果しもなく続いていて、そうしてその山々はことごとく北へ北へと連なっているとしか思われなかった。これは自分達が山の方へ歩いて行くけれど、ただ行くだけでなかなか麓へ足が届かないから、山の方で奥へ奥へと引き込んでいくような気がする結果とも云われるし。日がだんだん傾いて陰の方は蒼い山の上皮と、蒼い空の下層とが、双方で本分を忘れて、好い加減に他の領分を犯し合ってるんで、眺める自分の眼にも、山と空の区劃が判然しないものだから、山から空へ眼が移る時、つい山を離れたと云う意識を忘却して、やはり山の続きとして空を見るからだとも云われる。そうしてその空は大変広い。そうして際限なく北へ延びている。そうして自分と長蔵さんは北へ行くんである。  自分は昨夕東京を出て、千住の大橋まで来て、袷の尻を端折ったなり、松原へかかっても、茶店へ腰を掛けても、汽車へ乗っても、空脛のままで押し通して来た。それでも暑いくらいであった。ところがこの町へ這入ってから何だか空脛では寒い気持がする。寒いと云うよりも淋しいんだろう。長蔵さんと黙って足だけを動かしていると、まるで秋の中を通り抜けてるようである。そこで自分はまた空腹になった。たびたび空腹になった事ばかりを書くのはいかがわしい事で、かつこの際空腹になっては、どうも詩的でないが、致し方がない。実際自分は空腹になった。家を出てから、ただ歩くだけで、人間の食うものを食わないから、たちまち空腹になっちまう。どんなに気分がわるくっても、煩悶があっても、魂が逃げ出しそうでも、腹だけは十分減るものである。いや、そう云うよりも、魂を落つけるためには飯を供えなくっちゃいけないと云い換えるのが適当かも知れない。品の悪い話だが、自分は長蔵さんと並んで往来の真中を歩きながら、左右に眼をくばって、両側の飲食店を覗き込むようにして長い町を下って行った。ところがこの町には飲食店がだいぶんある。旅屋とか料理屋とか云う上等なものは駄目としても、自分と長蔵さんが這入ってしかるべきやたいち流のがあすこにもここにも見える。しかし長蔵さんは毫も支度をしそうにない。最前の我多馬車の時のように「御前さん夕食を食うかね」とも聞いてくれない。その癖自分と同じように、きょろきょろ両側に眼を配って何だか発見したいような気色がありありと見える。自分は今に長蔵さんが恰好な所を見つけて、晩食をしたために自分を連れ込む事と自信して、気を永く辛抱しながら、長い町を北へ北へと下って行った。  自分は空腹を自白したが、倒れるほどひもじくは無かった。胃の中にはまだ先刻の饅頭が多少残ってるようにも感ぜられた。だから歩けば歩かれる。ただ汽車を下りるや否や滅り込みそうな精神が、真直な往来の真中に抛り出されて、おやと眼を覚したら、山里の空気がひやりと、夕日の間から皮膚を冒して来たんで、心機一転の結果としてここに何か食って見たくなったんである。したがって食わなければ食わないでも済む。長蔵さん何か食わしてくれませんかと云うほど苦しくもなかった。しかし何だか口が淋しいと見えて、しきりに縄暖簾や、お|煮〆や、御中食所が気にかかる。相手の長蔵さんがまた申し合せたように右左と覗き込むので、こっちはますます食意地が張ってくる。自分はこの長い町を通りながら、自分らに適当と思う程度の一膳めし屋をついに九軒まで勘定した。数えて九軒目に至ったら、さしもに長い宿はとうとうおしまいになり掛けて、もう一町も行けば宿外れへ出抜けそうである。はなはだ心細かった。時にふと右側を見ると、また酒めしと云う看板に逢着した。すると自分の心のうちにこれが最後だなと云う感じが起った。それがためか煤けた軒の腰障子に、肉太に認めた酒めし、御肴と云う文字がもっとも劇烈な印象をもって自分の頭に映じて来た。その映じた文字がいまだに消えない。酒の字でも、めしの字でも、御肴の字でもありあり見える。この様子では、いくら耄碌してもこの五字だけは、そっくりそのまま、紙の上に書く事が出来るだろう。  自分が最後の酒、めし、御肴をしみじみ見ていると、不思議な事に長蔵さんも一生懸命に腰障子の方に眼をつけている。自分はさすが頑強の長蔵さんも今度こそ食いに這入るに違なかろうと思った。ところが這入らない。その代りぴたりと留った。見ると腰障子の奥の方では何だか赤いものが動いている。長蔵さんの顔色を窺うと、何でもこの赤いものを見詰めているらしい。この赤いものは無論人間である。が長蔵さんがなぜ立ち留ってこの赤い人間を覗き込むのか、とんと自分には分らなかった。人間には違ないが、ただ薄暗く赤いばかりで、顔つきなどは無論判然しやしない。がと思って、自分も不審かたがた立ち留っていると、やがて障子の奥から赤毛布が飛び出した。いくら山里でも五月の空に毛布は無用だろうと云う人があるかも知れないが、実際この男は赤毛布で身を堅めていた。その代り下には手織の単衣一枚だけしきゃ着ていないんだから、つまり|〆て見ると自分と大した相違はない事になる。もっとも単衣一枚で凌いでると云う事は、あとからの発見で、障子の影から飛び出した時にはただ赤いばかりであった。  すると長蔵さんは、いきなり、この赤い男の側へつかつかやって行って、 「お前さん、働く気はないかね」 と云った。自分が長蔵さんに捕まった時に聞かされた、第一の質問はやはり「働く気はないかね」であったから、自分はおやまた働かせる気かなと思って、少からぬ興味の念に駆られながら二人を見物していた。その時この長蔵さんは、誰を見ても手頃な若い衆とさえ鑑定すれば、働く気はないかねと持ち掛ける男だと云う事を判然と覚った。つまり長蔵さんは働かせる事を商売にするんで、けっして自分一人を非常な適任者と認めて、それで坑夫に推挙した訳ではなかった。おおかたどこで、どんな人に、幾人逢おうとも、版行で押したような口調で御前さん働く気はないかねを根気よく繰返し得る男なんだろう。考えると、よくこんな商売を厭きもせず、長の歳月やられたものだ。長蔵さんだって、天性御前さん働く気はないかねに適した訳でもあるまい。やっぱり何かの事情やむを得ず御前さんを復習しているんだろう。こう思えば、まことに罪のない男である。要するに芸がないからほかの事は出来ないんだが、ほかの事が出来ないんだと意識して煩悶する気色もなく、自分でなくっちゃ御前さんをやり得る人間は天下広しといえども二人と有るまいと云うほどの平気な顔で、やっている。  その当時自分にこれだけの長蔵観があったらだいぶ面白かったろうが、何しろ魂に逃げだされ損なっている最中だったから、なかなかそんな余裕は出て来なかった。この長蔵観は当時の自分を他人と見做して、若い時の回想を紙の上に写すただ今、始めて序の節に浮かんだのである。だからやッぱり紙の上だけで消えてなくなるんだろう。しかしその時その砌りの長蔵観と比較して見るとだいぶ違ってるようだ。――  自分は長蔵さんと赤毛布の立談を聞きながら、自分は長蔵さんから毫も人格を認められていなかったと云う事を見出した。――もっとも人格はこの際少しおかしい。いやしくも東京を出奔して坑夫にまでなり下がるものが人格を云々するのは変挺な矛盾である。それは自分も承知している。現に今筆を執って人格と書き出したら、何となく馬鹿気ていて、思わず噴き出しそうになったくらいである。自分の過去を顧みて噴き出しそうになる今の身分を、昔と比べて見ると実に結構の至りであるが、その時はなかなか噴き出すどころの騒ぎではなかった。――長蔵さんは明かに自分の人格を認めていなかった。  と云うのは、彼れはこの酒、めし、御肴の裏から飛び出した若い男を捕まえて、第二世の自分であるごとく、全く同じ調子と、同じ態度と、同じ言語と、もっと立ち入って云えば、同じ熱心の程度をもって、同じく坑夫になれと勧誘している。それを自分はなぜだか少々|怪しからんように考えた。その意味を今から説明して見ると、ざっとこんな訳なんだろう。――  坑夫は長蔵さんの云うごとくすこぶる結構な家業だとは、常識を質に入れた当時の自分にももっともと思いようがなかった。まず牛から馬、馬から坑夫という位の順だから、坑夫になるのは不名誉だと心得ていた。自慢にゃならないと覚っていた。だから坑夫の候補者が自分ばかりと思のほか突然居酒屋の入口から赤毛布になって、あらわれようとも別段神経を悩ますほどの大事件じゃないくらいは分りきってる。しかしこの赤毛布の取扱方が全然自分と同様であると、同様であると云う点に不平があるよりも、自分は全然赤毛布と一般な人間であると云う気になっちまう。取扱方の同様なのを延き伸ばして行くと、つまり取り扱われるものが同様だからと云う妙な結論に到着してくる。自分はふらふらとそこへ到着していたと見える。長蔵さんが働かないかと談判しているのは赤毛布で、赤毛布はすなわち自分である。何だか他人が赤毛布を着て立ってるようには思われない。自分の魂が、自分を置き去りにして、赤毛布の中に飛び込んで、そうして長蔵さんから坑夫になれと談じつけられている。そこで、どうも情なくなっちまった。自分が直接に長蔵さんと応対している間は、人格も何も忘れているんだが、自分が赤毛布になって、君|儲かるんだぜと説得されている体裁を、自分が傍へ立って見た日には方なしである。自分ははたしてこんなものかと、少しく興を醒まして赤毛布を、つらつら観察していた。  ところが不思議にもこの赤毛布がまた自分と同じような返事をする。被ってる赤毛布ばかりじゃない、心底から、この若い男は自分と同じ人間だった。そこで自分はつくづくつまらないなと感じた。その上もう一つつまらない事が重なったのは、長蔵さんが、にくにくしいほど公平で、自分の方が赤毛布よりも坑夫に適していると云うところを少しも見せない。全く器械的にやっている。先口だから、もう少しこっちを贔屓にしたら好かろうと思うくらいであった。――これで見ると人間の虚栄心はどこまでも抜けないものだ。窮して坑夫になるとか、ならないとか云う切歯詰った時でさえ自分はこれほどの虚栄心を有っていた。泥棒に義理があったり、乞食に礼式があるのも全くこの格なんだろう。――しかしこの虚栄心の方は、自分すなわち赤毛布であると云うことを自覚して、大につまらなくなったよりも、よほどつまらなさ加減が少かった。  自分が大につまらなくなって、ぼんやり立っていると、二人の談判は見る間に片づいてしまった。これは必ずしも長蔵さんがことほどさように上手だからと云う訳ではない。赤毛布の方がことほどさように馬鹿だったからである。自分はこの男を一概に馬鹿と云うが、あながち、自分に比較して軽蔑する気じゃけっしてない。自分の当時は、長蔵さんの話をはいはい聞く点において、すぐ坑夫になろうと承知する点において、その他いろいろの点において、全くこの若い男と同等すなわち馬鹿であったのである。もし強いて違うところを詮議したら赤毛布を被ってるのと絣を着ているとの差違くらいなものだろう。だから馬鹿と云うのは、自分と同じく気の毒な人と云う意味で、馬鹿のうちに少しぐらいは同情の意を寓したつもりである。  で、馬鹿が二人長蔵さんに尾いていっしょに銅山まで引っ張られる事になった。しかるに自分が赤毛布と肩を並べて歩き出した時、ふと気がついて見ると、さっきのつまらない心持ちがもう消えていた。どうも人間の了見ほど出たり引っ込んだりするものはない。有るんだなと安心していると、すでにない。ないから大丈夫と思ってると、いや有る。有るようで、ないようでその正体はどこまで行っても捕まらない。その後さる温泉場で退屈だから、宿の本を借りて読んで見たらいろいろ下らない御経の文句が並べてあったなかに、心は三世にわたって不可得なりとあった。三世にわたるなんてえのは、大袈裟な法螺だろうが、不可得と云うのは、こんな事を云うんじゃなかろうかと思う。もっともある人が自分の話を聞いて、いやそれは念と云うもので心じゃないと反対した事がある。自分はいずれでも御随意だから黙っていた。こんな議論は全く余計な事だが、なぜ云いたくなるかというと、世間には大変利口な人物でありながら、全く人間の心を解していないものがだいぶんある。心は固形体だから、去年も今年も虫さえ食わなければ大抵同じもんだろうくらいに考えているには弱らせられる。そうして、そう云う呑気な料簡で、人を自由に取り扱うの、教育するの、思うようにして見せるのと騒いでいるから驚いちまう。水だって流れりゃ返って来やしない。ぐずぐずしていりゃ蒸発しちまう。  とにかくこの際は、赤毛布と並んで歩き出した時、もう先刻のつまらない考えが蒸発していたと云う事だけを記憶して置いて貰えばいい。――そうして吾ながら驚いたのは、どうも赤毛布と並んで歩くのが愉快になって来た。もっともこの男は茨城か何かの田舎もので、鼻から逃げる妙な発音をする。芋の事を芋と訓じたのはこれからさきの逸話に属するが、歩き出したてから、あんまりありがたい音声ではなかった。その上顔が人並にできていなかった。この男に比べると角張った顎の、厚唇の長蔵さんなどは威風堂々たるものである。のみならず茨城の田舎を突っ走ったのみで、いまだかつて東京の地を踏んだことがない。そうして、赤い毛布が妙に臭い。それにもかかわらず自分はこの山里で、銅山行きの味方を得たような心持ちがして嬉しかった。自分はどうせ捨てる身だけれども、一人で捨てるより道伴があって欲い。一人で零落れるのは二人で零落れるのよりも淋しいもんだ。そう明らさまに申しては失礼に当るが、自分はこの男について何一つ好いてるところはなかったけれども、ただいっしょに零落れてくれると云う点だけがありがたいのでそれがため大いに愉快を感じた。それで歩き出すや否や、少し話もし掛けて見たくらいに、近しい仲となってしまった。これから推して考えると、川で死ぬ時は、きっと船頭の一人や二人を引き擦り込みたくなるに相違ない。もし死んでから地獄へでも行くような事があったなら、人のいない地獄よりも、必ず鬼のいる地獄を択ぶだろう。  そう云う訳で、たちまち赤毛布が好きになって、約一二町も歩いて来たら、また空腹を覚え出した。よく空腹を覚えるようだが、これは前段の続きでけっして新しい空腹ではない。順序を云うと、第一に精神が稀薄になって、もっとも刻下感に乏しい時に汽車を下りたんで、次に真直な往来を真直に突き当りの山まで見下したもんだからようやく正気づいたのは前申した通りである。それが機縁になって、今度は食気がついて、それから人格を認められていない事を認識して、はなはだつまらなくなって、つまらなくなったと思ったら坑夫の同類が出来て、少しく頽勢を挽回したと云うしだいになる。だに因ってまた空腹に立ち戻ったと説明したら善く呑み込めるだろう。さて空腹にはなったが、最後の一膳飯屋はもう通り越している。宿はすでに尽きかかった。行く手は暗い山道である。とうてい願は叶いそうもない。それに赤毛布は今食ったばかりの腹だから、勇ましくどんどん歩く。どうも、降参しちまった。そこで思い切って、最後の手段として長蔵さんに話しかけて見た。 「長蔵さん、これからあの山を越すんですか」 「あの取附の山かい。あれを越しちゃ大変だ。これから左へ切れるんさ」 と云ったなりまたすたすた歩いて行く。どうも是非に及ばない。 「まだよっぽどあるんですか、僕は少し腹が減ったんだが」 と、とうとう空腹の由を自白した。すると長蔵さんは 「そうかい。芋でも食うべい」 と、云いながら、すぐさま、左側の芋屋へ飛び込んだ。よく約束したように、そこん所に芋屋があったもんだ。これを大袈裟に云えば天佑である。今でもこの時の上出来に行った有様を回顧すると、おかしいばかりじゃない、嬉しい。もっとも東京の芋屋のように奇麗じゃなかった。ほとんど名状しがたいくらいに真黒になった芋屋で、芋屋と云えば芋屋だが、芋専門じゃない。と云って芋のほかに何を売ってるんだったか、今は忘れちまった。食う方に気を取られ過ぎたせいかとも思う。  やがて長蔵さんは両手に芋を載せて、真黒な家から、のそりと出て来た。入れ物がないもんだから、両手を前へ出して、 「さあ、食った」 と云う。自分は眼前に芋を突きつけられながら、ただ 「ありがとう」 と礼を述べて、芋を眺めていた。どの芋にしようかと考えた訳ではない。そんな選択を許すような芋ではなかった。赤くって、黒くって、瘠せていて、湿っぽそうで、それで所々皮が剥げて、剥げた中から緑青を吹いたような味が出ている。どれにぶつかったって大同小異である。そんなら一目惨澹たるこの芋の光景に辟易して、手を出さなかったかと云うと、そうでもない。自分の胃の状況から察すると、芋中のヽヽとも云わるべきこの御薩を快よく賞翫する食欲は十分有ったように思う。しかし「さあ、食った」と突きつけられた時は、何だかおびえたような気分で、おいきたと手を出し損なった。これはおおかた「さあ、食った」の云い方が悪かったんだろう。  自分が芋を取らないのを見て、長蔵さんは、少々もどかしいと云う眼つきで、再び 「さあ」 と、例の顎で芋を指しながら、前へ出した手頸を、食えと云う相図にちょっと動かした。よく考えて見ると、両手が芋で塞ってるんで、自分がどうかしてやらないと、長蔵さんは、いくら芋が食いたくても、口へ持って行く事ができないんであった。じれたのももっともである。そこで自分はようやく気がついて、二の腕で、変な曲線を描いて、右の手を芋まで持って行こうとすると、持って行く途中で、芋の方が一本ころころと往来の中へ落ちた。これはすぐさま赤毛布が拾った。拾ったと思ったら、 「この芋は好芋だ。おれが貰おう」 と云った。それでこの男は芋を芋と発音すると云う事が分った。  自分はこの時長蔵さんから、最初に三本、あとから一本|締て五本、前後二回に受取ったと記憶している。そうしてそれを懐かしげに食いながら、いよいよ宿外れまで来るとまた一事件起った。  宿の外れには橋がある。橋の下は谷川で、青い水が流れている。自分はもう町が尽きるんだなとは思いながら、つい芋に心を奪われて、橋の上へ乗っかかるまでは川があるとも気がつかなかった。ところが急に水の音がするんで、おやと思うと橋へ出ている。川がある。水が流れている。――何だか馬鹿気た話だが、事実にもっとも近い叙述をやろうとすると、まあ、こう書くのが一番適切だろう、こう書いて置く。けっして小説家の弄ぶような法螺七分の形容ではない。これが形容でないとするとその時の自分がいかに芋を旨がったのかがおのずから分明になる。さて水音に驚いて、欄干から下を見ると、音のするのはもっともで、川の中に大きな石がだいぶんある。そうしてその形状がいかにも不作法にでき上って、あたかも水の通り道の邪魔になるように寝たり、突っ立ったりしている。それへ水がやけにぶつかる。しかもその水には勾配がついている。山から落ちた勢いをなし崩しに持ち越して、追っ懸けられるように跳って来る。だから川と云うようなものの、実は幅の広い瀑を月賦に引き延ばしたくらいなものである。したがって水の少ない割には大変|烈しい。鼻っ端の強い江戸ッ子のようにむやみやたらに突っかかって来る。そうして白い泡を噴いたり、青い飴のようになったり、曲ったり、くねったりして下へ流れて行く。どうも非常にやかましい。時に日はだんだん暮れてくる。仰向いて見たが、日向はどこにも見えない。ただ日の落ちた方角がぽうっと明るくなって、その明かるい空を背負ってる山だけが目立って蒼黒くなって来た。時は五月だけれども寒いもんだ。この水音だけでも夏とは思われない。まして入日を背中から浴びて、正面は陰になった山の色と来たら、――ありゃ全体何と云う色だろう。ただ形容するだけなら紫でも黒でも蒼でも構わないんだが、あの色の気持を書こうとすると駄目だ。何でもあの山が、今に動き出して、自分の頭の上へ来て、どっと圧っ被さるんじゃあるまいかと感じた。それで寒いんだろう。実際今から一時間か二時間のうちには、自分の左右前後四方八方ことごとく、あの山のような気味のわるい色になって、自分も長蔵さんも茨城県も、全く世界|一色の内に裹まれてしまうに違ないと云う事を、それとはなく意識して、一二時間後に起る全体の色を、一二時間前に、入日の方の局部の色として認めたから、局部から全体を唆かされて、今にあの山の色が広がるんだなと、どっかで虫が知らせたために、山の方が動き出して頭の上へ圧っ被さるんじゃあるまいかと云う気を起したんだなと――自分は今机の前で解剖して見た。閑があるととかく余計な事がしたくなって困る。その時はただ寒いばかりであった。傍にいる茨城県の毛布が羨ましくなって来たくらいであった。  すると橋の向うから――向たって突き当りが山で、左右が林だから、人家なんぞは一軒もありゃしない。――実際自分はこう突然人家が尽きてしまおうとは、自分が自分の足で橋板を踏むまでも思いも寄らなかったのである。――その淋しい山の方から、小僧が一人やって来た。年は十三四くらいで、冷飯草履を穿いている。顔は始めのうちはよく分らなかったが、何しろ薄暗い林の中を、少し明るく通り抜けてる石ころ路を、たった一人してこっちへひょこひょこ歩いて来る。どこから、どうして現れたんだか分らない。木下闇の一本路が一二丁先で、ぐるりと廻り込んで、先が見えないから、不意に姿を出したり、隠したりするような仕掛にできてるのかも知れないが、何しろ時が時、場所が場所だから、ちょっと驚いた。自分は四本目の芋を口へ宛がったなり、顎を動かす事を忘れて、この小僧をしばらくの間眺めていた。もっともしばらくと云ったって、わずか二十秒くらいなものである。芋はそれからすぐに食い始めたに違いない。  小僧の方では、自分らを見て、驚いたか驚かないか、その辺はしかと確められないが、何しろ遠慮なく近づいて来た。五六間のこっちから見ると頭の丸い、顔の丸い、鼻の丸い、いずれも丸く出来上った小僧である。品質から云うと赤毛布よりもずっと上製である。自分らが三人並んで橋向うの小路を塞いでいるのを、とんと苦にならない様子で通り抜けようとする。すこぶる平気な態度であった。すると長蔵さんが、また、 「おい、小僧さん」 と呼び留めた。小僧は臆した気色もなく 「なんだ」 と答えた。ぴたりと踏み留った。その度胸には自分も少々驚いた。さすがこの日暮に山から一人で降りて来るがものはある。自分などがこの小僧の年輩の頃は夜青山の墓地を抜けるのがいささか苦になったものだ。なかなかえらいと感心していると、長蔵さんは、 「芋を食わないかね」 と云いながら、食い残しを、気前よく、二本、小僧の鼻の前に出した。すると小僧はたちまち二本とも引ったくるように受け取って、ありがとうとも何とも云わず、すぐその一本を食い始めた。この手っ取り早い行動を熟視した自分は、なるほど山から一人で下りてくるだけあって自分とは少々訳が違うなと、また感心しちまった。それとも知らぬ小僧は無我無心に芋を食っている。しかも頬張った奴を、唾液も交ぜずに、むやみに呑み下すので、咽喉が、ぐいぐいと鳴るように思われた。もう少し落ちついて食う方が楽だろうと心配するにもかかわらず、当人は、傍で見るほど苦しくはないと云わんばかりにぐいぐい食う。芋だから無論堅いもんじゃない。いくら鵜呑にしたって咽喉に傷のできっこはあるまいが、その代り咽喉がいっぱいに塞がって、芋が食道を通り越すまでは呼息の詰る恐れがある。それを小僧はいっこう苦にしない。今咽喉がぐいと動いたかと思うと、またぐいと動く。後の芋が、前の芋を追っ懸けてぐいぐい胃の腑に落ち込んで行くようだ。二本の芋は、随分大きな奴だったが、これがためたちまち見る間に無くなってしまった。そうして、小僧はついに何らの異状もなかった。自分ら三人は何にも云わずに、三方から、この小僧の芋を食うところを見ていたが、三人共、食ってしまうまで、一句も言葉を交わさなかった。自分は腹の中で少しはおかしいと思った。しかし何となく憐れだった。これは単に同情の念ばかりではない。自分が空腹になって、長蔵さんに芋をねだったのは、つい、今しがたで、餓じい記憶は気の毒なほど近くにあるのに、この小僧の食い方は、自分より二三層倍|餓じそうに見えたからである。そこへ持って来て、長蔵さんが、 「旨まかったか」 と聞いた。自分は芋へ手を出さない先からありがとうと礼を述べたくらいだから、食ったあとの小僧は無論何とか云うだろうと思っていたら、小僧はあやにく何とも云わない。黙って立っている。そうして暮れかかる山の方を見た。後から分ったがこの小僧は全く野生で、まるで礼を云う事を知らないんだった。それが分ってからはさほどにも思わなかったが、この時は何だ顔に似合わない無愛嬌な奴だなと思った。しかしその丸い顔を半分|傾けて、高い山の黒ずんで行く天辺を妙に眺めた時は、また可愛想になった。それからまた少し物騒になった。なぜ物騒になったんだかはちょっと疑問である。小さい小僧と、高い山と、夕暮と山の宿とが、何か深い因縁で互に持ち合ってるのかも知れない。詩だの文章だのと云うものは、あんまり読んだ事がないが、おそらくこんな因縁に勿体をつけて書くもんじゃないかしら。そうすると妙な所で詩を拾ったり、文章にぶつかったりするもんだ。自分はこの永年方々を流浪してあるいて、折々こんな因縁に出っ食わして我ながら変に感じた事が時々ある。――しかしそれも落ちついて考えると、大概解けるに違ない。この小僧なんかやっぱり子供の時に聞いた、山から小僧が飛んで来たが化け損なったところくらいだろう。それ以上は余計な事だから考えずに置く。何しろ小僧は妙な顔をして、黒い山の天辺を眺めていた。  すると長蔵さんがまた聞き出した。 「御前、どこへ行くかね」  小僧はたちまち黒い山から眼を離して、 「どこへも行きゃあしねえ」 と答えた。顔に似合わずすこぶる無愛想である。長蔵さんは平気なもんで、 「じゃどこへ帰るかね」 と、聞き直した。小僧も平気なもんで、 「どこへも帰りゃしねえ」 と云ってる。自分はこの問答を聞きながら、ますます物騒な感じがした。この小僧は宿無に違ないんだが、こんなに小さい、こんなに淋しい、そうして、こんなに度胸の据った宿無を、今までかつて想像した事がないものだから、宿無とは知りながら、ただの宿無に附属する憐れとか気の毒とかの念慮よりも、物騒の方が自然勢力を得たしだいである。もっとも長蔵さんにはそんな感じは少しも起らなかったらしい。長蔵さんは、この小僧が宿無か宿無でないかを突き留めさえすれば、それでたくさんだったんだろう。どこへも行かない、またどこへも帰らない小僧に向って、 「じゃ、おいらといっしょにおいで。御金を儲けさしてやるから」 と云うと、小僧は考えもせず、すぐ、 「うん」 と承知した。赤毛布と云い、小僧と云い、実に面白いように早く話が纏まってしまうには驚いた。人間もこのくらい簡単にできていたら、御互に世話はなかろう。しかしそう云う自分がこの赤毛布にもこの小僧にも遜らないもっとも世話のかからない一人であったんだから妙なもんだ。自分はこの小僧の安受合を見て、少からず驚くと共に、天下には自分のように右へでも左へでも誘われしだい、好い加減に、ふわつきながら、流れて行くものがだいぶんあるんだと云う事に気がついた。東京にいるときは、目眩いほど人が動いていても、動きながら、みんな根が生えてるんで、たまたま根が抜けて動き出したのは、天下広しといえども、自分だけであろうくらいで、千住から尻を端折って歩き出した。だから心細さも人一倍であったが、この宿で、はからずも赤毛布を手に入れた。赤毛布を手に入れてから、二十分と立たないうちにまたこの小僧を手に入れた。そうして二人とも自分よりは遥に根が抜けている。こう続々同志が出来てくると、行く先は山だろうが、河だろうが、あまり苦にはならない。自分は幸か不幸か、中以上の家庭に生れて、昨日の午後九時までは申し分のない坊ちゃんとして生活していた。煩悶も坊ちゃんとしての煩悶であったのは勿論だが、煩悶の極試みたこの駆落も、やっぱり坊ちゃんとしての駆落であった。さればこそ、この駆落に対して、不相当にもったいぶった意味をつけて、ありがたがらないまでも、一生の大事件のように考えていた。生死の分れ路のように考えていた。と云うものは坊ちゃんの眼で見渡した世の中には、駆落をしたものは一人もない。――たまにあれば新聞にあるばかりである。ところが新聞では駆落が平面になって、一枚の紙に浮いて出るだけで、云わばあぶり出しの駆落だから、食べたって身にはならない。あたかも別世界から、電話がかかったようなもので、はあ、はあ、と聞いてる分の事である。だから本当の意味で切実な駆落をするのは自分だけだと云うありがたみがつけ加わってくる。もっとも自分はただ煩悶して、ただ駆落をしたまでで、詩とか美文とか云うものを、あんまり読んだ事がないから、自分の境遇の苦しさ悲しさを一部の小説と見立てて、それから自分でこの小説の中を縦横に飛び廻って、大いに苦しがったりまた大いに悲しがったりして、そうして同時に自分の惨状を局外から自分と観察して、どうも詩的だなどと感心するほどなませた考えは少しもなかった。自分が自分の駆落に不相当なありがたみをつけたと云うのは、自分の不経験からして、さほど大袈裟に考えないでも済む事を、さも仰山に買い被って、独りでどぎまぎしていた事実を指すのである。しかるにこのどぎまぎが赤毛布に逢い、小僧に逢って、両人の平然たる態度を見ると共に、いつの間にやら薄らいだのは、やっぱり経験の賜である。白状すると当時の赤毛布でも当時の小僧でも、当時の自分よりよっぽど偉かったようだ。  こう手もなく赤毛布がかかる。小僧がかかる。そう云う自分も、たわいもなく攻め落された事実を綜合して考えて見ると、なるほど長蔵さんの商売も、満更待ち草臥の骨折損になる訳でもなかった。坑夫になれますよ、はあ、なれますか、じゃなりましょうと二つ返事で承知する馬鹿は、天下広しといえども、尻端折で夜逃をした自分くらいと思っていた。したがって長蔵さんのような気楽な商売は日本にたった一人あればたくさんで、しかもその一人が、まぐれ当りに自分に廻り合せると云う運勢をもって生れて来なくっちゃ、とても商売にならないはずだ。だから大川端で眼の下三尺の鯉を釣るよりもよっぽどの根気仕事だと、始めから腰を据えてかかるのが当然なんだが、長蔵さんはとんとそんな自覚は無用だと云わぬばかりの顔をして、これが世間もっとも普通の商売であると社会から公認されたような態度で、わるびれずに往来の男を捉まえる。するとその捉まえられた男が、不思議な事に、一も二もなく、すぐにうんと云う。何となくこれが世間もっとも普通の商売じゃあるまいかと疑念を起すように成功する。これほど成功する商売なら、日本に一人じゃとても間に合わない、幾人あっても差支ないと云う気になる。――当人は無論そう思ってるんだろう。自分もそう思った。  この呑気な長蔵さんと、さらに呑気な小僧に赤毛布と、それから見様見真似で、大いに呑気になりかけた自分と、都合四人で橋向うの小路を左へ切れた。これから川に沿って登りになるんだから、気をつけるが好いと云う注意を受けた。自分は今|芋を食ったばかりだから、もう空腹じゃない。足は昨夕から歩き続けで草臥れてはいるが、あるけばまだ歩ける。そこで注意の通り、なるべく気をつけて、長蔵さんと赤毛布の後を跟けて行った。路があまり広くないので四人は一行に並べない。だから後を跟ける事にした。小僧は小さいからこれも一足|後れて、自分と摺々くらいになって食っついてくる。  自分は腹が重いのと、足が重いのとの両方で、口を利くのが厭になった。長蔵さんも橋を渡ってから以後とんと御前さんを使わなくなった。赤毛布はさっき一膳飯屋の前で談判をした時から、余り多弁ではなかったが、どう云うものかここに至ってますます無口となっちまった。小僧の無口はさらにはなはだしかった。穿いている冷飯草履がぴちゃぴちゃ鳴るばかりである。  こう、みんな黙ってしまうと、山路は静かなものである。ことに夜だからなお淋しい。夜と云ったって、まだ日が落ちたばかりだから、歩いてる道だけはどうか、こうか分る。左手を落ちて行く水が、気のせいか、少しずつ光って見える。もっともきらきら光るんじゃない。なんだか、どす黒く動く所が光るように見えるだけだ。岩にあたって砕ける所は比較的|判然と白くなっている。そうしてその声がさあさあと絶え間なくする。なかなかやかましい。それでなかなか淋しい。  その中細い道が少しずつ、上りになるような気持がしだした。上りだけならこのくらいな事はそう骨は折れないんだが、路が何だか凸凹する。岩の根が川の底から続いて来て、急に地面の上へ出たり、引っ込んだりするんだろう。この凸凹に下駄を突っ掛ける。烈しいときは内臓が飛び上がるようになる。だいぶ難義になって来た。長蔵さんと赤毛布は山路に馴れていると見えて、よくも見えない木下闇を、すたすた調子よくあるいて行く。これは仕方がないが、小僧が――この小僧は実際物騒である。冷飯草履をぴしゃぴしゃ云わして、暗い凸凹を平気に飛び越して行く。しかも全く無言である。昼間ならさほどにも思わないんだが、この際だから、薄暗い中でぴしゃりぴしゃりと草履の尻の鳴るのが気になる。何だか蝙蝠といっしょに歩いてるようだ。  そのうち路がだんだん登りになる。川はいつしか遠くなる。呼息が切れる。凸凹はますます烈しくなる。耳ががあんと鳴って来た。これが駆落でなくって、遠足なら、よほど前から、何とか文句をならべるんだが、根が自殺の仕損いから起った自滅の第一着なんだから、苦しくっても、辛くっても、誰に難題を持ち掛ける訳にも行かない。相手は誰だと云えば、自分よりほかに誰もいやしない。よしいたって、こだわるだけの勇気はない。その上|先方は相手になってくれないほど平気である。すたすた歩いて行く。口さえ利かない。まるで取附端がない。やむを得ず呼吸を切らして、耳をがあんと鳴らして、黙って後から神妙に尾いて行く。神妙と云う字は子供の時から覚えていたんだが、神妙の意味を悟ったのはこの時が始めてである。もっともこれが悟り始めの悟りじまいだと笑い話にもなるが、一度悟り出したら、その悟りがだいぶ長い事続いて、ついに鉱山の中で絶高頂に達してしまった。神妙の極に達すると、出るべき涙さえ遠慮して出ないようになる。涙がこぼれるほどだと譬に云うが、涙が出るくらいなら安心なものだ。涙が出るうちは笑う事も出来るにきまってる。  不思議な事にこれほど神妙にあてられたものが、今はけろりとして、一切神妙気を出さないのみか、人からは横着者のように思われている。その時御世話になった長蔵さんから見たら、定めし増長した野郎だと思う事だろう。がまた今の朋友から評すると、昔は気の毒だったと云ってくれるかも知れない。増長したにしても気の毒だったにしても構わない。昔は神妙で今は横着なのが天然自然の状態である。人間はこうできてるんだから致し方がない。夏になっても冬の心を忘れずに、ぶるぶる悸えていろったって出来ない相談である。病気で熱の出た時、牛肉を食わなかったから、もう生涯ロースの鍋へ箸を着けちゃならんぞと云う命令はどんな御大名だって無理だ。咽喉元過ぐれば熱さを忘れると云って、よく、忘れては怪しからんように持ち掛けてくるが、あれは忘れる方が当り前で、忘れない方が嘘である。こう云うと詭弁のように聞えるが、詭弁でもなんでもない。正直正銘のところを云うんである。いったい人間は、自分を四角張った不変体のように思い込み過ぎて困るように思う。周囲の状況なんて事を眼中に置かないで、平押に他人を圧しつけたがる事がだいぶんある。他人なら理窟も立つが、自分で自分をきゅきゅ云う目に逢わせて嬉しがってるのは聞えないようだ。そう一本調子にしようとすると、立体世界を逃げて、平面国へでも行かなければならない始末が出来てくる。むやみに他人の不信とか不義とか変心とかを咎めて、万事万端向うがわるいように噪ぎ立てるのは、みんな平面国に籍を置いて、活版に印刷した心を睨んで、旗を揚げる人達である。御嬢さん、坊っちゃん、学者、世間見ず、御大名、にはこんなのが多くて、話が分り悪くって、困るもんだ。自分もあの時|駆落をしずに、可愛らしい坊ちゃんとしておとなしく成人したなら、――自分の心の始終動いているのも知らずに、動かないもんだ、変らないもんだ、変っちゃ大変だ、罪悪だなどとくよくよ思って、年を取ったら――ただ学問をして、月給をもらって、平和な家庭と、尋常な友達に満足して、内省の工夫を必要と感ずるに至らなかったら、また内省ができるほどの心機転換の活作用に見参しなかったならば――あらゆる苦痛と、あらゆる窮迫と、あらゆる流転と、あらゆる漂泊と、困憊と、懊悩と、得喪と、利害とより得たこの経験と、最後にこの経験をもっとも公明に解剖して、解剖したる一々を、一々に批判し去る能力がなかったなら――ありがたい事に自分はこの至大なる賚を有っている、――すべてこれらがなかったならば、自分はこんな思い切った事を云やしない。いくら思い切った事を云ったって自慢にゃならない。ただこの通りだからこの通りだと云うまでである。その代り昔し神妙なものが、今横着になるくらいだから、今の横着がいつ何時また神妙にならんとは限らない。――抜けそうな足を棒のように立てて聞くと、がんと鳴ってる耳の中へ、遠くからさあさあ水音が這入ってくる。自分はますます神妙になった。  この状態でだいぶ来た。何里だか見当のつかないほど来た。夜道だから平生よりは、ただでさえ長く思われる上へ持ってきて、凸凹の登りを膨っ脛が腫れて、膝頭の骨と骨が擦れ合って、股が地面へ落ちそうに歩くんだから、長いの、長くないのって――それでも、生きてる証拠には、どうか、こうか、長蔵さんの尻を五六間と離れずに、やって来た。これはただ神妙に自己を没却した諦の体たらくから生じた結果ではない。五六間以上|後れると、長蔵さんが、振り返って五六歩ずつは待合してくれるから、仕方なしに追いつくと、追いつかない先に向うはまた歩き出すんで、やむを得ずだらだら、ちびちびに自己を奮興させた成行に過ぎない。それにしても長蔵さんは、よく後が見えたもんだ。ことに夜中である。右も左も黒い木が空を見事に突っ切って、頭の上は細く上まで開いているなと、仰向いた時、始めて勘づくくらいな暗い路である。星明りと云うけれど、あまり便にゃならない。提灯なんか無論持ち合せようはずがない。自分の方から云うと、先へ行く赤毛布が目標である。夜だから赤くは見えないが、何だか赤毛布らしく思われる。明るいうちから、あの毛布、あの毛布と御題目のように見詰めて覘をつけて来たせいで、日が暮れて、突然の眼には毛布だか何だか分らないところを、自分だけにはちゃんと赤毛布に見えるんだろう。信心の功徳なんてえのは大方こんなところから出るに違ない。自分はこう云う訳で、どうにか目標だけはつけて置いたようなものの、長蔵さんに至っては、どのくらいあとから自分が跟いてくるか分りようがない。ところをちゃんと五六間以上になると留まってくれる。留まってくれるんだか、留まる方が向うの勝手なんだか、判然しないが、とにかく留まることはたしかだった。とうてい素人にゃできない芸である。自分は苦しいうちにも、これが長蔵さんの商売に必要な芸で、長蔵さんはこの芸を長い間練習して、これまでに仕上げたんだなと、少からず感心した。赤毛布は長蔵さんと並んでいるんだから、長蔵さんさえ留まればきっととまる。長蔵さんが歩き出せば必ず歩き出す。まるで人形のように活動する男であった。ややともすると後れ勝ちの自分よりはこの赤毛布の方が遥に取り扱いやすかったに違ない。小僧は――例の小僧は消えて無くなっちまった。始めのうちこそ小僧だから後になるんだろうと思って、草臥れたら励ましてやろうくらいの了簡があったんだが、かの冷飯草履をぴしゃりぴしゃりと鳴らしながら凸凹路を飛び跳ねて進行する有様を目撃してから、こりゃ敵わないと覚悟をしたのは、よっぽど前の事である。それでもしばらくの間はぴしゃりぴしゃりが自分の袖と擦れ擦れくらいになって、登って来たが、今じゃもう自分の近所には影さえなくなった。並んで歩くうちは、あまり小僧の癖に活溌にあるくんで――活溌だけならいいが、活溌の上に非常に沈黙なんで――、随分物騒な心持ちだった。もし笑うなら、極めて小さくって、非常に活溌で、そうして口を利かない動物を想像して見ると分る。滅多にありゃしない。こんな動物といっしょに夜|山越をしたとすると、誰だって物騒な気持になる。自分はこの時この小僧の事を今考えても、妙な感じが出て来る。さっき蝙蝠のようだと云ったが、全く蝙蝠だ。長蔵さんと赤毛布がいたから、好いようなものの、蝙蝠とたった二人限だったら――正直なところ降参する。  すると長蔵さんが、暗闇の中で急に、 「おおい」 と声を揚げた。淋しい夜道で、急に人声を聞いた人があるかないか知らないが、聞いて見るとちょっと異な感じのするものだ。それも普通の話し声なら、まだ好いが、おおいと人を呼ぶ奴は気味がよくない。山路で、黒闇で、人っ子一人通らなくって、御負に蝙蝠なんぞと道伴になって、いとど物騒な虚に乗じて、長蔵さんが事ありげに声を揚げたんである。事のあるべきはずでない時で、しかも事がありかねまじき場所でおおいと来たんだから、突然と予期が合体して、自分の頭に妙な響を与えた。この声が自分を呼んだんなら、何か起ったなとびくんとするだけで済むんだが、五六間|後から行く自分の注意を惹くためとは受取れないほど大きかった。かつ声の伝わって行く方角が違う。こっちを向いた声じゃない。おおいと右左りに当ったが、立ち木に遮られて、細い道を向うの方へ遠く逃げのびて、遥の先でおおいと云う反響があった。反響はたしかにあったが、返事はないようだ。すると長蔵さんは、前より一層大きな声を出して、 「小僧やあ」 と呼んだ。今考えると、名前も知らないで、小僧やあと呼ぶなんて少しとぼけているがその時はなかなかとぼけちゃいなかった。自分はこの声を聞くと同時に蝙蝠が隠れたんだなと気がついた。先へ行ったと思うのが当り前で、まかり間違っても逃げたと鑑定をつけべきはずだのに、隠れたんだとすぐ胸先へ浮んで来たのは、よっぽど蝙蝠に祟られていたに違ない。この祟は翌朝になって太陽が出たらすっかり消えてしまって、自分で自分を何て馬鹿だろうと思ったくらいだが、実際小僧やあの呼び声を聞いた時は、ちょっと烈しく来た。  ところがまた反響が例のごとく向うへ延びて、突き当りがないもんだから、人魂の尻尾のように、幽かに消えて、その反動か、有らん限りの木も山も谷もしんと静まった時、――何とも返事がない。この反響が心細く継続りながら消えて行く間、消えてから、すべての世界がしんと静まり返るまで、長蔵さんと赤毛布と自分と三人が、暗闇に鼻を突き合せて黙って立っていた。あんまり好い心持じゃなかった。やがて、長蔵さんが、 「少し急いだら、追っつくべえ。御前さん好いかね」 と云った。無論好くはないが、仕方がないから承知をして、急ぎ出した。元来この場に臨んで急ぐなんて生意気な事ができるはずがないんだが、そこが妙なもので、急ぐ気も、急ぐ力もない癖に受合っちまった。定めし変な顔をして受合ったんだろうが、受合ったら急げても、急げないでもむちゃくちゃに急いでしまった。この間はどこをどんな具合に通ったか、まあ断然知らないと云った方が穏当だろう。やがて長蔵さんがぴたりと留ったんで、ふと気がついた。すると一つ家の前へ出ている。ランプが点いている。ランプの灯が往来へ映っている。はっと嬉しかった。赤毛布がありあり見える。そうして小僧もいる。小僧の影が往来を横に切って向うの谷へ折れ込んでいる。小僧にしては長い影だ。  自分はこんな所に人の住む家があろうとはまるで思いがけなかったし、その上眼がくらんで、耳が鳴って、夢中に急いで、どこまで急ぐんだかあても希望もなくやって来て、ぴたりと留まるや否や、ランプの灯がまぶしいように眼に這入って来たんだから、驚いた。驚くと共にランプの灯は人間らしいものだとつくづく感心した。ランプがこんなにありがたかった事は今日までまだかつてない。後から聞いたら小僧はこのランプの灯まで抜け掛をして、そこで自分達を待ってたんだそうだ。おおいと云う声も小僧やあと云う声も聞えたんだが返事をしなかったと云う話しだ。偉い奴だ。  同勢はこれでようやく揃ったが、この先どうなる事だろうと思いながら、相変らず神妙にしていると、長蔵さんは自分達を路傍に置きっ放しにして、一人で家の中へ這入って行った。仕方がないから家と云うが、実のところは、家じゃもったいない。牛さえいれば牛小屋で馬さえ嘶けば馬小屋だ。何でも草鞋を売る所らしい。壁と草鞋とランプのほかに何にもないから、自分はそう鑑定した。間口は一間ばかりで、入口の雨戸が半分ほど閉ててある。残る半分は夜っぴて明けて置くんじゃないかしら。ことによると、敷居の溝に食い込んだなり動かないのかも知れない。屋根は無論|藁葺で、その藁が古くなって、雨に腐やけたせいか、崩れかかって漠然としている。夜と屋根の継目が分らないほど、ぶくついて見える。その中へ長蔵さんは這入って行った。なんだか穴の中へでも潜り込んで行ったような心持だった。そうして話している。三人は表に待っている。自分の顔は見えないが、赤毛布と小僧の顔は、小屋の中から斜に差してくるランプの灯でよく見える。赤毛布は依然として、散漫なものである。この男はたとい地震がゆって、梁が落ちて来ても、親の死目に逢うか、逢わないかと云う大事な場合でも、いつでも、こんな顔をしているに違ない。小僧は空を見ている。まだ物騒だ。  ところへ長蔵さんがあらわれた。しかし往来へは出て来ない。敷居の上へ足を乗せて、こっちを向いて立った股倉から、ランプの灯だけが細長く出て来る。ランプの位置がいつの間にか低くなったと見える。長蔵さんの顔は無論よく分らない。 「御前さん、これから山越をするのは大変だから、今夜はここへ泊って行こう。みんな這入るがいい」  自分はこの言葉を聞くと等しく、今までの神妙が急に破裂して、身体がぐたりとなった。この牛小屋で一夜を明す事が、それほどの慰藉を自分に与えようとは、牛小屋を見た今が今まで、とんと気がつかなかった。やはり神妙の結果泊る所が見つかっても、泊る気が起らなかったんだろう。こうなると人間ほど御しやすいものはない。無理でも何でもはいはい畏まって聞いて、そうして少しも不平を起さないのみか大に嬉しがる。当時を思い出すたびに、自分はもっとも順良なまたもっとも励精な人間であったなと云う自信が伴ってくる。兵隊はああでなくっちゃいけないなどと考える事さえある。同時に、もし人間が物の用を無視し得るならば、かねて物の用をも忘れ得るものだと云う事も悟った。――こう書いて見たが、読み直すと何だかむずかしくって解らない。実を云うと、もっとずっとやさしいんだが、短く詰めるものだからこんなにむずかしくなっちまった。例えば酒を飲む権利はないと自信して、酒の徳を、あれどもなきがごとくに見做す事さえできれば、徳利が前に並んでも、酒は飲むものだとさえ気がつかずにいるくらいなところである。御互が泥棒にならずに済むのも、つまりを云えば幼少の時から、人工的にこの種の境界に馴らされているからの事だろう。が一方から云うと、こんな境界は人性の一部分を麻痺さした結果としてでき上るもんだから、図に乗ってきゅきゅ押して行くと、人間がみんな馬鹿になっちまう。まあ泥棒さえしなければ好いとして、その他の精神器械は残らず相応に働く事ができるようにしてやるのが何よりの功徳だと愚考する。自分が当時の自分のままで、のべつに今日まで生きていたならば、いかに順良だって、いかに励精だって、馬鹿に違ない。だれの眼から見たって馬鹿以上の不具だろう。人間であるからは、たまには怒るがいい。反抗するがいい。怒るように、反抗するようにできてるものを、無理に怒らなかったり、反抗しなかったりするのは、自分で自分を馬鹿に教育して嬉しがるんだ。第一|身体の毒である。それを迷惑だと云うなら、怒らせないように、反抗させないように、御膳立をするが至当じゃないか。  自分は当時種々の状況で、万事長蔵さんの云う通りはいはい云っていたし、またそのはいはいを自然と思いもするが、その代り、今のような身分にいるからは、たとい百の長蔵さんが、七日七晩引っ張りつづけに引っ張ったってちょっとも動きゃしない。今の自分にはこの方が自然だからである。そうしてこう変るのが人間たるところだと思ってる。分りやすいように長蔵さんを引合に出したが、よく調べて見ると、人間の性格は一時間ごとに変っている。変るのが当然で、変るうちには矛盾が出て来るはずだから、つまり人間の性格には矛盾が多いと云う意味になる。矛盾だらけのしまいは、性格があってもなくっても同じ事に帰着する。嘘だと思うなら、試験して見るがいい。他人を試験するなんて罪な事をしないで、まず吾身で吾身を試験して見るがいい。坑夫にまで零落れないでも分る事だ。神さまなんかに聞いて見たって、以上|分ッこない。この理窟がわかる神さまは自分の腹のなかにいるばかりだ。などと、学問もない癖に、学者めいた事を云っては済まない。こんな景気のいいタンカを切る所存は毛頭なかったんだが、実を云うとこう云う仔細である。自分はよく人から、君は矛盾の多い男で困る困ると苦情を持ち込まれた事がある。苦情を持ち込まれるたんびに苦い顔をして謝罪っていた。自分ながら、どうも困ったもんだ、これじゃ普通の人間として通用しかねる、何とかして改良しなくっちゃ信用を落して路頭に迷うような仕儀になると、ひそかに心配していたが、いろいろの境遇に身を置いて、前に述べた通りの試験をして見ると、改良も何も入ったものじゃない。これが自分の本色なんで、人間らしいところはほかにありゃしない。それから人も試験して見た。ところがやっぱり自分と同じようにできている。苦情を持ち込んでくるものが、みんな苦情を持ち込まれてしかるべき人間なんだからおかしくなる。要するに御腹が減って飯が食いたくなって、御腹が張ると眠くなって、窮して濫して、達して道を行って、惚れていっしょになって、愛想が尽きて夫婦別れをするまでの事だから、ことごとく臨機応変の沙汰である。人間の特色はこれよりほかにありゃしない。と、こう感服しているんだから、ちょっと言って見たまでである。しかし世の中には学者だの坊主だの教育家だのと云うむずかしい仲間がだいぶいて、それぞれ専門に研究している事だから、自分だけ、訳の分ったように弁じ立てては善くない。  そこで元気のいい今の気焔をやめて、再びもとの神妙な態度に復して、山の中の話をする。長蔵さんが敷居の上に立って、往来を向きながら、ここへ泊って行こうと云い出した時、こんな破屋でも泊る事が出来るんだったと、始めて意識したよりも、すべての家と云うものが元来泊るために建ててあるんだなと、ようやく気がついたくらい、泊る事は予期していなかった。それでいて身体は蒟蒻のように疲れ切ってる。平生なら泊りたい、泊りたいですべての内臓が張切れそうになるはずだのに、没自我の坑夫行、すなわち自滅の前座としての堕落と諦めをつけた上の疲労だから、いくら身体に泊る必要があっても、身体の方から魂へ宛てて宿泊の件を請求していなかった。ところへ泊ると命令が天から逆に魂が下ったんで、魂はちょっとまごついたかたちで、とりあえず手足に報告すると、手足の方では非常に嬉しがったから、魂もなるほどありがたいと、始めて長蔵さんの好意を感謝した。と云う訳になる。何となく落語じみてふざけているが、実際この時の心の状態は、こう譬を借りて来ないと説明ができない。  自分は長蔵さんの言葉を聞くや否や、急に神経が弛んで、立ち切れない足を引き摺って、第一番に戸口の方に近寄った。赤毛布はのそのそ這入ってくる。小僧は飛んで来た。飛んだんじゃあるまいが、草履の尻が勢よく踵へあたるんで、ぴしゃぴしゃ云う音が飛ぶように思われた。  這入って見るとぷんと臭った。何の臭だかさらに分らない。小僧が鼻をぴくつかせたので、小僧もこの臭に感じたなと気がついた。長蔵さんと赤毛布はまるで無頓着であった。土間から上へあがる段になって、雑巾でもと思ったが、小僧は委細構わず、草履を脱いで上がっちまった。小僧の草履は尻が無いんだから、半分|裸足である。ひどい奴だと眺めていると、長蔵さんが、 「御前さんも下駄だから、御上り」 と注意した。それで気味がわるいが、ほこりも払わず上がった。畳の上へ一足掛けて見るとぶくっとした。小僧はその上へころりと転がっている。自分は尻だけおろして、障子――障子は二枚あった――その障子の影へ胡坐をかいた。この障子は入口に立ててあるから、振り向くと、長蔵さんと赤毛布が草鞋を脱いでいる。二人共腰から手拭を出して、ばたばた足をはたいている。そうして、すぐ上がって来た。足を洗うのが面倒だと見える。ところへ主人が次の間から茶と煙草盆を持って来た。  主人だの、次の間だの、茶だの、煙草盆だの、と云うとすこぶる尋常に聞えるが、その実名ばかりで、一々説明すると、大変な誤解をしていたんだねと呆れ返るものばかりである。がとにかく主人が次の間から、茶と煙草盆を持って来たには違いない。そうして長蔵さんと談話をし始めた。談話の筋は忘れたが、その様子から察すると、二人はもとからの知合で、御互の間には貸や借があるらしい。何でも馬の事をしきりに云ってた。自分だの、赤毛布だの、小僧などの事はまるで聞きもしない。まるで眼中にない訳でもあるまいが、さっき長蔵さんが一人で談判に這入った時に、残らず聞いてしまったんだろう。それとも長蔵さんはたびたびこんな呑気屋を銅山へ連れて行くんで、自然その往き還りにはこの主人の厄介になりつけてるから、別段気にも留めないのかも知れない。  自分は、長蔵さんと主人との話を聞きながら、居眠を始めた。いつから始めたか知らない。馬を売損って、どうとかしたと云うところから、だんだん判然しなくなって、自然と長蔵さんが消える。赤毛布が消える。小僧が消える。主人と茶と煙草盆が消えて、破屋までも消えた時、こくりと眠が覚めた。気がつくと頭が胸の上へ落ちている。はっと思って、擡げるとはなはだ重い。主人はやっぱり馬の話をしている。まだ馬かと思ってるうちに、また気が遠くなった。気が遠くなったのを、遠いままにして打遣って置くと、忽然ぱっと眼があいた。薄暗い部屋の中に、影のような長蔵さんと亭主が膝を突き合せている。ちょうど、借がどうとかしてハハハハと亭主が笑ったところだった。この亭主は額が長くって、斜に頭の天辺まで引込んでるから、横から見ると切通しの坂くらいな勾配がある。そうして上になればなるほど毛が生えている。その毛は五分くらいなのと一寸くらいなのとが交って、不規則にしかも疎にもじゃもじゃしている。自分が居眠りからはっと驚いて、急に眼を開けると、第一にこの頭が眸の底に映った。ランプが煤だらけで暗いものだから、この頭も煤だらけになって映って来た。その癖距離は近い。だから映った影は明瞭である。自分はこの明瞭でかつ朦朧なる亭主の頭を居眠りの不知覚から我に返る咄嗟にふと見たんである。この時はあまり好い心持ではなかった。それがため、居眠りもしばらく見合せるような気になって、部屋中を見廻すと、向うの隅に小僧が倒れている。こちらの横に茨城県が長く伸びている。毛布の下から大きな足が見える。突当りが壁で、壁の隅に穴が開いて、穴の奥が真黒である。上は一面の屋根裏で、寒いほど黒くなってる所へ、油煙とともにランプの灯があたるから、よく見ていると、藁葺の裏側が震えるように思われた。  それからまた眠くなった。また頭が落ちる。重いから上げるとまた落ちる。始めのうちは、上げた頭が落ちながらだんだんうっとりして、うっとりの極、胸の上へがくりと落ちるや否や、一足飛に正気へ立ち戻ったが、三回四回と重なるにつけて、眼だけ開けても気は判然しない。ぼんやりと世界に帰って、またぞろすぐと不覚に陥っちまう。それから例のごとく首が落ちる。微に生きてるような気になる。かと思うとまた一切空に這入る。しまいには、とうとう、いくら首がのめって来ても、動じなくなった。あるいはのめったなり、頭の重みで横にぶっ倒れちまったのかも知れない。とにかく安々と夜明まで寝て、眼が覚めた時は、もう居眠りはしていなかった。通例のごとく身体全体を畳の上につけて長くなっていた。そうして涎を垂れている。――自分は馬の話を聞いて居眠りを始めて、眼をあけて借金の話を聞いて、また居眠りの続を復習しているうちに、とうとう居眠りを本式に崩して長くなったぎり、魂の音沙汰を聞かなかったんだから、眼が覚めて、夜が明けて、世の中が土台から陰と陽に引ッ繰り返ってるのを見るや否や、眼をあいて涎を垂れて、横になったまま、じっとしていた。自覚があって死んでたらこんなだろう。生きてるけれども動く気にならなかった。昨夜の事は一から十までよく覚えている。しかし昨夜の一から十までが自然と延びて今日まで持ち越したとは受け取れない。自分の経験はすべてが新しくって、かつ痛切であるが、その新しい痛切の事々物々が何だか遠方にある。遠方にあると云うよりも、昨夜と今日の間に厚い仕切りが出来て、截然と区別がついたようだ。太陽が出ると引き込むだけの差で、こう心に連続がなくなっては不思議なくらい自分で自分が当にならなくなる。要するに人世は夢のようなもんだ。とちょっと考えたもんだから、涎も拭かずに沈んでいると、長蔵さんが、ううんと伸をして、寝たまま握り拳を耳の上まで持ち上げた。握り拳がぬっと真直に畳の上を擦って、腕のありたけ出たところで、勢がゆるんで、ぐにゃりとした。また寝るかと思ったら、今度は右の手を下へさげて、凹んだ頬っぺたをぼりぼり掻き出した。起きてるのかも知れない。そのうち、むにゃむにゃ何か云うんで、やっぱり眼が覚めていないなと気がついた時、小僧がむくりと飛び起きた。これは真正の意味において飛起きたんだから、どしんと音がして、根太が抜けそうに響いた。すると、さすが長蔵さんだけあって、むにゃむにゃをやめて、すぐ畳についた方の肩を、肘の高さまで上げた。眼をぱちつかせている。  こうなると、自分もいつまで沈んでいたって際限がないから、起き上った。長蔵さんも全く起きた。小僧は立ち上がった。寝ているものは赤毛布ばかりである。これはまた呑気なもんで、依然として毛布から大きな足を出してぐうぐう鼾声をかいて寝ている。それを長蔵さんが起す。―― 「御前さん。おい御前さん。もう起きないと御午までに銅山へ行きつけないよ」  御前さんが三四返繰返されたが、毛布はよく寝ている。仕方がないから長蔵さんは毛布の肩へ手を懸けて、 「おい、おい」 と揺り始めたんで、やむを得ず、毛布の方でも「おい」と同じような返事をして、中途|半端に立ち上った。これでみんな起きたようなものの、自分は顔も洗わず、飯も食わず、どうして好いか迷ってると、長蔵さんが、 「じゃ、そろそろ出掛けよう」 と云って、真先に土間へ降りかけたには驚いた。小僧がつづいて降りる。毛布も不得要領に土間へ大きな足をぶら下げた。こうなると自分も何とか片をつけなくっちゃならないから、一番あとから下駄を突掛けて、長蔵さんと赤毛布が草鞋の紐を結ぶのを、不景気な懐手をして待っていた。  土間へ下りた以上は、顔を洗わないのかの、朝飯を食わないのかのと、当然の事を聞くのが、さも贅沢の沙汰のように思われて、とんと質問して見る気にならない。習慣の結果、必要とまで見做されているものが、急に余計な事になっちまうのはおかしいようだが、その後この顛倒事件を布衍して考えて見たら、こんな、例はたくさんある。つまり世の中では大勢のやってる事が当然になって、一人だけでやる事が余計のように思われるんだから、当然になろうと思ったら味方を大勢|拵えて、さも当然であるかの容子で不当な事をやるに限る。やっては見ないがきっと成功するだろう。相手が長蔵さんと赤毛布でさえ自分にはこれほどの変化を来たしたんでも分る。  すると長蔵さんは草鞋の紐を結んで、足元に用がなくなったもんだから、ふいと顔を上げた。そうして自分を見た。そうして、こんな事を云う。 「御前さん、飯は食わなくっても好いだろうね」  飯を食わなくって好い法はないが、わるいと云ったって、始まりようがないから、自分はただ、 「好いです」 と答えて置いた。すると長蔵さんは、 「食いたいかね」 と云って、にやにやと笑った。これは自分の顔に飯が食いたいような根性が幾分かあらわれたためか、または十九年来の予期に反した起きたなり飯抜きの出立に、自然不平の色が出ていたためだろう。それでなければ草鞋の紐を結んでしまってから、こんな事を聞く訳がない。現に長蔵さんは、赤毛布にも小僧にもこの質問を呈出しなかったんでも分る。今考えると、ちょっと両人にも同じ事を聞いて見れば善かったような気もする。朝飯を食わないで五里十里と歩き出すものは宿無しか、または準宿無しでなくっちゃならない。目が醒めて、夜が明けてるのに、汁の煙も、漬物の香も、いっこう連想に乗って来ないからは、行きなり放題に、今日は今日の命を取り留めて、その日その日の魂の供養をする呑気屋で、世の中にあしたと云うものがないのを当り前と考えるほどに不幸なまた幸な人間である。自分は十九年来始めて、こう云う人間と一つ所に泊って、これからまたいっしょに歩き出すんだなと思った。赤毛布と小僧の顔色を伺って見ると少しも朝飯を予期している様子がないんで、双方共朝飯を食い慣けていない一種の人類だと勘づいて見ると、自分の運命は坑夫にならない先から、もう、坑夫以下に摺り落ちていたと云う事が分った。しかし分ったと云うばかりで別に悲しくもなかった。涙は無論出なかった。ただ長蔵さんが、この朝飯の経験に乏しい人間に向って、「御前さん達も飯が食いたいかね」と尋ねてくれなかったのを、今では残念に思ってる。食った事が少いから、今までの習慣性で、「食わないでも好い」と答えるか、それとも、たまさかに有りつけるかも知れないと云う意外の望に奨励されて「食いたい」と答えるか。――つまらん事だがどっちか聞いて見たい。  長蔵さんは土間へ立って、ちょっと後ろを振り返ったが、 「熊さん、じゃ行ってくる。いろいろ御世話様」 と軽く力足を二三度踏んだ。熊さんは無論亭主の名であるが、まだ奥で寝ている。覗いて見ると、昨夕うつつに気味をわるくした、もじゃもじゃの頭が布団の下から出ている。この亭主は敷蒲団を上へ掛けて寝る流儀と見える。長蔵さんが、このもじゃもじゃの頭に話しかけると、頭は、むくりと畳を離れた。そうして熊さんの顔が出た。この顔は昨夜見たほど妙でもなかった。しかし額がさかに瘠けて、脳天まで長くなってる事は、今朝でも争われない。熊さんは床の中から、 「いや、何にも御構申さなかった」 と云った。なるほど何にも構わない。自分だけ布団をかけている。 「寒かなかったかね」 とも云った。気楽なもんだ。長蔵さんは 「いいえ。なあに」 と受けて、土間から片足踏み出した時、後から、熊さんが欠伸交りに、 「じゃ、また帰りに御寄り」 と云った。  それから長蔵さんが往来へ出る。自分も一足|後れて、小僧と赤毛布の尻を追っ懸けて出た。みんな大急ぎに急ぐ。こう云う道中には慣れ切ったものばかりと見える。何でも長蔵さんの云うところによると、これから山越をするんだが、午までには銅山へ着かなくっちゃならないから急ぐんだそうだ。なぜ午までに着かなくっちゃならないんだか、訳が分らないが、聞いて見る勇気がなかったから、黙って食っついて行った。するとなるほど登になって来た。昨夕あれほど登ったつもりだのに、まだ登るんだから嘘のようでもあるが実際見渡して見ると四方は山ばかりだ。山の中に山があって、その山の中にまた山があるんだから馬鹿馬鹿しいほど奥へ這入る訳になる。この模様では銅山のある所は、定めし淋しいだろう。呼息を急いて登りながらも心細かった。ここまで来る以上は、都へ帰るのは大変だと思うと、何の酔興で来たんだか浅間しくなる。と云って都におりたくないから出奔したんだから、おいそれと帰りにくい所へ這入って、親親類の目に懸からないように、朽果ててしまうのはむしろ本望である。自分は高い坂へ来ると、呼息を継ぎながら、ちょっと留っては四方の山を見廻した。するとその山がどれもこれも、黒ずんで、凄いほど木を被っている上に、雲がかかって見る間に、遠くなってしまう。遠くなると云うより、薄くなると云う方が適当かも知れない。薄くなった揚句は、しだいしだいに、深い奥へ引き込んで、今までは影のように映ってたものが、影さえ見せなくなる。そうかと思うと、雲の方で山の鼻面を通り越して動いて行く。しきりに白いものが、捲き返しているうちに、薄く山の影が出てくる。その影の端がだんだん濃くなって、木の色が明かになる頃は先刻の雲がもう隣りの峰へ流れている。するとまた後からすぐに別の雲が来て、せっかく見え出した山の色をぼうとさせる。しまいには、どこにどんな山があるかいっこう見当がつかなくなる。立ちながら眺めると、木も山も谷もめちゃめちゃになって浮き出して来る。頭の上の空さえ、際限もない高い所から手の届く辺まで落ちかかった。長蔵さんは、 「こりゃ、雨だね」 と、歩きながら独言を云った。誰も答えたものはない。四人とも雲の中を、雲に吹かれるような、取り捲かれるような、また埋められるような有様で登って行った。自分にはこの雲が非常に嬉しかった。この雲のお蔭で自分は世の中から隠したい身体を十分に隠すことが出来た。そうして、さのみ苦しい思いもしずにその中を歩いて行ける。手足は自由に働いて、閉じ籠められたような窮屈も覚えない上に、人目にかからん徳は十分ある。生きながら葬られると云うのは全くこの事である。それが、その時の自分には唯一の理想であった。だからこの雲は全くありがたい。ありがたいという感謝の念よりも、雲に埋められ出してから、まあ安心だと、ほっと一息した。今考えると何が安心だか分りゃしない。全くの気違だと云われても仕方がない。仕方がないが、こう云う自分が、時と場合によれば、翌が日にも、また雲が恋しくならんとも限らない。それを思うと何だか変だ。吾が身で吾が身が保証出来ないような、また吾が身が吾が身でないような気持がする。  しかしこの時の雲は全く嬉しかった。四人が離れたり、かたまったり、隔てられたり、包まれたりして雲の中を歩いて行った時の景色はいまだに忘れられない。小僧が雲から出たり這入ったりする。茨城の毛布が赤くなったり白くなったりする。長蔵さんの、どてらが、わずか五六間の距離で濃くなったり薄くなったりする。そうして誰も口を利かない。そうして、むやみに急ぐ。世界から切り離された四つの影が、後になり先になり、殖もせず減もせず、四つのまま、引かれて合うように、弾かれて離れるように、またどうしても四つでなくてはならないように、雲の中をひたすら歩いた時の景色はいまだに忘れられない。  自分は雲に埋まっている。残る三人も埋まっている。天下が雲になったんだから、世の中は自分共にたった四人である。そうしてその三人が三人ながら、宿無である。顔も洗わず朝飯も食わずに、雲の中を迷って歩く連中である。この連中と道伴になって登り一里、降り二里を足の続く限り雲に吹かれて来たら、雨になった。時計がないんで何時だか分らない。空模様で判断すると、朝とも云われるし、午過とも云われるし、また夕方と云っても差支ない。自分の精神と同じように世界もぼんやりしているが、ただちょっと眼についたのは、雨の間から微かに見える山の色であった。その色が今までのとは打って変っている。いつの間にか木が抜けて、空坊主になったり、ところ斑の禿頭と化けちまったんで、丹砂のように赤く見える。今までの雲で自分と世間を一筆に抹殺して、ここまでふらつきながら、手足だけを急がして来たばかりだから、この赤い山がふと眼に入るや否や、自分ははっと雲から醒めた気分になった。色彩の刺激が、自分にこう強く応えようとは思いがけなかった。――実を云うと自分は色盲じゃないかと思うくらい、色には無頓着な性質である。――そこでこの赤い山が、比較的烈しく自分の視神経を冒すと同時に、自分はいよいよ銅山に近づいたなと思った。虫が知らせたと云えば、虫が知らせたとも云えるが、実はこの山の色を見て、すぐ銅を連想したんだろう。とにかく、自分がいよいよ到着したなと直覚的に――世の中で直覚的と云うのは大概このくらいなものだと思うが――いわゆる直覚的に事実を感得した時に、長蔵さんが、 「やっと、着いた」 と自分が言いたいような事を云った。それから十五分ほどしたら町へ出た。山の中の山を越えて、雲の中の雲を通り抜けて、突然新しい町へ出たんだから、眼を擦って視覚をたしかめたいくらい驚いた。それも昔の宿とか里とか云う旧幕時代に縁のあるような町なら、まだしもだが、新しい銀行があったり、新しい郵便局があったり、新しい料理屋があったり、すべてが苔の生えない、新しずくめの上に、白粉をつけた新しい女までいるんだから、全く夢のような気持で、不審が顔に出る暇もないうちに通り越しちまった。すると橋へ出た。長蔵さんは橋の上へ立って、ちょっと水の色を見たが、 「これが入口だよ。いよいよ着いたんだから、そのつもりでいなくっちゃ、いけない」 と注意を与えた。しかし自分には、どんなつもりでいなくっちゃいけないんだか、ちっとも分らなかったから、黙って橋の上へ立って、入口から奥の方を見ていた。左が山である。右も山である。そうして、所々に家が見える。やっぱり木造の色が新しい。中には白壁だか、ペンキ塗だか分らないのがある。これも新しい。古ぼけて禿げてるのは山ばかりだった。何だかまた現実世界に引き摺り込まれるような気がして、少しく失望した。長蔵さんは自分が黙って橋の向を覗き込んでるのを見て、 「好いかね、御前さん、大丈夫かい」 とまた聞き直したから、自分は、 「好いです」 と明瞭に答えたが、内心あまり好くはなかった。なぜだかしらないが、長蔵さんはただ自分にだけ懸念がある様子であった。赤毛布と小僧には「好いかね」とも「大丈夫かい」とも聞かなかった。頭からこの両人は過去の因果で、坑夫になって、銅山のうちに天命を終るべきものと認定しているような気色がありありと見えた。して見ると不信用なのは自分だけで、だいぶ長蔵さんからこいつは危ないなと睨まれていたのかも知れない。好い面の皮だ。  それから四人|揃って、橋を渡って行くと、右手に見える家にはなかなか立派なのがある。その中で一番いかめしい奴を指して、あれが所長の家だと長蔵さんが教えてくれた。ついでに左の方を見ながら 「こっちがシキだよ、御前さん、好いかね」 と云う。自分はシキと云う言葉をこの時始めて聞いた。  よっぽど聞き返そうかと思ったが、大方これがシキなんだろうと思って黙っていた。あとから自分もこのシキと云う言葉を明瞭に理解しなければならない身分になったが、やっぱり始めにぼんやり考えついた定義とさした違もなかった。そのうち左へ折れていよいよシキの方へ這入る事になった。鉄軌についてだんだん上って行くと、そこここに粗末な小さい家がたくさんある。これは坑夫の住んでる所だと聞いて、自分も今日から、こんな所で暮すのかと思ったが、それは間違であった。この小屋はどれも六畳と三畳|二間で、みんな坑夫の住んでる所には違ないが、家族のあるものに限って貸してくれる規定であるから、自分のような一人ものは這入りたくたって這入れないんだった。こう云う小屋の間を縫って、飽きずに上って行くと、今度は石崖の下に細長い横幅ばかりの長屋が見える。そうして、その長屋がたくさんある。始めはわずか二三軒かと思ったら、登るに従って続々あらわれて来た。大きさも長さも似たもんで、みんな崖下にあるんだから位地にも変りはないが、向だけは各々違ってる。山坂を利用して、なけなしの地面へ建てることだから、東だとか西だとか贅沢は言っていられない。やっとの思いで、ならした地面へ否応なしに、方角のお構なく建ててしまったんだから不規則なものだ。それに、第一、登って行く道がくねってる。あの長屋の右を歩いてるなと思うと、いつの間にかその長屋の前へ出て来る。あれは、すぐ頭の上だがと心待ちに待っていると、急に路が外れて遠くへ持ってかれてしまう。まるで見当がつかない。その上この細長い家から顔が出ている。家から顔が出ているのが珍らしい事もないんだが、その顔がただの顔じゃない。どれも、これも、出来ていない上に、色が悪い。その悪さ加減がまた、尋常でない。青くって、黒くって、しかも茶色で、とうてい都会にいては想像のつかない色だから困る。病院の患者などとはまるで比較にならない。自分が山路を登りながら、始めてこの顔を見た時は、シキと云う意味をよく了解しない癖に、なるほどシキだなと感じた。しかしいくらシキでも、こう云う顔はたくさんあるまいと思って、登って行くと、長屋を通るたんびに顔が出ていて、その顔がみんな同じである。しまいにはシキとは恐ろしい所だと思うまで、いやな顔をたくさん見せられて、また自分の顔をたくさん見られて――長屋から出ている顔はきっと自分らを見ていた。一種|獰悪な眼つきで見ていた。――とうとう午後の一時に飯場へ着いた。  なぜ飯場と云うんだか分らない。焚き出しをするから、そう云う名をつけたものかも知れない。自分はその後飯場の意味をある坑夫に尋ねて、箆棒め、飯場たあ飯場でえ、何を云ってるんでえ、とひどく剣突を食った事がある。すべてこの社会に通用する術語は、シキでも飯場でもジャンボーでも、みんな偶然に成立して、偶然に通用しているんだから、滅多に意味なんか聞くと、すぐ怒られる。意味なんか聞く閑もなし、答える閑もなし、調べるのは大馬鹿となってるんだから至極簡単でかつ全く実際的なものである。  そう云う訳で飯場の意味は今もって分らないが、とにかく崖の下に散在している長屋を指すものと思えばいい。その長屋へようやく到着した。多くある長屋のうちで、なぜこの飯場を選んだかは、長蔵さんの一人ぎめだから、自分には説明しにくい。が、この飯場は長蔵さんの専門御得意の取引先と云う訳でもなかったらしい。長蔵さんは自分をこの飯場へ押しつけるや否や、いつの間にか、赤毛布と小僧を連れてほかの飯場へ出て行ってしまった。それで二人はほかの飯場の飯を食うようになったんだなと後から気がついた。二人の消息はその後いっこう聞かなかった。銅山のなかでもついぞ顔を合せた事がない。考えると、妙なものだ。一膳めし屋から突然飛び出した赤い毛布と、夕方の山から降って来た小僧と落ち合って、夏の夜を後になり先になって、崩れそうな藁屋根の下でいっしょに寝た明日は、雲の中を半日かかって、目指す飯場へようやく着いたと思うと、赤毛布も小僧もふいと消えてなくなっちまう。これでは小説にならない。しかし世の中には纏まりそうで、纏らない、云わばでき損いの小説めいた事がだいぶある。長い年月を隔てて振り返って見ると、かえってこのだらしなく尾を蒼穹の奥に隠してしまった経歴の方が興味の多いように思われる。振り返って思い出すほどの過去は、みんな夢で、その夢らしいところに追懐の趣があるんだから、過去の事実それ自身にどこかぼんやりした、曖昧な点がないとこの夢幻の趣を助ける事が出来ない。したがって十分に発展して来て因果の予期を満足させる事柄よりも、この赤毛布流に、頭も尻も秘密の中に流れ込んでただ途中だけが眼の前に浮んでくる一夜半日の画の方が面白い。小説になりそうで、まるで小説にならないところが、世間臭くなくって好い心持だ。ただに赤毛布ばかりじゃない。小僧もそうである。長蔵さんもそうである。松原の茶店の神さんもそうである。もっと大きく云えばこの一篇の「坑夫」そのものがやはりそうである。纏まりのつかない事実を事実のままに記すだけである。小説のように拵えたものじゃないから、小説のように面白くはない。その代り小説よりも神秘的である。すべて運命が脚色した自然の事実は、人間の構想で作り上げた小説よりも無法則である。だから神秘である。と自分は常に思っている。  赤毛布と小僧が連れて行かれたのは後の事だが、自分らが飯場に到着した時は無論二人ともいっしょであった。ここで長蔵さんがいよいよ坑夫志願の談判を始めた。談判と云うと面倒なようだが、その実|極めて簡単なものであった。ただ、この男は坑夫になりたいと云うから、どうか使ってくれと云ったばかりである。自分の姓名も出生地も身元も閲歴も何にも話さなかった。もちろん話したくったって、知らないんだから、話せようもないんだが、こうまで手っ取り早く片づける了簡とは思わなかった。自分は中学校へ入学した時の経験から、いくら坑夫だって、それ相応の手続がなくっちゃ採用されないもんだとばかり思っていた。大方身元引受人とか保証人とか云うものが証文へ判でも捺すんだろう、その時は長蔵さんにでも頼んで見ようくらいにまで、先廻りをして考えていた。ところが案に相違して、談判を持ち込まれた飯場頭は――飯場頭だか何だかその時は無論知らなかった。眉毛の太くって蒼髯の痕の濃い逞しい四十|恰好の男だった。――その男が長蔵さんの話を一通り聞くや否や、 「そうかい、それじゃ置いておいで」 とさも無雑作に云っちまった。ちょうど炭屋が土釜を台所へ担ぎ込んだ時のように思われた。人間が遥々山越をして坑夫になりに来たんだとは認めていない。そこで自分は少々腹の中でこの飯場頭を恨んだが、これは自分の間違であった。その訳は今|直に分る。  飯場頭と云うのは一の飯場を預かる坑夫の隊長で、この長屋の組合に這入る坑夫は、万事この人の了簡しだいでどうでもなる。だからはなはだ勢力がある。この飯場頭と一分時間に談判を結了した長蔵さんは、 「じゃ、よろしくお頼みもうします」 と云ったなり、赤毛布と小僧を連れて出て行った。また帰ってくる事と思ったが、その後いっこう影も形も見せないんで、全く、置去にされたと云う事が分った。考えるとひどい男だ。ここまで引っ張って来るときには、何のかのと、世話らしい言葉を掛けたのに、いざとなると通り一片の挨拶もしない。それにしてもぽん引の手数料はいつ何時どこで取ったものか、これは今もって分らない。  こう云うしだいで飯場頭からは、土釜の炭俵のごとく認定される、長蔵さんからは小包のように抛げ込まれる。少しも人間らしい心持がしないんで、大いに悄然としていると、出て行く三人の後姿を見送った飯場頭は突然自分の方を向いた。その顔つきが変っている。人を炭俵のように取扱う男とは、どうしても受取れない。全く東京辺で朝晩|出逢う、万事を心得た苦労人の顔である。 「あなたは生れ落ちてからの労働者とも見えないようだが……」  飯場掛の言葉をここまで聞いた時、自分は急に泣きたくなった。さんざっぱらお前さんで、厭になるほどやられた揚句の果、もうとうてい御前さん以上には浮ばれないものと覚悟をしていた矢先に、突然あなたの昔に帰ったから、思いがけない所で自己を認められた嬉しさと、なつかしさと、それから過去の記憶――自分はつい一昨日までは立派にあなたで通って来た――それやこれやが寄って、たかって胸の中へ込み上げて来た上に、相手の調子がいかにも鄭寧で親切だから――つい泣きたくなった。自分はその後いろいろな目に逢って、幾度となく泣きたくなった事はあるが、擦れ枯しの今日から見れば、大抵は泣くに当らない事が多い。しかしこの時頭の中にたまった涙は、今が今でも、同じ羽目になれば、出かねまいと思う。苦しい、つらい、口惜しい、心細い涙は経験で消す事が出来る。ありがた涙もこぼさずに済む。ただ堕落した自己が、依然として昔の自己であると他から認識された時の嬉し涙は死ぬまでついて廻るものに違ない。人間はかように手前勘の強いものである。この涙を感謝の涙と誤解して、得意がるのは、自分のために書生を置いて、書生のために置いてやったような心持になってると同じ事じゃないかしら。  こう云う訳で、飯場掛りの言葉を一行ばかり聞くと、急に泣きたくなったが、実は泣かなかった。悄然とはしていたが、気は張っている。どこからか知らないが、抵抗心が出て来た。ただ思うように口が利けないから、黙って向うの云う事を聞いていた。すると飯場掛りは嬉しいほど親切な口調で、こう云った。―― 「……まあどうして、こんな所へ御出なすったんだか、今の男が連れて来るくらいだから大概|私にも様子は知れてはいるが――どうです、もう一遍考えて見ちゃあ。きっと取ッ附坑夫になれて、金がうんと儲かるてえような旨い話でもしたんでしょう。それがさ、実際やって見るととうてい話の十が一にも行かないんだからつまらないです。第一坑夫と一口に云いますがね。なかなかただの人に出来る仕事じゃない、ことにあなたのように学校へ行って教育なんか受けたものは、どうしたって勤まりっこありませんよ。……」  飯場頭はここまで来て、じっと自分の顔を見た。何とか云わなくっちゃならない。幸いこの時はもう泣きたいところを通り越して、口が利けるようになっていた。そこで自分はこう云った。―― 「僕は――僕は――そんなに金なんか欲しかないです。何も儲けるためにやって来た訳じゃないんですから、――そりゃ知ってるです、僕だって知ってるです……」 と、この時知ってるですを二遍繰り返した事を今だに記憶している。はなはだ穏かならぬ生意気な、ものの云いようだった。若いうちは、たった今まで悄気ていても、相手しだいですぐつけ上っちまう。まことに赤面の至りである。しかもその知ってるですが、何を知ってるのかと思うと、今自分を連れて来た男、すなわち長蔵さんは、一種の周旋屋であって、すべての周旋屋に共通な法螺吹きであると云う真相をよく自覚していると云う意味なんだから、いくら知ってたって自慢にならないのは無論である。それを念入に、瞞着れて来たんじゃない、万事承知の上の坑夫志願だなどと説明して見たって今更どうなるものじゃない。ところが年が若いと虚栄心の強いもので――今でも弱いとは云わないが――しきりに弁解に取り掛ったのは実に冷汗の出るほどの愚であった。幸い相手が、こう云う家業に似合わぬ篤実な男で、かつ自分の不経験を気の毒に思うのあまり、この生意気を生意気と知りながら大目に見てくれたもんだから、どやされずに済んだ。まことにありがたい。この飯場に住み込んだあとで、頭の勢力の広大なるに驚くにつれて、僕は知ってるですを思い出しては独り赧い顔をしていた。ついでに云うがこの頭の名は原駒吉である。今もって自分は好い名だと思ってる。  原さんは別に厭な顔つきもせずに、黙って自分の言訳を聞いていたが、やがて頭を振り出した。その頭は大きな五分刈で額の所が面摺のように抜き上がっている。 「そりゃ物数奇と云うもんでさあ。せっかく来たから是非やるったって、何も家を出る時から坑夫になると思いつめた訳でもないんでしょう。云わば一時の出来心なんだからね。やって見りゃ、すぐ厭になっちまうな眼に見えてるんだから、廃すが好うがしょう。現に書生さんでここへ来て十日と辛抱したものあ、有りゃしませんぜ。え? そりゃ来る。幾人も来る。来る事は来るが、みんな驚いて逃げ出しちまいまさあ。全く普通のものの出来る業じゃありませんよ。悪い事は云わないから御帰んなさい。なに坑夫をしなくったって、口過だけなら骨は折れませんやあ」  原さんはここに至って、胡坐を崩して尻を宙に上げかけた。自分はどうしても落第しそうな按排である。大いに困った。困った結果、坑夫と云う事から気を離して、自分だけを検査して見ると、――何だか急に寒くなった。袷はさっきの雨で濡れている。洋袴下は穿いていない。東京の五月もこの山の奥へ来るとまるで二月か三月の気候である。坂を登っている間こそ体温でさほどにも思わなかった。原さんに拒絶されるまでは気が張っていたから、好かった。しかし飯場へ来て休息した上に、坑夫になる見込がほとんど切れたとなると、情ないのが寒いのと合併して急に顫え出した。その時の自分の顔色は定めし見るに堪えんほど醜いもんだったろう。この時自分はまた何となく、今しがた自分を置去にして、挨拶もしずに出て行った長蔵さんが恋しくなった。長蔵さんがいたら、何とか尽力して坑夫にしてくれるだろう。よし坑夫にしてくれないまでも、どうにか片をつけてくれるだろう。汽車賃を出してくれたくらいだから、方角のわかる所までくらいは送り出してくれそうなものだ。蟇口を長蔵さんに取られてから、懐中には一文もない。帰るにしても、帰る途中で腹が減って山の中で行倒になるまでだ。いっその事今から長蔵さんを追掛けて見ようか。飯場飯場を探して歩いたら逢えない事もないだろう。逢ってこれこれだと泣きついたら、今までの交際もある事だから、好い智慧を貸してくれまいものでもない。しかし別れ際に挨拶さえしない男だから、ひょっとすると……自分は原さんの前で実はこんな閑な事を、非常に忙しく、ぐるぐる考えていた。好な原さんが前にいるのに、あんまり下さらない、しかも消えてなくなった長蔵さんばかりを相談相手のように思い込んだのは、どう云う理由だろう。こんな事はよくあるもんだから、いざと云う場合に、敵は敵、味方は味方と板行で押したように考えないで、敵のうちで味方を探したり、味方のうちで敵を見露わしたり、片方づかないように心を自由に活動させなくってはいけない。  弱輩な自分にはこの機合がまだ呑み込めなかったもんだから、原さんの前に立って顫えながら、へどもどしていると、原さんも気の毒になったと見えて、 「あなたさえ帰る気なら、及ばずながら相談になろうじゃありませんか」 と向うから口を掛けてくれた。こう切って出られた時に、自分ははっとありがたく感じた。ばかりなら当り前だがはっと気がついた。――自分の相談相手は自分の志望を拒絶するこの原さんを除いて、ほかにないんだと気がついた。気がつくと同時にまた口が利けなくなった。是非坑夫にしてくれとも、帰るから旅費を貸してくれとも言いかねて、やっぱり立ちすくんでいた。気がついても何にもならない、ただ右の手で拳骨を拵えて寒い鼻の下を擦ったように記憶している。自分はその前|寄席へ行って、よく噺家がこんな手真似をするのを見た事があるが、自分でその通りを実行したのは、これが始めてである。この手真似を見ていた原さんが、今度はこう云った。 「失礼ながら旅費のことなら、心配しなくっても好ござんす。どうかして上げますから」  旅費は無論ない。一厘たりとも金気は肌に着いていない。のたれ死を覚悟の前でも、金は持ってる方が心丈夫だ。まして慢性の自滅で満足する今の自分には、たとい白銅一箇の草鞋銭でも大切である。帰ると事がきまりさえすれば、頭を地に摺りつけても、原さんから旅費を恵んで貰ったろう。実際こうなると廉恥も品格もあったもんじゃない。どんな不体裁な貰い方でもする。――大抵の人がそうなるだろう。またそうなってしかるべきである。――しかしけっして褒められた始末じゃない。自分がこんな事を露骨にかくのは、ただ人間の正体を、事実なりに書くんで、書いて得意がるのとは訳が違う。人間の生地はこれだから、これで差支ないなどと主張するのは、練羊羹の生地は小豆だから、羊羹の代りに生小豆を噛んでれば差支ないと結論するのと同じ事だ。自分はこの時の有様を思い出すたびに、なんで、あんな、さもしい料簡になったものかと、吾ながら愛想が尽きる。こう云う下卑た料簡を起さずに、一生を暮す事のできる人は、経験の足りない人かも知れないが、幸な人である。また自分らよりも遥に高尚な人である。生小豆のまずさ加減を知らないで、生涯練羊羹ばかり味わってる結構な人である。  自分は、も少しの事で、手を合せて、見ず知らずの飯場頭からわずかの合力を仰ぐところであった。それをやっとの事で喰い止めたのは、せっかくの好意で調えてくれる金も、二三日木賃宿で夜露を凌げば、すぐ無くなって、無くなった暁には、また当途もなく流れ出さなければならないと、冥々のうちに自覚したからである。自分は屑よく涙金を断った。断った表向は律義にも見える。自分もそう考えるが、よくよく詮索すると、慾の天秤に懸けた、利害の判断から出ている事はたしかである。その証拠には補助を断ると同時に、自分は、こんな事を言い出した。 「その代り坑夫に使って下さい。せっかく来たんだから、僕はどうしてもやって見る気なんですから」 「随分|酔興ですね」 と原さんは首を傾げて、自分を見つめていたが、やがて溜息のような声を出して、 「じゃ、どうしても帰る気はないんですね」 と云った。 「帰るったって、帰る所がないんです」 「だって……」 「家なんかないんです。坑夫になれなければ乞食でもするより仕方がないです」  こんな押問答を二三度重ねている中に、口を利くのが大変楽になって来た。これは思い切って、無理な言葉を、出にくいと知りながら、我慢して使った結果、おのずと拍子に乗って来た勢いに違ないんだから、まあ器械的の変化と見傚しても差支なかろうが、妙なもので、その器械的の変化が、逆戻りに自分の精神に影響を及ぼして来た。自分の言いたい事が何の苦もなく口を出るに連れて――ある人はある場合に、自分の言いたくない事までも調子づいてべらべら饒舌る。舌はかほどに器械的なものである。――この器械が使用の結果加速度の効力を得るに連れて、自分はだんだん大胆になって来た。  いや、大胆になったから饒舌れたんだろう、君の云う事は顛倒じゃないかとやり込める気なら、そうして置いてもいい。いいが、それはあまり陳腐でかつ時々|嘘になる。嘘と陳腐で満足しないものは自分の言分をもっともと首肯くだろう。  自分は大胆になった。大胆になるに連れて、どうしても坑夫に住み込んでやろうと決心した。また饒舌っておれば必ず坑夫になれるに違ないと自覚して来た。一昨日家を飛び出す間際までは、夢にも坑夫になろうと云う分別は出なかった。ばかりではない、坑夫になるための駆落と事がきまっていたならば、何となく恥ずかしくなって、まあ一週間よく考えた上にと、出奔の時期を曖昧に延ばしたかもしれない。逃亡はする。逃亡はするが、紳士の逃亡で、人だか土塊だか分らない坑掘になり下る目的の逃亡とは、何不足なく生育った自分の頭には影さえ射さなかったろう。ところが原さんの前で寒い奥歯を噛みしめながら、しょう事なしの押問答をしているうちに、自分はどうあっても坑夫になるべき運命、否天職を帯びてるような気がし出した。この山とこの雲とこの雨を凌いで来たからには、是非共坑夫にならなければ済まない。万一採用されない暁には自分に対して面目がない。――読者は笑うだろう。しかし自分は当時の心情を真面目に書いてるんだから、人が見ておかしければおかしいほど、その時の自分に対して気の毒になる。  妙な意地だか、負惜みだか、それとも行倒れになるのが怖くって、帰り切れなかったためだか、――その辺は自分にも曖昧だが、とにかく自分は、もっとも熱心な語調で原さんを口説いた。 「……そう云わずに使って下さい。実際僕が不適当なら仕方がないが、まだやって見ない事なんだから――せっかく山を越して遠方をわざわざ来た甲斐に、一日でも二日でも、いいですから、まあ試しだと思って使って下さい。その上で、とうてい役に立たないと事がきまれば帰ります。きっと帰ります。僕だって、それだけの仕事が出来ないのに、押を強く御厄介になってる気はないんですから。僕は十九です。まだ若いです。働き盛りです……」 と昨日茶店の神さんが云った通りをそのまま図に乗って述べ立てた。後から考えると、これはむしろ人が自分を評する言葉で、自分が自分を吹聴する文句ではなかった。そこで原さんは少し笑い出した。 「それほどお望みなら仕方がない。何も御縁だ。まあやって御覧なさるが好い。その代り苦しいですよ」 と原さんは何気なく裏の赤い山を覗くように見上げた。おおかた天気模様でも見たんだろう。自分も原さんといっしょに山の方へ眼を移した。雨は上がったが、暗く曇っている。薄気味の悪いほど怪しい山の中の空合だ。この一瞬時に、自分の願が叶って、自分はまず山の中の人となった。この時「その代り苦しいですよ」と云った原さんの言葉が、妙に気に掛り出した。人は、ようやくの思いで刻下の志を遂げると、すぐ反動が来て、かえって志を遂げた事が急に恨めしくなる場合がある。自分が望み通りここへ落ちつける口頭の辞令を受け取った時の感じはいささかこれに類している。 「じゃね」――原さんは語調を改めて話し出した。――「じゃね。何しろ明日の朝シキへ這入って御覧なさい。案内を一人つけて上げるから。――それからと――そうだ、その前に話して置かなくっちゃなりませんがね。一口に坑夫と云うと、訳もない仕事のように思われましょうが、なかなか外で聞いてるような生容易い業じゃないんで。まあ取っつけから坑夫になるなあ」と云って自分の顔を眺めていたが、やがて、 「その体格じゃ、ちっとむずかしいかも知れませんね。坑夫でなくっても、好うがすかい」 と気の毒そうに聞いた。坑夫になるまでには相当の階級と練習を積まなくっちゃならないと云う事がここで始めて分った。なるほど長蔵さんが坑夫坑夫と、さも名誉らしく坑夫を振り廻したはずだ。 「坑夫のほかに何かあるんですか。ここにいるものは、みんな坑夫じゃないんですか」 と念のために聞いて見た。すると原さんは、自分を馬鹿にした様子もなく、すぐそのわけを説明してくれた。 「銅山にはね、一万人も這入っててね。それが掘子に、シチュウに、山市に、坑夫と、こう四つに分れてるんでさあ。掘子ってえな、一人前の坑夫に使えねえ奴がなるんで、まあ坑夫の下働ですね。シチュウは早く云うとシキの内の大工見たようなものかね。それから山市だが、こいつは、ただ石塊をこつこつ欠いてるだけで、おもに子供――さっきも一人来たでしょう。ああ云うのが当分坑夫の見習にやる仕事さね。まあざっと、こんなものですよ。それで坑夫となると請負仕事だから、間が好いと日に一円にも二円にも当る事もあるが、掘子は日当で年が年中三十五銭で辛抱しなければならない。しかもそのうち五分は親方が取っちまって、病気でもしようもんなら手当が半分だから十七銭五厘ですね。それで蒲団の損料が一枚三銭――寒いときは是非二枚|要るから、都合で六銭と、それに飯代が一日十四銭五厘、御菜は別ですよ。――どうです。もし坑夫にいけなかったら、掘子にでもなる気はありますかね」  実のところはなりますと勢いよく出る元気はなかったが、ここまで来れば、今更どうしたって否だと断られた義理のもんじゃない。そこで、出来るだけ景気よく、 「なります」 と答えてしまった。原さんにはこの答が断然たる決心のように受けとれたか、それとも、瘠我慢のつけ景気のごとく響いたか、その辺は確と分らないが、何しろこの一言を聞いた原さんは、機嫌よく、 「じゃまあ、御上がんなさい。そうして、あした人をつけて上げるから、まあシキへ這入って御覧なさるがいい。何しろ一万人もいて、こんなに組々に分れているんだから、飯場を一つでも預かってると、毎日毎日何だかだって、うるさい事ばかりでね。せっかく頼むから置いてやる、すぐ逃げる。――一日に二三人はきっと逃げますよ。そうかと云って、おとなしくしているかと思うと、病気になって、死んじまう奴が出て来て――どうも始末に行かねえもんでさあ。葬いばかりでも日に五六組無い事あ、滅多にないからね。まあやる気なら本気にやって御覧なさい。腰を掛けてちゃ、足が草臥れるだろう。こっちへ御上り」  この逐一を聞いていた自分はたとい、掘子だろうが、山市だろうが一生懸命に働かなくっちゃあ、原さんに対して済まない仕儀になって来た。そこで心のうちに、原さんの迷惑になるような不都合はけっしてしまいときめた。何しろ年が十九だから正直なものだった。  そこで原さんの云う通り、足を拭いて尻をおろしているうちに、奥の方から婆さんが出て来て、――この婆さんの出ようがはなはだ突然で、ちょっと驚いたが、 「こっちへ御出なさい」 と云うから、好加減に御辞儀をして、後から尾いて行った。小作な婆さんで、後姿の華奢な割合には、ぴんぴん跳ねるように活溌な歩き方をする。幅の狭い茶色の帯をちょっきり結にむすんで、なけなしの髪を頸窩へ片づけてその心棒に鉛色の簪を刺している。そうして襷掛であった。何でも台所か――台所がなければ、――奥の方で、用事の真っ最中に、案内のため呼び出されたから、こう急がしそうに尻を振るんだろう。それとも山育だからかしら。いや、飯場だから優長にしちゃいられないせいだろう。して見ると、今日から飯場の飯を食い出す以上は自分だって安閑としちゃいられない。万事この婆さんの型で行かなくっちゃなるまい。――なるまい。――と力を入れて、うんと思ったら、さすがに草臥れた手足が急になるまいで充満して、頭と胸の組織がちょっと変ったような気分になった。その勢いで広い階子段を、案内に応じて、すとんすとんと景気よく登って行った。が自分の頭が階子段から、ぬっと一尺ばかり出るや否や、この決心が、ぐうと退避いだ。  胸から上を階子段の上へ出して、二階を見渡すと驚いた。畳数は何十枚だか知らないが遥の突き当りまで敷き詰めてあって、その間には一重の仕切りさえ見えない。ちょうど柔道の道場か、浪花節の席亭のような恰好で、しかも広さは倍も三倍もある。だから、ただ駄々ッ広い感じばかりで、畳の上でもまるで野原へ出たとしきゃあ思えない。それだけでも驚く価値は十分あるが、その広い原の中に大きな囲炉裏が二つ切ってある、そこへ人間が約十四五人ずつかたまっている。自分の決心が退避いだと云うのは、卑怯な話だが、全くこの人間にあったらしい。平生から強がっていたにはいたが、若輩の事だから、見ず知らずの多勢の席へ滅多に首を出した事はない。晴の場所となると、ただでさえもじもじする。ところへもって来て、突然坑夫の団体に生擒られたんだから、この黒い塊を見るが早いか、いささか辟易じまった。それも、ただの人間ならいい。と云っちゃ意味がよく通じない。――ただの人間が、坑夫になってるなら差支ない。ところが自分の胸から上が、階子段を出ると、等しく、この塊の各部分が、申し合せたように、こっちを向いた。その顔が――実はその顔で全く畏縮してしまった。と云うのはその顔がただの顔じゃない。ただの人間の顔じゃない。純然たる坑夫の顔であった。そう云うより別に形容しようがない。坑夫の顔はどんなだろうと云う好奇心のあるものは、行って見るより外に致し方がない。それでも是非説明して見ろと云うなら、ざっと話すが、――頬骨がだんだん高く聳えてくる。顎が競り出す。同時に左右に突っ張る。眼が壺のように引ッ込んで、眼球を遠慮なく、奥の方へ吸いつけちまう。小鼻が落ちる。――要するに肉と云う肉がみんな退却して、骨と云う骨がことごとく吶喊展開するとでも評したら好かろう。顔の骨だか、骨の顔だか分らないくらいに、稜々たるものである。劇しい労役の結果早く年を取るんだとも解釈は出来るが、ただ天然自然に年を取ったって、ああなるもんじゃない。丸味とか、温味とか、優味とか云うものは薬にしたくっても、探し出せない。まあ一口に云うと獰猛だ。不思議にもこの獰猛な相が一列一体の共有性になっていると見えて、囲炉裏の傍の黒いものが等しく自分の方を向くと、またたく間に獰猛な顔が十四五|揃った。向うの囲炉裏を取捲いてる連中も同じ顔に違いない。さっき坂を上がってくるとき、長屋の窓から自分を見下していた顔も全くこれである。して見ると組々の長屋に住んでいる総勢一万人の顔はことごとく獰猛なんだろう。自分は全く退避んだ。  この時婆さんが後を振り返って、 「こっちへおいでなさい」 と、もどかしそうに云うから、度胸を据えて、獰猛の方へ近づいて行った。ようやく囲炉裏の傍まで来ると、婆さんが、今度は、 「まあここへ御坐んなさい」 と差しずをしたが、ただ好加減な所へ坐れと云うだけで、別に設けの席も何もないんだから、自分は黒い塊りを避けて、たった一人畳の上へ坐った。この間獰猛な眼は、始終自分に喰っついている。遠慮も何もありゃしない。そうして誰も口を利くものがない。取附端を見出すまでは、団体の中へ交り込む訳にも行かず、ぽつねんと独りぼッちで離れているのは、獰猛の目標となるばかりだし、大いに困った。婆さんは、自分を紹介する段じゃない、器械的に「ここへ坐れ」と云ったなり、ちょっ切り結びの尻を振り立てて階子段を降りて行ってしまった。広い寄席の真中にたった一人取り残されて、楽屋の出方一同から、冷かされてるようなものだ、手持無沙汰は無論である。ことさら今の自分に取っては心細い。のみならず袷一枚ではなはだ寒い。寒いのは、この五月の空に、かんかん炭を焼いて獰猛共が囲炉裏へあたってるんでも分る。自分は仕方がないからてれ隠しに襯衣の釦をはずして腋の下へ手を入れたり、膝を立てて、足の親指を抓って見たり、あるいは腿の所を両手で揉んで見たり、いろいろやっていた。こう云う時に、落ついた顔をして――顔ばかりじゃいけない、心から落ちついて、平気で坐ってる修業をして置かないと、大きな損だ。しかし、十九や、そこいらではとうてい覚束ない芸だから、自分はやむを得ず。前記の通りいろいろ馬鹿な真似をしていると、突然、 「おい」 と呼んだものがある。自分はこの時ちょうど下を向いて鳴海絞の兵児帯を締め直していたが、この声を聞くや否や、電気仕掛の顔のように、首筋が急に釣った。見るとさっきの顔揃で、眼がみんなこっちを向いて、光ってる。「おい」と云う声は、どの顔から出たものか分らないが、どの顔から出たにしても大した変りはない。どの顔も獰猛で、よく見るとその獰猛のうちに、軽侮と、嘲弄と、好奇の念が判然と彫りつけてあったのは、首を上げる途端に発明した事実で、発明するや否や、非常に不愉快に感じた事実である。自分は仕方がないから、首を上げたまま、「おい」の声がもう一遍出るのを待っていた。この間が約何秒かかったか知らないが、とにかく予期の状態で一定の姿勢におったものらしい。すると、いきなり、 「やに澄ますねえ」 と云ったものがある。この声はさっきの「おい」よりも少し皺枯れていたから、大方別人だろうと鑑定した。しかし返答をするべき性質の言葉でないから――字で書くと普通のねえのように見えるが、実はなよの命令を倶利加羅流に崩したんだから、はなはだ下等である。――それでやっぱり黙ってた。ただ内心では大いに驚いた。自分がここへ来て言葉を交したものは原さんと婆さんだけであるが、婆さんは女だから別として、原さんは思ったよりも叮嚀であった。ところが原さんは飯場頭である。頭ですらこれだから、平の坑夫は無論そう野卑じゃあるまいと思い込んでいた。だから、この悪口が藪から棒に飛んで来た時には、こいつはと退避む前に、まずおやっと毒気を抜かれた。ここでいっその事|毒突返したなら、袋叩きに逢うか、または平等の交際が出来るか、どっちか早く片がついたかも知れないが、自分は何にも口答えをしなかった。もともと東京生れだから、この際何とか受けるくらいは心得ていたんだろう。それにもかかわらず、兄に類似した言語は無論、尋常の竹箆返しさえ控えたのは、――相手にならないと先方を軽蔑したためだろうか――あるいは怖くって何とも云う度胸がなかったんだろうか。自分は前の方だと云いたい。しかし事実はどうも後の方らしい。とにかくも両方|交ってたと云うのが一番|穏のように思われる。世の中には軽蔑しながらも怖いものが沢山もある。矛盾にゃならない。  それはどっちにしたって構わないが、自分がこの悪口を聞いたなり、おとなしく聞き流す料簡と見て取った坑夫共は、面白そうにどっと笑った。こっちがおとなしければおとなしいほど、この笑は高く響いたに違ない。銅山を出れば、世間が相手にしてくれない返報に、たまたま普通の人間が銅山の中へ迷い込んで来たのを、これ幸いと嘲弄するのである。自分から云えば、この坑夫共が社会に対する恨みを、吾身一人で引き受けた訳になる。銅山へ這入るまでは、自分こそ社会に立てない身体だと思い詰めていた。そこで飯場へ上って見ると、自分のような人間は仲間にしてやらないと云わんばかりの取扱いである。自分は普通の社会と坑夫の社会の間に立って、立派に板挟みとなった。だからこの十四五人の笑い声が、ほてるほど自分の顔の正面に起った時は、悲しいと云うよりは、恥ずかしいと云うよりは、手持無沙汰と云うよりは、情ないほど不人情な奴が揃ってると思った。無教育は始めから知れている。教育がなければ予期出来ないほどの無理な注文はしないつもりだが、なんぼ坑夫だって、親の胎内から持って生れたままの、人間らしいところはあるだろうくらいに心得ていたんだから、この寸法に合わない笑声を聞くや否や、畜生奴と思った。俗語に云う怒った時の畜生奴じゃない。人間と受取れない意味の畜生奴である。今では経験の結果、人間と畜生の距離がだいぶん詰ってるから、このくらいの事をと、鈍い神経の方で相手にしないかも知れないが、何しろ十九年しか、使っていない新しい柔かい頭へこのわる笑がじんと来たんだから、切なかった。自分ながら思い出すたびに、まことに痛わしいような、いじらしいような、その時の神経系統をそのまま真綿に包んで大事にしまって置いてやりたいような気がする。  この悪意に充ちた笑がようやく下火になると、 「御前はどこだ」 と云う質問が出た。この質問を掛けたものは、自分から一番近い所に坐っていたから、声の出所は判然分った。浅黄色の手拭染みた三尺帯を腰骨の上へ引き廻して、後向きの胡坐のまま、斜に顔だけこっちへ見せている。その片眼は生れつきの赤んべんで、おまけに結膜が一面に充血している。 「僕は東京です」 と答えたら、赤んべんが、肉のない頬を凹まして、愚弄の笑いを洩らしながら、三軒置いて隣りの坑夫をちょいと顎でしゃくった。するとこの相図を受けた、願人坊主が、入れ替ってこんな事を云った、 「僕だなんて――書生ッ坊だな。大方女郎買でもしてしくじったんだろう。太え奴だ。全体この頃の書生ッ坊の風儀が悪くっていけねえ。そんな奴に辛抱が出来るもんか、早く帰れ。そんな瘠っこけた腕でできる稼業じゃねえ」  自分はだまっていた。あんまり黙っていたので張合が抜けたせいか、わいわい冷かすのが少し静まった。その時一人の坑夫――これは尋常な顔である。世間へ出しても普通に通用するくらいに眼鼻立が調っていた。自分は、冷かされながら、眼を上げて、黒い塊を見るたびに、人数やら、着物やら、獰猛の度合やらをだんだん腹に畳み込んでいたが、最初は総体の顔が総体に骨と眼でできた上に獣慾の脂が浮いているところばかり眼に着いて、どれも、これも差別がないように思われた。それが三度四度と重なるにつけて、四人五人と人相の区別ができるに連れて、この坑夫だけが一際目立って見えるようになった。年はまだ三十にはなるまい。体格は倔強である。眉毛と鼻の根と落ち合う所が、一段奥へ引っ込んで、始終鼻眼鏡で圧しつけてるように見える。そこに疳癪が拘泥していそうだが、これがために獰猛の度はかえって減ずると云っても好いような特徴であった。――この坑夫が始めてこの時口を利いた。―― 「なぜこんな所へ来た。来たって仕方がないぜ。儲かる所じゃない。ここにいる奴あ、みんな食詰ものばかりだ。早く帰るが好かろう。帰って新聞配達でもするがいい。おれも元はこれで学校へも通ったもんだが、放蕩の結果とうとう、シキの飯を食うようになっちまった。おれのようになったが最後もう駄目だ。帰ろうたって、帰れなくなる。だから今のうちに東京へ帰って新聞配達をしろ。書生はとても一月と辛抱は出来ないよ。悪い事は云わねえから帰れ。分ったろう」  これは比較的|真面目な忠告であった。この忠告の最中は、さすがの獰悪派もおとなしく交っ返しもせずに聞いていた。その惰性で忠告が済んだあとも、一時は静であった。もっともこれはこの坑夫に多少の勢力があるんで、その勢力に対しての遠慮かも知れないと勘づいた。その時自分は何となく心の底で愉快だった。この坑夫だって、ほかの坑夫だって、人相にこそ少しの変化はあれ、やっぱり一つ穴でこつこつ鉱塊を欠いている分の事だろう。そう芸に巧拙のあるはずはない。して見ると、この男の勢力は全く字が読めて、物が解って、分別があって――一口に云うと教育を受けたせいに違ない。自分は今こんなに馬鹿にされている。ほとんど最下等の労働者にさえ歯されない人非人として、多勢の侮辱を受けている。しかし一度この社会に首を突込んで、獰猛組の一人となりすましたら、一月二月と暮して行くうちには、この男くらいの勢力を得る事はできるかも知れない。できるだろう。できるにきまってるとまで感じた。だから、いくら誰が何と云っても帰るまい、きっとこの社会で一人前以上になって成功して見せる。――随分思い切ってつまらない考えを起したもんだが、今から見ても、多少論理には叶っているようだ。そこでこの坑夫の忠告には謹んで耳を傾けていたが、別段先方の注文通りに、では帰りましょうと云う返事もしなかった。そのうちいったん静まりかけた愚弄の舌がまた動き出した。 「いる気なら置いてやるが、ここにゃ、それぞれ掟があるから呑み込んで置かなくっちゃ迷惑だぜ」 と一人が云うから、 「どんな掟ですか」 と聞くと、 「馬鹿だなあ。親分もあり兄弟分もあるじゃねえか」 と、大変な大きな声を出した。 「親分たどんなもんですか」 と質問して見た。実はあまりがみがみ云うから、黙っていようかしらんとも思ったけれども、万一掟を破って、あとで苛い目に逢うのが怖いから、まあ聞いて見た。すると他の坑夫が、すぐ、返事をした。 「しようのねえ奴だな。親分を知らねえのか。親分も兄弟分も知らねえで、坑夫になろうなんて料簡違えだ。早く帰れ」 「親分も兄弟分もいるから、だから、儲けようたって、そう旨かあ行かねえ。帰れ」 「儲かるもんか帰るが好い」 「帰れ」 「帰れ」  しきりに帰れと云う。しかも実際自分のためを思って帰れと云うんじゃない。仲間入をさせてやらないから出て行けと云うんである。さぞ儲けたいだろうが、そうは問屋で卸さない、こちとらだけで儲ける仕事なんだから、諦めて早く帰れと云うんである。したがってどこへ帰れとも云わない。川の底でも、穴の中でも構わない勝手な所へ帰れと云うんである。自分は黙っていた。  この形勢がこのままで続いたら、どんな事にたち至ったか思いやられる。敵はこの囲炉裏の周囲ばかりにゃいない。さっきちょっと話した通り、向うの方にも大きな輪になって、黒く塊っている。こっちの団体だけですら持ち扱っているところへ、あっちの群勢が加勢したら大事である。自分は愚弄されながらも、時々横目を使って、未来の敵――こうなると、どれもこれも人間でさえあれば、敵と認定してしまう。――遠方にはおるが、そろそろ押し寄せて来そうな未来の敵を、見ていた。かように自分の心が、左右前後と離れ離れになって、しかも独立ができないものだから、物の後を追掛け、追ん廻わしているほど辛い事はない。なんでも敵に逢ったら敵を呑むに限る。呑む事ができなければ呑まれてしまうが好い。もし両方共困難ならぷつりと縁を截って、独立自尊の態度で敵を見ているがいい。敵と融合する事もできず、敵の勢力範囲外に心を持ってく事も出来ず、しかも敵の尻を嗅がなければならないとなると、はなはだしき損となる。したがってもっとも下等である。自分はこう云う場合にたびたび遭遇して、いろいろな活路を研究して見たが、研究したほどに、心が云う事を聞かない。だからここに申す三策は、みんな釈迦の空説法である。もし講釈をしないでも知れ切ってる陳説なら、なおさら言うだけが野暮になる。どうも正式の学問をしないと、こう云う所へ来て、取捨の区別がつかなくって困る。  自分が四方八方に気を配って、自分の存在を最高度に縮小して恐れ入っていると、 「御膳を御上がんなさい」 と云う婆さんの声が聞えた。いつの間に婆さんが上がって来たんだか、自分の魂が鳩の卵のように小さくなって、萎縮した真最中だったから、御膳の声が耳に入るまではまるで気がつかなかった。見ると剥げた御膳の上に縁の欠けた茶碗が伏せてある。小さい飯櫃も乗っている。箸は赤と黄に塗り分けてあるが、黄色い方の漆が半分ほど落ちて木地が全く出ている。御菜には糸蒟蒻が一皿ついていた。自分は伏目になってこの御膳の光景を見渡した時、大いに食いたくなった。実は今朝から水一滴も口へ入れていない。胃は全く空である。もし空でなければ、昨日食った揚饅頭と薩摩芋があるばかりである。飯の気を離れる事約二昼夜になるんだから、いかに魂が萎縮しているこの際でも、御櫃の影を見るや否や食慾は猛然として咽喉元まで詰め寄せて来た。そこで、冷かしも、交ぜっ返しも気に掛ける暇なく、見栄も糸瓜も棒に振って、いきなり、お櫃からしゃくって茶碗へ一杯盛り上げた。その手数さえ面倒なくらい待ち遠しいほどであったが、例の剥箸を取り上げて、茶碗から飯をすくい出そうとする段になって――おやと驚いた。ちっともすくえない。指の股に力を入れて箸をうんと底まで突っ込んで、今度こそはと、持上げて見たが、やっぱり駄目だ。飯はつるつると箸の先から落ちて、けっして茶碗の縁を離れようとしない。十九年来いまだかつてない経験だから、あまりの不思議に、この仕損を二三度繰り返して見た上で、はてなと箸を休めて考えた。おそらく狐に撮まれたような風であったんだろう。見ていた坑夫共はまたぞろ、どっと笑い出した。自分はこの声を聞くや否や、いきなり茶碗を口へつけた。そうして光沢のない飯を一口|掻き込んだ。すると笑い声よりも、坑夫よりも、空腹よりも、舌三寸の上だけへ魂が宿ったと思うくらいに変な味がした。飯とは無論受取れない。全く壁土である。この壁土が唾液に和けて、口いっぱいに広がった時の心持は云うに云われなかった。 「面あ見ろ。いい様だ」 と一人が云うと、 「御祭日でもねえのに、銀米の気でいやがらあ。だから帰れって教えてやるのに」 と他のものが云う。 「南京米の味も知らねえで、坑夫になろうなんて、頭っから料簡違だ」 とまた一人が云った。  自分は嘲弄のうちに、術なくこの南京米を呑み下した。一口でやめようと思ったが、せっかく盛り込んだものを、食ってしまわないと、また冷かされるから、熊の胆を呑む気になって、茶碗に盛っただけは奇麗に腹の中へ入れた。全く食慾のためではない。昨日食った揚饅頭や、ふかし芋の方が、どのくらい御馳走であったか知れない。自分が南京米の味を知ったのは、生れてこれが始てである。  茶碗に盛っただけは、こう云う訳で、どうにか、こうにか片づけたが、二杯目は我慢にも盛う気にならなかったから、糸蒟蒻だけを食って箸を置く事にした。このくらい辛抱して無理に厭なものを口に入れてさえ、箸を置くや否や散々に嘲弄された。その時は随分つらい事と思ったが、その後日に三度ずつは、必ずこの南京米に対わなくっちゃならない身分となったんで、さすがの壁土も慣れるに連れて、いわゆる銀米と同じく、人類の食い得べきもの、否食ってしかるべき滋味と心得るようになってからは、剥膳に向って逡巡した当時がかえって恥ずかしい気持になった。坑夫共の冷かしたのも万更無理ではない。今となると、こんな無経験な貴族的の坑夫が一杯の南京米を苦に病むところに廻り合わせて、現状を目撃したら、ことに因ると、自分でさえ、笑うかも知れない。冷かさないまでも、善意に笑うだけの価値は十分あると思う。人はいろいろに変化するもんだ。  南京米の事ばかり書いて済まないから、もうやめにするが、この時自分の失敗に対する冷評は、自然のままにして抛って置いたなら、どこまで続いたか分らない。ところへ急に金盥を叩き合せるような音がした。一度ではない。二度三度と聞いているうちに、じゃじゃん、じゃららんと時を句切って、拍子を取りながら叩き立てて来る。すると今度は木唄の声が聞え出した。純粋の木唄では無論ないが、自分の知ってる限りでは、まあ木唄と云うのが一番近いように思われる。この時冷評は一時にやんだ。ひっそりと静まり返る山の空気に、じゃじゃん、じゃららんが鳴り渡る間を、一種異様に唄い囃して何物か近づいて来た。 「ジャンボーだ」 と一人が膝頭を打たないばかりに、大きな声を出すと、 「ジャンボーだ。ジャンボーだ」 と大勢口々に云いながら、黒い塊がばらばらになって、窓の方へ立って行った。自分は何がジャンボーなんだか分らないが、みんなの注意が、自分を離れると同時に、気分が急に暢達したせいか、自分もジャンボーを見たいと云う余裕ができて、余裕につれて元気も出来た。つくづく考えるに、人間の心は水のようなもので、押されると引き、引くと押して行く。始終手を出さない相撲をとって暮らしていると云っても差支なかろう。それで、みんなが立ち尽したあとから、自分も立った。そうしてやっぱり窓の方へ歩いて行った。黒い頭で下は塞がっている上から背伸をして見下すと、斜に曲ってる向の石垣の角から、紺の筒袖を着た男が二人出た。あとからまた二人出た。これはいずれも金盥を圧しつぶして薄っ片にしたようなものを両手に一枚ずつ持っている。ははあ、あれを叩くんだと思う拍子に、二人は両手をじゃじゃんと打ち合わした。その不調和な音が切っ立った石垣に突き当って、後の禿山に響いて、まだやまないうちに、じゃららんとまた一組が後から鳴らし立てて現れた。たと思うとまた現れる。今度は金盥を持っていない。その代り木唄――さっきは木唄と云った。しかしこの時、彼らの揚げた声は、木唄と云わんよりはむしろ浪花節で咄喊するような稀代な調子であった。 「おい金公はいねえか」 と、黒い頭の一つが怒鳴った。後向だから顔は見えない。すると、 「うん金公に見せてやれ」 とすぐ応じた者がある。この言葉が終るか、終らない間に、五つ六つの黒い頭がずらりとこっちを向いた。自分はまた何か云われる事と覚悟して仕方なしに、今までの態度で立っていると、不思議にも振り返った眼は自分の方に着いていない。広い部屋の片隅に遠く走った様子だから、何物がいる事かと、自分も後を追っ懸けて、首を捻じ向けると、――寝ている。薄い布団をかけて一人寝ている。 「おい金州」 と一人が大きな声を出したが、寝ているものは返事をしない。 「おい金しゅう起きろやい」 と怒鳴つけるように呼んだが、まだ何とも返事がないので、三人ばかり窓を離れてとうとう迎に出掛けた。被ってる布団を手荒にめくると、細帯をした人間が見えた。同時に、 「起きろってば、起きろやい。好いものを見せてやるから」 と云う声も聞えた。やがて横になってた男が、二人の肩に支えられて立ち上った。そうしてこっちを向いた。その時、その刹那、その顔を一目見たばかりで自分は思わず慄とした。これはただ保養に寝ていた人ではない。全くの病人である。しかも自分だけで起居のできないような重体の病人である。年は五十に近い。髯は幾日も剃らないと見えてぼうぼうと延びたままである。いかな獰猛も、こう憔悴ると憐れになる。憐れになり過ぎて、逆にまた怖くなる。自分がこの顔を一目見た時の感じは憐れの極全く怖かった。  病人は二人に支えられながら、釣られるように、利かない足を運ばして、窓の方へ近寄ってくる。この有様を見ていた、窓際の多人数は、さも面白そうに囃し立てる。 「よう、金しゅう早く来いよ。今ジャンボーが通るところだ。早く来て見ろよ」 「己あジャンボーなんか見たかねえよ」 と病人は、無体に引き摺られながら、気のない声で返事をするうちに、見たいも、見たくないもありゃしない。たちまち窓の障子の角まで圧しつけられてしまった。  じゃじゃん、じゃららんとジャンボーは知らん顔で石垣の所へ現れてくる。行列はまだ尽きないのかと、また背延びをして見下した時、自分は再び慄とした。金盥と金盥の間に、四角な早桶が挟まって、山道を宙に釣られて行く。上は白金巾で包んで、細い杉丸太を通した両端を、水でも一荷頼まれたように、容赦なく担いでいる。その担いでいるものまでも、こっちから見ると、例の唄を陽気にうたってるように思われる。――自分はこの時始めてジャンボーの意味を理解した。生涯いかなる事があっても、けっして忘れられないほど痛切に理解した。ジャンボーは葬式である。坑夫、シチュウ、掘子、山市に限って執行される、また執行されなければならない一種の葬式である。御経の文句を浪花節に唄って、金盥の潰れるほどに音楽を入れて、一荷の水と同じように棺桶をぶらつかせて――最後に、半死半生の病人を、無理矢理に引き摺り起して、否と云うのを抑えつけるばかりにしてまで見せてやる葬式である。まことに無邪気の極で、また冷刻の極である。 「金しゅう、どうだ、見えたか、面白いだろう」 と云ってる。病人は、 「うん、見えたから、床ん所まで連れてって、寝かしてくれよ。後生だから」 と頼んでいる。さっきの二人は再び病人を中へ挟んで、 「よっしょいよっしょい」 と云いながら、刻み足に、布団の敷いてある所まで連れて行った。  この時曇った空が、粉になって落ちて来たかと思われるような雨が降り出した。ジャンボーはこの雨の中を敲き立てて町の方へ下って行く。大勢は 「また雨だ」 と云いながら、窓を立て切って、各々囲炉裏の傍へ帰る。この混雑紛に自分もいつの間にか獰猛の仲間入りをして、火の近所まで寄る事が出来た。これは偶然の結果でもあり、また故意の所作でもあった。と云うものは火の気がなくってははなはだ寒い。袷一枚ではとても凌ぎ兼ねるほどの山の中だ。それに雨さえ降り出した。雨と云えば雨、霧と云えば霧と云われるくらいな微かな粒であるが、四方の禿山を罩め尽した上に、筒抜けの空を塗り潰して、しとどと落ちて来るんだから、家の中に坐っていてさえ、糠よりも小さい湿り気が、毛穴から腹の底へ沁み込むような心持である。火の気がなくってはとうていやり切れるものじゃない。  自分が好い加減な所へ席を占めて、いささかながら囲炉裏のほとぼりを顔に受けていると、今度は存外にも度外視されて、思ったよりも調戯われずに済んだ。これはこっちから進んで獰猛の仲間入りをしたため、向うでも普通の獰猛として取扱うべき奴だと勘弁してくれたのか、それとも先刻のジャンボーで不意に気が変った成行として、自分の事をしばらく忘れてくれたのか、または冷笑の種が尽きたか、あるいは毒突くのに飽きたんだか、――何しろ自分が席を改めてから、自分の気は比較的楽になった。そうして囲炉裏の傍の話はやっぱりジャンボーで持ち切っていた。いろいろな声がこんな事を云う。―― 「あのジャンボーはどこから出たんだろう」 「どこから出たって御ジャンボーだ」 「ことによると黒市組かも知れねえ。見当がそうだ」 「全体ジャンボーになったらどこへ行くもんだろう」 「御寺よ。きまってらあ」 「馬鹿にするねえ。御寺の先を聞いてるんだあな」 「そうよ、そりゃ寺限で留りっこねえ訳だ。どっかへ行くに違えねえ」 「だからよ。その行く先はどんな所だろうてえんだ。やっぱしこんな所かしら」 「そりゃ、人間の魂の行く所だもの、大抵は似た所に違えねえ」 「己もそう思ってる。行くとなりゃ、どうもほかへ行く訳がねえからな」 「いくら地獄だって極楽だって、やっぱり飯は食うんだろう」 「女もいるだろうか」 「女のいねえ国が世界にあるもんか」  ざっと、こんな談話だから、聞いているとめちゃめちゃである。それで始めのうちは冗談だと思った。笑っても差支ないものと心得て、口の端をむずつかせながら、ちょっと様子を見渡したくらいであった。ところが笑いたいのは自分だけで、囲炉裏を取り捲いている顔はいずれも、彫りつけたように堅くなっている。彼らは真剣の真面目で未来と云う大問題を論じていたんである。実に嘘としか受け取れないほどの熱心が、各々の眉の間に見えた。自分はこの時、この有様を一瞥して、さっきの笑いたかった念慮をたちまちのうちに一変した。こんな向う見ずの無鉄砲な人間が――カンテラを提げて、シキの中へ下りれば、もう二度と日の目を見ない料簡でいる人間が――人間の器械で、器械の獣とも云うべきこの獰猛組が、かほどに未来の事を気にしていようとは、まことに予想外であった。して見ると、世間には、未来の保証をしてくれる宗教というものが入用のはずだ。実際自分が眼を上げて、囲炉裏のぐるりに胡坐をかいて並んだ連中を見渡した時には、遠慮に畏縮が手伝って、七分方でき上った笑いを急に崩したと云う自覚は無論なかった。ただ寄席を聞いてるつもりで眼を開けて見たら鼻の先に毘沙門様が大勢いて、これはと威儀を正さなければならない気持であった。一口に云うと、自分はこの時始めて、真面目な宗教心の種を見て、半獣半人の前にも厳格の念を起したんだろう。その癖自分はいまだに宗教心と云うものを持っていない。  この時さっきの病人が、向うの隅でううんと唸り出した。その唸り声には無論特別の意味はない。単に普通の病人の唸り声に過ぎんのだが、ジャンボーの未来に屈託している連中には、一種のあやしい響のように思われたんだろう。みんな眼と眼を見合した。 「金公苦しいのか」 と一人が大きな声で聞いた。病人は、ただ、 「ううん」 と云う。唸ってるのか、返事をしているのか判然しない。するとまた一人の坑夫が、 「そんなに嚊の事ばかり気にするなよ。どうせ取られちまったんだ。今更唸ったってどうなるもんか。質に入れた嚊だ。受出さなけりゃ流れるなあ当り前だ」 と、やっぱり囲炉裏の傍へ坐ったまま、大きな声で慰めている。慰めてるんだか、悪口を吐いているんだか疑わしいくらいである。坑夫から云うと、どっちも同じ事なんだろう。病人はただううんと挨拶――挨拶にもならない声を微かに出すばかりであった。そこで大勢は懸合にならない慰藉をやめて、囲炉裏の周囲だけで舌の用を弁じていた。しかし話題はまだ金さんを離れない。 「なあに、病気せえしなけりゃ、金公だって嚊を取られずに済むんだあな。元を云やあ、やっぱり自分が悪いからよ」 と一人が、金さんの病気をさも罪悪のように評するや否や、 「全くだ。自分が病気をして金を借りて、その金が返せねえから、嚊を抵当に取られちまったんだから、正直のところ文句の附けようがねえ」 と賛成したものがある。 「若干で抵当に入れたんだ」 と聞くと、向側から、 「五両だ」 と誰だか、簡潔に教えた。 「それで市の野郎が長屋へ下がって、金しゅうと入れ代った訳か。ハハハハ」  自分は囲炉裏の側に坐ってるのが苦痛であった。背中の方がぞくぞくするほど寒いのに、腋の下から汗が出る。 「金しゅうも早く癒って、嚊を受け出したら好かろう」 「また、市と入れ代りか。世話あねえ」 「それよりか、うんと稼いで、もっと価に踏める抵当でも取った方が、気が利いてらあ」 「違ねえ」 と一人が云い出すのを相図に、みんなどっと笑った。自分はこの笑の中に包まれながら、どうしても笑い切れずに下を向いてしまった。見ると膝を並べて畏まっていた。馬鹿らしいと気がついて、胡坐に組み直して見た。しかし腹の中はけっして胡坐をかくほど悠長ではなかった。  その内だんだん日暮に近くなって来る。時間が移るばかりじゃない、天気の具合と、山が囲んでるせいで早く暗くなる。黙って聞いていると、雨垂の音もしないようだから、ことによると、雨はもう歇んだのかも知れない。しかしこの暗さでは、やっぱり降ってると云う方が当るだろう。窓は固り締め切ってある。戸外の模様は分りようがない。しかし暗くって湿ッぽい空気が障子の紙を透して、一面に囲炉裏の周囲を襲って来た。並んでいる十四五人の顔がしだいしだいに漠然する。同時に囲炉裏の真中に山のようにくべた炭の色が、ほてり返って、少しずつ赤く浮き出すように思われた。まるで、自分は坑の底へ滅入込んで行く、火はこれに反して坑からだんだん競り上がって来る、――ざっと、そんな気分がした。時にぱっと部屋中が明るくなった。見ると電気灯が点いた。 「飯でも食うべえ」 と一人が云うと、みんな忘れものを思い出したように、 「飯を食って、また交替か」 「今日は少し寒いぞ」 「雨はまだ降ってるのか」 「どうだか、表へ出て仰向いて見な」 などと、口々に罵りながら、立って、階下段を下りて行った。自分は広い部屋にたった一人残された。自分のほかにいるものは病人の金さんばかりである。この金さんがやっぱり微な声を出して唸ってるようだ。自分は囲炉裏の前に手を翳して胡坐を組みながら、横を向いて、金さんの方を見た。頭は出ていない。足も引っ込ましている。金さんの身体は一枚の布団の中で、小さく平ったくなっている。気の毒なほど小さく平ったく見えた。その内唸り声も、どうにか、こうにかやんだようだから、また顔の向を易えて、囲炉裏の中を見詰めた。ところがなんだか金さんが気に掛かってたまらないから、また横を向いた。すると金さんはやっぱり一枚の布団の中で、小さく平ったくなっている。そうして、森としている。生きてるのか、死んでるのか、ただ森としている。唸られるのも、あんまり気味の好いもんじゃないが、こう静かにしていられるとなお心配になる。心配の極は怖くなって、ちょっと立ち懸けたが、まあ大丈夫だろう、人間はそう急に死ぬもんじゃないと、度胸を据えてまた尻を落ちつけた。  ところへ二三人、下からどやどやと階下段を上がって来た。もう飯を済ましたんだろうか、それにしては非常に早いがと、心持上がり段の方を眺めていると、思も寄らないものが、現れた。――黒か紺か色の判然しない筒服を着ている。足は職人の穿くような細い股引で、色はやはり同じ紺である。それでカンテラを提げている。のみならず二人が二人とも泥だらけになって、濡れてる。そうして、口を利かない。突っ立ったまま自分の方をぎろりと見た。まるで強盗としきゃあ思えない。やがて、カンテラを抛り出すと、釦を外して、筒袖を脱いだ。股引も脱いだ。壁に掛けてある広袖を、めりやすの上から着て、尻の先に三尺帯をぐるりと回しながら、やっぱり無言のまま、二人してずしりずしりと降りて行った。するとまた上がって来た。今度のも濡れている。泥だらけである。カンテラを抛り出す。着物を着換える。ずしんずしんと降りて行く。とまた上がって来る。こう云う風に入代り、入代りして、何でもよほど来た。いずれも底の方から眼球を光らして、一遍だけはきっと自分を見た。中には、 「手前は新前だな」 と云ったものもある。自分はただ、 「ええ」 と答えて置いた。幸い今度はさっきのようにむやみには冷やかされずに、まあ無難に済んだ。上がって来るものも、来るものも、みんな急いで降りて行くんで、調戯う暇がなかったんだろう。その代り一人に一度ずつは必ず睨まれた。そうこうしている内に、上がって来るものがようやく絶えたから、自分はようやく寛容いだ思いをして、囲炉裏の炭の赤くなったのを見詰めて、いろいろ考え出した。もちろん纏まりようのない、かつ考えれば考えるほど馬鹿になる考えだが、火を見詰ていると、炭の中にそう云う妄想がちらちらちらちら燃えてくるんだから仕方がない。とうとう自分の魂が赤い炭の中へ抜出して、火気に煽られながら、むやみに踊をおどってるような変な心持になった時に、突然、 「草臥れたろうから、もう御休みなさい」 と云われた。  見ると、さっきの婆さんが、立っている。やっぱり襷掛のままである。いつの間に上がって来たものか、ちっとも気がつかなかった。自分の魂が遠慮なく火の中を馳け廻って、艶子さんになったり、澄江さんになったり、親爺になったり、金さんになったり、――被布やら、廂髪やら、赤毛布やら、唸り声やら、揚饅頭やら、華厳の滝やら――幾多無数の幻影が、囲炉裏の中に躍り狂って、立ち騰る火の気の裏に追いつ追われつ、日向に浮かぶ塵と思われるまで夥しく出て来た最中に、はっと気がついたんだから、眼の前にいる婆さんが、不思議なくらい変であった。しかし寝ろと云う注意だけは明かに耳に聞えたに違ないから、自分はただ、 「ええ」 と答えた。すると婆さんは後ろの戸棚を指して、 「布団は、あすこに這入ってるから、独で出して御掛けなさい。一枚三銭ずつだ。寒いから二枚はいるでしょう」 と聞くから、また 「ええ」 と答えたら、婆さんは、それ限何にも云わずに、降りて行った。これで、自分は寝てもいいと云う許可を得たから、正式に横になっても剣突を食う恐れはあるまいと思って、婆さんの指図通り戸棚を明けて見ると、あった。布団がたくさんあった。しかしいずれも薄汚いものばかりである。自宅で敷いていたのとはまるで比較にならない。自分は一番上に乗ってるのを二枚、そっとおろした。そうして、電気灯の光で見た。地は浅黄である。模様は白である。その上に垢が一面に塗りつけてあるから、六分方色変りがして、白い所などは、通例なら我慢のできにくいほどどろんと、化けている。その上すこぶる堅い。搗き立ての伸し餅を、金巾に包んだように、綿は綿でかたまって、表布とはまるで縁故がないほどの、こちこちしたものである。  自分はこの布団を畳の上へ平く敷いた。それから残る一枚を平く掛けた。そうして、襯衣だけになって、その間に潜り込んだ。湿っぽい中を割り込んで、両足をうんと伸ばしたら踵が畳の上へ出たから、また心持引っ込ました。延ばす時も曲げる時も、不断のように軽くしなやかには行かない。みしりと音がするほど、関節が窮屈に硬張って、動きたがらない。じっとして、布団の中に膝頭を横たえていると、倦怠のを通り越して重い。腿から下を切り取って、その代りに筋金入りの義足をつけられたように重い。まるで感覚のある二本の棒である。自分は冷たくって重たい足を苦に病んで、頭を布団の中に突っ込んだ。せめて頭だけでも暖にしたら、足の方でも折れ合ってくれるだろうとの、はかない望みから出た窮策であった。  しかしさすがに疲れている。寒さよりも、足よりも、布団の臭いよりも、煩悶よりも、厭世よりも――疲れている。実に死ぬ方が楽なほど疲れ切っていた。それで、横になるとすぐ――畳から足を引っ込まして、頭を布団に入れるだけの所作を仕遂げたと思うが早いか、眠てしまった。ぐうぐう正体なく眠てしまった。これから先きは自分の事ながらとうてい書けない。……  すると、突然針で背中を刺された。夢に刺されたのか、起きていて、刺されたのか、感じはすこぶる曖昧であった。だからそれだけの事ならば、針だろうが刺だろうが、頓着はなかったろう。正気の針を夢の中に引摺り込んで、夢の中の刺を前後不覚の床の下に埋めてしまう分の事である。ところがそうは行かなかった。と云うものは、刺されたなと思いながらも、針の事を忘れるほどにうっとりとなると、また一つ、ちくりとやられた。  今度は大きな眼を開いた。ところへまたちくりと来た。おやと驚く途端にまたちくりと刺した。これは大変だとようやく気がつきがけに、飛び上るほど劇しく股の辺をやられた。自分はこの時始めて、普通の人間に帰った。そうして身体中至る所がちくちくしているのを発見した。そこでそっと襯衣の間から手を入れて、背中を撫でて見ると、一面にざらざらする。最初指先が肌に触れた時は、てっきり劇烈な皮膚病に罹ったんだと思った。ところが指を肌に着けたまま、二三寸引いて見ると、何だか、ばらばらと落ちた。これはただ事でないとたちまち跳ね起きて、襯衣一枚の見苦しい姿ながら囲炉裏の傍へ行って、親指と人差指の間に押えた、米粒ほどのものを、検査して見ると、異様の虫であった。実はこの時分には、まだ南京虫を見た事がないんだから、はたしてこれがそうだとは断言出来なかったが――何だか直覚的に南京虫らしいと思った。こう云う下卑た所に直覚の二字を濫用しては済まんが、ほかに言葉がないから、やむを得ず高尚な術語を使った。さてその虫を検査しているうちに、非常に悪らしくなって来た。囲炉裏の縁へ乗せて、ぴちりと親指の爪で圧し潰したら、云うに云われぬ青臭い虫であった。この青臭い臭気を嗅ぐと、何となく好い心持になる。――自分はこんな醜い事を真面目にかかねばならぬほど狂違染みていた。実を云うと、この青臭い臭気を嗅ぐまでは、恨を霽らしたような気がしなかったのである。それだから捕っては潰し、捕っては潰し、潰すたんびに親指の爪を鼻へあてがって嗅いでいた。すると鼻の奥へ詰って来た。今にも涙が出そうになる。非常に情ない。それだのに、爪を嗅ぐと愉快である。この時二階下で大勢が一度にどっと笑う声がした。自分は急に虫を潰すのをやめた。広間を見渡すと誰もいない。金さんだけが、平たくなって静かに寝ている。頭も足も見えない。そのほかにたった一人いた。もっとも始めて気がついた時は人間とは思わなかった。向うの柱の中途から、窓の敷居へかけて、帆木綿のようなものを白く渡して、その幅のなかに包まっていたから、何だか気味が悪かった。しかしよく見ると、白い中から黒いものが斜に出ている。そうしてそれが人間の毬栗頭であった。――広い部屋には、自分とこの二人を除いて、誰もいない。ただ電気灯がかんかん点いている。大変静かだ、と思うとまた下座敷でわっと笑った。さっきの連中か、または作業を済まして帰って来たものが、大勢寄ってふざけ散らしているに違ない。自分はぼんやりして布団のある所まで帰って来た。そうして裸体になって、襯衣を振るって、枕元にある着物を着て、帯を締めて、一番しまいに敷いてある布団を叮嚀に畳んで戸棚へ入れた。それから後はどうして好いか分らない。時間は何時だか、夜はとうていまだ明けそうにしない。腕組をして立って考えていると、足の甲がまたむずむずする。自分は堪え切れずに、 「えっ畜生」 と云いながら二三度小踊をした。それから、右の足の甲で、左の上を擦って、左の足の甲で右の上を擦って、これでもかと歯軋をした。しかし表へ飛び出す訳にも行かず、寝る勇気はなし、と云って、下へ降りて、車座の中へ割り込んで見る元気は固りない。さっき毒突かれた事を思い出すと、南京虫よりよっぽど厭だ。夜が明ければいい、夜が明ければいいと思いながら、自分は表へ向いた窓の方へ歩いて行った。するとそこに柱があった。自分は立ちながら、この柱に倚っ掛った。背中をつけて腰を浮かして、足の裏で身体を持たしていると、両足がずるずる畳の目を滑ってだんだん遠くへ行っちまう。それからまた真直に立つ。またずるずる滑る。また立つ。まずこんな事をしていた。幸い南京虫は出て来なかった。下では時々どっと笑う。  いても立ってもと云うのは喩だが、そのいても立ってもを、実際に経験したのはこの時である。だから坐るとも立つとも方のつかない運動をして、中途半端に紛らかしていた。ところがその運動をいつまで根気にやったものか覚えていない。いとど疲れている上に、なお手足を疲らして、いかな南京虫でも応えないほど疲れ切ったんで、始めて寝たもんだろう。夜が明けたら、自分が摺り落ちた柱の下に、足だけ延ばして、背を丸く蹲踞っていた。  これほど苦しめられた南京虫も、二日三日と過つにつれて、だんだん痛くなくなったのは妙である。その実、一箇月ばかりしたら、いくら南京虫がいようと、まるで米粒でも、ぞろぞろ転がってるくらいに思って、夜はいつでも、ぐっすり安眠した。もっとも南京虫の方でも日数を積むに従って遠慮してくるそうである。その証拠には新来のお客には、べた一面にたかって、夜通し苛めるが、少し辛抱していると、向うから、愛想をつかして、あまり寄りつかなくなるもんだと云う。毎日食ってる人間の肉は自然鼻につくからだとも教えたものがあるし、いや肉の方にそれだけの品格が出来て、シキ臭くなるから、虫も恐れ入るんだとも説明したものがある。そうして見るとこの南京虫と坑夫とは、性質がよく似ている。おそらく坑夫ばかりじゃあるまい、一般の人類の傾向と、この南京虫とはやはり同様の心理に支配されてるんだろう。だからこの解釈は人間と虫けらを概括するところに面白味があって、哲学者の喜びそうな、美しいものであるが、自分の考えを云うと全くそうじゃないらしい。虫の方で気兼をしたり、贅沢を云ったりするんじゃなくって、食われる人間の方で習慣の結果、無神経になるんだろうと思う。虫は依然として食ってるが、食われても平気でいるに違ない、もっとも食われて感じないのも、食われなくって感じないのも、趣こそ違え、結果は同じ事であるから、これは実際上議論をしても、あまり役に立たない話である。  そんな無用の弁は、どうでもいいとして、自分が眼を開けて見たら、夜は全く明け放れていた。下ではもうがやがや云っている。嬉しかった。窓から首を出して見ると、また雨だ。もっとも判然とは降っていない。雲の濃いのが糸になり損なって、なっただけが、細く地へ落ちる気色だ。だからむやみに濛々とはしていない。しだいしだいに雨の方に片づいて、片づくに従って糸の間が透いて見える。と云っても見えるものは山ばかりである。しかも草も木も至って乏しい、潤のない山である。これが夏の日に照りつけられたら、山の奥でもさぞ暑かろうと思われるほど赤く禿げてぐるりと自分を取り捲いている。そうして残らず雨に濡れている。潤い気のないものが、濡れているんだから、土器に霧を吹いたように、いくら濡れても濡れ足りない。その癖寒い気持がする。それで自分は首を引っ込めようとしたら、ちょっと眼についた。――手拭を被って、藁を腰に当てて、筒服を着た男が二三人、向うの石垣の下にあらわれた。ちょうど昨日ジャンボーの通った路を逆に歩いて来る。遠くから見ると、いかにもしょぼしょぼして気の毒なほど憐れである。自分も今朝からああなるんだなと、ふと気がついて見ると、人事とは思われないほど、向へ行く手拭の影――雨に濡れた手拭の影が情なかった。すると雨の間からまた古帽子が出て来た。その後からまた筒袖姿があらわれた。何でも朝の番に当った坑夫がシキへ這入る時間に相違ない。自分はようやく窓から首を引き込めた。すると、下から五六人一度にどやどやと階下段を上って来る。来たなと思ったが仕方がないから懐手をして、柱にもたれていた。五六人は見る間に、同じ出立に着更えて下りて行った。後からまた上がってくる。また筒袖になって下りて行く。とうとう飯場にいる当番はことごとく出払ったようだ  こう飯場中活動して来ると、自分も安閑としちゃいられない。と云って誰も顔を御洗いなさいとも、御飯を御上がんなさいとも云いに来てくれない。いかな坊っちゃんも、あまり手持無沙汰過ぎて困っちまったから、思い切って、のこのこ下りて行った。心は無論落ついちゃいないが、態度だけはまるで宿屋へ泊って、茶代を置いた御客のようであった。いくら恐縮しても自分には、これより以外の態度が出来ないんだから全くの生息子である。下りて見ると例の婆さんが、襷がけをして、草鞋を一足ぶら下げて奥から駆けて来たところへ、ばったり出逢った。 「顔はどこで洗うんですか」 と聞くと、婆さんは、ちょっと自分を見たなりで、 「あっち」 と云い捨てて門口の方へ行った。まるで相手にしちゃいない。自分にはあっちの見当がわからなかったが、とにかく婆さんの出て来た方角だろうと思って、奥の方へ歩いて行ったら、大きな台所へ出た。真中に四斗樽を輪切にしたようなお櫃が据えてある。あの中に南京米の炊いたのがいっぱい詰ってるのかと思ったら、――何しろ自分が三度三度一箇月食っても食い切れないほどの南京米なんだから、食わない前からうんざりしちまった。――顔を洗う所も見つけた。台所を下りて長い流の前へ立って、冷たい水で、申し訳のために頬辺を撫でて置いた。こうなると叮嚀に顔なんか洗うのは馬鹿馬鹿しくなる。これが一歩進むと、顔は洗わなくっても宜いものと度胸が坐ってくるんだろう。昨日の赤毛布や小僧は全くこう云う順序を踏んで進化したものに違ない。  顔はようやく自力で洗った。飯はどうなる事かと、またのそのそ台所へ上った。ところへ幸い婆さんが表から帰って来て膳立てをしてくれた。ありがたい事に味噌汁がついていたんで、こいつを南京米の上から、ざっと掛けて、ざくざくと掻き込んだんで、今度は壁土の味を噛み分ないで済んだ。すると婆さんが、 「御飯が済んだら、初さんがシキへ連れて行くって待ってるから、早くおいでなさい」 と、箸も置かない先から急き立てる。実はもう一杯くらい食わないと身体が持つまいと思ってたところだが、こう催促されて見ると、無論御代りなんか盛う必要はない。自分は、 「はあ、そうですか」 と立ち上がった。表へ出て見ると、なるほど上り口に一人掛けている。自分の顔を見て、 「御前か、シキへ行くなあ」 と、石でもぶっ欠くような勢いで聞いた。 「ええ」 と素直に答えたら、 「じゃ、いっしょに来ねえ」 と云う。 「この服装でも好いんですか」 と叮嚀に聞き返すと、 「いけねえ、いけねえ。そんな服装で這入れるもんか。ここへ親分とこから一枚借りて来てやったから、此服を着るがいい」 と云いながら、例の筒袖を抛り出した。 「そいつが上だ。こいつが股引だ。そら」 とまた股引を抛げつけた。取りあげて見ると、じめじめする。所々に泥が着いている。地は小倉らしい。自分もとうとうこの御仕着を着る始末になったんだなと思いながら、絣を脱いで上下とも紺揃になった。ちょっと見ると内閣の小使のようだが、心持から云うと、小使を拝命した時よりも遥に不景気であった。これで支度は出来たものと思込んで土間へ下りると、 「おっと待った」 と、初さんがまた勇み肌の声を掛けた。 「これを尻の所へ当てるんだ」  初さんが出してくれたものを見ると、三斗俵坊っちのような藁布団に紐をつけた変挺なものだ。自分は初さんの云う通り、これを臀部へ縛りつけた。 「それが、アテシコだ。好しか。それから鑿だ。こいつを腰ん所へ差してと……」  初さんの出した鑿を受け取って見ると、長さ一尺四五寸もあろうと云う鉄の棒で、先が少し尖っている。これを腰へ差す。 「ついでにこれも差すんだ。少し重いぜ。大丈夫か。しっかり受け取らねえと怪我をする」  なるほど重い。こんな槌を差してよく坑の中が歩けるもんだと思う。 「どうだ重いか」 「ええ」 「それでも軽いうちだ。重いのになると五斤ある。――いいか、差せたか、そこでちょっと腰を振って見な。大丈夫か。大丈夫ならこれを提げるんだ」 とカンテラを出しかけたが、 「待ったり。カンテラの前に一つ草鞋を穿いちまいねえ」  草鞋の新しいのが、上り口にある。さっき婆さんが振ら下げてたのは、大方これだろう。自分は素足の上へ草鞋を穿いた。緒を踵へ通してぐっと引くと、 「駑癡だなあ。そんなに締める奴があるかい。もっと指の股を寛めろい」 と叱られた。叱られながら、どうにか、こうにか穿いてしまう。 「さあ、これでいよいよおしまいだ」 と初さんは饅頭笠とカンテラを渡した。饅頭笠と云うのか筍笠というのか知らないが、何でも懲役人の被るような笠であった。その笠を神妙に被る。それからカンテラを提げる。このカンテラは提げるようにできている。恰好は二合入りの石油缶とも云うべきもので、そこへ油を注す口と、心を出す孔が開いてる上に、細長い管が食っついて、その管の先がちょっと横へ曲がると、すぐ膨らんだカップになる。このカップへ親指を突っ込んで、その親指の力で提げるんだから、指五本の代りに一本で事を済ますはなはだ実用的のものである。 「こう、穿めるんだ」 と初さんが、勝栗のような親指を、カンテラの孔の中へ突込んだ。旨い具合にはまる。 「そうら」  初さんは指一本で、カンテラを柱時計の振子のように、二三度振って見せた。なかなか落ちない。そこで自分も、同じように、調子をとって揺して見たがやっぱり落ちなかった。 「そうだ。なかなか器用だ。じゃ行くぜ、いいか」 「ええ、好ござんす」  自分は初さんに連れられて表へ出た。所が降っている。一番先へ笠へあたった。仰向いて、空模様を見ようとしたら、顎と、口と、鼻へぽつぽつとあたった。それからあとは、肩へもあたる。足へもあたる。少し歩くうちには、身体中じめじめして、肌へ抜けた湿気が、皮膚の活気で蒸し返される。しかし雨の方が寒いんで、身体のほとぼりがだんだん冷めて行くような心持であったが、坂へかかると初さんがむやみに急ぎ出したんで、濡れながらも、毛穴から、雨を弾き出す勢いで、とうとうシキの入口まで来た。  入口はまず汽車の隧道の大きいものと云って宜しい。蒲鉾形の天辺は二間くらいの高さはあるだろう。中から軌道が出て来るところも汽車の隧道に似ている。これは電車が通う路なんだそうだ。自分は入口の前に立って、奥の方を透かして見た。奥は暗かった。 「どうだここが地獄の入口だ。這入れるか」 と初さんが聞いた。何だか嘲弄の語気を帯びている。さっき飯場を出て、ここまで来る途中でも、方々の長屋の窓から首を出して、 「昨日のだ」 「新来だ」 と口々に罵っていたが、その様子を見ると単に山の中に閉じ込められて物珍らしさの好奇心とは思えなかった。その言葉の奥底にはきっと愚弄の意味がある。これを布衍して云うと、一つには貴様もとうとうこんな所へ転げ込んで来た、いい気味だ、ざまあ見ろと云う事になる。もう一つは御気の毒だが来たって駄目だよ。そんな脂っこい身体で何が勤まるものかと云う事にもなる。だから「昨日のだ」「新来だ」と騒ぐうちには、自分が彼らと同様の苦痛を甞めなければならないほど堕落したのを快く感ずると共に、とうていこの苦痛には堪えがたい奴だとの軽蔑さえ加わっている。彼らは他人を彼らと同程度に引き摺り落して喝采するのみか、ひとたび引き摺り落したものを、もう一返足の下まで蹴落して、堕落は同程度だが、堕落に堪える力は彼らの方がかえって上だとの自信をほのめかして満足するらしい。自分は途上「昨日のだ」と聞くたんびに、懲役笠で顔を半分隠しながら通り抜けて、シキの入口まで来た。そこで初さんがまた愚弄したんだから、自分は少しむっとして、 「這入れますとも。電車さえ通ってるじゃありませんか」 と答えた。すると初さんが、 「なに這入れる? 豪義な事を云うない」 と云った。ここで「這入れません」と恐れ入ったら、「それ見ろ」と直こなされるにきまってる。どっちへ転んでも駄目なんだから別に後悔もしなかった。初さんは、いきなり、シキの中へ飛び込んだ。自分も続いて這入った。這入って見ると、思ったよりも急に暗くなる。何だか足元がおっかなくなり出したには降参した。雨が降っていても外は明かるいものだ。その上|軌道の上はとにかく、両側はすこぶる泥っている。それだのに初さんは中っ腹でずんずん行く。自分も負けない気でずんずん行く。 「シキの中でおとなしくしねえと、すのこの中へ抛り込まれるから、用心しなくっちゃあいけねえ」 と云いながら初さんは突然暗い中で立ち留った。初さんの腰には鑿がある。五斤の槌がある。自分は暗い中で小さくなって、 「はい」 と返事をした。 「よしか、分ったか。生きて出る料簡なら生意気にシキなんかへ這入らねえ方が増しだ」  これは向うむきになって、初さんが歩き出した時に、半分は独り言のように話した言葉である。自分は少からず驚いた。坑の中は反響が強いので、初さんの言葉がわんわんわんと自分の耳へ跳ねっ返って来る。はたして初さんの言う通りなら、飛んだ所へ這入ったもんだ。実は死ぬのも同然な職業であればこそ坑夫になろうと云う気も起して見たんだが、本当に死ぬなら――こんな怖い商売なら――殺されるんなら――すのこの中へ抛げ込まれるなら――すのことは全体どんなもんだろうと思い出した。 「すのことはどんなもんですか」 「なに?」 と初さんが後を振り向いた。 「すのことはどんなもんですか」 「穴だ」 「え?」 「穴だよ。――鉱を抛り込んで、纏めて下へ降げる穴だ。鉱といっしょに抛り込まれて見ねえ……」 で言葉を切ってまたずんずん行く。  自分はちょっと立ち留った。振り返ると、入口が小さい月のように見える。這入るときは、これがシキならと思った。聞いたほどでもないと思った。ところが初さんに威嚇かされてから、いかな平凡な隧道も、大いに容子が変って来た。懲役笠をたたく冷たい雨が恋しくなった。そこで振り返ると、入口が小さい月のように見える。小さい月のように見えるほど奥へ這入ったなと、振り返って始めて気がついた。いくら曇っていてもやっぱり外が懐かしい。真黒な天井が上から抑えつけてるのは心持のわるいものだ。しかもこの天井がだんだん低くなって来るように感ぜられる。と思うと、軌道を横へ切れて、右へ曲った。だらだら坂の下りになる。もう入口は見えない。振返っても真暗だ。小さい月のような浮世の窓は遠慮なくぴしゃりと閉って、初さんと自分はだんだん下の方へ降りて行く。降りながら手を延ばして壁へ触って見ると、雨が降ったように濡れている。 「どうだ、尾いて来るか」 と、初さんが聞いた。 「ええ」 とおとなしく答えたら、 「もう少しで地獄の三丁目へ来る」 と云ったなり、また二人とも無言になった。この時行く手の方に一点の灯が見えた。暗闇の中の黒猫の片眼のように光ってる。カンテラの灯なら散らつくはずだが、ちっとも動かない。距離もよく分らない。方角も真直じゃないが、とにかく見える。もし坑の中が一本道だとすれば、この灯を目懸けて、初さんも自分も進んで行くに違ない。自分は何にも聞かなかったが、大方これが地獄の三丁目なんだろうと思って、這入って行った。すると、だらだら坂がようやく尽きた。路は平らに向うへ廻り込む。その突き当りに例の灯が点いている。さっきは鼻の下に見えたが、今では眼と擦々の所まで来た。距離も間近くなった。 「いよいよ三丁目へ着いた」 と、初さんが云う。着いて見ると、坑が四五畳ほどの大さに広がって、そこに交番くらいな小屋がある。そうしてその中に電気灯が点いている。洋服を着た役人が二人ほど、椅子の対い合せに洋卓を隔てて腰を掛けていた。表には第一見張所とあった。これは坑夫の出入だの労働の時間だのを検査する所だと後から聞いて、始めて分ったんだが、その当時には何のための設備だか知らなかったもんだから、六七人の坑夫が、どす黒い顔を揃えて無言のまま、見張所の前に立っていたのを不審に思った。これは時間を待ち合わして交替するためである。自分は腰に鑿と槌を差してカンテラさえ提げてはいるが、坑夫志願というんで、シキの様子を見に這入っただけだから、まだ見習にさえ採用されていないと云う訳で、待ち合わす必要もないものと見えて、すぐこの溜を通り越した。その時初さんが見張所の硝子窓へ首を突っ込んで、ちょいと役人に断ったが、役人は別に自分の方を見向もしなかった。その代り立っていた坑夫はみんな見た。しかし役人の前を憚ってだろう、全く一言も口を利いたものはなかった。  溜を出るや否や坑の様子が突然変った。今までは立ってあるいても、背延びをしても届きそうにもしなかった天井が急に落ちて来て、真直に歩くと時々頭へ触るような気持がする。これがものの二寸も低かろうものなら、岩へぶつかって眉間から血が出るに違ないと思うと、松原をあるくように、ありったけの背で、野風雑にゃやって行けない。おっかないから、なるべく首を肩の中へ縮め込んで、初さんに食っついて行った。もっともカンテラはさっき点けた。  すると三尺ばかり前にいる初さんが急に四ん這いになった。おや、滑って転んだ。と思って、後から突っ掛かりそうなところを、ぐっと足を踏ん張った。このくらいにして喰い留めないと、坂だから、前へのめる恐がある。心持腰から上を反らすようにして、初さんの起きるのを待ち合わしていると、初さんはなかなか起きない。やっぱり這っている。 「どうか、しましたか」 と後から聞いた。初さんは返事もしない。――はてな――怪我でもしやしないかしら――もう一遍聞いて見ようか――すると初さんはのこのこ歩き出した。 「何ともなかったですか」 「這うんだ」 「え?」 「這うのだてえ事よ」 と初さんの声はだんだん遠くなってしまう。その声で自分は不審を打った。いくら向うむきでも、普通なら明かに聞きとられべき距離から出るのに、急に潜ってしまう。声が細いんじゃない。当り前の初さんの声が袋のなかに閉じ込められたように曖昧になる。こりゃただ事じゃないと気がついたから、透して見るとようやく分った。今までは尋常に歩けた坑が、ここでたちまち狭くなって、這わなくっちゃ抜けられなくなっている。その狭い入口から、初さんの足が二本出ている。初さんは今胴を入れたばかりである。やがて出ていた足が一本這入った。見ているうちにまた一本這入った。これで自分も四つん這いにならなくっちゃ仕方がないと諦めをつけた。「這うんだ」と初さんの教えたのもけっして無理じゃないんだから、教えられた通り這った。ところが右にはカンテラを提げている。左の手の平だけを惜気もなく氷のような泥だか岩だかへな土だか分らない上へぐしゃりと突いた時は、寒さが二の腕を伝わって肩口から心臓へ飛び込んだような気持がした。それでカンテラを下へ着けまいとすると、右の手が顔とすれすれになって、はなはだ不便である。どうしたもんだろうと、この姿勢のままじっとしていた。そうして、右の手で宙に釣っているカンテラを見た。ところへぽたりと天井からしずくが垂れた。カンテラの灯がじいと鳴った。油煙が顎から頬へかかる。眼へも這入った。それでもこの灯を見詰めていた。すると遠くの方でかあん、かあん、と云う音がする。坑夫が作業をしているに違ないが、どのくらい距離があるんだか、どの見当にあたるんだか、いっこう分らない。東西南北のある浮世の音じゃない。自分はこの姿勢でともかくも二三歩歩き出した。不便は無論不便だが、歩けない事はない。ただ時々しずくが落ちてカンテラのじいと鳴るのが気にかかる。初さんは先へ行ってしまった。頼はカンテラ一つである。そのカンテラがじいと鳴って水のために消えそうになる。かと思うとまた明かるくなる。まあよかったと安心する時分に、またぽたりと落ちて来る。じいと鳴る。消えそうになる。非常に心細い。実は今までも、しずくは始終垂れていたんだが、灯が腰から下にあるんで、いっこう気がつかなかったんだろう。灯が耳の近くへ来て、じいと云う音が聞えるようになってから急に神経が起って来た。だから這う方はなお遅くなる。しかもまだ三足しか歩いちゃいない。ところへ突然初さんの声がした。 「やい、好い加減に出て来ねえか。何をぐずぐずしているんだ。――早くしないと日が暮れちまうよ」  暗いなかで初さんはたしかに日が暮れちまうと云った。  自分は這いながら、咽喉仏の角を尖らすほどに顎を突き出して、初さんの方を見た。すると一間ばかり向うに熊の穴見たようなものがあって、その穴から、初さんの顔が――顔らしいものが出ている。自分があまり手間取るんで、初さんが屈んでこっちを覗き込んでるところであった。この一間をどうして抜け出したか、今じゃ善く覚えていない。何しろできるだけ早く穴まで来て、首だけ出すと、もう初さんは顔を引っ込まして穴の外に立っている。その足が二本自分の鼻の先に見えた。自分はやれ嬉しやと狭い所を潜り抜けた。 「何をしていたんだ」 「あんまり狭いもんだから」 「狭いんで驚いちゃ、シキへは一足だって踏ん込めっこはねえ。陸のように地面はねえ所だくらいは、どんな頓珍漢だって知ってるはずだ」  初さんはたしかに坑の中は陸のように地面のない所だと云った。この人は時々思い掛けない事を云うから、今度もたしかにとただし書をつけて、その確実な事を保証して置くんである。自分は何か云い訳をするたんびに、初さんから容赦なくやっつけられるんで、大抵は黙っていたが、この時はつい、 「でもカンテラが消えそうで、心配したもんですから」 と云っちまった。すると初さんは、自分の鼻の先へカンテラを差しつけて、徐に自分の顔を検査し始めた。そうして、命令を下した。 「消して見ねえ」 「どうしてですか」 「どうしてでも好いから、消して見ねえ」 「吹くんですか」  初さんはこの時大きな声を出して笑った。  自分は喫驚して稀有な顔をしていた。 「冗談じゃねえ。何が這入てると思う。種油だよ、しずくぐらいで消てたまるもんか」  自分はこれでやっと安心した。 「安心したか。ハハハハ」 と初さんがまた笑った。初さんが笑うたんびに、坑の中がみんな響き出す。その響が収まると前よりも倍静かになる。ところへかあん、かあんとどこかで鑿と槌を使ってる音が伝わって来る。 「聞えるか」 と、初さんが顋で相図をした。 「聞えます」 と耳を峙てていると、たちまち催促を受けた。 「さあ行こう。今度あ後れないように跟いて来な」  初さんはなかなか機嫌がいい。これは自分が一も二もなく初さんにやられているせいだろうと思った。いくら手苛くきめつけられても、初さんの機嫌がいいうちは結構であった。こうなると得になる事がすなわち結構という意味になる。自分はこれほど堕落して、おめおめ初さんの尻を嗅いで行ったら、路が左の方に曲り込んでまた峻しい坂になった。 「おい下りるよ」 と初さんが、後も向かず声を掛けた。その時自分は何となく東京の車夫を思い出して苦しいうちにもおかしかった。が初さんはそれとも気がつかず下り出した。自分も負けずに降りる。路は地面を刻んで段々になっている。四五間ずつに折れてはいるが、勘定したら愛宕様の高さぐらいはあるだろう。これは一生懸命になって、いっしょに降りた。降りた時にほっと息を吐くと、その息が何となく苦しかった。しかしこれは深い坑のなかで、空気の流通が悪いからとばかり考えた。実はこの時すでに身体も冒されていたんである。この苦しい息で二三十間来るとまた模様が変った。  今度は初さんが仰向けに手を突いて、腰から先を入れる。腰から入れるような芸をしなければ通れないほど、坑の幅も高さも逼って来たのである。 「こうして抜けるんだ。好く見て置きねえ」 と初さんが云ったと思ったら、胴も頭もずる、ずると抜けて見えなくなった。さすが熟練の功はえらいもんだと思いながら、自分もまず足だけ前へ出して、草鞋で探を入れた。ところが全く宙に浮いてるようで足掛りがちっともない。何でも穴の向うは、がっくり落か、それでなくても、よほど勾配の急な坂に違ないと見当をつけた。だから頭から先へ突っ込めばのめって怪我をするばかり、また足をむやみに出せば引っ繰り返るだけと覚ったから、足を棒のように前へ寝かして、そうして後へ手を突いた。ところがこの所作がはなはだ不味かったので、手を突くと同時に、尻もべったり突いてしまった。ぴちゃりと云った。アテシコを伝わって臀部へ少々感じがあった。それほど強く尻餅を搗いたと見える。自分はしまったと思いながらも直両足を前の方へ出した。ずるりと一尺ばかり振ら下げたが、まだどこへも届かない。仕方がないから、今度は手の方を前へ運ばせて、腰を押し出すように足を伸ばした。すると腿の所まで摺り落ちて、草鞋の裏がようやく堅いものに乗った。自分は念のためこの堅いものをぴちゃぴちゃ足の裏で敲いて見た。大丈夫なら手を離してこの堅いものの上へ立とうと云う料簡であった。 「何で足ばかり、ばたばたやってるんだ。大丈夫だから、うんと踏ん張って立ちねえな。意久地のねえ」 と、下から初さんの声がする。自分の胴から上は叱られると同時に、穴を抜けて真直に立った。 「まるで傘の化物のようだよ」 と初さんが、自分の顔を見て云った。自分は傘の化物とは何の意味だか分らなかったから、別に笑う気にもならなかった。ただ 「そうですか」 と真面目に答えた。妙な事にこの返事が面白かったと見えて、初さんは、また大きな声を出して笑った。そうして、この時から態度が変って、前よりは幾分か親切になった。偶然の事がどんな拍子で他の気に入らないとも限らない。かえって、気に入ってやろうと思って仕出かす芸術は大抵駄目なようだ。天巧を奪うような御世辞使はいまだかつて見た事がない。自分も我が身が可愛さに、その後いろいろ人の御機嫌を取って見たが、どうも旨い結果が出て来ない。相手がいくら馬鹿でも、いつか露見するから怖いもんだ。用意をして置いた挨拶で、この傘の化物に対する返事くらいに成功した場合はほとんどない。骨を折って失敗するのは愚だと悟ったから、近頃では宿命論者の立脚地から人と交際をしている。ただ困るのは演舌と文章である。あいつは骨を折って準備をしないと失敗する。その代りいくら骨を折ってもやっぱり失敗する。つまりは同じ事なんだが、骨を折った失敗は、人の気に入らないでも、自分の弱点が出ないから、まあ準備をしてからやる事にしている。いつかは初さんの気に入ったような演説をしたり、文章を書いて見たいが、――どうも馬鹿にされそうでいけないから、いまだにやらずにいる。――それはここには余計な事だから、このくらいでやめてまた初さんの話を続けて行く。  その時初さんは、笑いながら、下から、自分に向って、 「おい、そう真面目くさらねえで、早く下りて来ねえな。日は短えやな」 と云った。坑の中でカンテラを点けた、初さんはたしかに日は短えやなと云った。  自分が土の段を一二間下りて、初さんの立ってる所まで行くと、初さんは、右へ曲った。また段々が四五間続いている。それを降り切ると、今度は初さんが左へ折れる。そうしてまた段々がある。右へ折れたり左へ折れたり稲妻のように歩いて、段々を――さあ何町降りたか分らない。始めての道ではあるし、ことに暗い坑の中の事であるから自分には非常に長く思われた。ようやく段々を降り切って、だいぶ浮世とは縁が遠くなったと思ったら急に五六畳の部屋に出た。部屋と云っても坑を切り広げたもので、上と下がすぼまって、腹の所が膨らんでいるから、まるで酒甕の中へでも落込んだ有様である。あとから分った話だが、これは作事場と云うんで、技師の鑑定で、ここには鉱脈があるとなると、そこを掘り拡げて作事場にするんである。だから通り路よりは自然広い訳で、この作事場を坑夫が三人一組で、請負仕事に引受ける。二週間と見積ったのが、四日で済む事もあり、高が五日くらいと踏んだ作事に半月以上|食い込む事もある。こう云う訳で、シキのなかに路ができて、路のはたに銅脈さえ見つかれば、御構なくそこだけを掘り抜いて行くんだから、電車の通るシキの入口こそ、平らでもあり、また一条でもあるが、下へ折れて第一見張所のあたりからは、右へも左へも条路ができて、方々に作事場が建つ。その作事をしまうと、また銅脈を見つけては掘り抜いて行くんだから、シキの中は細い路だらけで、また暗い坑だらけである。ちょうど蟻が地面を縦横に抜いて歩くようなものだろう。または書蠹が本を食うと見立てても差し支ない。つまり人間が土の中で、銅を食って、食い尽すと、また銅を探し出して食いにゆくんでむやみに路がたくさんできてしまったんである。だから、いくらシキの中を通っても、ただ通るだけで作事場へ出なければ坑夫には逢わない。かあんかあんという音はするが、音だけでは極めて淋しいものである。自分は初さんに連れられて、シキへ這入ったが、ただシキの様子を見るのが第一の目的であったためか、廻り道をして作事場へは寄らなかったと見えて、坑夫の仕事をしているところは、この段々の下へ来て、初めて見た。――稲妻形に段々を下りるときは、むやみに下りるばかりで、いくら下りても尽きないのみか、人っ子一人に逢わないものだから、はなはだ心細かったが、はじめて作事場へ出て、人間に逢ったら、大いに嬉しかった。  見ると丸太の上に腰をかけている。数は三人だった。丸太は四つや丸太で、軌道の枕木くらいなものだから、随分の重さである。どうして、ここまで運んで来たかとうてい想像がつかない。これは天井の陥落を防ぐため、少し広い所になると突っかい棒に張るために、シチュウが必要な作事場へ置いて行くんだそうだ。その上に二人腰を掛けて、残る一人が屈んで丸太へ向いている。そうして三人の間には小さな木の壺がある。伏せてある。一人がこの壺を上から抑えている。三人が妙な叫び声を出した。抑えた壺をたちまち挙げた。下から賽が出た。――ところへ自分と初さんが這入った。  三人はひとしく眼を上げて、自分と初さんを見た。カンテラが土の壁に突き刺してある。暗い灯が、ぎろりと光る三人の眼球を照らした。光ったものは実際眼球だけである。坑は固より暗い。明かるくなくっちゃならない灯も暗い。どす黒く燃えて煙を吹いている所は、濁った液体が動いてるように見えた。濁った先が黒くなって、煙と変化するや否や、この煙が暗いものの中に吸い込まれてしまう。だから坑の中がぼうとしている。そうして動いている。  カンテラは三人の頭の上に刺さっていた。だから三人のうちで比較的|判然見えたのは、頭だけである。ところが三人共頭が黒いので、つまりは、見えないのと同じ事である。しかも三つとも集っていたから、なおさら変であったが、自分が這入るや否や、三つの頭はたちまち離れた。その間から、壺が見えたんである。壺の下から賽が見えたんである。壺と、賽と、三人の異な叫び声を聞いた自分は、次に三人の顔を見たんである。よくはわからない顔であった。一人の男は頬骨の一点と、小鼻の片傍だけが、灯に映った。次の男は額と眉の半分に光が落ちた。残る一人は総体にぼんやりしている。ただ自分の持っていた、カンテラを四五尺手前から真向に浴びただけである。――三人はこの姿勢で、ぎろりと眼を据えた。自分の方に。  ようやく人間に逢って、やれ嬉しやと思った自分は、この三|対の眼球を見るや否や、思わずぴたりと立ち留った。 「手前は……」 と云い掛けて、一人が言葉を切った。残る二人はまだ口を開かない。自分も立ち留まったなり、答えなかった。――答えられなかった。すると 「新めえだ」 と、初さんが、威勢のいい返事をしてくれた。本当のところを白状すると、三人の眼球が光って、「手前は……」と聞かれた時は、初さんの傍にいる事も忘れて、ただおやっと思った。立すくむと云うのはこれだろう。立ちすくんで、硬くこわ張り掛けたところへ「新めえだ」と云う声がした。この声が自分の左の耳の、つい後から出て、向うへ通り抜けた時、なるほど初さんがついてたなと思い出した。それがため、こわ張りかけた手足も、中途でもとへ引き返した。自分は一歩|傍へ退いた。初さんに前へ出てもらうつもりであった。初さんは注文通り出た。 「相変らずやってるな」 とカンテラを提げたまま、上から三人の真中に転がってる、壺と賽を眺めた。 「どうだ仲間入は」 「まあよそう。今日は案内だから」 と初さんは取り合わなかった。やがて、四つや丸太の上へうんとこしょと腰をおろして、 「少し休んで行くかな」 と自分の方を見た。立ちすくむまで恐ろしかった、自分は急に嬉しくなって元気が出て来た。初さんの側へ腰をおろす。アテシコの利目は、ここで始めて分った。旨い具合に尻が乗って、柔らかに局部へ応える。かつ冷えないで、結構だ。実はさっきから、眼が少し眩らんで――眩らんだか、眩らまないんだか、坑の中ではよく分らないが、何しろ好い気持ではなかったが、こう尻を掛けて落ちつくと、大きに楽になる。四人がいろいろな話をしている。 「広本へは新らしい玉が来たが知ってるか」 「うん、知ってる」 「まだ、買わねえか」 「買わねえ、お前は」 「おれか。おれは――ハハハハ」 と笑った。これは這入って来た時、顔中ぼんやり見えた男である。今でもぼんやり見える。その証拠には、笑っても笑わなくっても、顔の輪廓がほとんど同じである。 「随分手廻しがいいな」 と初さんもいささか笑っている。 「シキへ這入ると、いつ死ぬか分らねえからな。だれだって、そうだろう」 と云う答があった。この時、 「御互に死なねえうちの事だなあ」 と一人が云った。その語調には妙に咏嘆の意が寓してあった。自分はあまり突然のように感じた。  そうしているうちに、一間置いて隣りの男が突然自分に話しかけた。 「御前はどこから来た」 「東京です」 「ここへ来て儲けようたって駄目だぜ」 と他のが、すぐ教えてくれた。自分は長蔵さんに逢うや否や儲かる儲かるを何遍となく聞かせられて驚いたが、飯場へ着くが早いか、今度は反対に、儲からない儲からないで立てつづけに責められるんで、大いに辟易した。しかし地の底ではよもやそんな話も出まいと思ってここまで降りて来たが、人に逢えばまた儲からないを繰り返された。あんまり馬鹿馬鹿しいんで何とか答弁をしようかとも考えたが、滅多な事を云えば擲りつけられるだけだから、まあやめにして置いた。さればと云って返事をしなければまたやりつけられる。そこで、こう云った。 「なぜ儲からないんです」 「この銅山には神様がいる。いくら金を蓄めて出ようとしたって駄目だ。金は必ず戻ってくる」 「何の神様ですか」 と聞いて見たら、 「達磨だ」 と云って、四人ながら面白そうに笑った。自分は黙っていた。すると四人は自分を措いてしきりに達磨の話を始めた。約十分余りも続いたろう。その間自分はほかの事を考えていた。いろいろ考えたうちに一番感じたのは、自分がこんな泥だらけの服を着て、真暗な坑のなかに屈んでるところを、艶子さんと澄江さんに見せたらばと云う問題であった。気の毒がるだろうか、泣くだろうか、それともあさましいと云って愛想を尽かすだろうかと疑って見たが、これは難なく気の毒がって、泣くに違ないと結論してしまった。それで一目くらいはこの姿を二人に見せたいような気がした。それから昨夜囲炉裏の傍でさんざん馬鹿にされた事を思い出して、あの有様を二人に見せたらばと考えた。ところが今度は正反対で、二人共|傍にいてくれないで仕合せだと思った。もし見られたらと想像して眼前に、意気地のない、大いに苛められている自分の風体と、ハイカラの女を二人|描き出したら、はなはだ気恥ずかしくなって腋の下から汗が出そうになった。これで見ると、坑夫に堕落すると云う事実その物はさほど苦にならぬのみか、少しは得意の気味で、ただ坑夫になりたての幅の利かないところだけを、女に見せたくなかった訳になる。自分の器量を下げるところは、誰にも隠したいが、ことに女には隠したい。女は自分を頼るほどの弱いものだから、頼られるだけに、自分は器量のある男だと云う証拠をどこまでも見せたいものと思われる。結婚前の男はことにこの感じが深いようだ。人間はいくら窮した場合でも、時々は芝居気を出す。自分がアテシコを臀に敷いて、深い坑のなかで、カンテラを提げたまま、休んだ時の考えは、全く芝居じみていた。ある意味から云うと、これが苦痛の骨休めである。公然の骨休めとも云うべき芝居は全くここから発達したものと思う。自分は発達しない芝居の主人公を腹の中で演じて、落胆しながら得意がっていた。  ところへ突然肺臓を打ち抜かれたと思うくらいの大きな音がした。その音は自分の足の下で起ったのか、頭の上で起ったのか、尻を懸けた丸太も、黒い天井も一度に躍り上ったから、分からない。自分の頸と手と足が一度に動いた。縁側に脛をぶらさげて、膝頭を丁と叩くと、膝から下がぴくんと跳ねる事がある。この時自分の身体の動き方は全くこれに似ている。しかしこれよりも倍以上劇烈に来たような気がした。身体ばかりじゃない、精神がその通りである。一人芝居の真最中でとんぼ返りを打って、たちまち我れに帰った。音はまだつづいている。落雷を、土中に埋めて、自由の響きを束縛したように、渋って、焦って、陰に籠って、抑えられて、岩にあたって、包まれて、激して、跳ね返されて、出端を失って、ごうと吼えている。 「驚いちゃいけねえ」 と初さんが云った。そうして立ち上がった。自分も立ち上がった。三人の坑夫も立ち上がった。 「もう少しだ。やっちまうかな」 と、鑿を取り上げた。初さんと自分は作事場を出る。ところへ煙が来た。煙硝の臭が、眼へも鼻へも口へも這入った。噎せっぽくって苦しいから、後を向いたら、作事場ではかあん、かあんともう仕事を始めだした。 「なんですか」 と苦しい中で、初さんに聞いて見た。実はさっきの音が耳に応えた時、こりゃ坑内で大破裂が起ったに違ないから、逃げないと生命が危ないとまで思い詰めたくらいだのに、初さんはますます深く這入る気色だから、気味が悪いとは思ったが、何しろ自由行動のとれる身体ではなし、精神は無論独立の気象を具えていないんだから、いかに先輩だって逃げていい時分には、逃げてくれるだろうと安心して、後をつけて出ると、むっとするほどの煙が向うから吹いて来たんで、こりゃ迂濶深入はできないわと云う腹もあって、かたがた後を向く途端に、さっきの連中がもう、煙の中でかあん、かあん、鉱を叩いているのが聞えたんで、それじゃやっぱり安心なのかと、不審のあまりこの質問を起して見たんである。すると初さんは、煙の中で、咳を二つ三つしながら、 「驚かなくってもいい。ダイナマイトだ」 と教えてくれた。 「大丈夫ですか」 「大丈夫でねえかも知れねえが、シキへ這入った以上、仕方がねえ。ダイナマイトが恐ろしくっちゃ一日だって、シキへは這入れねえんだから」  自分は黙っていた。初さんは煙の中を押し分けるようにずんずん潜って行く。満更苦しくない事もないんだろうが、一つは新参の自分に対して、景気を見せるためじゃないかと思った。それとも煙は坑から坑へ抜け切って、陸の上なら、大抵晴れ渡った時分なのに、路が暗いんでいつまでも煙が這ってるように感じたり噎せっぽく思ったのかも知れない。そうすると自分の方が悪くなる。  いずれにしても苦いところを我慢して尾いて行った。また胎内潜りのような穴を抜けて、三四間ずつの段々を、右へ左へ折れ尽すと、路が二股になっている。その条路の突き当りで、カラカラランと云う音がした。深い井戸へ石片を抛げ込んだ時と調子は似ているが、普通の井戸よりも、遥に深いように思われた。と云うものは、落ちて行く間に、側へ当って鳴る音が、冴えている。ばかりか、よほど長くつづく。最後のカラランは底の底から出て、出るにはよほど手間がかかる。けれども一本道を、真直に上へ抜けるだけで、ほかに逃道がないから、どんなに暇取っても、きっと出てくる。途中で消えそうになると、壁の反響が手伝って、底で出ただけの響は、いかに微な遠くであっても、洩らすところなく上まで送り出す。――ざっとこんな音である。カラララン。カカラアン。……  初さんが留った。 「聞えるか」 「聞えます」 「スノコへ鉱を落してる」 「はああ……」 「ついでだからスノコを見せてやろう」 と、急に思いついたような調子で、勢いよく初さんが、一足後へ引いて草鞋の踵を向け直した。自分が耳の方へ気を取られて、返事もしないうちに、初さんは右へ切れた。自分も続いて暗いなかへ這入る。  折れた路はわずか四尺ほどで行き当る。ところをまた右へ廻り込むと、一間ばかり先が急に薄明るく、縦にも横にも広がっている。その中に黒い影が二つあった。自分達がその傍まで近づいた時、黒い影の一つが、左の足と共に、精一杯前へ出した力を後へ抜く拍子に、大きな箕を、斜に抛げ返した。箕は足掛りの板の上に落ちた。カカン、カラカランと云う音が遠くへ落ちて行く。一尺前は大きな穴である。広さは畳|二畳敷ぐらいはあるだろう。箕に入れたばらの鉱を、掘子が抛げ込んだばかりである。突き当りの壁は突立っている。微なカンテラに照らされて、色さえしっかり分らない上が、一面に濡れて、濡れた所だけがきらきら光っている。 「覗いて見ろ」  初さんが云った。穴の手前が三尺ばかり板で張り詰めてある。自分は板の三分の一ほどまで踏み出した。 「もっと、出ろ」 と初さんが後から催促する。自分は躊躇した。これでさえ踏板が外れれば、どこまで落ちて行くか分らない。ましてもう一尺前へ出れば、いざと云う時、土の上へ飛び退く手間が一尺だけ遅くなる。一尺は何でもないようだが、ここでは平地の十間にも当る。自分は何分にも躊躇した。 「出ろやい。吝な野郎だな。そんな事で掘子が勤まるかい」 と云われた。これは初さんの声ではなかった。黒い影の一人が云ったんだろう。自分は振り返って見なかった。しかし依然として足は前へ出なかった。ただ眼だけが、露で光った薄暗い向うの壁を伝わって、下の方へ、しだいに落ちて行くと、約一間ばかりは、どうにか見えるが、それから先は真暗だ。真暗だからどこまで視線に這入るんだか分らない。ただ深いと思えば際限もなく深い。落ちちゃ大変だと神経を起すと、後から背中を突かれるような気がする。足は依然としてもとの位地を持ち応えていた。すると、 「おい邪魔だ。ちょっと退きな」 と声を掛けられたんで、振り向くと、一人の掘子が重そうに俵を抱えて立っている。俵の大きさは米俵の半分ぐらいしかない。しかし両手で底を受けて、幾分か腰で支えながら、うんと気合を入れているところは、全く重そうだ。自分はこの体を見て、すぐ傍へ避けた。そうして比較的安全な、板が折れても差支なく地面へ飛び退けるほどの距離まで退いた。掘子は、俵で眼先がつかえてるから定めし剣呑がるだろうと思いのほか、容赦なく重い足を運ばして前へ出る。縁から二尺ばかり手前まで出て、足を揃えたから、もう留まるだろうと見ていると、また出した。余る所は一尺しきゃあない。その一尺へまた五寸ほど切り込んだ。そうして行儀よく右左を揃えた。そうして、うんと云った。胸と腰が同時に前へ出た。危ない。のめったと思う途端に、重い俵は、とんぼ返りを打って、掘子の手を離れた。掘子はもとの所へ突っ立っている。落ちた俵はしばらく音沙汰もない。と思うと遠くでどさっと云った。俵は底まで落切ったと見える。 「どうだ、あの芸が出来るか」 と初さんが聞いた。自分は、 「そうですねえ」 と首を曲げて、恐れ入ってた。すると初さんも掘子もみんな笑い出した。自分は笑われても全く致し方がないと思って、依然として恐れ入ってた。その時初さんがこんな事を云って聞かした。 「何になっても修業は要るもんだ。やって見ねえうちは、馬鹿にゃ出来ねえ。お前が掘子になるにしたって、おっかながって、手先ばかりで抛げ込んで見ねえ。みんな板の上へ落ちちまって、肝心の穴へは這入りゃしねえ。そうして、鉱の重みで引っ張り込まれるから、かえって剣呑だ。ああ思い切って胸から突き出してかからにゃ……」 と云い掛けると、ほかの男が、 「二三度スノコへ落ちて見なくっちゃ駄目だ。ハハハハ」 と笑った。  後戻をして元の路へ出て、半町ほど行くと、掘子は右へ折れた。初さんと自分は真直に坂を下りる。下り切ると、四五間平らな路を縫うように突き当った所で、初さんが留まった。 「おい。まだ下りられるか」 と聞く。実はよほど前から下りられない。しかし中途で降参したら、落第するにきまってるから、我慢に我慢を重ねて、ここまで来たようなものの、内心ではその内もうどん底へ行き着くだろうくらいの目算はあった。そこへ持って来て、相手がぴたりと留まって、一段落つけた上、さて改めて、まだ下りる気かと正式に尋ねられると、まだ下りるべき道程はけっして一丁や二丁でないと云う意味になる。――自分は暗いながら初さんの顔を見て考えた。御免蒙ろうかしらと考えた。こう云う時の出処進退は、全く相手の思わく一つできまる。いかな馬鹿でも、いかな利口でも同じ事である。だから自分の胸に相談するよりも、初さんの顔色で判断する方が早く片がつく。つまり自分の性格よりも周囲の事情が運命を決する場合である。性格が水準以下に下落する場合である。平生築き上げたと自信している性格が、めちゃくちゃに崩れる場合のうちでもっとも顕著なる例である。――自分の無性格論はここからも出ている。  前申す通り自分は初さんの顔を見た。すると、下りようじゃないかと云う親密な情合も見えない。下りなくっちゃ御前のためにならないと云う忠告の意も見えない。是非下ろして見せると云う威嚇もあらわれていない。下りたかろうと焦らす気色は無論ない。ただ下りられまいと云う侮辱の色で持ち切っている。それは何ともなかった。しかしその色の裏面には落第と云う切実な問題が潜んでいる。この場合における落第は、名誉より、品性より、何よりも大事件である。自分は窒息しても下りなければならない。 「下りましょう」 と思い切って、云った。初さんは案に相違の様子であったが、 「じゃ、下りよう。その代り少し危ないよ」 と穏かに同意の意を表した。なるほど危ないはずだ。九十度の角度で切っ立った、屏風のような穴を真直に下りるんだから、猿の仕事である。梯子が懸ってる。勾配も何にもない。こちらの壁にぴったり食っついて、棒を空にぶら下げたように、覗くと端が見えかねる。どこまで続いてるんだか、どこで縛りつけてあるんだか、まるで分らない。 「じゃ、己が先へ下りるからね。気をつけて来たまえ」 と初さんが云った。初さんがこれほど叮嚀な言葉を使おうとは思いも寄らなかった。おおかた神妙に下りましょうと出たんで、幾分か憐愍の念を起したんだろう。やがて初さんは、ぐるりと引っ繰り返って、正式に穴の方へ尻を向けた。そうして屈んだ。と思うと、足からだんだん這入って行く。しまいには顔だけが残った。やがてその顔も消えた。顔が出ている間は、多少の安心もあったが、黒い頭の先までが、ずぼりと穴へはまった時は、さすがに心配なのと心細いのとで、じっとしていられなくって、足をつま立てるようにして、上から見下した。初さんは下りて行く。黒い頭とカンテラの灯だけが見える。その時自分は気味の悪いうちにも、こう考えた。初さんの姿が見えるうちに下りてしまわないと、下り損なうかも知れない。面目ない事が出来する。早くするに越した分別はないと決心して、いきなり後ろ向になって初さんのように、膝を地につけて、手で摺り下りながら、草鞋の底で段々を探った。  両手で第一段目を握って、足を好加減な所へ掛けると、背中が海老のように曲った。それから、そろそろ足を伸ばし出した。真直に立つと、カンテラの灯が胸の所へ来る。じっとしていると燻されてしまう。仕方がないから、片足下げる。手もこれに応じて握り更えなくっちゃならない。おろそうとすると、指で提げてるカンテラが、とんだところで、始末の悪いように動く。滅多に振ると、着物が焼けそうになる。大事を取ると壁へぶつかって灯が揉み潰されそうになる。親指へカップを差し込んで、振子のように動かした時は、はなはだ軽便な器械だと思ったが、こうなると非常に邪魔になる。その上|梯子の幅は狭い。段と段の間がすこぶる長い。一段さがるに、普通の倍は骨が折れる。そこへもって来て恐怖が手伝う。そうして握り直すたんびに、段木がぬらぬらする。鼻を押しつけるようにして、乏しい灯で透かして見ると、へな土が一面に粘いている。上り下りの草鞋で踏つけたものと思われる。自分は梯子の途中で、首を横へ出して、下を覗いた。よせば善かったが、つい覗いた。すると急にぐらぐらと頭が廻って、かたく握った手がゆるんで来た。これは死ぬかも知れない。死んじゃ大変だと、噛りついたなり、いきなり眼を閉った。石鹸球の大きなのが、ぐるぐる散らついてるうちに、初さんが降りて行く。本当を云うと、下を覗いた時にこそ、初さんの姿が見えれば見えるんで、ねぶった眼の前に湧いて出る石鹸球の中に、初さんがいる訳がない。しかし現にいる。そうして降りて行く。いかにも不思議であった。今考えると、目舞のする前に、ちらりと初さんを見たに違ないんだが、ぐらぐらと咄癡て、死ぬ方が怖くなったもんだから、初さんの影は網膜に映じたなり忘れちまったのが、段木に噛りついて眼を閉るや否や生き返ったんだろう。ただしそう云う事が学理上あり得るものか、どうか知らない。その当時は夢中である。坑は暗い、命は惜しい、頭は乱れている。生きてるか死んでるか判然しない。そこへ初さんが降りて行く。眼の中で降りて行くんだか、足の下で降りて行くんだかめちゃくちゃであった。が不思議な事に、眼を開けるや否やまた下を見た。するとやはり初さんが降りている。しかも切っ立った壁の向う側を降りているようだ。今度は二度目のせいか、落ちるほど眩暈もしなかったんで、よくよく眸を据えて見ると、まさに向う側を降りて行く。はてなと思った。ところへカンテラがまたじいと鳴った。保証つきの灯火だが、こうなるとまた心細い。初さんはずんずん行くようだ。自分もここに至れば、全速力で降りるのが得策だと考えついた。そこでぬるぬるする段木を握り更え、握り更えてようやく三間ばかり下がると、足が土の上へ落ちた。踏んで見たがやッぱり土だ。念のため、手を離さずに足元の様子を見ると、梯子は全く尽きている。踏んでいる土も幅一尺で切れている。あとは筒抜の穴だ。その代り今度は向側に別の梯子がついている。手を延ばすと届くように懸けてある。仕方がないから、自分はまたこの梯子へ移った。そうして出来るだけ早く降りた。長さは前のと同様である。するとまた逆の方向に、依然として梯子が懸けてある。どうも是非に及ばない。また移った。やっとの思いでこれも片づけると、新しい梯子はもとのごとく向側に懸っている。ほとんど際限がない。自分が六つめの梯子まで来た時は、手が怠くなって、足が悸え出して、妙な息が出て来た。下を見ると初さんの姿はとくの昔に消えている。見れば見るほど真闇だ。自分のカンテラへはじいじいと点滴が垂れる。草鞋の中へは清水がしみ込んで来る。  しばらく休んでいたら、手が抜けそうになった。下り出すと足を踏み外しかねぬ。けれども下りるだけ下りなければ、のめって逆さに頭を割るばかりだと思うと、どうか、こうか、段々を下り切る力が、どっかから出て来る。あの力の出所はとうてい分らない。しかしこの時は一度に出ないで、少しずつ、腕と腹と足へ煮染み出すように来たから、自分でも、ちゃんと自覚していた。ちょうど試験の前の晩徹夜をして、疲労の結果、うっとりして急に眼が覚めると、また五六|頁は読めると同じ具合だと思う。こう云う勉強に限って、何を読んだか分らない癖に、とにかく読む事は読み通すものだが、それと同じく自分もたしかに降りたとは断言しにくいが、何しろ降りた事はたしかである。下読をする書物の内容は忘れても、頁の数は覚えているごとく、梯子段の数だけは明かに記憶していた。ちょうど十五あった。十五下り尽しても、まだ初さんが見えないには驚いた。しかし幸い一本道だったから、どぎまぎしながらも、細い穴を這い出すと、ようやく初さんがいた。しかも、例のように無敵な文句は並べずに、 「どうだ苦しかったか」 と聞いてくれた。自分は全く苦しいんだから、 「苦しいです」 と答えた。次に初さんが、 「もう少しだ我慢しちゃ、どうだ」 と奨励した。次に自分は、 「また梯子があるんですか」 と聞いた。すると初さんが、 「ハハハハもう梯子はないよ。大丈夫だ」 と好意的の笑を洩らした。そこで自分も我慢のしついでだと観念して、また初さんの尻について行くと、また下りる。そうして下りるに従って路へ水が溜って来た。ぴちゃぴちゃと云う音がする。カンテラの灯で照らして見ると、下谷辺の溝渠が溢れたように、薄鼠になってだぶだぶしている。その泥水がまた馬鹿に冷たい。指の股が切られるようである。けれども一面の水だから、せっかく水を抜いた足を、また無惨にも水の中へ落さなくっちゃならない。片足を揚げると、五位鷺のようにそのままで立っていたくなる。それでも仕方なしに草鞋の裏を着けるとぴちゃりと云うが早いか、水際から、魚の鰭のような波が立つ。その片側がカンテラの灯できらきらと光るかと思うと、すぐ落ちついてもとに帰る。せっかく平になった上をまたぴちゃりと踏み荒らす。魚の鰭がまた光る。こう云う風にして、奥へ奥へと這入って行くと、水はだんだん深くなる。ここを潜り抜けたら、乾いた所へ出られる事かと、受け合われない行先をあてにして、ぐるりと廻ると、足の甲でとまってた水が急に脛まで来た。この次にはと、辛抱して、右に折れると、がっくり落ちがして膝まで漬かっちまう。こうなると、動くたんびにざぶざぶ云う。膝で切る波が渦を捲いて流れる。その渦がだんだん股の方へ押し寄せてくる。全く危険だと思った。ことによれば、何かの原因で水が出たんだから、今に坑のなかが、いっぱいになりゃしないかと思うと急に腰から腹の中までが冷たくなって来た。しかるに初さんは辟易した体もなく、さっさと泥水を分けて行く。 「大丈夫なんですか」 と後から聞いて見たが、初さんは別に返事もしずに、依然として、ざぶりざぶりと水を押し分けて行く。自分の考えるところによると、いくら銅山でも水に漬かっていては、仕事ができるはずがない。こうどぶつく以上は、何か変事でもあるか、または廃坑へでも連れ込まれたに違いない。いずれにしても災難だと、不安の念に冒されながら、もう一遍初さんに聞こうかしらと思ってるうち、水はとうとう腰まで来てしまった。 「まだ這入るんですか」 と、自分はたまらなくなったから、後から初さんを呼び留めた。この声は普通の質問の声ではない。吾身を思うの余り、命が口から飛び出したようなものである。だから、いざと云う間際には単音の叫声となってあらわれるところを、まだ初さんの手前を憚るだけの余裕があるから、しばらく恐怖の質問と姿を変じたまでである。この声を聞きつけた時は、さすがの初さんも水の中で留まったなり、振り返った。カンテラを高く差し上げる。眸を据えると初さんの眉の間に八の字が寄って来た。しかも口元は笑っている。 「どうした。降参したか」 「いえ、この水が……」 と自分は、腰の辺を、物凄そうに眺めた。初さんは毫も感心しない。やっぱりにこにこしている。出水の往来を、通行人が尻をまくって面白そうに渉る時のように見えた。自分もこれで疑いは晴れたが、根が臆病だから、念のため、もう一度、 「大丈夫でしょうか」 を繰返した。この時初さんはますます愉快そうな顔つきだったが、やがて真面目になって、 「八番坑だ。これがどん底だ。水ぐらいあるなあ当前だ。そんなに、おっかながるにゃ当らねえ。まあ好いからこっちへ来ねえ」 となかなか承知しないから、仕方なしに、股まで濡らしてついて行った。たださえ暗い坑の中だから、思い切った喩を云えば、頭から暗闇に濡れてると形容しても差支ない。その上本当の水、しかも坑と同じ色の水に濡れるんだから、心持の悪い所が、倍悪くなる。その上水は踝からだんだん競り上がって来る。今では腰まで漬かっている。しかも動くたんびに、波が立つから、実際の水際以上までが濡れてくる。そうして、濡れた所は乾かないのに、波はことによると、濡れた所よりも高く上がるから、つまりは一寸二寸と身体が腹まで冷えてくる。坑で頭から冷えて、水で腹まで冷えて、二重に冷え切って、不知案内の所を海鼠のようについて行った。すると、右の方に穴があって、洞のように深く開いてる中から、水が流れて来る。そうしてその中でかあんかあんと云う音がする。作事場に違いない。初さんは、穴の前に立ったまま、 「そうら。こんな底でも働いてるものがあるぜ。真似ができるか」 と聞いた。自分は、胸が水に浸るまで、屈んで洞の中を覗き込んだ。すると奥の方が一面に薄明るく――明るくと云うが、締りのない、取り留めのつかない、微な灯を無理に広い間へ使って、引っ張り足りないから、せっかくの光が暗闇に圧倒されて、茫然と濁っている体であった。その中に一段と黒いものが、斜めに岩へ吸いついている辺から、かあんかあんと云う音が出た。洞の四面へ響いて、行き所のない苦しまぎれに、水に跳ね返ったものが、纏まって穴の口から出て来る。水も出てくる。天井の暗い割には水の方に光がある。 「這入って見るか」 と云う。自分はぞっと寒気がした。 「這入らないでも好いです」 と答えた。すると初さんが、 「じゃ止めにして置こう。しかし止めるなあ今日だけだよ」 と但し書をつけて、一応自分の顔をとくと見た。自分は案の定釣り出された。 「明日っから、ここで働くんでしょうか。働くとすれば、何時間水に漬かってる――漬かってれば義務が済むんですか」 「そうさなあ」 と考えていた初さんは、 「一昼夜に三回の交替だからな」 と説明してくれた。一昼夜に三回の交替ならひとくぎり八時間になる。自分は黒い水の上へ眼を落した。 「大丈夫だ。心配しなくってもいい」  初さんは突然慰めてくれた。気の毒になったんだろう。 「だって八時間は働かなくっちゃならないんでしょう」 「そりゃきまりの時間だけは働かせられるのは知れ切ってらあ。だが心配しなくってもいい」 「どうしてですか」 「好いてえ事よ」 と初さんは歩き出した。自分も黙って歩き出した。二三歩水をざぶざぶ云わせた時、初さんは急に振り返った。 「新前は大抵二番坑か三番坑で働くんだ。よっぽど様子が分らなくっちゃ、ここまで下りちゃ来られねえ」 と云いながら、にやにやと笑った。自分もにやにやと笑った。 「安心したか」 と初さんがまた聞いた。仕方がないから、 「ええ」 と返事をして置いた。初さんは大得意であった。時にどぶどぶ動く水が、急に膝まで減った。爪先で探ると段々がある。一つ、二つと勘定すると三つ目で、水は踝まで落ちた。それで平らに続いている。意外に早く高い所へ出たんで、非常に嬉しかった。それから先は、とんとん拍子に嬉しくなって、曲れば曲るほど地面が乾いて来る。しまいにはぴちゃりとも音のしない所へ出た。時に初さんが器械を見る気があるかと尋ねたが、これは諸方のスノコから落ちて来た鉱を聚めて、第一坑へ揚げて、それから電車でシキの外へ運び出す仕掛を云うんだと聞いて、頭から御免蒙った。いくら面白く運転する器械でも、明日の自分に用のない所は見る気にならなかった。器械を見ないとするとこれで、まあ坑内の模様を一応見物した訳になる。そこで案内の初さんが帰るんだと云う通知を与えてくれた。腰きり水に漬かるのは、いかな初さんも一度でたくさんだと見えて、帰りには比較的|濡れないで済む路を通ってくれた。それでも十間ほどは腫ら脛まで水が押し寄せた。この十間を通るときに、様子を知らない自分はまた例の所へ来たなと感づいて、往きに臍の近所が氷りつきそうであった事を思い出しつつ、今か今かと冷たい足を運んで行ったが、※の嘴と善い方へばかり、食い違って、行けば行くほど、水が浅くなる。足が軽くなる。ついにはまた乾いた路へ出てしまった。初さんに、 「もう済んだでしょうか」 と聞いて見ると、初さんはただ笑っていた。その時は自分も愉快だったが、しばらくすると、例の梯子の下へ出た。水は胸までくらい我慢するがこの梯子には、――せめて帰り路だけでも好いから、遁れたかったが、やっぱりちょうどその下へ出て来た。自分は蜀の桟道と云う事を人から聞いて覚えていた。この梯子は、桟道を逆に釣るして、未練なく傾斜の角度を抜きにしたものである。自分はそこへ来ると急に足が出なくなった。突然|脚気に罹ったような心持になると、思わず、腰を後へ引っ張られた。引っ張られたのは初さんに引っ張られたのかと思う読者もあるかもしれないが、そうじゃない。そう云う気分が起ったんで、強いて形容すれば、疝気に引っ張られたとでも叙したら善かろう。何しろ腰が伸せない。もっともこれは逆桟道の祟りだと一概に断言する気でもない、さっきから案内の初さんの方で、だいぶ御機嫌が好いので、相手の寛大な御情につけ上って、奮発の箍がしだいしだいに緩んだのもたしかな事実である。何しろ歩けなくなった。この腰附を見ていた初さんは、 「どうだ歩けそうもねえな。まるで屁っぴり腰だ。ちっと休むが好い。おれは遊びに行って来るから」 と云ったぎり、暗い所を潜って、どこへか出て行った。  あとは云うまでもなく一人になる。自分はべっとりと、尻を地びたへ着けた。アテシコはこう云うときに非常に便利になる。御蔭で、岩で骨が痛んだり、泥で着物が汚れたりする憂いがないだけ、惨憺なうちにも、まだ嬉しいところがあった。そうして、硬く曲った背中を壁へ倚たせた。これより以上は横のものを竪にする気もなかった。ただそのままの姿勢で向うの壁を見詰めていた。身体が動かないから、心も働かないのか、心が居坐りだから、身体が怠けるのか、とにかく、双方|相び合って、生死の間に彷徨していたと見えて、しばらくは万事が不明瞭であった。始めは、どうか一尺立方でもいいから、明かるい空気が吸って見たいような気がしたが、だんだん心が昏くなる。と坑のなかの暗いのも忘れてしまう。どっちがどっちだか分らなくなって朦朧のうちに合体稠和して来た。しかしけっして寝たんじゃない。しんとして、意識が稀薄になったまでである。しかしその稀薄な意識は、十倍の水に溶いた娑婆気であるから、いくら不透明でも正気は失わない。ちょうど差し向いの代りに、電話で話しをするくらいの程度――もしくはこれよりも少しく不明瞭な程度である。かように水平以下に意識が沈んでくるのは、浮世の日が烈し過ぎて困る自分には――東京にも田舎にもおり終せない自分には――煩悶の解熱剤を頓服しなければならない自分には――神経繊維の端の端まで寄って来た過度の刺激を散らさなければならない自分には――必要であり、願望であり、理想である。長蔵さんに引張られながら、道々空想に描いた坑夫生活よりも、たしかに上等の天国である。もし駆落が自滅の第一着なら、この境界は自滅の――第何着か知らないが、とにかく終局地を去る事遠からざる停車場である。自分は初さんに置いて行かれた少時の休憩時間内に、図らずもこの自滅の手前まで、突然釣り込まれて、――まあ、どんな心持がしたと思う。正直に云えば嬉しかった。しかし嬉しいと云う自覚は十倍の水に溶き交ぜられた正気の中に遊離しているんだから、ほかの娑婆気と同じく、劇烈には来ない。やっぱり稀薄である。けれど自覚はたしかにあった。正気を失わないものが、嬉しいと云う自覚だけを取り落す訳がない。自分の精神状態は活動の区域を狭められた片輪の心的現象とは違う。一般の活動を恣にする自由の天地はもとのごとくに存在して、活動その物の強度が滅却して来たのみだから、平常の我とこの時の我との差はただ濃淡の差である。その最も淡い生涯の中に、淡い喜びがあった。  もしこの状態が一時間続いたら、自分は一時間の間満足していたろう。一日続いたら一日の間満足したに違ない。もし百年続いたにしても、やっぱり嬉しかったろう。ところが――ここでまた新しい心の活作用に現参した。  というのはあいにく、この状態が自分の希望通同じ所に留っていてくれなかった。動いて来た。油の尽きかかったランプの灯のように動いて来た。意識を数字であらわすと、平生十のものが、今は五になって留まっていた。それがしばらくすると四になる。三になる。推して行けばいつか一度は零にならなければならない。自分はこの経過に連れて淡くなりつつ変化する嬉しさを自覚していた。この経過に連れて淡く変化する自覚の度において自覚していた。嬉しさはどこまで行っても嬉しいに違ない。だから理窟から云うと、意識がどこまで降って行こうとも、自分は嬉しいとのみ思って、満足するよりほかに道はないはずである。ところがだんだんと競りおろして来て、いよいよ零に近くなった時、突然として暗中から躍り出した。こいつは死ぬぞと云う考えが躍り出した。すぐに続いて、死んじゃ大変だと云う考えが躍り出した。自分は同時に、かっと眼を開いた。  足の先が切れそうである。膝から腰までが血が通って氷りついている。腹は水でも詰めたようである。胸から上は人間らしい。眼を開けた時に、眼を開けない前の事を思うと、「死ぬぞ、死んじゃ大変だ」までが順々につながって来て、そこで、ぷつりと切れている。切れた次ぎは、すぐ眼を開いた所作になる。つまり「死ぬぞ」で命の方向転換をやって、やってからの第一所作が眼を開いた訳になるから、二つのものは全く離れている。それで全く続いている。続いている証拠には、眼を開いて、身の周囲を見た時に、「死ぬぞ……」と云う声が、まだ耳に残っていた。たしかに残っていた。自分は声だの耳だのと云う字を使うが、ほかには形容しようがないからである。形容どころではない、実際に「死ぬぞ……」と注意してくれた人間があったとしきゃ受け取れなかった。けれども、人間は無論いるはずはなし。と云って、神――神は大嫌だ。やっぱり自分が自分の心に、あわてて思い浮べたまでであろうが、それほど人間が死ぬのを苦に病んでいようとは夢にも思い浮べなかった。これだから自殺などはできないはずである。こう云う時は、魂の段取が平生と違うから、自分で自分の本能に支配されながら、まるで自覚しないものだ。気をつけべき事と思う。この例なども、解釈のしようでは、神が助けてくれたともなる。自分の影身につき添っている――まあ恋人が多いようだが――そう云う人々の魂が救ったんだともなる。年の若い割に、自分がこの声を艶子さんとも澄江さんとも解釈しなかったのは、己惚の強い割には感心である。自分は生れつきそれほど詩的でなかったんだろう。  そこへ初さんがひょっくり帰って来た。初さんを見るが早いか、自分の意識はいよいよ明瞭になった。これから例の逆桟道を登らなくっちゃならない事も、明日から、鑿と槌でかあんかあんやらなくっちゃならない事も、南京米も、南京虫も、ジャンボーも達磨も一時に残らず分ってしまい、そうして最後に自分の堕落がもっとも明かに分った。 「ちったあ気分は好いか」 「ええ少しは好いようです」 「じゃ、そろそろ登ってやろう」 と云うから、礼を云って立っていると、初さんは景気よく段木を捕えて片足|踏ん掛けながら、 「登りは少し骨が折れるよ。そのつもりで尾いて来ねえ」 と振り返って、注意しながら登り出した。自分は何となく寒々しい心持になって、下から見上げると、初さんは登って行く。猿のように登って行く。そろそろ登ってくれる様子も何もありゃしない。早くしないとまた置いてきぼりを食う恐れがある。自分も思い切って登り出した。すると二三段足を運ぶか運ばないうちになるほどと感心した。初さんの云う通り非常に骨が折れる。全く疲れているばかりじゃない。下りる時には、胸から上が比較的前へ出るんで、幾分か背の重みを梯子に託する事ができる。しかし上りになると、全く反対で、ややともすると、身体が後へ反れる。反れた重みは、両手で持ち応えなければならないから、二の腕から肩へかけて一段ごとに余分の税がかかる。のみならず、手の平と五本の指で、この|〆高を握らなければならない。それが前に云った通りぬるぬるする。梯子を一つ片づけるのは容易の事ではない。しかもそれが十五ある。初さんは、とっくの昔に消えてなくなった。手を離しさえすれば真暗闇に逆落しになる。離すまいとすれば肩が抜けるばかりだ。自分は七番目の梯子の途中で火焔のような息を吹きながら、つくづく労働の困難を感じた。そうして熱い涙で眼がいっぱいになった。  二三度|上瞼と下瞼を打ち合して見たが、依然として、視覚はぼうっとしている。五寸と離れない壁さえたしかには分らない。手の甲で擦ろうと思うが、あやにく両方とも塞がっている。自分は口惜くなった。なぜこんな猿の真似をするように零落れたのかと思った。倒れそうになる身体を、できるだけ前の方にのめらして、梯子に倚れるだけ倚れて考えた。休んだと註釈する方が適当かも知れない。ただ中途で留まったと云い切ってもよろしい。何しろ動かなくなった。また動けなくなった。じっとして立っていた。カンテラのじいと鳴るのも、足の底へ清水が沁み込むのも、全く気がつかなかった。したがって何分過ったのかとんと感じに乗らない。するとまた熱い涙が出て来た。心が存外たしかであるのに、眼だけが霞んでくる。いくら瞬をしても駄目だ。湯の中に眸を漬けてるようだ。くしゃくしゃする。焦心たくなる。癇が起る。奮興の度が烈しくなる。そうして、身体は思うように利かない。自分は歯を食い締って、両手で握った段木を二三度揺り動かした。無論動きゃしない。いっその事、手を離しちまおうかしらん。逆さに落ちて頭から先へ砕ける方が、早く片がついていい。とむらむらと死ぬ気が起った。――梯子の下では、死んじゃ大変だと飛び起きたものが、梯子の途中へ来ると、急に太い短い無分別を起して、全く死ぬ気になったのは、自分の生涯における心理推移の現象のうちで、もっとも記憶すべき事実である。自分は心理学者でないから、こう云う変化を、どう説明したら適切であるか知らないけれども、心理学者はかえって、実際の経験に乏しいようにも思うから、杜撰ながら、一応自分の愚見だけを述べて、参考にしたい。  アテシコを尻に敷いて、休息した時は、始めから休息する覚悟であった。から心に落ちつきが有る。刺激が少い。そう云う状態で壁へ倚りかかっていると、その状態がなだらかに進行するから、自然の勢いとしてだんだん気が遠くなる。魂が沈んで行く。こう云う場合における精神運動の方向は、いつもきまったもので、必ず積極から出立してしだいに消極に近づく径路を取るのが普通である。ところがその普通の径路を行き尽くして、もうこれがどん詰だと云う間際になると、魂が割れて二様の所作をする。第一は順風に帆を上げる勢いで、このどん底まで流れ込んでしまう。するとそれぎり死ぬ。でなければ、大切の手前まで行って、急に反対の方角に飛び出してくる。消極へ向いて進んだものが、突如として、逆さまに、積極の頭へ戻る。すると、命がたちまち確実になる。自分が梯子の下で経験したのはこの第二に当る。だから死に近づきながら好い心持に、三途のこちら側まで行ったものが、順路をてくてく引き返す手数を省いて、急に、娑婆の真中に出現したんである。自分はこれを死を転じて活に帰す経験と名づけている。  ところが梯子の中途では、全くこれと反対の現象に逢った。自分は初さんの後を追っ懸けて登らなければならない。その初さんは、とっくに見えなくなってしまった。心は焦る、気は揉める、手は離せない。自分は猿よりも下等である。情ない。苦しい。――万事が痛切である。自覚の強度がしだいしだいに劇しくなるばかりである。だからこの場合における精神運動の方向は、消極より積極に向って登り詰める状態である。さてその状態がいつまでも進行して、奮興の極度に達すると、やはり二様の作用が出る訳だが、とくに面白いと思うのはその一つ、――すなわち積極の頂点からとんぼ返りを打って、魂が消極の末端にひょっくり現われる奇特である。平たく云うと、生きてる事実が明瞭になり切った途端に、命を棄てようと決心する現象を云うんである。自分はこれを活上より死に入る作用と名けている。この作用は矛盾のごとく思われるが実際から云うと、矛盾でも何でも、魂の持前だから存外自然に行われるものである。論より証拠発奮して死ぬものは奇麗に死ぬが、いじけて殺されるものは、どうも旨く死に切れないようだ。人の身の上はとにかく、こう云う自分が好い証拠である。梯子の途中で、ええ忌々しい、死んじまえと思った時は、手を離すのが怖くも何ともなかった。無論例のごとくどきんなどとはけっしてしなかった。ところがいざ死のうとして、手を離しかけた時に、また妙な精神作用を承当した。  自分は元来が小説的の人間じゃないんだが、まだ年が若かったから、今まで浮気に自殺を計画した時は、いつでも花々しくやって見せたいと云う念があった。短銃でも九寸五分でも立派に――つまり人が賞めてくれるように死んでみたいと考えていた。できるならば、華厳の瀑まででも出向きたいなどと思った事もある。しかしどうしても便所や物置で首を縊るのは下等だと断念していた。その虚栄心が、この際突然首を出した。どこから出したか分らないが、出した。つまり出すだけの余地があったから出したに相違あるまいから、自分の決心はいかに真面目であったにしても、さほど差し逼ってはいなかったんだろう。しかしこのくらい断乎として、現に梯子段から手を離しかけた、最中に首を出すくらいだから、相手もなかなか深い勢力を張っていたに違ない。もっともこれは死んで銅像になりたがる精神と大した懸隔もあるまいから、普通の人間としては別に怪しむべき願望とも思わないが、何しろこの際の自分には、ちと贅沢過ぎたようだ。しかしこの贅沢心のために、自分は発作性の急往生を思いとまって、不束ながら今日まで生きている。全く今はの際にも弱点を引張っていた御蔭である。  話すとこうなる。――いよいよ死んじまえと思って、体を心持|後へ引いて、手の握をゆるめかけた時に、どうせ死ぬなら、ここで死んだって冴えない。待て待て、出てから華厳の瀑へ行けと云う号令――号令は変だが、全く号令のようなものが頭の中に響き渡った。ゆるめかけた手が自然と緊った。曇った眼が、急に明かるくなった。カンテラが燃えている。仰向くと、泥で濡れた梯子段が、暗い中まで続いている。是非共登らなければならない。もし途中で挫折すれば犬死になる。暗い坑で、誰も人のいない所で、日の目も見ないで、鉱と同じようにころげ落ちて、それっきり忘れられるのは――案内の初さんにさえ忘れられるのは――よし見つかっても半獣半人の坑夫共に軽蔑されるのは無念である。是非共登り切っちまわなければならない。カンテラは燃えている。梯子は続いている。梯子の先には坑が続いている。坑の先には太陽が照り渡っている。広い野がある、高い山がある。野と山を越して行けば華厳の瀑がある。――どうあっても登らなければならない。  左の手を頭の上まで伸ばした。ぬらつく段木を指の痕のつくほど強く握った。濡れた腰をうんと立てた。同時に右の足を一尺上げた。カンテラの灯は暗い中を竪に動いて行く。坑は層一層と明かるくなる。踏み棄てて去る段々はしだいしだいに暗い中に落ちて行く。吐く息が黒い壁へ当る。熱い息である。そうして時々は白く見えた。次には口を結んだ。すると鼻の奥が鳴った。梯子はまだ尽きない。懸崖からは水が垂れる。ひらりとカンテラを翻えすと、崖の面を掠めて弓形にじいと、消えかかって、手の運動の止まる所へ落ちついた時に、また真直に油煙を立てる。また翻えす。灯は斜めに動く。梯子の通る一尺幅を外れて、がんがらがんの壁が眼に映る。ぞっとする。眼が眩む。眼を閉って、登る。灯も見えない、壁も見えない。ただ暗い。手と足が動いている。動く手も動く足も見えない。手障足障だけで生きて行く。生きて登って行く。生きると云うのは登る事で、登ると云うのは生きる事であった。それでも――梯子はまだある。  それから先はほとんど夢中だ。自分で登ったのか、天佑で登ったのかほとんど判然しない。ただ登り切って、もう一段も握る梯子がないと云う事を覚った時に、坑の中へぴたりと坐った。 「どうした。上がって来たか。途中で死にゃしねえかと思って、――あんまり長えから。見に行こうかと思ったが、一人じゃ気味がわるいからな。だけども、好く上がって来たな。えらいや」 と待ちかねて、もじもじしていた初さんが大いに喜んでくれた。何でも梯子の上でよっぽど心配していたらしい。自分はただ、 「少し気分が悪るかったから途中で休んでいました」 と答えた。 「気分が悪い? そいつあ困ったろう。途中って、梯子の途中か」 「ええ、まあそうです」 「ふうん。じゃ明日は作業もできめえ」  この一言を聞いた時、自分は糞でも食えと思った。誰が土竜の真似なんかするものかと思った。これでも美しい女に惚れられたんだと思った。坑を出れば、すぐ華厳の瀑まで行くんだと思った。そうして立派に死ぬんだと思った。最後に半時もこんな獣を相手にしていられるものかと思った。そこで、自分は初さんに向って、簡単に、 「よければ上がりましょう」 と云った。初さんは怪訝な顔をした。 「上がる? 元気だなあ」  自分は「馬鹿にするねえ、この明盲目め。人を見損なやがって」と云いたかった。しかし口だけは叮嚀に、一言、 「ええ」 と返事をして置いた。初さんはまだぐずぐずしている。驚いたと云うよりも、やっぱり馬鹿にしたぐずつき方である。 「おい大丈夫かい。冗談じゃねえ。顔色が悪いぜ」 「じゃ僕が先へ行きましょう」 と自分はむっとして歩き出した。 「いけねえ、いけねえ。先へ行っちゃいけねえ、後から尾いて来ねえ」 「そうですか」 「当前だあな。人つけ。誰が案内を置き去にして、先へ行く奴があるかい、何でい」 と初さんは、自分を払い退けないばかりにして、先へ出た。出たと思うと急に速力を増した。腰を折ったり、四つに這ったり、背中を横っ丁にしたり、頭だけ曲げたり、坑の恰好しだいでいろいろに変化する。そうして非常に急ぐ。まるで土の中で生れて、銅脈の奥で教育を受けた人間のようである。畜生|中っ腹で急ぎやがるなと、こっちも負けない気で歩き出したが、そこへ行くと、いくら気ばかり張っていても駄目だ。五つ六つ角を曲って、下りたり上ったり、がたつかせているうちに、初さんは見えなくなった。と思うと、何とかして、何とか、てててててと云う歌を唄う。初さんの姿が見えないのに、初さんの声だけは、坑の四方へ反響して、籠ったように打ち返してくる。意地の悪い野郎だと思った。始めのうちこそ、追っついてやるから今に見ていろと云う勢で、根限り這ったり屈んだりしたが、残念な事には初さんの歌がだんだん遠くへ行ってしまう。そこで自分は追いつく事はひとまず断念して、初さんのてててててを道案内にして進む事にした。当分はそれで大概の見当がついたが、しまいにはそのててててても怪しくなって、とうとうまるで聞えなくなった時には、さすがに茫然とした。一本道なら初さんなんどを頼りにしなくっても、自力で日の当る所まで歩いて出て見せるが、何しろ、長年掘荒した坑だから、まるで土蜘蛛の根拠地みたようにいろいろな穴が、とんでもない所に開いている。滅多な穴へ這入るとまた腰きり水に漬る所か、でなければ、例の逆さの桟道へ出そうで容易に踏み込めない。  そこで自分は暗い中に立ち留って、カンテラの灯を見詰めながら考えた。往きには八番坑まで下りて行ったんだから帰りには是非共電車の通る所まで登らなければならない。どんな穴でも上りならば好いとする。その代り下りなら引返して、また出直す事にする。そうして迂路ついていたら、どこかの作事場へ出るだろう。出たら坑夫に聞くとしよう。こう決心をして、東西南北の判然しない所を好い加減に迷ついていた。非常に気が急いて息が切れたが、めちゃめちゃに歩いたために足の冷たいのだけは癒った。しかしなかなか出られない。何だか同じ路を往ったり来たりするような案排で、あんまり、もどかしものだから、壁へ頭をぶつけて割っちまいたくなった。どっちを割るんだと云えば無論頭を割るんだが、幾分か壁の方も割れるだろうくらいの疳癪が起った。どうも歩けば歩くほど天井が邪魔になる、左右の壁が邪魔になる。草鞋の底で踏む段々が邪魔になる。坑総体が自分を閉じ込めて、いつまで立っても出してくれないのがもっとも邪魔になる。この邪魔ものの一局部へ頭を擲きつけて、せめて罅でも入らしてやろうと――やらないまでも時々思うのは、早く華厳の瀑へ行きたいからであった。そうこうしているうちに、向うから一人の掘子が来た。ばらの銅をスノコへ運ぶ途中と見えて例の箕を抱いてよちよちカンテラを揺りながら近づいた。この灯を見つけた時は、嬉しくって胸がどきりと飛び上がった。もう大丈夫と勇んで近寄って行くと、近寄るがものはない、向うでもこっちへ歩いて来る。二つのカンテラが一間ばかりの距離に近寄った時、待ち受けたように、自分は掘子の顔を見た。するとその顔が非常な蒼ん蔵であった。この坑のなかですら、只事とは受取れない蒼ん蔵である。あかるみへ出して、青い空の下で見たら、大変な蒼ん蔵に違ない。それで口を利くのが厭になった。こんな奴の癖に人に調戯ったり、嬲ったり、辱しめたりするのかと思ったら、なおなお道を聞くのが厭になった。死んだって一人で出て見せると云う気になった。手前共に口を聞くような安っぽい男じゃないと、腹の中でたしかに申し渡して擦れ違った。向うは何にも知らないから、これは無論だまって擦れ違った。行く先は暗くなった。カンテラは一つになった。気はますます焦慮って来た。けれどもなかなか出ない。ただ道はどこまでもある。右にも左にもある。自分は右にも這入った、また左にも這入った、また真直にも歩いて見た。しかし出られない。いよいよ出られないのかと、少しく途方に暮れている鼻の先で、かあんかあんと鳴り出した。五六歩で突き当って、折れ込むと、小さな作事場があって、一人の坑夫がしきりに槌を振り上げて鑿を敲いている。敲くたんびに鉱が壁から落ちて来る。その傍に俵がある。これはさっきスノコへ投げ込んだ俵と同じ大きさで、もういっぱい詰っている。掘子が来て担いで行くばかりだ。自分は今度こそこいつに聞いてやろうと思った。が肝心の本人が一生懸命にかあんかあん鳴らしている。おまけに顔もよく見えない。ちょうどいいから少し休んで行こうと云う気が起った。幸い俵がある。この上へ尻をおろせば、持って来いの腰掛になる。自分はどさっとアテシコを俵の上に落した。すると突然かあんかあんがやんだ。坑夫の影が急に長く高くなった。鑿を持ったままである。 「何をしやがるんでい」  鋭い声が穴いっぱいに響いた。自分の耳には敲き込まれるように響いた。高い影は大股に歩いて来る。  見ると、足の長い、胸の張った、体格の逞しい男であった。顔は背の割に小さい。その輪廓がやや判然する所まで来て、男は留まった。そうして自分を見下した。口を結んでいる。二重瞼の大きな眼を見張っている。鼻筋が真直に通っている。色が赭黒い。ただの坑夫ではない。突然として云った。 「貴様は新前だな」 「そうです」  自分の腰はこの時すでに俵を離れていた。何となく、向うから近づいてくる坑夫が恐ろしかった。今まで一万余人の坑夫を畜生のように軽蔑していたのに、――誓って死んでしまおうと覚悟をしていたのに、――大股に歩いて来た坑夫がたちまち恐ろしくなった。しかし、 「何でこんな所を迷子ついてるんだ」 と聞き返された時には、やや安心した。自分の様子を見て、故意に俵の上へ腰をおろしたんでないと見極めた語調である。 「実は昨夕飯場へ着いて、様子を見に坑へ這入ったばかりです」 「一人でか」 「いいえ、飯場頭から人をつけてくれたんですが……」 「そうだろう、一人で這入れる所じゃねえ。どうしたその案内は」 「先へ出ちまいました」 「先へ出た? 手前を置き去りにしてか」 「まあ、そうです」 「太え野郎だ。よしよし今に己が送り出してやるから待ってろ」 と云ったなり、また鑿と槌をかあんかあん鳴らし始めた。自分は命令の通り待っていた。この男に逢ったら、もう一人で出る気がなくなった。死んでも一人で出て見せると威張った決心が、急にどこへか行ってしまった。自分はこの変化に気がついていた。それでも別に恥かしいとも思わなかった。人に公言した事でないから構わないと思った。その後人に公言したために、やらないでも済む事、やってはならない事を毎度やった。人に公言すると、しないのとは大変な違があるもんだ。その内かあんかあんがやんだ。坑夫はまた自分の前まで来て、胡坐をかきながら、 「ちょっと待ちねえ。一服やるから」 と、煙草入を取り出した。茶色の、皮か紙か判然しないもので、股引に差し込んである上から筒袖が被さっていた。坑夫は旨そうに腹の底まで吸った煙を、鼻から吹き出している間に、短い羅宇の中途を、煙草入の筒でぽんと払いた。小さい火球が雁首から勢いよく飛び出したと思ったら、坑夫の草鞋の爪先へ落ちてじゅうと消えた。坑夫は殻になった煙管をぷっと吹く。羅宇の中に籠った煙が、一度に雁首から出た。坑夫はその時始めて口を利いた。 「御前はどこだ。こんな所へ全体何しに来た。身体つきは、すらりとしているようだが。今まで働いた事はねえんだろう。どうして来た」 「実は働いた事はないんです。が少し事情があって、来たんです。……」 とまでは云ったが、坑夫には愛想が尽きたから、もう、帰るんだとは云わなかった。死ぬんだとはなおさら云わなかった。しかし今までのように、腹の内で畜生あつかいにして、口先ばかり叮嚀にしていたのとはだいぶん趣が違う。自分はただ洗い攫い自分の思わくを話してしまわないだけで、話しただけは真面目に話したんである。すこしも裏表はない。腹から叮嚀に答えた。坑夫はしばらくの間黙って雁首を眺めていた。それからまた煙草を詰めた。煙が鼻から出だした真最中に口を開いた。  自分がその時この坑夫の言葉を聞いて、第一に驚いたのは、彼の教育である。教育から生ずる、上品な感情である。見識である。熱誠である。最後に彼の使った漢語である。――彼れは坑夫などの夢にも知りようはずがない漢語を安々と、あたかも家庭の間で昨日まで常住坐臥使っていたかのごとく、使った。自分はその時の有様をいまだに眼の前に浮べる事がある。彼れは大きな眼を見張ったなり、自分の顔を熟視したまま、心持|頸を前の方に出して、胡坐の膝へ片手を逆に突いて、左の肩を少し聳して、右の指で煙管を握って、薄い唇の間から奇麗な歯を時々あらわして、――こんな事を云った。句の順序や、単語の使い方は、たしかな記憶をそのまま写したものである。ただ語声だけはどうしようもない。―― 「亀の甲より年の功と云うことがあるだろう。こんな賤しい商売はしているが、まあ年長者の云う事だから、参考に聞くがいい。青年は情の時代だ。おれも覚がある。情の時代には失敗するもんだ。君もそうだろう。己もそうだ。誰でもそうにきまってる。だから、察している。君の事情と己の事情とは、どのくらい違うか知らないが、何しろ察している。咎めやしない。同情する。深い事故もあるだろう。聞いて相談になれる身体なら聞きもするが、シキから出られない人間じゃ聞いたって、仕方なし、君も話してくれない方がいい。おれも……」 と云い掛けた時、自分はこの男の眼つきが多少異様にかがやいていたと云う事に気がついた。何だか大変感じている。これが当人の云うごとくシキを出られないためか、または今云い掛けたおれもの後へ出て来る話のためか、ちょっと分りにくいが、何しろ妙な眼だった。しかもこの眼が鋭く自分をも見詰めている。そうしてその鋭いうちに、懐旧と云うのか、沈吟と云うのか、何だか、人を引きつけるなつかしみがあった。この黒い坑の中で、人気はこの坑夫だけで、この坑夫は今や眼だけである。自分の精神の全部はたちまちこの眼球に吸いつけられた。そうして彼の云う事を、とっくり聞いた。彼はおれもを二遍繰り返した。 「おれも、元は学校へ行った。中等以上の教育を受けた事もある。ところが二十三の時に、ある女と親しくなって――詳しい話はしないが、それが基で容易ならん罪を犯した。罪を犯して気がついて見ると、もう社会に容れられない身体になっていた。もとより酔興でした事じゃない、やむを得ない事情から、やむを得ない罪を犯したんだが、社会は冷刻なものだ。内部の罪はいくらでも許すが、表面の罪はけっして見逃さない。おれは正しい人間だ、曲った事が嫌だから、つまりは罪を犯すようにもなったんだが、さて犯した以上は、どうする事もできない。学問も棄てなければならない。功名も抛たなければならない。万事が駄目だ。口惜しいけれども仕方がない。その上制裁の手に捕えられなければならない。しかし自分が悪い覚がないのに、むやみに罪を着るなあ、どうしても己の性質としてできない。そこで突っ走った。逃げられるだけ逃げて、ここまで来て、とうとうシキの中へ潜り込んだ。それから六年というもの、ついに日光を見た事がない。毎日毎日坑の中でかんかん敲いているばかりだ。丸六年敲いた。来年になればもうシキを出たって構わない、七年目だからな。しかし出ない、また出られない。制裁の手には捕まらないが、出ない。こうなりゃ出たって仕方がない。娑婆へ帰れたって、娑婆でした所業は消えやしない。昔は今でも腹ん中にある。なあ君昔は今でも腹ん中にあるだろう。君はどうだ……」 と途中で、いきなり自分に質問を掛けた。  自分は藪から棒の質問に、用意の返事を持ち合せなかったから、はっと思った。自分の腹ん中にあるのは、昔どころではない。一二年前から一昨日まで持ち越した現在に等しい過去である。自分はいっその事自分の心事をこの男の前に打ち明けてしまおうかと思った。すると相手は、さも打ち明けさせまいと自分を遮るごとくに、話の続きを始めた。 「六年ここに住んでいるうちに人間の汚ないところは大抵|見悉した。でも出る気にならない。いくら腹が立っても、いくら嘔吐を催しそうでも、出る気にならない。しかし社会には、――日の当る社会には――ここよりまだ苦しい所がある。それを思うと、辛抱も出来る。ただ暗くって狭い所だと思えばそれで済む。身体も今じゃ銅臭くなって、一日もカンテラの油を嗅がなくっちゃいられなくなった。しかし――しかしそりゃおれの事だ。君の事じゃない。君がそうなっちゃ大変だ。生きてる人間が銅臭くなっちゃ大変だ。いや、どんな決心でどんな目的を持って来ても駄目だ。決心も目的もたった二三日で突ッつき殺されてしまう。それが気の毒だ。いかにも可哀想だ。理想も何にもない鑿と槌よりほかに使う術を知らない野郎なら、それで結構だが。しかし君のような――君は学校へ行ったろう。――どこへ行った。――ええ? まあどこでもいい。それに若いよ。シキへ抛り込まれるには若過ぎるよ。ここは人間の屑が抛り込まれる所だ。全く人間の墓所だ。生きて葬られる所だ。一度|踏ん込んだが最後、どんな立派な人間でも、出られっこのない陥穽だ。そんな事とは知らずに、大方ポン引の言いなりしだいになって、引張られて来たんだろう。それを君のために悲しむんだ。人一人を堕落させるのは大事件だ。殺しちまう方がまだ罪が浅い。堕落した奴はそれだけ害をする。他人に迷惑を掛ける。――実はおれもその一人だ。が、こうなっちゃ堕落しているよりほかに道はない。いくら泣いたって、悔んだって堕落しているよりほかに道はない。だから君は今のうち早く帰るがいい。君が堕落すれば、君のためにならないばかりじゃない。――君は親があるか……」  自分はただ一言あると答えた。 「あればなおさらだ。それから君は日本人だろう……」  自分は黙っていた。 「日本人なら、日本のためになるような職業についたらよかろう。学問のあるものが坑夫になるのは日本の損だ。だから早く帰るがよかろう。東京なら東京へ帰るさ。そうして正当な――君に適当な――日本の損にならないような事をやるさ。何と云ってもここはいけない。旅費がなければ、おれが出してやる。だから帰れ。分ったろう。おれは山中組にいる。山中組へ来て安さんと聞きゃあすぐ分る。尋ねて来るが好い。旅費はどうでも都合してやる」  安さんの言葉はこれで終った。坑夫の数は一万人と聞いていた。その一万人はことごとく理非人情を解しない畜類の発達した化物とのみ思い詰めたこの時、この人に逢ったのは全くの小説である。夏の土用に雪が降ったよりも、坑の中で安さんに説諭された方が、よほどの奇蹟のように思われた。大晦日を越すとお正月が来るくらいは承知していたが、地獄で仏と云う諺も記憶していたが、窮まれば通ずという熟語も習った事があるが、困った時は誰か来て助けてくれそうなものだくらいに思って、芝居気を起しては困っていた事もたびたびあるが、――この時はまるで違う。真から一万人を畜生と思い込んで、その畜生がまたことごとく自分の敵だと考え詰めた最強度の断案を、忘るべからざる痛忿の焔で、胸に焼きつけた折柄だから、なおさらこの安さんに驚かされた。同時に安さんの訓戒が、自分の初志を一度に翻えし得るほどの力をもって、自分の耳に応えた。  しばらくは二人して黙っていた。安さんは一応云うだけの事を云ってしまったんだから、口を利かないはずであるが、自分は先方に対して、何とか返事をする義務がある。義務をかいては安さんに済まない。心底から感謝の意を表した上で、自分の考えも少し聞いてもらいたいのは山々であったが、何分にも鼻の奥が詰って不自由である。しかも強いて言葉を出そうとすると、口へ出ないで鼻へ抜けそうになる。それを我慢すると、唇の両端がむずむずして、小鼻がぴくついて来る。やがて鼻と口を塞かれた感動が、出端を失って、眼の中にたまって来た。睫が重くなる。瞼が熱くなる。大に困った。安さんも妙な顔をしている。二人ともばつが悪くなって、差し向いで胡坐をかいたまま、黙っていた。その時次の作事場で鉱を敲く音がかあんかあん鳴った。今考えると、自分と安さんが黙然と顔を見合せていた場所は、地面の下何百尺くらいな深さだか、それを正確に知って置きたかった。都会でも、こんな奇遇は少い。銅山の中では有ろうはずがない。日の照らない坑の底で、世から、人から、歴史から、太陽からも、忘れられた二人が、ありがたい誨を垂れて、尊とい涙を流した舞台があろうとは、胡坐をかいて、黙然と互に顔を見守っていた本人よりほかに知るものはあるまい。  安さんはまた煙草を呑み出した。ぷかりぷかりと煙が出た。その煙が濃く出ては暗がりに消え、濃く出ては暗がりに消える間に、自分はようやく声が自由になった。 「ありがたいです。なるほどあなたのおっしゃる通り人間のいる所じゃないでしょう。僕もあなたに逢うまでは、今日限り銅山を出ようかと思ってたんです。……」  さすが山を出て死ぬつもりだったとは云いかねたから、ここでちょっと句を切ったら、 「そりゃなおさらだ。さっそく帰るがいい」 と、安さんが勢いをつけてくれた。自分はやっぱり黙っていた。すると、 「だから旅費はおれが拵えてやるから」 と云う。自分はさっきから旅費旅費と聞かされるのを、ただ善意に解釈していたが、さればと云って毫も貰う気は起らなかった。昨日飯場頭の合力を断った時の料簡と同じかと云うと、それとも違う。昨日は是非貰いたかった、地平へ手を突いてまで貰いたかった。しかし草鞋銭を貰うよりも、坑夫になる方が得だと勘定したから、手を出して頂きたいところを、無理に断ったんである。安さんの旅費は始めから貰いたくない。好意を空しくすると云う点から見れば、貰わなければ済まないし、坑夫をやめるとすれば貰う方が便利だが、それにもかかわらず貰いたくなかった。これは今から考えると、全く向うの人格に対して、貰っては恥ずべき事だ、こちらの人格が下がるという念から萌したものらしい。先方がいかにも立派だから、こっちも出来るだけ立派にしたい、立派にしなければ、自分の体面を損う虞がある。向うの好意を享けて、相当の満足を先方に与えるのは、こちらも悦ばしいが、受けるべき理由がないのに、濫りに自己の利得のみを標準に置くのは、乞食と同程度の人間である。自分はこの尊敬すべき安さんの前で、自分は乞食である、乞食以上の人物でないと云う事実上の証明を与えるに忍びなかった。年が若いと馬鹿な代りに存外|奇麗なものである。自分は 「旅費は頂きません」 と断った。  この時安さんは、煙草を二三ぶく吸して、煙管を筒へ入れかけていたが、自分の顔をひょいと見て 「こりゃ失敬した」 と云ったんで、自分は非常に気の毒になった。もしやるから貰って置けとでも強いられたならきっと受けたに違ない。その後気をつけて、人が金を貰うところを見ていると、始めは一応辞退して、後では大抵|懐へ入れるようだが、これは全くこの心理状態の発達した形式に過ぎないんだろうと思う。幸い安さんがえらい男で、「こりゃ失敬した」と云ってくれたんで、自分はこの形式に陥らずに済んだのはありがたかった。  安さんはすぐさま旅費の件を撤回して 「だが東京へは帰るだろうね」 と聞き直した。自分は、死ぬ決心が少々|鈍った際だから、ことによれば、旅費だけでも溜めた上、帰る事にしようと云う腹もあったんで、 「よく考えて見ましょう。いずれその中また御相談に参りますから」 と答えた。 「そうか。それじゃ、とにかく路の分る所まで送ってやろう」 と煙草入を股引へ差し込んで、上から筒服の胴を被せた。自分はカンテラを提げて腰を上げた。安さんが先へ立つ。坑は存外登り安かった。例の段々を四五遍通り抜けて、二度ほど四つん這いになったら、かなり天井の高い、真直に立って歩けるような路へ出た。それをだらだらと廻り込んで、右の方へ登り詰めると、突然第一見張所の手前へ出た。安さんは電気灯の見える所で留った。 「じゃ、これで別れよう。あれが見張所だ。あすこの前を右へついて上がると、軌道の敷いてある所へ出る。それから先は一本道だ。おれはまだ時間が早いから、もう少し働いてからでなくっちゃあ出られない。晩には帰る。五時過ならいるから、暇があったら来るがいい。気をつけて行きたまえ。さようなら」  安さんの影はたちまち暗い中へ這入った。振り向いて、一口礼を云った時は、もうカンテラが角を曲っていた。自分は一人でシキの入口を出た。ふらふら長屋まで帰って来る。途中でいろいろ考えた。あの安さんと云う男が、順当に社会の中で伸びて行ったら、今頃は何に成っているか知らないが、どうしたって坑夫より出世しているに違ない。社会が安さんを殺したのか、安さんが社会に対して済まない事をしたのか――あんな男らしい、すっきりした人が、そうむやみに乱暴を働く訳がないから、ことによると、安さんが悪いんでなくって、社会が悪いのかも知れない。自分は若年であったから、社会とはどんなものか、その当時|明瞭に分らなかったが、何しろ、安さんを追い出すような社会だから碌なもんじゃなかろうと考えた。安さんを贔屓にするせいか、どうも安さんが逃げなければならない罪を犯したとは思われない。社会の方で安さんを殺したとしてしまわなければ気が済まない。その癖今云う通り社会とは何者だか要領を得ない。ただ人間だと思っていた。その人間がなぜ安さんのような好い人を殺したのかなおさら分らなかった。だから社会が悪いんだと断定はして見たが、いっこう社会が憎らしくならなかった。ただ安さんが可哀想であった。できるなら自分と代ってやりたかった。自分は自分の勝手で、自分を殺しにここまで来たんである。厭になれば帰っても差支ない。安さんは人間から殺されて、仕方なしにここに生きているんである。帰ろうたって、帰る所はない。どうしても安さんの方が気の毒だ。  安さんは堕落したと云った。高等教育を受けたものが坑夫になったんだから、なるほど堕落に違ない。けれどもその堕落がただ身分の堕落ばかりでなくって、品性の堕落も意味しているようだから痛ましい。安さんも達磨に金を注ぎ込むのかしら、坑の中で一六勝負をやるのかしら、ジャンボーを病人に見せて調戯うのかしら、女房を抵当に――まさか、そんな事もあるまい。昨日着き立ての自分を見て愚弄しないもののないうちで、安さんだけは暗い穴の底ながら、十分自分の人格を認めてくれた。安さんは坑夫の仕事はしているが、心までの坑夫じゃない。それでも堕落したと云った。しかもこの堕落から生涯出る事ができないと云った。堕落の底に死んで活きてるんだと云った。それほど堕落したと自覚していながら、生きて働いている。生きてかんかん敲いている。生きて――自分を救おうとしている。安さんが生きてる以上は自分も死んではならない。死ぬのは弱い。……  こう決心をして、何でも構わないから、ひとまず坑夫になった上として、できるだけ急ぎ足で帰って来ると、長屋の半丁ばかり手前に初さんが石へ腰を掛けて待っている。雨は歇んだ。空はまだ曇っているが、濡れる気遣はない。山から風が吹いて来る。寒くても、世界の明かるいのが、非常に嬉しい。自分が嬉しさの余り、疲れた足を擦りながら、いそいそ近づいてくると、初さんは奇怪な顔をして、 「やあ出て来たな。よく路が分ったな」 と云った。自分が案内につけられながら、他を置き去りにして、何とかして何とか、てててててと云う唄をうたって、大いに焦して置いて、他が大迷つきに、迷ついて、穴の角へ頭をぶっつけて割って見ようとまで思ったあげく、やっとの事で安さんの御情で出て来れば、「よく路が分ったな」と空とぼけている。その癖親方が怖いものだから、途中で待ち合せて、いっしょに連れて帰ろうと云う目算である。自分は石へ腰を掛けて薄笑いをしているこの案内の頭の上へ唾液を吐きかけてやろうかと思った。しかし自分は死ぬのを断念したばかりである。当分はここに留まらなくっちゃならない身体である。唾液を吐きかければ、喧嘩になるだけである。喧嘩をすれば負けるだけである。負けた上にスノコの中へぶちこまれてはせっかく死ぬのを断念した甲斐がない。そこで、こう云う答をした。 「どうか、こうか出て来ました」  すると初さんはなおさら不思議な顔をして、 「へえ。感心だね。一人で出て来たのか」 と聞いた。その時自分は年の割にはうまくやった。旨くやったと云うくらいだから、ただ自分の損にならないようにと云うだけで、それより以外に賞める価値のある所作じゃないが、とにかく十九にしては、なかなか複雑な曲者だと思う。と云うのは、こう聞かれた時に、安さんの名前がつい咽喉の先まで出たんである。ところをとうとう云わずにしまったのが自慢なのだ。随分くだらない自慢だが訳を話せば、こんな料簡であった。山中組の安さんは勢力のある坑夫に違ない。この安さんがわざわざ第一見張所の傍まで見ず知らずの自分を親切に連れて来てくれたと云う事が知れ渡れば、この案内者は面目を失うにきまっている。責任のある自分が、責任を抛り出して、先へ坑を飛び出してしまったと分る以上は――しかもそれが悪意から出たと明瞭に証拠だてられる以上は、こいつは親方に対して済ましちゃいられない。となると後できっと敵を打つだろう。無責任が露見るのは痛快だが――自分はけっして寛大の念に制せられたなんて耶蘇教流の嘘はつかない。――そこまでは痛快だが、敵打は大に迷惑する。実のところ自分はこの迷惑の念に制せられた。それで、 「ええ、いろいろ路を聞いて出て来ました」 とおとなしい返事をして置いた。  初さんは半分失望したような、半分安心したような顔つきをしたが、やがて石から腰を上げて、 「親方の所へ行こう」 とまた歩き出した。自分は黙って尾いて行った。昨日親方に逢ったのは飯場だが、親方の住んでる所は別にある。長屋の横を半丁ほど上ると、石垣で二方の角を取って平した地面の上に二階建がある。家はさほど見苦しくもないが、家のほかには木も庭もない。相変らず二階の窓から悪魔が首を出している。入口まで来て、初さんが外から声を掛けると、窓をがらりと開けて、飯場頭が顔を出した。米利安の襯衣の上へどてらを着たままである。 「帰ったか。御苦労だった。まああっちへ行って休みねえ」 と云うが早いか初さんは消えてなくなった。後は二人になる。親方は窓の中から、自分は表に立ったまま、談話をした。 「どうです」 「大概見て来ました」 「どこまで降りました」 「八番坑まで降りました」 「八番坑まで。そりゃ大変だ。随分ひどかったでしょう。それで……」 と心持首を前の方へ出した。 「それで――やっぱりいるつもりです」 「やっぱり」 と繰り返したなり、飯場頭はじっと自分の顔を見ていた。自分も黙って立っていた。二階からは依然として首が出ている。おまけに二つばかり殖えた。この顔を見ると、厭で厭でたまらない。飯場へ帰ってから、この顔に取り巻かれる事を思い出すと、ぞっとする。それでもいる気である。どんな辛抱をしてもいる気である。しかし「やっぱりいるつもりです」と断然答えて置いて、二階の顔を不意に見上げた時には、さすがに情なかった。こんな奴といっしょに置いてくれと、手を合せて拝まなければ始末がつかないようになり下がったのかと思うと、身体も魂も塩を懸けた海鼠のようにたわいなくなった。その時飯場頭はようやく口を利いた。奇麗さっぱりと利いた。 「じゃ置く事にしよう。だが規則だから、医者に一遍見て貰ってね。健康の証明書を持って来なくっちゃいけない。――今日と――今日は、もう遅いから、明日の朝、行って見て貰ったらよかろう。――診察場かい。診察場はこれから南の方だ。上がって来る時、見えたろう。あの青いペンキ塗りの家だ。じゃ今日は疲れたろうから、飯場へ帰って緩くり御休み」 と云って窓を閉てた。窓を閉てる前に自分はちょっと頭を下げて、飯場へ引返した。緩くり御休と云ってくれた飯場頭の親切はありがたいが、緩くり寝られるくらいなら、こんなに苦しみはしない。起きていれば獰猛組、寝れば南京虫に責められるばかりだ。たまたま飯の蓋を取れば咽喉へ通らない壁土が出て来る。――しかしいる。いるときめた以上は、どうしてもいて見せる。少くとも安さんが生きてるうちはいる。シキの人間がみんな南京虫になっても、安さんさえ生きて働いてるうちは、自分も生きて働く考えである。こう考えながら半丁ほどの路を降りて飯場へ帰って、二階へ上がった。上がると案のじょう大勢|囲炉裏の傍に待ち構えている。自分はくさくさしたが、できるだけ何喰わぬ顔をして、邪魔にならないような所へ坐った。すると始まった。皮肉だか、冷評だか、罵詈だか、滑稽だか、のべつに始まった。  一々覚えている。生涯忘れられないほどに、自分の柔らかい頭を刺激したから、よく覚えている。しかし一々繰返す必要はない。まず大体|昨日と同じ事と思えば好い。自分は急に安さんに逢いたくなった。例の夕食を我慢して二杯食って、みんなの眼につかないようにそっと飯場を抜け出した。  山中組はジャンボーの通った石垣の間を抜けて、だらだら坂の降り際を、右へ上ると斜に頭の上に被さっている大きな槐の奥にある。夕暮の門口を覗いたら、一人の掘子がカンテラの灯で筒服の掃除をしていた。中は存外静かである。 「安さんは、もうお帰りになりましたか」 と叮嚀に聞くと、掘子は顔を上げてちょいと自分を見たまま、奥を向いて、 「おい、安さん、誰か尋ねて来たよ」 と呼び出しにかかるや否や、安さんは待ってたと云わんばかりに足音をさせて出て来た。 「やあ来たな。さあ上れ」  見ると安さんは唐桟の着物に豆絞か何にかの三尺を締めて立っている。まるで東京の馬丁のような服装である。これには少し驚いた。安さんも自分の様子を眺めて首を傾げて、 「なるほど東京を走ったまんまの服装だね。おれも昔はそう云う着物を着たこともあったっけ。今じゃこれだ」 と両袖の裄を引っ張って見せる。 「何と見える。車引かな」 と云うから、自分は遠慮してにやにや笑っていた。安さんは、 「ハハハハ根性はこれよりまだ堕落しているんだ。驚いちゃいけない」  自分は何と答えていいか分らないから、やはりにやにや笑って立っていた。この時分は手持無沙汰でさえあればにやにやして済ましたもんだ。そこへ行くと安さんは自分より遥か世馴れている。この体を見て、 「さっきから来るだろうと思って待っていた。さあ上れ」 と向うから始末をつけてくれた。この人は世馴れた知識を応用して、世馴れない人を救ける方の側だと感心した。こいつを逆にして馬鹿にされつけていたから特別に感心したんだろう。そこで安さんの云う通り長屋へ上って見た。部屋はやっぱり広いが、自分の泊った所ほどでもない。電気灯は点いている。囲炉裏もある。ただ人数が少い、しめて五六人しかいない。しかも、それが向うに塊ってるから、こっちはたった二人である。そこでまた話を始めた。 「いつ帰る」 「帰らない事にしました」  安さんは馬鹿だなあと云わないばかりの顔をして呆れている。 「あなたのおっしゃった事は、よく分っています。しかし僕だって、酔興にここまで来た訳じゃないんですから、帰るったって帰る所はありません」 「じゃやっぱり世の中へ顔が出せないような事でもしたのか」 と安さんは鋭い口調で聞いた。何だか向うの方がぎょっとしたらしい。 「そうでもないんですが――世の中へ顔が出したくないんです」 と答えると、自分の態度と、自分の顔つきと、自分の語勢を注意していた安さんが急に噴き出した。 「冗談云っちゃいけねえ。そんな酔狂があるもんか。世の中へ顔が出したくないた何の事だ。贅沢じゃねえか。そんな身分に一日でも好いからなって見てえくらいだ」 「代れれば代って上げたいと思います」 と至極真面目に云うと、安さんは、また噴き出した。 「どうも手のつけようがないね。考えて御覧な。世の中へ顔が出したくないものがさ、このシキへ顔が出したくなれるかい」 「ちっとも出したくはありません。仕方がないから――仕方がないんです。昨夕も今日も散々|苛責られました」  安さんはまた笑い出した。 「太え野郎だ。誰が苛責た。年の若いものつらまえて。よしよしおれが今に敵を打ってやるから。その代り帰るんだぜ」  自分はこの時大変心丈夫になった。なおなお留まる気になった。あんな獰猛もこっちさえ強くなりゃちっとも恐ろしかないんだ、十把一束に罵倒するくらいの勇気がだんだん出てくるんだと思った。そこで安さんに敵は取ってくれないでも好いから、どうか帰さずに当分置いて貰えまいかと頼んだ。安さんは、あまりの馬鹿らしさに、気の毒そうな顔をして、呆れ返っていたが、 「それじゃ、いるさ。――何も頼むの頼まないのって、そりゃ君の勝手だあね。相談するがものはないや」 「でも、あなたが承知して下さらないと、いにくいですから」 「せっかくそう云うんなら、当分にするがいい。長くいちゃいけない」  自分は謹んで安さんの旨を領した。実際自分もその考えでいたんだから、これはけっして御交際の挨拶ではなかった。それからいろいろな話をしたがシキの中の述懐と大した変りはなかった。ただ安さんの兄さんが高等官になって長崎にいると云う事を聞いて、大いに感動した。安さんの身になっても、兄さんの身になっても、定めし苦しいだろうと思うにつけ、自分と自分の親と結びつけて考え出したら何となく悲しくなった。帰る時に安さんが出口まで送って来て、相談でもあるならいつでも来るが好いと云ってくれた。  表へ出ると、いつの間にか曇った空が晴れて、細い月が出ている。路は存外明るい、その代り大変寒い。袷を通して、襯衣を通して、蒲鉾形の月の光が肌まで浸み込んで来るようだ。両袖を胸の前へ合せて、その中へ鼻から下を突込んで肩をできるだけ聳やかして歩行き出した。身体はいじけているが腹の中はさっきよりだいぶん豊かになった。何の当分のうちだ。馴れればそう苦にする事はない。何しろ一万余人もかたまって、毎日毎日いっしょに働いて、いっしょに飯を食って、いっしょに寝ているんだから、自分だって七日も練習すれば、一人前に堕落する事はできるに違ない。――この時自分の頭の中には、堕落の二字がこの通りに出て来た。しかしただこの場合に都合のいい文字として湧いて出たまでで、堕落の内容を明かに代表していなかったから、別に恐ろしいとも思わなかった。それで、比較的元気づいて飯場へ帰って来た。五六間手前まで来ると、何だかわいわい云っている。外は淋しい月である。自分は家の騒ぎを聞いて、淋しい月を見上げて、しばらく立っていた。そうしたら、どうも這入るのが厭になった。月を浴びて外に立っているのも、つらくなった。安さんの所へ行って泊めてもらいたくなった。一歩引き返して見たが、あんまりだと気を取り直して、のそのそ長屋へ這入った。横手に広い間があって、上り口からは障子で立て切ってある。電気灯が頭の上にあるから影は一つも差さないが、騒ぎはまさにこの中から出る。自分は下駄を脱いで、足音のしないように、障子の傍を通って、二階へ上がった。段々を登り切って、大きな部屋を見渡した時、ほっと一息ついた。部屋には誰もいない。  ただ金さんが平たく煎餅のようになって寝ている。それから例の帆木綿にくるまって、ぶら下がってる男もいる。しかし両方とも極めて静かだ。いてもいないと同じく、部屋は漠然としてただ広いものだ。自分は部屋の真中まで来て立ちながら考えた。床を敷いて寝たものだろうか、ただしは着のみ着のままで、ごろりと横になるか、または昨夕の通り柱へ倚れて夜を明そうか。ごろ寝は寒い、柱へ倚り懸るのは苦しい。どうかして布団を敷きたい。ことによれば今日は疲れ果てているから、南京虫がいても寝られるかも知れない。それに蒲団の奇麗なのを選ったらよかろう。ことさら日によって、南京虫の数が違わないとも限るまい。といろいろな理窟をつけて布団を出して、そうっと潜り込んだ。  この晩の、経験を記憶のまま、ここに書きつけては、自分がお話しにならない馬鹿だと吹聴する事になるばかりで、ほかに何の利益も興味もないからやめる。一口に云うと、昨夜と同じような苦しみを、昨夜以上に受けて、寝るが早いか、すぐ飛び起きちまった。起きた後で、あれほど南京虫に螫されながら、なぜ性懲もなくまた布団を引っ張り出して寝たもんだろうと後悔した。考えると、全くの自業自得で、しかも常識のあるものなら誰でも避けられる、また避けなければならない自業自得だから、我れながら浅ましい馬鹿だと、つくづく自分が厭になって、布団の上へ胡坐をかいたまま、考え込んでいると、また猛烈にちくりと螫された。臀と股と膝頭が一時に飛び上がった。自分は五位鷺のように布団の上に立った。そうして、四囲を見廻した。そうして泣き出した。仕方がないから、紺の兵児帯を解いて、四つに折って、裸の身体中所嫌わず、ぴしゃぴしゃ敲き始めた。それから着物を着た。そうして昨夜の柱の所へ行った。柱に倚りかかった。家が恋しくなった。父よりも母よりも、艶子さんよりも澄江さんよりも、家の六畳の間が恋しくなった。戸棚に這入ってる更紗の布団と、黒天鵞絨の半襟の掛かった中形の掻捲が恋しくなった。三十分でも好いから、あの布団を敷いて、あの掻捲を懸けて、暖たかにして楽々寝て見たい、今頃は誰があの部屋へ寝ているだろうか。それとも自分がいなくなってから後は、机を据えたまんま、空ん胴にしてあるかしらん。そうすると、あの布団も掻捲も、畳んだなり戸棚にしまってあるに違ない。もったいないもんだ。父も母も澄江さんも艶子さんも南京虫に食われないで仕合せだ。今頃は熟睡しているだろう。羨ましい。――それとも寝られないで、のつそつしているかしらん。父は寝られないと疳癪を起して、夜中に灰吹をぽんぽん敲くのが癖だ。煙草を呑むんだと云うが、煙草は仮託で、実は、腹立紛れに敲きつけるんじゃないかと思う。今頃はしきりに敲いてるかも知れない。苦々しい倅だと思って敲いてるか、どうなったろうと心配の余り眼を覚まして敲いてるか。どっちにしても気の毒だ。しかしこっちじゃそれほどにも思っていないから、先方でもそう苦にしちゃいまい。母は寝られないと手水に起きる。中庭の小窓を明けて、手を洗って、桟をおろすのを忘れて、翌朝よく父に叱られている。昨夜も今夜もきっと叱られるに違ない。澄江さんはぐうぐう寝ている――どうしても寝ている。自分のいる前では、丸くなったり、四角になったりいろいろな芸をして、人を釣ってるが、いなくなれば、すぐに忘れて、平生の通り御膳をたべて、よく寝る女だから、是非に及ばない。あんな女は、今まで見た新聞小説にはけっして出て来ないから、始めは不思議に思ったが、ちゃんと証拠があるんだから確かである。こう云う女に恋着しなければならないのは、よッぽどの因果だ。随分憎らしいと思うが、憎らしいと思いながらもやッぱり惚れ込んでいるらしい。不都合な事だ。今でも、あの色の白い顔が眼前にちらちらする。怪しからない顔だ。艶子さんは起きてる。そうして泣いてるだろう。はなはだ気の毒だ。しかしこっちで惚れた覚もなければ、また惚れられるような悪戯をした事がないんだから、いくら起きていても、泣いてくれても仕方がない。気の毒がる事は、いくらでも気の毒がるが仕方がない。構わない事にする。――そこで最後には、ほかの事はどうともするから、ただ安々と楽寝がさせて貰いたい。不断の白い飯も虫唾が走るように食いたいが、それよりか南京虫のいない床へ這入りたい。三十分でも好いからぐっすり寝て見たい。その後でなら腹でも切る。……  こう考えているとまた夜が明けた。考えている途中でいつか寝たものと見えて、眼が覚めた時は、何にも考えていなかった。それからあとは、のそのそ下へ降りて行って、顔を洗って、南京米を食う。万事|昨日の通りだから、省いてしまう。九時の例刻を待ちかねて病院へ出掛ける。病院は一昨日山を登って来る時に見た、青いペンキ塗の建物と聞いているから道も家も間違えようがない。飯場を出て二丁ばかり行くと、すぐ道端にある。木造ではあるがなかなか立派な建築で、広さもかなりだけに、獰猛組とはまるで不釣合である。野蛮人が病気をするんでさえすでに不思議なくらいだのに、病気に罹ったものを治療してやるための器械と薬品と医者と建物を具えつけたんだから、世の中は妙だと云う感じがすぐに起る。まるで泥棒が金を出し合って、小学校を建てて子弟を通学させてるようなもんだ。文明と蒙昧の両極端がこのペンキ塗の青い家の中で出逢って、一方が一方へ影響を及ぼすと、蒙昧がますますぴんぴん蒙昧になってくる。下手に食い違った結果が起るもんだ。と考えながら歩いて来ると、また鬼共が窓から首を出して眺めている。せっかくの考えもこの気味のわるい顔を見上げるとたちまち崩れてしまう。あの顔のなかに安さんのようなのが、たった一つでもあれば、生き返るほど嬉しいだろうに、どれもこれも申し合せたように獰猛の極致を尽している。あれじゃ、どうしたって病院の必要があるはずがないとまで思った。  天気だけは好都合にすっかり晴れた。赤土を劈いたような山の壁へ日が当る。昨日、一昨日の雨を吸込んだ土は、東から差す日を受けて、まだ乾かない。その上照る日をいくらでも吸い込んで行く。景色は晴れがましいうちに湿とりと調子づいて、長屋と長屋の間から、下の方の山を見ると、真蒼な色が笑み割れそうに濃く重なっている。風は全く落ちた。昨夕と今朝とではほとんど十五度以上も違うようである。道傍に、たった一つ蒲公英が咲いている。もったいないほど奇麗な色だ。これも獰猛とはまるで釣り合ない。  病院へ着いた。和土の廊下が地面と擦れ擦れに五六間続いている突き当りに、診察室と云う札が懸って、手前の右手に控所と書いてある。今云った一間幅の廊下を横切って、控所へ這入ると、下はやはり和土で、ベンチが二脚ほど並べてある。小さい硝子窓には受附と楷書で貼りつけてある。自分はこの窓口へ行って、自分の姓名を書いた紙片を出すと、窓の中に腰を掛けていた二十二三の若い男が、その紙片を受取って、ありもしない眉へ八の字を寄せて、むずかしそうにとくと眺めた上、 「こりゃ御前か」 と、さも横風に云った。あまり好い心持ではなかった。何の必要があって、こう自分を軽蔑するんだか不平に堪えない。それで単に、 「ええ」 と出来るだけ愛嬌のない返事をした。受附は、それじゃ、まだ挨拶が足りないと云わんばかりに、しばらくは自分を睨めていたが、こっちもそれっ切り口を結んで立っていたもんだから、 「少し待っていろ」 と、ぴしゃりと硝子戸を締めて出て行った。草履の音がする。あんなにばたばた云わせなくっても好さそうなもんだと思った。  自分はベンチへ腰を掛けた。受附はなかなか帰って来ない。ぼんやりしていると、眼の前にジャンボーが出て来た。金さんがよっしょいよっしょいと担がれて来るところが見える。あれでも病院が必要なのかと思った。何のために薬を盛って、患者を施療するのか、ほとんど意義をなさない。こんな体裁のいい偽善はない。病人はいじめるだけいじめる。ジャンボーは囃したいだけ囃す。その代り医者にかけてやると云うのか。鄭重の至りである。 「おいあっちへ廻れ」 と突然受附の声がした。見ると受附は硝子窓の中に威丈高に突立って、自分を眼下に睥睨している。自分は控所を出た。右へ折れて、廊下伝いに診察場へ上がったら、薬の臭がぷんとした。この臭を嗅ぐと等しく、自分も、もうやがて死ぬんだなと思い出した。死んでここの土になったら不思議なものだ。こう云うのを運命というんだろう。運命の二字は昔から知ってたが、ただ字を知ってるだけで意味は分らなかった。意味は分っても、納得がむずかしかった。西洋人が筍を想像するように定義だけを心得て満足していた。けれども人間の一大事たる死と云う実際と、人間の獣類たる坑夫の住んでいるシキとを結びつけて、二三日前まで不足なく生い立った坊っちゃんを突然宙に釣るして、この二つの間に置いたとすると、坊っちゃんは始めてなるほどと首肯する。運命は不可思議な魔力で可憐な青年を弄ぶもんだと云う事が分る。すると今までただの山であったものが、ただの山でなくなる。ただの土であったものがただの土でなくなる。青いばかりと思った空が、青いだけでは済まなくなる。この病院の、この診察場の、この薬品の、この臭いまでが夢のような不思議になる。元来この椅子に腰を掛けている本人からしてが、何物だかほとんど要領を得ない。本人以外の世界は明瞭に見えるだけで、どんな意味のある世界かさっぱり見当がつかない。自分は、診察場と薬局とをかねたこの一室の椅子に倚って、敷物と、洋卓と、薬瓶と、窓と、窓の外の山とを見廻した。もっとも明瞭な視覚で見廻したが、すべてがただ一幅の画と見えるだけで、その他には何物をも認める事ができなかった。  そこへ戸を開けて、医者があらわれた。その顔を見ると、やっぱり坑夫の類型である。黒のモーニングに縞の洋袴を着て、襟の外へ顎を突き出して、 「御前か、健康診断をして貰うのは」 と云った。この語勢には、馬に対しても、犬に対しても、是非腹の内で云うべきほどの敬意が籠っていた。 「ええ」 と自分は椅子を離れた。 「職業は何だ」 「職業って別に何にもないんです」 「職業がない。じゃ、今まで何をして生きていたのか」 「ただ親の厄介になっていました」 「親の厄介になっていた。親の厄介になって、ごろごろしていたのか」 「まあ、そうです」 「じゃ、ごろつきだな」  自分は答をしなかった。 「裸になれ」  自分は裸になった。医者は聴診器で胸と背中をちょっと視た上、いきなり自分の鼻を撮んだ。 「息をして見ろ」  息が口から出る。医者は口の所へ手をあてがった。 「今度口を塞ぐんだ」  医者は鼻の下へ手をあてた。 「どうでしょう。坑夫になれますか」 「駄目だ」 「どこか悪いですか」 「今書いてやる」  医者は四角な紙片へ、何か書いて抛り出すように自分に渡した。見ると気管支炎とある。  気管支炎と云えば肺病の下地である。肺病になれば助かりようがない。なるほどさっき薬の臭を嗅いで死ぬんだなと虫が知らせたのも無理はない。今度はいよいよ死ぬ事になりそうだ。これから先二三週間もしたら、金さんのようによっしょいよっしょいでジャンボーを見せられて、そのあげくには自分がとうとうジャンボーになって、それから思う存分|囃し立てられて、敲き立てられて、――もっとも新参だから囃してくれるものも、敲いてくれるものも、ないかも知れないが――とどの詰りは、――どうなる事か自分にも分らない。それは分らなくってもよろしい。生きて動いている今ですら分らない。ただ世界がのべつ、のっぺらぽうに続いているうちに、あざやかな色が幾通りも並んでるばかりである。坑夫は世の中で、もっとも穢ないものと感じていたが、かように万物を色の変化と見ると、穢ないも穢なくないもある段じゃない。どうでも構わないから、どうとも勝手にするがいい、自分が懐手をしていたら運命が何とか始末をつけてくれるだろう。死んでもいい、生きてもいい。華厳の瀑などへ行くのは面倒になった。東京へ帰る? 何の必要があって帰る。どうせ二三度|咳をせくうちの命だ。ここまで運命が吹きつけてくれたもんだから、運命に吹き払われるまでは、ここにいるのが、一番骨が折れなくって、一番便利で、一番順当な訳だ。ここにいて、ただ堕落の修業さえすれば、死ぬまでは持てるだろう。肺病患者にほかの修業はむずかしいかも知れないが、堕落の修業なら――ふと往きに眼についた蒲公英に出逢った。さっきはもったいないほど美しい色だと思ったが、今見ると何ともない。なぜこれが美しかったんだろうと、しばらく立ち留まって、見ていたが、やっぱり美しくない。それからまたあるき出した。だらだら坂を登ると、自然と顔が仰向になる。すると例の通り長屋から、坑夫が頬杖を突いて、自分を見下している。さっきまではあれほど厭に見えた顔がまるで土細工の人形の首のように思われる。醜くも、怖くも、憎らしくもない。ただの顔である。日本一の美人の顔がただの顔であるごとく、坑夫の顔もただの顔である。そう云う自分も骨と肉で出来たただの人間である。意味も何もない。  自分はこう云う状態で、無人の境を行くような心持で、親方の家までやって来た。案内を頼むと、うちから十五六の娘が、がらりと障子をあけて出た。こう云う娘がこんな所にいようはずがないんだから、平生ならはっと驚く訳だが、この時はまるで何の感じもなかった。ただ器械のように挨拶をすると、娘は片手を障子へ掛けたまま、奥を振り向いて、 「御父さん。御客」 と云った。自分はこの時、これが飯場頭の娘だなと合点したが、ただ合点したまでで、娘がまだそこに立っているのに、娘の事は忘れてしまった。ところへ親方が出て来た。 「どうしたい」 「行って来ました」 「健康診断を貰って来たかい。どれ」  自分は右の手に握っていた診断書を、つい忘れて、おやどこへやったろうかと、始めて気がついた。 「持ってるじゃないか」 と親方が云う。なるほど持っていたから、皺を伸して親方に渡した。 「気管支炎。病気じゃないか」 「ええ駄目です」 「そりゃ困ったな。どうするい」 「やっぱり置いて下さい」 「そいつあ、無理じゃないか」 「ですが、もう帰れないんだから、どうか置いて下さい。小使でも、掃除番でもいいですから。何でもしますから」 「何でもするったって、病気じゃ仕方がないじゃないか。困ったな。しかしせっかくだから、まあ考えてみよう。明日までには大概様子が分るだろうからまた来て見るがいい」  自分は石のようになって、飯場へ帰って来た。  その晩は平気で囲炉裏の側に胡坐をかいていた。坑夫共が何と云っても相手にしなかった。相手にする料簡も出なかった。いくら騒いでも、愚弄っても、よしんば踏んだり蹴たりしても、彼らは自分と共に一枚の板に彫りつけられた一団の像のように思われた。寝るときは布団は敷かなかった。やはり囲炉裏の傍に胡坐をかいていた。みんな寝着いてから、自分もその場へ仮寝をした。囲炉裏へ炭を継ぐものがないので、火の気がだんだん弱くなって、寒さがしだいに増して来たら、眼が覚めた。襟の所がぞくぞくする。それから起きて表へ出て空を見たら、星がいっぱいあった。あの星は何しに、あんなに光ってるのだろうと思って、また内へ這入った。金さんは相変らず平たくなって寝ている。金さんはいつジャンボーになるんだろう。自分と金さんとどっちが早く死ぬだろう。安さんは六年このシキに這入ってると聞いたが、この先何年|鉱を敲くだろう。やっぱりしまいには金さんのように平たくなって、飯場の片隅に寝るんだろう。そうして死ぬだろう。――自分は火のない囲炉裏の傍に坐って、夜明まで考えつづけていた。その考えはあとから、あとから、仕切りなしに出て来たが、いずれも干枯びていた。涙も、情も、色も香もなかった。怖い事も、恐ろしい事も、未練も、心残りもなかった。  夜が明けてから例のごとく飯を済まして、親方の所へ行った。親方は元気のいい声をして、 「来たか、ちょうど好い口が出来た。実はあれからいろいろ探したがどうも思わしいところがないんでね、――少し困ったんだが。とうとう旨い口を見附けた。飯場の帳附だがね。こりゃ無ければ、なくっても済む。現に今までは婆さんがやってたくらいだが、せっかくの御頼みだから。どうだねそれならどうか、おれの方で周旋ができようと思うが」 「はあありがたいです。何でもやります。帳附と云うと、どんな事をするんですか」 「なあに訳はない。ただ帳面をつけるだけさ。飯場にああ多勢いる奴が、やや草鞋だ、やや豆だ、ヒジキだって、毎日いろいろなものを買うからね。そいつを一々帳面へ書き込んどいて貰やあ好いんだ。なに品物は婆さんが渡すから、ただ誰が何をいくら取ったと云う事が分るようにして置いてくれればそれで結構だ。そうするとこっちでその帳面を見て勘定日に差し引いて給金を渡すようにする。――なに力業じゃないから、誰でもできる仕事だが、知っての通りみんな無筆の寄合だからね。君がやってくれるとこっちも大変便利だが、どうだい帳附は」 「結構です、やりましょう」 「給金は少くって、まことに御気の毒だ。月に四円だが。――食料を別にして」 「それでたくさんです」 と答えた。しかし別段に嬉しいとも思わなかった。ようやく安心したとまでは固り行かなかった。自分の鉱山における地位はこれでやっときまった。  翌日から自分は台所の片隅に陣取って、かたのごとく帳附を始めた。すると今まであのくらい人を軽蔑していた坑夫の態度ががらりと変って、かえって向うから御世辞を取るようになった。自分もさっそく堕落の稽古を始めた。南京米も食った。南京虫にも食われた。町からは毎日毎日ポン引が椋鳥を引張って来る。子供も毎日連れられてくる。自分は四円の月給のうちで、菓子を買っては子供にやった。しかしその後東京へ帰ろうと思ってからは断然やめにした。自分はこの帳附を五箇月間無事に勤めた。そうして東京へ帰った。――自分が坑夫についての経験はこれだけである。そうしてみんな事実である。その証拠には小説になっていないんでも分る。 上 先生と私 一  私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。  私が先生と知り合いになったのは鎌倉である。その時私はまだ若々しい書生であった。暑中休暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いという端書を受け取ったので、私は多少の金を工面して、出掛ける事にした。私は金の工面に二、三日を費やした。ところが私が鎌倉に着いて三日と経たないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。友達はかねてから国元にいる親たちに勧まない結婚を強いられていた。彼は現代の習慣からいうと結婚するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心の当人が気に入らなかった。それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたのである。彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていいか分らなかった。けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固より帰るべきはずであった。それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。  学校の授業が始まるにはまだ大分日数があるので鎌倉におってもよし、帰ってもよいという境遇にいた私は、当分元の宿に留まる覚悟をした。友達は中国のある資産家の息子で金に不自由のない男であったけれども、学校が学校なのと年が年なので、生活の程度は私とそう変りもしなかった。したがって一人ぼっちになった私は別に恰好な宿を探す面倒ももたなかったのである。  宿は鎌倉でも辺鄙な方角にあった。玉突きだのアイスクリームだのというハイカラなものには長い畷を一つ越さなければ手が届かなかった。車で行っても二十銭は取られた。けれども個人の別荘はそこここにいくつでも建てられていた。それに海へはごく近いので海水浴をやるには至極便利な地位を占めていた。  私は毎日海へはいりに出掛けた。古い燻ぶり返った藁葺の間を通り抜けて磯へ下りると、この辺にこれほどの都会人種が住んでいるかと思うほど、避暑に来た男や女で砂の上が動いていた。ある時は海の中が銭湯のように黒い頭でごちゃごちゃしている事もあった。その中に知った人を一人ももたない私も、こういう賑やかな景色の中に裹まれて、砂の上に寝そべってみたり、膝頭を波に打たしてそこいらを跳ね廻るのは愉快であった。  私は実に先生をこの雑沓の間に見付け出したのである。その時海岸には掛茶屋が二軒あった。私はふとした機会からその一軒の方に行き慣れていた。長谷辺に大きな別荘を構えている人と違って、各自に専有の着換場を拵えていないここいらの避暑客には、ぜひともこうした共同着換所といった風なものが必要なのであった。彼らはここで茶を飲み、ここで休息する外に、ここで海水着を洗濯させたり、ここで鹹はゆい身体を清めたり、ここへ帽子や傘を預けたりするのである。海水着を持たない私にも持物を盗まれる恐れはあったので、私は海へはいるたびにその茶屋へ一切を脱ぎ棄てる事にしていた。 二  私がその掛茶屋で先生を見た時は、先生がちょうど着物を脱いでこれから海へ入ろうとするところであった。私はその時反対に濡れた身体を風に吹かして水から上がって来た。二人の間には目を遮る幾多の黒い頭が動いていた。特別の事情のない限り、私はついに先生を見逃したかも知れなかった。それほど浜辺が混雑し、それほど私の頭が放漫であったにもかかわらず、私がすぐ先生を見付け出したのは、先生が一人の西洋人を伴れていたからである。  その西洋人の優れて白い皮膚の色が、掛茶屋へ入るや否や、すぐ私の注意を惹いた。純粋の日本の浴衣を着ていた彼は、それを床几の上にすぽりと放り出したまま、腕組みをして海の方を向いて立っていた。彼は我々の穿く猿股一つの外何物も肌に着けていなかった。私にはそれが第一不思議だった。私はその二日前に由井が浜まで行って、砂の上にしゃがみながら、長い間西洋人の海へ入る様子を眺めていた。私の尻をおろした所は少し小高い丘の上で、そのすぐ傍がホテルの裏口になっていたので、私の凝としている間に、大分多くの男が塩を浴びに出て来たが、いずれも胴と腕と股は出していなかった。女は殊更肉を隠しがちであった。大抵は頭に護謨製の頭巾を被って、海老茶や紺や藍の色を波間に浮かしていた。そういう有様を目撃したばかりの私の眼には、猿股一つで済まして皆なの前に立っているこの西洋人がいかにも珍しく見えた。  彼はやがて自分の傍を顧みて、そこにこごんでいる日本人に、一言二言何かいった。その日本人は砂の上に落ちた手拭を拾い上げているところであったが、それを取り上げるや否や、すぐ頭を包んで、海の方へ歩き出した。その人がすなわち先生であった。  私は単に好奇心のために、並んで浜辺を下りて行く二人の後姿を見守っていた。すると彼らは真直に波の中に足を踏み込んだ。そうして遠浅の磯近くにわいわい騒いでいる多人数の間を通り抜けて、比較的広々した所へ来ると、二人とも泳ぎ出した。彼らの頭が小さく見えるまで沖の方へ向いて行った。それから引き返してまた一直線に浜辺まで戻って来た。掛茶屋へ帰ると、井戸の水も浴びずに、すぐ身体を拭いて着物を着て、さっさとどこへか行ってしまった。  彼らの出て行った後、私はやはり元の床几に腰をおろして烟草を吹かしていた。その時私はぽかんとしながら先生の事を考えた。どうもどこかで見た事のある顔のように思われてならなかった。しかしどうしてもいつどこで会った人か想い出せずにしまった。  その時の私は屈托がないというよりむしろ無聊に苦しんでいた。それで翌日もまた先生に会った時刻を見計らって、わざわざ掛茶屋まで出かけてみた。すると西洋人は来ないで先生一人|麦藁帽を被ってやって来た。先生は眼鏡をとって台の上に置いて、すぐ手拭で頭を包んで、すたすた浜を下りて行った。先生が昨日のように騒がしい浴客の中を通り抜けて、一人で泳ぎ出した時、私は急にその後が追い掛けたくなった。私は浅い水を頭の上まで跳かして相当の深さの所まで来て、そこから先生を目標に抜手を切った。すると先生は昨日と違って、一種の弧線を描いて、妙な方向から岸の方へ帰り始めた。それで私の目的はついに達せられなかった。私が陸へ上がって雫の垂れる手を振りながら掛茶屋に入ると、先生はもうちゃんと着物を着て入れ違いに外へ出て行った。 三  私は次の日も同じ時刻に浜へ行って先生の顔を見た。その次の日にもまた同じ事を繰り返した。けれども物をいい掛ける機会も、挨拶をする場合も、二人の間には起らなかった。その上先生の態度はむしろ非社交的であった。一定の時刻に超然として来て、また超然と帰って行った。周囲がいくら賑やかでも、それにはほとんど注意を払う様子が見えなかった。最初いっしょに来た西洋人はその後まるで姿を見せなかった。先生はいつでも一人であった。  或る時先生が例の通りさっさと海から上がって来て、いつもの場所に脱ぎ棄てた浴衣を着ようとすると、どうした訳か、その浴衣に砂がいっぱい着いていた。先生はそれを落すために、後ろ向きになって、浴衣を二、三度|振った。すると着物の下に置いてあった眼鏡が板の隙間から下へ落ちた。先生は白絣の上へ兵児帯を締めてから、眼鏡の失くなったのに気が付いたと見えて、急にそこいらを探し始めた。私はすぐ腰掛の下へ首と手を突ッ込んで眼鏡を拾い出した。先生は有難うといって、それを私の手から受け取った。  次の日私は先生の後につづいて海へ飛び込んだ。そうして先生といっしょの方角に泳いで行った。二|丁ほど沖へ出ると、先生は後ろを振り返って私に話し掛けた。広い蒼い海の表面に浮いているものは、その近所に私ら二人より外になかった。そうして強い太陽の光が、眼の届く限り水と山とを照らしていた。私は自由と歓喜に充ちた筋肉を動かして海の中で躍り狂った。先生はまたぱたりと手足の運動を已めて仰向けになったまま浪の上に寝た。私もその真似をした。青空の色がぎらぎらと眼を射るように痛烈な色を私の顔に投げ付けた。「愉快ですね」と私は大きな声を出した。  しばらくして海の中で起き上がるように姿勢を改めた先生は、「もう帰りませんか」といって私を促した。比較的強い体質をもった私は、もっと海の中で遊んでいたかった。しかし先生から誘われた時、私はすぐ「ええ帰りましょう」と快く答えた。そうして二人でまた元の路を浜辺へ引き返した。  私はこれから先生と懇意になった。しかし先生がどこにいるかはまだ知らなかった。  それから中二日おいてちょうど三日目の午後だったと思う。先生と掛茶屋で出会った時、先生は突然私に向かって、「君はまだ大分長くここにいるつもりですか」と聞いた。考えのない私はこういう問いに答えるだけの用意を頭の中に蓄えていなかった。それで「どうだか分りません」と答えた。しかしにやにや笑っている先生の顔を見た時、私は急に極りが悪くなった。「先生は?」と聞き返さずにはいられなかった。これが私の口を出た先生という言葉の始まりである。  私はその晩先生の宿を尋ねた。宿といっても普通の旅館と違って、広い寺の境内にある別荘のような建物であった。そこに住んでいる人の先生の家族でない事も解った。私が先生先生と呼び掛けるので、先生は苦笑いをした。私はそれが年長者に対する私の口癖だといって弁解した。私はこの間の西洋人の事を聞いてみた。先生は彼の風変りのところや、もう鎌倉にいない事や、色々の話をした末、日本人にさえあまり交際をもたないのに、そういう外国人と近付きになったのは不思議だといったりした。私は最後に先生に向かって、どこかで先生を見たように思うけれども、どうしても思い出せないといった。若い私はその時|暗に相手も私と同じような感じを持っていはしまいかと疑った。そうして腹の中で先生の返事を予期してかかった。ところが先生はしばらく沈吟したあとで、「どうも君の顔には見覚えがありませんね。人違いじゃないですか」といったので私は変に一種の失望を感じた。 四  私は月の末に東京へ帰った。先生の避暑地を引き上げたのはそれよりずっと前であった。私は先生と別れる時に、「これから折々お宅へ伺っても宜ござんすか」と聞いた。先生は単簡にただ「ええいらっしゃい」といっただけであった。その時分の私は先生とよほど懇意になったつもりでいたので、先生からもう少し濃かな言葉を予期して掛ったのである。それでこの物足りない返事が少し私の自信を傷めた。  私はこういう事でよく先生から失望させられた。先生はそれに気が付いているようでもあり、また全く気が付かないようでもあった。私はまた軽微な失望を繰り返しながら、それがために先生から離れて行く気にはなれなかった。むしろそれとは反対で、不安に揺かされるたびに、もっと前へ進みたくなった。もっと前へ進めば、私の予期するあるものが、いつか眼の前に満足に現われて来るだろうと思った。私は若かった。けれどもすべての人間に対して、若い血がこう素直に働こうとは思わなかった。私はなぜ先生に対してだけこんな心持が起るのか解らなかった。それが先生の亡くなった今日になって、始めて解って来た。先生は始めから私を嫌っていたのではなかったのである。先生が私に示した時々の素気ない挨拶や冷淡に見える動作は、私を遠ざけようとする不快の表現ではなかったのである。傷ましい先生は、自分に近づこうとする人間に、近づくほどの価値のないものだから止せという警告を与えたのである。他の懐かしみに応じない先生は、他を軽蔑する前に、まず自分を軽蔑していたものとみえる。  私は無論先生を訪ねるつもりで東京へ帰って来た。帰ってから授業の始まるまでにはまだ二週間の日数があるので、そのうちに一度行っておこうと思った。しかし帰って二日三日と経つうちに、鎌倉にいた時の気分が段々薄くなって来た。そうしてその上に彩られる大都会の空気が、記憶の復活に伴う強い刺戟と共に、濃く私の心を染め付けた。私は往来で学生の顔を見るたびに新しい学年に対する希望と緊張とを感じた。私はしばらく先生の事を忘れた。  授業が始まって、一カ月ばかりすると私の心に、また一種の弛みができてきた。私は何だか不足な顔をして往来を歩き始めた。物欲しそうに自分の室の中を見廻した。私の頭には再び先生の顔が浮いて出た。私はまた先生に会いたくなった。  始めて先生の宅を訪ねた時、先生は留守であった。二度目に行ったのは次の日曜だと覚えている。晴れた空が身に沁み込むように感ぜられる好い日和であった。その日も先生は留守であった。鎌倉にいた時、私は先生自身の口から、いつでも大抵宅にいるという事を聞いた。むしろ外出嫌いだという事も聞いた。二度来て二度とも会えなかった私は、その言葉を思い出して、理由もない不満をどこかに感じた。私はすぐ玄関先を去らなかった。下女の顔を見て少し躊躇してそこに立っていた。この前名刺を取り次いだ記憶のある下女は、私を待たしておいてまた内へはいった。すると奥さんらしい人が代って出て来た。美しい奥さんであった。  私はその人から鄭寧に先生の出先を教えられた。先生は例月その日になると雑司ヶ谷の墓地にある或る仏へ花を手向けに行く習慣なのだそうである。「たった今出たばかりで、十分になるか、ならないかでございます」と奥さんは気の毒そうにいってくれた。私は会釈して外へ出た。賑かな町の方へ一|丁ほど歩くと、私も散歩がてら雑司ヶ谷へ行ってみる気になった。先生に会えるか会えないかという好奇心も動いた。それですぐ踵を回らした。 五  私は墓地の手前にある苗畠の左側からはいって、両方に楓を植え付けた広い道を奥の方へ進んで行った。するとその端れに見える茶店の中から先生らしい人がふいと出て来た。私はその人の眼鏡の縁が日に光るまで近く寄って行った。そうして出し抜けに「先生」と大きな声を掛けた。先生は突然立ち留まって私の顔を見た。 「どうして……、どうして……」  先生は同じ言葉を二|遍繰り返した。その言葉は森閑とした昼の中に異様な調子をもって繰り返された。私は急に何とも応えられなくなった。 「私の後を跟けて来たのですか。どうして……」  先生の態度はむしろ落ち付いていた。声はむしろ沈んでいた。けれどもその表情の中には判然いえないような一種の曇りがあった。  私は私がどうしてここへ来たかを先生に話した。 「誰の墓へ参りに行ったか、妻がその人の名をいいましたか」 「いいえ、そんな事は何もおっしゃいません」 「そうですか。――そう、それはいうはずがありませんね、始めて会ったあなたに。いう必要がないんだから」  先生はようやく得心したらしい様子であった。しかし私にはその意味がまるで解らなかった。  先生と私は通りへ出ようとして墓の間を抜けた。依撒伯拉何々の墓だの、神僕ロギンの墓だのという傍に、一切衆生悉有仏生と書いた塔婆などが建ててあった。全権公使何々というのもあった。私は安得烈と彫り付けた小さい墓の前で、「これは何と読むんでしょう」と先生に聞いた。「アンドレとでも読ませるつもりでしょうね」といって先生は苦笑した。  先生はこれらの墓標が現わす人種々の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは死という事実をまだ真面目に考えた事がありませんね」といった。私は黙った。先生もそれぎり何ともいわなくなった。  墓地の区切り目に、大きな銀杏が一本空を隠すように立っていた。その下へ来た時、先生は高い梢を見上げて、「もう少しすると、綺麗ですよ。この木がすっかり黄葉して、ここいらの地面は金色の落葉で埋まるようになります」といった。先生は月に一度ずつは必ずこの木の下を通るのであった。  向うの方で凸凹の地面をならして新墓地を作っている男が、鍬の手を休めて私たちを見ていた。私たちはそこから左へ切れてすぐ街道へ出た。  これからどこへ行くという目的のない私は、ただ先生の歩く方へ歩いて行った。先生はいつもより口数を利かなかった。それでも私はさほどの窮屈を感じなかったので、ぶらぶらいっしょに歩いて行った。 「すぐお宅へお帰りですか」 「ええ別に寄る所もありませんから」  二人はまた黙って南の方へ坂を下りた。 「先生のお宅の墓地はあすこにあるんですか」と私がまた口を利き出した。 「いいえ」 「どなたのお墓があるんですか。――ご親類のお墓ですか」 「いいえ」  先生はこれ以外に何も答えなかった。私もその話はそれぎりにして切り上げた。すると一|町ほど歩いた後で、先生が不意にそこへ戻って来た。 「あすこには私の友達の墓があるんです」 「お友達のお墓へ毎月お参りをなさるんですか」 「そうです」  先生はその日これ以外を語らなかった。 六  私はそれから時々先生を訪問するようになった。行くたびに先生は在宅であった。先生に会う度数が重なるにつれて、私はますます繁く先生の玄関へ足を運んだ。  けれども先生の私に対する態度は初めて挨拶をした時も、懇意になったその後も、あまり変りはなかった。先生は何時も静かであった。ある時は静か過ぎて淋しいくらいであった。私は最初から先生には近づきがたい不思議があるように思っていた。それでいて、どうしても近づかなければいられないという感じが、どこかに強く働いた。こういう感じを先生に対してもっていたものは、多くの人のうちであるいは私だけかも知れない。しかしその私だけにはこの直感が後になって事実の上に証拠立てられたのだから、私は若々しいといわれても、馬鹿げていると笑われても、それを見越した自分の直覚をとにかく頼もしくまた嬉しく思っている。人間を愛し得る人、愛せずにはいられない人、それでいて自分の懐に入ろうとするものを、手をひろげて抱き締める事のできない人、――これが先生であった。  今いった通り先生は始終静かであった。落ち付いていた。けれども時として変な曇りがその顔を横切る事があった。窓に黒い鳥影が射すように。射すかと思うと、すぐ消えるには消えたが。私が始めてその曇りを先生の眉間に認めたのは、雑司ヶ谷の墓地で、不意に先生を呼び掛けた時であった。私はその異様の瞬間に、今まで快く流れていた心臓の潮流をちょっと鈍らせた。しかしそれは単に一時の結滞に過ぎなかった。私の心は五分と経たないうちに平素の弾力を回復した。私はそれぎり暗そうなこの雲の影を忘れてしまった。ゆくりなくまたそれを思い出させられたのは、小春の尽きるに間のない或る晩の事であった。  先生と話していた私は、ふと先生がわざわざ注意してくれた銀杏の大樹を眼の前に想い浮かべた。勘定してみると、先生が毎月例として墓参に行く日が、それからちょうど三日目に当っていた。その三日目は私の課業が午で終える楽な日であった。私は先生に向かってこういった。 「先生|雑司ヶ谷の銀杏はもう散ってしまったでしょうか」 「まだ空坊主にはならないでしょう」  先生はそう答えながら私の顔を見守った。そうしてそこからしばし眼を離さなかった。私はすぐいった。 「今度お墓参りにいらっしゃる時にお伴をしても宜ござんすか。私は先生といっしょにあすこいらが散歩してみたい」 「私は墓参りに行くんで、散歩に行くんじゃないですよ」 「しかしついでに散歩をなすったらちょうど好いじゃありませんか」  先生は何とも答えなかった。しばらくしてから、「私のは本当の墓参りだけなんだから」といって、どこまでも墓参と散歩を切り離そうとする風に見えた。私と行きたくない口実だか何だか、私にはその時の先生が、いかにも子供らしくて変に思われた。私はなおと先へ出る気になった。 「じゃお墓参りでも好いからいっしょに伴れて行って下さい。私もお墓参りをしますから」  実際私には墓参と散歩との区別がほとんど無意味のように思われたのである。すると先生の眉がちょっと曇った。眼のうちにも異様の光が出た。それは迷惑とも嫌悪とも畏怖とも片付けられない微かな不安らしいものであった。私は忽ち雑司ヶ谷で「先生」と呼び掛けた時の記憶を強く思い起した。二つの表情は全く同じだったのである。 「私は」と先生がいった。「私はあなたに話す事のできないある理由があって、他といっしょにあすこへ墓参りには行きたくないのです。自分の妻さえまだ伴れて行った事がないのです」 七  私は不思議に思った。しかし私は先生を研究する気でその宅へ出入りをするのではなかった。私はただそのままにして打ち過ぎた。今考えるとその時の私の態度は、私の生活のうちでむしろ尊むべきものの一つであった。私は全くそのために先生と人間らしい温かい交際ができたのだと思う。もし私の好奇心が幾分でも先生の心に向かって、研究的に働き掛けたなら、二人の間を繋ぐ同情の糸は、何の容赦もなくその時ふつりと切れてしまったろう。若い私は全く自分の態度を自覚していなかった。それだから尊いのかも知れないが、もし間違えて裏へ出たとしたら、どんな結果が二人の仲に落ちて来たろう。私は想像してもぞっとする。先生はそれでなくても、冷たい眼で研究されるのを絶えず恐れていたのである。  私は月に二度もしくは三度ずつ必ず先生の宅へ行くようになった。私の足が段々|繁くなった時のある日、先生は突然私に向かって聞いた。 「あなたは何でそうたびたび私のようなものの宅へやって来るのですか」 「何でといって、そんな特別な意味はありません。――しかしお邪魔なんですか」 「邪魔だとはいいません」  なるほど迷惑という様子は、先生のどこにも見えなかった。私は先生の交際の範囲の極めて狭い事を知っていた。先生の元の同級生などで、その頃東京にいるものはほとんど二人か三人しかないという事も知っていた。先生と同郷の学生などには時たま座敷で同座する場合もあったが、彼らのいずれもは皆な私ほど先生に親しみをもっていないように見受けられた。 「私は淋しい人間です」と先生がいった。「だからあなたの来て下さる事を喜んでいます。だからなぜそうたびたび来るのかといって聞いたのです」 「そりゃまたなぜです」  私がこう聞き返した時、先生は何とも答えなかった。ただ私の顔を見て「あなたは幾歳ですか」といった。  この問答は私にとってすこぶる不得要領のものであったが、私はその時|底まで押さずに帰ってしまった。しかもそれから四日と経たないうちにまた先生を訪問した。先生は座敷へ出るや否や笑い出した。 「また来ましたね」といった。 「ええ来ました」といって自分も笑った。  私は外の人からこういわれたらきっと癪に触ったろうと思う。しかし先生にこういわれた時は、まるで反対であった。癪に触らないばかりでなくかえって愉快だった。 「私は淋しい人間です」と先生はその晩またこの間の言葉を繰り返した。「私は淋しい人間ですが、ことによるとあなたも淋しい人間じゃないですか。私は淋しくっても年を取っているから、動かずにいられるが、若いあなたはそうは行かないのでしょう。動けるだけ動きたいのでしょう。動いて何かに打つかりたいのでしょう……」 「私はちっとも淋しくはありません」 「若いうちほど淋しいものはありません。そんならなぜあなたはそうたびたび私の宅へ来るのですか」  ここでもこの間の言葉がまた先生の口から繰り返された。 「あなたは私に会ってもおそらくまだ淋しい気がどこかでしているでしょう。私にはあなたのためにその淋しさを根元から引き抜いて上げるだけの力がないんだから。あなたは外の方を向いて今に手を広げなければならなくなります。今に私の宅の方へは足が向かなくなります」  先生はこういって淋しい笑い方をした。 八  幸いにして先生の予言は実現されずに済んだ。経験のない当時の私は、この予言の中に含まれている明白な意義さえ了解し得なかった。私は依然として先生に会いに行った。その内いつの間にか先生の食卓で飯を食うようになった。自然の結果奥さんとも口を利かなければならないようになった。  普通の人間として私は女に対して冷淡ではなかった。けれども年の若い私の今まで経過して来た境遇からいって、私はほとんど交際らしい交際を女に結んだ事がなかった。それが源因かどうかは疑問だが、私の興味は往来で出合う知りもしない女に向かって多く働くだけであった。先生の奥さんにはその前玄関で会った時、美しいという印象を受けた。それから会うたんびに同じ印象を受けない事はなかった。しかしそれ以外に私はこれといってとくに奥さんについて語るべき何物ももたないような気がした。  これは奥さんに特色がないというよりも、特色を示す機会が来なかったのだと解釈する方が正当かも知れない。しかし私はいつでも先生に付属した一部分のような心持で奥さんに対していた。奥さんも自分の夫の所へ来る書生だからという好意で、私を遇していたらしい。だから中間に立つ先生を取り除ければ、つまり二人はばらばらになっていた。それで始めて知り合いになった時の奥さんについては、ただ美しいという外に何の感じも残っていない。  ある時私は先生の宅で酒を飲まされた。その時奥さんが出て来て傍で酌をしてくれた。先生はいつもより愉快そうに見えた。奥さんに「お前も一つお上がり」といって、自分の呑み干した盃を差した。奥さんは「私は……」と辞退しかけた後、迷惑そうにそれを受け取った。奥さんは綺麗な眉を寄せて、私の半分ばかり注いで上げた盃を、唇の先へ持って行った。奥さんと先生の間に下のような会話が始まった。 「珍らしい事。私に呑めとおっしゃった事は滅多にないのにね」 「お前は嫌いだからさ。しかし稀には飲むといいよ。好い心持になるよ」 「ちっともならないわ。苦しいぎりで。でもあなたは大変ご愉快そうね、少しご酒を召し上がると」 「時によると大変愉快になる。しかしいつでもというわけにはいかない」 「今夜はいかがです」 「今夜は好い心持だね」 「これから毎晩少しずつ召し上がると宜ござんすよ」 「そうはいかない」 「召し上がって下さいよ。その方が淋しくなくって好いから」  先生の宅は夫婦と下女だけであった。行くたびに大抵はひそりとしていた。高い笑い声などの聞こえる試しはまるでなかった。或る時は宅の中にいるものは先生と私だけのような気がした。 「子供でもあると好いんですがね」と奥さんは私の方を向いていった。私は「そうですな」と答えた。しかし私の心には何の同情も起らなかった。子供を持った事のないその時の私は、子供をただ蒼蠅いもののように考えていた。 「一人|貰ってやろうか」と先生がいった。 「貰ッ子じゃ、ねえあなた」と奥さんはまた私の方を向いた。 「子供はいつまで経ったってできっこないよ」と先生がいった。  奥さんは黙っていた。「なぜです」と私が代りに聞いた時先生は「天罰だからさ」といって高く笑った。 九  私の知る限り先生と奥さんとは、仲の好い夫婦の一対であった。家庭の一員として暮した事のない私のことだから、深い消息は無論|解らなかったけれども、座敷で私と対坐している時、先生は何かのついでに、下女を呼ばないで、奥さんを呼ぶ事があった。。先生は「おい静」といつでも襖の方を振り向いた。その呼びかたが私には優しく聞こえた。返事をして出て来る奥さんの様子も甚だ素直であった。ときたまご馳走になって、奥さんが席へ現われる場合などには、この関係が一層明らかに二人の間に描き出されるようであった。  先生は時々奥さんを伴れて、音楽会だの芝居だのに行った。それから夫婦づれで一週間以内の旅行をした事も、私の記憶によると、二、三度以上あった。私は箱根から貰った絵端書をまだ持っている。日光へ行った時は紅葉の葉を一枚封じ込めた郵便も貰った。  当時の私の眼に映った先生と奥さんの間柄はまずこんなものであった。そのうちにたった一つの例外があった。ある日私がいつもの通り、先生の玄関から案内を頼もうとすると、座敷の方でだれかの話し声がした。よく聞くと、それが尋常の談話でなくって、どうも言逆いらしかった。先生の宅は玄関の次がすぐ座敷になっているので、格子の前に立っていた私の耳にその言逆いの調子だけはほぼ分った。そうしてそのうちの一人が先生だという事も、時々高まって来る男の方の声で解った。相手は先生よりも低い音なので、誰だか判然しなかったが、どうも奥さんらしく感ぜられた。泣いているようでもあった。私はどうしたものだろうと思って玄関先で迷ったが、すぐ決心をしてそのまま下宿へ帰った。  妙に不安な心持が私を襲って来た。私は書物を読んでも呑み込む能力を失ってしまった。約一時間ばかりすると先生が窓の下へ来て私の名を呼んだ。私は驚いて窓を開けた。先生は散歩しようといって、下から私を誘った。先刻帯の間へ包んだままの時計を出して見ると、もう八時過ぎであった。私は帰ったなりまだ袴を着けていた。私はそれなりすぐ表へ出た。  その晩私は先生といっしょに麦酒を飲んだ。先生は元来酒量に乏しい人であった。ある程度まで飲んで、それで酔えなければ、酔うまで飲んでみるという冒険のできない人であった。 「今日は駄目です」といって先生は苦笑した。 「愉快になれませんか」と私は気の毒そうに聞いた。  私の腹の中には始終|先刻の事が引っ懸っていた。肴の骨が咽喉に刺さった時のように、私は苦しんだ。打ち明けてみようかと考えたり、止した方が好かろうかと思い直したりする動揺が、妙に私の様子をそわそわさせた。 「君、今夜はどうかしていますね」と先生の方からいい出した。「実は私も少し変なのですよ。君に分りますか」  私は何の答えもし得なかった。 「実は先刻妻と少し喧嘩をしてね。それで下らない神経を昂奮させてしまったんです」と先生がまたいった。 「どうして……」  私には喧嘩という言葉が口へ出て来なかった。 「妻が私を誤解するのです。それを誤解だといって聞かせても承知しないのです。つい腹を立てたのです」 「どんなに先生を誤解なさるんですか」  先生は私のこの問いに答えようとはしなかった。 「妻が考えているような人間なら、私だってこんなに苦しんでいやしない」  先生がどんなに苦しんでいるか、これも私には想像の及ばない問題であった。 十  二人が帰るとき歩きながらの沈黙が一|丁も二丁もつづいた。その後で突然先生が口を利き出した。 「悪い事をした。怒って出たから妻はさぞ心配をしているだろう。考えると女は可哀そうなものですね。私の妻などは私より外にまるで頼りにするものがないんだから」  先生の言葉はちょっとそこで途切れたが、別に私の返事を期待する様子もなく、すぐその続きへ移って行った。 「そういうと、夫の方はいかにも心丈夫のようで少し滑稽だが。君、私は君の眼にどう映りますかね。強い人に見えますか、弱い人に見えますか」 「中位に見えます」と私は答えた。この答えは先生にとって少し案外らしかった。先生はまた口を閉じて、無言で歩き出した。  先生の宅へ帰るには私の下宿のつい傍を通るのが順路であった。私はそこまで来て、曲り角で分れるのが先生に済まないような気がした。「ついでにお宅の前までお伴しましょうか」といった。先生は忽ち手で私を遮った。 「もう遅いから早く帰りたまえ。私も早く帰ってやるんだから、妻君のために」  先生が最後に付け加えた「妻君のために」という言葉は妙にその時の私の心を暖かにした。私はその言葉のために、帰ってから安心して寝る事ができた。私はその後も長い間この「妻君のために」という言葉を忘れなかった。  先生と奥さんの間に起った波瀾が、大したものでない事はこれでも解った。それがまた滅多に起る現象でなかった事も、その後絶えず出入りをして来た私にはほぼ推察ができた。それどころか先生はある時こんな感想すら私に洩らした。 「私は世の中で女というものをたった一人しか知らない。妻以外の女はほとんど女として私に訴えないのです。妻の方でも、私を天下にただ一人しかない男と思ってくれています。そういう意味からいって、私たちは最も幸福に生れた人間の一対であるべきはずです」  私は今前後の行き掛りを忘れてしまったから、先生が何のためにこんな自白を私にして聞かせたのか、判然いう事ができない。けれども先生の態度の真面目であったのと、調子の沈んでいたのとは、いまだに記憶に残っている。その時ただ私の耳に異様に響いたのは、「最も幸福に生れた人間の一対であるべきはずです」という最後の一句であった。先生はなぜ幸福な人間といい切らないで、あるべきはずであると断わったのか。私にはそれだけが不審であった。ことにそこへ一種の力を入れた先生の語気が不審であった。先生は事実はたして幸福なのだろうか、また幸福であるべきはずでありながら、それほど幸福でないのだろうか。私は心の中で疑らざるを得なかった。けれどもその疑いは一時限りどこかへ葬られてしまった。  私はそのうち先生の留守に行って、奥さんと二人|差向いで話をする機会に出合った。先生はその日|横浜を出帆する汽船に乗って外国へ行くべき友人を新橋へ送りに行って留守であった。横浜から船に乗る人が、朝八時半の汽車で新橋を立つのはその頃の習慣であった。私はある書物について先生に話してもらう必要があったので、あらかじめ先生の承諾を得た通り、約束の九時に訪問した。先生の新橋行きは前日わざわざ告別に来た友人に対する礼義としてその日突然起った出来事であった。先生はすぐ帰るから留守でも私に待っているようにといい残して行った。それで私は座敷へ上がって、先生を待つ間、奥さんと話をした。 十一  その時の私はすでに大学生であった。始めて先生の宅へ来た頃から見るとずっと成人した気でいた。奥さんとも大分懇意になった後であった。私は奥さんに対して何の窮屈も感じなかった。差向いで色々の話をした。しかしそれは特色のないただの談話だから、今ではまるで忘れてしまった。そのうちでたった一つ私の耳に留まったものがある。しかしそれを話す前に、ちょっと断っておきたい事がある。  先生は大学出身であった。これは始めから私に知れていた。しかし先生の何もしないで遊んでいるという事は、東京へ帰って少し経ってから始めて分った。私はその時どうして遊んでいられるのかと思った。  先生はまるで世間に名前を知られていない人であった。だから先生の学問や思想については、先生と密切の関係をもっている私より外に敬意を払うもののあるべきはずがなかった。それを私は常に惜しい事だといった。先生はまた「私のようなものが世の中へ出て、口を利いては済まない」と答えるぎりで、取り合わなかった。私にはその答えが謙遜過ぎてかえって世間を冷評するようにも聞こえた。実際先生は時々昔の同級生で今著名になっている誰彼を捉えて、ひどく無遠慮な批評を加える事があった。それで私は露骨にその矛盾を挙げて云々してみた。私の精神は反抗の意味というよりも、世間が先生を知らないで平気でいるのが残念だったからである。その時先生は沈んだ調子で、「どうしても私は世間に向かって働き掛ける資格のない男だから仕方がありません」といった。先生の顔には深い一種の表情がありありと刻まれた。私にはそれが失望だか、不平だか、悲哀だか、解らなかったけれども、何しろ二の句の継げないほどに強いものだったので、私はそれぎり何もいう勇気が出なかった。  私が奥さんと話している間に、問題が自然先生の事からそこへ落ちて来た。 「先生はなぜああやって、宅で考えたり勉強したりなさるだけで、世の中へ出て仕事をなさらないんでしょう」 「あの人は駄目ですよ。そういう事が嫌いなんですから」 「つまり下らない事だと悟っていらっしゃるんでしょうか」 「悟るの悟らないのって、――そりゃ女だからわたくしには解りませんけれど、おそらくそんな意味じゃないでしょう。やっぱり何かやりたいのでしょう。それでいてできないんです。だから気の毒ですわ」 「しかし先生は健康からいって、別にどこも悪いところはないようじゃありませんか」 「丈夫ですとも。何にも持病はありません」 「それでなぜ活動ができないんでしょう」 「それが解らないのよ、あなた。それが解るくらいなら私だって、こんなに心配しやしません。わからないから気の毒でたまらないんです」  奥さんの語気には非常に同情があった。それでも口元だけには微笑が見えた。外側からいえば、私の方がむしろ真面目だった。私はむずかしい顔をして黙っていた。すると奥さんが急に思い出したようにまた口を開いた。 「若い時はあんな人じゃなかったんですよ。若い時はまるで違っていました。それが全く変ってしまったんです」 「若い時っていつ頃ですか」と私が聞いた。 「書生時代よ」 「書生時代から先生を知っていらっしゃったんですか」  奥さんは急に薄赤い顔をした。 十二  奥さんは東京の人であった。それはかつて先生からも奥さん自身からも聞いて知っていた。奥さんは「本当いうと合の子なんですよ」といった。奥さんの父親はたしか鳥取かどこかの出であるのに、お母さんの方はまだ江戸といった時分の市ヶ谷で生れた女なので、奥さんは冗談半分そういったのである。ところが先生は全く方角違いの新潟県人であった。だから奥さんがもし先生の書生時代を知っているとすれば、郷里の関係からでない事は明らかであった。しかし薄赤い顔をした奥さんはそれより以上の話をしたくないようだったので、私の方でも深くは聞かずにおいた。  先生と知り合いになってから先生の亡くなるまでに、私はずいぶん色々の問題で先生の思想や情操に触れてみたが、結婚当時の状況については、ほとんど何ものも聞き得なかった。私は時によると、それを善意に解釈してもみた。年輩の先生の事だから、艶めかしい回想などを若いものに聞かせるのはわざと慎んでいるのだろうと思った。時によると、またそれを悪くも取った。先生に限らず、奥さんに限らず、二人とも私に比べると、一時代前の因襲のうちに成人したために、そういう艶っぽい問題になると、正直に自分を開放するだけの勇気がないのだろうと考えた。もっともどちらも推測に過ぎなかった。そうしてどちらの推測の裏にも、二人の結婚の奥に横たわる花やかなロマンスの存在を仮定していた。  私の仮定ははたして誤らなかった。けれども私はただ恋の半面だけを想像に描き得たに過ぎなかった。先生は美しい恋愛の裏に、恐ろしい悲劇を持っていた。そうしてその悲劇のどんなに先生にとって見惨なものであるかは相手の奥さんにまるで知れていなかった。奥さんは今でもそれを知らずにいる。先生はそれを奥さんに隠して死んだ。先生は奥さんの幸福を破壊する前に、まず自分の生命を破壊してしまった。  私は今この悲劇について何事も語らない。その悲劇のためにむしろ生れ出たともいえる二人の恋愛については、先刻いった通りであった。二人とも私にはほとんど何も話してくれなかった。奥さんは慎みのために、先生はまたそれ以上の深い理由のために。  ただ一つ私の記憶に残っている事がある。或る時|花時分に私は先生といっしょに上野へ行った。そうしてそこで美しい一対の男女を見た。彼らは睦まじそうに寄り添って花の下を歩いていた。場所が場所なので、花よりもそちらを向いて眼を峙だてている人が沢山あった。 「新婚の夫婦のようだね」と先生がいった。 「仲が好さそうですね」と私が答えた。  先生は苦笑さえしなかった。二人の男女を視線の外に置くような方角へ足を向けた。それから私にこう聞いた。 「君は恋をした事がありますか」  私はないと答えた。 「恋をしたくはありませんか」  私は答えなかった。 「したくない事はないでしょう」 「ええ」 「君は今あの男と女を見て、冷評しましたね。あの冷評のうちには君が恋を求めながら相手を得られないという不快の声が交っていましょう」 「そんな風に聞こえましたか」 「聞こえました。恋の満足を味わっている人はもっと暖かい声を出すものです。しかし……しかし君、恋は罪悪ですよ。解っていますか」  私は急に驚かされた。何とも返事をしなかった。 十三  我々は群集の中にいた。群集はいずれも嬉しそうな顔をしていた。そこを通り抜けて、花も人も見えない森の中へ来るまでは、同じ問題を口にする機会がなかった。 「恋は罪悪ですか」と私がその時突然聞いた。 「罪悪です。たしかに」と答えた時の先生の語気は前と同じように強かった。 「なぜですか」 「なぜだか今に解ります。今にじゃない、もう解っているはずです。あなたの心はとっくの昔からすでに恋で動いているじゃありませんか」  私は一応自分の胸の中を調べて見た。けれどもそこは案外に空虚であった。思いあたるようなものは何にもなかった。 「私の胸の中にこれという目的物は一つもありません。私は先生に何も隠してはいないつもりです」 「目的物がないから動くのです。あれば落ち付けるだろうと思って動きたくなるのです」 「今それほど動いちゃいません」 「あなたは物足りない結果私の所に動いて来たじゃありませんか」 「それはそうかも知れません。しかしそれは恋とは違います」 「恋に上る楷段なんです。異性と抱き合う順序として、まず同性の私の所へ動いて来たのです」 「私には二つのものが全く性質を異にしているように思われます」 「いや同じです。私は男としてどうしてもあなたに満足を与えられない人間なのです。それから、ある特別の事情があって、なおさらあなたに満足を与えられないでいるのです。私は実際お気の毒に思っています。あなたが私からよそへ動いて行くのは仕方がない。私はむしろそれを希望しているのです。しかし……」  私は変に悲しくなった。 「私が先生から離れて行くようにお思いになれば仕方がありませんが、私にそんな気の起った事はまだありません」  先生は私の言葉に耳を貸さなかった。 「しかし気を付けないといけない。恋は罪悪なんだから。私の所では満足が得られない代りに危険もないが、――君、黒い長い髪で縛られた時の心持を知っていますか」  私は想像で知っていた。しかし事実としては知らなかった。いずれにしても先生のいう罪悪という意味は朦朧としてよく解らなかった。その上私は少し不愉快になった。 「先生、罪悪という意味をもっと判然いって聞かして下さい。それでなければこの問題をここで切り上げて下さい。私自身に罪悪という意味が判然解るまで」 「悪い事をした。私はあなたに真実を話している気でいた。ところが実際は、あなたを焦慮していたのだ。私は悪い事をした」  先生と私とは博物館の裏から鶯渓の方角に静かな歩調で歩いて行った。垣の隙間から広い庭の一部に茂る熊笹が幽邃に見えた。 「君は私がなぜ毎月雑司ヶ谷の墓地に埋っている友人の墓へ参るのか知っていますか」  先生のこの問いは全く突然であった。しかも先生は私がこの問いに対して答えられないという事もよく承知していた。私はしばらく返事をしなかった。すると先生は始めて気が付いたようにこういった。 「また悪い事をいった。焦慮せるのが悪いと思って、説明しようとすると、その説明がまたあなたを焦慮せるような結果になる。どうも仕方がない。この問題はこれで止めましょう。とにかく恋は罪悪ですよ、よござんすか。そうして神聖なものですよ」  私には先生の話がますます解らなくなった。しかし先生はそれぎり恋を口にしなかった。 十四  年の若い私はややともすると一図になりやすかった。少なくとも先生の眼にはそう映っていたらしい。私には学校の講義よりも先生の談話の方が有益なのであった。教授の意見よりも先生の思想の方が有難いのであった。とどの詰まりをいえば、教壇に立って私を指導してくれる偉い人々よりもただ独りを守って多くを語らない先生の方が偉く見えたのであった。 「あんまり逆上ちゃいけません」と先生がいった。 「覚めた結果としてそう思うんです」と答えた時の私には充分の自信があった。その自信を先生は肯がってくれなかった。 「あなたは熱に浮かされているのです。熱がさめると厭になります。私は今のあなたからそれほどに思われるのを、苦しく感じています。しかしこれから先のあなたに起るべき変化を予想して見ると、なお苦しくなります」 「私はそれほど軽薄に思われているんですか。それほど不信用なんですか」 「私はお気の毒に思うのです」 「気の毒だが信用されないとおっしゃるんですか」  先生は迷惑そうに庭の方を向いた。その庭に、この間まで重そうな赤い強い色をぽたぽた点じていた椿の花はもう一つも見えなかった。先生は座敷からこの椿の花をよく眺める癖があった。 「信用しないって、特にあなたを信用しないんじゃない。人間全体を信用しないんです」  その時|生垣の向うで金魚売りらしい声がした。その外には何の聞こえるものもなかった。大通りから二|丁も深く折れ込んだ小路は存外静かであった。家の中はいつもの通りひっそりしていた。私は次の間に奥さんのいる事を知っていた。黙って針仕事か何かしている奥さんの耳に私の話し声が聞こえるという事も知っていた。しかし私は全くそれを忘れてしまった。 「じゃ奥さんも信用なさらないんですか」と先生に聞いた。  先生は少し不安な顔をした。そうして直接の答えを避けた。 「私は私自身さえ信用していないのです。つまり自分で自分が信用できないから、人も信用できないようになっているのです。自分を呪うより外に仕方がないのです」 「そうむずかしく考えれば、誰だって確かなものはないでしょう」 「いや考えたんじゃない。やったんです。やった後で驚いたんです。そうして非常に怖くなったんです」  私はもう少し先まで同じ道を辿って行きたかった。すると襖の陰で「あなた、あなた」という奥さんの声が二度聞こえた。先生は二度目に「何だい」といった。奥さんは「ちょっと」と先生を次の間へ呼んだ。二人の間にどんな用事が起ったのか、私には解らなかった。それを想像する余裕を与えないほど早く先生はまた座敷へ帰って来た。 「とにかくあまり私を信用してはいけませんよ。今に後悔するから。そうして自分が欺かれた返報に、残酷な復讐をするようになるものだから」 「そりゃどういう意味ですか」 「かつてはその人の膝の前に跪いたという記憶が、今度はその人の頭の上に足を載せさせようとするのです。私は未来の侮辱を受けないために、今の尊敬を斥けたいと思うのです。私は今より一層|淋しい未来の私を我慢する代りに、淋しい今の私を我慢したいのです。自由と独立と己れとに充ちた現代に生れた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう」  私はこういう覚悟をもっている先生に対して、いうべき言葉を知らなかった。 十五  その後私は奥さんの顔を見るたびに気になった。先生は奥さんに対しても始終こういう態度に出るのだろうか。もしそうだとすれば、奥さんはそれで満足なのだろうか。  奥さんの様子は満足とも不満足とも極めようがなかった。私はそれほど近く奥さんに接触する機会がなかったから。それから奥さんは私に会うたびに尋常であったから。最後に先生のいる席でなければ私と奥さんとは滅多に顔を合せなかったから。  私の疑惑はまだその上にもあった。先生の人間に対するこの覚悟はどこから来るのだろうか。ただ冷たい眼で自分を内省したり現代を観察したりした結果なのだろうか。先生は坐って考える質の人であった。先生の頭さえあれば、こういう態度は坐って世の中を考えていても自然と出て来るものだろうか。私にはそうばかりとは思えなかった。先生の覚悟は生きた覚悟らしかった。火に焼けて冷却し切った石造家屋の輪廓とは違っていた。私の眼に映ずる先生はたしかに思想家であった。けれどもその思想家の纏め上げた主義の裏には、強い事実が織り込まれているらしかった。自分と切り離された他人の事実でなくって、自分自身が痛切に味わった事実、血が熱くなったり脈が止まったりするほどの事実が、畳み込まれているらしかった。  これは私の胸で推測するがものはない。先生自身すでにそうだと告白していた。ただその告白が雲の峯のようであった。私の頭の上に正体の知れない恐ろしいものを蔽い被せた。そうしてなぜそれが恐ろしいか私にも解らなかった。告白はぼうとしていた。それでいて明らかに私の神経を震わせた。  私は先生のこの人生観の基点に、或る強烈な恋愛事件を仮定してみた。。先生がかつて恋は罪悪だといった事から照らし合せて見ると、多少それが手掛りにもなった。しかし先生は現に奥さんを愛していると私に告げた。すると二人の恋からこんな厭世に近い覚悟が出ようはずがなかった。「かつてはその人の前に跪いたという記憶が、今度はその人の頭の上に足を載せさせようとする」といった先生の言葉は、現代一般の誰彼について用いられるべきで、先生と奥さんの間には当てはまらないもののようでもあった。  雑司ヶ谷にある誰だか分らない人の墓、――これも私の記憶に時々動いた。私はそれが先生と深い縁故のある墓だという事を知っていた。先生の生活に近づきつつありながら、近づく事のできない私は、先生の頭の中にある生命の断片として、その墓を私の頭の中にも受け入れた。けれども私に取ってその墓は全く死んだものであった。二人の間にある生命の扉を開ける鍵にはならなかった。むしろ二人の間に立って、自由の往来を妨げる魔物のようであった。  そうこうしているうちに、私はまた奥さんと差し向いで話をしなければならない時機が来た。その頃は日の詰って行くせわしない秋に、誰も注意を惹かれる肌寒の季節であった。先生の附近で盗難に罹ったものが三、四日続いて出た。盗難はいずれも宵の口であった。大したものを持って行かれた家はほとんどなかったけれども、はいられた所では必ず何か取られた。奥さんは気味をわるくした。そこへ先生がある晩家を空けなければならない事情ができてきた。先生と同郷の友人で地方の病院に奉職しているものが上京したため、先生は外の二、三名と共に、ある所でその友人に飯を食わせなければならなくなった。先生は訳を話して、私に帰ってくる間までの留守番を頼んだ。私はすぐ引き受けた。 十六  私の行ったのはまだ灯の点くか点かない暮れ方であったが、几帳面な先生はもう宅にいなかった。「時間に後れると悪いって、つい今しがた出掛けました」といった奥さんは、私を先生の書斎へ案内した。  書斎には洋机と椅子の外に、沢山の書物が美しい背皮を並べて、硝子越に電燈の光で照らされていた。奥さんは火鉢の前に敷いた座蒲団の上へ私を坐らせて、「ちっとそこいらにある本でも読んでいて下さい」と断って出て行った。私はちょうど主人の帰りを待ち受ける客のような気がして済まなかった。私は畏まったまま烟草を飲んでいた。奥さんが茶の間で何か下女に話している声が聞こえた。書斎は茶の間の縁側を突き当って折れ曲った角にあるので、棟の位置からいうと、座敷よりもかえって掛け離れた静かさを領していた。ひとしきりで奥さんの話し声が已むと、後はしんとした。私は泥棒を待ち受けるような心持で、凝としながら気をどこかに配った。  三十分ほどすると、奥さんがまた書斎の入口へ顔を出した。「おや」といって、軽く驚いた時の眼を私に向けた。そうして客に来た人のように鹿爪らしく控えている私をおかしそうに見た。 「それじゃ窮屈でしょう」 「いえ、窮屈じゃありません」 「でも退屈でしょう」 「いいえ。泥棒が来るかと思って緊張しているから退屈でもありません」  奥さんは手に紅茶茶碗を持ったまま、笑いながらそこに立っていた。 「ここは隅っこだから番をするには好くありませんね」と私がいった。 「じゃ失礼ですがもっと真中へ出て来て頂戴。ご退屈だろうと思って、お茶を入れて持って来たんですが、茶の間で宜しければあちらで上げますから」  私は奥さんの後に尾いて書斎を出た。茶の間には綺麗な長火鉢に鉄瓶が鳴っていた。私はそこで茶と菓子のご馳走になった。奥さんは寝られないといけないといって、茶碗に手を触れなかった。 「先生はやっぱり時々こんな会へお出掛けになるんですか」 「いいえ滅多に出た事はありません。近頃は段々人の顔を見るのが嫌いになるようです」  こういった奥さんの様子に、別段困ったものだという風も見えなかったので、私はつい大胆になった。 「それじゃ奥さんだけが例外なんですか」 「いいえ私も嫌われている一人なんです」 「そりゃ嘘です」と私がいった。「奥さん自身嘘と知りながらそうおっしゃるんでしょう」 「なぜ」 「私にいわせると、奥さんが好きになったから世間が嫌いになるんですもの」 「あなたは学問をする方だけあって、なかなかお上手ね。空っぽな理屈を使いこなす事が。世の中が嫌いになったから、私までも嫌いになったんだともいわれるじゃありませんか。それと同なじ理屈で」 「両方ともいわれる事はいわれますが、この場合は私の方が正しいのです」 「議論はいやよ。よく男の方は議論だけなさるのね、面白そうに。空の盃でよくああ飽きずに献酬ができると思いますわ」  奥さんの言葉は少し手痛かった。しかしその言葉の耳障からいうと、決して猛烈なものではなかった。自分に頭脳のある事を相手に認めさせて、そこに一種の誇りを見出すほどに奥さんは現代的でなかった。奥さんはそれよりもっと底の方に沈んだ心を大事にしているらしく見えた。 十七  私はまだその後にいうべき事をもっていた。けれども奥さんから徒らに議論を仕掛ける男のように取られては困ると思って遠慮した。奥さんは飲み干した紅茶茶碗の底を覗いて黙っている私を外らさないように、「もう一杯上げましょうか」と聞いた。私はすぐ茶碗を奥さんの手に渡した。 「いくつ? 一つ? 二ッつ?」  妙なもので角砂糖をつまみ上げた奥さんは、私の顔を見て、茶碗の中へ入れる砂糖の数を聞いた。奥さんの態度は私に媚びるというほどではなかったけれども、先刻の強い言葉を力めて打ち消そうとする愛嬌に充ちていた。  私は黙って茶を飲んだ。飲んでしまっても黙っていた。 「あなた大変黙り込んじまったのね」と奥さんがいった。 「何かいうとまた議論を仕掛けるなんて、叱り付けられそうですから」と私は答えた。 「まさか」と奥さんが再びいった。  二人はそれを緒口にまた話を始めた。そうしてまた二人に共通な興味のある先生を問題にした。 「奥さん、先刻の続きをもう少しいわせて下さいませんか。奥さんには空な理屈と聞こえるかも知れませんが、私はそんな上の空でいってる事じゃないんだから」 「じゃおっしゃい」 「今奥さんが急にいなくなったとしたら、先生は現在の通りで生きていられるでしょうか」 「そりゃ分らないわ、あなた。そんな事、先生に聞いて見るより外に仕方がないじゃありませんか。私の所へ持って来る問題じゃないわ」 「奥さん、私は真面目ですよ。だから逃げちゃいけません。正直に答えなくっちゃ」 「正直よ。正直にいって私には分らないのよ」 「じゃ奥さんは先生をどのくらい愛していらっしゃるんですか。これは先生に聞くよりむしろ奥さんに伺っていい質問ですから、あなたに伺います」 「何もそんな事を開き直って聞かなくっても好いじゃありませんか」 「真面目くさって聞くがものはない。分り切ってるとおっしゃるんですか」 「まあそうよ」 「そのくらい先生に忠実なあなたが急にいなくなったら、先生はどうなるんでしょう。世の中のどっちを向いても面白そうでない先生は、あなたが急にいなくなったら後でどうなるでしょう。先生から見てじゃない。あなたから見てですよ。あなたから見て、先生は幸福になるでしょうか、不幸になるでしょうか」 「そりゃ私から見れば分っています。。先生は私を離れれば不幸になるだけです。あるいは生きていられないかも知れませんよ。そういうと、己惚になるようですが、私は今先生を人間としてできるだけ幸福にしているんだと信じていますわ。どんな人があっても私ほど先生を幸福にできるものはないとまで思い込んでいますわ。それだからこうして落ち付いていられるんです」 「その信念が先生の心に好く映るはずだと私は思いますが」 「それは別問題ですわ」 「やっぱり先生から嫌われているとおっしゃるんですか」 「私は嫌われてるとは思いません。嫌われる訳がないんですもの。しかし先生は世間が嫌いなんでしょう。世間というより近頃では人間が嫌いになっているんでしょう。だからその人間の一人として、私も好かれるはずがないじゃありませんか」  奥さんの嫌われているという意味がやっと私に呑み込めた。 十八  私は奥さんの理解力に感心した。奥さんの態度が旧式の日本の女らしくないところも私の注意に一種の刺戟を与えた。それで奥さんはその頃流行り始めたいわゆる新しい言葉などはほとんど使わなかった。  私は女というものに深い交際をした経験のない迂闊な青年であった。男としての私は、異性に対する本能から、憧憬の目的物として常に女を夢みていた。けれどもそれは懐かしい春の雲を眺めるような心持で、ただ漠然と夢みていたに過ぎなかった。だから実際の女の前へ出ると、私の感情が突然変る事が時々あった。私は自分の前に現われた女のために引き付けられる代りに、その場に臨んでかえって変な反撥力を感じた。奥さんに対した私にはそんな気がまるで出なかった。普通|男女の間に横たわる思想の不平均という考えもほとんど起らなかった。私は奥さんの女であるという事を忘れた。私はただ誠実なる先生の批評家および同情家として奥さんを眺めた。 「奥さん、私がこの前なぜ先生が世間的にもっと活動なさらないのだろうといって、あなたに聞いた時に、あなたはおっしゃった事がありますね。元はああじゃなかったんだって」 「ええいいました。実際あんなじゃなかったんですもの」 「どんなだったんですか」 「あなたの希望なさるような、また私の希望するような頼もしい人だったんです」 「それがどうして急に変化なすったんですか」 「急にじゃありません、段々ああなって来たのよ」 「奥さんはその間始終先生といっしょにいらしったんでしょう」 「無論いましたわ。夫婦ですもの」 「じゃ先生がそう変って行かれる源因がちゃんと解るべきはずですがね」 「それだから困るのよ。あなたからそういわれると実に辛いんですが、私にはどう考えても、考えようがないんですもの。私は今まで何遍あの人に、どうぞ打ち明けて下さいって頼んで見たか分りゃしません」 「先生は何とおっしゃるんですか」 「何にもいう事はない、何にも心配する事はない、おれはこういう性質になったんだからというだけで、取り合ってくれないんです」  私は黙っていた。奥さんも言葉を途切らした。下女部屋にいる下女はことりとも音をさせなかった。私はまるで泥棒の事を忘れてしまった。 「あなたは私に責任があるんだと思ってやしませんか」と突然奥さんが聞いた。 「いいえ」と私が答えた。 「どうぞ隠さずにいって下さい。そう思われるのは身を切られるより辛いんだから」と奥さんがまたいった。「これでも私は先生のためにできるだけの事はしているつもりなんです」 「そりゃ先生もそう認めていられるんだから、大丈夫です。ご安心なさい、私が保証します」  奥さんは火鉢の灰を掻き馴らした。それから水注の水を鉄瓶に注した。鉄瓶は忽ち鳴りを沈めた。 「私はとうとう辛防し切れなくなって、先生に聞きました。私に悪い所があるなら遠慮なくいって下さい、改められる欠点なら改めるからって、すると先生は、お前に欠点なんかありゃしない、欠点はおれの方にあるだけだというんです。そういわれると、私悲しくなって仕様がないんです、涙が出てなおの事自分の悪い所が聞きたくなるんです」  奥さんは眼の中に涙をいっぱい溜めた。 十九  始め私は理解のある女性として奥さんに対していた。私がその気で話しているうちに、奥さんの様子が次第に変って来た。奥さんは私の頭脳に訴える代りに、私の心臓を動かし始めた。自分と夫の間には何の蟠まりもない、またないはずであるのに、やはり何かある。それだのに眼を開けて見極めようとすると、やはり何にもない。奥さんの苦にする要点はここにあった。  奥さんは最初世の中を見る先生の眼が厭世的だから、その結果として自分も嫌われているのだと断言した。そう断言しておきながら、ちっともそこに落ち付いていられなかった。底を割ると、かえってその逆を考えていた。先生は自分を嫌う結果、とうとう世の中まで厭になったのだろうと推測していた。けれどもどう骨を折っても、その推測を突き留めて事実とする事ができなかった。先生の態度はどこまでも良人らしかった。親切で優しかった。疑いの塊りをその日その日の情合で包んで、そっと胸の奥にしまっておいた奥さんは、その晩その包みの中を私の前で開けて見せた。 「あなたどう思って?」と聞いた。「私からああなったのか、それともあなたのいう人世観とか何とかいうものから、ああなったのか。隠さずいって頂戴」  私は何も隠す気はなかった。けれども私の知らないあるものがそこに存在しているとすれば、私の答えが何であろうと、それが奥さんを満足させるはずがなかった。そうして私はそこに私の知らないあるものがあると信じていた。 「私には解りません」  奥さんは予期の外れた時に見る憐れな表情をその咄嗟に現わした。私はすぐ私の言葉を継ぎ足した。 「しかし先生が奥さんを嫌っていらっしゃらない事だけは保証します。私は先生自身の口から聞いた通りを奥さんに伝えるだけです。先生は嘘を吐かない方でしょう」  奥さんは何とも答えなかった。しばらくしてからこういった。 「実は私すこし思いあたる事があるんですけれども……」 「先生がああいう風になった源因についてですか」 「ええ。もしそれが源因だとすれば、私の責任だけはなくなるんだから、それだけでも私大変楽になれるんですが、……」 「どんな事ですか」  奥さんはいい渋って膝の上に置いた自分の手を眺めていた。 「あなた判断して下すって。いうから」 「私にできる判断ならやります」 「みんなはいえないのよ。みんないうと叱られるから。叱られないところだけよ」  私は緊張して唾液を呑み込んだ。 「先生がまだ大学にいる時分、大変仲の好いお友達が一人あったのよ。その方がちょうど卒業する少し前に死んだんです。急に死んだんです」  奥さんは私の耳に私語くような小さな声で、「実は変死したんです」といった。それは「どうして」と聞き返さずにはいられないようないい方であった。 「それっ切りしかいえないのよ。けれどもその事があってから後なんです。先生の性質が段々変って来たのは。なぜその方が死んだのか、私には解らないの。先生にもおそらく解っていないでしょう。けれどもそれから先生が変って来たと思えば、そう思われない事もないのよ」 「その人の墓ですか、雑司ヶ谷にあるのは」 「それもいわない事になってるからいいません。しかし人間は親友を一人亡くしただけで、そんなに変化できるものでしょうか。私はそれが知りたくって堪らないんです。だからそこを一つあなたに判断して頂きたいと思うの」  私の判断はむしろ否定の方に傾いていた。 二十  私は私のつらまえた事実の許す限り、奥さんを慰めようとした。奥さんもまたできるだけ私によって慰められたそうに見えた。それで二人は同じ問題をいつまでも話し合った。けれども私はもともと事の大根を攫んでいなかった。奥さんの不安も実はそこに漂う薄い雲に似た疑惑から出て来ていた。事件の真相になると、奥さん自身にも多くは知れていなかった。知れているところでも悉皆は私に話す事ができなかった。したがって慰める私も、慰められる奥さんも、共に波に浮いて、ゆらゆらしていた。ゆらゆらしながら、奥さんはどこまでも手を出して、覚束ない私の判断に縋り付こうとした。  十時|頃になって先生の靴の音が玄関に聞こえた時、奥さんは急に今までのすべてを忘れたように、前に坐っている私をそっちのけにして立ち上がった。そうして格子を開ける先生をほとんど出合い頭に迎えた。私は取り残されながら、後から奥さんに尾いて行った。下女だけは仮寝でもしていたとみえて、ついに出て来なかった。  先生はむしろ機嫌がよかった。しかし奥さんの調子はさらによかった。今しがた奥さんの美しい眼のうちに溜った涙の光と、それから黒い眉毛の根に寄せられた八の字を記憶していた私は、その変化を異常なものとして注意深く眺めた。もしそれが詐りでなかったならば、、今までの奥さんの訴えは感傷を玩ぶためにとくに私を相手に拵えた、徒らな女性の遊戯と取れない事もなかった。もっともその時の私には奥さんをそれほど批評的に見る気は起らなかった。私は奥さんの態度の急に輝いて来たのを見て、むしろ安心した。これならばそう心配する必要もなかったんだと考え直した。  先生は笑いながら「どうもご苦労さま、泥棒は来ませんでしたか」と私に聞いた。それから「来ないんで張合が抜けやしませんか」といった。  帰る時、奥さんは「どうもお気の毒さま」と会釈した。その調子は忙しいところを暇を潰させて気の毒だというよりも、せっかく来たのに泥棒がはいらなくって気の毒だという冗談のように聞こえた。奥さんはそういいながら、先刻出した西洋菓子の残りを、紙に包んで私の手に持たせた。私はそれを袂へ入れて、人通りの少ない夜寒の小路を曲折して賑やかな町の方へ急いだ。  私はその晩の事を記憶のうちから抽き抜いてここへ詳しく書いた。これは書くだけの必要があるから書いたのだが、実をいうと、奥さんに菓子を貰って帰るときの気分では、それほど当夜の会話を重く見ていなかった。私はその翌日午飯を食いに学校から帰ってきて、昨夜机の上に載せて置いた菓子の包みを見ると、すぐその中からチョコレートを塗った鳶色のカステラを出して頬張った。そうしてそれを食う時に、必竟この菓子を私にくれた二人の男女は、幸福な一対として世の中に存在しているのだと自覚しつつ味わった。  秋が暮れて冬が来るまで格別の事もなかった。私は先生の宅へ出はいりをするついでに、衣服の洗い張りや仕立て方などを奥さんに頼んだ。それまで繻絆というものを着た事のない私が、シャツの上に黒い襟のかかったものを重ねるようになったのはこの時からであった。子供のない奥さんは、そういう世話を焼くのがかえって退屈凌ぎになって、結句身体の薬だぐらいの事をいっていた。 「こりゃ手織りね。こんな地の好い着物は今まで縫った事がないわ。その代り縫い悪いのよそりゃあ。まるで針が立たないんですもの。お蔭で針を二本折りましたわ」  こんな苦情をいう時ですら、奥さんは別に面倒くさいという顔をしなかった。 二十一  冬が来た時、私は偶然国へ帰らなければならない事になった。私の母から受け取った手紙の中に、父の病気の経過が面白くない様子を書いて、今が今という心配もあるまいが、年が年だから、できるなら都合して帰って来てくれと頼むように付け足してあった。  父はかねてから腎臓を病んでいた。中年以後の人にしばしば見る通り、父のこの病は慢性であった。その代り要心さえしていれば急変のないものと当人も家族のものも信じて疑わなかった。現に父は養生のお蔭一つで、今日までどうかこうか凌いで来たように客が来ると吹聴していた。その父が、母の書信によると、庭へ出て何かしている機に突然|眩暈がして引ッ繰り返った。家内のものは軽症の脳溢血と思い違えて、すぐその手当をした。後で医者からどうもそうではないらしい、やはり持病の結果だろうという判断を得て、始めて卒倒と腎臓病とを結び付けて考えるようになったのである。  冬休みが来るにはまだ少し間があった。私は学期の終りまで待っていても差支えあるまいと思って一日二日そのままにしておいた。するとその一日二日の間に、父の寝ている様子だの、母の心配している顔だのが時々眼に浮かんだ。そのたびに一種の心苦しさを嘗めた私は、とうとう帰る決心をした。国から旅費を送らせる手数と時間を省くため、私は暇乞いかたがた先生の所へ行って、要るだけの金を一時立て替えてもらう事にした。  先生は少し風邪の気味で、座敷へ出るのが臆劫だといって、私をその書斎に通した。書斎の硝子戸から冬に入って稀に見るような懐かしい和らかな日光が机掛けの上に射していた。先生はこの日あたりの好い室の中へ大きな火鉢を置いて、五徳の上に懸けた金盥から立ち上る湯気で、呼吸の苦しくなるのを防いでいた。 「大病は好いが、ちょっとした風邪などはかえって厭なものですね」といった先生は、苦笑しながら私の顔を見た。  先生は病気という病気をした事のない人であった。先生の言葉を聞いた私は笑いたくなった。 「私は風邪ぐらいなら我慢しますが、それ以上の病気は真平です。先生だって同じ事でしょう。試みにやってご覧になるとよく解ります」 「そうかね。私は病気になるくらいなら、死病に罹りたいと思ってる」  私は先生のいう事に格別注意を払わなかった。すぐ母の手紙の話をして、金の無心を申し出た。 「そりゃ困るでしょう。そのくらいなら今手元にあるはずだから持って行きたまえ」  先生は奥さんを呼んで、必要の金額を私の前に並べさせてくれた。それを奥の茶箪笥か何かの抽出から出して来た奥さんは、白い半紙の上へ鄭寧に重ねて、「そりゃご心配ですね」といった。 「何遍も卒倒したんですか」と先生が聞いた。 「手紙には何とも書いてありませんが。――そんなに何度も引ッ繰り返るものですか」 「ええ」  先生の奥さんの母親という人も私の父と同じ病気で亡くなったのだという事が始めて私に解った。 「どうせむずかしいんでしょう」と私がいった。 「そうさね。私が代られれば代ってあげても好いが。――嘔気はあるんですか」 「どうですか、何とも書いてないから、大方ないんでしょう」 「吐気さえ来なければまだ大丈夫ですよ」と奥さんがいった。  私はその晩の汽車で東京を立った。 二十二  父の病気は思ったほど悪くはなかった。それでも着いた時は、床の上に胡坐をかいて、「みんなが心配するから、まあ我慢してこう凝としている。なにもう起きても好いのさ」といった。しかしその翌日からは母が止めるのも聞かずに、とうとう床を上げさせてしまった。母は不承無性に太織りの蒲団を畳みながら「お父さんはお前が帰って来たので、急に気が強くおなりなんだよ」といった。私には父の挙動がさして虚勢を張っているようにも思えなかった。  私の兄はある職を帯びて遠い九州にいた。これは万一の事がある場合でなければ、容易に父母の顔を見る自由の利かない男であった。妹は他国へ嫁いだ。これも急場の間に合うように、おいそれと呼び寄せられる女ではなかった。兄妹三人のうちで、一番便利なのはやはり書生をしている私だけであった。その私が母のいい付け通り学校の課業を放り出して、休み前に帰って来たという事が、父には大きな満足であった。 「これしきの病気に学校を休ませては気の毒だ。お母さんがあまり仰山な手紙を書くものだからいけない」  父は口ではこういった。こういったばかりでなく、今まで敷いていた床を上げさせて、いつものような元気を示した。 「あんまり軽はずみをしてまた逆回すといけませんよ」  私のこの注意を父は愉快そうにしかし極めて軽く受けた。 「なに大丈夫、これでいつものように要心さえしていれば」  実際父は大丈夫らしかった。家の中を自由に往来して、息も切れなければ、眩暈も感じなかった。ただ顔色だけは普通の人よりも大変悪かったが、これはまた今始まった症状でもないので、私たちは格別それを気に留めなかった。  私は先生に手紙を書いて恩借の礼を述べた。正月上京する時に持参するからそれまで待ってくれるようにと断わった。そうして父の病状の思ったほど険悪でない事、この分なら当分安心な事、眩暈も嘔気も皆無な事などを書き連ねた。最後に先生の風邪についても一言の見舞を附け加えた。私は先生の風邪を実際軽く見ていたので。  私はその手紙を出す時に決して先生の返事を予期していなかった。出した後で父や母と先生の噂などをしながら、遥かに先生の書斎を想像した。 「こんど東京へ行くときには椎茸でも持って行ってお上げ」 「ええ、しかし先生が干した椎茸なぞを食うかしら」 「旨くはないが、別に嫌いな人もないだろう」  私には椎茸と先生を結び付けて考えるのが変であった。  先生の返事が来た時、私はちょっと驚かされた。ことにその内容が特別の用件を含んでいなかった時、驚かされた。先生はただ親切ずくで、返事を書いてくれたんだと私は思った。そう思うと、その簡単な一本の手紙が私には大層な喜びになった。もっともこれは私が先生から受け取った第一の手紙には相違なかったが。  第一というと私と先生の間に書信の往復がたびたびあったように思われるが、事実は決してそうでない事をちょっと断わっておきたい。私は先生の生前にたった二通の手紙しか貰っていない。その一通は今いうこの簡単な返書で、あとの一通は先生の死ぬ前とくに私|宛で書いた大変長いものである。  父は病気の性質として、運動を慎まなければならないので、床を上げてからも、ほとんど戸外へは出なかった。一度天気のごく穏やかな日の午後庭へ下りた事があるが、その時は万一を気遣って、私が引き添うように傍に付いていた。私が心配して自分の肩へ手を掛けさせようとしても、父は笑って応じなかった。 二十三  私は退屈な父の相手としてよく将碁盤に向かった。二人とも無精な性質なので、炬燵にあたったまま、盤を櫓の上へ載せて、駒を動かすたびに、わざわざ手を掛蒲団の下から出すような事をした。時々|持駒を失くして、次の勝負の来るまで双方とも知らずにいたりした。それを母が灰の中から見付け出して、火箸で挟み上げるという滑稽もあった。 「碁だと盤が高過ぎる上に、足が着いているから、炬燵の上では打てないが、そこへ来ると将碁盤は好いね、こうして楽に差せるから。無精者には持って来いだ。もう一番やろう」  父は勝った時は必ずもう一番やろうといった。そのくせ負けた時にも、もう一番やろうといった。要するに、勝っても負けても、炬燵にあたって、将碁を差したがる男であった。始めのうちは珍しいので、この隠居じみた娯楽が私にも相当の興味を与えたが、少し時日が経つに伴れて、若い私の気力はそのくらいな刺戟で満足できなくなった。私は金や香車を握った拳を頭の上へ伸ばして、時々思い切ったあくびをした。  私は東京の事を考えた。そうして漲る心臓の血潮の奥に、活動活動と打ちつづける鼓動を聞いた。不思議にもその鼓動の音が、ある微妙な意識状態から、先生の力で強められているように感じた。  私は心のうちで、父と先生とを比較して見た。両方とも世間から見れば、生きているか死んでいるか分らないほど大人しい男であった。他に認められるという点からいえばどっちも零であった。それでいて、この将碁を差したがる父は、単なる娯楽の相手としても私には物足りなかった。かつて遊興のために往来をした覚えのない先生は、歓楽の交際から出る親しみ以上に、いつか私の頭に影響を与えていた。ただ頭というのはあまりに冷やか過ぎるから、私は胸といい直したい。肉のなかに先生の力が喰い込んでいるといっても、血のなかに先生の命が流れているといっても、その時の私には少しも誇張でないように思われた。私は父が私の本当の父であり、先生はまたいうまでもなく、あかの他人であるという明白な事実を、ことさらに眼の前に並べてみて、始めて大きな真理でも発見したかのごとくに驚いた。  私がのつそつし出すと前後して、父や母の眼にも今まで珍しかった私が段々|陳腐になって来た。これは夏休みなどに国へ帰る誰でもが一様に経験する心持だろうと思うが、当座の一週間ぐらいは下にも置かないように、ちやほや歓待されるのに、その峠を定規通り通り越すと、あとはそろそろ家族の熱が冷めて来て、しまいには有っても無くっても構わないもののように粗末に取り扱われがちになるものである。私も滞在中にその峠を通り越した。その上私は国へ帰るたびに、父にも母にも解らない変なところを東京から持って帰った。昔でいうと、儒者の家へ切支丹の臭いを持ち込むように、私の持って帰るものは父とも母とも調和しなかった。無論私はそれを隠していた。けれども元々身に着いているものだから、出すまいと思っても、いつかそれが父や母の眼に留まった。私はつい面白くなくなった。早く東京へ帰りたくなった。  父の病気は幸い現状維持のままで、少しも悪い方へ進む模様は見えなかった。念のためにわざわざ遠くから相当の医者を招いたりして、慎重に診察してもらってもやはり私の知っている以外に異状は認められなかった。私は冬休みの尽きる少し前に国を立つ事にした。立つといい出すと、人情は妙なもので、父も母も反対した。 「もう帰るのかい、まだ早いじゃないか」と母がいった。 「まだ四、五日いても間に合うんだろう」と父がいった。  私は自分の極めた出立の日を動かさなかった。 二十四  東京へ帰ってみると、松飾はいつか取り払われていた。町は寒い風の吹くに任せて、どこを見てもこれというほどの正月めいた景気はなかった。  私は早速先生のうちへ金を返しに行った。例の椎茸もついでに持って行った。ただ出すのは少し変だから、母がこれを差し上げてくれといいましたとわざわざ断って奥さんの前へ置いた。椎茸は新しい菓子折に入れてあった。鄭寧に礼を述べた奥さんは、次の間へ立つ時、その折を持って見て、軽いのに驚かされたのか、「こりゃ何の御菓子」と聞いた。奥さんは懇意になると、こんなところに極めて淡泊な小供らしい心を見せた。  二人とも父の病気について、色々|掛念の問いを繰り返してくれた中に、先生はこんな事をいった。 「なるほど容体を聞くと、今が今どうという事もないようですが、病気が病気だからよほど気をつけないといけません」  先生は腎臓の病について私の知らない事を多く知っていた。 「自分で病気に罹っていながら、気が付かないで平気でいるのがあの病の特色です。私の知ったある士官は、とうとうそれでやられたが、全く嘘のような死に方をしたんですよ。何しろ傍に寝ていた細君が看病をする暇もなんにもないくらいなんですからね。夜中にちょっと苦しいといって、細君を起したぎり、翌る朝はもう死んでいたんです。しかも細君は夫が寝ているとばかり思ってたんだっていうんだから」  今まで楽天的に傾いていた私は急に不安になった。 「私の父もそんなになるでしょうか。ならんともいえないですね」 「医者は何というのです」 「医者は到底治らないというんです。けれども当分のところ心配はあるまいともいうんです」 「それじゃ好いでしょう。医者がそういうなら。私の今話したのは気が付かずにいた人の事で、しかもそれがずいぶん乱暴な軍人なんだから」  私はやや安心した。私の変化を凝と見ていた先生は、それからこう付け足した。 「しかし人間は健康にしろ病気にしろ、どっちにしても脆いものですね。いつどんな事でどんな死にようをしないとも限らないから」 「先生もそんな事を考えてお出ですか」 「いくら丈夫の私でも、満更考えない事もありません」  先生の口元には微笑の影が見えた。 「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」 「不自然な暴力って何ですか」 「何だかそれは私にも解らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」 「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭ですね」 「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」  その日はそれで帰った。帰ってからも父の病気はそれほど苦にならなかった。先生のいった自然に死ぬとか、不自然の暴力で死ぬとかいう言葉も、その場限りの浅い印象を与えただけで、後は何らのこだわりを私の頭に残さなかった。私は今まで幾度か手を着けようとしては手を引っ込めた卒業論文を、いよいよ本式に書き始めなければならないと思い出した。 二十五  その年の六月に卒業するはずの私は、ぜひともこの論文を成規通り四月いっぱいに書き上げてしまわなければならなかった。二、三、四と指を折って余る時日を勘定して見た時、私は少し自分の度胸を疑った。他のものはよほど前から材料を蒐めたり、ノートを溜めたりして、余所目にも忙しそうに見えるのに、私だけはまだ何にも手を着けずにいた。私にはただ年が改まったら大いにやろうという決心だけがあった。私はその決心でやり出した。そうして忽ち動けなくなった。今まで大きな問題を空に描いて、骨組みだけはほぼでき上っているくらいに考えていた私は、頭を抑えて悩み始めた。私はそれから論文の問題を小さくした。そうして練り上げた思想を系統的に纏める手数を省くために、ただ書物の中にある材料を並べて、それに相当な結論をちょっと付け加える事にした。  私の選択した問題は先生の専門と縁故の近いものであった。私がかつてその選択について先生の意見を尋ねた時、先生は好いでしょうといった。狼狽した気味の私は、早速先生の所へ出掛けて、私の読まなければならない参考書を聞いた。先生は自分の知っている限りの知識を、快く私に与えてくれた上に、必要の書物を、二、三冊貸そうといった。しかし先生はこの点について毫も私を指導する任に当ろうとしなかった。 「近頃はあんまり書物を読まないから、新しい事は知りませんよ。学校の先生に聞いた方が好いでしょう」  先生は一時非常の読書家であったが、その後どういう訳か、前ほどこの方面に興味が働かなくなったようだと、かつて奥さんから聞いた事があるのを、私はその時ふと思い出した。私は論文をよそにして、そぞろに口を開いた。 「先生はなぜ元のように書物に興味をもち得ないんですか」 「なぜという訳もありませんが。……つまりいくら本を読んでもそれほどえらくならないと思うせいでしょう。それから……」 「それから、まだあるんですか」 「まだあるというほどの理由でもないが、以前はね、人の前へ出たり、人に聞かれたりして知らないと恥のようにきまりが悪かったものだが、近頃は知らないという事が、それほどの恥でないように見え出したものだから、つい無理にも本を読んでみようという元気が出なくなったのでしょう。まあ早くいえば老い込んだのです」  先生の言葉はむしろ平静であった。世間に背中を向けた人の苦味を帯びていなかっただけに、私にはそれほどの手応えもなかった。私は先生を老い込んだとも思わない代りに、偉いとも感心せずに帰った。  それからの私はほとんど論文に祟られた精神病者のように眼を赤くして苦しんだ。私は一年|前に卒業した友達について、色々様子を聞いてみたりした。そのうちの一人は締切の日に車で事務所へ馳けつけて漸く間に合わせたといった。他の一人は五時を十五分ほど後らして持って行ったため、危く跳ね付けられようとしたところを、主任教授の好意でやっと受理してもらったといった。私は不安を感ずると共に度胸を据えた。毎日机の前で精根のつづく限り働いた。でなければ、薄暗い書庫にはいって、高い本棚のあちらこちらを見廻した。私の眼は好事家が骨董でも掘り出す時のように背表紙の金文字をあさった。  梅が咲くにつけて寒い風は段々|向を南へ更えて行った。それが一仕切経つと、桜の噂がちらほら私の耳に聞こえ出した。それでも私は馬車馬のように正面ばかり見て、論文に鞭うたれた。私はついに四月の下旬が来て、やっと予定通りのものを書き上げるまで、先生の敷居を跨がなかった。 二十六  私の自由になったのは、八重桜の散った枝にいつしか青い葉が霞むように伸び始める初夏の季節であった。私は籠を抜け出した小鳥の心をもって、広い天地を一目に見渡しながら、自由に羽搏きをした。私はすぐ先生の家へ行った。枳殻の垣が黒ずんだ枝の上に、萌るような芽を吹いていたり、柘榴の枯れた幹から、つやつやしい茶褐色の葉が、柔らかそうに日光を映していたりするのが、道々私の眼を引き付けた。私は生れて初めてそんなものを見るような珍しさを覚えた。  先生は嬉しそうな私の顔を見て、「もう論文は片付いたんですか、結構ですね」といった。私は「お蔭でようやく済みました。もう何にもする事はありません」といった。  実際その時の私は、自分のなすべきすべての仕事がすでに結了して、これから先は威張って遊んでいても構わないような晴やかな心持でいた。私は書き上げた自分の論文に対して充分の自信と満足をもっていた。私は先生の前で、しきりにその内容を喋々した。先生はいつもの調子で、「なるほど」とか、「そうですか」とかいってくれたが、それ以上の批評は少しも加えなかった。私は物足りないというよりも、聊か拍子抜けの気味であった。それでもその日私の気力は、因循らしく見える先生の態度に逆襲を試みるほどに生々していた。私は青く蘇生ろうとする大きな自然の中に、先生を誘い出そうとした。 「先生どこかへ散歩しましょう。外へ出ると大変|好い心持です」 「どこへ」  私はどこでも構わなかった。ただ先生を伴れて郊外へ出たかった。  一時間の後、先生と私は目的どおり市を離れて、村とも町とも区別の付かない静かな所を宛もなく歩いた。私はかなめの垣から若い柔らかい葉を※ぎ取って芝笛を鳴らした。ある鹿児島人を友達にもって、その人の真似をしつつ自然に習い覚えた私は、この芝笛というものを鳴らす事が上手であった。私が得意にそれを吹きつづけると、先生は知らん顔をしてよそを向いて歩いた。  やがて若葉に鎖ざされたように蓊欝した小高い一構えの下に細い路が開けた。門の柱に打ち付けた標札に何々園とあるので、その個人の邸宅でない事がすぐ知れた。先生はだらだら上りになっている入口を眺めて、「はいってみようか」といった。私はすぐ「植木屋ですね」と答えた。  植込の中を一うねりして奥へ上ると左側に家があった。明け放った障子の内はがらんとして人の影も見えなかった。ただ軒先に据えた大きな鉢の中に飼ってある金魚が動いていた。 「静かだね。断わらずにはいっても構わないだろうか」 「構わないでしょう」  二人はまた奥の方へ進んだ。しかしそこにも人影は見えなかった。躑躅が燃えるように咲き乱れていた。先生はそのうちで樺色の丈の高いのを指して、「これは霧島でしょう」といった。  芍薬も十坪あまり一面に植え付けられていたが、まだ季節が来ないので花を着けているのは一本もなかった。この芍薬|畠の傍にある古びた縁台のようなものの上に先生は大の字なりに寝た。私はその余った端の方に腰をおろして烟草を吹かした。先生は蒼い透き徹るような空を見ていた。私は私を包む若葉の色に心を奪われていた。その若葉の色をよくよく眺めると、一々違っていた。同じ楓の樹でも同じ色を枝に着けているものは一つもなかった。細い杉苗の頂に投げ被せてあった先生の帽子が風に吹かれて落ちた。 二十七  私はすぐその帽子を取り上げた。所々に着いている赤土を爪で弾きながら先生を呼んだ。 「先生帽子が落ちました」 「ありがとう」  身体を半分起してそれを受け取った先生は、起きるとも寝るとも片付かないその姿勢のままで、変な事を私に聞いた。 「突然だが、君の家には財産がよっぽどあるんですか」 「あるというほどありゃしません」 「まあどのくらいあるのかね。失礼のようだが」 「どのくらいって、山と田地が少しあるぎりで、金なんかまるでないんでしょう」  先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えていた。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。 「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」 「私は財産家と見えますか」  先生は平生からむしろ質素な服装をしていた。それに家内は小人数であった。したがって住宅も決して広くはなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。 「そうでしょう」と私がいった。 「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」  この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなものを描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。 「これでも元は財産家なんだがなあ」  先生の言葉は半分|独り言のようであった。それですぐ後に尾いて行き損なった私は、つい黙っていた。 「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むしろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他へ移した。 「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」  私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟であったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫えが少しも筆の運びを乱していなかった。 「何ともいって来ませんが、もう好いんでしょう」 「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」 「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」 「そうですか」  私は先生が私のうちの財産を聞いたり、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない私は無論そこに気が付くはずがなかった。 二十八 「君のうちに財産があるなら、今のうちによく始末をつけてもらっておかないといけないと思うがね、余計なお世話だけれども。君のお父さんが達者なうちに、貰うものはちゃんと貰っておくようにしたらどうですか。万一の事があったあとで、一番面倒の起るのは財産の問題だから」 「ええ」  私は先生の言葉に大した注意を払わなかった。私の家庭でそんな心配をしているものは、私に限らず、父にしろ母にしろ、一人もないと私は信じていた。その上先生のいう事の、先生として、あまりに実際的なのに私は少し驚かされた。しかしそこは年長者に対する平生の敬意が私を無口にした。 「あなたのお父さんが亡くなられるのを、今から予想してかかるような言葉遣いをするのが気に触ったら許してくれたまえ。しかし人間は死ぬものだからね。どんなに達者なものでも、いつ死ぬか分らないものだからね」  先生の口気は珍しく苦々しかった。 「そんな事をちっとも気に掛けちゃいません」と私は弁解した。 「君の兄弟は何人でしたかね」と先生が聞いた。  先生はその上に私の家族の人数を聞いたり、親類の有無を尋ねたり、叔父や叔母の様子を問いなどした。そうして最後にこういった。 「みんな善い人ですか」 「別に悪い人間というほどのものもいないようです。大抵|田舎者ですから」 「田舎者はなぜ悪くないんですか」  私はこの追窮に苦しんだ。しかし先生は私に返事を考えさせる余裕さえ与えなかった。 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中に、これといって、悪い人間はいないようだといいましたね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです」  先生のいう事は、ここで切れる様子もなかった。私はまたここで何かいおうとした。すると後ろの方で犬が急に吠え出した。先生も私も驚いて後ろを振り返った。  縁台の横から後部へ掛けて植え付けてある杉苗の傍に、熊笹が三坪ほど地を隠すように茂って生えていた。犬はその顔と背を熊笹の上に現わして、盛んに吠え立てた。そこへ十ぐらいの小供が馳けて来て犬を叱り付けた。小供は徽章の着いた黒い帽子を被ったまま先生の前へ廻って礼をした。 「叔父さん、はいって来る時、家に誰もいなかったかい」と聞いた。 「誰もいなかったよ」 「姉さんやおっかさんが勝手の方にいたのに」 「そうか、いたのかい」 「ああ。叔父さん、今日はって、断ってはいって来ると好かったのに」  先生は苦笑した。懐中から蟇口を出して、五銭の白銅を小供の手に握らせた。 「おっかさんにそういっとくれ。少しここで休まして下さいって」  小供は怜悧そうな眼に笑いを漲らして、首肯いて見せた。 「今|斥候長になってるところなんだよ」  小供はこう断って、躑躅の間を下の方へ駈け下りて行った。犬も尻尾を高く巻いて小供の後を追い掛けた。しばらくすると同じくらいの年格好の小供が二、三人、これも斥候長の下りて行った方へ駈けていった。 二十九  先生の談話は、この犬と小供のために、結末まで進行する事ができなくなったので、私はついにその要領を得ないでしまった。先生の気にする財産|云々の掛念はその時の私には全くなかった。私の性質として、また私の境遇からいって、その時の私には、そんな利害の念に頭を悩ます余地がなかったのである。考えるとこれは私がまだ世間に出ないためでもあり、また実際その場に臨まないためでもあったろうが、とにかく若い私にはなぜか金の問題が遠くの方に見えた。  先生の話のうちでただ一つ底まで聞きたかったのは、人間がいざという間際に、誰でも悪人になるという言葉の意味であった。単なる言葉としては、これだけでも私に解らない事はなかった。しかし私はこの句についてもっと知りたかった。  犬と小供が去ったあと、広い若葉の園は再び故の静かさに帰った。そうして我々は沈黙に鎖ざされた人のようにしばらく動かずにいた。うるわしい空の色がその時次第に光を失って来た。眼の前にある樹は大概|楓であったが、その枝に滴るように吹いた軽い緑の若葉が、段々暗くなって行くように思われた。遠い往来を荷車を引いて行く響きがごろごろと聞こえた。私はそれを村の男が植木か何かを載せて縁日へでも出掛けるものと想像した。先生はその音を聞くと、急に瞑想から呼息を吹き返した人のように立ち上がった。 「もう、そろそろ帰りましょう。大分日が永くなったようだが、やっぱりこう安閑としているうちには、いつの間にか暮れて行くんだね」  先生の背中には、さっき縁台の上に仰向きに寝た痕がいっぱい着いていた。私は両手でそれを払い落した。 「ありがとう。脂がこびり着いてやしませんか」 「綺麗に落ちました」 「この羽織はつい此間拵えたばかりなんだよ。だからむやみに汚して帰ると、妻に叱られるからね。有難う」  二人はまただらだら坂の中途にある家の前へ来た。はいる時には誰もいる気色の見えなかった縁に、お上さんが、十五、六の娘を相手に、糸巻へ糸を巻きつけていた。二人は大きな金魚鉢の横から、「どうもお邪魔をしました」と挨拶した。お上さんは「いいえお構い申しも致しませんで」と礼を返した後、先刻小供にやった白銅の礼を述べた。  門口を出て二、三|町来た時、私はついに先生に向かって口を切った。 「さきほど先生のいわれた、人間は誰でもいざという間際に悪人になるんだという意味ですね。あれはどういう意味ですか」 「意味といって、深い意味もありません。――つまり事実なんですよ。理屈じゃないんだ」 「事実で差支えありませんが、私の伺いたいのは、いざという間際という意味なんです。一体どんな場合を指すのですか」  先生は笑い出した。あたかも時機の過ぎた今、もう熱心に説明する張合いがないといった風に。 「金さ君。金を見ると、どんな君子でもすぐ悪人になるのさ」  私には先生の返事があまりに平凡過ぎて詰らなかった。先生が調子に乗らないごとく、私も拍子抜けの気味であった。私は澄ましてさっさと歩き出した。いきおい先生は少し後れがちになった。先生はあとから「おいおい」と声を掛けた。 「そら見たまえ」 「何をですか」 「君の気分だって、私の返事一つですぐ変るじゃないか」  待ち合わせるために振り向いて立ち留まった私の顔を見て、先生はこういった。 三十  その時の私は腹の中で先生を憎らしく思った。肩を並べて歩き出してからも、自分の聞きたい事をわざと聞かずにいた。しかし先生の方では、それに気が付いていたのか、いないのか、まるで私の態度に拘泥る様子を見せなかった。いつもの通り沈黙がちに落ち付き払った歩調をすまして運んで行くので、私は少し業腹になった。何とかいって一つ先生をやっ付けてみたくなって来た。 「先生」 「何ですか」 「先生はさっき少し昂奮なさいましたね。あの植木屋の庭で休んでいる時に。私は先生の昂奮したのを滅多に見た事がないんですが、今日は珍しいところを拝見したような気がします」  先生はすぐ返事をしなかった。私はそれを手応えのあったようにも思った。また的が外れたようにも感じた。仕方がないから後はいわない事にした。すると先生がいきなり道の端へ寄って行った。そうして綺麗に刈り込んだ生垣の下で、裾をまくって小便をした。私は先生が用を足す間ぼんやりそこに立っていた。 「やあ失敬」  先生はこういってまた歩き出した。私はとうとう先生をやり込める事を断念した。私たちの通る道は段々|賑やかになった。今までちらほらと見えた広い畠の斜面や平地が、全く眼に入らないように左右の家並が揃ってきた。それでも所々宅地の隅などに、豌豆の蔓を竹にからませたり、金網で鶏を囲い飼いにしたりするのが閑静に眺められた。市中から帰る駄馬が仕切りなく擦れ違って行った。こんなものに始終気を奪られがちな私は、さっきまで胸の中にあった問題をどこかへ振り落してしまった。先生が突然そこへ後戻りをした時、私は実際それを忘れていた。 「私は先刻そんなに昂奮したように見えたんですか」 「そんなにというほどでもありませんが、少し……」 「いや見えても構わない。実際|昂奮するんだから。私は財産の事をいうときっと昂奮するんです。君にはどう見えるか知らないが、私はこれで大変執念深い男なんだから。人から受けた屈辱や損害は、十年たっても二十年たっても忘れやしないんだから」  先生の言葉は元よりもなお昂奮していた。しかし私の驚いたのは、決してその調子ではなかった。むしろ先生の言葉が私の耳に訴える意味そのものであった。先生の口からこんな自白を聞くのは、いかな私にも全くの意外に相違なかった。私は先生の性質の特色として、こんな執着力をいまだかつて想像した事さえなかった。私は先生をもっと弱い人と信じていた。そうしてその弱くて高い処に、私の懐かしみの根を置いていた。一時の気分で先生にちょっと盾を突いてみようとした私は、この言葉の前に小さくなった。先生はこういった。 「私は他に欺かれたのです。しかも血のつづいた親戚のものから欺かれたのです。私は決してそれを忘れないのです。私の父の前には善人であったらしい彼らは、父の死ぬや否や許しがたい不徳義漢に変ったのです。私は彼らから受けた屈辱と損害を小供の時から今日まで背負わされている。恐らく死ぬまで背負わされ通しでしょう。私は死ぬまでそれを忘れる事ができないんだから。しかし私はまだ復讐をしずにいる。考えると私は個人に対する復讐以上の事を現にやっているんだ。私は彼らを憎むばかりじゃない、彼らが代表している人間というものを、一般に憎む事を覚えたのだ。私はそれで沢山だと思う」  私は慰藉の言葉さえ口へ出せなかった。 三十一  その日の談話もついにこれぎりで発展せずにしまった。私はむしろ先生の態度に畏縮して、先へ進む気が起らなかったのである。  二人は市の外れから電車に乗ったが、車内ではほとんど口を聞かなかった。電車を降りると間もなく別れなければならなかった。別れる時の先生は、また変っていた。常よりは晴やかな調子で、「これから六月までは一番気楽な時ですね。ことによると生涯で一番気楽かも知れない。精出して遊びたまえ」といった。私は笑って帽子を脱った。その時私は先生の顔を見て、先生ははたして心のどこで、一般の人間を憎んでいるのだろうかと疑った。その眼、その口、どこにも厭世的の影は射していなかった。  私は思想上の問題について、大いなる利益を先生から受けた事を自白する。しかし同じ問題について、利益を受けようとしても、受けられない事が間々あったといわなければならない。先生の談話は時として不得要領に終った。その日二人の間に起った郊外の談話も、この不得要領の一例として私の胸の裏に残った。  無遠慮な私は、ある時ついにそれを先生の前に打ち明けた。先生は笑っていた。私はこういった。 「頭が鈍くて要領を得ないのは構いませんが、ちゃんと解ってるくせに、はっきりいってくれないのは困ります」 「私は何にも隠してやしません」 「隠していらっしゃいます」 「あなたは私の思想とか意見とかいうものと、私の過去とを、ごちゃごちゃに考えているんじゃありませんか。私は貧弱な思想家ですけれども、自分の頭で纏め上げた考えをむやみに人に隠しやしません。隠す必要がないんだから。けれども私の過去を悉くあなたの前に物語らなくてはならないとなると、それはまた別問題になります」 「別問題とは思われません。先生の過去が生み出した思想だから、私は重きを置くのです。二つのものを切り離したら、私にはほとんど価値のないものになります。私は魂の吹き込まれていない人形を与えられただけで、満足はできないのです」  先生はあきれたといった風に、私の顔を見た。巻烟草を持っていたその手が少し顫えた。 「あなたは大胆だ」 「ただ真面目なんです。真面目に人生から教訓を受けたいのです」 「私の過去を訐いてもですか」  訐くという言葉が、突然恐ろしい響きをもって、私の耳を打った。私は今私の前に坐っているのが、一人の罪人であって、不断から尊敬している先生でないような気がした。先生の顔は蒼かった。 「あなたは本当に真面目なんですか」と先生が念を押した。「私は過去の因果で、人を疑りつけている。だから実はあなたも疑っている。しかしどうもあなただけは疑りたくない。あなたは疑るにはあまりに単純すぎるようだ。私は死ぬ前にたった一人で好いから、他を信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。あなたははらの底から真面目ですか」 「もし私の命が真面目なものなら、私の今いった事も真面目です」  私の声は顫えた。 「よろしい」と先生がいった。「話しましょう。私の過去を残らず、あなたに話して上げましょう。その代り……。いやそれは構わない。しかし私の過去はあなたに取ってそれほど有益でないかも知れませんよ。聞かない方が増かも知れませんよ。それから、――今は話せないんだから、そのつもりでいて下さい。適当の時機が来なくっちゃ話さないんだから」  私は下宿へ帰ってからも一種の圧迫を感じた。 三十二  私の論文は自分が評価していたほどに、教授の眼にはよく見えなかったらしい。それでも私は予定通り及第した。卒業式の日、私は黴臭くなった古い冬服を行李の中から出して着た。式場にならぶと、どれもこれもみな暑そうな顔ばかりであった。私は風の通らない厚羅紗の下に密封された自分の身体を持て余した。しばらく立っているうちに手に持ったハンケチがぐしょぐしょになった。  私は式が済むとすぐ帰って裸体になった。下宿の二階の窓をあけて、遠眼鏡のようにぐるぐる巻いた卒業証書の穴から、見えるだけの世の中を見渡した。それからその卒業証書を机の上に放り出した。そうして大の字なりになって、室の真中に寝そべった。私は寝ながら自分の過去を顧みた。また自分の未来を想像した。するとその間に立って一区切りを付けているこの卒業証書なるものが、意味のあるような、また意味のないような変な紙に思われた。  私はその晩先生の家へ御馳走に招かれて行った。これはもし卒業したらその日の晩餐はよそで喰わずに、先生の食卓で済ますという前からの約束であった。  食卓は約束通り座敷の縁近くに据えられてあった。模様の織り出された厚い糊の硬い卓布が美しくかつ清らかに電燈の光を射返していた。先生のうちで飯を食うと、きっとこの西洋料理店に見るような白いリンネルの上に、箸や茶碗が置かれた。そうしてそれが必ず洗濯したての真白なものに限られていた。 「カラやカフスと同じ事さ。汚れたのを用いるくらいなら、一層始めから色の着いたものを使うが好い。白ければ純白でなくっちゃ」  こういわれてみると、なるほど先生は潔癖であった。書斎なども実に整然と片付いていた。無頓着な私には、先生のそういう特色が折々著しく眼に留まった。 「先生は癇性ですね」とかつて奥さんに告げた時、奥さんは「でも着物などは、それほど気にしないようですよ」と答えた事があった。それを傍に聞いていた先生は、「本当をいうと、私は精神的に癇性なんです。それで始終苦しいんです。考えると実に馬鹿馬鹿しい性分だ」といって笑った。精神的に癇性という意味は、俗にいう神経質という意味か、または倫理的に潔癖だという意味か、私には解らなかった。奥さんにも能く通じないらしかった。  その晩私は先生と向い合せに、例の白い卓布の前に坐った。奥さんは二人を左右に置いて、独り庭の方を正面にして席を占めた。 「お目出とう」といって、先生が私のために杯を上げてくれた。私はこの盃に対してそれほど嬉しい気を起さなかった。無論私自身の心がこの言葉に反響するように、飛び立つ嬉しさをもっていなかったのが、一つの源因であった。けれども先生のいい方も決して私の嬉しさを唆る浮々した調子を帯びていなかった。先生は笑って杯を上げた。私はその笑いのうちに、些とも意地の悪いアイロニーを認めなかった。同時に目出たいという真情も汲み取る事ができなかった。先生の笑いは、「世間はこんな場合によくお目出とうといいたがるものですね」と私に物語っていた。  奥さんは私に「結構ね。さぞお父さんやお母さんはお喜びでしょう」といってくれた。私は突然病気の父の事を考えた。早くあの卒業証書を持って行って見せてやろうと思った。 「先生の卒業証書はどうしました」と私が聞いた。 「どうしたかね。――まだどこかにしまってあったかね」と先生が奥さんに聞いた。 「ええ、たしかしまってあるはずですが」  卒業証書の在処は二人ともよく知らなかった。 三十三  飯になった時、奥さんは傍に坐っている下女を次へ立たせて、自分で給仕の役をつとめた。これが表立たない客に対する先生の家の仕来りらしかった。始めの一、二回は私も窮屈を感じたが、度数の重なるにつけ、茶碗を奥さんの前へ出すのが、何でもなくなった。 「お茶? ご飯? ずいぶんよく食べるのね」  奥さんの方でも思い切って遠慮のない事をいうことがあった。しかしその日は、時候が時候なので、そんなに調戯われるほど食欲が進まなかった。 「もうおしまい。あなた近頃大変|小食になったのね」 「小食になったんじゃありません。暑いんで食われないんです」  奥さんは下女を呼んで食卓を片付けさせた後へ、改めてアイスクリームと水菓子を運ばせた。 「これは宅で拵えたのよ」  用のない奥さんには、手製のアイスクリームを客に振舞うだけの余裕があると見えた。私はそれを二杯|更えてもらった。 「君もいよいよ卒業したが、これから何をする気ですか」と先生が聞いた。先生は半分縁側の方へ席をずらして、敷居際で背中を障子に靠たせていた。  私にはただ卒業したという自覚があるだけで、これから何をしようという目的もなかった。返事にためらっている私を見た時、奥さんは「教師?」と聞いた。それにも答えずにいると、今度は、「じゃお役人?」とまた聞かれた。私も先生も笑い出した。 「本当いうと、まだ何をする考えもないんです。実は職業というものについて、全く考えた事がないくらいなんですから。だいちどれが善いか、どれが悪いか、自分がやって見た上でないと解らないんだから、選択に困る訳だと思います」 「それもそうね。けれどもあなたは必竟財産があるからそんな呑気な事をいっていられるのよ。これが困る人でご覧なさい。なかなかあなたのように落ち付いちゃいられないから」  私の友達には卒業しない前から、中学教師の口を探している人があった。私は腹の中で奥さんのいう事実を認めた。しかしこういった。 「少し先生にかぶれたんでしょう」 「碌なかぶれ方をして下さらないのね」  先生は苦笑した。 「かぶれても構わないから、その代りこの間いった通り、お父さんの生きてるうちに、相当の財産を分けてもらってお置きなさい。それでないと決して油断はならない」  私は先生といっしょに、郊外の植木屋の広い庭の奥で話した、あの躑躅の咲いている五月の初めを思い出した。あの時帰り途に、先生が昂奮した語気で、私に物語った強い言葉を、再び耳の底で繰り返した。それは強いばかりでなく、むしろ凄い言葉であった。けれども事実を知らない私には同時に徹底しない言葉でもあった。 「奥さん、お宅の財産はよッぽどあるんですか」 「何だってそんな事をお聞きになるの」 「先生に聞いても教えて下さらないから」  奥さんは笑いながら先生の顔を見た。 「教えて上げるほどないからでしょう」 「でもどのくらいあったら先生のようにしていられるか、宅へ帰って一つ父に談判する時の参考にしますから聞かして下さい」  先生は庭の方を向いて、澄まして烟草を吹かしていた。相手は自然奥さんでなければならなかった。 「どのくらいってほどありゃしませんわ。まあこうしてどうかこうか暮してゆかれるだけよ、あなた。――そりゃどうでも宜いとして、あなたはこれから何か為さらなくっちゃ本当にいけませんよ。先生のようにごろごろばかりしていちゃ……」 「ごろごろばかりしていやしないさ」  先生はちょっと顔だけ向け直して、奥さんの言葉を否定した。 三十四  私はその夜十時過ぎに先生の家を辞した。二、三日うちに帰国するはずになっていたので、座を立つ前に私はちょっと暇乞いの言葉を述べた。 「また当分お目にかかれませんから」 「九月には出ていらっしゃるんでしょうね」  私はもう卒業したのだから、必ず九月に出て来る必要もなかった。しかし暑い盛りの八月を東京まで来て送ろうとも考えていなかった。私には位置を求めるための貴重な時間というものがなかった。 「まあ九月|頃になるでしょう」 「じゃずいぶんご機嫌よう。私たちもこの夏はことによるとどこかへ行くかも知れないのよ。ずいぶん暑そうだから。行ったらまた絵端書でも送って上げましょう」 「どちらの見当です。もしいらっしゃるとすれば」  先生はこの問答をにやにや笑って聞いていた。 「何まだ行くとも行かないとも極めていやしないんです」  席を立とうとした時、先生は急に私をつらまえて、「時にお父さんの病気はどうなんです」と聞いた。私は父の健康についてほとんど知るところがなかった。何ともいって来ない以上、悪くはないのだろうくらいに考えていた。 「そんなに容易く考えられる病気じゃありませんよ。尿毒症が出ると、もう駄目なんだから」  尿毒症という言葉も意味も私には解らなかった。この前の冬休みに国で医者と会見した時に、私はそんな術語をまるで聞かなかった。 「本当に大事にしてお上げなさいよ」と奥さんもいった。「毒が脳へ廻るようになると、もうそれっきりよ、あなた。笑い事じゃないわ」  無経験な私は気味を悪がりながらも、にやにやしていた。 「どうせ助からない病気だそうですから、いくら心配したって仕方がありません」 「そう思い切りよく考えれば、それまでですけれども」  奥さんは昔同じ病気で死んだという自分のお母さんの事でも憶い出したのか、沈んだ調子でこういったなり下を向いた。私も父の運命が本当に気の毒になった。  すると先生が突然奥さんの方を向いた。 「静、お前はおれより先へ死ぬだろうかね」 「なぜ」 「なぜでもない、ただ聞いてみるのさ。それとも己の方がお前より前に片付くかな。大抵世間じゃ旦那が先で、細君が後へ残るのが当り前のようになってるね」 「そう極った訳でもないわ。けれども男の方はどうしても、そら年が上でしょう」 「だから先へ死ぬという理屈なのかね。すると己もお前より先にあの世へ行かなくっちゃならない事になるね」 「あなたは特別よ」 「そうかね」 「だって丈夫なんですもの。ほとんど煩った例がないじゃありませんか。そりゃどうしたって私の方が先だわ」 「先かな」 「え、きっと先よ」  先生は私の顔を見た。私は笑った。 「しかしもしおれの方が先へ行くとするね。そうしたらお前どうする」 「どうするって……」  奥さんはそこで口籠った。先生の死に対する想像的な悲哀が、ちょっと奥さんの胸を襲ったらしかった。けれども再び顔をあげた時は、もう気分を更えていた。 「どうするって、仕方がないわ、ねえあなた。老少不定っていうくらいだから」  奥さんはことさらに私の方を見て笑談らしくこういった。 三十五  私は立て掛けた腰をまたおろして、話の区切りの付くまで二人の相手になっていた。 「君はどう思います」と先生が聞いた。  先生が先へ死ぬか、奥さんが早く亡くなるか、固より私に判断のつくべき問題ではなかった。私はただ笑っていた。 「寿命は分りませんね。私にも」 「こればかりは本当に寿命ですからね。生れた時にちゃんと極った年数をもらって来るんだから仕方がないわ。先生のお父さんやお母さんなんか、ほとんど同じよ、あなた、亡くなったのが」 「亡くなられた日がですか」 「まさか日まで同じじゃないけれども。でもまあ同じよ。だって続いて亡くなっちまったんですもの」  この知識は私にとって新しいものであった。私は不思議に思った。 「どうしてそう一度に死なれたんですか」  奥さんは私の問いに答えようとした。先生はそれを遮った。 「そんな話はお止しよ。つまらないから」  先生は手に持った団扇をわざとばたばたいわせた。そうしてまた奥さんを顧みた。 「静、おれが死んだらこの家をお前にやろう」  奥さんは笑い出した。 「ついでに地面も下さいよ」 「地面は他のものだから仕方がない。その代りおれの持ってるものは皆なお前にやるよ」 「どうも有難う。けれども横文字の本なんか貰っても仕様がないわね」 「古本屋に売るさ」 「売ればいくらぐらいになって」  先生はいくらともいわなかった。けれども先生の話は、容易に自分の死という遠い問題を離れなかった。そうしてその死は必ず奥さんの前に起るものと仮定されていた。奥さんも最初のうちは、わざとたわいのない受け答えをしているらしく見えた。それがいつの間にか、感傷的な女の心を重苦しくした。 「おれが死んだら、おれが死んだらって、まあ何遍おっしゃるの。後生だからもう好い加減にして、おれが死んだらは止して頂戴。縁喜でもない。あなたが死んだら、何でもあなたの思い通りにして上げるから、それで好いじゃありませんか」  先生は庭の方を向いて笑った。しかしそれぎり奥さんの厭がる事をいわなくなった。私もあまり長くなるので、すぐ席を立った。先生と奥さんは玄関まで送って出た。 「ご病人をお大事に」と奥さんがいった。 「また九月に」と先生がいった。  私は挨拶をして格子の外へ足を踏み出した。玄関と門の間にあるこんもりした木犀の一株が、私の行手を塞ぐように、夜陰のうちに枝を張っていた。私は二、三歩動き出しながら、黒ずんだ葉に被われているその梢を見て、来たるべき秋の花と香を想い浮べた。私は先生の宅とこの木犀とを、以前から心のうちで、離す事のできないもののように、いっしょに記憶していた。私が偶然その樹の前に立って、再びこの宅の玄関を跨ぐべき次の秋に思いを馳せた時、今まで格子の間から射していた玄関の電燈がふっと消えた。先生夫婦はそれぎり奥へはいったらしかった。私は一人暗い表へ出た。  私はすぐ下宿へは戻らなかった。国へ帰る前に調える買物もあったし、ご馳走を詰めた胃袋にくつろぎを与える必要もあったので、ただ賑やかな町の方へ歩いて行った。町はまだ宵の口であった。用事もなさそうな男女がぞろぞろ動く中に、私は今日私といっしょに卒業したなにがしに会った。彼は私を無理やりにある酒場へ連れ込んだ。私はそこで麦酒の泡のような彼の気※を聞かされた。私の下宿へ帰ったのは十二時過ぎであった。 三十六  私はその翌日も暑さを冒して、頼まれものを買い集めて歩いた。手紙で注文を受けた時は何でもないように考えていたのが、いざとなると大変|臆劫に感ぜられた。私は電車の中で汗を拭きながら、他の時間と手数に気の毒という観念をまるでもっていない田舎者を憎らしく思った。  私はこの一夏を無為に過ごす気はなかった。国へ帰ってからの日程というようなものをあらかじめ作っておいたので、それを履行するに必要な書物も手に入れなければならなかった。私は半日を丸善の二階で潰す覚悟でいた。私は自分に関係の深い部門の書籍棚の前に立って、隅から隅まで一冊ずつ点検して行った。  買物のうちで一番私を困らせたのは女の半襟であった。小僧にいうと、いくらでも出してはくれるが、さてどれを選んでいいのか、買う段になっては、ただ迷うだけであった。その上|価が極めて不定であった。安かろうと思って聞くと、非常に高かったり、高かろうと考えて、聞かずにいると、かえって大変安かったりした。あるいはいくら比べて見ても、どこから価格の差違が出るのか見当の付かないのもあった。私は全く弱らせられた。そうして心のうちで、なぜ先生の奥さんを煩わさなかったかを悔いた。  私は鞄を買った。無論和製の下等な品に過ぎなかったが、それでも金具やなどがぴかぴかしているので、田舎ものを威嚇かすには充分であった。この鞄を買うという事は、私の母の注文であった。卒業したら新しい鞄を買って、そのなかに一切の土産ものを入れて帰るようにと、わざわざ手紙の中に書いてあった。私はその文句を読んだ時に笑い出した。私には母の料簡が解らないというよりも、その言葉が一種の滑稽として訴えたのである。  私は暇乞いをする時先生夫婦に述べた通り、それから三日目の汽車で東京を立って国へ帰った。この冬以来父の病気について先生から色々の注意を受けた私は、一番心配しなければならない地位にありながら、どういうものか、それが大して苦にならなかった。私はむしろ父がいなくなったあとの母を想像して気の毒に思った。そのくらいだから私は心のどこかで、父はすでに亡くなるべきものと覚悟していたに違いなかった。九州にいる兄へやった手紙のなかにも、私は父の到底故のような健康体になる見込みのない事を述べた。一度などは職務の都合もあろうが、できるなら繰り合せてこの夏ぐらい一度顔だけでも見に帰ったらどうだとまで書いた。その上年寄が二人ぎりで田舎にいるのは定めて心細いだろう、我々も子として遺憾の至りであるというような感傷的な文句さえ使った。私は実際心に浮ぶままを書いた。けれども書いたあとの気分は書いた時とは違っていた。  私はそうした矛盾を汽車の中で考えた。考えているうちに自分が自分に気の変りやすい軽薄もののように思われて来た。私は不愉快になった。私はまた先生夫婦の事を想い浮べた。ことに二、三日前|晩食に呼ばれた時の会話を憶い出した。 「どっちが先へ死ぬだろう」  私はその晩先生と奥さんの間に起った疑問をひとり口の内で繰り返してみた。そうしてこの疑問には誰も自信をもって答える事ができないのだと思った。しかしどっちが先へ死ぬと判然分っていたならば、先生はどうするだろう。奥さんはどうするだろう。先生も奥さんも、今のような態度でいるより外に仕方がないだろうと思った。。私は人間を果敢ないものに観じた。人間のどうする事もできない持って生れた軽薄を、果敢ないものに観じた。 中 両親と私 一  宅へ帰って案外に思ったのは、父の元気がこの前見た時と大して変っていない事であった。 「ああ帰ったかい。そうか、それでも卒業ができてまあ結構だった。ちょっとお待ち、今顔を洗って来るから」  父は庭へ出て何かしていたところであった。古い麦藁帽の後ろへ、日除のために括り付けた薄汚ないハンケチをひらひらさせながら、井戸のある裏手の方へ廻って行った。  学校を卒業するのを普通の人間として当然のように考えていた私は、それを予期以上に喜んでくれる父の前に恐縮した。 「卒業ができてまあ結構だ」  父はこの言葉を何遍も繰り返した。私は心のうちでこの父の喜びと、卒業式のあった晩先生の家の食卓で、「お目出とう」といわれた時の先生の顔付とを比較した。私には口で祝ってくれながら、腹の底でけなしている先生の方が、それほどにもないものを珍しそうに嬉しがる父よりも、かえって高尚に見えた。私はしまいに父の無知から出る田舎臭いところに不快を感じ出した。 「大学ぐらい卒業したって、それほど結構でもありません。卒業するものは毎年何百人だってあります」  私はついにこんな口の利きようをした。すると父が変な顔をした。 「何も卒業したから結構とばかりいうんじゃない。そりゃ卒業は結構に違いないが、おれのいうのはもう少し意味があるんだ。それがお前に解っていてくれさえすれば、……」  私は父からその後を聞こうとした。父は話したくなさそうであったが、とうとうこういった。 「つまり、おれが結構という事になるのさ。おれはお前の知ってる通りの病気だろう。去年の冬お前に会った時、ことによるともう三月か四月ぐらいなものだろうと思っていたのさ。それがどういう仕合せか、今日までこうしている。起居に不自由なくこうしている。そこへお前が卒業してくれた。だから嬉しいのさ。せっかく丹精した息子が、自分のいなくなった後で卒業してくれるよりも、丈夫なうちに学校を出てくれる方が親の身になれば嬉しいだろうじゃないか。大きな考えをもっているお前から見たら、高が大学を卒業したぐらいで、結構だ結構だといわれるのは余り面白くもないだろう。しかしおれの方から見てご覧、立場が少し違っているよ。つまり卒業はお前に取ってより、このおれに取って結構なんだ。解ったかい」  私は一言もなかった。詫まる以上に恐縮して俯向いていた。父は平気なうちに自分の死を覚悟していたものとみえる。しかも私の卒業する前に死ぬだろうと思い定めていたとみえる。その卒業が父の心にどのくらい響くかも考えずにいた私は全く愚かものであった。私は鞄の中から卒業証書を取り出して、それを大事そうに父と母に見せた。証書は何かに圧し潰されて、元の形を失っていた。父はそれを鄭寧に伸した。 「こんなものは巻いたなり手に持って来るものだ」 「中に心でも入れると好かったのに」と母も傍から注意した。  父はしばらくそれを眺めた後、起って床の間の所へ行って、誰の目にもすぐはいるような正面へ証書を置いた。いつもの私ならすぐ何とかいうはずであったが、その時の私はまるで平生と違っていた。父や母に対して少しも逆らう気が起らなかった。私はだまって父の為すがままに任せておいた。一旦癖のついた鳥の子紙の証書は、なかなか父の自由にならなかった。適当な位置に置かれるや否や、すぐ己れに自然な勢いを得て倒れようとした。 二  私は母を蔭へ呼んで父の病状を尋ねた。 「お父さんはあんなに元気そうに庭へ出たり何かしているが、あれでいいんですか」 「もう何ともないようだよ。大方好くおなりなんだろう」  母は案外平気であった。都会から懸け隔たった森や田の中に住んでいる女の常として、母はこういう事に掛けてはまるで無知識であった。それにしてもこの前父が卒倒した時には、あれほど驚いて、あんなに心配したものを、と私は心のうちで独り異な感じを抱いた。 「でも医者はあの時|到底むずかしいって宣告したじゃありませんか」 「だから人間の身体ほど不思議なものはないと思うんだよ。あれほどお医者が手重くいったものが、今までしゃんしゃんしているんだからね。お母さんも始めのうちは心配して、なるべく動かさないようにと思ってたんだがね。それ、あの気性だろう。養生はしなさるけれども、強情でねえ。自分が好いと思い込んだら、なかなか私のいう事なんか、聞きそうにもなさらないんだからね」  私はこの前帰った時、無理に床を上げさして、髭を剃った父の様子と態度とを思い出した。「もう大丈夫、お母さんがあんまり仰山過ぎるからいけないんだ」といったその時の言葉を考えてみると、満更母ばかり責める気にもなれなかった。「しかし傍でも少しは注意しなくっちゃ」といおうとした私は、とうとう遠慮して何にも口へ出さなかった。ただ父の病の性質について、私の知る限りを教えるように話して聞かせた。しかしその大部分は先生と先生の奥さんから得た材料に過ぎなかった。母は別に感動した様子も見せなかった。ただ「へえ、やっぱり同じ病気でね。お気の毒だね。いくつでお亡くなりかえ、その方は」などと聞いた。  私は仕方がないから、母をそのままにしておいて直接父に向かった。父は私の注意を母よりは真面目に聞いてくれた。「もっともだ。お前のいう通りだ。けれども、己の身体は必竟己の身体で、その己の身体についての養生法は、多年の経験上、己が一番|能く心得ているはずだからね」といった。それを聞いた母は苦笑した。「それご覧な」といった。 「でも、あれでお父さんは自分でちゃんと覚悟だけはしているんですよ。今度私が卒業して帰ったのを大変喜んでいるのも、全くそのためなんです。生きてるうちに卒業はできまいと思ったのが、達者なうちに免状を持って来たから、それが嬉しいんだって、お父さんは自分でそういっていましたぜ」 「そりゃ、お前、口でこそそうおいいだけれどもね。お腹のなかではまだ大丈夫だと思ってお出のだよ」 「そうでしょうか」 「まだまだ十年も二十年も生きる気でお出のだよ。もっとも時々はわたしにも心細いような事をおいいだがね。おれもこの分じゃもう長い事もあるまいよ、おれが死んだら、お前はどうする、一人でこの家にいる気かなんて」  私は急に父がいなくなって母一人が取り残された時の、古い広い田舎家を想像して見た。この家から父一人を引き去った後は、そのままで立ち行くだろうか。兄はどうするだろうか。母は何というだろうか。そう考える私はまたここの土を離れて、東京で気楽に暮らして行けるだろうか。私は母を眼の前に置いて、先生の注意――父の丈夫でいるうちに、分けて貰うものは、分けて貰って置けという注意を、偶然思い出した。 「なにね、自分で死ぬ死ぬっていう人に死んだ試しはないんだから安心だよ。お父さんなんぞも、死ぬ死ぬっていいながら、これから先まだ何年生きなさるか分るまいよ。それよりか黙ってる丈夫の人の方が剣呑さ」  私は理屈から出たとも統計から来たとも知れない、この陳腐なような母の言葉を黙然と聞いていた。 三  私のために赤い飯を炊いて客をするという相談が父と母の間に起った。私は帰った当日から、あるいはこんな事になるだろうと思って、心のうちで暗にそれを恐れていた。私はすぐ断わった。 「あんまり仰山な事は止してください」  私は田舎の客が嫌いだった。飲んだり食ったりするのを、最後の目的としてやって来る彼らは、何か事があれば好いといった風の人ばかり揃っていた。私は子供の時から彼らの席に侍するのを心苦しく感じていた。まして自分のために彼らが来るとなると、私の苦痛はいっそう甚しいように想像された。しかし私は父や母の手前、あんな野鄙な人を集めて騒ぐのは止せともいいかねた。それで私はただあまり仰山だからとばかり主張した。 「仰山仰山とおいいだが、些とも仰山じゃないよ。生涯に二度とある事じゃないんだからね、お客ぐらいするのは当り前だよ。そう遠慮をお為でない」  母は私が大学を卒業したのを、ちょうど嫁でも貰ったと同じ程度に、重く見ているらしかった。 「呼ばなくっても好いが、呼ばないとまた何とかいうから」  これは父の言葉であった。父は彼らの陰口を気にしていた。実際彼らはこんな場合に、自分たちの予期通りにならないと、すぐ何とかいいたがる人々であった。 「東京と違って田舎は蒼蠅いからね」  父はこうもいった。 「お父さんの顔もあるんだから」と母がまた付け加えた。  私は我を張る訳にも行かなかった。どうでも二人の都合の好いようにしたらと思い出した。 「つまり私のためなら、止して下さいというだけなんです。陰で何かいわれるのが厭だからというご主意なら、そりゃまた別です。あなたがたに不利益な事を私が強いて主張したって仕方がありません」 「そう理屈をいわれると困る」  父は苦い顔をした。 「何もお前のためにするんじゃないとお父さんがおっしゃるんじゃないけれども、お前だって世間への義理ぐらいは知っているだろう」  母はこうなると女だけにしどろもどろな事をいった。その代り口数からいうと、父と私を二人寄せてもなかなか敵うどころではなかった。 「学問をさせると人間がとかく理屈っぽくなっていけない」  父はただこれだけしかいわなかった。しかし私はこの簡単な一句のうちに、父が平生から私に対してもっている不平の全体を見た。私はその時自分の言葉使いの角張ったところに気が付かずに、父の不平の方ばかりを無理のように思った。  父はその夜また気を更えて、客を呼ぶなら何日にするかと私の都合を聞いた。都合の好いも悪いもなしにただぶらぶら古い家の中に寝起きしている私に、こんな問いを掛けるのは、父の方が折れて出たのと同じ事であった。私はこの穏やかな父の前に拘泥らない頭を下げた。私は父と相談の上|招待の日取りを極めた。  その日取りのまだ来ないうちに、ある大きな事が起った。それは明治天皇のご病気の報知であった。新聞紙ですぐ日本中へ知れ渡ったこの事件は、一軒の田舎家のうちに多少の曲折を経てようやく纏まろうとした私の卒業祝いを、塵のごとくに吹き払った。 「まあ、ご遠慮申した方がよかろう」  眼鏡を掛けて新聞を見ていた父はこういった。父は黙って自分の病気の事も考えているらしかった。私はついこの間の卒業式に例年の通り大学へ行幸になった陛下を憶い出したりした。 四  小勢な人数には広過ぎる古い家がひっそりしている中に、私は行李を解いて書物を繙き始めた。なぜか私は気が落ち付かなかった。あの目眩るしい東京の下宿の二階で、遠く走る電車の音を耳にしながら、頁を一枚一枚にまくって行く方が、気に張りがあって心持よく勉強ができた。  私はややともすると机にもたれて仮寝をした。時にはわざわざ枕さえ出して本式に昼寝を貪ぼる事もあった。眼が覚めると、蝉の声を聞いた。うつつから続いているようなその声は、急に八釜しく耳の底を掻き乱した。私は凝とそれを聞きながら、時に悲しい思いを胸に抱いた。  私は筆を執って友達のだれかれに短い端書または長い手紙を書いた。その友達のあるものは東京に残っていた。あるものは遠い故郷に帰っていた。返事の来るのも、音信の届かないのもあった。私は固より先生を忘れなかった。原稿紙へ細字で三枚ばかり国へ帰ってから以後の自分というようなものを題目にして書き綴ったのを送る事にした。私はそれを封じる時、先生ははたしてまだ東京にいるだろうかと疑った。先生が奥さんといっしょに宅を空ける場合には、五十|恰好の切下の女の人がどこからか来て、留守番をするのが例になっていた。私がかつて先生にあの人は何ですかと尋ねたら、先生は何と見えますかと聞き返した。私はその人を先生の親類と思い違えていた。先生は「私には親類はありませんよ」と答えた。先生の郷里にいる続きあいの人々と、先生は一向音信の取り遣りをしていなかった。私の疑問にしたその留守番の女の人は、先生とは縁のない奥さんの方の親戚であった。私は先生に郵便を出す時、ふと幅の細い帯を楽に後ろで結んでいるその人の姿を思い出した。もし先生夫婦がどこかへ避暑にでも行ったあとへこの郵便が届いたら、あの切下のお婆さんは、それをすぐ転地先へ送ってくれるだけの気転と親切があるだろうかなどと考えた。そのくせその手紙のうちにはこれというほどの必要の事も書いてないのを、私は能く承知していた。ただ私は淋しかった。そうして先生から返事の来るのを予期してかかった。しかしその返事はついに来なかった。  父はこの前の冬に帰って来た時ほど将棋を差したがらなくなった。将棋盤はほこりの溜ったまま、床の間の隅に片寄せられてあった。ことに陛下のご病気以後父は凝と考え込んでいるように見えた。毎日新聞の来るのを待ち受けて、自分が一番先へ読んだ。それからその読がらをわざわざ私のいる所へ持って来てくれた。 「おいご覧、今日も天子さまの事が詳しく出ている」  父は陛下のことを、つねに天子さまといっていた。 「勿体ない話だが、天子さまのご病気も、お父さんのとまあ似たものだろうな」  こういう父の顔には深い掛念の曇りがかかっていた。こういわれる私の胸にはまた父がいつ斃れるか分らないという心配がひらめいた。 「しかし大丈夫だろう。おれのような下らないものでも、まだこうしていられるくらいだから」  父は自分の達者な保証を自分で与えながら、今にも己れに落ちかかって来そうな危険を予感しているらしかった。 「お父さんは本当に病気を怖がってるんですよ。お母さんのおっしゃるように、十年も二十年も生きる気じゃなさそうですぜ」  母は私の言葉を聞いて当惑そうな顔をした。 「ちょっとまた将棋でも差すように勧めてご覧な」  私は床の間から将棋盤を取りおろして、ほこりを拭いた。 五  父の元気は次第に衰えて行った。私を驚かせたハンケチ付きの古い麦藁帽子が自然と閑却されるようになった。私は黒い煤けた棚の上に載っているその帽子を眺めるたびに、父に対して気の毒な思いをした。父が以前のように、軽々と動く間は、もう少し慎んでくれたらと心配した。父が凝と坐り込むようになると、やはり元の方が達者だったのだという気が起った。私は父の健康についてよく母と話し合った。 「まったく気のせいだよ」と母がいった。母の頭は陛下の病と父の病とを結び付けて考えていた。私にはそうばかりとも思えなかった。 「気じゃない。本当に身体が悪かないんでしょうか。どうも気分より健康の方が悪くなって行くらしい」  私はこういって、心のうちでまた遠くから相当の医者でも呼んで、一つ見せようかしらと思案した。 「今年の夏はお前も詰らなかろう。せっかく卒業したのに、お祝いもして上げる事ができず、お父さんの身体もあの通りだし。それに天子様のご病気で。――いっその事、帰るすぐにお客でも呼ぶ方が好かったんだよ」  私が帰ったのは七月の五、六日で、父や母が私の卒業を祝うために客を呼ぼうといいだしたのは、それから一週間|後であった。そうしていよいよと極めた日はそれからまた一週間の余も先になっていた。時間に束縛を許さない悠長な田舎に帰った私は、お蔭で好もしくない社交上の苦痛から救われたも同じ事であったが、私を理解しない母は少しもそこに気が付いていないらしかった。  崩御の報知が伝えられた時、父はその新聞を手にして、「ああ、ああ」といった。 「ああ、ああ、天子様もとうとうおかくれになる。己も……」  父はその後をいわなかった。  私は黒いうすものを買うために町へ出た。それで旗竿の球を包んで、それで旗竿の先へ三|寸幅のひらひらを付けて、門の扉の横から斜めに往来へさし出した。旗も黒いひらひらも、風のない空気のなかにだらりと下がった。私の宅の古い門の屋根は藁で葺いてあった。雨や風に打たれたりまた吹かれたりしたその藁の色はとくに変色して、薄く灰色を帯びた上に、所々の凸凹さえ眼に着いた。私はひとり門の外へ出て、黒いひらひらと、白いめりんすの地と、地のなかに染め出した赤い日の丸の色とを眺めた。それが薄汚ない屋根の藁に映るのも眺めた。私はかつて先生から「あなたの宅の構えはどんな体裁ですか。私の郷里の方とは大分趣が違っていますかね」と聞かれた事を思い出した。私は自分の生れたこの古い家を、先生に見せたくもあった。また先生に見せるのが恥ずかしくもあった。  私はまた一人家のなかへはいった。自分の机の置いてある所へ来て、新聞を読みながら、遠い東京の有様を想像した。私の想像は日本一の大きな都が、どんなに暗いなかでどんなに動いているだろうかの画面に集められた。私はその黒いなりに動かなければ仕末のつかなくなった都会の、不安でざわざわしているなかに、一点の燈火のごとくに先生の家を見た。私はその時この燈火が音のしない渦の中に、自然と捲き込まれている事に気が付かなかった。しばらくすれば、その灯もまたふっと消えてしまうべき運命を、眼の前に控えているのだとは固より気が付かなかった。  私は今度の事件について先生に手紙を書こうかと思って、筆を執りかけた。私はそれを十行ばかり書いて已めた。書いた所は寸々に引き裂いて屑籠へ投げ込んだ。。私は淋しかった。それで手紙を書くのであった。そうして返事が来れば好いと思うのであった。 六  八月の半ばごろになって、私はある朋友から手紙を受け取った。その中に地方の中学教員の口があるが行かないかと書いてあった。この朋友は経済の必要上、自分でそんな位地を探し廻る男であった。この口も始めは自分の所へかかって来たのだが、もっと好い地方へ相談ができたので、余った方を私に譲る気で、わざわざ知らせて来てくれたのであった。私はすぐ返事を出して断った。知り合いの中には、ずいぶん骨を折って、教師の職にありつきたがっているものがあるから、その方へ廻してやったら好かろうと書いた。  私は返事を出した後で、父と母にその話をした。二人とも私の断った事に異存はないようであった。 「そんな所へ行かないでも、まだ好い口があるだろう」  こういってくれる裏に、私は二人が私に対してもっている過分な希望を読んだ。迂闊な父や母は、不相当な地位と収入とを卒業したての私から期待しているらしかったのである。 「相当の口って、近頃じゃそんな旨い口はなかなかあるものじゃありません。ことに兄さんと私とは専門も違うし、時代も違うんだから、二人を同じように考えられちゃ少し困ります」 「しかし卒業した以上は、少なくとも独立してやって行ってくれなくっちゃこっちも困る。人からあなたの所のご二男は、大学を卒業なすって何をしてお出ですかと聞かれた時に返事ができないようじゃ、おれも肩身が狭いから」  父は渋面をつくった。父の考えは、古く住み慣れた郷里から外へ出る事を知らなかった。その郷里の誰彼から、大学を卒業すればいくらぐらい月給が取れるものだろうと聞かれたり、まあ百円ぐらいなものだろうかといわれたりした父は、こういう人々に対して、外聞の悪くないように、卒業したての私を片付けたかったのである。広い都を根拠地として考えている私は、父や母から見ると、まるで足を空に向けて歩く奇体な人間に異ならなかった。私の方でも、実際そういう人間のような気持を折々起した。私はあからさまに自分の考えを打ち明けるには、あまりに距離の懸隔の甚しい父と母の前に黙然としていた。 「お前のよく先生先生という方にでもお願いしたら好いじゃないか。こんな時こそ」  母はこうより外に先生を解釈する事ができなかった。その先生は私に国へ帰ったら父の生きているうちに早く財産を分けて貰えと勧める人であった。卒業したから、地位の周旋をしてやろうという人ではなかった。 「その先生は何をしているのかい」と父が聞いた。 「何にもしていないんです」と私が答えた。  私はとくの昔から先生の何もしていないという事を父にも母にも告げたつもりでいた。そうして父はたしかにそれを記憶しているはずであった。 「何もしていないというのは、またどういう訳かね。お前がそれほど尊敬するくらいな人なら何かやっていそうなものだがね」  父はこういって、私を諷した。父の考えでは、役に立つものは世の中へ出てみんな相当の地位を得て働いている。必竟やくざだから遊んでいるのだと結論しているらしかった。 「おれのような人間だって、月給こそ貰っちゃいないが、これでも遊んでばかりいるんじゃない」  父はこうもいった。私はそれでもまだ黙っていた。 「お前のいうような偉い方なら、きっと何か口を探して下さるよ。頼んでご覧なのかい」と母が聞いた。 「いいえ」と私は答えた。 「じゃ仕方がないじゃないか。なぜ頼まないんだい。手紙でも好いからお出しな」 「ええ」  私は生返事をして席を立った。 七  父は明らかに自分の病気を恐れていた。しかし医者の来るたびに蒼蠅い質問を掛けて相手を困らす質でもなかった。医者の方でもまた遠慮して何ともいわなかった。  父は死後の事を考えているらしかった。少なくとも自分がいなくなった後のわが家を想像して見るらしかった。 「小供に学問をさせるのも、好し悪しだね。せっかく修業をさせると、その小供は決して宅へ帰って来ない。これじゃ手もなく親子を隔離するために学問させるようなものだ」  学問をした結果兄は今|遠国にいた。教育を受けた因果で、私はまた東京に住む覚悟を固くした。こういう子を育てた父の愚痴はもとより不合理ではなかった。永年住み古した田舎家の中に、たった一人取り残されそうな母を描き出す父の想像はもとより淋しいに違いなかった。  わが家は動かす事のできないものと父は信じ切っていた。その中に住む母もまた命のある間は、動かす事のできないものと信じていた。自分が死んだ後、この孤独な母を、たった一人|伽藍堂のわが家に取り残すのもまた甚だしい不安であった。それだのに、東京で好い地位を求めろといって、私を強いたがる父の頭には矛盾があった。私はその矛盾をおかしく思ったと同時に、そのお蔭でまた東京へ出られるのを喜んだ。  私は父や母の手前、この地位をできるだけの努力で求めつつあるごとくに装おわなくてはならなかった。私は先生に手紙を書いて、家の事情を精しく述べた。もし自分の力でできる事があったら何でもするから周旋してくれと頼んだ。私は先生が私の依頼に取り合うまいと思いながらこの手紙を書いた。また取り合うつもりでも、世間の狭い先生としてはどうする事もできまいと思いながらこの手紙を書いた。しかし私は先生からこの手紙に対する返事がきっと来るだろうと思って書いた。  私はそれを封じて出す前に母に向かっていった。 「先生に手紙を書きましたよ。あなたのおっしゃった通り。ちょっと読んでご覧なさい」  母は私の想像したごとくそれを読まなかった。 「そうかい、それじゃ早くお出し。そんな事は他が気を付けないでも、自分で早くやるものだよ」  母は私をまだ子供のように思っていた。私も実際子供のような感じがした。 「しかし手紙じゃ用は足りませんよ。どうせ、九月にでもなって、私が東京へ出てからでなくっちゃ」 「そりゃそうかも知れないけれども、またひょっとして、どんな好い口がないとも限らないんだから、早く頼んでおくに越した事はないよ」 「ええ。とにかく返事は来るに極ってますから、そうしたらまたお話ししましょう」  私はこんな事に掛けて几帳面な先生を信じていた。私は先生の返事の来るのを心待ちに待った。けれども私の予期はついに外れた。先生からは一週間|経っても何の音信もなかった。 「大方どこかへ避暑にでも行っているんでしょう」  私は母に向かって言訳らしい言葉を使わなければならなかった。そうしてその言葉は母に対する言訳ばかりでなく、自分の心に対する言訳でもあった。私は強いても何かの事情を仮定して先生の態度を弁護しなければ不安になった。  私は時々父の病気を忘れた。いっそ早く東京へ出てしまおうかと思ったりした。その父自身もおのれの病気を忘れる事があった。未来を心配しながら、未来に対する所置は一向取らなかった。私はついに先生の忠告通り財産分配の事を父にいい出す機会を得ずに過ぎた。 八  九月始めになって、私はいよいよまた東京へ出ようとした。私は父に向かって当分今まで通り学資を送ってくれるようにと頼んだ。 「ここにこうしていたって、あなたのおっしゃる通りの地位が得られるものじゃないですから」  私は父の希望する地位を得るために東京へ行くような事をいった。 「無論口の見付かるまでで好いですから」ともいった。  私は心のうちで、その口は到底私の頭の上に落ちて来ないと思っていた。けれども事情にうとい父はまたあくまでもその反対を信じていた。 「そりゃ僅の間の事だろうから、どうにか都合してやろう。その代り永くはいけないよ。相当の地位を得次第独立しなくっちゃ。元来学校を出た以上、出たあくる日から他の世話になんぞなるものじゃないんだから。今の若いものは、金を使う道だけ心得ていて、金を取る方は全く考えていないようだね」  父はこの外にもまだ色々の小言をいった。その中には、「昔の親は子に食わせてもらったのに、今の親は子に食われるだけだ」などという言葉があった。それらを私はただ黙って聞いていた。  小言が一通り済んだと思った時、私は静かに席を立とうとした。父はいつ行くかと私に尋ねた。私には早いだけが好かった。 「お母さんに日を見てもらいなさい」 「そうしましょう」  その時の私は父の前に存外おとなしかった。私はなるべく父の機嫌に逆らわずに、田舎を出ようとした。父はまた私を引き留めた。 「お前が東京へ行くと宅はまた淋しくなる。何しろ己とお母さんだけなんだからね。そのおれも身体さえ達者なら好いが、この様子じゃいつ急にどんな事がないともいえないよ」  私はできるだけ父を慰めて、自分の机を置いてある所へ帰った。私は取り散らした書物の間に坐って、心細そうな父の態度と言葉とを、幾度か繰り返し眺めた。私はその時また蝉の声を聞いた。その声はこの間中聞いたのと違って、つくつく法師の声であった。私は夏郷里に帰って、煮え付くような蝉の声の中に凝と坐っていると、変に悲しい心持になる事がしばしばあった。私の哀愁はいつもこの虫の烈しい音と共に、心の底に沁み込むように感ぜられた。私はそんな時にはいつも動かずに、一人で一人を見詰めていた。  私の哀愁はこの夏帰省した以後次第に情調を変えて来た。油蝉の声がつくつく法師の声に変るごとくに、私を取り巻く人の運命が、大きな輪廻のうちに、そろそろ動いているように思われた。私は淋しそうな父の態度と言葉を繰り返しながら、手紙を出しても返事を寄こさない先生の事をまた憶い浮べた。先生と父とは、まるで反対の印象を私に与える点において、比較の上にも、連想の上にも、いっしょに私の頭に上りやすかった。  私はほとんど父のすべても知り尽していた。もし父を離れるとすれば、情合の上に親子の心残りがあるだけであった。先生の多くはまだ私に解っていなかった。話すと約束されたその人の過去もまだ聞く機会を得ずにいた。要するに先生は私にとって薄暗かった。私はぜひともそこを通り越して、明るい所まで行かなければ気が済まなかった。先生と関係の絶えるのは私にとって大いな苦痛であった。私は母に日を見てもらって、東京へ立つ日取りを極めた。 九  私がいよいよ立とうという間際になって、父はまた突然|引っ繰り返った。私はその時書物や衣類を詰めた行李をからげていた。父は風呂へ入ったところであった。父の背中を流しに行った母が大きな声を出して私を呼んだ。私は裸体のまま母に後ろから抱かれている父を見た。それでも座敷へ伴れて戻った時、父はもう大丈夫だといった。念のために枕元に坐って、濡手拭で父の頭を冷していた私は、九時|頃になってようやく形ばかりの夜食を済ました。  翌日になると父は思ったより元気が好かった。留めるのも聞かずに歩いて便所へ行ったりした。 「もう大丈夫」  父は去年の暮倒れた時に私に向かっていったと同じ言葉をまた繰り返した。その時ははたして口でいった通りまあ大丈夫であった。私は今度もあるいはそうなるかも知れないと思った。しかし医者はただ用心が肝要だと注意するだけで、念を押しても判然した事を話してくれなかった。私は不安のために、出立の日が来てもついに東京へ立つ気が起らなかった。 「もう少し様子を見てからにしましょうか」と私は母に相談した。 「そうしておくれ」と母が頼んだ。  母は父が庭へ出たり背戸へ下りたりする元気を見ている間だけは平気でいるくせに、こんな事が起るとまた必要以上に心配したり気を揉んだりした。 「お前は今日東京へ行くはずじゃなかったか」と父が聞いた。 「ええ、少し延ばしました」と私が答えた。 「おれのためにかい」と父が聞き返した。  私はちょっと躊躇した。そうだといえば、父の病気の重いのを裏書きするようなものであった。私は父の神経を過敏にしたくなかった。しかし父は私の心をよく見抜いているらしかった。 「気の毒だね」といって、庭の方を向いた。  私は自分の部屋にはいって、そこに放り出された行李を眺めた。行李はいつ持ち出しても差支えないように、堅く括られたままであった。私はぼんやりその前に立って、また縄を解こうかと考えた。  私は坐ったまま腰を浮かした時の落ち付かない気分で、また三、四日を過ごした。すると父がまた卒倒した。医者は絶対に安臥を命じた。 「どうしたものだろうね」と母が父に聞こえないような小さな声で私にいった。母の顔はいかにも心細そうであった。私は兄と妹に電報を打つ用意をした。けれども寝ている父にはほとんど何の苦悶もなかった。話をするところなどを見ると、風邪でも引いた時と全く同じ事であった。その上食欲は不断よりも進んだ。傍のものが、注意しても容易にいう事を聞かなかった。 「どうせ死ぬんだから、旨いものでも食って死ななくっちゃ」  私には旨いものという父の言葉が滑稽にも悲酸にも聞こえた。父は旨いものを口に入れられる都には住んでいなかったのである。夜に入ってかき餅などを焼いてもらってぼりぼり噛んだ。 「どうしてこう渇くのかね。やっぱり心に丈夫の所があるのかも知れないよ」  母は失望していいところにかえって頼みを置いた。そのくせ病気の時にしか使わない渇くという昔風の言葉を、何でも食べたがる意味に用いていた。  伯父が見舞に来たとき、父はいつまでも引き留めて帰さなかった。淋しいからもっといてくれというのが重な理由であったが、母や私が、食べたいだけ物を食べさせないという不平を訴えるのも、その目的の一つであったらしい。 十  父の病気は同じような状態で一週間以上つづいた。私はその間に長い手紙を九州にいる兄|宛で出した。妹へは母から出させた。私は腹の中で、おそらくこれが父の健康に関して二人へやる最後の音信だろうと思った。それで両方へいよいよという場合には電報を打つから出て来いという意味を書き込めた。  兄は忙しい職にいた。妹は妊娠中であった。だから父の危険が眼の前に逼らないうちに呼び寄せる自由は利かなかった。といって、折角都合して来たには来たが、間に合わなかったといわれるのも辛かった。私は電報を掛ける時機について、人の知らない責任を感じた。 「そう判然りした事になると私にも分りません。しかし危険はいつ来るか分らないという事だけは承知していて下さい」  停車場のある町から迎えた医者は私にこういった。私は母と相談して、その医者の周旋で、町の病院から看護婦を一人頼む事にした。父は枕元へ来て挨拶する白い服を着た女を見て変な顔をした。  父は死病に罹っている事をとうから自覚していた。それでいて、眼前にせまりつつある死そのものには気が付かなかった。 「今に癒ったらもう一返東京へ遊びに行ってみよう。人間はいつ死ぬか分らないからな。何でもやりたい事は、生きてるうちにやっておくに限る」  母は仕方なしに「その時は私もいっしょに伴れて行って頂きましょう」などと調子を合せていた。  時とするとまた非常に淋しがった。 「おれが死んだら、どうかお母さんを大事にしてやってくれ」  私はこの「おれが死んだら」という言葉に一種の記憶をもっていた。東京を立つ時、先生が奥さんに向かって何遍もそれを繰り返したのは、私が卒業した日の晩の事であった。私は笑いを帯びた先生の顔と、縁喜でもないと耳を塞いだ奥さんの様子とを憶い出した。あの時の「おれが死んだら」は単純な仮定であった。今私が聞くのはいつ起るか分らない事実であった。私は先生に対する奥さんの態度を学ぶ事ができなかった。しかし口の先では何とか父を紛らさなければならなかった。 「そんな弱い事をおっしゃっちゃいけませんよ。今に癒ったら東京へ遊びにいらっしゃるはずじゃありませんか。お母さんといっしょに。今度いらっしゃるときっと吃驚しますよ、変っているんで。電車の新しい線路だけでも大変|増えていますからね。電車が通るようになれば自然|町並も変るし、その上に市区改正もあるし、東京が凝としている時は、まあ二六時中一分もないといっていいくらいです」  私は仕方がないからいわないでいい事まで喋舌った。父はまた、満足らしくそれを聞いていた。  病人があるので自然|家の出入りも多くなった。近所にいる親類などは、二日に一人ぐらいの割で代る代る見舞に来た。中には比較的遠くにいて平生疎遠なものもあった。「どうかと思ったら、この様子じゃ大丈夫だ。話も自由だし、だいち顔がちっとも瘠せていないじゃないか」などといって帰るものがあった。私の帰った当時はひっそりし過ぎるほど静かであった家庭が、こんな事で段々ざわざわし始めた。  その中に動かずにいる父の病気は、ただ面白くない方へ移って行くばかりであった。私は母や伯父と相談して、とうとう兄と妹に電報を打った。兄からはすぐ行くという返事が来た。妹の夫からも立つという報知があった。妹はこの前|懐妊した時に流産したので、今度こそは癖にならないように大事を取らせるつもりだと、かねていい越したその夫は、妹の代りに自分で出て来るかも知れなかった。 十一  こうした落ち付きのない間にも、私はまだ静かに坐る余裕をもっていた。偶には書物を開けて十|頁もつづけざまに読む時間さえ出て来た。一旦堅く括られた私の行李は、いつの間にか解かれてしまった。私は要るに任せて、その中から色々なものを取り出した。私は東京を立つ時、心のうちで極めた、この夏中の日課を顧みた。私のやった事はこの日課の三が一にも足らなかった。私は今までもこういう不愉快を何度となく重ねて来た。しかしこの夏ほど思った通り仕事の運ばない例も少なかった。これが人の世の常だろうと思いながらも私は厭な気持に抑え付けられた。  私はこの不快の裏に坐りながら、一方に父の病気を考えた。父の死んだ後の事を想像した。そうしてそれと同時に、先生の事を一方に思い浮べた。私はこの不快な心持の両端に地位、教育、性格の全然異なった二人の面影を眺めた。  私が父の枕元を離れて、独り取り乱した書物の中に腕組みをしているところへ母が顔を出した。 「少し午眠でもおしよ。お前もさぞ草臥れるだろう」  母は私の気分を了解していなかった。私も母からそれを予期するほどの子供でもなかった。私は単簡に礼を述べた。母はまだ室の入口に立っていた。 「お父さんは?」と私が聞いた。 「今よく寝てお出だよ」と母が答えた。  母は突然はいって来て私の傍に坐った。 「先生からまだ何ともいって来ないかい」と聞いた。  母はその時の私の言葉を信じていた。その時の私は先生からきっと返事があると母に保証した。しかし父や母の希望するような返事が来るとは、その時の私もまるで期待しなかった。私は心得があって母を欺いたと同じ結果に陥った。 「もう一遍手紙を出してご覧な」と母がいった。  役に立たない手紙を何通書こうと、それが母の慰安になるなら、手数を厭うような私ではなかった。けれどもこういう用件で先生にせまるのは私の苦痛であった。私は父に叱られたり、母の機嫌を損じたりするよりも、先生から見下げられるのを遥かに恐れていた。あの依頼に対して今まで返事の貰えないのも、あるいはそうした訳からじゃないかしらという邪推もあった。 「手紙を書くのは訳はないですが、こういう事は郵便じゃとても埒は明きませんよ。どうしても自分で東京へ出て、じかに頼んで廻らなくっちゃ」 「だってお父さんがあの様子じゃ、お前、いつ東京へ出られるか分らないじゃないか」 「だから出やしません。癒るとも癒らないとも片付かないうちは、ちゃんとこうしているつもりです」 「そりゃ解り切った話だね。今にもむずかしいという大病人を放ちらかしておいて、誰が勝手に東京へなんか行けるものかね」  私は始め心のなかで、何も知らない母を憐れんだ。しかし母がなぜこんな問題をこのざわざわした際に持ち出したのか理解できなかった。私が父の病気をよそに、静かに坐ったり書見したりする余裕のあるごとくに、母も眼の前の病人を忘れて、外の事を考えるだけ、胸に空地があるのかしらと疑った。その時「実はね」と母がいい出した。 「実はお父さんの生きてお出のうちに、お前の口が極ったらさぞ安心なさるだろうと思うんだがね。この様子じゃ、とても間に合わないかも知れないけれども、それにしても、まだああやって口も慥かなら気も慥かなんだから、ああしてお出のうちに喜ばして上げるように親孝行をおしな」  憐れな私は親孝行のできない境遇にいた。私はついに一行の手紙も先生に出さなかった。 十二  兄が帰って来た時、父は寝ながら新聞を読んでいた。父は平生から何を措いても新聞だけには眼を通す習慣であったが、床についてからは、退屈のため猶更それを読みたがった。母も私も強いては反対せずに、なるべく病人の思い通りにさせておいた。 「そういう元気なら結構なものだ。よっぽど悪いかと思って来たら、大変|好いようじゃありませんか」  兄はこんな事をいいながら父と話をした。その賑やか過ぎる調子が私にはかえって不調和に聞こえた。それでも父の前を外して私と差し向いになった時は、むしろ沈んでいた。 「新聞なんか読ましちゃいけなかないか」 「私もそう思うんだけれども、読まないと承知しないんだから、仕様がない」  兄は私の弁解を黙って聞いていた。やがて、「よく解るのかな」といった。兄は父の理解力が病気のために、平生よりはよっぽど鈍っているように観察したらしい。 「そりゃ慥かです。私はさっき二十分ばかり枕元に坐って色々話してみたが、調子の狂ったところは少しもないです。あの様子じゃことによるとまだなかなか持つかも知れませんよ」  兄と前後して着いた妹の夫の意見は、我々よりもよほど楽観的であった。父は彼に向かって妹の事をあれこれと尋ねていた。「身体が身体だからむやみに汽車になんぞ乗って揺れない方が好い。無理をして見舞に来られたりすると、かえってこっちが心配だから」といっていた。「なに今に治ったら赤ん坊の顔でも見に、久しぶりにこっちから出掛けるから差支えない」ともいっていた。  乃木大将の死んだ時も、父は一番さきに新聞でそれを知った。 「大変だ大変だ」といった。  何事も知らない私たちはこの突然な言葉に驚かされた。 「あの時はいよいよ頭が変になったのかと思って、ひやりとした」と後で兄が私にいった。「私も実は驚きました」と妹の夫も同感らしい言葉つきであった。  その頃の新聞は実際|田舎ものには日ごとに待ち受けられるような記事ばかりあった。私は父の枕元に坐って鄭寧にそれを読んだ。読む時間のない時は、そっと自分の室へ持って来て、残らず眼を通した。私の眼は長い間、軍服を着た乃木大将と、それから官女みたような服装をしたその夫人の姿を忘れる事ができなかった。  悲痛な風が田舎の隅まで吹いて来て、眠たそうな樹や草を震わせている最中に、突然私は一通の電報を先生から受け取った。洋服を着た人を見ると犬が吠えるような所では、一通の電報すら大事件であった。それを受け取った母は、はたして驚いたような様子をして、わざわざ私を人のいない所へ呼び出した。 「何だい」といって、私の封を開くのを傍に立って待っていた。  電報にはちょっと会いたいが来られるかという意味が簡単に書いてあった。私は首を傾けた。 「きっとお頼もうしておいた口の事だよ」と母が推断してくれた。  私もあるいはそうかも知れないと思った。しかしそれにしては少し変だとも考えた。とにかく兄や妹の夫まで呼び寄せた私が、父の病気を打遣って、東京へ行く訳には行かなかった。私は母と相談して、行かれないという返電を打つ事にした。できるだけ簡略な言葉で父の病気の危篤に陥りつつある旨も付け加えたが、それでも気が済まなかったから、委細手紙として、細かい事情をその日のうちに認めて郵便で出した。頼んだ位地の事とばかり信じ切った母は、「本当に間の悪い時は仕方のないものだね」といって残念そうな顔をした。 十三  私の書いた手紙はかなり長いものであった。母も私も今度こそ先生から何とかいって来るだろうと考えていた。すると手紙を出して二日目にまた電報が私|宛で届いた。それには来ないでもよろしいという文句だけしかなかった。私はそれを母に見せた。 「大方手紙で何とかいってきて下さるつもりだろうよ」  母はどこまでも先生が私のために衣食の口を周旋してくれるものとばかり解釈しているらしかった。私もあるいはそうかとも考えたが、先生の平生から推してみると、どうも変に思われた。「先生が口を探してくれる」。これはあり得べからざる事のように私には見えた。 「とにかく私の手紙はまだ向うへ着いていないはずだから、この電報はその前に出したものに違いないですね」  私は母に向かってこんな分り切った事をいった。母はまたもっともらしく思案しながら「そうだね」と答えた。私の手紙を読まない前に、先生がこの電報を打ったという事が、先生を解釈する上において、何の役にも立たないのは知れているのに。  その日はちょうど主治医が町から院長を連れて来るはずになっていたので、母と私はそれぎりこの事件について話をする機会がなかった。二人の医者は立ち合いの上、病人に浣腸などをして帰って行った。  父は医者から安臥を命ぜられて以来、両便とも寝たまま他の手で始末してもらっていた。潔癖な父は、最初の間こそ甚だしくそれを忌み嫌ったが、身体が利かないので、やむを得ずいやいや床の上で用を足した。それが病気の加減で頭がだんだん鈍くなるのか何だか、日を経るに従って、無精な排泄を意としないようになった。たまには蒲団や敷布を汚して、傍のものが眉を寄せるのに、当人はかえって平気でいたりした。もっとも尿の量は病気の性質として、極めて少なくなった。医者はそれを苦にした。食欲も次第に衰えた。たまに何か欲しがっても、舌が欲しがるだけで、咽喉から下へはごく僅しか通らなかった。好きな新聞も手に取る気力がなくなった。枕の傍にある老眼鏡は、いつまでも黒い鞘に納められたままであった。子供の時分から仲の好かった作さんという今では一|里ばかり隔たった所に住んでいる人が見舞に来た時、父は「ああ作さんか」といって、どんよりした眼を作さんの方に向けた。 「作さんよく来てくれた。作さんは丈夫で羨ましいね。己はもう駄目だ」 「そんな事はないよ。お前なんか子供は二人とも大学を卒業するし、少しぐらい病気になったって、申し分はないんだ。おれをご覧よ。かかあには死なれるしさ、子供はなしさ。ただこうして生きているだけの事だよ。達者だって何の楽しみもないじゃないか」  浣腸をしたのは作さんが来てから二、三日あとの事であった。父は医者のお蔭で大変楽になったといって喜んだ。少し自分の寿命に対する度胸ができたという風に機嫌が直った。傍にいる母は、それに釣り込まれたのか、病人に気力を付けるためか、先生から電報のきた事を、あたかも私の位置が父の希望する通り東京にあったように話した。傍にいる私はむずがゆい心持がしたが、母の言葉を遮る訳にもゆかないので、黙って聞いていた。病人は嬉しそうな顔をした。 「そりゃ結構です」と妹の夫もいった。 「何の口だかまだ分らないのか」と兄が聞いた。  私は今更それを否定する勇気を失った。自分にも何とも訳の分らない曖昧な返事をして、わざと席を立った。 十四  父の病気は最後の一撃を待つ間際まで進んで来て、そこでしばらく躊躇するようにみえた。家のものは運命の宣告が、今日|下るか、今日下るかと思って、毎夜|床にはいった。  父は傍のものを辛くするほどの苦痛をどこにも感じていなかった。その点になると看病はむしろ楽であった。要心のために、誰か一人ぐらいずつ代る代る起きてはいたが、あとのものは相当の時間に各自の寝床へ引き取って差支えなかった。何かの拍子で眠れなかった時、病人の唸るような声を微かに聞いたと思い誤った私は、一|遍半夜に床を抜け出して、念のため父の枕元まで行ってみた事があった。その夜は母が起きている番に当っていた。しかしその母は父の横に肱を曲げて枕としたなり寝入っていた。父も深い眠りの裏にそっと置かれた人のように静かにしていた。私は忍び足でまた自分の寝床へ帰った。  私は兄といっしょの蚊帳の中に寝た。妹の夫だけは、客扱いを受けているせいか、独り離れた座敷に入って休んだ。 「関さんも気の毒だね。ああ幾日も引っ張られて帰れなくっちゃあ」  関というのはその人の苗字であった。 「しかしそんな忙しい身体でもないんだから、ああして泊っていてくれるんでしょう。関さんよりも兄さんの方が困るでしょう、こう長くなっちゃ」 「困っても仕方がない。外の事と違うからな」  兄と床を並べて寝る私は、こんな寝物語をした。兄の頭にも私の胸にも、父はどうせ助からないという考えがあった。どうせ助からないものならばという考えもあった。我々は子として親の死ぬのを待っているようなものであった。しかし子としての我々はそれを言葉の上に表わすのを憚かった。そうしてお互いにお互いがどんな事を思っているかをよく理解し合っていた。 「お父さんは、まだ治る気でいるようだな」と兄が私にいった。  実際兄のいう通りに見えるところもないではなかった。近所のものが見舞にくると、父は必ず会うといって承知しなかった。会えばきっと、私の卒業祝いに呼ぶ事ができなかったのを残念がった。その代り自分の病気が治ったらというような事も時々付け加えた。 「お前の卒業祝いは已めになって結構だ。おれの時には弱ったからね」と兄は私の記憶を突ッついた。私はアルコールに煽られたその時の乱雑な有様を想い出して苦笑した。飲むものや食うものを強いて廻る父の態度も、にがにがしく私の眼に映った。  私たちはそれほど仲の好い兄弟ではなかった。小さいうちは好く喧嘩をして、年の少ない私の方がいつでも泣かされた。学校へはいってからの専門の相違も、全く性格の相違から出ていた。大学にいる時分の私は、ことに先生に接触した私は、遠くから兄を眺めて、常に動物的だと思っていた。私は長く兄に会わなかったので、また懸け隔たった遠くにいたので、時からいっても距離からいっても、兄はいつでも私には近くなかったのである。それでも久しぶりにこう落ち合ってみると、兄弟の優しい心持がどこからか自然に湧いて出た。場合が場合なのもその大きな源因になっていた。二人に共通な父、その父の死のうとしている枕元で、兄と私は握手したのであった。 「お前これからどうする」と兄は聞いた。私はまた全く見当の違った質問を兄に掛けた。 「一体|家の財産はどうなってるんだろう」 「おれは知らない。お父さんはまだ何ともいわないから。しかし財産っていったところで金としては高の知れたものだろう」  母はまた母で先生の返事の来るのを苦にしていた。 「まだ手紙は来ないかい」と私を責めた。 十五 「先生先生というのは一体|誰の事だい」と兄が聞いた。 「こないだ話したじゃないか」と私は答えた。私は自分で質問をしておきながら、すぐ他の説明を忘れてしまう兄に対して不快の念を起した。 「聞いた事は聞いたけれども」  兄は必竟聞いても解らないというのであった。私から見ればなにも無理に先生を兄に理解してもらう必要はなかった。けれども腹は立った。また例の兄らしい所が出て来たと思った。  先生先生と私が尊敬する以上、その人は必ず著名の士でなくてはならないように兄は考えていた。少なくとも大学の教授ぐらいだろうと推察していた。名もない人、何もしていない人、それがどこに価値をもっているだろう。兄の腹はこの点において、父と全く同じものであった。けれども父が何もできないから遊んでいるのだと速断するのに引きかえて、兄は何かやれる能力があるのに、ぶらぶらしているのは詰らん人間に限るといった風の口吻を洩らした。 「イゴイストはいけないね。何もしないで生きていようというのは横着な了簡だからね。人は自分のもっている才能をできるだけ働かせなくっちゃ嘘だ」  私は兄に向かって、自分の使っているイゴイストという言葉の意味がよく解るかと聞き返してやりたかった。 「それでもその人のお蔭で地位ができればまあ結構だ。お父さんも喜んでるようじゃないか」  兄は後からこんな事をいった。先生から明瞭な手紙の来ない以上、私はそう信ずる事もできず、またそう口に出す勇気もなかった。それを母の早呑み込みでみんなにそう吹聴してしまった今となってみると、私は急にそれを打ち消す訳に行かなくなった。私は母に催促されるまでもなく、先生の手紙を待ち受けた。そうしてその手紙に、どうかみんなの考えているような衣食の口の事が書いてあればいいがと念じた。私は死に瀕している父の手前、その父に幾分でも安心させてやりたいと祈りつつある母の手前、働かなければ人間でないようにいう兄の手前、その他妹の夫だの伯父だの叔母だのの手前、私のちっとも頓着していない事に、神経を悩まさなければならなかった。  父が変な黄色いものも嘔いた時、私はかつて先生と奥さんから聞かされた危険を思い出した。「ああして長く寝ているんだから胃も悪くなるはずだね」といった母の顔を見て、何も知らないその人の前に涙ぐんだ。  兄と私が茶の間で落ち合った時、兄は「聞いたか」といった。それは医者が帰り際に兄に向っていった事を聞いたかという意味であった。私には説明を待たないでもその意味がよく解っていた。 「お前ここへ帰って来て、宅の事を監理する気がないか」と兄が私を顧みた。私は何とも答えなかった。 「お母さん一人じゃ、どうする事もできないだろう」と兄がまたいった。兄は私を土の臭いを嗅いで朽ちて行っても惜しくないように見ていた。 「本を読むだけなら、田舎でも充分できるし、それに働く必要もなくなるし、ちょうど好いだろう」 「兄さんが帰って来るのが順ですね」と私がいった。 「おれにそんな事ができるものか」と兄は一口に斥けた。兄の腹の中には、世の中でこれから仕事をしようという気が充ち満ちていた。 「お前がいやなら、まあ伯父さんにでも世話を頼むんだが、それにしてもお母さんはどっちかで引き取らなくっちゃなるまい」 「お母さんがここを動くか動かないかがすでに大きな疑問ですよ」  兄弟はまだ父の死なない前から、父の死んだ後について、こんな風に語り合った。 十六  父は時々|囈語をいうようになった。 「乃木大将に済まない。実に面目次第がない。いえ私もすぐお後から」  こんな言葉をひょいひょい出した。母は気味を悪がった。なるべくみんなを枕元へ集めておきたがった。気のたしかな時は頻りに淋しがる病人にもそれが希望らしく見えた。ことに室の中を見廻して母の影が見えないと、父は必ず「お光は」と聞いた。聞かないでも、眼がそれを物語っていた。私はよく起って母を呼びに行った。「何かご用ですか」と、母が仕掛けた用をそのままにしておいて病室へ来ると、父はただ母の顔を見詰めるだけで何もいわない事があった。そうかと思うと、まるで懸け離れた話をした。突然「お光お前にも色々世話になったね」などと優しい言葉を出す時もあった。母はそういう言葉の前にきっと涙ぐんだ。そうした後ではまたきっと丈夫であった昔の父をその対照として想い出すらしかった。 「あんな憐れっぽい事をお言いだがね、あれでもとはずいぶん酷かったんだよ」  母は父のために箒で背中をどやされた時の事などを話した。今まで何遍もそれを聞かされた私と兄は、いつもとはまるで違った気分で、母の言葉を父の記念のように耳へ受け入れた。  父は自分の眼の前に薄暗く映る死の影を眺めながら、まだ遺言らしいものを口に出さなかった。 「今のうち何か聞いておく必要はないかな」と兄が私の顔を見た。 「そうだなあ」と私は答えた。私はこちらから進んでそんな事を持ち出すのも病人のために好し悪しだと考えていた。二人は決しかねてついに伯父に相談をかけた。伯父も首を傾けた。 「いいたい事があるのに、いわないで死ぬのも残念だろうし、といって、こっちから催促するのも悪いかも知れず」  話はとうとう愚図愚図になってしまった。そのうちに昏睡が来た。例の通り何も知らない母は、それをただの眠りと思い違えてかえって喜んだ。「まあああして楽に寝られれば、傍にいるものも助かります」といった。  父は時々眼を開けて、誰はどうしたなどと突然聞いた。その誰はつい先刻までそこに坐っていた人の名に限られていた。父の意識には暗い所と明るい所とできて、その明るい所だけが、闇を縫う白い糸のように、ある距離を置いて連続するようにみえた。母が昏睡状態を普通の眠りと取り違えたのも無理はなかった。  そのうち舌が段々|縺れて来た。何かいい出しても尻が不明瞭に了るために、要領を得ないでしまう事が多くあった。そのくせ話し始める時は、危篤の病人とは思われないほど、強い声を出した。我々は固より不断以上に調子を張り上げて、耳元へ口を寄せるようにしなければならなかった。 「頭を冷やすと好い心持ですか」 「うん」  私は看護婦を相手に、父の水枕を取り更えて、それから新しい氷を入れた氷嚢を頭の上へ載せた。がさがさに割られて尖り切った氷の破片が、嚢の中で落ちつく間、私は父の禿げ上った額の外でそれを柔らかに抑えていた。その時兄が廊下伝いにはいって来て、一通の郵便を無言のまま私の手に渡した。空いた方の左手を出して、その郵便を受け取った私はすぐ不審を起した。  それは普通の手紙に比べるとよほど目方の重いものであった。並の状袋にも入れてなかった。また並の状袋に入れられべき分量でもなかった。半紙で包んで、封じ目を鄭寧に糊で貼り付けてあった。私はそれを兄の手から受け取った時、すぐその書留である事に気が付いた。裏を返して見るとそこに先生の名がつつしんだ字で書いてあった。手の放せない私は、すぐ封を切る訳に行かないので、ちょっとそれを懐に差し込んだ。 十七  その日は病人の出来がことに悪いように見えた。私が厠へ行こうとして席を立った時、廊下で行き合った兄は「どこへ行く」と番兵のような口調で誰何した。 「どうも様子が少し変だからなるべく傍にいるようにしなくっちゃいけないよ」と注意した。  私もそう思っていた。懐中した手紙はそのままにしてまた病室へ帰った。父は眼を開けて、そこに並んでいる人の名前を母に尋ねた。母があれは誰、これは誰と一々説明してやると、父はそのたびに首肯いた。首肯かない時は、母が声を張りあげて、何々さんです、分りましたかと念を押した。 「どうも色々お世話になります」  父はこういった。そうしてまた昏睡状態に陥った。枕辺を取り巻いている人は無言のまましばらく病人の様子を見詰めていた。やがてその中の一人が立って次の間へ出た。するとまた一人立った。私も三人目にとうとう席を外して、自分の室へ来た。私には先刻懐へ入れた郵便物の中を開けて見ようという目的があった。それは病人の枕元でも容易にできる所作には違いなかった。しかし書かれたものの分量があまりに多過ぎるので、一息にそこで読み通す訳には行かなかった。私は特別の時間を偸んでそれに充てた。  私は繊維の強い包み紙を引き掻くように裂き破った。中から出たものは、縦横に引いた罫の中へ行儀よく書いた原稿|様のものであった。そうして封じる便宜のために、四つ折に畳まれてあった。私は癖のついた西洋紙を、逆に折り返して読みやすいように平たくした。  私の心はこの多量の紙と印気が、私に何事を語るのだろうかと思って驚いた。私は同時に病室の事が気にかかった。私がこのかきものを読み始めて、読み終らない前に、父はきっとどうかなる、少なくとも、私は兄からか母からか、それでなければ伯父からか、呼ばれるに極っているという予覚があった。私は落ち付いて先生の書いたものを読む気になれなかった。私はそわそわしながらただ最初の一|頁を読んだ。その頁は下のように綴られていた。 「あなたから過去を問いただされた時、答える事のできなかった勇気のない私は、今あなたの前に、それを明白に物語る自由を得たと信じます。しかしその自由はあなたの上京を待っているうちにはまた失われてしまう世間的の自由に過ぎないのであります。したがって、それを利用できる時に利用しなければ、私の過去をあなたの頭に間接の経験として教えて上げる機会を永久に逸するようになります。そうすると、あの時あれほど堅く約束した言葉がまるで嘘になります。私はやむを得ず、口でいうべきところを、筆で申し上げる事にしました」  私はそこまで読んで、始めてこの長いものが何のために書かれたのか、その理由を明らかに知る事ができた。私の衣食の口、そんなものについて先生が手紙を寄こす気遣いはないと、私は初手から信じていた。しかし筆を執ることの嫌いな先生が、どうしてあの事件をこう長く書いて、私に見せる気になったのだろう。先生はなぜ私の上京するまで待っていられないだろう。 「自由が来たから話す。しかしその自由はまた永久に失われなければならない」  私は心のうちでこう繰り返しながら、その意味を知るに苦しんだ。私は突然不安に襲われた。私はつづいて後を読もうとした。その時病室の方から、私を呼ぶ大きな兄の声が聞こえた。私はまた驚いて立ち上った。廊下を馳け抜けるようにしてみんなのいる方へ行った。私はいよいよ父の上に最後の瞬間が来たのだと覚悟した。 十八  病室にはいつの間にか医者が来ていた。なるべく病人を楽にするという主意からまた浣腸を試みるところであった。看護婦は昨夜の疲れを休めるために別室で寝ていた。慣れない兄は起ってまごまごしていた。私の顔を見ると、「ちょっと手をお貸し」といったまま、自分は席に着いた。私は兄に代って、油紙を父の尻の下に宛てがったりした。  父の様子は少しくつろいで来た。三十分ほど枕元に坐っていた医者は、浣腸の結果を認めた上、また来るといって、帰って行った。帰り際に、もしもの事があったらいつでも呼んでくれるようにわざわざ断っていた。  私は今にも変がありそうな病室を退いてまた先生の手紙を読もうとした。しかし私はすこしも寛くりした気分になれなかった。机の前に坐るや否や、また兄から大きな声で呼ばれそうでならなかった。そうして今度呼ばれれば、それが最後だという畏怖が私の手を顫わした。私は先生の手紙をただ無意味に頁だけ剥繰って行った。私の眼は几帳面に枠の中に篏められた字画を見た。けれどもそれを読む余裕はなかった。拾い読みにする余裕すら覚束なかった。私は一番しまいの頁まで順々に開けて見て、またそれを元の通りに畳んで机の上に置こうとした。その時ふと結末に近い一句が私の眼にはいった。 「この手紙があなたの手に落ちる頃には、私はもうこの世にはいないでしょう。とくに死んでいるでしょう」  私ははっと思った。今までざわざわと動いていた私の胸が一度に凝結したように感じた。私はまた逆に頁をはぐり返した。そうして一枚に一句ぐらいずつの割で倒に読んで行った。私は咄嗟の間に、私の知らなければならない事を知ろうとして、ちらちらする文字を、眼で刺し通そうと試みた。その時私の知ろうとするのは、ただ先生の安否だけであった。先生の過去、かつて先生が私に話そうと約束した薄暗いその過去、そんなものは私に取って、全く無用であった。私は倒まに頁をはぐりながら、私に必要な知識を容易に与えてくれないこの長い手紙を自烈たそうに畳んだ。  私はまた父の様子を見に病室の戸口まで行った。病人の枕辺は存外静かであった。頼りなさそうに疲れた顔をしてそこに坐っている母を手招ぎして、「どうですか様子は」と聞いた。母は「今少し持ち合ってるようだよ」と答えた。私は父の眼の前へ顔を出して、「どうです、浣腸して少しは心持が好くなりましたか」と尋ねた。父は首肯いた。父ははっきり「有難う」といった。父の精神は存外|朦朧としていなかった。  私はまた病室を退いて自分の部屋に帰った。そこで時計を見ながら、汽車の発着表を調べた。私は突然立って帯を締め直して、袂の中へ先生の手紙を投げ込んだ。それから勝手口から表へ出た。私は夢中で医者の家へ馳け込んだ。私は医者から父がもう二、三日保つだろうか、そこのところを判然聞こうとした。注射でも何でもして、保たしてくれと頼もうとした。医者は生憎留守であった。私には凝として彼の帰るのを待ち受ける時間がなかった。心の落ち付きもなかった。私はすぐ俥を停車場へ急がせた。  私は停車場の壁へ紙片を宛てがって、その上から鉛筆で母と兄あてで手紙を書いた。手紙はごく簡単なものであったが、断らないで走るよりまだ増しだろうと思って、それを急いで宅へ届けるように車夫に頼んだ。そうして思い切った勢いで東京行きの汽車に飛び乗ってしまった。私はごうごう鳴る三等列車の中で、また袂から先生の手紙を出して、ようやく始めからしまいまで眼を通した。 下 先生と遺書 一 「……私はこの夏あなたから二、三度手紙を受け取りました。東京で相当の地位を得たいから宜しく頼むと書いてあったのは、たしか二度目に手に入ったものと記憶しています。私はそれを読んだ時|何とかしたいと思ったのです。少なくとも返事を上げなければ済まんとは考えたのです。しかし自白すると、私はあなたの依頼に対して、まるで努力をしなかったのです。ご承知の通り、交際区域の狭いというよりも、世の中にたった一人で暮しているといった方が適切なくらいの私には、そういう努力をあえてする余地が全くないのです。しかしそれは問題ではありません。実をいうと、私はこの自分をどうすれば好いのかと思い煩っていたところなのです。このまま人間の中に取り残されたミイラのように存在して行こうか、それとも……その時分の私は「それとも」という言葉を心のうちで繰り返すたびにぞっとしました。馳足で絶壁の端まで来て、急に底の見えない谷を覗き込んだ人のように。私は卑怯でした。そうして多くの卑怯な人と同じ程度において煩悶したのです。遺憾ながら、その時の私には、あなたというものがほとんど存在していなかったといっても誇張ではありません。一歩進めていうと、あなたの地位、あなたの糊口の資、そんなものは私にとってまるで無意味なのでした。どうでも構わなかったのです。私はそれどころの騒ぎでなかったのです。私は状差へあなたの手紙を差したなり、依然として腕組をして考え込んでいました。宅に相応の財産があるものが、何を苦しんで、卒業するかしないのに、地位地位といって藻掻き廻るのか。私はむしろ苦々しい気分で、遠くにいるあなたにこんな一瞥を与えただけでした。私は返事を上げなければ済まないあなたに対して、言訳のためにこんな事を打ち明けるのです。あなたを怒らすためにわざと無躾な言葉を弄するのではありません。私の本意は後をご覧になればよく解る事と信じます。とにかく私は何とか挨拶すべきところを黙っていたのですから、私はこの怠慢の罪をあなたの前に謝したいと思います。  その後私はあなたに電報を打ちました。有体にいえば、あの時私はちょっとあなたに会いたかったのです。それからあなたの希望通り私の過去をあなたのために物語りたかったのです。あなたは返電を掛けて、今東京へは出られないと断って来ましたが、私は失望して永らくあの電報を眺めていました。あなたも電報だけでは気が済まなかったとみえて、また後から長い手紙を寄こしてくれたので、あなたの出京できない事情がよく解りました。私はあなたを失礼な男だとも何とも思う訳がありません。あなたの大事なお父さんの病気をそっち退けにして、何であなたが宅を空けられるものですか。そのお父さんの生死を忘れているような私の態度こそ不都合です。――私は実際あの電報を打つ時に、あなたのお父さんの事を忘れていたのです。そのくせあなたが東京にいる頃には、難症だからよく注意しなくってはいけないと、あれほど忠告したのは私ですのに。私はこういう矛盾な人間なのです。あるいは私の脳髄よりも、私の過去が私を圧迫する結果こんな矛盾な人間に私を変化させるのかも知れません。私はこの点においても充分私の我を認めています。あなたに許してもらわなくてはなりません。  あなたの手紙、――あなたから来た最後の手紙――を読んだ時、私は悪い事をしたと思いました。それでその意味の返事を出そうかと考えて、筆を執りかけましたが、一行も書かずに已めました。どうせ書くなら、この手紙を書いて上げたかったから、そうしてこの手紙を書くにはまだ時機が少し早過ぎたから、已めにしたのです。私がただ来るに及ばないという簡単な電報を再び打ったのは、それがためです。 二 「私はそれからこの手紙を書き出しました。平生筆を持ちつけない私には、自分の思うように、事件なり思想なりが運ばないのが重い苦痛でした。私はもう少しで、あなたに対する私のこの義務を放擲するところでした。しかしいくら止そうと思って筆を擱いても、何にもなりませんでした。私は一時間|経たないうちにまた書きたくなりました。あなたから見たら、これが義務の遂行を重んずる私の性格のように思われるかも知れません。私もそれは否みません。私はあなたの知っている通り、ほとんど世間と交渉のない孤独な人間ですから、義務というほどの義務は、自分の左右前後を見廻しても、どの方角にも根を張っておりません。故意か自然か、私はそれをできるだけ切り詰めた生活をしていたのです。けれども私は義務に冷淡だからこうなったのではありません。むしろ鋭敏過ぎて刺戟に堪えるだけの精力がないから、ご覧のように消極的な月日を送る事になったのです。だから一旦約束した以上、それを果たさないのは、大変|厭な心持です。私はあなたに対してこの厭な心持を避けるためにでも、擱いた筆をまた取り上げなければならないのです。  その上私は書きたいのです。義務は別として私の過去を書きたいのです。私の過去は私だけの経験だから、私だけの所有といっても差支えないでしょう。それを人に与えないで死ぬのは、惜しいともいわれるでしょう。私にも多少そんな心持があります。ただし受け入れる事のできない人に与えるくらいなら、私はむしろ私の経験を私の生命と共に葬った方が好いと思います。実際ここにあなたという一人の男が存在していないならば、私の過去はついに私の過去で、間接にも他人の知識にはならないで済んだでしょう。私は何千万といる日本人のうちで、ただあなただけに、私の過去を物語りたいのです。あなたは真面目だから。あなたは真面目に人生そのものから生きた教訓を得たいといったから。  私は暗い人世の影を遠慮なくあなたの頭の上に投げかけて上げます。しかし恐れてはいけません。暗いものを凝と見詰めて、その中からあなたの参考になるものをお攫みなさい。私の暗いというのは、固より倫理的に暗いのです。私は倫理的に生れた男です。また倫理的に育てられた男です。その倫理上の考えは、今の若い人と大分違ったところがあるかも知れません。しかしどう間違っても、私自身のものです。間に合せに借りた損料着ではありません。だからこれから発達しようというあなたには幾分か参考になるだろうと思うのです。  あなたは現代の思想問題について、よく私に議論を向けた事を記憶しているでしょう。私のそれに対する態度もよく解っているでしょう。私はあなたの意見を軽蔑までしなかったけれども、決して尊敬を払い得る程度にはなれなかった。あなたの考えには何らの背景もなかったし、あなたは自分の過去をもつには余りに若過ぎたからです。私は時々笑った。あなたは物足りなそうな顔をちょいちょい私に見せた。その極あなたは私の過去を絵巻物のように、あなたの前に展開してくれと逼った。私はその時心のうちで、始めてあなたを尊敬した。あなたが無遠慮に私の腹の中から、或る生きたものを捕まえようという決心を見せたからです。私の心臓を立ち割って、温かく流れる血潮を啜ろうとしたからです。その時私はまだ生きていた。死ぬのが厭であった。それで他日を約して、あなたの要求を斥けてしまった。私は今自分で自分の心臓を破って、その血をあなたの顔に浴びせかけようとしているのです。私の鼓動が停った時、あなたの胸に新しい命が宿る事ができるなら満足です。 三 「私が両親を亡くしたのは、まだ私の廿歳にならない時分でした。いつか妻があなたに話していたようにも記憶していますが、二人は同じ病気で死んだのです。しかも妻があなたに不審を起させた通り、ほとんど同時といっていいくらいに、前後して死んだのです。実をいうと、父の病気は恐るべき腸窒扶斯でした。それが傍にいて看護をした母に伝染したのです。  私は二人の間にできたたった一人の男の子でした。宅には相当の財産があったので、むしろ鷹揚に育てられました。私は自分の過去を顧みて、あの時両親が死なずにいてくれたなら、少なくとも父か母かどっちか、片方で好いから生きていてくれたなら、私はあの鷹揚な気分を今まで持ち続ける事ができたろうにと思います。  私は二人の後に茫然として取り残されました。私には知識もなく、経験もなく、また分別もありませんでした。父の死ぬ時、母は傍にいる事ができませんでした。母の死ぬ時、母には父の死んだ事さえまだ知らせてなかったのです。母はそれを覚っていたか、または傍のもののいうごとく、実際父は回復期に向いつつあるものと信じていたか、それは分りません。母はただ叔父に万事を頼んでいました。そこに居合せた私を指さすようにして、「この子をどうぞ何分」といいました。私はその前から両親の許可を得て、東京へ出るはずになっていましたので、母はそれもついでにいうつもりらしかったのです。それで「東京へ」とだけ付け加えましたら、叔父がすぐ後を引き取って、「よろしい決して心配しないがいい」と答えました。母は強い熱に堪え得る体質の女なんでしたろうか、叔父は「確かりしたものだ」といって、私に向って母の事を褒めていました。しかしこれがはたして母の遺言であったのかどうだか、今考えると分らないのです。母は無論父の罹った病気の恐るべき名前を知っていたのです。そうして、自分がそれに伝染していた事も承知していたのです。けれども自分はきっとこの病気で命を取られるとまで信じていたかどうか、そこになると疑う余地はまだいくらでもあるだろうと思われるのです。その上熱の高い時に出る母の言葉は、いかにそれが筋道の通った明らかなものにせよ、一向記憶となって母の頭に影さえ残していない事がしばしばあったのです。だから……しかしそんな事は問題ではありません。ただこういう風に物を解きほどいてみたり、またぐるぐる廻して眺めたりする癖は、もうその時分から、私にはちゃんと備わっていたのです。それはあなたにも始めからお断わりしておかなければならないと思いますが、その実例としては当面の問題に大した関係のないこんな記述が、かえって役に立ちはしないかと考えます。あなたの方でもまあそのつもりで読んでください。この性分が倫理的に個人の行為やら動作の上に及んで、私は後来ますます他の徳義心を疑うようになったのだろうと思うのです。それが私の煩悶や苦悩に向って、積極的に大きな力を添えているのは慥かですから覚えていて下さい。  話が本筋をはずれると、分り悪くなりますからまたあとへ引き返しましょう。これでも私はこの長い手紙を書くのに、私と同じ地位に置かれた他の人と比べたら、あるいは多少落ち付いていやしないかと思っているのです。世の中が眠ると聞こえだすあの電車の響ももう途絶えました。雨戸の外にはいつの間にか憐れな虫の声が、露の秋をまた忍びやかに思い出させるような調子で微かに鳴いています。何も知らない妻は次の室で無邪気にすやすや寝入っています。私が筆を執ると、一字一|劃ができあがりつつペンの先で鳴っています。私はむしろ落ち付いた気分で紙に向っているのです。不馴れのためにペンが横へ外れるかも知れませんが、頭が悩乱して筆がしどろに走るのではないように思います。 四 「とにかくたった一人取り残された私は、母のいい付け通り、この叔父を頼るより外に途はなかったのです。叔父はまた一切を引き受けて凡ての世話をしてくれました。そうして私を私の希望する東京へ出られるように取り計らってくれました。  私は東京へ来て高等学校へはいりました。その時の高等学校の生徒は今よりもよほど殺伐で粗野でした。私の知ったものに、夜中職人と喧嘩をして、相手の頭へ下駄で傷を負わせたのがありました。それが酒を飲んだ揚句の事なので、夢中に擲り合いをしている間に、学校の制帽をとうとう向うのものに取られてしまったのです。ところがその帽子の裏には当人の名前がちゃんと、菱形の白いきれの上に書いてあったのです。それで事が面倒になって、その男はもう少しで警察から学校へ照会されるところでした。しかし友達が色々と骨を折って、ついに表沙汰にせずに済むようにしてやりました。こんな乱暴な行為を、上品な今の空気のなかに育ったあなた方に聞かせたら、定めて馬鹿馬鹿しい感じを起すでしょう。私も実際馬鹿馬鹿しく思います。しかし彼らは今の学生にない一種|質朴な点をその代りにもっていたのです。当時私の月々叔父から貰っていた金は、あなたが今、お父さんから送ってもらう学資に比べると遥かに少ないものでした。。それでいて私は少しの不足も感じませんでした。のみならず数ある同級生のうちで、経済の点にかけては、決して人を羨ましがる憐れな境遇にいた訳ではないのです。今から回顧すると、むしろ人に羨ましがられる方だったのでしょう。というのは、私は月々|極った送金の外に、書籍費、、および臨時の費用を、よく叔父から請求して、ずんずんそれを自分の思うように消費する事ができたのですから。  何も知らない私は、叔父を信じていたばかりでなく、常に感謝の心をもって、叔父をありがたいもののように尊敬していました。叔父は事業家でした。県会議員にもなりました。その関係からでもありましょう、政党にも縁故があったように記憶しています。父の実の弟ですけれども、そういう点で、性格からいうと父とはまるで違った方へ向いて発達したようにも見えます。父は先祖から譲られた遺産を大事に守って行く篤実一方の男でした。楽しみには、茶だの花だのをやりました。それから詩集などを読む事も好きでした。書画骨董といった風のものにも、多くの趣味をもっている様子でした。家は田舎にありましたけれども、二|里ばかり隔たった市、――その市には叔父が住んでいたのです、――その市から時々道具屋が懸物だの、香炉だのを持って、わざわざ父に見せに来ました。父は一口にいうと、まあマン・オフ・ミーンズとでも評したら好いのでしょう。比較的上品な嗜好をもった田舎紳士だったのです。だから気性からいうと、闊達な叔父とはよほどの懸隔がありました。それでいて二人はまた妙に仲が好かったのです。父はよく叔父を評して、自分よりも遥かに働きのある頼もしい人のようにいっていました。自分のように、親から財産を譲られたものは、どうしても固有の材幹が鈍る、つまり世の中と闘う必要がないからいけないのだともいっていました。この言葉は母も聞きました。私も聞きました。父はむしろ私の心得になるつもりで、それをいったらしく思われます。「お前もよく覚えているが好い」と父はその時わざわざ私の顔を見たのです。だから私はまだそれを忘れずにいます。このくらい私の父から信用されたり、褒められたりしていた叔父を、私がどうして疑う事ができるでしょう。私にはただでさえ誇りになるべき叔父でした。父や母が亡くなって、万事その人の世話にならなければならない私には、もう単なる誇りではなかったのです。私の存在に必要な人間になっていたのです。 五 「私が夏休みを利用して始めて国へ帰った時、両親の死に断えた私の住居には、新しい主人として、叔父夫婦が入れ代って住んでいました。これは私が東京へ出る前からの約束でした。たった一人取り残された私が家にいない以上、そうでもするより外に仕方がなかったのです。  叔父はその頃市にある色々な会社に関係していたようです。業務の都合からいえば、今までの居宅に寝起きする方が、二|里も隔った私の家に移るより遥かに便利だといって笑いました。これは私の父母が亡くなった後、どう邸を始末して、私が東京へ出るかという相談の時、叔父の口を洩れた言葉であります。私の家は旧い歴史をもっているので、少しはその界隈で人に知られていました。あなたの郷里でも同じ事だろうと思いますが、田舎では由緒のある家を、相続人があるのに壊したり売ったりするのは大事件です。今の私ならそのくらいの事は何とも思いませんが、その頃はまだ子供でしたから、東京へは出たし、家はそのままにして置かなければならず、はなはだ所置に苦しんだのです。  叔父は仕方なしに私の空家へはいる事を承諾してくれました。しかし市の方にある住居もそのままにしておいて、両方の間を往ったり来たりする便宜を与えてもらわなければ困るといいました。私に固より異議のありようはずがありません。私はどんな条件でも東京へ出られれば好いくらいに考えていたのです。  子供らしい私は、故郷を離れても、まだ心の眼で、懐かしげに故郷の家を望んでいました。固よりそこにはまだ自分の帰るべき家があるという旅人の心で望んでいたのです。休みが来れば帰らなくてはならないという気分は、いくら東京を恋しがって出て来た私にも、力強くあったのです。私は熱心に勉強し、愉快に遊んだ後、休みには帰れると思うその故郷の家をよく夢に見ました。  私の留守の間、叔父はどんな風に両方の間を往き来していたか知りません。私の着いた時は、家族のものが、みんな一つ家の内に集まっていました。学校へ出る子供などは平生おそらく市の方にいたのでしょうが、これも休暇のために田舎へ遊び半分といった格で引き取られていました。  みんな私の顔を見て喜びました。私はまた父や母のいた時より、かえって賑やかで陽気になった家の様子を見て嬉しがりました。叔父はもと私の部屋になっていた一間を占領している一番目の男の子を追い出して、私をそこへ入れました。座敷の数も少なくないのだから、私はほかの部屋で構わないと辞退したのですけれども、叔父はお前の宅だからといって、聞きませんでした。  私は折々亡くなった父や母の事を思い出す外に、何の不愉快もなく、その一夏を叔父の家族と共に過ごして、また東京へ帰ったのです。ただ一つその夏の出来事として、私の心にむしろ薄暗い影を投げたのは、叔父夫婦が口を揃えて、まだ高等学校へ入ったばかりの私に結婚を勧める事でした。それは前後で丁度三、四回も繰り返されたでしょう。私も始めはただその突然なのに驚いただけでした。二度目には判然断りました。三度目にはこっちからとうとうその理由を反問しなければならなくなりました。彼らの主意は単簡でした。早く嫁を貰ってここの家へ帰って来て、亡くなった父の後を相続しろというだけなのです。家は休暇になって帰りさえすれば、それでいいものと私は考えていました。父の後を相続する、それには嫁が必要だから貰う、両方とも理屈としては一通り聞こえます。ことに田舎の事情を知っている私には、よく解ります。私も絶対にそれを嫌ってはいなかったのでしょう。しかし東京へ修業に出たばかりの私には、それが遠眼鏡で物を見るように、遥か先の距離に望まれるだけでした。私は叔父の希望に承諾を与えないで、ついにまた私の家を去りました。 六 「私は縁談の事をそれなり忘れてしまいました。私の周囲を取り捲いている青年の顔を見ると、世帯染みたものは一人もいません。みんな自由です、そうして悉く単独らしく思われたのです。こういう気楽な人の中にも、裏面にはいり込んだら、あるいは家庭の事情に余儀なくされて、すでに妻を迎えていたものがあったかも知れませんが、子供らしい私はそこに気が付きませんでした。それからそういう特別の境遇に置かれた人の方でも、四辺に気兼をして、なるべくは書生に縁の遠いそんな内輪の話はしないように慎んでいたのでしょう。後から考えると、私自身がすでにその組だったのですが、私はそれさえ分らずに、ただ子供らしく愉快に修学の道を歩いて行きました。  学年の終りに、私はまた行李を絡げて、親の墓のある田舎へ帰って来ました。そうして去年と同じように、父母のいたわが家の中で、また叔父夫婦とその子供の変らない顔を見ました。私は再びそこで故郷の匂いを嗅ぎました。その匂いは私に取って依然として懐かしいものでありました。一学年の単調を破る変化としても有難いものに違いなかったのです。  しかしこの自分を育て上げたと同じような匂いの中で、私はまた突然結婚問題を叔父から鼻の先へ突き付けられました。叔父のいう所は、去年の勧誘を再び繰り返したのみです。理由も去年と同じでした。ただこの前|勧められた時には、何らの目的物がなかったのに、今度はちゃんと肝心の当人を捕まえていたので、私はなお困らせられたのです。その当人というのは叔父の娘すなわち私の従妹に当る女でした。その女を貰ってくれれば、お互いのために便宜である、父も存生中そんな事を話していた、と叔父がいうのです。私もそうすれば便宜だとは思いました。父が叔父にそういう風な話をしたというのもあり得べき事と考えました。しかしそれは私が叔父にいわれて、始めて気が付いたので、いわれない前から、覚っていた事柄ではないのです。だから私は驚きました。驚いたけれども、叔父の希望に無理のないところも、それがためによく解りました。私は迂闊なのでしょうか。あるいはそうなのかも知れませんが、おそらくその従妹に無頓着であったのが、おもな源因になっているのでしょう。私は小供のうちから市にいる叔父の家へ始終遊びに行きました。ただ行くばかりでなく、よくそこに泊りました。そうしてこの従妹とはその時分から親しかったのです。あなたもご承知でしょう、兄妹の間に恋の成立した例のないのを。私はこの公認された事実を勝手に布衍しているかも知れないが、始終接触して親しくなり過ぎた男女の間には、恋に必要な刺戟の起る清新な感じが失われてしまうように考えています。香をかぎ得るのは、香を焚き出した瞬間に限るごとく、酒を味わうのは、酒を飲み始めた刹那にあるごとく、恋の衝動にもこういう際どい一点が、時間の上に存在しているとしか思われないのです。一度平気でそこを通り抜けたら、馴れれば馴れるほど、親しみが増すだけで、恋の神経はだんだん麻痺して来るだけです。私はどう考え直しても、この従妹を妻にする気にはなれませんでした。  叔父はもし私が主張するなら、私の卒業まで結婚を延ばしてもいいといいました。けれども善は急げという諺もあるから、できるなら今のうちに祝言の盃だけは済ませておきたいともいいました。当人に望みのない私にはどっちにしたって同じ事です。私はまた断りました。叔父は厭な顔をしました。従妹は泣きました。私に添われないから悲しいのではありません。結婚の申し込みを拒絶されたのが、女として辛かったからです。私が従妹を愛していないごとく、従妹も私を愛していない事は、私によく知れていました。私はまた東京へ出ました。 七 「私が三度目に帰国したのは、それからまた一年|経った夏の取付でした。私はいつでも学年試験の済むのを待ちかねて東京を逃げました。私には故郷がそれほど懐かしかったからです。あなたにも覚えがあるでしょう、生れた所は空気の色が違います、土地の匂いも格別です、父や母の記憶も濃かに漂っています。一年のうちで、七、八の二月をその中に包まれて、穴に入った蛇のように凝としているのは、私に取って何よりも温かい好い心持だったのです。  単純な私は従妹との結婚問題について、さほど頭を痛める必要がないと思っていました。厭なものは断る、断ってさえしまえば後には何も残らない、私はこう信じていたのです。だから叔父の希望通りに意志を曲げなかったにもかかわらず、私はむしろ平気でした。過去一年の間いまだかつてそんな事に屈托した覚えもなく、相変らずの元気で国へ帰ったのです。  ところが帰って見ると叔父の態度が違っています。元のように好い顔をして私を自分の懐に抱こうとしません。それでも鷹揚に育った私は、帰って四、五日の間は気が付かずにいました。ただ何かの機会にふと変に思い出したのです。すると妙なのは、叔父ばかりではないのです。叔母も妙なのです。従妹も妙なのです。中学校を出て、これから東京の高等商業へはいるつもりだといって、手紙でその様子を聞き合せたりした叔父の男の子まで妙なのです。  私の性分として考えずにはいられなくなりました。どうして私の心持がこう変ったのだろう。いやどうして向うがこう変ったのだろう。私は突然死んだ父や母が、鈍い私の眼を洗って、急に世の中が判然見えるようにしてくれたのではないかと疑いました。私は父や母がこの世にいなくなった後でも、いた時と同じように私を愛してくれるものと、どこか心の奥で信じていたのです。もっともその頃でも私は決して理に暗い質ではありませんでした。しかし先祖から譲られた迷信の塊りも、強い力で私の血の中に潜んでいたのです。今でも潜んでいるでしょう。  私はたった一人山へ行って、父母の墓の前に跪きました。半は哀悼の意味、半は感謝の心持で跪いたのです。そうして私の未来の幸福が、この冷たい石の下に横たわる彼らの手にまだ握られてでもいるような気分で、私の運命を守るべく彼らに祈りました。あなたは笑うかもしれない。私も笑われても仕方がないと思います。しかし私はそうした人間だったのです。  私の世界は掌を翻すように変りました。もっともこれは私に取って始めての経験ではなかったのです。私が十六、七の時でしたろう、始めて世の中に美しいものがあるという事実を発見した時には、一度にはっと驚きました。何遍も自分の眼を疑って、何遍も自分の眼を擦りました。そうして心の中でああ美しいと叫びました。十六、七といえば、男でも女でも、俗にいう色気の付く頃です。色気の付いた私は世の中にある美しいものの代表者として、始めて女を見る事ができたのです。今までその存在に少しも気の付かなかった異性に対して、盲目の眼が忽ち開いたのです。それ以来私の天地は全く新しいものとなりました。  私が叔父の態度に心づいたのも、全くこれと同じなんでしょう。俄然として心づいたのです。何の予感も準備もなく、不意に来たのです。不意に彼と彼の家族が、今までとはまるで別物のように私の眼に映ったのです。私は驚きました。そうしてこのままにしておいては、自分の行先がどうなるか分らないという気になりました。 八 「私は今まで叔父|任せにしておいた家の財産について、詳しい知識を得なければ、死んだ父母に対して済まないという気を起したのです。叔父は忙しい身体だと自称するごとく、毎晩同じ所に寝泊りはしていませんでした。二日|家へ帰ると三日は市の方で暮らすといった風に、両方の間を往来して、その日その日を落ち付きのない顔で過ごしていました。そうして忙しいという言葉を口癖のように使いました。何の疑いも起らない時は、私も実際に忙しいのだろうと思っていたのです。それから、忙しがらなくては当世流でないのだろうと、皮肉にも解釈していたのです。けれども財産の事について、時間の掛かる話をしようという目的ができた眼で、この忙しがる様子を見ると、それが単に私を避ける口実としか受け取れなくなって来たのです。私は容易に叔父を捕まえる機会を得ませんでした。  私は叔父が市の方に妾をもっているという噂を聞きました。私はその噂を昔中学の同級生であったある友達から聞いたのです。妾を置くぐらいの事は、この叔父として少しも怪しむに足らないのですが、父の生きているうちに、そんな評判を耳に入れた覚えのない私は驚きました。友達はその外にも色々叔父についての噂を語って聞かせました。一時事業で失敗しかかっていたように他から思われていたのに、この二、三年来また急に盛り返して来たというのも、その一つでした。しかも私の疑惑を強く染めつけたものの一つでした。  私はとうとう叔父と談判を開きました。談判というのは少し不穏当かも知れませんが、話の成行きからいうと、そんな言葉で形容するより外に途のないところへ、自然の調子が落ちて来たのです。叔父はどこまでも私を子供扱いにしようとします。私はまた始めから猜疑の眼で叔父に対しています。穏やかに解決のつくはずはなかったのです。  遺憾ながら私は今その談判の顛末を詳しくここに書く事のできないほど先を急いでいます。実をいうと、私はこれより以上に、もっと大事なものを控えているのです。私のペンは早くからそこへ辿りつきたがっているのを、漸との事で抑えつけているくらいです。あなたに会って静かに話す機会を永久に失った私は、筆を執る術に慣れないばかりでなく、貴い時間を惜むという意味からして、書きたい事も省かなければなりません。  あなたはまだ覚えているでしょう、私がいつかあなたに、造り付けの悪人が世の中にいるものではないといった事を。多くの善人がいざという場合に突然悪人になるのだから油断してはいけないといった事を。あの時あなたは私に昂奮していると注意してくれました。そうしてどんな場合に、善人が悪人に変化するのかと尋ねました。私がただ一口金と答えた時、あなたは不満な顔をしました。私はあなたの不満な顔をよく記憶しています。私は今あなたの前に打ち明けるが、私はあの時この叔父の事を考えていたのです。普通のものが金を見て急に悪人になる例として、世の中に信用するに足るものが存在し得ない例として、憎悪と共に私はこの叔父を考えていたのです。私の答えは、思想界の奥へ突き進んで行こうとするあなたに取って物足りなかったかも知れません、陳腐だったかも知れません。けれども私にはあれが生きた答えでした。現に私は昂奮していたではありませんか。私は冷やかな頭で新しい事を口にするよりも、熱した舌で平凡な説を述べる方が生きていると信じています。血の力で体が動くからです。言葉が空気に波動を伝えるばかりでなく、もっと強い物にもっと強く働き掛ける事ができるからです。 九 「一口でいうと、叔父は私の財産を胡魔化したのです。事は私が東京へ出ている三年の間に容易く行われたのです。すべてを叔父|任せにして平気でいた私は、世間的にいえば本当の馬鹿でした。世間的以上の見地から評すれば、あるいは純なる尊い男とでもいえましょうか。私はその時の己れを顧みて、なぜもっと人が悪く生れて来なかったかと思うと、正直過ぎた自分が口惜しくって堪りません。しかしまたどうかして、もう一度ああいう生れたままの姿に立ち帰って生きて見たいという心持も起るのです。記憶して下さい、あなたの知っている私は塵に汚れた後の私です。きたなくなった年数の多いものを先輩と呼ぶならば、私はたしかにあなたより先輩でしょう。  もし私が叔父の希望通り叔父の娘と結婚したならば、その結果は物質的に私に取って有利なものでしたろうか。これは考えるまでもない事と思います。叔父は策略で娘を私に押し付けようとしたのです。好意的に両家の便宜を計るというよりも、ずっと下卑た利害心に駆られて、結婚問題を私に向けたのです。私は従妹を愛していないだけで、嫌ってはいなかったのですが、後から考えてみると、それを断ったのが私には多少の愉快になると思います。胡魔化されるのはどっちにしても同じでしょうけれども、載せられ方からいえば、従妹を貰わない方が、向うの思い通りにならないという点から見て、少しは私の我が通った事になるのですから。しかしそれはほとんど問題とするに足りない些細な事柄です。ことに関係のないあなたにいわせたら、さぞ馬鹿気た意地に見えるでしょう。  私と叔父の間に他の親戚のものがはいりました。その親戚のものも私はまるで信用していませんでした。信用しないばかりでなく、むしろ敵視していました。私は叔父が私を欺いたと覚ると共に、他のものも必ず自分を欺くに違いないと思い詰めました。父があれだけ賞め抜いていた叔父ですらこうだから、他のものはというのが私の論理でした。  それでも彼らは私のために、私の所有にかかる一切のものを纏めてくれました。それは金額に見積ると、私の予期より遥かに少ないものでした。私としては黙ってそれを受け取るか、でなければ叔父を相手取って公沙汰にするか、二つの方法しかなかったのです。私は憤りました。また迷いました。訴訟にすると落着までに長い時間のかかる事も恐れました。私は修業中のからだですから、学生として大切な時間を奪われるのは非常の苦痛だとも考えました。私は思案の結果、市におる中学の旧友に頼んで、私の受け取ったものを、すべて金の形に変えようとしました。旧友は止した方が得だといって忠告してくれましたが、私は聞きませんでした。私は永く故郷を離れる決心をその時に起したのです。叔父の顔を見まいと心のうちで誓ったのです。  私は国を立つ前に、また父と母の墓へ参りました。私はそれぎりその墓を見た事がありません。もう永久に見る機会も来ないでしょう。  私の旧友は私の言葉通りに取り計らってくれました。もっともそれは私が東京へ着いてからよほど経った後の事です。田舎で畠地などを売ろうとしたって容易には売れませんし、いざとなると足元を見て踏み倒される恐れがあるので、私の受け取った金額は、時価に比べるとよほど少ないものでした。自白すると、私の財産は自分が懐にして家を出た若干の公債と、後からこの友人に送ってもらった金だけなのです。親の遺産としては固より非常に減っていたに相違ありません。しかも私が積極的に減らしたのでないから、なお心持が悪かったのです。けれども学生として生活するにはそれで充分以上でした。実をいうと私はそれから出る利子の半分も使えませんでした。この余裕ある私の学生生活が私を思いも寄らない境遇に陥し入れたのです。 十 「金に不自由のない私は、騒々しい下宿を出て、新しく一戸を構えてみようかという気になったのです。しかしそれには世帯道具を買う面倒もありますし、世話をしてくれる婆さんの必要も起りますし、その婆さんがまた正直でなければ困るし、宅を留守にしても大丈夫なものでなければ心配だし、といった訳で、ちょくらちょいと実行する事は覚束なく見えたのです。ある日私はまあ宅だけでも探してみようかというそぞろ心から、散歩がてらに本郷台を西へ下りて小石川の坂を真直に伝通院の方へ上がりました。電車の通路になってから、あそこいらの様子がまるで違ってしまいましたが、その頃は左手が砲兵工廠の土塀で、右は原とも丘ともつかない空地に草が一面に生えていたものです。私はその草の中に立って、何心なく向うの崖を眺めました。今でも悪い景色ではありませんが、その頃はまたずっとあの西側の趣が違っていました。見渡す限り緑が一面に深く茂っているだけでも、神経が休まります。私はふとここいらに適当な宅はないだろうかと思いました。それで直ぐ草原を横切って、細い通りを北の方へ進んで行きました。いまだに好い町になり切れないで、がたぴししているあの辺の家並は、その時分の事ですからずいぶん汚ならしいものでした。私は露次を抜けたり、横丁を曲ったり、ぐるぐる歩き廻りました。しまいに駄菓子屋の上さんに、ここいらに小ぢんまりした貸家はないかと尋ねてみました。上さんは「そうですね」といって、少時首をかしげていましたが、「かし家はちょいと……」と全く思い当らない風でした。私は望のないものと諦らめて帰り掛けました。すると上さんがまた、「素人下宿じゃいけませんか」と聞くのです。私はちょっと気が変りました。静かな素人屋に一人で下宿しているのは、かえって家を持つ面倒がなくって結構だろうと考え出したのです。それからその駄菓子屋の店に腰を掛けて、上さんに詳しい事を教えてもらいました。  それはある軍人の家族、というよりもむしろ遺族、の住んでいる家でした。主人は何でも日清戦争の時か何かに死んだのだと上さんがいいました。一年ばかり前までは、市ヶ谷の士官学校の傍とかに住んでいたのだが、厩などがあって、邸が広過ぎるので、そこを売り払って、ここへ引っ越して来たけれども、無人で淋しくって困るから相当の人があったら世話をしてくれと頼まれていたのだそうです。私は上さんから、その家には未亡人と一人娘と下女より外にいないのだという事を確かめました。私は閑静で至極好かろうと心の中に思いました。けれどもそんな家族のうちに、私のようなものが、突然行ったところで、素性の知れない書生さんという名称のもとに、すぐ拒絶されはしまいかという掛念もありました。私は止そうかとも考えました。しかし私は書生としてそんなに見苦しい服装はしていませんでした。それから大学の制帽を被っていました。あなたは笑うでしょう、大学の制帽がどうしたんだといって。けれどもその頃の大学生は今と違って、大分世間に信用のあったものです。私はその場合この四角な帽子に一種の自信を見出したくらいです。そうして駄菓子屋の上さんに教わった通り、紹介も何もなしにその軍人の遺族の家を訪ねました。  私は未亡人に会って来意を告げました。未亡人は私の身元やら学校やら専門やらについて色々質問しました。そうしてこれなら大丈夫だというところをどこかに握ったのでしょう、いつでも引っ越して来て差支えないという挨拶を即坐に与えてくれました。未亡人は正しい人でした、また判然した人でした。私は軍人の妻君というものはみんなこんなものかと思って感服しました。感服もしたが、驚きもしました。この気性でどこが淋しいのだろうと疑いもしました。 十一 「私は早速その家へ引き移りました。私は最初来た時に未亡人と話をした座敷を借りたのです。そこは宅中で一番|好い室でした。本郷辺に高等下宿といった風の家がぽつぽつ建てられた時分の事ですから、私は書生として占領し得る最も好い間の様子を心得ていました。私の新しく主人となった室は、それらよりもずっと立派でした。移った当座は、学生としての私には過ぎるくらいに思われたのです。  室の広さは八畳でした。床の横に違い棚があって、縁と反対の側には一間の押入れが付いていました。窓は一つもなかったのですが、その代り南向きの縁に明るい日がよく差しました。  私は移った日に、その室の床に活けられた花と、その横に立て懸けられた琴を見ました。どっちも私の気に入りませんでした。私は詩や書や煎茶を嗜なむ父の傍で育ったので、唐めいた趣味を小供のうちからもっていました。そのためでもありましょうか、こういう艶めかしい装飾をいつの間にか軽蔑する癖が付いていたのです。  私の父が存生中にあつめた道具類は、例の叔父のために滅茶滅茶にされてしまったのですが、それでも多少は残っていました。私は国を立つ時それを中学の旧友に預かってもらいました。それからその中で面白そうなものを四、五|幅裸にして行李の底へ入れて来ました。私は移るや否や、それを取り出して床へ懸けて楽しむつもりでいたのです。ところが今いった琴と活花を見たので、急に勇気がなくなってしまいました。後から聞いて始めてこの花が私に対するご馳走に活けられたのだという事を知った時、私は心のうちで苦笑しました。もっとも琴は前からそこにあったのですから、これは置き所がないため、やむをえずそのままに立て懸けてあったのでしょう。  こんな話をすると、自然その裏に若い女の影があなたの頭を掠めて通るでしょう。移った私にも、移らない初めからそういう好奇心がすでに動いていたのです。こうした邪気が予備的に私の自然を損なったためか、または私がまだ人慣れなかったためか、私は始めてそこのお嬢さんに会った時、へどもどした挨拶をしました。その代りお嬢さんの方でも赤い顔をしました。  私はそれまで未亡人の風采や態度から推して、このお嬢さんのすべてを想像していたのです。しかしその想像はお嬢さんに取ってあまり有利なものではありませんでした。軍人の妻君だからああなのだろう、その妻君の娘だからこうだろうといった順序で、私の推測は段々延びて行きました。ところがその推測が、お嬢さんの顔を見た瞬間に、悉く打ち消されました。そうして私の頭の中へ今まで想像も及ばなかった異性の匂いが新しく入って来ました。私はそれから床の正面に活けてある花が厭でなくなりました。同じ床に立て懸けてある琴も邪魔にならなくなりました。  その花はまた規則正しく凋れる頃になると活け更えられるのです。琴も度々鍵の手に折れ曲がった筋違の室に運び去られるのです。私は自分の居間で机の上に頬杖を突きながら、その琴の音を聞いていました。私にはその琴が上手なのか下手なのかよく解らないのです。けれども余り込み入った手を弾かないところを見ると、上手なのじゃなかろうと考えました。まあ活花の程度ぐらいなものだろうと思いました。花なら私にも好く分るのですが、お嬢さんは決して旨い方ではなかったのです。  それでも臆面なく色々の花が私の床を飾ってくれました。もっとも活方はいつ見ても同じ事でした。それから花瓶もついぞ変った例がありませんでした。しかし片方の音楽になると花よりももっと変でした。ぽつんぽつん糸を鳴らすだけで、一向肉声を聞かせないのです。唄わないのではありませんが、まるで内所話でもするように小さな声しか出さないのです。しかも叱られると全く出なくなるのです。  私は喜んでこの下手な活花を眺めては、まずそうな琴の音に耳を傾けました。 十二 「私の気分は国を立つ時すでに厭世的になっていました。他は頼りにならないものだという観念が、その時骨の中まで染み込んでしまったように思われたのです。私は私の敵視する叔父だの叔母だの、その他の親戚だのを、あたかも人類の代表者のごとく考え出しました。汽車へ乗ってさえ隣のものの様子を、それとなく注意し始めました。たまに向うから話し掛けられでもすると、なおの事警戒を加えたくなりました。私の心は沈鬱でした。鉛を呑んだように重苦しくなる事が時々ありました。それでいて私の神経は、今いったごとくに鋭く尖ってしまったのです。  私が東京へ来て下宿を出ようとしたのも、これが大きな源因になっているように思われます。金に不自由がなければこそ、一戸を構えてみる気にもなったのだといえばそれまでですが、元の通りの私ならば、たとい懐中に余裕ができても、好んでそんな面倒な真似はしなかったでしょう。  私は小石川へ引き移ってからも、当分この緊張した気分に寛ぎを与える事ができませんでした。私は自分で自分が恥ずかしいほど、きょときょと周囲を見廻していました。不思議にもよく働くのは頭と眼だけで、口の方はそれと反対に、段々動かなくなって来ました。私は家のものの様子を猫のようによく観察しながら、黙って机の前に坐っていました。時々は彼らに対して気の毒だと思うほど、私は油断のない注意を彼らの上に注いでいたのです。おれは物を偸まない巾着切みたようなものだ、私はこう考えて、自分が厭になる事さえあったのです。  あなたは定めて変に思うでしょう。その私がそこのお嬢さんをどうして好く余裕をもっているか。そのお嬢さんの下手な活花を、どうして嬉しがって眺める余裕があるか。同じく下手なその人の琴をどうして喜んで聞く余裕があるか。そう質問された時、私はただ両方とも事実であったのだから、事実としてあなたに教えて上げるというより外に仕方がないのです。解釈は頭のあるあなたに任せるとして、私はただ一言付け足しておきましょう。私は金に対して人類を疑ったけれども、愛に対しては、まだ人類を疑わなかったのです。だから他から見ると変なものでも、また自分で考えてみて、矛盾したものでも、私の胸のなかでは平気で両立していたのです。  私は未亡人の事を常に奥さんといっていましたから、これから未亡人と呼ばずに奥さんといいます。奥さんは私を静かな人、大人しい男と評しました。それから勉強家だとも褒めてくれました。けれども私の不安な眼つきや、きょときょとした様子については、何事も口へ出しませんでした。気が付かなかったのか、遠慮していたのか、どっちだかよく解りませんが、何しろそこにはまるで注意を払っていないらしく見えました。それのみならず、ある場合に私を鷹揚な方だといって、さも尊敬したらしい口の利き方をした事があります。その時正直な私は少し顔を赤らめて、向うの言葉を否定しました。すると奥さんは「あなたは自分で気が付かないから、そうおっしゃるんです」と真面目に説明してくれました。奥さんは始め私のような書生を宅へ置くつもりではなかったらしいのです。どこかの役所へ勤める人か何かに坐敷を貸す料簡で、近所のものに周旋を頼んでいたらしいのです。俸給が豊かでなくって、やむをえず素人屋に下宿するくらいの人だからという考えが、それで前かたから奥さんの頭のどこかにはいっていたのでしょう。奥さんは自分の胸に描いたその想像のお客と私とを比較して、こっちの方を鷹揚だといって褒めるのです。なるほどそんな切り詰めた生活をする人に比べたら、私は金銭にかけて、鷹揚だったかも知れません。しかしそれは気性の問題ではありませんから、私の内生活に取ってほとんど関係のないのと一般でした。奥さんはまた女だけにそれを私の全体に推し広げて、同じ言葉を応用しようと力めるのです。 十三 「奥さんのこの態度が自然私の気分に影響して来ました。しばらくするうちに、私の眼はもとほどきょろ付かなくなりました。自分の心が自分の坐っている所に、ちゃんと落ち付いているような気にもなれました。要するに奥さん始め家のものが、僻んだ私の眼や疑い深い私の様子に、てんから取り合わなかったのが、私に大きな幸福を与えたのでしょう。私の神経は相手から照り返して来る反射のないために段々静まりました。  奥さんは心得のある人でしたから、わざと私をそんな風に取り扱ってくれたものとも思われますし、また自分で公言するごとく、実際私を鷹揚だと観察していたのかも知れません。私のこせつき方は頭の中の現象で、それほど外へ出なかったようにも考えられますから、あるいは奥さんの方で胡魔化されていたのかも解りません。  私の心が静まると共に、私は段々家族のものと接近して来ました。奥さんともお嬢さんとも笑談をいうようになりました。茶を入れたからといって向うの室へ呼ばれる日もありました。また私の方で菓子を買って来て、二人をこっちへ招いたりする晩もありました。私は急に交際の区域が殖えたように感じました。それがために大切な勉強の時間を潰される事も何度となくありました。不思議にも、その妨害が私には一向邪魔にならなかったのです。奥さんはもとより閑人でした。お嬢さんは学校へ行く上に、花だの琴だのを習っているんだから、定めて忙しかろうと思うと、それがまた案外なもので、いくらでも時間に余裕をもっているように見えました。それで三人は顔さえ見るといっしょに集まって、世間話をしながら遊んだのです。  私を呼びに来るのは、大抵お嬢さんでした。お嬢さんは縁側を直角に曲って、私の室の前に立つ事もありますし、茶の間を抜けて、次の室の襖の影から姿を見せる事もありました。お嬢さんは、そこへ来てちょっと留まります。それからきっと私の名を呼んで、「ご勉強?」と聞きます。私は大抵むずかしい書物を机の前に開けて、それを見詰めていましたから、傍で見たらさぞ勉強家のように見えたのでしょう。しかし実際をいうと、それほど熱心に書物を研究してはいなかったのです。頁の上に眼は着けていながら、お嬢さんの呼びに来るのを待っているくらいなものでした。待っていて来ないと、仕方がないから私の方で立ち上がるのです。そうして向うの室の前へ行って、こっちから「ご勉強ですか」と聞くのです。  お嬢さんの部屋は茶の間と続いた六畳でした。奥さんはその茶の間にいる事もあるし、またお嬢さんの部屋にいる事もありました。つまりこの二つの部屋は仕切があっても、ないと同じ事で、親子二人が往ったり来たりして、どっち付かずに占領していたのです。私が外から声を掛けると、「おはいんなさい」と答えるのはきっと奥さんでした。お嬢さんはそこにいても滅多に返事をした事がありませんでした。  時たまお嬢さん一人で、用があって私の室へはいったついでに、そこに坐って話し込むような場合もその内に出て来ました。そういう時には、私の心が妙に不安に冒されて来るのです。そうして若い女とただ差向いで坐っているのが不安なのだとばかりは思えませんでした。私は何だかそわそわし出すのです。自分で自分を裏切るような不自然な態度が私を苦しめるのです。しかし相手の方はかえって平気でした。これが琴を浚うのに声さえ碌に出せなかったあの女かしらと疑われるくらい、恥ずかしがらないのです。あまり長くなるので、茶の間から母に呼ばれても、「はい」と返事をするだけで、容易に腰を上げない事さえありました。それでいてお嬢さんは決して子供ではなかったのです。私の眼にはよくそれが解っていました。よく解るように振舞って見せる痕迹さえ明らかでした。 十四 「私はお嬢さんの立ったあとで、ほっと一息するのです。それと同時に、物足りないようなまた済まないような気持になるのです。私は女らしかったのかも知れません。今の青年のあなたがたから見たらなおそう見えるでしょう。しかしその頃の私たちは大抵そんなものだったのです。  奥さんは滅多に外出した事がありませんでした。たまに宅を留守にする時でも、お嬢さんと私を二人ぎり残して行くような事はなかったのです。それがまた偶然なのか、故意なのか、私には解らないのです。私の口からいうのは変ですが、奥さんの様子を能く観察していると、何だか自分の娘と私とを接近させたがっているらしくも見えるのです。それでいて、或る場合には、私に対して暗に警戒するところもあるようなのですから、始めてこんな場合に出会った私は、時々心持をわるくしました。  私は奥さんの態度をどっちかに片付けてもらいたかったのです。頭の働きからいえば、それが明らかな矛盾に違いなかったのです。しかし叔父に欺かれた記憶のまだ新しい私は、もう一歩踏み込んだ疑いを挟まずにはいられませんでした。私は奥さんのこの態度のどっちかが本当で、どっちかが偽りだろうと推定しました。そうして判断に迷いました。ただ判断に迷うばかりでなく、何でそんな妙な事をするかその意味が私には呑み込めなかったのです。理由を考え出そうとしても、考え出せない私は、罪を女という一字に塗り付けて我慢した事もありました。必竟女だからああなのだ、女というものはどうせ愚なものだ。私の考えは行き詰まればいつでもここへ落ちて来ました。  それほど女を見縊っていた私が、またどうしてもお嬢さんを見縊る事ができなかったのです。私の理屈はその人の前に全く用を為さないほど動きませんでした。私はその人に対して、ほとんど信仰に近い愛をもっていたのです。私が宗教だけに用いるこの言葉を、若い女に応用するのを見て、あなたは変に思うかも知れませんが、私は今でも固く信じているのです。本当の愛は宗教心とそう違ったものでないという事を固く信じているのです。私はお嬢さんの顔を見るたびに、自分が美しくなるような心持がしました。お嬢さんの事を考えると、気高い気分がすぐ自分に乗り移って来るように思いました。もし愛という不可思議なものに両端があって、その高い端には神聖な感じが働いて、低い端には性欲が動いているとすれば、私の愛はたしかにその高い極点を捕まえたものです。私はもとより人間として肉を離れる事のできない身体でした。けれどもお嬢さんを見る私の眼や、お嬢さんを考える私の心は、全く肉の臭いを帯びていませんでした。  私は母に対して反感を抱くと共に、子に対して恋愛の度を増して行ったのですから、三人の関係は、下宿した始めよりは段々複雑になって来ました。もっともその変化はほとんど内面的で外へは現れて来なかったのです。そのうち私はあるひょっとした機会から、今まで奥さんを誤解していたのではなかろうかという気になりました。奥さんの私に対する矛盾した態度が、どっちも偽りではないのだろうと考え直して来たのです。その上、それが互い違いに奥さんの心を支配するのでなくって、いつでも両方が同時に奥さんの胸に存在しているのだと思うようになったのです。つまり奥さんができるだけお嬢さんを私に接近させようとしていながら、同時に私に警戒を加えているのは矛盾のようだけれども、その警戒を加える時に、片方の態度を忘れるのでも翻すのでも何でもなく、やはり依然として二人を接近させたがっていたのだと観察したのです。ただ自分が正当と認める程度以上に、二人が密着するのを忌むのだと解釈したのです。お嬢さんに対して、肉の方面から近づく念の萌さなかった私は、その時|入らぬ心配だと思いました。しかし奥さんを悪く思う気はそれからなくなりました。 十五 「私は奥さんの態度を色々|綜合して見て、私がここの家で充分信用されている事を確かめました。しかもその信用は初対面の時からあったのだという証拠さえ発見しました。他を疑り始めた私の胸には、この発見が少し奇異なくらいに響いたのです。私は男に比べると女の方がそれだけ直覚に富んでいるのだろうと思いました。同時に、女が男のために、欺されるのもここにあるのではなかろうかと思いました。奥さんをそう観察する私が、お嬢さんに対して同じような直覚を強く働かせていたのだから、今考えるとおかしいのです。私は他を信じないと心に誓いながら、絶対にお嬢さんを信じていたのですから。それでいて、私を信じている奥さんを奇異に思ったのですから。  私は郷里の事について余り多くを語らなかったのです。ことに今度の事件については何もいわなかったのです。私はそれを念頭に浮べてさえすでに一種の不愉快を感じました。私はなるべく奥さんの方の話だけを聞こうと力めました。ところがそれでは向うが承知しません。何かに付けて、私の国元の事情を知りたがるのです。私はとうとう何もかも話してしまいました。私は二度と国へは帰らない。帰っても何にもない、あるのはただ父と母の墓ばかりだと告げた時、奥さんは大変感動したらしい様子を見せました。お嬢さんは泣きました。私は話して好い事をしたと思いました。私は嬉しかったのです。  私のすべてを聞いた奥さんは、はたして自分の直覚が的中したといわないばかりの顔をし出しました。それからは私を自分の親戚に当る若いものか何かを取り扱うように待遇するのです。私は腹も立ちませんでした。むしろ愉快に感じたくらいです。ところがそのうちに私の猜疑心がまた起って来ました。  私が奥さんを疑り始めたのは、ごく些細な事からでした。しかしその些細な事を重ねて行くうちに、疑惑は段々と根を張って来ます。私はどういう拍子かふと奥さんが、叔父と同じような意味で、お嬢さんを私に接近させようと力めるのではないかと考え出したのです。すると今まで親切に見えた人が、急に狡猾な策略家として私の眼に映じて来たのです。私は苦々しい唇を噛みました。  奥さんは最初から、無人で淋しいから、客を置いて世話をするのだと公言していました。私もそれを嘘とは思いませんでした。懇意になって色々打ち明け話を聞いた後でも、そこに間違いはなかったように思われます。しかし一般の経済状態は大して豊かだというほどではありませんでした。利害問題から考えてみて、私と特殊の関係をつけるのは、先方に取って決して損ではなかったのです。  私はまた警戒を加えました。けれども娘に対して前いったくらいの強い愛をもっている私が、その母に対していくら警戒を加えたって何になるでしょう。私は一人で自分を嘲笑しました。馬鹿だなといって、自分を罵った事もあります。しかしそれだけの矛盾ならいくら馬鹿でも私は大した苦痛も感ぜずに済んだのです。私の煩悶は、奥さんと同じようにお嬢さんも策略家ではなかろうかという疑問に会って始めて起るのです。二人が私の背後で打ち合せをした上、万事をやっているのだろうと思うと、私は急に苦しくって堪らなくなるのです。不愉快なのではありません。絶体絶命のような行き詰まった心持になるのです。それでいて私は、一方にお嬢さんを固く信じて疑わなかったのです。だから私は信念と迷いの途中に立って、少しも動く事ができなくなってしまいました。私にはどっちも想像であり、またどっちも真実であったのです。 十六 「私は相変らず学校へ出席していました。しかし教壇に立つ人の講義が、遠くの方で聞こえるような心持がしました。勉強もその通りでした。眼の中へはいる活字は心の底まで浸み渡らないうちに烟のごとく消えて行くのです。私はその上無口になりました。それを二、三の友達が誤解して、冥想に耽ってでもいるかのように、他の友達に伝えました。私はこの誤解を解こうとはしませんでした。都合の好い仮面を人が貸してくれたのを、かえって仕合せとして喜びました。それでも時々は気が済まなかったのでしょう、発作的に焦燥ぎ廻って彼らを驚かした事もあります。  私の宿は人出入りの少ない家でした。親類も多くはないようでした。お嬢さんの学校友達がときたま遊びに来る事はありましたが、極めて小さな声で、いるのだかいないのだか分らないような話をして帰ってしまうのが常でした。それが私に対する遠慮からだとは、いかな私にも気が付きませんでした。私の所へ訪ねて来るものは、大した乱暴者でもありませんでしたけれども、宅の人に気兼をするほどな男は一人もなかったのですから。そんなところになると、下宿人の私は主人のようなもので、肝心のお嬢さんがかえって食客の位地にいたと同じ事です。  しかしこれはただ思い出したついでに書いただけで、実はどうでも構わない点です。ただそこにどうでもよくない事が一つあったのです。茶の間か、さもなければお嬢さんの室で、突然男の声が聞こえるのです。その声がまた私の客と違って、すこぶる低いのです。だから何を話しているのかまるで分らないのです。そうして分らなければ分らないほど、私の神経に一種の昂奮を与えるのです。私は坐っていて変にいらいらし出します。私はあれは親類なのだろうか、それともただの知り合いなのだろうかとまず考えて見るのです。それから若い男だろうか年輩の人だろうかと思案してみるのです。坐っていてそんな事の知れようはずがありません。そうかといって、起って行って障子を開けて見る訳にはなおいきません。私の神経は震えるというよりも、大きな波動を打って私を苦しめます。私は客の帰った後で、きっと忘れずにその人の名を聞きました。お嬢さんや奥さんの返事は、また極めて簡単でした。私は物足りない顔を二人に見せながら、物足りるまで追窮する勇気をもっていなかったのです。権利は無論もっていなかったのでしょう。私は自分の品格を重んじなければならないという教育から来た自尊心と、現にその自尊心を裏切している物欲しそうな顔付とを同時に彼らの前に示すのです。彼らは笑いました。それが嘲笑の意味でなくって、好意から来たものか、また好意らしく見せるつもりなのか、私は即坐に解釈の余地を見出し得ないほど落付を失ってしまうのです。そうして事が済んだ後で、いつまでも、馬鹿にされたのだ、馬鹿にされたんじゃなかろうかと、何遍も心のうちで繰り返すのです。  私は自由な身体でした。たとい学校を中途で已めようが、またどこへ行ってどう暮らそうが、あるいはどこの何者と結婚しようが、誰とも相談する必要のない位地に立っていました。私は思い切って奥さんにお嬢さんを貰い受ける話をして見ようかという決心をした事がそれまでに何度となくありました。けれどもそのたびごとに私は躊躇して、口へはとうとう出さずにしまったのです。断られるのが恐ろしいからではありません。もし断られたら、私の運命がどう変化するか分りませんけれども、その代り今までとは方角の違った場所に立って、新しい世の中を見渡す便宜も生じて来るのですから、そのくらいの勇気は出せば出せたのです。しかし私は誘き寄せられるのが厭でした。他の手に乗るのは何よりも業腹でした。叔父に欺された私は、これから先どんな事があっても、人には欺されまいと決心したのです。 十七 「私が書物ばかり買うのを見て、奥さんは少し着物を拵えろといいました。私は実際|田舎で織った木綿ものしかもっていなかったのです。その頃の学生は絹の入った着物を肌に着けませんでした。私の友達に横浜の商人か何かで、宅はなかなか派出に暮しているものがありましたが、そこへある時|羽二重の胴着が配達で届いた事があります。すると皆ながそれを見て笑いました。その男は恥ずかしがって色々弁解しましたが、折角の胴着を行李の底へ放り込んで利用しないのです。それをまた大勢が寄ってたかって、わざと着せました。すると運悪くその胴着に蝨がたかりました。友達はちょうど幸いとでも思ったのでしょう、評判の胴着をぐるぐると丸めて、散歩に出たついでに、根津の大きな泥溝の中へ棄ててしまいました。その時いっしょに歩いていた私は、橋の上に立って笑いながら友達の所作を眺めていましたが、私の胸のどこにも勿体ないという気は少しも起りませんでした。  その頃から見ると私も大分大人になっていました。けれどもまだ自分で余所行の着物を拵えるというほどの分別は出なかったのです。私は卒業して髯を生やす時代が来なければ、服装の心配などはするに及ばないものだという変な考えをもっていたのです。それで奥さんに書物は要るが着物は要らないといいました。奥さんは私の買う書物の分量を知っていました。買った本をみんな読むのかと聞くのです。私の買うものの中には字引きもありますが、当然眼を通すべきはずでありながら、頁さえ切ってないのも多少あったのですから、私は返事に窮しました。私はどうせ要らないものを買うなら、書物でも衣服でも同じだという事に気が付きました。その上私は色々世話になるという口実の下に、お嬢さんの気に入るような帯か反物を買ってやりたかったのです。それで万事を奥さんに依頼しました。  奥さんは自分一人で行くとはいいません。私にもいっしょに来いと命令するのです。お嬢さんも行かなくてはいけないというのです。今と違った空気の中に育てられた私どもは、学生の身分として、あまり若い女などといっしょに歩き廻る習慣をもっていなかったものです。その頃の私は今よりもまだ習慣の奴隷でしたから、多少|躊躇しましたが、思い切って出掛けました。  お嬢さんは大層着飾っていました。地体が色の白いくせに、白粉を豊富に塗ったものだからなお目立ちます。往来の人がじろじろ見てゆくのです。そうしてお嬢さんを見たものはきっとその視線をひるがえして、私の顔を見るのだから、変なものでした。  三人は日本橋へ行って買いたいものを買いました。買う間にも色々気が変るので、思ったより暇がかかりました。奥さんはわざわざ私の名を呼んでどうだろうと相談をするのです。時々|反物をお嬢さんの肩から胸へ竪に宛てておいて、私に二、三歩|遠退いて見てくれろというのです。私はそのたびごとに、それは駄目だとか、それはよく似合うとか、とにかく一人前の口を聞きました。  こんな事で時間が掛って帰りは夕飯の時刻になりました。奥さんは私に対するお礼に何かご馳走するといって、木原店という寄席のある狭い横丁へ私を連れ込みました。横丁も狭いが、飯を食わせる家も狭いものでした。この辺の地理を一向心得ない私は、奥さんの知識に驚いたくらいです。  我々は夜に入って家へ帰りました。その翌日は日曜でしたから、私は終日|室の中に閉じ籠っていました。月曜になって、学校へ出ると、私は朝っぱらそうそう級友の一人から調戯われました。いつ妻を迎えたのかといってわざとらしく聞かれるのです。それから私の細君は非常に美人だといって賞めるのです。私は三人|連で日本橋へ出掛けたところを、その男にどこかで見られたものとみえます。 十八 「私は宅へ帰って奥さんとお嬢さんにその話をしました。奥さんは笑いました。しかし定めて迷惑だろうといって私の顔を見ました。私はその時腹のなかで、男はこんな風にして、女から気を引いて見られるのかと思いました。奥さんの眼は充分私にそう思わせるだけの意味をもっていたのです。私はその時自分の考えている通りを直截に打ち明けてしまえば好かったかも知れません。しかし私にはもう狐疑という薩張りしない塊りがこびり付いていました。私は打ち明けようとして、ひょいと留まりました。そうして話の角度を故意に少し外らしました。  私は肝心の自分というものを問題の中から引き抜いてしまいました。そうしてお嬢さんの結婚について、奥さんの意中を探ったのです。奥さんは二、三そういう話のないでもないような事を、明らかに私に告げました。しかしまだ学校へ出ているくらいで年が若いから、こちらではさほど急がないのだと説明しました。奥さんは口へは出さないけれども、お嬢さんの容色に大分重きを置いているらしく見えました。極めようと思えばいつでも極められるんだからというような事さえ口外しました。それからお嬢さんより外に子供がないのも、容易に手離したがらない源因になっていました。嫁にやるか、聟を取るか、それにさえ迷っているのではなかろうかと思われるところもありました。  話しているうちに、私は色々の知識を奥さんから得たような気がしました。しかしそれがために、私は機会を逸したと同様の結果に陥ってしまいました。私は自分について、ついに一言も口を開く事ができませんでした。私は好い加減なところで話を切り上げて、自分の室へ帰ろうとしました。  さっきまで傍にいて、あんまりだわとか何とかいって笑ったお嬢さんは、いつの間にか向うの隅に行って、背中をこっちへ向けていました。私は立とうとして振り返った時、その後姿を見たのです。後姿だけで人間の心が読めるはずはありません。お嬢さんがこの問題についてどう考えているか、私には見当が付きませんでした。お嬢さんは戸棚を前にして坐っていました。その戸棚の一|尺ばかり開いている隙間から、お嬢さんは何か引き出して膝の上へ置いて眺めているらしかったのです。私の眼はその隙間の端に、一昨日買った反物を見付け出しました。私の着物もお嬢さんのも同じ戸棚の隅に重ねてあったのです。  私が何ともいわずに席を立ち掛けると、奥さんは急に改まった調子になって、私にどう思うかと聞くのです。その聞き方は何をどう思うのかと反問しなければ解らないほど不意でした。それがお嬢さんを早く片付けた方が得策だろうかという意味だと判然した時、私はなるべく緩くらな方がいいだろうと答えました。奥さんは自分もそう思うといいました。  奥さんとお嬢さんと私の関係がこうなっている所へ、もう一人男が入り込まなければならない事になりました。その男がこの家庭の一員となった結果は、私の運命に非常な変化を来しています。もしその男が私の生活の行路を横切らなかったならば、おそらくこういう長いものをあなたに書き残す必要も起らなかったでしょう。私は手もなく、魔の通る前に立って、その瞬間の影に一生を薄暗くされて気が付かずにいたのと同じ事です。自白すると、私は自分でその男を宅へ引張って来たのです。無論奥さんの許諾も必要ですから、私は最初何もかも隠さず打ち明けて、奥さんに頼んだのです。ところが奥さんは止せといいました。私には連れて来なければ済まない事情が充分あるのに、止せという奥さんの方には、筋の立った理屈はまるでなかったのです。だから私は私の善いと思うところを強いて断行してしまいました。 十九 「私はその友達の名をここにKと呼んでおきます。私はこのKと小供の時からの仲好でした。小供の時からといえば断らないでも解っているでしょう、二人には同郷の縁故があったのです。Kは真宗の坊さんの子でした。もっとも長男ではありません、次男でした。それである医者の所へ養子にやられたのです。私の生れた地方は大変|本願寺派の勢力の強い所でしたから、真宗の坊さんは他のものに比べると、物質的に割が好かったようです。一例を挙げると、もし坊さんに女の子があって、その女の子が年頃になったとすると、檀家のものが相談して、どこか適当な所へ嫁にやってくれます。無論費用は坊さんの懐から出るのではありません。そんな訳で真宗寺は大抵|有福でした。  Kの生れた家も相応に暮らしていたのです。しかし次男を東京へ修業に出すほどの余力があったかどうか知りません。また修業に出られる便宜があるので、養子の相談が纏まったものかどうか、そこも私には分りません。とにかくKは医者の家へ養子に行ったのです。それは私たちがまだ中学にいる時の事でした。私は教場で先生が名簿を呼ぶ時に、Kの姓が急に変っていたので驚いたのを今でも記憶しています。  Kの養子先もかなりな財産家でした。Kはそこから学資を貰って東京へ出て来たのです。出て来たのは私といっしょでなかったけれども、東京へ着いてからは、すぐ同じ下宿に入りました。その時分は一つ室によく二人も三人も机を並べて寝起きしたものです。Kと私も二人で同じ間にいました。山で生捕られた動物が、檻の中で抱き合いながら、外を睨めるようなものでしたろう。二人は東京と東京の人を畏れました。それでいて六畳の間の中では、天下を睥睨するような事をいっていたのです。  しかし我々は真面目でした。我々は実際偉くなるつもりでいたのです。ことにKは強かったのです。寺に生れた彼は、常に精進という言葉を使いました。そうして彼の行為動作は悉くこの精進の一語で形容されるように、私には見えたのです。私は心のうちで常にKを畏敬していました。  Kは中学にいた頃から、宗教とか哲学とかいうむずかしい問題で、私を困らせました。これは彼の父の感化なのか、または自分の生れた家、すなわち寺という一種特別な建物に属する空気の影響なのか、解りません。ともかくも彼は普通の坊さんよりは遥かに坊さんらしい性格をもっていたように見受けられます。元来Kの養家では彼を医者にするつもりで東京へ出したのです。しかるに頑固な彼は医者にはならない決心をもって、東京へ出て来たのです。私は彼に向って、それでは養父母を欺くと同じ事ではないかと詰りました。大胆な彼はそうだと答えるのです。道のためなら、そのくらいの事をしても構わないというのです。その時彼の用いた道という言葉は、おそらく彼にもよく解っていなかったでしょう。私は無論解ったとはいえません。しかし年の若い私たちには、この漠然とした言葉が尊とく響いたのです。よし解らないにしても気高い心持に支配されて、そちらの方へ動いて行こうとする意気組に卑しいところの見えるはずはありません。私はKの説に賛成しました。私の同意がKにとってどのくらい有力であったか、それは私も知りません。一図な彼は、たとい私がいくら反対しようとも、やはり自分の思い通りを貫いたに違いなかろうとは察せられます。しかし万一の場合、賛成の声援を与えた私に、多少の責任ができてくるぐらいの事は、子供ながら私はよく承知していたつもりです。よしその時にそれだけの覚悟がないにしても、成人した眼で、過去を振り返る必要が起った場合には、私に割り当てられただけの責任は、私の方で帯びるのが至当になるくらいな語気で私は賛成したのです。 二十 「Kと私は同じ科へ入学しました。Kは澄ました顔をして、養家から送ってくれる金で、自分の好きな道を歩き出したのです。知れはしないという安心と、知れたって構うものかという度胸とが、二つながらKの心にあったものと見るよりほか仕方がありません。Kは私よりも平気でした。  最初の夏休みにKは国へ帰りませんでした。駒込のある寺の一間を借りて勉強するのだといっていました。私が帰って来たのは九月上旬でしたが、彼ははたして大観音の傍の汚い寺の中に閉じ籠っていました。彼の座敷は本堂のすぐ傍の狭い室でしたが、彼はそこで自分の思う通りに勉強ができたのを喜んでいるらしく見えました。私はその時彼の生活の段々坊さんらしくなって行くのを認めたように思います。彼は手頸に珠数を懸けていました。私がそれは何のためだと尋ねたら、彼は親指で一つ二つと勘定する真似をして見せました。彼はこうして日に何遍も珠数の輪を勘定するらしかったのです。ただしその意味は私には解りません。円い輪になっているものを一粒ずつ数えてゆけば、どこまで数えていっても終局はありません。Kはどんな所でどんな心持がして、爪繰る手を留めたでしょう。詰らない事ですが、私はよくそれを思うのです。  私はまた彼の室に聖書を見ました。私はそれまでにお経の名を度々彼の口から聞いた覚えがありますが、基督教については、問われた事も答えられた例もなかったのですから、ちょっと驚きました。私はその理由を訊ねずにはいられませんでした。Kは理由はないといいました。これほど人の有難がる書物なら読んでみるのが当り前だろうともいいました。その上彼は機会があったら、『コーラン』も読んでみるつもりだといいました。彼はモハメッドと剣という言葉に大いなる興味をもっているようでした。  二年目の夏に彼は国から催促を受けてようやく帰りました。帰っても専門の事は何にもいわなかったものとみえます。家でもまたそこに気が付かなかったのです。あなたは学校教育を受けた人だから、こういう消息をよく解しているでしょうが、世間は学生の生活だの、学校の規則だのに関して、驚くべく無知なものです。我々に何でもない事が一向外部へは通じていません。我々はまた比較的内部の空気ばかり吸っているので、校内の事は細大ともに世の中に知れ渡っているはずだと思い過ぎる癖があります。Kはその点にかけて、私より世間を知っていたのでしょう、澄ました顔でまた戻って来ました。国を立つ時は私もいっしょでしたから、汽車へ乗るや否やすぐどうだったとKに問いました。Kはどうでもなかったと答えたのです。  三度目の夏はちょうど私が永久に父母の墳墓の地を去ろうと決心した年です。私はその時Kに帰国を勧めましたが、Kは応じませんでした。そう毎年家へ帰って何をするのだというのです。彼はまた踏み留まって勉強するつもりらしかったのです。私は仕方なしに一人で東京を立つ事にしました。私の郷里で暮らしたその二カ月間が、私の運命にとって、いかに波瀾に富んだものかは、前に書いた通りですから繰り返しません。私は不平と幽欝と孤独の淋しさとを一つ胸に抱いて、九月に入ってまたKに逢いました。すると彼の運命もまた私と同様に変調を示していました。彼は私の知らないうちに、養家先へ手紙を出して、こっちから自分の詐りを白状してしまったのです。彼は最初からその覚悟でいたのだそうです。今更仕方がないから、お前の好きなものをやるより外に途はあるまいと、向うにいわせるつもりもあったのでしょうか。とにかく大学へ入ってまでも養父母を欺き通す気はなかったらしいのです。また欺こうとしても、そう長く続くものではないと見抜いたのかも知れません。 二十一 「Kの手紙を見た養父は大変怒りました。親を騙すような不埒なものに学資を送る事はできないという厳しい返事をすぐ寄こしたのです。Kはそれを私に見せました。Kはまたそれと前後して実家から受け取った書翰も見せました。これにも前に劣らないほど厳しい詰責の言葉がありました。養家先へ対して済まないという義理が加わっているからでもありましょうが、こっちでも一切構わないと書いてありました。Kがこの事件のために復籍してしまうか、それとも他に妥協の道を講じて、依然養家に留まるか、そこはこれから起る問題として、差し当りどうかしなければならないのは、月々に必要な学資でした。  私はその点についてKに何か考えがあるのかと尋ねました。Kは夜学校の教師でもするつもりだと答えました。その時分は今に比べると、存外世の中が寛ろいでいましたから、内職の口はあなたが考えるほど払底でもなかったのです。私はKがそれで充分やって行けるだろうと考えました。しかし私には私の責任があります。Kが養家の希望に背いて、自分の行きたい道を行こうとした時、賛成したものは私です。私はそうかといって手を拱いでいる訳にゆきません。私はその場で物質的の補助をすぐ申し出しました。するとKは一も二もなくそれを跳ね付けました。彼の性格からいって、自活の方が友達の保護の下に立つより遥に快よく思われたのでしょう。彼は大学へはいった以上、自分一人ぐらいどうかできなければ男でないような事をいいました。私は私の責任を完うするために、Kの感情を傷つけるに忍びませんでした。それで彼の思う通りにさせて、私は手を引きました。  Kは自分の望むような口をほどなく探し出しました。しかし時間を惜しむ彼にとって、この仕事がどのくらい辛かったかは想像するまでもない事です。彼は今まで通り勉強の手をちっとも緩めずに、新しい荷を背負って猛進したのです。私は彼の健康を気遣いました。しかし剛気な彼は笑うだけで、少しも私の注意に取り合いませんでした。  同時に彼と養家との関係は、段々こん絡がって来ました。時間に余裕のなくなった彼は、前のように私と話す機会を奪われたので、私はついにその顛末を詳しく聞かずにしまいましたが、解決のますます困難になってゆく事だけは承知していました。人が仲に入って調停を試みた事も知っていました。その人は手紙でKに帰国を促したのですが、Kは到底|駄目だといって、応じませんでした。この剛情なところが、――Kは学年中で帰れないのだから仕方がないといいましたけれども、向うから見れば剛情でしょう。そこが事態をますます険悪にしたようにも見えました。彼は養家の感情を害すると共に、実家の怒りも買うようになりました。私が心配して双方を融和するために手紙を書いた時は、もう何の効果もありませんでした。私の手紙は一言の返事さえ受けずに葬られてしまったのです。私も腹が立ちました。今までも行掛り上、Kに同情していた私は、それ以後は理否を度外に置いてもKの味方をする気になりました。  最後にKはとうとう復籍に決しました。養家から出してもらった学資は、実家で弁償する事になったのです。その代り実家の方でも構わないから、これからは勝手にしろというのです。昔の言葉でいえば、まあ勘当なのでしょう。あるいはそれほど強いものでなかったかも知れませんが、当人はそう解釈していました。Kは母のない男でした。彼の性格の一面は、たしかに継母に育てられた結果とも見る事ができるようです。もし彼の実の母が生きていたら、あるいは彼と実家との関係に、こうまで隔たりができずに済んだかも知れないと私は思うのです。彼の父はいうまでもなく僧侶でした。けれども義理堅い点において、むしろ武士に似たところがありはしないかと疑われます。 二十二 「Kの事件が一段落ついた後で、私は彼の姉の夫から長い封書を受け取りました。Kの養子に行った先は、この人の親類に当るのですから、彼を周旋した時にも、彼を復籍させた時にも、この人の意見が重きをなしていたのだと、Kは私に話して聞かせました。  手紙にはその後Kがどうしているか知らせてくれと書いてありました。姉が心配しているから、なるべく早く返事を貰いたいという依頼も付け加えてありました。Kは寺を嗣いだ兄よりも、他家へ縁づいたこの姉を好いていました。彼らはみんな一つ腹から生れた姉弟ですけれども、この姉とKとの間には大分年歯の差があったのです。それでKの小供の時分には、継母よりもこの姉の方が、かえって本当の母らしく見えたのでしょう。  私はKに手紙を見せました。Kは何ともいいませんでしたけれども、自分の所へこの姉から同じような意味の書状が二、三度来たという事を打ち明けました。Kはそのたびに心配するに及ばないと答えてやったのだそうです。運悪くこの姉は生活に余裕のない家に片付いたために、いくらKに同情があっても、物質的に弟をどうしてやる訳にも行かなかったのです。  私はKと同じような返事を彼の義兄|宛で出しました。その中に、万一の場合には私がどうでもするから、安心するようにという意味を強い言葉で書き現わしました。これは固より私の一存でした。Kの行先を心配するこの姉に安心を与えようという好意は無論含まれていましたが、私を軽蔑したとより外に取りようのない彼の実家や養家に対する意地もあったのです。  Kの復籍したのは一年生の時でした。それから二年生の中頃になるまで、約一年半の間、彼は独力で己れを支えていったのです。ところがこの過度の労力が次第に彼の健康と精神の上に影響して来たように見え出しました。それには無論養家を出る出ないの蒼蠅い問題も手伝っていたでしょう。彼は段々|感傷的になって来たのです。時によると、自分だけが世の中の不幸を一人で背負って立っているような事をいいます。そうしてそれを打ち消せばすぐ激するのです。それから自分の未来に横たわる光明が、次第に彼の眼を遠退いて行くようにも思って、いらいらするのです。学問をやり始めた時には、誰しも偉大な抱負をもって、新しい旅に上るのが常ですが、一年と立ち二年と過ぎ、もう卒業も間近になると、急に自分の足の運びの鈍いのに気が付いて、過半はそこで失望するのが当り前になっていますから、Kの場合も同じなのですが、彼の焦慮り方はまた普通に比べると遥かに甚しかったのです。私はついに彼の気分を落ち付けるのが専一だと考えました。  私は彼に向って、余計な仕事をするのは止せといいました。そうして当分|身体を楽にして、遊ぶ方が大きな将来のために得策だと忠告しました。剛情なKの事ですから、容易に私のいう事などは聞くまいと、かねて予期していたのですが、実際いい出して見ると、思ったよりも説き落すのに骨が折れたので弱りました。Kはただ学問が自分の目的ではないと主張するのです。意志の力を養って強い人になるのが自分の考えだというのです。それにはなるべく窮屈な境遇にいなくてはならないと結論するのです。普通の人から見れば、まるで酔興です。その上窮屈な境遇にいる彼の意志は、ちっとも強くなっていないのです。彼はむしろ神経衰弱に罹っているくらいなのです。私は仕方がないから、彼に向って至極同感であるような様子を見せました。自分もそういう点に向って、人生を進むつもりだったとついには明言しました。。最後に私はKといっしょに住んで、いっしょに向上の路を辿って行きたいと発議しました。私は彼の剛情を折り曲げるために、彼の前に跪く事をあえてしたのです。そうして漸との事で彼を私の家に連れて来ました。 二十三 「私の座敷には控えの間というような四畳が付属していました。玄関を上がって私のいる所へ通ろうとするには、ぜひこの四畳を横切らなければならないのだから、実用の点から見ると、至極不便な室でした。私はここへKを入れたのです。もっとも最初は同じ八畳に二つ机を並べて、次の間を共有にして置く考えだったのですが、Kは狭苦しくっても一人でいる方が好いといって、自分でそっちのほうを択んだのです。  前にも話した通り、奥さんは私のこの所置に対して始めは不賛成だったのです。下宿屋ならば、一人より二人が便利だし、二人より三人が得になるけれども、商売でないのだから、なるべくなら止した方が好いというのです。私が決して世話の焼ける人でないから構うまいというと、世話は焼けないでも、気心の知れない人は厭だと答えるのです。それでは今|厄介になっている私だって同じ事ではないかと詰ると、私の気心は初めからよく分っていると弁解して已まないのです。私は苦笑しました。すると奥さんはまた理屈の方向を更えます。そんな人を連れて来るのは、私のために悪いから止せといい直します。なぜ私のために悪いかと聞くと、今度は向うで苦笑するのです。  実をいうと私だって強いてKといっしょにいる必要はなかったのです。けれども月々の費用を金の形で彼の前に並べて見せると、彼はきっとそれを受け取る時に躊躇するだろうと思ったのです。彼はそれほど独立心の強い男でした。だから私は彼を私の宅へ置いて、二人前の食料を彼の知らない間にそっと奥さんの手に渡そうとしたのです。しかし私はKの経済問題について、一言も奥さんに打ち明ける気はありませんでした。  私はただKの健康について云々しました。一人で置くとますます人間が偏屈になるばかりだからといいました。それに付け足して、Kが養家と折合の悪かった事や、実家と離れてしまった事や、色々話して聞かせました。私は溺れかかった人を抱いて、自分の熱を向うに移してやる覚悟で、Kを引き取るのだと告げました。そのつもりであたたかい面倒を見てやってくれと、奥さんにもお嬢さんにも頼みました。私はここまで来て漸々奥さんを説き伏せたのです。しかし私から何にも聞かないKは、この顛末をまるで知らずにいました。私もかえってそれを満足に思って、のっそり引き移って来たKを、知らん顔で迎えました。  奥さんとお嬢さんは、親切に彼の荷物を片付ける世話や何かをしてくれました。すべてそれを私に対する好意から来たのだと解釈した私は、心のうちで喜びました。――Kが相変らずむっちりした様子をしているにもかかわらず。  私がKに向って新しい住居の心持はどうだと聞いた時に、彼はただ一言悪くないといっただけでした。私からいわせれば悪くないどころではないのです。彼の今までいた所は北向きの湿っぽい臭いのする汚い室でした。食物も室|相応に粗末でした。私の家へ引き移った彼は、幽谷から喬木に移った趣があったくらいです。それをさほどに思う気色を見せないのは、一つは彼の強情から来ているのですが、一つは彼の主張からも出ているのです。仏教の教義で養われた彼は、衣食住についてとかくの贅沢をいうのをあたかも不道徳のように考えていました。なまじい昔の高僧だとか聖徒だとかの伝を読んだ彼には、ややともすると精神と肉体とを切り離したがる癖がありました。肉を鞭撻すれば霊の光輝が増すように感ずる場合さえあったのかも知れません。  私はなるべく彼に逆らわない方針を取りました。私は氷を日向へ出して溶かす工夫をしたのです。今に融けて温かい水になれば、自分で自分に気が付く時機が来るに違いないと思ったのです。 二十四 「私は奥さんからそういう風に取り扱われた結果、段々快活になって来たのです。それを自覚していたから、同じものを今度はKの上に応用しようと試みたのです。Kと私とが性格の上において、大分相違のある事は、長く交際って来た私によく解っていましたけれども、私の神経がこの家庭に入ってから多少|角が取れたごとく、Kの心もここに置けばいつか沈まる事があるだろうと考えたのです。  Kは私より強い決心を有している男でした。勉強も私の倍ぐらいはしたでしょう。その上持って生れた頭の質が私よりもずっとよかったのです。後では専門が違いましたから何ともいえませんが、同じ級にいる間は、中学でも高等学校でも、Kの方が常に上席を占めていました。私には平生から何をしてもKに及ばないという自覚があったくらいです。けれども私が強いてKを私の宅へ引っ張って来た時には、私の方がよく事理を弁えていると信じていました。私にいわせると、彼は我慢と忍耐の区別を了解していないように思われたのです。これはとくにあなたのために付け足しておきたいのですから聞いて下さい。肉体なり精神なりすべて我々の能力は、外部の刺戟で、発達もするし、破壊されもするでしょうが、どっちにしても刺戟を段々に強くする必要のあるのは無論ですから、よく考えないと、非常に険悪な方向へむいて進んで行きながら、自分はもちろん傍のものも気が付かずにいる恐れが生じてきます。医者の説明を聞くと、人間の胃袋ほど横着なものはないそうです。粥ばかり食っていると、それ以上の堅いものを消化す力がいつの間にかなくなってしまうのだそうです。だから何でも食う稽古をしておけと医者はいうのです。けれどもこれはただ慣れるという意味ではなかろうと思います。次第に刺戟を増すに従って、次第に営養機能の抵抗力が強くなるという意味でなくてはなりますまい。もし反対に胃の力の方がじりじり弱って行ったなら結果はどうなるだろうと想像してみればすぐ解る事です。Kは私より偉大な男でしたけれども、全くここに気が付いていなかったのです。ただ困難に慣れてしまえば、しまいにその困難は何でもなくなるものだと極めていたらしいのです。艱苦を繰り返せば、繰り返すというだけの功徳で、その艱苦が気にかからなくなる時機に邂逅えるものと信じ切っていたらしいのです。  私はKを説くときに、ぜひそこを明らかにしてやりたかったのです。しかしいえばきっと反抗されるに極っていました。また昔の人の例などを、引合に持って来るに違いないと思いました。そうなれば私だって、その人たちとKと違っている点を明白に述べなければならなくなります。それを首肯ってくれるようなKならいいのですけれども、彼の性質として、議論がそこまでゆくと容易に後へは返りません。なお先へ出ます。そうして、口で先へ出た通りを、行為で実現しに掛ります。彼はこうなると恐るべき男でした。偉大でした。自分で自分を破壊しつつ進みます。結果から見れば、彼はただ自己の成功を打ち砕く意味において、偉大なのに過ぎないのですけれども、それでも決して平凡ではありませんでした。彼の気性をよく知った私はついに何ともいう事ができなかったのです。その上私から見ると、彼は前にも述べた通り、多少神経衰弱に罹っていたように思われたのです。よし私が彼を説き伏せたところで、彼は必ず激するに違いないのです。私は彼と喧嘩をする事は恐れてはいませんでしたけれども、私が孤独の感に堪えなかった自分の境遇を顧みると、親友の彼を、同じ孤独の境遇に置くのは、私に取って忍びない事でした。一歩進んで、より孤独な境遇に突き落すのはなお厭でした。それで私は彼が宅へ引き移ってからも、当分の間は批評がましい批評を彼の上に加えずにいました。ただ穏やかに周囲の彼に及ぼす結果を見る事にしたのです。 二十五 「私は蔭へ廻って、奥さんとお嬢さんに、なるべくKと話をするように頼みました。私は彼のこれまで通って来た無言生活が彼に祟っているのだろうと信じたからです。使わない鉄が腐るように、彼の心には錆が出ていたとしか、私には思われなかったのです。  奥さんは取り付き把のない人だといって笑っていました。お嬢さんはまたわざわざその例を挙げて私に説明して聞かせるのです。火鉢に火があるかと尋ねると、Kはないと答えるそうです。では持って来ようというと、要らないと断るそうです。寒くはないかと聞くと、寒いけれども要らないんだといったぎり応対をしないのだそうです。私はただ苦笑している訳にもゆきません。気の毒だから、何とかいってその場を取り繕っておかなければ済まなくなります。もっともそれは春の事ですから、強いて火にあたる必要もなかったのですが、これでは取り付き把がないといわれるのも無理はないと思いました。  それで私はなるべく、自分が中心になって、女二人とKとの連絡をはかるように力めました。Kと私が話している所へ家の人を呼ぶとか、または家の人と私が一つ室に落ち合った所へ、Kを引っ張り出すとか、どっちでもその場合に応じた方法をとって、彼らを接近させようとしたのです。もちろんKはそれをあまり好みませんでした。ある時はふいと起って室の外へ出ました。またある時はいくら呼んでもなかなか出て来ませんでした。Kはあんな無駄話をしてどこが面白いというのです。私はただ笑っていました。しかし心の中では、Kがそのために私を軽蔑していることがよく解りました。  私はある意味から見て実際彼の軽蔑に価していたかも知れません。彼の眼の着け所は私より遥かに高いところにあったともいわれるでしょう。私もそれを否みはしません。しかし眼だけ高くって、外が釣り合わないのは手もなく不具です。私は何を措いても、この際彼を人間らしくするのが専一だと考えたのです。いくら彼の頭が偉い人の影像で埋まっていても、彼自身が偉くなってゆかない以上は、何の役にも立たないという事を発見したのです。私は彼を人間らしくする第一の手段として、まず異性の傍に彼を坐らせる方法を講じたのです。そうしてそこから出る空気に彼を曝した上、錆び付きかかった彼の血液を新しくしようと試みたのです。  この試みは次第に成功しました。初めのうち融合しにくいように見えたものが、段々一つに纏まって来出しました。彼は自分以外に世界のある事を少しずつ悟ってゆくようでした。彼はある日私に向って、女はそう軽蔑すべきものでないというような事をいいました。Kははじめ女からも、私同様の知識と学問を要求していたらしいのです。そうしてそれが見付からないと、すぐ軽蔑の念を生じたものと思われます。今までの彼は、性によって立場を変える事を知らずに、同じ視線ですべての男女を一様に観察していたのです。私は彼に、もし我ら二人だけが男同志で永久に話を交換しているならば、二人はただ直線的に先へ延びて行くに過ぎないだろうといいました。彼はもっともだと答えました。私はその時お嬢さんの事で、多少夢中になっている頃でしたから、自然そんな言葉も使うようになったのでしょう。しかし裏面の消息は彼には一口も打ち明けませんでした。  今まで書物で城壁をきずいてその中に立て籠っていたようなKの心が、段々打ち解けて来るのを見ているのは、私に取って何よりも愉快でした。私は最初からそうした目的で事をやり出したのですから、自分の成功に伴う喜悦を感ぜずにはいられなかったのです。私は本人にいわない代りに、奥さんとお嬢さんに自分の思った通りを話しました。二人も満足の様子でした。 二十六 「Kと私は同じ科におりながら、専攻の学問が違っていましたから、自然出る時や帰る時に遅速がありました。私の方が早ければ、ただ彼の空室を通り抜けるだけですが、遅いと簡単な挨拶をして自分の部屋へはいるのを例にしていました。Kはいつもの眼を書物からはなして、襖を開ける私をちょっと見ます。そうしてきっと今帰ったのかといいます。私は何も答えないで点頭く事もありますし、あるいはただ「うん」と答えて行き過ぎる場合もあります。  ある日私は神田に用があって、帰りがいつもよりずっと後れました。私は急ぎ足に門前まで来て、格子をがらりと開けました。それと同時に、私はお嬢さんの声を聞いたのです。声は慥かにKの室から出たと思いました。玄関から真直に行けば、茶の間、お嬢さんの部屋と二つ続いていて、それを左へ折れると、Kの室、私の室、という間取なのですから、どこで誰の声がしたくらいは、久しく厄介になっている私にはよく分るのです。私はすぐ格子を締めました。するとお嬢さんの声もすぐ已みました。私が靴を脱いでいるうち、――私はその時分からハイカラで手数のかかる編上を穿いていたのですが、――私がこごんでその靴紐を解いているうち、Kの部屋では誰の声もしませんでした。私は変に思いました。ことによると、私の疳違かも知れないと考えたのです。しかし私がいつもの通りKの室を抜けようとして、襖を開けると、そこに二人はちゃんと坐っていました。Kは例の通り今帰ったかといいました。お嬢さんも「お帰り」と坐ったままで挨拶しました。私には気のせいかその簡単な挨拶が少し硬いように聞こえました。どこかで自然を踏み外しているような調子として、私の鼓膜に響いたのです。私はお嬢さんに、奥さんはと尋ねました。私の質問には何の意味もありませんでした。家のうちが平常より何だかひっそりしていたから聞いて見ただけの事です。  奥さんははたして留守でした。下女も奥さんといっしょに出たのでした。だから家に残っているのは、Kとお嬢さんだけだったのです。私はちょっと首を傾けました。今まで長い間世話になっていたけれども、奥さんがお嬢さんと私だけを置き去りにして、宅を空けた例はまだなかったのですから。私は何か急用でもできたのかとお嬢さんに聞き返しました。お嬢さんはただ笑っているのです。私はこんな時に笑う女が嫌いでした。若い女に共通な点だといえばそれまでかも知れませんが、お嬢さんも下らない事によく笑いたがる女でした。しかしお嬢さんは私の顔色を見て、すぐ不断の表情に帰りました。急用ではないが、ちょっと用があって出たのだと真面目に答えました。下宿人の私にはそれ以上問い詰める権利はありません。私は沈黙しました。  私が着物を改めて席に着くか着かないうちに、奥さんも下女も帰って来ました。やがて晩食の食卓でみんなが顔を合わせる時刻が来ました。下宿した当座は万事客扱いだったので、食事のたびに下女が膳を運んで来てくれたのですが、それがいつの間にか崩れて、飯時には向うへ呼ばれて行く習慣になっていたのです。Kが新しく引き移った時も、私が主張して彼を私と同じように取り扱わせる事に極めました。その代り私は薄い板で造った足の畳み込める華奢な食卓を奥さんに寄附しました。今ではどこの宅でも使っているようですが、その頃そんな卓の周囲に並んで飯を食う家族はほとんどなかったのです。私はわざわざ御茶の水の家具屋へ行って、私の工夫通りにそれを造り上げさせたのです。  私はその卓上で奥さんからその日いつもの時刻に肴屋が来なかったので、私たちに食わせるものを買いに町へ行かなければならなかったのだという説明を聞かされました。なるほど客を置いている以上、それももっともな事だと私が考えた時、お嬢さんは私の顔を見てまた笑い出しました。しかし今度は奥さんに叱られてすぐ已めました。 二十七 「一週間ばかりして私はまたKとお嬢さんがいっしょに話している室を通り抜けました。その時お嬢さんは私の顔を見るや否や笑い出しました。私はすぐ何がおかしいのかと聞けばよかったのでしょう。それをつい黙って自分の居間まで来てしまったのです。だからKもいつものように、今帰ったかと声を掛ける事ができなくなりました。お嬢さんはすぐ障子を開けて茶の間へ入ったようでした。  夕飯の時、お嬢さんは私を変な人だといいました。私はその時もなぜ変なのか聞かずにしまいました。ただ奥さんが睨めるような眼をお嬢さんに向けるのに気が付いただけでした。  私は食後Kを散歩に連れ出しました。二人は伝通院の裏手から植物園の通りをぐるりと廻ってまた富坂の下へ出ました。散歩としては短い方ではありませんでしたが、その間に話した事は極めて少なかったのです。性質からいうと、Kは私よりも無口な男でした。私も多弁な方ではなかったのです。しかし私は歩きながら、できるだけ話を彼に仕掛けてみました。私の問題はおもに二人の下宿している家族についてでした。私は奥さんやお嬢さんを彼がどう見ているか知りたかったのです。ところが彼は海のものとも山のものとも見分けの付かないような返事ばかりするのです。しかもその返事は要領を得ないくせに、極めて簡単でした。彼は二人の女に関してよりも、専攻の学科の方に多くの注意を払っているように見えました。もっともそれは二学年目の試験が目の前に逼っている頃でしたから、普通の人間の立場から見て、彼の方が学生らしい学生だったのでしょう。その上彼はシュエデンボルグがどうだとかこうだとかいって、無学な私を驚かせました。  我々が首尾よく試験を済ましました時、二人とももう後一年だといって奥さんは喜んでくれました。そういう奥さんの唯一の誇りとも見られるお嬢さんの卒業も、間もなく来る順になっていたのです。Kは私に向って、女というものは何にも知らないで学校を出るのだといいました。Kはお嬢さんが学問以外に稽古している縫針だの琴だの活花だのを、まるで眼中に置いていないようでした。私は彼の迂闊を笑ってやりました。そうして女の価値はそんな所にあるものでないという昔の議論をまた彼の前で繰り返しました。彼は別段|反駁もしませんでした。その代りなるほどという様子も見せませんでした。私にはそこが愉快でした。彼のふんといったような調子が、依然として女を軽蔑しているように見えたからです。女の代表者として私の知っているお嬢さんを、物の数とも思っていないらしかったからです。今から回顧すると、私のKに対する嫉妬は、その時にもう充分|萌していたのです。  私は夏休みにどこかへ行こうかとKに相談しました。Kは行きたくないような口振を見せました。無論彼は自分の自由意志でどこへも行ける身体ではありませんが、私が誘いさえすれば、またどこへ行っても差支えない身体だったのです。私はなぜ行きたくないのかと彼に尋ねてみました。彼は理由も何にもないというのです。宅で書物を読んだ方が自分の勝手だというのです。私が避暑地へ行って涼しい所で勉強した方が、身体のためだと主張すると、それなら私一人行ったらよかろうというのです。しかし私はK一人をここに残して行く気にはなれないのです。私はただでさえKと宅のものが段々親しくなって行くのを見ているのが、余り好い心持ではなかったのです。私が最初希望した通りになるのが、何で私の心持を悪くするのかといわれればそれまでです。私は馬鹿に違いないのです。果しのつかない二人の議論を見るに見かねて奥さんが仲へ入りました。二人はとうとういっしょに房州へ行く事になりました。 二十八 「Kはあまり旅へ出ない男でした。私にも房州は始めてでした。二人は何にも知らないで、船が一番先へ着いた所から上陸したのです。たしか保田とかいいました。今ではどんなに変っているか知りませんが、その頃はひどい漁村でした。第一どこもかしこも腥いのです。それから海へ入ると、波に押し倒されて、すぐ手だの足だのを擦り剥くのです。拳のような大きな石が打ち寄せる波に揉まれて、始終ごろごろしているのです。  私はすぐ厭になりました。しかしKは好いとも悪いともいいません。少なくとも顔付だけは平気なものでした。そのくせ彼は海へ入るたんびにどこかに怪我をしない事はなかったのです。私はとうとう彼を説き伏せて、そこから富浦に行きました。富浦からまた那古に移りました。すべてこの沿岸はその時分から重に学生の集まる所でしたから、どこでも我々にはちょうど手頃の海水浴場だったのです。Kと私はよく海岸の岩の上に坐って、遠い海の色や、近い水の底を眺めました。岩の上から見下す水は、また特別に綺麗なものでした。赤い色だの藍の色だの、普通|市場に上らないような色をした小魚が、透き通る波の中をあちらこちらと泳いでいるのが鮮やかに指さされました。  私はそこに坐って、よく書物をひろげました。Kは何もせずに黙っている方が多かったのです。私にはそれが考えに耽っているのか、景色に見惚れているのか、もしくは好きな想像を描いているのか、全く解らなかったのです。私は時々眼を上げて、Kに何をしているのだと聞きました。Kは何もしていないと一口答えるだけでした。私は自分の傍にこうじっとして坐っているものが、Kでなくって、お嬢さんだったらさぞ愉快だろうと思う事がよくありました。それだけならまだいいのですが、時にはKの方でも私と同じような希望を抱いて岩の上に坐っているのではないかしらと忽然疑い出すのです。すると落ち付いてそこに書物をひろげているのが急に厭になります。私は不意に立ち上ります。そうして遠慮のない大きな声を出して怒鳴ります。纏まった詩だの歌だのを面白そうに吟ずるような手緩い事はできないのです。ただ野蛮人のごとくにわめくのです。ある時私は突然彼の襟頸を後ろからぐいと攫みました。こうして海の中へ突き落したらどうするといってKに聞きました。Kは動きませんでした。後ろ向きのまま、ちょうど好い、やってくれと答えました。私はすぐ首筋を抑えた手を放しました。  Kの神経衰弱はこの時もう大分よくなっていたらしいのです。それと反比例に、私の方は段々過敏になって来ていたのです。私は自分より落ち付いているKを見て、羨ましがりました。また憎らしがりました。彼はどうしても私に取り合う気色を見せなかったからです。私にはそれが一種の自信のごとく映りました。しかしその自信を彼に認めたところで、私は決して満足できなかったのです。私の疑いはもう一歩前へ出て、その性質を明らめたがりました。彼は学問なり事業なりについて、これから自分の進んで行くべき前途の光明を再び取り返した心持になったのだろうか。単にそれだけならば、Kと私との利害に何の衝突の起る訳はないのです。私はかえって世話のし甲斐があったのを嬉しく思うくらいなものです。けれども彼の安心がもしお嬢さんに対してであるとすれば、私は決して彼を許す事ができなくなるのです。不思議にも彼は私のお嬢さんを愛している素振に全く気が付いていないように見えました。無論私もそれがKの眼に付くようにわざとらしくは振舞いませんでしたけれども。Kは元来そういう点にかけると鈍い人なのです。私には最初からKなら大丈夫という安心があったので、彼をわざわざ宅へ連れて来たのです。 二十九 「私は思い切って自分の心をKに打ち明けようとしました。もっともこれはその時に始まった訳でもなかったのです。旅に出ない前から、私にはそうした腹ができていたのですけれども、打ち明ける機会をつらまえる事も、その機会を作り出す事も、私の手際では旨くゆかなかったのです。今から思うと、その頃私の周囲にいた人間はみんな妙でした。女に関して立ち入った話などをするものは一人もありませんでした。中には話す種をもたないのも大分いたでしょうが、たといもっていても黙っているのが普通のようでした。比較的自由な空気を呼吸している今のあなたがたから見たら、定めし変に思われるでしょう。それが道学の余習なのか、または一種のはにかみなのか、判断はあなたの理解に任せておきます。  Kと私は何でも話し合える中でした。偶には愛とか恋とかいう問題も、口に上らないではありませんでしたが、いつでも抽象的な理論に落ちてしまうだけでした。それも滅多には話題にならなかったのです。大抵は書物の話と学問の話と、未来の事業と、抱負と、修養の話ぐらいで持ち切っていたのです。いくら親しくってもこう堅くなった日には、突然調子を崩せるものではありません。二人はただ堅いなりに親しくなるだけです。私はお嬢さんの事をKに打ち明けようと思い立ってから、何遍歯がゆい不快に悩まされたか知れません。私はKの頭のどこか一カ所を突き破って、そこから柔らかい空気を吹き込んでやりたい気がしました。  あなたがたから見て笑止千万な事もその時の私には実際大困難だったのです。私は旅先でも宅にいた時と同じように卑怯でした。私は始終機会を捕える気でKを観察していながら、変に高踏的な彼の態度をどうする事もできなかったのです。私にいわせると、彼の心臓の周囲は黒い漆で重く塗り固められたのも同然でした。私の注ぎ懸けようとする血潮は、一滴もその心臓の中へは入らないで、悉く弾き返されてしまうのです。  或る時はあまりKの様子が強くて高いので、私はかえって安心した事もあります。そうして自分の疑いを腹の中で後悔すると共に、同じ腹の中で、Kに詫びました。詫びながら自分が非常に下等な人間のように見えて、急に厭な心持になるのです。しかし少時すると、以前の疑いがまた逆戻りをして、強く打ち返して来ます。すべてが疑いから割り出されるのですから、すべてが私には不利益でした。容貌もKの方が女に好かれるように見えました。性質も私のようにこせこせしていないところが、異性には気に入るだろうと思われました。どこか間が抜けていて、それでどこかに確かりした男らしいところのある点も、私よりは優勢に見えました。学力になれば専門こそ違いますが、私は無論Kの敵でないと自覚していました。――すべて向うの好いところだけがこう一度に眼先へ散らつき出すと、ちょっと安心した私はすぐ元の不安に立ち返るのです。  Kは落ち付かない私の様子を見て、厭ならひとまず東京へ帰ってもいいといったのですが、そういわれると、私は急に帰りたくなくなりました。実はKを東京へ帰したくなかったのかも知れません。二人は房州の鼻を廻って向う側へ出ました。我々は暑い日に射られながら、苦しい思いをして、上総のそこ一里に騙されながら、うんうん歩きました。私にはそうして歩いている意味がまるで解らなかったくらいです。私は冗談半分Kにそういいました。するとKは足があるから歩くのだと答えました。そうして暑くなると、海に入って行こうといって、どこでも構わず潮へ漬りました。その後をまた強い日で照り付けられるのですから、身体が倦怠くてぐたぐたになりました。 三十 「こんな風にして歩いていると、暑さと疲労とで自然|身体の調子が狂って来るものです。もっとも病気とは違います。急に他の身体の中へ、自分の霊魂が宿替をしたような気分になるのです。私は平生の通りKと口を利きながら、どこかで平生の心持と離れるようになりました。彼に対する親しみも憎しみも、旅中限りという特別な性質を帯びる風になったのです。つまり二人は暑さのため、潮のため、また歩行のため、在来と異なった新しい関係に入る事ができたのでしょう。その時の我々はあたかも道づれになった行商のようなものでした。いくら話をしてもいつもと違って、頭を使う込み入った問題には触れませんでした。  我々はこの調子でとうとう銚子まで行ったのですが、道中たった一つの例外があったのを今に忘れる事ができないのです。まだ房州を離れない前、二人は小湊という所で、鯛の浦を見物しました。もう年数もよほど経っていますし、それに私にはそれほど興味のない事ですから、判然とは覚えていませんが、何でもそこは日蓮の生れた村だとかいう話でした。日蓮の生れた日に、鯛が二|尾磯に打ち上げられていたとかいう言伝えになっているのです。それ以来村の漁師が鯛をとる事を遠慮して今に至ったのだから、浦には鯛が沢山いるのです。我々は小舟を傭って、その鯛をわざわざ見に出掛けたのです。  その時私はただ一図に波を見ていました。そうしてその波の中に動く少し紫がかった鯛の色を、面白い現象の一つとして飽かず眺めました。しかしKは私ほどそれに興味をもち得なかったものとみえます。彼は鯛よりもかえって日蓮の方を頭の中で想像していたらしいのです。ちょうどそこに誕生寺という寺がありました。日蓮の生れた村だから誕生寺とでも名を付けたものでしょう、立派な伽藍でした。Kはその寺に行って住持に会ってみるといい出しました。実をいうと、我々はずいぶん変な服装をしていたのです。ことにKは風のために帽子を海に吹き飛ばされた結果、菅笠を買って被っていました。着物は固より双方とも垢じみた上に汗で臭くなっていました。私は坊さんなどに会うのは止そうといいました。Kは強情だから聞きません。厭なら私だけ外に待っていろというのです。私は仕方がないからいっしょに玄関にかかりましたが、心のうちではきっと断られるに違いないと思っていました。ところが坊さんというものは案外|丁寧なもので、広い立派な座敷へ私たちを通して、すぐ会ってくれました。その時分の私はKと大分考えが違っていましたから、坊さんとKの談話にそれほど耳を傾ける気も起りませんでしたが、Kはしきりに日蓮の事を聞いていたようです。日蓮は草日蓮といわれるくらいで、草書が大変上手であったと坊さんがいった時、字の拙いKは、何だ下らないという顔をしたのを私はまだ覚えています。Kはそんな事よりも、もっと深い意味の日蓮が知りたかったのでしょう。坊さんがその点でKを満足させたかどうかは疑問ですが、彼は寺の境内を出ると、しきりに私に向って日蓮の事を云々し出しました。私は暑くて草臥れて、それどころではありませんでしたから、ただ口の先で好い加減な挨拶をしていました。それも面倒になってしまいには全く黙ってしまったのです。  たしかその翌る晩の事だと思いますが、二人は宿へ着いて飯を食って、もう寝ようという少し前になってから、急にむずかしい問題を論じ合い出しました。Kは昨日自分の方から話しかけた日蓮の事について、私が取り合わなかったのを、快く思っていなかったのです。精神的に向上心がないものは馬鹿だといって、何だか私をさも軽薄もののようにやり込めるのです。ところが私の胸にはお嬢さんの事が蟠っていますから、彼の侮蔑に近い言葉をただ笑って受け取る訳にいきません。私は私で弁解を始めたのです。 三十一 「その時私はしきりに人間らしいという言葉を使いました。Kはこの人間らしいという言葉のうちに、私が自分の弱点のすべてを隠しているというのです。なるほど後から考えれば、Kのいう通りでした。しかし人間らしくない意味をKに納得させるためにその言葉を使い出した私には、出立点がすでに反抗的でしたから、それを反省するような余裕はありません。私はなおの事自説を主張しました。するとKが彼のどこをつらまえて人間らしくないというのかと私に聞くのです。私は彼に告げました。――君は人間らしいのだ。あるいは人間らし過ぎるかも知れないのだ。けれども口の先だけでは人間らしくないような事をいうのだ。また人間らしくないように振舞おうとするのだ。  私がこういった時、彼はただ自分の修養が足りないから、他にはそう見えるかも知れないと答えただけで、一向私を反駁しようとしませんでした。私は張合いが抜けたというよりも、かえって気の毒になりました。私はすぐ議論をそこで切り上げました。彼の調子もだんだん沈んで来ました。もし私が彼の知っている通り昔の人を知るならば、そんな攻撃はしないだろうといって悵然としていました。Kの口にした昔の人とは、無論英雄でもなければ豪傑でもないのです。霊のために肉を虐げたり、道のために体を鞭うったりしたいわゆる難行苦行の人を指すのです。Kは私に、彼がどのくらいそのために苦しんでいるか解らないのが、いかにも残念だと明言しました。  Kと私とはそれぎり寝てしまいました。そうしてその翌る日からまた普通の行商の態度に返って、うんうん汗を流しながら歩き出したのです。しかし私は路々その晩の事をひょいひょいと思い出しました。私にはこの上もない好い機会が与えられたのに、知らない振りをしてなぜそれをやり過ごしたのだろうという悔恨の念が燃えたのです。私は人間らしいという抽象的な言葉を用いる代りに、もっと直截で簡単な話をKに打ち明けてしまえば好かったと思い出したのです。実をいうと、私がそんな言葉を創造したのも、お嬢さんに対する私の感情が土台になっていたのですから、事実を蒸溜して拵えた理論などをKの耳に吹き込むよりも、原の形そのままを彼の眼の前に露出した方が、私にはたしかに利益だったでしょう。私にそれができなかったのは、学問の交際が基調を構成している二人の親しみに、自から一種の惰性があったため、思い切ってそれを突き破るだけの勇気が私に欠けていたのだという事をここに自白します。気取り過ぎたといっても、虚栄心が祟ったといっても同じでしょうが、私のいう気取るとか虚栄とかいう意味は、普通のとは少し違います。それがあなたに通じさえすれば、私は満足なのです。  我々は真黒になって東京へ帰りました。帰った時は私の気分がまた変っていました。人間らしいとか、人間らしくないとかいう小理屈はほとんど頭の中に残っていませんでした。Kにも宗教家らしい様子が全く見えなくなりました。おそらく彼の心のどこにも霊がどうの肉がどうのという問題は、その時宿っていなかったでしょう。二人は異人種のような顔をして、忙しそうに見える東京をぐるぐる眺めました。それから両国へ来て、暑いのに軍鶏を食いました。Kはその勢いで小石川まで歩いて帰ろうというのです。体力からいえばKよりも私の方が強いのですから、私はすぐ応じました。  宅へ着いた時、奥さんは二人の姿を見て驚きました。二人はただ色が黒くなったばかりでなく、むやみに歩いていたうちに大変|瘠せてしまったのです。奥さんはそれでも丈夫そうになったといって賞めてくれるのです。お嬢さんは奥さんの矛盾がおかしいといってまた笑い出しました。旅行前時々腹の立った私も、その時だけは愉快な心持がしました。場合が場合なのと、久しぶりに聞いたせいでしょう。 三十二 「それのみならず私はお嬢さんの態度の少し前と変っているのに気が付きました。久しぶりで旅から帰った私たちが平生の通り落ち付くまでには、万事について女の手が必要だったのですが、その世話をしてくれる奥さんはとにかく、お嬢さんがすべて私の方を先にして、Kを後廻しにするように見えたのです。それを露骨にやられては、私も迷惑したかもしれません。場合によってはかえって不快の念さえ起しかねなかったろうと思うのですが、お嬢さんの所作はその点で甚だ要領を得ていたから、私は嬉しかったのです。つまりお嬢さんは私だけに解るように、持前の親切を余分に私の方へ割り宛ててくれたのです。だからKは別に厭な顔もせずに平気でいました。私は心の中でひそかに彼に対する※歌を奏しました。  やがて夏も過ぎて九月の中頃から我々はまた学校の課業に出席しなければならない事になりました。Kと私とは各自の時間の都合で出入りの刻限にまた遅速ができてきました。私がKより後れて帰る時は一週に三度ほどありましたが、いつ帰ってもお嬢さんの影をKの室に認める事はないようになりました。Kは例の眼を私の方に向けて、「今帰ったのか」を規則のごとく繰り返しました。私の会釈もほとんど器械のごとく簡単でかつ無意味でした。  たしか十月の中頃と思います。私は寝坊をした結果、日本服のまま急いで学校へ出た事があります。穿物も編上などを結んでいる時間が惜しいので、草履を突っかけたなり飛び出したのです。その日は時間割からいうと、Kよりも私の方が先へ帰るはずになっていました。私は戻って来ると、そのつもりで玄関の格子をがらりと開けたのです。するといないと思っていたKの声がひょいと聞こえました。同時にお嬢さんの笑い声が私の耳に響きました。私はいつものように手数のかかる靴を穿いていないから、すぐ玄関に上がって仕切の襖を開けました。私は例の通り机の前に坐っているKを見ました。しかしお嬢さんはもうそこにはいなかったのです。私はあたかもKの室から逃れ出るように去るその後姿をちらりと認めただけでした。私はKにどうして早く帰ったのかと問いました。Kは心持が悪いから休んだのだと答えました。私が自分の室にはいってそのまま坐っていると、間もなくお嬢さんが茶を持って来てくれました。その時お嬢さんは始めてお帰りといって私に挨拶をしました。私は笑いながらさっきはなぜ逃げたんですと聞けるような捌けた男ではありません。それでいて腹の中では何だかその事が気にかかるような人間だったのです。お嬢さんはすぐ座を立って縁側伝いに向うへ行ってしまいました。しかしKの室の前に立ち留まって、二言三言内と外とで話をしていました。それは先刻の続きらしかったのですが、前を聞かない私にはまるで解りませんでした。  そのうちお嬢さんの態度がだんだん平気になって来ました。Kと私がいっしょに宅にいる時でも、よくKの室の縁側へ来て彼の名を呼びました。そうしてそこへ入って、ゆっくりしていました。無論郵便を持って来る事もあるし、洗濯物を置いてゆく事もあるのですから、そのくらいの交通は同じ宅にいる二人の関係上、当然と見なければならないのでしょうが、ぜひお嬢さんを専有したいという強烈な一念に動かされている私には、どうしてもそれが当然以上に見えたのです。ある時はお嬢さんがわざわざ私の室へ来るのを回避して、Kの方ばかりへ行くように思われる事さえあったくらいです。それならなぜKに宅を出てもらわないのかとあなたは聞くでしょう。しかしそうすれば私がKを無理に引張って来た主意が立たなくなるだけです。私にはそれができないのです。 三十三 「十一月の寒い雨の降る日の事でした。私は外套を濡らして例の通り蒟蒻閻魔を抜けて細い坂路を上って宅へ帰りました。Kの室は空虚でしたけれども、火鉢には継ぎたての火が暖かそうに燃えていました。私も冷たい手を早く赤い炭の上に翳そうと思って、急いで自分の室の仕切りを開けました。すると私の火鉢には冷たい灰が白く残っているだけで、火種さえ尽きているのです。私は急に不愉快になりました。  その時私の足音を聞いて出て来たのは、奥さんでした。奥さんは黙って室の真中に立っている私を見て、気の毒そうに外套を脱がせてくれたり、日本服を着せてくれたりしました。それから私が寒いというのを聞いて、すぐ次の間からKの火鉢を持って来てくれました。私がKはもう帰ったのかと聞きましたら、奥さんは帰ってまた出たと答えました。その日もKは私より後れて帰る時間割だったのですから、私はどうした訳かと思いました。奥さんは大方用事でもできたのだろうといっていました。  私はしばらくそこに坐ったまま書見をしました。宅の中がしんと静まって、誰の話し声も聞こえないうちに、初冬の寒さと佗びしさとが、私の身体に食い込むような感じがしました。私はすぐ書物を伏せて立ち上りました。私はふと賑やかな所へ行きたくなったのです。雨はやっと歇ったようですが、空はまだ冷たい鉛のように重く見えたので、私は用心のため、蛇の目を肩に担いで、砲兵工廠の裏手の土塀について東へ坂を下りました。その時分はまだ道路の改正ができない頃なので、坂の勾配が今よりもずっと急でした。道幅も狭くて、ああ真直ではなかったのです。その上あの谷へ下りると、南が高い建物で塞がっているのと、放水がよくないのとで、往来はどろどろでした。ことに細い石橋を渡って柳町の通りへ出る間が非道かったのです。足駄でも長靴でもむやみに歩く訳にはゆきません。誰でも路の真中に自然と細長く泥が掻き分けられた所を、後生大事に辿って行かなければならないのです。その幅は僅か一、二|尺しかないのですから、手もなく往来に敷いてある帯の上を踏んで向うへ越すのと同じ事です。行く人はみんな一列になってそろそろ通り抜けます。私はこの細帯の上で、はたりとKに出合いました。足の方にばかり気を取られていた私は、彼と向き合うまで、彼の存在にまるで気が付かずにいたのです。私は不意に自分の前が塞がったので偶然眼を上げた時、始めてそこに立っているKを認めたのです。私はKにどこへ行ったのかと聞きました。Kはちょっとそこまでといったぎりでした。彼の答えはいつもの通りふんという調子でした。Kと私は細い帯の上で身体を替せました。するとKのすぐ後ろに一人の若い女が立っているのが見えました。近眼の私には、今までそれがよく分らなかったのですが、Kをやり越した後で、その女の顔を見ると、それが宅のお嬢さんだったので、私は少なからず驚きました。お嬢さんは心持薄赤い顔をして、私に挨拶をしました。その時分の束髪は今と違って廂が出ていないのです、そうして頭の真中に蛇のようにぐるぐる巻きつけてあったものです。私はぼんやりお嬢さんの頭を見ていましたが、次の瞬間に、どっちか路を譲らなければならないのだという事に気が付きました。私は思い切ってどろどろの中へ片足|踏ん込みました。そうして比較的通りやすい所を空けて、お嬢さんを渡してやりました。  それから柳町の通りへ出た私はどこへ行って好いか自分にも分らなくなりました。どこへ行っても面白くないような心持がするのです。私は飛泥の上がるのも構わずに、糠る海の中を自暴にどしどし歩きました。それから直ぐ宅へ帰って来ました。 三十四 「私はKに向ってお嬢さんといっしょに出たのかと聞きました。Kはそうではないと答えました。真砂町で偶然出会ったから連れ立って帰って来たのだと説明しました。私はそれ以上に立ち入った質問を控えなければなりませんでした。しかし食事の時、またお嬢さんに向って、同じ問いを掛けたくなりました。するとお嬢さんは私の嫌いな例の笑い方をするのです。そうしてどこへ行ったか中ててみろとしまいにいうのです。その頃の私はまだ癇癪持ちでしたから、そう不真面目に若い女から取り扱われると腹が立ちました。ところがそこに気の付くのは、同じ食卓に着いているもののうちで奥さん一人だったのです。Kはむしろ平気でした。お嬢さんの態度になると、知ってわざとやるのか、知らないで無邪気にやるのか、そこの区別がちょっと判然しない点がありました。若い女としてお嬢さんは思慮に富んだ方でしたけれども、その若い女に共通な私の嫌いなところも、あると思えば思えなくもなかったのです。そうしてその嫌いなところは、Kが宅へ来てから、始めて私の眼に着き出したのです。私はそれをKに対する私の嫉妬に帰していいものか、または私に対するお嬢さんの技巧と見傚してしかるべきものか、ちょっと分別に迷いました。私は今でも決してその時の私の嫉妬心を打ち消す気はありません。私はたびたび繰り返した通り、愛の裏面にこの感情の働きを明らかに意識していたのですから。しかも傍のものから見ると、ほとんど取るに足りない瑣事に、この感情がきっと首を持ち上げたがるのでしたから。これは余事ですが、こういう嫉妬は愛の半面じゃないでしょうか。私は結婚してから、この感情がだんだん薄らいで行くのを自覚しました。その代り愛情の方も決して元のように猛烈ではないのです。  私はそれまで躊躇していた自分の心を、一思いに相手の胸へ擲き付けようかと考え出しました。私の相手というのはお嬢さんではありません、奥さんの事です。奥さんにお嬢さんを呉れろと明白な談判を開こうかと考えたのです。しかしそう決心しながら、一日一日と私は断行の日を延ばして行ったのです。そういうと私はいかにも優柔な男のように見えます、また見えても構いませんが、実際私の進みかねたのは、意志の力に不足があったためではありません。Kの来ないうちは、他の手に乗るのが厭だという我慢が私を抑え付けて、一歩も動けないようにしていました。Kの来た後は、もしかするとお嬢さんがKの方に意があるのではなかろうかという疑念が絶えず私を制するようになったのです。はたしてお嬢さんが私よりもKに心を傾けているならば、この恋は口へいい出す価値のないものと私は決心していたのです。恥を掻かせられるのが辛いなどというのとは少し訳が違います。こっちでいくら思っても、向うが内心|他の人に愛の眼を注いでいるならば、私はそんな女といっしょになるのは厭なのです。世の中では否応なしに自分の好いた女を嫁に貰って嬉しがっている人もありますが、それは私たちよりよっぽど世間ずれのした男か、さもなければ愛の心理がよく呑み込めない鈍物のする事と、当時の私は考えていたのです。一度貰ってしまえばどうかこうか落ち付くものだぐらいの哲理では、承知する事ができないくらい私は熱していました。つまり私は極めて高尚な愛の理論家だったのです。同時にもっとも迂遠な愛の実際家だったのです。  肝心のお嬢さんに、直接この私というものを打ち明ける機会も、長くいっしょにいるうちには時々出て来たのですが、私はわざとそれを避けました。日本の習慣として、そういう事は許されていないのだという自覚が、その頃の私には強くありました。しかし決してそればかりが私を束縛したとはいえません。日本人、ことに日本の若い女は、そんな場合に、相手に気兼なく自分の思った通りを遠慮せずに口にするだけの勇気に乏しいものと私は見込んでいたのです。 三十五 「こんな訳で私はどちらの方面へ向っても進む事ができずに立ち竦んでいました。身体の悪い時に午睡などをすると、眼だけ覚めて周囲のものが判然見えるのに、どうしても手足の動かせない場合がありましょう。私は時としてああいう苦しみを人知れず感じたのです。  その内年が暮れて春になりました。ある日奥さんがKに歌留多をやるから誰か友達を連れて来ないかといった事があります。するとKはすぐ友達なぞは一人もないと答えたので、奥さんは驚いてしまいました。なるほどKに友達というほどの友達は一人もなかったのです。往来で会った時|挨拶をするくらいのものは多少ありましたが、それらだって決して歌留多などを取る柄ではなかったのです。奥さんはそれじゃ私の知ったものでも呼んで来たらどうかといい直しましたが、私も生憎そんな陽気な遊びをする心持になれないので、好い加減な生返事をしたなり、打ちやっておきました。ところが晩になってKと私はとうとうお嬢さんに引っ張り出されてしまいました。客も誰も来ないのに、内々の小人数だけで取ろうという歌留多ですからすこぶる静かなものでした。その上こういう遊技をやり付けないKは、まるで懐手をしている人と同様でした。私はKに一体|百人一首の歌を知っているのかと尋ねました。Kはよく知らないと答えました。私の言葉を聞いたお嬢さんは、大方Kを軽蔑するとでも取ったのでしょう。それから眼に立つようにKの加勢をし出しました。しまいには二人がほとんど組になって私に当るという有様になって来ました。私は相手次第では喧嘩を始めたかも知れなかったのです。幸いにKの態度は少しも最初と変りませんでした。彼のどこにも得意らしい様子を認めなかった私は、無事にその場を切り上げる事ができました。  それから二、三日|経った後の事でしたろう、奥さんとお嬢さんは朝から市ヶ谷にいる親類の所へ行くといって宅を出ました。Kも私もまだ学校の始まらない頃でしたから、留守居同様あとに残っていました。私は書物を読むのも散歩に出るのも厭だったので、ただ漠然と火鉢の縁に肱を載せて凝と顋を支えたなり考えていました。隣の室にいるKも一向音を立てませんでした。双方ともいるのだかいないのだか分らないくらい静かでした。もっともこういう事は、二人の間柄として別に珍しくも何ともなかったのですから、私は別段それを気にも留めませんでした。  十時頃になって、Kは不意に仕切りの襖を開けて私と顔を見合せました。彼は敷居の上に立ったまま、私に何を考えていると聞きました。私はもとより何も考えていなかったのです。もし考えていたとすれば、いつもの通りお嬢さんが問題だったかも知れません。そのお嬢さんには無論奥さんも食っ付いていますが、近頃ではK自身が切り離すべからざる人のように、私の頭の中をぐるぐる回って、この問題を複雑にしているのです。Kと顔を見合せた私は、今まで朧気に彼を一種の邪魔ものの如く意識していながら、明らかにそうと答える訳にいかなかったのです。私は依然として彼の顔を見て黙っていました。するとKの方からつかつかと私の座敷へ入って来て、私のあたっている火鉢の前に坐りました。私はすぐ両肱を火鉢の縁から取り除けて、心持それをKの方へ押しやるようにしました。  Kはいつもに似合わない話を始めました。奥さんとお嬢さんは市ヶ谷のどこへ行ったのだろうというのです。私は大方|叔母さんの所だろうと答えました。Kはその叔母さんは何だとまた聞きます。私はやはり軍人の細君だと教えてやりました。すると女の年始は大抵十五日|過だのに、なぜそんなに早く出掛けたのだろうと質問するのです。私はなぜだか知らないと挨拶するより外に仕方がありませんでした。 三十六 「Kはなかなか奥さんとお嬢さんの話を已めませんでした。しまいには私も答えられないような立ち入った事まで聞くのです。私は面倒よりも不思議の感に打たれました。以前私の方から二人を問題にして話しかけた時の彼を思い出すと、私はどうしても彼の調子の変っているところに気が付かずにはいられないのです。私はとうとうなぜ今日に限ってそんな事ばかりいうのかと彼に尋ねました。その時彼は突然黙りました。しかし私は彼の結んだ口元の肉が顫えるように動いているのを注視しました。彼は元来無口な男でした。平生から何かいおうとすると、いう前によく口のあたりをもぐもぐさせる癖がありました。彼の唇がわざと彼の意志に反抗するように容易く開かないところに、彼の言葉の重みも籠っていたのでしょう。一旦声が口を破って出るとなると、その声には普通の人よりも倍の強い力がありました。  彼の口元をちょっと眺めた時、私はまた何か出て来るなとすぐ疳付いたのですが、それがはたして何の準備なのか、私の予覚はまるでなかったのです。だから驚いたのです。彼の重々しい口から、彼のお嬢さんに対する切ない恋を打ち明けられた時の私を想像してみて下さい。私は彼の魔法棒のために一度に化石されたようなものです。口をもぐもぐさせる働きさえ、私にはなくなってしまったのです。  その時の私は恐ろしさの塊りといいましょうか、または苦しさの塊りといいましょうか、何しろ一つの塊りでした。石か鉄のように頭から足の先までが急に固くなったのです。呼吸をする弾力性さえ失われたくらいに堅くなったのです。幸いな事にその状態は長く続きませんでした。私は一瞬間の後に、また人間らしい気分を取り戻しました。そうして、すぐ失策ったと思いました。先を越されたなと思いました。  しかしその先をどうしようという分別はまるで起りません。恐らく起るだけの余裕がなかったのでしょう。私は腋の下から出る気味のわるい汗が襯衣に滲み透るのを凝と我慢して動かずにいました。Kはその間いつもの通り重い口を切っては、ぽつりぽつりと自分の心を打ち明けてゆきます。私は苦しくって堪りませんでした。おそらくその苦しさは、大きな広告のように、私の顔の上に判然りした字で貼り付けられてあったろうと私は思うのです。いくらKでもそこに気の付かないはずはないのですが、彼はまた彼で、自分の事に一切を集中しているから、私の表情などに注意する暇がなかったのでしょう。彼の自白は最初から最後まで同じ調子で貫いていました。重くて鈍い代りに、とても容易な事では動かせないという感じを私に与えたのです。私の心は半分その自白を聞いていながら、半分どうしようどうしようという念に絶えず掻き乱されていましたから、細かい点になるとほとんど耳へ入らないと同様でしたが、それでも彼の口に出す言葉の調子だけは強く胸に響きました。そのために私は前いった苦痛ばかりでなく、ときには一種の恐ろしさを感ずるようになったのです。つまり相手は自分より強いのだという恐怖の念が萌し始めたのです。  Kの話が一通り済んだ時、私は何ともいう事ができませんでした。こっちも彼の前に同じ意味の自白をしたものだろうか、それとも打ち明けずにいる方が得策だろうか、私はそんな利害を考えて黙っていたのではありません。ただ何事もいえなかったのです。またいう気にもならなかったのです。  午食の時、Kと私は向い合せに席を占めました。下女に給仕をしてもらって、私はいつにない不味い飯を済ませました。二人は食事中もほとんど口を利きませんでした。奥さんとお嬢さんはいつ帰るのだか分りませんでした。 三十七 「二人は各自の室に引き取ったぎり顔を合わせませんでした。Kの静かな事は朝と同じでした。私も凝と考え込んでいました。  私は当然自分の心をKに打ち明けるべきはずだと思いました。しかしそれにはもう時機が後れてしまったという気も起りました。なぜ先刻Kの言葉を遮って、こっちから逆襲しなかったのか、そこが非常な手落りのように見えて来ました。せめてKの後に続いて、自分は自分の思う通りをその場で話してしまったら、まだ好かったろうにとも考えました。Kの自白に一段落が付いた今となって、こっちからまた同じ事を切り出すのは、どう思案しても変でした。私はこの不自然に打ち勝つ方法を知らなかったのです。私の頭は悔恨に揺られてぐらぐらしました。  私はKが再び仕切りの襖を開けて向うから突進してきてくれれば好いと思いました。私にいわせれば、先刻はまるで不意撃に会ったも同じでした。私にはKに応ずる準備も何もなかったのです。私は午前に失ったものを、今度は取り戻そうという下心を持っていました。それで時々眼を上げて、襖を眺めました。しかしその襖はいつまで経っても開きません。そうしてKは永久に静かなのです。  その内私の頭は段々この静かさに掻き乱されるようになって来ました。Kは今襖の向うで何を考えているだろうと思うと、それが気になって堪らないのです。不断もこんな風にお互いが仕切一枚を間に置いて黙り合っている場合は始終あったのですが、私はKが静かであればあるほど、彼の存在を忘れるのが普通の状態だったのですから、その時の私はよほど調子が狂っていたものと見なければなりません。それでいて私はこっちから進んで襖を開ける事ができなかったのです。一旦いいそびれた私は、また向うから働き掛けられる時機を待つより外に仕方がなかったのです。  しまいに私は凝としておられなくなりました。無理に凝としていれば、Kの部屋へ飛び込みたくなるのです。私は仕方なしに立って縁側へ出ました。そこから茶の間へ来て、何という目的もなく、鉄瓶の湯を湯呑に注で一杯呑みました。それから玄関へ出ました。私はわざとKの室を回避するようにして、こんな風に自分を往来の真中に見出したのです。私には無論どこへ行くという的もありません。ただ凝としていられないだけでした。それで方角も何も構わずに、正月の町を、むやみに歩き廻ったのです。私の頭はいくら歩いてもKの事でいっぱいになっていました。私もKを振い落す気で歩き廻る訳ではなかったのです。むしろ自分から進んで彼の姿を咀嚼しながらうろついていたのです。  私には第一に彼が解しがたい男のように見えました。どうしてあんな事を突然私に打ち明けたのか、またどうして打ち明けなければいられないほどに、彼の恋が募って来たのか、そうして平生の彼はどこに吹き飛ばされてしまったのか、すべて私には解しにくい問題でした。私は彼の強い事を知っていました。また彼の真面目な事を知っていました。私はこれから私の取るべき態度を決する前に、彼について聞かなければならない多くをもっていると信じました。同時にこれからさき彼を相手にするのが変に気味が悪かったのです。私は夢中に町の中を歩きながら、自分の室に凝と坐っている彼の容貌を始終眼の前に描き出しました。しかもいくら私が歩いても彼を動かす事は到底できないのだという声がどこかで聞こえるのです。つまり私には彼が一種の魔物のように思えたからでしょう。私は永久彼に祟られたのではなかろうかという気さえしました。  私が疲れて宅へ帰った時、彼の室は依然として人気のないように静かでした。 三十八 「私が家へはいると間もなく俥の音が聞こえました。今のように護謨輪のない時分でしたから、がらがらいう厭な響きがかなりの距離でも耳に立つのです。車はやがて門前で留まりました。  私が夕飯に呼び出されたのは、それから三十分ばかり経った後の事でしたが、まだ奥さんとお嬢さんの晴着が脱ぎ棄てられたまま、次の室を乱雑に彩っていました。二人は遅くなると私たちに済まないというので、飯の支度に間に合うように、急いで帰って来たのだそうです。しかし奥さんの親切はKと私とに取ってほとんど無効も同じ事でした。私は食卓に坐りながら、言葉を惜しがる人のように、素気ない挨拶ばかりしていました。Kは私よりもなお寡言でした。たまに親子連で外出した女二人の気分が、また平生よりは勝れて晴れやかだったので、我々の態度はなおの事眼に付きます。奥さんは私にどうかしたのかと聞きました。私は少し心持が悪いと答えました。実際私は心持が悪かったのです。すると今度はお嬢さんがKに同じ問いを掛けました。Kは私のように心持が悪いとは答えません。ただ口が利きたくないからだといいました。お嬢さんはなぜ口が利きたくないのかと追窮しました。私はその時ふと重たい瞼を上げてKの顔を見ました。私にはKが何と答えるだろうかという好奇心があったのです。Kの唇は例のように少し顫えていました。それが知らない人から見ると、まるで返事に迷っているとしか思われないのです。お嬢さんは笑いながらまた何かむずかしい事を考えているのだろうといいました。Kの顔は心持薄赤くなりました。  その晩私はいつもより早く床へ入りました。私が食事の時気分が悪いといったのを気にして、奥さんは十時頃|蕎麦湯を持って来てくれました。しかし私の室はもう真暗でした。奥さんはおやおやといって、仕切りの襖を細目に開けました。洋燈の光がKの机から斜めにぼんやりと私の室に差し込みました。Kはまだ起きていたものとみえます。奥さんは枕元に坐って、大方風邪を引いたのだろうから身体を暖ためるがいいといって、湯呑を顔の傍へ突き付けるのです。私はやむをえず、どろどろした蕎麦湯を奥さんの見ている前で飲みました。  私は遅くなるまで暗いなかで考えていました。無論一つ問題をぐるぐる廻転させるだけで、外に何の効力もなかったのです。私は突然Kが今隣りの室で何をしているだろうと思い出しました。私は半ば無意識においと声を掛けました。すると向うでもおいと返事をしました。Kもまだ起きていたのです。私はまだ寝ないのかと襖ごしに聞きました。もう寝るという簡単な挨拶がありました。何をしているのだと私は重ねて問いました。今度はKの答えがありません。その代り五、六分経ったと思う頃に、押入をがらりと開けて、床を延べる音が手に取るように聞こえました。私はもう何時かとまた尋ねました。Kは一時二十分だと答えました。やがて洋燈をふっと吹き消す音がして、家中が真暗なうちに、しんと静まりました。  しかし私の眼はその暗いなかでいよいよ冴えて来るばかりです。私はまた半ば無意識な状態で、おいとKに声を掛けました。Kも以前と同じような調子で、おいと答えました。私は今朝彼から聞いた事について、もっと詳しい話をしたいが、彼の都合はどうだと、とうとうこっちから切り出しました。私は無論|襖越にそんな談話を交換する気はなかったのですが、Kの返答だけは即坐に得られる事と考えたのです。ところがKは先刻から二度おいと呼ばれて、二度おいと答えたような素直な調子で、今度は応じません。そうだなあと低い声で渋っています。私はまたはっと思わせられました。 三十九 「Kの生返事は翌日になっても、その翌日になっても、彼の態度によく現われていました。彼は自分から進んで例の問題に触れようとする気色を決して見せませんでした。もっとも機会もなかったのです。奥さんとお嬢さんが揃って一日|宅を空けでもしなければ、二人はゆっくり落ち付いて、そういう事を話し合う訳にも行かないのですから。私はそれをよく心得ていました。心得ていながら、変にいらいらし出すのです。その結果始めは向うから来るのを待つつもりで、暗に用意をしていた私が、折があったらこっちで口を切ろうと決心するようになったのです。  同時に私は黙って家のものの様子を観察して見ました。しかし奥さんの態度にもお嬢さんの素振にも、別に平生と変った点はありませんでした。Kの自白以前と自白以後とで、彼らの挙動にこれという差違が生じないならば、彼の自白は単に私だけに限られた自白で、肝心の本人にも、またその監督者たる奥さんにも、まだ通じていないのは慥かでした。そう考えた時私は少し安心しました。それで無理に機会を拵えて、わざとらしく話を持ち出すよりは、自然の与えてくれるものを取り逃さないようにする方が好かろうと思って、例の問題にはしばらく手を着けずにそっとしておく事にしました。  こういってしまえば大変簡単に聞こえますが、そうした心の経過には、潮の満干と同じように、色々の高低があったのです。私はKの動かない様子を見て、それにさまざまの意味を付け加えました。奥さんとお嬢さんの言語動作を観察して、二人の心がはたしてそこに現われている通りなのだろうかと疑ってもみました。そうして人間の胸の中に装置された複雑な器械が、時計の針のように、明瞭に偽りなく、盤上の数字を指し得るものだろうかと考えました。要するに私は同じ事をこうも取り、ああも取りした揚句、漸くここに落ち付いたものと思って下さい。更にむずかしくいえば、落ち付くなどという言葉は、この際決して使われた義理でなかったのかも知れません。  その内学校がまた始まりました。私たちは時間の同じ日には連れ立って宅を出ます。都合がよければ帰る時にもやはりいっしょに帰りました。外部から見たKと私は、何にも前と違ったところがないように親しくなったのです。けれども腹の中では、各自に各自の事を勝手に考えていたに違いありません。ある日私は突然往来でKに肉薄しました。私が第一に聞いたのは、この間の自白が私だけに限られているか、または奥さんやお嬢さんにも通じているかの点にあったのです。私のこれから取るべき態度は、この問いに対する彼の答え次第で極めなければならないと、私は思ったのです。すると彼は外の人にはまだ誰にも打ち明けていないと明言しました。私は事情が自分の推察通りだったので、内心|嬉しがりました。私はKの私より横着なのをよく知っていました。彼の度胸にも敵わないという自覚があったのです。けれども一方ではまた妙に彼を信じていました。学資の事で養家を三年も欺いていた彼ですけれども、彼の信用は私に対して少しも損われていなかったのです。私はそれがためにかえって彼を信じ出したくらいです。だからいくら疑い深い私でも、明白な彼の答えを腹の中で否定する気は起りようがなかったのです。  私はまた彼に向って、彼の恋をどう取り扱うつもりかと尋ねました。それが単なる自白に過ぎないのか、またはその自白についで、実際的の効果をも収める気なのかと問うたのです。しかるに彼はそこになると、何にも答えません。黙って下を向いて歩き出します。私は彼に隠し立てをしてくれるな、すべて思った通りを話してくれと頼みました。彼は何も私に隠す必要はないと判然断言しました。しかし私の知ろうとする点には、一言の返事も与えないのです。私も往来だからわざわざ立ち留まって底まで突き留める訳にいきません。ついそれなりにしてしまいました。 四十 「ある日私は久しぶりに学校の図書館に入りました。私は広い机の片隅で窓から射す光線を半身に受けながら、新着の外国雑誌を、あちらこちらと引っ繰り返して見ていました。私は担任教師から専攻の学科に関して、次の週までにある事項を調べて来いと命ぜられたのです。しかし私に必要な事柄がなかなか見付からないので、私は二度も三度も雑誌を借り替えなければなりませんでした。最後に私はやっと自分に必要な論文を探し出して、一心にそれを読み出しました。すると突然幅の広い机の向う側から小さな声で私の名を呼ぶものがあります。私はふと眼を上げてそこに立っているKを見ました。Kはその上半身を机の上に折り曲げるようにして、彼の顔を私に近付けました。ご承知の通り図書館では他の人の邪魔になるような大きな声で話をする訳にゆかないのですから、Kのこの所作は誰でもやる普通の事なのですが、私はその時に限って、一種変な心持がしました。  Kは低い声で勉強かと聞きました。私はちょっと調べものがあるのだと答えました。それでもKはまだその顔を私から放しません。同じ低い調子でいっしょに散歩をしないかというのです。私は少し待っていればしてもいいと答えました。彼は待っているといったまま、すぐ私の前の空席に腰をおろしました。すると私は気が散って急に雑誌が読めなくなりました。何だかKの胸に一物があって、談判でもしに来られたように思われて仕方がないのです。私はやむをえず読みかけた雑誌を伏せて、立ち上がろうとしました。Kは落ち付き払ってもう済んだのかと聞きます。私はどうでもいいのだと答えて、雑誌を返すと共に、Kと図書館を出ました。  二人は別に行く所もなかったので、竜岡町から池の端へ出て、上野の公園の中へ入りました。その時彼は例の事件について、突然向うから口を切りました。前後の様子を綜合して考えると、Kはそのために私をわざわざ散歩に引っ張り出したらしいのです。けれども彼の態度はまだ実際的の方面へ向ってちっとも進んでいませんでした。彼は私に向って、ただ漠然と、どう思うというのです。どう思うというのは、そうした恋愛の淵に陥った彼を、どんな眼で私が眺めるかという質問なのです。一言でいうと、彼は現在の自分について、私の批判を求めたいようなのです。そこに私は彼の平生と異なる点を確かに認める事ができたと思いました。たびたび繰り返すようですが、彼の天性は他の思わくを憚かるほど弱くでき上ってはいなかったのです。こうと信じたら一人でどんどん進んで行くだけの度胸もあり勇気もある男なのです。養家事件でその特色を強く胸の裏に彫り付けられた私が、これは様子が違うと明らかに意識したのは当然の結果なのです。  私がKに向って、この際|何んで私の批評が必要なのかと尋ねた時、彼はいつもにも似ない悄然とした口調で、自分の弱い人間であるのが実際恥ずかしいといいました。そうして迷っているから自分で自分が分らなくなってしまったので、私に公平な批評を求めるより外に仕方がないといいました。私は隙かさず迷うという意味を聞き糺しました。彼は進んでいいか退いていいか、それに迷うのだと説明しました。私はすぐ一歩先へ出ました。そうして退こうと思えば退けるのかと彼に聞きました。すると彼の言葉がそこで不意に行き詰りました。彼はただ苦しいといっただけでした。実際彼の表情には苦しそうなところがありありと見えていました。もし相手がお嬢さんでなかったならば、私はどんなに彼に都合のいい返事を、その渇き切った顔の上に慈雨の如く注いでやったか分りません。私はそのくらいの美しい同情をもって生れて来た人間と自分ながら信じています。しかしその時の私は違っていました。 四十一 「私はちょうど他流試合でもする人のようにKを注意して見ていたのです。私は、私の眼、私の心、私の身体、すべて私という名の付くものを五|分の隙間もないように用意して、Kに向ったのです。罪のないKは穴だらけというよりむしろ明け放しと評するのが適当なくらいに無用心でした。私は彼自身の手から、彼の保管している要塞の地図を受け取って、彼の眼の前でゆっくりそれを眺める事ができたも同じでした。  Kが理想と現実の間に彷徨してふらふらしているのを発見した私は、ただ一打で彼を倒す事ができるだろうという点にばかり眼を着けました。そうしてすぐ彼の虚に付け込んだのです。私は彼に向って急に厳粛な改まった態度を示し出しました。無論策略からですが、その態度に相応するくらいな緊張した気分もあったのですから、自分に滑稽だの羞恥だのを感ずる余裕はありませんでした。私はまず「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」といい放ちました。これは二人で房州を旅行している際、Kが私に向って使った言葉です。私は彼の使った通りを、彼と同じような口調で、再び彼に投げ返したのです。しかし決して復讐ではありません。私は復讐以上に残酷な意味をもっていたという事を自白します。私はその一言でKの前に横たわる恋の行手を塞ごうとしたのです。  Kは真宗寺に生れた男でした。しかし彼の傾向は中学時代から決して生家の宗旨に近いものではなかったのです。教義上の区別をよく知らない私が、こんな事をいう資格に乏しいのは承知していますが、私はただ男女に関係した点についてのみ、そう認めていたのです。Kは昔から精進という言葉が好きでした。私はその言葉の中に、禁欲という意味も籠っているのだろうと解釈していました。しかし後で実際を聞いて見ると、それよりもまだ厳重な意味が含まれているので、私は驚きました。道のためにはすべてを犠牲にすべきものだというのが彼の第一信条なのですから、摂欲や禁欲は無論、たとい欲を離れた恋そのものでも道の妨害になるのです。Kが自活生活をしている時分に、私はよく彼から彼の主張を聞かされたのでした。その頃からお嬢さんを思っていた私は、勢いどうしても彼に反対しなければならなかったのです。私が反対すると、彼はいつでも気の毒そうな顔をしました。そこには同情よりも侮蔑の方が余計に現われていました。  こういう過去を二人の間に通り抜けて来ているのですから、精神的に向上心のないものは馬鹿だという言葉は、Kに取って痛いに違いなかったのです。しかし前にもいった通り、私はこの一言で、彼が折角積み上げた過去を蹴散らしたつもりではありません。かえってそれを今まで通り積み重ねて行かせようとしたのです。それが道に達しようが、天に届こうが、私は構いません。私はただKが急に生活の方向を転換して、私の利害と衝突するのを恐れたのです。要するに私の言葉は単なる利己心の発現でした。 「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」  私は二度同じ言葉を繰り返しました。そうして、その言葉がKの上にどう影響するかを見詰めていました。 「馬鹿だ」とやがてKが答えました。「僕は馬鹿だ」  Kはぴたりとそこへ立ち留まったまま動きません。彼は地面の上を見詰めています。私は思わずぎょっとしました。私にはKがその刹那に居直り強盗のごとく感ぜられたのです。しかしそれにしては彼の声がいかにも力に乏しいという事に気が付きました。私は彼の眼遣いを参考にしたかったのですが、彼は最後まで私の顔を見ないのです。そうして、徐々とまた歩き出しました。 四十二 「私はKと並んで足を運ばせながら、彼の口を出る次の言葉を腹の中で暗に待ち受けました。あるいは待ち伏せといった方がまだ適当かも知れません。その時の私はたといKを騙し打ちにしても構わないくらいに思っていたのです。しかし私にも教育相当の良心はありますから、もし誰か私の傍へ来て、お前は卑怯だと一言私語いてくれるものがあったなら、私はその瞬間に、はっと我に立ち帰ったかも知れません。もしKがその人であったなら、私はおそらく彼の前に赤面したでしょう。ただKは私を窘めるには余りに正直でした。余りに単純でした。余りに人格が善良だったのです。目のくらんだ私は、そこに敬意を払う事を忘れて、かえってそこに付け込んだのです。そこを利用して彼を打ち倒そうとしたのです。  Kはしばらくして、私の名を呼んで私の方を見ました。今度は私の方で自然と足を留めました。するとKも留まりました。私はその時やっとKの眼を真向に見る事ができたのです。Kは私より背の高い男でしたから、私は勢い彼の顔を見上げるようにしなければなりません。私はそうした態度で、狼のごとき心を罪のない羊に向けたのです。 「もうその話は止めよう」と彼がいいました。彼の眼にも彼の言葉にも変に悲痛なところがありました。私はちょっと挨拶ができなかったのです。するとKは、「止めてくれ」と今度は頼むようにいい直しました。私はその時彼に向って残酷な答を与えたのです。狼が隙を見て羊の咽喉笛へ食い付くように。 「止めてくれって、僕がいい出した事じゃない、もともと君の方から持ち出した話じゃないか。しかし君が止めたければ、止めてもいいが、ただ口の先で止めたって仕方があるまい。君の心でそれを止めるだけの覚悟がなければ。一体君は君の平生の主張をどうするつもりなのか」  私がこういった時、背の高い彼は自然と私の前に萎縮して小さくなるような感じがしました。彼はいつも話す通り頗る強情な男でしたけれども、一方ではまた人一倍の正直者でしたから、自分の矛盾などをひどく非難される場合には、決して平気でいられない質だったのです。私は彼の様子を見てようやく安心しました。すると彼は卒然「覚悟?」と聞きました。そうして私がまだ何とも答えない先に「覚悟、――覚悟ならない事もない」と付け加えました。彼の調子は独言のようでした。また夢の中の言葉のようでした。  二人はそれぎり話を切り上げて、小石川の宿の方に足を向けました。割合に風のない暖かな日でしたけれども、何しろ冬の事ですから、公園のなかは淋しいものでした。ことに霜に打たれて蒼味を失った杉の木立の茶褐色が、薄黒い空の中に、梢を並べて聳えているのを振り返って見た時は、寒さが背中へ噛り付いたような心持がしました。我々は夕暮の本郷台を急ぎ足でどしどし通り抜けて、また向うの岡へ上るべく小石川の谷へ下りたのです。私はその頃になって、ようやく外套の下に体の温味を感じ出したぐらいです。  急いだためでもありましょうが、我々は帰り路にはほとんど口を聞きませんでした。宅へ帰って食卓に向った時、奥さんはどうして遅くなったのかと尋ねました。私はKに誘われて上野へ行ったと答えました。奥さんはこの寒いのにといって驚いた様子を見せました。お嬢さんは上野に何があったのかと聞きたがります。私は何もないが、ただ散歩したのだという返事だけしておきました。平生から無口なKは、いつもよりなお黙っていました。奥さんが話しかけても、お嬢さんが笑っても、碌な挨拶はしませんでした。それから飯を呑み込むように掻き込んで、私がまだ席を立たないうちに、自分の室へ引き取りました。 四十三 「その頃は覚醒とか新しい生活とかいう文字のまだない時分でした。しかしKが古い自分をさらりと投げ出して、一意に新しい方角へ走り出さなかったのは、現代人の考えが彼に欠けていたからではないのです。彼には投げ出す事のできないほど尊い過去があったからです。彼はそのために今日まで生きて来たといってもいいくらいなのです。だからKが一直線に愛の目的物に向って猛進しないといって、決してその愛の生温い事を証拠立てる訳にはゆきません。いくら熾烈な感情が燃えていても、彼はむやみに動けないのです。前後を忘れるほどの衝動が起る機会を彼に与えない以上、Kはどうしてもちょっと踏み留まって自分の過去を振り返らなければならなかったのです。そうすると過去が指し示す路を今まで通り歩かなければならなくなるのです。その上彼には現代人のもたない強情と我慢がありました。私はこの双方の点においてよく彼の心を見抜いていたつもりなのです。  上野から帰った晩は、私に取って比較的安静な夜でした。私はKが室へ引き上げたあとを追い懸けて、彼の机の傍に坐り込みました。そうして取り留めもない世間話をわざと彼に仕向けました。彼は迷惑そうでした。私の眼には勝利の色が多少輝いていたでしょう、私の声にはたしかに得意の響きがあったのです。私はしばらくKと一つ火鉢に手を翳した後、自分の室に帰りました。外の事にかけては何をしても彼に及ばなかった私も、その時だけは恐るるに足りないという自覚を彼に対してもっていたのです。  私はほどなく穏やかな眠りに落ちました。しかし突然私の名を呼ぶ声で眼を覚ましました。見ると、間の襖が二|尺ばかり開いて、そこにKの黒い影が立っています。そうして彼の室には宵の通りまだ燈火が点いているのです。急に世界の変った私は、少しの間口を利く事もできずに、ぼうっとして、その光景を眺めていました。  その時Kはもう寝たのかと聞きました。Kはいつでも遅くまで起きている男でした。私は黒い影法師のようなKに向って、何か用かと聞き返しました。Kは大した用でもない、ただもう寝たか、まだ起きているかと思って、便所へ行ったついでに聞いてみただけだと答えました。Kは洋燈の灯を背中に受けているので、彼の顔色や眼つきは、全く私には分りませんでした。けれども彼の声は不断よりもかえって落ち付いていたくらいでした。  Kはやがて開けた襖をぴたりと立て切りました。私の室はすぐ元の暗闇に帰りました。私はその暗闇より静かな夢を見るべくまた眼を閉じました。私はそれぎり何も知りません。しかし翌朝になって、昨夕の事を考えてみると、何だか不思議でした。私はことによると、すべてが夢ではないかと思いました。それで飯を食う時、Kに聞きました。Kはたしかに襖を開けて私の名を呼んだといいます。なぜそんな事をしたのかと尋ねると、別に判然した返事もしません。調子の抜けた頃になって、近頃は熟睡ができるのかとかえって向うから私に問うのです。私は何だか変に感じました。  その日ちょうど同じ時間に講義の始まる時間割になっていたので、二人はやがていっしょに宅を出ました。今朝から昨夕の事が気に掛っている私は、途中でまたKを追窮しました。けれどもKはやはり私を満足させるような答えをしません。私はあの事件について何か話すつもりではなかったのかと念を押してみました。Kはそうではないと強い調子でいい切りました。昨日上野で「その話はもう止めよう」といったではないかと注意するごとくにも聞こえました。Kはそういう点に掛けて鋭い自尊心をもった男なのです。ふとそこに気のついた私は突然彼の用いた「覚悟」という言葉を連想し出しました。すると今までまるで気にならなかったその二字が妙な力で私の頭を抑え始めたのです。 四十四 「Kの果断に富んだ性格は私によく知れていました。彼のこの事件についてのみ優柔な訳も私にはちゃんと呑み込めていたのです。つまり私は一般を心得た上で、例外の場合をしっかり攫まえたつもりで得意だったのです。ところが「覚悟」という彼の言葉を、頭のなかで何遍も咀嚼しているうちに、私の得意はだんだん色を失って、しまいにはぐらぐら揺き始めるようになりました。私はこの場合もあるいは彼にとって例外でないのかも知れないと思い出したのです。すべての疑惑、煩悶、懊悩、を一度に解決する最後の手段を、彼は胸のなかに畳み込んでいるのではなかろうかと疑り始めたのです。そうした新しい光で覚悟の二字を眺め返してみた私は、はっと驚きました。その時の私がもしこの驚きをもって、もう一返彼の口にした覚悟の内容を公平に見廻したらば、まだよかったかも知れません。悲しい事に私は片眼でした。私はただKがお嬢さんに対して進んで行くという意味にその言葉を解釈しました。果断に富んだ彼の性格が、恋の方面に発揮されるのがすなわち彼の覚悟だろうと一図に思い込んでしまったのです。  私は私にも最後の決断が必要だという声を心の耳で聞きました。私はすぐその声に応じて勇気を振り起しました。私はKより先に、しかもKの知らない間に、事を運ばなくてはならないと覚悟を極めました。私は黙って機会を覘っていました。しかし二日|経っても三日経っても、私はそれを捕まえる事ができません。私はKのいない時、またお嬢さんの留守な折を待って、奥さんに談判を開こうと考えたのです。しかし片方がいなければ、片方が邪魔をするといった風の日ばかり続いて、どうしても「今だ」と思う好都合が出て来てくれないのです。私はいらいらしました。  一週間の後私はとうとう堪え切れなくなって仮病を遣いました。奥さんからもお嬢さんからも、K自身からも、起きろという催促を受けた私は、生返事をしただけで、十時|頃まで蒲団を被って寝ていました。私はKもお嬢さんもいなくなって、家の内がひっそり静まった頃を見計らって寝床を出ました。私の顔を見た奥さんは、すぐどこが悪いかと尋ねました。食物は枕元へ運んでやるから、もっと寝ていたらよかろうと忠告してもくれました。身体に異状のない私は、とても寝る気にはなれません。顔を洗っていつもの通り茶の間で飯を食いました。その時奥さんは長火鉢の向側から給仕をしてくれたのです。私は朝飯とも午飯とも片付かない茶椀を手に持ったまま、どんな風に問題を切り出したものだろうかと、そればかりに屈托していたから、外観からは実際気分の好くない病人らしく見えただろうと思います。  私は飯を終って烟草を吹かし出しました。私が立たないので奥さんも火鉢の傍を離れる訳にゆきません。下女を呼んで膳を下げさせた上、鉄瓶に水を注したり、火鉢の縁を拭いたりして、私に調子を合わせています。私は奥さんに特別な用事でもあるのかと問いました。奥さんはいいえと答えましたが、今度は向うでなぜですと聞き返して来ました。私は実は少し話したい事があるのだといいました。奥さんは何ですかといって、私の顔を見ました。奥さんの調子はまるで私の気分にはいり込めないような軽いものでしたから、私は次に出すべき文句も少し渋りました。  私は仕方なしに言葉の上で、好い加減にうろつき廻った末、Kが近頃何かいいはしなかったかと奥さんに聞いてみました。奥さんは思いも寄らないという風をして、「何を?」とまた反問して来ました。そうして私の答える前に、「あなたには何かおっしゃったんですか」とかえって向うで聞くのです。 四十五 「Kから聞かされた打ち明け話を、奥さんに伝える気のなかった私は、「いいえ」といってしまった後で、すぐ自分の嘘を快からず感じました。仕方がないから、別段何も頼まれた覚えはないのだから、Kに関する用件ではないのだといい直しました。奥さんは「そうですか」といって、後を待っています。私はどうしても切り出さなければならなくなりました。私は突然「奥さん、お嬢さんを私に下さい」といいました。奥さんは私の予期してかかったほど驚いた様子も見せませんでしたが、それでも少時返事ができなかったものと見えて、黙って私の顔を眺めていました。一度いい出した私は、いくら顔を見られても、それに頓着などはしていられません。「下さい、ぜひ下さい」といいました。「私の妻としてぜひ下さい」といいました。奥さんは年を取っているだけに、私よりもずっと落ち付いていました。「上げてもいいが、あんまり急じゃありませんか」と聞くのです。私が「急に貰いたいのだ」とすぐ答えたら笑い出しました。そうして「よく考えたのですか」と念を押すのです。私はいい出したのは突然でも、考えたのは突然でないという訳を強い言葉で説明しました。  それからまだ二つ三つの問答がありましたが、私はそれを忘れてしまいました。男のように判然したところのある奥さんは、普通の女と違ってこんな場合には大変心持よく話のできる人でした。「宜ござんす、差し上げましょう」といいました。「差し上げるなんて威張った口の利ける境遇ではありません。どうぞ貰って下さい。ご存じの通り父親のない憐れな子です」と後では向うから頼みました。  話は簡単でかつ明瞭に片付いてしまいました。最初からしまいまでにおそらく十五分とは掛らなかったでしょう。奥さんは何の条件も持ち出さなかったのです。親類に相談する必要もない、後から断ればそれで沢山だといいました。本人の意嚮さえたしかめるに及ばないと明言しました。そんな点になると、学問をした私の方が、かえって形式に拘泥するくらいに思われたのです。親類はとにかく、当人にはあらかじめ話して承諾を得るのが順序らしいと私が注意した時、奥さんは「大丈夫です。本人が不承知の所へ、私があの子をやるはずがありませんから」といいました。  自分の室へ帰った私は、事のあまりに訳もなく進行したのを考えて、かえって変な気持になりました。はたして大丈夫なのだろうかという疑念さえ、どこからか頭の底に這い込んで来たくらいです。けれども大体の上において、私の未来の運命は、これで定められたのだという観念が私のすべてを新たにしました。  私は午頃また茶の間へ出掛けて行って、奥さんに、今朝の話をお嬢さんに何時通じてくれるつもりかと尋ねました。奥さんは、自分さえ承知していれば、いつ話しても構わなかろうというような事をいうのです。こうなると何だか私よりも相手の方が男みたようなので、私はそれぎり引き込もうとしました。すると奥さんが私を引き留めて、もし早い方が希望ならば、今日でもいい、稽古から帰って来たら、すぐ話そうというのです。私はそうしてもらう方が都合が好いと答えてまた自分の室に帰りました。しかし黙って自分の机の前に坐って、二人のこそこそ話を遠くから聞いている私を想像してみると、何だか落ち付いていられないような気もするのです。私はとうとう帽子を被って表へ出ました。そうしてまた坂の下でお嬢さんに行き合いました。何にも知らないお嬢さんは私を見て驚いたらしかったのです。私が帽子を脱って「今お帰り」と尋ねると、向うではもう病気は癒ったのかと不思議そうに聞くのです。私は「ええ癒りました、癒りました」と答えて、ずんずん水道橋の方へ曲ってしまいました。 四十六 「私は猿楽町から神保町の通りへ出て、小川町の方へ曲りました。私がこの界隈を歩くのは、いつも古本屋をひやかすのが目的でしたが、その日は手摺れのした書物などを眺める気が、どうしても起らないのです。私は歩きながら絶えず宅の事を考えていました。私には先刻の奥さんの記憶がありました。それからお嬢さんが宅へ帰ってからの想像がありました。私はつまりこの二つのもので歩かせられていたようなものです。その上私は時々往来の真中で我知らずふと立ち留まりました。そうして今頃は奥さんがお嬢さんにもうあの話をしている時分だろうなどと考えました。また或る時は、もうあの話が済んだ頃だとも思いました。  私はとうとう万世橋を渡って、明神の坂を上がって、本郷台へ来て、それからまた菊坂を下りて、しまいに小石川の谷へ下りたのです。私の歩いた距離はこの三区に跨がって、いびつな円を描いたともいわれるでしょうが、私はこの長い散歩の間ほとんどKの事を考えなかったのです。今その時の私を回顧して、なぜだと自分に聞いてみても一向分りません。ただ不思議に思うだけです。私の心がKを忘れ得るくらい、一方に緊張していたとみればそれまでですが、私の良心がまたそれを許すべきはずはなかったのですから。  Kに対する私の良心が復活したのは、私が宅の格子を開けて、玄関から坐敷へ通る時、すなわち例のごとく彼の室を抜けようとした瞬間でした。彼はいつもの通り机に向って書見をしていました。彼はいつもの通り書物から眼を放して、私を見ました。しかし彼はいつもの通り今帰ったのかとはいいませんでした。彼は「病気はもう癒いのか、医者へでも行ったのか」と聞きました。私はその刹那に、彼の前に手を突いて、詫まりたくなったのです。しかも私の受けたその時の衝動は決して弱いものではなかったのです。もしKと私がたった二人|曠野の真中にでも立っていたならば、私はきっと良心の命令に従って、その場で彼に謝罪したろうと思います。しかし奥には人がいます。私の自然はすぐそこで食い留められてしまったのです。そうして悲しい事に永久に復活しなかったのです。  夕飯の時Kと私はまた顔を合せました。何にも知らないKはただ沈んでいただけで、少しも疑い深い眼を私に向けません。何にも知らない奥さんはいつもより嬉しそうでした。私だけがすべてを知っていたのです。私は鉛のような飯を食いました。その時お嬢さんはいつものようにみんなと同じ食卓に並びませんでした。奥さんが催促すると、次の室で只今と答えるだけでした。それをKは不思議そうに聞いていました。しまいにどうしたのかと奥さんに尋ねました。奥さんは大方極りが悪いのだろうといって、ちょっと私の顔を見ました。Kはなお不思議そうに、なんで極りが悪いのかと追窮しに掛かりました。奥さんは微笑しながらまた私の顔を見るのです。  私は食卓に着いた初めから、奥さんの顔付で、事の成行をほぼ推察していました。しかしKに説明を与えるために、私のいる前で、それを悉く話されては堪らないと考えました。奥さんはまたそのくらいの事を平気でする女なのですから、私はひやひやしたのです。幸いにKはまた元の沈黙に帰りました。平生より多少機嫌のよかった奥さんも、とうとう私の恐れを抱いている点までは話を進めずにしまいました。私はほっと一息して室へ帰りました。しかし私がこれから先Kに対して取るべき態度は、どうしたものだろうか、私はそれを考えずにはいられませんでした。私は色々の弁護を自分の胸で拵えてみました。けれどもどの弁護もKに対して面と向うには足りませんでした、卑怯な私はついに自分で自分をKに説明するのが厭になったのです。 四十七 「私はそのまま二、三日過ごしました。その二、三日の間Kに対する絶えざる不安が私の胸を重くしていたのはいうまでもありません。私はただでさえ何とかしなければ、彼に済まないと思ったのです。その上奥さんの調子や、お嬢さんの態度が、始終私を突ッつくように刺戟するのですから、私はなお辛かったのです。どこか男らしい気性を具えた奥さんは、いつ私の事を食卓でKに素ぱ抜かないとも限りません。それ以来ことに目立つように思えた私に対するお嬢さんの挙止動作も、Kの心を曇らす不審の種とならないとは断言できません。私は何とかして、私とこの家族との間に成り立った新しい関係を、Kに知らせなければならない位置に立ちました。しかし倫理的に弱点をもっていると、自分で自分を認めている私には、それがまた至難の事のように感ぜられたのです。  私は仕方がないから、奥さんに頼んでKに改めてそういってもらおうかと考えました。無論私のいない時にです。しかしありのままを告げられては、直接と間接の区別があるだけで、面目のないのに変りはありません。といって、拵え事を話してもらおうとすれば、奥さんからその理由を詰問されるに極っています。もし奥さんにすべての事情を打ち明けて頼むとすれば、私は好んで自分の弱点を自分の愛人とその母親の前に曝け出さなければなりません。真面目な私には、それが私の未来の信用に関するとしか思われなかったのです。結婚する前から恋人の信用を失うのは、たとい一|分一|厘でも、私には堪え切れない不幸のように見えました。  要するに私は正直な路を歩くつもりで、つい足を滑らした馬鹿ものでした。もしくは狡猾な男でした。そうしてそこに気のついているものは、今のところただ天と私の心だけだったのです。しかし立ち直って、もう一歩前へ踏み出そうとするには、今滑った事をぜひとも周囲の人に知られなければならない窮境に陥ったのです。私はあくまで滑った事を隠したがりました。同時に、どうしても前へ出ずにはいられなかったのです。私はこの間に挟まってまた立ち竦みました。  五、六日|経った後、奥さんは突然私に向って、Kにあの事を話したかと聞くのです。私はまだ話さないと答えました。するとなぜ話さないのかと、奥さんが私を詰るのです。私はこの問いの前に固くなりました。その時奥さんが私を驚かした言葉を、私は今でも忘れずに覚えています。 「道理で妾が話したら変な顔をしていましたよ。あなたもよくないじゃありませんか。平生あんなに親しくしている間柄だのに、黙って知らん顔をしているのは」  私はKがその時何かいいはしなかったかと奥さんに聞きました。奥さんは別段何にもいわないと答えました。しかし私は進んでもっと細かい事を尋ねずにはいられませんでした。奥さんは固より何も隠す訳がありません。大した話もないがといいながら、一々Kの様子を語って聞かせてくれました。  奥さんのいうところを綜合して考えてみると、Kはこの最後の打撃を、最も落ち付いた驚きをもって迎えたらしいのです。Kはお嬢さんと私との間に結ばれた新しい関係について、最初はそうですかとただ一口いっただけだったそうです。しかし奥さんが、「あなたも喜んで下さい」と述べた時、彼ははじめて奥さんの顔を見て微笑を洩らしながら、「おめでとうございます」といったまま席を立ったそうです。そうして茶の間の障子を開ける前に、また奥さんを振り返って、「結婚はいつですか」と聞いたそうです。それから「何かお祝いを上げたいが、私は金がないから上げる事ができません」といったそうです。奥さんの前に坐っていた私は、その話を聞いて胸が塞るような苦しさを覚えました。 四十八 「勘定して見ると奥さんがKに話をしてからもう二日余りになります。その間Kは私に対して少しも以前と異なった様子を見せなかったので、私は全くそれに気が付かずにいたのです。彼の超然とした態度はたとい外観だけにもせよ、敬服に値すべきだと私は考えました。彼と私を頭の中で並べてみると、彼の方が遥かに立派に見えました。「おれは策略で勝っても人間としては負けたのだ」という感じが私の胸に渦巻いて起りました。私はその時さぞKが軽蔑している事だろうと思って、一人で顔を赧らめました。しかし今更Kの前に出て、恥を掻かせられるのは、私の自尊心にとって大いな苦痛でした。  私が進もうか止そうかと考えて、ともかくも翌日まで待とうと決心したのは土曜の晩でした。ところがその晩に、Kは自殺して死んでしまったのです。私は今でもその光景を思い出すと慄然とします。いつも東枕で寝る私が、その晩に限って、偶然西枕に床を敷いたのも、何かの因縁かも知れません。私は枕元から吹き込む寒い風でふと眼を覚ましたのです。見ると、いつも立て切ってあるKと私の室との仕切の襖が、この間の晩と同じくらい開いています。けれどもこの間のように、Kの黒い姿はそこには立っていません。私は暗示を受けた人のように、床の上に肱を突いて起き上がりながら、屹とKの室を覗きました。洋燈が暗く点っているのです。それで床も敷いてあるのです。しかし掛蒲団は跳返されたように裾の方に重なり合っているのです。そうしてK自身は向うむきに突ッ伏しているのです。  私はおいといって声を掛けました。しかし何の答えもありません。おいどうかしたのかと私はまたKを呼びました。それでもKの身体は些とも動きません。私はすぐ起き上って、敷居際まで行きました。そこから彼の室の様子を、暗い洋燈の光で見廻してみました。  その時私の受けた第一の感じは、Kから突然恋の自白を聞かされた時のそれとほぼ同じでした。私の眼は彼の室の中を一目見るや否や、あたかも硝子で作った義眼のように、動く能力を失いました。私は棒立ちに立ち竦みました。それが疾風のごとく私を通過したあとで、私はまたああ失策ったと思いました。もう取り返しが付かないという黒い光が、私の未来を貫いて、一瞬間に私の前に横たわる全生涯を物凄く照らしました。そうして私はがたがた顫え出したのです。  それでも私はついに私を忘れる事ができませんでした。私はすぐ机の上に置いてある手紙に眼を着けました。それは予期通り私の名宛になっていました。私は夢中で封を切りました。しかし中には私の予期したような事は何にも書いてありませんでした。私は私に取ってどんなに辛い文句がその中に書き列ねてあるだろうと予期したのです。そうして、もしそれが奥さんやお嬢さんの眼に触れたら、どんなに軽蔑されるかも知れないという恐怖があったのです。私はちょっと眼を通しただけで、まず助かったと思いました。  手紙の内容は簡単でした。そうしてむしろ抽象的でした。自分は薄志弱行で到底|行先の望みがないから、自殺するというだけなのです。それから今まで私に世話になった礼が、ごくあっさりとした文句でその後に付け加えてありました。世話ついでに死後の片付方も頼みたいという言葉もありました。奥さんに迷惑を掛けて済まんから宜しく詫をしてくれという句もありました。国元へは私から知らせてもらいたいという依頼もありました。必要な事はみんな一口ずつ書いてある中にお嬢さんの名前だけはどこにも見えません。私はしまいまで読んで、すぐKがわざと回避したのだという事に気が付きました。しかし私のもっとも痛切に感じたのは、最後に墨の余りで書き添えたらしく見える、もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろうという意味の文句でした。  私は顫える手で、手紙を巻き収めて、再び封の中へ入れました。私はわざとそれを皆なの眼に着くように、元の通り机の上に置きました。そうして振り返って、襖に迸っている血潮を始めて見たのです。 四十九 「私は突然Kの頭を抱えるように両手で少し持ち上げました。私はKの死顔が一目見たかったのです。しかし俯伏しになっている彼の顔を、こうして下から覗き込んだ時、私はすぐその手を放してしまいました。慄としたばかりではないのです。彼の頭が非常に重たく感ぜられたのです。私は上から今|触った冷たい耳と、平生に変らない五分刈の濃い髪の毛を少時眺めていました。私は少しも泣く気にはなれませんでした。私はただ恐ろしかったのです。そうしてその恐ろしさは、眼の前の光景が官能を刺激して起る単調な恐ろしさばかりではありません。私は忽然と冷たくなったこの友達によって暗示された運命の恐ろしさを深く感じたのです。  私は何の分別もなくまた私の室に帰りました。そうして八畳の中をぐるぐる廻り始めました。私の頭は無意味でも当分そうして動いていろと私に命令するのです。私はどうかしなければならないと思いました。同時にもうどうする事もできないのだと思いました。座敷の中をぐるぐる廻らなければいられなくなったのです。檻の中へ入れられた熊のような態度で。  私は時々奥へ行って奥さんを起そうという気になります。けれども女にこの恐ろしい有様を見せては悪いという心持がすぐ私を遮ります。奥さんはとにかく、お嬢さんを驚かす事は、とてもできないという強い意志が私を抑えつけます。私はまたぐるぐる廻り始めるのです。  私はその間に自分の室の洋燈を点けました。それから時計を折々見ました。その時の時計ほど埒の明かない遅いものはありませんでした。私の起きた時間は、正確に分らないのですけれども、もう夜明に間もなかった事だけは明らかです。ぐるぐる廻りながら、その夜明を待ち焦れた私は、永久に暗い夜が続くのではなかろうかという思いに悩まされました。  我々は七時前に起きる習慣でした。学校は八時に始まる事が多いので、それでないと授業に間に合わないのです。下女はその関係で六時頃に起きる訳になっていました。しかしその日私が下女を起しに行ったのはまだ六時前でした。すると奥さんが今日は日曜だといって注意してくれました。奥さんは私の足音で眼を覚ましたのです。私は奥さんに眼が覚めているなら、ちょっと私の室まで来てくれと頼みました。奥さんは寝巻の上へ不断着の羽織を引っ掛けて、私の後に跟いて来ました。私は室へはいるや否や、今まで開いていた仕切りの襖をすぐ立て切りました。そうして奥さんに飛んだ事ができたと小声で告げました。奥さんは何だと聞きました。私は顋で隣の室を指すようにして、「驚いちゃいけません」といいました。奥さんは蒼い顔をしました。「奥さん、Kは自殺しました」と私がまたいいました。奥さんはそこに居竦まったように、私の顔を見て黙っていました。その時私は突然奥さんの前へ手を突いて頭を下げました。「済みません。私が悪かったのです。あなたにもお嬢さんにも済まない事になりました」と詫まりました。私は奥さんと向い合うまで、そんな言葉を口にする気はまるでなかったのです。しかし奥さんの顔を見た時不意に我とも知らずそういってしまったのです。Kに詫まる事のできない私は、こうして奥さんとお嬢さんに詫びなければいられなくなったのだと思って下さい。つまり私の自然が平生の私を出し抜いてふらふらと懺悔の口を開かしたのです。奥さんがそんな深い意味に、私の言葉を解釈しなかったのは私にとって幸いでした。蒼い顔をしながら、「不慮の出来事なら仕方がないじゃありませんか」と慰めるようにいってくれました。しかしその顔には驚きと怖れとが、彫り付けられたように、硬く筋肉を攫んでいました。 五十 「私は奥さんに気の毒でしたけれども、また立って今閉めたばかりの唐紙を開けました。その時Kの洋燈に油が尽きたと見えて、室の中はほとんど真暗でした。私は引き返して自分の洋燈を手に持ったまま、入口に立って奥さんを顧みました。奥さんは私の後ろから隠れるようにして、四畳の中を覗き込みました。しかしはいろうとはしません。そこはそのままにしておいて、雨戸を開けてくれと私にいいました。  それから後の奥さんの態度は、さすがに軍人の未亡人だけあって要領を得ていました。私は医者の所へも行きました。また警察へも行きました。しかしみんな奥さんに命令されて行ったのです。奥さんはそうした手続の済むまで、誰もKの部屋へは入れませんでした。  Kは小さなナイフで頸動脈を切って一息に死んでしまったのです。外に創らしいものは何にもありませんでした。私が夢のような薄暗い灯で見た唐紙の血潮は、彼の頸筋から一度に迸ったものと知れました。私は日中の光で明らかにその迹を再び眺めました。そうして人間の血の勢いというものの劇しいのに驚きました。  奥さんと私はできるだけの手際と工夫を用いて、Kの室を掃除しました。彼の血潮の大部分は、幸い彼の蒲団に吸収されてしまったので、畳はそれほど汚れないで済みましたから、後始末はまだ楽でした。二人は彼の死骸を私の室に入れて、不断の通り寝ている体に横にしました。私はそれから彼の実家へ電報を打ちに出たのです。  私が帰った時は、Kの枕元にもう線香が立てられていました。室へはいるとすぐ仏臭い烟で鼻を撲たれた私は、その烟の中に坐っている女二人を認めました。私がお嬢さんの顔を見たのは、昨夜来この時が始めてでした。お嬢さんは泣いていました。奥さんも眼を赤くしていました。事件が起ってからそれまで泣く事を忘れていた私は、その時ようやく悲しい気分に誘われる事ができたのです。私の胸はその悲しさのために、どのくらい寛ろいだか知れません。苦痛と恐怖でぐいと握り締められた私の心に、一滴の潤を与えてくれたものは、その時の悲しさでした。  私は黙って二人の傍に坐っていました。奥さんは私にも線香を上げてやれといいます。私は線香を上げてまた黙って坐っていました。お嬢さんは私には何ともいいません。たまに奥さんと一口|二口言葉を換わす事がありましたが、それは当座の用事についてのみでした。お嬢さんにはKの生前について語るほどの余裕がまだ出て来なかったのです。私はそれでも昨夜の物凄い有様を見せずに済んでまだよかったと心のうちで思いました。若い美しい人に恐ろしいものを見せると、折角の美しさが、そのために破壊されてしまいそうで私は怖かったのです。私の恐ろしさが私の髪の毛の末端まで来た時ですら、私はその考えを度外に置いて行動する事はできませんでした。私には綺麗な花を罪もないのに妄りに鞭うつと同じような不快がそのうちに籠っていたのです。  国元からKの父と兄が出て来た時、私はKの遺骨をどこへ埋めるかについて自分の意見を述べました。私は彼の生前に雑司ヶ谷近辺をよくいっしょに散歩した事があります。Kにはそこが大変気に入っていたのです。それで私は笑談半分に、そんなに好きなら死んだらここへ埋めてやろうと約束した覚えがあるのです。私も今その約束通りKを雑司ヶ谷へ葬ったところで、どのくらいの功徳になるものかとは思いました。けれども私は私の生きている限り、Kの墓の前に跪いて月々私の懺悔を新たにしたかったのです。今まで構い付けなかったKを、私が万事世話をして来たという義理もあったのでしょう、Kの父も兄も私のいう事を聞いてくれました。 五十一 「Kの葬式の帰り路に、私はその友人の一人から、Kがどうして自殺したのだろうという質問を受けました。事件があって以来私はもう何度となくこの質問で苦しめられていたのです。奥さんもお嬢さんも、国から出て来たKの父兄も、通知を出した知り合いも、彼とは何の縁故もない新聞記者までも、必ず同様の質問を私に掛けない事はなかったのです。私の良心はそのたびにちくちく刺されるように痛みました。そうして私はこの質問の裏に、早くお前が殺したと白状してしまえという声を聞いたのです。  私の答えは誰に対しても同じでした。私はただ彼の私|宛で書き残した手紙を繰り返すだけで、外に一口も附け加える事はしませんでした。葬式の帰りに同じ問いを掛けて、同じ答えを得たKの友人は、懐から一枚の新聞を出して私に見せました。私は歩きながらその友人によって指し示された箇所を読みました。それにはKが父兄から勘当された結果|厭世的な考えを起して自殺したと書いてあるのです。私は何にもいわずに、その新聞を畳んで友人の手に帰しました。友人はこの外にもKが気が狂って自殺したと書いた新聞があるといって教えてくれました。忙しいので、ほとんど新聞を読む暇がなかった私は、まるでそうした方面の知識を欠いていましたが、腹の中では始終気にかかっていたところでした。私は何よりも宅のものの迷惑になるような記事の出るのを恐れたのです。ことに名前だけにせよお嬢さんが引合いに出たら堪らないと思っていたのです。私はその友人に外に何とか書いたのはないかと聞きました。友人は自分の眼に着いたのは、ただその二種ぎりだと答えました。  私が今おる家へ引っ越したのはそれから間もなくでした。奥さんもお嬢さんも前の所にいるのを厭がりますし、私もその夜の記憶を毎晩繰り返すのが苦痛だったので、相談の上移る事に極めたのです。  移って二カ月ほどしてから私は無事に大学を卒業しました。卒業して半年も経たないうちに、私はとうとうお嬢さんと結婚しました。外側から見れば、万事が予期通りに運んだのですから、目出度といわなければなりません。奥さんもお嬢さんもいかにも幸福らしく見えました。私も幸福だったのです。けれども私の幸福には黒い影が随いていました。私はこの幸福が最後に私を悲しい運命に連れて行く導火線ではなかろうかと思いました。  結婚した時お嬢さんが、――もうお嬢さんではありませんから、妻といいます。――妻が、何を思い出したのか、二人でKの墓参りをしようといい出しました。私は意味もなくただぎょっとしました。どうしてそんな事を急に思い立ったのかと聞きました。妻は二人|揃ってお参りをしたら、Kがさぞ喜ぶだろうというのです。私は何事も知らない妻の顔をしけじけ眺めていましたが、妻からなぜそんな顔をするのかと問われて始めて気が付きました。  私は妻の望み通り二人連れ立って雑司ヶ谷へ行きました。私は新しいKの墓へ水をかけて洗ってやりました。妻はその前へ線香と花を立てました。二人は頭を下げて、合掌しました。妻は定めて私といっしょになった顛末を述べてKに喜んでもらうつもりでしたろう。私は腹の中で、ただ自分が悪かったと繰り返すだけでした。  その時妻はKの墓を撫でてみて立派だと評していました。その墓は大したものではないのですけれども、私が自分で石屋へ行って見立てたりした因縁があるので、妻はとくにそういいたかったのでしょう。私はその新しい墓と、新しい私の妻と、それから地面の下に埋められたKの新しい白骨とを思い比べて、運命の冷罵を感ぜずにはいられなかったのです。私はそれ以後決して妻といっしょにKの墓参りをしない事にしました。 五十二 「私の亡友に対するこうした感じはいつまでも続きました。実は私も初めからそれを恐れていたのです。年来の希望であった結婚すら、不安のうちに式を挙げたといえばいえない事もないでしょう。しかし自分で自分の先が見えない人間の事ですから、ことによるとあるいはこれが私の心持を一転して新しい生涯に入る端緒になるかも知れないとも思ったのです。ところがいよいよ夫として朝夕|妻と顔を合せてみると、私の果敢ない希望は手厳しい現実のために脆くも破壊されてしまいました。私は妻と顔を合せているうちに、卒然Kに脅かされるのです。つまり妻が中間に立って、Kと私をどこまでも結び付けて離さないようにするのです。妻のどこにも不足を感じない私は、ただこの一点において彼女を遠ざけたがりました。すると女の胸にはすぐそれが映ります。映るけれども、理由は解らないのです。私は時々妻からなぜそんなに考えているのだとか、何か気に入らない事があるのだろうとかいう詰問を受けました。笑って済ませる時はそれで差支えないのですが、時によると、妻の癇も高じて来ます。しまいには「あなたは私を嫌っていらっしゃるんでしょう」とか、「何でも私に隠していらっしゃる事があるに違いない」とかいう怨言も聞かなくてはなりません。私はそのたびに苦しみました。  私は一層思い切って、ありのままを妻に打ち明けようとした事が何度もあります。しかしいざという間際になると自分以外のある力が不意に来て私を抑え付けるのです。私を理解してくれるあなたの事だから、説明する必要もあるまいと思いますが、話すべき筋だから話しておきます。その時分の私は妻に対して己れを飾る気はまるでなかったのです。もし私が亡友に対すると同じような善良な心で、妻の前に懺悔の言葉を並べたなら、妻は嬉し涙をこぼしても私の罪を許してくれたに違いないのです。それをあえてしない私に利害の打算があるはずはありません。私はただ妻の記憶に暗黒な一点を印するに忍びなかったから打ち明けなかったのです。純白なものに一雫の印気でも容赦なく振り掛けるのは、私にとって大変な苦痛だったのだと解釈して下さい。  一年|経ってもKを忘れる事のできなかった私の心は常に不安でした。私はこの不安を駆逐するために書物に溺れようと力めました。私は猛烈な勢をもって勉強し始めたのです。そうしてその結果を世の中に公にする日の来るのを待ちました。けれども無理に目的を拵えて、無理にその目的の達せられる日を待つのは嘘ですから不愉快です。私はどうしても書物のなかに心を埋めていられなくなりました。私はまた腕組みをして世の中を眺めだしたのです。  妻はそれを今日に困らないから心に弛みが出るのだと観察していたようでした。妻の家にも親子二人ぐらいは坐っていてどうかこうか暮して行ける財産がある上に、私も職業を求めないで差支えのない境遇にいたのですから、そう思われるのももっともです。私も幾分かスポイルされた気味がありましょう。しかし私の動かなくなった原因の主なものは、全くそこにはなかったのです。叔父に欺かれた当時の私は、他の頼みにならない事をつくづくと感じたには相違ありませんが、他を悪く取るだけあって、自分はまだ確かな気がしていました。世間はどうあろうともこの己は立派な人間だという信念がどこかにあったのです。それがKのために美事に破壊されてしまって、自分もあの叔父と同じ人間だと意識した時、私は急にふらふらしました。他に愛想を尽かした私は、自分にも愛想を尽かして動けなくなったのです。 五十三 「書物の中に自分を生埋めにする事のできなかった私は、酒に魂を浸して、己れを忘れようと試みた時期もあります。私は酒が好きだとはいいません。けれども飲めば飲める質でしたから、ただ量を頼みに心を盛り潰そうと力めたのです。この浅薄な方便はしばらくするうちに私をなお厭世的にしました。私は爛酔の真最中にふと自分の位置に気が付くのです。自分はわざとこんな真似をして己れを偽っている愚物だという事に気が付くのです。すると身振いと共に眼も心も醒めてしまいます。時にはいくら飲んでもこうした仮装状態にさえ入り込めないでむやみに沈んで行く場合も出て来ます。その上技巧で愉快を買った後には、きっと沈鬱な反動があるのです。私は自分の最も愛している妻とその母親に、いつでもそこを見せなければならなかったのです。しかも彼らは彼らに自然な立場から私を解釈して掛ります。  妻の母は時々|気拙い事を妻にいうようでした。それを妻は私に隠していました。しかし自分は自分で、単独に私を責めなければ気が済まなかったらしいのです。責めるといっても、決して強い言葉ではありません。妻から何かいわれたために、私が激した例はほとんどなかったくらいですから。妻はたびたびどこが気に入らないのか遠慮なくいってくれと頼みました。それから私の未来のために酒を止めろと忠告しました。ある時は泣いて「あなたはこの頃人間が違った」といいました。それだけならまだいいのですけれども、「Kさんが生きていたら、あなたもそんなにはならなかったでしょう」というのです。私はそうかも知れないと答えた事がありましたが、私の答えた意味と、妻の了解した意味とは全く違っていたのですから、私は心のうちで悲しかったのです。それでも私は妻に何事も説明する気にはなれませんでした。  私は時々妻に詫まりました。それは多く酒に酔って遅く帰った翌日の朝でした。妻は笑いました。あるいは黙っていました。たまにぽろぽろと涙を落す事もありました。私はどっちにしても自分が不愉快で堪らなかったのです。だから私の妻に詫まるのは、自分に詫まるのとつまり同じ事になるのです。私はしまいに酒を止めました。妻の忠告で止めたというより、自分で厭になったから止めたといった方が適当でしょう。  酒は止めたけれども、何もする気にはなりません。仕方がないから書物を読みます。しかし読めば読んだなりで、打ち遣って置きます。私は妻から何のために勉強するのかという質問をたびたび受けました。私はただ苦笑していました。しかし腹の底では、世の中で自分が最も信愛しているたった一人の人間すら、自分を理解していないのかと思うと、悲しかったのです。理解させる手段があるのに、理解させる勇気が出せないのだと思うとますます悲しかったのです。私は寂寞でした。どこからも切り離されて世の中にたった一人住んでいるような気のした事もよくありました。  同時に私はKの死因を繰り返し繰り返し考えたのです。その当座は頭がただ恋の一字で支配されていたせいでもありましょうが、私の観察はむしろ簡単でしかも直線的でした。Kは正しく失恋のために死んだものとすぐ極めてしまったのです。しかし段々落ち付いた気分で、同じ現象に向ってみると、そう容易くは解決が着かないように思われて来ました。現実と理想の衝突、――それでもまだ不充分でした。私はしまいにKが私のようにたった一人で淋しくって仕方がなくなった結果、急に所決したのではなかろうかと疑い出しました。そうしてまた慄としたのです。私もKの歩いた路を、Kと同じように辿っているのだという予覚が、折々風のように私の胸を横過り始めたからです。 五十四 「その内|妻の母が病気になりました。医者に見せると到底癒らないという診断でした。私は力の及ぶかぎり懇切に看護をしてやりました。これは病人自身のためでもありますし、また愛する妻のためでもありましたが、もっと大きな意味からいうと、ついに人間のためでした。私はそれまでにも何かしたくって堪らなかったのだけれども、何もする事ができないのでやむをえず懐手をしていたに違いありません。世間と切り離された私が、始めて自分から手を出して、幾分でも善い事をしたという自覚を得たのはこの時でした。私は罪滅しとでも名づけなければならない、一種の気分に支配されていたのです。  母は死にました。私と妻はたった二人ぎりになりました。妻は私に向って、これから世の中で頼りにするものは一人しかなくなったといいました。自分自身さえ頼りにする事のできない私は、妻の顔を見て思わず涙ぐみました。そうして妻を不幸な女だと思いました。また不幸な女だと口へ出してもいいました。妻はなぜだと聞きます。妻には私の意味が解らないのです。私もそれを説明してやる事ができないのです。妻は泣きました。私が不断からひねくれた考えで彼女を観察しているために、そんな事もいうようになるのだと恨みました。  母の亡くなった後、私はできるだけ妻を親切に取り扱ってやりました。ただ、当人を愛していたからばかりではありません。私の親切には箇人を離れてもっと広い背景があったようです。ちょうど妻の母の看護をしたと同じ意味で、私の心は動いたらしいのです。妻は満足らしく見えました。けれどもその満足のうちには、私を理解し得ないために起るぼんやりした稀薄な点がどこかに含まれているようでした。しかし妻が私を理解し得たにしたところで、この物足りなさは増すとも減る気遣いはなかったのです。女には大きな人道の立場から来る愛情よりも、多少義理をはずれても自分だけに集注される親切を嬉しがる性質が、男よりも強いように思われますから。  妻はある時、男の心と女の心とはどうしてもぴたりと一つになれないものだろうかといいました。私はただ若い時ならなれるだろうと曖昧な返事をしておきました。妻は自分の過去を振り返って眺めているようでしたが、やがて微かな溜息を洩らしました。  私の胸にはその時分から時々恐ろしい影が閃きました。初めはそれが偶然|外から襲って来るのです。私は驚きました。私はぞっとしました。しかししばらくしている中に、私の心がその物凄い閃きに応ずるようになりました。しまいには外から来ないでも、自分の胸の底に生れた時から潜んでいるもののごとくに思われ出して来たのです。私はそうした心持になるたびに、自分の頭がどうかしたのではなかろうかと疑ってみました。けれども私は医者にも誰にも診てもらう気にはなりませんでした。  私はただ人間の罪というものを深く感じたのです。その感じが私をKの墓へ毎月行かせます。その感じが私に妻の母の看護をさせます。そうしてその感じが妻に優しくしてやれと私に命じます。私はその感じのために、知らない路傍の人から鞭うたれたいとまで思った事もあります、こうした階段を段々経過して行くうちに、人に鞭うたれるよりも、自分で自分を鞭うつべきだという気になります。自分で自分を鞭うつよりも、自分で自分を殺すべきだという考えが起ります。私は仕方がないから、死んだ気で生きて行こうと決心しました。  私がそう決心してから今日まで何年になるでしょう。私と妻とは元の通り仲好く暮して来ました。私と妻とは決して不幸ではありません、幸福でした。しかし私のもっている一点、私に取っては容易ならんこの一点が、妻には常に暗黒に見えたらしいのです。それを思うと、私は妻に対して非常に気の毒な気がします。 五十五 「死んだつもりで生きて行こうと決心した私の心は、時々外界の刺戟で躍り上がりました。しかし私がどの方面かへ切って出ようと思い立つや否や、恐ろしい力がどこからか出て来て、私の心をぐいと握り締めて少しも動けないようにするのです。そうしてその力が私にお前は何をする資格もない男だと抑え付けるようにいって聞かせます。すると私はその一言で直ぐたりと萎れてしまいます。しばらくしてまた立ち上がろうとすると、また締め付けられます。私は歯を食いしばって、何で他の邪魔をするのかと怒鳴り付けます。不可思議な力は冷やかな声で笑います。自分でよく知っているくせにといいます。私はまたぐたりとなります。  波瀾も曲折もない単調な生活を続けて来た私の内面には、常にこうした苦しい戦争があったものと思って下さい。妻が見て歯痒がる前に、私自身が何層倍歯痒い思いを重ねて来たか知れないくらいです。私がこの牢屋の中に凝としている事がどうしてもできなくなった時、またその牢屋をどうしても突き破る事ができなくなった時、必竟私にとって一番楽な努力で遂行できるものは自殺より外にないと私は感ずるようになったのです。あなたはなぜといって眼を※るかも知れませんが、いつも私の心を握り締めに来るその不可思議な恐ろしい力は、私の活動をあらゆる方面で食い留めながら、死の道だけを自由に私のために開けておくのです。動かずにいればともかくも、少しでも動く以上は、その道を歩いて進まなければ私には進みようがなくなったのです。  私は今日に至るまですでに二、三度運命の導いて行く最も楽な方向へ進もうとした事があります。しかし私はいつでも妻に心を惹かされました。そうしてその妻をいっしょに連れて行く勇気は無論ないのです。妻にすべてを打ち明ける事のできないくらいな私ですから、自分の運命の犠牲として、妻の天寿を奪うなどという手荒な所作は、考えてさえ恐ろしかったのです。私に私の宿命がある通り、妻には妻の廻り合せがあります、二人を一束にして火に燻べるのは、無理という点から見ても、痛ましい極端としか私には思えませんでした。  同時に私だけがいなくなった後の妻を想像してみるといかにも不憫でした。母の死んだ時、これから世の中で頼りにするものは私より外になくなったといった彼女の述懐を、私は腸に沁み込むように記憶させられていたのです。私はいつも躊躇しました。妻の顔を見て、止してよかったと思う事もありました。そうしてまた凝と竦んでしまいます。そうして妻から時々物足りなそうな眼で眺められるのです。  記憶して下さい。私はこんな風にして生きて来たのです。始めてあなたに鎌倉で会った時も、あなたといっしょに郊外を散歩した時も、私の気分に大した変りはなかったのです。私の後ろにはいつでも黒い影が括ッ付いていました。私は妻のために、命を引きずって世の中を歩いていたようなものです。あなたが卒業して国へ帰る時も同じ事でした。九月になったらまたあなたに会おうと約束した私は、嘘を吐いたのではありません。全く会う気でいたのです。秋が去って、冬が来て、その冬が尽きても、きっと会うつもりでいたのです。  すると夏の暑い盛りに明治天皇が崩御になりました。その時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、その後に生き残っているのは必竟時勢遅れだという感じが烈しく私の胸を打ちました。私は明白さまに妻にそういいました。妻は笑って取り合いませんでしたが、何を思ったものか、突然私に、では殉死でもしたらよかろうと調戯いました。 五十六 「私は殉死という言葉をほとんど忘れていました。平生使う必要のない字だから、記憶の底に沈んだまま、腐れかけていたものと見えます。妻の笑談を聞いて始めてそれを思い出した時、私は妻に向ってもし自分が殉死するならば、明治の精神に殉死するつもりだと答えました。私の答えも無論笑談に過ぎなかったのですが、私はその時何だか古い不要な言葉に新しい意義を盛り得たような心持がしたのです。  それから約一カ月ほど経ちました。御大葬の夜私はいつもの通り書斎に坐って、相図の号砲を聞きました。私にはそれが明治が永久に去った報知のごとく聞こえました。後で考えると、それが乃木大将の永久に去った報知にもなっていたのです。私は号外を手にして、思わず妻に殉死だ殉死だといいました。  私は新聞で乃木大将の死ぬ前に書き残して行ったものを読みました。西南戦争の時敵に旗を奪られて以来、申し訳のために死のう死のうと思って、つい今日まで生きていたという意味の句を見た時、私は思わず指を折って、乃木さんが死ぬ覚悟をしながら生きながらえて来た年月を勘定して見ました。西南戦争は明治十年ですから、明治四十五年までには三十五年の距離があります。乃木さんはこの三十五年の間死のう死のうと思って、死ぬ機会を待っていたらしいのです。私はそういう人に取って、生きていた三十五年が苦しいか、また刀を腹へ突き立てた一刹那が苦しいか、どっちが苦しいだろうと考えました。  それから二、三日して、私はとうとう自殺する決心をしたのです。私に乃木さんの死んだ理由がよく解らないように、あなたにも私の自殺する訳が明らかに呑み込めないかも知れませんが、もしそうだとすると、それは時勢の推移から来る人間の相違だから仕方がありません。あるいは箇人のもって生れた性格の相違といった方が確かかも知れません。私は私のできる限りこの不可思議な私というものを、あなたに解らせるように、今までの叙述で己れを尽したつもりです。  私は妻を残して行きます。私がいなくなっても妻に衣食住の心配がないのは仕合せです。私は妻に残酷な驚怖を与える事を好みません。私は妻に血の色を見せないで死ぬつもりです。妻の知らない間に、こっそりこの世からいなくなるようにします。私は死んだ後で、妻から頓死したと思われたいのです。気が狂ったと思われても満足なのです。  私が死のうと決心してから、もう十日以上になりますが、その大部分はあなたにこの長い自叙伝の一節を書き残すために使用されたものと思って下さい。始めはあなたに会って話をする気でいたのですが、書いてみると、かえってその方が自分を判然描き出す事ができたような心持がして嬉しいのです。私は酔興に書くのではありません。私を生んだ私の過去は、人間の経験の一部分として、私より外に誰も語り得るものはないのですから、それを偽りなく書き残して置く私の努力は、人間を知る上において、あなたにとっても、外の人にとっても、徒労ではなかろうと思います。渡辺華山は邯鄲という画を描くために、死期を一週間繰り延べたという話をつい先達て聞きました。他から見たら余計な事のようにも解釈できましょうが、当人にはまた当人相応の要求が心の中にあるのだからやむをえないともいわれるでしょう。私の努力も単にあなたに対する約束を果たすためばかりではありません。半ば以上は自分自身の要求に動かされた結果なのです。  しかし私は今その要求を果たしました。もう何にもする事はありません。この手紙があなたの手に落ちる頃には、私はもうこの世にはいないでしょう。とくに死んでいるでしょう。妻は十日ばかり前から市ヶ谷の叔母の所へ行きました。叔母が病気で手が足りないというから私が勧めてやったのです。私は妻の留守の間に、この長いものの大部分を書きました。時々妻が帰って来ると、私はすぐそれを隠しました。  私は私の過去を善悪ともに他の参考に供するつもりです。しかし妻だけはたった一人の例外だと承知して下さい。私は妻には何にも知らせたくないのです。妻が己れの過去に対してもつ記憶を、なるべく純白に保存しておいてやりたいのが私の唯一の希望なのですから、私が死んだ後でも、妻が生きている以上は、あなた限りに打ち明けられた私の秘密として、すべてを腹の中にしまっておいて下さい。」  今度は短篇をいくつか書いて見たいと思ひます、その一つ一つには違つた名をつけて行く積ですが予告の必要上全体の題が御入用かとも存じます故それを「心」と致して置きます。 「珍らしいね、久しく来なかったじゃないか」と津田君が出過ぎた洋灯の穂を細めながら尋ねた。  津田君がこう云った時、余ははち切れて膝頭の出そうなズボンの上で、相馬焼の茶碗の糸底を三本指でぐるぐる廻しながら考えた。なるほど珍らしいに相違ない、この正月に顔を合せたぎり、花盛りの今日まで津田君の下宿を訪問した事はない。 「来よう来ようと思いながら、つい忙がしいものだから――」 「そりゃあ、忙がしいだろう、何と云っても学校にいたうちとは違うからね、この頃でもやはり午後六時までかい」 「まあ大概そのくらいさ、家へ帰って飯を食うとそれなり寝てしまう。勉強どころか湯にも碌々這入らないくらいだ」と余は茶碗を畳の上へ置いて、卒業が恨めしいと云う顔をして見せる。  津田君はこの一言に少々同情の念を起したと見えて「なるほど少し瘠せたようだぜ、よほど苦しいのだろう」と云う。気のせいか当人は学士になってから少々|肥ったように見えるのが癪に障る。机の上に何だか面白そうな本を広げて右の頁の上に鉛筆で註が入れてある。こんな閑があるかと思うと羨ましくもあり、忌々しくもあり、同時に吾身が恨めしくなる。 「君は不相変勉強で結構だ、その読みかけてある本は何かね。ノートなどを入れてだいぶ叮嚀に調べているじゃないか」 「これか、なにこれは幽霊の本さ」と津田君はすこぶる平気な顔をしている。この忙しい世の中に、流行りもせぬ幽霊の書物を澄まして愛読するなどというのは、呑気を通り越して贅沢の沙汰だと思う。 「僕も気楽に幽霊でも研究して見たいが、――どうも毎日芝から小石川の奥まで帰るのだから研究は愚か、自分が幽霊になりそうなくらいさ、考えると心細くなってしまう」 「そうだったね、つい忘れていた。どうだい新世帯の味は。一戸を構えると自から主人らしい心持がするかね」と津田君は幽霊を研究するだけあって心理作用に立ち入った質問をする。 「あんまり主人らしい心持もしないさ。やっぱり下宿の方が気楽でいいようだ。あれでも万事整頓していたら旦那の心持と云う特別な心持になれるかも知れんが、何しろ真鍮の薬缶で湯を沸かしたり、ブリッキの金盥で顔を洗ってる内は主人らしくないからな」と実際のところを白状する。 「それでも主人さ。これが俺のうちだと思えば何となく愉快だろう。所有と云う事と愛惜という事は大抵の場合において伴なうのが原則だから」と津田君は心理学的に人の心を説明してくれる。学者と云うものは頼みもせぬ事を一々説明してくれる者である。 「俺の家だと思えばどうか知らんが、てんで俺の家だと思いたくないんだからね。そりゃ名前だけは主人に違いないさ。だから門口にも僕の名刺だけは張り付けて置いたがね。七円五十銭の家賃の主人なんざあ、主人にしたところが見事な主人じゃない。主人中の属官なるものだあね。主人になるなら勅任主人か少なくとも奏任主人にならなくっちゃ愉快はないさ。ただ下宿の時分より面倒が殖えるばかりだ」と深くも考えずに浮気の不平だけを発表して相手の気色を窺う。向うが少しでも同意したら、すぐ不平の後陣を繰り出すつもりである。 「なるほど真理はその辺にあるかも知れん。下宿を続けている僕と、新たに一戸を構えた君とは自から立脚地が違うからな」と言語はすこぶるむずかしいがとにかく余の説に賛成だけはしてくれる。この模様ならもう少し不平を陳列しても差し支はない。 「まずうちへ帰ると婆さんが横綴じの帳面を持って僕の前へ出てくる。今日は御味噌を三銭、大根を二本、鶉豆を一銭五厘買いましたと精密なる報告をするんだね。厄介きわまるのさ」 「厄介きわまるなら廃せばいいじゃないか」と津田君は下宿人だけあって無雑作な事を言う。 「僕は廃してもいいが婆さんが承知しないから困る。そんな事は一々聞かないでもいいから好加減にしてくれと云うと、どう致しまして、奥様の入らっしゃらない御家で、御台所を預かっております以上は一銭一厘でも間違いがあってはなりません、てって頑として主人の云う事を聞かないんだからね」 「それじゃあ、ただうんうん云って聞いてる振をしていりゃよかろう」津田君は外部の刺激のいかんに関せず心は自由に働き得ると考えているらしい。心理学者にも似合しからぬ事だ。 「しかしそれだけじゃないのだからな。精細なる会計報告が済むと、今度は翌日の御菜について綿密な指揮を仰ぐのだから弱る」 「見計らって調理えろと云えば好いじゃないか」 「ところが当人見計らうだけに、御菜に関して明瞭なる観念がないのだから仕方がない」 「それじゃ君が云い付けるさ。御菜のプログラムぐらい訳ないじゃないか」 「それが容易く出来るくらいなら苦にゃならないさ。僕だって御菜上の智識はすこぶる乏しいやね。明日の御みおつけの実は何に致しましょうとくると、最初から即答は出来ない男なんだから……」 「何だい御みおつけと云うのは」 「味噌汁の事さ。東京の婆さんだから、東京流に御みおつけと云うのだ。まずその汁の実を何に致しましょうと聞かれると、実になり得べき者を秩序正しく並べた上で選択をしなければならんだろう。一々考え出すのが第一の困難で、考え出した品物について取捨をするのが第二の困難だ」 「そんな困難をして飯を食ってるのは情ない訳だ、君が特別に数奇なものが無いから困難なんだよ。二個以上の物体を同等の程度で好悪するときは決断力の上に遅鈍なる影響を与えるのが原則だ」とまた分り切った事をわざわざむずかしくしてしまう。 「味噌汁の実まで相談するかと思うと、妙なところへ干渉するよ」 「へえ、やはり食物上にかね」 「うん、毎朝梅干に白砂糖を懸けて来て是非一つ食えッて云うんだがね。これを食わないと婆さんすこぶる御機嫌が悪いのさ」 「食えばどうかするのかい」 「何でも厄病除のまじないだそうだ。そうして婆さんの理由が面白い。日本中どこの宿屋へ泊っても朝、梅干を出さない所はない。まじないが利かなければ、こんなに一般の習慣となる訳がないと云って得意に梅干を食わせるんだからな」 「なるほどそれは一理あるよ、すべての習慣は皆相応の功力があるので維持せらるるのだから、梅干だって一概に馬鹿には出来ないさ」 「なんて君まで婆さんの肩を持った日にゃ、僕はいよいよ主人らしからざる心持に成ってしまわあ」と飲みさしの巻煙草を火鉢の灰の中へ擲き込む。燃え残りのマッチの散る中に、白いものがさと動いて斜めに一の字が出来る。 「とにかく旧弊な婆さんだな」 「旧弊はとくに卒業して迷信|婆々さ。何でも月に二三|返は伝通院辺の何とか云う坊主の所へ相談に行く様子だ」 「親類に坊主でもあるのかい」 「なに坊主が小遣取りに占いをやるんだがね。その坊主がまた余計な事ばかり言うもんだから始末に行かないのさ。現に僕が家を持つ時なども鬼門だとか八方塞りだとか云って大に弱らしたもんだ」 「だって家を持ってからその婆さんを雇ったんだろう」 「雇ったのは引き越す時だが約束は前からして置いたのだからね。実はあの婆々も四谷の宇野の世話で、これなら大丈夫だ独りで留守をさせても心配はないと母が云うからきめた訳さ」 「それなら君の未来の妻君の御母さんの御眼鏡で人撰に預った婆さんだからたしかなもんだろう」 「人間はたしかに相違ないが迷信には驚いた。何でも引き越すと云う三日前に例の坊主の所へ行って見て貰ったんだそうだ。すると坊主が今本郷から小石川の方へ向いて動くのははなはだよくない、きっと家内に不幸があると云ったんだがね。――余計な事じゃないか、何も坊主の癖にそんな知った風な妄言を吐かんでもの事だあね」 「しかしそれが商売だからしようがない」 「商売なら勘弁してやるから、金だけ貰って当り障りのない事を喋舌るがいいや」 「そう怒っても僕の咎じゃないんだから埓はあかんよ」 「その上若い女に祟ると御負けを附加したんだ。さあ婆さん驚くまい事か、僕のうちに若い女があるとすれば近い内貰うはずの宇野の娘に相違ないと自分で見解を下して独りで心配しているのさ」 「だって、まだ君の所へは来んのだろう」 「来んうちから心配をするから取越苦労さ」 「何だか洒落か真面目か分らなくなって来たぜ」 「まるで御話にも何もなりゃしない。ところで近頃僕の家の近辺で野良犬が遠吠をやり出したんだ。……」 「犬の遠吠と婆さんとは何か関係があるのかい。僕には聯想さえ浮ばんが」と津田君はいかに得意の心理学でもこれは説明が出来悪いとちょっと眉を寄せる。余はわざと落ちつき払って御茶を一杯と云う。相馬焼の茶碗は安くて俗な者である。もとは貧乏士族が内職に焼いたとさえ伝聞している。津田君が三十匁の出殻を浪々この安茶碗についでくれた時余は何となく厭な心持がして飲む気がしなくなった。茶碗の底を見ると狩野法眼元信流の馬が勢よく跳ねている。安いに似合わず活溌な馬だと感心はしたが、馬に感心したからと云って飲みたくない茶を飲む義理もあるまいと思って茶碗は手に取らなかった。 「さあ飲みたまえ」と津田君が促がす。 「この馬はなかなか勢がいい。あの尻尾を振って鬣を乱している所は野馬だね」と茶を飲まない代りに馬を賞めてやった。 「冗談じゃない、婆さんが急に犬になるかと、思うと、犬が急に馬になるのは烈しい。それからどうしたんだ」としきりに後を聞きたがる。茶は飲まんでも差し支えない事となる。 「婆さんが云うには、あの鳴き声はただの鳴き声ではない、何でもこの辺に変があるに相違ないから用心しなくてはいかんと云うのさ。しかし用心をしろと云ったって別段用心の仕様もないから打ち遣って置くから構わないが、うるさいには閉口だ」 「そんなに鳴き立てるのかい」 「なに犬はうるさくも何ともないさ。第一僕はぐうぐう寝てしまうから、いつどんなに吠えるのか全く知らんくらいさ。しかし婆さんの訴えは僕の起きている時を択んで来るから面倒だね」 「なるほどいかに婆さんでも君の寝ている時をよって御気を御つけ遊ばせとも云うまい」 「ところへもって来て僕の未来の細君が風邪を引いたんだね。ちょうど婆さんの御誂え通りに事件が輻輳したからたまらない」 「それでも宇野の御嬢さんはまだ四谷にいるんだから心配せんでもよさそうなものだ」 「それを心配するから迷信|婆々さ、あなたが御移りにならんと御嬢様の御病気がはやく御全快になりませんから是非この月|中に方角のいい所へ御転宅遊ばせと云う訳さ。飛んだ預言者に捕まって、大迷惑だ」 「移るのもいいかも知れんよ」 「馬鹿あ言ってら、この間越したばかりだね。そんなにたびたび引越しをしたら身代限をするばかりだ」 「しかし病人は大丈夫かい」 「君まで妙な事を言うぜ。少々伝通院の坊主にかぶれて来たんじゃないか。そんなに人を威嚇かすもんじゃない」 「威嚇かすんじゃない、大丈夫かと聞くんだ。これでも君の妻君の身の上を心配したつもりなんだよ」 「大丈夫にきまってるさ。咳嗽は少し出るがインフルエンザなんだもの」 「インフルエンザ?」と津田君は突然余を驚かすほどな大きな声を出す。今度は本当に威嚇かされて、無言のまま津田君の顔を見詰める。 「よく注意したまえ」と二句目は低い声で云った。初めの大きな声に反してこの低い声が耳の底をつき抜けて頭の中へしんと浸み込んだような気持がする。なぜだか分らない。細い針は根まで這入る、低くても透る声は骨に答えるのであろう。碧瑠璃の大空に瞳ほどな黒き点をはたと打たれたような心持ちである。消えて失せるか、溶けて流れるか、武庫山卸しにならぬとも限らぬ。この瞳ほどな点の運命はこれから津田君の説明で決せられるのである。余は覚えず相馬焼の茶碗を取り上げて冷たき茶を一時にぐっと飲み干した。 「注意せんといかんよ」と津田君は再び同じ事を同じ調子で繰り返す。瞳ほどな点が一段の黒味を増す。しかし流れるとも広がるとも片づかぬ。 「縁喜でもない、いやに人を驚かせるぜ。ワハハハハハ」と無理に大きな声で笑って見せたが、腑の抜けた勢のない声が無意味に響くので、我ながら気がついて中途でぴたりとやめた。やめると同時にこの笑がいよいよ不自然に聞かれたのでやはりしまいまで笑い切れば善かったと思う。津田君はこの笑を何と聞いたか知らん。再び口を開いた時は依然として以前の調子である。 「いや実はこう云う話がある。ついこの間の事だが、僕の親戚の者がやはりインフルエンザに罹ってね。別段の事はないと思って好加減にして置いたら、一週間目から肺炎に変じて、とうとう一箇月立たない内に死んでしまった。その時医者の話さ。この頃のインフルエンザは性が悪い、じきに肺炎になるから用心をせんといかんと云ったが――実に夢のようさ。可哀そうでね」と言い掛けて厭な寒い顔をする。 「へえ、それは飛んだ事だった。どうしてまた肺炎などに変じたのだ」と心配だから参考のため聞いて置く気になる。 「どうしてって、別段の事情もないのだが――それだから君のも注意せんといかんと云うのさ」 「本当だね」と余は満腹の真面目をこの四文字に籠めて、津田君の眼の中を熱心に覗き込んだ。津田君はまだ寒い顔をしている。 「いやだいやだ、考えてもいやだ。二十二や三で死んでは実につまらんからね。しかも所天は戦争に行ってるんだから――」 「ふん、女か? そりゃ気の毒だなあ。軍人だね」 「うん所天は陸軍中尉さ。結婚してまだ一年にならんのさ。僕は通夜にも行き葬式の供にも立ったが――その夫人の御母さんが泣いてね――」 「泣くだろう、誰だって泣かあ」 「ちょうど葬式の当日は雪がちらちら降って寒い日だったが、御経が済んでいよいよ棺を埋める段になると、御母さんが穴の傍へしゃがんだぎり動かない。雪が飛んで頭の上が斑になるから、僕が蝙蝠傘をさし懸けてやった」 「それは感心だ、君にも似合わない優しい事をしたものだ」 「だって気の毒で見ていられないもの」 「そうだろう」と余はまた法眼元信の馬を見る。自分ながらこの時は相手の寒い顔が伝染しているに相違ないと思った。咄嗟の間に死んだ女の所天の事が聞いて見たくなる。 「それでその所天の方は無事なのかね」 「所天は黒木軍についているんだが、この方はまあ幸に怪我もしないようだ」 「細君が死んだと云う報知を受取ったらさぞ驚いたろう」 「いや、それについて不思議な話があるんだがね、日本から手紙の届かない先に細君がちゃんと亭主の所へ行っているんだ」 「行ってるとは?」 「逢いに行ってるんだ」 「どうして?」 「どうしてって、逢いに行ったのさ」 「逢いに行くにも何にも当人死んでるんじゃないか」 「死んで逢いに行ったのさ」 「馬鹿あ云ってら、いくら亭主が恋しいったって、そんな芸が誰に出来るもんか。まるで林屋正三の怪談だ」 「いや実際行ったんだから、しようがない」と津田君は教育ある人にも似合ず、頑固に愚な事を主張する。 「しようがないって――何だか見て来たような事を云うぜ。おかしいな、君本当にそんな事を話してるのかい」 「無論本当さ」 「こりゃ驚いた。まるで僕のうちの婆さんのようだ」 「婆さんでも爺さんでも事実だから仕方がない」と津田君はいよいよ躍起になる。どうも余にからかっているようにも見えない。はてな真面目で云っているとすれば何か曰くのある事だろう。津田君と余は大学へ入ってから科は違うたが、高等学校では同じ組にいた事もある。その時余は大概四十何人の席末を汚すのが例であったのに、先生は※然として常に二三番を下らなかったところをもって見ると、頭脳は余よりも三十五六枚|方明晰に相違ない。その津田君が躍起になるまで弁護するのだから満更の出鱈目ではあるまい。余は法学士である、刻下の事件をありのままに見て常識で捌いて行くよりほかに思慮を廻らすのは能わざるよりもむしろ好まざるところである。幽霊だ、祟だ、因縁だなどと雲を攫むような事を考えるのは一番|嫌である。が津田君の頭脳には少々恐れ入っている。その恐れ入ってる先生が真面目に幽霊談をするとなると、余もこの問題に対する態度を義理にも改めたくなる。実を云うと幽霊と雲助は維新以来永久廃業した者とのみ信じていたのである。しかるに先刻から津田君の容子を見ると、何だかこの幽霊なる者が余の知らぬ間に再興されたようにもある。先刻机の上にある書物は何かと尋ねた時にも幽霊の書物だとか答えたと記憶する。とにかく損はない事だ。忙がしい余に取ってはこんな機会はまたとあるまい。後学のため話だけでも拝聴して帰ろうとようやく肚の中で決心した。見ると津田君も話の続きが話したいと云う風である。話したい、聞きたいと事がきまれば訳はない。漢水は依然として西南に流れるのが千古の法則だ。 「だんだん聞き糺して見ると、その妻と云うのが夫の出征前に誓ったのだそうだ」 「何を?」 「もし万一御留守中に病気で死ぬような事がありましてもただは死にませんて」 「へえ」 「必ず魂魄だけは御傍へ行って、もう一遍御目に懸りますと云った時に、亭主は軍人で磊落な気性だから笑いながら、よろしい、いつでも来なさい、戦さの見物をさしてやるからと云ったぎり満州へ渡ったんだがね。その後そんな事はまるで忘れてしまっていっこう気にも掛けなかったそうだ」 「そうだろう、僕なんざ軍さに出なくっても忘れてしまわあ」 「それでその男が出立をする時細君が色々手伝って手荷物などを買ってやった中に、懐中持の小さい鏡があったそうだ」 「ふん。君は大変詳しく調べているな」 「なにあとで戦地から手紙が来たのでその顛末が明瞭になった訳だが。――その鏡を先生常に懐中していてね」 「うん」 「ある朝例のごとくそれを取り出して何心なく見たんだそうだ。するとその鏡の奥に写ったのが――いつもの通り髭だらけな垢染みた顔だろうと思うと――不思議だねえ――実に妙な事があるじゃないか」 「どうしたい」 「青白い細君の病気に窶れた姿がスーとあらわれたと云うんだがね――いえそれはちょっと信じられんのさ、誰に聞かしても嘘だろうと云うさ。現に僕などもその手紙を見るまでは信じない一人であったのさ。しかし向うで手紙を出したのは無論こちらから死去の通知の行った三週間も前なんだぜ。嘘をつくったって嘘にする材料のない時ださ。それにそんな嘘をつく必要がないだろうじゃないか。死ぬか生きるかと云う戦争中にこんな小説|染みた呑気な法螺を書いて国元へ送るものは一人もない訳ださ」 「そりゃ無い」と云ったが実はまだ半信半疑である。半信半疑ではあるが何だか物凄い、気味の悪い、一言にして云うと法学士に似合わしからざる感じが起こった。 「もっとも話しはしなかったそうだ。黙って鏡の裏から夫の顔をしけじけ見詰めたぎりだそうだが、その時夫の胸の中に訣別の時、細君の言った言葉が渦のように忽然と湧いて出たと云うんだが、こりゃそうだろう。焼小手で脳味噌をじゅっと焚かれたような心持だと手紙に書いてあるよ」 「妙な事があるものだな」手紙の文句まで引用されると是非共信じなければならぬようになる。何となく物騒な気合である。この時津田君がもしワッとでも叫んだら余はきっと飛び上ったに相違ない。 「それで時間を調べて見ると細君が息を引き取ったのと夫が鏡を眺めたのが同日同刻になっている」 「いよいよ不思議だな」この時に至っては真面目に不思議と思い出した。「しかしそんな事が有り得る事かな」と念のため津田君に聞いて見る。 「ここにもそんな事を書いた本があるがね」と津田君は先刻の書物を机の上から取り卸しながら「近頃じゃ、有り得ると云う事だけは証明されそうだよ」と落ちつき払って答える。法学士の知らぬ間に心理学者の方では幽霊を再興しているなと思うと幽霊もいよいよ馬鹿に出来なくなる。知らぬ事には口が出せぬ、知らぬは無能力である。幽霊に関しては法学士は文学士に盲従しなければならぬと思う。 「遠い距離において、ある人の脳の細胞と、他の人の細胞が感じて一種の化学的変化を起すと……」 「僕は法学士だから、そんな事を聞いても分らん。要するにそう云う事は理論上あり得るんだね」余のごとき頭脳不透明なるものは理窟を承わるより結論だけ呑み込んで置く方が簡便である。 「ああ、つまりそこへ帰着するのさ。それにこの本にも例が沢山あるがね、その内でロード・ブローアムの見た幽霊などは今の話しとまるで同じ場合に属するものだ。なかなか面白い。君ブローアムは知っているだろう」 「ブローアム? ブローアムたなんだい」 「英国の文学者さ」 「道理で知らんと思った。僕は自慢じゃないが文学者の名なんかシェクスピヤとミルトンとそのほかに二三人しか知らんのだ」  津田君はこんな人間と学問上の議論をするのは無駄だと思ったか「それだから宇野の御嬢さんもよく注意したまいと云う事さ」と話を元へ戻す。 「うん注意はさせるよ。しかし万一の事がありましたらきっと御目に懸りに上りますなんて誓は立てないのだからその方は大丈夫だろう」と洒落て見たが心の中は何となく不愉快であった。時計を出して見ると十一時に近い。これは大変。うちではさぞ婆さんが犬の遠吠を苦にしているだろうと思うと、一刻も早く帰りたくなる。「いずれその内婆さんに近づきになりに行くよ」と云う津田君に「御馳走をするから是非来たまえ」と云いながら白山御殿町の下宿を出る。  我からと惜気もなく咲いた彼岸桜に、いよいよ春が来たなと浮かれ出したのもわずか二三日の間である。今では桜自身さえ早待ったと後悔しているだろう。生温く帽を吹く風に、額際から煮染み出す膏と、粘り着く砂埃りとをいっしょに拭い去った一昨日の事を思うと、まるで去年のような心持ちがする。それほどきのうから寒くなった。今夜は一層である。冴返るなどと云う時節でもないに馬鹿馬鹿しいと外套の襟を立てて盲唖学校の前から植物園の横をだらだらと下りた時、どこで撞く鐘だか夜の中に波を描いて、静かな空をうねりながら来る。十一時だなと思う。――時の鐘は誰が発明したものか知らん。今までは気がつかなかったが注意して聴いて見ると妙な響である。一つ音が粘り強い餅を引き千切ったように幾つにも割れてくる。割れたから縁が絶えたかと思うと細くなって、次の音に繋がる。繋がって太くなったかと思うと、また筆の穂のように自然と細くなる。――あの音はいやに伸びたり縮んだりするなと考えながら歩行くと、自分の心臓の鼓動も鐘の波のうねりと共に伸びたり縮んだりするように感ぜられる。しまいには鐘の音にわが呼吸を合せたくなる。今夜はどうしても法学士らしくないと、足早に交番の角を曲るとき、冷たい風に誘われてポツリと大粒の雨が顔にあたる。  極楽水はいやに陰気なところである。近頃は両側へ長家が建ったので昔ほど淋しくはないが、その長家が左右共|闃然として空家のように見えるのは余り気持のいいものではない。貧民に活動はつき物である。働いておらぬ貧民は、貧民たる本性を遺失して生きたものとは認められぬ。余が通り抜ける極楽水の貧民は打てども蘇み返る景色なきまでに静かである。――実際死んでいるのだろう。ポツリポツリと雨はようやく濃かになる。傘を持って来なかった、ことによると帰るまでにはずぶ濡になるわいと舌打をしながら空を仰ぐ。雨は闇の底から蕭々と降る、容易に晴れそうにもない。  五六間先にたちまち白い者が見える。往来の真中に立ち留って、首を延してこの白い者をすかしているうちに、白い者は容赦もなく余の方へ進んでくる。半分と立たぬ間に余の右側を掠めるごとく過ぎ去ったのを見ると――蜜柑箱のようなものに白い巾をかけて、黒い着物をきた男が二人、棒を通して前後から担いで行くのである。おおかた葬式か焼場であろう。箱の中のは乳飲子に違いない。黒い男は互に言葉も交えずに黙ってこの棺桶を担いで行く。天下に夜中棺桶を担うほど、当然の出来事はあるまいと、思い切った調子でコツコツ担いで行く。闇に消える棺桶をしばらくは物珍らし気に見送って振り返った時、また行手から人声が聞え出した。高い声でもない、低い声でもない、夜が更けているので存外反響が烈しい。 「昨日生れて今日死ぬ奴もあるし」と一人が云うと「寿命だよ、全く寿命だから仕方がない」と一人が答える。二人の黒い影がまた余の傍を掠めて見る間に闇の中へもぐり込む。棺の後を追って足早に刻む下駄の音のみが雨に響く。 「昨日生れて今日死ぬ奴もあるし」と余は胸の中で繰り返して見た。昨日生まれて今日死ぬ者さえあるなら、昨日病気に罹って今日死ぬ者は固よりあるべきはずである。二十六年も娑婆の気を吸ったものは病気に罹らんでも充分死ぬ資格を具えている。こうやって極楽水を四月三日の夜の十一時に上りつつあるのは、ことによると死にに上ってるのかも知れない。――何だか上りたくない。しばらく坂の中途で立って見る。しかし立っているのは、ことによると死にに立っているのかも知れない。――また歩行き出す。死ぬと云う事がこれほど人の心を動かすとは今までつい気がつかなんだ。気がついて見ると立っても歩行いても心配になる、このようすでは家へ帰って蒲団の中へ這入ってもやはり心配になるかも知れぬ。なぜ今までは平気で暮していたのであろう。考えて見ると学校にいた時分は試験とベースボールで死ぬと云う事を考える暇がなかった。卒業してからはペンとインキとそれから月給の足らないのと婆さんの苦情でやはり死ぬと云う事を考える暇がなかった。人間は死ぬ者だとはいかに呑気な余でも承知しておったに相違ないが、実際余も死ぬものだと感じたのは今夜が生れて以来始めてである。夜と云うむやみに大きな黒い者が、歩行いても立っても上下四方から閉じ込めていて、その中に余と云う形体を溶かし込まぬと承知せぬぞと逼るように感ぜらるる。余は元来呑気なだけに正直なところ、功名心には冷淡な男である。死ぬとしても別に思い置く事はない。別に思い置く事はないが死ぬのは非常に厭だ、どうしても死にたくない。死ぬのはこれほどいやな者かなと始めて覚ったように思う。雨はだんだん密になるので外套が水を含んで触ると、濡れた海綿を圧すようにじくじくする。  竹早町を横ぎって切支丹坂へかかる。なぜ切支丹坂と云うのか分らないが、この坂も名前に劣らぬ怪しい坂である。坂の上へ来た時、ふとせんだってここを通って「日本一急な坂、命の欲しい者は用心じゃ用心じゃ」と書いた張札が土手の横からはすに往来へ差し出ているのを滑稽だと笑った事を思い出す。今夜は笑うどころではない。命の欲しい者は用心じゃと云う文句が聖書にでもある格言のように胸に浮ぶ。坂道は暗い。滅多に下りると滑って尻餅を搗く。険呑だと八合目あたりから下を見て覘をつける。暗くて何もよく見えぬ。左の土手から古榎が無遠慮に枝を突き出して日の目の通わぬほどに坂を蔽うているから、昼でもこの坂を下りる時は谷の底へ落ちると同様あまり善い心持ではない。榎は見えるかなと顔を上げて見ると、あると思えばあり、無いと思えば無いほどな黒い者に雨の注ぐ音がしきりにする。この暗闇な坂を下りて、細い谷道を伝って、茗荷谷を向へ上って七八丁行けば小日向台町の余が家へ帰られるのだが、向へ上がるまでがちと気味がわるい。  茗荷谷の坂の中途に当るくらいな所に赤い鮮かな火が見える。前から見えていたのか顔をあげる途端に見えだしたのか判然しないが、とにかく雨を透してよく見える。あるいは屋敷の門口に立ててある瓦斯灯ではないかと思って見ていると、その火がゆらりゆらりと盆灯籠の秋風に揺られる具合に動いた。――瓦斯灯ではない。何だろうと見ていると今度はその火が雨と闇の中を波のように縫って上から下へ動いて来る。――これは提灯の火に相違ないとようやく判断した時それが不意と消えてしまう。  この火を見た時、余ははっと露子の事を思い出した。露子は余が未来の細君の名である。未来の細君とこの火とどんな関係があるかは心理学者の津田君にも説明は出来んかも知れぬ。しかし心理学者の説明し得るものでなくては思い出してならぬとも限るまい。この赤い、鮮かな、尾の消える縄に似た火は余をしてたしかに余が未来の細君をとっさの際に思い出さしめたのである。――同時に火の消えた瞬間が露子の死を未練もなく拈出した。額を撫でると膏汗と雨でずるずるする。余は夢中であるく。  坂を下り切ると細い谷道で、その谷道が尽きたと思うあたりからまた向き直って西へ西へと爪上りに新しい谷道がつづく。この辺はいわゆる山の手の赤土で、少しでも雨が降ると下駄の歯を吸い落すほどに濘る。暗さは暗し、靴は踵を深く土に据えつけて容易くは動かぬ。曲りくねってむやみやたらに行くと枸杞垣とも覚しきものの鋭どく折れ曲る角でぱたりとまた赤い火に出くわした。見ると巡査である。巡査はその赤い火を焼くまでに余の頬に押し当てて「悪るいから御気を付けなさい」と言い棄てて擦れ違った。よく注意したまえと云った津田君の言葉と、悪いから御気をつけなさいと教えた巡査の言葉とは似ているなと思うとたちまち胸が鉛のように重くなる。あの火だ、あの火だと余は息を切らして馳け上る。  どこをどう歩行いたとも知らず流星のごとく吾家へ飛び込んだのは十二時近くであろう。三分心の薄暗いランプを片手に奥から駆け出して来た婆さんが頓狂な声を張り上げて「旦那様! どうなさいました」と云う。見ると婆さんは蒼い顔をしている。 「婆さん! どうかしたか」と余も大きな声を出す。婆さんも余から何か聞くのが怖しく、余は婆さんから何か聞くのが怖しいので御互にどうかしたかと問い掛けながら、その返答は両方とも云わずに双方とも暫時睨み合っている。 「水が――水が垂れます」これは婆さんの注意である。なるほど充分に雨を含んだ外套の裾と、中折帽の庇から用捨なく冷たい点滴が畳の上に垂れる。折目をつまんで抛り出すと、婆さんの膝の傍に白繻子の裏を天井に向けて帽が転がる。灰色のチェスターフィールドを脱いで、一振り振って投げた時はいつもよりよほど重く感じた。日本服に着換えて、身顫いをしてようやくわれに帰った頃を見計って婆さんはまた「どうなさいました」と尋ねる。今度は先方も少しは落ついている。 「どうするって、別段どうもせんさ。ただ雨に濡れただけの事さ」となるべく弱身を見せまいとする。 「いえあの御顔色はただの御色では御座いません」と伝通院の坊主を信仰するだけあって、うまく人相を見る。 「御前の方がどうかしたんだろう。先ッきは少し歯の根が合わないようだったぜ」 「私は何と旦那様から冷かされても構いません。――しかし旦那様|雑談事じゃ御座いませんよ」 「え?」と思わず心臓が縮みあがる。「どうした。留守中何かあったのか。四谷から病人の事でも何か云って来たのか」 「それ御覧遊ばせ、そんなに御嬢様の事を心配していらっしゃる癖に」 「何と云って来た。手紙が来たのか、使が来たのか」 「手紙も使も参りは致しません」 「それじゃ電報か」 「電報なんて参りは致しません」 「それじゃ、どうした――早く聞かせろ」 「今夜は鳴き方が違いますよ」 「何が?」 「何がって、あなた、どうも宵から心配で堪りませんでした。どうしてもただごとじゃ御座いません」 「何がさ。それだから早く聞かせろと云ってるじゃないか」 「せんだって中から申し上げた犬で御座います」 「犬?」 「ええ、遠吠で御座います。私が申し上げた通りに遊ばせば、こんな事にはならないで済んだんで御座いますのに、あなたが婆さんの迷信だなんて、あんまり人を馬鹿に遊ばすものですから……」 「こんな事にもあんな事にも、まだ何にも起らないじゃないか」 「いえ、そうでは御座いません、旦那様も御帰り遊ばす途中御嬢様の御病気の事を考えていらしったに相違御座いません」と婆さんずばと図星を刺す。寒い刃が闇に閃めいてひやりと胸打を喰わせられたような心持がする。 「それは心配して来たに相違ないさ」 「それ御覧遊ばせ、やっぱり虫が知らせるので御座います」 「婆さん虫が知らせるなんて事が本当にあるものかな、御前そんな経験をした事があるのかい」 「あるだんじゃ御座いません。昔しから人が烏鳴きが悪いとか何とか善く申すじゃ御座いませんか」 「なるほど烏鳴きは聞いたようだが、犬の遠吠は御前一人のようだが――」 「いいえ、あなた」と婆さんは大軽蔑の口調で余の疑を否定する。「同じ事で御座いますよ。婆やなどは犬の遠吠でよく分ります。論より証拠これは何かあるなと思うとはずれた事が御座いませんもの」 「そうかい」 「年寄の云う事は馬鹿に出来ません」 「そりゃ無論馬鹿には出来んさ。馬鹿に出来んのは僕もよく知っているさ。だから何も御前を――しかし遠吠がそんなに、よく当るものかな」 「まだ婆やの申す事を疑っていらっしゃる。何でもよろしゅう御座いますから明朝四谷へ行って御覧遊ばせ、きっと何か御座いますよ、婆やが受合いますから」 「きっと何かあっちゃ厭だな。どうか工夫はあるまいか」 「それだから早く御越し遊ばせと申し上げるのに、あなたが余り剛情を御張り遊ばすものだから――」 「これから剛情はやめるよ。――ともかくあした早く四谷へ行って見る事にしよう。今夜これから行っても好いが……」 「今夜いらしっちゃ、婆やは御留守居は出来ません」 「なぜ?」 「なぜって、気味が悪くっていても起ってもいられませんもの」 「それでも御前が四谷の事を心配しているんじゃないか」 「心配は致しておりますが、私だって怖しゅう御座いますから」  折から軒を繞る雨の響に和して、いずくよりともなく何物か地を這うて唸り廻るような声が聞える。 「ああ、あれで御座います」と婆さんが瞳を据えて小声で云う。なるほど陰気な声である。今夜はここへ寝る事にきめる。  余は例のごとく蒲団の中へもぐり込んだがこの唸り声が気になって瞼さえ合わせる事が出来ない。  普通犬の鳴き声というものは、後も先も鉈刀で打ち切った薪雑木を長く継いだ直線的の声である。今聞く唸り声はそんなに簡単な無造作の者ではない。声の幅に絶えざる変化があって、曲りが見えて、丸みを帯びている。蝋燭の灯の細きより始まって次第に福やかに広がってまた油の尽きた灯心の花と漸次に消えて行く。どこで吠えるか分らぬ。百里の遠きほかから、吹く風に乗せられて微かに響くと思う間に、近づけば軒端を洩れて、枕に塞ぐ耳にも薄る。ウウウウと云う音が丸い段落をいくつも連ねて家の周囲を二三度|繞ると、いつしかその音がワワワワに変化する拍子、疾き風に吹き除けられて遥か向うに尻尾はンンンと化して闇の世界に入る。陽気な声を無理に圧迫して陰欝にしたのがこの遠吠である。躁狂な響を権柄ずくで沈痛ならしめているのがこの遠吠である。自由でない。圧制されてやむをえずに出す声であるところが本来の陰欝、天然の沈痛よりも一層|厭である、聞き苦しい。余は夜着の中に耳の根まで隠した。夜着の中でも聞える。しかも耳を出しているより一層聞き苦しい。また顔を出す。  しばらくすると遠吠がはたとやむ。この夜半の世界から犬の遠吠を引き去ると動いているものは一つもない。吾家が海の底へ沈んだと思うくらい静かになる。静まらぬは吾心のみである。吾心のみはこの静かな中から何事かを予期しつつある。されどもその何事なるかは寸分の観念だにない。性の知れぬ者がこの闇の世からちょっと顔を出しはせまいかという掛念が猛烈に神経を鼓舞するのみである。今出るか、今出るかと考えている。髪の毛の間へ五本の指を差し込んでむちゃくちゃに掻いて見る。一週間ほど湯に入って頭を洗わんので指の股が油でニチャニチャする。この静かな世界が変化したら――どうも変化しそうだ。今夜のうち、夜の明けぬうち何かあるに相違ない。この一秒を待って過ごす。この一秒もまた待ちつつ暮らす。何を待っているかと云われては困る。何を待っているか自分に分らんから一層の苦痛である。頭から抜き取った手を顔の前に出して無意味に眺める。爪の裏が垢で薄黒く三日月形に見える。同時に胃嚢が運動を停止して、雨に逢った鹿皮を天日で乾し堅めたように腹の中が窮窟になる。犬が吠えれば善いと思う。吠えているうちは厭でも、厭な度合が分る。こう静かになっては、どんな厭な事が背後に起りつつあるのか、知らぬ間に醸されつつあるか見当がつかぬ。遠吠なら我慢する。どうか吠えてくれればいいと寝返りを打って仰向けになる。天井に丸くランプの影が幽かに写る。見るとその丸い影が動いているようだ。いよいよ不思議になって来たと思うと、蒲団の上で脊髄が急にぐにゃりとする。ただ眼だけを見張って、たしかに動いておるか、おらぬかを確める。――確かに動いている。平常から動いているのだが気がつかずに今日まで過したのか、または今夜に限って動くのかしらん。――もし今夜だけ動くのなら、ただごとではない。しかしあるいは腹工合のせいかも知れまい。今日会社の帰りに池の端の西洋料理屋で海老のフライを食ったが、ことによるとあれが祟っているかもしれん。詰らん物を食って、銭をとられて馬鹿馬鹿しい廃せばよかった。何しろこんな時は気を落ちつけて寝るのが肝心だと堅く眼を閉じて見る。すると虹霓を粉にして振り蒔くように、眼の前が五色の斑点でちらちらする。これは駄目だと眼を開くとまたランプの影が気になる。仕方がないからまた横向になって大病人のごとく、じっとして夜の明けるのを待とうと決心した。  横を向いてふと目に入ったのは、襖の陰に婆さんが叮嚀に畳んで置いた秩父銘仙の不断着である。この前四谷に行って露子の枕元で例の通り他愛もない話をしておった時、病人が袖口の綻びから綿が出懸っているのを気にして、よせと云うのを無理に蒲団の上へ起き直って縫ってくれた事をすぐ聯想する。あの時は顔色が少し悪いばかりで笑い声さえ常とは変らなかったのに――当人ももうだいぶ好くなったから明日あたりから床を上げましょうとさえ言ったのに――今、眼の前に露子の姿を浮べて見ると――浮べて見るのではない、自然に浮んで来るのだが――頭へ氷嚢を載せて、長い髪を半分|濡らして、うんうん呻きながら、枕の上へのり出してくる。――いよいよ肺炎かしらと思う。しかし肺炎にでもなったら何とか知らせが来るはずだ。使も手紙も来ない所をもって見るとやっぱり病気は全快したに相違ない、大丈夫だ、と断定して眠ろうとする。合わす瞳の底に露子の青白い肉の落ちた頬と、窪んで硝子張のように凄い眼がありありと写る。どうも病気は癒っておらぬらしい。しらせはまだ来ぬが、来ぬと云う事が安心にはならん。今に来るかも知れん、どうせ来るなら早く来れば好い、来ないか知らんと寝返りを打つ。寒いとは云え四月と云う時節に、厚夜着を二枚も重ねて掛けているから、ただでさえ寝苦しいほど暑い訳であるが、手足と胸の中は全く血の通わぬように重く冷たい。手で身のうちを撫でて見ると膏と汗で湿っている。皮膚の上に冷たい指が触るのが、青大将にでも這われるように厭な気持である。ことによると今夜のうちに使でも来るかも知れん。  突然何者か表の雨戸を破れるほど叩く。そら来たと心臓が飛び上って肋の四枚目を蹴る。何か云うようだが叩く音と共に耳を襲うので、よく聞き取れぬ。「婆さん、何か来たぜ」と云う声の下から「旦那様、何か参りました」と答える。余と婆さんは同時に表口へ出て雨戸を開ける。――巡査が赤い火を持って立っている。 「今しがた何かありはしませんか」と巡査は不審な顔をして、挨拶もせぬ先から突然尋ねる。余と婆さんは云い合したように顔を見合せる。両方共何とも答をしない。 「実は今ここを巡行するとね、何だか黒い影が御門から出て行きましたから……」  婆さんの顔は土のようである。何か云おうとするが息がはずんで云えない。巡査は余の方を見て返答を促す。余は化石のごとく茫然と立っている。 「いやこれは夜中はなはだ失礼で……実は近頃この界隈が非常に物騒なので、警察でも非常に厳重に警戒をしますので――ちょうど御門が開いておって、何か出て行ったような按排でしたから、もしやと思ってちょっと御注意をしたのですが……」  余はようやくほっと息をつく。咽喉に痞えている鉛の丸が下りたような気持ちがする。 「これは御親切に、どうも、――いえ別に何も盗難に罹った覚はないようです」 「それなら宜しゅう御座います。毎晩犬が吠えておやかましいでしょう。どう云うものか賊がこの辺ばかり徘徊しますんで」 「どうも御苦労様」と景気よく答えたのは遠吠が泥棒のためであるとも解釈が出来るからである。巡査は帰る。余は夜が明け次第四谷に行くつもりで、六時が鳴るまでまんじりともせず待ち明した。  雨はようやく上ったが道は非常に悪い。足駄をと云うと歯入屋へ持って行ったぎり、つい取ってくるのを忘れたと云う。靴は昨夜の雨でとうてい穿けそうにない。構うものかと薩摩下駄を引掛けて全速力で四谷坂町まで馳けつける。門は開いているが玄関はまだ戸閉りがしてある。書生はまだ起きんのかしらと勝手口へ廻る。清と云う下総生れの頬ペタの赤い下女が俎の上で糠味噌から出し立ての細根大根を切っている。「御早よう、何はどうだ」と聞くと驚いた顔をして、襷を半分はずしながら「へえ」と云う。へえでは埓があかん。構わず飛び上って、茶の間へつかつか這入り込む。見ると御母さんが、今起き立の顔をして叮嚀に如鱗木の長火鉢を拭いている。 「あら靖雄さん!」と布巾を持ったままあっけに取られたと云う風をする。あら靖雄さんでも埓があかん。 「どうです、よほど悪いですか」と口早に聞く。  犬の遠吠が泥棒のせいときまるくらいなら、ことによると病気も癒っているかも知れない。癒っていてくれれば宜いがと御母さんの顔を見て息を呑み込む。 「ええ悪いでしょう、昨日は大変降りましたからね。さぞ御困りでしたろう」これでは少々|見当が違う。御母さんのようすを見ると何だか驚いているようだが、別に心配そうにも見えない。余は何となく落ちついて来る。 「なかなか悪い道です」とハンケチを出して汗を拭いたが、やはり気掛りだから「あの露子さんは――」と聞いて見た。 「今顔を洗っています、昨夕中央会堂の慈善音楽会とかに行って遅く帰ったものですから、つい寝坊をしましてね」 「インフルエンザは?」 「ええありがとう、もうさっぱり……」 「何ともないんですか」 「ええ風邪はとっくに癒りました」  寒からぬ春風に、濛々たる小雨の吹き払われて蒼空の底まで見える心地である。日本一の御機嫌にて候と云う文句がどこかに書いてあったようだが、こんな気分を云うのではないかと、昨夕の気味の悪かったのに引き換えて今の胸の中が一層朗かになる。なぜあんな事を苦にしたろう、自分ながら愚の至りだと悟って見ると、何だか馬鹿馬鹿しい。馬鹿馬鹿しいと思うにつけて、たとい親しい間柄とは云え、用もないのに早朝から人の家へ飛び込んだのが手持無沙汰に感ぜらるる。 「どうして、こんなに早く、――何か用事でも出来たんですか」と御母さんが真面目に聞く。どう答えて宜いか分らん。嘘をつくと云ったって、そう咄嗟の際に嘘がうまく出るものではない。余は仕方がないから「ええ」と云った。 「ええ」と云った後で、廃せば善かった、――一思いに正直なところを白状してしまえば善かったと、すぐ気がついたが、「ええ」の出たあとはもう仕方がない。「ええ」を引き込める訳に行かなければ「ええ」を活かさなければならん。「ええ」とは単簡な二文字であるが滅多に使うものでない、これを活かすにはよほど骨が折れる。 「何か急な御用なんですか」と御母さんは詰め寄せる。別段の名案も浮ばないからまた「ええ」と答えて置いて、「露子さん露子さん」と風呂場の方を向いて大きな声で怒鳴って見た。 「あら、どなたかと思ったら、御早いのねえ――どうなすったの、――何か御用なの?」露子は人の気も知らずにまた同じ質問で苦しめる。 「ああ何か急に御用が御出来なすったんだって」と御母さんは露子に代理の返事をする。 「そう、何の御用なの」と露子は無邪気に聞く。 「ええ、少しその、用があって近所まで来たのですから」とようやく一方に活路を開く。随分苦しい開き方だと一人で肚の中で考える。 「それでは、私に御用じゃないの」と御母さんは少々不審な顔つきである。 「ええ」 「もう用を済ましていらしったの、随分早いのね」と露子は大に感嘆する。 「いえ、まだこれから行くんです」とあまり感嘆されても困るから、ちょっと謙遜して見たが、どっちにしても別に変りはないと思うと、自分で自分の言っている事がいかにも馬鹿らしく聞える。こんな時はなるべく早く帰る方が得策だ、長座をすればするほど失敗するばかりだと、そろそろ、尻を立てかけると 「あなた、顔の色が大変悪いようですがどうかなさりゃしませんか」と御母さんが逆捻を喰わせる。 「髪を御刈りになると好いのね、あんまり髭が生えているから病人らしいのよ。あら頭にはねが上っててよ。大変乱暴に御歩行きなすったのね」 「日和下駄ですもの、よほど上ったでしょう」と背中を向いて見せる。御母さんと露子は同時に「おやまあ!」と申し合せたような驚き方をする。  羽織を干して貰って、足駄を借りて奥に寝ている御父っさんには挨拶もしないで門を出る。うららかな上天気で、しかも日曜である。少々ばつは悪かったようなものの昨夜の心配は紅炉上の雪と消えて、余が前途には柳、桜の春が簇がるばかり嬉しい。神楽坂まで来て床屋へ這入る。未来の細君の歓心を得んがためだと云われても構わない。実際余は何事によらず露子の好くようにしたいと思っている。 「旦那|髯は残しましょうか」と白服を着た職人が聞く。髯を剃るといいと露子が云ったのだが全体の髯の事か顋髯だけかわからない。まあ鼻の下だけは残す事にしようと一人できめる。職人が残しましょうかと念を押すくらいだから、残したって余り目立つほどのものでもないにはきまっている。 「源さん、世の中にゃ随分馬鹿な奴がいるもんだねえ」と余の顋をつまんで髪剃を逆に持ちながらちょっと火鉢の方を見る。  源さんは火鉢の傍に陣取って将棊盤の上で金銀二枚をしきりにパチつかせていたが「本当にさ、幽霊だの亡者だのって、そりゃ御前、昔しの事だあな。電気灯のつく今日そんな箆棒な話しがある訳がねえからな」と王様の肩へ飛車を載せて見る。「おい由公御前こうやって駒を十枚積んで見ねえか、積めたら安宅鮓を十銭|奢ってやるぜ」  一本歯の高足駄を穿いた下剃の小僧が「鮓じゃいやだ、幽霊を見せてくれたら、積んで見せらあ」と洗濯したてのタウエルを畳みながら笑っている。 「幽霊も由公にまで馬鹿にされるくらいだから幅は利かない訳さね」と余の揉み上げを米噛みのあたりからぞきりと切り落す。 「あんまり短かかあないか」 「近頃はみんなこのくらいです。揉み上げの長いのはにやけてておかしいもんです。――なあに、みんな神経さ。自分の心に恐いと思うから自然幽霊だって増長して出たくならあね」と刃についた毛を人さし指と拇指で拭いながらまた源さんに話しかける。 「全く神経だ」と源さんが山桜の煙を口から吹き出しながら賛成する。 「神経って者は源さんどこにあるんだろう」と由公はランプのホヤを拭きながら真面目に質問する。 「神経か、神経は御めえ方々にあらあな」と源さんの答弁は少々|漠然としている。  白暖簾の懸った座敷の入口に腰を掛けて、さっきから手垢のついた薄っぺらな本を見ていた松さんが急に大きな声を出して面白い事がかいてあらあ、よっぽど面白いと一人で笑い出す。 「何だい小説か、食道楽じゃねえか」と源さんが聞くと松さんはそうよそうかも知れねえと上表紙を見る。標題には浮世心理講義録有耶無耶道人著とかいてある。 「何だか長い名だ、とにかく食道楽じゃねえ。鎌さん一体これゃ何の本だい」と余の耳に髪剃を入れてぐるぐる廻転させている職人に聞く。 「何だか、訳の分らないような、とぼけた事が書いてある本だがね」 「一人で笑っていねえで少し読んで聞かせねえ」と源さんは松さんに請求する。松さんは大きな声で一節を読み上げる。 「狸が人を婆化すと云いやすけれど、何で狸が婆化しやしょう。ありゃみんな催眠術でげす……」 「なるほど妙な本だね」と源さんは煙に捲かれている。 「拙が一|返古榎になった事がありやす、ところへ源兵衛村の作蔵と云う若い衆が首を縊りに来やした……」 「何だい狸が何か云ってるのか」 「どうもそうらしいね」 「それじゃ狸のこせえた本じゃねえか――人を馬鹿にしやがる――それから?」 「拙が腕をニューと出している所へ古褌を懸けやした――随分|臭うげしたよ――……」 「狸の癖にいやに贅沢を云うぜ」 「肥桶を台にしてぶらりと下がる途端拙はわざと腕をぐにゃりと卸ろしてやりやしたので作蔵君は首を縊り損ってまごまごしておりやす。ここだと思いやしたから急に榎の姿を隠してアハハハハと源兵衛村中へ響くほどな大きな声で笑ったやりやした。すると作蔵君はよほど仰天したと見えやして助けてくれ、助けてくれと褌を置去りにして一生懸命に逃げ出しやした……」 「こいつあ旨え、しかし狸が作蔵の褌をとって何にするだろう」 「大方|睾丸でもつつむ気だろう」  アハハハハと皆一度に笑う。余も吹き出しそうになったので職人はちょっと髪剃を顔からはずす。 「面白え、あとを読みねえ」と源さん大に乗気になる。 「俗人は拙が作蔵を婆化したように云う奴でげすが、そりゃちと無理でげしょう。作蔵君は婆化されよう、婆化されようとして源兵衛村をのそのそしているのでげす。その婆化されようと云う作蔵君の御注文に応じて拙がちょっと婆化して上げたまでの事でげす。すべて狸一派のやり口は今日開業医の用いておりやす催眠術でげして、昔からこの手でだいぶ大方の諸君子をごまかしたものでげす。西洋の狸から直伝に輸入致した術を催眠法とか唱え、これを応用する連中を先生などと崇めるのは全く西洋心酔の結果で拙などはひそかに慨嘆の至に堪えんくらいのものでげす。何も日本固有の奇術が現に伝っているのに、一も西洋二も西洋と騒がんでもの事でげしょう。今の日本人はちと狸を軽蔑し過ぎるように思われやすからちょっと全国の狸共に代って拙から諸君に反省を希望して置きやしょう」 「いやに理窟を云う狸だぜ」と源さんが云うと、松さんは本を伏せて「全く狸の言う通だよ、昔だって今だって、こっちがしっかりしていりゃ婆化されるなんて事はねえんだからな」としきりに狸の議論を弁護している。して見ると昨夜は全く狸に致された訳かなと、一人で愛想をつかしながら床屋を出る。  台町の吾家に着いたのは十時頃であったろう。門前に黒塗の車が待っていて、狭い格子の隙から女の笑い声が洩れる。ベルを鳴らして沓脱に這入る途端「きっと帰っていらっしゃったんだよ」と云う声がして障子がすうと明くと、露子が温かい春のような顔をして余を迎える。 「あなた来ていたのですか」 「ええ、お帰りになってから、考えたら何だか様子が変だったから、すぐ車で来て見たの、そうして昨夕の事を、みんな婆やから聞いてよ」と婆さんを見て笑い崩れる。婆さんも嬉しそうに笑う。露子の銀のような笑い声と、婆さんの真鍮のような笑い声と、余の銅のような笑い声が調和して天下の春を七円五十銭の借家に集めたほど陽気である。いかに源兵衛村の狸でもこのくらい大きな声は出せまいと思うくらいである。  気のせいかその後露子は以前よりも一層余を愛するような素振に見えた。津田君に逢った時、当夜の景況を残りなく話したらそれはいい材料だ僕の著書中に入れさせてくれろと云った。文学士津田|真方著幽霊論の七二頁にK君の例として載っているのは余の事である。  一月二十七日の読売新聞で日高未徹君は、余の国民記者に話した、コンラッドの小説は自然に重きをおき過ぎるの結果主客|顛倒の傾があると云う所見を非難せられた。  日高君の説によると、コンラッドは背景として自然を用いたのではない、自然を人間と対等に取扱ったのである、自然の活動が人間の活動と相交渉し、相対立する場合を写した作物である。これを主客顛倒と見るのは始めから自然は客であるべきはずとの僻目から起るのである。――まあこういうのが非難の要点である。  いかにもごもっともな御説で、余はこれに反対すると云わんよりは、むしろ大賛成を表したいくらいである。せんだってもある人がコンラッドのようなものを描いてどこが面白いかと聞いたから、余は、自然の経過は人情の経過と同じような興味をもって読む事のできるものだ、普通のが人情小説なら、コンラッドのは自然情小説だと答えたくらいだから、余は日高君よりは一歩極端に走って、自然と人間を対等に取扱う境を通り越して、自然を主、人間を客と見た面白味をさえ解しているつもりである。  現にタイフーンのごときまた、舟火事のごときは単にタイフーンを写し、単に舟火事を写したものとして立派な雄篇である。首尾一貫前後相待って渾然と出来上がっている。なぜかと云うと、篇中に出て来る人間の心状、及び動作がことごとくタイフーンと舟火事なる自然力を離れずに、どこまでも密接な関係をもって展化進行するから、自然と人間が打って一丸となされて、偉大なる自然力の裏に副え物として人間が調子よく活動するからである。  ところが同じ船と海の事を書たものでも、船長が眼病で、船の操縦ができないのを、眼の見えるふりでどこまでも押し通す様子などになると、筋は海を離れて、船長自身の個人の身の上話しに移ってしまう。だからこういう場合にいくら海が活動してもそれほど役に立たない。それよりか船長の一身上の生活の行路の方が気にかかる、その方を旨く取り扱ってくれる方が極力海を描出するよりも大切であり、かつ読者にありがたいのである。余の見るところではコンラッドはその調子を取らない。  これではまだ日高君は首肯されないかも知れないからもっとも著しい例を挙げると、ゼ・ニガー・オブ・ゼ・ナーシッサスのようなものである。これは一人の黒奴が、ナーシッサスと云う船に乗り込んで航海の途中に病死する物語であるが、黒奴の船中生活を叙したものとしては、いかにも幼稚で、できが悪い。しかし航海の描写としては例の通り雄健蒼勁の極を尽したものである。だから、余の希望から云うと、なまじいに普通の小説じみた黒奴という主人公の経歴はやめて、全くの航海描写としたらば好かろうと思うのである。しからざればいらざる風濤の描写を割いて、主人公の身辺に起る波瀾成行をもう少し上手に手際よく叙したらば好かろうと思う。  普通の小説のような脚色がありながら、その方の筋はいっこうできていないで、かえって自然力の活動ばかり目醒しいので、余はこれを主客|顛倒と評したのである。ところが短かい談話で、国民文学記者にコンラッドだけを詳しく話す余地がなかったので、ついと日高君の誤解を招くに至ったのは残念である。  要するに日高君の御説ははなはだごもっともなのである。けれども余のコンラッドを非難した意味、及びこの意味において非難すべき作物をコンラッドが書いたと云う事も、日高君が承認されん事を希望する。  この答弁は日高君に対してのみならず、世間の読者のうちで、まだコンラッドを知らずして、余の説と日高君の説の矛盾だけを見てその調和に苦しむ人のために草したのである。  中学には中学の課目があり、高等学校には高等学校の課目があって、これを修了せねば卒業の資格はないとしてある。その課目の数やその按排の順は皆文部省が制定するのだから各担任の教師は委託をうけたる学問をその時間の範囲内において出来得る限りの力を尽すべきが至当と云わねばならぬ。  しかるに各課担任の教師はその学問の専門家であるがため、専門以外の部門に無識にして無頓着なるがため、自己研究の題目と他人教授の課業との権衡を見るの明なきがため、往々わが範囲以外に飛び超えて、わが学問の有効を、他の領域内に侵入してまでも主張しようとする事がある。たとえば英語の教師が英語に熱心なるのあまり学生を鞭撻して、地理数学の研修に利用すべき当然の時間を割いてまでも難句集を暗誦させるようなものである。ただにそれのみではない、わが専攻する課目のほか、わが担任する授業のほかには天下又一の力を用いるに足るものなきを吹聴し来るのである。吹聴し来るだけならまだいい。はてはあらゆる他の課目を罵倒し去るのである。  かかる行動に出ずる人の中で、相当の論拠があって公然文部省所定の課目に服せぬものはここに引き合に出す限りではない。それほどの見識のある人ならば結構である。四角に仕切った芝居小屋の枡みたような時間割のなかに立て籠って、土竜のごとく働いている教師より遥かに結構である。しかし英語だけの本城に生涯の尻を落ちつけるのみならず、櫓から首を出して天下の形勢を視察するほどの能力さえなきものが、いたずらに自尊の念と固陋の見を綯り合せたるごとき没分暁の鞭を振って学生を精根のつづく限りたたいたなら、見じめなのは学生である。熱心は敬服すべきである。精神は嘉すべきである。その善意的なるもまた多とすべきである。あるにもかかわらず学生は迷惑である。当該課目における智識が欠乏するためではない、当該課目以外の智識が全然欠乏しているからである。ただ欠乏しているからではない。その結果としていらぬところまでのさばり出て、要もない課目を打ちのめさねばやまぬていの勇気があるから迷惑なのである。  これらの人は自己の主張を守るの点において志士である。主張を貫かんとするの点において勇士である。主張の長所を認むるの点において智者である。他意なく人のために尽さんとするの点において善人である。ただ自他の関係を知らず、眼を全局に注ぐ能わざるがため、わが縄張りを設けて、いい加減なところに幅を利かして満足すべきところを、足に任せて天下を横行して、憚からぬのが災になる。人が咎めれば云う。おれの地面と君の地面との境はどこだ。境は自分がきめぬだけで、人の方ではとうから定めている。再び咎めれば云う。この通り足が達者でどこへでも歩いて行かれるじゃないか。足の達者なのは御意の通りである。足に任せて人の畠を荒らされては困ると云うのである。かの志士と云い、勇士と云い、智者と云い、善人と云われたるものもここにおいてかたちまちに浪人となり、暴士となり、盲者となり、悪人となる。  今の評家のあるものは、ある点においてこの教師に似ていると思う。もっとも尊敬すべき言語をもって評家を翻訳すれば教師である。もっとも謙遜したる意義において作家を解釈すれば生徒である。生徒の点数は教師によって定まる。生徒の父兄|朋友といえどもこの権利をいかんともする事はできん。学業の成蹟は一に教師の判断に任せて、不平をさしはさまざるのみならず、かえってこれによって彼らの優劣を定めんとしつつある。一般の世間が評家に望むところは正にこれにほかならぬ。  ただ学校の教師には専門がある。担任がある。評家はここまで発達しておらぬ。たまには詩のみ評するもの、劇のみ品するものもあるが、しかしそれすら寥々たるものである。のみならずこれらの分類は形式に属する分類であるから、専門として独立する価値があるかないかすでに疑問である。して見ると、つまりは純文学の批評家は純文学の方面に関するあらゆる創作を検閲して採点しつつある事になる。前例を布衍して云うと地理、数学、物理、歴史、語学の試験をただ一人で担任すると同様な結果になる。  純文学と云えばはなはだ単簡である。しかしその内容を論ずれば千差万別である。実は文学の標榜するところは何と何でその表現し得る題目はいかなる範囲に跨がって、その人を動かす点は幾ヵ条あって、これらが未来の開化に触るるときどこまで押拡げ得るものであるか、いまだ何人も組織的に研究したものがおらんのである。またすこぶるできにくいのである。  こう云うては分らんかも知らぬ。例を挙げて二三を語ればすぐに合点が行く。古い話であるが昔しの人は劇の三統一と云う事を必要条件のように説いた。ところが沙翁の劇はこれを破っている。しかも立派にできている。してみると統一が劇の必要であると云う趣味から沙翁の作物を見れば失望するにきまっている。あるいは駄作になるかも知れぬ。しかしこれがために統一論の価値がなくなったのではない。その価値がモジフハイされたのであると思う。だからこの条件を充たした劇を見ればやはりそれなりに面白い。その代り沙翁の劇を賞翫する態度でかかってはならぬ。読者の方で融通を利かして、その作物と同じ平面に立つだけの余裕がなくてはならぬ。ほかに一例をあげる。また沙翁を引合に出すが、あの男のかいたものはすごぶる乱暴な所がある。劇の一段がたった五六行で、始まるかと思うとすぐしまわねばならぬと思うのに、作者は大胆にも平気でいくらでも、こんな連鎖を設けている。無論マクベスの発端のように行数は短かくても、興味の上において全篇を貫く重みのあるものは論外であるが、平々凡々たるしかも十行内外の一段を設けるのは、話しの続きをあらわすためやむをえず挿入したのだと見え透くように思われる。換言すれば彼の戯曲のあるものは齣幕の組織において明かに比例を失している。だから比例だけを眼中に置いてマーチャント・オブ・ヴェニスを読むものは必ず失敗の作だと云うだろう。マーチャント・オブ・ヴェニスはこの点から読むべきものでないと云う事がわかる。また沙翁を引き合に出す。オセロは四大悲劇の一である。しかし読んでけっして好い感じの起るものではない。不愉快である。もし感じ一方をもってあの作に対すれば全然愚作である。幸にしてオセロは事件の綜合と人格の発展が非常にうまく配合されて自然と悲劇に運び去る手際がある。読者はそれを見ればいい。日本の芝居の仕組は支離滅裂である。馬鹿馬鹿しい。結構とか性格とか云う点からあれを見たならば抱腹するのが多いだろう。しかし幕に変化がある。出来事が走馬灯のごとく人を驚かして続々出る。ここだけを面白がって、そのほかを忘れておればやはり幾分の興味がある。一九は御覧の通りの作者である。一九を読んで崇高の感がないと云うのは非難しようもない。崇高の感がないから排斥すべしと云うのは、文学と崇高の感と内容において全部一致した暁でなければ云えぬ事である。一九に点を与えるときには滑稽が下卑であるから五十とか、諧謔が自然だから九十とかきめなければならぬ。メリメのカルメンはカルメンと云う女性を描いて躍然たらしめている。あれを読んで人生問題の根元に触れていないから駄作だと云うのは数学の先生が英語の答案を見て方程式にあてはまらないから落第だと云うようなものである。デフォーは一種の写実家である。ロビンソンクルーソーを読んでテニソンのイノック・アーデンのように詩趣がないと云う。ここまではなるほどと降参せねばならぬ。しかしそれだからロビンソンクルーソーは作物にならないと云うのは歌麿の風俗画には美人があるが、ギド・レニのマグダレンは女になっておらんと主張するようなものである。――例を挙げれば際限がないからやめる。  作家が評家に呈出する答案はかくのごとく多種多面である。評家は中学の教師のごとく部門をわけて採点するかまたは一人で物理、数学、地理、歴史の智識を兼ねなければならぬ。今の評家は後者である。いやしくも評家であって、専門の分岐せぬ今の世に立つからには、多様の作家が呈出する答案を検閲するときにあたって、いろいろに立場を易えて、作家の精神を汲まねばならぬ。融通のきかぬ一本調子の趣味に固執して、その趣味以外の作物を一気に抹殺せんとするのは、英語の教師が物理、化学、歴史を受け持ちながら、すべての答案を英語の尺度で採点してしまうと一般である。その尺度に合せざる作家はことごとく落第の悲運に際会せざるを得ない。世間は学校の採点を信ずるごとく、評家を信ずるの極ついにその落第を当然と認定するに至るだろう。  ここにおいて評家の責任が起る。評家はまず世間と作家とに向って文学はいかなる者ぞと云う解決を与えねばならん。文学上の述作を批判するにあたって批判すべき条項を明かに備えねばならぬ。あたかも中学及び高等学校の規定が何と何と、これこれとを修め得ざるものは学生にあらずと宣告するがごとくせねばならん。この条項を備えたる評家はこの条項中のあるものについて百より〇に至るまでの点数を作家に附与せねばならん。この条項のうちわが趣味の欠乏して自己に答案を検査するの資格なしと思惟するときは作家と世間とに遠慮して点数を付与する事を差し控えねばならん。評家は自己の得意なる趣味において専門教師と同等の権力を有するを得べきも、その縄張以外の諸点においては知らぬ、わからぬと云い切るか、または何事をも云わぬが礼であり、徳義である。  これらの条項を机の上に貼り附けるのは、学校の教師が、学校の課目全体を承知の上で、自己の受持に当るようなもので、自他の関係を明かにして、文学の全体を一目に見渡すと同時に、自己の立脚地を知るの便宜になる。今の評家はこの便宜を認めていない。認めても作っていない。ただ手当り次第にやる。述作に対すると思いついた事をいい加減に述べる。だから評し尽したのだか、まだ残っているのか当人にも判然しない。西洋も日本も同じ事である。  これらの条項を遺憾なく揃えるためには過去の文学を材料とせねばならぬ。過去の批評を一括してその変遷を知らねばならぬ。したがって上下数千年に渉って抽象的の工夫を費やさねばならぬ。右から見ている人と左から眺めている人との関係を同じ平面にあつめて比較せねばならぬ。昔しの人の述作した精神と、今の人の支配を受くる潮流とを地図のように指し示さねばならぬ。要するに一人の事業ではない。一日の事業でもない。  この条項を備えたる人にして始めて、この条項中に差等をつける事を考えてもよいと思う。人力も人を載せる。電車も人も載せる。両者を知ったものが始めて両者の利害長短を比較するの権利を享ける。中学の課目は数においてきまっている。時間の多少は一様ではない。必要の度の高い英語のごときは比較的多くの時間を占領している。批評の条項についても諸人の合意でこれらの高下を定める事ができるかも知れぬ。崇高感を第一位に置くもよい。純美感を第一にするもよい。あるいは人間の機微に触れた内部の消息を伝えた作品を第一位に据えてもいい。あるいは平々淡々のうちに人を引き着ける垢抜けのした著述を推すもいい。猛烈なものでも、沈静なものでも、形式の整ったものでも、放縦にしてまとまらぬうちに面白味のあるものでも、精緻を極めたものでも、一気に呵成したものでも、神秘的なものでも、写実的なものでも、朧のなかに影を認めるような糢糊たるものでも、青天白日の下に掌をさすがごとき明暸なものでもいい――。相当の理由があって第一位に置かんとならば、相当の理由があって等差を附するならば差支ない。ただしできるかできぬかは疑問である。  これらの条項に差等をつけると同時にこれらの条項中のあるものは性質において併立して存在すべきも、甲乙を従属せしむべきものでないと云う事に気がつくかも知れぬ。しかもその併立せるものが一見反対の趣味で相容れぬと云う事実も認め得るかも知れぬ――批評家は反対の趣味も同時に胸裏に蓄える必要がある。  物理学者が物質を材料とするごとく、動物学者が動物を材料とするごとく、批評家もまた過去の文学を材料として以上の条項とこの条項に従て起る趣味の法則を得ねばならぬ。されどもこの条項とこの法則とは過去の材料より得たる事実を忘れてはならぬ。したがって古に拘泥してあらゆる未来の作物にこれらを応用して得たりと思うは誤りである。死したる自然は古今来を通じて同一である。活動せる人間精神の発現は版行で押したようには行かぬ。過去の文学は未来の文学を生む。生まれたものは同じ訳には行かぬ。同じ訳に行かぬものを、同じ法則で品隲せんとするのは舟を刻んで剣を求むるの類である。過去を綜合して得たる法則は批評家の参考で、批評家の尺度ではない。尺度は伸縮自在にして常に彼の胸中に存在せねばならぬ。批評の法則が立つと文学が衰えるとはこのためである。法則がわるいのではない。法則を利用する評家が変通の理を解せんのである。  作家は造物主である。造物主である以上は評家の予期するものばかりは拵らえぬ。突然として破天荒の作物を天降らせて評家の脳を奪う事がある。中学の課目は文部省できめてある。課目以外の答案を出して採点を求める生徒は一人もない。したがって教師は融通が利かなくてもよい。造物主は白い烏を一夜に作るかも知れぬ。動物学者は白い烏を見た以上は烏は黒いものなりとの定義を変ずる必要を認めねばならぬごとく、批評家もまた古来の法則に遵わざる、また過去の作中より挙げ尽したる評価的条項以外の条項を有する文辞に接せぬとは限らぬ。これに接したるとき、白い烏を烏と認むるほどの、見識と勇気と説明がなくてはならぬ。これができるためには以上の条項と法則を知れねばならぬ。知って融通の才を利かさねばならぬ。拘泥すればそれまでである。  現代評家の弊はこの条項とこの法則を知らざるにある。ある人は煩悶を描かねば文学でないと云う。あるものは他にいかほどの採るべき点があっても、事件に少しでも不自然があれば文学でないと云う。あるものは人間交渉の際卒然として起る際どき真味がなければ文学でないと云う。あるものは平淡なる写生文に事件の発展がないのを見て文学でないと云う。しかして評家が従来の読書及び先輩の薫陶、もしくは自己の狭隘なる経験より出でたる一縷の細長き趣味中に含まるるもののみを見て真の文学だ、真の文学だと云う。余はこれを不快に思う。  余は評家ではない。前段に述べたる資格を有する評家では無論ない。したがって評家としての余の位地を高めんがためにこの篇を草したのではない。時間の許す限り世の評家と共に過去を研究して、出来得る限りこの根拠地を作りたいと思う。思うについては自分一人でやるより広く天下の人と共にやる方がわが文界の慶事であるから云うのである。今の評家はかほどの事を知らぬ訳ではあるまいから、御互にこう云う了見で過去を研究して、御互に得た結果を交換して自然と吾邦将来の批評の土台を築いたらよかろうと相談をするのである。実は西洋でもさほど進歩しておらんと思う。  余は今日までに多少の創作をした。この創作が世間に解せられずして不平だからこの言をなすのでないのは無論である。余の作物は余の予期以上に歓迎されておる。たといある人々から種々の注文が出ても、その注文者の立場は余によくわかっておる。したがってこれらの人に対して不平はなおさらない。だから余の云う事は自己の作物のためでない事は明かである。余はただ吾邦未来の文運のために云うのである。  二月二十八日には生暖たかい風が朝から吹いた。その風が土の上を渡る時、地面は一度に濡れ尽くした。外を歩くと自分の踏む足の下から、熱に冒された病人の呼息のようなものが、下駄の歯に蹴返されるごとに、行く人の眼鼻口を悩ますべく、風のために吹き上げられる気色に見えた。家へ帰って護謨合羽を脱ぐと、肩当の裏側がいつの間にか濡れて、電灯の光に露のような光を投げ返した。不思議だからまた羽織を脱ぐと、同じ場所が大きく二カ所ほど汗で染め抜かれていた。余はその下に綿入を重ねた上、フラネルの襦袢と毛織の襯衣を着ていたのだから、いくら不愉快な夕暮でも、肌に煮染んだ汗の珠がここまで浸み出そうとは思えなかった。試ろみに綿入の背中を撫で廻して貰うと、はたしてどこも湿っていなかった。余はどうして一番上に着た護謨合羽と羽織だけが、これほど烈しく濡れたのだろうかと考えて、私かに不審を抱いた。  池辺君の容体が突然変ったのは、その日の十時半頃からで、一時は注射の利目が見えるくらい、落ちつきかけたのだそうである。それが午過になってまただんだん険悪に陥ったあげく、とうとう絶望の状態まで進んで来た時は、余が毎日の日課として筆を執りつつある「彼岸過迄」をようやく書き上げたと同じ刻限である。池辺君が胸部に末期の苦痛を感じて膏汗を流しながらもがいている間、余は池辺君に対して何らの顧慮も心配も払う事ができなかったのは、君の朋友として、朋友にあるまじき無頓着な心持を抱いていたと云う点において、いかにも残念な気がする。余が修善寺で生死の間に迷うほどの心細い病み方をしていた時、池辺君は例の通りの長大な躯幹を東京から運んで来て、余の枕辺に坐った。そうして苦い顔をしながら、医者に騙されて来て見たと云った。医者に騙されたという彼は、固より余を騙すつもりでこういう言葉を発したのである。彼の死ぬ時には、こういう言葉を考える余地すら余に与えられなかった。枕辺に坐って目礼をする一分時さえ許されなかった。余はただその晩の夜半に彼の死顔を一目見ただけである。  その夜は吹荒さむ生温い風の中に、夜着の数を減して、常よりは早く床についたが、容易に寝つかれない晩であった。締りをした門を揺り動かして、使いのものが、余を驚かすべく池辺君の訃をもたらしたのは十一時過であった。余はすぐに白い毛布の中から出て服を改めた。車に乗るとき曇よりした不愉快な空を仰いで、風の吹く中へ車夫を駈けさした。路は歯の廻らないほど泥濘っているので、車夫のはあはあいう息遣が、風に攫われて行く途中で、折々余の耳を掠めた。不断なら月の差すべき夜と見えて、空を蔽う気味の悪い灰色の雲が、明らさまに東から西へ大きな幅の広い帯を二筋ばかり渡していた。その間が白く曇って左右の鼠をかえって浮き出すように彩った具合がことさらに凄かった。余が池辺|邸に着くまで空の雲は死んだようにまるで動かなかった。  二階へ上って、しばらく社のものと話した後、余は口の利けない池辺君に最後の挨拶をするために、階下の室へ下りて行った。そこには一人の僧が経を読んでいた。女が三四人次の間に黙って控えていた。遺骸は白い布で包んでその上に池辺君の平生着たらしい黒紋付が掛けてあった。顔も白い晒しで隠してあった。余が枕辺近く寄って、その晒しを取り除けた時、僧は読経の声をぴたりと止めた。夜半の灯に透かして見た池辺君の顔は、常と何の変る事もなかった。刈り込んだ髯に交る白髪が、忘るべからざる彼の特徴のごとくに余の眼を射た。ただ血の漲ぎらない両頬の蒼褪めた色が、冷たそうな無常の感じを余の胸に刻んだだけである。  余が最後に生きた池辺君を見たのは、その母堂の葬儀の日であった。柩の門を出ようとする間際に駈けつけた余が、門側に佇んで、葬列の通過を待つべく余儀なくされた時、余と池辺君とは端なく目礼を取り換わしたのである。その時池辺君が帽を被らずに、草履のまま質素な服装をして柩の後に続いた姿を今見るように覚えている。余は生きた池辺君の最後の記念としてその姿を永久に深く頭の奥にしまっておかなければならなくなったかと思うと、その時言葉を交わさなかったのが、はなはだ名残惜しく思われてならない。池辺君はその時からすでに血色が大変悪かった。けれどもその時なら口を利く事が充分できたのである。 一  うとうととして目がさめると女はいつのまにか、隣のじいさんと話を始めている。このじいさんはたしかに前の前の駅から乗ったいなか者である。発車まぎわに頓狂な声を出して駆け込んで来て、いきなり肌をぬいだと思ったら背中にお灸のあとがいっぱいあったので、三四郎の記憶に残っている。じいさんが汗をふいて、肌を入れて、女の隣に腰をかけたまでよく注意して見ていたくらいである。  女とは京都からの相乗りである。乗った時から三四郎の目についた。第一色が黒い。三四郎は九州から山陽線に移って、だんだん京大阪へ近づいて来るうちに、女の色が次第に白くなるのでいつのまにか故郷を遠のくような哀れを感じていた。それでこの女が車室にはいって来た時は、なんとなく異性の味方を得た心持ちがした。この女の色はじっさい九州色であった。  三輪田のお光さんと同じ色である。国を立つまぎわまでは、お光さんは、うるさい女であった。そばを離れるのが大いにありがたかった。けれども、こうしてみると、お光さんのようなのもけっして悪くはない。  ただ顔だちからいうと、この女のほうがよほど上等である。口に締まりがある。目がはっきりしている。額がお光さんのようにだだっ広くない。なんとなくいい心持ちにできあがっている。それで三四郎は五分に一度ぐらいは目を上げて女の方を見ていた。時々は女と自分の目がゆきあたることもあった。じいさんが女の隣へ腰をかけた時などは、もっとも注意して、できるだけ長いあいだ、女の様子を見ていた。その時女はにこりと笑って、さあおかけと言ってじいさんに席を譲っていた。それからしばらくして、三四郎は眠くなって寝てしまったのである。  その寝ているあいだに女とじいさんは懇意になって話を始めたものとみえる。目をあけた三四郎は黙って二人の話を聞いていた。女はこんなことを言う。――  子供の玩具はやっぱり広島より京都のほうが安くっていいものがある。京都でちょっと用があって降りたついでに、蛸薬師のそばで玩具を買って来た。久しぶりで国へ帰って子供に会うのはうれしい。しかし夫の仕送りがとぎれて、しかたなしに親の里へ帰るのだから心配だ。夫は呉にいて長らく海軍の職工をしていたが戦争中は旅順の方に行っていた。戦争が済んでからいったん帰って来た。まもなくあっちのほうが金がもうかるといって、また大連へ出かせぎに行った。はじめのうちは音信もあり、月々のものもちゃんちゃんと送ってきたからよかったが、この半年ばかり前から手紙も金もまるで来なくなってしまった。不実な性質ではないから、大丈夫だけれども、いつまでも遊んで食べているわけにはゆかないので、安否のわかるまではしかたがないから、里へ帰って待っているつもりだ。  じいさんは蛸薬師も知らず、玩具にも興味がないとみえて、はじめのうちはただはいはいと返事だけしていたが、旅順以後急に同情を催して、それは大いに気の毒だと言いだした。自分の子も戦争中兵隊にとられて、とうとうあっちで死んでしまった。いったい戦争はなんのためにするものだかわからない。あとで景気でもよくなればだが、大事な子は殺される、物価は高くなる。こんなばかげたものはない。世のいい時分に出かせぎなどというものはなかった。みんな戦争のおかげだ。なにしろ信心が大切だ。生きて働いているに違いない。もう少し待っていればきっと帰って来る。――じいさんはこんな事を言って、しきりに女を慰めていた。やがて汽車がとまったら、ではお大事にと、女に挨拶をして元気よく出て行った。  じいさんに続いて降りた者が四人ほどあったが、入れ代って、乗ったのはたった一人しかない。もとから込み合った客車でもなかったのが、急に寂しくなった。日の暮れたせいかもしれない。駅夫が屋根をどしどし踏んで、上から灯のついたランプをさしこんでゆく。三四郎は思い出したように前の停車場で買った弁当を食いだした。  車が動きだして二分もたったろうと思うころ、例の女はすうと立って三四郎の横を通り越して車室の外へ出て行った。この時女の帯の色がはじめて三四郎の目にはいった。三四郎は鮎の煮びたしの頭をくわえたまま女の後姿を見送っていた。便所に行ったんだなと思いながらしきりに食っている。  女はやがて帰って来た。今度は正面が見えた。三四郎の弁当はもうしまいがけである。下を向いて一生懸命に箸を突っ込んで二口三口ほおばったが、女は、どうもまだ元の席へ帰らないらしい。もしやと思って、ひょいと目を上げて見るとやっぱり正面に立っていた。しかし三四郎が目を上げると同時に女は動きだした。ただ三四郎の横を通って、自分の座へ帰るべきところを、すぐと前へ来て、からだを横へ向けて、窓から首を出して、静かに外をながめだした。風が強くあたって、鬢がふわふわするところが三四郎の目にはいった。この時三四郎はからになった弁当の折を力いっぱいに窓からほうり出した。女の窓と三四郎の窓は一軒おきの隣であった。風に逆らってなげた折の蓋が白く舞いもどったように見えた時、三四郎はとんだことをしたのかと気がついて、ふと女の顔を見た。顔はあいにく列車の外に出ていた。けれども、女は静かに首を引っ込めて更紗のハンケチで額のところを丁寧にふき始めた。三四郎はともかくもあやまるほうが安全だと考えた。 「ごめんなさい」と言った。  女は「いいえ」と答えた。まだ顔をふいている。三四郎はしかたなしに黙ってしまった。女も黙ってしまった。そうしてまた首を窓から出した。三、四人の乗客は暗いランプの下で、みんな寝ぼけた顔をしている。口をきいている者はだれもない。汽車だけがすさまじい音をたてて行く。三四郎は目を眠った。  しばらくすると「名古屋はもうじきでしょうか」と言う女の声がした。見るといつのまにか向き直って、及び腰になって、顔を三四郎のそばまでもって来ている。三四郎は驚いた。 「そうですね」と言ったが、はじめて東京へ行くんだからいっこう要領を得ない。 「この分では遅れますでしょうか」 「遅れるでしょう」 「あんたも名古屋へお降りで……」 「はあ、降ります」  この汽車は名古屋どまりであった。会話はすこぶる平凡であった。ただ女が三四郎の筋向こうに腰をかけたばかりである。それで、しばらくのあいだはまた汽車の音だけになってしまう。  次の駅で汽車がとまった時、女はようやく三四郎に名古屋へ着いたら迷惑でも宿屋へ案内してくれと言いだした。一人では気味が悪いからと言って、しきりに頼む。三四郎ももっともだと思った。けれども、そう快く引き受ける気にもならなかった。なにしろ知らない女なんだから、すこぶる躊躇したにはしたが、断然断る勇気も出なかったので、まあいいかげんな生返事をしていた。そのうち汽車は名古屋へ着いた。  大きな行李は新橋まで預けてあるから心配はない。三四郎はてごろなズックの鞄と傘だけ持って改札場を出た。頭には高等学校の夏帽をかぶっている。しかし卒業したしるしに徽章だけはもぎ取ってしまった。昼間見るとそこだけ色が新しい。うしろから女がついて来る。三四郎はこの帽子に対して少々きまりが悪かった。けれどもついて来るのだからしかたがない。女のほうでは、この帽子をむろん、ただのきたない帽子と思っている。  九時半に着くべき汽車が四十分ほど遅れたのだから、もう十時はまわっている。けれども暑い時分だから町はまだ宵の口のようににぎやかだ。宿屋も目の前に二、三軒ある。ただ三四郎にはちとりっぱすぎるように思われた。そこで電気燈のついている三階作りの前をすまして通り越して、ぶらぶら歩いて行った。むろん不案内の土地だからどこへ出るかわからない。ただ暗い方へ行った。女はなんともいわずについて来る。すると比較的寂しい横町の角から二軒目に御宿という看板が見えた。これは三四郎にも女にも相応なきたない看板であった。三四郎はちょっと振り返って、一口女にどうですと相談したが、女は結構だというんで、思いきってずっとはいった。上がり口で二人連れではないと断るはずのところを、いらっしゃい、――どうぞお上がり――御案内――梅の四番などとのべつにしゃべられたので、やむをえず無言のまま二人とも梅の四番へ通されてしまった。  下女が茶を持って来るあいだ二人はぼんやり向かい合ってすわっていた。下女が茶を持って来て、お風呂をと言った時は、もうこの婦人は自分の連れではないと断るだけの勇気が出なかった。そこで手ぬぐいをぶら下げて、お先へと挨拶をして、風呂場へ出て行った。風呂場は廊下の突き当りで便所の隣にあった。薄暗くって、だいぶ不潔のようである。三四郎は着物を脱いで、風呂桶の中へ飛び込んで、少し考えた。こいつはやっかいだとじゃぶじゃぶやっていると、廊下に足音がする。だれか便所へはいった様子である。やがて出て来た。手を洗う。それが済んだら、ぎいと風呂場の戸を半分あけた。例の女が入口から、「ちいと流しましょうか」と聞いた。三四郎は大きな声で、 「いえ、たくさんです」と断った。しかし女は出ていかない。かえってはいって来た。そうして帯を解きだした。三四郎といっしょに湯を使う気とみえる。べつに恥かしい様子も見えない。三四郎はたちまち湯槽を飛び出した。そこそこにからだをふいて座敷へ帰って、座蒲団の上にすわって、少なからず驚いていると、下女が宿帳を持って来た。  三四郎は宿帳を取り上げて、福岡県|京都郡真崎村小川三四郎二十三年学生と正直に書いたが、女のところへいってまったく困ってしまった。湯から出るまで待っていればよかったと思ったが、しかたがない。下女がちゃんと控えている。やむをえず同県同郡同村同姓|花二十三年とでたらめを書いて渡した。そうしてしきりに団扇を使っていた。  やがて女は帰って来た。「どうも、失礼いたしました」と言っている。三四郎は「いいや」と答えた。  三四郎は鞄の中から帳面を取り出して日記をつけだした。書く事も何もない。女がいなければ書く事がたくさんあるように思われた。すると女は「ちょいと出てまいります」と言って部屋を出ていった。三四郎はますます日記が書けなくなった。どこへ行ったんだろうと考え出した。  そこへ下女が床をのべに来る。広い蒲団を一枚しか持って来ないから、床は二つ敷かなくてはいけないと言うと、部屋が狭いとか、蚊帳が狭いとか言ってらちがあかない。めんどうがるようにもみえる。しまいにはただいま番頭がちょっと出ましたから、帰ったら聞いて持ってまいりましょうと言って、頑固に一枚の蒲団を蚊帳いっぱいに敷いて出て行った。  それから、しばらくすると女が帰って来た。どうもおそくなりましてと言う。蚊帳の影で何かしているうちに、がらんがらんという音がした。子供にみやげの玩具が鳴ったに違いない。女はやがて風呂敷包みをもとのとおりに結んだとみえる。蚊帳の向こうで「お先へ」と言う声がした。三四郎はただ「はあ」と答えたままで、敷居に尻を乗せて、団扇を使っていた。いっそこのままで夜を明かしてしまおうかとも思った。けれども蚊がぶんぶん来る。外ではとてもしのぎきれない。三四郎はついと立って、鞄の中から、キャラコのシャツとズボン下を出して、それを素肌へ着けて、その上から紺の兵児帯を締めた。それから西洋手拭を二筋持ったまま蚊帳の中へはいった。女は蒲団の向こうのすみでまだ団扇を動かしている。 「失礼ですが、私は癇症でひとの蒲団に寝るのがいやだから……少し蚤よけの工夫をやるから御免なさい」  三四郎はこんなことを言って、あらかじめ、敷いてある敷布の余っている端を女の寝ている方へ向けてぐるぐる巻きだした。そうして蒲団のまん中に白い長い仕切りをこしらえた。女は向こうへ寝返りを打った。三四郎は西洋手拭を広げて、これを自分の領分に二枚続きに長く敷いて、その上に細長く寝た。その晩は三四郎の手も足もこの幅の狭い西洋手拭の外には一寸も出なかった。女は一言も口をきかなかった。女も壁を向いたままじっとして動かなかった。  夜はようよう明けた。顔を洗って膳に向かった時、女はにこりと笑って、「ゆうべは蚤は出ませんでしたか」と聞いた。三四郎は「ええ、ありがとう、おかげさまで」というようなことをまじめに答えながら、下を向いて、お猪口の葡萄豆をしきりに突っつきだした。  勘定をして宿を出て、停車場へ着いた時、女ははじめて関西線で四日市の方へ行くのだということを三四郎に話した。三四郎の汽車はまもなく来た。時間のつごうで女は少し待ち合わせることとなった。改札場のきわまで送って来た女は、 「いろいろごやっかいになりまして、……ではごきげんよう」と丁寧にお辞儀をした。三四郎は鞄と傘を片手に持ったまま、あいた手で例の古帽子を取って、ただ一言、 「さよなら」と言った。女はその顔をじっとながめていた、が、やがておちついた調子で、 「あなたはよっぽど度胸のないかたですね」と言って、にやりと笑った。三四郎はプラットフォームの上へはじき出されたような心持ちがした。車の中へはいったら両方の耳がいっそうほてりだした。しばらくはじっと小さくなっていた。やがて車掌の鳴らす口笛が長い列車の果から果まで響き渡った。列車は動きだす。三四郎はそっと窓から首を出した。女はとくの昔にどこかへ行ってしまった。大きな時計ばかりが目についた。三四郎はまたそっと自分の席に帰った。乗合いはだいぶいる。けれども三四郎の挙動に注意するような者は一人もない。ただ筋向こうにすわった男が、自分の席に帰る三四郎をちょっと見た。  三四郎はこの男に見られた時、なんとなくきまりが悪かった。本でも読んで気をまぎらかそうと思って、鞄をあけてみると、昨夜の西洋手拭が、上のところにぎっしり詰まっている。そいつをそばへかき寄せて、底のほうから、手にさわったやつをなんでもかまわず引き出すと、読んでもわからないベーコンの論文集が出た。ベーコンには気の毒なくらい薄っぺらな粗末な仮綴である。元来汽車の中で読む了見もないものを、大きな行李に入れそくなったから、片づけるついでに提鞄の底へ、ほかの二、三冊といっしょにほうり込んでおいたのが、運悪く当選したのである。三四郎はベーコンの二十三ページを開いた。他の本でも読めそうにはない。ましてベーコンなどはむろん読む気にならない。けれども三四郎はうやうやしく二十三ページを開いて、万遍なくページ全体を見回していた。三四郎は二十三ページの前で一応昨夜のおさらいをする気である。  元来あの女はなんだろう。あんな女が世の中にいるものだろうか。女というものは、ああおちついて平気でいられるものだろうか。無教育なのだろうか、大胆なのだろうか。それとも無邪気なのだろうか。要するにいけるところまでいってみなかったから、見当がつかない。思いきってもう少しいってみるとよかった。けれども恐ろしい。別れぎわにあなたは度胸のないかただと言われた時には、びっくりした。二十三年の弱点が一度に露見したような心持ちであった。親でもああうまく言いあてるものではない。――  三四郎はここまで来て、さらにしょげてしまった。どこの馬の骨だかわからない者に、頭の上がらないくらいどやされたような気がした。ベーコンの二十三ページに対しても、はなはだ申し訳がないくらいに感じた。  どうも、ああ狼狽しちゃだめだ。学問も大学生もあったものじゃない。はなはだ人格に関係してくる。もう少しはしようがあったろう。けれども相手がいつでもああ出るとすると、教育を受けた自分には、あれよりほかに受けようがないとも思われる。するとむやみに女に近づいてはならないというわけになる。なんだか意気地がない。非常に窮屈だ。まるで不具にでも生まれたようなものである。けれども……  三四郎は急に気をかえて、別の世界のことを思い出した。――これから東京に行く。大学にはいる。有名な学者に接触する。趣味品性の備わった学生と交際する。図書館で研究をする。著作をやる。世間で喝采する。母がうれしがる。というような未来をだらしなく考えて、大いに元気を回復してみると、べつに二十三ページのなかに顔を埋めている必要がなくなった。そこでひょいと頭を上げた。すると筋向こうにいたさっきの男がまた三四郎の方を見ていた。今度は三四郎のほうでもこの男を見返した。  髭を濃くはやしている。面長のやせぎすの、どことなく神主じみた男であった。ただ鼻筋がまっすぐに通っているところだけが西洋らしい。学校教育を受けつつある三四郎は、こんな男を見るときっと教師にしてしまう。男は白地の絣の下に、鄭重に白い襦袢を重ねて、紺足袋をはいていた。この服装からおして、三四郎は先方を中学校の教師と鑑定した。大きな未来を控えている自分からみると、なんだかくだらなく感ぜられる。男はもう四十だろう。これよりさきもう発展しそうにもない。  男はしきりに煙草をふかしている。長い煙を鼻の穴から吹き出して、腕組をしたところはたいへん悠長にみえる。そうかと思うとむやみに便所か何かに立つ。立つ時にうんと伸びをすることがある。さも退屈そうである。隣に乗り合わせた人が、新聞の読みがらをそばに置くのに借りてみる気も出さない。三四郎はおのずから妙になって、ベーコンの論文集を伏せてしまった。ほかの小説でも出して、本気に読んでみようとも考えたが、面倒だからやめにした。それよりは前にいる人の新聞を借りたくなった。あいにく前の人はぐうぐう寝ている。三四郎は手を延ばして新聞に手をかけながら、わざと「おあきですか」と髭のある男に聞いた。男は平気な顔で「あいてるでしょう。お読みなさい」と言った。新聞を手に取った三四郎のほうはかえって平気でなかった。  あけてみると新聞にはべつに見るほどの事ものっていない。一、二分で通読してしまった。律義に畳んでもとの場所へ返しながら、ちょっと会釈すると、向こうでも軽く挨拶をして、 「君は高等学校の生徒ですか」と聞いた。  三四郎は、かぶっている古帽子の徽章の痕が、この男の目に映ったのをうれしく感じた。 「ええ」と答えた。 「東京の?」と聞き返した時、はじめて、 「いえ、熊本です。……しかし……」と言ったなり黙ってしまった。大学生だと言いたかったけれども、言うほどの必要がないからと思って遠慮した。相手も「はあ、そう」と言ったなり煙草を吹かしている。なぜ熊本の生徒が今ごろ東京へ行くんだともなんとも聞いてくれない。熊本の生徒には興味がないらしい。この時三四郎の前に寝ていた男が「うん、なるほど」と言った。それでいてたしかに寝ている。ひとりごとでもなんでもない。髭のある人は三四郎を見てにやにやと笑った。三四郎はそれを機会に、 「あなたはどちらへ」と聞いた。 「東京」とゆっくり言ったぎりである。なんだか中学校の先生らしくなくなってきた。けれども三等へ乗っているくらいだからたいしたものでないことは明らかである。三四郎はそれで談話を切り上げた。髭のある男は腕組をしたまま、時々下駄の前歯で、拍子を取って、床を鳴らしたりしている。よほど退屈にみえる。しかしこの男の退屈は話したがらない退屈である。  汽車が豊橋へ着いた時、寝ていた男がむっくり起きて目をこすりながら降りて行った。よくあんなにつごうよく目をさますことができるものだと思った。ことによると寝ぼけて停車場を間違えたんだろうと気づかいながら、窓からながめていると、けっしてそうでない。無事に改札場を通過して、正気の人間のように出て行った。三四郎は安心して席を向こう側へ移した。これで髭のある人と隣り合わせになった。髭のある人は入れ代って、窓から首を出して、水蜜桃を買っている。  やがて二人のあいだに果物を置いて、 「食べませんか」と言った。  三四郎は礼を言って、一つ食べた。髭のある人は好きとみえて、むやみに食べた。三四郎にもっと食べろと言う。三四郎はまた一つ食べた。二人が水蜜桃を食べているうちにだいぶ親密になっていろいろな話を始めた。  その男の説によると、桃は果物のうちでいちばん仙人めいている。なんだか馬鹿みたような味がする。第一|核子の恰好が無器用だ。かつ穴だらけでたいへんおもしろくできあがっていると言う。三四郎ははじめて聞く説だが、ずいぶんつまらないことを言う人だと思った。  次にその男がこんなことを言いだした。子規は果物がたいへん好きだった。かついくらでも食える男だった。ある時大きな樽柿を十六食ったことがある。それでなんともなかった。自分などはとても子規のまねはできない。――三四郎は笑って聞いていた。けれども子規の話だけには興味があるような気がした。もう少し子規のことでも話そうかと思っていると、 「どうも好きなものにはしぜんと手が出るものでね。しかたがない。豚などは手が出ない代りに鼻が出る。豚をね、縛って動けないようにしておいて、その鼻の先へ、ごちそうを並べて置くと、動けないものだから、鼻の先がだんだん延びてくるそうだ。ごちそうに届くまでは延びるそうです。どうも一念ほど恐ろしいものはない」と言って、にやにや笑っている。まじめだか冗談だか、判然と区別しにくいような話し方である。 「まあお互に豚でなくってしあわせだ。そうほしいものの方へむやみに鼻が延びていったら、今ごろは汽車にも乗れないくらい長くなって困るに違いない」  三四郎は吹き出した。けれども相手は存外静かである。 「じっさいあぶない。レオナルド・ダ・ヴィンチという人は桃の幹に砒石を注射してね、その実へも毒が回るものだろうか、どうだろうかという試験をしたことがある。ところがその桃を食って死んだ人がある。あぶない。気をつけないとあぶない」と言いながら、さんざん食い散らした水蜜桃の核子やら皮やらを、ひとまとめに新聞にくるんで、窓の外へなげ出した。  今度は三四郎も笑う気が起こらなかった。レオナルド・ダ・ヴィンチという名を聞いて少しく辟易したうえに、なんだかゆうべの女のことを考え出して、妙に不愉快になったから、謹んで黙ってしまった。けれども相手はそんなことにいっこう気がつかないらしい。やがて、 「東京はどこへ」と聞きだした。 「じつははじめてで様子がよくわからんのですが……さしあたり国の寄宿舎へでも行こうかと思っています」と言う。 「じゃ熊本はもう……」 「今度卒業したのです」 「はあ、そりゃ」と言ったがおめでたいとも結構だともつけなかった。ただ「するとこれから大学へはいるのですね」といかにも平凡であるかのごとく聞いた。  三四郎はいささか物足りなかった。その代り、 「ええ」という二字で挨拶を片づけた。 「科は?」とまた聞かれる。 「一部です」 「法科ですか」 「いいえ文科です」 「はあ、そりゃ」とまた言った。三四郎はこのはあ、そりゃを聞くたびに妙になる。向こうが大いに偉いか、大いに人を踏み倒しているか、そうでなければ大学にまったく縁故も同情もない男に違いない。しかしそのうちのどっちだか見当がつかないので、この男に対する態度もきわめて不明瞭であった。  浜松で二人とも申し合わせたように弁当を食った。食ってしまっても汽車は容易に出ない。窓から見ると、西洋人が四、五人列車の前を行ったり来たりしている。そのうちの一組は夫婦とみえて、暑いのに手を組み合わせている。女は上下ともまっ白な着物で、たいへん美しい。三四郎は生まれてから今日に至るまで西洋人というものを五、六人しか見たことがない。そのうちの二人は熊本の高等学校の教師で、その二人のうちの一人は運悪くせむしであった。女では宣教師を一人知っている。ずいぶんとんがった顔で、鱚または※に類していた。だから、こういう派手なきれいな西洋人は珍しいばかりではない。すこぶる上等に見える。三四郎は一生懸命にみとれていた。これではいばるのももっともだと思った。自分が西洋へ行って、こんな人のなかにはいったらさだめし肩身の狭いことだろうとまで考えた。窓の前を通る時二人の話を熱心に聞いてみたがちっともわからない。熊本の教師とはまるで発音が違うようだった。  ところへ例の男が首を後から出して、 「まだ出そうもないのですかね」と言いながら、今行き過ぎた西洋の夫婦をちょいと見て、 「ああ美しい」と小声に言って、すぐに生欠伸をした。三四郎は自分がいかにもいなか者らしいのに気がついて、さっそく首を引き込めて、着座した。男もつづいて席に返った。そうして、 「どうも西洋人は美しいですね」と言った。  三四郎はべつだんの答も出ないのでただはあと受けて笑っていた。すると髭の男は、 「お互いは哀れだなあ」と言い出した。「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめですね。もっとも建物を見ても、庭園を見ても、いずれも顔相応のところだが、――あなたは東京がはじめてなら、まだ富士山を見たことがないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれよりほかに自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだからしかたがない。我々がこしらえたものじゃない」と言ってまたにやにや笑っている。三四郎は日露戦争以後こんな人間に出会うとは思いもよらなかった。どうも日本人じゃないような気がする。 「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、 「滅びるね」と言った。――熊本でこんなことを口に出せば、すぐなぐられる。悪くすると国賊取り扱いにされる。三四郎は頭の中のどこのすみにもこういう思想を入れる余裕はないような空気のうちで生長した。だからことによると自分の年の若いのに乗じて、ひとを愚弄するのではなかろうかとも考えた。男は例のごとく、にやにや笑っている。そのくせ言葉つきはどこまでもおちついている。どうも見当がつかないから、相手になるのをやめて黙ってしまった。すると男が、こう言った。 「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」でちょっと切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。 「日本より頭の中のほうが広いでしょう」と言った。「とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓の引き倒しになるばかりだ」  この言葉を聞いた時、三四郎は真実に熊本を出たような心持ちがした。同時に熊本にいた時の自分は非常に卑怯であったと悟った。  その晩三四郎は東京に着いた。髭の男は別れる時まで名前を明かさなかった。三四郎は東京へ着きさえすれば、このくらいの男は到るところにいるものと信じて、べつに姓名を尋ねようともしなかった。 二  三四郎が東京で驚いたものはたくさんある。第一電車のちんちん鳴るので驚いた。それからそのちんちん鳴るあいだに、非常に多くの人間が乗ったり降りたりするので驚いた。次に丸の内で驚いた。もっとも驚いたのは、どこまで行っても東京がなくならないということであった。しかもどこをどう歩いても、材木がほうり出してある、石が積んである、新しい家が往来から二、三間引っ込んでいる、古い蔵が半分とりくずされて心細く前の方に残っている。すべての物が破壊されつつあるようにみえる。そうしてすべての物がまた同時に建設されつつあるようにみえる。たいへんな動き方である。  三四郎はまったく驚いた。要するに普通のいなか者がはじめて都のまん中に立って驚くと同じ程度に、また同じ性質において大いに驚いてしまった。今までの学問はこの驚きを予防するうえにおいて、売薬ほどの効能もなかった。三四郎の自信はこの驚きとともに四割がた減却した。不愉快でたまらない。  この劇烈な活動そのものがとりもなおさず現実世界だとすると、自分が今日までの生活は現実世界に毫も接触していないことになる。洞が峠で昼寝をしたと同然である。それではきょうかぎり昼寝をやめて、活動の割り前が払えるかというと、それは困難である。自分は今活動の中心に立っている。けれども自分はただ自分の左右前後に起こる活動を見なければならない地位に置きかえられたというまでで、学生としての生活は以前と変るわけはない。世界はかように動揺する。自分はこの動揺を見ている。けれどもそれに加わることはできない。自分の世界と現実の世界は、一つ平面に並んでおりながら、どこも接触していない。そうして現実の世界は、かように動揺して、自分を置き去りにして行ってしまう。はなはだ不安である。  三四郎は東京のまん中に立って電車と、汽車と、白い着物を着た人と、黒い着物を着た人との活動を見て、こう感じた。けれども学生生活の裏面に横たわる思想界の活動には毫も気がつかなかった。――明治の思想は西洋の歴史にあらわれた三百年の活動を四十年で繰り返している。  三四郎が動く東京のまん中に閉じ込められて、一人でふさぎこんでいるうちに、国元の母から手紙が来た。東京で受け取った最初のものである。見るといろいろ書いてある。まず今年は豊作でめでたいというところから始まって、からだを大事にしなくってはいけないという注意があって、東京の者はみんな利口で人が悪いから用心しろと書いて、学資は毎月月末に届くようにするから安心しろとあって、勝田の政さんの従弟に当る人が大学校を卒業して、理科大学とかに出ているそうだから、尋ねて行って、万事よろしく頼むがいいで結んである。肝心の名前を忘れたとみえて、欄外というようなところに野々宮宗八どのと書いてあった。この欄外にはそのほか二、三件ある。作の青馬が急病で死んだんで、作は大弱りである。三輪田のお光さんが鮎をくれたけれども、東京へ送ると途中で腐ってしまうから、家内で食べてしまった、等である。  三四郎はこの手紙を見て、なんだか古ぼけた昔から届いたような気がした。母にはすまないが、こんなものを読んでいる暇はないとまで考えた。それにもかかわらず繰り返して二へん読んだ。要するに自分がもし現実世界と接触しているならば、今のところ母よりほかにないのだろう。その母は古い人で古いいなかにおる。そのほかには汽車の中で乗り合わした女がいる。あれは現実世界の稲妻である。接触したというには、あまりに短くってかつあまりに鋭すぎた。――三四郎は母の言いつけどおり野々宮宗八を尋ねることにした。  あくる日は平生よりも暑い日であった。休暇中だから理科大学を尋ねても野々宮君はおるまいと思ったが、母が宿所を知らせてこないから、聞き合わせかたがた行ってみようという気になって、午後四時ごろ、高等学校の横を通って弥生町の門からはいった。往来は埃が二寸も積もっていて、その上に下駄の歯や、靴の底や、草鞋の裏がきれいにできあがってる。車の輪と自転車のあとは幾筋だかわからない。むっとするほどたまらない道だったが、構内へはいるとさすがに木の多いだけに気分がせいせいした。とっつきの戸をあたってみたら錠が下りている。裏へ回ってもだめであった。しまいに横へ出た。念のためと思って押してみたら、うまいぐあいにあいた。廊下の四つ角に小使が一人居眠りをしていた。来意を通じると、しばらくのあいだは、正気を回復するために、上野の森をながめていたが、突然「おいでかもしれません」と言って奥へはいって行った。すこぶる閑静である。やがてまた出て来た。 「おいででやす。おはいんなさい」と友だちみたように言う。小使にくっついて行くと四つ角を曲がって和土の廊下を下へ降りた。世界が急に暗くなる。炎天で目がくらんだ時のようであったがしばらくすると瞳がようやくおちついて、あたりが見えるようになった。穴倉だから比較的涼しい。左の方に戸があって、その戸があけ放してある。そこから顔が出た。額の広い目の大きな仏教に縁のある相である。縮みのシャツの上へ背広を着ているが、背広はところどころにしみがある。背はすこぶる高い。やせているところが暑さに釣り合っている。頭と背中を一直線に前の方へ延ばしてお辞儀をした。 「こっちへ」と言ったまま、顔を部屋の中へ入れてしまった。三四郎は戸の前まで来て部屋の中をのぞいた。すると野々宮君はもう椅子へ腰をかけている。もう一ぺん「こっちへ」と言った。こっちへと言うところに台がある。四角な棒を四本立てて、その上を板で張ったものである。三四郎は台の上へ腰をかけて初対面の挨拶をする。それからなにぶんよろしく願いますと言った。野々宮君はただはあ、はあと言って聞いている。その様子がいくぶんか汽車の中で水蜜桃を食った男に似ている。ひととおり口上を述べた三四郎はもう何も言う事がなくなってしまった。野々宮君もはあ、はあ言わなくなった。  部屋の中を見回すとまん中に大きな長い樫のテーブルが置いてある。その上にはなんだかこみいった、太い針金だらけの器械が乗っかって、そのわきに大きなガラスの鉢に水が入れてある。そのほかにやすりとナイフと襟飾りが一つ落ちている。最後に向こうのすみを見ると、三尺ぐらいの花崗石の台の上に、福神漬の缶ほどな複雑な器械が乗せてある。三四郎はこの缶の横っ腹にあいている二つの穴に目をつけた。穴が蟒蛇の目玉のように光っている。野々宮君は笑いながら光るでしょうと言った。そうして、こういう説明をしてくれた。 「昼間のうちに、あんな準備をしておいて、夜になって、交通その他の活動が鈍くなるころに、この静かな暗い穴倉で、望遠鏡の中から、あの目玉のようなものをのぞくのです。そうして光線の圧力を試験する。今年の正月ごろからとりかかったが、装置がなかなかめんどうなのでまだ思うような結果が出てきません。夏は比較的こらえやすいが、寒夜になると、たいへんしのぎにくい。外套を着て襟巻をしても冷たくてやりきれない。……」  三四郎は大いに驚いた。驚くとともに光線にどんな圧力があって、その圧力がどんな役に立つんだか、まったく要領を得るに苦しんだ。  その時野々宮君は三四郎に、「のぞいてごらんなさい」と勧めた。三四郎はおもしろ半分、石の台の二、三間手前にある望遠鏡のそばへ行って右の目をあてがったが、なんにも見えない。野々宮君は「どうです、見えますか」と聞く。「いっこう見えません」と答えると、「うんまだ蓋が取らずにあった」と言いながら、椅子を立って望遠鏡の先にかぶせてあるものを除けてくれた。  見ると、ただ輪郭のぼんやりした明るいなかに、物差しの度盛りがある。下に2の字が出た。野々宮君がまた「どうです」と聞いた。「2の字が見えます」と言うと、「いまに動きます」と言いながら向こうへ回って何かしているようであった。  やがて度盛りが明るいなかで動きだした。2が消えた。あとから3が出る。そのあとから4が出る。5が出る。とうとう10まで出た。すると度盛りがまた逆に動きだした。10が消え、9が消え、8から7、7から6と順々に1まで来てとまった。野々宮君はまた「どうです」と言う。三四郎は驚いて、望遠鏡から目を放してしまった。度盛りの意味を聞く気にもならない。  丁寧に礼を述べて穴倉を上がって、人の通る所へ出て見ると世の中はまだかんかんしている。暑いけれども深い息をした。西の方へ傾いた日が斜めに広い坂を照らして、坂の上の両側にある工科の建築のガラス窓が燃えるように輝いている。空は深く澄んで、澄んだなかに、西の果から焼ける火の炎が、薄赤く吹き返してきて、三四郎の頭の上までほてっているように思われた。横に照りつける日を半分背中に受けて、三四郎は左の森の中へはいった。その森も同じ夕日を半分背中に受けている。黒ずんだ青い葉と葉のあいだは染めたように赤い。太い欅の幹で日暮らしが鳴いている。三四郎は池のそばへ来てしゃがんだ。  非常に静かである。電車の音もしない。赤門の前を通るはずの電車は、大学の抗議で小石川を回ることになったと国にいる時分新聞で見たことがある。三四郎は池のはたにしゃがみながら、ふとこの事件を思い出した。電車さえ通さないという大学はよほど社会と離れている。  たまたまその中にはいってみると、穴倉の下で半年余りも光線の圧力の試験をしている野々宮君のような人もいる。野々宮君はすこぶる質素な服装をして、外で会えば電燈会社の技手くらいな格である。それで穴倉の底を根拠地として欣然とたゆまずに研究を専念にやっているから偉い。しかし望遠鏡の中の度盛りがいくら動いたって現実世界と交渉のないのは明らかである。野々宮君は生涯現実世界と接触する気がないのかもしれない。要するにこの静かな空気を呼吸するから、おのずからああいう気分にもなれるのだろう。自分もいっそのこと気を散らさずに、生きた世の中と関係のない生涯を送ってみようかしらん。  三四郎がじっとして池の面を見つめていると、大きな木が、幾本となく水の底に映って、そのまた底に青い空が見える。三四郎はこの時電車よりも、東京よりも、日本よりも、遠くかつはるかな心持ちがした。しかししばらくすると、その心持ちのうちに薄雲のような寂しさがいちめんに広がってきた。そうして、野々宮君の穴倉にはいって、たった一人ですわっているかと思われるほどな寂寞を覚えた。熊本の高等学校にいる時分もこれより静かな竜田山に上ったり、月見草ばかりはえている運動場に寝たりして、まったく世の中を忘れた気になったことは幾度となくある、けれどもこの孤独の感じは今はじめて起こった。  活動の激しい東京を見たためだろうか。あるいは――三四郎はこの時赤くなった。汽車で乗り合わした女の事を思い出したからである。――現実世界はどうも自分に必要らしい。けれども現実世界はあぶなくて近寄れない気がする。三四郎は早く下宿に帰って母に手紙を書いてやろうと思った。  ふと目を上げると、左手の丘の上に女が二人立っている。女のすぐ下が池で、向こう側が高い崖の木立で、その後がはでな赤煉瓦のゴシック風の建築である。そうして落ちかかった日が、すべての向こうから横に光をとおしてくる。女はこの夕日に向いて立っていた。三四郎のしゃがんでいる低い陰から見ると丘の上はたいへん明るい。女の一人はまぼしいとみえて、団扇を額のところにかざしている。顔はよくわからない。けれども着物の色、帯の色はあざやかにわかった。白い足袋の色も目についた。鼻緒の色はとにかく草履をはいていることもわかった。もう一人はまっしろである。これは団扇もなにも持っていない。ただ額に少し皺を寄せて、向こう岸からおいかぶさりそうに、高く池の面に枝を伸ばした古木の奥をながめていた。団扇を持った女は少し前へ出ている。白いほうは一足|土堤の縁からさがっている。三四郎が見ると、二人の姿が筋かいに見える。  この時三四郎の受けた感じはただきれいな色彩だということであった。けれどもいなか者だから、この色彩がどういうふうにきれいなのだか、口にも言えず、筆にも書けない。ただ白いほうが看護婦だと思ったばかりである。  三四郎はまたみとれていた。すると白いほうが動きだした。用事のあるような動き方ではなかった。自分の足がいつのまにか動いたというふうであった。見ると団扇を持った女もいつのまにかまた動いている。二人は申し合わせたように用のない歩き方をして、坂を降りて来る。三四郎はやっぱり見ていた。  坂の下に石橋がある。渡らなければまっすぐに理科大学の方へ出る。渡れば水ぎわを伝ってこっちへ来る。二人は石橋を渡った。  団扇はもうかざしていない。左の手に白い小さな花を持って、それをかぎながら来る。かぎながら、鼻の下にあてがった花を見ながら、歩くので、目は伏せている。それで三四郎から一間ばかりの所へ来てひょいととまった。 「これはなんでしょう」と言って、仰向いた。頭の上には大きな椎の木が、日の目のもらないほど厚い葉を茂らして、丸い形に、水ぎわまで張り出していた。 「これは椎」と看護婦が言った。まるで子供に物を教えるようであった。 「そう。実はなっていないの」と言いながら、仰向いた顔をもとへもどす、その拍子に三四郎を一目見た。三四郎はたしかに女の黒目の動く刹那を意識した。その時色彩の感じはことごとく消えて、なんともいえぬある物に出会った。そのある物は汽車の女に「あなたは度胸のないかたですね」と言われた時の感じとどこか似通っている。三四郎は恐ろしくなった。  二人の女は三四郎の前を通り過ぎる。若いほうが今までかいでいた白い花を三四郎の前へ落として行った。三四郎は二人の後姿をじっと見つめていた。看護婦は先へ行く。若いほうがあとから行く。はなやかな色のなかに、白い薄を染め抜いた帯が見える。頭にもまっ白な薔薇を一つさしている。その薔薇が椎の木陰の下の、黒い髪のなかできわだって光っていた。  三四郎はぼんやりしていた。やがて、小さな声で「矛盾だ」と言った。大学の空気とあの女が矛盾なのだか、あの色彩とあの目つきが矛盾なのだか、あの女を見て汽車の女を思い出したのが矛盾なのだか、それとも未来に対する自分の方針が二道に矛盾しているのか、または非常にうれしいものに対して恐れをいだくところが矛盾しているのか、――このいなか出の青年には、すべてわからなかった。ただなんだか矛盾であった。  三四郎は女の落として行った花を拾った。そうしてかいでみた。けれどもべつだんのにおいもなかった。三四郎はこの花を池の中へ投げ込んだ。花は浮いている。すると突然向こうで自分の名を呼んだ者がある。  三四郎は花から目を放した。見ると野々宮君が石橋の向こうに長く立っている。 「君まだいたんですか」と言う。三四郎は答をするまえに、立ってのそのそ歩いて行った。石橋の上まで来て、 「ええ」と言った。なんとなくまが抜けている。けれども野々宮君は、少しも驚かない。 「涼しいですか」と聞いた。三四郎はまた、 「ええ」と言った。  野々宮君はしばらく池の水をながめていたが、右の手をポケットへ入れて何か捜しだした。ポケットから半分封筒がはみ出している。その上に書いてある字が女の手跡らしい。野々宮君は思う物を捜しあてなかったとみえて、もとのとおりの手を出してぶらりと下げた。そうして、こう言った。 「きょうは少し装置が狂ったので晩の実験はやめだ。これから本郷の方を散歩して帰ろうと思うが、君どうです、いっしょに歩きませんか」  三四郎は快く応じた。二人で坂を上がって、丘の上へ出た。野々宮君はさっき女の立っていたあたりでちょっととまって、向こうの青い木立のあいだから見える赤い建物と、崖の高いわりに、水の落ちた池をいちめんに見渡して、 「ちょっといい景色でしょう。あの建築の角度のところだけが少し出ている。木のあいだから。ね。いいでしょう。君気がついていますか。あの建物はなかなかうまくできていますよ。工科もよくできてるがこのほうがうまいですね」  三四郎は野々宮君の鑑賞力に少々驚いた。実をいうと自分にはどっちがいいかまるでわからないのである。そこで今度は三四郎のほうが、はあ、はあと言い出した。 「それから、この木と水の|感じがね。――たいしたものじゃないが、なにしろ東京のまん中にあるんだから――静かでしょう。こういう所でないと学問をやるにはいけませんね。近ごろは東京があまりやかましくなりすぎて困る。これが御殿」と歩きだしながら、左手の建物をさしてみせる。「教授会をやる所です。うむなに、ぼくなんか出ないでいいのです。ぼくは穴倉生活をやっていればすむのです。近ごろの学問は非常な勢いで動いているので、少しゆだんすると、すぐ取り残されてしまう。人が見ると穴倉の中で冗談をしているようだが、これでもやっている当人の頭の中は劇烈に働いているんですよ。電車よりよっぽど激しく働いているかもしれない。だから夏でも旅行をするのが惜しくってね」と言いながら仰向いて大きな空を見た。空にはもう日の光が乏しい。  青い空の静まり返った、上皮に白い薄雲が刷毛先でかき払ったあとのように、筋かいに長く浮いている。 「あれを知ってますか」と言う。三四郎は仰いで半透明の雲を見た。 「あれは、みんな雪の粉ですよ。こうやって下から見ると、ちっとも動いていない。しかしあれで地上に起こる颶風以上の速力で動いているんですよ。――君ラスキンを読みましたか」  三四郎は憮然として読まないと答えた。野々宮君はただ 「そうですか」と言ったばかりである。しばらくしてから、 「この空を写生したらおもしろいですね。――原口にでも話してやろうかしら」と言った。三四郎はむろん原口という画工の名前を知らなかった。  二人はベルツの銅像の前から枳殻寺の横を電車の通りへ出た。銅像の前で、この銅像はどうですかと聞かれて三四郎はまた弱った。表はたいへんにぎやかである。電車がしきりなしに通る。 「君電車はうるさくはないですか」とまた聞かれた。三四郎はうるさいよりすさまじいくらいである。しかしただ「ええ」と答えておいた。すると野々宮君は「ぼくもうるさい」と言った。しかしいっこううるさいようにもみえなかった。 「ぼくは車掌に教わらないと、一人で乗換えが自由にできない。この二、三年むやみにふえたのでね。便利になってかえって困る。ぼくの学問と同じことだ」と言って笑った。  学期の始まりぎわなので新しい高等学校の帽子をかぶった生徒がだいぶ通る。野々宮君は愉快そうに、この連中を見ている。 「だいぶ新しいのが来ましたね」と言う。「若い人は活気があっていい。ときに君はいくつですか」と聞いた。三四郎は宿帳へ書いたとおりを答えた。すると、 「それじゃぼくより七つばかり若い。七年もあると、人間はたいていの事ができる。しかし月日はたちやすいものでね。七年ぐらいじきですよ」と言う。どっちが本当なんだか、三四郎にはわからなかった。  四角近くへ来ると左右に本屋と雑誌屋がたくさんある。そのうちの二、三軒には人が黒山のようにたかっている、そうして雑誌を読んでいる。そうして買わずに行ってしまう。野々宮君は、 「みんなずるいなあ」と言って笑っている。もっとも当人もちょいと太陽をあけてみた。  四角へ出ると、左手のこちら側に西洋|小間物屋があって、向こう側に日本小間物屋がある。そのあいだを電車がぐるっと曲がって、非常な勢いで通る。ベルがちんちんちんちんいう。渡りにくいほど雑踏する。野々宮君は、向こうの小間物屋をさして、 「あすこでちょいと買物をしますからね」と言って、ちりんちりんと鳴るあいだを駆け抜けた。三四郎もくっついて、向こうへ渡った。野々宮君はさっそく店へはいった。表に待っていた三四郎が、気がついて見ると、店先のガラス張りの棚に櫛だの花簪だのが並べてある。三四郎は妙に思った。野々宮君が何を買っているのかしらと、不審を起こして、店の中へはいってみると、蝉の羽根のようなリボンをぶら下げて、 「どうですか」と聞かれた。三四郎はこの時自分も何か買って、鮎のお礼に三輪田のお光さんに送ってやろうかと思った。けれどもお光さんが、それをもらって、鮎のお礼と思わずに、きっとなんだかんだと手前がっての理屈をつけるに違いないと考えたからやめにした。  それから真砂町で野々宮君に西洋料理のごちそうになった。野々宮君の話では本郷でいちばんうまい家だそうだ。けれども三四郎にはただ西洋料理の味がするだけであった。しかし食べることはみんな食べた。  西洋料理屋の前で野々宮君に別れて、追分に帰るところを丁寧にもとの四角まで出て、左へ折れた。下駄を買おうと思って、下駄屋をのぞきこんだら、白熱ガスの下に、まっ白に塗り立てた娘が、石膏の化物のようにすわっていたので、急にいやになってやめた。それから家へ帰るあいだ、大学の池の縁で会った女の、顔の色ばかり考えていた。――その色は薄く餅をこがしたような狐色であった。そうして肌理が非常に細かであった。三四郎は、女の色は、どうしてもあれでなくってはだめだと断定した。 三  学年は九月十一日に始まった。三四郎は正直に午前十時半ごろ学校へ行ってみたが、玄関前の掲示場に講義の時間割りがあるばかりで学生は一人もいない。自分の聞くべき分だけを手帳に書きとめて、それから事務室へ寄ったら、さすがに事務員だけは出ていた。講義はいつから始まりますかと聞くと、九月十一日から始まると言っている。すましたものである。でも、どの部屋を見ても講義がないようですがと尋ねると、それは先生がいないからだと答えた。三四郎はなるほどと思って事務室を出た。裏へ回って、大きな欅の下から高い空をのぞいたら、普通の空よりも明らかに見えた。熊笹の中を水ぎわへおりて、例の椎の木の所まで来て、またしゃがんだ。あの女がもう一ぺん通ればいいくらいに考えて、たびたび丘の上をながめたが、丘の上には人影もしなかった。三四郎はそれが当然だと考えた。けれどもやはりしゃがんでいた。すると、午砲が鳴ったんで驚いて下宿へ帰った。  翌日は正八時に学校へ行った。正門をはいると、とっつきの大通りの左右に植えてある銀杏の並木が目についた。銀杏が向こうの方で尽きるあたりから、だらだら坂に下がって、正門のきわに立った三四郎から見ると、坂の向こうにある理科大学は二階の一部しか出ていない。その屋根のうしろに朝日を受けた上野の森が遠く輝いている。日は正面にある。三四郎はこの奥行のある景色を愉快に感じた。  銀杏の並木がこちら側で尽きる右手には法文科大学がある。左手には少しさがって博物の教室がある。建築は双方ともに同じで、細長い窓の上に、三角にとがった屋根が突き出している。その三角の縁に当る赤煉瓦と黒い屋根のつぎめの所が細い石の直線でできている。そうしてその石の色が少し青味を帯びて、すぐ下にくるはでな赤煉瓦に一種の趣を添えている。そうしてこの長い窓と、高い三角が横にいくつも続いている。三四郎はこのあいだ野々宮君の説を聞いてから以来、急にこの建物をありがたく思っていたが、けさは、この意見が野々宮君の意見でなくって、初手から自分の持説であるような気がしだした。ことに博物室が法文科と一直線に並んでいないで、少し奥へ引っ込んでいるところが不規則で妙だと思った。こんど野々宮君に会ったら自分の発明としてこの説を持ち出そうと考えた。  法文科の右のはずれから半町ほど前へ突き出している図書館にも感服した。よくわからないがなんでも同じ建築だろうと考えられる。その赤い壁につけて、大きな棕櫚の木を五、六本植えたところが大いにいい。左手のずっと奥にある工科大学は封建時代の西洋のお城から割り出したように見えた。まっ四角にできあがっている。窓も四角である。ただ四すみと入口が丸い。これは櫓を形取ったんだろう。お城だけにしっかりしている。法文科みたように倒れそうでない。なんだか背の低い相撲取りに似ている。  三四郎は見渡すかぎり見渡して、このほかにもまだ目に入らない建物がたくさんあることを勘定に入れて、どことなく雄大な感じを起こした。「学問の府はこうなくってはならない。こういう構えがあればこそ研究もできる。えらいものだ」――三四郎は大学者になったような心持ちがした。  けれども教室へはいってみたら、鐘は鳴っても先生は来なかった。その代り学生も出て来ない。次の時間もそのとおりであった。三四郎は癇癪を起こして教場を出た。そうして念のために池の周囲を二へんばかり回って下宿へ帰った。  それから約十日ばかりたってから、ようやく講義が始まった。三四郎がはじめて教室へはいって、ほかの学生といっしょに先生の来るのを待っていた時の心持ちはじつに殊勝なものであった。神主が装束を着けて、これから祭典でも行なおうとするまぎわには、こういう気分がするだろうと、三四郎は自分で自分の了見を推定した。じっさい学問の威厳に打たれたに違いない。それのみならず、先生がベルが鳴って十五分立っても出て来ないのでますます予期から生ずる敬畏の念を増した。そのうち人品のいいおじいさんの西洋人が戸をあけてはいってきて、流暢な英語で講義を始めた。三四郎はその時 answer という字はアングロ・サクソン語の and-swaru から出たんだということを覚えた。それからスコットの通った小学校の村の名を覚えた。いずれも大切に筆記帳にしるしておいた。その次には文学論の講義に出た。この先生は教室にはいって、ちょっと黒板をながめていたが、黒板の上に書いてある Geschehen という字と Nachbild という字を見て、はあドイツ語かと言って、笑いながらさっさと消してしまった。三四郎はこれがためにドイツ語に対する敬意を少し失ったように感じた。先生は、それから古来文学者が文学に対して下した定義をおよそ二十ばかり並べた。三四郎はこれも大事に手帳に筆記しておいた。午後は大教室に出た。その教室には約七、八十人ほどの聴講者がいた。したがって先生も演説|口調であった。砲声一発|浦賀の夢を破ってという冒頭であったから、三四郎はおもしろがって聞いていると、しまいにはドイツの哲学者の名がたくさん出てきてはなはだ解しにくくなった。机の上を見ると、落第という字がみごとに彫ってある。よほど暇に任せて仕上げたものとみえて、堅い樫の板をきれいに切り込んだてぎわは素人とは思われない。深刻のできである。隣の男は感心に根気よく筆記をつづけている。のぞいて見ると筆記ではない。遠くから先生の似顔をポンチにかいていたのである。三四郎がのぞくやいなや隣の男はノートを三四郎の方に出して見せた。絵はうまくできているが、そばに久方の雲井の空の子規と書いてあるのは、なんのことだか判じかねた。  講義が終ってから、三四郎はなんとなく疲労したような気味で、二階の窓から頬杖を突いて、正門内の庭を見おろしていた。ただ大きな松や桜を植えてそのあいだに砂利を敷いた広い道をつけたばかりであるが、手を入れすぎていないだけに、見ていて心持ちがいい。野々宮君の話によるとここは昔はこうきれいではなかった。野々宮君の先生のなんとかいう人が、学生の時分馬に乗って、ここを乗り回すうち、馬がいうことを聞かないで、意地を悪くわざと木の下を通るので、帽子が松の枝に引っかかる。下駄の歯が鐙にはさまる。先生はたいへん困っていると、正門前の喜多床という髪結床の職人がおおぜい出てきて、おもしろがって笑っていたそうである。その時分には有志の者が醵金して構内に厩をこしらえて、三頭の馬と、馬の先生とを飼っておいた。ところが先生がたいへんな酒飲みで、とうとう三頭のうちのいちばんいい白い馬を売って飲んでしまった。それはナポレオン三世時代の老馬であったそうだ。まさかナポレオン三世時代でもなかろう。しかしのん気な時代もあったものだと考えていると、さっきポンチ絵をかいた男が来て、 「大学の講義はつまらんなあ」と言った。三四郎はいいかげんな返事をした。じつはつまるかつまらないか、三四郎にはちっとも判断ができないのである。しかしこの時からこの男と口をきくようになった。  その日はなんとなく気が鬱して、おもしろくなかったので、池の周囲を回ることは見合わせて家へ帰った。晩食後筆記を繰り返して読んでみたが、べつに愉快にも不愉快にもならなかった。母に言文一致の手紙を書いた。――学校は始まった。これから毎日出る。学校はたいへん広いいい場所で、建物もたいへん美しい。まん中に池がある。池の周囲を散歩するのが楽しみだ。電車には近ごろようやく乗り馴れた。何か買ってあげたいが、何がいいかわからないから、買ってあげない。ほしければそっちから言ってきてくれ。今年の米はいまに価が出るから、売らずにおくほうが得だろう。三輪田のお光さんにはあまり愛想よくしないほうがよかろう。東京へ来てみると人はいくらでもいる。男も多いが女も多い。というような事をごたごた並べたものであった。  手紙を書いて、英語の本を六、七ページ読んだらいやになった。こんな本を一冊ぐらい読んでもだめだと思いだした。床を取って寝ることにしたが、寝つかれない。不眠症になったらはやく病院に行って見てもらおうなどと考えているうちに寝てしまった。  あくる日も例刻に学校へ行って講義を聞いた。講義のあいだに今年の卒業生がどこそこへいくらで売れたという話を耳にした。だれとだれがまだ残っていて、それがある官立学校の地位を競争している噂だなどと話している者があった。三四郎は漠然と、未来が遠くから眼前に押し寄せるようなにぶい圧迫を感じたが、それはすぐ忘れてしまった。むしろ昇之助がなんとかしたというほうの話がおもしろかった。そこで廊下で熊本出の同級生をつかまえて、昇之助とはなんだと聞いたら、寄席へ出る娘|義太夫だと教えてくれた。それから寄席の看板はこんなもので、本郷のどこにあるということまで言って聞かせたうえ、今度の土曜にいっしょに行こうと誘ってくれた。よく知ってると思ったら、この男はゆうべはじめて、寄席へ、はいったのだそうだ。三四郎はなんだか寄席へ行って昇之助が見たくなった。  昼飯を食いに下宿へ帰ろうと思ったら、きのうポンチ絵をかいた男が来て、おいおいと言いながら、本郷の通りの淀見軒という所に引っ張って行って、ライスカレーを食わした。淀見軒という所は店で果物を売っている。新しい普請であった。ポンチ絵をかいた男はこの建築の表を指さして、これがヌーボー式だと教えた。三四郎は建築にもヌーボー式があるものとはじめて悟った。帰り道に青木堂も教わった。やはり大学生のよく行く所だそうである。赤門をはいって、二人で池の周囲を散歩した。その時ポンチ絵の男は、死んだ小泉八雲先生は教員控室へはいるのがきらいで講義がすむといつでもこの周囲をぐるぐる回って歩いたんだと、あたかも小泉先生に教わったようなことを言った。なぜ控室へはいらなかったのだろうかと三四郎が尋ねたら、 「そりゃあたりまえださ。第一彼らの講義を聞いてもわかるじゃないか。話せるものは一人もいやしない」と手ひどいことを平気で言ったには三四郎も驚いた。この男は佐々木与次郎といって、専門学校を卒業して、今年また選科へはいったのだそうだ。東片町の五番地の広田という家にいるから、遊びに来いと言う。下宿かと聞くと、なに高等学校の先生の家だと答えた。  それから当分のあいだ三四郎は毎日学校へ通って、律義に講義を聞いた。必修課目以外のものへも時々出席してみた。それでも、まだもの足りない。そこでついには専攻課目にまるで縁故のないものまでへもおりおりは顔を出した。しかしたいていは二度か三度でやめてしまった。一か月と続いたのは少しもなかった。それでも平均一週に約四十時間ほどになる。いかな勤勉な三四郎にも四十時間はちと多すぎる。三四郎はたえず一種の圧迫を感じていた。しかるにもの足りない。三四郎は楽しまなくなった。  ある日佐々木与次郎に会ってその話をすると、与次郎は四十時間と聞いて、目を丸くして、「ばかばか」と言ったが、「下宿屋のまずい飯を一日に十ぺん食ったらもの足りるようになるか考えてみろ」といきなり警句でもって三四郎をどやしつけた。三四郎はすぐさま恐れ入って、「どうしたらよかろう」と相談をかけた。 「電車に乗るがいい」と与次郎が言った。三四郎は何か寓意でもあることと思って、しばらく考えてみたが、べつにこれという思案も浮かばないので、 「本当の電車か」と聞き直した。その時与次郎はげらげら笑って、 「電車に乗って、東京を十五、六ぺん乗り回しているうちにはおのずからもの足りるようになるさ」と言う。 「なぜ」 「なぜって、そう、生きてる頭を、死んだ講義で封じ込めちゃ、助からない。外へ出て風を入れるさ。その上にもの足りる工夫はいくらでもあるが、まあ電車が一番の初歩でかつもっとも軽便だ」  その日の夕方、与次郎は三四郎を拉して、四丁目から電車に乗って、新橋へ行って、新橋からまた引き返して、日本橋へ来て、そこで降りて、 「どうだ」と聞いた。  次に大通りから細い横町へ曲がって、平の家という看板のある料理屋へ上がって、晩飯を食って酒を飲んだ。そこの下女はみんな京都弁を使う。はなはだ纏綿している。表へ出た与次郎は赤い顔をして、また 「どうだ」と聞いた。  次に本場の寄席へ連れて行ってやると言って、また細い横町へはいって、木原店という寄席を上がった。ここで小さんという落語家を聞いた。十時過ぎ通りへ出た与次郎は、また 「どうだ」と聞いた。  三四郎は物足りたとは答えなかった。しかしまんざらもの足りない心持ちもしなかった。すると与次郎は大いに小さん論を始めた。  小さんは天才である。あんな芸術家はめったに出るものじゃない。いつでも聞けると思うから安っぽい感じがして、はなはだ気の毒だ。じつは彼と時を同じゅうして生きている我々はたいへんなしあわせである。今から少しまえに生まれても小さんは聞けない。少しおくれても同様だ。――円遊もうまい。しかし小さんとは趣が違っている。円遊のふんした太鼓持は、太鼓持になった円遊だからおもしろいので、小さんのやる太鼓持は、小さんを離れた太鼓持だからおもしろい。円遊の演ずる人物から円遊を隠せば、人物がまるで消滅してしまう。小さんの演ずる人物から、いくら小さんを隠したって、人物は活発|溌地に躍動するばかりだ。そこがえらい。  与次郎はこんなことを言って、また 「どうだ」と聞いた。実をいうと三四郎には小さんの味わいがよくわからなかった。そのうえ円遊なるものはいまだかつて聞いたことがない。したがって与次郎の説の当否は判定しにくい。しかしその比較のほとんど文学的といいうるほどに要領を得たには感服した。  高等学校の前で別れる時、三四郎は、 「ありがとう、大いにもの足りた」と礼を述べた。すると与次郎は、 「これからさきは図書館でなくっちゃもの足りない」と言って片町の方へ曲がってしまった。この一言で三四郎ははじめて図書館にはいることを知った。  その翌日から三四郎は四十時間の講義をほとんど半分に減らしてしまった。そうして図書館にはいった。広く、長く、天井が高く、左右に窓のたくさんある建物であった。書庫は入口しか見えない。こっちの正面からのぞくと奥には、書物がいくらでも備えつけてあるように思われる。立って見ていると、書庫の中から、厚い本を二、三冊かかえて、出口へ来て左へ折れて行く者がある。職員閲覧室へ行く人である。なかには必要の本を書棚からとりおろして、胸いっぱいにひろげて、立ちながら調べている人もある。三四郎はうらやましくなった。奥まで行って二階へ上がって、それから三階へ上がって、本郷より高い所で、生きたものを近づけずに、紙のにおいをかぎながら、――読んでみたい。けれども何を読むかにいたっては、べつにはっきりした考えがない。読んでみなければわからないが、何かあの奥にたくさんありそうに思う。  三四郎は一年生だから書庫へはいる権利がない。しかたなしに、大きな箱入りの札目録を、こごんで一枚一枚調べてゆくと、いくらめくってもあとから新しい本の名が出てくる。しまいに肩が痛くなった。顔を上げて、中休みに、館内を見回すと、さすがに図書館だけあって静かなものである。しかも人がたくさんいる。そうして向こうのはずれにいる人の頭が黒く見える。目口ははっきりしない。高い窓の外から所々に木が見える。空も少し見える。遠くから町の音がする。三四郎は立ちながら、学者の生活は静かで深いものだと考えた。それでその日はそのまま帰った。  次の日は空想をやめて、はいるとさっそく本を借りた。しかし借りそくなったので、すぐ返した。あとから借りた本はむずかしすぎて読めなかったからまた返した。三四郎はこういうふうにして毎日本を八、九冊ずつは必ず借りた。もっともたまにはすこし読んだのもある。三四郎が驚いたのは、どんな本を借りても、きっとだれか一度は目を通しているという事実を発見した時であった。それは書中ここかしこに見える鉛筆のあとでたしかである。ある時三四郎は念のため、アフラ・ベーンという作家の小説を借りてみた。あけるまでは、よもやと思ったが、見るとやはり鉛筆で丁寧にしるしがつけてあった。この時三四郎はこれはとうていやりきれないと思った。ところへ窓の外を楽隊が通ったんで、つい散歩に出る気になって、通りへ出て、とうとう青木堂へはいった。  はいってみると客が二組あって、いずれも学生であったが、向こうのすみにたった一人離れて茶を飲んでいた男がある。三四郎がふとその横顔を見ると、どうも上京の節汽車の中で水蜜桃をたくさん食った人のようである。向こうは気がつかない。茶を一口飲んでは煙草を一吸いすって、たいへんゆっくり構えている。きょうは白地の浴衣をやめて、背広を着ている。しかしけっしてりっぱなものじゃない。光線の圧力の野々宮君より白シャツだけがましなくらいなものである。三四郎は様子を見ているうちにたしかに水蜜桃だと物色した。大学の講義を聞いてから以来、汽車の中でこの男の話したことがなんだか急に意義のあるように思われだしたところなので、三四郎はそばへ行って挨拶をしようかと思った。けれども先方は正面を見たなり、茶を飲んでは煙草をふかし、煙草をふかしては茶を飲んでいる。手の出しようがない。  三四郎はじっとその横顔をながめていたが、突然コップにある葡萄酒を飲み干して、表へ飛び出した。そうして図書館に帰った。  その日は葡萄酒の景気と、一種の精神作用とで、例になくおもしろい勉強ができたので、三四郎は大いにうれしく思った。二時間ほど読書|三昧に入ったのち、ようやく気がついて、そろそろ帰るしたくをしながら、いっしょに借りた書物のうち、まだあけてみなかった最後の一冊を何気なく引っぺがしてみると、本の見返しのあいた所に、乱暴にも、鉛筆でいっぱい何か書いてある。 「ヘーゲルのベルリン大学に哲学を講じたる時、ヘーゲルに毫も哲学を売るの意なし。彼の講義は真を説くの講義にあらず、真を体せる人の講義なり。舌の講義にあらず、心の講義なり。真と人と合して醇化一致せる時、その説くところ、言うところは、講義のための講義にあらずして、道のための講義となる。哲学の講義はここに至ってはじめて聞くべし。いたずらに真を舌頭に転ずるものは、死したる墨をもって、死したる紙の上に、むなしき筆記を残すにすぎず。なんの意義かこれあらん。……余今試験のため、すなわちパンのために、恨みをのみ涙をのんでこの書を読む。岑々たる頭をおさえて未来|永劫に試験制度を呪詛することを記憶せよ」  とある。署名はむろんない。三四郎は覚えず微笑した。けれどもどこか啓発されたような気がした。哲学ばかりじゃない、文学もこのとおりだろうと考えながら、ページをはぐると、まだある。「ヘーゲルの……」よほどヘーゲルの好きな男とみえる。 「ヘーゲルの講義を聞かんとして、四方よりベルリンに集まれる学生は、この講義を衣食の資に利用せんとの野心をもって集まれるにあらず。ただ哲人ヘーゲルなるものありて、講壇の上に、無上普遍の真を伝うると聞いて、向上|求道の念に切なるがため、壇下に、わが不穏底の疑義を解釈せんと欲したる清浄心の発現にほかならず。このゆえに彼らはヘーゲルを聞いて、彼らの未来を決定しえたり。自己の運命を改造しえたり。のっぺらぼうに講義を聞いて、のっぺらぼうに卒業し去る公ら日本の大学生と同じ事と思うは、天下の己惚れなり。公らはタイプ・ライターにすぎず。しかも欲張ったるタイプ・ライターなり。公らのなすところ、思うところ、言うところ、ついに切実なる社会の活気運に関せず。死に至るまでのっぺらぼうなるかな。死に至るまでのっぺらぼうなるかな」  と、のっぺらぼうを二へん繰り返している。三四郎は黙然として考え込んでいた。すると、うしろからちょいと肩をたたいた者がある。例の与次郎であった。与次郎を図書館で見かけるのは珍しい。彼は講義はだめだが、図書館は大切だと主張する男である。けれども主張どおりにはいることも少ない男である。 「おい、野々宮宗八さんが、君を捜していた」と言う。与次郎が野々宮君を知ろうとは思いがけなかったから、念のため理科大学の野々宮さんかと聞き直すと、うんという答を得た。さっそく本を置いて入口の新聞を閲覧する所まで出て行ったが、野々宮君がいない。玄関まで出てみたがやっぱりいない。石段を降りて、首を延ばしてその辺を見回したが影も形も見えない。やむを得ず引き返した。もとの席へ来てみると、与次郎が、例のヘーゲル論をさして、小さな声で、 「だいぶ振ってる。昔の卒業生に違いない。昔のやつは乱暴だが、どこかおもしろいところがある。実際このとおりだ」とにやにやしている。だいぶ気に入ったらしい。三四郎は 「野々宮さんはおらんぜ」と言う。 「さっき入口にいたがな」 「何か用があるようだったか」 「あるようでもあった」  二人はいっしょに図書館を出た。その時与次郎が話した。――野々宮君は自分の寄寓している広田先生の、もとの弟子でよく来る。たいへんな学問好きで、研究もだいぶある。その道の人なら、西洋人でもみんな野々宮君の名を知っている。  三四郎はまた、野々宮君の先生で、昔正門内で馬に苦しめられた人の話を思い出して、あるいはそれが広田先生ではなかろうかと考えだした。与次郎にその事を話すと、与次郎は、ことによると、うちの先生だ、そんなことをやりかねない人だと言って笑っていた。  その翌日はちょうど日曜なので、学校では野々宮君に会うわけにゆかない。しかしきのう自分を捜していたことが気がかりになる。さいわいまだ新宅を訪問したことがないから、こっちから行って用事を聞いてきようという気になった。  思い立ったのは朝であったが、新聞を読んでぐずぐずしているうちに昼になる。昼飯を食べたから、出かけようとすると、久しぶりに熊本出の友人が来る。ようやくそれを帰したのはかれこれ四時過ぎである。ちとおそくなったが、予定のとおり出た。  野々宮の家はすこぶる遠い。四、五日前|大久保へ越した。しかし電車を利用すれば、すぐに行かれる。なんでも停車場の近辺と聞いているから、捜すに不便はない。実をいうと三四郎はかの平野家行き以来とんだ失敗をしている。神田の高等商業学校へ行くつもりで、本郷四丁目から乗ったところが、乗り越して九段まで来て、ついでに飯田橋まで持ってゆかれて、そこでようやく外濠線へ乗り換えて、御茶の水から、神田橋へ出て、まだ悟らずに鎌倉河岸を数寄屋橋の方へ向いて急いで行ったことがある。それより以来電車はとかくぶっそうな感じがしてならないのだが、甲武線は一筋だと、かねて聞いているから安心して乗った。  大久保の停車場を降りて、仲百人の通りを戸山学校の方へ行かずに、踏切からすぐ横へ折れると、ほとんど三尺ばかりの細い道になる。それを爪先上がりにだらだらと上がると、まばらな孟宗藪がある。その藪の手前と先に一軒ずつ人が住んでいる。野々宮の家はその手前の分であった。小さな門が道の向きにまるで関係のないような位置に筋かいに立っていた。はいると、家がまた見当違いの所にあった。門も入口もまったくあとからつけたものらしい。  台所のわきにりっぱな生垣があって、庭の方にはかえって仕切りもなんにもない。ただ大きな萩が人の背より高く延びて、座敷の椽側を少し隠しているばかりである。野々宮君はこの椽側に椅子を持ち出して、それへ腰を掛けて西洋の雑誌を読んでいた。三四郎のはいって来たのを見て、 「こっちへ」と言った。まるで理科大学の穴倉の中と同じ挨拶である。庭からはいるべきのか、玄関から回るべきのか、三四郎は少しく躊躇していた。するとまた 「こっちへ」と催促するので、思い切って庭から上がることにした。座敷はすなわち書斎で、広さは八畳で、わりあいに西洋の書物がたくさんある。野々宮君は椅子を離れてすわった。三四郎は閑静な所だとか、わりあいに御茶の水まで早く出られるとか、望遠鏡の試験はどうなりましたとか、――締まりのない当座の話をやったあと、 「きのう私を捜しておいでだったそうですが、何か御用ですか」と聞いた。すると野々宮君は、少し気の毒そうな顔をして、 「なにじつはなんでもないですよ」と言った。三四郎はただ「はあ」と言った。 「それでわざわざ来てくれたんですか」 「なに、そういうわけでもありません」 「じつはお国のおっかさんがね、せがれがいろいろお世話になるからと言って、結構なものを送ってくださったから、ちょっとあなたにもお礼を言おうと思って……」 「はあ、そうですか。何か送ってきましたか」 「ええ赤い魚の粕漬なんですがね」 「じゃひめいちでしょう」  三四郎はつまらんものを送ったものだと思った。しかし野々宮君はかのひめいちについていろいろな事を質問した。三四郎は特に食う時の心得を説明した。粕ごと焼いて、いざ皿へうつすという時に、粕を取らないと味が抜けると言って教えてやった。  二人がひめいちについて問答をしているうちに、日が暮れた。三四郎はもう帰ろうと思って挨拶をしかけるところへ、どこからか電報が来た。野々宮君は封を切って、電報を読んだが、口のうちで、「困ったな」と言った。  三四郎はすましているわけにもゆかず、といってむやみに立ち入った事を聞く気にもならなかったので、ただ、 「何かできましたか」と棒のように聞いた。すると野々宮君は、 「なにたいしたことでもないのです」と言って、手に持った電報を、三四郎に見せてくれた。すぐ来てくれとある。 「どこかへおいでになるのですか」 「ええ、妹がこのあいだから病気をして、大学の病院にはいっているんですが、そいつがすぐ来てくれと言うんです」といっこう騒ぐ気色もない。三四郎のほうはかえって驚いた。野々宮君の妹と、妹の病気と、大学の病院をいっしょにまとめて、それに池の周囲で会った女を加えて、それを一どきにかき回して、驚いている。 「じゃ、よほどお悪いんですな」  「なにそうじゃないんでしょう。じつは母が看病に行ってるんですが、――もし病気のためなら、電車へ乗って駆けて来たほうが早いわけですからね。――なに妹のいたずらでしょう。ばかだから、よくこんなまねをします。ここへ越してからまだ一ぺんも行かないものだから、きょうの日曜には来ると思って待ってでもいたのでしょう、それで」と言って首を横に曲げて考えた。 「しかしおいでになったほうがいいでしょう。もし悪いといけません」 「さよう。四、五日行かないうちにそう急に変るわけもなさそうですが、まあ行ってみるか」 「おいでになるにしくはないでしょう」  野々宮は行くことにした。行くときめたについては、三四郎に頼みがあると言いだした。万一病気のための電報とすると、今夜は帰れない。すると留守が下女一人になる。下女が非常に臆病で、近所がことのほかぶっそうである。来合わせたのがちょうど幸いだから、あすの課業にさしつかえがなければ泊ってくれまいか、もっともただの電報ならばすぐ帰ってくる。まえからわかっていれば、例の佐々木でも頼むはずだったが、今からではとても間に合わない。たった一晩のことではあるし、病院へ泊るか、泊らないか、まだわからないさきから、関係もない人に、迷惑をかけるのはわがまますぎて、しいてとは言いかねるが、――むろん野々宮はこう流暢には頼まなかったが、相手の三四郎が、そう流暢に頼まれる必要のない男だから、すぐ承知してしまった。  下女が御飯はというのを、「食わない」と言ったまま、三四郎に「失敬だが、君一人で、あとで食ってください」と夕飯まで置き去りにして、出ていった。行ったと思ったら暗い萩の間から大きな声を出して、 「ぼくの書斎にある本はなんでも読んでいいです。別におもしろいものもないが、何か御覧なさい。小説も少しはある」  と言ったまま消えてなくなった。椽側まで見送って三四郎が礼を述べた時は、三坪ほどな孟宗藪の竹が、まばらなだけに一本ずつまだ見えた。  まもなく三四郎は八畳敷の書斎のまん中で小さい膳を控えて、晩飯を食った。膳の上を見ると、主人の言葉にたがわず、かのひめいちがついている。久しぶりで故郷の香をかいだようでうれしかったが、飯はそのわりにうまくなかった。お給仕に出た下女の顔を見ると、これも主人の言ったとおり、臆病にできた目鼻であった。  飯が済むと下女は台所へ下がる。三四郎は一人になる。一人になっておちつくと、野々宮君の妹の事が急に心配になってきた。危篤なような気がする。野々宮君の駆けつけ方がおそいような気がする。そうして妹がこのあいだ見た女のような気がしてたまらない。三四郎はもう一ぺん、女の顔つきと目つきと、服装とを、あの時あのままに、繰り返して、それを病院の寝台の上に乗せて、そのそばに野々宮君を立たして、二、三の会話をさせたが、兄ではもの足らないので、いつのまにか、自分が代理になって、いろいろ親切に介抱していた。ところへ汽車がごうと鳴って孟宗藪のすぐ下を通った。根太のぐあいか、土質のせいか座敷が少し震えるようである。  三四郎は看病をやめて、座敷を見回した。いかさま古い建物と思われて、柱に寂がある。その代り唐紙の立てつけが悪い。天井はまっ黒だ。ランプばかりが当世に光っている。野々宮君のような新式の学者が、もの好きにこんな家を借りて、封建時代の孟宗藪を見て暮らすのと同格である。もの好きならば当人の随意だが、もし必要にせまられて、郊外にみずからを放逐したとすると、はなはだ気の毒である。聞くところによると、あれだけの学者で、月にたった五十五円しか、大学からもらっていないそうだ。だからやむをえず私立学校へ教えにゆくのだろう。それで妹に入院されてはたまるまい。大久保へ越したのも、あるいはそんな経済上のつごうかもしれない。……  宵の口ではあるが、場所が場所だけにしんとしている。庭の先で虫の音がする。ひとりですわっていると、さみしい秋の初めである。その時遠い所でだれか、 「ああああ、もう少しの間だ」  と言う声がした。方角は家の裏手のようにも思えるが、遠いのでしっかりとはわからなかった。また方角を聞き分ける暇もないうちに済んでしまった。けれども三四郎の耳には明らかにこの一句が、すべてに捨てられた人の、すべてから返事を予期しない、真実の独白と聞こえた。三四郎は気味が悪くなった。ところへまた汽車が遠くから響いて来た。その音が次第に近づいて孟宗藪の下を通る時には、前の列車よりも倍も高い音を立てて過ぎ去った。座敷の微震がやむまでは茫然としていた三四郎は、石火のごとく、さっきの嘆声と今の列車の響きとを、一種の因果で結びつけた。そうして、ぎくんと飛び上がった。その因果は恐るべきものである。  三四郎はこの時じっと座に着いていることのきわめて困難なのを発見した。背筋から足の裏までが疑惧の刺激でむずむずする。立って便所に行った。窓から外をのぞくと、一面の星月夜で、土手下の汽車道は死んだように静かである。それでも竹格子のあいだから鼻を出すくらいにして、暗い所をながめていた。  すると停車場の方から提灯をつけた男がレールの上を伝ってこっちへ来る。話し声で判じると三、四人らしい。提灯の影は踏切から土手下へ隠れて、孟宗藪の下を通る時は、話し声だけになった。けれども、その言葉は手に取るように聞こえた。 「もう少し先だ」  足音は向こうへ遠のいて行く。三四郎は庭先へ回って下駄を突っ掛けたまま孟宗藪の所から、一間余の土手を這い降りて、提灯のあとを追っかけて行った。  五、六間行くか行かないうちに、また一人土手から飛び降りた者がある。―― 「轢死じゃないですか」  三四郎は何か答えようとしたが、ちょっと声が出なかった。そのうち黒い男は行き過ぎた。これは野々宮君の奥に住んでいる家の主人だろうと、後をつけながら考えた。半町ほどくると提灯が留まっている。人も留まっている。人は灯をかざしたまま黙っている。三四郎は無言で灯の下を見た。下には死骸が半分ある。汽車は右の肩から乳の下を腰の上までみごとに引きちぎって、斜掛けの胴を置き去りにして行ったのである。顔は無傷である。若い女だ。  三四郎はその時の心持ちをいまだに覚えている。すぐ帰ろうとして、踵をめぐらしかけたが、足がすくんでほとんど動けなかった。土手を這い上がって、座敷へもどったら、動悸が打ち出した。水をもらおうと思って、下女を呼ぶと、下女はさいわいになんにも知らないらしい。しばらくすると、奥の家で、なんだか騒ぎ出した。三四郎は主人が帰ったんだなと覚った。やがて土手の下ががやがやする。それが済むとまた静かになる。ほとんど堪え難いほどの静かさであった。  三四郎の目の前には、ありありとさっきの女の顔が見える。その顔と「ああああ……」と言った力のない声と、その二つの奥に潜んでおるべきはずの無残な運命とを、継ぎ合わして考えてみると、人生という丈夫そうな命の根が、知らぬまに、ゆるんで、いつでも暗闇へ浮き出してゆきそうに思われる。三四郎は欲も得もいらないほどこわかった。ただごうという一瞬間である。そのまえまではたしかに生きていたに違いない。  三四郎はこの時ふと汽車で水蜜桃をくれた男が、あぶないあぶない、気をつけないとあぶない、と言ったことを思い出した。あぶないあぶないと言いながら、あの男はいやにおちついていた。つまりあぶないあぶないと言いうるほどに、自分はあぶなくない地位に立っていれば、あんな男にもなれるだろう。世の中にいて、世の中を傍観している人はここに面白味があるかもしれない。どうもあの水蜜桃の食いぐあいから、青木堂で茶を飲んでは煙草を吸い、煙草を吸っては茶を飲んで、じっと正面を見ていた様子は、まさにこの種の人物である。――批評家である。――三四郎は妙な意味に批評家という字を使ってみた。使ってみて自分でうまいと感心した。のみならず自分も批評家として、未来に存在しようかとまで考えだした。あのすごい死顔を見るとこんな気も起こる。  三四郎は部屋のすみにあるテーブルと、テーブルの前にある椅子と、椅子の横にある本箱と、その本箱の中に行儀よく並べてある洋書を見回して、この静かな書斎の主人は、あの批評家と同じく無事で幸福であると思った。――光線の圧力を研究するために、女を轢死させることはあるまい。主人の妹は病気である。けれども兄の作った病気ではない。みずからかかった病気である。などとそれからそれへと頭が移ってゆくうちに、十一時になった。中野行の電車はもう来ない。あるいは病気が悪いので帰らないのかしらと、また心配になる。ところへ野々宮から電報が来た。妹無事、あす朝帰るとあった。  安心して床にはいったが、三四郎の夢はすこぶる危険であった。――轢死を企てた女は、野々宮に関係のある女で、野々宮はそれと知って家へ帰って来ない。ただ三四郎を安心させるために電報だけ掛けた。妹無事とあるのは偽りで、今夜轢死のあった時刻に妹も死んでしまった。そうしてその妹はすなわち三四郎が池の端で会った女である。……  三四郎はあくる日例になく早く起きた。  寝つけない所に寝た床のあとをながめて、煙草を一本のんだが、ゆうべの事は、すべて夢のようである。椽側へ出て、低い廂の外にある空を仰ぐと、きょうはいい天気だ。世界が今朗らかになったばかりの色をしている。飯を済まして茶を飲んで、椽側に椅子を持ち出して新聞を読んでいると、約束どおり野々宮君が帰って来た。 「昨夜、そこに轢死があったそうですね」と言う。停車場か何かで聞いたものらしい。三四郎は自分の経験を残らず話した。 「それは珍しい。めったに会えないことだ。ぼくも家におればよかった。死骸はもう片づけたろうな。行っても見られないだろうな」 「もうだめでしょう」と一口答えたが、野々宮君ののん気なのには驚いた。三四郎はこの無神経をまったく夜と昼の差別から起こるものと断定した。光線の圧力を試験する人の性癖が、こういう場合にも、同じ態度で表われてくるのだとはまるで気がつかなかった。年が若いからだろう。  三四郎は話を転じて、病人のことを尋ねた。野々宮君の返事によると、はたして自分の推測どおり病人に異状はなかった。ただ五、六日以来行ってやらなかったものだから、それを物足りなく思って、退屈紛れに兄を釣り寄せたのである。きょうは日曜だのに来てくれないのはひどいと言って怒っていたそうである。それで野々宮君は妹をばかだと言っている。本当にばかだと思っているらしい。この忙しいものに大切な時間を浪費させるのは愚だというのである。けれども三四郎にはその意味がほとんどわからなかった。わざわざ電報を掛けてまで会いたがる妹なら、日曜の一晩や二晩をつぶしたって惜しくはないはずである。そういう人に会って過ごす時間が、本当の時間で、穴倉で光線の試験をして暮らす月日はむしろ人生に遠い閑生涯というべきものである。自分が野々宮君であったならば、この妹のために勉強の妨害をされるのをかえってうれしく思うだろう。くらいに感じたが、その時は轢死の事を忘れていた。  野々宮君は昨夜よく寝られなかったものだからぼんやりしていけないと言いだした。きょうはさいわい昼から早稲田の学校へ行く日で、大学のほうは休みだから、それまで寝ようと言っている。「だいぶおそくまで起きていたんですか」と三四郎が聞くと、じつは偶然、高等学校で教わったもとの先生の広田という人が妹の見舞いに来てくれて、みんなで話をしているうちに、電車の時間に遅れて、つい泊ることにした。広田の家へ泊るべきのを、また妹がだだをこねて、ぜひ病院に泊れと言って聞かないから、やむをえず狭い所へ寝たら、なんだか苦しくって寝つかれなかった。どうも妹は愚物だ。とまた妹を攻撃する。三四郎はおかしくなった。少し妹のために弁護しようかと思ったが、なんだか言いにくいのでやめにした。  その代り広田さんの事を聞いた。三四郎は広田さんの名前をこれで三、四へん耳にしている。そうして、水蜜桃の先生と青木堂の先生に、ひそかに広田さんの名をつけている。それから正門内で意地の悪い馬に苦しめられて、喜多床の職人に笑われたのもやはり広田先生にしてある。ところが今承ってみると、馬の件ははたして広田先生であった。それで水蜜桃も必ず同先生に違いないと決めた。考えると、少し無理のようでもある。  帰る時に、ついでだから、午前中に届けてもらいたいと言って、袷を一枚病院まで頼まれた。三四郎は大いにうれしかった。  三四郎は新しい四角な帽子をかぶっている。この帽子をかぶって病院に行けるのがちょっと得意である。さえざえしい顔をして野々宮君の家を出た。  御茶の水で電車を降りて、すぐ俥に乗った。いつもの三四郎に似合わぬ所作である。威勢よく赤門を引き込ませた時、法文科のベルが鳴り出した。いつもならノートとインキ壺を持って、八番の教室にはいる時分である。一、二時間の講義ぐらい聞きそくなってもかまわないという気で、まっすぐに青山内科の玄関まで乗りつけた。  上がり口を奥へ、二つ目の角を右へ切れて、突当たりを左へ曲がると東側の部屋だと教わったとおり歩いて行くと、はたしてあった。黒塗りの札に野々宮よし子と仮名で書いて、戸口に掛けてある。三四郎はこの名前を読んだまま、しばらく戸口の所でたたずんでいた。いなか物だからノックするなぞという気の利いた事はやらない。「この中にいる人が、野々宮君の妹で、よし子という女である」  三四郎はこう思って立っていた。戸をあけて顔が見たくもあるし、見て失望するのがいやでもある。自分の頭の中に往来する女の顔は、どうも野々宮宗八さんに似ていないのだから困る。  うしろから看護婦が草履の音をたてて近づいて来た。三四郎は思い切って戸を半分ほどあけた。そうして中にいる女と顔を見合わせた。  目の大きな、鼻の細い、唇の薄い、鉢が開いたと思うくらいに、額が広くって顎がこけた女であった。造作はそれだけである。けれども三四郎は、こういう顔だちから出る、この時にひらめいた咄嗟の表情を生まれてはじめて見た。青白い額のうしろに、自然のままにたれた濃い髪が、肩まで見える。それへ東窓をもれる朝日の光が、うしろからさすので、髪と日光の触れ合う境のところが菫色に燃えて、生きた暈をしょってる。それでいて、顔も額もはなはだ暗い。暗くて青白い。そのなかに遠い心持ちのする目がある。高い雲が空の奥にいて容易に動かない。けれども動かずにもいられない。ただなだれるように動く。女が三四郎を見た時は、こういう目つきであった。  三四郎はこの表情のうちにものうい憂鬱と、隠さざる快活との統一を見いだした。その統一の感じは三四郎にとって、最も尊き人生の一片である。そうして一大発見である。三四郎はハンドルをもったまま、――顔を戸の影から半分部屋の中に差し出したままこの刹那の感に自らを放下し去った。 「おはいりなさい」  女は三四郎を待ち設けたように言う。その調子には初対面の女には見いだすことのできない、安らかな音色があった。純粋の子供か、あらゆる男児に接しつくした婦人でなければ、こうは出られない。なれなれしいのとは違う。初めから古い知り合いなのである。同時に女は肉の豊かでない頬を動かしてにこりと笑った。青白いうちに、なつかしい暖かみができた。三四郎の足はしぜんと部屋の内へはいった。その時青年の頭のうちには遠い故郷にある母の影がひらめいた。  戸のうしろへ回って、はじめて正面に向いた時、五十あまりの婦人が三四郎に挨拶をした。この婦人は三四郎のからだがまだ扉の陰を出ないまえから席を立って待っていたものとみえる。 「小川さんですか」と向こうから尋ねてくれた。顔は野々宮君に似ている。娘にも似ている。しかしただ似ているというだけである。頼まれた風呂敷包みを出すと、受け取って、礼を述べて、 「どうぞ」と言いながら椅子をすすめたまま、自分は寝台の向こう側へ回った。  寝台の上に敷いた蒲団を見るとまっ白である。上へ掛けるものもまっ白である。それを半分ほど斜にはぐって、裾のほうが厚く見えるところを、よけるように、女は窓を背にして腰をかけた。足は床に届かない。手に編針を持っている。毛糸のたまが寝台の下に転がった。女の手から長い赤い糸が筋を引いている。三四郎は寝台の下から、毛糸のたまを取り出してやろうかと思った、けれども、女が毛糸にはまるで無頓着でいるので控えた。  おっかさんが向こう側から、しきりに昨夜の礼を述べる。お忙しいところをなどと言う。三四郎は、いいえ、どうせ遊んでいますからと言う。二人が話をしているあいだ、よし子は黙っていた。二人の話が切れた時、突然、 「ゆうべの轢死を御覧になって」と聞いた。見ると部屋のすみに新聞がある。三四郎が、 「ええ」と言う。 「こわかったでしょう」と言いながら、少し首を横に曲げて、三四郎を見た。兄に似て首の長い女である。三四郎はこわいともこわくないとも答えずに、女の首の曲がりぐあいをながめていた。半分は質問があまり単純なので、答に窮したのである。半分は答えるのを忘れたのである。女は気がついたとみえて、すぐ首をまっすぐにした。そうして青白い頬の奥を少し赤くした。三四郎はもう帰るべき時間だと考えた。  挨拶をして、部屋を出て、玄関正面へ来て、向こうを見ると、長い廊下のはずれが四角に切れて、ぱっと明るく、表の緑が映る上がり口に、池の女が立っている。はっと驚いた三四郎の足は、さっそく歩調に狂いができた。その時透明な空気の画布の中に暗く描かれた女の影は一足前へ動いた。三四郎も誘われたように前へ動いた。二人は一筋道の廊下のどこかですれ違わねばならぬ運命をもって互いに近づいて来た。すると女が振り返った。明るい表の空気の中には、初秋の緑が浮いているばかりである。振り返った女の目に応じて、四角の中に、現われたものもなければ、これを待ち受けていたものもない。三四郎はそのあいだに女の姿勢と服装を頭の中へ入れた。  着物の色はなんという名かわからない。大学の池の水へ、曇った常磐木の影が映る時のようである。それはあざやかな縞が、上から下へ貫いている。そうしてその縞が貫きながら波を打って、互いに寄ったり離れたり、重なって太くなったり、割れて二筋になったりする。不規則だけれども乱れない。上から三|分一のところを、広い帯で横に仕切った。帯の感じには暖かみがある。黄を含んでいるためだろう。  うしろを振り向いた時、右の肩が、あとへ引けて、左の手が腰に添ったまま前へ出た。ハンケチを持っている。そのハンケチの指に余ったところが、さらりと開いている。絹のためだろう。――腰から下は正しい姿勢にある。  女はやがてもとのとおりに向き直った。目を伏せて二足ばかり三四郎に近づいた時、突然首を少しうしろに引いて、まともに男を見た。二重瞼の切長のおちついた恰好である。目立って黒い眉毛の下に生きている。同時にきれいな歯があらわれた。この歯とこの顔色とは三四郎にとって忘るべからざる対照であった。  きょうは白いものを薄く塗っている。けれども本来の地を隠すほどに無趣味ではなかった。こまやかな肉が、ほどよく色づいて、強い日光にめげないように見える上を、きわめて薄く粉が吹いている。てらてら照る顔ではない。  肉は頬といわず顎といわずきちりと締まっている。骨の上に余ったものはたんとないくらいである。それでいて、顔全体が柔かい。肉が柔かいのではない骨そのものが柔かいように思われる。奥行きの長い感じを起こさせる顔である。  女は腰をかがめた。三四郎は知らぬ人に礼をされて驚いたというよりも、むしろ礼のしかたの巧みなのに驚いた。腰から上が、風に乗る紙のようにふわりと前に落ちた。しかも早い。それで、ある角度まで来て苦もなくはっきりととまった。むろん習って覚えたものではない。 「ちょっと伺いますが……」と言う声が白い歯のあいだから出た。きりりとしている。しかし鷹揚である。ただ夏のさかりに椎の実がなっているかと人に聞きそうには思われなかった。三四郎はそんな事に気のつく余裕はない。 「はあ」と言って立ち止まった。 「十五号室はどの辺になりましょう」  十五号は三四郎が今出て来た部屋である。 「野々宮さんの部屋ですか」  今度は女のほうが「はあ」と言う。 「野々宮さんの部屋はね、その角を曲がって突き当って、また左へ曲がって、二番目の右側です」 「その角を……」と言いながら女は細い指を前へ出した。 「ええ、ついその先の角です」 「どうもありがとう」  女は行き過ぎた。三四郎は立ったまま、女の後姿を見守っている。女は角へ来た。曲がろうとするとたんに振り返った。三四郎は赤面するばかりに狼狽した。女はにこりと笑って、この角ですかというようなあいずを顔でした。三四郎は思わずうなずいた。女の影は右へ切れて白い壁の中へ隠れた。  三四郎はぶらりと玄関を出た。医科大学生と間違えて部屋の番号を聞いたのかしらんと思って、五、六歩あるいたが、急に気がついた。女に十五号を聞かれた時、もう一ぺんよし子の部屋へあともどりをして、案内すればよかった。残念なことをした。  三四郎はいまさらとって帰す勇気は出なかった。やむをえずまた五、六歩あるいたが、今度はぴたりととまった。三四郎の頭の中に、女の結んでいたリボンの色が映った。そのリボンの色も質も、たしかに野々宮君が兼安で買ったものと同じであると考え出した時、三四郎は急に足が重くなった。図書館の横をのたくるように正門の方へ出ると、どこから来たか与次郎が突然声をかけた。 「おいなぜ休んだ。きょうはイタリー人がマカロニーをいかにして食うかという講義を聞いた」と言いながら、そばへ寄って来て三四郎の肩をたたいた。  二人は少しいっしょに歩いた。正門のそばへ来た時、三四郎は、 「君、今ごろでも薄いリボンをかけるものかな。あれは極暑に限るんじゃないか」と聞いた。与次郎はアハハハと笑って、 「○○教授に聞くがいい。なんでも知ってる男だから」と言って取り合わなかった。  正門の所で三四郎はぐあいが悪いからきょうは学校を休むと言い出した。与次郎はいっしょについて来て損をしたといわぬばかりに教室の方へ帰って行った。 四  三四郎の魂がふわつき出した。講義を聞いていると、遠方に聞こえる。わるくすると肝要な事を書き落とす。はなはだしい時はひとの耳を損料で借りているような気がする。三四郎はばかばかしくてたまらない。仕方なしに、与次郎に向かって、どうも近ごろは講義がおもしろくないと言い出した。与次郎の答はいつも同じことであった。 「講義がおもしろいわけがない。君はいなか者だから、いまに偉い事になると思って、今日までしんぼうして聞いていたんだろう。愚の至りだ。彼らの講義は開闢以来こんなものだ。いまさら失望したってしかたがないや」 「そういうわけでもないが……」三四郎は弁解する。与次郎のへらへら調と、三四郎の重苦しい口のききようが、不釣合ではなはだおかしい。  こういう問答を二、三度繰り返しているうちに、いつのまにか半月ばかりたった。三四郎の耳は漸々借りものでないようになってきた。すると今度は与次郎のほうから、三四郎に向かって、 「どうも妙な顔だな。いかにも生活に疲れているような顔だ。世紀末の顔だ」と批評し出した。三四郎は、この批評に対しても依然として、 「そういうわけでもないが……」を繰り返していた。三四郎は世紀末などという言葉を聞いてうれしがるほどに、まだ人工的の空気に触れていなかった。またこれを興味ある玩具として使用しうるほどに、ある社会の消息に通じていなかった。ただ生活に疲れているという句が少し気にいった。なるほど疲れだしたようでもある。三四郎は下痢のためばかりとは思わなかった。けれども大いに疲れた顔を標榜するほど、人生観のハイカラでもなかった。それでこの会話はそれぎり発展しずに済んだ。  そのうち秋は高くなる。食欲は進む。二十三の青年がとうてい人生に疲れていることができない時節が来た。三四郎はよく出る。大学の池の周囲もだいぶん回ってみたが、べつだんの変もない。病院の前も何べんとなく往復したが普通の人間に会うばかりである。また理科大学の穴倉へ行って野々宮君に聞いてみたら、妹はもう病院を出たと言う。玄関で会った女の事を話そうと思ったが、先方が忙しそうなので、つい遠慮してやめてしまった。今度大久保へ行ってゆっくり話せば、名前も素姓もたいていはわかることだから、せかずに引き取った。そうして、ふわふわして方々歩いている。田端だの、道灌山だの、染井の墓地だの、巣鴨の監獄だの、護国寺だの、――三四郎は新井の薬師までも行った。新井の薬師の帰りに、大久保へ出て野々宮君の家へ回ろうと思ったら、落合の火葬場の辺で道を間違えて、高田へ出たので、目白から汽車へ乗って帰った。汽車の中でみやげに買った栗を一人でさんざん食った。その余りはあくる日与次郎が来て、みんな平らげた。  三四郎はふわふわすればするほど愉快になってきた。初めのうちはあまり講義に念を入れ過ぎたので、耳が遠くなって筆記に困ったが、近ごろはたいていに聞いているからなんともない。講義中にいろいろな事を考える。少しぐらい落としても惜しい気も起こらない。よく観察してみると与次郎はじめみんな同じことである。三四郎はこれくらいでいいものだろうと思い出した。  三四郎がいろいろ考えるうちに、時々例のリボンが出てくる。そうすると気がかりになる。はなはだ不愉快になる。すぐ大久保へ出かけてみたくなる。しかし想像の連鎖やら、外界の刺激やらで、しばらくするとまぎれてしまう。だからだいたいはのん気である。それで夢を見ている。大久保へはなかなか行かない。  ある日の午後三四郎は例のごとくぶらついて、団子坂の上から、左へ折れて千駄木林町の広い通りへ出た。秋晴れといって、このごろは東京の空もいなかのように深く見える。こういう空の下に生きていると思うだけでも頭ははっきりする。そのうえ、野へ出れば申し分はない。気がのびのびして魂が大空ほどの大きさになる。それでいてからだ総体がしまってくる。だらしのない春ののどかさとは違う。三四郎は左右の生垣をながめながら、生まれてはじめての東京の秋をかぎつつやって来た。  坂下では菊人形が二、三日前開業したばかりである。坂を曲がる時は幟さえ見えた。今はただ声だけ聞こえる、どんちゃんどんちゃん遠くからはやしている。そのはやしの音が、下の方から次第に浮き上がってきて、澄み切った秋の空気の中へ広がり尽くすと、ついにはきわめて稀薄な波になる。そのまた余波が三四郎の鼓膜のそばまで来てしぜんにとまる。騒がしいというよりはかえっていい心持ちである。  時に突然左の横町から二人あらわれた。その一人が三四郎を見て、「おい」と言う。  与次郎の声はきょうにかぎって、几帳面である。その代り連がある。三四郎はその連を見た時、はたして日ごろの推察どおり、青木堂で茶を飲んでいた人が、広田さんであるということを悟った。この人とは水蜜桃以来妙な関係がある。ことに青木堂で茶を飲んで煙草をのんで、自分を図書館に走らしてよりこのかた、いっそうよく記憶にしみている。いつ見ても神主のような顔に西洋人の鼻をつけている。きょうもこのあいだの夏服で、べつだん寒そうな様子もない。  三四郎はなんとか言って、挨拶をしようと思ったが、あまり時間がたっているので、どう口をきいていいかわからない。ただ帽子を取って礼をした。与次郎に対しては、あまり丁寧すぎる。広田に対しては、少し簡略すぎる。三四郎はどっちつかずの中間にでた。すると与次郎が、すぐ、 「この男は私の同級生です。熊本の高等学校からはじめて東京へ出て来た――」と聞かれもしないさきからいなか者を吹聴しておいて、それから三四郎の方を向いて、 「これが広田先生。高等学校の……」とわけもなく双方を紹介してしまった。  この時広田先生は「知ってる、知ってる」と二へん繰り返して言ったので、与次郎は妙な顔をしている。しかしなぜ知ってるんですかなどとめんどうな事は聞かなかった。ただちに、 「君、この辺に貸家はないか。広くて、きれいな、書生部屋のある」と尋ねだした。 「貸家はと……ある」 「どの辺だ。きたなくっちゃいけないぜ」 「いやきれいなのがある。大きな石の門が立っているのがある」 「そりゃうまい。どこだ。先生、石の門はいいですな。ぜひそれにしようじゃありませんか」と与次郎は大いに進んでいる。 「石の門はいかん」と先生が言う。 「いかん? そりゃ困る。なぜいかんです」 「なぜでもいかん」 「石の門はいいがな。新しい男爵のようでいいじゃないですか、先生」  与次郎はまじめである。広田先生はにやにや笑っている。とうとうまじめのほうが勝って、ともかくも見ることに相談ができて、三四郎が案内をした。  横町をあとへ引き返して、裏通りへ出ると、半町ばかり北へ来た所に、突き当りと思われるような小路がある。その小路の中へ三四郎は二人を連れ込んだ。まっすぐに行くと植木屋の庭へ出てしまう。三人は入口の五、六間手前でとまった。右手にかなり大きな御影の柱が二本立っている。扉は鉄である。三四郎がこれだと言う。なるほど貸家札がついている。 「こりゃ恐ろしいもんだ」と言いながら、与次郎は鉄の扉をうんと押したが、錠がおりている。「ちょっとお待ちなさい聞いてくる」と言うやいなや、与次郎は植木屋の奥の方へ駆け込んで行った。広田と三四郎は取り残されたようなものである。二人で話を始めた。 「東京はどうです」 「ええ……」 「広いばかりできたない所でしょう」 「ええ……」 「富士山に比較するようなものはなんにもないでしょう」  三四郎は富士山の事をまるで忘れていた。広田先生の注意によって、汽車の窓からはじめてながめた富士は、考え出すと、なるほど崇高なものである。ただ今自分の頭の中にごたごたしている世相とは、とても比較にならない。三四郎はあの時の印象をいつのまにか取り落していたのを恥ずかしく思った。すると、 「君、不二山を翻訳してみたことがありますか」と意外な質問を放たれた。 「翻訳とは……」 「自然を翻訳すると、みんな人間に化けてしまうからおもしろい。崇高だとか、偉大だとか、雄壮だとか」  三四郎は翻訳の意味を了した。 「みんな人格上の言葉になる。人格上の言葉に翻訳することのできないものには、自然が毫も人格上の感化を与えていない」  三四郎はまだあとがあるかと思って、黙って聞いていた。ところが広田さんはそれでやめてしまった。植木屋の奥の方をのぞいて、 「佐々木は何をしているのかしら。おそいな」とひとりごとのように言う。 「見てきましょうか」と三四郎が聞いた。 「なに、見にいったって、それで出てくるような男じゃない。それよりここに待ってるほうが手間がかからないでいい」と言って枳殻の垣根の下にしゃがんで、小石を拾って、土の上へ何かかき出した。のん気なことである。与次郎ののん気とは方角が反対で、程度がほぼ相似ている。  ところへ植込みの松の向こうから、与次郎が大きな声を出した。 「先生先生」  先生は依然として、何かかいている。どうも燈明台のようである。返事をしないので、与次郎はしかたなしに出て来た。 「先生ちょっと見てごらんなさい。いい家だ。この植木屋で持ってるんです。門をあけさせてもいいが、裏から回ったほうが早い」  三人は裏から回った。雨戸をあけて、一間一間見て歩いた。中流の人が住んで恥ずかしくないようにできている。家賃が四十円で、敷金が三か月分だという。三人はまた表へ出た。 「なんで、あんなりっぱな家を見るのだ」と広田さんが言う。 「なんで見るって、ただ見るだけだからいいじゃありませんか」と与次郎は言う。 「借りもしないのに……」 「なに借りるつもりでいたんです。ところが家賃をどうしても二十五円にしようと言わない……」  広田先生は「あたりまえさ」と言ったぎりである。すると与次郎が石の門の歴史を話し出した。このあいだまである出入りの屋敷の入口にあったのを、改築のときもらってきて、すぐあすこへ立てたのだと言う。与次郎だけに妙な事を研究してきた。  それから三人はもとの大通りへ出て、動坂から田端の谷へ降りたが、降りた時分には三人ともただ歩いている。貸家の事はみんな忘れてしまった。ひとり与次郎が時々石の門のことを言う。麹町からあれを千駄木まで引いてくるのに、手間が五円ほどかかったなどと言う。あの植木屋はだいぶ金持ちらしいなどとも言う。あすこへ四十円の貸家を建てて、ぜんたいだれが借りるだろうなどとよけいなことまで言う。ついには、いまに借手がなくなってきっと家賃を下げるに違いないから、その時もう一ぺん談判してぜひ借りようじゃありませんかという結論であった。広田先生はべつに、そういう了見もないとみえて、こう言った。 「君が、あんまりよけいな話ばかりしているものだから、時間がかかってしかたがない。いいかげんにして出てくるものだ」 「よほど長くかかりましたか。何か絵をかいていましたね。先生もずいぶんのん気だな」 「どっちがのんきかわかりゃしない」 「ありゃなんの絵です」  先生は黙っている。その時三四郎がまじめな顔をして、 「燈台じゃないですか」と聞いた。かき手と与次郎は笑い出した。 「燈台は奇抜だな。じゃ野々宮宗八さんをかいていらしったんですね」 「なぜ」 「野々宮さんは外国じゃ光ってるが、日本じゃまっ暗だから。――だれもまるで知らない。それでわずかばかりの月給をもらって、穴倉へたてこもって、――じつに割に合わない商売だ。野々宮さんの顔を見るたびに気の毒になってたまらない」 「君なぞは自分のすわっている周囲方二尺ぐらいの所をぼんやり照らすだけだから、丸行燈のようなものだ」  丸行燈に比較された与次郎は、突然三四郎の方を向いて、 「小川君、君は明治何年生まれかな」と聞いた。三四郎は簡単に、 「ぼくは二十三だ」と答えた。 「そんなものだろう。――先生ぼくは、丸行燈だの、雁首だのっていうものが、どうもきらいですがね。明治十五年以後に生まれたせいかもしれないが、なんだか旧式でいやな心持ちがする。君はどうだ」とまた三四郎の方を向く。三四郎は、 「ぼくはべつだんきらいでもない」と言った。 「もっとも君は九州のいなかから出たばかりだから、明治元年ぐらいの頭と同じなんだろう」  三四郎も広田もこれに対してべつだんの挨拶をしなかった。少し行くと古い寺の隣の杉林を切り倒して、きれいに地ならしをした上に、青ペンキ塗りの西洋館を建てている。広田先生は寺とペンキ塗りを等分に見ていた。 「時代錯誤だ。日本の物質界も精神界もこのとおりだ。君、九段の燈明台を知っているだろう」とまた燈明台が出た。「あれは古いもので、江戸名所図会に出ている」 「先生冗談言っちゃいけません。なんぼ九段の燈明台が古いたって、江戸名所図会に出ちゃたいへんだ」  広田先生は笑い出した。じつは東京名所という錦絵の間違いだということがわかった。先生の説によると、こんなに古い燈台が、まだ残っているそばに、偕行社という新式の煉瓦作りができた。二つ並べて見るとじつにばかげている。けれどもだれも気がつかない、平気でいる。これが日本の社会を代表しているんだと言う。  与次郎も三四郎もなるほどと言ったまま、お寺の前を通り越して、五、六町来ると、大きな黒い門がある。与次郎が、ここを抜けて道灌山へ出ようと言い出した。抜けてもいいのかと念を押すと、なにこれは佐竹の下屋敷で、だれでも通れるんだからかまわないと主張するので、二人ともその気になって門をくぐって、藪の下を通って古い池のそばまで来ると、番人が出てきて、たいへん三人をしかりつけた。その時与次郎はへいへいと言って番人にあやまった。  それから谷中へ出て、根津を回って、夕方に本郷の下宿へ帰った。三四郎は近来にない気楽な半日を暮らしたように感じた。  翌日学校へ出てみると与次郎がいない。昼から来るかと思ったが来ない。図書館へもはいったがやっぱり見当らなかった。五時から六時まで純文科共通の講義がある。三四郎はこれへ出た。筆記するには暗すぎる。電燈がつくには早すぎる。細長い窓の外に見える大きな欅の枝の奥が、次第に黒くなる時分だから、部屋の中は講師の顔も聴講生の顔も等しくぼんやりしている。したがって暗闇で饅頭を食うように、なんとなく神秘的である。三四郎は講義がわからないところが妙だと思った。頬杖を突いて聞いていると、神経がにぶくなって、気が遠くなる。これでこそ講義の価値があるような心持ちがする。ところへ電燈がぱっとついて、万事がやや明瞭になった。すると急に下宿へ帰って飯が食いたくなった。先生もみんなの心を察して、いいかげんに講義を切り上げてくれた。三四郎は早足で追分まで帰ってくる。  着物を脱ぎ換えて膳に向かうと、膳の上に、茶碗蒸といっしょに手紙が一本載せてある。その上封を見たとき、三四郎はすぐ母から来たものだと悟った。すまんことだがこの半月あまり母の事はまるで忘れていた。きのうからきょうへかけては時代錯誤だの、不二山の人格だの、神秘的な講義だので、例の女の影もいっこう頭の中へ出てこなかった。三四郎はそれで満足である。母の手紙はあとでゆっくり見ることとして、とりあえず食事を済まして、煙草を吹かした。その煙を見るとさっきの講義を思い出す。  そこへ与次郎がふらりと現われた。どうして学校を休んだかと聞くと、貸家捜しで学校どころじゃないそうである。 「そんなに急いで越すのか」と三四郎が聞くと、 「急ぐって先月中に越すはずのところをあさっての天長節まで待たしたんだから、どうしたってあしたじゅうに捜さなければならない。どこか心当りはないか」と言う。  こんなに忙しがるくせに、きのうは散歩だか、貸家捜しだかわからないようにぶらぶらつぶしていた。三四郎にはほとんど合点がいかない。与次郎はこれを解釈して、それは先生がいっしょだからさと言った。「元来先生が家を捜すなんて間違っている。けっして捜したことのない男なんだが、きのうはどうかしていたに違いない。おかげで佐竹の邸でひどい目にしかられていい面の皮だ。――君どこかないか」と急に催促する。与次郎が来たのはまったくそれが目的らしい。よくよく原因を聞いてみると、今の持ち主が高利貸で、家賃をむやみに上げるのが、業腹だというので、与次郎がこっちからたちのきを宣告したのだそうだ。それでは与次郎に責任があるわけだ。 「きょうは大久保まで行ってみたが、やっぱりない。――大久保といえば、ついでに宗八さんの所に寄って、よし子さんに会ってきた。かわいそうにまだ色光沢が悪い。――辣薑性の美人――おっかさんが君によろしく言ってくれってことだ。しかしその後はあの辺も穏やかなようだ。轢死もあれぎりないそうだ」  与次郎の話はそれから、それへと飛んで行く。平生から締まりのないうえに、きょうは家捜しで少しせきこんでいる。話が一段落つくと、相の手のように、どこかないかないかと聞く。しまいには三四郎も笑い出した。  そのうち与次郎の尻が次第におちついてきて、燈火親しむべしなどという漢語さえ借用してうれしがるようになった。話題ははしなく広田先生の上に落ちた。 「君の所の先生の名はなんというのか」 「名は萇」と指で書いて見せて、「艸冠がよけいだ。字引にあるかしらん。妙な名をつけたものだね」と言う。 「高等学校の先生か」 「昔から今日に至るまで高等学校の先生。えらいものだ。十年一|日のごとしというが、もう十二、三年になるだろう」 「子供はおるのか」 「子供どころか、まだ独身だ」  三四郎は少し驚いた。あの年まで一人でいられるものかとも疑った。 「なぜ奥さんをもらわないのだろう」 「そこが先生の先生たるところで、あれでたいへんな理論家なんだ。細君をもらってみないさきから、細君はいかんものと理論できまっているんだそうだ。愚だよ。だからしじゅう矛盾ばかりしている。先生、東京ほどきたない所はないように言う。それで石の門を見ると恐れをなして、いかんいかんとか、りっぱすぎるとか言うだろう」 「じゃ細君も試みに持ってみたらよかろう」 「大いによしとかなんとか言うかもしれない」 「先生は東京がきたないとか、日本人が醜いとか言うが、洋行でもしたことがあるのか」 「なにするもんか。ああいう人なんだ。万事頭のほうが事実より発達しているんだからああなるんだね。その代り西洋は写真で研究している。パリの凱旋門だの、ロンドンの議事堂だの、たくさん持っている。あの写真で日本を律するんだからたまらない。きたないわけさ。それで自分の住んでる所は、いくらきたなくっても存外平気だから不思議だ」 「三等汽車へ乗っておったぞ」 「きたないきたないって不平を言やしないか」 「いやべつに不平も言わなかった」 「しかし先生は哲学者だね」 「学校で哲学でも教えているのか」 「いや学校じゃ英語だけしか受け持っていないがね、あの人間が、おのずから哲学にできあがっているからおもしろい」 「著述でもあるのか」 「何もない。時々論文を書く事はあるが、ちっとも反響がない。あれじゃだめだ。まるで世間が知らないんだからしようがない。先生、ぼくの事を丸行燈だと言ったが、夫子自身は偉大な暗闇だ」 「どうかして、世の中へ出たらよさそうなものだな」 「出たらよさそうなものだって、――先生、自分じゃなんにもやらない人だからね。第一ぼくがいなけりゃ三度の飯さえ食えない人なんだ」  三四郎はまさかといわぬばかりに笑い出した。 「嘘じゃない。気の毒なほどなんにもやらないんでね。なんでも、ぼくが下女に命じて、先生の気にいるように始末をつけるんだが――そんな瑣末な事はとにかく、これから大いに活動して、先生を一つ大学教授にしてやろうと思う」  与次郎はまじめである。三四郎はその大言に驚いた。驚いてもかまわない。驚いたままに進行して、しまいに、 「引っ越しをする時はぜひ手伝いに来てくれ」と頼んだ。まるで約束のできた家がとうからあるごとき口吻である。  与次郎の帰ったのはかれこれ十時近くである。一人ですわっていると、どことなく肌寒の感じがする。ふと気がついたら、机の前の窓がまだたてずにあった。障子をあけると月夜だ。目に触れるたびに不愉快な檜に、青い光りがさして、黒い影の縁が少し煙って見える。檜に秋が来たのは珍しいと思いながら、雨戸をたてた。  三四郎はすぐ床へはいった。三四郎は勉強家というよりむしろ※徊家なので、わりあい書物を読まない。その代りある掬すべき情景にあうと、何べんもこれを頭の中で新たにして喜んでいる。そのほうが命に奥行があるような気がする。きょうも、いつもなら、神秘的講義の最中に、ぱっと電燈がつくところなどを繰り返してうれしがるはずだが、母の手紙があるので、まず、それから片づけ始めた。  手紙には新蔵が蜂蜜をくれたから、焼酎を混ぜて、毎晩杯に一杯ずつ飲んでいるとある。新蔵は家の小作人で、毎年冬になると年貢米を二十俵ずつ持ってくる。いたって正直者だが、癇癪が強いので、時々女房を薪でなぐることがある。――三四郎は床の中で新蔵が蜂を飼い出した昔の事まで思い浮かべた。それは五年ほどまえである。裏の椎の木に蜜蜂が二、三百匹ぶら下がっていたのを見つけてすぐ籾漏斗に酒を吹きかけて、ことごとく生捕にした。それからこれを箱へ入れて、出入りのできるような穴をあけて、日当りのいい石の上に据えてやった。すると蜂がだんだんふえてくる。箱が一つでは足りなくなる。二つにする。また足りなくなる。三つにする。というふうにふやしていった結果、今ではなんでも六箱か七箱ある。そのうちの一箱を年に一度ずつ石からおろして蜂のために蜜を切り取るといっていた。毎年夏休みに帰るたびに蜜をあげましょうと言わないことはないが、ついに持ってきたためしがなかった。が、今年は物覚えが急によくなって、年来の約束を履行したものであろう。  平太郎がおやじの石塔を建てたから見にきてくれろと頼みにきたとある。行ってみると、木も草もはえていない庭の赤土のまん中に、御影石でできていたそうである。平太郎はその御影石が自慢なのだと書いてある。山から切り出すのに幾日とかかかって、それから石屋に頼んだら十円取られた。百姓や何かにはわからないが、あなたのとこの若旦那は大学校へはいっているくらいだから、石の善悪はきっとわかる。今度手紙のついでに聞いてみてくれ、そうして十円もかけておやじのためにこしらえてやった石塔をほめてもらってくれと言うんだそうだ。――三四郎はひとりでくすくす笑い出した。千駄木の石門よりよほど激しい。  大学の制服を着た写真をよこせとある。三四郎はいつか撮ってやろうと思いながら、次へ移ると、案のごとく三輪田のお光さんが出てきた。――このあいだお光さんのおっかさんが来て、三四郎さんも近々大学を卒業なさることだが、卒業したら家の娘をもらってくれまいかという相談であった。お光さんは器量もよし気質も優しいし、家に田地もだいぶあるし、その上家と家との今までの関係もあることだから、そうしたら双方ともつごうがよいだろうと書いて、そのあとへ但し書がつけてある。――お光さんもうれしがるだろう。――東京の者は気心が知れないから私はいやじゃ。  三四郎は手紙を巻き返して、封に入れて、枕元へ置いたまま目を眠った。鼠が急に天井であばれだしたが、やがて静まった。  三四郎には三つの世界ができた。一つは遠くにある。与次郎のいわゆる明治十五年以前の香がする。すべてが平穏である代りにすべてが寝ぼけている。もっとも帰るに世話はいらない。もどろうとすれば、すぐにもどれる。ただいざとならない以上はもどる気がしない。いわば立退場のようなものである。三四郎は脱ぎ棄てた過去を、この立退場の中へ封じ込めた。なつかしい母さえここに葬ったかと思うと、急にもったいなくなる。そこで手紙が来た時だけは、しばらくこの世界に※徊して旧歓をあたためる。  第二の世界のうちには、苔のはえた煉瓦造りがある。片すみから片すみを見渡すと、向こうの人の顔がよくわからないほどに広い閲覧室がある。梯子をかけなければ、手の届きかねるまで高く積み重ねた書物がある。手ずれ、指の垢で、黒くなっている。金文字で光っている。羊皮、牛皮、二百年前の紙、それからすべての上に積もった塵がある。この塵は二、三十年かかってようやく積もった尊い塵である。静かな明日に打ち勝つほどの静かな塵である。  第二の世界に動く人の影を見ると、たいてい不精な髭をはやしている。ある者は空を見て歩いている。ある者は俯向いて歩いている。服装は必ずきたない。生計はきっと貧乏である。そうして晏如としている。電車に取り巻かれながら、太平の空気を、通天に呼吸してはばからない。このなかに入る者は、現世を知らないから不幸で、火宅をのがれるから幸いである。広田先生はこの内にいる。野々宮君もこの内にいる。三四郎はこの内の空気をほぼ解しえた所にいる。出れば出られる。しかしせっかく解しかけた趣味を思いきって捨てるのも残念だ。  第三の世界はさんとして春のごとくうごいている。電燈がある。銀匙がある。歓声がある。笑語がある。泡立つシャンパンの杯がある。そうしてすべての上の冠として美しい女性がある。三四郎はその女性の一人に口をきいた。一人を二へん見た。この世界は三四郎にとって最も深厚な世界である。この世界は鼻の先にある。ただ近づき難い。近づき難い点において、天外の稲妻と一般である。三四郎は遠くからこの世界をながめて、不思議に思う。自分がこの世界のどこかへはいらなければ、その世界のどこかに欠陥ができるような気がする。自分はこの世界のどこかの主人公であるべき資格を有しているらしい。それにもかかわらず、円満の発達をこいねがうべきはずのこの世界がかえってみずからを束縛して、自分が自由に出入すべき通路をふさいでいる。三四郎にはこれが不思議であった。  三四郎は床のなかで、この三つの世界を並べて、互いに比較してみた。次にこの三つの世界をかき混ぜて、そのなかから一つの結果を得た。――要するに、国から母を呼び寄せて、美しい細君を迎えて、そうして身を学問にゆだねるにこしたことはない。  結果はすこぶる平凡である。けれどもこの結果に到着するまえにいろいろ考えたのだから、思索の労力を打算して、結論の価値を上下しやすい思索家自身からみると、それほど平凡ではなかった。  ただこうすると広い第三の世界を眇たる一個の細君で代表させることになる。美しい女性はたくさんある。美しい女性を翻訳するといろいろになる。――三四郎は広田先生にならって、翻訳という字を使ってみた。――いやしくも人格上の言葉に翻訳のできるかぎりは、その翻訳から生ずる感化の範囲を広くして、自己の個性を全からしむるために、なるべく多くの美しい女性に接触しなければならない。細君一人を知って甘んずるのは、進んで自己の発達を不完全にするようなものである。  三四郎は論理をここまで延長してみて、少し広田さんにかぶれたなと思った。実際のところは、これほど痛切に不足を感じていなかったからである。  翌日学校へ出ると講義は例によってつまらないが、室内の空気は依然として俗を離れているので、午後三時までのあいだに、すっかり第二の世界の人となりおおせて、さも偉人のような態度をもって、追分の交番の前まで来ると、ばったり与次郎に出会った。 「アハハハ。アハハハ」  偉人の態度はこれがためにまったくくずれた。交番の巡査さえ薄笑いをしている。 「なんだ」 「なんだもないものだ。もう少し普通の人間らしく歩くがいい。まるでロマンチック・アイロニーだ」  三四郎にはこの洋語の意味がよくわからなかった。しかたがないから、 「家はあったか」と聞いた。 「その事で今君の所へ行ったんだ――あすいよいよ引っ越す。手伝いに来てくれ」 「どこへ越す」 「西片町十番地への三号。九時までに向こうへ行って掃除をしてね。待っててくれ。あとから行くから。いいか、九時までだぜ。への三号だよ。失敬」  与次郎は急いで行き過ぎた。三四郎も急いで下宿へ帰った。その晩取って返して、図書館でロマンチック・アイロニーという句を調べてみたら、ドイツのシュレーゲルが唱えだした言葉で、なんでも天才というものは、目的も努力もなく、終日ぶらぶらぶらついていなくってはだめだという説だと書いてあった。三四郎はようやく安心して、下宿へ帰って、すぐ寝た。  あくる日は約束だから、天長節にもかかわらず、例刻に起きて、学校へ行くつもりで西片町十番地へはいって、への三号を調べてみると、妙に細い通りの中ほどにある。古い家だ。  玄関の代りに西洋間が一つ突き出していて、それと鉤の手に座敷がある。座敷のうしろが茶の間で、茶の間の向こうが勝手、下女部屋と順に並んでいる。ほかに二階がある。ただし何畳だかわからない。  三四郎は掃除を頼まれたのだが、べつに掃除をする必要もないと認めた。むろんきれいじゃない。しかし何といって、取って捨てべきものも見当らない。しいて捨てれば畳建具ぐらいなものだと考えながら、雨戸だけをあけて、座敷の椽側へ腰をかけて庭をながめていた。  大きな百日紅がある。しかしこれは根が隣にあるので、幹の半分以上が横に杉垣から、こっちの領分をおかしているだけである。大きな桜がある。これはたしかに垣根の中にはえている。その代り枝が半分往来へ逃げ出して、もう少しすると電話の妨害になる。菊が一株ある。けれども寒菊とみえて、いっこう咲いていない。このほかにはなんにもない。気の毒なような庭である。ただ土だけは平らで、肌理が細かではなはだ美しい。三四郎は土を見ていた。じっさい土を見るようにできた庭である。  そのうち高等学校で天長節の式の始まるベルが鳴りだした。三四郎はベルを聞きながら九時がきたんだろうと考えた。何もしないでいても悪いから、桜の枯葉でも掃こうかしらんとようやく気がついた時、また箒がないということを考えだした。また椽側へ腰をかけた。かけて二分もしたかと思うと、庭木戸がすうとあいた。そうして思いもよらぬ池の女が庭の中にあらわれた。  二方は生垣で仕切ってある。四角な庭は十坪に足りない。三四郎はこの狭い囲いの中に立った池の女を見るやいなや、たちまち悟った。――花は必ず剪って、瓶裏にながむべきものである。  この時三四郎の腰は椽側を離れた。女は折戸を離れた。 「失礼でございますが……」  女はこの句を冒頭に置いて会釈した。腰から上を例のとおり前へ浮かしたが、顔はけっして下げない。会釈しながら、三四郎を見つめている。女の咽喉が正面から見ると長く延びた。同時にその目が三四郎の眸に映った。  二、三日まえ三四郎は美学の教師からグルーズの絵を見せてもらった。その時美学の教師が、この人のかいた女の肖像はことごとくヴォラプチュアスな表情に富んでいると説明した。ヴォラプチュアス! 池の女のこの時の目つきを形容するにはこれよりほかに言葉がない。何か訴えている。艶なるあるものを訴えている。そうしてまさしく官能に訴えている。けれども官能の骨をとおして髄に徹する訴え方である。甘いものに堪えうる程度をこえて、激しい刺激と変ずる訴え方である。甘いといわんよりは苦痛である。卑しくこびるのとはむろん違う。見られるもののほうがぜひこびたくなるほどに残酷な目つきである。しかもこの女にグルーズの絵と似たところは一つもない。目はグルーズのより半分も小さい。 「広田さんのお移転になるのは、こちらでございましょうか」 「はあ、ここです」  女の声と調子に比べると、三四郎の答はすこぶるぶっきらぼうである。三四郎も気がついている。けれどもほかに言いようがなかった。 「まだお移りにならないんでございますか」女の言葉ははっきりしている。普通のようにあとを濁さない。 「まだ来ません。もう来るでしょう」  女はしばしためらった。手に大きな籃をさげている。女の着物は例によって、わからない。ただいつものように光らないだけが目についた。地がなんだかぶつぶつしている。それに縞だか模様だかある。その模様がいかにもでたらめである。  上から桜の葉が時々落ちてくる。その一つが籃の蓋の上に乗った。乗ったと思ううちに吹かれていった。風が女を包んだ。女は秋の中に立っている。 「あなたは……」  風が隣へ越した時分、女が三四郎に聞いた。 「掃除に頼まれて来たのです」と言ったが、現に腰をかけてぽかんとしていたところを見られたのだから、三四郎は自分でおかしくなった。すると女も笑いながら、 「じゃ私も少しお待ち申しましょうか」と言った。その言い方が三四郎に許諾を求めるように聞こえたので、三四郎は大いに愉快であった。そこで「ああ」と答えた。三四郎の了見では、「ああ、お待ちなさい」を略したつもりである。女はそれでもまだ立っている。三四郎はしかたがないから、 「あなたは……」と向こうで聞いたようなことをこっちからも聞いた。すると、女は籃を椽の上へ置いて、帯の間から、一枚の名刺を出して、三四郎にくれた。  名刺には里見美禰子とあった。本郷真砂町だから谷を越すとすぐ向こうである。三四郎がこの名刺をながめているあいだに、女は椽に腰をおろした。 「あなたにはお目にかかりましたな」と名刺を袂へ入れた三四郎が顔をあげた。 「はあ。いつか病院で……」と言って女もこっちを向いた。 「まだある」 「それから池の端で……」と女はすぐ言った。よく覚えている。三四郎はそれで言う事がなくなった。女は最後に、 「どうも失礼いたしました」と句切りをつけたので、三四郎は、 「いいえ」と答えた。すこぶる簡潔である。二人は桜の枝を見ていた。梢に虫の食ったような葉がわずかばかり残っている。引っ越しの荷物はなかなかやってこない。 「なにか先生に御用なんですか」  三四郎は突然こう聞いた。高い桜の枯枝を余念なくながめていた女は、急に三四郎の方を振りむく。あらびっくりした、ひどいわ、という顔つきであった。しかし答は尋常である。 「私もお手伝いに頼まれました」  三四郎はこの時はじめて気がついて見ると、女の腰をかけている椽に砂がいっぱいたまっている。 「砂でたいへんだ。着物がよごれます」 「ええ」と左右をながめたぎりである。腰を上げない。しばらく椽を見回した目を、三四郎に移すやいなや、 「掃除はもうなすったんですか」と聞いた。笑っている。三四郎はその笑いのなかに慣れやすいあるものを認めた。 「まだやらんです」 「お手伝いをして、いっしょに始めましょうか」  三四郎はすぐに立った。女は動かない。腰をかけたまま、箒やはたきのありかを聞く。三四郎は、ただてぶらで来たのだから、どこにもない、なんなら通りへ行って買ってこようかと聞くと、それはむだだから、隣で借りるほうがよかろうと言う。三四郎はすぐ隣へ行った。さっそく箒とはたきと、それからバケツと雑巾まで借りて急いで帰ってくると、女は依然としてもとの所へ腰をかけて、高い桜の枝をながめていた。 「あって……」と一口言っただけである。  三四郎は箒を肩へかついで、バケツを右の手へぶら下げて「ええありました」とあたりまえのことを答えた。  女は白足袋のまま砂だらけの椽側へ上がった。歩くと細い足のあとができる。袂から白い前だれを出して帯の上から締めた。その前だれの縁がレースのようにかがってある。掃除をするにはもったいないほどきれいな色である。女は箒を取った。 「いったんはき出しましょう」と言いながら、袖の裏から右の手を出して、ぶらつく袂を肩の上へかついだ。きれいな手が二の腕まで出た。かついだ袂の端からは美しい襦袢の袖が見える。茫然として立っていた三四郎は、突然バケツを鳴らして勝手口へ回った。  美禰子が掃くあとを、三四郎が雑巾をかける。三四郎が畳をたたくあいだに、美禰子が障子をはたく。どうかこうか掃除がひととおり済んだ時は二人ともだいぶ親しくなった。  三四郎がバケツの水を取り換えに台所へ行ったあとで、美禰子がはたきと箒を持って二階へ上がった。 「ちょっと来てください」と上から三四郎を呼ぶ。 「なんですか」とバケツをさげた三四郎が梯子段の下から言う。女は暗い所に立っている。前だれだけがまっ白だ。三四郎はバケツをさげたまま二、三段上がった。女はじっとしている。三四郎はまた二段上がった。薄暗い所で美禰子の顔と三四郎の顔が一尺ばかりの距離に来た。 「なんですか」 「なんだか暗くってわからないの」 「なぜ」 「なぜでも」  三四郎は追窮する気がなくなった。美禰子のそばをすり抜けて上へ出た。バケツを暗い椽側へ置いて戸をあける。なるほど桟のぐあいがよくわからない。そのうち美禰子も上がってきた。 「まだあからなくって」  美禰子は反対の側へ行った。 「こっちです」  三四郎は黙って、美禰子の方へ近寄った。もう少しで美禰子の手に自分の手が触れる所で、バケツに蹴つまずいた。大きな音がする。ようやくのことで戸を一枚あけると、強い日がまともにさし込んだ。まぼしいくらいである。二人は顔を見合わせて思わず笑い出した。  裏の窓もあける。窓には竹の格子がついている。家主の庭が見える。鶏を飼っている。美禰子は例のごとく掃き出した。三四郎は四つ這いになって、あとから拭き出した。美禰子は箒を両手で持ったまま、三四郎の姿を見て、 「まあ」と言った。  やがて、箒を畳の上へなげ出して、裏の窓の所へ行って、立ったまま外面をながめている。そのうち三四郎も拭き終った。ぬれ雑巾をバケツの中へぼちゃんとたたきこんで、美禰子のそばへ来て並んだ。 「何を見ているんです」 「あててごらんなさい」 「鶏ですか」 「いいえ」 「あの大きな木ですか」 「いいえ」 「じゃ何を見ているんです。ぼくにはわからない」 「私さっきからあの白い雲を見ておりますの」  なるほど白い雲が大きな空を渡っている。空はかぎりなく晴れて、どこまでも青く澄んでいる上を、綿の光ったような濃い雲がしきりに飛んで行く。風の力が激しいと見えて、雲の端が吹き散らされると、青い地がすいて見えるほどに薄くなる。あるいは吹き散らされながら、塊まって、白く柔かな針を集めたように、ささくれだつ。美禰子はそのかたまりを指さして言った。 「駝鳥の襟巻に似ているでしょう」  三四郎はボーアという言葉を知らなかった。それで知らないと言った。美禰子はまた、 「まあ」と言ったが、すぐ丁寧にボーアを説明してくれた。その時三四郎は、 「うん、あれなら知っとる」と言った。そうして、あの白い雲はみんな雪の粉で、下から見てあのくらいに動く以上は、颶風以上の速度でなくてはならないと、このあいだ野々宮さんから聞いたとおりを教えた。美禰子は、 「あらそう」と言いながら三四郎を見たが、 「雪じゃつまらないわね」と否定を許さぬような調子であった。 「なぜです」 「なぜでも、雲は雲でなくっちゃいけないわ。こうして遠くからながめているかいがないじゃありませんか」 「そうですか」 「そうですかって、あなたは雪でもかまわなくって」 「あなたは高い所を見るのが好きのようですな」 「ええ」  美禰子は竹の格子の中から、まだ空をながめている。白い雲はあとから、あとから、飛んで来る。  ところへ遠くから荷車の音が聞こえる。今静かな横町を曲がって、こっちへ近づいて来るのが地響きでよくわかる。三四郎は「来た」と言った。美禰子は「早いのね」と言ったままじっとしている。車の音の動くのが、白い雲の動くのに関係でもあるように耳をすましている。車はおちついた秋の中を容赦なく近づいて来る。やがて門の前へ来てとまった。  三四郎は美禰子を捨てて二階を駆け降りた。三四郎が玄関へ出るのと、与次郎が門をはいるのとが同時同刻であった。 「早いな」と与次郎がまず声をかけた。 「おそいな」と三四郎が答えた。美禰子とは反対である。 「おそいって、荷物を一度に出したんだからしかたがない。それにぼく一人だから。あとは下女と車屋ばかりでどうすることもできない」 「先生は」 「先生は学校」  二人が話を始めているうちに、車屋が荷物をおろし始めた。下女もはいって来た。台所の方を下女と車屋に頼んで、与次郎と三四郎は書物を西洋間へ入れる。書物がたくさんある。並べるのは一仕事だ。 「里見のお嬢さんは、まだ来ていないか」 「来ている」 「どこに」 「二階にいる」 「二階に何をしている」 「何をしているか、二階にいる」 「冗談じゃない」  与次郎は本を一冊持ったまま、廊下伝いに梯子段の下まで行って、例のとおりの声で、 「里見さん、里見さん。書物をかたづけるから、ちょっと手伝ってください」と言う。 「ただ今参ります」  箒とはたきを持って、美禰子は静かに降りて来た。 「何をしていたんです」と下から与次郎がせきたてるように聞く。 「二階のお掃除」と上から返事があった。  降りるのを待ちかねて、与次郎は美禰子を西洋間の戸口の所へ連れて来た。車力のおろした書物がいっぱい積んである。三四郎がその中へ、向こうむきにしゃがんで、しきりに何か読み始めている。 「まあたいへんね。これをどうするの」と美禰子が言った時、三四郎はしゃがみながら振り返った。にやにや笑っている。 「たいへんもなにもありゃしない。これを部屋の中へ入れて、片づけるんです。いまに先生も帰って来て手伝うはずだからわけはない。――君、しゃがんで本なんぞ読みだしちゃ困る。あとで借りていってゆっくり読むがいい」と与次郎が小言を言う。  美禰子と三四郎が戸口で本をそろえると、それを与次郎が受け取って部屋の中の書棚へ並べるという役割ができた。 「そう乱暴に、出しちゃ困る。まだこの続きが一冊あるはずだ」と与次郎が青い平たい本を振り回す。 「だってないんですもの」 「なにないことがあるものか」 「あった、あった」と三四郎が言う。 「どら、拝見」と美禰子が顔を寄せて来る。「ヒストリー・オフ・インテレクチュアル・デベロップメント。あらあったのね」 「あらあったもないもんだ。早くお出しなさい」  三人は約三十分ばかり根気に働いた。しまいにはさすがの与次郎もあまりせっつかなくなった。見ると書棚の方を向いてあぐらをかいて黙っている。美禰子は三四郎の肩をちょっと突っついた。三四郎は笑いながら、 「おいどうした」と聞く。 「うん。先生もまあ、こんなにいりもしない本を集めてどうする気かなあ。まったく人泣かせだ。いまこれを売って株でも買っておくともうかるんだが、しかたがない」と嘆息したまま、やはり壁を向いてあぐらをかいている。  三四郎と美禰子は顔を見合わせて笑った。肝心の主脳が動かないので、二人とも書物をそろえるのを控えている。三四郎は詩の本をひねくり出した。美禰子は大きな画帖を膝の上に開いた。勝手の方では臨時雇いの車夫と下女がしきりに論判している。たいへん騒々しい。 「ちょっと御覧なさい」と美禰子が小さな声で言う。三四郎は及び腰になって、画帖の上へ顔を出した。美禰子の髪で香水のにおいがする。  絵はマーメイドの図である。裸体の女の腰から下が魚になって、魚の胴がぐるりと腰を回って、向こう側に尾だけ出ている。女は長い髪を櫛ですきながら、すき余ったのを手に受けながら、こっちを向いている。背景は広い海である。 「人魚」 「人魚」  頭をすりつけた二人は同じ事をささやいた。この時あぐらをかいていた与次郎がなんと思ったか、 「なんだ、何を見ているんだ」と言いながら廊下へ出て来た。三人は首をあつめて画帖を一枚ごとに繰っていった。いろいろな批評が出る。みんないいかげんである。  ところへ広田先生がフロックコートで天長節の式から帰ってきた、三人は挨拶をする時に画帖を伏せてしまった。先生が書物だけはやく片づけようというので、三人がまた根気にやり始めた。今度は主人公がいるので、そう油を売ることもできなかったとみえて、一時間後には、どうか、こうか廊下の書物が書棚の中へ詰まってしまった。四人は立ち並んできれいに片づいた書物を一応ながめた。 「あとの整理はあしただ」と与次郎が言った。これでがまんなさいといわぬばかりである。 「だいぶお集めになりましたね」と美禰子が言う。 「先生これだけみんなお読みになったですか」と最後に三四郎が聞いた。三四郎はじっさい参考のため、この事実を確かめておく必要があったとみえる。 「みんな読めるものか、佐々木なら読むかもしれないが」  与次郎は頭をかいている。三四郎はまじめになって、じつはこのあいだから大学の図書館で、少しずつ本を借りて読むが、どんな本を借りても、必ずだれか目を通している。試しにアフラ・ベーンという人の小説を借りてみたが、やっぱりだれか読んだあとがあるので、読書範囲の際限が知りたくなったから聞いてみたと言う。 「アフラ・ベーンならぼくも読んだ」  広田先生のこの一言には三四郎も驚いた。 「驚いたな。先生はなんでも人の読まないものを読む癖がある」と与次郎が言った。  広田は笑って座敷の方へ行く。着物を着換えるためだろう。美禰子もついて出た。あとで与次郎が三四郎にこう言った。 「あれだから偉大な暗闇だ。なんでも読んでいる。けれどもちっとも光らない。もう少し流行るものを読んで、もう少し出しゃばってくれるといいがな」  与次郎の言葉はけっして冷評ではなかった。三四郎は黙って本箱をながめていた。すると座敷から美禰子の声が聞こえた。 「ごちそうをあげるからお二人ともいらっしゃい」  二人が書斎から廊下伝いに、座敷へ来てみると、座敷のまん中に美禰子の持って来た籃が据えてある。蓋が取ってある。中にサンドイッチがたくさんはいっている。美禰子はそのそばにすわって、籃の中のものを小皿へ取り分けている。与次郎と美禰子の問答が始まった。 「よく忘れずに持ってきましたね」 「だって、わざわざ御注文ですもの」 「その籃も買ってきたんですか」 「いいえ」 「家にあったんですか」 「ええ」 「たいへん大きなものですね。車夫でも連れてきたんですか。ついでに、少しのあいだ置いて働かせればいいのに」 「車夫はきょうは使いに出ました。女だってこのくらいなものは持てますわ」 「あなただから持つんです。ほかのお嬢さんなら、まあやめますね」 「そうでしょうか。それなら私もやめればよかった」  美禰子は食い物を小皿へ取りながら、与次郎と応対している。言葉に少しもよどみがない。しかもゆっくりおちついている。ほとんど与次郎の顔を見ないくらいである。三四郎は敬服した。  台所から下女が茶を持って来る。籃を取り巻いた連中は、サンドイッチを食い出した。少しのあいだは静かであったが、思い出したように与次郎がまた広田先生に話しかけた。 「先生、ついでだからちょっと聞いておきますがさっきのなんとかベーンですね」 「アフラ・ベーンか」 「ぜんたいなんです、そのアフラ・ベーンというのは」 「英国の閨秀作家だ。十七世紀の」 「十七世紀は古すぎる。雑誌の材料にゃなりませんね」 「古い。しかし職業として小説に従事したはじめての女だから、それで有名だ」 「有名じゃ困るな。もう少し伺っておこう。どんなものを書いたんですか」 「ぼくはオルノーコという小説を読んだだけだが、小川さん、そういう名の小説が全集のうちにあったでしょう」  三四郎はきれいに忘れている。先生にその梗概を聞いてみると、オルノーコという黒ん坊の王族が英国の船長にだまされて、奴隷に売られて、非常に難儀をする事が書いてあるのだそうだ。しかもこれは作家の実見譚だとして後世に信ぜられているという話である。 「おもしろいな。里見さん、どうです、一つオルノーコでも書いちゃあ」と与次郎はまた美禰子の方へ向かった。 「書いてもよござんすけれども、私にはそんな実見譚がないんですもの」 「黒ん坊の主人公が必要なら、その小川君でもいいじゃありませんか。九州の男で色が黒いから」 「口の悪い」と美禰子は三四郎を弁護するように言ったが、すぐあとから三四郎の方を向いて、 「書いてもよくって」と聞いた。その目を見た時に、三四郎はけさ籃をさげて、折戸からあらわれた瞬間の女を思い出した。おのずから酔った心地である。けれども酔ってすくんだ心地である。どうぞ願いますなどとはむろん言いえなかった。  広田先生は例によって煙草をのみ出した。与次郎はこれを評して鼻から哲学の煙の吐くと言った。なるほど煙の出方が少し違う。悠然として太くたくましい棒が二本穴を抜けて来る。与次郎はその煙柱をながめて、半分背を唐紙に持たしたまま黙っている。三四郎の目はぼんやり庭の上にある。引っ越しではない。まるで小集のていに見える。談話もしたがって気楽なものである。ただ美禰子だけが広田先生の陰で、先生がさっき脱ぎ捨てた洋服を畳み始めた。先生に和服を着せたのも美禰子の所為とみえる。 「今のオルノーコの話だが、君はそそっかしいから間違えるといけないからついでに言うがね」と先生の煙がちょっととぎれた。 「へえ、伺っておきます」と与次郎が几帳面に言う。 「あの小説が出てから、サザーンという人がその話を脚本に仕組んだのが別にある。やはり同じ名でね。それをいっしょにしちゃいけない」 「へえ、いっしょにしやしません」  洋服を畳んでいた美禰子はちょっと与次郎の顔を見た。 「その脚本のなかに有名な句がある。Pity's akin to love という句だが……」それだけでまた哲学の煙をさかんに吹き出した。 「日本にもありそうな句ですな」と今度は三四郎が言った。ほかの者も、みんなありそうだと言いだした。けれどもだれにも思い出せない。ではひとつ訳してみたらよかろうということになって、四人がいろいろに試みたがいっこうにまとまらない。しまいに与次郎が、 「これは、どうしても俗謡でいかなくっちゃだめですよ。句の趣が俗謡だもの」と与次郎らしい意見を提出した。  そこで三人がぜんぜん翻訳権を与次郎に委任することにした。与次郎はしばらく考えていたが、 「少しむりですがね、こういうなどうでしょう。かあいそうだたほれたってことよ」 「いかん、いかん、下劣の極だ」と先生がたちまち苦い顔をした。その言い方がいかにも下劣らしいので、三四郎と美禰子は一度に笑い出した。この笑い声がまだやまないうちに、庭の木戸がぎいと開いて、野々宮さんがはいって来た。 「もうたいてい片づいたんですか」と言いながら、野々宮さんは椽側の正面の所まで来て、部屋の中にいる四人をのぞくように見渡した。 「まだ片づきませんよ」と与次郎がさっそく言う。 「少し手伝っていただきましょうか」と美禰子が与次郎に調子を合わせた。野々宮さんはにやにや笑いながら、 「だいぶにぎやかなようですね。何かおもしろい事がありますか」と言って、ぐるりと後向きに椽側へ腰をかけた。 「今ぼくが翻訳をして先生にしかられたところです」 「翻訳を? どんな翻訳ですか」 「なにつまらない――かわいそうだたほれたってことよというんです」 「へえ」と言った野々宮君は椽側で筋かいに向き直った。「いったいそりゃなんですか。ぼくにゃ意味がわからない」 「だれだってわからんさ」と今度は先生が言った。 「いや、少し言葉をつめすぎたから――あたりまえにのばすと、こうです。かあいそうだとはほれたということよ」 「アハハハ。そうしてその原文はなんというのです」 「Pity's akin to love」と美禰子が繰り返した。美しいきれいな発音であった。  野々宮さんは、椽側から立って、二、三歩庭の方へ歩き出したが、やがてまたぐるりと向き直って、部屋を正面に留まった。 「なるほどうまい訳だ」  三四郎は野々宮君の態度と視線とを注意せずにはいられなかった。  美禰子は台所へ立って、茶碗を洗って、新しい茶をついで、椽側の端まで持って出る。 「お茶を」と言ったまま、そこへすわった。「よし子さんは、どうなすって」と聞く。 「ええ、からだのほうはもう回復しましたが」とまた腰をかけて茶を飲む。それから、少し先生の方へ向いた。 「先生、せっかく大久保へ越したが、またこっちの方へ出なければならないようになりそうです」 「なぜ」 「妹が学校へ行き帰りに、戸山の原を通るのがいやだと言いだしましてね。それにぼくが夜実験をやるものですから、おそくまで待っているのがさむしくっていけないんだそうです。もっとも今のうちは母がいるからかまいませんが、もう少しして、母が国へ帰ると、あとは下女だけになるものですからね。臆病者の二人ではとうていしんぼうしきれないのでしょう。――じつにやっかいだな」と冗談半分の嘆声をもらしたが、「どうです里見さん、あなたの所へでも食客に置いてくれませんか」と美禰子の顔を見た。 「いつでも置いてあげますわ」 「どっちです。宗八さんのほうをですか、よし子さんのほうをですか」と与次郎が口を出した。 「どちらでも」  三四郎だけ黙っていた。広田先生は少しまじめになって、 「そうして君はどうする気なんだ」 「妹の始末さえつけば、当分下宿してもいいです。それでなければ、またどこかへ引っ越さなければならない。いっそ学校の寄宿舎へでも入れようかと思うんですがね。なにしろ子供だから、ぼくがしじゅう行けるか、向こうがしじゅう来られる所でないと困るんです」 「それじゃ里見さんの所に限る」と与次郎がまた注意を与えた。広田さんは与次郎を相手にしない様子で、 「ぼくの所の二階へ置いてやってもいいが、なにしろ佐々木のような者がいるから」と言う。 「先生、二階へはぜひ佐々木を置いてやってください」と与次郎自身が依頼した。野々宮君は笑いながら、 「まあ、どうかしましょう。――身長ばかり大きくってばかだからじつに弱る。あれで団子坂の菊人形が見たいから、連れていけなんて言うんだから」 「連れていっておあげなさればいいのに。私だって見たいわ」 「じゃいっしょに行きましょうか」 「ええぜひ。小川さんもいらっしゃい」 「ええ行きましょう」 「佐々木さんも」 「菊人形は御免だ。菊人形を見るくらいなら活動写真を見に行きます」 「菊人形はいいよ」と今度は広田先生が言いだした。「あれほどに人工的なものはおそらく外国にもないだろう。人工的によくこんなものをこしらえたというところを見ておく必要がある。あれが普通の人間にできていたら、おそらく団子坂へ行く者は一人もあるまい。普通の人間なら、どこの家でも四、五人は必ずいる。団子坂へ出かけるにはあたらない」 「先生一流の論理だ」と与次郎が評した。 「昔教場で教わる時にも、よくあれでやられたものだ」と野々宮君が言った。 「じゃ先生もいらっしゃい」と美禰子が最後に言う。先生は黙っている。みんな笑いだした。  台所からばあさんが「どなたかちょいと」と言う。与次郎は「おい」とすぐ立った。三四郎はやはりすわっていた。 「どれぼくも失礼しようか」と野々宮さんが腰を上げる。 「あらもうお帰り。ずいぶんね」と美禰子が言う。 「このあいだのものはもう少し待ってくれたまえ」と広田先生が言うのを、「ええ、ようござんす」と受けて、野々宮さんが庭から出ていった。その影が折戸の外へ隠れると、美禰子は急に思い出したように「そうそう」と言いながら、庭先に脱いであった下駄をはいて、野々宮のあとを追いかけた。表で何か話している。  三四郎は黙ってすわっていた。 五  門をはいると、このあいだの萩が、人の丈より高く茂って、株の根に黒い影ができている。この黒い影が地の上をはって、奥の方へゆくと、見えなくなる。葉と葉の重なる裏まで上ってくるようにも思われる。それほど表には濃い日があたっている。手洗水のそばに南天がある。これも普通よりは背が高い。三本寄ってひょろひょろしている。葉は便所の窓の上にある。  萩と南天の間に椽側が少し見える。椽側は南天を基点としてはすに向こうへ走っている。萩の影になった所は、いちばん遠いはずれになる。それで萩はいちばん手前にある。よし子はこの萩の影にいた。椽側に腰をかけて。  三四郎は萩とすれすれに立った。よし子は椽から腰を上げた。足は平たい石の上にある。三四郎はいまさらその背の高いのに驚いた。 「おはいりなさい」  依然として三四郎を待ち設けたような言葉づかいである。三四郎は病院の当時を思い出した。萩を通り越して椽鼻まで来た。 「お掛けなさい」  三四郎は靴をはいている。命のごとく腰をかけた。よし子は座蒲団を取って来た。 「お敷きなさい」  三四郎は蒲団を敷いた。門をはいってから、三四郎はまだ一言も口を開かない。この単純な少女はただ自分の思うとおりを三四郎に言うが、三四郎からは毫も返事を求めていないように思われる。三四郎は無邪気なる女王の前に出た心持ちがした。命を聞くだけである。お世辞を使う必要がない。一言でも先方の意を迎えるような事をいえば、急に卑しくなる、唖の奴隷のごとく、さきのいうがままにふるまっていれば愉快である。三四郎は子供のようなよし子から子供扱いにされながら、少しもわが自尊心を傷つけたとは感じえなかった。 「兄ですか」とよし子はその次に聞いた。  野々宮を尋ねて来たわけでもない。尋ねないわけでもない。なんで来たか三四郎にもじつはわからないのである。 「野々宮さんはまだ学校ですか」 「ええ、いつでも夜おそくでなくっちゃ帰りません」  これは三四郎も知ってる事である。三四郎は挨拶に窮した。見ると椽側に絵の具箱がある。かきかけた水彩がある。 「絵をお習いですか」 「ええ、好きだからかきます」 「先生はだれですか」 「先生に習うほどじょうずじゃないの」 「ちょっと拝見」 「これ? これまだできていないの」とかきかけを三四郎の方へ出す。なるほど自分のうちの庭がかきかけてある。空と、前の家の柿の木と、はいり口の萩だけができている。なかにも柿の木ははなはだ赤くできている。 「なかなかうまい」と三四郎が絵をながめながら言う。 「これが?」とよし子は少し驚いた。本当に驚いたのである。三四郎のようなわざとらしい調子は少しもなかった。  三四郎はいまさら自分の言葉を冗談にすることもできず、またまじめにすることもできなくなった。どっちにしても、よし子から軽蔑されそうである。三四郎は絵をながめながら、腹の中で赤面した。  椽側から座敷を見回すと、しんと静かである。茶の間はむろん、台所にも人はいないようである。 「おっかさんはもうお国へお帰りになったんですか」 「まだ帰りません。近いうちに立つはずですけれど」 「今、いらっしゃるんですか」 「今ちょっと買物に出ました」 「あなたが里見さんの所へお移りになるというのは本当ですか」 「どうして」 「どうしてって――このあいだ広田先生の所でそんな話がありましたから」 「まだきまりません。ことによると、そうなるかもしれませんけれど」  三四郎は少しく要領を得た。 「野々宮さんはもとから里見さんと御懇意なんですか」 「ええ。お友だちなの」  男と女の友だちという意味かしらと思ったが、なんだかおかしい。けれども三四郎はそれ以上を聞きえなかった。 「広田先生は野々宮さんのもとの先生だそうですね」 「ええ」  話は「ええ」でつかえた。 「あなたは里見さんの所へいらっしゃるほうがいいんですか」 「私? そうね。でも美禰子さんのお兄いさんにお気の毒ですから」 「美禰子さんのにいさんがあるんですか」 「ええ。うちの兄と同年の卒業なんです」 「やっぱり理学士ですか」 「いいえ、科は違います。法学士です。そのまた上の兄さんが広田先生のお友だちだったのですけれども、早くおなくなりになって、今では恭助さんだけなんです」 「おとっさんやおっかさんは」  よし子は少し笑いながら、 「ないわ」と言った。美禰子の父母の存在を想像するのは滑稽であるといわぬばかりである。よほど早く死んだものとみえる。よし子の記憶にはまるでないのだろう。 「そういう関係で美禰子さんは広田先生の家へ出入をなさるんですね」 「ええ。死んだにいさんが広田先生とはたいへん仲良しだったそうです。それに美禰子さんは英語が好きだから、時々英語を習いにいらっしゃるんでしょう」 「こちらへも来ますか」  よし子はいつのまにか、水彩画の続きをかき始めた。三四郎がそばにいるのがまるで苦になっていない。それでいて、よく返事をする。 「美禰子さん?」と聞きながら、柿の木の下にある藁葺屋根に影をつけたが、 「少し黒すぎますね」と絵を三四郎の前へ出した。三四郎は今度は正直に、 「ええ、少し黒すぎます」と答えた。すると、よし子は画筆に水を含ませて、黒い所を洗いながら、 「いらっしゃいますわ」とようやく三四郎に返事をした。 「たびたび?」 「ええたびたび」とよし子は依然として画紙に向かっている。三四郎は、よし子が絵のつづきをかきだしてから、問答がたいへん楽になった。  しばらく無言のまま、絵のなかをのぞいていると、よし子はたんねんに藁葺屋根の黒い影を洗っていたが、あまり水が多すぎたのと、筆の使い方がなかなか不慣れなので、黒いものがかってに四方へ浮き出して、せっかく赤くできた柿が、陰干の渋柿のような色になった。よし子は画筆の手を休めて、両手を伸ばして、首をあとへ引いて、ワットマンをなるべく遠くからながめていたが、しまいに、小さな声で、 「もう駄目ね」と言う。じっさいだめなのだから、しかたがない。三四郎は気の毒になった。 「もうおよしなさい。そうして、また新しくおかきなさい」  よし子は顔を絵に向けたまま、しりめに三四郎を見た。大きな潤いのある目である。三四郎はますます気の毒になった。すると女が急に笑いだした。 「ばかね。二時間ばかり損をして」と言いながら、せっかくかいた水彩の上へ、横縦に二、三本太い棒を引いて、絵の具箱の蓋をぱたりと伏せた。 「もうよしましょう。座敷へおはいりなさい。お茶をあげますから」と言いながら、自分は上へ上がった。三四郎は靴を脱ぐのが面倒なので、やはり椽側に腰をかけていた。腹の中では、今になって、茶をやるという女を非常におもしろいと思っていた。三四郎に度はずれの女をおもしろがるつもりは少しもないのだが、突然お茶をあげますといわれた時には、一種の愉快を感ぜぬわけにゆかなかったのである。その感じは、どうしても異性に近づいて得られる感じではなかった。  茶の間で話し声がする。下女はいたに違いない。やがて襖を開いて、茶器を持って、よし子があらわれた。その顔を正面から見た時に、三四郎はまた、女性中のもっとも女性的な顔であると思った。  よし子は茶をくんで椽側へ出して、自分は座敷の畳の上へすわった。三四郎はもう帰ろうと思っていたが、この女のそばにいると、帰らないでもかまわないような気がする。病院ではかつてこの女の顔をながめすぎて、少し赤面させたために、さっそく引き取ったが、きょうはなんともない。茶を出したのをさいわいに椽側と座敷でまた談話を始めた。いろいろ話しているうちに、よし子は三四郎に妙な事を聞きだした。それは、自分の兄の野々宮が好きかいやかという質問であった。ちょっと聞くとまるでがんぜない子供の言いそうな事であるが、よし子の意味はもう少し深いところにあった。研究心の強い学問好きの人は、万事を研究する気で見るから、情愛が薄くなるわけである。人情で物をみると、すべてが好ききらいの二つになる。研究する気なぞが起こるものではない。自分の兄は理学者だものだから、自分を研究していけない。自分を研究すればするほど、自分を可愛がる度は減るのだから、妹に対して不親切になる。けれども、あのくらい研究好きの兄が、このくらい自分を可愛がってくれるのだから、それを思うと、兄は日本じゅうでいちばんいい人に違いないという結論であった。  三四郎はこの説を聞いて、大いにもっともなような、またどこか抜けているような気がしたが、さてどこが抜けているんだか、頭がぼんやりして、ちょっとわからなかった。それでおもてむきこの説に対してはべつだんの批評を加えなかった。ただ腹の中で、これしきの女の言う事を、明瞭に批評しえないのは、男児としてふがいないことだと、いたく赤面した。同時に、東京の女学生はけっしてばかにできないものだということを悟った。  三四郎はよし子に対する敬愛の念をいだいて下宿へ帰った。はがきが来ている。「明日午後一時ごろから菊人形を見にまいりますから、広田先生の家までいらっしゃい。美禰子」  その字が、野々宮さんのポッケットから半分はみ出していた封筒の上書に似ているので、三四郎は何べんも読み直してみた。  翌日は日曜である。三四郎は昼飯を済ましてすぐ西片町へ来た。新調の制服を着て、光った靴をはいている。静かな横町を広田先生の前まで来ると、人声がする。  先生の家は門をはいると、左手がすぐ庭で、木戸をあければ玄関へかからずに、座敷の椽へ出られる。三四郎は要目垣のあいだに見える桟をはずそうとして、ふと、庭の中の話し声を耳にした。話は野々宮と美禰子のあいだに起こりつつある。 「そんな事をすれば、地面の上へ落ちて死ぬばかりだ」これは男の声である。 「死んでも、そのほうがいいと思います」これは女の答である。 「もっともそんな無謀な人間は、高い所から落ちて死ぬだけの価値は十分ある」 「残酷な事をおっしゃる」  三四郎はここで木戸をあけた。庭のまん中に立っていた会話の主は二人ともこっちを見た。野々宮はただ「やあ」と平凡に言って、頭をうなずかせただけである。頭に新しい茶の中折帽をかぶっている。美禰子は、すぐ、 「はがきはいつごろ着きましたか」と聞いた。二人の今までやっていた会話はこれで中絶した。  椽側には主人が洋服を着て腰をかけて、相変らず哲学を吹いている。これは西洋の雑誌を手にしていた。そばによし子がいる。両手をうしろに突いて、からだを空に持たせながら、伸ばした足にはいた厚い草履をながめていた。――三四郎はみんなから待ち受けられていたとみえる。  主人は雑誌をなげ出した。 「では行くかな。とうとう引っぱり出された」 「御苦労さま」と野々宮さんが言った。女は二人で顔を見合わせて、ひとに知れないような笑をもらした。庭を出る時、女が二人つづいた。 「背が高いのね」と美禰子があとから言った。 「のっぽ」とよし子が一言答えた。門の側で並んだ時、「だから、なりたけ草履をはくの」と弁解をした。三四郎もつづいて庭を出ようとすると、二階の障子ががらりと開いた。与次郎が手欄の所まで出てきた。 「行くのか」と聞く。 「うん、君は」 「行かない。菊細工なんぞ見てなんになるものか。ばかだな」 「いっしょに行こう。家にいたってしようがないじゃないか」 「今論文を書いている。大論文を書いている。なかなかそれどころじゃない」  三四郎はあきれ返ったような笑い方をして、四人のあとを追いかけた。四人は細い横町を三分の二ほど広い通りの方へ遠ざかったところである。この一団の影を高い空気の下に認めた時、三四郎は自分の今の生活が熊本当時のそれよりも、ずっと意味の深いものになりつつあると感じた。かつて考えた三個の世界のうちで、第二第三の世界はまさにこの一団の影で代表されている。影の半分は薄黒い。半分は花野のごとく明らかである。そうして三四郎の頭のなかではこの両方が渾然として調和されている。のみならず、自分もいつのまにか、しぜんとこの経緯のなかに織りこまれている。ただそのうちのどこかにおちつかないところがある。それが不安である。歩きながら考えると、いまさき庭のうちで、野々宮と美禰子が話していた談柄が近因である。三四郎はこの不安の念を駆るために、二人の談柄をふたたびほじくり出してみたい気がした。  四人はすでに曲がり角へ来た。四人とも足をとめて、振り返った。美禰子は額に手をかざしている。  三四郎は一分かからぬうちに追いついた。追いついてもだれもなんとも言わない。ただ歩きだしただけである。しばらくすると、美禰子が、 「野々宮さんは、理学者だから、なおそんな事をおっしゃるんでしょう」と言いだした。話の続きらしい。 「なに理学をやらなくっても同じ事です。高く飛ぼうというには、飛べるだけの装置を考えたうえでなければできないにきまっている。頭のほうがさきに要るに違いないじゃありませんか」 「そんなに高く飛びたくない人は、それで我慢するかもしれません」 「我慢しなければ、死ぬばかりですもの」 「そうすると安全で地面の上に立っているのがいちばんいい事になりますね。なんだかつまらないようだ」  野々宮さんは返事をやめて、広田先生の方を向いたが、 「女には詩人が多いですね」と笑いながら言った。すると広田先生が、 「男子の弊はかえって純粋の詩人になりきれないところにあるだろう」と妙な挨拶をした。野々宮さんはそれで黙った。よし子と美禰子は何かお互いの話を始める。三四郎はようやく質問の機会を得た。 「今のは何のお話なんですか」 「なに空中飛行機の事です」と野々宮さんが無造作に言った。三四郎は落語のおちを聞くような気がした。  それからはべつだんの会話も出なかった。また長い会話ができかねるほど、人がぞろぞろ歩く所へ来た。大観音の前に乞食がいる。額を地にすりつけて、大きな声をのべつに出して、哀願をたくましゅうしている。時々顔を上げると、額のところだけが砂で白くなっている。だれも顧みるものがない。五人も平気で行き過ぎた。五、六間も来た時に、広田先生が急に振り向いて三四郎に聞いた。 「君あの乞食に銭をやりましたか」 「いいえ」と三四郎があとを見ると、例の乞食は、白い額の下で両手を合わせて、相変らず大きな声を出している。 「やる気にならないわね」とよし子がすぐに言った。 「なぜ」とよし子の兄は妹を見た。たしなめるほどに強い言葉でもなかった。野々宮の顔つきはむしろ冷静である。 「ああしじゅうせっついていちゃ、せっつきばえがしないからだめですよ」と美禰子が評した。 「いえ場所が悪いからだ」と今度は広田先生が言った。「あまり人通りが多すぎるからいけない。山の上の寂しい所で、ああいう男に会ったら、だれでもやる気になるんだよ」 「その代り一日待っていても、だれも通らないかもしれない」と野々宮はくすくす笑い出した。  三四郎は四人の乞食に対する批評を聞いて、自分が今日まで養成した徳義上の観念を幾分か傷つけられるような気がした。けれども自分が乞食の前を通る時、一銭も投げてやる了見が起こらなかったのみならず、実をいえば、むしろ不愉快な感じが募った事実を反省してみると、自分よりもこれら四人のほうがかえって己に誠であると思いついた。また彼らは己に誠でありうるほどな広い天地の下に呼吸する都会人種であるということを悟った。  行くに従って人が多くなる。しばらくすると一人の迷子に出会った。七つばかりの女の子である。泣きながら、人の袖の下を右へ行ったり、左へ行ったりうろうろしている。おばあさん、おばあさんとむやみに言う。これには往来の人もみんな心を動かしているようにみえる。立ちどまる者もある。かあいそうだという者もある。しかしだれも手をつけない。子供はすべての人の注意と同情をひきつつ、しきりに泣きさけんでおばあさんを捜している。不可思議の現象である。 「これも場所が悪いせいじゃないか」と野々宮君が子供の影を見送りながら言った。 「いまに巡査が始末をつけるにきまっているから、みんな責任をのがれるんだね」と広田先生が説明した。 「わたしのそばまで来れば交番まで送ってやるわ」とよし子が言う。 「じゃ、追っかけて行って、連れて行くがいい」と兄が注意した。 「追っかけるのはいや」 「なぜ」 「なぜって――こんなにおおぜいの人がいるんですもの。私にかぎったことはないわ」 「やっぱり責任をのがれるんだ」と広田が言う。 「やっぱり場所が悪いんだ」と野々宮が言う。男は二人で笑った。団子坂の上まで来ると、交番の前へ人が黒山のようにたかっている。迷子はとうとう巡査の手に渡ったのである。 「もう安心|大丈夫です」と美禰子が、よし子を顧みて言った。よし子は「まあよかった」という。  坂の上から見ると、坂は曲がっている。刀の切っ先のようである。幅はむろん狭い。右側の二階建が左側の高い小屋の前を半分さえぎっている。そのうしろにはまた高い幟が何本となく立ててある。人は急に谷底へ落ち込むように思われる。その落ち込むものが、はい上がるものと入り乱れて、道いっぱいにふさがっているから、谷の底にあたる所は幅をつくして異様に動く。見ていると目が疲れるほど不規則にうごめいている。広田先生はこの坂の上に立って、 「これはたいへんだ」と、さも帰りたそうである。四人はあとから先生を押すようにして、谷へはいった。その谷が途中からだらだらと向こうへ回り込む所に、右にも左にも、大きな葭簀掛けの小屋を、狭い両側から高く構えたので、空さえ存外窮屈にみえる。往来は暗くなるまで込み合っている。そのなかで木戸番ができるだけ大きな声を出す。「人間から出る声じゃない。菊人形から出る声だ」と広田先生が評した。それほど彼らの声は尋常を離れている。  一行は左の小屋へはいった。曾我の討入がある。五郎も十郎も頼朝もみな平等に菊の着物を着ている。ただし顔や手足はことごとく木彫りである。その次は雪が降っている。若い女が癪を起こしている。これも人形の心に、菊をいちめんにはわせて、花と葉が平に隙間なく衣装の恰好となるように作ったものである。  よし子は余念なくながめている。広田先生と野々宮はしきりに話を始めた。菊の培養法が違うとかなんとかいうところで、三四郎は、ほかの見物に隔てられて、一間ばかり離れた。美禰子はもう三四郎より先にいる。見物は、がいして町家の者である。教育のありそうな者はきわめて少ない。美禰子はその間に立って振り返った。首を延ばして、野々宮のいる方を見た。野々宮は右の手を竹の手欄から出して、菊の根をさしながら、何か熱心に説明している。美禰子はまた向こうをむいた。見物に押されて、さっさと出口の方へ行く。三四郎は群集を押し分けながら、三人を棄てて、美禰子のあとを追って行った。  ようやくのことで、美禰子のそばまで来て、 「里見さん」と呼んだ時に、美禰子は青竹の手欄に手を突いて、心持ち首をもどして、三四郎を見た。なんとも言わない。手欄のなかは養老の滝である。丸い顔の、腰に斧をさした男が、瓢箪を持って、滝壺のそばにかがんでいる。三四郎が美禰子の顔を見た時には、青竹のなかに何があるかほとんど気がつかなかった。 「どうかしましたか」と思わず言った。美禰子はまだなんとも答えない。黒い目をさもものうそうに三四郎の額の上にすえた。その時三四郎は美禰子の二重瞼に不可思議なある意味を認めた。その意味のうちには、霊の疲れがある。肉のゆるみがある。苦痛に近き訴えがある。三四郎は、美禰子の答を予期しつつある今の場合を忘れて、この眸とこの瞼の間にすべてを遺却した。すると、美禰子は言った。 「もう出ましょう」  眸と瞼の距離が次第に近づくようにみえた。近づくに従って三四郎の心には女のために出なければすまない気がきざしてきた。それが頂点に達したころ、女は首を投げるように向こうをむいた。手を青竹の手欄から離して、出口の方へ歩いて行く。三四郎はすぐあとからついて出た。  二人が表で並んだ時、美禰子はうつむいて右の手を額に当てた。周囲は人が渦を巻いている。三四郎は女の耳へ口を寄せた。 「どうかしましたか」  女は人込みの中を谷中の方へ歩きだした。三四郎もむろんいっしょに歩きだした。半町ばかり来た時、女は人の中で留まった。 「ここはどこでしょう」 「こっちへ行くと谷中の天王寺の方へ出てしまいます。帰り道とはまるで反対です」 「そう。私心持ちが悪くって……」  三四郎は往来のまん中で助けなき苦痛を感じた。立って考えていた。 「どこか静かな所はないでしょうか」と女が聞いた。  谷中と千駄木が谷で出会うと、いちばん低い所に小川が流れている。この小川を沿うて、町を左へ切れるとすぐ野に出る。川はまっすぐに北へ通っている。三四郎は東京へ来てから何べんもこの小川の向こう側を歩いて、何べんこっち側を歩いたかよく覚えている。美禰子の立っている所は、この小川が、ちょうど谷中の町を横切って根津へ抜ける石橋のそばである。 「もう一町ばかり歩けますか」と美禰子に聞いてみた。 「歩きます」  二人はすぐ石橋を渡って、左へ折れた。人の家の路地のような所を十間ほど行き尽して、門の手前から板橋をこちら側へ渡り返して、しばらく川の縁を上ると、もう人は通らない。広い野である。  三四郎はこの静かな秋のなかへ出たら、急にしゃべり出した。 「どうです、ぐあいは。頭痛でもしますか。あんまり人がおおぜい、いたせいでしょう。あの人形を見ている連中のうちにはずいぶん下等なのがいたようだから――なにか失礼でもしましたか」  女は黙っている。やがて川の流れから目を上げて、三四郎を見た。二重瞼にはっきりと張りがあった。三四郎はその目つきでなかば安心した。 「ありがとう。だいぶよくなりました」と言う。 「休みましょうか」 「ええ」 「もう少し歩けますか」 「ええ」 「歩ければ、もう少しお歩きなさい。ここはきたない。あすこまで行くと、ちょうど休むにいい場所があるから」 「ええ」  一丁ばかり来た。また橋がある。一尺に足らない古板を造作なく渡した上を、三四郎は大またに歩いた。女もつづいて通った。待ち合わせた三四郎の目には、女の足が常の大地を踏むと同じように軽くみえた。この女はすなおな足をまっすぐに前へ運ぶ。わざと女らしく甘えた歩き方をしない。したがってむやみにこっちから手を貸すわけにはいかない。  向こうに藁屋根がある。屋根の下が一面に赤い。近寄って見ると、唐辛子を干したのであった。女はこの赤いものが、唐辛子であると見分けのつくところまで来て留まった。 「美しいこと」と言いながら、草の上に腰をおろした。草は小川の縁にわずかな幅をはえているのみである。それすら夏の半ばのように青くはない。美禰子は派手な着物のよごれるのをまるで苦にしていない。 「もう少し歩けませんか」と三四郎は立ちながら、促すように言ってみた。 「ありがとう。これでたくさん」 「やっぱり心持ちが悪いですか」 「あんまり疲れたから」  三四郎もとうとうきたない草の上にすわった。美禰子と三四郎の間は四尺ばかり離れている。二人の足の下には小さな川が流れている。秋になって水が落ちたから浅い。角の出た石の上に鶺鴒が一羽とまったくらいである。三四郎は水の中をながめていた。水が次第に濁ってくる。見ると川上で百姓が大根を洗っていた。美禰子の視線は遠くの向こうにある。向こうは広い畑で、畑の先が森で森の上が空になる。空の色がだんだん変ってくる。  ただ単調に澄んでいたもののうちに、色が幾通りもできてきた。透き通る藍の地が消えるように次第に薄くなる。その上に白い雲が鈍く重なりかかる。重なったものが溶けて流れ出す。どこで地が尽きて、どこで雲が始まるかわからないほどにものうい上を、心持ち黄な色がふうと一面にかかっている。 「空の色が濁りました」と美禰子が言った。  三四郎は流れから目を放して、上を見た。こういう空の模様を見たのははじめてではない。けれども空が濁ったという言葉を聞いたのはこの時がはじめてである。気がついて見ると、濁ったと形容するよりほかに形容のしかたのない色であった。三四郎が何か答えようとするまえに、女はまた言った。 「重いこと。大理石のように見えます」  美禰子は二重瞼を細くして高い所をながめていた。それから、その細くなったままの目を静かに三四郎の方に向けた。そうして、 「大理石のように見えるでしょう」と聞いた。三四郎は、 「ええ、大理石のように見えます」と答えるよりほかはなかった。女はそれで黙った。しばらくしてから、今度は三四郎が言った。 「こういう空の下にいると、心が重くなるが気は軽くなる」 「どういうわけですか」と美禰子が問い返した。  三四郎には、どういうわけもなかった。返事はせずに、またこう言った。 「安心して夢を見ているような空模様だ」 「動くようで、なかなか動きませんね」と美禰子はまた遠くの雲をながめだした。  菊人形で客を呼ぶ声が、おりおり二人のすわっている所まで聞こえる。 「ずいぶん大きな声ね」 「朝から晩までああいう声を出しているんでしょうか。えらいもんだな」と言ったが、三四郎は急に置き去りにした三人のことを思い出した。何か言おうとしているうちに、美禰子は答えた。 「商売ですもの、ちょうど大観音の乞食と同じ事なんですよ」 「場所が悪くはないですか」  三四郎は珍しく冗談を言って、そうして一人でおもしろそうに笑った。乞食について下した広田の言葉をよほどおかしく受けたからである。 「広田先生は、よく、ああいう事をおっしゃるかたなんですよ」ときわめて軽くひとりごとのように言ったあとで、急に調子をかえて、 「こういう所に、こうしてすわっていたら、大丈夫及第よ」と比較的活発につけ加えた。そうして、今度は自分のほうでおもしろそうに笑った。 「なるほど野々宮さんの言ったとおり、いつまで待っていてもだれも通りそうもありませんね」 「ちょうどいいじゃありませんか」と早口に言ったが、あとで「おもらいをしない乞食なんだから」と結んだ。これは前句の解釈のためにつけたように聞こえた。  ところへ知らん人が突然あらわれた。唐辛子の干してある家の陰から出て、いつのまにか川を向こうへ渡ったものとみえる。二人のすわっている方へだんだん近づいて来る。洋服を着て髯をはやして、年輩からいうと広田先生くらいな男である。この男が二人の前へ来た時、顔をぐるりと向け直して、正面から三四郎と美禰子をにらめつけた。その目のうちには明らかに憎悪の色がある。三四郎はじっとすわっていにくいほどな束縛を感じた。男はやがて行き過ぎた。その後影を見送りながら、三四郎は、 「広田先生や野々宮さんはさぞあとでぼくらを捜したでしょう」とはじめて気がついたように言った。美禰子はむしろ冷やかである。 「なに大丈夫よ。大きな迷子ですもの」 「迷子だから捜したでしょう」と三四郎はやはり前説を主張した。すると美禰子は、なお冷やかな調子で、 「責任をのがれたがる人だから、ちょうどいいでしょう」 「だれが? 広田先生がですか」  美禰子は答えなかった。 「野々宮さんがですか」  美禰子はやっぱり答えなかった。 「もう気分はよくなりましたか。よくなったら、そろそろ帰りましょうか」  美禰子は三四郎を見た。三四郎は上げかけた腰をまた草の上におろした。その時三四郎はこの女にはとてもかなわないような気がどこかでした。同時に自分の腹を見抜かれたという自覚に伴なう一種の屈辱をかすかに感じた。 「迷子」  女は三四郎を見たままでこの一言を繰り返した。三四郎は答えなかった。 「迷子の英訳を知っていらしって」  三四郎は知るとも、知らぬとも言いえぬほどに、この問を予期していなかった。 「教えてあげましょうか」 「ええ」 「|迷える子――わかって?」  三四郎はこういう場合になると挨拶に困る男である。咄嗟の機が過ぎて、頭が冷やかに働きだした時、過去を顧みて、ああ言えばよかった、こうすればよかったと後悔する。といって、この後悔を予期して、むりに応急の返事を、さもしぜんらしく得意に吐き散らすほどに軽薄ではなかった。だからただ黙っている。そうして黙っていることがいかにも半間であると自覚している。  |迷える子という言葉はわかったようでもある。またわからないようでもある。わかるわからないはこの言葉の意味よりも、むしろこの言葉を使った女の意味である。三四郎はいたずらに女の顔をながめて黙っていた。すると女は急にまじめになった。 「私そんなに生意気に見えますか」  その調子には弁解の心持ちがある。三四郎は意外の感に打たれた。今までは霧の中にいた。霧が晴れればいいと思っていた。この言葉で霧が晴れた。明瞭な女が出て来た。晴れたのが恨めしい気がする。  三四郎は美禰子の態度をもとのような、――二人の頭の上に広がっている、澄むとも濁るとも片づかない空のような、――意味のあるものにしたかった。けれども、それは女のきげんを取るための挨拶ぐらいで戻せるものではないと思った。女は卒然として、 「じゃ、もう帰りましょう」と言った。厭味のある言い方ではなかった。ただ三四郎にとって自分は興味のないものとあきらめるように静かな口調であった。  空はまた変ってきた。風が遠くから吹いてくる。広い畑の上には日が限って、見ていると、寒いほど寂しい。草からあがる地息でからだは冷えていた。気がつけば、こんな所に、よく今までべっとりすわっていられたものだと思う。自分一人なら、とうにどこかへ行ってしまったに違いない。美禰子も――美禰子はこんな所へすわる女かもしれない。 「少し寒くなったようですから、とにかく立ちましょう。冷えると毒だ。しかし気分はもうすっかり直りましたか」 「ええ、すっかり直りました」と明らかに答えたが、にわかに立ち上がった。立ち上がる時、小さな声で、ひとりごとのように、 「|迷える子」と長く引っ張って言った。三四郎はむろん答えなかった。  美禰子は、さっき洋服を着た男の出て来た方角をさして、道があるなら、あの唐辛子のそばを通って行きたいという。二人は、その見当へ歩いて行った。藁葺のうしろにはたして細い三尺ほどの道があった。その道を半分ほど来た所で三四郎は聞いた。 「よし子さんは、あなたの所へ来ることにきまったんですか」  女は片頬で笑った。そうして問い返した。 「なぜお聞きになるの」  三四郎が何か言おうとすると、足の前に泥濘があった。四尺ばかりの所、土がへこんで水がぴたぴたにたまっている。そのまん中に足掛かりのためにてごろな石を置いた者がある。三四郎は石の助けをからずに、すぐに向こうへ飛んだ。そうして美禰子を振り返って見た。美禰子は右の足を泥濘のまん中にある石の上へ乗せた。石のすわりがあまりよくない。足へ力を入れて、肩をゆすって調子を取っている。三四郎はこちら側から手を出した。 「おつかまりなさい」 「いえ大丈夫」と女は笑っている。手を出しているあいだは、調子を取るだけで渡らない。三四郎は手を引っ込めた。すると美禰子は石の上にある右の足に、からだの重みを託して、左の足でひらりとこちら側へ渡った。あまりに下駄をよごすまいと念を入れすぎたため、力が余って、腰が浮いた。のめりそうに胸が前へ出る。その勢で美禰子の両手が三四郎の両腕の上へ落ちた。 「|迷える子」と美禰子が口の内で言った。三四郎はその呼吸を感ずることができた。 六  ベルが鳴って、講師は教室から出ていった。三四郎はインキの着いたペンを振って、ノートを伏せようとした。すると隣にいた与次郎が声をかけた。 「おいちょっと借せ。書き落としたところがある」  与次郎は三四郎のノートを引き寄せて上からのぞきこんだ。stray sheep という字がむやみに書いてある。 「なんだこれは」 「講義を筆記するのがいやになったから、いたずらを書いていた」 「そう不勉強ではいかん。カントの超絶唯心論がバークレーの超絶実在論にどうだとか言ったな」 「どうだとか言った」 「聞いていなかったのか」 「いいや」 「まるで stray sheep だ。しかたがない」  与次郎は自分のノートをかかえて立ち上がった。机の前を離れながら、三四郎に、 「おいちょっと来い」と言う。三四郎は与次郎について教室を出た。梯子段を降りて、玄関前の草原へ来た。大きな桜がある。二人はその下にすわった。  ここは夏の初めになると苜蓿が一面にはえる。与次郎が入学願書を持って事務へ来た時に、この桜の下に二人の学生が寝転んでいた。その一人が一人に向かって、口答試験を都々逸で負けておいてくれると、いくらでも歌ってみせるがなと言うと、一人が小声で、粋なさばきの博士の前で、恋の試験がしてみたいと歌っていた。その時から与次郎はこの桜の木の下が好きになって、なにか事があると、三四郎をここへ引っ張り出す。三四郎はその歴史を与次郎から聞いた時に、なるほど与次郎は俗謡で pity's love を訳すはずだと思った。きょうはしかし与次郎がことのほかまじめである。草の上にあぐらをかくやいなや、懐中から、文芸時評という雑誌を出してあけたままの一ページを逆に三四郎の方へ向けた。 「どうだ」と言う。見ると標題に大きな活字で「偉大なる暗闇」とある。下には零余子と雅号を使っている。偉大なる暗闇とは与次郎がいつでも広田先生を評する語で、三四郎も二、三度聞かされたものである。しかし零余子はまったく知らん名である。どうだと言われた時に、三四郎は、返事をする前提としてひとまず与次郎の顔を見た。すると与次郎はなんにも言わずにその扁平な顔を前へ出して、右の人さし指の先で、自分の鼻の頭を押えてじっとしている。向こうに立っていた一人の学生が、この様子を見てにやにや笑い出した。それに気がついた与次郎はようやく指を鼻から放した。 「おれが書いたんだ」と言う。三四郎はなるほどそうかと悟った。 「ぼくらが菊細工を見にゆく時書いていたのは、これか」 「いや、ありゃ、たった二、三日まえじゃないか。そうはやく活版になってたまるものか。あれは来月出る。これは、ずっと前に書いたものだ。何を書いたものか標題でわかるだろう」 「広田先生の事か」 「うん。こうして輿論を喚起しておいてね。そうして、先生が大学へはいれる下地を作る……」 「その雑誌はそんなに勢力のある雑誌か」  三四郎は雑誌の名前さえ知らなかった。 「いや無勢力だから、じつは困る」と与次郎は答えた。三四郎は微笑わざるをえなかった。 「何部ぐらい売れるのか」  与次郎は何部売れるとも言わない。 「まあいいさ。書かんよりはましだ」と弁解している。  だんだん聞いてみると、与次郎は従来からこの雑誌に関係があって、ひまさえあればほとんど毎号筆を執っているが、その代り雅名も毎号変えるから、二、三の同人のほか、だれも知らないんだと言う。なるほどそうだろう。三四郎は今はじめて与次郎と文壇との交渉を聞いたくらいのものである。しかし与次郎がなんのために、遊戯に等しい匿名を用いて、彼のいわゆる大論文をひそかに公けにしつつあるか、そこが三四郎にはわからなかった。  いくぶんか小遣い取りのつもりで、やっている仕事かと不遠慮に尋ねた時、与次郎は目を丸くした。 「君は九州のいなかから出たばかりだから、中央文壇の趨勢を知らないために、そんなのん気なことをいうのだろう。今の思想界の中心にいて、その動揺のはげしいありさまを目撃しながら、考えのある者が知らん顔をしていられるものか。じっさい今日の文権はまったく我々青年の手にあるんだから、一言でも半句でも進んで言えるだけ言わなけりゃ損じゃないか。文壇は急転直下の勢いでめざましい革命を受けている。すべてがことごとく動いて、新気運に向かってゆくんだから、取り残されちゃたいへんだ。進んで自分からこの気運をこしらえ上げなくちゃ、生きてる甲斐はない。文学文学って安っぽいようにいうが、そりゃ大学なんかで聞く文学のことだ。新しい我々のいわゆる文学は、人生そのものの大反射だ。文学の新気運は日本全社会の活動に影響しなければならない。また現にしつつある。彼らが昼寝をして夢を見ているまに、いつか影響しつつある。恐ろしいものだ。……」  三四郎は黙って聞いていた。少しほらのような気がする。しかしほらでも与次郎はなかなか熱心に吹いている。すくなくとも当人だけは至極まじめらしくみえる。三四郎はだいぶ動かされた。 「そういう精神でやっているのか。では君は原稿料なんか、どうでもかまわんのだったな」 「いや、原稿料は取るよ。取れるだけ取る。しかし雑誌が売れないからなかなかよこさない。どうかして、もう少し売れる工夫をしないといけない。何かいい趣向はないだろうか」と今度は三四郎に相談をかけた。話が急に実際問題に落ちてしまった。三四郎は妙な心持ちがする。与次郎は平気である。ベルが激しく鳴りだした。 「ともかくこの雑誌を一部君にやるから読んでみてくれ。偉大なる暗闇という題がおもしろいだろう。この題なら人が驚くにきまっている。――驚かせないと読まないからだめだ」  二人は玄関を上がって、教室へはいって、机に着いた。やがて先生が来る。二人とも筆記を始めた。三四郎は「偉大なる暗闇」が気にかかるので、ノートのそばに文芸時評をあけたまま、筆記のあいまあいまに先生に知れないように読みだした。先生はさいわい近眼である。のみならず自己の講義のうちにぜんぜん埋没している。三四郎の不心得にはまるで関係しない。三四郎はいい気になって、こっちを筆記したり、あっちを読んだりしていったが、もともと二人でする事を一人で兼ねるむりな芸だからしまいには「偉大なる暗闇」も講義の筆記も双方ともに関係がわからなくなった。ただ与次郎の文章が一句だけはっきり頭にはいった。 「自然は宝石を作るに幾年の星霜を費やしたか。またこの宝石が採掘の運にあうまでに、幾年の星霜を静かに輝やいていたか」という句である。その他は不得要領に終った。その代りこの時間には stray sheep という字を一つも書かずにすんだ。  講義が終るやいなや、与次郎は三四郎に向かって、 「どうだ」と聞いた。じつはまだよく読まないと答えると、時間の経済を知らない男だといって非難した。ぜひ読めという。三四郎は家へ帰ってぜひ読むと約束した。やがて昼になった。二人は連れ立って門を出た。 「今晩出席するだろうな」と与次郎が西片町へはいる横町の角で立ち留まった。今夜は同級生の懇親会がある。三四郎は忘れていた。ようやく思い出して、行くつもりだと答えると、与次郎は、 「出るまえにちょっと誘ってくれ。君に話す事がある」と言う。耳のうしろへペン軸をはさんでいる。なんとなく得意である。三四郎は承知した。  下宿へ帰って、湯にはいって、いい心持ちになって上がってみると、机の上に絵はがきがある。小川をかいて、草をもじゃもじゃはやして、その縁に羊を二匹寝かして、その向こう側に大きな男がステッキを持って立っているところを写したものである。男の顔がはなはだ獰猛にできている。まったく西洋の絵にある悪魔を模したもので、念のため、わきにちゃんとデビルと仮名が振ってある。表は三四郎の宛名の下に、迷える子と小さく書いたばかりである。三四郎は迷える子の何者かをすぐ悟った。のみならず、はがきの裏に、迷える子を二匹書いて、その一匹をあんに自分に見立ててくれたのをはなはだうれしく思った。迷える子のなかには、美禰子のみではない、自分ももとよりはいっていたのである。それが美禰子のおもわくであったとみえる。美禰子の使った stray sheep の意味がこれでようやくはっきりした。  与次郎に約束した「偉大なる暗闇」を読もうと思うが、ちょっと読む気にならない。しきりに絵はがきをながめて考えた。イソップにもないような滑稽趣味がある。無邪気にもみえる。洒落でもある。そうしてすべての下に、三四郎の心を動かすあるものがある。  手ぎわからいっても敬服の至りである。諸事明瞭にでき上がっている。よし子のかいた柿の木の比ではない。――と三四郎には思われた。  しばらくしてから、三四郎はようやく「偉大なる暗闇」を読みだした。じつはふわふわして読みだしたのであるが、二、三ページくると、次第に釣り込まれるように気が乗ってきて、知らず知らずのまに、五ページ六ページと進んで、ついに二十七ページの長論文を苦もなく片づけた。最後の一句を読了した時、はじめてこれでしまいだなと気がついた。目を雑誌から離して、ああ読んだなと思った。  しかし次の瞬間に、何を読んだかと考えてみると、なんにもない。おかしいくらいなんにもない。ただ大いにかつ盛んに読んだ気がする。三四郎は与次郎の技倆に感服した。  論文は現今の文学者の攻撃に始まって、広田先生の賛辞に終っている。ことに文学文科の西洋人を手痛く罵倒している。はやく適当の日本人を招聘して、大学相当の講義を開かなくっては、学問の最高府たる大学も昔の寺子屋同然のありさまになって、煉瓦石のミイラと選ぶところがないようになる。もっとも人がなければしかたがないが、ここに広田先生がある。先生は十年一日のごとく高等学校に教鞭を執って薄給と無名に甘んじている。しかし真正の学者である。学海の新気運に貢献して、日本の活社会と交渉のある教授を担任すべき人物である。――せんじ詰めるとこれだけであるが、そのこれだけが、非常にもっともらしい口吻と燦爛たる警句とによって前後二十七ページに延長している。  その中には「禿を自慢するものは老人に限る」とか「ヴィーナスは波から生まれたが、活眼の士は大学から生まれない」とか「博士を学界の名産と心得るのは、海月を田子の浦の名産と考えるようなものだ」とかいろいろおもしろい句がたくさんある。しかしそれよりほかになんにもない。ことに妙なのは、広田先生を偉大なる暗闇にたとえたついでに、ほかの学者を丸行燈に比較して、たかだか方二尺ぐらいの所をぼんやり照らすにすぎないなどと、自分が広田から言われたとおりを書いている。そうして、丸行燈だの雁首などはすべて旧時代の遺物で我々青年にはまったく無用であると、このあいだのとおりわざわざ断わってある。  よく考えてみると、与次郎の論文には活気がある。いかにも自分一人で新日本を代表しているようであるから、読んでいるうちは、ついその気になる。けれどもまったく実がない。根拠地のない戦争のようなものである。のみならず悪く解釈すると、政略的の意味もあるかもしれない書き方である。いなか者の三四郎にはてっきりそこと気取ることはできなかったが、ただ読んだあとで、自分の心を探ってみてどこかに不満足があるように覚えた。また美禰子の絵はがきを取って、二匹の羊と例の悪魔をながめだした。するとこっちのほうは万事が快感である。この快感につれてまえの不満足はますます著しくなった。それで論文の事はそれぎり考えなくなった。美禰子に返事をやろうと思う。不幸にして絵がかけない。文章にしようと思う。文章ならこの絵はがきに匹敵する文句でなくってはいけない。それは容易に思いつけない。ぐずぐずしているうちに四時過ぎになった。  袴を着けて、与次郎を誘いに、西片町へ行く。勝手口からはいると、茶の間に、広田先生が小さな食卓を控えて、晩食を食っていた。そばに与次郎がかしこまってお給仕をしている。 「先生どうですか」と聞いている。  先生は何か堅いものをほおばったらしい。食卓の上を見ると、袂時計ほどな大きさの、赤くって黒くって、焦げたものが十ばかり皿の中に並んでいる。  三四郎は座に着いた。礼をする。先生は口をもがもがさせる。 「おい君も一つ食ってみろ」と与次郎が箸で皿のものをつまんで出した。掌へ載せてみると、馬鹿貝の剥身の干したのをつけ焼にしたのである。 「妙なものを食うな」と聞くと、 「妙なものって、うまいぜ食ってみろ。これはね、ぼくがわざわざ先生にみやげに買ってきたんだ。先生はまだ、これを食ったことがないとおっしゃる」 「どこから」 「日本橋から」  三四郎はおかしくなった。こういうところになると、さっきの論文の調子とは少し違う。 「先生、どうです」 「堅いね」 「堅いけれどもうまいでしょう。よくかまなくっちゃいけません。かむと味が出る」 「味が出るまでかんでいちゃ、歯が疲れてしまう。なんでこんな古風なものを買ってきたものかな」 「いけませんか。こりゃ、ことによると先生にはだめかもしれない。里見の美禰子さんならいいだろう」 「なぜ」と三四郎が聞いた。 「ああおちついていりゃ味の出るまできっとかんでるに違いない」 「あの女はおちついていて、乱暴だ」と広田が言った。 「ええ乱暴です。イブセンの女のようなところがある」 「イブセンの女は露骨だが、あの女は心が乱暴だ。もっとも乱暴といっても、普通の乱暴とは意味が違うが。野々宮の妹のほうが、ちょっと見ると乱暴のようで、やっぱり女らしい。妙なものだね」 「里見のは乱暴の内訌ですか」  三四郎は黙って二人の批評を聞いていた。どっちの批評もふにおちない。乱暴という言葉が、どうして美禰子の上に使えるか、それからが第一不思議であった。  与次郎はやがて、袴をはいて、改まって出て来て、 「ちょっと行ってまいります」と言う。先生は黙って茶を飲んでいる。二人は表へ出た。表はもう暗い。門を離れて二、三間来ると、三四郎はすぐ話しかけた。 「先生は里見のお嬢さんを乱暴だと言ったね」 「うん。先生はかってな事をいう人だから、時と場合によるとなんでも言う。第一先生が女を評するのが滑稽だ。先生の女における知識はおそらく零だろう。ラッブをしたことがないものに女がわかるものか」 「先生はそれでいいとして、君は先生の説に賛成したじゃないか」 「うん乱暴だと言った。なぜ」 「どういうところを乱暴というのか」 「どういうところも、こういうところもありゃしない。現代の女性はみんな乱暴にきまっている。あの女ばかりじゃない」 「君はあの人をイブセンの人物に似ていると言ったじゃないか」 「言った」 「イブセンのだれに似ているつもりなのか」 「だれって……似ているよ」  三四郎はむろん納得しない。しかし追窮もしない。黙って一間ばかり歩いた。すると突然与次郎がこう言った。 「イブセンの人物に似ているのは里見のお嬢さんばかりじゃない。今の一般の女性はみんな似ている。女性ばかりじゃない。いやしくも新しい空気に触れた男はみんなイブセンの人物に似たところがある。ただ男も女もイブセンのように自由行動を取らないだけだ。腹のなかではたいていかぶれている」 「ぼくはあんまり、かぶれていない」 「いないとみずから欺いているのだ。――どんな社会だって陥欠のない社会はあるまい」 「それはないだろう」 「ないとすれば、そのなかに生息している動物はどこかに不足を感じるわけだ。イブセンの人物は、現代社会制度の陥欠をもっとも明らかに感じたものだ。我々もおいおいああなってくる」 「君はそう思うか」 「ぼくばかりじゃない。具眼の士はみんなそう思っている」 「君の家の先生もそんな考えか」 「うちの先生? 先生はわからない」 「だって、さっき里見さんを評して、おちついていて乱暴だと言ったじゃないか。それを解釈してみると、周囲に調和していけるから、おちついていられるので、どこかに不足があるから、底のほうが乱暴だという意味じゃないのか」 「なるほど。――先生は偉いところがあるよ。ああいうところへゆくとやっぱり偉い」  と与次郎は急に広田先生をほめだした。三四郎は美禰子の性格についてもう少し議論の歩を進めたかったのだが、与次郎のこの一言でまったくはぐらかされてしまった。すると与次郎が言った。 「じつはきょう君に用があると言ったのはね。――うん、それよりまえに、君あの偉大なる暗闇を読んだか。あれを読んでおかないとぼくの用事が頭へはいりにくい」 「きょうあれから家へ帰って読んだ」 「どうだ」 「先生はなんと言った」 「先生は読むものかね。まるで知りゃしない」 「そうさな。おもしろいことはおもしろいが、――なんだか腹のたしにならないビールを飲んだようだね」 「それでたくさんだ。読んで景気がつきさえすればいい。だから匿名にしてある。どうせ今は準備時代だ。こうしておいて、ちょうどいい時分に、本名を名乗って出る。――それはそれとして、さっきの用事を話しておこう」  与次郎の用事というのはこうである。――今夜の会で自分たちの科の不振の事をしきりに慨嘆するから、三四郎もいっしょに慨嘆しなくってはいけないんだそうだ。不振は事実であるからほかの者も慨嘆するにきまっている。それから、おおぜいいっしょに挽回策を講ずることとなる。なにしろ適当な日本人を一人大学に入れるのが急務だと言い出す。みんなが賛成する。当然だから賛成するのはむろんだ。次にだれがよかろうという相談に移る。その時広田先生の名を持ち出す。その時三四郎は与次郎に口を添えて極力先生を賞賛しろという話である。そうしないと、与次郎が広田の食客だということを知っている者が疑いを起こさないともかぎらない。自分は現に食客なんだから、どう思われてもかまわないが、万一|煩いが広田先生に及ぶようではすまんことになる。もっともほかに同志が三、四人はいるから、大丈夫だが、一人でも味方は多いほうが便利だから、三四郎もなるべくしゃべるにしくはないとの意見である。さていよいよ衆議一決の暁は、総代を選んで学長の所へ行く、また総長の所へ行く。もっとも今夜中にそこまでは運ばないかもしれない。また運ぶ必要もない。そのへんは臨機応変である。……  与次郎はすこぶる能弁である。惜しいことにその能弁がつるつるしているので重みがない。あるところへゆくと冗談をまじめに講義しているかと疑われる。けれども本来が性質のいい運動だから、三四郎もだいたいのうえにおいて賛成の意を表した。ただその方法が少しく細工に落ちておもしろくないと言った。その時与次郎は往来のまん中へ立ち留まった。二人はちょうど森川町の神社の鳥居の前にいる。 「細工に落ちるというが、ぼくのやる事は自然の手順が狂わないようにあらかじめ人力で装置するだけだ。自然にそむいた没分暁の事を企てるのとは質が違う。細工だってかまわん。細工が悪いのではない。悪い細工が悪いのだ」  三四郎はぐうの音も出なかった。なんだか文句があるようだけれども、口へ出てこない。与次郎の言いぐさのうちで、自分がまだ考えていなかった部分だけがはっきり頭へ映っている。三四郎はむしろそのほうに感服した。 「それもそうだ」とすこぶる曖昧な返事をして、また肩を並べて歩きだした。正門をはいると、急に目の前が広くなる。大きな建物が所々に黒く立っている。その屋根がはっきり尽きる所から明らかな空になる。星がおびただしく多い。 「美しい空だ」と三四郎が言った。与次郎も空を見ながら、一間ばかり歩いた。突然、 「おい、君」と三四郎を呼んだ。三四郎はまたさっきの話の続きかと思って「なんだ」と答えた。 「君、こういう空を見てどんな感じを起こす」  与次郎に似合わぬことを言った。無限とか永久とかいう持ち合わせの答はいくらでもあるが、そんなことを言うと与次郎に笑われると思って三四郎は黙っていた。 「つまらんなあ我々は。あしたから、こんな運動をするのはもうやめにしようかしら。偉大なる暗闇を書いてもなんの役にも立ちそうにもない」 「なぜ急にそんな事を言いだしたのか」 「この空を見ると、そういう考えになる。――君、女にほれたことがあるか」  三四郎は即答ができなかった。 「女は恐ろしいものだよ」と与次郎が言った。 「恐ろしいものだ、ぼくも知っている」と三四郎も言った。すると与次郎が大きな声で笑いだした。静かな夜の中でたいへん高く聞こえる。 「知りもしないくせに。知りもしないくせに」  三四郎は憮然としていた。 「あすもよい天気だ。運動会はしあわせだ。きれいな女がたくさん来る。ぜひ見にくるがいい」  暗い中を二人は学生集会所の前まで来た。中には電燈が輝いている。  木造の廊下を回って、部屋へはいると、そうそう来た者は、もうかたまっている。そのかたまりが大きいのと小さいのと合わせて三つほどある。なかには無言で備え付けの雑誌や新聞を見ながら、わざと列を離れているのもある。話は方々に聞こえる。話の数はかたまりの数より多いように思われる。しかしわりあいにおちついて静かである。煙草の煙のほうが猛烈に立ち上る。  そのうちだんだん寄って来る。黒い影が闇の中から吹きさらしの廊下の上へ、ぽつりと現われると、それが一人一人に明るくなって、部屋の中へはいって来る。時には五、六人続けて、明るくなることもある。が、やがて人数はほぼそろった。  与次郎は、さっきから、煙草の煙の中を、しきりにあちこちと往来していた。行く所で何か小声に話している。三四郎は、そろそろ運動を始めたなと思ってながめていた。  しばらくすると幹事が大きな声で、みんなに席へ着けと言う。食卓はむろん前から用意ができていた。みんな、ごたごたに席へ着いた。順序もなにもない。食事は始まった。  三四郎は熊本で赤酒ばかり飲んでいた。赤酒というのは、所でできる下等な酒である。熊本の学生はみんな赤酒を飲む。それが当然と心得ている。たまたま飲食店へ上がれば牛肉屋である。その牛肉屋の牛が馬肉かもしれないという嫌疑がある。学生は皿に盛った肉を手づかみにして、座敷の壁へたたきつける。落ちれば牛肉で、ひっつけば馬肉だという。まるで呪みたような事をしていた。その三四郎にとって、こういう紳士的な学生|親睦会は珍しい。喜んでナイフとフォークを動かしていた。そのあいだにはビールをさかんに飲んだ。 「学生集会所の料理はまずいですね」と三四郎に隣にすわった男が話しかけた。この男は頭を坊主に刈って、金縁の眼鏡をかけたおとなしい学生であった。 「そうですな」と三四郎は生返事をした。相手が与次郎なら、ぼくのようないなか者には非常にうまいと正直なところをいうはずであったが、その正直がかえって皮肉に聞こえると悪いと思ってやめにした。するとその男が、 「君はどこの高等学校ですか」と聞きだした。 「熊本です」 「熊本ですか。熊本にはぼくの従弟もいたが、ずいぶんひどい所だそうですね」 「野蛮な所です」  二人が話していると、向こうの方で、急に高い声がしだした。見ると与次郎が隣席の二、三人を相手に、しきりに何か弁じている。時々ダーターファブラと言う。なんの事だかわからない。しかし与次郎の相手は、この言葉を聞くたびに笑いだす。与次郎はますます得意になって、ダーターファブラ我々新時代の青年は……とやっている。三四郎の筋向こうにすわっていた色の白い品のいい学生が、しばらくナイフの手を休めて、与次郎の連中をながめていたが、やがて笑いながら Il a le diable au corpsと冗談半分にフランス語を使った。向こうの連中にはまったく聞こえなかったとみえて、この時ビールのコップが四つばかり一度に高く上がった。得意そうに祝盃をあげている。 「あの人はたいへんにぎやかな人ですね」と三四郎の隣の金縁眼鏡をかけた学生が言った。 「ええ。よくしゃべります」 「ぼくはいつか、あの人に淀見軒でライスカレーをごちそうになった。まるで知らないのに、突然来て、君淀見軒へ行こうって、とうとう引っ張っていって……」  学生はハハハと笑った。三四郎は、淀見軒で与次郎からライスカレーをごちそうになったものは自分ばかりではないんだなと悟った。  やがてコーヒーが出る。一人が椅子を離れて立った。与次郎が激しく手をたたくと、ほかの者もたちまち調子を合わせた。  立った者は、新しい黒の制服を着て、鼻の下にもう髭をはやしている。背がすこぶる高い。立つには恰好のよい男である。演説めいたことを始めた。  我々が今夜ここへ寄って、懇親のために、一夕の歓をつくすのは、それ自身において愉快な事であるが、この懇親が単に社交上の意味ばかりでなく、それ以外に一種重要な影響を生じうると偶然ながら気がついたら自分は立ちたくなった。この会合はビールに始まってコーヒーに終っている。まったく普通の会合である。しかしこのビールを飲んでコーヒーを飲んだ四十人近くの人間は普通の人間ではない。しかもそのビールを飲み始めてからコーヒーを飲み終るまでのあいだに、すでに自己の運命の膨脹を自覚しえた。  政治の自由を説いたのは昔の事である。言論の自由を説いたのも過去の事である。自由とは単にこれらの表面にあらわれやすい事実のために専有されべき言葉ではない。我ら新時代の青年は偉大なる心の自由を説かねばならぬ時運に際会したと信ずる。  我々は古き日本の圧迫に堪ええぬ青年である。同時に新しき西洋の圧迫にも堪ええぬ青年であるということを、世間に発表せねばいられぬ状況のもとに生きている。新しき西洋の圧迫は社会の上においても文芸の上においても、我ら新時代の青年にとっては古き日本の圧迫と同じく、苦痛である。  我々は西洋の文芸を研究する者である。しかし研究はどこまでも研究である。その文芸のもとに屈従するのとは根本的に相違がある。我々は西洋の文芸にとらわれんがために、これを研究するのではない。とらわれたる心を解脱せしめんがために、これを研究しているのである。この方便に合せざる文芸はいかなる威圧のもとにしいらるるとも学ぶ事をあえてせざるの自信と決心とを有している。  我々はこの自信と決心とを有するの点において普通の人間とは異なっている。文芸は技術でもない、事務でもない。より多く人生の根本義に触れた社会の原動力である。我々はこの意味において文芸を研究し、この意味において如上の自信と決心とを有し、この意味において今夕の会合に一般以上の重大なる影響を想見するのである。  社会は激しく動きつつある。社会の産物たる文芸もまた動きつつある。動く勢いに乗じて、我々の理想どおりに文芸を導くためには、零細なる個人を団結して、自己の運命を充実し発展し膨脹しなくてはならぬ。今夕のビールとコーヒーは、かかる隠れたる目的を、一歩前に進めた点において、普通のビールとコーヒーよりも百倍以上の価ある尊きビールとコーヒーである。  演説の意味はざっとこんなものである。演説が済んだ時、席にあった学生はことごとく喝采した。三四郎はもっとも熱心なる喝采者の一人であった。すると与次郎が突然立った。 「ダーターファブラ、シェクスピヤの使った字数が何万字だの、イブセンの白髪の数が何千本だのと言ってたってしかたがない。もっともそんなばかげた講義を聞いたってとらわれる気づかいはないから大丈夫だが、大学に気の毒でいけない。どうしても新時代の青年を満足させるような人間を引っ張って来なくっちゃ。西洋人じゃだめだ。第一幅がきかない。……」  満堂はまたことごとく喝采した。そうしてことごとく笑った。与次郎の隣にいた者が、 「ダーターファブラのために祝盃をあげよう」と言いだした。さっき演説をした学生がすぐに賛成した。あいにくビールがみな空である。よろしいと言って与次郎はすぐ台所の方へかけて行った。給仕が酒を持って出る。祝盃をあげるやいなや、 「もう一つ。今度は偉大なる暗闇のために」と言った者がある。与次郎の周囲にいた者は声を合して、アハハと笑った。与次郎は頭をかいている。  散会の時刻が来て、若い男がみな暗い夜の中に散った時に、三四郎が与次郎に聞いた。 「ダーターファブラとはなんの事だ」 「ギリシア語だ」  与次郎はそれよりほかに答えなかった。三四郎もそれよりほかに聞かなかった。二人は美しい空をいただいて家に帰った。  あくる日は予想のごとく好天気である。今年は例年より気候がずっとゆるんでいる。ことさらきょうは暖かい。三四郎は朝のうち湯に行った。閑人の少ない世の中だから、午前はすこぶるすいている。三四郎は板の間にかけてある三越呉服店の看板を見た。きれいな女がかいてある。その女の顔がどこか美禰子に似ている。よく見ると目つきが違っている。歯並がわからない。美禰子の顔でもっとも三四郎を驚かしたものは目つきと歯並である。与次郎の説によると、あの女は反っ歯の気味だから、ああしじゅう歯が出るんだそうだが、三四郎にはけっしてそうは思えない。……  三四郎は湯につかってこんな事を考えていたので、からだのほうはあまり洗わずに出た。ゆうべから急に新時代の青年という自覚が強くなったけれども、強いのは自覚だけで、からだのほうはもとのままである。休みになるとほかの者よりずっと楽にしている。きょうは昼から大学の陸上運動会を見に行く気である。  三四郎は元来あまり運動好きではない。国にいるとき兎狩りを二、三度したことがある。それから高等学校の端艇競漕の時に旗振りの役を勤めたことがある。その時青と赤と間違えて振ってたいへん苦情が出た。もっとも決勝の鉄砲を打つ係りの教授が鉄砲を打ちそくなった。打つには打ったが音がしなかった。これが三四郎のあわてた原因である。それより以来三四郎は運動会へ近づかなかった。しかしきょうは上京以来はじめての競技会だから、ぜひ行ってみるつもりである。与次郎もぜひ行ってみろと勧めた。与次郎の言うところによると競技より女のほうが見にゆく価値があるのだそうだ。女のうちには野々宮さんの妹がいるだろう。野々宮さんの妹といっしょに美禰子もいるだろう。そこへ行って、こんちわとかなんとか挨拶をしてみたい。  昼過ぎになったから出かけた。会場の入口は運動場の南のすみにある。大きな日の丸とイギリスの国旗が交差してある。日の丸は合点がいくが、イギリスの国旗はなんのためだかわからない。三四郎は日英同盟のせいかとも考えた。けれども日英同盟と大学の陸上運動会とは、どういう関係があるか、とんと見当がつかなかった。  運動場は長方形の芝生である。秋が深いので芝の色がだいぶさめている。競技を見る所は西側にある。後に大きな築山をいっぱいに控えて、前は運動場の柵で仕切られた中へ、みんなを追い込むしかけになっている。狭いわりに見物人が多いのではなはだ窮屈である。さいわい日和がよいので寒くはない。しかし外套を着ている者がだいぶある。その代り傘をさして来た女もある。  三四郎が失望したのは婦人席が別になっていて、普通の人間には近寄れないことであった。それからフロックコートや何か着た偉そうな男がたくさん集って、自分が存外幅のきかないようにみえたことであった。新時代の青年をもってみずからおる三四郎は少し小さくなっていた。それでも人と人との間から婦人席の方を見渡すことは忘れなかった。横からだからよく見えないが、ここはさすがにきれいである。ことごとく着飾っている。そのうえ遠距離だから顔がみんな美しい。その代りだれが目立って美しいということもない。ただ総体が総体として美しい。女が男を征服する色である。甲の女が乙の女に打ち勝つ色ではなかった。そこで三四郎はまた失望した。しかし注意したら、どこかにいるだろうと思って、よく見渡すと、はたして前列のいちばん柵に近い所に二人並んでいた。  三四郎は目のつけ所がようやくわかったので、まず一段落告げたような気で、安心していると、たちまち五、六人の男が目の前に飛んで出た。二百メートルの競走が済んだのである。決勝点は美禰子とよし子がすわっている真正面で、しかも鼻の先だから、二人を見つめていた三四郎の視線のうちにはぜひともこれらの壮漢がはいってくる。五、六人はやがて一二、三人にふえた。みんな呼吸をはずませているようにみえる。三四郎はこれらの学生の態度と自分の態度とを比べてみて、その相違に驚いた。どうして、ああ無分別にかける気になれたものだろうと思った。しかし婦人連はことごとく熱心に見ている。そのうちでも美禰子とよし子はもっとも熱心らしい。三四郎は自分も無分別にかけてみたくなった。一番に到着した者が、紫の猿股をはいて婦人席の方を向いて立っている。よく見ると昨夜の親睦会で演説をした学生に似ている。ああ背が高くては一番になるはずである。計測係りが黒板に二十五秒七四と書いた。書き終って、余りの白墨を向こうへなげて、こっちを向いたところを見ると野々宮さんであった。野々宮さんはいつになくまっ黒なフロックを着て、胸に係り員の徽章をつけて、だいぶ人品がいい。ハンケチを出して、洋服の袖を二、三度はたいたが、やがて黒板を離れて、芝生の上を横切って来た。ちょうど美禰子とよし子のすわっているまん前の所へ出た。低い柵の向こう側から首を婦人席の中へ延ばして、何か言っている。美禰子は立った。野々宮さんの所まで歩いてゆく。柵の向こうとこちらで話を始めたように見える。美禰子は急に振り返った。うれしそうな笑いにみちた顔である。三四郎は遠くから一生懸命に二人を見守っていた。すると、よし子が立った。また柵のそばへ寄って行く。二人が三人になった。芝生の中では砲丸投げが始まった。  砲丸投げほど力のいるものはなかろう。力のいるわりにこれほどおもしろくないものもたんとない。ただ文字どおり砲丸を投げるのである。芸でもなんでもない。野々宮さんは柵の所で、ちょっとこの様子を見て笑っていた。けれども見物のじゃまになると悪いと思ったのであろう。柵を離れて芝生の中へ引き取った。二人の女も、もとの席へ復した。砲丸は時々投げられている。第一どのくらい遠くまでゆくんだか、ほとんど三四郎にはわからない。三四郎はばかばかしくなった。それでも我慢して立っていた。ようやくのことで片がついたとみえて、野々宮さんはまた黒板へ十一メートル三八と書いた。  それからまた競走があって、長飛びがあって、その次には槌投げが始まった。三四郎はこの槌投げにいたって、とうとう辛抱がしきれなくなった。運動会はめいめいかってに開くべきものである。人に見せべきものではない。あんなものを熱心に見物する女はことごとく間違っているとまで思い込んで、会場を抜け出して、裏の築山の所まで来た。幕が張ってあって通れない。引き返して砂利の敷いてある所を少し来ると、会場から逃げた人がちらほら歩いている。盛装した婦人も見える。三四郎はまた右へ折れて、爪先上りを丘のてっぺんまで来た。道はてっぺんで尽きている。大きな石がある。三四郎はその上へ腰をかけて、高い崖の下にある池をながめた。下の運動会場でわあというおおぜいの声がする。  三四郎はおよそ五分ばかり石へ腰をかけたままぼんやりしていた。やがてまた動く気になったので腰を上げて、立ちながら靴の踵を向け直すと、丘の上りぎわの、薄く色づいた紅葉の間に、さっきの女の影が見えた。並んで丘の裾を通る。  三四郎は上から、二人を見おろしていた。二人は枝の隙から明らかな日向へ出て来た。黙っていると、前を通り抜けてしまう。三四郎は声をかけようかと考えた。距離があまり遠すぎる。急いで二、三歩芝の上を裾の方へ降りた。降り出すといいぐあいに女の一人がこっちを向いてくれた。三四郎はそれでとまった。じつはこちらからあまりごきげんをとりたくない。運動会が少し癪にさわっている。 「あんな所に……」とよし子が言いだした。驚いて笑っている。この女はどんな陳腐なものを見ても珍しそうな目つきをするように思われる。その代り、いかな珍しいものに出会っても、やはり待ち受けていたような目つきで迎えるかと想像される。だからこの女に会うと重苦しいところが少しもなくって、しかもおちついた感じが起こる。三四郎は立ったまま、これはまったく、この大きな、常にぬれている、黒い眸のおかげだと考えた。  美禰子も留まった。三四郎を見た。しかしその目はこの時にかぎって何物をも訴えていなかった。まるで高い木をながめるような目であった。三四郎は心のうちで、火の消えたランプを見る心持ちがした。もとの所に立ちすくんでいる。美禰子も動かない。 「なぜ競技を御覧にならないの」とよし子が下から聞いた。 「今まで見ていたんですが、つまらないからやめて来たのです」  よし子は美禰子を顧みた。美禰子はやはり顔色を動かさない。三四郎は、 「それより、あなたがたこそなぜ出て来たんです。たいへん熱心に見ていたじゃありませんか」と当てたような当てないようなことを大きな声で言った。美禰子はこの時はじめて、少し笑った。三四郎にはその笑いの意味がよくわからない。二歩ばかり女の方に近づいた。 「もう宅へ帰るんですか」  女は二人とも答えなかった。三四郎はまた二歩ばかり女の方へ近づいた。 「どこかへ行くんですか」 「ええ、ちょっと」と美禰子が小さな声で言う。よく聞こえない。三四郎はとうとう女の前まで降りて来た。しかしどこへ行くとも追窮もしないで立っている。会場の方で喝采の声が聞こえる。 「高飛びよ」とよし子が言う。「今度は何メートルになったでしょう」  美禰子は軽く笑ったばかりである。三四郎も黙っている。三四郎は高飛びに口を出すのをいさぎよしとしないつもりである。すると美禰子が聞いた。 「この上には何かおもしろいものがあって?」  この上には石があって、崖があるばかりである。おもしろいものがありようはずがない。 「なんにもないです」 「そう」と疑いを残したように言った。 「ちょいと上がってみましょうか」よし子が、快く言う。 「あなた、まだここを御存じないの」と相手の女はおちついて出た。 「いいからいらっしゃいよ」  よし子は先へ上る。二人はまたついて行った。よし子は足を芝生のはしまで出して、振り向きながら、 「絶壁ね」と大げさな言葉を使った。「サッフォーでも飛び込みそうな所じゃありませんか」  美禰子と三四郎は声を出して笑った。そのくせ三四郎はサッフォーがどんな所から飛び込んだかよくわからなかった。 「あなたも飛び込んでごらんなさい」と美禰子が言う。 「私? 飛び込みましょうか。でもあんまり水がきたないわね」と言いながら、こっちへ帰って来た。  やがて女二人のあいだに用談が始まった。 「あなた、いらしって」と美禰子が言う。 「ええ。あなたは」とよし子が言う。 「どうしましょう」 「どうでも。なんならわたしちょっと行ってくるから、ここに待っていらっしゃい」 「そうね」  なかなか片づかない。三四郎が聞いてみると、よし子が病院の看護婦のところへ、ついでだから、ちょっと礼に行ってくるんだと言う。美禰子はこの夏自分の親戚が入院していた時近づきになった看護婦を尋ねれば尋ねるのだが、これは必要でもなんでもないのだそうだ。  よし子は、すなおに気の軽い女だから、しまいに、すぐ帰って来ますと言い捨てて、早足に一人丘を降りて行った。止めるほどの必要もなし、いっしょに行くほどの事件でもないので、二人はしぜん後にのこるわけになった。二人の消極な態度からいえば、のこるというより、のこされたかたちにもなる。  三四郎はまた石に腰をかけた。女は立っている。秋の日は鏡のように濁った池の上に落ちた。中に小さな島がある。島にはただ二本の木がはえている。青い松と薄い紅葉がぐあいよく枝をかわし合って、箱庭の趣がある。島を越して向こう側の突き当りがこんもりとどす黒く光っている。女は丘の上からその暗い木陰を指さした。 「あの木を知っていらしって」と言う。 「あれは椎」  女は笑い出した。 「よく覚えていらっしゃること」 「あの時の看護婦ですか、あなたが今尋ねようと言ったのは」 「ええ」 「よし子さんの看護婦とは違うんですか」 「違います。これは椎――といった看護婦です」  今度は三四郎が笑い出した。 「あすこですね。あなたがあの看護婦といっしょに団扇を持って立っていたのは」  二人のいる所は高く池の中に突き出している。この丘とはまるで縁のない小山が一段低く、右側を走っている。大きな松と御殿の一角と、運動会の幕の一部と、なだらかな芝生が見える。 「熱い日でしたね。病院があんまり暑いものだから、とうとうこらえきれないで出てきたの。――あなたはまたなんであんな所にしゃがんでいらしったんです」 「熱いからです。あの日ははじめて野々宮さんに会って、それから、あすこへ来てぼんやりしていたのです。なんだか心細くなって」 「野々宮さんにお会いになってから、心細くおなりになったの」 「いいえ、そういうわけじゃない」と言いかけて、美禰子の顔を見たが、急に話頭を転じた。 「野々宮さんといえば、きょうはたいへん働いていますね」 「ええ、珍しくフロックコートをお着になって――ずいぶん御迷惑でしょう。朝から晩までですから」 「だってだいぶ得意のようじゃありませんか」 「だれが、野々宮さんが。――あなたもずいぶんね」 「なぜですか」 「だって、まさか運動会の計測係りになって得意になるようなかたでもないでしょう」  三四郎はまた話頭を転じた。 「さっきあなたの所へ来て何か話していましたね」 「会場で?」 「ええ、運動会の柵の所で」と言ったが、三四郎はこの問を急に撤回したくなった。女は「ええ」と言ったまま男の顔をじっと見ている。少し下唇をそらして笑いかけている。三四郎はたまらなくなった。何か言ってまぎらそうとした時に、女は口を開いた。 「あなたはまだこのあいだの絵はがきの返事をくださらないのね」  三四郎はまごつきながら「あげます」と答えた。女はくれともなんとも言わない。 「あなた、原口さんという画工を御存じ?」と聞き直した。 「知りません」 「そう」 「どうかしましたか」 「なに、その原口さんが、きょう見に来ていらしってね、みんなを写生しているから、私たちも用心しないと、ポンチにかかれるからって、野々宮さんがわざわざ注意してくだすったんです」  美禰子はそばへ来て腰をかけた。三四郎は自分がいかにも愚物のような気がした。 「よし子さんはにいさんといっしょに帰らないんですか」 「いっしょに帰ろうったって帰れないわ。よし子さんは、きのうから私の家にいるんですもの」  三四郎はその時はじめて美禰子から野々宮のおっかさんが国へ帰ったということを聞いた。おっかさんが帰ると同時に、大久保を引き払って、野々宮さんは下宿をする、よし子は当分美禰子の家から学校へ通うことに、相談がきまったんだそうである。  三四郎はむしろ野々宮さんの気楽なのに驚いた。そうたやすく下宿生活にもどるくらいなら、はじめから家を持たないほうがよかろう。第一鍋、釜、手桶などという世帯道具の始末はどうつけたろうと、よけいなことまで考えたが、口に出して言うほどのことでもないから、べつだんの批評は加えなかった。そのうえ、野々宮さんが一家の主人から、あともどりをして、ふたたび純書生と同様な生活状態に復するのは、とりもなおさず家族制度から一歩遠のいたと同じことで、自分にとっては、目前の迷惑を少し長距離へ引き移したような好都合にもなる。その代りよし子が美禰子の家へ同居してしまった。この兄妹は絶えず往来していないと治まらないようにできあがっている。絶えず往来しているうちには野々宮さんと美禰子との関係も次第次第に移ってくる。すると野々宮さんがまたいつなんどき下宿生活を永久にやめる時機がこないともかぎらない。  三四郎は頭のなかに、こういう疑いある未来を、描きながら、美禰子と応対をしている。いっこうに気が乗らない。それを外部の態度だけでも普通のごとくつくろおうとすると苦痛になってくる。そこへうまいぐあいによし子が帰ってきてくれた。女同志のあいだには、もう一ぺん競技を見に行こうかという相談があったが、短くなりかけた秋の日がだいぶ回ったのと、回るにつれて、広い戸外の肌寒がようやく増してくるので、帰ることに話がきまる。  三四郎も女|連に別れて下宿へもどろうと思ったが、三人が話しながら、ずるずるべったりに歩き出したものだから、きわだった挨拶をする機会がない。二人は自分を引っ張ってゆくようにみえる。自分もまた引っ張られてゆきたいような気がする。それで二人にくっついて池の端を図書館の横から、方角違いの赤門の方へ向いてきた。そのとき三四郎は、よし子に向かって、 「お兄いさんは下宿をなすったそうですね」と聞いたら、よし子は、すぐ、 「ええ。とうとう。ひとを美禰子さんの所へ押しつけておいて。ひどいでしょう」と同意を求めるように言った。三四郎は何か返事をしようとした。そのまえに美禰子が口を開いた。 「宗八さんのようなかたは、我々の考えじゃわかりませんよ。ずっと高い所にいて、大きな事を考えていらっしゃるんだから」と大いに野々宮さんをほめだした。よし子は黙って聞いている。  学問をする人がうるさい俗用を避けて、なるべく単純な生活にがまんするのは、みんな研究のためやむをえないんだからしかたがない。野々宮のような外国にまで聞こえるほどの仕事をする人が、普通の学生同様な下宿にはいっているのも必竟野々宮が偉いからのことで、下宿がきたなければきたないほど尊敬しなくってはならない。――美禰子の野々宮に対する賛辞のつづきは、ざっとこうである。  三四郎は赤門の所で二人に別れた。追分の方へ足を向けながら考えだした。――なるほど美禰子の言ったとおりである。自分と野々宮を比較してみるとだいぶ段が違う。自分は田舎から出て大学へはいったばかりである。学問という学問もなければ、見識という見識もない。自分が、野々宮に対するほどな尊敬を美禰子から受けえないのは当然である。そういえばなんだか、あの女からばかにされているようでもある。さっき、運動会はつまらないから、ここにいると、丘の上で答えた時に、美禰子はまじめな顔をして、この上には何かおもしろいものがありますかと聞いた。あの時は気がつかなかったが、いま解釈してみると、故意に自分を愚弄した言葉かもしれない。――三四郎は気がついて、きょうまで美禰子の自分に対する態度や言語を一々繰り返してみると、どれもこれもみんな悪い意味がつけられる。三四郎は往来のまん中でまっ赤になってうつむいた。ふと、顔を上げると向こうから、与次郎とゆうべの会で演説をした学生が並んで来た。与次郎は首を縦に振ったぎり黙っている。学生は帽子をとって礼をしながら、 「昨夜は。どうですか。とらわれちゃいけませんよ」と笑って行き過ぎた。 七  裏から回ってばあさんに聞くと、ばあさんが小さな声で、与次郎さんはきのうからお帰りなさらないと言う。三四郎は勝手口に立って考えた。ばあさんは気をきかして、まあおはいりなさい。先生は書斎においでですからと言いながら、手を休めずに、膳椀を洗っている。今|晩食がすんだばかりのところらしい。  三四郎は茶の間を通り抜けて、廊下伝いに書斎の入口まで来た。戸があいている。中から「おい」と人を呼ぶ声がする。三四郎は敷居のうちへはいった。先生は机に向かっている。机の上には何があるかわからない。高い背が研究を隠している。三四郎は入口に近くすわって、 「御勉強ですか」と丁寧に聞いた。先生は顔をうしろへねじ向けた。髭の影が不明瞭にもじゃもじゃしている。写真版で見ただれかの肖像に似ている。 「やあ、与次郎かと思ったら、君ですか、失敬した」と言って、席を立った。机の上には筆と紙がある。先生は何か書いていた。与次郎の話に、うちの先生は時々何か書いている。しかし何を書いているんだか、ほかの者が読んでもちっともわからない。生きているうちに、大著述にでもまとめられれば結構だが、あれで死んでしまっちゃあ、反古がたまるばかりだ。じつにつまらない。と嘆息していたことがある。三四郎は広田の机の上を見て、すぐ与次郎の話を思い出した。 「おじゃまなら帰ります。べつだんの用事でもありません」 「いや、帰ってもらうほどじゃまでもありません。こっちの用事もべつだんのことでもないんだから。そう急に片づけるたちのものをやっていたんじゃない」  三四郎はちょっと挨拶ができなかった。しかし腹のうちでは、この人のような気分になれたら、勉強も楽にできてよかろうと思った。しばらくしてから、こう言った。 「じつは佐々木君のところへ来たんですが、いなかったものですから……」 「ああ。与次郎はなんでもゆうべから帰らないようだ。時々漂泊して困る」 「何か急に用事でもできたんですか」 「用事はけっしてできる男じゃない。ただ用事をこしらえる男でね。ああいうばかは少ない」  三四郎はしかたがないから、 「なかなか気楽ですな」と言った。 「気楽ならいいけれども。与次郎のは気楽なのじゃない。気が移るので――たとえば田の中を流れている小川のようなものと思っていれば間違いはない。浅くて狭い。しかし水だけはしじゅう変っている。だから、する事が、ちっとも締まりがない。縁日へひやかしになど行くと、急に思い出したように、先生松を一鉢お買いなさいなんて妙なことを言う。そうして買うともなんとも言わないうちに値切って買ってしまう。その代り縁日ものを買うことなんぞはじょうずでね。あいつに買わせるとたいへん安く買える。そうかと思うと、夏になってみんなが家を留守にするときなんか、松を座敷へ入れたまんま雨戸をたてて錠をおろしてしまう。帰ってみると、松が温気でむれてまっ赤になっている。万事そういうふうでまことに困る」  実をいうと三四郎はこのあいだ与次郎に二十円貸した。二週間後には文芸時評社から原稿料が取れるはずだから、それまで立替えてくれろと言う。事理を聞いてみると、気の毒であったから、国から送ってきたばかりの為替を五円引いて、余りはことごとく貸してしまった。まだ返す期限ではないが、広田の話を聞いてみると少々心配になる。しかし先生にそんな事は打ち明けられないから、反対に、 「でも佐々木君は、大いに先生に敬服して、陰では先生のためになかなか尽力しています」と言うと、先生はまじめになって、 「どんな尽力をしているんですか」と聞きだした。ところが「偉大なる暗闇」その他すべて広田先生に関する与次郎の所為は、先生に話してはならないと、当人から封じられている。やりかけた途中でそんな事が知れると先生にしかられるにきまってるから黙っているべきだという。話していい時にはおれが話すと明言しているんだからしかたがない。三四郎は話をそらしてしまった。  三四郎が広田の家へ来るにはいろいろな意味がある。一つは、この人の生活その他が普通のものと変っている。ことに自分の性情とはまったく容れないようなところがある。そこで三四郎はどうしたらああなるだろうという好奇心から参考のため研究に来る。次にこの人の前に出るとのん気になる。世の中の競争があまり苦にならない。野々宮さんも広田先生と同じく世外の趣はあるが、世外の功名心のために、流俗の嗜欲を遠ざけているかのように思われる。だから野々宮さんを相手に二人ぎりで話していると、自分もはやく一人前の仕事をして、学海に貢献しなくては済まないような気が起こる。いらついてたまらない。そこへゆくと広田先生は太平である。先生は高等学校でただ語学を教えるだけで、ほかになんの芸もない――といっては失礼だが、ほかになんらの研究も公けにしない。しかも泰然と取り澄ましている。そこに、こののん気の源は伏在しているのだろうと思う。三四郎は近ごろ女にとらわれた。恋人にとらわれたのなら、かえっておもしろいが、ほれられているんだか、ばかにされているんだか、こわがっていいんだか、さげすんでいいんだか、よすべきだか、続けべきだかわけのわからないとらわれ方である。三四郎はいまいましくなった。そういう時は広田さんにかぎる。三十分ほど先生と相対していると心持ちが悠揚になる。女の一人や二人どうなってもかまわないと思う。実をいうと、三四郎が今夜出かけてきたのは七|分方この意味である。  訪問理由の第三はだいぶ矛盾している。自分は美禰子に苦しんでいる。美禰子のそばに野々宮さんを置くとなお苦しんでくる。その野々宮さんにもっとも近いものはこの先生である。だから先生の所へ来ると、野々宮さんと美禰子との関係がおのずから明瞭になってくるだろうと思う。これが明瞭になりさえすれば、自分の態度も判然きめることができる。そのくせ二人の事をいまだかつて先生に聞いたことがない。今夜は一つ聞いてみようかしらと、心を動かした。 「野々宮さんは下宿なすったそうですね」 「ええ、下宿したそうです」 「家をもった者が、また下宿をしたら不便だろうと思いますが、野々宮さんはよく……」 「ええ、そんな事にはいっこう無頓着なほうでね。あの服装を見てもわかる。家庭的な人じゃない。その代り学問にかけると非常に神経質だ」 「当分ああやっておいでのつもりなんでしょうか」 「わからない。また突然家を持つかもしれない」 「奥さんでもお貰いになるお考えはないんでしょうか」 「あるかもしれない。いいのを周旋してやりたまえ」  三四郎は苦笑いをして、よけいな事を言ったと思った。すると広田さんが、 「君はどうです」と聞いた。 「私は……」 「まだ早いですね。今から細君を持っちゃたいへんだ」 「国の者は勧めますが」 「国のだれが」 「母です」 「おっかさんのいうとおり持つ気になりますか」 「なかなかなりません」  広田さんは髭の下から歯を出して笑った。わりあいにきれいな歯を持っている。三四郎はその時急になつかしい心持ちがした。けれどもそのなつかしさは美禰子を離れている。野々宮を離れている。三四郎の眼前の利害には超絶したなつかしさであった。三四郎はこれで、野々宮などの事を聞くのが恥ずかしい気がしだして、質問をやめてしまった。すると広田先生がまた話しだした。―― 「おっかさんのいうことはなるべく聞いてあげるがよい。近ごろの青年は我々時代の青年と違って自我の意識が強すぎていけない。我々の書生をしているころには、する事なす事一として他を離れたことはなかった。すべてが、君とか、親とか、国とか、社会とか、みんな他本位であった。それを一口にいうと教育を受けるものがことごとく偽善家であった。その偽善が社会の変化で、とうとう張り通せなくなった結果、漸々自己本位を思想行為の上に輸入すると、今度は我意識が非常に発展しすぎてしまった。昔の偽善家に対して、今は露悪家ばかりの状態にある。――君、露悪家という言葉を聞いたことがありますか」 「いいえ」 「今ぼくが即席に作った言葉だ。君もその露悪家の一人――だかどうだか、まあたぶんそうだろう。与次郎のごときにいたるとその最たるものだ。あの君の知ってる里見という女があるでしょう。あれも一種の露悪家で、それから野々宮の妹ね、あれはまた、あれなりに露悪家だから面白い。昔は殿様と親父だけが露悪家ですんでいたが、今日では各自同等の権利で露悪家になりたがる。もっとも悪い事でもなんでもない。臭いものの蓋をとれば肥桶で、見事な形式をはぐとたいていは露悪になるのは知れ切っている。形式だけ見事だって面倒なばかりだから、みんな節約して木地だけで用を足している。はなはだ痛快である。天醜|爛漫としている。ところがこの爛漫が度を越すと、露悪家同志がお互いに不便を感じてくる。その不便がだんだん高じて極端に達した時利他主義がまた復活する。それがまた形式に流れて腐敗するとまた利己主義に帰参する。つまり際限はない。我々はそういうふうにして暮らしてゆくものと思えばさしつかえない。そうしてゆくうちに進歩する。英国を見たまえ。この両主義が昔からうまく平衡がとれている。だから動かない。だから進歩しない。イブセンも出なければニイチェも出ない。気の毒なものだ。自分だけは得意のようだが、はたから見れば堅くなって、化石しかかっている。……」  三四郎は内心感心したようなものの、話がそれてとんだところへ曲がって、曲がりなりに太くなってゆくので、少し驚いていた。すると広田さんもようやく気がついた。 「いったい何を話していたのかな」 「結婚の事です」 「結婚?」 「ええ、私が母の言うことを聞いて……」 「うん、そうそう。なるべくおっかさんの言うことを聞かなければいけない」と言ってにこにこしている。まるで子供に対するようである。三四郎はべつに腹も立たなかった。 「我々が露悪家なのは、いいですが、先生時代の人が偽善家なのは、どういう意味ですか」 「君、人から親切にされて愉快ですか」 「ええ、まあ愉快です」 「きっと? ぼくはそうでない、たいへん親切にされて不愉快な事がある」 「どんな場合ですか」 「形式だけは親切にかなっている。しかし親切自身が目的でない場合」 「そんな場合があるでしょうか」 「君、元日におめでとうと言われて、じっさいおめでたい気がしますか」 「そりゃ……」 「しないだろう。それと同じく腹をかかえて笑うだの、ころげかえって笑うだのというやつに、一人だってじっさい笑ってるやつはない。親切もそのとおり。お役目に親切をしてくれるのがある。ぼくが学校で教師をしているようなものでね。実際の目的は衣食にあるんだから、生徒から見たらさだめて不愉快だろう。これに反して与次郎のごときは露悪党の領袖だけに、たびたびぼくに迷惑をかけて、始末におえぬいたずら者だが、悪気がない。可愛らしいところがある。ちょうどアメリカ人の金銭に対して露骨なのと一般だ。それ自身が目的である。それ自身が目的である行為ほど正直なものはなくって、正直ほど厭味のないものはないんだから、万事正直に出られないような我々時代の、こむずかしい教育を受けたものはみんな気障だ」  ここまでの理屈は三四郎にもわかっている。けれども三四郎にとって、目下痛切な問題は、だいたいにわたっての理屈ではない。実際に交渉のある、ある格段な相手が、正直か正直でないかを知りたいのである。三四郎は腹の中で美禰子の自分に対する素振をもう一ぺん考えてみた。ところが気障か気障でないかほとんど判断ができない。三四郎は自分の感受性が人一倍鈍いのではなかろうかと疑いだした。  その時広田さんは急にうんと言って、何か思い出したようである。 「うん、まだある。この二十世紀になってから妙なのが流行る。利他本位の内容を利己本位でみたすというむずかしいやり口なんだが、君そんな人に出会ったですか」 「どんなのです」 「ほかの言葉でいうと、偽善を行うに露悪をもってする。まだわからないだろうな。ちと説明し方が悪いようだ。――昔の偽善家はね、なんでも人によく思われたいが先に立つんでしょう。ところがその反対で、人の感触を害するために、わざわざ偽善をやる。横から見ても縦から見ても、相手には偽善としか思われないようにしむけてゆく。相手はむろんいやな心持ちがする。そこで本人の目的は達せられる。偽善を偽善そのままで先方に通用させようとする正直なところが露悪家の特色で、しかも表面上の行為言語はあくまでも善に違いないから、――そら、二位一体というようなことになる。この方法を巧妙に用いる者が近来だいぶふえてきたようだ。きわめて神経の鋭敏になった文明人種が、もっとも優美に露悪家になろうとすると、これがいちばんいい方法になる。血を出さなければ人が殺せないというのはずいぶん野蛮な話だからな君、だんだん流行らなくなる」  広田先生の話し方は、ちょうど案内者が古戦場を説明するようなもので、実際を遠くからながめた地位にみずからを置いている。それがすこぶる楽天の趣がある。あたかも教場で講義を聞くと一般の感を起こさせる。しかし三四郎にはこたえた。念頭に美禰子という女があって、この理論をすぐ適用できるからである。三四郎は頭の中にこの標準を置いて、美禰子のすべてを測ってみた。しかし測り切れないところがたいへんある。先生は口を閉じて、例のごとく鼻から哲学の煙を吐き始めた。  ところへ玄関に足音がした。案内も乞わずに廊下伝いにはいって来る。たちまち与次郎が書斎の入口にすわって、 「原口さんがおいでになりました」と言う。ただ今帰りましたという挨拶を省いている。わざと省いたのかもしれない。三四郎にはぞんざいな目礼をしたばかりですぐに出ていった。  与次郎と敷居ぎわですれ違って、原口さんがはいって来た。原口さんはフランス式の髭をはやして、頭を五分刈にした、脂肪の多い男である。野々宮さんより年が二つ三つ上に見える。広田先生よりずっときれいな和服を着ている。 「やあ、しばらく。今まで佐々木が家へ来ていてね。いっしょに飯を食ったり何かして――それから、とうとう引っ張り出されて……」とだいぶ楽天的な口調である。そばにいるとしぜん陽気になるような声を出す。三四郎は原口という名前を聞いた時から、おおかたあの画工だろうと思っていた。それにしても与次郎は交際家だ。たいていな先輩とはみんな知合いになっているからえらいと感心して堅くなった。三四郎は年長者の前へ出ると堅くなる。九州流の教育を受けた結果だと自分では解釈している。  やがて主人が原口に紹介してくれる。三四郎は丁寧に頭を下げた。向こうは軽く会釈した。三四郎はそれから黙って二人の談話を承っていた。  原口さんはまず用談から片づけると言って、近いうちに会をするから出てくれと頼んでいる。会員と名のつくほどのりっぱなものはこしらえないつもりだが、通知を出すものは、文学者とか芸術家とか、大学の教授とか、わずかな人数にかぎっておくからさしつかえはない。しかもたいてい知り合いのあいだだから、形式はまったく不必要である。目的はただおおぜい寄って晩餐を食う。それから文芸上有益な談話を交換する。そんなものである。  広田先生は一口「出よう」と言った。用事はそれで済んでしまった。用事はそれで済んでしまったが、それから後の原口さんと広田先生の会話がすこぶるおもしろかった。  広田先生が「君近ごろ何をしているかね」と原口さんに聞くと、原口さんがこんな事を言う。 「やっぱり一中節を稽古している。もう五つほど上げた。花紅葉吉原八景だの、小稲半兵衛唐崎心中だのってなかなかおもしろいのがあるよ。君も少しやってみないか。もっともありゃ、あまり大きな声を出しちゃいけないんだってね。本来が四畳半の座敷にかぎったものだそうだ。ところがぼくがこのとおり大きな声だろう。それに節回しがあれでなかなか込み入っているんで、どうしてもうまくいかん。こんだ一つやるから聞いてくれたまえ」  広田先生は笑っていた。すると原口さんは続きをこういうふうに述べた。 「それでもぼくはまだいいんだが、里見恭助ときたら、まるで形無しだからね。どういうものかしらん。妹はあんなに器用だのに。このあいだはとうとう降参して、もう歌はやめる、その代り何か楽器を習おうと言いだしたところが、馬鹿囃子をお習いなさらないかと勧めた者があってね。大笑いさ」 「そりゃ本当かい」 「本当とも。現に里見がぼくに、君がやるならやってもいいと言ったくらいだもの。あれで馬鹿囃子には八通り囃し方があるんだそうだ」 「君、やっちゃどうだ。あれなら普通の人間にでもできそうだ」 「いや馬鹿囃子はいやだ。それよりか鼓が打ってみたくってね。なぜだか鼓の音を聞いていると、まったく二十世紀の気がしなくなるからいい。どうして今の世にああ間が抜けていられるだろうと思うと、それだけでたいへんな薬になる。いくらぼくがのん気でも、鼓の音のような絵はとてもかけないから」 「かこうともしないんじゃないか」 「かけないんだもの。今の東京にいる者に悠揚な絵ができるものか。もっとも絵にもかぎるまいけれども。――絵といえば、このあいだ大学の運動会へ行って、里見と野々宮さんの妹のカリカチュアーをかいてやろうと思ったら、とうとう逃げられてしまった。こんだ一つ本当の肖像画をかいて展覧会にでも出そうかと思って」 「だれの」 「里見の妹の。どうも普通の日本の女の顔は歌麿式や何かばかりで、西洋の画布にはうつりが悪くっていけないが、あの女や野々宮さんはいい。両方ともに絵になる。あの女が団扇をかざして、木立をうしろに、明るい方を向いているところを等身に写してみようかしらと思っている。西洋の扇は厭味でいけないが、日本の団扇は新しくっておもしろいだろう。とにかくはやくしないとだめだ。いまに嫁にでもいかれようものなら、そうこっちの自由にいかなくなるかもしれないから」  三四郎は多大な興味をもって原口の話を聞いていた。ことに美禰子が団扇をかざしている構図は非常な感動を三四郎に与えた。不思議の因縁が二人の間に存在しているのではないかと思うほどであった。すると広田先生が、「そんな図はそうおもしろいこともないじゃないか」と無遠慮な事を言いだした。 「でも当人の希望なんだもの。団扇をかざしているところは、どうでしょうと言うから、すこぶる妙でしょうと言って承知したのさ。なに、悪い図どりではないよ。かきようにもよるが」 「あんまり美しくかくと、結婚の申込みが多くなって困るぜ」 「ハハハじゃ中ぐらいにかいておこう。結婚といえば、あの女も、もう嫁にゆく時期だね。どうだろう、どこかいい口はないだろうか。里見にも頼まれているんだが」 「君もらっちゃどうだ」 「ぼくか。ぼくでよければもらうが、どうもあの女には信用がなくってね」 「なぜ」 「原口さんは洋行する時にはたいへんな気込みで、わざわざ鰹節を買い込んで、これでパリーの下宿に籠城するなんて大いばりだったが、パリーへ着くやいなや、たちまち豹変したそうですねって笑うんだから始末がわるい。おおかた兄からでも聞いたんだろう」 「あの女は自分の行きたい所でなくっちゃ行きっこない。勧めたってだめだ。好きな人があるまで独身で置くがいい」 「まったく西洋流だね。もっともこれからの女はみんなそうなるんだから、それもよかろう」  それから二人の間に長い絵画談があった。三四郎は広田先生の西洋の画工の名をたくさん知っているのに驚いた。帰るとき勝手口で下駄を捜していると、先生が梯子段の下へ来て「おい佐々木ちょっと降りて来い」と言っていた。  戸外は寒い。空は高く晴れて、どこから露が降るかと思うくらいである。手が着物にさわると、さわった所だけがひやりとする。人通りの少ない小路を二、三度折れたり曲がったりしてゆくうちに、突然|辻占屋に会った。大きな丸い提灯をつけて、腰から下をまっ赤にしている。三四郎は辻占が買ってみたくなった。しかしあえて買わなかった。杉垣に羽織の肩が触れるほどに、赤い提灯をよけて通した。しばらくして、暗い所をはすに抜けると、追分の通りへ出た。角に蕎麦屋がある。三四郎は今度は思い切って暖簾をくぐった。少し酒を飲むためである。  高等学校の生徒が三人いる。近ごろ学校の先生が昼の弁当に蕎麦を食う者が多くなったと話している。蕎麦屋の担夫が午砲が鳴ると、蒸籠や種ものを山のように肩へ載せて、急いで校門をはいってくる。ここの蕎麦屋はあれでだいぶもうかるだろうと話している。なんとかいう先生は夏でも釜揚饂飩を食うが、どういうものだろうと言っている。おおかた胃が悪いんだろうと言っている。そのほかいろいろの事を言っている。教師の名はたいてい呼び棄てにする。なかに一人広田さんと言った者がある。それからなぜ広田さんは独身でいるかという議論を始めた。広田さんの所へ行くと女の裸体画がかけてあるから、女がきらいなんじゃなかろうという説である。もっともその裸体画は西洋人だからあてにならない。日本の女はきらいかもしれないという説である。いや失恋の結果に違いないという説も出た。失恋してあんな変人になったのかと質問した者もあった。しかし若い美人が出入するという噂があるが本当かと聞きただした者もあった。  だんだん聞いているうちに、要するに広田先生は偉い人だということになった。なぜ偉いか三四郎にもよくわからないが、とにかくこの三人は三人ながら与次郎の書いた「偉大なる暗闇」を読んでいる。現にあれを読んでから、急に広田さんが好きになったと言っている。時々は「偉大なる暗闇」のなかにある警句などを引用してくる。そうしてさかんに与次郎の文章をほめている。零余子とはだれだろうと不思議がっている。なにしろよほどよく広田さんを知っている男に相違ないということには三人とも同意した。  三四郎はそばにいて、なるほどと感心した。与次郎が「偉大なる暗闇」を書くはずである。文芸時評の売れ高の少ないのは当人の自白したとおりであるのに、麗々しく彼のいわゆる大論文を掲げて得意がるのは、虚栄心の満足以外になんのためになるだろうと疑っていたが、これでみると活版の勢力はやはりたいしたものである。与次郎の主張するとおり、一言でも半句でも言わないほうが損になる。人の評判はこんなところからあがり、またこんなところから落ちると思うと、筆を執るものの責任が恐ろしくなって、三四郎は蕎麦屋を出た。  下宿へ帰ると、酒はもうさめてしまった。なんだかつまらなくっていけない。机の前にすわって、ぼんやりしていると、下女が下から湯沸に熱い湯を入れて持ってきたついでに、封書を一通置いていった。また母の手紙である。三四郎はすぐ封を切った。きょうは母の手跡を見るのがはなはだうれしい。  手紙はかなり長いものであったが、べつだんの事も書いてない。ことに三輪田のお光さんについては一口も述べてないので大いにありがたかった。けれどもなかに妙な助言がある。  お前は子供の時から度胸がなくっていけない。度胸の悪いのはたいへんな損で、試験の時なぞにはどのくらい困るかしれない。興津の高さんは、あんなに学問ができて、中学校の先生をしているが、検定試験を受けるたびに、からだがふるえて、うまく答案ができないんで、気の毒なことにいまだに月給が上がらずにいる。友だちの医学士とかに頼んでふるえのとまる丸薬をこしらえてもらって、試験前に飲んで出たがやっぱりふるえたそうである。お前のはぶるぶるふるえるほどでもないようだから、平生から持薬に度胸のすわる薬を東京の医者にこしらえてもらって飲んでみろ。直らないこともなかろうというのである。  三四郎はばかばかしいと思った。けれどもばかばかしいうちに大いなる感謝を見出した。母は本当に親切なものであると、つくづく感心した。その晩一時ごろまでかかって長い返事を母にやった。そのなかには東京はあまりおもしろい所ではないという一句があった。 八  三四郎が与次郎に金を貸したてんまつは、こうである。  このあいだの晩九時ごろになって、与次郎が雨のなかを突然やって来て、あたまから大いに弱ったと言う。見ると、いつになく顔の色が悪い。はじめは秋雨にぬれた冷たい空気に吹かれすぎたからのことと思っていたが、座について見ると、悪いのは顔色ばかりではない。珍しく消沈している。三四郎が「ぐあいでもよくないのか」と尋ねると、与次郎は鹿のような目を二度ほどぱちつかせて、こう答えた。 「じつは金をなくしてね。困っちまった」  そこで、ちょっと心配そうな顔をして、煙草の煙を二、三本鼻から吐いた。三四郎は黙って待っているわけにもゆかない。どういう種類の金を、どこでなくなしたのかとだんだん聞いてみると、すぐわかった。与次郎は煙草の煙の、二、三本鼻から出切るあいだだけ控えていたばかりで、そのあとは、一部始終をわけもなくすらすらと話してしまった。  与次郎のなくした金は、額で二十円、ただし人のものである。去年広田先生がこのまえの家を借りる時分に、三か月の敷金に窮して、足りないところを一時野々宮さんから用達ってもらったことがある。しかるにその金は野々宮さんが、妹にバイオリンを買ってやらなくてはならないとかで、わざわざ国元の親父さんから送らせたものだそうだ。それだからきょうがきょう必要というほどでない代りに、延びれば延びるほどよし子が困る。よし子は現に今でもバイオリンを買わずに済ましている。広田先生が返さないからである。先生だって返せればとうに返すんだろうが、月々余裕が一文も出ないうえに、月給以外にけっしてかせがない男だから、ついそれなりにしてあった。ところがこの夏高等学校の受験生の答案調べを引き受けた時の手当が六十円このごろになってようやく受け取れた。それでようやく義理を済ますことになって、与次郎がその使いを言いつかった。 「その金をなくなしたんだからすまない」と与次郎が言っている。じっさいすまないような顔つきでもある。どこへ落としたんだと聞くと、なに落としたんじゃない。馬券を何枚とか買って、みんななくなしてしまったのだと言う。三四郎もこれにはあきれ返った。あまり無分別の度を通り越しているので意見をする気にもならない。そのうえ本人が悄然としている。これをいつもの活発|溌地と比べると与次郎なるものが二人いるとしか思われない。その対照が激しすぎる。だからおかしいのと気の毒なのとがいっしょになって三四郎を襲ってきた。三四郎は笑いだした。すると与次郎も笑いだした。 「まあいいや、どうかなるだろう」と言う。 「先生はまだ知らないのか」と聞くと、 「まだ知らない」 「野々宮さんは」 「むろん、まだ知らない」 「金はいつ受け取ったのか」 「金はこの月始まりだから、きょうでちょうど二週間ほどになる」 「馬券を買ったのは」 「受け取ったあくる日だ」 「それからきょうまでそのままにしておいたのか」 「いろいろ奔走したができないんだからしかたがない。やむをえなければ今月|末までこのままにしておこう」 「今月末になればできる見込みでもあるのか」 「文芸時評社から、どうかなるだろう」  三四郎は立って、机の引出しをあけた。きのう母から来たばかりの手紙の中をのぞいて、 「金はここにある。今月は国から早く送ってきた」と言った。与次郎は、 「ありがたい。親愛なる小川君」と急に元気のいい声で落語家のようなことを言った。  二人は十時すぎ雨を冒して、追分の通りへ出て、角の蕎麦屋へはいった。三四郎が蕎麦屋で酒を飲むことを覚えたのはこの時である。その晩は二人とも愉快に飲んだ。勘定は与次郎が払った。与次郎はなかなか人に払わせない男である。  それからきょうにいたるまで与次郎は金を返さない。三四郎は正直だから下宿屋の払いを気にしている。催促はしないけれども、どうかしてくれればいいがと思って、日を過ごすうちに晦日近くなった。もう一日|二日しか余っていない。間違ったら下宿の勘定を延ばしておこうなどという考えはまだ三四郎の頭にのぼらない。必ず与次郎が持って来てくれる――とまではむろん彼を信用していないのだが、まあどうかくめんしてみようくらいの親切気はあるだろうと考えている。広田先生の評によると与次郎の頭は浅瀬の水のようにしじゅう移っているのだそうだが、むやみに移るばかりで責任を忘れるようでは困る。まさかそれほどの事もあるまい。  三四郎は二階の窓から往来をながめていた。すると向こうから与次郎が足早にやって来た。窓の下まで来てあおむいて、三四郎の顔を見上げて、「おい、おるか」と言う。三四郎は上から、与次郎を見下して、「うん、おる」と言う。このばかみたような挨拶が上下で一句交換されると、三四郎は部屋の中へ首を引っ込める。与次郎は梯子段をとんとん上がってきた。 「待っていやしないか。君のことだから下宿の勘定を心配しているだろうと思って、だいぶ奔走した。ばかげている」 「文芸時評から原稿料をくれたか」 「原稿料って、原稿料はみんな取ってしまった」 「だってこのあいだは月末に取るように言っていたじゃないか」 「そうかな、それは間違いだろう。もう一文も取るのはない」 「おかしいな。だって君はたしかにそう言ったぜ」 「なに、前借りをしようと言ったのだ。ところがなかなか貸さない。ぼくに貸すと返さないと思っている。けしからん。わずか二十円ばかりの金だのに。いくら偉大なる暗闇を書いてやっても信用しない。つまらない。いやになっちまった」 「じゃ金はできないのか」 「いやほかでこしらえたよ。君が困るだろうと思って」 「そうか。それは気の毒だ」 「ところが困った事ができた。金はここにはない。君が取りにいかなくっちゃ」 「どこへ」 「じつは文芸時評がいけないから、原口だのなんだの二、三軒歩いたが、どこも月末でつごうがつかない。それから最後に里見の所へ行って――里見というのは知らないかね。里見恭助。法学士だ。美禰子さんのにいさんだ。あすこへ行ったところが、今度は留守でやっぱり要領を得ない。そのうち腹が減って歩くのがめんどうになったから、とうとう美禰子さんに会って話をした」 「野々宮さんの妹がいやしないか」 「なに昼少し過ぎだから学校に行ってる時分だ。それに応接間だからいたってかまやしない」 「そうか」 「それで美禰子さんが、引き受けてくれて、御用立て申しますと言うんだがね」 「あの女は自分の金があるのかい」 「そりゃ、どうだか知らない。しかしとにかく大丈夫だよ。引き受けたんだから。ありゃ妙な女で、年のいかないくせにねえさんじみた事をするのが好きな性質なんだから、引き受けさえすれば、安心だ。心配しないでもいい。よろしく願っておけばかまわない。ところがいちばんしまいになって、お金はここにありますが、あなたには渡せませんと言うんだから、驚いたね。ぼくはそんなに不信用なんですかと聞くと、ええと言って笑っている。いやになっちまった。じゃ小川をよこしますかなとまた聞いたら、え、小川さんにお手渡しいたしましょうと言われた。どうでもかってにするがいい。君取りにいけるかい」 「取りにいかなければ、国へ電報でもかけるんだな」 「電報はよそう。ばかげている。いくら君だって借りにいけるだろう」 「いける」  これでようやく二十円のらちがあいた。それが済むと、与次郎はすぐ広田先生に関する事件の報告を始めた。  運動は着々歩を進めつつある。暇さえあれば下宿へ出かけていって、一人一人に相談する。相談は一人一人にかぎる。おおぜい寄ると、めいめいが自分の存在を主張しようとして、ややともすれば異をたてる。それでなければ、自分の存在を閑却された心持ちになって、初手から冷淡にかまえる。相談はどうしても一人一人にかぎる。その代り暇はいる。金もいる。それを苦にしていては運動はできない。それから相談中には広田先生の名前をあまり出さないことにする。我々のための相談でなくって、広田先生のための相談だと思われると、事がまとまらなくなる。  与次郎はこの方法で運動の歩を進めているのだそうだ。それできょうまでのところはうまくいった。西洋人ばかりではいけないから、ぜひとも日本人を入れてもらおうというところまで話はきた。これから先はもう一ぺん寄って、委員を選んで、学長なり、総長なりに、我々の希望を述べにやるばかりである。もっとも会合だけはほんの形式だから略してもいい。委員になるべき学生もだいたいは知れている。みんな広田先生に同情を持っている連中だから、談判の模様によっては、こっちから先生の名を当局者へ持ち出すかもしれない。……  聞いていると、与次郎一人で天下が自由になるように思われる。三四郎は少なからず与次郎の手腕に感服した。与次郎はまたこのあいだの晩、原口さんを先生の所へ連れてきた事について、弁じだした。 「あの晩、原口さんが、先生に文芸家の会をやるから出ろと、勧めていたろう」と言う。三四郎はむろん覚えている。与次郎の話によると、じつはあれも自身の発起にかかるものだそうだ。その理由はいろいろあるが、まず第一に手近なところを言えば、あの会員のうちには、大学の文科で有力な教授がいる。その男と広田先生を接触させるのは、このさい先生にとって、たいへんな便利である。先生は変人だから、求めてだれとも交際しない。しかしこっちで相当の機会を作って、接触させれば、変人なりに付合ってゆく。…… 「そういう意味があるのか、ちっとも知らなかった。それで君が発起人だというんだが、会をやる時、君の名前で通知を出して、そういう偉い人たちがみんな寄って来るのかな」  与次郎は、しばらくまじめに、三四郎を見ていたが、やがて苦笑いをしてわきを向いた。 「ばかいっちゃいけない。発起人って、おもてむきの発起人じゃない。ただぼくがそういう会を企てたのだ。つまりぼくが原口さんを勧めて、万事原口さんが周旋するようにこしらえたのだ」 「そうか」 「そうかは田臭だね。時に君もあの会へ出るがいい。もう近いうちにあるはずだから」 「そんな偉い人ばかり出る所へ行ったってしかたがない。ぼくはよそう」 「また田臭を放った。偉い人も偉くない人も社会へ頭を出した順序が違うだけだ。なにあんな連中、博士とか学士とかいったって、会って話してみるとなんでもないものだよ。第一向こうがそう偉いともなんとも思ってやしない。ぜひ出ておくがいい。君の将来のためだから」 「どこであるのか」 「たぶん上野の精養軒になるだろう」 「ぼくはあんな所へ、はいったことがない。高い会費を取るんだろう」 「まあ二円ぐらいだろう。なに会費なんか、心配しなくってもいい。なければぼくがだしておくから」  三四郎はたちまち、さきの二十円の件を思い出した。けれども不思議におかしくならなかった。与次郎はそのうち銀座のどことかへ天麩羅を食いに行こうと言いだした。金はあると言う。不思議な男である。言いなり次第になる三四郎もこれは断った。その代りいっしょに散歩に出た。帰りに岡野へ寄って、与次郎は栗饅頭をたくさん買った。これを先生にみやげに持ってゆくんだと言って、袋をかかえて帰っていった。  三四郎はその晩与次郎の性格を考えた。長く東京にいるとあんなになるものかと思った。それから里見へ金を借りに行くことを考えた。美禰子の所へ行く用事ができたのはうれしいような気がする。しかし頭を下げて金を借りるのはありがたくない。三四郎は生まれてから今日にいたるまで、人に金を借りた経験のない男である。その上貸すという当人が娘である。独立した人間ではない。たとい金が自由になるとしても、兄の許諾を得ない内証の金を借りたとなると、借りる自分はとにかく、あとで、貸した人の迷惑になるかもしれない。あるいはあの女のことだから、迷惑にならないようにはじめからできているかとも思える。なにしろ会ってみよう。会ったうえで、借りるのがおもしろくない様子だったら、断わって、しばらく下宿の払いを延ばしておいて、国から取り寄せれば事は済む。――当用はここまで考えて句切りをつけた。あとは散漫に美禰子の事が頭に浮かんで来る。美禰子の顔や手や、襟や、帯や、着物やらを、想像にまかせて、乗けたり除ったりしていた。ことにあした会う時に、どんな態度で、どんな事を言うだろうとその光景が十通りにも二十通りにもなって、いろいろに出て来る。三四郎は本来からこんな男である。用談があって人と会見の約束などをする時には、先方がどう出るだろうということばかり想像する。自分が、こんな顔をして、こんな事を、こんな声で言ってやろうなどとはけっして考えない。しかも会見が済むと後からきっとそのほうを考える。そうして後悔する。  ことに今夜は自分のほうを想像する余地がない。三四郎はこのあいだから美禰子を疑っている。しかし疑うばかりでいっこうらちがあかない。そうかといって面と向かって、聞きただすべき事件は一つもないのだから、一刀両断の解決などは思いもよらぬことである。もし三四郎の安心のために解決が必要なら、それはただ美禰子に接触する機会を利用して、先方の様子から、いいかげんに最後の判決を自分に与えてしまうだけである。あしたの会見はこの判決に欠くべからざる材料である。だから、いろいろに向こうを想像してみる。しかし、どう想像しても、自分につごうのいい光景ばかり出てくる。それでいて、実際ははなはだ疑わしい。ちょうどきたない所をきれいな写真にとってながめているような気がする。写真は写真としてどこまでも本当に違いないが、実物のきたないことも争われないと一般で、同じでなければならぬはずの二つがけっして一致しない。  最後にうれしいことを思いついた。美禰子は与次郎に金を貸すと言った。けれども与次郎には渡さないと言った。じっさい与次郎は金銭のうえにおいては、信用しにくい男かもしれない。しかしその意味で美禰子が渡さないのか、どうだか疑わしい。もしその意味でないとすると、自分にははなはだたのもしいことになる。ただ金を貸してくれるだけでも十分の好意である。自分に会って手渡しにしたいというのは――三四郎はここまで己惚れてみたが、たちまち、 「やっぱり愚弄じゃないか」と考えだして、急に赤くなった。もし、ある人があって、その女はなんのために君を愚弄するのかと聞いたら、三四郎はおそらく答ええなかったろう。しいて考えてみろと言われたら、三四郎は愚弄そのものに興味をもっている女だからとまでは答えたかもしれない。自分の己惚れを罰するためとはまったく考ええなかったに違いない。――三四郎は美禰子のために己惚れしめられたんだと信じている。  翌日はさいわい教師が二人欠席して、昼からの授業が休みになった。下宿へ帰るのもめんどうだから、途中で一品料理の腹をこしらえて、美禰子の家へ行った。前を通ったことはなんべんでもある。けれどもはいるのははじめてである。瓦葺の門の柱に里見恭助という標札が出ている。三四郎はここを通るたびに、里見恭助という人はどんな男だろうと思う。まだ会ったことがない。門は締まっている。潜りからはいると玄関までの距離は存外短かい。長方形の御影石が飛び飛びに敷いてある。玄関は細いきれいな格子でたてきってある。ベルを押す。取次ぎの下女に、「美禰子さんはお宅ですか」と言った時、三四郎は自分ながら気恥ずかしいような妙な心持ちがした。ひとの玄関で、妙齢の女の在否を尋ねたことはまだない。はなはだ尋ねにくい気がする。下女のほうは案外まじめである。しかもうやうやしい。いったん奥へはいって、また出て来て、丁寧にお辞儀をして、どうぞと言うからついて上がると応接間へ通した。重い窓掛けの掛かっている西洋室である。少し暗い。  下女はまた、「しばらく、どうか……」と挨拶して出て行った。三四郎は静かな部屋の中に席を占めた。正面に壁を切り抜いた小さい暖炉がある。その上が横に長い鏡になっていて前に蝋燭立が二本ある。三四郎は左右の蝋燭立のまん中に自分の顔を写して見て、またすわった。  すると奥の方でバイオリンの音がした。それがどこからか、風が持って来て捨てて行ったように、すぐ消えてしまった。三四郎は惜しい気がする。厚く張った椅子の背によりかかって、もう少しやればいいがと思って耳を澄ましていたが、音はそれぎりでやんだ。約一分もたつうちに、三四郎はバイオリンの事を忘れた。向こうにある鏡と蝋燭立をながめている。妙に西洋のにおいがする。それからカソリックの連想がある。なぜカソリックだか三四郎にもわからない。その時バイオリンがまた鳴った。今度は高い音と低い音が二、三度急に続いて響いた。それでぱったり消えてしまった。三四郎はまったく西洋の音楽を知らない。しかし今の音は、けっして、まとまったものの一部分をひいたとは受け取れない。ただ鳴らしただけである。その無作法にただ鳴らしたところが三四郎の情緒によく合った。不意に天から二、三|粒落ちて来た、でたらめの雹のようである。  三四郎がなかば感覚を失った目を鏡の中に移すと、鏡の中に美禰子がいつのまにか立っている。下女がたてたと思った戸があいている。戸のうしろにかけてある幕を片手で押し分けた美禰子の胸から上が明らかに写っている。美禰子は鏡の中で三四郎を見た。三四郎は鏡の中の美禰子を見た。美禰子はにこりと笑った。 「いらっしゃい」  女の声はうしろで聞こえた。三四郎は振り向かなければならなかった。女と男はじかに顔を見合わせた。その時女は廂の広い髪をちょっと前に動かして礼をした。礼をするにはおよばないくらいに親しい態度であった。男のほうはかえって椅子から腰を浮かして頭を下げた。女は知らぬふうをして、向こうへ回って、鏡を背に、三四郎の正面に腰をおろした。 「とうとういらしった」  同じような親しい調子である。三四郎にはこの一言が非常にうれしく聞こえた。女は光る絹を着ている。さっきからだいぶ待たしたところをもってみると、応接間へ出るためにわざわざきれいなのに着換えたのかもしれない。それで端然とすわっている。目と口に笑を帯びて無言のまま三四郎を見守った姿に、男はむしろ甘い苦しみを感じた。じっとして見らるるに堪えない心の起こったのは、そのくせ女の腰をおろすやいなやである。三四郎はすぐ口を開いた。ほとんど発作に近い。 「佐々木が」 「佐々木さんが、あなたの所へいらしったでしょう」と言って例の白い歯を現わした。女のうしろにはさきの蝋燭立がマントルピースの左右に並んでいる。金で細工をした妙な形の台である。これを蝋燭立と見たのは三四郎の臆断で、じつはなんだかわからない。この不可思議の蝋燭立のうしろに明らかな鏡がある。光線は厚い窓掛けにさえぎられて、十分にはいらない。そのうえ天気は曇っている。三四郎はこのあいだに美禰子の白い歯を見た。 「佐々木が来ました」 「なんと言っていらっしゃいました」 「ぼくにあなたの所へ行けと言って来ました」 「そうでしょう。――それでいらしったの」とわざわざ聞いた。 「ええ」と言って少し躊躇した。あとから「まあ、そうです」と答えた。女はまったく歯を隠した。静かに席を立って、窓の所へ行って、外面をながめだした。 「曇りましたね。寒いでしょう、戸外は」 「いいえ、存外暖かい。風はまるでありません」 「そう」と言いながら席へ帰って来た。 「じつは佐々木が金を……」と三四郎から言いだした。 「わかってるの」と中途でとめた。三四郎も黙った。すると 「どうしておなくしになったの」と聞いた。 「馬券を買ったのです」  女は「まあ」と言った。まあと言ったわりに顔は驚いていない。かえって笑っている。すこしたって、「悪いかたね」とつけ加えた。三四郎は答えずにいた。 「馬券であてるのは、人の心をあてるよりむずかしいじゃありませんか。あなたは索引のついている人の心さえあててみようとなさらないのん気なかただのに」 「ぼくが馬券を買ったんじゃありません」 「あら。だれが買ったの」 「佐々木が買ったのです」  女は急に笑いだした。三四郎もおかしくなった。 「じゃ、あなたがお金がお入用じゃなかったのね。ばかばかしい」 「いることはぼくがいるのです」 「ほんとうに?」 「ほんとうに」 「だってそれじゃおかしいわね」 「だから借りなくってもいいんです」 「なぜ。おいやなの?」 「いやじゃないが、お兄いさんに黙って、あなたから借りちゃ、好くないからです」 「どういうわけで? でも兄は承知しているんですもの」 「そうですか。じゃ借りてもいい。――しかし借りないでもいい。家へそう言ってやりさえすれば、一週間ぐらいすると来ますから」 「御迷惑なら、しいて……」  美禰子は急に冷淡になった。今までそばにいたものが一町ばかり遠のいた気がする。三四郎は借りておけばよかったと思った。けれども、もうしかたがない。蝋燭立を見てすましている。三四郎は自分から進んで、ひとのきげんをとったことのない男である。女も遠ざかったぎり近づいて来ない。しばらくするとまた立ち上がった。窓から戸外をすかして見て、 「降りそうもありませんね」と言う。三四郎も同じ調子で、「降りそうもありません」と答えた。 「降らなければ、私ちょっと出て来ようかしら」と窓の所で立ったまま言う。三四郎は帰ってくれという意味に解釈した。光る絹を着換えたのも自分のためではなかった。 「もう帰りましょう」と立ち上がった。美禰子は玄関まで送って来た。沓脱へ降りて、靴をはいていると、上から美禰子が、 「そこまでごいっしょに出ましょう。いいでしょう」と言った。三四郎は靴の紐を結びながら、「ええ、どうでも」と答えた。女はいつのまにか、和土の上へ下りた。下りながら三四郎の耳のそばへ口を持ってきて、「おこっていらっしゃるの」とささやいた。ところへ下女があわてながら、送りに出て来た。  二人は半町ほど無言のまま連れだって来た。そのあいだ三四郎はしじゅう美禰子の事を考えている。この女はわがままに育ったに違いない。それから家庭にいて、普通の女性以上の自由を有して、万事意のごとくふるまうに違いない。こうして、だれの許諾も経ずに、自分といっしょに、往来を歩くのでもわかる。年寄りの親がなくって、若い兄が放任主義だから、こうもできるのだろうが、これがいなかであったらさぞ困ることだろう。この女に三輪田のお光さんのような生活を送れと言ったら、どうする気かしらん。東京はいなかと違って、万事があけ放しだから、こちらの女は、たいていこうなのかもわからないが、遠くから想像してみると、もう少しは旧式のようでもある。すると与次郎が美禰子をイブセン流と評したのもなるほどと思い当る。ただし俗礼にかかわらないところだけがイブセン流なのか、あるいは腹の底の思想までも、そうなのか。そこはわからない。  そのうち本郷の通りへ出た。いっしょに歩いている二人は、いっしょに歩いていながら、相手がどこへ行くのだか、まったく知らない。今までに横町を三つばかり曲がった。曲がるたびに、二人の足は申し合わせたように無言のまま同じ方角へ曲がった。本郷の通りを四丁目の角へ来る途中で、女が聞いた。 「どこへいらっしゃるの」 「あなたはどこへ行くんです」  二人はちょっと顔を見合わせた。三四郎はしごくまじめである。女はこらえきれずにまた白い歯をあらわした。 「いっしょにいらっしゃい」  二人は四丁目の角を切り通しの方へ折れた。三十間ほど行くと、右側に大きな西洋館がある。美禰子はその前にとまった。帯の間から薄い帳面と、印形を出して、 「お願い」と言った。 「なんですか」 「これでお金を取ってちょうだい」  三四郎は手を出して、帳面を受取った。まん中に小口当座|預金通帳とあって、横に里見美禰子殿と書いてある。三四郎は帳面と印形を持ったまま、女の顔を見て立った。 「三十円」と女が金高を言った。あたかも毎日銀行へ金を取りに行きつけた者に対する口ぶりである。さいわい、三四郎は国にいる時分、こういう帳面を持ってたびたび豊津まで出かけたことがある。すぐ石段を上って、戸をあけて、銀行の中へはいった。帳面と印形を係りの者に渡して、必要の金額を受け取って出てみると、美禰子は待っていない。もう切り通しの方へ二十間ばかり歩きだしている。三四郎は急いで追いついた。すぐ受け取ったものを渡そうとして、ポッケットへ手を入れると、美禰子が、 「丹青会の展覧会を御覧になって」と聞いた。 「まだ見ません」 「招待券を二枚もらったんですけれども、つい暇がなかったものだからまだ行かずにいたんですが、行ってみましょうか」 「行ってもいいです」 「行きましょう。もうじき閉会になりますから。私、一ぺんは見ておかないと原口さんに済まないのです」 「原口さんが招待券をくれたんですか」 「ええ。あなた原口さんを御存じなの?」 「広田先生の所で一度会いました」 「おもしろいかたでしょう。馬鹿囃子を稽古なさるんですって」 「このあいだは鼓をならいたいと言っていました。それから――」 「それから?」 「それから、あなたの肖像をかくとか言っていました。本当ですか」 「ええ、高等モデルなの」と言った。男はこれより以上に気の利いたことが言えない性質である。それで黙ってしまった。女はなんとか言ってもらいたかったらしい。  三四郎はまた隠袋へ手を入れた。銀行の通帳と印形を出して、女に渡した。金は帳面の間にはさんでおいたはずである。しかるに女が、 「お金は」と言った。見ると、間にはない。三四郎はまたポッケットを探った。中から手ずれのした札をつかみ出した。女は手を出さない。 「預かっておいてちょうだい」と言った。三四郎はいささか迷惑のような気がした。しかしこんな時に争うことを好まぬ男である。そのうえ往来だからなおさら遠慮をした。せっかく握った札をまたもとの所へ収めて、妙な女だと思った。  学生が多く通る。すれ違う時にきっと二人を見る。なかには遠くから目をつけて来る者もある。三四郎は池の端へ出るまでの道をすこぶる長く感じた。それでも電車に乗る気にはならない。二人とものそのそ歩いている。会場へ着いたのはほとんど三時近くである。妙な看板が出ている。丹青会という字も、字の周囲についている図案も、三四郎の目にはことごとく新しい。しかし熊本では見ることのできない意味で新しいので、むしろ一種異様の感がある。中はなおさらである。三四郎の目にはただ油絵と水彩画の区別が判然と映ずるくらいのものにすぎない。  それでも好悪はある。買ってもいいと思うのもある。しかし巧拙はまったくわからない。したがって鑑別力のないものと、初手からあきらめた三四郎は、いっこう口をあかない。  美禰子がこれはどうですかと言うと、そうですなという。これはおもしろいじゃありませんかと言うと、おもしろそうですなという。まるで張り合いがない。話のできないばかか、こっちを相手にしない偉い男か、どっちかにみえる。ばかとすればてらわないところに愛嬌がある。偉いとすれば、相手にならないところが憎らしい。  長い間外国を旅行して歩いた兄妹の絵がたくさんある。双方とも同じ姓で、しかも一つ所に並べてかけてある。美禰子はその一枚の前にとまった。 「ベニスでしょう」  これは三四郎にもわかった。なんだかベニスらしい。ゴンドラにでも乗ってみたい心持ちがする。三四郎は高等学校にいる時分ゴンドラという字を覚えた。それからこの字が好きになった。ゴンドラというと、女といっしょに乗らなければすまないような気がする。黙って青い水と、水と左右の高い家と、さかさに映る家の影と、影の中にちらちらする赤い片とをながめていた。すると、 「兄さんのほうがよほどうまいようですね」と美禰子が言った。三四郎にはこの意味が通じなかった。 「兄さんとは……」 「この絵は兄さんのほうでしょう」 「だれの?」  美禰子は不思議そうな顔をして、三四郎を見た。 「だって、あっちのほうが妹さんので、こっちのほうが兄さんのじゃありませんか」  三四郎は一歩退いて、今通って来た道の片側を振り返って見た。同じように外国の景色をかいたものが幾点となくかかっている。 「違うんですか」  「一人と思っていらしったの」 「ええ」と言って、ぼんやりしている。やがて二人が顔を見合わした。そうして一度に笑いだした。美禰子は、驚いたように、わざと大きな目をして、しかもいちだんと調子を落とした小声になって、 「ずいぶんね」と言いながら、一間ばかり、ずんずん先へ行ってしまった。三四郎は立ちどまったまま、もう一ぺんベニスの掘割りをながめだした。先へ抜けた女は、この時振り返った。三四郎は自分の方を見ていない。女は先へ行く足をぴたりと留めた。向こうから三四郎の横顔を熟視していた。 「里見さん」  だしぬけにだれか大きな声で呼んだ者がある。  美禰子も三四郎も等しく顔を向け直した。事務室と書いた入口を一間ばかり離れて、原口さんが立っている。原口さんのうしろに、少し重なり合って、野々宮さんが立っている。美禰子は呼ばれた原口よりは、原口より遠くの野々宮を見た。見るやいなや、二、三歩あともどりをして三四郎のそばへ来た。人に目立たぬくらいに、自分の口を三四郎の耳へ近寄せた。そうして何かささやいた。三四郎には何を言ったのか、少しもわからない。聞き直そうとするうちに、美禰子は二人の方へ引き返していった。もう挨拶をしている。野々宮は三四郎に向かって、 「妙な連と来ましたね」と言った。三四郎が何か答えようとするうちに、美禰子が、 「似合うでしょう」と言った。野々宮さんはなんとも言わなかった。くるりとうしろを向いた。うしろには畳一枚ほどの大きな絵がある。その絵は肖像画である。そうしていちめんに黒い。着物も帽子も背景から区別のできないほど光線を受けていないなかに、顔ばかり白い。顔はやせて、頬の肉が落ちている。 「模写ですね」と野々宮さんが原口さんに言った。原口は今しきりに美禰子に何か話している。――もう閉会である。来観者もだいぶ減った。開会の初めには毎日事務所へ来ていたが、このごろはめったに顔を出さない。きょうはひさしぶりに、こっちへ用があって、野々宮さんを引っ張って来たところだ。うまく出っくわしたものだ。この会をしまうと、すぐ来年の準備にかからなければならないから、非常に忙しい。いつもは花の時分に開くのだが、来年は少し会員のつごうで早くするつもりだから、ちょうど会を二つ続けて開くと同じことになる。必死の勉強をやらなければならない。それまでにぜひ美禰子の肖像をかきあげてしまうつもりである。迷惑だろうが大晦日でもかかしてくれ。 「その代りここん所へかけるつもりです」  原口さんはこの時はじめて、黒い絵の方を向いた。野々宮さんはそのあいだぽかんとして同じ絵をながめていた。 「どうです。ベラスケスは。もっとも模写ですがね。しかもあまり上できではない」と原口がはじめて説明する。野々宮さんはなんにも言う必要がなくなった。 「どなたがお写しになったの」と女が聞いた。 「三井です。三井はもっとうまいんですがね。この絵はあまり感服できない」と一、二歩さがって見た。「どうも、原画が技巧の極点に達した人のものだから、うまくいかないね」  原口は首を曲げた。三四郎は原口の首を曲げたところを見ていた。 「もう、みんな見たんですか」と画工が美禰子に聞いた。原口は美禰子にばかり話しかける。 「まだ」 「どうです。もうよして、いっしょに出ちゃ。精養軒でお茶でもあげます。なにわたしは用があるから、どうせちょっと行かなければならない。――会の事でね、マネジャーに相談しておきたい事がある。懇意の男だから。――今ちょうどお茶にいい時分です。もう少しするとね、お茶にはおそし晩餐には早し、中途はんぱになる。どうです。いっしょにいらっしゃいな」  美禰子は三四郎を見た。三四郎はどうでもいい顔をしている。野々宮は立ったまま関係しない。 「せっかく来たものだから、みんな見てゆきましょう。ねえ、小川さん」  三四郎はええと言った。 「じゃ、こうなさい。この奥の別室にね。深見さんの遺画があるから、それだけ見て、帰りに精養軒へいらっしゃい。先へ行って待っていますから」 「ありがとう」 「深見さんの水彩は普通の水彩のつもりで見ちゃいけませんよ。どこまでも深見さんの水彩なんだから。実物を見る気にならないで、深見さんの気韻を見る気になっていると、なかなかおもしろいところが出てきます」と注意して、原口は野々宮と出て行った。美禰子は礼を言ってその後影を見送った。二人は振り返らなかった。  女は歩をめぐらして、別室へはいった。男は一足あとから続いた。光線の乏しい暗い部屋である。細長い壁に一列にかかっている深見先生の遺画を見ると、なるほど原口さんの注意したごとくほとんど水彩ばかりである。三四郎が著しく感じたのは、その水彩の色が、どれもこれも薄くて、数が少なくって、対照に乏しくって、日向へでも出さないと引き立たないと思うほど地味にかいてあるという事である。その代り筆がちっとも滞っていない。ほとんど一気呵成に仕上げた趣がある。絵の具の下に鉛筆の輪郭が明らかに透いて見えるのでも、洒落な画風がわかる。人間などになると、細くて長くて、まるで殻竿のようである。ここにもベニスが一枚ある。 「これもベニスですね」と女が寄って来た。 「ええ」と言ったが、ベニスで急に思い出した。 「さっき何を言ったんですか」  女は「さっき?」と聞き返した。 「さっき、ぼくが立って、あっちのベニスを見ている時です」  女はまたまっ白な歯をあらわした。けれどもなんとも言わない。 「用でなければ聞かなくってもいいです」 「用じゃないのよ」  三四郎はまだ変な顔をしている。曇った秋の日はもう四時を越した。部屋は薄暗くなってくる。観覧人はきわめて少ない。別室のうちには、ただ男女二人の影があるのみである。女は絵を離れて、三四郎の真正面に立った。 「野々宮さん。ね、ね」 「野々宮さん……」 「わかったでしょう」  美禰子の意味は、大波のくずれるごとく一度に三四郎の胸を浸した。 「野々宮さんを愚弄したのですか」 「なんで?」  女の語気はまったく無邪気である。三四郎は忽然として、あとを言う勇気がなくなった。無言のまま二、三歩動きだした。女はすがるようについて来た。 「あなたを愚弄したんじゃないのよ」  三四郎はまた立ちどまった。三四郎は背の高い男である。上から美禰子を見おろした。 「それでいいです」 「なぜ悪いの?」 「だからいいです」  女は顔をそむけた。二人とも戸口の方へ歩いて来た。戸口を出る拍子に互いの肩が触れた。男は急に汽車で乗り合わした女を思い出した。美禰子の肉に触れたところが、夢にうずくような心持ちがした。 「ほんとうにいいの?」と美禰子が小さい声で聞いた。向こうから二、三人連の観覧者が来る。 「ともかく出ましょう」と三四郎が言った。下足を受け取って、出ると戸外は雨だ。 「精養軒へ行きますか」  美禰子は答えなかった。雨のなかをぬれながら、博物館前の広い原のなかに立った。さいわい雨は今降りだしたばかりである。そのうえ激しくはない。女は雨のなかに立って、見回しながら、向こうの森をさした。 「あの木の陰へはいりましょう」  少し待てばやみそうである。二人は大きな杉の下にはいった。雨を防ぐにはつごうのよくない木である。けれども二人とも動かない。ぬれても立っている。二人とも寒くなった。女が「小川さん」と言う。男は八の字を寄せて、空を見ていた顔を女の方へ向けた。 「悪くって? さっきのこと」 「いいです」 「だって」と言いながら、寄って来た。「私、なぜだか、ああしたかったんですもの。野々宮さんに失礼するつもりじゃないんですけれども」  女は瞳を定めて、三四郎を見た。三四郎はその瞳のなかに言葉よりも深き訴えを認めた。――必竟あなたのためにした事じゃありませんかと、二重瞼の奥で訴えている。三四郎は、もう一ぺん、 「だから、いいです」と答えた。  雨はだんだん濃くなった。雫の落ちない場所はわずかしかない。二人はだんだん一つ所へかたまってきた。肩と肩とすれ合うくらいにして立ちすくんでいた。雨の音のなかで、美禰子が、 「さっきのお金をお使いなさい」と言った。 「借りましょう。要るだけ」と答えた。 「みんな、お使いなさい」と言った。 九  与次郎が勧めるので、三四郎はとうとう精養軒の会へ出た。その時三四郎は黒い紬の羽織を着た。この羽織は、三輪田のお光さんのおっかさんが織ってくれたのを、紋付に染めて、お光さんが縫い上げたものだと、母の手紙に長い説明がある。小包みが届いた時、いちおう着てみて、おもしろくないから、戸棚へ入れておいた。それを与次郎が、もったいないからぜひ着ろ着ろと言う。三四郎が着なければ、自分が持っていって着そうな勢いであったから、つい着る気になった。着てみると悪くはないようだ。  三四郎はこのいでたちで、与次郎と二人で精養軒の玄関に立っていた。与次郎の説によると、お客はこうして迎えべきものだそうだ。三四郎はそんなこととは知らなかった。第一自分がお客のつもりでいた。こうなると、紬の羽織ではなんだか安っぽい受け付けの気がする。制服を着てくればよかったと思った。そのうち会員がだんだん来る。与次郎は来る人をつらまえてきっとなんとか話をする。ことごとく旧知のようにあしらっている。お客が帽子と外套を給仕に渡して、広い梯子段の横を、暗い廊下の方へ折れると、三四郎に向かって、今のは誰某だと教えてくれる。三四郎はおかげで知名な人の顔をだいぶ覚えた。  そのうちお客はほぼ集まった。約三十人足らずである。広田先生もいる。野々宮さんもいる。――これは理学者だけれども、絵や文学が好きだからというので、原口さんが、むりに引っ張り出したのだそうだ。原口さんはむろんいる。いちばんさきへ来て、世話を焼いたり、愛嬌を振りまいたり、フランス式の髯をつまんでみたり、万事忙しそうである。  やがて着席となった。めいめいかってな所へすわる。譲る者もなければ、争う者もない。そのうちでも広田先生はのろいにも似合わずいちばんに腰をおろしてしまった。ただ与次郎と三四郎だけがいっしょになって、入口に近く座を占めた。その他はことごとく偶然の向かい合わせ、隣同志であった。  野々宮さんと広田先生のあいだに縞の羽織を着た批評家がすわった。向こうには庄司という博士が座に着いた。これは与次郎のいわゆる文科で有力な教授である。フロックを着た品格のある男であった。髪を普通の倍以上長くしている。それが電燈の光で、黒く渦をまいて見える。広田先生の坊主頭と比べるとだいぶ相違がある。原口さんはだいぶ離れて席を取った。あちらの角だから、遠く三四郎と真向かいになる。折襟に、幅の広い黒襦子を結んださきがぱっと開いて胸いっぱいになっている。与次郎が、フランスの画工は、みんなああいう襟飾りを着けるものだと教えてくれた。三四郎は肉汁を吸いながら、まるで兵児帯の結び目のようだと考えた。そのうち談話がだんだん始まった。与次郎はビールを飲む。いつものように口をきかない。さすがの男もきょうは少々|謹んでいるとみえる。三四郎が、小さな声で、 「ちと、ダーターファブラをやらないか」と言うと、「きょうはいけない」と答えたが、すぐ横を向いて、隣の男と話を始めた。あなたの、あの論文を拝見して、大いに利益を得ましたとかなんとか礼を述べている。ところがその論文は、彼が自分の前で、さかんに罵倒したものだから、三四郎にはすこぶる不思議の思いがある。与次郎はまたこっちを向いた。 「その羽織はなかなかりっぱだ。よく似合う」と白い紋をことさら注意してながめている。その時向こうの端から、原口さんが、野々宮に話しかけた。元来が大きな声の人だから、遠くで応対するにはつごうがいい。今まで向かい合わせに言葉をかわしていた広田先生と庄司という教授は、二人の応答を途中でさえぎることを恐れて、談話をやめた。その他の人もみんな黙った。会の中心点がはじめてできあがった。 「野々宮さん光線の圧力の試験はもう済みましたか」 「いや、まだなかなかだ」 「ずいぶん手数がかかるもんだね。我々の職業も根気仕事だが、君のほうはもっと激しいようだ」 「絵はインスピレーションですぐかけるからいいが、物理の実験はそううまくはいかない」 「インスピレーションには辟易する。この夏ある所を通ったらばあさんが二人で問答をしていた。聞いてみると梅雨はもう明けたんだろうか、どうだろうかという研究なんだが、一人のばあさんが、昔は雷さえ鳴れば梅雨は明けるにきまっていたが、近ごろじゃそうはいかないとこぼしている。すると一人がどうしてどうして、雷ぐらいで明けることじゃありゃしないと憤慨していた。――絵もそのとおり、今の絵はインスピレーションぐらいでかけることじゃありゃしない。ねえ田村さん、小説だって、そうだろう」  隣に田村という小説家がすわっていた。この男は自分のインスピレーションは原稿の催促以外になんにもないと答えたので、大笑いになった。田村は、それから改まって、野々宮さんに、光線に圧力があるものか、あれば、どうして試験するかと聞きだした。野々宮さんの答はおもしろかった。――  雲母か何かで、十六武蔵ぐらいの大きさの薄い円盤を作って、水晶の糸で釣るして、真空のうちに置いて、この円盤の面へ弧光燈の光を直角にあてると、この円盤が光に圧されて動く。と言うのである。  一座は耳を傾けて聞いていた。なかにも三四郎は腹のなかで、あの福神漬の缶のなかに、そんな装置がしてあるのだろうと、上京のさい、望遠鏡で驚かされた昔を思い出した。 「君、水晶の糸があるのか」と小さい声で与次郎に聞いてみた。与次郎は頭を振っている。 「野々宮さん、水晶の糸がありますか」 「ええ、水晶の粉をね。酸水素|吹管の炎で溶かしておいて、両方の手で、左右へ引っ張ると細い糸ができるのです」  三四郎は「そうですか」と言ったぎり、引っ込んだ。今度は野々宮さんの隣にいる縞の羽織の批評家が口を出した。 「我々はそういう方面へかけると、全然無学なんですが、はじめはどうして気がついたものでしょうな」 「理論上はマクスウェル以来予想されていたのですが、それをレベデフという人がはじめて実験で証明したのです。近ごろあの彗星の尾が、太陽の方へ引きつけられべきはずであるのに、出るたびにいつでも反対の方角になびくのは光の圧力で吹き飛ばされるんじゃなかろうかと思いついた人もあるくらいです」  批評家はだいぶ感心したらしい。 「思いつきもおもしろいが、第一大きくていいですね」と言った。 「大きいばかりじゃない、罪がなくって愉快だ」と広田先生が言った。 「それでその思いつきがはずれたら、なお罪がなくっていい」と原口さんが笑っている。 「いや、どうもあたっているらしい。光線の圧力は半径の二乗に比例するが、引力のほうは半径の三乗に比例するんだから、物が小さくなればなるほど引力のほうが負けて、光線の圧力が強くなる。もし彗星の尾が非常に細かい小片からできているとすれば、どうしても太陽とは反対の方へ吹き飛ばされるわけだ」  野々宮は、ついまじめになった。すると原口が例の調子で、 「罪がない代りに、たいへん計算がめんどうになってきた。やっぱり一利一害だ」と言った。この一言で、人々はもとのとおりビールの気分に復した。広田先生が、こんな事を言う。 「どうも物理学者は自然派じゃだめのようだね」  物理学者と自然派の二字は少なからず満場の興味を刺激した。 「それはどういう意味ですか」と本人の野々宮さんが聞き出した。広田先生は説明しなければならなくなった。 「だって、光線の圧力を試験するために、目だけあけて、自然を観察していたって、だめだからさ。自然の献立のうちに、光線の圧力という事実は印刷されていないようじゃないか。だから人工的に、水晶の糸だの、真空だの、雲母だのという装置をして、その圧力が物理学者の目に見えるように仕掛けるのだろう。だから自然派じゃないよ」 「しかし浪漫派でもないだろう」と原口さんがまぜ返した。 「いや浪漫派だ」と広田先生がもったいらしく弁解した。「光線と、光線を受けるものとを、普通の自然界においては見出せないような位置関係に置くところがまったく浪漫派じゃないか」 「しかし、いったんそういう位置関係に置いた以上は、光線固有の圧力を観察するだけだから、それからあとは自然派でしょう」と野々宮さんが言った。 「すると、物理学者は浪漫的自然派ですね。文学のほうでいうと、イブセンのようなものじゃないか」と筋向こうの博士が比較を持ち出した。 「さよう、イブセンの劇は野々宮君と同じくらいな装置があるが、その装置の下に働く人物は、光線のように自然の法則に従っているか疑わしい」これは縞の羽織の批評家の言葉であった。 「そうかもしれないが、こういうことは人間の研究上記憶しておくべき事だと思う。――すなわち、ある状況のもとに置かれた人間は、反対の方向に働きうる能力と権力とを有している。ということなんだが、――ところが妙な習慣で、人間も光線も同じように器械的の法則に従って活動すると思うものだから、時々とんだ間違いができる。おこらせようと思って装置をすると、笑ったり、笑わせようともくろんでかかると、おこったり、まるで反対だ。しかしどちらにしても人間に違いない」と広田先生がまた問題を大きくしてしまった。 「じゃ、ある状況のもとに、ある人間が、どんな所作をしてもしぜんだということになりますね」と向こうの小説家が質問した。広田先生は、すぐ、 「ええ、ええ。どんな人間を、どう描いても世界に一人くらいはいるようじゃないですか」と答えた。「じっさい人間たる我々は、人間らしからざる行為動作を、どうしたって想像できるものじゃない。ただへたに書くから人間と思われないのじゃないですか」  小説家はそれで黙った。今度は博士がまた口をきいた。 「物理学者でも、ガリレオが寺院の釣りランプの一振動の時間が、振動の大小にかかわらず同じであることに気がついたり、ニュートンが林檎が引力で落ちるのを発見したりするのは、はじめから自然派ですね」 「そういう自然派なら、文学のほうでも結構でしょう。原口さん、絵のほうでも自然派がありますか」と野々宮さんが聞いた。 「あるとも。恐るべきクールベエというやつがいる。〔ve'rite' vraie.〕 なんでも事実でなければ承知しない。しかしそう猖獗を極めているものじゃない。ただ一派として存在を認められるだけさ。またそうでなくっちゃ困るからね。小説だって同じことだろう、ねえ君。やっぱりモローや、シャバンヌのようなのもいるはずだろうじゃないか」 「いるはずだ」と隣の小説家が答えた。  食後には卓上演説も何もなかった。ただ原口さんが、しきりに九段の上の銅像の悪口を言っていた。あんな銅像をむやみに立てられては、東京市民が迷惑する。それより、美しい芸者の銅像でもこしらえるほうが気が利いているという説であった。与次郎は三四郎に九段の銅像は原口さんと仲の悪い人が作ったんだと教えた。  会が済んで、外へ出るといい月であった。今夜の広田先生は庄司博士によい印象を与えたろうかと与次郎が聞いた。三四郎は与えたろうと答えた。与次郎は共同水道|栓のそばに立って、この夏、夜散歩に来て、あまり暑いからここで水を浴びていたら、巡査に見つかって、擂鉢山へ駆け上がったと話した。二人は擂鉢山の上で月を見て帰った。  帰り道に与次郎が三四郎に向かって、突然借金の言い訳をしだした。月のさえた比較的寒い晩である。三四郎はほとんど金の事などは考えていなかった。言い訳を聞くのでさえ本気ではない。どうせ返すことはあるまいと思っている。与次郎もけっして返すとは言わない。ただ返せない事情をいろいろに話す。その話し方のほうが三四郎にはよほどおもしろい。――自分の知ってるさる男が、失恋の結果、世の中がいやになって、とうとう自殺をしようと決心したが、海もいや川もいや、噴火口はなおいや、首をくくるのはもっともいやというわけで、やむをえず短銃を買ってきた。買ってきて、まだ目的を遂行しないうちに、友だちが金を借りにきた。金はないと断ったが、ぜひどうかしてくれと訴えるので、しかたなしに、大事の短銃を貸してやった。友だちはそれを質に入れて一時をしのいだ。つごうがついて、質を受け出して返しにきた時は、肝心の短銃の主はもう死ぬ気がなくなっていた。だからこの男の命は金を借りにこられたために助かったと同じ事である。 「そういう事もあるからなあ」と与次郎が言った。三四郎にはただおかしいだけである。そのほかにはなんらの意味もない。高い月を仰いで大きな声を出して笑った。金を返されないでも愉快である。与次郎は、 「笑っちゃいかん」と注意した。三四郎はなおおかしくなった。 「笑わないで、よく考えてみろ。おれが金を返さなければこそ、君が美禰子さんから金を借りることができたんだろう」  三四郎は笑うのをやめた。 「それで?」 「それだけでたくさんじゃないか。――君、あの女を愛しているんだろう」  与次郎はよく知っている。三四郎はふんと言って、また高い月を見た。月のそばに白い雲が出た。 「君、あの女には、もう返したのか」 「いいや」 「いつまでも借りておいてやれ」  のん気な事を言う。三四郎はなんとも答えなかった。しかしいつまでも借りておく気はむろんなかった。じつは必要な二十円を下宿へ払って、残りの十円をそのあくる日すぐ里見の家へ届けようと思ったが、今返してはかえって、好意にそむいて、よくないと考え直して、せっかく門内に、はいられる機会を犠牲にしてまでも引き返した。その時何かの拍子で、気がゆるんで、その十円をくずしてしまった。じつは今夜の会費もそのうちから出ている。自分ばかりではない。与次郎のもそのうちから出ている。あとには、ようやく二、三円残っている。三四郎はそれで冬シャツを買おうと思った。  じつは与次郎がとうてい返しそうもないから、三四郎は思いきって、このあいだ国元へ三十円の不足を請求した。十分な学資を月々もらっていながら、ただ不足だからといって請求するわけにはゆかない。三四郎はあまり嘘をついたことのない男だから、請求の理由にいたって困却した。しかたがないからただ友だちが金をなくして弱っていたから、つい気の毒になって貸してやった。その結果として、今度はこっちが弱るようになった。どうか送ってくれと書いた。  すぐ返事を出してくれれば、もう届く時分であるのにまだ来ない。今夜あたりはことによると来ているかもしれぬくらいに考えて、下宿へ帰ってみると、はたして、母の手蹟で書いた封筒がちゃんと机の上に乗っている。不思議なことに、いつも必ず書留で来るのが、きょうは三銭切手一枚で済ましてある。開いてみると、中はいつになく短かい。母としては不親切なくらい、用事だけで申し納めてしまった。依頼の金は野々宮さんの方へ送ったから、野々宮さんから受け取れというさしずにすぎない。三四郎は床を取ってねた。  翌日もその翌日も三四郎は野々宮さんの所へ行かなかった。野々宮さんのほうでもなんともいってこなかった。そうしているうちに一週間ほどたった。しまいに野々宮さんから、下宿の下女を使いに手紙をよこした。おっかさんから頼まれものがあるから、ちょっと来てくれろとある。三四郎は講義の隙をみて、また理科大学の穴倉へ降りていった。そこで立談のあいだに事を済ませようと思ったところが、そううまくはいかなかった。この夏は野々宮さんだけで専領していた部屋に髭のはえた人が二、三人いる。制服を着た学生も二、三人いる。それが、みんな熱心に、静粛に、頭の上の日のあたる世界をよそにして、研究をやっている。そのうちで野々宮さんはもっとも多忙に見えた。部屋の入口に顔を出した三四郎をちょっと見て、無言のまま近寄ってきた。 「国から、金が届いたから、取りに来てくれたまえ。今ここに持っていないから。それからまだほかに話す事もある」  三四郎ははあと答えた。今夜でもいいかと尋ねた。野々宮はすこしく考えていたが、しまいに思いきってよろしいと言った。三四郎はそれで穴倉を出た。出ながら、さすがに理学者は根気のいいものだと感心した。この夏見た福神漬の缶と、望遠鏡が依然としてもとのとおりの位置に備えつけてあった。  次の講義の時間に与次郎に会ってこれこれだと話すと、与次郎はばかだと言わないばかりに三四郎をながめて、 「だからいつまでも借りておいてやれと言ったのに。よけいな事をして年寄りには心配をかける。宗八さんにはお談義をされる。これくらい愚な事はない」とまるで自分から事が起こったとは認めていない申し分である。三四郎もこの問題に関しては、もう与次郎の責任を忘れてしまった。したがって与次郎の頭にかかってこない返事をした。 「いつまでも借りておくのは、いやだから、家へそう言ってやったんだ」 「君はいやでも、向こうでは喜ぶよ」 「なぜ」  このなぜが三四郎自身にはいくぶんか虚偽の響らしく聞こえた。しかし相手にはなんらの影響も与えなかったらしい。 「あたりまえじゃないか。ぼくを人にしたって、同じことだ。ぼくに金が余っているとするぜ。そうすれば、その金を君から返してもらうよりも、君に貸しておくほうがいい心持ちだ。人間はね、自分が困らない程度内で、なるべく人に親切がしてみたいものだ」  三四郎は返事をしないで、講義を筆記しはじめた。二、三行書きだすと、与次郎がまた、耳のそばへ口を持ってきた。 「おれだって、金のある時はたびたび人に貸したことがある。しかしだれもけっして返したものがない。それだからおれはこのとおり愉快だ」  三四郎はまさか、そうかとも言えなかった。薄笑いをしただけで、またペンを走らしはじめた。与次郎もそれからはおちついて、時間の終るまで口をきかなかった。  ベルが鳴って、二人肩を並べて教場を出る時、与次郎が、突然聞いた。 「あの女は君にほれているのか」  二人のあとから続々聴講生が出てくる。三四郎はやむをえず無言のまま梯子段を降りて横手の玄関から、図書館わきの空地へ出て、はじめて与次郎を顧みた。 「よくわからない」  与次郎はしばらく三四郎を見ていた。 「そういうこともある。しかしよくわかったとして、君、あの女の夫になれるか」  三四郎はいまだかつてこの問題を考えたことがなかった。美禰子に愛せられるという事実そのものが、彼女の夫たる唯一の資格のような気がしていた。言われてみると、なるほど疑問である。三四郎は首を傾けた。 「野々宮さんならなれる」と与次郎が言った。 「野々宮さんと、あの人とは何か今までに関係があるのか」  三四郎の顔は彫りつけたようにまじめであった。与次郎は一口、 「知らん」と言った。三四郎は黙っている。 「また野々宮さんの所へ行って、お談義を聞いてこい」と言いすてて、相手は池の方へ行きかけた。三四郎は愚劣の看板のごとく突っ立った。与次郎は五、六歩行ったが、また笑いながら帰ってきた。 「君、いっそ、よし子さんをもらわないか」と言いながら、三四郎を引っ張って、池の方へ連れて行った。歩きながら、あれならいい、あれならいいと、二度ほど繰り返した。そのうちまたベルが鳴った。  三四郎はその夕方野々宮さんの所へ出かけたが、時間がまだすこし早すぎるので、散歩かたがた四丁目まで来て、シャツを買いに大きな唐物屋へはいった。小僧が奥からいろいろ持ってきたのをなでてみたり、広げてみたりして、容易に買わない。わけもなく鷹揚にかまえていると、偶然美禰子とよし子が連れ立って香水を買いに来た。あらと言って挨拶をしたあとで、美禰子が、 「せんだってはありがとう」と礼を述べた。三四郎にはこのお礼の意味が明らかにわかった。美禰子から金を借りたあくる日もう一ぺん訪問して余分をすぐに返すべきところを、ひとまず見合わせた代りに、二日ばかり待って、三四郎は丁寧な礼状を美禰子に送った。  手紙の文句は、書いた人の、書いた当時の気分をすなおに表わしたものではあるが、むろん書きすぎている。三四郎はできるだけの言葉を層々と排列して感謝の意を熱烈にいたした。普通の者から見ればほとんど借金の礼状とは思われないくらいに、湯気の立ったものである。しかし感謝以外には、なんにも書いてない。それだから、自然の勢い、感謝が感謝以上になったのでもある。三四郎はこの手紙をポストに入れる時、時を移さぬ美禰子の返事を予期していた。ところがせっかくの封書はただ行ったままである。それから美禰子に会う機会はきょうまでなかった。三四郎はこの微弱なる「このあいだはありがとう」という反響に対して、はっきりした返事をする勇気も出なかった。大きなシャツを両手で目のさきへ広げてながめながら、よし子がいるからああ冷淡なんだろうかと考えた。それからこのシャツもこの女の金で買うんだなと考えた。小僧はどれになさいますと催促した。  二人の女は笑いながらそばへ来て、いっしょにシャツを見てくれた。しまいに、よし子が「これになさい」と言った。三四郎はそれにした。今度は三四郎のほうが香水の相談を受けた。いっこうわからない。ヘリオトロープと書いてある罎を持って、いいかげんに、これはどうですと言うと、美禰子が、「それにしましょう」とすぐ決めた。三四郎は気の毒なくらいであった。  表へ出て別れようとすると、女のほうが互いにお辞儀を始めた。よし子が「じゃ行ってきてよ」と言うと、美禰子が、「お早く……」と言っている。聞いてみて、妹が兄の下宿へ行くところだということがわかった。三四郎はまたきれいな女と二人連で追分の方へ歩くべき宵となった。日はまだまったく落ちていない。  三四郎はよし子といっしょに歩くよりは、よし子といっしょに野々宮の下宿で落ち合わねばならぬ機会をいささか迷惑に感じた。いっそのこと今夜は家へ帰って、また出直そうかと考えた。しかし、与次郎のいわゆるお談義を聞くには、よし子がそばにいてくれるほうが便利かもしれない。まさか人の前で、母から、こういう依頼があったと、遠慮なしの注意を与えるわけはなかろう。ことによると、ただ金を受け取るだけで済むかもわからない。――三四郎は腹の中で、ちょっとずるい決心をした。 「ぼくも野々宮さんの所へ行くところです」 「そう、お遊びに?」 「いえ、すこし用があるんです。あなたは遊びですか」 「いいえ、私も御用なの」  両方が同じようなことを聞いて、同じような答を得た。しかし両方とも迷惑を感じている気色がさらにない。三四郎は念のため、じゃまじゃないかと尋ねてみた。ちっともじゃまにはならないそうである。女は言葉でじゃまを否定したばかりではない。顔ではむしろなぜそんなことを質問するかと驚いている。三四郎は店先のガスの光で、女の黒い目の中に、その驚きを認めたと思った。事実としては、ただ大きく黒く見えたばかりである。 「バイオリンを買いましたか」 「どうして御存じ」  三四郎は返答に窮した。女は頓着なく、すぐ、こう言った。 「いくら兄さんにそう言っても、ただ買ってやる、買ってやると言うばかりで、ちっとも買ってくれなかったんですの」  三四郎は腹の中で、野々宮よりも広田よりも、むしろ与次郎を非難した。  二人は追分の通りを細い路地に折れた。折れると中に家がたくさんある。暗い道を戸ごとの軒燈が照らしている。その軒燈の一つの前にとまった。野々宮はこの奥にいる。  三四郎の下宿とはほとんど一丁ほどの距離である。野々宮がここへ移ってから、三四郎は二、三度訪問したことがある。野々宮の部屋は広い廊下を突き当って、二段ばかりまっすぐに上がると、左手に離れた二間である。南向きによその広い庭をほとんど椽の下に控えて、昼も夜も至極静かである。この離れ座敷に立てこもった野々宮さんを見た時、なるほど家を畳んで下宿をするのも悪い思いつきではなかったと、はじめて来た時から、感心したくらい、居心地のいい所である。その時野々宮さんは廊下へ下りて、下から自分の部屋の軒を見上げて、ちょっと見たまえ、藁葺だと言った。なるほど珍しく屋根に瓦を置いてなかった。  きょうは夜だから、屋根はむろん見えないが、部屋の中には電燈がついている。三四郎は電燈を見るやいなや藁葺を思い出した。そうしておかしくなった。 「妙なお客が落ち合ったな。入口で会ったのか」と野々宮さんが妹に聞いている。妹はしからざるむねを説明している。ついでに三四郎のようなシャツを買ったらよかろうと助言している。それから、このあいだのバイオリンは和製で音が悪くっていけない。買うのをこれまで延期したのだから、もうすこし良いのと買いかえてくれと頼んでいる。せめて美禰子さんくらいのなら我慢すると言っている。そのほか似たりよったりの駄々をしきりにこねている。野々宮さんはべつだんこわい顔もせず、といって、優しい言葉もかけず、ただそうかそうかと聞いている。  三四郎はこのあいだなんにも言わずにいた。よし子は愚な事ばかり述べる。かつ少しも遠慮をしない。それがばかとも思えなければ、わがままとも受け取れない。兄との応待をそばにいて聞いていると、広い日あたりのいい畑へ出たような心持ちがする。三四郎は来たるべきお談義の事をまるで忘れてしまった。その時突然驚かされた。 「ああ、わたし忘れていた。美禰子さんのお言伝があってよ」 「そうか」 「うれしいでしょう。うれしくなくって?」  野々宮さんはかゆいような顔をした。そうして、三四郎の方を向いた。 「ぼくの妹はばかですね」と言った。三四郎はしかたなしに、ただ笑っていた。 「ばかじゃないわ。ねえ、小川さん」  三四郎はまた笑っていた。腹の中ではもう笑うのがいやになった。 「美禰子さんがね、兄さんに文芸協会の演芸会に連れて行ってちょうだいって」 「里見さんといっしょに行ったらよかろう」 「御用があるんですって」 「お前も行くのか」 「むろんだわ」  野々宮さんは行くとも行かないとも答えなかった。また三四郎の方を向いて、今夜妹を呼んだのは、まじめの用があるんだのに、あんなのん気ばかり言っていて困ると話した。聞いてみると、学者だけあって、存外淡泊である。よし子に縁談の口がある。国へそう言ってやったら、両親も異存はないと返事をしてきた。それについて本人の意見をよく確かめる必要が起こったのだと言う。三四郎はただ結構ですと答えて、なるべく早く自分のほうを片づけて帰ろうとした。そこで、 「母からあなたにごめんどうを願ったそうで」と切り出した。野々宮さんは、 「なに、大してめんどうでもありませんがね」とすぐに机の引出しから、預かったものを出して、三四郎に渡した。 「おっかさんが心配して、長い手紙を書いてよこしましたよ。三四郎は余儀ない事情で月々の学資を友だちに貸したと言うが、いくら友だちだって、そうむやみに金を借りるものじゃあるまいし、よし借りたって返すはずだろうって。いなかの者は正直だから、そう思うのもむりはない。それからね、三四郎が貸すにしても、あまり貸し方が大げさだ。親から月々学資を送ってもらう身分でいながら、一度に二十円の三十円のと、人に用立てるなんて、いかにも無分別だとあるんですがね――なんだかぼくに責任があるように書いてあるから困る。……」  野々宮さんは三四郎を見て、にやにや笑っている。三四郎はまじめに、「お気の毒です」と言ったばかりである。野々宮さんは、若い者を、極めつけるつもりで言ったんでないとみえて、少し調子を変えた。 「なに、心配することはありませんよ。なんでもない事なんだから。ただおっかさんは、いなかの相場で、金の価値をつけるから、三十円がたいへん重くなるんだね。なんでも三十円あると、四人の家族が半年食っていけると書いてあったが、そんなものかな、君」と聞いた。よし子は大きな声を出して笑った。三四郎にもばかげているところがすこぶるおかしいんだが、母の言条が、まったく事実を離れた作り話でないのだから、そこに気がついた時には、なるほど軽率な事をして悪かったと少しく後悔した。 「そうすると、月に五円のわりだから、一人前一円二十五銭にあたる。それを三十日に割りつけると、四銭ばかりだが――いくらいなかでも少し安すぎるようだな」と野々宮さんが計算を立てた。 「何を食べたら、そのくらいで生きていられるでしょう」とよし子がまじめに聞きだした。三四郎も後悔する暇がなくなって、自分の知っているいなか生活のありさまをいろいろ話して聞かした。そのなかには宮籠りという慣例もあった。三四郎の家では、年に一度ずつ村全体へ十円寄付することになっている。その時には六十|戸から一人ずつ出て、その六十人が、仕事を休んで、村のお宮へ寄って、朝から晩まで、酒を飲みつづけに飲んで、ごちそうを食いつづけに食うんだという。 「それで十円」とよし子が驚いていた。お談義はこれでどこかへいったらしい。それから少し雑談をして一段落ついた時に、野々宮さんがあらためて、こう言った。 「なにしろ、おっかさんのほうではね。ぼくが一応事情を調べて、不都合がないと認めたら、金を渡してくれろ。そうしてめんどうでもその事情を知らせてもらいたいというんだが、金は事情もなんにも聞かないうちに、もう渡してしまったしと、――どうするかね。君たしかに佐々木に貸したんですね」  三四郎は美禰子からもれて、よし子に伝わって、それが野々宮さんに知れているんだと判じた。しかしその金が巡り巡ってバイオリンに変形したものとは、兄妹とも気がつかないから一種妙な感じがした。ただ「そうです」と答えておいた。 「佐々木が馬券を買って、自分の金をなくしたんだってね」 「ええ」  よし子はまた大きな声を出して笑った。 「じゃ、いいかげんにおっかさんの所へそう言ってあげよう。しかし今度から、そんな金はもう貸さないことにしたらいいでしょう」  三四郎は貸さないことにするむねを答えて、挨拶をして、立ちかけると、よし子も、もう帰ろうと言い出した。 「さっきの話をしなくっちゃ」と兄が注意した。 「よくってよ」と妹が拒絶した。 「よくはないよ」 「よくってよ。知らないわ」  兄は妹の顔を見て黙っている。妹は、またこう言った。 「だってしかたがないじゃ、ありませんか。知りもしない人の所へ、行くか行かないかって、聞いたって。好きでもきらいでもないんだから、なんにも言いようはありゃしないわ。だから知らないわ」  三四郎は知らないわの本意をようやく会得した。兄妹をそのままにして急いで表へ出た。  人の通らない軒燈ばかり明らかな路地を抜けて表へ出ると、風が吹く。北へ向き直ると、まともに顔へ当る。時を切って、自分の下宿の方から吹いてくる。その時三四郎は考えた。この風の中を、野々宮さんは、妹を送って里見まで連れていってやるだろう。  下宿の二階へ上って、自分の部屋へはいって、すわってみると、やっぱり風の音がする。三四郎はこういう風の音を聞くたびに、運命という字を思い出す。ごうと鳴ってくるたびにすくみたくなる。自分ながらけっして強い男とは思っていない。考えると、上京以来自分の運命はたいがい与次郎のためにこしらえられている。しかも多少の程度において、和気|靄然たる翻弄を受けるようにこしらえられている。与次郎は愛すべき悪戯者である。向後もこの愛すべき悪戯者のために、自分の運命を握られていそうに思う。風がしきりに吹く。たしかに与次郎以上の風である。  三四郎は母から来た三十円を枕元へ置いて寝た。この三十円も運命の翻弄が生んだものである。この三十円がこれからさきどんな働きをするか、まるでわからない。自分はこれを美禰子に返しに行く。美禰子がこれを受け取る時に、また一煽り来るにきまっている。三四郎はなるべく大きく来ればいいと思った。  三四郎はそれなり寝ついた。運命も与次郎も手を下しようのないくらいすこやかな眠りに入った。すると半鐘の音で目がさめた。どこかで人声がする。東京の火事はこれで二へん目である。三四郎は寝巻の上へ羽織を引っかけて、窓をあけた。風はだいぶ落ちている。向こうの二階屋が風の鳴る中に、まっ黒に見える。家が黒いほど、家のうしろの空は赤かった。  三四郎は寒いのを我慢して、しばらくこの赤いものを見つめていた。その時三四郎の頭には運命がありありと赤く映った。三四郎はまた暖かい蒲団の中にもぐり込んだ。そうして、赤い運命の中で狂い回る多くの人の身の上を忘れた。  夜が明ければ常の人である。制服をつけて、ノートを持って、学校へ出た。ただ三十円を懐にすることだけは忘れなかった。あいにく時間割のつごうが悪い。三時までぎっしり詰まっている。三時過ぎに行けば、よし子も学校から帰って来ているだろう。ことによれば里見恭助という兄も在宅かもしれない。人がいては、金を返すのが、まったくだめのような気がする。  また与次郎が話しかけた。 「ゆうべはお談義を聞いたか」 「なにお談義というほどでもない」 「そうだろう、野々宮さんは、あれで理由のわかった人だからな」と言ってどこかへ行ってしまった。二時間後の講義の時にまた出会った。 「広田先生のことは大丈夫うまくいきそうだ」と言う。どこまで事が運んだか聞いてみると、 「いや心配しないでもいい。いずれゆっくり話す。先生が君がしばらく来ないと言って、聞いていたぜ。時々行くがいい。先生は一人ものだからな。我々が慰めてやらんと、いかん。今度何か買って来い」と言いっぱなして、それなり消えてしまった。すると、次の時間にまたどこからか現われた。今度はなんと思ったか、講義の最中に、突然、 「金受け取ったりや」と電報のようなものを白紙へ書いて出した。三四郎は返事を書こうと思って、教師の方を見ると、教師がちゃんとこっちを見ている。白紙を丸めて足の下へなげた。講義が終るのを待って、はじめて返事をした。 「金は受け取った、ここにある」 「そうかそれはよかった。返すつもりか」 「むろん返すさ」 「それがよかろう。はやく返すがいい」 「きょう返そうと思う」 「うん昼過ぎおそくならいるかもしれない」 「どこかへ行くのか」 「行くとも、毎日毎日絵にかかれに行く。もうよっぽどできたろう」 「原口さんの所か」 「うん」  三四郎は与次郎から原口さんの宿所を聞きとった。 一〇  広田先生が病気だというから、三四郎が見舞いに来た。門をはいると、玄関に靴が一足そろえてある。医者かもしれないと思った。いつものとおり勝手口へ回るとだれもいない。のそのそ上がり込んで茶の間へ来ると、座敷で話し声がする。三四郎はしばらくたたずんでいた。手にかなり大きな風呂敷包みをさげている。中には樽柿がいっぱいはいっている。今度来る時は、何か買ってこいと、与次郎の注意があったから、追分の通りで買って来た。すると座敷のうちで、突然どたりばたりという音がした。だれか組打ちを始めたらしい。三四郎は必定喧嘩と思い込んだ。風呂敷包みをさげたまま、仕切りの唐紙を鋭どく一尺ばかりあけてきっとのぞきこんだ。広田先生が茶の袴をはいた大きな男に組み敷かれている。先生は俯伏しの顔をきわどく畳から上げて、三四郎を見たが、にやりと笑いながら、 「やあ、おいで」と言った。上の男はちょっと振り返ったままである。 「先生、失礼ですが、起きてごらんなさい」と言う。なんでも先生の手を逆に取って、肘の関節を表から、膝頭で押さえているらしい。先生は下から、とうてい起きられないむねを答えた。上の男は、それで、手を離して、膝を立てて、袴の襞を正しく、いずまいを直した。見ればりっぱな男である。先生もすぐ起き直った。 「なるほど」と言っている。 「あの流でいくと、むりに逆らったら、腕を折る恐れがあるから、危険です」  三四郎はこの問答で、はじめて、この両人の今何をしていたかを悟った。 「御病気だそうですが、もうよろしいんですか」 「ええ、もうよろしい」  三四郎は風呂敷包みを解いて、中にあるものを、二人の間に広げた。 「柿を買って来ました」  広田先生は書斎へ行って、ナイフを取って来る。三四郎は台所から包丁を持って来た。三人で柿を食いだした。食いながら、先生と知らぬ男はしきりに地方の中学の話を始めた。生活難の事、紛擾の事、一つ所に長くとまっていられぬ事、学科以外に柔術の教師をした事、ある教師は、下駄の台を買って、鼻緒は古いのを、すげかえて、用いられるだけ用いるぐらいにしている事、今度辞職した以上は、容易に口が見つかりそうもない事、やむをえず、それまで妻を国元へ預けた事――なかなか尽きそうもない。  三四郎は柿の核を吐き出しながら、この男の顔を見ていて、情けなくなった。今の自分と、この男と比較してみると、まるで人種が違うような気がする。この男の言葉のうちには、もう一ぺん学生生活がしてみたい。学生生活ほど気楽なものはないという文句が何度も繰り返された。三四郎はこの文句を聞くたびに、自分の寿命もわずか二、三年のあいだなのかしらんと、ぼんやり考えはじめた。与次郎と蕎麦などを食う時のように、気がさえない。  広田先生はまた立って書斎に入った。帰った時は、手に一巻の書物を持っていた。表紙が赤黒くって、切り口の埃でよごれたものである。 「これがこのあいだ話したハイドリオタフヒア。退屈なら見ていたまえ」  三四郎は礼を述べて書物を受け取った。 「寂寞の罌粟花を散らすやしきりなり。人の記念に対しては、永劫に価するといなとを問うことなし」という句が目についた。先生は安心して柔術の学士と談話をつづける。――中学教師などの生活状態を聞いてみると、みな気の毒なものばかりのようだが、真に気の毒と思うのは当人だけである。なぜというと、現代人は事実を好むが、事実に伴なう情操は切り捨てる習慣である。切り捨てなければならないほど世間が切迫しているのだからしかたがない。その証拠には新聞を見るとわかる。新聞の社会記事は十の九まで悲劇である。けれども我々はこの悲劇を悲劇として味わう余裕がない。ただ事実の報道として読むだけである。自分の取る新聞などは、死人何十人と題して、一日に変死した人間の年齢、戸籍、死因を六号活字で一行ずつに書くことがある。簡潔明瞭の極である。また泥棒早見という欄があって、どこへどんな泥棒がはいったか、一目にわかるように泥棒がかたまっている。これも至極便利である。すべてが、この調子と思わなくっちゃいけない。辞職もそのとおり。当人には悲劇に近いでき事かもしれないが、他人にはそれほど痛切な感じを与えないと覚悟しなければなるまい。そのつもりで運動したらよかろう。 「だって先生くらい余裕があるなら、少しは痛切に感じてもよさそうなものだが」と柔術の男がまじめな顔をして言った。この時は広田先生も三四郎も、そう言った当人も一度に笑った。この男がなかなか帰りそうもないので三四郎は、書物を借りて、勝手から表へ出た。 「朽ちざる墓に眠り、伝わる事に生き、知らるる名に残り、しからずば滄桑の変に任せて、後の世に存せんと思う事、昔より人の願いなり。この願いのかなえるとき、人は天国にあり。されども真なる信仰の教法よりみれば、この願いもこの満足も無きがごとくにはかなきものなり。生きるとは、再の我に帰るの意にして、再の我に帰るとは、願いにもあらず、望みにもあらず、気高き信者の見たるあからさまなる事実なれば、聖徒イノセントの墓地に横たわるは、なおエジプトの砂中にうずまるがごとし。常住の我身を観じ喜べば、六尺の狭きもアドリエーナスの大廟と異なる所あらず。成るがままに成るとのみ覚悟せよ」  これはハイドリオタフヒアの末節である。三四郎はぶらぶら白山の方へ歩きながら、往来の中で、この一節を読んだ。広田先生から聞くところによると、この著者は有名な名文家で、この一編は名文家の書いたうちの名文であるそうだ。広田先生はその話をした時に、笑いながら、もっともこれは私の説じゃないよと断わられた。なるほど三四郎にもどこが名文だかよくわからない。ただ句切りが悪くって、字づかいが異様で、言葉の運び方が重苦しくって、まるで古いお寺を見るような心持ちがしただけである。この一節だけ読むにも道程にすると、三、四町もかかった。しかもはっきりとはしない。  贏ちえたところは物|寂びている。奈良の大仏の鐘をついて、そのなごりの響が、東京にいる自分の耳にかすかに届いたと同じことである。三四郎はこの一節のもたらす意味よりも、その意味の上に這いかかる情緒の影をうれしがった。三四郎は切実に生死の問題を考えたことのない男である。考えるには、青春の血が、あまりに暖かすぎる。目の前には眉を焦がすほどな大きな火が燃えている。その感じが、真の自分である。三四郎はこれから曙町の原口の所へ行く。  子供の葬式が来た。羽織を着た男がたった二人ついている。小さい棺はまっ白な布で巻いてある。そのそばにきれいな風車を結いつけた。車がしきりに回る。車の羽弁が五色に塗ってある。それが一色になって回る。白い棺はきれいな風車を絶え間なく動かして、三四郎の横を通り越した。三四郎は美しい弔いだと思った。  三四郎は人の文章と、人の葬式をよそから見た。もしだれか来て、ついでに美禰子をよそから見ろと注意したら、三四郎は驚いたに違いない。三四郎は美禰子をよそから見ることができないような目になっている。第一よそもよそでないもそんな区別はまるで意識していない。ただ事実として、ひとの死に対しては、美しい穏やかな味わいがあるとともに、生きている美禰子に対しては、美しい享楽の底に、一種の苦悶がある。三四郎はこの苦悶を払おうとして、まっすぐに進んで行く。進んで行けば苦悶がとれるように思う。苦悶をとるために一足わきへのくことは夢にも案じえない。これを案じえない三四郎は、現に遠くから、寂滅の会を文字の上にながめて、夭折の哀れを、三尺の外に感じたのである。しかも、悲しいはずのところを、快くながめて、美しく感じたのである。  曙町へ曲がると大きな松がある。この松を目標に来いと教わった。松の下へ来ると、家が違っている。向こうを見るとまた松がある。その先にも松がある。松がたくさんある。三四郎は好い所だと思った。多くの松を通り越して左へ折れると、生垣にきれいな門がある。はたして原口という標札が出ていた。その標札は木理の込んだ黒っぽい板に、緑の油で名前を派手に書いたものである。字だか模様だかわからないくらい凝っている。門から玄関まではからりとしてなんにもない。左右に芝が植えてある。  玄関には美禰子の下駄がそろえてあった。鼻緒の二本が右左で色が違う。それでよく覚えている。今仕事中だが、よければ上がれと言う小女の取次ぎについて、画室へはいった。広い部屋である。細長く南北にのびた床の上は、画家らしく、取り乱れている。まず一部分には絨毯が敷いてある。それが部屋の大きさに比べると、まるで釣り合いが取れないから、敷物として敷いたというよりは、色のいい、模様の雅な織物としてほうり出したように見える。離れて向こうに置いた大きな虎の皮もそのとおり、すわるための、設けの座とは受け取れない。絨毯とは不調和な位置に筋かいに尾を長くひいている。砂を練り固めたような大きな甕がある。その中から矢が二本出ている。鼠色の羽根と羽根の間が金箔で強く光る。そのそばに鎧もあった。三四郎は卯の花縅しというのだろうと思った。向こう側のすみにぱっと目を射るものがある。紫の裾模様の小袖に金糸の刺繍が見える。袖から袖へ幔幕の綱を通して、虫干の時のように釣るした。袖は丸くて短かい。これが元禄かと三四郎も気がついた。そのほかには絵がたくさんある。壁にかけたのばかりでも大小合わせるとよほどになる。額縁をつけない下絵というようなものは、重ねて巻いた端が、巻きくずれて、小口をしだらなくあらわした。  描かれつつある人の肖像は、この彩色の目を乱す間にある。描かれつつある人は、突き当りの正面に団扇をかざして立った。描く男は丸い背をぐるりと返して、パレットを持ったまま、三四郎に向かった。口に太いパイプをくわえている。 「やって来たね」と言ってパイプを口から取って、小さい丸テーブルの上に置いた。マッチと灰皿がのっている。椅子もある。 「かけたまえ。――あれだ」と言って、かきかけた画布の方を見た。長さは六尺もある。三四郎はただ、 「なるほど大きなものですな」と言った。原口さんは、耳にも留めないふうで、 「うん、なかなか」とひとりごとのように、髪の毛と、背景の境の所を塗りはじめた。三四郎はこの時ようやく美禰子の方を見た。すると女のかざした団扇の陰で、白い歯がかすかに光った。  それから二、三分はまったく静かになった。部屋は暖炉で暖めてある。きょうは外面でも、そう寒くはない。風は死に尽した。枯れた木が音なく冬の日に包まれて立っている。三四郎は画室へ導かれた時、霞の中へはいったような気がした。丸テーブルに肱を持たして、この静かさの夜にまさる境に、はばかりなき精神をおぼれしめた。この静かさのうちに、美禰子がいる。美禰子の影が次第にでき上がりつつある。肥った画工の画筆だけが動く。それも目に動くだけで、耳には静かである。肥った画工も動くことがある。しかし足音はしない。  静かなものに封じ込められた美禰子はまったく動かない。団扇をかざして立った姿そのままがすでに絵である。三四郎から見ると、原口さんは、美禰子を写しているのではない。不可思議に奥行きのある絵から、精出して、その奥行きだけを落として、普通の絵に美禰子を描き直しているのである。にもかかわらず第二の美禰子は、この静かさのうちに、次第と第一に近づいてくる。三四郎には、この二人の美禰子の間に、時計の音に触れない、静かな長い時間が含まれているように思われた。その時間が画家の意識にさえ上らないほどおとなしくたつにしたがって、第二の美禰子がようやく追いついてくる。もう少しで双方がぴたりと出合って一つに収まるというところで、時の流れが急に向きを換えて永久の中に注いでしまう。原口さんの画筆はそれより先には進めない。三四郎はそこまでついて行って、気がついて、ふと美禰子を見た。美禰子は依然として動かずにいる。三四郎の頭はこの静かな空気のうちで覚えず動いていた。酔った心持ちである。すると突然原口さんが笑いだした。 「また苦しくなったようですね」  女はなんにも言わずに、すぐ姿勢をくずして、そばに置いた安楽椅子へ落ちるようにとんと腰をおろした。その時白い歯がまた光った。そうして動く時の袖とともに三四郎を見た。その目は流星のように三四郎の眉間を通り越していった。  原口さんは丸テーブルのそばまで来て、三四郎に、 「どうです」と言いながら、マッチをすってさっきのパイプに火をつけて、再び口にくわえた。大きな木の雁首を指でおさえて、二吹きばかり濃い煙を髭の中から出したが、やがてまた丸い背中を向けて絵に近づいた。かってなところを自由に塗っている。  絵はむろん仕上がっていないものだろう。けれどもどこもかしこもまんべんなく絵の具が塗ってあるから、素人の三四郎が見ると、なかなかりっぱである。うまいかまずいかむろんわからない。技巧の批評のできない三四郎には、ただ技巧のもたらす感じだけがある。それすら、経験がないから、すこぶる正鵠を失しているらしい。芸術の影響に全然無頓着な人間でないとみずからを証拠立てるだけでも三四郎は風流人である。  三四郎が見ると、この絵はいったいにぱっとしている。なんだかいちめんに粉が吹いて、光沢のない日光にあたったように思われる。影の所でも黒くはない。むしろ薄い紫が射している。三四郎はこの絵を見て、なんとなく軽快な感じがした。浮いた調子は猪牙船に乗った心持ちがある。それでもどこかおちついている。けんのんでない。苦ったところ、渋ったところ、毒々しいところはむろんない。三四郎は原口さんらしい絵だと思った。すると原口さんは無造作に画筆を使いながら、こんなことを言う。 「小川さんおもしろい話がある。ぼくの知った男にね、細君がいやになって離縁を請求した者がある。ところが細君が承知をしないで、私は縁あって、この家へかたづいたものですから、たといあなたがおいやでも私はけっして出てまいりません」  原口さんはそこでちょっと絵を離れて、画筆の結果をながめていたが、今度は、美禰子に向かって、 「里見さん。あなたが単衣を着てくれないものだから、着物がかきにくくって困る。まるでいいかげんにやるんだから、少し大胆すぎますね」 「お気の毒さま」と美禰子が言った。  原口さんは返事もせずにまた画面へ近寄った。「それでね、細君のお尻が離縁するにはあまり重くあったものだから、友人が細君に向かって、こう言ったんだとさ。出るのがいやなら、出ないでもいい。いつまでも家にいるがいい。その代りおれのほうが出るから。――里見さんちょっと立ってみてください。団扇はどうでもいい。ただ立てば。そう。ありがとう。――細君が、私が家におっても、あなたが出ておしまいになれば、後が困るじゃありませんかと言うと、なにかまわないさ、お前はかってに入夫でもしたらよかろうと答えたんだって」 「それから、どうなりました」と三四郎が聞いた。原口さんは、語るに足りないと思ったものか、まだあとをつけた。 「どうもならないのさ。だから結婚は考え物だよ。離合集散、ともに自由にならない。広田先生を見たまえ、野々宮さんを見たまえ、里見恭助君を見たまえ、ついでにぼくを見たまえ。みんな結婚をしていない。女が偉くなると、こういう独身ものがたくさんできてくる。だから社会の原則は、独身ものが、できえない程度内において、女が偉くならなくっちゃだめだね」 「でも兄は近々結婚いたしますよ」 「おや、そうですか。するとあなたはどうなります」 「存じません」  三四郎は美禰子を見た。美禰子も三四郎を見て笑った。原口さんだけは絵に向いている。「存じません。存じません――じゃ」と画筆を動かした。  三四郎はこの機会を利用して、丸テーブルの側を離れて、美禰子の傍へ近寄った。美禰子は椅子の背に、油気のない頭を、無造作に持たせて、疲れた人の、身繕いに心なきなげやりの姿である。あからさまに襦袢の襟から咽喉首が出ている。椅子には脱ぎ捨てた羽織をかけた。廂髪の上にきれいな裏が見える。  三四郎は懐に三十円入れている。この三十円が二人の間にある、説明しにくいものを代表している。――と三四郎は信じた。返そうと思って、返さなかったのもこれがためである。思いきって、今返そうとするのもこれがためである。返すと用がなくなって、遠ざかるか、用がなくなっても、いっそう近づいて来るか、――普通の人から見ると、三四郎は少し迷信家の調子を帯びている。 「里見さん」と言った。 「なに」と答えた。仰向いて下から三四郎を見た。顔をもとのごとくにおちつけている。目だけは動いた。それも三四郎の真正面で穏やかにとまった。三四郎は女を多少疲れていると判じた。 「ちょうどついでだから、ここで返しましょう」と言いながら、ボタンを一つはずして、内懐へ手を入れた。  女はまた、 「なに」と繰り返した。もとのとおり、刺激のない調子である。内懐へ手を入れながら、三四郎はどうしようと考えた。やがて思いきった。 「このあいだの金です」 「今くだすってもしかたがないわ」  女は下から見上げたままである。手も出さない。からだも動かさない。顔も元のところにおちつけている。男は女の返事さえよくは解しかねた。その時、 「もう少しだから、どうです」と言う声がうしろで聞こえた。見ると、原口さんがこっちを向いて立っている。画筆を指の股にはさんだまま、三角に刈り込んだ髯の先を引っ張って笑った。美禰子は両手を椅子の肘にかけて、腰をおろしたなり、頭と背をまっすぐにのばした。三四郎は小さな声で、 「まだよほどかかりますか」と聞いた。 「もう一時間ばかり」と美禰子も小さな声で答えた。三四郎はまた丸テーブルに帰った。女はもう描かるべき姿勢を取った。原口さんはまたパイプをつけた。画筆はまた動きだす。背を向けながら、原口さんがこう言った。 「小川さん。里見さんの目を見てごらん」  三四郎は言われたとおりにした。美禰子は突然額から団扇を放して、静かな姿勢を崩した。横を向いてガラス越しに庭をながめている。 「いけない。横を向いてしまっちゃ、いけない。今かきだしたばかりだのに」 「なぜよけいな事をおっしゃる」と女は正面に帰った。原口さんは弁解をする。 「ひやかしたんじゃない。小川さんに話す事があったんです」 「何を」 「これから話すから、まあ元のとおりの姿勢に復してください。そう。もう少し肱を前へ出して。それで小川さん、ぼくの描いた目が、実物の表情どおりできているかね」 「どうもよくわからんですが。いったいこうやって、毎日毎日描いているのに、描かれる人の目の表情がいつも変らずにいるものでしょうか」 「それは変るだろう。本人が変るばかりじゃない、画工のほうの気分も毎日変るんだから、本当を言うと、肖像画が何枚でもできあがらなくっちゃならないわけだが、そうはいかない。またたった一枚でかなりまとまったものができるから不思議だ。なぜといって見たまえ……」  原口さんはこのあいだしじゅう筆を使っている。美禰子の方も見ている。三四郎は原口さんの諸機関が一度に働くのを目撃して恐れ入った。 「こうやって毎日描いていると、毎日の量が積もり積もって、しばらくするうちに、描いている絵に一定の気分ができてくる。だから、たといほかの気分で戸外から帰って来ても、画室へはいって、絵に向かいさえすれば、じきに一種一定の気分になれる。つまり絵の中の気分が、こっちへ乗り移るのだね。里見さんだって同じ事だ。しぜんのままにほうっておけばいろいろの刺激でいろいろの表情になるにきまっているんだが、それがじっさい絵のうえへ大した影響を及ぼさないのは、ああいう姿勢や、こういう乱雑な鼓だとか、鎧だとか、虎の皮だとかいう周囲のものが、しぜんに一種一定の表情を引き起こすようになってきて、その習慣が次第にほかの表情を圧迫するほど強くなるから、まあたいていなら、この目つきをこのままで仕上げていけばいいんだね。それに表情といったって……」  原口さんは突然黙った。どこかむずかしいところへきたとみえる。二足ばかり立ちのいて、美禰子と絵をしきりに見比べている。 「里見さん、どうかしましたか」と聞いた。 「いいえ」  この答は美禰子の口から出たとは思えなかった。美禰子はそれほど静かに姿勢をくずさずにいる。 「それに表情といったって」と原口さんがまた始めた。「画工はね、心を描くんじゃない。心が外へ見世を出しているところを描くんだから、見世さえ手落ちなく観察すれば、身代はおのずからわかるものと、まあ、そうしておくんだね。見世でうかがえない身代は画工の担任区域以外とあきらめべきものだよ。だから我々は肉ばかり描いている。どんな肉を描いたって、霊がこもらなければ、死肉だから、絵として通用しないだけだ。そこでこの里見さんの目もね。里見さんの心を写すつもりで描いているんじゃない。ただ目として描いている。この目が気に入ったから描いている。この目の恰好だの、二重瞼の影だの、眸の深さだの、なんでもぼくに見えるところだけを残りなく描いてゆく。すると偶然の結果として、一種の表情が出てくる。もし出てこなければ、ぼくの色の出しぐあいが悪かったか、恰好の取り方がまちがっていたか、どっちかになる。現にあの色あの形そのものが一種の表情なんだからしかたがない」  原口さんは、この時また二足ばかりあとへさがって、美禰子と絵とを見比べた。 「どうも、きょうはどうかしているね。疲れたんでしょう。疲れたら、もうよしましょう。――疲れましたか」 「いいえ」  原口さんはまた絵へ近寄った。 「それで、ぼくがなぜ里見さんの目を選んだかというとね。まあ話すから聞きたまえ。西洋画の女の顔を見ると、だれのかいた美人でも、きっと大きな目をしている。おかしいくらい大きな目ばかりだ。ところが日本では観音様をはじめとして、お多福、能の面、もっとも著しいのは浮世絵にあらわれた美人、ことごとく細い。みんな象に似ている。なぜ東西で美の標準がこれほど違うかと思うと、ちょっと不思議だろう。ところがじつはなんでもない。西洋には目の大きいやつばかりいるから、大きい目のうちで、美的|淘汰が行なわれる。日本は鯨の系統ばかりだから――ピエルロチーという男は、日本人の目は、あれでどうしてあけるだろうなんてひやかしている。――そら、そういう国柄だから、どうしたって材料の少ない大きな目に対する審美眼が発達しようがない。そこで選択の自由のきく細い目のうちで、理想ができてしまったのが、歌麿になったり、祐信になったりして珍重がられている。しかしいくら日本的でも、西洋画には、ああ細いのは盲目をかいたようでみっともなくっていけない。といって、ラファエルの聖母のようなのは、てんでありゃしないし、あったところが日本人とは言われないから、そこで里見さんを煩わすことになったのさ。里見さんもう少しですよ」  答はなかった。美禰子はじっとしている。  三四郎はこの画家の話をはなはだおもしろく感じた。とくに話だけ聞きに来たのならばなお幾倍の興味を添えたろうにと思った。三四郎の注意の焦点は、今、原口さんの話のうえにもない、原口さんの絵のうえにもない。むろん向こうに立っている美禰子に集まっている。三四郎は画家の話に耳を傾けながら、目だけはついに美禰子を離れなかった。彼の目に映じた女の姿勢は、自然の経過を、もっとも美しい刹那に、捕虜にして動けなくしたようである。変らないところに、長い慰謝がある。しかるに原口さんが突然首をひねって、女にどうかしましたかと聞いた。その時三四郎は、少し恐ろしくなったくらいである。移りやすい美しさを、移さずにすえておく手段が、もう尽きたと画家から注意されたように聞こえたからである。  なるほどそう思って見ると、どうかしているらしくもある。色光沢がよくない。目尻にたえがたいものうさが見える。三四郎はこの活人画から受ける安慰の念を失った。同時にもしや自分がこの変化の原因ではなかろうかと考えついた。たちまち強烈な個性的の刺激が三四郎の心をおそってきた。移り行く美をはかなむという共通性の情緒はまるで影をひそめてしまった。――自分はそれほどの影響をこの女のうえに有しておる。――三四郎はこの自覚のもとにいっさいの己を意識した。けれどもその影響が自分にとって、利益か不利益かは未決の問題である。  その時原口さんが、とうとう筆をおいて、 「もうよそう。きょうはどうしてもだめだ」と言いだした。美禰子は持っていた団扇を、立ちながら床の上に落とした。椅子にかけた羽織を取って着ながら、こちらへ寄って来た。 「きょうは疲れていますね」 「私?」と羽織の裄をそろえて、紐を結んだ。 「いやじつはぼくも疲れた。またあした天気のいい時にやりましょう。まあお茶でも飲んでゆっくりなさい」  夕暮れには、まだ間があった。けれども美禰子は少し用があるから帰るという。三四郎も留められたが、わざと断って、美禰子といっしょに表へ出た。日本の社会状態で、こういう機会を、随意に造ることは、三四郎にとって困難である。三四郎はなるべくこの機会を長く引き延ばして利用しようと試みた。それで比較的人の通らない、閑静な曙町を一回り散歩しようじゃないかと女をいざなってみた。ところが相手は案外にも応じなかった。一直線に生垣の間を横切って、大通りへ出た。三四郎は、並んで歩きながら、 「原口さんもそう言っていたが、本当にどうかしたんですか」と聞いた。 「私?」と美禰子がまた言った。原口さんに答えたと同じことである。三四郎が美禰子を知ってから、美禰子はかつて、長い言葉を使ったことがない。たいていの応対は一句か二句で済ましている。しかもはなはだ簡単なものにすぎない。それでいて、三四郎の耳には一種の深い響を与える。ほとんど他の人からは、聞きうることのできない色が出る。三四郎はそれに敬服した。それを不思議がった。 「私?」と言った時、女は顔を半分ほど三四郎の方へ向けた。そうして二重瞼の切れ目から男を見た。その目には暈がかかっているように思われた。いつになく感じがなまぬるくきた。頬の色も少し青い。 「色が少し悪いようです」 「そうですか」  二人は五、六歩無言で歩いた。三四郎はどうともして、二人のあいだにかかった薄い幕のようなものを裂き破りたくなった。しかしなんといったら破れるか、まるで分別が出なかった。小説などにある甘い言葉は使いたくない。趣味のうえからいっても、社交上若い男女の習慣としても、使いたくない。三四郎は事実上不可能の事を望んでいる。望んでいるばかりではない。歩きながら工夫している。  やがて、女のほうから口をききだした。 「きょう何か原口さんに御用がおありだったの」 「いいえ、用事はなかったです」 「じゃ、ただ遊びにいらしったの」 「いいえ、遊びに行ったんじゃありません」 「じゃ、なんでいらしったの」  三四郎はこの瞬間を捕えた。 「あなたに会いに行ったんです」  三四郎はこれで言えるだけの事をことごとく言ったつもりである。すると、女はすこしも刺激に感じない、しかも、いつものごとく男を酔わせる調子で、 「お金は、あすこじゃいただけないのよ」と言った。三四郎はがっかりした。  二人はまた無言で五、六間来た。三四郎は突然口を開いた。 「本当は金を返しに行ったのじゃありません」  美禰子はしばらく返事をしなかった。やがて、静かに言った。 「お金は私もいりません。持っていらっしゃい」  三四郎は堪えられなくなった。急に、 「ただ、あなたに会いたいから行ったのです」と言って、横に女の顔をのぞきこんだ。女は三四郎を見なかった。その時三四郎の耳に、女の口をもれたかすかなため息が聞こえた。 「お金は……」 「金なんぞ……」  二人の会話は双方とも意味をなさないで、途中で切れた。それなりで、また小半町ほど来た。今度は女から話しかけた。 「原口さんの絵を御覧になって、どうお思いなすって」  答え方がいろいろあるので、三四郎は返事をせずに少しのあいだ歩いた。 「あんまりでき方が早いのでお驚きなさりゃしなくって」 「ええ」と言ったが、じつははじめて気がついた。考えると、原口が広田先生の所へ来て、美禰子の肖像をかく意志をもらしてから、まだ一か月ぐらいにしかならない。展覧会で直接に美禰子に依頼していたのは、それよりのちのことである。三四郎は絵の道に暗いから、あんな大きな額が、どのくらいな速度で仕上げられるものか、ほとんど想像のほかにあったが、美禰子から注意されてみると、あまり早くできすぎているように思われる。 「いつから取りかかったんです」 「本当に取りかかったのは、ついこのあいだですけれども、そのまえから少しずつ描いていただいていたんです」 「そのまえって、いつごろからですか」 「あの服装でわかるでしょう」  三四郎は突然として、はじめて池の周囲で美禰子に会った暑い昔を思い出した。 「そら、あなた、椎の木の下にしゃがんでいらしったじゃありませんか」 「あなたは団扇をかざして、高い所に立っていた」 「あの絵のとおりでしょう」 「ええ。あのとおりです」  二人は顔を見合わした。もう少しで白山の坂の上へ出る。  向こうから車がかけて来た。黒い帽子をかぶって、金縁の眼鏡を掛けて、遠くから見ても色|光沢のいい男が乗っている。この車が三四郎の目にはいった時から、車の上の若い紳士は美禰子の方を見つめているらしく思われた。二、三間先へ来ると、車を急にとめた。前掛けを器用にはねのけて、蹴込みから飛び降りたところを見ると、背のすらりと高い細面のりっぱな人であった。髪をきれいにすっている。それでいて、まったく男らしい。 「今まで待っていたけれども、あんまりおそいから迎えに来た」と美禰子のまん前に立った。見おろして笑っている。 「そう、ありがとう」と美禰子も笑って、男の顔を見返したが、その目をすぐ三四郎の方へ向けた。 「どなた」と男が聞いた。 「大学の小川さん」と美禰子が答えた。  男は軽く帽子を取って、向こうから挨拶をした。 「はやく行こう。にいさんも待っている」  いいぐあいに三四郎は追分へ曲がるべき横町の角に立っていた。金はとうとう返さずに別れた。 一一  このごろ与次郎が学校で文芸協会の切符を売って回っている。二、三日かかって、知った者へはほぼ売りつけた様子である。与次郎はそれから知らない者をつかまえることにした。たいていは廊下でつかまえる。するとなかなか放さない。どうかこうか、買わせてしまう。時には談判中にベルが鳴って取り逃すこともある。与次郎はこれを時利あらずと号している。時には相手が笑っていて、いつまでも要領を得ないことがある。与次郎はこれを人利あらずと号している。ある時便所から出て来た教授をつかまえた。その教授はハンケチで手をふきながら、今ちょっとと言ったまま急いで図書館へはいってしまった。それぎりけっして出て来ない。与次郎はこれを――なんとも号しなかった。後影を見送って、あれは腸カタルに違いないと三四郎に教えてくれた。  与次郎に切符の販売方を何枚頼まれたのかと聞くと、何枚でも売れるだけ頼まれたのだと言う。あまり売れすぎて演芸場にはいりきれない恐れはないかと聞くと、少しはあると言う。それでは売ったあとで困るだろうと念をおすと、なに大丈夫だ、なかには義理で買う者もあるし、事故で来ないのもあるし、それから腸カタルも少しはできるだろうと言って、すましている。  与次郎が切符を売るところを見ていると、引きかえに金を渡す者からはむろん即座に受け取るが、そうでない学生にはただ切符だけ渡している。気の小さい三四郎が見ると、心配になるくらい渡して歩く。あとから思うとおりお金が寄るかと聞いてみると、むろん寄らないという答だ。几帳面にわずか売るよりも、だらしなくたくさん売るほうが、大体のうえにおいて利益だからこうすると言っている。与次郎はこれをタイムス社が日本で百科全書を売った方法に比較している。比較だけはりっぱに聞こえたが、三四郎はなんだか心もとなく思った。そこで一応与次郎に注意した時に、与次郎の返事はおもしろかった。 「相手は東京帝国大学学生だよ」 「いくら学生だって、君のように金にかけるとのん気なのが多いだろう」 「なに善意に払わないのは、文芸協会のほうでもやかましくは言わないはずだ。どうせいくら切符が売れたって、とどのつまりは協会の借金になることは明らかだから」  三四郎は念のため、それは君の意見か、協会の意見かとただしてみた。与次郎は、むろんぼくの意見であって、協会の意見であるとつごうのいいことを答えた。  与次郎の説を聞くと、今度は演芸会を見ない者は、まるでばかのような気がする。ばかのような気がするまで与次郎は講釈をする。それが切符を売るためだか、じっさい演芸会を信仰しているためだか、あるいはただ自分の景気をつけて、かねて相手の景気をつけ、次いでは演芸会の景気をつけて、世上一般の空気をできるだけにぎやかにするためだか、そこのところがちょっと明晰に区別が立たないものだから、相手はばかのような気がするにもかかわらず、あまり与次郎の感化をこうむらない。  与次郎は第一に会員の練習に骨を折っている話をする。話どおりに聞いていると、会員の多数は、練習の結果として、当日|前に役に立たなくなりそうだ。それから背景の話をする。その背景が大したもので、東京にいる有為の青年画家をことごとく引き上げて、ことごとく応分の技倆を振るわしたようなことになる。次に服装の話をする。その服装が頭から足の先まで故実ずくめにでき上がっている。次に脚本の話をする。それが、みんな新作で、みんなおもしろい。そのほかいくらでもある。  与次郎は広田先生と原口さんに招待券を送ったと言っている。野々宮|兄妹と里見兄妹には上等の切符を買わせたと言っている。万事が好都合だと言っている。三四郎は与次郎のために演芸会万歳を唱えた。  万歳を唱える晩、与次郎が三四郎の下宿へ来た。昼間とはうって変っている。堅くなって火鉢のそばへすわって寒い寒いと言う。その顔がただ寒いのではないらしい。はじめは火鉢へ乗りかかるように手をかざしていたが、やがて懐手になった。三四郎は与次郎の顔を陽気にするために、机の上のランプを端から端へ移した。ところが与次郎は顎をがっくり落して、大きな坊主頭だけを黒く灯に照らしている。いっこうさえない。どうかしたかと聞いた時に、首をあげてランプを見た。 「この家ではまだ電気を引かないのか」と顔つきにはまったく縁のないことを聞いた。 「まだ引かない。そのうち電気にするつもりだそうだ。ランプは暗くていかんね」と答えていると、急に、ランプのことは忘れたとみえて、 「おい、小川、たいへんな事ができてしまった」と言いだした。  一応|理由を聞いてみる。与次郎は懐から皺だらけの新聞を出した。二枚重なっている。その一枚をはがして、新しく畳み直して、ここを読んでみろと差しつけた。読むところを指の頭で押えている。三四郎は目をランプのそばへ寄せた。見出しに大学の純文科とある。  大学の外国文学科は従来西洋人の担当で、当事者はいっさいの授業を外国教師に依頼していたが、時勢の進歩と多数学生の希望に促されて、今度いよいよ本邦人の講義も必須課目として認めるに至った。そこでこのあいだじゅうから適当の人物を人選中であったが、ようやく某氏に決定して、近々発表になるそうだ。某氏は近き過去において、海外留学の命を受けたことのある秀才だから至極適任だろうという内容である。 「広田先生じゃなかったんだな」と三四郎が与次郎を顧みた。与次郎はやっぱり新聞の上を見ている。 「これはたしかなのか」と三四郎がまた聞いた。 「どうも」と首を曲げたが、「たいてい大丈夫だろうと思っていたんだがな。やりそくなった。もっともこの男がだいぶ運動をしているという話は聞いたこともあるが」と言う。 「しかしこれだけじゃ、まだ風説じゃないか。いよいよ発表になってみなければわからないのだから」 「いや、それだけならむろんかまわない。先生の関係したことじゃないから、しかし」と言って、また残りの新聞を畳み直して、標題を指の頭で押えて、三四郎の目の下へ出した。  今度の新聞にもほぼ同様の事が載っている。そこだけはべつだんに新しい印象を起こしようもないが、そのあとへ来て、三四郎は驚かされた。広田先生がたいへんな不徳義漢のように書いてある。十年間語学の教師をして、世間には杳として聞こえない凡材のくせに、大学で本邦人の外国文学講師を入れると聞くやいなや、急にこそこそ運動を始めて、自分の評判記を学生間に流布した。のみならずその門下生をして「偉大なる暗闇」などという論文を小雑誌に草せしめた。この論文は零余子なる匿名のもとにあらわれたが、じつは広田の家に出入する文科大学生小川三四郎なるものの筆であることまでわかっている。と、とうとう三四郎の名前が出て来た。  三四郎は妙な顔をして与次郎を見た。与次郎はまえから三四郎の顔を見ている。二人ともしばらく黙っていた。やがて、三四郎が、 「困るなあ」と言った。少し与次郎を恨んでいる。与次郎は、そこはあまりかまっていない。 「君、これをどう思う」と言う。 「どう思うとは」 「投書をそのまま出したに違いない。けっして社のほうで調べたものじゃない。文芸時評の六号活字の投書にこんなのが、いくらでも来る。六号活字はほとんど罪悪のかたまりだ。よくよく探ってみると嘘が多い。目に見えた嘘をついているのもある。なぜそんな愚な事をやるかというとね、君。みんな利害問題が動機になっているらしい。それでぼくが六号活字を受持っている時には、性質のよくないのは、たいてい屑籠へ放り込んだ。この記事もまったくそれだね。反対運動の結果だ」 「なぜ、君の名が出ないで、ぼくの名が出たものだろうな」  与次郎は「そうさ」と言っている。しばらくしてから、 「やっぱり、なんだろう。君は本科生でぼくは選科生だからだろう」と説明した。けれども三四郎には、これが説明にもなんにもならなかった。三四郎は依然として迷惑である。 「ぜんたいぼくが零余子なんてけちな号を使わずに、堂々と佐々木与次郎と署名しておけばよかった。じっさいあの論文は佐々木与次郎以外に書ける者は一人もないんだからなあ」  与次郎はまじめである。三四郎に「偉大なる暗闇」の著作権を奪われて、かえって迷惑しているのかもしれない。三四郎はばかばかしくなった。 「君、先生に話したか」と聞いた。 「さあ、そこだ。偉大なる暗闇の作者なんか、君だって、ぼくだって、どちらだってかまわないが、こと先生の人格に関係してくる以上は、話さずにはいられない。ああいう先生だから、いっこう知りません、何か間違いでしょう、偉大なる暗闇という論文は雑誌に出ましたが、匿名です、先生の崇拝者が書いたものですから御安心なさいくらいに言っておけば、そうかで、すぐ済んでしまうわけだが、このさいそうはいかん。どうしたってぼくが責任を明らかにしなくっちゃ。事がうまくいって、知らん顔をしているのは、心持ちがいいが、やりそくなって黙っているのは不愉快でたまらない。第一自分が事を起こしておいて、ああいう善良な人を迷惑な状態に陥らして、それで平気に見物がしておられるものじゃない。正邪曲直なんてむずかしい問題は別として、ただ気の毒で、いたわしくっていけない」  三四郎ははじめて与次郎を感心な男だと思った。 「先生は新聞を読んだんだろうか」 「家へ来る新聞にゃない。だからぼくも知らなかった。しかし先生は学校へ行っていろいろな新聞を見るからね。よし先生が見なくってもだれか話すだろう」 「すると、もう知ってるな」 「むろん知ってるだろう」 「君にはなんとも言わないか」 「言わない。もっともろくに話をする暇もないんだから、言わないはずだが。このあいだから演芸会の事でしじゅう奔走しているものだから――ああ演芸会も、もういやになった。やめてしまおうかしらん。おしろいをつけて、芝居なんかやったって、何がおもしろいものか」 「先生に話したら、君、しかられるだろう」 「しかられるだろう。しかられるのはしかたがないが、いかにも気の毒でね。よけいな事をして迷惑をかけてるんだから。――先生は道楽のない人でね。酒は飲まず、煙草は」と言いかけたが途中でやめてしまった。先生の哲学を鼻から煙にして吹き出す量は月に積もると、莫大なものである。 「煙草だけはかなりのむが、そのほかになんにもないぜ。釣りをするじゃなし、碁を打つじゃなし、家庭の楽しみがあるじゃなし。あれがいちばんいけない。子供でもあるといいんだけれども。じつに枯淡だからなあ」  与次郎はそれで腕組をした。 「たまに、慰めようと思って、少し奔走すると、こんなことになるし。君も先生の所へ行ってやれ」 「行ってやるどころじゃない。ぼくにも多少責任があるから、あやまってくる」 「君はあやまる必要はない」 「じゃ弁解してくる」  与次郎はそれで帰った。三四郎は床にはいってからたびたび寝返りを打った。国にいるほうが寝やすい心持ちがする。偽りの記事――広田先生――美禰子――美禰子を迎えに来て連れていったりっぱな男――いろいろの刺激がある。  夜中からぐっすり寝た。いつものように起きるのが、ひどくつらかった。顔を洗う所で、同じ文科の学生に会った。顔だけは互いに見知り合いである。失敬という挨拶のうちに、この男は例の記事を読んでいるらしく推した。しかし先方ではむろん話頭を避けた。三四郎も弁解を試みなかった。  暖かい汁の香をかいでいる時に、また故里の母からの書信に接した。また例のごとく、長かりそうだ。洋服を着換えるのがめんどうだから、着たままの上へ袴をはいて、懐へ手紙を入れて、出る。戸外は薄い霜で光った。  通りへ出ると、ほとんど学生ばかり歩いている。それが、みな同じ方向へ行く。ことごとく急いで行く。寒い往来は若い男の活気でいっぱいになる。そのなかに霜降りの外套を着た広田先生の長い影が見えた。この青年の隊伍に紛れ込んだ先生は、歩調においてすでに時代錯誤である。左右前後に比較するとすこぶる緩漫に見える。先生の影は校門のうちに隠れた。門内に大きな松がある。巨大の傘のように枝を広げて玄関をふさいでいる。三四郎の足が門前まで来た時は、先生の影がすでに消えて、正面に見えるものは、松と、松の上にある時計台ばかりであった。この時計台の時計は常に狂っている。もしくは留まっている。  門内をちょっとのぞきこんだ三四郎は、口の中で「ハイドリオタフヒア」という字を二度繰り返した。この字は三四郎の覚えた外国語のうちで、もっとも長い、またもっともむずかしい言葉の一つであった。意味はまだわからない。広田先生に聞いてみるつもりでいる。かつて与次郎に尋ねたら、おそらくダーターファブラのたぐいだろうと言っていた。けれども三四郎からみると二つのあいだにはたいへんな違いがある。ダーターファブラはおどるべき性質のものと思える。ハイドリオタフヒアは覚えるのにさえ暇がいる。二へん繰り返すと歩調がおのずから緩漫になる。広田先生の使うために古人が作っておいたような音がする。  学校へ行ったら、「偉大なる暗闇」の作者として、衆人の注意を一身に集めている気色がした。戸外へ出ようとしたが、戸外は存外寒いから廊下にいた。そうして講義のあいだに懐から母の手紙を出して読んだ。  この冬休みには帰って来いと、まるで熊本にいた当時と同様な命令がある。じつは熊本にいた時分にこんなことがあった。学校が休みになるか、ならないのに、帰れという電報が掛かった。母の病気に違いないと思い込んで、驚いて飛んで帰ると、母のほうではこっちに変がなくって、まあ結構だったといわぬばかりに喜んでいる。訳を聞くと、いつまで待っていても帰らないから、お稲荷様へ伺いを立てたら、こりゃ、もう熊本をたっているという御託宣であったので、途中でどうかしはせぬだろうかと非常に心配していたのだと言う。三四郎はその当時を思いだして、今度もまた伺いを立てられることかと思った。しかし手紙にはお稲荷様のことは書いてない。ただ三輪田のお光さんも待っていると割注みたようなものがついている。お光さんは豊津の女学校をやめて、家へ帰ったそうだ。またお光さんに縫ってもらった綿入れが小包で来るそうだ。大工の角三が山で賭博を打って九十八円取られたそうだ。――そのてんまつが詳しく書いてある。めんどうだからいいかげんに読んだ。なんでも山を買いたいという男が三人|連で入り込んで来たのを、角三が案内をして、山を回って歩いているあいだに取られてしまったのだそうだ。角三は家へ帰って、女房にいつのまに取られたかわからないと弁解した。すると、女房がそれじゃお前さん眠り薬でもかがされたんだろうと言ったら、角三が、うんそういえばなんだかかいだようだと答えたそうだ。けれども村の者はみんな賭博をして巻き上げられたと評判している。いなかでもこうだから、東京にいるお前なぞは、本当によく気をつけなくてはいけないという訓誡がついている。  長い手紙を巻き収めていると、与次郎がそばへ来て、「やあ女の手紙だな」と言った。ゆうべよりは冗談をいうだけ元気がいい。三四郎は、 「なに母からだ」と、少しつまらなそうに答えて、封筒ごと懐へ入れた。 「里見のお嬢さんからじゃないのか」 「いいや」 「君、里見のお嬢さんのことを聞いたか」 「何を」と問い返しているところへ、一人の学生が、与次郎に、演芸会の切符をほしいという人が階下に待っていると教えに来てくれた。与次郎はすぐ降りて行った。  与次郎はそれなり消えてなくなった。いくらつらまえようと思っても出て来ない。三四郎はやむをえず精出して講義を筆記していた。講義が済んでから、ゆうべの約束どおり広田先生の家へ寄る。相変らず静かである。先生は茶の間に長くなって寝ていた。ばあさんに、どうかなすったのかと聞くと、そうじゃないのでしょう、ゆうべあまりおそくなったので、眠いと言って、さっきお帰りになると、すぐに横におなりなすったのだと言う。長いからだの上に小夜着が掛けてある。三四郎は小さな声で、またばあさんに、どうして、そうおそくなったのかと聞いた。なにいつでもおそいのだが、ゆうべのは勉強じゃなくって、佐々木さんと久しくお話をしておいでだったという答である。勉強が佐々木に代ったから、昼寝をする説明にはならないが、与次郎が、ゆうべ先生に例の話をした事だけはこれで明瞭になった。ついでに与次郎が、どうしかられたかを聞いておきたいのだが、それはばあさんが知ろうはずがないし、肝心の与次郎は学校で取り逃してしまったからしかたがない。きょうの元気のいいところをみると、大した事件にはならずに済んだのだろう。もっとも与次郎の心理現象はとうてい三四郎にはわからないのだから、じっさいどんなことがあったか想像はできない。  三四郎は長火鉢の前へすわった。鉄瓶がちんちん鳴っている。ばあさんは遠慮をして下女|部屋へ引き取った。三四郎はあぐらをかいて、鉄瓶に手をかざして、先生の起きるのを待っている。先生は熟睡している。三四郎は静かでいい心持ちになった。爪で鉄瓶をたたいてみた。熱い湯を茶碗についでふうふう吹いて飲んだ。先生は向こうをむいて寝ている。二、三日まえに頭を刈ったとみえて、髪がはなはだ短かい。髭のはじが濃く出ている。鼻も向こうを向いている。鼻の穴がすうすう言う。安眠だ。  三四郎は返そうと思って、持って来たハイドリオタフヒアを出して読みはじめた。ぽつぽつ拾い読みをする。なかなかわからない。墓の中に花を投げることが書いてある。ローマ人は薔薇を affect すると書いてある。なんの意味だかよく知らないが、おおかた好むとでも訳するんだろうと思った。ギリシア人は Amaranth を用いると書いてある。これも明瞭でない。しかし花の名には違いない。それから少しさきへ行くと、まるでわからなくなった。ページから目を離して先生を見た。まだ寝ている。なんでこんなむずかしい書物を自分に貸したものだろうと思った。それから、このむずかしい書物が、なぜわからないながらも、自分の興味をひくのだろうと思った。最後に広田先生は必竟ハイドリオタフヒアだと思った。  そうすると、広田先生がむくりと起きた。首だけ持ち上げて、三四郎を見た。 「いつ来たの」と聞いた。三四郎はもっと寝ておいでなさいと勧めた。じっさい退屈ではなかったのである。先生は、 「いや起きる」と言って起きた。それから例のごとく哲学の煙を吹きはじめた。煙が沈黙のあいだに、棒になって出る。 「ありがとう。書物を返します」 「ああ。――読んだの」 「読んだけれどもよくわからんです。第一標題がわからんです」 「ハイドリオタフヒア」 「なんのことですか」 「なんのことかぼくにもわからない。とにかくギリシア語らしいね」  三四郎はあとを尋ねる勇気が抜けてしまった。先生はあくびを一つした。 「ああ眠かった。いい心持ちに寝た。おもしろい夢を見てね」  先生は女の夢だと言っている。それを話すのかと思ったら、湯に行かないかと言いだした。二人は手ぬぐいをさげて出かけた。  湯から上がって、二人が板の間にすえてある器械の上に乗って、身長を測ってみた。広田先生は五尺六寸ある。三四郎は四寸五分しかない。 「まだのびるかもしれない」と広田先生が三四郎に言った。 「もうだめです。三年来このとおりです」と三四郎が答えた。 「そうかな」と先生が言った。自分をよっぽど子供のように考えているのだと三四郎は思った。家へ帰った時、先生が、用がなければ話していってもかまわないと、書斎の戸をあけて、自分がさきへはいった。三四郎はとにかく、例の用事を片づける義務があるから、続いてはいった。 「佐々木は、まだ帰らないようですな」 「きょうはおそくなるとか言って断わっていた。このあいだから演芸会のことでだいぶん奔走しているようだが、世話好きなんだか、駆け回ることが好きなんだか、いっこう要領を得ない男だ」 「親切なんですよ」 「目的だけは親切なところも少しあるんだが、なにしろ、頭のできがはなはだ不親切なものだから、ろくなことはしでかさない。ちょっと見ると、要領を得ている。むしろ得すぎている。けれども終局へゆくと、なんのために要領を得てきたのだか、まるでめちゃくちゃになってしまう。いくら言っても直さないからほうっておく。あれは悪戯をしに世の中へ生まれて来た男だね」  三四郎はなんとか弁護の道がありそうなものだと思ったが、現に結果の悪い実例があるんだから、しようがない。話を転じた。 「あの新聞の記事を御覧でしたか」 「ええ、見た」 「新聞に出るまではちっとも御存じなかったのですか」 「いいえ」 「お驚きなすったでしょう」 「驚くって――それはまったく驚かないこともない。けれども世の中の事はみんな、あんなものだと思ってるから、若い人ほど正直に驚きはしない」 「御迷惑でしょう」 「迷惑でないこともない。けれどもぼくくらい世の中に住み古した年配の人間なら、あの記事を見て、すぐ事実だと思い込む人ばかりもないから、やっぱり若い人ほど正直に迷惑とは感じない。与次郎は社員に知った者があるから、その男に頼んで真相を書いてもらうの、あの投書の出所を捜して制裁を加えるの、自分の雑誌で十分|反駁をいたしますのと、善後策の了見でくだらない事をいろいろ言うが、そんな手数をするならば、はじめからよけいな事を起こさないほうが、いくらいいかわかりゃしない」 「まったく先生のためを思ったからです。悪気じゃないです」 「悪気でやられてたまるものか。第一ぼくのために運動をするものがさ、ぼくの意向も聞かないで、かってな方法を講じたりかってな方針を立てたひには、最初からぼくの存在を愚弄していると同じことじゃないか。存在を無視されているほうが、どのくらい体面を保つにつごうがいいかしれやしない」  三四郎はしかたなしに黙っていた。 「そうして、偉大なる暗闇なんて愚にもつかないものを書いて。――新聞には君が書いたとしてあるが実際は佐々木が書いたんだってね」 「そうです」 「ゆうべ佐々木が自白した。君こそ迷惑だろう。あんなばかな文章は佐々木よりほかに書く者はありゃしない。ぼくも読んでみた。実質もなければ、品位もない、まるで救世軍の太鼓のようなものだ。読者の悪感情を引き起こすために、書いてるとしか思われやしない。徹頭徹尾故意だけで成り立っている。常識のある者が見れば、どうしてもためにするところがあって起稿したものだと判定がつく。あれじゃぼくが門下生に書かしたと言われるはずだ。あれを読んだ時には、なるほど新聞の記事はもっともだと思った」  広田先生はそれで話を切った。鼻から例によって煙をはく。与次郎はこの煙の出方で、先生の気分をうかがうことができると言っている。濃くまっすぐにほとばしる時は、哲学の絶好頂に達したさいで、ゆるくくずれる時は、心気平穏、ことによるとひやかされる恐れがある。煙が、鼻の下に※徊して、髭に未練があるように見える時は、瞑想に入る。もしくは詩的感興がある。もっとも恐るべきは穴の先の渦である。渦が出ると、たいへんにしかられる。与次郎の言うことだから、三四郎はむろんあてにはしない。しかしこのさいだから気をつけて煙の形状をながめていた。すると与次郎の言ったような判然たる煙はちっとも出て来ない。その代り出るものは、たいていな資格をみんなそなえている。  三四郎がいつまでたっても、恐れ入ったように控えているので、先生はまた話しはじめた。 「済んだ事は、もうやめよう。佐々木も昨夜ことごとくあやまってしまったから、きょうあたりはまた晴々して例のごとく飛んで歩いているだろう。いくら陰で不心得を責めたって、当人が平気で切符なんぞ売って歩いていてはしかたがない。それよりもっとおもしろい話をしよう」 「ええ」 「ぼくがさっき昼寝をしている時、おもしろい夢を見た。それはね、ぼくが生涯にたった一ぺん会った女に、突然夢の中で再会したという小説じみたお話だが、そのほうが、新聞の記事より聞いていても愉快だよ」 「ええ。どんな女ですか」 「十二、三のきれいな女だ。顔に黒子がある」  三四郎は十二、三と聞いて少し失望した。 「いつごろお会いになったのですか」 「二十年ばかりまえ」  三四郎はまた驚いた。 「よくその女ということがわかりましたね」 「夢だよ。夢だからわかるさ。そうして夢だから不思議でいい。ぼくがなんでも大きな森の中を歩いている。あの色のさめた夏の洋服を着てね、あの古い帽子をかぶって。――そうその時はなんでも、むずかしい事を考えていた。すべて宇宙の法則は変らないが、法則に支配されるすべて宇宙のものは必ず変る。するとその法則は、物のほかに存在していなくてはならない。――さめてみるとつまらないが夢の中だからまじめにそんな事を考えて森の下を通って行くと、突然その女に会った。行き会ったのではない。向こうはじっと立っていた。見ると、昔のとおりの顔をしている。昔のとおりの服装をしている。髪も昔の髪である。黒子もむろんあった。つまり二十年まえ見た時と少しも変らない十二、三の女である。ぼくがその女に、あなたは少しも変らないというと、その女はぼくにたいへん年をお取りなすったという。次にぼくが、あなたはどうして、そう変らずにいるのかと聞くと、この顔の年、この服装の月、この髪の日がいちばん好きだから、こうしていると言う。それはいつの事かと聞くと、二十年まえ、あなたにお目にかかった時だという。それならぼくはなぜこう年を取ったんだろうと、自分で不思議がると、女が、あなたは、その時よりも、もっと美しいほうへほうへとお移りなさりたがるからだと教えてくれた。その時ぼくが女に、あなたは絵だと言うと、女がぼくに、あなたは詩だと言った」 「それからどうしました」と三四郎が聞いた。 「それから君が来たのさ」と言う。 「二十年まえに会ったというのは夢じゃない、本当の事実なんですか」 「本当の事実なんだからおもしろい」 「どこでお会いになったんですか」  先生の鼻はまた煙を吹き出した。その煙をながめて、当分黙っている。やがてこう言った。 「憲法発布は明治二十二年だったね。その時森文部大臣が殺された。君は覚えていまい。いくつかな君は。そう、それじゃ、まだ赤ん坊の時分だ。ぼくは高等学校の生徒であった。大臣の葬式に参列するのだと言って、おおぜい鉄砲をかついで出た。墓地へ行くのだと思ったら、そうではない。体操の教師が竹橋内へ引っ張って行って、道ばたへ整列さした。我々はそこへ立ったなり、大臣の柩を送ることになった。名は送るのだけれども、じつは見物したのも同然だった。その日は寒い日でね、今でも覚えている。動かずに立っていると、靴の下で足が痛む。隣の男がぼくの鼻を見ては赤い赤いと言った。やがて行列が来た。なんでも長いものだった。寒い目の前を静かな馬車や俥が何台となく通る。そのうちに今話した小さな娘がいた。今、その時の模様を思い出そうとしても、ぼうとしてとても明瞭に浮かんで来ない。ただこの女だけは覚えている。それも年をたつにしたがってだんだん薄らいで来た、今では思い出すこともめったにない。きょう夢を見るまえまでは、まるで忘れていた、けれどもその当時は頭の中へ焼きつけられたように熱い印象を持っていた。――妙なものだ」 「それからその女にはまるで会わないんですか」 「まるで会わない」 「じゃ、どこのだれだかまったくわからないんですか」 「むろんわからない」 「尋ねてみなかったですか」 「いいや」 「先生はそれで……」と言ったが急につかえた。 「それで?」 「それで結婚をなさらないんですか」  先生は笑いだした。 「それほど浪漫的な人間じゃない。ぼくは君よりもはるかに散文的にできている」 「しかし、もしその女が来たらおもらいになったでしょう」 「そうさね」と一度考えたうえで、「もらったろうね」と言った。三四郎は気の毒なような顔をしている。すると先生がまた話し出した。 「そのために独身を余儀なくされたというと、ぼくがその女のために不具にされたと同じ事になる。けれども人間には生まれついて、結婚のできない不具もあるし。そのほかいろいろ結婚のしにくい事情を持っている者がある」 「そんなに結婚を妨げる事情が世の中にたくさんあるでしょうか」  先生は煙の間から、じっと三四郎を見ていた。 「ハムレットは結婚したくなかったんだろう。ハムレットは一人しかいないかもしれないが、あれに似た人はたくさんいる」 「たとえばどんな人です」 「たとえば」と言って、先生は黙った。煙がしきりに出る。「たとえば、ここに一人の男がいる。父は早く死んで、母一人を頼りに育ったとする。その母がまた病気にかかって、いよいよ息を引き取るという、まぎわに、自分が死んだら誰某の世話になれという。子供が会ったこともない、知りもしない人を指名する。理由を聞くと、母がなんとも答えない。しいて聞くとじつは誰某がお前の本当のおとっさんだとかすかな声で言った。――まあ話だが、そういう母を持った子がいるとする。すると、その子が結婚に信仰を置かなくなるのはむろんだろう」 「そんな人はめったにないでしょう」 「めったには無いだろうが、いることはいる」 「しかし先生のは、そんなのじゃないでしょう」  先生はハハハハと笑った。 「君はたしかおっかさんがいたね」 「ええ」 「おとっさんは」 「死にました」 「ぼくの母は憲法発布の翌年に死んだ」 一二  演芸会は比較的寒い時に開かれた。年はようやく押し詰まってくる。人は二十日足らずの目のさきに春を控えた。市に生きるものは、忙しからんとしている。越年の計は貧者の頭に落ちた。演芸会はこのあいだにあって、すべてののどかなるものと、余裕あるものと、春と暮の差別を知らぬものとを迎えた。  それが、いくらでもいる。たいていは若い男女である。一日目に与次郎が、三四郎に向かって大成功と叫んだ。三四郎は二日目の切符を持っていた。与次郎が広田先生を誘って行けと言う。切符が違うだろうと聞けば、むろん違うと言う。しかし一人でほうっておくと、けっして行く気づかいがないから、君が寄って引っ張り出すのだと理由を説明して聞かせた。三四郎は承知した。  夕刻に行ってみると、先生は明るいランプの下に大きな本を広げていた。 「おいでになりませんか」と聞くと、先生は少し笑いながら、無言のまま首を横に振った。子供のような所作をする。しかし三四郎には、それが学者らしく思われた。口をきかないところがゆかしく思われたのだろう。三四郎は中腰になって、ぼんやりしていた。先生は断わったのが気の毒になった。 「君行くなら、いっしょに出よう。ぼくも散歩ながら、そこまで行くから」  先生は黒い回套を着て出た。懐手らしいがわからない。空が低くたれている。星の見えない寒さである。 「雨になるかもしれない」 「降ると困るでしょう」 「出入りにね。日本の芝居小屋は下足があるから、天気のいい時ですらたいへんな不便だ。それで小屋の中は、空気が通わなくって、煙草が煙って、頭痛がして、――よく、みんな、あれで我慢ができるものだ」 「ですけれども、まさか戸外でやるわけにもいかないからでしょう」 「お神楽はいつでも外でやっている。寒い時でも外でやる」  三四郎は、こりゃ議論にならないと思って、答を見合わせてしまった。 「ぼくは戸外がいい。暑くも寒くもない、きれいな空の下で、美しい空気を呼吸して、美しい芝居が見たい。透明な空気のような、純粋で簡単な芝居ができそうなものだ」 「先生の御覧になった夢でも、芝居にしたらそんなものができるでしょう」 「君ギリシアの芝居を知っているか」 「よく知りません。たしか戸外でやったんですね」 「戸外。まっ昼間。さぞいい心持ちだったろうと思う。席は天然の石だ。堂々としている。与次郎のようなものは、そういう所へ連れて行って、少し見せてやるといい」  また与次郎の悪口が出た。その与次郎は今ごろ窮屈な会場のなかで、一生懸命に、奔走しかつ斡旋して大得意なのだからおもしろい。もし先生を連れて行かなかろうものなら、先生はたして来ない。たまにはこういう所へ来て見るのが、先生のためにはどのくらいいいかわからないのだのに、いくらぼくが言っても聞かない。困ったものだなあ。と嘆息するにきまっているからなおおもしろい。  先生はそれからギリシアの劇場の構造を詳しく話してくれた。三四郎はこの時先生から、〔Theatron, Orche^stra, |Ske^ne^, Proske^nion〕 などという字の講釈を聞いた。なんとかいうドイツ人の説によるとアテンの劇場は一万七千人をいれる席があったということも聞いた。それは小さいほうである。もっとも大きいのは、五万人をいれたということも聞いた。入場券は象牙と鉛と二通りあって、いずれも賞牌みたような恰好で、表に模様が打ち出してあったり、彫刻が施してあるということも聞いた。先生はその入場券の価まで知っていた。一日だけの小芝居は十二銭で、三日続きの大芝居は三十五銭だと言った。三四郎がへえ、へえと感心しているうちに、演芸会場の前へ出た。  さかんに電燈がついている。入場者は続々寄って来る。与次郎の言ったよりも以上の景気である。 「どうです、せっかくだからおはいりになりませんか」 「いやはいらない」  先生はまた暗い方へ向いて行った。  三四郎は、しばらく先生の後影を見送っていたが、あとから、車で乗りつける人が、下足札を受け取る手間も惜しそうに、急いではいって行くのを見て、自分も足早に入場した。前へ押されたと同じことである。  入口に四、五人用のない人が立っている。そのうちの袴を着けた男が入場券を受け取った。その男の肩の上から場内をのぞいて見ると、中は急に広くなっている。かつはなはだ明るい。三四郎は眉に手を加えないばかりにして、導かれた席に着いた。狭い所に割り込みながら、四方を見回すと、人間の持って来た色で目がちらちらする。自分の目を動かすからばかりではない。無数の人間に付着した色が、広い空間で、たえずめいめいに、かつかってに、動くからである。  舞台ではもう始まっている。出てくる人物が、みんな冠をかむって、沓をはいていた。そこへ長い輿をかついで来た。それを舞台のまん中でとめた者がある。輿をおろすと、中からまた一人あらわれた。その男が刀を抜いて、輿を突き返したのと斬り合いを始めた。――三四郎にはなんのことかまるでわからない。もっとも与次郎から梗概を聞いたことはある。けれどもいいかげんに聞いていた。見ればわかるだろうと考えて、うんなるほどと言っていた。ところが見れば毫もその意を得ない。三四郎の記憶にはただ入鹿の大臣という名前が残っている。三四郎はどれが入鹿だろうかと考えた。それはとうてい見込みがつかない。そこで舞台全体を入鹿のつもりでながめていた。すると冠でも、沓でも、筒袖の衣服でも、使う言葉でも、なんとなく入鹿臭くなってきた。実をいうと三四郎には確然たる入鹿の観念がない。日本歴史を習ったのが、あまりに遠い過去であるから、古い入鹿の事もつい忘れてしまった。推古天皇の時のようでもある。欽明天皇の御代でもさしつかえない気がする。応神天皇や聖武天皇ではけっしてないと思う。三四郎はただ入鹿じみた心持ちを持っているだけである。芝居を見るにはそれでたくさんだと考えて、唐めいた装束や背景をながめていた。しかし筋はちっともわからなかった。そのうち幕になった。  幕になる少しまえに、隣の男が、そのまた隣の男に、登場人物の声が、六畳敷で、親子差向かいの談話のようだ。まるで訓練がないと非難していた。そっち隣の男は登場人物の腰が据わらない。ことごとくひょろひょろしていると訴えていた。二人は登場人物の本名をみんな暗んじている。三四郎は耳を傾けて二人の談話を聞いていた。二人ともりっぱな服装をしている。おおかた有名な人だろうと思った。けれどももし与次郎にこの談話を聞かせたらさだめし反対するだろうと思った。その時うしろの方でうまいうまいなかなかうまいと大きな声を出した者がある。隣の男は二人ともうしろを振り返った。それぎり話をやめてしまった。そこで幕がおりた。  あすこ、ここに席を立つ者がある。花道から出口へかけて、人の影がすこぶる忙しい。三四郎は中腰になって、四方をぐるりと見回した。来ているはずの人はどこにも見えない。本当をいうと演芸中にもできるだけは気をつけていた。それで知れないから、幕になったらばと内々心あてにしていたのである。三四郎は少し失望した。やむをえず目を正面に帰した。  隣の連中はよほど世間が広い男たちとみえて、左右を顧みて、あすこにはだれがいる。ここにはだれがいるとしきりに知名の人の名を口にする。なかには離れながら、互いに挨拶をしたのも、一、二人ある。三四郎はおかげでこれら知名な人の細君を少し覚えた。そのなかには新婚したばかりの者もあった。これは隣の一人にも珍しかったとみえて、その男はわざわざ眼鏡をふき直して、なるほどなるほどと言って見ていた。  すると、幕のおりた舞台の前を、向こうの端からこっちへ向けて、小走りに与次郎がかけて来た。三分の二ほどの所で留まった。少し及び腰になって、土間の中をのぞき込みながら、何か話している。三四郎はそれを見当にねらいをつけた。――舞台の端に立った与次郎から一直線に、二、三間隔てて美禰子の横顔が見えた。  そのそばにいる男は背中を三四郎に向けている。三四郎は心のうちに、この男が何かの拍子に、どうかしてこっちを向いてくれればいいと念じていた。うまいぐあいにその男は立った。すわりくたびれたとみえて、枡の仕切りに腰をかけて、場内を見回しはじめた。その時三四郎は明らかに野々宮さんの広い額と大きな目を認めることができた。野々宮さんが立つとともに、美禰子のうしろにいたよし子の姿も見えた。三四郎はこの三人のほかに、まだ連がいるかいないかを確かめようとした。けれども遠くから見ると、ただ人がぎっしり詰まっているだけで、連といえば土間全体が連とみえるまでだからしかたがない。美禰子と与次郎のあいだには、時々談話が交換されつつあるらしい。野々宮さんもおりおり口を出すと思われる。  すると突然原口さんが幕の間から出て来た。与次郎と並んでしきりに土間の中をのぞきこむ。口はむろん動かしているのだろう。野々宮さんは合い図のような首を縦に振った。その時原口さんはうしろから、平手で、与次郎の背中をたたいた。与次郎はくるりと引っ繰り返って、幕の裾をもぐってどこかへ消えうせた。原口さんは、舞台を降りて、人と人との間を伝わって、野々宮さんのそばまで来た。野々宮さんは、腰を立てて原口さんを通した。原口さんはぽかりと人の中へ飛び込んだ。美禰子とよし子のいるあたりで見えなくなった。  この連中の一挙一動を演芸以上の興味をもって注意していた三四郎は、この時急に原口流の所作がうらやましくなった。ああいう便利な方法で人のそばへ寄ることができようとは毫も思いつかなかった。自分もひとつまねてみようかしらと思った。しかしまねるという自覚が、すでに実行の勇気をくじいたうえに、もうはいる席は、いくら詰めても、むずかしかろうという遠慮が手伝って、三四郎の尻は依然として、もとの席を去りえなかった。  そのうち幕があいて、ハムレットが始まった。三四郎は広田先生のうちで西洋のなんとかいう名優のふんしたハムレットの写真を見たことがある。今三四郎の目の前にあらわれたハムレットは、これとほぼ同様の服装をしている。服装ばかりではない。顔まで似ている。両方とも八の字を寄せている。  このハムレットは動作がまったく軽快で、心持ちがいい。舞台の上を大いに動いて、また大いに動かせる。能掛りの入鹿とはたいへん趣を異にしている。ことに、ある時、ある場合に、舞台のまん中に立って、手を広げてみたり、空をにらんでみたりするときは、観客の眼中にほかのものはいっさい入り込む余地のないくらい強烈な刺激を与える。  その代り台詞は日本語である。西洋語を日本語に訳した日本語である。口調には抑揚がある。節奏もある。あるところは能弁すぎると思われるくらい流暢に出る。文章もりっぱである。それでいて、気が乗らない。三四郎はハムレットがもう少し日本人じみたことを言ってくれればいいと思った。おっかさん、それじゃおとっさんにすまないじゃありませんかと言いそうなところで、急にアポロなどを引合いに出して、のん気にやってしまう。それでいて顔つきは親子とも泣きだしそうである。しかし三四郎はこの矛盾をただ朧気に感じたのみである。けっしてつまらないと思いきるほどの勇気は出なかった。  したがって、ハムレットに飽きた時は、美禰子の方を見ていた。美禰子が人の影に隠れて見えなくなる時は、ハムレットを見ていた。  ハムレットがオフェリヤに向かって、尼寺へ行け尼寺へ行けと言うところへきた時、三四郎はふと広田先生のことを考え出した。広田先生は言った。――ハムレットのようなものに結婚ができるか。――なるほど本で読むとそうらしい。けれども、芝居では結婚してもよさそうである。よく思案してみると、尼寺へ行けとの言い方が悪いのだろう。その証拠には尼寺へ行けと言われたオフェリヤがちっとも気の毒にならない。  幕がまたおりた。美禰子とよし子が席を立った。三四郎もつづいて立った。廊下まで来てみると、二人は廊下の中ほどで、男と話をしている。男は廊下から出はいりのできる左側の席の戸口に半分からだを出した。男の横顔を見た時、三四郎はあとへ引き返した。席へ返らずに下足を取って表へ出た。  本来は暗い夜である。人の力で明るくした所を通り越すと、雨が落ちているように思う。風が枝を鳴らす。三四郎は急いで下宿に帰った。  夜半から降りだした。三四郎は床の中で、雨の音を聞きながら、尼寺へ行けという一句を柱にして、その周囲にぐるぐる※徊した。広田先生も起きているかもしれない。先生はどんな柱を抱いているだろう。与次郎は偉大なる暗闇の中に正体なく埋まっているに違いない。……  あくる日は少し熱がする。頭が重いから寝ていた。昼飯は床の上に起き直って食った。また一寝入りすると今度は汗が出た。気がうとくなる。そこへ威勢よく与次郎がはいって来た。ゆうべも見えず、けさも講義に出ないようだからどうしたかと思って尋ねたと言う。三四郎は礼を述べた。 「なに、ゆうべは行ったんだ。行ったんだ。君が舞台の上に出てきて、美禰子さんと、遠くで話をしていたのも、ちゃんと知っている」  三四郎は少し酔ったような心持ちである。口をききだすと、つるつると出る。与次郎は手を出して、三四郎の額をおさえた。 「だいぶ熱がある。薬を飲まなくっちゃいけない。風邪を引いたんだ」 「演芸場があまり暑すぎて、明るすぎて、そうして外へ出ると、急に寒すぎて、暗すぎるからだ。あれはよくない」 「いけないたって、しかたがないじゃないか」 「しかたがないったって、いけない」  三四郎の言葉はだんだん短くなる、与次郎がいいかげんにあしらっているうちに、すうすう寝てしまった。一時間ほどしてまた目をあけた。与次郎を見て、 「君、そこにいるのか」と言う。今度は平生の三四郎のようである。気分はどうかと聞くと、頭が重いと答えただけである。 「風邪だろう」 「風邪だろう」  両方で同じ事を言った。しばらくしてから、三四郎が与次郎に聞いた。 「君、このあいだ美禰子さんの事を知ってるかとぼくに尋ねたね」 「美禰子さんの事を? どこで?」 「学校で」 「学校で? いつ」  与次郎はまだ思い出せない様子である。三四郎はやむをえずその前後の当時を詳しく説明した。与次郎は、 「なるほどそんな事があったかもしれない」と言っている。三四郎はずいぶん無責任だと思った。与次郎も少し気の毒になって、考え出そうとした。やがてこう言った。 「じゃ、なんじゃないか。美禰子さんが嫁に行くという話じゃないか」 「きまったのか」 「きまったように聞いたが、よくわからない」 「野々宮さんの所か」 「いや、野々宮さんじゃない」 「じゃ……」と言いかけてやめた。 「君、知ってるのか」 「知らない」と言い切った。すると与次郎が少し前へ乗り出してきた。 「どうもよくわからない。不思議な事があるんだが。もう少したたないと、どうなるんだか見当がつかない」  三四郎は、その不思議な事を、すぐ話せばいいと思うのに、与次郎は平気なもので、一人でのみこんで、一人で不思議がっている。三四郎はしばらく我慢していたが、とうとう焦れったくなって、与次郎に、美禰子に関するすべての事実を隠さずに話してくれと請求した。与次郎は笑いだした。そうして慰謝のためかなんだか、とんだところへ話頭を持っていってしまった。 「ばかだなあ、あんな女を思って。思ったってしかたがないよ。第一、君と同年ぐらいじゃないか。同年ぐらいの男にほれるのは昔の事だ。八百屋お七時代の恋だ」  三四郎は黙っていた。けれども与次郎の意味はよくわからなかった。 「なぜというに。二十前後の同じ年の男女を二人並べてみろ。女のほうが万事|上手だあね。男は馬鹿にされるばかりだ。女だって、自分の軽蔑する男の所へ嫁へ行く気は出ないやね。もっとも自分が世界でいちばん偉いと思ってる女は例外だ。軽蔑する所へ行かなければ独身で暮らすよりほかに方法はないんだから。よく金持ちの娘や何かにそんなのがあるじゃないか、望んで嫁に来ておきながら、亭主を軽蔑しているのが。美禰子さんはそれよりずっと偉い。その代り、夫として尊敬のできない人の所へははじめから行く気はないんだから、相手になるものはその気でいなくっちゃいけない。そういう点で君だのぼくだのは、あの女の夫になる資格はないんだよ」  三四郎はとうとう与次郎といっしょにされてしまった。しかし依然として黙っていた。 「そりゃ君だって、ぼくだって、あの女よりはるかに偉いさ。お互いにこれでも、なあ。けれども、もう五、六年たたなくっちゃ、その偉さ加減がかの女の目に映ってこない。しかして、かの女は五、六年じっとしている気づかいはない。したがって、君があの女と結婚する事は風馬牛だ」  与次郎は風馬牛という熟字を妙なところへ使った。そうして一人で笑っている。 「なに、もう五、六年もすると、あれより、ずっと上等なのが、あらわれて来るよ。日本じゃ今女のほうが余っているんだから。風邪なんか引いて熱を出したってはじまらない。――なに世の中は広いから、心配するがものはない。じつはぼくにもいろいろあるんだが、ぼくのほうであんまりうるさいから、御用で長崎へ出張すると言ってね」 「なんだ、それは」 「なんだって、ぼくの関係した女さ」  三四郎は驚いた。 「なに、女だって、君なんぞのかつて近寄ったことのない種類の女だよ。それをね、長崎へ黴菌の試験に出張するから当分だめだって断わっちまった。ところがその女が林檎を持って停車場まで送りに行くと言いだしたんで、ぼくは弱ったね」  三四郎はますます驚いた。驚きながら聞いた。 「それで、どうした」 「どうしたか知らない。林檎を持って、停車場に待っていたんだろう」 「ひどい男だ。よく、そんな悪い事ができるね」 「悪い事で、かあいそうな事だとは知ってるけれども、しかたがない。はじめから次第次第に、そこまで運命に持っていかれるんだから。じつはとうのさきからぼくが医科の学生になっていたんだからなあ」 「なんで、そんなよけいな嘘をつくんだ」 「そりゃ、またそれぞれの事情のあることなのさ。それで、女が病気の時に、診断を頼まれて困ったこともある」  三四郎はおかしくなった。 「その時は舌を見て、胸をたたいて、いいかげんにごまかしたが、その次に病院へ行って、見てもらいたいがいいかと聞かれたには閉口した」  三四郎はとうとう笑いだした。与次郎は、 「そういうこともたくさんあるから、まあ安心するがよかろう」と言った。なんの事だかわからない。しかし愉快になった。  与次郎はその時はじめて、美禰子に関する不思議を説明した。与次郎の言うところによると、よし子にも結婚の話がある。それから美禰子にもある。それだけならばいいが、よし子の行く所と、美禰子の行く所が、同じ人らしい。だから不思議なのだそうだ。  三四郎も少しばかにされたような気がした。しかしよし子の結婚だけはたしかである。現に自分がその話をそばで聞いていた。ことによるとその話を美禰子のと取り違えたのかもしれない。けれども美禰子の結婚も、まったく嘘ではないらしい。三四郎ははっきりしたところが知りたくなった。ついでだから、与次郎に教えてくれと頼んだ。与次郎はわけなく承知した。よし子を見舞いに来るようにしてやるから、じかに聞いてみろという。うまい事を考えた。 「だから、薬を飲んで、待っていなくってはいけない」 「病気が直っても、寝て待っている」  二人は笑って別れた。帰りがけに与次郎が、近所の医者に来てもらう手続きをした。  晩になって、医者が来た。三四郎は自分で医者を迎えた覚えがないんだから、はじめは少し狼狽した。そのうち脈を取られたのでようやく気がついた。年の若い丁寧な男である。三四郎は代診と鑑定した。五分ののち病症はインフルエンザときまった。今夜|頓服を飲んで、なるべく風にあたらないようにしろという注意である。  翌日目がさめると、頭がだいぶ軽くなっている。寝ていれば、ほとんど常体に近い。ただ枕を離れると、ふらふらする。下女が来て、だいぶ部屋の中が熱臭いと言った。三四郎は飯も食わずに、仰向けに天井をながめていた。時々うとうと眠くなる。明らかに熱と疲れとにとらわれたありさまである。三四郎は、とらわれたまま、逆らわずに、寝たりさめたりするあいだに、自然に従う一種の快感を得た。病症が軽いからだと思った。  四時間、五時間とたつうちに、そろそろ退屈を感じだした。しきりに寝返りを打つ。外はいい天気である。障子にあたる日が、次第に影を移してゆく。雀が鳴く。三四郎はきょうも与次郎が遊びに来てくれればいいと思った。  ところへ下女が障子をあけて、女のお客様だと言う。よし子が、そう早く来ようとは待ち設けなかった。与次郎だけに敏捷な働きをした。寝たまま、あけ放しの入口に目をつけていると、やがて高い姿が敷居の上へ現われた。きょうは紫の袴をはいている。足は両方とも廊下にある。ちょっとはいるのを躊躇した様子が見える。三四郎は肩を床から上げて、「いらっしゃい」と言った。  よし子は障子をたてて、枕元へすわった。六畳の座敷が、取り乱してあるうえに、けさは掃除をしないから、なお狭苦しい。女は、三四郎に、 「寝ていらっしゃい」と言った。三四郎はまた頭を枕へつけた。自分だけは穏やかである。 「臭くはないですか」と聞いた。 「ええ、少し」と言ったが、べつだん臭い顔もしなかった。「熱がおありなの。なんなんでしょう、御病気は。お医者はいらしって」 「医者はゆうべ来ました。インフルエンザだそうです」 「けさ早く佐々木さんがおいでになって、小川が病気だから見舞いに行ってやってください。何病だかわからないが、なんでも軽くはないようだっておっしゃるものだから、私も美禰子さんもびっくりしたの」  与次郎がまた少しほらを吹いた。悪く言えば、よし子を釣り出したようなものである。三四郎は人がいいから、気の毒でならない。「どうもありがとう」と言って寝ている。よし子は風呂敷包みの中から、蜜柑の籠を出した。 「美禰子さんの御注意があったから買ってきました」と正直な事を言う。どっちのお見舞だかわからない。三四郎はよし子に対して礼を述べておいた。 「美禰子さんもあがるはずですが、このごろ少し忙しいものですから――どうぞよろしくって……」 「何か特別に忙しいことができたのですか」 「ええ。できたの」と言った。大きな黒い目が、枕についた三四郎の顔の上に落ちている。三四郎は下から、よし子の青白い額を見上げた。はじめてこの女に病院で会った昔を思い出した。今でもものうげに見える。同時に快活である。頼りになるべきすべての慰謝を三四郎の枕の上にもたらしてきた。 「蜜柑をむいてあげましょうか」  女は青い葉の間から、果物を取り出した。渇いた人は、香にほとばしる甘い露を、したたかに飲んだ。 「おいしいでしょう。美禰子さんのお見舞よ」 「もうたくさん」  女は袂から白いハンケチを出して手をふいた。 「野々宮さん、あなたの御縁談はどうなりました」 「あれぎりです」 「美禰子さんにも縁談の口があるそうじゃありませんか」 「ええ、もうまとまりました」 「だれですか、さきは」 「私をもらうと言ったかたなの。ほほほおかしいでしょう。美禰子さんのお兄いさんのお友だちよ。私近いうちにまた兄といっしょに家を持ちますの。美禰子さんが行ってしまうと、もうご厄介になってるわけにゆかないから」 「あなたはお嫁には行かないんですか」 「行きたい所がありさえすれば行きますわ」  女はこう言い捨てて心持ちよく笑った。まだ行きたい所がないにきまっている。  三四郎はその日から四日ほど床を離れなかった。五日目にこわごわながら湯にはいって、鏡を見た。亡者の相がある。思い切って床屋へ行った。そのあくる日は日曜である。  朝飯後、シャツを重ねて、外套を着て、寒くないようにして美禰子の家へ行った。玄関によし子が立って、今|沓脱へ降りようとしている。今兄の所へ行くところだと言う。美禰子はいない。三四郎はいっしょに表へ出た。 「もうすっかりいいんですか」 「ありがとう。もう直りました。――里見さんはどこへ行ったんですか」 「にいさん?」 「いいえ、美禰子さんです」 「美禰子さんは会堂」  美禰子の会堂へ行くことは、はじめて聞いた。どこの会堂か教えてもらって、三四郎はよし子に別れた。横町を三つほど曲がると、すぐ前へ出た。三四郎はまったく耶蘇教に縁のない男である。会堂の中はのぞいて見たこともない。前へ立って、建物をながめた。説教の掲示を読んだ。鉄柵の所を行ったり来たりした。ある時は寄りかかってみた。三四郎はともかくもして、美禰子の出てくるのを待つつもりである。  やがて唱歌の声が聞こえた。賛美歌というものだろうと考えた。締め切った高い窓のうちのでき事である。音量から察するとよほどの人数らしい。美禰子の声もそのうちにある。三四郎は耳を傾けた。歌はやんだ。風が吹く。三四郎は外套の襟を立てた。空に美禰子の好きな雲が出た。  かつて美禰子といっしょに秋の空を見たこともあった。所は広田先生の二階であった。田端の小川の縁にすわったこともあった。その時も一人ではなかった。迷羊。迷羊。雲が羊の形をしている。  忽然として会堂の戸が開いた。中から人が出る。人は天国から浮世へ帰る。美禰子は終りから四番目であった。縞の吾妻コートを着て、うつ向いて、上り口の階段を降りて来た。寒いとみえて、肩をすぼめて、両手を前で重ねて、できるだけ外界との交渉を少なくしている。美禰子はこのすべてにあがらざる態度を門ぎわまで持続した。その時、往来の忙しさに、はじめて気がついたように顔を上げた。三四郎の脱いだ帽子の影が、女の目に映った。二人は説教の掲示のある所で、互いに近寄った。 「どうなすって」 「今お宅までちょっと出たところです」 「そう、じゃいらっしゃい」  女はなかば歩をめぐらしかけた。相変らず低い下駄をはいている。男はわざと会堂の垣に身を寄せた。 「ここでお目にかかればそれでよい。さっきから、あなたの出て来るのを待っていた」 「おはいりになればよいのに。寒かったでしょう」 「寒かった」 「お風邪はもうよいの。大事になさらないと、ぶり返しますよ。まだ顔色がよくないようね」  男は返事をしずに、外套の隠袋から半紙に包んだものを出した。 「拝借した金です。ながながありがとう。返そう返そうと思って、ついおそくなった」  美禰子はちょっと三四郎の顔を見たが、そのまま逆らわずに、紙包みを受け取った。しかし手に持ったなり、しまわずにながめている。三四郎もそれをながめている。言葉が少しのあいだ切れた。やがて、美禰子が言った。 「あなた、御不自由じゃなくって」 「いいえ、このあいだからそのつもりで国から取り寄せておいたのだから、どうか取ってください」 「そう。じゃいただいておきましょう」  女は紙包みを懐へ入れた。その手を吾妻コートから出した時、白いハンケチを持っていた。鼻のところへあてて、三四郎を見ている。ハンケチをかぐ様子でもある。やがて、その手を不意に延ばした。ハンケチが三四郎の顔の前へ来た。鋭い香がぷんとする。 「ヘリオトロープ」と女が静かに言った。三四郎は思わず顔をあとへ引いた。ヘリオトロープの罎。四丁目の夕暮。迷羊。迷羊。空には高い日が明らかにかかる。 「結婚なさるそうですね」  美禰子は白いハンケチを袂へ落とした。 「御存じなの」と言いながら、二重瞼を細目にして、男の顔を見た。三四郎を遠くに置いて、かえって遠くにいるのを気づかいすぎた目つきである。そのくせ眉だけははっきりおちついている。三四郎の舌が上顎へひっついてしまった。  女はややしばらく三四郎をながめたのち、聞きかねるほどのため息をかすかにもらした。やがて細い手を濃い眉の上に加えて言った。 「我はわが愆を知る。わが罪は常にわが前にあり」  聞き取れないくらいな声であった。それを三四郎は明らかに聞き取った。三四郎と美禰子はかようにして別れた。下宿へ帰ったら母からの電報が来ていた。あけて見ると、いつ立つとある。 一三  原口さんの絵はでき上がった。丹青会はこれを一室の正面にかけた。そうしてその前に長い腰掛けを置いた。休むためでもある。絵を見るためでもある。休みかつ味わうためでもある。丹青会はこうして、この大作に※徊する多くの観覧者に便利を与えた。特別の待遇である。絵が特別のできだからという。あるいは人の目をひく題だからともいう。少数のものは、あの女を描いたからだといった。会員の一、二はまったく大きいからだと弁解した。大きいには違いない。幅五寸に余る金の縁をつけて見ると、見違えるように大きくなった。  原口さんは開会の前日検分のためちょっと来た。腰掛けに腰をおろして、久しいあいだパイプをくわえてながめていた。やがて、ぬっと立って、場内を一巡丁寧に回った。それからまたもとの腰掛けへ帰って、第二のパイプをゆっくり吹かした。 「森の女」の前には開会の当日から人がいっぱいたかった。せっかくの腰掛けは無用の長物となった。ただ疲れた者が、絵を見ないために休んでいた。それでも休みながら「森の女」の評をしていた者がある。  美禰子は夫に連られて二日目に来た。原口さんが案内をした。「森の女」の前へ出た時、原口さんは「どうです」と二人を見た。夫は「結構です」と言って、眼鏡の奥からじっと眸を凝らした。 「この団扇をかざして立った姿勢がいい。さすが専門家は違いますね。よくここに気がついたものだ。光線が顔へあたるぐあいがうまい。陰と日向の段落がかっきりして――顔だけでも非常におもしろい変化がある」 「いや皆御当人のお好みだから。ぼくの手柄じゃない」 「おかげさまで」と美禰子が礼を述べた。 「私も、おかげさまで」と今度は原口さんが礼を述べた。  夫は細君の手柄だと聞いてさもうれしそうである。三人のうちでいちばん鄭重な礼を述べたのは夫である。  開会後第一の土曜の昼過ぎにはおおぜいいっしょに来た。――広田先生と野々宮さんと与次郎と三四郎と。四人はよそをあと回しにして、第一に「森の女」の部屋にはいった。与次郎が「あれだ、あれだ」と言う。人がたくさんたかっている。三四郎は入口でちょっと躊躇した。野々宮さんは超然としてはいった。  おおぜいのうしろから、のぞきこんだだけで、三四郎は退いた。腰掛けによってみんなを待ち合わしていた。 「すてきに大きなもの描いたな」と与次郎が言った。 「佐々木に買ってもらうつもりだそうだ」と広田先生が言った。 「ぼくより」と言いかけて、見ると、三四郎はむずかしい顔をして腰掛けにもたれている。与次郎は黙ってしまった。 「色の出し方がなかなか洒落ていますね。むしろ意気な絵だ」と野々宮さんが評した。 「少し気がききすぎているくらいだ。これじゃ鼓の音のようにぽんぽんする絵はかけないと自白するはずだ」と広田先生が評した。 「なんですぽんぽんする絵というのは」 「鼓の音のように間が抜けていて、おもしろい絵の事さ」  二人は笑った。二人は技巧の評ばかりする。与次郎が異を立てた。 「里見さんを描いちゃ、だれが描いたって、間が抜けてるようには描けませんよ」  野々宮さんは目録へ記号をつけるために、隠袋へ手を入れて鉛筆を捜した。鉛筆がなくって、一枚の活版刷りのはがきが出てきた。見ると、美禰子の結婚|披露の招待状であった。披露はとうに済んだ。野々宮さんは広田先生といっしょにフロックコートで出席した。三四郎は帰京の当日この招待状を下宿の机の上に見た。時期はすでに過ぎていた。  野々宮さんは、招待状を引き千切って床の上に捨てた。やがて先生とともにほかの絵の評に取りかかる。与次郎だけが三四郎のそばへ来た。 「どうだ森の女は」 「森の女という題が悪い」 「じゃ、なんとすればよいんだ」  三四郎はなんとも答えなかった。ただ口の中で迷羊、迷羊と繰り返した。  余は子規の描いた画をたった一枚持っている。亡友の記念だと思って長い間それを袋の中に入れてしまっておいた。年数の経つに伴れて、ある時はまるで袋の所在を忘れて打ち過ぎる事も多かった。近頃ふと思い出して、ああしておいては転宅の際などにどこへ散逸するかも知れないから、今のうちに表具屋へやって懸物にでも仕立てさせようと云う気が起った。渋紙の袋を引き出して塵を払いて中を検べると、画は元のまま湿っぽく四折に畳んであった。画のほかに、無いと思った子規の手紙も幾通か出て来た。余はその中から子規が余に宛てて寄こした最後のものと、それから年月の分らない短いものとを選び出して、その中間に例の画を挟んで、三つを一纏めに表装させた。  画は一輪花瓶に挿した東菊で、図柄としては極めて単簡な者である。傍に「是は萎み掛けた所と思い玉え。下手いのは病気の所為だと思い玉え。嘘だと思わば肱を突いて描いて見玉え」という註釈が加えてあるところをもって見ると、自分でもそう旨いとは考えていなかったのだろう。子規がこの画を描いた時は、余はもう東京にはいなかった。彼はこの画に、東菊|活けて置きけり火の国に住みける君の帰り来るがねと云う一首の歌を添えて、熊本まで送って来たのである。  壁に懸けて眺めて見るといかにも淋しい感じがする。色は花と茎と葉と硝子の瓶とを合せてわずかに三色しか使ってない。花は開いたのが一輪に蕾が二つだけである。葉の数を勘定して見たら、すべてでやっと九枚あった。それに周囲が白いのと、表装の絹地が寒い藍なので、どう眺めても冷たい心持が襲って来てならない。  子規はこの簡単な草花を描くために、非常な努力を惜しまなかったように見える。わずか三茎の花に、少くとも五六時間の手間をかけて、どこからどこまで丹念に塗り上げている。これほどの骨折は、ただに病中の根気仕事としてよほどの決心を要するのみならず、いかにも無雑作に俳句や歌を作り上げる彼の性情から云っても、明かな矛盾である。思うに画と云う事に初心な彼は当時絵画における写生の必要を不折などから聞いて、それを一草一花の上にも実行しようと企てながら、彼が俳句の上ですでに悟入した同一方法を、この方面に向って適用する事を忘れたか、または適用する腕がなかったのであろう。  東菊によって代表された子規の画は、拙くてかつ真面目である。才を呵して直ちに章をなす彼の文筆が、絵の具皿に浸ると同時に、たちまち堅くなって、穂先の運行がねっとり竦んでしまったのかと思うと、余は微笑を禁じ得ないのである。虚子が来てこの幅を見た時、正岡の絵は旨いじゃありませんかと云ったことがある。余はその時、だってあれだけの単純な平凡な特色を出すのに、あのくらい時間と労力を費さなければならなかったかと思うと、何だか正岡の頭と手が、いらざる働きを余儀なくされた観があるところに、隠し切れない拙が溢れていると思うと答えた。馬鹿律義なものに厭味も利いた風もありようはない。そこに重厚な好所があるとすれば、子規の画はまさに働きのない愚直ものの旨さである。けれども一線一画の瞬間作用で、優に始末をつけられべき特長を、とっさに弁ずる手際がないために、やむをえず省略の捷径を棄てて、几帳面な塗抹主義を根気に実行したとすれば、拙の一字はどうしても免れがたい。  子規は人間として、また文学者として、最も「拙」の欠乏した男であった。永年彼と交際をしたどの月にも、どの日にも、余はいまだかつて彼の拙を笑い得るの機会を捉え得た試がない。また彼の拙に惚れ込んだ瞬間の場合さえもたなかった。彼の歿後ほとんど十年になろうとする今日、彼のわざわざ余のために描いた一輪の東菊の中に、確にこの一拙字を認める事のできたのは、その結果が余をして失笑せしむると、感服せしむるとに論なく、余にとっては多大の興味がある。ただ画がいかにも淋しい。でき得るならば、子規にこの拙な所をもう少し雄大に発揮させて、淋しさの償としたかった。  自然を寫すのに、どういふ文體が宜いかといふ事は私には何とも言へない。今日では一番言文一致が行はれて居るけれども、句の終りに「である」「のだ」とかいふ言葉があるので言文一致で通つて居るけれども、「である」「のだ」を引き拔いたら立派な雅文になるのが澤山ある。だから言文一致は便利ではあらうが、何も別にこれでなければ自然は寫せぬといふ文體はあるまい。けれども漢文くづしの文體が可いか、言文一致の細かいところへ手の屆く文體が可いかといふ事は、韻致とか、精細とかいふ點に於て一寸考へものだらうとは思ふ。  韻致とか精細とか言ふ事は取りやうにもよるが、精細に描寫が出來て居て、しかも餘韻に富んで居るといふやうな文章はまだ私は見た事がない。或一つの風景について、テンからキリまで整然と寫せてあつて、それがいかにも目の前に浮動するやうな文章は恐らくあるまい。それは到底出來得べからざる事だらうとおもふ。私の考では自然を寫す――即ち敍事といふものは、なにもそんなに精細に緻細に寫す必要はあるまいとおもふ。寫せたところでそれが必ずしも價値のあるものではあるまい。例へばこの六疊の間でも、机があつて本があつて、何處に主人が居つて、何處に煙草盆があつて、その煙草盆はどうして、煙草は何でといふやうな事をいくら寫しても、讀者が讀むのに讀み苦しいばかりで何の價値もあるまいとおもふ。その六疊の特色を現はしさへすれば足りるとおもふ。ランプが薄暗かつたとか、亂雜になつて居つたとか言ふ事を、讀んでいかにも心に浮べ得られるやうに書けば足りる。畫でもさうだらう。西洋にもやはり畫家の方でさういふ議論も澤山あるし、日本の鳥羽僧正などの畫でも、別に些しも精細といふ點はないが、一寸點を打つても鴉に見え、一寸棒をくる/\と引つ張つてもそれが袖のやうに見える。それが又見るものの眼には非常に面白い。文章でもさうだ。鏡花などの作が人に印象を與へる事が深いといふのも矢張りかういふ點だらうとおもふ。一寸一刷毛でよいからその風景の中心になる部分を、すツと巧みになすつたやうなものが非常に面白い、目に浮ぶやうに見える。五月雨の景にしろ、月夜の景にしろ、その中の主要なる部分――といふよりは中心點を讀者に示して、それで非常に面白味があるといふやうに書くのは、文學者の手際であらうとおもふ。  だから長々しく敍景の筆を弄したものよりも、漢語や俳句などで、一寸一句にその中心點をつまんで書いたものに、多大の聯想をふくんだ、韻致の多いものがあるといふのは、畢竟こゝの消息だらうとおもふ。要するに、一部一厘もちがはずに自然を寫すといふ事は不可能の事ではあるし、又なし得たところが、別に大した價値のある事でもあるまい。その證據に、よく敍景などの文をよんで、精しく檢べて見ると、隨分名文の中に、前に西向きになつて居るものが後に東向きになつて居つたり、方角の矛盾などが隨分あるけれども、誰もそんな事を捉まへて議論するものも無ければ、その攻撃をしたものも聞かない。で、要するに自然にしろ、事物にしろ、之を描寫するに、その聯想にまかせ得るだけの中心點を捉へ得ればそれで足りるのであつて、細精でも面白くなければ何にもならんとおもふ。 ―明治三九、一一、一『新聲』―  西暦一千九百二年秋忘月忘日白旗を寝室の窓に翻えして下宿の婆さんに降を乞うや否や、婆さんは二十貫目の体躯を三階の天辺まで運び上げにかかる、運び上げるというべきを上げにかかると申すは手間のかかるを形容せんためなり、階段を上ること無慮四十二級、途中にて休憩する事前後二回、時を費す事三分五セコンドの後この偉大なる婆さんの得意なるべき顔面が苦し気に戸口にヌッと出現する、あたり近所は狭苦しきばかり也、この会見の栄を肩身狭くも双肩に荷える余に向って婆さんは媾和条件の第一款として命令的に左のごとく申し渡した、 自転車に御乗んなさい  ああ悲いかなこの自転車事件たるや、余はついに婆さんの命に従って自転車に乗るべく否自転車より落るべく「ラヴェンダー・ヒル」へと参らざるべからざる不運に際会せり、監督兼教師は○○氏なり、悄然たる余を従えて自転車屋へと飛び込みたる彼はまず女乗の手頃なる奴を撰んでこれがよかろうと云う、その理由いかにと尋ぬるに初学入門の捷径はこれに限るよと降参人と見てとっていやに軽蔑した文句を並べる、不肖なりといえども軽少ながら鼻下に髯を蓄えたる男子に女の自転車で稽古をしろとは情ない、まあ落ちても善いから当り前の奴でやってみようと抗議を申し込む、もし採用されなかったら丈夫玉砕瓦全を恥ずとか何とか珍汾漢の気※を吐こうと暗に下拵に黙っている、とそれならこれにしようと、いとも見苦しかりける男乗をぞあてがいける、思えらく能者筆を択ばず、どうせ落ちるのだから車の美醜などは構うものかと、あてがわれたる車を重そうに引張り出す、不平なるは力を出して上からウンと押して見るとギーと鳴る事なり、伏して惟れば関節が弛んで油気がなくなった老朽の自転車に万里の波濤を超えて遥々と逢いに来たようなものである、自転車屋には恩給年限がないのか知らんとちょっと不審を起してみる、思うにその年限は疾ッくの昔に来ていて今まで物置の隅に閑居静養を専らにした奴に違ない、計らざりき東洋の孤客に引きずり出され奔命に堪ずして悲鳴を上るに至っては自転車の末路また憐むべきものありだがせめては降参の腹癒にこの老骨をギューと云わしてやらんものをと乗らぬ先から当人はしきりに乗り気になる、然るにハンドルなるもの神経過敏にてこちらへ引けば股にぶつかり、向へ押しやると往来の真中へ馳け出そうとする、乗らぬ内からかくのごとく処置に窮するところをもって見れば乗った後の事は思いやるだに涙の種と知られける、 「どこへ行って乗ろう」「どこだって今日初めて乗るのだからなるたけ人の通らない道の悪くない落ちても人の笑わないようなところに願いたい」と降参人ながらいろいろな条件を提出する、仁恵なる監督官は余が衷情を憐んで「クラパム・コンモン」の傍人跡あまり繁からざる大道の横手馬乗場へと余を拉し去る、しかして後「さあここで乗って見たまえ」という、いよいよ降参人の降参人たる本領を発揮せざるを得ざるに至った、ああ悲夫、  乗って見たまえとはすでに知己の語にあらず、その昔本国にあって時めきし時代より天涯万里孤城落日資金窮乏の今日に至るまで人の乗るのを見た事はあるが自分が乗って見たおぼえは毛頭ない、去るを乗って見たまえとはあまり無慈悲なる一言と怒髪鳥打帽を衝て猛然とハンドルを握ったまではあっぱれ武者ぶりたのもしかったがいよいよ鞍に跨って顧盻勇を示す一段になるとおあつらえ通りに参らない、いざという間際でずどんと落ること妙なり、自転車は逆立も何もせず至極落ちつきはらったものだが乗客だけはまさに鞍壺にたまらずずんでん堂とこける、かつて講釈師に聞た通りを目のあたり自ら実行するとは、あにはからんや、  監督官云う、「初めから腰を据えようなどというのが間違っている、ペダルに足をかけようとしても駄目だよ、ただしがみついて車が一回転でもすれば上出来なんだ」、と心細いこと限りなし、ああ吾事休矣いくらしがみついても車は半輪転もしないああ吾事休矣としきりに感投詞を繰り返して暗に助勢を嘆願する、かくあらんとは兼て期したる監督官なれば、近く進んでさあ、僕がしっかり抑えているから乗りたまえ、おっとそう真ともに乗っては顛り返る、そら見たまえ、膝を打たろう、今度はそーっと尻をかけて両手でここを握って、よしか、僕が前へ押し出すからその勢で調子に乗って馳け出すんだよ、と怖がる者を面白半分前へ突き出す、然るにすべてこれらの準備すべてこれらの労力が突き出される瞬間において砂地に横面を抛りつけるための準備にしてかつ労力ならんとは実に神ならぬ身の誰か知るべき底の驚愕である。  ちらほら人が立ちどまって見る、にやにや笑って行くものがある、向うの樫の木の下に乳母さんが小供をつれてロハ台に腰をかけてさっきからしきりに感服して見ている、何を感服しているのか分らない、おおかた流汗淋漓大童となって自転車と奮闘しつつある健気な様子に見とれているのだろう、天涯この好知己を得る以上は向脛の二三カ所を擦りむいたって惜しくはないという気になる、「もう一遍頼むよ、もっと強く押してくれたまえ、なにまた落ちる? 落ちたって僕の身体だよ」と降参人たる資格を忘れてしきりに汗気※を吹いている、すると出し抜に後ろから Sir ! と呼んだものがある、はてな滅多な異人に近づきはないはずだがとふり返ると、ちょっと人を狼狽せしむるに足る的の大巡査がヌーッと立っている、こちらはこんな人に近づきではないが先方ではこのポット出のチンチクリンの田舎者に近づかざるべからざる理由があってまさに近づいたものと見える、その理由に曰くここは馬を乗る所で自転車に乗る所ではないから自転車を稽古するなら往来へ出てやらしゃい、オーライ謹んで命を領すと混淆式の答に博学の程度を見せてすぐさまこれを監督官に申出る、と監督官は降参人の今日の凹み加減充分とや思いけん、もう帰ろうじゃないかと云う、すなわち乗れざる自転車と手を携えて帰る、どうでしたと婆さんの問に敗余の意気をもらすらく車|嘶いて白日暮れ耳鳴って秋気|来るヘン  忘月忘日 例の自転車を抱いて坂の上に控えたる余は徐ろに眼を放って遥かあなたの下を見廻す、監督官の相図を待って一気にこの坂を馳け下りんとの野心あればなり、坂の長さ二丁余、傾斜の角度二十度ばかり、路幅十間を超えて人通多からず、左右はゆかしく住みなせる屋敷ばかりなり、東洋の名士が自転車から落る稽古をすると聞いて英政府が特に土木局に命じてこの道路を作らしめたかどうだかその辺はいまだに判然しないが、とにかく自転車用道路として申分のない場所である、余が監督官は巡査の小言に胆を冷したものか乃至はまた余の車を前へ突き出す労力を省くためか、昨日から人と車を天然自然ところがすべく特にこの地を相し得て余を連れだしたのである、  人の通らない馬車のかよわない時機を見計ったる監督官はさあ今だ早く乗りたまえという、ただしこの乗るという字に註釈が入る、この字は吾ら両人の間にはいまだ普通の意味に用られていない、わがいわゆる乗るは彼らのいわゆる乗るにあらざるなり、鞍に尻をおろさざるなり、ペダルに足をかけざるなり、ただ力学の原理に依頼して毫も人工を弄せざるの意なり、人をもよけず馬をも避けず水火をも辞せず驀地に前進するの義なり、去るほどにその格好たるやあたかも疝気持が初出に梯子乗を演ずるがごとく、吾ながら乗るという字を濫用してはおらぬかと危ぶむくらいなものである、されども乗るはついに乗るなり、乗らざるにあらざるなり、ともかくも人間が自転車に附着している也、しかも一気呵成に附着しているなり、この意味において乗るべく命ぜられたる余は、疾風のごとくに坂の上から転がり出す、すると不思議やな左の方の屋敷の内から拍手して吾が自転行を壮にしたいたずらものがある、妙だなと思う間もなく車はすでに坂の中腹へかかる、今度は大変な物に出逢った、女学生が五十人ばかり行列を整えて向からやってくる、こうなってはいくら女の手前だからと言って気取る訳にもどうする訳にも行かん、両手は塞っている、腰は曲っている、右の足は空を蹴ている、下りようとしても車の方で聞かない、絶体絶命しようがないから自家独得の曲乗のままで女軍の傍をからくも通り抜ける。ほっと一息つく間もなく車はすでに坂を下りて平地にあり、けれども毫も留まる気色がない、しかのみならず向うの四ツ角に立ている巡査の方へ向けてどんどん馳けて行く、気が気でない、今日も巡査に叱られる事かと思いながらもやはり曲乗の姿勢をくずす訳に行かない、自転車は我に無理情死を逼る勢でむやみに人道の方へ猛進する、とうとう車道から人道へ乗り上げそれでも止まらないで板塀へぶつかって逆戻をする事一間半、危くも巡査を去る三尺の距離でとまった。大分御骨が折れましょうと笑ながら査公が申された故、答えて曰くイエス、  忘月忘日「……御調べになる時はブリチッシュ・ミュジーアムへ御出かけになりますか」「あすこへはあまり参りません、本へやたらにノートを書きつけたり棒を引いたりする癖があるものですから」「さよう、自分の本の方が自由に使えて善ですね、しかし私などは著作をしようと思うとあすこへ出かけます……」 「夏目さんは大変御勉強だそうですね」と細君が傍から口を開く「あまり勉強もしません、近頃は人から勧められて自転車を始めたものですから、朝から晩までそればかりやっています」「自転車は面白うござんすね、宅ではみんな乗りますよ、あなたもやはり遠乗をなさいましょう」遠乗をもって細君から擬せられた先生は実に普通の意味において乗るちょう事のいかなるものなるかをさえ解し得ざる男なり、ただ一種の曲解せられたる意味をもって坂の上から坂の下まで辛うじて乗り終せる男なり、遠乗の二字を承って心安からず思いしが、掛直を云うことが第二の天性とまで進化せる二十世紀の今日、この点にかけては一人前に通用する人物なれば、如才なく下のごとく返答をした「さよう遠乗というほどの事もまだしませんが、坂の上から下の方へ勢よく乗りおろす時なんかすこぶる愉快ですね」  今まで沈黙を守っておった令嬢はこいつ少しは乗きるなと疳違をしたものと見えて「いつか夏目さんといっしょに皆でウィンブルドンへでも行ったらどうでしょう」と父君と母上に向って動議を提出する、父君と母上は一斉に余が顔を見る、余ここにおいてか少々尻こそばゆき状態に陥るのやむをえざるに至れり、さりながら妙齢なる美人より申し込まれたるこの果し状を真平御免蒙ると握りつぶす訳には行かない、いやしくも文明の教育を受けたる紳士が婦人に対する尊敬を失しては生涯の不面目だし、かつやこれでもかこれでもかと余が咽喉を扼しつつある二寸五分のハイカラの手前もある事だから、ことさらに平気と愉快を等分に加味した顔をして「それは面白いでしょうしかし……」「御勉強で御忙しいでしょうが今度の土曜ぐらいは御閑でいらっしゃいましょう」とだんだん切り込んでくる、余が「しかし……」の後には必ずしも多忙が来ると限っておらない、自分ながら何のための「しかし」だかまだ判然せざるうちにこう先を越されてはいよいよ「しかし」の納り場がなくなる、「しかしあまり人通りの多い所ではエー……アノーまだ練れませんから」とようやく一方の活路を開くや否や「いえ、あの辺の道路は実に閑静なものですよ」とすぐ通せん坊をされる、進退これきわまるとは啻に自転車の上のみにてはあらざりけり、と独りで感心をしている、感心したばかりでは埒があかないから、この際|唯一の手段として「しかし」をもう一遍|繰り返す「しかし……今度の土曜は天気でしょうか」旗幟の鮮明ならざること夥しい誰に聞いたって、そんな事が分るものか、さてもこの勝負男の方負とや見たりけん、審判官たる主人は仲裁乎として口を開いて曰く、日はきめんでもいずれそのうち私が自転車で御宅へ伺いましょう、そしていっしょに散歩でもしましょう、――サイクリストに向っていっしょに散歩でもしましょうとはこれいかに、彼は余を目してサイクリストたるの資格なきものと認定せるなり  このうつくしき令嬢と「ウィンブルドン」に行かなかったのは余の幸であるかはた不幸であるか、考うること四十八時間ついに判然しなかった、日本派の俳諧師これを称して朦朧体という  忘月忘日 数日来の手痛き経験と精緻なる思索とによって余は下の結論に到着した 自転車の鞍とペダルとは何も世間体を繕うために漫然と附着しているものではない、鞍は尻をかけるための鞍にしてペダルは足を載せかつ踏みつけると回転するためのペダルなり、ハンドルはもっとも危険の道具にして、一度びこれを握るときは人目を眩せしむるに足る目勇しき働きをなすものなり  かく漆桶を抜くがごとく自転悟を開きたる余は今例の監督官及びその友なる貴公子某伯爵と共に※を連ねて「クラパムコンモン」を横ぎり鉄道馬車の通う大通りへ曲らんとするところだと思いたまえ、余の車は両君の間に介在して操縦すでに自由ならず、ただ前へ出られるばかりと思いたまえ、しかるに出られべき一方口が突然|塞ったと思いたまえ、すなわち横ぎりにかかる塗炭に右の方より不都合なる一輛の荷車が御免よとも何とも云わず傲然として我前を通ったのさ、今までの態度を維持すれば衝突するばかりだろう、余の主義として衝突はこちらが勝つ場合についてのみあえてするが、その他負色の見えすいたような衝突になるといつでも御免蒙るのが吾家伝来の憲法である、さるによってこの尨大なる荷車と老朽悲鳴をあげるほどの吾が自転車との衝突は、おやじの遺言としても避けねばならぬ、と云って左右へよけようとすると御両君のうちいずれへか衝突の尻をもって行かねばならん、もったいなくも一人は伯爵の若殿様で、一人は吾が恩師である、さような無礼な事は平民たる我々|風情のすまじき事である、のみならず捕虜の分際として推参な所作と思わるべし、孝ならんと欲すれば礼ならず、礼ならんと欲すれば孝ならず、やむなくんば退却か落車の二あるのみと、ちょっとの間に相場がきまってしまった、この時事に臨んでかつて狼狽したる事なきわれつらつら思うよう、できさえすれば退却も満更でない、少なくとも落車に優ること万々なりといえども、悲夫|逆艪の用意いまだ調わざる今日の時勢なれば、エー仕方がない思い切って落車にしろ、と両車の間に堂と落つ、折しも余を去る事二間ばかりのところに退屈そうに立っていた巡査――自転車の巡査におけるそれなお刺身のツマにおけるがごときか、何ぞそれ引き合に出るのはなはだしき――このツマ的巡査が声を揚げてアハ、アハ、アハ、と三度笑った。その笑い方苦笑にあらず、冷笑にあらず、微笑にあらず、カンラカラカラ笑にあらず、全くの作り笑なり、人から頼まれてする依托笑なり、この依托笑をするためにこの巡査はシックスペンスを得たか、ワン・シリングを得たか、遺憾ながらこれを考究する暇がなかった、  へんツマ巡査などが笑ったってとすぐさま御両君の後を慕って馳け出す、これが巡公でなくって先日の御娘さんだったらやはりすぐさま馳け出されるかどうだかの問題はいざとならなければ解釈がつかないから質問しない方がいいとして先へ進む、さて両君はこの辺の地理不案内なりとの口実をもって覚束なき余に先導たるべしとの厳命を伝えた、しかるに案内には詳しいが自転車には毫も詳しくないから、行こうと思う方へは行かないで曲り角へくるとただ曲りやすい方へ曲ってしまう、ここにおいてか同じ所へ何返も出て来る、始めの内は何とかかんとかごまかしていたが、そうは持ち切れるものでない、今度は違った方へ行こうとの御意である、よろしいと口には云ったようなものの、ままにならぬは浮世の習、容易にそっちの方角へ曲らない、道幅三分の二も来た頃、やっとの思でハンドルをギューッと捩ったら、自転車は九十度の角度を一どきに廻ってしまった、その急廻転のために思いがけなき功名を博し得たと云う御話しは、明日の前講になかという価値もないから、すぐ話してしまう、この時まで気がつかなかったがこの急劇なる方向転換の刹那に余と同じ方角へ向けて余に尾行して来た一人のサイクリストがあった、ところがこの不意撃に驚いて車をかわす暇もなくもろくも余の傍で転がり落ちた、後で聞けば、四ツ角を曲る時にはベルを鳴すか片手をあげるか一通りの挨拶をするのが礼だそうだが、落天の奇想を好む余はさような月並主義を採らない、いわんやベルを鳴したり手を挙げたり、そんな面倒な事をする余裕はこの際少しもなきにおいてをやだ、ここにおいてかこのダンマリ転換を遂行するのも余にとっては万やむをえざるに出たもので、余のあとにくっついて来た男が吃驚して落車したのもまた無理のないところである、双方共無理のないところであるから不思議はない、当然の事であるが、西洋人の論理はこれほどまで発達しておらんと見えて、彼の落ち人|大に逆鱗の体で、チンチンチャイナマンと余を罵った、罵られたる余は一矢酬ゆるはずであるが、そこは大悠なる豪傑の本性をあらわして、御気の毒だねの一言を遺してふり向もせずに曲って行く、実はふり向こうとするうちに車が通り過ぎたのである、「御気の毒だね」よりほかの語が出て来なかったのである、正直なる余は苟且にも豪傑など云う、一種の曲者と間違らるるを恐れて、ここにゆっくり弁解しておくなり、万一余を豪傑だなどと買被って失敬な挙動あるにおいては七生まで祟るかも知れない、  忘月忘日 人間万事漱石の自転車で、自分が落ちるかと思うと人を落す事もある、そんなに落胆したものでもないと、今日はズーズーしく構えて、バタシー公園へと急ぐ、公園はすこぶる閑静だが、その手前三丁ばかりのところが非常の雑沓な通りで、初学者たる余にとっては難透難徹の難関である、今しも余の自転車は「ラヴェンダー」坂を無難に通り抜けて、この四通八達の中央へと乗り出す、向うに鉄道馬車が一台こちらを向いて休んでいる、その右側に非常に大なる荷車が向うむきに休んでいる、その間約四尺ばかり、余はこの四尺の間をすり抜けるべく車を走らしたのである、余が車の前輪が馬車馬の前足と並んだ時、すなわち余の身体が鉄道馬車と荷車との間に這入りかけた時、一台の自転車が疾風のごとく向から割り込んで来た、かようなとっさの際には命が大事だから退却にしようか落車にしようかなどの分別は、さすがの吾輩にも出なかったと見えて、おやと思ったら身体はもう落ちておった、落方が少々まずかったので、落る時左の手でしたたか馬の太腹を叩いて、からくも四這の不体裁を免がれた、やれうれしやと思う間もなく鉄道馬車は前進し始める、馬は驚ろいて吾輩の自転車を蹴飛す、相手の自転車は何喰わぬ顔ですうと抜けて行く、間の抜さ加減は尋常一様にあらず、この時|派出やかなるギグに乗って後ろから馳け来りたる一個の紳士、策を揚げざまに余が方を顧みて曰く大丈夫だ安心したまえ、殺しやしないのだからと、余心中ひそかに驚いて云う、して見ると時には自転車に乗せて殺してしまうのがあるのかしらん英国は険呑な所だと         *          *          *  余が廿貫目の婆さんに降参して自転車責に遇ってより以来、大落五度小落はその数を知らず、或時は石垣にぶつかって向脛を擦りむき、或る時は立木に突き当って生爪を剥がす、その苦戦云うばかりなし、しかしてついに物にならざるなり、元来この二十貫目の婆さんはむやみに人を馬鹿にする婆さんにして、この婆さんが皮肉に人を馬鹿にする時、その妹の十一貫目の婆さんは、瞬きもせず余が黄色な面を打守りていかなる変化が余の眉目の間に現るるかを検査する役目を務める、御役目御苦労の至りだ、この二婆さんの呵責に逢てより以来、余が猜疑心はますます深くなり、余が継子根性は日に日に増長し、ついには明け放しの門戸を閉鎖して我黄色な顔をいよいよ黄色にするのやむをえざるに至れり、彼二婆さんは余が黄色の深浅を測って彼ら一日のプログラムを定める、余は実に彼らにとって黄色な活動晴雨計であった、たまた※降参を申し込んで贏し得たるところ若干ぞと問えば、貴重な留学時間を浪費して下宿の飯を二人前食いしに過ぎず、さればこの降参は我に益なくして彼に損ありしものと思惟す、無残なるかな、  写生文の存在は近頃ようやく世間から認められたようであるが、写生文の特色についてはまだ誰も明暸に説破したものがおらん。元来存在を認めらるると云う事はすでに認められるだけの特色を有していると云う意味に過ぎんのだから、存在を認められる以上は特色も認められた訳に相違ない。しかし認めらるると云うのは説明されるとは一様でない。桜と海棠の感じに相違のあるのは何人も認めている。その相違を説明しろと云われるとちょっとできにくい。写生文と普通の文章の差違は認められているにもかかわらず明かに道破されておらんのもこの理である。かの写生文を標榜する人々といえども単にわが特色を冥々裡に識別すると云うまでで、明かに指摘したものは今日に至るまで見当らぬようである。虚子、四方太の諸君は折々この点に向って肯綮にあたる議論をされるようであるが、余の見るところではやはり物足らぬ心持がする。余の云う事も諸君から見れば依然として物足らぬかも知れぬ。しかし云わぬより参考になると思う。単に写生文を生命とする諸君の参考になるのみならず、汎く文章に興味を有する人々の耳にはあるいは物珍らしく聞えるかも知れぬ。  写生文と普通の文章との差違を算え来るといろいろある。いろいろあるうちで余のもっとも要点だと考えるにも関らず誰も説き及んだ事のないのは作者の心的状態である。他の点はこの一源泉より流露するのであるから、この源頭に向って工夫を下せば他はことごとく刃を迎えて向うから解決を促がす訳である。  社会は人間の塊まりである。その人間を区別すればいろいろできる。貴と賤ともなる。賢と不肖ともなる。正と邪ともなる。男と女ともなる。貧と富ともなる。老と若、長と幼ともなる。その他いろいろに区別ができる。区別ができる以上は、区別された一のものが他を視る態度は、一のうちにある甲が、同じく一のうちにある乙を視る態度とは異ならなければならぬ。人生観というと堅苦しく聞える。何だか恐ろしくて近寄りにくい。しかし煎じつめればこの態度である。隣の法律家が余を視る立脚地は、余が隣りの法律家を視る立脚地とは自から違う。大袈裟な言葉で云うと彼此の人生観が、ある点において一様でない。と云うに過ぎん。  人事に関する文章はこの視察の表現である。したがって人事に関する文章の差違はこの視察の差違に帰着する。この視察の差違は視察の立場によって岐れてくる。するとこの立場が文章の差違を生ずる源になる。今の世に云う写生文家というものの文章はいかなる事をかいても皆共有の点を有して、他人のそれとは截然と区別のできるような特色を帯びている。するとこれらの団体はその特色の共有なる点において、同じ立場に根拠地を構えていると云うてよろしい。もう一遍大袈裟な言葉を借用すると、同じ人生観を有して同じ穴から隣りの御嬢さんや、向うの御爺さんを覗いているに相違ない。この穴を紹介するのが余の責任である。否この穴から浮世を覗けばどんなに見えるかと云う事を説明するのが余の義務である。  写生文家の人事に対する態度は貴人が賤者を視るの態度ではない。賢者が愚者を見るの態度でもない。君子が小人を視るの態度でもない。男が女を視、女が男を視るの態度でもない。つまり大人が小供を視るの態度である。両親が児童に対するの態度である。世人はそう思うておるまい。写生文家自身もそう思うておるまい。しかし解剖すればついにここに帰着してしまう。  小供はよく泣くものである。小供の泣くたびに泣く親は気違である。親と小供とは立場が違う。同じ平面に立って、同じ程度の感情に支配される以上は小供が泣くたびに親も泣かねばならぬ。普通の小説家はこれである。彼らは隣り近所の人間を自己と同程度のものと見做して、擦ったもんだの社会に吾自身も擦ったり揉んだりして、あくまでも、その社会の一員であると云う態度で筆を執る。したがって隣りの御嬢さんが泣く事をかく時は、当人自身も泣いている。自分が泣きながら、泣く人の事を叙述するのとわれは泣かずして、泣く人を覗いているのとは記叙の題目そのものは同じでもその精神は大変違う。写生文家は泣かずして他の泣くを叙するものである。  そんな不人情な立場に立って人を動かす事ができるかと聞くものがある。動かさんでもいいのである。隣りの御嬢さんも泣き、写す文章家も泣くから、読者は泣かねばならん仕儀となる。泣かなければ失敗の作となる。しかし筆者自身がぽろぽろ涙を落して書かぬ以上は御嬢さんが、どれほど泣かれても、読者がどれほど泣かれなくても失敗にはならん。小供が駄菓子を買いに出る。途中で犬に吠えられる。ワーと泣いて帰る。御母さんがいっしょになってワーと泣かぬ以上は、傍人が泣かんでも出来損いの御母さんとは云われぬ。御母さんは駄菓子を犬に取られるたびに泣き得るような平面に立って社会に生息していられるものではない。写生文家は思う。普通の小説家は泣かんでもの事を泣いている。世の中に泣くべき事がどれほどあると思う。隣りのお嬢さんが泣くのを拝見するのは面白い。これを記述するのも面白い。しかし同じように泣くのは御免蒙りたい。だからある男が泣く様を文章にかいた時にたとい読者が泣いてくれんでも失敗したとは思わない。むやみに泣かせるなどは幼稚だと思う。  それでは人間に同情がない作物を称して写生文家の文章というように思われる。しかしそう思うのは誤謬である。親は小児に対して無慈悲ではない、冷刻でもない。無論同情がある。同情はあるけれども駄菓子を落した小供と共に大声を揚げて泣くような同情は持たぬのである。写生文家の人間に対する同情は叙述されたる人間と共に頑是なく煩悶し、無体に号泣し、直角に跳躍し、いっさんに狂奔する底の同情ではない。傍から見て気の毒の念に堪えぬ裏に微笑を包む同情である。冷刻ではない。世間と共にわめかないばかりである。  したがって写生文家の描く所は多く深刻なものでない。否いかに深刻な事をかいてもこの態度で押して行くから、ちょっと見ると底まで行かぬような心持ちがするのである。しかのみならずこの態度で世間人情の交渉を視るからたいていの場合には滑稽の分子を含んだ表現となって文章の上にあらわれて来る。  人によると写生文家のかいたものを見て世を馬鹿にしていると云う。茶化していると云う。もし両親の小供に対する態度が小供を馬鹿にしている、茶化していると云い得べくんば写生文家もまたこの非難を免かれぬかも知れぬ。多少の道化たるうちに一点の温情を認め得ぬものは親の心を知らぬもので、また写生文家を解し得ぬものであろう。  この故に写生文家は地団太を踏む熱烈な調子を避ける。恁る狂的の人間を写すのを避けるのではない。写生文家自身までが写さるる狂的な人間と同一になるを避けるのである。避けるのではない。そこまで引き込まるる事がおかしくてできにくいのである。  そこで写生文家なるものは真面目に人世を観じておらぬかの感が起る。なるほどそうかも知れぬ。しかし一方から見れば作者自身が恋に全精神を奪われ、金に全精神を捧げ、名に全精神を注いで、そうして恋と金と、名を求めつつある人物を描くよりも比較的に真面目かも知れぬ。描き出ださるべき一人に同情して理否も、前後も弁えぬほどの熱情をもって文をやる男よりもたしかなところがあるかも知れぬ。  吾が精神を篇中の人物に一図に打ち込んで、その人物になりすまして、恋を描き愛を描き、もしくは他の情緒を描くのは熱烈なものができるかも知れぬが、いかにも余裕がない作が現れるに相違ない。写生文家のかいたものには何となくゆとりがある。逼っておらん。屈托気が少ない。したがって読んで暢び暢びした気がする。全く写生文家の態度が人事を写し行く際に全精神を奪われてしまわぬからである。  写生文家は自己の精神の幾分を割いて人事を視る。余す所は常に遊んでいる。遊んでいる所がある以上は、写すわれと、写さるる彼との間に一致する所と同時に離れている局部があると云う意味になる。全部がぴたりと一致せぬ以上は写さるる彼になり切って、彼を写す訳には行かぬ。依然として彼我の境を有して、我の見地から彼を描かなければならぬ。ここにおいて写生文家の描写は多くの場合において客観的である。大人は小児を理解する。しかし全然小児になりすます訳には行かぬ。小児の喜怒哀楽を写す場合には勢客観的でなければならぬ。ここに客観的と云うは我を写すにあらず彼を写すという態度を意味するのである。この気合で押して行く以上はいかに複雑に進むともいかに精緻に赴くともまたいかに解剖的に説き入るとも調子は依然として同じ事である。  余は最初より大人と小児の譬喩を用いて写生文家の立場を説明した。しかしこれは単に彼らの態度をもっともよく云いあらわすための言語である。けっして彼らの人生観の高下を示すものではない。大人だからえらい。えらい見方をして人事に対するのが写生文家だと云う意義に解釈されては余の本旨に背く。えらい、えらくないは問題外である。ただ彼らの態度がこうだと云うまでに過ぎぬ。  この故に写生文家は自己の心的行動を叙する際にもやはり同一の筆法を用いる。彼らも喧嘩をするだろう。煩悶するだろう。泣くだろう。その平生を見れば毫も凡衆と異なるところなくふるまっているかも知れぬ。しかしひとたび筆を執って喧嘩する吾、煩悶する吾、泣く吾、を描く時はやはり大人が小児を視るごとき立場から筆を下す。平生の小児を、作家の大人が叙述する。写生文家の筆に依怙の沙汰はない。紙を展べて思を構うるときは自然とそう云う気合になる。この気合が彼らの人生観である。少なくとも文章を作る上においての人生観である。人生観が自然とできているのだから、自己が意識せざるうちに筆はすでに着々としてその方向に進んで行く。  彼らは何事をも写すを憚からぬ。ただ拘泥せざるを特色とする、人事百端、遭逢纏綿の限りなき波瀾はことごとく喜怒哀楽の種で、その喜怒哀楽は必竟するに拘泥するに足らぬものであるというような筆致が彼らの人生に齎し来る福音である。彼らのかいたものには筋のないものが多い。進水式をかく。すると進水式の雑然たる光景を雑然と叙べて知らぬ顔をしている。飛鳥山の花見をかく、踊ったり、跳ねたり、酣酔狼藉の体を写して頭も尾もつけぬ。それで好いつもりである。普通の小説の読者から云えば物足らない。しまりがない。漠然として捕捉すべき筋が貫いておらん。しかし彼らから云うとこうである。筋とは何だ。世の中は筋のないものだ。筋のないもののうちに筋を立てて見たって始まらないじゃないか。どんな複雑な趣向で、どんな纏った道行を作ろうとも畢竟は、雑然たる進水式、紛然たる御花見と異なるところはないじゃないか。喜怒哀楽が材料となるにも関わらず拘泥するに足らぬ以上は小説の筋、芝居の筋のようなものも、また拘泥するに足らん訳だ。筋がなければ文章にならんと云うのは窮窟に世の中を見過ぎた話しである。――今の写生文家がここまで極端な説を有しているかいないかは余といえども保証せぬ。しかし事実上彼らはパノラマ的のものをかいて平気でいるところをもって見ると公然と無筋を標榜せぬまでも冥々のうちにこう云う約束を遵奉していると見ても差支なかろう。  写生文家もこう極端になると全然小説家の主張と相容れなくなる。小説において筋は第一要件である。文章に苦心するよりも背景に苦心するよりも趣向に苦心するのが小説家の当然の義務である。したがって巧妙な趣向は傑作たる上に大なる影響を与うるものと、誰も考えている。ところが写生文家はそんな事を主眼としない。のみならず極端に行くと力めて筋を抜いてまでその態度を明かにしようとする。  かくのごとき態度は全く俳句から脱化して来たものである。泰西の潮流に漂うて、横浜へ到着した輸入品ではない。浅薄なる余の知る限りにおいては西洋の傑作として世にうたわるるもののうちにこの態度で文をやったものは見当らぬ。オーステンの作物、ガスケルのクランフォードあるいは有名なるジッキンスのピクウィックまたはフィールジングのトムジョーンス及びセルヴァンテスのドン・キホテのごときは多少この態度を得たる作品である。しかし全く同じとは誰が眼にも受け取れぬ。  しかしこの態度が述作の上において唯一の態度と云うのではない。またこれが最上等と云うのではない。ただこんな態度もあると云う事を紹介したいと思うのである。近頃写生文の存在がようやく認められるにつけて、写生文家の態度はこうであると、云い纏めるのは一般の人の参考になる事と思うからこの篇を草したまでである。  俳句は俳句、写生文は写生文で面白い。その態度もまた東洋的ですこぶる面白い。面白いには違ないが、二十世紀の今日こんな立場のみに籠城して得意になって他を軽蔑するのは誤っている。かかる立場から出来上った作物にはそれ相当の長所があると同時に短所もまた多く含まれている。作家は身辺の状況と天下の形勢に応じて時々その立場を変えねばならん。評家もまた眼界を広くして必要の場合には作物に対するごとにその見地を改めねば活きた批評はできまい。読者は無論の事、いろいろな種類のものを手に応じて賞翫する趣味を養成せねば損であろう。余は先に「作物の批評」と題する一篇を草して批評すべき条項の複雑なる由を説明した。この篇は写生文を品評するに当ってその条項の一となるべき者を指摘してわが所論の応用を試みたものである。           一  陽気のせいで神も気違になる。「人を屠りて餓えたる犬を救え」と雲の裡より叫ぶ声が、逆しまに日本海を撼かして満洲の果まで響き渡った時、日人と露人ははっと応えて百里に余る一大|屠場を朔北の野に開いた。すると渺々たる平原の尽くる下より、眼にあまる※狗の群が、腥き風を横に截り縦に裂いて、四つ足の銃丸を一度に打ち出したように飛んで来た。狂える神が小躍りして「血を啜れ」と云うを合図に、ぺらぺらと吐く※の舌は暗き大地を照らして咽喉を越す血潮の湧き返る音が聞えた。今度は黒雲の端を踏み鳴らして「肉を食え」と神が号ぶと「肉を食え! 肉を食え!」と犬共も一度に咆え立てる。やがてめりめりと腕を食い切る、深い口をあけて耳の根まで胴にかぶりつく。一つの脛を啣えて左右から引き合う。ようやくの事肉は大半平げたと思うと、また羃々たる雲を貫ぬいて恐しい神の声がした。「肉の後には骨をしゃぶれ」と云う。すわこそ骨だ。犬の歯は肉よりも骨を噛むに適している。狂う神の作った犬には狂った道具が具わっている。今日の振舞を予期して工夫してくれた歯じゃ。鳴らせ鳴らせと牙を鳴らして骨にかかる。ある者は摧いて髄を吸い、ある者は砕いて地に塗る。歯の立たぬ者は横にこいて牙を磨ぐ。  怖い事だと例の通り空想に耽りながらいつしか新橋へ来た。見ると停車場前の広場はいっぱいの人で凱旋門を通して二間ばかりの路を開いたまま、左右には割り込む事も出来ないほど行列している。何だろう?  行列の中には怪し気な絹帽を阿弥陀に被って、耳の御蔭で目隠しの難を喰い止めているのもある。仙台平を窮屈そうに穿いて七子の紋付を人の着物のようにいじろじろ眺めているのもある。フロック・コートは承知したがズックの白い運動靴をはいて同じく白の手袋をちょっと見たまえと云わぬばかりに振り廻しているのは奇観だ。そうして二十人に一本ずつくらいの割合で手頃な旗を押し立てている。大抵は紫に字を白く染め抜いたものだが、中には白地に黒々と達筆を振ったのも見える。この旗さえ見たらこの群集の意味も大概分るだろうと思って一番近いのを注意して読むと木村六之助君の凱旋を祝す連雀町有志者とあった。ははあ歓迎だと始めて気がついて見ると、先刻の異装紳士も何となく立派に見えるような気がする。のみならず戦争を狂神のせいのように考えたり、軍人を犬に食われに戦地へ行くように想像したのが急に気の毒になって来た。実は待ち合す人があって停車場まで行くのであるが、停車場へ達するには是非共この群集を左右に見て誰も通らない真中をただ一人歩かなくってはならん。よもやこの人々が余の詩想を洞見しはしまいが、たださえ人の注視をわれ一人に集めて往来を練って行くのはきまりが悪るいのに、犬に喰い残された者の家族と聞いたら定めし怒る事であろうと思うと、一層調子が狂うところを何でもない顔をして、急ぎ足に停車場の石段の上まで漕ぎつけたのは少し苦しかった。  場内へ這入って見るとここも歓迎の諸君で容易に思う所へ行けぬ。ようやくの事一等の待合へ来て見ると約束をした人は未だ来ておらぬらしい。暖炉の横に赤い帽子を被った士官が何かしきりに話しながら折々|佩剣をがちゃつかせている。その傍に絹帽が二つ並んで、その一つには葉巻の煙りが輪になってたなびいている。向うの隅に白襟の細君が品のよい五十|恰好の婦人と、傍きの人には聞えぬほどな低い声で何事か耳語いている。ところへ唐桟の羽織を着て鳥打帽を斜めに戴いた男が来て、入場券は貰えません改札場の中はもういっぱいですと注進する。大方出入の者であろう。室の中央に備え付けたテーブルの周囲には待ち草臥れの連中が寄ってたかって新聞や雑誌をひねくっている。真面目に読んでるものは極めて少ないのだから、ひねくっていると云うのが適当だろう。  約束をした人はなかなか来ん。少々退屈になったから、少し外へ出て見ようかと室の戸口をまたぐ途端に、背広を着た髯のある男が擦れ違いながら「もう直です二時四十五分ですから」と云った。時計を見ると二時三十分だ、もう十五分すれば凱旋の将士が見られる。こんな機会は容易にない、ついでだからと云っては失礼かも知れんが実際余のように図書館以外の空気をあまり吸った事のない人間はわざわざ歓迎のために新橋までくる折もあるまい、ちょうど幸だ見て行こうと了見を定めた。  室を出て見ると場内もまた往来のように行列を作って、中にはわざわざ見物に来た西洋人も交っている。西洋人ですらくるくらいなら帝国臣民たる吾輩は無論歓迎しなくてはならん、万歳の一つくらいは義務にも申して行こうとようやくの事で行列の中へ割り込んだ。 「あなたも御親戚を御迎いに御出になったので……」 「ええ。どうも気が急くものですから、つい昼飯を食わずに来て、……もう二時間半ばかり待ちます」と腹は減ってもなかなか元気である。ところへ三十前後の婦人が来て 「凱旋の兵士はみんな、ここを通りましょうか」と心配そうに聞く。大切の人を見はぐっては一大事ですと云わぬばかりの決心を示している。腹の減った男はすぐ引き受けて 「ええ、みんな通るんです、一人残らず通るんだから、二時間でも三時間でもここにさえ立っていれば間違いっこありません」と答えたのはなかなか自信家と見える。しかし昼飯も食わずに待っていろとまでは云わなかった。  汽車の笛の音を形容して喘息病みの鯨のようだと云った仏蘭西の小説家があるが、なるほど旨い言葉だと思う間もなく、長蛇のごとく蜿蜒くって来た列車は、五百人余の健児を一度にプラットフォームの上に吐き出した。 「ついたようですぜ」と一人が領を延すと 「なあに、ここに立ってさえいれば大丈夫」と腹の減った男は泰然として動ずる景色もない。この男から云うと着いても着かなくても大丈夫なのだろう。それにしても腹の減った割には落ちついたものである。  やがて一二丁向うのプラットフォームの上で万歳! と云う声が聞える。その声が波動のように順送りに近づいてくる。例の男が「なあに、まだ大丈……」と云い懸けた尻尾を埋めて余の左右に並んだ同勢は一度に万―歳! と叫んだ。その声の切れるか切れぬうちに一人の将軍が挙手の礼を施しながら余の前を通り過ぎた。色の焦けた、胡麻塩髯の小作りな人である。左右の人は将軍の後を見送りながらまた万歳を唱える。余も――妙な話しだが実は万歳を唱えた事は生れてから今日に至るまで一度もないのである。万歳を唱えてはならんと誰からも申しつけられた覚は毛頭ない。また万歳を唱えては悪るいと云う主義でも無論ない。しかしその場に臨んでいざ大声を発しようとすると、いけない。小石で気管を塞がれたようでどうしても万歳が咽喉笛へこびりついたぎり動かない。どんなに奮発しても出てくれない。――しかし今日は出してやろうと先刻から決心していた。実は早くその機がくればよいがと待ち構えたくらいである。隣りの先生じゃないが、なあに大丈夫と安心していたのである。喘息病みの鯨が吼えた当時からそら来たなとまで覚悟をしていたくらいだから周囲のものがワーと云うや否や尻馬についてすぐやろうと実は舌の根まで出しかけたのである。出しかけた途端に将軍が通った。将軍の日に焦けた色が見えた。将軍の髯の胡麻塩なのが見えた。その瞬間に出しかけた万歳がぴたりと中止してしまった。なぜ?  なぜか分るものか。なにゆえとかこのゆえとか云うのは事件が過ぎてから冷静な頭脳に復したとき当時を回想して始めて分解し得た智識に過ぎん。なにゆえが分るくらいなら始めから用心をして万歳の逆戻りを防いだはずである。予期出来ん咄嗟の働きに分別が出るものなら人間の歴史は無事なものである。余の万歳は余の支配権以外に超然として止まったと云わねばならぬ。万歳がとまると共に胸の中に名状しがたい波動が込み上げて来て、両眼から二雫ばかり涙が落ちた。  将軍は生れ落ちてから色の黒い男かも知れぬ。しかし遼東の風に吹かれ、奉天の雨に打たれ、沙河の日に射り付けられれば大抵なものは黒くなる。地体黒いものはなお黒くなる。髯もその通りである。出征してから白銀の筋は幾本も殖えたであろう。今日始めて見る我らの眼には、昔の将軍と今の将軍を比較する材料がない。しかし指を折って日夜に待佗びた夫人令嬢が見たならば定めし驚くだろう。戦は人を殺すかさなくば人を老いしむるものである。将軍はすこぶる瘠せていた。これも苦労のためかも知れん。して見ると将軍の身体中で出征|前と変らぬのは身の丈くらいなものであろう。余のごときは黄巻青帙の間に起臥して書斎以外にいかなる出来事が起るか知らんでも済む天下の逸民である。平生戦争の事は新聞で読まんでもない、またその状況は詩的に想像せんでもない。しかし想像はどこまでも想像で新聞は横から見ても縦から見ても紙片に過ぎぬ。だからいくら戦争が続いても戦争らしい感じがしない。その気楽な人間がふと停車場に紛れ込んで第一に眼に映じたのが日に焦けた顔と霜に染った髯である。戦争はまのあたりに見えぬけれど戦争の結果――たしかに結果の一片、しかも活動する結果の一片が眸底を掠めて去った時は、この一片に誘われて満洲の大野を蔽う大戦争の光景がありありと脳裏に描出せられた。  しかもこの戦争の影とも見るべき一片の周囲を繞る者は万歳と云う歓呼の声である。この声がすなわち満洲の野に起った咄喊の反響である。万歳の意義は字のごとく読んで万歳に過ぎんが咄喊となるとだいぶ趣が違う。咄喊はワーと云うだけで万歳のように意味も何もない。しかしその意味のないところに大変な深い情が籠っている。人間の音声には黄色いのも濁ったのも澄んだのも太いのも色々あって、その言語調子もまた分類の出来んくらい区々であるが一日二十四時間のうち二十三時間五十五分までは皆意味のある言葉を使っている。着衣の件、喫飯の件、談判の件、懸引の件、挨拶の件、雑話の件、すべて件と名のつくものは皆口から出る。しまいには件がなければ口から出るものは無いとまで思う。そこへもって来て、件のないのに意味の分らぬ音声を出すのは尋常ではない。出しても用の足りぬ声を使うのは経済主義から云うても功利主義から云っても割に合わぬにきまっている。その割に合わぬ声を不作法に他人様の御聞に入れて何らの理由もないのに罪もない鼓膜に迷惑を懸けるのはよくせきの事でなければならぬ。咄喊はこのよくせきを煎じ詰めて、煮詰めて、缶詰めにした声である。死ぬか生きるか娑婆か地獄かと云う際どい針線の上に立って身震いをするとき自然と横膈膜の底から湧き上がる至誠の声である。助けてくれと云ううちに誠はあろう、殺すぞと叫ぶうちにも誠はない事もあるまい。しかし意味の通ずるだけそれだけ誠の度は少ない。意味の通ずる言葉を使うだけの余裕分別のあるうちは一心不乱の至境に達したとは申されぬ。咄喊にはこんな人間的な分子は交っておらん。ワーと云うのである。このワーには厭味もなければ思慮もない。理もなければ非もない。詐りもなければ懸引もない。徹頭徹尾ワーである。結晶した精神が一度に破裂して上下四囲の空気を震盪さしてワーと鳴る。万歳の助けてくれの殺すぞのとそんなけちな意味を有してはおらぬ。ワーその物が直ちに精神である。霊である。人間である。誠である。しかして人界崇高の感は耳を傾けてこの誠を聴き得たる時に始めて享受し得ると思う。耳を傾けて数十人、数百人、数千数万人の誠を一度に聴き得たる時にこの崇高の感は始めて無上絶大の玄境に入る。――余が将軍を見て流した涼しい涙はこの玄境の反応だろう。  将軍のあとに続いてオリーヴ色の新式の軍服を着けた士官が二三人通る。これは出迎と見えてその表情が将軍とはだいぶ違う。居は気を移すと云う孟子の語は小供の時分から聞いていたが戦争から帰った者と内地に暮らした人とはかほどに顔つきが変って見えるかと思うと一層感慨が深い。どうかもう一遍将軍の顔が見たいものだと延び上ったが駄目だ。ただ場外に群がる数万の市民が有らん限りの鬨を作って停車場の硝子窓が破れるほどに響くのみである。余の左右前後の人々はようやくに列を乱して入口の方へなだれかかる。見たいのは余と同感と見える。余も黒い波に押されて一二間石段の方へ流れたが、それぎり先へは進めぬ。こんな時には余の性分としていつでも損をする。寄席がはねて木戸を出る時、待ち合せて電車に乗る時、人込みに切符を買う時、何でも多人数競争の折には大抵最後に取り残される、この場合にも先例に洩れず首尾よく人後に落ちた。しかも普通の落ち方ではない。遥かこなたの人後だから心細い。葬式の赤飯に手を出し損った時なら何とも思わないが、帝国の運命を決する活動力の断片を見損うのは残念である。どうにかして見てやりたい。広場を包む万歳の声はこの時四方から大濤の岸に崩れるような勢で余の鼓膜に響き渡った。もうたまらない。どうしても見なければならん。  ふと思いついた事がある。去年の春|麻布のさる町を通行したら高い練塀のある広い屋敷の内で何か多人数打ち寄って遊んででもいるのか面白そうに笑う声が聞えた。余はこの時どう云う腹工合かちょっとこの邸内を覗いて見たくなった。全く腹工合のせいに相違ない。腹工合でなければ、そんな馬鹿気た了見の起る訳がない。源因はとにかく、見たいものは見たいので源因のいかんに因って変化出没する訳には行かぬ。しかし今云う通り高い土塀の向う側で笑っているのだから壁に穴のあいておらぬ限りはとうてい思い通り志望を満足する事は何人の手際でも出来かねる。とうてい見る事が叶わないと四囲の状況から宣告を下されるとなお見てやりたくなる。愚な話だが余は一目でも邸内を見なければ誓ってこの町を去らずと決心した。しかし案内も乞わずに人の屋敷内に這入り込むのは盗賊の仕業だ。と云って案内を乞うて這入るのはなおいやだ。この邸内の者共の御世話にならず、しかもわが人格を傷けず正々堂々と見なくては心持ちがわるい。そうするには高い山から見下すか、風船の上から眺めるよりほかに名案もない。しかし双方共当座の間に合うような手軽なものとは云えぬ。よし、その儀ならこっちにも覚悟がある。高等学校時代で練習した高飛の術を応用して、飛び上がった時にちょっと見てやろう。これは妙策だ、幸い人通りもなし、あったところが自分で自分が飛び上るに文句をつけられる因縁はない。やるべしと云うので、突然双脚に精一杯の力を込めて飛び上がった。すると熟練の結果は恐ろしい者で、かの土塀の上へ首が――首どころではない肩までが思うように出た。この機をはずすととうてい目的は達せられぬと、ちらつく両眼を無理に据えて、ここぞと思うあたりを瞥見すると女が四人でテニスをしていた。余が飛び上がるのを相図に四人が申し合せたようにホホホと癇の高い声で笑った。おやと思ううちにどたりと元のごとく地面の上に立った。  これは誰が聞いても滑稽である。冒険の主人公たる当人ですらあまり馬鹿気ているので今日まで何人にも話さなかったくらい自ら滑稽と心得ている。しかし滑稽とか真面目とか云うのは相手と場合によって変化する事で、高飛びその物が滑稽とは理由のない言草である。女がテニスをしているところへこっちが飛び上がったから滑稽にもなるが、ロメオがジュリエットを見るために飛び上ったって滑稽にはならない。ロメオくらいなところでは未だ滑稽を脱せぬと云うなら余はなお一歩を進める。この凱旋の将軍、英名|嚇々たる偉人を拝見するために飛び上がるのは滑稽ではあるまい。それでも滑稽か知らん? 滑稽だって構うものか。見たいものは、誰が何と云っても見たいのだ。飛び上がろう、それがいい、飛び上がるにしくなしだと、とうとうまた先例によって一蹴を試むる事に決着した。先ず帽子をとって小脇に抱い込む。この前は経験が足りなかったので足が引力作用で地面へ引き着けられた勢に、買いたての中折帽が挨拶もなく宙返りをして、一間ばかり向へ転がった。それをから車を引いて通り掛った車夫が拾って笑いながらえへへと差し出した事を記憶している。こんどはその手は喰わぬ。これなら大丈夫と帽子を確と抑えながら爪先で敷石を弾く心持で暗に姿勢を整える。人後に落ちた仕合せには邪魔になるほど近くに人もおらぬ。しばし衰えた、歓声は盛り返す潮の岩に砕けたようにあたり一面に湧き上がる。ここだと思い切って、両足が胴のなかに飛び込みはしまいかと疑うほど脚力をふるって跳ね上った。  幌を開いたランドウが横向に凱旋門を通り抜けようとする中に――いた――いた。例の黒い顔が湧き返る声に囲まれて過去の紀念のごとく華やかなる群衆の中に点じ出されていた。将軍を迎えた儀仗兵の馬が万歳の声に驚ろいて前足を高くあげて人込の中にそれようとするのが見えた。将軍の馬車の上に紫の旗が一流れ颯となびくのが見えた。新橋へ曲る角の三階の宿屋の窓から藤鼠の着物をきた女が白いハンケチを振るのが見えた。  見えたと思うより早く余が足はまた停車場の床の上に着いた。すべてが一瞬間の作用である。ぱっと射る稲妻の飽くまで明るく物を照らした後が常よりは暗く見えるように余は茫然として地に下りた。  将軍の去ったあとは群衆も自から乱れて今までのように静粛ではない。列を作った同勢の一角が崩れると、堅い黒山が一度に動き出して濃い所がだんだん薄くなる。気早な連中はもう引き揚げると見える。ところへ将軍と共に汽車を下りた兵士が三々五々隊を組んで場内から出てくる。服地の色は褪めて、ゲートルの代りには黄な羅紗を畳んでぐるぐると脛へ巻きつけている。いずれもあらん限りの髯を生やして、出来るだけ色を黒くしている。これらも戦争の片破れである。大和魂を鋳固めた製作品である。実業家も入らぬ、新聞屋も入らぬ、芸妓も入らぬ、余のごとき書物と睨めくらをしているものは無論入らぬ。ただこの髯|茫々として、むさくるしき事|乞食を去る遠からざる紀念物のみはなくて叶わぬ。彼らは日本の精神を代表するのみならず、広く人類一般の精神を代表している。人類の精神は算盤で弾けず、三味線に乗らず、三|頁にも書けず、百科全書中にも見当らぬ。ただこの兵士らの色の黒い、みすぼらしいところに髣髴として揺曳している。出山の釈迦はコスメチックを塗ってはおらん。金の指輪も穿めておらん。芥溜から拾い上げた雑巾をつぎ合せたようなもの一枚を羽織っているばかりじゃ。それすら全身を掩うには足らん。胸のあたりは北風の吹き抜けで、肋骨の枚数は自由に読めるくらいだ。この釈迦が尊ければこの兵士も尊といと云わねばならぬ。昔し元寇の役に時宗が仏光国師に謁した時、国師は何と云うた。威を振って驀地に進めと吼えたのみである。このむさくろしき兵士らは仏光国師の熱喝を喫した訳でもなかろうが驀地に進むと云う禅機において時宗と古今その揆を一にしている。彼らは驀地に進み了して曠如と吾家に帰り来りたる英霊漢である。天上を行き天下を行き、行き尽してやまざる底の気魄が吾人の尊敬に価せざる以上は八荒の中に尊敬すべきものは微塵ほどもない。黒い顔! 中には日本に籍があるのかと怪まれるくらい黒いのがいる。――刈り込まざる髯! 棕櫚箒を砧で打ったような髯――この気魄は這裏に磅※として蟠まり※瀁として漲っている。  兵士の一隊が出てくるたびに公衆は万歳を唱えてやる。彼らのあるものは例の黒い顔に笑を湛えて嬉し気に通り過ぎる。あるものは傍目もふらずのそのそと行く。歓迎とはいかなる者ぞと不審気に見える顔もたまには見える。またある者は自己の歓迎旗の下に立って揚々と後れて出る同輩を眺めている。あるいは石段を下るや否や迎のものに擁せられて、あまりの不意撃に挨拶さえも忘れて誰彼の容赦なく握手の礼を施こしている。出征中に満洲で覚えたのであろう。  その中に――これがはからずもこの話をかく動機になったのであるが――年の頃二十八九の軍曹が一人いた。顔は他の先生方と異なるところなく黒い、髯も延びるだけ延ばしておそらくは去年から持ち越したものと思われるが目鼻立ちはほかの連中とは比較にならぬほど立派である。のみならず亡友|浩さんと兄弟と見違えるまでよく似ている。実はこの男がただ一人石段を下りて出た時ははっと思って馳け寄ろうとしたくらいであった。しかし浩さんは下士官ではない。志願兵から出身した歩兵中尉である。しかも故歩兵中尉で今では白山の御寺に一年|余も厄介になっている。だからいくら浩さんだと思いたくっても思えるはずがない。ただ人情は妙なものでこの軍曹が浩さんの代りに旅順で戦死して、浩さんがこの軍曹の代りに無事で還って来たらさぞ結構であろう。御母さんも定めし喜ばれるであろうと、露見する気づかいがないものだから勝手な事を考えながら眺めていた。軍曹も何か物足らぬと見えてしきりにあたりを見廻している。ほかのもののように足早に新橋の方へ立ち去る景色もない。何を探がしているのだろう、もしや東京のものでなくて様子が分らんのなら教えて遣りたいと思ってなお目を放さずに打ち守っていると、どこをどう潜り抜けたものやら、六十ばかりの婆さんが飛んで出て、いきなり軍曹の袖にぶら下がった。軍曹は中肉ではあるが背は普通よりたしかに二寸は高い。これに反して婆さんは人並はずれて丈が低い上に年のせいで腰が少々曲っているから、抱き着いたとも寄り添うたとも形容は出来ぬ。もし余が脳中にある和漢の字句を傾けて、その中からこのありさまを叙するに最も適当なる詞を探したなら必ずぶら下がるが当選するにきまっている。この時軍曹は紛失物が見当ったと云う風で上から婆さんを見下す。婆さんはやっと迷児を見つけたと云う体で下から軍曹を見上げる。やがて軍曹はあるき出す。婆さんもあるき出す。やはりぶらさがったままである。近辺に立つ見物人は万歳万歳と両人を囃したてる。婆さんは万歳などには毫も耳を借す景色はない。ぶら下がったぎり軍曹の顔を下から見上げたまま吾が子に引き摺られて行く。冷飯草履と鋲を打った兵隊靴が入り乱れ、もつれ合って、うねりくねって新橋の方へ遠かって行く。余は浩さんの事を思い出して悵然と草履と靴の影を見送った。           二  浩さん! 浩さんは去年の十一月旅順で戦死した。二十六日は風の強く吹く日であったそうだ。遼東の大野を吹きめぐって、黒い日を海に吹き落そうとする野分の中に、松樹山の突撃は予定のごとく行われた。時は午後一時である。掩護のために味方の打ち出した大砲が敵塁の左突角に中って五丈ほどの砂煙りを捲き上げたのを相図に、散兵壕から飛び出した兵士の数は幾百か知らぬ。蟻の穴を蹴返したごとくに散り散りに乱れて前面の傾斜を攀じ登る。見渡す山腹は敵の敷いた鉄条網で足を容るる余地もない。ところを梯子を担い土嚢を背負って区々に通り抜ける。工兵の切り開いた二間に足らぬ路は、先を争う者のために奪われて、後より詰めかくる人の勢に波を打つ。こちらから眺めるとただ一筋の黒い河が山を裂いて流れるように見える。その黒い中に敵の弾丸は容赦なく落ちかかって、すべてが消え失せたと思うくらい濃い煙が立ち揚る。怒る野分は横さまに煙りを千切って遥かの空に攫って行く。あとには依然として黒い者が簇然と蠢めいている。この蠢めいているもののうちに浩さんがいる。  火桶を中に浩さんと話をするときには浩さんは大きな男である。色の浅黒い髭の濃い立派な男である。浩さんが口を開いて興に乗った話をするときは、相手の頭の中には浩さんのほか何もない。今日の事も忘れ明日の事も忘れ聴き惚れている自分の事も忘れて浩さんだけになってしまう。浩さんはかように偉大な男である。どこへ出しても浩さんなら大丈夫、人の目に着くにきまっていると思っていた。だから蠢めいているなどと云う下等な動詞は浩さんに対して用いたくない。ないが仕方がない。現に蠢めいている。鍬の先に掘り崩された蟻群の一匹のごとく蠢めいている。杓の水を喰った蜘蛛の子のごとく蠢めいている。いかなる人間もこうなると駄目だ。大いなる山、大いなる空、千里を馳け抜ける野分、八方を包む煙り、鋳鉄の咽喉から吼えて飛ぶ丸――これらの前にはいかなる偉人も偉人として認められぬ。俵に詰めた大豆の一粒のごとく無意味に見える。嗚呼浩さん! 一体どこで何をしているのだ? 早く平生の浩さんになって一番|露助を驚かしたらよかろう。  黒くむらがる者は丸を浴びるたびにぱっと消える。消えたかと思うと吹き散る煙の中に動いている。消えたり動いたりしているうちに、蛇の塀をわたるように頭から尾まで波を打ってしかも全体が全体としてだんだん上へ上へと登って行く、もう敵塁だ。浩さん真先に乗り込まなければいけない。煙の絶間から見ると黒い頭の上に旗らしいものが靡いている。風の強いためか、押し返されるせいか、真直ぐに立ったと思うと寝る。落ちたのかと驚ろくとまた高くあがる。するとまた斜めに仆れかかる。浩さんだ、浩さんだ。浩さんに相違ない。多人数集まって揉みに揉んで騒いでいる中にもし一人でも人の目につくものがあれば浩さんに違ない。自分の妻は天下の美人である。この天下の美人が晴れの席へ出て隣りの奥様と撰ぶところなくいっこう目立たぬのは不平な者だ。己れの子が己れの家庭にのさばっている間は天にも地にも懸替のない若旦那である。この若旦那が制服を着けて学校へ出ると、向うの小間物屋のせがれと席を列べて、しかもその間に少しも懸隔のないように見えるのはちょっと物足らぬ感じがするだろう。余の浩さんにおけるもその通り。浩さんはどこへ出しても平生の浩さんらしくなければ気が済まん。擂鉢の中に攪き廻される里芋のごとく紛然雑然とゴロゴロしていてはどうしても浩さんらしくない。だから、何でも構わん、旗を振ろうが、剣を翳そうが、とにかくこの混乱のうちに少しなりとも人の注意を惹くに足る働をするものを浩さんにしたい。したい段ではない。必ず浩さんにきまっている。どう間違ったって浩さんが碌々として頭角をあらわさないなどと云う不見識な事は予期出来んのである。――それだからあの旗持は浩さんだ。  黒い塊りが敵塁の下まで来たから、もう塁壁を攀じ上るだろうと思ううち、たちまち長い蛇の頭はぽつりと二三寸切れてなくなった。これは不思議だ。丸を喰って斃れたとも見えない。狙撃を避けるため地に寝たとも見えない。どうしたのだろう。すると頭の切れた蛇がまた二三寸ぷつりと消えてなくなった。これは妙だと眺めていると、順繰に下から押し上る同勢が同じ所へ来るや否やたちまちなくなる。しかも砦の壁には誰一人としてとりついたものがない。塹壕だ。敵塁と我兵の間にはこの邪魔物があって、この邪魔物を越さぬ間は一人も敵に近く事は出来んのである。彼らはえいえいと鉄条網を切り開いた急坂を登りつめた揚句、この壕の端まで来て一も二もなくこの深い溝の中に飛び込んだのである。担っている梯子は壁に懸けるため、背負っている土嚢は壕を埋めるためと見えた。壕はどのくらい埋ったか分らないが、先の方から順々に飛び込んではなくなり、飛び込んではなくなってとうとう浩さんの番に来た。いよいよ浩さんだ。しっかりしなくてはいけない。  高く差し上げた旗が横に靡いて寸断寸断に散るかと思うほど強く風を受けた後、旗竿が急に傾いて折れたなと疑う途端に浩さんの影はたちまち見えなくなった。いよいよ飛び込んだ! 折から二竜山の方面より打ち出した大砲が五六発、大空に鳴る烈風を劈いて一度に山腹に中って山の根を吹き切るばかり轟き渡る。迸しる砂煙は淋しき初冬の日蔭を籠めつくして、見渡す限りに有りとある物を封じ了る。浩さんはどうなったか分らない。気が気でない。あの煙の吹いている底だと見当をつけて一心に見守る。夕立を遠くから望むように密に蔽い重なる濃き者は、烈しき風の捲返してすくい去ろうと焦る中に依然として凝り固って動かぬ。約二分間は眼をいくら擦っても盲目同然どうする事も出来ない。しかしこの煙りが晴れたら――もしこの煙りが散り尽したら、きっと見えるに違ない。浩さんの旗が壕の向側に日を射返して耀き渡って見えるに違ない。否向側を登りつくしてあの高く見える※の上に翩々と翻っているに違ない。ほかの人ならとにかく浩さんだから、そのくらいの事は必ずあるにきまっている。早く煙が晴れればいい。なぜ晴れんだろう。  占めた。敵塁の右の端の突角の所が朧気に見え出した。中央の厚く築き上げた石壁も見え出した。しかし人影はない。はてな、もうあすこらに旗が動いているはずだが、どうしたのだろう。それでは壁の下の土手の中頃にいるに相違ない。煙は拭うがごとく一掃に上から下まで漸次に晴れ渡る。浩さんはどこにも見えない。これはいけない。田螺のように蠢めいていたほかの連中もどこにも出現せぬ様子だ。いよいよいけない。もう出るか知らん、五秒過ぎた。まだか知らん、十秒立った。五秒は十秒と変じ、十秒は二十、三十と重なっても誰|一人の塹壕から向うへ這い上る者はない。ないはずである。塹壕に飛び込んだ者は向へ渡すために飛び込んだのではない。死ぬために飛び込んだのである。彼らの足が壕底に着くや否や穹窖より覘を定めて打ち出す機関砲は、杖を引いて竹垣の側面を走らす時の音がして瞬く間に彼らを射殺した。殺されたものが這い上がれるはずがない。石を置いた沢庵のごとく積み重なって、人の眼に触れぬ坑内に横わる者に、向へ上がれと望むのは、望むものの無理である。横わる者だって上がりたいだろう、上りたければこそ飛び込んだのである。いくら上がりたくても、手足が利かなくては上がれぬ。眼が暗んでは上がれぬ。胴に穴が開いては上がれぬ。血が通わなくなっても、脳味噌が潰れても、肩が飛んでも身体が棒のように鯱張っても上がる事は出来ん。二竜山から打出した砲煙が散じ尽した時に上がれぬばかりではない。寒い日が旅順の海に落ちて、寒い霜が旅順の山に降っても上がる事は出来ん。ステッセルが開城して二十の砲砦がことごとく日本の手に帰しても上る事は出来ん。日露の講和が成就して乃木将軍がめでたく凱旋しても上がる事は出来ん。百年三万六千日|乾坤を提げて迎に来ても上がる事はついにできぬ。これがこの塹壕に飛び込んだものの運命である。しかしてまた浩さんの運命である。蠢々として御玉杓子のごとく動いていたものは突然とこの底のない坑のうちに落ちて、浮世の表面から闇の裡に消えてしまった。旗を振ろうが振るまいが、人の目につこうがつくまいがこうなって見ると変りはない。浩さんがしきりに旗を振ったところはよかったが、壕の底では、ほかの兵士と同じように冷たくなって死んでいたそうだ。  ステッセルは降った。講和は成立した。将軍は凱旋した。兵隊も歓迎された。しかし浩さんはまだ坑から上って来ない。図らず新橋へ行って色の黒い将軍を見、色の黒い軍曹を見、背の低い軍曹の御母さんを見て涙まで流して愉快に感じた。同時に浩さんはなぜ壕から上がって来んのだろうと思った。浩さんにも御母さんがある。この軍曹のそれのように背は低くない、また冷飯草履を穿いた事はあるまいが、もし浩さんが無事に戦地から帰ってきて御母さんが新橋へ出迎えに来られたとすれば、やはりあの婆さんのようにぶら下がるかも知れない。浩さんもプラットフォームの上で物足らぬ顔をして御母さんの群集の中から出てくるのを待つだろう。それを思うと可哀そうなのは坑を出て来ない浩さんよりも、浮世の風にあたっている御母さんだ。塹壕に飛び込むまではとにかく、飛び込んでしまえばそれまでである。娑婆の天気は晴であろうとも曇であろうとも頓着はなかろう。しかし取り残された御母さんはそうは行かぬ。そら雨が降る、垂れ籠めて浩さんの事を思い出す。そら晴れた、表へ出て浩さんの友達に逢う。歓迎で国旗を出す、あれが生きていたらと愚痴っぽくなる。洗湯で年頃の娘が湯を汲んでくれる、あんな嫁がいたらと昔を偲ぶ。これでは生きているのが苦痛である。それも子福者であるなら一人なくなっても、あとに慰めてくれるものもある。しかし親一人子一人の家族が半分欠けたら、瓢箪の中から折れたと同じようなものでしめ括りがつかぬ。軍曹の婆さんではないが年寄りのぶら下がるものがない。御母さんは今に浩一が帰って来たらばと、皺だらけの指を日夜に折り尽してぶら下がる日を待ち焦がれたのである。そのぶら下がる当人は旗を持って思い切りよく塹壕の中へ飛び込んで、今に至るまで上がって来ない。白髪は増したかも知れぬが将軍は歓呼の裡に帰来した。色は黒くなっても軍曹は得意にプラットフォームの上に飛び下りた。白髪になろうと日に焼けようと帰りさえすればぶら下がるに差し支えはない。右の腕を繃帯で釣るして左の足が義足と変化しても帰りさえすれば構わん。構わんと云うのに浩さんは依然として坑から上がって来ない。これでも上がって来ないなら御母さんの方からあとを追いかけて坑の中へ飛び込むより仕方がない。  幸い今日は閑だから浩さんのうちへ行って、久し振りに御母さんを慰めてやろう? 慰めに行くのはいいがあすこへ行くと、行くたびに泣かれるので困る。せんだってなどは一時間半ばかり泣き続けに泣かれて、しまいには大抵な挨拶はし尽して、大に応対に窮したくらいだ。その時御母さんはせめて気立ての優しい嫁でもおりましたら、こんな時には力になりますのにとしきりに嫁々と繰り返して大に余を困らせた。それも一段落告げたからもう善かろうと御免蒙りかけると、あなたに是非見て頂くものがあると云うから、何ですと聴いたら浩一の日記ですと云う。なるほど亡友の日記は面白かろう。元来日記と云うものはその日その日の出来事を書き記るすのみならず、また時々刻々の心ゆきを遠慮なく吐き出すものだから、いかに親友の手帳でも断りなしに目を通す訳には行かぬが、御母さんが承諾する――否先方から依頼する以上は無論興味のある仕事に相違ない。だから御母さんに読んでくれと云われたときは大に乗気になってそれは是非見せてちょうだいとまで云おうと思ったが、この上また日記で泣かれるような事があっては大変だ。とうてい余の手際では切り抜ける訳には行かぬ。ことに時刻を限ってある人と面会の約束をした刻限も逼っているから、これは追って改めて上がって緩々拝見を致す事に願いましょうと逃げ出したくらいである。以上の理由で訪問はちと辟易の体である。もっとも日記は読みたくない事もない。泣かれるのも少しなら厭とは云わない。元々木や石で出来上ったと云う訳ではないから人の不幸に対して一滴の同情くらいは優に表し得る男であるがいかんせん性来余り口の製造に念が入っておらんので応対に窮する。御母さんがまああなた聞いて下さいましと啜り上げてくると、何と受けていいか分らない。それを無理矢理に体裁を繕ろって半間に調子を合せようとするとせっかくの慰藉的好意が水泡と変化するのみならず、時には思いも寄らぬ結果を呈出して熱湯とまで沸騰する事がある。これでは慰めに行ったのか怒らせに行ったのか先方でも了解に苦しむだろう。行きさえしなければ薬も盛らん代りに毒も進めぬ訳だから危険はない。訪問はいずれその内として、まず今日は見合せよう。  訪問は見合せる事にしたが、昨日の新橋事件を思い出すと、どうも浩さんの事が気に掛ってならない。何らかの手段で親友を弔ってやらねばならん。悼亡の句などは出来る柄でない。文才があれば平生の交際をそのまま記述して雑誌にでも投書するがこの筆ではそれも駄目と。何かないかな? うむあるある寺参りだ。浩さんは松樹山の塹壕からまだ上って来ないがその紀念の遺髪は遥かの海を渡って駒込の寂光院に埋葬された。ここへ行って御参りをしてきようと西片町の吾家を出る。  冬の取っ付きである。小春と云えば名前を聞いてさえ熟柿のようないい心持になる。ことに今年はいつになく暖かなので袷羽織に綿入一枚の出で立ちさえ軽々とした快い感じを添える。先の斜めに減った杖を振り廻しながら寂光院と大師流に古い紺青で彫りつけた額を眺めて門を這入ると、精舎は格別なもので門内は蕭条として一塵の痕も留めぬほど掃除が行き届いている。これはうれしい。肌の細かな赤土が泥濘りもせず干乾びもせず、ねっとりとして日の色を含んだ景色ほどありがたいものはない。西片町は学者町か知らないが雅な家は無論の事、落ちついた土の色さえ見られないくらい近頃は住宅が多くなった。学者がそれだけ殖えたのか、あるいは学者がそれだけ不風流なのか、まだ研究して見ないから分らないが、こうやって広々とした境内へ来ると、平生は学者町で満足を表していた眼にも何となく坊主の生活が羨しくなる。門の左右には周囲二尺ほどな赤松が泰然として控えている。大方百年くらい前からかくのごとく控えているのだろう。鷹揚なところが頼母しい。神無月の松の落葉とか昔は称えたものだそうだが葉を振った景色は少しも見えない。ただ蟠った根が奇麗な土の中から瘤だらけの骨を一二寸|露わしているばかりだ。老僧か、小坊主か納所かあるいは門番が凝性で大方日に三度くらい掃くのだろう。松を左右に見て半町ほど行くとつき当りが本堂で、その右が庫裏である。本堂の正面にも金泥の額が懸って、鳥の糞か、紙を噛んで叩きつけたのか点々と筆者の神聖を汚がしている。八寸角の欅柱には、のたくった草書の聯が読めるなら読んで見ろと澄してかかっている。なるほど読めない。読めないところをもって見るとよほど名家の書いたものに違いない。ことによると王羲之かも知れない。えらそうで読めない字を見ると余は必ず王羲之にしたくなる。王羲之にしないと古い妙な感じが起らない。本堂を右手に左へ廻ると墓場である。墓場の入口には化銀杏がある。ただし化の字は余のつけたのではない。聞くところによるとこの界隈で寂光院のばけ銀杏と云えば誰も知らぬ者はないそうだ。しかし何が化けたって、こんなに高くはなりそうもない。三抱もあろうと云う大木だ。例年なら今頃はとくに葉を振って、から坊主になって、野分のなかに唸っているのだが、今年は全く破格な時候なので、高い枝がことごとく美しい葉をつけている。下から仰ぐと目に余る黄金の雲が、穏かな日光を浴びて、ところどころ鼈甲のように輝くからまぼしいくらい見事である。その雲の塊りが風もないのにはらはらと落ちてくる。無論薄い葉の事だから落ちても音はしない、落ちる間もまたすこぶる長い。枝を離れて地に着くまでの間にあるいは日に向いあるいは日に背いて色々な光を放つ。色々に変りはするものの急ぐ景色もなく、至って豊かに、至ってしとやかに降って来る。だから見ていると落つるのではない。空中を揺曳して遊んでいるように思われる。閑静である。――すべてのものの動かぬのが一番閑静だと思うのは間違っている。動かない大面積の中に一点が動くから一点以外の静さが理解できる。しかもその一点が動くと云う感じを過重ならしめぬくらい、否その一点の動く事それ自らが定寂の姿を帯びて、しかも他の部分の静粛なありさまを反思せしむるに足るほどに靡いたなら――その時が一番|閑寂の感を与える者だ。銀杏の葉の一陣の風なきに散る風情は正にこれである。限りもない葉が朝、夕を厭わず降ってくるのだから、木の下は、黒い地の見えぬほど扇形の小さい葉で敷きつめられている。さすがの寺僧もここまでは手が届かぬと見えて、当座は掃除の煩を避けたものか、または堆かき落葉を興ある者と眺めて、打ち棄てて置くのか。とにかく美しい。  しばらく化銀杏の下に立って、上を見たり下を見たり佇んでいたが、ようやくの事幹のもとを離れていよいよ墓地の中へ這入り込んだ。この寺は由緒のある寺だそうでところどころに大きな蓮台の上に据えつけられた石塔が見える。右手の方に柵を控えたのには梅花院殿瘠鶴大居士とあるから大方大名か旗本の墓だろう。中には至極簡略で尺たらずのもある。慈雲童子と楷書で彫ってある。小供だから小さい訳だ。このほか石塔も沢山ある、戒名も飽きるほど彫りつけてあるが、申し合わせたように古いのばかりである。近頃になって人間が死ななくなった訳でもあるまい、やはり従前のごとく相応の亡者は、年々御客様となって、あの剥げかかった額の下を潜るに違ない。しかし彼らがひとたび化銀杏の下を通り越すや否や急に古る仏となってしまう。何も銀杏のせいと云う訳でもなかろうが、大方の檀家は寺僧の懇請で、余り広くない墓地の空所を狭めずに、先祖代々の墓の中に新仏を祭り込むからであろう。浩さんも祭り込まれた一人である。  浩さんの墓は古いと云う点においてこの古い卵塔婆内でだいぶ幅の利く方である。墓はいつ頃出来たものか確とは知らぬが、何でも浩さんの御父さんが這入り、御爺さんも這入り、そのまた御爺さんも這入ったとあるからけっして新らしい墓とは申されない。古い代りには形勝の地を占めている。隣り寺を境に一段高くなった土手の上に三坪ほどな平地があって石段を二つ踏んで行き当りの真中にあるのが、御爺さんも御父さんも浩さんも同居して眠っている河上家代々之墓である。極めて分りやすい。化銀杏を通り越して一筋道を北へ二十間歩けばよい。余は馴れた所だから例のごとく例の路をたどって半分ほど来て、ふと何の気なしに眼をあげて自分の詣るべき墓の方を見た。  見ると! もう来ている。誰だか分らないが後ろ向になってしきりに合掌している様子だ。はてな。誰だろう。誰だか分りようはないが、遠くから見ても男でないだけは分る。恰好から云ってもたしかに女だ。女なら御母さんか知らん。余は無頓着の性質で女の服装などはいっこう不案内だが、御母さんは大抵|黒繻子の帯をしめている。ところがこの女の帯は――後から見ると最も人の注意を惹く、女の背中いっぱいに広がっている帯は決して黒っぽいものでもない。光彩陸離たるやたらに奇麗なものだ。若い女だ! と余は覚えず口の中で叫んだ。こうなると余は少々ばつがわるい。進むべきものか退くべきものかちょっと留って考えて見た。女はそれとも知らないから、しゃがんだまま熱心に河上家代々の墓を礼拝している。どうも近寄りにくい。さればと云って逃げるほど悪事を働いた覚はない。どうしようと迷っていると女はすっくら立ち上がった。後ろは隣りの寺の孟宗藪で寒いほど緑りの色が茂っている。その滴たるばかり深い竹の前にすっくりと立った。背景が北側の日影で、黒い中に女の顔が浮き出したように白く映る。眼の大きな頬の緊った領の長い女である。右の手をぶらりと垂れて、指の先でハンケチの端をつかんでいる。そのハンケチの雪のように白いのが、暗い竹の中に鮮かに見える。顔とハンケチの清く染め抜かれたほかは、あっと思った瞬間に余の眼には何物も映らなかった。  余がこの年になるまでに見た女の数は夥しいものである。往来の中、電車の上、公園の内、音楽会、劇場、縁日、随分見たと云って宜しい。しかしこの時ほど驚ろいた事はない。この時ほど美しいと思った事はない。余は浩さんの事も忘れ、墓詣りに来た事も忘れ、きまりが悪るいと云う事さえ忘れて白い顔と白いハンケチばかり眺めていた。今までは人が後ろにいようとは夢にも知らなかった女も、帰ろうとして歩き出す途端に、茫然として佇ずんでいる余の姿が眼に入ったものと見えて、石段の上にちょっと立ち留まった。下から眺めた余の眼と上から見下す女の視線が五間を隔てて互に行き当った時、女はすぐ下を向いた。すると飽くまで白い頬に裏から朱を溶いて流したような濃い色がむらむらと煮染み出した。見るうちにそれが顔一面に広がって耳の付根まで真赤に見えた。これは気の毒な事をした。化銀杏の方へ逆戻りをしよう。いやそうすればかえって忍び足に後でもつけて来たように思われる。と云って茫然と見とれていてはなお失礼だ。死地に活を求むと云う兵法もあると云う話しだからこれは勢よく前進するにしくはない。墓場へ墓詣りをしに来たのだから別に不思議はあるまい。ただ躊躇するから怪しまれるのだ。と決心して例のステッキを取り直して、つかつかと女の方にあるき出した。すると女も俯向いたまま歩を移して石段の下で逃げるように余の袖の傍を擦りぬける。ヘリオトロープらしい香りがぷんとする。香が高いので、小春日に照りつけられた袷羽織の背中からしみ込んだような気がした。女が通り過ぎたあとは、やっと安心して何だか我に帰った風に落ちついたので、元来何者だろうとまた振り向いて見る。すると運悪くまた眼と眼が行き合った。こんどは余は石段の上に立ってステッキを突いている。女は化銀杏の下で、行きかけた体を斜めに捩ってこっちを見上げている。銀杏は風なきになおひらひらと女の髪の上、袖の上、帯の上へ舞いさがる。時刻は一時か一時半頃である。ちょうど去年の冬浩さんが大風の中を旗を持って散兵壕から飛び出した時である。空は研ぎ上げた剣を懸けつらねたごとく澄んでいる。秋の空の冬に変る間際ほど高く見える事はない。羅に似た雲の、微かに飛ぶ影も眸の裡には落ちぬ。羽根があって飛び登ればどこまでも飛び登れるに相違ない。しかしどこまで昇っても昇り尽せはしまいと思われるのがこの空である。無限と云う感じはこんな空を望んだ時に最もよく起る。この無限に遠く、無限に遐かに、無限に静かな空を会釈もなく裂いて、化銀杏が黄金の雲を凝らしている。その隣には寂光院の屋根瓦が同じくこの蒼穹の一部を横に劃して、何十万枚重なったものか黒々と鱗のごとく、暖かき日影を射返している。――古き空、古き銀杏、古き伽藍と古き墳墓が寂寞として存在する間に、美くしい若い女が立っている。非常な対照である。竹藪を後ろに背負って立った時はただ顔の白いのとハンケチの白いのばかり目に着いたが、今度はすらりと着こなした衣の色と、その衣を真中から輪に截った帯の色がいちじるしく目立つ。縞柄だの品物などは余のような無風流漢には残念ながら記述出来んが、色合だけはたしかに華やかな者だ。こんな物寂びた境内に一分たりともいるべき性質のものでない。いるとすればどこからか戸迷をして紛れ込んで来たに相違ない。三越陳列場の断片を切り抜いて落柿舎の物干竿へかけたようなものだ。対照の極とはこれであろう。――女は化銀杏の下から斜めに振り返って余が詣る墓のありかを確かめて行きたいと云う風に見えたが、生憎余の方でも女に不審があるので石段の上から眺め返したから、思い切って本堂の方へ曲った。銀杏はひらひらと降って、黒い地を隠す。  余は女の後姿を見送って不思議な対照だと考えた。昔し住吉の祠で芸者を見た事がある。その時は時雨の中に立ち尽す島田姿が常よりは妍やかに余が瞳を照らした。箱根の大地獄で二八余りの西洋人に遇った事がある。その折は十丈も煮え騰る湯煙りの凄じき光景が、しばらくは和らいで安慰の念を余が頭に与えた。すべての対照は大抵この二つの結果よりほかには何も生ぜぬ者である。在来の鋭どき感じを削って鈍くするか、または新たに視界に現わるる物象を平時よりは明瞭に脳裏に印し去るか、これが普通吾人の予期する対照である。ところが今|睹た対象は毫もそんな感じを引き起さなかった。相除の対照でもなければ相乗の対照でもない。古い、淋しい、消極的な心の状態が減じた景色はさらにない、と云ってこの美くしい綺羅を飾った女の容姿が、音楽会や、園遊会で逢うよりは一と際目立って見えたと云う訳でもない。余が寂光院の門を潜って得た情緒は、浮世を歩む年齢が逆行して父母未生以前に溯ったと思うくらい、古い、物寂びた、憐れの多い、捕えるほど確とした痕迹もなきまで、淡く消極的な情緒である。この情緒は藪を後ろにすっくりと立った女の上に、余の眼が注がれた時に毫も矛盾の感を与えなかったのみならず、落葉の中に振り返る姿を眺めた瞬間において、かえって一層の深きを加えた。古伽藍と剥げた額、化銀杏と動かぬ松、錯落と列ぶ石塔――死したる人の名を彫む死したる石塔と、花のような佳人とが融和して一団の気と流れて円熟|無礙の一種の感動を余の神経に伝えたのである。  こんな無理を聞かせられる読者は定めて承知すまい。これは文士の嘘言だと笑う者さえあろう。しかし事実はうそでも事実である。文士だろうが不文士だろうが書いた事は書いた通り懸価のないところをかいたのである。もし文士がわるければ断って置く。余は文士ではない、西片町に住む学者だ。もし疑うならこの問題をとって学者的に説明してやろう。読者は沙翁の悲劇マクベスを知っているだろう。マクベス夫婦が共謀して主君のダンカンを寝室の中で殺す。殺してしまうや否や門の戸を続け様に敲くものがある。すると門番が敲くは敲くはと云いながら出て来て酔漢の管を捲くようなたわいもない事を呂律の廻らぬ調子で述べ立てる。これが対照だ。対照も対照も一通りの対照ではない。人殺しの傍で都々逸を歌うくらいの対照だ。ところが妙な事はこの滑稽を挿んだために今までの凄愴たる光景が多少|和らげられて、ここに至って一段とくつろぎがついた感じもなければ、また滑稽が事件の排列の具合から平生より一倍のおかしみを与えると云う訳でもない。それでは何らの功果もないかと云うと大変ある。劇全体を通じての物凄さ、怖しさはこの一段の諧謔のために白熱度に引き上げらるるのである。なお拡大して云えばこの場合においては諧謔その物が畏怖である。恐懼である、悚然として粟を肌に吹く要素になる。その訳を云えば先ずこうだ。  吾人が事物に対する観察点が従来の経験で支配せらるるのは言を待たずして明瞭な事実である。経験の勢力は度数と、単独な場合に受けた感動の量に因って高下増減するのも争われぬ事実であろう。絹布団に生れ落ちて御意だ仰せだと持ち上げられる経験がたび重なると人間は余に頭を下げるために生れたのじゃなと御意遊ばすようになる。金で酒を買い、金で妾を買い、金で邸宅、朋友、従五位まで買った連中は金さえあれば何でも出来るさと金庫を横目に睨んで高を括った鼻先を虚空遥かに反り返えす。一度の経験でも御多分には洩れん。箔屋町の大火事に身代を潰した旦那は板橋の一つ半でも蒼くなるかも知れない。濃尾の震災に瓦の中から掘り出された生き仏はドンが鳴っても念仏を唱えるだろう。正直な者が生涯に一|返万引を働いても疑を掛ける知人もないし、冗談を商売にする男が十年に半日|真面目な事件を担ぎ込んでも誰も相手にするものはない。つまるところ吾々の観察点と云うものは従来の惰性で解決せられるのである。吾々の生活は千差万別であるから、吾々の惰性も商売により職業により、年齢により、気質により、両性によりて各異なるであろう。がその通り。劇を見るときにも小説を読むときにも全篇を通じた調子があって、この調子が読者、観客の心に反応するとやはり一種の惰性になる。もしこの惰性を構成する分子が猛烈であればあるほど、惰性その物も牢として動かすべからず抜くべからざる傾向を生ずるにきまっている。マクベスは妖婆、毒婦、兇漢の行為動作を刻意に描写した悲劇である。読んで冒頭より門番の滑稽に至って冥々の際読者の心に生ずる唯一の惰性は怖と云う一字に帰着してしまう。過去がすでに怖である、未来もまた怖なるべしとの予期は、自然と己れを放射して次に出現すべきいかなる出来事をもこの怖に関連して解釈しようと試みるのは当然の事と云わねばならぬ。船に酔ったものが陸に上った後までも大地を動くものと思い、臆病に生れついた雀が案山子を例の爺さんかと疑うごとく、マクベスを読む者もまた怖の一字をどこまでも引張って、怖を冠すべからざる辺にまで持って行こうと力むるは怪しむに足らぬ。何事をも怖化せんとあせる矢先に現わるる門番の狂言は、普通の狂言|諧謔とは受け取れまい。  世間には諷語と云うがある。諷語は皆|表裏二面の意義を有している。先生を馬鹿の別号に用い、大将を匹夫の渾名に使うのは誰も心得ていよう。この筆法で行くと人に謙遜するのはますます人を愚にした待遇法で、他を称揚するのは熾に他を罵倒した事になる。表面の意味が強ければ強いほど、裏側の含蓄もようやく深くなる。御辞儀一つで人を愚弄するよりは、履物を揃えて人を揶揄する方が深刻ではないか。この心理を一歩開拓して考えて見る。吾々が使用する大抵の命題は反対の意味に解釈が出来る事となろう。さあどっちの意味にしたものだろうと云うときに例の惰性が出て苦もなく判断してくれる。滑稽の解釈においてもその通りと思う。滑稽の裏には真面目がくっついている。大笑の奥には熱涙が潜んでいる。雑談の底には啾々たる鬼哭が聞える。とすれば怖と云う惰性を養成した眼をもって門番の諧謔を読む者は、その諧謔を正面から解釈したものであろうか、裏側から観察したものであろうか。裏面から観察するとすれば酔漢の妄語のうちに身の毛もよだつほどの畏懼の念はあるはずだ。元来|諷語は正語よりも皮肉なるだけ正語よりも深刻で猛烈なものである。虫さえ厭う美人の根性を透見して、毒蛇の化身すなわちこれ天女なりと判断し得たる刹那に、その罪悪は同程度の他の罪悪よりも一層|怖るべき感じを引き起す。全く人間の諷語であるからだ。白昼の化物の方が定石の幽霊よりも或る場合には恐ろしい。諷語であるからだ。廃寺に一夜をあかした時、庭前の一本杉の下でカッポレを躍るものがあったらこのカッポレは非常に物凄かろう。これも一種の諷語であるからだ。マクベスの門番は山寺のカッポレと全然同格である。マクベスの門番が解けたら寂光院の美人も解けるはずだ。  百花の王をもって許す牡丹さえ崩れるときは、富貴の色もただ好事家の憐れを買うに足らぬほど脆いものだ。美人薄命と云う諺もあるくらいだからこの女の寿命も容易に保険はつけられない。しかし妙齢の娘は概して活気に充ちている。前途の希望に照らされて、見るからに陽気な心持のするものだ。のみならず友染とか、繻珍とか、ぱっとした色気のものに包まっているから、横から見ても縦から見ても派出である立派である、春景色である。その一人が――最も美くしきその一人が寂光院の墓場の中に立った。浮かない、古臭い、沈静な四顧の景物の中に立った。するとその愛らしき眼、そのはなやかな袖が忽然と本来の面目を変じて蕭条たる周囲に流れ込んで、境内寂寞の感を一層深からしめた。天下に墓ほど落ついたものはない。しかしこの女が墓の前に延び上がった時は墓よりも落ちついていた。銀杏の黄葉は淋しい。まして化けるとあるからなお淋しい。しかしこの女が化銀杏の下に横顔を向けて佇んだときは、銀杏の精が幹から抜け出したと思われるくらい淋しかった。上野の音楽会でなければ釣り合わぬ服装をして、帝国ホテルの夜会にでも招待されそうなこの女が、なぜかくのごとく四辺の光景と映帯して索寞の観を添えるのか。これも諷語だからだ。マクベスの門番が怖しければ寂光院のこの女も淋しくなくてはならん。  御墓を見ると花筒に菊がさしてある。垣根に咲く豆菊の色は白いものばかりである。これも今の女のせいに相違ない。家から折って来たものか、途中で買って来たものか分らん。もしや名刺でも括りつけてはないかと葉裏まで覗いて見たが何もない。全体何物だろう。余は高等学校時代から浩さんとは親しい付き合いの一人であった。うちへはよく泊りに行って浩さんの親類は大抵知っている。しかし指を折ってあれこれと順々に勘定して見ても、こんな女は思い出せない。すると他人か知らん。浩さんは人好きのする性質で、交際もだいぶ広かったが、女に朋友がある事はついに聞いた事がない。もっとも交際をしたからと云って、必らず余に告げるとは限っておらん。が浩さんはそんな事を隠すような性質ではないし、よしほかの人に隠したからと云って余に隠す事はないはずだ。こう云うとおかしいが余は河上家の内情は相続人たる浩さんに劣らんくらい精しく知っている。そうしてそれは皆浩さんが余に話したのである。だから女との交際だって、もし実際あったとすればとくに余に告げるに相違ない。告げぬところをもって見ると知らぬ女だ。しかし知らぬ女が花まで提げて浩さんの墓参りにくる訳がない。これは怪しい。少し変だが追懸けて名前だけでも聞いて見ようか、それも妙だ。いっその事黙って後を付けて行く先を見届けようか、それではまるで探偵だ。そんな下等な事はしたくない。どうしたら善かろうと墓の前で考えた。浩さんは去年の十一月|塹壕に飛び込んだぎり、今日まで上がって来ない。河上家代々の墓を杖で敲いても、手で揺り動かしても浩さんはやはり塹壕の底に寝ているだろう。こんな美人が、こんな美しい花を提げて御詣りに来るのも知らずに寝ているだろう。だから浩さんはあの女の素性も名前も聞く必要もあるまい。浩さんが聞く必要もないものを余が探究する必要はなおさらない。いやこれはいかぬ。こう云う論理ではあの女の身元を調べてはならんと云う事になる。しかしそれは間違っている。なぜ? なぜは追って考えてから説明するとして、ただ今の場合是非共聞き糺さなくてはならん。何でも蚊でも聞かないと気が済まん。いきなり石段を一股に飛び下りて化銀杏の落葉を蹴散らして寂光院の門を出て先ず左の方を見た。いない。右を向いた。右にも見えない。足早に四つ角まで来て目の届く限り東西南北を見渡した。やはり見えない。とうとう取り逃がした。仕方がない、御母さんに逢って話をして見よう、ことによったら容子が分るかも知れない。           三  六畳の座敷は南向で、拭き込んだ椽側の端に神代杉の手拭懸が置いてある。軒下から丸い手水桶を鉄の鎖で釣るしたのは洒落れているが、その下に一叢の木賊をあしらった所が一段の趣を添える。四つ目垣の向うは二三十坪の茶畠でその間に梅の木が三四本見える。垣に結うた竹の先に洗濯した白足袋が裏返しに乾してあってその隣りには如露が逆さまに被せてある。その根元に豆菊が塊まって咲いて累々と白玉を綴っているのを見て「奇麗ですな」と御母さんに話しかけた。 「今年は暖たかだもんですからよく持ちます。あれもあなた、浩一の大好きな菊で……」 「へえ、白いのが好きでしたかな」 「白い、小さい豆のようなのが一番面白いと申して自分で根を貰って来て、わざわざ植えたので御座います」 「なるほどそんな事がありましたな」と云ったが、内心は少々気味が悪かった。寂光院の花筒に挿んであるのは正にこの種のこの色の菊である。 「御叔母さん近頃は御寺参りをなさいますか」 「いえ、せんだって中から風邪の気味で五六日伏せっておりましたものですから、ついつい仏へ無沙汰を致しまして。――うちにおっても忘れる間はないのですけれども――年をとりますと、御湯に行くのも退儀になりましてね」 「時々は少し表をあるく方が薬ですよ。近頃はいい時候ですから……」 「御親切にありがとう存じます。親戚のものなども心配して色々云ってくれますが、どうもあなた何分元気がないものですから、それにこんな婆さんを態々連れてあるいてくれるものもありませず」  こうなると余はいつでも言句に窮する。どう云って切り抜けていいか見当がつかない。仕方がないから「はああ」と長く引っ張ったが、御母さんは少々不平の気味である。さあしまったと思ったが別に片附けようもないから、梅の木をあちらこちら飛び歩るいている四十雀を眺めていた。御母さんも話の腰を折られて無言である。 「御親類の若い御嬢さんでもあると、こんな時には御相手にいいですがね」と云いながら不調法なる余にしては天晴な出来だと自分で感心して見せた。 「生憎そんな娘もおりませず。それに人の子にはやはり遠慮勝ちで……せがれに嫁でも貰って置いたら、こんな時にはさぞ心丈夫だろうと思います。ほんに残念な事をしました」  そら娶が出た。くるたびによめが出ない事はない。年頃の息子に嫁を持たせたいと云うのは親の情としてさもあるべき事だが、死んだ子に娶を迎えて置かなかったのをも残念がるのは少々|平仄が合わない。人情はこんなものか知らん。まだ年寄になって見ないから分らないがどうも一般の常識から云うと少し間違っているようだ。それは一人で侘しく暮らすより気に入った嫁の世話になる方が誰だって頼りが多かろう。しかし嫁の身になっても見るがいい。結婚して半年も立たないうちに夫は出征する。ようやく戦争が済んだと思うと、いつの間にか戦死している。二十を越すか越さないのに、姑と二人暮しで一生を終る。こんな残酷な事があるものか。御母さんの云うところは老人の立場から云えば無理もない訴だが、しかし随分|我儘な願だ。年寄はこれだからいかぬと、内心はすこぶる不平であったが、滅多な抗議を申し込むとまた気色を悪るくさせる危険がある。せっかく慰めに来ていつも失策をやるのは余り器量のない話だ。まあまあだまっているに若くはなしと覚悟をきめて、反って反対の方角へと楫をとった。余は正直に生れた男である。しかし社会に存在して怨まれずに世の中を渡ろうとすると、どうも嘘がつきたくなる。正直と社会生活が両立するに至れば嘘は直ちにやめるつもりでいる。 「実際残念な事をしましたね。全体浩さんはなぜ嫁をもらわなかったんですか」 「いえ、あなた色々探しておりますうちに、旅順へ参るようになったもので御座んすから」 「それじゃ当人も貰うつもりでいたんでしょう」 「それは……」と云ったが、それぎり黙っている。少々様子が変だ。あるいは寂光院事件の手懸りが潜伏していそうだ。白状して云うと、余はその時浩さんの事も、御母さんの事も考えていなかった。ただあの不思議な女の素性と浩さんとの関係が知りたいので頭の中はいっぱいになっている。この日における余は平生のような同情的動物ではない。全く冷静な好奇獣とも称すべき代物に化していた。人間もその日その日で色々になる。悪人になった翌日は善男に変じ、小人の昼の後に君子の夜がくる。あの男の性格はなどと手にとったように吹聴する先生があるがあれは利口の馬鹿と云うものでその日その日の自己を研究する能力さえないから、こんな傍若無人の囈語を吐いて独りで恐悦がるのである。探偵ほど劣等な家業はまたとあるまいと自分にも思い、人にも宣言して憚からなかった自分が、純然たる探偵的態度をもって事物に対するに至ったのは、すこぶるあきれ返った現象である。ちょっと言い淀んだ御母さんは、思い切った口調で 「その事について浩一は何かあなたに御話をした事は御座いませんか」 「嫁の事ですか」 「ええ、誰か自分の好いたものがあるような事を」 「いいえ」と答えたが、実はこの問こそ、こっちから御母さんに向って聞いて見なければならん問題であった。 「御叔母さんには何か話しましたろう」 「いいえ」  望の綱はこれぎり切れた。仕方がないからまた眼を庭の方へ転ずると、四十雀はすでにどこかへ飛び去って、例の白菊の色が、水気を含んだ黒土に映じて見事に見える。その時ふと思い出したのは先日の日記の事である。御母さんも知らず、余も知らぬ、あの女の事があるいは書いてあるかも知れぬ。よしあからさまに記してなくても一応目を通したら何か手懸りがあろう。御母さんは女の事だから理解出来んかも知れんが、余が見ればこうだろうくらいの見当はつくわけだ。これは催促して日記を見るに若くはない。 「あの先日御話しの日記ですね。あの中に何かかいてはありませんか」 「ええ、あれを見ないうちは何とも思わなかったのですが、つい見たものですから……」と御母さんは急に涙声になる。また泣かした。これだから困る。困りはしたものの、何か書いてある事はたしかだ。こうなっては泣こうが泣くまいがそんな事は構っておられん。 「日記に何か書いてありますか? それは是非拝見しましょう」と勢よく云ったのは今から考えて赤面の次第である。御母さんは起って奥へ這入る。  やがて襖をあけてポッケット入れの手帳を持って出てくる。表紙は茶の革でちょっと見ると紙入のような体裁である。朝夕|内がくしに入れたものと見えて茶色の所が黒ずんで、手垢でぴかぴか光っている。無言のまま日記を受取って中を見ようとすると表の戸がからからと開いて、頼みますと云う声がする。生憎来客だ。御母さんは手真似で早く隠せと云うから、余は手帳を内懐に入れて「宅へ帰ってもいいですか」と聞いた。御母さんは玄関の方を見ながら「どうぞ」と答える。やがて下女が何とかさまが入らっしゃいましたと注進にくる。何とかさまに用はない。日記さえあれば大丈夫早く帰って読まなくってはならない。それではと挨拶をして久堅町の往来へ出る。  伝通院の裏を抜けて表町の坂を下りながら路々考えた。どうしても小説だ。ただ小説に近いだけ何だか不自然である。しかしこれから事件の真相を究めて、全体の成行が明瞭になりさえすればこの不自然も自ずと消滅する訳だ。とにかく面白い。是非探索――探索と云うと何だか不愉快だ――探究として置こう。是非探究して見なければならん。それにしても昨日あの女のあとを付けなかったのは残念だ。もし向後あの女に逢う事が出来ないとするとこの事件は判然と分りそうにもない。入らぬ遠慮をして流星光底じゃないが逃がしたのは惜しい事だ。元来品位を重んじ過ぎたり、あまり高尚にすると、得てこんな事になるものだ。人間はどこかに泥棒的分子がないと成功はしない。紳士も結構には相違ないが、紳士の体面を傷けざる範囲内において泥棒根性を発揮せんとせっかくの紳士が紳士として通用しなくなる。泥棒気のない純粋の紳士は大抵行き倒れになるそうだ。よしこれからはもう少し下品になってやろう。とくだらぬ事を考えながら柳町の橋の上まで来ると、水道橋の方から一|輌の人力車が勇ましく白山の方へ馳け抜ける。車が自分の前を通り過ぎる時間は何秒と云うわずかの間であるから、余が冥想の眼をふとあげて車の上を見た時は、乗っている客はすでに眼界から消えかかっていた。がその人の顔は? ああ寂光院だと気が着いた頃はもう五六間先へ行っている。ここだ下品になるのはここだ。何でも構わんから追い懸けろと、下駄の歯をそちらに向けたが、徒歩で車のあとを追い懸けるのは余り下品すぎる。気狂でなくってはそんな馬鹿な事をするものはない。車、車、車はおらんかなと四方を見廻したが生憎一輌もおらん。そのうちに寂光院は姿も見えないくらい遥かあなたに馳け抜ける。もう駄目だ。気狂と思われるまで下品にならなければ世の中は成功せんものかなと惘然として西片町へ帰って来た。  とりあえず、書斎に立て籠って懐中から例の手帳を出したが、何分|夕景ではっきりせん。実は途上でもあちこちと拾い読みに読んで来たのだが、鉛筆でなぐりがきに書いたものだから明るい所でも容易に分らない。ランプを点ける。下女が御飯はと云って来たから、めしは後で食うと追い返す。さて一|頁から順々に見て行くと皆陣中の出来事のみである。しかも倥偬の際に分陰を偸んで記しつけたものと見えて大概の事は一句二句で弁じている。「風、坑道内にて食事。握り飯二個。泥まぶれ」と云うのがある。「夜来|風邪の気味、発熱。診察を受けず、例のごとく勤務」と云うのがある。「テント外の歩哨散弾に中る。テントに仆れかかる。血痕を印す」「五時大突撃。中隊全滅、不成功に終る。残念※」残念の下に!が三本引いてある。無論記憶を助けるための手控であるから、毫も文章らしいところはない。字句を修飾したり、彫琢したりした痕跡は薬にしたくも見当らぬ。しかしそれが非常に面白い。ただありのままをありのままに写しているところが大に気に入った。ことに俗人の使用する壮士的口吻がないのが嬉しい。怒気天を衝くだの、暴慢なる露人だの、醜虜の胆を寒からしむだの、すべてえらそうで安っぽい辞句はどこにも使ってない。文体ははなはだ気に入った、さすがに浩さんだと感心したが、肝心の寂光院事件はまだ出て来ない。だんだん読んで行くうちに四行ばかり書いて上から棒を引いて消した所が出て来た。こんな所が怪しいものだ。これを読みこなさなければ気が済まん。手帳をランプのホヤに押しつけて透かして見る。二行目の棒の下からある字が三分の二ばかり食み出している。郵の字らしい。それから骨を折ってようよう郵便局の三字だけ片づけた。郵便局の上の字は大※だけ見えている。これは何だろうと三分ほどランプと相談をしてやっと分った。本郷郵便局である。ここまではようやく漕ぎつけたがそのほかは裏から見ても逆さまに見てもどうしても読めない。とうとう断念する。それから二三頁進むと突然一大発見に遭遇した。「二三日一睡もせんので勤務中坑内|仮寝。郵便局で逢った女の夢を見る」  余は覚えずどきりとした。「ただ二三分の間、顔を見たばかりの女を、ほど経て夢に見るのは不思議である」この句から急に言文一致になっている。「よほど衰弱している証拠であろう、しかし衰弱せんでもあの女の夢なら見るかも知れん。旅順へ来てからこれで三度見た」  余は日記をぴしゃりと敲いてこれだ! と叫んだ。御母さんが嫁々と口癖のように云うのは無理はない。これを読んでいるからだ。それを知らずに我儘だの残酷だのと心中で評したのは、こっちが悪るいのだ。なるほどこんな女がいるなら、親の身として一日でも添わしてやりたいだろう。御母さんが嫁がいたらいたらと云うのを今まで誤解して全く自分の淋しいのをまぎらすためとばかり解釈していたのは余の眼識の足らなかったところだ。あれは自分の我儘で云う言葉ではない。可愛い息子を戦死する前に、半月でも思い通りにさせてやりたかったと云う謎なのだ。なるほど男は呑気なものだ。しかし知らん事なら仕方がない。それは先ずよしとして元来|寂光院がこの女なのか、あるいはあれは全く別物で、浩さんの郵便局で逢ったと云うのはほかの女なのか、これが疑問である。この疑問はまだ断定出来ない。これだけの材料でそう早く結論に高飛びはやりかねる。やりかねるが少しは想像を容れる余地もなくては、すべての判断はやれるものではない。浩さんが郵便局であの女に逢ったとする。郵便局へ遊びに行く訳はないから、切手を買うか、為替を出すか取るかしたに相違ない。浩さんが切手を手紙へ貼る時に傍にいたあの女が、どう云う拍子かで差出人の宿所姓名を見ないとは限らない。あの女が浩さんの宿所姓名をその時に覚え込んだとして、これに小説的分子を五|分ばかり加味すれば寂光院事件は全く起らんとも云えぬ。女の方はそれで解せたとして浩さんの方が不思議だ。どうしてちょっと逢ったものをそう何度も夢に見るかしらん。どうも今少したしかな土台が欲しいがとなお読んで行くと、こんな事が書いてある。「近世の軍略において、攻城は至難なるものの一として数えらる。我が攻囲軍の死傷多きは怪しむに足らず。この二三ヶ月間に余が知れる将校の城下に斃れたる者は枚挙に遑あらず。死は早晩余を襲い来らん。余は日夜に両軍の砲撃を聞きて、今か今かと順番の至るを待つ」なるほど死を決していたものと見える。十一月二十五日の条にはこうある。「余の運命もいよいよ明日に逼った」今度は言文一致である。「軍人が軍さで死ぬのは当然の事である。死ぬのは名誉である。ある点から云えば生きて本国に帰るのは死ぬべきところを死に損なったようなものだ」戦死の当日の所を見ると「今日限りの命だ。二竜山を崩す大砲の声がしきりに響く。死んだらあの音も聞えぬだろう。耳は聞えなくなっても、誰か来て墓参りをしてくれるだろう。そうして白い小さい菊でもあげてくれるだろう。寂光院は閑静な所だ」とある。その次に「強い風だ。いよいよこれから死にに行く。丸に中って仆れるまで旗を振って進むつもりだ。御母さんは、寒いだろう」日記はここで、ぶつりと切れている。切れているはずだ。  余はぞっとして日記を閉じたが、いよいよあの女の事が気に懸ってたまらない。あの車は白山の方へ向いて馳けて行ったから、何でも白山方面のものに相違ない。白山方面とすれば本郷の郵便局へ来んとも限らん。しかし白山だって広い。名前も分らんものを探ねて歩いたって、そう急に知れる訳がない。とにかく今夜の間に合うような簡略な問題ではない。仕方がないから晩食を済ましてその晩はそれぎり寝る事にした。実は書物を読んでも何が書いてあるか茫々として海に対するような感があるから、やむをえず床へ這入ったのだが、さて夜具の中でも思う通りにはならんもので、終夜安眠が出来なかった。  翌日学校へ出て平常の通り講義はしたが、例の事件が気になっていつものように授業に身が入らない。控所へ来ても他の職員と話しをする気にならん。学校の退けるのを待ちかねて、その足で寂光院へ来て見たが、女の姿は見えない。昨日の菊が鮮やかに竹藪の緑に映じて雪の団子のように見えるばかりだ。それから白山から原町、林町の辺をぐるぐる廻って歩いたがやはり何らの手懸りもない。その晩は疲労のため寝る事だけはよく寝た。しかし朝になって授業が面白く出来ないのは昨日と変る事はなかった。三日目に教員の一人を捕まえて君白山方面に美人がいるかなと尋ねて見たら、うむ沢山いる、あっちへ引越したまえと云った。帰りがけに学生の一人に追いついて君は白山の方にいるかと聞いたら、いいえ森川町ですと答えた。こんな馬鹿な騒ぎ方をしていたって始まる訳のものではない。やはり平生のごとく落ちついて、緩るりと探究するに若くなしと決心を定めた。それでその晩は煩悶焦慮もせず、例の通り静かに書斎に入って、せんだって中からの取調物を引き続いてやる事にした。  近頃余の調べている事項は遺伝と云う大問題である。元来余は医者でもない、生物学者でもない。だから遺伝と云う問題に関して専門上の智識は無論有しておらぬ。有しておらぬところが余の好奇心を挑撥する訳で、近頃ふとした事からこの問題に関してその起原発達の歴史やら最近の学説やらを一通り承知したいと云う希望を起して、それからこの研究を始めたのである。遺伝と一口に云うとすこぶる単純なようであるがだんだん調べて見ると複雑な問題で、これだけ研究していても充分|生涯の仕事はある。メンデリズムだの、ワイスマンの理論だの、ヘッケルの議論だの、その弟子のヘルトウィッヒの研究だの、スペンサーの進化心理説だのと色々の人が色々の事を云うている。そこで今夜は例のごとく書斎の裡で近頃出版になった英吉利のリードと云う人の著述を読むつもりで、二三枚だけは何気なくはぐってしまった。するとどう云う拍子か、かの日記の中の事柄が、書物を読ませまいと頭の中へ割り込んでくる。そうはさせぬとまた一枚ほど開けると、今度は寂光院が襲って来る。ようやくそれを追払って五六枚無難に通過したかと思うと、御母さんの切り下げの被布姿がページの上にあらわれる。読むつもりで決心して懸った仕事だから読めん事はない。読めん事はないがページとページの間に狂言が這入る。それでも構わずどしどし進んで行くと、この狂言と本文の間が次第次第に接近して来る。しまいにはどこからが狂言でどこまでが本文か分らないようにぼうっとして来た。この夢のようなありさまで五六分続けたと思ううち、たちまち頭の中に電流を通じた感じがしてはっと我に帰った。「そうだ、この問題は遺伝で解ける問題だ。遺伝で解けばきっと解ける」とは同時に吾口を突いて飛び出した言語である。今まではただ不思議である小説的である。何となく落ちつかない、何か疑惑を晴らす工夫はあるまいか、それには当人を捕えて聞き糺すよりほかに方法はあるまいとのみ速断して、その結果は朋友に冷かされたり、屑屋流に駒込近傍を徘徊したのである。しかしこんな問題は当人の支配権以外に立つ問題だから、よし当人を尋ねあてて事実を明らかにしたところで不思議は解けるものでない。当人から聞き得る事実その物が不思議である以上は余の疑惑は落ちつきようがない。昔はこんな現象を因果と称えていた。因果は諦らめる者、泣く子と地頭には勝たれぬ者と相場がきまっていた。なるほど因果と言い放てば因果で済むかも知れない。しかし二十世紀の文明はこの因を極めなければ承知しない。しかもこんな芝居的夢幻的現象の因を極めるのは遺伝によるよりほかにしようはなかろうと思う。本来ならあの女を捕まえて日記中の女と同人か別物かを明にした上で遺伝の研究を初めるのが順当であるが、本人の居所さえたしかならぬただいまでは、この順序を逆にして、彼らの血統から吟味して、下から上へ溯る代りに、昔から今に繰りさげて来るよりほかに道はあるまい。いずれにしても同じ結果に帰着する訳だから構わない。  そんならどうして両人の血統を調べたものだろう。女の方は何者だか分らないから、先ず男の方から調べてかかる。浩さんは東京で生れたから東京っ子である。聞くところによれば浩さんの御父さんも江戸で生れて江戸で死んだそうだ。するとこれも江戸っ子である。御爺さんも御爺さんの御父さんも江戸っ子である。すると浩さんの一家は代々東京で暮らしたようであるがその実町人でもなければ幕臣でもない。聞くところによると浩さんの家は紀州の藩士であったが江戸詰で代々こちらで暮らしたのだそうだ。紀州の家来と云う事だけ分ればそれで充分|手懸りはある。紀州の藩士は何百人あるか知らないが現今東京に出ている者はそんなに沢山あるはずがない。ことにあの女のように立派な服装をしている身分なら藩主の家へ出入りをするにきまっている。藩主の家に出入するとすればその姓名はすぐに分る。これが余の仮定である。もしあの女が浩さんと同藩でないとするとこの事件は当分|埓があかない。抛って置いて自然天然寂光院に往来で邂逅するのを待つよりほかに仕方がない。しかし余の仮定が中るとすると、あとは大抵余の考え通りに発展して来るに相違ない。余の考によると何でも浩さんの先祖と、あの女の先祖の間に何事かあって、その因果でこんな現象を生じたに違いない。これが第二の仮定である。こうこしらえてくるとだんだん面白くなってくる。単に自分の好奇心を満足させるばかりではない。目下研究の学問に対してもっとも興味ある材料を給与する貢献的事業になる。こう態度が変化すると、精神が急に爽快になる。今までは犬だか、探偵だかよほど下等なものに零落したような感じで、それがため脳中不愉快の度をだいぶ高めていたが、この仮定から出立すれば正々堂々たる者だ。学問上の研究の領分に属すべき事柄である。少しも疚ましい事はないと思い返した。どんな事でも思い返すと相当のジャスチフィケーションはある者だ。悪るかったと気がついたら黙坐して思い返すに限る。  あくる日学校で和歌山県出の同僚某に向って、君の国に老人で藩の歴史に詳しい人はいないかと尋ねたら、この同僚首をひねってあるさと云う。因ってその人物を承わると、もとは家老だったが今では家令と改名して依然として生きていると何だか妙な事を答える。家令ならなお都合がいい、平常藩邸に出入する人物の姓名職業は無論承知しているに違ない。 「その老人は色々昔の事を記憶しているだろうな」 「うん何でも知っている。維新の時なぞはだいぶ働いたそうだ。槍の名人でね」  槍などは下手でも構わん。昔し藩中に起った異聞奇譚を、老耄せずに覚えていてくれればいいのである。だまって聞いていると話が横道へそれそうだ。 「まだ家令を務めているくらいなら記憶はたしかだろうな」 「たしか過ぎて困るね。屋敷のものがみんな弱っている。もう八十近いのだが、人間も随分丈夫に製造する事が出来るもんだね。当人に聞くと全く槍術の御蔭だと云ってる。それで毎朝起きるが早いか槍をしごくんだ……」 「槍はいいが、その老人に紹介して貰えまいか」 「いつでもして上げる」と云うと傍に聞いていた同僚が、君は白山の美人を探がしたり、記憶のいい爺さんを探したり、随分多忙だねと笑った。こっちはそれどころではない。この老人に逢いさえすれば、自分の鑑定が中るか外れるか大抵の見当がつく。一刻も早く面会しなければならん。同僚から手紙で先方の都合を聞き合せてもらう事にする。  二三日は何の音沙汰もなく過ぎたが、御面会をするから明日三時頃来て貰いたいと云う返事がようやくの事来たよと同僚が告げてくれた時は大に嬉しかった。その晩は勝手次第に色々と事件の発展を予想して見て、先ず七分までは思い通りの事実が暗中から白日の下に引き出されるだろうと考えた。そう考えるにつけて、余のこの事件に対する行動が――行動と云わんよりむしろ思いつきが、なかなか巧みである、無学なものならとうていこんな点に考えの及ぶ気遣はない、学問のあるものでも才気のない人にはこのような働きのある応用が出来る訳がないと、寝ながら大得意であった。ダーウィンが進化論を公けにした時も、ハミルトンがクォーターニオンを発明した時も大方こんなものだろうと独りでいい加減にきめて見る。自宅の渋柿は八百屋から買った林檎より旨いものだ。  翌日は学校が午ぎりだから例刻を待ちかねて麻布まで車代二十五銭を奮発して老人に逢って見る。老人の名前はわざと云わない。見るからに頑丈な爺さんだ。白い髯を細長く垂れて、黒紋付に八王子平で控えている。「やあ、あなたが、何の御友達で」と同僚の名を云う。まるで小供扱だ。これから大発明をして学界に貢献しようと云う余に対してはやや横柄である。今から考えて見ると先方が横柄なのではない、こっちの気位が高過ぎたから普通の応接ぶりが横柄に見えたのかも知れない。  それから二三件世間なみの応答を済まして、いよいよ本題に入った。 「妙な事を伺いますが、もと御藩に河上と云うのが御座いましたろう」余は学問はするが応対の辞にはなれておらん。藩というのが普通だが先方の事だから尊敬して御藩と云って見た。こんな場合に何と云うものか未だに分らない。老人はちょっと笑ったようだ。 「河上――河上と云うのはあります。河上才三と云うて留守居を務めておった。その子が貢五郎と云うてやはり江戸詰で――せんだって旅順で戦死した浩一の親じゃて。――あなた浩一の御つき合いか。それはそれは。いや気の毒な事で――母はまだあるはずじゃが……」と一人で弁ずる  河上|一家の事を聞くつもりなら、わざわざ麻布下りまで出張する必要はない。河上を持ち出したのは河上対某との関係が知りたいからである。しかしこの某なるものの姓名が分らんから話しの切り出しようがない。 「その河上について何か面白い御話はないでしょうか」  老人は妙な顔をして余を見詰めていたが、やがて重苦しく口を切った。 「河上? 河上にも今御話しする通り何人もある。どの河上の事を御尋ねか」 「どの河上でも構わんです」 「面白い事と云うて、どんな事を?」 「どんな事でも構いません。ちと材料が欲しいので」 「材料? 何になさる」厄介な爺さんだ。 「ちと取調べたい事がありまして」 「なある。貢五郎と云うのはだいぶ慷慨家で、維新の時などはだいぶ暴ばれたものだ――或る時あなた長い刀を提げてわしの所へ議論に来て、……」 「いえ、そう云う方面でなく。もう少し家庭内に起った事柄で、面白いと今でも人が記憶しているような事件はないでしょうか」老人は黙然と考えている。 「貢五郎という人の親はどんな性質でしたろう」 「才三かな。これはまた至って優しい、――あなたの知っておらるる浩一に生き写しじゃ、よく似ている」 「似ていますか?」と余は思わず大きな声を出した。 「ああ、実によく似ている。それでその頃は維新には間もある事で、世の中も穏かであったのみならず、役が御留守居だから、だいぶ金を使って風流をやったそうだ」 「その人の事について何か艶聞が――艶聞と云うと妙ですが――ないでしょうか」 「いや才三については憐れな話がある。その頃家中に小野田帯刀と云うて、二百石取りの侍がいて、ちょうど河上と向い合って屋敷を持っておった。この帯刀に一人の娘があって、それがまた藩中第一の美人であったがな、あなた」 「なるほど」うまいだんだん手懸りが出来る。 「それで両家は向う同志だから、朝夕往来をする。往来をするうちにその娘が才三に懸想をする。何でも才三方へ嫁に行かねば死んでしまうと騒いだのだて――いや女と云うものは始末に行かぬもので――是非行かして下されと泣くじゃ」 「ふん、それで思う通りに行きましたか」成蹟は良好だ。 「で帯刀から人をもって才三の親に懸合うと、才三も実は大変貰いたかったのだからその旨を返事する。結婚の日取りまできめるくらいに事が捗どったて」 「結構な事で」と申したがこれで結婚をしてくれては少々困ると内心ではひやひやして聞いている。 「そこまでは結構だったが、――飛んだ故障が出来たじゃ」 「へええ」そう来なくってはと思う。 「その頃|国家老にやはり才三くらいな年恰好なせがれが有って、このせがれがまた帯刀の娘に恋慕して、是非貰いたいと聞き合せて見るともう才三方へ約束が出来たあとだ。いかに家老の勢でもこればかりはどうもならん。ところがこのせがれが幼少の頃から殿様の御相手をして成長したもので、非常に御上の御気に入りでの、あなた。――どこをどう運動したものか殿様の御意でその方の娘をあれに遣わせと云う御意が帯刀に下りたのだて」 「気の毒ですな」と云ったが自分の見込が着々|中るので実に愉快でたまらん。これで見ると朋友の死ぬような凶事でも、自分の予言が的中するのは嬉しいかも知れない。着物を重ねないと風邪を引くぞと忠告をした時に、忠告をされた当人が吾が言を用いないでしかもぴんぴんしていると心持ちが悪るい。どうか風邪が引かしてやりたくなる。人間はかようにわがままなものだから、余一人を責めてはいかん。 「実に気の毒な事だて、御上の仰せだから内約があるの何のと申し上げても仕方がない。それで帯刀が娘に因果を含めて、とうとう河上方を破談にしたな。両家が従来の通り向う合せでは、何かにつけて妙でないと云うので、帯刀は国詰になる、河上は江戸に残ると云う取り計をわしのおやじがやったのじゃ。河上が江戸で金を使ったのも全くそんなこんなで残念を晴らすためだろう。それでこの事がな、今だから御話しするようなものの、当時はぱっとすると両家の面目に関わると云うので、内々にして置いたから、割合に人が知らずにいる」 「その美人の顔は覚えて御出でですか」と余に取ってはすこぶる重大な質問をかけて見た。 「覚えているとも、わしもその頃は若かったからな。若い者には美人が一番よく眼につくようだて」と皺だらけの顔を皺ばかりにしてからからと笑った。 「どんな顔ですか」 「どんなと云うて別に形容しようもない。しかし血統と云うは争われんもので、今の小野田の妹がよく似ている。――御存知はないかな、やはり大学出だが――工学博士の小野田を」 「白山の方にいるでしょう」ともう大丈夫と思ったから言い放って、老人の気色を伺うと 「やはり御承知か、原町にいる。あの娘もまだ嫁に行かんようだが。――御屋敷の御姫様の御相手に時々来ます」  占めた占めたこれだけ聞けば充分だ。一から十まで余が鑑定の通りだ。こんな愉快な事はない。寂光院はこの小野田の令嬢に違ない。自分ながらかくまで機敏な才子とは今まで思わなかった。余が平生主張する趣味の遺伝と云う理論を証拠立てるに完全な例が出て来た。ロメオがジュリエットを一目見る、そうしてこの女に相違ないと先祖の経験を数十年の後に認識する。エレーンがランスロットに始めて逢う、この男だぞと思い詰める、やはり父母未生以前に受けた記憶と情緒が、長い時間を隔てて脳中に再現する。二十世紀の人間は散文的である。ちょっと見てすぐ惚れるような男女を捕えて軽薄と云う、小説だと云う、そんな馬鹿があるものかと云う。馬鹿でも何でも事実は曲げる訳には行かぬ、逆かさにする訳にもならん。不思議な現象に逢わぬ前ならとにかく、逢うた後にも、そんな事があるものかと冷淡に看過するのは、看過するものの方が馬鹿だ。かように学問的に研究的に調べて見れば、ある程度までは二十世紀を満足せしむるに足るくらいの説明はつくのである。とここまでは調子づいて考えて来たが、ふと思いついて見ると少し困る事がある。この老人の話しによると、この男は小野田の令嬢も知っている、浩さんの戦死した事も覚えている。するとこの両人は同藩の縁故でこの屋敷へ平生|出入して互に顔くらいは見合っているかも知れん。ことによると話をした事があるかも分らん。そうすると余の標榜する趣味の遺伝と云う新説もその論拠が少々薄弱になる。これは両人がただ一度本郷の郵便局で出合った事にして置かんと不都合だ。浩さんは徳川家へ出入する話をついにした事がないから大丈夫だろう、ことに日記にああ書いてあるから間違はないはずだ。しかし念のため不用心だから尋ねて置こうと心を定めた。 「さっき浩一の名前をおっしゃったようですが、浩一は存生中御屋敷へよく上がりましたか」 「いいえ、ただ名前だけ聞いているばかりで、――おやじは先刻御話をした通り、わしと終夜激論をしたくらいな間柄じゃが、せがれは五六歳のときに見たぎりで――実は貢五郎が早く死んだものだから、屋敷へ出入する機会もそれぎり絶えてしもうて、――その後は頓と逢うた事がありません」  そうだろう、そう来なくっては辻褄が合わん。第一余の理論の証明に関係してくる。先ずこれなら安心。御蔭様でと挨拶をして帰りかけると、老人はこんな妙な客は生れて始めてだとでも思ったものか、余を送り出して玄関に立ったまま、余が門を出て振り返るまで見送っていた。  これからの話は端折って簡略に述べる。余は前にも断わった通り文士ではない。文士ならこれからが大に腕前を見せるところだが、余は学問読書を専一にする身分だから、こんな小説めいた事を長々しくかいているひまがない。新橋で軍隊の歓迎を見て、その感慨から浩さんの事を追想して、それから寂光院の不思議な現象に逢ってその現象が学問上から考えて相当の説明がつくと云う道行きが読者の心に合点出来ればこの一篇の主意は済んだのである。実は書き出す時は、あまりの嬉しさに勢い込んで出来るだけ精密に叙述して来たが、慣れぬ事とて余計な叙述をしたり、不用な感想を挿入したり、読み返して見ると自分でもおかしいと思うくらい精しい。その代りここまで書いて来たらもういやになった。今までの筆法でこれから先を描写するとまた五六十枚もかかねばならん。追々学期試験も近づくし、それに例の遺伝説を研究しなくてはならんから、そんな筆を舞わす時日は無論ない。のみならず、元来が寂光院事件の説明がこの篇の骨子だから、ようやくの事ここまで筆が運んで来て、もういいと安心したら、急にがっかりして書き続ける元気がなくなった。  老人と面会をした後には事件の順序として小野田と云う工学博士に逢わなければならん。これは困難な事でもない。例の同僚からの紹介を持って行ったら快よく談話をしてくれた。二三度訪問するうちに、何かの機会で博士の妹に逢わせてもらった。妹は余の推量に違わず例の寂光院であった。妹に逢った時顔でも赤らめるかと思ったら存外|淡泊で毫も平生と異なる様子のなかったのはいささか妙な感じがした。ここまではすらすら事が運んで来たが、ただ一つ困難なのは、どうして浩さんの事を言い出したものか、その方法である。無論デリケートな問題であるから滅多に聞けるものではない。と云って聞かなければ何だか物足らない。余一人から云えばすでに学問上の好奇心を満足せしめたる今日、これ以上立ち入ってくだらぬ詮議をする必要を認めておらん。けれども御母さんは女だけに底まで知りたいのである。日本は西洋と違って男女の交際が発達しておらんから、独身の余と未婚のこの妹と対座して話す機会はとてもない。よし有ったとしたところで、むやみに切り出せばいたずらに処女を赤面させるか、あるいは知りませぬと跳ねつけられるまでの事である。と云って兄のいる前ではなおさら言いにくい。言いにくいと申すより言うを敢てすべからざる事かも知れない。墓参り事件を博士が知っているならばだけれど、もし知らんとすれば、余は好んで人の秘事を暴露する不作法を働いた事になる。こうなるといくら遺伝学を振り廻しても埓はあかん。自ら才子だと飛び廻って得意がった余も茲に至って大に進退に窮した。とどのつまり事情を逐一打ち明けて御母さんに相談した。ところが女はなかなか智慧がある。  御母さんの仰せには「近頃一人の息子を旅順で亡くして朝、夕|淋しがって暮らしている女がいる。慰めてやろうと思っても男ではうまく行かんから、おひまな時に御嬢さんを時々遊びにやって上げて下さいとあなたから博士に頼んで見て頂きたい」とある。早速博士方へまかり出て鸚鵡的|口吻を弄して旨を伝えると博士は一も二もなく承諾してくれた。これが元で御母さんと御嬢さんとは時々会見をする。会見をするたびに仲がよくなる。いっしょに散歩をする、御饌をたべる、まるで御嫁さんのようになった。とうとう御母さんが浩さんの日記を出して見せた。その時に御嬢さんが何と云ったかと思ったら、それだから私は御寺参をしておりましたと答えたそうだ。なぜ白菊を御墓へ手向けたのかと問い返したら、白菊が一番好きだからと云う挨拶であった。  余は色の黒い将軍を見た。婆さんがぶら下がる軍曹を見た。ワーと云う歓迎の声を聞いた。そうして涙を流した。浩さんは塹壕へ飛び込んだきり上って来ない。誰も浩さんを迎に出たものはない。天下に浩さんの事を思っているものはこの御母さんとこの御嬢さんばかりであろう。余はこの両人の睦まじき様を目撃するたびに、将軍を見た時よりも、軍曹を見た時よりも、清き涼しき涙を流す。博士は何も知らぬらしい。  汽車の窓から怪しい空を覗いていると降り出して来た。それが細かい糠雨なので、雨としてよりはむしろ草木を濡らす淋しい色として自分の眼に映った。三人はこの頃の天気を恐れてみんな護謨合羽を用意していた。けれどもそれがいざ役に立つとなるとけっして嬉しい顔はしなかった。彼らはその日の佗びしさから推して、二日後に来る暗い夜の景色を想像したのである。 「十三日に降ったら大変だなあ」とOが独言のように云った。 「天気の時より病人が増えるだろう」と自分も気のなさそうに返事をした。  Yは停車場前で買った新聞に読み耽ったまま一口も物を云わなかった。雨はいつの間にか強くなって、窓硝子に、砕けた露の球のようなものが見え始めた。自分は閑静な車輛のなかで、先年英国のエドワード帝を葬った時、五千人の卒倒者を出した事などを思い出したりした。  汽車を下りて車に乗った時から、秋の感じはなお強くなった。幌の間から見ると車の前にある山が青く濡れ切っている。その青いなかの切通しへ三人の車が静かにかかって行く。車夫は草鞋も足袋も穿かずに素足を柔かそうな土の上に踏みつけて、腰の力で車を爪先上りに引き上げる。すると左右を鎖す一面の芒の根から爽かな虫の音が聞え出した。それが幌を打つ雨の音に打ち勝つように高く自分の耳に響いた時、自分はこの果しもない虫の音に伴れて、果しもない芒の簇りを眼も及ばない遠くに想像した。そうしてそれを自分が今取り巻かれている秋の代表者のごとくに感じた。  この青い秋のなかに、三人はまた真赤な鶏頭を見つけた。その鮮やかな色の傍には掛茶屋めいた家があって、縁台の上に枝豆の殻を干したまま積んであった。木槿かと思われる真白な花もここかしこに見られた。  やがて車夫が梶棒を下した。暗い幌の中を出ると、高い石段の上に萱葺の山門が見えた。Oは石段を上る前に、門前の稲田の縁に立って小便をした。自分も用心のため、すぐ彼の傍へ行って顰に倣った。それから三人前後して濡れた石を踏みながら典座寮と書いた懸札の眼につく庫裡から案内を乞うて座敷へ上った。  老師に会うのは約二十年ぶりである。東京からわざわざ会いに来た自分には、老師の顔を見るや否や、席に着かぬ前から、すぐそれと解ったが先方では自分を全く忘れていた。私はと云って挨拶をした時老師はいやまるで御見逸れ申しましたと、改めて久濶を叙したあとで、久しい事になりますな、もうかれこれ二十年になりますからなどと云った。けれどもその二十年後の今、自分の眼の前に現れた小作りな老師は、二十年前と大して変ってはいなかった。ただ心持色が白くなったのと、年のせいか顔にどこか愛嬌がついたのが自分の予期と少し異なるだけで、他は昔のままのS禅師であった。 「私ももう直五十二になります」  自分は老師のこの言葉を聞いた時、なるほど若く見えるはずだと合点が行った。実をいうと今まで腹の中では老師の年歯を六十ぐらいに勘定していた。しかし今ようやく五十一二とすると、昔自分が相見の礼を執った頃はまだ三十を超えたばかりの壮年だったのである。それでも老師は知識であった。知識であったから、自分の眼には比較的|老けて見えたのだろう。  いっしょに連れて行った二人を老師に引き合せて、巡錫の打ち合せなどを済ました後、しばらく雑談をしているうちに、老師から縁切寺の由来やら、時頼夫人の開基の事やら、どうしてそんな尼寺へ住むようになった訳やら、いろいろ聞いた。帰る時には玄関まで送ってきて、「今日は二百二十日だそうで……」と云われた。三人はその二百二十日の雨の中を、また切通し越に町の方へ下った。  翌朝は高い二階の上から降るでもなく晴れるでもなく、ただ夢のように煙るKの町を眼の下に見た。三人が車を並べて停車場に着いた時、プラットフォームの上には雨合羽を着た五六の西洋人と日本人が七時二十分の上り列車を待つべく無言のまま徘徊していた。  御大葬と乃木大将の記事で、都下で発行するあらゆる新聞の紙面が埋まったのは、それから一日おいて次の朝の出来事である。  私の処女作――と言えば先ず『猫』だろうが、別に追懐する程のこともないようだ。ただ偶然ああいうものが出来たので、私はそういう時機に達して居たというまでである。  というのが、もともと私には何をしなければならぬということがなかった。勿論生きて居るから何かしなければならぬ。する以上は、自己の存在を確実にし、此処に個人があるということを他にも知らせねばならぬ位の了見は、常人と同じ様に持っていたかも知れぬ。けれども創作の方面で自己を発揮しようとは、創作をやる前迄も別段考えていなかった。  話が自分の経歴見たようなものになるが、丁度私が大学を出てから間もなくのこと、或日外山正一氏から一寸来いと言って来たので、行って見ると、教師をやって見てはどうかということである。私は別にやって見たいともやって見たくないとも思って居なかったが、そう言われて見ると、またやって見る気がないでもない。それで兎に角やって見ようと思ってそういうと、外山さんは私を嘉納さんのところへやった。嘉納さんは高等師範の校長である。其処へ行って先ず話を聴いて見ると、嘉納さんは非常に高いことを言う。教育の事業はどうとか、教育者はどうなければならないとか、迚も我々にはやれそうにもない。今なら話を三分の一に聴いて仕事も三分の一位で済まして置くが、その時分は馬鹿正直だったので、そうは行かなかった。そこで迚も私には出来ませんと断ると、嘉納さんが旨い事をいう。あなたの辞退するのを見て益依頼し度くなったから、兎に角やれるだけやってくれとのことであった。そう言われて見ると、私の性質として又断り切れず、とうとう高等師範に勤めることになった。それが私のライフのスタートであった。  茲で一寸話が大戻りをするが、私も十五六歳の頃は、漢書や小説などを読んで文学というものを面白く感じ、自分もやって見ようという気がしたので、それを亡くなった兄に話して見ると、兄は文学は職業にゃならない、アッコンプリッシメントに過ぎないものだと云って、寧ろ私を叱った。然しよく考えて見るに、自分は何か趣味を持った職業に従事して見たい。それと同時にその仕事が何か世間に必要なものでなければならぬ。何故というのに、困ったことには自分はどうも変物である。当時変物の意義はよく知らなかった。然し変物を以て自ら任じていたと見えて、迚も一々|此方から世の中に度を合せて行くことは出来ない。何か己を曲げずして趣味を持った、世の中に欠くべからざる仕事がありそうなものだ。――と、その時分私の眼に映ったのは、今も駿河台に病院を持って居る佐々木博士の養父だとかいう、佐々木東洋という人だ。あの人は誰もよく知って居る変人だが、世間はあの人を必要として居る。而もあの人は己を曲ぐることなくして立派にやって行く。それから井上達也という眼科の医者が矢張駿河台に居たが、その人も丁度東洋さんのような変人で、而も世間から必要とせられて居た。そこで私は自分もどうかあんな風にえらくなってやって行きたいものと思ったのである。ところが私は医者は嫌いだ。どうか医者でなくて何か好い仕事がありそうなものと考えて日を送って居るうちに、ふと建築のことに思い当った。建築ならば衣食住の一つで世の中になくて叶わぬのみか、同時に立派な美術である。趣味があると共に必要なものである。で、私はいよいよそれにしようと決めた。  ところが丁度その時分の同級生に、米山保三郎という友人が居た。それこそ真性変物で、常に宇宙がどうの、人生がどうのと、大きなことばかり言って居る。ある日此男が訪ねて来て、例の如く色々哲学者の名前を聞かされた揚句の果に君は何になると尋ねるから、実はこうこうだと話すと、彼は一も二もなくそれを却けてしまった。其時かれは日本でどんなに腕を揮ったって、セント・ポールズの大寺院のような建築を天下後世に残すことは出来ないじゃないかとか何とか言って、盛んなる大議論を吐いた。そしてそれよりもまだ文学の方が生命があると言った。元来自分の考は此男の説よりも、ずっと実際的である。食べるということを基点として出立した考である。所が米山の説を聞いて見ると、何だか空々漠々とはしているが、大きい事は大きいに違ない。衣食問題などは丸で眼中に置いていない。自分はこれに敬服した。そう言われて見ると成程又そうでもあると、其晩即席に自説を撤回して、又文学者になる事に一決した。随分|呑気なものである。  然し漢文科や国文科の方はやりたくない。そこで愈英文科を志望学科と定めた。  然し其時分の志望は実に茫漠極まったもので、ただ英語英文に通達して、外国語でえらい文学上の述作をやって、西洋人を驚かせようという希望を抱いていた。所が愈大学へ這入って三年を過して居るうちに、段々其希望があやしくなって来て、卒業したときには、是でも学士かと思う様な馬鹿が出来上った。それでも点数がよかったので、人は存外信用してくれた。自分も世間へ対しては多少得意であった。ただ自分が自分に対すると甚だ気の毒であった。そのうち愚図々々しているうちに、この己れに対する気の毒が凝結し始めて、体のいい往生となった。わるく云えば立ち腐れを甘んずる様になった。其癖世間へ対しては甚だ気※が高い。何の高山の林公|抔と思っていた。  その中、洋行しないかということだったので、自分なんぞよりももっとどうかした人があるだろうから、そんな人を遣ったらよかろうと言うと、まアそんなに言わなくても行って見たら可いだろうとのことだったので、そんなら行って見ても可いと思って行った。然し留学中に段々文学がいやになった。西洋の詩などのあるものをよむと、全く感じない。それを無理に嬉しがるのは、何だかありもしない翅を生やして飛んでる人のような、金がないのにあるような顔して歩いて居る人のような気がしてならなかった。所へ池田菊苗君が独乙から来て、自分の下宿へ留った。池田君は理学者だけれども、話して見ると偉い哲学者であったには驚いた。大分議論をやって大分やられた事を今に記憶している。倫敦で池田君に逢ったのは、自分には大変な利益であった。御蔭で幽霊の様な文学をやめて、もっと組織だったどっしりした研究をやろうと思い始めた。それから其方針で少しやって、全部の計画は日本でやり上げる積で西洋から帰って来ると、大学に教えてはどうかということだったので、そんならそうしようと言って大学に出ることになった。  さて正岡子規君とは元からの友人であったので、私が倫敦に居る時、正岡に下宿で閉口した模様を手紙にかいて送ると、正岡はそれを『ホトトギス』に載せた。『ホトトギス』とは元から関係があったが、それが近因で、私が日本に帰った時編輯者の虚子から何か書いて呉れないかと嘱まれたので、始めて『吾輩は猫である』というのを書いた。所が虚子がそれを読んで、これは不可ませんと云う。訳を聞いて見ると段々ある。今は丸で忘れて仕舞ったが、兎に角尤もだと思って書き直した。  今度は虚子が大いに賞めてそれを『ホトトギス』に載せたが、実はそれ一回きりのつもりだったのだ。ところが虚子が面白いから続きを書けというので、だんだん書いて居るうちにあんなに長くなって了った。というような訳だから、私はただ偶然そんなものを書いたというだけで、別に当時の文壇に対してどうこうという考も何もなかった。ただ書きたいから書き、作りたいから作ったまでで、つまり言えば、私がああいう時機に達して居たのである。もっとも書き初めた時と、終る時分とは余程考が違って居た。文体なども人を真似るのがいやだったから、あんな風にやって見たに過ぎない。  何しろそんな風で今日迄やって来たのだが、以上を綜合して考えると、私は何事に対しても積極的でないから、考えて自分でも驚ろいた。文科に入ったのも友人のすすめだし、教師になったのも人がそう言って呉れたからだし、洋行したのも、帰って来て大学に勤めたのも、『朝日新聞』に入ったのも、小説を書いたのも、皆そうだ。だから私という者は、一方から言えば、他が造って呉れたようなものである。  俳諧の趣味ですか、西洋には有りませんな。川柳といふやうなものは西洋の詩の中にもありますが、俳句趣味のものは詩の中にもないし、又それが詩の本質を形作つても居ない。日本獨特と言つていゝでせう。  一體日本と西洋とは家屋の建築裝飾なぞからして違つて居るので、日本では短冊のやうな小さなものを掛けて置いても一の裝飾になるが、西洋のやうな大きな構造ではあんな小ぽけなものを置いても一向目に立たない。  俳句に進歩はないでせう、唯變化するだけでせう。イクラ複雜にしたつて勸工場のやうにゴタ/\並べたてたつて仕樣がない。日本の衣服が簡便である如く、日本の家屋が簡便である如く、俳句も亦簡便なものである。 ―明治四四、六、一『俳味』―  十一日の夜床に着いてからまもなく電話口へ呼び出されて、ケーベル先生が出発を見合わすようになったという報知を受けた。しかしその時はもう「告別の辞」を社へ送ってしまったあとなので私はどうするわけにもいかなかった。先生がまだ横浜のロシアの総領事のもとに泊まっていて、日本を去ることのできないのは、まったく今度の戦争のためと思われる。したがって私にこの正誤を書かせるのもその戦争である。つまり戦争が正直な二人を嘘吐きにしたのだといわなければならない。  しかし先生の告別の辞は十二日に立つと立たないとで変わるわけもなし、私のそれにつけ加えた蛇足な文句も、先生の去留によってその価値に狂いが出てくるはずもないのだから、われわれは書いたこと言ったことについて取り消しをだす必要は、もとより認めていないのである。ただ「自分の指導を受けた学生によろしく」とあるべきのを、「自分の指導を受けた先生によろしく」と校正が誤っているのだけはぜひ取り消しておきたい。こんなまちがいの起こるのもまた校正掛りを忙殺する今度の戦争の罪かもしれない。  演題は「創作家の態度」と云うのであります。態度と云うのは心の持ち方、物の観方くらいに解釈しておいて下されば宜しい。この、心の持ち方、物の観方で十人、十色さまざまの世界ができまたさまざまの世界観が成り立つのは申すまでもない。一例を上げて申すと、もし諸君が私に向って月の形はどんなだと聞かれれば、私はすぐに丸いと答える。諸君も定めし御異存はなかろうと思う。ところがこの間ある西洋人の書いたものを見たら、我々は普通月を半円形のものと解しているとあったのみか、なぜまんまるなものと思っていぬかと云う訳までが二三行つけ加えてあったんで、少し驚いたくらいであります。我々は教育の結果、習慣の結果、ある眼識で外界を観、ある態度で世相を眺め、そうしてそれが真の外界で、また真の世相と思っている。ところが何かの拍子で全然種類の違った人――商人でも、政事家でもあるいは宗教家でも何でもよろしい。なるべく縁の遠い関係の薄い先生方に逢って、その人々の意見を聞いて見ると驚ろく事があります。それらの人の世界観に誤謬があるので驚くと云うよりも、世の中はこうも観られるものかと感心する方の驚ろき方であります。ちょうど前に述べた我々が月の恰好に対する考えの差と同じであります。こう云うと人間がばらばらになって、相互の心に統一がない、極めて不安な心持になりますが、その代り、誰がどう見ても変らない立場におって、申し合せたように一致した態度に出る事もたくさんあるから、そう苦になるほどの混雑も起らないのであります。ジェームスと云う人が吾人の意識するところの現象は皆|撰択を経たものだと云う事を論じているうちに、こんな例を挙げています。――撰択の議論はとにかく、その例がここの説明にはもっとも適切だと思いますから、ちょっと借用して弁じます。今ここに四角があるとする。するとこの四角を見る立場はいろいろである。横からも、竪からも、筋違からも、眼の位置と、角度を少し変えれば千差万別に見る事ができる。そうしてそのたびたびに四角の恰好が違う。けれども我々が四角に対する考は申し合せたように一致している。あらゆる見方、あらゆる恰好のうちで、たった一つ。――すなわち吾人の視線が四角形の面に直角に落ちる時に映じた形を正当な四角形だと心得ている。これを私の都合の好いように言い換えると、吾人は四角形を観る態度においてことごとく一致しているのであります。また別の例を申しますと彫刻などで云う foreshortening と云う事があります。誰でも心得ている事でありますが、人が手でも足でも前の方に出している姿勢を、こちらから眺めると、実際の手や足よりも短かく見えます。けれども本来はあれより長いものだと思って見ています。だから画心のない吾々が手や足を描こうとすると本来そのままの足や手を、方向のいかんにかかわらず、紙の上にあらわしたくなる。あらわして見るとどうも釣合がわるい。悪いけれども腹が承知をしないで妙な矛盾を感ずる。小供のかいた画を見るとこの心持ちが思い切って正直に出ています。これもこの際都合のいいように翻訳して云いますと、吾々が手や足の長さに対する態度はちゃんと申し合せたように一致していると云う事になります。  してみると世界は観様でいろいろに見られる。極端に云えば人々個々別々の世界を持っていると云っても差支ない。同時にその世界のある部分は誰が見ても一様である。始めから相談して、こう見ようじゃありませんかと、規約の束縛を冥々のうちに受けている。そこで人間の頭が複雑になればなるほど、観察される事物も複雑になって来る。複雑になるんではないが、単純なものを複雑な頭でいろいろに見るから、つまりは物自身が複雑に変化すると同様の結果に陥るのであります。これを前の言葉に戻して云うと、世が進むに従って、複雑な世界と複雑な世界観ができて、そうして一方ではこの複雑なものが統一される区域も拡がって来るのであります。  そこで創作家も一種の人間でありますから各々勝手な世界観を持って、勝手な世界を眺めているに違ない。しかしながらすでに創作家と云う名を受けて、官吏とか商人とか、法律家とかから区別される以上は、この名称は単に鈴木とか、山田とか云う空名と見る訳には行かない。内実においてそれ相当の特性があって他の職業と区別されているのかも知れない。だから、この人々の立場を研究して見たらば、多少の御参考になりはすまいかと思ってこの演題を掲げた訳であります。  そこで、この問題を研究するの方法について述べますと、第一には歴史的の研究があります。これは創作家の世界観の纏ってあらわれた著作そのものを比較して、その特性を綜合した上で、これに一種の名称を与えて、それから年代を追ってその発展を迹づけるのであります。いわゆる文学史であります。この間中からして、日本で大分自然派の論が盛になりましていろいろの雑誌にその説明などがたくさん出て、私なども大分利益を受けました。我々日本人が仏蘭西の自然派はこう発達したの、独乙の自然派は今こんな具合だのという事を承知したのは、全くこの歴史研究の御蔭で至極結構な事と思います。  ただこの種の研究について私の飽き足らないところを云うと、あるいは下のような弊がありはすまいかと思われます。   歴史の研究によって、自家を律せんとすると、相当の根拠を見出す前に、現在すなわち新という事と、価値という事を同一視する傾が生じやすくはないかと思われます。すべての心的現象は過程であるからして、Bという現象は、Aという現象に次いで起るのはもちろんであります。したがってBの価値はBの性質のみによって定まらない、Bの前に起ったAと云う現象のために支配せられている事ももちろんであります。腹が減るという現象が心に起ればこそ飯が旨いという現象が次いで起るので、必ずしも料理が上等だから旨かったとばかりは断言できにくいのであります。そこで吾々はAと云う現象を心裡に認めると、これに次いで起るべきBについては、その性質やら、強度やら、いろいろな条件について出来得る限りの撰択をする、またせねばならぬ訳であります。ちょうど車を引いて坂を下りかけたようなもので前の一歩は後の一歩を支配する。後の一歩は前の一歩の趨勢に応ずるような調子で出て行かなければ旨く行かない。人間の歴史はこう云う連鎖で結びつけられているのだから、けっして切り放して見てもその価値は分りません。仰山に言うと一時間の意識はその人の生涯の意識を包含していると云っても不条理ではありません。したがって人には現在が一番価値があるように思われる。一番意味があるごとく感ぜられる。現在がすべての標準として適当だと信じられる。だから明日になると何だ馬鹿馬鹿しい、どうして、あんな気になれたかと思う事がよくあります。昔し恋をした女を十年たって考えると、なぜまあ、あれほど逆上られたものかなあと感心するが、当時はその逆上がもっともで、理の当然で、実に自然で、絶対に価値のある事としか思われなかったのであります。一国の歴史で申しても、一国内の文学だけの歴史で申してもこれと同様の因果に束縛されているのはもちろんであります。現代の仏蘭西人が革命当時の事を考えたら無茶だと思うかも知れず。また浪漫派の勝利を奏したエルナニ事件を想像しても、ああ熱中しないでもよかろうくらいには感ずるだろうと思います。がこれが因果であって見れば致し方がない。ただ気をつけてしかるべき事は、自分の心的状態がまだそんな廻り合せにならないのに、人の因果を身に引き受けて、やきもき焦るのは、多少|他の疝気を頭痛に病むの傾きがあるように思います。ところが歴史的研究だけを根本義として自己の立脚地を定めようとすると、わるくするとこの弊に陥り安いようであります。というものは現に研究している事が自分の歴史なら善かろうが人の歴史である。人はそれぞれ勝手な因を蒔いて果を得て、現在を標準として得意である。それを遠くから研究して、彼の現在が、こうだから自分の現在もそうしなければならないとなると、少し無理ができます。自己の傾向がそこへ向いていないのに、向いていると同様の仕事をしなければならなくなる。云わば御付合になる。酷評を加えると自分から出た行為動作もしくは立場でなくって、模傚になる。物真似に帰着する。もとより我々は物真似が好きに出来上っているから、しても構わない。時と場合によると物真似をする方がその間の手数と手続と、煩瑣な過程を抜きにして、すぐさま結局だけを応用する事ができるから非常に調法で便利であります。現に電信、電話、汽車、汽船を始めとして、およそ我国に行われるいわゆる文明の利器というものはことごとく物真似から出来上ったものであります。至極よろしい。人に餅を搗かして、自分が寝ながらにしてこれを平げるの観があって、すこぶる痛快であります。がこの現象をすぐ応用して、文学などにも持って行ける、また持って行かなければならないと結論しては、少し寸法が違ってるように思います。と云うものは理学工学その他の科学もしくはその応用は研究の年代を重ねるに従って、一定の方向に向って発達するもので、どの国民がやり出しても、同程度の頭で同程度の勉強をする以上は一日早くやれば早くやった方が勝になるような学問で、しかも一日後れたものは、必ず、一日早く進んだものの後を通過しなければならない性質のものであります。歩く道が一筋で、さきが進んでいる以上は、こっちの到着点も明らかに分っているんだから、できるだけ早く甲を脱いで降参する方が得策であります。真似をすると云うと人聞が悪いが骨を折らないで、旨い汁を吸うほど結構な事はない。この点において私は模傚に至極賛成である。しかし人間の内部の歴史になると、またその内部の歴史が外面にあらわれた現象になると、そう簡単には行きませんようです。風俗でも習慣でも、情操でも、西洋の歴史にあらわれたものだけが風俗と習慣と情操であって、外に風俗も習慣も情操もないとは申されない。また西洋人が自己の歴史で幾多の変遷を経て今日に至った最後の到着点が必ずしも標準にはならない。ことに文学に在ってはそうは参りません。多くの人は日本の文学を幼稚だと云います。情けない事に私もそう思っています。しかしながら、自国の文学が幼稚だと自白するのは、今日の西洋文学が標準だと云う意味とは違います。幼稚なる今日の日本文学が発達すれば必ず現代の露西亜文学にならねばならぬものだとは断言できないと信じます。または必ずユーゴーからバルザック、バルザックからゾラと云う順序を経て今日の仏蘭西文学と一様な性質のものに発展しなければならないと云う理由も認められないのであります。幼稚な文学が発達するのは必ず一本道で、そうして落ちつく先は必ず一点であると云う事を理論的に証明しない以上は現代の西洋文学の傾向が、幼稚なる日本文学の傾向とならねばならんとは速断であります。またこの傾向が絶体に正しいとも論結はできにくいと思います。一本道の科学では新すなわち正と云う事が、ある程度において言われるかも知れませんが、発展の道が入り組んでいろいろ分れる以上はまた分れ得る以上は西洋人の新が必ずしも日本人に正しいとは申しようがない。しかしてその文学が一本道に発達しないものであると云う事は、理窟はさておいて、現に当代各国の文学――もっとも進歩している文学――を比較して見たら一番よく分るだろうと思います。近頃のように交通機関の備った時代ですら、露西亜文学は依然として露西亜風で、仏蘭西文学はやはり仏蘭西流で、独乙、英吉利もまたそれぞれに独乙英吉利的な特長があるだろうと思います。したがって文学は汽車や電車と違って、現今の西洋の真似をしたって、さほど痛快な事はないと思います。それよりも自分の心的状態に相当して、自然と無理をしないで胸中に起って来る現象を表現する方がかえって、自分のものらしくって生命があるかも知れません。  もっとも日本だって孤立して生存している国柄ではない。やっぱり西洋と御付合をして大分ばた臭くなりつつある際だから、西洋の現代文学を研究して、その歴史的の由来を視て、ははあ西洋人は、今こんな立場で書いてるなくらいは心得ておかなくっちゃなりません。たとえ夢中に真似をするのが悪いと云っても、先方の立場その他を参考にするのはもちろん必要であります。文学は前申したような特色のものではありますが、その特色の中には一本調子に発達する科学の影響がたくさん流れ込んで来ますから、定数として動かすべからざるこの要素が、いかに科学の進歩に連れて文学の各局部を冒しているかを見るのは、科学思想の発達しない日本人が、いたずらに自己の傾向ばかりふり廻していては、分らないので、そう頑張っていてはついには正宗の名刀で速射砲と立合をするような奇観を呈出するかも知れません。  して見ると歴史的研究は前のような弊もあるが、けっして閑却すべからざるものでありますから、私の希望を云うと、歴史を研究するならばその研究の結果して、綜合的に現代精神とはこんなもので、この精神がないものはほとんど文学として通用しないものだと云う事を指摘して事実の上に証明したいのであります。私の現代精神と云うのは、今月もしくは先月新らしくできた作物そのものについて、この作物は現代精神をあらわしている云々というような論じ方ではありません。過去一二世紀に渡って、、人の心を動かした有名な傑作を通覧してその特性を見出して行く事であります。そうすると一年や十年の流行以上に比較的永久な創作の要素がざっと明暸になるだろうと思います。少なくとも吾々の子もしくは孫時代までは変らない特性が出てくるだろうと思います。もし標準が必要とあるならば、これでこそ多少の標準ができるとも云い得るでしょう。こう云う手数をして現代精神を極めたからと云って、それより以前に出たものには現代精神がないと云う訳にはならない。たとえばダンテの神曲に見えるような考を持っている人は今の世にはたくさんない。また神曲の真似をした作物を出そうと云う男もありますまい。しかしあの神曲のうちから、現代精神を引き出せばいくらでも出て来るにきまっている。今の人の心に訴える箇所はすなわち現代精神であります。デカメロンそのままを春陽堂から出版したって読み手はないにきまっている。しかしあの中に現代精神すなわち種々な点において吾人を動かす自然派のような所はいくらでもあります。ずっと昔に溯ってホーマーはどうです。全体から云うとむしろ馬鹿気ている。誰もイリアッドが書いて見たいと云う人もあるまいが、そのイリアッドがやはり現代の人に読み得るところ、読んで面白いところ、読んで拍案の概があるところ、浪漫的なところ、が少なくはなかろうと思う。こう考えて見ると作物は時代の新旧ばかりで評をするよりも現代精神にリファーして評価すべき事となります。そうしてこの現代精神は実を云うと、読者がめいめい胸の中にもっている。ただ茫乎漠然たるある標準になって這入っているのだから、私の申出しはこの茫乎漠然たるものを歴史的の研究で、もっと明暸に、もっと一般に通用するものにしたいと云う動議にほかならんのであります。諸君の御存じのブランデスと云う人の書いた十九世紀文学の潮流という書物があります。読んで見るとなかなか面白い。独乙の浪漫派だとか、英吉利の自然派だとか表題をつけて、その表題の下に、いくたりも人間の頭数を並べて論じてあります。これで面白いのでありますが、私が読んで妙に思ったのは、こう一題目の下に括られてしまっては括られた本人が押し込められたなり出る事ができないような気がした事です。英吉利の自然派はけっして独乙の浪漫派と一致する事は許さぬ。一点も共通なところがあってはならぬと云わぬばかりの書き方のように感じられました。無論ブランデスの評した作家はかくのごとく水と油のように区別のあったものかも知れない。しかしながら、こう書かれると自然派へ属するものは浪漫派を覗いちゃならない。浪漫派へ押し込めたものは自然派へ足を出しちゃ駄目だと、あたかも先天的にこんな区別のあるごとく感ぜられて、後世の筆を執って文壇に立つものも截然とどっちかに片づけなければならんかのごとき心持がしますからして、ちょっと誤解を生じやすくなります。さればといってこの二派が先天的に哲理上こう違うから微塵も一致するものでないという理窟も書いてなし、また理論上文芸の流派は是非こう分化するものだとも教えてくれない。ただ著者が諸家の詩歌文章を説明する条りを、そうですかそうですかと聞いているようなものでありました。しかしこれは少し困る。例えば学派を分けてあれは早稲田派だ、これは大学派だとしてすましているようなものであります。それほど判然たる区別があるかないか分らないが、よしあったにしても早稲田派と大学派は或る点において同じ説を吐いてはならないと圧しつけるのみか、たとい実際は同じ説でも、なに違ってるよ。早稲田だもの、大学だものとただ名前だけできめてしまう弊が起りやすい。私の現代精神の綜合と云うのは、この弊を救うためで、一方ではこの窮窟な束縛を解くと同時に、名に叶うたる実を有する主義主張を並立せしめようとするためであります。  けれども、こういう研究は私にはちょっと臆劫でなかなかできないから、歴史的に行くと自然現代の西洋作家を実価以上に買い被る弊が起りやすいだろうと思います。そこで歴史的研究以外の立場から創作家の態度を御話する事にしました。   もう一つ歴史的研究に対して非難したいのは、ちと哲学者じみますが、こう云う事であります。すべての歴史は与えられた事実であります。すでに事実である以上は人間の力でどうする事もできない。儼として存在しているから、この点において争うべからざる真であります。しかしながらこれが唯一の真であるかと云うのが問題なのであります。言葉を改めて云うと人類発展の痕迹はみんな一筋道に伸びて来るものだろうかとの疑問であります。もしそうだと云う断定ができれば日本の歴史すなわち西洋の歴史、西洋の歴史すなわち希臘の歴史と云う事に帰着します。けれども多数の人は、これら各国の歴史を皆事実と首肯すると共に、ことごとく差違あるものと見傚すだろうと考えます。もっともこの各国の歴史から共通の径路を抽象して人類の発展の方向は必ず、こういう筋を通るものだとは云われましょう。しかしそれだからといって日本も、支那も、英吉利も、独乙も、同じ現象を同じ順序に過去で繰り返しているとは参らんのであります。あまり雲を攫むような議論になりますから、もう少し小さな領分で例を引いて御話を致しますが、日本の絵画のある派は西洋へ渡って向うの画家にはなはだ珍重されているし、また日本からはわざわざ留学生を海外に出して西洋の画を稽古しています。そうして御互に敬服しあっています。両方で及ばないところがあるからでしょう。それは、どうでも善いが、日本の画を元のままで抛っておいて、西洋の画を今の通|打ち遣っておいたら、両方の歴史がいつか一度は、どこかで出逢う事があるでしょうか。日本にラファエルとかヴェラスケスのような人間が出て、西洋に歌麿や北斎のごとき豪傑があらわれるでしょうか。ちと無理なようであります。それよりも適当な解釈は、西洋にラファエルやヴェラスケスが出たればこそ今日のような歴史が成立し、また歌麿や北斎が日本に生れたから、浮世絵の歴史がああ云う風になったと逆に論じて行く方がよくはないかと存じます。したがってラファエルが一人出なかったら、西洋の絵画史はそれだけ変化を受けるし、歌麿がいなかったら、風俗画の様子もよほど趣が異なっているでしょう。すると同じ絵の歴史でもラファエルが出ると出ないとで二通り出来上ります。風俗画の方もその通り、歌麿のあるなしで事実の歴史以外にもう一つ想像史が成立する訳であります。ところでこのラファエルや歌麿は必ず出て来なければならない人間であろうか。神の思召だと云えばそれまでだが、もしそう云う御幣を担がずに考えて見ると、三分の二は僥倖で生れたと云っても差支ない。もしラファエルの母が、ラファエルの父の所へ嫁に行く代りにほかの男へ嫁いだら、もうラファエルは生れっこない。ラファエルが小さい時腕でも挫いたら、もう画工にはなれない。父母が坊主にでもしてしまったら、やはりあれだけの事業はできない。よしあれだけの事業をしても生涯人に知らせなかったらけっして後世には残らない。して見ると西洋の絵画史が今日の有様になっているのは、まことに危うい、綱渡りと同じような芸当をして来た結果と云わなければならないのでしょう。少しでも金合が狂えばすぐほかの歴史になってしまう。議論としてはまだ不充分かも知れませんが実際的には、前に云ったような意味から帰納して絵画の歴史は無数無限にある、西洋の絵画史はその一筋である、日本の風俗画の歴史も単にその一筋に過ぎないという事が云われるように思います。これは単に絵画だけを例に引いて御話をしたのでありますが、必ずしも絵画には限りますまい。文学でも同じ事でありましょう。同じ事であるとすると、与えられた西洋の文学史を唯一の真と認めて、万事これに訴えて決しようとするのは少し狭くなり過ぎるかも知れません。歴史だから事実には相違ない。しかし与えられない歴史はいく通りも頭の中で組み立てる事ができて、条件さえ具足すれば、いつでもこれを実現する事は可能だとまで主張しても差支ないくらいだと私は信じております。  そこで西洋の文学史を唯一の真と認めてかかるのは誤っていると、私は申したいのでありますが、ただそれだけなら別にここに述べ立てる必要もない。いざとなると西洋の歴史に支配されるかも知れませんが、普通頭の中で判断すれば西洋の文学史と日本の文学史とは現に二筋であって、両方とも事実で両方とも真であるのは誰が見ても分りやすい事でありますから、その辺はどうでも構いません。また一般に申して西洋の方が進んでいるから万事手本にするんだと言う人があっても構いません。私も至極御同感であります。ただ歴史の解釈を私のようにした上で、西洋を手本にしたら間違が少なかろうと思うのであります。そうしないと弊が出てくる。そうしてその弊に陥って悟らずにいる事があります。  たとえば十九世紀の前半に英国にスコットなる人があらわれて、たくさん小説をかきました。この人の作が一時期を画するような新現象であるために世人はこれをロマンチシズムの代表者と見傚しました。それで差し支ないのですけれども、一度こういう風に推し立てられると、スコットは浪漫主義で浪漫主義はスコットであると云う風にアイデンチファイされるようになります。アイデンチファイされると、スコットの作に見われた要素はことごとく浪漫主義を構成するに必要でかつ充分なものと認められます。なるほどスコットの作中には中世主義もあります、冒険談もあります。種々な意味に解釈される浪漫主義の特色を含んでおりますが、困る事には多少の写実的分子も交っているのです。ところが写実主義というものは別に旗幟を翻がえして浪漫派の向を張ってるんだから、両々対立の勢のためにせっかくスコットのもっている写実的分子を引き抜いて写実派の中へ入れてやる事ができなくなってしまう。また写実派の中に散見し得る浪漫的分子を切り放して、浪漫派の中に入れる事も困難になってしまう。そこでこの名称のために誤まられて彼らの作品は精製した金や銀のように純粋な性質で自然に存在していると思うようになります。ところが実際は大概まざりものなのであります。だから本来を云うなら、ここに浪漫主義なら浪漫主義、自然主義なら自然主義の定義があって、何人の作物でも構わないからして、この定義に叶っただけを持って来てこの主義のうちへ打ち込むのが当然であろうと思われます。例えば白なら白と云う属性の概念があって、白墨、白紙、白旗、雪などという出来上ったもののうちから白と云う属性だけを引き抜いてこの概念の下に詰め込むのが至当でありましょう。しかるにただ色だけが白いからと云って、色の白いものは形や質や温度その他のいかんに関せずことごとく白のうちへ入れて、しかも外へ出る事を許さなかったら、統一のできるのは白という属性だけであるにも関せず、人はすべての点において統一されているかのごとく誤解を抱くのであります。白いものは白で区別しても差し支ないから、これと同時に、形や質の点においても区別して、一個の具体を二重にも三重にも融通の利くように取り扱わなくっては真相には達せられんはずであります。また一例を云うと、ここに一人の男がある。この人は学校へ出る。その時には教師の仲間へ入れて見なければなりません。筆を執る。その時には著作家の群に伍するものと認めるのが至当であります。家へ帰る。すると夫とも親ともして種類別をしなければならない。この人は一人であるけれどもこれほどの種類へ編入される資格があるのであります。作物もその通りであります。これを分解し、これを綜合して、同一物のある部分を各適当な主義に編入するのが穏当であります。そんな錯雑した作物がないと云うのは過去の歴史だけを眼中に置いた議論でこれから先に作物の性質が、どのくらいに複雑な性質をかねてくるかを窮めない早計の議論かと思います。よし過去の作物だけについて検して見てもその作全体もしくはその人の作物総体をある一主義のもとに一括し得て妥当と認めらるるほどの単調なものばかりはないはずであります。しかるに歴史に束縛されるとこの分類が旨く行かない。なぜと云うと文学史で云う何々主義と云うのは理論から出たのでなくして、個人の作物から出たのであって、その作物の大体を鷲攫みにして、そうしてもっとも顕著に見える特性だけを目懸けて名を下したまでであります。元祖がすでにそうであるからして、継いで起るものの分類も、みんなこの格で何主義のもとに押し込められてしまう。厳正な類別でなくって、人別になってしまう。厳正な類別をやるには人を離れて、作をほごして、出来上ったものを取り崩してかからなければなりません。因襲の結果歴史的の研究はこの方法を吾人に教えないのであります。つまりは幾通りとなく成立し得べき歴史のうちで実際に発展した歴史だけに重きを置いて、しかもほとんど偶然に出現した人間の作そのものを全き成体で取り崩す事のできないものと見傚した上でその特色の著るしきものだけに何主義の名をもってする弊であります。だからこの際理論の方から這入れば成立し得るあらゆる歴史に通用する議論が立てられますし、またはユーゴーとか、バルザックとか云う名前で代表している作物を、一塊りの堅牢体で、塊まりとして取り扱うよりほかに手のつけられないものだと云う観念を脱する便宜もあり、また従来実際に発展した歴史から出て来た何々主義より以外には主義は存在し得べからざるものであるとの誤解もなくなるだろうと思います。   もう一つ歴史的研究についての危険を一言単簡に述べておきたいと思います。主義を本位にして動かすべからざるものと見ますと、前申した通り作家を取り崩してかからんと不都合が生ずるごとく、作家を本位として動かすべからざるものとすると、今度は主義の方にもって融通をつけなければなりますまい。融通をつけると云うと、一つの作物のうちには同時にいろいろな主義を含んでいる場合が多い、少なくとも含んでいる場合があり得るのですから、かような作物を批評したり分解したり説明したりする際には、一主義のもとに窮窟に律し去る習慣を改めて、歴史的には矛盾するごとくに見傚されている主義でも構わないから、これを併立せしめて、いやしくもその作物のある部分を説明するに足る以上はこれを列挙して憚からんようにしなければ、やはり前段同様の不都合に陥る訳であります。しかし歴史的関係から作物はそれ自身に whole なものとして取り扱われておりますし、何主義と云う名はこの whole な作物を掩う名称として用いられておりますから、妙な現象が起って参ります。ここに甲の人があってAと云う作物を出す。するとこの作物にB主義と云う名がつく。次に乙なる人が出て来てA′と云う作物を公けにする。すると批評家がAとA′の類似の点を認めて、やはりB主義に入れてしまう。あるいは作家自身が自らB主義と名乗る場合もありましょう。どちらでも同じ事であります。第三に丙と云う男が出てA″を書く。A′とA″と似ているところからやはりB主義に纏められる。こう云う風にして、漸次にAnまで行ったとすると、どんなものでありましょう。甲と乙とは別人であります。乙と丙とも別人であります。別人である以上はいくら真似を仕合ったところで全然同性質のものができる訳がない。いわんや各自が本来の傾向に従って、個性を発揮して懸った日には、どこかに異分子が混入して来る訳になります。しかもこの異分子もまたB主義の名に掩われてしだいしだいに流転して行くうちには、B主義の意味が一歩ごとに摺れて、摺れるたびに定義が変化して、変化の極は空名に帰着するか、それでなければいたずらに紛々たる擾乱を文壇に喚起する道具に過ぎなくなります。芭蕉が死んでから弟子共が正風の本家はおれだ我だと争った話があります。なるほど正風の旗を翻えすのは、天下を挟んで事を成すようなもので当時にあって実利上大切であったかも知れませんがその争奪の渦中から一歩退いて眺めたら全く無意味としか思われません。今私の申す弊は全く理知的の事で実利問題とは全く没交渉ではありますが、転々承継した主義を一徹に主張すると、少なくともその形迹だけは芭蕉以後の正風争いと同価値に終るようになりはせぬかと思われます。もっともこんな事は我々の日常よくある事で、友人と一時間も議論をしているといつの間にか出立地を忘れて、飛んでもない無関係の問題に火花を散らしながら毫も気がつかない場合は珍しくないようです。AとA′とは似ている。だから双方共B主義でもまあよろしい。A′とA″とも似ている。だから双方共まあB主義でよろしい。降ってAn-1とAnとを比較するとやはり似ている。だから双方とも依然としてB主義で差支ないようなものの、最初のAと最終のAnを対照した時に始めて困る。何だかB主義では足りないような心持がします。スコットの浪漫趣味とモリスの浪漫趣味とは大分違うようです。モリスはチョーサーに似ていると云います。そのチョーサーは詩人ではあるが写実派と云う方が適当であります。すると浪漫主義を中世主義と解釈せぬ以上はスコットとモリスとを同じ浪漫派に入れるのが妙になって来ます。今度はモリスとゴーチェを比較する。誰が見ても同じ範疇では律せられそうもない。それでも双方共浪漫家で通用しています。ある人の説によると仏蘭西の自然派は浪漫派を極端まで発展させたもので、けっして別途の径路をたどるものではないと申します。そうなると自然派は浪漫派の出店みたようなものになってしまいます。イブセンを捕まえて自然派だと云う人があります。どうもイブセンとモーパサンとはいっしょにならないように思われます。そうかと思うとイブセンを浪漫派だと申す人があります。しかしイブセンとユーゴーとはとうてい同じ畠のものじゃないようであります。要するに二三の主義をどこまでも押し通して、あらゆる作物をどっちかへ片づけようとする無理から起ったものじゃないかと考えられます。イブセンならイブセンを本位として、説明するには、在来の何々主義で足りると思うのは、また足りなければならないと思い定めてかかるのは、やはり歴史的研究の弊を受けたものではなかろうかと愚考致します。それで少々出立地を変えて見たら、この窮屈を破ると同時にこの曖昧をも幾分か避けられるだろうと思います。   もう一つ申して本題に入るつもりでありますが、これは純粋なる歴史的研究とは云えないかも知れません。今まで述べた三カ条はみな文学史に連続した発展があるものと認めて、旧を棄てて漫りに新を追う弊とか、偶然に出て来た人間の作のために何主義と云う名を冠して、作そのものを是非この主義を代表するように取り扱った結果、妥当を欠くにもかかわらずこれをあくまでも取り崩しがたき whole と見傚す弊や、あるいは漸移の勢につれてこの主義の意義が変化を受けて混雑を来す弊を述べたのであります。ここに申す事は歴史に関係はありますが、歴史の発展とはさほど交渉はないように思われます。すなわち作物を区別するのに、ある時代の、ある個人の特性を本として成り立った某々主義をもってする代りに、古今東西に渉ってあてはまるように、作家も時代も離れて、作物の上にのみあらわれた特性をもってする事であります。すでに時代を離れ、作家を離れ、作物の上にのみあらわれた特性をもってすると云う以上は、作物の形式と題目とに因って分つよりほかに致し方がありません。まず形式からして作物を区別すると詩と散文とになります。これは誰でも知っている事で改めて云うほどの必要も認めません。詩と散文と区別したからと云って創作家の態度がちょっと髣髴しにくいのです。分けないよりましかも知れないが、分けたところで大した利益も出て来ないようです。次に問題からして作物の種類別をすると、まず出来事を書いたものを叙事詩と名づけたり。自己の感情を咏じたものだから抒情詩と申したり。性格を描いたり、人生を写したりするんで、小説とか戯曲とかの部類に編入したり。あるいは静物を模写するんで叙景文と号するような分類法であります。この分類になると多少細かになりますから、詩と散文の区別より幾分か創作家の態度を窺う事ができて、ずいぶん重宝ではありますが、これとても与えられた作物を与えられたなりに取り扱うだけで、その特性を概括するにとどまってしまいやすいから、それより以上に溯って、もう少し奥から、こう云う立場で、こう変化すると小説ができる、こう変化すると抒情詩ができるとまでは漕ぎつけていないのが多い。そこまで漕ぎつけない以上は、頭から、結果と見られべき作物を棄てて源因と認めべき或物の方から説明して、溯る代りに、流を下ってくる方が善い訳になります。つまり角があるから牛で、鱗があるから魚だと云う代りに、発生学から出立して、どんな具合に牛ができ、どんな具合に魚ができるかを究めた方が、何だか事件が落着したような心持が致します。  私が創作家の態度と題して、歴史の発展に論拠を置かず、また通俗の分類法なる叙事詩抒情詩等の区別を眼中に置かないで、単に心理現象から説明に取りかかろうと思うのはこれがためであります。  それで創作家の態度と云うと、前申した通り創作家がいかなる立場から、どんな風に世の中を見るかと云う事に帰着します。だからこの態度を検するには二つのものの存在を仮定しなければなりません。一つは作家自身で、かりにこれを我と名づけます。一つは作家の見る世界で、かりにこれを非我と名づけます。これは常識の許すところであるから、別に抗議の出よう訳がない。またこの際は常識以上に溯って研究する必要を認めませんから、これから出立するつもりでありますが、今申した我と云うものについて一言弁じて後の伏線を張っておきたいと思います。もっとも弁ずると申しても哲学者の云う“Transcendental I”だの、心理学者の論ずる Ego の感じだのというむずかしい事ではありません。ただ我と云うものは常に動いているものでそうして続いているものだから、これを区別すると過去の我と現在の我とになる訳であります。もっともどこで過去が始まって、どこから現在になるんだと議論をし出すと際限がありません。古代の哲学者のように、空を飛んで行く矢へ指をさして今どこにいると人に示す事ができないから、必竟矢は動いていないんだなどという議論もやれないでもありません。そう、こだわって来ては際限がありませんが、十年前の自分と十年後の自分を比較して過去と現在に区別のできないものはありませんから、こう分けて差し支ないだろうと思います。そこで――現在の我が過去の我をふり返って見る事ができる。これは当然の事で記憶さえあれば誰でもできる。その時に、我が経験した内界の消息を他人の消息のごとくに観察する事ができる。事ができると云うのですから、必ずそうなると云うのでもなければ、またそう見なくてはならないと云うのでもありません。例えば私が今日ここで演説をする。その時の光景を家へ帰ってから寝ながら考えて見ると、私が演説をしたんじゃない、自分と同じ別人がしたように思う事もできる――できませんか。それじゃ、こういうなあどうでしょう。去年の暮に年が越されない苦しまぎれに、友人から金を借りた。借りる当時は痛切に借りたような気がしたが、今となってみると何だか自分が借りたような気がしない。――いけませんか。それじゃ私が小供の時に寝小便をした。それを今日考えてみると、その時の心持は幾分か記憶で思い出せるが、どうも髯をはやした今の自分がやったようには受取れない。これはあなた方も御同感だろうと思います。なお溯りますと――もうたくさんですか、しかしついでだから、もう一つ申しましょう。私はこの年になるが、いまだかつて生れたような心持がした事がない。しかし回顧して見るとたしかに某年某月の午の刻か、寅の時に、母の胎内から出産しているに違いない。違いないと申しながら、泣いた覚もなければ、浮世の臭もかいだ気がしません。親に聞くとたしかに泣いたと申します。が私から云わせると、冗談云っちゃいけません。おおかたそりゃ人違いでしょうと云いたくなります。そこで我々内界の経験は、現在を去れば去るほど、あたかも他人の内界の経験であるかのごとき態度で観察ができるように思われます。こう云う意味から云うと、前に申した我のうちにも、非我と同様の趣で取り扱われ得る部分が出て参ります。すなわち過去の我は非我と同価値だから、非我の方へ分類しても差し支ないと云う結論になります。  かように我と非我とを区別しておいて、それから我が非我に対する態度を検査してかかります。心理学者の説によりますと、我々の意識の内容を構成する一刻中の要素は雑然|尨大なものでありまして、そのうちの一点が注意に伴れて明暸になり得るのだと申します。これは時を離れて云う事であります。前に一刻中と云ったのは、まあ形容の語と思っていただけばよろしい。例えば私がこの演壇に立ってちょっと見廻わすと、千余人の顔が一度に眼に這入る。這入ったと云う感じはありますが、何となく同じ顔で、悪く云うと眼も鼻も揃っていない人が並んでおいでになる。あながち私が度胸が据らないで眼がちらちらするばかりではない。こう、漠然たるのが本来で、心理学者の保証するところであります。しかしこの際は不幸にして、別段私の注意を惹くものがないから、ただ漠然たるのみで、別に明暸なるところがありません。もし演壇のすぐ前に美くしい衣装を着けた美くしい婦人でもおられたら、その周囲六尺ばかりは大いに明暸になるかも知れませんが、惜しい事においでにならんから、完全に私の心理状態を説明する訳に参りません。そこでこの漠然たる限界の広い内容を意識界と云って、そのうちで比較的明暸な点を焦点と申します。これは前申した通り時間の経過に重きを置かない simultaneous の場合でありますが、時間の経過上についても同様の事が申されます。しかしこれを説明するとくどくなりますから略します。また想像で心に思い浮べる事物もほぼ同様に見傚されるだろうと考えますから略します。それから前に申した例は単に分りやすいために視覚から受ける印象のみについて説明したものでありますから、実際は非常に区域の広いものと御承知を願います。  まず我々の心を、幅のある長い河と見立ると、この幅全体が明らかなものではなくって、そのうちのある点のみが、顕著になって、そうしてこの顕著になった点が入れ代り立ち代り、長く流を沿うて下って行く訳であります。そうしてこの顕著な点を連ねたものが、我々の内部経験の主脳で、この経験の一部分が種々な形で作物にあらわれるのであるから、この焦点の取り具合と続き具合で、創作家の態度もきまる訳になります。一尺幅を一尺幅だけに取らないで、そのうちの一点のみに重きを置くとすると勢い取捨と云う事ができて参ります。そうしてこの取捨は我々の注意に伴って決せられるのでありますから、この注意の向き案排もしくは向け具合がすなわち態度であると申しても差支なかろうと思います。私が先年|倫敦におった時、この間|亡くなられた浅井先生と市中を歩いた事があります。その時浅井先生はどの町へ出ても、どの建物を見ても、あれは好い色だ、これは好い色だ、と、とうとう家へ帰るまで色尽しでおしまいになりました。さすが画伯だけあって、違ったものだ、先生は色で世界が出来上がってると考えてるんだなと大に悟りました。するとまた私の下宿に退職の軍人で八十ばかりになる老人がおりました。毎日同じ時間に同じ所を散歩をする器械のような男でしたが、この老人が外へ出るときっと杓子を拾って来る。もっとも日本の飯杓子のような大きなものではありません。小供の玩具にするブリッキ製の匙であります。下宿の婆さんに聞いて見ると往来に落ちているんだと申します。しかし私が散歩したって、いまだかつて落ちていた事がありません。しかるに爺さんだけは不思議に拾って来る。そうして、これを叮嚀に室の中へ並べます。何でもよほどの数になっておりました。で私は感心しました。ほかの事に感心した訳でもありませんが、この爺さんの世界観が杓子から出来上ってるのに尠なからず感心したのであります。これはただに一例であります。詳しく云うと講演の冒頭に述べたごとく十人十色で、いくらでも不思議な世界を任意に作っているようであります。中にもカントとかヘーゲルとかいう哲学者になるととうてい普通の人には解し得ない世界を建立されたかのごとく思われます。  こう複雑に発展した世界を、出来上ったものとして、一々御紹介する事は、とてもできませんから、分りやすいため、極めて単純な経験で一般の人に共通なものを取って、経験者の態度がいかに分岐して行くかと云う事を御話して、その態度の変化がすなわち創作家の態度の変化にも応用ができるものだと云う意味を説明しようと思います。極めて単純な所だけ、大体の点のみしか申されませんが、幾分か根本義の解釈にもなろうかと存じて、思い立った訳であります。  まず吾人の経験でもっとも単純なものは sensation であります。近頃の心理学では、この字に一種限定的の意味を附して、ある単純なる全部経験の一方面をあらわす事になっておりますが、私は便宜のため全部経験の意義に用います。ただ便宜のために用いるのですから、実際の衝突のない事は私の説明を御聞になれば御分りになるだろうと思います。それからある心理学者は sensation は分解の結果到着する単純な経験で、現実な吾人の経験はもっと複雑なところから始まっているじゃないかと云ってるようですが、それも構いません。ただ sensation が単純な経験をあらわせば、私の目的には宜しいのであります。もし不都合なら、そんな字を借用しないでもよろしい。面倒な事を云わないで、例でもって御話をすれば、早く合点が行かれますから、すぐさま例に取りかかります。  時々|酒問屋の前などを御通りになると、目暗縞の着物で唐桟の前垂を三角に、小倉の帯へ挟んだ番頭さんが、菰被りの飲口をゆるめて、樽の中からわずかばかりの酒を、もったいなそうに猪口に受けて舌の先へ持って行くところを御覧になる事があるでしょう。商売柄だけに旨い事をするなと見ていると、酒の雫が舌へ触るか、触らないうちにぷっと吐いてしまいます。そうして次の樽からまた同じように受けて、同じように舌の先へ落しては、次へ次へと移って行きます。けれども何遍同じ事を繰り返してもけっして飲まない。飲んだら好さそうなものですが、ことごとく吐き出してしまいます。そこで今度は同じ番頭が店から家へ帰って、神さんと御取膳か何かで、晩酌をやる。すると今度は飲みますね。けっして吐き出しません。ことによると飲み足りないで、もう一本なんて、赤い手で徳久利を握って、細君の眼の前へぶらつかせる事があるかも知れません。まずこの二た通りの酒の呑み方――吐き方なら吐き方でもよろしい。この呑み方と吐き方を比較して見ると面白い。研究と申すほどの大袈裟な文字はいかがわしいが、説明のしようによると、なかなかえらく聞えるようにできますから御慰みになります。まず第一には、御店で舐めた酒と、長火鉢の傍でぐびぐびやった酒とは、この番頭にとって同じ経験であります。もっとも焼酎とベルモット、ビールと白酒では同じ経験とも申されませんが、同種、同類、同価の酒を店で吐いて、家で飲んだとすれば、吐くと飲むとの相違があるだけで、舌の当りは同じ事だと見るのが順当だから、つまりこの男は同じ味覚の経験を繰り返した訳になります。ここまでは誰が見ても同じ経験であります。それならどこまでも同じだろうかと云うと、違っています。店で試しに口へ当てて見るのは、この酒はどんな質で、どう口当りがして、売ればいくらくらいの相場で、舌触りがぴりりとして、後が淡泊して、頭へぴんと答えて、灘か、伊丹か、地酒か濁酒かが分るため、言い換れば酒の資格を鑑別するためであります。これが晩酌の方で見ると趣が違います。そりゃ時と場合によると、今日の酒は大分善いね、一升九十銭くらいするねくらいの事は云いながら、舌をぴちゃぴちゃ鳴らすかも知れませんが、何も九十銭を研究している訳でも何でもありゃしないのです。だから九十銭が一円でもただ旨く飲めさえすりゃ結構なんです。こういう点から云うと、両方が変っています。酒の味を利用して酒の性質を知ろうというのが番頭の仕事で、酒の味を旨がって、口舌の満足を得るというのが晩酌の状態であります。双方とも同じ経験に違いない。ただその経験の処置が異なっています。言葉を換えて云うと同様の経験について、眼の付け所が違う、注意の向け方が違っている。最後にこの講演に大事な言葉を用いて申しますと、態度が違っております。  もう一歩進んで、この態度が違っていると云う事を説明しますと、番頭の方は酒の味を外へ抛げ出す態度であります。すなわち自分の味覚をもって、自分以外のもの、の一部分を知る料に使うのであります。譬喩で云うと、酒の味が舌の先から飛び出して、酒の中へ潜んで落ち着く方角に働くのであります。晩酌の方はこれが反対の方向に働いております。非我のうちに酒と云うものがあって、その酒が、ある因縁で、外から飛び込んで来て、我を冒かした、もしくは我が冒されたと承知するのであります。詰めて云うと、一は我から非我へ移る態度で、一は非我から我へ移る態度であります。一は非我が主、我が賓という態度で、一は我が主、非我が賓と云う態度とも云えます。番頭から云うと酒の味自身が酒の属性になるのだから、これを属性的の経験とも云えましょう。晩酌から云うと酒の味が自己の幸不幸になるんだから感受的とでも云えましょう。洋語で云うと affective と申したら妥当だろうと思います。あるいは番頭の、自己にあらざる酒に重きを置く点から云えば客観的態度とも名づけられましょうし、晩酌の、自己に受くる刺激を、密切な自己の一部分と見傚す点から云えば、主観的とも申されましょう。または番頭の態度が非我を明らめようとする態度であるから、主知主義と云って善かろうと思いますし、晩酌の態度が、我に感ずる態度であるから、主感主義と云って善かろうと思います。  これでたいてい御分りになったろうと思いますが、なお念のために、もう少し複雑で時間の経過を含んでいる例を御話ししておきたいと考えます。かつて西洋の石版業の事を書いたものを見た事がありますが、その中に彼らの技巧は驚ろくべきものだとありました。なぜ驚ろくべきものかと申すと、彼らは原画を一目見るや否や、この色とこの色を、これだけの割合で、こう混ぜれば、この調子が出ると、すぐに呑み込んでしまう。それからその通りにやる、はたしてその通りの調子が出る。まずこんな具合なんだそうです。ところが画工の方はどうかと云うと、まず腹の中で、ここへこんな調子を出して、面白味を付けようと思う。それから絵の具を交ぜる――もしイムプレショニストなら単純な色を並べて、すぐに画布へ塗り付ける。そうして思い通りの調子を出す。今この両人を比較して見ますと、ある手段に訴えて、目的に到着するのだから、そこまでは同じ事と見傚して差支ないのです。しかし両人が工夫の結果同じ色彩に到着しても、到着した時の態度は大に違うと云わなければなりません。画工の方はこの色彩を楽しむのであります。いい effect が出たと云って嬉しがるのであります。この楽みを除いては、いろいろの工夫を積んでこの結果に達するまでの知識は無用なのであります。しかしこの知識をある意味において自得していないと、どうあってもこの結果が出せない。出せなければ楽しむ訳に参らんからやむをえずこの過程を冥々のうちにあるいは理論的に覚え込むのであります。しかるに、石版屋の方では、注文を受けて原画と同じような調子を出せば、それで万事が了するので、その結果が網膜を刺激しようが、連想を呼び起そうがいっこう構わんので、必竟ずるに彼の興味は色彩そのものに存するのであります。何と何と何がどんな割合に調合されてこの色彩が出来上ったんだなと見分けがつけばよろしいのであります。したがって彼の重んずるところは色彩から受ける楽みよりも、いかにしてこの色彩を生じ得るかの知識もっと纏めて云えばこの色彩の知識にあると云っても無理ではありません。さてこの両人も出来上った色を経験すると云えば同じ経験をしたに違いない。ただ石版屋の方はこの経験を我から放出して、非我の属性たる色と認め、かつ属性として他の色と区別するに引き易えて、画家は同一経験を、画面より我に向って反射し来ったる一種の刺激と見傚し、この色がいかに我を冒すかの点にのみ留意するのであります。だから石版屋の方を客観的態度で主知主義とし、画工の方を主観的態度で主感主義と名けてよかろうと思います。  まずこれで客観、主観、主知、主感の解釈ができましたが、これは極めて単純なる経験について云う事で、その経験は一の全き経験でありますから、この経験に対する注意の向け方、すなわち態度一つで、こう両面に分解はできますようなものの、この両極端の態度を取って、いずれへか片づけなければならないように人間が出来上っていると思うのは中庸を失した議論であります。分りやすいためにこそ、こう截然たる区別はつけましたが、こう明暸に離れる場合は、あらゆる場合の両端に各一つずつしかないと合点しても間違ではなかろうと思います。その中間に横っている多数の場合は皆この両面を兼ねているでしょう。もし兼ねているのが不都合ならば或る比例において入り交っていると云うが好いでしょう。  そうすると私は、何だかいらざる駄弁を弄した、独りよがりの心理学者のようになります。それでは少々心細いから、もう少しこの両方面を研究して御話ししたいと思う。すなわちこの単純な経験において両面を区別しておく方が適当であると御納得の参るように、この両面が漸々右と左へ分れて発展する結果ついには大変違ったものになりうると云う事を説明したいと思います。  説明はなるべく単簡な方が宜ろしいから、ここに一つの物でも、人でもあるとする。この物か人は与えられたものとします。すると、以上の両態度でこれに対すると、これを叙述する方法が双方共にどう発展するかという問題であります。  その前にちょっと御断わりをしておきますが、ここではAならAを与えてあると見て、その与えられたAをいかに叙述して行くかと云うのですから、叙述家にAを撰択する権利がない事になります。しかしながら前に我々の心を幅のある河に喩えた時、この川幅の一点だけが明暸になるから、明暸になった一点だけが意識の焦点になって、他は皆|茫々の裡に通過してしまう。そうしてその焦点は注意のもっとも強い所にできる、そうして注意はすなわち態度であると申しました。だから心の態度は撰択淘汰の権を有しております。ここにAを与えられたとするのは、心の態度にAを撰択する権利がないと云う意味ではありません。すでに撰択せられたるAについての話であります。  本来ならば前に申した両態度がいかなる風に、いかなる性質の焦点を作るかを論じなければならんはずであります。しかしそうすると大変複雑な問題になりますし、また撰択の態度は、すなわち撰択されたものを叙述する態度と同じ事で、双方とも傾向に相違はないと考えます。前に云った色好きの浅井先生のような人に、エストミンスター・アベーが眼に着いたとすると、先生は自分の勝手でこの寺院を撰択した訳になりますが、さてこれを叙述する段になれば撰択した時の態度をもって細かに局部に向うだけの事であります。ただ叙述の際にある連想だとか、ある概念だとかある記号だとかアベー以外の材料をもって来て、アベーの色を説明するかも知れませんが、説明の道具に使われる材料もまた同じ態度で撰択したものでありますから、つまりは同じ事だろうと思います。  そこでAを与えられたものと見て、これを叙述する様子がだんだんに分れて遠ざかるところだけを御話しをしたい。Aそのものは何だか分らないのですが、これを叙述する方法は主知の態度に三つ、主感の態度に三つ、そうして両方を一つずつ結びつけて対にする事ができるかと思います。当っている当っていないはもちろん大切でありますが、比較すると、よく対がとれているところに私は興味があるのでありますし、叙述となるとすでに文学の領分に、いつの間にか這入っておりますから、私の思いついたままを御参考に供します。  第一段は叙述が、一歩客観主観の両面へ展開した時の状態で、この左右の扉を対と見るところに興味があるのであります。この時期における客観的叙述を私は perceptual と名づけようかと思います。すなわち前に申した酒の味よりもやや複雑な感覚的属性が纏まって一体を構成しているものを、綜合された一体と認めて、認めたままを叙述する意味に用いるつもりであります。例えばここに洋卓があると、この洋卓は堅い、黒い、ニスの臭のする、四角で足のある、云々と一々にその属性を認めて、認めた属性を綜合して始めて叙述が成立する訳であります。ところがかように属性を結びつけると云う事が、前に申した酒の味のときよりも一層客観性をたしかにする事だろうと思われます。と云うものは視覚、聴覚その他を単に主観的態度で取り扱っていると色はついに色で、音はどこまでも音で、この色とこの音は同一体の非我が兼ね有していると云う事実には比較的|無頓着でいられます。したがって色も非我の属性であり、音も非我の属性であると云う以上に、この色もこの音も同一非我の属性であると綜合すれば、前よりは一段とその物の存在を確かにする意味になるから、客観的態度に重きを置いた叙述と云わねばなりません。ただ注意すべき事はこの際主観的分子が無くなったと解釈してはならんのであります。現に色を視、音を聞く以上は、この経験を綜合して我以外に抛げ出すと、抛げ出さざるとに論なく、色も音も依然として、一方では主観的事実であります。  これで私のいわゆる perceptual な叙述の意味は大概御分りになりましたろう。ところが、属性が複雑になるに従って、叙述が長たらしくなります。長たらしくなると、叙述をする当人も迷惑であり、叙述を聴くものは一度に纏めかねるようになります。したがってこの叙述を簡単にするためには、勢い叙述されべき物に類似のもので、聞く人の頭の中に、すでに纏って這入っているものを持ち出して代理をさせるのが便利になります。例えば※を見た事のない西洋人に※を説明するよりも赤茄子のようだと話す方が早解りがするようなものであります。もちろんこの代理になる赤茄子の考が先方の頭のなかになくては駄目で、考がある以上は、その考え次第では、第二段に述べる conceptual な叙述を予想した事になりますが、これはその場合に至ってなるべく不都合のないように説明してみましょう。とかくにこの代理のものを用いると云う事は、純粋の叙述ではない、方便であるから、あまり厳密に考えると少しは破綻が出そうであります。しかし実際的にはほとんど、私の主意を害する事のないのみか、かえって私の考を明暸に御分らせ申す結果になりますから、こう致しておきたい。のみならず、こうしておくと、片一方の主観的の方と比較するときに大変な好都合になるのであります。  そうすると、帰着するところは、perceptual な叙述のもっとも簡便な形式は洋卓は唐机のごとしとか、※は赤茄子のごとしとか、驢は騾のごとしとか、すべて眼に見、耳に聞き、手に触れ、口に味わい、鼻に嗅いで得たる形相をもって叙述する事になります。その一般の形式をAはBのごとしとしておきます。  Perceptual な叙述に対する、主観的方面の叙述は何であるかと云うと、私はちょっと名前に窮するから、しばらく在来の修辞学に用いている直喩という語を借用致します。しかし全然従来の simile とも思われないようですから、そのつもりで聞いていただきたい。普通修辞学者の説によると、似たものを似たもので説明するんだそうです。これだけならば※を赤茄子で説明したり、洋卓を唐机で説明するのと別段の相違もないようです。ところが実際の例を見ると、大分これとは趣を異にしているのがあります。あの人の心は石のようだ。あの男は虎のようだ。などと云うのがあります。そこでは私は第一段の主観的叙述をあらわすに simile と云う字を借用しました。これは普通 simile の下に取り扱われている叙述のあるものが、私のいわゆる第一段の主観的叙述と同傾向を有しているからと云うだけに過ぎません。さて今申した、あの人の心は石のようだと云う例をとって、調べて見ると、心と石を並べても比較しようがありません。またあの男は虎のようだと云う例にしてもその通り、虎と人間とはとうていいっしょになりようがない。けれども別に無理とも思わないで使っています。してみるとどこか似たところがあるに違ない。その似たところを考えて見たらこの両面の叙述の差が判然するだろうと思います。人の心を石に比較するのに、比較にならんように思うのは、我々が石についての経験を、我から非我の世界に抛げ出す態度、すなわち我以外に一塊の動かすべからざる石と名づくるものが存在していると見傚すからではありますまいか。すでに抛げ出されて石と名づけられたる以上、我の態度が我から非我に向って働らく以上は、石はどこまでも石で、どうしても人の心に比較されよう訳がないのであります。我々の石についての経験は堅いとか、冷たいとか、素気ないとかいう属性から構成されているのは無論でありますが、いやしくもこの属性が石の属性で、石の意義を明暸ならしむるものと相場がきまってしまえば、もう融通は利きません。どうしても石を離れる事ができなくなります。石を離れる事ができないとすると、まるで性質の違った心を形容する訳には参りません。堅いのは石が堅いので、冷たいのもやはり石が冷たいんだから、その堅さ冷さを石から奪って、心に与える訳には参りません。しかしひとたび立場を変えて、その堅さ冷たさを石から経験したとすれば、自分が石を認めたんでなくって、石が自分を冒したとすれば、冷たいのは自分の冷たさで、堅いのも自分の堅さであるから、ひとたび石の経験に触れるや否や、石を離れて冷たい、堅いと云う心持ちだけになるから、いやしくもこれと同じ心持を起すものならば、移して何へでも使う事ができます。それで、あの人の心は石のようだと云う叙述が意味のあるものとなります。これは全く性質の違った比較をする場合で、むしろ極端であります。比較するものと比較されるものとの属性が一点もしくは一以上の諸点において、似ていれば似ているだけ客観的比較に近づく訳ですからして、漸々 perceptual の叙述に縁がついて参ります。例えば先刻のあの人は虎のようだというような simile でも石と心の比較に比べると、幾分かは perceptual の方面へ向いております。なぜと云うと、虎は動物であり、人も動物であるという点において、すでに客観的価値のある比較であります。何も動物と云う概念がなくても構いません、寝るところが似ている、物を食うところが似ている、歩くところが似ている以上は、客観的価値があります。いくら皮膚が似ていなくっても、足の恰好が似ていなくっても、髯の数が似ていなくっても、似ているところがあるだけそれだけ客観的価値のある比較であります。しかしながら、もし以上の点において類似を主張するならば、よりよき類似を主張する比較物はいくらでもあるはずであります。例えばあの人は父に似ているとかまたは母のごとしとか云う方が虎のごとしと云うよりも遥かに穏当であります。立派な perceptual な叙述ができるはずであります。しかるにこれを棄てて客観的価値のもっとも少ない虎を持って来たのは、すべての不類似のうちに獰猛の一点を撰択してもっとも大切な類似と認めたからであります。さてこの撰択は前に云った通り我々の注意できまるので、云い換えると我々の態度で決せられるのであります。ではこの際の態度は客観か主観かと云う問題になります。獰猛を客観的に虎の属性と見傚せば獰猛はついに虎の獰猛であって、どうしても虎を離れる事はできません。その代り人間の獰猛もまた客観視する事ができますからして双方共我を離れたものとして比較ができます。しかし同一経験の方向を逆にして虎より受くる獰猛、人より受くる獰猛として、双方から来る心持だけを比較すると、主観の態度であります。だからこの場合においては、両方に見る事ができて、両方共正しいのであります。しかしながら実際はどうかと云うと、個人の習慣及びその時の模様によって、変化のあるのは無論でありますが、多くの場合に、多くの人が、多く主観の方に重きを置いているように思われます。だから私はこの種の比較に用いる虎なら虎を、客観的価値のもっとも少ないものであると云う訳で、また客観的価値のある局部をも主観的態度で注意する傾向があると云う訳で、この方面の叙述と見るのであります。石の例と虎の例でも分るごとくすでに主観の程度には厚薄があります。なお進んで月が鎌のようだと云う叙述に至るとまた一歩 perceptual の方へ近づいております。。かようにして漸々客観的価値を増すに従って、ついには perceptual の叙述に達するのであります。  Perceptual の叙述と、simileとの対はまずかようなものであります。前者は客観で知を主とし、後者は主観で感を主とするのが特性であります。しかし常態を申すと双方が幾分か交り合っている事は、例に因って説明した通であります。  これから第二段の対に移ります。第二段の片扉で客観態度の方を conceptual な叙述と名づけたいと思います。それから片扉の主観態度の方をやはり在来の修辞学の言葉を借りて metaphor としておきます。意味はこれから説明します。  あるものを二度見てははああれだなと合点するのを recognition と申します。二度以上たびたび見て、やっぱりあれだなと承知するのを cognition と申します。もし一つものをたびたび見る代りに同種類の甲乙をたびたび見た上で、やはり同種類の丙に逢った時、これはこの種類の代表者もしくはその一つであると認めるのは conception の力であります。隣りの斑はこうであった。向うの白はこうであった。どこそこの犬はこうであったの経験が重なると、すべての犬はこうであったと纏って参ります。それがもう一層固まると、こうであったが変じて、かくあらねばならぬとまで高じて参ります。かくあらねばならぬとなった時に、犬なら犬全体に通じての考ができます。かくあらねばならぬ考だから、本人はまだ見ぬ犬にも、いまだ生れぬ犬にもこれを適用致します。さてこの概念を抱いて往来を歩いていると、たちまちわんと吠えられる事があります。当人はさっそくにははあ鳴いたな。これ犬なりと断じます。私はこのこれ犬なりの叙述を conceptual な叙述と申したいのであります。犬は一匹であります。耳が垂れて、尾が巻いて、わんわん云う声を出しているかも知れません。しかし単にそれだけ見たり聞いたりしただけでは、種属全体に通用する犬と云う断案は出て来ません。だからこの際における犬は、頭の中に前から存在している犬の一匹もしくは代表者であります。固より頭のなかに這入っている犬は、犬と云う名前で這入っているか、または抽象的な関係的知識になって這入っているだけだから、形を具えてはおりません、形を具えている犬はいつでも代表的な一匹の犬になってしまうのは無論でありますが、個々特別の場合を綜合して成立ったものであるという点において、すでに密切な主観的意味を失っております。personal element が亡くなっております。犬はかくあるべきものという事を云い換えると、すべての人は犬をかく考うべきはずだという事になります。すなわち他人はどうでも自分はこうという立場を離れております。誰にでも通用するもの、結局は客観的にたしかなものという事になります。それだから犬の概念は頭の中にあるだけにもかかわらず、その価値は頭以外すなわち非我の世界に抛出されて始めて分るものであります。その代り例の主観的な分子は、perceptual の叙述に比べると全く欠乏して参ります。ただ吾人の知識が非我の世界において広くなったと云う事は云われます。けれども犬と云えば、すぐに一匹の犬を思い出すのが通例であるから、理窟からいうほど主観的分子は欠けていない場合が多いので、その点においては第一段の perceptual な叙述とつながっております。。  今度は対の片扉なる主観の方面すなわち metaphor に移って申します。これは御承知の通り simile の変化したもので、修辞学者は大胆なる simile と評しております。あの人の心は石のようだと云う代りに、あの人の心は石だと断じ、あの人は虎だと云い切る類であります。第一段の比較に対して、ここでは心を石と同一視し、人を虎と同一視するのであります。だから simile よりも一層客観的不類似の点を無視した訳になります。だからその点において一層主観的態度の叙述と見傚して差支ありますまい。  第三段になると妙な対ができると思います。ここになると双方共が象徴に帰してしまうのであります。本来を云うと、犬と云うのも記号で、心を石だと云うのも一種の象徴でありますから、第三段になって正式にあらわれるのはすでに前から胚胎しておったものであります。客観の態度から出る象徴の、もっとも面白い例は数字の記号であるものを代表する事であります。例えば x2+y2=r2とあればこの関係で円を叙述する事になるそうです。私の知っている数学者はこの式さえ見れば円が眼に浮ぶと云いました。恐ろしいものです。しかしこの式の意味を解しても、円が眼に浮ぶようになるのはちょっと暇がかかるだろうと思われます。それから x=A cos 2πnt は一種の振動をあらわしたり、λ=597μμ とあると光波の長さで光の色をあらわすのだそうで、まことに不可思議の至のように思われますが、いずれも長くかかって説明すべきものを、手数を省くために、かようにつづめたものであります。だから比較的に非常に込みいった、客観的関係が畳み込まれているには相違ありません。それがためこれらを了解する非我の世界における知識は大分広く深くなるでありましょうが、その代り我自身だけに関する経験すなわち主観の部分は全くないと云っても差し支ありません。ただし x2+y2=r2はいかな円でも円でさえあればあらわしているのだから、取も直さず円の概念に当ります。のみならずある人はこの式を見ればすぐに一個の円が眼に浮ぶと云うのですから、この人にとっては、この公式は perceptual な叙述の代りにもなります。まことに重宝な式であります。しかしいかな数学好きの友人もこの式を見て好い心持だとか不愉快だとか申さない所をもって見ますと、主観的方面の叙述とはほとんど縁がない式のように思われます。これから翻って主観の方の象徴を述べます。これは歴史的に申すと、私の知らない仏蘭西の詩人や何かを引用しなければなりませんので、少々迷惑致します。しかし前もって申し上げた通り、これは文学史上の御話でないのだから、相成るべくは手製の例で御勘弁を願いたいと思います。つまりは、この態度にかなっていれば、どんな例でも構わんくらいで御聞き下さい。すでにあの人の心は石のようだと云っても、あの人の心は石だと云っても、石をもって心を代表するという点から見ますと、やはり主観方面に属する一種の象徴に違ありません。けれども、それが一歩進んで、心と石を並べないで、石と云ってすぐ心を思い起させる叙述に至ったときに、私はこれを始めて第三段の主観的象徴と申したいと思います。もちろん形式はこの叙述に叶っていましてもいっこう主観の分子を含んでおらんのがありますがそれは御注意を致しておきます。例えば茶柱が来客を代表したり、嚏が人の噂を代表したりするようなものであります。これは偶然の約束から成立した象徴でありますから、ここに云う種類には属しない訳であります。もっとも器械的の象徴も馬鹿にならんもので、習慣の結果茶柱を見て来客の時のような心持になったり、嚏をして、人の噂を耳にするような気分が起る人がないとも限りません。そう云う人にはこんな象徴もやはり主観的価値のあるものであります。だから本人の気の持ちよう一つでは、仁参が御三どんの象徴になって瓢箪が文学士の象徴になっても、ことごとく信心がらの鰯の頭と同じような利目があります。なお進むと、烏鳴きが凶事の記号になったり、波の音が永劫をあらわす響と聞えたり、星の輝きが人間の運命を黙示する光りに見えたりします。こうなると漸々主観的価値が増してくるのみならず、解剖の結果全く得手勝手な象徴でないと云う事も証明ができます。このくらいならばまだ、大した事はありません。第二段第一段とつながっているくらいのものでありますが、層々展開して極端に至ると妙な現象に到着します。ちょっとその説明を致します。我々は我々の気分を非我の世界から得ます。しかし非我の世界は器械的法則の平衡を待って始めて落ちつくものであります。もしこの平衡を失えばすぐに崩れてしまいます。したがって自分がこういう気分になりたいと思った時に、その気分を起してくれる非我の世界の形相が具っておらん事があります。つまり非我の世界を支配する器械的法則が我の気分に応じて働いてはくれません。そこでこの法則の運行と、自分の気分と合体した時、すなわち自分がかくなりたいとかねがね希望していたかのごとき気分を生ずるときの非我の形相を、常住の公式に翻訳しようとするのが我々の欲望であります。例えば時鳥平安城を筋違にと云う俳句があります。平安城は器械的法則の平衡を保って存在しているのだから、そうむやみに崩れてはしまいません。それすら明治の今日には見る事ができません。いわんや時鳥は早い鳥であります。またその鳥が筋違に通るところも、始終はありません。おやといううちに時鳥も筋違も消えてしまいます。消えてしまう以上はその時の気分になりたくってもちょっとなれないから、平安城を筋違にという瞬間の働きをさも永久の状態のごとく、保存に便にするように纏めておきます。さてかように纏った気分がだんだん頭のなかへ溜って参ると仮定します。そうしてそれが入り乱れるとします。広くなり深くなると見ます。すると一種奇妙な気分になります。この気分を構成する一部一部は、非我の世界にこれに相応する形相を発見しもしくは想像する事ができますが、この全体の気分に応じたものを客観的に拈出しようとするととうてい駄目であります。花でも足りない。女でも面白くない。ああでもない、こうでもない、ともがくようになります。これを形容して、よく西洋人などの云う口調を借りて申しますと、無限の憧憬とかになるのでしょう。私は昔し大学におった頃この字を見て何の事だか分りませんでした。それでもありがたがってふり廻していました。今でも実は分りません。私は解釈だけはできますが、本当のところ infinite longing と云うものを持っていないのだから、是非もございません。しかし私のように説明すればともかくも形容の詞なのですから、それで差支ございますまい。とにかく、そんな形容を使わなければならない気分が起りまして、煩悶致します。煩悶してどうか発表したいとするが発表できない。できないでしまえばそれまででありますが、せめて不完全ながら十の一でもあらわそうとすると、是非とも象徴に訴えなければなりません。十のものを十だけあらわさないで――あらわさないと云っては間違になります。あらわせないのです。でやむをえず一だけにしてやめておく叙述であります。無論気分を気分としてあらわすなら、大に悲しいとか、少々|嬉しいとか云うだけで、始めから表わせる表わせないの議論をする必要がないのですが、この深いような、広いような、複雑なような気分の対象を、客観的なる非我の世界に見出そうとすると十の気分を一の形相で代表させて、残る九はこの象徴を通じて思い起すようにしなければなりません。しかしながら元来これは本人すら無理な事をしているのですから、他人にはよほど通用しにくくなる訳であります。一を聞いて十を知ると云う事がありますが、一を見て十を感ずる人でなければできない事です。しかも一を見て十を感ずる、その感じかたが、云いあらわした本人と一致しているかどうかに至るとはなはだむずかしい問題であります。要するに象徴として使うものは非我の世界中のものかも知れませんが、その暗示するところは自己の気分であります。要するにおれの気分であって、非常に厳密に言うと他人の気分ではない、外物の気分では無論ない。という傾向のあるところから、この種の象徴を主観的態度の第三段に置いて、数学の公式などの対と見立てました。  これで主観客観の三対|併せて、六通りの叙述の説明を済ましました。そこでこれだけ説明すればあらゆる文学書中に出て来るすべてのものを説明し尽したとはけっして申すつもりではありません。しかしながらこれだけ説明すれば、吾人の経験の取扱い方の一般は分るだろうと思います。客観主観の両態度の意味と、その態度によって、叙述の様子がだんだんに左右へ離れて行く模様が分るだろうと思います。それが普通の人の分れ具合でまた創作家の分れ具合であります。だからつまるところは創作家の態度も常人の態度も同じ事に帰着してしまいます。何だつまらない、それがどうしたんだとおっしゃる方が、あるかも知れません。なるほどつまらない。私もつまらないと思います。しかしここまで解剖して見て始めてつまらない事が分ったので、それまでは私も諸君と同じようにいっこう不得要領であったのです。しかしつまらないながらもこういう事だけは云い得るようになりました。この六通りの叙述は極端から極端までずうとつながっています。どこで、どれが終って、どこで、どれが始まったと云う事ができないように続いています。それをほかの言葉で翻訳すると、客観主観いずれの態度にしても、このうちの一と通りに限らねばならないという理由もなし、また限ったが便利だという事もなし、その時その場合で変化しても差支ないのみならず、変化するのが順当で、変化しなければ窮窟であると云う事だけはたしかのように思われます。もっとも客観の極端に至ると科学者だけに通用する叙述になり、主観の極端になると、少数の詩人のみに限られる叙述になりますから、例外になります。しかし常人はこの両極の間を自由勝手にうろうろしているものであります。そうして創作家もまた常人と同じようにその辺のいい加減な所を上下しているものであります。  そこで、かの西洋の文学史に起った何派もしくは何主義というものは、その傾向から推して、これらの客観的態度の三叙述、もしくは主観的態度の三叙述の左右へ排列されるものだろうかと思います。まず写実派、自然派、のようなものは前者に属し、浪漫派、理想派などと云うものは後者に属するのではなかろうかと思います。私はこれらの諸派を歴史的に研究して、こんなものだと断定するのではありません。私が創作家の態度を極端まで左右に展開さしてその傾向を確めていると、西洋にはこういう派がある、ああいう派があるという話だから、それならばとその性質を大略聞いて見て、それならば、私の解剖した両翼の方へその派の名前を結びつけて排列してみよう、見ればこう左右に割って置かれはしないかというまでであります。したがって私はこの解剖によって、歴史的に起った自然派や浪漫派の定義を下す意は毛頭ありません。すなわちこの左右の両翼が自然派もしくは浪漫派とアイデンチカルのものという考はまるでないのであります。私は心理状態の解剖から出立する。だからできるだけ単純にまたできるだけ根本的に片づけ得るように解剖して来たのであります。しかるにかの自然派もしくは浪漫派と名くるものはその中に含まれたる多くの書物の特性をあらわしておって、大分複雑であるのみならず、その内容を形づくっている文章がすでに純粋に何々派をあらわしておらんから、とうてい私の展開させた両翼と全然一致しようがないのであります。けれども大体の傾向を云えば、こう分布排列しても無理はないと思います。  ところで普通の人間は今申す通り、この両極端の間をうろついております。それのみならず、この六通りのうちの一叙述をえらんだところで、えらんだのは当人で、これを聞くものまたは読むものはその隣りの叙述と受取るかも知れません。例えば月が眉のようだという叙述を本人は perceptual と思って述べていても、聞く人は simile と受けるかも知れません。第三者がこれを見て、どっちが間違っているとも評されません。双方共正しいとしなければなりません。そこでこう云う事は云われないでしょうか。自然派と浪漫派とは本来の傾向から云うとやはり左右に展開しているようですが或るところになると、どっちとでも解釈ができるもので、要は読者の態度いかんによって決せられるものだと云う事は。一句や二句の例ではありません。ちと比例を失するような大きな例になるかも知れませんが、ちょっと御判断を願うために御話を致します。独乙で浪漫主義の熾に起った時、御承知の通り、有名なカロリーネと云うシュレーゲルの細君がありました。この細君が夫の朋友のシェリングと親しい仲になりまして、とうとう夫と手を切って、シェリングといっしょになります。しかもその時この女は自分の手紙のうちに、縁はこれにて切れ申|候。始めより二世かけてとは固より思い設けず候と書きました。しかもシュレーゲルといっしょになったのがすでに二度目なのですから、シェリングの所へ行くと三度目の細君になるのです。それで亭主の方はどうかと云うと、離婚を申し込まれた時は侠気を起してさっそく承知したのみならず、離別後も常にシェリングと親密な音信をしていたそうであります。もう一つこんな御話があります。東京近傍の在ですが、ある宿に一軒の荒物屋がありまして、荒物屋の向うに反物屋がありましたそうで。ところがその荒物屋の神さんが、どういう仔細か、その家を離別致して、すぐ向うの反物屋へ嫁に行ったそうです。それで、嫁に行った明くる日から、店先へ坐って、もとの亭主と往来を隔てて向きあっているんだそうです。私にこの話をして聞かせたものはあさましいと云わぬばかりな顔をして、田舎のものは呑気なものだと云って笑っていました。この二つの話を取って調べて見ますとよほど似ております。しかし前のは浪漫派の中心で起った事で、後のは――何派だかちょっと困りますが、まあ自然派の作にでもありそうに見えます。しかし事実はどうしても同じなんだから致し方がない。それじゃ同じものが、どうして浪漫派になったり、自然派になったりするんでしょう。まあ説明するとこんな訳じゃありませんか。浪漫派の人は主観的傾向に重きを置くもので、愛はその傾向のもっとも顕著なるものでしたがってもっとも神聖なものであります。愛と云う分子があればこそ結婚とか夫婦|同棲とかいう形式の内容に意味がある訳だから、この内容がなくなる以上は、どんな形式だって構やしません。三下り半を請求する方もその覚悟、やる方もその了見だから双方共|洒然として形式のために煩わされないのであります。ところが反物屋の方になると愛に重きを置いた出来事かも知れないが、始めから愛のない結婚で出ても引いても同じ事なのかも知れない。それはどう解釈するにしても、我々はそう云う動機を見るのじゃない、普通の約束的の徳義を破壊した行為だという点を認めるのであります。徳義を棄てた露骨の人性かもしくは野性がそのまま出た所作だと見るのであります。カロリーネの方は離縁したり結婚したりするのを善い事、美くしい姿と思ってやるのです。反物屋の神さんはそんな事を考えちゃ――まあいないでしょう。だから見るものの方でも、そんな人間もあるかね、はあそうかねと一つの事実として認めるのであります。だからこの二つの話を叙述する時には、ただ叙する時の態度が違うのであります。ところがさっき申した通り「眉のような月」と云う叙述が、どっちの態度にもなる訳ですから、この結婚問題の叙述もまたどっちの態度にも受け取られるかも知れない。いくら反物屋の神さんを書いても主観的の叙述だと人が読むかも知れず、カロリーネの嫁入事件を写しても客観的の叙述だと解されないとも限りません。して見ると自然派と浪漫派もある場合には、客観主観の叙述が合し得るごとくに合し得るものと見ても差支ない、かと思います。  これは一つの態度が両様に認められ得ると云う例でありますが、もう一つ前節の最初に申した我々の態度は常に両極の間をぶらついて、いるもので、けっして片っ方づけられるものでないと云う事を御話をしてそれから、議論の歩を進めたいと思います。これも分りやすいためになるべく単簡に通俗な例で説明致します。普通用談の際は無論雑談の際でも、我々は滅多に主観的な叙述を用いてはいないと思っています。詩的な、浪漫的な句は筆を執って紙にでも咏懐の辞を書き下す時に限るように考えています。ところが実際は大違で、談笑の際|始終この種の叙述をやっております。腹の虫が承知しないなどと云うのもその一つであります。腹のなかに虫はおりません。よしおったところで、承知しない虫はおりません。承知しない虫がいたって誰が相談なんかするものですか。あるいは腹が立つと申します。腹が立つと云ったって、元来|坐りもしない腹が立ちようがないじゃありませんか。あるいは眼が廻るとも云うようですが、今日までまだ眼玉の廻転している人に逢った事がありません。それにもかかわらず三句とも皆通用しています。これは皆主観的態度で話し主観的態度で聞いているのであります。この態度で話せばこそ、聞けばこそ通用するのであります。大袈裟に云うと御互が浪漫派だから合点ができるのであります。簡単を尊んで、短かい句だけで説明しましたが、もっと長くなっても精神に変りはありません。この態度で行く方が大分便利な事があります。その代り徹頭徹尾浪漫派ではやはり辟易します。「君富士山へ登ったそうじゃないか」「うん登った」「どんなだい」「どんなの、こんなのって大変さ」「どうして」「まず足は棒になる、腹は豆腐になる」「へえー」「それから耳の底でダイナマイトが爆発して、眼の奥で大火事が始まったかと思うと頭葢骨の中で大地震が揺り出した」こんな人に逢ったらたまりません。少々気が触れてるんじゃないかしらといささか警戒を加えたくなります。してみると、我々の文句長く云えば叙述はやっぱり前に説明した六通りの中間を左へ出たり右へ出たりして好い加減に都合の好いところで用を足しているに違ない。創作家もやっぱりその通りであります。論より証拠自然派でも浪漫派でも構わないから、一冊の本を取って来て、一句ごとに五六頁順々に調べて見ると分ります。浪漫的な句はたくさん出て来ます。浪漫的な句が嫌な人だって、腹を立てちゃいけない、眼が廻っては怪しからん、是非腹の虫を殺してしまえとまで主張する人はないでしょう。浪漫派の書物もその通り、けっして、のべつ浪漫ずくめでは済まないのです。諸君は、あるいは、そりゃただ句の話じゃないか、一篇一章もその議論で行けるかいと御尋ねになるかも知れません。さよう一篇一章一巻となると私も少し困却致します。しかし降参する必要もないだろうと思います。と云うのは私の考では一句でも叙述、二句でも叙述、三句続いても叙述の気なので、しかもその叙述には前に説明したような種類以外の叙述すなわち回想とか批判とかいうものまでも含められるだけ含めるつもりなのですから、応用はこれで思ったよりも存外広いのであります。  ここで一歩進めます。客観的態度の三叙述を通じて考えて見ますと、いずれも非我の世界におけるある関係を明かにする用を務めております。知識を与うるのが主になっております。だからして一言にして云うと真を発揮するのが本職であります。本職と云う意味は、同時に主観的の内職もできると云うつもりで用いた言葉であります。もしこの内職がある程度まで併行していなければ、この種の叙述の価値は大分減じます。大学の教授が私立大学をやめると収入がよほど違うようなものであります。現に真専門の x2+y2=r2氏のごときに至っては、ほとんど文学を休めて、理学の方で月給を貰わなければ立行かん姿であります。ただ真を本職とする創作家のために都合の好い事は真そのもに付着している別途の感情を有している事であります。例えば※は赤茄子のごとしと云うと無論 simile を内職の内職くらいにしておりますが、本職は固より※の性質を明かにするためです。※を葡萄や梨と区別するためであります。今※を赤茄子で説明すると、その説明がうまくできたかできないか、よく※をあらわし得たか得ないか、うまい比較物をもって来たか来ないか、※と赤茄子が実によく似ている似ないで、はあなるほどと思う程度が大分違います。このはあなるほどが何時でもいろいろな程度で食っ付いて廻るのであります。simile の方でもこのはあなるほどは無論必要でありますが、それは内職で、本業を云うと、石の冷たさ堅さを自得して、その自得した気分で人の心を感ずるのでありますから、石と人の心を比較してどこまで妥当なりや否やはむしろ第二義の問題かも知れないのであります。※と赤茄子の例はもっとも簡単なものでありますが、もう少し複雑になると、このはあなるほどだけで一篇の小説ができます。。これに反して馬琴のような小説は主観的分子はいくらでもありますが、この方面の融通が利かないから、つまりは静御前は虎のごとしなどと云う simile を使っているようなもので、ついに読む事ができなくなるのであります。君の云うはあなるほどはなるほど分ったが、そりゃやはり主観じゃないかと云われるかも知れない。そうだと申すよりほかに致し方がないが、これは客観的関係を明めるにつけて出るので、似る、移る、因が果になる等の事実を認めて感心した時の話であって、すでに明らめられたる客観的関係を味うのとは方向が違うのであります。三勝半七酒屋の段というものを知らないから、始めて聞いて見てははあと感心するのと、もう一遍酒屋を聞いて来ようかと出かけて、ははあと感心するのとは、同じ感心でも、性質が違います。この客観的に非我の関係を明めるにつけて生ずる付属物を intellectual sentiment と云います。付属物とは下等なものという意味ではありません。否むしろこの方が文学の領域内では必要なのであります。しかし客観的態度を主として、真の発揮に追陪して起るものでありますし、かつは創作家の態度を主観、客観と分けた以上は、今またこの intellectual sentiment を主観の部に編入するといたずらに混雑を引き起しますからやはり附属物としておきます。それでも少し混雑して御分りにくいかも知れません。私の説明の下手なところは御詫を致します。  客観すなわち主知の方は以上の通りであるが、主観すなわち主感の方はと申すと、真を発揮するに対して、美、善、壮に対する情操を維持するか涵養するか助長するのが目的であります。この三者の解釈は詳しく述べる事ができません。美と云う事を大きく解すると、善も壮も掩っても構いません。のみならず真をさえ包んでもいいでしょう。それは人の勝手であります。受持の範囲をきめて名をつけるだけの事であります。私はごく単純に耳目を喜ばす美しいもの、美しい音くらいで御免蒙ります。もっとも美醜を通じて同範囲のものを入れます。善もその通り善悪を通じ含ませるのみならず、直接に道徳に関係のない希望とか、愛とかいうものも入れるつもりです。壮は意志の発現に対する情操を入れます。上は壮烈もしくは壮大より下は卑劣もしくは繊弱に至るまで入れます。するとこれは前の善の範囲に或所まで入り込みます。すべての感情が多くの場合において意志を促がすもの、または意志に変化する傾向のあるものとの学説に従えば、この二|範疇はある点においていっしょに出合うものでしょうが、壮とは行為|所作に対するこちらの受け方を本位として立てたので、善とは善悪その他の諸情そのものに対するこちらの受け方を本位として立てた、範疇のつもりであります。御相談では片っ方へ編入してもよろしゅうございます。それから人間の所為を離れていわゆる物質界に意志の発現もしくはそのポテンシャリチーを認めた場合には、この意志は変じて物理上の energy のようなものになります。少なくとも人間の意志とは趣を異にして参ります。かように壮の発現もしくは潜伏が物質界に移るとすると、美の範疇と接近して参ります。それ故時宜によっては、これも美のなかへ押し込んでも構いません。まず不完全ながら善、美、壮、の解釈はこうと致して、この三者に対する我の受け方を叙述するのがこの方面の文学の目的であります。ところが我の受け方は千差万別に錯雑して参りますが、総括すると快不快の二字に帰着致します、好悪の二字に落ちて参ります。すなわち善に逢って善を好み、悪を見て悪を悪み、美に接して美を愛し、醜に近づいて醜を忌み、壮を仰いで壮を慕い、弱を目して弱を賤しむの類であります。固より善、美、壮の考は人により時により、相違はあります、また、三が冒し合わないとも限りますまい。現に前に述べたカロリーネの話でも愛に従うのを善とすれば、あの話を読んで充分満足の気分になれましょうし、また夫に従うのを善とすれば、どうも不快な話になります。しかしどう浮世が引っ繰り返っても、三者に対する情操のない世はないはずで、いかに無頓着な人間でもこの点において全然好悪を持っていない人はありません。もしあれば社会が維持できないばかりであります。一歩進んで云えば社会は改良できない訳であります。器械的の改良すなわち法律が細かくなるとか巡査の数を殖す事はできますが、肝心の人間の行為を支配する根本の大部分を閑却して世の中が運転する訳がありません。これがために、これらの情操を維持し、助長する事を目的にする文学が成立するのであります。  私は客観主観両方面の文学の目的とするところを一言述べました。ここに目的と云うのは叙述家自らが、叙述以前にかかる目的を有しておらなければならんという意味ではありません。その結果だけがこう云う目的に叶っているだけでもいっこう差支ないのであります。我々が結婚するようなもので、何も必ず子を産む了見で嫁を貰うとは限りません。しかし事実は多くの場合において、あたかも子を産む事を目的にして結婚をしたように見えます。さればといって子孫を作る目的で嫁を貰ってならんと云う理由もありませんから、結果が同じならどうでも構わないでしょう。私はこの目的を眼中に置かないで、おのずからこの目的に叶うような述作をやる人を art for art 派の芸術家と云いたいと思います。俗に art for art 派と云うと何だか、ことさらに道徳を無視する作家のみを指すようですが、たとい道徳的情操を鼓吹したって、始めから、この目的を本位として、述作にとりかからずに、出来上った結果だけがおのずからこの目的にかなっていたらやはり art for art の作家かと思います。ユーゴーの攻撃のごときは固より歴史的にああいう必要もあったのでしょうが、私のように解釈したらあれほど議論をする必要もなかろうと思います。同時に最初から一定の目的をもって出立したって構わない訳かと存じます。普通この立場を非難する人の説はこうなんだろうと思います。作そのものが芸術家の目的であるのに、作以前にある目的を立てておいて、その目的のために、作を道具に使えば無理ができるから、作の価値に影響を及ぼしてくるところに弊がある。――はたしてこうならば至極ごもっともであります。しかしあらかじめ胸中にある目的を立てるのと、作そのものを目的にするのとはこの場合において、そんなに判然たる区別はありません。刀は人を殺す道具であります。すると人を殺すという所作が目的になります。だから二つのものは全く違います。しかし斬るという働きを考えたらばどうでしょう。方便でしょうか目的でしょうか。刀を使うという方から云えば方便でありますが、殺す方から見れば、目的にもなりましょう。云い換えると、斬ると云う働きが一歩進むごとに、殺すと云う目的が一歩ずつ達せられるので、斬り了った時に目的は終局に帰するのだからして、斬るのと殺すのはそう差違はありません。述作と述作の目的とは斬ると殺すくらいの差じゃなかろうかと思います。述作そのものを方便としたって、方便と共に目的も修了せられる訳ではないでしょうか。少なくとも、今述べたような目的をもってならば最初からその心得で述作に取りかかっても、ただ述作だけを目懸けて取りかかっても同じ事だと私は思ってるのであります。だから art for art 派でも、そうでなくっても差支ない。要するに述作の目的は以上のように区別ができると云うのであります。  述作の二態度とその目的とするところは今申した通でありますが、ただ御注意までに一言しておきたいのは、こんな事であります。こう分けるとちょっと、一方に属するものは、他方に属してはならん。どっちか片づけて旗幟を鮮明にしなければ済まないように見えるかも知れませんが、そう見えてはかえって迷惑なので、すでに誤解を防ぐためカロリーネの例や馬琴の例をひいて、機会のあるたびに二三度弁じておきましたが、改めて御断わりを致しておきたいのは、真を写すものは純粋なる真のみを写してはいません。またおられんのであります。またいかに情緒に訴える人でも全く真を離れての叙述は――少なくとも長い叙述は――できないのであります。ズーデルマンのマグダと云う脚本をつい近頃になって読みましたが、これはマグダという女が、父の意に悖って、押しつけられた御聟さんを嫌って、家を出奔した話であります。さて家を飛び出してから諸所を流浪する間に、ある男と親しい仲になって、子を生んで、それからその男に棄てられます。男はマグダの故郷に帰って、立派な紳士になりすましていると同時に、マグダは以太利で有名な唄い手になる。回り回って故郷へ興行に来る。父母と和解する。ところが流浪中の不品行が曝露して、また騒動が起ろうとすると、昔し棄てた男が出て来て正当に婚儀を申し込む。ここでめでたく市が栄えれば平凡極まる趣向でありますが、いざという間際になって、聟になろうという男が昔の事――互の間に子があると云う事――だけは、今の身分にかかわるから、どうか公けにしずにおいてくれと頼む。マグダはここまでは納得したようなものの、そんな関係を内々にして夫婦になれるものかと大いに怒って、どう頼んでも聞き入れない。父は御前が承知してくれないと、家の恥辱になる。いたずら娘を持ったと云われては、世間へ顔向けができない。妹だって御前の身内だと云われては、誰も貰い手がない。だから、どうか承知して男の云う事を承知してやれと逼る。マグダはどうあっても聞かない。父はついに憤死する。これが結末であります。この一段があるので、昔から見馴れた恋愛談の陳腐なものとは趣を異にするようになりますが、結婚問題が破裂するところがあればこそはあなるほどと云わせる事ができるのです。はあなるほどというのは取も直さず新らしかったと云う意味であります。新らしい因果を見てもっともだ今の世の中にはこんな因果があるだろうと思うからです。今の人々の腹の中には行為にこそ、ここまで出さなくっても、約束的な姑息手段に堪えないで、マグダと同じような似たものが、あるだろう、あり得るはずだと認めるだけの眼をもって読んで行くからであります。この点においてこの劇は固より真を発揮したものであります。しかしこの劇はそれだけよりほかに能事のないものであろうかと考えてみますると、大にあるでしょう。第一はこの相手の男の我儘なところ、過去の非を塗り潰して好い子になろうと云う精神が出ているから、読者はその点において憎悪とか軽蔑とかの念を起さなければならないはずでしょう。しかし世の中は虚偽でも上部さえ形式に合っていれば、人が許すものだから、互の終りを全くして幸福を得ようとするには、過去の不品行を蔵すに若くはないという男の苦心を察して見ると多少は気の毒であります。どこまでも習慣的制裁を墨守して娘の恥を雪ぐためには、ともかくも公けに結婚させてしまわなければならないと思い乱れる父親にも同情があります。最後に娘が一徹に、たとい世間からどう云われても、社会的地位を失っても、そんな俗習に圧しつけられて、偽わりの結婚をして、可愛い子を生涯日蔭ものにするのはけっしていやだと、あくまでも約束的習慣に抵抗するところは、たといその情操に全然一致しない人までも、幾分か壮と感ずるでしょう。この数者があればこそ劇も面白くなるのでありますが、これは、みんな主観の方の情操であります。これで見ますと真だけの作と思ってたものに存外、他の分子が這入っている事が御分りになりましょう。これに反していかに主観的の作物でも全然真を含んでいないものはありません。もし含んでいなかったらとうてい読み得ないにきまっています。かの infinite longing ですらこれを叙述する時には単に吁とか嗟乎では云いつくせないので、不足ながら客観的形相をかりてこれを髣髴させようとするのであります。それについてこんな話があります。これは小説ではありません。事実だとして、あるものに書いてありましたが、私は単に自分に都合のいい例として御話を致します。以太利のさるヴァイオリニストが旅行をして、しばらく、ポートサイドに逗留しておりました時、妙齢の埃及の美人に見染められまして親しき仲となったそうでございます。ところがこの男は本国に許嫁の娘があるので、いよいよ結婚の期が逼った頃、ポートサイドを出帆して帰国の途に上りました。ところがその夜になると、船足で波が割れて長く尾を曳いている上に忽然とかの美人があらわれました。身体も服装も透き通っておりますが、顔だけはたしかにその女だと分るくらいに鮮かであります。ただ常よりは非常に蒼白いのであります。この女が波の上から船の方へ手を伸して、舷を見上げながら美くしい声で唄をうたいました。それが奇麗に波の上へ響くので、船の中の人はことごとく物凄い心持になりましたが、やがて夜が明けると共にかの美人はふっと消えました。やれやれと安心しているとその晩またあらわれました。そうして手を伸して、首を上げて、波の上を滑って、船のあとをつけて、いかにも淋しい声で、夜もすがら唄をうたいます。それから夜が明けると、またふっと消えます。そうして夜になるとまた出ます。そのうち船がとうとうネープルスへ着きましたので、かの音楽家はそこで上陸致して、自分の郷里へ帰ると、手紙が来ております。差出し人はと見ると、ポートサイドにいる友人で、かねて自分と彼の女との間を知っているものでありました。すぐに開封して見ると、あの女は君が船へ乗って出帆するや否や、海の中へざぶざぶ這入って行って、とうとう行き方知れずになったとありました。――話はこれでおしまいです。私はこの話を読むと何となく妙な気分になりました。その気分が妙になるところにこの話の価値はあるのですから、どの畠のものであるかは分っております。しかし真には乏しい。実事物語としてかいてありましたが、どうもその方の価値は乏しい。真とか真でないと云う事は、たくさんの人の経験が一致して存在していると認めるか、また天下に一人でもいいからその存在を認めたものがあって、これが真だと云った時に、他のものがこれを認識しなくてはならんものであります、また本人は真だと証明し得るものでなくてはなりません。出来得るものならば実験ででも証明し得るものの方がたしかには相違ないのであります。ところがこの幽霊談になるとなかなか容易には証明できない。できるようになるかも知れませんが、今のところではまず嘘に近い方であります。しかしながら胸中の恋とか、なつかしさとか云うものは、たとい人に見せられないまでも、よし人が想像してくれないまでも、また好い加減に甲、乙、丙、丁のだれの胸の中にも存在しているんだろうぐらいに推察しているにもかかわらず、自分だけにとってはこれほどたしかなものはありません。これほど切実な経験はありません。だからやっぱり真だろうと云われると、ごもっともと云わなければなりません。ただ自分に真なものすなわち人に真なものになって、始めて世間に通用する真が成立するのだから、この切実な経験を誰が見ても動かすべからざる真にもり立てようとするには、これを客観的に安置する必要が起って参ります。そこで私はこの演説の冒頭に自分の過去の経験も非我の経験と見傚す事ができると云ってあらかじめ予防線を張っておきました。刻下の感じこそ、我の所有で、また我一人の所有でありますが、回顧した感じは他人のものであると申しました。少なくとも自分に縁故のもっとも近い他人のものとして取り扱う事ができると申しました。愛と云うと一字であります。自分の愛と人の愛と云えば、たとい分量性質が同じでもついに所有者が違って参ります。愛の見当が違います。方角が違います。したがって自己の過去の愛と他人の愛とは等しく非我の経験と見傚し得ます。この点において主観的なる愛そのものを一歩離れて眺める事ができます。ただ困る事は、時により場合により増減があって、変化の度が著るしく眼につくんで、それがため客観的価値が大分下落致します。のみならず悲しい事には、いくら客観的に見る事ができても、客観的に写す事ができない性質のものであります。ある坊さんに、あなたちょっと魂を手の平へ乗せて見せておくれんかと云われて、弱った人があります。これが私なら、魂と云う字を手の平へ書いて坊さんに見せてやろうと思います。それと同じ事で客観的に愛が見られるなら、客観的に愛を書いて見ろと云われるなら、ただ愛とかいて見せます。甘いとか、辛いとか書くのと同じ意味で書いて見せます。白いとか黒いとかいう意味で書いて見せます。しかし愛の一字じゃいけないから、もっと長く分るように書いて見ろと云われるなら、それじゃ小説でもかこうと申します。それが茶かすようで気に入らなければ、そんな無理を云わないで、誰それの愛を書けと明暸に所有主を示して貰いたい、いくら僕が愛の客観的存在を認めても、ただの愛はかけない、根こぎにして引っこ抜いた愛だけはかけない、根こぎにして引っこ抜いた鉢植の松を描けという難題と同じ事だからと云ってごめんこうむります。それじゃ主観の叙述はほとんどなくなる訳だとまたおっしゃるかも知れませぬが、前から何遍も申す通り無論あるところでは主観も客観も双方一致しているので、書き手の心持、読み手の心持で判ずるよりほかに手のつけようのない場合がいくらでもあります。だから形式の上ではついに要領を得なくなります。しかしちょうど好い機会だから、今の幽霊の話を説明かたがたこの疑点をも明らかにしておきましょう。今申すごとくたとい愛の客観的存在を公認しても、これを叙述する時には、その愛の所有者と結びつけなければなりません。五官に訴え得るように取り扱わなければなりません。同時に愛を主観的の経験としてもやはり同様の手段に訴えなければ叙述ができません。しかしそれだから同じ事に帰着すると結論するのは少し誤っております。前の方は非我の事相のうちに愛を認めて、これを描出するので、後の方は我の愛を認めたる上、これを非我の世界に抛げ出すのであります。すなわちその本位とするところは、我が味うところの愛という情操で、この無形無臭の情操に相応するような非我の事相を創設するのであります。非我の事相は自然から与えられたもので、一厘も動かすべからずとして、その一分子たる愛を叙して来るのと、我の切実に経験する愛を与えられたるものとして、もっとも適当にこれを叙述せんがために、非我の事相を任意に建立するのとの差になります。したがって両者はある点において一致するのはもちろんでありますが、極端に至ると大に趣を異にするのであります。先ほど述べた幽霊の恋物語のようなものはその極端の例の一つだと思います。ここに、こんな切な恋がある。これをどう云いあらわしたらば、云い終せるかとの試問に応じて出来上った答案と見なければなりません。世の中へ出て行って、どんな恋があるか探索して来いと云う命令に基いた、報告書と見ては見当が違います。したがって客観的価値の少ないものができたのであります。真と認められないものになりました。だからこの話を聞くと、マグダの結末ほどには、はあなるほど、こうもあろうとか、こうあるかも知れないねと云う気にはなりません。しかしながらその代りに、ごもっともだ、こうもありたいね、こうあれかしだと云う気にはたしかになれます。あれかしと云う語は裏面に事実じゃないと云う意味を含んでおりますから、つまりは嘘だと云う事に下落してしまいます。この下落が烈しくなるととうてい読めなくなります。馬鹿馬鹿しくなります。例えば今の話しでも、もし船のあとを跟けるものが、幽霊でなくって、本当の女が、波の上をあるいて来て、ちょいと、あなたとか何とか云って手招ぎでもしたらそれこそ奇蹟になります。幽霊ならば、有るとも無いとも証明ができないだけで済みますが、生きた人間が波の上を歩いては明かに自然の法則を破っております。いくら、かくあれかしと思ったって、冗談じゃない、おのろけも好い加減にした方がよかろうと申したくなります。人を馬鹿にするにもほどがあらあね、まるで小供だと思っていやがると本を抛げ出すかも知れません。して見ると私が前段に申した意味が自から御明暸になりましたろう。すなわちいかな主観的な叙述でも、ある程度まで真を含んでおらんと読みにくいものである、そう截然と片っ方づけられるものじゃないと云う事であります。この幽霊のごときは極端の極端の例であるから、積極的に真を含んでおらんとも云えましょうが、むやみに真を打ち壊しているものでないと云う事だけは、さきの説明で明らかでありましょう。しかも読んで馬鹿馬鹿しくならんのは全くそのお蔭である以上は、真の分子がいかに叙述の上に大切であるかが分るでありましょう。  客観、主観、両態度の目的と関係はほぼ説きつくしましたから、これから両者の特性について少し述べたいと思います。すでに両者の関係やら目的を述べる際にも自然の勢で、不知不識の間にこの問題に触れているのはもちろんでありますから、その辺は御斟酌の上御聞を願います。  さて客観的態度から出た句もしくは節、もしくは章、大きく云えば一篇――そう純粋に行くものでないのはたいてい御分りになりましたろうが、まああると仮定して――それからかの歴史的に発達した自然派写実派――これも厳密に議論したら純粋のものが、あるかどうか存じませんが、まああるとして、この二派をこの方面に編入しておいて論じます。もっとも自然派も写実派も、真本位ではないと主張されると、それまでで、やめにするだけであります。または真本位だけれど御前のいわゆる真じゃないと云われると、やっぱりやめにしなければなりません。がたいていのところで真の解釈は折合がつきそうに思いますし、かつ歴史を眼中に置かないで立てた私の議論と、全く歴史的に起った流派とを、結びつけられれば、結びつけて考えますと、大分諸君にも私にも興味があるからこう致したので、よしや自然派や写実派がこの部門から脱走致しても、私の議論はやっぱり議論になるだろうとは思われます。そこでこの部門の主要な目的は前に申すごとく真を発揮するに存する事は別に繰り返す必要もございますまい。すでに真が目的である以上は好悪の念を取りのけなければなりません。取捨と云う事を廃さなくってはなりません。と云うと諸君はこうおっしゃるかも知れない。真が目的なら真を好むのだろう、よし好まないまでも、偽を悪む訳だろう。真を取り偽を棄てるのは自然の数じゃないか。なるほどそうであります。しかし文字の上でこそ真偽はありますが、非我の世界、すなわち自然の事相には真偽はありません。昨日は雨が降った、今日は天気になった。雨が真で、天気が偽だとなると少し、天気が迷惑するように思われます。これを逆にして、それじゃ雨の方が偽だと云っても、雨の方が苦情を云うだろうと思います。だから大千世界の事実は、すでにその事実たるの点においてことごとく真なのであります。この事実は真だから好きだ、この事実は偽だから嫌だと、どうしても取捨はできない訳であります。真偽取捨の生ずる場合は、この客観の事相を写し取った作物そのものについてこそ云われべきものであります。詳しく云えば、傍観者がこの作物を自然そのものと比較するとき、もしくは甲の作と乙の作とを自然を標準として対照する時に始めて真偽ができ、取捨ができ、好悪が生ずるのであります。だから客観的態度で叙述した詩文には偽があるかも知れません、またあるはずであります。けれども客観的態度で向う世界には、偽は始めから存在しておらん、少なくとも真だけだとしなければ、最初から真の価値を認めないのと同様の結果に陥ります。だからいやしくも真を本位として筆をとる以上は好悪の念を挟む余地がない事になります。したがって取捨はないと一般に帰着致します。たとえば隣りに醜くい女がいる。見ても厭になるとおっしゃる。それはどうでも御随意でありましょうが、いくら醜くっても何でも現にいるものはいるに相違ありません。醜くいから戸籍に載せないとなった日には、区役所の調べはまるで当にならない事になります。偽りになります。気に喰わない生徒だからと云って点数表から省いたら、学校ほど信用のできない所はなくなるでしょう。して見ると、真を写す文字ほど公平なものはない。一視同仁の態度で、忌憚なく容赦なく押して行くべきはずのものであります。ブルンチェルがバルザックを論じたうちにこんな句があります。自然派作家には、蛆よりも象の方を大切だと考える権利がない。もちろん生物学上の発達から云ったら、象の方が重要な位地を占めているかも知れないが、何もこれは自然派作家が自分の意志で随意に重要にした訳ではない。――面白い句であります。すでに公平無視の立場でありますから、問題の撰択がない。撰択がないと云うのは、意識界に落つるものがことごとく焦点になってしまうと云う訳ではありません。意識界のどの部分も比較的自由に焦点になり得ると云う意味であります。毛嫌をしないと云う事であります。あるものだけに注意が向いて、その他には頑強の抵抗があって、気が向けられないというような状態におらない事を指すのであります。だからもう一つ言葉を換えて云うと叙述すべき事相に自己の評価を与えて優劣の差別をつけないと云う事にもなります。例えば美くしい女と差し向いになる。――ありがたい。――女が恋の物語をする。――嬉しい。――ところで急に女が欠伸をする。――と急に厭になる。厭になったからと云って、そこだけ抜きにしてしまったら、抜かしただけが事実に叶わなくなる。しかし事実を書くからには、真を写すと云うからには、いたずらに好悪の念だけで欠伸を棄てべきものではないはずでありましょう。真に妨げなきものとして略すとこそ云うべきでありましょう。また別の例を挙げて見ますと、ここに一人の医者があります。ある患者の病症を確めるために検尿をやる、あるいは検便をやる。わきから見るとずいぶんきたない話であります。しかし本人は別に留意する気色もなく、熱心に検査をする。尿なり便なりの成分を確めるまでは是非やります。もし、きたないから好加減にしてやめると云う医者があったらそれこそ大変であります。医者の職分を忘れたものであります。医者ばかりではありません、学者でもそうであります。動物学者が御苦労にも泥溝の中から一滴の水を取って来て、しきりに顕微鏡で眺めています。たくさん虫が見えるでしょう。しかしみんな裸体に違ない、のみならず時々はいかがわしい状態をするかもしれない。覗き込んでいる動物学者がこの有様を見て、いやこれは大変だ風紀に害があるから、もう研究をやめよう。と云う馬鹿もないでしょうが、あったらどうでしょう。非常に道徳心の高い動物学者には相違ないでしょうが、しかし真理の研究者としてはほとんど三文の価値もないと申さなければなりません。文学者もその通りかと存じます。真を目的とする以上は、真を回避するのは卑怯であります。露骨に書かなければなりません。大胆に忌憚なく筆を着けなくっては、真に対して面目のない事になります。けれども真に向って進む人が必ずしも好悪のない人とは申されません。真に向って進む間だけ好悪の念を脱却するのであります。尿を検査する医師がいつでも尿に無頓着とは受け取れません。無頓着ならば食卓の上に便器があっても平然として食事ができるはずであります。虫の交尾するところを研究する動物学者だって、虫以外の万事までにその態度を応用する勇気はないでしょう。ただ真を研究する時だけ他を忘れ得るほどに真に熱中するのであると解釈しなければなりません。真を写す文学者もこの医者や動物学者と同じ態度で、平生は依然として善意に拘泥し、美醜に頓着し、壮劣に留意する人間である事は争うべからざるの事実であります。柳は緑、花は紅、そのほかに何の奇があると云います。しかし実際はこう素気ない世の中ではありません。柳に舟を繋ぎたくなったり、花の下で扇を翳したくなるのが人情であります。  そこでこう云う事が起ります。真を描く文学は、真を究めさえすればよろしいとなる。その結果他の情操と衝突しても、まあ好いとする。――読者の方では好いとしないかも知れませんが――しかしながら真は取捨なき事相であります。公平の叙述であります。好悪の念を離れたる描写であります。したがって褒貶の私意を寓しては自家撞着の窮地に陥いります。ことに作以外の実際において、約束的にせよ善に与し悪を忌み、美を愛し、醜を嫌うものが、単に作物の上においてのみ矛を逆まにして悪を鼓吹し、醜を奨励する態度を示すのは、ただに標準を誤まるのみならず、誤まった標準を逆に使用している点において二重の自殺と云われても仕方がありますまい。書籍を買う条件で国から為替を取り寄せて、これを別途に支弁するからが、すでに間違っているのに、使い道もあろうに身を持ち崩すために使い果したとあっては、申し訳が立つ立たないの段ではありません、頭のよくない人だと云われても仕方があるまいと思います。幸い今日の日本には、こう云う作家は見当りませんが、自然派の趨勢一つでは、向後この種の作物がいつ何時あらわれて来ないとも限りませんから、御互に用心をしたら善かろうと存じていささか愚存をつけ加えました。  真を写す文学の特性はほぼこれで明暸になりましたから、進んで善、美、壮を叙してこれに対する情操を維持しもしくは助長する文学の特性に移ります。しかしこれは前段と相待って分明になるべき関係的のものでありますから、私の申し上げべき事の影法師はすでに諸君の御認めになったはずであります。すなわち客観的態度の公平なるに対して、この態度の不公平――不公平と云うとおかしく聞えますが、好悪に支配せられる事であります。意識の幅の一カ所だけが焦点にならなくてはならないのが原則で、この焦点は注意できまるのでありますから、もし好悪が注意に関係するとすれば、好悪のはげしいものには注意が余計集まる訳になります。したがって好悪が焦点を支配致します。さてこの意識の内容を紙へ写す際には好は好、悪は悪で判然と明暸に意識された事でありますから、勢い悪の方すなわち嫌な事、厭なもの、は避けるようになるか、もしくはこれを叙述するにしても嫌いなように写します。厭だと云う意味が分るようにして写します。最後には自己の好きなもの、面白いものを引き立てるための道具として写します。したがって叙述が評価的叙述になります。もっとも評価はあらわでない含蓄的の場合が多いかも知れませんが、ともかくも好悪の両面を記述して、しかも公平に記述すると云う事は、あたかも冷熱の二性を写して、湯と水を同一視しろと云う注文と同じ事で、それ自身において矛盾であります。もし双方を叙する以上は勢い評価せねばならぬ事となります。のみか、たとい好きな方面だけを撰ぶにしても、撰ばれたものがことごとく一様の価値として作者の眼に映らない以上は、やはり表向きでも、内々でもいいから、評価のあらわれるようにしなければなりません。この意味で、この種の文学ではブルンチェルのいわゆる無取捨と云う事が不可能になるのであります。撰択と云う事が、あながちに甲はとる、乙は捨てると云う意味だと思うと誤解が生じやすうございますからちょっと弁じておきました。こう云う性質の文学であるからして、この種の文学には、真を写す文学に見出し難い特徴が出て参ります。すなわち作物を通じて著者の趣味を洞察する事ができると云う便宜であります。もし我々の趣味がいわゆる人格の大部を構成するものと見傚し得るならば、作を通して著者自身の面影を窺がう事ができると云っても差し支ないでありましょう。それで著書の趣味が深厚博大であればあるほど、深厚博大の趣味があらわれる訳になりますから、えらい人がこの種の文学をかいて、えらい人の人格に感化を受けたいと云う人が出て来て、双方がぴたり合えば、深厚博大の趣味が波動的に伝って行って、一篇の著書も大いなる影響を与える事ができます。しかし個人に重きを置かない社会にあっては、ヒーローを首肯わない世においては、自他の懸隔差等を無視する平等観の盛んな時代においては、崇拝畏敬の念を迷信の残り物のごとく取り扱う国柄においては、思うほどの功果の出て来ないのはもちろんであります。したがって著作家は立派な趣味を育成したり、高尚な嗜好を涵養したり、通俗以上の気品を修得する事が不必要になって参ります。つまりは事相に対する評価を、世間が著作家に対して要求しないからであります。御前方は真相を与えればいい、評価の方はこちらで引き受けるからと云う読者ばかりになるからであります。我々の知りたいのは事実である、著者は事実を与える媒介者として、重きを置く必要はあろうが、著者自身の人格や、趣味や、評価は、かえって迷惑だと云う読者ばかりになるからであります。迷惑は聞えておりますが、迷惑と感じる人が、各々自己に相当の評価的標準を具して、その標準で評価しつつ作に向うか向わないかが疑問であります。もし向わないとすると、その結果は人間がだんだん不具になります。自己の趣味は――趣味のない人は全然ありませんが――同趣味のものと、接触するために、涵養を受けるので、また異趣味のものに逢着するために啓発されるので、また高い趣味に引きつけられるがために、向上化するのであります。そうして世の中の運転は七分以上この趣味の発現に因るのでありますから、この趣味が孤立して立枯れの姿になると、世の中の進行はとまります。とまらない部分は器械のように進行するのみであります。「誰さんは金が欲しいために、奥さんを離別しました」「そうか、それも一つの事実さね」「あの男は芸者を受け出すために泥棒をしたそうです」「はあ、それも一つの事実さね」「誰さんは、ちっとも約束を守らないで困りますよ」「なるほどそれも一つの事実だね」――こう事実ずくめで、ひどい奴だとも感心な男だとも思わなかった日には、懐手をして、世の中を眺めているだけで、善にも移らないし、悪をも避けないし、壮挙をも企て得ないし、下劣をも恥じないし、花晨月夕の興も尽きはてようし、夫婦としても、朋友としても、親子としても、通用しない人間になるでしょう。  ここまで来て、気がついて見ると、客観、主観両方面の文学には妙な差違が籠っております。純乎として真のみをあとづけようとする文学に在っては、人間の自由意思を否定しております。たとえばここに甲があって、ある憤りの結果、乙を殺す。罪を恐れて逃げる。後悔して自殺する。と仮定すると、憤りが源因で人を殺して、人を殺したのが源因で、罪を恐れるようになって、それがまた源因になって、後悔して、後悔の結果ついに自殺した事になりますから、かくのごとく層々発展して来る因果の纏綿は皆自然の法則によってできたものと見なければなりません。殺すのも、恐れるのも、悔ゆるのも、自殺するのも、けっして当人が勝手にやった訳ではない。殺して見ると、厭でも応でも恐れなくっちゃいられなくなり、恐れると、どんなに避けようとしても悔恨の念が生じ、悔恨の念は是非共自殺させなければやまないように逼って来る。この階段を踏んで死ななければならないような運命をもって生れた男と見傚すよりほかに致し方がなくなります。さっき用いた言葉で分るように申しますと、この男の所作は評価を離れたものになります。毀誉褒貶の外に立つべき所作であります。柳は緑花は紅流の死に方であります。したがって人殺しをした本人を責める訳にも、自殺をした本人を褒める訳にも参らなくなります。もし責めるなら自然を責めなくってはなりません。褒めるにしても自然を褒めるより致し方がなくなります。人間に義務を負わせる代りに、神か何かに義務を負わせなければならなくなります。ところが情操を本位とする文学になると、好悪があり、評価があるんだから、篇中人物の行為は自由意志で発現されたものと判じてかからなければならない。右へも行ける。左へも行ける。のに彼は右を棄てて左へ行った。だから、えらいとなります。感心だとなります。彼自身の意志の働らきで、やった行為であればこそ、その行為者に全部の責任を負わせる事ができ、できるからその責任者たる当人が責められる資格もあり、また褒められる資格もあるのであります。もし自分がやったんじゃない、因果の法則がしでかしたのだと、たかを括っていたらば、行為そのものに善悪その他の属性を認め得るにしても、行為をあえてしたる本人には罪も徳もない訳になります。こうなって来ると人間の考が大分違って来なければなりません。自分は自然に生みつけられて、自然の命ずる通りをやるんだから、罪を犯しても、悪を働らいても仕方がない。恨んでくれるな、嫉んで貰うまいと落ちて来る。だから大きな顔をして、不都合な事を立ちふるまうようになるでしょう。それでは御互が迷惑する。社会が崩れて来る。文学の目的が直接にこの弊を救うにあるかどうかは問題外としても情操文学がこの陥欠を補う効果を有し得る事はたしかであります。しかもこの情操の供給を杜絶すれば、吾人に大切な涵養物を奪われたると一般で日に日に痩せ果てるばかりであります。  両種の文学の特性は以上のごとくであります。以上のごとくでありますから、双方共大切なものであります。けっして一方ばかりあれば他方は文壇から駆逐してもよいなどと云われるような根柢の浅いものではありません。また名前こそ両種でありますから自然派と浪漫派と対立させて、畳を堅うし濠を深こうして睨み合ってるように考えられますが、その実敵対させる事のできるのは名前だけで、内容は双方共に往ったり来たり大分入り乱れております。のみならず、あるものは見方読方ではどっちへでも編入のできるものも生ずるはずであります。だから詳しい区別を云うと、純客観態度と純主観態度の間に無数の変化を生ずるのみならず、この変化のおのおののものと他と結びつけて雑種を作ればまた無数の第二変化が成立する訳でありますから、誰の作は自然派だとか、誰の作は浪漫派だとか、そう一概に云えたものではないでしょう。それよりも誰の作のここの所はこんな意味の浪漫的趣味で、ここの所は、こんな意味の自然派趣味だと、作物を解剖して一々指摘するのみならず、その指摘した場所の趣味までも、単に浪漫、自然の二字をもって単簡に律し去らないで、どのくらいの異分子が、どのくらいの割合で交ったものかを説明するようにしたら今日の弊が救われるかも知れないと思います。今日の日本の批評は山県は長州人だ大山は薩州人だというような具合に傾いていはしないかと考えられます。それよりも山県はこんな人、大山はこんな人と解剖しまた綜合する方が二元帥を評する適当の方法かと存じます。それでも長州薩州は地図の上で動かすべからざる面積を持っておりますから、まだ混雑が少ないようですが、歴史の流を沿うて漂いついた二派は名前は昔の通りですが内容は始終変っておりますからなお不都合であります。だから、もし作物を本位としないで、主義を本位とするならば主義の意義を確然と定めて、そうしてその主義のもとに、その主義に叶う局部を排列して、この主義の実例とするが適当だろうと思います。一つの作物と、一つの主義をアイデンチフワイしなければ気がすまないような考は是非共改める事に致したいと思います。これから先き文学上の作物の性質は異分子の結合でいよいよ複雑になって参りますから、幾多の変態を認めなければならないのは無論の事であります。したがって、二三の主義を終古一定のものとして、万事をこれで律せんとするのみならず、律せんとする尺度の年々に移り行くのを咎めないのは、将来出現の作家には不便宜の極で、かつ批評家の無責任を表白するものではないかと存じます。  客観、主観両面の目的、特性、必要、関係等はほぼ述べ終りました。以上は大体の御話であります。固より普遍的の論で一般に通ずる説とは信じますが、今日の日本においていずれが比較的必要かと云うと、少しは特別の問題になりますから、この点を一応調べた上、演説の局を結ぼうかと思います。情操文学の目的は情操を維持し、啓発し、また向上化するにあるとは私の前に述べた通りであります。さて与えられたる情操は与えられたる事相に附着しております。たとえば孝と云う情操は親子の関係に附着しております。ところが親子の関係は社会上複雑な源因からして、わが日本では著るしく変って参りました。この関係が変われば、孝と云う情操の評価もしだいに変らなければならない訳になります。しかるに旧来の親子関係に附着したままの評価を与えて、孝を叙述していると、在来の孝心を維持するか、もしくは不孝のものを啓発するか、または一層孝心を深くするための叙述になります。今日は孝の時代でないから親を粗末にして好いと誰も云うものはありませんが、昔のように絶対的評価をつけて叙述するのは、どうでありましょう。孝と云う字は現に勅語にもあって大切な情操には相違ございませんが、昔日のように親が絶対的権威を弄する事を社会の有様が許さない以上は、多少その辺に注意を払った適度の評価をしなければなりますまい。もしこれを在来のままで絶対評価をもって叙述すると時勢後れになります。せっかくの目的が達せられなくなります。昔は親のために身を苦海に沈めるのを孝と云ったかも知れない。今日の我々から見ても孝かも知れないが、よし娘が拒絶したって、事柄が事柄だから不孝とは思いますまい。それだけ孝の評価が下落したのであります。これを西洋人に云わせると、頭からてんで想像し得られないと云います。西洋へ行くと孝の評価がまた一段下がるのであります。こういう風に評価が変って行くのはつまるところ、前に云った社会状態の変化に基いた結果にほかならんのでありますから、この状態の変化を知りさえすれば、旧来の評価を墨守する必要がなくなります。これを知らねばこそ煩悶が起ったり矛盾が起ったりして苦しむのであります。こういう時に誰か眼の明きらかな人が、この状態の変化を知らせる、――すなわち客観的に叙述すれば、読者ははあなるほどと思うので、大変な解脱になります。それで読む人はありがたがる。書く人は成功する。ばかりじゃない、傍から見ても、旧来の評価を無理に維持しようとする情操文学よりも必要の度が多いでしょう。  次に日本では情操文学も揮真文学も双方発達しておりませんのは、いくら己惚の強い私も充分に認めねばなりませんが、昔から今日まで出版された文学書の統計を取って見たら、無論情操文学に属するものが過半でありましょう。のみならず作物の価値から云ってもこの系統に属する方が優っているようであります。それは当然の事で客観的叙述は観察力から生ずるもので、観察力は科学の発達に伴って、間接にその空気に伝染した結果と見るべきであります。ところが残念な事に、日本人には芸術的精神はありあまるほどあったようですが、科学的精神はこれと反比例して大いに欠乏しておりました。それだから、文学においても、非我の事相を無我無心に観察する能力は全く発達しておらなかったらしいと思います。くどくなりますから、例も引きませんが、これだけで充分|御合点は参るだろうと存じます。これを別方面の言葉で云うと、子はみんな孝行のもの、妻は必ず貞節あるものと認めていたらしいのであります。だから芝居でも小説でも非常な孝行ものや貞節ものが、あたかも隣り近所に何人でもいるかのごとき様子であらわれて参るのみならず、見物や読者もまた実際にいくたりでも存在しているうちの代表者だと云わぬばかりの顔つきで、これに対していたのであります。いたのでありますと云うと私が元禄時代から生きていたように当りますが、どうもそうに違いないと思います。あんな芝居や書物を見る人は、真面目に熱心に我を忘れて釣り込まれていたに違ないんでしょう。それでなければ今日まで伝わる前にとくに湮滅してしまうはずであります。そうすると、ある御嬢さんは朝顔になったり、ある細君は御園になったり、またある若旦那は信乃や権八の気でいたんでしょう。そりゃ満足でしょう。自己の情操を満足させるという点から云ったら満足に違ない。自分ばかりじゃない、自分の子や女房や夫をこんなものだと考えていたら定めし満足に違いない。もっともあの時代に出てくる悪党はまた非常なものでとうてい想像ができないような悪党が出て来ますが、これは善人を引き立てるためなんだから、こちらには誰もなろうと志願するものはないから安心です。それじゃ善と悪の混血児はというとほとんど出て来ないんだから、至極単簡で重宝であります。こう云う訳で一家町内芝居へ出てくるような善人で成り立っていたのであります。それじゃ天下太平なものでありそうだのに、やっぱり夫婦喧嘩も兄弟喧嘩もありました。あったに違なかろうと、まあ思うのです。しかもこの喧嘩が彼らが完全なる善人であったと云う証拠になるから、不思議であります。ちとパラドックスになり過ぎますが、およそ喧嘩のもとは御互を完全の人間と認めて、さてやってみると案外予期に反するから起るのであります。だから喧嘩をするためには理想が必要であります。次にこの理想と実際とは一致しているものだと認める事が必要であります。今日も喧嘩は毎日ありますが、何も理想的人物でないから癪に障るというような野暮は中学生徒のうちにも、まあないようで至極便利になりました。その代り人間の相場はいささか下落致したようなものの結句こっちが住み安いかのように存ぜられます。ところが旧幕時代には、みんな理想的人物をもって目され、理想的人物をもって任じていたのでありますから、大変窮屈でございましたろう。何ぞと云うと、町人のくせになかと胸打などを喰います。女房のくせに何だむやみにふくれてなどとどやされます。子供のくせに何だ親に向って口答をしてなどとやり込められます。とかく何々のくせにと、くせが流行した世の中であります。癖にの流行る世の中ほど理想の一定した世の中はないのであります。町人はかくあるべきもの、女房はかくすべきもの、子供はかく仕えべきものと、杓子定規で相場がきまっております。もっともこれは双方合意の上でなければ成立しない訳でありますから、町人の方でも、子供の方でも、女房の方でも、どんな理想的人物をもって予期されても、立派にその予期を充たすつもりでいたのであります。したがって自分は天下一の孝行者で、天下一の貞女で、天下一の町人――は、ちとおかしいが、何しろ立派なものと心得ていたんでしょう。この己惚れていれば世話はない。たいていの事が否応なしに進行します。万事が腹の底で済んでしまいます。それで上部だけはどこまでも理想通りの人物を標榜致します。ちと偽善になるようですが、悪徳の天真瀾漫よりは取り扱いやすいから結構です。中には腹の底で済んだなとさえ気がつかないでいるものもたくさんあったそうです。  この有様で御維新まで進んで参りました。それから科学が泰西から飛んで参りました。今日まで約四十年立ったので、大分趣が変って参りました。科学の訓練を経た眼で、人を見たり、自分を見たりする事が大分|流行って参りました。しかしこの精神が一般に行き渡っていないため、かつはあまり大切でないため今日まであまり進歩しておりません。なぜ大切でないかと考えて見ると面白いのであります。自分で自分の腹の中を検査して見ると、そう自慢になる事ばかりはありゃしません。自分ながらあさましい事もたくさん出て来ます。しかしいくら浅間しいものが見当った見当ったと云って触れて歩いたって、自分の恥になるばかりで、あまり発明家として尊敬を払っては貰えません。だからせっかく発見しても黙ってる方が得策であります。骨を折って、探がし当てて、自分一人で気持をわるくして、そうして苦い顔をして塞いでいるのも、あまり景気のいいものでもありませんから、つい遠慮が無沙汰になりがちで、吾身で吾身が分ったような、分らないような心持でその日その日とぶらついております。こうしていれば、いつまで己惚れていたって、変事が起らない限りは大丈夫、己惚れつづけに己惚れて死ねますから、せっかく土をかけた所を掘り返して腐った死骸をふんふん嗅いで見るなんて、むく犬の所作をするには及ばん仕儀になります。私もその一人であります。私の妻もその一人であります。折々はあれでも令夫人かと思う事もありますから、向うでも、あれがわが郎君かと愛想をつかす事もあるんでしょう。それでも私は立派な夫のつもりですましていますから、奥方の方でも天下の賢妻をもって自任しておられる事と存じます。かようの己惚は存外多いもので、諸君まで私共の仲間へ引き入れるのは恐縮でありますが、なるべく勢力範囲を拡張しておく方が勝手でありますから、遠慮のないところを申しますと、滔々たる天下皆然りと申しても差支ないかも知れません。腹の奥の方では博士を宛にしていながら、口の先では熱烈な恋だなどと云うのがあります。そうかと思うと持参金が欲しいような気分を打ち消して、なにあの令嬢の淑徳を慕うのさとすましきっています。それで偽善でも何でもない、両方共|真面目だから面白いものです。そこで我々のような観察力の鈍いものは、なるべく修養の功を積んで、それから、大胆な勇猛心を起して、赤裸々なところを恐れずに書く事を力める必要が出て参ります。  それでは今日の文学に客観的態度が必要ならば、客観的態度によって、どんな事を研究したらよかろうと云う問題になります。私は私の気のついた数カ条を御参考のために述べて、結末をつけます。  第一は性格の描写についてであります。これは小説とか劇とかに必要なもので、作家がこの点において成功すれば、過半の仕事はすでに結了したものとまで思われております。そこで俗に成功した性格とはどんなものかと調べて見ると活動の二字に帰着してしまいます。またどう考えてもこの二字以外には出られないように思います。しかし、活動にもいろいろあるがいかなる意味の活動か一と口に云えるかと聞かれると、少し臆断過ぎるようですが、私はこう答えても差支ないと考えます。普通の小説で、成功したものと称せられている性格の活動は大概矛盾のないと云う事と同一義に帰着する。これを他の言葉で云いますと、ある人が根本的にあるものを握っていて、千態万状の所作にことごとくこのあるものを応用する。したがって所作は千態万状であるが、これを奇麗に統一する事ができる。しかもこれを統一するとこのあるものに落ちてしまう。なお言い換えると、描写された性格が一字もしくは二三字の記号につづまってしまう。勇気のある人、親切な人、吝嗇な人と云った風に簡単になる、すなわち覚えやすくなる。まあ、こんなものではなかろうかと思います。つまりは、一篇の小説に一定の意味があって、この意味を一句につづめ得るのを愉快に思うように、同じく一句につづめ得る性格をかき終せたものが成功したような趣が大分あります。しかしこの意味で成功した性格は、個人性格の全面を写し出したものではありません。個人の全面性格のある顕著な特性を任意に抽出して、抽出しただけを始めから終まで貫ぬかして、作家にも読者にも都合のいい性格を創造したものであります。しかも自然の法則に従って創造したものではなくって、小説の世界に便宜を与うるために、ある程度まで自然の法則を破って、創造したものであります。普通の場合において、個人の性格中のある特性が、その個人の生涯を貫ぬいている事は事実であります。がこの特性だけで人物が出来上っておらん事も事実であります。のみか、この特性に矛盾反対するような形相をたくさん備えているのが一般の事実であります。だから諺にも近侍の眼から見れば英雄もまた凡人に過ぎずと申します。極めて簡単で例にならんほどの例でありますが、人事には大変冷淡な人が、健康だけには恐ろしく神経過敏に見える事があります。家族には無愛想極まっても朋友にはこの上なく叮嚀な男もございます。こう云う点を詳しく調べてみたらば、あるいは矛盾のある方が自然の性格で、ない方が小説の性格とまで云われはしますまいか。  そこで小説家、戯曲家うちでもこの点に注意し出して、ついに矛盾の性行をかくようになりました。そうして読者もこれを首肯するようになりました。柔順であった妻君が、ある事情のもとに、急に夫に反抗して、今までに夢想し得なかった女丈夫になるというような例であります。しかしこれは在来の叙述を一歩複雑の方面へ進めたものに過ぎません。と云うのは、明かに矛盾した特性をことさらに並べて、対照の結果読者の注意をこの二焦点に集注するからであります。だから性格の複雑という事だけを眼中に置いて見ると、これはまだまだ単調のものであります。だからあくまでも客観的に性格の全局面を描出しようとすれば、今までの小説や戯曲にあらわれたよりも遥かに種々な形相が出て来る訳であります。そうして形相が異なるに従って、相互の間に一致がないように見えて来るのは、やむをえぬ結果であります。したがって描写が客観的に微妙であればあるほど、纏まりがつかぬ性格ができやすいでしょう。一言にして蔽う事のできない性格になりやすい、記憶に不便な性格になりやすいでしょう。要するに大変できのわるい、下手にかいた性格のように見えてくるでしょう。従来のかき方は、ここに風邪を引いた人があるとすると、その人の生涯を通じて、風邪を引いた部分だけを抽き抜いて書くのですから、分りやすく明暸になる代りにははなはだ単調にして有名なる風邪引き男が創造されてしまいます。本来を云うと病気の時と、丈夫な時と、病気でも丈夫でもない時と三通りかいて、始めてその人の健康の全局面が、あらわれると云わなければなりません。しかし、そうすると、どうしても散漫に見えます。要領を得ないように見えて来ます。風邪でもこの通りですが、性格はこれよりも遥かに複雑であります。例えばAなる性格の第一行為をA1とすると、A1からして類推のできるA2A3A4を順次に描出して行けば、全局面は無論出て来ない。たいていは一特質の重複に近くなります。もしA1A2A3A4が因果の法則で連結されておって、この諸行為の内容に密接な類似を示すときは、重複が変じて発展となります。発展ではあるがA1が基点であって、そのA1は全性格の一特性であるからして、A1の発展もまた全性格の発展と見傚す訳には参りません。私はこの種の重複でも発展でも文学上価値のないものと断言するのではないのですが、そちらはすでに大分ある事だから、全性格の描写と云う方に客観的態度をもって少しく進んでみたら開拓の余地がたくさんあるだろうと思います。その代り在来の小説を読んだ眼から見れば、散漫になります、滅裂になりやすいです、または神秘的に変じましょう。しかし吾人が客観的描写に興味を有してくると、漸々この散漫と滅裂と神秘を妙に思わないような時機が到着しはせまいかと思われます。言葉を換えて云うと形式の打破をある程度まで意に留めなくなりはせまいかと考えるのです。しかし一応は御断りを致しておきます。吾々の世界はすでに冒頭において述べた通り撰択の世界であります。光線にしても、音響にしても、一定の振動数以上もしくは以下のものは、見る事も聞く事もできない有様でございます。性格の全部と云ったところで、全部がことごとく観察され得るとは申しません。無論比較的と云う文字を挿入して御考を願うよりほかに致し方がありません。それから客観的態度で時間の内容を写して行くとこの連続が因果になるには相違ありませんから、いくら散漫でも滅裂でも神秘でも因果を離れるとは申されません。ただその因果が、因果の律にまとめられるほどに、経験上熟知されていないから、散漫で滅裂で神秘と見るまでの事であります。だからこの種の因果の経験を繰り返して、その中から因果の律を抽象する事ができると同時に、散漫は統一に帰し、神秘は明白になります。  性格の解剖についでは、心理状態の解剖であります。最も性格と関係があるのは無論でありますが、一言にして云うと今日の人の心的状態は昔しの人の心的状態より大分複雑になっておりますからして、同一の行為でも、その動機が遥かに趣を異にしている訳で、そこを観察したら、充分開拓の余地があると申す意味でございます。例えばここに一人の男があって人殺しをする。なぜ人殺しをしたかと云うに人殺しが目的ではない、ほんの方便で、人殺しをしたあとの心持ちを痛切に味わってみたいというような芸術家が出て来たとするならば――まだあんまり出ないようですが――どうでしょう。いくら説明したって元禄時代の人物には分らないにきまっている。というものはこの男の人殺しに対する評価は、人殺しから生ずる自己の心裏の経験に対する評価より遥かに相場が安いのであります。平たく云えば人殺しと云う事をさほどわるく思っていない。のみならずわざと罪を犯しておいて、犯したあとの心持を痛切に味わうというような込みいった考えはとうてい大石良雄や室鳩巣などに分るものではありません。もちろん今の人にでも分らんかも知れませんが、今の人ならばほぼ想像はつきますから、それまで複雑なのに違ありません。また恋と云う一字でもこの頃になると恋という一字では不充分なくらい種類ができはしまいかと思われます。すでに沙翁のかいたものでも分ければ幾通りにも分けられる恋が書いてありますが、近代に至るとその区別がますます微細になりはせぬかと思われます。ゴンクールの書いたラフォースタンと云う小説のなかにはこんなのがあります。有名な女優があって、この女優がある英国の貴族と慇懃を通じたままそれぎり幾年か音信不通の姿でおりましたところ、貴族の方では急に親が死んで、莫大の遺産を相続するような都合になったので、今は結婚その他の点についても何人も喙を挟む事のできない身分でありますから、多年恋着していた婦人を正式に迎えるのはこの時と云うので、狂うばかりに喜んで、仏蘭西へ渡りますと、女の方も固より深い仲の事でありましたから、泣いて分れたその日の通り大事に男の事を思いつづけていた折で、無論異存のあるはずはございません。めでたく結婚致します。それだけだとこれも陳腐なのですが、これから先が山であります。さて結婚をしてみると夫の方では金に不足のない身ではあるし、女房を女優にしておくのは何となく心配ですから、もう廃業したら善かろうと云う相談を持ちかけます。ところが細君の方はもともと役者が性に合っている訳なんだからかどうか分りませんが、何となく廃めたくなかったのであります。しかし可愛い男の云う事だから、厭な心を抑えて亭主の意に従います。それから二人で非常な贅沢をやります。嬉しい中でいっしょになって、金を使いたいだけ使うんだから、幸福でなければならないはずですが、そこが妙なもので、細君が女優をやめてからというものは何となく気色が勝れなくなります。いくら夫が機嫌をとっても浮き立ちません。と云って固々憎い男ではないんだから粗略にする訳はない。しんそこ夫の事はいとしく思っているのであります。ただ心が陽気になれないだけなのですが、夫の方では最愛の細君の一顰一笑も千金より重い訳ですから、捨ておかれんと云うので慰藉かたがた以太利へ旅行に出かけます。しかるに男は出先で病気に懸ります。細君は看病に怠りはございませんが、定業はしかたのないものでとうとう死んでしまいます。その死ぬ少し前に例の通り細君が看病のため枕辺へ寄り添いますと、男はいつになく荒々しい調子で、手をもって細君を突き退けるばかりに、押し返して、御前は必竟芸術家だ。本当の恋はできない女だと云うのです。それが結末であります。御前は必竟芸術家だ本当の恋はできない女だ。これが一種の恋でありましょう。有名なルージンの恋も普通一般の恋ではありません。ルージン一流の恋であります。ズーデルマンの書いたフェリシタスの恋などはもっとも特色を帯びた一種の恋のように思います。これが日本の昔であってみると、大概似たもののように見えます。八重垣姫の恋も、御駒才三の恋も、御染久松の恋も、まあ似たり寄ったりであります。なぜ似たり寄ったりかというと、異種類の恋はなかったと解釈する事もできますしまた、観察力が鈍かったからだと断定する事ができますが、まず両方と見ておきましょう。がまずざっと、こんな訳でありますから、かように複雑になりつつある吾々の心のうちをよく観察したら、いろいろ面白い描写ができる事だろうと思います。  あまり長くなりますから、あとはなるべく手短かに指摘して通り過ぎるくらいに致します。次には、人生の局部を描写して、これを一句にまとめ得るような意味を与える事であります。落語家のいわゆる落ちをつけた小説のようなものになります。これは近頃大分流行致しておりますから、別段|布衍する必要もございますまい。ただ御注意だけに留めておきます。前の例などもここに応用ができます。「御前は必竟芸術家だ。本当の恋はできない」これが一篇の主意の落着するところであります。ただし落ちを取る目的は綜合にあるので、前の二カ条は解剖が主でありますから、目的の方角は反対になります。だからちょっと区別しておきました。  次には、人生において、容易に注意を払っておかなかった現象、したがって滅多にない事という意味にもなりますが、この方面にも大分新らしい材料がある事と思われます。この間友人からこんな話を聞きました。その男の国での事でありますが、ある芸妓がある男と深い関係になっていたのだそうで。その両人がある時船遊びに出ました。そこいらを漕ぎ廻った末、都合のいい磯へ船をもあいまして、男が舟を棄てて岸へ上りました。ところが岸辺に神社か何かあると見えて、磯からすぐに崖になって、崖のなかから石段が海の方へ細長くついております。男はその石段を登ったんだそうです。女は船のなかから、石段を上って行く男の後姿を見ていたそうです。その後姿を見ていた時、急に自分の情夫に愛想をつかしてしまったんだと友人は話しましたが、その源因は私にも、友人にも、本人の芸者にも無論分りません。これと類似の例をゼームスの宗教的経験と云う本や、スターバックの宗教心理学で見た事がありますが、個人の経歴譚として聞いたのはこれが始めてであります。これはあまり突飛な例かも知れませんが、こんな経験で文学の形になってあらわれておらないものが大分あるだろうから、そういう研究をしたら材料はずいぶん出て来はすまいかと思っております。  このほか因果の関係で人の気につかなかった事やら、類型を脱した個性をかく方面やらいろいろあるだろうと思いますが、この三四カ条は理論上これこれに分れると云うのでなくって、ただ思いついた事を列べたまででありますが、どこで切っても同じ事でありますからこれでやめておきましょう。しかし今日の吾邦に比較的客観態度の叙述が必要であると云う事は、向後何年つづく事か明らかには分りません。西洋では illuminism が盛に行われた、十八世紀の反動として十九世紀の前半に浪漫的趣味の勃興を来しました。それが変化してまた客観的態度に復して参りました。二十世紀はどうなるか分りません。この二潮流が押しつ押されつしているうちに、つまりは両方が一種の意味において一様に発達して参ります。そうして発達した両方が交り合って雑種の雑種というようなものが、いくらでもその間に起って参ります。右へ行ったり左へ寄ったりするのは、つまり態度だけの話で、この態度から出る叙述はけっして繰り返されるものではありません。どこか変って参ります。杜撰ながら自分の考では、世間一般の科学的精神が、情操の勢力より比較的強くなって、平衡を失いかけるや否や、文壇では情操文学が隆起して参りますし、また情操の勢力が科学的精神を圧迫するほどに隆起してくると、客観文学が是非とも起って参る訳だと考えます。文壇はこの二つの勢力が互に消長して、平衡を回復し、回復するかと思うと平衡を失して永久に発展するものでありましょう。であるから同時同刻にせよ西洋の文学にあらわれた態度が、必ず日本の態度の模範になる理由は認められません。前段に申した今日|吾邦における客観文学の必要とは、我邦現在の一般の教育状態からして案出した愚考に過ぎんのであります。しかしながら、やはり同一の立場から見て、ほとんど純客観に近い態度の文学を必要と認めるほど情操の勢力は社会を威圧しているようには思われませんから、いたずらに客観にのみ重きを置く文学は不必要に近いように思われます。維新後今日までの趨勢を見ますと、猛烈なる情操に始まって四十年間しだいしだいに情操の降下を経験しておりますから、現時はまだ客観に重きを置く方を至当と存じますが、向後日清戦役もしくは日露戦争のごとき不規則なる情操の勃張を促がす機会なく日本の歴史が平静に進行するときは、情操は久しからずして科学的精神の圧迫を蒙る事は明らかでありますから、情操文学は近き未来において必ず起るべき運命をもっている事と存じます。ただし未来の情操文学はいかなる内容をもって、いかなる評価をなすやに至っては固より測りがたいのはもちろんでありますが、それまでに発展した客観描写を利用してこれを評価の方面に使うのは争うべからざる運命と存じます。これを結末の一句としてこの講演を終ります。 ――明治四十一年二月東京青年会館において述――  色々な意味に於てそれからである。「三四郎」には大学生の事を描たが、此小説にはそれから先の事を書いたからそれからである。「三四郎」の主人公はあの通り単純であるが、此主人公はそれから後の男であるから此点に於ても、それからである。此主人公は最後に、妙な運命に陥る。それからさき何うなるかは書いてない。此意味に於ても亦それからである。  小説の種類は分け方で色々になる。去ればこそ今日迄西洋人の作った作物を西洋人が評する場合に、便宜に応じて沢山な名をつけている。傾向小説、理想小説、浪漫派小説、写実派小説、自然派小説|抔と云うのは、皆在来の述作を材料として、其著るしき特色を認めるに従って之を分類した迄である。種類は是丈で尽きたとは云えぬ。一たび見地を変れば新らしい名を発見するのは左迄困難でない。況んや向後の作物が旧来の傾向を繰返して満足せぬ限り、時と、場合と、作家の性癖と、発展の希望とによって生面を開きつつ推移する限り、何派、何主義と云う思いも寄らぬ名が続々出て来るのが当然である。  虚子の作物を一括して、是は何派に属するものだと在来ありふれた範囲内に押し込めるのは余の好まぬ所である。是は必ずしも虚子の作物が多趣多様で到底概括し得ぬからと云う意味ではない。又は虚子が空前の大才で在来西洋人の用を足して来た分類語では、其の作物に冠する資格がないと云う意味でもない。虚子の作物を読むにつけて、余は不図こんな考えが浮んだ。天下の小説を二種に区別して、其の区別に関聯して虚子の作物に説き及ぼしたらどうだろう。  所謂二種の小説とは、余裕のある小説と、余裕のない小説である。ただ是丈では殆んど要領を得ない。のみならず言句にまつわると褒貶の意を寓してあるかの様にも聞える。かたがた説明の要がある。  余裕のある小説と云うのは、名の示す如く逼らない小説である。「非常」と云う字を避けた小説である。不断着の小説である。此間中|流行った言葉を拝借すると、ある人の所謂触れるとか触れぬとか云ううちで、触れない小説である。無論触れるとか触れないとか云う字が曖昧であって、しかも余は世間の人の用いる通り好加減な意味で用いて居るのだから、此字に対して明かな責任は持たない積りである。只ある人々の唱える意味に於て触れない小説と云ったら一番はや分りがするだろうと思って、曖昧ながらわざわざ此字面を拝借したのである。と云うものは、まず字の定義は御互の間に黙契があるとして、ある人々は触れなければ小説にならないと考えて居る。だから余はとくに触れない小説と云う一種の範囲を拵らえて、触れない小説も亦、触れた小説と同じく存在の権利があるのみならず、同等の成功を収め得るものだと主張するのである。  触れない小説の意味をもう少し説明しないと余の所存が貫徹しまいと思う。余は自己の考を述べて、こんな風にも小説は解釈が出来るものだと読者から認めて貰えば好い。喧嘩を売る料簡でもなし、売られた喧嘩を買う気もない。従がって思う通りを思う通りに述べて誤解のないように力めて置かなければならない。  個人の身の上でも、一国の歴史でも相互の関係から死活の大事件が起ることがある。すると渾身全国|悉く其事件になり切って仕舞う。普通の人間の様に行屎走尿の用は足して居るが、用を足して居るか、居らぬか気が付かぬ位に逆上せて仕舞う。先達て友人が来てこんな話をした。小田原で暴風雨があった時、村の漁船が二三杯沖へ出て居て、どうしても濤を凌いで磯へ帰る事が出来ない。村中一人残らず渚へ出て焚火をして浮きつ沈みつする船を眺めて居る許りである。此方から繩を持って波を切って、向うの船へ投げ込んで、其繩を引いて陸へ上げるのが彼等の目的である。がそう思う様に目的は達せられんので晩からかけて翌日の午後の三時頃迄は村中浜へ総出の儘風の中、雨の中を立ち尽して居た。所が其長時間のうち誰一人として口を利いたものがない又誰一人として握り飯一つ食ったものがないとの事である。こうなると行屎走尿すら便じなくなる。余裕のない極端になる。大いに触れてくる。同時に眼前焦眉の事件以外何にも眼に這入らなくなる。世界が一本筋になる。平面になる。寝返りも出来ない様に窮屈になる。なっても構わないがそれ許りが小説になると云う議論がどうして出来る。世の中は広い。広い世の中に住み方も色々ある。其住み方の色々を随縁臨機に楽しむのも余裕である。観察するのも余裕である。味わうのも余裕である。此等の余裕を待って始めて生ずる事件なり事件に対する情緒なりは矢張依然として人生である。活溌々地の人生である。描く価値もあるし、読む価値もある。触れた小説と同じく小説になる。或人は浅いと云うかも知れない。浅いと云う点に於ては余も同感である。然し価値がないと云う意味に於て浅いと云うなら間違って居る。此場合に於ける深いとか浅いとか云うのは色の濃いとか薄いとか云うのと一般で、濃いから上等で薄いから下等と云う評価のつけられる訳のものでは勿論ない如く毫も作物を高下する索引にはならないのである。  護謨を延ばして、今少し引っ張ると切れると云う所迄構わず持って行く。悪いとは云わない。然し此所迄引っ張ってぴんとさせなくっちゃ駄目だよと云うに至っては、緊張の趣は解して居るが雍容の味は解し得ない人だと云われても仕方がない。のびない護謨もゆとりがあって面白いと云う人を屈服させる訳には行かない。  茶を品し花に灌ぐのも余裕である。冗談を云うのも余裕である。絵画彫刻に間を遣るのも余裕である。釣も謡も芝居も避暑も湯治も余裕である。日露戦争の永続せざる限り、世間がボルクマンの様な人間で充満しない限りは余裕だらけである。而して吾人も已を得ざる場合の外は此余裕を喜ぶものである。従って此等の余裕より生ずる材料は皆小説となって適当である。  以上は余裕ある小説の説明である。既に余裕ある小説を説明した以上は余裕なき小説も大概其意味が分った筈であるが。一言にして云うとセッパ詰った小説を云うのである。息の塞る様な小説を云うのである。一毫も道草を食ったり寄道をして油を売ってはならぬ小説を云うのである。呑気な分子、気楽な要素のない小説を云うのである。たとえばイブセンの脚本を小説に直した様なものを云うのである。大いに触れたものを云うのである。所謂イブセンの書いたもの抔は先ず吾人の一生の浮沈に関する様な非常な大問題をつらまえて来て其問題の解決がしてある。しかも其解決が普通の我々が解決する様な月並でなくってへえと驚ろく様な解決をさせる事がある。人は之を称して第一義の道念に触れるとも、人生の根元に徹するとも評して居る。成程吾々凡人より高く一隻眼を具して居ないとあんな御手際は覚束ない。只此点|丈でも敬服の至りである。然し斯様に百尺竿頭に一歩を進めた解決をさせたり、月並を離れた活動を演出させたり、篇中の性格を裏返しにして人間の腹の底にはこんな妙なものが潜んで居ると云う事を読者に示そうとするには勢い篇中の人物を度外れな境界に置かねばならない。余裕をなくなさなくってはならない。セッパ詰らせなくってはいけない。そこで大抵は死活問題が出てくる。一世の浮沈問題が持ち上がって来る。  斯様に小説を二つに分けて見た所で虚子の小説はどっちに属するかと云うと先ず前者即ち余裕のある方面に属すると思う。其余裕のある所が、ある一派の人から見て気に入らぬ所であろうと思われる。だからどんな所に余裕があると云う事を説明したらば、是等の人々の誤解を防いで、幾分か虚子の長所を発揮する方便になるだろうと思う。之を説明するには例を引くのが早分りである。  文章に低徊趣味と云う一種の趣味がある。是は便宜の為め余の製造した言語であるから他人には解り様がなかろうが先ず一と口に云うと一事に即し一物に倒して、独特もしくは連想の興味を起して、左から眺めたり右から眺めたりして容易に去り難いと云う風な趣味を指すのである。だから低徊趣味と云わないでも依々趣味、恋々趣味と云ってもよい。所が此趣味は名前のあらわす如く出来る丈長く一つ所に佇立する趣味であるから一方から云えば容易に進行せぬ趣味である。換言すれば余裕がある人でなければ出来ない趣味である。間人が買物に出ると途中で引かかる。交番の前で鼠をぶら下げて居る小僧を見たり、天狗連の御浚えを聴いたりして肝腎の買物は中々弁じない。所が忙がしい人になると、そんな余裕はない。買物に出たら買物が目的である。買物さえ買えば、それで目的は達せられたのである。小説も其通りである。篇中の人物の運命、ことに死ぬるか活きるかと云う運命|丈に興味を置いて居ると自然と余裕はなくなってくる。従ってセッパ詰って低徊趣味は減じて来る。  そこで低徊趣味も客観的とか主観的とか区別すれば色々になるが、それは面倒だから暫らく云わぬとしても、虚子の小説には此余裕から生ずる低徊趣味が多いかと思う。或人は云うかも知らぬ虚子の小説は皆短篇である。所謂低徊趣味は長篇ならば兎に角、こんな短かいものにそんな趣味のあらわれる訳がないと。所が事実は反対である。長いものになると、そう単調に進行する事が出来んから、自然だれの作物でも余事が混入してくるし、又|頁の数から云っても余裕は出来易い。だから長篇ものに所々此趣味が散点して居ても、取り立ててこれが作者の趣味だと言い切る訳には行かない。所が短篇ものになると頁数に限りがある。其限りがあるうちで人の眼につく様に此趣味を出すと云えば作者の嗜好は判然として争うべき余地はない。  虚子の風流懺法には子坊主が出てくる。所が此小坊主がどうしたとか、こうしたとか云うよりも祇園の茶屋で歌をうたったり、酒を飲んだり、仲居が緋の前垂を掛けて居たり、舞子が京都風に帯を結んで居たりするのが眼につく。言葉を換えると、虚子は小坊主の運命がどう変ったとか、どうなって行くとか云う問題よりも妓楼一夕の光景に深い興味を有って、其光景を思い浮べて恋々たるのである。此光景を虚子と共に味わう気がなくっては、始から風流懺法は物にならん。斑鳩物語も其の通である。所は奈良で、物寂びた春の宿に梭の音が聞えると云う光景が眼前に浮んで飽く迄これに耽り得る丈の趣味を持って居ないと面白くない。お道さんとか云う女がどうしましたねとお道さんの運命ばかり気にして居ては極めて詰らない。楽屋も其通り。なかに出てくる吉野さんよりも能の楽屋の景色や照葉狂言の楽屋の景色其物に興味がないと極めて物足らない小説になるかも知れぬ。勝敗は多少意味が違うが兎に角腕白な子供と爺さんの対話其物に低徊拍掌の感を起さなくては意味さえ分らなくなる。子供と爺さんが夫から先どうなったにも、こうなったにも丸で頭も尻尾もありゃしない。八文字に至っては其極端である。  こう云う立場からして読んで見ると虚子の小説は面白い所がある。我々が気の付かない所や言い得ない様な所に低徊趣味を発揮して居る。此集には見えないが京の隧道を舟で抜ける所|抔は未だに余が頭に残って居る。其代り人間の運命と云う事を主にして見ると、あまり成功して居らん。只大内旅宿|丈はうまく出来て居る。然しここには低徊趣味が全然欠乏している。  余は小説を区別して余裕派と非余裕派としてイブセンを後者の例に引いた。で前云った通り此種の小説の特色としては人生の死活問題を拉し来って、切実なる運命の極致を写すのを特色とする。読者は此点を挙げて此種の作物を謳歌し、余も亦此点に於て此種の作物に敬服する。所で此種の作物に対する賞讃の辞を聞くと第一義とか、意味が深いとか、痛切とか、深刻とか云って居る。余は此賞讃の辞に対して是非を争う料簡はない。ないがこれが小説の極致であるかと問われると、そうさなと首を傾けざるを得ない。成程是等の作物は第一義の道念に触れて居るかも知れぬ。然し其第一義というのは生死界中に在っての第一義である。どうしても生死を脱離し得ぬ煩脳底の第一義である。人生観が是より以上に上れぬとすると是が絶対的に第一義かも知れぬが、もし生死の関門を打破して二者を眼中に措かぬ人生観が成立し得るとすると今の所謂第一義は却って第二義に堕在するかも知れぬ。俳味禅味の論がここで生ずる。  余は禅というものを知らない。昔し鎌倉の宗演和尚に参して父母未生以前本来の面目はなんだと聞かれてがんと参ったぎりまだ本来の面目に御目に懸った事のない門外漢である。だからここに禅味|抔という問題を出すのは自分が禅を心得て居るから云うのではない。智識のかいたものに悟とはこんなものであるとあるから果してそんなものなら、こう云う人生観が出来るだろう。こう云う人生観が出来るならば小説もこんな態度にかけるだろうと論ずるまでである。  禅坊主の書いた法語とか語録とか云うものを見ると魚が木に登ったり牛が水底をあるいたり怪しからん事|許りであるうちに、一貫して斯う云う事がある。着衣喫飯の主人公たる我は何物ぞと考え考えて煎じ詰めてくると、仕舞には、自分と世界との障壁がなくなって天地が一枚で出来た様な虚霊皎潔な心持になる。それでも構わず元来吾輩は何だと考えて行くと、もう絶体絶命にっちもさっちも行かなくなる、其所を無理にぐいぐい考えると突然と爆発して自分が判然と分る。分るとこうなる。自分は元来生れたのでもなかった。又死ぬものでもなかった。増しもせぬ、減りもせぬ何んだか訳の分らないものだ。  しばらく彼等の云う事を事実として見ると、所謂生死の現象は夢の様なものである。生きて居たとて夢である。死んだとて夢である。生死とも夢である以上は生死界中に起る問題は如何に重要な問題でも如何に痛切な問題でも夢の様な問題で、夢の様な問題以上には登らぬ訳である。従って生死界中にあって最も意味の深い、最も第一義なる問題は悉く其|光輝を失ってくる。殺されても怖くなくなる。金を貰っても難有くなくなる。辱しめられても恥とは思わなくなる。と云うものは凡て是等の現象界の奥に自己の本体はあって、此流俗と浮沈するのは徹底に浮沈するのではない。しばらく冗談半分に浮沈して居るのである。いくら猛烈に怒っても、いくらひいひい泣いても、怒りが行き留りではない、涙が突き当りではない。奥にちゃんと立ち退き場がある。いざとなれば此|立退場へいつでも帰られる。しかも此立退場は不増である。不減である。いくら天下様の御威光でも手のつけ様のない安全な立退場である。此立退場を有って居る人の喜怒哀楽と、有たない人の喜怒哀楽とは人から見たら一様かも知れないが之を起す人之を受ける人から云うと莫大な相違がある。従って流俗で云う第一義の問題も此見地に住する人から云うと第二義以下に堕ちて仕舞う。従がって我等から云ってセッパ詰った問題も此人等から云うと余裕のある問題になる。  所謂禅味と云うものを解釈した人があるかないか知らないが、禅坊主の趣味だから禅味と云うのだろう。そうして禅坊主の悟りと云うものが彼等の云う通りのものであったなら余の解釈に間違はなかろうと思う。して見ると禅味と云う事は暗に余裕のある文学と云う意味に一致する。そうしてその余裕は生死以上に第一義を置くから出てくる。  余は虚子の小説を評して余裕があると云った。虚子の小説に余裕があるのは果して前条の如く禅家の悟を開いた為かどうだか分らない。只世間ではよく俳味禅味と並べて云う様である。虚子は俳句に於て長い間苦心した男である。従がって所謂俳味なるものが流露して小説の上にあらわれたのが一見禅味から来た余裕と一致して、こんな余裕を生じたのかも知れない。虚子の小説を評するに方っては是丈の事を述べる必要があると思う。  尤も虚子もよく移る人である。現に集中でも秋風なんと云うのは大分風が違って居る。それでも比較的痛切な題目に対する虚子の叙述的態度は依然として余裕がある様である。虚子は畢竟余裕のある人かも知れない。   明治四十年十一月  本月の「趣味」に田山花袋君が小生に関してこんな事を云われた。――「夏目漱石君はズーデルマンの『カッツェンステッヒ』を評して、そのますます序を逐うて迫り来るがごとき点をひどく感服しておられる。氏の近作『三四郎』はこの筆法で往くつもりだとか聞いている。しかし云々」  小生はいまだかつて『三四郎』をズーデルマンの筆法で書くと云った覚えなし。誰かの話し違か、花袋君の聞違だろう。疎忽なものが花袋君の文を読むと、小生がズーデルマンの真似でもしているようで聞苦しい。『三四郎』は拙作かも知れないが、模擬踏襲の作ではない。  花袋君は六年前にカッツェンステッヒを翻訳せられて、翻訳の当時は非常に感服せられたが、今日から見ると、作為の痕迹ばかりで、全篇作者の拵えものに過ぎないと貶せられた。褒貶は固より花袋君の自由である。しかし今日より六年後に、小生の趣味が現今の花袋君の趣味に達すると、達せざるとも固より小生の自由である。これも疎忽ものが読むと、花袋君と小生の嗜好が一直線の上において六年の相違があるように受取られるから、御断りを致しておきたい。  花袋君がカッツェンステッヒに心酔せられた時分、同書を独歩君に見せたら、拵らえものじゃないかと云って通読しなかったと云って、痛く独歩君の眼識に敬服しておられる。花袋君が独歩君に敬服せらるると云う意味を漱石が独歩君に敬服すると云う意味に解釈するものはないからこの点は安心である。  愚見によると、独歩君の作物は「巡査」を除くのほかことごとく拵えものである。ただしズーデルマンのカッツェンステッヒより下手な拵えものである。花袋君の「蒲団」も拵えものである。「生」は「蒲団」ほど拵えておられない。その代り満谷国四郎君の「車夫の家」のような出来栄えである。  拵えものを苦にせらるるよりも、活きているとしか思えぬ人間や、自然としか思えぬ脚色を拵える方を苦心したら、どうだろう。拵らえた人間が活きているとしか思えなくって、拵らえた脚色が自然としか思えぬならば、拵えた作者は一種のクリーエーターである。拵えた事を誇りと心得る方が当然である。ただ下手でしかも巧妙に拵えた作物は花袋君の御注意を待たずして駄目である。同時にいくら糊細工の臭味が少くても、すべての点において存在を認むるに足らぬ事実や実際の人間を書くのは、同等の程度において駄目である。花袋君も御同感だろうと思う。  小生は小説を作る男である。そうしてところどころで悪口を云われる男である。自分が悪口を云われる口惜し紛れに他人の悪口を云うように取られては、悪口の功力がないと心得て今日まで謹慎の意を表していた。しかし花袋君の説を拝見してちょっと弁解する必要が生じたついでに、端なく独歩花袋両君の作物に妄評を加えたのは恐縮である。  小生は日本の文芸雑誌をことごとく通読する余裕と勇気に乏しいものである。現に花袋君の主宰しておらるる「文章世界」のごときも拝見しておらん。向後花袋君及びその他の諸君の高説に対して、一々御答弁を致す機会を逸するかも知れない。その時漱石は花袋君及びその他の諸君の高説に御答弁ができかねるほど感服したなと誤解する疎忽ものがあると困る。ついでをもって、必ずしもしからざる旨をあらかじめ天下に広告しておく。 「土」が「東京朝日」に連載されたのは一昨年の事である。そうして其責任者は余であった。所が不幸にも余は「土」の完結を見ないうちに病気に罹って、新聞を手にする自由を失ったぎり、又「土」の作者を思い出す機会を有たなかった。  当初五六十回の予定であった「土」は、同時に意外の長篇として発達していた。途中で話の緒口を忘れた余は、再びそれを取り上げて、矢鱈な区切から改めて読み出す勇気を鼓舞しにくかったので、つい夫限に打ち遣ったようなものの、腹のなかでは私かに作者の根気と精力に驚ろいていた。「土」は何でも百五六十回に至って漸く結末に達したのである。  冷淡な世間と多忙な余は其後久しく「土」の事を忘れていた。所がある時此間|亡くなった池辺君に会って偶然話頭が小説に及んだ折、池辺君は何故「土」は出版にならないのだろうと云って、大分長塚君の作を褒めていた。池辺君は其当時「朝日」の主筆だったので「土」は始から仕舞迄眼を通したのである。其上池辺君は自分で文学を知らないと云いながら、其実|摯実な批評眼をもって「土」を根気よく読み通したのである。余は出版界の不景気のために「土」の単行本が出る時機がまだ来ないのだろうと答えて置いた。其時心のうちでは、随分「土」に比べると詰らないものも公けにされる今日だから、出来るなら何時か書物に纏めて置いたら作者の為に好かろうと思ったが、不親切な余は其日が過ぎると、又「土」の事を丸で忘れて仕舞った。  すると此春になって長塚君が突然尋ねて来て、漸く本屋が「土」を引受ける事になったから、序を書いて呉れまいかという依頼である。余は其時自分の小説を毎日一回ずつ書いていたので、「土」を読み返す暇がなかった。已を得ず自分の仕事が済む迄待ってくれと答えた。すると長塚君は池辺君の序も欲しいから序でに紹介して貰いたいと云うので、余はすぐ承知した。余の名刺を持って「土」の作者が池辺君の玄関に立ったのは、池辺君の母堂が死んで丁度三十五日に相当する日とかで、長塚君はただ立ちながら用事|丈を頼んで帰ったそうであるが、それから三日して肝心の池辺君も突然|亡くなって仕舞ったから、同君の序はとうとう手に入らなかったのである。  余は「彼岸過迄」を片付けるや否や前約を踏んで「土」の校正刷を読み出した。思ったよりも長篇なので、前後半日と中一日を丸潰しにして漸く業を卒えて考えて見ると、中々骨の折れた作物である。余は元来が安価な人間であるから、大抵の人のものを見ると、すぐ感心したがる癖があるが、此「土」に於ても全くそうであった。先ず何よりも先に、是は到底余に書けるものでないと思った。次に今の文壇で長塚君を除いたら誰が書けるだろうと物色して見た。すると矢張誰にも書けそうにないという結論に達した。  尤も誰にも書けないと云うのは、文を遣る技倆の点や、人間を活躍させる天賦の力を指すのではない。もし夫れ丈の意味で誰も長塚君に及ばないというなら、一方では他の作家を侮辱した言葉にもなり、又一方では長塚君を担ぎ過ぎる策略とも取れて、何方にしても作者の迷惑になる計である。余の誰も及ばないというのは、作物中に書いてある事件なり天然なりが、まだ長塚君以外の人の研究に上っていないという意味なのである。 「土」の中に出て来る人物は、最も貧しい百姓である。教育もなければ品格もなければ、ただ土の上に生み付けられて、土と共に生長した蛆同様に憐れな百姓の生活である。先祖以来茨城の結城郡に居を移した地方の豪族として、多数の小作人を使用する長塚君は、彼等の獣類に近き、恐るべく困憊を極めた生活状態を、一から十迄誠実に此「土」の中に収め尽したのである。彼等の下卑で、浅薄で、迷信が強くて、無邪気で、狡猾で、無欲で、強欲で、殆んど余等の想像にさえ上りがたい所を、ありありと眼に映るように描写したのが「土」である。そうして「土」は長塚君以外に何人も手を着けられ得ない、苦しい百姓生活の、最も獣類に接近した部分を、精細に直叙したものであるから、誰も及ばないと云うのである。  人事を離れた天然に就いても、前同様の批評を如何な読者も容易に肯わなければ済まぬ程、作者は鬼怒川沿岸の景色や、空や、春や、秋や、雪や風を綿密に研究している。畠のもの、畔に立つ榛の木、蛙の声、鳥の音、苟くも彼の郷土に存在する自然なら、一点一画の微に至る迄|悉く其地方の特色を具えて叙述の筆に上っている。だから何処に何う出て来ても必ず独特である。其|独特な点を、普通の作家の手に成った自然の描写の平凡なのに比べて、余は誰も及ばないというのである。余は彼の独特なのに敬服しながら、そのあまりに精細過ぎて、話の筋を往々にして殺して仕舞う失敗を歎じた位、彼は精緻な自然の観察者である。  作としての「土」は、寧ろ苦しい読みものである。決して面白いから読めとは云い悪い。第一に作中の人物の使う言葉が余等には余り縁の遠い方言から成り立っている。第二に結構が大きい割に、年代が前後数年にわたる割に、周囲に平たく発達したがる話が、筋をくっきりと描いて深くなりつつ前へ進んで行かない。だから全体として読者に加速度の興味を与えない。だから事件が錯綜纏綿して縺れながら読者をぐいぐい引込んで行くよりも、其地方の年中行事を怠りなく丹念に平叙して行くうちに、作者の拵らえた人物が断続的に活躍すると云った方が適当になって来る。其所に聊か人を魅する牽引力を失う恐が潜んでいるという意味でも読みづらい。然し是等は単に皮相の意味に於て読みづらいので、余の所謂読みづらいという本意は、篇中の人物の心なり行なりが、ただ圧迫と不安と苦痛を読者に与える丈で、毫も神の作ってくれた幸福な人間であるという刺戟と安慰を与え得ないからである。悲劇は恐しいに違ない。けれども普通の悲劇のうちには悲しい以外に何かの償いがあるので、読者は涙の犠牲を喜こぶのである。が、「土」に至っては涙さえ出されない苦しさである。雨の降らない代りに生涯照りっこない天気と同じ苦痛である。ただ土の下へ心が沈む丈で、人情から云っても道義心から云っても、殆んど此圧迫の賠償として何物も与えられていない。ただ土を掘り下げて暗い中へ落ちて行く丈である。 「土」を読むものは、屹度自分も泥の中を引き摺られるような気がするだろう。余もそう云う感じがした。或者は何故長塚君はこんな読みづらいものを書いたのだと疑がうかも知れない。そんな人に対して余はただ一言、斯様な生活をして居る人間が、我々と同時代に、しかも帝都を去る程遠からぬ田舎に住んで居るという悲惨な事実を、ひしと一度は胸の底に抱き締めて見たら、公等の是から先の人生観の上に、又公等の日常の行動の上に、何かの参考として利益を与えはしまいかと聞きたい。余はとくに歓楽に憧憬する若い男や若い女が、読み苦しいのを我慢して、此「土」を読む勇気を鼓舞する事を希望するのである。余の娘が年頃になって、音楽会がどうだの、帝国座がどうだのと云い募る時分になったら、余は是非此「土」を読ましたいと思って居る。娘は屹度厭だというに違ない。より多くの興味を感ずる恋愛小説と取り換えて呉れというに違ない。けれども余は其時娘に向って、面白いから読めというのではない。苦しいから読めというのだと告げたいと思って居る。参考の為だから、世間を知る為だから、知って己れの人格の上に暗い恐ろしい影を反射させる為だから我慢して読めと忠告したいと思って居る。何も考えずに暖かく成長した若い女の起す菩提心や宗教心は、皆此暗い影の奥から射して来るのだと余は固く信じて居るからである。  長塚君の書き方は何処迄も沈着である。其人物は皆|有の儘である。話の筋は全く自然である。余が「土」を「朝日」に載せ始めた時、北の方のSという人がわざわざ書を余のもとに寄せて、長塚君が旅行して彼と面会した折の議論を報じた事がある。長塚君は余の「朝日」に書いた「満韓ところどころ」というものをSの所で一回読んで、漱石という男は人を馬鹿にして居るといって大いに憤慨したそうである。漱石に限らず一体「朝日新聞」の記者の書き振りは皆人を馬鹿にして居ると云って罵ったそうである。成程真面目に老成した、殆んど厳粛という文字を以て形容して然るべき「土」を書いた、長塚君としては尤もの事である。「満韓ところどころ」抔が君の気色を害したのは左もあるべきだと思う。然し君から軽佻の疑を受けた余にも、真面目な「土」を読む眼はあるのである。だから此序を書くのである。長塚君はたまたま「満韓ところどころ」の一回を見て余の浮薄を憤ったのだろうが、同じ余の手になった外のものに偶然眼を触れたら、或は反対の感を起すかも知れない。もし余が徹頭徹尾「満韓ところどころ」のうちで、長塚君の気に入らない一回を以て終始するならば、到底長塚君の「土」の為に是程言辞を費やす事は出来ない理窟だからである。  長塚君は不幸にして喉頭結核にかかって、此間迄東京で入院生活をして居たが、今は養生|旁旅行の途にある。先達てかねて紹介して置いた福岡大学の久保博士からの来書に、長塚君が診察を依頼に見えたとあるから、今頃は九州に居るだろう。余は出版の時機に後れないで、病中の君の為に、「土」に就いて是丈の事を言い得たのを喜こぶのである。余がかつて「土」を「朝日」に載せ出した時、ある文士が、我々は「土」などを読む義務はないと云ったと、わざわざ余に報知して来たものがあった。此時余は此文士は何の為に罪もない「土」の作家を侮辱するのだろうと思って苦々しい不愉快を感じた。理窟から云って、読まねばならない義務のある小説というものは、其小説の校正者か、内務省の検閲官以外にそうあろう筈がない。わざわざ断わらんでも厭なら厭で黙って読まずに居れば夫迄である。もし又名の知れない人の書いたものだから読む義務はないと云うなら、其人は只名前|丈で小説を読む、内容などには頓着しない、門外漢と一般である。文士ならば同業の人に対して、たとい無名氏にせよ、今少しの同情と尊敬があって然るべきだと思う。余は「土」の作者が病気だから、此場合には猶お更らそう云いたいのである。   明治四十五年五月 一  モーパサンの書いた「二十五日間」と題する小品には、ある温泉場の宿屋へ落ちついて、着物や白シャツを衣装棚へしまおうとする時に、そのひきだしをあけてみたら、中から巻いた紙が出たので、何気なく引き延ばして読むと「|私の二十五日」という標題が目に触れたという冒頭が置いてあって、その次にこの無名式のいわゆる二十五日間が一字も変えぬ元の姿で転載された体になっている。  プレヴォーの「不在」という端物の書き出しには、パリーのある雑誌に寄稿の安受け合いをしたため、ドイツのさる避暑地へ下りて、そこの宿屋の机かなにかの上で、しきりに構想に悩みながら、なにか種はないかというふうに、机のひきだしをいちいちあけてみると、最終の底から思いがけなく手紙が出てきたとあって、これにもその手紙がそっくりそのまま出してある。  二つともよく似た趣向なので、あるいは新しいほうが古い人のやったあとを踏襲したのではなかろうかという疑いさえさしはさめるくらいだが、それは自分にはどうでもよろしい。ただ自分もつい近ごろ、これと同様の経験をしたことがある。そのせいか今まではなるほど小説家だけあってうまくこしらえるなとばかり感心していたのが、それ以後実際世の中にはずいぶん似たことがたくさんあるものだという気になって、むしろ偶然の重複に咏嘆するような心持ちがいくぶんかあるので、つい二人の作をここに並べてあげたくなったのである。  もっともモーパサンのは標題の示すごとく、逗留二十五日間の印象記という種類に属すべきもので、プレヴォーのは滞在ちゅうの女客にあてたなまめかしい男の文だから、双方とも無名氏の文字それ自身が興味の眼目である。自分の経験もやはりふとした場所で意外な手紙の発見をしたということにはなるが、それが導火線になって、思いがけなくある実際上の効果を収めえたのであるから、手紙そのものにはそれほど興味がない。少なくとも、小説的な情調のもとに、それを読みえなかった自分にはそういう興味はなかった。そこが前にあげたフランスの二作家と違うところで、そこがまた彼らよりも散文的な自分をして、彼らの例にならって、その手紙をこの話の中心として、一字残らず写さしめなかった原因になる。  手紙は疑いもなく宿屋で発見されたのである。場所もほとんどフランスの作家の筆にしたところとほとんど変わりはない。けれどもどうしてかどんな手紙をとかいう問いに答えるためには、それを発見した当時から約一週間ほどまえにさかのぼって説明する必要がある。  いよいよK市へ立つという前の晩になって、妻がちょうどいいついでだから、帰りに重吉さんのところへ寄っていらっしゃい、そうして重吉さんに会って、あのことをもっとはっきりきめていらっしゃい。なんだか紙鳶が木の枝へ引っかかっていながら、途中で揚がってるような気がしていけませんからと言った。重吉のことは自分も同感であった。それにしても妻によくこんな気のきいた言葉が使えると思って、お前誰かに教わったのかいと、なにも答えないさきに、まず冗談半分の疑いをほのめかしてみた。すると妻は存外まじめきった顔つきで、なにをですと問い返した。開き直ったというほどでもないが、こっちの意味が通じなかったことだけはたしかなようにみえたから、自分は紙鳶の話はそれぎりにして、直接重吉のことを談合した。  重吉というのは自分の身内ともやっかいものともかたのつかない一種の青年であった。一時は自分の家に寝起きをしてまで学校へ通ったくらい関係は深いのであるが、大学へはいって以来下宿をしたぎり、四年の課程を終わるまで、とうとう家へは帰らなかった。もっとも別に疎遠になったというわけではない、日曜や土曜もしくは平日でさえ気に向いた時はやって来て長く遊んでいった。元来が鷹揚なたちで、素直に男らしく打ちくつろいでいるようにみえるのが、持って生まれたこの人の得であった。それで自分も妻もはなはだ重吉を好いていた。重吉のほうでも自分らを叔父さん叔母さんと呼んでいた。 二  重吉は学校を出たばかりである。そうして出るやいなやすぐいなかへ行ってしまった。なぜそんな所へ行くのかと聞いたら別にたいした意味もないが、ただ口を頼んでおいた先輩が、行ったらどうだと勧めるからその気になったのだと答えた。それにしてもHはあんまりじゃないか、せめて大阪とか名古屋とかなら地方でも仕方がないけれどもと、自分は当人がすでにきめたというにもかかわらず一応彼のH行に反対してみた。その時重吉はただにやにや笑っていた。そうして今急にあすこに欠員ができて困ってるというから、当分の約束で行くのです、じきまた帰ってきますと、あたかも未来が自分のかってになるようなものの言い方をした。自分はその場で重吉の「また帰ってきます」を「帰ってくるつもりです」に訂正してやりたかったけれどもそう思い込んでいるものの心を、無益にざわつかせる必要もないからそれはそれなりにしておいて、じゃあのことはどうするつもりだと尋ねた。「あのこと」は今までの行きがかり上、重吉の立つまえにぜひとも聞いておかなければならない問題だったからである。すると重吉は別に気にかける様子もなく、万事|貴方にお任せするからよろしく願いますと言ったなり、平気でいた。刺激に対して急劇な反応を示さないのはこの男の天分であるが、それにしても彼の年齢と、この問題の性質から一般的に見たところで、重吉の態度はあまり冷静すぎて、定量未満の興味しかもちえないというふうに思われた。自分は少し不審をいだいた。  元来自分と妻と重吉の間にただ「あのこと」として一種の符牒のように通用しているのは、実をいうと、彼の縁談に関する件であった。卒業の少し前から話が続いているので、自分たちだけには単なる「あのこと」でいっさいの経過が明らかに頭に浮かむせいか、べつだん改まって相手の名前などは口へ出さないで済ますことが多かったのである。  女は妻の遠縁に当たるものの次女であった。その関係でときどき自分の家に出はいるところからしぜん重吉とも知り合いになって、会えば互いに挨拶するくらいの交際が成立した。けれども二人の関係はそれ以上に接近する機会も企てもなく、ほとんど同じ距離で進行するのみにみえた。そうして二人ともそれ以上に何物をも求むる気色がなかった。要するに二人の間は、年長者の監督のもとに立つある少女と、まだ修業ちゅうの身分を自覚するある青年とが一種の社会的な事情から、互いと顔を見合わせて、礼儀にもとらないだけの応対をするにすぎなかった。  だから自分は驚いたのである。重吉があがらずせまらず、常と少しも違わない平面な調子で、あの人を妻にもらいたい、話してくれませんかと言った時には、君ほんとうかと実際聞き返したくらいであった。自分はすぐ重吉の挙止動作がふだんにたいていはまじめであるごとく、この問題に対してもまたまじめであるのを発見した。そうして過渡期の日本の社会道徳にそむいて、私の歩を相互に進めることなしに、意志の重みをはじめから監督者たる父母に寄せかけた彼の行ないぶりを快く感じた。そこで彼の依頼を引き受けた。  さっそく妻をやって先方へ話をさせてみると、妻は女の母の挨拶だといって、妙な返事をもたらした。金はなくってもかまわないから道楽をしない保証のついた人でなければやらないというのである。そうしてなぜそんな注文を出すのか、いわれが説明としてその返事に伴っていた。  女には一人の姉があって、その姉は二、三年まえすでにある資産家のところへ嫁に行った。今でも行っている。世間並みの夫婦として別にひとの注意をひくほどの波瀾もなく、まず平穏に納まっているから、人目にはそれでさしつかえないようにみえるけれども、姉娘の父母はこの二、三年のあいだに、苦々しい思いをたえず陰でなめさせられたのである。そのすべては娘のかたづいた先の夫の不身持ちから起こったのだといえばそれまでであるが、父母だって、娘の亭主を、業務上必要のつきあいから追い出してまで、娘の権利と幸福を庇護しようと試みるほどさばけない人たちではなかった。 三  実をいうと、父母ははじめからそれを承知のうえで娘を嫁にやったのである。それのみか、腕ききの腕を最も敏活に働かすという意味に解釈した酒と女は、仕事のうえに欠くべからざる交際社会の必要条件とまで認めていた。それだのに彼らはやがて眉をひそめなければならなくなってきた。かねてじょうぶであった娘の健康が、嫁にいってしばらくすると、目につくように衰えだした時に、彼らはもう相応に胸を傷めた。娘に会うたびに母親はどこか悪くはないかと聞いた。娘はただ微笑して、べつだんなんともないとばかり答えていた。けれどもその血色はしだいにあおくなるだけであった。そうしてしまいにはとうとう病気だということがわかった。しかもその病気があまりたちのよいものではないということがわかった。なおよく探究すると、公に言いにくい夫の疾がいつのまにか妻に感染したのだということまでわかった。父母の懸念が道徳上の着色を帯びて、好悪の意味で、娘の夫に反射するようになったのはこの時からである。彼らは気の毒な長女を見るにつけて、これから嫁にやる次女の夫として、姉のそれと同型の道楽ものを想像するにたえなくなった。それで金はなくてもかまわないから、どうしても道楽をしない保険付きの堅い人にもらってもらおうと、夫婦の間に相談がまとまったのである。  自分の妻は先方から聞いてきたとおりをこういうふうに詳しくくりかえして自分に話したのち、重吉さんならまちがいはなかろうと思うんですが、どうでしょうと言った。自分はただそうさと答えたまま、畳の上を見つめていた。すると妻はやや疑ぐったような調子で、重吉さんでも道楽をするんでしょうかと聞いた。 「まあだいじょうぶだろうよ」 「まあじゃ困るわ。ほんとうにだいじょうぶでなくっちゃ。だってもしか、嘘でもついたら、私すまないんですもの。私ばかしじゃない、貴方だって責任がおありじゃありませんか」  こう言われてみるとなるほど先方へいいかげんな返事をするのもいかがなものである。といって、あの重吉が遊ぶとは、どうしても考えられない。むろん彼のようすにはじじむさいとか無骨すぎるとか、すべて粋の裏へ回るものは一つもなかった。けれども全面が平たく尋常にでき上がっているせいか、どことさして、ここが道楽くさいという点もまたまるで見当たらなかった。自分は妻といろいろ話した末、こう言った。 「まあたいていよかろうじゃないか。道楽のほうは受け合いますと言っといでよ」 「道楽のほうって――。しないほうをでしょう」 「あたりまえさ。するほうを受け合っちゃたいへんだ」  妻はまた先方へ行って、けっして道楽をするような男じゃございませんと受け合った。話はそれから発展しはじめたのである。重吉が地方へ行くと言いだした時には、それがずっと進行して、もう十の九まではまとまっていた。自分は重吉のHへ立つまえに、わざわざ先方へ出かけて行って、父母の同意を求めたうえで重吉を立たせた。  重吉とお静さんとの関係はそこまで行って、ぴたりととまったなり今日に至ってまだ動かずにいる。もっとも自分はそれほど気にもかからない、今にどっちからか動きだすだろう、万事はその時のことと覚悟をきめていたが、妻は女だけに心配して、このあいだも長い手紙を重吉にやって、いったいあのことはどうなさるつもりですかと尋ねたら、重吉は万事よろしく願いますと例のとおりの返事をよこした。そのまえ聞き合わせた時には、私はまだ道楽を始めませんから、だいじょうぶですというはがきが来た。妻はそのはがきを自分のところへ持ってきて、重吉さんもずいぶんのんきね、まだ始めませんって、いまに始められたひにゃ、だいじょうぶでもなんでもないじゃありませんか、冗談じゃあるまいし、と少しおこったような語気をもらした。自分にも重吉の用いたこのまだという字がいかにもおかしく思われた。妻に、当人本気なのかなと言ったくらいである。  妻が評したごとく、こういうふうに、いつまでも、紙鳶が木の枝に引っかかって中途から揚がっているようなありさまでおしてゆかれては間へはいった自分たちの責任としても、しまいには放っておかれなくなるのは明らかだから、今度の旅行を幸い、帰りにHへ寄って、いわゆる「あのこと」をもっとはっきりかたづけてきたらよかろうという妻の意見に従うことにきめて家を出た。 四  汽車中では重吉の地方生活をいろいろに想像する暇もあったが、目的地へ下りるやいなや、すぐ当用のために忙殺されて、「あのこと」などはほとんど考えもしなかった。ようよう四、五日かかって、一段落がついた時、自分はまた汽車に揺られながら、まだ見ないHの町や、その町の中にある重吉の下宿している旅館などを、頭の奥に漂う画のようにながめた。もとよりものずきのさせるわざだから、煙草の煙に似て、取り留めることのできないうちに、また煙草の煙に似た淡い愉快があった。とかくするうちに汽車はとうとうHへ着いた。  自分はすぐ俥を雇って、重吉のいる宿屋の玄関へ乗りつけた。番頭にここに佐野という人が下宿しているはずだがと聞くと番頭はおじぎを二つばかりして、佐野さんは先だってまでおいでになりましたが、ついこのあいだお引き移りになりましたと言う。けしからんことだと思いながらも、なお引っ越し先の模様を尋ねてみると、とうてい自分などの行って、一晩でも二晩でもやっかいになれそうな所ではないらしい。いっそここへ泊まるほうが楽だろうと思って、じゃあいたへやへ案内してくれと言うと、番頭はまたおじぎを一つして、まことにお気の毒さまでございますが、招魂祭でどのへやもふさがっておりますのでとていねいに断わった。自分は傘を突いたまましばらく玄関の前に立っていた。正式にいうと、あらかじめ重吉に通知をしたうえ、なおH着の時間を電報で言ってやるべきであるが、なるべくお互いの面倒を省いて簡略に事を済ますのが当世だと思って、わざと前触れなしに重吉を襲ったのであるが、いよいよ来てみると、自分のやり口はただの不注意から、出る不都合な結果を、自分のうえに投げかけたと同じことになってしまった。  自分はHにどんな宿屋が何軒あるかまるで知らなかったが、この旅館がそのうちでいちばんよいのだということだけは、かねて受け取った重吉の手紙によって心得ていた。なるほど奥をのぞいてみると、廊下が折れ曲がったり、中庭の先に新しい棟が見えたりして、さも広そうでかつ物綺麗であった。自分は番頭にどこか都合ができるだろうと言った。番頭は当惑したような顔をして、しばらく考えていたが、はなはだ見苦しい所で、一夜泊りのお客様にはお気の毒でございますが、佐野さんのいらしったお座敷なら、どうかいたしましょうと答えた。その口ぶりから察すると、なんでもよほどきたない所らしいので、また少し躊躇しかけたが、もとよりこの地へ来て体裁を顧みる必要もない身だから、一晩や二晩はどんなへやで明かしたってかまわないという気になって、このあいだまで重吉のいたというそのへやへ案内してもらった。  へやは第一の廊下を右へ折れて、そこの縁側から庭下駄をはいて、二足三足たたきの上を渡らなければはいれない代わりにどことも続いていないところが、まるで一軒立ちの観を与えた。天井の低いのや柱の細いのが、さも茶がかった空気を作るとともに、いかにも湿っぽい陰気な感じがした。そうして畳といわず襖といわずはなはだしく古びていた。向こうの藤棚の陰に見える少し出張った新築の中二階などとくらべると、まるで比較にならないほど趣が違っていた。 「こんな所にはいっていたのか」と思いながら、自分は茶をのんでしばらく座敷を見回していたが、やがて硯を借りて、重吉の所へやる手紙を書いた。ただ簡単にK市へ用があって来たついでにここへ寄ったから、すぐ来いというだけにとどめた。それから湯にはいって出ると、もう食事の時間になった。自分はなるべく重吉といっしょに晩飯を食おうと思って、煙草を何本も吹かしながら、彼の来るのを心待ちに待っているうちに、向こうの中二階に電気燈がついて、にぎやかな人声が聞こえだした。自分はとうとう待ち切れず一人膳に向かった。給仕に出た女が、招魂祭でどこの宿屋でもこみ合っているとか、町ではいろいろの催しがあるとか、佐野さんも今晩はきっとどこかへお呼ばれなすったんでしょうとか言うのを聞きながら、ビールを一、二はいのんだ。下女は重吉のことをおとなしいよいかただと言った。女にほれられるかと聞いたら、えへへと笑っていた。道楽をするだろうと聞いたら、下を向いて小さな声をしていいえと答えた。 五  食事が済んで下女が膳をさげたのは、もう九時近くであった。それでも重吉はまだ顔を見せなかった。自分はひとりで縁鼻へ座ぶとんを運んで、手摺りにもたれながら向こう座敷の明るい電気燈やはでな笑い声を湿っぽい空気の中から遠くうかがってつまらない心持ちをつまらないなりに引きずるような態度で、煙草ばかり吹かしていた。そこへさっきの下女が襖をあけて、やっといらっしゃいましたと案内をした。そのあとから重吉が赤い顔をしてはいってきた。自分は重吉の赤い顔をこの時はじめて見た。けれども席に着いて挨拶をする彼の様子といい、言葉数といい、抑揚の調子といい、すべてが平生の重吉そのままであった。自分は彼の言語動作のいずれの点にも、酒気に駆られて動くのだと評してしかるべききわだった何物をも認めなかったので、異常な彼の顔色については、別にいうところもなく済ました。しばらくして彼は茶器を代えに来た下女の名を呼んで、コップに水を一ぱいくれと頼んだ。そうして自分の方を見ながら、どうも咽喉がかわいてと間接な弁解をした。 「だいぶ飲んだんだね」 「ええお祭りで、少し飲まされました」  赤い顔のことは簡単にこれで済んでしまった。それからどこをどう話が通ったか覚えていないが、三十分ばかりたつうちに、自分も重吉もいつのまにか、いわゆる「あのこと」の圏内で受け答えをするようになった。 「いったいどうする気なんだい」 「どうする気だって、――むろんもらいたいんですがね」 「真剣のところを白状しなくっちゃいけないよ。いいかげんなことを言って引っ張るくらいなら、いっそきっぱり今のうちに断わるほうが得策だから」 「いまさら断わるなんて、僕はごめんだなあ。実際|叔父さん、僕はあの人が好きなんだから」  重吉の様子にどこといって嘘らしいところは見えなかった。 「じゃ、もっと早くどしどしかたづけるが好いじゃないか、いつまでたってもぐずぐずで、はたから見ると、いかにも煮え切らないよ」  重吉は小さな声でそうかなと言って、しばらく休んでいたが、やがて元の調子に戻って、こう聞いた。 「だってもらってこんないなかへ連れてくるんですか」  自分はいなかでもなんでもかまわないはずだと答えた。重吉は先方がそれを承知なのかと聞き返した。自分はその時ちょっと困った。実はそんな細かなことまで先方の意見を確かめたうえで、談判に来たわけではなかったのだからである。けれども行きがかり上やむをえないので、 「そう話したら、承知するだろうじゃないか」と勢いよく言ってのけた。  すると、重吉は問題の方向を変えて、目下の経済事情が、とうてい暖かい家庭を物質的に形づくるほどの余裕をもっていないから、しばらくのあいだひとりでしんぼうするつもりでいたのだという弁解をしたうえ、最初の約束によれば、ことしの暮れには月給が上がって東京へ帰れるはずだから、その時は先さえ承知なら、どんな小さな家でも構えて、お静さんを迎える考えだと話した。もし事が約束どおりに運ばないため、月給も上がらず、東京へも帰れなかったあかつきには、その時こそ、先方さえ異存がなければ、自分の言ったようにする気だから、なにぶんよろしく頼むということもつけ加えた。自分は一応もっともだと思った。 「そうお前の腹がきまってるなら、それでいい。叔母さんも安心するだろう。お静さんのほうへも、よくそう話しておこう」 「ええどうぞ――。しかし僕の腹はたいてい貴方がたにはわかってるはずですがねえ」 「そんなら、あんな返事をよこさないがいいよ。ただよろしく願いますだけじゃなんだかいっこうわからないじゃないか。そうして、あのはがきはなんだい、私はまだ道楽を始めませんから、だいじょうぶですって。本気だか冗談だかまるで見当がつかない」 「どうもすみません。――しかしまったく本気なんです」と言いながら、重吉は苦笑して頭をかいた。 「あのこと」はそれで切り上げて、あとはまとまらない四方山の話に夜をふかした。せっかくだから二、三日|逗留してゆっくりしていらっしゃいと勧めてくれるのを断わって、やはりあくる日立つことにしたので、重吉はそんならお疲れでしょう、早くお休みなさいと挨拶して帰っていった。 六  あくる朝顔を洗ってへやへ帰ると、棚の上の鏡台が麗々と障子の前にすえ直してある。自分は何気なくその前にすわるとともに鏡の下の櫛を取り上げた。そしてその櫛をふくつもりかなにかで、鏡台のひきだしを力任せにあけてみた。すると浅い桐の底に、奥の方で、なにかひっかかるような手ごたえがしたのが、たちまち軽くなって、するすると、抜けてきたとたんに、まき納めてねじれたような手紙の端がすじかいに見えた。自分はひったくるようにその手紙を取って、すぐ五、六寸破いて櫛をふこうとして見ると、細かい女の字で白紙の闇をたどるといったように、細長くひょろひょろとなにか書いてあるのに気がついた。自分はちょっと一、二行読んでみる気になった。しかしこのひょろひょろした文字が言文一致でつづられているのを発見した時、自分の好奇心は最初の一、二行では満足することができなくなった。自分は知らず知らず、先に裂き破った五、六寸を一息に読み尽くした。そうして裂き残しの分へまでもどんどん進んでいった。こう進んでゆくうちにも、自分は絶えず微笑を禁じえなかった。実をいうと手紙はある女から男にあてた艶書なのである。  艶書だけに一方からいうとはなはだ陳腐には相違ないが、それがまた形式のきまらない言文一致でかってに書き流してあるので、ずいぶん奇抜だと思う文句がひょいひょいと出てきた。ことに字違いや仮名違いが目についた。それから感情の現わし方がいかにも露骨でありながら一種の型にはいっているという意味で誠がかえって出ていないようにもみえた。最も恐るべくへたな恋の都々一なども遠慮なく引用してあった。すべてを総合して、書き手のくろうとであることが、誰の目にもなにより先にまず映る手紙であった。どうせ無関係な第三者がひとの艶書のぬすみ読みをするときにこっけいの興味が加わらないはずはないわけであるが、書き手が節操上の徳義を負担しないで済むくろうとのような場合には、この興味が他の厳粛な社会的観念に妨げられるおそれがないだけに、読み手ははなはだ気楽なものである。  そういう訳で、自分は多大の興味をもってこの長い手紙をくすくす笑いながら読んだ。そうして読みながら、こんなに女から思われている色男は、いったい何者だろうかとの好奇心を、最後の一行が尽きて、名あての名が自分の目の前に現われるまで引きずっていった。ところがこの好奇心が遺憾なく満足されべき画竜点睛の名前までいよいよ読み進んだ時、自分は突然驚いた。名あてには重吉の姓と名がはっきり書いてあった。  自分は少しのあいだぼんやり庭の方を見ていた。それから手に持った手紙をさらさらと巻いて浴衣のふところへ入れた。そうして鏡の前で髪を分けた。時計を見ると、まだ七時である。しかし自分は十時何分かの汽車で立つはずになっていた。手をたたいて下女を呼んで、すぐ重吉を車で迎えにやるように命じた。そのあいだに飯を食うことにした。  なんだかおかしいという気分もいくぶんかまじっていた。けれども総体に「あの野郎」という心持ちのほうが勝っていた。そのあの野郎として重吉をながめると、宿をかえていつまでも知らせなかったり、さんざん人を待たせて、気の毒そうな顔もしなかったり、やっとはいってきたかと思うと、一面アルコールにいろどられていたり、すべて不都合だらけである。が、平生どの角度に見ても尋常一式なあの男が、いつのまに女から手紙などをもらってすまし返っているのだろうと考えると、あたりまえすぎるふだんの重吉と、色男として別に通用する特製の重吉との矛盾がすこぶるこっけいに見えた。したがって自分はどっちの感じで重吉に対してよいかわからなかった。けれどもどっちかにきめて、これを根本調として会見しなければならないということに気がついた。自分は食後の茶を飲んで楊枝を使いながら、ここへ重吉が来たらどう取り扱ったものだろうと考えた。 七  そこへ宿から迎えにやった車に乗って、彼はすぐかけつけてきた。彼に対する態度をまだよく定めていない自分には、彼の来かたがむしろ早すぎるくらい、現われようが今度は迅速であった。彼は簡単に、早いじゃありませんか、今朝起きたらすぐ上がるつもりでいたところをお迎えで――と言ったまま、そこへすわって、自分の顔を正視した。この時はたから二人の様子を虚心に観察したら、重吉のほうが自分よりはるかに無邪気に見えたに違いない。自分は黙っていた。彼は白足袋に角帯で単衣の下から鼠色の羽二重を掛けた襦袢の襟を出していた。 「今日はだいぶしゃれてるじゃないか」 「昨夕もこの服装ですよ。夜だからわからなかったんでしょう」  自分はまた黙った。それからまたこんな会話を二、三度取りかわしたが、いつでもそのあいだに妙な穴ができた。自分はこの穴を故意にこしらえているような感じがした。けれども重吉にはそんなわだかまりがないから、いくら口数を減らしてもその態度がおのずから天然であった。しまいに自分はまじめになって、こう言った。 「実は昨夕もあんなに話した、あのことだがね。どうだ、いっそのこときっぱり断わってしまっちゃ」  重吉はちょっと腑に落ちないという顔つきをしたが、それでもいつものようなおっとりした調子で、なぜですかと聞き返した。 「なぜって、君のような道楽ものは向こうの夫になる資格がないからさ」  今度は重吉が黙った。自分は重ねて言った。 「おれはちゃんと知ってるよ。お前の遊ぶことは天下に隠れもない事実だ」  こう言った自分は、急に自分の言葉がおかしくなった。けれども重吉が苦笑いさえせずに控えていてくれたので、こっちもまじめに進行することができた。 「元来男らしくないぜ。人をごまかして自分の得ばかり考えるなんて。まるで詐欺だ」 「だって叔父さん、僕は病気なんかに、まだかかりゃしませんよ」と重吉が割り込むように弁解したので、自分はまたおかしくなった。 「そんなことがひとにわかるもんか」 「いえ、まったくです」 「とにかく遊ぶのがすでに条件違反だ。お前はとてもお静さんをもらうわけにゆかないよ」 「困るなあ」  重吉はほんとうに困ったような顔をして、いろいろ泣きついた。自分は頑として破談を主張したが、最後に、それならば、彼が女を迎えるまでの間、謹慎と後悔を表する証拠として、月々俸給のうちから十円ずつ自分の手もとへ送って、それを結婚費用の一端とするなら、この事件は内済にして勘弁してやろうと言いだした。重吉は十円を五円に負けてくれと言ったが、自分は聞き入れないで、とうとうこっちの言い条どおり十円ずつ送らせることに取りきめた。  まもなく時間が来たので、自分はさっそくたって着物を着かえた。そうして俥を命じて停車場へ急がした。重吉はむろんついて来た。けれども鞄膝掛けその他いっさいの手荷物はすでに宿屋の番頭が始末をして、ちゃんと列車内に運び込んであったので、彼はただ手持ち無沙汰にプラットフォームの上に立っていた。自分は窓から首を出して、重吉の羽二重の襟と角帯と白足袋を、得意げにながめていた。いよいよ発車の時刻になって、車の輪が回りはじめたと思うきわどい瞬間をわざと見はからって、自分は隠袋の中から今朝読んだ手紙を出して、おいお土産をやろうと言いながら、できるだけ長く手を重吉の方に伸ばした。重吉がそれを受け取る時分には、汽車がもう動きだしていた。自分はそれぎり首を列車内に引っ込めたまま、停車場をはずれるまでけっしてプラットフォームを見返らなかった。  うちへ帰っても、手紙のことは妻には話さなかった。旅行後一か月めに重吉から十円届いた時、妻はでも感心ねと言った。二か月めに十円届いた時には、まったく感心だわと言った。三か月めには七円しかこなかった。すると妻は重吉さんも苦しいんでしょうと言った。自分から見ると、重吉のお静さんに対する敬意は、この過去三か月間において、すでに三円がた欠乏しているといわなければならない。将来の敬意に至ってはむろん疑問である。  偉大なる過去を背景に持っている国民は勢いのある親分を控えた個人と同じ事で、何かに付けて心丈夫である。あるときはこの自覚のために驕慢の念を起して、当面の務を怠ったり未来の計を忘れて、落ち付いている割に意気地がなくなる恐れはあるが、成上りものの一生懸命に奮闘する時のように、齷齪とこせつく必要なく鷹揚自若と衆人環視の裡に立って世に処する事の出来るのは全く祖先が骨を折って置いてくれた結果といわなければならない。  余は日本人として、神武天皇以来の日本人が、如何なる事業をわが歴史上に発展せるかの大問題を、過去に控えて生息するものである。固より余一人の仕事は、余一人の仕事に違いないのだから、余一人の意志で成就もし破壊もするつもりではあるが、余の過去、――もっと大きくいえば、わが祖先が余の生れぬ前に残して行ってくれた過去が、余の仕事の幾分かを既に余の生れた時に限定してしまったような心持がする。自分は自分のする事についてあくまでも責任を負う料簡ではあるが、自分をしてこの責任を負わしむるものは自己以外には遠い背景が控えているからだろうと思う。  そう考えながら、新しい眼で日本の過去を振り返って見ると、少し心細いような所がある。一国の歴史は人間の歴史で、人間の歴史はあらゆる能力の活動を含んでいるのだから政治に軍事に宗教に経済に各方面にわたって一望したらどういう頼母しい回顧が出来ないとも限るまいが、とくに余に密接の関係ある部門、即ち文学だけでいうと、殆んど過去から得るインスピレーションの乏しきに苦しむという有様である。人は『源氏物語』や近松や西鶴を挙げてわれらの過去を飾るに足る天才の発揮と見認めるかも知れないが、余には到底そんな己惚は起せない。  余が現在の頭を支配し余が将来の仕事に影響するものは残念ながら、わが祖先のもたらした過去でなくって、かえって異人種の海の向うから持って来てくれた思想である。一日余は余の書斎に坐って、四方に並べてある書棚を見渡して、その中に詰まっている金文字の名前が悉く西洋語であるのに気が付いて驚いた事がある。今まではこの五彩の眩ゆいうちに身を置いて、少しは得意であったが、気が付いて見ると、これらは皆異国産の思想を青く綴じたり赤く綴じたりしたもののみである。単に所有という点からいえば聊か富という念も起るが、それは親の遺産を受け継いだ富ではなくって、他人の家へ養子に行って、知らぬものから得た財産である。自分に利用するのは養子の権利かも知れないが、こんなものの御蔭を蒙るのは一人前の男としては気が利かな過ぎると思うと、あり余る本を四方に積みながら非常に意気地のない心持がした。 『東洋美術図譜』は余にこういう料簡の起った当時に出版されたものである。これは友人|滝君が京都大学で本邦美術史の講演を依託された際、聴衆に説明の必要があって、建築、彫刻、絵画の三門にわたって、古来から保存された実物を写真にしたものであるから、一枚一枚に観て行くと、この方面において、わが日本人が如何なる過去をわれわれのために拵えて置いてくれたかが善く分る。余の如き財力の乏しいものには参考として甚だ重宝な出版である。文学において悲観した余はこの図譜を得たために多少心細い気分を取り直した。図譜中にある建築彫刻絵画ともに、あるものは公平に評したら下らないだろうと思う。あるものは『源氏物語』や近松や西鶴以下かも知れない。しかしその優れたものになると決して文学程度のものとはいえない。われわれ日本の祖先がわれわれの背景として作ってくれたといって恥ずかしくないものが大分ある。  西洋の物数奇がしきりに日本の美術を云々する。しかしこれは千人のうちの一人で、あくまでも物数奇の説だと心得て聞かなければならない。大体の上からいうと、そういう物数奇もやはり西洋の方が日本より偉いと思っているのだろう。余も残念ながらそう考える。もし日本に文学なり美術なりが出来るとすればこれからである。が、過去において日本人が既にこれだけの仕事をして置いてくれたという自覚は、未来の発展に少からぬ感化を与えるに違いない。だから余は喜んで『東洋美術図譜』を読者に紹介する。このうちから東洋にのみあって、西洋の美術には見出し得べからざる特長を観得する事が出来るならば、たといその特長が全体にわたらざる一種の風致にせよ、観得し得ただけそれだけその人の過去を偉大ならしむる訳である。従ってその人の将来をそれだけインスパイヤーする訳である。 ――明治四三、一、五『東京朝日新聞』――  ただいまは牧君の満洲問題――満洲の過去と満洲の未来というような問題について、大変条理の明かな、そうして秩序のよい演説がありました。そこで牧君の披露に依ると、そのあとへ出る私は一段と面白い話をするというようになっているが、なかなか牧君のように旨くできませぬ。ことに秩序が無かろうと思う。ただいま本社の人が明日の新聞に出すんだから、講演の梗概を二十行ばかりにつづめて書けという注文でしたが、それは書けないと言って断ったくらいです。それじゃアしゃべらないかというと、現にこうやってしゃべりつつある。しゃべる事はあるのですが、秩序とか何とかいう事が、ハッキリ句切りがついて頭に畳み込んでありませぬから、あるいは前後したり、混雑したり、いろいろお聴きにくいところがあるだろうと思います。ことにあなた方の頭も大分|労れておいででしょうから、まずなるべく短かく申そうと思う。  私の申すのは少しもむずかしいことではありません。満洲とか安南とかいう対外問題とは違って極やさしい「道楽と職業」という至極簡単なみだしです。内容も従って簡単なものであります。まあそれをちょっとわずかばかり御話をしようと思う。  元来こんな所へ来て講演をしようなどとは全く思いもよらぬことでありましたが、「是非出て来い」とこういう訳で、それでは何か問題を考えなければならぬからその問題を考える時間を与えてくれと言いましたら、社の方では宜しいと云って相応の日子を与えてくれました。ですから考えて来ないということも言えず、出て来ないということも無論言えず、それでとうとうここへ現われる事になりました。けれども明石という所は、海水浴をやる土地とは知っていましたが、演説をやる所とは、昨夜到着するまでも知りませんでした。どうしてああいう所で講演会を開くつもりか、ちょっとその意を得るに苦しんだくらいであります。ところが来て見ると非常に大きな建物があって、あそこで講演をやるのだと人から教えられて始めてもっともだと思いました。なるほどあれほどの建物を造ればその中で講演をする人をどこからか呼ばなければいわゆる宝の持腐れになるばかりでありましょう。したがって西日がカンカン照って暑くはあるが、せっかくの建物に対しても、あなた方は来て見る必要があり、また我々は講演をする義務があるとでも言おうか、まアあるものとしてこの壇上に立った訳である。  そこで「道楽と職業」という題。道楽と云いますと、悪い意味に取るとお酒を飲んだり、または何か花柳社会へ入ったりする、俗に道楽息子と云いますね、ああいう息子のする仕業、それを形容して道楽という。けれども私のここで云う道楽は、そんな狭い意味で使うのではない、もう少し広く応用の利く道楽である。善い意味、善い意味の道楽という字が使えるか使えないか、それは知りませぬが、だんだん話して行く中に分るだろうと思う。もし使えなかったら悪い意味にすればそれでよいのであります。  道楽と職業、一方に道楽という字を置いて、一方に職業という字を置いたのは、ちょうど東と西というようなもので、南北あるいは水火、つまり道楽と職業が相闘うところを話そうと、こういう訳である。すなわち道楽と職業というものは、どういうように関係して、どういうように食い違っているかということをまず話して――もっともその道楽も職業も、すでに御承知のあなた方にそういう事を言う必要もなし、私も強いてやりたくはないが、しかし前申したような訳でわざわざ出て来たものだから、そこはあなた方にすでに御分りになっている程度以上に、一歩でももう少し明かに分らせることが、私の力でできればそれで私の役目は済んだものと内々たかを括っているのであります。  それで我々は一口によく職業と云いますが、私この間も人に話したのですが、日本に今職業が何種類あって、それが昔に比べてどのくらいの数に殖えているかということを知っている人は、おそらく無いだろうと思う。現今の世の中では職業の数は煩雑になっている。私はかつて大学に職業学という講座を設けてはどうかということを考えた事がある。建議しやしませぬが、ただ考えたことがあるのです。なぜだというと、多くの学生が大学を出る。最高等の教育の府を出る。もちろん天下の秀才が出るものと仮定しまして、そうしてその秀才が出てから何をしているかというと、何か糊口の口がないか何か生活の手蔓はないかと朝から晩まで捜して歩いている。天下の秀才を何かないか何かないかと血眼にさせて遊ばせておくのは不経済の話で、一日遊ばせておけば一日の損である。二日遊ばせておけば二日の損である。ことに昨今のように米価の高い時はなおさらの損である。一日も早く職業を与えれば、父兄も安心するし当人も安心する。国家社会もそれだけ利益を受ける。それで四方八方良いことだらけになるのであるけれども、その秀才が夢中に奔走して、汗をダラダラ垂らしながら捜しているにもかかわらず、いわゆる職業というものがあまり無いようです。あまりどころかなかなか無い。今言う通り天下に職業の種類が何百種何千種あるか分らないくらい分布配列されているにかかわらず、どこへでも融通が利くべきはずの秀才が懸命に馳け廻っているにもかかわらず、自分の生命を託すべき職業がなかなか無い。三箇月も四箇月も遊んでいる人があるのでこれは気の毒だと思うと、豈計らんやすでに一年も二年もボンヤリして下宿に入ってなすこともなく暮しているものがある。現に私の知っている者のうちで、一年以上も下宿に立て籠って、いまだに下宿料を一文も払わないで茫然としている男がある。もっとも下宿の方でも信用しているから貸しておくし、当人もどうかなるだろうと思って安心はしているらしいが国家の経済からいうとずいぶん馬鹿気た話であります。私も多少知っている間柄だから気の毒に思って、職業は無いか職業は無いかぐらい人に尋ねて見るが、どこにもそう云う口が転がっていないので残念ながらまだそのままになっています。けれども今言う通り職業の種類が何百通りもあるのだから、理窟から云えばどこかへぶつかってしかるべきはずだと思うのです。ちょうど嫁を貰うようなもので自分の嫁はどこかにあるにきまってるし、また向うでも捜しているのは明らかな話しだが、つい旨く行かないといつまでも結婚が後れてしまう。それと同じでいくら秀才でも職業にぶつからなければしようがないのでしょう。だから大学に職業学という講座があって、職業は学理的にどういうように発展するものである。またどういう時世にはどんな職業が自然の進化の原則として出て来るものである。と一々明細に説明してやって、例えば東京市の地図が牛込区とか小石川区とか何区とかハッキリ分ってるように、職業の分化発展の意味も区域も盛衰も一目の下に暸然会得できるような仕かけにして、そうして自分の好きな所へ飛び込ましたらまことに便利じゃないかと思う。まあこれは空想です。実際やって見ないから分らぬが、恐らくできますまい。できたらよかろうと思うだけです。非常に経済なことにはなるでしょう。  こんな考を起すほどに私は今の日本に職業が非常にたくさんあるし、またその職業が混乱錯雑しているように思うのです。現にこの間も往来を通ったら妙な商売がありました。それは家とか土蔵とかを引きずって行くという商売なんだから私は驚いたのであります。この公会堂をこのまま他の場所へ持って行くという商売です。いくら東京に市区改正が激しく行われたって、そう毎年建てたばかりの家の位置を動かさなければならぬというように変化していやアしない。現に私の家などは建った時から今日まで市区改正に掛らずにいる。ほよど辺鄙な所にあるのだからでしょう。けれどもたとい繁華な所にいたって、そう始終家を引ッ張ッてッて貰わなければならぬという人はない。しかるにそれを専門に商売にしている者があるから、東京は広いと思ったのです。馬琴の小説には耳の垢取り長官とか云う人がいますが、他の耳垢を取る事を職業にでもしていたのでしょうか。西洋には爪を綺麗に掃除したり恰好をよくするという商売があります。近頃日本でも美顔術といって顔の垢を吸出して見たり、クリームを塗抹して見たりいろいろの化粧をしてくれる専門家が出て来ましたが、ああいう商売はおそらく昔はないのでしょう。今日のように職業が芋の蔓みたようにそれからそれへと延びて行っていろいろ種類が殖えなければ、美顔術などという細かな商売は存在ができなかろうと思う。もっとも昔はかえって今にない商売がありました。私の幼少の時は「柳の虫や赤蛙」などと云って売りに来た。何にしたものか今はただ売声だけ覚えています。それから「いたずらものはいないかな」と云って、旗を担いで往来を歩いて来たのもありました。子供の時分ですからその声を聞くと、ホラ来たと云って逃げたものである。よくよく聞いて見ると鼠取りの薬を売りに来たのだそうです。鼠のいたずらもので人間のいたずらものではないというのでやっと安心したくらいのものである。そんな妙な商売は近頃とんと無くなりましたが、締括った総体の高から云えば、どうも今日の方が職業というものはよほど多いだろうと思う。単に職業に変化があるばかりでなく、細かくなっている。現に唐物屋というものはこの間まで何でも売っていた。襟とか襟飾りとかあるいはズボン下、靴足袋、傘、靴、たいていなものがありました。身体へつけるいっさいの舶来品を売っていたと云っても差支ない。ところが近頃になるとそれが変ってシャツ屋はシャツ屋の専門ができる、傘屋は傘屋、靴屋は靴屋とちゃんと分れてしまいました。靴足袋屋……これはまだ専門はできないようだが、今にできるだろうと思います。現に日本の足袋屋は専門になっています。十文のをくれと云えば十文のをくれる、十一文のをくれろと云えば十一文のをくれる。私が演説を頼まれて即席に引受けないのは、足袋屋みたいにちょっと出来合いがないからです。どうか十文の講演をやってくれ、あそこは十一文|甲高の講演でなければ困るなどと注文される。そのくらいに私が演説の専門家になっていれば訳はありませんが私の御手際はそれほど専門的に発達していない。素人が義理に東京からわざわざ明石辺までやって来るというくらいの話でありますから、なかなかそう旨くはいきませぬ。足袋屋はさておいて食物屋の方でもチャンとした専門家があります。例えば牛肉も鳥の肉も食わせる所があるかと思うと、牛肉ばかりの家があるし、また鳥の肉でなければ食わせないという家もある。あるいはそれが一段細かくなって家鴨よりほかに食わせない店もある。しまいには鳥の爪だけ食わせる所とか牛の肝臓だけ料理する家ができるかも知れない。分れて行けばどこまで行くか分りません。こんなに劇しい世間だからしまいには大変なことになるだろうと思う。とにかく職業は開化が進むにつれて非常に多くなっていることが驚くばかり眼につくようです。ところがこれは当り前のことで学問の研究の上から世の中の変化とでも云いましょうか、漠然たる社会の傾向とでも云いましょうか、必然の勢そういうように割れて細かになって来るのであります。これは何も私の発明した事実でも何でもない、昔から人の言っていることであります。昔の職業というものは大まかで、何でも含んでいる。ちょうど田舎の呉服屋みたいに、反物を売っているかと思うと傘を売っておったり油も売るという、何屋だか分らぬ万事いっさいを売る家というようなものであったのが、だんだん専門的に傾いていろいろに分れる末はほとんど想像がつかないところまで細かに延びて行くのが一般の有様と行って差支ないでしょう。  ところでこの事実をずっと想像に訴えて遠い過去に溯ったらどうなるでしょう。あるいは想像でも溯れないかも知れないけれども、この事実の中に含まれている論理の力で後ろの方へ逆行したらどんなものでしょう。今言う通り昔は商売というものの数が少なかった。職業の数が少なくって、世間の人もそのわずかな商売をもって満足しておったという訳なのだから、あるいは傘を買いに行っても傘がない、衣物を買いに行っても衣物がないという時代がないとも限らない。私はかつて熊本におりましたが、或る時|灰吹を買いに行ったことがある。ところが灰吹はないと云う。熊本中どこを尋ねても無いかと云ったら無いだろうと云う。じゃ熊本では煙草を喫まないか痰を吐かないかというと現に煙草を喫んでいる。それでは灰吹はどうするんだと聞くと、裏の藪へ行って竹を伐って来て拵えるんだと教えてくれました。裏の藪から伐って来て、青竹の灰吹で間に合わしておけばよいと思っているところでは灰吹は売れない訳である。したがって売っているはずがないのである。そういう風に自分で人の厄介にならずに裏の藪へ行って竹を伐って灰吹を造るごとく、人のお世話にならないで自分の身の囲りをなるべく多く足す、また足さなければならない時代があったものでしょう。さてその事実を極端まで辿って行くと、いっさい万事自分の生活に関した事は衣食住ともいかなる方面にせよ人のお蔭を被らないで、自分だけで用を弁じておった時期があり得るという推測になる。人間がたった一人で世の中に存在しているということは、ほとんど想像もできないかも知れないし、またそこまで論理を頼りに推詰めて考える必要もない話ですが、そこまで行かないとちょっと講話にならないから、まあそうしておくのです。すなわち誰のお世話にもならないで人間が存在していたという時代を思い浮べて見る。例えば私がこの着物を自分で織って、この襟を自分で拵えて、総て自分だけで用を弁じて、何も人のお世話にならないという時期があったとする。また有ったとしてもよいでしょう。そういう時期が何時かあったらどうするという意味ではないが、まああると仮定して御覧なさい。そうしたらそういう時期こそ本当の独立独行という言葉の適当に使える時期じゃないでしょうか。人から月給を貰う心配もなければ朝起きて人にお早うと言わなければ機嫌が悪いという苦労もない。生活上|寸毫も人の厄介にならずに暮して行くのだから平気なものである。人にすくなくとも迷惑をかけないし、また人にいささかの恩義も受けないで済むのだから、これほど都合の好いことはない。そういう人が本当の意味で独立した人間といわなければならないでしょう。実際我々は時勢の必要上そうは行かないようなものの腹の中では人の世話にならないでどこまでも一本立でやって行きたいと思っているのだからつまりはこんな太古の人を一面には理想として生きているのである。けれども事実やむをえない、仕方がないからまず衣物を着る時には呉服屋の厄介になり、お菜を拵える時には豆腐屋の厄介になる。米も自分で搗くよりも人の搗いたのを買うということになる。その代りに自分は自分で米を搗き自分で着物を織ると同程度の或る専門的の事を人に向ってしつつあるという訳になる。私はいまだかつて衣物を織ったこともなければ、靴足袋を縫ったこともないけれども、自ら縫わぬ靴足袋、あるいは自ら織らぬ衣物の代りに、新聞へ下らぬ事を書くとか、あるいはこういう所へ出て来てお話をするとかして埋合せをつけているのです。私ばかりじゃない、誰でもそうです。するとこの一歩専門的になるというのはほかの意味でも何でもない、すなわち自分の力に余りある所、すなわち人よりも自分が一段と抽んでている点に向って人よりも仕事を一倍にして、その一倍の報酬に自分に不足した所を人から自分に仕向けて貰って相互の平均を保ちつつ生活を持続するという事に帰着する訳であります。それを極むずかしい形式に現わすというと、自分のためにする事はすなわち人のためにすることだという哲理をほのめかしたような文句になる。これでもまだちょっと分らないなら、それをもっと数学的に言い現わしますと、己のためにする仕事の分量は人のためにする仕事の分量と同じであるという方程式が立つのであります。人のためにする分量すなわち己のためにする分量であるから、人のためにする分量が少なければ少ないほど自分のためにはならない結果を生ずるのは自然の理であります。これに反して人のためになる仕事を余計すればするほど、それだけ己のためになるのもまた明かな因縁であります。この関係を最も簡単にかつ明暸に現わしているのは金ですな。つまり私が月給を拾五円なら拾五円取ると、拾五円|方人のために尽しているという訳で取りも直さずその拾五円が私の人に対して為し得る仕事の分量を示す符丁になっています。拾五円方人に対する労力を費す、そうして拾五円現金で入ればすなわちその拾五円は己のためになる拾五円に過ぎない。同じ訳で人のためにも千円の働きができれば、己のために千円使うことができるのだから誠に結構なことで、諸君もなるべく精出して人のためにお働きになればなるほど、自分にもますます贅沢のできる余裕を御作りになると変りはないから、なるべく人のために働く分別をなさるが宜しかろうと思う。  もっとも自分のためになると云ってもためになり方はいろいろある。第一その中から税などを払わなければならない。税を出して人に月給をやったり、巡査を雇っておいたり、あるいは国務大臣を馬車に乗せてやったりする。もっとも一人じゃアこれだけの事はできませぬ、我々大勢で金を出してやるのですが、畢竟ずるにあの税などもやはり自分のために出すのです。国務大臣が馬車や自動車に乗って怪しからんと言ったってそれは野暮の云う事です。我々が税を出して乗らしておいてやるので国務大臣のためじゃない、つまり己のためだと思えば間違はない。だから時々自動車ぐらい借りに行ってもよかろうと思う。税はそのくらいにしてこのほか己のためにするものは衣食住と他の贅沢費になります。それを合算すると、つまり銀行の帳簿のように収入と支出と平均します。すなわち人のためにする仕事の分量は取りも直さず己のためにする仕事の分量という方程式がちゃんと数字の上に現われて参ります。もっとも吝で蓄めている奴があるかも知れないが、これは例外である。例外であるが蓄めていればそれだけの労力というものを後へ繰越すのだから、やはり同じ理窟になります。よくあいつは遊んでいて憎らしいとかまたはごろごろしていて羨ましいとか金持の評判をするようですが、そもそも人間は遊んでいて食える訳のものではない。遊んでいるように見えるのは懐にある金が働いてくれているからのことで、その金というものは人のためにする事なしにただ遊んでいてできたものではない。親父が額に汗を出した記念だとかあるいは婆さんの臍繰だとか中には因縁付きの悪い金もありましょうけれども、とにかく何らか人のためにした符徴、人のためにしてやったその報酬というものが、つまり自分の金になって、そうして自分はそのお蔭でもって懐手をして遊んでいられるという訳でしょう。職業の性質というものはまあざっとこんなものです。  そこでネ、人のためにするという意味を間違えてはいけませんよ。人を教育するとか導くとか精神的にまた道義的に働きかけてその人のためになるという事だと解釈されるとちょっと困るのです。人のためにというのは、人の言うがままにとか、欲するがままにといういわゆる卑俗の意味で、もっと手短かに述べれば人の御機嫌を取ればというくらいの事に過ぎんのです。人にお世辞を使えばと云い変えても差支ないくらいのものです。だから御覧なさい。世の中には徳義的に観察するとずいぶん怪しからぬと思うような職業がありましょう。しかもその怪しからぬと思うような職業を渡世にしている奴は我々よりはよっぽどえらい生活をしているのがあります。しかし一面から云えば怪しからぬにせよ、道徳問題として見れば不埒にもせよ、事実の上から云えば最も人のためになることをしているから、それがまた最も己のためになって、最も贅沢を極めていると言わなければならぬのです。道徳問題じゃない、事実問題である。現に芸妓というようなものは、私はあまり関係しないからして精しいことは知らんけれどもとにかく一流の芸妓とか何とかなるとちょっと指環を買うのでも千円とか五百円という高価なものの中から撰取をして余裕があるように見える。私は今ここにニッケルの時計しか持っておらぬ。高尚な意味で云ったら芸妓よりも私の方が人のためにする事が多くはないだろうかという疑もあるが、どうも芸妓ほど人の気に入らない事もまたたしからしい。つまり芸妓は有徳な人だからああ云う贅沢ができる、いくら学問があっても徳の無い人間、人に好かれない人間というものは、ニッケルの時計ぐらい持って我慢しているよりほか仕方がないという結論に落ちて来る。だから私のいう人のためにするという意味は、一般の人の弱点|嗜好に投ずると云う大きな意味で、小さい道徳――道徳は小さくありませぬが、まず事実の一部分に過ぎないのだから小さいと云っても差支ないでしょう。そう云う高尚ではあるが偏狭な意味で人のためにするというのではなく、天然の事実そのものを引きくるめて何でもかでも人に歓迎されるという意味の「ためにする」仕事を指したのであります。  そこで職業上における己のため人のためと云う事は以上のように御記憶を願っておいて、話がまた後戻りをする恐れがあるかも知れないが、前申した通り人文発達の順序として職業が大変割れて細かくなると妙な結果を我々に与えるものだからその結果を一口御話をして、そうして先へ進みたいと思います。私の見るところによると職業の分化|錯綜から我々の受ける影響は種々ありましょうが、そのうちに見逃す事のできない一種妙な者があります。というのはほかでもないが開化の潮流が進めば進むほど、また職業の性質が分れれば分れるほど、我々は片輪な人間になってしまうという妙な現象が起るのであります。言い換えると自分の商売がしだいに専門的に傾いてくる上に、生存競争のために、人一倍の仕事で済んだものが二倍三倍|乃至四倍とだんだん速力を早めておいつかなければならないから、その方だけに時間と根気を費しがちであると同時に、お隣りの事や一軒おいたお隣りの事が皆目分らなくなってしまうのであります。こういうように人間が千筋も万筋もある職業線の上のただ一線しか往来しないで済むようになり、また他の線へ移る余裕がなくなるのはつまり吾人の社会的知識が狭く細く切りつめられるので、あたかも自ら好んで不具になると同じ結果だから、大きく云えば現代の文明は完全な人間を日に日に片輪者に打崩しつつ進むのだと評しても差支ないのであります。極の野蛮時代で人のお世話には全くならず、自分で身に纏うものを捜し出し、自分で井戸を掘って水を飲み、また自分で木の実か何かを拾って食って、不自由なく、不足なく、不足があるにしても苦しい顔もせずに我慢をしていれば、それこそ万事人に待つところなき点において、また生活上の知識をいっさい自分に備えたる点において完全な人間と云わなければなりますまい。ところが今の社会では人のお世話にならないで、一人前に暮らしているものはどこをどう尋ねたって一人もない。この意味からして皆不完全なものばかりである。のみならず自分の専門は、日に月に、年には無論のこと、ただ狭く細くなって行きさえすればそれですむのである。ちょうど針で掘抜井戸を作るとでも形容してしかるべき有様になって行くばかりです。何商売を例に取っても説明はできますが、この状態を最もよく証明しているものは専門学者などだろうと思います。昔の学者はすべての知識を自分一人で背負って立ったように見えますが、今の学者は自分の研究以外には何も知らない私が前申した意味の不具が揃っているのであります。私のような者でも世間ではたまに学者扱にしてくれますが、そうするとやっぱり不具の一人であります。なるほど私などは不具に違ない、どうもすくなくとも普通のことを知らない。区役所へ出す転居届の書き方も分らなければ、地面を売るにはどんな手続をしていいかさえ分らない。綿は綿の木のどんな所をどうして拵えるかも解し得ない。玉子豆腐はどうしてできるかこれまた不明である。食うことは知っているが拵える事は全く知らない。その他|味淋にしろ、醤油にしろ、なんにしろかにしろすべて知らないことだらけである。知識の上において非常な不具と云わなければなりますまい。けれどもすべてを知らない代りに一カ所か二カ所人より知っていることがある。そうして生活の時間をただその方面にばかり使ったものだから、完全な人間をますます遠ざかって、実に突飛なものになり終せてしまいました。私ばかりではない、かの博士とか何とか云うものも同様であります。あなた方は博士と云うと諸事万端人間いっさい天地宇宙の事を皆知っているように思うかも知れないが全くその反対で、実は不具の不具の最も不具な発達を遂げたものが博士になるのです。それだから私は博士を断りました。しかしあなた方は――手を叩いたって駄目です。現に博士という名にごまかされているのだから駄目です。例えば明石なら明石に医学博士が開業する、片方に医学士があるとする。そうすると医学博士の方へ行くでしょう。いくら手を叩いたって仕方がない、ごまかされるのです。内情を御話すれば博士の研究の多くは針の先きで井戸を掘るような仕事をするのです。深いことは深い。掘抜きだから深いことは深いが、いかんせん面積が非常に狭い。それを世間ではすべての方面に深い研究を積んだもの、全体の知識が万遍なく行き渡っていると誤解して信用をおきすぎるのです。現に博士論文と云うのを見ると存外細かな題目を捕えて、自分以外には興味もなければ知識もないような事項を穿鑿しているのが大分あるらしく思われます。ところが世間に向ってはただ医学博士、文学博士、法学博士として通っているからあたかも総ての知識をもっているかのように解釈される。あれは文部省が悪いのかも知れない。虎列剌病博士とか腸窒扶斯博士とか赤痢博士とかもっと判然と領分を明らかにした方が善くはないかと思う。肺病患者が赤痢の論文を出して博士になった医者の所へ行ったって差支はないが、その人に博士たる名誉を与えたのは肺病とは没交渉の赤痢であって見れば、単に博士の名で肺病を担ぎ込んでは勘違になるかも知れない。博士の事はそのくらいにしてただ以上をかい撮んで云うと、吾人は開化の潮流に押し流されて日に日に不具になりつつあるということだけは確かでしょう。それをほかの言葉でいうと自分一人ではとても生きていられない人間になりつつあるのである。自分の専門にしていることにかけては、不具的に非常に深いかも知れぬが、その代り一般的の事物については、大変に知識が欠乏した妙な変人ばかりできつつあるという意味です。  私は職業上己のためとか人のためとか云う言葉から出立してその先へ進むはずのところをツイわき道へそれて職業上の片輪という事を御話しし出したから、ついでにその片輪の所置について一言申上げて、また己のため人のための本論に立ち帰りたい。順序の乱れるのは口に駆られる講演の常として御許しを願います。  そこで世の中では――ことに昔の道徳観や昔堅気の親の意見やまたは一般世間の信用などから云いますと、あの人は家業に精を出す、感心だと云って賞めそやします。いわゆる家業に精を出す感心な人というのは取も直さず真黒になって働いている一般的の知識の欠乏した人間に過ぎないのだから面白い。露骨に云えば自ら進んで不具になるような人間を世の中では賞めているのです。それはとにかくとして現今のように各自の職業が細く深くなって知識や興味の面積が日に日に狭められて行くならば、吾人は表面上社会的共同生活を営んでいるとは申しながら、その実|銘々孤立して山の中に立て籠っていると一般で、隣り合せに居を卜していながら心は天涯にかけ離れて暮しているとでも評するよりほかに仕方がない有様に陥って来ます。これでは相互を了解する知識も同情も起りようがなく、せっかくかたまって生きていても内部の生活はむしろバラバラで何の連鎖もない。ちょうど乾涸びた糒のようなもので一粒一粒に孤立しているのだから根ッから面白くないでしょう。人間の職業が専門的になってまた各々自分の専門に頭を突込んで少しでも外面を見渡す余裕がなくなると当面の事以外は何も分らなくなる。また分らせようという興味も出て来にくい。それで差支ないと云えばそれまでであるが、現に家業にはいくら精通してもまたいくら勉強してもそればかりじゃどこか不足な訴が内部から萌して来て何となく充分に人間的な心持が味えないのだからやむをえない。したがってこの孤立支離の弊を何とかして矯めなければならなくなる。それを矯める方法を御話しするためにわざわざこの壇上に現われたのではないから詳しい事は述べませんが、また述べるにしたところで大体はすでに諸君も御承知の事であるが、まあ物のついでだから一言それに触れておきましょう。すでに個々介立の弊が相互の知識の欠乏と同情の稀薄から起ったとすれば、我々は自分の家業商売に逐われて日もまた足らぬ時間しかもたない身分であるにもかかわらず、その乏しい余裕を割いて一般の人間を広く了解しまたこれに同情し得る程度に互の温味を醸す法を講じなければならない。それにはこういう公会堂のようなものを作って時々講演者などを聘して知識上の啓発をはかるのも便法でありますし、またそう知的の方面ばかりでは窮屈すぎるから、いわゆる社交機関を利用して、互の歓情を※すのも良法でありましょう。時としては方便の道具として酒や女を用いても好いくらいのものでしょう。実業家などがむずかしい相談をするのにかえって見当違の待合などで落合って要領を得ているのも、全く酒色という人間の窮屈を融かし合う機械の具った場所で、その影響の下に、角の取れた同情のある人間らしい心持で相互に所置ができるからだろうと思います。現に事が纏るという実用上の言葉が人間として彼我打ち解けた非実用の快感状態から出立しなければならないのでも分りましょう。こういうと私が酒や女をむやみに推薦するようでちょっとおかしいが、私の申上げる主意はたとい弊害の多い酒や女や待合などが交際の機関として上流の人に用いられるのでも、人間は個々別々に孤立して互の融和同情を眼中に置かず、ただ自家専門の職業にのみ腐心してはいられないものだという例に御話したくらいのものであります。本来を云うと私はそういう社交機関よりも、諸君が本業に費やす時間以外の余裕を挙げて文学書を御読みにならん事を希望するのであります。これは我が田へ水を引くような議論にも見えますが、元来文学上の書物は専門的の述作ではない、多く一般の人間に共通な点について批評なり叙述なり試みた者であるから、職業のいかんにかかわらず、階級のいかんにかかわらず赤裸々の人間を赤裸々に結びつけて、そうしてすべての他の墻壁を打破する者でありますから、吾人が人間として相互に結びつくためには最も立派でまた最も弊の少ない機関だと思われるのです。少くとも芸妓を上げて酒を飲んだと同等以上の効果がありそうに思われるのであります。あなた方もこういう公会堂へわざわざこの暑いのに集まって、私のような者の言うことを黙って聴くような勇気があるのだから、そういう楽な時間を利用して少し御読みになったらいかがだろうと申したいのです。職業が細かくなりまた忙がしくなる結果我々が不具になるが、それはどうして矯正するかという問題はまずこのくらいにして、この講演の冒頭に述べた己のためとか人のためとかいう議論に立ち帰ってその約りをつけてこの講演を結びたいと思います。  それで前申した己のためにするとか人のためにするとかいう見地からして職業を観察すると、職業というものは要するに人のためにするものだという事に、どうしても根本義を置かなければなりません。人のためにする結果が己のためになるのだから、元はどうしても他人本位である。すでに他人本位であるからには種類の選択分量の多少すべて他を目安にして働かなければならない。要するに取捨興廃の権威共に自己の手中にはない事になる。したがって自分が最上と思う製作を世間に勧めて世間はいっこう顧みなかったり自分は心持が好くないので休みたくても世間は平日のごとく要求を恣にしたりすべて己を曲げて人に従わなくては商売にはならない。この自己を曲げるという事は成功には大切であるが心理的にははなはだ厭なものである。就中最も厭なものはどんな好な道でもある程度以上に強いられてその性質がしだいに嫌悪に変化する時にある。ところが職業とか専門とかいうものは前申す通り自分の需用以上その方面に働いてそうしてその自分に不要な部分を挙げて他の使用に供するのが目的であるから、自己を本位にして云えば当初から不必要でもあり、厭でもある事を強いてやるという意味である。よく人が商売となると何でも厭になるものだと云いますがその厭になる理由は全くこれがためなのです。いやしくも道楽である間は自分に勝手な仕事を自分の適宜な分量でやるのだから面白いに違ないが、その道楽が職業と変化する刹那に今まで自己にあった権威が突然他人の手に移るから快楽がたちまち苦痛になるのはやむをえない。打ち明けた御話が己のためにすればこそ好なので人のためにしなければならない義務を括りつけられればどうしたって面白くは行かないにきまっています。元来己を捨てるということは、道徳から云えばやむをえず不徳も犯そうし、知識から云えば己の程度を下げて無知な事も云おうし、人情から云えば己の義理を低くして阿漕な仕打もしようし、趣味から云えば己の芸術眼を下げて下劣な好尚に投じようし、十中八九の場合悪い方に傾きやすいから困るのである。例えば新聞を拵えてみても、あまり下品な事は書かない方がよいと思いながら、すでに商売であれば販売の形勢から考え営業の成立するくらいには俗衆の御機嫌を取らなければ立ち行かない。要するに職業と名のつく以上は趣味でも徳義でも知識でもすべて一般社会が本尊になって自分はこの本尊の鼻息を伺って生活するのが自然の理である。  ただここにどうしても他人本位では成立たない職業があります。それは科学者哲学者もしくは芸術家のようなもので、これらはまあ特別の一階級とでも見做すよりほかに仕方がないのです。哲学者とか科学者というものは直接世間の実生活に関係の遠い方面をのみ研究しているのだから、世の中に気に入ろうとしたって気に入れる訳でもなし、世の中でもこれらの人の態度いかんでその研究を買ったり買わなかったりする事も極めて少ないには違ないけれども、ああいう種類の人が物好きに実験室へ入って朝から晩まで仕事をしたり、または書斎に閉じ籠って深い考に沈んだりして万事を等閑に附している有様を見ると、世の中にあれほど己のためにしているものはないだろうと思わずにはいられないくらいです。それから芸術家もそうです。こうもしたらもっと評判が好くなるだろう、ああもしたらまだ活計向の助けになるだろうと傍の者から見ればいろいろ忠告のしたいところもあるが、本人はけっしてそんな作略はない、ただ自分の好な時に好なものを描いたり作ったりするだけである。もっとも当人がすでに人間であって相応に物質的|嗜欲のあるのは無論だから多少世間と折合って歩調を改める事がないでもないが、まあ大体から云うと自我中心で、極く卑近の意味の道徳から云えばこれほどわがままのものはない、これほど道楽なものはないくらいです。すでに御話をした通りおよそ職業として成立するためには何か人のためにする、すなわち世の嗜好に投ずると一般の御機嫌を取るところがなければならないのだが、本来から云うと道楽本位の科学者とか哲学者とかまた芸術家とかいうものはその立場からしてすでに職業の性質を失っていると云わなければならない。実際今の世で彼らは名前には職業として存在するが実質の上ではほとんど職業として認められないほど割に合わない報酬を受けているのでこの辺の消息はよく分るでしょう。現に科学者哲学者などは直接世間と取引しては食って行けないからたいていは政府の保護の下に大学教授とか何とかいう役になってやっと露命をつないでいる。芸術家でも時に容れられず世から顧みられないで自然本位を押し通す人はずいぶん惨澹たる境遇に沈淪しているものが多いのです。御承知の大雅堂でも今でこそ大した画工であるがその当時|毫も世間向の画をかかなかったために生涯真葛が原の陋居に潜んでまるで乞食と同じ一生を送りました。仏蘭西のミレーも生きている間は常に物質的の窮乏に苦しめられていました。またこれは個人の例ではないが日本の昔に盛んであった禅僧の修行などと云うものも極端な自然本位の道楽生活であります。彼らは見性のため究真のためすべてを抛って坐禅の工夫をします。黙然と坐している事が何で人のためになりましょう。善い意味にも悪い意味にも世間とは没交渉である点から見て彼ら禅僧は立派な道楽ものであります。したがって彼らはその苦行難行に対して世間から何らの物質的報酬を得ていません。麻の法衣を着て麦の飯を食ってあくまで道を求めていました。要するに原理は簡単で、物質的に人のためにする分量が多ければ多いほど物質的に己のためになり、精神的に己のためにすればするほど物質的には己の不為になるのであります。  以上申し上げた科学者哲学者もしくは芸術家の類が職業として優に存在し得るかは疑問として、これは自己本位でなければとうてい成功しないことだけは明かなようであります。なぜなればこれらが人のためにすると己というものは無くなってしまうからであります。ことに芸術家で己の無い芸術家は蝉の脱殻同然で、ほとんど役に立たない。自分に気の乗った作ができなくてただ人に迎えられたい一心でやる仕事には自己という精神が籠るはずがない。すべてが借り物になって魂の宿る余地がなくなるばかりです。私は芸術家というほどのものでもないが、まあ文学上の述作をやっているから、やはりこの種類に属する人間と云って差支ないでしょう。しかも何か書いて生活費を取って食っているのです。手短かに云えば文学を職業としているのです。けれども私が文学を職業とするのは、人のためにするすなわち己を捨てて世間の御機嫌を取り得た結果として職業としていると見るよりは、己のためにする結果すなわち自然なる芸術的心術の発現の結果が偶然人のためになって、人の気に入っただけの報酬が物質的に自分に反響して来たのだと見るのが本当だろうと思います。もしこれが天から人のためばかりの職業であって、根本的に己を枉げて始て存在し得る場合には、私は断然文学を止めなければならないかも知れぬ。幸いにして私自身を本位にした趣味なり批判なりが、偶然にも諸君の気に合って、その気に合った人だけに読まれ、気に合った人だけから少なくとも物質的の報酬、を得つつ今日まで押して来たのである。いくら考えても偶然の結果である。この偶然が壊れた日にはどっち本位にするかというと、私は私を本位にしなければ作物が自分から見て物にならない。私ばかりじゃない誰しも芸術家である以上はそう考えるでしょう。したがってこういう場合には、世間が芸術家を自分に引付けるよりも自分が芸術家に食付いて行くよりほかに仕様がないのであります。食付いて行かなければそれまでという話である。芸術家とか学者とかいうものは、この点においてわがままのものであるが、そのわがままなために彼らの道において成功する。他の言葉で云うと、彼らにとっては道楽すなわち本職なのである。彼らは自分の好きな時、自分の好きなものでなければ、書きもしなければ拵えもしない。至って横着な道楽者であるがすでに性質上道楽本位の職業をしているのだからやむをえないのです。そういう人をして己を捨てなければ立ち行かぬように強いたりまたは否応なしに天然を枉げさせたりするのは、まずその人を殺すと同じ結果に陥るのです。私は新聞に関係がありますが、幸にして社主からしてモッと売れ口のよいような小説を書けとか、あるいはモッとたくさん書かなくちゃいかんとか、そういう外圧的の注意を受けたことは今日までとんとありませぬ。社の方では私に私本位の下に述作する事を大体の上で許してくれつつある。その代り月給も昇げてくれないが、いくら月給を昇げてくれてもこういう取扱を変じて万事営業本位だけで作物の性質や分量を指定されてはそれこそ大いに困るのであります。私ばかりではないすべての芸術家科学者哲学者はみなそうだろうと思う。彼らは一も二もなく道楽本位に生活する人間だからである。大変わがままのようであるけれども、事実そうなのである。したがって恒産のない以上科学者でも哲学者でも政府の保護か個人の保護がなければまあ昔の禅僧ぐらいの生活を標準として暮さなければならないはずである。直接世間を相手にする芸術家に至ってはもしその述作なり製作がどこか社会の一部に反響を起して、その反響が物質的報酬となって現われて来ない以上は餓死するよりほかに仕方がない。己を枉げるという事と彼らの仕事とは全然妥協を許さない性質のものだからである。  私は職業の性質やら特色についてはじめに一言を費やし、開化の趨勢上その社会に及ぼす影響を述べ、最後に職業と道楽の関係を説き、その末段に道楽的職業というような一種の変体のある事を御吹聴に及んで私などの職業がどの点まで職業でどの点までが道楽であるかを諸君に大体|理会せしめたつもりであります。これでこの講演を終ります。 ――明治四十四年八月明石において述――  一方に斯んな考えがあった。――  好い所を世間から認められた諸作家の特色を胸に蔵して、其標準で新しい作物に向うと、まだ其作物を読まないうちに、早く既に型に堕在している。従ってわが評論は誠実でも、わが態度は独立でも、又わが言説の内容は妥当でも、始めから此方に定まった尺度を持っていて、其尺度で測ってならないもの迄も律したがる弊が出る。其結果は働きのない死んだ批評に陥って仕舞う事がよくある。  夫よりか、今日迄文壇に認められなかった、若くは顧みられなかった、新しい特殊な趣味を、ある作物のうちに発見して、それを天下に紹介する方が評家に取って痛快な場合が多い。又其特殊な趣味が容易に多数に肯われない所を、決然身を挺して唱道する所が、評家会心の点らしい。文壇はこれがために、新領土を手に入れたと同じ訳になるからである。  一方に又|斯んな事実があった。――  近頃文芸の雑誌がしきりに殖える。毎月活版に組まれる創作の数も余程の数に上って来た。評論の筆を執るものが、一々それを熟読する機会を失った。余の如き自家の職業上、文芸の諸雑誌に一応眼を通すべき義務を感じていてさえ、多忙のため果さざる月が多い。   漸く手の隙いた頃を見計って、読み落した諸家の短篇物を読んで行くうちに、無名の人の筆に成ったもので、名声のある大家の作と比べて遜色のないもの、或はある意味から云って、却てそれよりも優れていると思われるものが間々出て来た。そうして当時の評論を調べて見ると、是等の作物が全く問題になって居ない。青木健作氏の「虻」抔は好例である。  型に入った批評家のために閑却され、多忙のため不公平を甘んずる批評家のために閑却されては、作家は気の毒である。時と場合の許す限りそういう弊は矯正したい。「朝日」に長塚節氏の「土」を掲げるのも幾分か此主意である。  二三年前節氏の佐渡記行を読んで感服した事がある。記行文であったけれども普通の小説よりも面白いと思った。氏はまだ若い人である。しかも若い人に似合わず落ち付き払って、行くべき路を行って、少しも時好を追わない。是はわざと流行に反対したの何のという六ずかしい意味ではなくて、氏には本来芸術的な一片の性情があって、氏はただ其性情に従うの外、他を顧みる暇を有たないのである。余は其態度を床しく思った。  尤も今度|載せる「土」の出来栄は、今から先を見越した様な予言が出来る程進行していない。最初余から交渉した時、節氏は自分の責任の重いのを気遣って長い間返事を寄こさなかった。夫から漸く遣って見様という挨拶が来た。夫から四十枚程原稿が来た。予告は此原稿と、氏の書信によって、草平氏が書いた。今の所余は「土」の一篇がうまく成功する事を氏のために、読者のために、且新聞のために祈るのみである。  有名な英国の碩学ミルは若い時、同じく若いテニソンをロンドン・リポジトリ紙上に紹介して、猶其次号にブラウニングを紹介しようとした。主筆から彼の批評は既に前号に載せたという返書を得て調べて見ると、頁の最後の一行にただ「ポーリン是は譫言なり」とあった。同雑誌の編輯者が一行余った処へ埋草に入れたものである。ブラウニングは後年人に語って、あの批評のために自分が世間に知られる機会が二十年後れたと云った。  余が新しい作家を紹介するのは、ミルを以て自ら任ずると云うより、かかる無責任な評論家の手から、望みのある人を救おうとする老婆心である。  私はこの地方にいるものではありません、東京の方に平生|住っております。今度大阪の社の方で講演会を諸所で開きますについて、助勢をしろという命令――だか通知だか依頼だかとにかく催しに参加しなければならないような相談を受けました。それでわざわざ出て参りました。もっともこの堺だけで御話をしてすぐ東京表へ立ち帰るという訳でもないので、現に明石の方へ行きましたり、和歌山の方へ参りましたり、明日はまた大阪でやる手順になっております。無論話すことさえあれば、どこへ行って何をやっても差支ないはずですが、暑中の際そうそう身体も続きませぬから、好い加減のところで断りたいと思っております。しかしこの堺は当初からの約束で是非何か講話をすべきはずになっておりましたから私の方もそれは覚悟の上で参りました。したがってしっかりした御話らしい御話をしなければならない訳でありますが、どうもそう旨く行かないからはなはだ御気の毒です。ただいまは高原君が樺太旅行談つけたり海豹島などの話をされましたが実地の見聞談で誠に有益でもあり、かつ面白く聴いておりました。私のは諸君に興味または利益を与えるという点において、とても高原君ほどに参りませぬ。高原君は御覧の通りフロックコートを着ておりましたが、私はこの通り背広で御免蒙るような訳で、御話の面白さもまたこの服装の相違くらい懸隔しているかも知れませんから、まずその辺のところと思って辛抱してお聴きを願います。高原君はしきりに聴衆諸君に向って厭になったら遠慮なく途中で御帰りなさいと云われたようですが私は厭になっても是非聴いていていただきたいので、その代り高原君ほど長くはやりません。この暑いのにそう長くやっては何だか脳貧血でも起しそうで危険ですからできるだけ縮めてさっさと片づけますから、その間は帰らずに、暑くても我慢をして、終った時に拍手|喝采をして、そうしてめでたく閉会をして下さい。  私は先年堺へ来たことがあります。これはよほど前私がまだ書生時代の事で、明治二十何年になりますか、何でもよほど久しい事のように記憶しております。実を言うと今登った高原君、あれは私が高等学校で教えていた時分の御弟子であります。ああいう立派なお弟子を持っているくらいでありますから、私もよほど年を取りました。その私がまだ若い時の事ですからまあ昔といっても宜しゅうございましょう。今考えるとほとんどその時に見た堺の記憶と云うものはありませんが、何でも妙国寺と云うお寺へ行って蘇鉄を探したように覚えております。それからその御寺の傍に小刀や庖丁を売る店があって記念のためちょっとした刃物をそこで求めたようにも覚えています。それから海岸へ行ったら大きな料理店があったようにも記憶しています。その料理店の名はたしか一力とか云いました。すべてがぼんやりして思い出すとまるで夢のようであります。その夢のような堺へ今日|図らずも来て再び昔の町を車に揺られながら通ってみると非常に広いような心持がする。停車場からこの会場までの道程も大分ある。こう申しては失礼であるが昔見た時はごくケチな所であったかのようにしか、頭に映じないのであります。それで車の上で感服したような驚いたような顔をして、きょろきょろ見廻して来ると所々の辻々に講演の看板と云いますか、広告と云いますか、夏目漱石君などと云うような名前が墨黒々と書いて壁に貼りつけてある。何だか雲右衛門か何かが興行のため乗り込んだようである。社の方から云えばあの方がよいのでしょうが、夏目漱石氏から云えばああ曝しものになるのはあまりありがたくない。なお車の上で観察すると往来の幅がはなはだ狭い。がそれは問題ではない、私の妙に感じたのはその細い往来がヒッソリして非常に静かに昼寝でもしているように見えた事であります。もっとも夏の真午だからあまり人が戸外に出る必要のない時間だったのでしょう、私がここに着いたのはちょうど十二時少し過でありました。二階へ上って長い廊下のはずれに見える会場の入口から中の方を見渡すと、少し人の頭が黒く見えたぐらいで、市内がヒッソリしているごとく聴衆もまたヒッソリしている。これは幸いだ――とは思いません、また困ったとまでも思いません。けれどもまあ不入りだろうと考えながら控席へ入って休息していると、いつの間にやらこんなに人が集って来た。この講堂にかくまでつめかけられた人数の景況から推すと堺と云う所はけっして吝な所ではない、偉い所に違いない。市中があれほどヒッソリしているにかかわらず、時間が来さえすればこれほど多数の聴衆がお集まりになるのは偉い、よほど講演趣味の発達した所だろうと思われる。私もせっかく東京からわざわざ出て来たものでありますから、なろうことならば講演趣味の最も発達した堺のような所で、一度でも講演をすれば誠に心持がよい。だから諸君もその志を諒として、終いまで静粛にお聴きにならんことを希望します。このくらいにしてここに張り出した「中味と形式」という題にでも移りますかな。  第一、題からしてあまり面白そうには見えません。中味は無論つまらなそうです。私は学会の演説は時々依頼を受けてやる事がありますが、こう云う公衆、すなわち種々の職業をもった方がお集まりになった席ではあまり御話をした経験がありません。また頼みにも来ません。頼まれてもたいていは断ります。と申すのは種々の職業をもっておられる方々の総てに興味のあるようなことは、私の研究の範囲、あるいは興味の範囲からしてとても力に及ばないという掛念があるからです。でなるべくは避けておりますが、やむをえず今日のような場合には、できるだけ一般の人に興味のあるために、社会問題と云うようなものを択みます。けれどもその社会の見方とかあるいは人間の観察の仕方とかがまた自然私の今日までやった学問やら研究に煩わされてどうも好きな方ばかりへ傾きやすいのは免かれがたいところでありますから、職業の如何、興味の如何に依っては、誠に面白くない駄弁に始って下らない饒舌に終ることだろうと思うのです。のみならずこれからやる中味と形式という問題が今申した通りあまり乾燥して光沢気の乏しいみだしなのでことさら懸念をいたします。が言訳はこのくらいでたくさんでしょうからそろそろ先へ進みましょう。  私は家に子供がたくさんおります。女が五人に男が二人、〆めて七人、それで一番上の子供が十三ですから赤ん坊に至るまでズッと順よく並んでまあ体裁よく揃っております。それはどうでも宜しいがかように子供が多うございますから、時々いろいろの請求を受けます。跳ねる馬を買ってくれとか動く電車を買ってくれとかいろいろ強請られるうちに、活動写真へ連れて行けと云う注文が折々出ます。元来私は活動写真と云うものをあまり好きません。どうも芝居の真似などをしたり変な声色を使ったりして厭気のさすものです。その上何ぞというと擲ったり蹴飛したり惨酷な写真を入れるので子供の教育上はなはだ宜しくないからなるべくやりたくないのですが、子供の方ではしきりに行きたかがるので――もっとも活動写真と云ったって必ず女が出て来て妙な科をするとはきまっていない、中には馬鹿気て滑稽なのもたくさんありますから子供の見たがるのも無理ではないかも知れません。で三度に一度は頑固な私もつい連れ出される事があります。監督者と云いますか、何と云いますか、まず案内者あるいはお傅とでも云う格なんでしょう。暑い所へ入って鼻の頭へ汗の玉を並べて我慢をして動かずにいる事があります。すると子供からよく質問を受けて弱るのです。もっとも滑稽物や何かで帽子を飛ばして町内中|逐かけて行くと云ったような仕草は、ただそのままのおかしみで子供だって見ていさえすれば分りますから質問の出る訳もありませんが、人情物、芝居がかった続き物になると時々聞かれます。その問ははなはだ簡単でただ何方が善人で何方が悪人かと云うだけなんです。私から云えば何方も人間にはなっていない、善人にも悪人にもなっておらない。よしなっていたって、幼稚にしろ筋は子供の頭より込入っているからそう一口に判断を下してやる訳には行かない。それでどうも迷児つかされる事がたびたび出て来るのです。大人から云えば、ただ見ていて事件の進行と筋の運び方さえ腑に落ちればそれですむのですけれども、悲しいかな子供にはそれほど一部始終を呑み込む頭がない。と云ってただ茫然と幕に映る人物の影がしきりに活動するのを眺めている訳にも行かない。どうかしてこの込み入った画の配合や人間の立ち廻りを鷲抓みに引っくるめてその特色を最も簡明な形式で頭へ入れたいについてはすでに幼稚な頭の中に幾分でも髣髴できる倫理上の二大性質――善か悪かを取りきめてこの錯雑した光景を締め括りたい希望からこういう質問をかけるものと思われます。活動写真はまだよい。ところがお伽噺や歴史の本などを見て、昔の英雄などについてやはり同様に簡単な質問をかけられる事がある。太閤様と正成とどっちが偉いとか、ワシントンとナポレオンとどっちが強いとか、常陸山と弁慶と相撲を取ったらどっちが勝つとか、中には返答に困らないのもあるが、多くは挨拶に窮する問題である。要するに複雑な内容を纏め得る程度以上に纏めた簡略な形式にして見せろと逼られるのだから困ります。もっとも近来は小学校などでも生徒に問題を出して日本の現代の人物中で誰が一番偉いかなどと聞く先生がある。この間私が或る地方へ行ったらある新聞でそういう問題を出して小学生徒から答案の投書を募っていました。その中で自分の叔父さんが一番偉いという答を寄こしたのがあると聞いてはなはだ面白く感じました。自分の親父が天下一の人物だなどは至極好い了見で結構です。それは余事であるが、とにかく先生や新聞などからして、日本にたった一人偉い人があって、その人は甲にも乙にも丙にも凌駕しているからあててみろというような数学的の問題を出す世の中だから子供から質問が出るのも無理はない。しかし困ります。楠正成と豊臣秀吉とどっちが偉いと云うが、見方でいろいろな結論もできるし、そう白でなければ黒といった風に手早く相場をつける訳にも行かないし、要するに複雑な智識があればあるほど面喰うようになります。  こんな例を御話しするのはただ馬鹿らしいから御笑草に御聞きに入れるまでの事だと御思いになるかも知れんが、実はそうではない。こう批評して見るとなるほど子供は幼稚で気の毒なものだとしかとれませんが、その幼稚で気の毒の事を大人たる我々があえてしているのだからはなはだ情ない次第で、私は大人として子供はかくのごとくたわいないものだという証拠に自分の娘や何かを例に引いたのではなく、かえって大人もまたこの例に洩れぬ迂愚なものだという事を証明したいと思ってちょっと分りやすい小児を例に用いたのであります。すべて政治家なり文学者なりあるいは実業家なりを比較する場合に誰より誰の方が偉いとか優っているとか云って、一概に上下の区別を立てようとするのはたいていの場合においてその道に暗い素人のやる事であります。専門の智識が豊かでよく事情が精しく分っていると、そう手短かに纏めた批評を頭の中に貯えて安心する必要もなく、また批評をしようとすれば複雑な関係が頭に明暸に出てくるからなかなか「甲より乙が偉い」という簡潔な形式によって判断が浮んで来ないのであります。幼稚な智識をもった者、没分暁漢あるいは門外漢になると知らぬ事を知らないですましているのが至当であり、また本人もそのつもりで平気でいるのでしょうが、どうも処世上の便宜からそう無頓着でいにくくなる場合があるのと、一つは物数奇にせよ問題の要点だけは胸に畳み込んでおく方が心丈夫なので、とかく最後の判断のみを要求したがります。さてその最後の判断と云えば善悪とか優劣とかそう範疇はたくさんないのですが無理にもこの尺度に合うようにどんな複雑なものでも委細|御構なく切り約められるものと仮定してかかるのであります。中味は込入っていて眼がちらちらするだけだからせめて締括った総勘定だけ知りたいと云うなら、まだ穏当な点もあるが、どんな動物を見ても要するにこれは牛かい馬かい牛馬一点張りですべて四つ足を品隲されては大分無理ができる。門外漢というものはこの無理に気がつかない、また気がついても構わない。どんな無理な判断でも与えてくれさえすれば安心する。だからお上でも高等官一等を拵えてみたり、二等を拵えてみたり、あるいは学士、博士を拵えてみたりして門外漢に対して便宜を与え、一種の締括りある二字か三字の記号を本来の区別と心得て満足する連中に安慰を与えている。以上を一口にして云えば物の内容を知り尽した人間、中味の内に生息している人間はそれほど形式に拘泥しないし、また無理な形式を喜ばない傾があるが、門外漢になると中味が分らなくってもとにかく形式だけは知りたがる、そうしてその形式がいかにその物を現すに不適当であっても何でも構わずに一種の智識として尊重すると云う事になるのであります。  これは複雑の事を簡略の例で御話をするのでありますから、そのつもりでお聴きを願いますが、ここに一つの平面があって、それに他の平面が交叉しているとすると、この二つの平面の関係は何で示すかというと、申すまでもなくその両面の喰違った角度である。どっちが高いのでもないどっちが低いのでもない。三十度の角度をなしているとか、六十度の角度をなしているとか云えば極めて明暸でそれより以外に説明する事も質問する事も何にもないのであります。それをこの二面がいつでも偶然平らに並行でもしているかのごとき了見で、全体どっちが高いのですと聞かなければ承知ができないのは痛み入ります。人間と人間、事件と事件が衝突したり、捲き合ったり、ぐるぐる回転したりする時その優劣上下が明かに分るような性質程度で、その成行が比較さえできればいい訳だが、惜しい哉この比較をするだけの材料、比較をするだけの頭、纏めるだけの根気がないために、すなわち門外漢であるがために、どうしても角度を知ることができないために、上下とか優劣とか持ち合せの定規で間に合せたくなるのは今申す通り門外漢の通弊でありますが、私の見るところでは豈独り門外漢のみならんやで、専門の学者もまたそう威張れた義理でもないような概括をして平気でいるのだから驚かれるのです。  学者と云うものは、いろいろの事実を集めて法則を作ったり概括を致します。あるいは何主義とか号してその主義を一纏めに致します。これは科学にあっても哲学にあっても必要の事であり、また便宜な事で誰しもそれに異存のあるはずはございません。例えば進化論とか、勢力保存とか云うとその言葉自身が必要であるばかりでなく、実際の事実の上において役に立っています。けれども悪くすると前申した子供や門外漢と同じように、内容にあまり合わない形式を拵えてただ表面上の纏りで満足している事が往々あるように思います。この間私は或学者の書いた本を読みました。それはオイケンと云って、近頃|独逸で、有名な学者の著わしたものであります。もっともたくさんの著述のうちでごく短かい一冊を読んだだけでありますが、とにかくその人の説の中にこういう事が書いてありました。現代の人はしきりに自由とか開放とかいうような事を主張する。同時に秩序とか組織とか云うものを要求している。一方では束縛を解いて自由にして貰わなければたまらないと云っていながら、一方では秩序とか組織を立てなければ事業が発展しないと騒いでいる。が、この二つの要求を較べると明かに矛盾である。――ここまでは宜しいのです。しかしオイケンはこの矛盾はどっちかに片づけなければならず、また片づけらるべきものであるかのごとき語気で論じていたように記憶していますが――すなわちそういうように相反する事を同時に唱えておっては矛盾だから、モッと一纏めにして、意味のある生活を人がやって行かなければならぬというような事を言うのです。ですがあなた方はまあどうお考えになりますか。オイケンの云う通りでよいと御思いですか、はたしてこの矛盾が一纏めになるものとお思いになりますか。また明かに矛盾しているというお考えでありますか。あなた方にこんな質問をかけたってつまらない、また掛ける必要もありません。が私はどう考えてもオイケンの説は無理だと思うのです。なぜ無理だと言いますと、資本家とかあるいは政府とか、あるいは教育者とか云うものが、総て多数の人間を相手にしてそうして、何か事を手早く運び、手際よく片づけようと云うためには、どうしたって統一と云う事と、組織と云う事と、秩序と云う事を真向に振翳さなければできない話である。例えば実業家が事業をする。そのために人夫を百人雇う。職工を千人雇う。そうして彼らの間に規律と云うものが無かったならば、――彼らのうちには今日は頭が痛いから休むというものもできようし、朝の七時からは厭だからおれは午後から出るとわがままを云うものもできようし、あるいは今日は少し早く切り上げて寄席へ行くとか、あるいは今日は朝出がけに酒を飲むんだとか各々勝手な事を、ばらばらに行動されてはせっかく一箇月でできる事業も一年かかるか二年かかるか見込が立たなくなります。けれどもどうでしょうこういう軍人教育者実業家などが公務をしまって家へ帰ってさあこれからがおれの身体だという場合に、やはり同じような窮屈極まる生活に甘んずるでしょうか。人によっては寝食の時間など大変規則正しい人もあるかも知れないが、原則から云えば楽に自由な骨休めをしたいと願いまたできるだけその呑気主義を実行するのが一般の習慣であります。すると彼らには明かに背馳した両面の生活がある事になる。業務についた自分と業務を離れた自分とはどう見たって矛盾である。しかしこの矛盾は生活の性質から出るやむをえざる矛盾だから、形式から云えばいかにも矛盾のようであるけれども、実際の内面生活から云えばかく二様になる方がかえって本来の調和であって、無理にそれを片づけようとするならばそれこそ真の矛盾に陥る訳じゃなかろうかと思います。なぜというと、一つは人を支配するための生活で、一つは自分の嗜慾を満足させるための生活なのだから、意味が全く違う。意味が違えば様子も違うのがもっともだといったような話であります。反対の例を挙げて今度は同じ事を逆に説明してみましょう。世間には芸術家という一種の職業がある。これはすこぶる気まぐれ商売で、共同的にはけっして仕事ができない性質のものであります。幾らやかましい小言を云われても個人的にこつこつやって行くのが原則になっています。しかもその個人が気の向いた時でなければけっして働けない。また働かないというはなはだわがままな自己本位の家業になっている。だから朝七時から十二時まで働かなければならないという秩序や組織や順序があったところで、それだけ手際の良い仕事はできるものでない。すなわち自分の気の向いた時にやったものが一番気の乗った製作となって現われる。したがって芸術家に対しては今申した資本家教育者などの執務ぶりや授業ぶりはあてはまらない。がその個人的に出来上った芸術家でも、彼ら同業者の利益を団体として保護するためには、会なり倶楽部なり、組合なりを組織して、規則その他の束縛を受ける必要ができてくる。彼らの或者は今現にこれを実行しつつある。してみれば放縦不羈を生命とする芸術家ですらも時と場合には組織立った会を起し、秩序ある行動を取り、統一のある機関を備えるのである。私はこれを生活の両面に伴う調和と名づけて、けっして矛盾の名を下したくない。矛盾には違なかろうがそれは単に形式上の矛盾であって内面の消息から云えばかえって生活の融合なのである。  ここに学者なるものがあって、突然声を大にして、それは明かに矛盾である、どっちか一方が善くって一方が悪いにきまっている、あるいは一方が一方より小さくて一方が大きいに違いないから、一纏めにしてモッと大きなもので括らなければならないと云ったならば、この学者は統一好きな学者の精神はあるにもかかわらず、実際には疎い人と云わなければならない。現にオイケンと云う人の著述を数多くは読んでおりませんが、私の読んだ限りで云えば、こんな非難を加えることができるようにも思います。こう論じてくると何だか学者は無用の長物のようにも見えるでしょうが私はけっしてそんな過激の説を抱いているものではありません。学者は無論有益のものであります。学者のやる統一、概括と云うものの御蔭で我々は日常どのくらい便宜を得ているか分りません。前に挙げた進化論と云う三字の言葉だけでも大変重宝なものであります。しかしながら彼ら学者にはすべてを統一したいという念が強いために、出来得る限り何でもかでも統一しようとあせる結果、また学者の常態として冷然たる傍観者の地位に立つ場合が多いため、ただ形式だけの統一で中味の統一にも何にもならない纏め方をして得意になる事も少なくないのは争うべからざる事実であると私は断言したいのです。  冷然たる傍観者の態度がなぜにこの弊を醸すかとの御質問があるなら私はこう説明したい。ちょっと考えると、彼らは常人より判明した頭をもって、普通の者より根気強く、しっかり考えるのだから彼らの纏めたものに間違はないはずだと、こういうことになりますが、彼らは彼らの取扱う材料から一歩|退いて佇立む癖がある。云い換えれば研究の対象をどこまでも自分から離して眼の前に置こうとする。徹頭徹尾観察者である。観察者である以上は相手と同化する事はほとんど望めない。相手を研究し相手を知るというのは離れて知るの意でその物になりすましてこれを体得するのとは全く趣が違う。幾ら科学者が綿密に自然を研究したって、必竟ずるに自然は元の自然で自分も元の自分で、けっして自分が自然に変化する時期が来ないごとく、哲学者の研究もまた永久局外者としての研究で当の相手たる人間の性情に共通の脈を打たしていない場合が多い。学校の倫理の先生が幾ら偉い事を言ったって、つまり生徒は生徒、自分は自分と離れているから生徒の動作だけを形式的に研究する事はできても、事実生徒になって考える事は覚束ないのと一般である。傍観者と云うものは岡目八目とも云い、当局者は迷うと云う諺さえあるくらいだから、冷静に構える便宜があって観察する事物がよく分る地位には違ありませんが、その分り方は要するに自分の事が自分に分るのとは大いに趣を異にしている。こういう分り方で纏め上げたものは器械的に流れやすいのは当然でありましょう。換言すれば形式の上ではよく纏まるけれども、中味から云うといっこう纏っていないというような場合が出て来るのであります。がつまり外からして観察をして相手を離れてその形をきめるだけで内部へ入り込んでその裏面の活動からして自から出る形式を捉え得ないという事になるのです。  これに反して自から活動しているものはその活動の形式が明かに自分の頭に纏って出て来ないかも知れない代りに、観察者の態度を維持しがちの学者のように表面上の矛盾などを無理に纏めようとする弊害には陥る憂がない。さきほどオイケンの批評をやって形式上の矛盾を中味の矛盾と取り違えて是非纏めようとするは迂濶だと云って非難しましたが、あの例にしてからが、もしオイケン自身がこの矛盾のごとく見える生活の両面を親しく体現して、一方では秩序を重んじ一方では開放の必要を同時に感じていたならば、たとい形式上こういう結論に到着したところで、どうも変だどこかに手落があるはずだとまず自から疑いを起して内省もし得たろうと思うのです。いくら哲学的でも、概括的でも、自分の生活に親しみのない以上は、この概括をあえてすると同時にハテおかしいぞ変だなと勘づかなければなりません。勘づいて内省の結果だんだん分解の歩を進めて見ると、なるほど形式の方にはそれだけの手落があり、抜目があると云うことが判然して来るべきです。だからして中味を持っているものすなわち実生活の経験を甞めているものはその実生活がいかなる形式になるかよく考える暇さえないかも知れないけれども、内容だけはたしかに体得しているし、また外形を纏める人は、誠に綺麗に手際よく纏めるかも知れぬけれども、どこかに手落があり勝である。ちょうど文法というものを中学の生徒などが習いますが、文法を習ったからといってそれがため会話が上手にはなれず、文法は不得意でも話は達者にもやれる通弁などいうものもあって、その方が実際役に立つと同じ事です。同じような例ですが歌を作る規則を知っているから、和歌が上手だと云ったらおかしいでしょう、上手の作った歌がその内に自然と歌の規則を含んでいるのでしょう。文法家に名文家なく、歌の規則などを研究する人に歌人が乏しいとはよく人のいうところですが、もしそうするとせっかく拵えた文法に妙に融通の利かない杓子定規のところができたり、また苦心して纏めた歌の法則も時には好い歌を殺す道具になるように、実地の生活の波濤をもぐって来ない学者の概括は中味の性質に頓着なくただ形式的に纏めたような弱点が出てくるのもやむをえない訳であります。なおこの理を適切に申しますと、幾ら形と云うものがはっきり頭に分っておっても、どれほどこうならなければならぬという確信があっても、単に形式の上でのみ纏っているだけで、事実それを実現して見ないときには、いつでも不安心のものであります。それはあなた方の御経験でも分りましょう。四五年前日露戦争と云うものがありました。露西亜と日本とどっちが勝つかというずいぶんな大戦争でありました。日本の国是はつまり開戦説で、とうとうあの露西亜と戦をして勝ちましたが、あの戦を開いたのはけっして無謀にやったのではありますまい。必ず相当の論拠があり、研究もあって、露西亜の兵隊が何万満洲へ繰出すうちには、日本ではこれだけ繰出せるとか、あるいは大砲は何門あるとか、兵糧はどのくらいあるとか、軍資はどのくらいであるとかたいていの見込は立てたものでありましょう。見込が立たなければ戦争などはできるはずのものではありません。がその戦争をやる前、やる間際、及びやりつつある間、どのくらい心配をしたか分らない。と云うのはいかに見込のちゃんと明かに立ったものにせよただ形式の上で纏っただけでは不安でたまらないのであります。当初の計画通りを実行してそうして旨く見込に違わない成績をふり返って見て、なるほどと始めて合点して納得の行ったような顔をするのは、いくら綺麗に形だけが纏っていても実際の経験がそれを証拠立ててくれない以上は大いに心細いのであります。つまり外形というものはそれほどの強味がないという事に帰着するのです。近頃|流行る飛行機でもその通りで、いろいろ学理的に考えた結果、こういう風に羽翼を附けてこういうように飛ばせば飛ばぬはずはないと見込がついた上でさて雛形を拵えて飛ばして見ればはたして飛ぶ。飛ぶことは飛ぶので一応安心はするようなもののそれに自分が乗っていざという時飛べるかどうかとなると飛んで見ないうちはやっぱり不安心だろうと思います。学理通り飛行機が自分を乗せて動いてくれたところで、始めて形式に中味がピッタリ喰っついている事を証明するのだから、経験の裏書を得ない形式はいくら頭の中で完備していると認められても不完全な感じを与えるのであります。  して見ると、要するに形式は内容のための形式であって、形式のために内容ができるのではないと云う訳になる。もう一歩進めて云いますと、内容が変れば外形と云うものは自然の勢いで変って来なければならぬという理窟にもなる。傍観者の態度に甘んずる学者の局外の観察から成る規則法則|乃至すべての形式や型のために我々生活の内容が構造されるとなると少しく筋が逆になるので、我々の実際生活がむしろ彼ら学者に向って研究の材料を与えその結果として一種の形式を彼らが抽象する事ができるのです。その形式が未来の実施上参考にならんとは限らんけれども本来から云えばどうしてもこれが原則でなければならない。しかるに今この順序主客を逆まにしてあらかじめ一種の形式を事実より前に備えておいて、その形式から我々の生活を割出そうとするならば、ある場合にはそこに大変な無理が出なければならない。しかもその無理を遂行しようとすれば、学校なら騒動が起る、一国では革命が起る。政治にせよ教育にせよあるいは会社にせよ、わが朝日社のごとき新聞にあってすらそうである。だから世間でもそう規則ずくめにされちゃたまらないとよく云います。規則や形式が悪いのじゃない。その規則をあてはめられる人間の内面生活は自然に一つの規則を布衍している事は前申し上げた説明ですでに明かな事実なのだから、その内面生活と根本義において牴触しない規則を抽象して標榜しなくては長持がしない。いたずらに外部から観察して綺麗に纏め上げた規則をさし突けてこれは学者の拵えたものだから間違はないと思ってはかえって間違になるのです。  お前の云う通りにすると、大変おかしいことがある。例えて見れば芝居の型だ。また音楽の型とも云うべき譜である。または謡曲のごま節や何かのようなものである。これらにはすべて一定の型があって、その形式をまず手本にしてかえって形式の内容をかたちづくる声とか身ぶりとか云う方をこの型にあて嵌るように拵らえて行くではないか。そうしてその声なり身ぶりなりが自然と安らかに毫も不満を感ぜずに示された型通り旨く合うように練習の結果としてできるではないか。あるいは旧派の芝居を見ても、能の仕草を見ても、ここで足をこのくらい前へ出すとか、また手をこのくらい上へ挙げると一々型の通りにして、しかも自分の活力をそこに打込んで少しも困らないではないか。型を手本に与えておいてその中に精神を打ち込んで働けない法はない。とこういう人があるかも知れない。けれどもこういう場合にはこの型なり形式なりの盛らるべき実質、すなわち音楽で云えば声、芝居で云えば手足などだが、これらの実質はいつも一様に働き得る、いわば変化のないものと見ての話であります。もし形式の中に盛らるべき内容の性質に変化を来すならば、昔の型が今日の型として行わるべきはずのものではない、昔の譜が今日に通用して行くはずはないのであります。例えて見れば人間の声が鳥の声に変化したらどうしたって今日までの音楽の譜は通用しない。四肢胸腰の運動だっても人間の体質や構造に今までとは違ったところができて筋肉の働き方が一筋間違ってきたって、従来の能の型などは崩れなければならないでしょう。人間の思想やその思想に伴って推移する感情も石や土と同じように、古今永久変らないものと看做したなら一定不変の型の中に押込めて教育する事もできるし支配する事も容易でしょう。現に封建時代の平民と云うものが、どのくらい長い間一種の型の中に窮屈に身を縮めて、辛抱しつつ、これは自分の天性に合った型だと認めておったか知れません。仏蘭西の革命の時に、バステユと云う牢屋を打壊して中から罪人を引出してやったら、喜こぶと思いのほか、かえって日の眼を見るのを恐れて、依然として暗い中に這入っていたがったという話があります。ちょっとおかしな話であるが、日本でも乞食を三日すれば忘れられないと云いますからあるいは本当かも知れません。乞食の型とか牢屋の型とか云うのも妙な言葉ですが、長い年月の間には人間本来の傾向もそういう風に矯めることができないとも限りません。こんな例ばかり見れば既成の型でどこまでも押して行けるという結論にもなりましょうが、それならなぜ徳川氏が亡びて、維新の革命がどうして起ったか。つまり一つの型を永久に持続する事を中味の方で拒むからなんでしょう。なるほど一時は在来の型で抑えられるかも知れないが、どうしたって内容に伴れ添わない形式はいつか爆発しなければならぬと見るのが穏当で合理的な見解であると思う。  元来この型そのものが、何のために存在の権利を持っているかというと、前にもお話した通り内容実質を内面の生活上経験することができないにもかかわらずどうでも纏めて一括りにしておきたいという念にほかならんので、会社の決算とか学校の点数と同じように表の上で早呑込をする一種の智識慾、もしくは実際上の便宜のためにほかならんのでありますから、厳密な意味でいうと、型自身が独立して自然に存在する訳のものではない。例えばここに茶碗がある。茶碗の恰好といえば誰にでも分るが、その恰好だけを残して実質を取り去ろうとすれば、とうてい取り去る事はできない。実質を取れば形も無くなってしまう。強いて形を存しようとすればただ想像的な抽象物として頭の中に残っているだけである。ちょうど家を造るために図面を引くと一般で、八畳、十畳、床の間と云うように仕切はついていても図面はどこまでも図面で、家としては存在できないにきまっている。要するに図面は家の形式なのである。したがっていくら形式を拵えてもそれを構成する物質次第では思いのままの家はできかぬるかも知れないのです。いわんや活きた人間、変化のある人間と云うものは、そう一定不変の型で支配されるはずがない。政をなす人とか、教育をする人とかは無論、総て多くの人を統御していこうと云う人も無論、個人が個人と交渉する場合に在ってすら型は必要なものである。会う時にお時儀をするとか手を握るとか云う型がなければ、社交は成立しない事さえある。けれども相手が物質でない以上は、すなわち動くものである以上は、種々の変化を受ける以上は、時と場合に応じて無理のない型を拵えてやらなければとうていこっちの要求通りに運ぶ訳のものではない。  そこで現今日本の社会状態と云うものはどうかと考えてみると目下非常な勢いで変化しつつある。それに伴れて我々の内面生活と云うものもまた、刻々と非常な勢いで変りつつある。瞬時の休息なく運転しつつ進んでいる。だから今日の社会状態と、二十年前、三十年前の社会状態とは、大変趣きが違っている。違っているからして、我々の内面生活も違っている。すでに内面生活が違っているとすれば、それを統一する形式というものも、自然ズレて来なければならない。もしその形式をズラさないで、元のままに据えておいて、そうしてどこまでもその中に我々のこの変化しつつある生活の内容を押込めようとするならば失敗するのは眼に見えている。我々が自分の娘もしくは妻に対する関係の上において御維新前と今日とはどのくらい違うかと云うことを、あなた方が御認めになったならば、この辺の消息はすぐ御分りになるでしょう。要するにかくのごとき社会を総べる形式というものはどうしても変えなければ社会が動いて行かない。乱れる、纏まらないということに帰着するだろうと思う。自分の妻女に対してさえも前申した通りである。否わが家の下女に対しても昔とは趣きが違うならば、教育者が一般の学生に向い、政府が一般の人民に対するのも無論手心がなければならないはずである。内容の変化に注意もなく頓着もなく、一定不変の型を立てて、そうしてその型はただ在来あるからという意味で、またその型を自分が好いているというだけで、そうして傍観者たる学者のような態度をもって、相手の生活の内容に自分が触れることなしに推していったならば危ない。  一言にして云えば、明治に適切な型というものは、明治の社会的状況、もう少し進んで言うならば、明治の社会的状況を形造るあなた方の心理状態、それにピタリと合うような、無理の最も少ない型でなければならないのです。この頃は個人主義がどうであるとか、自然派の小説がどうであるとか云って、はなはだやかましいけれども、こういう現象が出て来るのは、皆我々の生活の内容が昔と自然に違って来たと云う証拠であって、在来の型と或る意味でどこかしらで衝突するために、昔の型を守ろうと云う人は、それを押潰そうとするし、生活の内容に依って自分自身の型を造ろうと云う人は、それに反抗すると云うような場合が大変ありはしないかと思うのです。ちょうど音楽の譜で、声を譜の中に押込めて、声自身がいかに自由に発現しても、その型に背かないで行雲流水と同じく極めて自然に流れると一般に、我々も一種の型を社会に与えて、その型を社会の人に則らしめて、無理がなく行くものか、あるいはここで大いに考えなければならぬものかと云うことは、あなた方の問題でもあり、また一般の人の問題でもあるし、最も多く人を教育する人、最も多く人を支配する人の問題でもある。我々は現に社会の一人である以上、親ともなり子ともなり、朋友ともなり、同時に市民であって、政府からも支配され、教育も受けまた或る意味では教育もしなければならない身体である。その辺の事をよく考えて、そうして相手の心理状態と自分とピッタリと合せるようにして、傍観者でなく、若い人などの心持にも立入って、その人に適当であり、また自分にももっともだと云うような形式を与えて教育をし、また支配して行かなければならぬ時節ではないかと思われるし、また受身の方から云えばかくのごとき新らしい形式で取扱われなければ一種云うべからざる苦痛を感ずるだろうと考えるのです。  中味と形式と云うことについて、なぜお話をしたかと云うと、以上のような訳でこの問題について我々が考うべき必要があるように思ったからであります。それを具体的にどう現わしてよいかと云うことは、諸君の御判断であります。下らぬことをだいぶ長く述べ立てまして御気の毒です。だいぶ御疲れでしょう。最後まで静粛に御聴き下すったのは講演者として深く謝するところであります。         一  ぶらりと両手を垂げたまま、圭さんがどこからか帰って来る。 「どこへ行ったね」 「ちょっと、町を歩行いて来た」 「何か観るものがあるかい」 「寺が一軒あった」 「それから」 「銀杏の樹が一本、門前にあった」 「それから」 「銀杏の樹から本堂まで、一丁半ばかり、石が敷き詰めてあった。非常に細長い寺だった」 「這入って見たかい」 「やめて来た」 「そのほかに何もないかね」 「別段何もない。いったい、寺と云うものは大概の村にはあるね、君」 「そうさ、人間の死ぬ所には必ずあるはずじゃないか」 「なるほどそうだね」と圭さん、首を捻る。圭さんは時々妙な事に感心する。しばらくして、捻ねった首を真直にして、圭さんがこう云った。 「それから鍛冶屋の前で、馬の沓を替えるところを見て来たが実に巧みなものだね」 「どうも寺だけにしては、ちと、時間が長過ぎると思った。馬の沓がそんなに珍しいかい」 「珍らしくなくっても、見たのさ。君、あれに使う道具が幾通りあると思う」 「幾通りあるかな」 「あてて見たまえ」 「あてなくっても好いから教えるさ」 「何でも七つばかりある」 「そんなにあるかい。何と何だい」 「何と何だって、たしかにあるんだよ。第一爪をはがす鑿と、鑿を敲く槌と、それから爪を削る小刀と、爪を刳る妙なものと、それから……」 「それから何があるかい」 「それから変なものが、まだいろいろあるんだよ。第一馬のおとなしいには驚ろいた。あんなに、削られても、刳られても平気でいるぜ」 「爪だもの。人間だって、平気で爪を剪るじゃないか」 「人間はそうだが馬だぜ、君」 「馬だって、人間だって爪に変りはないやね。君はよっぽど呑気だよ」 「呑気だから見ていたのさ。しかし薄暗い所で赤い鉄を打つと奇麗だね。ぴちぴち火花が出る」 「出るさ、東京の真中でも出る」 「東京の真中でも出る事は出るが、感じが違うよ。こう云う山の中の鍛冶屋は第一、音から違う。そら、ここまで聞えるぜ」  初秋の日脚は、うそ寒く、遠い国の方へ傾いて、淋しい山里の空気が、心細い夕暮れを促がすなかに、かあんかあんと鉄を打つ音がする。 「聞えるだろう」と圭さんが云う。 「うん」と碌さんは答えたぎり黙然としている。隣りの部屋で何だか二人しきりに話をしている。 「そこで、その、相手が竹刀を落したんだあね。すると、その、ちょいと、小手を取ったんだあね」 「ふうん。とうとう小手を取られたのかい」 「とうとう小手を取られたんだあね。ちょいと小手を取ったんだが、そこがそら、竹刀を落したものだから、どうにも、こうにもしようがないやあね」 「ふうん。竹刀を落したのかい」 「竹刀は、そら、さっき、落してしまったあね」 「竹刀を落してしまって、小手を取られたら困るだろう」 「困らああね。竹刀も小手も取られたんだから」  二人の話しはどこまで行っても竹刀と小手で持ち切っている。黙然として、対坐していた圭さんと碌さんは顔を見合わして、にやりと笑った。  かあんかあんと鉄を打つ音が静かな村へ響き渡る。癇走った上に何だか心細い。 「まだ馬の沓を打ってる。何だか寒いね、君」と圭さんは白い浴衣の下で堅くなる。碌さんも同じく白地の単衣の襟をかき合せて、だらしのない膝頭を行儀よく揃える。やがて圭さんが云う。 「僕の小供の時住んでた町の真中に、一軒|豆腐屋があってね」 「豆腐屋があって?」 「豆腐屋があって、その豆腐屋の角から一丁ばかり爪先上がりに上がると寒磬寺と云う御寺があってね」 「寒磬寺と云う御寺がある?」 「ある。今でもあるだろう。門前から見るとただ大竹藪ばかり見えて、本堂も庫裏もないようだ。その御寺で毎朝四時頃になると、誰だか鉦を敲く」 「誰だか鉦を敲くって、坊主が敲くんだろう」 「坊主だか何だか分らない。ただ竹の中でかんかんと幽かに敲くのさ。冬の朝なんぞ、霜が強く降って、布団のなかで世の中の寒さを一二寸の厚さに遮ぎって聞いていると、竹藪のなかから、かんかん響いてくる。誰が敲くのだか分らない。僕は寺の前を通るたびに、長い石甃と、倒れかかった山門と、山門を埋め尽くすほどな大竹藪を見るのだが、一度も山門のなかを覗いた事がない。ただ竹藪のなかで敲く鉦の音だけを聞いては、夜具の裏で海老のようになるのさ」 「海老のようになるって?」 「うん。海老のようになって、口のうちで、かんかん、かんかんと云うのさ」 「妙だね」 「すると、門前の豆腐屋がきっと起きて、雨戸を明ける。ぎっぎっと豆を臼で挽く音がする。ざあざあと豆腐の水を易える音がする」 「君の家は全体どこにある訳だね」 「僕のうちは、つまり、そんな音が聞える所にあるのさ」 「だから、どこにある訳だね」 「すぐ傍さ」 「豆腐屋の向か、隣りかい」 「なに二階さ」 「どこの」 「豆腐屋の二階さ」 「へええ。そいつは……」と碌さん驚ろいた。 「僕は豆腐屋の子だよ」 「へええ。豆腐屋かい」と碌さんは再び驚ろいた。 「それから垣根の朝顔が、茶色に枯れて、引っ張るとがらがら鳴る時分、白い靄が一面に降りて、町の外れの瓦斯灯に灯がちらちらすると思うとまた鉦が鳴る。かんかん竹の奥で冴えて鳴る。それから門前の豆腐屋がこの鉦を合図に、腰障子をはめる」 「門前の豆腐屋と云うが、それが君のうちじゃないか」 「僕のうち、すなわち門前の豆腐屋が腰障子をはめる。かんかんと云う声を聞きながら僕は二階へ上がって布団を敷いて寝る。――僕のうちの吉原揚は旨かった。近所で評判だった」  隣り座敷の小手と竹刀は双方ともおとなしくなって、向うの椽側では、六十余りの肥った爺さんが、丸い背を柱にもたして、胡坐のまま、毛抜きで顋の髯を一本一本に抜いている。髯の根をうんと抑えて、ぐいと抜くと、毛抜は下へ弾ね返り、顋は上へ反り返る。まるで器械のように見える。 「あれは何日掛ったら抜けるだろう」と碌さんが圭さんに質問をかける。 「一生懸命にやったら半日くらいで済むだろう」 「そうは行くまい」と碌さんが反対する。 「そうかな。じゃ一日かな」 「一日や二日で奇麗に抜けるなら訳はない」 「そうさ、ことによると一週間もかかるかね。見たまえ、あの丁寧に顋を撫で廻しながら抜いてるのを」 「あれじゃ。古いのを抜いちまわないうちに、新しいのが生えるかも知れないね」 「とにかく痛い事だろう」と圭さんは話頭を転じた。 「痛いに違いないね。忠告してやろうか」 「なんて」 「よせってさ」 「余計な事だ。それより幾日掛ったら、みんな抜けるか聞いて見ようじゃないか」 「うん、よかろう。君が聞くんだよ」 「僕はいやだ、君が聞くのさ」 「聞いても好いがつまらないじゃないか」 「だから、まあ、よそうよ」と圭さんは自己の申し出しを惜気もなし撤回した。  一度|途切れた村鍛冶の音は、今日山里に立つ秋を、幾重の稲妻に砕くつもりか、かあんかあんと澄み切った空の底に響き渡る。 「あの音を聞くと、どうしても豆腐屋の音が思い出される」と圭さんが腕組をしながら云う。 「全体豆腐屋の子がどうして、そんなになったもんだね」 「豆腐屋の子がどんなになったのさ」 「だって豆腐屋らしくないじゃないか」 「豆腐屋だって、肴屋だって――なろうと思えば、何にでもなれるさ」 「そうさな、つまり頭だからね」 「頭ばかりじゃない。世の中には頭のいい豆腐屋が何人いるか分らない。それでも生涯豆腐屋さ。気の毒なものだ」 「それじゃ何だい」と碌さんが小供らしく質問する。 「何だって君、やっぱりなろうと思うのさ」 「なろうと思ったって、世の中がしてくれないのがだいぶあるだろう」 「だから気の毒だと云うのさ。不公平な世の中に生れれば仕方がないから、世の中がしてくれなくても何でも、自分でなろうと思うのさ」 「思って、なれなければ?」 「なれなくっても何でも思うんだ。思ってるうちに、世の中が、してくれるようになるんだ」と圭さんは横着を云う。 「そう注文通りに行けば結構だ。ハハハハ」 「だって僕は今日までそうして来たんだもの」 「だから君は豆腐屋らしくないと云うのだよ」 「これから先、また豆腐屋らしくなってしまうかも知れないかな。厄介だな。ハハハハ」 「なったら、どうするつもりだい」 「なれば世の中がわるいのさ。不公平な世の中を公平にしてやろうと云うのに、世の中が云う事をきかなければ、向の方が悪いのだろう」 「しかし世の中も何だね、君、豆腐屋がえらくなるようなら、自然えらい者が豆腐屋になる訳だね」 「えらい者た、どんな者だい」 「えらい者って云うのは、何さ。例えば華族とか金持とか云うものさ」と碌さんはすぐ様えらい者を説明してしまう。 「うん華族や金持か、ありゃ今でも豆腐屋じゃないか、君」 「その豆腐屋|連が馬車へ乗ったり、別荘を建てたりして、自分だけの世の中のような顔をしているから駄目だよ」 「だから、そんなのは、本当の豆腐屋にしてしまうのさ」 「こっちがする気でも向がならないやね」 「ならないのをさせるから、世の中が公平になるんだよ」 「公平に出来れば結構だ。大いにやりたまえ」 「やりたまえじゃいけない。君もやらなくっちゃあ。――ただ、馬車へ乗ったり、別荘を建てたりするだけならいいが、むやみに人を圧逼するぜ、ああ云う豆腐屋は。自分が豆腐屋の癖に」と圭さんはそろそろ慷慨し始める。 「君はそんな目に逢った事があるのかい」  圭さんは腕組をしたままふふんと云った。村鍛冶の音は不相変かあんかあんと鳴る。 「まだ、かんかん遣ってる。――おい僕の腕は太いだろう」と圭さんは突然腕まくりをして、黒い奴を碌さんの前に圧しつけた。 「君の腕は昔から太いよ。そうして、いやに黒いね。豆を磨いた事があるのかい」 「豆も磨いた、水も汲んだ。――おい、君|粗忽で人の足を踏んだらどっちが謝まるものだろう」 「踏んだ方が謝まるのが通則のようだな」 「突然、人の頭を張りつけたら?」 「そりゃ気違だろう」 「気狂なら謝まらないでもいいものかな」 「そうさな。謝まらさす事が出来れば、謝まらさす方がいいだろう」 「それを気違の方で謝まれって云うのは驚ろくじゃないか」 「そんな気違があるのかい」 「今の豆腐屋|連はみんな、そう云う気違ばかりだよ。人を圧迫した上に、人に頭を下げさせようとするんだぜ。本来なら向が恐れ入るのが人間だろうじゃないか、君」 「無論それが人間さ。しかし気違の豆腐屋なら、うっちゃって置くよりほかに仕方があるまい」  圭さんは再びふふんと云った。しばらくして、 「そんな気違を増長させるくらいなら、世の中に生れて来ない方がいい」と独り言のようにつけた。  村鍛冶の音は、会話が切れるたびに静かな里の端から端までかあんかあんと響く。 「しきりにかんかんやるな。どうも、あの音は寒磬寺の鉦に似ている」 「妙に気に掛るんだね。その寒磬寺の鉦の音と、気違の豆腐屋とでも何か関係があるのかい。――全体君が豆腐屋の伜から、今日までに変化した因縁はどう云う筋道なんだい。少し話して聞かせないか」 「聞かせてもいいが、何だか寒いじゃないか。ちょいと夕飯前に温泉に這入ろう。君いやか」 「うん這入ろう」  圭さんと碌さんは手拭をぶら下げて、庭へ降りる。棕梠緒の貸下駄には都らしく宿の焼印が押してある。         二 「この湯は何に利くんだろう」と豆腐屋の圭さんが湯槽のなかで、ざぶざぶやりながら聞く。 「何に利くかなあ。分析表を見ると、何にでも利くようだ。――君そんなに、臍ばかりざぶざぶ洗ったって、出臍は癒らないぜ」 「純透明だね」と出臍の先生は、両手に温泉を掬んで、口へ入れて見る。やがて、 「味も何もない」と云いながら、流しへ吐き出した。 「飲んでもいいんだよ」と碌さんはがぶがぶ飲む。  圭さんは臍を洗うのをやめて、湯槽の縁へ肘をかけて漫然と、硝子越しに外を眺めている。碌さんは首だけ湯に漬かって、相手の臍から上を見上げた。 「どうも、いい体格だ。全く野生のままだね」 「豆腐屋出身だからなあ。体格が悪るいと華族や金持ちと喧嘩は出来ない。こっちは一人|向は大勢だから」 「さも喧嘩の相手があるような口振だね。当の敵は誰だい」 「誰でも構わないさ」 「ハハハ呑気なもんだ。喧嘩にも強そうだが、足の強いのには驚いたよ。君といっしょでなければ、きのうここまでくる勇気はなかったよ。実は途中で御免蒙ろうかと思った」 「実際少し気の毒だったね。あれでも僕はよほど加減して、歩行いたつもりだ」 「本当かい? はたして本当ならえらいものだ。――何だか怪しいな。すぐ付け上がるからいやだ」 「ハハハ付け上がるものか。付け上がるのは華族と金持ばかりだ」 「また華族と金持ちか。眼の敵だね」 「金はなくっても、こっちは天下の豆腐屋だ」 「そうだ、いやしくも天下の豆腐屋だ。野生の腕力家だ」 「君、あの窓の外に咲いている黄色い花は何だろう」  碌さんは湯の中で首を捩じ向ける。 「かぼちゃさ」 「馬鹿あ云ってる。かぼちゃは地の上を這ってるものだ。あれは竹へからまって、風呂場の屋根へあがっているぜ」 「屋根へ上がっちゃ、かぼちゃになれないかな」 「だっておかしいじゃないか、今頃花が咲くのは」 「構うものかね、おかしいたって、屋根にかぼちゃの花が咲くさ」 「そりゃ唄かい」 「そうさな、前半は唄のつもりでもなかったんだが、後半に至って、つい唄になってしまったようだ」 「屋根にかぼちゃが生るようだから、豆腐屋が馬車なんかへ乗るんだ。不都合千万だよ」 「また慷慨か、こんな山の中へ来て慷慨したって始まらないさ。それより早く阿蘇へ登って噴火口から、赤い岩が飛び出すところでも見るさ。――しかし飛び込んじゃ困るぜ。――何だか少し心配だな」 「噴火口は実際猛烈なものだろうな。何でも、沢庵石のような岩が真赤になって、空の中へ吹き出すそうだぜ。それが三四町四方一面に吹き出すのだから壮んに違ない。――あしたは早く起きなくっちゃ、いけないよ」 「うん、起きる事は起きるが山へかかってから、あんなに早く歩行いちゃ、御免だ」と碌さんはすぐ予防線を張った。 「ともかくも六時に起きて……」 「六時に起きる?」 「六時に起きて、七時半に湯から出て、八時に飯を食って、八時半に便所から出て、そうして宿を出て、十一時に阿蘇神社へ参詣して、十二時から登るのだ」 「へえ、誰が」 「僕と君がさ」 「何だか君|一人りで登るようだぜ」 「なに構わない」 「ありがたい仕合せだ。まるで御供のようだね」 「うふん。時に昼は何を食うかな。やっぱり饂飩にして置くか」と圭さんが、あすの昼飯の相談をする。 「饂飩はよすよ。ここいらの饂飩はまるで杉箸を食うようで腹が突張ってたまらない」 「では蕎麦か」 「蕎麦も御免だ。僕は麺類じゃ、とても凌げない男だから」 「じゃ何を食うつもりだい」 「何でも御馳走が食いたい」 「阿蘇の山の中に御馳走があるはずがないよ。だからこの際、ともかくも饂飩で間に合せて置いて……」 「この際は少し変だぜ。この際た、どんな際なんだい」 「剛健な趣味を養成するための旅行だから……」 「そんな旅行なのかい。ちっとも知らなかったぜ。剛健はいいが饂飩は平に不賛成だ。こう見えても僕は身分が好いんだからね」 「だから柔弱でいけない。僕なぞは学資に窮した時、一日に白米二合で間に合せた事がある」 「痩せたろう」と碌さんが気の毒な事を聞く。 「そんなに痩せもしなかったがただ虱が湧いたには困った。――君、虱が湧いた事があるかい」 「僕はないよ。身分が違わあ」 「まあ経験して見たまえ。そりゃ容易に猟り尽せるもんじゃないぜ」 「煮え湯で洗濯したらよかろう」 「煮え湯? 煮え湯ならいいかも知れない。しかし洗濯するにしてもただでは出来ないからな」 「なあるほど、銭が一|文もないんだね」 「一文もないのさ」 「君どうした」 「仕方がないから、襯衣を敷居の上へ乗せて、手頃な丸い石を拾って来て、こつこつ叩いた。そうしたら虱が死なないうちに、襯衣が破れてしまった」 「おやおや」 「しかもそれを宿のかみさんが見つけて、僕に退去を命じた」 「さぞ困ったろうね」 「なあに困らんさ、そんな事で困っちゃ、今日まで生きていられるものか。これから追い追い華族や金持ちを豆腐屋にするんだからな。滅多に困っちゃ仕方がない」 「すると僕なんぞも、今に、とおふい、油揚、がんもどきと怒鳴って、あるかなくっちゃならないかね」 「華族でもない癖に」 「まだ華族にはならないが、金はだいぶあるよ」 「あってもそのくらいじゃ駄目だ」 「このくらいじゃ豆腐いと云う資格はないのかな。大に僕の財産を見縊ったね」 「時に君、背中を流してくれないか」 「僕のも流すのかい」 「流してもいいさ。隣りの部屋の男も流しくらをやってたぜ、君」 「隣りの男の背中は似たり寄ったりだから公平だが、君の背中と、僕の背中とはだいぶ面積が違うから損だ」 「そんな面倒な事を云うなら一人で洗うばかりだ」と圭さんは、両足を湯壺の中にうんと踏ん張って、ぎゅうと手拭をしごいたと思ったら、両端を握ったまま、ぴしゃりと、音を立てて斜に膏切った背中へあてがった。やがて二の腕へ力瘤が急に出来上がると、水を含んだ手拭は、岡のように肉づいた背中をぎちぎち磨り始める。  手拭の運動につれて、圭さんの太い眉がくしゃりと寄って来る。鼻の穴が三角形に膨脹して、小鼻が勃として左右に展開する。口は腹を切る時のように堅く喰締ったまま、両耳の方まで割けてくる。 「まるで仁王のようだね。仁王の行水だ。そんな猛烈な顔がよくできるね。こりゃ不思議だ。そう眼をぐりぐりさせなくっても、背中は洗えそうなものだがね」  圭さんは何にも云わずに一生懸命にぐいぐい擦る。擦っては時々、手拭を温泉に漬けて、充分水を含ませる。含ませるたんびに、碌さんの顔へ、汗と膏と垢と温泉の交ったものが十五六滴ずつ飛んで来る。 「こいつは降参だ。ちょっと失敬して、流しの方へ出るよ」と碌さんは湯槽を飛び出した。飛び出しはしたものの、感心の極、流しへ突っ立ったまま、茫然として、仁王の行水を眺めている。 「あの隣りの客は元来何者だろう」と圭さんが槽のなかから質問する。 「隣りの客どころじゃない。その顔は不思議だよ」 「もう済んだ。ああ好い心持だ」と圭さん、手拭の一端を放すや否や、ざぶんと温泉の中へ、石のように大きな背中を落す。満槽の湯は一度に面喰って、槽の底から大恐惶を持ち上げる。ざあっざあっと音がして、流しへ溢れだす。 「ああいい心持ちだ」と圭さんは波のなかで云った。 「なるほどそう遠慮なしに振舞ったら、好い心持に相違ない。君は豪傑だよ」 「あの隣りの客は竹刀と小手の事ばかり云ってるじゃないか。全体何者だい」と圭さんは呑気なものだ。 「君が華族と金持ちの事を気にするようなものだろう」 「僕のは深い原因があるのだが、あの客のは何だか訳が分らない」 「なに自分じゃあ、あれで分ってるんだよ。――そこでその小手を取られたんだあね――」と碌さんが隣りの真似をする。 「ハハハハそこでそら竹刀を落したんだあねか。ハハハハ。どうも気楽なものだ」と圭さんも真似して見る。 「なにあれでも、実は慷慨家かも知れない。そらよく草双紙にあるじゃないか。何とかの何々、実は海賊の張本|毛剃九右衛門て」 「海賊らしくもないぜ。さっき温泉に這入りに来る時、覗いて見たら、二人共|木枕をして、ぐうぐう寝ていたよ」 「木枕をして寝られるくらいの頭だから、そら、そこで、その、小手を取られるんだあね」と碌さんは、まだ真似をする。 「竹刀も取られるんだあねか。ハハハハ。何でも赤い表紙の本を胸の上へ載せたまんま寝ていたよ」 「その赤い本が、何でもその、竹刀を落したり、小手を取られるんだあね」と碌さんは、どこまでも真似をする。 「何だろう、あの本は」 「伊賀の水月さ」と碌さんは、躊躇なく答えた。 「伊賀の水月? 伊賀の水月た何だい」 「伊賀の水月を知らないのかい」 「知らない。知らなければ恥かな」と圭さんはちょっと首を捻った。 「恥じゃないが話せないよ」 「話せない? なぜ」 「なぜって、君、荒木又右衛門を知らないか」 「うん、又右衛門か」 「知ってるのかい」と碌さんまた湯の中へ這入る。圭さんはまた槽のなかへ突立った。 「もう仁王の行水は御免だよ」 「もう大丈夫、背中はあらわない。あまり這入ってると逆上るから、時々こう立つのさ」 「ただ立つばかりなら、安心だ。――それで、その、荒木又右衛門を知ってるかい」 「又右衛門? そうさ、どこかで聞いたようだね。豊臣秀吉の家来じゃないか」と圭さん、飛んでもない事を云う。 「ハハハハこいつはあきれた。華族や金持ちを豆腐屋にするだなんて、えらい事を云うが、どうも何も知らないね」 「じゃ待った。少し考えるから。又右衛門だね。又右衛門、荒木又右衛門だね。待ちたまえよ、荒木の又右衛門と。うん分った」 「何だい」 「相撲取だ」 「ハハハハ荒木、ハハハハ荒木、又ハハハハ又右衛門が、相撲取り。いよいよ、あきれてしまった。実に無識だね。ハハハハ」と碌さんは大恐悦である。 「そんなにおかしいか」 「おかしいって、誰に聞かしたって笑うぜ」 「そんなに有名な男か」 「そうさ、荒木又右衛門じゃないか」 「だから僕もどこかで聞いたように思うのさ」 「そら、落ち行く先きは九州|相良って云うじゃないか」 「云うかも知れんが、その句は聞いた事がないようだ」 「困った男だな」 「ちっとも困りゃしない。荒木又右衛門ぐらい知らなくったって、毫も僕の人格には関係はしまい。それよりも五里の山路が苦になって、やたらに不平を並べるような人が困った男なんだ」 「腕力や脚力を持ち出されちゃ駄目だね。とうてい叶いっこない。そこへ行くと、どうしても豆腐屋出身の天下だ。僕も豆腐屋へ年期奉公に住み込んで置けばよかった」 「君は第一平生から惰弱でいけない。ちっとも意志がない」 「これでよっぽど有るつもりなんだがな。ただ饂飩に逢った時ばかりは全く意志が薄弱だと、自分ながら思うね」 「ハハハハつまらん事を云っていらあ」 「しかし豆腐屋にしちゃ、君のからだは奇麗過ぎるね」 「こんなに黒くってもかい」 「黒い白いは別として、豆腐屋は大概|箚青があるじゃないか」 「なぜ」 「なぜか知らないが、箚青があるもんだよ。君、なぜほらなかった」 「馬鹿あ云ってらあ。僕のような高尚な男が、そんな愚な真似をするものか。華族や金持がほれば似合うかも知れないが、僕にはそんなものは向かない。荒木又右衛門だって、ほっちゃいまい」 「荒木又右衛門か。そいつは困ったな。まだそこまでは調べが届いていないからね」 「そりゃどうでもいいが、ともかくもあしたは六時に起きるんだよ」 「そうして、ともかくも饂飩を食うんだろう。僕の意志の薄弱なのにも困るかも知れないが、君の意志の強固なのにも辟易するよ。うちを出てから、僕の云う事は一つも通らないんだからな。全く唯々諾々として命令に服しているんだ。豆腐屋主義はきびしいもんだね」 「なにこのくらい強硬にしないと増長していけない」 「僕がかい」 「なあに世の中の奴らがさ。金持ちとか、華族とか、なんとかかとか、生意気に威張る奴らがさ」 「しかしそりゃ見当違だぜ。そんなものの身代りに僕が豆腐屋主義に屈従するなたまらない。どうも驚ろいた。以来君と旅行するのは御免だ」 「なあに構わんさ」 「君は構わなくってもこっちは大いに構うんだよ。その上旅費は奇麗に折半されるんだから、愚の極だ」 「しかし僕の御蔭で天地の壮観たる阿蘇の噴火口を見る事ができるだろう」 「可愛想に。一人だって阿蘇ぐらい登れるよ」 「しかし華族や金持なんて存外|意気地がないもんで……」 「また身代りか、どうだい身代りはやめにして、本当の華族や金持ちの方へ持って行ったら」 「いずれ、その内持ってくつもりだがね。――意気地がなくって、理窟がわからなくって、個人としちゃあ三文の価値もないもんだ」 「だから、どしどし豆腐屋にしてしまうさ」 「その内、してやろうと思ってるのさ」 「思ってるだけじゃ剣呑なものだ」 「なあに年が年中思っていりゃ、どうにかなるもんだ」 「随分気が長いね。もっとも僕の知ったものにね。虎列拉になるなると思っていたら、とうとう虎列拉になったものがあるがね。君のもそう、うまく行くと好いけれども」 「時にあの髯を抜いてた爺さんが手拭をさげてやって来たぜ」 「ちょうど好いから君一つ聞いて見たまえ」 「僕はもう湯気に上がりそうだから、出るよ」 「まあ、いいさ、出ないでも。君がいやなら僕が聞いて見るから、もう少し這入っていたまえ」 「おや、あとから竹刀と小手がいっしょに来たぜ」 「どれ。なるほど、揃って来た。あとから、まだ来るぜ。やあ婆さんが来た。婆さんも、この湯槽へ這入るのかな」 「僕はともかくも出るよ」 「婆さんが這入るなら、僕もともかくも出よう」  風呂場を出ると、ひやりと吹く秋風が、袖口からすうと這入って、素肌を臍のあたりまで吹き抜けた。出臍の圭さんは、はっくしょうと大きな苦沙弥を無遠慮にやる。上がり口に白芙蓉が五六輪、夕暮の秋を淋しく咲いている。見上げる向では阿蘇の山がごううごううと遠くながら鳴っている。 「あすこへ登るんだね」と碌さんが云う。 「鳴ってるぜ。愉快だな」と圭さんが云う。         三 「姉さん、この人は肥ってるだろう」 「だいぶん肥えていなはります」 「肥えてるって、おれは、これで豆腐屋だもの」 「ホホホ」 「豆腐屋じゃおかしいかい」 「豆腐屋の癖に西郷隆盛のような顔をしているからおかしいんだよ。時にこう、精進料理じゃ、あした、御山へ登れそうもないな」 「また御馳走を食いたがる」 「食いたがるって、これじゃ営養不良になるばかりだ」 「なにこれほど御馳走があればたくさんだ。――湯葉に、椎茸に、芋に、豆腐、いろいろあるじゃないか」 「いろいろある事はあるがね。ある事は君の商売道具まであるんだが――困ったな。昨日は饂飩ばかり食わせられる。きょうは湯葉に椎茸ばかりか。ああああ」 「君この芋を食って見たまえ。掘りたてですこぶる美味だ」 「すこぶる剛健な味がしやしないか――おい姉さん、肴は何もないのかい」 「あいにく何もござりまっせん」 「ござりまっせんは弱ったな。じゃ玉子があるだろう」 「玉子ならござりまっす」 「その玉子を半熟にして来てくれ」 「何に致します」 「半熟にするんだ」 「煮て参じますか」 「まあ煮るんだが、半分煮るんだ。半熟を知らないか」 「いいえ」 「知らない?」 「知りまっせん」 「どうも辟易だな」 「何でござりまっす」 「何でもいいから、玉子を持って御出。それから、おい、ちょっと待った。君ビールを飲むか」 「飲んでもいい」と圭さんは泰然たる返事をした。 「飲んでもいいか、それじゃ飲まなくってもいいんだ。――よすかね」 「よさなくっても好い。ともかくも少し飲もう」 「ともかくもか、ハハハ。君ほど、ともかくもの好きな男はないね。それで、あしたになると、ともかくも饂飩を食おうと云うんだろう。――姉さん、ビールもついでに持ってくるんだ。玉子とビールだ。分ったろうね」 「ビールはござりまっせん」 「ビールがない?――君ビールはないとさ。何だか日本の領地でないような気がする。情ない所だ」 「なければ、飲まなくっても、いいさ」と圭さんはまた泰然たる挨拶をする。 「ビールはござりませんばってん、恵比寿ならござります」 「ハハハハいよいよ妙になって来た。おい君ビールでない恵比寿があるって云うんだが、その恵比寿でも飲んで見るかね」 「うん、飲んでもいい。――その恵比寿はやっぱり罎に這入ってるんだろうね、姉さん」と圭さんはこの時ようやく下女に話しかけた。 「ねえ」と下女は肥後訛りの返事をする。 「じゃ、ともかくもその栓を抜いてね。罎ごと、ここへ持っておいで」 「ねえ」  下女は心得貌に起って行く。幅の狭い唐縮緬をちょきり結びに御臀の上へ乗せて、絣の筒袖をつんつるてんに着ている。髪だけは一種異様の束髪に、だいぶ碌さんと圭さんの胆を寒からしめたようだ。 「あの下女は異彩を放ってるね」と碌さんが云うと、圭さんは平気な顔をして、 「そうさ」と何の苦もなく答えたが、 「単純でいい女だ」とあとへ、持って来て、木に竹を接いだようにつけた。 「剛健な趣味がありゃしないか」 「うん。実際|田舎者の精神に、文明の教育を施すと、立派な人物が出来るんだがな。惜しい事だ」 「そんなに惜しけりゃ、あれを東京へ連れて行って、仕込んで見るがいい」 「うん、それも好かろう。しかしそれより前に文明の皮を剥かなくっちゃ、いけない」 「皮が厚いからなかなか骨が折れるだろう」と碌さんは水瓜のような事を云う。 「折れても何でも剥くのさ。奇麗な顔をして、下卑た事ばかりやってる。それも金がない奴だと、自分だけで済むのだが、身分がいいと困る。下卑た根性を社会全体に蔓延させるからね。大変な害毒だ。しかも身分がよかったり、金があったりするものに、よくこう云う性根の悪い奴があるものだ」 「しかも、そんなのに限って皮がいよいよ厚いんだろう」 「体裁だけはすこぶる美事なものさ。しかし内心はあの下女よりよっぽどすれているんだから、いやになってしまう」 「そうかね。じゃ、僕もこれから、ちと剛健党の御仲間入りをやろうかな」 「無論の事さ。だからまず第一着にあした六時に起きて……」 「御昼に饂飩を食ってか」 「阿蘇の噴火口を観て……」 「癇癪を起して飛び込まないように要心をしてか」 「もっとも崇高なる天地間の活力現象に対して、雄大の気象を養って、齷齪たる塵事を超越するんだ」 「あんまり超越し過ぎるとあとで世の中が、いやになって、かえって困るぜ。だからそこのところは好加減に超越して置く事にしようじゃないか。僕の足じゃとうていそうえらく超越出来そうもないよ」 「弱い男だ」  筒袖の下女が、盆の上へ、麦酒を一本、洋盃を二つ、玉子を四個、並べつくして持ってくる。 「そら恵比寿が来た。この恵比寿がビールでないんだから面白い。さあ一杯飲むかい」と碌さんが相手に洋盃を渡す。 「うん、ついでにその玉子を二つ貰おうか」と圭さんが云う。 「だって玉子は僕が誂らえたんだぜ」 「しかし四つとも食う気かい」 「あしたの饂飩が気になるから、このうち二個は携帯して行こうと思うんだ」 「うん、そんなら、よそう」と圭さんはすぐ断念する。 「よすとなると気の毒だから、まあ上げよう。本来なら剛健党が玉子なんぞを食うのは、ちと贅沢の沙汰だが、可哀想でもあるから、――さあ食うがいい。――姉さん、この恵比寿はどこでできるんだね」 「おおかた熊本でござりまっしょ」 「ふん、熊本製の恵比寿か、なかなか旨いや。君どうだ、熊本製の恵比寿は」 「うん。やっぱり東京製と同じようだ。――おい、姉さん、恵比寿はいいが、この玉子は生だぜ」と玉子を割った圭さんはちょっと眉をひそめた。 「ねえ」 「生だと云うのに」 「ねえ」 「何だか要領を得ないな。君、半熟を命じたんじゃないか。君のも生か」と圭さんは下女を捨てて、碌さんに向ってくる。 「半熟を命じて不熟を得たりか。僕のを一つ割って見よう。――おやこれは駄目だ……」 「うで玉子か」と圭さんは首を延して相手の膳の上を見る。 「全熟だ。こっちのはどうだ。――うん、これも全熟だ。――姉さん、これは、うで玉子じゃないか」と今度は碌さんが下女にむかう。 「ねえ」 「そうなのか」 「ねえ」 「なんだか言葉の通じない国へ来たようだな。――向うの御客さんのが生玉子で、おれのは、うで玉子なのかい」 「ねえ」 「なぜ、そんな事をしたのだい」 「半分煮て参じました」 「なあるほど。こりゃ、よく出来てらあ。ハハハハ、君、半熟のいわれが分ったか」と碌さん横手を打つ。 「ハハハハ単純なものだ」 「まるで落し噺し見たようだ」 「間違いましたか。そちらのも煮て参じますか」 「なにこれでいいよ。――姉さん、ここから、阿蘇まで何里あるかい」と圭さんが玉子に関係のない方面へ出て来た。 「ここが阿蘇でござりまっす」 「ここが阿蘇なら、あした六時に起きるがものはない。もう二三日逗留して、すぐ熊本へ引き返そうじゃないか」と碌さんがすぐ云う。 「どうぞ、いつまでも御逗留なさいまっせ」 「せっかく、姉さんも、ああ云って勧めるものだから、どうだろう、いっそ、そうしたら」と碌さんが圭さんの方を向く。圭さんは相手にしない。 「ここも阿蘇だって、阿蘇郡なんだろう」とやはり下女を追窮している。 「ねえ」 「じゃ阿蘇の御宮まではどのくらいあるかい」 「御宮までは三里でござりまっす」 「山の上までは」 「御宮から二里でござりますたい」 「山の上はえらいだろうね」と碌さんが突然飛び出してくる。 「ねえ」 「御前登った事があるかい」 「いいえ」 「じゃ知らないんだね」 「いいえ、知りまっせん」 「知らなけりゃ、しようがない。せっかく話を聞こうと思ったのに」 「御山へ御登りなさいますか」 「うん、早く登りたくって、仕方がないんだ」と圭さんが云うと、 「僕は登りたくなくって、仕方がないんだ」と碌さんが打ち壊わした。 「ホホホそれじゃ、あなただけ、ここへ御逗留なさいまっせ」 「うん、ここで寝転んで、あのごうごう云う音を聞いている方が楽なようだ。ごうごうと云やあ、さっきより、だいぶ烈しくなったようだぜ、君」 「そうさ、だいぶ、強くなった。夜のせいだろう」 「御山が少し荒れておりますたい」 「荒れると烈しく鳴るのかね」 「ねえ。そうしてよながたくさんに降って参りますたい」 「よなた何だい」 「灰でござりまっす」  下女は障子をあけて、椽側へ人指しゆびを擦りつけながら、 「御覧なさりまっせ」と黒い指先を出す。 「なるほど、始終降ってるんだ。きのうは、こんなじゃなかったね」と圭さんが感心する。 「ねえ。少し御山が荒れておりますたい」 「おい君、いくら荒れても登る気かね。荒れ模様なら少々延ばそうじゃないか」 「荒れればなお愉快だ。滅多に荒れたところなんぞが見られるものじゃない。荒れる時と、荒れない時は火の出具合が大変違うんだそうだ。ねえ、姉さん」 「ねえ、今夜は大変赤く見えます。ちょと出て御覧なさいまっせ」  どれと、圭さんはすぐ椽側へ飛び出す。 「いやあ、こいつは熾だ。おい君早く出て見たまえ。大変だよ」 「大変だ? 大変じゃ出て見るかな。どれ。――いやあ、こいつは――なるほどえらいものだね――あれじゃとうてい駄目だ」 「何が」 「何がって、――登る途中で焼き殺されちまうだろう」 「馬鹿を云っていらあ。夜だから、ああ見えるんだ。実際昼間から、あのくらいやってるんだよ。ねえ、姉さん」 「ねえ」 「ねえかも知れないが危険だぜ。ここにこうしていても何だか顔が熱いようだ」と碌さんは、自分の頬ぺたを撫で廻す。 「大袈裟な事ばかり云う男だ」 「だって君の顔だって、赤く見えるぜ。そらそこの垣の外に広い稲田があるだろう。あの青い葉が一面に、こう照らされているじゃないか」 「嘘ばかり、あれは星のひかりで見えるのだ」 「星のひかりと火のひかりとは趣が違うさ」 「どうも、君もよほど無学だね。君、あの火は五六里先きにあるのだぜ」 「何里先きだって、向うの方の空が一面に真赤になってるじゃないか」と碌さんは向をゆびさして大きな輪を指の先で描いて見せる。 「よるだもの」 「夜だって……」 「君は無学だよ。荒木又右衛門は知らなくっても好いが、このくらいな事が分らなくっちゃ恥だぜ」と圭さんは、横から相手の顔を見た。 「人格にかかわるかね。人格にかかわるのは我慢するが、命にかかわっちゃ降参だ」 「まだあんな事を云っている。――じゃ姉さんに聞いて見るがいい。ねえ姉さん。あのくらい火が出たって、御山へは登れるんだろう」 「ねえい」 「大丈夫かい」と碌さんは下女の顔を覗き込む。 「ねえい。女でも登りますたい」 「女でも登っちゃ、男は是非登る訳かな。飛んだ事になったもんだ」 「ともかくも、あしたは六時に起きて……」 「もう分ったよ」  言い棄てて、部屋のなかに、ごろりと寝転んだ、碌さんの去ったあとに、圭さんは、黙然と、眉を軒げて、奈落から半空に向って、真直に立つ火の柱を見詰めていた。         四 「おいこれから曲がっていよいよ登るんだろう」と圭さんが振り返る。 「ここを曲がるかね」 「何でも突き当りに寺の石段が見えるから、門を這入らずに左へ廻れと教えたぜ」 「饂飩屋の爺さんがか」と碌さんはしきりに胸を撫で廻す。 「そうさ」 「あの爺さんが、何を云うか分ったもんじゃない」 「なぜ」 「なぜって、世の中に商売もあろうに、饂飩屋になるなんて、第一それからが不了簡だ」 「饂飩屋だって正業だ。金を積んで、貧乏人を圧迫するのを道楽にするような人間より遥かに尊といさ」 「尊といかも知れないが、どうも饂飩屋は性に合わない。――しかし、とうとう饂飩を食わせられた今となって見ると、いくら饂飩屋の亭主を恨んでも後の祭りだから、まあ、我慢して、ここから曲がってやろう」 「石段は見えるが、あれが寺かなあ、本堂も何もないぜ」 「阿蘇の火で焼けちまったんだろう。だから云わない事じゃない。――おい天気が少々|剣呑になって来たぜ」 「なに、大丈夫だ。天祐があるんだから」 「どこに」 「どこにでもあるさ。意思のある所には天祐がごろごろしているものだ」 「どうも君は自信家だ。剛健党になるかと思うと、天祐派になる。この次ぎには天誅組にでもなって筑波山へ立て籠るつもりだろう」 「なに豆腐屋時代から天誅組さ。――貧乏人をいじめるような――豆腐屋だって人間だ――いじめるって、何らの利害もないんだぜ、ただ道楽なんだから驚ろく」 「いつそんな目に逢ったんだい」 「いつでもいいさ。桀紂と云えば古来から悪人として通り者だが、二十世紀はこの桀紂で充満しているんだぜ、しかも文明の皮を厚く被ってるから小憎らしい」 「皮ばかりで中味のない方がいいくらいなものかな。やっぱり、金があり過ぎて、退屈だと、そんな真似がしたくなるんだね。馬鹿に金を持たせると大概桀紂になりたがるんだろう。僕のような有徳の君子は貧乏だし、彼らのような愚劣な輩は、人を苦しめるために金銭を使っているし、困った世の中だなあ。いっそ、どうだい、そう云う、ももんがあを十|把一とからげにして、阿蘇の噴火口から真逆様に地獄の下へ落しちまったら」 「今に落としてやる」と圭さんは薄黒く渦巻く煙りを仰いで、草鞋足をうんと踏張った。 「大変な権幕だね。君、大丈夫かい。十把一とからげを放り込まないうちに、君が飛び込んじゃいけないぜ」 「あの音は壮烈だな」 「足の下が、もう揺れているようだ。――おいちょっと、地面へ耳をつけて聞いて見たまえ」 「どんなだい」 「非常な音だ。たしかに足の下がうなってる」 「その割に煙りがこないな」 「風のせいだ。北風だから、右へ吹きつけるんだ」 「樹が多いから、方角が分らない。もう少し登ったら見当がつくだろう」  しばらくは雑木林の間を行く。道幅は三尺に足らぬ。いくら仲が善くても並んで歩行く訳には行かぬ。圭さんは大きな足を悠々と振って先へ行く。碌さんは小さな体躯をすぼめて、小股に後から尾いて行く。尾いて行きながら、圭さんの足跡の大きいのに感心している。感心しながら歩行いて行くと、だんだんおくれてしまう。  路は左右に曲折して爪先上りだから、三十分と立たぬうちに、圭さんの影を見失った。樹と樹の間をすかして見ても何にも見えぬ。山を下りる人は一人もない。上るものにも全く出合わない。ただ所々に馬の足跡がある。たまに草鞋の切れが茨にかかっている。そのほかに人の気色はさらにない、饂飩腹の碌さんは少々心細くなった。  きのうの澄み切った空に引き易えて、今朝宿を立つ時からの霧模様には少し掛念もあったが、晴れさえすればと、好い加減な事を頼みにして、とうとう阿蘇の社までは漕ぎつけた。白木の宮に禰宜の鳴らす柏手が、森閑と立つ杉の梢に響いた時、見上げる空から、ぽつりと何やら額に落ちた。饂飩を煮る湯気が障子の破れから、吹いて、白く右へ靡いた頃から、午過ぎは雨かなとも思われた。  雑木林を小半里ほど来たら、怪しい空がとうとう持ち切れなくなったと見えて、梢にしたたる雨の音が、さあと北の方へ走る。あとから、すぐ新しい音が耳を掠めて、翻える木の葉と共にまた北の方へ走る。碌さんは首を縮めて、えっと舌打ちをした。  一時間ほどで林は尽きる。尽きると云わんよりは、一度に消えると云う方が適当であろう。ふり返る、後は知らず、貫いて来た一筋道のほかは、東も西も茫々たる青草が波を打って幾段となく連なる後から、むくむくと黒い煙りが持ち上がってくる。噴火口こそ見えないが、煙りの出るのは、つい鼻の先である。  林が尽きて、青い原を半丁と行かぬ所に、大入道の圭さんが空を仰いで立っている。蝙蝠傘は畳んだまま、帽子さえ、被らずに毬栗頭をぬっくと草から上へ突き出して地形を見廻している様子だ。 「おうい。少し待ってくれ」 「おうい。荒れて来たぞ。荒れて来たぞうう。しっかりしろう」 「しっかりするから、少し待ってくれえ」と碌さんは一生懸命に草のなかを這い上がる。ようやく追いつく碌さんを待ち受けて、 「おい何をぐずぐずしているんだ」と圭さんが遣っつける。 「だから饂飩じゃ駄目だと云ったんだ。ああ苦しい。――おい君の顔はどうしたんだ。真黒だ」 「そうか、君のも真黒だ」  圭さんは、無雑作に白地の浴衣の片袖で、頭から顔を撫で廻す。碌さんは腰から、ハンケチを出す。 「なるほど、拭くと、着物がどす黒くなる」 「僕のハンケチも、こんなだ」 「ひどいものだな」と圭さんは雨のなかに坊主頭を曝しながら、空模様を見廻す。 「よなだ。よなが雨に溶けて降ってくるんだ。そら、その薄の上を見たまえ」と碌さんが指をさす。長い薄の葉は一面に灰を浴びて濡れながら、靡く。 「なるほど」 「困ったな、こりゃ」 「なあに大丈夫だ。ついそこだもの。あの煙りの出る所を目当にして行けば訳はない」 「訳はなさそうだが、これじゃ路が分らないぜ」 「だから、さっきから、待っていたのさ。ここを左りへ行くか、右へ行くかと云う、ちょうど股の所なんだ」 「なるほど、両方共路になってるね。――しかし煙りの見当から云うと、左りへ曲がる方がよさそうだ」 「君はそう思うか。僕は右へ行くつもりだ」 「どうして」 「どうしてって、右の方には馬の足跡があるが、左の方には少しもない」 「そうかい」と碌さんは、身躯を前に曲げながら、蔽いかかる草を押し分けて、五六歩、左の方へ進んだが、すぐに取って返して、 「駄目のようだ。足跡は一つも見当らない」と云った。 「ないだろう」 「そっちにはあるかい」 「うん。たった二つある」 「二つぎりかい」 「そうさ。たった二つだ。そら、こことここに」と圭さんは繻子張の蝙蝠傘の先で、かぶさる薄の下に、幽かに残る馬の足跡を見せる。 「これだけかい心細いな」 「なに大丈夫だ」 「天祐じゃないか、君の天祐はあてにならない事|夥しいよ」 「なにこれが天祐さ」と圭さんが云い了らぬうちに、雨を捲いて颯とおろす一陣の風が、碌さんの麦藁帽を遠慮なく、吹き込めて、五六間先まで飛ばして行く。眼に余る青草は、風を受けて一度に向うへ靡いて、見るうちに色が変ると思うと、また靡き返してもとの態に戻る。 「痛快だ。風の飛んで行く足跡が草の上に見える。あれを見たまえ」と圭さんが幾重となく起伏する青い草の海を指す。 「痛快でもないぜ。帽子が飛んじまった」 「帽子が飛んだ? いいじゃないか帽子が飛んだって。取ってくるさ。取って来てやろうか」  圭さんは、いきなり、自分の帽子の上へ蝙蝠傘を重しに置いて、颯と、薄の中に飛び込んだ。 「おいこの見当か」 「もう少し左りだ」  圭さんの身躯は次第に青いものの中に、深くはまって行く。しまいには首だけになった。あとに残った碌さんはまた心配になる。 「おうい。大丈夫か」 「何だあ」と向うの首から声が出る。 「大丈夫かよう」  やがて圭さんの首が見えなくなった。 「おうい」  鼻の先から出る黒煙りは鼠色の円柱の各部が絶間なく蠕動を起しつつあるごとく、むくむくと捲き上がって、半空から大気の裡に溶け込んで碌さんの頭の上へ容赦なく雨と共に落ちてくる。碌さんは悄然として、首の消えた方角を見つめている。  しばらくすると、まるで見当の違った半丁ほど先に、圭さんの首が忽然と現われた。 「帽子はないぞう」 「帽子はいらないよう。早く帰ってこうい」  圭さんは坊主頭を振り立てながら、薄の中を泳いでくる。 「おい、どこへ飛ばしたんだい」 「どこだか、相談が纏らないうちに飛ばしちまったんだ。帽子はいいが、歩行くのは厭になったよ」 「もういやになったのか。まだあるかないじゃないか」 「あの煙と、この雨を見ると、何だか物凄くって、あるく元気がなくなるね」 「今から駄々を捏ねちゃ仕方がない。――壮快じゃないか。あのむくむく煙の出てくるところは」 「そのむくむくが気味が悪るいんだ」 「冗談云っちゃ、いけない。あの煙の傍へ行くんだよ。そうして、あの中を覗き込むんだよ」 「考えると全く余計な事だね。そうして覗き込んだ上に飛び込めば世話はない」 「ともかくもあるこう」 「ハハハハともかくもか。君がともかくもと云い出すと、つい釣り込まれるよ。さっきもともかくもで、とうとう饂飩を食っちまった。これで赤痢にでも罹かれば全くともかくもの御蔭だ」 「いいさ、僕が責任を持つから」 「僕の病気の責任を持ったって、しようがないじゃないか。僕の代理に病気になれもしまい」 「まあ、いいさ。僕が看病をして、僕が伝染して、本人の君は助けるようにしてやるよ」 「そうか、それじゃ安心だ。まあ、少々あるくかな」 「そら、天気もだいぶよくなって来たよ。やっぱり天祐があるんだよ」 「ありがたい仕合せだ。あるく事はあるくが、今夜は御馳走を食わせなくっちゃ、いやだぜ」 「また御馳走か。あるきさえすればきっと食わせるよ」 「それから……」 「まだ何か注文があるのかい」 「うん」 「何だい」 「君の経歴を聞かせるか」 「僕の経歴って、君が知ってる通りさ」 「僕が知ってる前のさ。君が豆腐屋の小僧であった時分から……」 「小僧じゃないぜ、これでも豆腐屋の伜なんだ」 「その伜の時、寒磬寺の鉦の音を聞いて、急に金持がにくらしくなった、因縁話しをさ」 「ハハハハそんなに聞きたければ話すよ。その代り剛健党にならなくちゃいけないぜ。君なんざあ、金持の悪党を相手にした事がないから、そんなに呑気なんだ。君はディッキンスの両都物語りと云う本を読んだ事があるか」 「ないよ。伊賀の水月は読んだが、ディッキンスは読まない」 「それだからなお貧民に同情が薄いんだ。――あの本のねしまいの方に、御医者さんの獄中でかいた日記があるがね。悲惨なものだよ」 「へえ、どんなものだい」 「そりゃ君、仏国の革命の起る前に、貴族が暴威を振って細民を苦しめた事がかいてあるんだが。――それも今夜僕が寝ながら話してやろう」 「うん」 「なあに仏国の革命なんてえのも当然の現象さ。あんなに金持ちや貴族が乱暴をすりゃ、ああなるのは自然の理窟だからね。ほら、あの轟々鳴って吹き出すのと同じ事さ」と圭さんは立ち留まって、黒い煙の方を見る。  濛々と天地を鎖す秋雨を突き抜いて、百里の底から沸き騰る濃いものが渦を捲き、渦を捲いて、幾百|噸の量とも知れず立ち上がる。その幾百噸の煙りの一分子がことごとく震動して爆発するかと思わるるほどの音が、遠い遠い奥の方から、濃いものと共に頭の上へ躍り上がって来る。  雨と風のなかに、毛虫のような眉を攅めて、余念もなく眺めていた、圭さんが、非常な落ちついた調子で、 「雄大だろう、君」と云った。 「全く雄大だ」と碌さんも真面目で答えた。 「恐ろしいくらいだ」しばらく時をきって、碌さんが付け加えた言葉はこれである。 「僕の精神はあれだよ」と圭さんが云う。 「革命か」 「うん。文明の革命さ」 「文明の革命とは」 「血を流さないのさ」 「刀を使わなければ、何を使うのだい」  圭さんは、何にも云わずに、平手で、自分の坊主頭をぴしゃぴしゃと二|返叩いた。 「頭か」 「うん。相手も頭でくるから、こっちも頭で行くんだ」 「相手は誰だい」 「金力や威力で、たよりのない同胞を苦しめる奴らさ」 「うん」 「社会の悪徳を公然商売にしている奴らさ」 「うん」 「商売なら、衣食のためと云う言い訳も立つ」 「うん」 「社会の悪徳を公然道楽にしている奴らは、どうしても叩きつけなければならん」 「うん」 「君もやれ」 「うん、やる」  圭さんは、のっそりと踵をめぐらした。碌さんは黙然として尾いて行く。空にあるものは、煙りと、雨と、風と雲である。地にあるものは青い薄と、女郎花と、所々にわびしく交る桔梗のみである。二人は煢々として無人の境を行く。  薄の高さは、腰を没するほどに延びて、左右から、幅、尺足らずの路を蔽うている。身を横にしても、草に触れずに進む訳には行かぬ。触れれば雨に濡れた灰がつく。圭さんも碌さんも、白地の浴衣に、白の股引に、足袋と脚絆だけを紺にして、濡れた薄をがさつかせて行く。腰から下はどぶ鼠のように染まった。腰から上といえども、降る雨に誘われて着く、よなを、一面に浴びたから、ほとんど下水へ落ち込んだと同様の始末である。  たださえ、うねり、くねっている路だから、草がなくっても、どこへどう続いているか見極めのつくものではない。草をかぶればなおさらである。地に残る馬の足跡さえ、ようやく見つけたくらいだから、あとの始末は無論天に任せて、あるいていると云わねばならぬ。  最初のうちこそ、立ち登る煙りを正面に見て進んだ路は、いつの間にやら、折れ曲って、次第に横からよなを受くるようになった。横に眺める噴火口が今度は自然に後ろの方に見えだした時、圭さんはぴたりと足を留めた。 「どうも路が違うようだね」 「うん」と碌さんは恨めしい顔をして、同じく立ち留った。 「何だか、情ない顔をしているね。苦しいかい」 「実際情けないんだ」 「どこか痛むかい」 「豆が一面に出来て、たまらない」 「困ったな。よっぽど痛いかい。僕の肩へつらまったら、どうだね。少しは歩行き好いかも知れない」 「うん」と碌さんは気のない返事をしたまま動かない。 「宿へついたら、僕が面白い話をするよ」 「全体いつ宿へつくんだい」 「五時には湯元へ着く予定なんだが、どうも、あの煙りは妙だよ。右へ行っても、左りへ行っても、鼻の先にあるばかりで、遠くもならなければ、近くもならない」 「上りたてから鼻の先にあるぜ」 「そうさな。もう少しこの路を行って見ようじゃないか」 「うん」 「それとも、少し休むか」 「うん」 「どうも、急に元気がなくなったね」 「全く饂飩の御蔭だよ」 「ハハハハ。その代り宿へ着くと僕が話しの御馳走をするよ」 「話しも聞きたくなくなった」 「それじゃまたビールでない恵比寿でも飲むさ」 「ふふん。この様子じゃ、とても宿へ着けそうもないぜ」 「なに、大丈夫だよ」 「だって、もう暗くなって来たぜ」 「どれ」と圭さんは懐中時計を出す。「四時五分前だ。暗いのは天気のせいだ。しかしこう方角が変って来ると少し困るな。山へ登ってから、もう二三里はあるいたね」 「豆の様子じゃ、十里くらいあるいてるよ」 「ハハハハ。あの煙りが前に見えたんだが、もうずっと、後ろになってしまった。すると我々は熊本の方へ二三里近付いた訳かね」 「つまり山からそれだけ遠ざかった訳さ」 「そう云えばそうさ。――君、あの煙りの横の方からまた新しい煙が見えだしたぜ。あれが多分、新しい噴火口なんだろう。あのむくむく出るところを見ると、つい、そこにあるようだがな。どうして行かれないだろう。何でもこの山のつい裏に違いないんだが、路がないから困る」 「路があったって駄目だよ」 「どうも雲だか、煙りだか非常に濃く、頭の上へやってくる。壮んなものだ。ねえ、君」 「うん」 「どうだい、こんな凄い景色はとても、こう云う時でなけりゃ見られないぜ。うん、非常に黒いものが降って来る。君あたまが大変だ。僕の帽子を貸してやろう。――こう被ってね。それから手拭があるだろう。飛ぶといけないから、上から結わいつけるんだ。――僕がしばってやろう。――傘は、畳むがいい。どうせ風に逆らうぎりだ。そうして杖につくさ。杖が出来ると、少しは歩行けるだろう」 「少しは歩行きよくなった。――雨も風もだんだん強くなるようだね」 「そうさ、さっきは少し晴れそうだったがな。雨や風は大丈夫だが、足は痛むかね」 「痛いさ。登るときは豆が三つばかりだったが、一面になったんだもの」 「晩にね、僕が、煙草の吸殻を飯粒で練って、膏薬を製ってやろう」 「宿へつけば、どうでもなるんだが……」 「あるいてるうちが難義か」 「うん」 「困ったな。――どこか高い所へ登ると、人の通る路が見えるんだがな。――うん、あすこに高い草山が見えるだろう」 「あの右の方かい」 「ああ。あの上へ登ったら、噴火孔が一と眼に見えるに違ない。そうしたら、路が分るよ」 「分るって、あすこへ行くまでに日が暮れてしまうよ」 「待ちたまえちょっと時計を見るから。四時八分だ。まだ暮れやしない。君ここに待っていたまえ。僕がちょっと物見をしてくるから」 「待ってるが、帰りに路が分らなくなると、それこそ大変だぜ。二人離れ離れになっちまうよ」 「大丈夫だ。どうしたって死ぬ気遣はないんだ。どうかしたら大きな声を出して呼ぶよ」 「うん。呼んでくれたまえ」  圭さんは雲と煙の這い廻るなかへ、猛然として進んで行く。碌さんは心細くもただ一人|薄のなかに立って、頼みにする友の後姿を見送っている。しばらくするうちに圭さんの影は草のなかに消えた。  大きな山は五分に一度ぐらいずつ時をきって、普段よりは烈しく轟となる。その折は雨も煙りも一度に揺れて、余勢が横なぐりに、悄然と立つ碌さんの体躯へ突き当るように思われる。草は眼を走らす限りを尽くしてことごとく煙りのなかに靡く上を、さあさあと雨が走って行く。草と雨の間を大きな雲が遠慮もなく這い廻わる。碌さんは向うの草山を見つめながら、顫えている。よなのしずくは、碌さんの下腹まで浸み透る。  毒々しい黒煙りが長い渦を七巻まいて、むくりと空を突く途端に、碌さんの踏む足の底が、地震のように撼いたと思った。あとは、山鳴りが比較的静まった。すると地面の下の方で、 「おおおい」と呼ぶ声がする。  碌さんは両手を、耳の後ろに宛てた。 「おおおい」  たしかに呼んでいる。不思議な事にその声が妙に足の下から湧いて出る。 「おおおい」  碌さんは思わず、声をしるべに、飛び出した。 「おおおい」と癇の高い声を、肺の縮むほど絞り出すと、太い声が、草の下から、 「おおおい」と応える。圭さんに違ない。  碌さんは胸まで来る薄をむやみに押し分けて、ずんずん声のする方に進んで行く。 「おおおい」 「おおおい。どこだ」 「おおおい。ここだ」 「どこだああ」 「ここだああ。むやみにくるとあぶないぞう。落ちるぞう」 「どこへ落ちたんだああ」 「ここへ落ちたんだああ。気をつけろう」 「気はつけるが、どこへ落ちたんだああ」 「落ちると、足の豆が痛いぞうう」 「大丈夫だああ。どこへ落ちたんだああ」 「ここだあ、もうそれから先へ出るんじゃないよう。おれがそっちへ行くから、そこで待っているんだよう」  圭さんの胴間声は地面のなかを通って、だんだん近づいて来る。 「おい、落ちたよ」 「どこへ落ちたんだい」 「見えないか」 「見えない」 「それじゃ、もう少し前へ出た」 「おや、何だい、こりゃ」 「草のなかに、こんなものがあるから剣呑だ」 「どうして、こんな谷があるんだろう」 「火熔石の流れたあとだよ。見たまえ、なかは茶色で草が一本も生えていない」 「なるほど、厄介なものがあるんだね。君、上がれるかい」 「上がれるものか。高さが二間ばかりあるよ」 「弱ったな。どうしよう」 「僕の頭が見えるかい」 「毬栗の片割れが少し見える」 「君ね」 「ええ」 「薄の上へ腹這になって、顔だけ谷の上へ乗り出して見たまえ」 「よし、今顔を出すから待っていたまえよ」 「うん、待ってる、ここだよ」と圭さんは蝙蝠傘で、崖の腹をとんとん叩く。碌さんは見当を見計って、ぐしゃりと濡れ薄の上へ腹をつけて恐る恐る首だけを溝の上へ出して、 「おい」 「おい。どうだ。豆は痛むかね」 「豆なんざどうでもいいから、早く上がってくれたまえ」 「ハハハハ大丈夫だよ。下の方が風があたらなくって、かえって楽だぜ」 「楽だって、もう日が暮れるよ、早く上がらないと」 「君」 「ええ」 「ハンケチはないか」 「ある。何にするんだい」 「落ちる時に蹴爪ずいて生爪を剥がした」 「生爪を? 痛むかい」 「少し痛む」 「あるけるかい」 「あるけるとも。ハンケチがあるなら抛げてくれたまえ」 「裂いてやろうか」 「なに、僕が裂くから丸めて抛げてくれたまえ。風で飛ぶと、いけないから、堅く丸めて落すんだよ」 「じくじく濡れてるから、大丈夫だ。飛ぶ気遣はない。いいか、抛げるぜ、そら」 「だいぶ暗くなって来たね。煙は相変らず出ているかい」 「うん。空中一面の煙だ」 「いやに鳴るじゃないか」 「さっきより、烈しくなったようだ。――ハンケチは裂けるかい」 「うん、裂けたよ。繃帯はもうでき上がった」 「大丈夫かい。血が出やしないか」 「足袋の上へ雨といっしょに煮染んでる」 「痛そうだね」 「なあに、痛いたって。痛いのは生きてる証拠だ」 「僕は腹が痛くなった」 「濡れた草の上に腹をつけているからだ。もういいから、立ちたまえ」 「立つと君の顔が見えなくなる」 「困るな。君いっその事に、ここへ飛び込まないか」 「飛び込んで、どうするんだい」 「飛び込めないかい」 「飛び込めない事もないが――飛び込んで、どうするんだい」 「いっしょにあるくのさ」 「そうしてどこへ行くつもりだい」 「どうせ、噴火口から山の麓まで流れた岩のあとなんだから、この穴の中をあるいていたら、どこかへ出るだろう」 「だって」 「だって厭か。厭じゃ仕方がない」 「厭じゃないが――それより君が上がれると好いんだがな。君どうかして上がって見ないか」 「それじゃ、君はこの穴の縁を伝って歩行くさ。僕は穴の下をあるくから。そうしたら、上下で話が出来るからいいだろう」 「縁にゃ路はありゃしない」 「草ばかりかい」 「うん。草がね……」 「うん」 「胸くらいまで生えている」 「ともかくも僕は上がれないよ」 「上がれないって、それじゃ仕方がないな――おい。――おい。――おいって云うのにおい。なぜ黙ってるんだ」 「ええ」 「大丈夫かい」 「何が」 「口は利けるかい」 「利けるさ」 「それじゃ、なぜ黙ってるんだ」 「ちょっと考えていた」 「何を」 「穴から出る工夫をさ」 「全体何だって、そんな所へ落ちたんだい」 「早く君に安心させようと思って、草山ばかり見つめていたもんだから、つい足元が御留守になって、落ちてしまった」 「それじゃ、僕のために落ちたようなものだ。気の毒だな、どうかして上がって貰えないかな、君」 「そうさな。――なに僕は構わないよ。それよりか。君、早く立ちたまえ。そう草で腹を冷やしちゃ毒だ」 「腹なんかどうでもいいさ」 「痛むんだろう」 「痛む事は痛むさ」 「だから、ともかくも立ちたまえ。そのうち僕がここで出る工夫を考えて置くから」 「考えたら、呼ぶんだぜ。僕も考えるから」 「よし」  会話はしばらく途切れる。草の中に立って碌さんが覚束なく四方を見渡すと、向うの草山へぶつかった黒雲が、峰の半腹で、どっと崩れて海のように濁ったものが頭を去る五六尺の所まで押し寄せてくる。時計はもう五時に近い。山のなかばはたださえ薄暗くなる時分だ。ひゅうひゅうと絶間なく吹き卸ろす風は、吹くたびに、黒い夜を遠い国から持ってくる。刻々と逼る暮色のなかに、嵐は卍に吹きすさむ。噴火孔から吹き出す幾万斛の煙りは卍のなかに万遍なく捲き込まれて、嵐の世界を尽くして、どす黒く漲り渡る。 「おい。いるか」 「いる。何か考えついたかい」 「いいや。山の模様はどうだい」 「だんだん荒れるばかりだよ」 「今日は何日だっけかね」 「今日は九月二日さ」 「ことによると二百十日かも知れないね」  会話はまた切れる。二百十日の風と雨と煙りは満目の草を埋め尽くして、一丁先は靡く姿さえ、判然と見えぬようになった。 「もう日が暮れるよ。おい。いるかい」  谷の中の人は二百十日の風に吹き浚われたものか、うんとも、すんとも返事がない。阿蘇の御山は割れるばかりにごううと鳴る。  碌さんは青くなって、また草の上へ棒のように腹這になった。 「おおおい。おらんのか」 「おおおい。こっちだ」  薄暗い谷底を半町ばかり登った所に、ぼんやりと白い者が動いている。手招きをしているらしい。 「なぜ、そんな所へ行ったんだああ」 「ここから上がるんだああ」 「上がれるのかああ」 「上がれるから、早く来おおい」  碌さんは腹の痛いのも、足の豆も忘れて、脱兎の勢で飛び出した。 「おい。ここいらか」 「そこだ。そこへ、ちょっと、首を出して見てくれ」 「こうか。――なるほど、こりゃ大変浅い。これなら、僕が蝙蝠傘を上から出したら、それへ、取っ捕らまって上がれるだろう」 「傘だけじゃ駄目だ。君、気の毒だがね」 「うん。ちっとも気の毒じゃない。どうするんだ」 「兵児帯を解いて、その先を傘の柄へ結びつけて――君の傘の柄は曲ってるだろう」 「曲ってるとも。大いに曲ってる」 「その曲ってる方へ結びつけてくれないか」 「結びつけるとも。すぐ結びつけてやる」 「結びつけたら、その帯の端を上からぶら下げてくれたまえ」 「ぶら下げるとも。訳はない。大丈夫だから待っていたまえ。――そうら、長いのが天竺から、ぶら下がったろう」 「君、しっかり傘を握っていなくっちゃいけないぜ。僕の身体は十七貫六百目あるんだから」 「何貫目あったって大丈夫だ、安心して上がりたまえ」 「いいかい」 「いいとも」 「そら上がるぜ。――いや、いけない。そう、ずり下がって来ては……」 「今度は大丈夫だ。今のは試して見ただけだ。さあ上がった。大丈夫だよ」 「君が滑べると、二人共落ちてしまうぜ」 「だから大丈夫だよ。今のは傘の持ちようがわるかったんだ」 「君、薄の根へ足をかけて持ち応えていたまえ。――あんまり前の方で蹈ん張ると、崖が崩れて、足が滑べるよ」 「よし、大丈夫。さあ上がった」 「足を踏ん張ったかい。どうも今度もあぶないようだな」 「おい」 「何だい」 「君は僕が力がないと思って、大に心配するがね」 「うん」 「僕だって一人前の人間だよ」 「無論さ」 「無論なら安心して、僕に信頼したらよかろう。からだは小さいが、朋友を一人谷底から救い出すぐらいの事は出来るつもりだ」 「じゃ上がるよ。そらっ……」 「そらっ……もう少しだ」  豆で一面に腫れ上がった両足を、うんと薄の根に踏ん張った碌さんは、素肌を二百十日の雨に曝したまま、海老のように腰を曲げて、一生懸命に、傘の柄にかじりついている。麦藁帽子を手拭で縛りつけた頭の下から、真赤にいきんだ顔が、八分通り阿蘇卸ろしに吹きつけられて、喰い締めた反っ歯の上にはよなが容赦なく降ってくる。  毛繻子張り八間の蝙蝠の柄には、幸い太い瘤だらけの頑丈な自然木が、付けてあるから、折れる気遣はまずあるまい。その自然木の彎曲した一端に、鳴海絞りの兵児帯が、薩摩の強弓に新しく張った弦のごとくぴんと薄を押し分けて、先は谷の中にかくれている。その隠れているあたりから、しばらくすると大きな毬栗頭がぬっと現われた。  やっと云う掛声と共に両手が崖の縁にかかるが早いか、大入道の腰から上は、斜めに尻に挿した蝙蝠傘と共に谷から上へ出た。同時に碌さんは、どさんと仰向きになって、薄の底に倒れた。         五 「おい、もう飯だ、起きないか」 「うん。起きないよ」 「腹の痛いのは癒ったかい」 「まあ大抵癒ったようなものだが、この様子じゃ、いつ痛くなるかも知れないね。ともかくも饂飩が祟ったんだから、容易には癒りそうもない」 「そのくらい口が利ければたしかなものだ。どうだいこれから出掛けようじゃないか」 「どこへ」 「阿蘇へさ」 「阿蘇へまだ行く気かい」 「無論さ、阿蘇へ行くつもりで、出掛けたんだもの。行かない訳には行かない」 「そんなものかな。しかしこの豆じゃ残念ながら致し方がない」 「豆は痛むかね」 「痛むの何のって、こうして寝ていても頭へずうんずうんと響くよ」 「あんなに、吸殻をつけてやったが、毫も利目がないかな」 「吸殻で利目があっちゃ大変だよ」 「だって、付けてやる時は大いにありがたそうだったぜ」 「癒ると思ったからさ」 「時に君はきのう怒ったね」 「いつ」 「裸で蝙蝠傘を引っ張るときさ」 「だって、あんまり人を軽蔑するからさ」 「ハハハしかし御蔭で谷から出られたよ。君が怒らなければ僕は今頃谷底で往生してしまったかも知れないところだ」 「豆を潰すのも構わずに引っ張った上に、裸で薄の中へ倒れてさ。それで君はありがたいとも何とも云わなかったぜ。君は人情のない男だ」 「その代りこの宿まで担いで来てやったじゃないか」 「担いでくるものか。僕は独立して歩行いて来たんだ」 「それじゃここはどこだか知ってるかい」 「大に人を愚弄したものだ。ここはどこだって、阿蘇町さ。しかもともかくもの饂飩を強いられた三軒置いて隣の馬車宿だあね。半日山のなかを馳けあるいて、ようやく下りて見たら元の所だなんて、全体何てえ間抜だろう。これからもう君の天祐は信用しないよ」 「二百十日だったから悪るかった」 「そうして山の中で芝居染みた事を云ってさ」 「ハハハハしかしあの時は大いに感服して、うん、うん、て云ったようだぜ」 「あの時は感心もしたが、こうなって見ると馬鹿気ていらあ。君ありゃ真面目かい」 「ふふん」 「冗談か」 「どっちだと思う」 「どっちでも好いが、真面目なら忠告したいね」 「あの時僕の経歴談を聴かせろって、泣いたのは誰だい」 「泣きゃしないやね。足が痛くって心細くなったんだね」 「だって、今日は朝から非常に元気じゃないか、昨日た別人の観がある」 「足の痛いにかかわらずか。ハハハハ。実はあんまり馬鹿気ているから、少し腹を立てて見たのさ」 「僕に対してかい」 「だってほかに対するものがないから仕方がないさ」 「いい迷惑だ。時に君は粥を食うなら誂らえてやろうか」 「粥もだがだね。第一、馬車は何時に出るか聞いて貰いたい」 「馬車でどこへ行く気だい」 「どこって熊本さ」 「帰るのかい」 「帰らなくってどうする。こんな所に馬車馬と同居していちゃ命が持たない。ゆうべ、あの枕元でぽんぽん羽目を蹴られたには実に弱ったぜ」 「そうか、僕はちっとも知らなかった。そんなに音がしたかね」 「あの音が耳に入らなければ全く剛健党に相違ない。どうも君は憎くらしいほど善く寝る男だね。僕にあれほど堅い約束をして、経歴談をきかせるの、医者の日記を話すのって、いざとなると、まるで正体なしに寝ちまうんだ。――そうして、非常ないびきをかいて――」 「そうか、そりゃ失敬した。あんまり疲れ過ぎたんだよ」 「時に天気はどうだい」 「上天気だ」 「くだらない天気だ、昨日晴れればいい事を。――そうして顔は洗ったのかい」 「顔はとうに洗った。ともかくも起きないか」 「起きるって、ただは起きられないよ。裸で寝ているんだから」 「僕は裸で起きた」 「乱暴だね。いかに豆腐屋育ちだって、あんまりだ」 「裏へ出て、冷水浴をしていたら、かみさんが着物を持って来てくれた。乾いてるよ。ただ鼠色になってるばかりだ」 「乾いてるなら、取り寄せてやろう」と碌さんは、勢よく、手をぽんぽん敲く。台所の方で返事がある。男の声だ。 「ありゃ御者かね」 「亭主かも知れないさ」 「そうかな、寝ながら占ってやろう」 「占ってどうするんだい」 「占って君と賭をする」 「僕はそんな事はしないよ」 「まあ、御者か、亭主か」 「どっちかなあ」 「さあ、早くきめた。そら、来るからさ」 「じゃ、亭主にでもして置こう」 「じゃ君が亭主に、僕が御者だぜ。負けた方が今日|一日命令に服するんだぜ」 「そんな事はきめやしない」 「御早う……御呼びになりましたか」 「うん呼んだ。ちょっと僕の着物を持って来てくれ。乾いてるだろうね」 「ねえ」 「それから腹がわるいんだから、粥を焚いて貰いたい」 「ねえ。御二人さんとも……」 「おれはただの飯で沢山だよ」 「では御一人さんだけ」 「そうだ。それから馬車は何時と何時に出るかね」 「熊本通いは八時と一時に出ますたい」 「それじゃ、その八時で立つ事にするからね」 「ねえ」 「君、いよいよ熊本へ帰るのかい。せっかくここまで来て阿蘇へ上らないのはつまらないじゃないか」 「そりゃ、いけないよ」 「だってせっかく来たのに」 「せっかくは君の命令に因って、せっかく来たに相違ないんだがね。この豆じゃ、どうにも、こうにも、――天祐を空しくするよりほかに道はあるまいよ」 「足が痛めば仕方がないが、――惜しいなあ、せっかく思い立って、――いい天気だぜ、見たまえ」 「だから、君もいっしょに帰りたまえな。せっかくいっしょに来たものだから、いっしょに帰らないのはおかしいよ」 「しかし阿蘇へ登りに来たんだから、登らないで帰っちゃあ済まない」 「誰に済まないんだ」 「僕の主義に済まない」 「また主義か。窮屈な主義だね。じゃ一度熊本へ帰ってまた出直してくるさ」 「出直して来ちゃ気が済まない」 「いろいろなものに済まないんだね。君は元来強情過ぎるよ」 「そうでもないさ」 「だって、今までただの一遍でも僕の云う事を聞いた事がないぜ」 「幾度もあるよ」 「なに一度もない」 「昨日も聞いてるじゃないか。谷から上がってから、僕が登ろうと主張したのを、君が何でも下りようと云うから、ここまで引き返したじゃないか」 「昨日は格別さ。二百十日だもの。その代り僕は饂飩を何遍も喰ってるじゃないか」 「ハハハハ、ともかくも……」 「まあいいよ。談判はあとにして、ここに宿の人が待ってるから……」 「そうか」 「おい、君」 「ええ」 「君じゃない。君さ、おい宿の先生」 「ねえ」 「君は御者かい」 「いいえ」 「じゃ御亭主かい」 「いいえ」 「じゃ何だい」 「雇人で……」 「おやおや。それじゃ何にもならない。君、この男は御者でも亭主でもないんだとさ」 「うん、それがどうしたんだ」 「どうしたんだって――まあ好いや、それじゃ。いいよ、君、彼方へ行っても好いよ」 「ねえ。では御二人さんとも馬車で御越しになりますか」 「そこが今|悶着中さ」 「へへへへ。八時の馬車はもう直ぐ、支度が出来ます」 「うん、だから、八時前に悶着をかたづけて置こう。ひとまず引き取ってくれ」 「へへへへ御緩っくり」 「おい、行ってしまった」 「行くのは当り前さ。君が行け行けと催促するからさ」 「ハハハありゃ御者でも亭主でもないんだとさ。弱ったな」 「何が弱ったんだい」 「何がって。僕はこう思ってたのさ。あの男が御者ですと云うだろう。すると僕が賭に勝つ訳になるから、君は何でも僕の命令に服さなければならなくなる」 「なるものか、そんな約束はしやしない」 「なに、したと見傚すんだね」 「勝手にかい」 「曖昧にさ。そこで君は僕といっしょに熊本へ帰らなくっちゃあ、ならないと云う訳さ」 「そんな訳になるかね」 「なると思って喜こんでたが、雇人だって云うからしようがない」 「そりゃ当人が雇人だと主張するんだから仕方がないだろう」 「もし御者ですと云ったら、僕は彼奴に三十銭やるつもりだったのに馬鹿な奴だ」 「何にも世話にならないのに、三十銭やる必要はない」 「だって君は一昨夜、あの束髪の下女に二十銭やったじゃないか」 「よく知ってるね。――あの下女は単純で気に入ったんだもの。華族や金持ちより尊敬すべき資格がある」 「そら出た。華族や金持ちの出ない日はないね」 「いや、日に何遍云っても云い足りないくらい、毒々しくってずうずうしい者だよ」 「君がかい」 「なあに、華族や金持ちがさ」 「そうかな」 「例えば今日わるい事をするぜ。それが成功しない」 「成功しないのは当り前だ」 「すると、同じようなわるい事を明日やる。それでも成功しない。すると、明後日になって、また同じ事をやる。成功するまでは毎日毎日同じ事をやる。三百六十五日でも七百五十日でも、わるい事を同じように重ねて行く。重ねてさえ行けば、わるい事が、ひっくり返って、いい事になると思ってる。言語道断だ」 「言語道断だ」 「そんなものを成功させたら、社会はめちゃくちゃだ。おいそうだろう」 「社会はめちゃくちゃだ」 「我々が世の中に生活している第一の目的は、こう云う文明の怪獣を打ち殺して、金も力もない、平民に幾分でも安慰を与えるのにあるだろう」 「ある。うん。あるよ」 「あると思うなら、僕といっしょにやれ」 「うん。やる」 「きっとやるだろうね。いいか」 「きっとやる」 「そこでともかくも阿蘇へ登ろう」 「うん、ともかくも阿蘇へ登るがよかろう」  二人の頭の上では二百十一日の阿蘇が轟々と百年の不平を限りなき碧空に吐き出している。  大学を辞して朝日新聞に這入ったら逢う人が皆驚いた顔をして居る。中には何故だと聞くものがある。大決断だと褒めるものがある。大学をやめて新聞屋になる事が左程に不思議な現象とは思わなかった。余が新聞屋として成功するかせぬかは固より疑問である。成功せぬ事を予期して十余年の径路を一朝に転じたのを無謀だと云って驚くなら尤である。かく申す本人すら其の点に就ては驚いて居る。然しながら大学の様な栄誉ある位置を抛って、新聞屋になったから驚くと云うならば、やめて貰いたい。大学は名誉ある学者の巣を喰っている所かも知れない。尊敬に価する教授や博士が穴籠りをしている所かも知れない。二三十年|辛抱すれば勅任官になれる所かも知れない。其他色々|便宜のある所かも知れない。成程そう考えて見ると結構な所である。赤門を潜り込んで、講座へ這い上ろうとする候補者は――勘定して見ないから、幾人あるか分らないが、一々聞いて歩いたら余程ひまを潰す位に多いだろう。大学の結構な事は夫でも分る。余も至極御同意である。然し御同意と云うのは大学が結構な所であると云う事に御同意を表したのみで、新聞屋が不結構な職業であると云う事に賛成の意を表したんだと早合点をしてはいけない。  新聞屋が商売ならば、大学屋も商売である。商売でなければ、教授や博士になりたがる必要はなかろう。月俸を上げてもらう必要はなかろう。勅任官になる必要はなかろう。新聞が商売である如く大学も商売である。新聞が下卑た商売であれば大学も下卑た商売である。只個人として営業しているのと、御上で御営業になるのとの差|丈けである。  大学では四年間講義をした。特別の恩命を以て洋行を仰つけられた二年の倍を義務年限とすると此四月で丁度年期はあける訳になる。年期はあけても食えなければ、いつ迄も噛り付き、獅噛みつき、死んでも離れない積でもあった。所へ突然朝日新聞から入社せぬかと云う相談を受けた。担任の仕事はと聞くと只文芸に関する作物を適宜の量に適宜の時に供給すればよいとの事である。文芸上の述作を生命とする余にとって是程難有い事はない、是程心持ちのよい待遇はない、是程名誉な職業はない、成功するか、しないか抔と考えて居られるものじゃない。博士や教授や勅任官|抔の事を念頭にかけて、うんうん、きゅうきゅう云っていられるものじゃない。  大学で講義をするときは、いつでも犬が吠えて不愉快であった。余の講義のまずかったのも半分は此犬の為めである。学力が足らないからだ抔とは決して思わない。学生には御気の毒であるが、全く犬の所為だから、不平は其方へ持って行って頂きたい。  大学で一番心持ちの善かったのは図書館の閲覧室で新着の雑誌|抔を見る時であった。然し多忙で思う様に之を利用する事が出来なかったのは残念|至極である。しかも余が閲覧室へ這入ると隣室に居る館員が、無暗に大きな声で話をする、笑う、ふざける。清興を妨げる事は莫大であった。ある時余は坪井学長に書面を奉て、恐れながら御成敗を願った。学長は取り合われなかった。余の講義のまずかったのは半分は是が為めである。学生には御気の毒だが、図書館と学長がわるいのだから、不平があるなら其方へ持って行って貰いたい。余の学力が足らんのだと思われては甚だ迷惑である。  新聞の方では社へ出る必要はないと云う。毎日書斎で用事をすれば夫で済むのである。余の居宅の近所にも犬は大分居る、図書館員の様に騒ぐものも出て来るに相違ない。然しそれは朝日新聞とは何等の関係もない事だ。いくら不愉快でも、妨害になっても、新聞に対しては面白く仕事が出来る。雇人が雇主に対して面白く仕事が出来れば、是が真正の結構と云うものである。  大学では講師として年俸八百円を頂戴していた。子供が多くて、家賃が高くて八百円では到底暮せない。仕方がないから他に二三軒の学校を馳あるいて、漸く其日を送って居た。いかな漱石もこう奔命につかれては神経衰弱になる。其上多少の述作はやらなければならない。酔興に述作をするからだと云うなら云わせて置くが、近来の漱石は何か書かないと生きている気がしないのである。夫丈けではない。教える為め、又は修養の為め書物も読まなければ世間へ対して面目がない。漱石は以上の事情によって神経衰弱に陥ったのである。  新聞社の方では教師としてかせぐ事を禁じられた。其代り米塩の資に窮せぬ位の給料をくれる。食ってさえ行かれれば何を苦しんでザットのイットのを振り廻す必要があろう。やめるとなと云ってもやめて仕舞う。休めた翌日から急に脊中が軽くなって、肺臓に未曾有の多量な空気が這入って来た。  学校をやめてから、京都へ遊びに行った。其地で故旧と会して、野に山に寺に社に、いずれも教場よりは愉快であった。鶯は身を逆まにして初音を張る。余は心を空にして四年来の塵を肺の奥から吐き出した。是も新聞屋になった御蔭である。  人生意気に感ずとか何とか云う。変り物の余を変り物に適する様な境遇に置いてくれた朝日新聞の為めに、変り物として出来得る限りを尽すは余の嬉しき義務である。  吾輩は猫である。名前はまだない。主人は教師である。迷亭は美学者、寒月は理学者、いづれも当代の変人、太平の逸民である。吾輩は幸にして此諸先生の知遇を辱ふするを得てこゝに其平生を読者に紹介するの光栄を有するのである。……吾輩は又猫相応の敬意を以て金田令夫人の鼻の高さを読者に報道し得るを一生の面目と思ふのである。……         一  白井道也は文学者である。  八年|前大学を卒業してから田舎の中学を二三|箇所流して歩いた末、去年の春|飄然と東京へ戻って来た。流すとは門附に用いる言葉で飄然とは徂徠に拘わらぬ意味とも取れる。道也の進退をかく形容するの適否は作者といえども受合わぬ。縺れたる糸の片端も眼を着すればただ一筋の末とあらわるるに過ぎぬ。ただ一筋の出処の裏には十重二十重の因縁が絡んでいるかも知れぬ。鴻雁の北に去りて乙鳥の南に来るさえ、鳥の身になっては相当の弁解があるはずじゃ。  始めて赴任したのは越後のどこかであった。越後は石油の名所である。学校の在る町を四五町隔てて大きな石油会社があった。学校のある町の繁栄は三|分二以上この会社の御蔭で維持されている。町のものに取っては幾個の中学校よりもこの石油会社の方が遥かにありがたい。会社の役員は金のある点において紳士である。中学の教師は貧乏なところが下等に見える。この下等な教師と金のある紳士が衝突すれば勝敗は誰が眼にも明かである。道也はある時の演説会で、金力と品性と云う題目のもとに、両者の必ずしも一致せざる理由を説明して、暗に会社の役員らの暴慢と、青年子弟の何らの定見もなくしていたずらに黄白万能主義を信奉するの弊とを戒めた。  役員らは生意気な奴だと云った。町の新聞は無能の教師が高慢な不平を吐くと評した。彼の同僚すら余計な事をして学校の位地を危うくするのは愚だと思った。校長は町と会社との関係を説いて、漫に平地に風波を起すのは得策でないと説諭した。道也の最後に望を属していた生徒すらも、父兄の意見を聞いて、身のほどを知らぬ馬鹿教師と云い出した。道也は飄然として越後を去った。  次に渡ったのは九州である。九州を中断してその北部から工業を除けば九州は白紙となる。炭礦の煙りを浴びて、黒い呼吸をせぬ者は人間の資格はない。垢光りのする背広の上へ蒼い顔を出して、世の中がこうの、社会がああの、未来の国民がなんのかのと白銅一個にさえ換算の出来ぬ不生産的な言説を弄するものに存在の権利のあろうはずがない。権利のないものに存在を許すのは実業家の御慈悲である。無駄口を叩く学者や、蓄音機の代理をする教師が露命をつなぐ月々幾片の紙幣は、どこから湧いてくる。手の掌をぽんと叩けば、自から降る幾億の富の、塵の塵の末を舐めさして、生かして置くのが学者である、文士である、さては教師である。  金の力で活きておりながら、金を誹るのは、生んで貰った親に悪体をつくと同じ事である。その金を作ってくれる実業家を軽んずるなら食わずに死んで見るがいい。死ねるか、死に切れずに降参をするか、試めして見ようと云って抛り出された時、道也はまた飄然と九州を去った。  第三に出現したのは中国|辺の田舎である。ここの気風はさほどに猛烈な現金主義ではなかった。ただ土着のものがむやみに幅を利かして、他県のものを外国人と呼ぶ。外国人と呼ぶだけならそれまでであるが、いろいろに手を廻わしてこの外国人を征服しようとする。宴会があれば宴会でひやかす。演説があれば演説であてこする。それから新聞で厭味を並べる。生徒にからかわせる。そうしてそれが何のためでもない。ただ他県のものが自分と同化せぬのが気に懸るからである。同化は社会の要素に違ない。仏蘭西のタルドと云う学者は社会は模倣なりとさえ云うたくらいだ。同化は大切かも知れぬ。その大切さ加減は道也といえども心得ている。心得ているどころではない、高等な教育を受けて、広義な社会観を有している彼は、凡俗以上に同化の功徳を認めている。ただ高いものに同化するか低いものに同化するかが問題である。この問題を解釈しないでいたずらに同化するのは世のためにならぬ。自分から云えば一分が立たぬ。  ある時旧藩主が学校を参観に来た。旧藩主は殿様で華族様である。所のものから云えば神様である。この神様が道也の教室へ這入って来た時、道也は別に意にも留めず授業を継続していた。神様の方では無論|挨拶もしなかった。これから事が六ずかしくなった。教場は神聖である。教師が教壇に立って業を授けるのは侍が物の具に身を固めて戦場に臨むようなものである。いくら華族でも旧藩主でも、授業を中絶させる権利はないとは道也の主張であった。この主張のために道也はまた飄然として任地を去った。去る時に土地のものは彼を目して頑愚だと評し合うたそうである。頑愚と云われたる道也はこの嘲罵を背に受けながら飄然として去った。  三たび飄然と中学を去った道也は飄然と東京へ戻ったなり再び動く景色がない。東京は日本で一番|世地辛い所である。田舎にいるほどの俸給を受けてさえ楽には暮せない。まして教職を抛って両手を袂へ入れたままで遣り切るのは、立ちながらみいらとなる工夫と評するよりほかに賞めようのない方法である。  道也には妻がある。妻と名がつく以上は養うべき義務は附随してくる。自からみいらとなるのを甘んじても妻を干乾にする訳には行かぬ。干乾にならぬよほど前から妻君はすでに不平である。  始めて越後を去る時には妻君に一部始終を話した。その時妻君はごもっともでござんすと云って、甲斐甲斐しく荷物の手拵を始めた。九州を去る時にもその顛末を云って聞かせた。今度はまたですかと云ったぎり何にも口を開かなかった。中国を出る時の妻君の言葉は、あなたのように頑固ではどこへいらしっても落ちつけっこありませんわと云う訓戒的の挨拶に変化していた。七年の間に三たび漂泊して、三たび漂泊するうちに妻君はしだいと自分の傍を遠退くようになった。  妻君が自分の傍を遠退くのは漂泊のためであろうか、俸禄を棄てるためであろうか。何度漂泊しても、漂泊するたびに月給が上がったらどうだろう。妻君は依然として「あなたのように……」と不服がましい言葉を洩らしたろうか。博士にでもなって、大学教授に転任してもやはり「あなたのように……」が繰り返されるであろうか。妻君の了簡は聞いて見なければ分らぬ。  博士になり、教授になり、空しき名を空しく世間に謳わるるがため、その反響が妻君の胸に轟いて、急に夫の待遇を変えるならばこの細君は夫の知己とは云えぬ。世の中が夫を遇する朝夕の模様で、夫の価値を朝夕に変える細君は、夫を評価する上において、世間並の一人である。嫁がぬ前、名を知らぬ前、の己れと異なるところがない。従って夫から見ればあかの他人である。夫を知る点において嫁ぐ前と嫁ぐ後とに変りがなければ、少なくともこの点において細君らしいところがないのである。世界はこの細君らしからぬ細君をもって充満している。道也は自分の妻をやはりこの同類と心得ているだろうか。至る所に容れられぬ上に、至る所に起居を共にする細君さえ自分を解してくれないのだと悟ったら、定めて心細いだろう。  世の中はかかる細君をもって充満していると云った。かかる細君をもって充満しておりながら、皆円満にくらしている。順境にある者が細君の心事をここまでに解剖する必要がない。皮膚病に罹ればこそ皮膚の研究が必要になる。病気も無いのに汚ないものを顕微鏡で眺めるのは、事なきに苦しんで肥柄杓を振り廻すと一般である。ただこの順境が一転して逆落しに運命の淵へころがり込む時、いかな夫婦の間にも気まずい事が起る。親子の覊絆もぽつりと切れる。美くしいのは血の上を薄く蔽う皮の事であったと気がつく。道也はどこまで気がついたか知らぬ。  道也の三たび去ったのは、好んで自から窮地に陥るためではない。罪もない妻に苦労を掛けるためではなおさらない。世間が己れを容れぬから仕方がないのである。世が容れぬならなぜこちらから世に容れられようとはせぬ? 世に容れられようとする刹那に道也は奇麗に消滅してしまうからである。道也は人格において流俗より高いと自信している。流俗より高ければ高いほど、低いものの手を引いて、高い方へ導いてやるのが責任である。高いと知りながらも低きにつくのは、自から多年の教育を受けながら、この教育の結果がもたらした財宝を床下に埋むるようなものである。自分の人格を他に及ぼさぬ以上は、せっかくに築き上げた人格は、築きあげぬ昔と同じく無功力で、築き上げた労力だけを徒費した訳になる。英語を教え、歴史を教え、ある時は倫理さえ教えたのは、人格の修養に附随して蓄えられた、芸を教えたのである。単にこの芸を目的にして学問をしたならば、教場で書物を開いてさえいれば済む。書物を開いて飯を食って満足しているのは綱渡りが綱を渡って飯を食い、皿廻しが皿を廻わして飯を食うのと理論において異なるところはない。学問は綱渡りや皿廻しとは違う。芸を覚えるのは末の事である。人間が出来上るのが目的である。大小の区別のつく、軽重の等差を知る、好悪の判然する、善悪の分界を呑み込んだ、賢愚、真偽、正邪の批判を謬まらざる大丈夫が出来上がるのが目的である。  道也はこう考えている。だから芸を售って口を糊するのを恥辱とせぬと同時に、学問の根底たる立脚地を離るるのを深く陋劣と心得た。彼が至る所に容れられぬのは、学問の本体に根拠地を構えての上の去就であるから、彼自身は内に顧みて疚しいところもなければ、意気地がないとも思いつかぬ。頑愚などと云う嘲罵は、掌へ載せて、夏の日の南軒に、虫眼鏡で検査しても了解が出来ん。  三度教師となって三度追い出された彼は、追い出されるたびに博士よりも偉大な手柄を立てたつもりでいる。博士はえらかろう、しかしたかが芸で取る称号である。富豪が製艦費を献納して従五位をちょうだいするのと大した変りはない。道也が追い出されたのは道也の人物が高いからである。正しき人は神の造れるすべてのうちにて最も尊きものなりとは西の国の詩人の言葉だ。道を守るものは神よりも貴しとは道也が追わるるごとに心のうちで繰り返す文句である。ただし妻君はかつてこの文句を道也の口から聞いた事がない。聞いても分かるまい。  わからねばこそ餓え死にもせぬ先から、夫に対して不平なのである。不平な妻を気の毒と思わぬほどの道也ではない。ただ妻の歓心を得るために吾が行く道を曲げぬだけが普通の夫と違うのである。世は単に人と呼ぶ。娶れば夫である。交われば友である。手を引けば兄、引かるれば弟である。社会に立てば先覚者にもなる。校舎に入れば教師に違いない。さるを単に人と呼ぶ。人と呼んで事足るほどの世間なら単純である。妻君は常にこの単純な世界に住んでいる。妻君の世界には夫としての道也のほかには学者としての道也もない、志士としての道也もない。道を守り俗に抗する道也はなおさらない。夫が行く先き先きで評判が悪くなるのは、夫の才が足らぬからで、到る所に職を辞するのは、自から求むる酔興にほかならんとまで考えている。  酔興を三たび重ねて、東京へ出て来た道也は、もう田舎へは行かぬと言い出した。教師ももうやらぬと妻君に打ち明けた。学校に愛想をつかした彼は、愛想をつかした社会状態を矯正するには筆の力によらねばならぬと悟ったのである。今まではいずこの果で、どんな職業をしようとも、己れさえ真直であれば曲がったものは苧殻のように向うで折れべきものと心得ていた。盛名はわが望むところではない。威望もわが欲するところではない。ただわが人格の力で、未来の国民をかたちづくる青年に、向上の眼を開かしむるため、取捨分別の好例を自家身上に示せば足るとのみ思い込んで、思い込んだ通りを六年余り実行して、見事に失敗したのである。渡る世間に鬼はないと云うから、同情は正しき所、高き所、物の理窟のよく分かる所に聚まると早合点して、この年月を今度こそ、今度こそ、と経験の足らぬ吾身に、待ち受けたのは生涯の誤りである。世はわが思うほどに高尚なものではない、鑑識のあるものでもない。同情とは強きもの、富めるものにのみ随う影にほかならぬ。  ここまで進んでおらぬ世を買い被って、一足飛びに田舎へ行ったのは、地ならしをせぬ地面の上へ丈夫な家を建てようとあせるようなものだ。建てかけるが早いか、風と云い雨と云う曲者が来て壊してしまう。地ならしをするか、雨風を退治るかせぬうちは、落ちついてこの世に住めぬ。落ちついて住めぬ世を住めるようにしてやるのが天下の士の仕事である。  金も勢もないものが天下の士に恥じぬ事業を成すには筆の力に頼らねばならぬ。舌の援を藉らねばならぬ。脳味噌を圧搾して利他の智慧を絞らねばならぬ。脳味噌は涸れる、舌は爛れる、筆は何本でも折れる、それでも世の中が云う事を聞かなければそれまでである。  しかし天下の士といえども食わずには働けない。よし自分だけは食わんで済むとしても、妻は食わずに辛抱する気遣はない。豊かに妻を養わぬ夫は、妻の眼から見れば大罪人である。今年の春、田舎から出て来て、芝琴平町の安宿へ着いた時、道也と妻君の間にはこんな会話が起った。 「教師をおやめなさるって、これから何をなさるおつもりですか」 「別にこれと云うつもりもないがね、まあ、そのうち、どうかなるだろう」 「その内どうかなるだろうって、それじゃまるで雲を攫むような話しじゃありませんか」 「そうさな。あんまり判然としちゃいない」 「そう呑気じゃ困りますわ。あなたは男だからそれでようござんしょうが、ちっとは私の身にもなって見て下さらなくっちゃあ……」 「だからさ、もう田舎へは行かない、教師にもならない事にきめたんだよ」 「きめるのは御勝手ですけれども、きめたって月給が取れなけりゃ仕方がないじゃありませんか」 「月給がとれなくっても金がとれれば、よかろう」 「金がとれれば……そりゃようござんすとも」 「そんなら、いいさ」 「いいさって、御金がとれるんですか、あなた」 「そうさ、まあ取れるだろうと思うのさ」 「どうして?」 「そこは今考え中だ。そう着、早々計画が立つものか」 「だから心配になるんですわ。いくら東京にいるときめたって、きめただけの思案じゃ仕方がないじゃありませんか」 「どうも御前はむやみに心配性でいけない」 「心配もしますわ、どこへいらしっても折合がわるくっちゃ、おやめになるんですもの。私が心配性なら、あなたはよっぽど癇癪持ちですわ」 「そうかも知れない。しかしおれの癇癪は……まあ、いいや。どうにか東京で食えるようにするから」 「御兄さんの所へいらしって御頼みなすったら、どうでしょう」 「うん、それも好いがね。兄はいったい人の世話なんかする男じゃないよ」 「あら、そう何でも一人できめて御しまいになるから悪るいんですわ。昨日もあんなに親切にいろいろ言って下さったじゃありませんか」 「昨日か。昨日はいろいろ世話を焼くような事を言った。言ったがね……」 「言ってもいけないんですか」 「いけなかないよ。言うのは結構だが……あんまり当にならないからな」 「なぜ?」 「なぜって、その内だんだんわかるさ」 「じゃ御友達の方にでも願って、あしたからでも運動をなすったらいいでしょう」 「友達って別に友達なんかありゃしない。同級生はみんな散ってしまった」 「だって毎年年始状を御寄こしになる足立さんなんか東京で立派にしていらっしゃるじゃありませんか」 「足立か、うん、大学教授だね」 「そう、あなたのように高くばかり構えていらっしゃるから人に嫌われるんですよ。大学教授だねって、大学の先生になりゃ結構じゃありませんか」 「そうかね。じゃ足立の所へでも行って頼んで見ようよ。しかし金さえ取れれば必ず足立の所へ行く必要はなかろう」 「あら、まだあんな事を云っていらっしゃる。あなたはよっぽど強情ね」 「うん、おれはよっぽど強情だよ」         二  午に逼る秋の日は、頂く帽を透して頭蓋骨のなかさえ朗かならしめたかの感がある。公園のロハ台はそのロハ台たるの故をもってことごとくロハ的に占領されてしまった。高柳君は、どこぞ空いた所はあるまいかと、さっきからちょうど三度日比谷を巡回した。三度巡回して一脚の腰掛も思うように我を迎えないのを発見した時、重そうな足を正門のかたへ向けた。すると反対の方から同年輩の青年が早足に這入って来て、やあと声を掛けた。 「やあ」と高柳君も同じような挨拶をした。 「どこへ行ったんだい」と青年が聞く。 「今ぐるぐる巡って、休もうと思ったが、どこも空いていない。駄目だ、ただで掛けられる所はみんな人が先へかけている。なかなか抜目はないもんだな」 「天気がいいせいだよ。なるほど随分人が出ているね。――おい、あの孟宗藪を回って噴水の方へ行く人を見たまえ」 「どれ。あの女か。君の知ってる人かね」 「知るものか」 「それじゃ何で見る必要があるのだい」 「あの着物の色さ」 「何だか立派なものを着ているじゃないか」 「あの色を竹藪の傍へ持って行くと非常にあざやかに見える。あれは、こう云う透明な秋の日に照らして見ないと引き立たないんだ」 「そうかな」 「そうかなって、君そう感じないか」 「別に感じない。しかし奇麗は奇麗だ」 「ただ奇麗だけじゃ可哀想だ。君はこれから作家になるんだろう」 「そうさ」 「それじゃもう少し感じが鋭敏でなくっちゃ駄目だぜ」 「なに、あんな方は鈍くってもいいんだ。ほかに鋭敏なところが沢山あるんだから」 「ハハハハそう自信があれば結構だ。時に君せっかく逢ったものだから、もう一遍あるこうじゃないか」 「あるくのは、真平だ。これからすぐ電車へ乗って帰えらないと午食を食い損なう」 「その午食を奢ろうじゃないか」 「うん、また今度にしよう」 「なぜ? いやかい」 「厭じゃない――厭じゃないが、始終|御馳走にばかりなるから」 「ハハハ遠慮か。まあ来たまえ」と青年は否応なしに高柳君を公園の真中の西洋料理屋へ引っ張り込んで、眺望のいい二階へ陣を取る。  注文の来る間、高柳君は蒼い顔へ両手で突っかい棒をして、さもつかれたと云う風に往来を見ている。青年は独りで「ふんだいぶ広いな」「なかなか繁昌すると見える」「なんだ、妙な所へ姿見の広告などを出して」などと半分口のうちで云うかと思ったら、やがて洋袴の隠袋へ手を入れて「や、しまった。煙草を買ってくるのを忘れた」と大きな声を出した。 「煙草なら、ここにあるよ」と高柳君は「敷島」の袋を白い卓布の上へ抛り出す。  ところへ下女が御誂を持ってくる。煙草に火を点ける間はなかった。 「これは樽麦酒だね。おい君樽麦酒の祝杯を一つ挙げようじゃないか」と青年は琥珀色の底から湧き上がる泡をぐいと飲む。 「何の祝杯を挙げるのだい」と高柳君は一口飲みながら青年に聞いた。 「卒業祝いさ」 「今頃卒業祝いか」と高柳君は手のついた洋盃を下へおろしてしまった。 「卒業は生涯にたった一度しかないんだから、いつまで祝ってもいいさ」 「たった一度しかないんだから祝わないでもいいくらいだ」 「僕とまるで反対だね。――姉さん、このフライは何だい。え? 鮭か。ここん所へ君、このオレンジの露をかけて見たまえ」と青年は人指指と親指の間からちゅうと黄色い汁を鮭の衣の上へ落す。庭の面にはらはらと降る時雨のごとく、すぐ油の中へ吸い込まれてしまった。 「なるほどそうして食うものか。僕は装飾についてるのかと思った」  姿見の札幌麦酒の広告の本に、大きくなって構えていた二人の男が、この時急に大きな破れるような声を出して笑い始めた。高柳君はオレンジをつまんだまま、厭な顔をして二人を見る。二人はいっこう構わない。 「いや行くよ。いつでも行くよ。エヘヘヘヘ。今夜行こう。あんまり気が早い。ハハハハハ」 「エヘヘヘヘ。いえね、実はね、今夜あたり君を誘って繰り出そうと思っていたんだ。え? ハハハハ。なにそれほどでもない。ハハハハ。そら例のが、あれでしょう。だから、どうにもこうにもやり切れないのさ。エヘヘヘヘ、アハハハハハハ」  土鍋の底のような赭い顔が広告の姿見に写って崩れたり、かたまったり、伸びたり縮んだり、傍若無人に動揺している。高柳君は一種異様な厭な眼つきを転じて、相手の青年を見た。 「商人だよ」と青年が小声に云う。 「実業家かな」と高柳君も小声に答えながら、とうとうオレンジを絞るのをやめてしまった。  土鍋の底は、やがて勘定を払って、ついでに下女にからかって、二階を買い切ったような大きな声を出して、そうして出て行った。 「おい中野君」 「むむ?」と青年は鳥の肉を口いっぱい頬張っている。 「あの連中は世の中を何と思ってるだろう」 「何とも思うものかね。ただああやって暮らしているのさ」 「羨やましいな。どうかして――どうもいかんな」 「あんなものが羨しくっちゃ大変だ。そんな考だから卒業祝に同意しないんだろう。さあもう一杯景気よく飲んだ」 「あの人が羨ましいのじゃないが、ああ云う風に余裕があるような身分が羨ましい。いくら卒業したってこう奔命に疲れちゃ、少しも卒業のありがた味はない」 「そうかなあ、僕なんざ嬉しくってたまらないがなあ。我々の生命はこれからだぜ。今からそんな心細い事を云っちゃあしようがない」 「我々の生命はこれからだのに、これから先が覚束ないから厭になってしまうのさ」 「なぜ? 何もそう悲観する必要はないじゃないか、大にやるさ。僕もやる気だ、いっしょにやろう。大に西洋料理でも食って――そらビステキが来た。これでおしまいだよ。君ビステキの生焼は消化がいいって云うぜ。こいつはどうかな」と中野君は洋刀を揮って厚切りの一片を中央から切断した。 「なあるほど、赤い。赤いよ君、見たまえ。血が出るよ」  高柳君は何にも答えずにむしゃむしゃ赤いビステキを食い始めた。いくら赤くてもけっして消化がよさそうには思えなかった。  人にわが不平を訴えんとするとき、わが不平が徹底せぬうち、先方から中途半把な慰藉を与えらるるのは快よくないものだ。わが不平が通じたのか、通じないのか、本当に気の毒がるのか、御世辞に気の毒がるのか分らない。高柳君はビステキの赤さ加減を眺めながら、相手はなぜこう感情が粗大だろうと思った。もう少し切り込みたいと云う矢先へ持って来て、ざああと水を懸けるのが中野君の例である。不親切な人、冷淡な人ならば始めからそれ相応の用意をしてかかるから、いくら冷たくても驚ろく気遣はない。中野君がかような人であったなら、出鼻をはたかれてもさほどに口惜しくはなかったろう。しかし高柳君の眼に映ずる中野輝一は美しい、賢こい、よく人情を解して事理を弁えた秀才である。この秀才が折々この癖を出すのは解しにくい。  彼らは同じ高等学校の、同じ寄宿舎の、同じ窓に机を並べて生活して、同じ文科に同じ教授の講義を聴いて、同じ年のこの夏に同じく学校を卒業したのである。同じ年に卒業したものは両手の指を二三度屈するほどいる。しかしこの二人ぐらい親しいものはなかった。  高柳君は口数をきかぬ、人交りをせぬ、厭世家の皮肉屋と云われた男である。中野君は鷹揚な、円満な、趣味に富んだ秀才である。この両人が卒然と交を訂してから、傍目にも不審と思われるくらい昵懇な間柄となった。運命は大島の表と秩父の裏とを縫い合せる。  天下に親しきものがただ一人あって、ただこの一人よりほかに親しきものを見出し得ぬとき、この一人は親でもある、兄弟でもある。さては愛人である。高柳君は単なる朋友をもって中野君を目してはおらぬ。その中野君がわが不平を残りなく聞いてくれぬのは残念である。途中で夕立に逢って思う所へ行かずに引き返したようなものである。残りなく聞いてくれぬ上に、呑気な慰藉をかぶせられるのはなおさら残念だ。膿を出してくれと頼んだ腫物を、いい加減の真綿で、撫で廻わされたってむず痒いばかりである。  しかしこう思うのは高柳君の無理である。御雛様に芸者の立て引きがないと云って攻撃するのは御雛様の恋を解せぬものの言草である。中野君は富裕な名門に生れて、暖かい家庭に育ったほか、浮世の雨風は、炬燵へあたって、椽側の硝子戸越に眺めたばかりである。友禅の模様はわかる、金屏の冴えも解せる、銀燭の耀きもまばゆく思う。生きた女の美しさはなおさらに眼に映る。親の恩、兄弟の情、朋友の信、これらを知らぬほどの木強漢では無論ない。ただ彼の住む半球には今までいつでも日が照っていた。日の照っている半球に住んでいるものが、片足をとんと地に突いて、この足の下に真暗な半球があると気がつくのは地理学を習った時ばかりである。たまには歩いていて、気がつかぬとも限らぬ。しかしさぞ暗い事だろうと身に沁みてぞっとする事はあるまい。高柳君はこの暗い所に淋しく住んでいる人間である。中野君とはただ大地を踏まえる足の裏が向き合っているというほかに何らの交渉もない。縫い合わされた大島の表と秩父の裏とは覚束なき針の目を忍んで繋ぐ、細い糸の御蔭である。この細いものを、するすると抜けば鹿児島県と埼玉県の間には依然として何百里の山河が横わっている。歯を病んだ事のないものに、歯の痛みを持って行くよりも、早く歯医者に馳けつけるのが近道だ。そう痛がらんでもいいさと云われる病人は、けっして慰藉を受けたとは思うまい。 「君などは悲観する必要がないから結構だ」と、ビステキを半分で断念した高柳君は敷島をふかしながら、相手の顔を眺めた。相手は口をもがもがさせながら、右の手を首と共に左右に振ったのは、高柳君に同意を表しないのと見える。 「僕が悲観する必要がない? 悲観する必要がないとすると、つまりおめでたい人間と云う意味になるね」  高柳君は覚えず、薄い唇を動かしかけたが、微かな漣は頬まで広がらぬ先に消えた。相手はなお言葉をつづける。 「僕だって三年も大学にいて多少の哲学書や文学書を読んでるじゃないか。こう見えても世の中が、どれほど悲観すべきものであるかぐらいは知ってるつもりだ」 「書物の上でだろう」と高柳君は高い山から谷底を見下ろしたように云う。 「書物の上――書物の上では無論だが、実際だって、これでなかなか苦痛もあり煩悶もあるんだよ」 「だって、生活には困らないし、時間は充分あるし、勉強はしたいだけ出来るし、述作は思う通りにやれるし。僕に較べると君は実に幸福だ」と高柳君今度はさも羨ましそうに嘆息する。 「ところが裏面はなかなかそんな気楽なんじゃないさ。これでもいろいろ心配があって、いやになるのだよ」と中野君は強いて心配の所有権を主張している。 「そうかなあ」と相手は、なかなか信じない。 「そう君まで茶かしちゃ、いよいよつまらなくなる。実は今日あたり、君の所へでも出掛けて、大に同情してもらおうかと思っていたところさ」 「訳をきかせなくっちゃ同情も出来ないね」 「訳はだんだん話すよ。あんまり、くさくさするから、こうやって散歩に来たくらいなものさ。ちっとは察しるがいい」  高柳君は今度は公然とにやにやと笑った。ちっとは察しるつもりでも、察しようがないのである。 「そうして、君はまたなんで今頃公園なんか散歩しているんだね」と中野君は正面から高柳君の顔を見たが、 「や、君の顔は妙だ。日の射している右側の方は大変血色がいいが、影になってる方は非常に色沢が悪い。奇妙だな。鼻を境に矛盾が睨めこをしている。悲劇と喜劇の仮面を半々につぎ合せたようだ」と息もつがず、述べ立てた。  この無心の評を聞いた、高柳君は心の秘密を顔の上で読まれたように、はっと思うと、右の手で額の方から顋のあたりまで、ぐるりと撫で廻わした。こうして顔の上の矛盾をかき混ぜるつもりなのかも知れない。 「いくら天気がよくっても、散歩なんかする暇はない。今日は新橋の先まで遺失品を探がしに行ってその帰りがけにちょっとついでだから、ここで休んで行こうと思って来たのさ」と顔を攪き廻した手を顎の下へかって依然として浮かぬ様子をする。悲劇の面と喜劇の面をまぜ返えしたから通例の顔になるはずであるのに、妙に濁ったものが出来上ってしまった。 「遺失品て、何を落したんだい」 「昨日電車の中で草稿を失って――」 「草稿? そりゃ大変だ。僕は書き上げた原稿が雑誌へ出るまでは心配でたまらない。実際草稿なんてものは、吾々に取って、命より大切なものだからね」 「なに、そんな大切な草稿でも書ける暇があるようだといいんだけれども――駄目だ」と自分を軽蔑したような口調で云う。 「じゃ何の草稿だい」 「地理教授法の訳だ。あしたまでに届けるはずにしてあるのだから、今なくなっちゃ原稿料も貰えず、またやり直さなくっちゃならず、実に厭になっちまう」 「それで、探がしに行っても出て来ないのかい」 「来ない」 「どうしたんだろう」 「おおかた車掌が、うちへ持って行って、はたきでも拵えたんだろう」 「まさか、しかし出なくっちゃ困るね」 「困るなあ自分の不注意と我慢するが、その遺失品係りの厭な奴だ事って――実に不親切で、形式的で――まるで版行におしたような事をぺらぺらと一通り述べたが以上、何を聞いても知りません知りませんで持ち切っている。あいつは廿世紀の日本人を代表している模範的人物だ。あすこの社長もきっとあんな奴に違ない」 「ひどく癪に障ったものだね。しかし世の中はその遺失品係りのようなのばかりじゃないからいいじゃないか」 「もう少し人間らしいのがいるかい」 「皮肉な事を云う」 「なに世の中が皮肉なのさ。今の世のなかは冷酷の競進会見たようなものだ」と云いながら呑みかけの「敷島」を二階の欄干から、下へ抛げる途端に、ありがとうと云う声がして、ぬっと門口を出た二人連の中折帽の上へ、うまい具合に燃殻が乗っかった。男は帽子から煙を吐いて得意になって行く。 「おい、ひどい事をするぜ」と中野君が云う。 「なに過ちだ。――ありゃ、さっきの実業家だ。構うもんか抛って置け」 「なるほどさっきの男だ。何で今までぐずぐずしていたんだろう。下で球でも突いていたのか知らん」 「どうせ遺失品係りの同類だから何でもするだろう」 「そら気がついた――帽子を取ってはたいている」 「ハハハハ滑稽だ」と高柳君は愉快そうに笑った。 「随分人が悪いなあ」と中野君が云う。 「なるほど善くないね。偶然とは申しながら、あんな事で仇を打つのは下等だ。こんな真似をして嬉しがるようでは文学士の価値もめちゃめちゃだ」と高柳君は瞬時にしてまた元の浮かぬ顔にかえる。 「そうさ」と中野君は非難するような賛成するような返事をする。 「しかし文学士は名前だけで、その実は筆耕だからな。文学士にもなって、地理教授法の翻訳の下働きをやってるようじゃ、心細い訳だ。これでも僕が卒業したら、卒業したらって待っててくれた親もあるんだからな。考えると気の毒なものだ。この様子じゃいつまで待っててくれたって仕方がない」 「まだ卒業したばかりだから、そう急に有名にはなれないさ。そのうち立派な作物を出して、大に本領を発揮する時に天下は我々のものとなるんだよ」 「いつの事やら」 「そう急いたって、いけない。追々新陳代謝してくるんだから、何でも気を永くして尻を据えてかからなくっちゃ、駄目だ。なに、世間じゃ追々我々の真価を認めて来るんだからね。僕なんぞでも、こうやって始終書いていると少しは人の口に乗るからね」 「君はいいさ。自分の好きな事を書く余裕があるんだから。僕なんか書きたい事はいくらでもあるんだけれども落ちついて述作なぞをする暇はとてもない。実に残念でたまらない。保護者でもあって、気楽に勉強が出来ると名作も出して見せるがな。せめて、何でもいいから、月々きまって六十円ばかり取れる口があるといいのだけれども、卒業前から自活はしていたのだが、卒業してもやっぱりこんなに困難するだろうとは思わなかった」 「そう困難じゃ仕方がない。僕のうちの財産が僕の自由になると、保護者になってやるんだがな」 「どうか願います。――実に厭になってしまう。君、今考えると田舎の中学の教師の口だって、容易にあるもんじゃないな」 「そうだろうな」 「僕の友人の哲学科を出たものなんか、卒業してから三年になるが、まだ遊んでるぜ」 「そうかな」 「それを考えると、子供の時なんか、訳もわからずに悪い事をしたもんだね。もっとも今とその頃とは時勢が違うから、教師の口も今ほど払底でなかったかも知れないが」 「何をしたんだい」 「僕の国の中学校に白井道也と云う英語の教師がいたんだがね」 「道也た妙な名だね。釜の銘にありそうじゃないか」 「道也と読むんだか、何だか知らないが、僕らは道也、道也って呼んだものだ。その道也先生がね――やっぱり君、文学士だぜ。その先生をとうとうみんなして追い出してしまった」 「どうして」 「どうしてって、ただいじめて追い出しちまったのさ。なに良い先生なんだよ。人物や何かは、子供だからまるでわからなかったが、どうも悪るい人じゃなかったらしい……」 「それで、なぜ追い出したんだい」 「それがさ、中学校の教師なんて、あれでなかなか悪るい奴がいるもんだぜ。僕らあ煽動されたんだね、つまり。今でも覚えているが、夜る十五六人で隊を組んで道也先生の家の前へ行ってワーって吶喊して二つ三つ石を投げ込んで来るんだ」 「乱暴だね。何だって、そんな馬鹿な真似をするんだい」 「なぜだかわからない。ただ面白いからやるのさ。おそらく吾々の仲間でなぜやるんだか知ってたものは誰もあるまい」 「気楽だね」 「実に気楽さ。知ってるのは僕らを煽動した教師ばかりだろう。何でも生意気だからやれって云うのさ」 「ひどい奴だな。そんな奴が教師にいるかい」 「いるとも。相手が子供だから、どうでも云う事を聞くからかも知れないが、いるよ」 「それで道也先生どうしたい」 「辞職しちまった」 「可哀想に」 「実に気の毒な事をしたもんだ。定めし転任先をさがす間|活計に困ったろうと思ってね。今度逢ったら大に謝罪の意を表するつもりだ」 「今どこにいるんだい」 「どこにいるか知らない」 「じゃいつ逢うか知れないじゃないか」 「しかしいつ逢うかわからない。ことによると教師の口がなくって死んでしまったかも知れないね。――何でも先生辞職する前に教場へ出て来て云った事がある」 「何て」 「諸君、吾々は教師のために生きべきものではない。道のために生きべきものである。道は尊いものである。この理窟がわからないうちは、まだ一人前になったのではない。諸君も精出してわかるようにおなり」 「へえ」 「僕らは不相変教場内でワーっと笑ったあね。生意気だ、生意気だって笑ったあね。――どっちが生意気か分りゃしない」 「随分田舎の学校などにゃ妙な事があるものだね」 「なに東京だって、あるんだよ。学校ばかりじゃない。世の中はみんなこれなんだ。つまらない」 「時にだいぶ長話しをした。どうだ君。これから品川の妙花園まで行かないか」 「何しに」 「花を見にさ」 「これから帰って地理教授法を訳さなくっちゃならない」 「一日ぐらい遊んだってよかろう。ああ云う美くしい所へ行くと、好い心持ちになって、翻訳もはかが行くぜ」 「そうかな。君は遊びに行くのかい」 「遊かたがたさ。あすこへ行って、ちょっと写生して来て、材料にしようと思ってるんだがね」 「何の材料に」 「出来たら見せるよ。小説をかいているんだ。そのうちの一章に女が花園のなかに立って、小さな赤い花を余念なく見詰めていると、その赤い花がだんだん薄くなってしまいに真白になってしまうと云うところを書いて見たいと思うんだがね」 「空想小説かい」 「空想的で神秘的で、それで遠い昔しが何だかなつかしいような気持のするものが書きたい。うまく感じが出ればいいが。まあ出来たら読んでくれたまえ」 「妙花園なんざ、そんな参考にゃならないよ。それよりかうちへ帰ってホルマン・ハントの画でも見る方がいい。ああ、僕も書きたい事があるんだがな。どうしても時がない」 「君は全体自然がきらいだから、いけない」 「自然なんて、どうでもいいじゃないか。この痛切な二十世紀にそんな気楽な事が云っていられるものか。僕のは書けば、そんな夢見たようなものじゃないんだからな。奇麗でなくっても、痛くっても、苦しくっても、僕の内面の消息にどこか、触れていればそれで満足するんだ。詩的でも詩的でなくっても、そんな事は構わない。たとい飛び立つほど痛くっても、自分で自分の身体を切って見て、なるほど痛いなと云うところを充分書いて、人に知らせてやりたい。呑気なものや気楽なものはとうてい夢にも想像し得られぬ奥の方にこんな事実がある、人間の本体はここにあるのを知らないかと、世の道楽ものに教えて、おやそうか、おれは、まさか、こんなものとは思っていなかったが、云われて見るとなるほど一言もない、恐れ入ったと頭を下げさせるのが僕の願なんだ。君とはだいぶ方角が違う」 「しかしそんな文学は何だか心持ちがわるい。――そりゃ御随意だが、どうだい妙花園に行く気はないかい」 「妙花園へ行くひまがあれば一|頁でも僕の主張をかくがなあ。何だか考えると身体がむずむずするようだ。実際こんなに呑気にして、生焼のビステッキなどを食っちゃいられないんだ」 「ハハハハまたあせる。いいじゃないか、さっきの商人見たような連中もいるんだから」 「あんなのがいるから、こっちはなお仕事がしたくなる。せめて、あの連中の十|分一の金と時があれば、書いて見せるがな」 「じゃ、どうしても妙花園は不賛成かね」 「遅くなるもの。君は冬服を着ているが、僕はいまだに夏服だから帰りに寒くなって風でも引くといけない」 「ハハハハ妙な逃げ路を発見したね。もう冬服の時節だあね。着換えればいい事を。君は万事|無精だよ」 「無精で着換えないんじゃない。ないから着換えないんだ。この夏服だって、まだ一文も払っていやしない」 「そうなのか」と中野君は気の毒な顔をした。  午飯の客は皆去り尽して、二人が椅子を離れた頃はところどころの卓布の上に麺麭屑が淋しく散らばっていた。公園の中は最前よりも一層|賑かである。ロハ台は依然として、どこの何某か知らぬ男と知らぬ女で占領されている。秋の日は赫として夏服の背中を通す。         三  檜の扉に銀のような瓦を載せた門を這入ると、御影の敷石に水を打って、斜めに十歩ばかり歩ませる。敷石の尽きた所に擦り硝子の開き戸が左右から寂然と鎖されて、秋の更くるに任すがごとく邸内は物静かである。  磨き上げた、柾の柱に象牙の臍をちょっと押すと、しばらくして奥の方から足音が近づいてくる。がちゃと鍵をひねる。玄関の扉は左右に開かれて、下は鏡のようなたたきとなる。右の方に周囲一|尺余の朱泥まがいの鉢があって、鉢のなかには棕梠竹が二三本|靡くべき風も受けずに、ひそやかに控えている。正面には高さ四尺の金屏に、三条の小鍛冶が、異形のものを相槌に、霊夢に叶う、御門の太刀を丁と打ち、丁と打っている。  取次に出たのは十八九のしとやかな下女である。白井道也と云う名刺を受取ったまま、あの若旦那様で? と聞く。道也先生は首を傾けてちょっと考えた。若旦那にも大旦那にも中野と云う人に逢うのは今が始めてである。ことによるとまるで逢えないで帰るかも計られん。若旦那か大旦那かは逢って始めてわかるのである。あるいは分らないで生涯それぎりになるかも知れない。今まで訪問に出懸けて、年寄か、小供か、跛か、眼っかちか、要領を得る前に門前から追い還された事は何遍もある。追い還されさえしなければ大旦那か若旦那かは問うところでない。しかし聞かれた以上はどっちか片づけなければならん。どうでもいい事を、どうでもよくないように決断しろと逼らるる事は賢者が愚物に対して払う租税である。 「大学を御卒業になった方の……」とまで云ったが、ことによると、おやじも大学を卒業しているかも知れんと心づいたから 「あの文学をおやりになる」と訂正した。下女は何とも云わずに御辞儀をして立って行く。白足袋の裏だけが目立ってよごれて見える。道也先生の頭の上には丸く鉄を鋳抜いた、かな灯籠がぶら下がっている。波に千鳥をすかして、すかした所に紙が張ってある。このなかへ、どうしたら灯がつけられるのかと、先生は仰向いて長い鎖りを眺めながら考えた。  下女がまた出てくる。どうぞこちらへと云う。道也先生は親指の凹んで、前緒のゆるんだ下駄を立派な沓脱へ残して、ひょろ長い糸瓜のようなからだを下女の後ろから運んで行く。  応接間は西洋式に出来ている。丸い卓には、薔薇の花を模様に崩した五六輪を、淡い色で織り出したテーブル掛を、雑作もなく引き被せて、末は同じ色合の絨毯と、続づくがごとく、切れたるがごとく、波を描いて床の上に落ちている。暖炉は塞いだままの一尺前に、二枚折の小屏風を穴隠しに立ててある。窓掛は緞子の海老茶色だから少々全体の装飾上調和を破るようだが、そんな事は道也先生の眼には入らない。先生は生れてからいまだかつてこんな奇麗な室へ這入った事はないのである。  先生は仰いで壁間の額を見た。京の舞子が友禅の振袖に鼓を調べている。今打って、鼓から、白い指が弾き返されたばかりの姿が、小指の先までよくあらわれている。しかし、そんな事に気のつく道也先生ではない。先生はただ気品のない画を掛けたものだと思ったばかりである。向の隅にヌーボー式の書棚があって、美しい洋書の一部が、窓掛の隙間から洩れて射す光線に、金文字の甲羅を干している。なかなか立派である。しかし道也先生これには毫も辟易しなかった。  ところへ中野君が出てくる。紬の綿入に縮緬の兵子帯をぐるぐる巻きつけて、金縁の眼鏡越に、道也先生をまぼしそうに見て、「や、御待たせ申しまして」と椅子へ腰をおろす。  道也先生は、あやしげな、銘仙の上を蔽うに黒木綿の紋付をもってして、嘉平次平の下へ両手を入れたまま、 「どうも御邪魔をします」と挨拶をする。泰然たるものだ。  中野君は挨拶が済んでからも、依然としてまぼしそうにしていたが、やがて思い切った調子で 「あなたが、白井道也とおっしゃるんで」と大なる好奇心をもって聞いた。聞かんでも名刺を見ればわかるはずだ。それをかように聞くのは世馴れぬ文学士だからである。 「はい」と道也先生は落ちついている。中野君のあては外れた。中野君は名刺を見た時はっと思って、頭のなかは追い出された中学校の教師だけになっている。可哀想だと云う念頭に尾羽うち枯らした姿を目前に見て、あなたが、あの中学校で生徒からいじめられた白井さんですかと聞き糺したくてならない。いくら気の毒でも白井違いで気の毒がったのでは役に立たない。気の毒がるためには、聞き糺すためには「あなたが白井道也とおっしゃるんで」と切り出さなくってはならなかった。しかしせっかくの切り出しようも泰然たる「はい」のために無駄死をしてしまった。初心なる文学士は二の句をつぐ元気も作略もないのである。人に同情を寄せたいと思うとき、向が泰然の具足で身を固めていては芝居にはならん。器用なものはこの泰然の一角を針で突き透しても思を遂げる。中野君は好人物ながらそれほどに人を取り扱い得るほど世の中を知らない。 「実は今日御邪魔に上がったのは、少々御願があって参ったのですが」と今度は道也先生の方から打って出る。御願は同情の好敵手である。御願を持たない人には同情する張り合がない。 「はあ、何でも出来ます事なら」と中野君は快く承知した。 「実は今度|江湖雑誌で現代青年の煩悶に対する解決と云う題で諸先生方の御高説を発表する計画がありまして、それで普通の大家ばかりでは面白くないと云うので、なるべく新しい方もそれぞれ訪問する訳になりましたので――そこで実はちょっと往って来てくれと頼まれて来たのですが、御差支がなければ、御話を筆記して参りたいと思います」  道也先生は静かに懐から手帳と鉛筆を取り出した。取り出しはしたものの別に筆記したい様子もなければ強いて話させたい景色も見えない。彼はかかる愚な問題を、かかる青年の口から解決して貰いたいとは考えていない。 「なるほど」と青年は、耀やく眼を挙げて、道也先生を見たが、先生は宵越の麦酒のごとく気の抜けた顔をしているので、今度は「さよう」と長く引っ張って下を向いてしまった。 「どうでしょう、何か御説はありますまいか」と催促を義理ずくめにする。ありませんと云ったら、すぐ帰る気かも知れない。 「そうですね。あったって、僕のようなものの云う事は雑誌へ載せる価値はありませんよ」 「いえ結構です」 「全体どこから、聞いていらしったんです。あまり突然じゃ纏った話の出来るはずがないですから」 「御名前は社主が折々雑誌の上で拝見するそうで」 「いえ、どうしまして」と中野君は横を向いた。 「何でもよいですから、少し御話し下さい」 「そうですね」と青年は窓の外を見て躊躇している。 「せっかく来たものですから」 「じゃ何か話しましょう」 「はあ、どうぞ」と道也先生鉛筆を取り上げた。 「いったい煩悶と云う言葉は近頃だいぶはやるようだが、大抵は当座のもので、いわゆる三日坊主のものが多い。そんな種類の煩悶は世の中が始まってから、世の中がなくなるまで続くので、ちっとも問題にはならないでしょう」 「ふん」と道也先生は下を向いたなり、鉛筆を動かしている。紙の上を滑らす音が耳立って聞える。 「しかし多くの青年が一度は必ず陥る、また必ず陥るべく自然から要求せられている深刻な煩悶が一つある。……」  鉛筆の音がする。 「それは何だと云うと――恋である……」  道也先生はぴたりと筆記をやめて、妙な顔をして、相手を見た。中野君は、今さら気がついたようにちょっとしょげ返ったが、すぐ気を取り直して、あとをつづけた。 「ただ恋と云うと妙に御聞きになるかも知れない。また近頃はあまり恋愛呼ばりをするのを人が遠慮するようであるが、この種の煩悶は大なる事実であって、事実の前にはいかなるものも頭を下げねばならぬ訳だからどうする事も出来ないのである」  道也先生はまた顔をあげた。しかし彼の長い蒼白い相貌の一微塵だも動いておらんから、彼の心のうちは無論わからない。 「我々が生涯を通じて受ける煩悶のうちで、もっとも痛切なもっとも深刻な、またもっとも劇烈な煩悶は恋よりほかにないだろうと思うのです。それでですね、こう云う強大な威力のあるものだから、我々が一度びこの煩悶の炎火のうちに入ると非常な変形をうけるのです」 「変形? ですか」 「ええ形を変ずるのです。今まではただふわふわ浮いていた。世の中と自分の関係がよくわからないで、のんべんぐらりんに暮らしていたのが、急に自分が明瞭になるんです」 「自分が明瞭とは?」 「自分の存在がです。自分が生きているような心持ちが確然と出てくるのです。だから恋は一方から云えば煩悶に相違ないが、しかしこの煩悶を経過しないと自分の存在を生涯|悟る事が出来ないのです。この浄罪界に足を入れたものでなければけっして天国へは登れまいと思うのです。ただ楽天だってしようがない。恋の苦みを甞めて人生の意義を確かめた上の楽天でなくっちゃ、うそです。それだから恋の煩悶はけっして他の方法によって解決されない。恋を解決するものは恋よりほかにないです。恋は吾人をして煩悶せしめて、また吾人をして解脱せしむるのである。……」 「そのくらいなところで」と道也先生は三度目に顔を挙げた。 「まだ少しあるんですが……」 「承るのはいいですが、だいぶ多人数の意見を載せるつもりですから、かえってあとから削除すると失礼になりますから」 「そうですか、それじゃそのくらいにして置きましょう。何だかこんな話をするのは始めてですから、さぞ筆記しにくかったでしょう」 「いいえ」と道也先生は手帳を懐へ入れた。  青年は筆記者が自分の説を聴いて、感心の余り少しは賛辞でも呈するかと思ったが、相手は例のごとく泰然としてただいいえと云ったのみである。 「いやこれは御邪魔をしました」と客は立ちかける。 「まあいいでしょう」と中野君はとめた。せめて自分の説を少々でも批評して行って貰いたいのである。それでなくても、せんだって日比谷で聞いた高柳君の事をちょっと好奇心から、あたって見たいのである。一言にして云えば中野君はひまなのである。 「いえ、せっかくですが少々急ぎますから」と客はもう椅子を離れて、一歩テーブルを退いた。いかにひまな中野君も「それでは」とついに降参して御辞儀をする。玄関まで送って出た時思い切って 「あなたは、もしや高柳周作と云う男を御存じじゃないですか」と念晴らしのため聞いて見る。 「高柳? どうも知らんようです」と沓脱から片足をタタキへおろして、高い背を半分後ろへ捩じ向けた。 「ことし大学を卒業した……」 「それじゃ知らん訳だ」と両足ともタタキの上へ運んだ。  中野君はまだ何か云おうとした時、敷石をがらがらと車の軋る音がして梶棒は硝子の扉の前にとまった。道也先生が扉を開く途端に車上の人はひらり厚い雪駄を御影の上に落した。五色の雲がわが眼を掠めて過ぎた心持ちで往来へ出る。  時計はもう四時過ぎである。深い碧りの上へ薄いセピヤを流した空のなかに、はっきりせぬ鳶が一羽舞っている。雁はまだ渡って来ぬ。向から袴の股立ちを取った小供が唱歌を謡いながら愉快そうにあるいて来た。肩に担いだ笹の枝には草の穂で作った梟が踊りながらぶら下がって行く。おおかた雑子ヶ谷へでも行ったのだろう。軒の深い菓物屋の奥の方に柿ばかりがあかるく見える。夕暮に近づくと何となくうそ寒い。  薬王寺前に来たのは、帽子の庇の下から往来の人の顔がしかと見分けのつかぬ頃である。三十三|所と彫ってある石標を右に見て、紺屋の横町を半丁ほど西へ這入るとわが家の門口へ出る、家のなかは暗い。 「おや御帰り」と細君が台所で云う。台所も玄関も大した相違のないほど小さな家である。 「下女はどっかへ行ったのか」と二畳の玄関から、六畳の座敷へ通る。 「ちょっと、柳町まで使に行きました」と細君はまた台所へ引き返す。  道也先生は正面の床の片隅に寄せてあった、洋灯を取って、椽側へ出て、手ずから掃除を始めた。何か原稿用紙のようなもので、油壺を拭き、ほやを拭き、最後に心の黒い所を好い加減になすくって、丸めた紙は庭へ棄てた。庭は暗くなって様子が頓とわからない。  机の前へ坐った先生は燐寸を擦って、しゅっと云う間に火をランプに移した。室はたちまち明かになる。道也先生のために云えばむしろ明かるくならぬ方が増しである。床はあるが、言訳ばかりで、現に幅も何も懸っておらん。その代り累々と書物やら、原稿紙やら、手帳やらが積んである。机は白木の三宝を大きくしたくらいな単簡なもので、インキ壺と粗末な筆硯のほかには何物をも載せておらぬ。装飾は道也先生にとって不必要であるのか、または必要でもこれに耽る余裕がないのかは疑問である。ただ道也先生がこの一点の温気なき陋室に、晏如として筆硯を呵するの勇気あるは、外部より見て争うべからざる事実である。ことによると先生は装飾以外のあるものを目的にして、生活しているのかも知れない。ただこの争うべからざる事実を確めれば、確かめるほど細君は不愉快である。女は装飾をもって生れ、装飾をもって死ぬ。多数の女はわが運命を支配する恋さえも装飾視して憚からぬものだ。恋が装飾ならば恋の本尊たる愛人は無論装飾品である。否、自己自身すら装飾品をもって甘んずるのみならず、装飾品をもって自己を目してくれぬ人を評して馬鹿と云う。しかし多数の女はしかく人世を観ずるにもかかわらず、しかく観ずるとはけっして思わない。ただ自己の周囲を纏綿する事物や人間がこの装飾用の目的に叶わぬを発見するとき、何となく不愉快を受ける。不愉快を受けると云うのに周囲の事物人間が依然として旧態をあらためぬ時、わが眼に映ずる不愉快を左右前後に反射して、これでも改めぬかと云う。ついにはこれでもか、これでもかと念入りの不愉快を反射する。道也の細君がここまで進歩しているかは疑問である。しかし普通一般の女性であるからには装飾気なきこの空気のうちに生息する結果として、自然この方向に進行するのが順当であろう。現に進行しつつあるかも知れぬ。  道也先生はやがて懐から例の筆記帳を出して、原稿紙の上へ写し始めた。袴を着けたままである。かしこまったままである。袴を着けたまま、かしこまったままで、中野輝一の恋愛論を筆記している。恋とこの室、恋とこの道也とはとうてい調和しない。道也は何と思って浄書しているかしらん。人は様々である、世も様々である。様々の世に、様々の人が動くのもまた自然の理である。ただ大きく動くものが勝ち、深く動くものが勝たねばならぬ。道也は、あの金縁の眼鏡を掛けた恋愛論よりも、小さくかつ浅いと自覚して、かく慎重に筆記を写し直しているのであろうか。床の後ろで※が鳴いている。  細君が襖をすうと開けた。道也は振り向きもしない。「まあ」と云ったなり細君の顔は隠れた。  下女は帰ったようである。煮豆が切れたから、てっか味噌を買って来たと云っている。豆腐が五厘高くなったと云っている。裏の専念寺で夕の御務めをかあんかあんやっている。  細君の顔がまた襖の後ろから出た。 「あなた」  道也先生は、いつの間にやら、筆記帳を閉じて、今度はまた別の紙へ、何か熱心に認めている。 「あなた」と妻君は二度呼んだ。 「何だい」 「御飯です」 「そうか、今行くよ」  道也先生はちょっと細君と顔を合せたぎり、すぐ机へ向った。細君の顔もすぐ消えた。台所の方でくすくす笑う声がする。道也先生はこの一節をかき終るまでは飯も食いたくないのだろう。やがて句切りのよい所へ来たと見えて、ちょっと筆を擱いて、傍へ積んだ草稿をはぐって見て「二百三十一|頁」と独語した。著述でもしていると見える。  立って次の間へ這入る。小さな長火鉢に平鍋がかかって、白い豆腐が煙りを吐いて、ぷるぷる顫えている。 「湯豆腐かい」 「はあ、何にもなくて、御気の毒ですが……」 「何、なんでもいい。食ってさえいれば何でも構わない」と、膳にして重箱をかねたるごとき四角なものの前へ坐って箸を執る。 「あら、まだ袴を御脱ぎなさらないの、随分ね」と細君は飯を盛った茶碗を出す。 「忙がしいものだから、つい忘れた」 「求めて、忙がしい思をしていらっしゃるのだから、……」と云ったぎり、細君は、湯豆腐の鍋と鉄瓶とを懸け換える。 「そう見えるかい」と道也先生は存外平気である。 「だって、楽で御金の取れる口は断っておしまいなすって、忙がしくって、一文にもならない事ばかりなさるんですもの、誰だって酔興と思いますわ」 「思われてもしようがない。これがおれの主義なんだから」 「あなたは主義だからそれでいいでしょうさ。しかし私は……」 「御前は主義が嫌だと云うのかね」 「嫌も好もないんですけれども、せめて――人並には――なんぼ私だって……」 「食えさえすればいいじゃないか、贅沢を云や誰だって際限はない」 「どうせ、そうでしょう。私なんざどんなになっても御構いなすっちゃ下さらないのでしょう」 「このてっか味噌は非常に辛いな。どこで買って来たのだ」 「どこですか」  道也先生は頭をあげて向の壁を見た。鼠色の寒い色の上に大きな細君の影が写っている。その影と妻君とは同じように無意義に道也の眼に映じた。  影の隣りに糸織かとも思われる、女の晴衣が衣紋竹につるしてかけてある。細君のものにしては少し派出過ぎるが、これは多少景気のいい時、田舎で買ってやったものだと今だに記憶している。あの時分は今とはだいぶ考えも違っていた。己れと同じような思想やら、感情やら持っているものは珍らしくあるまいと信じていた。したがって文筆の力で自分から卒先して世間を警醒しようと云う気にもならなかった。  今はまるで反対だ。世は名門を謳歌する、世は富豪を謳歌する、世は博士、学士までをも謳歌する。しかし公正な人格に逢うて、位地を無にし、金銭を無にし、もしくはその学力、才芸を無にして、人格そのものを尊敬する事を解しておらん。人間の根本義たる人格に批判の標準を置かずして、その上皮たる附属物をもってすべてを律しようとする。この附属物と、公正なる人格と戦うとき世間は必ず、この附属物に雷同して他の人格を蹂躙せんと試みる。天下|一人の公正なる人格を失うとき、天下一段の光明を失う。公正なる人格は百の華族、百の紳商、百の博士をもってするも償いがたきほど貴きものである。われはこの人格を維持せんがために生れたるのほか、人世において何らの意義をも認め得ぬ。寒に衣し、餓に食するはこの人格を維持するの一便法に過ぎぬ。筆を呵し硯を磨するのもまたこの人格を他の面上に貫徹するの方策に過ぎぬ。――これが今の道也の信念である。この信念を抱いて世に処する道也は細君の御機嫌ばかり取ってはおれぬ。  壁に掛けてあった小袖を眺めていた道也はしばらくして、夕飯を済ましながら、 「どこぞへ行ったのかい」と聞く。 「ええ」と細君は二字の返事を与えた。道也は黙って、茶を飲んでいる。末枯るる秋の時節だけにすこぶる閑静な問答である。 「そう、べんべんと真田の方を引っ張っとく訳にも行きませず、家主の方もどうかしなければならず、今月の末になると米薪の払でまた心配しなくっちゃなりませんから、算段に出掛けたんです」と今度は細君の方から切り出した。 「そうか、質屋へでも行ったのかい」 「質に入れるようなものは、もうありゃしませんわ」と細君は恨めしそうに夫の顔を見る。 「じゃ、どこへ行ったんだい」 「どこって、別に行く所もありませんから、御兄さんの所へ行きました」 「兄の所? 駄目だよ。兄の所なんぞへ行ったって、何になるものか」 「そう、あなたは、何でも始から、けなしておしまいなさるから、よくないんです。いくら教育が違うからって、気性が合わないからって、血を分けた兄弟じゃありませんか」 「兄弟は兄弟さ。兄弟でないとは云わん」 「だからさ、膝とも談合と云うじゃありませんか。こんな時には、ちっと相談にいらっしゃるがいいじゃありませんか」 「おれは、行かんよ」 「それが痩我慢ですよ。あなたはそれが癖なんですよ。損じゃあ、ありませんか、好んで人に嫌われて……」  道也先生は空然として壁に動く細君の影を見ている。 「それで才覚が出来たのかい」 「あなたは何でも一足飛ね」 「なにが」 「だって、才覚が出来る前にはそれぞれ魂胆もあれば工面もあるじゃありませんか」 「そうか、それじゃ最初から聞き直そう。で、御前が兄のうちへ行ったんだね。おれに内所で」 「内所だって、あなたのためじゃありませんか」 「いいよ、ためでいいよ。それから」 「で御兄さんに、御目に懸っていろいろ今までの御無沙汰の御詫やら、何やらして、それから一部始終の御話をしたんです」 「それから」 「すると御兄さんが、そりゃ御前には大変気の毒だって大変|私に同情して下さって……」 「御前に同情した。ふうん。――ちょっとその炭取を取れ。炭をつがないと火種が切れる」 「で、そりゃ早く整理しなくっちゃ駄目だ。全体なぜ今まで抛って置いたんだっておっしゃるんです」 「旨い事を云わあ」 「まだ、あなたは御兄さんを疑っていらっしゃるのね。罰があたりますよ」 「それで、金でも貸したのかい」 「ほらまた一足飛びをなさる」  道也先生は少々おかしくなったと見えて、にやりと下を向きながら、黒く積んだ炭を吹き出した。 「まあどのくらいあれば、これまでの穴が奇麗に埋るのかと御聞きになるから、――よっぽど言い悪かったんですけれども――とうとう思い切ってね……」でちょっと留めた。道也はしきりに吹いている。 「ねえ、あなた。とうとう思い切ってね――あなた。聞いていらっしゃらないの」 「聞いてるよ」と赫気で赤くなった顔をあげた。 「思い切って百円ばかりと云ったの」 「そうか。兄は驚ろいたろう」 「そうしたらね。ふうんて考えて、百円と云う金は、なかなか容易に都合がつく訳のものじゃない……」 「兄の云いそうな事だ」 「まあ聞いていらっしゃい。まだ、あとが有るんです。――しかし、ほかの事とは違うから、是非なければ困ると云うならおれが保証人になって、人から借りてやってもいいって仰しゃるんです」 「あやしいものだ」 「まあさ、しまいまで御聞きなさい。――それで、ともかくも本人に逢って篤と了簡を聞いた上にしようと云うところまでに漕ぎつけて来たのです」  細君は大功名をしたように頬骨の高い顔を持ち上げて、夫を覗き込んだ。細君の眼つきが云う。夫は意気地なしである。終日終夜、机と首っ引をして、兀々と出精しながら、妻と自分を安らかに養うほどの働きもない。 「そうか」と道也は云ったぎり、この手腕に対して、別段に感謝の意を表しようともせぬ。 「そうかじゃ困りますわ。私がここまで拵えたのだから、あとは、あなたが、どうとも為さらなくっちゃあ。あなたの楫のとりようでせっかくの私の苦心も何の役にも立たなくなりますわ」 「いいさ、そう心配するな。もう一ヵ月もすれば百や弐百の金は手に這入る見込があるから」と道也先生は何の苦もなく云って退けた。  江湖雑誌の編輯で二十円、英和字典の編纂で十五円、これが道也のきまった収入である。但しこのほかに仕事はいくらでもする。新聞にかく、雑誌にかく。かく事においては毎日毎夜筆を休ませた事はないくらいである。しかし金にはならない。たまさか二円、三円の報酬が彼の懐に落つる時、彼はかえって不思議に思うのみである。  この物質的に何らの功能もない述作的労力の裡には彼の生命がある。彼の気魄が滴々の墨汁と化して、一字一画に満腔の精神が飛動している。この断篇が読者の眼に映じた時、瞳裏に一道の電流を呼び起して、全身の骨肉が刹那に震えかしと念じて、道也は筆を執る。吾輩は道を載す。道を遮ぎるものは神といえども許さずと誓って紙に向う。誠は指頭より迸って、尖る毛穎の端に紙を焼く熱気あるがごとき心地にて句を綴る。白紙が人格と化して、淋漓として飛騰する文章があるとすれば道也の文章はまさにこれである。されども世は華族、紳商、博士、学士の世である。附属物が本体を踏み潰す世である。道也の文章は出るたびに黙殺せられている。妻君は金にならぬ文章を道楽文章と云う。道楽文章を作るものを意気地なしと云う。  道也の言葉を聞いた妻君は、火箸を灰のなかに刺したまま、 「今でも、そんな御金が這入る見込があるんですか」と不思議そうに尋ねた。 「今は昔より下落したと云うのかい。ハハハハハ」と道也先生は大きな声を出して笑った。妻君は毒気を抜かれて口をあける。 「どうりゃ一勉強やろうか」と道也は立ち上がる。その夜彼は彼の著述人格論を二百五十頁までかいた。寝たのは二時過である。         四 「どこへ行く」と中野君が高柳君をつらまえた。所は動物園の前である。太い桜の幹が黒ずんだ色のなかから、銀のような光りを秋の日に射返して、梢を離れる病葉は風なき折々行人の肩にかかる。足元には、ここかしこに枝を辞したる古い奴ががさついている。  色は様々である。鮮血を日に曝して、七日の間|日ごとにその変化を葉裏に印して、注意なく一枚のなかに畳み込めたら、こんな色になるだろうと高柳君はさっきから眺めていた。血を連想した時高柳君は腋の下から何か冷たいものが襯衣に伝わるような気分がした。ごほんと取り締りのない咳を一つする。  形も様々である。火にあぶったかき餅の状は千差万別であるが、我も我もとみんな反り返る。桜の落葉もがさがさに反り返って、反り返ったまま吹く風に誘われて行く。水気のないものには未練も執着もない。飄々としてわが行末を覚束ない風に任せて平気なのは、死んだ後の祭りに、から騒ぎにはしゃぐ了簡かも知れぬ。風にめぐる落葉と攫われて行くかんな屑とは一種の気狂である。ただ死したるものの気狂である。高柳君は死と気狂とを自然界に点綴した時、瘠せた両肩を聳やかして、またごほんと云ううつろな咳を一つした。  高柳君はこの瞬間に中野君からつらまえられたのである。ふと気がついて見ると世は太平である。空は朗らかである。美しい着物をきた人が続々行く。相手は薄羅紗の外套に恰好のいい姿を包んで、顋の下に真珠の留針を輝かしている。――高柳君は相手の姿を見守ったなり黙っていた。 「どこへ行く」と青年は再び問うた。 「今図書館へ行った帰りだ」と相手はようやく答えた。 「また地理学教授法じゃないか。ハハハハ。何だか不景気な顔をしているね。どうかしたかい」 「近頃は喜劇の面をどこかへ遺失してしまった」 「また新橋の先まで探がしに行って、拳突を喰ったんじゃないか。つまらない」 「新橋どころか、世界中探がしてあるいても落ちていそうもない。もう、御やめだ」 「何を」 「何でも御やめだ」 「万事御やめか。当分御やめがよかろう。万事御やめにして僕といっしょに来たまえ」 「どこへ」 「今日はそこに慈善音楽会があるんで、切符を二枚買わされたんだが、ほかに誰も行き手がないから、ちょうどいい。君行きたまえ」 「いらない切符などを買うのかい。もったいない事をするんだな」 「なに義理だから仕方がない。おやじが買ったんだが、おやじは西洋音楽なんかわからないからね」 「それじゃ余った方を送ってやればいいのに」 「実は君の所へ送ろうと思ったんだが……」 「いいえ。あすこへさ」 「あすことは。――うん。あすこか。何、ありゃ、いいんだ。自分でも買ったんだ」  高柳君は何とも返事をしないで、相手を真正面から見ている。中野君は少々恐縮の微笑を洩らして、右の手に握ったままの、山羊の手袋で外套の胸をぴしゃぴしゃ敲き始めた。 「穿めもしない手袋を握ってあるいてるのは何のためだい」 「なに、今ちょっと隠袋から出したんだ」と云いながら中野君は、すぐ手袋をかくしの裏に収めた。高柳君の癇癪はこれで少々治まったようである。  ところへ後ろからエーイと云う掛声がして蹄の音が風を動かしてくる。両人は足早に道傍へ立ち退いた。黒塗のランドーの蓋を、秋の日の暖かきに、払い退けた、中には絹帽が一つ、美しい紅いの日傘が一つ見えながら、両人の前を通り過ぎる。 「ああ云う連中が行くのかい」と高柳君が顋で馬車の後ろ影を指す。 「あれは徳川侯爵だよ」と中野君は教えた。 「よく、知ってるね。君はあの人の家来かい」 「家来じゃない」と中野君は真面目に弁解した。高柳君は腹のなかでまたちょっと愉快を覚えた。 「どうだい行こうじゃないか。時間がおくれるよ」 「おくれると逢えないと云うのかね」  中野君は、すこし赤くなった。怒ったのか、弱点をつかれたためか、恥ずかしかったのか、わかるのは高柳君だけである。 「とにかく行こう。君はなんでも人の集まる所やなにかを嫌ってばかりいるから、一人坊っちになってしまうんだよ」  打つものは打たれる。参るのは今度こそ高柳君の番である。一人坊っちと云う言葉を聞いた彼は、耳がしいんと鳴って、非常に淋しい気持がした。 「いやかい。いやなら仕方がない。僕は失敬する」  相手は同情の笑を湛えながら半歩|踵をめぐらしかけた。高柳君はまた打たれた。 「いこう」と単簡に降参する。彼が音楽会へ臨むのは生れてから、これが始めてである。  玄関にかかった時は受付が右へ左りへの案内で忙殺されて、接待掛りの胸につけた、青いリボンを見失うほど込み合っていた。突き当りを右へ折れるのが上等で、左りへ曲がるのが並等である。下等はないそうだ。中野君は無論上等である。高柳君を顧みながら、こっちだよと、さも物馴れたさまに云う。今日に限って、特別に下等席を設けて貰って、そこへ自分だけ這入って聴いて見たいと一人坊っちの青年は、中野君のあとをつきながら階段を上ぼりつつ考えた。己れの右を上る人も、左りを上る人も、またあとからぞろぞろついて来るものも、皆異種類の動物で、わざと自分を包囲して、のっぴきさせず二階の大広間へ押し上げた上、あとから、慰み半分に手を拍って笑う策略のように思われた。後ろを振り向くと、下から緑りの滴たる束髪の脳巓が見える。コスメチックで奇麗な一直線を七分三分の割合に錬り出した頭蓋骨が見える。これらの頭が十も二十も重なり合って、もう高柳周作は一歩でも退く事はならぬとせり上がってくる。  楽堂の入口を這入ると、霞に酔うた人のようにぽうっとした。空を隠す茂みのなかを通り抜けて頂に攀じ登った時、思いも寄らぬ、眼の下に百里の眺めが展開する時の感じはこれである。演奏台は遥かの谷底にある。近づくためには、登り詰めた頂から、規則正しく排列された人間の間を一直線に縫うがごとくに下りて、自然と逼る擂鉢の底に近寄らねばならぬ。擂鉢の底は半円形を劃して空に向って広がる内側面には人間の塀が段々に横輪をえがいている。七八段を下りた高柳君は念のために振り返って擂鉢の側面を天井まで見上げた時、目がちらちらしてちょっと留った。excuse me と云って、大きな異人が、高柳君を蔽いかぶせるようにして、一段下へ通り抜けた。駝鳥の白い毛が鼻の先にふらついて、品のいい香りがぷんとする。あとから、脳巓の禿げた大男が絹帽を大事そうに抱えて身を横にして女につきながら、二人を擦り抜ける。 「おい、あすこに椅子が二つ空いている」と物馴れた中野君は階段を横へ切れる。並んでいる人は席を立って二人を通す。自分だけであったら、誰も席を立ってくれるものはあるまいと高柳君は思った。 「大変な人だね」と椅子に腰をおろしながら中野君は満場を見廻わす。やがて相手の服装に気がついた時、急に小声になって、 「おい、帽子をとらなくっちゃ、いけないよ」と云う。  高柳君は卒然として帽子を取って、左右をちょっと見た。三四人の眼が自分の頭の上に注がれていたのを発見した時、やっぱり包囲攻撃だなと思った。なるほど帽子を被っていたものはこの広い演奏場に自分一人である。 「外套は着ていてもいいのか」と中野君に聞いて見る。 「外套は構わないんだ。しかしあつ過ぎるから脱ごうか」と中野君はちょっと立ち上がって、外套の襟を三寸ばかり颯と返したら、左の袖がするりと抜けた、右の袖を抜くとき、領のあたりをつまんだと思ったら、裏を表てに、外套ははや畳まれて、椅子の背中を早くも隠した。下は仕立ておろしのフロックに、近頃|流行る白いスリップが胴衣の胸開を沿うて細い筋を奇麗にあらわしている。高柳君はなるほどいい手際だと羨ましく眺めていた。中野君はどう云ものか容易に坐らない。片手を椅子の背に凭たせて、立ちながら後ろから、左右へかけて眺めている。多くの人の視線は彼の上に落ちた。中野君は平気である。高柳君はこの平気をまた羨ましく感じた。  しばらくすると、中野君は千以上陳列せられたる顔のなかで、ようやくあるものを物色し得たごとく、豊かなる双頬に愛嬌の渦を浮かして、軽く何人にか会釈した。高柳君は振り向かざるを得ない。友の挨拶はどの辺に落ちたのだろうと、こそばゆくも首を捩じ向けて、斜めに三段ばかり上を見ると、たちまち目つかった。黒い髪のただ中に黄の勝った大きなリボンの蝶を颯とひらめかして、細くうねる頸筋を今真直に立て直す女の姿が目つかった。紅いは眼の縁を薄く染めて、潤った眼睫の奥から、人の世を夢の底に吸い込むような光りを中野君の方に注いでいる。高柳君はすわやと思った。  わが穿く袴は小倉である。羽織は染めが剥げて、濁った色の上に垢が容赦なく日光を反射する。湯には五日前に這入ったぎりだ。襯衣を洗わざる事は久しい。音楽会と自分とはとうてい両立するものでない。わが友と自分とは?――やはり両立しない。友のハイカラ姿とこの魔力ある眼の所有者とは、千里を隔てても無線の電気がかかるべく作られている。この一堂の裡に綺羅の香りを嗅ぎ、和楽の温かみを吸うて、落ち合うからは、二人の魂は無論の事、溶けて流れて、かき鳴らす箏の線の細きうちにも、めぐり合わねばならぬ。演奏会は数千の人を集めて、数千の人はことごとく双手を挙げながらこの二人を歓迎している。同じ数千の人はことごとく五|指を弾いて、われ一人を排斥している。高柳君はこんな所へ来なければよかったと思った。友はそんな事を知りようがない。 「もう時間だ、始まるよ」と活版に刷った曲目を見ながら云う。 「そうか」と高柳君は器械的に眼を活版の上に落した。  一、バイオリン、セロ、ピヤノ合奏とある。高柳君はセロの何物たるを知らぬ。二、ソナタ……ベートーベン作とある。名前だけは心得ている。三、アダジョ……パァージャル作とある。これも知らぬ。四、と読みかけた時|拍手の音が急に梁を動かして起った。演奏者はすでに台上に現われている。  やがて三部合奏曲は始まった。満場は化石したかのごとく静かである。右手の窓の外に、高い樅の木が半分見えて後ろは遐かの空の国に入る。左手の碧りの窓掛けを洩れて、澄み切った秋の日が斜めに白い壁を明らかに照らす。  曲は静かなる自然と、静かなる人間のうちに、快よく進行する。中野は絢爛たる空気の振動を鼓膜に聞いた。声にも色があると嬉しく感じている。高柳は樅の枝を離るる鳶の舞う様を眺めている。鳶が音楽に調子を合せて飛んでいる妙だなと思った。  拍手がまた盛に起る。高柳君ははっと気がついた。自分はやはり異種類の動物のなかに一人坊っちでおったのである。隣りを見ると中野君は一生懸命に敲いている。高い高い鳶の空から、己れをこの窮屈な谷底に呼び返したものの一人は、われを無理矢理にここへ連れ込んだ友達である。  演奏は第二に移る。千余人の呼吸は一度にやむ。高柳君の心はまた豊かになった。窓の外を見ると鳶はもう舞っておらぬ。眼を移して天井を見る。周囲一尺もあろうと思われる梁の六角形に削られたのが三本ほど、楽堂を竪に貫ぬいている、後ろはどこまで通っているか、頭を回らさないから分らぬ。所々に模様に崩した草花が、長い蔓と共に六角を絡んでいる。仰向いて見ていると広い御寺のなかへでも這入った心持になる。そうして黄色い声や青い声が、梁を纏う唐草のように、縺れ合って、天井から降ってくる。高柳君は無人の境に一人坊っちで佇んでいる。  三度目の拍手が、断わりもなくまた起る。隣りの友達は人一倍けたたましい敲き方をする。無人の境におった一人坊っちが急に、霰のごとき拍手のなかに包囲された一人坊っちとなる。包囲はなかなか已まぬ。演奏者が闥を排してわが室に入らんとする間際になおなお烈しくなった。ヴァイオリンを温かに右の腋下に護りたる演奏者は、ぐるりと戸側に体を回らして、薄紅葉を点じたる裾模様を台上に動かして来る。狂うばかりに咲き乱れたる白菊の花束を、飄える袖の影に受けとって、なよやかなる上躯を聴衆の前に、少しくかがめたる時、高柳は感じた。――この女の楽を聴いたのは、聴かされたのではない。聴かさぬと云うを、ひそかに忍び寄りて、偸み聴いたのである。  演奏は喝采のどよめきの静まらぬうちにまた始まる。聴衆はとっさの際にことごとく死んでしまう。高柳君はまた自由になった。何だか広い原にただ一人立って、遥かの向うから熟柿のような色の暖かい太陽が、のっと上ってくる心持ちがする。小供のうちはこんな感じがよくあった。今はなぜこう窮屈になったろう。右を見ても左を見ても人は我を擯斥しているように見える。たった一人の友達さえ肝心のところで無残の手をぱちぱち敲く。たよる所がなければ親の所へ逃げ帰れと云う話もある。その親があれば始からこんなにはならなかったろう。七つの時おやじは、どこかへ行ったなり帰って来ない。友達はそれから自分と遊ばなくなった。母に聞くと、おとっさんは今に帰る今に帰ると云った。母は帰らぬ父を、帰ると云ってだましたのである。その母は今でもいる。住み古るした家を引き払って、生れた町から三里の山奥に一人|佗びしく暮らしている。卒業をすれば立派になって、東京へでも引き取るのが子の義務である。逃げて帰れば親子共|餓えて死ななければならん。――たちまち拍手の声が一面に湧き返る。 「今のは面白かった。今までのうち一番よく出来た。非常に感じをよく出す人だ。――どうだい君」と中野君が聞く。 「うん」 「君面白くないか」 「そうさな」 「そうさなじゃ困ったな。――おいあすこの西洋人の隣りにいる、細かい友禅の着物を着ている女があるだろう。――あんな模様が近頃|流行んだ。派出だろう」 「そうかなあ」 「君はカラー・センスのない男だね。ああ云う派出な着物は、集会の時や何かにはごくいいのだね。遠くから見て、見醒めがしない。うつくしくっていい」 「君のあれも、同じようなのを着ているね」 「え、そうかしら、何、ありゃ、いい加減に着ているんだろう」 「いい加減に着ていれば弁解になるのかい」  中野君はちょっと会話をやめた。左の方に鼻眼鏡をかけて揉上を容赦なく、耳の上で剃り落した男が帳面を出してしきりに何か書いている。 「ありゃ、音楽の批評でもする男かな」と今度は高柳君が聞いた。 「どれ、――あの男か、あの黒服を着た。なあに、あれはね。画工だよ。いつでも来る男だがね、来るたんびに写生帖を持って来て、人の顔を写している」 「断わりなしにか」 「まあ、そうだろう」 「泥棒だね。顔泥棒だ」  中野君は小さい声でくくと笑った。休憩時間は十|分である。廊下へ出るもの、喫煙に行くもの、用を足して帰るもの、が高柳君の眼に写る。女は小供の時見た、豊国の田舎源氏を一枚一枚はぐって行く時の心持である。男は芳年の書いた討ち入り当夜の義士が動いてるようだ。ただ自分が彼らの眼にどう写るであろうかと思うと、早く帰りたくなる。自分の左右前後は活動している。うつくしく活動している。しかし衣食のために活動しているのではない。娯楽のために活動している。胡蝶の花に戯むるるがごとく、浮藻の漣に靡くがごとく、実用以上の活動を示している。この堂に入るものは実用以上に余裕のある人でなくてはならぬ。  自分の活動は食うか食わぬかの活動である。和煦の作用ではない粛殺の運行である。儼たる天命に制せられて、無条件に生を享けたる罪業を償わんがために働らくのである。頭から云えば胡蝶のごとく、かく翩々たる公衆のいずれを捕え来って比較されても、少しも恥かしいとは思わぬ。云いたき事、云うて人が点頭く事、云うて人が尊ぶ事はないから云わぬのではない。生活の競争にすべての時間を捧げて、云うべき機会を与えてくれぬからである。吾が云いたくて云われぬ事は、世が聞きたくても聞かれぬ事は、天がわが手を縛するからである。人がわが口を箝するからである。巨万の富をわれに与えて、一銭も使うなかれと命ぜられたる時は富なき昔しの心安きに帰る能わずして、命を下せる人を逆しまに詛わんとす。われは呪い死にに死なねばならぬか。――たちまち咽喉が塞がって、ごほんごほんと咳き入る。袂からハンケチを出して痰を取る。買った時の白いのが、妙な茶色に変っている。顔を挙げると、肩から観世よりのように細い金鎖りを懸けて、朱に黄を交えた厚板の帯の間に時計を隠した女が、列のはずれに立って、中野君に挨拶している。 「よう、いらっしゃいました」と可愛らしい二重瞼を細めに云う。 「いや、だいぶ盛会ですね。冬田さんは非常な出来でしたな」と中野君は半身を、女の方へ向けながら云う。 「ええ、大喜びで……」と云い捨てて下りて行く。 「あの女を知ってるかい」 「知るものかね」と高柳君は拳突を喰わす。  相手は驚ろいて黙ってしまった。途端に休憩後の演奏は始まる。「四葉の苜蓿花」とか云うものである。曲の続く間は高柳君はうつらうつらと聴いている。ぱちぱちと手が鳴ると熱病の人が夢から醒めたように我に帰る。この過程を二三度繰り返して、最後の幻覚から喚び醒まされた時は、タンホイゼルのマーチで銅鑼を敲き大喇叭を吹くところであった。  やがて、千余人の影は一度に動き出した。二人の青年は揉まれながらに門を出た。  日はようやく暮れかかる。図書館の横手に聳える松の林が緑りの色を微かに残して、しだいに黒い影に変って行く。 「寒くなったね」  高柳君の答は力の抜けた咳二つであった。 「君さっきから、咳をするね。妙な咳だぜ。医者にでも見て貰ったら、どうだい」 「何、大丈夫だ」と云いながら高柳君は尖った肩を二三度ゆすぶった。松林を横切って、博物館の前に出る。大きな銀杏に墨汁を点じたような滴々の烏が乱れている。暮れて行く空に輝くは無数の落葉である。今は風さえ出た。 「君|二三日前に白井道也と云う人が来たぜ」 「道也先生?」 「だろうと思うのさ。余り沢山ある名じゃないから」 「聞いて見たかい」 「聞こうと思ったが、何だかきまりが悪るかったからやめた」 「なぜ」 「だって、あなたは中学校で生徒から追い出された事はありませんかとも聞けまいじゃないか」 「追い出されましたかと聞かなくってもいいさ」 「しかし容易に聞きにくい男だよ。ありゃ、困る人だ。用事よりほかに云わない人だ」 「そんなになったかも知れない。元来何の用で君の所へなんぞ来たのだい」 「なあに、江湖雑誌の記者だって、僕の所へ談話の筆記に来たのさ」 「君の談話をかい。――世の中も妙な事になるものだ。やっぱり金が勝つんだね」 「なぜ」 「なぜって。――可哀想に、そんなに零落したかなあ。――君道也先生、どんな、服装をしていた」 「そうさ、あんまり立派じゃないね」 「立派でなくっても、まあどのくらいな服装をしていた」 「そうさ。どのくらいとも云い悪いが、そうさ、まあ君ぐらいなところだろう」 「え、このくらいか、この羽織ぐらいなところか」 「羽織はもう少し色が好いよ」 「袴は」 「袴は木綿じゃないが、その代りもっと皺苦茶だ」 「要するに僕と伯仲の間か」 「要するに君と伯仲の間だ」 「そうかなあ。――君、背の高い、ひょろ長い人だぜ」 「背の高い、顔の細長い人だ」 「じゃ道也先生に違ない。――世の中は随分|無慈悲なものだなあ。――君番地を知ってるだろう」 「番地は聞かなかった」 「聞かなかった?」 「うん。しかし江湖雑誌で聞けばすぐわかるさ。何でもほかの雑誌や新聞にも関係しているかも知れないよ。どこかで白井道也と云う名を見たようだ」  音楽会の帰りの馬車や車は最前から絡繹として二人を後ろから追い越して夕暮を吾家へ急ぐ。勇ましく馳けて来た二|梃の人力がまた追い越すのかと思ったら、大仏を横に見て、西洋軒のなかに掛声ながら引き込んだ。黄昏の白き靄のなかに、逼り来る暮色を弾き返すほどの目覚しき衣は由ある女に相違ない。中野君はぴたりと留まった。 「僕はこれで失敬する。少し待ち合せている人があるから」 「西洋軒で会食すると云う約束か」 「うんまあ、そうさ。じゃ失敬」と中野君は向へ歩き出す。高柳君は往来の真中へたった一人残された。  淋しい世の中を池の端へ下る。その時一人坊っちの周作はこう思った。「恋をする時間があれば、この自分の苦痛をかいて、一篇の創作を天下に伝える事が出来るだろうに」  見上げたら西洋軒の二階に奇麗な花瓦斯がついていた。         五  ミルクホールに這入る。上下を擦り硝子にして中一枚を透き通しにした腰障子に近く据えた一脚の椅子に腰をおろす。焼麺麭を噛って、牛乳を飲む。懐中には二十円五十銭ある。ただ今地理学教授法の原稿を四十一頁渡して金に換えて来たばかりである。一頁五十銭の割合になる。一頁五十銭を超ゆべからず、一ヵ月五十頁を超ゆべからずと申し渡されてある。  これで今月はどうか、こうか食える。ほかからくれる十円近くの金は故里の母に送らなければならない。故里はもう落鮎の時節である。ことによると崩れかかった藁屋根に初霜が降ったかも知れない。鶏が菊の根方を暴らしている事だろう。母は丈夫かしら。  向うの机を占領している学生が二人、西洋菓子を食いながら、団子坂の菊人形の収入について大に論じている。左に蜜柑をむきながら、その汁を牛乳の中へたらしている書生がある。一房絞っては、文芸倶楽部の芸者の写真を一枚はぐり、一房|絞っては一枚はぐる。芸者の絵が尽きた時、彼はコップの中を匙で攪き廻して妙な顔をしている。酸で牛乳が固まったので驚ろいているのだろう。  高柳君はそこに重ねてある新聞の下から雑誌を引きずり出して、あれこれと見る。目的の江湖雑誌は朝日新聞の下に折れていた。折れてはいるがまだ新らしい。四五日前に出たばかりのである。折れた所は六号活字で何だか色鉛筆の赤い圏点が一面についている。僕の恋愛観と云う表題の下に中野春台とある。春台は無論|輝一の号である。高柳君は食い欠いた焼麺麭を皿の上へ置いたなり「僕の恋愛観」を見ていたがやがて、にやりと笑った。恋愛観の結末に同じく色鉛筆で色情狂※ と書いてある。高柳君は頁をはぐった。六号活字はだいぶ長い。もっともいろいろの人の名前が出ている。一番始めには現代青年の煩悶に対する諸家の解決とある。高柳君は急に読んで見る気になった。――第一は静心の工夫を積めと云う注意だ。積めとはどう積むのかちっともわからない。第二は運動をして冷水摩擦をやれと云う。簡単なものである。第三は読書もせず、世間も知らぬ青年が煩悶する法がないと論じている。無いと云っても有れば仕方がない。第四は休暇ごとに必ず旅行せよと勧告している。しかし旅費の出処は明記してない。――高柳君はあとを読むのが厭になった。颯と引っくりかえして、第一頁をあける。「解脱と拘泥……憂世子」と云うのがある。標題が面白いのでちょっと目を通す。 「身体の局部がどこぞ悪いと気にかかる。何をしていても、それがコダワって来る。ところが非常に健康な人は行住坐臥ともにわが身体の存在を忘れている。一点の局部だにわが注意を集注すべき患所がないから、かく安々と胖かなのである。瘠せて蒼い顔をしている人に、君は胃が悪いだろうと尋ねて見た事がある。するとその男が答えて、胃は少しも故障がない、その証拠には僕はこの年になるが、いまだに胃がどこにあるか知らないと云うた。その時は笑って済んだが、後で考えて見ると大に悟った言葉である。この人は全く胃が健康だから胃に拘泥する必要がない、必要がないから胃がどこにあっても構わないのと見える。自在飲、自在食、いっこう平気である。この男は胃において悟を開いたものである。……」  高柳君はこれは少し妙だよと口のなかで云った。胃の悟りは妙だと云った。 「胃について道い得べき事は、惣身についても道い得べき事である。惣身について道い得べき事は、精神についても道い得べき事である。ただ精神生活においては得失の両面において等しく拘泥を免かれぬところが、身体より煩いになる。 「一能の士は一能に拘泥し、一芸の人は一芸に拘泥して己れを苦しめている。芸能は気の持ちようではすぐ忘れる事も出来る。わが欠点に至っては容易に解脱は出来ぬ。 「百円や二百円もする帯をしめて女が音楽会へ行くとこの帯が妙に気になって音楽が耳に入らぬ事がある。これは帯に拘泥するからである。しかしこれは自慢の例じゃ。得意の方は前云う通り祟りを避け易い。しかし不面目の側はなかなか強情に祟る。昔しさる所で一人の客に紹介された時、御互に椅子の上で礼をして双方共|頭を下げた。下げながら、向うの足を見るとその男の靴足袋の片々が破れて親指の爪が出ている。こちらが頭を下げると同時に彼は満足な足をあげて、破れ足袋の上に加えた。この人は足袋の穴に拘泥していたのである。……」  おれも拘泥している。おれのからだは穴だらけだと高柳君は思いながら先へ進む。 「拘泥は苦痛である。避けなければならぬ。苦痛そのものは避けがたい世であろう。しかし拘泥の苦痛は一日で済む苦痛を五日、七日に延長する苦痛である。いらざる苦痛である。避けなければならぬ。 「自己が拘泥するのは他人が自己に注意を集注すると思うからで、つまりは他人が拘泥するからである。……」  高柳君は音楽会の事を思いだした。 「したがって拘泥を解脱するには二つの方法がある。他人がいくら拘泥しても自分は拘泥せぬのが一つの解脱法である。人が目を峙てても、耳を聳やかしても、冷評しても罵詈しても自分だけは拘泥せずにさっさと事を運んで行く。大久保彦左衛門は盥で登城した事がある。……」  高柳君は彦左衛門が羨ましくなった。 「立派な衣装を馬士に着せると馬士はすぐ拘泥してしまう。華族や大名はこの点において解脱の方を得ている。華族や大名に馬士の腹掛をかけさすと、すぐ拘泥してしまう。釈迦や孔子はこの点において解脱を心得ている。物質界に重を置かぬものは物質界に拘泥する必要がないからである。……」  高柳君は冷めかかった牛乳をぐっと飲んで、ううと云った。 「第二の解脱法は常人の解脱法である。常人の解脱法は拘泥を免かるるのではない、拘泥せねばならぬような苦しい地位に身を置くのを避けるのである。人の視聴を惹くの結果、われより苦痛が反射せぬようにと始めから用心するのである。したがって始めより流俗に媚びて一世に附和する心底がなければ成功せぬ。江戸風な町人はこの解脱法を心得ている。芸妓通客はこの解脱法を心得ている。西洋のいわゆる紳士はもっともよくこの解脱法を心得たものである。……」  芸者と紳士がいっしょになってるのは、面白いと、青年はまた焼麺麭の一|片を、横合から半円形に食い欠いた。親指についた牛酪をそのまま袴の膝へなすりつけた。 「芸妓、紳士、通人から耶蘇孔子釈迦を見れば全然たる狂人である。耶蘇、孔子、釈迦から芸妓、紳士、通人を見れば依然として拘泥している。拘泥のうちに拘泥を脱し得たりと得意なるものは彼らである。両者の解脱は根本義において一致すべからざるものである。……」  高柳君は今まで解脱の二字においてかつて考えた事はなかった。ただ文界に立って、ある物になりたい、なりたいがなれない、なれんのではない、金がない、時がない、世間が寄ってたかって己れを苦しめる、残念だ無念だとばかり思っていた。あとを読む気になる。 「解脱は便法に過ぎぬ。下れる世に立って、わが真を貫徹し、わが善を標榜し、わが美を提唱するの際、※泥帯水の弊をまぬがれ、勇猛精進の志を固くして、現代|下根の衆生より受くる迫害の苦痛を委却するための便法である。この便法を証得し得ざる時、英霊の俊児、またついに鬼窟裏に堕在して彼のいわゆる芸妓紳士通人と得失を較するの愚を演じて憚からず。国家のため悲しむべき事である。 「解脱は便法である。この方便門を通じて出頭し来る行為、動作、言説の是非は解脱の関するところではない。したがって吾人は解脱を修得する前に正鵠にあたれる趣味を養成せねばならぬ。下劣なる趣味を拘泥なく一代に塗抹するは学人の恥辱である。彼らが貴重なる十年二十年を挙げて故紙堆裏に兀々たるは、衣食のためではない、名聞のためではない、ないし爵禄財宝のためではない。微かなる墨痕のうちに、光明の一|炬を点じ得て、点じ得たる道火を解脱の方便門より担い出して暗黒世界を遍照せんがためである。 「このゆえに真に自家証得底の見解あるもののために、拘泥の煩を払って、でき得る限り彼らをして第一種の解脱に近づかしむるを道徳と云う。道徳とは有道の士をして道を行わしめんがために、吾人がこれに対して与うる自由の異名である。この大道徳を解せざるものを俗人と云う。 「天下の多数は俗人である。わが位に着するがためにこの大道徳を解し得ぬ。わが富に着するがためにこの大道徳を解し得ぬ。下れるものは、わが酒とわが女に着するがためにこの大道徳を解し得ぬ。 「光明は趣味の先駆である。趣味は社会の油である。油なき社会は成立せぬ。汚れたる油に廻転する社会は堕落する。かの紳士、通人、芸妓の徒は、汚れたる油の上を滑って墓に入るものである。華族と云い貴顕と云い豪商と云うものは門閥の油、権勢の油、黄白の油をもって一世を逆しまに廻転せんと欲するものである。 「真正の油は彼らの知るところではない。彼らは生れてより以来この油について何らの工夫も費やしておらん。何らの工夫を費やさぬものが、この大道徳を解せぬのは許す。光明の学徒を圧迫せんとするに至っては、俗人の域を超越して罪人の群に入る。 「三味線を習うにも五六年はかかる。巧拙を聴き分くるさえ一カ月の修業では出来ぬ。趣味の修養が三味の稽古より易いと思うのは間違っている。茶の湯を学ぶ彼らはいらざる儀式に貴重な時間を費やして、一々に師匠の云う通りになる。趣味は茶の湯より六ずかしいものじゃ。茶坊主に頭を下げる謙徳があるならば、趣味の本家たる学者の考はなおさら傾聴せねばならぬ。 「趣味は人間に大切なものである。楽器を壊つものは社会から音楽を奪う点において罪人である。書物を焼くものは社会から学問を奪う点において罪人である。趣味を崩すものは社会そのものを覆えす点において刑法の罪人よりもはなはだしき罪人である。音楽はなくとも吾人は生きている、学問がなくても吾人はいきている。趣味がなくても生きておられるかも知れぬ。しかし趣味は生活の全体に渉る社会の根本要素である。これなくして生きんとするは野に入って虎と共に生きんとすると一般である。 「ここに一人がある。この一人が単に自己の思うようにならぬと云う源因のもとに、多勢が朝に晩に、この一人を突つき廻わして、幾年の後この一人の人格を堕落せしめて、下劣なる趣味に誘い去りたる時、彼らは殺人より重い罪を犯したのである。人を殺せば殺される。殺されたものは社会から消えて行く。後患は遺さない。趣味の堕落したものは依然として現存する。現存する以上は堕落した趣味を伝染せねばやまぬ。彼はペストである。ペストを製造したものはもちろん罪人である。 「趣味の世界にペストを製造して罰せられんのは人殺しをして罰せられんのと同様である。位地の高いものはもっともこの罪を犯しやすい。彼らは彼らの社会的地位からして、他に働きかける便宜の多い場所に立っている。他に働きかける便宜を有して、働きかける道を弁えぬものは危険である。 「彼らは趣味において専門の学徒に及ばぬ。しかも学徒以上他に働きかけるの能力を有している。能力は権利ではない。彼らのあるものはこの区別さえ心得ておらん。彼らの趣味を教育すべくこの世に出現せる文学者を捕えてすらこれを逆しまに吾意のごとくせんとする。彼らは単に大道徳を忘れたるのみならず、大不道徳を犯して恬然として社会に横行しつつあるのである。 「彼らの意のごとくなる学徒があれば、自己の天職を自覚せざる学徒である。彼らを教育する事の出来ぬ学徒があれば腰の抜けたる学徒である。学徒は光明を体せん事を要す。光明より流れ出ずる趣味を現実せん事を要す。しかしてこれを現実せんがために、拘泥せざらん事を要す。拘泥せざらんがために解脱を要す」  高柳君は雑誌を開いたまま、茫然として眼を挙げた。正面の柱にかかっている、八角時計がぼうんと一時を打つ。柱の下の椅子にぽつ然と腰を掛けていた小女郎が時計の音と共に立ち上がった。丸テーブルの上には安い京焼の花活に、浅ましく水仙を突きさして、葉の先が黄ばんでいるのを、いつまでもそのままに水をやらぬ気と見える。小女郎は水仙の花にちょっと手を触れて、花活のそばにある新聞をとり上げた。読むかと思ったら四つに畳んで傍に置いた。この女は用もないのに立ち上がったのである。退屈のあまり、ぼうんを聞いて器械的に立ち上がったのである。羨ましい女だと高柳君はすぐ思う。  菊人形の収入についての議論は片づいたと見えて、二人の学生は煙草をふかして往来を見ている。 「おや、富田が通る」と一人が云う。 「どこに」と一人が聞く。富田君は三寸ばかり開いていた硝子戸の間をちらと通り抜けたのである。 「あれは、よく食う奴じゃな」 「食う、食う」と答えたところによるとよほど食うと見える。 「人間は食う割に肥らんものだな。あいつはあんなに食う癖にいっこう肥えん」 「書物は沢山読むが、ちっとも、えろうならんのがおると同じ事じゃ」 「そうよ。御互に勉強はなるべくせん方がいいの」 「ハハハハ。そんなつもりで云ったんじゃない」 「僕はそう云うつもりにしたのさ」 「富田は肥らんがなかなか敏捷だ。やはり沢山食うだけの事はある」 「敏捷な事があるものか」 「いや、この間四丁目を通ったら、後ろから出し抜けに呼ぶものがあるから、振り反ると富田だ。頭を半分|刈ったままで、大きな敷布のようなものを肩から纏うている」 「元来どうしたのか」 「床屋から飛び出して来たのだ」 「どうして」 「髪を刈っておったら、僕の影が鏡に写ったものだから、すぐ馳け出したんだそうだ」 「ハハハハそいつは驚ろいた」 「おれも驚ろいた。そうして尚志会の寄附金を無理に取って、また床屋へ引き返したぜ」 「ハハハハなるほど敏捷なものだ。それじゃ御互になるべく食う事にしよう。敏捷にせんと、卒業してから困るからな」 「そうよ。文学士のように二十円くらいで下宿に屏息していては人間と生れた甲斐はないからな」  高柳君は勘定をして立ち上った。ありがとうと云う下女の声に、文芸倶楽部の上につっ伏していた書生が、赤い眼をとろつかせて、睨めるように高柳君を見た。牛の乳のなかの酸に中毒でもしたのだろう。         六 「私は高柳周作と申すもので……」と丁寧に頭を下げた。高柳君が丁寧に頭を下げた事は今まで何度もある。しかしこの時のように快よく頭を下げた事はない。教授の家を訪問しても、翻訳を頼まれる人に面会しても、その他の先輩に対しても皆丁寧に頭をさげる。せんだって中野のおやじに紹介された時などはいよいよもって丁寧に頭をさげた。しかし頭を下げるうちにいつでも圧迫を感じている。位地、年輩、服装、住居が睥睨して、頭を下げぬか、下げぬかと催促されてやむを得ず頓首するのである。道也先生に対しては全く趣が違う。先生の服装は中野君の説明したごとく、自分と伯仲の間にある。先生の書斎は座敷をかねる点において自分の室と同様である。先生の机は白木なるの点において、丸裸なるの点において、またもっとも無趣味に四角張ったる点において自分の机と同様である。先生の顔は蒼い点において瘠せた点において自分と同様である。すべてこれらの諸点において、先生と弟たりがたく兄たりがたき間柄にありながら、しかも丁寧に頭を下げるのは、逼まられて仕方なしに下げるのではない。仕方あるにもかかわらず、こっちの好意をもって下げるのである。同類に対する愛憐の念より生ずる真正の御辞儀である。世間に対する御辞儀はこの野郎がと心中に思いながらも、公然には反比例に丁寧を極めたる虚偽の御辞儀でありますと断わりたいくらいに思って、高柳君は頭を下げた。道也先生はそれと覚ったかどうか知らぬ。 「ああ、そうですか、私が白井道也で……」とつくろった景色もなく云う。高柳君にはこの挨拶振りが気に入った。両人はしばらくの間黙って控えている。道也は相手の来意がわからぬから、先方の切り出すのを待つのが当然と考える。高柳君は昔しの関係を残りなく打ち開けて、一刻も早く同類|相憐むの間柄になりたい。しかしあまり突然であるから、ちょっと言い出しかねる。のみならず、一昔し前の事とは申しながら、自分達がいじめて追い出した先生が、そのためにかく零落したのではあるまいかと思うと、何となく気がひけて云い切れない。高柳君はこんなところになるとすこぶる勇気に乏しい。謝罪かたがた尋ねはしたが、いよいよと云う段になると少々怖くて罪滅しが出来かねる。心にいろいろな冒頭を作って見たが、どれもこれもきまりがわるい。 「だんだん寒くなりますね」と道也先生は、こっちの了簡を知らないから、超然たる時候の挨拶をする。 「ええ、だいぶ寒くなったようで……」  高柳君の脳中の冒頭はこれでまるで打ち壊されてしまった。いっその事自白はこの次にしようという気になる。しかし何だか話して行きたい気がする。 「先生|御忙がしいですか……」 「ええ、なかなか忙がしいんで弱ります。貧乏|閑なしで」  高柳君はやり損なったと思う。再び出直さねばならん。 「少し御話を承りたいと思って上がったんですが……」 「はあ、何か雑誌へでも御載せになるんですか」  あてはまたはずれる。おれの態度がどうしても向には酌み取れないと見えると青年は心中少しく残念に思った。 「いえ、そうじゃないので――ただ――ただっちゃ失礼ですが。――御邪魔ならまた上がってもよろしゅうございますが……」 「いえ邪魔じゃありません。談話と云うからちょっと聞いて見たのです。――わたしのうちへ話なんか聞きにくるものはありませんよ」 「いいえ」と青年は妙な言葉をもって先生の辞を否定した。 「あなたは何の学問をなさるですか」 「文学の方を――今年大学を出たばかりです」 「はあそうですか。ではこれから何かおやりになるんですね」 「やれれば、やりたいのですが、暇がなくって……」 「暇はないですね。わたしなども暇がなくって困っています。しかし暇はかえってない方がいいかも知れない。何ですね。暇のあるものはだいぶいるようだが、余り誰も何もやっていないようじゃありませんか」 「それは人に依りはしませんか」と高柳君はおれが暇さえあればと云うところを暗にほのめかした。 「人にも依るでしょう。しかし今の金持ちと云うものは……」と道也は句を半分で切って、机の上を見た。机の上には二寸ほどの厚さの原稿がのっている。障子には洗濯した足袋の影がさす。 「金持ちは駄目です。金がなくって困ってるものが……」 「金がなくって困ってるものは、困りなりにやればいいのです」と道也先生困ってる癖に太平な事を云う。高柳君は少々不満である。 「しかし衣食のために勢力をとられてしまって……」 「それでいいのですよ。勢力をとられてしまったら、ほかに何にもしないで構わないのです」  青年は唖然として、道也を見た。道也は孔子様のように真面目である。馬鹿にされてるんじゃたまらないと高柳君は思う。高柳君は大抵の事を馬鹿にされたように聞き取る男である。 「先生ならいいかも知れません」とつるつると口を滑らして、はっと言い過ぎたと下を向いた。道也は何とも思わない。 「わたしは無論いい。あなただって好いですよ」と相手までも平気に捲き込もうとする。 「なぜですか」と二三歩逃げて、振り向きながら佇む狐のように探りを入れた。 「だって、あなたは文学をやったと云われたじゃありませんか。そうですか」 「ええやりました」と力を入れる。すべて他の点に関しては断乎たる返事をする資格のない高柳君は自己の本領においては何人の前に出てもひるまぬつもりである。 「それならいい訳だ。それならそれでいい訳だ」と道也先生は繰り返して云った。高柳君には何の事か少しも分らない。また、なぜですと突き込むのも、何だか伏兵に罹る気持がして厭である。ちょっと手のつけようがないので、黙って相手の顔を見た。顔を見ているうちに、先方でどうか解決してくれるだろうと、暗に催促の意を籠めて見たのである。 「分りましたか」と道也先生が云う。顔を見たのはやっぱり何の役にも立たなかった。 「どうも」と折れざるを得ない。 「だってそうじゃありませんか。――文学はほかの学問とは違うのです」と道也先生は凛然と云い放った。 「はあ」と高柳君は覚えず応答をした。 「ほかの学問はですね。その学問や、その学問の研究を阻害するものが敵である。たとえば貧とか、多忙とか、圧迫とか、不幸とか、悲酸な事情とか、不和とか、喧嘩とかですね。これがあると学問が出来ない。だからなるべくこれを避けて時と心の余裕を得ようとする。文学者も今まではやはりそう云う了簡でいたのです。そう云う了簡どころではない。あらゆる学問のうちで、文学者が一番|呑気な閑日月がなくてはならんように思われていた。おかしいのは当人自身までがその気でいた。しかしそれは間違です。文学は人生そのものである。苦痛にあれ、困窮にあれ、窮愁にあれ、凡そ人生の行路にあたるものはすなわち文学で、それらを甞め得たものが文学者である。文学者と云うのは原稿紙を前に置いて、熟語字典を参考して、首をひねっているような閑人じゃありません。円熟して深厚な趣味を体して、人間の万事を臆面なく取り捌いたり、感得したりする普通以上の吾々を指すのであります。その取り捌き方や感得し具合を紙に写したのが文学書になるのです、だから書物は読まないでも実際その事にあたれば立派な文学者です。したがってほかの学問ができ得る限り研究を妨害する事物を避けて、しだいに人世に遠かるに引き易えて文学者は進んでこの障害のなかに飛び込むのであります」 「なるほど」と高柳君は妙な顔をして云った。 「あなたは、そうは考えませんか」  そう考えるにも、考えぬにも生れて始めて聞いた説である。批評的の返事が出るときは大抵用意のある場合に限る。不意撃に応ずる事が出来れば不意撃ではない。 「ふうん」と云って高柳君は首を低れた。文学は自己の本領である。自己の本領について、他人が答弁さえ出来ぬほどの説を吐くならばその本領はあまり鞏固なものではない。道也先生さえ、こんな見すぼらしい家に住んで、こんな、きたならしい着物をきているならば、おれは当然二十円五十銭の月給で沢山だと思った。何だか急に広い世界へ引き出されたような感じがする。 「先生はだいぶ御忙しいようですが……」 「ええ。進んで忙しい中へ飛び込んで、人から見ると酔興な苦労をします。ハハハハ」と笑う。これなら苦労が苦労にたたない。 「失礼ながら今はどんな事をやっておいでで……」 「今ですか、ええいろいろな事をやりますよ。飯を食う方と本領の方と両方やろうとするからなかなか骨が折れます。近頃は頼まれてよく方々へ談話の筆記に行きますがね」 「随分御面倒でしょう」 「面倒と云いや、面倒ですがね。そう面倒と云うよりむしろ馬鹿気ています。まあいい加減に書いては来ますが」 「なかなか面白い事を云うのがおりましょう」と暗に中野春台の事を釣り出そうとする。 「面白いの何のって、この間はうま、うまの講釈を聞かされました」 「うま、うまですか?」 「ええ、あの小供が食物の事をうまうまと云いましょう。あれの来歴ですね。その人の説によると小供が舌が回り出してから一番早く出る発音がうまうまだそうです。それでその時分は何を見てもうまうま、何を見なくってもうまうまだからつまりは何にもつけなくてもいいのだそうだが、そこが小供に取って一番大切なものは食物だから、とうとう食物の方で、うまうまを専有してしまったのだそうです。そこで大人もその癖がのこって、美味なものをうまいと云うようになった。だから人生の煩悶は要するに元へ還ってうまうまの二字に帰着すると云うのです。何だか寄席へでも行ったようじゃないですか」 「馬鹿にしていますね」 「ええ、大抵は馬鹿にされに行くんですよ」 「しかしそんなつまらない事を云うって失敬ですね」 「なに、失敬だっていいでさあ、どうせ、分らないんだから。そうかと思うとね。非常に真面目だけれどもなかなか突飛なのがあってね。この間は猛烈な恋愛論を聞かされました。もっとも若い人ですがね」 「中野じゃありませんか」 「君、知ってますか。ありゃ熱心なものだった」 「私の同級生です」 「ああ、そうですか。中野春台とか云う人ですね。よっぽど暇があるんでしょう。あんな事を真面目に考えているくらいだから」 「金持ちです」 「うん立派な家にいますね。君はあの男と親密なのですか」 「ええ、もとはごく親密でした。しかしどうもいかんです。近頃は――何だか――未来の細君か何か出来たんで、あんまり交際してくれないのです」 「いいでしょう。交際しなくっても。損にもなりそうもない。ハハハハハ」 「何だかしかし、こう、一人坊っちのような気がして淋しくっていけません」 「一人坊っちで、いいでさあ」と道也先生またいいでさあを担ぎ出した。高柳君はもう「先生ならいいでしょう」と突き込む勇気が出なかった。 「昔から何かしようと思えば大概は一人坊っちになるものです。そんな一人の友達をたよりにするようじゃ何も出来ません。ことによると親類とも仲違になる事が出来て来ます。妻にまで馬鹿にされる事があります。しまいに下女までからかいます」 「私はそんなになったら、不愉快で生きていられないだろうと思います」 「それじゃ、文学者にはなれないです」  高柳君はだまって下を向いた。 「わたしも、あなたぐらいの時には、ここまでとは考えていなかった。しかし世の中の事実は実際ここまでやって来るんです。うそじゃない。苦しんだのは耶蘇や孔子ばかりで、吾々文学者はその苦しんだ耶蘇や孔子を筆の先でほめて、自分だけは呑気に暮して行けばいいのだなどと考えてるのは偽文学者ですよ。そんなものは耶蘇や孔子をほめる権利はないのです」  高柳君は今こそ苦しいが、もう少し立てば喬木にうつる時節があるだろうと、苦しいうちに絹糸ほどな細い望みを繋いでいた。その絹糸が半分ばかり切れて、暗い谷から上へ出るたよりは、生きているうちは容易に来そうに思われなくなった。 「高柳さん」 「はい」 「世の中は苦しいものですよ」 「苦しいです」 「知ってますか」と道也先生は淋し気に笑った。 「知ってるつもりですけれど、いつまでもこう苦しくっちゃ……」 「やり切れませんか。あなたは御両親が御在りか」 「母だけ田舎にいます」 「おっかさんだけ?」 「ええ」 「御母さんだけでもあれば結構だ」 「なかなか結構でないです。――早くどうかしてやらないと、もう年を取っていますから。私が卒業したら、どうか出来るだろうと思ってたのですが……」 「さよう、近頃のように卒業生が殖えちゃ、ちょっと、口を得るのが困難ですね。――どうです、田舎の学校へ行く気はないですか」 「時々は田舎へ行こうとも思うんですが……」 「またいやになるかね。――そうさ、あまり勧められもしない。私も田舎の学校はだいぶ経験があるが」 「先生は……」と言いかけたが、また昔の事を云い出しにくくなった。 「ええ?」と道也は何も知らぬ気である。 「先生は――あの――江湖雑誌を御編輯になると云う事ですが、本当にそうなんで」 「ええ、この間から引き受けてやっています」 「今月の論説に解脱と拘泥と云うのがありましたが、あの憂世子と云うのは……」 「あれは、わたしです。読みましたか」 「ええ、大変面白く拝見しました。そう申しちゃ失礼ですが、あれは私の云いたい事を五六段高くして、表出したようなもので、利益を享けた上に痛快に感じました」 「それはありがたい。それじゃ君は僕の知己ですね。恐らく天下|唯一の知己かも知れない。ハハハハ」 「そんな事はないでしょう」と高柳君はやや真面目に云った。 「そうですか、それじゃなお結構だ。しかし今まで僕の文章を見てほめてくれたものは一人もない。君だけですよ」 「これから皆んな賞めるつもりです」 「ハハハハそう云う人がせめて百人もいてくれると、わたしも本望だが――随分|頓珍漢な事がありますよ。この間なんか妙な男が尋ねて来てね。……」 「何ですか」 「なあに商人ですがね。どこから聞いて来たか、わたしに、あなたは雑誌をやっておいでだそうだが文章を御書きなさるだろうと云うのです」 「へえ」 「書く事は書くとまあ云ったんです。するとねその男がどうぞ一つ、眼薬の広告をかいてもらいたいと云うんです」 「馬鹿な奴ですね」 「その代り雑誌へ眼薬の広告を出すから是非一つ願いたいって――何でも点明水とか云う名ですがね……」 「妙な名をつけて――。御書きになったんですか」 「いえ、とうとう断わりましたがね。それでまだおかしい事があるのですよ。その薬屋で売出しの日に大きな風船を揚げるんだと云うのです」 「御祝いのためですか」 「いえ、やはり広告のために。ところが風船は声も出さずに高い空を飛んでいるのだから、仰向けば誰にでも見えるが、仰向かせなくっちゃいけないでしょう」 「へえ、なるほど」 「それでわたしにその、仰向かせの役をやってくれって云うのです」 「どうするのです」 「何、往来をあるいていても、電車へ乗っていてもいいから、風船を見たら、おや風船だ風船だ、何でもありゃ点明水の広告に違いないって何遍も何遍も云うのだそうです」 「ハハハ随分思い切って人を馬鹿にした依頼ですね」 「おかしくもあり馬鹿馬鹿しくもあるが、何もそれだけの事をするにはわたしでなくてもよかろう。車引でも雇えば訳ないじゃないかと聞いて見たのです。するとその男がね。いえ、車引なんぞばかりでは信用がなくっていけません。やっぱり髭でも生やしてもっともらしい顔をした人に頼まないと、人がだまされませんからと云うのです」 「実に失敬な奴ですね。全体|何物でしょう」 「何物ってやはり普通の人間ですよ。世の中をだますために人を雇いに来たのです。呑気なものさハハハハ」 「どうも驚ろいちまう。私なら撲ぐってやる」 「そんなのを撲った日にゃ片っ端から撲らなくっちゃあならない。君そう怒るが、今の世の中はそんな男ばかりで出来てるんですよ」  高柳君はまさかと思った。障子にさした足袋の影はいつしか消えて、開け放った一枚の間から、靴刷毛の端が見える。椽は泥だらけである。手の平ほどな庭の隅に一株の菊が、清らかに先生の貧を照らしている。自然をどうでもいいと思っている高柳君もこの菊だけは美くしいと感じた。杉垣の遥か向に大きな柿の木が見えて、空のなかへ五分珠の珊瑚をかためて嵌め込んだように奇麗に赤く映る。鳴子の音がして烏がぱっと飛んだ。 「閑静な御住居ですね」 「ええ。蛸寺の和尚が烏を追っているんです。毎日がらんがらん云わして、烏ばかり追っている。ああ云う生涯も閑静でいいな」 「大変たくさん柿が生っていますね」 「渋柿ですよ。あの和尚は何が惜しくて、ああ渋柿の番ばかりするのかな。――君妙な咳を時々するが、身体は丈夫ですか。だいぶ瘠せてるようじゃありませんか。そう瘠せてちゃいかん。身体が資本だから」 「しかし先生だって随分瘠せていらっしゃるじゃありませんか」 「わたし? わたしは瘠せている。瘠せてはいるが大丈夫」         七 白き蝶の、白き花に、 小き蝶の、小き花に、      みだるるよ、みだるるよ。 長き憂は、長き髪に、 暗き憂は、暗き髪に、      みだるるよ、みだるるよ。 いたずらに、吹くは野分の、 いたずらに、住むか浮世に、 白き蝶も、黒き髪も、      みだるるよ、みだるるよ。 と女はうたい了る。銀椀に珠を盛りて、白魚の指に揺かしたらば、こんな声がでようと、男は聴きとれていた。 「うまく、唱えました。もう少し稽古して音量が充分に出ると大きな場所で聴いても、立派に聴けるに違いない。今度演奏会でためしにやって見ませんか」 「厭だわ、ためしだなんて」 「それじゃ本式に」 「本式にゃなおできませんわ」 「それじゃ、つまりおやめと云う訳ですか」 「だってたくさん人のいる前なんかで、――恥ずかしくって、声なんか出やしませんわ」 「その新体詩はいいでしょう」 「ええ、わたし大好き」 「あなたが、そうやって、唱ってるところを写真に一つ取りましょうか」 「写真に?」 「ええ、厭ですか」 「厭じゃないわ。だけれども、取って人に御見せなさるでしょう」 「見せてわるければ、わたし一人で見ています」  女は何にも云わずに眼を横に向けた。こぼれ梅を一枚の半襟の表に掃き集めた真中に、明星と見まがうほどの留針が的※と耀いて、男の眼を射る。  女の振り向いた方には三尺の台を二段に仕切って、下には長方形の交趾の鉢に細き蘭が揺るがんとして、香の煙りのたなびくを待っている。上段にはメロスの愛神の模像を、ほの暗き室の隅に夢かとばかり据えてある。女の眼は端なくもこの裸体像の上に落ちた。 「あの像は」と聞く。 「無論模造です。本物は巴理のルーヴルにあるそうです。しかし模造でもみごとですね。腰から上の少し曲ったところと両足の方向とが非常に釣合がよく取れている。――これが全身完全だと非常なものですが、惜しい事に手が欠けてます」 「本物も欠けてるんですか」 「ええ、本物が欠けてるから模造もかけてるんです」 「何の像でしょう」 「ヴィーナス。愛の神です」と男はことさらに愛と云う字を強く云った。 「ヴィーナス!」  深い眼睫の奥から、ヴィーナスは溶けるばかりに見詰められている。冷やかなる石膏の暖まるほど、丸き乳首の、呼吸につれて、かすかに動くかと疑しまるるほど、女は瞳を凝らしている。女自身も艶なるヴィーナスである。 「そう」と女はやがて、かすかな声で云う。 「あんまり見ているとヴィーナスが動き出しますよ」 「これで愛の神でしょうか」と女はようやく頭を回らした。  あなたの方が愛の神らしいと云おうとしたが、女と顔を見合した時、男は急に躊躇した。云えば女の表情が崩れる。この、訝るがごとく、訴うるがごとく、深い眼のうちに我を頼るがごとき女の表情を一瞬たりとも、我から働きかけて打ち壊すのは、メロスのヴィーナスの腕を折ると同じく大なる罪科である。 「気高過ぎて……」と男の我を援けぬをもどかしがって女は首を傾けながら、我からと顔の上なる姿を変えた。男はしまったと思う。 「そう、すこし堅過ぎます。愛と云う感じがあまり現われていない」 「何だか冷めたいような心持がしますわ」 「その通りだ。冷めたいと云うのが適評だ。何だか妙だと思っていたが、どうも、いい言葉が出て来なかったんです。冷めたい――冷めたい、と云うのが一番いい」 「なぜこんなに、拵らえたんでしょう」 「やっぱりフ※ジアス式だから厳格なんでしょう」 「あなたは、こう云うのが御好き」  女は石像をさえ、自分と比較して愛人の心を窺って見る。ヴィーナスを愛するものは、自分を愛してはくれまいと云う掛念がある。女はヴィーナスの、神である事を忘れている。 「好きって、いいじゃありませんか、古今の傑作ですよ」  女の批判は直覚的である。男の好尚は半ば伝説的である。なまじいに美学などを聴いた因果で、男はすぐ女に同意するだけの勇気を失っている。学問は己れを欺くとは心づかぬと見える。自から学問に欺かれながら、欺かれぬ女の判断を、いたずらに誤まれりとのみ見る。 「古今の傑作ですよ」と再び繰り返したのは、半ば女の趣味を教育するためであった。 「そう」と女は云ったばかりである。石火を交えざる刹那に、はっと受けた印象は、学者の一言のために打ち消されるものではない。 「元来ヴィーナスは、どう云うものか僕にはいやな聯想がある」 「どんな聯想なの」と女はおとなしく聞きつつ、双の手を立ちながら膝の上に重ねる。手頸からさきが二寸ほど白く見えて、あとは、しなやかなる衣のうちに隠れる。衣は薄紅に銀の雨を濃く淡く、所まだらに降らしたような縞柄である。  上になった手の甲の、五つに岐れた先の、しだいに細まりてかつ丸く、つやある爪に蔽われたのが好い感じである。指は細く長く、すらりとした姿を崩さぬほどに、柔らかな肉を持たねばならぬ。この調える姿が五本ごとに異ならねばならぬ。異なる五本が一つにかたまって、纏まる調子をつくらねばならぬ。美くしき手を持つ人は、美くしき顔を持つ人よりも少ない。美くしき手を持つ人には貴き飾りが必要である。  女は燦たるものを、細き肉に戴いている。 「その指輪は見馴れませんね」 「これ?」と重ねた手は解けて、右の指に耀くものをなぶる。 「この間父様に買っていただいたの」 「金剛石ですか」 「そうでしょう。天賞堂から取ったんですから」 「あんまり御父さんを苛めちゃいけませんよ」 「あら、そうじゃないのよ。父様の方から買って下さったのよ」 「そりゃ珍らしい現象ですね」 「ホホホホ本当ね。あなたその訳を知ってて」 「知るものですか、探偵じゃあるまいし」 「だから御存じないでしょうと云うのですよ」 「だから知りませんよ」 「教えて上げましょうか」 「ええ教えて下さい」 「教えて上げるから笑っちゃいけませんよ」 「笑やしません。この通り真面目でさあ」 「この間ね、池上に競馬があったでしょう。あの時父様があすこへいらしってね。そうして……」 「そうして、どうしたんです。――拾って来たんですか」 「あら、いやだ。あなたは失敬ね」 「だって、待っててもあとをおっしゃらないですもの」 「今云うところなのよ。そうして賭をなすったんですって」 「こいつは驚ろいた。あなたの御父さんもやるんですか」 「いえ、やらないんだけれども、試しにやって見たんだって」 「やっぱりやったんじゃありませんか」 「やった事はやったの。それで御金を五百円ばかり御取りになったんだって」 「へえ。それで買って頂いたのですか」 「まあ、そうよ」 「ちょっと拝見」と手を出す。男は耀くものを軽く抑えた。  指輪は魔物である。沙翁は指輪を種に幾多の波瀾を描いた。若い男と若い女を目に見えぬ空裏に繋ぐものは恋である。恋をそのまま手にとらすものは指輪である。  三重にうねる細き金の波の、環と合うて膨れ上るただ中を穿ちて、動くなよと、安らかに据えたる宝石の、眩ゆさは天が下を射れど、毀たねば波の中より奪いがたき運命は、君ありての妾、妾故にの君である。男は白き指もろ共に指輪を見詰めている。 「こんな指輪だったのか知らん」と男が云う。女は寄り添うて同じ長椅子を二人の間に分つ。 「昔しさる好事家がヴィーナスの銅像を掘り出して、吾が庭の眺めにと橄欖の香の濃く吹くあたりに据えたそうです」 「それは御話? 突然なのね」 「それから或日テニスをしていたら……」 「あら、ちっとも分らないわ。誰がテニスをするの。銅像を掘り出した人なの?」 「銅像を掘り出したのは人足で、テニスをしたのは銅像を掘り出さした主人の方です」 「どっちだって同じじゃありませんか」 「主人と人足と同じじゃ少し困る」 「いいえさ、やっぱり掘り出した人がテニスをしたんでしょう」 「そう強情を御張りになるなら、それでよろしい。――では掘り出した人がテニスをする……」 「強情じゃない事よ。じゃ銅像を掘り出さした方がテニスをするの、ね。いいでしょう」 「どっちでも同じでさあ」 「あら、あなた、御怒りなすったの。だから掘り出さした方だって、あやまっているじゃありませんか」 「ハハハハあやまらなくってもいいです。それでテニスをしているとね。指輪が邪魔になって、ラケットが思うように使えないんです。そこで、それをはずしてね、どこかへ置こうと思ったが小さいものだから置きなくすといけない。――大事な指輪ですよ。結納の指輪なんです」 「誰と結婚をなさるの?」 「誰とって、そいつは少し――やっぱりさる令嬢とです」 「あら、お話しになってもいじゃありませんか」 「隠す訳じゃないが……」 「じゃ話してちょうだい。ね、いいでしょう。相手はどなたなの?」 「そいつは弱りましたね。実は忘れちまった」 「それじゃ、ずるいわ」 「だって、メリメの本を貸しちまってちょっと調べられないですもの」 「どうせ、御貸しになったんでしょうよ。ようございます」 「困ったな。せっかくのところで名前を忘れたもんだから進行する事が出来なくなった。――じゃ今日は御やめにして今度その令嬢の名を調べてから御話をしましょう」 「いやだわ。せっかくのところでよしたり、なんかして」 「だって名前を知らないんですもの」 「だからその先を話してちょうだいな」 「名前はなくってもいいのですか」 「ええ」 「そうか、そんなら早くすればよかった。――それでいろいろ考えた末、ようやく考えついて、ヴィーナスの小指へちょっとはめたんです」 「うまいところへ気がついたのね。詩的じゃありませんか」 「ところがテニスが済んでから、すっかりそれを忘れてしまって、しかも例の令嬢を連れに田舎へ旅行してから気がついたのです。しかしいまさらどうもする事が出来ないから、それなりにして、未来の細君にはちょっとしたでき合の指環を買って結納にしたのです」 「厭な方ね。不人情だわ」 「だって忘れたんだから仕方がない」 「忘れるなんて、不人情だわ」 「僕なら忘れないんだが、異人だから忘れちまったんです」 「ホホホホ異人だって」 「そこで結納も滞りなく済んでから、うちへ帰っていよいよ結婚の晩に――」でわざと句を切る。 「結婚の晩にどうしたの」 「結婚の晩にね。庭のヴィーナスがどたりどたりと玄関を上がって……」 「おおいやだ」 「どたりどたりと二階を上がって」 「怖いわ」 「寝室の戸をあけて」 「気味がわるいわ」 「気味がわるければ、そこいらで、やめて置きましょう」 「だけれど、しまいにどうなるの」 「だから、どたり、どたりと寝室の戸をあけて」 「そこは、よしてちょうだい。ただしまいにどうなるの」 「では間を抜きましょう。――あした見たら男は冷めたくなって死んでたそうです。ヴィーナスに抱きつかれたところだけ紫色に変ってたと云います」 「おお、厭だ」と眉をあつめる。艶なる人の眉をあつめたるは愛嬌に醋をかけたようなものである。甘き恋に酔い過ぎたる男は折々のこの酸味に舌を打つ。  濃くひける新月の寄り合いて、互に頭を擡げたる、うねりの下に、朧に見ゆる情けの波のかがやきを男はひたすらに打ち守る。 「奥さんはどうしたでしょう」女を憐むものは女である。 「奥さんは病気になって、病院に這入るのです」 「癒るのですか」 「そうさ。そこまでは覚えていない。どうしたっけかな」 「癒らない法はないでしょう。罪も何もないのに」  薄きにもかかわらず豊なる下唇はぷりぷりと動いた。男は女の不平を愚かなりとは思わず、情け深しと興がる。二人の世界は愛の世界である。愛はもっとも真面目なる遊戯である。遊戯なるが故に絶体絶命の時には必ず姿を隠す。愛に戯むるる余裕のある人は至幸である。  愛は真面目である。真面目であるから深い。同時に愛は遊戯である。遊戯であるから浮いている。深くして浮いているものは水底の藻と青年の愛である。 「ハハハハ心配なさらんでもいいです。奥さんはきっと癒ります」と男はメリメに相談もせず受合った。  愛は迷である。また悟りである。愛は天地|万有をその中に吸収して刻下に異様の生命を与える。故に迷である。愛の眼を放つとき、大千世界はことごとく黄金である。愛の心に映る宇宙は深き情けの宇宙である。故に愛は悟りである。しかして愛の空気を呼吸するものは迷とも悟とも知らぬ。ただおのずから人を引きまた人に引かるる。自然は真空を忌み愛は孤立を嫌う。 「わたし、本当に御気の毒だと思いますわ。わたしが、そんなになったら、どうしようと思うと」  愛は己れに対して深刻なる同情を有している。ただあまりに深刻なるが故に、享楽の満足ある場合に限りて、自己を貫き出でて、人の身の上にもまた普通以上の同情を寄せる事ができる。あまりに深刻なるが故に失恋の場合において、自己を貫き出でて、人の身の上にもまた普通以上の怨恨を寄せる事が出来る。愛に成功するものは必ず自己を善人と思う。愛に失敗するものもまた必ず自己を善人と思う。成敗に論なく、愛は一直線である。ただ愛の尺度をもって万事を律する。成功せる愛は同情を乗せて走る馬車馬である。失敗せる愛は怨恨を乗せて走る馬車馬である。愛はもっともわがままなるものである。  もっともわがままなる善人が二人、美くしく飾りたる室に、深刻なる遊戯を演じている。室外の天下は蕭寥たる秋である。天下の秋は幾多の道也先生を苦しめつつある。幾多の高柳君を淋しがらせつつある。しかして二人はあくまでも善人である。 「この間の音楽会には高柳さんとごいっしょでしたね」 「ええ、別に約束した訳でもないんですが、途中で逢ったものですから誘ったのです。何だか動物園の前で悲しそうに立って、桜の落葉を眺めているんです。気の毒になってね」 「よく誘って御上げになったのね。御病気じゃなくって」 「少し咳をしていたようです。たいした事じゃないでしょう」 「顔の色が大変|御わるかったわ」 「あの男はあんまり神経質だもんだから、自分で病気をこしらえるんです。そうして慰めてやると、かえって皮肉を云うのです。何だか近来はますます変になるようです」 「御気の毒ね。どうなすったんでしょう」 「どうしたって、好んで一人坊っちになって、世の中をみんな敵のように思うんだから、手のつけようがないです」 「失恋なの」 「そんな話もきいた事もないですがね。いっそ細君でも世話をしたらいいかも知れない」 「御世話をして上げたらいいでしょう」 「世話をするって、ああ気六ずかしくっちゃ、駄目ですよ。細君が可哀想だ」 「でも。御持ちになったら癒るでしょう」 「少しは癒るかも知れないが、元来が性分なんですからね。悲観する癖があるんです。悲観病に罹ってるんです」 「ホホホホどうして、そんな病気が出たんでしょう」 「どうしてですかね。遺伝かも知れません。それでなければ小供のうち何かあったんでしょう」 「何か御聞になった事はなくって」 「いいえ、僕ああまりそんな事を聞くのが嫌だから、それに、あの男はいっこう何にも打ち明けない男でね。あれがもっと淡泊に思った事を云う風だと慰めようもあるんだけれども」 「困っていらっしゃるんじゃなくって」 「生活にですか、ええ、そりゃ困ってるんです。しかし無暗に金をやろうなんていったら擲きつけますよ」 「だって御自分で御金がとれそうなものじゃありませんか、文学士だから」 「取れるですとも。だからもう少し待ってるといいですが、どうも性急で卒業したあくる日からして、立派な創作家になって、有名になって、そうして楽に暮らそうって云うのだから六ずかしい」 「御国は一体どこなの」 「国は新潟県です」 「遠い所なのね。新潟県は御米の出来る所でしょう。やっぱり御百姓なの」 「農、なんでしょう。――ああ新潟県で思い出した。この間あなたが御出のとき行き違に出て行った男があるでしょう」 「ええ、あの長い顔の髭を生やした。あれはなに、わたしあの人の下駄を見て吃驚したわ。随分薄っぺらなのね。まるで草履よ」 「あれで泰然たるものですよ。そうしてちっとも愛嬌のない男でね。こっちから何か話しかけても、何にも応答をしない」 「それで何しに来たの」 「江湖雑誌の記者と云うんで、談話の筆記に来たんです」 「あなたの? 何か話しておやりになって?」 「ええ、あの雑誌を送って来ているからあとで見せましょう。――それであの男について妙な話しがあるんです。高柳が国の中学にいた時分あの人に習ったんです――あれで文学士ですよ」 「あれで? まあ」 「ところが高柳なんぞが、いろいろな、いたずらをして、苛めて追い出してしまったんです」 「あの人を? ひどい事をするのね」 「それで高柳は今となって自分が生活に困難しているものだから、後悔して、さぞ先生も追い出されたために難義をしたろう、逢ったら謝罪するって云ってましたよ」 「全く追い出されたために、あんなに零落したんでしょうか。そうすると気の毒ね」 「それからせんだって江湖雑誌の記者と云う事が分ったでしょう。だから音楽会の帰りに教えてやったんです」 「高柳さんはいらしったでしょうか」 「行ったかも知れませんよ」 「追い出したんなら、本当に早く御詫をなさる方がいいわね」  善人の会話はこれで一段落を告げる。 「どうです、あっちへ行って、少しみんなと遊ぼうじゃありませんか。いやですか」 「写真は御やめなの」 「あ、すっかり忘れていた。写真は是非取らして下さい。僕はこれでなかなか美術的な奴を取るんです。うん、商売人の取るのは下等ですよ。――写真も五六年この方大変進歩してね。今じゃ立派な美術です。普通の写真はだれが取ったって同じでしょう。近頃のは個人個人の趣味で調子がまるで違ってくるんです。いらないものを抜いたり、いったいの調子を和げたり、際どい光線の作用を全景にあらわしたり、いろいろな事をやるんです。早いものでもう景色専門家や人物専門家が出来てるんですからね」 「あなたは人物の専門家なの」 「僕? 僕は――そうさ、――あなただけの専門家になろうと思うのです」 「厭なかたね」  金剛石がきらりとひらめいて、薄紅の袖のゆるる中から細い腕が男の膝の方に落ちて来た。軽くあたったのは指先ばかりである。  善人の会話は写真撮影に終る。         八  秋は次第に行く。虫の音はようやく細る。  筆硯に命を籠むる道也先生は、ただ人生の一大事因縁に着して、他を顧みるの暇なきが故に、暮るる秋の寒きを知らず、虫の音の細るを知らず、世の人のわれにつれなきを知らず、爪の先に垢のたまるを知らず、蛸寺の柿の落ちた事は無論知らぬ。動くべき社会をわが力にて動かすが道也先生の天職である。高く、偉いなる、公けなる、あるものの方に一歩なりとも動かすが道也先生の使命である。道也先生はその他を知らぬ。  高柳君はそうは行かぬ。道也先生の何事をも知らざるに反して、彼は何事をも知る。往来の人の眼つきも知る。肌寒く吹く風の鋭どきも知る。かすれて渡る雁の数も知る。美くしき女も知る。黄金の貴きも知る。木屑のごとく取り扱わるる吾身のはかなくて、浮世の苦しみの骨に食い入る夕々を知る。下宿の菜の憐れにして芋ばかりなるはもとより知る。知り過ぎたるが君の癖にして、この癖を増長せしめたるが君の病である。天下に、人間は殺しても殺し切れぬほどある。しかしこの病を癒してくれるものは一人もない。この病を癒してくれぬ以上は何千万人いるも、おらぬと同様である。彼は一人坊っちになった。己れに足りて人に待つ事なき呑気な一人坊っちではない。同情に餓え、人間に渇してやるせなき一人坊っちである。中野君は病気と云う、われも病気と思う。しかし自分を一人坊っちの病気にしたものは世間である。自分を一人坊っちの病気にした世間は危篤なる病人を眼前に控えて嘯いている。世間は自分を病気にしたばかりでは満足せぬ。半死の病人を殺さねばやまぬ。高柳君は世間を呪わざるを得ぬ。  道也先生から見た天地は人のためにする天地である。高柳君から見た天地は己れのためにする天地である。人のためにする天地であるから、世話をしてくれ手がなくても恨とは思わぬ。己れのためにする天地であるから、己れをかまってくれぬ世を残酷と思う。  世話をするために生れた人と、世話をされに生れた人とはこれほど違う。人を指導するものと、人にたよるものとはこれほど違う。同じく一人坊っちでありながらこれほど違う。高柳君にはこの違いがわからぬ。  垢染みた布団を冷やかに敷いて、五分刈りが七分ほどに延びた頭を薄ぎたない枕の上に横えていた高柳君はふと眼を挙げて庭前の梧桐を見た。高柳君は述作をして眼がつかれると必ずこの梧桐を見る。地理学教授法を訳して、くさくさすると必ずこの梧桐を見る。手紙を書いてさえ行き詰まるときっとこの梧桐を見る。見るはずである。三坪ほどの荒庭に見るべきものは一本の梧桐を除いてはほかに何にもない。  ことにこの間から、気分がわるくて、仕事をする元気がないので、あやしげな机に頬杖を突いては朝な夕なに梧桐を眺めくらして、うつらうつらとしていた。  一葉落ちてと云う句は古い。悲しき秋は必ず梧桐から手を下す。ばっさりと垣にかかる袷の頃は、さまでに心を動かす縁ともならぬと油断する翌朝またばさりと落ちる。うそ寒いからと早く繰る雨戸の外にまたばさりと音がする。葉はようやく黄ばんで来る。  青いものがしだいに衰える裏から、浮き上がるのは薄く流した脂の色である。脂は夜ごとを寒く明けて、濃く変って行く。婆娑たる命は旦夕に逼る。  風が吹く。どこから来るか知らぬ風がすうと吹く。黄ばんだ梢は動ぐとも見えぬ先に一葉二葉がはらはら落ちる。あとはようやく助かる。  脂は夜ごとの秋の霜にだんだん濃くなる。脂のなかに黒い筋が立つ。箒で敲けば煎餅を折るような音がする。黒い筋は左右へ焼けひろがる。もう危うい。  風がくる。垣の隙から、椽の下から吹いてくる。危ういものは落ちる。しきりに落ちる。危ういと思う心さえなくなるほど梢を離れる。明らさまなる月がさすと枝の数が読まれるくらいあらわに骨が出る。  わずかに残る葉を虫が食う。渋色の濃いなかにぽつりと穴があく。隣りにもあく、その隣りにもぽつりぽつりとあく。一面が穴だらけになる。心細いと枯れた葉が云う。心細かろうと見ている人が云う。ところへ風が吹いて来る。葉はみんな飛んでしまう。  高柳君がふと眼を挙げた時、梧桐はすべてこれらの径路を通り越して、から坊主になっていた。窓に近く斜めに張った枝の先にただ一枚の虫食葉がかぶりついている。 「一人坊っちだ」と高柳君は口のなかで云った。  高柳君は先月あたりから、妙な咳をする。始めは気にもしなかった。だんだん腹に答えのない咳が出る。咳だけではない。熱も出る。出るかと思うとやむ。やんだから仕事をしようかと思うとまた出る。高柳君は首を傾けた。  医者に行って見てもらおうかと思ったが、見てもらうと決心すれば、自分で自分を病気だと認定した事になる。自分で自分の病気を認定するのは、自分で自分の罪悪を認定するようなものである。自分の罪悪は判決を受けるまでは腹のなかで弁護するのが人情である。高柳君は自分の身体を医師の宣告にかからぬ先に弁護した。神経であると弁護した。神経と事実とは兄弟であると云う事を高柳君は知らない。  夜になると時々寝汗をかく。汗で眼がさめる事がある。真暗ななかで眼がさめる。この真暗さが永久続いてくれればいいと思う。夜があけて、人の声がして、世間が存在していると云う事がわかると苦痛である。  暗いなかをなお暗くするために眼を眠って、夜着のなかへ頭をつき込んで、もうこれぎり世の中へ顔が出したくない。このまま眠りに入って、眠りから醒めぬ間に、あの世に行ったら結構だろうと考えながら寝る。あくる日になると太陽は無慈悲にも赫奕として窓を照らしている。  時計を出しては一日に脈を何遍となく験して見る。何遍験しても平脈ではない。早く打ち過ぎる。不規則に打ち過ぎる。どうしても尋常には打たない。痰を吐くたびに眼を皿のようにして眺める。赤いものの見えないのが、せめてもの慰安である。  痰に血の交らぬのを慰安とするものは、血の交る時にはただ生きているのを慰安とせねばならぬ。生きているだけを慰安とする運命に近づくかも知れぬ高柳君は、生きているだけを厭う人である。人は多くの場合においてこの矛盾を冒す。彼らは幸福に生きるのを目的とする。幸福に生きんがためには、幸福を享受すべき生そのものの必要を認めぬ訳には行かぬ。単なる生命は彼らの目的にあらずとするも、幸福を享け得る必須条件として、あらゆる苦痛のもとに維持せねばならぬ。彼らがこの矛盾を冒して塵界に流転するとき死なんとして死ぬ能わず、しかも日ごとに死に引き入れらるる事を自覚する。負債を償うの目的をもって月々に負債を新たにしつつあると変りはない。これを悲酸なる煩悶と云う。  高柳君は床のなかから這い出した。瓦斯糸の蚊絣の綿入の上から黒木綿の羽織を着る。机に向う。やっぱり翻訳をする了簡である。四五日そのままにして置いた机の上には、障子の破れから吹き込んだ砂が一面に軽くたまっている。硯のなかは白く見える。高柳君は面倒だと見えて、塵も吹かずに、上から水をさした。水入に在る水ではない。五六輪の豆菊を挿した硝子の小瓶を花ながら傾けて、どっと硯の池に落した水である。さかに磨り減らした古梅園をしきりに動かすと、じゃりじゃり云う。高柳君は不愉快の眉をあつめた。不愉快の起る前に、不愉快を取り除く面倒をあえてせずして、不愉快の起った時に唇を噛むのはかかる人の例である。彼は不愉快を忍ぶべく余り鋭敏である。しかしてあらかじめこれに備うべくあまり自棄である。  机上に原稿紙を展べた彼は、一時間ほど呻吟してようやく二三枚黒くしたが、やがて打ちやるように筆を擱いた。窓の外には落ち損なった一枚の桐の葉が淋しく残っている。 「一人坊っちだ」と高柳君は口のうちでまた繰り返した。  見るうちに、葉は少しく上に揺れてまた下に揺れた。いよいよ落ちる。と思う間に風ははたとやんだ。  高柳君は巻紙を出して、今度は故里の御母さんの所へ手紙を書き始めた。「寒気相加わり候処如何御暮し被遊候や。不相変御丈夫の事と奉遥察候。私事も無事」とまでかいて、しばらく考えていたが、やがてこの五六行を裂いてしまった。裂いた反古を口へ入れてくちゃくちゃ噛んでいると思ったら、ぽっと黒いものを庭へ吐き出した。  一人坊っちの葉がまた揺れる。今度は右へ左へ二三度首を振る。その振りがようやく収ったと思う頃、颯と音がして、病葉はぽたりと落ちた。 「落ちた。落ちた」と高柳君はさも落ちたらしく云った。  やがて三尺の押入を開けて茶色の中折を取り出す。門口へ出て空を仰ぐと、行く秋を重いものが上から囲んでいる。 「御婆さん、御婆さん」  はいと婆さんが雑巾を刺す手をやめて出て来る。 「傘をとって下さい。わたしの室の椽側にある」  降れば傘をさすまでも歩く考である。どこと云う目的もないがただ歩くつもりなのである。電車の走るのは電車が走るのだが、なぜ走るのだかは電車にもわかるまい。高柳君は自分があるくだけは承知している。しかしなぜあるくのだかは電車のごとく無意識である。用もなく、あてもなく、またあるきたくもないものを無理にあるかせるのは残酷である。残酷があるかせるのだから敵は取れない。敵が取りたければ、残酷を製造した発頭人に向うよりほかに仕方がない。残酷を製造した発頭人は世間である。高柳君はひとり敵の中をあるいている。いくら、あるいてもやっぱり一人坊っちである。  ぽつりぽつりと折々降ってくる。初時雨と云うのだろう。豆腐屋の軒下に豆を絞った殻が、山のように桶にもってある。山の頂がぽくりと欠けて四面から煙が出る。風に連れて煙は往来へ靡く。塩物屋に鮭の切身が、渋びた赤い色を見せて、並んでいる。隣りに、しらす干がかたまって白く反り返る。鰹節屋の小僧が一生懸命に土佐節をささらで磨いている。ぴかりぴかりと光る。奥に婚礼用の松が真青に景気を添える。葉茶屋では丁稚が抹茶をゆっくりゆっくり臼で挽いている。番頭は往来を睨めながら茶を飲んでいる。――「えっ、あぶねえ」と高柳君は突き飛ばされた。  黒紋付の羽織に山高帽を被った立派な紳士が綱曳で飛んで行く。車へ乗るものは勢がいい。あるくものは突き飛ばされても仕方がない。「えっ、あぶねえ」と拳突を喰わされても黙っておらねばならん。高柳君は幽霊のようにあるいている。  青銅の鳥居をくぐる。敷石の上に鳩が五六羽、時雨の中を遠近している。唐人髷に結った半玉が渋蛇の目をさして鳩を見ている。あらい八丈の羽織を長く着て、素足を爪皮のなかへさし込んで立った姿を、下宿の二階窓から書生が顔を二つ出して評している。柏手を打って鈴を鳴らして御賽銭をなげ込んだ後姿が、見ている間にこっちへ逆戻をする。黒縮緬へ三つ柏の紋をつけた意気な芸者がすれ違うときに、高柳君の方に一瞥の秋波を送った。高柳君は鉛を背負ったような重い心持ちになる。  石段を三十六おりる。電車がごうっごうっと通る。岩崎の塀が冷酷に聳えている。あの塀へ頭をぶつけて壊してやろうかと思う。時雨はいつか休んで電車の停留所に五六人待っている。背の高い黒紋付が蝙蝠傘を畳んで空を仰いでいた。 「先生」と一人坊っちの高柳君は呼びかけた。 「やあ妙な所で逢いましたね。散歩かね」 「ええ」と高柳君は答えた。 「天気のわるいのによく散歩するですね。――岩崎の塀を三度|周るといい散歩になる。ハハハハ」  高柳君はちょっといい心持ちになった。 「先生は?」 「僕ですか、僕はなかなか散歩する暇なんかないです。不相変多忙でね。今日はちょっと上野の図書館まで調べ物に行ったです」  高柳君は道也先生に逢うと何だか元気が出る。一人坊っちでありながら、こう平気にしている先生が現在世のなかにあると思うと、多少は心丈夫になると見える。 「先生もう少し散歩をなさいませんか」 「そう、少しなら、してもいい。どっちの方へ。上野はもうよそう。今通って来たばかりだから」 「私はどっちでもいいのです」 「じゃ坂を上って、本郷の方へ行きましょう。僕はあっちへ帰るんだから」  二人は電車の路を沿うてあるき出した。高柳君は一人坊っちが急に二人坊っちになったような気がする。そう思うと空も広く見える。もう綱曳から突き飛ばされる気遣はあるまいとまで思う。 「先生」 「何ですか」 「さっき、車屋から突き飛ばされました」 「そりゃ、あぶなかった。怪我をしやしませんか」 「いいえ、怪我はしませんが、腹は立ちました」 「そう。しかし腹を立てても仕方がないでしょう。――しかし腹も立てようによるですな。昔し渡辺崋山が松平侯の供先に粗忽で突き当ってひどい目に逢った事がある。崋山がその時の事を書いてね。――松平侯御横行――と云ってるですが。この御横行の三字が非常に面白いじゃないですか。尊んで御の字をつけてるがその裏に立派な反抗心がある。気概がある。君も綱引御横行と日記にかくさ」 「松平侯って、だれですか」 「だれだか知れやしない。それが知れるくらいなら御横行はしないですよ。その時発憤した崋山はいまだに生きてるが、松平某なるものは誰も知りゃしない」 「そう思うと愉快ですが、岩崎の塀などを見ると頭をぶつけて、壊してやりたくなります」 「頭をぶつけて、壊せりゃ、君より先に壊してるものがあるかも知れない。そんな愚な事を云わずに正々堂々と創作なら、創作をなされば、それで君の寿命は岩崎などよりも長く伝わるのです」 「その創作をさせてくれないのです」 「誰が」 「誰がって訳じゃないですが、出来ないのです」 「からだでも悪いですか」と道也先生横から覗き込む。高柳君の頬は熱を帯びて、蒼い中から、ほてっている。道也は首を傾けた。 「君坂を上がると呼吸が切れるようだが、どこか悪いじゃないですか」  強いて自分にさえ隠そうとする事を言いあてられると、言いあてられるほど、明白な事実であったかと落胆する。言いあてられた高柳君は暗い穴の中へ落ちた。人は知らず、かかる冷酷なる同情を加えて憚からぬが多い。 「先生」と高柳君は往来に立ち留まった。 「何ですか」 「私は病人に見えるでしょうか」 「ええ、まあ、――少し顔色は悪いです」 「どうしても肺病でしょうか」 「肺病? そんな事はないです」 「いいえ、遠慮なく云って下さい」 「肺の気でもあるんですか」 「遺伝です。おやじは肺病で死にました」 「それは……」と云ったが先生返答に窮した。  膀胱にはち切れるばかり水を詰めたのを針ほどの穴に洩らせば、針ほどの穴はすぐ白銅ほどになる。高柳君は道也の返答をきかぬがごとくに、しゃべってしまう。 「先生、私の歴史を聞いて下さいますか」 「ええ、聞きますとも」 「おやじは町で郵便局の役人でした。私が七つの年に拘引されてしまいました」  道也先生は、だまったまま、話し手といっしょにゆるく歩を運ばして行く。 「あとで聞くと官金を消費したんだそうで――その時はなんにも知りませんでした。母にきくと、おとっさんは今に帰る、今に帰ると云ってました。――しかしとうとう帰って来ません。帰らないはずです。肺病になって、牢屋のなかで死んでしまったんです。それもずっとあとで聞きました。母は家を畳んで村へ引き込みました。……」  向から威勢のいい車が二梃束髪の女を乗せてくる。二人はちょっとよける。話はとぎれる。 「先生」 「何ですか」 「だから私には肺病の遺伝があるんです。駄目です」 「医者に見せたですか」 「医者には――見せません。見せたって見せなくったって同じ事です」 「そりゃ、いけない。肺病だって癒らんとは限らない」  高柳君は気味の悪い笑いを洩らした。時雨がはらはらと降って来る。からたち寺の門の扉に碧巌録提唱と貼りつけた紙が際立って白く見える。女学校から生徒がぞろぞろ出てくる。赤や、紫や、海老茶の色が往来へちらばる。 「先生、罪悪も遺伝するものでしょうか」と女学生の間を縫いながら歩を移しつつ高柳君が聞く。 「そんな事があるものですか」 「遺伝はしないでも、私は罪人の子です。切ないです」 「それは切ないに違いない。しかし忘れなくっちゃいけない」  警察署から手錠をはめた囚人が二人、巡査に護送されて出てくる。時雨が囚人の髪にかかる。 「忘れても、すぐ思い出します」  道也先生は少し大きな声を出した。 「しかしあなたの生涯は過去にあるんですか未来にあるんですか。君はこれから花が咲く身ですよ」 「花が咲く前に枯れるんです」 「枯れる前に仕事をするんです」  高柳君はだまっている。過去を顧みれば罪である。未来を望めば病気である。現在は麺麭のためにする写字である。  道也先生は高柳君の耳の傍へ口を持って来て云った。 「君は自分だけが一人坊っちだと思うかも知れないが、僕も一人坊っちですよ。一人坊っちは崇高なものです」  高柳君にはこの言葉の意味がわからなかった。 「わかったですか」と道也先生がきく。 「崇高――なぜ……」 「それが、わからなければ、とうてい一人坊っちでは生きていられません。――君は人より高い平面にいると自信しながら、人がその平面を認めてくれないために一人坊っちなのでしょう。しかし人が認めてくれるような平面ならば人も上ってくる平面です。芸者や車引に理会されるような人格なら低いにきまってます。それを芸者や車引も自分と同等なものと思い込んでしまうから、先方から見くびられた時腹が立ったり、煩悶するのです。もしあんなものと同等なら創作をしたって、やっぱり同等の創作しか出来ない訳だ。同等でなければこそ、立派な人格を発揮する作物も出来る。立派な人格を発揮する作物が出来なければ、彼らからは見くびられるのはもっともでしょう」 「芸者や車引はどうでもいいですが……」 「例はだれだって同じ事です。同じ学校を同じに卒業した者だって変りはありません。同じ卒業生だから似たものだろうと思うのは教育の形式が似ているのを教育の実体が似ているものと考え違した議論です。同じ大学の卒業生が同じ程度のものであったら、大学の卒業生はことごとく後世に名を残すか、またはことごとく消えてしまわなくってはならない。自分こそ後世に名を残そうと力むならば、たとい同じ学校の卒業生にもせよ、ほかのものは残らないのだと云う事を仮定してかからなければなりますまい。すでにその仮定があるなら自分と、ほかの人とは同様の学士であるにもかかわらずすでに大差別があると自認した訳じゃありませんか。大差別があると自任しながら他が自分を解してくれんと云って煩悶するのは矛盾です」 「それで先生は後世に名を残すおつもりでやっていらっしゃるんですか」 「わたしのは少し、違います。今の議論はあなたを本位にして立てた議論です。立派な作物を出して後世に伝えたいと云うのが、あなたの御希望のようだから御話しをしたのです」 「先生のが承る事が出来るなら、教えて頂けますまいか」 「わたしは名前なんてあてにならないものはどうでもいい。ただ自分の満足を得るために世のために働くのです。結果は悪名になろうと、臭名になろうと気狂になろうと仕方がない。ただこう働かなくっては満足が出来ないから働くまでの事です。こう働かなくって満足が出来ないところをもって見ると、これが、わたしの道に相違ない。人間は道に従うよりほかにやりようのないものだ。人間は道の動物であるから、道に従うのが一番|貴いのだろうと思っています。道に従う人は神も避けねばならんのです。岩崎の塀なんか何でもない。ハハハハ」  剥げかかった山高帽を阿弥陀に被って毛繻子張りの蝙蝠傘をさした、一人坊っちの腰弁当の細長い顔から後光がさした。高柳君ははっと思う。  往来のものは右へ左へ行く。往来の店は客を迎え客を送る。電車は出来るだけ人を載せて東西に走る。織るがごとき街の中に喪家の犬のごとく歩む二人は、免職になりたての属官と、堕落した青書生と見えるだろう。見えても仕方がない。道也はそれでたくさんだと思う。周作はそれではならぬと思う。二人は四丁目の角でわかれた。         九  小春の日に温め返された別荘の小天地を開いて結婚の披露をする。  愛は偏狭を嫌う、また専有をにくむ。愛したる二人の間に有り余る情を挙げて、博く衆生を潤おす。有りあまる財を抛って多くの賓格を会す。来らざるものは和楽の扇に麾く風を厭うて、寒き雪空に赴く鳧雁の類である。  円満なる愛は触るるところのすべてを円満にす。二人の愛は曇り勝ちなる時雨の空さえも円満にした。――太陽の真上に照る日である。照る事は誰でも知るが、だれも手を翳して仰ぎ見る事のならぬくらい明かに照る日である。得意なるものに明かなる日の嫌なものはない。客は車を駆って東西南北より来る。  杉の葉の青きを択んで、丸柱の太きを装い、頭の上一丈にて二本を左右より平に曲げて続ぎ合せたるをアーチと云う。杉の葉の青きはあまりに厳に過ぐ。愛の郷に入るものは、ただおごそかなる門を潜るべからず。青きものは暖かき色に和げられねばならぬ。  裂けば煙る蜜柑の味はしらず、色こそ暖かい。小春の色は黄である。点々と珠を綴る杉の葉影に、ゆたかなる南海の風は通う。紫に明け渡る夜を待ちかねて、ぬっと出る旭日が、岡より岡を射て、万顆の黄玉は一時に耀く紀の国から、偸み来た香りと思われる。この下を通るものは酔わねば出る事を許されぬ掟である。  緑門の下には新しき夫婦が立っている。すべての夫婦は新らしくなければならぬ。新しき夫婦は美しくなければならぬ。新しく美しき夫婦は幸福でなければならぬ。彼らはこの緑門の下に立って、迎えたる賓客にわが幸福の一分を与え、送り出す朋友にわが幸福の一分を与えて、残る幸福に共白髪の長き末までを耽るべく、新らしいのである、また美くしいのである。  男は黒き上着に縞の洋袴を穿く。折々は雪を欺く白き手拭が黒き胸のあたりに漂う。女は紋つきである。裾を色どる模様の華やかなるなかから浮き上がるがごとく調子よくすらりと腰から上が抜け出でている。ヴィーナスは浪のなかから生れた。この女は裾模様のなかから生れている。  日は明かに女の頸筋に落ちて、角だたぬ咽喉の方はほの白き影となる。横から見るときその影が消えるがごとく薄くなって、判然としたやさしき輪廓に終る。その上に紫のうずまくは一朶の暗き髪を束ねながらも額際に浮かせたのである。金台に深紅の七宝を鏤めたヌーボー式の簪が紫の影から顔だけ出している。  愛は堅きものを忌む。すべての硬性を溶化せねばやまぬ。女の眼に耀く光りは、光りそれ自からの溶けた姿である。不可思議なる神境から双眸の底に漂うて、視界に入る万有を恍惚の境に逍遥せしむる。迎えられたる賓客は陶然として園内に入る。 「高柳さんはいらっしゃるでしょうか」と女が小さな声で聞く。 「え?」と男は耳を持ってくる。園内では楽隊が越後獅子を奏している。客は半分以上集まった。夫婦はなかへ這入って接待をせねばならん。 「そうさね。忘れていた」と男が云う。 「もうだいぶ御客さまがいらしったから、向へ行かないじゃわるいでしょう」 「そうさね。もう行く方がいいだろう。しかし高柳がくると可哀想だからね」 「ここにいらっしゃらないとですか」 「うん。あの男は、わたしが、ここに見えないと門まで来て引き返すよ」 「なぜ?」 「なぜって、こんな所へ来た事はないんだから――一人で一人坊っちになる男なんだから――、ともかくもアーチを潜らせてしまわないと安心が出来ない」 「いらっしゃるんでしょうね」 「来るよ、わざわざ行って頼んだんだから、いやでも来ると約束すると来ずにいられない男だからきっとくるよ」 「御厭なんですか」 「厭って、なに別に厭な事もないんだが、つまりきまりがわるいのさ」 「ホホホホ妙ですわね」  きまりのわるいのは自信がないからである。自信がないのは、人が馬鹿にすると思うからである。中野君はただきまりが悪いからだと云う。細君はただ妙ですわねと思う。この夫婦は自分達のきまりを悪るがる事は忘れている。この夫婦の境界にある人は、いくらきまりを悪るがる性分でも、きまりをわるがらずに生涯を済ませる事が出来る。 「いらっしゃるなら、ここにいて上げる方がいいでしょう」 「来る事は受け合うよ。――いいさ、奥はおやじや何かだいぶいるから」  愛は善人である。善人はその友のために自家の不都合を犠牲にするを憚からぬ。夫婦は高柳君のためにアーチの下に待っている。高柳君は来ねばならぬ。  馬車の客、車の客の間に、ただ一人高柳君は蹌踉として敵地に乗り込んで来る。この海のごとく和気の漲りたる園遊会――新夫婦の面に湛えたる笑の波に酔うて、われ知らず幸福の同化を享くる園遊会――行く年をしばらくは春に戻して、のどかなる日影に、窮陰の面のあたりなるを忘るべき園遊会は高柳君にとって敵地である。  富と勢と得意と満足の跋扈する所は東西|球を極めて高柳君には敵地である。高柳君はアーチの下に立つ新しき夫婦を十歩の遠きに見て、これがわが友であるとはたしかに思わなかった。多少の不都合を犠牲にしてまで、高柳君を待ち受けたる夫婦の眼に高柳君の姿がちらと映じた時、待ち受けたにもかかわらず、待ち受け甲斐のある御客とは夫婦共に思わなかった。友誼の三|分一は服装が引き受ける者である。頭のなかで考えた友達と眼の前へ出て来た友達とはだいぶ違う。高柳君の服装はこの日の来客中でもっとも憐れなる服装である。愛は贅沢である。美なるもののほかには価値を認めぬ。女はなおさらに価値を認めぬ。  夫婦が高柳君と顔を見合せた時、夫婦共「これは」と思った。高柳君が夫婦と顔を見合せた時、同じく「これは」と思った。  世の中は「これは」と思った時、引き返せぬものである。高柳君は蹌踉として進んでくる。夫婦の胸にはっときざした「これは」は、すぐと愛の光りに姿をかくす。 「やあ、よく来てくれた。あまり遅いから、どうしたかと思って心配していたところだった」偽りもない事実である。ただ「これは」と思った事だけを略したまでである。 「早く来ようと思ったが、つい用があって……」これも事実である。けれどもやはり「これは」が略されている。人間の交際にはいつでも「これは」が略される。略された「これは」が重なると、喧嘩なしの絶交となる。親しき夫婦、親しき朋友が、腹のなかの「これは、これは」でなし崩しに愛想をつかし合っている。 「これが妻だ」と引き合わせる。一人坊っちに美しい妻君を引き合わせるのは好意より出た罪悪である。愛の光りを浴びたものは、嬉しさがはびこって、そんな事に頓着はない。  何にも云わぬ細君はただしとやかに頭を下げた。高柳君はぼんやりしている。 「さあ、あちらへ――僕もいっしょに行こう」と歩を運らす。十間ばかりあるくと、夫婦はすぐ胡麻塩おやじにつらまった。 「や、どうもみごとな御庭ですね。こう広くはあるまいと思ってたが――いえ始めてで。おとっさんから時々御招きはあったが、いつでも折悪しく用事があって――どうも、よく御手入れが届いて、実に結構ですね……」  と胡麻塩はのべつに述べたてて容易に動かない。ところへまた二三人がやってくる。 「結構だ」「何坪ですかな」「私も年来この辺を心掛けておりますが」などと新夫婦を取り捲いてしまう。高柳君は憮然として中心をはずれて立っている。  すると向うから、襷がけの女が駈けて来て、いきなり塩瀬の五つ紋をつらまえた。 「さあ、いらっしゃい」 「いらっしゃいたって、もうほかで御馳走になっちまったよ」 「ずるいわ、あなたは、他にこれほど馳けずり廻らせて」 「旨いものも、ない癖に」 「あるわよ、あなた。まあいいからいらっしゃいてえのに」とぐいぐい引っ張る。塩瀬は羽織が大事だから引かれながら行く、途端に高柳君に突き当った。塩瀬はちょっと驚ろいて振り向いたまでは、粗忽をして恐れ入ったと云う面相をしていたが、高柳君の顔から服装を見るや否や、急に表情を変えた。 「やあ、こりゃ」と上からさげすむように云って、しかも立って見ている。 「いらっしゃいよ。いいからいらっしゃいよ。構わないでも、いいからいらっしゃいよ」と女は高柳君を後目にかけたなり塩瀬を引っ張って行く。  高柳君はぽつぽつ歩き出した。若夫婦は遥かあなたに遮られていっしょにはなれぬ。芝生の真中に長い天幕を張る。中を覗いて見たら、暗い所に大きな菊の鉢がならべてある。今頃こんな菊がまだあるかと思う。白い長い花弁が中心から四方へ数百片延び尽して、延び尽した端からまた随意に反り返りつつ、あらん限りの狂態を演じているのがある。背筋の通った黄な片が中へ中へと抱き合って、真中に大切なものを守護するごとく、こんもりと丸くなったのもある。松の鉢も見える。玻璃盤に堆かく林檎を盛ったのが、白い卓布の上に鮮やかに映る。林檎の頬が、暗きうちにも光っている。蜜柑を盛った大皿もある。傍でけらけらと笑う声がする。驚ろいて振り向くと、しるくはっとを被った二人の若い男が、二人共|相好を崩している。 「妙だよ。実に」と一人が云う。 「珍だね。全く田舎者なんだよ」と一人が云う。  高柳君はじっと二人を見た。一人は胸開の狭い。模様のある胴衣を着て、右手の親指を胴衣のぽっけっとへ突き込んだまま肘を張っている。一人は細い杖に言訳ほどに身をもたせて、護謨びき靴の右の爪先を、竪に地に突いて、左足一本で細長いからだの中心を支えている。 「まるで給仕人だ」と一本足が云う。  高柳君は自分の事を云うのかと思った。すると色胴衣が 「本当にさ。園遊会に燕尾服を着てくるなんて――洋行しないだってそのくらいな事はわかりそうなものだ」と相鎚を打っている。向うを見るとなるほど燕尾服がいる。しかも二人かたまって、何か話をしている。同類相集まると云う訳だろう。高柳君はようやくあれを笑ってるのだなと気がついた。しかしなぜ燕尾服が園遊会に適しないかはとうてい想像がつかなかった。  芝生の行き当りに葭簀掛けの踊舞台があって、何かしきりにやっている。正面は紅白の幕で庇をかこって、奥には赤い毛氈を敷いた長い台がある。その上に三味線を抱えた女が三人、抱えないのが二人並んでいる。弾くものと唄うものと分業にしたのである。舞台の真中に金紙の烏帽子を被って、真白に顔を塗りたてた女が、棹のようなものを持ったり、落したり、舞扇を開いたり、つぼめたり、長い赤い袖を翳したり、翳さなかったり、何でもしきりに身振をしている。半紙に墨黒々と朝妻船とかいて貼り出してあるから、おおかた朝妻船と云うものだろうと高柳君はしばらく後ろの方から小さくなって眺めていた。  舞台を左へ切れると、御影の橋がある。橋の向の築山の傍手には松が沢山ある。松の間から暖簾のようなものがちらちら見える。中で女がききと笑っている。橋を渡りかけた高柳君はまた引き返した。楽隊が一度に満庭の空気を動かして起る。  そろそろと天幕の所まで帰って来る。今度は中を覗くのをやめにした。中は大勢でがやがやしている。入口へ回って見ると人で埋って皿の音がしきりにする。若夫婦はどこにいるか見えぬ。  しばらく様子を窺っていると突然万歳と云う声がした。楽隊の音は消されてしまう。石橋の向うで万歳と云う返事がある。これは迷子の万歳である。高柳君はのそりと疳違をした客のように天幕のうちに這入った。  皿だけ高く差し上げて人と人の間を抜けて来たものがある。 「さあ、御上んなさい。まだあるんだが人が込んでて容易に手が届かない」と云う。高柳君は自分にくれるにしては目の見当が少し違うと思ったら、後ろの方で「ありがとう」と云う涼しい声がした。十七八の桃色縮緬の紋付をきた令嬢が皿をもらったまま立っている。  傍にいた紳士が、天幕の隅から一脚の椅子を持って来て、 「さあこの上へ御乗せなさい」と令嬢の前に据えた。高柳君は一間ばかり左へ進む。天幕の柱に倚りかかって洋服と和服が煙草をふかしている。 「葉巻はやめたのかい」 「うん、頭にわるいそうだから――しかしあれを呑みつけると、何だね、紙巻はとうてい呑めないね。どんな好い奴でも駄目だ」 「そりゃ、価段だけだから――一本三十銭と三銭とは比較にならないからな」 「君は何を呑むのだい」 「これを一つやって見たまえ」と洋服が鰐皮の煙草入から太い紙巻を出す。 「なるほどエジプシアンか。これは百本五六円するだろう」 「安い割にはうまく呑めるよ」 「そうか――僕も紙巻でも始めようか。これなら日に二十本ずつにしても二十円ぐらいであがるからね」  二十円は高柳君の全収入である。この紳士は高柳君の全収入を煙にするつもりである。  高柳君はまた左へ四尺ほど進んだ。二三人話をしている。 「この間ね、野添が例の人造肥料会社を起すので……」と頭の禿げた鼻の低い金歯を入れた男が云う。 「うん。ありゃ当ったね。旨くやったよ」と真四角な色の黒い、煙草入の金具のような顔が云う。 「君も賛成者のうちに名が見えたじゃないか」と胡麻塩頭の最前中野君を中途で強奪したおやじが云う。 「それさ」と今度は禿げの番である。「野添が、どうです少し持ってくれませんかと云うから、さようさ、わたしは今回はまあよしましょうと断わったのさ。ところが、まあ、そう云わずと、せめて五百株でも、実はもう貴所の名前にしてあるんだからと云うのさ、面倒だからいい加減に挨拶をして置いたら先生すぐ九州へ立って行った。それから二週間ほどして社へ出ると書記が野添さんの株が大変|上りました。五十円株が六十五円になりました。合計三万二千五百円になりましたと云うのさ」 「そりゃ豪勢だ、実は僕も少し持とうと思ってたんだが」と四角が云うと 「ありゃ実際意外だった。あんなに、とんとん拍子にあがろうとは思わなかった」と胡麻塩がしきりに胡麻塩頭を掻く。 「もう少し踏み込んで沢山僕の名にして置けばよかった」と禿は三万二千五百円以外に残念がっている。  高柳君は恐る恐る三人の傍を通り抜けた。若夫婦に逢って挨拶して早く帰りたいと思って、見廻わすと一番奥の方に二人は黒いフロックと五色の袖に取り巻かれて、なかなか寄りつけそうもない。食卓はようやく人数が減った。しかし残っている食品はほとんどない。 「近頃は出掛けるかね」と云う声がする。仙台平をずるずる地びたへ引きずって白足袋に鼠緒の雪駄をかすかに出した三十|恰好の男だ。 「昨日|須崎の種田家の別荘へ招待されて鴨猟をやった」と五分刈の浅黒いのが答えた。 「鴨にはまだ早いだろう」 「もういいね。十羽ばかり取ったがね。僕が十羽、大谷が七羽、加瀬と山内が八羽ずつ」 「じゃ君が一番か」 「いいや、斎藤は十五羽だ」 「へえ」と仙台平は感心している。  同期の卒業生は多いなかに、たった五六人しか見えん。しかもあまり親しくないものばかりである。高柳君は挨拶だけして別段話もしなかったが、今となって見ると何だか恋しい心持ちがする。どこぞにおりはせぬかと見廻したが影も見えぬ。ことによると帰ったかも知れぬ。自分も帰ろう。  主客は一である。主を離れて客なく、客を離れて主はない。吾々が主客の別を立てて物我の境を判然と分劃するのは生存上の便宜である。形を離れて色なく、色を離れて形なき強いて個別するの便宜、着想を離れて技巧なく技巧を離れて着想なきをしばらく両体となすの便宜と同様である。一たびこの差別を立したる時|吾人は一の迷路に入る。ただ生存は人生の目的なるが故に、生存に便宜なるこの迷路は入る事いよいよ深くして出ずる事いよいよかたきを感ず。独り生存の欲を一刻たりとも擺脱したるときにこの迷は破る事が出来る。高柳君はこの欲を刹那も除去し得ざる男である。したがって主客を方寸に一致せしむる事のできがたき男である。主は主、客は客としてどこまでも膠着するが故に、一たび優勢なる客に逢うとき、八方より無形の太刀を揮って、打ちのめさるるがごとき心地がする。高柳君はこの園遊会において孤軍重囲のうちに陥ったのである。  蹌踉としてアーチを潜った高柳君はまた蹌踉としてアーチを出ざるを得ぬ。遠くから振り返って見ると青い杉の環の奥の方に天幕が小さく映って、幕のなかから、奇麗な着物がかたまってあらわれて来た。あのなかに若い夫婦も交ってるのであろう。  夫婦の方では高柳をさがしている。 「時に高柳はどうしたろう。御前あれから逢ったかい」 「いいえ。あなたは」 「おれは逢わない」 「もう御帰りになったんでしょうか」 「そうさ、――しかし帰るなら、ちっとは帰る前に傍へ来て話でもしそうなものだ」 「なぜ皆さんのいらっしゃる所へ出ていらっしゃらないのでしょう」 「損だね、ああ云う人は。あれで一人じゃやっぱり不愉快なんだ。不愉快なら出てくればいいのになおなお引き込んでしまう。気の毒な男だ」 「せっかく愉快にしてあげようと思って、御招きするのにね」 「今日は格別色がわるかったようだ」 「きっと御病気ですよ」 「やっぱり一人坊っちだから、色が悪いのだよ」  高柳君は往来をあるきながら、ぞっと悪寒を催した。         十  道也先生長い顔を長くして煤竹で囲った丸火桶を擁している。外を木枯が吹いて行く。 「あなた」と次の間から妻君が出てくる。紬の羽織の襟が折れていない。 「何だ」とこっちを向く。机の前におりながら、終日木枯に吹き曝されたかのごとくに見える。 「本は売れたのですか」 「まだ売れないよ」 「もう一ヵ月も立てば百や弐百の金は這入る都合だとおっしゃったじゃありませんか」 「うん言った。言ったには相違ないが、売れない」 「困るじゃござんせんか」 「困るよ。御前よりおれの方が困る。困るから今考えてるんだ」 「だって、あんなに骨を折って、三百枚も出来てるものを――」 「三百枚どころか四百三十五頁ある」 「それで、どうして売れないんでしょう」 「やっぱり不景気なんだろうよ」 「だろうよじゃ困りますわ。どうか出来ないでしょうか」 「南溟堂へ持って行った時には、有名な人の御序文があればと云うから、それから足立なら大学教授だから、よかろうと思って、足立にたのんだのさ。本も借金と同じ事で保証人がないと駄目だぜ」 「借金は借りるんだから保証人もいるでしょうが――」と妻君頭のなかへ人指ゆびを入れてぐいぐい掻く。束髪が揺れる。道也はその頭を見ている。 「近頃の本は借金同様だ。信用のないものは連帯責任でないと出版が出来ない」 「本当につまらないわね。あんなに夜遅くまでかかって」 「そんな事は本屋の知らん事だ」 「本屋は知らないでしょうさ。しかしあなたは御存じでしょう」 「ハハハハ当人は知ってるよ。御前も知ってるだろう」 「知ってるから云うのでさあね」 「言ってくれても信用がないんだから仕方がない」 「それでどうなさるの」 「だから足立の所へ持って行ったんだよ」 「足立さんが書いてやるとおっしゃって」 「うん、書くような事を云うから置いて来たら、またあとから書けないって断わって来た」 「なぜでしょう」 「なぜだか知らない。厭なのだろう」 「それであなたはそのままにして御置きになるんですか」 「うん、書かんのを無理に頼む必要はないさ」 「でもそれじゃ、うちの方が困りますわ。この間|御兄さんに判を押して借りて頂いた御金ももう期限が切れるんですから」 「おれもその方を埋めるつもりでいたんだが――売れないから仕方がない」 「馬鹿馬鹿しいのね。何のために骨を折ったんだか、分りゃしない」  道也先生は火桶のなかの炭団を火箸の先で突つきながら「御前から見れば馬鹿馬鹿しいのさ」と云った。妻君はだまってしまう。ひゅうひゅうと木枯が吹く。玄関の障子の破れが紙鳶のうなりのように鳴る。 「あなた、いつまでこうしていらっしゃるの」と細君は術なげに聞いた。 「いつまでとも考はない。食えればいつまでこうしていたっていいじゃないか」 「二言目には食えれば食えればとおっしゃるが、今こそ、どうにかこうにかして行きますけれども、このぶんで押して行けば今に食べられなくなりますよ」 「そんなに心配するのかい」  細君はむっとした様子である。 「だって、あなたも、あんまり無考じゃござんせんか。楽に暮せる教師の口はみんな断っておしまいなすって、そうして何でも筆で食うと頑固を御張りになるんですもの」 「その通りだよ。筆で食うつもりなんだよ。御前もそのつもりにするがいい」 「食べるものが食べられれば私だってそのつもりになりますわ。私も女房ですもの、あなたの御好きでおやりになる事をとやかく云うような差し出口はききゃあしません」 「それじゃ、それでいいじゃないか」 「だって食べられないんですもの」 「たべられるよ」 「随分ね、あなたも。現に教師をしていた方が楽で、今の方がよっぽど苦しいじゃありませんか。あなたはやっぱり教師の方が御上手なんですよ。書く方は性に合わないんですよ」 「よくそんな事がわかるな」  細君は俯向いて、袂から鼻紙を出してちいんと鼻をかんだ。 「私ばかりじゃ、ありませんわ。御兄さんだって、そうおっしゃるじゃありませんか」 「御前は兄の云う事をそう信用しているのか」 「信用したっていいじゃありませんか、御兄さんですもの、そうして、あんなに立派にしていらっしゃるんですもの」 「そうか」と云ったなり道也先生は火鉢の灰を丁寧に掻きならす。中から二寸|釘が灰だらけになって出る。道也先生は、曲った真鍮の火箸で二寸釘をつまみながら、片手に障子をあけて、ほいと庭先へ抛り出した。  庭には何にもない。芭蕉がずたずたに切れて、茶色ながら立往生をしている。地面は皮が剥けて、蓆を捲きかけたように反っくり返っている。道也先生は庭の面を眺めながら 「だいぶ吹いてるな」と独語のように云った。 「もう一遍足立さんに願って御覧になったらどうでしょう」 「厭なものに頼んだって仕方がないさ」 「あなたは、それだから困るのね。どうせ、あんな、豪い方になれば、すぐ、おいそれと書いて下さる事はないでしょうから……」 「あんな豪い方って――足立がかい」 「そりゃ、あなたも豪いでしょうさ――しかし向はともかくも大学校の先生ですから頭を下げたって損はないでしょう」 「そうか、それじゃおおせに従って、もう一返頼んで見ようよ。――時に何時かな。や、大変だ、ちょっと社まで行って、校正をしてこなければならない。袴を出してくれ」  道也先生は例のごとく茶の千筋の嘉平治を木枯にぺらつかすべく一着して飄然と出て行った。居間の柱時計がぼんぼんと二時を打つ。  思う事積んでは崩す炭火かなと云う句があるが、細君は恐らく知るまい。細君は道也先生の丸火桶の前へ来て、火桶の中を、丸るく掻きならしている。丸い火桶だから丸く掻きならす。角な火桶なら角に掻きならすだろう。女は与えられたものを正しいものと考える。そのなかで差し当りのないように暮らすのを至善と心得ている。女は六角の火桶を与えられても、八角の火鉢を与えられても、六角にまた八角に灰を掻きならす。それより以上の見識は持たぬ。  立ってもおらぬ、坐ってもおらぬ、細君の腰は宙に浮いて、膝頭は火桶の縁につきつけられている。坐わるには所を得ない、立っては考えられない。細君の姿勢は中途半把で、細君の心も中途半把である。  考えると嫁に来たのは間違っている。娘のうちの方が、いくら気楽で面白かったか知れぬ。人の女房はこんなものと、誰か教えてくれたら、来ぬ前によすはずであった。親でさえ、あれほどに親切を尽してくれたのだから、二世の契りと掟にさえ出ている夫は、二重にも三重にも可愛がってくれるだろう、また可愛がって下さるよと受合われて、住み馴れた家を今日限りと出た。今日限りと出た家へ二度とは帰られない。帰ろうと思ってもおとっさんもお母さんも亡くなってしまった。可愛がられる目的ははずれて、可愛がってくれる人はもうこの世にいない。  細君は赤い炭団の、灰の皮を剥いて、火箸の先で突つき始めた。炭火なら崩しても積む事が出来る。突ついた炭団は壊れたぎり、丸い元の姿には帰らぬ。細君はこの理を心得ているだろうか。しきりに突ついている。  今から考えて見ると嫁に来た時の覚悟が間違っている。自分が嫁に来たのは自分のために来たのである。夫のためと云う考はすこしも持たなかった。吾が身が幸福になりたいばかりに祝言の盃もした。父、母もそのつもりで高砂を聴いていたに違ない。思う事はみんなはずれた。この頃の模様を父、母に話したら定めし道也はけしからぬと怒るであろう。自分も腹の中では怒っている。  道也は夫の世話をするのが女房の役だと済ましているらしい。それはこっちで云いたい事である。女は弱いもの、年の足らぬもの、したがって夫の世話を受くべきものである。夫を世話する以上に、夫から世話されるべきものである。だから夫に自分の云う通りになれと云う。夫はけっして聞き入れた事がない。家庭の生涯はむしろ女房の生涯である。道也は夫の生涯と心得ているらしい。それだから治まらない。世間の夫は皆道也のようなものかしらん。みんな道也のようだとすれば、この先結婚をする女はだんだん減るだろう。減らないところで見るとほかの旦那様は旦那様らしくしているに違ない。広い世界に自分一人がこんな思をしているかと気がつくと生涯の不幸である。どうせ嫁に来たからには出る訳には行かぬ。しかし連れ添う夫がこんなでは、臨終まで本当の妻と云う心持ちが起らぬ。これはどうかせねばならぬ。どうにかして夫を自分の考え通りの夫にしなくては生きている甲斐がない。――細君はこう思案しながら、火鉢をいじくっている。風が枯芭蕉を吹き倒すほど鳴る。  表に案内がある。寒そうな顔を玄関の障子から出すと、道也の兄が立っている。細君は「おや」と云った。  道也の兄は会社の役員である。その会社の社長は中野君のおやじである。長い二重廻しを玄関へ脱いで座敷へ這入ってくる。 「だいぶ吹きますね」と薄い更紗の上へ坐って抜け上がった額を逆に撫でる。 「御寒いのによく」 「ええ、今日は社の方が早く引けたものだから……」 「今御帰り掛けですか」 「いえ、いったんうちへ帰ってね。それから出直して来ました。どうも洋服だと坐ってるのが窮屈で……」  兄は糸織の小袖に鉄御納戸の博多の羽織を着ている。 「今日は――留守ですか」 「はあ、たった今しがた出ました。おっつけ帰りましょう。どうぞ御緩くり」と例の火鉢を出す。 「もう御構なさるな。――どうもなかなか寒い」と手を翳す。 「だんだん押し詰りましてさぞ御忙がしゅう、いらっしゃいましょう」 「へ、ありがとう。毎年暮になると大頭痛、ハハハハ」と笑った。世の中の人はおかしい時ばかり笑うものではない。 「でも御忙がしいのは結構で……」 「え、まあ、どうか、こうかやってるんです。――時に道也はやはり不相変ですか」 「ありがとう。この方はただ忙がしいばかりで……」 「結構でないかね。ハハハハ。どうも困った男ですねえ、御政さん。あれほど訳がわからないとまでは思わなかったが」 「どうも御心配ばかり懸けまして、私もいろいろ申しますが、女の云う事だと思ってちっとも取り上げませんので、まことに困り切ります」 「そうでしょう、私の云う事だって聞かないんだから。――わたしも傍にいるとつい気になるから、ついとやかく云いたくなってね」 「ごもっともでございますとも。みんな当人のためにおっしゃって下さる事ですから……」 「田舎にいりゃ、それまでですが、こっちにこうしていると、当人の気にいっても、いらなくっても、やっぱり兄の義務でね。つい云いたくなるんです。――するとちっとも寄りつかない。全く変人だね。おとなしくして教師をしていりゃそれまでの事を、どこへ行っても衝突して……」 「あれが全く心配で、私もあのためには、どんなに苦労したか分りません」 「そうでしょうとも。わたしも、そりゃよく御察し申しているんです」 「ありがとうございます。いろいろ御厄介にばかりなりまして」 「東京へ来てからでも、こんなくだらん事をしないでも、どうにでも成るんでさあ。それをせっかく云ってやると、まるで取り合わない。取り合わないでもいいから、自分だけ立派にやって行けばいい」 「それを私も申すのでござんすけれども」 「いざとなると、やっぱりどうかしてくれと云うんでしょう」 「まことに御気の毒さまで……」 「いえ、あなたに何も云うつもりはない。当人がさ。まるで無鉄砲ですからね。大学を卒業して七八年にもなって筆耕の真似をしているものが、どこの国にいるものですか。あれの友達の足立なんて人は大学の先生になって立派にしているじゃありませんか」 「自分だけはあれでなかなかえらいつもりでおりますから」 「ハハハハえらいつもりだって。いくら一人でえらがったって、人が相手にしなくっちゃしようがない」 「近頃は少しどうかしているんじゃないかと思います」 「何とも云えませんね。――何でもしきりに金持やなにかを攻撃するそうじゃありませんか。馬鹿ですねえ。そんな事をしたってどこが面白い。一文にゃならず、人からは擯斥される。つまり自分の錆になるばかりでさあ」 「少しは人の云う事でも聞いてくれるといいんですけれども」 「しまいにゃ人にまで迷惑をかける。――実はね、きょう社でもって赤面しちまったんですがね。課長が私を呼んで聞けば君の弟だそうだが、あの白井道也とか云う男は無暗に不穏な言論をして富豪などを攻撃する。よくない事だ。ちっと君から注意したらよかろうって、さんざん叱られたんです」 「まあどうも。どうしてそんな事が知れましたんでしょう」 「そりゃ、会社なんてものは、それぞれ探偵が届きますからね」 「へえ」 「なに道也なんぞが、何をかいたって、あんな地位のないものに世間が取り合う気遣はないが、課長からそう云われて見ると、放って置けませんからね」 「ごもっともで」 「それで実は今日は相談に来たんですがね」 「生憎出まして」 「なに当人はいない方がかえっていい。あなたと相談さえすればいい。――で、わたしも今途中でだんだん考えて来たんだが、どうしたものでしょう」 「あなたから、とくと異見でもしていただいて、また教師にでも奉職したら、どんなものでございましょう」 「そうなればいいですとも。あなたも仕合せだし、わたしも安心だ。――しかし異見でおいそれと、云う通りになる男じゃありませんよ」 「そうでござんすね。あの様子じゃ、とても駄目でございましょうか」 「わたしの鑑定じゃ、とうてい駄目だ。――それでここに一つの策があるんだが、どうでしょう当人の方から雑誌や新聞をやめて、教師になりたいと云う気を起させるようにするのは」 「そうなれば私は実にありがたいのですが、どうしたら、そう旨い具合に参りましょう」 「あのこの間中当人がしきりに書いていた本はどうなりました」 「まだそのままになっております」 「まだ売れないですか」 「売れるどころじゃございません。どの本屋もみんな断わりますそうで」 「そう。それが売れなけりゃかえって結構だ」 「え?」 「売れない方がいいんですよ。――で、せんだってわたしが周旋した百円の期限はもうじきでしょう」 「たしかこの月の十五日だと思います」 「今日が十一日だから。十二、十三、十四、十五、ともう四日ですね」 「ええ」 「あの方を手厳しく催促させるのです。――実はあなただから、今打ち明けて御話しするが、あれは、わたしが印を押している体にはなっているが本当はわたしが融通したのです。――そうしないと当人が安心していけないから。――それであの方を今云う通り責める――何かほかに工面の出来る所がありますか」 「いいえ、ちっともございません」 「じゃ大丈夫、その方でだんだん責めて行く。――いえ、わたしは黙って見ている。証文の上の貸手が催促に来るのです。あなたも済していなくっちゃいけません。――何を云っても冷淡に済ましていなくっちゃいけません。けっしてこちらから、一言も云わないのです。――それで当人いくら頑固だって苦しいから、また、わたしの方へ頭を下げて来る。いえ来なけりゃならないです。その、頭を下げて来た時に、取って抑えるのです。いいですか。そうたよって来るなら、おれの云う事を聞くがいい。聞かなければおれは構わん。と云いやあ、向でも否とは云われんです。そこでわたしが、御政さんだって、あんなに苦労してやっている。雑誌なんかで法螺ばかり吹き立てていたって始まらない、これから性根を入れかえて、もっと着実な世間に害のないような職業をやれ、教師になる気なら心当りを奔走してやろう、と持ち懸けるのですね。――そうすればきっと我々の思わく通りになると思うが、どうでしょう」 「そうなれば私はどんなに安心が出来るか知れません」 「やって見ましょうか」 「何分宜しく願います」 「じゃ、それはきまったと。そこでもう一つあるんですがね。今日社の帰りがけに、神田を通ったら清輝館の前に、大きな広告があって、わたしは吃驚させられましたよ」 「何の広告でござんす」 「演説の広告なんです。――演説の広告はいいが道也が演説をやるんですぜ」 「へえ、ちっとも存じませんでした」 「それで題が大きいから面白い、現代の青年に告ぐと云うんです。まあ何の事やら、あんなものの云う事を聞きにくる青年もなさそうじゃありませんか。しかし剣呑ですよ。やけになって何を云うか分らないから。わたしも課長から忠告された矢先だから、すぐ社へ電話をかけて置いたから、まあ好いですが、何なら、やらせたくないものですね」 「何の演説をやるつもりでござんしょう。そんな事をやるとまた人様に御迷惑がかかりましょうね」 「どうせまた過激な事でも云うのですよ。無事に済めばいいが、つまらない事を云おうものなら取って返しがつかないからね。――どうしてもやめさせなくっちゃ、いけないね」 「どうしたらやめるでござんしょう」 「これもよせったって、頑固だから、よす気遣はない。やっぱり欺すより仕方がないでしょう」 「どうして欺したらいいでしょう」 「そうさ。あした時刻にわたしが急用で逢いたいからって使をよこして見ましょうか」 「そうでござんすね。それで、あなたの方へ参るようだと宜しゅうございますが……」 「聞かないかも知れませんね。聞かなければそれまでさ」  初冬の日はもう暗くなりかけた。道也先生は風のなかを帰ってくる。         十一  今日もまた風が吹く。汁気のあるものをことごとく乾鮭にするつもりで吹く。 「御兄さんの所から御使です」と細君が封書を出す。道也は坐ったまま、体をそらして受け取った。 「待ってるかい」 「ええ」  道也は封を切って手紙を読み下す。やがて、終りから巻き返して、再び状袋のなかへ収めた。何にも云わない。 「何か急用ででもござんすか」  道也は「うん」と云いながら、墨を磨って、何かさらさらと返事を認めている。 「何の御用ですか」 「ええ? ちょっと待った。書いてしまうから」  返事はわずか五六行である。宛名をかいて、「これを」と出す。細君は下女を呼んで渡してやる。自分は動かない。 「何の御用なんですか」 「何の用かわからない。ただ、用があるから、すぐ来てくれとかいてある」 「いらっしゃるでしょう」 「おれは行かれない。なんならお前行って見てくれ」 「私が? 私は駄目ですわ」 「なぜ」 「だって女ですもの」 「女でも行かないよりいいだろう」 「だって。あなたに来いと書いてあるんでしょう」 「おれは行かれないもの」 「どうして?」 「これから出掛けなくっちゃならん」 「雑誌の方なら、一日ぐらい御休みになってもいいでしょう」 「編輯ならいいが、今日は演説をやらなくっちゃならん」 「演説を? あなたがですか?」 「そうよ、おれがやるのさ。そんなに驚ろく事はなかろう」 「こんなに風が吹くのに、よしになさればいいのに」 「ハハハハ風が吹いてやめるような演説なら始めからやりゃしない」 「ですけれども滅多な事はなさらない方がよござんすよ」 「滅多な事とは。何がさ」 「いいえね。あんまり演説なんかなさらない方が、あなたの得だと云うんです」 「なに得な事があるものか」 「あとが困るかも知れないと申すのです」 「妙な事を云うね御前は。――演説をしちゃいけないと誰か云ったのかね」 「誰がそんな事を云うものですか。――云いやしませんが、御兄さんからこうやって、急用だって、御使が来ているんですから行って上げなくっては義理がわるいじゃありませんか」 「それじゃ演説をやめなくっちゃならない」 「急に差支が出来たって断わったらいいでしょう」 「今さらそんな不義理が出来るものか」 「では御兄さんの方へは不義理をなすっても、いいとおっしゃるんですか」 「いいとは云わない。しかし演説会の方は前からの約束で――それに今日の演説はただの演説ではない。人を救うための演説だよ」 「人を救うって、誰を救うのです」 「社のもので、この間の電車事件を煽動したと云う嫌疑で引っ張られたものがある。――ところがその家族が非常な惨状に陥って見るに忍びないから、演説会をしてその収入をそちらへ廻してやる計画なんだよ」 「そんな人の家族を救うのは結構な事に相違ないでしょうが、社会主義だなんて間違えられるとあとが困りますから……」 「間違えたって構わないさ。国家主義も社会主義もあるものか、ただ正しい道がいいのさ」 「だって、もしあなたが、その人のようになったとして御覧なさい。私はやっぱり、その人の奥さん同様な、ひどい目に逢わなけりゃならないでしょう。人を御救いなさるのも結構ですが、ちっとは私の事も考えて、やって下さらなくっちゃ、あんまりですわ」  道也先生はしばらく沈吟していたが、やがて、机の前を立ちながら「そんな事はないよ。そんな馬鹿な事はないよ。徳川政府の時代じゃあるまいし」と云った。  例の袴を突っかけると支度は一分たたぬうちに出来上った。玄関へ出る。外はいまだに強く吹いている。道也先生の姿は風の中に消えた。  清輝館の演説会はこの風の中に開かれる。  講演者は四名、聴衆は三百名足らずである。書生が多い。その中に文学士高柳周作がいる。彼はこの風の中を襟巻に顔を包んで咳をしながらやって来た。十銭の入場料を払って、二階に上った時は、広い会場はまばらに席をあましてむしろ寂寞の感があった。彼は南側のなるべく暖かそうな所に席をとった。演説はすでに始まっている。 「……文士保護は独立しがたき文士の言う事である。保護とは貴族的時代に云うべき言葉で、個人平等の世にこれを云々するのは恥辱の極である。退いて保護を受くるより進んで自己に適当なる租税を天下から払わしむべきである」と云ったと思ったら、引き込んだ。聴衆は喝采する。隣りに薩摩絣の羽織を着た書生がいて話している。 「今のが、黒田東陽か」 「うん」 「妙な顔だな。もっと話せる顔かと思った」 「保護を受けたら、もう少し顔らしくなるだろう」  高柳君は二人を見た。二人も高柳君を見た。 「おい」 「何だ」 「いやに睨めるじゃねえか」 「おっかねえ」 「こんだ誰の番だ。――見ろ見ろ出て来た」 「いやに、ひょろ長いな。この風にどうして出て来たろう」  ひょろながい道也先生は綿服のまま壇上にあらわれた。かれはこの風の中を金釘のごとく直立して来たのである。から風に吹き曝されたる彼は、からからの古瓢箪のごとくに見える。聴衆は一度に手をたたく。手をたたくのは必ずしも喝采の意と解すべからざる場合がある。独り高柳君のみは粛然として襟を正した。 「自己は過去と未来の連鎖である」  道也先生の冒頭は突如として来た。聴衆はちょっと不意撃を食った。こんな演説の始め方はない。 「過去を未来に送り込むものを旧派と云い、未来を過去より救うものを新派と云うのであります」  聴衆はいよいよ惑った。三百の聴衆のうちには、道也先生をひやかす目的をもって入場しているものがある。彼らに一|寸の隙でも与えれば道也先生は壇上に嘲殺されねばならぬ。角力は呼吸である。呼吸を計らんでひやかせばかえって自分が放り出されるばかりである。彼らは蛇のごとく鎌首を持ち上げて待構えている。道也先生の眼中には道の一字がある。 「自己のうちに過去なしと云うものは、われに父母なしと云うがごとく、自己のうちに未来なしと云うものは、われに子を生む能力なしというと一般である。わが立脚地はここにおいて明瞭である。われは父母のために存在するか、われは子のために存在するか、あるいはわれそのものを樹立せんがために存在するか、吾人生存の意義はこの三者の一を離るる事が出来んのである」  聴衆は依然として、だまっている。あるいは煙に捲かれたのかも知れない。高柳君はなるほどと聴いている。 「文芸復興は大なる意味において父母のために存在したる大時期である。十八世紀末のゴシック復活もまた大なる意味において父母のために存在したる小時期である。同時にスコット一派の浪漫派を生まんがために存在した時期である。すなわち子孫のために存在したる時期である。自己を樹立せんがために存在したる時期の好例はエリザベス朝の文学である。個人について云えばイブセンである。メレジスである。ニイチェである。ブラウニングである。耶蘇教徒は基督のために存在している。基督は古えの人である。だから耶蘇教徒は父のために存在している。儒者は孔子のために生きている。孔子も昔えの人である。だから儒者は父のために生きている。……」 「もうわかった」と叫ぶものがある。 「なかなかわかりません」と道也先生が云う。聴衆はどっと笑った。 「袷は単衣のために存在するですか、綿入のために存在するですか。または袷自身のために存在するですか」と云って、一応聴衆を見廻した。笑うにはあまり、奇警である。慎しむにはあまり飄きんである。聴衆は迷うた。 「六ずかしい問題じゃ、わたしにもわからん」と済ました顔で云ってしまう。聴衆はまた笑った。 「それはわからんでも差支ない。しかし吾々は何のために存在しているか? これは知らなくてはならん。明治は四十年立った。四十年は短かくはない。明治の事業はこれで一段落を告げた……」 「ノー、ノー」と云うものがある。 「どこかでノー、ノーと云う声がする。わたしはその人に賛成である。そう云う人があるだろうと思うて待っていたのである」  聴衆はまた笑った。 「いや本当に待っていたのである」  聴衆は三たび鬨を揚げた。 「私は四十年の歳月を短かくはないと申した。なるほど住んで見れば長い。しかし明治以外の人から見たらやはり長いだろうか。望遠鏡の眼鏡は一寸の直径である。しかし愛宕山から見ると品川の沖がこの一寸のなかに這入ってしまう。明治の四十年を長いと云うものは明治のなかに齷齪しているものの云う事である。後世から見ればずっと縮まってしまう。ずっと遠くから見ると一弾指の間に過ぎん。――一弾指の間に何が出来る」と道也はテーブルの上をとんと敲いた。聴衆はちょっと驚ろいた。 「政治家は一大事業をしたつもりでいる。学者も一大事業をしたつもりでいる。実業家も軍人もみんな一大事業をしたつもりでいる。したつもりでいるがそれは自分のつもりである。明治四十年の天地に首を突き込んでいるから、したつもりになるのである。――一弾指の間に何が出来る」  今度は誰も笑わなかった。 「世の中の人は云うている。明治も四十年になる、まだ沙翁が出ない、まだゲーテが出ない。四十年を長いと思えばこそ、そんな愚痴が出る。一弾指の間に何が出る」 「もうでるぞ」と叫んだものがある。 「もうでるかも知れん。しかし今までに出ておらん事は確かである。――一言にして云えば」と句を切った。満場はしんとしている。 「明治四十年の日月は、明治開化の初期である。さらに語を換えてこれを説明すれば今日の吾人は過去を有たぬ開化のうちに生息している。したがって吾人は過去を伝うべきために生れたのではない。――時は昼夜を舎てず流れる。過去のない時代はない。――諸君誤解してはなりません。吾人は無論過去を有している。しかしその過去は老耄した過去か、幼稚な過去である。則とるに足るべき過去は何にもない。明治の四十年は先例のない四十年である」  聴衆のうちにそうかなあと云う顔をしている者がある。 「先例のない社会に生れたものほど自由なものはない。余は諸君がこの先例のない社会に生れたのを深く賀するものである」 「ひや、ひや」と云う声が所々に起る。 「そう早合点に賛成されては困る。先例のない社会に生れたものは、自から先例を作らねばならぬ。束縛のない自由を享けるものは、すでに自由のために束縛されている。この自由をいかに使いこなすかは諸君の権利であると同時に大なる責任である。諸君。偉大なる理想を有せざる人の自由は堕落であります」  言い切った道也先生は、両手を机の上に置いて満場を見廻した。雷が落ちたような気合である。 「個人について論じてもわかる。過去を顧みる人は半白の老人である。少壮の人に顧みるべき過去はないはずである。前途に大なる希望を抱くものは過去を顧みて恋々たる必要がないのである。――吾人が今日生きている時代は少壮の時代である。過去を顧みるほどに老い込んだ時代ではない。政治に伊藤侯や山県侯を顧みる時代ではない。実業に渋沢|男や岩崎男を顧みる時代ではない。……」 「大気※」と評したのは高柳君の隣りにいた薩摩絣である。高柳君はむっとした。 「文学に紅葉氏一葉氏を顧みる時代ではない。これらの人々は諸君の先例になるがために生きたのではない。諸君を生むために生きたのである。最前の言葉を用いればこれらの人々は未来のために生きたのである。子のために存在したのである。しかして諸君は自己のために存在するのである。――およそ一時代にあって初期の人は子のために生きる覚悟をせねばならぬ。中期の人は自己のために生きる決心が出来ねばならぬ。後期の人は父のために生きるあきらめをつけなければならぬ。明治は四十年立った。まず初期と見て差支なかろう。すると現代の青年たる諸君は大に自己を発展して中期をかたちづくらねばならぬ。後ろを顧みる必要なく、前を気遣う必要もなく、ただ自我を思のままに発展し得る地位に立つ諸君は、人生の最大愉快を極むるものである」  満場は何となくどよめき渡った。 「なぜ初期のものが先例にならん? 初期はもっとも不秩序の時代である。偶然の跋扈する時代である。僥倖の勢を得る時代である。初期の時代において名を揚げたるもの、家を起したるもの、財を積みたるもの、事業をなしたるものは必ずしも自己の力量に由って成功したとは云われぬ。自己の力量によらずして成功するは士のもっとも恥辱とするところである。中期のものはこの点において遥かに初期の人々よりも幸福である。事を成すのが困難であるから幸福である。困難にもかかわらず僥倖が少ないから幸福である。困難にもかかわらず力量しだいで思うところへ行けるほどの余裕があり、発展の道があるから幸福である。後期に至るとかたまってしまう。ただ前代を祖述するよりほかに身動きがとれぬ。身動きがとれなくなって、人間が腐った時、また波瀾が起る。起らねば化石するよりほかにしようがない。化石するのがいやだから、自から波瀾を起すのである。これを革命と云うのである。 「以上は明治の天下にあって諸君の地位を説明したのである。かかる愉快な地位に立つ諸君はこの愉快に相当する理想を養わねばならん」  道也先生はここにおいて一転語を下した。聴衆は別にひやかす気もなくなったと見える。黙っている。 「理想は魂である。魂は形がないからわからない。ただ人の魂の、行為に発現するところを見て髣髴するに過ぎん。惜しいかな現代の青年はこれを髣髴することが出来ん。これを過去に求めてもない、これを現代に求めてはなおさらない。諸君は家庭に在って父母を理想とする事が出来ますか」  あるものは不平な顔をした。しかしだまっている。 「学校に在って教師を理想とする事が出来ますか」 「ノー、ノー」 「社会に在って紳士を理想とする事が出来ますか」 「ノー、ノー」 「事実上諸君は理想をもっておらん。家に在っては父母を軽蔑し、学校に在っては教師を軽蔑し、社会に出でては紳士を軽蔑している。これらを軽蔑し得るのは見識である。しかしこれらを軽蔑し得るためには自己により大なる理想がなくてはならん。自己に何らの理想なくして他を軽蔑するのは堕落である。現代の青年は滔々として日に堕落しつつある」  聴衆は少しく色めいた。「失敬な」とつぶやくものがある。道也先生は昂然として壇下を睥睨している。 「英国風を鼓吹して憚からぬものがある。気の毒な事である。己れに理想のないのを明かに暴露している。日本の青年は滔々として堕落するにもかかわらず、いまだここまでは堕落せんと思う。すべての理想は自己の魂である。うちより出ねばならぬ。奴隷の頭脳に雄大な理想の宿りようがない。西洋の理想に圧倒せられて眼がくらむ日本人はある程度において皆奴隷である。奴隷をもって甘んずるのみならず、争って奴隷たらんとするものに何らの理想が脳裏に醗酵し得る道理があろう。 「諸君。理想は諸君の内部から湧き出なければならぬ。諸君の学問見識が諸君の血となり肉となりついに諸君の魂となった時に諸君の理想は出来上るのである。付焼刃は何にもならない」  道也先生はひやかされるなら、ひやかして見ろと云わぬばかりに片手の拳骨をテーブルの上に乗せて、立っている。汚ない黒木綿の羽織に、べんべらの袴は最前ほどに目立たぬ。風の音がごうと鳴る。 「理想のあるものは歩くべき道を知っている。大なる理想のあるものは大なる道をあるく。迷子とは違う。どうあってもこの道をあるかねばやまぬ。迷いたくても迷えんのである。魂がこちらこちらと教えるからである。 「諸君のうちには、どこまで歩くつもりだと聞くものがあるかも知れぬ。知れた事である。行ける所まで行くのが人生である。誰しも自分の寿命を知ってるものはない。自分に知れない寿命は他人にはなおさらわからない。医者を家業にする専門家でも人間の寿命を勘定する訳には行かぬ。自分が何歳まで生きるかは、生きたあとで始めて言うべき事である。八十歳まで生きたと云う事は八十歳まで生きた事実が証拠立ててくれねばならん。たとい八十歳まで生きる自信があって、その自信通りになる事が明瞭であるにしても、現に生きたと云う事実がない以上は誰も信ずるものはない。したがって言うべきものでない。理想の黙示を受けて行くべき道を行くのもその通りである。自己がどれほどに自己の理想を現実にし得るかは自己自身にさえ計られん。過去がこうであるから、未来もこうであろうぞと臆測するのは、今まで生きていたから、これからも生きるだろうと速断するようなものである。一種の山である。成功を目的にして人生の街頭に立つものはすべて山師である」  高柳君の隣りにいた薩摩絣は妙な顔をした。 「社会は修羅場である。文明の社会は血を見ぬ修羅場である。四十年|前の志士は生死の間に出入して維新の大業を成就した。諸君の冒すべき危険は彼らの危険より恐ろしいかも知れぬ。血を見ぬ修羅場は砲声剣光の修羅場よりも、より深刻に、より悲惨である。諸君は覚悟をせねばならぬ。勤王の志士以上の覚悟をせねばならぬ。斃るる覚悟をせねばならぬ。太平の天地だと安心して、拱手して成功を冀う輩は、行くべき道に躓いて非業に死したる失敗の児よりも、人間の価値は遥かに乏しいのである。 「諸君は道を行かんがために、道を遮ぎるものを追わねばならん。彼らと戦うときに始めて、わが生涯の内生命に、勤王の諸士があえてしたる以上の煩悶と辛惨とを見出し得るのである。――今日は風が吹く。昨日も風が吹いた。この頃の天候は不穏である。しかし胸裏の不穏はこんなものではない」  道也先生は、がたつく硝子窓を通して、往来の方を見た。折から一陣の風が、会釈なく往来の砂を捲き上げて、屋の棟に突き当って、虚空を高く逃れて行った。 「諸君。諸君のどれほどに剛健なるかは、わたしには分らん。諸君自身にも知れぬ。ただ天下後世が証拠だてるのみである。理想の大道を行き尽して、途上に斃るる刹那に、わが過去を一瞥のうちに縮め得て始めて合点が行くのである。諸君は諸君の事業そのものに由って伝えられねばならぬ。単に諸君の名に由って伝えられんとするは軽薄である」  高柳君は何となくきまりがわるかった。道也の輝やく眼が自分の方に注いでいるように思れる。 「理想は人によって違う。吾々は学問をする。学問をするものの理想は何であろう」  聴衆は黙然として応ずるものがない。 「学問をするものの理想は何であろうとも――金でない事だけはたしかである」  五六ヵ所に笑声が起る。道也先生の裕福ならぬ事はその服装を見たものの心から取り除けられぬ事実である。道也先生は羽織のゆきを左右の手に引っ張りながら、まず徐ろにわが右の袖を見た。次に眼を転じてまた徐ろにわが左の袖を見た。黒木綿の織目のなかに砂がいっぱいたまっている。 「随分きたない」と落ちつき払って云った。  笑声が満場に起る。これはひやかしの笑声ではない。道也先生はひやかしの笑声を好意の笑声で揉み潰したのである。 「せんだって学問を専門にする人が来て、私も妻をもろうて子が出来た。これから金を溜めねばならぬ。是非共子供に立派な教育をさせるだけは今のうちに貯蓄して置かねばならん。しかしどうしたら貯蓄が出来るでしょうかと聞いた。 「どうしたら学問で金がとれるだろうと云う質問ほど馬鹿気た事はない。学問は学者になるものである。金になるものではない。学問をして金をとる工夫を考えるのは北極へ行って虎狩をするようなものである」  満場はまたちょっとどよめいた。 「一般の世人は労力と金の関係について大なる誤謬を有している。彼らは相応の学問をすれば相応の金がとれる見込のあるものだと思う。そんな条理は成立する訳がない。学問は金に遠ざかる器械である。金がほしければ金を目的にする実業家とか商買人になるがいい。学者と町人とはまるで別途の人間であって、学者が金を予期して学問をするのは、町人が学問を目的にして丁稚に住み込むようなものである」 「そうかなあ」と突飛な声を出す奴がいる。聴衆はどっと笑った。道也先生は平然として笑のしずまるのを待っている。 「だから学問のことは学者に聞かなければならん。金が欲しければ町人の所へ持って行くよりほかに致し方はない」 「金が欲しい」とまぜかえす奴が出る。誰だかわからない。道也先生は「欲しいでしょう」と云ったぎり進行する。 「学問すなわち物の理がわかると云う事と生活の自由すなわち金があると云う事とは独立して関係のないのみならず、かえって反対のものである。学者であればこそ金がないのである。金を取るから学者にはなれないのである。学者は金がない代りに物の理がわかるので、町人は理窟がわからないから、その代りに金を儲ける」  何か云うだろうと思って道也先生は二十秒ほど絶句して待っている。誰も何も云わない。 「それを心得んで金のある所には理窟もあると考えているのは愚の極である。しかも世間一般はそう誤認している。あの人は金持ちで世間が尊敬しているからして理窟もわかっているに違ない、カルチュアーもあるにきまっていると――こう考える。ところがその実はカルチュアーを受ける暇がなければこそ金をもうける時間が出来たのである。自然は公平なもので一人の男に金ももうけさせる、同時にカルチュアーも授けると云うほど贔屓にはせんのである。この見やすき道理も弁ぜずして、かの金持ち共は己惚れて……」 「ひや、ひや」「焼くな」「しっ、しっ」だいぶ賑やかになる。 「自分達は社会の上流に位して一般から尊敬されているからして、世の中に自分ほど理窟に通じたものはない。学者だろうが、何だろうがおれに頭をさげねばならんと思うのは憫然のしだいで、彼らがこんな考を起す事自身がカルチュアーのないと云う事実を証明している」  高柳君の眼は輝やいた。血が双頬に上ってくる。 「訳のわからぬ彼らが己惚はとうてい済度すべからざる事とするも、天下社会から、彼らの己惚をもっともだと是認するに至っては愛想の尽きた不見識と云わねばならぬ。よく云う事だが、あの男もあのくらいな社会上の地位にあって相応の財産も所有している事だから万更そんな訳のわからない事もなかろう。豈計らんやある場合には、そんな社会上の地位を得て相当の財産を有しておればこそ訳がわからないのである」  高柳君は胸の苦しみを忘れて、ひやひやと手を打った。隣の薩摩絣はえへんと嘲弄的な咳払をする。 「社会上の地位は何できまると云えば――いろいろある。第一カルチュアーできまる場合もある。第二|門閥できまる場合もある。第三には芸能できまる場合もある。最後に金できまる場合もある。しかしてこれはもっとも多い。かようにいろいろの標準があるのを混同して、金で相場がきまった男を学問で相場がきまった男と相互に通用し得るように考えている。ほとんど盲目同然である」  エヘン、エヘンと云う声が散らばって五六ヵ所に起る。高柳君は口を結んで、鼻から呼吸をはずませている。 「金で相場のきまった男は金以外に融通は利かぬはずである。金はある意味において貴重かも知れぬ。彼らはこの貴重なものを擁しているから世の尊敬を受ける。よろしい。そこまでは誰も異存はない。しかし金以外の領分において彼らは幅を利かし得る人間ではない、金以外の標準をもって社会上の地位を得る人の仲間入は出来ない。もしそれが出来ると云えば学者も金持ちの領分へ乗り込んで金銭本位の区域内で威張っても好い訳になる。彼らはそうはさせぬ。しかし自分だけは自分の領分内におとなしくしている事を忘れて他の領分までのさばり出ようとする。それが物のわからない、好い証拠である」  高柳君は腰を半分浮かして拍手をした。人間は真似が好である。高柳君に誘い出されて、ぱちぱちの声が四方に起る。冷笑党は勢の不可なるを知って黙した。 「金は労力の報酬である。だから労力を余計にすれば金は余計にとれる。ここまでは世間も公平である。しかし一歩進めて考えて見るが好い。高等な労力に高等な報酬が伴うであろうか――諸君どう思います――返事がなければ説明しなければならん。報酬なるものは眼前の利害にもっとも影響の多い事情だけできめられるのである。だから今の世でも教師の報酬は小商人の報酬よりも少ないのである。眼前以上の遠い所高い所に労力を費やすものは、いかに将来のためになろうとも、国家のためになろうとも、人類のためになろうとも報酬はいよいよ減ずるのである。だによって労力の高下では報酬の多寡はきまらない。金銭の分配は支配されておらん。したがって金のあるものが高尚な労力をしたとは限らない。換言すれば金があるから人間が高尚だとは云えない。金を目安にして人物の価値をきめる訳には行かない」  滔々として述べて来た道也はちょっとここで切って、満場の形勢を観望した。活版に押した演説は生命がない。道也は相手しだいで、どうとも変わるつもりである。満場は思ったより静かである。 「それを金があるからと云うてむやみにえらがるのは間違っている。学者と喧嘩する資格があると思ってるのも間違っている。気品のある人々に頭を下げさせるつもりでいるのも間違っている。――少しは考えても見るがいい。いくら金があっても病気の時は医者に降参しなければなるまい。金貨を煎じて飲む訳には行かない……」  あまり熱心な滑稽なので、思わず噴き出したものが三四人ある。道也先生は気がついた。 「そうでしょう――金貨を煎じたって下痢はとまらないでしょう。――だから御医者に頭を下げる。その代り御医者は――金に頭を下げる」  道也先生はにやにやと笑った。聴衆もおとなしく笑う。 「それで好いのです。金に頭を下げて結構です――しかし金持はいけない。医者に頭を下げる事を知ってながら、趣味とか、嗜好とか、気品とか人品とか云う事に関して、学問のある、高尚な理窟のわかった人に頭を下げることを知らん。のみならずかえって金の力で、それらの頭をさげさせようとする。――盲目蛇に怖じずとはよく云ったものですねえ」 と急に会話調になったのは曲折があった。 「学問のある人、訳のわかった人は金持が金の力で世間に利益を与うると同様の意味において、学問をもって、わけの分ったところをもって社会に幸福を与えるのである。だからして立場こそ違え、彼らはとうてい冒し得べからざる地位に確たる尻を据えているのである。 「学者がもし金銭問題にかかれば、自己の本領を棄てて他の縄張内に這入るのだから、金持ちに頭を下げるが順当であろう。同時に金以上の趣味とか文学とか人生とか社会とか云う問題に関しては金持ちの方が学者に恐れ入って来なければならん。今、学者と金持の間に葛藤が起るとする。単に金銭問題ならば学者は初手から無能力である。しかしそれが人生問題であり、道徳問題であり、社会問題である以上は彼ら金持は最初から口を開く権能のないものと覚悟をして絶対的に学者の前に服従しなければならん。岩崎は別荘を立て連らねる事において天下の学者を圧倒しているかも知れんが、社会、人生の問題に関しては小児と一般である。十万坪の別荘を市の東西南北に建てたから天下の学者を凹ましたと思うのは凌雲閣を作ったから仙人が恐れ入ったろうと考えるようなものだ……」  聴衆は道也の勢と最後の一句の奇警なのに気を奪われて黙っている。独り高柳君がたまらなかったと見えて大きな声を出して喝采した。 「商人が金を儲けるために金を使うのは専門上の事で誰も容喙が出来ぬ。しかし商買上に使わないで人事上にその力を利用するときは、訳のわかった人に聞かねばならぬ。そうしなければ社会の悪を自ら醸造して平気でいる事がある。今の金持の金のある一部分は常にこの目的に向って使用されている。それと云うのも彼ら自身が金の主であるだけで、他の徳、芸の主でないからである。学者を尊敬する事を知らんからである。いくら教えても人の云う事が理解出来んからである。災は必ず己れに帰る。彼らは是非共学者文学者の云う事に耳を傾けねばならぬ時期がくる。耳を傾けねば社会上の地位が保てぬ時期がくる」  聴衆は一度にどっと鬨を揚げた。高柳君は肺病にもかかわらずもっとも大なる鬨を揚げた。生れてから始めてこんな痛快な感じを得た。襟巻に半分顔を包んでから風のなかをここまで来た甲斐はあると思う。  道也先生は予言者のごとく凛として壇上に立っている。吹きまくる木枯は屋を撼かして去る。         十二 「ちっとは、好い方かね」と枕元へ坐る。  六畳の座敷は、畳がほけて、とんと打ったら夜でも埃りが見えそうだ。宮島産の丸盆に薬瓶と験温器がいっしょに乗っている。高柳君は演説を聞いて帰ってから、とうとう喀血してしまった。 「今日はだいぶいい」と床の上に起き返って後から掻巻を背の半分までかけている。  中野君は大島紬の袂から魯西亜皮の巻莨入を出しかけたが、 「うん、煙草を飲んじゃ、わるかったね」とまた袂のなかへ落す。 「なに構わない。どうせ煙草ぐらいで癒りゃしないんだから」と憮然としている。 「そうでないよ。初が肝心だ。今のうち養生しないといけない。昨日医者へ行って聞いて見たが、なに心配するほどの事もない。来たかい医者は」 「今朝来た。暖かにしていろと云った」 「うん。暖かにしているがいい。この室は少し寒いねえ」と中野君は侘し気に四方を見廻した。 「あの障子なんか、宿の下女にでも張らしたらよかろう。風が這入って寒いだろう」 「障子だけ張ったって……」 「転地でもしたらどうだい」 「医者もそう云うんだが」 「それじゃ、行くがいい。今朝そう云ったのかね」 「うん」 「それから君は何と答えた」 「何と答えるったって、別に答えようもないから……」 「行けばいいじゃないか」 「行けばいいだろうが、ただはいかれない」  高柳君は元気のない顔をして、自分の膝頭へ眼を落した。瓦斯双子の端から鼠色のフラネルが二寸ばかり食み出している。寸法も取らず別々に仕立てたものだろう。 「それは心配する事はない。僕がどうかする」  高柳君は潤のない眼を膝から移して、中野君の幸福な顔を見た。この顔しだいで返答はきまる。 「僕がどうかするよ。何だって、そんな眼をして見るんだ」  高柳君は自分の心が自分の両眼から、外を覗いていたのだなと急に気がついた。 「君に金を借りるのか」 「借りないでもいいさ……」 「貰うのか」 「どうでもいいさ。そんな事を気に掛ける必要はない」 「借りるのはいやだ」 「じゃ借りなくってもいいさ」 「しかし貰う訳には行かない」 「六ずかしい男だね。何だってそんなにやかましくいうのだい。学校にいる時分は、よく君の方から金を借せの、西洋料理を奢れのとせびったじゃないか」 「学校にいた時分は病気なんぞありゃしなかったよ」 「平生ですら、そうなら病気の時はなおさらだ。病気の時に友達が世話をするのは、誰から云ったっておかしくはないはずだ」 「そりゃ世話をする方から云えばそうだろう」 「じゃ君は何か僕に対して不平な事でもあるのかい」 「不平はないさありがたいと思ってるくらいだ」 「それじゃ心快く僕の云う事を聞いてくれてもよかろう。自分で不愉快の眼鏡を掛けて世の中を見て、見られる僕らまでを不愉快にする必要はないじゃないか」  高柳君はしばらく返事をしない。なるほど自分は世の中を不愉快にするために生きてるのかも知れない。どこへ出ても好かれた事がない。どうせ死ぬのだから、なまじい人の情を恩に着るのはかえって心苦しい。世の中を不愉快にするくらいな人間ならば、中野一人を愉快にしてやったって五十歩百歩だ。世の中を不愉快にするくらいな人間なら、また一日も早く死ぬ方がましである。 「君の親切を無にしては気の毒だが僕は転地なんか、したくないんだから勘弁してくれ」 「またそんなわからずやを云う。こう云う病気は初期が大切だよ。時期を失すると取り返しがつかないぜ」 「もう、とうに取り返しがつかないんだ」と山の上から飛び下りたような事を云う。 「それが病気だよ。病気のせいでそう悲観するんだ」 「悲観するって希望のないものは悲観するのは当り前だ。君は必要がないから悲観しないのだ」 「困った男だなあ」としばらく匙を投げて、すいと起って障子をあける。例の梧桐が坊主の枝を真直に空に向って曝している。 「淋しい庭だなあ。桐が裸で立っている」 「この間まで葉が着いてたんだが、早いものだ。裸の桐に月がさすのを見た事があるかい。凄い景色だ」 「そうだろう。――しかし寒いのに夜る起きるのはよくないぜ。僕は冬の月は嫌だ。月は夏がいい。夏のいい月夜に屋根舟に乗って、隅田川から綾瀬の方へ漕がして行って銀扇を水に流して遊んだら面白いだろう」 「気楽云ってらあ。銀扇を流すたどうするんだい」 「銀泥を置いた扇を何本も舟へ乗せて、月に向って投げるのさ。きらきらして奇麗だろう」 「君の発明かい」 「昔しの通人はそんな風流をして遊んだそうだ」 「贅沢な奴らだ」 「君の机の上に原稿があるね。やっぱり地理学教授法か」 「地理学教授法はやめたさ。病気になって、あんなつまらんものがやれるものか」 「じゃ何だい」 「久しく書きかけて、それなりにして置いたものだ」 「あの小説か。君の一代の傑作か。いよいよ完成するつもりなのかい」 「病気になると、なおやりたくなる。今まではひまになったらと思っていたが、もうそれまで待っちゃいられない。死ぬ前に是非書き上げないと気が済まない」 「死ぬ前は過激な言葉だ。書くのは賛成だが、あまり凝るとかえって身体がわるくなる」 「わるくなっても書けりゃいいが、書けないから残念でたまらない。昨夜は続きを三十枚かいた夢を見た」 「よっぽど書きたいのだと見えるね」 「書きたいさ。これでも書かなくっちゃ何のために生れて来たのかわからない。それが書けないときまった以上は穀潰し同然ださ。だから君の厄介にまでなって、転地するがものはないんだ」 「それで転地するのがいやなのか」 「まあ、そうさ」 「そうか、それじゃ分った。うん、そう云うつもりなのか」と中野君はしばらく考えていたが、やがて 「それじゃ、君は無意味に人の世話になるのが厭なんだろうから、そこのところを有意味にしようじゃないか」と云う。 「どうするんだ」 「君の目下の目的は、かねて腹案のある述作を完成しようと云うのだろう。だからそれを条件にして僕が転地の費用を担任しようじゃないか。逗子でも鎌倉でも、熱海でも君の好な所へ往って、呑気に養生する。ただ人の金を使って呑気に養生するだけでは心が済まない。だから療養かたがた気が向いた時に続きをかくさ。そうして身体がよくなって、作が出来上ったら帰ってくる。僕は費用を担任した代り君に一大傑作を世間へ出して貰う。どうだい。それなら僕の主意も立ち、君の望も叶う。一挙両得じゃないか」  高柳君は膝頭を見詰めて考えていた。 「僕が君の所へ、僕の作を持って行けば、僕の君に対する責任は済む訳なんだね」 「そうさ。同時に君が天下に対する責任の一分が済むようになるのさ」 「じゃ、金を貰おう。貰いっ放しに死んでしまうかも知れないが――いいや、まあ、死ぬまで書いて見よう――死ぬまで書いたら書けない事もなかろう」 「死ぬまでかいちゃ大変だ。暖かい相州辺へ行って気を楽にして、時々一頁二頁ずつ書く――僕の条件に期限はないんだぜ、君」 「うん、よしきっと書いて持って行く。君の金を使って茫然としていちゃ済まない」 「そんな済むの済まないのと考えてちゃいけない」 「うん、よし分った。ともかくも転地しよう。明日から行こう」 「だいぶ早いな。早い方がいいだろう。いくら早くっても構わない。用意はちゃんと出来てるんだから」と懐中から七子の三折れの紙入を出して、中から一束の紙幣をつかみ出す。 「ここに百円ある。あとはまた送る。これだけあったら当分はいいだろう」 「そんなにいるものか」 「なにこれだけ持って行くがいい。実はこれは妻の発議だよ。妻の好意だと思って持って行ってくれたまえ」 「それじゃ、百円だけ持って行くか」 「持って行くがいいとも。せっかく包んで来たんだから」 「じゃ、置いて行ってくれたまえ」 「そこでと、じゃ明日立つね。場所か? 場所はどこでもいいさ。君の気の向いた所がよかろう。向へ着いてからちょっと手紙を出してくれればいいよ。――護送するほどの大病人でもないから僕は停車場へも行かないよ。――ほかに用はなかったかな。――なに少し急ぐんだ。実は今日は妻を連れて親類へ行く約束があるんで、待ってるから、僕は失敬しなくっちゃならない」 「そうか、もう帰るか。それじゃ奥さんによろしく」  中野君は欣然として帰って行く。高柳君は立って、着物を着換えた。  百円の金は聞いた事がある。が見たのはこれが始めてである。使うのはもちろんの事始めてである。かねてから自分を代表するほどの作物を何か書いて見たいと思うていた。生活難の合間合間に一頁二頁と筆を執った事はあるが、興が催すと、すぐやめねばならぬほど、饑は寒は容赦なくわれを追うてくる。この容子では当分仕事らしい仕事は出来そうもない。ただ地理学教授法を訳して露命を繋いでいるようでは馬車馬が秣を食って終日馳けあるくと変りはなさそうだ。おれにはおれがある。このおれを出さないでぶらぶらと死んでしまうのはもったいない。のみならず親の手前世間の手前面目ない。人から土偶のようにうとまれるのも、このおれを出す機会がなくて、鈍根にさえ立派に出来る翻訳の下働きなどで日を暮らしているからである。どうしても無念だ。石に噛みついてもと思う矢先に道也の演説を聞いて床についた。医者は大胆にも結核の初期だと云う。いよいよ結核なら、とても助からない。命のあるうちにとまた旧稿に向って見たが、綯る縄は遅く、逃げる泥棒は早い。何一つ見やげも置かないで、消えて行くかと思うと、熱さえ余計に出る。これ一つ纏めれば死んでも言訳は立つ。立つ言訳を作るには手当もしなければならん。今の百円は他日の万金よりも貴い。  百円を懐にして室のなかを二度三度廻る。気分も爽かに胸も涼しい。たちまち思い切ったように帽を取って師走の市に飛び出した。黄昏の神楽坂を上ると、もう五時に近い。気の早い店では、はや瓦斯を点じている。  毘沙門の提灯は年内に張りかえぬつもりか、色が褪めて暗いなかで揺れている。門前の屋台で職人が手拭を半襷にとって、しきりに寿司を握っている。露店の三馬は光るほどに色が寒い。黒足袋を往来へ並べて、頬被りに懐手をしたのがある。あれでも足袋は売れるかしらん。今川焼は一銭に三つで婆さんの自製にかかる。六銭五厘の万年筆は安過ぎると思う。  世は様々だ、今ここを通っているおれは、翌の朝になると、もう五六十里先へ飛んで行く。とは寿司屋の職人も今川焼の婆さんも夢にも知るまい。それから、この百円を使い切ると金の代りに金より貴いあるものを懐にしてまた東京へ帰って来る。とも誰も思うものはあるまい。世は様々である。  道也先生に逢って、実はこれこれだと云ったら先生はそうかと微笑するだろう。あす立ちますと云ったらあるいは驚ろくだろう。一世一代の作を仕上げてかえるつもりだと云ったらさぞ喜ぶであろう。――空想は空想の子である。もっとも繁殖力に富むものを脳裏に植えつけた高柳君は、病の身にある事を忘れて、いつの間にか先生の門口に立った。  誰か来客のようであるが、せっかく来たのをとわざと遠慮を抜いて「頼む」と声をかけて見た。「どなた」と奥から云うのは先生自身である。 「私です。高柳……」 「はあ、御這入り」と云ったなり、出てくる景色もない。  高柳君は玄関から客間へ通る。推察の通り先客がいた。市楽の羽織に、くすんだ縞ものを着て、帯の紋博多だけがいちじるしく眼立つ。額の狭い頬骨の高い、鈍栗眼である。高柳君は先生に挨拶を済ました、あとで鈍栗に黙礼をした。 「どうしました。だいぶ遅く来ましたね。何か用でも……」 「いいえ、ちょっと――実は御暇乞に上がりました」 「御暇乞? 田舎の中学へでも赴任するんですか」  間の襖をあけて、細君が茶を持って出る。高柳君と御辞儀の交換をして居間へ退く。 「いえ、少し転地しようかと思いまして」 「それじゃ身体でも悪いんですね」 「大した事もなかろうと思いますが、だんだん勧める人もありますから」 「うん。わるけりゃ、行くがいいですとも。いつ? あした? そうですか。それじゃまあ緩くり話したまえ。――今ちょっと用談を済ましてしまうから」と道也先生は鈍栗の方へ向いた。 「それで、どうも御気の毒だが――今申す通りの事情だから、少し待ってくれませんか」 「それは待って上げたいのです。しかし私の方の都合もありまして」 「だから利子を上げればいいでしょう。利子だけ取って元金は春まで猶予してくれませんか」 「利子は今まででも滞りなくちょうだいしておりますから、利子さえ取れれば好い金なら、いつまででも御用立てて置きたいのですが……」 「そうはいかんでしょうか」 「せっかくの御頼だから、出来れば、そうしたいのですが……」 「いけませんか」 「どうもまことに御気の毒で……」 「どうしても、いかんですか」 「どうあっても百円だけ拵えていただかなくっちゃならんので」 「今夜中にですか」 「ええ、まあ、そうですな。昨日が期限でしたね」 「期限の切れたのは知ってるです。それを忘れるような僕じゃない。だからいろいろ奔走して見たんだが、どうも出来ないから、わざわざ君の所へ使をあげたのです」 「ええ、御手紙はたしかに拝見しました。何か御著述があるそうで、それを本屋の方へ御売渡しになるまで延期の御申込でした」 「さよう」 「ところがですて、この金の性質がですて――ただ利子を生ませる目的でないものですから――実は年末には是非入用だがと念を押して御兄さんに伺ったくらいなのです。ところが御兄さんが、いやそりゃ大丈夫、ほかのものなら知らないが、弟に限ってけっして、そんな不都合はない。受合う。とおっしゃるものですから、それで私も安心して御用立て申したので――今になって御違約でははなはだ迷惑します」  道也先生は黙然としている。鈍栗は煙草をすぱすぱ呑む。 「先生」と高柳君が突然横合から口を出した。 「ええ」と道也先生は、こっちを向く。別段赤面した様子も見えない。赤面するくらいなら用談中と云って面会を謝絶するはずである。 「御話し中はなはだ失礼ですが。ちょっと伺っても、ようございましょうか」 「ええ、いいです。何ですか」 「先生は今御著作をなさったと承わりましたが、失礼ですが、その原稿を見せていただく訳には行きますまいか」 「見るなら御覧、待ってるうち、読むのですか」  高柳君は黙っている。道也先生は立って、床の間に積みかさねた書籍の間から、厚さ三寸ほどの原稿を取り出して、青年に渡しながら 「見て御覧」という。表紙には人格論と楷書でかいてある。 「ありがとう」と両手に受けた青年は、しばしこの人格論の三字をしけじけと眺めていたが、やがて眼を挙げて鈍栗の方を見た。 「君、この原稿を百円に買って上げませんか」 「エヘヘヘヘ。私は本屋じゃありません」 「じゃ買わないですね」 「エヘヘヘ御冗談を」 「先生」 「何ですか」 「この原稿を百円で私に譲って下さい」 「その原稿?……」 「安過ぎるでしょう。何万円だって安過ぎるのは知っています。しかし私は先生の弟子だから百円に負けて譲って下さい」  道也先生は茫然として青年の顔を見守っている。 「是非譲って下さい。――金はあるんです。――ちゃんとここに持っています。――百円ちゃんとあります」  高柳君は懐から受取ったままの金包を取り出して、二人の間に置いた。 「君、そんな金を僕が君から……」と道也先生は押し返そうとする。 「いいえ、いいんです。好いから取って下さい。――いや間違ったんです。是非この原稿を譲って下さい。――先生私はあなたの、弟子です。――越後の高田で先生をいじめて追い出した弟子の一人です。――だから譲って下さい」  愕然たる道也先生を残して、高柳君は暗き夜の中に紛れ去った。彼は自己を代表すべき作物を転地先よりもたらし帰る代りに、より偉大なる人格論を懐にして、これをわが友中野君に致し、中野君とその細君の好意に酬いんとするのである。        上  余が博士に推薦されたという報知が新聞紙上で世間に伝えられたとき、余を知る人のうちの或者は特に書を寄せて余の栄選を祝した。余が博士を辞退した手紙が同じく新聞紙上で発表されたときもまた余は故旧新知もしくは未知の或ものからわざわざ賛成同情の意義に富んだ書状を幾通も受取った。伊予にいる一旧友は余が学位を授与されたという通信を読んで賀状を書こうと思っていた所に、辞退の報知を聞いて今度は辞退の方を目出たく思ったそうである。貰っても辞してもどっちにしても賀すべき事だというのがこの友の感想であるとかいって来た。そうかと思うと悪戯好の社友は、余が辞退したのを承知の上で、故さらに余を厭がらせるために、夏目文学博士殿と上書をした手紙を寄こした。この手紙の内容は御退院を祝すというだけなんだから一行で用が足りている。従って夏目文学博士殿と宛名を書く方が本文よりも少し手数が掛った訳である。  しかし凡てこれらの手紙は受取る前から予期していなかったと同時に、受取ってもそれほど意外とも感じなかったものばかりである。ただ旧師マードック先生から同じくこの事件について突然封書が届いた時だけは全く驚ろかされた。  マードック先生とは二十年前に分れたぎり顔を合せた事もなければ信書の往復をした事もない。全くの疎遠で今日まで打ち過ぎたのである。けれどもその当時は毎週五、六時間必ず先生の教場へ出て英語や歴史の授業を受けたばかりでなく、時々は私宅まで押し懸けて行って話を聞いた位親しかったのである。  先生はもと母国の大学で希臘語の教授をしておられた。それがある事情のため断然英国を後にして単身日本へ来る気になられたので、余らの教授を受ける頃は、まだ日本化しない純然たる蘇国語を使って講義やら説明やら談話やらを見境なく遣られた。それがため同級生は悉く辟易の体で、ただ烟に捲かれるのを生徒の分と心得ていた。先生もそれで平気のように見えた。大方どうせこんな下らない事を教えているんだから、生徒なんかに分っても分らなくても構わないという気だったのだろう。けれども先生の性質が如何にも淡泊で丁寧で、立派な英国風の紳士と極端なボヘミアニズムを合併したような特殊の人格を具えているのに敬服して教授上の苦情をいうものは一人もなかった。  先生の白襯衣を着た所は滅多に見る事が出来なかった。大抵は鼠色のフラネルに風呂敷の切れ端のような襟飾を結んで済ましておられた。しかもその風呂敷に似た襟飾が時々|胴着の胸から抜け出して風にひらひらするのを見受けた事があった。高等学校の教授が黒いガウンを着出したのはその頃からの事であるが、先生も当時は例の鼠色のフラネルの上へ繻子か何かのガウンを法衣のように羽織ていられた。ガウンの袖口には黄色い平打の紐が、ぐるりと縫い廻してあった。これは装飾のためとも見られるし、または袖口を括る用意とも受取れた。ただし先生には全く両様の意義を失った紐に過ぎなかった。先生が教場で興に乗じて自分の面白いと思う問題を講じ出すと、殆んどガウンも鼠の襯衣も忘れてしまう。果はわがいる所が教場であるという事さえ忘れるらしかった。こんな時には大股で教壇を下りて余らの前へ髯だらけの顔を持ってくる。もし余らの前に欠席者でもあって、一脚の机が空いていれば、必ずその上へ腰を掛ける。そうして例のガウンの袖口に着いている黄色い紐を引張って、一尺程の長さを拵らえて置いて、それでぴしゃりぴしゃりと机の上を敲いたものである。  当時余はほんの小供であったから、先生の学殖とか造詣とかを批判する力はまるでなかった。第一先生の使う言葉からが余自身の英語とは頗る縁の遠いものであった。それでも余は他の同級生よりも比較的熱心な英語の研究者であったから、分らないながらも出来得る限りの耳と頭を整理して先生の前へ出た。時には先生の家までも出掛けた。先生の家は先生のフラネルの襯衣と先生の帽子――先生はくしゃくしゃになった中折帽に自分勝手に変な鉢巻を巻き付けて被っていた事があった。――凡てこれら先生の服装に調和するほどに、先生の生活は単純なものであるらしかった。        中  その頃の余は西洋の礼式というものを殆んど心得なかったから、訪問時間などという観念を少しも挟さむ気兼なしに、時ならず先生を襲う不作法を敢てして憚からなかった。ある日朝早く行くと、先生は丁度|朝食を認めている最中であった。家が狭いためか、または余を別室に導く手数を省いたためか、先生は余を自分の食卓の前に坐らして、君はもう飯を食ったかと聞かれた。先生はその時卵のフライを食っていた。なるほど西洋人というものはこんなものを朝食うのかと思って、余はひたすら食事の進行を眺めていた。実は今考えるとその時まで卵のフライというものを味わった事がないような気がする。卵のフライという言葉もそれからずっと後に覚えたように思われる。  先生はやがて肉刀と肉匙を中途で置いた。そうして椅子を立ち上がって、書棚の中から黒い表紙の小形の本を出して、そのうちの或頁を朗々と読み始めた。しばらくすると、本を伏せてどうだと聞かれた。正直の所余には一言も解らなかったから、一体それは英語ですかと聞いた。すると先生は天来の滑稽を不用意に感得したように憚りなく笑い出した。そうしてこれは希臘の詩だと答えられた。英国の表現に、珍紛漢の事を、それは希臘語さというのがある。希臘語は彼地でもそれ位|六ずかしい物にしてあるのだろう。高等学校生徒の余などに解るはずは無論ない。それを何故先生が読んで聞かせたのかというと、詳しい理由は今思い出せないが、何でも希臘の文学を推称した揚句の事ではなかったかと思う。とにかく先生はそういう性質の人なのである。  先生の作った「日本におけるドン・ジュアンの孫」という長詩も慥か聞かされたように思う。けれどもそのうちの或行にアラス、アラック、という感投詞が二つ続いていたと記憶するだけで、あとはまるで忘れてしまった。  ベインの『論理学』を読めといって先生が貸してくれた事もあった。余はそれを通読するつもりで宅へ持って帰ったが、何分課業その他が忙がしいので段々延び延びになって、何時まで立っても目的を果し得なかった。ほど経て先生が、久しい前君に貸したベインの本は僕の先生の著作だから保存して置きたいから、もし読んでしまったなら返してくれといわれた。その本は大分|丹念に使用したものと見えて裏表とも表紙が千切れていた。それを借りたときにも返した時にも、先生は哲学の方の素養もあるのかと考えて、小供心に羨ましかった。  あるときどんな英語の本を読んだら宜かろうという余の問に応じて、先生は早速手近にある紙片に、十種ほどの書目を認めて余に与えられた。余は時を移さずその内の或物を読んだ。即座に手に入らなかったものは、機会を求めて得る度にこれを読んだ。どうしても眼に触れなかったものは、倫敦へ行ったとき買って読んだ。先生の書いてくれた紙片が、余の袂に落ちてから、約十年の後に余は始めて先生の挙げた凡てを読む事が出来たのである。先生はあの紙片にそれほどの重きを置いていなかったのだろう。凡てを読んでからまた十年も経った今日から見れば、それほど先生の紙片に重きを置いた余の方でも可笑しい気がする。  外国から帰った当時、先生の消息を人伝に聞いて、先生は今鹿児島の高等学校に相変らず英語を教えているという事が分った。鹿児島から人が出てくる度に余はマードックさんはどうしたと尋ねない事はなかった。けれども音信はその後二人の間に全く絶えていたのである。ただ余が先生について得た最後の報知は、先生がとうとう学校をやめてしまって、市外の高台に居を卜しつつ、果樹の栽培に余念がないらしいという事であった。先生は「日本における英国の隠者」というような高尚な生活を送っているらしく思われた。博士問題に関して突然余の手元に届いた一封の書翰は、実にこの隠者が二十余年来の無音を破る価ありと信じて、とくに余のために認めてくれたものと見える。        下  手紙には日常の談話と異ならない程度の平易な英語で、真率に余の学位辞退を喜こぶ旨が書いてあった。その内に、今回の事は君がモラル・バックボーンを有している証拠になるから目出たいという句が見えた。モラル・バックボーンという何でもない英語を翻訳すると、徳義的脊髄という新奇でかつ趣のある字面が出来る。余の行為がこの有用な新熟語に価するかどうかは、先生の見識に任せて置くつもりである。  先生はまたグラッドストーンやカーライルやスペンサーの名を引用して、君の御仲間も大分あるといわれた。これには恐縮した。余が博士を辞する時に、これら前人の先例は、毫も余が脳裏に閃めかなかったからである。――余が決断を促がす動機の一部分をも形づくらなかったからである。尤も先生がこれら知名の人の名を挙げたのは、辞任の必ずしも非礼でないという実証を余に紹介されたまでで、これら知名の人を余に比較するためでなかったのは無論である。  先生いう、――われらが流俗以上に傑出しようと力めるのは、人として当然である。けれどもわれらは社会に対する栄誉の貢献によってのみ傑出すべきである。傑出を要求するの最上権利は、凡ての時において、われらの人物|如何とわれらの仕事如何によってのみ決せらるべきである。  先生のこの主義を実行している事は、先生の日常生活を別にしても、その著作『日本歴史』において明かに窺う事が出来る。自白すれば余はまだこの標準的述作を読んでいないのである。それにもかかわらず、先生が十年の歳月と、十年の精力と、同じく十年の忍耐を傾け尽して、悉くこれをこの一書の中に注ぎ込んだ過去の苦心談は、先生の愛弟子山県五十雄君から精しく聞いて知っている。先生は稿を起すに当って、殆んどあらゆる国語で出版された日本に関する凡ての記事を読破したという事である。山県君は第一その語学の力に驚ろいていた。和蘭語でも何でも自由に読むといって呆れたような顔をして余に語った。述作の際非常に頭を使う結果として、しまいには天を仰いで昏倒多時にわたる事があるので、奥さんが大変心配したという話も聞いた。そればかりではない、先生は単にこの著作を完成するために、日本語と漢字の研究まで積まれたのである。山県君は先生の技倆を疑って、六ずかしい漢字を先生に書かして見たら、旨くはないが、劃だけは間違なく立派に書いたといって感心していた。これらの準備からなる先生の『日本歴史』は、悉く材料を第一の源から拾い集めて大成したもので、儲からない保証があると同時に、学者の良心に対して毫も疚ましからぬ徳義的な著作であるのはいうまでもない。 「余は人間に能う限りの公平と無私とを念じて、栄誉ある君の国の歴史を今になお述作しつつある。従って余の著書は一部|人士の不満を招くかも知れない。けれどもそれはやむを得ない。ジョン・モーレーのいった通り何人にもあれ誠実を妨ぐるものは、人類進歩の活力を妨ぐると一般であって、その真正なる日本の進歩は余の心を深くかつ真面目に動かす題目に外ならぬからである。」  余は先生の人となりと先生の目的とを信じて、ここに先生の手紙の一節をありのままに訳出した。先生は新刊第三巻の冒頭にある緒論をとくに思慮ある日本人に見てもらいたいといわれる。先生から同書の寄贈を受ける日それを一読して満足な批評を書き得るならば、そうして先生の著書を天下に紹介する事が出来得るならば余の幸である。先生の意は、学位を辞退した人間としての夏目なにがしに自分の著述を読んでもらって、同じく博士を辞退した人間としての夏目なにがしに、その著述を天下に紹介してもらいたいという所にあるのだろうと思うからである。 ――明治四四、三、六―八『東京朝日新聞』――  二月二十一日に学位を辞退してから、二カ月近くの今日に至るまで、当局者と余とは何らの交渉もなく打過ぎた。ところが四月十一日に至って、余は図らずも上田万年、芳賀矢一二博士から好意的の訪問を受けた。二博士が余の意見を当局に伝えたる結果として、同日午後に、余はまた福原専門学務局長の来訪を受けた。局長は余に文部省の意志を告げ、余はまた局長に余の所見を繰返して、相互の見解の相互に異なるを遺憾とする旨を述べ合って別れた。  翌十二日に至って、福原局長は文部省の意志を公けにするため、余に左の書翰を送った。実は二カ月前に、余が局長に差出した辞退の申し出に対する返事なのである。 「復啓二月二十一日付を以て学位授与の儀御辞退|相成たき趣御申出|相成候処已に発令済につき今更御辞退の途もこれなく候間御了知相成たく大臣の命により別紙|学位記御返付かたがたこの段|申進候敬具」  余もまた余の所見を公けにするため、翌十三日付を以て、下に掲ぐる書面を福原局長に致した。 「拝啓学位辞退の儀は既に発令後の申出にかかる故、小生の希望通り取計らいかぬる旨の御返事を領し、再応の御答を致します。 「小生は学位授与の御通知に接したる故に、辞退の儀を申し出でたのであります。それより以前に辞退する必要もなく、また辞退する能力もないものと御考えにならん事を希望致します。 「学位令の解釈上、学位は辞退し得べしとの判断を下すべき余地あるにもかかわらず、毫も小生の意志を眼中に置く事なく、一図に辞退し得ずと定められたる文部大臣に対し小生は不快の念を抱くものなる事を茲に言明致します。 「文部大臣が文部大臣の意見として、小生を学位あるものと御認めになるのはやむをえぬ事とするも、小生は学位令の解釈上、小生の意思に逆って、御受をする義務を有せざる事を茲に言明致します。 「最後に小生は目下|我邦における学問文芸の両界に通ずる趨勢に鑒みて、現今の博士制度の功少くして弊多き事を信ずる一人なる事を茲に言明致します。 「右大臣に御伝えを願います。学位記は再応御手|許まで御返付致します。敬具」  要するに文部大臣は授与を取り消さぬといい、余は辞退を取り消さぬというだけである。世間が余の辞退を認むるか、または文部大臣の授与を認むるかは、世間の常識と、世間が学位令に向って施す解釈に依って極まるのである。ただし余は文部省の如何と、世間の如何とにかかわらず、余自身を余の思い通に認むるの自由を有している。  余が進んで文部省に取消を求めざる限り、また文部省が余に意志の屈従を強いざる限りは、この問題はこれより以上に纏まるはずがない。従って落ち付かざる所に落ち着いて、歳月をこのままに流れて行くかも知れない。解決の出来ぬように解釈された一種の事件として統一家、徹底家の心を悩ます例となるかも分らない。  博士制度は学問奨励の具として、政府から見れば有効に違いない。けれども一国の学者を挙げて悉く博士たらんがために学問をするというような気風を養成したり、またはそう思われるほどにも極端な傾向を帯びて、学者が行動するのは、国家から見ても弊害の多いのは知れている。余は博士制度を破壊しなければならんとまでは考えない。しかし博士でなければ学者でないように、世間を思わせるほど博士に価値を賦与したならば、学問は少数の博士の専有物となって、僅かな学者的貴族が、学権を掌握し尽すに至ると共に、選に洩れたる他は全く一般から閑却されるの結果として、厭うべき弊害の続出せん事を余は切に憂うるものである。余はこの意味において仏蘭西にアカデミーのある事すらも快よく思っておらぬ。  従って余の博士を辞退したのは徹頭徹尾主義の問題である。この事件の成行を公けにすると共に、余はこの一句だけを最後に付け加えて置く。 ――明治四四、四、一五『東京朝日新聞』――  長谷川君と余は互に名前を知るだけで、その他には何の接触もなかった。余が入社の当時すらも、長谷川君がすでにわが朝日の社員であるという事を知らなかったように記憶している。それを知り出したのは、どう云う機会であったか今は忘却してしまった。とにかく入社してもしばらくの間は顔を合わせずにいた。しかも長谷川君の家は西片町で、余も当時は同じ阿部の屋敷内に住んでいたのだから、住居から云えばつい鼻の先である。だから本当を云うと、こっちから名刺でも持って訪問するのが世間並の礼であったんだけれども、そこをつい怠けて、どこが長谷川君の家だか聞き合わせもせずに横着をきめてしまった。すると間もなく大阪から鳥居君が来たので、主筆の池辺君が我々十余人を有楽町の倶楽部へ呼んで御馳走をしてくれた。余は新人の社員として、その時始めてわが社の重なる人と食卓を共にした。そのうちに長谷川君もいたのである。これが長谷川君でと紹介された時には、かねて想像していたところと、あまりに隔たっていたので、心のうちでは驚きながら挨拶をした。始め長谷川君の這入って来た姿を見たときは――また長谷川君が他の昵懇な社友とやあという言葉を交換する調子を聞いた時は――全く長谷川君だとは気がつかなかった。ただ重な社員の一人なんだろうと思った。余は若い時からいろいろ愚な事を想像する癖があるが、未知の人の容貌態度などはあまり脳中に描かない。ことに中年からは、この方面にかけると全く散文的になってしまっている。だから長谷川君についても別段に鮮明な予想は持っていなかったのであるけれども、冥々のうちに、漠然とわが脳中に、長谷川君として迎えるあるものが存在していたと見えて、長谷川君という名を聞くや否やおやと思った。もっともその驚き方を解剖して見るとみんな消極的である。第一あんなに背の高い人とは思わなかった。あんなに頑丈な骨骼を持った人とは思わなかった。あんなに無粋な肩幅のある人とは思わなかった。あんなに角張った顎の所有者とは思わなかった。君の風※はどこからどこまで四角である。頭まで四角に感じられたから今考えるとおかしい。その当時「その面影」は読んでいなかったけれども、あんな艶っぽい小説を書く人として自然が製作した人間とは、とても受取れなかった。魁偉というと少し大袈裟で悪いが、いずれかというと、それに近い方で、とうてい細い筆などを握って、机の前で呻吟していそうもないから実は驚いたのである。しかしその上にも余を驚かしたのは君の音調である。白状すれば、もう少しは浮いてるだろうと思った。ところが非常な呂音で大変落ちついて、ゆったりした、少しも逼るところのない話し方をする。しかも余に紹介された時、君はただ一二語しか云わなかった。その言葉は今全く忘れているが、普通にありふれた空虚な辞令でなかったのはたしかである。むしろ双方で無愛想に頭を下げたのだったろうが、自分の事は分らないから、相手の容子だけに驚くのである。文学者だから御世辞を使うとすると、ほかの諸君にすまないけれども、実を云えば長谷川君と余の挨拶が、ああ単簡至極に片づこうとは思わなかった。これらは皆予想外である。  この席上で余は長谷川君と話す機会を得なかった。ただ黙って君の話しを聞いていた。その時余の受けた感じは、品位のある紳士らしい男――文学者でもない、新聞社員でもない、また政客でも軍人でもない、あらゆる職業以外に厳然として存在する一種品位のある紳士から受くる社交的の快味であった。そうして、この品位は単に門地階級から生ずる貴族的のものではない、半分は性情、半分は修養から来ているという事を悟った。しかもその修養のうちには、自制とか克己とかいういわゆる漢学者から受け襲いで、強いて己を矯めた痕迹がないと云う事を発見した。そうしてその幾分は学問の結果|自らここに至ったものと鑑定した。また幾分は学問と反対の方面、すなわち俗に云う苦労をして、野暮を洗い落として、そうして再び野暮に安住しているところから起ったものと判断した。  そのうち、君は池辺君と露西亜の政党談をやり出した。大変興味があると見えて、いつまで立ってもやめない。※々数千言と云うとむやみに能弁にしゃべるように聞こえてわるいが、時間から云えば、こんな形容詞でも使わなくってはならなくなるくらい論じていた。その知識の詳密精細なる事はまた格別なもので、向って左のどの辺に誰がいて、その反対の側に誰の席があるなどと、まるで露西亜へ昨日行って見て来たように、例のむずかしい何々スキーなどと云う名前がいくつも出た。しかし不思議にもこの談話は、物知りぶった、また通がった陋悪な分子を一点も含んでいなかった。余は固より政党政治に無頓着な質であって、今の衆議院の議長は誰だったかねと聞いて友達から笑われたくらいの男だから、露西亜に議会があるかないかさえ知らない。したがってこの談話には何らの興味もなかった。それで、あんまり長いから、談話の途中で失敬して家へ帰ってしまった。これが余の長谷川君と初対面の時の感想である。  それから、幾日か立って、用が出来て社へ行った。汚い階子段を上がって、編輯局の戸を開けて這入ると、北側の窓際に寄せて据えた洋机を囲んで、四五人話しをしているものがある。ほかの人の顔は、戸を開けるや否やすぐ分ったが、たった一人余に背中を向けて椅子に腰をおろして、鼠色の背広を着て、長い胴を椅子の背から食み出さしていたものは誰だか見当がつかなかった。横へ回って見ると、それが長谷川君であった。その時余は長谷川君に向って、「ちょっと御訪ねをしようと思うんだが」と言い出して、まだ句を切らないうちに、君は「いや低気圧のある間は来客謝絶だ」と云った。低気圧とは何の事だか、君の平生を知らない余には不得要領であったけれど、来客謝絶の四字の方が重く響いたので、聞き返しもしなかった。ただ好い加減に頭の悪い事を低気圧と洒落ているんだろうぐらいに解釈していたが、後から聞けば実際の低気圧の事で、いやしくも低気圧の去らないうちは、君の頭は始終|懊悩を離れないんだという事が分った。当時余も君の向うを張って来客謝絶の看板を懸けていた。もっともこれは創作の低気圧のためであったけれども、来客謝絶は表向き双方同じ事なんだから、この看板を引き下ろさせるだけの縁故も親しみもない両人は、それきり面談をする機会がなかった。  ところがある日の午後湯に行った。着物を脱いで、流しへ這入ろうとして、ふと向うむきになって洗っている人の横顔を見ると、長谷川君である。余は長谷川さんと声をかけた。それまではまるで気がつかなかった君は、顔を上げて、やあと云った。湯の中ではそれぎりしか口を利かなかった。何でも暑い時分の事と覚えている。余が身体を拭いて、茣蓙の敷いてある縁先で、団扇を使って涼んでいると、やがて長谷川君が上がって来た。まず眼鏡をかけて、余を見つけ出して、向うから話しを始めた。双方とも真赤裸のように記憶している。しかし長谷川君の話し方は初対面の折露西亜の政党を論じた時と毫も異なるところなく、呂音で落ちついて、ゆっくりしているものだから、全く赤裸と釣り合わない。君は少しも顧慮する気色も見えず醇々として頭の悪い事を説かれた。何でも去年とか一度卒倒して、しばらく田端辺で休養していたので、今じゃ少しは好いようだとかいう話しであった。「それじゃ、まだ来客謝絶だろう」と冗談半分に聞いて見たら、「まあ……」とか何とか云う返事であった。「それじゃ、行くのはまあ見合せよう」と云って分かれた。  その秋余は西片町を引き上げて早稲田へ移った。長谷川君と余とはこの引越のためますます縁が遠くなってしまった。その代り君の著作にかかる「其面影」を買って来て読んだ。そうして大いに感服した。そこで、手紙を認めて、いささかながら早稲田から西片町へ向けて賛辞を郵送した。実は脳病が気の毒でならなかったから、こんな余計な事をしたのである。その当時君は文学者をもって自ら任じていないなどとは夢にも知らなかったので、同業者同社員たる余の言葉が、少しは君に慰藉を与えはしまいかという己惚があったんだが、文士たる事を恥ずという君の立場を考えて見ると、これは実際|入らざる差し出た所為であったかも知れない。返事には端書が一枚来た。その文句は、有難う、いずれ拝顔の上とか何とかあるだけで、すこぶる簡単かつあっさりしていた。ちっとも「其面影」流でないのには驚いた。長谷川君の書に一種の風韻のある事もその時始めて知った。しかしその書体もけっして「其面影」流ではなかった。  それから、ずっと打絶えた。次に逢ったのは君が露西亜へ行く事がほぼ内定した時のことである。大阪の鳥居君が出て来て、長谷川君と余を呼んで午餐を共にした。所は神田川である。旅館に落ち合って、あすこにしよう、ここにしようと評議をしている時に、君はしきりに食い物の話を持ち出した。中華亭とはどう書いたかねと余に聞いた事を覚えている。神田川では、満洲へ旅行した話やら、露西亜人に捕まって牢へぶち込まれた話をしていた。それから、現今の露西亜|文壇の趨勢の断えず変っている有様やら、知名の文学者の名やら、日本の小説の売れない事やら、露西亜へ行ったら、日本人の短篇を露語に訳して見たいという希望やら、いろいろ述べた。何しろ三人寝そべって、二三時間暮らしていたのだから、ずいぶんゆっくり話しもできた。最後にダンチェンコのために宴会をやるつもりだから出席してくれろという事と、それから物集の御嬢さんを、自分がいなくなったら托したいという二件を依頼した。それで分かれた。  最後に逢ったのは、出立の数日|前暇乞に来られた時である。長谷川君が余の家へ足を入れたのはこれが最初であってまた最終である。座敷へ通って、室内を見渡して、何だか伽藍のようだねと云った。暇乞のためだから別段の話しも出なかったが、ただ門弟としての物集の御嬢さんと今一人|北国の人の事を繰り返して頼んで行った。  一日越えて、余が答礼に行った時は、不在で逢えなかった。見送りにはつい行かなかった。長谷川君とは、それきり逢えない事になってしまった。露都在留中ただ一枚の端書をくれた事がある。それには、弱い話だがこっちの寒さには敵わないとあった。余はその端書を見て気の毒のうちにも一種のおかしみを覚えた。まさか死ぬほど寒いとは思わなかったからである。しかし死ぬほど寒かったものと見える。長谷川君はとうとう死んでしまった。長谷川君は余を了解せず、余は長谷川君を了解しないで死んでしまった。生きていても、あれぎりの交際であったかも知れないが、あるいは、もっと親密になる機会が来たかも分らない。余は以上の長谷川君を、長谷川君として記憶するよりほかに仕方のない遠い朋友である。君の托されて行った物集の御嬢さんは時々見える。北国の人に至っては音信さえない。 彼岸過迄に就て  事実を読者の前に告白すると、去年の八月頃すでに自分の小説を紙上に連載すべきはずだったのである。ところが余り暑い盛りに大患後の身体をぶっ通しに使うのはどんなものだろうという親切な心配をしてくれる人が出て来たので、それを好い機会に、なお二箇月の暇を貪ることにとりきめて貰ったのが原で、とうとうその二箇月が過去った十月にも筆を執らず、十一十二もつい紙上へは杳たる有様で暮してしまった。自分の当然やるべき仕事が、こういう風に、崩れた波の崩れながら伝わって行くような具合で、ただだらしなく延びるのはけっして心持の好いものではない。  歳の改まる元旦から、いよいよ事始める緒口を開くように事がきまった時は、長い間|抑えられたものが伸びる時の楽よりは、背中に背負された義務を片づける時機が来たという意味でまず何よりも嬉しかった。けれども長い間|抛り出しておいたこの義務を、どうしたら例よりも手際よくやってのけられるだろうかと考えると、また新らしい苦痛を感ぜずにはいられない。  久しぶりだからなるべく面白いものを書かなければすまないという気がいくらかある。それに自分の健康状態やらその他の事情に対して寛容の精神に充ちた取り扱い方をしてくれた社友の好意だの、また自分の書くものを毎日日課のようにして読んでくれる読者の好意だのに、酬いなくてはすまないという心持がだいぶつけ加わって来る。で、どうかして旨いものができるようにと念じている。けれどもただ念力だけでは作物のできばえを左右する訳にはどうしたって行きっこない、いくら佳いものをと思っても、思うようになるかならないか自分にさえ予言のできかねるのが述作の常であるから、今度こそは長い間休んだ埋合せをするつもりであると公言する勇気が出ない。そこに一種の苦痛が潜んでいるのである。  この作を公にするにあたって、自分はただ以上の事だけを言っておきたい気がする。作の性質だの、作物に対する自己の見識だの主張だのは今述べる必要を認めていない。実をいうと自分は自然派の作家でもなければ象徴派の作家でもない。近頃しばしば耳にするネオ浪漫派の作家ではなおさらない。自分はこれらの主義を高く標榜して路傍の人の注意を惹くほどに、自分の作物が固定した色に染つけられているという自信を持ち得ぬものである。またそんな自信を不必要とするものである。ただ自分は自分であるという信念を持っている。そうして自分が自分である以上は、自然派でなかろうが、象徴派でなかろうが、ないしネオのつく浪漫派でなかろうが全く構わないつもりである。  自分はまた自分の作物を新しい新しいと吹聴する事も好まない。今の世にむやみに新しがっているものは三越呉服店とヤンキーとそれから文壇における一部の作家と評家だろうと自分はとうから考えている。  自分はすべて文壇に濫用される空疎な流行語を藉りて自分の作物の商標としたくない。ただ自分らしいものが書きたいだけである。手腕が足りなくて自分以下のものができたり、衒気があって自分以上を装うようなものができたりして、読者にすまない結果を齎すのを恐れるだけである。  東京大阪を通じて計算すると、吾朝日新聞の購読者は実に何十万という多数に上っている。その内で自分の作物を読んでくれる人は何人あるか知らないが、その何人かの大部分はおそらく文壇の裏通りも露路も覗いた経験はあるまい。全くただの人間として大自然の空気を真率に呼吸しつつ穏当に生息しているだけだろうと思う。自分はこれらの教育あるかつ尋常なる士人の前にわが作物を公にし得る自分を幸福と信じている。 「彼岸過迄」というのは元日から始めて、彼岸過まで書く予定だから単にそう名づけたまでに過ぎない実は空しい標題である。かねてから自分は個々の短篇を重ねた末に、その個々の短篇が相合して一長篇を構成するように仕組んだら、新聞小説として存外面白く読まれはしないだろうかという意見を持していた。が、ついそれを試みる機会もなくて今日まで過ぎたのであるから、もし自分の手際が許すならばこの「彼岸過迄」をかねての思わく通りに作り上げたいと考えている。けれども小説は建築家の図面と違って、いくら下手でも活動と発展を含まない訳に行かないので、たとい自分が作るとは云いながら、自分の計画通りに進行しかねる場合がよく起って来るのは、普通の実世間において吾々の企てが意外の障害を受けて予期のごとくに纏まらないのと一般である。したがってこれはずっと書進んで見ないとちょっと分らない全く未来に属する問題かも知れない。けれどもよし旨く行かなくっても、離れるともつくとも片のつかない短篇が続くだけの事だろうとは予想できる。自分はそれでも差支えなかろうと思っている。 風呂の後 一  敬太郎はそれほど験の見えないこの間からの運動と奔走に少し厭気が注して来た。元々|頑丈にできた身体だから単に馳け歩くという労力だけなら大して苦にもなるまいとは自分でも承知しているが、思う事が引っ懸ったなり居据って動かなかったり、または引っ懸ろうとして手を出す途端にすぽりと外れたりする反間が度重なるに連れて、身体よりも頭の方がだんだん云う事を聞かなくなって来た。で、今夜は少し癪も手伝って、飲みたくもない麦酒をわざとポンポン抜いて、できるだけ快豁な気分を自分と誘って見た。けれどもいつまで経っても、ことさらに借着をして陽気がろうとする自覚が退かないので、しまいに下女を呼んで、そこいらを片づけさした。下女は敬太郎の顔を見て、「まあ田川さん」と云ったが、その後からまた「本当にまあ」とつけ足した。敬太郎は自分の顔を撫でながら、「赤いだろう。こんな好い色をいつまでも電灯に照らしておくのはもったいないから、もう寝るんだ。ついでに床を取ってくれ」と云って、下女がまだ何かやり返そうとするのをわざと外して廊下へ出た。そうして便所から帰って夜具の中に潜り込む時、まあ当分休養する事にするんだと口の内で呟いた。  敬太郎は夜中に二|返眼を覚ました。一度は咽喉が渇いたため、一度は夢を見たためであった。三度目に眼が開いた時は、もう明るくなっていた。世の中が動き出しているなと気がつくや否や敬太郎は、休養休養と云ってまた眼を眠ってしまった。その次には気の利かないボンボン時計の大きな音が無遠慮に耳に響いた。それから後はいくら苦心しても寝つかれなかった。やむを得ず横になったまま巻煙草を一本吸っていると、半分ほどに燃えて来た敷島の先が崩れて、白い枕が灰だらけになった。それでも彼はじっとしているつもりであったが、しまいに東窓から射し込む強い日脚に打たれた気味で、少し頭痛がし出したので、ようやく我を折って起き上ったなり、楊枝を銜えたまま、手拭をぶら下げて湯に行った。  湯屋の時計はもう十時少し廻っていたが、流しの方はからりと片づいて、小桶一つ出ていない。ただ浴槽の中に一人横向になって、硝子越に射し込んでくる日光を眺めながら、呑気そうにじゃぶじゃぶやってるものがある。それが敬太郎と同じ下宿にいる森本という男だったので、敬太郎はやあ御早うと声を掛けた。すると、向うでも、やあ御早うと挨拶をしたが、 「何です今頃|楊枝なぞを銜え込んで、冗談じゃない。そう云やあ昨夕あなたの部屋に電気が点いていないようでしたね」と云った。 「電気は宵の口から煌々と点いていたさ。僕はあなたと違って品行方正だから、夜遊びなんか滅多にした事はありませんよ」 「全くだ。あなたは堅いからね。羨ましいくらい堅いんだから」  敬太郎は少し羞痒たいような気がした。相手を見ると依然として横隔膜から下を湯に浸けたまま、まだ飽きずにじゃぶじゃぶやっている。そうして比較的|真面目な顔をしている。敬太郎はこの気楽そうな男の口髭がだらしなく濡れて一本一本|下向に垂れたところを眺めながら、 「僕の事はどうでも好いが、あなたはどうしたんです。役所は」と聞いた。すると森本は倦怠そうに浴槽の側に両肱を置いてその上に額を載せながら俯伏になったまま、 「役所は御休みです」と頭痛でもする人のように答えた。 「何で」 「何ででもないが、僕の方で御休みです」  敬太郎は思わず自分の同類を一人発見したような気がした。それでつい、「やっぱり休養ですか」と云うと、相手も「ええ休養です」と答えたなり元のとおり湯槽の側に突伏していた。 二  敬太郎が留桶の前へ腰をおろして、三助に垢擦を掛けさせている時分になって、森本はやっと煙の出るような赤い身体を全く湯の中から露出した。そうして、ああ好い心持だという顔つきで、流しの上へぺたりと胡坐をかいたと思うと、 「あなたは好い体格だね」と云って敬太郎の肉付を賞め出した。 「これで近頃はだいぶ悪くなった方です」 「どうしてどうしてそれで悪かった日にゃ僕なんざあ」  森本は自分で自分の腹をポンポン叩いて見せた。その腹は凹んで背中の方へ引つけられてるようであった。 「何しろ商売が商売だから身体は毀す一方ですよ。もっとも不養生もだいぶやりましたがね」と云った後で、急に思い出したようにアハハハと笑った。敬太郎はそれに調子を合せる気味で、 「今日は僕も閑だから、久しぶりでまたあなたの昔話でも伺いましょうか」と云った。すると森本は、 「ええ話しましょう」とすぐ乗気な返事をしたが、活溌なのはただ返事だけで、挙動の方は緩慢というよりも、すべての筋肉が湯に※でられた結果、当分|作用を中止している姿であった。  敬太郎が石鹸を塗けた頭をごしごしいわしたり、堅い足の裏や指の股を擦ったりする間、森本は依然として胡座をかいたまま、どこ一つ洗う気色は見えなかった。最後に瘠せた一塊の肉団をどぶりと湯の中に抛り込むように浸けて、敬太郎とほぼ同時に身体を拭きながら上って来た。そうして、 「たまに朝湯へ来ると綺麗で好い心持ですね」と云った。 「ええ。あなたのは洗うんでなくって、本当に湯に這入るんだからことにそうだろう。実用のための入湯でなくって、快感を貪ぼるための入浴なんだから」 「そうむずかしい這入り方でもないんでしょうが、どうもこんな時に身体なんか洗うな億劫でね。ついぼんやり浸ってぼんやり出ちまいますよ。そこへ行くと、あなたは三層倍も勤勉だ。頭から足からどこからどこまで実によく手落なく洗いますね。御負に楊枝まで使って。あの綿密な事には僕もほとんど感心しちまった」  二人は連立って湯屋の門口を出た。森本がちょっと通りまで行って巻紙を買うからというので、敬太郎もつき合う気になって、横丁を東へ切れると、道が急に悪くなった。昨夕の雨が土を潤かし抜いたところへ、今朝からの馬や車や人通りで、踏み返したり蹴上げたりした泥の痕を、二人は厭うような軽蔑するような様子で歩いた。日は高く上っているが、地面から吸い上げられる水蒸気はいまだに微かな波動を地平線の上に描いているらしい感じがした。 「今朝の景色は寝坊のあなたに見せたいようだった。何しろ日がかんかん当ってる癖に靄がいっぱいなんでしょう。電車をこっちから透かして見ると、乗客がまるで障子に映る影画のように、はっきり一人一人見分けられるんです。それでいて御天道様が向う側にあるんだからその一人一人がどれもこれもみんな灰色の化物に見えるんで、すこぶる奇観でしたよ」  森本はこんな話をしながら、紙屋へ這入って巻紙と状袋で膨らました懐をちょっと抑えながら出て来た。表に待っていた敬太郎はすぐ今来た道の方へ足を向け直した。二人はそのままいっしょに下宿へ帰った。上靴の踵を鳴らして階段を二つ上り切った時、敬太郎は自分の部屋の障子を手早く開けて、 「さあどうぞ」と森本を誘った。森本は、 「もう直午飯でしょう」と云ったが、躊躇すると思いの外、あたかも自分の部屋へでも這入るような無雑作な態度で、敬太郎の後に跟いて来た。そうして、 「あなたの室から見た景色はいつ見ても好いね」と自分で窓の障子を開けながら、手摺付の縁板の上へ濡手拭を置いた。 三  敬太郎はこの瘠せながら大した病気にも罹らないで、毎日新橋の停車場へ行く男について、平生から一種の好奇心を有っていた。彼はもう三十以上である。それでいまだに一人で下宿|住居をして停車場へ通勤している。しかし停車場で何の係りをして、どんな事務を取扱っているのか、ついぞ当人に聞いた事もなければ、また向うから話した試もないので、敬太郎には一切がXである。たまたま人を送って停車場へ行く場合もあるが、そんな時にはつい混雑に取り紛れて、停車場と森本とをいっしょに考えるほどの余裕も出ず、そうかと云って、森本の方から自己の存在を思い起させるように、敬太郎の眼につくべき所へ顔を出す機会も起らなかった。ただ長い間同じ下宿に立籠っているという縁故だか同情だかが本で、いつの間にか挨拶をしたり世間話をする仲になったまでである。  だから敬太郎の森本に対する好奇心というのは、現在の彼にあると云うよりも、むしろ過去の彼にあると云った方が適当かも知れない。敬太郎はいつか森本の口から、彼が歴乎とした一家の主人公であった時分の話を聞いた。彼の女房の話も聞いた。二人の間にできた子供の死んだ話も聞いた。「餓鬼が死んでくれたんで、まあ助かったようなもんでさあ。山神の祟には実際恐れを作していたんですからね」と云った彼の言葉を、敬太郎はいまだに覚えている。その時しかも山神が分らなくって、何だと聞き返したら、山の神の漢語じゃありませんかと教えられたおかしさまでまだ記憶に残っている。それらを思い出しても、敬太郎から見ると、すべて森本の過去には一種ロマンスの臭が、箒星の尻尾のようにぼうっとおっかぶさって怪しい光を放っている。  女についてできたとか切れたとかいう逸話以外に、彼はまたさまざまな冒険譚の主人公であった。まだ海豹島へ行って膃肭臍は打っていないようであるが、北海道のどこかで鮭を漁って儲けた事はたしかであるらしい。それから四国辺のある山から安質莫尼が出ると触れて歩いて、けっして出なかった事も、当人がそう自白するくらいだから事実に違ない。しかし最も奇抜なのは呑口会社の計画で、これは酒樽の呑口を作る職人が東京にごく少ないというところから思いついたのだそうだが、せっかく大阪から呼び寄せた職人と衝突したために成立しなかったと云って彼はいまだに残念がっている。  儲口を離れた普通の浮世話になると、彼はまた非常に豊富な材料の所有者であるという事を容易に証拠立てる。筑摩川の上流の何とかいう所から河を隔てて向うの山を見ると、巌の上に熊がごろごろ昼寝をしているなどはまだ尋常の方なので、それが一層色づいて来ると、信州|戸隠山の奥の院というのは普通の人の登れっこない難所だのに、それを盲目が天辺まで登ったから驚ろいたなどという。そこへ御参をするには、どんなに脚の達者なものでも途中で一晩明かさなければならないので、森本も仕方なしに五合目あたりで焚火をして夜の寒さを凌いでいると、下から鈴の響が聞えて来たから、不思議に思っているうちに、その鈴の音がだんだん近くなって、しまいに座頭が上って来たんだと云う。しかもその座頭が森本に今晩はと挨拶をしてまたすたすた上って行ったと云うんだから、余り妙だと思ってなおよく聞いて見ると、実は案内者が一人ついていたのだそうである。その案内者の腰に鈴を着けて、後から来る盲者がその鈴の音を頼りに上る事ができるようにしてあったのだと説明されて、やや納得もできたが、それにしても敬太郎には随分意外な話である。が、それがもう少し高じると、ほとんど妖怪談に近い妙なものとなって、だらしのない彼の口髭の下から最も慇懃に発表される。彼が耶馬渓を通ったついでに、羅漢寺へ上って、日暮に一本道を急いで、杉並木の間を下りて来ると、突然一人の女と擦れ違った。その女は臙脂を塗って白粉をつけて、婚礼に行く時の髪を結って、裾模様の振袖に厚い帯を締めて、草履穿のままたった一人すたすた羅漢寺の方へ上って行った。寺に用のあるはずはなし、また寺の門はもう締まっているのに、女は盛装したまま暗い所をたった一人で上って行ったんだそうである。――敬太郎はこんな話を聞くたびにへえーと云って、信じられ得ない意味の微笑を洩らすにかかわらず、やっぱり相当の興味と緊張とをもって森本の弁口を迎えるのが例であった。 四  この日も例によって例のような話が出るだろうという下心から、わざと廻り路までしていっしょに風呂から帰ったのである。年こそそれほど取っていないが、森本のように、大抵な世間の関門を潜って来たとしか思われない男の経歴談は、この夏学校を出たばかりの敬太郎に取っては、多大の興味があるのみではない、聞きようしだいで随分利益も受けられた。  その上敬太郎は遺伝的に平凡を忌む浪漫趣味の青年であった。かつて東京の朝日新聞に児玉音松とかいう人の冒険談が連載された時、彼はまるで丁年未満の中学生のような熱心をもって毎日それを迎え読んでいた。その中でも音松君が洞穴の中から躍り出す大蛸と戦った記事を大変面白がって、同じ科の学生に、君、蛸の大頭を目がけて短銃をポンポン打つんだが、つるつる滑って少しも手応がないというじゃないか。そのうち大将の後からぞろぞろ出て来た小蛸がぐるりと環を作って彼を取り巻いたから何をするのかと思うと、どっちが勝つか熱心に見物しているんだそうだからねと大いに乗気で話した事がある。するとその友達が調戯半分に、君のような剽軽ものはとうてい文官試験などを受けて地道に世の中を渡って行く気になるまい、卒業したら、いっその事思い切って南洋へでも出かけて、好きな蛸狩でもしたらどうだと云ったので、それ以来「田川の蛸狩」という言葉が友達間にだいぶ流行り出した。この間卒業して以来足を擂木のようにして世の中への出口を探して歩いている敬太郎に会うたびに、彼らはどうだね蛸狩は成功したかいと聞くのが常になっていたくらいである。  南洋の蛸狩はいかな敬太郎にもちと奇抜過ぎるので、真面目に思い立つ勇気も出なかったが、新嘉坡の護謨林栽培などは学生のうちすでに目論んで見た事がある。当時敬太郎は、果しのない広野を埋め尽す勢で何百万本という護謨の樹が茂っている真中に、一階建のバンガローを拵えて、その中に栽培監督者としての自分が朝夕起臥する様を想像してやまなかった。彼はバンガローの床をわざと裸にして、その上に大きな虎の皮を敷くつもりであった。壁には水牛の角を塗り込んで、それに鉄砲をかけ、なおその下に錦の袋に入れたままの日本刀を置くはずにした。そうして自分は真白なターバンをぐるぐる頭へ巻きつけて、広いヴェランダに据えつけてある籐椅子の上に寝そべりながら、強い香のハヴァナをぷかりぷかりと鷹揚に吹かす気でいた。それのみか、彼の足の下には、スマタラ産の黒猫、――天鵞絨のような毛並と黄金そのままの眼と、それから身の丈よりもよほど長い尻尾を持った怪しい猫が、背中を山のごとく高くして蹲踞まっている訳になっていた。彼はあらゆる想像の光景をかく自分に満足の行くようにあらかじめ整えた後で、いよいよ実際の算盤に取りかかったのである。ところが案外なもので、まず護謨を植えるための地面を借り受けるのにだいぶんな手数と暇が要る。それから借りた地面を切り開くのが容易の事でない。次に地ならし植えつけに費やすべき金高が以外に多い。その上絶えず人夫を使って草取をした上で、六年間|苗木の生長するのを馬鹿見たようにじっと指を銜えて見ていなければならない段になって、敬太郎はすでに充分退却に価すると思い出したところへ、彼にいろいろの事情を教えてくれた護謨|通は、今しばらくすると、あの辺でできる護謨の供給が、世界の需用以上に超過して、栽培者は非常の恐慌を起すに違ないと威嚇したので、彼はその後護謨の護の字も口にしなくなってしまったのである。 五  けれども彼の異常に対する嗜欲はなかなかこれくらいの事で冷却しそうには見えなかった。彼は都の真中にいて、遠くの人や国を想像の夢に上して楽しんでいるばかりでなく、毎日電車の中で乗り合せる普通の女だの、または散歩の道すがら行き逢う実際の男だのを見てさえ、ことごとく尋常以上に奇なあるものを、マントの裏かコートの袖に忍ばしていはしないだろうかと考える。そうしてどうかこのマントやコートを引っくり返してその奇なところをただ一目で好いからちらりと見た上、後は知らん顔をして済ましていたいような気になる。  敬太郎のこの傾向は、彼がまだ高等学校にいた時分、英語の教師が教科書としてスチーヴンソンの新亜剌比亜物語という書物を読ました頃からだんだん頭を持ち上げ出したように思われる。それまで彼は大の英語嫌であったのに、この書物を読むようになってから、一回も下読を怠らずに、あてられさえすれば、必ず起立して訳を付けたのでも、彼がいかにそれを面白がっていたかが分る。ある時彼は興奮の余り小説と事実の区別を忘れて、十九世紀の倫敦に実際こんな事があったんでしょうかと真面目な顔をして教師に質問を掛けた。その教師はついこの間英国から帰ったばかりの男であったが、黒いメルトンのモーニングの尻から麻の手帛を出して鼻の下を拭いながら、十九世紀どころか今でもあるでしょう。倫敦という所は実際不思議な都ですと答えた。敬太郎の眼はその時驚嘆の光を放った。すると教師は椅子を離れてこんな事を云った。 「もっとも書き手が書き手だから観察も奇抜だし、事件の解釈も自から普通の人間とは違うんで、こんなものができ上ったのかも知れません。実際スチーヴンソンという人は辻待の馬車を見てさえ、そこに一種のロマンスを見出すという人ですから」  辻馬車とロマンスに至って敬太郎は少し分らなくなったが、思い切ってその説明を聞いて見て、始めてなるほどと悟った。それから以後は、この平凡|極まる東京のどこにでもごろごろして、最も平凡を極めている辻待の人力車を見るたんびに、この車だって昨夕人殺しをするための客を出刃ぐるみ乗せていっさんに馳けたのかも知れないと考えたり、または追手の思わくとは反対の方角へ走る汽車の時間に間に合うように、美くしい女を幌の中に隠して、どこかの停車場へ飛ばしたのかも分らないと思ったりして、一人で怖がるやら、面白がるやらしきりに喜こんでいた。  そんな想像を重ねるにつけ、これほど込み入った世の中だから、たとい自分の推測通りとまで行かなくっても、どこか尋常と変った新らしい調子を、彼の神経にはっと響かせ得るような事件に、一度ぐらいは出会って然るべきはずだという考えが自然と起ってきた。ところが彼の生活は学校を出て以来ただ電車に乗るのと、紹介状を貰って知らない人を訪問するくらいのもので、その他に何といって取り立てて云うべきほどの小説は一つもなかった。彼は毎日見る下宿の下女の顔に飽き果てた。毎日食う下宿の菜にも飽き果てた。せめてこの単調を破るために、満鉄の方ができるとか、朝鮮の方が纏まるとかすれば、まだ衣食の途以外に、幾分かの刺戟が得られるのだけれども、両方共二三日前に当分|望がないと判然して見ると、ますます眼前の平凡が自分の無能力と密切な関係でもあるかのように思われて、ひどくぼんやりしてしまった。それで糊口のための奔走はもちろんの事、往来に落ちたばら銭を探して歩くような長閑な気分で、電車に乗って、漫然と人事上の探検を試みる勇気もなくなって、昨夕はさほど好きでもない麦酒を大いに飲んで寝たのである。  こんな時に、非凡の経験に富んだ平凡人とでも評しなければ評しようのない森本の顔を見るのは、敬太郎にとってすでに一種の興奮であった。巻紙を買う御供までして彼を自分の室へ連れ込んだのはこれがためである。 六  森本は窓際へ坐ってしばらく下の方を眺めていた。 「あなたの室から見た景色は相変らず好うがすね、ことに今日は好い。あの洗い落したような空の裾に、色づいた樹が、所々|暖たかく塊まっている間から赤い煉瓦が見える様子は、たしかに画になりそうですね」 「そうですね」  敬太郎はやむを得ずこういう答をした。すると森本は自分が肱を乗せている窓から一尺ばかり出張った縁板を見て、 「ここはどうしても盆栽の一つや二つ載せておかないと納まらない所ですよ」と云った。  敬太郎はなるほどそんなものかと思ったけれども、もう「そうですね」を繰り返す勇気も出なかったので、 「あなたは画や盆栽まで解るんですか」と聞いた。 「解るんですかは少し恐れ入りましたね。全く柄にないんだから、そう聞かれても仕方はないが、――しかし田川さんの前だが、こう見えて盆栽も弄くるし、金魚も飼うし、一時は画も好きでよく描いたもんですよ」 「何でもやるんですね」 「何でも屋に碌なものなしで、とうとうこんなもんになっちゃった」  森本はそう云い切って、自分の過去を悔ゆるでもなし、またその現在を悲観するでもなし、ほとんど鋭どい表情のどこにも出ていない不断の顔をして敬太郎を見た。 「しかし僕はあなた見たように変化の多い経験を、少しでも好いから甞めて見たいといつでもそう思っているんです」と敬太郎が真面目に云いかけると、森本はあたかも酔っ払のように、右の手を自分の顔の前へ出して、大袈裟に右左に振って見せた。 「それがごく悪い。若い内――と云ったところで、あなたと僕はそう年も違っていないようだが、――とにかく若い内は何でも変った事がしてみたいもんでね。ところがその変った事を仕尽した上で、考えて見ると、何だ馬鹿らしい、こんな事ならしない方がよっぽど増しだと思うだけでさあ。あなたなんざ、これからの身体だ。おとなしくさえしていりゃどんな発展でもできようってもんだから、肝心なところで山気だの謀叛気だのって低気圧を起しちゃ親不孝に当らあね。――時にどうです、この間から伺がおう伺がおうと思って、つい忙がしくって、伺がわずにいたんだが、何か好い口は見付かりましたか」  正直な敬太郎は憮然としてありのままを答えた。そうして、とうてい当分これという期待もないから、奔走をやめて少し休養するつもりであるとつけ加えた。森本はちょっと驚ろいたような顔をした。 「へえー、近頃は大学を卒業しても、ちょっくらちょいと口が見付からないもんですかねえ。よっぽど不景気なんだね。もっとも明治も四十何年というんだから、そのはずには違ないが」  森本はここまで来て少し首を傾げて、自分の哲理を自分で噛みしめるような素振をした。敬太郎は相手の様子を見て、それほど滑稽とも思わなかったが、心の内で、この男は心得があってわざとこんな言葉遣をするのだろうか、または無学の結果こうよりほか言い現わす手段を知らないのだろうかと考えた。すると森本が傾げた首を急に竪に直した。 「どうです、御厭でなきゃ、鉄道の方へでも御出なすっちゃ。何なら話して見ましょうか」  いかな浪漫的な敬太郎もこの男に頼んだら好い地位が得られるとは想像し得なかった。けれどもさも軽々と云って退ける彼の愛嬌を、翻弄と解釈するほどの僻ももたなかった。拠処なく苦笑しながら、下女を呼んで、 「森本さんの御膳もここへ持って来るんだ」と云いつけて、酒を命じた。 七  森本は近頃|身体のために酒を慎しんでいると断わりながら、注いでやりさえすれば、すぐ猪口を空にした。しまいにはもう止しましょうという口の下から、自分で徳利の尻を持ち上げた。彼は平生から閑静なうちにどこか気楽な風を帯びている男であったが、猪口を重ねるにつれて、その閑静が熱ってくる、気楽はしだいしだいに膨脹するように見えた。自分でも「こうなりゃ併呑自若たるもんだ。明日免職になったって驚ろくんじゃない」と威張り出した。敬太郎が飲めない口なので、時々思い出すように、盃に唇を付けて、付合っているのを見て、彼は、 「田川さん、あなた本当に飲けないんですか、不思議ですね。酒を飲まない癖に冒険を愛するなんて。あらゆる冒険は酒に始まるんです。そうして女に終るんです」と云った。彼はつい今まで自分の過去を碌でなしのように蹴なしていたのに、酔ったら急に模様が変って、後光が逆に射すとでも評すべき態度で、気※を吐き始めた。そうしてそれが大抵は失敗の気※であった。しかも敬太郎を前に置いて、 「あなたなんざあ、失礼ながら、まだ学校を出たばかりで本当の世の中は御存じないんだからね。いくら学士でございの、博士で候のって、肩書ばかり振り廻したって、僕は慴えないつもりだ。こっちゃちゃんと実地を踏んで来ているんだもの」と、さっきまで教育に対して多大の尊敬を払っていた事はまるで忘れたような風で、無遠慮なきめつけ方をした。そうかと思うと噫のような溜息を洩らして自分の無学をさも情なさそうに恨んだ。 「まあ手っ取り早く云やあ、この世の中を猿|同然渡って来たんでさあ。こう申しちゃおかしいが、あなたより十層倍の経験はたしかに積んでるつもりです。それでいて、いまだにこの通り解脱ができないのは、全く無学すなわち学がないからです。もっとも教育があっちゃ、こうむやみやたらと変化する訳にも行かないようなもんかも知れませんよ」  敬太郎はさっきから気の毒なる先覚者とでも云ったように相手を考えて、その云う事に相応の注意を払って聞いていたが、なまじい酒を飲ましたためか、今日はいつもより気※だの愚痴だのが多くって、例のように純粋の興味が湧かないのを残念に思った。好い加減に酒を切り上げて見たが、やっぱり物足らなかった。それで新らしく入れた茶を勧めながら、 「あなたの経歴談はいつ聞いても面白い。そればかりでなく、僕のような世間見ずは、御話を伺うたんびに利益を得ると思って感謝しているんだが、あなたが今までやって来た生活のうちで、最も愉快だったのは何ですか」と聞いて見た。森本は熱い茶を吹き吹き、少し充血した眼を二三度ぱちつかせて黙っていた。やがて深い湯呑を干してしまうとこう云った。 「そうですね。やった後で考えると、みんな面白いし、またみんなつまらないし、自分じゃちょっと見分がつかないんだが。――全体愉快ってえのは、その、女気のある方を指すんですか」 「そう云う訳でもないんですが、あったって差支ありません」 「なんて、実はそっちの方が聞きたいんでしょう。――しかし雑談抜きでね、田川さん。面白い面白くないはさておいて、あれほど呑気な生活は世界にまたとなかろうという奴をやった覚があるんですよ。そいつを一つ話しましょうか、御茶受の代りに」  敬太郎は一も二もなく所望した。森本は「じゃあちょっと小便をして来る」と云って立ちかけたが、「その代り断わっておくが女気はありませんよ。女気どころか、第一人間の気がないんだもの」と念を押して廊下の外へ出て行った。敬太郎は一種の好奇心を抱いて、彼の帰るのを待ち受けた。 八  ところが五分待っても十分待っても冒険家は容易に顔を現わさなかった。敬太郎はとうとうじっと我慢しきれなくなって、自分で下へ降りて用場を探して見ると、森本の影も形も見えない。念のためまた階段を上って、彼の部屋の前まで来ると、障子を五六寸明け放したまま、真中に手枕をしてごろりと向うむきに転がっているものがすなわち彼であった。「森本さん、森本さん」と二三度呼んで見たが、なかなか動きそうにないので、さすがの敬太郎もむっとして、いきなり室に這入り込むや否や、森本の首筋を攫んで強く揺振った。森本は不意に蜂にでも螫されたように、あっと云って半ば跳ね起きた。けれども振り返って敬太郎の顔を見ると同時に、またすぐ夢現のたるい眼つきに戻って、 「やああなたですか。あんまりちょうだいしたせいか、少し気分が変になったもんだから、ここへ来てちょっと休んだらつい眠くなって」と弁解する様子に、これといって他を愚弄する体もないので、敬太郎もつい怒れなくなった。しかし彼の待ち設けた冒険談はこれで一頓挫を来したも同然なので、一人自分の室に引取ろうとすると、森本は「どうもすみません、御苦労様でした」と云いながら、また後から敬太郎について来た。そうして先刻まで自分の坐っていた座蒲団の上に、きちんと膝を折って、 「じゃいよいよ世界に類のない呑気生活の御話でも始めますかな」と云った。  森本の呑気生活というのは、今から十五六年|前彼が技手に雇われて、北海道の内地を測量して歩いた時の話であった。固より人間のいない所に天幕を張って寝起をして、用が片づきしだい、また天幕を担いで、先へ進むのだから、当人の断った通り、とうてい女っ気のありようはずはなかった。 「何しろ高さ二丈もある熊笹を切り開いて途をつけるんですからね」と彼は右手を額より高く上げて、いかに熊笹が高く茂っていたかを形容した。その切り開いた途の両側に、朝起きて見ると、蝮蛇がとぐろを巻いて日光を鱗の上に受けている。それを遠くから棒で抑えておいて、傍へ寄って打ち殺して肉を焼いて食うのだと彼は話した。敬太郎がどんな味がすると聞くと、森本はよく思い出せないが、何でも魚肉と獣肉の間ぐらいだろうと答えた。  天幕の中へは熊笹の葉と小枝を山のように積んで、その上に疲れた身体を埋めぬばかりに投げかけるのが例であるが、時には外へ出て焚火をして、大きな熊を眼の前に見る事もあった。虫が多いので蚊帳は始終釣っていた。ある時その蚊帳を担いで谷川へ下りて、何とかいう川魚を掬って帰ったら、その晩から蚊帳が急に腥さくなって困った。――すべてこれらは森本のいわゆる呑気生活の一部分であった。  彼はまた山であらゆる茸を採って食ったそうである。ます茸というのは広葢ほどの大きさで、切って味噌汁の中へ入れて煮るとまるで蒲鉾のようだとか、月見茸というのは一抱もあるけれども、これは残念だが食えないとか、鼠茸というのは三つ葉の根のようで可愛らしいとか、なかなか精しい説明をした。大きな笠の中へ、野葡萄をいっぱい採って来て、そればかり貪ぼっていたものだから、しまいに舌が荒れて、飯が食えなくなって困ったという話もついでにつけ加えた。  食う話ばかりかと思うと、また一週間絶食をしたという悲酸な物語もあった。それはみんなの糧が尽きたので、人足が村まで米を取りに行った留守中に大変な豪雨があった時の事である。元々村へ出るには、沢辺まで降りて、沢伝いに里へ下るのだから、俄雨で谷が急にいっぱいになったが最後、米など背負って帰れる訳のものでない。森本は腹が減って仕方がないから、じっと仰向に寝て、ただ空を眺めていたところが、しまいにぼんやりし出して、夜も昼もめちゃくちゃに分らなくなったそうである。 「そう長い間飲まず食わずじゃ、両便とも留まるでしょう」と敬太郎が聞くと、「いえ何、やっぱりありますよ」と森本はすこぶる気楽そうに答えた。 九  敬太郎は微笑せざるを得なかった。しかしそれよりもおかしく感じたのは、森本の形容した大風の勢であった。彼らの一行が測量の途次|茫々たる芒原の中で、突然|面も向けられないほどの風に出会った時、彼らは四つ這になって、つい近所の密林の中へ逃げ込んだところが、一抱も二抱もある大木の枝も幹も凄まじい音を立てて、一度に風から痛振られるので、その動揺が根に伝わって、彼らの踏んでいる地面が、地震の時のようにぐらぐらしたと云うのである。 「それじゃたとい林の中へ逃げ込んだところで、立っている訳に行かないでしょう」と敬太郎が聞くと、「無論突伏していました」という答であったが、いくら非道い風だって、土の中に張った大木の根が動いて、地震を起すほどの勢があろうとは思えなかったので、敬太郎は覚えず吹き出してしまった。すると森本もまるで他事のように同じく大きな声を出して笑い始めたが、それがすむと、急に真面目になって、敬太郎の口を抑えるような手つきをした。 「おかしいが本当です。どうせ常識以下に飛び離れた経験をするくらいの僕だから、不中用にゃあ違ないが本当です。――もっともあなた見たいに学のあるものが聞きゃあ全く嘘のような話さね。だが田川さん、世の中には大風に限らず随分面白い事がたくさんあるし、またあなたなんざあその面白い事にぶつかろうぶつかろうと苦労して御出なさる御様子だが、大学を卒業しちゃもう駄目ですよ。いざとなると大抵は自分の身分を思いますからね。よしんば自分でいくら身を落すつもりでかかっても、まさか親の敵討じゃなしね、そう真剣に自分の位地を棄てて漂浪するほどの物数奇も今の世にはありませんからね。第一|傍がそうさせないから大丈夫です」  敬太郎は森本のこの言葉を、失意のようにもまた得意のようにも聞いた。そうして腹の中で、なるほど常調以上の変った生活は、普通の学士などには送れないかも知れないと考えた。ところがそれを自分にさえ抑えたい気がするので、わざと抵抗するような語気で、 「だって、僕は学校を出たには出たが、いまだに位置などは無いんですぜ。あなたは位置位置ってしきりに云うが。――実際位置の奔走にも厭々してしまった」と投げ出すように云った。すると森本は比較的|厳粛な顔をして、 「あなたのは位置がなくってある。僕のは位置があって無い。それだけが違うんです」と若いものに教える態度で答えた。けれども敬太郎にはこの御籤めいた言葉がさほどの意義を齎さなかった。二人は少しの間|煙草を吹かして黙っていた。 「僕もね」とやがて森本が口を開いた。「僕もね、こうやって三年越、鉄道の方へ出ているが、もう厭になったから近々罷めようと思うんです。もっとも僕の方で罷めなけりゃ向うで罷めるだけなんだからね。三年越と云やあ僕にしちゃ長い方でさあ」  敬太郎は罷めるが好かろうとも罷めないが好かろうとも云わなかった。自分が罷めた経験も罷められた閲歴もないので、他の進退などはどうでも構わないような気がした。ただ話が理に落ちて面白くないという自覚だけあった。森本はそれと察したか、急に調子を易えて、世間話を快活に十分ほどした後で、「いやどうも御馳走でした。――とにかく田川さん若いうちの事ですよ、何をやるのも」と、あたかも自分が五十ぐらいの老人のようなことを云って帰って行った。  それから一週間ばかりの間、田川は落ちついて森本と話す機会を有たなかったが、二人共同じ下宿にいるのだから、朝か晩に彼の姿を認めない事はほとんど稀であった。顔を洗う所などで落ち合う時、敬太郎は彼の着ている黒襟の掛ったドテラが常に目についた。彼はまた襟開の広い新調の背広を着て、妙な洋杖を突いて、役所から帰るとよく出て行った。その洋杖が土間の瀬戸物製の傘入に入れてあると、ははあ先生今日は宅にいるなと思いながら敬太郎は常に下宿の門を出入した。するとその洋杖がちゃんと例の所に立ててあるのに、森本の姿が不意に見えなくなった。 十  一日二日はつい気がつかずに過ぎたが、五日目ぐらいになっても、まだ森本の影が見えないので、敬太郎はようやく不審の念を起し出した。給仕に来る下女に聞いて見ると、彼は役所の用でどこかへ出張したのだそうである。固より役人である以上、いつ出張しないとも限らないが、敬太郎は平生からこの男を相して、何でも停車場の構内で、貨物の発送係ぐらいを勤めているに違ないと判じていたものだから、出張と聞いて少し案外な心持がした。けれども立つ時すでに五六日と断って行ったのだから、今日か翌日は帰るはずだと下女に云われて見ると、なるほどそうかとも思った。ところが予定の時日が過ぎても、森本の変な洋杖が依然として傘入の中にあるのみで、当人のドテラ姿はいっこう洗面所へ現われなかった。  しまいに宿の神さんが来て、森本さんから何か御音信がございましたかと聞いた。敬太郎は自分の方で下へ聞きに行こうと思っていたところだと答えた。神さんは多少心元ない色を梟のような丸い眼の中に漂よわせて出て行った。それから一週間ほど経っても森本はまだ帰らなかった。敬太郎も再び不審を抱き始めた。帳場の前を通る時に、まだですかとわざと立ち留って聞く事さえあった。けれどもその頃は自分がまた思い返して、位置の運動を始め出した出花なので、自然その方にばかり頭を専領される日が多いため、これより以上立ち入って何物をも探る事をあえてしなかった。実を云うと、彼は森本の予言通り、衣食の計のために、好奇家の権利を放棄したのである。  すると或晩主人がちょっと御邪魔をしても好いかと断わりながら障子を開けて這入って来た。彼は腰から古めかしい煙草入を取り出して、その筒を抜く時ぽんという音をさせた。それから銀の煙管に刻草を詰めて、濃い煙を巧者に鼻の穴から迸しらせた。こうゆっくり構える彼の本意を、敬太郎は判然向うからそうと切り出されるまで覚らずに、どうも変だとばかり考えていた。 「実は少し御願があって上ったんですが」と云った主人はやや小声になって、「森本さんのいらっしゃる所をどうか教えて頂く訳に参りますまいか、けっしてあなたに御迷惑のかかるような事は致しませんから」と藪から棒につけ加えた。  敬太郎はこの意外の質問を受けて、しばらくは何という挨拶も口へ出なかったが、ようやく、「いったいどう云う訳なんです」と主人の顔を覗き込んだ。そうして彼の意味を読もうとしたが、主人は煙管が詰ったと見えて、敬太郎の火箸で雁首を掘っていた。それが済んでから羅宇の疎通をぷっぷっ試した上、そろそろと説明に取りかかった。  主人の云うところによると、森本は下宿代が此家に六カ月ばかり滞っているのだそうである。が、三年越しいる客ではあるし、遊んでいる人じゃなし、此年の末にはどうかするからという当人の言訳を信用して、別段催促もしなかったところへ、今度の旅行になった。家のものは固より出張とばかり信じていたが、その日限が過ぎていくら待っても帰らないのみか、どこからも何の音信も来ないので、しまいにとうとう不審を起した。それで一方に本人の室を調べると共に、一方に新橋へ行って出張先を聞き合せた。ところが室の方は荷物もそのままで、彼のおった時分と何の変りもなかったが、新橋の答はまた案外であった。出張したとばかり思っていた森本は、先月限り罷められていたそうである。 「それであなたは平生森本さんと御懇意の間柄でいらっしゃるんだから、あなたに伺ったら多分どこに御出か分るだろうと思って上ったような訳で。けっしてあなたに森本さんの分をどうのこうのと申し上げるつもりではないのですから、どうか居所だけ知らして頂けますまいか」  敬太郎はこの失踪者の友人として、彼の香ばしからぬ行為に立ち入った関係でもあるかのごとく主人から取扱われるのをはなはだ迷惑に思った。なるほど事実をいえば、ついこの間まである意味の嘆賞を懐にして森本に近づいていたには違ないが、こんな実際問題にまで秘密の打ち合せがあるように見做されては、未来を有つ青年として大いなる不面目だと感じた。 十一  正直な彼は主人の疳違を腹の中で怒った。けれども怒る前にまず冷たい青大将でも握らせられたような不気味さを覚えた。この妙に落ちつき払って古風な煙草入から刻みを撮み出しては雁首へ詰める男の誤解は、正解と同じような不安を敬太郎に与えたのである。彼は談判に伴なう一種の芸術のごとく巧みに煙管を扱かう人であった。敬太郎は彼の様子をしばらく眺めていた。そうしてただ知らないというよりほかに、向うの疑惑を晴らす方法がないのを残念に思った。はたして主人は容易に煙草入を腰へ納めなかった。煙管を筒へ入れて見たり出して見たりした。そのたびに例の通りぽんぽんという音がした。敬太郎はしまいにどうしてもこの音を退治てやりたいような気がし出した。 「僕はね、御承知の通り学校を出たばかりでまだ一定の職業もなにもない貧書生だが、これでも少しは教育を受けた事のある男だ。森本のような浮浪の徒といっしょに見られちゃ、少し体面にかかわる。いわんや後暗い関係でもあるように邪推して、いくら知らないと云っても執濃く疑っているのは怪しからんじゃないか。君がそういう態度で、二年もいる客に対する気ならそれで好い。こっちにも料簡がある。僕は過去二年の間君のうちに厄介になっているが、一カ月でも宿料を滞おらした事があるかい」  主人は無論敬太郎の人格に対して失礼に当るような疑を毛頭|抱いていないつもりであるという事を繰り返して述べた。そうして万一森本から音信でもあって、彼の居所が分ったらどうぞ忘れずに教えて貰いたいと頼んだ末、もしさっき聞いた事が敬太郎の気に障ったら、いくらでも詫まるから勘弁してくれと云った。敬太郎は主人の煙草入を早く腰に差させようと思って、単に宜しいと答えた。主人はようやく談判の道具を角帯の後へしまい込んだ。室を出る時の彼の様子に、別段敬太郎を疑ぐる気色も見えなかったので、敬太郎は怒ってやって好い事をしたと考えた。  それからしばらく経つと、森本の室に、いつの間にか新らしい客が這入った。敬太郎は彼の荷物を主人がどう片づけたかについて不審を抱いた。けれども主人がかの煙草入を差して談判に来て以来、森本の事はもう聞くまいと決心したので、腹の中はともかく、上部は知らん顔をしていた。そうして依然としてできるようなまたできないような地位を、元ほど焦燥らない程度ながらも、まず自分のやるべき第一の義務として、根気に狩り歩るいていた。  或る晩もその用で内幸町まで行って留守を食ったのでやむを得ずまた電車で引き返すと、偶然向う側に黄八丈の袢天で赤ん坊を負った婦人が乗り合せているのに気がついた。その女は眉毛の細くて濃い、首筋の美くしくできた、どっちかと云えば粋な部類に属する型だったが、どうしても袢天|負をするという柄ではなかった。と云って、背中の子はたしかに自分の子に違ないと敬太郎は考えた。なおよく見ると前垂の下から格子縞か何かの御召が出ているので、敬太郎はますます変に思った。外面は雨なので、五六人の乗客は皆|傘をつぼめて杖にしていた。女のは黒蛇目であったが、冷たいものを手に持つのが厭だと見えて、彼女はそれを自分の側に立て掛けておいた。その畳んだ蛇の目の先に赤い漆で加留多と書いてあるのが敬太郎の眼に留った。  この黒人だか素人だか分らない女と、私生児だか普通の子だか怪しい赤ん坊と、濃い眉を心持八の字に寄せて俯目勝な白い顔と、御召の着物と、黒蛇の目に鮮かな加留多という文字とが互違に敬太郎の神経を刺戟した時、彼はふと森本といっしょになって子まで生んだという女の事を思い出した。森本自身の口から出た、「こういうと未練があるようでおかしいが、顔質は悪い方じゃありませんでした。眉毛の濃い、時々八の字を寄せて人に物を云う癖のある」といったような言葉をぽつぽつ頭の中で憶い起しながら、加留多と書いた傘の所有主を注意した。すると女はやがて電車を下りて雨の中に消えて行った。後に残った敬太郎は一人森本の顔や様子を心に描きつつ、運命が今彼をどこに連れ去ったろうかと考え考え下宿へ帰った。そうして自分の机の上に差出人の名前の書いてない一封の手紙を見出した。 十二  好奇心に駆られた敬太郎は破るようにこの無名氏の書信を披いて見た。すると西洋罫紙の第一行目に、親愛なる田川君として下に森本よりとあるのが何より先に眼に入った。敬太郎はすぐまた封筒を取り上げた。彼は視線の角度を幾通りにも変えて、そこに消印の文字を読もうと力めたが、肉が薄いのでどうしても判断がつかなかった。やむを得ず再び本文に立ち帰って、まずそれから片づける事にした。本文にはこうあった。 「突然消えたんで定めて驚ろいたでしょう。あなたは驚ろかないにしても、雷獣とそうしてズク彼ら両人は驚ろいたに違ない。打ち明けた御話をすると、実は少し下宿代を滞おらしていたので、話をしたら雷獣とそうしてズクが面倒をいうだろうと思って、わざと断らずに、自由行動を取りました。僕の室に置いてある荷物を始末したら――行李の中には衣類その他がすっかり這入っていますから、相当の金になるだろうと思うんです。だから両人にあなたから右を売るなり着るなりしろとおっしゃっていただきたい。もっとも彼雷獣は御承知のごとき曲者故僕の許諾を待たずして、とっくの昔にそう取計っているかも知れない。のみならず、こっちからそう穏便に出ると、まだ残っている僕の尻を、あなたに拭って貰いたいなどと、とんでもない難題を持ちかけるかも知れませんが、それにはけっして取り合っちゃいけません。あなたのように高等教育を受けて世の中へ出たての人はとかく雷獣|輩が食物にしたがるものですから、その辺はよく御注意なさらないといけません。僕だって教育こそないが、借金を踏んじゃ善くないくらいの事はまさかに心得ています。来年になればきっと返してやるつもりです。僕に意外な経歴が数々あるからと云って、あなたにこの点まで疑われては、せっかくの親友を一人失くしたも同様、はなはだ遺憾の至だから、どうか雷獣ごときもののために僕を誤解しないように願います」  森本は次に自分が今大連で電気公園の娯楽がかりを勤めている由を書いて、来年の春には活動写真買入の用向を帯びて、是非共出京するはずだから、その節は御地で久しぶりに御目にかかるのを今から楽にして待っているとつけ加えていた。そうしてその後へ自分が旅行した満洲地方の景況をさも面白そうに一口ぐらいずつ吹聴していた。中で最も敬太郎を驚ろかしたのは、長春とかにある博打場の光景で、これはかつて馬賊の大将をしたというさる日本人の経営に係るものだが、そこへ行って見ると、何百人と集まる汚ない支那人が、折詰のようにぎっしり詰って、血眼になりながら、一種の臭気を吐き合っているのだそうである。しかも長春の富豪が、慰み半分わざと垢だらけな着物を着て、こっそりここへ出入するというんだから、森本だってどんな真似をしたか分らないと敬太郎は考えた。  手紙の末段には盆栽の事が書いてあった。「あの梅の鉢は動坂の植木屋で買ったので、幹はそれほど古くないが、下宿の窓などに載せておいて朝夕眺めるにはちょうど手頃のものです。あれを献上するからあなたの室へ持っていらっしゃい。もっとも雷獣とそうしてズクは両人共|極めて不風流|故、床の間の上へ据えたなり放っておいて、もう枯らしてしまったかも知れません。それから上り口の土間の傘入に、僕の洋杖が差さっているはずです。あれも価格から云えばけっして高く踏めるものではありませんが、僕の愛用したものだから、紀念のため是非あなたに進上したいと思います。いかな雷獣とそうしてズクもあの洋杖をあなたが取ったって、まさか故障は申し立てますまい。だからけっして御遠慮なさらずと好い。取って御使いなさい。――満洲ことに大連ははなはだ好い所です。あなたのような有為の青年が発展すべき所は当分ほかに無いでしょう。思い切って是非いらっしゃいませんか。僕はこっちへ来て以来満鉄の方にもだいぶ知人ができたから、もしあなたが本当に来る気なら、相当の御世話はできるつもりです。ただしその節は前もってちょっと御通知を願います。さよなら」  敬太郎は手紙を畳んで机の抽出へ入れたなり、主人夫婦へは森本の消息について、何事も語らなかった。洋杖は依然として、傘入の中に差さっていた。敬太郎は出入の都度、それを見るたびに一種妙な感に打たれた。 停留所 一  敬太郎に須永という友達があった。これは軍人の子でありながら軍人が大嫌で、法律を修めながら役人にも会社員にもなる気のない、至って退嬰主義の男であった。少くとも敬太郎にはそう見えた。もっとも父はよほど以前に死んだとかで、今では母とたった二人ぎり、淋しいような、また床しいような生活を送っている。父は主計官としてだいぶ好い地位にまで昇った上、元来が貨殖の道に明らかな人であっただけ、今では母子共衣食の上に不安の憂を知らない好い身分である。彼の退嬰主義も半ばはこの安泰な境遇に慣れて、奮闘の刺戟を失った結果とも見られる。というものは、父が比較的立派な地位にいたせいか、彼には世間体の好いばかりでなく、実際ためになる親類があって、いくらでも出世の世話をしてやろうというのに、彼は何だかだと手前勝手ばかり並べて、今もってぐずぐずしているのを見ても分る。 「そう贅沢ばかり云ってちゃもったいない。厭なら僕に譲るがいい」と敬太郎は冗談半分に須永を強請ることもあった。すると須永は淋しそうなまた気の毒そうな微笑を洩らして、「だって君じゃいけないんだから仕方がないよ」と断るのが常であった。断られる敬太郎は冗談にせよ好い心持はしなかった。おれはおれでどうかするという気概も起して見た。けれども根が執念深くない性質だから、これしきの事で須永に対する反抗心などが永く続きようはずがなかった。その上身分が定まらないので、気の落ちつく背景を有たない彼は、朝から晩まで下宿の一と間にじっと坐っている苦痛に堪えなかった。用がなくっても半日は是非出て歩るいた。そうしてよく須永の家を訪問れた。一つはいつ行っても大抵留守の事がないので、行く敬太郎の方でも張合があったのかも知れない。 「糊口も糊口だが、糊口より先に、何か驚嘆に価する事件に会いたいと思ってるが、いくら電車に乗って方々歩いても全く駄目だね。攫徒にさえ会わない」などと云うかと思うと、「君、教育は一種の権利かと思っていたら全く一種の束縛だね。いくら学校を卒業したって食うに困るようじゃ何の権利かこれあらんやだ。それじゃ位地はどうでもいいから思う存分勝手な真似をして構わないかというと、やっぱり構うからね。厭に人を束縛するよ教育が」と忌々しそうに嘆息する事がある。須永は敬太郎のいずれの不平に対しても余り同情がないらしかった。第一彼の態度からしてが本当に真面目なのだか、またはただ空焦燥に焦燥いでいるのか見分がつかなかったのだろう。ある時須永はあまり敬太郎がこういうような浮ずった事ばかり言い募るので、「それじゃ君はどんな事がして見たいのだ。衣食問題は別として」と聞いた。敬太郎は警視庁の探偵見たような事がして見たいと答えた。 「じゃするが好いじゃないか、訳ないこった」 「ところがそうは行かない」  敬太郎は本気になぜ自分に探偵ができないかという理由を述べた。元来探偵なるものは世間の表面から底へ潜る社会の潜水夫のようなものだから、これほど人間の不思議を攫んだ職業はたんとあるまい。それに彼らの立場は、ただ他の暗黒面を観察するだけで、自分と堕落してかかる危険性を帯びる必要がないから、なおの事都合がいいには相違ないが、いかんせんその目的がすでに罪悪の暴露にあるのだから、あらかじめ人を陥れようとする成心の上に打ち立てられた職業である。そんな人の悪い事は自分にはできない。自分はただ人間の研究者|否人間の異常なる機関が暗い闇夜に運転する有様を、驚嘆の念をもって眺めていたい。――こういうのが敬太郎の主意であった。須永は逆わずに聞いていたが、これという批判の言葉も放たなかった。それが敬太郎には老成と見えながらその実平凡なのだとしか受取れなかった。しかも自分を相手にしないような落ちつき払った風のあるのを悪く思って別れた。けれども五日と経たないうちにまた須永の宅へ行きたくなって、表へ出ると直神田行の電車に乗った。 二  須永はもとの小川亭即ち今の天下堂という高い建物を目標に、須田町の方から右へ小さな横町を爪先上りに折れて、二三度不規則に曲った極めて分り悪い所にいた。家並の立て込んだ裏通りだから、山の手と違って無論屋敷を広く取る余地はなかったが、それでも門から玄関まで二間ほど御影の上を渡らなければ、格子先の電鈴に手が届かないくらいの一構であった。もとから自分の持家だったのを、一時親類の某に貸したなり久しく過ぎたところへ、父が死んだので、無人の活計には場所も広さも恰好だろうという母の意見から、駿河台の本宅を売払ってここへ引移ったのである。もっともそれからだいぶ手を入れた。ほとんど新築したも同然さとかつて須永が説明して聞かせた時に、敬太郎はなるほどそうかと思って、二階の床柱や天井板を見廻した事がある。この二階は須永の書斎にするため、後から継ぎ足したので、風が強く吹く日には少し揺れる気味はあるが、ほかにこれと云って非の打ちようのない綺麗に明かな四畳六畳|二間つづきの室であった。その室に坐っていると、庭に植えた松の枝と、手斧目の付いた板塀の上の方と、それから忍び返しが見えた。縁に出て手摺から見下した時、敬太郎は松の根に一面と咲いた鷺草を眺めて、あの白いものは何だと須永に聞いた事もあった。  彼は須永を訪問してこの座敷に案内されるたびに、書生と若旦那の区別を判然と心に呼び起さざるを得なかった。そうしてこう小ぢんまり片づいて暮している須永を軽蔑すると同時に、閑静ながら余裕のあるこの友の生活を羨やみもした。青年があんなでは駄目だと考えたり、またあんなにもなって見たいと思ったりして、今日も二つの矛盾からでき上った斑な興味を懐に、彼は須永を訪問したのである。  例の小路を二三度曲折して、須永の住居っている通りの角まで来ると、彼より先に一人の女が須永の門を潜った。敬太郎はただ一目その後姿を見ただけだったが、青年に共通の好奇心と彼に固有の浪漫趣味とが力を合せて、引き摺るように彼を同じ門前に急がせた。ちょっと覗いて見ると、もう女の影は消えていた。例の通り紅葉を引手に張り込んだ障子が、閑静に閉っているだけなのを、敬太郎は少し案外にかつ物足らず眺めていたが、やがて沓脱の上に脱ぎ捨てた下駄に気をつけた。その下駄はもちろん女ものであったが、行儀よく向うむきに揃っているだけで、下女が手をかけて直した迹が少しも見えない。敬太郎は下駄の向と、思ったより早く上ってしまった女の所作とを継ぎ合わして、これは取次を乞わずに、独りで勝手に障子を開けて這入った極めて懇意の客だろうと推察した。でなければ家のものだが、それでは少し変である。須永の家は彼と彼の母と仲働きと下女の四人暮しである事を敬太郎はよく知っていたのである。  敬太郎は須永の門前にしばらく立っていた。今這入った女の動静をそっと塀の外から窺うというよりも、むしろ須永とこの女がどんな文に二人の浪漫を織っているのだろうと想像するつもりであったが、やはり聞耳は立てていた。けれども内はいつもの通りしんとしていた。艶めいた女の声どころか、咳嗽一つ聞えなかった。 「許嫁かな」  敬太郎はまず第一にこう考えたが、彼の想像はそのくらいで落ちつくほど、訓練を受けていなかった。――母は仲働を連れて親類へ行ったから今日は留守である。飯焚は下女部屋に引き下がっている。須永と女とは今差向いで何か私語いている。――はたしてそうだとするといつものように格子戸をがらりと開けて頼むと大きな声を出すのも変なものである。あるいは須永も母も仲働もいっしょに出たかも知れない。おさんはきっと昼寝をしている。女はそこへ這入ったのである。とすれば泥棒である。このまま引返してはすまない。――敬太郎は狐憑のようにのそりと立っていた。 三  すると二階の障子がすうと開いて、青い色の硝子瓶を提げた須永の姿が不意に縁側へ現われたので敬太郎はちょっと吃驚した。 「何をしているんだ。落し物でもしたのかい」と上から不思議そうに聞きかける須永を見ると、彼は咽喉の周囲に白いフラネルを捲いていた。手に提げたのは含嗽剤らしい。敬太郎は上を向いて、風邪を引いたのかとか何とか二三言葉を換わしたが、依然として表に立ったまま、動こうともしなかった。須永はしまいに這入れと云った。敬太郎はわざと這入っていいかと念を入れて聞き返した。須永はほとんどその意味を覚らない人のごとく、軽く首肯いたぎり障子の内に引き込んでしまった。  階段を上る時、敬太郎は奥の部屋で微かに衣摺の音がするような気がした。二階には今まで須永の羽織っていたらしい黒八丈の襟の掛ったどてらが脱ぎ捨ててあるだけで、ほかに平生と変ったところはどこにも認められなかった。敬太郎の性質から云っても、彼の須永に対する交情から云っても、これほど気にかかる女の事を、率直に切り出して聞けないはずはなかったのだが、今までにどこか罪な想像を逞ましくしたという疚ましさもあり、また面と向ってすぐとは云い悪い皮肉な覘を付けた自覚もあるので、今しがた君の家へ這入った女は全体何者だと無邪気に尋ねる勇気も出なかった。かえって自分の先へ先へと走りたがる心を圧し隠すような風に、 「空想はもう当分やめだ。それよりか口の方が大事だからね」と云って、兼て須永から聞いている内幸町の叔父さんという人に、一応そういう方の用向で会っておきたいから紹介してくれと真面目に頼んだ。叔父というのは須永の母の妹の連合で、官吏から実業界へ這入って、今では四つか五つの会社に関係を有っている相当な位地の人であったが、須永はその叔父の力を藉りてどうしようという料簡もないと見えて、「叔父がいろいろ云ってくれるけれども、僕は余進まないから」と、かつて敬太郎に話した事があったのを、敬太郎は覚えていたのである。  須永は今朝すでにその叔父に会うはずであったが、咽喉を痛めたため、外出を見合せたのだそうで、四五日内には大抵行けるだろうから、その時には是非話して見ようと答えたあとで、「叔父も忙がしい身体だしね、それに方々から頼まれるようだから、きっととは受合われないが、まあ会って見たまえ」と念のためだか何だかつけ加えた。余り望を置き過ぎられては困るというのだろうと敬太郎は解釈したが、それでも会わないよりは増しだぐらいに考えて、例に似ず宜しく頼む気になった。が、口で頼むほど腹の中では心配も苦労もしていなかった。  元来彼が卒業後相当の地位を求めるために、腐心し運動し奔走し、今もなおしつつあるのは、当人の公言するごとく佯りなき事実ではあるが、いまだに成効の曙光を拝まないと云って、さも苦しそうな声を出して見せるうちには、少なくとも五割方の懸値が籠っていた。彼は須永のような一人息子ではなかったが、母一人残っているところは両方共同じであった。彼は須永のように地面家作の所有主でない代りに、国に少し田地を有っていた。固より大した穀高になるというほどのものでもないが、俵がいくらというきまった金に毎年替えられるので、二十や三十の下宿代に窮する身分ではなかった。その上女親の甘いのにつけ込んで、自分で自分の身を喰うような臨時費を請求した事も今までに一度や二度ではなかった。だから位地位地と云って騒ぐのが、全くの空騒でないにしても、郷党だの朋友だのまたは自分だのに対する虚栄心に煽られている事はたしかであった。そんなら学校にいるうちもっと勉強して好い成績でも取っておきそうなものだのに、そこが浪漫家だけあって、学課はなるべく怠けよう怠けようと心がけて通して来た結果、すこぶる鮮やかならぬ及第をしてしまったのである。 四  それで約一時間ほど須永と話す間にも、敬太郎は位地とか衣食とかいう苦しい問題を自分と進んで持ち出しておきながら、やっぱり先刻見た後姿の女の事が気に掛って、肝心の世渡りの方には口先ほど真面目になれなかった。一度|下座敷で若々しい女の笑い声が聞えた時などは、誰か御客が来ているようだねと尋ねて見ようかしらんと考えたくらいである。ところがその考えている時間が、すでに自然をぶち壊す道具になって、せっかくの問が間外れになろうとしたので、とうとう口へ出さずにやめてしまった。  それでも須永の方ではなるべく敬太郎の好奇心に媚びるような話題を持ち出した気でいた。彼は自分の住んでいる電車の裏通りが、いかに小さな家と細い小路のために、賽の目のように区切られて、名も知らない都会人士の巣を形づくっているうちに、社会の上層に浮き上らない戯曲がほとんど戸ごとに演ぜられていると云うような事実を敬太郎に告げた。  まず須永の五六軒先には日本橋辺の金物屋の隠居の妾がいる。その妾が宮戸座とかへ出る役者を情夫にしている。それを隠居が承知で黙っている。その向う横町に代言だか周旋屋だか分らない小綺麗な格子戸作りの家があって、時々表へ女記者一名、女コック一名至急入用などという広告を黒板へ書いて出す。そこへある時二十七八の美くしい女が、襞を取った紺綾の長いマントをすぽりと被って、まるで西洋の看護婦という服装をして来て職業の周旋を頼んだ。それが其家の主人の昔し書生をしていた家の御嬢さんなので、主人はもちろん妻君も驚ろいたという話がある。次に背中合せの裏通りへ出ると、白髪頭で廿ぐらいの妻君を持った高利貸がいる。人の評判では借金の抵当に取った女房だそうである。その隣りの博奕打が、大勢同類を寄せて、互に血眼を擦り合っている最中に、ねんね子で赤ん坊を負ったかみさんが、勝負で夢中になっている亭主を迎に来る事がある。かみさんが泣きながらどうかいっしょに帰ってくれというと、亭主は帰るには帰るが、もう一時間ほどして負けたものを取り返してから帰るという。するとかみさんはそんな意地を張れば張るほど負けるだけだから、是非今帰ってくれと縋りつくように頼む。いや帰らない、いや帰れといって、往来の氷る夜中でも四隣の眠を驚ろかせる。……  須永の話をだんだん聞いているうちに、敬太郎はこういう実地小説のはびこる中に年来住み慣れて来た須永もまた人の見ないような芝居をこっそりやって、口を拭ってすましているのかも知れないという気が強くなって来た。固よりその推察の裏には先刻見た後姿の女が薄い影を投げていた。「ついでに君の分も聞こうじゃないか」と切り込んで見たが、須永はふんと云って薄笑いをしただけであった。その後で簡単に「今日は咽喉が痛いから」と云った。さも小説は有っているが、君には話さないのだと云わんばかりの挨拶に聞えた。  敬太郎が二階から玄関へ下りた時は、例の女下駄がもう見えなかった。帰ったのか、下駄箱へしまわしたのか、または気を利かして隠したのか、彼にはまるで見当がつかなかった。表へ出るや否や、どういう料簡か彼はすぐ一軒の煙草屋へ飛び込んだ。そうしてそこから一本の葉巻を銜えて出て来た。それを吹かしながら須田町まで来て電車に乗ろうとする途端に、喫煙御断りという社則を思い出したので、また万世橋の方へ歩いて行った。彼は本郷の下宿へ帰るまでこの葉巻を持たすつもりで、ゆっくりゆっくり足を運ばせながらなお須永の事を考えた。その須永はけっしていつものように単独には頭の中へは這入って来なかった。考えるたびにきっと後姿の女がちらちら跟いて来た。しまいに「本郷台町の三階から遠眼鏡で世の中を覗いていて、浪漫的探険なんて気の利いた真似ができるものか」と須永から冷笑かされたような心持がし出した。 五  彼は今日まで、俗にいう下町生活に昵懇も趣味も有ち得ない男であった。時たま日本橋の裏通りなどを通って、身を横にしなければ潜れない格子戸だの、三和土の上から訳もなくぶら下がっている鉄灯籠だの、上り框の下を張り詰めた綺麗に光る竹だの、杉だか何だか日光が透って赤く見えるほど薄っぺらな障子の腰だのを眼にするたびに、いかにもせせこましそうな心持になる。こう万事がきちりと小さく整のってかつ光っていられては窮屈でたまらないと思う。これほど小ぢんまりと几帳面に暮らして行く彼らは、おそらく食後に使う楊枝の削り方まで気にかけているのではなかろうかと考える。そうしてそれがことごとく伝説的の法則に支配されて、ちょうど彼らの用いる煙草盆のように、先祖代々順々に拭き込まれた習慣を笠に、恐るべく光っているのだろうと推察する。須永の家へ行って、用もない松へ大事そうな雪除をした所や、狭い庭を馬鹿丁寧に枯松葉で敷きつめた景色などを見る時ですら、彼は繊細な江戸式の開花の懐に、ぽうと育った若旦那を聯想しない訳に行かなかった。第一須永が角帯をきゅうと締めてきちりと坐る事からが彼には変であった。そこへ長唄の好きだとかいう御母さんが時々出て来て、滑っこい癖にアクセントの強い言葉で、舌触の好い愛嬌を振りかけてくれる折などは、昔から重詰にして蔵の二階へしまっておいたものを、今取り出して来たという風に、出来合以上の旨さがあるので、紋切形とは無論思わないけれども、幾代もかかって辞令の練習を積んだ巧みが、その底に潜んでいるとしか受取れなかった。  要するに敬太郎はもう少し調子外れの自由なものが欲しかったのである。けれども今日の彼は少くとも想像の上において平生の彼とは違っていた。彼は徳川時代の湿っぽい空気がいまだに漂よっている黒い蔵造の立ち並ぶ裏通に、親譲りの家を構えて、敬ちゃん御遊びなという友達を相手に、泥棒ごっこや大将ごっこをして成長したかった。月に一遍ずつ蠣殼町の水天宮様と深川の不動様へ御参りをして、護摩でも上げたかった。それから鉄無地の羽織でも着ながら、歌舞伎を当世に崩して往来へ流した匂のする町内を恍惚と歩きたかった。そうして習慣に縛られた、かつ習慣を飛び超えた艶めかしい葛藤でもそこに見出したかった。  彼はこの時たちまち森本の二字を思い浮かべた。するとその二字の周囲にある空想が妙に色を変えた。彼は物好にも自ら進んでこの後ろ暗い奇人に握手を求めた結果として、もう少しでとんだ迷惑を蒙むるところであった。幸いに下宿の主人が自分の人格を信じたからいいようなものの、疑ぐろうとすればどこまでも疑ぐられ得る場合なのだから、主人の態度いかんに依っては警察ぐらいへ行かなければならなかったのかも知れない。と、こう考えると、彼の空中に編み上げる勝手な浪漫が急に温味を失って、醜くい想像からでき上った雲の峰同様に、意味もなく崩れてしまった。けれどもその奥に口髭をだらしなく垂らした二重瞼の瘠ぎすの森本の顔だけは粘り強く残っていた。彼はその顔を愛したいような、侮りたいような、また憐みたいような心持になった。そうしてこの凡庸な顔の後に解すべからざる怪しい物がぼんやり立っているように思った。そうして彼が記念にくれると云った妙な洋杖を聯想した。  この洋杖は竹の根の方を曲げて柄にした極めて単簡のものだが、ただ蛇を彫ってあるところが普通の杖と違っていた。もっとも輸出向によく見るように蛇の身をぐるぐる竹に巻きつけた毒々しいものではなく、彫ってあるのはただ頭だけで、その頭が口を開けて何か呑みかけているところを握にしたものであった。けれどもその呑みかけているのが何であるかは、握りの先が丸く滑っこく削られているので、蛙だか鶏卵だか誰にも見当がつかなかった。森本は自分で竹を伐って、自分でこの蛇を彫ったのだと云っていた。 六  敬太郎は下宿の門口を潜るとき何より先にまずこの洋杖に眼をつけた。というよりも途すがらの聯想が、硝子戸を開けるや否や、彼の眼を瀬戸物の傘入の方へ引きつけたのである。実をいうと、彼は森本の手紙を受取った当座、この洋杖を見るたびに、自分にも説明のできない妙な感じがしたので、なるべく眼を触れないように、出入の際視線を逸らしたくらいである。ところがそうすると今度はわざと見ないふりをして傘入の傍を通るのが苦になってきて、極めて軽微な程度ではあるけれどもこの変な洋杖におのずと祟られたと云う風になって、しまった。彼自身もついには自分の神経を不思議に思い出した。彼は一種の利害関係から、過去に溯ぼる嫌疑を恐れて、森本の居所もまたその言伝も主人夫婦に告げられないという弱味を有っているには違ないが、それは良心の上にどれほどの曇もかけなかった。記念として上げるとわざわざ云って来たものを、快よく貰い受ける勇気の出ないのは、他の好意を空くする点において、面白くないにきまっているが、これとても苦になるほどではない。ただ森本の浮世の風にあたる運命が近いうちに終りを告げるとする。その憐れな最期を今から予想して、この洋杖が傘入の中に立っているとする。そうして多能な彼の手によって刻まれた、胴から下のない蛇の首が、何物かを呑もうとして呑まず、吐こうとして吐かず、いつまでも竹の棒の先に、口を開いたまま喰付いているとする。――こういう風に森本の運命とその運命を黙って代表している蛇の頭とを結びつけて考えた上に、その代表者たる蛇の頭を毎日握って歩くべく、近い内にのたれ死をする人から頼まれたとすると、敬太郎はその時に始めて妙な感じが起るのである。彼は自分でこの洋杖を傘入の中から抜き取る事もできず、また下宿の主人に命じて、自分の目の届かない所へ片づけさせる訳にも行かないのを大袈裟ではあるが一種の因果のように考えた。けれども詩で染めた色彩と、散文で行く活計とはだいぶ一致しないところもあって、実際を云うと、これがために下宿を変えて落ちついた方が楽だと思うほど彼は洋杖に災されていなかったのである。  今日も洋杖は依然として傘入の中に立っていた。鎌首は下駄箱の方を向いていた。敬太郎はそれを横に見たなり自分の室に上ったが、やがて机の前に坐って、森本にやる手紙を書き始めた。まずこの間向うから来た音信の礼を述べた上、なぜ早く返事を出さなかったかという弁解を二三行でもいいからつけ加えたいと思ったが、それを明らさまに打ち開けては、君のような漂浪者を知己に有つ僕の不名誉を考えると、書信の往復などはする気になれなかったからだとでも書くよりほかに仕方がないので、そこは例の奔走に取り紛れと簡単な一句でごまかしておいた。次に彼が大連で好都合な職業にありついた祝いの言葉をちょっと入れて、その後へだんだん東京も寒くなる時節柄、満洲の霜や風はさぞ凌ぎ悪いだろう。ことにあなたの身体ではひどく応えるに違ないから、是非用心して病気に罹らないようになさいと優しい文句を数行綴った。敬太郎から云うと、実にここが手紙を出す主意なのだから、なるべく自分の同情が先方へ徹するように旨くかつ長く、そうして誰が見ても実意の籠っているように書きたかったのだけれども、読み直して見ると、やっぱり普通の人が普通時候の挨拶に述べる用語以外に、何の新らしいところもないので、彼は少し失望した。と云って、固々恋人に送る艶書ほど熱烈な真心を籠めたものでないのは覚悟の前である。それで自分は文章が下手だから、いくら書き直したって駄目だくらいの口実の下に、そこはそのままにして前へ進んだ。 七  森本が下宿へ置き去りにして行った荷物の始末については義理にも何とか書き添えなければすまなかった。しかしその処置のつけ方を亭主に聞くのは厭だし、聞かなければ委細の報道はできるはずはなし、敬太郎は筆の先を宙に浮かしたまま考えていたが、とうとう「あなたの荷物は、僕から主人に話して、どうでも彼の都合の宜いように取り計らわせろとの御依頼でしたが、あなたの千里眼の通り、僕が何にも云わない先に、雷獣の方で勝手に取計ってしまったようですからさよう御承知を願います。梅の盆栽を下さるという事ですが、これは影も形も見えないようですから、頂きません。ただ御礼だけ申し述べておきます。それから」とつづけておいて、また筆を休めた。  敬太郎はいよいよ洋杖のところへ来たのである。根が正直な男だから、あの洋杖はせっかくの御覚召だから、ちょうだいして毎日散歩の時突いて出ますなどと空々しい嘘は吐けず、と言って御親切はありがたいが僕は貰いませんとはなおさら書けず。仕方がないから、「あの洋杖はいまだに傘入の中に立っています。持主の帰るのを毎日毎夜待ち暮しているごとく立っています。雷獣もあの蛇の頭へは手を触れる事をあえてしません。僕はあの首を見るたびに、彫刻家としてのあなたの手腕に敬服せざるを得ないです」と好加減な御世辞を並べて、事実を暈す手段とした。  状袋へ名宛を書くときに、森本の名前を思い出そうとしたが、どうしても胸に浮ばないので、やむを得ず大連電気公園内娯楽掛り森本様とした。今までの関係上主人夫婦の眼を憚からなければならない手紙なので、下女を呼んでポストへ入れさせる訳にも行かなかったから、敬太郎はすぐそれを自分の袂の中に蔵した。彼はそれを持って夕食後散歩かたがた外へ出かける気で寒い梯子段を下まで降り切ると、須永から電話が掛った。  今日内幸町から従妹が来ての話に、叔父は四五日内に用事で大阪へ行くかも知れないそうだから、余り遅くなってはと思って、立つ前に会って貰えまいかと電話で聞いて見たら、宜しいという返事だから、行く気ならなるべく早く行った方がよかろう。もっとも電話の上に咽喉が痛いので、詳しい話はできなかったから、そのつもりでいてくれというのが彼の用向であった。敬太郎は「どうもありがとう。じゃなるべく早く行くようにするから」と礼を述べて電話を切ったが、どうせ行くなら今夜にでも行って見ようという気が起ったので、再び三階へ取って返してこの間|拵らえたセルの袴を穿いた上、いよいよ表へ出た。  曲り角へ来てポストへ手紙を入れる事は忘れなかったけれども、肝心の森本の安否はこの時すでに敬太郎の胸に、ただ微かな火気を残すのみであった。それでも状袋が郵便函の口を滑って、すとんと底へ落ちた時は、受取人の一週間以内に封を披く様を想見して、満更悪い心持もしまいと思った。  それから電車へ乗るまではただ一直線にすたすた歩いた。考も一直線に内幸町の方を向いていたが、電車が明神下へ出る時分、何気なく今しがた電話口で須永から聞いた言葉を、頭の内で繰り返して見ると、覚えずはっと思うところが出て来た。須永は「今日内幸町からイトコが来て」とたしかに云ったが、そのイトコが彼の叔父さんの子である事は疑うまでもない。しかしその子が男であるか女であるかは不完全な日本語のまるで関係しないところである。 「どっちだろう」  敬太郎は突然気にし始めた。もしそれが男だとすれば、あの後姿の女についての手がかりにはならない。したがって女は彼の好奇心を徒らに刺戟しただけで、ちっとも動いて来ない。しかしもし女だとすると、日といい時刻といい、須永の玄関から上り具合といい、どうも自分より一足先へ這入ったあの女らしい。想像と事実を継ぎ合わせる事に巧みな彼は、そうと確かめないうちに、てっきりそうときめてしまった。こう解釈した時彼は、今まで泡立っていた自分の好奇心に幾分の冷水を注したような満足を覚えると共に、予期したよりも平凡な方角に、手がかりが一つできたと云うつまらなさをも感じた。 八  彼は小川町まで来た時、ちょっと電車を下りても須永の門口まで行って、友の口から事実を確かめて見たいくらいに思ったが、単純な好奇心以外にそんな立ち入った詮議をすべき理由をどこにも見出し得ないので、我慢してすぐ三田線に移った。けれども真直に神田橋を抜けて丸の内を疾駆する際にも、自分は今須永の従妹の家に向って走りつつあるのだという心持は忘れなかった。彼は勧業銀行の辺で下りるはずのところを、つい桜田本郷町まで乗り越して驚ろいてまた暗い方へ引き返した。淋しい夜であったが尋ねる目的の家はすぐ知れた。丸い瓦斯に田口と書いた門の中を覗いて見ると、思ったより奥深そうな構であった。けれども実際は砂利を敷いた路が往来から筋違に玄関を隠しているのと、正面を遮ぎる植込がこんもり黒ずんで立っているのとで、幾分か厳めしい景気を夜陰に添えたまでで、門内に這入ったところでは見付ほど手広な住居でもなかった。  玄関には西洋擬いの硝子戸が二枚|閉ててあったが、頼むといっても、電鈴を押しても、取次がなかなか出て来ないので、敬太郎はやむを得ずしばらくその傍に立って内の様子を窺がっていた。すると、どこからかようやく足音が聞こえ出して、眼の前の擦硝子がぱっと明るくなった。それから庭下駄で三和土を踏む音が二足三足したと思うと、玄関の扉が片方|開いた。敬太郎はこの際取次の風采を想望するほどの物数奇もなく、全く漫然と立っていただけであるが、それでも絣の羽織を着た書生か、双子の綿入を着た下女が、一応御辞儀をして彼の名刺を受取る事とのみ期待していたのに、今戸を半分開けて彼の前に立ったのは、思いも寄らぬ立派な服装をした老紳士であった。電気の光を背中に受けているので、顔は判然しなかったが、白縮緬の帯だけはすぐ彼の眼に映じた。その瞬間にすぐこれが田口という須永の叔父さんだろうという感じが敬太郎の頭に働いた。けれども事が余り意外なので、すぐ挨拶をする余裕も出ず少しはあっけに取られた気味で、ぼんやりしていた。その上自分をはなはだ若く考えている敬太郎には、四十代だろうが五十代だろうが乃至六十代だろうがほとんど区別のない一様の爺さんに見えるくらい、彼は老人に対して親しみのない男であった。彼は四十五と五十五を見分けてやるほどの同情心を年長者に対して有たなかったと同時に、そのいずれに向っても慣れないうちは異人種のような無気味を覚えるのが常なので、なおさら迷児ついたのである。しかし相手は何も気にかからない様子で、「何か用ですか」と聞いた。丁寧でもなければ軽蔑でもない至って無雑作なその言葉つきが、少し敬太郎の度胸を回復させたので、彼はようやく自分の姓名を名乗ると共に手短かく来意を告げる機会を得た。すると年嵩な男は思い出したように、「そうそう先刻市蔵から電話で話がありました。しかし今夜|御出になるとは思いませんでしたよ」と云った。そうして君そう早く来たっていけないという様子がその裏に見えたので、敬太郎は精一杯言訳をする必要を感じた。老人はそれを聞くでもなし聞かぬでもなしといった風に黙って立っていたが、「そんならまたいらっしゃい。四五日うちにちょっと旅行しますが、その前に御目にかかれる暇さえあれば、御目にかかっても宜うござんす」と云った。敬太郎は篤く礼を述べてまた門を出たが、暗い夜の中で、礼の述べ方がちと馬鹿丁寧過ぎたと思った。  これはずっと後になって、須永の口から敬太郎に知れた話であるが、ここの主人は、この時玄関に近い応接間で、たった一人|碁盤に向って、白石と黒石を互違に並べながら考え込んでいたのだそうである。それは客と一石やった後の引続きとして、是非共ある問題を解決しなければ気がすまなかったからであるが、肝心のところで敬太郎がさも田舎者らしく玄関を騒がせるものだから、まずこの邪魔を追っ払った後でというつもりになって、じれったさの余り自分と取次に出たのだという。須永にこの顛末を聞かされた時に、敬太郎はますます自分の挨拶が丁寧過ぎたような気がした。 九  中一日置いて、敬太郎は堂々と田口へ電話をかけて、これからすぐ行っても差支ないかと聞き合わせた。向うの電話口へ出たものは、敬太郎の言葉つきや話しぶりの比較的|横風なところからだいぶ位地の高い人とでも思ったらしく、「どうぞ少々御待ち下さいまし、ただいま主人の都合をちょっと尋ねますから」と丁寧な挨拶をして引き込んだが、今度返事を伝えるときは、「ああ、もしもし今ね、来客中で少し差支えるそうです。午後の一時頃来るなら来ていただきたいという事です」と前よりは言葉がよほど粗末になっていた。敬太郎は、「そうですか、それでは一時頃上りますから、どうぞ御主人に宜しく」と答えて電話を切ったが、内心は一種|厭な心持がした。  十二時かっきりに午飯を食うつもりで、あらかじめ下女に云いつけておいた膳が、時間通り出て来ないので、敬太郎は騒々しく鳴る大学の鐘に急き立てられでもするように催促をして、できるだけ早く食事を済ました。電車の中では一昨日の晩会った田口の態度を思い浮べて、今日もまたああいう風に無雑作な取扱を受けるのか知らん、それとも向うで会うというくらいだから、もう少しは愛嬌のある挨拶でもしてくれるか知らんと考えなどした。彼はこの紳士の好意で、相当の地位さえ得られるならば、多少腰を曲めて窮屈な思をするぐらいは我慢するつもりであった。けれども先刻電話の取次に出たもののように、五分と経たないうちに、言葉使いを悪い方に改められたりすると、もう不愉快になって、どうかそいつがまた取次に出なければいいがと思う。その癖自分のかけ方の自分としては少し横風過ぎた事にはまるで気がつかない性質であった。  小川町の角で、斜に須永の家へ曲る横町を見た時、彼ははっと例の後姿の事を思い出して、急に日蔭から日向へ想像を移した。今日も美くしい須永の従妹のいる所へ訪問に出かけるのだと自分で自分に教える方が、億劫な手数をかけて、好い顔もしない爺さんに、衣食の途を授けて下さいと泣つきに行くのだと意識するよりも、敬太郎に取っては遥かに麗かであったからである。彼は須永の従妹と田口の爺さんを自分勝手に親子ときめておきながらどこまでも二人を引き離して考えていた。この間の晩田口と向き合って玄関先に立った時も、光線の具合で先方の人品は判然分らなかったけれども、眼鼻だちの輪廓だけで評したところが、あまり立派な方でなかった事は、この爺さんの第一印象として、敬太郎の胸に夜目にも疑なく描かれたのである。それでいて彼はこの男の娘なら、須永との関係はどうあろうとも、器量はあまりいい方じゃあるまいという気がどこにも起らなかった。そこで離れていて合い、合っていて離れるような日向日蔭の裏表を一枚にした頭を彼は田口家に対して抱いていたのである。それを互違にくり返した後、彼は田口の門前に立った。するとそこに大きな自働車が御者を乗せたまま待っていたので、少し安からぬ感じがした。  玄関へ掛って名刺を出すと、小倉の袴を穿いた若い書生がそれを受取って、「ちょっと」と云ったまま奥へ這入って行った。その声が確かに先刻電話口で聞いたのに違ないので、敬太郎は彼の後姿を見送りながら厭な奴だと思った。すると彼は名刺を持ったまままた現われた。そうして「御気の毒ですが、ただいま来客中ですからまたどうぞ」と云って、敬太郎の前に突立っていた。敬太郎も少しむっとした。 「先程電話で御都合を伺ったら、今客があるから午後一時頃来いという御返事でしたが」 「実はさっきの御客がまだ御帰りにならないで、御膳などが出て混雑しているんです」  落ちついて聞きさえすれば満更無理もない言訳なのだが、電話以後この取次が癪に障っている敬太郎には彼の云い草がいかにも気に喰わなかった。それで自分の方から先を越すつもりか何かで、「そうですか、たびたび御足労でした。どうぞ御主人へよろしく」と平仄の合わない捨台詞のような事を云った上、何だこんな自働車がと云わぬばかりにその傍を擦り抜けて表へ出た。 十  彼はこの日必要な会見を都合よく済ました後、新らしく築地に世帯を持った友人の所へ廻って、須永と彼の従妹とそれから彼の叔父に当る田口とを想像の糸で巧みに継ぎ合せつつある一部始終を御馳走に、晩まで話し込む気でいたのである。けれども田口の門を出て日比谷公園の傍に立った彼の頭には、そんな余裕はさらになかった。後姿を見ただけではあるが、在所をすでに突き留めて、今その人の家を尋ねたのだという陽気な心持は固よりなかった。位置を求めにここまで来たという自覚はなおなかった。彼はただ屈辱を感じた結果として、腹を立てていただけである。そうして自分を田口のような男に紹介した須永こそこの取扱に対して当然責任を負わなくてはならないと感じていた。彼は帰りがけに須永の所へ寄って、逐一顛末を話した上、存分文句を並べてやろうと考えた。それでまた電車に乗って一直線に小川町まで引返して来た。時計を見ると、二時にはまだ二十分ほど間があった。須永の家の前へ来て、わざと往来から須永須永と二声ばかり呼んで見たが、いるのかいないのか二階の障子は立て切ったままついに開かなかった。もっとも彼は体裁家で、平生からこういう呼び出し方を田舎者らしいといって厭がっていたのだから、聞こえても知らん顔をしているのではなかろうかと思って、敬太郎は正式に玄関の格子口へかかった。けれども取次に出た仲働の口から「午少し過に御出ましになりました」という言葉を聞いた時は、ちょっと張合が抜けて少しの間黙って立っていた。 「風邪を引いていたようでしたが」 「はい、御風邪を召していらっしゃいましたが、今日はだいぶ好いからとおっしゃって、御出かけになりました」  敬太郎は帰ろうとした。仲働は「ちょっと御隠居さまに申し上げますから」といって、敬太郎を格子のうちに待たしたまま奥へ這入った。と思うと襖の陰から須永の母の姿が現われた。背の高い面長の下町風に品のある婦人であった。 「さあどうぞ。もうそのうち帰りましょうから」  須永の母にこう云い出されたが最後、江戸慣れない敬太郎はどうそれを断って外へ出ていいか、いまだにその心得がなかった。第一どこで断る隙間もないように、調子の好い文句がそれからそれへとずるずる彼の耳へ響いて来るのである。それが世間体の好い御世辞と違って、引き留められているうちに、上っては迷惑だろうという遠慮がいつの間にか失くなって、つい気の毒だから少し話して行こうという気になるのである。敬太郎は云われるままにとうとう例の書斎へ腰をおろした。須永の母が御寒いでしょうと云って、仕切りの唐紙を締めてくれたり、さあ御手をお出しなさいと云って、佐倉を埋けた火鉢を勧めてくれたりするうちに、一時|昂奮した彼の気分はしだいに落ちついて来た。彼はシキとかいう白い絹へ秋田蕗を一面に大きく摺った襖の模様だの、唐桑らしくてらてらした黄色い手焙だのを眺めて、このしとやかで能弁な、人を外す事を知らないと云った風の母と話をした。  彼女の語るところによると、須永は今日|矢来の叔父の家へ行ったのだそうである。 「じゃついでだから帰りに小日向へ廻って御寺参りをして来ておくれって申しましたら、御母さんは近頃|無精になったようですね、この間も他に代理をさせたじゃありませんか、年を取ったせいかしらなんて悪口を云い云い出て参りましたが、あれもねあなた、せんだって中から風邪を引いて咽喉を痛めておりますので、今日も何なら止した方がいいじゃないかととめて見ましたが、やっぱり若いものは用心深いようでもどこか我無しゃらで、年寄の云う事などにはいっさい無頓着でございますから……」  須永の留守へ行くと、彼の母は唯一の楽みのようにこういう調子で伜の話をするのが常であった。敬太郎の方で須永の評判でも持ち出そうものなら、いつまででもその問題の後へ喰付いて来て、容易に話頭を改めないのが例になっていた。敬太郎もそれにはだいぶ慣れているから、この際も向うのいう通りをただふんふんとおとなしく聞いて、一段落の来るのを待っていた。 十一  そのうち話がいつか肝心の須永を逸れて、矢来の叔父という人の方へ移って行った。これは内幸町と違って、この御母さんの実の弟に当る男だそうで、一種の贅沢屋のように敬太郎は須永から聞いていた。外套の裏は繻子でなくては見っともなくて着られないと云ったり、要りもしないのに古渡りの更紗玉とか号して、石だか珊瑚だか分らないものを愛玩したりする話はいまだに覚えていた。 「何にもしないで贅沢に遊んでいられるくらい好い事はないんだから、結構な御身分ですね」と敬太郎が云うのを引き取るように母は、「どうしてあなた、打ち明けた御話が、まあどうにかこうにかやって行けるというまでで、楽だの贅沢だのという段にはまだなかなかなのでございますからいけません」と打ち消した。  須永の親戚に当る人の財力が、さほど敬太郎に関係のある訳でもないので、彼はそれなり黙ってしまった。すると母は少しでも談話の途切れるのを自分の過失ででもあるように、すぐ言葉を継いだ。 「それでも妹婿の方は御蔭さまで、何だかだって方々の会社へ首を突っ込んでおりますから、この方はまあ不自由なく暮しておる模様でございますが、手前共や矢来の弟などになりますと、云わば、浪人同様で、昔に比べたら、尾羽うち枯らさないばかりの体たらくだって、よく弟ともそう申しては笑うこってございますよ」  敬太郎は何となく自分の身の上を顧みて気恥かしい思をした。幸にさきがすらすら喋舌ってくれるので、こっちに受け答をする文句を考える必要がないのをせめてもの得として聞き続けた。 「それにね、御承知の通り市蔵がああいう引っ込思案の男だもんでござんすから、私もただ学校を卒業させただけでは、全く心配が抜けませんので、まことに困り切ります。早く気に入った嫁でも貰って、年寄に安心でもさせてくれるようにおしなと申しますと、そう御母さんの都合のいいようにばかり世の中は行きゃしませんて、てんで相手にしないんでございますよ。そんなら世話をしてくれる人に頼んで、どこへでもいいから、務にでも出る気になればまだしも、そんな事にはまたまるで無頓着であなた……」  敬太郎はこの点において実際須永が横着過ると平生から思っていた。「余計な事ですが、少し目上の人から意見でもして上げるようにしたらどうでしょう。今御話の矢来の叔父さんからでも」と全く年寄に同情する気で云った。 「ところがこれがまた大の交際嫌の変人でございまして、忠告どころか、何だ銀行へ這入って算盤なんかパチパチ云わすなんて馬鹿があるもんかと、こうでございますから頭から相談にも何にもなりません。それをまた市蔵が嬉しがりますので。矢来の叔父の方が好きだとか気が合うとか申しちゃよく出かけます。今日なども日曜じゃあるし御天気は好しするから、内幸町の叔父が大阪へ立つ前にちょっとあちらへ顔でも出せばいいのでございますけれども、やっぱり矢来へ行くんだって、とうとう自分の好きな方へ参りました」  敬太郎はこの時自分が今日何のために馳け込むようにこの家を襲ったかの原因について、また新らしく考え出した。彼は須永の顔を見たら随分過激な言葉を使ってもその不都合を責めた上、僕はもう二度とあすこの門は潜らないつもりだから、そう思ってくれたまえぐらいの台詞を云って帰る気でいたのに、肝心の須永は留守で、事情も何も知らない彼の母から、逆さにいろいろな話をしかけられたので、怒ってやろうという気は無論抜けてしまったのである。が、それでも行きがかり上、田口と会見を遂げ得なかった顛末だけは、一応この母の耳へでも構わないから入れておく必要があるだろう。それには話の中に内幸町へ行くとか行かないとかが問題になっている今が一番よかろう。――こう敬太郎は思った。 十二 「実はその内幸町の方へ今日私も出たんですが」と云い出すと、自分の息子の事ばかり考えていた母は、「おやそうでございましたか」とやっと気がついてすまないという顔つきをした。この間から敬太郎が躍起になって口を探している事や、探しあぐんで須永に紹介を頼んだ事や、須永がそれを引き受けて内幸町の叔父に会えるように周旋した事は、須永の傍にいる母として彼女のことごとく見たり聞いたりしたところであるから、行き届いた人なら先方で何も云い出さない前に、こっちからどんな模様ですぐらいは聞いてやるべきだとでも思ったのだろう。こう観察した敬太郎は、この一句を前置に、今までの成行を残らず話そうと力めにかかったが、時々相手から「そうでございますとも」とか、「本当にまあ、間の悪い時にはね」とか、どっちにも同情したような間投詞が出るので、自分がむかっ腹を立てて悪体を吐いた事などは話のうちから綺麗に抜いてしまった。須永の母は気の毒という言葉を何遍もくり返した後で、田口を弁護するようにこんな事を云った。―― 「そりゃあ実のところ忙しい男なので。妹などもああして一つ家に住んでおりますようなものの、――何でごさんしょう。――落々話のできるのはおそらく一週間に一日もございますまい。私が見かねて要作さんいくら御金が儲かるたって、そう働らいて身体を壊しちゃ何にもならないから、たまには骨休めをなさいよ、身体が資本じゃありませんかと申しますと、おいらもそう思ってるんだが、それからそれへと用が湧いてくるんで、傍から掬くい出さないと、用が腐っちまうから仕方がないなんて笑って取り合いませんので。そうかと思うとまた妹や娘に今日はこれから鎌倉へ伴れて行く、さあすぐ支度をしろって、まるで足元から鳥が立つように急き立てる事もございますが……」 「御嬢さんがおありなのですか」 「ええ二人おります。いずれも年頃でございますから、もうそろそろどこかへ片づけるとか婿を取るとかしなければなりますまいが」 「そのうちの一人の方が、須永君のところへ御出になる訳でもないんですか」  母はちょっと口籠った。敬太郎もただ自分の好奇心を満足させるためにあまり立ち入った質問をかけ過ぎたと気がついた。何とかして話題を転じようと考えているうちに、相手の方で、 「まあどうなりますか。親達の考もございましょうし。当人達の存じ寄りもしかと聞糺して見ないと分りませんし。私ばかりでこうもしたい、ああもしたいといくら熱急思ってもこればかりは致し方がございません」と何だか意味のありそうな事を云った。一度|退きかけた敬太郎の好奇心はこの答でまた打ち返して来そうにしたが、善くないという克己心にすぐ抑えられた。  母はなお田口の弁護をした。そんな忙がしい身体だから、時によると心にもない約束違いなどをする事もあるが、いったん引き受けた以上は忘れる男ではないから、まあ旅行から帰るまで待って、緩くり会ったら宜かろうという注意とも慰藉ともつかない助言も与えた。 「矢来のはおっても会わん方で、これは仕方がございませんが、内幸町のはいないでも都合さえつけば馳けて帰って来て会うといった風の性質でございますから、今度旅行から帰って来さえすれば、こっちから何とも云ってやらないでも、向うできっと市蔵のところへ何とか申して参りますよ。きっと」  こう云われて見ると、なるほどそういう人らしいが、それはこっちがおとなしくしていればこそで、先刻のようにぷんぷん怒ってはとうてい物にならないにきまり切っている。しかし今更それを打ち明ける訳には行かないので、敬太郎はただ黙っていた。須永の母はなお「あんな顔はしておりますが、見かけによらない実意のある剽軽者でございますから」と云って一人で笑った。 十三  剽軽者という言葉は田口の風采なり態度なりに照り合わせて見て、どうも敬太郎の腑に落ちない形容であった。しかし実際を聞いて見ると、なるほど当っているところもあるように思われた。田口は昔しある御茶屋へ行って、姉さんこの電気灯は熱り過ぎるね、もう少し暗くしておくれと頼んだ事があるそうだ。下女が怪訝な顔をして小さい球と取り換えましょうかと聞くと、いいえさ、そこをちょいと捻って暗くするんだと真面目に云いつけるので、下女はこれは電気灯のない田舎から出て来た人に違ないと見て取ったものか、くすくす笑いながら、旦那電気はランプと違って捻ったって暗くはなりませんよ、消えちまうだけですから。ほらねとぱちッと音をさせて座敷を真暗にした上、またぱっと元通りに明るくするかと思うと、大きな声でばあと云った。田口は少しも悄然ずに、おやおやまだ旧式を使ってるね。見っともないじゃないか、ここの家にも似合わないこった。早く会社の方へ改良を申し込んでおくといい。順番に直してくれるから。とさももっともらしい忠告を与えたので、下女もとうとう真に受け出して、本当にこれじゃ不便ね、だいち点けっ放しで寝る時なんか明る過ぎて、困る人が多いでしょうからとさも感心したらしく、改良に賛成したそうである。ある時用事が出来て門司とか馬関とかまで行った時の話はこれよりもよほど念が入っている。いっしょに行くべきはずのAという男に差支が起って、二日ばかり彼は宿屋で待ち合わしていた。その間の退屈紛れに、彼はAを一つ担いでやろうと巧らんだ。これは町を歩いている時、一軒の写真屋の店先でふと思いついた悪戯で、彼はその店から地方の芸者の写真を一枚買ったのである。その裏へA様と書いて、手紙を添えた贈物のように拵えた。その手紙は女を一人雇って、充分の時間を与えた上、できるだけAの心を動かすように艶めかしく曲らしたもので、誰が貰っても嬉しい顔をするに足るばかりか、今日の新聞を見たら、明日ここへ御着のはずだと出ていたので、久しぶりにこの手紙を上げるんだから、どうか読みしだい、どこそこまで来ていただきたいと書いたなかなか安くないものであった。彼はその晩自分でこの手紙をポストへ入れて、翌日配達の時またそれを自分で受取ったなり、Aの来るのを待ち受けた。Aが着いても彼はこの手紙をなかなか出さなかった。力めて真面目な用談についての打合せなどを大事らしくし続けて、やっと同じ食卓で晩餐の膳に向った時、突然思い出したように袂の中からそれを取り出してAに与えた。Aは表に至急親展とあるので、ちょっと箸を下に置くと、すぐ封を開いたが、少し読み下すと同時に包んである写真を抜いて裏を見るや否や、急に丸めるように懐へ入れてしまった。何か急の用でもできたのかと聞くと、いや何というばかりで、不得要領にまた箸を取ったが、どことなくそわそわした様子で、まだ段落のつかない用談をそのままに、少し失礼する腹が痛いからと云って自分の部屋に帰った。田口は下女を呼んで、今から十五分以内にAが外出するだろうから、出るときは車が待ってでもいたように、Aが何にも云わない先に彼を乗せて馳け出して、その思わく通りどこの何という家の門へおろすようにしろと云いつけた。そうして自分はAより早く同じ家へ行って、主婦を呼ぶや否や、今おれの宿の提灯を点けた車に乗って、これこれの男が来るから、来たらすぐ綺麗な座敷へ通して、叮嚀に取扱って、向うで何にも云わない先に、御連様はとうから御待兼でございますと云ったなり引き退がって、すぐおれのところへ知らせてくれと頼んだ。そうして一人で煙草を吹かして腕組をしながら、事件の経過を待っていた。すると万事が旨い具合に予定の通り進行して、いよいよ自分の出る順が来た。そこでAの部屋の傍へ行って間の襖を開けながら、やあ早かったねと挨拶すると、Aは顔の色を変えて驚ろいた。田口はその前へ坐り込んで、実はこれこれだと残らず自分の悪戯を話した上、「担いだ代りに今夜は僕が奢るよ」と笑いながら云ったんだという。 「こういう飄気た真似をする男なんでございますから」と須永の母も話した後でおかしそうに笑った。敬太郎はあの自働車はまさか悪戯じゃなかったろうと考えながら下宿へ帰った。 十四  自動車事件以後|敬太郎はもう田口の世話になる見込はないものと諦らめた。それと同時に須永の従弟と仮定された例の後姿の正体も、ほぼ発端の入口に当たる浅いところでぱたりと行きとまったのだと思うと、その底にはがゆいようなまた煮切らないような不愉快があった。彼は今日まで何一つ自分の力で、先へ突き抜けたという自覚を有っていなかった。勉強だろうが、運動だろうが、その他何事に限らず本気にやりかけて、貫ぬき終せた試がなかった。生れてからたった一つ行けるところまで行ったのは、大学を卒業したくらいなものである。それすら精を出さずにとぐろばかり巻きたがっているのを、向で引き摺り出してくれたのだから、中途で動けなくなった間怠さのない代りには、やっとの思いで井戸を掘り抜いた時の晴々した心持も知らなかった。  彼はぼんやりして四五日過ぎた。ふと学生時代に学校へ招待したある宗教家の談話を思い出した。その宗教家は家庭にも社会にも何の不満もない身分だのに、自から進んで坊主になった人で、その当時の事情を述べる時に、どうしても不思議でたまらないからこの道に入って見たと云った。この人はどんな朗らかに透き徹るような空の下に立っても、四方から閉じ込められているような気がして苦しかったのだそうである。樹を見ても家を見ても往来を歩く人間を見ても鮮かに見えながら、自分だけ硝子張の箱の中に入れられて、外の物と直に続いていない心持が絶えずして、しまいには窒息するほど苦しくなって来るんだという。敬太郎はこの話を聞いて、それは一種の神経病に罹っていたのではなかろうかと疑ったなり、今日まで気にもかけずにいた。しかしこの四五日ぼんやり屈託しているうちによくよく考えて見ると、彼自身が今までに、何一つ突き抜いて痛快だという感じを得た事のないのは、坊主にならない前のこの宗教家の心にどこか似た点があるようである。もちろん自分のは比較にならないほど微弱で、しかも性質がまるで違っているから、この坊さんのようにえらい勇断をする必要はない。もう少し奮発して気張る事さえ覚えれば、当っても外れても、今よりはまだ痛快に生きて行かれるのに、今日までついぞそこに心を用いる事をしなかったのである。  敬太郎は一人でこう考えて、どこへでも進んで行こうと思ったが、また一方では、もうすっぽ抜けの後の祭のような気がして、何という当もなくまた三四日ぶらぶらと暮した。その間に有楽座へ行ったり、落語を聞いたり、友達と話したり、往来を歩いたり、いろいろやったが、いずれも薬缶頭を攫むと同じ事で、世の中は少しも手に握れなかった。彼は碁を打ちたいのに、碁を見せられるという感じがした。そうして同じ見せられるなら、もう少し面白い波瀾曲折のある碁が見たいと思った。  すると直須永と後姿の女との関係が想像された。もともと頭の中でむやみに色沢を着けて奥行のあるように組み立てるほどの関係でもあるまいし、あったところが他の事を余計なおせっかいだと、自分で自分を嘲けりながら、ああ馬鹿らしいと思う後から、やっぱり何かあるだろうという好奇心が今のようにちょいちょいと閃めいて来るのである。そうしてこの道をもう少し辛抱強く先へ押して行ったら、自分が今まで経験した事のない浪漫的な或物にぶつかるかも知れないと考え出す。すると田口の玄関で怒ったなり、あの女の研究まで投げてしまった自分の短気を、自分の好奇心に釣り合わない弱味だと思い始める。  職業についても、あんな些細な行違のために愛想づかしをたとい一句でも口にして、自分と田口の敷居を高くするはずではなかったと思う。あれでできるともできないとも、まだ方のつかない未来を中途半端に仕切ってしまった。そうして好んで煮きらない思いに悩んでいる姿になってしまった。須永の母の保証するところでは、田口という老人は見かけに寄らない親切気のある人だそうだから、あるいは旅行から帰って来た上で、また改めて会ってくれないとも限らない。が、こっちからもう一遍会見の都合を問い合せたりなどして、常識のない馬鹿だと軽蔑まれてもつまらない。けれどもどの道突き抜けた心持をしっかり捕まえるためには馬鹿と云われるまでも、そこまで突っかけて行く必要があるだろう。――敬太郎は屈託しながらもいろいろ考えた。 十五  けれども身の一大事を即座に決定するという非常な場合と違って、敬太郎の思案には屈託の裏に、どこか呑気なものがふわふわしていた。この道をとどのつまりまで進んで見ようか、またはこれぎりやめにして、さらに新らしいものに移る支度をしようか。問題は煎じつめるまでもなく当初から至極簡単にでき上っていたのである。それに迷うのは、一度|籤を引き損なったが最後、もう浮ぶ瀬はないという非道い目に会うからではなくって、どっちに転んでも大した影響が起らないため、どうでも好いという怠けた心持がいつしらず働らくからである。彼は眠い時に本を読む人が、眠気に抵抗する努力を厭いながら、文字の意味を判明頭に入れようと試みるごとく、呑気の懐で決断の卵を温めている癖に、ただ旨く孵化らない事ばかり苦にしていた。この不決断を逃れなければという口実の下に、彼は暗に自分の物数奇に媚びようとした。そうして自分の未来を売卜者の八卦に訴えて判断して見る気になった。彼は加持、祈祷、御封、虫封じ、降巫の類に、全然信仰を有つほど、非科学的に教育されてはいなかったが、それ相当の興味は、いずれに対しても昔から今日まで失わずに成長した男である。彼の父は方位九星に詳しい神経家であった。彼が小学校へ行く時分の事であったが、ある日曜日に、彼の父は尻を端折って、鍬を担ついだまま庭へ飛び下りるから、何をするのかと思って、後から跟いて行こうとすると、父は敬太郎に向って、御前はそこにいて、時計を見ていろ、そうして十二時が鳴り出したら、大きな声を出して合図をしてくれ、すると御父さんがあの乾に当る梅の根っこを掘り始めるからと云いつけた。敬太郎は子供心にまた例の家相だと思って、時計がちんと鳴り出すや否や命令通り、十二時ですようと大きな声で叫んだ。それで、その場は無事に済んだが、あれほど正確に鍬を下ろすつもりなら、肝心の時計が狂っていないようにあらかじめ直しておかなくてはならないはずだのにと敬太郎は父の迂闊をおかしく思った。学校の時計と自分の家のとはその時二十分近く違っていたからである。ところがその後摘草に行った帰りに、馬に蹴られて土堤から下へ転がり落ちた事がある。不思議に怪我も何もしなかったのを、御祖母さんが大層喜んで、全く御地蔵様が御前の身代りに立って下さった御蔭だこれ御覧と云って、馬の繋いであった傍にある石地蔵の前に連れて行くと、石の首がぽくりと欠けて、涎掛だけが残っていた。敬太郎の頭にはその時から怪しい色をした雲が少し流れ込んだ。その雲が身体の具合や四辺の事情で、濃くなったり薄くなったりする変化はあるが、成長した今日に至るまで、いまだに抜け切らずにいた事だけはたしかである。  こういう訳で、彼は明治の世に伝わる面白い職業の一つとして、いつでも大道占いの弓張提灯を眺めていた。もっとも金を払って筮竹の音を聞くほどの熱心はなかったが、散歩のついでに、寒い顔を提灯の光に映した女などが、悄然そこに立っているのを見かけると、この暗い影を未来に投げて、思案に沈んでいる憐れな人に、易者がどんな希望と不安と畏怖と自信とを与えるだろうという好奇心に惹かされて、面白半分、そっと傍へ寄って、陰の方から立聞をする事がしばしばあった。彼の友の某が、自分の脳力に悲観して、試験を受けようか学校をやめようかと思い煩っている頃、ある人が旅行のついでに、善光寺如来の御神籤をいただいて第五十五の吉というのを郵便で送ってくれたら、その中に雲散じて月重ねて明らかなり、という句と、花|発いて再び重栄という句があったので、物は試しだからまあ受けて見ようと云って、受けたら綺麗に及第した時、彼は興に乗って、方々の神社で手当りしだい御神籤をいただき廻った事さえある。しかもそれは別にこれという目的なしにいただいたのだから彼は平生でも、優に売卜者の顧客になる資格を充分具えていたに違ない。その代り今度のような場合にも、どこか慰さみがてらに、まあやって見ようという浮気がだいぶ交っていた。 十六  敬太郎はどこの占ない者に行ったものかと考えて見たが、あいにくどこという当もなかった。白山の裏とか、芝公園の中とか、銀座何丁目とか今までに名前を聞いたのは二三軒あるが、むやみに流行るのは山師らしくって行く気にならず、と云って、自分で嘘と知りつつ出鱈目を強いてもっともらしく述べる奴はなお不都合であるし、できるならば余り人の込み合わない家で、閑静な髯を生やした爺さんが奇警な言葉で、簡潔にすぱすぱと道い破ってくれるのがどこかにいればいいがと思った。そう思いながら、彼は自分の父がよく相談に出かけた、郷里の一本寺の隠居の顔を頭の中に描き出した。それからふと気がついて、考えるんだかただ坐っているんだか分らない自分の様子が馬鹿馬鹿しくなったので、とにかく出てそこいらを歩いてるうちに、運命が自分を誘い込むような占ない者の看板にぶつかるだろうという漠然たる頭に帽子を載せた。  彼は久しぶりに下谷の車坂へ出て、あれから東へ真直に、寺の門だの、仏師屋だの、古臭い生薬屋だの、徳川時代のがらくたを埃といっしょに並べた道具屋だのを左右に見ながら、わざと門跡の中を抜けて、奴鰻の角へ出た。  彼は小供の時分よく江戸時代の浅草を知っている彼の祖父さんから、しばしば観音様の繁華を耳にした。仲見世だの、奥山だの、並木だの、駒形だの、いろいろ云って聞かされる中には、今の人があまり口にしない名前さえあった。広小路に菜飯と田楽を食わせるすみ屋という洒落た家があるとか、駒形の御堂の前の綺麗な縄暖簾を下げた鰌屋は昔しから名代なものだとか、食物の話もだいぶ聞かされたが、すべての中で最も敬太郎の頭を刺戟したものは、長井兵助の居合抜と、脇差をぐいぐい呑んで見せる豆蔵と、江州伊吹山の麓にいる前足が四つで後足が六つある大蟇の干し固めたのであった。それらには蔵の二階の長持の中にある草双紙の画解が、子供の想像に都合の好いような説明をいくらでも与えてくれた。一本歯の下駄を穿いたまま、小さい三宝の上に曲がんだ男が、襷がけで身体よりも高く反り返った刀を抜こうとするところや、大きな蝦蟆の上に胡坐をかいて、児雷也が魔法か何か使っているところや、顔より大きそうな天眼鏡を持った白い髯の爺さんが、唐机の前に坐って、平突ばったちょん髷を上から見下すところや、大抵の不思議なものはみんな絵本から抜け出して、想像の浅草に並んでいた。こういう訳で敬太郎の頭に映る観音の境内には、歴史的に妖嬌陸離たる色彩が、十八間の本堂を包んで、小供の時から常に陽炎っていたのである。東京へ来てから、この怪しい夢は固より手痛く打ち崩されてしまったが、それでも時々は今でも観音様の屋根に鵠の鳥が巣を食っているだろうぐらいの考にふらふらとなる事がある。今日も浅草へ行ったらどうかなるだろうという料簡が暗に働らいて、足が自ずとこっちに向いたのである。しかしルナパークの後から活動写真の前へ出た時は、こりゃ占ない者などのいる所ではないと今更のようにその雑沓に驚ろいた。せめて御賓頭顱でも撫でて行こうかと思ったが、どこにあるか忘れてしまったので、本堂へ上って、魚河岸の大提灯と頼政の鵺を退治ている額だけ見てすぐ雷門を出た。敬太郎の考えではこれから浅草橋へ出る間には、一軒や二軒の易者はあるだろう。もし在ったら何でも構わないから入る事にしよう。あるいは高等工業の先を曲って柳橋の方へ抜けて見ても好いなどと、まるで時分どきに恰好な飯屋でも探す気で歩いていた。ところがいざ探すとなると生憎なもので、平生は散歩さえすればいたるところに神易の看板がぶら下っている癖に、あの広い表通りに門戸を張っている卜者はまるで見当らなかった。敬太郎はこの企図もまた例によって例のごとく、突き抜けずに中途でおしまいになるのかも知れないと思って少し失望しながら蔵前まで来た。するとやっとの事で尋ねる商売の家が一軒あった。細長い堅木の厚板に、身の上判断と割書をした下に、文銭占ないと白い字で彫って、そのまた下に、漆で塗った真赤な唐辛子が描いてある。この奇体な看板がまず敬太郎の眼を惹いた。 十七  よく見るとこれは一軒の生薬屋の店を仕切って、その狭い方へこざっぱりした差掛様のものを作ったので、中に七色唐辛子の袋を並べてあるから、看板の通りそれを売る傍ら、占ないを見る趣向に違ない。敬太郎はこう観察して、そっと餡転餅屋に似た差掛の奥を覗いて見ると、小作りな婆さんがたった一人|裁縫をしていた。狭い室一つの住居としか思われないのに、肝心の易者の影も形も見えないから、主人は他行中で、細君が留守番をしているところかとも思ったが、店先の構造から推すと、奥は生薬屋の方と続いているかも知れないので、一概に留守と見切をつける訳にも行かなかった。それで二三歩先へ出て、薬種店の方を覗くと、八ツ目鰻の干したのも釣るしてなければ、大きな亀の甲も飾ってないし、人形の腹をがらん胴にして、五色の五臓を外から見えるように、腹の中の棚に載せた古風の装飾もなかった。一本寺の隠居に似た髯のある爺さんは固より坐っていなかった。彼は再び立ち戻って、身の上判断|文銭占ないという看板のかかった入口から暖簾を潜って内へ入った。裁縫をしていた婆さんは、針の手をやめて、大きな眼鏡の上から睨むように敬太郎を見たが、ただ一口、占ないですかと聞いた。敬太郎は「ええちょっと見て貰いたいんだが、御留守のようですね」と云った。すると婆さんは、膝の上のやわらか物を隅の方へ片づけながら、御上りなさいと答えた。敬太郎は云われる通り素直に上って見ると、狭いけれども居心地の悪いほど汚れた室ではなかった。現に畳などは取り替え立てでまだ新らしい香がした。婆さんは煮立った鉄瓶の湯を湯呑に注いで、香煎を敬太郎の前に出した。そうして昔は薬箱でも載せた棚らしい所に片づけてあった小机を取りおろしにかかった。その机には無地の羅紗がかけてあったが、婆さんはそれをそのまま敬太郎の正面に据えて、そうして再び故の座に帰った。 「占ないは私がするのです」  敬太郎は意外の感に打たれた。この小いさい丸髷に結った。黒繻子の襟のかかった着物の上に、地味な縞の羽織を着た、一心に縫物をしている、純然家庭的の女が、自分の未来に横たわる運命の予言者であろうとは全く想像のほかにあったのである。その上彼はこの婦人の机の上に、筮竹も算木も天眼鏡もないのを不思議に眺めた。婆さんは机の上に乗っている細長い袋の中からちゃらちゃらと音をさせて、穴の開いた銭を九つ出した。敬太郎は始めてこれが看板に「文銭占ない」とある文銭なるものだろうと推察したが、さてこの九枚の文銭が、暗い中で自分を操っている運命の糸と、どんな関係を有っているか、固より想像し得るはずがないので、ただそこに鋳出された模様と、それがしまってあった袋とを見比べるだけで、何事も云わずにいた。袋は能装束の切れ端か、懸物の表具の余りで拵らえたらしく、金の糸が所々に光っているけれども、だいぶ古いものと見えて、手擦と時代のため、派手な色を全く失っていた。  婆さんは年寄に似合わない白い繊麗な指で、九枚の文銭を三枚ずつ三列に並べたが、ひょっと顔を上げて、「身の上を御覧ですか」と聞いた。 「さあ一生涯の事を一度に聞いておいても損はないが、それよりか今ここでどうしたらいいか、その方をきめてかかる方が僕には大切らしいから、まあそれを一つ願おう」  婆さんはそうですかと答えたが、それで御年はとまた敬太郎の年齢を尋ねた。それから生れた月と日を確めた。その後で胸算用でもする案排しきで、指を折って見たり、ただ考がえたりしていたが、やがてまた綺麗な指で例の文銭を新らしく並べ更えた。敬太郎は表に波が出たり、あるいは文字が現われたりして、三枚が三列に続く順序と排列を、深い意味でもあるような眼つきをして見守っていた。 十八  婆さんはしばらく手を膝の上に載せて、何事も云わずに古い銭の面をじっと注意していたが、やがて考えの中心点が明快纏まったという様子をして、「あなたは今迷っていらっしゃる」と云い切ったなり敬太郎の顔を見た。敬太郎はわざと何も答えなかった。 「進もうかよそうかと思って迷っていらっしゃるが、これは御損ですよ。先へ御出になった方が、たとい一時は思わしくないようでも、末始終御為ですから」  婆さんは一区限つけると、また口を閉じて敬太郎の様子を窺った。敬太郎は始めからただ先方のいう事をふんふん聞くだけにして、こちらでは喋舌らないつもりに、腹の中できめてかかったのであるが、婆さんのこの一言に、ぼんやりした自分の頭が、相手の声に映ってちらりと姿を現わしたような気がしたので、ついその刺戟に応じて見たくなった。 「進んでも失敗るような事はないでしょうか」 「ええ。だからなるべくおとなしくして。短気を起さないようにね」  これは予言ではない、常識があらゆる人に教える忠告に過ぎないと思ったけれども婆さんの態度に、これという故意とらしい点も見えないので、彼はなお質問を続けた。 「進むってどっちへ進んだものでしょう」 「それはあなたの方がよく分っていらっしゃるはずですがね。私はただ最少し先まで御出なさい、そのほうが御為だからと申し上げるまでです」  こうなると敬太郎も行きがかり上そうですかと云って引込む訳に行かなくなった。 「だけれども道が二つ有るんだから、その内でどっちを進んだらよかろうと聞くんです」  婆さんはまた黙って文銭の上を眺めていたが、前よりは重苦しい口調で、「まあ同なじですね」と答えた。そうして先刻裁縫をしていた時に散らばした糸屑を拾って、その中から紺と赤の絹糸のかなり長いのを択り出して、敬太郎の見ている前で、それを綺麗に縒り始めた。敬太郎はただ手持無沙汰の徒事とばかり思って、別段意にも留めなかったが、婆さんは丹念にそれを五六寸の長さに縒り上げて、文銭の上に載せた。 「これを御覧なさい。こう縒り合わせると、一本の糸が二筋の糸で、二筋の糸が一本の糸になるじゃありませんか。そら派手な赤と地味な紺が。若い時にはとかく派手の方へ派手の方へと駆け出してやり損ない勝のものですが、あなたのは今のところこの縒糸みたように丁度好い具合に、いっしょに絡まり合っているようですから御仕合せです」  絹糸の喩は何とも知らず面白かったが、御仕合せですと云われて見ると、嬉しいよりもかえっておかしい心持の方が敬太郎を動かした。 「じゃこの紺糸で地道を踏んで行けば、その間にちらちら派手な赤い色が出て来ると云うんですね」と敬太郎は向うの言葉を呑み込んだような尋ね方をした。 「そうですそうなるはずです」と婆さんは答えた。始めから敬太郎は占ないの一言で、是非共右か左へ片づけなければならないとまで切に思いつめていた訳でもなかったけれども、これだけで帰るのも少し物足りなかった。婆さんの云う事が、まるで自分の胸とかけ隔たった別世界の消息なら、固より論はないが、意味の取り方ではだいぶ自分の今の身の上に、応用の利く点もあるので、敬太郎はそこに微かな未練を残した。 「もう何にも伺がう事はありませんか」 「そうですね。近い内にちょっとした事ができるかも知れません」 「災難ですか」 「災難でもないでしょうが、気をつけないとやり損ないます。そうしてやり損なえばそれっきり取り返しがつかない事です」 十九  敬太郎の好奇心は少し鋭敏になった。 「全体どんな性質の事ですか」 「それは起って見なければ分りません。けれども盗難だの水難だのではないようです」 「じゃどうして失敗らない工夫をして好いか、それも分らないでしょうね」 「分らない事もありませんが、もし御望みなら、もう一遍|占ないを立て直して見て上げても宜うござんす」  敬太郎は、では御頼み申しますと云わない訳に行かなかった。婆さんはまた繊細な指先を小器用に動かして、例の文銭を並べ更えた。敬太郎から云えば先の並べ方も今度の並べ方も大抵似たものであるが、婆さんにはそこに何か重大の差別があるものと見えて、その一枚を引っくり返すにも軽率に手は下さなかった。ようやく九枚をそれぞれ念入に片づけた後で、婆さんは敬太郎に向って「大体分りました」と云った。 「どうすれば好いんですか」 「どうすればって、占ないには陰陽の理で大きな形が現われるだけだから、実地は各自がその場に臨んだ時、その大きな形に合わして考えるほかありませんが、まあこうです。あなたは自分のようなまた他人のような、長いようなまた短かいような、出るようなまた這入るようなものを待っていらっしゃるから、今度事件が起ったら、第一にそれを忘れないようになさい。そうすれば旨く行きます」  敬太郎は煙に巻かれざるを得なかった。いくら大きな形が陰陽の理で現われたにしたところで、これじゃ方角さえ立たない霧のようなものだから、たとい嘘でも本当でも、もう少し切りつめた応用の利くところを是非云わせようと思って、二三押問答をして見たが、いっこう埒が明かなかった。敬太郎はとうとうこの禅坊主の寝言に似たものを、手拭に包んだ懐炉のごとく懐中させられて表へ出た。おまけに出がけに七色唐辛子を二袋買って袂へ入れた。  翌日彼は朝飯の膳に向って、煙の出る味噌汁椀の蓋を取ったとき、たちまち昨日の唐辛子を思い出して、袂から例の袋を取り出した。それを十二分に汁の上に振りかけて、ひりひりするのを我慢しながら食事を済ましたが、婆さんの云わゆる「陰陽の理によって現われた大きな形」と頭の中に呼び起して見ると、まだ漠然と瓦斯のごとく残っていた。しかし手のつけようのない謎に気を揉むほど熱心な占ない信者でもないので、彼はどうにかそれを解釈して見たいと焦心る苦悶を知らなかった。ただその分らないところに妙な趣があるので、忘れないうちに、婆さんの云った通りを紙片に書いて机の抽出へ入れた。  もう一遍田口に会う手段を講じて見る事の可否は、昨日すでに婆さんの助言で断定されたものと敬太郎は解釈した。けれども彼は占ないを信じて動くのではない、動こうとする矢先へ婆さんが動く縁をつけてくれたに過ぎないのだと思った。彼は須永へ行って彼の叔父がすでに大阪から帰ったかどうか尋ねて見ようかと考えたが、自動車事件の記憶がまだ新たに彼の胸を圧迫しているので、足を運ぶ勇気がちょっと出なかった。電話もこの際利用しにくかった。彼はやむを得ず、手紙で用を弁ずる事にした。彼はせんだって須永の母に話したとほぼ同様の顛末を簡略に書いた後で、田口がもう旅行から帰ったかどうかを聞き合わせて、もし帰ったなら御多忙中はなはだ恐れ入るけれども、都合して会ってくれる訳には行くまいか、こっちはどうせ閑な身体だから、いつでも指定されて時日に出られるつもりだがと、この間の権幕は、綺麗に忘れたような口ぶりを見せた。敬太郎はこの手紙を出すと同時に、須永の返事を明日にも予想した。ところが二日立っても三日立っても何の挨拶もないので、少し不安の念に悩まされ出した。なまじい売卜者の言葉などに動かされて、恥を掻いてはつまらないという後悔も交った。すると四日目の午前になって、突然田口から電話口へ呼び出された。 二十  電話口へ出て見ると案外にも主人の声で、今|直来る事ができるかという簡単な問い合わせであった。敬太郎はすぐ出ますと答えたが、それだけで電話を切るのは何となくぶっきらぼう過ぎて愛嬌が足りない気がするので、少し色を着けるために、須永君から何か御話でもございましたかと聞いて見た。すると相手は、ええ市蔵から御希望を通知して来たのですが、手数だから直接に私の方で御都合を伺がいました。じゃ御待ち申しますから、直どうぞ。と云ってそれなり引込んでしまった。敬太郎はまた例の袴を穿きながら、今度こそ様子が好さそうだと思った。それからこの間買ったばかりの中折を帽子掛から取ると、未来に富んだ顔に生気を漲ぎらして快豁に表へ出た。外には白い霜を一度に摧いた日が、木枯しにも吹き捲くられずに、穏やかな往来をおっとりと一面に照らしていた。敬太郎はその中を突切る電車の上で、光を割いて進むような感じがした。  田口の玄関はこの間と違って蕭条りしていた。取次に袴を着けた例の書生が現われた時は、少しきまりが悪かったが、まさかせんだっては失礼しましたとも云えないので、素知らぬ顔をして叮嚀に来意を告げた。書生は敬太郎を覚えていたのか、いないのか、ただはあと云ったなり名刺を受取って奥へ這入ったが、やがて出て来て、どうぞこちらへと応接間へ案内した。敬太郎は取次の揃えてくれた上靴を穿いて、御客らしく通るには通ったが、四五脚ある椅子のどれへ腰をかけていいかちょっと迷った。一番小さいのにさえきめておけば間違はあるまいという謙遜から、彼は腰の高い肱懸も装飾もつかない最も軽そうなのを択って、わざと位置の悪い所へ席を占めた。  やがて主人が出て来た。敬太郎は使い慣れない切口上を使って、初対面の挨拶やら会見の礼やらを述べると、主人は軽くそれを聞き流すだけで、ただはあはあと挨拶した。そうしていくら区切が来ても、いっこう何とも云ってくれなかった。彼は主人の態度に失望するほどでもなかったが、自分の言葉がそう思う通り長く続かないのに弱った。一応頭の中にある挨拶を出し切ってしまうと、後はそれぎりで、手持無沙汰と知りながら黙らなければならなかった。主人は巻莨入から敷島を一本取って、あとを心持敬太郎のいる方へ押しやった。 「市蔵からあなたの御話しは少し聞いた事もありますが、いったいどういう方を御希望なんですか」  実を云うと、敬太郎には何という特別の希望はなかった。ただ相当の位置さえ得られればとばかり考えていたのだから、こう聞かれるとぼんやりした答よりほかにできなかった。 「すべての方面に希望を有っています」  田口は笑い出した。そうして機嫌の好い顔つきをして、学士の数のこんなに殖えて来た今日、いくら世話をする人があろうとも、そう最初から好い地位が得られる訳のものでないという事情を懇ごろに説いて聞かせた。しかしそれは田口から改めて教わるまでもなく、敬太郎のとうから痛切に承知しているところであった。 「何でもやります」 「何でもやりますったって、まさか鉄道の切符切もできないでしょう」 「いえできます。遊んでるよりはましですから。将来の見込のあるものなら本当に何でもやります。第一遊んでいる苦痛を逃れるだけでも結構です」 「そう云う御考ならまた私の方でもよく気をつけておきましょう。直という訳にも行きますまいが」 「どうぞ。――まあ試しに使って見て下さい。あなたの御家の――と云っちゃ余り変ですが、あなたの私事にででもいいから、ちょっと使って見て下さい」 「そんな事でもして見る気がありますか」 「あります」 「それじゃ、ことに依ると何か願って見るかも知れません。いつでも構いませんか」 「ええなるべく早い方が結構です」  敬太郎はこれで会見を切り上げて、朗らかな顔をして表へ出た。 二十一  穏やかな冬の日がまた二三日続いた。敬太郎は三階の室から、窓に入る空と樹と屋根瓦を眺めて、自然を橙色に暖ためるおとなしいこの日光が、あたかも自分のために世の中を照らしているような愉快を覚えた。彼はこの間の会見で、自分に都合の好い結果が、近い内にわが頭の上に落ちて来るものと固く信ずるようになった。そうしてその結果がどんな異様の形を装って、彼の前に現われるかを、彼は最も楽しんで待ち暮らした。彼が田口に依頼した仕事のうちには、普通の依頼者の申し出以上のものまで含んでいた。彼は一定の職業から生ずる義務を希望したばかりでなく、刺戟に充ちた一時性の用事をも田口から期待した。彼の性質として、もし成効の影が彼を掠めて閃めくならば、おそらく尋常の雑務とは切り離された特別の精彩を帯びたものが、卒然彼の前に投げ出されるのだろうぐらいに考えた。そんな望を抱いて、彼は毎日美くしい日光に浴していたのである。  すると四日ばかりして、また田口から電話がかかった。少し頼みたい事ができたが、わざわざ呼び寄せるのも気の毒だし、電話では手間が要ってかえって面倒になるし、仕方がないから、速達便で手紙を出す事にしたから、委細はそれを見て承知してくれ。もし分らない事があったら、また電話で聞き合わしてもいいという通知であった。敬太郎はぼんやり見えていた遠眼鏡の度がぴたりと合った時のように愉快な心持がした。  彼は机の前を一寸も離れずに、速達便の届くのを待っていた。そうしてその間絶ず例の想像を逞ましくしながら、田口のいわゆる用事なるものを胸の中で組み立てて見た。そこにはいつか須永の門前で見た後姿の女が、ややともすると断わりなしに入り込んで来た。ふと気がついて、もっと実際的のものであるべきはずだと思うと、その時だけは自分で自分の空想を叱るようにしては、彼はもどかしい時を過ごした。  やがて待ち焦れた状袋が彼の手に落ちた。彼はすっと音をさせて、封を裂いた。息も継がずに巻紙の端から端までを一気に読み通して、思わずあっという微かな声を揚げた。与えられた彼の用事は待ち設けた空想よりもなお浪漫的であったからである。手紙の文句は固より簡単で用事以外の言葉はいっさい書いてなかった。今日四時と五時の間に、三田方面から電車に乗って、小川町の停留所で下りる四十|恰好の男がある。それは黒の中折に霜降の外套を着て、顔の面長い背の高い、瘠せぎすの紳士で、眉と眉の間に大きな黒子があるからその特徴を目標に、彼が電車を降りてから二時間以内の行動を探偵して報知しろというだけであった。敬太郎は始めて自分が危険なる探偵小説中に主要の役割を演ずる一個の主人公のような心持がし出した。同時に田口が自己の社会的利害を護るために、こんな暗がりの所作をあえてして、他日の用に、他の弱点を握っておくのではなかろうかと云う疑を起した。そう思った時、彼は人の狗に使われる不名誉と不徳義を感じて、一種|苦悶の膏汗を腋の下に流した。彼は手紙を手にしたまま、じっと眸を据えたなり固くなった。しかし須永の母から聞いた田口の性格と、自分が直に彼に会った時の印象とを纏めて考えて見ると、けっしてそんな人の悪そうな男とも思われないので、たとい他人の内行に探りを入れるにしたところで、必ずしもそれほど下品な料簡から出るとは限らないという推断もついて見ると、いったん硬直になった筋肉の底に、また温たかい血が通い始めて、徳義に逆らう吐気なしに、ただ興味という一点からこの問題を面白く眺める余裕もできてきた。それで世の中に接触する経験の第一着手として、ともかくも田口から依頼された通りにこの仕事をやり終せて見ようという気になった。彼はもう一度とくと田口の手紙を読み直した。そうしてそこに書いてある特徴と条件だけで、はたして満足な結果が実際に得られるだろうかどうかを確かめた。 二十二  田口から知らせて来た特徴のうちで、本当にその人の身を離れないものは、眉と眉の間の黒子だけであるが、この日の短かい昨今の、四時とか五時とかいう薄暗い光線の下で、乗降に忙がしい多数の客の中から、指定された局部の一点を目標に、これだと思う男を過ちなく見つけ出そうとするのは容易の事ではない。ことに四時と五時の間と云えば、ちょうど役所の退ける刻限なので、丸の内からただ一筋の電車を利用して、神田橋を出る役人の数だけでも大したものである。それにほかと違って停留所が小川町だから、年の暮に間もない左右の見世先に、幕だの楽隊だの、蓄音機だのを飾るやら具えるやらして、電灯以外の景気を点けて、不時の客を呼び寄せる混雑も勘定に入れなければなるまい。それを想像して事の成否を考えて見ると、とうてい一人の手際ではという覚束ない心持が起って来る。けれどもまた尋ね出そうとするその人が、霜降の外套に黒の中折という服装で電車を降りるときまって見れば、そこにまだ一縷の望があるようにも思われる。無論霜降の外套だけでは、どんな恰好にしろ手がかりになり様はずがないが、黒の中折を被っているなら、色変りよりほかに用いる人のない今日だから、すぐ眼につくだろう。それを目宛に注意したらあるいは成功しないとも限るまい。  こう考えた敬太郎は、ともかくも停留所まで行って見る事だという気になった。時計を眺めると、まだ一時を打ったばかりである。四時より三十分前に向へ着くとしたところで、三時頃から宅を出ればたくさんなのだから、まだ二時間の猶予がある。彼はこの二時間を最も有益に利用するつもりで、じっとしたまま坐っていた。けれどもただ眼の前に、美土代町と小川町が、丁字になって交叉している三つ角の雑沓が入り乱れて映るだけで、これと云って成功を誘うに足る上分別は浮ばなかった。彼の頭は考えれば考えるほど、同じ場所に吸いついたなりまるで動くことを知らなかった。そこへ、どうしても目指す人には会えまいという掛念が、不安を伴って胸の中をざわつかせた。敬太郎はいっその事時間が来るまで外を歩きつづけに歩いて見ようかと思った。そう決心をして、両手を机の縁に掛けて、勢よく立ち上がろうとする途端に、この間浅草で占ないの婆さんから聞いた、「近い内に何か事があるから、その時にはこうこういうものを忘れないようにしろ」という注意を思い出した。彼は婆さんのその時の言葉を、解すべからざる謎として、ほとんど頭の外へ落してしまったにもかかわらず、参考のためわざわざ書きつけにして机の抽出に入れておいた。でまたその紙片を取り出して、自分のようで他人のような、長いようで短かいような、出るようで這入るようなという句を飽かず眺めた。初めのうちは今まで通りとうてい意味のあるはずがないとしか見えなかったが、だんだん繰り返して読むうちに、辛抱強く考えさえすれば、こういう妙な特性を有ったものがあるいは出て来るかも知れないという気になった。その上敬太郎は婆さんに、自分が持っているんだから、いざという場合に忘れないようになさいと注意されたのを覚えていたので、何でも好い、ただ身の周囲の物から、自分のようで他人のような、長いようで短かいような、出るようで這入るようなものを探しあてさえすれば、比較的狭い範囲内で、この問題を解決する事ができる訳になって、存外早く片がつくかも知れないと思い出した。そこでわが自由になるこれから先の二時間を、全くこの謎を解くための二時間として大切に利用しようと決心した。  ところがまず眼の前の机、書物、手拭、座蒲団から順々に進行して行李鞄靴下までいったが、いっこうそれらしい物に出合わないうちに、とうとう一時間経ってしまった。彼の頭は焦燥つと共に乱れて来た。彼の観念は彼の室の中を駆け廻って落ちつけないので、制するのも聞かずに、戸外へ出て縦横に走った。やがて彼の前に、霜降の外套を着た黒の中折を被った背の高い瘠ぎすの紳士が、彼のこれから探そうというその人の権威を具えて、ありありと現われた。するとその顔がたちまち大連にいる森本の顔になった。彼はだらしのない髯を生やした森本の容貌を想像の眼で眺めた時、突然電流に感じた人のようにあっと云った。 二十三  森本の二字はとうから敬太郎の耳に変な響を伝える媒介となっていたが、この頃ではそれが一層高じて全然一種の符徴に変化してしまった。元からこの男の名前さえ出ると、必ず例の洋杖を聯想したものだが、洋杖が二人を繋ぐ縁に立っていると解釈しても、あるいは二人の中を割く邪魔に挟まっていると見傚しても、とにかく森本とこの竹の棒の間にはある距離があって、そう一足飛に片方から片方へ移る訳に行かなかったのに、今ではそれが一つになって、森本と云えば洋杖、洋杖と云えば森本というくらい劇しく敬太郎の頭を刺戟するのである。その刺戟を受けた彼の頭に、自分の所有のようなまた森本の所有のような、持主のどっちとも片づかないという観念が、熱った血に流されながら偶然浮び上った時、彼はああこれだと叫んで、乱れ逃げる黒い影の内から、その洋杖だけをうんと捕まえたのである。 「自分のような他人のような」と云った婆さんの謎はこれで解けたものと信じて、敬太郎は一人嬉しがった。けれどもまだ「長いような短かいような、出るような這入るような」というところまでは考えて見ないので、彼はあまる二カ条の特性をも等しくこの洋杖の中から探し出そうという料簡で、さらに新たな努力を鼓舞してかかった。  始めは見方一つで長くもなり短かくもなるくらいの意味かも知れないと思って、先へ進んで見たが、それでは余り平凡過ぎて、解釈がついたもつかないも同じ事のような心持がした。そこでまた後戻りをして、「長いような短かいような」という言葉を幾度か口の内でくり返しながら思案した。が、容易に解決のできる見込は立たなかった。時計を見ると、自由に使っていい二時間のうちで、もう三十分しか残っていない。彼は抜裏と間違えて袋の口へ這入り込んだ結果、好んで行き悩みの状態に悶えているのでは無かろうかと、自分で自分の判断を危ぶみ出した。出端のない行きどまりに立つくらいなら、もう一遍引き返して、新らしい途を探す方がましだとも考えた。しかしこう時間が逼っているのに、初手から出直しては、とても間に合うはずがない、すでにここまで来られたという一部分の成功を縁喜にして、是非先へ突き抜ける方が順当だとも考えた。これがよかろうあれがよかろうと右左に思い乱れている中に、彼の想像はふと全体としての杖を離れて、握りに刻まれた蛇の頭に移った。その瞬間に、鱗のぎらぎらした細長い胴と、匙の先に似た短かい頭とを我知らず比較して、胴のない鎌首だから、長くなければならないはずだのに短かく切られている、そこがすなわち長いような短かいような物であると悟った。彼はこの答案を稲妻のごとく頭の奥に閃めかして、得意の余り踴躍した。あとに残った「出るような這入るような」ものは、大した苦労もなく約五分の間に解けた。彼は鶏卵とも蛙とも何とも名状しがたい或物が、半ば蛇の口に隠れ、半ば蛇の口から現われて、呑み尽されもせず、逃れ切りもせず、出るとも這入るとも片のつかない状態を思い浮かべて、すぐこれだと判断したのである。  これで万事が綺麗に解決されたものと考えた敬太郎は、躍り上るように机の前を離れて、時計の鎖を帯に絡んだ。帽子は手に持ったまま、袴も穿かずに室を出ようとしたが、あの洋杖をどうして持って出たものだろうかという問題がちょっと彼を躊躇さした。あれに手を触れるのは無論、たとい傘入から引き出したところで、森本が置き去りにして行ってからすでに久しい今日となって見れば、主人に断わらないにしろ、咎められたり怪しまれたりする気遣はないにきまっているが、さて彼らが傍にいない時、またおるにしても見ないうちに、それを提げて出ようとするには相当の思慮か準備が必要になる。迷信のはびこる家庭に成長した敬太郎は、呪禁に使う品物を手に入れる時には、きっと人の見ていない機会を偸んでやらなければ利かないという言い伝えを、郷里にいた頃、よく母から聞かされていたのである。敬太郎は宿の上り口の正面にかけてある時計を見るふりをして、二階の梯子段の中途まで降りて下の様子を窺がった。 二十四  主人は六畳の居間に、例の通り大きな瀬戸物の丸火鉢を抱え込んでいた。細君の姿はどこにも見えなかった。敬太郎が梯子段の中途で、及び腰をして、硝子越に障子の中を覗いていると、主人の頭の上で忽然呼鈴が烈しく鳴り出した。主人は仰向いて番号を見ながら、おい誰かいないかねと次の間へ声をかけた。敬太郎はまたそろそろ三階の自分の室へ帰って来た。  彼はわざわざ戸棚を開けて、行李の上に投げ出してあるセルの袴を取り出した。彼はそれを穿くとき、腰板を後に引き摺って、室の中を歩き廻った。それから足袋を脱いで、靴下に更えた。これだけ身装を改めた上、彼はまた三階を下りた。居間を覗くと細君の姿は依然として見えなかった。下女もそこらにはいなかった。呼鈴も今度は鳴らなかった。家中ひっそり閑としていた。ただ主人だけは前の通り大きな丸火鉢に靠れて、上り口の方を向いたなりじっと坐っていた。敬太郎は段々を下まで降り切らない先に、高い所から斜に主人の丸くなった背中を見て、これはまだ都合が悪いと考えたが、ついに思い切って上り口へ出た。主人は案の上、「御出かけで」と挨拶した。そうして例の通り下女を呼んで下駄箱にしまってある履物を出させようとした。敬太郎は主人一人の眼を掠すめるのにさえ苦心していたところだから、この上下女に出られては敵わないと思って、いや宜しいと云いながら、自分で下駄箱の垂を上げて、早速靴を取りおろした。旨い具合に下女は彼が土間へ降り立つまで出て来なかった。けれども、亭主は依然としてこっちを向いていた。 「ちょっと御願ですがね。室の机の上に今月の法学協会雑誌があるはずだが、ちょっと取って来てくれませんか。靴を穿いてしまったんで、また上るのが面倒だから」  敬太郎はこの主人に多少法律の心得があるのを知って、わざとこう頼んだのである。主人は自分よりほかのものでは到底弁じない用事なので、「はあようがす」と云って気さくに立って梯子段を上って行った。敬太郎はそのひまに例の洋杖を傘入から抽き取ったなり、抱き込むように羽織の下へ入れて、主人の座に帰らないうちにそっと表へ出た。彼は洋杖の頭の曲った角を、右の腋の下に感じつつ急ぎ足に本郷の通まで来た。そこでいったん羽織の下から杖を出して蛇の首をじっと眺めた。そうして袂の手帛で上から下まで綺麗に埃を拭いた。それから後は普通の杖のように右の手に持って、力任せに振り振り歩いた。電車の上では、蛇の頭へ両手を重ねて、その上に顋を載せた。そうしてやっと今一段落ついた自分の努力を顧みて、ほっと一息|吐いた。同時にこれから先指定された停留所へ行ってからの成否がまた気にかかり出した。考えて見ると、これほど骨を折って、偸むように持ち出した洋杖が、どうすれば眉と眉の間の黒子を見分ける必要品になるのか、全く彼の思量のほかにあった。彼はただ婆さんに云われた通り、自分のような他人のような、長いような短かいような、出るような這入るようなものを、一生懸命に探し当てて、それを忘れないで携さえているというまでであった。この怪しげに見えて平凡な、しかもむやみに軽い竹の棒が、寝かそうと起こそうと、手に持とうと袖に隠そうと、未知の人を探す上に、はたして何の役に立つか知らんと疑ぐった時、彼はちょっとの間、瘧を振い落した人のようにけろりとして、車内を見廻わした。そうして頭の毛穴から湯気の立つほど業を煮やした先刻の努力を気恥かしくも感じた。彼は自分で自分の所作を紛らす為に、わざと洋杖を取り直して、電車の床をとんとんと軽く叩いた。  やがて目的の場所へ来た時、彼はとりあえず青年会館の手前から引き返して、小川町の通へ出たが、四時にはまだ十五分ほど間があるので、彼は人通りと電車の響きを横切って向う側へ渡った。そこには交番があった。彼は派出所の前に立っている巡査と同じ態度で、赤いポストの傍から、真直に南へ走る大通りと、緩い弧線を描いて左右に廻り込む広い往来とを眺めた。これから自分の活躍すべき舞台面を一応こういう風に検分した後で、彼はすぐ停留所の所在を確かめにかかった。 二十五  赤い郵便函から五六間東へ下ると、白いペンキで小川町停留所と書いた鉄の柱がすぐ彼の眼に入った。ここにさえ待っていれば、たとい混雑に取り紛れて注意人物を見失うまでも、刻限に自分の部署に着いたという強味はあると考えた彼は、これだけの安心を胸に握った上、また目標の鉄の柱を離れて、四辺の光景を見廻した。彼のすぐ後には蔵造の瀬戸物屋があった。小さい盃のたくさん並んだのを箱入にして額のように仕立てたのがその軒下にかかっていた。大きな鉄製の鳥籠に、陶器でできた餌壺をいくつとなく外から括りつけたのも、そこにぶら下がっていた。その隣りは皮屋であった。眼も爪も全く生きた時のままに残した大きな虎の皮に、緋羅紗の縁を取ったのがこの店の重な装飾であった。敬太郎は琥珀に似たその虎の眼を深く見つめて立った。細長くって真白な皮でできた襟巻らしいものの先に、豆狸のような顔が付着しているのも滑稽に見えた。彼は時計を出して時間を計りながら、また次の店に移った。そうして瑪瑙で刻った透明な兎だの、紫水晶でできた角形の印材だの、翡翠の根懸だの孔雀石の緒締だのの、金の指輪やリンクスと共に、美くしく並んでいる宝石商の硝子窓を覗いた。  敬太郎はこうして店から店を順々に見ながら、つい天下堂の前を通り越して唐木細工の店先まで来た。その時|後から来た電車が、突然自分の歩いている往来の向う側でとまったので、もしやという心から、筋違に通を横切って細い横町の角にある唐物屋の傍へ近寄ると、そこにも一本の鉄の柱に、先刻のと同じような、小川町停留所という文字が白く書いてあった。彼は念のためこの角に立って、二三台の電車を待ち合わせた。すると最初には青山というのが来た。次には九段新宿というのが来た。が、いずれも万世橋の方から真直に進んで来るので彼はようやく安心した。これでよもやの懸念もなくなったから、そろそろ元の位地に帰ろうというつもりで、彼は足の向を更えにかかった途端に、南から来た一台がぐるりと美土代町の角を回転して、また敬太郎の立っている傍でとまった。彼はその電車の運転手の頭の上に黒く掲げられた巣鴨の二字を読んだ時、始めて自分の不注意に気がついた。三田方面から丸の内を抜けて小川町で降りるには、神田橋の大通りを真直に突き当って、左へ曲っても今敬太郎の立っている停留所で降りられるし、また右へ曲っても先刻彼の検分しておいた瀬戸物屋の前で降りられるのである。そうして両方とも同じ小川町停留所と白いペンキで書いてある以上は、自分がこれから後を跟けようという黒い中折の男は、どっちへ降りるのだか、彼にはまるで見当がつかない事になるのである。眼を走らせて、二本の赤い鉄柱の距離を目分量で測って見ると、一町には足りないくらいだが、いくら眼と鼻の間だからと云って、一方だけを専門にしてさえ覚束ない彼の監視力に対して、両方共手落なく見張り終せる手際を要求するのは、どれほど自分の敏腕を高く見積りたい今の敬太郎にも絶対の不可能であった。彼は自分の住居っている地理上の関係から、常に本郷三田間を連絡する電車にばかり乗っていたため、巣鴨方面から水道橋を通って同じく三田に続く線路の存在に、今が今まで気がつかずにいた自己の迂闊を深く後悔した。  彼は困却の余りふと思いついた窮策として、須永の助力でも借りに行こうかと考えた。しかし時計はもう四時七分前に逼っていた。ついこの裏通に住んでいる須永だけれども、門前まで駈けつける時間と、かい摘んで用事を呑み込ます時間を勘定に入れればとても間に合いそうにない。よしそのくらいの間は取れるとしたところで、須永に一方の見張りを頼む以上は、もし例の紳士が彼のいる方へ降りるならば、何かの手段で敬太郎に合図をしなければならない。それもこの人込の中だから、手を挙げたり手帛を振るぐらいではちょっと通じかねる。紛れもなく敬太郎に分らせようとするには、往来を驚ろかすほどな大きな声で叫ぶに限ると云ってもいいくらいなものだが、そう云う突飛なよほどな場合でも体裁を重んずる須永のような男にできるはずがない。万一我慢してやってくれたところで、こっちから駆けて行く間には、肝心の黒の中折帽を被った男の姿は見えなくなってしまわないとも云えない。――こう考えた敬太郎はやむを得ないから運を天に任せてどっちか一方の停留所だけ守ろうと決心した。 二十六  決心はしたようなものの、それでは今立っている所を動かないための横着と同じ事になるので、わざと成効を度外に置いて仕事にかかった不安を感ぜずにはいられなかった。彼は首を延ばすようにして、また東の停留所を望んだ。位地のせいか、向の具合か、それとも自分が始終|乗降に慣れている訳か、どうもそちらの方が陽気に見えた。尋ねる人も何だか向で降りそうな心持がした。彼はもう一度見張るステーションを移そうかと思いながら、なおかつ決しかねてしばらく躊躇していた。するとそこへ江戸川行の電車が一台来てずるずるととまった。誰も降者がないのを確かめた車掌は、一分と立たないうちにまた車を出そうとした。敬太郎は錦町へ抜ける細い横町を背にして、眼の前の車台にはほとんど気のつかないほど、ここにいようかあっちへ行こうかと迷っていた。ところへ後の横町から突然|馳け出して来た一人の男が、敬太郎を突き除けるようにして、ハンドルへ手をかけた運転手の台へ飛び上った。敬太郎の驚ろきがまだ回復しないうちに、電車はがたりと云う音を出してすでに動き始めた。飛び上がった男は硝子戸の内へ半分|身体を入れながら失敬しましたと云った。敬太郎はその男と顔を見合せた時、彼の最後の視線が、自分の足の下に落ちたのを注意した。彼は敬太郎に当った拍子に、敬太郎の持っていた洋杖を蹴飛ばして、それを持主の手から地面の上へ振り落さしたのである。敬太郎は直曲んで洋杖を拾い上げようとした。彼はその時|蛇の頭が偶然|東向に倒れているのに気がついた。そうしてその頭の恰好を何となしに、方角を教える指標のように感じた。 「やっぱり東が好かろう」  彼は早足に瀬戸物屋の前まで帰って来た。そこで本郷三丁目と書いた電車から降りる客を、一人残らず物色する気で立った。彼は最初の二三台を親の敵でも覘うように怖い眼つきで吟味した後、少し心に余裕ができるに連れて、腹の中がだんだん気丈になって来た。彼は自分の眼の届く広場を、一面の舞台と見傚して、その上に自分と同じ態度の男が三人いる事を発見した。その一人は派出所の巡査で、これは自分と同じ方を向いて同じように立っていた。もう一人は天下堂の前にいるポイントマンであった。最後の一人は広場の真中に青と赤の旗を神聖な象徴のごとく振り分ける分別盛りの中年者であった。そのうちでいつ出て来るか知れない用事を期待しながら、人目にはさも退屈そうに立っているものは巡査と自分だろうと敬太郎は考えた。  電車は入れ代り立ち代り彼の前にとまった。乗るものは無理にも窮屈な箱の中に押し込もうとする、降りるものは権柄ずくで上から伸しかかって来る。敬太郎はどこの何物とも知れない男女が聚まったり散ったりするために、自分の前で無作法に演じ出す一分時の争を何度となく見た。けれども彼の目的とする黒の中折の男はいくら待っても出て来なかった。ことに依ると、もうとうに西の停留所から降りてしまったものではなかろうかと思うと、こうして役にも立たない人の顔ばかり見つめて、眼のちらちらするほど一つ所に立っているのは、随分馬鹿気た所作に見えて来る。敬太郎は下宿の机の前で熱に浮かされた人のように夢中で費やした先刻の二時間を、充分|須永と打ち合せをして彼の援助を得るために利用した方が、遥かに常識に適った遣口だと考え出した。彼がこの苦い気分を痛切に甞めさせられる頃から空はだんだん光を失なって、眼に映る物の色が一面に蒼く沈んで来た。陰鬱な冬の夕暮を補なう瓦斯と電気の光がぽつぽつそこらの店硝子を彩どり始めた。ふと気がついて見ると、敬太郎から一間ばかりの所に、廂髪に結った一人の若い女が立っていた。電車の乗降が始まるたびに、彼は注意の余波を自分の左右に払っていたつもりなので、いつどっちから歩き寄ったか分らない婦人を思わぬ近くに見た時は、何より先にまずその存在に驚ろかされた。 二十七  女は年に合わして地味なコートを引き摺るように長く着ていた。敬太郎は若い人の肉を飾る華麗な色をその裏に想像した。女はまたわざとそれを世間から押し包むようにして立っていた。襦袢の襟さえ羽二重の襟巻で隠していた。その羽二重の白いのが、夕暮の逼るに連れて、空気から浮き出して来るほかに、女は身の周囲に何といって他の注意を惹くものを着けていなかった。けれども時節柄に頓着なく、当人の好尚を示したこの一色が、敬太郎には何よりも際立って見えた。彼は光の抜けて行く寒い空の下で、不調和な異な物に出逢った感じよりも、煤けた往来に冴々しい一点を認めた気分になって女の頸の辺を注意した。女は敬太郎の視線を正面に受けた時、心持|身体の向を変えた。それでもなお落ちつかない様子をして、右の手を耳の所まで上げて、鬢から洩れた毛を後へ掻きやる風をした。固より女の髪は綺麗に揃っていたのだから、敬太郎にはこの挙動が実のない科としてのみ映ったのだが、その手を見た時彼はまた新たな注意を女から強いられた。  女は普通の日本の女性のように絹の手袋を穿めていなかった。きちりと合う山羊の革製ので、華奢な指をつつましやかに包んでいた。それが色の着いた蝋を薄く手の甲に流したと見えるほど、肉と革がしっくりくっついたなり、一筋の皺も一分の弛みも余していなかった。敬太郎は女の手を上げた時、この手袋が女の白い手頸を三寸も深く隠しているのに気がついた。彼はそれぎり眼を転じてまた電車に向った。けれども乗降の一混雑が済んで、思う人が出て来ないと、また心に二三分の余裕ができるので、それを利用しようと待ち構えるほどの執着はなかったにせよ、電車の通り越した相間相間には覚られないくらいの視力を使って常に女の方を注意していた。  始め彼はこの女を「本郷行」か「亀沢町行」に乗るのだろうと考えていた。ところが両方の電車が一順廻って来て、自分の前に留っても、いっこう乗る様子がないので、彼は少々変に思った。あるいは無理に込み合っている車台に乗って、押し潰されそうな窮屈を我慢するよりも、少し時間の浪費を怺えた方が差引|得になるという主義の人かとも考えて見たが、満員という札もかけず、一つや二つの空席は充分ありそうなのが廻って来ても、女は少しも乗る素振を見せないので、敬太郎はいよいよ変に思った。女は敬太郎から普通以上の注意を受けていると覚ったらしく、彼が少しでも手足の態度を改ためると、雨の降らないうちに傘を広げる人のように、わざと彼の観察を避ける準備をした。そうして故意に反対の方を見たり、あるいは向うへ二三歩あるき出したりした。それがため、妙に遠慮深いところのできた敬太郎はなるべく露骨に女の方を見るのを慎しんでいた。がしまいにふと気がついて、この女は不案内のため、自分の勝手で好い加減にきめた停留所の前に来て、乗れもしない電車をいつまでも待っているのではなかろうかと思った。それなら親切に教えてやるべきだという勇気が急に起ったので、彼は逡巡する気色もなく、真正面に女の方を向いた。すると女はふいと歩き出して、二三間先の宝石商の窓際まで行ったなり、あたかも敬太郎の存在を認めぬもののごとくに、そこで額を窓硝子に着けるように、中に並べた指環だの、帯留だの枝珊瑚の置物だのを眺め始めた。敬太郎は見ず知らずの他人に入らざる好意立をして、かえって自分と自分の品位を落したのを馬鹿らしく感じた。  女の容貌は始めから大したものではなかった。真向に見るとそれほどでもないが、横から眺めた鼻つきは誰の目にも少し低過ぎた。その代り色が白くて、晴々しい心持のする眸を有っていた。宝石商の電灯は今|硝子越に彼女の鼻と、豊くらした頬の一部分と額とを照らして、斜かけに立っている敬太郎の眼に、光と陰とから成る一種妙な輪廓を与えた。彼はその輪廓と、長いコートに包まれた恰好のいい彼女の姿とを胸に収めて、また電車の方に向った。 二十八  電車がまた二三台来た。そうして二三台共また敬太郎の失望をくり返さして東へ去った。彼は成功を思い切った人のごとくに帯の下から時計を出して眺めた。五時はもうとうに過ぎていた。彼は今更気がついたように、頭の上に被さる黒い空を仰いで、苦々しく舌打をした。これほど骨を折って網を張った中へかからない鳥は、西の停留所から平気で逃げたんだと思うと、他を騙すためにわざわざ拵らえた婆さんの予言も、大事そうに持って出た竹の洋杖も、その洋杖が与えてくれた方角の暗示も、ことごとく忌々しさの種になった。彼は暗い夜を欺むいて眼先にちらちらする電灯の光を見廻して、自分をその中心に見出した時、この明るい輝きも必竟自分の見残した夢の影なんだろうと考えた。彼はそのくらい興を覚ましながらまだそのくらい寝惚けた心持を失わずに立っていたが、やがて早く下宿へ帰って正気の人間になろうという覚悟をした。洋杖は自分の馬鹿を嘲ける記念だから、帰りがけに人の見ていない所で二つに折って、蛇の頭も鉄の輪の突がねもめちゃめちゃに、万世橋から御茶の水へ放り込んでやろうと決心した。  彼はすでに動こうとして一歩足を移しかけた時、また先刻の若い女の存在に気がついた。女はいつの間にか宝石商の窓を離れて、元の通り彼から一間ばかりの所に立っていた。背が高いので、手足も人尋常より恰好よく伸びたところを、彼は快よく始めから眺めたのだが、今度はことにその右の手が彼の心を惹いた。女は自然のままにそれをすらりと垂れたなり、まるで他の注意を予期しないでいたのである。彼は素直に調子の揃った五本の指と、しなやかな革で堅く括られた手頸と、手頸の袖口の間から微かに現われる肉の色を夜の光で認めた。風の少ない晩であったが、動かないで長く一所に立ち尽すものに、寒さは辛く当った。女は心持ち顋を襟巻の中に埋めて、俯目勝にじっとしていた。敬太郎は自分の存在をわざと眼中に置かないようなこの眼遣の底に、かえって自分が気にかかっているらしい反証を得たと信じた。彼が先刻から蚤取眼で、黒の中折帽を被った紳士を探している間、この女は彼と同じ鋭どい注意を集めて、観察の矢を絶えずこっちに射がけていたのではなかろうか。彼はある男を探偵しつつ、またある女に探偵されつつ、一時間|余をここに過ごしたのではなかろうか。けれどもどこの何物とも知れない男の、何をするか分らない行動を、何のために探るのだか、彼には何らの考がなかったごとく、どこの何物とも知れない女から何を仕出かすか分らない人として何のために自分が覘われるのだか、そこへ行くとやはりまるで要領を得なかった。敬太郎はこっちで少し歩き出して見せたら向うの様子がもっと鮮明に分るだろうという気になって、そろりそろりと派出所の後を西の方へ動いて行った。もちろん女に勘づかれないために、彼は振向いて後を見る動作を固く憚かった。けれどもいつまでも前ばかり見て先へ行っては、肝心の目的を達する機会がないので、彼は十間ほど来たと思う時分に、わざと見たくもない硝子窓を覗いて、そこに飾ってある天鵞絨の襟の着いた女の子のマントを眺める風をしながら、そっと後を振り向いた。すると女は自分の背後にいるどころではなかった。延び上ってもいろいろな人が自分を追越すように後から後から来る陰になって、白い襟巻も長いコートもさらに彼の眼に入らなかった。彼はそのまま前へ進む勇気があるかを自分に疑ぐった。黒い中折の帽子を被った人の事なら、定刻の五時を過ぎた今だから、断念してもそれほどの遺憾はないが、女の方はどんなつまらない結果に終ろうとも、最少し観察していたかった。彼は女から自分が探偵されていると云う疑念を逆に投げ返して、こっちから女の行動を今しばらく注意して見ようという物数奇を起した。彼は落し物を拾いに帰る人の急ぎ足で、また元の派出所近く来た。そこの暗い陰に身を寄せるようにして窺うと、女は依然としてじっと通りの方を向いて立っていた。敬太郎の戻った事にはまるで気がついていない風に見えた。 二十九  その時|敬太郎の頭に、この女は処女だろうか細君だろうかという疑が起った。女は現代多数の日本婦人にあまねく行われる廂髪に結っているので、その辺の区別は始めから不分明だったのである。が、いよいよ物陰に来て、半後になったその姿を眺めた時は、第一番にどっちの階級に属する人だろうという問題が、新たに彼を襲って来た。  見かけからいうとあるいは人に嫁いだ経験がありそうにも思われる。しかし身体の発育が尋常より遥かに好いからことによれば年は存外取っていないのかも知れない。それならなぜあんな地味な服装をしているのだろう。敬太郎は婦人の着る着物の色や縞柄について、何をいう権利も有たない男だが、若い女ならこの陰鬱な師走の空気を跳ね返すように、派出な色を肉の上に重ねるものだぐらいの漠とした観察はあったのである。彼はこの女が若々しい自分の血に高い熱を与える刺戟性の文をどこにも見せていないのを不思議に思った。女の身に着けたものの内で、わずかに人の注意を惹くのは頸の周囲を包む羽二重の襟巻だけであるが、それはただ清いと云う感じを起す寒い色に過ぎなかった。あとは冬枯の空と似合った長いコートですぽりと隠していた。  敬太郎は年に合わして余りに媚びる気分を失い過ぎたこの衣服を再び後から見て、どうしてもすでに男を知った結果だと判じた。その上この女の態度にはどこか大人びた落ちつきがあった。彼はその落ちつきを品性と教育からのみ来た所得とは見傚し得なかった。家庭以外の空気に触れたため、初々しい羞恥が、手帛に振りかけた香水の香のように自然と抜けてしまったのではなかろうかと疑ぐった。そればかりではない、この女の落ちつきの中には、落ちつかない筋肉の作用が、身体全体の運動となったり、眉や口の運動となって、ちょいちょい出て来るのを彼は先刻目撃した。最も鋭敏に動くものはその眼であろうと彼は疾くに認めていた。けれどもその鋭敏に動こうとする眼を、強いて動かすまいと力める女の態度もまた同時に認めない訳に行かなかった。だからこの女の落ちつきは、自分で自分の神経を殺しているという自覚に伴なったものだと彼は勘定していた。  ところが今|後から見た女は身体といい気分といい比較的沈静して両方の間に旨く調子が取れているように思われた。彼女は先刻と違って、別段姿勢を改ためるでもなく、そろそろ歩き出すでもなく、宝石商の窓へ寄り添うでもなく、寒さを凌ぎかねる風情もなく、ほとんど閑雅とでも形容したい様子をして、一段高くなった人道の端に立っていた。傍には次の電車を待ち合せる人が二三散らばっていた。彼らは皆向うから来る車台を見つめて、早く自分の傍へ招き寄せたい風に見えた。敬太郎が立ち退いたので大いに安心したらしい彼女は、その中で最も熱心に何かを待ち受ける一人となって、筋向うの曲り角をじっと注意し始めた。敬太郎は派出所の陰を上へ廻って車道へ降りた。そうしてペンキ塗の交番を楯に、巡査の立っている横から女の顔を覘うように見た。そうしてその表情の変化にまた驚ろかされた。今まで後姿を眺めて物陰にいた時は、彼女を包む一色の目立たないコートと、その背の高さと、大きな廂髪とを材料に、想像の国でむしろ自由過ぎる結論を弄あそんだのだが、こうして彼女の知らない間に、その顔を遠慮なく眺めて見ると、全く新らしい人に始めて出逢ったような気がしない訳に行かなかった。要するに女は先刻より大変若く見えたのである。切に何物かを待ち受けているその眼もその口も、ただ生々した一種|華やかな気色に充ちて、それよりほかの表情は毫も見当らなかった。敬太郎はそのうちに処女の無邪気ささえ認めた。  やがて女の見つめている方角から一台の電車が弓なりに曲った線路を、ぐるりと緩く廻転して来た。それが女のいる前で滑るようにとまった時、中から二人の男が出た。一人は紙で包んだボール箱のようなものを提げて、すたすた巡査の前を通り越して人道へ飛び上がったが、一人は降りると直に女の前に行って、そこに立ちどまった。 三十  敬太郎は女の笑い顔をこの時始めて見た。唇の薄い割に口の大きいのをその特徴の一つとして彼は最初から眺めていたが、美くしい歯を露き出しに現わして、潤沢の饒かな黒い大きな眼を、上下の睫の触れ合うほど、共に寄せた時は、この女から夢にも予期しなかった印象が新たに彼の頭に刻まれた。敬太郎は女の笑い顔に見惚れると云うよりもむしろ驚ろいて相手の男に視線を移した。するとその男の頭の上に黒い中折が乗っているのに気がついた。外套は判切霜降とは見分けられなかったが、帽子と同じ暗い光を敬太郎の眸に投げた。その上背は高かった。瘠ぎすでもあった。ただ年齢の点に至ると、敬太郎にはとかくの判断を下しかねた。けれどもその人が寿命の度盛の上において、自分とは遥か隔たった向うにいる事だけはたしかなので、彼はこの男を躊躇なく四十|恰好と認めた。これだけの特点を前後なくほとんど同時に胸に入れ得た時、彼は自分が先刻から馬鹿を尽してつけ覘った本人がやっと今電車を降りたのだと断定しない訳に行かなかった。彼は例刻の五時がとうの昔しに過ぎたのに、妙な酔興を起して、やはり同じ所にぶらついていた自分を仕合せだと思った。その酔興を起させるため、自分の好奇心を釣りに若い女が偶然出て来てくれたのをありがたく思った。さらにその若い女が自分の探す人を、自分よりも倍以上の自信と忍耐をもって、待ち終せたのを幸運の一つに数えた。彼はこのXという男について、田口のために、ある知識を供給する事ができると共に、同じ知識がYという女に関する自分の好奇心を幾分か満足させ得るだろうと信じたからである。  男と女はまるで敬太郎の存在に気がつかなかったと見えて、前後左右に遠慮する気色もなく、なお立ちながら話していた。女は始終微笑を洩らす事をやめなかった。男も時々声を出して笑った。二人が始めて顔を合わした時の挨拶の様子から見ても彼らはけっして疎遠な間柄ではなかった。異性を繋ぎ合わせるようで、その実両方の仲を堰く、慇懃な男女間の礼義は彼らのどちらにも見出す事ができなかった。男は帽子の縁に手をかける面倒さえあえてしなかった。敬太郎はその鍔の下にあるべきはずの大きな黒子を面と向って是非突き留めたかった。もし女がいなかったならば肉の上に取り残されたこの異様な一点を確かめるために、彼はつかつかと男の前へ進んで行って、何でも好いから、ただ口から出任せの質問をかけたかも知れない。それでなくても、直ちに彼の傍へ近寄って、満足の行くまでその顔を覗き込んだろう。この際そう云う大胆な行動を妨たげるものは、男の前に立っている例の女であった。女が敬太郎の態度を悪く疑ぐったかどうかは問題として、彼の挙動に不審を抱いた様子は、同じ場所に長く立ち並んだ彼の目に親しく映じたところである。それを承知しながら、再びその視線の内に、自分の顔を無遠慮に突き出すのは、多少紳士的でない上に、嫌疑の火の手をわざと強くして、自分の目的を自分で打ち毀すと同じ結果になる。  こう考えた敬太郎は、自然の順序として相応の機会が廻って来るまでは、黒子の有る無しを見届けるだけは差し控えた方が得策だろうと判断した。その代り見え隠れに二人の後を跟けて、でき得るならば断片的でもいいから、彼らの談話を小耳に挟もうと覚悟した。彼は先方の許諾を待たないで、彼らの言動を、ひそかに我胸に畳み込む事の徳義的価値について、別に良心の相談を受ける必要を認めなかった。そうして自分の骨折から出る結果は、世故に通じた田口によって、必ず善意に利用されるものとただ淡泊に信じていた。  やがて男は女を誘なう風をした。女は笑いながらそれを拒むように見えた。しまいに半ば向き合っていた二人が、肩と肩を揃えて瀬戸物屋の軒端近く歩き寄った。そこから手を組み合わせないばかりに並んで東の方へ歩き出した。敬太郎は二三間早足に進んで、すぐ彼らの背後まで来た。そうして自分の歩調を彼らと同じ速度に改ためた。万一女に振り向かれても、疑惑を免かれるために、彼はけっして彼らの後姿には眼を注がなかった。偶然前後して天下の往来を同じ方角に行くもののごとくに、故意とあらぬ方を見て歩いた。 三十一 「だって余まりだわ。こんなに人を待たしておいて」  敬太郎の耳に入った第一の言葉は、女の口から出たこういう意味の句であったが、これに対する男の答は全く聞き取れなかった。それから五六間行ったと思う頃、二人の足が急に今までの歩調を失って、並んだ影法師がほとんど敬太郎の前に立ち塞がりそうにした。敬太郎の方でも、後から向うに突き当らない限りは先へ通り抜けなければ跋が悪くなった。彼は二人の後戻りを恐れて、急に傍にあった菓子屋の店先へ寄り添うように自分を片づけた。そうしてそこに並んでいる大きな硝子壺の中のビスケットを見つめる風をしながら、二人の動くのを待った。男は外套の中へ手を入れるように見えたが、それが済むと少し身体を横にして、下向きに右手で持ったものを店の灯に映した。男の顔の下に光るものが金時計である事が、その時敬太郎に分った。 「まだ六時だよ。そんなに遅かあない」 「遅いわあなた、六時なら。妾もう少しで帰るところよ」 「どうも御気の毒さま」  二人はまた歩き出した。敬太郎も壺入のビスケットを見棄ててその後に従がった。二人は淡路町まで来てそこから駿河台下へ抜ける細い横町を曲った。敬太郎も続いて曲ろうとすると、二人はその角にある西洋料理屋へ入った。その時彼はその門口から射す強い光を浴びた男と女の顔を横から一眼見た。彼らが停留所を離れる時、二人連れ立ってどこへ行くだろうか、敬太郎にはまるで想像もつかなかったのだが、突然こんな家へ入いられて見ると、何でもない所だけに、かえって案外の感に打たれざるを得なかった。それは宝亭と云って、敬太郎の元から知っている料理屋で、古くから大学へ出入をする家であった。近頃|普請をしてから新らしいペンキの色を半分電車通りに曝して、斜かけに立ち切られたような棟を南向に見せているのを、彼は通り掛りに時々注意した事がある。彼はその薄青いペンキの光る内側で、額に仕立てたミュンヘン麦酒の広告写真を仰ぎながら、肉刀と肉叉を凄まじく闘かわした数度の記憶さえ有っていた。  二人の行先については、これという明らかな希望も予期も無かったが、少しは紫がかった空気の匂う迷路の中に引き入れられるかも知れないくらいの感じが暗に働らいてこれまで後を跟けて来た敬太郎には、馬鈴薯や牛肉を揚げる油の臭が、台所からぷんぷん往来へ溢れる西洋料理屋は余りに平凡らしく見えた。けれども自分のとても近寄れない幽玄な所へ姿を隠して、それぎり出て来ないよりは、遥かに都合が好いと考え直した彼は、二人の身体が、誰にでも近寄る事のできる、普通の洋食店のペンキの奥に囲われているのをむしろ心丈夫だと覚った。幸い彼はこのくらいな程度の家で、冬空の外気に刺戟された食慾を充たすに足るほどの財布を懐中していた。彼はすぐ二人の後を追ってそこの二階へ上ろうとしたが、電灯の強く往来へ射す門口まで来た時、ふと気がついた。すでに女から顔を覚えられた以上、ほとんど同時に一つ二階へ押し上っては不味い。ひょっとするとこの人は自分を跟けて来たのだという疑惑を故意先方に与える訳になる。  敬太郎は何気ない振をして、往来へ射す光を横切ったまま、黒い小路を一丁ばかり先へ歩いた。そうしてその小路の尽きる坂下からまた黒い人となって、自分の影法師を自分の身体の中へ畳み込んだようにひっそりと明るい門口まで帰って来た。それからその門を潜った。時々来た事があるので、彼はこの家の勝手をほぼ承知していた。下には客を通す部屋がなくって、二階と三階だけで用を弁じているが、よほど込み合わなければ三階へは案内しない、大抵は二階で済むのだから、上って右の奥か、左の横にある広間を覗けば、大抵二人の席が見えるに違ない、もしそこにいなかったら表の方の細長い室まで開けてやろうぐらいの考で、階段を上りかけると、白服の給仕が彼を案内すべく上り口に立っているのに気がついた。 三十二  敬太郎は手に持った洋杖をそのままに段々を上り切ったので、給仕は彼の席を定める前に、まずその洋杖を受取った。同時にこちらへと云いながら背中を向けて、右手の広間へ彼を案内した。彼は給仕の後から自分の洋杖がどこに落ちつくかを一目見届けた。するとそこに先刻注意した黒の中折帽が掛っていた。霜降らしい外套も、女の着ていた色合のコートも釣るしてあった。給仕がその裾を動かして、竹の洋杖を突込んだ時、大きな模様を抜いた羽二重の裏が敬太郎の眼にちらついた。彼は蛇の頭がコートの裏に隠れるのを待って、そらにその持主の方に眼を転じた。幸いに女は男と向き合って、入口の方に背中ばかりを見せていた。新らしい客の来た物音に、振り返りたい気があっても、ぐるりと廻るのが、いったん席に落ちついた品位を崩す恐があるので、必要のない限り、普通の婦人はそういう動作を避けたがるだろうと考えた敬太郎は、女の後姿を眺めながら、ひとまず安堵の思いをした。女は彼の推察通りはたして後を向かなかった。彼はその間に女の坐っているすぐ傍まで行って背中合せに第二列の食卓につこうとした。その時男は顔を上げて、まだ腰もかけず向も改ためない敬太郎を見た。彼の食卓の上には支那めいた鉢に植えた松と梅の盆栽が飾りつけてあった。彼の前にはスープの皿があった。彼はその中に大きな匙を落したなり敬太郎と顔を見合せたのである。二人の間に横わる六尺に足らない距離は明らかな電灯が隈なく照らしていた。卓上に掛けた白い布がまたこの明るさを助けるように、潔ぎいい光を四方の食卓から反射していた。敬太郎はこういう都合のいい条件の具備した室で、男の顔を満足するまで見た。そうしてその顔の眉と眉の間に、田口から通知のあった通り、大きな黒子を認めた。  この黒子を別にして、男の容貌にこれと云った特異な点はなかった。眼も鼻も口も全く人並であった。けれども離れ離れに見ると凡庸な道具が揃って、面長な顔の表にそれぞれの位地を占めた時、彼は尋常以上に品格のある紳士としか誰の目にも映らなかった。敬太郎と顔を合せた時、スープの中に匙を入れたまま、啜る手をしばらくやめた態度などは、どこかにむしろ気高い風を帯びていた。敬太郎はそれなり背中を彼の方に向けて自分の席に着いたが、探偵という文字に普通付着している意味を心のうちで考え出して、この男の風采態度と探偵とはとても釣り合わない性質のものだという気がした。敬太郎から見ると、この人は探偵してしかるべき何物をも彼の人相の上に有っていなかったのである。彼の顔の表に並んでいる眼鼻口のいずれを取っても、その奥に秘密を隠そうとするには、余りにできが尋常過ぎたのである。彼は自分の席へ着いた時、田口から引き受けたこの宵の仕事に対する自分の興味が、すでに三分の一ばかり蒸発したような失望を感じた。第一こんな性質の仕事を田口から引き受けた徳義上の可否さえ疑がわしくなった。  彼は自分の注文を通したなり、ポカンとして麺麭に手も触れずにいた。男と女は彼らの傍に坐った新らしい客に幾分か遠慮の気味で、ちょっとの間話を途切らした。けれども敬太郎の前に暖められた白い皿が現われる頃から、また少し調子づいたと見えて、二人の声が互違に敬太郎の耳に入った。―― 「今夜はいけないよ。少し用があるから」 「どんな用?」 「どんな用って、大事な用さ。なかなかそう安くは話せない用だ」 「あら好くってよ。妾ちゃんと知ってるわ。――さんざっぱら他を待たした癖に」  女は少し拗ねたような物の云い方をした。男は四辺に遠慮する風で、低く笑った。二人の会話はそれぎり静かになった。やがて思い出したように男の声がした。 「何しろ今夜は少し遅いから止そうよ」 「ちっとも遅かないわ。電車に乗って行きゃあ直じゃありませんか」  女が勧めている事も男が躊躇している事も敬太郎にはよく解った。けれども彼らがどこへ行くつもりなのだか、その肝心な目的地になると、彼には何らの観念もなかった。 三十三  もう少し聞いている内にはあるいはあたりがつくかも知れないと思って、敬太郎は自分の前に残された皿の上の肉刀と、その傍に転がった赤い仁参の一切を眺めていた。女はなお男を強いる事をやめない様子であった。男はそのたびに何とかかとか云って逃れていた。しかし相手を怒らせまいとする優しい態度はいつも変らなかった。敬太郎の前に新らしい肉と青豌豆が運ばれる時分には、女もとうとう我を折り始めた。敬太郎は心の内で、女がどこまでも剛情を張るか、でなければ男が好加減に降参するか、どっちかになればいいがと、ひそかに祈っていたのだから、思ったほど女の強くないのを発見した時は少なからず残念な気がした。せめて二人の間に名を出す必要のないものとして略されつつあった目的地だけでも、何かの機会に小耳に挟んでおきたかったが、いよいよ話が纏まらないとなると、男女の問答は自然ほかへ移らなければならないので、当分その望みも絶えてしまった。 「じゃ行かなくってもいいから、あれをちょうだい」と、やがて女が云い出した。 「あれって、ただあれじゃ分らない」 「ほらあれよ。こないだの。ね、分ったでしょう」 「ちっとも分らない」 「失敬ね、あなたは。ちゃんと分ってる癖に」  敬太郎はちょっと振り向いて後が見たくなった。その時|階段を踏む大きな音が聞こえて、三人ばかりの客がどやどやと一度に上って来た。そのうちの一人はカーキー色の服に長靴を穿いた軍人であった。そうして床の上を歩く音と共に、腰に釣るした剣をがちゃがちゃ鳴らした。三人は上って左側の室へ案内された。この物音が例の男と女の会話を攪き乱したため、敬太郎の好奇心もちらつく剣の光が落ちつくまで中途に停止していた。 「この間見せていただいたものよ。分って」  男は分ったとも分らないとも云わなかった。敬太郎には無論想像さえつかなかった。彼は女がなぜ淡泊に自分の欲しいというものの名を判切云ってくれないかを恨んだ。彼は何とはなしにそれが知りたかったのである。すると、 「あんなもの今ここに持ってるもんかね」と男が云った。 「誰もここに持ってるって云やしないわ。ただちょうだいって云うのよ。今度でいいから」 「そんなに欲しけりゃやってもいい。が……」 「あッ嬉しい」  敬太郎はまた振り返って女の顔が見たくなった。男の顔もついでに見ておきたかった。けれども女と一直線になって、背中合せに坐っている自分の位置を考えると、この際そんな盲動は慎しまなければならないので、眼のやりどころに困るという風で、ただ正面をぽかんと見廻した。すると勝手の上り口の方から、給仕が白い皿を二つ持って入って来て、それを古いのと引き更えに、二人の前へ置いて行った。 「小鳥だよ。食べないか」と男が云った。 「妾もうたくさん」  女は焼いた小鳥に手を触れない様子であった。その代り暇のできた口を男よりは余計動かした。二人の問答から察すると、女の男にくれと逼ったのは珊瑚樹の珠か何からしい。男はこういう事に精通しているという口調で、いろいろな説明を女に与えていた。が、それは敬太郎には興味もなければ、解りもしない好事家の嬉しがる知識に過ぎなかった。練物で作ったのへ指先の紋を押しつけたりして、時々|旨くごまかした贋物があるが、それは手障りがどこかざらざらするから、本当の古渡りとは直区別できるなどと叮嚀に女に教えていた。敬太郎は前後を綜合わして、何でもよほど貴とい、また大変珍らしい、今時そう容易くは手に入らない時代のついた珠を、女が男から貰う約束をしたという事が解った。 「やるにはやるが、御前あんなものを貰って何にする気だい」 「あなたこそ何になさるの。あんな物を持ってて、男の癖に」 三十四  しばらくして男は「御前御菓子を食べるかい、菓物にするかい」と女に聞いた。女は「どっちでも好いわ」と答えた。彼らの食事がようやく終りに近づいた合図とも見られるこの簡単な問答が、今までうっかりと二人の話に釣り込まれていた敬太郎に、たちまち自分の義務を注意するように響いた。彼はこの料理屋を出た後の二人の行動をも観察する必要があるものとして、自分で自分の役割を作っていたのである。彼は二人と同時に二階を下りる事の不得策を初めから承知していた。後れて席を立つにしても、巻煙草を一本吸わない先に、夜と人と、雑沓と暗闇の中に、彼らの姿を見失なうのはたしかであった。もし間違いなく彼らの影を踏んで後から喰付いて行こうとするなら、どうしても一足先へ出て、相手に気のつかない物陰か何かで、待ち合せるよりほかに仕方がないと考えた。敬太郎は早く勘定を済ましておくに若くはないという気になって、早速|給仕を呼んでビルを請求した。  男と女はまだ落ちついて話していた。しかし二人の間に何というきまった題目も起らないので、それを種に意見や感情の交換も始まる機会はなく、ただだらしのない雲のようにそれからそれへと流れて行くだけに過ぎなかった。男の特徴に数えられた眉と眉の間の黒子なども偶然女の口に上った。 「なぜそんな所に黒子なんぞができたんでしょう」 「何も近頃になって急にできやしまいし、生れた時からあるんだ」 「だけどさ。見っともなかなくって、そんな所にあって」 「いくら見っともなくっても仕方がないよ。生れつきだから」 「早く大学へ行って取って貰うといいわ」  敬太郎はこの時|指洗椀の水に自分の顔の映るほど下を向いて、両手で自分の米噛を隠すように抑えながら、くすくすと笑った。ところへ給仕が釣銭を盆に乗せて持って来た。敬太郎はそっと立って目立たないように階段の上り口までおとなしく足を運ぶと、そこに立っていた給仕が大きな声で、「御立あち」と下へ知らせた。同時に敬太郎は先刻給仕に預けた洋杖を取って来るのを忘れた事に気がついた。その洋杖はいまだに室の隅に置いてある帽子掛の下に突き込まれたまま、女の長いコートの裾に隠されていた。敬太郎は室の中にいる男女を憚かるように、抜き足で後戻りをして、静かにそれを取り出した。彼が蛇の頭を握った時、すべすべした羽二重の裏と、柔かい外套の裏が、優しく手の甲に触れるのを彼は感じた。彼はまた爪先で歩かないばかりに気をつけて階段の上まで来ると、そこから急に調子を変えて、とん、とん、とんと刻み足に下へ駆け下りた。表へ出るや否や電車通を直ぐ向うへ横切った。その突き当りに、大きな古着屋のような洋服屋のような店があるので、彼はその店の電灯の光を後にして立った。こうしてさえいれば料理店から出る二人が大通りを右へ曲ろうが、左へ折れようが、または中川の角に添って連雀町の方へ抜けようが、あるいは門からすぐ小路伝いに駿河台下へ向おうが、どっちへ行こうと見逃す気遣はないと彼は心丈夫に洋杖を突いて、目指す家の門口を見守っていた。  彼は約十分ばかり待った後で、注意の焼点になる光の中に、いっこう人影が射さないのを不審に思い始めた。やむを得ず二階を眺めてその窓だけ明るくなった奥を覗くように、彼らの早く席を立つ事を祈った。そうして待ち草臥れた眼を移すごとに、屋根の上に広がる黒い空を仰いだ。今まで地面の上を照らしている人間の光ばかりに欺むかれて、まるでその存在を忘れていたこの大きな夜は、暗い頭の上で、先刻から寒そうな雨を醸していたらしく、敬太郎の心を佗びしがらせた。ふと考えると、今までは自分に遠慮してただの話をしていた二人が、自分の立ったのを幸いに、自分の役目として是非聞いておかなければならないような肝心の相談でもし始めたのではなかろうか。彼はこの疑惑と共に黒い空を仰ぎながら、そのうちに二人の向き合った姿をありありと認めた。 三十五  彼はあまり注意深く立ち廻って、かえって洋食店の門を早く出過ぎたのを悔んだ。けれども二人が彼に気兼をする以上は、たとい同じ席にいつまでも根が生えたように腰を据えていたところで、やっぱり普通の世間話よりほかに聞く訳には行かないのだから、よし今まで坐ったまま動かないものと仮定しても、その結果は早く席を立ったと、ほぼ同じ事になるのだと思うと、彼は寒いのを我慢しても、同じ所に見張っているより仕方なかった。すると帽子の廂へ雨が二雫ほど落ちたような気がするので、彼はまた仰向いて黒い空を眺めた。闇よりほかに何も眼を遮ぎらない頭の上は、彼の立っている電車通と違って非常に静であった。彼は頬の上に一滴の雨を待ち受けるつもりで、久しく顔を上げたなり、恰好さえ分らない大きな暗いものを見つめている間に、今にも降り出すだろうという掛念をどこかへ失なって、こんな落ちついた空の下にいる自分が、なぜこんな落ちつかない真似を好んでやるのだろうと偶然考えた。同時にすべての責任が自分の今突いている竹の洋杖にあるような気がした。彼は例のごとく蛇の頭を握って、寒さに対する欝憤を晴らすごとくに、二三度それを烈しく振った。その時待ち佗びた人の影法師が揃って洋食店の門口を出た。敬太郎は何より先に女の細長い頸を包む白い襟巻に眼をつけた。二人はすぐと大通りへ出て、敬太郎の向う側を、先刻とは反対の方角に、元来た道へ引き返しにかかった。敬太郎も猶予なく向うへ渡った。彼らは緩い歩調で、賑やかに飾った店先を軒ごとに覗くように足を運ばした。後から跟いて行く敬太郎は是非共二人に釣り合った歩き方をしなければならないので、その遅過ぎるのがだいぶ苦になった。男は香の高い葉巻を銜えて、行く行く夜の中へ微かな色を立てる煙を吐いた。それが風の具合で後から従がう敬太郎の鼻を時々快ろよく侵した。彼はその香いを嗅ぎ嗅ぎ鈍い足並を我慢して実直にその跡を踏んだ。男は背が高いので後から見ると、ちょっと西洋人のように思われた。それには彼の吹かしている強い葉巻が多少|錯覚を助けた。すると聯想がたちまち伴侶の方に移って、女が旦那から買って貰った革の手袋を穿めている洋妾のように思われた。敬太郎がふとこういう空想を起して、おかしいと思いながらも、なお一人で興を催していると、二人は最前待ち合わした停留所の前まで来てちょっと立ちどまったが、やがてまた線路を横切って向側へ越した。敬太郎も二人のする通りを真似た。すると二人はまた美土代町の角をこちらから反対の側へ渡った。敬太郎もつづいて同じ側へ渡った。二人はまた歩き出して南へ動いた。角から半町ばかり来ると、そこにも赤く塗った鉄の柱が一本立っていた。二人はその柱の傍へ寄って立った。彼らはまた三田線を利用して南へ、帰るか、行くか、する人だとこの時始めて気がついた敬太郎は、自分も是非同じ電車へ乗らなければなるまいと覚悟した。彼らは申し合せたように敬太郎の方を顧みた。固より彼のいる方から電車が横町を曲って来るからではあるが、それにしても敬太郎は余り好い心持はしなかった。彼は帽子の鍔をひっくり返して、ぐっと下へおろして見たり、手で顔を撫でて見たり、なるべく軒下へ身を寄せて見たり、わざと変な見当を眺めて見たりして、電車の現われるのをつらく待ち佗びた。  間もなく一台来た。敬太郎はわざと二人の乗った後から這入って、嫌疑を避けようと工夫した。それでしばらく後の方にぐずぐずしていると、女は例の長いコートの裾を踏まえないばかりに引き摺って車掌台の上に足を移した。しかしあとから直続くと思った男は、案外|上る気色もなく、足を揃えたまま、両手を外套の隠袋に突き差して立っていた。敬太郎は女を見送りに男がわざわざここまで足を運んだのだという事にようやく気がついた。実をいうと、彼は男よりも女の方に余計興味を持っていたのである。男と女がここで分れるとすれば、無論男を捨てて女の先途だけを見届けたかった。けれども自分が田口から依託されたのは女と関係のない黒い中折帽を被った男の行動だけなので、彼は我慢して車台に飛び上がるのを差し控えた。 三十六  女は車台に乗った時、ちょっと男に目礼したが、それぎり中へ這入ってしまった。冬の夜の事だから、窓硝子はことごとく締め切ってあった。女はことさらにそれを開けて内から首を出すほどの愛嬌も見せなかった。それでも男はのっそり立って、車の動くのを待っていた。車は動き出した。二人の間に挨拶の交換がもう必要でないと認めたごとく、電力は急いで光る窓を南の方へ運び去った。男はこの時口に銜えた葉巻を土の上に投げた。それから足の向を変えてまた三ツ角の交叉点まで出ると、今度は左へ折れて唐物屋の前でとまった。そこは敬太郎が人に突き当られて、竹の洋杖を取り落した記憶の新らしい停留所であった。彼は男の後を見え隠れにここまで跟いて来て、また見たくもない唐物屋の店先に飾ってある新柄の襟飾だの、絹帽だの、変り縞の膝掛だのを覗き込みながら、こう遠慮をするようでは、探偵の興も覚めるだけだと考えた。女がすでに離れた以上、自分の仕事に飽が来たと云ってはすまないが、前同様であるべき窮屈の程度が急に著るしく感ぜられてならなかった。彼の依頼されたのは中折の男が小川町で降りてから二時間内の行動に限られているのだから、もうこれで偵察の役目は済んだものとして、下宿へ帰って寝ようかとも思った。  そこへ男の待っている電車が来たと見えて、彼は長い手で鉄の棒を握るや否や瘠せた身体を体よくとまり切らない車台の上に乗せた。今まで躊躇していた敬太郎は急にこの瞬間を失なってはという気が出たので、すぐ同じ車台に飛び上った。車内はそれほど込みあっていなかったので、乗客は自由に互の顔を見合う余裕を充分持っていた。敬太郎は箱の中に身体を入れると同時に、すでに席を占めた五六人から一度に視線を集められた。そのうちには今|坐ったばかりの中折の男のも交っていたが、彼の敬太郎を見た眼のうちには、おやという認識はあったが、つけ覘われているなという疑惑はさらに現われていなかった。敬太郎はようやく伸び伸びした心持になって、男と同じ側を択って腰を掛けた。この電車でどこへ連れて行かれる事かと思って軒先を見ると、江戸川行と黒く書いてあった。彼は男が乗り換えさえすれば、自分も早速降りるつもりで、停留所へ来るごとに男の様子を窺がった。男は始終隠袋へ手を突き込んだまま、多くは自分の正面かわが膝の上かを見ていた。その様子を形容すると、何にも考えずに何か考え込んでいると云う風であった。ところが九段下へかかった頃から、長い首を時々伸ばして、ある物を確かめたいように、窓の外を覗き出した。敬太郎もつい釣り込まれて、見悪い外を透かすように眺めた。やがて電車の走る響の中に、窓硝子にあたって摧ける雨の音が、ぽつりぽつりと耳元でし始めた。彼は携えている竹の洋杖を眺めて、この代りに雨傘を持って来ればよかったと思い出した。  彼は洋食店以後、中折を被った男の人柄と、世の中にまるで疑をかけていないその眼つきとを注意した結果、この時ふと、こんな窮屈な思いをして、いらざる材料を集めるよるも、いっそ露骨にこっちから話しかけて、当人の許諾を得た事実だけを田口に報告した方が、今更|遅蒔のようでも、まだ気が利いていやしないかと考えて、自分で自分を彼に紹介する便法を工夫し始めた。そのうち電車はとうとう終点まで来た。雨はますます烈しくなったと見えて、車がとまるとざあという音が急に彼の耳を襲った。中折の男は困ったなと云いながら、外套の襟を立てて洋袴の裾を返した。敬太郎は洋杖を突きながら立ち上った。男は雨の中へ出ると、直寄って来る俥引を捕まえた。敬太郎も後れないように一台雇った。車夫は梶棒を上げながら、どちらへと聞いた。敬太郎はあの車の後について行けと命じた。車夫はへいと云ってむやみに馳け出した。一筋道を矢来の交番の下まで来ると、車夫は又梶棒をとめて、旦那どっちへ行くんですと聞いた。男の乗った車はいくら幌の内から延び上っても影さえ見えなかった。敬太郎は車上に洋杖を突っ張ったまま、雨の音のする中で方角に迷った。 報告 一  眼が覚めると、自分の住み慣れた六畳に、いつもの通り寝ている自分が、敬太郎には全く変に思われた。昨日の出来事はすべて本当のようでもあった。また纏まりのない夢のようでもあった。もっと綿密に形容すれば、「本当の夢」のようでもあった。酔った気分で町の中に活動したという記憶も伴なっていた。それよりか、酔った気分が世の中に充ち充ちていたという感じが一番強かった。停留所も電車も酔った気分に充ちていた。宝石商も、革屋も、赤と青の旗振りも、同じ空気に酔っていた。薄青いペンキ塗の洋食店の二階も、そこに席を占めた眉の間に黒子のある紳士も、色の白い女も、ことごとくこの空気に包まれていた。二人の話しに出て来る、どこにあるか分らない所の名も、男が女にやる約束をした珊瑚の珠も、みんな陶然とした一種の気分を帯びていた。最もこの気分に充ちて活躍したものは竹の洋杖であった。彼がその洋杖を突いたまま、幌を打つ雨の下で、方角に迷った時の心持は、この気分の高潮に達した幕前の一区切として、ほとんど狐から取り憑かれた人の感じを彼に与えた。彼はその時店の灯で佗びしく照らされたびしょ濡れの往来と、坂の上に小さく見える交番と、その左手にぼんやり黒くうつる木立とを見廻して、はたしてこれが今日の仕事の結末かと疑ぐった。彼はやむを得ず車夫に梶棒を向け直させて、思いも寄らない本郷へ行けと命じた事を記憶していた。  彼は寝ながら天井を眺めて、自分に最も新らしい昨日の世界を、幾順となく眼の前に循環させた。彼は二日酔の眼と頭をもって、蚕の糸を吐くようにそれからそれへと出てくるこの記念の画を飽かず見つめていたが、しまいには眼先に漂ようふわふわした夢の蒼蠅さに堪えなくなった。それでも後から後からと向うで独り勝手に現われて来るので、彼は正気でありながら、何かに魅入られたのではなかろうかと云う疑さえ起した。彼はこの浅い疑に関聯して、例の洋杖を胸に思い浮べざるを得なかった。昨日の男も女も彼の眼には絵を見るほど明らかであった。容貌は固より服装から歩きつきに至るまでことごとく記憶の鏡に判切りと映った。それでいて二人とも遠くの国にいるような心持がした。遠くの国にいながら、つい近くにあるものを見るように、鮮やかな色と形を備えて眸を侵して来た。この不思議な影響が洋杖から出たかも知れないという神経を敬太郎はどこかに持っていた。彼は昨夕法外な車賃を貪ぼられて、宿の門口を潜った時、何心なくその洋杖を持ったまま自分の室まで帰って来て、これは人の目に触れる所に置くべきものでないという顔をして、寝る前に、戸棚の奥の行李の後へ投げ込んでしまったのである。  今朝は蛇の頭にそれほどの意味がないようにも思われた。ことにこれから田口に逢って、探偵の結果を報告しなければならないと云う実際問題の方が頭に浮いて来ると、なおさらそういう感じが深くなった。彼は一日の午後から宵へかけて、妙に一種の空気に酔わされた気分で活動した自覚はたしかにあるが、いざその活動の結果を、普通の人間が処世上に利用できるように、筋の立った報告に纏める段になると、自分の引き受けた仕事は成効しているのか失敗しているのかほとんど分らなかった。したがって洋杖の御蔭を蒙っているのか、いないのかも判然しなかった。床の中で前後をくり返した敬太郎には、まさしくその御蔭を蒙っているらしくも見えた。またけっしてその御蔭を蒙っていないようにも思われた。  彼はともかくも二日酔の魔を払い落してからの事だと決心して、急に夜着を剥ぐって跳ね起きた。それから洗面所へ下りて氷るほど冷めたい水で頭をざあざあ洗った。これで昨日の夢を髪の毛の根本から振い落して、普通の人間に立ち還ったような気になれたので、彼は景気よく三階の室に上った。そこの窓を潔ぎよく明け放した彼は、東向に直立して、上野の森の上から高く射す太陽の光を全身に浴びながら、十遍ばかり深呼吸をした。こう精神作用を人間並に刺戟した後で、彼は一服しながら、田口へ報告すべき事柄の順序や条項について力めて実際的に思慮を回らした。 二  突きとめて見ると、田口の役に立ちそうな種はまるで上がっていないようにも思われるので、敬太郎は少し心細くなって来た。けれども先方では今朝にも彼の報告を待ち受けているように気が急くので、彼はさっそく田口家へ電話を掛けた。これから直行っていいかと聞くと、だいぶ待たした後で、差支ないという答が、例の書生の口を通して来たので、彼は猶予なく内幸町へ出かけた。  田口の門前には車が二台待っていた。玄関にも靴と下駄が一足ずつあった。彼はこの間と違って日本間の方へ案内された。そこは十畳ほどの広い座敷で、長い床に大きな懸物が二幅掛かっていた。湯呑のような深い茶碗に、書生が番茶を一杯|汲んで出した。桐を刳った手焙も同じ書生の手で運ばれた。柔かい座蒲団も同じ男が勧めてくれただけで、女はいっさい出て来なかった。敬太郎は広い室の真中に畏まって、主人の足音の近づくのを窮屈に待った。ところがその主人は用談が果てないと見えて、いつまで待ってもなかなか現われなかった。敬太郎はやむを得ず茶色になった古そうな懸物の価額を想像したり、手焙の縁を撫で廻したり、あるいは袴の膝へきちりと両手を乗せて一人改たまって見たりした。すべて自分の周囲があまり綺麗に調っているだけに、居心地が新らし過ぎて彼は容易に落ちつけなかったのである。しまいに違棚の上にある画帖らしい物を取りおろしてみようかと思ったが、その立派な表紙が、これは装飾だから手を触れちゃいけないと断るように光るので、彼はついに手を出しかねた。  こう敬太郎の神経を悩ました主人は、彼をやや小一時間も待たした後で、ようやく応接間から出て来た。 「どうも長い間御待たせ申して。――客がなかなか帰らないものだから」  敬太郎はこの言訳に対して適当と思うような挨拶を一と口と、それに添えた叮嚀な御辞儀を一つした。それからすぐ昨日の事を云い出そうとしたが、何をどう先に述べたら都合がいいか、この場に臨んで急にまた迷い始めたうちに、切り出す機を逸してしまった。主人はまた冒頭からさも忙がしそうに声も身体も取り扱かっている癖に、どこか腹の中に余裕の貯蔵庫でもあるように、けっして周章て探偵の結果を聞きたがらなかった。本郷では氷が張るかとか、三階では風が強く当るだろうとか、下宿にも電話があるのかとか、調子は至極面白そうだけれども、その実つまらない事ばかり話の種にした。敬太郎は向うの問に従って主人の満足する程度にわが答えを運んでいたが、相手はこんな無意味な話を進めて行くうちに、暗に彼の様子を注意しているらしかった。そこまでは彼もぼんやり気がついた。しかし主人がなぜそんな注意を自分に払うのか、その訳はまるで解らなかった。すると、 「どうです昨日は。旨く行きましたか」と主人が突然聞き出した。こう聞かれるだろうぐらいの腹は始めから敬太郎にもあったのだが、正直に答えれば、「どうですか」という他を馬鹿にした生返事になるので、彼はちょっと口籠った後、 「そうです御通知のあった人だけはやっと探し当てました」と答えた。 「眉間に黒子がありましたか」  敬太郎は少し隆起した黒い肉の一点を局部に認めたと答えた。 「衣服もこっちから云って上げた通りでしたか。黒の中折に、霜降の外套を着て」 「そうです」 「それじゃ大抵間違はないでしょう。四時と五時の間に小川町で降りたんですね」 「時間は少し後れたようです」 「何分ぐらい」 「何分か知りませんが、何でも五時よっぽど過のようでした」 「よっぽど過。よっぽど過ならそんな人を待っていなくても好いじゃありませんか。四時から五時までの間と、わざわざ時間を切って通知して上げたくらいだから、五時を過ぎればもうあなたの義務はすんだも同然じゃないですか。なぜそのまま帰って、その通り報知しないんです」  今まで穏やかに機嫌よく話していた長者から突然こう手厳しくやりつけられようとは、敬太郎は夢にも思わなかった。 三  敬太郎は今まで下町出の旦那を眼の前に描いていた。それが突然規律ずくめの軍人として彼を威圧して来た時、彼はたちまち心の中心を狂わした。友達に対してなら云い得る「君のためだから」という言葉も挨拶も有っていたのだが、この場合にはそれがまるで役に立たなかった。 「ただ私の勝手で、時間が来てもそこを動かなかったのです」  敬太郎がこう答えるか答えないうちに、田口は今のきっとした態度をすぐ崩して、 「そりゃ私のために大変都合が好かった」と機嫌の好い調子で受けたが、「しかしあなたの勝手と云うのは何です」と聞き返した。敬太郎は少し逡巡した。 「なにそりゃ聞かないでも構いません。あなたの事だから。話したくなければ話さないでも差支ない」  田口はこう云って、自分の前に引きつけた手提煙草盆の抽出を開けると、その中から角でできた細長い耳掻を捜し出した。それを右の耳の中に入れて、さも痒ゆそうに掻き廻した。敬太郎は見ないふりをしてわざと自分を見ているような、また耳だけに気を取られているような、田口の蹙面を薄気味悪く感じた。 「実は停留所に女が一人立っていたのです」と彼はとうとう自白してしまった。 「年寄ですか、若い女ですか」 「若い女です」 「なるほど」  田口はただ一口こう云っただけで、何とも後を継いでくれなかった。敬太郎も頓挫したなり言葉を途切らした。二人はしばらく差向いのまま口を聞かずにいた。 「いや、若かろうが年寄だろうが、その婦人の事を聞くのはよくなかった。それはあなただけに関係のある事なんでしょうから、止しにしましょう。私の方じゃただ顔に黒子のある男について、研究の結果さえ伺がえばいいんだから」 「しかしその女が黒子のある人の行動に始終入り込んでくるのです。第一女の方で男を待ち合わしていたのですから」 「はあ」  田口はちょっと思いも寄らぬという顔つきをしたが、「じゃその婦人はあなたの御知合でも何でもないのですね」と聞いた。敬太郎は固より知合だと答える勇気を有たなかった。きまりの悪い思いをしても、見た事も口を利いた事もない女だと正直に云わなければならなかった。田口はそうですかと、穏かに敬太郎の返事を聞いただけで、少しも追窮する気色を見せなかったが、急に摧けた調子になって、 「どんな女なんです。その若い婦人と云うのは。器量からいうと」と興味に充ちた顔を提煙草盆の上に出した。 「いえ、なに、つまらない女なんです」と敬太郎は前後の行きがかり上答えてしまって、実際頭の中でもつまらないような気がした。これが相手と場合しだいでは、うん器量はなかなか好い方だぐらいは固より云い兼ねなかったのである。田口は「つまらない女」という敬太郎の判断を聞いて、たちまち大きな声を出して笑った。敬太郎にはその意味がよく解らなかったけれども、何でも頭の上で大濤が崩れたような心持がして、幾分か顔が熱くなった。 「よござんす、それで。――それからどうしました。女が停留所で待ち合わしているところへ男が来て」  田口はまた普通の調子に戻って、真面目に事件の経過を聞こうとした。実をいうと敬太郎は自分がこれから話す顛末を、どうして握る事ができたかの苦心談を、まず冒頭に敷衍して、二つある同じ名の停留所の迷った事から、不思議な謎の活きて働らく洋杖を、どう抱え出して、どう利用したかに至るまでを、自分の手柄のなるべく重く響くように、詳しく述べたかったのであるが、会うや否や四時と五時とのいきさつでやられた上に、勝手に見張りの時間を延ばした源因になる例の女が、源因にも何にもならない見ず知らずの女だったりした不味いところがあるので、自分を広告する勇気は全く抜けていた。それで男と女が洋食屋へ入ってから以後の事だけをごく淡泊り話して見ると、宅を出る時自分が心配していた通り、少しも捕まえどころのない、あたかも灰色の雲を一握り田口の鼻の先で開いて見せたと同じような貧しい報告になった。 四  それでも田口は別段|厭な顔も見せなかった。落ちついた腕組をしまいまで解かずに、ただふんとか、なるほどとか、それからとか云う繋ぎの言葉を、時々|敬太郎のために投げ込んでくれるだけであった。その代り報告の結末が来ても、まだ何か予期しているように、今までの態度を容易に変えなかった。敬太郎は仕方なしに、「それだけです。実際つまらない結果で御気の毒です」と言訳をつけ加えた。 「いやだいぶ参考になりました。どうも御苦労でした。なかなか骨が折れたでしょう」  田口のこの挨拶の中に、大した感謝の意を含んでいない事は無論であったが、自分が馬鹿に見えつつある今の敬太郎にはこれだけの愛嬌が充分以上に聞こえた。彼は辛うじて恥を掻かずにすんだという安心をこの時ようやく得た。同時に垂味のできた気分が、すぐ田口に向いて働らきかけた。 「いったいあの人は何なんですか」 「さあ何でしょうか。あなたはどう鑑定しました」  敬太郎の前には黒の中折を被って、襟開の広い霜降の外套を着た男の姿がありありと現われた。その人の様子といい言葉遣いといい歩きつきといい、何から何まで判切見えたには見えたが、田口に対する返事は一口も出て来なかった。 「どうも分りません」 「じゃ性質はどんな性質でしょう」  性質なら敬太郎にもほぼ見当がついていた。「穏やかな人らしく思いました」と観察の通りを答えた。 「若い女と話しているところを見て、そう云うんじゃありませんか」  こう云った時、田口の唇の角に薄笑の影がちらついているのを認めた敬太郎は、何か答えようとした口をまた塞いでしまった。 「若い女には誰でも優しいものですよ。あなただって満更経験のない事でもないでしょう。ことにあの男と来たら、人一倍そうなのかも知れないから」と田口は遠慮なく笑い出した。けれども笑いながらちゃんと敬太郎の上に自分の眼を注いでいた。敬太郎は傍で自分を見たらさぞ気の利かない愚物になっているんだろうと考えながらも、やっぱり苦しい思いをして田口と共に笑わなければいられなかった。 「じゃ女は何物なんでしょう」  田口はここで観察点を急に男から女へ移した。そうして今度は自分の方で敬太郎にこういう質問を掛けた。敬太郎はすぐ正直に「女の方は男よりもなお分り悪いです」と答えてしまった。 「素人だか黒人だか、大体の区別さえつきませんか」 「さよう」と云いながら、敬太郎はちょっと考がえて見た。革の手袋だの、白い襟巻だの、美くしい笑い顔だの、長いコートだの、続々記憶の表面に込み上げて来たが、それを綜括ったところでどこからもこの問に応ぜられるような要領は得られなかった。 「割合に地味なコートを着て、革の手袋を穿めていましたが……」  女の身に着けた品物の中で、特に敬太郎の注意を惹いたこの二点も、田口には何の興味も与えないらしかった。彼はやがて真面目な顔をして、「じゃ男と女の関係について何か御意見はありませんか」と聞き出した。  敬太郎は先刻自分の報告が滞りなく済んだ証拠に、御苦労さまと云う謝辞さえ受けた後で、こう難問が続発しようとは毫も思いがけなかった。しかも窮しているせいか、それが順をおってだんだんむずかしい方へ競り上って行くように感ぜられてならなかった。田口は敬太郎の行きづまった様子を見て、再び同じ問をほかの言葉で説明してくれた。 「例えば夫婦だとか、兄弟だとか、またはただの友達だとか、情婦だとかですね。いろいろな関係があるうちで何だと思いますか」 「私も女を見た時に、処女だろうか細君だろうかと考えたんですが……しかしどうも夫婦じゃないように思います」 「夫婦でないにしてもですね。肉体上の関係があるものと思いますか」 五  敬太郎の胸にもこの疑は最初から多少|萌さないでもなかった。改ためて自分の心を解剖して見たら、彼ら二人の間に秘密の関係がすでに成立しているという仮定が遠くから彼を操って、それがために偵察の興味が一段と鋭どく研ぎ澄まされたのかも知れなかった。肉と肉の間に起るこの関係をほかにして、研究に価する交渉は男女の間に起り得るものでないと主張するほど彼は理論家ではなかったが、暖たかい血を有った青年の常として、この観察点から男女を眺めるときに、始めて男女らしい心持が湧いて来るとは思っていたので、なるべくそこを離れずに世の中を見渡したかったのである。年の若い彼の眼には、人間という大きな世界があまり判切分らない代りに、男女という小さな宇宙はかく鮮やかに映った。したがって彼は大抵の社会的関係を、できるだけこの一点まで切落して楽んでいた。停留所で逢った二人の関係も、敬太郎の気のつかない頭の奥では、すでにこういう一対の男女として最初から結びつけられていたらしかった。彼はまたその背後に罪悪を想像して要もないのに恐れを抱くほどの道徳家でもなかった。彼は世間並な道義心の所有者としてありふれた人間の一人であったけれども、その道義心は彼の空想力と違って、いざという場合にならなければ働らかないのを常とするので、停留所の二人を自分に最も興味のある男女関係に引き直して見ても、別段不愉快にはならずにすんだのである。彼はただ年齢の上において二人の相違の著るしいのを疑ぐった。が、また一方ではその相違がかえって彼の眼に映ずる「男女の世界」なるものの特色を濃く示しているようにも見えた。  彼の二人に対する心持は知らず知らずの間にこう弛んでいたのだが、いよいよそうかと正式に田口から質問を掛けられて見ると、断然とした返答は、責任のあるなしにかかわらず、纏まった形となって頭の中には現われ悪かった。それでこう云った。―― 「肉体上の関係はあるかも知れませんが、無いかも分りません」  田口はただ微笑した。そこへ例の袴を穿いた書生が、一枚の名刺を盆に載せて持って来た。田口はちょっとそれを受取ったまま、「まあ分らないところが本当でしょう」と敬太郎に答えたが、すぐ書生の方を見て、「応接間へ通しておいて……」と命令した。先刻からよほど窮していた矢先だから、敬太郎はこの来客を好い機に、もうここで切り上げようと思って身繕いにかかると、田口はわざわざ彼の立たない前にそれを遮ぎった。そうして敬太郎の辟易するのに頓着なくなお質問を進行させた。そのうちで敬太郎の明瞭に答えられるのはほとんど一カ条もなかったので、彼は大学で受けた口答試験の時よりもまだ辛い思いをした。 「じゃこれぎりにしますが、男と女の名前は分りましたろう」  田口の最後と断ったこの問に対しても、敬太郎は固より満足な返事を有っていなかった。彼は洋食店で二人の談話に注意を払う間にも何々さんとか何々子とかあるいは御何とかいう言葉がきっとどこかへ交って来るだろうと心待に待っていたのだが、彼らは特にそれを避ける必要でもあるごとくに、御互の名はもちろん、第三者の名もけっして引合にさえ出さなかったのである。 「名前も全く分りません」  田口はこの答を聞いて、手焙の胴に当てた手を動かしながら、拍子を取るように、指先で桐の縁を敲き始めた。それをしばらくくり返した後で、「どうしたんだか余まり要領を得ませんね」と云ったが、直言葉を継いで、「しかしあなたは正直だ。そこがあなたの美点だろう。分らない事を分ったように報告するよりもよっぽど好いかも知れない。まあ買えばそこを買うんですね」と笑い出した。敬太郎は自分の観察が、はたして実用に向かなかったのを発見して、多少わが迂闊に恥じ入る気も起ったが、しかしわずか二三時間の注意と忍耐と推測では、たとい自分より十層倍行き届いた人間に代理を頼んだところで、田口を満足させるような結果は得られる訳のものでないと固く信じていたから、この評価に対してそれほどの苦痛も感じなかった。その代り正直と賞められた事も大した嬉しさにはならなかった。このくらいの正直さ加減は全くの世間並に過ぎないと彼には見えたからである。 六  敬太郎は先刻から頭の上らない田口の前で、たった一言で好いから、思い切った自分の腹をずばりと云って見たいと考えていたが、ここで云わなければもう云う機会はあるまいという気がこの時ふと萌した。 「要領を得ない結果ばかりで私もはなはだ御気の毒に思っているんですが、あなたの御聞きになるような立ち入った事が、あれだけの時間で、私のような迂闊なものに見極められる訳はないと思います。こういうと生意気に聞こえるかも知れませんが、あんな小刀細工をして後なんか跟けるより、直に会って聞きたい事だけ遠慮なく聞いた方が、まだ手数が省けて、そうして動かない確かなところが分りゃしないかと思うのです」  これだけ云った敬太郎は、定めて世故に長けた相手から笑われるか、冷かされる事だろうと考えて田口の顔を見た。すると田口は案外にもむしろ真面目な態度で「あなたにそれだけの事が解っていましたか。感心だ」と云った。敬太郎はわざと答を控えていた。 「あなたのいう方法は最も迂闊のようで、最も簡便なまた最も正当な方法ですよ。そこに気がついていれば人間として立派なものです」と田口が再びくり返した時、敬太郎はますます返答に窮した。 「それほどの考がちゃんとあるあなたに、あんなつまらない仕事を御頼申したのは私が悪かった。人物を見損なったのも同然なんだから。が、市蔵があなたを紹介する時に、そう云いましたよ。あなたは探偵のやるような仕事に興味を有っておいでだって。それでね、ついとんでもない事を御願いして。止しゃあよかった……」 「いえ須永君にはそう云う意味の事をたしかに話した覚えがあります」と敬太郎は苦しい思をして答えた。 「そうでしたか」  田口は敬太郎の矛盾をこの一句で切り棄てたなり、それ以上に追窮する愚をあえてしなかった。そうして問題をすぐ改めて見せた。 「じゃどうでしょう。黙って後なんどを跟けずに、あなたのいう通り尋常に玄関からかかって行っちゃ。あなたにそれだけの勇気がありますか」 「無い事もありません」 「あんなに跟け廻した後で」 「あんなに跟け廻したって、私はあの人達の不名誉になるような観察はけっしてしていないつもりです」 「ごもっともだ。そんなら一つ行って御覧なさい。紹介するから」  田口はこう云いながら、大きな声を出して笑った。けれども敬太郎にはこの申し出が万更の冗談とも思えなかったので、彼は紹介状を携えて本当に眉間の黒子と向き合って話して見ようかという料簡を起した。 「会いますから紹介状を書いて下さい。私はあの人と話して見たい気がしますから」 「宜いでしょう。これも経験の一つだから、まあ会って直に研究して御覧なさい。あなたの事だから田口に頼まれてこの間の晩|後を跟けましたぐらいきっと云うでしょう。しかしそれは構わない。云いたければ云っても宜うござんす。私に遠慮は要らないから。それからあの女との関係もですね、あなたに勇気さえあるなら聞いて御覧なさい。どうです、それを聞くだけの度胸があなたにありますか」  田口はここでちょっと言葉を切らして敬太郎の顔を見たが、答の出ないうちにまた自分から話を続けた。 「だが両方とも口へ出せるように自然が持ちかけて来るまでは、聞いても話してもいけませんよ。いくら勇気があったって、常識のない奴だと思われるだけだから。それどころじゃない、あの男はただでさえ随分|会い悪い方なんだから、そんな事をむやみに喋べろうものなら、直帰ってくれぐらい云い兼ねないですよ。紹介をして上げる代りには、そこいらはよく用心しないとね……」  敬太郎は固より畏まりましたと答えた。けれども腹の中では黒の中折の男を田口のように見る事がどうしてもできなかった。 七  田口は硯箱と巻紙を取り寄せて、さらさらと紹介状を書き始めた。やがて名宛を認め終ると、「ただ通り一遍の文言だけ並べておいたらそれで好いでしょう」と云いながら、手焙の前に翳した手紙を敬太郎に読んで聞かせた。その中には書いた当人の自白したごとく、これといって特別の注意に価する事は少しも出て来なかった。ただこの者は今年大学を卒業したばかりの法学士で、ことによると自分が世話をしなければならない男だから、どうか会って話をしてやってくれとあるだけだった。田口は異存のない敬太郎の顔を見届けた上で、すぐその巻紙をぐるぐると巻いて封筒へ入れた。それからその表へ松本恒三様と大きく書いたなり、わざと封をせずに敬太郎に渡した。敬太郎は真面目になって松本恒三様の五字を眺めたが、肥った締りのない書体で、この人がこんな字を書くかと思うほど拙らしくできていた。 「そう感心していつまでも眺めていちゃあいけない」 「番地が書いてないようですが」 「ああそうか。そいつは私の失念だ」  田口は再び手紙を受け取って、名宛の人の住所と番地を書き入れてくれた。 「さあこれなら好いでしょう。不味くって大きなところは土橋の大寿司流とでも云うのかな。まあ役に立ちさえすればよかろう、我慢なさい」 「いえ結構です」 「ついでに女の方へも一通書きましょうか」 「女も御存じなのですか」 「ことによると知ってるかも知れません」と答えた田口は何だか意味のありそうに微笑した。 「御差支さえなければ、おついでに一本書いていただいても宜しゅうございます」と敬太郎も冗談半分に頼んだ。 「まあ止した方が安全でしょうね。あなたのような年の若い男を紹介して、もし間違でもできると責任問題だから。浪漫―何とか云うじゃありませんか、あなたのような人の事を。私ゃ学問がないから、今頃|流行るハイカラな言葉を直忘れちまって困るが、何とか云いましたっけね、あの、小説家の使う言葉は。……」  敬太郎はまさかそりゃこう云う言葉でしょうと教える気にもなれなかった。ただエヘヘと馬鹿みたように笑っていた。そうして長居をすればするほど、だんだん非道く冷かされそうなので、心の内では、この一段落がついたら、早く切り上げて帰ろうと思った。彼は田口のくれた紹介状を懐に収めて、「では二三日|内にこれを持って行って参りましょう。その模様でまた伺がう事に致しますから」と云いながら、柔かい座蒲団の上を滑り下りた。田口は「どうも御苦労でした」と叮嚀に挨拶しただけで、ロマンチックもコスメチックもすっかり忘れてしまったという顔つきをして立ち上った。  敬太郎は帰り途に、今会った田口と、これから会おうという松本と、それから松本を待ち合わした例の恰好のいい女とを、合せたり離したりしてしきりにその関係を考えた。そうして考えれば考えるほど一歩ずつ迷宮の奥に引き込まれるような面白味を感じた。今日田口での獲物は松本という名前だけであるが、この名前がいろいろに錯綜した事実を自分のために締め括っている妙な嚢のように彼には思えるので、そこから何が出るか分らないだけそれだけ彼には楽みが多かった。田口の説明によると、近寄|悪い人のようにも聞こえるが、彼の見たところでは田口より数倍話しがしやすそうであった。彼は今日田口から得た印象のうちに、人を取扱う点にかけてなるほど老練だという嘆美の声を見出した上、人物としてもどこか偉そうに思われる点が、時々彼の眼を射るようにちらちら輝やいたにもかかわらず、その前に坐っている間、彼は始終何物にか縛られて自由に動けない窮屈な感じを取り去る事ができなかった。絶えず監視の下に置かれたようなこの状態は、一時性のものでなくって、いくら面会の度数を重ねても、けっして薄らぐ折はなかろうとまで彼には見えたくらいである。彼はこういう風に気のおける田口と反対の側に、何でも遠慮なく聞いて怒られそうにない、話し声その物のうちにすでに懐かし味の籠ったような松本を想像してやまなかった。 八  翌朝さっそく支度をして松本に会いに行こうと思っているとあいにく寒い雨が降り出した。窓を細目に開けて高い三階から外を見渡した時分には、もう世の中が一面に濡れていた。屋根瓦に徹るような佗びしい色をしばらく眺めていた敬太郎は、田口の紹介状を机の上に置いて、出ようか止そうかとちょっと思案したが、早く会って見たいという気が強く起るので、とうとう机の前を離れた。そうして豆腐屋の喇叭が、陰気な空気を割いて鋭どく往来に響く下の方へ降りて行った。  松本の家は矢来なので、敬太郎はこの間の晩|狐につままれたと同じ思いをした交番下の景色を想像しつつ、そこへ来ると、坂下と坂上が両方共|二股に割れて、勾配のついた真中だけがいびつに膨れているのを発見した。彼は寒い雨の袴の裾に吹きかけるのも厭わずに足を留めて、あの晩車夫が梶棒を握ったまま立往生をしたのはこのへんだろうと思う所を見廻した。今日も同じように雨がざあざあ落ちて、彼の踏んでいる土は地下の鉛管まで腐れ込むほど濡れていた。ただ昼だけに周囲は暗いながらも明るいので、立ちどまった時の心持はこの間とはまるで趣が違っていた。敬太郎は後の方に高く黒ずんでいる目白台の森と、右手の奥に朦朧と重なり合った水稲荷の木立を見て坂を上った。それから同じ番地の家の何軒でもある矢来の中をぐるぐる歩いた。始めのうちは小さい横町を右へ折れたり左へ曲ったり、濡れた枳殻の垣を覗いたり、古い椿の生い被さっている墓地らしい構の前を通ったりしたが、松本の家は容易に見当らなかった。しまいに尋ねあぐんで、ある横町の角にある車屋を見つけて、そこの若い者に聞いたら、何でもない事のようにすぐ教えてくれた。  松本の家はこの車屋の筋向うを這入った突き当りの、竹垣に囲われた綺麗な住居であった。門を潜ると子供が太鼓を鳴らしている音が聞こえた。玄関へかかって案内を頼んでもその太鼓の音は毫もやまなかった。その代り四辺は森閑として人の住んでいる臭さえしなかった。雨に鎖された家の奥から現われた十六七の下女は、手を突いて紹介状を受取ったなり無言のまま引っ込んだが、しばらくしてからまた出て来て、「はなはだ勝手を申し上げてすみませんでございますが、雨の降らない日においでを願えますまいか」と云った。今まで就職運動のため諸方へ行って断わられつけている敬太郎にも、この断り方だけは不思議に聞こえた。彼はなぜ雨が降っては面会に差支えるのか直反問したくなった。けれども下女に議論を仕かけるのも一種変な場合なので、「じゃ御天気の日に伺がえば御目にかかれるんですね」と念晴しに聞き直して見た。下女はただ「はい」と答えただけであった。敬太郎は仕方なしにまた雨の降る中へ出た。ざあと云う音が急に烈しく聞こえる中に、子供の鳴らす太鼓がまだどんどんと響いていた。彼は矢来の坂を下りながら変な男があったものだという観念を数度くり返した。田口がただでさえ会い悪いと云ったのは、こんなところを指すのではなかろうかとも考えた。その日は家へ帰っても、気分が中止の姿勢に余儀なく据えつけられたまま、どの方角へも進行できないのが苦痛になった。久しぶりに須永の家へでも行って、この間からの顛末を茶話に半日を暮らそうかと考えたが、どうせ行くなら、今の仕事に一段落つけて、自分にも見当の立った筋を吹聴するのでなくては話しばいもしないので、ついに行かずじまいにしてしまった。  翌日は昨日と打って変って好い天気になった。起き上る時、あらゆる濁を雨の力で洗い落したように綺麗に輝やく蒼空を、眩ゆそうに仰ぎ見た敬太郎は、今日こそ松本に会えると喜こんだ。彼はこの間の晩|行李の後に隠しておいた例の洋杖を取り出して、今日は一つこれを持って行って見ようと考がえた。彼はそれを突いて、また矢来の坂を上りながら、昨日の下女が今日も出て来て、せっかくですが今日は御天気過ぎますから、も少し曇った日においで下さいましと云ったらどんなものだろうと想像した。 九  ところが昨日と違って、門を潜っても、子供の鳴らす太鼓の音は聞こえなかった。玄関にはこの前目に着かなかった衝立が立っていた。その衝立には淡彩の鶴がたった一羽|佇ずんでいるだけで、姿見のように細長いその格好が、普通の寸法と違っている意味で敬太郎の注意を促がした。取次には例の下女が現われたには相違ないが、その後から遠慮のない足音をどんどん立てて二人の小供が衝立の影まで来て、珍らしそうな顔をして敬太郎を眺めた。昨日に比べるとこれだけの変化を認めた彼は、最後にどうぞという案内と共に、硝子戸の締まっている座敷へ通った。その真中にある金魚鉢のように大きな瀬戸物の火鉢の両側に、下女は座蒲団を一枚ずつ置いて、その一枚を敬太郎の席とした。その座蒲団は更紗の模様を染めた真丸の形をしたものなので、敬太郎は不思議そうにその上へ坐った。床の間には刷毛でがしがしと粗末に書いたような山水の軸がかかっていた。敬太郎はどこが樹でどこが巌だか見分のつかない画を、軽蔑に値する装飾品のごとく眺めた。するとその隣りに銅鑼が下っていて、それを叩く棒まで添えてあるので、ますます変った室だと思った。  すると間の襖を開けて隣座敷から黒子のある主人が出て来た。「よくおいでです」と云ったなり、すぐ敬太郎の鼻の先に坐ったが、その調子はけっして愛嬌のある方ではなかった。ただどこかおっとりしているので、相手に余り重きを置かないところが、かえって敬太郎に楽な心持を与えた。それで火鉢一つを境に、顔と顔を突き合わせながら、敬太郎は別段気がつまる思もせずにいられた。その上彼はこの間の晩、たしかに自分の顔をここの主人に覚えられたに違ないと思い込んでいたにもかかわらず、今会って見ると、覚えているのだか、いないのだか、平然としてそんな素振は、口にも色にも出さないので、彼はなおさら気兼の必要を感じなくなった。最後に主人は昨日雨天のため面会を謝絶した理由も言訳も一言も述べなかった。述べたくなかったのか、述べなくっても構わないと認めていたのか、それすら敬太郎にはまるで判断がつかなかった。  話は自然の順序として、紹介者になった田口の事から始まった。「あなたはこれから田口に使って貰おうというのでしたね」というのを冒頭に、主人は敬太郎の志望だの、卒業の成績だのを一通り聞いた。それから彼のいまだかつて考えた事もない、社会観とか人生観とかいうこむずかしい方面の問題を、時々持ち出して彼を苦しめた。彼はその時心のうちで、この松本という男は世に著われない学者の一人なのではなかろうかと疑ぐったくらい、妙な理窟をちらちらと閃めかされた。そればかりでなく、松本は田口を捕まえて、役には立つが頭のなっていない男だと罵しった。 「第一ああ忙がしくしていちゃ、頭の中に組織立った考のできる閑がないから駄目です。あいつの脳と来たら、年が年中摺鉢の中で、擂木に攪き廻されてる味噌見たようなもんでね。あんまり活動し過ぎて、何の形にもならない」  敬太郎にはなぜこの主人が田口に対してこうまで悪体を吐くのかさっぱり訳が分らなかった。けれども彼の不思議に感じたのは、これほどの激語を放つ主人の態度なり口調なりに、毫も毒々しいところだの、小悪らしい点だのの見えない事であった。彼の罵しる言葉は、人を罵しった経験を知らないような落ちつきを具えた彼の声を通して、敬太郎の耳に響くので、敬太郎も強く反抗する気になれなかった。ただ一種変った人だという感じが新たに刺戟を受けるだけであった。 「それでいて、碁を打つ、謡を謡う。いろいろな事をやる。もっともいずれも下手糞なんですが」 「それが余裕のある証拠じゃないでしょうか」 「余裕って君。――僕は昨日雨が降るから天気の好い日に来てくれって、あなたを断わったでしょう。その訳は今云う必要もないが、何しろそんなわがままな断わり方が世間にあると思いますか。田口だったらそう云う断り方はけっしてできない。田口が好んで人に会うのはなぜだと云って御覧。田口は世の中に求めるところのある人だからです。つまり僕のような高等遊民でないからです。いくら他の感情を害したって、困りゃしないという余裕がないからです」 十 「実は田口さんからは何にも伺がわずに参ったのですが、今御使いになった高等遊民という言葉は本当の意味で御用いなのですか」 「文字通りの意味で僕は遊民ですよ。なぜ」  松本は大きな火鉢の縁へ両肱を掛けて、その一方の先にある拳骨を顎の支えにしながら敬太郎を見た。敬太郎は初対面の客を客と感じていないらしいこの松本の様子に、なるほど高等遊民の本色があるらしくも思った。彼は煙草道楽と見えて、今日は大きな丸い雁首のついた木製の西洋パイプを口から離さずに、時々思い出したような濃い煙を、まだ火の消えていない証拠として、狼煙のごとくぱっぱっと揚げた。その煙が彼の顔の傍でいつの間にか消えて行く具合が、どこにも締りを設ける必要を認めていないらしい彼の眼鼻と相待って、今まで経験した事のない一種静かな心持を敬太郎に与えた。彼は少し薄くなりかかった髪を、頭の真中から左右へ分けているので、平たい頭がなおの事尋常に落ちついて見えた。彼はまた普通世間の人が着ないような茶色の無地の羽織を着て、同じ色の上足袋を白の上に重ねていた。その色がすぐ坊主の法衣を聯想させるところがまた変に特別な男らしく敬太郎の眼に映った。自分で高等遊民だと名乗るものに会ったのはこれが始めてではあるが、松本の風采なり態度なりが、いかにもそう云う階級の代表者らしい感じを、少し不意を打たれた気味の敬太郎に投げ込んだのは事実であった。 「失礼ながら御家族は大勢でいらっしゃいますか」  敬太郎は自から高等遊民と称する人に対して、どういう訳かまずこういう問がかけて見たかった。すると松本は「ええ子供がたくさんいます」と答えて、敬太郎の忘れかかっていたパイプからぱっと煙を出した。 「奥さんは……」 「妻は無論います。なぜですか」  敬太郎は取り返しのつかない愚な問を出して、始末に行かなくなったのを後悔した。相手がそれほど感情を害した様子を見せないにしろ、不思議そうに自分の顔を眺めて、解決を予期している以上は、何とか云わなければすまない場合になった。 「あなたのような方が、普通の人間と同じように、家庭的に暮して行く事ができるかと思ってちょっと伺ったまでです」 「僕が家庭的に……。なぜ。高等遊民だからですか」 「そう云う訳でも無いんですが、何だかそんな心持がしたからちょっと伺がったのです」 「高等遊民は田口などよりも家庭的なものですよ」  敬太郎はもう何も云う事がなくなってしまった。彼の頭脳の中では、返事に行き詰まった困却と、ここで問題を変えようとする努力と、これを緒口に、革の手袋を穿めた女の関係を確かめたい希望が三ついっしょに働らくので、元からそれほど秩序の立っていない彼の思想になおさら暗い影を投げた。けれども松本はそんな事にまるで注意しない風で、困った敬太郎の顔を平気に眺めていた。もしこれが田口であったなら手際よく相手を打ち据える代りに、打ち据えるとすぐ向うから局面を変えてくれて、相手に見苦るしい立ち往生などはけっしてさせない鮮やかな腕を有っているのにと敬太郎は思った。気はおけないが、人を取扱かう点において、全く冴えた熟練を欠いている松本の前で、敬太郎は図らず二人の相違を認めたような気がしていると、松本は偶然「あなたはそういう問題を考えて見た事がないようですね」と聞いてくれた。 「ええまるで考えていません」 「考える必要はありませんね。一人で下宿している以上は。けれどもいくら一人だって、広い意味での男対女の問題は考えるでしょう」 「考えると云うよりむしろ興味があるといった方が適当かも知れません。興味なら無論あります」 十一  二人は人間として誰しも利害を感ずるこの問題についてしばらく話した。けれども年歯の違だか段の違だか、松本の云う事は肝心の肉を抜いた骨組だけを並べて見せるようで、敬太郎の血の中まで這入り込んで来て、共に流れなければやまないほどの切実な勢をまるで持っていなかった。その代り敬太郎の秩序立たない断片的の言葉も口を出るとすぐ熱を失って、少しも松本の胸に徹らないらしかった。  こんな縁遠い話をしている中で、ただ一つ敬太郎の耳に新らしく響いたのは、露西亜の文学者のゴーリキとかいう人が、自分の主張する社会主義とかを実行する上に、資金の必要を感じて、それを調達のため細君同伴で亜米利加へ渡った時の話であった。その時ゴーリキは大変な人気を一身に集めて、招待やら驩迎やらに忙殺されるほどの景気のうちに、自分の目的を苦もなく着々と進行させつつあった。ところが彼の本国から伴れて来た細君というのが、本当の細君でなくて単に彼の情婦に過ぎないという事実がどこからか曝露した。すると今まで狂熱に達していた彼の名声が、たちまちどさりと落ちて、広い新大陸に誰一人として彼と握手するものが無くなってしまったので、ゴーリキはやむを得ずそのまま亜米利加を去った。というのが筋であった。 「露西亜と亜米利加ではこれだけ男女関係の解釈が違うんです。ゴーリキのやりくちは露西亜ならほとんど問題にならないくらい些細な事件なんでしょうがね。下らない」と松本は全く下らなそうな顔をした。 「日本はどっちでしょう」と敬太郎は聞いて見た。 「まあ露西亜派でしょうね。僕は露西亜派でたくさんだ」と云って、松本はまた狼煙のような濃い煙をぱっと口から吐いた。  ここまで来て見ると、この間の女の事を尋ねるのが敬太郎に取って少しも苦にならないような気がし出した。 「せんだっての晩神田の洋食店で私はあなたに御目にかかったと思うんですが」 「ええ会いましたね。よく覚えています。それから帰りにも電車の中で会ったじゃありませんか。君も江戸川まで乗ったようだが、あすこいらに下宿でもしているんですか。あの晩は雨が降って困ったでしょう」  松本ははたして敬太郎を記憶していた。それを初めから口に出すでもなく、今になってようやく気がついたふりをするでもなく、話してもよし話さないでもよしと云った風の態度が、無邪気から出るのか、度胸から出るのか、または鷹揚な彼の生れつきから出るのか、敬太郎にはちょっと判断しかねた。 「御伴がおありのようでしたが」 「ええ別嬪を一人|伴れていました。あなたはたしか一人でしたね」 「一人です。あなたも御帰りには御一人じゃなかったですか」 「そうです」  ちょっとはきはき進んだ問答はここへ来てぴたりととまってしまった。松本がまた女の事を云い出すかと思って待っていると、「あなたの下宿は牛込ですか、小石川ですか」とまるで無関係の問を敬太郎はかけられた。 「本郷です」  松本は腑に落ちない顔をして敬太郎を見た。本郷に住んでいる彼が、なぜ江戸川の終点まで乗ったのか、その説明を聞きたいと云わぬばかりの松本の眼つきを見た時、敬太郎は面倒だからここで一つ心持よく万事を打ち明けてしまおうと決心した。もし怒られたら、詫まるだけで、詫まって聞かれなければ、御辞儀を叮嚀にして帰れば好かろうと覚悟をきめた。 「実はあなたの後を跟けてわざわざ江戸川まで来たのです」と云って松本の顔を見ると、案外にも予期したほどの変化も起らないので、敬太郎はまず安心した。 「何のために」と松本はほとんどいつものような緩い口調で聞き返した。 「人から頼まれたのです」 「頼まれた? 誰に」  松本は始めて、少し驚いた声の中に、並より強いアクセントを置いて、こう聞いた。 十二 「実は田口さんに頼まれたのです」 「田口とは。田口|要作ですか」 「そうです」 「だって君はわざわざ田口の紹介状を持って僕に会いに来たんじゃありませんか」  こう一句一句問いつめられて行くよりは、自分の方で一と思いに今までの経過を話してしまう方が楽な気がするので、敬太郎は田口の速達便を受取って、すぐ小川町の停留所へ見張に出た冒険の第一節目から始めて、電車が江戸川の終点に着いた後の雨の中の立往生に至るまでの顛末を包まず打ち明けた。固よりただ筋の通るだけを目的に、誇張は無論|布衍の煩わしさもできる限り避けたので、時間がそれほどかからなかったせいか、松本は話の進行している間一口も敬太郎を遮ぎらなかった。話が済んでからも、直とは声を出す様子は見えなかった。敬太郎は主人のこの沈黙を、感情を害した結果ではなかろうかと推察して、怒り出されないうちに早く詫まるに越した事はないと思い定めた。すると主人の方から突然口を利き始めた。 「どうもけしからん奴だね、あの田口という男は。それに使われる君もまた君だ。よっぽどの馬鹿だね」  こういった主人の顔を見ると、呆れ返っている風は誰の目にも着くが、怒気を帯びた様子は比較的どこにも現われていないので、敬太郎はむしろ安心した。この際馬鹿と呼ばれるぐらいの事は、彼に取って何でもなかったのである。 「どうも悪い事をしました」 「詫まって貰いたくも何ともない。ただ君が御気の毒だから云うのですよ。あんな者に使われて」 「それほど悪い人なんですか」 「いったい何の必要があって、そんな愚な事を引き受けたのです」  物数奇から引き受けたという言葉は、この場合どうしても敬太郎の口へは出て来なかった。彼はやむを得ず、衣食問題の必要上どうしても田口に頼らなければならない事情があるので、面白くないとは知りながら、つい承諾したのだという風な答をした。 「衣食に困るなら仕方がないが、もう止した方がいいですよ。余計な事じゃありませんか、寒いのに雨に降られて人の後を跟けるなんて」 「私も少し懲りました。これからはもうやらないつもりです」  この述懐を聞いた松本は何とも云わず、ただ苦笑いをしていた。それが敬太郎には軽蔑の意味にも憐愍の意味にも取れるので、彼はいずれにしてもはなはだ肩身の狭い思をした。 「あなたは僕に対してすまん事をしたような風をしているが、実際そうなのですか」  根本義に溯ぼったらそれほどに感じていない敬太郎もこう聞かれると、行がかり上そうだと思わざるを得なかった。またそう答えざるを得なかった。 「じゃ田口へ行ってね。この間僕の伴れていた若い女は高等淫売だって、僕自身がそう保証したと云ってくれたまえ」 「本当にそういう種類の女なんですか」  敬太郎はちょっと驚ろかされた顔をしてこう聞いた。 「まあ何でも好いから、高等淫売だと云ってくれたまえ」 「はあ」 「はあじゃいけない、たしかにそう云わなくっちゃ。云えますか、君」  敬太郎は現代に教育された青年の一人として、こういう意味の言葉を、年長者の前で口にする無遠慮を憚かるほどの男ではなかった。けれども松本が強いてこの四字を田口の耳へ押し込もうとする奥底には、何か不愉快なある物が潜んでいるらしく思われるので、そう軽々しい調子で引き受ける気も起らなかった。彼が挨拶に困ってむずかしい顔をしていると、それを見た松本は、「何、君心配しないでもいいですよ。相手が田口だもの」と云ったが、しばらくしてやっと気がついたように、「君は僕と田口との関係をまだ知らないんでしたね」と聞いた。敬太郎は「まだ何にも知りません」と答えた。 十三 「その関係を話すと、君が田口に向ってあの女の事を高等淫売だと云う勇気が出悪くなるだけだからつまり僕には損になるんだが、いつまで罪もない君を馬鹿にするのも気の毒だから、聞かして上げよう」  こういう前置を置いた上、松本は田口と自分が社会的にどう交渉しているかを説明してくれた。その説明は最も簡単にすむだけに最も敬太郎を驚ろかした。それを一言でいうと、田口と松本は近い親類の間柄だったのである。松本に二人の姉があって、一人が須永の母、一人が田口の細君、という互の縁続きを始めて呑み込んだ時、敬太郎は、田口の義弟に当る松本が、叔父という資格で、彼の娘と時間を極めて停留所で待ち合わした上、ある料理店で会食したという事実を、世間の出来事のうちで最も平凡を極めたものの一つのように見た。それを込み入った文でも隠しているように、一生懸命に自分の燃やした陽炎を散らつかせながら、後を追かけて歩いたのが、さもさも馬鹿馬鹿しくなって来た。 「御嬢さんは何でまたあすこまで出張っていたんですか。ただ私を釣るためなんですか」 「何須永へ行った帰りなんです。僕が田口で話していると、あの子が電話をかけて、四時半頃あすこで待ち合せているから、ちょっと帰りに降りてくれというんです。面倒だから止そうと思ったけれども、是非何とかかとかいうから、降りたところがね。今朝御父さんから聞いたら、叔父さんが御歳暮に指環を買ってやると云っていたから、停留所で待ち伏せをして、逃さないようにいっしょに行って買って貰えと云われたから先刻からここで待っていたんだって、人の知りもしないのに、一人で勝手な請求を持ち出してなかなか動かない。仕方がないから、まあ西洋料理ぐらいでごまかしておこうと思って、とうとう宝亭へ連れ込んだんです。――実に田口という男は箆棒だね。わざわざそれほどの手数をかけて、何もそんな下らない真似をするにも当らないじゃないか。騙された君よりもよっぽど田口の方が箆棒ですよ」  敬太郎には騙された自分の方が遥かに愚物に思われた。そうと知ったら、探偵の結果を報告する時にも、もう少しは手加減が出来たものをと、自から赧い顔もしなければならなかった。 「あなたはまるで御承知ない事なんですね」 「知るものかね、君。いくら高等遊民だって、そんな暇の出るはずがないじゃありませんか」 「御嬢さんはどうでしょう。多分御存じなんだろうと思いますが」 「そうさ」と云って松本はしばらく思案していたが、やがて判切した口調で、「いや知るまい」と断言した。「あの箆棒の田口に、一つ取柄があると云えば云われるのだが、あの男はね、いくら悪戯をしても、その悪戯をされた当人が、もう少しで恥を掻きそうな際どい時になると、ぴたりととめてしまうか、または自分がその場へ出て来て、当人の体面にかかわらない内に綺麗に始末をつける。そこへ行くと箆棒には違ないが感心なところがあります。つまりやりかたは悪辣でも、結末には妙に温かい情の籠った人間らしい点を見せて来るんです。今度の事でもおそらく自分一人で呑み込んでいるだけでしょう。君が僕の家へ来なかったら、僕はきっとこの事件を知らずに済むんだったろう。自分の娘にだって、君の馬鹿を証明するような策略を、始めから吹聴するほど無慈悲な男じゃない。だからついでに悪戯も止せばいいんだがね、それがどうしても止せないところが、要するに箆棒です」  田口の性格に対する松本のこういう批評を黙って聞いていた敬太郎は、自分の馬鹿な振舞を顧みる後悔よりも、自分を馬鹿にした責任者を怨むよりも、むしろ悪戯をした田口を頼もしいと思う心が、わが胸の裏で一番勝を制したのを自覚した。が、はたしてそういう人ならば、なぜ彼の前に出て話をしている間に、あんな窮屈な感じが起るのだろうという不審も自ずと萌さない訳に行かなかった。 「あなたの御話でだいぶ田口さんが解って来たようですが、私はあの方の前へ出ると、何だか気が落ちつかなくって変に苦しいです」 「そりゃ向うでも君に気を許さないからさ」 十四  こう云われて見ると、田口が自分に気を許していない眼遣やら言葉つきやらがありありと敬太郎の胸に、疑もない記憶として読まれた。けれども田口ほどの老巧のものに、何で学校を出たばかりの青臭い自分が、それほど苦になるのか、敬太郎は全く合点が行かなかった。彼は見た通りのままの自分で、誰の前へ出ても通用するものと今まで固く己れを信じていたのである。彼はただかような青年として、他に憚かられたり気をおかれたりする資格さえないように自分を見縊っていただけに、経験の程度の違う年長者から、自分の思わくと違う待遇を受けるのをむしろ不思議に考え出した。 「私はそんな裏表のある人間と見えますかね」 「どうだか、そんな細かい事は初めて会っただけじゃ分らないですよ。しかしあっても無くっても、僕の君に対する待遇にはいっこう関係がないからいいじゃありませんか」 「けれども田口さんからそう思われちゃ……」 「田口は君だからそう思うんじゃない、誰を見てもそう思うんだから仕方がないさ。ああして長い間人を使ってるうちには、だいぶ騙されなくっちゃならないからね。たまに自然そのままの美くしい人間が自分の前に現われて来ても、やっぱり気が許せないんです。それがああ云う人の因果だと思えばそれで好いじゃないか。田口は僕の義兄だから、こう云うと変に聞えるが、本来は美質なんです。けっして悪い男じゃない。ただああして何年となく事業の成功という事だけを重に眼中に置いて、世の中と闘かっているものだから、人間の見方が妙に片寄って、こいつは役に立つだろうかとか、こいつは安心して使えるだろうかとか、まあそんな事ばかり考えているんだね。ああなると女に惚れられても、こりゃ自分に惚れたんだろうか、自分の持っている金に惚れたんだろうか、すぐそこを疑ぐらなくっちゃいられなくなるんです。美人でさえそうなんだから君見たいな野郎が窮屈な取扱を受けるのは当然だと思わなくっちゃいけない。そこが田口の田口たるところなんだから」  敬太郎はこの批評で田口という男が自分にも判切呑み込めたような気がした。けれどもこういう風に一々彼を肯わせるほどの判断を、彼の頭に鉄椎で叩き込むように入れてくれる松本はそもそも何者だろうか、その点になると敬太郎は依然として茫漠たる雲に対する思があった。批評に上らない前の田口でさえ、この男よりはかえって活きた人間らしい気がした。  同じ松本について見ても、この間の晩神田の洋食屋で、田口の娘を相手にして珊瑚樹の珠がどうしたとかこうしたとか云っていた時の方が、よっぽど活きて動いていた。今彼の前に坐っているのは、大きなパイプを銜えた木像の霊が、口を利くと同じような感じを敬太郎に与えるだけなので、彼はただその人の本体を髣髴するに苦しむに過ぎなかった。彼が一方では明瞭な松本の批評に心服しながら、一方では松本の何者なるかをこういう風に考えつつ、自分は頭脳の悪い、直覚の鈍い、世間並以下の人物じゃあるまいかと疑り始めた時、この漠然たる松本がまた口を開いた。 「それでも田口が箆棒をやってくれたため、君はかえって仕合をしたようなものですね」 「なぜですか」 「きっと何か位置を拵らえてくれますよ。これなりで放っておきゃ田口でも何でもありゃしない。それは責任を持って受合って上げても宜い。が、つまらないのは僕だ。全く探偵のされ損だから」  二人は顔を見合せて笑った。敬太郎が丸い更紗の座蒲団の上から立ち上がった時、主人はわざわざ玄関まで送って出た。そこに飾ってあった墨絵の鶴の衝立の前に、瘠せた高い身体をしばらく佇ずまして、靴を穿く敬太郎の後姿を眺めていたが、「妙な洋杖を持っていますね。ちょっと拝見」と云った。そうしてそれを敬太郎の手から受取って、「へえ、蛇の頭だね。なかなか旨く刻ってある。買ったんですか」と聞いた。「いえ素人が刻ったのを貰ったんです」と答えた敬太郎は、それを振りながらまた矢来の坂を江戸川の方へ下った。 雨の降る日 一  雨の降る日に面会を謝絶した松本の理由は、ついに当人の口から聞く機会を得ずに久しく過ぎた。敬太郎もそのうちに取り紛れて忘れてしまった。ふとそれを耳にしたのは、彼が田口の世話で、ある地位を得たのを縁故に、遠慮なく同家へ出入のできる身になってからの事である。その時分の彼の頭には、停留所の経験がすでに新らしい匂いを失いかけていた。彼は時々|須永からその話を持ち出されては苦笑するに過ぎなかった。須永はよく彼に向って、なぜその前に僕の所へ来て打ち明けなかったのだと詰問した。内幸町の叔父が人を担ぐくらいの事は、母から聞いて知っているはずだのにと窘なめる事もあった。しまいには、君があんまり色気があり過ぎるからだと調戯い出した。敬太郎はそのたびに「馬鹿云え」で通していたが、心の内ではいつも、須永の門前で見た後姿の女を思い出した。その女がとりも直さず停留所の女であった事も思い出した。そうしてどこか遠くの方で気恥かしい心持がした。その女の名が千代子で、その妹の名が百代子である事も、今の敬太郎には珍らしい報知ではなかった。  彼が松本に会って、すべて内幕の消息を聞かされた後、田口へ顔を出すのは多少きまりの悪い思をするだけであったにかかわらず、顔を出さなければ締め括りがつかないという行きがかりから、笑われるのを覚悟の前で、また田口の門を潜った時、田口ははたして大きな声を出して笑った。けれどもその笑の中には己れの機略に誇る高慢の響よりも、迷った人を本来の路に返してやった喜びの勝利が聞こえているのだと敬太郎には解釈された。田口はその時訓戒のためだとか教育の方法だとかいった風の、恩に着せた言葉をいっさい使わなかった。ただ悪意でした訳でないから、怒ってはいけないと断わって、すぐその場で相当の位置を拵らえてくれる約束をした。それから手を鳴らして、停留所に松本を待ち合わせていた方の姉娘を呼んで、これが私の娘だとわざわざ紹介した。そうしてこの方は市さんの御友達だよと云って敬太郎を娘に教えていた。娘は何でこういう人に引き合されるのか、ちょっと解しかねた風をしながら、極めてよそよそしく叮嚀な挨拶をした。敬太郎が千代子という名を覚えたのはその時の事であった。  これが田口の家庭に接触した始めての機会になって、敬太郎はその後も用事なり訪問なりに縁を藉りて、同じ人の門を潜る事が多くなった。時々は玄関脇の書生部屋へ這入って、かつて電話で口を利き合った事のある書生と世間話さえした。奥へも無論通る必要が生じて来た。細君に呼ばれて内向の用を足す場合もあった。中学校へ行く長男から英語の質問を受けて窮する事も稀ではなかった。出入の度数がこう重なるにつれて、敬太郎が二人の娘に接近する機会も自然多くなって来たが、一種|間の延びた彼の調子と、比較的引き締った田口の家風と、差向いで坐る時間の欠乏とが、容易に打ち解けがたい境遇に彼らを置き去りにした。彼らの間に取り換わされた言葉は、無論形式だけを重んずる堅苦しいものではなかったが、大抵は五分とかからない当用に過ぎないので、親しみはそれほど出る暇がなかった。彼らが公然と膝を突き合わせて、例になく長い時間を、遠慮の交らない談話に更かしたのは、正月|半ばの歌留多会の折であった。その時敬太郎は千代子から、あなた随分|鈍いのねと云われた。百代子からは、あたしあなたと組むのは厭よ、負けるにきまってるからと怒られた。  それからまた一カ月ほど経って、梅の音信の新聞に出る頃、敬太郎はある日曜の午後を、久しぶりに須永の二階で暮した時、偶然遊びに来ていた千代子に出逢った。三人してそれからそれへと纏まらない話を続けて行くうちに、ふと松本の評判が千代子の口に上った。 「あの叔父さんも随分変ってるのね。雨が降ると一しきりよく御客を断わった事があってよ。今でもそうかしら」 二 「実は僕も雨の降る日に行って断られた一人なんだが……」と敬太郎が云い出した時、須永と千代子は申し合せたように笑い出した。 「君も随分運の悪い男だね。おおかた例の洋杖を持って行かなかったんだろう」と須永は調戯い始めた。 「だって無理だわ、雨の降る日に洋杖なんか持って行けったって。ねえ田川さん」  この理攻めの弁護を聞いて、敬太郎も苦笑した。 「いったい田川さんの洋杖って、どんな洋杖なの。わたしちょっと見たいわ。見せてちょうだい、ね、田川さん。下へ行って見て来ても好くって」 「今日は持って来ません」 「なぜ持って来ないの。今日はあなたそれでも好い御天気よ」 「大事な洋杖だから、いくら好い御天気でも、ただの日には持って出ないんだとさ」 「本当?」 「まあそんなものです」 「じゃ旗日にだけ突いて出るの」  敬太郎は一人で二人に当っているのが少し苦しくなった。この次内幸町へ行く時は、きっと持って行って見せるという約束をしてようやく千代子の追窮を逃れた。その代り千代子からなぜ松本が雨の降る日に面会を謝絶したかの源因を話して貰う事にした。――  それは珍らしく秋の日の曇った十一月のある午過であった。千代子は松本の好きな雲丹を母からことづかって矢来へ持って来た。久しぶりに遊んで行こうかしらと云って、わざわざ乗って来た車まで返して、緩くり腰を落ちつけた。松本には十三になる女を頭に、男、女、男と互違に順序よく四人の子が揃っていた。これらは皆二つ違いに生れて、いずれも世間並に成長しつつあった。家庭に華やかな匂を着けるこの生き生きした装飾物の外に、松本夫婦は取って二つになる宵子を、指環に嵌めた真珠のように大事に抱いて離さなかった。彼女は真珠のように透明な青白い皮膚と、漆のように濃い大きな眼を有って、前の年の雛の節句の前の宵に松本夫婦の手に落ちたのである。千代子は五人のうちで、一番この子を可愛がっていた。来るたんびにきっと何か玩具を買って来てやった。ある時は余り多量に甘いものをあてがって叔母から怒られた事さえある。すると千代子は、大事そうに宵子を抱いて縁側へ出て、ねえ宵子さんと云っては、わざと二人の親しい様子を叔母に見せた。叔母は笑いながら、何だね喧嘩でもしやしまいしと云った。松本は、御前そんなにその子が好きなら御祝いの代りに上げるから、嫁に行くとき持っておいでと調戯った。  その日も千代子は坐ると直宵子を相手にして遊び始めた。宵子は生れてからついぞ月代を剃った事がないので、頭の毛が非常に細く柔かに延びていた。そうして皮膚の青白いせいか、その髪の色が日光に照らされると、潤沢の多い紫を含んでぴかぴか縮れ上っていた。「宵子さんかんかん結って上げましょう」と云って、千代子は鄭寧にその縮れ毛に櫛を入れた。それから乏しい片鬢を一束|割いて、その根元に赤いリボンを括りつけた。宵子の頭は御供のように平らに丸く開いていた。彼女は短かい手をやっとその御供の片隅へ乗せて、リボンの端を抑えながら、母のいる所までよたよた歩いて来て、イボンイボンと云った。母がああ好くかんかんが結えましたねと賞めると、千代子は嬉しそうに笑いながら、子供の後姿を眺めて、今度は御父さんの所へ行って見せていらっしゃいと指図した。宵子はまた足元の危ない歩きつきをして、松本の書斎の入口まで来て、四つ這になった。彼女が父に礼をするときには必ず四つ這になるのが例であった。彼女はそこで自分の尻をできるだけ高く上げて、御供のような頭を敷居から二三寸の所まで下げて、またイボンイボンと云った。書見をちょっとやめた松本が、ああ好い頭だね、誰に結って貰ったのと聞くと、宵子は頸を下げたまま、ちいちいと答えた。ちいちいと云うのは、舌の廻らない彼女の千代子を呼ぶ常の符徴であった。後に立って見ていた千代子は小さい唇から出る自分の名前を聞いて、また嬉しそうに大きな声で笑った。 三  そのうち子供がみんな学校から帰って来たので、今まで赤いリボンに占領されていた家庭が、急に幾色かの華やかさを加えた。幼稚園へ行く七つになる男の子が、巴の紋のついた陣太鼓のようなものを持って来て、宵子さん叩かして上げるからおいでと連れて行った。その時千代子は巾着のような恰好をした赤い毛織の足袋が廊下を動いて行く影を見つめていた。その足袋の紐の先には丸い房がついていて、それが小いさな足を運ぶたびにぱっぱっと飛んだ。 「あの足袋はたしか御前が編んでやったのだったね」 「ええ可愛らしいわね」  千代子はそこへ坐って、しばらく叔父と話していた。そのうちに曇った空から淋しい雨が落ち出したと思うと、それが見る見る音を立てて、空坊主になった梧桐をしたたか濡らし始めた。松本も千代子も申し合せたように、硝子越の雨の色を眺めて、手焙に手を翳した。 「芭蕉があるもんだから余計音がするのね」 「芭蕉はよく持つものだよ。この間から今日は枯れるか、今日は枯れるかと思って、毎日こうして見ているがなかなか枯れない。山茶花が散って、青桐が裸になっても、まだ青いんだからなあ」 「妙な事に感心するのね。だから恒三は閑人だって云われるのよ」 「その代り御前の叔父さんには芭蕉の研究なんか死ぬまでできっこない」 「したかないわ、そんな研究なんか。だけど叔父さんは内の御父さんよりか全く学者ね。わたし本当に敬服しててよ」 「生意気云うな」 「あら本当よあなた。だって何を聞いても知ってるんですもの」  二人がこんな話をしていると、ただいまこの方が御見えになりましたと云って、下女が一通の紹介状のようなものを持って来て松本に渡した。松本は「千代子待っておいで。今にまた面白い事を教えてやるから」と笑いながら立ち上った。 「厭よまたこないだみたいに、西洋|煙草の名なんかたくさん覚えさせちゃ」  松本は何にも答えずに客間の方へ出て行った。千代子も茶の間へ取って返した。そこには雨に降り込められた空の光を補なうため、もう電気灯が点っていた。台所ではすでに夕飯の支度を始めたと見えて、瓦斯七輪が二つとも忙がしく青い※を吐いていた。やがて小供は大きな食卓に二人ずつ向い合せに坐った。宵子だけは別に下女がついて食事をするのが例になっているので、この晩は千代子がその役を引受けた。彼女は小さい朱塗の椀と小皿に盛った魚肉とを盆の上に載せて、横手にある六畳へ宵子を連れ込んだ。そこは家のものの着更をするために多く用いられる室なので、箪笥が二つと姿見が一つ、壁から飛び出したように据えてあった。千代子はその姿見の前に玩具のような椀と茶碗を載せた盆を置いた。 「さあ宵子さん、まんまよ。御待遠さま」  千代子が粥を一匙ずつ掬って口へ入れてやるたびに、宵子は旨しい旨しいだの、ちょうだいちょうだいだのいろいろな芸を強いられた。しまいに自分一人で食べると云って、千代子の手から匙を受け取った時、彼女はまた丹念に匙の持ち方を教えた。宵子は固より極めて短かい単語よりほかに発音できなかった。そう持つのではないと叱られると、きっと御供のような平たい頭を傾げて、こう? こう? と聞き直した。それを千代子が面白がって、何遍もくり返さしているうちに、いつもの通りこう? と半分言いかけて、心持横にした大きな眼で千代子を見上げた時、突然右の手に持った匙を放り出して、千代子の膝の前に俯伏になった。 「どうしたの」  千代子は何の気もつかずに宵子を抱き起した。するとまるで眠った子を抱えたように、ただ手応がぐたりとしただけなので、千代子は急に大きな声を出して、宵子さん宵子さんと呼んだ。 四  宵子はうとうと寝入った人のように眼を半分閉じて口を半分|開けたまま千代子の膝の上に支えられた。千代子は平手でその背中を二三度|叩いたが、何の効目もなかった。 「叔母さん、大変だから来て下さい」  母は驚ろいて箸と茶碗を放り出したなり、足音を立てて這入って来た。どうしたのと云いながら、電灯の真下で顔を仰向にして見ると、唇にもう薄く紫の色が注していた。口へ掌を当てがっても、呼息の通う音はしなかった。母は呼吸の塞ったような苦しい声を出して、下女に濡手拭を持って来さした。それを宵子の額に載せた時、「脈はあって」と千代子に聞いた。千代子はすぐ小さい手頸を握ったが脈はどこにあるかまるで分らなかった。 「叔母さんどうしたら好いでしょう」と蒼い顔をして泣き出した。母は茫然とそこに立って見ている小供に、「早く御父さんを呼んでいらっしゃい」と命じた。小供は四人とも客間の方へ馳け出した。その足音が廊下の端で止まったと思うと、松本が不思議そうな顔をして出て来た。「どうした」と云いながら、蔽い被さるように細君と千代子の上から宵子を覗き込んだが、一目見ると急に眉を寄せた。 「医者は……」  医者は時を移さず来た。「少し模様が変です」と云ってすぐ注射をした。しかし何の効能もなかった。「駄目でしょうか」という苦しく張りつめた問が、固く結ばれた主人の唇を洩れた。そうして絶望を怖れる怪しい光に充ちた三人の眼が一度に医者の上に据えられた。鏡を出して瞳孔を眺めていた医者は、この時宵子の裾を捲って肛門を見た。 「これでは仕方がありません。瞳孔も肛門も開いてしまっていますから。どうも御気の毒です」  医者はこう云ったがまた一筒の注射を心臓部に試みた。固よりそれは何の手段にもならなかった。松本は透き徹るような娘の肌に針の突き刺される時、自から眉間を険しくした。千代子は涙をぽろぽろ膝の上に落した。 「病因は何でしょう」 「どうも不思議です。ただ不思議というよりほかに云いようがないようです。どう考えても……」と医者は首を傾むけた。「辛子湯でも使わして見たらどうですか」と松本は素人料簡で聞いた。「好いでしょう」と医者はすぐ答えたが、その顔には毫も奨励の色が出なかった。  やがて熱い湯を盥へ汲んで、湯気の濛々と立つ真中へ辛子を一袋|空けた。母と千代子は黙って宵子の着物を取り除けた。医者は熱湯の中へ手を入れて、「もう少し注水ましょう。余り熱いと火傷でもなさるといけませんから」と注意した。  医者の手に抱き取られた宵子は、湯の中に五六分|浸けられていた。三人は息を殺して柔らかい皮膚の色を見つめていた。「もう好いでしょう。余まり長くなると……」と云いながら、医者は宵子を盥から出した。母はすぐ受取ってタオルで鄭寧に拭いて元の着物を着せてやったが、ぐたぐたになった宵子の様子に、ちっとも前と変りがないので、「少しの間このまま寝かしておいてやりましょう」と恨めしそうに松本の顔を見た。松本はそれがよかろうと答えたまま、また座敷の方へ取って返して、来客を玄関に送り出した。  小さい蒲団と小さい枕がやがて宵子のために戸棚から取り出された。その上に常の夜の安らかな眠に落ちたとしか思えない宵子の姿を眺めた千代子は、わっと云って突伏した。 「叔母さんとんだ事をしました……」 「何も千代ちゃんがした訳じゃないんだから……」 「でもあたしが御飯を喫べさしていたんですから……叔父さんにも叔母さんにもまことにすみません」  千代子は途切れ途切れの言葉で、先刻自分が夕飯の世話をしていた時の、平生と異ならない元気な様子を、何遍もくり返して聞かした。松本は腕組をして、「どうもやっぱり不思議だよ」と云ったが、「おい御仙、ここへ寝かしておくのは可哀そうだから、あっちの座敷へ連れて行ってやろう」と細君を促がした。千代子も手を貸した。 五  手頃な屏風がないので、ただ都合の好い位置を択って、何の囲いもない所へ、そっと北枕に寝かした。今朝方玩弄にしていた風船玉を茶の間から持って来て、御仙がその枕元に置いてやった。顔へは白い晒し木綿をかけた。千代子は時々それを取り除けて見ては泣いた。「ちょっとあなた」と御仙が松本を顧みて、「まるで観音様のように可愛い顔をしています」と鼻を詰らせた。松本は「そうか」と云って、自分の坐っている席から宵子の顔を覗き込んだ。  やがて白木の机の上に、櫁と線香立と白団子が並べられて、蝋燭の灯が弱い光を放った時、三人は始めて眠から覚めない宵子と自分達が遠く離れてしまったという心細い感じに打たれた。彼らは代る代る線香を上げた。その煙の香が、二時間前とは全く違う世界に誘ない込まれた彼らの鼻を断えず刺戟した。ほかの子供は平生の通り早く寝かされた後に、咲子という十三になる長女だけが起きて線香の側を離れなかった。 「御前も御寝よ」 「まだ内幸町からも神田からも誰も来ないのね」 「もう来るだろう。好いから早く御寝」  咲子は立って廊下へ出たが、そこで振り回って、千代子を招いた。千代子が同じく立って廊下へ出ると、小さな声で、怖いからいっしょに便所へ行ってくれろと頼んだ。便所には電灯が点けてなかった。千代子は燐寸を擦って雪洞に灯を移して、咲子といっしょに廊下を曲った。帰りに下女部屋を覗いて見ると、飯焚が出入の車夫と火鉢を挟んでひそひそ何か話していた。千代子にはそれが宵子の不幸を細かに語っているらしく思われた。ほかの下女は茶の間で来客の用意に盆を拭いたり茶碗を並べたりしていた。  通知を受けた親類のものがそのうち二三人寄った。いずれまた来るからと云って帰ったのもあった。千代子は来る人ごとに宵子の突然な最後をくり返しくり返し語った。十二時過から御仙は通夜をする人のために、わざと置火燵を拵らえて室に入れたが、誰もあたるものはなかった。主人夫婦は無理に勧められて寝室へ退ぞいた。その後で千代子は幾度か短かくなった線香の煙を新らしく継いだ。雨はまだ降りやまなかった。夕方|芭蕉に落ちた響はもう聞こえない代りに、亜鉛葺の廂にあたる音が、非常に淋しくて悲しい点滴を彼女の耳に絶えず送った。彼女はこの雨の中で、時々宵子の顔に当てた晒を取っては啜泣をしているうちに夜が明けた。  その日は女がみんなして宵子の経帷子を縫った。百代子が新たに内幸町から来たのと、ほかに懇意の家の細君が二人ほど見えたので、小さい袖や裾が、方々の手に渡った。千代子は半紙と筆と硯とを持って廻って、南無阿弥陀仏という六字を誰にも一枚ずつ書かした。「市さんも書いて上げて下さい」と云って、須永の前へ来た。「どうするんだい」と聞いた須永は、不思議そうに筆と紙を受取った。 「細かい字で書けるだけ一面に書いて下さい。後から六字ずつを短冊形に剪って棺の中へ散らしにして入れるんですから」  皆な畏こまって六字の名号を認ためた。咲子は見ちゃ厭よと云いながら袖屏風をして曲りくねった字を書いた。十一になる男の子は僕は仮名で書くよと断わって、ナムアミダブツと電報のようにいくつも並べた。午過になっていよいよ棺に入れるとき松本は千代子に「御前着物を着換さしておやりな」と云った。千代子は泣きながら返事もせずに、冷たい宵子を裸にして抱き起した。その背中には紫色の斑点が一面に出ていた。着換が済むと御仙が小さい珠数を手にかけてやった。同じく小さい編笠と藁草履を棺に入れた。昨日の夕方まで穿いていた赤い毛糸の足袋も入れた。その紐の先につけた丸い珠のぶらぶら動く姿がすぐ千代子の眼に浮んだ。みんなのくれた玩具も足や頭の所へ押し込んだ。最後に南無阿弥陀仏の短冊を雪のように振りかけた上へ葢をして、白綸子の被をした。 六  友引は善くないという御仙の説で、葬式を一日延ばしたため、家の中は陰気な空気の裡に常よりは賑わった。七つになる嘉吉という男の子が、いつもの陣太鼓を叩いて叱られた後、そっと千代子の傍へ来て、宵子さんはもう帰って来ないのと聞いた。須永が笑いながら、明日は嘉吉さんも焼場へ持って行って、宵子さんといっしょに焼いてしまうつもりだと調戯うと、嘉吉はそんなつもりなんか僕|厭だぜと云いながら、大きな眼をくるくるさせて須永を見た。咲子は、御母さんわたしも明日御葬式に行きたいわと御仙にせびった。あたしもねと九つになる重子が頼んだ。御仙はようやく気がついたように、奥で田口夫婦と話をしていた夫を呼んで、「あなた、明日いらしって」と聞いた。 「行くよ。御前も行ってやるが好い」 「ええ、行く事にきめてます。小供には何を着せたらいいでしょう」 「紋付でいいじゃないか」 「でも余まり模様が派手だから」 「袴を穿けばいいよ。男の子は海軍服でたくさんだし。御前は黒紋付だろう。黒い帯は持ってるかい」 「持ってます」 「千代子、御前も持ってるなら喪服を着て供に立っておやり」  こんな世話を焼いた後で、松本はまた奥へ引返した。千代子もまた線香を上げに立った。棺の上を見ると、いつの間にか綺麗な花環が載せてあった。「いつ来たの」と傍にいる妹の百代に聞いた。百代は小さな声で「先刻」と答えたが、「叔母さんが小供のだから、白い花だけでは淋しいって、わざと赤いのを交ぜさしたんですって」と説明した。姉と妹はしばらくそこに並んで坐っていた。十分ばかりすると、千代子は百代の耳に口を付けて、「百代さんあなた宵子さんの死顔を見て」と聞いた。百代は「ええ」と首肯ずいた。 「いつ」 「ほら先刻御棺に入れる時見たんじゃないの。なぜ」  千代子はそれを忘れていた。妹がもし見ないと云ったら、二人で棺の葢をもう一遍開けようと思ったのである。「御止しなさいよ、怖いから」と云って百代は首をふった。  晩には通夜僧が来て御経を上げた。千代子が傍で聞いていると、松本は坊さんを捕まえて、三部経がどうだの、和讃がどうだのという変な話をしていた。その会話の中には親鸞上人と蓮如上人という名がたびたび出て来た。十時少し廻った頃、松本は菓子と御布施を僧の前に並べて、もう宜しいから御引取下さいと断わった。坊さんの帰った後で御仙がその理由を聞くと、「何坊さんも早く寝た方が勝手だあね。宵子だって御経なんか聴くのは嫌だよ」とすましていた。千代子と百代子は顔を見合せて微笑した。  あくる日は風のない明らかな空の下に、小いさな棺が静かに動いた。路端の人はそれを何か不可思議のものでもあるかのように目送した。松本は白張の提灯や白木の輿が嫌だと云って、宵子の棺を喪車に入れたのである。その喪車の周囲に垂れた黒い幕が揺れるたびに、白綸子の覆をした小さな棺の上に飾った花環がちらちら見えた。そこいらに遊んでいた子供が駆け寄って来て、珍らしそうに車を覗き込んだ。車と行き逢った時、脱帽して過ぎた人もあった。  寺では読経も焼香も形式通り済んだ。千代子は広い本堂に坐っている間、不思議に涙も何も出なかった。叔父叔母の顔を見てもこれといって憂に鎖された様子は見えなかった。焼香の時、重子が香をつまんで香炉の裏へ燻るのを間違えて、灰を一撮み取って、抹香の中へ打ち込んだ折には、おかしくなって吹き出したくらいである。式が果ててから松本と須永と別に一二人棺につき添って火葬場へ廻ったので、千代子はほかのものといっしょにまた矢来へ帰って来た。車の上で、切なさの少し減った今よりも、苦しいくらい悲しかった昨日一昨日の気分の方が、清くて美くしい物を多量に含んでいたらしく考えて、その時味わった痛烈な悲哀をかえって恋しく思った。 七  骨上には御仙と須永と千代子とそれに平生宵子の守をしていた清という下女がついて都合|四人で行った。柏木の停車場を下りると二丁ぐらいな所を、つい気がつかずに宅から車に乗って出たので時間はかえって長くかかった。火葬場の経験は千代子に取って生れて始めてであった。久しく見ずにいた郊外の景色も忘れ物を思い出したように嬉しかった。眼に入るものは青い麦畠と青い大根畠と常磐木の中に赤や黄や褐色を雑多に交ぜた森の色であった。前へ行く須永は時々|後を振り返って、穴八幡だの諏訪の森だのを千代子に教えた。車が暗いだらだら坂へ来た時、彼はまた小高い杉の木立の中にある細長い塔を千代子のために指した。それには弘法大師千五十年|供養塔と刻んであった。その下に熊笹の生い茂った吹井戸を控えて、一軒の茶見世が橋の袂をさも田舎路らしく見せていた。折々坊主になりかけた高い樹の枝の上から、色の変った小さい葉が一つずつ落ちて来た。それが空中で非常に早くきりきり舞う姿が鮮やかに千代子の眼を刺戟した。それが容易に地面の上へ落ちずに、いつまでも途中でひらひらするのも、彼女には眼新らしい現象であった。  火葬場は日当りの好い平地に南を受けて建てられているので、車を門内に引き入れた時、思ったより陽気な影が千代子の胸に射した。御仙が事務所の前で、松本ですがと云うと、郵便局の受付口みたような窓の中に坐っていた男が、鍵は御持ちでしょうねと聞いた。御仙は変な顔をして急に懐や帯の間を探り出した。 「とんだ事をしたよ。鍵を茶の間の用箪笥の上へ置いたなり……」 「持って来なかったの。じゃ困るわね。まだ時間があるから急いで市さんに取って来て貰うと好いわ」  二人の問答を後の方で冷淡に聞いていた須永は、鍵なら僕が持って来ているよと云って、冷たい重いものを袂から出して叔母に渡した。御仙がそれを受付口へ見せている間に、千代子は須永を窘なめた。 「市さん、あなた本当に悪らしい方ね。持ってるなら早く出して上げればいいのに。叔母さんは宵子さんの事で、頭がぼんやりしているから忘れるんじゃありませんか」  須永はただ微笑して立っていた。 「あなたのような不人情な人はこんな時にはいっそ来ない方がいいわ。宵子さんが死んだって、涙一つ零すじゃなし」 「不人情なんじゃない。まだ子供を持った事がないから、親子の情愛がよく解らないんだよ」 「まあ。よく叔母さんの前でそんな呑気な事が云えるのね。じゃあたしなんかどうしたの。いつ子供持った覚があって」 「あるかどうか僕は知らない。けれども千代ちゃんは女だから、おおかた男より美くしい心を持ってるんだろう」  御仙は二人の口論を聞かない人のように、用事を済ますとすぐ待合所の方へ歩いて行った。そこへ腰をかけてから、立っている千代子を手招きした。千代子はすぐ叔母の傍へ来て座に着いた。須永も続いて這入って来た。そうして二人の向側にある涼み台みたようなものの上に腰をかけた。清もおかけと云って自分の席を割いてやった。  四人が茶を呑んで待ち合わしている間に、骨上の連中が二三組見えた。最初のは田舎染みた御婆さんだけで、これは御仙と千代子の服装に対して遠慮でもしたらしく口数を多く利かなかった。次には尻を絡げた親子連が来た。活溌な声で、壺を下さいと云って、一番安いのを十六銭で買って行った。三番目には散髪に角帯を締めた男とも女とも片のつかない盲者が、紫の袴を穿いた女の子に手を引かれてやって来た。そうしてまだ時間はあるだろうねと念を押して、袂から出した巻煙草を吸い始めた。須永はこの盲者の顔を見ると立ち上ってぷいと表へ出たぎりなかなか返って来なかった。ところへ事務所のものが御仙の傍へ来て、用意が出来ましたからどうぞと促がしたので、千代子は須永を呼びに裏手へ出た。 八  真鍮の掛札に何々殿と書いた並等の竈を、薄気味悪く左右に見て裏へ抜けると、広い空地の隅に松薪が山のように積んであった。周囲には綺麗な孟宗藪が蒼々と茂っていた。その下が麦畠で、麦畠の向うがまた岡続きに高く蜿蜒しているので、北側の眺めはことに晴々しかった。須永はこの空地の端に立って広い眼界をぼんやり見渡していた。 「市さん、もう用意ができたんですって」  須永は千代子の声を聞いて黙ったまま帰って来たが、「あの竹藪は大変みごとだね。何だか死人の膏が肥料になって、ああ生々延びるような気がするじゃないか。ここにできる筍はきっと旨いよ」と云った。千代子は「おお厭だ」と云い放にして、さっさとまた並等を通り抜けた。宵子の竈は上等の一号というので、扉の上に紫の幕が張ってあった。その前に昨日の花環が少し凋みかけて、台の上に静かに横たわっていた。それが昨夜宵子の肉を焼いた熱気の記念のように思われるので、千代子は急に息苦しくなった。御坊が三人出て来た。そのうちの一番年を取ったのが「御封印を……」と云うので、須永は「よし、構わないから開けてくれ」と頼んだ。畏まった御坊は自分の手で封印を切って、かちゃりと響く音をさせながら錠を抜いた。黒い鉄の扉が左右へ開くと、薄暗い奥の方に、灰色の丸いものだの、黒いものだの、白いものだのが、形を成さない一塊となって朧気に見えた。御坊は「今出しましょう」と断って、レールを二本前の方に継ぎ足しておいて、鉄の環に似たものを二つ棺台の端にかけたかと思うと、いきなりがらがらという音と共に、かの形を成さない一塊の焼残が四人の立っている鼻の下へ出て来た。千代子はそのなかで、例の御供に似てふっくらと膨らんだ宵子の頭蓋骨が、生きていた時そのままの姿で残っているのを認めて急に手帛を口に銜えた。御坊はこの頭蓋骨と頬骨と外に二つ三つの大きな骨を残して、「あとは綺麗に篩って持って参りましょう」と云った。  四人は各自木箸と竹箸を一本ずつ持って、台の上の白骨を思い思いに拾っては、白い壺の中へ入れた。そうして誘い合せたように泣いた。ただ須永だけは蒼白い顔をして口も利かず鼻も鳴らさなかった。「歯は別になさいますか」と聞きながら、御坊が小器用に歯を拾い分けてくれた時、顎をくしゃくしゃと潰してその中から二三枚|択り出したのを見た須永は、「こうなるとまるで人間のような気がしないな。砂の中から小石を拾い出すと同じ事だ」と独言のように云った。下女が三和土の上にぽたぽたと涙を落した。御仙と千代子は箸を置いて手帛を顔へ当てた。  車に乗るとき千代子は杉の箱に入れた白い壺を抱いてそれを膝の上に載せた。車が馳け出すと冷たい風が膝掛と杉箱の間から吹き込んだ。高い欅が白茶けた幹を路の左右に並べて、彼らを送り迎えるごとくに細い枝を揺り動かした。その細い枝が遥か頭の上で交叉するほど繁く両側から出ているのに、自分の通る所は存外明るいのを奇妙に思って、千代子は折々頭を上げては、遠い空を眺めた。宅へ着いて遺骨を仏壇の前に置いた時、すぐ寄って来た小供が、葢を開けて見せてくれというのを彼女は断然拒絶した。  やがて家内中同じ室で昼飯の膳に向った。「こうして見ると、まだ子供がたくさんいるようだが、これで一人もう欠けたんだね」と須永が云い出した。 「生きてる内はそれほどにも思わないが、逝かれて見ると一番惜しいようだね。ここにいる連中のうちで誰か代りになればいいと思うくらいだ」と松本が云った。 「非道いわね」と重子が咲子に耳語いた。 「叔母さんまた奮発して、宵子さんと瓜二つのような子を拵えてちょうだい。可愛がって上げるから」 「宵子と同じ子じゃいけないでしょう、宵子でなくっちゃ。御茶碗や帽子と違って代りができたって、亡くしたのを忘れる訳にゃ行かないんだから」 「己は雨の降る日に紹介状を持って会いに来る男が厭になった」 須永の話 一  敬太郎は須永の門前で後姿の女を見て以来、この二人を結びつける縁の糸を常に想像した。その糸には一種夢のような匂があるので、二人を眼の前に、須永としまた千代子として眺める時には、かえってどこかへ消えてしまう事が多かった。けれども彼らが普通の人間として敬太郎の肉眼に現実の刺戟を与えない折々には、失なわれた糸がまた二人の中を離すべからざる因果のごとくに繋いだ。田口の家へ出入するようになってからも、須永と千代子の関係については、一口でさえ誰からも聞いた事はなし、また二人の様子を直に観察しても尋常の従兄弟以上に何物も仄めいていなかったには違ないが、こういう当初からの聯想に支配されて、彼の頭のどこかに、二人を常に一対の男女として認める傾きを有っていた。女の連添わない若い男や、男の手を組まない若い女は、要するに敬太郎から見れば自然を損なった片輪に過ぎないので、彼が自分の知る彼らを頭のうちでかように組み合わせたのは、まだ片輪の境遇にまごついている二人に、自然が生みつけた通りの資格を早く与えてやりたいという道義心の要求から起ったのかも知れなかった。  それはこむずかしい理窟だから、たといどんな要求から起ろうと敬太郎のために弁ずる必要はないが、この頃になって偶然千代子の結婚談を耳にした彼が、頭の中の世界と、頭の外にある社会との矛盾に、ちょっと首を捻ったのは事実に相違なかった。彼はその話を書生の佐伯から聞いたのである。もっとも佐伯のようなものが、まだ事の纏まらない先から、奥の委しい話を知ろうはずがなかった。彼はただ漠然とした顔の筋肉をいつもより緊張させて、何でもそんな評判ですと云うだけであった。千代子を貰う人の名前も無論分らなかったが、身分の実業家である事はたしかに思われた。 「千代子さんは須永君の所へ行くのだとばかり思っていたが、そうじゃないのかね」 「そうも行かないでしょう」 「なぜ」 「なぜって聞かれると、僕にも明瞭な答はでき悪いんですが、ちょっと考えて見てもむずかしそうですね」 「そうかね、僕はまたちょうど好い夫婦だと思ってるがね。親類じゃあるし、年だって五つ六つ違ならおかしかなしさ」 「知らない人から見るとちょっとそう見えるでしょうがね。裏面にはいろいろ複雑な事情もあるようですから」  敬太郎は佐伯の云わゆる「複雑な事情」なるものを根掘り葉掘り聞きたくなったが、何だか自分を門外漢扱いにするような彼の言葉が癪に障るのと、たかが玄関番の書生から家庭の内幕を聞き出したと云われては自分の品格にかかわるのと、最後には、口ほど詳しい事情を佐伯が知っている気遣がないのとで、それぎりその話はやめにした。そのおりついでながら奥へ行って細君に挨拶をしてしばらく話したが、別に平生と何の変る様子もないので、おめでとうございますと云う勇気も出なかった。  これは敬太郎が須永の宅で矢来の叔父さんの家にあった不幸を千代子から聞いたつい二三日前の事であった。その日彼が久しぶりに須永を訪問したのも、実はその結婚問題について須永の考えを確かめるつもりであった。須永がどこの何人と結婚しようと、千代子がどこの何人に片づこうと、それは敬太郎の関係するところではなかったが、この二人の運命が、それほど容易く右左へ未練なく離れ離れになり得るものか、または自分の想像した通り幻しに似た糸のようなものが、二人にも見えない縁となって、彼らを冥々のうちに繋ぎ合せているものか。それともこの夢で織った帯とでも形容して然るべきちらちらするものが、ある時は二人の眼に明らかに見え、ある時は全たく切れて、彼らをばらばらに孤立させるものか、――そこいらが敬太郎には知りたかったのである。固よりそれは単なる物数奇に過ぎなかった。彼は明らかにそうだと自覚していた。けれども須永に対してなら、この物数奇を満足させても無礼に当らない事も自覚していた。そればかりかこの物数奇を満足させる権利があるとまで信じていた。 二  その日は生憎千代子に妨たげられた上、しまいには須永の母さえ出て来たので、だいぶ長く坐っていたにもかかわらず、立ち入った話はいっさい持ち出す機会がなかった。ただ敬太郎は偶然にも自分の前に並んだ三人が、ありのままの今の姿で、現に似合わしい夫婦と姑になり終せているという事にふと思い及んだ時、彼らを世間並の形式で纏めるのは、最も容易い仕事のように考えて帰った。  次の日曜がまた幸いな暖かい日和をすべての勤め人に恵んだので、敬太郎は朝早くから須永を尋ねて、郊外に誘なおうとした。無精でわがままな彼は玄関先まで出て来ながら、なかなか応じそうにしなかったのを、母親が無理に勧めてようやく靴を穿かした。靴を穿いた以上彼は、敬太郎の意志通りどっちへでも動く人であった。その代りいくら相談をかけても、ある判切した方角へ是非共足を運ばなければならないと主張する男ではなかった。彼と矢来の松本といっしょに出ると、二人とも行先を考えずに歩くので、一致してとんでもない所へ到着する事がままあった。敬太郎は現にこの人の母の口からその例を聞かされたのである。  この日彼らは両国から汽車に乗って鴻の台の下まで行って降りた。それから美くしい広い河に沿って土堤の上をのそのそ歩いた。敬太郎は久しぶりに晴々した好い気分になって、水だの岡だの帆かけ船だのを見廻した。須永も景色だけは賞めたが、まだこんな吹き晴らしの土堤などを歩く季節じゃないと云って、寒いのに伴れ出した敬太郎を恨んだ。早く歩けば暖たかくなると出張した敬太郎はさっさと歩き始めた。須永は呆れたような顔をして跟いて来た。二人は柴又の帝釈天の傍まで来て、川甚という家へ這入って飯を食った。そこで誂らえた鰻の蒲焼が甘たるくて食えないと云って、須永はまた苦い顔をした。先刻から二人の気分が熟しないので、しんみりした話をする余地が出て来ないのを苦しがっていた敬太郎は、この時須永に「江戸っ子は贅沢なものだね。細君を貰うときにもそう贅沢を云うかね」と聞いた。 「云えれば誰だって云うさ。何も江戸っ子に限りぁしない。君みたような田舎ものだって云うだろう」  須永はこう答えて澄ましていた。敬太郎は仕方なしに「江戸っ子は無愛嬌なものだね」と云って笑い出した。須永も突然おかしくなったと見えて笑い出した。それから後は二人の気分と同じように、二人の会話も円満に進行した。敬太郎が須永から「君もこの頃はだいぶ落ちついて来たようだ」と評されても、彼は「少し真面目になったかね」とおとなしく受けるし、彼が須永に「君はますます偏窟に傾くじゃないか」と調戯っても、須永は「どうも自分ながら厭になる事がある」と快よく己れの弱点を承認するだけであった。  こういう打ち解けた心持で、二人が差し向いに互の眼の奥を見透して恥ずかしがらない時に、千代子の問題が持ち出されたのは、その真相を聞こうとする敬太郎に取って偶然の仕合せであった。彼はまず一週間ほど前耳にした彼女が近いうちに結婚するという噂を皮切に須永を襲った。その時須永は少しも昂奮した様子を見せなかった。むしろいつもより沈んだ調子で、「また何か縁談が起りかけているようだね。今度は旨く纏まればいいが」と答えたが、急に口調を更えて、「なに君は知らない事だが、今までもそう云う話は何度もあったんだよ」とさも陳腐らしそうに説明して聞かせた。 「君は貰う気はないのかい」 「僕が貰うように見えるかね」  話しはこんな風に、御互で引き摺るようにしてだんだん先へ進んだが、いよいよ際どいところまで打ち明けるか、さもなければ題目を更えるよりほかに仕方がないという点まで押しつめられた時、須永はとうとう敬太郎に「また洋杖を持って来たんだね」と云って苦笑した。敬太郎も笑いながら縁側へ出た。そこから例の洋杖を取ってまた這入って来たが、「この通りだ」と蛇の頭を須永に見せた。 三  須永の話は敬太郎の予期したよりも遥かに長かった。――  僕の父は早く死んだ。僕がまだ親子の情愛をよく解しない子供の頃に突然死んでしまった。僕は子がないから、自分の血を分けた温たかい肉の塊りに対する情は、今でも比較的薄いかも知れないが、自分を生んでくれた親を懐かしいと思う心はその後だいぶ発達した。今の心をその時分持っていたならと考える事も稀ではない。一言でいうと、当時の僕は父にははなはだ冷淡だったのである。もっとも父もけっして甘い方ではなかった。今の僕の胸に映る彼の顔は、骨の高い血色の勝れない、親しみの薄い、厳格な表情に充ちた肖像に過ぎない。僕は自分の顔を鏡の裏に見るたんびに、それが胸の中に収めた父の容貌と大変似ているのを思い出しては不愉快になる。自分が父と同じ厭な印象を、傍の人に与えはしまいかと苦に病んで、そこで気が引けるばかりではない。こんな陰欝な眉や額が代表するよりも、まだましな温たかい情愛を、血の中に流している今の自分から推して、あんなに冷酷に見えた父も、心の底には自分以上に熱い涙を貯えていたのではなかろうかと考えると、父の記念として、彼の悪い上皮だけを覚えているのが、子としていかにも情ない心持がするからである。父は死ぬ二三日前僕を枕元に呼んで、「市蔵、おれが死ぬと御母さんの厄介にならなくっちゃならないぞ。知ってるか」と云った。僕は生れた時から母の厄介になっていたのだから、今更改ためて父からそれを聞かされるのを妙に思った。黙って坐っていると、父は骨ばかりになった顔の筋を無理に動かすようにして、「今のように腕白じゃ、御母さんも構ってくれないぞ。もう少しおとなしくしないと」と云った。僕は母が今まで構ってくれたんだからこのままの僕でたくさんだという気が充分あった。それで父の小言をまるで必要のない余計な事のように考えて病室を出た。  父が死んだ時母は非常に泣いた。葬式が出る間際になって、僕は着物を着換えさせられたまま、手持無沙汰だから、一人|縁側へ出て、蒼い空を覗き込むように眺めていると、白無垢を着た母が何を思ったか不意にそこへ出て来た。田口や松本を始め、供に立つものはみんな向の方で混雑していたので、傍には誰も見えなかった。母は突然自分の坊主頭へ手を載せて、泣き腫らした眼を自分の上に据えた。そうして小さい声で、「御父さんが御亡くなりになっても、御母さんが今まで通り可愛がって上げるから安心なさいよ」と云った。僕は何とも答えなかった。涙も落さなかった。その時はそれですんだが、両親に対する僕の記憶を、生長の後に至って、遠くの方で曇らすものは、二人のこの時の言葉であるという感じがその後しだいしだいに強く明らかになって来た。何の意味もつける必要のない彼らの言葉に、僕はなぜ厚い疑惑の裏打をしなければならないのか、それは僕自身に聞いて見てもまるで説明がつかなかった。時々は母に向って直に問い糺して見たい気も起ったが、母の顔を見ると急に勇気が摧けてしまうのが例であった。そうして心の中のどこかで、それを打ち明けたが最後、親しい母子が離れ離れになって、永久今の睦ましさに戻る機会はないと僕に耳語くものが出て来た。それでなくても、母は僕の真面目な顔を見守って、そんな事があったっけかねと笑いに紛らしそうなので、そう剥ぐらかされた時の残酷な結果を予想すると、とても口へ出された義理じゃないと思い直しては黙っていた。  僕は母に対してけっして柔順な息子ではなかった。父の死ぬ前に枕元へ呼びつけられて意見されただけあって、小さいうちからよく母に逆らった。大きくなって、女親だけになおさら優しくしてやりたいという分別ができた後でも、やっぱり彼女の云う通りにはならなかった。この二三年はことに心配ばかりかけていた。が、いくら勝手を云い合っても、母子は生れて以来の母子で、この貴とい観念を傷つけられた覚は、重手にしろ浅手にしろ、まだ経験した試しがないという考えから、もしあの事を云い出して、二人共後悔の瘢痕を遺さなければすまない瘡を受けたなら、それこそ取返しのつかない不幸だと思っていた。この畏怖の念は神経質に生れた僕の頭で拵らえるのかも知れないとも疑って見た。けれども僕にはそれが現在よりも明らかな未来として存在している事が多かった。だから僕はあの時の父と母の言葉を、それなり忘れてしまう事ができなかったのを、今でも情なく感ずるのである。 四  父と母の間はどれほど円満であったか、僕には分らない。僕はまだ妻を貰った経験がないから、そう云う事を口にする資格はないかも知れないが、いかな仲の善い夫婦でも、時々は気不味い思をしあうのが人間の常だろうから、彼らだって永く添っているうちには面白くない汚点を双方の胸の裏に見出しつつ、世間も知らず互も口にしない不満を、自分一人|苦く味わって我慢した場合もあったのだろうと思う。もっとも父は疳癖の強い割に陰性な男だったし、母は長唄をうたう時よりほかに、大きな声の出せない性分なので、僕は二人の言い争そう現場を、父の死ぬまでいまだかつて目撃した事がなかった。要するに世間から云えば、僕らの宅ほど静かに整のった家庭は滅多に見当らなかったのである。あのくらい他の悪口を露骨にいう松本の叔父でさえ、今だにそう認めて間違ないものと信じ切っている。  母は僕に対して死んだ父を語るごとに、世間の夫のうちで最も完全に近いもののように説明してやまない。これは幾分か僕の腹の底に濁ったまま沈んでいる父の記憶を清めたいための弁護とも思われる。または彼女自身の記憶に時間の布巾をかけてだんだん光沢を出すつもりとも見られる。けれども慈愛に充ちた親としての父を僕に紹介する時には、彼女の態度が全く一変する。平生僕が目のあたりに見ているあの柔和な母が、どうしてこう真面目になれるだろうと驚ろくくらい、厳粛な気象で僕を打ち据える事さえあった。が、それは僕が中学から高等学校へ移る時分の昔である。今はいくら母に強請って同じ話をくり返して貰っても、そんな気高い気分にはとてもなれない。僕の情操はその頃から学校を卒業するまでの間に、近頃の小説に出る主人公のように、まるで荒み果てたのだろう。現代の空気に中毒した自分を呪いたくなると、僕は時々もう一遍で好いから、母の前でああ云う崇高な感じに触れて見たいという望を起すが、同時にその望みがとても遂げられない過去の夢であるという悲しみも湧いて来る。  母の性格は吾々が昔から用い慣れた慈母という言葉で形容さえすれば、それで尽きている。僕から見ると彼女はこの二字のために生れてこの二字のために死ぬと云っても差支ない。まことに気の毒であるが、それでも母は生活の満足をこの一点にのみ集注しているのだから、僕さえ充分の孝行ができれば、これに越した彼女の喜はないのである。が、もしその僕が彼女の意に背く事が多かったら、これほどの不幸はまた彼女に取ってけっしてない訳になる。それを思うと僕は非常に心苦しい事がある。  思い出したからここでちょっと云うが、僕は生れてからの一人息子ではない。子供の時分に妙ちゃんという妹と毎日遊んだ事を覚えている。その妹は大きな模様のある被布を平生着て、人形のように髪を切り下げていた。そうして僕の事を常に市蔵ちゃん市蔵ちゃんと云って、兄さんとはけっして呼ばなかった。この妹は父の亡くなる何年前かに実扶的里亜で死んでしまった。その頃は血清注射がまだ発明されない時分だったので、治療も大変に困難だったのだろう。僕は固より実扶的里亜と云う名前さえ知らなかった。宅へ見舞に来た松本に、御前も実扶的里亜かと調戯われて、うんそうじゃないよ僕軍人だよと答えたのを今だに忘れずにいる。妹が死んでから当分はむずかしい父の顔がだいぶ優しく見えた。母に向って、まことに御前には気の毒な事をしたといった顔がことに穏かだったので、小供ながら、ついその時の言葉まで小さい胸に刻みつけておいた。しかし母がそれに対してどう答えたかは全く知らない。いくら思い出そうとしても思い出せないところをもって見ると、初から覚えなかったのだろう。これほど鋭敏に父を観察する能力を、小供の時から持っていた僕が、母に対する注意に欠けていたのも不思議である。人間が自分よりも余計に他を知りたがる癖のあるものだとすれば、僕の父は母よりもよほど他人らしく僕に見えていたのかも分らない。それを逆に云うと、母は観察に価しないほど僕に親しかったのである。――とにかく妹は死んだ。それからの僕は父に対しても母に対しても一人息子であった。父が死んで以後の今の僕は母に対しての一人息子である。 五  だから僕は母をできるだけ大事にしなければすまない。が、実際は同じ源因がかえって僕をわがままにしている。僕は去年学校を卒業してから今日まで、まだ就職という問題についてただの一日も頭を使った事がない。出た時の成績はむしろ好い方であった。席次を目安に人を採る今の習慣を利用しようと思えば、随分友達を羨ましがらせる位置に坐り込む機会もないではなかった。現に一度はある方面から人選の依託を受けた某教授に呼ばれて意向を聞かれた記憶さえ有っている。それだのに僕は動かなかった。固より自慢でこう云う話をするのではない。真底を打ち明ければむしろ自慢の反対で、全く信念の欠乏から来た引込み思案なのだから不愉快である。が、朝から晩まで気骨を折って、世の中に持て囃されたところで、どこがどうしたんだという横着は、無論断わる時からつけ纏っていた。僕は時めくために生れた男ではないと思う。法律などを修めないで、植物学か天文学でもやったらまだ性に合った仕事が天から授かるかも知れないと思う。僕は世間に対してははなはだ気の弱い癖に、自分に対しては大変辛抱の好い男だからそう思うのである。  こういう僕のわがままをわがままなりに通してくれるものは、云うまでもなく父が遺して行ったわずかばかりの財産である。もしこの財産がなかったら、僕はどんな苦しい思をしても、法学士の肩書を利用して、世間と戦かわなければならないのだと考えると、僕は死んだ父に対して改ためて感謝の念を捧げたくなると同時に、自分のわがままはこの財産のためにやっと存在を許されているのだからよほど腰の坐らないあさはかなものに違ないと推断する。そうしてその犠牲にされている母が一層気の毒になる。  母は昔堅気の教育を受けた婦人の常として、家名を揚げるのが子たるものの第一の務だというような考えを、何より先に抱いている。しかし彼女の家名を揚げるというのは、名誉の意味か、財産の意味か、権力の意味か、または徳望の意味か、そこへ行くと全く何の分別もない。ただ漠然と、一つが頭の上に落ちて来れば、すべてその他が後を追って門前に輻湊するぐらいに思っている。しかし僕はそういう問題について、何事も母に説明してやる勇気がない。説明して聞かせるには、まず僕の見識でもっともと認めた家名の揚げ方をした上でないと、僕にその資格ができないからである。僕はいかなる意味においても家名を揚げ得る男ではない。ただ汚さないだけの見識を頭に入れておくばかりである。そうしてその見識は母に見せて喜こんで貰えるどころか、彼女とはまるでかけ離れた縁のないものなのだから、母も心細いだろう。僕も淋しい。  僕が母にかける心配の数あるうちで、第一に挙げなければならないのは、今話した通りの僕の欠点である。しかしこの欠点を矯めずに母と不足なく暮らして行かれるほど、母は僕を愛していてくれるのだから、ただすまないと思う心を失なわずに、このままで押せば押せない事もないが、このわがままよりももっと鋭どい失望を母に与えそうなので、僕が私かに胸を痛めているのは結婚問題である。結婚問題と云うより僕と千代子を取り巻く周囲の事情と云った方が適当かも知れない。それを説明するには話の順序としてまず千代子の生れない当時に溯ぼる必要がある。その頃の田口はけっして今ほどの幅利でも資産家でもなかった。ただ将来見込のある男だからと云うので、父が母の妹に当るあの叔母を嫁にやるように周旋したのである。田口は固より僕の父を先輩として仰いでいた。なにかにつけて相談もしたり、世話にもなった。両家の間に新らしく成立したこの親しい関係が、月と共に加速度をもって円満に進行しつつある際に千代子が生れた。その時僕の母はどう思ったものか、大きくなったらこの子を市蔵の嫁にくれまいかと田口夫婦に頼んだのだそうである。母の語るところによると、彼らはその折快よく母の頼みを承諾したのだと云う。固より後から百代が生まれる、吾一という男の子もできる、千代子もやろうとすればどこへでもやられるのだが、きっと僕にやらなければならないほど確かに母に受合ったかどうか、そこは僕も知らない。 六  とにかく僕と千代子の間には両方共物心のつかない当時からすでにこういう絆があった。けれどもその絆は僕ら二人を結びつける上においてすこぶる怪しい絆であった。二人は固より天に上る雲雀のごとく自由に生長した。絆を綯った人でさえ確とその端を握っている気ではなかったのだろう。僕は怪しい絆という文字を奇縁という意味でここに使う事のできないのを深く母のために悲しむのである。  母は僕の高等学校に這入った時分それとなく千代子の事を仄めかした。その頃の僕に色気のあったのは無論である。けれども未来の妻という観念はまるで頭に無かった。そんな話に取り合う落ちつきさえ持っていなかった。ことに子供の時からいっしょに遊んだり喧嘩をしたり、ほとんど同じ家に生長したと違わない親しみのある少女は、余り自分に近過ぎるためかはなはだ平凡に見えて、異性に対する普通の刺戟を与えるに足りなかった。これは僕の方ばかりではあるまい、千代子もおそらく同感だろうと思う。その証拠には長い交際の前後を通じて、僕はいまだかつて男として彼女から取り扱かわれた経験を記憶する事ができない。彼女から見た僕は、怒ろうが泣こうが、科をしようが色眼を使おうが、常に変らない従兄に過ぎないのである。もっともこれは幾分か、純粋な気象を受けて生れた彼女の性情からも出るので、そこになるとまた僕ほど彼女を知り抜いているものはないのだが、単にそれだけでああ男女の牆壁が取り除けられる訳のものではあるまい。ただ一度……しかしこれは後で話す方が宜かろうと思う。  母は自分のいう事に耳を借さなかった僕を羞恥家と解釈して、再び時期を待つもののごとくに、この問題を懐に収めた。羞恥は僕といえども否定する勇気がない。しかし千代子に意があるから羞恥んだのだと取った母は、全くの反対を事実と認めたと同じ事である。要するに母は未来に対する準備という考から、僕ら二人をなるべく仲善く育て上げよう育て上げようと力めた結果、男女としての二人をしだいに遠ざからした。そうして自分では知らずにいた。それを知らなければならないようにした僕は全く残酷であった。  その日の事を語るのが僕には実際の苦痛である。母は高等学校時代に匂わした千代子の問題を、僕が大学の二年になるまで、じっと懐に抱いたまま一人で温めていたと見えて、ある晩――春休みの頃の花の咲いたという噂のあったある日の晩――そっと僕の前に出して見せた。その時は僕もだいぶ大人らしくなっていたので、静かにその問題を取り上げて、裏表から鄭寧に吟味する余裕ができていた。母もその時にはただ遠くから匂わせるだけでなくて、自分の希望に正当の形式を与える事を忘れなかった。僕は何心なく従妹は血属だから厭だと答えた。母は千代子の生れた時くれろと頼んでおいたのだから貰ったらいいだろうと云って僕を驚ろかした。なぜそんな事を頼んだのかと聞くと、なぜでも私の好きな子で、御前も嫌うはずがないからだと、赤ん坊には応用の利かないような挨拶をして僕を弱らせた。だんだんそこを押して見ると、しまいに涙ぐんで、実は御前のためではない、全く私のために頼むのだと云う。しかもどうしてそれが母のためになるのか、その理由はいくら聞いても語らない。最後に何でもかでも千代子は厭かと聞かれた。僕は厭でも何でもないと答えた。しかし当人も僕のところへ来る気はなし、田口の叔父も叔母も僕にくれたくはないのだから、そんな事を申し込むのは止した方が好い、先方で迷惑するだけだからと教えた。母は約束だから迷惑しても構わない、また迷惑するはずがないと主張して、昔し田口が父の世話になったり厄介になったりした例を数え挙げた。僕はやむを得ないからこの問題は卒業するまで解決を着けずにおこうと云い出した。母は不安の裏に一縷の望を現わした顔色をして、もう一遍とくと考えて見てくれと頼んだ。  こういう事情で、今まで母一人で懐に抱いていた問題を、その後は僕も抱かなければならなくなった。田口はまた田口流に、同じ問題を孵しつつあるのではなかろうか。たとい千代子をほかへ縁づけるにしても、いざと云う場合には一応こちらの承諾を得る必要があるとすれば、叔父も気がかりに違いない。 七  僕は不安になった。母の顔を見るたびに、彼女を欺むいてその日その日を姑息に送っているような気がしてすまなかった。一頃は思い直してでき得るならば母の希望通り千代子を貰ってやりたいとも考えた。僕はそのためにわざわざ用もない田口の家へ遊びに行ってそれとなく叔父や叔母の様子を見た。彼らは僕の母の肉薄に応ずる準備としてまえもって僕を疎んずるような素振を口にも挙動にもけっして示さなかった。彼らはそれほど浅薄なまた不親切な人間ではなかったのである。けれども彼らの娘の未来の夫として、僕が彼らの眼にいかに憐れむべく映じていたかは、遠き前から僕の見抜いていたところと、ちっとも変化を来さないばかりか、近頃になってますますその傾が著るしくなるように思われた。彼らは第一に僕の弱々しい体格と僕の蒼白い顔色とを婿として肯がわないつもりらしかった。もっとも僕は神経の鋭どく動く性質だから、物を誇大に考え過したり、要らぬ僻みを起して見たりする弊がよくあるので、自分の胸に収めた委しい叔父叔母の観察を遠慮なくここに述べる非礼は憚かりたい。ただ一言で云うと、彼らはその当時千代子を僕の嫁にしようと明言したのだろう。少なくともやってもいいぐらいには考えていたのだろう。が、その後彼らの社会に占め得た地位と、彼らとは背中合せに進んで行く僕の性格が、二重に実行の便宜を奪って、ただ惚けかかった空しい義理の抜殻を、彼らの頭のどこかに置き去りにして行ったと思えば差支ないのである。  僕と彼らとはあらゆる人の結婚問題についても多くを語る機会を持たなかった。ただある時叔母と僕との間にこんな会話が取り換わされた。 「市さんももうそろそろ奥さんを探さなくっちゃなりませんね。姉さんはとうから心配しているようですよ」 「好いのがあったら母に知らしてやって下さい」 「市さんにはおとなしくって優しい、親切な看護婦みたような女がいいでしょう」 「看護婦みたような嫁はないかって探しても、誰も来手はあるまいな」  僕が苦笑しながら、自ら嘲けるごとくこう云った時、今まで向うの隅で何かしていた千代子が、不意に首を上げた。 「あたし行って上げましょうか」  僕は彼女の眼を深く見た。彼女も僕の顔を見た。けれども両方共そこに意味のある何物をも認めなかった。叔母は千代子の方を振り向きもしなかった。そうして、「御前のようなむきだしのがらがらした者が、何で市さんの気に入るものかね」と云った。僕は低い叔母の声のうちに、窘なめるようなまた怖れるような一種の響を聞いた。千代子はただからからと面白そうに笑っただけであった。その時百代子も傍にいた。これは姉の言葉を聞いて微笑しながら席を立った。形式を具えない断りを云われたと解釈した僕はしばらくしてまた席を立った。  この事件後僕は同じ問題に関して母の満足を買うための努力をますます屑よしとしなくなった。自尊心の強い父の子として、僕の神経はこういう点において自分でも驚ろくくらい過敏なのである。もちろん僕はその折の叔母に対してけっして感情を害しはしなかった。こっちからまだ正式の申し込みを受けていない叔母としては、ああよりほかに意向の洩らし方も無かったのだろうと思う。千代子に至っては何を云おうが笑おうが、いつでも蟠まりのない彼女の胸の中を、そのまま外に表わしたに過ぎないと考えていた。僕はその時の千代子の言葉や様子から察して、彼女が僕のところへ来たがっていない事だけは、従前通りたしかに認めたが、同時に、もし差し向いで僕の母にしんみり話し込まれでもしたら、ええそういう訳なら御嫁に来て上げましょうと、その場ですぐ承知しないとも限るまいと思って、私かに掛念を抱いたくらいである。彼女はそう云う時に、平気で自分の利害や親の意思を犠牲に供し得る極めて純粋の女だと僕は常から信じていたからである。 八  意地の強い僕は母を嬉しがらせるよりもなるべく自我を傷けないようにと祈った。その結果千代子が僕の知らない間に、母から説き落されてはと掛念して、暗にそれを防ぐ分別をした。母は彼女の生れ落ちた当初すでに僕の嫁ときめただけあって、多くある姪や甥の中で、取り分け千代子を可愛がった。千代子も子供の時分から僕の家を生家のごとく心得て遠慮なく寝泊りに来た。その縁故で、田口と僕の家が昔に比べると比較的|疎くなった今日でも、千代子だけは叔母さん叔母さんと云って、生の親にでも逢いに来るような朗らかな顔をして、しげしげ出入をしていた。単純な彼女は、自分の身を的に時々起る縁談をさえ、隠すところなく母に打ち明けた。人の好い母はまたそれを素直に聞いてやるだけで、恨めしい眼つき一つも見せ得なかった。僕の恐れる懇談は、こういう関係の深い二人の間に、いつ起らないとも限らなかったのである。  僕の分別というのはまずこの点に関して、当分母の口を塞いでおこうとする用心に過ぎなかった。ところがいざ改たまって母にそれを切り出そうとすると、ただ自分の我を通すために、弱い親の自由を奪うのは残酷な子に違ないという心持が、どこにか萌すので、ついそれなりにしてやめる事が多かった。もっとも年寄の眉を曇らすのがただ情ないばかりでやめたとも云われない。これほど親しい間柄でさえ今まで思い切ったところを千代子に打ち明け得なかった母の事だから、たといこのままにしておいても、まあ当分は大丈夫だろうという考が、母に対する僕を多少|抑えたのである。  それで僕は千代子に関して何という明瞭な所置も取らずに過ぎた。もっともこういう不安な状態で日を送った時期にも、まるで田口の家と打絶えた訳ではなかったので、会には単に母の喜こぶ顔を見るだけの目的をもって内幸町まで電車を利用した覚さえあったのである。そういうある日の晩、僕は久しぶりに千代子から、習い立ての珍らしい手料理を御馳走するからと引止められて、夕飯の膳についた。いつも留守がちな叔父がその日はちょうど内にいて、食事中例の気作な話をし続けにしたため、若い人の陽気な笑い声が障子に響くくらい家の中が賑わった。飯が済んだ後で、叔父はどういう考か、突然僕に「市さん久しぶりに一局やろうか」と云い出した。僕はさほど気が進まなかったけれどもせっかくだから、やりましょうと答えて、叔父と共に別室へ退いた。二人はそこで二三番打った。固より下手と下手の勝負なので、時間のかかるはずもなく、碁石を片づけてもまだそれほど遅くはならなかった。二人は煙草を呑みながらまた話を始めた。その時僕は適当な機会を利用してわざと叔父に「千代子さんの縁談はまだ纏まりませんか」と聞いた。それは固より僕が千代子に対して他意のないという事を示すためであった。がまた一方では、一日も早くこの問題の解決が着けば、自分も安心だし、千代子も幸福だと考えたからである。すると叔父はさすがに男だけあって、何の躊躇もなくこう云った。―― 「いやまだなかなかそう行きそうもない。だんだんそんな話を持って来てくれるものはあるが、何しろむずかしくって弱る。その上調べれば調べるほど面倒になるだけだし、まあ大抵のところで纏まるなら纏めてしまおうかと思ってる。――縁談なんてものは妙なものでね。今だから御前に話すが、実は千代子の生れたとき、御前の御母さんが、これを市蔵の嫁に欲しいってね――生れ立ての赤ん坊をだよ」  叔父はこの時笑いながら僕の顔を見た。 「母は本気でそう云ったんだそうです」 「本気さ。姉さんはまた正直な人だからね。実に好い人だ。今でも時々|真面目になって叔母さんにその話をするそうだ」  叔父は再び大きな声を出して笑った。僕ははたして叔父がこう軽くこの事件を解釈しているなら、母のために少し弁じてやろうかと考えた。が、もしこれが世慣れた人の巧妙な覚らせぶりだとすれば、一口でも云うだけが愚だと思い直して黙った。叔父は親切な人でまた世慣れた人である。彼のこの時の言葉はどちらの眼で見ていいのか、僕には今もって解らない。ただ僕がその時以来千代子を貰わない方へいよいよ傾いたのは事実である。 九  それから二カ月ばかりの間僕は田口の家へ近寄らなかった。母さえ心配しなければ、それぎり内幸町へは足を向けずにすましたかも知れなかった。たとい母が心配するにしても、単に彼女に対する掛念だけが問題なら、あるいは僕の気随をいざという極点まで押し通したかも知れなかった。僕はそんな風に生みつけられた男なのである。ところが二カ月の末になって、僕は突然自分の片意地を翻がえさなければ不利だという事に気がついた。実を云うと、僕と田口と疎遠になればなるほど、母はあらゆる機会を求めて、ますます千代子と接触するように力め出したのである。そうしていつなんどき僕の最も恐れる直接の談判を、千代子に向って開かないとも限らないように、漸々形勢を切迫させて来たのである。僕は思い切って、この危機を一帳場先へ繰り越そうとした。そうしてその決心と共にまた田口の敷居を跨ぎ出した。  彼らの僕を遇する態度に固より変りはなかった。僕の彼らに対する様子もまた二カ月前の通りであった。僕と彼らとは故のごとく笑ったり、ふざけたり、揚足の取りっくらをしたりした。要するに僕の田口で費やした時間は、騒がしいくらい陽気であった。本当のところをいうと、僕には少し陽気過ぎたのである。したがって腹の中が常に空虚な努力に疲れていた。鋭どい眼で注意したら、どこかに偽の影が射して、本来の自分を醜く彩っていたろうと思う。そのうちで自分の気分と自分の言葉が、半紙の裏表のようにぴたりと合った愉快を感じた覚がただ一遍ある。それは家例として年に一度か二度田口の家族が揃って遊びに出る日の出来事であった。僕は知らずに奥へ通って、千代子一人が閑静に坐っているのを見て驚ろいた。彼女は風邪を引いたと見えて、咽喉に湿布をしていた。常にも似ない蒼い顔色も淋しく思われた。微笑しながら、「今日はあたし御留守居よ」と云った時、僕は始めて皆出払った事に気がついた。  その日彼女は病気のせいかいつもよりしんみり落ちついていた。僕の顔さえ見ると、きっと冷かし文句を並べて、どうしても悪口の云い合いを挑まなければやまない彼女が、一人ぼっちで妙に沈んでいる姿を見たとき、僕はふと可憐な心を起した。それで席に着くや否や、優しい慰藉の言葉を口から出す気もなく自から出した。すると千代子は一種変な表情をして、「あなた今日は大変優しいわね。奥さんを貰ったらそういう風に優しくしてあげなくっちゃいけないわね」と云った。遠慮がなくて親しみだけ持っていた僕は、今まで千代子に対していくら無愛嬌に振舞っても差支ないものと暗に自から許していたのだという事にこの時始めて気がついた。そうして千代子の眼の中にどこか嬉しそうな色の微かながら漂ようのを認めて、自分が悪かったと後悔した。  二人はほとんどいっしょに生長したと同じような自分達の過去を振り返った。昔の記憶を語る言葉が互の唇から当時を蘇生らせる便として洩れた。僕は千代子の記憶が、僕よりも遥かに勝れて、細かいところまで鮮やかに行き渡っているのに驚ろいた。彼女は今から四年前、僕が玄関に立ったまま袴の綻を彼女に縫わせた事まで覚えていた。その時彼女の使ったのは木綿糸でなくて絹糸であった事も知っていた。 「あたしあなたの描いてくれた画をまだ持っててよ」  なるほどそう云われて見ると、千代子に画を描いてやった覚があった。けれどもそれは彼女が十二三の時の事で、自分が田口に買って貰った絵具と紙を僕の前へ押しつけて無理矢理に描かせたものである。僕の画道における嗜好は、それから以後|今日に至るまで、ついぞ画筆を握った試しがないのでも分るのだから、赤や緑の単純な刺戟が、一通り彼女の眼に映ってしまえば、興味はそこに尽きなければならないはずのものであった。それを保存していると聞いた僕は迷惑そうに苦笑せざるを得なかった。 「見せて上げましょうか」  僕は見ないでもいいと断った。彼女は構わず立ち上がって、自分の室から僕の画を納めた手文庫を持って来た。 十  千代子はその中から僕の描いた画を五六枚出して見せた。それは赤い椿だの、紫の東菊だの、色変りのダリヤだので、いずれも単純な花卉の写生に過ぎなかったが、要らない所にわざと手を掛けて、時間の浪費を厭わずに、細かく綺麗に塗り上げた手際は、今の僕から見るとほとんど驚ろくべきものであった。僕はこれほど綿密であった自分の昔に感服した。 「あなたそれを描いて下すった時分は、今よりよっぽど親切だったわね」  千代子は突然こう云った。僕にはその意味がまるで分らなかった。画から眼を上げて、彼女の顔を見ると、彼女も黒い大きな瞳を僕の上にじっと据えていた。僕はどういう訳でそんな事を云うのかと尋ねた。彼女はそれでも答えずに僕の顔を見つめていた。やがていつもより小さな声で「でも近頃頼んだって、そんなに精出して描いては下さらないでしょう」と云った。僕は描くとも描かないとも答えられなかった。ただ腹の中で、彼女の言葉をもっともだと首肯った。 「それでもよくこんな物を丹念にしまっておくね」 「あたし御嫁に行く時も持ってくつもりよ」  僕はこの言葉を聞いて変に悲しくなった。そうしてその悲しい気分が、すぐ千代子の胸に応えそうなのがなお恐ろしかった。僕はその刹那すでに涙の溢れそうな黒い大きな眼を自分の前に想像したのである。 「そんな下らないものは持って行かないがいいよ」 「いいわ、持って行ったって、あたしのだから」  彼女はこう云いつつ、赤い椿や紫の東菊を重ねて、また文庫の中へしまった。僕は自分の気分を変えるためわざと彼女にいつごろ嫁に行くつもりかと聞いた。彼女はもう直に行くのだと答えた。 「しかしまだきまった訳じゃないんだろう」 「いいえ、もうきまったの」  彼女は明らかに答えた。今まで自分の安心を得る最後の手段として、一日も早く彼女の縁談が纏まれば好いがと念じていた僕の心臓は、この答と共にどきんと音のする浪を打った。そうして毛穴から這い出すような膏汗が、背中と腋の下を不意に襲った。千代子は文庫を抱いて立ち上った。障子を開けるとき、上から僕を見下して、「嘘よ」と一口|判切云い切ったまま、自分の室の方へ出て行った。  僕は動く考もなく故の席に坐っていた。僕の胸には忌々しい何物も宿らなかった。千代子の嫁に行く行かないが、僕にどう影響するかを、この時始めて実際に自覚する事のできた僕は、それを自覚させてくれた彼女の翻弄に対して感謝した。僕は今まで気がつかずに彼女を愛していたのかも知れなかった。あるいは彼女が気がつかないうちに僕を愛していたのかも知れなかった。――僕は自分という正体が、それほど解り悪い怖いものなのだろうかと考えて、しばらく茫然としていた。するとあちらの方で電話がちりんちりんと鳴った。千代子が縁伝いに急ぎ足でやって来て、僕にいっしょに電話をかけてくれと頼んだ。僕にはいっしょにかけるという意味が呑み込めなかったが、すぐ立って彼女と共に電話口へ行った。 「もう呼び出してあるのよ。あたし声が嗄れて、咽喉が痛くって話ができないからあなた代理をしてちょうだい。聞く方はあたしが聞くから」  僕は相手の名前も分らない、また向うの話の通じない電話をかけるべく、前屈みになって用意をした。千代子はすでに受話器を耳にあてていた。それを通して彼女の頭へ送られる言葉は、独り彼女が占有するだけなので、僕はただ彼女の小声でいう挨拶を大きくして訳も解らず先方へ取次ぐに過ぎなかった。それでも始の内は滑稽も構わず暇がかかるのも厭わず平気でやっていたが、しだいに僕の好奇心を挑発するような返事や質問が千代子の口から出て来るので、僕は曲んだまま、おいちょいとそれを御貸と声をかけて左手を真直に千代子の方へ差し伸べた。千代子は笑いながら否々をして見せた。僕はさらに姿勢を正しくして、受話器を彼女の手から奪おうとした。彼女はけっしてそれを離さなかった。取ろうとする取らせまいとする争が二人の間に起った時、彼女は手早く電話を切った。そうして大きな声をあげて笑い出した。―― 十一  こういう光景がもし今より一年前に起ったならと僕はその後何遍もくり返しくり返し思った。そう思うたびに、もう遅過ぎる、時機はすでに去ったと運命から宣告されるような気がした。今からでもこういう光景を二度三度と重ねる機会は捉まえられるではないかと、同じ運命が暗に僕を唆のかす日もあった。なるほど二人の情愛を互いに反射させ合うためにのみ眼の光を使う手段を憚からなかったなら、千代子と僕とはその日を基点として出立しても、今頃は人間の利害で割く事のできない愛に陥っていたかも知れない。ただ僕はそれと反対の方針を取ったのである。  田口夫婦の意向や僕の母の希望は、他人の入智慧同様に意味の少ないものとして、単に彼女と僕を裸にした生れつきだけを比較すると、僕らはとてもいっしょになる見込のないものと僕は平生から信じていた。これはなぜと聞かれても満足の行くように答弁ができないかも知れない。僕は人に説明するためにそう信じているのでないから。僕はかつて文学好のある友達からダヌンチオと一少女の話を聞いた事がある。ダヌンチオというのは今の以太利で一番有名な小説家だそうだから、僕の友達の主意は無論彼の勢力を僕に紹介するつもりだったのだろうが、僕にはそこへ引合に出された少女の方が彼よりも遥かに興味が多かった。その話はこうである。――  ある時ダヌンチオが招待を受けてある会合の席へ出た。文学者を国家の装飾のようにもてはやす西洋の事だから、ダヌンチオはその席に群がるすべての人から多大の尊敬と愛嬌をもって偉人のごとく取扱かわれた。彼が満堂の注意を一身に集めて、衆人の間をあちこち徘徊しているうち、どういう機会か自分の手巾を足の下へ落した。混雑の際と見えて、彼は固より、傍のものもいっこうそれに気がつかずにいた。するとまだ年の若い美くしい女が一人その手巾を床の上から取り上げて、ダヌンチオの前へ持って来た。彼女はそれをダヌンチオに渡すつもりで、これはあなたのでしょうと聞いた。ダヌンチオはありがとうと答えたが、女の美くしい器量に対してちょっと愛嬌が必要になったと見えて、「あなたのにして持っていらっしゃい、進上しますから」とあたかも少女の喜びを予想したような事を云った。女は一口の答もせず黙ってその手巾を指先でつまんだまま暖炉の傍まで行っていきなりそれを火の中へ投げ込んだ。ダヌンチオは別にしてその他の席に居合せたものはことごとく微笑を洩らした。  僕はこの話を聞いた時、年の若い茶褐色の髪毛を有った以太利生れの美人を思い浮べるよりも、その代りとしてすぐ千代子の眼と眉を想像した。そうしてそれがもし千代子でなくって妹の百代子であったなら、たとい腹の中はどうあろうとも、その場は礼を云って快よく手巾を貰い受けたに違いあるまいと思った。ただ千代子にはそれができないのである。  口の悪い松本の叔父はこの姉妹に渾名をつけて常に大蝦蟆と小蝦蟆と呼んでいる。二人の口が唇の薄い割に長過ぎるところが銀貨入れの蟇口だと云っては常に二人を笑わせたり怒らせたりする。これは性質に関係のない顔形の話であるが、同じ叔父が口癖のようにこの姉妹を評して、小蟇はおとなしくって好いが、大蟇は少し猛烈過ぎると云うのを聞くたびに、僕はあの叔父がどう千代子を観察しているのだろうと考えて、必ず彼の眼識に疑を挟さみたくなる。千代子の言語なり挙動なりが時に猛烈に見えるのは、彼女が女らしくない粗野なところを内に蔵しているからではなくって、余り女らしい優しい感情に前後を忘れて自分を投げかけるからだと僕は固く信じて疑がわないのである。彼女の有っている善悪是非の分別はほとんど学問や経験と独立している。ただ直覚的に相手を目当に燃え出すだけである。それだから相手は時によると稲妻に打たれたような思いをする。当りの強く烈しく来るのは、彼女の胸から純粋な塊まりが一度に多量に飛んで出るという意味で、刺だの毒だの腐蝕剤だのを吹きかけたり浴びせかけたりするのとはまるで訳が違う。その証拠にはたといどれほど烈しく怒られても、僕は彼女から清いもので自分の腸を洗われたような気持のした場合が今までに何遍もあった。気高いものに出会ったという感じさえ稀には起したくらいである。僕は天下の前にただ一人立って、彼女はあらゆる女のうちでもっとも女らしい女だと弁護したいくらいに思っている。 十二  これほど好く思っている千代子を妻としてどこが不都合なのか。――実は僕も自分で自分の胸にこう聞いた事がある。その時|理由も何もまだ考えない先に、僕はまず恐ろしくなった。そうして夫婦としての二人を長く眼前に想像するにたえなかった。こんな事を母に云ったら定めし驚ろくだろう、同年輩の友達に話してもあるいは通じないかも知れない。けれども強いて沈黙のなかに記憶を埋める必要もないから、それを自分だけの感想に止めないでここに自白するが、一口に云うと、千代子は恐ろしい事を知らない女なのである。そうして僕は恐ろしい事だけ知った男なのである。だからただ釣り合わないばかりでなく、夫婦となればまさに逆にでき上るよりほかに仕方がないのである。  僕は常に考えている。「純粋な感情ほど美くしいものはない。美くしいものほど強いものはない」と。強いものが恐れないのは当り前である。僕がもし千代子を妻にするとしたら、妻の眼から出る強烈な光に堪えられないだろう。その光は必ずしも怒を示すとは限らない。情の光でも、愛の光でも、もしくは渇仰の光でも同じ事である。僕はきっとその光のために射竦められるにきまっている。それと同程度あるいはより以上の輝くものを、返礼として彼女に与えるには、感情家として僕が余りに貧弱だからである。僕は芳烈な一樽の清酒を貰っても、それを味わい尽くす資格を持たない下戸として、今日まで世間から教育されて来たのである。  千代子が僕のところへ嫁に来れば必ず残酷な失望を経験しなければならない。彼女は美くしい天賦の感情を、あるに任せて惜気もなく夫の上に注ぎ込む代りに、それを受け入れる夫が、彼女から精神上の営養を得て、大いに世の中に活躍するのを唯一の報酬として夫から予期するに違いない。年のいかない、学問の乏しい、見識の狭い点から見ると気の毒と評して然るべき彼女は、頭と腕を挙げて実世間に打ち込んで、肉眼で指す事のできる権力か財力を攫まなくっては男子でないと考えている。単純な彼女は、たとい僕のところへ嫁に来ても、やはりそう云う働きぶりを僕から要求し、また要求さえすれば僕にできるものとのみ思いつめている。二人の間に横たわる根本的の不幸はここに存在すると云っても差支ないのである。僕は今云った通り、妻としての彼女の美くしい感情を、そう多量に受け入れる事のできない至って燻ぶった性質なのだが、よし焼石に水を濺いだ時のように、それをことごとく吸い込んだところで、彼女の望み通りに利用する訳にはとても行かない。もし純粋な彼女の影響が僕のどこかに表われるとすれば、それはいくら説明しても彼女には全く分らないところに、思いも寄らぬ形となって発現するだけである。万一彼女の眼にとまっても、彼女はそれをコスメチックで塗り堅めた僕の頭や羽二重の足袋で包んだ僕の足よりもありがたがらないだろう。要するに彼女から云えば、美くしいものを僕の上に永久浪費して、しだいしだいに結婚の不幸を嘆くに過ぎないのである。  僕は自分と千代子を比較するごとに、必ず恐れない女と恐れる男という言葉をくり返したくなる。しまいにはそれが自分の作った言葉でなくって、西洋人の小説にそのまま出ているような気を起す。この間講釈好きの松本の叔父から、詩と哲学の区別を聞かされて以来は、恐れない女と恐れる男というと、たちまち自分に縁の遠い詩と哲学を想い出す。叔父は素人学問ながらこんな方面に興味を有っているだけに、面白い事をいろいろ話して聞かしたが、僕を捕まえて「御前のような感情家は」と暗に詩人らしく僕を評したのは間違っている。僕に云わせると、恐れないのが詩人の特色で、恐れるのが哲人の運命である。僕の思い切った事のできずにぐずぐずしているのは、何より先に結果を考えて取越苦労をするからである。千代子が風のごとく自由に振舞うのは、先の見えないほど強い感情が一度に胸に湧き出るからである。彼女は僕の知っている人間のうちで、最も恐れない一人である。だから恐れる僕を軽蔑するのである。僕はまた感情という自分の重みでけつまずきそうな彼女を、運命のアイロニーを解せざる詩人として深く憐れむのである。否時によると彼女のために戦慄するのである。 十三  須永の話の末段は少し敬太郎の理解力を苦しめた。事実を云えば彼はまた彼なりに詩人とも哲学者とも云い得る男なのかも知れなかった。しかしそれは傍から彼を見た眼の評する言葉で、敬太郎自身はけっしてどっちとも思っていなかった。したがって詩とか哲学とかいう文字も、月の世界でなければ役に立たない夢のようなものとして、ほとんど一顧に価しないくらいに見限っていた。その上彼は理窟が大嫌いであった。右か左へ自分の身体を動かし得ないただの理窟は、いくら旨くできても彼には用のない贋造紙幣と同じ物であった。したがって恐れる男とか恐れない女とかいう辻占に似た文句を、黙って聞いているはずはなかったのだが、しっとりと潤った身の上話の続きとして、感想がそこへ流れ込んで来たものだから、敬太郎もよく解らないながら素直に耳を傾むけなければすまなかったのである。  須永もそこに気がついた。 「話が理窟張ってむずかしくなって来たね。あんまり一人で調子に乗って饒舌っているものだから」 「いや構わん。大変面白い」 「洋杖の効果がありゃしないか」 「どうも不思議にあるようだ。ついでにもう少し先まで話す事にしようじゃないか」 「もう無いよ」  須永はそう云い切って、静かな水の上に眼を移した。敬太郎もしばらく黙っていた。不思議にも今聞かされた須永の詩だか哲学だか分らないものが、形の判然しない雲の峰のように、頭の中に聳えて容易に消えそうにしなかった。何事も語らないで彼の前に坐っている須永自身も、平生の紋切形を離れた怪しい一種の人物として彼の眼に映じた。どうしてもまだ話の続きがあるに違ないと思った敬太郎は、今の一番しまいの物語はいつごろの事かと須永に尋ねた。それは自分の三年生ぐらいの時の出来事だと須永は答えた。敬太郎は同じ関係が過去一年余りの間にどういう径路を取ってどう進んで、今はどんな解釈がついているかと聞き返した。須永は苦笑して、まず外へ出てからにしようと云った。二人は勘定を済まして外へ出た。須永は先へ立つ敬太郎の得意に振り動かす洋杖の影を見てまた苦笑した。  柴又の帝釈天の境内に来た時、彼らは平凡な堂宇を、義理に拝ませられたような顔をしてすぐ門を出た。そうして二人共汽車を利用してすぐ東京へ帰ろうという気を起した。停車場へ来ると、間怠るこい田舎汽車の発車時間にはまだだいぶ間があった。二人はすぐそこにある茶店に入って休息した。次の物語はその時敬太郎が前約を楯に須永から聞かして貰ったものである。――  僕が大学の三年から四年に移る夏休みの出来事であった。宅の二階に籠ってこの暑中をどう暮らしたら宜かろうと思案していると、母が下から上って来て、閑になったら鎌倉へちょっと行って来たらどうだと云った。鎌倉にはその一週間ほど前から田口のものが避暑に行っていた。元来叔父は余り海辺を好まない性質なので、一家のものは毎年軽井沢の別荘へ行くのを例にしていたのだが、その年は是非海水浴がしたいと云う娘達の希望を容れて、材木座にある、ある人の邸宅を借り入れたのである。移る前に千代子が暇乞かたがた報知に来て、まだ行っては見ないけれども、山陰の涼しい崖の上に、二段か三段に建てた割合手広な住居だそうだから是非遊びに来いと母に勧めていたのを、僕は傍で聞いていた。それで僕は母にあなたこそ行って遊んで来たら気保養になってよかろうと忠告した。母は懐から千代子の手紙を出して見せた。それには千代子と百代子の連名で、母と僕にいっしょに来るようにと、彼らの女親の命令を伝えるごとく書いてあった。母が行くとすれば年寄一人を汽車に乗せるのは心配だから、是非共僕がついて行かなければならなかった。変窟な僕からいうと、そう混雑した所へ二人で押しかけるのは、世話にならないにしても気の毒で厭だった。けれども母は行きたいような顔をした。そうしてそれが僕のために行きたいような顔に見えるので僕はますます厭になった。が、とどのつまりとうとう行く事にした。こう云っても人には通じないかも知れないが、僕は意地の強い男で、また意地の弱い男なのである。 十四  母は内気な性分なので平生から余り旅行を好まなかった。昔風に重きをおかなければ承知しない厳格な父の生きている頃は外へもそうたびたびは出られない様子であった。現に僕は父と母が娯楽の目的をもっていっしょに家を留守にした例を覚えていない。父が死んで自由が利くようになってからも、そう勝手な時に好きな所へ行く機会は不幸にして僕の母には与えられなかった。一人で遠くへ行ったり、長く宅を空けたりする便宜を有たない彼女は、母子二人の家庭にこうして幾年を老いたのである。  鎌倉へ行こうと思い立った日、僕は彼女のために一個の鞄を携えて直行の汽車に乗った。母は車の動き出す時、隣に腰をかけた僕に、汽車も久しぶりだねと笑いながら云った。そう云われた僕にも実は余り頻繁な経験ではなかった。新らしい気分に誘われた二人の会話は平生よりは生々していた。何を話したか自分にもいっこう覚えのない事を、聞いたり聞かれたりして断続に任せているうちに車は目的地に着いた。あらかじめ通知をしてないので停車場には誰も迎に来ていなかったが、車を雇うとき某さんの別荘と注意したら、車夫はすぐ心得て引き出した。僕はしばらく見ないうちに、急に新らしい家の多くなった砂道を通りながら、松の間から遠くに見える畠中の黄色い花を美くしく眺めた。それはちょっと見るとまるで菜種の花と同じ趣を具えた目新らしいものであった。僕は車の上で、このちらちらする色は何だろうと考え抜いた揚句、突然|唐茄子だと気がついたので独りおかしがった。  車が別荘の門に着いた時、戸障子を取り外した座敷の中に動く人の影が往来からよく見えた。僕はそのうちに白い浴衣を着た男のいるのを見て、多分叔父が昨日あたり東京から来て泊ってるのだろうと思った。ところが奥にいるものがことごとく僕らを迎えるために玄関へ出て来たのに、その男だけは少しも顔を見せなかった。もちろん叔父ならそのくらいの事はあるべきはずだと思って、座敷へ通って見ると、そこにも彼の姿は見えなかった。僕はきょろきょろしているうちに、叔母と母が汽車の中はさぞ暑かったろうとか、見晴しの好い所が手に入って結構だとか、年寄の女だけに口数の多い挨拶のやりとりを始めた。千代子と百代子は母のために浴衣を勧めたり、脱ぎ捨てた着物を晒干してくれたりした。僕は下女に風呂場へ案内して貰って、水で顔と頭を洗った。海岸からはだいぶ道程のある山手だけれども水は存外悪かった。手拭を絞って金盥の底を見ていると、たちまち砂のような滓が澱んだ。 「これを御使いなさい」という千代子の声が突然|後でした。振り返ると、乾いた白いタオルが肩の所に出ていた。僕はタオルを受取って立ち上った。千代子はまた傍にある鏡台の抽出から櫛を出してくれた。僕が鏡の前に坐って髪を解かしている間、彼女は風呂場の入口の柱に身体を持たして、僕の濡れた頭を眺めていたが、僕が何も云わないので、向うから「悪い水でしょう」と聞いた。僕は鏡の中を見たなり、どうしてこんな色が着いているのだろうと云った。水の問答が済んだとき、僕は櫛を鏡台の上に置いて、タオルを肩にかけたまま立ち上った。千代子は僕より先に柱を離れて座敷の方へ行こうとした。僕は藪から棒に後から彼女の名を呼んで、叔父はどこにいるかと尋ねた。彼女は立ち止まって振り返った。 「御父さんは四五日前ちょっといらしったけど、一昨日また用が出来たって東京へ御帰りになったぎりよ」 「ここにゃいないのかい」 「ええ。なぜ。ことによると今日の夕方|吾一さんを連れて、またいらっしゃるかも知れないけども」  千代子は明日もし天気が好ければ皆と魚を漁りに行くはずになっているのだから、田口が都合して今日の夕方までに来てくれなければ困るのだと話した。そうして僕にも是非いっしょに行けと勧めた。僕は魚の事よりも先刻見た浴衣がけの男の居所が知りたかった。 十五 「先刻誰だか男の人が一人座敷にいたじゃないか」 「あれ高木さんよ。ほら秋子さんの兄さんよ。知ってるでしょう」  僕は知っているともいないとも答えなかった。しかし腹の中では、この高木と呼ばれる人の何者かをすぐ了解した。百代子の学校|朋輩に高木秋子という女のある事は前から承知していた。その人の顔も、百代子といっしょに撮った写真で知っていた。手蹟も絵端書で見た。一人の兄が亜米利加へ行っているのだとか、今帰って来たばかりだとかいう話もその頃耳にした。困らない家庭なのだろうから、その人が鎌倉へ遊びに来ているぐらいは怪しむに足らなかった。よしここに別荘を持っていたところで不思議はなかった。が、僕はその高木という男の住んでいる家を千代子から聞きたくなった。 「ついこの下よ」と彼女は云ったぎりであった。 「別荘かい」と僕は重ねて聞いた。 「ええ」  二人はそれ以外を語らずに座敷へ帰った。座敷では母と叔母がまだ海の色がどうだとか、大仏がどっちの見当にあたるとかいうさほどでもない事を、問題らしく聞いたり教えたりしていた。百代子は千代子に彼らの父がその日の夕方までに来ると云って、わざわざ知らせて来た事を告げた。二人は明日魚を漁りに行く時の楽みを、今|眼の当りに描き出して、すでに手の内に握った人のごとく語り合った。 「高木さんもいらっしゃるんでしょう」 「市さんもいらっしゃい」  僕は行かないと答えた。その理由として、少し宅に用があって、今夜東京へ帰えらなければならないからという説明を加えた。しかし腹の中ではただでさえこう混雑しているところへ、もし田口が吾一でも連れて来たら、それこそ自分の寝る場所さえ無くなるだろうと心配したのである。その上僕は姉妹の知っている高木という男に会うのが厭だった。彼は先刻まで二人と僕の評判をしていたが、僕の来たのを見て、遠慮して裏から帰ったのだと百代子から聞いた時、僕はまず窮屈な思いを逃れて好かったと喜こんだ。僕はそれほど知らない人を怖がる性分なのである。  僕の帰ると云うのを聞いた二人は、驚ろいたような顔をしてとめにかかった。ことに千代子は躍起になった。彼女は僕を捉まえて変人だと云った。母を一人残してすぐ帰る法はないと云った。帰ると云っても帰さないと云った。彼女は自分の妹や弟に対してよりも、僕に対しては遥かに自由な言葉を使い得る特権を有っていた。僕は平生から彼女が僕に対して振舞うごとく大胆に率直に威圧的に、他人に向って振舞う事ができたなら、僕のような他に欠点の多いものでも、さぞ愉快に世の中を渡って行かれるだろうと想像して、大いにこの小さな暴君を羨ましがっていた。 「えらい権幕だね」 「あなたは親不孝よ」 「じゃ叔母さんに聞いて来るから、もし叔母さんが泊って行く方がいいって、おっしゃったら、泊っていらっしゃい。ね」  百代子は仲裁を試みるような口調でこう云いながら、すぐ年寄の話している座敷の方へ立って行った。僕の母の意向は無論聞くまでもなかった。したがって百代子の年寄二人から齎らした返事もここに述べるのは蛇足に過ぎない。要するに僕は千代子の捕虜になったのである。  僕はやがてちょっと町へ出て来るという口実の下に、午後の暑い日を洋傘で遮ぎりながら別荘の附近を順序なく徘徊した。久しく見ない土地の昔を偲ぶためと云えば云えない事もないが、僕にそんな寂びた心持を嬉しがる風流があったにしたところで、今はそれに耽る落ちつきも余裕も与えられなかった。僕はただうろうろとそこらの標札を読んで歩いた。そうして比較的立派な平屋建の門の柱に、高木の二字を認めた時、これだろうと思って、しばらく門前に佇んだ。それから後は全く何の目的もなしになお緩漫な歩行を約十五分ばかり続けた。しかしこれは僕が自分の心に、高木の家を見るためにわざわざ表へ出たのではないと申し渡したと同じようなものであった。僕はさっさと引き返した。 十六  実を云うと、僕はこの高木という男について、ほとんど何も知らなかった。ただ一遍百代子から彼が適当な配偶を求めつつある由を聞いただけである。その時百代子が、御姉さんにはどうかしらと、ちょうど相談でもするように僕の顔色を見たのを覚えている。僕はいつもの通り冷淡な調子で、好いかも知れない、御父さんか御母さんに話して御覧と云ったと記憶する。それから以後僕の田口の家に足を入れた度数は何遍あるか分らないが、高木の名前は少くとも僕のいる席ではついぞ誰の口にも上らなかったのである。それほど親しみの薄い、顔さえ見た事のない男の住居に何の興味があって、僕はわざわざ砂の焼ける暑さを冒して外出したのだろう。僕は今日までその理由を誰にも話さずにいた。自分自身にもその時にはよく説明ができなかった。ただ遠くの方にある一種の不安が、僕の身体を動かしに来たという漠たる感じが胸に射したばかりであった。それが鎌倉で暮らした二日の間に、紛れもないある形を取って発展した結果を見て、僕を散歩に誘い出したのもやはり同じ力に違いないと今から思うのである。  僕が別荘へ帰って一時間|経つか経たないうちに、僕の注意した門札と同じ名前の男がたちまち僕の前に現われた。田口の叔母は、高木さんですと云って叮嚀にその男を僕に紹介した。彼は見るからに肉の緊った血色の好い青年であった。年から云うと、あるいは僕より上かも知れないと思ったが、そのきびきびした顔つきを形容するには、是非共青年という文字が必要になったくらい彼は生気に充ちていた。僕はこの男を始めて見た時、これは自然が反対を比較するために、わざと二人を同じ座敷に並べて見せるのではなかろうかと疑ぐった。無論その不利益な方面を代表するのが僕なのだから、こう改たまって引き合わされるのが、僕にはただ悪い洒落としか受取られなかった。  二人の容貌がすでに意地の好くない対照を与えた。しかし様子とか応対ぶりとかになると僕はさらにはなはだしい相違を自覚しない訳に行かなかった。僕の前にいるものは、母とか叔母とか従妹とか、皆親しみの深い血属ばかりであるのに、それらに取り捲かれている僕が、この高木に比べると、かえってどこからか客にでも来たように見えたくらい、彼は自由に遠慮なく、しかもある程度の品格を落す危険なしに己を取扱かう術を心得ていたのである。知らない人を怖れる僕に云わせると、この男は生れるや否や交際場裏に棄てられて、そのまま今日まで同じ所で人と成ったのだと評したかった。彼は十分と経たないうちに、すべての会話を僕の手から奪った。そうしてそれをことごとく一身に集めてしまった。その代り僕を除け物にしないための注意を払って、時々僕に一句か二句の言葉を与えた。それがまた生憎僕には興味の乗らない話題ばかりなので、僕はみんなを相手にする事もできず、高木一人を相手にする訳にも行かなかった。彼は田口の叔母を親しげに御母さん御母さんと呼んだ。千代子に対しては、僕と同じように、千代ちゃんという幼馴染に用いる名を、自然に命ぜられたかのごとく使った。そうして僕に、先ほど御着になった時は、ちょうど千代ちゃんとあなたの御噂をしていたところでしたと云った。  僕は初めて彼の容貌を見た時からすでに羨ましかった。話をするところを聞いて、すぐ及ばないと思った。それだけでもこの場合に僕を不愉快にするには充分だったかも知れない。けれどもだんだん彼を観察しているうちに、彼は自分の得意な点を、劣者の僕に見せつけるような態度で、誇り顔に発揮するのではなかろうかという疑が起った。その時僕は急に彼を憎み出した。そうして僕の口を利くべき機会が廻って来てもわざと沈黙を守った。  落ちついた今の気分でその時の事を回顧して見ると、こう解釈したのはあるいは僕の僻みだったかも分らない。僕はよく人を疑ぐる代りに、疑ぐる自分も同時に疑がわずにはいられない性質だから、結局|他に話をする時にもどっちと判然したところが云い悪くなるが、もしそれが本当に僕の僻み根性だとすれば、その裏面にはまだ凝結した形にならない嫉※が潜んでいたのである。 十七  僕は男として嫉※の強い方か弱い方か自分にもよく解らない。競争者のない一人息子としてむしろ大事に育てられた僕は、少なくとも家庭のうちで嫉※を起す機会を有たなかった。小学や中学は自分より成績の好い生徒が幸いにしてそう無かったためか、至極太平に通り抜けたように思う。高等学校から大学へかけては、席次にさほど重きをおかないのが、一般の習慣であった上、年ごとに自分を高く見積る見識というものが加わって来るので、点数の多少は大した苦にならなかった。これらをほかにして、僕はまだ痛切な恋に落ちた経験がない。一人の女を二人で争った覚はなおさらない。自白すると僕は若い女ことに美くしい若い女に対しては、普通以上に精密な注意を払い得る男なのである。往来を歩いて綺麗な顔と綺麗な着物を見ると、雲間から明らかな日が射した時のように晴やかな心持になる。会にはその所有者になって見たいと云う考も起る。しかしその顔とその着物がどうはかなく変化し得るかをすぐ予想して、酔が去って急にぞっとする人のあさましさを覚える。僕をして執念く美くしい人に附纏わらせないものは、まさにこの酒に棄てられた淋しみの障害に過ぎない。僕はこの気分に乗り移られるたびに、若い時分が突然|老人か坊主に変ったのではあるまいかと思って、非常な不愉快に陥る。が、あるいはそれがために恋の嫉※というものを知らずにすます事が出来たかも知れない。  僕は普通の人間でありたいという希望を有っているから、嫉※心のないのを自慢にしたくも何ともないけれども、今話したような訳で、眼の当りにこの高木という男を見るまでは、そういう名のつく感情に強く心を奪われた試がなかったのである。僕はその時高木から受けた名状しがたい不快を明らかに覚えている。そうして自分の所有でもない、また所有する気もない千代子が源因で、この嫉※心が燃え出したのだと思った時、僕はどうしても僕の嫉※心を抑えつけなければ自分の人格に対して申し訳がないような気がした。僕は存在の権利を失った嫉※心を抱いて、誰にも見えない腹の中で苦悶し始めた。幸い千代子と百代子が日が薄くなったから海へ行くと云い出したので、高木が必ず彼らに跟いて行くに違ないと思った僕は、早く跡に一人残りたいと願った。彼らははたして高木を誘った。ところが意外にも彼は何とか言訳を拵えて容易に立とうとしなかった。僕はそれを僕に対する遠慮だろうと推察して、ますます眉を暗くした。彼らは次に僕を誘った。僕は固より応じなかった。高木の面前から一刻も早く逃れる機会は、与えられないでも手を出して奪いたいくらいに思っていたのだが、今の気分では二人と浜辺まで行く努力がすでに厭であった。母は失望したような顔をして、いっしょに行っておいでなと云った。僕は黙って遠くの海の上を眺めていた。姉妹は笑いながら立ち上った。 「相変らず偏窟ねあなたは。まるで腕白小僧見たいだわ」  千代子にこう罵しられた僕は、実際誰の目にも立派な腕白小僧として見えたろう。僕自身も腕白小僧らしい思いをした。調子の好い高木は縁側へ出て、二人のために菅笠のように大きな麦藁帽を取ってやって、行っていらっしゃいと挨拶をした。  二人の後姿が別荘の門を出た後で、高木はなおしばらく年寄を相手に話していた。こうやって避暑に来ていると気楽で好いが、どうして日を送るかが大問題になってかえって苦痛になるなどと、実際活気に充ちた身体を暑さと退屈さに持ち扱かっている風に見えた。やがて、これから晩まで何をして暮らそうかしらと独言のように云って、不意に思い出したごとく、玉はどうですと僕に聞いた。幸いにして僕は生れてからまだ玉突という遊戯を試みた事がなかったのですぐ断った。高木はちょうど好い相手ができたと思ったのに残念だと云いながら帰って行った。僕は活溌に動く彼の後影を見送って、彼はこれから姉妹のいる浜辺の方へ行くに違いないという気がした。けれども僕は坐っている席を動かなかった。 十八  高木の去った後、母と叔母はしばらく彼の噂をした。初対面の人だけに母の印象はことに深かったように見えた。気のおけない、至って行き届いた人らしいと云って賞めていた。叔母はまた母の批評を一々実例に照らして確かめる風に見えた。この時僕は高木について知り得た極めて乏しい知識のほとんど全部を訂正しなければならない事を発見した。僕が百代子から聞いたのでは、亜米利加帰りという話であった彼は、叔母の語るところによると、そうではなくって全く英吉利で教育された男であった。叔母は英国流の紳士という言葉を誰かから聞いたと見えて、二三度それを使って、何の心得もない母を驚ろかしたのみか、だからどことなく品の善いところがあるんですよと母に説明して聞かせたりした。母はただへえと感心するのみであった。  二人がこんな話をしている内、僕はほとんど一口も口を利かなかった。ただ上部から見て平生の調子と何の変るところもない母が、この際高木と僕を比較して、腹の中でどう思っているだろうと考えると、僕は母に対して気の毒でもありまた恨めしくもあった。同じ母が、千代子対僕と云う古い関係を一方に置いて、さらに千代子対高木という新らしい関係を一方に想像するなら、はたしてどんな心持になるだろうと思うと、たとい少しの不安でも、避け得られるところをわざと与えるために彼女を連れ出したも同じ事になるので、僕はただでさえ不愉快な上に、年寄にすまないという苦痛をもう一つ重ねた。  前後の模様から推すだけで、実際には事実となって現われて来なかったから何とも云い兼ねるが、叔母はこの場合を利用して、もし縁があったら千代子を高木にやるつもりでいるぐらいの打明話を、僕ら母子に向って、相談とも宣告とも片づかない形式の下に、する気だったかも知れない。すべてに気がつく癖に、こうなるとかえって僕よりも迂遠い母はどうだか、僕はその場で叔母の口から、僕と千代子と永久に手を別つべき談判の第一節を予期していたのである。幸か不幸か、叔母がまだ何も云い出さないうちに、姉妹は浜から広い麦藁帽の縁をひらひらさして帰って来た。僕が僕の占いの的中しなかったのを、母のために喜こんだのは事実である。同時に同じ出来事が僕を焦躁しがらせたのも嘘ではない。  夕方になって、僕は姉妹と共に東京から来るはずの叔父を停車場に迎えるべく母に命ぜられて家を出た。彼らは揃の浴衣を着て白い足袋を穿いていた。それを後から見送った彼らの母の眼に彼らがいかなる誇として映じたろう。千代子と並んで歩く僕の姿がまた僕の母には画として普通以上にどんなに価が高かったろう。僕は母を欺むく材料に自然から使われる自分を心苦しく思って、門を出る時振り返って見たら、母も叔母もまだこっちを見ていた。  途中まで来た頃、千代子は思い出したように突然とまって、「あっ高木さんを誘うのを忘れた」と云った。百代子はすぐ僕の顔を見た。僕は足の運びを止めたが、口は開かなかった。「もう好いじゃないの、ここまで来たんだから」と百代子が云った。「だってあたし先刻誘ってくれって頼まれたのよ」と千代子が云った。百代子はまた僕の顔を見て逡巡った。 「市さんあなた時計持っていらしって。今何時」  僕は時計を出して百代子に見せた。 「まだ間に合わない事はない。誘って来るなら来ると好い。僕は先へ行って待っているから」 「もう遅いわよあなた。高木さん、もしいらっしゃるつもりならきっと一人でもいらしってよ。後から忘れましたって詫まったらそれで好かないの」  姉妹は二三度押問答の末ついに後戻りをしない事にした。高木は百代子の予言通りまだ汽車の着かないうちに急ぎ足で構内へ這入って来て、姉妹に、どうも非道い、あれほど頼んでおくのにと云った。それから御母さんはと聞いた。最後に僕の方を向いて、先ほどはと愛想の好い挨拶をした。 十九  その晩は叔父と従弟を待ち合わした上に、僕ら母子が新たに食卓に加わったので、食事の時間がいつもより、だいぶ後れたばかりでなく、私かに恐れた通りはなはだしい混雑の中に箸と茶椀の動く光景を見せられた。叔父は笑いながら、市さんまるで火事場のようだろう、しかし会にはこんな騒ぎをして飯を食うのも面白いものだよと云って、間接の言訳をした。閑静な膳に慣れた母は、この賑やかさの中に実際叔父の言葉通り愉快らしい顔をしていた。母は内気な癖にこういう陽気な席が好きなのである。彼女はその時偶然口に上った一塩にした小鰺の焼いたのを美味いと云ってしきりに賞めた。 「漁師に頼んどくといくらでも拵えて来てくれますよ。何なら、帰りに持っていらっしゃいな。姉さんが好きだから上げたいと思ってたんですが、ついついでが無かったもんだから、それにすぐ腐くなるんでね」 「わたしもいつか大磯で誂えてわざわざ東京まで持って帰った事があるが、よっぽど気をつけないと途中でね」 「腐るの」千代子が聞いた。 「叔母さん興津鯛御嫌。あたしこれよか興津鯛の方が美味いわ」と百代子が云った。 「興津鯛はまた興津鯛で結構ですよ」と母はおとなしい答をした。  こんなくだくだしい会話を、僕がなぜ覚えているかと云うと、僕はその時母の顔に表われた、さも満足らしい気持をよく注意して見ていたからであるが、もう一つは僕が母と同じように一塩の小鰺を好いていたからでもある。  ついでだからここで云う。僕は自分の嗜好や性質の上において、母に大変よく似たところと、全く違ったところと両方|有っている。これはまだ誰にも話さない秘密だが、実は単に自分の心得として、過去幾年かの間、僕は母と自分とどこがどう違って、どこがどう似ているかの詳しい研究を人知れず重ねたのである。なぜそんな真似をしたかと母に聞かれては云い兼ねる。たとい僕が自分に聞き糺して見ても判切云えなかったのだから、理由は話せない。しかし結果からいうとこうである。――欠点でも母と共に具えているなら僕は大変|嬉しかった。長所でも母になくって僕だけ有っているとはなはだ不愉快になった。そのうちで僕の最も気になるのは、僕の顔が父にだけ似て、母とはまるで縁のない眼鼻立にでき上っている事であった。僕は今でも鏡を見るたびに、器量が落ちても構わないから、もっと母の人相を多量に受け継いでおいたら、母の子らしくってさぞ心持が好いだろうと思う。  食事の後れた如く、寝る時間も順繰に延びてだいぶ遅くなった。その上急に人数が増えたので、床の位置やら部屋割をきめるだけが叔母に取っての一骨折であった。男三人はいっしょに固められて、同じ蚊帳に寝た。叔父は肥った身体を持ち扱かって、団扇をしきりにばたばた云わした。 「市さんどうだい、暑いじゃないか。これじゃ東京の方がよっぽど楽だね」  僕も僕の隣にいる吾一も東京の方が楽だと云った。それでは何を苦しんでわざわざ鎌倉|下りまで出かけて来て、狭い蚊帳へ押し合うように寝るんだか、叔父にも吾一にも僕にも説明のしようがなかった。 「これも一興だ」  疑問は叔父の一句でたちまち納りがついたが、暑さの方はなかなか去らないので誰もすぐは寝つかれなかった。吾一は若いだけに、明日の魚捕の事を叔父に向ってしきりに質問した。叔父はまた真面目だか冗談だか、船に乗りさえすれば、魚の方で風を望んで降るような旨い話をして聞かせた。それがただ自分の伜を相手にするばかりでなく、時々はねえ市さんと、そんな事にまるで冷淡の僕まで聴手にするのだから少し変であった。しかし僕の方はそれに対して相当な挨拶をする必要があるので、話の済む前には、僕は当然同行者の一人として受答をするようになっていた。僕は固より行くつもりでも何でもなかったのだから、この変化は僕に取って少し意外の感があった。気楽そうに見える叔父はそのうち大きな鼾声をかき始めた。吾一もすやすや寝入った。ただ僕だけは開いている眼をわざと閉じて、更けるまでいろいろな事を考えた。 二十  翌日眼が覚めると、隣に寝ていた吾一の姿がいつの間にかもう見えなくなっていた。僕は寝足らない頭を枕の上に着けて、夢とも思索とも名のつかない路を辿りながら、時々別種の人間を偸み見るような好奇心をもって、叔父の寝顔を眺めた。そうして僕も寝ている時は、傍から見ると、やはりこう苦がない顔をしているのだろうかと考えなどした。そこへ吾一が這入って来て、市さんどうだろう天気はと相談した。ちょっと起きて見ろと促がすので、起き上って縁側へ出ると、海の方には一面に柔かい靄の幕がかかって、近い岬の木立さえ常の色には見えなかった。降ってるのかねと僕は聞いた。吾一はすぐ庭先へ飛び下りて、空を眺め出したが、少し降ってると答えた。  彼は今日の船遊びの中止を深く気遣うもののごとく、二人の姉まで縁側へ引張出して、しきりにどうだろうどうだろうをくり返した。しまいに最後の審判者たる彼の父の意見を必要と認めたものか、まだ寝ている叔父をとうとう呼び起した。叔父は天気などはどうでも好いと云ったような眠たい眼をして、空と海を一応見渡した上、なにこの模様なら今にきっと晴れるよと云った。吾一はそれで安心したらしかったが、千代子は当にならない無責任な天気予報だから心配だと云って僕の顔を見た。僕は何とも云えなかった。叔父は、なに大丈夫大丈夫と受合って風呂場の方へ行った。  食事を済ます頃から霧のような雨が降り出した。それでも風がないので、海の上は平生よりもかえって穏やかに見えた。あいにくな天気なので人の好い母はみんなに気の毒がった。叔母は今にきっと本降になるから今日は止したが好かろうと注意した。けれども若いものはことごとく行く方を主張した。叔父はじゃ御婆さんだけ残して、若いものが揃って出かける事にしようと云った。すると叔母が、では御爺さんはどっちになさるのとわざと叔父に聞いて、みんなを笑わした。 「今日はこれでも若いものの部だよ」  叔父はこの言葉を証拠立てるためだか何だか、さっそく立って浴衣の尻を端折って下へ降りた。姉弟三人もそのままの姿で縁から降りた。 「御前達も尻を捲るが好い」 「厭な事」  僕は山賊のような毛脛を露出しにした叔父と、静御前の笠に似た恰好の麦藁帽を被った女二人と、黒い兵児帯をこま結びにした弟を、縁の上から見下して、全く都離れのした不思議な団体のごとく眺めた。 「市さんがまた何か悪口を云おうと思って見ている」と百代子が薄笑いをしながら僕の顔を見た。 「早く降りていらっしゃい」と千代子が叱るように云った。 「市さんに悪い下駄を貸して上げるが好い」と叔父が注意した。  僕は一も二もなく降りたが、約束のある高木が来ないので、それがまた一つの問題になった。おおかたこの天気だから見合わしているのだろうと云うのが、みんなの意見なので、僕らがそろそろ歩いて行く間に、吾一が馳足で迎に行って連れて来る事にした。  叔父は例の調子でしきりに僕に話しかけた。僕も相手になって歩調を合せた。そのうちに、男の足だものだから、いつの間にか姉妹を乗り越した。僕は一度振り返って見たが、二人は後れた事にいっこう頓着しない様子で、毫も追いつこうとする努力を示さなかった。僕にはそれがわざと後から来る高木を待ち合せるためのようにしか取れなかった。それは誘った人に対する礼儀として、彼らの取るべき当然の所作だったのだろう。しかしその時の僕にはそう思えなかった。そう思う余地があっても、そうは感ぜられなかった。早く来いという合図をしようという考で振り向いた僕は、合図を止めてまた叔父と歩き出した。そうしてそのまま小坪へ這入る入口の岬の所まで来た。そこは海へ出張った山の裾を、人の通れるだけの狭い幅に削って、ぐるりと向う側へ廻り込まれるようにした坂道であった。叔父は一番高い坂の角まで来てとまった。 二十一  彼は突然彼の体格に相応した大きな声を出して姉妹を呼んだ。自白するが、僕はそれまでに何度も後を振り返って見ようとしたのである。けれども気が咎めると云うのか、自尊心が許さないと云うのか、振り向こうとするごとに、首が猪のように堅くなって後へ回らなかったのである。  見ると二人の姿はまだ一町ほど下にあった。そうしてそのすぐ後に高木と吾一が続いていた。叔父が遠慮のない大きな声を出して、おおいと呼んだ時、姉妹は同時に僕らを見上げたが、千代子はすぐ後にいる高木の方を向いた。すると高木は被っていた麦藁帽を右の手に取って、僕らを目当にしきりに振って見せた。けれども四人のうちで声を出して叔父に応じたのはただ吾一だけであった。彼はまた学校で号令の稽古でもしたものと見えて、海と崖に反響するような答と共に両手を一度に頭の上に差し上げた。  叔父と僕は崖の鼻に立って彼らの近寄るのを待った。彼らは叔父に呼ばれた後も呼ばれない前と同じ遅い歩調で、何か話しながら上って来た。僕にはそれが尋常でなくって、大いにふざけているように見えた。高木は茶色のだぶだぶした外套のようなものを着て時々|隠袋へ手を入れた。この暑いのにまさか外套は着られまいと思って、最初は不思議に眺めていたが、だんだん近くなるに従がって、それが薄い雨除である事に気がついた。その時叔父が突然、市さんヨットに乗ってそこいらを遊んで歩くのも面白いだろうねと云ったので、僕は急に気がついたように高木から眼を転じて脚の下を見た。すると磯に近い所に、真白に塗った空船が一|艘、静かな波の上に浮いていた。糠雨とまでも行かない細かいものがなお降りやまないので、海は一面に暈されて、平生なら手に取るように見える向う側の絶壁の樹も岩も、ほとんど一色に眺められた。そのうち四人はようやく僕らの傍まで来た。 「どうも御待たせ申しまして、実は髭を剃っていたものだから、途中でやめる訳にも行かず……」と高木は叔父の顔を見るや否や云訳をした。 「えらい物を着込んで暑かありませんか」と叔父が聞いた。 「暑くったって脱ぐ訳に行かないのよ。上はハイカラでも下は蛮殻なんだから」と千代子が笑った。高木は雨外套の下に、直に半袖の薄い襯衣を着て、変な半洋袴から余った脛を丸出しにして、黒足袋に俎下駄を引っかけていた。彼はこの通りと雨外套の下を僕らに示した上、日本へ帰ると服装が自由で貴女の前でも気兼がなくって好いと云っていた。  一同がぞろぞろ揃って道幅の六尺ばかりな汚苦しい漁村に這入ると、一種不快な臭がみんなの鼻を撲った。高木は隠袋から白い手巾を出して短かい髭の上を掩った。叔父は突然そこに立って僕らを見ていた子供に、西の者で南の方から養子に来たものの宅はどこだと奇体な質問を掛けた。子供は知らないと云った。僕は千代子に何でそんな妙な聞き方をするのかと尋ねた。昨夕聞き合せに人をやった家の主人が云うには、名前は忘れたからこれこれの男と云って探して歩けば分ると教えたからだと千代子が話して聞かした時、僕はこの呑気な教え方と、同じく呑気な聞き方を、いかにも余裕なくこせついている自分と比べて見て、妙に羨ましく思った。 「それで分るんでしょうか」と高木が不思議な顔をした。 「分ったらよっぽど奇体だわね」と千代子が笑った。 「何大丈夫分るよ」と叔父が受合った。  吾一は面白半分人の顔さえ見れば、西のもので南の方から養子に来たものの宅はどこだと聞いては、そのたびにみんなを笑わした。一番しまいに、編笠を被って白い手甲と脚袢を着けた月琴弾の若い女の休んでいる汚ない茶店の婆さんに同じ問をかけたら、婆さんは案外にもすぐそこだと容易く教えてくれたので、みんながまた手を拍って笑った。それは往来から山手の方へ三級ばかりに仕切られた石段を登り切った小高い所にある小さい藁葺の家であった。 二十二  この細い石段を思い思いの服装をした六人が前後してぞろぞろ登る姿は、傍で見ていたら定めし変なものだったろうと思う。その上六人のうちで、これから何をするか明瞭した考を有っていたものは誰もないのだからはなはだ気楽である。肝心の叔父さえただ船に乗る事を知っているだけで、後は網だか釣だか、またどこまで漕いで出るのかいっこう弁別えないらしかった。百代子の後から足の力で擦り減らされて凹みの多くなった石段を踏んで行く僕はこんな無意味な行動に、己れを委ねて悔いないところを、避暑の趣とでも云うのかと思いつつ上った。同時にこの無意味な行動のうちに、意味ある劇の大切な一幕が、ある男とある女の間に暗に演ぜられつつあるのでは無かろうかと疑ぐった。そうしてその一幕の中で、自分の務めなければならない役割がもしあるとすれば、穏かな顔をした運命に、軽く翻弄される役割よりほかにあるまいと考えた。最後に何事も打算しないでただ無雑作にやって除ける叔父が、人に気のつかないうちに、この幕を完成するとしたら、彼こそ比類のない巧妙な手際を有った作者と云わなければなるまいという気を起した。僕の頭にこういう影が射した時、すぐ後から跟いて上って来る高木が、これじゃ暑くってたまらない、御免蒙って雨防衣を脱ごうと云い出した。  家は下から見たよりもなお小さくて汚なかった。戸口に杓子が一つ打ちつけてあって、それに百日風邪吉野平吉一家一同と書いてあるので、主人の名がようやく分った。それを見つけ出して、みんなに聞こえるように読んだのは、目敬い吾一の手柄であった。中を覗くと天井も壁もことごとく黒く光っていた。人間としては婆さんが一人いたぎりである。その婆さんが、今日は天気がよくないので、おおかたおいでじゃあるまいと云って早く海へ出ましたから、今浜へ下りて呼んできましょうと断わりを述べた。舟へ乗って出たのかねと叔父が聞くと、婆さんは多分あの船だろうと答えて、手で海の上を指した。靄はまだ晴れなかったけれども、先刻よりは空がだいぶ明るくなったので、沖の方は比較的|判切見える中に、指された船は遠くの向うに小さく横わっていた。 「あれじゃ大変だ」  高木は携えて来た双眼鏡を覗きながらこう云った。 「随分|呑気ね、迎いに行くって、どうしてあんな所へ迎に行けるんでしょう」と千代子は笑いながら、高木の手から双眼鏡を受取った。  婆さんは何|直ですと答えて、草履を穿いたまま、石段を馳け下りて行った。叔父は田舎者は気楽だなと笑っていた。吾一は婆さんの後を追かけた。百代子はぼんやりして汚ない縁へ腰をおろした。僕は庭を見廻した。庭という名のもったいなく聞こえる縁先は五坪にも足りなかった。隅に無花果が一本あって、腥ぐさい空気の中に、青い葉を少しばかり茂らしていた。枝にはまだ熟しない実が云訳ほど結って、その一本の股の所に、空の虫籠がかかっていた。その下には瘠せた鶏が二三羽むやみに爪を立てた地面の中を餓えた嘴でつついていた。僕はその傍に伏せてある鉄網の鳥籠らしいものを眺めて、その恰好がちょうど仏手柑のごとく不規則に歪んでいるのに一種|滑稽な思いをした。すると叔父が突然、何分|臭いねと云い出した。百代子は、あたしもう御魚なんかどうでも好いから、早く帰りたくなったわと心細そうな声を出した。この時まで双眼鏡で海の方を見ながら、断えず千代子と話していた高木はすぐ後を振り返った。 「何をしているだろう。ちょっと行って様子を見て来ましょう」  彼はそう云いながら、手に持った雨外套と双眼鏡を置くために後の縁を顧みた。傍に立った千代子は高木の動かない前に手を出した。 「こっちへ御出しなさい。持ってるから」  そうして高木から二つの品を受け取った時、彼女は改めてまた彼の半袖姿を見て笑いながら、「とうとう蛮殻になったのね」と評した。高木はただ苦笑しただけで、すぐ浜の方へ下りて行った。僕はさも運動家らしく発達した彼の肩の肉が、急いで石段を下りるために手を振るごとに動く様を後から無言のまま注意して眺めた。 二十三  船に乗るためにみんなが揃って浜に下り立ったのはそれから約一時間の後であった。浜には何の祭の前か過か、深く砂の中に埋められた高い幟の棒が二本僕の眼を惹いた。吾一はどこからか磯へ打ち上げた枯枝を拾って来て、広い砂の上に大きな字と大きな顔をいくつも並べた。 「さあ御乗り」と坊主頭の船頭が云ったので、六人は順序なくごたごたに船縁から這い上った。偶然の結果千代子と僕は後のものに押されて、仕切りの付いた舳の方に二人|膝を突き合せて坐った。叔父は一番先に、胴の間というのか、真中の広い所に、家長らしく胡坐をかいてしまった。そうして高木をその日の客として取り扱うつもりか、さあどうぞと案内したので、彼は否応なしに叔父の傍に座を占めた。百代子と吾一は彼らの次の間と云ったような仕切の中に船頭といっしょに這入った。 「どうですこっちが空いてますからいらっしゃいませんか」と高木はすぐ後の百代子を顧みた。百代子はありがとうといったきり席を移さなかった。僕は始めから千代子と一つ薄縁の上に坐るのを快く思わなかった。僕の高木に対して嫉妬を起した事はすでに明かに自白しておいた。その嫉妬は程度において昨日も今日も同じだったかも知れないが、それと共に競争心はいまだかつて微塵も僕の胸に萌さなかったのである。僕も男だからこれから先いつどんな女を的に劇烈な恋に陥らないとも限らない。しかし僕は断言する。もしその恋と同じ度合の劇烈な競争をあえてしなければ思う人が手に入らないなら、僕はどんな苦痛と犠牲を忍んでも、超然と手を懐ろにして恋人を見棄ててしまうつもりでいる。男らしくないとも勇気に乏しいとも、意志が薄弱だとも、他から評したらどうにでも評されるだろう。けれどもそれほど切ない競争をしなければわがものにできにくいほど、どっちへ動いても好い女なら、それほど切ない競争に価しない女だとしか僕には認められないのである。僕には自分に靡かない女を無理に抱く喜こびよりは、相手の恋を自由の野に放ってやった時の男らしい気分で、わが失恋の瘡痕を淋しく見つめている方が、どのくらい良心に対して満足が多いか分らないのである。  僕は千代子にこう云った。―― 「千代ちゃん行っちゃどうだ。あっちの方が広くって楽なようだから」 「なぜ、ここにいちゃ邪魔なの」  千代子はそう云ったまま動こうとしなかった。僕には高木がいるからあっちへ行けというのだというような説明は、露骨と聞こえるにしろ、厭味と受取られるにしろ、全く口にする勇気は出なかった。ただ彼女からこう云われた僕の胸に、一種の嬉しさが閃めいたのは、口と腹とどう裏表になっているかを曝露する好い証拠で、自分で自分の薄弱な性情を自覚しない僕には痛い打撃であった。  昨日会った時よりは気のせいか少し控目になったように見える高木は、千代子と僕の間に起ったこの問答を聞きながら知らぬふりをしていた。船が磯を離れたとき、彼は「好い案排に空模様が直って来ました。これじゃ日がかんかん照るよりかえって結構です。船遊びには持って来いという御天気で」というような事を叔父と話し合ったりした。叔父は突然大きな声を出して、「船頭、いったい何を捕るんだ」と聞いた。叔父もその他のものも、この時まで何を捕るんだかいっこう知らずにいたのである。坊主頭の船頭は、粗末な言葉で、蛸を捕るんだと答えた。この奇抜な返事には千代子も百代子も驚ろくよりもおかしかったと見えて、たちまち声を出して笑った。 「蛸はどこにいるんだ」と叔父がまた聞いた。 「ここいらにいるんだ」と船頭はまた答えた。  そうして湯屋の留桶を少し深くしたような小判形の桶の底に、硝子を張ったものを水に伏せて、その中に顔を突込むように押し込みながら、海の底を覗き出した。船頭はこの妙な道具を鏡と称えて、二つ三つ余分に持ち合わせたのを、すぐ僕らに貸してくれた。第一にそれを利用したのは船頭の傍に座を取った吾一と百代子であった。 二十四  鏡がそれからそれへと順々に回った時、叔父はこりゃ鮮やかだね、何でも見えると非道く感心していた。叔父は人間社会の事に大抵通じているせいか、万に高を括る癖に、こういう自然界の現象に襲われるとじき驚ろく性質なのである。自分は千代子から渡された鏡を受け取って、最後に一枚の硝子越に海の底を眺めたが、かねて想像したと少しも異なるところのない極めて平凡な海の底が眼に入っただけである。そこには小さい岩が多少の凸凹を描いて一面に連なる間に、蒼黒い藻草が限りなく蔓延っていた。その藻草があたかも生温るい風に嬲られるように、波のうねりで静かにまた永久に細長い茎を前後に揺かした。 「市さん蛸が見えて」 「見えない」  僕は顔を上げた。千代子はまた首を突込んだ。彼女の被っていたへなへなの麦藁帽子の縁が水に浸って、船頭に操つられる船の勢に逆らうたびに、可憐な波をちょろちょろ起した。僕はその後に見える彼女の黒い髪と白い頸筋を、その顔よりも美くしく眺めていた。 「千代ちゃんには、目付かったかい」 「駄目よ。蛸なんかどこにも泳いでいやしないわ」 「よっぽど慣れないとなかなか目付ける訳に行かないんだそうです」  これは高木が千代子のために説明してくれた言葉であった。彼女は両手で桶を抑えたまま、船縁から乗り出した身体を高木の方へ捻じ曲げて、「道理で見えないのね」といったが、そのまま水に戯れるように、両手で抑えた桶をぶくぶく動かしていた。百代子が向うの方から御姉さんと呼んだ。吾一は居所も分らない蛸をむやみに突き廻した。突くには二間ばかりの細長い女竹の先に一種の穂先を着けた変なものを用いるのである。船頭は桶を歯で銜えて、片手に棹を使いながら、船の動いて行くうちに、蛸の居所を探しあてるや否や、その長い竹で巧みにぐにゃぐにゃした怪物を突き刺した。  蛸は船頭一人の手で、何疋も船の中に上がったが、いずれも同じくらいな大きさで、これはと驚ろくほどのものはなかった。始めのうちこそ皆珍らしがって、捕れるたびに騒いで見たが、しまいにはさすが元気な叔父も少し飽きて来たと見えて、「こう蛸ばかり捕っても仕方がないね」と云い出した。高木は煙草を吹かしながら、舟底にかたまった獲物を眺め始めた。 「千代ちゃん、蛸の泳いでるところを見た事がありますか。ちょっと来て御覧なさい、よっぽど妙ですよ」  高木はこう云って千代子を招いたが、傍に坐っている僕の顔を見た時、「須永さんどうです、蛸が泳いでいますよ」とつけ加えた。僕は「そうですか。面白いでしょう」と答えたなり直席を立とうともしなかった。千代子はどれと云いながら高木の傍へ行って新らしい座を占めた。僕は故の所から彼女にまだ泳いでるかと尋ねた。 「ええ面白いわ、早く来て御覧なさい」  蛸は八本の足を真直に揃えて、細長い身体を一気にすっすっと区切りつつ、水の中を一直線に船板に突き当るまで進んで行くのであった。中には烏賊のように黒い墨を吐くのも交っていた。僕は中腰になってちょっとその光景を覗いたなり故の席に戻ったが、千代子はそれぎり高木の傍を離れなかった。  叔父は船頭に向って蛸はもうたくさんだと云った。船頭は帰るのかと聞いた。向うの方に大きな竹籃のようなものが二つ三つ浮いていたので、蛸ばかりで淋しいと思った叔父は、船をその一つの側へ漕ぎ寄せさした。申し合せたように、舟中立ち上って籃の内を覗くと、七八寸もあろうと云う魚が、縦横に狭い水の中を馳け廻っていた。その或ものは水の色を離れない蒼い光を鱗に帯びて、自分の勢で前後左右に作る波を肉の裏に透すように輝やいた。 「一つ掬って御覧なさい」  高木は大きな掬網の柄を千代子に握らした。千代子は面白半分それを受取って水の中で動かそうとしたが、動きそうにもしないので、高木は己れの手を添えて二人いっしょに籃の中を覚束なく攪き廻した。しかし魚は掬えるどころではなかったので、千代子はすぐそれを船頭に返した。船頭は同じ掬網で叔父の命ずるままに何疋でも水から上へ択り出した。僕らは危怪な蛸の単調を破るべく、鶏魚、鱸、黒鯛の変化を喜こんでまた岸に上った。 二十五  僕はその晩一人東京へ帰った。母はみんなに引きとめられて、帰るときには吾一か誰か送って行くという条件の下に、なお二三日鎌倉に留まる事を肯んじた。僕はなぜ母が彼らの勧めるままに、人を好く落ちついているのだろうと、鋭どく磨がれた自分の神経から推して、悠長過ぎる彼女をはがゆく思った。  高木にはそれから以後ついぞ顔を合せた事がなかった。千代子と僕に高木を加えて三つ巴を描いた一種の関係が、それぎり発展しないで、そのうちの劣敗者に当る僕が、あたかも運命の先途を予知したごとき態度で、中途から渦巻の外に逃れたのは、この話を聞くものにとって、定めし不本意であろう。僕自身も幾分か火の手のまだ収まらないうちに、取り急いで纏を撤したような心持がする。と云うと、僕に始からある目論見があって、わざわざ鎌倉へ出かけたとも取れるが、嫉妬心だけあって競争心を有たない僕にも相応の己惚は陰気な暗い胸のどこかで時々ちらちら陽炎ったのである。僕は自分の矛盾をよく研究した。そうして千代子に対する己惚をあくまで積極的に利用し切らせないために、他の思想やら感情やらが、入れ代り立ち替り雑然として吾心を奪いにくる煩らわしさに悩んだのである。  彼女は時によると、天下に只一人の僕を愛しているように見えた。僕はそれでも進む訳に行かないのである。しかし未来に眼を塞いで、思い切った態度に出ようかと思案しているうちに、彼女はたちまち僕の手から逃れて、全くの他人と違わない顔になってしまうのが常であった。僕が鎌倉で暮した二日の間に、こういう潮の満干はすでに二三度あった。或時は自分の意志でこの変化を支配しつつ、わざと近寄ったり、わざと遠退いたりするのでなかろうかという微かな疑惑をさえ、僕の胸に煙らせた。そればかりではない。僕は彼女の言行を、一の意味に解釈し終ったすぐ後から、まるで反対の意味に同じものをまた解釈して、その実どっちが正しいのか分らないいたずらな忌々しさを感じた例も少なくはなかった。  僕はこの二日間に娶るつもりのない女に釣られそうになった。そうして高木という男がいやしくも眼の前に出没する限りは、厭でもしまいまで釣られて行きそうな心持がした。僕は高木に対して競争心を有たないと先に断ったが、誤解を防ぐために、もう一度同じ言葉をくり返したい。もし千代子と高木と僕と三人が巴になって恋か愛か人情かの旋風の中に狂うならば、その時僕を動かす力は高木に勝とうという競争心でない事を僕は断言する。それは高い塔の上から下を見た時、恐ろしくなると共に、飛び下りなければいられない神経作用と同じ物だと断言する。結果が高木に対して勝つか負けるかに帰着する上部から云えば、競争と見えるかも知れないが、動力は全く独立した一種の働きである。しかもその動力は高木がいさえしなければけっして僕を襲って来ないのである。僕はその二日間に、この怪しい力の閃を物凄く感じた。そうして強い決心と共にすぐ鎌倉を去った。  僕は強い刺戟に充ちた小説を読むに堪えないほど弱い男である。強い刺戟に充ちた小説を実行する事はなおさらできない男である。僕は自分の気分が小説になりかけた刹那に驚ろいて、東京へ引き返したのである。だから汽車の中の僕は、半分は優者で半分は劣者であった。比較的乗客の少ない中等列車のうちで、僕は自分と書き出して自分と裂き棄てたようなこの小説の続きをいろいろに想像した。そこには海があり、月があり、磯があった。若い男の影と若い女の影があった。始めは男が激して女が泣いた。後では女が激して男が宥めた。ついには二人手を引き合って音のしない砂の上を歩いた。あるいは額があり、畳があり、涼しい風が吹いた。二人の若い男がそこで意味のない口論をした。それがだんだん熱い血を頬に呼び寄せて、ついには二人共自分の人格にかかわるような言葉使いをしなければすまなくなった。果は立ち上って拳を揮い合った。あるいは……。芝居に似た光景は幾幕となく眼の前に描かれた。僕はそのいずれをも甞め試ろみる機会を失ってかえって自分のために喜んだ。人は僕を老人みたようだと云って嘲けるだろう。もし詩に訴えてのみ世の中を渡らないのが老人なら、僕は嘲けられても満足である。けれどももし詩に涸れて乾びたのが老人なら、僕はこの品評に甘んじたくない。僕は始終詩を求めてもがいているのである。 二十六  僕は東京へ帰ってからの気分を想像して、あるいは刺戟を眼の前に控えた鎌倉にいるよりもかえって焦躁つきはしまいかと心配した。そうして相手もなく一人焦躁つく事のはなはだしい苦痛をいたずらに胸の中に描いて見た。偶然にも結果は他の一方に外れた。僕は僕の希望した通り、平生に近い落ちつきと冷静と無頓着とを、比較的容易に、淋しいわが二階の上に齎らし帰る事ができた。僕は新らしい匂のする蚊帳を座敷いっぱいに釣って、軒に鳴る風鈴の音を楽しんで寝た。宵には町へ出て草花の鉢を抱えながら格子を開ける事もあった。母がいないので、すべての世話は作という小間使がした。鎌倉から帰って、始めてわが家の膳に向った時、給仕のために黒い丸盆を膝の上に置いて、僕の前に畏こまった作の姿を見た僕は今更のように彼女と鎌倉にいる姉妹との相違を感じた。作は固より好い器量の女でも何でもなかった。けれども僕の前に出て畏こまる事よりほかに何も知っていない彼女の姿が、僕にはいかに慎ましやかにいかに控目に、いかに女として憐れ深く見えたろう。彼女は恋の何物であるかを考えるさえ、自分の身分ではすでに生意気過ぎると思い定めた様子で、おとなしく坐っていたのである。僕は珍らしく彼女に優しい言葉を掛けた。そうして彼女に年はいくつだと聞いた。彼女は十九だと答えた。僕はまた突然嫁に行きたくはないかと尋ねた。彼女は赧い顔をして下を向いたなり、露骨な問をかけた僕を気の毒がらせた。僕と作とはそれまでほとんど用の口よりほかに利いた事がなかったのである。僕は鎌倉から新らしい記憶を持って帰った反動として、その時始めて、自分の家に使っている下婢の女らしいところに気がついた。愛とは固より彼女と僕の間に云い得べき言葉でない。僕はただ彼女の身の周囲から出る落ちついた、気安い、おとなしやかな空気を愛したのである。  僕が作のために安慰を得たと云っては、自分ながらおかしく聞こえる。けれども今考えて見てもそれよりほかの源因は全く考えつかないようだから、やっぱり作が――作がというより、その時の作が代表して僕に見せてくれた女性のある方面の性質が、想像の刺戟にすら焦躁立ちたがっていた僕の頭を静めてくれたのだろうと思う。白状すれば鎌倉の景色は折々眼に浮かんだ。その景色のうちには無論人間が活動していた。ただそれが僕の遠くにいる、僕とはとても利害を一にし得ない人間の活動らしく見えたのは幸福であった。  僕は二階に上って書架の整理を始めた。綺麗好な母が始終気をつけて掃除を怠たらなかったにかかわらず、一々書物を並べ直すとなると、思わぬ埃の色を、目の届かない陰に見つけるので、残らず揃えるまでには、なかなか手間取った。僕は暑中に似合わしい閑事業として、なるべく時間のかかるように、気が向けば手にした本をいつまでも読み耽ってみようという気楽な方針で蝸牛のごとく進行した。作は時ならない払塵の音を聞きつけて、梯子段から銀杏返しの頭を出した。僕は彼女に書架の一部を雑巾で拭いて貰った。しかしいつまでかかるか分らない仕事の手伝を、済むまでさせるのも気の毒だと思って、すぐ階下へ下げた。僕は一時間ほど書物を伏せたり立てたりして少し草臥れたから煙草を吹かして休んでいると、作がまた梯子段から顔を出した。そうして、私でよろしければ何ぞ致しましょうかと尋ねた。僕は作に何かさせてやりたかった。不幸にして西洋文字の読めない彼女には手の出せない書物の整理なので、僕は気の毒だけれども、なに好いよと断ってまた下へ追いやった。  作の事をそう一々云う必要もないが、つい前からの関係で、彼女のその時の行動を覚えていたから話したのである。僕は一本の巻煙草を呑み切った後でまた整理にかかった。今度は作のためにわれ一人の世界を妨たげられる虞なしに、書架の二段目を一気に片づけた。その時僕は久しく友達に借りて、つい返すのを忘れていた妙な書物を、偶然|棚の後から発見した。それはむしろ薄い小形の本だったので、ついほかのものの向側へ落ちたなり埃だらけになって、今日まで僕の眼を掠めていたのである。 二十七  僕にこの本を貸してくれたものはある文学|好の友達であった。僕はかつてこの男と小説の話をして、思慮の勝ったものは、万事に考え込むだけで、いっこう華やかな行動を仕切る勇気がないから、小説に書いてもつまらないだろうと云った。僕の平生からあまり小説を愛読しないのは、僕に小説中の人物になる資格が乏しいので、資格が乏しいのは、考え考えしてぐずつくせいだろうとかねがね思っていたから、僕はついこういう質問がかけて見たくなったのである。その時彼は机上にあったこの本を指して、ここに書いてある主人公は、非常に目覚しい思慮と、恐ろしく凄まじい思い切った行動を具えていると告げた。僕はいったいどんな事が書いてあるのかと聞いた。彼はまあ読んで見ろと云って、その本を取って僕に渡した。標題にはゲダンケという独乙字が書いてあった。彼は露西亜物の翻訳だと教えてくれた。僕は薄い書物を手にしながら、重ねてその梗※を彼に尋ねた。彼は梗※などはどうでも好いと答えた。そうして中に書いてある事が嫉妬なのだか、復讐なのだか、深刻な悪戯なのだか、酔興な計略なのだか、真面目な所作なのだか、気狂の推理なのだか、常人の打算なのだか、ほとんど分らないが、何しろ華々しい行動と同じく華々しい思慮が伴なっているから、ともかくも読んで見ろと云った。僕は書物を借りて帰った。しかし読む気はしなかった。僕は読み耽らない癖に、小説家というものをいっさい馬鹿にしていた上に、友達のいうような事にはちっとも心を動かすべき興味を有たなかったからである。  この出来事をすっかり忘れていた僕は、何の気もつかずにそのゲダンケを今|棚の後から引き出して厚い塵を払った。そうして見覚のある例の独乙字の標題に眼をつけると共に、かの文学好の友達と彼のその時の言葉とを思い出した。すると突然どこから起ったか分らない好奇心に駆られて、すぐその一|頁を開いて初めから読み始めた。中には恐るべき話が書いてあった。  ある女に意のあったある男が、その婦人から相手にされないのみか、かえってわが知り合の人の所へ嫁入られたのを根に、新婚の夫を殺そうと企てた。ただしただ殺すのではない。女房が見ている前で殺さなければ面白くない。しかもその見ている女房が彼を下手人と知っていながら、いつまでも指を銜えて、彼を見ているだけで、それよりほかにどうにも手のつけようのないという複雑な殺し方をしなければ気がすまない。彼はその手段として一種の方法を案出した。ある晩餐の席へ招待された好機を利用して、彼は急に劇しい発作に襲われたふりをし始めた。傍から見るとまるで狂人としか思えない挙動をその場であえてした彼は、同席の一人残らずから、全くの狂人と信じられたのを見すまして、心の内で図に当った策略を祝賀した。彼は人目に触れやすい社交場|裡で、同じ所作をなお二三度くり返した後、発作のために精神に狂の出る危険な人という評判を一般に博し得た。彼はこの手数のかかった準備の上に、手のつけようのない殺人罪を築き上げるつもりでいたのである。しばしば起る彼の発作が、華やかな交際の色を暗く損ない出してから、今まで懇意に往来していた誰彼の門戸が、彼に対して急に固く鎖されるようになった。けれどもそれは彼の苦にするところではなかった。彼はなお自由に出入のできる一軒の家を持っていた。それが取りも直さず彼のまさに死の国に蹴落そうとしつつある友とその細君の家だったのである。彼はある日何気ない顔をして友の住居を敲いた。そこで世間話に時を移すと見せて、暗に目の前の人に飛びかかる機を窺った。彼は机の上にあった重い文鎮を取って、突然これで人が殺せるだろうかと尋ねた。友は固より彼の問を真に受けなかった。彼は構わずできるだけの力を文鎮に込めて、細君の見ている前で、最愛の夫を打ち殺した。そうして狂人の名の下に、瘋癲院に送られた。彼は驚ろくべき思慮と分別と推理の力とをもって、以上の顛末を基礎に、自分のけっして狂人でない訳をひたすら弁解している。かと思うと、その弁解をまた疑っている。のみならず、その疑いをまた弁解しようとしている。彼は必竟正気なのだろうか、狂人なのだろうか、――僕は書物を手にしたまま慄然として恐れた。 二十八  僕の頭は僕の胸を抑えるためにできていた。行動の結果から見て、はなはだしい悔を遺さない過去を顧みると、これが人間の常体かとも思う。けれども胸が熱しかけるたびに、厳粛な頭の威力を無理に加えられるのは、普通誰でも経験する通り、はなはだしい苦痛である。僕は意地張という点において、どっちかというとむしろ陰性の癇癪持だから、発作に心を襲われた人が急に理性のために喰い留められて、劇しい自動車の速力を即時に殺すような苦痛は滅多に甞めた事がない。それですらある場合には命の心棒を無理に曲げられるとでも云わなければ形容しようのない活力の燃焼を内に感じた。二つの争いが起るたびに、常に頭の命令に屈従して来た僕は、ある時は僕の頭が強いから屈従させ得るのだと思い、ある時は僕の胸が弱いから屈従するのだとも思ったが、どうしてもこの争いは生活のための争いでありながら、人知れず、わが命を削る争いだという畏怖の念から解脱する事ができなかった。  それだから僕はゲダンケの主人公を見て驚ろいたのである。親友の命を虫の息のように軽く見る彼は、理と情との間に何らの矛盾をも扞格をも認めなかった。彼の有する凡ての知力は、ことごとく復讐の燃料となって、残忍な兇行を手際よく仕遂げる方便に供せられながら、毫も悔ゆる事を知らなかった。彼は周密なる思慮を率いて、満腔の毒血を相手の頭から浴びせかけ得る偉大なる俳優であった。もしくは尋常以上の頭脳と情熱を兼ねた狂人であった。僕は平生の自分と比較して、こう顧慮なく一心にふるまえるゲダンケの主人公が大いに羨ましかった。同時に汗の滴るほど恐ろしかった。できたらさぞ痛快だろうと思った。でかした後は定めし堪えがたい良心の拷問に逢うだろうと思った。  けれどももし僕の高木に対する嫉妬がある不可思議の径路を取って、向後今の数十倍に烈しく身を焼くならどうだろうと僕は考えた。しかし僕はその時の自分を自分で想像する事ができなかった。始めは人間の元来からの作りが違うんだから、とてもこんな真似はしえまいという見地から、すぐこの問題を棄却しようとした。次には、僕でも同じ程度の復讐が充分やって除けられるに違いないという気がし出した。最後には、僕のように平生は頭と胸の争いに悩んでぐずついているものにして始めてこんな猛烈な兇行を、冷静に打算的に、かつ組織的に、逞ましゅうするのだと思い出した。僕は最後になぜこう思ったのか自分にも分らない。ただこう思った時急に変な心持に襲われた。その心持は純然たる恐怖でも不安でも不快でもなく、それらよりは遥かに複雑なものに見えた。が、纏って心に現われた状態から云えば、ちょうどおとなしい人が酒のために大胆になって、これなら何でもやれるという満足を感じつつ、同時に酔に打ち勝たれた自分は、品性の上において平生の自分より遥に堕落したのだと気がついて、そうして堕落は酒の影響だからどこへどう避けても人間としてとても逃れる事はできないのだと沈痛に諦らめをつけたと同じような変な心持であった。僕はこの変な心持と共に、千代子の見ている前で、高木の脳天に重い文鎮を骨の底まで打ち込んだ夢を、大きな眼を開きながら見て、驚ろいて立ち上った。  下へ降りるや否や、いきなり風呂場へ行って、水をざあざあ頭へかけた。茶の間の時計を見ると、もう午過なので、それを好い機会に、そこへ坐わって飯を片づける事にした。給仕には例の通り作が出た。僕は二た口三口無言で飯の塊りを頬張ったが、突然彼女に、おい作僕の顔色はどうかあるかいと聞いた。作は吃驚した眼を大きくして、いいえと答えた。それで問答が切れると、今度は作の方がどうか遊ばしましたかと尋ねた 「いいや、大してどうもしない」 「急に御暑うございますから」  僕は黙って二杯の飯を食い終った。茶を注がして飲みかけた時、僕はまた突然作に、鎌倉などへ行って混雑するより宅にいる方が静で好いねと云った。作は、でもあちらの方が御涼しゅうございましょうと云った。僕はいやかえって東京より暑いくらいだ、あんな所にいると気ばかりいらいらしていけないと説明してやった。作は御隠居さまはまだ当分あちらにおいででございますかと尋ねた。僕はもう帰るだろうと答えた。 二十九  僕は僕の前に坐っている作の姿を見て、一筆がきの朝貌のような気がした。ただ貴とい名家の手にならないのが遺憾であるが、心の中はそう云う種類の画と同じく簡略にでき上っているとしか僕には受取れなかった。作の人柄を画に喩えて何のためになると聞かれるかも知れない。深い意味もなかろうが、実は彼女の給仕を受けて飯を食う間に、今しがたゲダンケを読んだ自分と、今黒塗の盆を持って畏まっている彼女とを比較して、自分の腹はなぜこうしつこい油絵のように複雑なのだろうと呆れたからである。白状すると僕は高等教育を受けた証拠として、今日まで自分の頭が他より複雑に働らくのを自慢にしていた。ところがいつかその働らきに疲れていた。何の因果でこうまで事を細かに刻まなければ生きて行かれないのかと考えて情なかった。僕は茶碗を膳の上に置きながら、作の顔を見て尊とい感じを起した。 「作御前でもいろいろ物を考える事があるかね」 「私なんぞ別に何も考えるほどの事がございませんから」 「考えないかね。それが好いね。考える事がないのが一番だ」 「あっても智慧がございませんから、筋道が立ちません。全く駄目でございます」 「仕合せだ」  僕は思わずこう云って作を驚ろかした。作は突然僕から冷かされたとでも思ったろう。気の毒な事をした。  その夕暮に思いがけない母が出し抜けに鎌倉から帰って来た。僕はその時|日の限りかけた二階の縁に籐椅子を持ち出して、作が跣足で庭先へ水を打つ音を聞いていた。下へ降りて玄関へ出た時、僕は母を送って来るべきはずの吾一の代りに、千代子が彼女の後に跟いて沓脱から上ったのを見て非常に驚ろいた。僕は籐椅子の上で千代子の事を全く考えずにいたのである。考えても彼女と高木とを離す事はできなかったのである。そうして二人は当分鎌倉の舞台を動き得ないものと信じていたのである。僕は日に焼けて心持色の黒くなったと思われる母と顔を見合わして挨拶を取り替す前に、まず千代子に向ってどうして来たのだと聞きたかった。実際僕はその通りの言葉を第一に用いたのである。 「叔母さんを送って来たのよ。なぜ。驚ろいて」 「そりゃありがとう」と僕は答えた。僕の千代子に対する感情は鎌倉へ行く前と、行ってからとでだいぶ違っていた。行ってからと帰って来てからとでもまただいぶ違っていた。高木といっしょに束ねられた彼女に対するのと、こう一人に切り離された彼女に対するのとでもまただいぶ違っていた。彼女は年を取った母を吾一に托するのが不安心だったから、自分で随いて来たのだと云って、作が足を洗っている間に、母の単衣を箪笥から出したり、それを旅行着と着換えさせたりなどして、元の千代子の通り豆やかにふるまった。僕は母にあれから何か面白い事がありましたかと尋ねた。母は満足らしい顔をしながら、別にこれという珍らしい事も無かったと答えたが、「でもね久しぶりに好い気保養をしました。御蔭で」と云った。僕にはそれが傍にいる千代子に対しての礼の言葉と聞こえた。僕は千代子に今日これからまた鎌倉へ帰るのかと尋ねた。 「泊って行くわ」 「どこへ」 「そうね。内幸町へ行っても好いけど、あんまり広過ぎて淋しいから。――久しぶりにここへ泊ろうかしら、ねえ叔母さん」  僕には千代子が始めから僕の家に寝るつもりで出て来たように見えた。自白すれば僕はそこへ坐って十分と経たないうちに、また眼の前にいる彼女の言語動作を一種の立場から観察したり、評価したり、解釈したりしなければならないようになったのである。僕はそこに気がついた時、非常な不愉快を感じた。またそういう努力には自分の神経が疲れ切っている事も感じた。僕は自分が自分に逆らって余儀なくこう心を働かすのか。あるいは千代子が厭がる僕を無理に強いて動くようにするのか。どっちにしても僕は腹立たしかった。 「千代ちゃんが来ないでも吾一さんでたくさんだのに」 「だってあたし責任があるじゃありませんか。叔母さんを招待したのはあたしでしょう」 三十 「じゃ僕も招待を受けたんだから、送って来て貰えば好かった」 「だから他の云う事を聞いて、もっといらっしゃれば好いのに」 「いいえあの時にさ。僕の帰った時にさ」 「そうするとまるで看護婦みたようね。好いわ看護婦でも、ついて来て上げるわ。なぜそう云わなかったの」 「云っても断られそうだったから」 「あたしこそ断られそうだったわ、ねえ叔母さん。たまに招待に応じて来ておきながら、厭にむずかしい顔ばかりしているんですもの。本当にあなたは少し病気よ」 「だから千代子について来て貰いたかったのだろう」と母が笑いながら云った。  僕は母の帰るつい一時間前まで千代子の来る事を予想し得なかった。それは今改めてくり返す必要もないが、それと共に僕は母が高木について齎らす報道をほとんど確実な未来として予期していた。穏やかな母の顔が不安と失望で曇る時の気の毒さも予想していた。僕は今この予期と全く反対の結果を眼の前に見た。彼らは二人とも常に変らない親しげな叔母|姪であった。彼らの各自は各自に特有な温か味と清々しさを、いつもの通り互いの上に、また僕の上に、心持よく加えた。  その晩は散歩に出る時間を倹約して、女二人と共に二階に上って涼みながら話をした。僕は母の命ずるまま軒端に七草を描いた岐阜提灯をかけて、その中に細い蝋燭を点けた。熱いから電灯を消そうと発議した千代子は、遠慮なく畳の上を暗くした。風のない月が高く上った。柱に凭れていた母が鎌倉を思い出すと云った。電車の音のする所で月を看るのは何だかおかしい気がすると、この間から海辺に馴染んだ千代子が評した。僕は先刻の籐椅子の上に腰をおろして団扇を使っていた。作が下から二度ばかり上って来た。一度は煙草盆の火を入れ更えて、僕の足の下に置いて行った。二返目には近所から取り寄せた氷菓子を盆に載せて持って来た。僕はそのたびごと階級制度の厳重な封建の代に生れたように、卑しい召使の位置を生涯の分と心得ているこの作と、どんな人の前へ出ても貴女としてふるまって通るべき気位を具えた千代子とを比較しない訳に行かなかった。千代子は作が出て来ても、作でないほかの女が出て来たと同じように、なんにも気に留めなかった。作の方ではいったん起って梯子段の傍まで行って、もう降りようとする間際にきっと振り返って、千代子の後姿を見た。僕は自分が鎌倉で高木を傍に見て暮した二日間を思い出して、材料がないから何も考えないと明言した作に、千代子というハイカラな有毒の材料が与えられたのを憐れに眺めた。 「高木はどうしたろう」という問が僕の口元までしばしば出た。けれども単なる消息の興味以外に、何かためにする不純なものが自分を前に押し出すので、その都度卑怯だと遠くで罵られるためか、つい聞くのをいさぎよしとしなくなった。それに千代子が帰って母だけになりさえすれば、彼の話は遠慮なくできるのだからとも考えた。しかし実を云うと、僕は千代子の口から直下に高木の事を聞きたかったのである。そうして彼女が彼をどう思っているか、それを判切胸に畳み込んでおきたかったのである。これは嫉妬の作用なのだろうか。もしこの話を聞くものが、嫉妬だというなら、僕には少しも異存がない。今の料簡で考えて見ても、どうもほかの名はつけ悪いようである。それなら僕がそれほど千代子に恋していたのだろうか。問題がそう推移すると、僕も返事に窮するよりほかに仕方がなくなる。僕は実際彼女に対して、そんなに熱烈な愛を脈搏の上に感じていなかったからである。すると僕は人より二倍も三倍も嫉妬深い訳になるが、あるいはそうかも知れない。しかしもっと適当に評したら、おそらく僕本来のわがままが源因なのだろうと思う。ただ僕は一言それにつけ加えておきたい。僕から云わせると、すでに鎌倉を去った後なお高木に対しての嫉妬心がこう燃えるなら、それは僕の性情に欠陥があったばかりでなく、千代子自身に重い責任があったのである。相手が千代子だから、僕の弱点がこれほどに濃く胸を染めたのだと僕は明言して憚らない。では千代子のどの部分が僕の人格を堕落させるだろうか。それはとても分らない。あるいは彼女の親切じゃないかとも考えている。 三十一  千代子の様子はいつもの通り明っ放しなものであった。彼女はどんな問題が出ても苦もなく口を利いた。それは必竟腹の中に何も考えていない証拠だとしか取れなかった。彼女は鎌倉へ行ってから水泳を自習し始めて、今では背の立たない所まで行くのが楽みだと云った。それを用心深い百代子が剣呑がって、詫まるように悲しい声を出して止めるのが面白いと云った。その時母は半ば心配で半ば呆れたような顔をして、「何ですね女の癖にそんな軽機な真似をして。これからは後生だから叔母さんに免じて、あぶない悪ふざけは止しておくれよ」と頼んでいた。千代子はただ笑いながら、大丈夫よと答えただけであったが、ふと縁側の椅子に腰を掛けている僕を顧みて、市さんもそう云う御転婆は嫌でしょうと聞いた。僕はただ、あんまり好きじゃないと云って、月の光の隈なく落ちる表を眺めていた。もし僕が自分の品格に対して尊敬を払う事を忘れたなら、「しかし高木さんには気に入るんだろう」という言葉をその後にきっとつけ加えたに違ない。そこまで引き摺られなかったのは、僕の体面上まだ仕合せであった。  千代子はかくのごとく明けっ放しであった。けれども夜が更けて、母がもう寝ようと云い出すまで、彼女は高木の事をとうとう一口も話頭に上せなかった。そこに僕ははなはだしい故意を認めた。白い紙の上に一点の暗い印気が落ちたような気がした。鎌倉へ行くまで千代子を天下の女性のうちで、最も純粋な一人と信じていた僕は、鎌倉で暮したわずか二日の間に、始めて彼女の技巧を疑い出したのである。その疑が今ようやく僕の胸に根をおろそうとした。 「なぜ高木の話をしないのだろう」  僕は寝ながらこう考えて苦しんだ。同時にこんな問題に睡眠の時間を奪われる愚さを自分でよく承知していた。だから苦しむのが馬鹿馬鹿しくてなお癇が起った。僕は例の通り二階に一人寝ていた。母と千代子は下座敷に蒲団を並べて、一つ蚊帳の中に身を横たえた。僕はすやすや寝ている千代子を自分のすぐ下に想像して、必竟のつそつ苦しがる僕は負けているのだと考えない訳に行かなくなった。僕は寝返りを打つ事さえ厭になった。自分がまだ眠られないという弱味を階下へ響かせるのが、勝利の報知として千代子の胸に伝わるのを恥辱と思ったからである。  僕がこうして同じ問題をいろいろに考えているうちに、同じ問題が僕にはいろいろに見えた。高木の名前を口へ出さないのは、全く彼女の僕に対する好意に過ぎない。僕に気を悪くさせまいと思う親切から彼女はわざとそれだけを遠慮したのである。こう解釈すると鎌倉にいた時の僕は、あれほど単純な彼女をして、僕の前に高木の二字を公けにする勇気を失わしめたほど、不合理に機嫌を悪くふるまったのだろう。もしそうだとすれば、自分は人の気を悪くするために、人の中へ出る、不愉快な動物である。宅へ引込んで交際さえしなければそれで宜い。けれどももし親切を冠らない技巧が彼女の本義なら……。僕は技巧という二字を細かに割って考えた。高木を媒鳥に僕を釣るつもりか。釣るのは、最後の目的もない癖に、ただ僕の彼女に対する愛情を一時的に刺戟して楽しむつもりか。あるいは僕にある意味で高木のようになれというつもりか。そうすれば僕を愛しても好いというつもりか。あるいは高木と僕と戦うところを眺めて面白かったというつもりか。または高木を僕の眼の前に出して、こういう人がいるのだから、早く思い切れというつもりか。――僕は技巧の二字をどこまでも割って考えた。そうして技巧なら戦争だと考えた。戦争ならどうしても勝負に終るべきだと考えた。  僕は寝つかれないで負けている自分を口惜しく思った。電灯は蚊帳を釣るとき消してしまったので、室の中に隙間もなく蔓延る暗闇が窒息するほど重苦しく感ぜられた。僕は眼の見えないところに眼を明けて頭だけ働らかす苦痛に堪えなくなった。寝返りさえ慎んで我慢していた僕は、急に起って室を明るくした。ついでに縁側へ出て雨戸を一枚細目に開けた。月の傾むいた空の下には動く風もなかった。僕はただ比較的冷かな空気を肌と咽喉に受けただけであった。 三十二  翌日はいつも一人で寝ている時より一時間半も早く眼が覚めた。すぐ起きて下へ降りると、銀杏返しの上へ白地の手拭を被って、長火鉢の灰を篩っていた作が、おやもう御目覚でと云いながら、すぐ顔を洗う道具を風呂場へ並べてくれた。僕は帰りに埃だらけの茶の間を爪先で通り抜けて玄関へ出た。その時ついでに二人の寝ている座敷を蚊帳越しに覗いて見たら、目敏い母も昨日の汽車の疲が出たせいか、まだ静かな眠を貪ぼっていた。千代子は固より夢の底に埋まっているように正体なく枕の上に首を落していた。僕は目的もなく表へ出た。朝の散歩の趣を久しく忘れていた僕には、常に変わらない町の色が、暑さと雑沓とに染めつけられない安息日のごとく穏やかに見えた。電車の線路が研ぎ澄まされた光を真直に地面の上に伸ばすのも落ちついた感じであった。けれども僕は散歩がしたくって出たのではなかった。ただ眼が早く覚め過ぎて、中有に延びた命の断片を、運動で埋めるつもりで歩くのだから、それほどの興味は空にも地にも乃至町にも見出す事ができなかった。  一時間ばかりして僕はむしろ疲れた顔を母からも千代子からも怪しまれに戻って来た。母はどこへ行ったのと聞いたが、後から、色沢が好くないよ、どうかおしかいと尋ねた。 「昨夕好く寝られなかったんでしょう」  僕は千代子のこの言葉に対して答うべき術を知らなかった。実を云うと、昂然としてなに好く寝られたよと云いたかったのである。不幸にして僕はそれほどの技巧家でなかった。と云って、正直に寝られなかったと自白するには余り自尊心が強過ぎた。僕はついに何も答えなかった。  三人が同じ食卓で朝飯を済ますや否や、母が昨日涼しいうちにと頼んでおいた髪結が来た。洗い立の白い胸掛をかけて、敷居越に手を突いた彼女は、御帰りなさいましと親しい挨拶をした。彼女はこの職業に共通なめでたい口ぶりを有っていた。それを得意に使って、内気な母に避暑を誇の種に話させる機会を一句ごとに作った。母は満足らしくも見えたが、そう蝶蝶しくは饒舌り得なかった。髪結はより効目のある相手として、すぐ年の若い千代子を選んだ。千代子は固より誰彼の容赦なく一様に気易く応対のできる女だったので、御嬢様と呼びかけられるたびに相当の受答をして話を勢ました。千代子の泳の噂が出た時、髪結は活溌で宜しゅうございます、近頃の御嬢様方はみんな水泳の稽古をなさいますと誰が聞いても拵えたような御世辞を云った。  妙な事を吹聴するようでおかしいが、実をいうと僕は女の髪を上げるところを見ているのが好きであった。母が乏しい髪を工面して、どうかこうか髷に結い上げる様子は、いくら上手が纏めるにしても、それほど見栄のある画ではないが、それでも退屈を凌ぐには恰好な慰みであった。僕は髪結の手の動く間に、自然とでき上って行く小さな母の丸髷を眺めていた。そうして腹の中で、千代子の髪を日本流に櫛を入れたらさぞみごとだろうと思った。千代子は色の美くしい、癖のない、長くて多過ぎる髪の所有者だったからである。この場合いつもの僕なら、千代ちゃんもついでに結って御貰いなときっと勧めるところであった。しかし今の僕にはそんな親しげな要求を彼女に向って投げかける気が出悪かった。すると偶然にも千代子の方で、何だかあたしも一つ結って見たくなったと云い出した。母は御結いよ久しぶりにと誘なった。髪結は是非御上げ遊ばせな、私始めて御髪を拝見した時から束髪にしていらっしゃるのはもったいないと思っとりましたとさも結いたそうな口ぶりを見せた。千代子はとうとう鏡台の前に坐った。 「何に結おうかしら」  髪結は島田を勧めた。母も同じ意見であった。千代子は長い髪を背中に垂れたまま突然|市さんと呼んだ。 「あなた何が好き」 「旦那様も島田が好きだときっとおっしゃいますよ」  僕はぎくりとした。千代子はまるで平気のように見えた。わざと僕の方をふり返って、「じゃ島田に結って見せたげましょうか」と笑った。「好いだろう」と答えた僕の声はいかにも鈍に聞こえた。 三十三  僕は千代子の髪のでき上らない先に二階へ上った。僕のような神経質なものが拘わって来ると、無関係の人の眼にはほとんど小供らしいと思われるような所作をあえてする。僕は中途で鏡台の傍を離れて、美くしい島田髷をいただく女が男から強奪する嘆賞の租税を免かれたつもりでいた。その時の僕はそれほどこの女の虚栄心に媚びる好意を有たなかったのである。  僕は自分で自分の事をかれこれ取り繕ろって好く聞えるように話したくない。しかし僕ごときものでも長火鉢の傍で起るこんな戦術よりはもう少し高尚な問題に頭を使い得るつもりでいる。ただそこまで引き摺り落された時、僕の弱点としてどうしても脱線する気になれないのである。僕は自分でそのつまらなさ加減をよく心得ていただけに、それをあえてする僕を自分で憎み自分で鞭うった。  僕は空威張を卑劣と同じく嫌う人間であるから、低くても小さくても、自分らしい自分を話すのを名誉と信じてなるべく隠さない。けれども、世の中で認めている偉い人とか高い人とかいうものは、ことごとく長火鉢や台所の卑しい人生の葛藤を超越しているのだろうか。僕はまだ学校を卒業したばかりの経験しか有たない青二才に過ぎないが、僕の知力と想像に訴えて考えたところでは、おそらくそんな偉い人高い人はいつの世にも存在していないのではなかろうか。僕は松本の叔父を尊敬している。けれども露骨なことを云えば、あの叔父のようなのは偉く見える人、高く見せる人と評すればそれで足りていると思う。僕は僕の敬愛する叔父に対しては偽物贋物の名を加える非礼と僻見とを憚かりたい。が、事実上彼は世俗に拘泥しない顔をして、腹の中で拘泥しているのである。小事に齷齪しない手を拱ぬいで、頭の奥で齷齪しているのである。外へ出さないだけが、普通より品が好いと云って僕は讃辞を呈したく思っている。そうしてその外へ出さないのは財産の御蔭、年齢の御蔭、学問と見識と修養の御蔭である。が、最後に彼と彼の家庭の調子が程好く取れているからでもあり、彼と社会の関係が逆なようで実は順に行くからでもある。――話がつい横道へ外れた。僕は僕のこせこせしたところを余り長く弁護し過ぎたかも知れない。  僕は今いう通り早く二階へ上ってしまった。二階は日が近いので、階下よりはよほど凌ぎ悪いのだけれども、平生いつけたせいで、僕は一日の大部分をここで暮らす事にしていたのである。僕はいつもの通り机の前に坐ったなりただ頬杖を突いてぼんやりしていた。今朝|煙草の灰を棄てたマジョリカの灰皿が綺麗に掃除されて僕の肱の前に載せてあったのに気がついて、僕はその中に現わされた二羽の鵞鳥を眺めながら、その灰を空けた作の手を想像に描いた。すると下から梯子段を踏む音がして誰か上って来た。僕はその足音を聞くや否や、すぐそれが作でない事を知った。僕はこうぼんやり屈托しているところを千代子に見られるのを屈辱のように感じた。同時に傍にあった書物を開けて、先刻から読んでいたふりをするほど器用な機転を用いるのを好まなかった。 「結えたから見てちょうだい」  僕は僕の前にすぐこう云いながら坐る彼女を見た。 「おかしいでしょう。久しく結わないから」 「大変美くしくできたよ。これからいつでも島田に結うといい」 「二三度|壊しちゃ結い、壊しちゃ結いしないといけないのよ。毛が馴染まなくって」  こんな事を聞いたり答えたり三四|返しているうちに、僕はいつの間にか昔と同じように美くしい素直な邪気のない千代子を眼の前に見る気がし出した。僕の心持が何かの調子で和らげられたのか、千代子の僕に対する態度がどこかで角度を改ためたのか、それは判然と云い悪い。こうだと説明のできる捕どころは両方になかったらしく記憶している。もしこの気易い状態が一二時間も長く続いたなら、あるいは僕の彼女に対して抱いた変な疑惑を、過去に溯ぼって当初から真直に黒い棒で誤解という名の下に消し去る事ができたかも知れない。ところが僕はつい不味い事をしたのである。 三十四  それはほかでもない。しばらく千代子と話しているうちに、彼女が単に頭を見せに上って来たばかりでなく、今日これから鎌倉へ帰るので、そのさようならを云いにちょっと顔を出したのだと云う事を知った時、僕はつい用意の足りない躓ずき方をしたのである。 「早いね。もう帰るのかい」と僕が云った。 「早かないわ、もう一晩泊ったんだから。だけどこんな頭をして帰ると何だかおかしいわね、御嫁にでも行くようで」と千代子が云った。 「まだみんな鎌倉にいるのかい」と僕が聞いた。 「ええ。なぜ」と千代子が聞き返した。 「高木さんも」と僕がまた聞いた。  高木という名前は今まで千代子も口にせず、僕も話頭に上すのをわざと憚かっていたのである。が、何かの機会で、平生通りの打ち解けた遠慮のない気分が復活したので、その中に引き込まれた矢先、つい何の気もつかずに使ってしまったのである。僕はふらふらとこの問をかけて彼女の顔を見た時たちまち後悔した。  僕が煮え切らないまた捌けない男として彼女から一種の軽蔑を受けている事は、僕のとうに話した通りで、実を云えば二人の交際はこの黙許を認め合った上の親しみに過ぎなかった。その代り千代子が常に畏れる点を、幸にして僕はただ一つ有っていた。それは僕の無口である。彼女のように万事明けっ放しに腹を見せなければ気のすまない者から云うと、いつでも、しんねりむっつりと構えている僕などの態度は、けっして気に入るはずがないのだが、そこにまた妙な見透かせない心の存在が仄めくので、彼女は昔から僕を全然知り抜く事のできない、したがって軽蔑しながらもどこかに恐ろしいところを有った男として、ある意味の尊敬を払っていたのである。これは公けにこそ明言しないが、向うでも腹の底で正式に認めるし、僕も冥々のうちに彼女から僕の権利として要求していた事実である。  ところが偶然高木の名前を口にした時、僕はたちまちこの尊敬を永久千代子に奪い返されたような心持がした。と云うのは、「高木さんも」という僕の問を聞いた千代子の表情が急に変化したのである。僕はそれを強ちに勝利の表情とは認めたくない。けれども彼女の眼のうちに、今まで僕がいまだかつて彼女に見出した試しのない、一種の侮蔑が輝やいたのは疑いもない事実であった。僕は予期しない瞬間に、平手で横面を力任せに打たれた人のごとくにぴたりと止まった。 「あなたそれほど高木さんの事が気になるの」  彼女はこう云って、僕が両手で耳を抑えたいくらいな高笑いをした。僕はその時鋭どい侮辱を感じた。けれどもとっさの場合何という返事も出し得なかった。 「あなたは卑怯だ」と彼女が次に云った。この突然な形容詞にも僕は全く驚ろかされた。僕は、御前こそ卑怯だ、呼ばないでもの所へわざわざ人を呼びつけて、と云ってやりたかった。けれども年弱な女に対して、向うと同じ程度の激語を使うのはまだ早過ぎると思って我慢した。千代子もそれなり黙った。僕はようやくにして「なぜ」というわずか二字の問をかけた。すると千代子の濃い眉が動いた。彼女は、僕自身で僕の卑怯な意味を充分自覚していながら、たまたま他の指摘を受けると、自分の弱点を相手に隠すために、取り繕ろって空っとぼけるものとこの問を解釈したらしい。 「なぜって、あなた自分でよく解ってるじゃありませんか」 「解らないから聞かしておくれ」と僕が云った。僕は階下に母を控えているし、感情に訴える若い女の気質もよく呑み込んだつもりでいたから、できるだけ相手の気を抜いて話を落ちつかせるために、その時の僕としては、ほとんど無理なほどの、低いかつ緩い調子を取ったのであるが、それがかえって千代子の気に入らなかったと見える。 「それが解らなければあなた馬鹿よ」  僕はおそらく平生より蒼い顔をしたろうと思う。自分ではただ眼を千代子の上にじっと据えた事だけを記憶している。その時何物も恐れない千代子の眼が、僕の視線と無言のうちに行き合って、両方共しばらくそこに止まっていた事も記憶している。 三十五 「千代ちゃんのような活溌な人から見たら、僕見たいに引込思案なものは無論|卑怯なんだろう。僕は思った事をすぐ口へ出したり、またはそのまま所作にあらわしたりする勇気のない、極めて因循な男なんだから。その点で卑怯だと云うなら云われても仕方がないが……」 「そんな事を誰が卑怯だと云うもんですか」 「しかし軽蔑はしているだろう。僕はちゃんと知ってる」 「あなたこそあたしを軽蔑しているじゃありませんか。あたしの方がよっぽどよく知ってるわ」  僕はことさらに彼女のこの言葉を肯定する必要を認めなかったから、わざと返事を控えた。 「あなたはあたしを学問のない、理窟の解らない、取るに足らない女だと思って、腹の中で馬鹿にし切ってるんです」 「それは御前が僕をぐずと見縊ってるのと同じ事だよ。僕は御前から卑怯と云われても構わないつもりだが、いやしくも徳義上の意味で卑怯というなら、そりゃ御前の方が間違っている。僕は少なくとも千代ちゃんに関係ある事柄について、道徳上卑怯なふるまいをした覚はないはずだ。ぐずとか煮え切らないとかいうべきところに、卑怯という言葉を使われては、何だか道義的勇気を欠いた――というより、徳義を解しない下劣な人物のように聞えてはなはだ心持が悪いから訂正して貰いたい。それとも今いった意味で、僕が何か千代ちゃんに対してすまない事でもしたのなら遠慮なく話して貰おう」 「じゃ卑怯の意味を話して上げます」と云って千代子は泣き出した。僕はこれまで千代子を自分より強い女と認めていた。けれども彼女の強さは単に優しい一図から出た女気の凝り塊りとのみ解釈していた。ところが今僕の前に現われた彼女は、ただ勝気に充ちただけの、世間にありふれた、俗っぽい婦人としか見えなかった。僕は心を動かすところなく、彼女の涙の間からいかなる説明が出るだろうと待ち設けた。彼女の唇を洩れるものは、自己の体面を飾る強弁よりほかに何もあるはずがないと、僕は固く信じていたからである。彼女は濡れた睫毛を二三度|繁叩いた。 「あなたはあたしを御転婆の馬鹿だと思って始終冷笑しているんです。あなたはあたしを……愛していないんです。つまりあなたはあたしと結婚なさる気が……」 「そりゃ千代ちゃんの方だって……」 「まあ御聞きなさい。そんな事は御互だと云うんでしょう。そんならそれで宜うござんす。何も貰って下さいとは云やしません。ただなぜ愛してもいず、細君にもしようと思っていないあたしに対して……」  彼女はここへ来て急に口籠った。不敏な僕はその後へ何が出て来るのか、まだ覚れなかった。「御前に対して」と半ば彼女を促がすように問をかけた。彼女は突然物を衝き破った風に、「なぜ嫉妬なさるんです」と云い切って、前よりは劇しく泣き出した。僕はさっと血が顔に上る時の熱りを両方の頬に感じた。彼女はほとんどそれを注意しないかのごとくに見えた。 「あなたは卑怯です、徳義的に卑怯です。あたしが叔母さんとあなたを鎌倉へ招待した料簡さえあなたはすでに疑っていらっしゃる。それがすでに卑怯です。が、それは問題じゃありません。あなたは他の招待に応じておきながら、なぜ平生のように愉快にして下さる事ができないんです。あたしはあなたを招待したために恥を掻いたも同じ事です。あなたはあたしの宅の客に侮辱を与えた結果、あたしにも侮辱を与えています」 「侮辱を与えた覚はない」 「あります。言葉や仕打はどうでも構わないんです。あなたの態度が侮辱を与えているんです。態度が与えていないでも、あなたの心が与えているんです」 「そんな立ち入った批評を受ける義務は僕にないよ」 「男は卑怯だから、そう云う下らない挨拶ができるんです。高木さんは紳士だからあなたを容れる雅量がいくらでもあるのに、あなたは高木さんを容れる事がけっしてできない。卑怯だからです」 松本の話 一  それから市蔵と千代子との間がどうなったか僕は知らない。別にどうもならないんだろう。少なくとも傍で見ていると、二人の関係は昔から今日に至るまで全く変らないようだ。二人に聞けばいろいろな事を云うだろうが、それはその時限りの気分に制せられて、まことしやかに前後に通じない嘘を、永久の価値あるごとく話すのだと思えば間違ない。僕はそう信じている。  あの事件ならその当時僕も聞かされた。しかも両方から聞かされた。あれは誤解でも何でもない。両方でそう信じているので、そうしてその信じ方に両方とも無理がないのだから、極めてもっともな衝突と云わなければならない。したがって夫婦になろうが、友達として暮らそうが、あの衝突だけはとうてい免かれる事のできない、まあ二人の持って生れた、因果と見るよりほかに仕方がなかろう。ところが不幸にも二人はある意味で密接に引きつけられている。しかもその引きつけられ方がまた傍のものにどうする権威もない宿命の力で支配されているんだから恐ろしい。取り澄ました警句を用いると、彼らは離れるために合い、合うために離れると云った風の気の毒な一対を形づくっている。こう云って君に解るかどうか知らないが、彼らが夫婦になると、不幸を醸す目的で夫婦になったと同様の結果に陥いるし、また夫婦にならないと不幸を続ける精神で夫婦にならないのと択ぶところのない不満足を感ずるのである。だから二人の運命はただ成行に任せて、自然の手で直接に発展させて貰うのが一番上策だと思う。君だの僕だのが何のかのと要らぬ世話を焼くのはかえって当人達のために好くあるまい。僕は知っての通り、市蔵から見ても千代子から見ても他人ではない。ことに須永の姉からは、二人の身分について今まで頼まれたり相談を受けたりした例は何度もある。けれども天の手際で旨く行かないものを、どうして僕の力で纏める事ができよう。つまり姉は無理な夢を自分一人で見ているのである。  須永の姉も田口の姉も、僕と市蔵の性質が余りよく似ているので驚ろいている。僕自身もどうしてこんな変り者が親類に二人|揃ってできたのだろうかと考えては不思議に思う。須永の姉の料簡では、市蔵の今日は全く僕の感化を受けた結果に過ぎないと見ているらしい。僕が姉の気に入らない点をいくらでも有っている内で、最も彼女を不愉快にするものは、不明なる僕のわが甥に及ぼしたと認められているこの悪い影響である。僕は僕の市蔵に対する今日までの態度に顧みて、この非難をもっともだと肯ずる。それがために市蔵を田口家から疎隔したという不服もついでに承認して差支ない。ただ彼ら姉二人が僕と市蔵とを、同じ型からでき上った偏窟人のように見傚して、同じ眉を僕らの上に等しく顰めるのは疑もなく誤っている。  市蔵という男は世の中と接触するたびに内へとぐろを捲き込む性質である。だから一つ刺戟を受けると、その刺戟がそれからそれへと廻転して、だんだん深く細かく心の奥に喰い込んで行く。そうしてどこまで喰い込んで行っても際限を知らない同じ作用が連続して、彼を苦しめる。しまいにはどうかしてこの内面の活動から逃れたいと祈るくらいに気を悩ますのだけれども、自分の力ではいかんともすべからざる呪いのごとくに引っ張られて行く。そうしていつかこの努力のために斃れなければならない、たった一人で斃れなければならないという怖れを抱くようになる。そうして気狂のように疲れる。これが市蔵の命根に横わる一大不幸である。この不幸を転じて幸とするには、内へ内へと向く彼の命の方向を逆にして、外へとぐろを捲き出させるよりほかに仕方がない。外にある物を頭へ運び込むために眼を使う代りに、頭で外にある物を眺める心持で眼を使うようにしなければならない。天下にたった一つで好いから、自分の心を奪い取るような偉いものか、美くしいものか、優しいものか、を見出さなければならない。一口に云えば、もっと浮気にならなければならない。市蔵は始め浮気を軽蔑してかかった。今はその浮気を渇望している。彼は自己の幸福のために、どうかして翩々たる軽薄才子になりたいと心から神に念じているのである。軽薄に浮かれ得るよりほかに彼を救う途は天下に一つもない事を、彼は、僕が彼に忠告する前に、すでに承知していた。けれども実行はいまだにできないでもがいている。 二  僕はこういう市蔵を仕立て上げた責任者として親類のものから暗に恨まれているが、僕自身もその点については疚ましいところが大いにあるのだから仕方がない。僕はつまり性格に応じて人を導く術を心得なかったのである。ただ自分の好尚を移せるだけ市蔵の上に移せばそれで充分だという無分別から、勝手しだいに若いものの柔らかい精神を動かして来たのが、すべての禍の本になったらしい。僕がこの過失に気がついたのは今から二三年前である。しかし気がついた時はもう遅かった。僕はただなす能力のない手を拱ぬいて、心の中で嘆息しただけであった。  事実を一言でいうと、僕の今やっているような生活は、僕に最も適当なので、市蔵にはけっして向かないのである。僕は本来から気の移りやすくでき上った、極めて安価な批評をすれば、生れついての浮気ものに過ぎない。僕の心は絶えず外に向って流れている。だから外部の刺戟しだいでどうにでもなる。と云っただけではよく腑に落ちないかも知れないが、市蔵は在来の社会を教育するために生れた男で、僕は通俗な世間から教育されに出た人間なのである。僕がこのくらい好い年をしながら、まだ大変若いところがあるのに引き更えて、市蔵は高等学校時代からすでに老成していた。彼は社会を考える種に使うけれども、僕は社会の考えにこっちから乗り移って行くだけである。そこに彼の長所があり、かねて彼の不幸が潜んでいる。そこに僕の短所があり、また僕の幸福が宿っている。僕は茶の湯をやれば静かな心持になり、骨董を捻くれば寂びた心持になる。そのほか寄席、芝居、相撲、すべてその時々の心持になれる。その結果あまり眼前の事物に心を奪われ過ぎるので、自然に己なき空疎な感に打たれざるを得ない。だからこんな超然生活を営んで強いて自我を押し立てようとするのである。ところが市蔵は自我よりほかに当初から何物を有っていない男である。彼の欠点を補なう――というより、彼の不幸を切りつめる生活の径路は、ただ内に潜り込まないで外に応ずるよりほかに仕方がないのである。しかるに彼を幸福にし得るその唯一の策を、僕は間接に彼から奪ってしまった。親類が恨むのはもっともである。僕は本人から恨まれないのをまだしもの仕合せと思っているくらいである。  今からたしか一年ぐらい前の話だと思う。何しろ市蔵がまだ学校を出ない時の話だが、ある日偶然やって来て、ちょっと挨拶をしたぎりすぐどこかへ見えなくなった事がある。その時僕はある人に頼まれて、書斎で日本の活花の歴史を調べていた。僕は調べものの方に気を取られて、彼の顔を出した時、やあとただふり返っただけであったが、それでも彼の血色がはなはだ勝れないのを苦にして、仕事の区切がつくや否や彼を探しに書斎を出た。彼は妻とも仲が善かったので、あるいは茶の間で話でもしている事かと思ったら、そこにも姿は見えなかった。妻に聞くと子供の部屋だろうというので、縁伝いに戸を開けると、彼は咲子の机の前に坐って、女の雑誌の口絵に出ている、ある美人の写真を眺めていた。その時彼は僕を顧みて、今こういう美人を発見して、先刻から十分ばかり相対しているところだと告げた。彼はその顔が眼の前にある間、頭の中の苦痛を忘れて自から愉快になるのだそうである。僕はさっそくどこの何者の令嬢かと尋ねた。すると不思議にも彼は写真の下に書いてある女の名前をまだ読まずにいた。僕は彼を迂闊だと云った。それほど気に入った顔ならなぜ名前から先に頭に入れないかと尋ねた。時と場合によれば、細君として申し受ける事も不可能でないと僕は思ったからである。しかるに彼はまた何の必要があって姓名や住所を記憶するかと云った風の眼使をして僕の注意を怪しんだ。  つまり僕は飽くまでも写真を実物の代表として眺め、彼は写真をただの写真として眺めていたのである。もし写真の背後に、本当の位置や身分や教育や性情がつけ加わって、紙の上の肖像を活かしにかかったなら、彼はかえって気に入ったその顔まで併せて打ち棄ててしまったかも知れない。これが市蔵の僕と根本的に違うところである。 三  市蔵の卒業する二三カ月前、たしか去年の四月頃だったろうと思う。僕は彼の母から彼の結婚に関して、今までにない長時間の相談を受けた。姉の意思は固より田口の姉娘を彼の嫁として迎えたいという単純にしてかつ頑固なものであった。僕は女に理窟を聞かせるのを、男の恥のように思う癖があるので、むずかしい事はなるべく控えたが、何しろこういう問題について、できるだけ本人の自由を許さないのは親の義務に背くのも同然だという意味を、昔風の彼女の腑に落ちるように砕いて説明した。姉は御承知の通り極めて穏やかな女ではあるが、いざとなると同じ意見を何度でもくり返して憚からない婦人に共通な特性を一人前以上に具えていた。僕は彼女の執拗を悪むよりは、その根気の好過ぎるところにかえって妙な憐れみを催した。それで、今親類中に、市蔵の尊敬しているものは僕よりほかにないのだから、ともかくも一遍呼び寄せてとくと話して見てくれぬかという彼女の請を快よく引受けた。  僕がこの目的を果すために市蔵とこの座敷で会見を遂げたのは、それから四日目の日曜の朝だと記憶する。彼は卒業試験間近の多忙を目の前に控えながら座に着いて、何試験なんかどうなったって構やしませんがと苦笑した。彼の説明によると、かねてその話は彼の母から何度も聞かされて、何度も決答をくり延ばした陳腐なものであった。もっとも彼のそれに対する態度は、問題の陳腐と反比例にすこぶる切なさそうに見えた。彼は最後に母から口説かれた時、卒業の上、どうとも解決するから、それまで待って呉れろと母に頼んでおいたのだそうである。それをまだ試験も済まない先から僕に呼びつけられたので、多少迷惑らしく見えたばかりか、年寄は気が短かくって困ると言葉に出してまで訴えた。僕ももっともだと思った。  僕の推測では、彼が学校を出るまでとかくの決答を延ばしたのは、そのうちに千代子の縁談が、自分よりは適当な候補者の上に纏いつくに違ないと勘定して、直接に母を失望させる代りに、周囲の事情が母の意思を翻えさせるため自然と彼女に圧迫を加えて来るのを待つ一種の逃避手段に過ぎないと思われた。僕は市蔵にそうじゃ無いかと聞いた。市蔵はそうだと答えた。僕は彼にどうしても母を満足させる気はないかと尋ねた。彼は何事によらず母を満足させたいのは山々であると答えた。けれども千代子を貰おうとはけっして云わなかった。意地ずくで貰わないのかと聞いたら、あるいはそうかも知れないと云い切った。もし田口がやっても好いと云い、千代子が来ても好いと云ったらどうだと念を押したら、市蔵は返事をしずに黙って僕の顔を眺めていた。僕は彼のこの顔を見ると、けっして話を先へ進める気になれないのである。畏怖というと仰山すぎるし、同情というとまるで憐れっぽく聞こえるし、この顔から受ける僕の心持は、何と云っていいかほとんど分らないが、永久に相手を諦らめてしまわなければならない絶望に、ある凄味と優し味をつけ加えた特殊の表情であった。  市蔵はしばらくして自分はなぜこう人に嫌われるんだろうと突然意外な述懐をした。僕はその時ならないのと平生の市蔵に似合しからないのとで驚ろかされた。なぜそんな愚痴を零すのかと窘なめるような調子で反問を加えた。 「愚痴じゃありません。事実だから云うのです」 「じゃ誰が御前を嫌っているかい」 「現にそういう叔父さんからして僕を嫌っているじゃありませんか」  僕は再び驚ろかされた。あまり不思議だから二三度押問答の末推測して見ると、僕が彼に特有な一種の表情に支配されて話の進行を停止した時の態度を、全然彼に対する嫌悪の念から出たと受けているらしかった。僕は極力彼の誤解を打破しに掛った。 「おれが何で御前を悪む必要があるかね。子供の時からの関係でも知れているじゃないか。馬鹿を云いなさんな」  市蔵は叱られて激した様子もなくますます蒼い顔をして僕を見つめた。僕は燐火の前に坐っているような心持がした。 四 「おれは御前の叔父だよ。どこの国に甥を憎む叔父があるかい」  市蔵はこの言葉を聞くや否やたちまち薄い唇を反らして淋しく笑った。僕はその淋しみの裏に、奥深い軽侮の色を透し見た。自白するが、彼は理解の上において僕よりも優れた頭の所有者である。僕は百もそれを承知でいた。だから彼と接触するときには、彼から馬鹿にされるような愚をなるべく慎んで外に出さない用心を怠らなかった。けれども時々は、つい年長者の傲る心から、親しみの強い彼を眼下に見下して、浅薄と心付ながら、その場限りの無意味にもったいをつけた訓戒などを与える折も無いではなかった。賢こい彼は僕に恥を掻かせるために、自分の優越を利用するほど、品位を欠いた所作をあえてし得ないのではあるが、僕の方ではその都度彼に対するこっちの相場が下落して行くような屈辱を感ずるのが例であった。僕はすぐ自分の言葉を訂正しにかかった。 「そりゃ広い世の中だから、敵同志の親子もあるだろうし、命を危め合う夫婦もいないとは限らないさ。しかしまあ一般に云えば、兄弟とか叔父甥とかの名で繋がっている以上は、繋がっているだけの親しみはどこかにあろうじゃないか。御前は相応の教育もあり、相応の頭もある癖に、何だか妙に一種の僻みがあるよ。それが御前の弱点だ。是非直さなくっちゃいけない。傍から見ていても不愉快だ」 「だから叔父さんまで嫌っていると云うのです」  僕は返事に窮した。自分で気のつかない自分の矛盾を今市蔵から指摘されたような心持もした。 「僻みさえさらりと棄ててしまえば何でもないじゃないか」と僕はさも事もなげに云って退けた。 「僕に僻があるでしょうか」と市蔵は落ちついて聞いた。 「あるよ」と僕は考えずに答えた。 「どういうところが僻んでいるでしょう。判然聞かして下さい」 「どういうところがって、――あるよ。あるからあると云うんだよ」 「じゃそういう弱点があるとして、その弱点はどこから出たんでしょう」 「そりゃ自分の事だから、少し自分で考えて見たらよかろう」 「あなたは不親切だ」と市蔵が思い切った沈痛な調子で云った。僕はまずその調子に度を失った。次に彼の眼の色を見て萎縮した。その眼はいかにも恨めしそうに僕の顔を見つめていた。僕は彼の前に一言の挨拶さえする勇気を振い起し得なかった。 「僕はあなたに云われない先から考えていたのです。おっしゃるまでもなく自分の事だから考えていたのです。誰も教えてくれ手がないから独りで考えていたのです。僕は毎日毎夜考えました。余り考え過ぎて頭も身体も続かなくなるまで考えたのです。それでも分らないからあなたに聞いたのです。あなたは自分から僕の叔父だと明言していらっしゃる。それで叔父だから他人より親切だと云われる。しかし今の御言葉はあなたの口から出たにもかかわらず、他人より冷刻なものとしか僕には聞こえませんでした」  僕は頬を伝わって流れる彼の涙を見た。幼少の時から馴染んで今日に及んだ彼と僕との間に、こんな光景はいまだかつて一回も起らなかった事を僕は君に明言しておきたい。したがってこの昂奮した青年をどう取り扱っていいかの心得が、僕にまるで無かった事もついでに断っておきたい。僕はただ茫然として手を拱ぬいていた。市蔵はまた僕の態度などを眼中において、自分の言葉を調節する余裕を有たなかった。 「僕は僻んでいるでしょうか。たしかに僻んでいるでしょう。あなたがおっしゃらないでも、よく知っているつもりです。僕は僻んでいます。僕はあなたからそんな注意を受けないでも、よく知っています。僕はただどうしてこうなったかその訳が知りたいのです。いいえ母でも、田口の叔母でも、あなたでも、みんなよくその訳を知っているのです。ただ僕だけが知らないのです。ただ僕だけに知らせないのです。僕は世の中の人間の中であなたを一番信用しているから聞いたのです。あなたはそれを残酷に拒絶した。僕はこれから生涯の敵としてあなたを呪います」  市蔵は立ち上った。僕はそのとっさの際に決心をした。そうして彼を呼びとめた。 五  僕はかつてある学者の講演を聞いた事がある。その学者は現代の日本の開化を解剖して、かかる開化の影響を受けるわれらは、上滑りにならなければ必ず神経衰弱に陥いるにきまっているという理由を、臆面なく聴衆の前に曝露した。そうして物の真相は知らぬ内こそ知りたいものだが、いざ知ったとなると、かえって知らぬが仏ですましていた昔が羨ましくって、今の自分を後悔する場合も少なくはない、私の結論などもあるいはそれに似たものかも知れませんと苦笑して壇を退ぞいた。僕はその時市蔵の事を思い出して、こういう苦い真理を承わらなければならない我々日本人も随分気の毒なものだが、彼のようにたった一人の秘密を、攫もうとしては恐れ、恐れてはまた攫もうとする青年は一層|見惨に違あるまいと考えながら、腹の中で暗に同情の涙を彼のために濺いだ。  これは単に僕の一族内の事で、君とは全く利害の交渉を有たない話だから、君が市蔵のためにせっかく心配してくれた親切に対する前からの行がかりさえなければ、打ち明けないはずだったが、実を云うと、市蔵の太陽は彼の生れた日からすでに曇っているのである。  僕は誰にでも明言して憚からない通り、いっさいの秘密はそれを開放した時始めて自然に復る落着を見る事ができるという主義を抱いているので、穏便とか現状維持とかいう言葉には一般の人ほど重きを置いていない。したがって今日までに自分から進んで、市蔵の運命を生れた当時に溯って、逆に照らしてやらなかったのは僕としてはむしろ不思議な手落と云ってもいいくらいである。今考えて見ると、僕が市蔵に呪われる間際まで、なぜこの事件を秘密にしていたものか、その意味がほとんど分らない。僕はこの秘密に風を入れたところで、彼ら母子の間柄が悪くなろうとは夢にも想像し得なかったからである。  市蔵の太陽は彼の生れた日からすでに曇っていたという僕の言葉の裏に、どんな事実が含まれているかは、彼と交りの深い君の耳で聞いたら、すでに具体的な響となって解っているかも知れない。一口でいうと、彼らは本当の母子ではないのである。なお誤解のないように一言つけ加えると、本当の母子よりも遥かに仲の好い継母と継子なのである。彼らは血を分けて始めて成立する通俗な親子関係を軽蔑しても差支ないくらい、情愛の糸で離れられないように、自然からしっかり括りつけられている。どんな魔の振る斧の刃でもこの糸を絶ち切る訳に行かないのだから、どんな秘密を打ち明けても怖がる必要はさらにないのである。それだのに姉は非常に恐れていた。市蔵も非常に恐れていた。姉は秘密を手に握ったまま、市蔵は秘密を手に握らせられるだろうと待ち受けたまま、二人して非常に恐れていた。僕はとうとう彼の恐れるものの正体を取り出して、彼の前に他意なく並べてやったのである。  僕はその時の問答を一々くり返して今君に告げる勇気に乏しい。僕には固よりそれほどの大事件とも始から見えず、またなるべく平気を装う必要から、つまり何でもない事のように話したのだが、市蔵はそれを命がけの報知として、必死の緊張の下に受けたからである。ただ前の続きとして、事実だけを一口に約めて云うと、彼は姉の子でなくって、小間使の腹から生れたのである。僕自身の家に起った事でない上に、二十五年以上も経った昔の話だから、僕も詳しい顛末は知ろうはずがないが、何しろその小間使が須永の種を宿した時、姉は相当の金をやって彼女に暇を取らしたのだそうである。それから宿へ下った妊婦が男の子を生んだという報知を待って、また子供だけ引き取って表向自分の子として養育したのだそうである。これは姉が須永に対する義理からでもあろうが、一つは自分に子のできないのを苦にしていた矢先だから、本気に吾子として愛しむ考も無論手伝ったに違ない。実際彼らは君の見るごとく、また吾々の見るごとく、最も親しい親子として今日まで発展して来たのだから、御互に事情を明し合ったところで毫も差支の起る訳がない。僕に云わせると、世間にありがちな反の合ない本当の親子よりもどのくらい肩身が広いか分りゃしない。二人だって、そうと知った上で、今までの睦まじさを回顧した時の方が、どんなに愉快が多いだろう。少なくとも僕ならそうだ。それで僕は市蔵のために特にこの美くしい点を力のあらん限り彩る事を怠らなかった。 六 「おれはそう思うんだ。だから少しも隠す必要を認めていない。御前だって健全な精神を持っているなら、おれと同じように思うべきはずじゃないか。もしそう思う事ができないというなら、それがすなわち御前の僻みだ。解ったかな」 「解りました。善く解りました」と市蔵が答えた。僕は「解ったらそれで好い、もうその問題についてかれこれというのは止しにしようよ」と云った。 「もう止します。もうけっしてこの事について、あなたを煩らわす日は来ないでしょう。なるほどあなたのおっしゃる通り僕は僻んだ解釈ばかりしていたのです。僕はあなたの御話を聞くまでは非常に怖かったです。胸の肉が縮まるほど怖かったです。けれども御話を聞いてすべてが明白になったら、かえって安心して気が楽になりました。もう怖い事も不安な事もありません。その代り何だか急に心細くなりました。淋しいです。世の中にたった一人立っているような気がします」 「だって御母さんは元の通りの御母さんなんだよ。おれだって今までのおれだよ。誰も御前に対して変るものはありゃしないんだよ。神経を起しちゃいけない」 「神経は起さなくっても淋しいんだから仕方がありません。僕はこれから宅へ帰って母の顔を見るときっと泣くにきまっています。今からその時の涙を予想しても淋しくってたまりません」 「御母さんには黙っている方がよかろう」 「無論話しゃしません。話したら母がどんな苦しい顔をするか分りません」  二人は黙然として相対した。僕は手持無沙汰に煙草盆の灰吹を叩いた。市蔵はうつむいて袴の膝を見つめていた。やがて彼は淋しい顔を上げた。 「もう一つ伺っておきたい事がありますが、聞いて下さいますか」 「おれの知っている事なら何でも話して上げる」 「僕を生んだ母は今どこにいるんです」  彼の実の母は、彼を生むと間もなく死んでしまったのである。それは産後の肥立が悪かったせいだとも云い、または別の病だとも聞いているが、これも詳しい話をしてやるほどの材料に欠乏した僕の記憶では、とうてい餓えた彼の眼を静めるに足りなかった。彼の生母の最後の運命に関する僕の話は、わずか二三分で尽きてしまった。彼は遺憾な顔をして彼女の名前を聞いた。幸にして僕は御弓という古風な名を忘れずにいた。彼は次に死んだ時の彼女の年齢を問うた。僕はその点に関して、何という確とした知識を有っていなかった。彼は最後に、彼の宅に奉公していた時分の彼女に会った事があるかと尋ねた。僕はあると答えた。彼はどんな女だと聞き返した。気の毒にも僕の記憶はすこぶる朦朧としていた。事実僕はその当時十五六の少年に過ぎなかったのである。 「何でも島田に結ってた事がある」  このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と云った。けれども御弓の菩提所を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已を得なければ姉に聞くよりほかに仕方あるまいと答えた。 「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」 「まああるまいね」 「じゃ分らないでもよござんす」  僕は市蔵に対して気の毒なようなまたすまないような心持がした。彼はしばらく庭の方を向いて、麗かな日脚の中に咲く大きな椿を眺めていたが、やがて視線をもとに戻した。 「御母さんが是非千代ちゃんを貰えというのも、やっぱり血統上の考えから、身縁のものを僕の嫁にしたいという意味なんでしょうね」 「全くそこだ。ほかに何にもないんだ」  市蔵はそれでは貰おうとも云わなかった。僕もそれなら貰うかとも聞かなかった。 七  この会見は僕にとって美くしい経験の一つであった。双方で腹蔵なくすべてを打ち明け合う事ができたという点において、いまだに僕の貧しい過去を飾っている。相手の市蔵から見ても、あるいは生れて始めての慰藉ではなかったかと思う。とにかく彼が帰ったあとの僕の頭には、善い功徳を施こしたという愉快な感じが残ったのである。 「万事おれが引き受けてやるから心配しないがいい」  僕は彼を玄関に送り出しながら、最後にこういう言葉を彼の背に暖かくかけてやった。その代り姉に会見の結果を報告する時ははなはだまずかった。已を得ないから、卒業して頭に暇さえできれば、はっきりどうにか片をつけると云っているから、それまで待つが好かろう、今かれこれ突っつくのは試験の邪魔になるだけだからと、姉が聞いても無理のないところで、ひとまず宥めておいた。  僕は同時に事情を田口に話して、なるべく市蔵の卒業前に千代子の縁談が運ぶように工夫した。委細を聞いた田口の口振は平生の通り如才なくかつ無雑作であった。彼は僕の注意がなくっても、その辺は心得ているつもりだと答えた。 「けれども必竟は本人のために嫁入けるんで、姉さんや市蔵の便宜のために、千代子の結婚を無理にくり上げたり、くり延べたりする訳にも行かないものだから」 「ごもっともだ」と僕は承認せざるを得なかった。僕は元来田口家と親類並の交際をしているにはいるが、その実彼らの娘の縁談に、進んで口を出したこともなければ、また向うから相談を受けた例も有たないのである。それで今日まで千代子にどんな候補者があったのか、間接にさえほとんどその噂を耳にしなかった。ただ前の年鎌倉の避暑地とかで市蔵が会って、気を悪くしたという高木だけは、市蔵からも千代子からも名前を教えられて覚えていた。僕は突然ながら田口にその男はどうなったかと尋ねた。田口は愛嬌らしく笑って、高木は始めから候補者として打って出たのではないと告げた。けれども相当の身分と教育があって独身の男なら、誰でも候補者になり得る権利は有っているのだから、候補者でないとはけっして断言できないとも告げた。この曖昧な男の事を僕はなお委しく聞いて見て、彼が今|上海にいる事を確かめた。上海にいるけれどもいつ帰るか分らないという事も確かめた。彼と千代子との間柄はその後何らの発展も見ないが、信書の往復はいまだに絶えない、そうしてその信書はきっと父母が眼を通した上で本人の手に落つるという条件つきの往復であるという事まで確めた。僕は一も二もなく、千代子には其男が好いじゃないかと云った。田口はまだどこかに慾があるのか、または別に考を有っているのか、そうするつもりだとは明言しなかった。高木のいかなる人物かをまるで解しない僕が、それ以上勧める権利もないから、僕はついそのままにして引き取った。  僕と市蔵はその後久しく会わなかった。久しくと云ったところでわずか一カ月半ばかりの時日に過ぎないのだが、僕には卒業試験を眼の前に控えながら、家庭問題に屈托しなければならない彼の事が非常に気にかかった。僕はそっと姉を訪ねてそれとなく彼の近況を探って見た。姉は平気で、何でもだいぶ忙がしそうだよ、卒業するんだからそのはずさねと云って澄ましていた。僕はそれでも不安心だったから、ある日一時間の夕を僕と会食するために割かせて、彼の家の近所の洋食店で共に晩餐を食いながら、ひそかに彼の様子を窺った。彼は平生の通り落ちついていた。なに試験なんかどうにかこうにかやっつけまさあと受合ったところに、満更の虚勢も見えなかった。大丈夫かいと念を押した時、彼は急に情なそうな顔をして、人間の頭は思ったより堅固にできているもんですね、実は僕自身も怖くってたまらないんですが、不思議にまだ壊れません、この様子ならまだ当分は使えるでしょうと云った。冗談らしくもあり、また真面目らしくもあるこの言葉が、妙に憐れ深い感じを僕に与えた。 八  若葉の時節が過ぎて、湯上りの単衣の胸に、団扇の風を入れたく思うある日、市蔵がまたふらりとやって来た。彼の顔を見るや否や僕が第一にかけた言葉は、試験はどうだったいという一語であった。彼は昨日ようやくすんだと答えた。そうして明日からちょっと旅行して来るつもりだから暇乞に来たと告げた。僕は成績もまだ分らないのに、遠く走る彼の心理状態を疑ってまた多少の不安を感じた。彼は京都附近から須磨明石を経て、ことに因ると、広島|辺まで行きたいという希望を述べた。僕はその旅行の比較的|大袈裟なのに驚ろいた。及第とさえきまっていればそれでも好かろうがと間接に不賛成の意を仄めかして見ると、彼は試験の結果などには存外冷淡な挨拶をした。そんな事に気を遣う叔父さんこそ平生にも似合わしからんじゃありませんかと云って、ほとんど相手にならなかった。話しているうちに、僕は彼の思い立が及落の成績に関係のない別方面の動機から萌しているという事を発見した。 「実はあの事件以来妙に頭を使うので、近頃では落ちついて書斎に坐っている事が困難になりましてね。どうしても旅行が必要なんですから、まあ試験を中途で已めなかったのが感心だぐらいに賞めて許して下さい」 「そりゃ御前の金で御前の行きたい所へ行くのだから少しも差支はないさ。考えて見れば少しは飛び歩いて気を換えるのも好かろう。行って来るがいい」 「ええ」と云って市蔵はやや満足らしい顔をしたが、「実は大きな声で話すのも気の毒でもったいないんですが、叔父さんにあの話を聞いてから以後は、母の顔を見るたんびに、変な心持になってたまらないんです」とつけ足した。 「不愉快になるのか」と僕はむしろ厳かに聞いた。 「いいえ、ただ気の毒なんです。始めは淋しくって仕方がなかったのが、だんだんだんだん気の毒に変化して来たのです。実はここだけの話ですけれども、近頃では母の顔を朝夕見るのが苦痛なんです。今度の旅行だって、かねてから卒業したら母に京大阪と宮島を見物させてやりたいと思っていたのだから、昔の僕なら供をする気で留守を叔父さんにでも頼みに出かけて来るところなんですが、今云ったような訳で、関係がまるで逆になったもんだから、少しでも母の傍を離れたらという気ばかりして」 「困るね、そう変になっちゃあ」 「僕は離れたらまたきっと母が恋しくなるだろうと思うんですが、どうでしょう。そう旨くはいかないもんでしょうか」  市蔵はさも懸念らしくこういう問をかけた。彼より経験に富んだ年長者をもって自任する僕にも、この点に関する彼の未来はほとんど想像できなかった。僕はただ自分に信念がなくって、わが心の事を他に尋ねて安心したいと願う彼の胸の裏を憐れに思った。上部はいかにも優しそうに見えて、実際は極めて意地の強くでき上った彼が、こんな弱い音を出すのは、ほとんど例のない事だったからである。僕は僕の力の及ぶ限り彼の心に保証を与えた。 「そんな心配はするだけ損だよ。おれが受合ってやる。大丈夫だから遊んで来るが好い。御前の御母さんはおれの姉だ。しかもおれよりも学問をしないだけに、よほど純良にできている、誰からも敬愛されべき婦人だ。あの姉と君のような情愛のある子がどうして離れっ切りに離れられるものか。大丈夫だから安心するが好い」  市蔵は僕の言葉を聞いて実際安心したらしく見えた。僕もやや安心した。けれども一方では、このくらい根のない慰藉の言葉が、明晰な頭脳を有った市蔵に、これほどの影響を与えたとすれば、それは彼の神経がどこか調子を失なっているためではなかろうかという疑も起った。僕は突然極端の出来事を予想して、一人身の旅行を危ぶみ始めた。 「おれもいっしょに行こうか」 「叔父さんといっしょじゃ」と市蔵が苦笑した。 「いけないかい」 「平生ならこっちから誘っても行って貰いたいんだが、何しろいつどこへ立つんだか分らない、云わば気の向きしだい予定の狂う旅行だから御気の毒でね。それに僕の方でもあなたがいると束縛があって面白くないから……」 「じゃ止そう」と僕はすぐ申し出を撤回した。 九  市蔵が帰った後でも、しばらくは彼の事が変に気にかかった。暗い秘密を彼の頭に判で押した以上、それから出る一切の責任は、当然僕が背負って立たなければならない気がしたからである。僕は姉に会って、彼女の様子を見もし、また市蔵の近況を聞きもしたくなった。茶の間にいた妻を呼んで、相談かたがた理由を話すと、存外物に驚ろかない妻は、あなたがあんまり余計なおしゃべりをなさるからですよと云って、始めはほとんど取り合わなかったが、しまいに、なんで市さんに間違があるもんですか、市さんは年こそ若いが、あなたよりよっぽど分別のある人ですものと、独りで受合っていた。 「すると市蔵の方で、かえっておれの事を心配している訳になるんだね」 「そうですとも、誰だってあなたの懐手ばかりして、舶来のパイプを銜えているところを見れば、心配になりますわ」  そのうち子供が学校から帰って来て、家の中が急に賑やかになったので、市蔵の事はつい忘れたぎり、夕方までとうとう思い出す暇がなかった。そこへ姉が自分の方から突然尋ねて来た時は、僕も覚えず冷りとした。  姉はいつもの通り、家族の集まっている真中に坐って、無沙汰の詫やら、時候の挨拶やらを長々しく妻と交換していた。僕もそこに座を占めたまま動く機会を失った。 「市蔵が明日から旅行するって云うじゃありませんか」と僕は好い加減な時分に聞き出した。 「それについてね……」と姉はやや真面目になって僕の顔を見た。僕は姉の言葉を皆まで聞かずに、「なに行きたいなら行かしておやんなさい。試験で頭をさんざん使った後だもの。少しは楽もさせないと身体の毒になるから」とあたかも市蔵の行動を弁護するように云った。姉は固より同じ意見だと答えた。ただ彼の健康状態が旅行に堪えるかどうかを気遣うだけだと告げた。最後に僕の見るところでは大丈夫なのかと聞いた。僕は大丈夫だと答えた。妻も大丈夫だと答えた。姉は安心というよりも、むしろ物足りない顔をした。僕は姉の使う健康という言葉が、身体に関係のない精神上の意味を有っているに違ないと考えて、腹の中で一種の苦痛を感じた。姉は僕の顔つきから直覚的に影響を受けたらしい心細さを額に刻んで、「恒さん、先刻市蔵がこちらへ上った時、何か様子の変ったところでもありゃしませんでしたかい」と聞いた。 「何そんな事があるもんですか。やっぱり普通の市蔵でさあ。ねえ御仙」 「ええちっとも違っておいでじゃありません」 「わたしもそうかと思うけれども、何だかこの間から調子が変でね」 「どんななんです」 「どんなだと云われるとまた話しようもないんだが」 「全く試験のためだよ」と僕はすぐ打ち消した。 「姉さんの神経ですよ」と妻も口を出した。  僕らは夫婦して姉を慰さめた。姉はしまいにやや納得したらしい顔つきをして、みんなと夕食を共にするまで話し込んだ。帰る時には散歩がてら、子供を連れて電車まで見送ったが、それでも気がすまないので、子供を先へ返して、断わる姉の傍に席を取ったなり、とうとう彼女の家まで来た。  僕は幸い二階にいた市蔵を姉の前に呼び出した。御母さんが御前の事を大層心配してわざわざ矢来まで来たから、今おれがいろいろに云ってようやく安心させたところだと告げた。したがって旅行に出すのは、つまり僕の責任なんだから、なるべく年寄に心配をかけないように、着いたら着いた所から、立つなら立つ所から、また逗留するなら逗留する所から、必ず音信を怠たらないようにして、いつでも用ができしだいこっちから呼び返す事のできる注意をしたら好かろうと云った。市蔵はそのくらいの面倒なら僕に注意されるまでもなくすでに心得ていると答えて、彼の母の顔を見ながら微笑した。  僕はこれで幾分か姉の心を柔らげ得たものと信じて十一時頃また電車で矢来へ帰って来た。  僕を迎に玄関に出た妻は、待ちかねたように、どうでしたと尋ねた。僕はまあ安心だろうよと答えた。実際僕は安心したような心持だったのである。で、明る日は新橋へ見送りにも行かなかった。 十  約束の音信は至る所からあった。勘定すると大抵日に一本ぐらいの割になっている。その代り多くは旅先の画端書に二三行の文句を書き込んだ簡略なものに過ぎなかった。僕はその端書が着くたびに、まず安心したという顔つきをして、妻からよく笑われた。一度僕がこの様子なら大丈夫らしいね、どうも御前の予言の方が適中したらしいと云った時、妻は愛想もなく、当り前ですわ、三面記事や小説見たような事が、滅多にあってたまるもんですかと答えた。僕の妻は小説と三面記事とを同じ物のごとく見傚す女であった。そうして両方とも嘘と信じて疑わないほど浪漫斯に縁の遠い女であった。  端書に満足した僕は、彼の封筒入の書翰に接し出した時さらに眉を開いた。というのは、僕の恐れを抱いていた彼の手が、陰欝な色に巻紙を染めた痕迹が、そのどこにも見出せなかったからである。彼の状袋の中に巻き納めた文句が、彼の端書よりもいかに鮮かに、彼の変化した気分を示しているかは、実際それを読んで見ないと分らない。ここに二三通取ってある。  彼の気分を変化するに与かって効力のあったものは京都の空気だの宇治の水だのいろいろある中に、上方地方の人の使う言葉が、東京に育った彼に取っては最も興味の多い刺戟になったらしい。何遍もあの辺を通過した経験のあるものから云うと馬鹿げているが、市蔵の当時の神経にはああ云う滑らかで静かな調子が、鎮経剤以上に優しい影響を与え得たのではなかろうかと思う。なに若い女の? それは知らない。無論若い女の口から出れば効目が多いだろう。市蔵も若い男の事だから、求めてそう云う所へ近づいたかも知れない。しかしここに書いてあるのは、不思議に御婆さんの例である。―― 「僕はこの辺の人の言葉を聞くと微かな酔に身を任せたような気分になります。ある人はべたついて厭だと云いますが、僕はまるで反対です。厭なのは東京の言葉です。むやみに角度の多い金米糖のような調子を得意になって出します。そうして聴手の心を粗暴にして威張ります。僕は昨日京都から大阪へ来ました。今日朝日新聞にいる友達を尋ねたら、その友人が箕面という紅葉の名所へ案内してくれました。時節が時節ですから、紅葉は無論見られませんでしたが、渓川があって、山があって、山の行き当りに滝があって、大変好い所でした。友人は僕を休ませるために社の倶楽部とかいう二階建の建物の中へ案内しました。そこへ這入って見ると、幅の広い長い土間が、竪に家の間口を貫ぬいていました。そうしてそれがことごとく敷瓦で敷きつめられている模様が、何だか支那の御寺へでも行ったような沈んだ心持を僕に与えました。この家は何でも誰かが始め別荘に拵えたのを、朝日新聞で買い取って倶楽部用にしたのだとか聞きましたが、よし別荘にせよ、瓦を畳んで出来ている、この広々とした土間は何のためでしょう。僕はあまり妙だから友人に尋ねて見ました。ところが友人は知らんと云いました。もっともこれはどうでも構わない事です。ただ叔父さんがこう云う事に明らかだから、あるいは知っておいでかも知れないと思って、ちょっと蛇足に書き添えただけです。僕の御報知したいのは実はこの広い土間ではなかったのです。土間の上に下りていた御婆さんが問題だったのです。御婆さんは二人いました。一人は立って、一人は椅子に腰をかけていました。ただし両方ともくりくり坊主です。その立っている方が、僕らが這入るや否や、友人の顔を見て挨拶をしました。そうして『おや御免やす。今八十六の御婆さんの頭を剃っとるところだすよって。――御婆さんじっとしていなはれや、もう少しだけれ。――よう剃ったけれ毛は一本もありゃせんよって、何も恐ろしい事ありゃへん』と云いました。椅子に腰をかけた御婆さんは頭を撫でて『大きに』と礼を述べました。友人は僕を顧みて野趣があると笑いました。僕も笑いました。ただ笑っただけではありません。百年も昔の人に生れたような暢気した心持がしました。僕はこういう心持を御土産に東京へ持って帰りたいと思います」  僕も市蔵がこういう心持を、姉へ御土産として持って来てくれればいいがと思った。 十一  次のは明石から来たもので、前に比べると多少複雑なだけに、市蔵の性格をより鮮やかに現わしている。 「今夜ここに来ました。月が出て庭は明らかですが、僕の部屋は影になってかえって暗い心持がします。飯を食って煙草を呑んで海の方を眺めていると、――海はつい庭先にあるのです。漣さえ打たない静かな晩だから、河縁とも池の端とも片のつかない渚の景色なんですが、そこへ涼み船が一|艘流れて来ました。その船の形好は夜でよく分らなかったけれども、幅の広い底の平たい、どうしても海に浮ぶものとは思えない穏やかな形を具えていました。屋根は確かあったように覚えます。その軒から画の具で染めた提灯がいくつもぶら下がっていました。薄い光の奥には無論人が坐っているようでした。三味線の音も聞こえました。けれども惣体がいかにも落ちついて、滑るように楽しんで僕の前を流れて行きました。僕は静かにその影を見送って、御祖父さんの若い時分の話というのを思い出しました。叔父さんは固より御存じでしょう、御祖父さんが昔の通人のした月見の舟遊を実際にやった話を。僕は母から二三度聞かされた事があります。屋根船を綾瀬川まで漕ぎ上せて、静かな月と静かな波の映り合う真中に立って、用意してある銀扇を開いたまま、夜の光の遠くへ投げるのだと云うじゃありませんか。扇の要がぐるぐる廻って、地紙に塗った銀泥をきらきらさせながら水に落ちる景色は定めてみごとだろうと思います。それもただの一本ならですが、船のものがそうがかりで、ひらひらする光を投げ競う光景は想像しても凄艶です。御祖父さんは銅壺の中に酒をいっぱい入れて、その酒で徳利の燗をした後をことごとく棄てさしたほどの豪奢な人だと云うから、銀扇の百本ぐらい一度に水に流しても平気なのでしょう。そう云えば、遺伝だか何だか、叔父さんにも貧乏な割にはと云っては失礼ですが、どこかに贅沢なところがあるようですし、あんな内気な母にも、妙に陽気な事の好きな方面が昔から見えていました。ただ僕だけは、――こういうとまたあの問題を持ち出したなと早合点なさるかも知れませんが、僕はもうあの事について叔父さんの心配なさるほど屈托していないつもりですから安心して下さい。ただ僕だけはと断るのはけっして苦い意味で云うのではありません。僕はこの点において、叔父さんとも母とも生れつき違っていると申したいのです。僕は比較的楽に育った、物質的に幸福な子だから、贅沢と知らずに贅沢をして平気でいました。着物などでも、母の注意で、人前へ出て恥かしくないようなものを身に着けながら、これが当然だと澄ましていました。けれどもそれは永く習慣に養われた結果、自分で知らない不明から出るので、一度そこに気がつくと、急に不安になります。着物や食事はまあどうでもいいとして、僕はこの間ある富豪のむやみに金を使う様子を聞いて恐ろしくなった事があります。その男は芸者は幇間を大勢集めて、鞄の中から出した札の束を、その前でずたずたに裂いて、それを御祝儀とか称えて、みんなにやるのだそうです。それから立派な着物を着たまま湯に這入って、あとは三助にくれるのだそうです。彼の乱行はまだたくさんありましたが、いずれも天を恐れない暴慢|極まるもののみでした。僕はその話を聞いた時無論彼を悪みました。けれども気概に乏しい僕は、悪むよりもむしろ恐れました。僕から彼の所行を見ると、強盗が白刃の抜身を畳に突き立てて良民を脅迫しているのと同じような感じになるのです。僕は実に天とか、人道とか、もしくは神仏とかに対して申し訳がないという、真正に宗教的な意味において恐れたのです。僕はこれほど臆病な人間なのです。驕奢に近づかない先から、驕奢の絶頂に達して躍り狂う人の、一転化の後を想像して、怖くてたまらないのであります。――僕はこんな事を考えて、静かな波の上を流れて行く涼み船を見送りながら、このくらいな程度の慰さみが人間としてちょうど手頃なんだろうと思いました。僕も叔父さんから注意されたように、だんだん浮気になって行きます。賞めて下さい。月の差す二階の客は、神戸から遊びに来たとかで、僕の厭な東京語ばかり使って、折々詩吟などをやります。その中に艶めかしい女の声も交っていましたが、二三十分前から急におとなしくなりました。下女に聞いたらもう神戸へ帰ったのだそうです。夜もだいぶ更けましたから、僕も休みます」 十二 「昨夕も手紙を書きましたが、今日もまた今朝以来の出来事を御報知します。こう続けて叔父さんにばかり手紙を上げたら、叔父さんはきっと皮肉な薄笑いをして、あいつどこへも文をやる所がないものだから、已を得ず姉と己に対してだけ、時間を費やして音信を怠らないんだと、腹の中で云うでしょう。僕も筆を執りながら、ちょっとそう云う考えを起しました。しかし僕にもしそんな愛人ができたら、叔父さんはたとい僕から手紙を貰わないでも、喜こんで下さるでしょう。僕も叔父さんに音信を怠っても、その方が幸福だと思います。実は今朝起きて二階へ上って海を見下していると、そういう幸福な二人連が、磯通いに西の方へ行きました。これはことによると僕と同じ宿に泊っている御客かも知れません。女がクリーム色の洋傘を翳して、素足に着物の裾を少し捲りながら、浅い波の中を、男と並んで行く後姿を、僕は羨ましそうに眺めたのです。波は非常に澄んでいるから高い所から見下すと、陸に近いあたりなどは、日の照る空気の中と変りなく何でも透いて見えます。泳いでいる海月さえ判切見えます。宿の客が二人出て来て泳ぎ廻っていますが、彼らの水中でやる所作が、一挙一動ことごとく手に取るように見えるので、芸としての水泳の価値が、だいぶ下落するようです。」 「今度は西洋人が一人水に浸っています。あとから若い女が出て来ました。その女が波の中に立って、二階に残っているもう一人の西洋人を呼びます。『ユー、カム、ヒヤ』と云って英語を使います。『イット、イズ、ヴェリ、ナイス、イン、ウォーター』と云うような事をしきりに申します。その英語はなかなか達者で流暢で羨ましいくらい旨く出ます。僕はとても及ばないと思って感心して聞いていました。けれども英語の達者なこの女から呼ばれた西洋人はなかなか下りて来ませんでした。女は泳げないんだか、泳ぎたくないんだか、胸から下を水に浸けたまま波の中に立っていました。すると先へ下りた方の西洋人が女の手を執って、深い所へ連れて行こうとしました。女は身を竦めるようにして拒みました。西洋人はとうとう海の中で女を横に抱きました。女の跳ねて水を蹴る音と、その笑いながら、きゃっきゃっ騒ぐ声が、遠方まで響きました。」 「今度は下の座敷に芸者を二人連れて泊っていた客が端艇を漕ぎに出て来ました。この端艇はどこから持って来たか分りませんが、極めて小さいかつすこぶる危しいものです。客は漕いでやるからと云って、芸者を乗せようとしますが、芸者の方では怖いからと断ってなかなか乗りません。しかしとうとう客の意の通りになりました。その時年の若い方が、わざわざ喫驚して見せる科が、よほど馬鹿らしゅうございました。端艇がそこいらを漕ぎ廻って帰って来ると、年上の芸者が、宿屋のすぐ裏に繋いである和船に向って、船頭はん、その船|空いていまっかと、大きな声で聞きました。今度は和船の中に、御馳走を入れて、また海の上に出る相談らしいのです。見ていると、芸者が宿の下女を使って、麦酒だの水菓子だの三味線だのを船の中へ運び込ましておいて、しまいに自分達も乗りました。ところが肝心の御客はよほど威勢のいい男で、遥か向うの方にまだ端艇を漕ぎ廻していました。誰も乗せ手がなかったと見えて、今度は黒裸の浦の子僧を一人|生捕っていました。芸者はあきれた顔をして、しばらくその方を眺めていましたが、やがて根かぎりの大きな声で、阿呆と呼びました。すると阿呆と呼ばれた客が端艇をこっちへ漕ぎ戻して来ました。僕は面白い芸者でまた面白い客だと思いました。」 「僕がこんなくだくだしい事を物珍らしそうに報道したら、叔父さんは物数奇だと云って定めし苦笑なさるでしょう。しかしこれは旅行の御蔭で僕が改良した証拠なのです。僕は自由な空気と共に往来する事を始めて覚えたのです。こんなつまらない話を一々書く面倒を厭わなくなったのも、つまりは考えずに観るからではないでしょうか。考えずに観るのが、今の僕には一番薬だと思います。わずかの旅行で、僕の神経だか性癖だかが直ったと云ったら、直り方があまり安っぽくって恥ずかしいくらいです。が、僕は今より十層倍も安っぽく母が僕を生んでくれた事を切望して已まないのです。白帆が雲のごとく簇って淡路島の前を通ります。反対の側の松山の上に人丸の社があるそうです。人丸という人はよく知りませんが、閑があったらついでだから行って見ようと思います」 結末  敬太郎の冒険は物語に始まって物語に終った。彼の知ろうとする世の中は最初遠くに見えた。近頃は眼の前に見える。けれども彼はついにその中に這入って、何事も演じ得ない門外漢に似ていた。彼の役割は絶えず受話器を耳にして「世間」を聴く一種の探訪に過ぎなかった。  彼は森本の口を通して放浪生活の断片を聞いた。けれどもその断片は輪廓と表面から成る極めて浅いものであった。したがって罪のない面白味を、野性の好奇心に充ちた彼の頭に吹き込んだだけである。けれども彼の頭の中の隙間が、瓦斯に似た冒険|譚で膨脹した奥に、彼は人間としての森本の面影を、夢現のごとく見る事を得た。そうして同じく人間としての彼に、知識以外の同情と反感を与えた。  彼は田口と云う実際家の口を通して、彼が社会をいかに眺めているかを少し知った。同時に高等遊民と自称する松本という男からその人生観の一部を聞かされた。彼は親しい社会的関係によって繋がれていながら、まるで毛色の異なったこの二人の対照を胸に据えて、幾分か己れの世間的経験が広くなったような心持がした。けれどもその経験はただ広く面積の上において延びるだけで、深さはさほど増したとも思えなかった。  彼は千代子という女性の口を通して幼児の死を聞いた。千代子によって叙せられた「死」は、彼が世間並に想像したものと違って、美くしい画を見るようなところに、彼の快感を惹いた。けれどもその快感のうちには涙が交っていた。苦痛を逃れるために已を得ず流れるよりも、悲哀をできるだけ長く抱いていたい意味から出る涙が交っていた。彼は独身ものであった。小児に対する同情は極めて乏しかった。それでも美くしいものが美くしく死んで美くしく葬られるのは憐れであった。彼は雛祭の宵に生れた女の子の運命を、あたかも御雛様のそれのごとく可憐に聞いた。  彼は須永の口から一調子狂った母子の関係を聞かされて驚ろいた。彼も国元に一人の母を有つ身であった。けれども彼と彼の母との関係は、須永ほど親しくない代りに、須永ほどの因果に纏綿されていなかった。彼は自分が子である以上、親子の間を解し得たものと信じて疑わなかった。同時に親子の間は平凡なものと諦らめていた。より込み入った親子は、たとえ想像が出来るにしても、いっこう腹にはこたえなかった。それが須永のために深く掘り下げられたような気がした。  彼はまた須永から彼と千代子との間柄を聞いた。そうして彼らは必竟夫婦として作られたものか、朋友として存在すべきものか、もしくは敵として睨み合うべきものかを疑った。その疑いの結果は、半分の好奇と半分の好意を駆って彼を松本に走らしめた。彼は案外にも、松本をただ舶来のパイプを銜えて世の中を傍観している男でないと発見した。彼は松本が須永に対してどんな考でどういう所置を取ったかを委しく聞いた。そうして松本のそういう所置を取らなければならなくなった事情も審らかにした。  顧みると、彼が学校を出て、始めて実際の世の中に接触して見たいと志ざしてから今日までの経歴は、単に人の話をそこここと聞き廻って歩いただけである。耳から知識なり感情なりを伝えられなかった場合は、小川町の停留所で洋杖を大事そうに突いて、電車から下りる霜降の外套を着た男が若い女といっしょに洋食屋に這入る後を跟けたくらいのものである。それも今になって記憶の台に載せて眺めると、ほとんど冒険とも探検とも名づけようのない児戯であった。彼はそれがために位地にありつく事はできた。けれども人間の経験としては滑稽の意味以外に通用しない、ただ自分にだけ真面目な、行動に過ぎなかった。  要するに人世に対して彼の有する最近の知識感情はことごとく鼓膜の働らきから来ている。森本に始まって松本に終る幾席かの長話は、最初広く薄く彼を動かしつつ漸々深く狭く彼を動かすに至って突如としてやんだ。けれども彼はついにその中に這入れなかったのである。そこが彼に物足らないところで、同時に彼の仕合せなところである。彼は物足らない意味で蛇の頭を呪い、仕合せな意味で蛇の頭を祝した。そうして、大きな空を仰いで、彼の前に突如としてやんだように見えるこの劇が、これから先どう永久に流転して行くだろうかを考えた。        上  政府が官選文芸委員の名を発表するの日は近きにありと伝えられている。何人が進んでその嘱に応ずるかは余の知る限りでない。余はただ文壇のために一言して諸君子の一考を煩わしたいと思うだけである。  政府はある意味において国家を代表している。少くとも国家を代表するかの如き顔をして万事を振舞うに足る位の権力家である。今政府の新設せんとする文芸院は、この点においてまさしく国家的機関である。従って文芸院の内容を構成する委員らは、普通文士の格を離れて、突然国家を代表すべき文芸家とならなければならない。しかも自家に固有なる作物と評論と見識との齎した価値によって、国家を代表するのではない。実行上の権力において自己より遥に偉大なる政府というものを背景に控えた御蔭で、忽ち魚が竜となるのである。自ら任ずる文芸家及び文学者諸君に取っては、定めて大いなる苦痛であろうと思われる。  諸君がもし、国家のためだから、この苦痛を甘んじても遣るといわれるなら、まことに敬服である。その代り何処が国家のためだか、明かに諸君の立脚地をわれらに誨えられる義務が出て来るだろうと考える。  政府が国家的事業の一端として、保護奨励を文芸の上に与えんとするのは、文明の当局者として固より当然の考えである。けれども一文芸院を設けて優にその目的が達せられるように思うならば、あたかも果樹の栽培者が、肝心の土壌を問題外に閑却しながら、自分の気に入った枝だけに袋を被せて大事を懸ける小刀細工と一般である。文芸の発達は、その発達の対象として、文芸を歓迎し得る程度の社会の存在を仮定しなければならないのは無論の事で、その程度の社会を造り出す事が、即ち文芸を保護奨励しようという政府の第一目的でなければならない事もまた知れ切った話である。そうしてそれは根の深い国民教育の結果として、始めて一般世間の表面に浮遊して来るより外に途のないものである。既に根本が此処で極まりさえすれば、他の設備は殆んど装飾に過ぎない。。余は政府が文芸保護の最急政策として、何故にまず学校教育の遠き源から手を下さなかったかを怪むのである。それほど大仕掛の手数を厭う位なら、ついでに文芸院を建てる手数をも厭った方が経済であると考える。国家を代表するかの観を装う文芸委員なるものは、その性質上直接社会に向って、以上のような大勢力を振舞かねる団体だからである。  もし文芸院がより多く卑近なる目的を以て、文芸の産出家に対して、個々別々の便宜を、その作物上の評価に応じて、零細にかつ随時に与えようとするならば、余はその効果の比較的少きに反して、その弊害の思ったよりも大いなる事を断言するに憚らぬものである。  我々は自ら相応に鑑賞力のある文士と自任して、常住他の作物に対して、自己の正当と信ずる評価を公けにして憚らないのみか、芸術上において相互発展進歩の余地はこれより外にないとまで考えている。けれども我々の批判はあくまでも我々一家の批判である。もしそれが一家の批判を超越する場合には、批判その物の性質として普遍ならざるべからざる権威を内に具えているがためで、いわば相手と熟議の結果から得た自然の勢力に過ぎない。我々の背後にはただ他より優秀なる鑑賞力と、他より超越せる判断力があるのみで、単にこれがためにわが言辞にそれ相応の権威を生ずるのである。  この権威を最後最上の権威であれかしと冀うのは、我々の欲望であって、一般に通ずる事実ではない。これを事実にしてくれるものは、相手と公平なる三者である。いやしくも二者の許諾を得ざるものは、どこまでも一家の批判に過ぎない。それが当然である。しかるに一家の批判を以て任ずべき文芸家もしくは文学家が、国家を代表する政府の威信の下に、突如として国家を代表する文芸家と化するの結果として、天下をして彼らの批判こそ最終最上の権威あるものとの誤解を抱かしむるのは、その起因する所が文芸その物と何らの交渉なき政府の威力に本づくだけに、猶更の悪影響を一般社会――ことに文芸に志ざす青年――に与うるものである。これを文芸の堕落というのは通じる。保護というに至ってはその意味を知るに苦しまざるを得ない。        中  一家の批判を、一家として最後最上の批判と信ずるのに、何人も喙を容れようがない。けれどもそれをして比較的普遍ならしめんがため、――それを世間に通用する事実と変化せしめんがために、文芸の鑑賞に縁もゆかりもない政府の力を藉りるのは卑怯の振舞である。自己の所信を客観化して公衆にしか認めしむべき根拠を有せざる時においてすら、彼らは自由に天下を欺くの権利をあらかじめ占有するからである。  弊害はこればかりではない。既に文芸委員が政府の威力を背景に置いて、個人的ならざるべからざる文芸上の批判を国家的に膨脹して、自己の勢力を張るの具となすならば、政府はまた文芸委員を文芸に関する最終の審判者の如く見立てて、この機関を通して、尤も不愉快なる方法によって、健全なる文芸の発達を計るとの漠然たる美名の下に、行政上に都合よき作物のみを奨励して、その他を圧迫するは見やすき道理である。公平なる文芸の鑑賞家は自己のいわゆる健全と政府のいわゆる健全と一致せざる多くの場合において、文芸院の設立を迷惑に思うだろう。  これらの弊害を別にしても、文芸院の建設は依然として文芸の発達上効力がある、即ちある種類の好い作物は出るに違ないと主張する人があるかも知れない。余はそういう人に向って、たとい日本に文芸院がなくっても好い作物は出るのだといいたい。かつて文部省の展覧会の審査員の某氏に会った時、日本の絵画も近頃は大分上手になりましたといったら、その人は文部省の展覧会が出来てから大変好くなりましたと答えた。日本の絵画の年々進歩するのは争うべからざる事実ではあるが、その原因を某氏のように一概に文部省の展覧会に帰するのは間違っているように思われる。果して日本の画家があの位の刺激に挑撥されて人工的に向上したとすれば、彼らは文部省の御蔭で腕が上がると同時に、同じく文部省の御蔭で頭が下がったので、一方からいうと気の毒なほど不見識な集合体だと評しなければならない。  余が某氏の言に疑を挟むのは、自分に最も密接の関係のある文壇の近状に徴して、決してそうではあるまいとの自信があるからである。政府は今日までわが文芸に対して何らの保護を与えていない。むしろ干渉のみを事とした形迹がある。それにもかかわらず、わが文学は過去数年の間に著るしい発展をした。余の見る所を以てすると、現今毎月刊行の文学雑誌に載る幾多の小説の大部分は、英国の『ウィンゾー』などに続々現れてくる愚劣な小説よりも、どの位芸術的に書き流されているか分らない。既にこの数年の間にかほど進歩の機運が熟するとしたなら、突然それを阻害する事情の起らない限りは、文芸院などという不自然な機関の助けを藉りて無理に温室へ入れなくても、野生のままで放って置けば、この先順当に発展するだけである。我々文士からいっても、好い加減な選り好みをされた上に、生中もやし扱いにされるのはありがたいものではない。  現代の文士が述作の上において要求する所のものは、国家を代表する文芸委員諸君の注意や批判や評価だと思うのは、政府の己惚である。それらは皆|各自に有っているはずである。疑わしいときは、個人としての先輩やら朋友やら、信用のある外国人の著わした書物やらに聴いて、自分の考えを纏めれば沢山である。現代の文士が述作の上において最も要求する所のものはそれらではない。金である。比較的容易なる生活である。彼らは見苦しいほど金に困っている。いわゆる文壇の不振とは、文壇に提供せられたる作物の不振ではない。作物を買ってやる財嚢の不振である。文士からいえば米櫃の不振である。新設されべき文芸院が果してこの不振の救済を急務として適当の仕事を遣り出すならば、よし永久の必要はなしとした所で、刻下の困難を救う一時の方便上、文壇に縁の深い我々は折れ合って無理にも賛成の意を表したいが、どうしてそれを仕終せるかの実行問題になると、余には全然見込が立たないのである。        下  近時のわが文壇は殆んど小説の文壇である。脚本と批評はこれに次ぐべき重要の因数に相違ないが、分量からいっても、一般の注意を惹く点からいっても、遂に小説には及ばない。その小説について、斯道に関係ある我々の見逃し能わざる特殊の現象が毎月刊行の雑誌の上に著るしく現れて来た。それは全体の小説が芸術的作品として、或る水平に達しつつあるという事実である。またその水平が年々に高くなりつつあるという事実である。この二つの事実を左右の翼として、論理的に一段の交渉を前方に進めるならば、我々は局外者に向って興趣ある一種の結論を提供する事が出来る。その結論とはこうである。――  わが小説界は偉大なる一、二の天才を有する代りに、優劣のしかく懸隔せざる多数の天才の集合努力によって進歩しつつある。  この傾向を首肯いつつ、文芸委員のするという選抜賞与の実際問題に向うならば、公平にして真に文界の前途を思うものは、誰しもその事業に伴う危険と困難とを感ずべきはずである。さまで優劣の階段を設くる必要なき作品に対して、国家的代表者の権威と自信とを以て、敢て上下の等級を天下に宣告して憚らざるさえあるに、文明の趨勢と教化の均霑とより来る集合団体の努力を無視して、全部に与うべきはずの報酬を、強いて個人の頭上に落さんとするは、殆んど悪意ある取捨と一般の行為だからである。  好悪は人々の随意である。好悪より生ずる物品金銭の贈与もまた人々の随意である。英国の王家が月桂詩人の称号をスウィンバーンに与えないで、オースチンに年々二、三百|磅の恩給を贈るのは、単に王家がこの詩人に対する好悪の表現と見ればそれまでである。けれども国家の与うべき報酬は、一銭一厘たりとも好悪によって支配さるべきではない。必ず優劣によって決せらるべきである。しかもその優劣が判然と公衆の眼に映らなければならない。この必要条件を具備しない国家的保護と奨励とはなきに優ると寛仮するよりも、むしろあるに劣ると非難する方が当然である。  作物の現状と文士の窮状とは既に上説の如くであって、ここに保護のために使用すべき金が若干でもあるとすれば、それを分配すべき比較的|無難な方法はただ一つあるだけである。余は毎月刊行の雑誌に掲載される凡ての小説とはいわないつもりであるが、その大部分、即ち或る水平以上に達したる作物に対してはこの保護金なり奨励金なりを平等に割り宛て、当分原稿料の不足を補うようにしたら可かろうと思う。固より各人に割り宛てれば僅かなものに違ないけれども、一つの短篇について、三十円|乃至五十円位な賞与を受ける事が出来たなら、賞与に伴う名誉などはどうでも可いとして、実際の生活上に多少の便宜はある事と信ぜられるからである。こうすれば雑誌の編輯者とか購買者とかにはまるで影響を及ぼさずに、ただ雑誌を飾る作家だけが寛容ぐ利益のある事だから、一雑誌に載る小説の数がむやみに殖える気遣はない。尤も自分で書いて自分で雑誌を出す道楽な文士は多少|増かも知れないが、それは実施の上になって見なければ分らない。  余は以上の如く根本において文芸院の設置に反対を唱うるものであるが、もし保護金の使用法について、幸いにも文芸委員がこの公平なる手段を講ずるならば、その局部に対しては大に賛成の意を表するに吝かならざるつもりである。その他の企画についても悉く非難する必要は無論認めない。けれども大体の筋からいって、凡てこれらは政府から独立した文芸組合または作家団というような組織の下に案出され、またその組織の下に行政者と協商されべきである。惜いかな今の日本の文芸家は、時間からいっても、金銭からいっても、また精神からいっても、同類保存の途を講ずる余裕さえ持ち得ぬほどに貧弱なる孤立者またはイゴイストの寄合である。自己の劃したる檻内に咆哮して、互に噛み合う術は心得ている。一歩でも檻外に向って社会的に同類全体の地位を高めようとは考えていない。互を軽蔑した文字を恬として六号活字に並べ立てたりなどして、故さらに自分らが社会から軽蔑されるような地盤を固めつつ澄まし返っている有様である。日本の文芸家が作家倶楽部というほどの単純な組織すらも構成し得ない卑力な徒である事を思えば、政府の計画した文芸院の優に成立するのも無理はないかも知れぬ。 ――明治四四、五、一八―二〇『東京朝日新聞』――  私はこの大阪で講演をやるのは初めてであります。またこういう大勢の前に立つのも初めてであります。実は演説をやるつもりではない、むしろ講義をする気で来たのですが、講義と云うものはこんな多人数を相手にする性質のものでありません。これだけの聴衆全体に通るような声を出そうとすれば――第一出る訳がないけれども、万一出るにしても十五分ぐらいで壇を降りなければやりきれないだろうと思います。したがって、始めての事でもあるしこれほど御集りになった諸君の御厚意に対してもなるべく御満足の行くように、十分面白い講演をして帰りたいのは山々であるけれども、しかしあまり大勢お出になったから――と云って、けっしてつまらぬ演説をわざわざしようなどという悪意は毛頭無いのですけれども、まあなるべく短かく切上げる事にして、そうして――まだ後にも面白いのがだいぶありますから、その方で埋め合せをして、まず数でコナすようなことにしようと思う。実際この暑いのにこうお集まりになって竹の皮へ包んだ寿司のように押し合っていてはたまりますまい。また講演者の方でも周囲前後左右から出る人の息だけでも――ちょっとここへ立って御覧になればすぐ分りますが――実際容易なものではありません。実はこういうように原稿紙へノートが取ってありますから、時々これを見ながら進行すれば順序もよく整い遺漏も少なく、大変都合が好いのですけれども、そんな手温い事をしていてはとても諸君がおとなしく聴いていて下さるまいと思うから、ところどころ――ではない大部分|端折ってしまってやるつもりであります。しかしもしおとなしく聴いて下されば十分にやるかも知れない。やろうと思えばやれるのです。  問題はあすこに書いてある通り「文芸と道徳」と云うのですが、御承知の通り私は小説を書いたり批評を書いたり大体文学の方に従事しているために文芸の方のことをお話する傾きが多うございます。大阪へ来て文芸を談ずると云うことの可否は知りません。儲ける話でもしたら一番よかろうと思っているんですが、「文芸と道徳」では題をお聴きになっただけでも儲かりません。その内容をお聴きになってはなお儲かりません。けれども別に損をするというほどの縁喜の悪い題でもなかろうと思うのです。もちろん御聴になる時間ぐらいは損になりますが、そのくらいな損は不運と諦めて辛抱して聴いていただきたい。  昔の道徳と今の道徳と云うものの区別、それからお話をしたいと思いますが――どうも落ちついてやっていられないような気がしてたまらない。その前にちょっとこの題の説明をしますが、「道徳と文芸」とある以上、つまり文芸と道徳との関係に帰着するのだから、道徳の関係しない方面、あるいは部分の文芸と云うものはここに論ずる限りでない。したがって文芸の中でも道徳の意味を帯びた倫理的の臭味を脱却する事のできない文芸上の述作についてのお話と云ってもよし、文芸と交渉のある道徳のお話と云ってもよいのです。それでまず道徳と云うものについて昔と今の区別からお話を始めてだんだん進行する事に致します。  昔の道徳、これは無論日本での御話ですから昔の道徳といえば維新前の道徳、すなわち徳川氏時代の道徳を指すものでありますが、その昔の道徳はどんなものであるかと云うと、あなた方も御承知の通り、一口に申しますと、完全な一種の理想的の型を拵えて、その型を標準としてその型は吾人が努力の結果実現のできるものとして出立したものであります。だから忠臣でも孝子でももしくは貞女でも、ことごとく完全な模範を前へおいて、我々ごとき至らぬものも意思のいかん、努力のいかんに依っては、この模範通りの事ができるんだといったような教え方、徳義の立て方であったのです。もっとも一概に完全と云いましても、意味の取り方で、いろいろになりますけれども、ここに云うのは仏語などで使う純一無雑まず混り気のないところと見たら差支ないでしょう。例えば鉱のように種々な異分子を含んだ自然物でなくって純金と云ったように精錬した忠臣なり孝子なりを意味しております。かく完全な模型を標榜して、それに達し得る念力をもって修養の功を積むべく余儀なくされたのが昔の徳育であります。もう少し細かく申すはずですが、略してまずそのくらいにして次に移ります。  さてこういう風の倫理観や徳育がどんな影響を個人に与えどんな結果を社会に生ずるかを考えて見ますと、まず個人にあってはすでに模範が出来上りまたその模範が完全という資格を具えたものとしてあるのだから、どうしてもこの模範通りにならなければならん、完全の域に進まなければならんと云う内部の刺激やら外部の鞭撻があるから、模倣という意味は離れますまいが、その代り生活全体としては、向上の精神に富んだ気概の強い邁往の勇を鼓舞されるような一種感激性の活計を営むようになります。また社会一般から云うと、すでにこういう風な模範的な間然するところなき忠臣孝子貞女を押し立てて、それらの存在を認めるくらいだから、個人に対する一般の倫理上の要求はずいぶん苛酷なものである。また個人の過失に対しては非常に厳格な態度をもっている。少しの過ちがあっても許さない、すぐ命に関係してくる。そうでしょう、昔の人は何ぞと云うと腹を切って申訳をしたのは諸君も御承知である。今では容易に腹を切りません。これは腹を切らないですむからして切らないので、昔だって切りたい腹ではけっしてなかったんでしょう。けれども切らせられる。いわゆる詰腹で、社会の制裁が非常に悪辣苛酷なため生きて人に顔が合わされないからむやみに安く命を棄てるのでしょう。  今の人から見れば、完全かも知れないが実際あるかないか分らない理想的人物を描いて、それらの偶像に向って瞬間の絶間なく努力し感激し、発憤し、また随喜し渇仰して、そうして社会からは徳義上の弱点に対して微塵の容赦もなく厳重に取扱われて、よく人が辛抱しておったものだという疑も起るが、これにはいろいろの原因もありましょう。第一には今のように科学的の観察が行届かなかった。つまり人間はどう教育したって不完全なものであると云うことに気がつかなかった。不完全なのは、我々の心掛が至らぬからの横着に起因するのだからして、もう少し修養して黒砂糖を白砂糖に精製するような具合に向上しなければならんという考で一生懸命に努力したのである。すなわち昔の人には批判的精神が乏しかった。昔から云い伝えている孝子とか貞女とか称するものが、そっくりそのままの姿で再現できるという信念が強くて、批判的にこれらの模範を視る精神に乏しかったと云うのがおもなる原因でありましょう。一口に云えば科学と云うものがあまり開けなかったからと云ってようございます。のみならずその当時は交通が非常に不便でありまして、東京から大阪へちょっと手紙一本で呼出されて来て講演をすると云うようなことすら、できないとは限りませんが、なかなか億劫でこう手軽には行きません。来るにしても駕籠に揺られて五十三次を順々に越すのだから、たやすくは間に合いかねます。間に合わないですむとすれば、私がどんな人間であるかは、諸君に知れずにすんでしまう訳である。知られなければよほどえらい人だと思ってくれやしないかと思う。こうやって演壇に立って、フロックコートも着ず、妙な神戸辺の商館の手代が着るような背広などを着てひょこひょこしていては安っぽくていけない。ウンあんな奴かという気が起るにきまっている。が駕籠の時代ならそうまで器量を下げずにすんだかも知れない。交通の不便な昔は、山の中に仙人がいると思っておったくらいだから、江戸には漱石といって仙人ではないが、まあ仙人に近い人間がいるそうだぐらいの評判で持ち切って下されば私もはなはだ満足の至りであったろうが、今日汽車電話の世の中ではすでに仙人そのものが消滅したから、仙人に近い人間の価値も自然下落して、商館の手代そのままの風采を残念ながら諸君の御覧に入れなければならない始末になります。次に、昔は階級制度で社会が括られていたのだから、階級が違うと容易に接触すらできなくなる場合も多かった。今でも天子様などにはむやみには近づけません。私はまだ拝謁をしませんが、昔は一般から見て今の天皇陛下以上に近づきがたい階級のものがたくさんおったのです。一国の領主に言葉を交えるのすら平民には大変な異例でしょう。土下座とか云って地面へ坐って、ピタリと頭を下げて、肝腎の駕籠が通る時にはどんな顔の人がいるのかまるで物色する事ができなかった。第一駕籠の中には化物がいるのか人間がいるのかさえ分らなかったくらいのものと聞いています。してみると階級が違えば種類が違うという意味になってその極はどんな人間が世の中にあろうと不思議を挟む余地のないくらいに自他の生活に懸隔のある社会制度であった。したがって突拍子もない偉い人間すなわち模範的な忠臣孝子その他が世の中には現にいるという観念がどこかにあったに違ない。  以上の諸原因からして自然模範的の道徳を一般に強いて怪しまなかったのでありましょう。また強いられて黙っていもし、あるいは自から進んで己に強いもしたのでしょう。ところが維新以後四十四五年を経過した今日になって、この道徳の推移した経路をふり返って見ると、ちゃんと一定の方向があって、ただその方向にのみ遅疑なく流れて来たように見えるのは、社会の現象を研究する学者に取ってはなはだ興味のある事柄と云わなければなりません。しからば維新後の道徳が維新前とどういう風に違って来たかと云うと、かのピタリと理想通りに定った完全の道徳というものを人に強うる勢力がだんだん微弱になるばかりでなく、昔渇仰した理想その物がいつの間にか偶像視せられて、その代り事実と云うものを土台にしてそれから道徳を造り上げつつ今日まで進んで来たように思われる。人間は完全なものでない、初めは無論、いつまで行っても不純であると、事実の観察に本いた主義を標榜したと云っては間違になるが、自然の成行を逆に点検して四十四年の道徳界を貫いている潮流を一句につづめて見るとこの主義にほかならんように思われるから、つまりは吾々が知らず知らずの間にこの主義を実行して今日に至ったと同じ結果になったのであります。さて自然の事実をそのままに申せば、たといいかな忠臣でも孝子でも貞女でも、一方から云えばそれぞれ相当の美徳を具えているのは無論であるがこれと同時に一方ではずいぶんいかがわしい欠点をもっている。すなわち忠であり孝であり貞であると共に、不忠でもあり不孝でも不貞でもあると云う事であります。こう言葉に現わして云うと何だか非常に悪くなりますが、いかに至徳の人でもどこかしらに悪いところがあるように、人も解釈し自分でも認めつつあるのは疑もない事実だろうと思うのです。現に私がこうやって演壇に立つのは全然諸君のために立つのである、ただ諸君のために立つのである、と救世軍のようなことを言ったって諸君は承知しないでしょう。誰のために立っているかと聞かれたら、社のために立っている、朝日新聞の広告のために立っている、あるいは夏目漱石を天下に紹介するために立っていると答えられるでしょう。それで宜しい。けっして純粋な生一本の動機からここに立って大きな声を出しているのではない。この暑さに襟のグタグタになるほど汗を垂らしてまで諸君のために有益な話をしなければ今晩眠られないというほど奇特な心掛は実のところありません。と云ったところでこう見えても、満更好意も人情も無いわがまま一方の男でもない。打ち明けたところを申せば今度の講演を私が断ったって免職になるほどの大事件ではないので、東京に寝ていて、差支があるとか健康が許さないとか何とかかとか言訳の種を拵えさえすれば、それですむのです。けれども諸君のためを思い、また社のためを思い、と云うと急に偽善めきますが、まあ義理やら好意やらを加味した動機からさっそく出て来たとすればやはり幾分か善人の面影もある。有体に白状すれば私は善人でもあり悪人でも――悪人と云うのは自分ながら少々ひどいようだが、まず善悪とも多少|混った人間なる一種の代物で、砂もつき泥もつき汚ない中に金と云うものが有るか無いかぐらいに含まれているくらいのところだろうと思う。私がこういう事を平気で諸君の前で述べて、それであなた方は笑って聴いているくらいなのだから、今の人は昔に比べるとよほど倫理上の意見についても寛大になっている事が分ります。これが制裁の厳重で模範的行動を他に強いなければやまない旧幕時代であったら、こんな露骨を無遠慮にいう私はきっと社長に叱られます。もし社長が大名だったなら叱られるばかりでなく切腹を仰せつかるかも知れないところですけれど、明治四十四年の今日は社長だって黙っている。そうしてあなた方は笑っている。これほど世の中は穏かになって来たのです。倫理観の程度が低くなって来たのです。だんだん住みやすい世の中になって御互に仕合でしょう。  かく社会が倫理的動物としての吾人に対して人間らしい卑近な徳義を要求してそれで我慢するようになって、完全とか至極とか云う理想上の要求を漸次に撤回してしまった結果はどうなるかと云うと、まず従前から存在していた評価率が自然の間に違ってこなければならない訳になります。世の中は恐ろしいもので、だんだんと道徳が崩れてくるとそれを評価する眼が違ってきます。昔はお辞儀の仕方が気に入らぬと刀の束へ手をかけた事もありましたろうが、今ではたとい親密な間柄でも手数のかかるような挨拶はやらないようであります。それで自他共に不愉快を感ぜずにすむところが私のいわゆる評価率の変化という意味になります。御辞儀などはほんの一例ですが、すべて倫理的意義を含む個人の行為が幾分か従前よりは自由になったため、窮屈の度が取れたため、すなわち昔のように強いて行い、無理にもなすという瘠我慢も圧迫も微弱になったため、一言にして云えば徳義上の評価がいつとなく推移したため、自分の弱点と認めるようなことを恐れもなく人に話すのみか、その弱点を行為の上に露出して我も怪しまず、人も咎めぬと云う世の中になったのであります。私は明治維新のちょうど前の年に生れた人間でありますから、今日この聴衆諸君の中に御見えになる若い方とは違って、どっちかというと中途半端の教育を受けた海陸両棲動物のような怪しげなものでありますが、私らのような年輩の過去に比べると、今の若い人はよほど自由が利いているように見えます。また社会がそれだけの自由を許しているように見えます。漢学塾へ二年でも三年でも通った経験のある我々には豪くもないのに豪そうな顔をしてみたり、性を矯めて瘠我慢を言い張って見たりする癖がよくあったものです。――今でもだいぶその気味があるかも知れませんが。――ところが今の若い人は存外|淡泊で、昔のような感激性の詩趣を倫理的に発揮する事はできないかも知れないが、大体吹き抜けの空筒で何でも隠さないところがよい。これは自分を取り繕ろいたくないという結構な精神の働いている場合もありましょうし、また隠さない明けッ放しの内臓を見せても世間で別段鼻を抓んで苦い顔をするものがないからでもありましょうが、私の所へ時々若い人などが初めて訪問に来て、後から手紙などにその時の感想をありのままに書いて送ってくれる場合などでさえ思いもよらぬ告白をする事があるから面白いです。と云って大した弱点を見てくれと云わんばかりに書く訳でもないが、とにかくこっちから頼みはしないので、先方から勝手に寄こすくらいの酔興的な閑文字すなわち一種の意味における芸術品なのだから、もし我々の若い時分の気持で書くとすれば、天下の英雄君と我とのみとまで豪がらないにせよ、習俗的に高雅な観念を会釈なく文字の上に羅列して快よい一種の刺戟を自己の倫理性が受けるように詩趣を発揮するのが通例であるが、今例に引こうとする手紙などにはそんな面影はまるでない。まず門を入ったら胸騒ぎがしたとか、格子を開ける時にベルが鳴ってますます驚いたとか、頼むと案内を乞うておきながら取次に出て来た下女が不在だと言ってくれればよかったと沓脱の前で感じたとか、それが御宅ですという一言で急に帰りたい心持に変化したとか、ところへこちらへ上れとまた取次に出て来られてますます恐縮したとか、すべてそういう弱い神経作用がいささかの飾り気もなく出ている。徳義的批判を含んだ言葉で云えば臆病とか度胸がないとか云うべき弱点を自由に白状している。たかが夏目漱石の所へ来るのにこうビクビクする必要はあるまいとお思いかも知れませんが実際あるのです。しかし私はこれが今の青年だからあるのだと信じます。旧幕時代の文学のどこをどう尋ねてもこんな意味の訪問感想録はけっして見当るまいと信じます。この春でしたがある所に音楽会がありました。その時に私の知った人が演奏台に立って歌をうたいました。私は招待を受けて一番前の列の真中にいて聴いていました。ところがその歌は下手でした。私は音楽を聞く耳も何も持たない素人ではあるがその人のうたいぶりはすこぶる不味いように感じました。あとでその人に会って感じた通り不味いと云いました。ところがその音楽家はあの演奏台に立った時、自分の足がブルブル顫えるのに気が着いたかと私に聞きます。私は気が着かなかったけれども当人自身は足が顫えたと自白する。昔ならたとい足が顫えても顫えないと云い張ったでしょう。何とか負惜みでも言いたいくらいのところへ持って来て、人の気がつきもしないのに自分の口から足がガクガクしたと自白する。それだけ今の人が淡泊になったのじゃないでしょうか。またこれほど淡泊になれるだけ世間の批判が寛大になったのじゃないでしょうか。人間にそのくらいな弱点はありがちの事だとテンから認めているのじゃないでしょうか。私は昔と今と比べてどっちが善いとか悪いとかいうつもりではない、ただこれだけの区別があると申したいのであります。また過去四十何年間の道徳の傾向は明かにこういう方向に流れつつあるという事実を御認めにならん事を希望するのであります。  古今道徳の区別はこれで切上げておいて話は突然文芸の方へ移ります。もっとも文芸の方の話を詳しく云うつもりではないから、必要な説明だけに留めて、ごくざっとしたところを申しますが、近年文芸の方で浪漫主義及び自然主義すなわちロマンチシズムとナチュラリズムという二つの言葉が広く行われて参りました。そうしてこの二つの言葉は文芸界専有の術語でその他の方面には全く融通の利かないものであるかのごとく取扱われております。ところが私はこれからこの二つの言葉の意味性質を極めて簡略に述べて、そうしてそれを前申上げた昔と今の道徳に結びつけて両方を綜合して御覧に入れようと思うのです。つまり浪漫主義も自然主義も文芸家専有の言語ではないという意味が分ればその結果自然の勢いでこれらがまた前説明した二種の道徳と関係して来ると云うのであります。  この浪漫主義自然主義の文学についてちょっと申上げる前にあらかじめ諸君の御注意を煩わしておきたい事がありますが、前も御断り申したごとく今日のお話はすべて道徳と文芸との交渉関係でありますから、二種類の文学のうち道徳の分子の交って来ないものは頭から取除けて考えていただきたい。それからよし道徳の分子が交っていても倫理的観念が何らの挑撥を受けない――否受け得べからざるていの文学もまた取り除けて考えていただきたい。それらを除いた上でこの二種類の文学を見渡して見ると浪漫主義の文学にあってはその中に出てくる人物の行為心術が我々より偉大であるとか、公明であるとか、あるいは感激性に富んでいるとかの点において、読者が倫理的に向上遷善の刺戟を受けるのがその特色になっています。この影響は昔し流行った勧善懲悪という言葉と関係はありますが、けっして同じではない。ずっと高尚の意味で云うのですから誤解のないように願います。また自然主義の文学では人間をそう伝説的の英雄の末孫か何かであるようにもったいをつけてありがたそうには書かない。したがって読者も作者も倫理上の感激には乏しい。ことによると人間の弱点だけを綴り合せたように見える作物もできるのみならず往々その弱点がわざとらしく誇張される傾きさえあるが、つまりは普通の人間をただありのままの姿に描くのであるから、道徳に関する方面の行為も疵瑕交出するということは免かれない。ただこういうあさましいところのあるのも人間本来の真相だと自分でも首肯き他にも合点させるのを特色としている。この二つの文学を詳しく説明すればそれだけで大分時間が経ちますから、まあ誰も知っているぐらいの説明で御免を蒙って、この二つの文学が前の二傾向の道徳をその作物中に反射しているということにさえ気がつけば、ここに始めて文芸と道徳とがいずれの点において関係があるかと云うことも明かになって来ようと思います。  返す返す申すようですが題がすでに文芸と道徳でありますから、道徳の関係しない文芸のことは全然論外に置いて考えないと誤解を招きやすいのであります。道徳に関係の無い文芸の御話をすれば幾らでもありますが、例えば今私がここへ立ってむずかしい顔をして諸君を眼下に見て何か話をしている最中に何かの拍子で、卑陋な御話ではあるが、大きな放屁をするとする。そうすると諸君は笑うだろうか、怒るだろうか。そこが問題なのである。と云うといかにも人を馬鹿にしたような申し分であるが、私は諸君が笑うか怒るかでこの事件を二様に解釈できると思う。まず私の考では相手が諸君のごとき日本人なら笑うだろうと思う。もっとも実際やってみなければ分らない話だからどっちでも構わんようなものだけれども、どうも諸君なら笑いそうである。これに反して相手が西洋人だと怒りそうである。どうしてこう云う結果の相違を来すかというと、それは同じ行為に対する見方が違うからだと言わなければならない。すなわち西洋人が相手の場合には私の卑陋のふるまいを一図に徳義的に解釈して不徳義――何も不徳義と云うほどの事もないでしょうが、とにかく礼を失していると見て、その方面から怒るかも知れません。ところが日本人だと存外単純に見做して、徳義的の批判を下す前にまず滑稽を感じて噴き出すだろうと思うのです。私のしかつめらしい態度と堂々たる演題とに心を傾けて、ある程度まで厳粛の気分を未来に延長しようという予期のある矢先へ、突然人前では憚るべき異な音を立てられたのでその矛盾の刺激に堪えないからです。この笑う刹那には倫理上の観念は毫も頭を擡げる余地を見出し得ない訳ですから、たとい道徳的批判を下すべき分子が混入してくる事件についても、これを徳義的に解釈しないで、徳義とはまるで関係のない滑稽とのみ見る事もできるものだと云う例証になります。けれどももし倫理的の分子が倫理的に人を刺戟するようにまたそれを無関係の他の方面にそらす事ができぬように作物中に入込んで来たならば、道徳と文芸というものは、けっして切り離す事のできないものであります。両者は元来別物であって各独立したものであるというような説も或る意味から云えば真理ではあるが、近来の日本の文士のごとく根柢のある自信も思慮もなしに道徳は文芸に不必要であるかのごとく主張するのははなはだ世人を迷わせる盲者の盲論と云わなければならない。文芸の目的が徳義心を鼓吹するのを根本義にしていない事は論理上しかるべき見解ではあるが、徳義的の批判を許すべき事件が経となり緯となりて作物中に織り込まれるならば、またその事件が徳義的平面において吾人に善悪邪正の刺戟を与えるならば、どうして両者をもって没交渉とする事ができよう。  道徳と文芸の関係は大体においてかくのごときものであるが、なお前に挙げた浪漫自然二主義についてこれらがどういう風に道徳と交渉しているかをもう少し明暸に調べてみる必要があると思います。すなわちこの二種の文学についてどこが道徳的でどこが芸術的であるかを分解比較して一々点検するのであります。こうすれば文芸と道徳の関係が一層明暸になるのみならず、また浪漫自然二文学の関係もまた一段と判然するだろうと思います。第一、浪漫派の内容から言うと、前申した通り忠臣が出て来たり、孝子が出て来たり、貞女が出て来たり、その他いろいろの人物が出て来て、すべて読者の徳性を刺激してその刺激に依って事をなす、すなわち読者を動かそうと云う方法を講じますから、その刺激を与える点は取りも直さず道義的であると同時に芸術的に違ない。かく浪漫派は内容の上から云って芸術的であるけれども、その内容の取扱方に至るとあるいは非芸術的かも知れません。という意味はどうもその書き方によくない目的があるらしい。こういう事件をこう写してこう感動させてやろうとかこう鼓舞してやろうとか、述作そのものに興味があるよりも、あらかじめ胸に一物があって、それを土台に人を乗せようとしたがる。どうもややともするとそこに厭味が出て来る。私が今晩こうやって演説をするにしても、私の一字一句に私と云うものがつきまつわっておってどうかして笑わせてやろう、どうかして泣かせてやろうと擽ったり辛子を甞めさせるような故意の痕跡が見え透いたら定めし御聴き辛いことで、ために芸術品として見たる私の講演は大いに価値を損ずるごとく、いかに内容が良くても、言い方、取扱い方、書き方が、読者を釣ってやろうとか、挑撥してやろうとかすべて故意の趣があれば、その故意とらしいところ不自然なところはすなわち芸術としての品位に関って来るのです。こういう欠点を芸術上には厭味といって非難するのです。これに反して自然主義から云えば道義の念に訴えて芸術上の成功を収めるのが本領でないから、作中にはずいぶん汚ない事も出て来る、鼻持のならない事も書いてある。けれどもそれが道心を沈滞せしめて向下堕落の傾向を助長する結果を生ずるならばそれは作家か読者かどっちかが悪いので、不善挑撥もまたけっしてこの種の文学の主意でない事は論理的に証明できるのである。したがって善悪両面ともに感激性の素因に乏しいという点から見て、そこが芸術的でないと難を打つ事はできる。その代りその書きぶりや事件の取扱方に至っては本来がただありのままの姿を淡泊に写すのであるから厭味に陥る事は少ない。厭味とか厭味でないとかいう事は前にも芸術上の批判であると御断りしておきましたが、これが同時に徳義上の批判にもなるからして自然主義の文芸は内容のいかんにかかわらずやはり道徳と密接な縁を引いているのであります。というのはただありのままを衒わないで真率に書くというのが厭味のない描写としての好所であるのであるが、そのありのままを衒わないで真率に書くところを芸術的に見ないで道義的に批判したらやはり正直という言葉を同じ事象に対して用いられるのだからして、芸術と道徳も非常に接続している事が分りましょう。のみならず芸術的に厭味がなく道徳的に正直であるという事がこの際同じ物を指しているばかりではなく理知の方面から見れば真という資格に相当するのだから、つまりは一つの物を人間の三大活力から分察したと異なるところはないのであります。三位一体と申してもよいでしょう。  こう分解して見ると、一見道義的で貫ぬいている浪漫派の作物に存外不徳義の分子が発見されたり、またちょっと考えると徳義の方面に何らの注意を払わない自然派の流を汲んだものに妙に倫理上の佳所があったり、そうしてその道義的であるや否やが一にその芸術的であるや否やで決せられるのだから、二者の関係は一層明暸になって来た訳であります。また浪漫、自然と名づけられる二種の文芸上の作物中にこの道徳の分子がいかに織り込まれるかもたいてい説明し得たつもりであります。  なお余論として以上二種の文芸の特性についてちょっと比較してみますと、浪漫派は人の気を引立てるような感激性の分子に富んでいるには違ないが、どうも現世現在を飛び離れているの憾みを免かれない。妄りに理想界の出来事を点綴したような傾があるかも知れない。よしその理想が実現できるにしてもこれを未来に待たなければならない訳であるから、書いてある事自身は道義心の飽満悦楽を買うに十分であるとするも、その実|己には切実の感を与え悪いものである。これに反して自然主義の文芸には、いかに倫理上の弱点が書いてあっても、その弱点はすなわち作者読者共通の弱点である場合が多いので、必竟ずるに自分を離れたものでないという意味から、汚い事でも何でも切実に感ずるのは吾人の親しく経験するところであります。今一つ注意すべきことは、普通一般の人間は平生何も事の無い時に、たいてい浪漫派でありながら、いざとなると十人が十人まで皆自然主義に変ずると云う事実であります。という意味は傍観者である間は、他に対する道義上の要求がずいぶんと高いものなので、ちょっとした紛紜でも過失でも局外から評する場合には大変|苛い。すなわちおれが彼の地位にいたらこんな失体は演じまいと云う己を高く見積る浪漫的な考がどこかに潜んでいるのであります。さて自分がその局に当ってやって見ると、かえって自分の見縊った先任者よりも烈しい過失を犯しかねないのだから、その時その場合に臨むと本来の弱点だらけの自己が遠慮なく露出されて、自然主義でどこまでも押して行かなければやりきれないのであります。だから私は実行者は自然派で批評家は浪漫派だと申したいぐらいに考えています。次に御話したいのは先年来自然主義をある一部の人が唱え出して以後世間一般ではひどくこれを嫌ってはては自然主義といえば堕落とか猥褻とかいうものの代名詞のようになってしまいました。しかし何もそう恐れたり嫌ったりする必要は毫もないので、その結果の健全な方も少しは見なければなりません。元来自分と同じような弱点が作物の中に書いてあって、己と同じような人物がそこに現われているとすれば、その弱点を有する人間に対する同情の念は自然起るべきはずであります。また自分もいつこういう過失を犯さぬとも限らぬと云う寂寞の感も同時にこれに伴うでしょう。己惚の面を剥ぎ取って真直な腰を低くするのはむしろそういう文学の影響と言わなければなりません。もし自然派の作物でありながらこういう健全な目的を達することができなければ、それこそ作物自身が悪いのであると云わなければならない。悪いという意味は作物が出来損っているのです、どこか欠点があると云うのです。前説明した言葉を用いて評すれば、そういう作物にはどこか不道徳の分子がある、すなわちどこか非芸術のところがある、すなわちどこか偽りを書いているのだという事に帰着するのです。ありのままの本当をありのままに書く正直という美徳があればそれが自然と芸術的になり、その芸術的の筆がまた自然善い感化を人に与えるのは前段の分解的記述によってもう御会得になった事と思います。自然主義に道義の分子があるという事はあまり人の口にしないところですからわざわざ長々と弁じました。もっともただ新らしい私の考だから御吹聴をするという次第ではありません。御承知の通り演題が「文芸と道徳」というのですから特にこの点に注意を払う必要があったのです。  これで浪漫主義の文学と自然主義の文学とが等しく道徳に関係があって、そうしてこの二種の文学が、冒頭に述べた明治以前の道徳と明治以後の道徳とをちゃんと反射している事が明暸になりましたから、我々はこの二つの舶来語を文学から切り離して、直に道徳の形容詞として用い、浪漫的道徳及び自然主義的道徳という言葉を使って差支ないでしょう。  そこで私は明治以前の道徳をロマンチックの道徳と呼び明治以後の道徳をナチュラリスチックの道徳と名づけますが、さて吾々が眼前にこの二大区別を控えて向後|我邦の道徳はどんな傾向を帯びて発展するだろうかの問題に移るならば私は下のごとくあえて云いたい。「ロマンチックの道徳は大体において過ぎ去ったものである」あなた方がなぜかと詰問なさるならば人間の智識がそれだけ進んだからとただ一言答えるだけである。人間の智識がそれだけ進んだ。進んだに違ない。元は真しやかに見えたものが、今はどう考えても真とは見えない。嘘としか思われないからである。したがって実在の権威を失ってしまうからである。単に実在の権威を失うのみならず、実行の権利すら失ってしまうのである。人間の智識が発達すれば昔のようにロマンチックな道徳を人に強いても、人は誰も躬行するものではない。できない相談だという事がよく分って来るからである。これだけでもロマンチックの道徳はすでに廃れたと云わなければならない。その上今日のように世の中が複雑になって、教育を受ける者が皆第一に自治の手段を目的とするならば、天下国家はあまり遠過ぎて直接に我々の眸には映りにくくなる。豆腐屋が豆を潰したり、呉服屋が尺を度ったりする意味で我々も職業に従事する。上下|挙って奔走に衣食するようになれば経世利民仁義慈悲の念は次第に自家活計の工夫と両立しがたくなる。よしその局に当る人があっても単に職業として義務心から公共のために画策遂行するに過ぎなくなる。しかのみならず日露戦争も無事に済んで日本も当分はまず安泰の地位に置かれるような結果として、天下国家を憂としないでも、その暇に自分の嗜欲を満足する計をめぐらしても差支ない時代になっている。それやこれやの影響から吾々は日に月に個人主義の立場からして世の中を見渡すようになっている。したがって吾々の道徳も自然個人を本位として組み立てられるようになっている。すなわち自我からして道徳律を割り出そうと試みるようになっている。これが現代日本の大勢だとすればロマンチックの道徳換言すれば我が利益のすべてを犠牲に供して他のために行動せねば不徳義であると主張するようなアルトルイスチック一方の見解はどうしても空疎になってこなければならない。昔の道徳すなわち忠とか孝とか貞とかい字を吟味してみると、当時の社会制度にあって絶対の権利を有しておった片方にのみ非常に都合の好いような義務の負担に過ぎないのであります。親の勢が非常に強いとどうしても孝を強いられる。強いられるとは常人として無理をせずに自己本来の情愛だけでは堪えられない過重の分量を要求されるという意味であります。独り孝ばかりではない、忠でも貞でもまた同様の観があります。何しろ人間一生のうちで数えるほどしかない僅少の場合に道義の情火がパッと燃焼した刹那を捉えて、その熱烈純厚の気象を前後に長く引き延ばして、二六時中すべてあのごとくせよと命ずるのは事実上有り得べからざる事を無理に注文するのだから、冷静な科学的観察が進んでその偽りに気がつくと同時に、権威ある道徳律として存在できなくなるのはやむをえない上に、社会組織がだんだん変化して余儀なく個人主義が発展の歩武を進めてくるならばなおさら打撃を蒙るのは明かであります。  こういうと何だか現在に甘んずる成行主義のように御取りになるかも知れないが、そう誤解されては遺憾なので、私は近時の或人のように理想は要らないとか理想は役に立たないとか主張する考は毛頭ないのです。私はどんな社会でも理想なしに生存する社会は想像し得られないとまで信じているのです。現に我々は毎日或る理想、その理想は低くもあり小くもありましょう、がとにかく或る理想を頭の中に描き出して、そうしてそれを明日実現しようと努力しつつまた実現しつつ生きて行くのだと評しても差支ないのです。人間の歴史は今日の不満足を次日物足りるように改造し次日の不平をまたその翌日柔らげて、今日までつづいて来たのだから、一方から云えばまさしくこれ理想発現の経路に過ぎんのであります。いやしくも理想を排斥しては自己の生活を否定するのと同様の矛盾に陥りますから、私はけっしてそう云う方面の論者として諸君に誤解されたくない。ただ私の御注意申し上げたいのは輓近科学上の発見と、科学の進歩に伴って起る周密公平の観察のために道徳界における吾々の理想が昔に比べると低くなった、あるいは狭くなったというだけに過ぎない。だから昔のような理想の持ち方立て方も結構であるかも知れぬが、また我々も昔のようなロマンチシストでありたいが、周囲の社会組織と内部の科学的精神にもまた相当の権利を持たせなければ順応調節の生活ができにくくなるので、自然ナチュラリスチックの傾向を帯びるべく余儀なくされるのである。けれども自然主義の道徳と云うものは、人間の自由を重んじ過ぎて好きな真似をさせるという虞がある。本来が自己本位であるから、個人の行動が放縦不羈になればなるほど、個人としては自由の悦楽を味い得る満足があると共に、社会の一人としてはいつも不安の眼を※って他を眺めなければならなくなる、或る時は恐ろしくなる。その結果一部的の反動としては、浪漫的の道徳がこれから起らなければならないのであります。現に今小さい波動として、それが起りつつあるかも知れません。けれども要するに小波瀾の曲折を描く一部分に過ぎないので大体の傾向から云えばどうしても自然主義の道徳がまだまだ展開して行くように思われます。以上を総括して今後の日本人にはどう云う資格が最も望ましいかと判じてみると、実現のできる程度の理想を懐いて、ここに未来の隣人同胞との調和を求め、また従来の弱点を寛容する同情心を持して現在の個人に対する接触面の融合剤とするような心掛――これが大切だろうと思われるのです。  今日の有様では道徳と文芸と云うものは、大変離れているように考えている人が多数で、道徳を論ずるものは文芸を談ずるを屑しとせず、また文芸に従事するものは道徳以外の別天地に起臥しているように独りぎめで悟っているごとく見受けますが、蓋し両方とも嘘である。その嘘である理由は今までやって来た分解で御合点が行ったはずであります。もっとも社会と云うものはいつでも一元では満足しない。物は極まれば通ずとかいう諺の通り、浪漫主義の道徳が行きづまれば自然主義の道徳がだんだん頭を擡げ、また自然主義の道徳の弊が顕著になって人心がようやく厭気に襲われるとまた浪漫主義の道徳が反動として起るのは当然の理であります。歴史は過去を繰返すと云うのはここの事にほかならんのですが、厳密な意味でいうと、学理的に考えてもまた実際に徴してみても、一遍過ぎ去ったものはけっして繰返されないのです。繰返されるように見えるのは素人だからである。だから今もし小波瀾としてこの自然主義の道徳に反抗して起るものがあるならば、それは浪漫派に違いないが、維新前の浪漫派が再び勃興する事はとうてい困難である、また駄目である。同じ浪漫派にしても我々現在生活の陥欠を補う新らしい意義を帯びた一種の浪漫的道徳でなければなりません。  道徳における向後の大勢及び局部の波瀾として目前に起るべき小反動は要するにかくのごとき性質のものであって、道徳と文芸との密接なる関係もまた上説のごとしとすれば、これからわが社会の要する文芸というものもまた同じ方向に同じ意味において発展しなければならないのも、また多言を要せずして明かな話であります。もし活社会の要する道徳に反対した文芸が存在するならば……存在するならばではない、そんなものは死文芸としてよりほかに存在はできないものである、枯れてしまわなければならないのである。人工的に幾ら声を嗄らして天下に呼号してもほとんど無益かと考えます。社会が文芸を生むか、または文芸に生まれるかどっちかはしばらく措いて、いやしくも社会の道徳と切っても切れない縁で結びつけられている以上、倫理面に活動するていの文芸はけっして吾人内心の欲する道徳と乖離して栄える訳がない。  我々人間としてこの世に存在する以上どうもがいても道徳を離れて倫理界の外に超然と生息する訳には行かない。道徳を離れることができなければ、一見道徳とは没交渉に見える浪漫主義や自然主義の解釈も一考して見る価値がある。この二つの言葉は文学者の専有物ではなくって、あなた方と切り離し得べからざる道徳の形容詞としてすぐ応用ができるというのが私の意見で、なぜそう応用ができるかという訳と、かく応用された言葉の表現する道徳が日本の過去現在に興味ある陰影を投げているという事と、それからその陰影がどういう具合に未来に放射されるであろうかという予想と――まずこれらが私の演題の主眼な点なのであります。 ――明治四十四年八月大阪において述――  東京美術学校文学会の開会式に一場の講演を依頼された余は、朝日新聞社員として、同紙に自説を発表すべしと云う条件で引き受けた上、面倒ながらその速記を会長に依頼した。会長は快よく承諾されて、四五日の後|丁寧なる口上を添えて、速記を余のもとに送付された。見ると腹案の不充分であったためか、あるいは言い廻し方の不適当であったためか、そのままではほとんど紙上に載せて読者の一覧を煩わすに堪えぬくらい混雑している。そこでやむをえず全部を書き改める事にして、さて速記を前へ置いてやり出して見ると、至る処に布衍の必要を生じて、ついには原稿の約二倍くらい長いものにしてしまった。  題目の性質としては一気に読み下さないと、思索の縁を時々に切断せられて、理路の曲折、自然の興趣に伴わざるの憾はあるが、新聞の紙面には固より限りのある事だから、不都合を忍んで、これを一二欄ずつ日ごとに分載するつもりである。  この事情のもとに成れる左の長篇は、講演として速記の体裁を具うるにも関わらず、実は講演者たる余が特に余が社のために新に起草したる論文と見て差支なかろうと思う。これより朝日新聞社員として、筆を執って読者に見えんとする余が入社の辞に次いで、余の文芸に関する所信の大要を述べて、余の立脚地と抱負とを明かにするは、社員たる余の天下公衆に対する義務だろうと信ずる。  私はまだ演説ということをあまり――あまりではないほとんどやった事のない男で、頼まれた事は今まで大分ありましたけれどもみんな断ってしまいました。どうも嫌なんですな。それにできないのです。その代り講義の方はこの間まで毎日やって来ましたから、おそらく上手だろうと思うのですけれどもあいにく御頼みが演説でありますから定めて拙いだろうと存じます。  実はせんだって大村さんがわざわざおいでになって何か演説を一つと云う御注文でありましたが、もともと拙いと知りながら御引受をするのも御気の毒の至りと心得てまずは御辞退に及びました。ところがなかなか御承知になりません。是非やれ、何でもいいからやれ、どうかやれ、としきりにやれやれと御勧めになります。それでもと云って首を捻っていると、しまいには演説はやらんでもいいと申されます。演説をやらんで何を致しますかと伺うと、ただ出席してみんなに顔さえ見せれば勘弁すると云う恩命であります。そこで私も大決心を起して、そのくらいの事なら恐るるに及ばんと快く御受合を致しました。――今日はそう云う条件の下にここに出現した訳であります。けれども不幸にしてあまり御覧に入れるほどな顔でもない。顔だけではあまり軽少と思いますからついでに何か御話を致しましょう。もとより演説と名のつく諸君よ諸君はとてもできませんから演説と云ってもその実は講義になるでしょう。講義になるとすると、私の講義は暗ではやらない、云う事はことごとく文章にして、教場でそれをのべつに話す方針であります。ところが今日はそれほどの閑暇もなし、また考えも纏まっておりません。だから上手であるべき講義も今日に限って存外|拙い訳であります。  美術学校でこういう文学的の会を設立して、諸君の専門技芸以外に、一般文学の知識と趣味を養成せられるのは大変に面白い事と思います。ただいま正木校長の御話のように文学と美術は大変関係の深いものでありますから、その一方を代表なさる諸君が文学の方面にも一種の興味をもたれて、われわれのような不調法ものの講話を御参考に供して下さるのは、この両者の接触上から見て、諸君の前に卑見を開陳すべき第一の機会を捕えた私は多大の名誉と感ずる次第であります。できない演説を無理にやるのは全くこのためで、やりつけないものを受け合ったからと云って、けっして恩に着せる訳ではありません。全く大なる光栄と心得てここへ出て来たのである。が繰返して云う通り、演説はできず講義としては纏まらず、定めて聞苦しい事もあるだろうと思います。その辺はあらかじめ御容赦を願います。  まずこれからそろそろやり始めます。やり始めますよと断ると何だかえらそうに聞えるが、その実は何でもない。ここに三四|頁ばかり書いたノートがあります。これから御話をする事はこの三四頁の内容に過ぎんのでありますからすらすらとやってしまうと十五分くらいですぐすんでしまう。いくらついでにする演説でもそれではあまり情ない。からこの三四頁を口から出まかせに敷衍して進行して行きます。敷衍しかたをあらかじめ考えていないから、どこをどっちへ敷衍するか分らない。時によると飛んだ寄り道をして、出る所へも出られず、帰る所へも帰れないかも知れないと云うすこぶる心細い敷衍法を用います。のみならず冒頭が何だか訳の分らない事から始まるかも知れないから、けっして驚いてはいけません。いずれ結末には美術とか文学とか御互に縁の深い方面へずり落ちて行く事と安心して聴いていただきたい。――ただいま正木会長の御演説中に市気匠気と云う語がありましたが、私の御話も出立地こそぼうっとして何となく稀有の思はあるが、落ち行く先はと云うと、これでも会長といっしょに市気匠気まで行くつもりであります。  まず――私はここに立っております。そうしてあなた方はそこに坐っておられる。私は低い所に立っている、あなた方は高い所に坐っておられる、かように私が立っているという事と、あなた方が坐っておらるると云う事が――事実であります。この事実と云うのを他の言葉で現して見ようならば、私は我と云うもの、あなた方は私に対して私以外のものと云う意味であります。もっとむずかしい表現法を用いると物我対立と云う事実であります。すなわち世界は我と物との相待の関係で成立していると云う事になる。あなた方も定めてそう思われるでありましょう、私もそう思うております。誰しもそう心得ているのである。それから私が、こうやってここに立っており、あなた方が、そうして、そこに坐ってござると、その間に距離というものがある。一間の距離とか、二間の距離とかあるいは十間二十間――この講堂の大きさはどのくらいありますか――とにかく幾坪かの広がりがあって、その中に私が立っており、その中にあなた方が坐っていることになる。この広がりを空間と申します。つまりはスペースと云うものがあって、万物はその中に、各、ある席を占めている。次に今日の演説は一時から始まります。そうしていつ終るか分りませんが、まあいつか終るでしょう。大概は日が暮れる前に終る事と思います。私がこうやって好加減な事をしゃべって、それが済むとあとから、上田さんが代ってまた面白い講話がある。それから散会となる。私の講話も、上田さんの演説も皆経過する事件でありまして、この経過は時間と云うものがなければ、どうしても起る訳に参りません。これも明暸な事で別段改めて申上げる必要はない。最後に、なぜ私がここにこうやって出て来て、しきりに口を動かしているかと云えば、これは酔狂や物数奇で飛出して来たと思われては少し迷惑であります。そこにはそれ相当な因縁、すなわち先刻申上げた大村君の鄭重なる御依頼とか、私の安受合とか、受合ったあとの義務心とか、いろいろの因縁が和合したその結果かくのごとくフロックコートを着て参りました。この関係を因果の法則と称えております。  すると、こうですな。この世界には私と云うものがありまして、あなた方と云うものがありまして、そうして広い空間の中におりまして、この空間の中で御互に芝居をしまして、この芝居が時間の経過で推移して、この推移が因果の法則で纏められている。と云うのでしょう。そこでそれにはまず私と云うものがあると見なければならぬ、あなた方があると見なければならぬ。空間というものがあると見なければならぬ。時間と云うものがあると見なければならぬ。また因果の法則と云うものがあって、吾人を支配していると見なければならん。これは誰も疑うものはあるまい。私もそう思う。  ところがよくよく考えて見ると、それがはなはだ怪しい。よほど怪しい。通俗には誰もそう考えている。私も通俗にそう考えている。しかし退いて不通俗に考えて見るとそれがすこぶるおかしい。どうもそうでないらしい。なぜかと云うと元来この私と云う――こうしてフロックコートを着て高襟をつけて、髭を生やして厳然と存在しているかのごとくに見える、この私の正体がはなはだ怪しいものであります。フロックも高襟も目に見える、手に触れると云うまでで自分でないにはきまっている。この手、この足、痒いときには掻き、痛いときには撫でるこの身体が私かと云うと、そうも行かない。痒い痛いと申す感じはある。撫でる掻くと云う心持ちはある。しかしそれより以外に何にもない。あるものは手でもない足でもない。便宜のために手と名づけ足と名づける意識現象と、痛い痒いと云う意識現象であります。要するに意識はある。また意識すると云う働きはある。これだけはたしかであります、これ以上は証明する事はできないが、これだけは証明する必要もないくらいに炳乎として争うべからざる事実であります。して見ると普通に私と称しているのは客観的に世の中に実在しているものではなくして、ただ意識の連続して行くものに便宜上私と云う名を与えたのであります。何が故に平地に風波を起して、余計な私と云うものを建立するのが便宜かと申すと、「私」と、一たび建立するとその裏には、「あなた方」と、私以外のものも建立する訳になりますから、物我の区別がこれでつきます。そこがいらざる葛藤で、また必要な便宜なのであります。  こう云うと、私は自分の存在を否定するのみならず、かねてあなた方の存在をも否定する訳になって、かように大勢傍聴しておられるにもかかわらず、有れども無きがごとくではなはだ御気の毒の至りであります。御腹も御立ちになるでしょうが、根本的の議論なのだから、まず議論として御聴きを願いたい。根本的に云うと失礼な申条だがあなた方は私を離れて客観的に存在してはおられません。――私を離れてと申したが、その私さえいわゆる私としては存在しないのだから、いわんやあなた方においてをやであります。いくら怒られても駄目であります。あなた方はそこにござる。ござると思ってござる。私もまあちょっとそう思っています。います事は、いますがただかりにそう思って差し上げるまでの事であります。と云うものは、いくらそれ以上に思って上げたくてもそれだけの証拠がないのだから仕方がありません。普通に物の存在を確めるにはまず眼で見ますかね。眼で見た上で手で触れて見る。手で触れたあとで、嗅いでみる、あるいは舐めてみる。――あなた方の存在を確めるにはそれほど手数はかからぬかも知れぬが。けれども前にも申した通り眼で見ようが、耳できこうが、根本的に云えば、ただ視覚と聴覚を意識するまでで、この意識が変じて独立した物とも、人ともなりよう訳がない。見るときに触るるときに、黒い制服を着た、金釦の学生の、姿を、私の意識中に現象としてあらわし来ると云うまでに過ぎないのであります。これを外にしてあなた方の存在と云う事実を認めることができようはずがない。すると煎じ詰めたところが私もなければ、あなた方もない。あるものは、真にあるものは、ただ意識ばかりである。金釦が眼に映ずる、金釦を意識する。講堂の天井が黒くなっている、その黒い所を意識する。――これは悪口ではありません。美術学校の天井が黒いと云うのではない、ただ黒いと意識するので、客観的存在は認めておらん悪口だから構わないでしょう。  まずこれだけの話であります。すると通俗の考えを離れて物我の世界を見たところでは、物が自分から独立して現存していると云う事も云えず、自分が物を離れて生存していると云う事も申されない。換言して見ると己を離れて物はない、また物を離れて己はないはずとなりますから、いわゆる物我なるものは契合一致しなければならん訳になります。物我の二字を用いるのはすでに分りやすいためにするのみで、根本義から云うと、実はこの両面を区別しようがない、区別する事ができぬものに一致などと云う言語も必要ではないのであります。だからただ明かに存在しているのは意識であります。そうしてこの意識の連続を称して俗に命と云うのであります。  連続と云う字を使用する以上は意識が推移して行くと云う意味を含んでおって、推移と云う意味がある以上は意識に単位がなければならぬと云う事とこの単位が互に消長すると云う事とは消長が分明であるくらいに単位意識が明暸でなければならぬと云う事と意識の推移がある法則に支配せらるるやと云う事になりますから、問題がよほど込入って来ますが、今はそんな面倒な事を御話する場合でないから、諸君の御研究に一任する事として講話を進めます。もっとも今申した四カ条のうち、意識推移の原則については私の「文学論」の第五篇に不完全ながら自分の考えだけは述べておきましたから、御参考を願いたいと思います。ついでに「文学論」も一部ずつ御求めを願いたいと思います。――とにかく意識がある。物もない、我もないかも知れないが意識だけはたしかにある。そうしてこの意識が連続する。なぜ連続するかは哲学的にまたは進化的に説明がつくにしても、つかぬにしても連続するのはたしかであるから、これを事実として歩を進めて行く。  そこでちょっと留まって、この講話の冒頭を顧みると少々妙であります。最初には私と云うものがあると申しました。あなた方もたしかにおいでになると申しました。そうして、御互に空間と云う怪しいものの中に這入り込んで、時間と云う分らぬものの流れに棹さして、因果の法則と云う恐ろしいものに束縛せられて、ぐうぐう云っていると申しました。ところが不通俗に考えた結果によるとまるで反対になってしまいました。物我などと云う関門は最初からない事になりました。天地すなわち自己と云うえらい事になりました。いつの間にこう豹変したのか分らないが、全く矛盾してしまいました。  なぜこんな矛盾が起ったのだろうか。よく考えると何にもないのに、通俗では森羅万象いろいろなものが掃蕩しても掃蕩しきれぬほど雑然として宇宙に充※している。戸張君ではないが天地前にあり、竹風ここにありと云いたくなるくらいであります。――なぜこんな矛盾が起ったのであろうか。これはすこぶる大問題である。面倒にむずかしく論じて来たら大分暇がかかりましょう。私は必要上、ごく粗末なところを、はなはだ短い時間内に御話するのであるから、無論|豪い哲学者などが聞いておられたら、不完全だと云って攻撃せられるだろうと思います。しかしこの短い時間内に、こんな大袈裟な問題を片づけるのだから、無論完全な事を云うはずがない、不完全は無論不完全だが、あの度胸が感心だと賞めていただきたい。もっとも時間は幾らでも与えるから、もっと立派に言えと注文されても私の手際では覚束ないかも知れない。まあちょうどよいのです。  どうして、こんな矛盾が起るかと云う問題に対して、ただ一口に説明してしまえば訳はない。前に申す通り吾々の生命は――吾々と云うと自他を樹立する語弊はあるがしばらく便宜のために使用します――吾々の生命は意識の連続であります。そうしてどういうものかこの連続を切断する事を欲しないのであります。他の言葉で云うと死ぬ事を希望しないのであります。もう一つ他の言葉で云うとこの連続をつづけて行く事が大好きなのであります。なぜ好むかとなると説明はできない。誰が出て来ても説明はできない。ただそれが事実であると認めるよりほかに道はない。もちろん進化論者に云わせるとこの願望も長い間に馴致発展し来ったのだと幾分かその発展の順序を示す事ができるかも知れない。と云うものはそんな傾向をもっておらないようなもの、その傾向に応じて世の中に処して来なかったものは皆死んでしまったので、今残っているやつは命の欲しい欲張りばかりになったのだと論ずる事もできるからであります。御互のように命については極めて執着の多い、奇麗でない、思い切りのわるい連中が、こうしてぴんぴんしているような訳かも知れません。これでも多少の説明にはなります。しかしもっと進んでこの傾向の大原因を極めようとすると駄目であります。万法一に帰す、一いずれの所にか帰すというような禅学の公案工夫に似たものを指定しなければならんようになります。ショペンハウワーと云う人は生欲の盲動的意志と云う語でこの傾向をあらわしております。まことに重宝な文句であります。私もちょっと拝借しようと思うのですが、前に述べた意識の連続以外にこんな変挺なものを建立すると、意識の連続以外に何にもないと申した言質に対して申訳が立ちませんから、残念ながらやめに致して、この傾向は意識の内容を構成している一部分すなわち属性と見做してしまいます。そうして「この傾向」と云うような概念は抽象の結果、よほど発達した後に「この傾向」として放出したものと認めるのであります。それは、ともかくも「吾人は意識の連続を求める」と云う事だけを事実として受けとらねばならぬのであります。もっと明暸に云うと「意識には連続的傾向がある」と云い切ってこれを事実として受けとるのであります。  意識と云い、連続と云い、連続的傾向と云うとそのうちに意識の分化と云う事と統一と云う事は自然と含まっております。すでに連続とある以上は甲と乙と連続したと云う事実を意識せねばならぬ、すなわち甲と乙と差別がつくほどに両意識が明暸でなければなりません。差別がつくと云うのは、同時に同じ意識もしくは類似の意識を統一し得ると云う意味と同じ事になります。例えてみれば視覚となづける意識は、分化の結果、触覚や味覚と差別がつくと、同時にあらゆる視覚的意識を統一する事ができて始めてできる言語であります。意識にこれだけの分化作用ができて、その分化した意識と、眼球と云う器械を結びつけて、この種の意識は眼球が司どるのだと思いつく。しばらく視覚の意識と眼球の作用を混同して云うと、昔し分化作用の行われぬうちは視力は必ずしも眼球に集中しておらなかったろう。私も遠い昔では、からだ全体で物を見ていたかも知れぬ、あるいは背中で物を舐めていたかも知れぬ。眼耳鼻舌と分業が行われ出したのは、つい近頃の事であると思います。こう分業が行われだすと融通が利かなくなります。ちょっと舌癌にかかったからと云うて踵で飯を食う訳には行かず、不幸にして痳疾を患いたからと申して臍で用を弁ずる事ができなくなりました。はなはだ不都合であります。しかし意識の連続と云う以上は、――連続の意義が明暸になる以上は、――連続を形ちづくる意識の内容が明暸でなければならぬはずであります。明暸でない意識は連続しているか、連続していないか判然しない。つまり吾人の根本的傾向に反する。否意識そのものの根本的傾向に反するのであります。意識の分化と統一とはこの根本的傾向から自然と発展して参ります。向後どこまで分化と統一が行われるかほとんど想像がつかない。しかしてこれに応ずる官能もどのくらい複雑になるか分りません。今日では目に見えぬもの、手に触れる事のできぬもの、あるいは五感以上に超然たるものがしだいに意識の舞台に上る事であろうと思いますから、まず気を長くして待っていたらよかろうと思います。  もう一遍|繰返して「意識の連続」と申します。この句を割って見ると意識と云う字と連続と云う字になります。こうして意識の内容のいかんと、この連続の順序のいかんと二つに分れて問題は提起される訳であります。これを合すれば、いかなる内容の意識をいかなる順序に連続させるかの問題に帰着します。吾人がこの問題に逢着したとき――吾人は必ずこの問題に逢着するに相違ない。意識及その連続を事実と認める裏にはすでにこの問題が含まれております。そうしてこの問題の裏面には選択と云う事が含まれております。ある程度の自由がない以上は、また幾分か選択の余裕がないならばこの問題の出ようはずがない。この問題が出るのはこの問題が一通り以上に解決され得るからである。この解決の標準を理想というのであります。これを纏めて一口に云うと吾人は生きたいと云う傾向をもっている。この傾向からして選択が出る。この選択から理想が出る。すると今まではただ生きればいいと云う傾向が発展して、ある特別の意義を有する命が欲しくなる。すなわちいかなる順序に意識を連続させようか、またいかなる意識の内容を選ぼうか、理想はこの二つになって漸々と発展する。後に御話をする文学者の理想もここから出て参るのであります。  次に連続と云う字義をもう一遍|吟味してみますと、前にも申す通り、ははあ連続している哩と相互の区別ができるくらいに、連続しつつある意識は明暸でなければならぬはずであります。そうして、かように区別し得る程度において明暸なる意識が、新陳代謝すると見ると、甲が去って乙が来ると云う順序がなければならぬはずであります。順序があるからには甲乙が共に意識せられるのではない。甲が去った後で、乙を意識するのであるから、乙を意識しているときはすでに甲は意識しておらん訳です。それにもかかわらず甲と乙とを区別する事ができるならば、明暸なる乙の意識の下には、比較的不明暸かは知らぬが、やはり甲の意識が存在していると見做さなければなりません。俗にこの不明暸な意識を称して記憶と云うのであります。だからして記憶の最高度はもっとも明暸なる上層の意識で、その最低度はもっとも不明暸なる下層の意識に過ぎんのであります。  すると意識の連続は是非共記憶を含んでおらねばならず、記憶というと是非共時間を含んで来なければならなくなります。からして時間と云うものは内容のある意識の連続を待って始めて云うべき事で、これと関係なく時間が独立して世の中に存在するものではない。換言すれば意識と意識の間に存する一種の関係であって、意識があってこそこの関係が出るのであります。だから意識を離れてこの関係のみを独立させると云う事は便宜上の抽象として差支ないが、それ自身に存在するものと見る訳には参りません。ちょうどここにある水指のなかから白い色だけをとって、そうして物質を離れて白い色が存在すると主張するようなものであります。ちょっと考えると時間と云うものが流れていて、その永劫の流れのなかに事件が発展推移するように見えますが、それは前に申した分化統一の力が、ここまで進んだ結果時間と云うものを抽象して便宜上これに存在を許したとの意味にほかならんのであります。薔薇の中から香水を取って、香水のうちに薔薇があると云ったような論鋒と思います。私の考えでは薔薇のなかに香水があると云った方が適当と思います。もっともこの時間及びあとから御話をする空間と云うのは大分むずかしい問題で、哲学者に云わせると大変やかましいものでありますから、私のような粗末な考えを好い加減に云う時は、あまり御信じにならん方がよいかも知れませんが、――しかしあまり信じなくってもいけません。まず演説の終るまで信じておって、御宅へ御帰りになる頃に信じなくなるのがちょうどいい加減であろうと思います。  次に今云う意識の連続――すなわち甲が去って乙がくるときに、こう云う場合がある。まず甲を意識して、それから乙を意識する。今度はその順を逆にして、乙を意識してから甲に移る。そうしてこの両つのものを意識する時間を延しても縮めても、両意識の関係が変らない。するとこの関係は比較的時間と独立した関係であって、しかもある一定の関係であるという事がわかる。その時に吾人はこれを時間の関係に帰着せしむる事ができない事を悟って、これに空間的関係の名を与えるのであります。だからしてこれも両意識の間に存する一種の関係であって、意識そのものを離れて空間なるものが存在しているはずがない。空間自存の概念が起るのはやはり発達した抽象を認めて実在と見做した結果にほかならぬ。文法と云うものは言葉の排列上における相互の関係を法則にまとめたものであるが、小児は文法があって、それから文章があるように考えている。文法は文章があって、言葉があって、その言葉の関係を示すものに過ぎんのだからして、文法こそ文章のうちに含まれていると云ってしかるべきであるごとく空間の概念も具体的なる両意識のうちに含まれていると云ってもよろしいと思う。それを便宜のために抽象して離してしまって広い空間を勝手次第に抛り出すと、無辺際のうちにぽつりぽつりと物が散点しているような心持ちになります。もっともこの空間論も大分難物のようで、ニュートンと云う人は空間は客観的に存在していると主張したそうですし、カントは直覚だとか云ったそうですから、私の云う事は、あまり当にはなりません。あなた方が当になさらんでも、私はたしかにそう思ってるんだから毫も差支はありません。ただ自分だけで、そう思っていればすむ事を、かように何のかのと申し上げるのは、演説を御頼みになった因果でやむをえず申し上げるので、もしこれを申し上げないと、いつまでたっても文学談に移る事はできないのであります。  さて抽象の結果として、時間と空間に客観的存在を与えると、これを有意義ならしむるために数というものを製造して、この両つのものを測る便宜法を講ずるのであります。世の中に単に数というような間の抜けた実質のないものはかつて存在した試しがない。今でもありません。数と云うのは意識の内容に関係なく、ただその連続的関係を前後に左右にもっとも簡単に測る符牒で、こんな正体のない符牒を製造するにはよほど骨が折れたろうと思われます。  それから意識の連続のうちに、二つもしくは二つ以上、いつでも同じ順序につながって出て来るのがあります。甲の後には必ず乙が出る。いつでも出る。順序において毫も変る事がない。するとこの一種の関係に対して吾人は因果の名を与えるのみならず、この関係だけを切り離して因果の法則と云うものを捏造するのであります。捏造と云うと妙な言葉ですが、実際ありもせぬものをつくり出すのだから捏造に相違ない。意識現象に附着しない因果はからの因果であります。因果の法則などと云うものは全くからのもので、やはり便宜上の仮定に過ぎません。これを知らないで天地の大法に支配せられて……などと云ってすましているのは、自分で張子の虎を造ってその前で慄えているようなものであります。いわゆる因果法と云うものはただ今までがこうであったと云う事を一目に見せるための索引に過ぎんので、便利ではあるが、未来にこの法を超越した連続が出て来ないなどと思うのは愚の極であります。それだから、よく分った人は俗人の不思議に思うような事を毫も不思議と思わない。今まで知れた因果以外にいくらでも因果があり得るものだと承知しているからであります。ドンが鳴ると必ず昼飯だと思う連中とは少々違っています。  ここいらで前段に述べた事を総括しておいて、それから先へ進行しようと思います。吾々は生きたいと云う念々に支配せられております。意識の方から云うと、意識には連続的傾向がある。この傾向が選択を生ずる。選択が理想を孕む。次にこの理想を実現して意識が特殊なる連続的方向を取る。その結果として意識が分化する、明暸になる、統一せられる。一定の関係を統一して時間に客観的存在を与える。一定の関係を統一して空間に客観的存在を与える。時間、空間を有意義ならしむるために数を抽象してこれを使用する。時間内に起る一定の連続を統一して因果の名を附して、因果の法則を抽象する。  まずざっと、こんなものであります。してみると空間というものも時間というものも因果の法則というものも皆|便宜上の仮定であって、真実に存在しているものではない。これは私がそう云うのです。諸君がそうでないと云えばそれでもよい。御随意である。とにかく今日だけはそう仮定したいものだと思います。それでないと話が進行しません。なぜこんな余計な仮定をして平気でいるかというと、そこが人間の下司な了簡で、我々はただ生きたい生きたいとのみ考えている。生きさえすれば、どんな嘘でも吐く、どんな間違でも構わず遂行する、真にあさましいものどもでありますから、空間があるとしないと生活上不便だと思うと、すぐ空間を捏造してしまう。時間がないと不都合だと勘づくと、よろしい、それじゃ時間を製造してやろうと、すぐ時間を製造してしまいます。だからいろいろな抽象や種々な仮定は、みんな背に腹は代えられぬ切なさのあまりから割り出した嘘であります。そうして嘘から出た真実であります。いかにこの嘘が便宜であるかは、何年となく嘘をつき習った、末世澆季の今日では、私もこの嘘を真実と思い、あなた方もこの嘘を真実と思って、誰も怪しむものもなく、疑うものもなく、公々然|憚るところなく、仮定を実在と認識して嬉しがっているのでも分ります。貧して鈍すとも、窮すれば濫すとも申して、生活難に追われるとみんなこう堕落して参ります。要するに生活上の利害から割り出した嘘だから、大晦日に女郎のこぼす涙と同じくらいな実は含んでおります。なぜと云って御覧なさい。もし時間があると思わなければ、また時間を計る数と云うものがなければ、土曜に演説を受け合って日曜に来るかも知れない。御互の損になります。空間があると心得なければ、また空間を計る数と云うものがなければ、電車を避ける事もできず、二階から下りる事もできず、交番へ突き当ったり、犬の尾を踏んだり、はなはだ嬉しくない結果になります。普通に知れ渡った因果の法則もこの通りであります。だからすべてこれらに存在の権利を与えないと吾身が危ういのであります。わが身が危うければどんな無理な事でもしなければなりません。そんな無法があるものかと力味でいる人は死ぬばかりであります。だから現今ぴんぴん生息している人間は皆不正直もので、律義な連中はとくの昔に、汽車に引かれたり、川へ落ちたり、巡査につかまったりして、ことごとく死んでしまったと御承知になれば大した間違はありません。  すでに空間ができ、時間ができれば意識を割いて我と物との二つにする事は容易であります。容易などころの騒ぎじゃない。実は我と物を区別してこれを手際よく安置するために空間と時間の御堂を建立したも同然である。御堂ができるや否や待ち構えていた我々は意識を攫んでは抛げ、攫んでは抛げ、あたかも粟餅屋が餅をちぎって黄ナ粉の中へ放り込むような勢で抛げつけます。この黄ナ粉が時間だと、過去の餅、現在の餅、未来の餅になります。この黄ナ粉が空間だと、遠い餅、近い餅、ここの餅、あすこの餅になります。今でも私の前にあなた方が百五十人ばかりならんでおられる。これは失礼ながら私が便宜のため、そこへ抛げ出したのであります。すでに空間のできた今日であるから、嘘にもせよせっかく出来上ったものを使わないのも宝の持腐れであるから、都合により、ぴしゃぴしゃ投出すと約百余人ちゃんと、そこに行儀よく並んでおられて至極便利であります。投げると申すと失敬に当りますが、粟餅とは認めていないのだから、大した非礼にはなるまいと思います。  この放射作用と前に申した分化作用が合併して我以外のものを、単に我以外のものとしておかないで、これにいろいろな名称を与えて互に区別するようになります。例えば感覚的なものと超感覚的なものに分類する。その感覚的なものをまた眼で見る色や形、耳で聴く音や響、鼻で嗅ぐ香、舌でしる味などに区別する。かくのごとく区別されたものを、まただんだんに細かく割って行く。分化作用が行われて、感覚が鋭敏になればなるほどこの区別は微精になって来ます。のみならず同一に統一作用が行われるからして、一方では草となり、木となり、動物となり、人間となるのみならず。草は菫となり、蒲公英となり、桜草となり、木は梅となり、桃となり、松となり、檜となり、動物は牛、馬、猿、犬、人間は士、農、工、商、あるいは老、若、男、女、もしくは貴、賤、長、幼、賢、愚、正、邪、いくらでも分岐して来ます。現に今日でも植物学者の見分け得る草や花の種類はほとんど吾人の幾百倍に上るであろうと思います。また諸君のような画家の鑑別する色合は普通人の何十倍に当るか分らんでしょう。それも何のためかと云えば、元に還って考えて見ると、つまりは、うまく生きて行こうの一念に、この分化を促されたに過ぎないのであります。ある一種の意識連続を自由に得んがためにあらかじめ意識の範囲を広くすると云う意味にほかならんのであります。私共はどの草を見ても皆一様に青く見える。青のうちでいろいろな種類を意識したいと思っても、いかんせん分化作用がそこまで達しておらんから皆無駄目である。少くとも色について変化に富んだ複雑の生活は送れない事に帰着する。盲眼の毛の生えたものであります。情ない次第だと思います。或る評家の語に吾人が一色を認むるところにおいてチチアンは五十色を認めるとあります。これは単に画家だから重宝だと云うばかりではありません。人間として比較的融通の利く生活が遂げらるると云う意味になります。意識の材料が多ければ多いほど、選択の自由が利いて、ある意識の連続を容易に実行できる――即ち自己の理想を実行しやすい地位に立つ――人と云わなければならぬから、融通の利く人と申すのであります。単に色ばかりではありません。例えば思想の乏しい人の送る内|生涯と云うものも色における吾々と同じく、気の毒なほど憐なものです。いくら金銭に不自由がなくても、いくら地位門閥が高くても、意識の連続は単調で、平凡で、毫も理想がなくて、高、下、雅、俗、正、邪、曲、直の区別さえ分らなくて昏々濛々としてアミーバのような生活を送ります。こんな連中は人間さえ見れば誰も彼もみな同じ物だと思って働きかけます。それは頭が不明暸なんだからだと注意してやると、かえって吾々を軽蔑したり、罵倒したりするから厄介です――しかしこれはここで云う事ではない。演説の足が滑って泥溝の中へちょっと落ちたのです。すぐ這い上って真直に進行します。  吾人は今申す通り我に対する物を空間に放射して、分化作用でこれを精細に区別して行きます。同時に我に対してもまた同様の分化作用を発展させて、身体と精神とを区別する。その精神作用を知、情、意、の三に区別します。それからこの知を割り、情を割り、その作用の特性によってまたいろいろに識別して行きます。この方面は主として心理学者と云うものが専門として担任しているから、これらの人に聞くのが一番わかりやすい。もっとも心理学者のやる事は心の作用を分解して抽象してしまう弊がある。知情意は当を得た分類かも知れぬが、三つの作用が各独立して、他と交渉なく働いているものではありません。心の作用はどんなに立入って細かい点に至っても、これを全体として見るとやはり知情意の三つを含んでいる場合が多い。だからこの三作用を截然と区別するのは全く便宜上の抽象である。この抽象法を用いないで、しかも極度の分化作用による微細なる心の働きを写して人に示すのはおもに文学者がやっている。だから文学者の仕事もこの分化発展につれてだんだんと、朦朧たるものを明暸に意識し、意識したるものを仔細に区別して行きます。例えば昔の竹取物語とか、太平記とかを見ると、いろいろな人間が出て来るがみんな同じ人間のようであります。西鶴などに至ってもやはりそうであります。つまりああいう著者には人間がたいてい同様にぼうっと見えたのでありましょう。分化作用の発展した今日になると人間観がそう鷹揚ではいけない。彼らの精神作用について微妙な細い割り方をして、しかもその割った部分を明細に描写する手際がなければ時勢に釣り合わない。これだけの眼識のないものが人間を写そうと企てるのは、あたかも色盲が絵をかこうと発心するようなものでとうてい成功はしないのであります。画を専門になさる、あなた方の方から云うと、同じ白色を出すのに白紙の白さと、食卓布の白さを区別するくらいな視覚力がないと視覚の発達した今日において充分理想通りの色を表現する事ができないと同様の意義で、――文学者の方でも同性質、同傾向、同境遇、同年輩の男でも、その間に微妙な区別を認め得るくらいな眼光がないと、人を視る力の発達した今日においては、性格を描写したとは申されないのであります。したがって人間をかく文学者は、単に文学者ではならん、要するに人間を識別する能力が発達した人でなくてはならんのです。進んだる世の中に、もっとも進んだる眼識を具えた男――特に文学者としてではない、一般人間としてこの方面に立派な腕前のある男――でなければ手は出せぬはずであります。世の中はそう思っておりません。何の小説家がと、小説家をもってあたかも指物師とか経師屋のごとく単に筆を舐って衣食する人のように考えている。小説家よりも大学の先生の方が遥にえらいと考えている。内務省の地方局長の方がなお遥にえらいと思っている。大臣や金持や華族様はなおなお遥にえらいと思っている。妙な事であります。もし我々が小説家から、人間と云うものは、こんなものであると云う新事実を教えられたならば、我々は我々の分化作用の径路において、この小説家のために一歩の発展を促されて、開化の進路にあたる一叢の荊棘を切り開いて貰ったと云わねばならんだろうと思います。もし諸君がそんな小説家は現今日本に一人もないではないかと云われるならば、私はこう答える。それは小説家の罪ではない。現今日本の小説家の罪である。局長にでもがあるごとく、博士にでもがあるごとく、小説家にでもがあるのも御互様と申さねばならぬのであります。――また泥溝の中へ落ちました。  実はまだ文学の御話をするほどに講演の歩を進めておらんのであります。分化作用を述べる際につい口が滑って文学者ことに小説家の眼識に論及してしまったのであります。だからこれをもって彼らの使命の全般をつくしたとは申されない。前にも云う通りついでだから分化作用に即して彼らの使命の一端を挙げたのに過ぎんのである。したがって文学全体に渉っての御話をするときには今少し概括的に出て来なければならぬ訳です。これから追々そこまで漕ぎつけて行きます。  かく分化作用で、吾々は物と我とを分ち、物を分って自然と人間と超感覚的な神とし、我を分って知、情、意の三とします。この我なる三作用と我以外の物とを結びつけると、明かに三の場合が成立します。すなわち物に向って知を働かす人と、物に向って情を働かす人と、それから物に向って意を働かす人であります。無論この三作用は元来独立しておらんのだから、ここで知を働かし、情を働かし、意を働かすと云うのは重に働かすと云う意味で、全然他の作用を除却して、それのみを働かすと云うつもりではありません。そこでこのうちで知を働かす人は、物の関係を明める人で俗にこれを哲学者もしくは科学者と云います。情を働かす人は、物の関係を味わう人で俗にこれを文学者もしくは芸術家と称えます。最後に意を働かす人は、物の関係を改造する人で俗にこれを軍人とか、政治家とか、豆腐屋とか、大工とか号しております。  かように意識の内容が分化して来ると、内容の連続も多種多様になるから、前に申した理想、すなわちいかなる意識の連続をもって自己の生命を構成しようかと云う選択の区域も大分自由になります。ある人は比較的知の作用のみを働かす意識の連続を得て生存せんと冀い、ついに学者になります。またある人は比較的情を働かす意識の連続をもって生活の内容としたいと云う理想からとうとう文士とか、画家とか、音楽家になってしまいます。またある人は意志を多く働かし得る意識の連続を希望する結果百姓になったり、車引になったり――これはたんとないかも知れぬが、軍をしたり、冒険に出たり、革命を企てたりするのは大分あるでしょう。  かく人間の理想を三大別したところで、我々、すなわち今日この席で講演の栄誉を有している私と、その講演を御聴き下さる諸君の理想は何であるかと云うと、云うまでもなく第二に属するものであります。情を働かして生活したい、知意を働かせたくないと云うのではないが、情を離れて活きていたくないと云うのが我々の理想であります。しかしただ「情が理想」では合点が行かない。御互になるほどと合点が参るためには、今少し詳細に「情を理想とする」とは、こんなものだと小かく割って御話しをしなければなるまいと思います。  情を働かす人は物の関係を味わうんだと申しました。物の関係を味わう人は、物の関係を明めなくてはならず、また場合によってはこの関係を改造しなくては味が出て来ないからして、情の人はかねて、知意の人でなくてはならず、文芸家は同時に哲学者で同時に実行的の人であるのは無論であります。しかし関係を明める方を専らにする人は、明めやすくするために、味わう事のできない程度までにこの関係を抽象してしまうかも知れません。林檎が三つあると、三と云う関係を明かにさえすればよいと云うので、肝心の林檎は忘れて、ただ三の数だけに重きをおくようになります。文芸家にとっても関係を明かにする必要はあるが、これを明かにするのは従前よりよくこの関係を味わい得るために、明かにするのだからして、いくら明かになるからと云うて、この関係を味わい得ぬ程度までに明かにしては何にもならんのであります。だから三と云う関係を知るのは結構だが林檎と云う果物を忘るる事はとうてい文芸家にはできんのであります。文芸家の意志を働かす場合もその通りであります。物の関係を改造するのが目的ではない、よりよく情を働かし得るために改造するのである。からして情の活動に反する程度までにこの関係を新にしてしまうのは、文芸家の断じてやらぬ事であります。松の傍に石を添える事はあるでしょうが、松を切って湯屋に売払う事はよほど貧乏しないとできにくい。せっかくの松を一片の煙としてしまうともう、情を働かす余地がなくなるからであります。して見ると文芸家は「物の関係を味わうものだ」と云う句の意味がいささか明暸になったようであります。すなわち物の関係を味わい得んがためには、その物がどこまでも具体的でなくてはならぬ、知意の働きで、具体的のものを打ち壊してしまうや否や、文芸家はこの関係を味わう事ができなくなる。したがってどこまでも具体的のものに即して、情を働かせる、具体の性質を破壊せぬ範囲内において知、意を働かせる。――まずこうなります。  すると文芸家の理想はとうてい感覚的なものを離れては成立せんと云う事になります。早い話しが無臭無形の神の事でもかこうとすると何か感覚的なものを借りて来ないと文章にも絵にもなりません。だから旧約全書の神様や希臘の神様はみんな声とか形とかあるいはその他の感覚的な力を有しています。それだから吾人文芸家の理想は感覚的なる或物を通じて一種の情をあらわすと云うても宜しかろうと存じます。そこで問題は二つになります。一は感覚的なものとは何だと云う問題で二はいわゆる一種の情とは、感覚的なものの、どの部分によって、どんな具合にあらわされるかまた、「感覚的なものを通じて」と云うのは感覚的なものを使って、この道具の方便である情をあらわすと云うのか、しからずんば感覚的なもの、それ自身がこの情をあらわす目的物かという問題であります。この問題を解釈すると文芸家の理想の分化する模様が大体|見当がつきます。第一問の解釈、第二問の解釈として順を追うては述べませんが、ただ秩序を立てて分りやすくするためにやはり一二の番号をふって説明して行きます。 私は最前空間、時間の建立からして、物我の二世界を作ると申しました。その物なるものは自然である、人間である、神であると申しました。このうちで神は感覚的なものでないから問題になりません。もし文芸に神が出現するときは感覚的な或物を通じてくるのだから、出現するとしても、他と同じ分類のなかに這入るからしてやはり問題にする必要はありません。すると残るものは自然と人間であります。そうして我々は自然とこの人間とに対して一種の情を有しております。換言すれば感覚的なる自然と感覚的なる人間そのものの色合やら、線の配合やら、大小やら、比例やら、質の軟硬やら、光線の反射具合やら、彼らの有する音声やら、すべてこれらの感覚的なるものに対して趣味、すなわち好悪、すなわち情、